エントリ

割りばし事故で医師に無罪判決 東京地裁(asahi.com 2006年03月28日21時03分)

 やや旧聞ですが、ボツネタ経由で例の蛇足で有名な井上薫判事がこの判決についても蛇足批判をなさってるようですので、ニュースの判旨を読み直してみました。

判決は、搬送中に吐き、意識レベルが低下していたから頭蓋骨(ずがいこつ)の中の損傷を想定すべきだった▽それなのに頭部CTスキャン撮影やファイバースコープによる診察を怠り、消毒薬を塗るなどしただけで帰宅させた――として検察側主張にほぼ沿う形で過失を認めた。

 一方、死因については弁護側主張を採用。「割りばしが頸静脈(けいじょうみゃく)に突き刺さったことによる静脈還流障害が死因である可能性が高い」と判断。そのうえで、頸静脈の修復が唯一の救命措置だったが、すぐに脳神経外科医に男児を引き継いでも、その措置は時間的、技術的に困難で、救命・延命可能性は極めて低かった――と結論づけた。 (asahi.com)

 後段の因果関係に関する判旨を読んでみますと、要するに、被告人の医師の元に患者が搬送されてきた時点では、既に「手遅れ」または「手の施しようがなかった」という認定のもとに因果関係を否定していると読めます。

 そうなりますと、私としては過失もないのではないかと思ってしまうわけです。
 ちょっと理論的な話になりますが、過失が認められるためには、結果回避可能性の存在が前提になると考えています。
 つまり、本件で過失責任を問うためには、適切な治療を施せば救命できる可能性があったのに、診断ミスで適切な治療を施さなかったことから患者が死亡したという関係が必要なわけですが、そもそも救命できる可能性がなかったら過失責任を問うことはできない、ということです。
 手遅れの患者を担ぎ込まれた医師が刑事責任を問われていたのでは医師のなり手がなくなってしまいますから、常識的に見ても当然の話です。

 既に「手遅れ」または「手の施しようがなかった」という認定がなされた以上、過失犯成立上の理論的な観点では、被告人の医師が搬送されてきた患者に何をすべきであったかということを検討するまでもなく、「過失がない」として無罪判決をすることは十分可能だと思います。 

 その意味で、井上判事の蛇足論は、過失犯理論だけを考えれば、論理的な帰結といえなくもありません。

 しかし、既に「手遅れ」または「手の施しようがなかった」という事実は、被害者の死亡後に行われた解剖の結果明らかになったことからすると、それだけを考えればいいとは思えないのです。
 本件において、搬送当時の患者は、一見して既に「手遅れ」または「手の施しようがなかった」という状態ではありませんでした。

 そのような患者に対しては、医師として当然なすべき検査等があるはずです。
 そして当然なすべき検査等をしていなかったとすれば、それは医療行為としては、不十分または不適切という批判を免れないものと考えます。
 そして、不十分または不適切な治療行為は、重大な医療過誤を惹起する危険性を孕んでいます。
 本件では、たまたま後で調べたら結果的に手遅れだったということのために、過失犯が成立しなかっただけです。

 不適切な治療行為は、どこかで誰かが、不適切である、と指摘しなければ、将来的に同様の不適切な治療が行われる可能性を残すことになり、医療過誤による被害者の発生(手遅れでなかったのに、死んでしまう患者)の可能性を残すことになります。

 治療行為の適否というのは、高度に専門的判断ですから、本来的には医師会などの医療関係者側で指摘されるべきものと思うのですが、現時点において、医療側にそのような検証システムがないように思います(私の不勉強であれば指摘していただけると幸いです)。

 そうなると司法の世界で指摘せざるを得ないことになります。

 裁判所が、被告人の過失として頭部CTスキャン撮影などの医師としてなすべきであった行為の存在の有無を検討して指摘したことは、理論的な問題はともかく、必要なことであったと思います。 

 その意味で、井上判事の蛇足論には賛成しかねます。
 井上判事の発想には、事件の早期処理があるのみで、血が流れている当事者や社会に内在する危険というものに対する配慮が欠落しているように思います。

 落合弁護士のブログも参考になります。

追記
 ブログの紹介
 割り箸事故(今日の育児)

追記(H18/4/4)
 私がこの記事で、無罪になった医師の医療行為が不適切であったと決めつけているかの印象があるかと思いますが、もともとの趣旨は、蛇足意見に対する反論としての意見であり、一応裁判所の判断を前提にしております。
 しかし、コメントにおいて医師の反論の機会が奪われたことを問題視していることからご理解いただけるかと思いますが、証拠関係の詳細を知らない私としては、不適切な医療であったと決めつけているわけではありません。
 不適切かどうかについて検討されなければならないと考えているだけです。

追記(H18/4/4)
 判決要旨(山陰中央新報 共同通信社)(リンク切れ)
追記(H18/4/7)
判決要旨(福島民報)(リンク切れ)
追記(H18/4/7)
医師無罪に検察控訴、割りばし幼児死亡事故(asahi.com 2006年04月07日19時56分)(リンク切れ)

「延命の可能性低い」医師に無罪…割りばし死亡事故(2006年3月29日 読売新聞)


参考ブログ
日経メディカル記事:産科医逮捕に高まる“抗議”(ある産婦人科医のひとりごと)
割りばし事件判決前に 1(ヤブ医者ブログ)
割りばし事件判決前に 2(ヤブ医者ブログ)

追記 民事地裁判決(2008年2月12日)
 「割りばし事故死」訴訟地裁判決

関連エントリ
 「割りばし死亡事故」(タグ検索)

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コメント(42)

トラックバックありがとうございます。
直感的に感じたままを書いたものをきちっと理論立ててフォーローしていただいたようで「スッキリ」しました。
ご紹介の落合弁護士のブログにも目を通させていただきます、ありがとうございます。

トラックバックありがとうございます。
医療過誤訴訟の過失の行方がどこに行くのかということなのでしょうか。
必要な検査をしなかったことが死因に結びつくのであれば、過失は当然問われなければならないと思います。ところがこのケースでは事故後の調査で「手の施しようのない状態」であると判断された。(極端なことを言えば)だから過失はない、と判断されたのでしょう。
でも医療現場で求められるのは治療だけではないはずです。予後が悪い(助かる可能性が限りなく低い)のであれば、それをきちんと診断して家族ないしは本人に伝えることも大事な仕事だと思います。
まとまりのないコメントで失礼いたします。

矢部先生、こんばんは。
今日の記事も興味深く拝読させてもらいました。

>不適切な治療行為は、どこかで誰かが、不適切である、と指摘しなければ、将来的に同様の不適切な治療が行われる可能性を残すことになり、医療過誤による被害者の発生(手遅れでなかったのに、死んでしまう患者)の可能性を残すことになります。

当該指摘はまったくもってその通りであると思います。

判決の早期解決に役立たないものは「蛇足」になるのか。
一歩進んで(判決)の社会的意義は何か。
オウム裁判など他の事件と併せて色々考察をめぐらせております。

判決要旨を毎日MSNで見る限り、結果の回避可能性は過失の成立要素ではなく、過失とは別個の要素としてとらえられているように見えます。(こういう記事がいい加減であることは承知していますが・・・)

先生の回避可能性を過失の要素とする見解は当然有力な見解だと思うのですが今回の判決と合致しているのでしょうか。


ご存知でしたら教示していただけると幸いです。

風の精霊さん
 私の理解は、今回の判決論理とは違います。
 と私は理解しています。
 この違いがどこからくるのかちょっと考えたのですが、行為無価値論的アプローチと結果無価値論的アプローチの違いから来るのではないかと思っています。

Shibu_yan さん、ちくあん さん
 いらっしゃいませ。
 これからもコメントをいただけるとうれしいです。

早稲田日記 さん
 コメントありがとうございます。
 被害者の意識の中に、司法万能主義みたいなものを感じるときがありますが、それは社会がまだまだ未成熟なせいだろうと思っています。

すいません。よく分からないんですが、先生の意見と今回の判決と、どちらが行為無価値的でどちらが結果無価値的なんでせうか?
このケースは、普通やるべきことを医者はやらなかったけど、たまたま、患者の方がやるべきことをやっても手遅れな人だった、というケースですよね。

患者が手遅れな人だった、という事情は行為当時には分からなくて、裁判時に判明した事情ですが、これを「過失」段階で考慮するのが先生の考えで、「条件関係(因果関係)」で考慮するのが判決ですよね。
てことは、先生の方が結果無価値的ってことかな、と、思ったんですが、この理解でいーんでしょうか?

 矢部先生、こんばんは。
 私は以前、井上判事の再任拒否に異論を唱えていたのですが、井上判事の最近の論説を聞き及ぶたびに、「正直なところ再任拒否もやむを得ないのではないか」という思いが強くなってきています。

 「井上判事の発想には、事件の早期処理があるのみで、血が流れている当事者や社会に内在する危険というものに対する配慮が欠落しているように思います。」という先生のご指摘は、まったくそのとおりだと思いました。

 裁判は、その結論だけでなく、結論を根拠付ける理由やそこにいたる過程、当事者の主張までもが人々の強い関心の対象となり、当事者や当事者をとりまく社会の規範意識、さらに倫理観念にすら現実に影響を及ぼしているということを、井上判事は全く意識していないように感じられます。
 井上判事のように、当事者や裁判を見守る社会に意を払わなくてもよいという姿勢で判決を下したところで、その判決は当事者間の紛争解決に充分に活かされることはないでしょうし、裁判制度そのものに対する国民の信頼を失わしめることになるでしょう。

ありがとうございます。


過失と結果回避可能性を別個にする解釈の場合、先に過失を論じるのが筋が通っているように思えます。
結果回避可能性を過失と結果の因果関係の問題と捉えた場合(MSNの要旨では因果関係がないという指摘が見えます)、両者の存在がはっきりしないままに、両者を結びつける橋ともいうべき因果関係の存在を論じるのは実体的には奇妙な話に思えるのです。


そう考えると、井上判事の立論はそもそも今回の裁判と解釈の下では論理的帰結と言えるのか・・・と言うのがそもそも私の持っている疑問です。

続けざまで申し訳ありませんが、これは当を得ているでしょうか?

白片吟K氏 さん
 わざと書かなかったんですが(^^) 
 私のほうが結果無価値論的アプローチということでいいです。

風の精霊 さん
 これも誤解されかねないなと思いつつ書いたところですが(^^;
>論理的帰結と言えるのか
私の書き方からすると当然生じる疑問です。
 申し訳ありませんでした。
 私が論理的と言ったのは、過失致死罪は、過失か因果関係のどちらか一方が認定できなければ、犯罪不成立なわけですから、犯罪成立論的にはどちらか一方が存在しないと認定すれば、他方の存否は考える必要はないという意味で言ったものです。

 つまり、私のエントリ本文の「過失犯理論だけを考えれば、」というのは、「過失犯の犯罪成立要件論だけを考えれば、」と書くべきだったと思います。
 それでも分かりにくいかもしれませんが(^^;

an_accused さん
 やっぱり形式論的合理主義のようなものは、一見論理的で合理的で正しそうに見えてもおかしいのではないでしょうか。
 結局、独りよがりなんだろうと思います。
 

医師の自律性が不足しているから司法が医療に介入する必要があるというのはとんでもない思い上がり,事実を無視した空論です.

現に東京女子医大心臓外科事件・杏林大割り箸事件と無罪判決が続き,事実関係を調べても調べても医師の処置に問題点が発見できない福島帝王切開事件の医師逮捕は検察に医療を検証する能力も資格もないことを如実に示しています.民事判決でも医師から見て明らかに不当な判決が頻発しています.医師のミスが頻発しているのと同様に,司法の失策が枚挙に暇が無いのです.医師の責任は厳しく糾弾され続けていますが,裁判官や検事はどんな判断ミスをしても責任を問われる事は無いのです.福島帝切事件では逮捕の結果一つの地域医療が壊滅しました.日本中の医師は今怒っています.

日本の医師の自律性が不足しているのは認識の問題も大いにありますが,制度の問題も有ります.医師会は弁護士会のような強制権限の無い任意加入団体です.学会も本来学問の為のもので,青戸病院事件では泌尿器科学会が検証を例外的にしましたが,たとえば割り箸事件のように耳鼻科・小児科・脳外科・救急科・口腔外科にまたがる患者の場合,誰がけんしょうするのでしょうか?そもそも民間団体には調査権限が無いのです.無いから調査できないというのも誰にも否定できない事実です.
私は厚生労働省医道審議会が積極的に調査を行うべきだと考えています.現在は一切調査能力が無いので,すべて刑事の判決待った後に処分しています.ここの制度改正,活性化が必要なのです.つい最近 その方向で厚生労働省が動き出したと聞きました.

アメリカのリープらの有名な調査でも,アメリカで医療事故の賠償額と医療サイドの責任に相関がなく,患者の重症度と相関があったこともあきらかになっています.英語の医学文献が読めない日本の司法関係者においては問題外でしょう.
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n1999dir/n2358dir/n2358_03.htm

刑事裁判は適正な判断を下せないし,医療事故の予防につながる事もありません.防衛医療を蔓延させ,医療費を増やし,地域医療を破壊する効果が有るだけです.

医者にとっては「手遅れで良かった」という結論になります。あの状況でCTスキャンを取るのは当然だったのに、取らなかったことについて何も責任を問われないというのは遺族が納得しないのも当然かもしれません。

しかし、刑法上の責任を問われるべき事件ではなく、別の社会的な制裁によって解決されるべき事柄ですね(もうあのお医者さんを信用する人は居ないのですから十分社会的制裁は受けていると思うが)。それをごっちゃにして騒いでいる遺族には正直言って不快感を覚えました。

裁判官は医者としての過失と刑法上の過失は違うということを最終的には指摘したかったのではないでしょうか。そういう意味で蛇足などではなく、必要な指摘であったと考えます。

個々人の医師の自律性欠如とは言っていないと思います。医療側ということで制度の問題としての指摘でしょう。そういう意味では同じです。
アメリカの賠償額の問題は,陪審裁判ですからそうなるのはやむを得ない。それをもってそのまま日本への批判には通用しないのですが。とは言っても日本は法律でも医療でも,あるいはどの分野でもアメリカを見ているので,その影響が出てきているので困ったものではあります。
刑事判決後にしか処分しないというのも改めて,専門家として判断することが望まれます(現状は一種の責任逃れなのでしょうね)

 はじめまして。TBありがとうございます。
 この事件がわたしに違和感を持たせ続けたのは、「過失の性格」と「小児の死亡」の間の関係が曖昧なままずるずると進んでいたことです。その意味で、わたしにとって、判決はすっきり受け入れられるものでした。
 事態の深刻さを見誤り、とって然るべき措置をとらずに「放置」したのであれば、それは医師としての過失でしょうし、遺族をいったんは安堵させたことがショックを大きくしたとすれば、精神的打撃に対して償いが必要かもしれません。「過失」は存在するわけです。どのような過失が、どのような結果と結びつけて論じられるべきか、そのへんを専門家に任せっきりにせずに、多くの人が議論することが、「より迅速に適切な結果に到達する」ことにつながるのではないでしょうか。

>医師の自律性が不足しているから司法が医療に介入する必要があるというのはとんでもない思い上がり,事実を無視した空論です.

 例えば航空・鉄道事故については国交省所管の航空・鉄道事故調査委員会が調査を行い、事故原因の究明や再発防止策の検討、具体的な改善策の建議等を行ないますが、これとは別に警察・検察は捜査を行い、必要であれば摘発・訴追を行なっています。
 法律家の世界でも、悪質な違法行為があれば弁護士会内の処分とは別に警察・検察が検挙しています。
 このように、業界の自律性や専門性如何にかかわらず、刑事責任を追及すべきときは司直が追及するというのが我が国の法制度なのであって、決して「医師の自律性が低いから、司直が介入する」というわけではありません。

 「医師の自律性不足は制度の問題でもある」と仰っておられますが、もし本当に医師・歯科医師(以下「医師等」という。)が望んでいたのならば、政権与党に長らく強い影響力を及ぼしてきた医師会・歯科医師会のことですから、とうの昔に自律権を制度上確立させていたはずです。にもかかわらず、現行制度が維持されてきたのは、医師等がお互いに庇いあい、楽をしたがったからではないでしょうか。平成14年にいたるまで「刑事責任を問われるに至らない医療過誤等については行政処分の対象としない」とし、いわば医師等の処分の基礎となる事実認定を司法に丸投げしてきたのは、そのほうが格段に処分対象者が少なくて済み、かつ誰も憎まれ役を引き受けなくてよいからだったのではないかと考えざるを得ません。
 「医道審議会が積極的に調査を行なう制度にすべき」と仰いますが、富士見産婦人科医院の乱診乱療にかかわった医師らを25年もの間放置してきたのは、委員の過半数が医師等で構成されている医道審議会医道分科会です。現行制度でも充分自律を示すことができるケースを漫然と(四半世紀も!)放置してきた医道審議会に新たに調査権限を与えるかわりに、司法による外部統制を弱めよなどという主張が、認められるはずがないでしょう。

いのげ さん
 申し訳ありませんが、もう少し私のエントリーを冷静に読んでいただきたいと思います。
 私は
>>治療行為の適否というのは、高度に専門的判断ですから、本来的には医師会などの医療関係者側で指摘されるべきものと思うのですが、現時点において、医療側にそのような検証システムがないように思います(私の不勉強であれば指摘していただけると幸いです)。

>>そうなると司法の世界で指摘せざるを得ないことになります。

と書いています。
 つまり、現在の制度の不備を指摘したつもりです。

>現在は一切調査能力が無いので,すべて刑事の判決待った後に処分しています.ここの制度改正,活性化が必要なのです.つい最近 その方向で厚生労働省が動き出したと聞きました.

とのことですが、厚労省の動きは遅きに失していると思います。
 「すべて刑事の判決待った後に処分」しているということは、刑事処分がなければ処分はないということでよいのでしょうか?
 そうであれば、刑事司法が介入せざるを得ないでしょう。
 
 刑事司法の介入が適当でないと言うのであれば、医師や厚労省などの医療関係者側が自己検証システムを構築すべきであるし、とっくに構築されていてもおかしくないと思っています。

 私は、実は過失犯の非刑罰化を推進すべきであると考えている者の一人です。
 特に、医療などの常に人の命に関わる場面において高度に専門的な知識をもってシステム的に対処している領域においては、刑事罰による個人責任を追及することは適切でないと考えています。

 しかしそのためには、刑事司法手続に代わる公正な事実調査機構が必要になります。
 怒ってばかりいないで、医師側としてそのような問題を真剣に考えるべきなのではないでしょうか。
 
 刑事司法が介入せざるを得ない状況を放置してきたことから、今回の医師について、過失を指摘されたことに対して医師側から不服を申し立てる手段がないという問題も生じてしまうのです。

 今回の裁判についていくつかの医師のブログを見てみましたが、手放しで無罪を喜ぶ意見や、自分でも割り箸を発見できたかどうか分からないという意見がありました。

 しかし、脳に達するまで奥深く突き刺さった割り箸が発見されなかったという事実は厳然として存在するのです。
 発見できなかったことが真に不可抗力であったのか、発見するきっかけは本当になかったのか、ということを検証することは極めて重要だと思います。

 いのげさんの名前に貼られているリンク先によれば、医師が発見できなかった原因は全て母親の説明不足に帰せられているように読めます。
 しかしそれでは市民の理解を得られないのではないでしょうか。
 気持ちが動転している母親から自発的かつ十分な情報を得ることが期待できるでしょうか。
 医師の側からさまざまな事態を想像した上での問診によって割り箸の存在を知りうる契機は得られなかったのでしょうか?

 私は、そのようなことを、医師個人の責任から切り離して、同種の悲劇の再発防止のために検証するシステムが必要だと思っています。

 リンク先のホームページを読んで私は検事の取調べを想起しました。
 検事(または警察)の取調べは、相手の話を、相手が話すままに聞いていればいいというわけではありません。
 疑問点などを検事の方から積極的に質問することによって真相に近づくことができるのです。

 医師としても、より正しい診断のための情報収集技術ということをさらに考える必要はないのでしょうか。

 今回の問題が、よりよい医療のための反省と向上の機会になることを祈っています。
 

トラックバックありがとうございます。
そして、こんな法律的な視点で深く考えているブログに私のブログがリンクされてていいものなのでしょうか。
私は少しだけ、医療の現場を見てきていて、
さらに今は、子供を育て始めたばかり、という立場もあって、
この判決の正否よりも、この問題から派生する結果の方に目がむいてしまいます。
いわゆる「『訴えられるかもしれないから』と、小児科医をはじめとする医師のなり手が少なくなる」という現象ですね。
実際それは、もう始まっているようですね。
「完璧であたりまえ。だめだったら医師の責任」というのはあまりにも荷が重いだろうなと、私でも思います。
医師も人間なので、救急医療でも専門医が対処でき、医師自身も万全の体調で対応できるだけの休みがあり、ミスがあった場合もフォローできる体勢が整っている、などのことが満たされる事が理想だと思います。
しかし、今の状況ではまだまだ程遠いですね。
もちろん、「だから甘く見ろ」ということではありませんが。
とりとめのないコメントですみません。
でも今回のことで、世の中の子供を持つ親はいろんなことを考えたのではないでしょうか。
このような事故・判決・議論が、結果的に良い結果につながっていくよう、願ってやみません。

ハムコ さん、いらっしゃいませ。
>そして、こんな法律的な視点で深く考えているブログに私のブログがリンクされてていいものなのでしょうか。

 いいと思います。
 市民一人ひとりの意見や考えを無視して裁判制度は成り立ちませんから。

 とても有意義なコメントありがとうございます。

 先のコメントでも書きましたが、私としましては、医師のミス、特に診断や判断のミスについて刑事責任を問うことは適当でないと考えています。

 手術中に道具を体の中に置き忘れたり、薬の種類や量を間違えたりする場合は別ですが、いわゆる誤診の類はどんな名医だってするわけですから、それをいちいち刑事責任を問われたら医師としてはたまらないと思います。

 しかし、不適切であったならきちんと不適切であったと指摘して、今後に備えるということは絶対に必要なことだと思っています。

>例えば航空・鉄道事故については国交省所管の航空・鉄道事故調査委員会が調査を行い、事故原因の究明や再発防止策の検討、具体的な改善策の建議等を行ないますが、これとは別に警察・検察は捜査を行い、必要であれば摘発・訴追を行なっています。

そうですねぇ。
まさにおっしゃるとおり、司法の思い上がりによって
起こる問題は、何も医療に限った事ではありませんねぇ。

http://news.goo.ne.jp/news/sankei/shakai/20060321/m20060321003.html

http://www.asahi.com/national/update/0330/TKY200603300357.html

http://pp.typepad.jp/palm/cat24032/index.html

我々のような、目の前の患者様に全力で医療サービスを提供することくらいしか能が無いアホバカ医者ごときには、制度改革なんて大それたことはとてもとてもできませんが、
いのげ先生の熱意と行動力には、我々アホバカ医者は皆、心から敬服しているところであります。

医者って、他人や、医療以外のことに興味が極端に薄い人間が多いので、
たとえば医道審議会なんて制度があることすら知らない同僚もとても多いです。なにしろ新聞すらまともに読まない馬鹿ばっかりですから。

あまりそういうことに目を向けずに、つまり、逮捕されたり医道審議会に諮問されたり
ということを意識せずに、医療行為だけに集中していたほうが楽といえば楽なのは確かで、
頭が悪いが故に楽していたというのは誠におっしゃるとおりかもしれません。
そのように、日々労働環境その他に不満をうーたらうーたら言いながらも、それしか能がないという理由で一生懸命アホみたいにやってきた成果が、
日本が世界にちょっとだけ誇れるかもしれない、「低コストでかなり高度めな医療の実現」であったり、「世界最低の周産期死亡率」であったりしたわけですが、
それが非難の対象となるのであれば、医者も意識を改めざるを得ないでしょう。


法律の世界での出来事でいえば、一つのとてもひどい事件によって刑法200条が消滅したように、
福島で警察・検察が起こした、とてもひどい事件によって、日本の医療制度が少しでも良くなってくれれば、と願っております。
(相沢さんや加藤先生は大変ですけどねぇ、、)

「蛇足」のほうにコメントさせていただきます。

私は、判決というのはサービス(といったら語弊があるかもしれませんが)としてある程度均質性がほしいと思います。その均質性を確保するという意味で、件の再任拒否はありかなと思います。

井上判事が「蛇足」の問題提起をしたところまではよいとしても、独断で「蛇足のない判決」を書いてしまったのはいただけません。例えば病院で他所では認められない治療を強引にされたらたまったものではありません。

確かに、裁判所は保守的で時代に追いついていないという不満もありますが、個々の裁判官に軽挙されてサービスが大きくばらつくのは困ります。

通りすがり様へ
 あまり皮肉混じりのコメントをいただきますと、私も皮肉を込めたコメント返そうかという気になってしまいますが、そんなことをしても生産的ではありませんので、やめておきます。

追記
 私がこの記事で、無罪になった医師の医療行為が不適切であったと決めつけているかの印象があるかと思いますが、もともとの趣旨は、蛇足意見に対する反論としての意見であり、一応裁判所の判断を前提にしております。
 しかし、医師の反論の機会が奪われたことを問題視していることからご理解いただけるかと思いますが、証拠関係の詳細を知らない私としては、不適切な医療であったと決めつけているわけではありません。
 不適切かどうかについて検討されなければならないと考えているだけです。

私も各所で主張しているのですが,医師が判断に参加できない刑事裁判ではなく,医師と法律家その他が共同参画できる医道審にまず強力な調査権限を与え,患者と医療施設に調査結果を渡し,刑事相当の者は告発し,処分も判決を待つことなく早めに現在よりも重めに打ち出すという改革が,新しい機関を設置する必要が無いので最も現実的最も早い抜本的対策です.補償制度も少し加えれば事実関係が確定する前の処分すら可能だと考えます.

いままでの医道審は開催回数が少なすぎ,独自の調査機関は無し,決定は判決待ちでおそすぎで,ほとんど処分としての意味をなさなかったのが大問題です.これは医師会(ほとんど開業医のみの団体であり医師全体の代表ではない)がどうのこうのいうまでもなく厚生労働省の腹一つでできることです.富士見産婦人科事件の処分に要した二十余年のうち9割以上は民事裁判の結果待ちすなわち司法の怠慢によるものであるというのが真実です.

なお,割り箸事件の予見可能性についてはわたくし個人は母親に責任転嫁したことはなく,(そういう人も居ますが)もともと予見が困難な症例であり,初診時の症状も明確でなかった可能性があると考えています.検察側脳外科医証人も容易ではないと言っている.

現実の医療事故対策制度は医師が決めたものではなく,(パターナリズムで解決していた経緯はありますが)社会のシステムを決定しているのは議会・官僚・法律家ではないですか.

 制度改革の方向性としては、特に異論はありません。

>社会のシステムを決定しているのは議会・官僚・法律家ではないですか.

 法律家全般の関与の程度はそれほど大きくないと思います。
 最高裁の判例が大きく作用する場合はありますが、最高裁判例に新しい社会システムを創造するだけの力はないと思います。
 いちゃもんをつけて改正を促す程度です。
 
 医療の改革には、やはり医師の声が重要でしょう。
 武見会長当時の医師会は、日本で最も強力な圧力団体の一つだったという印象ですが、違いますか。
 最近、自民党との関係修復に動いているようですし、厚労省に働きかけるとしたら、まず医師会なのではないですか。

 ちなみに、医療過誤事件の刑事立件に一番主導権を握るのは警察です。
 警察が手を付けない事故に検察が独自に乗り出すことはほとんどないと思います。

 その意味では、制度改革には警察官僚との調整が必要になるかも知れません。
 

>いのげ様
 ご主張のような形で医道審議会が改善されるべきであるという点については異論ありません。ぜひ頑張ってください。

 富士見産婦人科事件についてですが、処分に時間がかかったのは民事裁判の終結に時間がかかりすぎたためであるというご見解には同意しかねます。訴訟の終結を待たなければ処分を下すことができないとはどの法令にも定められておらず、あくまでも医道審の見解に過ぎません。そしてその見解は、医師が大半を占める医道審議会で決まった(少なくとも厚労省による原案を承認した)ものです。したがって、判決にいたるまでの時間が長かったという批判は、裁判制度そのものに対する批判としては正しいですが、その結果医師に対する処分に時間がかかったという批判は失当です。待てと言われてもいないのに勝手に待っていただけなのですから。

 社会のシステムを定めたのが「議会・官僚・法律家」であるということですが、その背後にある「圧力団体」の存在をお忘れになっては困ります。ある法制定や法改正が、圧力団体からの働きかけもないのに官僚や議員の思いつきだけで政治日程に乗せられることはほとんどあり得ないことです。いのげ様がお考えのような医道審改革が医療界の総意であったならば、厚生官僚がどう考えていようとも医道審の審査はとうの昔に改善されていたでしょう。そうなっていないのは何故なのか、単に官僚の言うなりだったというのなら、そういう方々の集まりの「自律」とはいったい何なのですか、ということです。

>そういう方々の集まりの「自律」とはいったい何なのですか、ということです。

どうも医師会に過剰な期待をしている人が多いので困りますがあんなものは何の役にも立たないし非会員には関係ないものです.

自律性とは何かといわれると,今までは個人レベルでしたが,今後においては小さいながら制度改革のための団体を立ち上げ準備中です.熱心な弁護士の先生,医療界の大御所らのご協力をいただいて動いていますが,検察OBが非協力的で参ってます.(実話)

正直無礼な表現で話を始めて申し訳ありませんでした.その割には生産的な方向で収束したと思います.この活動が本格化した際にはこちらの方にご案内を出させてください.

>検察OBが非協力的で参ってます
 
 私に力があれば協力を惜しみませんが、残念ながら平検事で辞めた私には何の力もありません。
 検察OBにもいろいろな考えの方がいますので、協力してくれる人を探す努力をお願いしたいと思います。

>この活動が本格化した際にはこちらの方にご案内を出させてください

 期待しつつお待ちしています。

と さん
 エントリーの趣旨に沿ったコメントありがとうございました(^^)
 私も判決は国民(当事者)に対するサービスだと思っています。
 そして、均質性というか、ある程度の予測可能性を伴う必要があると思っています。
 その意味で、ある程度裁判官の判断プロセスや考え方というものが判決に表れるべきだと思います。

検察OBに頼るという発想からして何かズレてしまってる感じがします。検察OBにいったい何を期待してるのですか。

ぽんた さん
 まあまあ、そんなこと言わないで(^^)
 新しいことを始めようと思ったらいろんな人の協力があったほうがいいんですから。
 検察や法務省のものの見方や考え方を知る必要もあるし、法務省との交渉が必要になれば、やっぱり検察OBの紹介があったほうが何かとやりやすいとか、いろいろあります。

>検察OBにいったい何を期待してるのですか。

実は私個人としてはこの問題について検察OBのご理解など全く期待しておりませんで他の関係各所の根回しで十分と考えてます.内輪の話で申し訳ありませんが活動の主体は弁護士の先生で(私はそのお手伝い)そちらでOBの協力を必要と考えられている(もしくはあったほうが好ましいと)様なのです.ご理解頂ければそれに越した事は無いのですが,現状においては医療に関するご理解は無いも同然.このままでは医師は救急を放棄せざるを得ない.これはもうわたくし個人の認識ではなく,現場の大多数が実感していることです.みんな発言することより逃散することを選んでいます.すでに関東地方を含む各所で産科小児科のみならず内科の崩壊が枚挙に暇なく報じられています.現場の医師の九割以上は反論する事より他の部署に異動することを選んでいます.断言しますが,今年 医療は崩壊します.
 所詮無力なわたくしですがそのような事態は到底我慢ならないので,可能な限り悪あがきさせていただきます.諸先生方におかれましては,何卒この問題について今後も御議論重ねいただきます様お願い申し上げます.

はじめまして、kusu2005といいます。
トラックバックありがとうございました。

先生の記事を見て、論理的に整理できました。
しかし、過失を認めながら亡くなったこととの因果関係はないという論理には、どうしても納得がいきません。

私も医療職(理学療法士)ですので、この事件は興味を持ってみていました。
私は直接命に関わる立場ではないのですが、「手を尽くす」という行為の大切さは日頃から感じているところです。
例え、このままこの判決が確定したとしても、我々医療職は「適切な治療とは何か」を考え、常に「手を尽くす」努力を怠ってはいけないということに変わりはないものと思います。そういう医療職に対する、警鐘を含んだ事件であると認識しています。

kusu2005さん、そのとおりですネ!

>> 「過失を認めながら亡くなったこととの因果関係はないという論理」は、

「過失があったとしても」それが「直接の死亡原因」ではないと、「過失」と「死亡」の間に因果関係がないことを理由として「無罪判決」を出している訳で、その点がそもそも間違いでなのです。

 時間の経過を無視して、後からわかった事実と照らして「この状態ならば、たとえ割り箸が小脳に達していることがわかっていたとしても結果的に死に至ったであろう」という推測に基づいて因果関係が「ない」と決定付けているのです。
 証明もできない推測によって結論を導いていることにすでに無理があると言えます。具体的事実を目の前にしながら「やるべきことをやらずして起きた結果」について、一般論に逃げ込む愚を犯していると言わざるを得ないでしょう。

 人の痛み(心)を自分のこととして考えていただける人が一人でも多くいて欲しいと願うばかりです。「手を尽くす」という行為が「我が子にするであろうと同様」であってもらいたいと思います。

 医療行為に限らず、プロとしてやるべきことをしっかりやっていれば起きない事件や事故が数多くあることを知って欲しいものですね。

 現場にいる理学療法士さん、がんばってくださいね!

>kusu2005さん、そのとおりですネ!

 ごめんなさい、トラバのURL間違ったところにリンクしてました。

モトケンさま、コメントありがとうございました。

少しこちらの記事本文を読んだ感想を。
(受験生なもので時間がなく、コメント欄まではきちんと
読めておりません。もしかすると重複しているかもしれませんが
ご容赦下さい。)

自分も、モトケンさまと同様、過失犯の理論的観点からは、
結果回避可能性がないなら過失を否定すべきと考えます。

それを前提に、
モトケンさまのご指摘によれば
「治療行為の適否というのは、高度に専門的判断ですから、本来的には医師会などの医療関係者側で指摘されるべきものと思うのですが、現時点において、医療側にそのような検証システムがない・・・そうなると司法の世界で指摘せざるを得ないことになります。
裁判所が、被告人の過失として頭部CTスキャン撮影などの医師としてなすべきであった行為の存在の有無を検討して指摘したことは、理論的な問題はともかく、必要なことであったと思います。」
とのことですが、

やはり自分としては、過失犯の理論的観点から過失犯が成立しないのであれば、
そこはきちんと筋を通した上で(刑法上の過失はないとした上で)、
別途医師としての行為義務に反する(刑法上のそれではない)過失があって
それを司法の側が指摘する必要があるならば、それを指摘するべきなのではないか、と感じました。(蛇足的なものを書くな、という趣旨ではありません。)

実際上の必要性のために理論を動かす(判決原文を読んでいないので、別に理論を
動かしたわけではないのかもしれませんが)のは、どうもちょっとおかしいのではないか、と思います。この判決だと、医師の立場に立つと、本当は犯罪なのだけど
たまたま結果回避可能性がなかったから(一応)無罪だよ、と言われているように
感じ、納得しがたい部分があるのではないでしょうか(刑法の処罰根拠、役割論にも
つながるところかと思います。)

ただ一方で、司法による指摘の必要性も無視できないところで(不勉強なもので、
医療過誤についての検証システムの現状などについてあまり知らないので
どの程度の必要性があるのかまでは何ともいえないのですが)、
どのように、どの程度、裁判所が医師の医療上の行為規範の形成をリードしていくべきなのか、裁判員制度が導入されるとどうなっていくのか、など興味がつきないです。

長々と失礼いたしました。
また、たかが学生の立場で、わかっていないことをいろいろと生意気を述べてしまいすみませんでした。

それでは。


 過失はあるけど因果関係はないから無罪という論理は、過失犯の構造と故意犯の構造をパラレルに考えて、行為無価値論的に過失犯の実効行為というものを観念すれば、ありうる理論だと思います。
 現在のテーマは別のところにありますので、この問題についてはあまり深入りしないことにします。
 受験生の立場では大事なところですが。
 私が答案で書くとすれば、過失はないと書くと思います。

弁護士先生のブログから引用

>「ちなみに、平成元年12月15日最高裁判決(判時1337号149頁)では「被告人が直ちに緊急医療を要請していれば…十中八九、被害者の救命が可能であったという。そうすると、被害者の救命は合理的な疑いを超える程度に確実であったと認められるから、被告人の不作為と被害者の死亡との間には、刑法上の因果関係が認められる」と救命可能性のハードルに関する基準が定立されていますが、これは「十中八九最高裁判決」と呼ばれているとかいないとか。」

http://ameblo.jp/fben/entry-10010702697.html#cbox

はじめまして。ポンチと言う医師です。
モトケンさんのクリアカットな説明で今回の判決文を聞いてモヤっとした部分が少々消えた気が
します。結果無価値を一般教養で叩き込まれた為、結果回避危険性が無いにも関わらず医療行為
に過失認定されたのがモヤモヤした原因だったのでしょう。あれは強引に行為無価値に立ち、あの医療行為に過失ありというコメントをしたのでしょう。まあ、遺族感情に配慮してなのだと思うが。
ただ、少なくとも刑事事件の裁判ですから、過失犯と言えどもこのような過失認定して良いでしょうか。というか、あの過失は何を意味しているのか、という疑問です。業務上過失致死罪で起訴された事件でその条文での過失は無いが、行為に過失があるなんて判決文はまだ、すっきりしません。

私、個人の意見としましては、あの時の被告医師の医療行為自体は平均的な行動であって、行為
無価値説に立ったとしても過失は無いと思っています。

ポンチ さん、はじめまして
 私が司法試験に受かったころは、結果無価値論と行為無価値論の論争などというものは少なくとも受験勉強レベルではありませんでしたし、その後の実務上の検討でもあまり意識したことはありませんでした。
 そんな私から見て、過失はあるけど因果関係がないから無罪、というのは、直感的になんじゃこりゃ、という判決でした。

 被告医師の医療行為が適切であったかどうかについては、このエントリを書いてからいろいろ勉強させてもらいましたが、法律家的観点からは、訴訟の場でどういう主張立証がなされたのか、ということがわからないとコメントしにくい段階に来ているようです。

>業務上過失致死罪で起訴された事件でその条文での過失は無いが、行為に過失があるなんて判決文はまだ、すっきりしません

判決の理論構成では、条文での過失「業務上必要な注意を怠り」はあります。因果関係「「よって」人を死傷させたる・・・」が無いのです。

なお、結果無価値と行為無価値は全く相容れない論ではありません。
違法とは法益侵害をいう(結果無価値)とゆーのは大原則だからです。その上に行為無価値をどの程度加味していくか、という点で差が出るだけです。
判例も行為無価値とか結果無価値という言葉自体はまず使いません。
価値観が多様化し、個人主義的な現代では、全般的には結果無価値的な解釈の方がより妥当な解決が図れる傾向がある、というだけです。
一定の「行為」が期待される専門家による、業務上過失の分野に限ればまた別の考え方も可能ではある、と思います。

モトケンさん
こんばんは。ありがとう、ございます。実務上は行為無価値に立つとか結果無価値に立つのかというのは、余り考えないのですね。我々、医師も教科書や論文とは実務上はかなりかけ離れた仕事をしており実感として何となく判ります。白片吟K氏もおっしゃる様に、両者を加味して判断していくというのが実態なんでしょうか。学生の頃に法学の勉強をしたとき、刑法の論点ばかり面白かった記憶がありますが、現実的では無いのでしょうね。
過失犯の過失認定が予見可能性、結果回避可能性で判断される為、医療従事者は事後に過失を指摘されると抗弁するのは難しい所があります。今回の件は非常に稀な例なのですが、大抵の医療行為を行う際には、その行為ごとに可能性として高いもの、低いもの、非常に低いものを素早く判断し、可能性として高いものを選択し検査、治療を行っていきます。非常に稀(0.01%とか)で無い場合でも、10%位の可能性を持つ方向を切り捨てながら行為を選択する必要があります。事後的には予見可能性はありますし、結果回避可能性もある上に、医師もその選択しを考えつつ別の道を選んだという後悔から非を認めてしまうこともあります。
現実的には現場の医師、特に地域医療を行っている医師から見て、殆どの立件された行為は自分も行ってしまう可能性があると認識しております。
医療行為への刑事立件が増えてからは、危険性が高いが社会にとって必要な科の新人が減っているのは事実でありますし、システム上の問題を医師一人に負わせる傾向がみられ今後の医療提供への悪影響を危惧しています。

ポンチ さん
 事実認定としての予見可能性、回避可能性の存在の次の法的評価段階として、法規範としての予見義務、回避義務の存否判断が控えているのですが、理論的には予見義務、回避義務の限定論理を考えることが可能です。
 ただし、刑事責任の基礎としての義務を限定する場合は、刑事司法の土俵を狭くすることになるわけですから、代替措置を考える必要があると思います。

>医療行為への刑事立件が増えてからは、危険性が高いが社会にとって必要な科の新人が減っているのは事実でありますし、システム上の問題を医師一人に負わせる傾向がみられ今後の医療提供への悪影響を危惧しています。

 同感です。

P R

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