エントリ

判決要旨(現在リンク切れ)

 今回は、判決要旨を読んだ感想を述べてみたいと思います。
 
 最初に目を引いたのは以下の部分です。

なおカルテには「髄膜炎の可能性」などの記載があるが、裁判所はこれらの記載は、翌朝の急逝に動転し、診察で意識状態を正しく把握せずに軽症と診断して帰宅させた点の落ち度を自覚して取り繕おうとした被告が書き加えたと認める。

 これは、裁判所が医師による事故隠しがあったと考えていると読める記述です。
 医師が、いかなる意図で「髄膜炎の可能性」などと記載したのか定かでありませんが、問題は、患者の家族から見れば、事故隠しに見えることです。
 医師の行動の中に、何か一つでも事故隠しに見えるものがあれば、患者側から見れば、全てが不信の対象になります。
 そうなりますと、客観的に見て事故隠しであったかなかったかはほとんど関係がないことになってしまいます。
 患者側は、医師に対して全幅の信頼を置いて命を預けているのです。
 その信頼が裏切られたときのリアクションとしての不信感の大きさ深さというものを医師のみなさんは真剣に考えていただきたいのです。
 事故後の医師の説明や態度によっては、円満に解決する場合もあるし、泥沼の訴訟になることもあります。

頭蓋内損傷の可能性を否定するため、付き添いの母親に問診し、転倒の瞬間を見ていなかったときには、本人にも問診を試みるべきだ。割りばし全部が発見されていないことなどを聞き出すことができた可能性は高い。

 これは【被告の過失】において述べられているところですが、私が、先のエントリーで

 気持ちが動転している母親から自発的かつ十分な情報を得ることが期待できるでしょうか。
 医師の側からさまざまな事態を想像した上での問診によって割り箸の存在を知りうる契機は得られなかったのでしょうか?

 検事(または警察)の取調べは、相手の話を、相手が話すままに聞いていればいいというわけではありません。
 疑問点などを検事の方から積極的に質問することによって真相に近づくことができるのです。

 医師としても、より正しい診断のための情報収集技術ということをさらに考える必要はないのでしょうか。

と述べたところと同趣旨のものと言えます。

 争いのある主張と錯綜する証拠の中から事実を認定し、認定される事実に対して法を適用するという法曹としては当然の感覚であり、その論理は医師の診断と治療にも妥当するものと思います。

 但し、医師の問診が不十分であったとしても、それが直ちに刑事責任に直結すべきものかどうかについては今後十分検討されるべきであると考えることも既に述べたとおりです。


【結論】
被告には、予見義務や結果回避義務を怠った過失があるが、過失と死亡との因果関係には合理的な疑いが残るので、業務上過失致死事件について無罪である。

 この論理について、理論的な問題があることは既に述べたとおりです。

 次に、この結論を述べた後の以下の【付言】ですが、

被告が他科の専門医に相談しようと思わなかったことに、他科との垣根の高さが背景にあるならば、これが解消されなければならないことは論をまたない。

 診療科目の豊富さだけでなく、他科との連携で相乗的な専門的医療行為を享受できるところに総合病院の存在意義があり、杏林大病院はわが国屈指の人的、物的設備を誇る総合病院としてその要請は高い。本件は、医療従事者にさまざまな課題や教訓を与えている。 本件で隼三ちゃんが遺(のこ)したものは「医師には眼前の患者が発するサインを見逃さないことをはじめとして、真実の病態を発見する上で必要な情報の取得に努め、専門性にとらわれることなく、患者に適切な治療を受ける機会を提供することが求められている」というごく基本的なことだ。

と述べています。

 井上判事に言わせれば、これこそ蛇足なのでしょうが、私には、裁判官の、医療の世界、ことに高度かつ充実した医療が期待されている全国屈指の総合病院に対する苛立ちと何とかしてほしいという願いが感じられます。

 これは法曹界も同様の問題があるのですが、専門家である医師の皆さんは、外からの批判に耳を傾けない傾向があるのではないでしょうか。

 先のエントリーに対するコメントにおいて、いのげ@割り箸事件被告人支援の会会長氏は

現場の大多数が実感していることです.みんな発言することより逃散することを選んでいます.すでに関東地方を含む各所で産科小児科のみならず内科の崩壊が枚挙に暇なく報じられています.現場の医師の九割以上は反論する事より他の部署に異動することを選んでいます.断言しますが,今年 医療は崩壊します.

と現状を指摘されています。

 しかし医師である以上、医療過誤問題から逃げることは不可能であろうと思います。
 うろ覚えのかなり昔の聞きかじりの記憶ですが、ある若手の医師が名医と呼ばれる大先輩に恐れ多くも「先生の誤診率はどの程度でしょう?」と聞いたそうです。それに対する名医の答え「30%くらいかな。」と答えたそうです。それを聞いた若手医師は、「さすが名医と呼ばれる先生だ。」と誤診率の低さ?に感心したということです。
 話の真偽はともかく、医師に誤診は不可避であることを示すには十分の逸話だと思います(Forsterstrasse 氏の下記コメントを読んでください。私の記憶違いを指摘していただいてます)。

 昔は誤診の多くは隠蔽されていたのだろう想像しています。
 しかし今はそういうわけにはいかなくなっています。
 
 医師は、誤診または医療行為の失敗または不成功という事実と正面から向き合わなくてはいけないのではないでしょうか。
 そして患者側も誤診、失敗、不成功の可能性の存在、言い換えれば手塚治虫氏が描いたブラックジャックのような完璧な医療は必ずしも期待できないということを認める必要があると思います。

 アクセス解析によりますと、先の医師だけが参加できる会員制サイトからアクセスがかなりあることが分かりましたので、どちらかというと医師の先生向けに書いてみました。

 今朝のニュースサイトを読んでみますと

 射水市民病院 家族が「呼吸器外して」と外科部長に依頼(asahi.com 2006年04月05日08時19分)

という記事がありました。

富山県射水市の射水市民病院で患者7人の人工呼吸器が外され死亡したとされる問題で、05年春に死亡した50歳代の女性の家族が4日、朝日新聞社の取材に応じた。脳外科医から回復の見込みがないことを告げられた後、外科部長に人工呼吸器を外すことを家族から依頼したという。

とのことです。
 しかし、刑法の解釈としては、これでも(家族の承諾を得ていても)殺人罪または嘱託殺人が成立する余地があるのです。
 但し、刑法理論上、殺人罪または嘱託殺人罪が成立し得るとしても当然に起訴されるべきであるということにはなりません。
 制度的には、検察の起訴便宜主義(検察の起訴裁量権)の問題になるのですが、検察の起訴裁量権は世論とまったく無関係ではありません。

 医療と刑事司法の問題を浮き彫りにする事件や裁判がいくつも起こっている今こそ、議論を深めるときだと思います。

参考ブログ
日経メディカル記事:産科医逮捕に高まる“抗議”(ある産婦人科医のひとりごと)

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りゅうちゃんミストラル - 割りばし死亡事件で医師無罪 (2006年4月 8日 19:34)

幼稚園児がわたあめの棒を咽喉に刺した。1999年、楽しいはずの夏祭りでの出来事だった。この子が運ばれた病院では傷口の消毒だけで帰宅させた。このことで子ども... 続きを読む

 1999年に起きた通称「割りばし事件」の公判が本年の1月12日に結審しました.しかし,私は敢えてこれ以降「割りばし事故」と呼びます.この主旨は,そもそも... 続きを読む

?芦鵑?蕕梁海?任后イ泙困錬韻鬚?匹澆砲覆辰討?蕕海竜??鬚?匹濂爾気ぁ? 続きを読む

粂 和彦のメモログ - 裁判長の言葉 (2006年4月21日 17:19)

7年前に、4歳の杉野隼三(しゅんぞう)くんが綿菓子の割り箸による事故で亡くなった 続きを読む

コメント(52)

私自身あまりうまくまとまらないのですが、現在の裁判所の傾向として「現に困っている人」がいる場合、救済を行わなければいけないという意思を感じます(井上判事は批判してますが)。しかし、裁判所の選択肢は少なく、また、専門家ではないため、結果として医者側に司法にいじめられているという感覚を与えているように思えます。

被害者の救済と、責任の追及と、再発防止とが重なり合わない(時には背反する)ところがある。その難しい状況を司法がどう汲み取れるかと・・・書いていて自分でもわかりにくいですね(^^;

 この問題は、社会の危機管理システム全体の中で、刑事司法の功罪を検討しつつ考えなければいけないと思っています。

判決要旨のリンク先が削除されてしまってます。

白片吟K氏 さん
 ご指摘ありがとうございます。
 別のサイトを探してみましたが、見つかりませんでした。
 裁判所のサイトにアップされたら、つなぎなおす予定です。

http://www.fukushima-minpo.co.jp/news/syohou/CN2006032801006230.html

「割りばし死亡事故 判決要旨」でググれば、ほかにも2つほど出てきます。

白片吟K氏 さん、ありがとうございます。
 ずぼらしてキーワードをいじらなかったので見つからなかったようですね(^^;
 ご紹介のサイトにリンクを張りなおしました。

誤診率の話ですが、モトケン様がご記憶の話の元はこれではないでしょうか。

http://www.toranomon.gr.jp/site/view/contview.jsp?cateid=23&id=139&page=1

名医の誉れ高き東大医学部第三内科の冲中重雄教授が1963年、退官に際しての最終講義で「自分の誤診率は14.2%であった」と述べたという話です。冲中先生は、死亡した患者は可能な限り解剖したため、厳密な数字の算出が可能となっています。

上記サイトいわく

> これは広く大きな反響を呼んだ。ある記事の表現によれば,「われわれ患
> 者はその率の高いのに驚き,一般の医師はその低いのに感動した」のだった

私の友人の医師の場合「全く見当がつかない ---心臓なのか肝臓なのか別の何かなのかも分からない--- が5%くらい」だそうです。

医師の場合はこのくらい。では、、、

 前エントリでTBさせて頂いたrnalengthと申す者です。私は医療に近い側の人間ですが、モトケンさんの考え方には多少医療行為について理解されていない部分があるようには思いますが、大筋では同意見です。細かいところは今後するか、他の方に任せます。
 一応申し上げておきたいのは、モトケンさんが用いる誤診という言葉は必ずしも医療過誤ではないことを指摘したいことです。
 一般的にいう誤診とは、「診断が正しい診断ではない事」ですが、医療過誤となる誤診は「誤った診断を下す事」です。どういうことかというと、一般的に言う誤診は、疑診(症状や検査結果からは診断が伺えるだけで本当にそうとは言い切れない)や不明(症状や検査結果からではなんと診断していいか不明である)をふくみますが、「医療過誤」の現状の定義(医療の法的責任ある過失)にあたる誤診とは症状や検査結果を見誤り、間違った診断名を与え、間違った治療を行うことで医業としての法的役割を果たさなかったことを指します。名医が「30%くらいかな」と答えたのはおそらく一般的な意味での誤診であり、医療過誤にあたる誤診がそう多いと捉えてしまわれると困ります。
 逆に、診断を確定する為には多くの疾患で患者側にも相当負担となる検査を強いる検査を行わなければならない場合も多く、疑診や不明は相当多いのは確かです。しかし、そういう疑診や不明まで含めて医療過誤とされてしまって免責されないとすると、全患者に相当負担のある検査を強いるか診療すること自体をおそれなければならないことになってしまいます。(※なお、医療政策的にそういう念押し検査はできないようになってきていますし、そもそも負担の大きい検査なんて患者はよっぽどでないかぎり受けたがりません)
 また、医療過誤に関する誤診と割り箸事件の問診不足は別の問題です。裁判官が法の下で良心に従うように、医師は現状の医療水準のもと自らの知性と能力で診断を下すわけです。今回のような問診不足が医療水準として不足なのは確かでこれは過失だと言われれば仕方ないですが、だからといって正しい診断が下せたという結果が必ずしも伴うわけではないのです。たとえ、結果誤診であったとしても、医療水準に合致した医療面接・検査が行われ、医療過誤無く診断されれば、「救命に向けた真摯な治療を受けさせる機会」を与えることはできたと言えます。

 モトケンさんに対してはこれは言葉(用語)の問題だと思いますが、一般には誤診=医療過誤という考え方をされてしまう場合が多いので、その辺に医療側が素直に反省しない原因もあると思います。

 医療側としては患者負担が少なく診断精度も高いあらたな検査法の確立は医学者の使命として日々検討されています。
 また、もちろん、医師が疑診や不明にわざと逃げ込むようなことは、医療倫理として、いけない事だと思います。

訂正

割り箸事件の問診不足 → 割り箸事件の医療側の情報収集不足(問診不足も含む)

Forsterstrasse さん
 HPのご紹介ありがとうございます。
 私の記憶は20年以上前の古いものですのでかなり曖昧なものでしたが、ご紹介のお話に間違いないだろうと思います。
 誤診率をかなり大きめに記憶していたようです。
 訂正させていただきます。

rnalength さん
 コメントありがとうございます。 
 ご指摘のとおり、私は医療行為については十分理解していないと思います。
 私だけでなく法曹関係者の多くは程度の差こそあれそういうところはあると思います。
 専門分野が違えば当然のことです。
 ですから、私としてもいのげさんの考えに基本的に賛成です。

 ところ誤診と医療過誤の問題ですが、私の書き方がまずくて誤解を招いたようです。
 私としても、誤診=医療過誤とは考えていません。
 医療過誤という言葉は、医療機関側の過失により患者の死亡、傷害または病状の悪化等を生じさせることという意味で使いました。
 誤診は、単に診断の誤りという意味で使いました。
 ですから、誤診は医療過誤の原因になる場合もあれば、そうはならない場合もあるという理解です。
 もちろん、かの名医が治療件数の3割(実際は約14%)も医療過誤を起こしていたという趣旨ではありません。
 そんなに高率で医療過誤を起こしていたならば名医と呼ばれるはずがないと思います。

 返事どうもです。多分モトケンさんはわかってるだろうなとは思っていましたが、一応、一般的には「誤診」「医療過誤」という言葉は非常に誤解、混同されやすい用語なので文章上の使用には注意が必要だということをお伝えしたかったまでです。
 医療行為に関する知識について謙遜して頂きましたが、逆に医療者の一般の方に対する態度のでかさ、説明不足、議論不足、法律アレルギーがあるのも確かで私としてはそういう医療者側の態度もこういう問題が解決に向かわない重大な一要因であるとも思っております。
 前エントリ・今エントリで指摘されているように、医療者が法律アレルギーをなくして、一般人、患者、法律家と合議して、自らを適切に律する法制を考えて政治に求めていく必要はあると思っております。
 また今後コメントする機会があるかも知れませんが、よろしくお願い致します。

医者も法律家同様経験が物を言う世界だと思いますので、何度も何度も失敗してようやく名医になれるのでしょうから、医療過誤なしに医療過誤の無い医者は生まれ得ないと確信しております。ですから、失敗しても許されるような、擬似オペレーションや擬似診療を何度も繰り返すシステムがあればいいと思います。なんかいい方法内科なぁ。

>医師の行動の中に、何か一つでも事故隠しに見えるものがあれば、患者側から見れば、全てが不信の対象になります。

司法の手続きの中に,何か一つでも人権侵害に見えるものがあれば,医師側から見れば,全てが不信の対象になります.

司法解剖鑑定書の解剖写真手順と裁判開始後に発見されたネガの順番が異なり,咽頭の割り箸を発見してから開頭したという記述が改ざんであることが発見されたこと.その他鑑定書の疑問点多数.

遺体の脳重量が重すぎることについて当時の病院長兼脳外科部長に「これはどういうことだ!」と検察が追求しておきながら,それが静脈潅流不全の証拠であることが明らかになるといかに実際は重くないか正常の脳重量が大きいかと正反対の議論を始める事.

死因について散々議論しておきながら肝心の脳表本を提出しない事

急変再来院の時点でカルテは救急科が取り寄せており,耳鼻科医が単独で接触できる状況ではないなど,具体的な改ざんの状況を一切調べていない事.改ざんの話は法廷で一切議論されていないので弁護の機会すら与えられていないこと.

医師の一瞬の判断より4年もかけた裁判の手続きの方がはるかに問題点が多い様に思っています.

>しかし医師である以上、医療過誤問題から逃げることは不可能であろうと思います。

割り箸事件は若手医師の一人当直・専門外・小児・時間外・非特異的症状・前例の無い受傷機序とこれだけ判断を困難にする要因があったうえで予見可能性に影響しないとしています.

医療過誤問題を避ることは容易です.基礎研究や行政職・産業医保険医などの非臨床系職,皮膚科・眼科・放射線科などのマイナー系,慢性期老人病院や老健などに行けば小児科や産科などの法外な賠償請求が来る事はありません.緊急手術や救急などもってのほかです.現代の医療刑事司法は最も重要で最も努力している立場の医師を選択的に罰しているのです.ある大学では今年の新入りの数が 内科全部で20名眼科30名他でも皮膚科20名などと言うところがあると聞いています.外科系は激減,小児科産婦人科は全国的に壊滅です.これは医師の司法に対する不信感が重要な要因になっていると(アンケートをとったわけではありませんが)確信しております.

支援の会の会長さんのコメントを拝読していると、人の命が失われた(医師の過失によるものか否かはともかくとして)という事態の重大性に対する配慮があまり感じられないように思います。

制度の不備とか小児医療の大変さとか言い訳に終始しているように感じてしまいます。

>皮膚科・眼科・放射線科などのマイナー系,慢性期老人病院や老健などに行けば小児科や産科などの法外な賠償請求が来る事はありません・・・

うーん、皮膚科や眼科が「マイナー」とは!?
多少の誤診なら許容範囲と仰っているようにも読めますね。

私には刑事司法の観点からのコメントはできませんが、一患者(になる可能性がある)としては些か釈然としない思いが残ります。

>いのげ先生
 先生が抱いておられる司法制度に対する不信感については、ある程度は思いを同じくするところがあります(検察の手持ち証拠(本件で言えば脳標本など)が全て開示されないところなど)。刑事司法が抱える問題点は(医療とは比べ物にならないほど)枚挙に暇がないのですが、ここでは控えさせていただきます。

 その上で、いのげ先生にいくつかお伺いしたいことがあります。
1)「司法解剖結果報告・鑑定結果への疑問点多数」とのことですが、それは司法解剖を行い、報告・鑑定を行なった医師の問題ではないか。

2)問題となったカルテ記載「髄膜炎の可能性」が、被告人医師の初診時の所見をあらわしたものであるとした場合、そのような疑いを抱いた医師はCT撮影や他科への対診、経過観察のための入院、保護者への注意喚起などを行なわくてよいものなのか。もし仮に、被告人医師の診察時の所見を記したものではなく、容態が急変した後になって追記されたものであるならば、それは被告人医師が「初診当時の状況では髄膜炎を疑っておく必要があった」と考え、初診に問題があった(すなわち過失があった)と自ら感じていたことを示しているのではないか。

 不躾な質問ばかりで申し訳ないのですが、素人としてはさしあたりこのような疑問を抱いた次第です。

 さて、いのげ先生の第二コメントにあります「医師の司法に対する不信感」については、「医師の処分の根拠となる事実認定を刑事司法に丸投げしてきた医師の責任は皆無ですか。」と再度申し上げるしかありません。現在、司法以外に医師の診療の当否を直接検証できる有効な制度が存在しないとお知りになった上で「医事紛争を刑事訴訟で扱うことの不当」を繰り返しお述べになるということは、ご本心はどうあれ「およそ医師の行為には検証の眼を向けるべきではない」とお述べになっているに等しいということになりますが、そう理解してよろしいですか。

横レスで失礼します。

>DH さん
http://homepage1.nifty.com/zaw/z/egg/12.html
↑の話から想像すると、専門が細分化されている科が「マイナー」とのことのようです。
医療過誤はなくす努力すべきものですが、「責任の追及と、再発防止とが重なり合わない」と書きましたが、自殺者が出るような日勤教育を行っていたJR西が大事故を起こしたことからも、厳罰化が医療過誤防止の足しになることは疑問です。

>an_accusedさん
有効な代替策がなければ文句は聞かない、ととられかねないご意見はちょっとうなずけません。
「現在、医療の体制に問題が生じつつあるのをお知りになった上で「医事紛争を刑事訴訟で扱うことの不当」を否定されるということは、ご本心はどうあれ「およそ刑事司法を行うことでおきる医療の問題は無視してよい」とお述べになっているに等しいということになりますが、そう理解してよろしいですか。」
といった泥沼が容易に予想できます・・・

>DH先生
医療業界用語で申し訳ありませんでしたが、古来より内科・外科・小児科・産婦人科(精神科もかもしれない)をメジャー それ以外をマイナーと呼んでおります。これは業界では差別的ニュアンスは一切ありません。

多少どころかこれだけの要因がそろっているのを一切無視しているのはおかしいといっているわけです。そして司法による解決は個人責任レベルの追求に終始し、再発予防に一切繋がったことはない。システムの問題も放置している、まさしく木を見て森を見ずが体質的になっています。患者の感情は医療のシステムに感心を持つことはありません。

>an_accused 先生
1)司法解剖も刑事司法システムの一部であると考えています。医療ではありません
2)私の解釈ですが「髄膜炎の可能性」には二通りの読み方があります
A:「診察している時点ですでに髄膜炎である可能性」
これは項部硬直無しと発熱なしから否定的といえますし髄液検査をしないのがおかしい。そもそも外傷による髄膜炎は受傷から発症まで数日を要します。受傷と関連のない髄膜炎を疑う根拠となる所見がありません。
B:「咽頭部刺創からの感染が波及して診察後に髄膜炎に至る可能性」
これは耳鼻科の教科書によく書いてあるらしい合併症で、現に刺創がある
その可能性に対する予防的抗生剤投与を処方した、とカルテにあるわけで
ストーリーとして整合性があると思います。

>「およそ医師の行為には検証の眼を向けるべきではない」という解釈

この点 若干舌足らずでした。一部の医師たちの意見にある全面的刑事免責は考えておりませんし検証しないという意味ではありません。「法律家のみによる検証」に反対しているのです。詳細は略しますが私の考えている案は医道審に医師と法律家その他による混成チームを作り検証して結果を関係者(患者・医療施設など)に報告、違法性事件性が有る場合は告発、という方式です。これは大幅な解決の迅速化適正化に繋がると考えています。なお、厚生労働省はすでにこの方向で動いているとある筋から聞きました。

いのげ さん
>現代の医療刑事司法は最も重要で最も努力している立場の医師を選択的に罰しているのです.

 この点については、ある意味必然的な現象でありますが、刑事司法が再検討しなければならない問題だと考えています。

 警察(や検察)は、結果が重大な事件、つまり人が死亡した事件については刑事司法的にけじめを付けたがります。
 ということは、医師がぎりぎりの選択を迫られる案件ほど、刑事事件化の危険があるということです。

 ここを何とかしないといのげさんの指摘されているように、医療の一番大事なところで医療崩壊が生じることになると思います。

 ところで、本件の医師の判断が適切であったかどうかについて、端的な意見を述べさせていただきます。
 私は、検事の立場で、医療関係者ほどではありませんが、傷害事件や殺人事件など人間が壊れる事件を一般人よりは多く見ています。
 その経験からしますと、被告人の医師が、母親から、4歳児が「割りばしをくわえたまま転倒した」という情報を得ていたならば、「傷口に消毒薬を塗り、抗生剤を処方」する程度では済まない傷害を負っている可能性は当然考慮してしかるべきであったと思います。

 小児を診察する医師としては、大人よりも十分なコミュニケーションが取れないことを前提として、想像力を働かせることが求められると思います。

 本件の医師はその点が不十分だったのではないか、そうであるならば、今の医学部教育に問題はないか、ということも検討されるべきではないでしょうか。

救急は裁判所でやってるんじゃない

ERでやってるんだ!

…ゴロ悪いですか?

>いのげ先生
 詳細なお答えをいただき、ありがとうございます。
1)司法解剖が医療ではないというご見解について
 民事訴訟であろうと刑事訴訟であろうと、また「新規の検証システム」であろうと、事実認定の基礎となる法医学鑑定に問題があればどうしようもなくなりますので、まずは司法解剖・鑑定の信頼性をいかに高めてゆくかということをまず法医学できちんと引き受けていただきたいと思います。
2)カルテ記載「髄膜炎の可能性」の意味するところについて
 なるほど、先生のご説明で腑に落ちました。ご見解[A]である可能性は初診時の非常に低く、ご見解[B]であるならば被告人医師が他科への対診等を行なわなかったこととは矛盾しないということになりますね。そうであるなら、「髄膜炎の可能性」の記載に関しては、仮に追記であっても必ずしも「辻褄あわせのためにカルテを改竄したもの」とはいえないように思われます。

 医事紛争というものには、福島産婦人科医事件のように医師のほとんどが「あれは仕方なかった」と考えるものだけでなく、慈恵医大青戸病院事件のように医師の大多数が「無謀だった」と考えるもの、投薬ミスや手術用具の体内置忘れなどといった明らかな過失、仙台筋弛緩剤事件のように故意が疑われるものなど様々なものがあり、個々の事情は実際に捜査してみないことには(もっと言えば法廷で証拠を突き合わせてみないことには)わかりません。刑事責任のハードルは故意・重過失にまで引き上げるべきですが、捜査が行なわれること自体は受け入れざるを得ないように思われます。

 ところで、杏林大割り箸事件で、検察は控訴したようですね。亡くなった児童のご家族はさぞご無念だと思いますが、「割り箸が小脳に達した時点で救命はほぼ不可能」というのが大方の見方であることを踏まえると、これ以上N医師を被告人席に座らせるのは酷に過ぎるように思われます。

私も小児医療に長く関わってきましたが、この一件くらい奇妙な症例は診たことがありません。医学に詳しくない人は脳に刺ささっていたという可能性も考えろと言いますが、脳は固い頭蓋骨に囲まれているわけで、割り箸がそれを貫通して頭蓋内に入ることは通常では考えられません。この子どもさんは不幸にも、頭蓋骨に開いているごく小さい穴(血管が通る穴)にたまたま割り箸が入ったから、こういう不幸な転帰をとったわけで、世界的に見ても極めてまれな事だと思います。例えて言えば、サッカーボール大の硬い球形のものに、1cmに満たない穴が開いている。その球に箸をめくらめっぽうに突き立てて、中に入る確率はどのくらいあるでしょうか?しかも箸の先が見えているわけではない。球の中に入り込んでしまえば、肉眼的には見えません。脳障害を強く思わせる特異的な症状も受診の時点では出現しておりません。なお、CTを撮っていてさえ、この箸を発見することは難しかったと思います。我々専門医が見ても、恐らく100名中99名は診断できないでしょう。
このように、いくら想像力を働かしても、解剖学を知っているほど、頭の中に箸が残ったということは否定的に感じられます。診察にあたった耳鼻科医は至極通常の診療をしたと思います。
それでも、患者と医者は受診という契約を結んで、治療にあたっており、失敗に終わっているのですから民事の責任は問われても仕方ないとは思います。しかし今回のような刑事罰を求めるような裁判には誰も納得できないでしょう。
近年、少子化が進んだために子どもが大事にされることが多く、自治体は財政難であるにも関わらず乳児医療などの社会保障制度を充実させる方向にあります。もちろん、必要なことと思います。しかしこれが母親の権利意識を過剰なまでに引き上げてしまったという現実があります。子どもは助かって当然、いつでも最高の医療を受けて当然であると国民は考えています。しかし、それは医療の現実からは遠く離れたもので、そのギャップが国民と小児医療に関わるものの間で大きな摩擦を生んでいます。これは医療システム全体を変えることで解決をはかるべき問題なのですが、現時点では国も自治体もまったくといっていいほどシステムを変えようとはしていません。その影響を受けて摩擦にあえいでいるのは現場の医師なのです。それなのに検察は医師個人に責任を取らせようとしており、これは絶対に看過できるものではないのです。もし有罪になれば、誰も現場に出る(小児の救急を行なう)ことはしなくなるでしょう。実際に小児救急撤退の動きは各地で出ています。
ネットで多くの医師が抗議を表明しています。これは、訴えられた耳鼻科医を守るためだけではありません。この件が有罪になれば医療全体の破綻につながるため、医療全体の問題、さらに国民全体の問題につながると考えているからなのです。

小児貝 さん
 経験豊富な専門家からのご意見ありがとうございます。

>このように、いくら想像力を働かしても、解剖学を知っているほど、頭の中に箸が残ったということは否定的に感じられます。診察にあたった耳鼻科医は至極通常の診療をしたと思います。

 このご指摘は傾聴に値すると思うのですが、判決要旨では

担当医のN被告は転倒で割りばしがのどに刺さったことを聞けば、体勢などによっては割りばしの先が頭蓋(ずがい)内に届いたことも想定できた。

と認定しています。
 この点について、一審の弁護人及び被告人を支援する医療関係者の方はどのような反証活動を行ったのか気になります。
 私は理論的には医師の過失を否定すべきだったと考えていますが、裁判所の論理を前提にしたとしても、小児貝さんが指摘された点が十分立証できていれば、裁判所も過失を否定した可能性があるのではないか、と見る余地があります。
 
 ただし、私が先のコメントで
>>その経験からしますと、被告人の医師が、母親から、4歳児が「割りばしをくわえたまま転倒した」という情報を得ていたならば、「傷口に消毒薬を塗り、抗生剤を処方」する程度では済まない傷害を負っている可能性は当然考慮してしかるべきであったと思います。
と述べたのは、割り箸が頭蓋内に達するほど突き刺さることだけを想定したものではありません。
 割り箸をくわえた状態で前のめりに転倒した場合、割り箸が垂直方向に、つまり相当の強度を発揮する角度で、しかもかなりの力でのどに突き刺さることが想定されるということ指摘したものです。
 素人考えとしては、このような状況が生じれば、のどに相当重い損傷が生じる可能性があるのではないかということは想定内のことではないのでしょうか。
 裁判所の認定の背景には、そのような考えがあるのではないかと想像しています。
 検察は控訴したようですから、控訴審において、その点についての審理が尽くされることを期待します。


 小児貝さんのコメントの後段については、私も同感できるところが多いです。
 医療過誤事件に対する検察のスタンスは変える必要があると感じていますが、ほっておいても変わりません。
 あらゆる機会において、医師の側から言うべきことを言うという姿勢が必要だと思います。

 司法の場においては、弁護士がそれを支援する役割を担いますので、弁護士としても、医療全体の中で事件を位置づけて弁護活動を行うことが重要だと思われます。

>割り箸をくわえた状態で前のめりに転倒した場合、割り箸が垂直方向に、つまり相当の強度を発揮する角度で、しかもかなりの力でのどに突き刺さることが想定されるということ指摘したものです。素人考えとしては、このような状況が生じれば、のどに相当重い損傷が生じる可能性があるのではないかということは想定内のことではないのでしょうか。

モトケンさん,こんにちは.図らずも,おっしゃっていただいたとおりです.相当重い損傷が「のど」に生じえます.しかし,あくまでも「のど」なのです.解剖学的に,脳や脊髄は,頑丈な骨や靱帯に守られていて,アイスピックのような固い物でなければ,骨,靱帯を破って頭蓋内にはまず到達しえないでしょう.この症例では,本当に運悪く,頚静脈の通る小さな穴に割り箸の先端がはまりこんだために脳が傷害されたのです.それを,何の前情報もなく推測するのは非常に困難だったはずです.
一方,喉に重い傷害があったとしたら,脳神経,動脈,静脈の損傷によって麻痺や内出血が認められるでしょうが,これらは診察では認められなかったようです.したがって,喉に傷害があっても軽度と判断したとしても,おかしくないのです.

人の体には,この症例のように突拍子もないことが本当に起こります.人の生き死には人知を越えています.臨床医としての経験を積むほど,嫌というほどこれを思い知らされますが,そうでないと,これが分からないのです.悲しいことに,ここに,医師とそうでない人との大きな隔たりがあると思います.

無い貝さん
>人の生き死には人知を越えています.
 これは法律家もそう思っています。
 だから、やるべきことをやったのであれば、たとえどんな重大な結果が生じたとしても責任を負わない、という過失責任の原則が採られています。
 問題は、個々具体的な事案において、「やるべきこと」の範囲内容はどういうものなのかということなのですが、医療事故においては、医師と検察官・裁判所との判断に隔たりがあるようです。
 裁判所は、全ての領域の専門家ではありませんから、具体的な事案ごとに、鑑定や専門家の意見を聞くなどの方法により、専門的な知見を補充しながら裁判を行います。

 ただし、この場合において、裁判所は、過失犯理論という法概念のフィルターを通して理解しようとしますから、検察・弁護双方ともに、フィルターを通りやすい方法で裁判官に情報を提供しなければなりません。

 今回の裁判においては、被告側はそれに成功しなかったという評価が可能です。
 今回の裁判での裁判所の判断の当否については、私としても証拠関係を全て検討しなければ意見を述べられませんので、法律家としての見方を紹介するにとどめて、これ以上言及することは控えようと思います。
 
 一般論として若干付言しますと、どんな経験豊富な名医でも、最初は経験のない新米医師だったわけですから、経験不足の時点で豊富な経験を要求される症例にあたるかあたらないかという偶然的事情で、その医師の将来が決定されるような状況は好ましくないと思っています。

 運の悪い人間は医師としての職責を全うできなくなってしまいますから。

 もっとも
>人の生き死には人知を越えています.
というご指摘は、人生には運不運はつきものだ、という意味にも取れるところであります。

矢部先生、こんにちは。はじめて投稿させていただきます。私は消化器外科医で、現在アメリカに在住しております。今回の杏林大学の事件や福島県立病院の事件を知り、素人ながらいろいろと日本の法について考えております。

私は当初、医療行為に関しては、また医療行為に限らず個人の行為よりもシステムそのものが不幸な結果をもたらす大きな原因となりうる業務については、業務上過失致死傷罪の適応を免除すべきだ、と思っておりました。しかしネット上でいろいろみてまわると、自分の主張について少し自信がなくなってきました。

まずは法についてもっと基本的な事から学ばなければ始まらないと思っております。本当に基本的な質問で恐縮なのですが、どうかご教示ください。

刑法の条文を読む限りでは立法者たちは過失犯について裁く事にあまり熱心ではなかったように思うのですが、そもそも過失犯を罰する事の意義は何なのでしょうか。過失行為自体の発生を予防する効果があるとは考えにくいし、被害者感情を救済するのであれば、過失致死罪の罰金刑は疑問ですし、どうなんでしょうか。いっそ故意犯のみを対象にしたほうがすっきりするようにも思うのですが。

ここ数日医療過誤の刑事免責について考えていたのですが、結局なぜ過失犯を罰するのか、というところに行き着いてしまいます。どうかご示唆くださいますようお願い申し上げます。

ところで判決全文がまだ関係者に交付されていないとか
全文を読む前に控訴するかしないか決定しろという今の制度はむちゃくちゃでござりまするがな.検討も何も出来ないじゃないですか.

>oregonianさん
モトケン先生がお忙しいようですので、軽く横レスを入れさせていただきます。
>刑法の条文を読む限りでは立法者たちは過失犯について裁く事にあまり熱心ではなかったように思うのですが
裁きたくないから裁いていないのではありません。故意犯よりも責任の程度が軽いので、故意犯ほど強く非難できない結果、罪が軽くなっているのです。
刑事法は立法者のさじ加減ひとつで科刑範囲を決められるわけではなく、この責任主義という枠の範囲内でのみ裁量ができます。

>過失行為自体の発生を予防する効果があるとは考えにくいし、被害者感情を救済するのであれば、過失致死罪の罰金刑は疑問ですし、どうなんでしょうか。
故意と違って、過失は不注意という無意識レベルの問題ですが、不注意にならないように気をつけることができる、という意味では予防効果は認められます。
また、故意であろうと過失であろうと、被害者からすれば結果に変わりが無いはずですが、責任主義から非難可能性が低い場合は重い罪を課すことはできません。
従って、より非難可能性が高い場合、つまり、重過失致死、業務上過失致死傷は5年以下の懲役もしくは禁錮または50万以下の罰金です。
科刑範囲を見ると、過失致死<重過失致死<殺人、になっていることが分ります(重なってるとこもあるけど、<+=の記号が出せなかった)。

説は分かれるようですが、ワタシは、過失犯の処罰理由は故意犯と同じものであるが、ただ、責任の程度が軽いものである、という古典的なとらえかたで、ま、いーんじゃないかな、と思ってます。
これでご理解いただけたでしょうか。

私は卒業後12年目の耳鼻咽喉科医です。
総合病院に勤務し、救急当直も月に2回しております。
異物が口腔や鼻腔から副鼻腔に突き抜ける症例は3例経験あります。
2例は初診時に異物は抜去されており創部を縫合する手術でしたが、
1例は木片の折れた部分が上顎骨に突き刺さったままで手術器具ではさんで摘出したことがあります。
脳につきささることはこの事件をきっかけにしてから留意しております。
医師も患者を救おうとして医療行為をしているわけであり、不幸にも患者が死亡し、
このことで有罪となってしまっては、いずれ医師をめざすものは減少するものと思います。
最近、救急外来で思うことは非常にくだらないことで受診をする患者が増えており、
あきれることがしばしばです。
当院でも救急外来を受診し、入院するのは1割未満です。
具体例を挙げれば、
1)風邪ひいたから風邪薬を処方して欲しい
2)花粉症の薬を欲しい
3)1週間前から肩こりがするから湿布が欲しい。
患者サイドのモラルもひどいものです。
医師をとにかく裁判で有罪にしてえられるものは医療の後退です。
数年以内に医療が崩壊し市民病院が閉鎖されるのは私からすれば当然のことと思います。

耳鼻科医先生のコメントに関連して話を蒸し返すとDH先生の

>支援の会の会長さんのコメントを拝読していると、人の命が失われた(医師の過失によるものか否かはともかくとして)という事態の重大性に対する配慮があまり感じられないように思います。

これぞまさしく木を見て森を見ず
この事件の影響で何人の医師が小児科を離れたかこれから離れるかその結果として何人の小児が死亡するか.(その典型例を岩手や川崎のたらい回し事件にすでに見る事が出来る)はっきりいって桁が違います.
まったく現状を知らず且つ想像力も欠如している思考経路です.すでに失われた命も重大ですがこれから失われる命ももちろん重大なのです.

医師の小児科離れと本件は無関係と法律家は主張するでしょうが,現場の医師はそう思っていません.もちろん小児科を離れる医師には何の刑事責任も無いのです.

白片吟Kさん、どうもありがとうございます。「責任主義」と「非難可能性」がキーワード、つまり自分の行為が直接の原因で死亡した場合にはその責任の程度に応じて処罰されなければならないということですね。確かにそうであれば医療事故はすべて刑事処分の対象となりうるということになりますね。

ということは医療提供者側から見ると、治療行為に過失があれば常に起訴される可能性がある、そして起訴されるかどうかは一般的に、結果の重大性、過失の大きさ、被害者側の感情、そして世論によって決められる、ということになりますね。そしていったん起訴されたら裁判では過失の有無が争われるが、裁判官は諸般の事情を考慮して判決をくだすということですね。

私が医療行為の刑事免責を考えていたのは、そのほうが医療を受ける側にメリットがあると考えたからです。医師が一人一人の患者に行っている医療行為は実際は多数の行為の集合であり、私の経験ではこれらの行為を後ろ向き(retrospective)に見ると、すべてが完全である事はほとんどありえず、必ずいくつかの不適切な行為が含まれているように思います。最終的な結果がよければ通常はこれらの行為が問題になることはありませんが、ひとたび患者が納得できない結果がでてくると、これらの行為が問題になってきます。つまり、多くの場合、あとから振り返ってみれば必ず何らかの「不適切」といわれる行為がでてきます。

多くの医師が不満に感じている事は、すべては結果次第であり、ひとたび不幸な転帰をたどったときには、あとからあら探しをされる、ということです。例えば今回の割り箸事件ですが、問診や診察の内容、CTをとらなかった事の是非などが後から非難されていますが、このこと自体に納得できない人が多いのです。「後医は名医」と医師のあいだではよく言いますが、たとえ日本で有数の名医が行った医療行為であっても、教科書や文献を調べながらであれば、駆け出しの医者が名医の診断や治療をあとから非難する事ができるのです。

救急医療や地域医療に携わる医師は一番はじめに患者をみるのですから、まず一番あらさがしをされやすい立場です。また複数の疾患をもち複雑な治療を必要とされる患者を多く扱う診療科も同様です。くりかえしますが、あらさがしをすれば必ずなんらかの不適切な行為はでてきますし、刑事訴追をおそれる医師はこれらの分野から撤退せざるをえません。(一般的に有能な医師から先に撤退するように思います。)そしてこれらの分野が崩れる事は国民にとって不利益になると思ったからです。

白片吟Kさんのお話から判断すると医療行為全般を刑事免責することは理論上難しそうですね。でも過失犯の処罰が事故の予防効果があるとの説明には納得しておりません。

>oregonianさん
ワタシの説明が不完全なようでしたが、責任主義とは、正確には、「その責任の程度に応じて処罰されなければならない」のではなく、「責任の無いことについては処罰できない」と消去法で使うものです。
ですから、政策的に処罰を軽くすることは、相応の理由があれば可能です。逆に処罰を重くすることは責任主義との間で重大な問題を引き起こします。
刑法211条2項は平成13年に追加された規定ですが、これは自動車運転者については法定刑を軽くしています。交通事故は、軽度の過失で重大な結果を引き起こすものなので、今までと同じ調子で処罰していると、みんな運転できなくなっちゃうので、政策的な観点から法定刑を軽くしたのです。

ですから、医療行為についても政策的な観点から刑事責任を減少させ、場合によっては免責ということも理論的には不可能ではありません。
後はそーゆー規定を作った場合の社会的影響の問題、つまり政策的な当否の問題だけです。
「良きサマリア人法」という、医療行為の免責についての法が外国にはあるという情報をネットで目にしましたが、これが刑事責任の分野にも当てはまるものなのかは不勉強でよくわかりません。

あと、過失犯の処罰に事故の予防効果があるかについてですが、
これにデータ的に裏付けがあるかどうかは知りませんが、仮になかったとしても、じゃあ放っておいていい、とゆー訳にもいかないでしょう。
少なくとも現在のところ、誰かが言わなくてはならないが、いうべき適当なところが見つからないので、仕方なく筋は少々違うが、裁判所が出てきた、という感じにワタシはとらえています。
だから論理的整合性を少々無視しても過失を認定したし、過失を認定したくせに無罪なのです。
要するにこの判決は「あなたはこの件について悪くはないけど、問診はちゃんとしとこうよ。」と、言いたかっただけで、本来の刑事裁判の機能、というものからやや外れています(その辺に井上元判事、おおよろこびで食いついたのでしょう)。
だからこの辺も立法による解決が可能だと思います。

oregonianさんへ

横から失礼いたします。

> でも過失犯の処罰が事故の予防効果があるとの説明には納得しておりません。

というご発言からは、質問がしたいのではなく、「ほしい答えが聞きたい」だけなのかしら、と邪推もしてしまいますが。

白片吟K氏さんが書かれていることに、法律的な説明としてはウソはまったく含まれていないと思います。(失礼な表現でしたら申し訳ありません>白片吟K氏さん)
あとは読み方にバイアスがかかっているかどうかの問題ではないでしょうか。

私も、モトケン先生と同様、「過失犯処罰」一般について疑問をもっている(「過失犯」への制裁は、行政・民事・事実上の制裁だけで十分と考える)者ですが、
現行法を前提にした判例・実務において、医師の医療行為も「業過」に該当するものとして運用されている事実自体は消しようがないことです。

「過失犯処罰に予防効果がある」こと自体は、実験的・自然科学的な証明は困難(不可能)と思いますが、「刑罰一般」についてと同様の予防効果があるといっていいと思います。
医師の医療行為についてあてはめるなら、「医療行為上のミスを処罰することにより、そのような医療行為に従事する者がいなくなる」とみなさん危惧されているわけですが、そのこと自体、そう言われる方自身が「予防効果」があると信じていることの証左であろうと思います。
詭弁でもなんでもなく、「医療行為」自体を行わなければ、「医療行為上のミス」という過失行為は世の中に存在しなくなる(つまり「防げる」)わけですから。

ですので、論理的には、「医療行為上のミスの処罰」について問われるべきは、その「予防効果」の有無なのではなく(一般的感覚としてそれが「有」であることは否定できない)、
その「弊害」の有無・程度だろうと思います。

つまり、「医療行為上のミスを咎めることによって医師が処罰を恐れてより注意して医療行為を行うようになる」というような社会に対するプラスの効果と、「処罰を恐れて医療行為の担い手が減る」というようなマイナスの効果を比較し、マイナスの効果のほうが大であることを説得的に論証できれば、立法も司法も動く可能性はあるのではないかと思います。
抽象論にすぎないですし、その「論証」のためには、(いのげ会長も危惧されている)「いっぺん医療が崩壊」してみないと国民が納得するようなデータが出ないのかもしれませんが。

私が言いたいのは、「予防効果」の定義をまずクリアにすべきではないでしょうか、ということです。
oregonianさんのおっしゃる「予防効果」とは、↑でいう「プラス効果」と「マイナス効果」を積分してもなおプラスが上回っている場合の「効果」のことではないかと思うのですが。

白水吟Kさん、fuka fukaさん、どうもありがとうございました。「プラスの効果とマイナスの効果を比較し、マイナスの効果のほうが大であることを説得的に論証できれば、立法も司法も動く可能性はある」というおことば、「誰かが言わなくてはならないが、いうべき適当なところが見つからないので、仕方なく筋は少々違うが、裁判所が出てきた」というおことばを聞いて、うれしく思います。少なくとも何かを考える事は全く無駄というわけではないのですね。

ところで刑法第211条第2項が追加された事で実際に判決の内容に変化が現れてきているのでしょうか?あるいは法定刑を軽くする事で、実際に起訴される事例の割合が減ったようなことはあるのでしょうか?すみません、調べればわかるのかもしれませんが、もしご存知ならば。

あと、杏林大学の件や福島県立病院の件では、遺族の被害感情が強かったから起訴されたような話もあるようですが、実際に遺族の感情というのは大きな要素となるのでしょうか?被告の行為が同じであっても、量刑などに差がでるというのは、素人から見るとなんとも納得できないのですが。

最後に、「ほしい答えが聞きたいだけなのかしら、と邪推もしてしまいますが」ですが、たしかに自分のレスを読み返すとそう思われるのも無理ないかな、と思います。でもご意見をいただきたいのは事実ですし、自分の意見を曲げるつもりはないなどということはありませんので、どうかご容赦ください。

>実際に遺族の感情というのは大きな要素となるのでしょうか?

なります。刑事事件が入った場合、弁護士がまずやるのは、被害者または遺族との示談です。
被告人の行為が同じであっても、与える社会作用が異なれば、行為に対する社会的評価は異なります。刑事裁判の第1の目的は社会秩序維持ですので、行為評価は社会的に行います。
被害者及び遺族は犯人と並んで事件に最も関わりの深い者なので、その処罰意志は社会的評価の重要な一要素です。
被害者側が処罰を望まないのであれば処罰する理由はそれだけ減ります。
ただし、被害者側の感情がすべてを支配するわけではありません。あくまでも社会的評価の一要素です。

>刑法第211条第2項が追加された事で実際に判決の内容に変化が現れてきているのでしょうか?あるいは法定刑を軽くする事で、実際に起訴される事例の割合が減ったようなことはあるのでしょうか?

これは現場に詳しくないのでよくわかりません。

まあ、もともと判例の運用傾向を明文化したものですから、211条第2項の追加の前と後でがらりと変わる、というものではないでせう。
近年、運転者に対する処罰が軽すぎる、という被害者側の声をちょいちょい新聞で目にしますが、これは判決の内容に変化が現れたというよりかむしろ、211条第2項の追加により、交通事故に対する処罰傾向が誰の目にも明らかになった、という点にあるのかも。

法定刑の軽重は起訴決定の裁量の重要な一要素なので、軽くなれば起訴の可能性は減る、と一応言えます。
ただ、法定刑のみで起訴不起訴が決まるわけではなく、ほかの諸般の要素(被害者感情とか)も考慮されます。

あまり役に立ってないけど、わかる範囲でお答えしますた。

かりに国からの免許が必要とされる職種において、その職務執行上に発生した過失によって被害者を傷害または死亡させた場合には、行政機関による(現行よりも重い)行政処分を科し、業務上過失致死罪の適応を原則的に免除するというのはどうでしょうか。

たとえば交通事故に関して考えてみると、行政処分の内容を、あらゆる運転免許の再取得を禁止するとか、罰金の額を年収の数倍まであげるとかにするということです。行政処分の内容が被害者がある程度納得できるものであれば社会秩序の維持という目的は達成できるのではないかと思うのですが。

行政処分に関する問題もいろいろとあるのでしょうが、免許をもつ人間がその業務についておかした過ちについては、免許を交付したものがまず第一に責任を持って対処すべきであり、行政処分が不適切であった場合に司直が関与してくるというのが自然な考えのように思われます。医療に関しても厚生労働省がきちんと免許交付後の監督をするべきだと思います。またそうでないと医療行政の各々の面で整合性がとれなくなってしまいます(たとえば過失致死を招きやすい診療分野で医師確保が必要になったときに機動的に対処するためなど。)

「被告人の行為が同じであっても、与える社会作用が異なれば、行為に対する社会的評価は異なる」ということですが、なるほどそうであれば、同じように行為の結果が死亡ということであっても交通事故と医療事故では社会に与える作用はずいぶんと異なると思います。加害者と被害者は事件にもっとも関わりがあるのは事実ですが、医療事故の場合は、起訴したという事実自体が一般の国民にも影響を多大な影響を及ぼしかねません。特に同業者というのは直接的に刑事訴訟の影響を受けますが、個別の事例における被害者の感情が影響するのでは納得できません。その点でも行政処分の方が有利なように思います。

話はそれますが、運転免許に関して警察が深く関与している現行のシステムは社会にとってあまりよくないように思いますがどう思われますでしょうか。道路交通行政も一元的にすべきだと思いますが。

すみません。上の書き込みは私のものです。

oregonianさんの考え方の方向はわかりますが、法律的な話に限れば、「年収の数倍」もの罰金を科するには、行政のみの判断ではできず、刑事手続に沿って、裁判所による判断が必要とされます。行政上の義務違反でも、行政刑罰は、刑法と同じように刑事訴訟法の規定によるのが原則で、つまり起訴は免れません。
これは憲法及び憲法の基本たる「法の支配」の要請するところです。
行政だけで科することのできる罰って、かなり軽いものだけです。せいぜい交通反則金とか、過料とか。

oregonianさんの考え方って、つまり、「餅は餅屋」に任せておいて、門外漢の裁判所はなるべく入ってこない方が、うまくいくって考えですよね。
専門が高度になり、しかも細分化されてる現代社会においては、そーゆー必要性もあります。
しかし、憲法の方針としては、人権に大きく関わることは裁判所に任せて、政治機関は最終決定はできない、ということになっています(憲法76条1項、2項)。
三権分立の下では裁判所が人権保障機関という役割分担だからです。
いくら専門性がある分野でも、人の生死が関わることについて裁判所がノータッチでことを済ませる、というのは憲法上できないと思います。

ただ、免許に関しては、元々行政の管轄ですから、行政の裁量が広範囲で認められます。

いままで明確には意識していませんでしたが、確かに私の考えは「餅は餅屋」の考え方です。医師はお互いの専門性について尊重しあっており、専門家の意見に反対する事はあまりありません。私個人は経験万能主義に反対ですが、たとえば10年以上の経験を有する専門医にその分野で反論するということはおそらくないと思います。たとえ裁判官であっても素人から自分の医療行為をたしなめられると、心おだやかでない医師は多いかもしれません。でも逆に医療事故の専門家からの意見であれば多くの医師は素直に聞けると思います。

医師のおごりだと非難されるのはごもっともですが、少なくとも医師は自分のできることやできる範囲を身をもってわきまえていると思います。実際に自分が見たことのないような症例について自信をもって何かを断言するような事はありません。そういう事を言えば後で必ず後悔する事を知っています。

複雑化する現代社会では行政が受け持つ役割が肥大する事はさけられません。三権分立下での司法の役目は行政機関がきちんと法に基づいて職務を遂行しているかをチェックする事がまず第一の仕事だと思います。下された行政処分が法に基づいて適切かどうかを(求めに応じて)裁判所が判断するのなら憲法上の問題はないように思うのですがどうなのでしょうか。また、「人の生死が関わることについて裁判所がノータッチでことを済ませる」ということはできなくても、個々のケースについて積極的に出てこなくてもすむように思うのですが。

コメントのやりとりを通じて、私も自分の考えが明確になってきました。
私は、特に人の生死が関わることについての処分、責任の所在を専門家集団(しかも加害者側の人達、ととらえられてもおかしくない人達)に委ねることには消極的です。

憲法76条2項からは、前審であれば、行政機関も裁判ができることになりますし、独禁法違反に関する公正取引委員会の審判みたく、現実にもそういうのってあります。
だから、医療過誤についても、終審としての裁判権を裁判所に確保するのであることを条件に、特別の審判機関を作るということは憲法上可能である、という主張は十分「あり」ではあります。

ただし、私個人としては、前審であれば何でもいいってもんじゃなくて、専門の行政裁判所でやった方が事件の迅速で合理的な解決に役立ち、国民の権利救済になる場合に限られると考えます。
oregonianさんは「個別の事例における被害者の感情が影響するのでは納得でき」ないから「行政処分の方が有利」と書きましたが、仮に、被害者感情を考慮しないことにそういう専門裁判所の特徴があるとするのであれば、それは国民の権利救済にならないと思います。
実際も、そーゆー専門裁判所に審判をされたら、被害者側はこぞって裁判所に権利救済を求め、結局何のために専門の行政裁判所を設けたのかわからない結果になると思います。
つまるところ、医者に優しくて、被害者に厳しい専門裁判所であれば、公正さへの信頼が保てないだろうってことです。

「医師はお互いの専門性について尊重しあっており、専門家の意見に反対する事はあまりありません。」
「たとえ裁判官であっても素人から自分の医療行為をたしなめられると、心おだやかでない医師は多いかもしれません。」
法律家だって同じです。いや、自分の専門性にプライドを持つ人達は皆そうでしょう。
でも、裁判員制度は、その専門家の領域に素人が入ることを認めました(陪審員ならまだともかく!)。
「透明化」を合言葉に行政も裁判も、一般人にわかるような明確でわかりやすい手続きが求められつつあるようです。
専門性を過度に強調することはできない時代の雰囲気なんじゃないかと私は思っています。
いや、これはあくまで雰囲気の話ですが。

専門家が自らの職務について国民にわかりやすく説明することはもちろん当然のことと思います。しかし私が言いたいのは専門事項について「判断」をすることです。私は判断の根拠などは詳しく知らされる必要があると思いますが、判断そのものは専門家が責任をもってすべきことだと思います。

被害者側の権利救済をどうすべきかがもうひとつの焦点ですね。私は基本的には経済的救済で必要十分だと考えています。これは一番最初に私が過失犯の処罰の根拠をお尋ねしたことに関係します。つまり、過失犯を処罰して果たして被害者感情が救済されるか、ということです。

たとえば、今回の割り箸事件について、この子の母親はいったい担当医にどういう判決がくだれば満足するのでしょうか。かりに検察の求刑通りの判決がおりたとしても納得しないでしょう。禁固刑では軽すぎるというでしょう。謝罪を要求するでしょう。さらに今後医師として仕事する事を認めないでしょう。あるいは被告が家族と幸せに暮らす事自体を非難するでしょう。そして被告が被害者の要求をすべて飲んだとしても自分の子供のことを思い出すたびに怒りに震えるでしょう。

被害者が現実を受け入れない限りいくら被告を罰したところで結果は同じだと思います。逆に現実を受け入れている人は本当に被告を罰する事を望むでしょうか。過失によって生じた結果はもう経済的に補償するしか方法はないのではないと思います。そして社会的制裁は免許の停止で十二分です。危険な行為でもあえてしなくてはいけない現代社会において過失を罪に問う事に対しては、やっぱり納得できません。責任があるから罰するっていうのは、なんだか「目には目を」というのと大差がないように思うのですが。ただし過失行為を繰り返す場合はもちろん別です。

行政処分に関して、私は別に「医者に優しくて被害者に厳しい」特別の捜査機関と審判機関を望んでいるのではありません。得られた情報をすべて公開して科学的に考察し、医療の現状を認識した上で迅速に判断をしてくれる組織を望むだけです。過失の原因が専門家としての知識の不足によるものであるならば、厳しい判断をするであろうし、逆に現在でも治療法に関して専門家の間で議論があるようなケースではおとがめ無しとなります。また処分にかけられる事例は第一には本人の自主申請を期待しています。内部告発などによってあとから過失行為が発覚した場合には処分が重くなります。

こうした機関は、それがかりに理想的なものであったとしても、実際に信頼されるまでには時間がかかるでしょう。また現実には成立の過程でさまざまな妥協が入りますから理想からは離れてしまうでしょう。でも私は相対的にネットの国民の利益が現状をある程度上回るのならばよいのではないかと思います。

繰り返しますが、「被害者感情」を救済する事イコール社会正義の追求という考えには反対です。これは単に「声の大きい人が得をする」しくみであり、逆に何も訴えない人は無視されるということです。私の望むのは事故の再発の防止です。被害者感情の救済は謝罪と経済的補償であるべきと考えます。

最後に上に書いた事はあくまで思考実験であり、私自身過失犯の処罰に対して現在確たる信念を持っている訳ではありません。批判的なご意見をお待ちします。

>oregonian
私のような低脳がコメントしたところで、満足されないだろうなとは思いますが、私はあなたのおっしゃることには全面的に賛成。被害者面した加害者の多いこと。警察、教師、医師、弁護士、あるいは車掌さん。人である限り、ミスをするのは当たり前です。マスコミの悪影響でしょうか。ちょっとしたミスでも相手を「無責任な給料泥棒」として騒ぎたてる。ただ、あなたの言うことにはすこし偏見があるのではないかと思います。被害者の方は不信感を呼び起こすような行為をしたことに対して怒りを感じているのであって、決してミスをして自分の息子の命を亡き物にしたことに対して怒っているわけではありません。それと、過失犯を処罰しなくなった場合、仕事に対する厳しさが失われてしまい、社会は多くの損失を蒙るのではないでしょうか。やはり、あまりに大きなミスに対しては処罰も仕方ないかなと考えています。例えば「尼崎脱線事故」は過失ですが、あれほどの事件を起こしたにもかかわらず、処罰されないということになったら誰も納得されないのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、サービス業に従事してきたものとして、あなたの言うことはよく分かります。今の日本人はアメリカ人のようになってしまって、他人のミスを許容する心を失ってます。日本人特有の神経質さも加味されて、アメリカより酷いことになっているような気もするのです。

実は福知山線の事故のように過失がはっきりしている場合はそんなに問題ないと思っています。私は外科医ですが、手術中に切ってはならない血管を切ってしまって出血死させたのなら、遺族には這いつくばって謝るでしょうし、警察や検察の取り調べではきちんと過失を認めますし、起訴されれば裁判では争う事項もないでしょうしおそらく執行猶予付きの禁固刑をうけても納得します。遺族には私が入っている医療過誤の賠償保険から1億円まではでるでしょうし、示談の結果それ以上であっても払うつもりです。

問題は自分では過失であるといえないと考える場合です。たとえば胃癌で胃を全部とったあとは食道と小腸をつなげますが、これはどんなにうまい医者が手術をしてもある程度の確率でつないだところから食べた物がもれることがあります。特に糖尿病などをわずらっていた患者さんの場合には、どんなに最善の注意を払ってももれるときはもれます。そして後から振り返ってみれば多数の治療行為の中には小さな問題が必ず含まれています。この手術のあとにこうしたことがおこって患者さんが亡くなった場合は、私は自分の力のなさに情けなくなるし、しばらくの間患者さんとその家族の顔が頭から離れなくなるし、本当につらい日々を過ごすことになります。医者は患者のことなんか覚えていないといわれるかもしれませんが、治療がうまくいかなかった患者さんの事は本当に長い間忘れる事ができません。

でもこの場合に検察から過失をみとめるか、と詰め寄られたら過失は認めないと思います。自分では最善の行為をしたと思っていますし、だれがやってもある程度の確率でおきる合併症が不幸にも起きただけだと思っているからです。患者さんにとっては上の2つの例では手術の結果は同じかもしれませんが、手術をした側の感覚は180度異なっています。だから1つ目の例では手をついて謝りますが、2つ目の例ではお悔やみを申し上げても、手をついて謝る事はありません。ご遺族はなんて傲慢な医者だ、と思うかもしれません。でもたとえ民事訴訟を起こされても徹底的に争います。でもその結果告訴状が原告側から検察に提出される事になるのでしょう。その結果逮捕されて20日間拘留されて取り調べをうけ、保釈されても知り合いにあうことすら許されない。

過失犯の処罰に対する私の素朴な疑問は、過失をきちんと認めて謝罪している人はあえて処罰しなくてもいいし、過失の存在自体を争そわなければならないようなささいな過失ならばこれもあえて処罰しなくていもいいのではないかということなのです。

ええっと、oregonianさんと私とでは、意見が正反対のようで、実は落しどころは同じだと思うんですね。
医療事故に関する行政裁判所ができたとしても、その構成が公正なものであって国民の信頼を得ることが可能なものであれば私は反対しません。ただ、医者及びその関係者のみで構成されたのでは公正な構成の裁判所とはいえず、司法サイドの人が必ず加わるべきだと思います。
現在の刑法での処罰って言うのは、確かに医療事故の実体に適してないとこがあります。民法の不法行為での損害賠償の方が、過失相殺による細かい利益調整が図れるとこや、医者個人よりも所属する組織に責任を問うべき、という場合なんかの対応に便利なとこがあります。刑法に過失相殺は無いし、基本的に自然人の故意犯を相手にすることを予定して作られた法律なので、組織的な過失犯は苦手なのです。
ただ、医療拒否の効果については、民事でも刑事でも同じだと思うのですが、oregonianさんは民事についてはOKなようですね。

oregonianさんと私とでは結局、アプローチの方向が違うんだと思います。
>責任があるから罰するっていうのは、なんだか「目には目を」というのと大差がないように思うのですが。
前にも書きましたが、「責任があるから罰する」のではなく、「責任が無ければ罰し得ない」です。結局同じようですが、つまりその辺がアプローチの違いです。
被害者感情にしても、処罰意思が無ければ処罰の必要性は減りますが、処罰意思が強ければ処罰の必要性が増えるわけではありません。処罰の必要性が減らない、のです。まあ結局同じようですが、基準値をどっちに持っていくかということですね。
だから別に私は「「被害者感情」を救済する事イコール社会正義の追求という考え」ではありません。

>被害者が現実を受け入れない限りいくら被告を罰したところで結果は同じだと思います。逆に現実を受け入れている人は本当に被告を罰する事を望むでしょうか。
これはあくまで私個人の考えですが、大切なものを失った人に対して、「現実を受け入れろ」と言うことは酷に過ぎると思います。つか、現実を受け入れるためにみんな裁判でがんばっているのです。
何をどーしたって、死んだ人は帰らないし、失ったものは戻らないのです。みんな知ってます。頭では。
大切なものを失った人達が本当に求めているのは、「理由」だと思います。理由があれば現実を受け入れられるからです。オウム裁判でも遺族の方たちは「真実を知りたい」と言っています。
この場合裁判に求められているのは、結果よりもむしろ、過程です。
でもこれは、個人の魂の問題なので、社会正義とか医療事故に対する処罰のあり方とかとは無関係と一応位置付けています。

今回の割り箸事件、最初から行政裁判所で取り扱われたらどんな結果になっていたでしょうか。初診で軽症と判断してその後まもなく死亡したのですから、関係者の自主的報告の対象となります。もし報告がなければ遺族からの要求がくるでしょうが、こういった症例で関係者が報告を怠ることはないでしょう。この組織は強制的な調査権限をもつので、関係資料の閲覧や関係者からの事情聴取をおおむね一ヶ月かけて行います。そして2〜3ヶ月以内に判断を下します。

この行政裁判所の目的はあくまで原因究明と再発の防止ですので、判定文は以下のようになるかもしれません。

「死因は割り箸による脳損傷であるが、口腔内から割り箸が脳に達する事例はきわめてまれである。初診時に診断に至らなかった事はさして責められない。しかし初診担当者の診察および家族への説明は明らかに不十分であった。同日の救急外来の管理責任者は、免許取得後3年目の耳鼻咽喉科医師に本症例を診察させた後、その治療行為を確認をすべきであった。また同大学病院は救急患者の受け入れを表明している以上、救急患者の診療に最終責任をもつべきである。よって初診担当医および管理責任医を譴責、救急部長および病院長を厳重注意とする。また再発防止のため、おおむね免許取得後数年以内の医師が担当した症例については上席医師の再確認を必要とすることを同病院に求める。」

数年かけて担当医のみについてその過失の有無だけを争う事の不毛さを考えると、ずっとましだと思うのですが。

白片吟K氏さん、本当におつきあいくださってありがとうございます。ここ数日で自分の中でもやもやしていたものがはっきりしてきました。もちろんそれが正しいものかどうかはわかりませんが。

議論をふっかけるようですが、被害者の経済的補償は損害保険でカバーすべきと考えており、現在の民事訴訟のありかたを是認しているものではありません。いくつか理由がありますが、一番の理由は日本における医師と患者の治療契約は自由契約とはほど遠いのにもかかわらず、これをあたかも他の契約と同じように扱っていることです。

ご存知のように日本の医療システムは国民皆保険制度の上になりたっています。そしてすべてのシステムに共通する事ですが、この制度には功罪があります。優れているところは、国民に低価格でほとんどの医療機関にアクセスできる事を保証していることでしょう。逆に問題は個々のサービスの価格をきちんと評価していないことです。

今回の割り箸事件では時間外の救急外来でのできごとですが、はたして保険機関はどう評価しているのでしょうか。価格表が今手元にないので正確には答えられませんが、せいぜい普段の料金に数千円を上乗せしているだけです。くだんの当直医はいくら当直料をもらっていたでしょうか?おそらく1〜2万円程度ではないかと思います。価格決定権が契約者にない契約で一億円にものぼる損害賠償の請求は法外と考えます。

医療崩壊のお話ですが、私は日本の医療供給システムは世界でも最高水準にあると思っています。質については全体としてはアメリカには多少劣る面がありますが、コストパフォーマンスとアクセスが抜群に優れています。

割り箸事件ですが、はたしてこのお母さんがアメリカに住んでいたとしたら転んだ子供を見てすぐに救急外来に救急車でつれていったでしょうか?救急車は有料、時間外に救急にかかれば診察だけで数万円、それもすぐにみてもらえるわけではありません。脳外科にコンサルトして緊急のCTをとったとしたら診察料は20万円をこえます。ちょっと見て子供が元気そうだったらつれていくことに二の足を踏むと思います。

私はこちらで基礎医学の研究室で働いていますが、夫婦と子供一人の医療保険にひと月約10万円弱を支払っています。実に給料の1/4です。これでも診察料の8割しかカバーされません。また受診できる医療施設も限られています。もっと安い保険に入ればそれだけ保険から支払われる割合が減っていくし、うけられる検査の種類や使える薬の種類がぐんと減ります。まさに命はおかね次第です。

まったくシステムが違うのに日本でもアメリカのように治療に納得がいかなかったら損害賠償を請求する、ということが認められているのが驚きです。現在の民事訴訟のありかたでは日本の現在の医療供給システムは崩れます。アメリカのシステムのおいしいところだけとることは無理ではないでしょうか。

もうひとつ、これはこちらにきて初めて知ったのですが、私の住んでいるオレゴン州では公的医療機関に対する医療過誤の民事訴訟において、請求できる損害賠償額は50万ドルまでに制限されています。オレゴン州に医科大学は1つだけですが、ここは半官半民の施設なのでやはり50万ドルまでしか請求できません。全米の約半数の州でこのように損害賠償の上限が決められています。

アメリカでは日本よりかなり高い医療費を払った上でも損害賠償額に制限がかけられていることを考えると、日本の現状がいかに患者よりに作られているかがわかります。医療崩壊がおこったら損をするのは患者側です。わたしも一人の患者として現在のシステムを維持してほしいと思っています。

被害者感情の救済のための経済的補償について追加です。医療提供者の過失が明らかならば現在の医療賠償責任保険で十分にカバーできます。問題は過失の有無を争う症例です。現在の民事訴訟の不完全さを考えると無過失賠償責任制度を導入せざるを得ません。賠償額は十分ではないことと、保険制度の維持には国が大きく関与せざるを得ない事が問題かもしれませんが、先に例としてあげた胃癌手術後の合併症で亡くなった場合、現在のシステムでは、泣き寝入りをするか、示談交渉をするか、裁判で争うかしかなく、もし裁判で原告が敗訴すれば一銭も手に入らない上に精神的にも多大の苦痛を得る事、そして解決までに長い時間がかかることを考えるとまだましだと思います。

oregonianのいう行政裁判所は行政処分をする委員会の位置付けになると思います。
そーゆー委員会があってもいいけど、それは検察官の公訴権を制限するものではないとされなければなりません。下している処分が刑事罰ではないから、刑法の特別法の位置付けはされないからです。
まあその委員会の審決が検察官の公訴するか否かの決定に事実上影響を及ぼすことになるでしょう。
あと、実質的証拠ルールによる裁判所に対する事実認定拘束を考えてもいいかもしれません(cf.独占禁止法80条)。刑事事件の分野で裁判所の事実認定権限を拘束するのって、ちょっと気分的にイヤだけど、まあ裁判員制度もできる時代だし。その方が裁判早くなるし。

oregonianの考えって、一般予防主義的で、応報主義を完全に排しているあたり、とてもプラクティカルで実務っぽいなと思います。
応報主義が良いか悪いかはおいといて、裁判や法律は一般国民の支持を得なければならず、で、一般の人はふつー、悟りは開いていないので、応報主義もある程度必要なんじゃないかなと私は思います。

oregonianさん

すいません。名前の部分をコピペで済ませていたので、「さん」づけを忘れました。
おゆるしを m(_ _)m

確かにその部分がアメリカ人と日本人のメンタリティの一番の違いなのでしょうね。こちらのテレビのニュースでは、よく子供を交通事故で失った両親のインタビューなどが事故当日のニュースで放送されます。子供を失ったばかりなのに、泣きながらも非常に冷静な発言をされます。日本だったら泣き叫んで加害者をののしるような発言しか聞けないなあ、と思いながらいつもテレビをみています。

アメリカの社会は非常にプラクティカルです。日常生活において相手の不注意でいろいろと迷惑をこうむる事が多いのですが(例えば書類を担当者に提出しても担当者の不注意で紛失なんてことは日常茶飯事。日本では考えられない。)、原状が回復されるか他の方法で補償されればそれでおしまいです。担当者が謝るなんて事はありません。

過失犯の処罰に反対する、というのが今のところの私の結論ですが、この考えは今のところ国民的な賛同を得る事は難しい、というのが実際のところなのですね。白片吟K氏さんどうもありがとうございました。「さん」づけはべつに気にしません。

>oregonianさん
福知山線についてですが、過失は明らかと言いますがむしろ故意ではないですか?運転手は出してはならないスピードを出してしまったのですから。それでも私はあの事故は刑事事件にすべきではないと思っています。
というのは、遅れたら処罰されるという罰があり、それをおそれた運転士の心理状況が正常でないところからきた事件と推測されます。従って罰すべきはむしろそのような現実や人間の心理、それが乗客へ与える影響を考えることを無視したJR西日本の責任が99%を占めていると考えます。
また、
> 手術中に切ってはならない血管を切ってしまって出血死させたのなら、遺族には這いつくばって謝るでしょうし
と述べられていますが、癒着の中に埋もれた血の海の中にある血管を切ってしまった場合と剥離ができて明らかに判別できる血管を切ってしまったのでは過失の重みが違うと思います。私は外科が専門でないので分かりませんが、素人判断ではそう考えてしまいます。いかがでしょうか?
私はあの割り箸事件の時に研修医と同僚に聞いてみましたが、ほとんどの医師は「割り箸が脳内に入っているなんて想像付かない」と答えています。コロンブスの卵はご存じですよね。あの割り箸はコロンブスの卵なのだと思います。つまり、今だからいろいろ言える、でも当時はちゃんと診断できた人は、そんなにいなかったのでは?と思ってしまいます。
あの事件、過失であると私は思います。でも、過失にしてしまったら有罪になります。従って過失でないことを証明しなければなりません。
といって大部分の若い医師はあれを診断することは困難でしょう。それに刑事事件となったことでそのごの診断方法に啓蒙的な意義はあるかもしれませんが、新たな診断困難な状況に対してはほとんど意味を成しません。従って総論的に医療事故を減らすことはできません。それどころか多くの先生方が指摘しているように医療萎縮が進行します(というより進行中です)。
その点を法曹界の方々も考えて欲しいと思います。
個人的には「過失があっても無罪である」というのが正しいような気がします(この様な判決は無理なんでしょうが)。

後出しジャンケンでしょ!
すごく稀なケースで発見するのは至難のわざで、発見できたとしても、どんな名医にも治すことが難しそうな脳内出血、脳損傷。
こんなことで訴えてたら、本当に医療が崩壊しそうで怖いです。

親の不注意による事故を医者の所為にして訴えるなんて最低ですよ。
医者だって生活があるんですよ?
人の人生をめちゃくちゃにしてしまっていいんでしょうか。

P R

ブログタイムズ

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