エントリ

青森県十和田湖町(現・十和田市)の国立公園内にある景勝地・奥入瀬渓流の国有林で03年8月、観光客の女性が落下したブナの枯れ枝に直撃され重傷を負った事故をめぐり、女性側が県と国に計2億3300万円の損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁は7日、県と国に計1億4885万円の支払いを命じた。佐村浩之裁判長は「事故は県の遊歩道の管理ミスで起きた。周辺の山林を管理、点検していた国にも責任がある」と述べた。

 訴えていたのは茨城県在住の女性(40)と夫。

 判決によると、現場は休憩所や売店に近く、多くの観光客が立ち寄る場所だった。女性は遊歩道近くで昼食をとろうとした際、約10メートルの高さから落ちた長さ約7メートル、直径約20〜40センチの枝に直撃された。両足がまひし、今は車いす生活を送る。

 判決は事故現場について「県が国から借りた土地ではないが、近くに県設置の遊歩道や休憩所があり、事実上、県が管理していた」と指摘。枝の落下はよくある自然現象で事故は予想できたとし、県の責任を認めた。

 さらに国の機関の森林管理署が毎年、県などと現場周辺の山林を点検し、遊歩道近くの樹木については実際に安全対策をとっていたことを踏まえ、国の責任も認めた。

 この事故の被害者の方を批判する意図は全くありませんし、この報道自体がどの程度判決を正確に要約しているのか、どの法律の何条に基づいて国や県の責任を認めたのか分かりませんので、法令の解釈・適用の当否を論ずるには情報不足であることことは十分理解しておりますが、報道を読む限りにおいて、このブログで最近問題にしております医療過誤裁判と本質的に同様の問題があるように感じられましたので、コメントしてみることにします。

 重ねて付言しますが、私は被害者の訴訟提起を批判ないし非難するつもりは全くありません。
 とても不幸な事故であったと思います。
 しかし、同時にとても不運な事故であったとも思います。

 判決は(報道によれば)

近くに県設置の遊歩道や休憩所があり、事実上、県が管理していた」と指摘。枝の落下はよくある自然現象で事故は予想できたとし、県の責任を認めた。

と言っています。

 それじゃあ、県はどうすればよかったのだろう、というのが私の疑問です。
 割り箸事故などの医療過誤事件において、医師はどうすればよかったのだろう、というのとほぼ同じ疑問です。
 奥入瀬渓流には、そこら中にブナがあります。
 つまりそこら中で枯れ枝の落下がよくあることになります。
 遊歩道の周囲だけに限ってみてもいったい何本そのようなブナがあるのか見当が付きません。
 県としては、それらの大量のブナの全てについて、落下の可能性のある枯れ枝の有無を点検し、早め早めに枝打ちをすべきことになるのでしょうか。
 もしそうだとすると、相当な経費がかかると思います。
 それよりも問題だと思われるのは、枯れ枝の落下の危険を完全に排除するほど人手が入った自然は、もはや自然とは言えないのではないか、ということです。
 自然の美しさというのは、自然に必然的に内在する危険と裏腹の関係にあるように思うのです。
 言い方を換えると、自然に触れようとする者は、危険に接近することも受け入れなければならない、ということが言えると考えるのです。

 しかし、これは観光客であった原告に対して何の補償も必要ないということを当然に意味するものではありません。
 県は奥入瀬渓流という観光資源によって収入を得ているわけですから、一定の範囲で観光客の危険を引き受けるべき立場にあると思います。
 ただし、それを民法709条や国家賠償法のような不法行為責任論で考えることは適切でないと思うのです。
 判決の請求認容根拠が分かりませんので、この点は、もし不法行為を根拠にしているなら、という仮定の議論です。
 医療行為に本質的に内在する危険の発現としての医療事故についても同様の問題があると思います。

 次に判決は(報道によれば)

さらに国の機関の森林管理署が毎年、県などと現場周辺の山林を点検し、遊歩道近くの樹木については実際に安全対策をとっていたことを踏まえ、国の責任も認めた。

 この点については、報道の要約の正確性にかなり疑問がありますが

「実際に安全対策をとっていたことを踏まえ、国の責任も認めた。」

というのを

「実際に安全対策をとっていたことから、国の責任も認めた。」

と読んでしまいますと、

 じゃあ、何も安全対策を取っていなかったら国の責任はなかったのか。

という疑問が生じてしまいます。

 医療過誤事故になぞらえますと、重症患者をたらい回しにして何もしなかった医師や病院は責任(少なくとも刑事責任)を問われないが、最後に引き受けてなんとか助けようとした医師がミスをしたらその責任を問われかねない、という不条理を感じてしまいます。

 もっとも、これも判決報道の「踏まえ」というのが別の意味なら違う意見になるかもしれませんが。

 この判決の当否については、少なくとも判決の原文にあたってからコメントすべきであろうと思いますが、自然の中で起こった事故という状況に鑑み、医療過誤との対比でコメントしてみました。

追記(H18/4/11)
奥入瀬落枝訴訟判決受け安全管理見直し急務(デーリー東北新聞社 2006/04/09)
 地元紙の視点が感じられます。
上記記事に関する落合弁護士のブログ
 私も保険で対処するのが適当なように思います。

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月齢 19.7日  ■ブナの保水力■  ブナの森は「緑のダム」と呼ばれるほどに保水力が高い。  「たとえば手入れの行き届いた杉林などに入... 続きを読む

コメント(30)

ゼンゼン関係ない話題で恐縮ですが
今 「たかじんのそこで言って委員会」で鈴木宗男代議士が
「児童買春で外務省を懲戒免職になった男が
司法試験合格して春から修習生」
と発言してるのを聞いてびっくりしました

医師は犯罪歴があると欠格条項で医師免許をあたえられないんですが
弁護士はおっけーなんですか?

法律はど素人なんで御教示いただけましたらさいわいです
本当ならオートノミー(自浄作用)どころじゃないんですけど

いのげさん
 前科との関係における欠格事由は、司法修習生、裁判官、検察官、弁護士のいずれも
「禁錮以上の刑に処せられた者」
です。
 従いまして、児童買春で処罰された人でも、罰金ですんでいるなら欠格事由にあたりません。
 また過去に禁錮以上の刑に処せられた人でも、執行猶予期間の経過(刑法第27条)、刑の消滅(同第34条の2)の場合は欠格事由にあたらなくなります。

医師については、医師法第4条に

 次の各号のいずれかに該当する者には、免許を与えないことがある。
1.心身の障害により医師の業務を適正に行うことができない者として厚生労働省令で定めるもの
2.麻薬、大麻又はあへんの中毒者
3.罰金以上の刑に処せられた者
4.前号に該当する者を除くほか、医事に関し犯罪又は不正の行為のあつた者

という規定があり、罰金以上の刑が問題になりますが、これは裁量的であり、当然に欠格事由になるものではないようですね。

 ところで、鈴木代議士の発言ですが、既に懲戒免職という処分を受けており、外務省とは関係なくなった人に対して、法律上は問題がないにもかかわらず指摘したのであれば、刑事司法に関与する者から見ますと、政治家として不適切な発言であると考えます。
 週刊誌レベルです。
 外務省憎しの気持ちからかと憶測しますが、そうであるとしますと動機として誉められたものではなく、度を超していると思います。

 ちなみに、先輩の検事の中には、学生時代に学生運動で機動隊と衝突して公務執行妨害で逮捕された人もいたと聞いたことがあります。
 学生運動の公務執行妨害と児童買春は違うとの意見もあるかと思いますが、要するに過去の行状より現在が問題だということです。

 ただし、欠格事由にあたらないとしても、裁判所や検察庁が採用しない場合があることは当然ですし、弁護士会としても登録を拒否する可能性はあります。

各地弁護士会の良識にお任せしたいです

鈴木発言は私怨なのはよーく分かりますが
児童買春しても法曹資格取得可能という驚愕の事実を世に伝えた事は
相当な公共性公益性も有ると思います 
法曹界では常識かもしれませんが世間一般の常識では考えられません

 法曹界の常識とか世間の非常識という問題ではなくて、児童買春を含む罰金前科者が法曹資格を取得可能であるということは、(国民の代表とされている)国会で制定された法律によってそうなっているということです。
 法曹資格の取得要件が非常識だというのであれば、それは法曹界が非常識なのではなくて、国会が非常識なのです。

 そして法曹資格の取得と実際に法曹になれるということは別問題です。
 弁護士で言えば弁護士会の判断によって登録できない場合があります。
 登録できなければ弁護士になれません。
 法曹界の常識非常識を論じるのであれば、弁護士会の判断について問題にされるべきです。

児童買春してもちゃんと罪を償って反省しているのなら、良いじゃないですか(買春処罰規定の問題性をおいとくとしても)。
法律を扱う人は生まれたときから現在に至るまで、清廉潔白、一点の曇りのない聖人でなければならない、というのが「世間一般の常識」なのだとすれば、それは、人間社会のシステムを動かすのは人間である、とゆー当然の事理を無視している世間の方が間違っていると思いますが。

実は僕もこの話題を個人の糾弾ではなく,システムの問題として解釈してます.

>人間社会のシステムを動かすのは人間である、とゆー当然の事理を無視している世間の方が間違っている

医療過誤問題においては同様の勘違いをしている法律家が非常に多いんです.システム→医療制度 に置き換えて先日の議論を振り返っていただきたい.
ついでにいうと,欠格条項の前科の部分が医者(罰金刑以上)より法律家(禁固以上)の方が甘いというのは,なんぼなんでも無茶苦茶だと思います.医者と法律家とどっちが法律を大事にしないといけないかは論をまたないでしょう.国会に頑張っていただきたいですね.弁護士会からも提言いただけるとありがたいです.

>ついでにいうと,欠格条項の前科の部分が医者(罰金刑以上)より法律家(禁固以上)の方が甘い

 この点ついて一言コメントします。
 法曹における禁錮以上の前科は絶対的欠格事由であり当然に資格を得られません。
 しかし、医師の場合の罰金以上(当然禁錮以上を含む)の前科というのは、「免許を与えないことがある。」と規定されており、文言解釈上は、前科があっても原則免許付与、場合によって付与しない、と読めます。
 つまり規定の仕方においては医師のほうが甘いのであり、運用次第によっては医師にとって大甘の運用も可能です。
 実際の運用がどうなっているのかは知りませんが。

 実際の運用において、罰金前科者は原則として免許を与えられないというのであれば、実質的には医師のほうが厳しいということになると思います。

 ですから、比較するのであれば、資格付与の実態がどうなっているのかを比較すべきです。

いのげさん
>医療過誤問題においては同様の勘違いをしている法律家が非常に多いんです.

そうでしょうか。医者が万能でないと認めたからこそ、無罪になったのではないでしょうか。
ま、因果関係で切ったんだけど。
結局無罪なのに、有罪になったかのような非難っぷりになるのが正直よく分かりません。
そりゃ、世間では、刑事事件になったというだけで後に無罪になってもクビ切ったりするところがありますが、それは良い悪いで言えば、確実にクビ切る方が悪くて、検察や裁判所が悪いんじゃないと思います。
検察等もその辺ある程度配慮してるし。

欠格事由についてですが、医者の方は裁量的なので、別に法律家の方が甘いとも思いません。
多分医者の方は法律云々とは関係なく、免許くれるところ(どこだ?)の裁量権が大きい、ということでしょう。

国の管理と国の責任の部分は、まさに同感です。

国家賠償法2条の解釈とはある程度固まったものであることは事実なのですが、私もどうにも納得できません。
似たような事案は、河川について前例があります。完全に自然の河川ではなく、県が少しだけ管理していたから県の責任を認めたというものです。じゃあ、何もしないほうがよかったのか!?という疑問がうかぶ、正直、わかるようなわからないような、やはり少しおかしな理屈だと思います。(この事件をきっかけに河川法?が改正になって、このような問題は以後生じないらしい)

とはいえ、国家賠償法2条についても現在では無過失責任を認めたものではなく、事故の予見可能性と回避可能性について吟味して、管理者の主観面も若干考慮するのが判例の傾向だと思いますので、このまま確定するか否かは事実を詳細に調べてみないとなんとも言えません。

びあ さん
 国家賠償法2条の問題として見れば、被害者保護という価値判断が前面に出てくるというのも理解できないではないのですが、

奥入瀬渓流のブナの木というのが「道路、河川その他の公の営造物」にあたるのかという点も疑問です。
判例でもありますでしょうか?

本件で国会賠償が認められるのならば、誤認起訴された真っ白無罪の被告人にももっと広く国賠が認められてもいいと思います。

「枝が落ちてくる可能性があるので、注意して歩きましょう」と掲示してあれば、観光客の自己責任ということになったのでしょうか?

モトケンさま
国賠2条は,条文上「無過失責任」です。
それに対し,「誤認起訴された真っ白無罪の被告人」の救済は,国賠1条でなされますから,過失が必要です。しかも,その前提として,違法性を基礎づけるための判断基準としては,現在,「結果違法説」ではなく「職務行為基準説」が通説とされています。
ここでは詳細まではとても述べられませんが,医師の責任の問題と比較なさるのであれば,本件のような国賠2条の事案ではなく,国賠1条の事案と対比なさるべきかと思います。

さと さん
 そうではないと思います。
 私は、責任逃れの議論をするつもりはありません。
 いわば、責任の分配の議論をするべきではないかということです。

半可通 さん
 個々の条文の解釈論としてはそうなのだろうと思いますが、私が言いたいのは、国家賠償法の大本の制度趣旨としてどう考えるべきかということです。
 1条の過失責任におきましても、過失の認定基準次第では、認定範囲は広くなったり狭くなったりしますし、2条においても「瑕疵」とは何かという解釈によって、責任の有無がかなり大きく変わってくると思います。

 最高裁の判例と言えども、常に批判的に見ることが大事だと思っていますし、判例も個々の事件に対する適用という面では必ずしも一義的な答えを導き出すものではありませんから、その点においてもいろいろな批判や考えがあってしかるべきだと思います。

 2条と1条の関係で言えば、制度全体の整合性の観点から、2条の適用場面の解釈が、1条の適用場面に影響を及ぼすことはあってもいいと考えています。

モトケンさま
 失礼いたしました。そういう趣旨であれば得心がいきました。

レスありがとうございます。

里山管理の手伝いをしたことがあります。
山間地の棚田をイノシシ除けのトタンでぐるっと囲むのですが、
そのときに周囲の山肌を見ていますと、
豪雨の直後だったせいもあり、
地肌が露出し、木の根の周りの土がきれいに掘り取られて
直観的に「危ないな」と感じられる箇所をそこここで目にしました。

>長さ約7メートル、直径約20〜40センチの枝
>約10メートルの高さから落ちた

を見たとき、最初に覚えたのは「違和感」でした。
「健康な木の枝がいきなりボッキリ折れて、落下する」
という状況が、画として想像できなかったためです。

(「枝」となっていますが、直径約20〜40センチとのことですので、
幹なのか? とも思いました。)

>現場は休憩所や売店に近く、多くの観光客が立ち寄る場所
>遊歩道近くで昼食をとろうとした際に直撃

とのことなので、管理を行う範囲としても限定されているのではと思います。

医療とのたとえでいうと
「汚染ガーゼや廃棄物を診療室に放置している」(努力しても予見できない状況ではなく、単なる怠慢)にあたる可能性はないでしょうか。

詳細は、裁判資料を取り寄せないとわからないと思いますが、
鍵は「事故は予想できた」と結論した根拠(具体的な山の荒れ方・管理状況)
にあるのではと思います。

半可通 さん
 ご理解いただきありがとうございます。

さと さん
>管理を行う範囲としても限定されているのではと思います。

>鍵は「事故は予想できた」と結論した根拠(具体的な山の荒れ方・管理状況)
にあるのではと思います。

 たしかにこの二つが主要な問題だと思います。
 奥入瀬は私も行ったことがありますが、「多くの観光客が立ち寄る場所」という基準を使いますと、遊歩道もそれに含まれるのではないだろうかと思うのです。
 そうすると管理すべき樹木は相当多数にのぼると思います。

 予見可能性については、責任根拠として、ある程度の具体的な予見可能性が必要なのか抽象的な又は一般的な予見可能性で足りるのかで結論は大きく変わると思います。

 問題の枝はかなり大きな枯れ枝のようですので、以前から立ち枯れの枯れ枝の存在が認識されていたというような事情があれば、具体的な予見可能性が肯定されますから、責任根拠として重要な事情になると思います。
  

始めまして。コメント有り難うございます。
自然環境の中における事故については、河川での災害はでは過去の神奈川県の玄倉川でのキャンプの例のように行政側の全面負担に対して、山岳遭難では自己責任により全面自己負担といったチンプンカンプンな状況なので、ヤマノボラーとしてはどちらも自身の判断ミスにも関わらず、負担に対する考え方が異なるといった時代にそぐわないような状況で、正直言って「自然を舐めていた」行為に変わりないのに扱いが異なるようなことに対して違和感を持ってます。
法曹や情の問題以前に、自然に対する心構えを持って欲しいという素朴な心を大切にして欲しい。それが私の第一の願いです。(自然は、決して法や情といった問題を考慮して存在してはいません。)

おっくー さん
 コメントありがとうございます。
 日本人は自然との付き合い方が昔と比べて下手になってきているように思います。
 ご指摘のように「舐めている」と言ってもいい場合がありますね。
 そして自然を舐めるということは命にかかわることになります。
 玄倉川の件はその典型のように思います。

 川と山の扱いが異なるのは、川のほうが身近であり、川を支配下においているという思い上がりがあるからではないでしょうか。
 それに比べて山は多くの人にとって川ほど身近でありませんし、山を知っている人は同時に山の怖さも知っているのでしょう。

 自然とどれだけ深く付き合えるかは、その人がどれだけ深く自然と付き合える資格を持っているかによると思っています。
 

控訴審も被告敗訴ですね。しかも賠償額増額です。
---------
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070117i307.htm

落下木で重傷、1億9300万賠償判決…控訴審が増額

 青森県の十和田八幡平国立公園にある奥入瀬(おいらせ)渓流沿いの遊歩道付近で、落下したブナの枯れ枝に当たって重傷を負った茨城県内の女性(41)とその夫(56)が、国と遊歩道を管理する県に計約2億3300万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が17日、東京高裁であった。

 小林克已裁判長は、「事故現場は観光客が数多く集まる場所で、そこに育つ木に対しては周到な安全点検が求められていたのに、不十分な点検しか行わなかった」と述べ、国と県に計約1億4880万円の支払いを命じた1審・東京地裁判決を変更して賠償額を増額し、計1億9300万円を支払うよう命じた。

 判決によると、女性は2003年8月4日、遊歩道脇の休憩所の近くで、地上約10メートルの高さから落下した長さ約7メートル、太さ最大41センチのブナの枯れ枝に当たり、胸や足の骨を折り、下半身マヒの後遺症が残った。
ーーーーーーーーーーーー
 まず、長さ7メートル、太さ40cmの落木に衝突したのなら、枯れ枝に当たったという表現は無理があると思います。

 先日の、公園のベンチでの転倒で、枯れ枝が後頭部に刺さった事件もありましたが、管理者の責任が、無限に問われているようで、社会的なリスクと利益が、無視された判決と思います。
 医療者が説明義務違反を防止するためには、無限の時間が必要とされている、ということと重複しているように思います。

しかし、国や県は管理できるのでしょうか?管理できるのであればいざ知らず、物理的に管理できないのであれば国や県の責任にするのはおかしいと思うのは私だけでしょうか?裁判所に管理方法をご教示頂きたいと思います。

この判例に従うなら。
道路や港湾、河川などで事故が起ったら。市、県又は国を訴えれば保障される訳ですね。

しかし、特に河川に関しては、裁判所は厳しいですよね。
・改修計画が合理的とみられるなら、想定外の大雨で堤防から溢れたり決壊しても、管理者には責任がない、
・予算の都合で改修工事が完成しない間に大雨が降って溢れても、責任はない
という論調で、賠償を認めない例が多い。

裁判所は考え方を変えつつあるのでしょうか?
奥入瀬事件はたぶん国&県側は上告するのでしょうから、最高裁がどのような判断を出すか、注目です。

山間部の道路を歩いていた人が落石で死亡した場合、道路管理者は営造物責任を問われます。
落石注意の標識があってもダメです。
だから、道路管理者は、のり面をコンクリで固めたり、落石防止ネットを張ったりしています。
私は公務員時代「道路パトロール」によく行きました。
道路に穴が開いていたら小さくてもレミファルトで埋め、路上に狸の死体があれば除去し(凄く臭うんだ)、道路に覆いかぶさっている枝があれば伐採し、と道路管理には気を使っていました。
記事の事故について、私は事故現場を見たわけじゃないので何ともいえませんが、記事では「現場は休憩所や売店に近く、多くの観光客が立ち寄る場所だった。女性は遊歩道近くで昼食をとろうとした際」とありますので、事故は、人があまり踏み込まない森の中ではなく、道路脇のような場所で起きたという印象を受けました。
そうすると、裁判所の判断も、あながち不当ではないのかなと思いました。

私が司法試験の基本書にしていた原田先生の行政法の本では、道路や庁舎などの行政が造り上げたものと、河川の堤防などの自然を制御するものとでは、異なる配慮が必要だとして、最高裁の判例を整理されておりました。
当時「なるほどなぁ。」と思ったことを、思い出しました。

>私が司法試験の基本書にしていた原田先生の行政法の本では、道路や庁舎などの行政が造り上げたものと、河川の堤防などの自然を制御するものとでは、異なる配慮が必要だとして、最高裁の判例を整理されておりました。
当時「なるほどなぁ。」と思ったことを、思い出しました。

私も「なるほどなぁ」と思ったクチなのですがw
でも、そうすると道路なんか作んないほうがいーじゃんと考えるに至りました。
遊歩道なんか整備しないで、自然のまま放っておき、気合の入った登山者しか入れないようにしとけば行政は責任を取らずに済む可能性が高いですね。

>だから、道路管理者は、のり面をコンクリで固めたり、落石防止ネットを張ったりしています。

 これを奥入瀬に適用するとえらいことになりますね。
 管理を求めるのか自然を求めるのか?

>約10メートルの高さから落ちた長さ約7メートル、直径約20〜40センチの枝に直撃された。

 これはもはや枝とは言えないと思いますが(丸太級ですね)、もっと小さい文字通り枝と言うべきものが落ちてきてそれが運悪く目に刺さったりした場合はどうなるのかな、と考えてしまいました。

 本件の「枝」はどの程度の事前点検で落下の危険が発見可能だったのかが気になります。

> 道路や庁舎などの行政が造り上げたものと、河川の堤防などの自然を制御するものとでは、異なる配慮が必要(No.23 PINE さま)

私も原田本は読みましたが、
道路でもまさに「落石防止」の例などは、自然制御の側面があるように思いました。
河川氾濫では広範囲に被害が出て損害が巨額になりがちなので、全部を賠償すると自治体財政がパンクするから、何とか賠償せずに済ませるように理屈を捏ねたんじゃねーの、というのが私の勘ぐり。

> そうすると道路なんか作んないほうがいーじゃんと考えるに至りました(No.24 kenji47 さま)

それ何て「逃散」・・・

しかし、トンネルで崩落事故などが発生すると大変なことになりますね。
ちなみに、今調べてみたら、
1996年2月の北海道豊浜トンネル事故は死者20名を出し、国賠訴訟が起こされたほか、刑事事件の捜査対象ともなり、北海道開発局の幹部2名が書類送検され不起訴処分になったそうです。

ググって見ると、どうやらふつうの電柱って8-10mの高さで、直径が根元30cm、てっぺん20cmぐらいなんですね。

No.24のkenji47さんのコメント
>でも、そうすると道路なんか作んないほうがいーじゃんと考えるに至りました。

私は、実は、そういう発想って、非常に好きです。

道路に関して言えば、営造物責任の考え方って、造るんならちゃんとした安全なものを造りなさいよ、ってことなんですよね。

だから、例えば、奥入瀬の真ん中に遊歩道を通したんなら(観光客を呼ぶのなら?)、せめてその遊歩道周辺くらいは、危険のないようにすべきじゃないのかと私は思います。

この事故も、事故現場の写真なんかがあれば、だいぶ印象が変わってくるんですが。

それにしても、モトケンさんの言うとおり、長さ約7メートルで直径約20〜40センチって、もはや「枝」ではないですよね。
記事が「枝」という言葉を使っているので、読む方としては、各々の持つ「枝」のイメージを思い浮かべてしまいます。

元田舎医さん、「電柱」が落ちてきたと思うと、イメージがだいぶ変わりますね。

PINEさん

>道路に関して言えば、営造物責任の考え方って、造るんならちゃんとした安全なものを造りなさいよ、ってことなんですよね。

だから、例えば、奥入瀬の真ん中に遊歩道を通したんなら(観光客を呼ぶのなら?)、せめてその遊歩道周辺くらいは、危険のないようにすべきじゃないのかと私は思います。


住民の生活に必要な道路ならば、行政は国賠リスクも覚悟してでも作るべきかと思います。
しかし、道路と言っても一概には語れませんよね。
奥入瀬の遊歩道と、低山のトレッキングコース、それより本格的な登山道とこの区別はいかにつけたら良いのでしょうか?
登山道でも多くの場所は行政の手が入っています。
私はごくたまに山歩きに行くんですが、そこで木が落ちてきて怪我をしても、それはまさに自己責任じゃないかと思うんですよね。
道が崩れて怪我をしたとか直接的な工作物の瑕疵ならば行政の責任を認めても良いかもしれませが、自然物による被害の場合まで管理責任があるとするのは疑問です。

実際、遊歩道の例なんかになると、治水工事の件と明確な区別はつかなくなってくる気がします。

 テーマから外れてしまい申し訳ありませんが、欠格事由についての話題が載っていたので、失礼します。
 私は法科大学院に通う生徒であるのですが、先日、罰金刑に当たる一般道における32キロオーバーの速度超過を起こしてしまいました。
 このような罰金刑を受けたことは、やはり法曹の世界を目指すものにとっては不利に働くことになるのでしょうか。
 他に伺うこともできずに、一人眠れずに悩んでいたため、テーマと外れていることは承知でお聞きしたく思い、投稿させていただきました。
 もちろん、違反した事実については、深く後悔し反省をしております。
 

P R

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