エントリ

 東京慈恵会医科大付属青戸病院(東京都葛飾区)で02年、「腹腔(ふくくう)鏡」を使った前立腺がん摘出手術を受けた千葉県松戸市の男性(当時60)が手術の約1カ月後に死亡した事件で、業務上過失致死罪に問われ、無罪を主張した当時の泌尿器科医師3人の判決が15日、東京地裁であった。栃木力裁判長は「3人には手術に必要な最低限の能力がなく、手術を避ける注意義務があったが、これを怠った」と指摘。「手術は無謀で、他の医師らの責任も大きい」として3人にいずれも執行猶予つきの有罪判決を言い渡した。

 栃木裁判長は「安全に手術する知識や技術、経験がない3人が手術を始め、出血管理などを全くせずに手術を続けた結果、被害者を死亡させた」と、3人の過失と死亡の因果関係を認定。助手を含めた3人全員が、被害者の死亡を予見して回避する義務に違反したとの立場をとった。

 刑の重さを決める事情としては、「3人は経験を少しでも積みたいという自己中心的な利益を優先し、患者の安全と利益の確保という医師として最も基本的な責務を忘れた」と強く非難した。

 ボロクソと言ってもいいほど厳しい非難の言葉が連続する判決です。

 一方で、判決は、3人の上司の診療部長や副部長の監督がほとんど機能していなかったことや、患者の全身管理を担当していた麻酔科医の対応が極めて不適切だったことなどを指摘した。「死因を心不全と偽る工作をするなど、組織ぐるみで隠蔽(いん・ぺい)を図ろうとした」とも認定。「責任を3人に全面的に負わせることは相当ではない」と述べ、実刑は回避した。

ということですが、手術中の以下の言葉を聞きますと、実刑でもよかったのではないかと思います。

●手術当日の経過=検察側主張による 午前9時41分ごろ 手術開始。手技マニュアルを読みながら、手術室に立ち会わせた医療器具会社員に器具の使い方を「こうだよね」と確認しつつ進める

(中略)

午後7時50分ごろ 前田被告が「はーい、生まれました。男の子でーす」といいながら前立腺を取り出す

(後略)

 「検察側主張による」というのは「冒頭陳述と論告によれば」ということだろうと思いますので、そのような事実を示す証拠があることがわかりますのでそれに従いますと、

 始めて内視鏡手術を行う医師としての緊張感や患者の命を預かっているという責任感がかけらも感じられない台詞です。
 こいつら患者を人と思ってないな、と思わざるを得ません。


 外科医というのは人の身体にメスを入れる仕事であり、一つ間違えば命に直結するとても大変な仕事だと思っており、私自身の検事としての職人的感覚からしますと、実際に人の体にメスを入れないと技術の真の向上はないと思いますので、優秀な外科医の養成はどのようにして行われているのだろうと思っていました。

 自分が外科医の道を歩んでいたとしたら、最初の手術などは恐れとおののきで間違いなく手が震えたのではないかと想像します。
 新しい術式の手術を行う場合は、基礎的な技術を十分習得していることを前提として、熟練者の先輩の指導を十分仰ぎ、使用する機材に習熟した上で、つまり万全の準備を整えた上で行うことが患者の命を預かる医師としてのあまりにも当然の責務なのではないかと思います。

 本件の被告人の医師らは、それらのいずれもが欠落していたように思えますが、上記の「はーい、生まれました。男の子でーす」という言葉からは、万全の準備以前の医師としてのモラル、責任感、使命感、自らがメスを振るうことに対するおののきのようなものの欠如を感じるのです。

 言葉尻を捉えた揚げ足取りだという批判もあろうかと思いますが、私は、言葉尻の中にこそその人間の本音が表れる場合があると思っています。

 医療過誤事件として立件された事件が何件かありますが、その中には警察・検察の立件のあり方自体が批判されているものもあります。

 その中で、この事件は医療関係者の間ではどのように見られているのでしょうか。

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コメント(74)

私は医学を学んだわけでないですが、同じ大学で学生が死体を解剖実習している時、ある学生が、切り取った耳を持って壁面に持って行き「壁に耳あり・・」とふざけたのを聞き、担当教授は必修単位を絶対出さないと明言し、結果的に自主退学に追い込まれたという話がありました。当時はあまり言わなかった「医療倫理学」の根底にある倫理感覚の欠如を教授が、「人格的に医師になる資格にあらず」という使命感で貫いたのですね。
件の耐震捏造の件から、技術者倫理のあり方が認識されています。(日本では1998年から着眼されています。地下鉄サリン事件が誘引です。)医療倫理は教える教授の中には不文律としてあったのを、当然の認識として特に医学生に教授してこなかったことが、堕胎の問題とか、尊厳死などの問題から改めて見直しています。しかし医療倫理学の学習をしてみると、いまだ議論が総花的抽象的でかつ「奉仕の精神」というものが出てくる本もあり混沌としているのが事実です。
過去こういうトラブルを起こした病院での「審議会」はそれなりに充実していると、知人から聞きます。ただそれだけに総論として、まだ結実しているわけでないのも事実です。
あと、この文面の場合気になるのは、本当に不真面目に「作業」していたのを意見誘導している気もします。というのは、日航ジャンボ機の墜落のとき、操縦士が「よっこらしょ。一山超えたぞ。がんばろう。」という声がボイスレコーダーに入っていることが、一部批判されていますが、パニックしている現場でこのような「声がけ」がおこなえる機長はむしろリーダーシップが取れる、優秀な人材だったという考えなのがとりえるのにと不満に思った経験があります。この場合もとり方によっては、緊張の緩和のときに発する発言にとれなくもありません。
看護士用の医療倫理はまた異なる表現になり、ここでは示しませんが、言葉尻というところで意見誘導が図られるとしたら、すこしフィルタをかけて判決文を読まなければならないです。

デハボ1000 さん
 貴重なお話の紹介ありがとうございます。
 日航ジャンボ機のボイスレコーダーの件については、私も全く批判する気になりません。
 それは乗客と完全に運命を共同にしつつ必死に局面の打開を図ろうとしている操縦士の言葉だからです。
 しかし本件の医師の言葉からは「壁に耳あり・・」とふざけた医学生に繋がるものを感じました。
 たしかに、被告人の医師がどのようなつもりで「男の子でーす」と言ったのかは、現場の具体的状況を踏まえた文脈で判断すべきですが、引用した記事を読んだ印象では、冒陳や論告に目を通しているであろうasahi.comの記者も私と同様の感覚のように感じられました。

ところでちょっとした確認ですが、デハボ1000 さんのコメントの「本当に不真面目に『作業』していたのを」はこのとおりでよいのですか?

>その中で、この事件は医療関係者の間ではどのように見られているのでしょうか。
「警察・検察の立件のあり方自体が批判されているもの」と、この慈恵医大青戸病院の事件は全く内容の異なるものです。医者でこの件を擁護する者はほとんどいないでしょう。(変わり者はどこにでもいますが・・)私も実刑が相当だと考えます。(個人的感想を言えば、これは「医療行為」ではないと思います。)

>ところでちょっとした確認ですが、デハボ1000 さんのコメントの「本当に不真面目に『作業』していたのを」はこのとおりでよいのですか?

貴殿解釈通りです。この状態は医療というエリアよりは作業(無意識的に過去の経験にしたがって動いている)という意味をこめたのです。なおこの場合は医療装置操作の経験の有無ではないです。(一応メーカーの人間を呼んだということ自体は、至急の手術をおこなうに当たり、初めての経験であることを補完して意識していたと理解します)、臨床医師としての経験全体の意味で申し上げております。

 「壁に耳(以下略)」は都市伝説ですよ。あちこちで同じ事を言う人がいる。耳が好きな医学生が、そんなにたくさんいるわけがない(爆笑)。

そうですか。都市伝説ですか。ニュースソースは確実でしたが・・・そうだったとしたら、ごめんなさい。
しかし、類似のことで悪ふざけをして、
「担当教授は必修単位を絶対出さないと明言し、結果的に自主退学に追い込まれたという話がありました。」
というのは本当だったようです。20年以上前の話ですけどね。

インフォームド・コンセントの際には執刀医の経験も確認しないといけませんね。三人もいて全員が初チャレンジだと知っていたら、被害者の方も絶対断ったことでしょう。

ところで、この件でもあった「カルテ改ざん」は刑法上の罪にならない、という話を聞いたことがあるのですが本当なのでしょうか? 他の事件で、カルテ改ざんが裁判において病院側の不利にならなかったケースがあったと思います。本当だとしたら、被害者にとってこんなに悔しい話はないでしょう。隠蔽工作抑止のためにも是非刑法を改正してもらいたいものです。

「壁に耳あり 都市伝説」で検索すると一杯でてきますね〜

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%81%E3%81%AB%E8%80%B3%E3%81%82%E3%82%8A
http://scrapbook.ameba.jp/lore_book/entry-10001143553.html
http://www.med-legend.com/column/urbanleg.html#ear_at_wall

アメリカの都市伝説で、解剖実習中に切り取った男性器をキャッチボールし合って退学になった、というハナシもありますよw

はじめに、この事件を擁護するつもりで書き込んでいるわけではないことを明記しておきます。(そもそも医療における過失が刑事責任を問われることについては強い疑問がありますが、重過失については判断によると思います)

今回の、術中の「はーい生まれました」のくだりは、本来この刑事裁判に影響を与えないものだと思います。

処置中や術中は話をすることもあります。何時間も集中するためには、節目節目で息抜きがあって当然です。不謹慎だったとは思いますが、前立腺が取れた時は緩んでもいいタイミングだったと思います。
「緊張感や患者の命を預かっているという責任感がかけらも感じられない」というのは、言いがかりですし、感情論が刑事事件の影響を左右するのかと怖くなりました。

ちなみに何度も使った機械でも、メーカーに来てもらったり、マニュアルを読むことはあります。毎回バットとグローブしか使わない野球選手と違って、様々な新しい機械を使いわけていきますから。どうしても詳細があやふやになってしまう機械もありますからね。ですから、「こうだよね」と確認をしながらすすめることは、むしろ慎重に扱っていたとも捉えられますし、少なくともそれだけを持って熟練していなかった傍証にはならないと思います。(むしろ他にそうした傍証があるようですね)

> こいつら患者を人と思ってないな、と思わざるを得ません。
モトケン先生の義憤がひしひしと伝わってきます。襟を正して拝読致しました。

このブログに出会ったのも何かのご縁ですし、僭越ですが、一介の、或る内科医の独白です。

手術の経緯、術中の発言を読みますと、当該医師達はボロカスにいわれて当然だと思います。弁解の余地はないでしょう。病院全体の教育システムに問題があると思います。結局は医師個人の資質に帰着するのです。

医師国家試験は、出題範囲も限られていますし、普通に勉強していれば一発で合格可能です。しかしながら、ペーパーテストでは、人間性や医師としての資質が、判定できないところに問題があることは、ご周知の通りです。

それ故に、医師免許を与えられ、プロとなった後に、重責がのしかかってくる事を、自ら肝に銘じなければなりません。世間知らずで学校出たての若造が、先生先生と呼ばれ、ともすれば傲慢になり、謙虚な姿勢が、おろそかになってしまう危険性があるのです。そういうことは、厳に慎まなければなりません。常にピットホールが待ち受けているのです。

医療行為は人間の身体を対象とし、命を預かるものですから、ミスは許されず細心の注意をもって行われるべきです。しかし人間のすること故、真摯に取り組んでいても、限界があることは確かです。医療行為中、全く予期せぬ事態が生じる可能性もあります。

だからこそ、常に緊張感もち、頭をフル回転させねばならないのです。

この仕事は、常に結果が求められるので、外来診察(初診患者さんが受診された時は、特に緊張します)や病棟回診が終了した後は、ぐったりします。無意識のうちに心身ともに疲れ果てています。また当直業務の際、深夜に救急車が来ると、ボンヤリしていた頭がいっぺんに覚醒します。こういう反応が職人として身に染みついているのです。

私は、その気質を多くの臨床医が持っていると、信じたい。

医事裁判の報道をみますと、酷だなあと感ずる判決内容もありますし、処罰を受けて当然であろうと思う判決もあります。

その時、診療行為には医師と患者さん(ご家族)との信頼関係が、お互いに絶対必要であると、そのためには、インフォームド・コンセントが欠かせないことを痛感します。

病状や投薬内容はもちろんのこと、侵襲的検査や手術に関するリスク、或る治療を行った場合、あるいは行わなかった場合のメリット・デメリット、さらには、治療を行ったあとのクオリティ・オブ・ライフ等々、医師は時間をかけて、十分説明する義務があります。

そして、患者さんやご家族の質問に対して、わかることは答え、わからないことは曖昧にせず、明確にわからないと答えなければなりません。自分の手に負えない疾患と判断した際には、専門医に紹介する必要もあります。患者さんやご家族は、医師の一言一句を、聞き漏らすまいと必死です。お互いに信頼関係を築くのには時間がかかります。

不特定多数の人間を対象とする仕事ですので、無茶苦茶なことを、要求してくる患者さんや、ご家族もおられます。「担当医を辞めさせてもらう。」とは言えませんので、そういう時も、時間をかけて説明しなければなりません。医学の素人は、いらん口だし無用とか、オレに任せておけという態度は論外です。

そして、患者さんが元気になって退院する時は、この仕事を選んでよかったと思いますし、出来るだけのことをしても、不幸にして亡くなられた時、家族の方から、一生懸命やってもらって有難うございましたとの言葉を頂くと、胸が熱くなります。

この事例とは無関係ですが、報道されない医事裁判の判例を、医学雑誌で読みますと、危惧することがあります。

第一に、医師が診療行為を行う際、消極的にならないかということです。手術をした為に、かえって悪くなった、この薬をのんでから調子が悪くなった等、頭から病院を敵視した態度、の患者さんやご家族も、実際存在します。そういうことが頭をかすめると、治療の際、消極的にならないかという危惧です。

第二に、あの時、検査をしなかった為、早期に疾患がみつからなかった、検査していれば助かったという結果論です。このため医師は不必要と思われても、何でもかんでも検査をおこない、ただでさえ高騰している医療費が、パンクしてしまうことです。
巡りめぐって、厚労省がさらに診療報酬の締め付けをおこない、健康保険では必要な投薬検査が出来なくなり、患者さんの自己負担で、診療をおこなわざるを得なくなってしまい、医療行為をうける際、裕福な人とそうでない人に格差が生じてしまう危惧です。

第三に、小児科医、産婦人科医を選択する医師が減ってしまうことです。
地域の病院で、これらの診療科の閉鎖を余儀なくされたところもあります。

いろいろなことを、考えさせられます。

以上、長文お許しください。


>この事例とは無関係ですが、報道されない医事裁判の判例を、医学雑誌で読みますと、危惧することがあります。

いまさっきまで某大学の医療関係者とTELで話していたのですが、「医師の資質」の議論については、或る内科医 殿の意見も充分理解できます。耳 の話は確かに極論なのでしょうが、現場での緊張のメリハリが言動として出ることは、自分の業務(ちなみに技術士(機械部門)です)でも、事故に関する鑑定依頼などにかんする絡みだと、同様のテンションの「緊張と緩和」がないと現場が動かないという現実を知らされます。
ただ、私が気になるのは、上述の判決文の援用(というか判例が)、今後進められるであろう陪審員制度において、感情論が先にたった言動によって誘導されていく、一般市民が出やすいことを恐れるのです。
>感情論が刑事事件の影響を左右するのかと怖くなりました。
というのが、さらに強くなるのか、医療の現場に関わらず、現場の状況とテンションにおいて変わってしまうほど脆弱なものだとすると、それを考慮して弁護側も対応しなければならないです。其の対応が得意、不得意な弁護士さん、検事さんもおられるでしょうし、なんらか考えなければならないという認識が必要ではと考えました。

医師の資質の件は私なりに考えなければならないことですが、少しそれなりの相反する倫理的バックボーンを蓄えて考えるべきかと思いましたので、ここでは拙速をさけていったほうがいいと思いました。
各位におかれましては、真摯な意見討議、感謝いたします。

ご承知のことと存じますが、「内科医」様と、わたくし「或る内科医」は別人物です。

私も手術をうけた、つまり患者の立場になったことがあります。その時は腰椎麻酔でしたので、意識ははっきりしており、術者の声、電気メスの作動する音などが聞こえました。術者および患者(私)が、リラックスするために、手術室に音楽が流れておりました。執刀医は、どの音楽が私の好みか尋ねました。また逆に、静寂していた方が集中できる、と考えている外科系の医師もおります。

だがしかし、どう考えても「はーい、生まれました。男の子でーす」という言葉は、少なくとも私が患者であれば、受け入れられません。軽率であるとの非難を受けても、仕方がないでしょう。

患部を摘出した後の、全身管理があります。ホッとする間はないはずです。この患者さんが、全身麻酔をうけていて、周囲の状況がわからないのであれば、介助にあたる看護師が、この発言を聞き、いくらなんでもひどすぎると思い、身内であるにもかかわらず、自分の立場が不利益になるのを覚悟の上で、証人として裁判で証言したのかも知れません。

また、「腹腔鏡を使った摘出手術」は、開腹手術に比べ、侵襲が少ない点からも、現在流行でありますが、それにもかかわらず、約10時間の手術時間を要しているのは、技量不足とのそしりを受けても、仕方ないでしょう。

さらには、「手技マニュアルを読みながら、手術室に立ち会わせた医療器具会社員に器具の使い方を「こうだよね」と確認しつつ進める」ということは、私が外科系の医師なら、怖くてできません。機器の取り扱いに関して、事前に万全の予習が不可欠でしょう。

なんだか同業者の非難ばかりになりましたが、私の率直な意見です。

いずれにせよ、このような事件がおこると、まじめに仕事をしている医師と、患者さん(家族)との信頼関係が築きにくくなることを、懸念します。

もちろん信頼関係を築くのは、患者さん側の因子も必要です。お互いに、疑心暗鬼になってしまうことは、是が非でも避けなければなりません。患者さんは担当医や病院をかえることができますが、前述のように、医師は自ら「担当医をやめます」とは言えないからです。

加えて、明らかに注意義務違反や説明義務違反あったと思われる、当該事例は別として、重複しますが、医事裁判の判例を読みますと、こんなことで裁判になるのかと思われる事例もあり、訴訟大国になってしまいますと、医師が萎縮してしまい、結果的に、患者さんが有益な医療行為を、受けられなくなる危惧があります。

私ごときは、お笑いとプロ野球が好きな、とるに足らない存在であり、決して聖人君主ではありません。あまりえらそうなことは言えませんし、えらそうなことを言うと、今後コメントする際に差しさわるのではないか、と心配もしますが、少し気になったことがあったので、以下、あえて言及させてもらいます。

私個人は、系統解剖実習の内容や、法医解剖の内容は、知人はもちろん、親兄弟、配偶者にも話したことはありません。系統解剖の場合、そこには、生前、自ら若しくはご家族の、尊いご意思によって献体されたという事実がありますし。そのことによって、我々は勉強させてもらっています。また、法医解剖実習の際、殺害された方の、無念の表情を今でも憶えており、そこには一人の人間が、意思に反して亡くなったという事実があります。
従って、学術書は別として、書店にならんでいる、法医学者の書いた書物は読む気にはなりませんし、法医学者を主人公にした、TV番組も観る気にはなりません。

本エントリーのコメントも、解剖実習の内容がありましたが、知人の方も、もちろん他意はなく、話されたと思いますし、切り取った耳の話や男性器云々の話は、あくまで医師の資質を問うための、ひとつの話題だと思います。それに関して、批判はしておりません。あくまで、私個人が違和感を持ちましたので、失礼ながら言及させて頂きました。

またまた、長文になってしまいました。

「医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か」(小松 秀樹著)にこの事件の概略が説明されています。マスコミ報道とかなり違った印象を受けます。
また、同じ著者による「慈恵医大青戸病院事件―医療の構造と実践的倫理」という本も出版されています。

御一読をお勧めします。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4818817112/qid=1150409383/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/503-6842248-7503952
「慈恵医大青戸病院事件―医療の構造と実践的倫理」
小松秀樹著

この本は裁判資料として作成された文書をベースにしてあります
つまり 裁判官はこれを読んだ上で判決文を書いています
わたしはまだ読んでいないので意見を留保します
医師の間の反応は昨年出版された時は全く省みられていなかったのですが
「医療崩壊」を出版されてからは評価しなおそうという機運が生じているところです

当方も、入手して再度考え、諸先生方の知見を伺いたいと思います。よろしくお願い致します。

はじめまして。
といっても、私の実務修習時代(93年頃)に隣のお部屋にいらした関係で、直接お話したことがあるので、片面的親近感を抱いております。たまに、ブログも覗かせていただいております。

この件ですが、判決の当否はともかくとして、弁護人は無罪の主張をしていたやに聞いております。となると、罪体を争っているわけですが、それに加えて情状立証もしたのでしょうか。普通は、罪体を争う場合には、情状立証をするのは非常にリスキーな場合が多いと思います。

被告人医師らの責任をどのように考えるかは別論として、これは人が亡くなっている事案である上に、裁判所の判決の厳しい文言のオンパレードからして、相当刑事責任を重く見ていると推測できるのです。

となると、執行猶予というのは、弁護人が執行猶予を求めなければ裁判所が自主的に執行猶予の判決を下すとも思えません。

その意味で、この弁護人らの戦術について、弁護士として興味があります。

 こちらのエントリにもたくさんのコメントをいただきありがとうございます。

内科医さん

>「緊張感や患者の命を預かっているという責任感がかけらも感じられない」というのは、言いがかりですし、感情論が刑事事件の影響を左右するのかと怖くなりました。

 「かけらも感じられない」というのはやや筆が走った嫌いがありますが、これは感情論ではありません。
 私としては、被告の医師らの手術に対する姿勢についての事実認定論という位置づけです。

mi-roring さん
 はじめまして、ではないようですね(^^)
 本件における具体的な弁護活動はほとんど知りませんが、一般論として過失犯においては過失否認と情状立証はかなり両立するだろうと思います。
 故意犯においては、被害者側の落ち度を強調すると犯意を強化してしまう場合がありますが。

 つまり内容次第だと思います。

別に、生まれました、男の子です、という言葉だけを捕らえて、まじめにやっていない、と考えられるのは、迷惑です。
手術室という場所は、基本的には緊張感しか漂わない場所です。
緊張感しか存在しない場所、は、かえってリスキーです。人間そんなに緊張続けてはいられません。メリハリが必要です。難しい場面になるとみな静かに集中する。
前立腺の手術は出血が多いものです。
やっと取れた!というとき、生まれました!という表現自体の適切さは議論しないでおくとして、緊張感から少し開放される時間になった、ということの表現なのでしょう。
そんな経験を実際していない方々から、その一点だけに着目して
まじめにやっているのか?はともかく、医師としての倫理に反する、などというご批判は少々行き過ぎかと思います。魔女裁判の様相を呈してきますよ。


あなたも法律家なら、そんな点を指摘しなくても、指導医もいない中、経験したことのない手技をわざわざ選択して患者を死に至らしめた、という時点で過失は十分でしょう。


>慈恵医大青戸病院事件―医療の構造と実践的倫理」小松秀樹著
この本は裁判資料として作成された文書をベースにしてあります
つまり 裁判官はこれを読んだ上で判決文を書いています

金曜日都内の大型書籍店で入手しました。で読んでみたが、判決文は意識して本論の筆者のあえてアンチテーゼを出している気がしました。ま、この本がバイブルかというのはおいておいて、意見誘導の事例は 中坊弁護士が森永砒素ミルク裁判で状況証拠として、筆者のいいかたを借りると「浪花節的」弁護をおこなっている文面があります。
考えさせる文面です。かつ人を「裁く」ことの難易性を改めて認識します。

 指導医もいない中、経験したことのない手技をわざわざ選択して患者を死に至らしめたというだけで、過失は充分であるという麻酔医さまのご見解は、全くそのとおりだと思います。
 さて、本件の被告人らは、自らの経験が日本内視鏡外科学会の基準に照らせば指導医抜きで内視鏡手術を行える水準に達していないことを知悉していたこと、指導医抜きでの手術計画を提出しても慈恵医大内に設置されている倫理委員会の承認を得られないことが予めわかっていたために倫理委員会に申請しないまま本件手術を実施したことなどをみれば、被告人らの行動は単なる過失の域を超えたものであり、患者の生命をことさらに軽視していたとしか言いようがありません。

 「産まれました、男の子です」という発言は、患者の生命を重視する一般の医師の発言としてならば、麻酔医さまの仰るとおり「手術のヤマ場を乗り越え、緊張感から少し解放されたときに思わず発せられた一言」と理解されて然るべきでしょう。しかし、患者の生命をことさらに軽視し、手術時間が長引いてもなお開腹術に切り替えることなく漫然と内視鏡手術を続けていた被告人らが、果たしてそのような「緊張感」を抱きながら手術を行っていたのか甚だ疑問です。
 「産まれました、男の子です」という発言は、被告人らに真剣さや緊張感といったものがそもそも欠けていたこと、被告人らが自らにとって新奇な手技に熱中するあまり、患者の状況に充分な注意を払うこともなく漫然と手術を続行していたことを示していると解されても仕方がないように思われます。

 「生まれました、男の子です、という言葉だけを捕らえて」いるのは、むしろ医師の皆さまのほうではないか、と思いました。

>麻酔医さま
手術中のこの発言が法廷で公になったということは、手術に立会った誰かが証言したわけですよね。つまり、身内の病院関係者が被告の心証が悪くなるのを承知であえて証言したことになる。
その証人は、「緊張と緩和」を念頭に置いたとしてもなお、その発言が状況に鑑みてあまりにも不謹慎だと感じたから証言したのではないでしょうか。手元が怪しい上にいつまでも終わらない手術を目の当たりにして、身内ながら「冗談なんか言ってる場合かよ」という気持ちになったとしても無理のないところだと思います。
医師としての倫理観の欠落が事故(この件は事件と呼びたいところです)の要因の一つであるという点を立証する上で、この証言は無意味ではないし行き過ぎでもないと考えます。

麻酔医さん

>別に、生まれました、男の子です、という言葉だけを捕らえて、まじめにやっていない、と考えられるのは、迷惑です。

とのことですが、私は医師一般を批判しているのではありません。
 今回の被告の医師らを批判しているのです。
 そして、「生まれました、男の子です」という台詞については、今回の手術の流れの中での発言として評価しているのであって、別の状況であれば別の評価もあり得ます。
 つまり、言葉だけを捕らえて、まじめにやっていないと考えたわけではありません。

>緊張感から少し開放される時間になった、ということの表現なのでしょう。

というご指摘ですが、たしかに長時間の手術の中には緊張が弛緩する場面もあるのでしょう。

 しかし、私の素人目には、今回の手術の経過において、前立腺が摘出されたからといってあのような台詞が出るまでに弛緩していい場面とは思えないのです。

 報道から手術の経過を引用してみます。

●手術当日の経過=検察側主張による

午前9時41分ごろ 手術開始。手技マニュアルを読みながら、手術室に立ち会わせた医療器具会社員に器具の使い方を「こうだよね」と確認しつつ進める

正午ごろ 斑目被告が器具で静脈を傷つけ出血

午後4時すぎ 長谷川被告が止血しようとしたが静脈を針で傷つけ、針が組織内に入ったまま出てこなくなる

午後7時50分ごろ 前田被告が「はーい、生まれました。男の子でーす」といいながら前立腺を取り出す

午後8時50分ごろ 巡回してきた麻酔科医が「こんなオペして。ヘボ医者。できない手術をいつまでもやるんじゃない。さっさと術式変えて終わらせなさい」と怒鳴る

午後9時すぎごろ 開腹手術に切り替える

午後10時35分ごろ 手術終了

午後11時17分ごろ 心停止に近い状態に。低酸素脳症で脳死状態になり、意識が回復しないまま1カ月後に死亡

 午前9時41分ごろに手術が開始され、前立腺が摘出されたのがその約10時間後です。
 前立腺ガンの摘出手術というのはこんなに長時間を要するものなのでしょうか。
 午後8時50分ごろ巡回してきた麻酔科医が「こんなオペして。ヘボ医者。できない手術をいつまでもやるんじゃない。さっさと術式変えて終わらせなさい」と怒鳴ったことから、午後9時すぎころに開腹手術に切り替えてその約1時間半後には手術が終了していることからしますと、最初から開腹手術をしていたとしたら、はるかに短い時間で手術が終わっていたように思えます。
 被告の医師らは経験のない内視鏡手術を行ったことによって、患者に対して不必要かつ重大な負担をかけていたものと推定できます。

 前立腺ガンの摘出手術というのは、患者の病気を治すことが目的なのであって、前立腺ガンを摘出すること自体が目的ではないはずです。
 前立腺の摘出までに患者に相当な負担をかけていたとしますと、前立腺を摘出したからといって、たとえわずかとは言え、緊張感から開放されてもいい状況だったのでしょうか。
 私にはそうは思えません。

 被告の医師らは、患者を救うというよりは、「内視鏡手術によって前立腺を摘出することを最大の目標として」今回の手術を行ったように思えます。
 長時間の手術に耐えている患者の容態を考えていたならば、「生まれました、男の子です」というような台詞は出てこないだろうというのが私の認識です。

 私は、「生まれました、男の子です」という台詞の一点だけに着目しているのではありません。
 そのような台詞が吐かれた状況を踏まえて意見を述べています。

>過失は十分でしょう。

 たしかに過失の存否については、「指導医もいない中、経験したことのない手技をわざわざ選択して患者を死に至らしめた」という点を指摘するだけで十二分でしょう。
 しかし、私はこのエントリで実刑の可能性に言及しました。
 つまり、過失の有無だけではなく、その程度が問題になるのです。
 程度を問題にするときには、医師らの基本的な姿勢や内視鏡手術を選択した動機などが問題になり得ます。

 私は、「こいつら患者を人と思ってないな、と思わざるを得ません。」と書きました。
 被告の医師らには前立腺しか見えていなかったのではないでしょうか。
 患者の命は見えていたのでしょうか。

 そして、最後に感情論を一言いいますと、迷惑というのであれば、今回の医療過誤事件で、いったい誰が一番迷惑を受けたのかを考えるべきでしょう。

モトケンさん、こんにちは。

>つまり、言葉だけを捕らえて、まじめにやっていないと考えたわけではありません。(以下略)
初めから、この説明があればそれほど議論にならなかったと思います。
元の文章は、まさにこの言葉だけを捕らえて非難しているように見えました。
特に
>私は、言葉尻の中にこそその人間の本音が表れる場合があると思っています。
という文章を見るにつけても、手術全体の流れに係わらず、ああいう言葉が出れば即、「モラル、責任感、使命感、自らがメスを振るうことに対するおののきのようなものの欠如」と判断されるような印象を受けました。
手術全体の流れを充分に考慮したうえで、あの言葉を問題にするのならともかく、言葉尻だけを取り上げて云々されるのはつらいなと思ってました。

まぁ、モトケンさんも最初から「言葉尻を捉えた揚げ足取りだという批判もあろうかと思いますが」としてるのですから、そう言った批判は初めから承知の上でしょう。ちなみに私自身も、医師が手術中にする発言としては「はーい、生まれました。男の子でーす」には正直、不快感がありますね。もちろん言葉尻の話はなかなか難しいもので、同じ発言でも、もっと時間も短く医師が過去に何度も経験したような簡単な手術での発言ならそれほど不快でもないし、確かに緊張感をほぐすと言う意味でも問題とするほどでもないのでしょう(あるいは難しい手術でもうまくいってる手術ならまた違うかもしれない)。しかしこういった言葉尻の問題は当然状況に大きく左右されるものであって、エントリーの元記事が元記事なのですから、たとえその説明が最初からなくても、その当たりはある程度はくんで解釈するべきでしょう。

 モトケンさんはじめまして書き込み失礼します。

 私は小松秀樹氏の「慈恵医大青戸病院事件」と、それにつづく「医療崩壊」は、今後の刑事司法に重大な影響を与える可能性のある本だと思っています。読んでいなければ是非お読みください。少なくとも現在の検察の首脳陣はみんな読んでいるはずです。「医療崩壊」は、「慈恵医大青戸病院事件」に着目した検察首脳陣が小松秀樹氏を最高検に呼んで講演会を行った際の資料が原形だからです(「医療崩壊」はしがき参照)。

 以下は「慈恵医大青戸病院事件」・63頁からの引用です。

 「被告人Xは、手技を進めて前立腺を周囲の組織から完全に剥離し終え、午後7時50分ころ、『はーい、産まれました。男の子でーす。』と冗談を言いながら、前立腺を体外に取り出した。」

 手術室で一部の外科医が発する言葉は、普通の人間が聞くとぎょっとするかもしれない。自分の手術を実況中継で解説する医師、絶え間なく冗談を言い続ける医師、怒り続ける医師、ぼやき続ける医師と様々である。手術は異様な緊張感を伴う。ある新人医師が去勢術(両側の精巣を摘除する簡単な手術)を施行するために、患者にメスを入れたとたん、緊張のために気を失って倒れたのを、慌てて支えたことがある。異様な緊張下にある術者の言葉、特に、手術に難渋しているときの言葉で人格を判断することは、明らかな誤りである。医師の人格を貶めるために、手術中の会話をこのように表現することは、私には誠実な方法とは思えない。ましてや、これを有罪にするための材料とすることは、検察に対する信頼を失わせる。そもそも、罪は行った行為によって生ずるのであって、人格に罪があるわけではない。この事件はいわば医師の誠実性を問うものでもある。誠実性の欠如を糾弾するのに、誠実とは言えない方法を用いることには矛盾がある。


 私は法学者ですが、この箇所を読んだとき、「医者の先生から悪性格立証の禁止、罪刑法定主義について教えられてしまったよ」と思いました。

>法学者Aさん

 私の意見としては6月19日のコメントで述べたとおりです。
 まだ説明不足である憾みはありますが。
 私の認識では、例の台詞は、有罪つまり過失の存在根拠ではなく、人格批判の理由でもなく、性格非難の理由でもありません。

 まさしく医師としての誠実さに対する疑いの根拠の一つとして考えています。
 そして、法律家が誠実さを含めて事実を認定する場合において、事件や事故当時の客観的な諸状況、被告人または関係者の言動などの証拠に基づく以外に方法・手段はありません。
 検察官や裁判官は、そのような証拠に基づいて、被告医師らは不誠実であると認定したのではないでしょうか。
 そのような認定プロセスを不誠実と批判することには同意しかねます。
 認定が誤りであるという批判は傾聴に値しますが。

 ところで
>自分の手術を実況中継で解説する医師、絶え間なく冗談を言い続ける医師、怒り続ける医師、ぼやき続ける医師と様々である。手術は異様な緊張感を伴う。ある新人医師が去勢術(両側の精巣を摘除する簡単な手術)を施行するために、患者にメスを入れたとたん、緊張のために気を失って倒れたのを、慌てて支えたことがある。

については、私は何の違和感もなく理解できます。
 経験のある医師が自分のスタイルで手術をすること、また経験のない医師が緊張のあまり失神することも、その誠実さを疑う根拠にはなりません。

 しかし、経験不足の被告医師らによる本件における本件の台詞については、誠実さに対する疑念を生じさせる、ということです。

 追加します。
 若干言い訳がましいコメントになりますが、以上は報道された範囲の情報に基づく直感です。
 私自身が直接被告医師らを取り調べたならば別の印象を持った可能性はあります。

 直感ですから私が絶対正しいというつもりはありませんが、コメント欄に寄せられた私に対する批判は、一般論からの批判ばかりのようです。
 お互い報道以上の情報は持っていないと思われますので、それは当然だと思いますが、問題は本件ではどうか、ということであって、一般論として医師は手術中に冗談を言ってはいけないということではありません。

 気になるのは弁護人はどう感じていたかです。
 弁護人がこの点について問題意識を持っていたら、情状面での重要な事実として何らかの反証や主張があったはずなのですが、報道で見る限りは伝わってきませんでした。
 弁護人は主張したが、記者に問題意識がなかったので報道されていないという可能性もあります。

小松秀樹 著
「医療崩壊」 99ページ
「「報告書」を熟読しての結論であるが、死亡原因が輸血の遅れにあったことは間違いない。21時20分にショックになった。しかも、極度の貧血になっていた。この時点から 、AB型濃厚赤血球液の輸血が開始されるまでに、1時間50分経過している。これは、医師なら誰にも分かる致命的な遅れである。遅れの原因は輸血業務の初歩的ミスが4件重 なったことである。不幸なことに、これらのミスに加えて、輸血センターに連絡されたとき、血液搬送車がたまたま出払っていた。患者の状態は悪化し、輸血開始直後に心マッサ ージが開始された。低酸素脳症による不可逆性障害がおき、このため、患者は死亡した。
「報告書」によると、患者の血液型はAB型だった。術中のガーゼ出血(説明略)が965ml、術野から吸引された尿を含む血液が6000mlだった。私の推定では、出血量 は3000mlから4000mlの範囲である。
輸血を中心に手術の状況を時系列で経過表にまとめた。

2002年11月8日
9時41分 手術開始
出血が多いことが記録に出始めたのは手術開始後9時間ほど経過してからである。
18時45分 吸引量が3000mlになり、初めて輸血が開始された。
20時30−45分 AB型濃厚赤血球4単位輸血終了後、動脈血ガス分析と同時の血色素量は7.6g/dlと低値だった。一単位とは(説明3行略)。 より正確と思われる中央検査室での血色素量は、麻酔科医の報告書によれば6.2g/dl(青戸病院事故委員会報告書によれば6.3g/dl)とさらに低値だったこの時点で 、輸血部にはAB型の赤血球濃厚液の備蓄はなかった。O型は6単位備蓄されていた。
麻酔科医は20時45分 追加輸血を輸血部に頼んだと証言しているが、実際に日赤血液センターにAB型赤血球濃厚液6単位、新鮮凍結血漿2単位(麻酔科医の請求は10単位)が発注されたのは21時 30分だった。このとき、運悪く、血液センターの血液搬送車が出払っていた。
21時00分 肺h塾手術に変更。尿を含む血液が3000ml吸引された。ガーゼ出血も開腹後の15分間に475mlに及んだ。ただし、出血点は数箇所の小さなものを観察しただけだった 。
21時20分 血色素量が3.6g/dlまで低下し、最高血圧は70mmHgに低下した。これは危機的状況を示す。
22時20分 患者の状態が悪くなりすぎたので、気管内チューブからは麻酔剤を投与せずに純酸素のみ投与しはじめた。
22時30分 AB型赤血球濃厚液6単位、新鮮凍結血漿2単位が日赤血液センターから青戸病院に届いた。
22時35分 手術終了。
23時10分 交差試験(血液の安全性を確認する為の最終的な検査、緊急時には省略できる)が終了した赤血球濃厚液から順次輸血開始。
23時17分 収縮期血圧40−50mmHg、心拍数40/分となり、心臓マッサージを開始した。23時29分まで心臓マッサージは実施された。この間に赤血球濃厚液を急速に輸血した。
23時29分 収縮期血圧が110mmHgに回復した。23時30分血色素量は4.5g/dlだった。以後、血圧は保たれた。
23時30分 日赤血液センターに摂家急濃厚液10単位、新鮮凍結血漿20単位が緊急で追加発注された。25分後に病院に到着。

最終的に使用されたAB型赤血球濃厚液は累計15単位だkだった。。大量輸血というようなものではない。
血圧は回復したが、ショックに陥っていた間の脳へのダメージが強く、術後、脳浮腫が進行した。11月19日には脳死と判定された。最終的には一ヵ月後の12月8日死亡した 。」

死因は出血多量なのですから,罪状においては直接関連する事項=出血管理がどうであったかをまず考えるべきです.本件の出血はあきらかに静脈性のにじみ出るような出血です.これが続くのはヘタとは言えるのですが,ちゃんと輸血すれば患者が危険になる事はないのですから,反社会的とまでは到底言えません.出血多量に気がつくのが遅かったのも問題ですが,それから血液が届くまで3時間近くも経過しているという事実を無視してはおかしい.こんなに輸血が遅くては助かるものも助からないのは当然です.
達人と言われる外科医でも(手術の種類は違いますが)もっと大量でもっと急速な出血をきたした人はなんぼでもザラにいます.
この報告書内容が医師多数に読まれている事,しかも報道には一切現れていない事で,治療におけるリスク回避と報道・司法に対する不信は全国的に高まりつつあります.

 輸血管理の問題については判決でも触れていて、それを実刑回避の理由のひとつにしているようです。
 患者の死亡についていくつかの要因が競合する場合は、因果関係の存否の判断が難しい場合がありますが、判例の基本的な考え方では、そもそもの原因を作った者は責任を免れにくいところがあります。

 たぶん、控訴審での重要な争点の一つになるでしょう。

この事件の報道は,構成要件の根幹である出血管理と無関係な事柄ばかりであったと思います.
世間での議論も報道にバイアスがあってはまともなものにはならない.
ここのようなブログの役割はけっして小さくないです

と 話を丸く治めようとしたけど一点 刑法についての疑問が

>判例の基本的な考え方では、そもそもの原因を作った者は責任を免れにくいところがあります。

術中出血による死亡で,麻酔科医による適切な輸血がまったくできてなかったとしても「そもそもの原因」をつくった者=術者の責任が追及されなければならないのなら,
杏林大学割り箸事件においてでも,医師による適切な診療ができなかったとしても
「そもそもの原因」を作った者の責任も追及されて然るべきということになるのでしょうか?

同じ業務上過失致死で一方は最初に関与したもの.一方は最後に関与したもののみ.一貫性が無いように見えます.

いのげ様

私は、術者も麻酔医も両方責められるべきと考えます。
判決でも、両方とも責められてるでしょう。今回麻酔医がなぜ起訴されなかったかは分かりませんが。

今回の術者が責められる理由は、
・倫理委に内緒でやったこと(正規の手続きを踏んでいない)
・やったこともない連中だけで、内視鏡手術である必要のない患者に対して内視鏡手術ををやり、結局ミスを犯したこと。
・ミス(血管損傷)にミス(針刺し)を重ねて、なおかつリカバリーもしない(できない)で延々とできない手術を続けたこと。(怒られなければさらに続けていたはず)
・結果として、出血管理ミスで患者を死に至らしめる原因の元の部分を作ったこと(要はこれがなければ出血管理ミスという問題自体も発生しなかった。)
じゃないんですか。

また、十分なインフォームドコンセント(誰も内視鏡手術の経験がない、倫理委にも内緒など)もやってないのでは?

これだけやって、医師の責任が追及されないのなら、医師に業務上過失致死傷は成立しないのではないでしょうか。手術中の発言の件は横に置いておくとしても、十分悪質(医師の性格のことではありません。行為のことです。)だと思います。

また、いのげ様の言われる割り箸事件の「原因者」とは、転んで亡くなった幼児のことですか?それとも幼児にわた飴を買い与えた保護者のことですか?どちらにしても、今回の術者や麻酔医の行為と同列に論じることには違和感を覚えます。

それと、マスコミはもとより、私のこのコメントにも一定のバイアスはかかっているかもしれませんが、医師と思われる皆さん(或る内科医様はニュアンスが違いますが)のコメントの方にも十分バイアスがかかっているようにお見受けします。

青戸の事件の話がでていたので医師育成に関してなどについての腹腔鏡手術の問題点について話をさせていただきます。

一般的に腹腔鏡手術において対処困難なトラブルにあった場合、
開放手術に移行します。したがって、腹腔鏡手術を行う場合、開放手術に習熟している必要があり、ある程度の技量を持つ人間が行うことになります。
したがって、若手は腹腔鏡手術より排除されます。
また、腹腔鏡では行えず開放手術の適応となるような症例は手術が難しい症例が多く、若手には任せられない場合があります。
以上のような視点により、腹腔鏡手術の存在は一般に若手医師の成長を阻害する方向に働きます。
また、症例数が一定の場合、腹腔鏡手術が増えると必然的に開放手術が減少することになり、開放手術に移行する場合のトラブル対処能力が低下します。

正直以上のような視点は学会では語られることはほとんどありません。
私の考えすぎかもしれません。
でも腹腔鏡手術について以上のような見方もあることを知っていただきたいと思います。

> 腹腔鏡手術の存在は一般に若手医師の成長を阻害する方向に働きます。

その通りだと思います.以前の私の勤務していた病院の外科部長はこの問題を憂慮され,腹腔鏡下胆摘以外の腹腔鏡下手術を行っていませんでした.このような配慮があったため,私自身は(指導医の下で)手術の経験をすることができましたが,他の病院では腹腔鏡下手術を「ウリ」にしたために,若手の教育ができなくなるという問題を抱えています.

ところで,「生まれました、男の子です」に対する批判があいついており

>・倫理委に内緒でやったこと(正規の手続きを踏んでいない)
>・やったこともない連中だけで、内視鏡手術である必要のない患者に対して内視鏡手>術ををやり、結局ミスを犯したこと。
>・ミス(血管損傷)にミス(針刺し)を重ねて、なおかつリカバリーもしない(できない)で>延々とできない手術を続けたこと。(怒られなければさらに続けていたはず)
>・結果として、出血管理ミスで患者を死に至らしめる原因の元の部分を作ったこと(要>はこれがなければ出血管理ミスという問題自体も発生しなかった。)

のようなコメントが出されていますが,刑事罰を適用する場合に,このような曖昧なことが論拠とされていいものなのでしょうか?本当にこのようなことで刑事罰が決まってしまうのだとしたら,日本の司法は幼稚なものといわざるをえません.

倫理委員会に諮らなかったことそのものは,青戸病院事件で死亡に至った直接原因には何ら関係がありません.

やったことがない手術で患者さんが結果的に亡くなったとしても,その原因が「適切でない輸血管理」にあったのであって,「適切な輸血」がなされていれば,死亡することはなかった,のであれば,その手術をやったことがあるか否かが刑事罰の適用の論点となることは適切でありません.

前立腺をはじめ,骨盤内の手術は開腹下に習熟した術者によって行われていたとしても,静脈性出血により,出血が大量になることは十分あり得ることで,適切な輸血が行われることによって,患者さんの生命が維持され,通常の治療法として確立しているものです.青戸病院事件では明らかな術者のミスといえるような急速な出血(大血管損傷や,動脈性出血など)はきたしていません.

「結果として、出血管理ミスで患者を死に至らしめる原因の元の部分を作ったこと(要はこれがなければ出血管理ミスという問題自体も発生しなかった。)」という論理が通用するのであれば,麻酔科医が「適切でない輸血管理」を行って患者さんが死亡した場合,術者にも必ず責任がある,ということになります.これでは,ある程度以上の手術では輸血を必要とすることが想定されているため,外科医は手術はできません.

>地方の外科医 さん

>「結果として、出血管理ミスで患者を死に至らしめる原因の元の部分を作ったこと(要はこれがなければ出血管理ミスという問題自体も発生しなかった。)」という論理が通用するのであれば,麻酔科医が「適切でない輸血管理」を行って患者さんが死亡した場合,術者にも必ず責任がある,ということになります.

 これは正しくありません。
 地方の外科医 さんの言うところの「原因の元の部分」について過失がなければ、「麻酔科医が「適切でない輸血管理」を行って患者さんが死亡した場合」、元の部分を執刀した術者には責任がありません。

 たぶん、「過失」と「因果関係」についての理解が十分でないことから誤解が生じているのだと思いますが、過失行為と因果関係の峻別を前提として、個々のケースにおける過失の認定や因果関係における第三者の過失行為の介在などの法律上の問題点があり、これらの問題は専門家にとっても必ずしも簡単な問題ではありませんから、誤解が生じるのは無理もないところです。

>「結果として、出血管理ミスで患者を死に至らしめる原因の元の
>部分を作ったこと(要はこれがなければ出血管理ミスという問題
>自体も発生しなかった。)」という論理が通用するのであれば,
>麻酔科医が「適切でない輸血管理」を行って患者さんが死亡した
>場合,術者にも必ず責任がある,ということになります.これで
>は,ある程度以上の手術では輸血を必要とすることが想定されて
>いるため,外科医は手術はできません.

麻酔科医として書きます.
我々はどの手術に通常どの程度の出血が生じるかよく知っています.
ただし,血液を準備するのは外科医です.もちろん明らかに準備不
足と考えられた場合には我々から血液を依頼します.中にはそれを
拒む困った外科医も存在します.もちろんこういった外科医は大抵
腕の方も...なんですが.
それでも,危険を感じた時には我々は血液を依頼します.大学病院
では多くの場合比較的短時間に血液は供給されますので今の職場で
血液に困ることはほとんどありませんが,一般市中病院ではかなり
早いうちに予測して依頼しないと間に合いません.
手持ちの血液と出血量の最終を予測しながら依頼を出すのです.
こういった血液の手配は研修医レベルではなかなか困難です.青戸
病院では泌尿器科志望の麻酔研修医が担当していたとのことですか
ら,出血量および血液準備量に関しては執刀医が注意していなけれ
ばならなかったでしょう.外科医にも当然責任はあると思います.

いずれにしましても,出血に対する輸血は主として麻酔科医の責任
ですが外科医に責任がなくなることはありません.執刀医の責任は
それくらい重いのです.その責任が背負えないなら執刀する資格は
ないと思います.コンサートで言うなら執刀医はコンサートマス
ターです.
出血と輸血のストックの状況を見極め,血液の請求に対してどの位
の時間でそれが入手できるかを勘案しながら対応するのは麻酔科医
の技量ですが,執刀医も当然出血量については認識しておく必要が
ある訳です.危険性を感じたら手術を止めて圧迫止血したりする判
断は通常は執刀医が行うものです.我々も危ないと思ったら執刀医
に声を掛けます.状況によってはこちらから指示をすることもあり
ますがよほどでない限り麻酔科医が執刀医に指示を出すことはあり
ません.基本的には我々は裏方ですから.ただし,危機的な状況に
なった時には我々はコンダクターになって危機から脱するためにす
べてに対して指示を出します.
我々は執刀医の技量をみながら裏方に徹します.執刀医の先生も麻
酔科医の技量を見ながら手術を遂行して頂きたい.決して一方だけ
が責任を持つわけではないのです.

ところで,ちょっと青戸病院の状況を分析してみました.
>20時30−45分 AB型濃厚赤血球4単位輸血終了後、動脈血ガス分析
>と同時の血色素量は7.6g/dlと低値だった。
>より正確と思われる中央検査室での血色素量は、麻酔科医の報告書
>によれば6.2g/dl
>麻酔科医は20時45分追加輸血を輸血部に頼んだと証言しているが、
>実際に日赤血液センターにAB型赤血球濃厚液6単位、新鮮凍結血漿
>2単位(麻酔科医の請求は10単位)が発注されたのは21時 30分だっ
>た。このとき、運悪く、血液センターの血液搬送車が出払っていた。
おそらくこの時点での出血量はおおよそ1500-2000gくらいでしょ
うか.(出血量は輸血量とHbから判断したおおよその推定に過ぎま
せんが)
手術は終了していませんから私が担当していたらここで,MAP
20単位,FFP20単位くらいを請求したと思います.(おそらく
この値を見るまでに請求していたでしょうが...)

>21時20分 血色素量が3.6g/dlまで低下し、最高血圧は70mmHg
>に低下した。これは危機的状況を示す。
ここまでの出血量は3500-40000gくらいになっていたでしょう.
つまり40-50分で1500-2000g出血していたものと推測されます.

>22時30分 AB型赤血球濃厚液6単位、新鮮凍結血漿2単位が日赤
>血液センターから青戸病院に届いた。
>22時35分 手術終了。
>23時10分 交差試験(血液の安全性を確認する為の最終的な検査、
>緊急時には省略できる)が終了した赤血球濃厚液から順次輸血開始。
>23時17分 収縮期血圧40−50mmHg、心拍数40/分となり、心臓
>マッサージを開始した。23時29分まで心臓マッサージは実施され
>た。この間に赤血球濃厚液を急速に輸血した。
>23時29分 収縮期血圧が110mmHgに回復した。23時30分血色素
>量は4.5g/dlだった。以後、血圧は保たれた。
ここではまだ大幅に血液が不足しています.輸血を開始していなが
らショック状態になったのは低Hb状態が持続しすぎて心臓がついて
行けなくなったからでしょうか?それまでの心拍数はどのくらいだっ
たんでしょうか?またカテコラミンは使用されていたのでしょうか?
よく解りません.

>23時30分 日赤血液センターに摂家急濃厚液10単位、新鮮凍
>結血漿20単位が緊急で追加発注された。25分後に病院に到着。
>
>最終的に使用されたAB型赤血球濃厚液は累計15単位だった。
>大量輸血というようなものではない。
>血圧は回復したが、ショックに陥っていた間の脳へのダメージ
>が強く、術後、脳浮腫が進行した。11月19日には脳死と判定さ
>れた。最終的には一ヵ月後の12月8日死亡した 。

おそらく輸血用の血液が無かったために大量輸液で対応し結果と
して出血量に対しかなり少ない輸血量でバランスが取れたので
しょう.出血量はおそらく5000gを超えていたと推定されます.
心マッサージが12分間施行され,その間はおそらく100%酸素で
換気されていたでしょう.麻酔薬はstopされたままだったか少し
だけ流れていたかでしょう.輸血しながらHb4.5というところで,
実際にはHbは1-3程度まで下がっていたため酸素運搬が全く不足
してしまっていたため重篤な脳障害が生じたのでしょうか?
極端な貧血がなければ手術中でしたから通常なら障害がほとんど
残らないように蘇生できた状況と思われますので.

こうやってみてみますと,やはり執刀医の責任が最も大きいと思
われます.もちろん麻酔医の責任もあるでしょうが,研修医とい
うことを勘案すると執刀医(もしくは麻酔科指導医)が的確な指
示を出すべきだったと思います.

>午後8時50分ごろ 巡回してきた麻酔科医が「こんなオペして。
>ヘボ医者。できない手術をいつまでもやるんじゃない。さっさと
>術式変えて終わらせなさい」と怒鳴る
以前から泌尿器科と麻酔科の関係はよくなかったんでしょうね.
これも問題の根底にはありそうです.

>じじい様

わたしは「泌尿器科医が責められるべきではない」
と言っているわけではなく「業務上過失致死の構成要件が成立していない」
と言っているわけです.非常に狭義の責任に限定して考察しているので
それ以外の概念を持ち出しても反論にはなりません
広義の責任問題が無いといっているわけでもありません.
刑法に規定しされていないような倫理上の問題はそれこそ
行政レベルで対処するのがよい,むしろしなさ過ぎていると繰り返し述べております

さらにいうとここに書いている議論は小松先生からの丸パクリです
それ以外の論点についてもほとんどすべて「医療崩壊」でも述べておられます
そこらへんを全部書いていては著作権侵害にもなるし直接読んだ方が
正確で早いから書いてない量的にも書ききれないわけです
「医療崩壊」を立ち読みででも一読される事をお薦めしますです

何か少し懐かしいです。

>「医療崩壊」を立ち読みででも一読される事をお薦めしますです

すんません。過日買いまして、今読んでる途中です。なかなか分厚くて手ごわい本です。

さて、二ヶ月前の話なので、記憶を探っているのですが、とりあえず書いてある内容からすると、全体的な責任の話をしちゃってますね。刑事責任の構成要件のみに絞っていうと関係ない話もあるので、それは私の「過失」です。すんません。

地方の外科医様、判決の方は要旨のみで全文は読んでおりませんが、多分ここまでは「幼稚」でないと思います。いのげ先生をはじめ否定的に考えられている方もおられるでしょうが。

で、刑事責任に絞ってというと、死亡との因果関係において
判決では、

・知識、技術や経験がない3人が患者の全身状態を全く把握せずに手術を続けて死亡させたことから、その過失と死亡との間に因果関係があることは明らか

・出血管理が麻酔医だけの責任でないことは明らか

http://www.shikoku-np.co.jp/news/kyodonews.aspx?id=20060615000257

という2点について述べられているようです。

で、いのげ先生は輸血を含む出血管理自体が執刀医には責任がないという趣旨でよろしいのでしょうか?

それとも、出血管理の中に輸血は含まれず、出血管理と輸血とは切り離して考えるべきで、死亡との因果関係があるのは輸血のみであり、輸血は麻酔科医の責任で執刀医は関与すべきものではないという趣旨でしょうか?

Level3様の36のコメントを読むと、判決文も一理あるような気もしますし・・・。

もちろん刑事責任に限定した話ですが
追加分輸血を取り寄せる事に関してはこれは執刀医の責任では無い
手術中に注文や運搬はできない
そして現実に病院内に輸血可能な血液が存在した
これで明白に因果関係が否定できると思います
「輸血できる血液があるのにしなかった」という事実を
「非常識な行為だったとまでは認められず」と言い切る判決のほうが
どうかしてるんじゃないでしょうか

No36のコメントの「責任」は業務上過失致死の構成要件を
踏まえていない考察だと思います
責任の定義を多義的にとればなんぼでも拡散できる議論です

麻酔医の責任についてはあまり興味ないのでどうでもいいです

>No36のコメントの「責任」は業務上過失致死の構成要件
>を踏まえていない考察だと思います

いのげさん

その通りです.私のコメントはあくまで一般的な話をしただけで,
「業務上過失致死」云々を全く考慮しておりません.

> Level3 先生

わたしも踏まえてないからけしからんといいたいのではなく
民事責任の話としてならむしろ同感であります
「責任」という言葉・概念に多義性がある故に
議論が混乱しやすいので注意しましょう,ということです

いのげ先生

確かに、「不適切な輸血管理」は大きな要因の一つであり、適切な輸血がなされていれば救命の可能性は高かったのかもしれませんが、死因が輸血によるショックでなく、出血性のショックである以上、必ずしも輸血管理だけが死亡との因果関係があるとは直ちにいえず、出血状況、輸血状況も含めた、手術における患者の全身状態の管理の問題と考えるべきだと思います。

O型血液があるのに使用しなかった麻酔医の不適切な輸血管理と死亡との因果関係は当然あると思います。

>「輸血できる血液があるのにしなかった」という事実を
「非常識な行為だったとまでは認められず」と言い切る判決のほうが
どうかしてるんじゃないでしょうか

私もそう思います。

で、執刀医に関しては、癸械垢任尋ねしたように、出血管理、ひいては患者の全身状態の管理責任が誰にあるかということにつながります。

無論、執刀医らに全身状態の把握・管理の責任がなく、麻酔医が責任を持つべきものであるなら、責任を問われるべきは麻酔医1人ということになります。

逆に、執刀医らにもそうした責任の一端があるのなら、当然、今度は執刀医らについても、必要な注意義務を果たしたかが焦点になると思います。

いのげ先生のおっしゃるように、手術中の執刀医に、輸血の発注や血液の運搬はできませんので、それらは麻酔医の責任においてなされるべきことでしょう。

ただ、執刀医らも麻酔医に口頭で指示を与え、確認をすることはできます。当然、出血により患者が輸血を必要とする状態にあり、麻酔医が輸血しないのであれば、まず、普通は「なぜ輸血をしない」と麻酔医に確認することになるかと思います。そのときに「AB型の血液ストックがない、発注しても届かない」という回答があれば、「O型を使え」という指示は可能ではないでしょうか。そういう発想は、当時の医療水準では無理な要求なのでしょうか。

なお、今回は、酒気帯びではなく飲酒(泥酔に近い)コメントになりますので、内容がかなりうざくなっていることと思いますが、なにとぞご容赦のほどお願いいたします。

出血性ショックが死因といってもスピードが問題
輸血すれば死なない程度の静脈性出血は
輸血さえしていれば絶対に死なないので
出血が少々あってもよいし そういう手術も有る 
実際には開腹時には自然に止血されていただろうと推測されている
これがイッパツで即死な動脈性出血なら
手術操作と死因が直結すると言える
ここに概念上の差があると思います

バイタルサインや出血量や血液検査結果など
術野以外の情報は第一に麻酔科が把握する
手術操作と関連する体位や輸液負荷等の注文は
術者が出すものだが循環動態など全身に関する操作は
まず麻酔科が把握するものでそのための麻酔科でしょう
(自家麻酔ならそういう議論も成立するでしょう)
冷蔵庫の血液ストックの把握なぞ術者に丸投げするのは問題外
術者は術野に集中するのが常識かつ最善です
輸血は外科より麻酔科の方が詳しいくらいでしょう

ちなみにわたしもそうとう呑んでる上にかなり体調悪な今夜です

今日たまたま勤務先の病院の泌尿器科部長と医局で会話した際、青戸事件のことで意見を話されたので参考意見として。
恐らく患者が死亡するに至ったのにはいくつかの要因が重なったのではないか。
“鏐陲僚兌圓蕕呂發舛蹐鵑修譴覆蠅砲藁習していたものの実際の経験がなかった。この点では無謀と思われる。その先生ならば未経験の手術をする場合経験者に後ろに付いてもらうなどのバックアップをすると思う。恐らく部長や医局とのコミュニケーションがうまくいってなかったのではないか?
∈枷輯韻言う功名心というものは少し違う。当時内視鏡による前立腺全摘は多くの施設で行われており、術者の出世、給料などには全く影響しない。むしろ向上心といえるものではあるが。
A偉腺摘出術の手術の際の出血は静脈性であり、適切に輸血さえすれば致命的にはならなかった。この点麻酔科とのコミュニュケーションが悪かったのではないか。手術時間が長引き開腹手術に切り替えるのが遅かったのも問題点である。通常、手術は前日までに院内で報告され(倫理委員会と関係なく)、院長、副院長、部長などはもちろん目を通しているはずである。それらの点を考えると、泌尿器科部長や麻酔科との連携があまりにも悪すぎたのはもともと何らかの問題でもあったのか?
ぁ屬蓮爾ぁ∪犬泙譴泙靴拭C砲了劼如爾后廚亡悗靴討魯灰瓮鵐箸覆掘(小生個人的にはちょっと品性のない言葉だと思いますが。)

もちろん、無謀な手術をした個人の責任は否定できませんが、それを見過ごした部長や病院、つまりはシステムの問題も考えるべきなのではと思います。
医師の練習のために患者が犠牲になるのかと憤られる方も多いと思いますが、それも医療の一部分であります。もちろん患者が死亡するのは問題外ですが。

執刀医らの責任範囲が、手術操作及び手術操作に関係する体位、輸液負荷のみであり、全身状況の把握、出血管理にまで及ばないのが常識とすれば、いのげ先生のおっしゃるように判決に問題がありそうです。

道義上、民事上の責任は、別ですが。

>医師の練習のために患者が犠牲になるのかと憤られる方も多いと思いますが、そ>れも医療の一部分であります。もちろん患者が死亡するのは問題外ですが。

それは全くおっしゃる通りです。ただ、自動車教習所の車に教官が自分で踏めるブレーキがあるのと同様に、万全の予防措置を取るのが最低限の前提でしょう。
「向上心」という言葉の響きは良いが「患者の安全」と秤にかけていいものではないはずです。知らない間に「教材」にされて亡くなった患者さんは本当にお気の毒です。

uchitama様

>医師の練習のために患者が犠牲になるのかと憤られる方も多いと思いますが、それも医療の一部分であります。

自動車の仮免許の場合、免許を持ったものが横につき、仮免許練習中と表示した上でなら、路上練習も合法ですが、これらがなくては単なる無免許運転になります。これは社会が、運転未熟者が公道上を走るというリスクを受け入れるためのルールであると思います。

医師の技術向上も医療の一部であるということ自体は理解するのですが、当然、事前に経験がない医師が執刀することは患者らに了解を得るべきですし、無経験なものには指導医がつくのが常識であるとすれば、それをつけた上でやるべきです。

そうしたルールを守った上でやることは医療ですが、患者がリスクを受け入れるためのルールを守らないものは果たして医療と呼べるでしょうか。

今回の事件について述べられたものではないとは思いますが、一般論としても強調しておきたいところです。(失礼の段、ひらにご容赦を・・・)

みみみ様と話がかぶってしまいました。
しかも、自動車教習の話まで・・・。

01:52と時間まで同じなのですが、タイミングで少し負けたようです。

>じじいさま
まさか比喩まで一緒とは・・・。
これがシンクロニシティというやつですな。
自分の意見がそれほど特殊ではなかったようでちょっと安心しました。

みみみ様

シンクロした相手が私では、安心するには少し早いかも(^^)

仮免許中の路上運転のたとえについては強く反論せざるを得ません。

大学卒業後の研修医の指導については仮免許のたとえはうまく合致すると思います。あらゆる医療行為は研修医にとってはほとんど初めての経験になるため、基本的に指導医が常に横について指導します。採血、静注などの簡単な手技は言うまでもなく、中心静脈カテーテル挿入、胸腔ドレナージ挿入、胃カメラ、ヘルニアや虫垂炎の手術などやや高度な手技についても普通は一対一で指導しながらになります。

しかしある程度の医療経験をつんだあとに、これまでの経験の延長として新しい行為を行うことは倫理的にも道義的にも許容されるものと考えます。私の考えでは、タクシーの運転手が乗客を輸送するときに、初めての道を通る場合を例にあげたいと思います。

初めて通る道路はより危険かもしれないし、予期せぬできごとがおこるかもしれません。でも通常運転手は乗客にそのことを告げないだろうし、安全性がそれほど損なわれるとも思われません。それは他の運転手がその道路を使っていて特に問題がなかったから、その運転手が使用しても問題ないだろうと予測されるからです。いいかえると、ある人間が行って支障がなかった行為は、同程度の技量を持つ他の人間が行っても支障がないと推測しうる、ということです。

タクシーの運転手が免許取りたてで運転技術が未熟であるならば指定された道路以外を通ることは認められないかもしれません。でも運転経験が豊富ならば目的地に向かうのにどの道路を通るかは運転手の裁量の範囲内ではないでしょうか(料金のことは別として。)その道を通ったことのある経験者を助手席にのせる必要は必ずしもないと思います。

われわれ外科医が手術を行うときには常に少しでも良い結果を残したいと考えています。したがって切除のしかたや縫合のしかたひとつ取ってみても、こうした方が良い、という情報があればそれを取り入れます。つまり自分にとってはじめての行為も頻回に行っています。そして通常そうしたことは患者さんには説明しません。

はじめての手技を指導者なしで行うこと自体を否定されてしまうと日本の医療にとって非常にマイナスになると思います。

患者が若い医師の練習台になる、これは仕方のないことだと思います。我々もそうして一人前になってきました。
しかし、近年、訴訟社会になるにつれ、教育病院ではちゃんと指導医が監視をし、危なくなったらすぐ代われるような大成をとっておくのが前提であると思います。昔のように「じゃあ、君やってみたまえ」と言われたまま放っておかれるということはあってはならないと考えます。
但し、これが人手不足の地方の病院になると話は別です。経験不足の若い医師が直接即戦力になります。このような場合、指導医だって忙しいわけで、あるいは指導医なんて存在しないこともあり得るでしょう。待っていたら患者が死んだ、なんてことになる前に見よう見まねで教科書だけの知識で手技を行わなければならないときだってあるはずです。

とここまで厳しいことを書きましたが、別のスレで指導医にしわ寄せが来ており激務になったと書きました。本当、指導医は「こんなに忙しくなったのに、研修医の面倒なんて見てられないよ!」というのが本音でしょう。そこを解決するというのが前提です。

>患者が若い医師の練習台になる、これは仕方のないことだと思い
>ます。我々もそうして一人前になってきました。
>しかし、近年、訴訟社会になるにつれ、教育病院ではちゃんと指
>導医が監視をし、危なくなったらすぐ代われるような大成をとっ
>ておくのが前提であると思います。昔のように「じゃあ、君やっ
>てみたまえ」と言われたまま放っておかれるということはあって
>はならないと考えます。

若い医師が医療技術を磨くには今のところ指導医の監督下にトレー
ニングを積むしかありません.まあ,近いうちにVR(バーチャルリ
アリティ)技術が実用化してシミュレータによるトレーニングが,
可能となる時代が来ると思いますが,それまでは現行の方法を続け
るしかないでしょう.
青戸病院の事件の場合問題であるのは,執刀医そのものの腕が未熟
であったことです.腕のしっかりした指導医の元で若手がトレーニ
ングを積む(手術では指導医が前立ちをすることを意味します)場
合,指導医がリカバリーすることが可能です.状況を分けて考える
必要があると思います.

現在のシステムでは誰でも年限を積めば執刀医になれます.米国な
どのようにセレクションがありません.ここに最大の問題があるよ
うに思えます.裁判のことは別にして少しこの点について考えてみ
たいと思います.
ここから先は私の想像に過ぎませんので,そのところを間違えない
ようにお願いしておきます.

>午後8時50分ごろ 巡回してきた麻酔科医が「こんなオペして。
>ヘボ医者。できない手術をいつまでもやるんじゃない。さっさと
>術式変えて終わらせなさい」と怒鳴る

麻酔科医のこの言葉が私には非常に気になります.麻酔科医は外科
医の腕を最もよく知っています.外科医の先生方は,他の外科医
の腕の善し悪しをあまりご存知でないことも多いようなのですが...
もし日頃から,あるレベル以上の手術技量を執刀医が示していたら
1回くらい手術が延びてもたついたりしても麻酔科医がこのような
言葉を口にすることはないと想像します.裏を返せば,この執刀医
(たち)は標準レベル以下の技量でしかなかったのでは,と思えます.
経験的にはレベルの低い外科医ほど自分の技量をわきまえていませ
ん.結果的に自分の技量では手に負えない手術にも手を出します.
今回の事件では,そのような背景にいくつものトラブルが重複して
結果的に患者さんが無くなったのではないかと推論されます.麻酔
指導医が最初からこの手術の管理を担当していたら,適切にリカバ
リーが行われて何事もなかったかもしれません.
しかし,こういった執刀医は往々にして似たようなことを繰り返し
ます.どこかで地雷を踏んで自爆したのではないでしょうか...

このように推論していきますと,辿り着くのは「誰でも執刀医にな
れる現行のシステムに問題がある」ということです.現在の専門医
は手術手技のレベルと無関係です.米国のような執刀医をセレクショ
ンするシステムを構築することが,このような事故を無くすための
最良の方策ではないでしょうか?

想像ばかりで書いてすみませんでした...

>もちろん、無謀な手術をした個人の責任は否定できませんが、それを見過ごした部長や病院、つまりはシステムの問題も考えるべきなのではと思います。
医師の練習のために患者が犠牲になるのかと憤られる方も多いと思いますが、それも医療の一部分であります。もちろん患者が死亡するのは問題外ですが。

言葉が足りなくて申し訳ありません。下2行は上の2行に対する文章のつもりだったのです。

みみみ様が仰る
>無経験なものには指導医がつくのが常識であるとすれば、それをつけた上でやるべきです。
それをマネージするのが指導医たる病院長、副院長、部長などではないかと言いたかったのです。最近の裁判の傾向(想像ですが)では若手の医師が訴えられることがあまりに多すぎます。部長や上級医師は指導や教育もせず、仕事は下に押し付け、働かないから訴訟のリスクもありません。その一方で、下級医師は(この例に当てはまらないかもしれませんが)、向上心や使命感を持って働けば働くほど訴訟のリスクが増えるのです。
さらに余談ですが、もともと優秀な先生も部長になって、自分の将来が見え、給料も変わらないからやる気が失せるような医師が多いように思います。

>oregonianさま
>はじめての手技を指導者なしで行うこと自体を否定されてしまうと
>日本の医療にとって非常にマイナスになると思います。

以下の条件がそろった上でなら、問題ないと思います

1.事前に患者の同意を得る
2.万が一の際の対処策を用意する(これも患者に伝える)
3.絶対に患者は殺さない

2chで最近よく見るコピペです。
言い得て妙かと。

>僻地住民とマスゴミの求める医者は
>年中無休72時間以上連続稼動、寝ない食べないミスしない
>0歳児から90超の耳の遠い老人まで正確に問診でき
>顔色を見ただけで病気・怪我・割り箸がどこに刺さっているかまでを超スピードで判断でき
>池沼やDQNにも解りやすい言葉で丁寧に30分以上かけて病気・治療法・薬の説明するにもかかわらず
>患者の待ち時間は3分以内で回せる時空を捻じ曲げる術を会得し
>且つ、見習い・半人前期間などはなく免許を貰った直後から既に
>患者の身体・精神をあらゆる病気・怪我に罹る前の状態に完全に戻すことができ
>死人も生き返らせることができるドラクエ教会並みの腕を持つスーパードクター
>これをできることならタダでこき使いたいと思っています

>しまさま

>以下の条件がそろった上でなら、問題ないと思います
>1.事前に患者の同意を得る
>2.万が一の際の対処策を用意する(これも患者に伝える)
>3.絶対に患者は殺さない

(3)についてはもちろん同意します。(2)について、うまくいかなかったときにきちんと対処できる技術があることが新しい手技に挑戦する上での大前提になることは当然のことです。われわれはつねにそれを認識しています。その点で(2)の前半の部分にはまったく異論はございません。

私の先の書き込みもこの点を前提としています。青戸の件も私は万一の場合は開腹術に移行して手術を無事に終えることができる技術が術者たちにあったのならば内視鏡手術を選択したこと自体はせめられるものではないと考えます。

問題は(1)と(2)の後半の部分です。私は治療内容の個々具体的な面については必ずしも患者に説明する必要はないと考えています。

治療契約を結ぶ前にその契約内容である治療方針や術式の選択について患者に説明することは当然のことです。しかし治療契約を結んだ後に、その契約を遂行する上必要と考えられる個々の行為についてひとつひとつ説明し同意をとる必要はないのではないか、ということです。

ここは法律家の先生にお尋ねしたいのですが、医療を準委任契約と考えた場合、受任者は細かな点まで委任者にお伺いをたてる必要があるのでしょうか?委任者の請求が無い限りは契約を達成するまでいちいち承諾は必要ないと思うのですがどうでしょうか?

例えばある内視鏡手術を行うときに、新発売となった新しい器具を初めて使ってみる、といったときに、そのことを説明して同意を得る必要があるでしょうか?この場合、医師はその手術を無事に遂行するという目的においてこの器具を使うことが有利であると考えており、もしうまく行かなかった場合の代替手段をもっていると仮定します。

uchitama様

>無謀な手術をした個人の責任は否定できませんが、それを見過ごした部長や病院、つまりはシステムの問題も考えるべきなのではと思います。

こっちの部分が肝だったのですね。誤解しておりました。申し訳ありません。

私も、見過ごしたというか、ほったらかしにした部長や院長、病院内の連携の悪さ、人間関係の悪さ、麻酔医がO型の血液の利用すら思いつかなかったシステム上の問題など病院自体の問題も大きいと思います。

oregonian様

仮免許は比ゆが悪かったかもしれませんが、今回の青戸の件のように、延長線上とはいっても、延長線のどのあたりにあるかが問題になると思います。

タクシーの運転手でも、最初は指導員がついて実車研修を行いますし、複数コースがある場所なら、お客さんに「どう行きましょうか」と一応確認し、お客さんの指示通りに走るのが基本です。(中には聞かない運転手もいますが、もめるもとです。)
運転手さんに任せる、といわれて、はじめて運転手さんは自由なコースを取ります。

走ったことのない道でも、日本の道である以上基本的なルール(道交法等)は何ら変わりませんので、必要に応じてカーナビや地図で確認しながら走ります。要は延長線上でも、大抵の道は手の届くところにあるのです。(素人でも旅行に行くと知らない道を平気で走りますので。)

延長線上でも、現状のすぐ先にある、経験が少ないだけで、きちんとこなせるような、手の確かに届くところにあるものなら、おっしゃるようにいちいち指導医についてもらったり、患者さんに断る必要はないかもしれません。(指導医がいた方がいいのはいうまでもありませんし、重要なリスクはキチンというべきだとは思いますが。)

ただ、今回の件のように、延長線上でもはるかかなたにあるようなもの、手が届かないかもしれないものを、いくら医学の進歩のためとはいえ、本人に、初めてであること、手が届かないかもしれないことを内緒で、しかも指導医もつけず(つけられない僻地の病院でもないのに)に、実施することはやはり患者とすれば納得できるものではありません。

逆に、医師側としても、自己防衛のためにも、やれる対策は事前にやっておいた方がいいのではないでしょうか。

yama様

>待っていたら患者が死んだ、なんてことになる前に見よう見まねで教科書だけの知識で手技を行わなければならないときだってあるはずです。

その場合はリスクの比較で、やらなければ助からないなら、私としては失敗覚悟でやってもらいたいと思います。喜んで同意すると思いますし、仮にそれで失敗しても、どうせ助からない身ですしお医者様を恨んだりはしないでしょう。

>oregonianさま
>問題は(1)と(2)の後半の部分です。私は治療内容の個々具体的な
>面については必ずしも患者に説明する必要はないと考えています。

上の意見に関してですが、はじめての手技を行うと言うことは、患者をいわば
練習台に使うことだと認識しています。人によっては「勝手に練習するな」と
考える人もおられるでしょうし、「練習に使うなら使うで一言言ってほしい」と思う人も
いるでしょう。

感情論になりますが、練習台にする患者に対しては「お願いと感謝」が
必要なのではないかなと思います。

もっとも、この意見は「はじめての手技」との言葉に対して、
私が過剰に反応しているだけなのかも知れません。

しまさま

>練習台にする患者に対しては「お願いと感謝」が必要なのではないかなと思います。

どうしても自分の思いが伝えられないもどかしさがあります。向上心のある医師は、熟達した手技についてでさえ、常にもっとうまくなりたいと考えています。その意味ではすべての患者は「練習台」です(うまくなりたい、と思っていれば少しずつ手技が変化していきます。つまり新しいことがためされています)。

いいかえますと、私たちは実践の場で常に「練習」をしています。日常業務で練習的な行為と練習的でない行為は連続的です。また、向上心を失った医師に取ってはすべての行為は非練習行為でしょう。これまで知識と技術をそのまま繰り返していれば練習する必要はありません。

こうした「練習」は当の医師に取っては自分の技術の向上のためではありましょうが、ひるがえって社会的な医療の水準をあげることにつながります。他の患者さんにとってメリットになることです。決して反社会的行為ではありません。(もちろん、この場合において私のいう「練習」は患者本人に不利になるような行為は含みません。)

感謝する必要はない、というつもりはありませんが、感謝を強要する必要も無いのではないかとも思います。デパートで買い物をすれば店員からありがとうございます、といわれるしょうが、あれは感謝をされているのでしょうか?

医療において「練習」は業務の中に不可分なものとして含まれています。つまり医療をうけるということは練習台となる場合も多々あるということです(特に知らされていないだけで。)100例の手術をこなしてきた医師にとっても101例目はやはり練習の側面があります。

個々の治療において練習の側面があることをいちいち断る必要が無い、と私は思っています(反対する医師もおられるでしょうが。)

> しま様
> 感情論になりますが、練習台にする患者に対しては「お願いと感謝」が
> 必要なのではないかなと思います。
大抵の医師はそのようなことを勿論考えていると思いますよ。私個人はこうした感情は必要だと思います。だけど、それを表に出すかどうかは別次元の問題だと思います。
それから、以前のレスであった「患者の同意」はどう考えても不要ですし、「未熟ですが」なんて断る必要もありません。誰だって「私は経験ありませんが、やらせて頂いてよろしいでしょうか?」なんて言われれば断るだろうし、断らなくたっていい気しません。
良く、昔から医師は患者をだますのが職業、と言います。私はその通りだと思います。ある程度患者に嘘を付いて気持ちよく医療を受けて頂くというのは必要だと思います。もちろん、プラセボ効果だってあります。
ということで「感謝の念」を患者に悟られないように隠すのも必要だと思います。

>誰だって「私は経験ありませんが、やらせて頂いてよろしいでしょうか?」なんて言われれば断るだろうし、断らなくたっていい気しません。

そこで、ちゃんと対策ができているのなら、私なら逆にこの医者を信用します。最悪(に近い)の情報は普通隠したがりますが、それを包み隠さずいうということは、大抵のことは隠し立てをしない人ですので、医者の前に人として信用できます。前にもいいましたが、私は名医よりも、自分の命を託せる信用できるお医者様に全てをお任せしたいタイプですので。

反対に、隠すのなら、最後まで隠し切って名医を演じてほしいと思います。それができるのなら、経験の有無は関係がありません。

当然、うそをつくと、つききれればいいのですが、途中でばれた場合には最悪の状況に陥り、全てが悪い方向に回るのは世の常です。そこは覚悟しておく必要があるでしょう。

学生時代、内科の教授から、良医になるためには患者を殺さなければならない、と教えられたことがあります。努力して治療しても患者を死亡させてしまうという経験が医師の血となり肉となるという意味でしょう。小生も(良医ではありませんが)多くの患者を死亡させてきました、またこれからも死亡させるかもしれません。患者の犠牲の上に医療が成り立ち、医師が成長する。その意味では医師はもっと謙虚にならなければならないと思います。
その意味では「はーい、生まれました。男の子でーす」という言葉は品性がない以上に被告医師の心の弱さを表していると思います(裁判の陳述で使われるのはどうかと思いますが)。
医療は患者の犠牲なしには成り立ちません。例をあげると日本で発売されている良い薬の多くは欧米で開発された薬の類似の後発品です。薬の開発、治験にアメリカ人のボランティアが犠牲になり、それを日本人が享受している感があります。良い医療のために犠牲になるという発想も、医師を育てるという発想も日本人には受け入れがたいようです。ましてや損得が議論になる訴訟ではもっと受け入れがたいのではないかと思います。

私は「知らぬが仏」の方をとりますね。
安全が保障されるなら練習台にされるのはやぶさかではありませんが、手術前にそれを知るのと知らないのとでは、やはり不安の度合いに差が出るでしょうから。こういう実例が残ってしまった以上、第二第三の青戸があるんじゃないかと不安になるのは仕方ないでしょう。

たしか青戸の医師たちは手術前の承認手続きもはしょってるんですよね? それは、まともな手続きを踏めば承認されないと自覚していたからなのでしょう? もし患者を思いやっての選択ならば、胸を張って筋を通したはずです。この段階で、「患者の安全」が優先順位の最上段から転げ落ちてしまっているのです。
だから私は、少なくともこの事件の医師たちの「向上心」を容認する気にはなりません。学校がセクハラ教師や暴力教師を擁護する時に使う「教育熱心のあまり」と同じに思えます。

新人外科医の教育や新規外科技術の導入に
倫理的問題が伴い、この青戸病院事件にもおおいに伴う点においては
全く同感ですが、これを刑事で今すぐ追及することが
刑法上の取り扱いが明示されていない現状において
罪刑法定主義に反しないかという指摘を小松先生はされております
医者にはどーでもいい話ですが 法学では罪刑法定主義は重要らしいです

新人外科医の教育や新規外科技術の導入に
倫理的問題が伴い、この青戸病院事件にもおおいに伴う点においては
全く同感ですが、これを刑事で今すぐ追及することが
刑法上の取り扱いが明示されていない現状において
罪刑法定主義に反しないかという指摘を小松先生はされております
医者にはどーでもいい話ですが 法学では罪刑法定主義は重要らしいです

>たしか青戸の医師たちは手術前の承認手続きもはしょってるんですよね?

いま、このコメントに気が付いたので書いておきます。
小松先生の著書によれば、そのような制度があること自体、術者も、上司もぜんぜん知らなかったようです。
どうも、大学病院自体は、制度を作っただけで満足してしまい、その広報活動をほとんど全くしていなかったようです。

一般論からですが(苦笑)二点ほど思うところを述べます。

とある手技に関連する処置で、基本的に同じ方法論だがそれ自体は経験がないという事例は多くの医師が経験するところではないでしょうか。
以前にとある患者の腹部腫瘤の摘出手術を見学しましたが、外科婦人科合同のベテラン総動員の手術ではありますが誰一人としてそうした症例を経験したことは無いという事例でした。
外科に限らず内科領域の手技においても同様のことは多々あり、日常的にそうした領域に踏み込まざるを得ない臨床現場としては「経験がないことをやった=悪」という図式にはどうかと思わざるを得ません。無論、昨今では防衛医療が浸透しておりますからそうでなくとも危ない領域には手を出さないが基本姿勢になってきてはいるのですが、結果が悪かったということと方法論、手法の問題は区別すべきかと考えます。

もう一点、自分の知る範囲で手術場の輸血についてはあくまで麻酔科医が主体というイメージがあります(比較的麻酔科医の強い地域ではあるらしいですが)。そうした自験例からして輸血が必要と判断されれば麻酔側が自発的に行なうか、あるいは「先生、そろそろ輸血どうでしょう?」「ああお願いします」といった阿吽の呼吸で行なわれるのが一般的なのかと思っておりました。
そうした点から短時間に多量の動脈性出血を招き止血処置も不完全だったという事例ならともかく、本症例のような長時間において徐々に出血を来たすような事例で出血性ショックによって死に至らしめた責を執刀側にのみ負わせるのは違和感を覚えます。外科系諸先生の全国的な一般常識としてそのあたりはどうなのでしょう?

>No.63じじいさん
のコメントにまったく同意です。

大学付属病院だから専門医が先進的な手術をしてくれると信用していた人に対して、手術するだけの技術のうらづけが無いことを隠してムンテラし手術を行って、しかも死ぬような手術じゃないと説明していたことが、悪質な詐欺行為そのものでしょう。病院は職員が詐欺行為を行わないよう管理する義務があるでしょうから、事後共犯みたいなものでしょう。そのほかの人は患者とともにだまされていたに等しいので刑法上は無罪。病院内部の処分だけでしょう。

量刑は全然わかりません(笑)。裁判官にお任せです。すなわち、有罪か無罪かだけ決めることが出来る点では、裁判員ではなく陪審員に等しい判断をしているわけです。
どの分野でも法律素人はここまでの判断しか出来ないでしょう。
これが私が裁判員を命じられてもその任を果たせない理由です(笑)。

No.70 ぼつでおk¥10万 さん

大学付属病院だから専門医が先進的な手術をしてくれると信用していた人に対して、手術するだけの技術のうらづけが無いことを隠してムンテラし手術を行って、しかも死ぬような手術じゃないと説明していたことが、悪質な詐欺行為そのものでしょう。
詐欺というか、医者は希望的観測で話しすぎな面はありますね。僕が旅行会社社員だった15年前、パンフレット表記が「ソウル2泊3日29800円〜」というのを「ソウル2泊3日29800円〜62800円」のように上限も同じ大きさの数字で併記するような取り決めができました。旅行パンフレットを見ればすぐわかりますが、必ず同じ大きさの数字で書いてあります。医療の合併症は言い出すとキリがないので限度はあるでしょうが、ある程度見習わないといけんでしょう。


●手術当日の経過=検察側主張による
午前9時41分ごろ 手術開始。手技マニュアルを読みながら、手術室に立ち会わせた医療器具会社員に器具の使い方を「こうだよね」と確認しつつ進める

正午ごろ 斑目被告が器具で静脈を傷つけ出血

午後4時すぎ 長谷川被告が止血しようとしたが静脈を針で傷つけ、針が組織内に入ったまま出てこなくなる

午後7時50分ごろ 前田被告が「はーい、生まれました。男の子でーす」といいながら前立腺を取り出す

午後8時50分ごろ 巡回してきた麻酔科医が「こんなオペして。ヘボ医者。できない手術をいつまでもやるんじゃない。さっさと術式変えて終わらせなさい」と怒鳴る

午後9時すぎごろ 開腹手術に切り替える

午後10時35分ごろ 手術終了

午後11時17分ごろ 心停止に近い状態に。低酸素脳症で脳死状態になり、意識が回復しないまま1カ月後に死亡

 私は前立腺全摘は腹腔鏡ではやったことはありませんが、開腹では50例ほど経験があります。
 この手術の一番の山場はサントリーニ静脈叢とかdorsar vein complex (DVC) とか呼ばれる部分、おそらく「静脈を傷つけ」と書かれているのがそれにあたると思いますが、それを切断してから前立腺を取るまでの間です。
 それまでの間にどれだけ出血するかが手術の出血量を左右します。そこを過ぎればもう出血はたいした問題にはならず、あとは多少サントリーニからの出血が続いていても閉腹して尿道カテーテルを牽引しておけば大した後出血はないはずです。所詮は静脈ですから。
 被告の医師もそのことは充分心得ていただろうと思います。私と同じか、私以上の経験は積んでいらっしゃったようですから。
 おそらく前立腺がとれた時点で「もらった」という気持ちだったのでしょう。それが「はーい、生まれました。男の子でーす」という言葉に表れています。私も全く同じ言葉を発したことがあります。人が言っているのも聞いたことがあります。それをまねしたのかもしれません。おそらくよく言われる言葉です。ぎょっとしている医者がかなりいると思います。
 「午後11時17分ごろ 心停止に近い状態に」なっておそらく相当動揺したことと思います。主治医としては曲がりなりにも手術は大きな問題もなく終了できたと考えていたのではないでしょうか。術後の急変ととらえたのではないでしょうか。術後の血液データがないのでわかりませんが。
 この手術のどこで出血したのかがよくわかりません。非常に疑問です。もしラパロで操作している時に出血がコントロールつかなくなってやばいと思ったら即座に開腹するはずです。しかしこの手術では前立腺をとるまでラパロで行っていて山場は越えています。もう危険なことはないので、開腹したのはおそらく本当にもう消耗しきっていたからでしょう。前立腺をとったあとは膀胱と尿道をつなげるのですが、これをラパロでやるのはかなり集中力がいると思います。だから開腹したのは出血をコントロールするためではなかったのだろうと思います。
 小松先生が医療崩壊で書かれているように、開腹して気腹圧が抜けたために出血したのであれば、開腹せずに最後までラパロでやっていればもしかすると亡くならずにすんだのかもしれません。
 いろいろ言いたいことがあってまとまりのない内容ですみません。

>21時20分 血色素量が3.6g/dlまで低下し、最高血圧は70mmHg
>に低下した。これは危機的状況を示す。

 すみません、これを見落としていました。
 手術中からやばくなっていたんですね。
 でも9時過ぎに開腹だとするとやはり開腹後に急激に出血した可能性がありますね。
 この手術(と言っても開腹ですが)の難しいところは今まさに操作しているところの出血もさることながら、操作していないところからもダラダラと出血してそれが無視できない量になってしまうところです。それで気付かないうちにけっこうな出血になってしまいます。なので私は最近はカウントが500超えたら声をかけてもらうようにしています。
 被告に倫理観が欠けていたのかどうか私にはわかりませんが、本人たちにしてみれば全く不測の事態であっただろうと思います。

> No.72 泌尿器科医ですさん
そういえば、この事件について、マスコミでは「はーい、生まれました。男の子でーす」というのが一人歩きして全くこの事件の本質と関係ないところに議論が行ってましたね。
術中に冗談を言うなんてことは私が医療者だからかもしれませんが、あっても問題はないと思います。飛行機のパイロットだって10時間のフライト中ずっと緊張していては脳梗塞か心筋梗塞になってしまうくらいのストレスはかかるでしょう。必要なのは離陸と着陸、危険回避時と言います(それ以前にパイロットはある程度の時間で交代するのですが)。手術だって同じでしょう。
要は絶対に気を抜いてはいけないところがある。患者が生きるか死ぬかの場面で気を抜くことができるはずがありません。だからstableな場面である程度サボる(言い方は悪いですが)・・・・これは(非医療者から見ればとんでもないことでしょうけど)長時間の緻密な作業には必要な行為でもあると私は思います。
それと事件の本質とは全く関係ないのですけどね・・・・。あのときはマスコミにすごい不信感を抱きましたね。

P R

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