エントリ

医師は04年2月15日、同病院の集中治療室で、自発呼吸のない男性患者の人工呼吸器を取り外し、約15分後に死亡させた疑いが持たれていた。
同地検は複数の専門医らに意見を求め、「呼吸器を取り外さなくても余命は10数分程度だった可能性があり、取り外したことが死期を早めたとは断定できない」との結論になったが、「余命わずかと断定できる証拠もない」とし、「嫌疑なし」とはしなかった。
道警は05年5月に医師を書類送検。「消極的安楽死」とも呼ばれる、延命治療の停止行為の刑事責任を問う初のケースで、同地検の処分が注目されていた。

とのことですが、このような問題の是非または当否を検察庁が判断すべきものかどうかについては疑問があります。
 地検としても、「嫌疑なし」としないで「嫌疑不十分」としたことで、判断をぼかした印象があります。

 医療側において、見解をまとめるという動きがあるのでしょうか?

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コメント(21)

>このような問題の是非または当否を検察庁が判断すべきものかどうかについては疑問があります。
 地検としても、「嫌疑なし」としないで「嫌疑不十分」としたことで、判断をぼかした印象があります。


まったく同感です
残念ながら厚生労働省がこの問題でどう動いているかは
私の耳には届いていません
現場にいる身としては,判断は現場に丸投げのままと感じます.

この問題(医学的無益)については週刊医学界新聞における
李 啓充 医師の連載 続 アメリカ医療の光と影 第46〜49回
において論じられており,特に47回では羽幌病院事件にも触れられています
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2004dir/n2605dir/n2605_03.htm

この事件についても私は重く受け止めており,応援活動をしようかと
真剣に悩みました.結局行わなかった理由は他の件を抱えている事,
あまりに遠い事,起訴に至っていなかった事,
この医師が警察署に立件前に自首していた事などです.
取り調べていた警察署・検察の方も有る意味迷惑だったかもしれません.
このブログを御覧の医療関係者に強調しておきたいのは
この事件は医療に対する弾圧ではない,という事です.

このような問題の判断を委ねられた検察庁は、困惑したのではないでしょうか。
法律家の皆様に質問させていただきたいのですが、そもそも法的な判断ができるのでしょうか?

「判例からさぐる医療トラブル」(塚本泰司著、BLUE BACKS 講談社)によると、過去に尊厳死協会理事の方が、尊厳死の意思表示が有効であることを法的に確認してもらう裁判を起こした記述がありました。(以下要約)

【「日本国憲法は十三条で幸福の追求権、また二十五条では生存権が認められており、このなかには、快、不快、無苦痛、苦痛などの精神状態に対する心的作用に対する法的保障も含まれ、すべての国民は、死に方を選ぶ権利があるのだ」と主張し、「死に臨んで苦しまないことと無益な延命措置を拒否する原告の意思表示が有効なることを確認する」ことを国に対し求めたが、憲法で保障されている、すべての国民が裁判を受ける権利は、裁判所法が定める「一切の法律上の争訟」が存在する時であり、延命措置を拒否する意志の確認は「争訟」には当たらないとされ、訴えが却下された。】

とあるように、裁判所も「延命治療の停止行為」に関しては、正面から採り上げなかったようです。

>医療側において、見解をまとめるという動きがあるのでしょうか?
富山県射水市民病院終末期医療委員会の考え方に集約されているのではないでしょうか。

http://mytown.asahi.com/toyama/news.php?k_id=17000220607060001

麻野井先生の「こういう場合は延命治療を中止していいという基準を作るつもりはない」に同感です。

以下感想です。
射水市民病院の元外科部長先生のインタビューをTVで観ましたが、淡々と静かに話すその姿から、患者ご家族と十分時間をかけて話し合ったであろうこと。ご自分の行為が糾弾される可能性があるにもかかわらず、つまり今の地位を失ってしまい自分の家族が路頭に迷う可能性があるにもかかわらず、確固たる信念をもって延命治療の停止行為をおこなったであろうこと。そして医師としての苦悩もあったであろうこと。等がみてとられ、深い感銘を受けました。

或る内科医さん:
> 法律家の皆様に質問させていただきたいのですが、そもそも法的な判断ができるのでしょうか?

形式的なコメントで恐縮ですが、法的な判断は可能です。

ブルーバックスの「判例からさぐる医療トラブル」から要約された件は、(その本も挙げられた裁判例も読まないままで誤解があったらすみません)
「延命治療の停止行為」だから裁判所が判断を避けたのではないと思います。

そこで言われている「法律上の争訟」というのは、具体的な利害関係なしに、「昨日俺が食べたのはカレーじゃなくてカツカレーだったはずなんだ。証拠はあるから、カツカレーだったと、裁判所で公的に認めてくれ」という請求はできませんよ、ということです。

これが、たとえば、その昨日のトンカツの中にガラス片が入っていて、口の中をざっくり切ったので店を訴えたい、という「利害関係」がある場合には、その事件の中で、客側の請求を正当ならしめるためのファクターの一つとして、「その客がその店でカツカレーを食べたこと」について、裁判所が証拠に基づいて認定することになります。
そういう形でならば、「裁判を受ける権利」が及びます、ということかと思います。

尊厳死協会理事の方は、そういう「利害関係」なしに、ただ単に「延命措置の意思表示」の有効性だけを判断せよ、と裁判所に求めたから、請求が却下されたのだ、という話ではないかと思います。

医療界の発想とパラレルかは存じませんが、いわゆる安楽死については、「6要件」なんてものが判例上言われていたりします。
難しい問題であり、裁判所の判断や刑法学者の見解におかしな点があればどんどん批判されるべきですが、「延命治療の停止行為」について、どの程度の事情があれば、「処罰に値しない」として、殺人罪の違法性が阻却されることになるのかという問題は、避けては通れない「法的な判断」であろうと思います。

(そして、今回の検察の「嫌疑不十分」とは、まさに法的な判断の結果です)

>fuka_fuka さま。

ご応答いただき、ありがとうございました。
「法律上の争訟」について、カレーを例に解かりやすいご解説ありがとうございました。無性にカレーが食べたくなりました(^▽^)。

さて、以下疑問に感じることがありました。恐縮ですがご教示頂ければ幸いです。

【機
尊厳死協会理事の方は、日本国憲法での幸福の追求権および生存権について、裁判所にそれらの法的解釈・判断を求めたと思うのですが、「延命治療の停止行為」に関しては「利害関係」がないので、「法律上の争訟」にはあたらないとの理由で訴えを却下したということは、つまり憲法上の解釈・判断は困難であるということでしょうか?すなわち、

(問1)
〕害関係がないから争訟にはあたらない→却下。
憲法上の解釈・判断は困難である。つまり法的な判断は困難である。→利害関係がないから争訟にはあたらないという理由をつけて却下。(このことは私が「そもそも法的に判断できるのか?」と思ったひとつの根拠です。)
のいずれが考えられますでしょうか?

【供
>いわゆる安楽死については、「6要件」なんてものが判例上言われていたりします。

「安楽死」という言葉がでてきましたので述べさせていただきますと、「安楽死」は次の4つに分類されております。

1.純正安楽死
2.間接的安楽死
3.消極的安楽死
4.積極的安楽死

このうち法的判断が問題となるのは、3と4の場合と思われます。3の消極的安楽死が「延命治療の停止行為」といえると存じます。いわば不作為行為です。積極的安楽死とは薬物注入などによる「安楽死」と存じます。(なお、オランダでは積極的安楽死が立法化されていると聞いております)。そうしますと、

(問2)
fuka_fukaさまの仰る「判例上いわれている安楽死についての「6要件」の安楽死とは、上記4つのいずれでありましょうか?

【掘
安楽死については、「東海大学安楽死事件」が世に知られています。ご周知のように、担当医師が家族の求めに応じ塩化カリウムを急速に注射し、高カリウム血症により心拍動が停止しその結果死亡した(積極的安楽死)事案です。この事実について、裁判所は殺人罪の成立を認めました。

(問3)
法律的に考えると、家族は「殺人教唆」に問われないのでしょうか?

【検
東海大学安楽死事件」について裁判所は以下の判示もしております。「医の倫理(ミニ辞典)」(日本医師会雑誌、第134巻、第12号付録)から抜粋しますと、

『意味のない延命治療の中止は許されるとし、その要件として、次の3つをあげている。
1.患者が治癒不可能な病気に冒され、回復の見込みがなく死が避けられない末期状態にあること。
2.中止を求める患者の意思表示が中止を行う時点で存在すること。
3.中止の対象となる措置は、薬物投与、化学療法、人工透析、人工呼吸器、輸血、栄養・水分補給などすべてが含まれる。』

とのことです。このうち2において、患者の事前の意思表示(リビング・ウィル)があればよいのですが、末期状態にある患者が意思表示をするのは困難と思われます。そこで裁判所は、患者の意思の推定(推定的意思)でもよいとしています。家族の意思表示から患者の意思を推定することが許されるということです。そうしますと、

(問4)
裁判所が「推定的意思」と認定する根拠は、如何なるものがあげられるでしょうか?

質問ばかりで、まことにもってすみません。

 新聞記事だけでは断定できませんが、「呼吸器を取り外さなくても余命は10数分程度だった可能性があり」ということは、既に脳死状態で心肺機能も相当程度回復困難な医的損傷(肉体的機能的なダメージ)を受けていた、のではないでしょうか?
 そうだとすれば、尊厳死として、医師及び家族(遺族)は、刑事責任を問われるべきではないと思います。不起訴にした検察の判断は正しいと思います。なお、警察は、担当医師が自首したため、嫌疑の有無を問わず事件化して検察庁に送致する義務が生じたので(警察に嫌疑の有無の最終判断権限はありません)、やむなく形式的に送致したんじゃないかと思います。
 あくまで新聞記事に基づく推測に過ぎませんが。

>ハスカップさま
>脳死状態で・・・
との文言に関して、付言させていただきます。
実は「脳死」と「(遷延性)植物状態」は、医学的には異なった意味で使われております。

http://www.medi-net.or.jp/tcnet/tc_3/3_1.html#TC_41_05
救急医学からみた脳死の記述を抜粋しますと、
脳死とは『日本では、脳死を「脳幹を含む全脳髄の不可逆的な機能消失」とする。つまり全脳死の考えをとっている。』『全脳死、脳幹死、いずれの場合も、人工呼吸器がなければ呼吸による血液の酸素化ができないので、心臓は動き続けることはできない。呼吸ができないと心臓は数分で停止する。全脳死、脳幹死とも、人工呼吸器がなければ、心臓を動かして体の循環を維持することはできないのである。』

他方(遷延性)植物状態とは『植物状態とは、大脳が機能廃絶、あるいは機能廃絶に近い状態になっているが、自発呼吸をつかさどる呼吸中枢のある脳幹部は完全に生きている状態である。したがって、植物状態と全脳死、あるいは脳幹死とは完全に一線が画される。』

でありますから、「延命治療の停止行為」の対象となる患者さんとは、「脳死状態」である場合と「(遷延性)植物状態」である場合があることを、ご理解いただければ幸いです。

なお、このエントリーの事案では「(遷延性)植物状態」の患者さんに対する、「延命治療の停止行為」が問題になっているのではないかと思います。

不起訴処分になって、良かったのでしょうか。当事者の医師には、気の毒なことですが、キチンと裁判の場で、判決を迎えて欲しかったと思います。この場合は、無罪か殺人罪か、ですが。

今、医療の現場に司法がかかわることが増えてきて、医療事故(過誤もふくむ広い概念としてにたいして当事者が書類送検されることが増えてきています。新聞報道では、「書類送検された」としかわからず、その後どうなったかについては言及がありません。かなり部分がうやむやのままです。検察も、不起訴にすることなく、裁判と言う公的な場で論争して欲しいです。

何がどうだと有罪なのか、キチンとした基準を示して欲しかったとおもいます。今回の羽幌のケースは、よい機会だったはずです。

或る内科医さま:

> 「延命治療の停止行為」に関しては「利害関係」がないので、「法律上の争訟」にはあたらないとの理由で訴えを却下したということは、つまり憲法上の解釈・判断は困難であるということでしょうか?

「法律上の争訟」にあたらない場合には、法律上であれ憲法上であれ、解釈が可能であっても、「裁判所が判断を下してはならない」という命題がある、ということだと理解しています。

(問1)は、
> 〕害関係がないから争訟にはあたらない→却下。
であろうと思います。

「延命治療を拒否する意思表示」の有効性は、憲法上位置づければ、おおむね原告の主張どおりの理解でいいのではないかと思います。
ただし、裁判所が、「憲法上の判断」を行うのは、「憲法上の判断が必要な争訟」の場面に限られる、ということなのだと思います。
憲法上の判断が必要な場合とは、その原告に対して、国家機関が、「延命治療を拒否する意思表示」の有効性を主張することを権力的に不可能ならしめているような場合、でしょうか?
ともかく、憲法上の判断が必要になる場面というものをおよそ想定しがたい主張ではないかと感じます。

「憲法上の権利の主張」についての原告の理解・思想が、裁判官(法律家)のそれと食い違っていた、ということではないかと思います。


> (問2)
> fuka_fukaさまの仰る「判例上いわれている安楽死についての「6要件」の安楽死とは、上記4つのいずれでありましょうか?

純粋安楽死と間接的安楽死の定義は、ググって初めて知りました(^^;
そもそも「安楽死」の語感にそぐわない気がするのですが、医療界ではごく一般的な分類なのでしょうか?

6要件(昭和37年名古屋高裁判決)は、いわゆる安楽死すべてに共通して適用可能な基準だと理解しています(いました)が、そこでいう「安楽死」とは、「人為的に人の死をもたらす(死期を早める)行為」であることが前提だろうと思います。
「純粋」と「間接的」の場合、死との因果関係がない類型でしょうから、刑法上は殺人とされることはないと思います。(が、間接的安楽死と積極的安楽死との境界は微妙ではないかと思います)
一方、消極的安楽死(生命維持の措置を施さない)は、法的には「乳児にミルクを与えないで放置し、餓死させる」のと同様に、殺人行為と評価されるものだと思います。いわゆる「不真正不作為犯」。


> (問3)
> 法律的に考えると、家族は「殺人教唆」に問われないのでしょうか?

理論上は、殺人教唆になりうると思います。
本件で家族が立件されなかった事情は存じませんが、一般に「教唆」の多くは、警察レベル(捜査すらしないか不送致)か検察レベル(不起訴)で落とされているのだろうと思います。


> (問4)
> 裁判所が「推定的意思」と認定する根拠は、如何なるものがあげられるでしょうか?

思いつきでいくつか挙げてみますが、いずれも「根拠のひとつ」程度で、単独で決定的との評価に耐えるものはないと思います。
・患者が、従前から「無意味な延命はしてもらいたくない」という意向を家族や友人に伝えていた
・患者が、入院以来、家族に経済的・精神的負担を掛けていることを詫びたり、気に病んだりしていた
・患者が、自身が早く死ぬことによって利益(相続や生命保険金)を受ける人がいることを認識し、その利益を叶えてやりたいと願っていた

あくまで、患者本人の以前の言動が根拠となるだろうと思います。
延命治療の中止に関する意向について、本人の言動から何も推定する根拠が得られないような場合には、推定的意思を認めることは困難だろうと思います。
「本人は以前こういうことを言っていた」という家族の証言は、根拠にできると思いますが、家族自身の考えや希望は、(少なくとも主要な要素として)考慮されるべきでないと思います。

>或る内科医 さま

  たいへん勉強になりました。専門的な解説をありがとうございました。o(_ _*)o
  とすれば拙見は、脳幹死と全脳死の場合しあ想定していませんでした。たいへん失礼しました。「(遷延性)植物状態」ですと、今の段階ではよくわかりません。ただ生前の患者さんのご意思と家族の心情を尊重してもいいのではないかとの雑感をだいています。

>某救急医さま

 判例(判決)で明確にした方がよいとのご趣旨もよく理解できます。医療現場にいる医療従事者の方にとっては、判例による明確な基準がないと安心して医療措置を講じられないとの思いがあるのは普通だと思います。
 ただ、検察庁の立場としては、おそらく、無罪(犯罪不成立or証拠不十分)となるのが明らかな事実関係と証拠関係のもとでは、不起訴制度がある以上、医師を起訴して無罪(検察の意見でも証拠不十分or実質犯罪不成立)とするのは人権侵害となるので、ご希望に添え難いのではないかと思います。全件起訴主義をとるドイツでも、その弊害を除去するため、宣告猶予という制度で、判決(有罪無罪や何罪に該当するかの判断)までいかずに、手続きの途中で、証拠不十分などの被告人を刑事手続の拘束や苦痛から放免していると聞いています。

某救急医さま:

> 不起訴処分になって、良かったのでしょうか。当事者の医師には、気の毒なことですが、キチンと裁判の場で、判決を迎えて欲しかったと思います。

私は、訴訟手続の現実を多少垣間見ている者のひとりとして、まさに「当事者の医師が気の毒」であるから、検察が嫌疑不十分と判断した以上、「不起訴処分になって本当に良かった」のだろうと思います。

結果的に無罪となったとしても、被告人として法廷に立たされることは、それ自体の物理的・時間的な負担、精神上の負担もさることながら、社会的なダメージが本当に大きいです。

「検察は“勝てる”事件しか起訴しないこと」は、批判的な文脈で言及されることも多いですが、その運用によって「救われている」被疑者も多数いることは、無視すべきでないと思います。

(あくまでバランス論としてです。為念)

ハスカップ様、fuka_fua様、

はやり、法廷の場で具体的な基準を示してもらうことは、難しそうですね。おっしゃるように、被告人として法廷にでることは、ダメージが大きすぎますね。

8月に入ってから、富山県射水市の人工呼吸器外しの先生が、報道各社の取材に対して実名・顔写真入りで応じていました。その勇気に感服しています。この先生にも、殺人罪容疑で捜査が進められているようですが、今後の展開を見守りたいです。

全ての人は必ず死亡しますから、このブログをごらんのかたがたは、自分の最期はどうしたいかと言う事を、一度考えてみてください。自分で考えるだけでは不十分で、家族とともに悩んで自分なりの答えを見つけておいてください。そして、結果を家族に伝えておいてくださいね。

>ハスカップさま
「脳死」と「(遷延性)植物状態」との違いについて、ひとりでも多くの方に知ってもらえて嬉しいです。またドイツでの「全件起訴主義」のご解説、勉強になりました。

さて、「脳死を人の死とする」という考え方は、「臓器移植関連法」を成立させるために、司法の判断ではなく、立法の場において法案が提出された結果生まれたと考えています。
臓器移植法案・これまでの経緯」↓
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/tc_5/5_1.html
「臓器移植関連法」↓
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/DATA/law.html

臓器移植関連法を全部読むと、ちょっと頭が痛くなりそうですが、ここには「(遷延性)植物状態」という文言が一行も記載されておりません。この時「(遷延性)植物状態」に対しても議論が行われていれば、射水市民病院や道立羽幌の問題、すなわちfuka_fuka さまの仰る「不真正不作為犯」の問題は、生じなかったのになあと思うのです。

「延命治療の停止行為」に関して、すなわち人は終焉をどのように迎えるべきかということは、尊厳死の問題も絡んできて、司法が判断すべき事案には、なじまないのかなあと思います。「脳死を人の死とする」という議論は、「臓器移植」という大目標があればこそ生まれましたが、「(遷延性)植物状態」に関しては、そのような目標がないので、いうなればタブー視され立法の場においても議論がなされず、結果的に司法に委ねられ、司法は現行の法律の範囲で判断せねばならず、困惑しているのではないかと思う次第です。

某救急医さまは、そのハンドルネームからも、救急医療にたずさわれ、「(遷延性)植物状態」になってしまう症例を多数ご経験されていると思いますので、
>自分の最期はどうしたいかと言う事を、一度考えてみてください。
というご意見は、重みがあると思います。

このご意見に関連して述べますと、蘇生拒否という方法があります。
蘇生拒否(DNR:do not resuscitate order)という方法は、死が確実な患者が、いずれ心肺停止状態に至ったとき、人工呼吸器装着に代表される蘇生を行わないことを、事前に決定しておくことでありますが、自分自身が尊厳死を希望するならば、最も良い方法であると思います。しかし、わが国においては、患者ご本人が事前に蘇生拒否の意思表示を行うという慣習があまりなく、担当医と患者ご家族が事前に話し合い、蘇生拒否を決定しているのが現状と思われます。

>fuka_fuka さま
お忙しい中、私の(問い)にきちんとご解説いただき有難うございました。勉強になりました。
(問1)尊厳死協会理事の方の訴えが、なぜ却下されたのかということがわかりました。
(問2)昭和37年名古屋高裁判決の6要件とは、例えば、高濃度の塩化カリウム液を急速に静脈内に投与すうるような、積極的安楽死の場合と理解いたしました。
(問3)法的な殺人教唆のご解説ありがとうございました。
(問4)「推定的意思」については、法的にどう判断するのか、もっともわかりにくかったのですが、現行の法律の範囲では、やはり「消極的安楽死」に関しては「患者」という主語がないと、法的には認め難いということですね。

「自分の最期はどうあるべきか」なんて、そう簡単に答えは出ません。答えを見つけたつもりであっても、実際にその場に遭遇すると、簡単に変わってしまうものです。それでいいんですよ。皆さんそうです。

答えは出なくてよいですから、いちど家族で話してみてください。「死」はだれもが必ず経験することですから... 

自分は、「オレは延命不要。ダメだと思ったら、ばちっと人工呼吸をやめてくれ。あ、臓器提供はしないから。俺の体はオレのものなので、悪いがあの世までもっていくからな。勝手なことするなよ」と、言ってあります。

>fuka_fukaさま

前のコメントで私が、「きちんとご解説いただき有難うございました。」と結んでおきながら、すみませんが今一度ご教示ください。(もしこのコメントにお気づきなら)

(問3)の『法律的に考えると、家族は「殺人教唆」に問われないのでしょうか?』
についての、ご解説は、
>理論上は、殺人教唆になりうると思います。
とのことですが、
家族が「苦しんでいるのを見るに忍びないので、なんとか楽にしてやって下さい。」と担当医に依頼し、担当医が塩化カリウム液を注射する積極的安楽死の場合。
(1)担当医は「殺人罪」との判決を受けたわけですが、「嘱託殺人」とはいえないのでしょうか?
(2)実際の裁判で、担当医を弁護する弁護人は「家族の殺人教唆により、カリウム液を注射した。」あるいは「家族に依頼されたので、嘱託殺人である。」と弁護することはあり得るのでしょうか?
(3)担当医が家族に注射器を手渡し、家族自身が塩化カリウム液を注射した場合、担当医と家族はどのような罪に問われるのでしょうか?


こんなこともあるのですね。

読売新聞の医療記事で見つけたのですが、

> 「外すなら、ご家族で」
(略)
> それでも懇願し続けると、耳を疑うようなことを医師は口にした。
>
>  「お父様に着けた呼吸器は外せません。どうしても、とおっしゃるのなら、ご家族で
> 外したらいかがでしょう」
>
>  怒りをのみ込み、男性は一歩、ベッドに近づいた。医師に教えられるまま、呼吸器の
> スイッチを切った。間もなく、ベッド脇のモニター画面で、心拍を示すグラフの波形が
> 消え、平らになった。
(略)

新聞報道からは確かなことはわかりませんし、法律にも疎いのですが、法に引っかかりそうな事ですね。担当医、スイッチを切った家族、脇にいた看護師...

同じような場面で、私にも「もういい加減にしてくれ(はやく逝かせてやれ)」と執拗な家族からの呼吸器外し要求を受けたことを思い出します。家族からの攻撃的な言葉の連続に、「勝手にしろ!」とのど元まで出かかったものです。担当医も家族も、それぞれつらい思いをしたんだろうと推測します。

>「もういい加減にしてくれ(はやく逝かせてやれ)」と執拗な家族からの呼吸器外し要求を受けたことを思い出します。

この仕事をやっていると、多かれ少なかれ、こんな経験しますよねぇ。
ご家族さんはもちろん、医者も看護師も、その患者さんにかかわっていた病院職員はつらいです。

私は、人間の終焉は厳粛であるべきだと思っておりますので、前のコメントで述べましたように、事前に決定しておく「蘇生拒否(DNR:do not resuscitate order)」という方法を、患者ご本人なりご家族に時間をかけて説明しております。(心肺停止状態で救急で搬送されてきた場合は別です。)いったん生命維持装置を装着すると、中止できませんので。
若い頃は、蘇生をがむしゃらにやっていましたが、意識もなく身体中チューブだらけになり、ご家族が来られても会話もできない。自分は正しいことをやっているのか、と自問しました。数え切れないほどの虚しさを感じ、医療の限界を痛感するにつれて、考え方も変ってきました。

それで報道で「殺人罪」という言葉がでてくると、敏感に反応してしまいます。2006年08月07日 23:59の法律的解釈の疑問も、誰に責任があるのか云々ではなく、ふと、そういうことを考えてしまうのです。

或る内科医さま:

すみません、こちらで別のご質問をいただいていたのですね。見落としておりました。
(エントリ名を挙げていただいてありがとうございました^^;)

>家族が「苦しんでいるのを見るに忍びないので、なんとか楽にしてやって下さい。」と担当医に依頼し、担当医が塩化カリウム液を注射する積極的安楽死の場合。
>(1)担当医は「殺人罪」との判決を受けたわけですが、「嘱託殺人」とはいえないのでしょうか?

この「嘱託」は、殺される本人の意思を意味すると解釈されています。同じ条文の中の「同意」も同じです。
本人が希望した事実がない限り、理論上も現実にも嘱託殺人(または同意殺人)が適用される可能性はなく、単なる殺人とされるほかないと思います。

>(2)実際の裁判で、担当医を弁護する弁護人は「家族の殺人教唆により、カリウム液を注射した。」あるいは「家族に依頼されたので、嘱託殺人である。」と弁護することはあり得るのでしょうか?

上記の解釈は、刑法の解釈論上は常識に属することなので、まずあり得ないと思います。

>(3)担当医が家族に注射器を手渡し、家族自身が塩化カリウム液を注射した場合、担当医と家族はどのような罪に問われるのでしょうか?

複数の関係者が、刑法上の犯罪となりうる行為に関与する場合、その法律構成は事実関係(立場の違い、それまでのやりとりや経緯、意欲の程度等々々・・・)によって大きく違いが出てきますので、限られた条件の中では決められず、場合分けして考えるしかありません。

この事例が、たとえば家族のほうから「早く楽にしてあげたい。自分の手で」と懇願して、医師がその意向を受けて自発的に注射器を手渡した、というような場合であれば、担当医と家族の両方が、殺人の「共謀共同正犯」に問われることになると思います。

その他、医者が脅されて渋々渡したような場合には殺人幇助、脅され方が尋常でなければ無罪、逆に家族の方が事情を全く知らないような場合、医者が家族の手を道具として使った殺人の単独正犯(間接正犯)で家族は無罪、など理屈上はいろいろな可能性が考えられます。

某救急医さまが引用された

>  「お父様に着けた呼吸器は外せません。どうしても、とおっしゃるのなら、ご家族で
> 外したらいかがでしょう」

このケースだと、状況次第で、医師側にも犯罪が成立するとされてしまう可能性が十分考えられます。
それまでのやりとりの流れなどを無視してこの発言だけ切り取られて評価されてしまった場合、殺人の教唆(殺せ、とそそのかした)や幇助(医者が「好きにしろ」と言ったことで、呼吸器を外すという殺害行為が心理的に容易になった)が成立しうると思います。

たとえば、遺族が「安楽死派」と「とにかく延命希望派」に分かれていたりして、↑のような発言の言葉尻をとらえられ、「延命希望派」側から「あの医者が『自分の手で呼吸器を外しなさい』と言ったからだ!」と告訴に及んだりしたら、医師側にとってはかなり危険な状況になりうると思います。

医療の現場に携わっていない素人でも、そういう発言をしたくなるような状況というのは容易に想定できます。
が、事後的にバイアスのかかった捜査(というか、捜査というものは基本的に物凄いバイアスをかけて行われるものですが)を受けてしまった場合、「それは真意ではない」という弁解が通らない可能性がありうると思います。

fuka_fukaさま、

私のつたない疑問にコメントくださりありがとうございました。はやり、問題の残りそうな、判断の難しいことであることがわかりました。

法律や裁判に疎い私としては、これからも今まで通り、患者家族からの「いつまでこんなことを続けるんだ。元に戻らないんだったらいい加減にやめてくれ」などという罵詈雑言を浴びせられても、「だめです。人工呼吸器は絶対にはずしません。心停止までお待ちください」とひたすら言い続けることにします。

人工呼吸を続けても、はずしても、それぞれ問題であることはわかります。でも、両者を比べると、はずさないことで生じる問題のほうが、対処が容易ですね。心停止までのせいぜい数日間の辛抱です。

人工呼吸器ではないですが、こんな方もいらっしゃいます。
こうしたいと思う人はいるかもしれませんが、実際にやった吉村先生はすごいと思います。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060825-00000301-yom-soci

>fuka_fukaさま

気付いて頂いて、また私のひねくれた疑問にも、きちんとお答え頂いて有難うございました。

実際には、『とにかく延命希望派』というご家族もいらっしゃいます。これからも、ご家族と十分話し合っていきたいと思います。

じじい様、

> 実際にやった吉村先生はすごいと思います。

すごいというか、この吉村先生のかかっていた病院の主治医や看護スタッフは、どう感じておられるのでしょうね。自分が吉村先生の主治医だったら、ひどくがっかりすると思います。この「がっかり感」をうまく説明できないのですが、これまでの治療を全て否定された気分とでも言いましょうか。それなりに患者さんと話し合って(患者さんの希望を活かすような)治療を選択してきたはずなのに、最後の最後で「全て無駄でした」と宣言されたとでも言いましょうか...

主治医、看護スタッフの中にはショックを受けている方もいるかも知れないと思い、すこし気の毒になりました。

P R

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