エントリ

管理人から皆様へ(追記8/17)

 多くのコメントをいただきありがとうございます。
 ページが重くなってまいりましたので、継続のために別エントリを立てました。
 以後のコメントは、

 医療崩壊に対する制度論的対策について(その2)

 へお願いします。

(追記終わり)


 すでに、別エントリに対するコメントにおいてもいくつかの有益な意見が述べられているところですが、あらためてこのエントリにおいて意見を集約してみたいと思います。

 ですから重複してもけっこうですので、医療側・患者側双方の反省すべき点を踏まえて、前向きなご意見をお聞かせ願えれば幸いです。

 また、警察・検察・裁判所に対する意見や批判もお待ちしています。

 このブログは少なくとも何人かの検事は見ています。ひょっとすると何十人かの検事が見ているかもしれません。
 検事が読むことを想定して遠慮なく批判していただきたいと思います。

 別に「制度論」という言葉にこだわる必要はありませんが、くれぐれも「前向き」という姿勢でお願いします m(_ _)m

関連ブログエントリ(下記はエントリタイトルです)
念のためはどこまで必要か
医師のプロフェッショナリズムについて考える
勤務医の新団体の作り方は?
医療事故への対応/まず一歩
医療崩壊p.163 Day73
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病院経営への株式会社参入について
ひどい内容のブログ
都会での小児医療の崩壊
モラルのない患者が増えている
崩壊への道
周産期医療の崩壊
崩壊の序曲か
医療現場からのSOS
医療過誤事件
100%の医療
どうするの医療崩壊、どうするの少子化
過疎地公立病院の民営化

参考図書

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か
小松 秀樹

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リピーター医師 なぜミスを繰り返すのか?リピーター医師 なぜミスを繰り返すのか?
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関連法規解説
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2006年8月14日 晴れ 暑いです。 元検弁護士のつぶやき:医療崩壊に対する制 続きを読む

最近、弁護士のブログを覗くようになった。医療訴訟に関して何らかのコメントをしている弁護士ブログを探していて、その内容にすこしずつ興味ができてたからだ。いろ... 続きを読む

2006年8月15日 晴れ 昨日に引き続き、このタイトルでの記事です。 元検弁護 続きを読む

Mind the gap!  医療・福祉現場からのSOS - 医療現場のカナリア (2006年8月18日 18:55)

 社会の矛盾や混乱は弱者にまず影響し、弱者は駆け込み寺である医療に集まる。そういった意味で病院はあらゆる社会矛盾ののバッファー、安全装置といえる。 医療は... 続きを読む

コメント(225)

現在の日本の医療制度が崩壊しつつあることは事実だ。一方でまず議論の出発点として医療制度は維持するに値するか?という点は検討の必要があるのではないだろうか?
最前線の医療を担う勤務医達の間でこの点に大いに疑問を感じる者が増え始めていることも医療崩壊の大きな要因となっているように感じる。最も直接的な関係者である現場の協力なくしていかなる制度も長期的な安定を保ち得ないのは自明だろう。

あるいはこの問題はこう言い換えても良いかもしれない。
「医者にとって現在の医療制度を維持するメリットは何なのか?」

では、始めなので素人からの質問です。
所詮私はお医者さんの立場には立てないので、患者の立場で言いますが、
医療崩壊をくい止めるのに、患者が出来る事ってなんでしょう?
お医者さんの立場の意見をいろいろ拝見しましたが、
正直、患者にはどうしようもない事が多いように感じました。
精々文句を言わないって程度ですが、それもそれこそ命が懸かっている場合
そうも言ってられない事もあります。
上にも書きましたが、私はお医者さんの立場には立てません。
ですが、お医者さま方は患者やその家族の立場に立てるはずです。
その目線で、なにか出来る事があれば教えて下さい。

四不像さん。
患者さんにできることは、民事訴訟を起こさないこと、
これから降りかかってくる崩壊をじっくり受け止めること、でしょうね。
残念ながら産科の医療崩壊はもう誰にも止められません。いくところまでいくでしょう。
黙って、妊産婦死亡率が高くなるのを見ているしかありません。
(子供を生むという行為が、命にかかわることを自覚すべき。ほかの動物植物では、生命が誕生するときには親は死ぬ危険が高いということをお忘れなく)
そうそう、内科とかはまだ大丈夫かもしれないからいっておくと、
時間外受診はできるだけしない、ということかな。
医者も過労だと、当然ミスが増えますから、実働部隊の医者が増えないいま、休日夜間の医者の負担を減らしてあげることがいいんじゃないかな。特に、無料だからといって、小児科領域で夜間外来がコンビニ化しているところがあるが、あれは間違ってるね。

医療側の反省する点。
自分の過労も省みずに性善説にのっとって患者さんを診つづけたこと。
法律に疎いこと。
患者さんを信用しすぎたこと。(いまは、反省して、あまりし尿し過ぎないようにしています。カルテも、訴訟対策で書いているだけ)
患者側の反省する点。
別にないが、安価な値段で要求することが多い。担当医指名するなら、将来的には自費診療になるでしょう。
アメリカ並みとはいかないまでも、シンガポールみたいに、研修医が勤務する国立病院と、私立病院で診療報酬の格差がついてるけど、ああいう感じがいいかな。
法曹界の反省する点。
社会的影響をまったく考えない、判決が多いこと。
産科崩壊は、裁判が一番影響が大きいとのことなので。
自分たちが悪影響させていることを自覚できないくらい世間に疎い。
(でも、これはしょうがないと思うけどね)

患者、あるいは国民にできること。何よりもまず「医療というものにもっとコストをかける」ってことでしょうな。もちろん医者の給料増やせとかそんなレベルの話じゃなく。
平和国家日本は何より国民の命が第一という姿勢を示すメッセージ性もあるでしょう。せめて他の先進諸国並みくらいには金かけててもバチは当たらないんじゃないですかね。
あとはまあ、少なくともこと医療に関する限りマスコミの言うことは全くあてにならないってことをよくよく肝に銘じておくこと、ですかね(笑)

 >四不像さん
 産科の問題に限らすですが、まず命は有限だということ、病気は理不尽なものだということ、専門家ができることなど実は蟷螂の鎌に等しいということ、この認識を患者も医師も持つことが必要だと思います。どんな患者でも直せる医師などいませんし、そういうことを過剰に感じさせる医師もよくないと思います。理不尽なことに対して所詮できる範囲のことをするしかない、それが医療の実態です。その部分にどれだけの手間をかければ死というものに対して納得できるのか、医療は結果よりもむしろ過程に意味があるものだと思います。父権主義的な医師に対して批判が集まりますが、それでも患者さんが満足して死に望めればそれはそれでありだと思いますし、そのような過程には満足できないという方も当然いると思います。文句を言いたい方は文句はむしろ言っていただいたほうがよいと思います。そのほうが死という結果を不本意に迎えられるよりは、よほど双方にとって建設的です。
 病気に対してより良い結果を追求する、当然のことなのですが、実は結果は常に死しかないのです。ですから、医療において結果を過剰に期待すると、医師側の負担もましますし、患者側の不満もまします。病気は誰のせいでもありません。しかし、病気は患者さんの持ち物であり、患者さん以外の誰もかわって背負えるものではありません。医師も患者もこの点をしっかりと踏まえたうえで、治療を行う必要があります。
 医師が法曹に対して批判的なのはこの観点を持っているのかどうか疑わしいと考えているからです。民法の趣旨から、責任分担において患者側(弱者とみなされやすい)に偏りやすいのもわかりますが、そもそも責任のあり方の捉え方が間違っていると思います。病気の責任はまず誰にあるわけでもありません。病気を治す責任というものが存在すると考えることがそもそも間違っています。医師は病気を治そうとはしますが、病気を治す責任は負えません。それは確実に失敗する行為だからです。病気は治ることが前提ではありません。病気は一定の確率でしか治らないことが前提なのです。その点が本当に認識されているのか、そこを踏み外した判決があまりに多いとおもいます。

医療従事者です。

建設的な意見を集めようとするこのブログの管理人(?)のかたの気持ち、非常にうれしく思います。

まず、路傍の小石さんの疑問点に対する私ながらの意見を言わせてもらいます。

医療従事者(医者も含みます)にとっては、現在の制度を維持するメリットはあまりないと思います。私は患者の立場でもあるのですが、患者の立場としては、国民皆保険制度はいいと思いますので、このまま存続してほしいと思います。

四不像さんの意見への回答です。

患者の立場としてできること。それは医師や医療従事者に理不尽な要求をしないことでしょう。多分、このような質問をされる四不像さんはそのようなことをされない方だと思いますが、患者さんの中にはクレーマーのような方がいます。たとえば、夜1時ごろにやってきて、おとといからの風邪(鼻水程度)を明日から仕事だから、明日までに治あしてほしいの要求する患者。アルコール中毒で暴れて縫合ができなかったのに、翌日怒鳴り込んでくる患者。挙げればきりがありません。専門医がいない夜間や休日に応急処置だけを行なったときにも、「なぜ専門医が来ないんだ!」と立腹されるかたも多いです(決して急ぐ治療ではない時に、です。もちろん急ぐときは他の病院に紹介します)。

このような方の存在、そしてそういう人が増えている今の医療現場が、医療崩壊を進める原因の1つとなっていると思います。また、延命治療などに対して治療方針を決定するときには家族の誰かが中心となり家族間の意見を統一する持つことなども、医療関係者の精神的負担を減らすことができます。

あと、諸外国の医療をもっと知ること。医者たちは留学経験者が多いため、諸外国の医療(特に先進国の現状)を良く知っています。そして、ほとんどの医師が「治療を受けるなら日本」といいます。治療のレベルと払うお金を考えると、コストパフォーマンスが非常に高いからです。この事実を知ってから病院を受診してほしい、と思っています。

医療関係者側も患者側も相手の立場に立って考えれて、いやだろうなと思うことはしないのが基本だと思います。あくまで理想ですが・・。

れい様

>患者さんにできることは、民事訴訟を起こさないこと

このような感覚が医療側の方とそれ以外の方の間に大きな隔たりを作っているような気がします。

現在起こっている訴訟の中には、かなりの割合で医師の過失とはいえないものがあるということは、多くの医療側の方々の発言から理解しています。裁判所の認定も必ずしも医学的には妥当ではないものも含まれているのでしょう。これは重大な問題だと思いますし、もっと専門家の見解を尊重するように変わっていく必要があることも分かります。

しかし、訴えるなと言い切ってしまうということは、たとえ医師に過失があっても医療制度のために泣き寝入りしろといっているのに等しいのではないでしょうか?死のうが障害が残ろうが医療制度を守るためにおとなしくしていろと仰っているように感じます。このような主張に賛同が得られるとは思えません。

医療行為には不可避的に危険が伴い、どれだけ注意しても避けられない危険があることは多くの人は分かっていると思われます。それでもなお訴訟を起こすという心情になってしまうのは、一般論としては分かっていても現実に具体的に自らに降りかかったときに納得できないからなのだと思います。

それでも全ての場合に訴訟が提起されているわけではありません。訴訟になったケースと、ならなかったケースとでどのような差があるのか考えてみるべきではないでしょうか?

医学を学んでいない者に専門的なことまでは理解できないでしょう。しかし、リスクがあることは伝えられれば分かります。リスクまで伝えて患者を納得させることで、不可避的な危険が発生しても患者側の大半は理解するのではないでしょうか?そのためのインフォームド・コンセントなのではないでしょうか?

感情だけで訴訟を起こしている者もいるとは思います。また、救急医療の場合には説明している時間はないでしょうから、全ての理不尽な訴訟を排除することはできないでしょう。そのような場合には上に述べたように司法が専門家の見解を尊重して妥当な結論を出すしかないかもしれません。現在の裁判所の判断に対して医療側の方々が悲観的な考えを持っていることは事実でしょうから、このままでは医療制度が崩壊していくだろうという意見も納得できる部分もあります。

しかし、私のように医師でない者としては、問題を最も理解している医療側の方々が、ただ現状を嘆くよりも、問題点を指摘し、自らが望む解決案を提示していただきたいと思います。それが訴訟を起こすなというようなものではなく、モトケン様が仰るように「前向き」なものであって欲しいです。

私は外科系の勤務医です。
卒業して13年経ちました。
まるさんのおっしゃられることと似ているかもしれませんが、私の勤務する病院でも
非常識な患者がおられます。
午前0時に救急外来を受診し、3日前から魚の骨がささっているから耳鼻科医を呼べ。
泥酔後転倒し縫合後、創部の傷あとが気になるから医療ミスだ。慰謝料払え。
午前3時に救急隊からの要請「不眠の患者さんの受け入れお願いします」
病院は医師のみならず看護師・事務職・薬剤師・放射線技師・臨床検査技師の協力で患者さんの診療をしております。
上記のような患者が受診すれば職員全てが嫌な思いをします。
かつて、リピートクレーマーの患者が他院で死亡したとき、スタッフは誰一人悲しいと思いませんでした。
理由はこのクレーマーの数年にわたる病院への嫌がらせ・暴力にあります。
(当然前科あり  俺はヤクザだから待ち時間なしで診察しろ 警察からもブラックリストにのっている)
病院も医療情報を公開したり手術成績をホームページに掲載することが必要ではあると思いますが、患者さんももう少しモラルを持って受診すべきとここ5〜6年思うようになしました。
非常に厳しいことを言いますが、私の現在の大病院勤務経験をふまえれば
1)夜間に仕事帰りに救急外来を受診する20代から50代の患者
2)特に病気でもないのに朝早くから病院の診察順番を占拠する老人
この健康老人が原因で本当に入院治療が必要な患者さんの診察待ち時間がふえる。
このあたりを改善できれば本当に疾患がある患者さんが適切に医療を受けられ、また無駄な医療費もかからなくなるのではと思います。

医療訴訟に関してですが、訴訟や裁判となればいろいろな駆け引きや作戦もあり、また家族の感情、マスコミなどもあり、その医療事故の程度や問題点が正しく評価されにくい部分があるのではないでしょうか。また例えば、福島県立大野病院の事件でも検察側の調査にあたった医師は新潟大学のT教授(専門は産科ではなく婦人科の腫瘍)という噂です。
過去に判決の済んだ事例でも良いのですが、有識者による正当な評価をしていくことはどうでしょうか?有識者と言っても教授や院長などではなく、市中病院で働く無作為の中堅医師が選ばれるべきと思います。何より医療は生ものですから、地域性や時間帯、もちろん勤務状況なども勘案すべきです。
また医療事故を起こす背景にあるシステムにもっと目を向けるべきと思います。
判決を覆すことが目的ではなく、今後の医療訴訟のためにも、それぞれの判決に対する正当な評価も必要だと思います。

めそ様
訴訟になるかならないかの違いは
8割は医師サイドの問題。
(クレームがついたときの初期対応が悪かったこと)
2割は患者サイドの問題
(いわゆる、タカリ、ユスリをしたがる人が患者さんや周りの人にいる)
こう考えております。ただ、最近は患者サイドの問題の割合が増えてきているように思います。普通の裁判よりも多額の賠償金が取れると踏んでいる人が多い模様です。実際、日本の常識では考えられない賠償額を言い渡されたケースもあります。
やはり、第3者機関が入って、お互いが直接言い争わないようにすることが、医療事故を減らす最もいい方法のように思います。小松秀樹さんの本を見ていても、患者サイドにとっても裁判で勝っても後味の悪さを感じるそうです。法廷上では、原因特定再発防止というよりは、病院側と患者側で勝つの負けるのそういうレベルの低いことしか、いろいろ資料を準備しても、結局は争点になりませんから、むなしさは爆発だと思います。お金の取り合いになるので弁護士は必死だと思います。
自動車事故の処理方法と同じにすればいいかと思います。医師側にミスが明らかにある場合は、それは裁判でも何でもいいだろうと思いますが、特に産科の場合、ミスと言えないようなことで逮捕されたり、高額な賠償請求するケースが多いようです。脳性まひの子供が生まれたら今は高確率で訴訟ですよ。あれだけはやめないと、産科する人がいなくなるように思います。(脳性まひの子供が生まれるのは、出産時のトラブルでないときのほうが多いようですから、ただ、裁判所は認めたがりませんが)

訴訟については当事者と外野で受け取り方に差が出るのは当然ながら、認識しておくべきなのは人間追いつめられると些細なことでも我慢出来なくなるってことでしょうな。おおらかに笑って見過ごせるようなゆとりがある医者なんて今どきそうそういないってあたりからして既に問題なわけですが……

ちなみにね。
患者側が勝ったとして、賠償金をもらったときにね、
裁判で負けた病院に、(今後医療事故が起こらないように)寄付した例って、聞いたことがないんですよ。
再発防止に努めてほしいというのであれば、そのお金を病院に還元するというのも方法だと思うのですが、そういうのがないんですよね。
本気で医療事故を防止してほしいと思ってる一般市民はいないのかと、かんぐってしまいますね。ユスリタカリと書いてしまうのも仕方がないのかな、そう思ってしまいますね。

>患者側が勝ったとして、賠償金をもらったときにね、
裁判で負けた病院に、(今後医療事故が起こらないように)寄付した例って、聞いたことがないんですよ。

う〜ん、正直こういう発想になる感覚そのものが理解できないというか・・・
もちろん専門家と一般人の感覚の違いというのはどんな分野でも存在するものでしょうけどね。
ところで医療者側の事情はいろいろ読ませていただきましたし、普段聞けない当事者の生の声を聞く機会として大変興味深かったんですが、当事者の話としてはやはり相手側の話も読んでみるのも参考になるでしょう。

医療ミス 私は絶対に許さない
http://www.geocities.jp/mhr3129/

エンゼル広輝のホームページ
http://ys64.zive.net/angel/index.html

現在医療裁判中の方のHPですが、もちろん裁判中ですので、判決がどう転ぶかわかりませんし、法的に医療ミスが認定されるかどうかもわかりません。あえて結果が出てない事例を選びました。ただ、このお二方ともたとえ裁判に勝っても相手側の病院に賠償金を寄付はしないでしょうね。少なくともわざわざ医療訴訟を起こそうという方は(多額の訴訟費用の工面は一般人にとってそんなに容易ではありません)そんなことを考える状態でないことは確かだと。それをユスリタカリと感じるかどうかは人それぞれでしょうが。

れいさん
名古屋大だったと思いますけど、寄付が行われた例があった様に記憶しています。比較的最近。

ま、この方向に話が進むと建設的でも前向きでもなくなるんですが、

「医療ミス 私は絶対に許さない」より
>もう二度と、私達のような犠牲者をださないためにも・・・・・

あえて現状を要約するとですな、医者はもうさっさと現場から逃げ出したく思ってる、医者がいなくなって赤字垂れ流しの病院はどんどん潰れてる、国は金ばかりかかる医療制度なんてやめちゃいたいと思ってる、患者は高い金とって医療ミスばかりの医者なんていなくなれと思ってる…
そんなふうに考えていくとですな、金もかからず医療ミスもなくなり当事者もみんな幸せになれるんですよ。じゃあ医療崩壊して誰か困るの?って素朴な疑問も浮かんでくるわけなんですが。

 患者さんが裁判を起こすなとは思わないのですが、確実に現行のシステムは医療をゆがめ崩壊させていると思います。

 私は医療において原則刑事免責であるべきだと思いますので(ちなみに先進国で医療を刑事で裁くのは日本のみです)、民事事件についてのみ書きます。
 医療側が現行の民事裁判の問題と考えるのは

^緡鼎亮汰の無い裁判官が最終的な結論を下すこと。

 (医療内容について実際に前線で働く臨床医以外が正しい結論をくだせるとは思えません。それがどうしてかは、例えばこのblogの割り箸事件についてやとりごろうblgなどの議論を見ていただければわかりやすいのではないでしょうか。大学教授や某有名人医師もトンデモなコメントを出したりしますので、地位があれば医療の現状に即した正しい判断ができるわけでもない。そうそう司法関係者に聞いてみたかったのですが、出産で妊婦さんが亡くなったとき、医師への期待は大きいので交通事故以上の賠償金額もあるっていう裁判官どうなんですか?医師は神?医師は結果が悪ければ悪者?文系の裁判官には自然界の不確実性は理解できないの?とたくさん疑問がわきました。こういうとんでも判決出してもなんのおとがめもないのですよね。産婦人科医が減って社会に重大な悪影響を与えて、その結果妊婦さんが亡くなっても逮捕されたり責任を負わされたりしないのですよね。)

長時間で労力がかかりすぎる

たんなるクレーマーの訴訟もトリアージできず、不毛な裁判を余儀なくされる。

せ碧_革による大量の弁護士の医療訴訟への流入、陪審員制度で確実にミスの事実関係ではなく情状に訴えた判決が増えると予想される。アメリカのように救急車のあとを弁護士が追いかけていったり、アメリカのように脳性まひの子を裁判に連れ出して、賠償金200億円を獲得したりするかもしれない。

イ泙聖実関係がはっきりしないのに、マスコミが医療ミスとして報道する。そしてその後訂正しない。国民に医師悪者の印象を与えるだけで、正しい判断の機会を与えない。

 日本全体のモラルが低下し、そして患者さんの権利意識も高まっているので、真摯に対応すれば訴訟にならないとは全くいえないと思います。これは管理人さんの駅員さんへの暴力と同じ構造だと思います。

 私はこれらの解決として、やはり医療専門の第三者機関・無過失保障制度、学会の専門医制度・生涯教育の充実による自浄作用の強化、患者さんへの啓蒙活動が必要なのではないかと思います。
 第三者機関ではクレーマーはトリアージして最初の段階で却下し、必要なものについてのみ審理を行えばいいと思います。そして過失があろうと無かろうと保障する事で無駄な争いを避けられると思います。
 例えば、脳性まひはいつも高率に裁判になり、高率で医療側が敗訴します。でもNYで帝王切開率が上がっても脳性まひの確立は変わらなかったのは有名な話です。こういっても患者側弁護士さんは、そうはいっても過失のある例も0ではないのだから裁判を起こす権利はあるはずだといわれますが、どうなのでしょうか。たとえ99%ミスでなくても1%ミスだからみんな裁判を起こして裁判所で公平に判断してもらうと主張するのはおかしく感じますが、どうでしょうか。

 こういう主張をすると必ず、医療側が中心となって裁くのは信用できない、今までの医療界の閉鎖性が証明している、自業自得だと言われますが、

 マスコミの報道、正しい医療報道ですか?小説・ドラマは現実世界と同じですか?

 自分の周囲を見てもほぼ全員が良心的な医師で、こういうシステムになったからと医療に手抜きする人がいるとは思えません。社会の医師性悪説と逆だと思います。

 とにかく、このまま医療側の責任のみ追求してもどうにもなりません。本当にこのままだと完全崩壊まであと数年だと思います。産婦人科・小児科だけではありません。内科も、外科も。大変なことになっています。

 医師個人をを罰するという発想から、ミスを未然に防ぐシステム改革という発想へ転換できないものでしょうか。

 「白衣の悪魔に鉄槌を下すですか。。。。」

 二つ目の件は新聞で読んだことがあります。でも事実関係はよくわかりませんが、肝移植が必要になった状態と言うことはも原病によって非常に状態が悪かったと言うことですよね。最初点滴で様子を見て悪化したから肝移植を考えると言うのも当然だと思いますし。小児肝移植、どこでも行えるわけではないですし。カテーテルの動脈と静脈の誤穿刺自体は血管は見えないのでブラインドで刺すのでありえることだと思いますし。状態が悪化して出血が止まりにくくなっていたのでしょうか。

 ミスの有無というより、病気、治せなかった医師が悪いのですね。。。。

 患者さんと家族はある意味怒りをぶつけてもしかたありません。

 でも社会全体が、感情的に糾弾することがよい方向なのでしょうか。報道もいつも偏向報道で正しいとは限らないのに。

 ほんとうに医療が無くなれば、医療ミスも無くなり、最善を尽くしても怒りの標的になることもなくなるのでしょう。

システムの話に戻しますけど、医療ミス抑制について「絶対に許さない」式に個人の責任をとことん追及していくことは全く無意味であると既に遠く前世紀に結論が出ちゃってます。「もう二度と、私達のような犠牲者をださないため」にはそういうアプローチではダメだということで、インシデントレポート書けとかうるさく言うようになったのがこの十年ほどの流れですな。
大手メーカーの危機管理マニュアルなぞを見せてもらうとそのあたり実に徹底してよく考えてるなと感心させられます。ま、現場レベルで今ひとつ理念にまで理解が及んでないところがあるってことと、一般の製造業と違って医療の場合なかなかやり直しがきかないことがあるって部分でつらいものもあるんですがね。

ところでうっかり防止のためダブルチェックを徹底するというのは一般論としては有効とされてるんですが、こと日本の医療現場にあっては一層の業務量過密化で余計にヤバくなってんのじゃないかという印象を個人的には持ってんですが如何でしょうかねえ?>諸賢
少なくとも向こう四半世紀は人手不足が続くと厚労省にまで認定されちゃいましたんで、もう少し日本流のやり方ってのも工夫すべきじゃないかと思うんですが…しょせんは現場の小手先レベルの話になっちゃいますな。

>>ところでうっかり防止のためダブルチェックを徹底するというのは一般論としては有効とされてるんですが、こと日本の医療現場にあっては一層の業務量過密化で余計にヤバくなってんのじゃないかという印象を個人的には持ってんですが如何でしょうかねえ?>

ダブルチェックは、医療機関でもミス軽減に役立ってますよ。代表的なのは、点滴注射のダブルチェック。夜間帯の一般の点滴なら、看護師2人でお互いの受け持ちの点滴をチェックしあうんです。そのときに声を出してチェックするというのが効きます。ミスが減るので、業務の時間は大きくは変わりありませんよ。(点滴施行直前にミスが発覚した場合、点滴ラインを作り直すことになるから、その時間が省ける)
抗がん剤の点滴なら薬局の方とのダブルチェック。
もちろんながら、人員が少ない時間に点滴を施行するのを減らす努力は必要ですが。

制度改革案としては
・第三者機関の創設、もしくは特別裁判所の創設
 医療者等の目から見て、事実認定に疑問がある判決が多いという点はあると思いますが、もしその医療者が判断することになるとすれば、外形上仲間内での判断であることは批判の対象となりますし、逆に今度は法律的観点からおかしな解決ばかり出される可能性も大きいと思います。フランスの例外裁判所のように、医療者と法律家が協働する仕組み(ADRでも良いのですが)が作れないかな、と…。歴史的経緯もあるので難しいかもしれませんが。
・医師の刑事免責
 例えば、第三者機関で判断して悪質、起訴相当と判断された場合にのみ刑事訴追をするような形を採る、事故の原因究明機関で証言すれば免責される方法等は、政策的に取り得る余地があると思います。
・無過失補償制度
 前のエントリでも話題になっていましたが、これは予算との関係で実現可能なのかは検討しなければならないでしょう。ニュージーランドで対象を一部に限ってしまった場合には、患者の救済には実効的でなく、訴訟数が減らされることにもならないと思います。

制度改革以外の面では、
・マスコミ報道の偏向の改善
 国民一人一人の情報リテラシー教育で対応するしかないんでしょうが、あまり実効的な方法が思いつきません。
・患者に対する啓蒙活動
 これも地道な活動しかないとは思いますが。

 なお、れいさんの挙げていた、患者側に出来ることは民事訴訟を起こさないことと医療崩壊を受け止めることというのは、前向きな提案には思えません。医療過誤訴訟を提起することは患者にとっても多大な負担です。それをわかった上で、それでも納得が出来ないから民事訴訟を起こして、裁判を求めているのであって、それを社会的影響が大きいのだから裁判なんて起こすな、という意見には、やはり法律を学んでいる者からすれば納得がいきません。それに、一部のクレーマーを除けば、医師の対応への不信感に根ざして訴訟を提起しているわけで、そのような不信の対象となった病院に対して寄付をしない例が多いのは当然かと思います。

今回の医療崩壊は、厚生労働省の医療再編成過程(臨床研修制度の発足)で起こっった予測可能な事態だったのです。この副反応をなくすには、国公立病院の完全な民営化をスピードアップすることす。国力以上の(対GDP7% は、国の借金で補正すべきであり、税金・年金に対する対医療費で考えると、大変な出費です。)医療は出来ないので
す。特に高額な給与を要求する医療職(院長、副院長、医師、総看護師長、看護師、事務長、事務員)を病院から駆逐することです。高額をの給与を必要とする者は、独立すること。ただし、保険診療の枠を取り払って、混合診療を進めることです。皆保険制度は、自動車賠償責任保険と、自動車任意保険の2階建てに近い形にすることです。支払いたくない者は、強制徴収を辞めて、自費診療を受けるしかない。基本的には、医療皆保険制度を中止して、医療機関を保護する制度を止めなければ、意味がありません。医療機関の悪徳商法は、訴訟で回避すること。産科診療は、出産費を現行の3倍にすることです。払えなければ、医師を利用しないことです。助産院を利用することです。助参院も利用できなければ、ローで支払う形で、病院の産科を活用するしかないのです。BRICs の台頭で日本経済が崩壊しており、基盤が遣られれば、おのずから上部構造の医療が破綻するのは自然現象です。
 危険性を伴うが、アメリカ合衆国型の医療者の給与、つまりホームランバッターと一群の選手と二軍の選手の3に分ける。二軍の選手は、年収が100万円。一軍の選手は、年収2000万円。ホームランバッターは、年収10億円と言う構造に変えなければ、現在リストラ中の企業の会社員には理解が出来ないでしょう。

うーむ・・・。
医療関係者から見ると、医療崩壊の戦犯はわがままな患者と偏向マスコミと手柄欲しさの警察・検察の三者ってことになっちゃうんですかねえ。
皆さん表現は様々ですが、「お前らが招いた崩壊なんだから、ゆっくり味わって反省しな」というトーンが感じられるのは私の気のせいでしょうか(笑)。

私は専門家ではないので、統計やら分析やら細かいことは言えないんですが、ことの発端は意外と単純なことだったのではないでしょうか。
私自身は、そもそもの始まりは医師と患者が対等な関係でなかった点にあるのでは、と思っているんです。別のエントリーでおっしゃってる方もおられましたが、あらゆる意味で双方のコミュニケーションが不足していたことが、「医者対患者」なんていう敵味方みたいな図式を産みだしてしまったといいましょうか。

たとえば、「医師は万能じゃない」というのは真実なんですが、患者が「医師は万能だ」というイメージを持ってしまったのは患者側の一方的な思い込みが原因だったのでしょうか? 医者の側に、万能のイメージを与える振る舞いはなかったでしょうか。患者が医師のやり方に口を挟むなどもってのほか、という時代があったのは事実です。しかし、「ご意見無用」という言葉は、見方を変えれば「俺の言うことを聞いてりゃ間違いない」という意味にもなります。そういった体験の積み重ねが、患者つまり一般人に「医師は万能」というイメージを植えつけてしまったとは考えられないでしょうか?

そして今、「医療における費用対効果」とか「医療関係者の労働問題」といったリアルな問題をつきつけられて、人々はそのギャップに直面している最中なのだと思います。
ちょっと突飛なたとえですが、終戦後に天皇陛下の人間宣言を聞いて面食らった日本国民のような気持ちかもしれません。

特に提言があるわけではないのですが、ちょっと感じたもので。

 一法学部生さん

>医療者が判断することになるとすれば、外形上仲間内での判断であることは批判の対象となりますし

 医師同士は一般の方が思うより同業者に対して厳しいものです。医師が中心となって判断し、司法関係者は助言する形ではいけないのでしょうか。

 ところで司法関係者はご自分達のお仕事に対して外部からどのように監査されているのでしょうか。
 勉強不足で知りませんので教えてください。
 上級審で判決がひっくり返った下級審の裁判官は処罰されるのか?これもあるいみ業務上の過失ですよね。
 敗訴した弁護士はクライアントから訴えられるのは一般的なのか。
 誤認逮捕した警察・検察はどうなのか。
 司法判断が間違っていたことに関して、逮捕されたりするのか。

 多分司法の独立性とか言って、まったくお咎めなしなのではないのでしょうか。せいぜい左遷程度ではないのでしょうか。

 直接命に関わる一瞬の判断を常に求められ、100%のことは誰にもできないことに対して、ほこりをたたくような理論上可能でも実際には不可能な理論を持ち出し、高みから批判する、その社会的な影響とかには全く責任を持たない、印象があります。

 常々疑問なのですが、司法は科学を凌駕するくらいえらいもので、司法関係者の判断が絶対なのですか?

 クレーマー一部とはいいきれませんよ。私が聞いた例では往診のかなりご高齢の方が自宅で亡くなって、どうしてだか解剖したらがんが見つかって、訴訟になって注意義務違反で医療側が負けたというのがありますけど。

 無過失保障制度、スウェーデンでは成功しているようですが。ちなみに過誤訴訟の判決と有無・過誤の結果は相関せず、訴訟は医療過誤を防止しないと言うstudyもあります。

 はっきりいうと、現行の司法判断は、過誤の有無を正しく判断していないばかりでなく、患者さんや社会に正しい事実の受容をもたらさず、両者にとって多大な時間を浪費し、そして決して再発防止に役立たず、さらには萎縮医療をもたらしているのではありませんか。

 最近の医療裁判、とても医療側に非があるものがほとんどとは言えないと思います。

元研修医さん
>医師同士は一般の方が思うより同業者に対して厳しいものです。医師が中心となって判断し、司法関係者は助言する形ではいけないのでしょうか。
内実がどうであれ、外形上そのような形式を取ることで不信感は生じないでしょうか。例えば、行政が下した判断に行政が当否を判断した場合、もしご自分がそれに不服を申し立てた立場だとしたら、信じられますか?

>クレーマー一部とはいいきれませんよ。
一つの聞いた例が何故クレーマーが一部とは言い切れない反論になっているのでしょうか。クレーマーの理解に齟齬があるのかもしれませんが、高額な賠償金をふっかけるというのならともかく、不実な対応をされた、真実が知りたい、という方の訴訟も全てクレーマーとして捉えておられるのでしょうか。

>無過失保障制度、スウェーデンでは成功しているようですが。
人口900万人、かつ税率が高額なスウェーデンの事例をそのままもってきても、1億3000万弱で高齢者(医療にかかる可能性が高い人々)が多い日本において、同じくらいの税率を課したとしても可能なのでしょうか。詳しく検討した上で取れるべきなら無過失補償制度が良いと思いますが。

過誤訴訟の判決によって医療過誤が防止されるかについては私も疑問です。様々な医療過誤を防ぐには制度自体の改革しかないという印象をもっています。ただ、民事裁判、特に不法行為責任の仕組みとして、被害者救済は重要であるし、少なくとも現時点で医療側の対応に不信感を抱いた患者側に取れる手段としては、訴訟しかないのではないでしょうか。それを改善するための前向きな対策として、つたないながらも制度改革の必要性を挙げたわけです。

是非モトケンさんには、小松秀樹先生の「医療崩壊」を御一読いただきたい。
以下は小松先生のインタビューの一節です。
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2006/06/post_d62d.html


 今回の本には書いていないのですが、最近私がよく紹介している話があります。昨年の、日本におけるドイツ年記念法学集会での、グンター・トイブナー氏の基調講演です。
 国民国家から世界社会に変貌するにつれて、規範的予期類型(政治、道徳、法)ではなく、認知的予期類型(経済、学術、テクノロジー等)が主役を演ずるようになってきました。世界社会の法がそれぞれの社会分野毎に形成されています。例えば、経済、学術、テクノロジーや医療における正しさは国内法を超えて、世界的に同時進行で形成されています。
 トイブナー氏は、これからの紛争は利害や政策対立というより、世界社会の各分野毎に形成された部分社会間の合理性の衝突が重要だとします。
 このような紛争解決に、法中心主義的アプローチは無力だ、国民国家で形成されたような精緻な整合性をもった規範ヒエラルキー、厳格な審級制度は世界国家では成立し得ないとします。法は到底それらの矛盾を解消できない、互いの規範を尊重し、自律的部分社会同士の相互観察で共存を図ることしかないとしました。たとえば、ブラジルでのエイズ治療薬の特許を無視した製造販売では、保健の合理性と、経済の特許についての合理性が衝突し、保健の合理性が優先されました。

 現在の国内状況は、司法レジームが、国民国家の成立時に制定された法規範に基づいて、国際的に規範が形成されている医療レジーム、航空運輸レジーム、産業レジームと対峙し、ときにこれらに破壊的影響を与えているようにみえます。

 法律は規範の源泉ではありません。規範は人間の営みから歴史的に生じます。トイブナー氏は、分かりやすく言い換えると、法は対話の形式だと主張して、司法に謙虚さを求めました。


私は、やはり刑事事件とすることは、慎重にする。

民事については、患者側の権利として認めるべきである。患者が死亡した場合、残された家族としては、敗訴すると分かっていても、納得出来ない点があれば、訴訟するかも知れません。論理や理性で制御できない部分、あるいは人が心を持っている以上は、どうしようもない部分があると思います。

別のエントリーで、どなたが書いていおられたことに「カルテを作り、記録を残すのは、患者のためではなく、医療訴訟に備えてとなってしまっている。」があったと記憶します。これは、本来の目的からはずれているということでしょうが、私はそれでよいと思います。記録は、様々な意味を持ち、一つの事実も見る角度が違えば異なった姿となる。

むしろ、医療サービス提供側が、善意を前提にして、無防備でありすぎたのではないか、医療制度の発展のため、良い医療制度の維持のためには、ガードを固くする必要があるといいたいのです。勤務医さんのコメントでリピートクレーマーの患者や診察順番占拠老人を引用されておられます。病院としては、極めてやっかいなことと思うのですが、対策はないのだろうかと思うのです。善意で対応することが、反対に多くの人に迷惑を掛けてしまう。相手によっては、対応を変えることが必要と思うのです。

その対応を医師が考えるべきであるのかと言うと、私はそうではないと考えます。病院といった医療機関が必要であれば外部の人を起用してでも総合的に最も有効な手段を考えるべきであると思うのです。このことは、医療訴訟で損害を被らないためにも必要であると思うし、そのことが医療崩壊を多少は防ぐことにもなるのではと思うのです。

一法学部生さま

一般人からすれば司法の分野は医学同様、専門性と特殊性の高い分野のように思えます。その観点からは、司法の分野における過失がどういう理由でどのように処理されているのかには、興味深いものがあるように思えます。端的にいえば、邪推かもしれませんが、司法には、システムとしての健全性を維持するための機構について、医学における場合よりも考えられているように思えます。ついでにいえば、司法関係者のそれは司法関係者が判断して、その事自体に対して特に大きな不信は出ていないのですから。
その意味で、元研修医さまがご質問されておられる、
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司法関係者はご自分達のお仕事に対して外部からどのように監査されているのでしょうか。
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に続けてあげられているような項目についても、ご教示願えないでしょうか。それとも全く参考にはならないのでしょうか?

なお、現在書き込み中/書き込み準備中でしたら、気の早い催促を行ったことをお詫びします。

>クレーマー一部とはいいきれませんよ。
一つの聞いた例が何故クレーマーが一部とは言い切れない反論になっているのでしょうか。クレーマーの理解に齟齬があるのかもしれませんが、高額な賠償金をふっかけるというのならともかく、不実な対応をされた、真実が知りたい、という方の訴訟も全てクレーマーとして捉えておられるのでしょうか。

 いくらでも例は出せるのですが、いくつも書いてもしょうがないので一つ書きました。ちょっといろいろ検索していただければ出てくると思います。ただこの例は何年も往診して患者さんと一緒に住んでいるご家族とは非常に良好な関係にあったのになぜ?というものでした。

 不実な対応をされた、真実を知りたいというかた全てクレーマーとは医師の誰も言っていないと思います。

 でもその不実な対応は、本当に不実な対応だったのか?とか考えてみたことがありますか。今の報道や一般の方の対応は患者さんがかわいそう、医師が悪いと言う視点からしか見ていませんか。


>無過失保障制度、スウェーデンでは成功しているようですが。
人口900万人、かつ税率が高額なスウェーデンの事例をそのままもってきても、1億3000万弱で高齢者(医療にかかる可能性が高い人々)が多い日本において、同じくらいの税率を課したとしても可能なのでしょうか。詳しく検討した上で取れるべきなら無過失補償制度が良いと思いますが。

 今、1億、2億の訴訟どんどん出ていますよね。アメリカの医療費高いのは理不尽な訴訟のせいでもあるわけですが。アメリカのある科の医師は年収3000万円ですが、訴訟のための保険に700万円/年も払っています。
 日本の医療費特に技術料単価が非常に安いことご存知ですよね。心臓手術150万円です。桁が違うのではというような状態です。
 今後高額訴訟がどんどん増えたら、現在の皆保険制度が成り立たないのは自明です。150万円の手術で2億の訴訟なら、危険な手術できませんということです。
 アメリカでは訴訟乱発で産婦人科医が逃げ出した州があります。有効な策は賠償金の上限額を決めることだったようです。

 財源はいろいろ考えられるでしょう。大体先進国中最低の医療費しか国民は払っていないわけですから。無用な公共自供や天下りはありませんか。

 医療訴訟に制限を掛けず、現状の皆保険制度をやめるのか、もっといい方策を考えるのかということです。

学部生ですので、訴訟関係者の実態について詳しい事情を知っているわけではないことをまずお断りさせていただきます。他の方々からの意見を伺いたいところです。

司法関係者に対する外部からの監査についてですが、まず、裁判官と検察官・弁護士についてをそれぞれ分ける必要があると思います。
司法権の独立とは、立法権・行政権からの司法権の独立と裁判官の職権の独立を意味し、この場合検察官・弁護士に直接妥当するものではありません。

>上級審で判決がひっくり返った下級審の裁判官は処罰されるのか?これもあるいみ業務上の過失ですよね。
上級審で判決がひっくり返った場合について、医療過誤を念頭に置いているわけではありませんが、上級審の判決が必ずしも正しい判決とは捉えられていないと思います。判決の妥当性については、雑誌に載った一部の判決に限られますが、多くの弁護士、法学者がその妥当性を検討することは行われています。少なくとも判決が上訴審と異なることは制度的に予定されているものであり、このことだけで弾劾裁判、懲戒処分の事由になるわけではありません。
 
>敗訴した弁護士はクライアントから訴えられるのは一般的なのか。
少なくとも最近の裁判例を見る限り、増えていることは事実だと思いますし、弁護士に対して同じように無理な要求をしていると思われる判決も出ています。
なお、弁護士に対する監査は、地方の弁護士会の懲戒、その上に日弁連の懲戒委員会での懲戒処分の判断がなされています。懲戒委員会は、弁護士のみで構成されているわけではありません。
なお、参考に、日弁連の懲戒制度のページです(http://www.nichibenren.or.jp/ja/autonomy/tyoukai.html)

>誤認逮捕した警察・検察はどうなのか。
これについては、国に対する損害賠償訴訟、被疑者補償規定などによる一定の補償規定があることは知っていますが、警察・検察の内部の処遇については知りません。
なお、司法関係者と社会的扱いとの差だと思うのですが、逮捕に対する捉え方が異なるように思います。社会的な影響により逮捕の時点で取り返しの付かない状況になることはわかりますし、そのギャップは問題だとは思っていますが、現時点での自己の見解は固まっていないので、これについては具体的な対処方法を提案はできません。

>司法判断が間違っていたことに関して、逮捕されたりするのか。
逮捕された事例は知りませんが、業務上過失致死、もしくは詐欺罪などに当たれば逮捕されることもありうるのではないでしょうか。

社会的影響について裁判で考慮することが可能なのかについても、他のエントリのコメントで質問した通り、それが理論的に可能なのかについては理解しておりませんが、現状では考慮されていないように感じています。


医療関係者の方々からの様々なコメントを見ての印象なのですが(特定の人に対する批判ではありません)、司法に対する要求と行政に対する要求、または立法に対する要求がごっちゃになっているように感じられます。
司法は、現在の制度の中で対処するものであって、勝手に制度を変えることはできませんし、それは立法の役割です。
医療過誤訴訟が現実的に医療崩壊を促進させているという批判は当然考慮されるべきものだとは思いますが、かといって現時点で個々の医療過誤訴訟がそのために起こされるべきではないとは思えません。司法は個々の事例に対する判断ですし、特に不法行為については被害者救済の側面が強く出されてしまうことも現在の制度を前提とする限り仕方がない面もあると思っています。刑事訴追については私は批判的な立場ですが、その対処が判決(現在の制度)で出来ないのであれば、やはり行政、もしくは立法による制度改革しかないのではないかと思います。

元研修医さん
クレーマーの具体例をいくつか出されたところで、クレーマーが一部ではないという反論にはならないと思いますが。先ほど挙げられた例は、元研修医さんからの情報だけから判断すれば、クレーマーだと感じられるとは思います。
本当に不実な対応だったかは確かにわかりませんし、誰しもそのような状況で冷静な対応を冷たい対応と取ってしまい、それを不実な対応と取られることもままあるとは思っています。しかし、その、医師に対しての不信感→真実を知りたい、という気持ちから起こした裁判までを、クレーマー訴訟として批判して片付けることはできないと思いますが。
それが本当に医療過誤だったか、それを隠蔽するような行動が取られていなかったか等の判断は、前に申し上げたように、現時点では裁判で追及するしか、患者側には手がありません。

アメリカの医療過誤訴訟については不勉強なため全く知らないのですが、一般的な制度論として、アメリカの賠償制度は日本の損害賠償制度とは異なり、懲罰的損害賠償が認められているので、賠償額が非常に高額になることもありえます。これが医療過誤訴訟において適用されているかは不勉強のために知りませんが、

今後高額訴訟が増えることが望ましいとは考えておりませんし、それに制限をかけるための改革案としては無過失補償は考慮に値するとは思っています。ただ、その現実化について、ほんとうに可能なのかは疑問に思っているだけですので、実際に検討された場合に、実現可能であればこの疑問は引っ込めます(この検討は素人が出来るかは微妙ですが)。医療費自体の値段を上げることは考えられますが、実現可能な程度上げることで無過失補償制度が維持できるのかに疑問を抱いているのです。
なお、無用な公共事業や天下りの削減は、実際に無用であれば勿論するべきだと思いますが、これもマスコミの情報しか知らないので踊らされているだけかもしれないので、保留とさせていただきます。

医師は仲間内には厳しい、これは正しいと考えます。
現在、カルテの改ざんや証拠隠滅はしないというのが、医師の間では当然になっていますので、もうこれからは、ありえないと思っています。(保険会社の人から、カルテの改ざんや隠蔽は悪影響にしかならない、と話を聞いていると思います)
掲示板の中でも、医療事故個々の医師の反応はまったくといって違います。すべての医療事件を擁護しているわけではなくて、普通から考えると厳しい意見も多数出てきます。
やっぱり罰せられるべきという流れになってる事件としては
青戸の腹腔鏡手術の失敗、どこか忘れたけど、心臓手術の失敗など、
逆に、これは罰せられるべきでないだろうという流れになってるのは、
この前の産婦人科医逮捕、割り箸事件、心筋炎訴訟、産科一般の訴訟のほとんど。
これらの事件は、誰が立ち会っても残念ながら救命は無理であっただろう、そういう事件です。
しかし、これらが法律上では、すべて医師に罰せられる方向になっている。
それが、おかしい、と感じるんですね。誰が診療しても、治療の甲斐なく患者さんが亡くなってしまう、そういう事例で逮捕や訴訟が起きてしまう。そういうことに、医師が怖がって萎縮医療になってしまう。産科はもうなり手がいない、そういうところでしょうか?
こればかりは、医師がいくらがんばってもだめですよね。一部分の先生は法曹界に飛び込んでいる先生もおられますが、まだ、動いていただいているという実感はない。

医師と患者のコミュニケーションが少ない、確かにそうかもしれませんが、それを少しでもよくしようと、的確に話をすればするほど、誤解が生じることが多くなってしまった、そういう印象ですね。的確に話をする、ということは、言い換えると、医師の自身のなさ(100%治癒できる、という病気はないから)が伝わってしまう、そういうことなんですね。的確に話をすればするほど、起こりえる合併症(悪い症状)を伝えてしまうことになる。ただ、話をしないわけにはいかない。そういうことなんです。
だから、インフォームドコンセントもよしあしだと思いますね。
インフォームしても、ほんとの意味でコンセントしてくれる患者さんってほとんどいないんですよ。実際。詳しく話すればするほどね。

建設的な意見はちょっと上で書いてたけど、第3者機関の調停かな。
医師、裁判官がはいってね、当事者は直接ははいらない。こういう制度がいいですよ。
それと、悪意がない場合には刑事訴追はない、というのもいいかな。
いやなことばかり書いていますけど、実際は、患者さんの前ではいい人なんですよ。いま、24時間当直(その後も勤務あるから30時間になるけど)その真っ最中で、時間が少し空いているときにレス打ってます。でも、アラシみたいな感じだけどね。患者さんがまたきそうなので、投稿しますね。

えーと、東京の窓際内科医ですが。福島産婦人科事件の話を書いてもいいですか?

あの逮捕・起訴で一番問題だとおいらが思うのは、医者から見て検察の説明が納得いかないことです。
つまり、「こんなことをしたのでは刑事責任を問われるのは仕方ない」
とか、「こういったことさえしなければ、少なくとも刑事責任は問われないな」
という感覚を持たせることに全く成功していない。

ここが例えば、埼玉医大抗癌剤過量投与事件との大きな違いです。

だから、他科の医者も動いた。
この事件は、結果が悪かったことだけを理由に逮捕・起訴されたように見える。
(勿論それなりの理由は挙げられていますが、この程度の難点は自分たちの日常治療にもある。)
ならば自分が今やっている治療も、患者が亡くなってしまったときに逮捕・起訴されないという保証はない。
じゃあ、司法があらかじめ、その治療が最悪の結果に終わったときの逮捕・起訴される可能性について判断してくれるかというと勿論そんなこともない。

つまり、今から自分がやろうとしている手術や治療は、患者が死ねば牢屋につながれる可能性を誰も否定できないわけです。しかも手術や治療は必ず、ある確率で患者が死にます。
ならばそんなものに手を出すのは、自殺行為と考え、なるだけ患者の命がかかるような医療(それはまさに、放っておけば死ぬ患者を救えるという意味で最も医療らしい医療)から逃げ出そうというのは当然でしょう。


そういう意味で、検察はもっと勉強して欲しい。
専門家の多くが、「これは酷い治療だ!!」と叫ぶようなもの以外を起訴するなんていうのは言語道断。
何故ならば、それは少なくともその分野の専門家に逃げ出すことを奨励する行動だから。

 別に一法学部生さんを非難しているわけではないのですが、

>元研修医さん
クレーマーの具体例をいくつか出されたところで、クレーマーが一部ではないという反論にはならないと思いますが。先ほど挙げられた例は、元研修医さんからの情報だけから判断すれば、クレーマーだと感じられるとは思います。

 では、法学部生さんが、クレーマーが一部であるとする証明をしてください。多分出せないでしょう。法学部生さんも自分の体験もしくは印象でおっしゃっていると思います。なぜならクレーマーの明確な定義とどの訴訟がクレーマーかの全数調査による信頼にたる統計は無いからです。
 もっといえば一部ではないと言う日本語は、単に集団において限定的ではなく、複数であるけど、全体ではないと言うあいまいな意味ではないのでしょうか。

 法学部生さんは、一部であると思って、私が一部ではないと反例をあげて反論することは矛盾することではないと思います。

 もうこれ以上は言葉遊びになってしまいます。これ以上は追求しません。

 ただ医師側からする現場の実感としてクレーマーが増え、クレーマーの訴訟が増えていることは事実です。

 もちろん、真に救われる人はいるし、そこをどう解決していくかの話をしているので、一部ではないかどうかは枝葉末節だと思います。

 以前より思うのは法学関係者は言葉のプロだと思いますが、立場の違いを考慮してもしばしば理論に破綻をきたした主張をされるように感じます。

 

 付け足しますが、もし一部であると言うのが、1%でも50%でも99%でもとにかく、1%でも違えば一部であると表現すると言うのなら、一法学部生さんのいう通りでしょう。

 医師側は、本当に医療過誤でひどい対応をする例があることやその件が訴訟になることに対して全く否定していないと思います。

>では、法学部生さんが、クレーマーが一部であるとする証明をしてください。多分出せないでしょう。法学部生さんも自分の体験もしくは印象でおっしゃっていると思います。なぜならクレーマーの明確な定義とどの訴訟がクレーマーかの全数調査による信頼にたる統計は無いからです。
そうですね、その通りです。
ただ、私がそこについて批判したのは、クレーマー訴訟は一部ではないから医師に対する民事訴訟は不当だし、そのようなものを起こすべきではないという印象を、元研修医さんのみではなく医療関係者の方々のコメントから感じ取ったためです。これについて、元研修医さんがこのような見解を持っておられない、というのであれば、枝葉末節に拘りいちゃもんをつけるような態度をとったことをお詫びいたします。

Nice. Thanks for TB !
民間保険の米国に実情は,日本より医療費がかさむ.
一度,医療崩壊した英国は,医療費に対する予算を増やしているが,一度崩壊したものは,回復に時間がかかる.それでも米国より少ない医療費である.
患者さんのためには,日本は,明らかに英国から学ぶべきだろう.

これまで,最低の奴隷扱いだった研修医の待遇が改善され,その上の奴隷(医員,大学院生etc)より待遇がよくなったものだから,ピラミッド崩壊.これを機に英米並みの労働基準法遵守の勤務が求められる.
医療ミスで医師を訴える時は,過労で正常な判断が出来なかった可能性も考慮して,厚生労働省も一緒に訴えてあげましょう.
良い医療には,看護師並の睡眠は,必要です.

1. 医療事件については、「医療裁判所」のような「医師と法律家が事件性を審査する」機関を設ける。医師に故意または重過失が認定された場合のみに刑事事件とする。少年事件の取り扱いが参考になるでしょう。
2. 今まで、医師会の政治力によって医師の養成数が抑制されてきたために人口当たり医師数が外国より少なくなっているはず。医師会の政治力が減った現在、医師養成数を増やす。
3. 外国医師免許保有者が日本医師免許を取得できる条件を整備する。医師の出稼ぎを許容するということ。
4. 大学医局に多数の医師がいて、無駄な研究で日々を送っている状況を是正する。これが一番難しいかもしれません。
5. 医療機関に「診療を断る権利」を法律で認める。「勤め帰りの緊急外来受診」などという患者側のモラルハザードを抑制する。
6. 医師以外の医療関係者、薬剤師や看護婦などが、普通の人より容易に医師免許を取得できる制度を設ける。軍隊で、優秀な兵士が士官学校を経ずに将校になれる精度と同趣旨。

「クレーマーのために医療制度が崩壊する」という論調が多いように思えますが、「本当かよ」と思います。「クレーマー」であれば、裁判しても負けるだけなので、最高裁まで付き合えばおしまいで、医療制度を崩壊させるほどのことでもないと思います。

むしろ、「裁判所が信用できない」ということが本当に言いたいことでしょうか。であれば、せっかく法律家が主催されているblogなので、具体的事案に沿って意見を述べられれば、非常に良いと思います。

一般論を言えば、(民事)裁判の構図は、原告と被告と中立的な裁判官から構成され、専門知識は原告と被告にあれば良く、原告、被告どちらが正しいかは、原告、被告それぞれが証明すれば良いのだし、相手の証明におかしいところがあれば、原告、被告はそれを指摘すれば良いのですから、裁判官には専門知識は不要であると言われています。

私も医療裁判の民事判決で有名なものは見ていますが、医療側に不当に不利な判決というのは見ていないので、医療関係者がどういう点を不当と思っているか、教えてもらいたいと思います。

上でちょっと話に出た「とりごろうblg」で掲示板を引き継いだものです。
(先月半ばから今月にかけ学生実習が入ってしまったため、HP作成が滞ってますが・・・)

 患者さん側の問題点は上でいろんな方々が書き込まれているようですので、私は触れません。

 一般の方々から言われる「医療の不透明性」という言葉があります。
これは本来、2つの観点から論じられるべきものかと思います。

 まず、医学自体が一般の方になじみが薄く、理解しにくいものであること。
これには上で述べられている「人間は必ず死ぬものであり、医学がそれに抵抗するのは極めて難しいものであること」、これを一般の方が言葉で理解していても感覚として認識できていないことも理由の一つでしょう。また、医療に100%はありえない、これも医療者には常識でも一般の方には常識ではない・・・と言う事実があります。

 実際民事訴訟で病院側が敗訴した事例として、「局所麻酔薬によるショック→死亡」という事例があります。かなり昔の判決なので記憶のみになりますが、「たとえわずかな確率でも重大な結果を及ぼす可能性がある場合には、医師は患者にそれを伝えねばならない」という趣旨の判決だったと思います。また、これは出身大学の皮膚科の教授が講演された際に聞いた判決ですが、「TEN(中毒性表皮壊死症:薬に対するアレルギー反応で起きる発疹の一つ。極めて致死率が高い)を薬を飲んだあとで発症した患者に対し、「薬を飲んだあとで変わったことがあったらすぐ来院してください」という曖昧な指導では不十分であり、起きうる副作用についてきちんと説明すべきである」という趣旨の判決がやはりこれも民事訴訟でありました。
 この2つの判決は一件合理的に見えますが、医療の現実を無視したものです。この2つを合わせて考えると、「医療を行う際にはありとあらゆる合併症に関して事前に患者にすべて説明し、その危険性をすべて説明し、理解と同意を得なければならない」と言うことになります。これを文字通りに受け取るとすれば、例えばイボ取り一つ取っても患者さんに説明するのに少なくとも一人あたり1時間〜2時間は要します。風邪で薬を出すのでも1〜2時間、合併症の可能性について説明しなければなりません(TENは風邪薬でも起きえます)。
 上の2つの判決は民事訴訟であったからまだ医師の猛反発を食わずに済みました。これがもし、刑事訴訟であったとするならば、私も直ちに医師をやめます。現実には不可能なことを要求されて刑事罰を食うと分かっていて仕事を続けられる人間がどこの世界にいますか?
 これが医療の不透明性に関する第一の観点です。医療の現実を一般の方、司法が理解していない、あるいは理解していても「意図的に」無視していると言う現実です。

to:れい氏
いや、言葉足らずで申し訳ないですがさすがに今どきそのレベルにも達してない組織は終わってます。要するにそういう体制で何かしら事故があって再発防止にと対策を検討する、その結果得てして二人で見逃しがあったから三人にしよう、三人で足りなければ四人にしよう式に際限なく進みつつある現状を憂いておるのです。特に医者も逃げ出すような最前線では現実的に年々業務時間が延長していく一方ですのでね。

あと上の方で行政や立法への要求を司法にされてもとか言う話がありましたが、それを言っちゃうと本来僻地の病院が立ちゆかないのは医者を呼べない設置管理者=自治体主張の責任、医療が崩壊していくのは低医療費と人員制限を是正しない厚労省の責任って話になる。けど「そんなの俺の仕事じゃない」で終始しちゃスレ的にはつまらんですよ。

現場の一労働者としての医者の責任は何より目の前の患者に対して出来得る限り最善の医療を提供することに尽きるのでありまして、それを許さない職場環境ならそんなところで医療を続ける方が無責任というものです。せめて諸外国並みの待遇への格上げをという労働者としての医者の権利主張と、大して金も人手もかけないまま世界トップクラスの医療水準を享受してきた患者たる国民の権利のすり合わせ。結局どの辺りでバランスをとっていくのかって話だと思いますよ。

書き足しますが、医療訴訟について云々するなら最低限藤山雅之氏の何たるかくらいは知っておいたほうがいいと思いますな(苦笑)。

みみみさんの意見をちょっと変えると...

非医療関係者から見ると、医療崩壊の戦犯は現状放置を続けた医療関係者ってことになっちゃうんですかねえ。
皆さん表現は様々ですが、「お前らが招いた崩壊なんだから、ゆっくり味わって反省しな」というトーンが感じられるのは私の気のせいでしょうか(笑)。
私は専門家ではないので、統計やら分析やら細かいことは言えないんですが、ことの発端は意外と単純なことだったのではないでしょうか。
以下略


ま、いいんですけど、結局は医療関係者側の努力が足りなかった、と言いたい訳なのでしょうね。
だから反省して努力しろ、と。
いやいやもう無理。もう限界ってことで崩壊しつつあるわけなんですけど。
過大な要求で崩壊しているのにまだまだ努力しろっていうのは、現実的ではないような気がしますが。
特に提言があるわけではないのですが、ちょっと感じたもので。

>>上級審で判決がひっくり返った下級審の裁判官は処罰されるのか?これもあるいみ業務上の過失ですよね。
>上級審で判決がひっくり返った場合について、医療過誤を念頭に置いているわけではありませんが、上級審の判決が必ずしも正しい判決とは捉えられていないと思います。
上級審の判決が必ずしも正しい判決とは捉えられていない、のであれば上級審の判決が優先される理由は?
非法曹関係者の感覚からは上級審の判決が正しいと判決と捉えるのが普通だと思いますが...。

司法関係者に対する監査が必要だという意見が弁護士・検事等からはだされてはいないのでしょうか?

こんにちは
矢部先生

  「いなか小児科医」のbefuです。

トラックバックおよび、記事内でのリンクありがとうございました。
ずいぶんと、コメントが長くなっていますので、私の意見については、トラックバックで記事にしたいと思います。

 続きです。
 第2の観点は医療者側の問題です。
 例えば、日本で医療事故が何件あるのか?、医療事故による被害者は何人いるのか、医療事故による致死率は事故の種類に応じてどの程度あるのか、というデータはありません。集計すらされていません。また、残念ながら現実としてカルテ改竄、事故の隠蔽は少なくとも過去において明らかにありました。
 これらの点を指して「医療の不透明性」と呼ばれる場合もあります。

 さらに、死亡・重大事故は別として事故が起きた際に届け出る機関が存在しないという事実もあります。各病院ごとに「医療事故対策委員会」は設置されていますが、そこで得られたデータを報告する義務もなければ報告する機関もありません。医療事故対策は各病院ごとに勝手にやれ・・・、と言うのが現在の厚生労働省の方針だと思います。

 医療事故を減らすには事故の詳細な分析と原因事象の改善が必要になります。これは個々の病院で行うのでは効率が極めて悪く、全国的な医療事故情報センターを設け、そこで情報集積、分析、改善策の策定を行う必要があると思います。
 この際、医療事故を何でもかんでも刑事訴訟へ・・・という方向へ持っていったとすれば、人間心理の必然としてかえって事故の隠蔽が行われるでしょう。明らかに悪質なものについて医療事故情報センターから告発するという形を取るのが最も良い方法と考えます。

また、これは再掲になりますが・・・。

 現在の法体系において「業務上過失致死傷」という法そのものが機能障害に陥っていると思います。刑法の本来の目的は「犯罪の抑止力」であると思います。ところが現実問題として、業務上過失致死傷を交通事故や医療事故に適用しても交通事故も医療事故も減らないという「事実」があります。この点について法曹関係者はどのようにお考えでしょう?

 交通事故発生件数に関しては昭和45年をピークとして一旦減少、その後昭和51年を底としてどんどん上昇してきています。一方交通事故死者数はやはり昭和45年をピークとして昭和51年までに減少、その後は事故数は増えているものの平成4年をピークに交通事故死者数は漸減し、平成4年頃の約半数にまで減少しています。
 昭和45年頃以後、51年までの交通事故の減少はおそらく信号機などのインフラの整備によるものでしょう。しかし、鉄道廃線などで自動車需要の増加とともに事故数が増加してきているというのが推測されることです。
 一方、交通事故死の減少は平成4年以後の自動車の機械的構造の変換によるものだと思います。ちょうど平成4年頃からエアバックの導入が行われてきており、また、車の構造自体も衝撃吸収構造などで安全性を重視したものになってきています。

 これらから言えることは何か?事故においては加害者を処罰したところで何も変わらず、原因究明と重大事象につながる構造の変換こそが重要であると言うことです。
 航空事故や鉄道事故においてはアメリカを出発にこれらの研究がよくなされており、医療事故においても同様の研究から、医療事故に関して事故当事者の刑事処罰がなされるのは故意や極めて悪質なものに限られ、それも告発は第3者機関からなされるようになっています。

 司法・立法の関係者はもっとこれらの点について考えるべきではないでしょうか?

>ないかい2さま
はっきり言います。こういうつまらん混ぜっ返しは本当に不愉快です。
私はこれまでのエントリーで、医療崩壊は全て医師の責任だ、などと断じたことはただの一度もありませんし、行政や患者の非を棚に上げたこともありません。お疑いなら過去のコメントを全部見直して頂いても結構です。
無理なら無理で勝手にギブアップしていただいてかまいませんが、だったら、こんな脊髄反射みたいな下らん茶々を入れずにROMに徹してください。

みみみさんのコメントは、医師性悪説ありきで言ってるように見えますから医療者の方はとても不愉快でしょう。二言目には「医師に何か落ち度は無かったのか」ですから。そういう言い方をされていい気に思う人はいません。みみみさんに悪気は無くてもね。提言無いのに最初に茶々を入れたのはみみみさんの方なのですから、茶々入れずにROMに徹しろというなら、まず最初に手本としてみみみさんが退場してくださいね。

 一般論として言えば、複数の当事者が絡む問題が生じた場合に、その問題が発生した原因が一人だけにあるという場合は少ないと思います。
 原因という言葉を責任の所在と区別した純然たる要因の一つと考えた場合には、関係当事者のうちに原因がない当事者がいる、つまり完全にとばっちりを受けた当事者がいるという場合はレアケースだろうと思います。

 みみみさんが、指摘している医療側の問題というのは、責任の所在と区別した純然たる要因の一つという意味での問題だと思われます。

 そうであるとすると、みみみさんのコメントを

>医師性悪説ありきで言ってる

と読むのは誤りであると思います。

 福島の事件を例にあげれば、検察の医療に対する無知・無理解が不当起訴の原因である、という理解に立ったとしても、医療側において、検察に十分理解させる努力が不足していたことが不当起訴の原因の一つであるという見方がありうるのです。

 しかし、このような見方を非医療側の人間が指摘した場合は、検察擁護者の責任転嫁発言に聞こえてしまいます。
 実際にそのような医療側の努力不足が仮にあったとしてもです。

 ですから、医療側の問題は医療側から自己批判としてお聞きしたいのです。

 このブログの常連の皆さんは、医療側が自己批判をしたからといって、

 だから医療崩壊は医療側の責任なんだ。

などと言う人はいないと思います。

 医療側にも問題がある、患者側にも問題がある、司法界にも大きな問題がある、さてどうするか。

と考えることが前向きに考えるということなのではないでしょうか。

 医療崩壊の問題は、一人一人の医師が目の前の患者さんの治療に寝る間もおしんで全力を挙げるだけでは解決しないのではないでしょうか?

 だからこそ、私は、このエントリのタイトルにおいて「制度論」という言葉を使い、「くれぐれも『前向き』という姿勢でお願いします」と申し上げたのです。

 みみみさんのいう「努力」とないかい2さんのいう「努力」は意味がずれていませんか?

 一部の方かもしれませんが、どうか「批判」を「攻撃」または「非難」と受け取らないでください。

 言葉尻をとらえた反論は無益です。
 言わんとすることを忖度する姿勢を持つようにしてください。
 みなさん、高い知性をお持ちなのだから。

訴えないこと、との医師の希望に批判がありましたが
医師は裁判を信用していないのです。公正に裁かれる、
ミスがある場合のみ裁かれるならばこの点に神経質に
はなりません。でも現状はミスが有ろうと無かろうと訴え
られ負ける。だから訴えてくれるなと言うことになるんです。

有名な論文(NEJM 1996;335:1963)
ここでその内容が大体わかります。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2489dir/n2489_05.htm
> 事故や過誤はまったく存在しなかったと考えられる事例の
> 約半数で賠償金が支払われている一方で,過誤が明白と
> 思われる事例の約半数でまったく賠償金が支払われてい
> なかったのである。それだけではなく,賠償金額の多寡は
> 医療過誤の有無などとは相関せず,患者の障害の重篤度
> だけに相関したのだった。

多くの医師は日本の現状もこの通りだと認識しています。

コロさん

アメリカの事例を紛らわしく紹介して、日本も同じだと論難されても。。。

コロさん
あと、「賠償金額の多寡は患者の障害の重篤度だけに相関」するのは正当なことだと思いますよ。

業過について。
交通事故発生件数は確かに増え続けていますが、事故数は当然全体の車両数、交通量に左右されます。保有車両台数は現在も毎年100万台前後増え続けており、車両一台あたりの事故数は戦後基本的には減少し続けています。
また、「抑止」は文字通り、「抑えとどめること」であって、刑法は事故数の急激な増加を押しとどめることはできても減少までは担えないでしょう。事故の抑制のための数ある対策の一つと考えるべきでは(仮に事故が増え続けても業過罪が効果がないからとも言えないでしょう。事故増加の要因は業過罪以外にあるのでしょうし、業過罪により増加比率が抑えられている可能性も考えられます)。
業過は注意義務違反を罰し注意喚起を促すものですが故意犯ではないので基本的には抑制的に処理されます。交通関係業過の9割近くは
起訴猶予ですし、起訴されても多くが略式命令です。例外的に特別重い注意義務違反を罰してるのであって、現実的には事故数全体の増減までは影響力は期待できないでしょう。これは医療事件でも同じで刑事事件にまでなるものは全体から見れば例外的な氷山の一角なのでは。

>医療者さん
>>ええと・・・・朝7時半から夜11時まで働き、土日も患者様の様子を見るため欠かさず出勤し、月8回当直(24時間拘束)されて、患者様にいつ訴訟を起こされるか解らず、夜勤明けもぶっ続けで勤務しているのに・・・

>だから何だというのです?
>先にも述べましたが,このようなことを書かれても,反発こそすれ,同情など全く
>いたしません。勤務医や研修医の勤務がきついこと,研修医の報酬が低いことな>ど何度も出していただかなくて結構です。再度ももさんの文章を引用しますが,

>>外部の人間から見れば、医師も厚生省も製薬会社も医療機器メーカーも「一蓮
>>托生」なのです。

>勤務医の労働環境に問題があるのなら,組合を作るなり,労働基準監督署に訴>えるなり,できることをやったら良いでしょう。 勤務医の労働環境を言い続けるの
>は良くて,医療関係者の報酬について言うのはダメなですか? ダブルスタンダード
>ですね。あなたの昨年の年収が360万円であるというだけでは,情報不足で役に
>立ちません。必要なデータを揃えることもできないのですか? データのうち,自身
>に都合の良い部分しか出していないではありませんか。

議論に全く関係のない話であるため、記載することははばかられるが、上記はTuHさんという方が「出産時障害公的補償制度」というスレッドで私に対して書いた文章である。あまりに敵対的で感情的な記載に絶句。した。失礼にもほどがあると思う。私の年収までも都合の良いデータと決め付けているが手取りがそれだけなのである。医療者の方ならお分かりと思うが、残業代もつかず、タイムカードもなく、一方的に極端に短い勤務時間を決められているのが非常勤医師で、その労働条件も医師のせいだといわれればそうかもしれないが、そこまでなんでもかんでもすべて医療者のせいといわれれば、あなたは問題を分析して考えていこうという気がないのですかと聞きたくなる。

管理人の方が言っておられるとおり、制度論について話をしたいとは思ってはいるが、常識の範囲を超えた感情的な言葉の応酬は終わりそうにない。「反発こそるれ同情など全く致しません」などといわれた場合、相手に冷静に議論する意志があるのかどうかも疑われるだけで、ただむやみに悪感情をかきたてられるだけである。

物の言い方というものがあるだろう。
私は、民事訴訟はしないことを求めるという医療者側の意見には疑問があるし、医療者側のもつ今までの非ということについても自分なりの意見はある。しかし、感情の応酬を行いたがるような人間が一部でも入って人の心を撹乱し続ける限り、建設的な意見の交換は困難でないかと判断する。この掲示板で建設的な議論は難しいと思う。

非医療者の方が医療機器メーカーも、製薬会社も、一蓮托生だと言いたくなる気持ちはわかるが、もっと知識をもてばその中のどういうところに問題があるかと分析的に思考していくのが通常の問題解決の方法ではないのか。医療業界の中でも政治に擦り寄る側、利潤を優先する側など複雑な事情がある。その事情を理解してから、構造を分解して理解してから考えていくのが次のステップではないか。何でもひとくくりにして不満を述べたところで進歩はないだろう。構造を知るなど、知識を利用することの意味がなくなってしまうではないか。

制度論の実質的な議論に寄与する文章でないことは申し訳ないと思うが、上記のことを感じたので書いてみました。

 私の娘は出生時低体重児で、低酸素性脳症による脳性四肢麻痺+ウェスト症候群、身体障害1級・療育手帳Aの、重症心身障害児(者)です。これまでのいくつかのエントリの対象でもあろうかと思い、ROMをやめて少し書かせていただきます。専門家の皆さんの中で畏れ多いことですが、失礼を承知で申し上げます。
 妻は娘の出生に至るまで、産科医の都合で病院を2度移り、出産は救急車での搬送先の第3の病院でした。私たちに不幸な経緯が重なっただけで、医師を含むスタッフの皆さんに対して感謝こそあれ不満はありません。娘の負った障害に対し、妻も私も責任などとりようもないし、当然誰かを責められるものでもないと理解しています。
 さて私は、医療システムと患者が対立関係にあるとは考えていません。大きい視野ではむしろ、司法制度・メディア対医療・患者、として対峙しているのではないかと思います。医療崩壊に対する制度論的対策、ということではなおさらではないかと思います。個別には司法対医療、患者対メディア、医療対患者など様々だろうと思いますが、制度を論ずるには不適と思うのです。ここをしっかりと押さえて議論しないと、拡散するばかりでいくつのエントリを立てても収束する方向には行かないのではないでしょうか。もしこの軸が正しいとすれば、第三者機関、公的保障、社会的合意による免責など、望ましい制度につき、多くを議論できるのではないかと思った次第です。

 別のエントリでの、いのげさん、ぞうさんさんのご意見には多くのことを考えさせられました。
Posted by: いのげ | 2006年08月11日 03:22 「第三者機関設置を急ぐべし」
Posted by: いのげ | 2006年08月13日 04:21 出産時保障制度や南山大教授の提唱される無過失保障制度は、
Posted by: いのげ | 2006年08月14日 02:06 意欲の問題と現状認識の問題
Posted by: ぞうさん | 2006年08月13日 23:30 ご紹介の小松先生のお話。規範的予期類型と認知的予期類型、

管理人さま
流れに乗らない話題で申し訳ありません。お邪魔であれば削除してください。

訴訟の影響についてですが、こんな例えではどうでしょう。
「景気悪化に備えて一人一人が貯金をすることは悪いことではないが、皆がすると消費が落ちて景気が悪くなる」
一人一人がやるのには全く非が無くとも、大勢でやると社会に悪い影響を与えることって結構ありますが、医療訴訟もそのうちの一つだと思います。
個々人が司法の審判を受けたいと思うのを制限してはいけないと思いますが、総数として訴訟が増えると訴訟リスク回避のために裁判になりそうな難しい症例は扱わないところが増えるでしょう。賠償の保険料もどんどん上がり、リタイアしていく病院も出てくるでしょう。結果、難しい症例の患者さんは治療を受けられずに死んでしまうことが増えるでしょう。今、救急を扱う病院がどんどん減っているのはご存知ですか?訴訟リスクが高くて割に合わなくなってきたからです。この症例を扱ってくれる病院は山越えて150キロ先の隣の県にしかありません、救急車で3、4時間、となる日も近いです。
個人の訴訟は制限しなくとも、全体としての訴訟数を抑える政策をとってもらわないと、悪い結果に終わるのは避けがたいと予想されます。
そういうのは本来は行政や立法がやるものなんですが…あんまりやる気なさそうですからねぇ。まあ混合診療にして費用に差をつければかなりの部分解決しますから、そうするんでしょうね。お金に余裕の無い人は辛い時代になりますね。

コロさんのコメントにあったアメリカの状況で、ちょっとご参考までに。

日本でもアメリカでも、裁判を起こすか否かは起こす人の意思次第ですが、日本とアメリカの民事裁判制度は大きく異なっており、引用されている部分との関連では、アメリカでは民事裁判でも一般市民が裁く陪審制度が取り入れられていることが大きいと思います。
陪審制度のもとでは、下手をすると理屈の世界ではなくなってしまいます。

ちなみに、日本では、刑事事件について、一般市民が参加する裁判員制度というのが開始されます。

それから、医療裁判を多く手がける弁護士の書いた本に、「リピーター医師 なぜミスを繰り返すのか?」(貞友義典著・光文社新書)があります。
著者の主眼は、いわゆるリピーター医師をなんとかしろというところにあるのですが、それは置いておいて、医療裁判の専門の弁護士の見方・考え方が垣間見れると思います。

>コメ様

おそらく「業過について」のレスは私のレスに向けてだと思いますので
返答いたします。

>交通事故発生件数は確かに増え続けていますが、事故数は当然全体の車両数、交通量に左右されます。保有車両台数は現在も毎年100万台前後増え続けており、車両一台あたりの事故数は戦後基本的には減少し続けています。

 ご指摘の通り、車両数、交通量が交通事故発生件数の最大の誘因であることは否めません。しかし、ここで奇妙な数字が現れます。昭和45年から昭和51年に至る6年間は交通事故発生件数、交通事故死とも減少しているのです。この間日本の日本の車両台数が減ったと言う話はついぞ聞きませんし、交通量が減ったという話も聞きません。これはなぜでしょう?この期間のみ、業務上過失致死傷の適用を厳しくしたのでしょうか?
 推測に過ぎませんが、昭和45年頃「(第一次)交通戦争」ということが新聞等でも叫ばれ、交通整理に関するインフラが充実してきたのがこの期間であるからだろうと推測されます。また、平成4年以後の交通事故死減少に関しては先のレスにも挙げましたが、車両構造の改革がこの時期に行われたからだと思います。このちょっと前の時期にドイツ・スウェーデンを中心にどういう状況で死亡事故が起こるかが盛んに実験され、自動車雑誌などでもこれが報じられました。これを受けて「安全は金になる」と自動車会社による車両構造の改革が行われたのです。

>業過は注意義務違反を罰し注意喚起を促すものですが故意犯ではないので基本的には抑制的に処理されます。交通関係業過の9割近くは
起訴猶予ですし、起訴されても多くが略式命令です。例外的に特別重い注意義務違反を罰してるのであって、現実的には事故数全体の増減までは影響力は期待できないでしょう。

 まさにご指摘の通りです。であれば、業務上過失致死という罪名そのものが不要なのでは?また、さらに問題なのは交通事故であれば9割が起訴猶予となる、つまり重過失以外での起訴はほぼなされないのに対し、医療事故では大野病院事件のように、あるいは杏林割り箸事件のように明らかに重過失ではない事例で起訴されるのはなぜでしょう?

民473さん

>クレーマーのために医療制度が崩壊する」という論調が多いように思えますが、「本当かよ」と思います。「クレーマー」であれば、裁判しても負けるだけなので、最高裁まで付き合えばおしまいで、医療制度を崩壊させるほどのことでもないと思います。

現場の士気喪失に関わっている大きな一因にはなっていると思います。
クレーマーとまでいうのは一部だけれども患者さんとの対応の場面の変化、ということです。
もちろん割り箸、心筋炎、それに大野の事件は衝撃的でしたが、それらは社会全体の風潮を反映させたものにすぎないとも言えます。
クレーマー呼ばわりされる患者さんの行動が患者さんの立場に立てばもっともなものである、というのは分かります。医療というものに対する認識の食い違いが非常に大きい。
医者の立場からいうと、圧倒的にトラブルケースが多いのは救急での一見さん相手です。
医者としては通常勤務の間に当直なんて当然したくはない。それは勤務先での職務上の条件としてやるわけだけど、一応自分がやらなきゃ困る病気の人がいるから、とかそういう倫理上の責任感みたいなものがあってやっている。疲れるし翌日の仕事に対する責任もあるけどとにかく「最低限」はやろうと。
そこで医者が考える最低限っていうのは、生命予後を改善するための医学的な行為、の上に主として置かれてしまいます。
それは患者さんから見ると無愛想で寝起きのような顔で下りてきて異常所見が見当たらないからと軽くあしらわれ、あるいは重症なのにろくな説明もなく検査・処置をすすめる態度の悪い医者ばかり、ということになる。
求められているのはコンビニの店員程度の愛想の良さ、どころか場合によっては高級ホテルの訓練されたスタッフ並みの懇切丁寧さです。何せコンビニ弁当や高級宿泊施設どころでない、大事な生命を扱われているわけだから、これももっともなことであると思います。
それにしても、
伝言ゲームのように言ってないことを言ったとされて
休日の夜に呼び出され病室で家族に取り囲まれて怒鳴られるのも
世にありふれた些細なクレームだとしても凹みますし
殺人者扱いで最高裁まで付き合わされるようなことがあったら、自分なら医者をやめます。
大野の先生は、臨床に復帰されるのでしょうか…?

まあ別に医者が悪いと言ったって患者が悪いと言ってみたって大した違いはないので、
とにかく時代は変わっています。
訴訟も、患者の立場が強くなるのもそれ自体悪いことではないと思います。
ただ「十分な説明」「対等な医師患者関係」
どっちかが単純に反省したところで天から降ってくるものじゃありません。
処置時のガーゼを節約したり、ジャスコで点滴台の代替品を探せば解決するような話でもない。たぶん。

>「賠償金額の多寡は患者の障害の重篤度だけに相関」するのは正当なことだと思いますよ。

つまり同じミスをしても、あるいはミスをしてもしなくても、原疾患の重篤度が高いほど重責を負わされる。
それは正当だろうがどうだろうが、たらいまわし推奨とまでいうとあれですが、
著しく産科をはじめとする各科のモチベーションを損なう気がしますね。

当然いのげは二冊とも既読です

コロさん
引用されている文章は,「訴える=医療側が罪になる」ではありませんね。それならば,適切な判決が出るようにするにはどうすれば良いか,例えばどなたかが提案された医療裁判所の設置等を考えるのが良いのでは? 「医師は裁判を信用していない→訴訟するな」は,江戸の仇を長崎で討つようなものです。

また,これは表現の問題なのですが,「民事訴訟を起こさないこと」というような,濫訴を否定しているのではなく訴訟は全くダメであるかのような表現は,反感をかってしまいます。「訴訟を一切するな,という意味ではない」というのであれば,「『訴訟をするな』には『一切』は入っていない」ではなく,「理不尽な訴訟はするな」と意図を明示したほうが誤解無く済むでしょう。同一投稿中に説明があれば,そのような表現もかまわないとは思います。同様に「医療側の責任は無いのか」ではなく「医療側の責任は全く無いのか」としたようが良いでしょう。
先のエントリが荒れたようになった一因には,表現に問題がある文章が多かったことがあると思います。問題がある表現には,上記のような不正確な暗黙の了解を求めるような表現の他に,不用意な断定的,独善的な表現,他者に無配慮な表現が含まれます。例示が必要なら挙げられますが,とりえず止めておきます。

場違いですが,一点だけ反論します。

医療者さん

あなたの収入情報には,年齢,勤務年数等がデータがありませんでした。研修医や公的施設の勤務医の年収が低いということは,少なくともここでは既知と解釈します。従って,あなたがそのような立場であるというのであれば,既存情報の補完ということで意義はあるでしょう。あなたは誰からも求められたわけでもないのに年収情報を出した。にも関わらず,データの一部であるはずの年齢や勤務年数等は出さなかった。(他の方々の情報は,具体的でこそないにせよ,容易に推定可能な情報がある。)そこには,情報を隠す意図があったと疑われてもしかたがないと思う。また,ここで新たに明らかになったことで,非常勤であること,年収360万円というのは税込み支給額ではなく手取りであることがあります。単純に所得税10%としても手取り年収360万円は税込額は400万円となるが,他にも住民税や各種控除項目がある…というように生活状況等によって手取りは変化するし,誤解による違いも無いよう,特に勤務者ならば税込み支給額で比較するのが普通です。また,一般に,常勤・非常勤を比較した場合,名誉職でもない限り非常勤のほうが低報酬でしょう。
失礼にもほどがあると言われるが,以上のように,あなたに都合の良いデータが隠されていたのは事実です。なお,データを出さなかったのが意図的ではないのであれば,改めて「必要なデータを揃えることもできないのですか?」と問いかけることにしようと思います。

他の件は,推して知るべし。

なお,文頭に記しましたように,本件についてこのエントリに書くのはこれ限りとします。書くなら,前のエントリ「出産時障害公的補償制度」の方に…。

田舎内科医さま
書かれたことを読み返しても、「クレーマー」がそんなに大きな問題とは思えないのですが。「医療崩壊」が本当に起きるとしても、その原因は他のところにあり、クレーマー問題は極めて小さい問題だと思います。また、「クレーマー」はどの業界にでもある問題だし、国民の裁判を受ける権利は憲法が保障する権利だし、迷惑でしょうが、小さな問題として付き合わざるを得ないのではないでしょうか。

むしろ、「医療崩壊」の本質的な原因を話した方が良いと思います。

「賠償金額の多寡は患者の障害の重篤度だけに相関する」件ですが、
(1)過失がある場合は、損害額が重篤度に比例するため、賠償額は重篤度に相関する
(2)過失がない場合は、賠償額はゼロ
(1)(2)を統計的に処理すると、賠償額は重篤度と相関を持つ、ということではないですか?
特に(1)が問題だと主張すると、法律の人間からは総攻撃を食らうと思いますよ。

不当な医療訴訟、クレーマーに限らず、実数として多いか少ないかという議論は実のところあまり意味がないんじゃないかと思いますね。そういう問題が最近多いと現場の医者が感じている、その事実こそが医者の行動に影響する要因になっているわけですから。
どんな患者であっても受診されれば拒むことは出来ない法的縛りがある、医学的に正しいか否かに関わりなく巨額の賠償金を請求される、いつ何の故によって起訴されるかも知れずその基準すら明らかにされない。結果の重大性によってのみ判断されるというのであれば、いずれ誰もが死ぬ人間という存在を扱う医師にどんな救いがあるというのでしょうか?
「地雷原」の中に自ら足を踏み出すのは勇気なのか蛮勇なのか?敢えて別な道を選ぶのは卑怯なのか英断なのか?今の若い連中の方がよほどそうしたリスクには敏感になってきているし、現状で割に合わないと判断し撤退する者を非難しようとはとても思えません。
国民が医者の行動に注視しているのと同じように、医者も国民の判断を見守ってますよ。何も今すぐ制度的に完璧なものなんて求めてるわけじゃない。現場の人間がこれならもう少し頑張ってみようかと思えるような「気持ち」を見せてください。

民473 さま
-----
「賠償金額の多寡は患者の障害の重篤度だけに相関する」件ですが、
(1)過失がある場合は、損害額が重篤度に比例するため、賠償額は重篤度に相関する
(2)過失がない場合は、賠償額はゼロ
-----
ならば、賠償額は過失の有無に相関するはずですが。

duさま そうですね。私としては、(1)が言えればそれで良いので、原典の記述が正しいかどうかには懐疑的です。

確認ですが、前回および前々回の民473さまの記述を文字通りに受け取れば、
「賠償額が過失の有無に相関しない」すなわち過失がなかろうが重篤度が高ければ賠償が発生するのが「正当」であると読めます。
それは意図したことではないということで良いのですよね?

この件についておっしゃりたいことはむしろ「原典の記述が正しいかどうかには懐疑的です。」と受け取らせていただきます(私もこれに限定すれば正直少々懐疑的です。本当ならばひどいと思いますが)。

私としては、(1)が言えればそれで良いものです。

「クレーマーをが提訴することをなくすべきだ」という話をしても「せんないこと」なので、「裁判所が信用できるか」という話ですが、民事に関しては良い仕事をしていると思います。

上の方でアナフィラキシーショックについて述べていらっしゃる医療関係の方がいましたが、裁判所の判例集で検索すると、相当数判例があり、ほとんどは患者敗訴になっています。そのなかで、説明義務やショックに対する救命義務などが判示されています。(具体的判例についてのコメントを書いたのですが、リンクを張りすぎてholdされてしまいました。)

薬の能書きに、アナフィラキシーショックの可能性があると書いてあり、投薬の緊急性、必要性が高くなかったにも係わらず、説明をせずに投薬したケースでは患者側が勝訴していますが、「予見できなかった」とか「説明しても投薬したに違いない」とか「アレルギーテスト中にショックが起きた」とかのケースでは患者が負けています。

医療関係者の方は、裁判所のどこが信用できないのでしょうか。

duさん、横からすみません。

「賠償金額の多寡は患者の障害の重篤度だけに相関する」の件です。

実務では損害賠償を請求する場合、「損害」の賠償を請求するわけですから、まず損害額の確定をします。
被害者側に発生した損害額を客観的に確定するのです。
損害額の計算方法はほぼ確立していて、積極損害(治療費、休業損害)、消極損害(障害に基づく遺失利益)、慰謝料を足し合わせて計算します。
後遺障害についていえば、その人の障害の程度に応じてその後の遺失利益を計算します(行為者の過失の重軽は無関係です。)。
民473さんがおっしゃっている「賠償金額の多寡は患者の障害の重篤度だけに相関」するのは正当なことというのは、こういう意味においては正しいと思います。
で、その後で、その損害額を、誰に対して、どの程度の割合(過失相殺の問題)で請求できるかが検討されていくのです。
医療事故の場合、素因減額(死という結果の発生に既往症が影響しているような場合)がされることがないとはいえませんが、交通事故のような大幅な過失相殺がなされるケースは少ないでしょう。

僻地外科医さん、コメさんのおっしゃる交通関係業過の9割近くは起訴猶予というのは、業務上過失致傷を含めてのことだと思います。
交通事故で人が死亡した場合、検察は原則として公判請求です(=起訴して裁判にかけ禁固刑を求刑する。)。
警察・検察は、人の「死」という結果を非常に重視します。
ただ、被害者側にも過失があるような場合、その度合いに応じて、検察は、罰金刑や起訴猶予(不起訴)で済ますようなこともあります。

いろいろ皆さんのコメントに横槍をいれておりますが、悪意はありません。
お許しください。

>PINE さん

 管理人としてはPINE さんの適切なコメントに感謝しています。

>交通関係業過の9割近くは起訴猶予

 統計は確認していませんが、検察は、軽傷の業過致傷事案は原則として起訴猶予にしているはずです。

 また、業務上過失致死事案においても、検察段階まではあくまでも【被疑事件】ですから、捜査の結果過失がない又は疑わしいとなった場合は、嫌疑不十分として不起訴になります。
 これは交通業過に限らず、医療過誤事件でも同様です。

 ただし、交通業過事件は、基準検察と呼ばれており、過失の存否と程度について、かなり明確な処理基準が確立しているのに対し、医療過誤事件については、過失の存否の認定はケースバイケースであり、検事の仕事としてはかなり難しい部類であると思います。

 つまり、検察における医療過誤事件の処理基準はいまだ確立されておらず、これからさまざまな要因によって大きく動きうると考えています。
 「動きうる」ということは「動かしうる」ということでもあります。

民473さん。
> 「賠償金額の多寡は患者の障害の重篤度だけに相関」するのは正当なことだ
医療側の過失の有る無しに無関係にという条件が抜けています。
過失が無いのに結果の悲惨さで賠償額が決まるのはたまらないという話です。

TuHさん。
> 例えばどなたかが提案された医療裁判所の設置等を考えるのが良いのでは?
結構なことだと思います。今よりはましになるかもしれません。
結果の悲惨さと、過誤が有ったか無かったかは無関係。量刑や、賠償額を決定する時にのみ意味がありますが、過誤があるかどうかの判断にも大きな影響を与えていると感じています。それ医療裁判所で本当に取り除けるのか?わたしには疑問です。

>僻地外科医 さん
いわゆる第一次交通戦争の時にさまざまな方策(その中には罰則の強化や交通取り締まりの組織的強化も含みます)により事故数を減らしたことは事実でしょう。刑法の運用はあくまでその一部であろうと思います。

>医療事故では大野病院事件のように、あるいは杏林割り箸事件のように明らかに重過失ではない事例で起訴されるのはなぜでしょう?

なぜかと問われれば、検察はそう判断しなかった、という以外答えようがないと思います。たしかに個別事件に対する検察の判断に対する賛否はそれぞれあると思いますが、それでもなお、マクロで見れば、日本の司法は医療事故・事件には抑制的だと思います。年間に民事の医療訴訟は現在約1000件です。一方、検察が起訴し有罪になる医療事件は20件ほどです。民事も含めてこの数字は実際に起こる医療事故・事件の一部分だろうと思われます。また民事訴訟を起こす人もほとんどは最初から民事を希望するわけでは無いと言います。最初に弁護士に依頼するときは、刑事告訴を求める事が多く、警察・検察、あるいは弁護士から、よほどのことでないと刑事は難しいと諭されて民事裁判に切り替える人が少なくないそうです。しかも民事としても、専門性が高く時間も通常事件の2倍かかり当然その分費用も掛かる医療事件は訴える側にとって決して楽な道ではありません。それでもなお日本の裁判では医療訴訟の勝訴率は通常事件の2分の1であり、やはりマクロで見れば抑制的と言って良いでしょう。

http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0221400/js/another03.html

 民事医療過誤訴訟というのは、被告医師対裁判所という対立構造というよりは、被告医師対原告側医師の対立構造のように思います。
 そして民事訴訟の建前上は、被告医師の過失の存在が事実認定としてグレーゾーンにとどまる場合は原告は負けることになるはずです。

 民事不法行為法の最近の動向について不案内ですので、不正確であればどなたか訂正願います。

私は、「被告民間病院や医師会契約の保険会社(保険会社代理人弁護士)VS原告」という対立構造も多いと思います。
保険会社のおかげで確実な支払いが受けられる反面、保険会社も営利企業なのでそう簡単に支払いをするわけにもいかず、いきおい裁判所のお墨付き(訴訟で決着)があれば支払うみたいなことになるからです。
そして、原告の保険会社とのゴタゴタが、医師に対する処罰感情にも影響している面も否定できないと思います。

医療側にも問題はあるでしょう。
それは、患者一人当たり、極端に低い診療報酬を容認してきたこと。
患者受診数の割りには医者の数が少なかったこと。
結果的には、それが医療の質の低下を招いていたにもかかわらず、
根拠のない根性論で、自分たちが思う理想の医療を続けてしまった。
これは前世代の医師達が猛省すべきことかもしれない。

いみじくもモトケンさんが
>医療崩壊の問題は、一人一人の医師が目の前の患者さんの治療に寝る間も
>おしんで全力を挙げるだけでは解決しないのではないでしょうか?
とおっしゃってます。
実は、日本の良心的なお医者さん達はそうしてきたと思うのです。
モトケンさんのおっしゃることは正論だと思います。
でも、そのことばは、報われない努力を頑張ってきた日本のお医者さんの
最後の気力を砕くには十分な破壊力を持っているような気がします。
小松秀樹先生が「医療崩壊」の中で言っているのは、実はそういうことなのです。

勝った負けたではなく、民事訴訟が起こされることだけで自殺する
心の弱い医療者は確実にいます。

交通レジームや航空レジームと医療レジームは、当然異質な物です。
僻地外科医氏の主張は、悪者探しでは安全性の改善は図られないということです。
これも小松先生の本で詳述されています。

>>たぬきさん
ありがとうございます。貴方の娘さんに幸せがありますよう。

 結局現状の形式では、適切に事故・過誤の認定ができず、不適切な司法判断で社会全体のコンセンサスをゆがめ、事故・過誤防止には役立たず、防衛医療となり、さらには将来的には訴訟費用の増大で皆保険制度の維持さえ困難なことが予想されます。

 今後新しい システムを作る必要があると思います。

 その上で、司法関係者の自浄作用はとても参考になると思いますから、是非学生さんだけでなく実際に働かれている方に私の質問に答えていただければと思います。


>司法関係者はご自分達のお仕事に対して外部からどのように監査されているのでしょうか。
 勉強不足で知りませんので教えてください。
 上級審で判決がひっくり返った下級審の裁判官は処罰されるのか?これもあるいみ業務上の過失ですよね。
 敗訴した弁護士はクライアントから訴えられるのは一般的なのか。
 誤認逮捕した警察・検察はどうなのか。
 司法判断が間違っていたことに関して、逮捕されたりするのか。

 多分司法の独立性とか言って、まったくお咎めなしなのではないのでしょうか。せいぜい左遷程度ではないのでしょうか。

 つたない質問ですいません。

なぜ裁判所が信頼できないと医者はそんなことばかり言うのか。
そういう疑問が法曹界の方がおっしゃることは理解できます。
法曹界の方のおっしゃることは正しいのです。問題があると思う記述は見ませんでした。また、医療訴訟は抑制的で、マクロで言ってよい仕事をしている、ということは私の勉強不足で知りませんでした。言われてみればそうだろうと思いました。

それならば、どこが医者が不満というのか。正しくてどこも間違いがないではないか。これ以上どこに問題があるのか。と法曹界の方が思われるのは当然かなと思います。

ただ、私のようなものが、医療事故について知るのはマスコミの報道を通してが殆どです。わざわざ鑑定医の意見がどうだったか、まで詳細に追うのはその中でも異常だと思われる事件だけです。そういう選別を経て得た情報はわれわれを恐怖の底に落とします。法廷には医療現場のことをわかる人が(鑑定医も含めて)全くいないのか、と絶望的な気持ちになるのです。マクロでいくらおおむね正常な判断がなされているとはいえ、数個のトンでも裁判に自分が直面しない保障はありません。

その理由を法曹界の方にわかっていただくには、マクロな結果だけでなく、ミクロな問題(心筋炎の訴訟のどういう点が医学的に理不尽と考えられるか、や、割り箸事件の何が衝撃かなど 他にも民事でも沢山ありますが)を細かく指摘しないとなかなか解っていただけないような気がします。それは過去の判例をいじくるだけで、あまり建設的ではないようなきもしますが、そうでもしないとなかなかわかっていただけない気がします。

ただ、それをはじめると一個一個の判例について長大な議論(というか言い合い)が繰り広げられるでしょう。それは管理人さんの望みでしょうか?

他のブログやネットで探せば、個々の判例について医師が問題点を指摘しているところはいくらでもありますし。

ただ、医療者側が持つ、刑事訴訟・民事訴訟とそれに関わる人々に対するどうしようもない深い不信感を理解していただくにはそれしかないと思います。それは非常に大変な作業で、一掲示板で収まるような問題ではないくらい大きな大きな問題なのです。

ここの管理人さんがどこまで議論することを望んでおられるか、おそらく何百のコメントが延々と続くことになると思いますがそこまでやったほうが良いとおもわれるのか、どうなのか聞きたいと思います。

それが困難であるならば、ここで議論するだけで医療者側の裁判所への不信を法曹界の方にわかってもらえるようになる、ということは困難であると思うのですが、どうでしょうか。

ちなみに、私がいつも感じるのは、病院は病人が集まる場所であり、生存する力のなくなった人々が集まる場所で、死亡という重大な事態になっても、それが患者さんの病気の経過か、医療側の過失かを判断することが非常に難しいということです。これを言うと必ずそれは同業者のかばいあいだという人もいるようですが、病院は次々人が死んでいく場所で、医療者はそれを何とか阻止しようとお手伝いはしているものの、重症な人はやはりもともと死が近いところにあるのです。

また、鑑定医というものも、どうやって選んでいるのか、臨床能力に疑問がある人もおります。そういう問題はいつも感じています。

>ここの管理人さんがどこまで議論することを望んでおられるか、おそらく何百のコメントが延々と続くことになると思いますがそこまでやったほうが良いとおもわれるのか、どうなのか聞きたいと思います。

 管理人からお答えします。

 より多くの医療関係者の方が発言されるのであれば、そして主として現状をよい方向へ変えようという意識のもとに発言されるのであれば、何百のコメントが続いたとしても、私はこのブログが議論の場となることを光栄に思います。

 私としましては、このような個人ブログでの議論がどの程度役に立つのか自分自身で疑問に思うところがあるのですが、このエントリに限っても1日半程度しかたっていませんが約2000PVを数えています。
 たかが2000ですが、私のモチベーションの維持にとっては十分な数字です。

 それに、この議論の発端は地方の医師不足と訴訟問題であったわけですから、医療側とともに司法界の問題が議論されなければならないわけですが、その面についての議論は相対的に少ないと思われますので、議論はまだまだ不十分といえます。

 できれば特命検事ならぬ匿名検事からの投稿も期待しつつ、私としては続ける気十分です。
 ただし、コメント数が増えてきますとページがかなり重くなりますので、適当なところで続行エントリを立てることにします。

 また、他の話題のエントリも立てますので、その点はご了承願います。
 このブログの目指すところはごった煮ブログでもありますので。。。

元研修医さん、つたない説明になりますが、私のできる範囲でご回答します。

‐綉蘓海波酬茲ひっくり返った下級審の裁判官は処罰されるのか?これもあるいみ業務上の過失ですよね。
→上級審で判決がひっくり返っても下級審の裁判官が処罰されることはありません。
裁判官は、職権行使の独立が憲法上保障され(76条3項)、良心に従って判決をすればよいことになっています。
憲法81条が最高裁判所をして終審裁判所としていることは、下級審の判断がひっくり返されることがありうることを当然の前提としています。
ちなみに業務上過失致死傷罪における「業務」とは、「社会生活上の地位に基づき反復継続して行う行為であって、生命身体に危険を生じ得るもの」をいいます。
裁判行為それ自体は、生命身体に危険を生じうる行為ではありませんので「業務」ではありません。
参考までに、自動車の運転は「業務」ですが、自転車の運転は「業務」ではありません。

敗訴した弁護士はクライアントから訴えられるのは一般的なのか。
→一般的とはいえないと思います。
多くの弁護士は、事件を受任するときに、負け筋の事件は分かります。
クライアントには事件の見通し等を説明したうえで、受任します。
ただ、よく説明しても、一生懸命事件処理をしても、依頼者から、損害賠償請求をくらったり、懲戒請求をくらったりすることはあります。
多くの弁護士は弁護過誤保険に入っています。
懲戒請求に対しても粛々と対応しているようです。

8軫逮捕した警察・検察はどうなのか。
→刑事訴訟法は、誤認逮捕等が起こりうることを前提として制度設計されています。
逮捕とは、犯罪を疑う相当理由があるときに逃げたり証拠を隠滅したりしないように取り敢えず身柄を警察・検察が確保する制度です。
逮捕は「取り敢えず」的な処分のため、逮捕そのもの争う手段は法律上ありません。
明らかに違法逮捕でも、その時点で弁護人は警察に抗議するぐらいしかできません。
なお、逮捕時の状況から誤認してもやむをえないという事情があれば、最終的に誤認逮捕だったとしても、違法にはならないと思います。
捜査機関の職務行為については、特別公務員職権濫用や特別公務員暴行陵虐罪、特別公務員職権濫用等致死傷罪、収賄罪等に該当すれば、処罰されます。

せ碧“獣任間違っていたことに関して、逮捕されたりするのか。
裁判官には職権行使の独立が認められております。
罪刑法定主義のもとでは罪と罰が法律に定められていなくてはなりませんが、司法判断が間違っていたことを処罰する法律はありません。


元研修医さんからみれば、ずいぶん守られているなという印象かもしれませんが、憲法や刑法、刑事訴訟法の仕組みがそうなっているのです。

>ぞうさん さん

 私は、医療崩壊の問題は制度論に関係する問題であり、その意味で政治的、政策的、行政的な問題であるので、個々の医師の努力ではどうしようもない面があるのではないかということを指摘させていただいたのです。

 個々の医師の努力が報われるためには、どうすればいいかを考えるべきではないでしょうか。

 いなか小児科医さんからトラックバックでご意見をいただきました。

それで、医療側から言って、今の裁判の何に不満なのでしょうかね?

刑事のことはよく知りませんが、民事についての批判というのは、医療側の誤解が相当あると思いますが。

 PINEさん、わかりやすいご説明ありがとうございます。


>裁判官は、職権行使の独立が憲法上保障され(76条3項)、良心に従って判決をすればよいことになっています。
憲法81条が最高裁判所をして終審裁判所としていることは、下級審の判断がひっくり返されることがありうることを当然の前提としています。
ちなみに業務上過失致死傷罪における「業務」とは、「社会生活上の地位に基づき反復継続して行う行為であって、生命身体に危険を生じ得るもの」をいいます。
裁判行為それ自体は、生命身体に危険を生じうる行為ではありませんので「業務」ではありません。

 つまり、裁判官は良心に従って判決をくだせば過失の有無を問われないのですね。
単純な疑問ですが、では医師はどうしてそうではないのでしょうか。

 「人殺しをしよう」と思って医師になる人はいません。事故にしろ過誤にしろ責任をとるということは、患者さんに事実を説明し、謝罪し、金銭的な保障をし、再発防止をすることではないのでしょうか。良心にしたがって行った医療行為の結果に対して、懲罰的に社会から抹殺して医師としての人生を終わらせることが、必要なことなのでしょうか。

 刑法上の業務の定義わかりました。でもそうすると直接命に関する職業をしている人はその職業に携わることで良心に従って行動し最善を尽くしても潜在的に犯罪者になる可能性があるのですね。
 特に医療は医師・看護師免許などによって刑法上傷害罪に当たることが可能(人の体に傷をつける。手術も、注射も、薬も。)です。医療は結果を保証はしません。そうすると過失の認定の線引きはどこにあるのでしょうか。

 命に関わる職業は必要不可欠なのに、守られる法律はなにもないのですね。

 福島の件、全国の医師の士気を低下させるのに充分だったと思います。「患者さんが亡くなったことではなく、医師が逮捕されたことに反応するなんてけしからん」というお叱りも受けますが、正直逮捕の映像を見て涙が出ました。もう日本で医師はできないと思いました。

 刑事事件で告訴された場合、告訴されてどのくらい有罪になるのでしょうか。
 私が知る最近の医療事件では、割り箸:一審無罪、東京女子医大:(ポンプを回していた医師)一審無罪/(カルテを改ざんした医師)一審有罪、青戸腹腔鏡:一審有罪、福島事件:公判中(不当逮捕ということで全国的な医師の運動

 まだまだどれも最高裁までいってませんが、刑事事件としてこの無罪率高くないですか。一般の事件もこんなものですか。

 司法が医療事故・過誤に対して刑事事件的に抑制的と言っても、今年にはいってから書類送検が頻発しています。

 東京女子医大の当事者の方の「紫色の顔の友人を助けたい」というブログがあります。何人も救えたであろう医師が一審無罪判決を受けながらも、社会的に抹殺されています。

 福島の件はどうなるかわかりませんが(無罪になると信じていますが)、大野病院に産婦人科医が来る事はないでしょう。そればかりか、その近辺では心臓外科医も撤退したと聞きます。

 本当にこのままでいいのでしょうか。これが司法・マスコミ・国民の望むことなのでしょうか。

>コメ様、モトケン様
 解説ありがとうございます。ですが、なにが医療者にとって司法不振の元になっているか、コメ様、モトケン様の発言からはっきりしたような気がします。

>なぜかと問われれば、検察はそう判断しなかった、という以外答えようがないと思います。たしかに個別事件に対する検察の判断に対する賛否はそれぞれあると思いますが、それでもなお、マクロで見れば、日本の司法は医療事故・事件には抑制的だと思います。

> つまり、検察における医療過誤事件の処理基準はいまだ確立されておらず、これからさまざまな要因によって大きく動きうると考えています。
 「動きうる」ということは「動かしうる」ということでもあります。

 この2つのレス、ここが最大のポイントです。司法が(我々から見て)明瞭な基準を持ち刑事訴訟を起こすなり、あるいは民事訴訟で医療者側を敗訴にする(あくまで医療の現実に即して・・・ですが)というのであれば、これほど医療者側からの反発、不信は無いと思います。

また、先に民473様が
「薬の能書きに、アナフィラキシーショックの可能性があると書いてあり、投薬の緊急性、必要性が高くなかったにも係わらず、説明をせずに投薬したケースでは患者側が勝訴していますが、」
とおっしゃっていますが、現時点においてアナフィラキシーショックを起こす可能性が「全くない」薬はほとんどありません(おそらく、輸液、生理食塩水ぐらいのものでしょう)。つまり、ありとあらゆる新患において毎回アナフィラキシーショックの可能性について説明して投薬ないし処置することが要求されていると言うことです。これを現実の医療に当てはめるとするならば医師数は少なくとも今の10倍必要です。患者一人あたりの診察時間を(新患に限ってでも)いまの10〜20倍取らなければなりませんし、新患と再来の患者さんが混じってくれば再来の患者さんを異常に待たせる事態が生じますので、各診療科ごと新患専門の外来スタッフが必要になります。
 また、保険医療の現実を無視した民事判決も多数あります。「保険で認められていない場合においても、患者の生命に関わる場合、検査をすべきである」という判決は多数有ったと思います。
 患者さんの立場に立てばもっともな判決ですが、現在のように診療報酬をどんどん抑制されている状況においてこの判決を文字通り受け止めるとすれば、民間医療機関は倒産するしか無く、公的医療機関においては赤字を抱え、そのツケを自治体・国に押しつけるしか無くなります。

 問題は基準が我々から見て明確でないことです。しかも現実に民事では先に私が挙げたキシロカイン・アナフィラキシー訴訟、TEN訴訟のような判決が出ているわけです。
法曹関係者ですら「検察がそう判断しなかったとしか言いようがない」と言われるものを我々がどう判断するのでしょう?これでは我々にとって医療行為はロシアンルーレットに他なりません。我々にとって(医療の現実に即して)対策を立てうるものであるならば、それほど訴訟を恐れるものではないですが、現時点の逮捕・判決は我々にとって対策の立てようがない、強いて言うなら医療現場を放棄する以外対策しようがないものであるからです。

 もちろん、判決の方が正しく医療現場の常識が間違っていると思われた判決もあります。これも民事ですが「腰椎麻酔後、高位脊髄麻酔となって死亡した症例(確か、これも産科麻酔だったように記憶しています)」で「麻酔時にヴァイタルサインを5分ごとにチェックするのは医療現場の常識的習慣である」との被告の主張に対し「生命に関わる場合、5分ごとのチェックに拘泥するのは妥当ではない」という判決があったと思います。確かに脳細胞は酸素供給が途絶えてから3分で不可逆的変成が起き始めますから、この記事を読んだとき確かにその通りだなと思ったものです。

 私が指摘した点から考えて、すでに医療事故は民事・刑事とも現在の司法の枠でコントロールできるものではないんじゃないでしょうか?やはり、どう考えても専門の医療事故調査機関を設け、民事的解決も刑事的解決(行政罰あるいは悪質なものについては医療事故調査機関からの告発)もそこで行う方が合理的に思われるのですが。
まさにぞうさん様が私の発言をフォローしてくれたように「悪者探しでは安全性の改善は図られない」だと思います。

 自動車が日本で走り始めた当初から交通事故は起こっていました。
 そして人身事故は業務上過失致死傷罪として処理されていました。
 誰が処理していたかというと、運転免許を持たず、したがって車の運転をしたこともとない、場合によっては車に乗ったこともない検察官が起訴し、これも車を運転したこともない裁判官が判決していたのです。
 その結果、運転者(加害者)はほとんど結果責任的に有罪になっていたと、ベテラン副検事に聞いたことがあります。

 そして、「一億総前科者」という言葉も聞かれるようになりました。

 しかし、車の一般化に伴い、法曹や学者も車の運転を経験するようになって、運転者の刑事責任を限定する方向で理論的な検討や交通業過の処理基準の見直しが図られ、現在に至っています。
 その背景には自賠責保険制度とともに任意保険の普及などにより、民事賠償システムが確立したこともあると思います。

 つまり社会全体の対応システムの整備とともに検察も数をこなすことによって交通業過の処理システムを成熟させていったものといえます。

 医療過誤業過では、どなたかも指摘されていましたが、過渡期であり、まだまだ検察も試行錯誤状態なのかもしれません。

>つまり、裁判官は良心に従って判決をくだせば過失の有無を問われないのですね。

 誰が見ても重大な証拠を見落としたりすれば、民事上の問題になりえます。
 裁判官といえども、どんないい加減なことをしても許されるということではありません。
 ただし刑事責任については、適用可能な条文が見当たりません。

>単純な疑問ですが、では医師はどうしてそうではないのでしょうか。

 昔は、事実上医師もそうだったように思いますが、それが「動いて」いるのだと思います。

 私が

>>「動きうる」ということは「動かしうる」ということでもあります。

と言ったのは、今はあいまいな基準をより明確なそして妥当な基準に変えていくことができる、という意味です。
 
 では、誰が変えるのかと言いますと、医療側が積極的な発言をしないと、少なくとも医療側にとって妥当な基準に変えることはできないと思います。

 そして「基準」というのは「手続」を含みますから、「専門の医療事故調査機関を設け」ることも重要な選択肢として考慮されるべきであると考えます。

元研修医さん

>では医師はどうしてそうではないのでしょうか。

裁判官は司法権を行使する国家機関であると国の最高法規である憲法に明記されております。
他方で、医師は我々弁護士や他の職業の人と同じように、普通の人です。
弁護士の仕事は人の生命身体に対する危険はありませんが、弁護士の仕事でもこういう事態は起こりえます。
http://niben.jp/13data/2003data/seimei031224.html
http://iccho.me.uk/hl/yasuda/yasuda00.html

裁判官に職権行使の独立を保つことは必要です。
例えば、裁判官が法務省の影響を受けるとしたらどうでしょう(実は法曹界ではそういう懸念が指摘されているのですが)。
検察がいくら有罪だと主張しても、証拠を分析して、毅然と無罪判決を言い渡す裁判所が必要なのです。


有罪率との関係で、日本の検察が精密司法からアメリカ型のラフジャスティスへ移行しつつあると指摘されることがあります。
ここでコメントでもアメリカの医療界の話を出ることがありますが、刑事司法もアメリカと比較されることが多いです。
日本の刑事訴訟法は、もともとドイツの影響を受けていたのですが、戦後アメリカの影響のもと改正された経緯があります(おかげで条文の並びなんてムチャクチャです。)。
アメリカの陪審裁判では一般の人が有罪か無罪かを決めます。
極端な言い方をしちゃうと、アメリカの陪審裁判では検察官による緻密な立証は無意味なのです。
アメリカでは日本より無罪率が高いのですが、検察官も確実に有罪にできると踏めなくても起訴に踏み切ります。
裁判で決めてもらえばいいんでしょう。
日本も一般の人が裁判に参加する裁判員裁判制度が導入されるのです。


それから、医療界の皆さん、国の制度を動かすには政府への働きかけが必要です。
弁護士会でも痛いほど分かりました。

僻地外科医さま
刑事については分からないので、民事についてです。民事では、どのような場合に医師の過失や契約不履行が認められるかは、相当程度明確になっていると思います。

患者側が勝訴したケースを論難されていますが、患者側が敗訴したケースも見られてはどうでしょうか。おそらく、裁判所の判断を誤解されていると思います。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0010?action_id=first&hanreiSrchKbn=01
投薬のアナフィラキシーショックで患者が死亡した例
東京地方裁判所H10(ワ)27719患者敗訴●
青森地方裁判所H12(ワ)227患者敗訴●
神戸地方裁判所H10(ワ)639患者敗訴●
静岡地方裁判所H11(ワ)30患者敗訴●
福岡地方裁判所H10(ワ)654患者勝訴○

ぜひ、判決文の「当裁判所の判断」の部分を読んでいただきたいと思います。(本当は判決文のページにリンクを張りたいのですが、そうするとholdされるようなので、検索画面にします。)その上で、裁判所が医療の実態を無視しているかどうか、論じられてはいかがでしょうか。

 若干補足しますと、裁判官は司法権の独立という理念のもとに憲法上、強力な身分保障が与えられています。
 つまり、それが国家的制度設計であるわけです。
 その意味で、裁判官は特別です。 
 ですから

>つまり、裁判官は良心に従って判決をくだせば過失の有無を問われないのですね。
>単純な疑問ですが、では医師はどうしてそうではないのでしょうか。

のように、裁判官と他の職業を比較することは議論を混乱させるおそれがあります。

 元研修医 さんの論理に従えば、「では医師は」の「医師」の部分にはあらゆる職業が入ることになりますが、あらゆる職業を裁判官と同視することはできません。
 というか、法的責任に関して、裁判官以外の職業を裁判官と同視することはできないというべきでしょう。
 日本の憲法下においてはですが。

 とはいうものの裁判官に対するコントロールはあります。
 下級審裁判官の再任拒否、最高裁判事の国民審査、分限裁判弾劾裁判などがあります。

 裁判官に関してここで問題にすべきことは、裁判官をいかにして説得するかではないかと思います。
 
 その前提として、裁判官の能力、資質をいかにして確保するかという問題もありますが、それは司法制度の根幹にかかわる問題ですので、論点が広がりすぎると思います。

 もちろん、裁判によらない解決方法を考えることも重要です。

 しかし、日本の法制度では、紛争が法律上の紛争である限り、少なくとも民事訴訟においては、当事者が望めば司法手続による解決を回避することができないと解されますので、裁判官の問題は不可避です。

 刑事訴訟においては、医師を当事者とする医療過誤事件の性格を有する業務上過失致死傷事件については、第三者機関の告発を要件とする親告罪化は立法政策上の選択として可能だと思います。

 過失犯全般について非犯罪化すべし、という考えもあります。

>民473 さん

 たしかにリンクが多いとシステムがスパムと誤認して公開を保留する場合がありますが、気がつき次第公開処理を行っていますので、できればリンク付のコメントをお願いしたいと思います。

管理人

盆は暇かと思いましたが案外盛況です。
このたびは司法界においては予見可能なアナフィラキシーという概念が存在すると知り改めて己の未熟と不明を恥じ入る思いです。推察するに神ならぬ身の大多数の医師達も同じ感想を抱いているのではないでしょうか。
ふと思いますことに医療においては性差、人種差等を考慮しつつも基本的に全世界的に共通するエヴィデンスに基づいて進歩、発展が図られている訳ですが、司法界においては全く異なる事情となっているのでしょうか?あるいは司法の独立として他者の出した判決など一切関知することなく自らの信条と良心のみに基づいて判断が行われているのでしょうか?

 医師の世界にいわゆるヤブ医者がいるように(HNヤブ医者さんではありません。)、裁判官にもヤブ裁判官がいます。
 もちろん、ヤブ弁護士、ヤブ検事もいます。

 個々の裁判の当否は、主張と証拠に影響されるケースバイケースの問題がありますのでこのコメントでは触れませんが、ケースによっては、アナフィラキシーを予見すべき場合があると思います。
 これは医師がどの程度の情報を収集すべきかという観点ではなく、それまでの経緯においてどの程度の情報を知っていたかに基づく判断として予見すべき場合がありうるという意見です。

老人の医者さんへ
「予見可能なアナフィラキシー」とは、どの事件のどの部分に記載されているものでしょうか?

>元研修医さま
 >「上級審で判決がひっくり返った下級審の裁判官は処罰されるのか?これもあるいみ業務上の過失ですよね。」
 とのご見解ですが、我が国では、上級審と異なる判決を導いたことが直ちに過失とは看做されておりません。私たちの社会は「司法権の独立」と「上訴」という制度を採用しています。これは、私たちの社会が裁判所に対して、個々の具体的事件に即して社会各層の正義・衡平感覚を汲み上げて、法的規準の継続形成や修正を直接行ったり間接的に促進したりすることを求めており、そのために各級の裁判所が異なる判決を下すことを積極的に許容しているからです(田中成明「裁判の正統性」新藤幸司編『講座 民事訴訟 第1巻』(弘文堂))。もしも、上級審で判決が破棄されたことのみを以って下級審裁判官を処罰すべきというのであれば、そもそも「上訴」という制度自体を採用しないでしょう。

 ところで、コロさまが
 >「過失がないのに結果の悲惨さで賠償額が決まるのはたまらない」
 とのご懸念をお示しになり、また、元研修医さまも
 >「結局現状の形式では、適切に事故・過誤の認定ができず、不適切な司法判断で社会全体のコンセンサスをゆがめ」
 とのご懸念を示しておられますので、民事訴訟における医事鑑定について少し申し述べたいと思います。

 コロさまがお示しになった研究の舞台であるアメリカでは、民事陪審制度による裁判が広く行われており、陪審判決には理由が付されるということがありませんので、結果の重大性(患者の重篤度)ゆえに事実認定が歪められたとしても、判決からそれを読み取ることができません。
 しかし、我が国の訴訟では職業裁判官による事実認定が行われ、どのような事実認定が行われたのかを判決理由から読み取ることができます。
 そして、医学鑑定が行われた裁判のうち、その鑑定を完全に排斥した判決は皆無であり、医療過誤訴訟において鑑定が出された場合、裁判官がその医療専門家の提供する医学的知識や当該事件に関する判断と異なる判断を示すことはめったにないのだそうです(中野貞一郎「科学鑑定の評価」『科学裁判と鑑定』(日本評論社))。

 さて、医療者さまのご疑問である「鑑定医の問題」ですが、鑑定医の選定については、医師や弁護士、有識者などで構成される「医事関係訴訟委員会」が、個々の事案にふさわしい専門分野の医学会に推薦を依頼し、各医学会から推薦されてきた候補者を各裁判所に紹介するという手順を踏んでいるようです。
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/izikankei/index.html

 以上申し述べましたように、我が国では医事鑑定を行う鑑定医が各医学会の推薦を受けて選任されていること、一般的に医事鑑定の結果に真っ向から対立するような判決を我が国の裁判官が書くことがないといった事情を踏まえれば、アメリカにおける研究に依拠して、アメリカでみられるような医師による過失判断と司法による過失判断の著しい乖離が我が国においても同様に生じていると結論付けるのは、やや短絡に過ぎるように思われます。

 では、なぜ臨床医の皆さまが「裁判所の判断は医師の判断と乖離している」という印象を抱かれるのでしょうか。

 これについて渡辺千原教授(立命館大)は、「通常、鑑定を求められる医師は、被告と同じ専門分野にある臨床医であることが多く、被告の行った判断に対する代替的な臨床的判断が求められている。それに対し、鑑定では、単に『因果関係』あるいは『医学的な因果関係』が問われることが多い。医療では、病因の解明は、解剖が不可欠とされている。もちろん、訴訟上の立証と医学的立証は異なるため、臨床医の代替的な判断を法的な因果関係の立証として十分との判断があろう。しかし、臨床医の判断といわゆる医学的な因果関係は、本来異質なものであり、安易に同一視すべきではない。では、何故、臨床医に対して回顧時かつ厳密に過ぎる『病因』や『因果関係』を問うのか。このような問題が生じるのは、医学的因果関係と法的な因果関係の概念の相違の誤解だけに帰着できないように思われる。裁判の正当化が、むしろ実は医学的な因果関係の証明に依拠している、つまり法的な因果関係の中心が実は解剖学的な病因に根ざしていることに問題があるのではなかろうか。医療過誤訴訟における因果関係の立証はかなり専門的な医学的知識に基づいて行われるが、実はその立証活動において言及される医学的見解は、臨床医にとっても日常の臨床とは隔絶した過度に専門的な議論に終始していることも多いと思われる。しかし、そうであるとするならば、訴訟上の因果関係の立証は、素人である原告側はおろか、専門の臨床医の目線からも離れたものになっている可能性がある。医療過誤訴訟において、法的な因果関係を立証することの意味、一体誰を説得、納得させるためのものか、という問題についても改めて問い直す必要があろう。」(渡辺千原「医事鑑定の語るもの」棚瀬孝雄編『法の言説分析』(ミネルヴァ書房))と述べています。

 つまり渡辺教授によれば、医療過誤訴訟における判決に対して医師たちが抱く違和感は、医師の認識と法曹の認識との違いから生じているというだけではなく、臨床医が行う将来指向的な判断と鑑定医が行う回顧的判断との違いから生じているのではないか、ということになります。

 前のコメントに、「医師主体の第三者機関が医事紛争を扱うようにすべきだ」とのご見解がいくつか見られますが、不確定な要素を意識しつつ将来指向的に行う臨床医の判断を基準とするのではなく、病理解剖をはじめとする確定的所見が揃った段階で示される鑑定医の回顧的判断を基準とするのであれば、裁判官が事実認定の主体であろうと医師が事実認定の主体であろうと、裁かれる立場に置かれる臨床医の不満は解消されないように思われます。もし仮に、医師を主体とする第三者機関を設けるとしても、審判者たる医師が臨床現場から長く遠ざかっている者であれば、結局皆さまが今の鑑定意見に対して抱く不満と同様の不満を第三者機関の判断に対して抱くことになるでしょう。臨床医の皆さまは、臨床経験の乏しい厚労省医官のような者が、理論上は誤りではないが医療の現実に即していない、結果論的・回顧的な判断基準で皆さまを裁いたとしても、「医師主体の専門機関が下した判断だから」といってご納得なさるのでしょうか?おそらくそうではないだろうと思います。

 結局のところ、各医学会が適任者を鑑定医として選定すること、臨床医が積極的に医事鑑定に協力すること、鑑定医が結果論ではなくより臨床の実際に即した医事鑑定を行うこと、審判者(司法なり第三者機関なり)が医事鑑定に結果論を求めないことが、現行制度の下でも、第三者機関のような新たな制度の下でも、必要なのではないかと考える次第です。

 以上、皆さまの議論に触発されてコメントさせていただきました。医療に関しては全くの門外漢なので、的外れな点や皆さまに不愉快な思いを抱かせるような表現があるかと思いますが、ご海容いただきますようお願いいたします。

老人の医者さんのおっしゃる「予見可能なアナフィラキシーショック」とは、静岡地裁H11(ワ)30のことでしょうか。このケースでは、既にアナフィラキシーショックを起こしたことがある人に、再度同じ物質を投与するとアナフィラキシーショックを起こす、ということを前提にしているので、「予見可能なアナフィラキシーショック」と言えますが、別段誤った考えでもないと思います。

このケースでは、4回目の胃内視鏡検査の前投薬のアナフィラキシーショックで死亡した患者が、3回目の検査の際にアナフィラキシーショックの兆候あるいは過敏性を示したかどうかが争点となっていました。判決文を読んでいて、そんなにおかしいことを言っているようでもないのですが、専門家から見るとおかしいのでしょうか。

あと、民事の裁判官は「原告、被告のどちらが正しいか」を直接判断するのではなく、「原告、被告のどちらが主張を立証したか」を判断するものです。ですから、医学的知識が乏しくても、どちらが立証したかは判断できる訳です。ちょうど、テニスの審判が、テニスのルールさえ知っていれば、テニスができなくても審判ができるのと同じです。

>an_accused さん

 私にとっては大変わかりやすい説明と文献紹介ありがとうございました。

 さて、医師の皆さんにはどのように理解されたでしょうか。

 医師の皆さんからは、法曹の医療に対する無知・無理解が指摘されていますが、少し前から、医療側の方たち、というか法律素人の皆さんと私などの法曹界の人間との間の、事実認定や過失判断についての感覚の相違が気になっています。

 端的に言えば、裁判に対する無知・無理解を指摘することができます。
 ただし、ここでいう「無知・無理解」という言葉には一切の批判または非難の意味を含むものではありません。
 単なる事実の指摘です。

 お互いが謙虚に学びあう姿勢が大事かと思います。

もし民事判決をご覧になられる際には、以下のことを頭の片隅に置いてください。
民事裁判では弁論主義という仕組みがとられていて、原告と被告が争わない事実については、訴訟上真実と認め、それを前提に裁判を進めることになっています。
上記の裏返しですが、裁判官が判断を下すのは当事者が争った部分だけです。
そして、裁判官が判断を下す範囲は、当事者が訴訟において主張した事実についてのみであり、その事実が当事者の提出した証拠によって裏付けられているかを裁判官は判断します。
極端なことを言えば、医学界において正しいことも、被告側が反論しなかったり、あるいは反論しても証拠で証明できなければ、判決には反映されない制度になっております。


蛇足ですが、平成16年4月1日改正の民事訴訟法で、民事裁判に専門委員制度というのが導入されました。
専門委員は最高裁判所から任命され、訴訟に関与し、専門的な事項に関する当事者の言い分や証拠などについて、裁判官の理解を助けるために助言等を行います。
医療訴訟においては医師、建築訴訟では建築士などが専門委員として想定されています。
医師会などでも積極的な関与をしていけば良いと思うのですが。

民473さん

おそらくクレーマーという単語に付与されているイメージが少し食い違っている
のだろうと思います。
世間的に常識的な患者さんも、世間的には非常識であるとみなされるような方も、
また訴訟においても医療現場に対して過大な要求がなされており、現場に踏みとどまることが困難であると当事者は感じている、ということです。
その要求が社会的に正当であるとか法律的に妥当であるとかはまた別の問題です。

賠償額の多寡について。
過失があれば、ということですが
訴訟に至らないケースにおいても、ミスの有無とトラブルとはあまり相関しない印象です。
感覚としては、14日のコロさんの記載内容は十分にあり得ることとして医師に受け止められていると思います。

ところで、問題になる医療ミスにはケアレスミスも多いと思いますが。
今までのやり方が
100問の計算問題を30分でやらせたら、あまりにひどい初歩的ミスが目に付く。
というものだとして、
「公平な採点方法でミスの一つ一つを批判検討する」
ということは無論大事だと思いますが
解答時間を倍にすればミスが減るのは自明の理であり
「逃散」する医療者が目指しているのはこちらの方法だと思います。
解答時間を延長せず計算ミスも未計算問題も許さないなら
試験そのものを受けないという選択肢が前面に出ます。

不当な裁判が医療を萎縮させることは間違いないでしょうが
訴訟を抑制できないところで神のごとき有能な裁判官が揃ったとしても、
医療を立て直すのは難しいと思います。
制度としては
 合理化(コストカット)
 効率的な教育(症例数、指導医の充実)
 安全性(より適正な労働環境、相談相手がいる、他科との連携)

を考えた時に、現状では医療機関の集約化がまだしもな策として採られるべきなのかと考えます。
というより流れとしては望まずとも地方の医療機関から潰れはじめていますが、死に体になる前に地域の合意を得て収束をすすめた方がいいんじゃないかな、と。

今まで医者がいたところから医者がいなくなってきたのは
「『割に合わない』と感じ始めたから」
からにすぎません。
これが医療崩壊の本質です。

何について「割に合わない」かは人それぞれでしょう。
ただ、いくら原告敗訴しても、医賠責が効いたとしても医療過誤訴訟を起こされると考えただけで勘弁、という僕のような医者が他にいても不思議はないでしょうね。
実際の生活の中に、どこにも裁判に費やす時間もエネルギーも残っていませんでしたから。

クレーマー訴訟率が何%か、と言った議論もあまり本質的ではないように感じます。
クレーマー訴訟はクレーマー(もしくはその家族)を診療したことを前提としています。
1件のクレーマー訴訟の陰に数百〜数千のクレーマー診療が隠れているのです。
日常の診療で、たとえ1人でもクレーマー患者を診察すれば、その疲労度は非常に大きなものがあります。
僕にとっても、ある1人の患者がいるというだけで、金輪際もうそこには赴任したくない、という地域が複数あります。
9割以上の患者の皆さんはごくふつうの方なんですけどね。

幸い、訴訟を経験しないまま臨床を辞め、今は以前の収入の1/5(月20万もない)の非常勤の仕事しかしてませんが、訴えられる可能性がほぼゼロの職場なので「割に合ってる」と感じています。
勤務・拘束時間は1/10以下だし。

前向きな提言をしてなくてすみません>>管理人様

一番医療者が理不尽だと思った判決は、あの超有名な「期待権」の判決でしょ?
みんなすっかり忘れちゃったみたいだけど。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=33354&hanreiKbn=03

これで、もうやってられねぇ、と思った医師が全国で何名いたことか。これで司法不信が決定的になったんだよね。まだ1年しか経ってないんだな。

裁判は否定しない。
ただ、訴えられただけで、裁判に勝ったとしても、医師の心はズダボロになってしまう。
これが事実です。
おそらく、そういう症例には不眠不休で努力されていると思われますが、それがアダになって返されたような、そういう印象になります。
あと、医師が裁判慣れしていないから、ディベートで負けてしまうときがある。
むしろ、多いと感じている。
結局、医療者側が裁判を嫌がってるのは、そこに尽きると思います。自分も訴訟にあったら、少なくとも入院施設のある病院勤務はやめます。
実際こう思っている医者が多いんじゃないですかね。
外来勤務だけで、何とか食っていけるしね。
それで、入院と比べたら、訴訟を起こされる率も少ないから、満足だし。
いまは、患者さんが元気になるのがうれしいから、しんどくてもやってるけど、訴訟件数がさらに増えたり、自分のところに降りかかってくれば、もう、モチベーションは保てないでしょう。

医師の病院平均勤務時間が当直を除いて平均週60時間くらい。
待機・当直を入れると80時間くらいが平均。
週100時間を越える人もザラです。
医療訴訟問題、患者さんに対する説明のため以前より同じことをするのでも多忙になる。そうなると、どんどん、病院勤務をやめてしまう。そういう現状ですね。ネットが発達して情報が入るようになったので、ようやく医師もリスク回避に走ってきているのだと思います。
医者って、患者さんの病状が重いだけなら、寝ないでもがんばれるのですが、そのほかの要件が重なると、緊張の糸がきれる、そういう感じでしょうか?
常識に外れるくらいみんな働いているものね、医師って。有給あまり取らないしね。
医学部の定員を増やすのもひとつ方法でしょう。でも、実働部隊になってくれるまで10年かかります。
海外から医師に来ていただくのも方法でしょう。ただ、日本語を話できる医師は中国くらいしかいません。おまけに医師の年収は中国と日本ではそんなに変わりないのと、(中国は医師の待遇が破格ですね)勤務時間は日本のほうが長いので、(研修以外で)働きたいと思う医師はほとんどいないと思います。英国や米国での勤務のほうが、言語面・待遇面でいいのでそちらに流れます。
何とか、病院としての機能を保つためには、病院が淘汰されてつぶれていくしかないと思います。結果として、医師の平均労働時間はこれから少なくなっていくでしょう。
医師不足になるのは、今まで2人分働いていたのがようやく適正に戻りつつなっていくからだと思います。同じことをするのでも、一人でがんばっていたものが、これからは1.5人分かかる。そういうことですね。
人命にかかる仕事をしているのに、寝不足気味で長時間働くのは、もうトレンドでもないし、体力に限界を感じる人も多いのが、崩壊の結果となっていますね。
医療崩壊は医師側は困ることはないので、どうでもいいといえば、それまでなのですが、医師の良心から、書き込んでいる人が多いと思いますね。
自分的には、どうあがいても、医療崩壊はもう止まらない、そういう結論ですね。
労働組合を作らないのはどうしてか?
理由は2個
ひとつは、忙しすぎて、作る余裕がないこと。
二つ目は、今勤務しているところを退職しても、就職にあぶれることがないこと、待遇も今の勤務先と同じくらいは余裕で確保できること。就職については、一般の職業と違い、ある程度高齢なほうが人気があり、また待遇もいいこと。だから、労働組合を作る必要もないんです。いやなら、そのままやめて、いいところに勤めるだけでいいですから。勤めるのがいやなら、開業医になるっていう手をとってるわけだしね。

>医師の皆さんからは、法曹の医療に対する無知・無理解が指摘されていますが、少し前から、医療側の方たち、というか法律素人の皆さんと私などの法曹界の人間との間の、事実認定や過失判断についての感覚の相違が気になっています。
 端的に言えば、裁判に対する無知・無理解を指摘することができます。

 医療側の司法についての無知・無理解は自覚しています。事実認定や過失判断についての感覚の相違についてもう少し具体的にご説明をお願いします。

 医師が一般の人と同等であり、裁判官と同様には論じられないことは理解しました。そして新たな立法化には医師の政治活動が必要なこともわかっています。
 そのうえでアメリカだけでなく諸外国では医療関係者は原則刑事免責ですが、ここに来られている司法関係者はどうお考えになるのでしょうか。

 自動車事故に関する歴史的変遷非常に参考になりました。ただ医療は必要不可欠なものだと思いますが、現在化速度的に崩壊しています。
 判例の積み重ねを悠長に待っていたら取り返しがつかないことになると思います。

>医師の世界にいわゆるヤブ医者がいるように(HNヤブ医者さんではありません。)、裁判官にもヤブ裁判官がいます。
 もちろん、ヤブ弁護士、ヤブ検事もいます。

 それはそうでしょう。でも医師のようにほんの一部のヤブで医師全体が社会から糾弾されているのと、ヤブ本人も全く糾弾されないのは違う状況ですね。うらやましいです。

 鑑定医は本当に問題ですよね。大学教授だから、名誉○○と臨床ができるかは必ずしも相関しませんから。
 民事レベルの過失なのか、刑事レベルの過失なのか、はたまた院内症例検討会のレベルの過失なのかはっきりさせて欲しいところです。
 福島の件、現在胎盤のはがす範囲でもめているみたいですが、これは刑事レベルで過失となる問題なのか非常に疑問に思っています。

 立場が違うもの同士の対話は非常に重要だと思います。枝葉末節にとらわれず、真の問題点を検討することも重要だと思います。
 ここに書き込むことが明らかな成果を生むとは思いませんが、少なくとも医療側が非常に危機感をもっていること、自分達の利権を守るというより国民全体に降りかかる問題だととらえていることが少しでも、一般の方や司法関係者に伝わればと思います。

>元研修医さん

>事実認定や過失判断についての感覚の相違についてもう少し具体的にご説明をお願いします。

 この点を整理して書こうとすると時間がかかりそうですので、申し訳ありませんが後回しにします。

>原則刑事免責

 原則刑事免責というのを直ちに採用するのは難しいと思いますが、その方向で検討する必要性は感じています。
 制度論はオールオアナッシングではありませんから、今よりはましな制度に徐々に変えていくという発想も大事かと思います。

>それはそうでしょう。でも医師のようにほんの一部のヤブで医師全体が社会から糾弾されているのと、ヤブ本人も全く糾弾されないのは違う状況ですね。うらやましいです。

 私は、医師全体が社会から糾弾されているとは思っていませんが、医師全体を糾弾している人も社会にはいるのでしょうね。
 その意味では法曹界も大差ないと思います。
 一部の弁護士の特異な弁護活動(必ずしも不当な弁護活動ではないとしても)によって、弁護士全体を批判する論調が現れたことが最近もありました。
 
 「所詮弁護士は」とか「どうせ裁判官は」というような言葉はよく聞きます。

 きちんと見ている人はみているし、ステレオタイプの認識しか出来ない人は十把一からげです。

>判例の積み重ねを悠長に待っていたら取り返しがつかないことになると思います。

 だから政治力が必要だと思います。

山賊さんへ
添付された判決文読みました。
裁判所は、「F准看護師の分娩監視に過失があった」「新生児仮死の新生児を、速やかに高次医療機関に搬送すべきだったのに、小児科医のいない産院に置いておいた過失があった」と過失を認め、高次医療機関に搬送しておけば(確実に助かるとは言えなくても)助かる可能性はあった、として損害賠償を認めています。

山賊さんの「期待権」への批判は、「高次医療機関に搬送しておけば(確実に助かるとは言えなくても)助かる可能性はあった」という点に対する批判だと思いますが、医師から見ると、おかしな判断なのでしょうか?

すいません。上のコメント間違っていました。
「高次医療機関に搬送しておけば(確実に助かるとは言えなくても)助かる可能性はあった」ではなく、「F准看護師の過失がなければ、(確実に助かるとは言えなくても)助かる可能性はあった」でした。

 皆さんの真面目で真剣な討議、興味深く拝読しております。また別エントリーで、医師の報酬や勤務実態に関してのコメントを読みましたが、自分自身とオーバーラップするところもあり、切なくも哀しい気分になってしまいました。

 さて、不幸にして医療事故や医療過誤に遭遇してしまった、患者さんおよびご家族の立場からみれば、その無念さや憤りをもってゆく場が裁判所しかなく、告訴、訴訟といった形になってしまうのではないかと思っております。医療側としても、裁判沙汰になればどうしても身構えてしまうでしょう。

 別エントリーで、いのげさまが「第三者機関」の設立について主張されていましたが、私も同感であります。例えば一家の大黒柱が亡くなった場合、後遺障害が残った場合等においては、直面するのは金銭的問題でありますから、まず「第三者機関」において、個々の医療事故・過誤を民事上賠償すべきもの、そうとはいえないものを速やかに吟味判断することや、刑事上では、重大な過失を伴う医療過誤と考えられた場合、少年法の検察官逆送致のような手段をとるシステムがあればよいと思います。

 また、賠償金に関しては、病院や医師個人に課せられる方法ではなく、社会的な援助が必要ではないかと考えます。この点に関して税金を医療側のために使うのかという認識ではなく、国民の相互援助という考え方が必要でしょう。

 税金からの支出が困難であれば、日本医師会、都道府県医師会が主体となり、政党に対する寄付金などは直ちに廃止し、医療関係機関から資金を集めたり、製薬メーカー等の医療関連企業に働きかけ寄付をしてもらい、その財源を、お金儲けの上手なナントカファンドに委託し増やしてもらいプールしておけばよいのに、というのが個人的な感想です。

 医療制度改革法案が可決成立したのは周知のとおりですが、どうしても財政面に偏ったところがあります。そこで日本医師会は、この法案に対して附帯決議意見を述べております。

 『19.医療事故対策については、事故の背景などについて人員配置や組織・機構などの観点から調査分析をすすめるとともに、医師法第21条に基づく届出制度の取り扱いを含め、第三者機関による調査、紛争解決の仕組み等について必要な検討を行うこと。』

 この附帯決議も19番目に記述されているものであり、ようやく産声をあげたばかりと言わざるを得ず、医師会も国に委任しているようであり、国会・政府はどこまで真剣に考えているのかもわかりません。結局、「第三者機関」の設立に関しては、医療側だけではなく、国民の合意といったものが必要であると思われます。

 ところで、an_accusedさまが、別エントリーで述べられていましたが、引用させて頂きますと、
>『「人が死ぬこと」、とりわけ「幼子が命を落とすということ」が昔よりも身近でなくなった現在、親が子どもの死を「運命」として受け止めることはますます困難になっていくでしょう。親が悲しみを持て余せば持て余すほど、誰かに原因を求めたいという欲求が強まり、いきおい訴訟に解決を求めるケースも増えるということになります。産婦人科医が医療訴訟の相手方にされやすくなっているのも、同じような理由からではないでしょうか。ただ、悲しみを持て余すあまり誰かに責任を求めたくなるという親御さんの心情はわかりますが、本件では、訴訟よりも、カウンセリングを受けるといった手段を選択したほうがこの親御さんにとってはよかったのではないか、と考えてしまいます。訴訟は、必ずしも紛争の全面的な解決をもたらすものではないのですから。』

というお言葉は、とても共感できるところであります。

 

民473さんの
>医師から見ると、おかしな判断なのでしょうか?

非医療者から見ると妥当な判断なのでしょうね。
だからこそこのような判決が出た、と。

ま、一つ一つの裁判の判断は正しいのかも知れませんが、全体としては着々と
「合成の誤謬」
そのものとなってしまいつつあるわけです。

もし、裁判に対するいわれなき偏見が医療者をして逃散・防衛医療に走らせているのであれば、それこそ法曹側が医療側にきちんと理解させることを怠ってきた証左なのかもしれませんね。
これを持ち出すと堂々巡りになってしまいますが。

民473さんには理解できないかもしれませんが、
死亡と直接因果関係の無い過失で賠償させられるのは、医療者には、なんとか
賠償を引き出そうと後付けで理由をこじつけたようにしか見えない
ということですね。まあ法曹の方と医療者では視点が全く違うようですから、法的に正しかったかどうかは別に議論するつもりはありません。
ただ、「そう見える」というのは医療崩壊に重要な意味を持っているということだけ、知っててもらえればいいです。
この判決が医療者にもたらした印象を重視してください。
これで「面倒なことになりそうなのは何でもとにかく高次病院へ転送」という対処が一般化してしまいました。後は知っての通り、→高次病院の勤務医が過労でパンクし次々と退職→地方の中核病院が勤務医不足で閉鎖、という流れですね。
司法の方もこういう判決を出さないと国民から叩かれるんでしょう?
気の毒なことです。
そういう判決が何度も何度も医療崩壊の後押しをしているのですが、止められない。
起こるべくして起きた医療崩壊なんですよ。

私は、司法の判断が現実の臨床現場と乖離していることが原因と思います。

後から指摘することは容易です。しかし、医療の現場では「これから起きていないこと」を予想しながら、常に少し間違った予想を立てながら軌道修正しながら診断していくのが仕事です。

体の大勢に影響しないと思われる事項は後回しになり、優先順位をつけながらその患者さんにとって一番必要な検査・治療を、prospectiveに予想しつつ問題を解決していくのです。医者の世界では、結果論で他人の医療行為を断罪することは、臨床現場の思考回路と逆行した考え方であるということはお解かりいただけるでしょうか。

そういう意味で、既に起こったことをretrospectiveに検証していく考え方で行う司法判断が、prospectiveに手探りで診療して予想を当てつつ行う医療現場と考え方の相違が微妙なところでおきるのは当然だ、ということは想像して解っていただけるのではないでしょうか。ただ、微妙なところでも違ってもらっては困るのです。責任ある判断をもっともっと厳密に検討してほしいのです。

司法判断は必要なことだと思います。
ただ、手持ちの少ない情報でどこまで予想できるか、その程度を判断して「予想できたのに注意義務を怠った」とするのか「予想は不可能だった」とするのか、これは実際に現場で判断する人でないとわからないものです。
私は、鑑定医や協力医は何十人も集めて考えるべきと思います。数人の判断で、今後の医療行為に大きな影響を与えると思われる司法判断(民事でも刑事でも医療現場に与える影響は同じです)を決定することはあまりにも危険です。数人の人の能力が低かったらどうしますか。

医療訴訟を専門に行っている弁護士の方から、「協力医がいない」ということが聞かれます。協力医は司法の方からも、積極的に集める努力をしてもらいたいと思います。医師側も協力するべきだと思います。ただ、例えば私のところに私の専門分野についても協力医の依頼がくることはありません。協力医がもっといないと判断が成立しないような方策はないものでしょうか。

山賊さんへ
本当にそれが医師の一般的な意見なのでしょうか。

瀕死の患者が担ぎこまれて、Aという処置をすれば50%の確率で蘇生する場合に、医師の過失で処置をしなかった。その結果、患者は死亡した。遺族に対して、「Aという処置をしても確実に蘇生する訳ではないから、処置をしなかったことと死亡には因果関係がないから賠償はしない」と言える医師というのは、一般的でしょうか?

そうでないことを願いたいものです。

まず、50%もの確率で蘇生する治療をしないというのは考えられないので
それは大げさな例として。
医学的処置というものには、何でもメリットとデメリットがあるのです。Aという処置をするメリットとデメリットをその場で勘案して、その場では医学的にしないほうが良いと判断した。結果、死亡した。遺族に対して、「Aという処置をしてもあの状況では蘇生する確率が上がるか判断が困難だった。処置をしなかったことと死亡には因果関係がないから賠償はしない」
これはかなりの人がそう言うと思いますよ。民473さんがどう思うかは別としてね。
非難されてもかまいませんが、それを見てやっぱり崩壊もむべなるかな、と思う医師はかなりいるでしょうね。
あまりこう言うことは書きたくないですけど。

こういう話を考えて見てはどうでしょうね。
「Aと言う処置をすれば約30%の確率で助かる可能性があった。逆にBという処置を選んだ場合望ましい結果を得られない確率は約70%ほどあったものと推定される」
この場合AではなくBの処置を選んだ医師は司法的には間違いなく有罪という認識でよろしいのでしょうか?

「チョキを出せば勝てる可能性は約30%あった。逆にパーを出した場合勝てない可能性は約70あったものと推定される」
この場合チョキではなくパーを出した事をもって他人を非難することを医者は「後出しジャンケン」と考えます。

この場で色々と勉強させていただき、国民一般の感覚が司法に近づきつつあるように思われることを憂慮する気持ちが増すばかりです。

>或る内科医さま
 ご無沙汰いたしております。また、先日のコメントでは相当に過分な評価をいただき、誠にありがとうございました。
 こちらや他のエントリーのコメント欄を通じて、或る内科医さまやいのげさま、その他の医師の皆さまのご見解に接し、医療問題についての私の見解はずいぶんと変わりましたし、医療と法について書かれた文献などにもいくつか手を伸ばすきっかけも得ることができました。

 なにしろ皆目わからないことだらけですので、今後ともぜひご指導いただきますよう宜しくお願い申し上げます。

>医療者さま
 ご指摘はまったくごもっともだと思います。
 「医事鑑定を行うには一事件あたり十数人は医師を確保すべし」とのご見解ですが、現状では複数の医師によるカンファレンス型鑑定(東京地裁)や複数鑑定(千葉地裁)などが試みられているというものの、これらの試みでも一事件に充てられる鑑定医は「たった3名」です。
 医事鑑定については、もう少し申し上げたいことがあるのですが、時間がなく上手く纏められていないので、また機会を見てコメントさせていただきます。そのときは是非専門家のお立場からご教示いただきますようお願い申し上げます。

>モトケン先生
 医事紛争は、医師という専門家と法律家という専門家の衝突領域ですから、相当腰を据えてかかる必要があると思います(相手を論破するとかではなく、相互理解にたどり着くために、ということです)。
 私自身は、両者の考え方の違いがもっともよく現れてくる場面が「医事鑑定」ではないかと思っていましたので、ちょうど医療者さまが鑑定の問題に言及なさった機会を捉えてコメントしてみた次第です。

老人の医者さん、

>国民一般の感覚が司法に近づきつつあるように
私は刑事司法に関しては、むしろ逆だと思いますよ。

私もそうですが、「告訴しても警察は動かんよ」という弁護士が今でも多いでしょうし、事実捜査機関はなかなか動かなかったです。
昨今の犯罪被害者保護の流れ、法曹界は閉鎖的だとの批判や司法に国民の声をという流れが、刑事司法に影響を及ぼしているのだと思います。

それから設例の件、過失犯の不作為の因果関係の問題ということになりましょうが、私は、理屈の上では、何らかの処置をすればほぼ確実に救命でき、その処置をとるのも容易だった、というような場合に因果関係を認めることになろうかと思います。

舌足らずだったかもしれないので、補足します。(民事の話です。)
「期待権」というのは、上の例でいうと、「50%の確率で蘇生すること」を言います。それが法的保護に値するかという問いに対して、裁判所は「保護に値する」と判断した訳です。
一方で「因果関係」については高い蓋然性(100%近い可能性)が要求されるので、「50%の確率で蘇生する処置」をしても、しなくても、「死亡には因果関係はない」といなると思います。何も処置しなければ確実に死ぬ患者がいて、処置をすれば50%で助かるとして、何も処置せず見殺しにしても、裁判所は「因果関係はない」と判決を出すと思います。何かを行って患者が死んだ場合、因果関係が認めやすいのに、何かをしなくて患者が死んだ場合、「もしやってたら」という因果関係は難しいものだと思います。
でもそれで患者を敗訴にしては不合理なので、上の「期待権」の話になる訳です。
山賊さんも、実際のところは、期待権に反対していない、のではないですか?

老人の医者さんへ
刑事のことは分かりませんが、「30%で勝つ」と「70%で負ける」は同じことではないですか?

民事訴訟における医事鑑定について原告側の弁護士が直面する問題として、鑑定費用の問題があります。
原告側が鑑定申請し裁判所に採用されると、取り敢えず、費用を裁判所に予納しないといけません。
お医者さんに鑑定を依頼する場合、1人あたり30万から50万円程度かかると聞いたことがあります。
勝訴すれば被告側に負担させられるのですが、とりあえずそのお金を用意するのが大変だと聞きます。

民473さんの新しいコメントを読む度に、体中の力が抜けてゆき,絶望感ばかりが増えていってる医者は僕だけじゃないと思う...

いやいや、もし「嫌ならやめろ委員会」の方だとしたらVGJ!!!です
僕はとても臨床に戻れそうにありません。

>an_accused さん

 もとより論破など考えておりません。
 この問題の最重要の当事者の一人である医療側の皆さんになんとか元気を出していただきたいというのが本意であります。

以下、ほかの皆さんへ

 法律家、特に弁護士や裁判官は日常的に訴訟に接していますので、訴訟が日常化してしまい、応訴の負担というものに鈍感になっているのかもしれません。
 検事も人の身柄拘束という問題についてかなり鈍感になっている恐れがあります。

 たとえ勝つべき民事訴訟であったとしても、きっちり勝つにはそれなりのきちんとした対応が必要ですし、刑事事件では被疑者の立場に立っただけで大変ですし、まして逮捕でもされようものなら社会問題化するのですが、どうも法律家というものは目の前の事件しか見えないところがあるようです(前にも書きましたが)。

 裁判を揶揄する言葉に「部分的正義」という言葉があります。
 「当該事件についての正義」という意味に理解しています。
 社会的影響を無視した独りよがりの正義と言ってもいいと思います。

 当事者の代理人である弁護士は、依頼者のための部分的正義を求めます。
 患者側原告代理人は典型的にそうです。
 しかし、医療が優れて公益的な性格を有していることからしますと、医事紛争裁判は公益的性格を免れることはできず、「部分的正義」の弊害はとても大きいものになりそうです。
 
 しかし、司法が具体的事件の解決というものを本来的使命としていることからしますと、部分的正義は不可避的な司法の宿命と見ざるをえません。
 つまり、司法の限界があるわけです。

 そこで私としても結論的には、医事紛争の専門性、公益性に鑑み、調査・調停・告発のための機関を作るべきだと思います。

 しかし、そのための手順や運動をどうするのかという問題があります。
 運動主体の問題があります。
 誰が何をすべきかという問題です。
 そしてこの問題については、私は広い意味での医療側がイニシアティヴを取るべきというか取らざるを得ないのではないかと思っているのです。

 ところがこのブログで医療側の方たちの意見を見る限り、そのような動きがほとんど見えてきません。

 医療の世界と弁護士の世界は専門家集団という意味で似ているところがあるな、と思っていたのですが、やはりかなり違うのかも知れないと思い始めています。

鑑定についてですが、私は十数人でも数十人でも必要と思います。
医師に依頼する場合、その費用が30万や50万かかるのかどうか、実際のところを知らないのでなんともいえませんが、もっと安くても良いと思います。

いくら安くても数十人一件についていちいち雇うのは難しいかもしれません。
しかし、現在のような数人という規模で重要な決定を行うことは非常に危険です。
裁判官も、医療については知らないのが当然で、それを補助する意味で医師がいるのでしょうから、鑑定医の意見に流されるのは当然でしょう。
その鑑定医がトンでもだからとはいえ、鑑定医も医者の一人なのだから、そいつらの質がpoorであることまで責任は取れない、すべては医療者側の責任だと言われれば、進展がありません。

医療者も得て不得手があるし、一般の診療でもどんな病院でも週一回科の医者全部が集まって全ての患者についてカンファランスをします。中規模以上の病院で、普通の内科や外科でのカンファランスで、3人とかで方針を決定することはありません。もっともっと大勢で合議で決めているのです。

ましてや日本の医療を決めるような決定を行うにあたり、何人もの知恵をあわせる事が必要ではないでしょうか。

法曹界の中には、(本当かどうかわかりませんが)医療訴訟でも法廷に医療者が口を出すのをよしとしない意見の方もおられると聞いたことがあります。仲間でのかばいあいととっておられるのでしょうか。しかし、医療者を外してしまうことは結局は患者さんのためになりません。

もっと公平な判断を下せる仕組みが必要です。現行の制度に問題はないのでしょうか。

>医療者さま
もう素人が口を挟めるレベルじゃなくなってますが、ちょっとよろしいでしょうか。
鑑定の件なんですが、人員に余裕のある大病院が、月に何度か数件ずつ、
皆でよってたかって検証するというのはどうでしょうか。
もちろん関係者のプライバシーは最低限確保した上で、ですが。
医療事故のケーススタディにもなっていいんじゃないでしょうか。

機関を作りたいのですがそのような体力がほとんどないのです。

医師の仕事は患者さんを見ることが本分ですが、それが殺人的に忙しいことは今までお示ししたとおりです。勤務医に限らずどの立場の人間もそうです。
だからと言って他の職業の方のほうが暇といっているわけではありませんが、人間の想像を超えた世界にいる、位に考えてもらえば良いと思います。

ただ、現状の、われわれからすると理不尽な判例が出され続ける状況では、今後そのような機関をつくるという大きなうねりは現れてくると思います。忙しいとかは言っていられなくなりました。

現に大野病院で起こった事項をきっかけに運動が広がり、一般の方はもう熱がさめているかもしれませんが、医療者の衝撃と怒りは増大こそすれ冷めることはありません。そういう機関が作られるのもまもなくだとおもいます。

そもそも、法律屋、もとい、司法関係者の方々って、医学部に
行けなかった(たぶん受験すらできなかった)人の集まりでしょ。
その程度の人が医療行為の是非を判断するというのが不遜と
いうか、無理がある。

医学的常識からかけ離れた珍奇なお触れ(司法関係者の方が
判決とお呼びになっていらっしゃる文字列)が出回るのは、そも
そも能力的に医学の理解が困難でいらっしゃるのか、あるいは、
医師に対するやっかみ、意趣返しなのか知りませんけど、結局
司法関係者の方々に多くを期待すること自体が間違いなわけで。

品位と知性の根本的な違いは、ここのブログの書き込みからすぐ
わかるでしょ。誰と誰とは言いませんけど。

>医療者さん

>ましてや日本の医療を決めるような決定を行うにあたり、

 たぶん、ほとんどの裁判官は自分の判決が日本の医療全体に大きな影響を与えるとは思っていないのではないでしょうか。
 ほんとは裁判官の方の意見を聞いてみたいところです。

 福島の事件では、検察は影響の大きさをほとんど考えていなかったのではないかと憶測しています。
 憶測のわずかな根拠としては、被告医師を逮捕したことです。
 私にはルーチンワーク的逮捕に見えます。

 裁判所がどう判断するか、弁護人の腕にもかかって、目が離せない裁判の一つになりそうですが、マスコミがどれだけ、どのようなスタンスで関心を寄せているのかも問題です。

>法曹界の中には、(本当かどうかわかりませんが)医療訴訟でも法廷に医療者が口を出すのをよしとしない意見の方もおられると聞いたことがあります。

 私は聞いたことがありませんが、信じられない意見です。
 少なくとも法曹界における一般的な意見ではないと思います。

田舎者がしゃしゃり出て申し訳ないのですが、少しコメントします。
田舎医さんへ
民473さんのコメントは、医療者にとって若干の違和感を覚えるのは確かですが(例えば、下記の発言)
>民事の裁判官は「原告、被告のどちらが正しいか」を直接判断するのではなく、「原告、被告のどちらが主張を立証したか」を判断するものです。ですから、医学的知識が乏しくても、どちらが立証したかは判断できる訳です。ちょうど、テニスの審判が、テニスのルールさえ知っていれば、テニスができなくても審判ができるのと同じです。

ここに挙げられているコメントで、理不尽なことは述べられて無いように思えます。もう少しお付き合いいただいても良いのではと思います。

民473さんへ
民事については、まっとうな判決が出ているとのお考えだと思いますが、心筋炎訴訟については如何でしょうか?医療者側から見ると、短期間に亡くなった劇症型の心筋炎のお子さん(症状は非特異的で診断そのものも相当難しいと思います)に対し、時間外診療に追われる小児科医に、人手、設備豊富な基幹病院なみの対応を迫った理不尽な判例だと思われます。
医療現場では、この訴訟の後、小児科診療への萎縮対応が相当みられます。例えば、内科医の小児診療回避(このため、小児科の時間外診療の破綻の一因になっています)。誰だって、いつ当たるか分からない地雷を踏みたくはないですから・・・

 医師の皆さんは、medix 氏のコメントを医療側を代表する発言とお考えなのでしょうか?

 言ってみたかっただけですので、別にお答えいただく必要はありません。

 ガス抜き程度にご理解ください。

あ、いえ、専門機関の創設じゃなくてですね、大病院でやるカンファランスの一種として、そういう鑑定会議の時間を主要大病院に設けることはできないかな、と思ったんです。全国で持ち回りにしてもいいし、月1件づつ引き受ける形でもいいんです。
ゼロから新機関を立ち上げるよりは速効性があるかなと考えたんですが、やはりそんな余裕もないんでしょうね・・・。

>モトケンさま

medixさまのおっしゃることは私にはよくわかりません。
もともと文系と理系で進む道が早くから異なりますし。

>みみみさま

もしできるなら、それもよいかもしれません。
しかし、そこで出た結論が、直接原告・被告の人生に関わることであるならば、責任が非常に重いので、時間はかなりかけたほうが良いとおもいます。
いま、大病院であればあるほど忙しくなっており、時間をかけられないおそれがあります。なかなかそういう形では難しいかもしれません。

少し舌足らずだったので補足します。
>民事の裁判官は「原告、被告のどちらが正しいか」を直接判断するのではなく、「原告、被告のどちらが主張を立証したか」を判断するものです。ですから、医学的知識が乏しくても、どちらが立証したかは判断できる訳です。ちょうど、テニスの審判が、テニスのルールさえ知っていれば、テニスができなくても審判ができるのと同じです。

との民473さんの発言に違和感を覚えるのは、例えば、サッカーの試合で相手の選手を倒してイエローカードを審判が出したとします。試合経験の無い審判で、実際のサッカーをしたことのない審判なら、倒れた選手がわざと巧みに転倒しても、それを見抜けないのではないでしょうか?現場を知り尽くした人物の方か、より正確に客観的に裁くことが可能なのではないですか?他の先進国で、医療専従の機関に医療過誤の判定をさせるのも、こういった思考の結果だと思います。
また、糖尿病性昏睡で京大生が亡くなった訴訟では(これは、原告が敗訴しています)、糖尿病学会重鎮のK教授の鑑定書(医師から見て明らかにおかしい)を裁判官が採用してしまい、他2名の妥当な鑑定書の内容を無視した判決を下しています。この判例をみると、医学に素人の裁判官が正確な証拠を採用できないという思いに捉われます。

>月に何度か数件ずつ、皆でよってたかって検証する

「人員に余裕の有る大病院」が存在するならそれも可能でしょうが
多くの医師がそんなものをみたことがありません.
話に聞く亀田中央病院くらいでしょうか?(医師260人)
一般に医師の多い病院ほどもっと多くの患者がおしかけます.
また,大規模病院の部長クラスはすでに様々な雑用をおしつけられています.
しかも鑑定は責任を伴う上に証言で相当な時間的拘束を受ける.
これが現状.よって裁判所で行う事は不可能,

他国では医療事故のカンファレンスは行われていますし,
日本でも病院内では回診や会議で治療の反省は実は行われています
これを裁判の証拠とするには誰かが結局文書化しなければならない
文書化した人を証人として呼ぶと現行制度とあまり大差ない.
また,カンファ参加者多数が見た事の無い事例を議論する場合
どこまで各人が正確に事実関係を把握しているかという問題も
あってまさかテストするわけにもいかない.
なんとか技術的にクリアできるかもしれませんが基本的にたいへんです.
参加者があんまり多いと議論の質が保てない.

そもそも現行の刑事裁判では医師同士の直接の討論が行われていません.
一人の証人に主尋問と反対尋問.医学的な内容の場合
主尋問(証人を呼んだ側からの質問)から反対尋問まで
一ヶ月以上の準備期間を要します.この間に検事や弁護士が
専門家のところに行ってツッコミどころを聞いてくるわけです.
その場で討論させれば済む話なのに,これにさらに専門家の反論証言を
させるとまた二ヶ月かかる.非効率極まりない話です.
なんでこんなことを延々とやるのかは私も理解しかねるところです.

なお,裁判所が依頼する「鑑定」は検察と弁護側の(専門家の)証人の話を聞いて
それでも判断しかねる場合に依頼するので実数はそう多くないそうです.

>医療者さま、いのげさま
丁寧な回答ありがとうございました。しょせん素人考えでした。申し訳ありません。やはり専門機関の創設しかないんですね。となると、機関専属の医者が誕生するわけで、そうなるとまた臨床とのギャップが・・・。ハードルはいくらでもありそうですね。

>みみみさま

一般の方々の意見も貴重です。是非一般の皆様も、不勉強でかつある一群の恣意が入ったマスコミの報道に左右されることなく、自分の目で見、自分の意志で意見を持ち、政治や医療や司法などを冷静に観察して判断し、意見を述べていって頂きたいと思います。

機関専属の医師というものはできれば発生して頂きたくないものです。難しい問題です。

しばらくROMっていました。
久々の投稿にmedixさんへのコメントで入るのも少々心苦しいですが、別エントリで受けた医者サイドの反論(素人は黙ってろ、専門家に意見するときは慎重にしろ、患者は学がない、など)の背景、根底には、medixさんのような奢りが少なからずあるのではないか、と思っておりました。
資格試験の難易度としては、よりハードルが高いと思われる弁護士に対してもこれですから、弁護士でもない私のような金融屋はさらに下に見られてしまっているのでしょうね。(医者が全員medixさんのようだと思ってません)

しかし、私が以前「医者の態度に不満がある」と書いた背景には、実は同じような「醜い心」が私にもあるからに他ならないと自覚しています。
つまり、私も学歴社会においては勝者であって(私の出た法学部は大半の医学部より難易度は高いですから)、正直「医者ってなんでそんなに偉いの?」と思う気持ちがあるのです。

ですから医者と対峙するとき、「あんた、舐めるなよ」という心構えで望んでしまう悪い癖が私にはあります。
私みたいな患者は医者にとってはクレーマーなんでしょうね。

お互いそれぞれに専門分野があるのですから、双方敬意を持って接する関係が望ましいのだと思います。
自戒の念をこめて。

正直、「バカの壁」を感じますよねぇ。いや、民473さんがどうとか言うのではなくて
あの本からの引用ですからご容赦。
ただ、法解釈の言葉遊びをいくらしたところで医療崩壊は止まりません、あしからず。

>老人の医者さん
その例えより、裁判そのものがもともと後出しジャンケン的な性格を持っていると考えた方が良いような。事件が起きた後で証拠を付き合わせる訳ですから。
最初から医療と相性が悪いものなんですね。

>モトケンさん
「衣食足りて礼節を知る」ならぬ「休息足りて政治運動を知る」です。
まず仕事量を減らさないと何とも…。暇があったら寝たい人がほとんどかと。

たびたび首を突っ込んで申し訳ありません。
世論代表を気取って血迷ったことを色々書きましたが、実は「公的補償制度」のエントリーで書いた通り、妻が看護師なので崩壊の状況はよく存じています。

非常に専門的な議論が続いたのでずっとROMっておりましたが、私自身、マスコミのバイアスに影響を受けていた部分があると思い知らされ、大変勉強になりました。また、医療関係者の司法不信がこれほどのものなのかと驚いた次第です。

医療関係者の司法不信があるように、一般人の医療不信もあるのが実情です。最近の医療事故といってまず思い浮かぶのは「大野」ではなく「青戸」か「割り箸」でしょう。残念ですがそれが現実です。マスコミがこれだけ扇動的になった今、見出ししか読まない素人には、センセーショナルな事件ほど頭に残ってしまいます。

ただ、一つだけ言えるのは、ふだんビール片手にテレビを見て「最近の医者はなっとらん!」などとぼやく一般人の全員が、必ずしもモラルの無いクレーマー患者予備軍ではないということです。

現に「モラルのない患者」が医師の皆さんを苦しめているわけですが、これは患者のモラルが下がったというよりも、日本人のモラルが下がったと言うべきで、他のエントリーにもあるように、駅やレストランや飛行機など様々な場所で同様の事態が起こっています。病院で暴れるような輩は、病院の外でも同じでしょうし、医療崩壊など最初から聞く耳を持たないでしょう。

しかしそういう時代でも、「ありゃバカだ」「自分はああなっちゃいけない」と思っている日本人の方がはるかに多いはずです。そんな人たちは、家でなんとほざこうが大怪我したり大病を患えば、病院でおとなしく治療を受け、治れば「お世話になりました」とちゃんとお礼を行って帰るでしょう。

私たち一般人が一部の悪辣な、あるいは無能な医師を見て医師全員を判断してはいけないのと同じように、医師の皆さんも、真摯に身体を直そうと努力し皆さんに感謝する普通の患者の存在を忘れないで欲しいのです。

そういう多くの一般人(特に病院があまたある大都市の人)は、別に医療崩壊を無視しているわけではなく、本当に知らないのです。

ネットの世界ではかまびすしく危機が叫ばれています。しかし、これだけネットが普及した今も、情報源はワイドショーと一般新聞だけ、という人々が日本ではまだ半数以上います。一方のネットユーザーも、自分に火の粉がかからない限り興味を示さない若年層が大半です。関連書籍だって、興味が無ければ素通りです。

一般人の中でも、科の閉鎖が相次ぐ地方の人や、子を産む場所がないことを知った夫婦といった、火の粉がかかった一般人たちはやっと事態に気付き始めています。なくなってから初めてありがたみを知るのが人間の悪い癖です。

今となっては、深さはどうあれ一旦はドブに落ちなければしかたが無いのでしょう。でも、少しでもブレーキをかけるのを早めれば、それだけドブが浅くなります。ドブが浅くなるということは、それだけ人の命が助かるということです。医師の皆さんなら、これがどれだけ重要なことかお分かりだと思います。

私自身は折りあるたびにこういう話を周囲にできればと思います。そういう政策を掲げる政治家がいたら応援もしたい。しかし、一般人が個人でできるのはここまでです。しかし、医療の皆さんや司法の皆さんは違う。専門家集団というのは自分達の城を築きやすい一方で、弁護士会なり医師会なり、世間に大声で発信できる「スピーカー」も持っておられる。それをもっと駆使していただきたいのです。

別に現場の医師の皆さんにデモをやれ、とか言っているわけではありません。どんな業界でも鉄砲握ってる兵隊の後ろにエライさんがいるはずです。そういう人の尻を蹴飛ばして、先日の「出産時障害公的補償制度」のような狼煙をどんどん上げてほしいのです。

司法関係者の皆さんも、最近の議論で得るところがあったなら、それを何らかの形にしてください。しがないサラリーマンにはない力をお持ちなんですから。

うろ覚えですが、アメリカの禁煙運動にしても、初期の提訴は門前払い続きだったと記憶しています。それが今ではあの通りです。

医師の皆さんが疲れきっているのはよくわかっています。頑張れというのもおこがましいと思います。私としては、それを無視していない一般人もいることを知ってください、としか言いようがありません。私も所帯持ちですから、このままなら自分にも火の粉がかかることは自覚しています。だから、私も自分にできることはやるとお約束します。

ちなみに、妻にここでの議論のことを話して「うちは看護師がいてありがたい」と言ったら、「何の病気かは判断してあげるけど、あとは知らん」と一蹴されました。

>モトケンさま
高度な議論の最中に長文でお邪魔したことをお詫びします。

>an_accusedさま
 遅ればせながら、お久しぶりでございます。2006年08月15日 10:52のan_accusedさまのご解説、自分が投稿した後に気付きました。すみません。たいへん勉強になりました。

>『鑑定医が結果論ではなくより臨床の実際に即した医事鑑定を行うこと、審判者(司法なり第三者機関なり)が医事鑑定に結果論を求めないことが、現行制度の下でも、第三者機関のような新たな制度の下でも、必要なのではないかと考える次第です。』

というご解説には、医療関係者よりも医療の現場をご理解されているなあと感服いたしました。

 この点に関して法律的な用語を使わせて頂きますと、「結果予見義務」や「結果回避義務」を臨床医に求めるのは、不可能だと思います。逆に言えば、病理解剖、司法解剖を含めて、すべての結果がわかった時点での鑑定となると、「因果関係」の有無を立証するのは、それほど困難なことではないと思われます。別エントリーでアメリカ在住のお医者さんが述べらていましたが、「後医は名医」でありますから。

当エントリーで他のお医者さんが、
>機関を作りたいのですがそのような体力がほとんどないのです。
と述べられていましたのでコメントさせていただきます。

 私事ですが、過去に次のような書類作成を求められたことがあります。〆枷十蠅ら「患者さんが禁治産者であり後見人が必要であることの医学的参考意見」警察から「交通事故をおこした患者さんの責任能力についての医学的参考意見」いずれも質疑応答形式でしたが、質問も多岐にわたり客観的事実をもとに記述せねばならず、公文書でもあり緊張し、従って書類作成にも時間がかかり日常業務はできませんでした。

わたくし的には、「(財団法人)日本医療機能評価機構」あたりが、臨床実務に携わっている医師や司法関係の方、非医療職の方をまじえて「第三者機関」を設立すべきであろうと考えています。

>岡山の内科医さん
「田舎医 | 2006年08月15日 16:10」は僕です。
名前に「元」を付けるのを忘れていました。
すみません。

いや、民473さんの論旨はごく普通に法曹の方が使われるもので今さら驚いたりはしません。
驚かない代わりに「またか」と悲しくなるだけですよ。
気力があれば、丁寧に反論もできましょうけど。

その手の病気もあって前線を離脱した医者としては管理人さんらの「まだ踏みとどまっている人の意見だけが聞きたい」にも悲しくなりますね。
脱落した者にこそ真相が凝縮しているかもしれないのに。

元田舎医さん
ご返答有難うございます。そして、心より「お疲れ様でした」と言わせて下さい。
当方、何とか最前線に踏みとどまっている呼吸器内科医ですが、昨今の医療をめぐる情勢の急激な悪化に、腰の落ち着かなさを自覚しております。内科についても、若手医師の志望減は深刻で、今年の呼吸器学会、血液学会の全国総会でも、緊急シンポジウムが開催されました。時間に余裕があれば、このような場に思いを出させてもらって、他職種の方に少しでも医療の現場の人間の認識を伝えられればと思っています。確かに「まだ踏みとどまっている人の意見だけが聞きたい」はひどい言い分ですね。ここまで散々頑張ってこられて、バーンアウトされた方の意見は貴重だと思います。

>モトケン様
 私は子供の頃(と言っても中学生ぐらいですが)むしろ弁護士になりたかったので
medix様の発言は私にすれば論外です。そう言う医師もいると思ってください。
 ちなみに私の嗜好・性格上、弁護士は今にして思うとあまりに不向きですので、この道を選んだのは(現在の医療情勢を鑑みても)正解だったと思っています。

 さて、第三者機関の創設についてはかなりご同意をいただけているように感じております。ここで問題なのは現場の、一線の臨床医というのは医療者様のおっしゃっていますが極めて(想像を絶するほど)多忙であるという点です。我々はネットなどでささやかな声を上げるのが限界なのです。私などは最前線の臨床医から見ればかなり暇な方ですが、外来の合間を見ながらちょこちょこネットに書き込むのがやっとです。本来この責をになうべき日本医師会の動きは最前線の勤務医にコントロールできないものとなっています。

>みみみ様
 いのげ先生の発言をさらにフォローします。医療事故は各病院で小さいものは多くても大きいものは少ないと思います。これらを集計し対策を考えるには各病院単位での対策を立てるより、もっと大規模(少なくとも北海道地方、東北地方など地方規模)の集積が必要だと思います。
 ご指摘の通り、機関専属の医師となると問題が生じる可能性はありますが、臨床経験をある程度積んだ人間に(通常の医師と同程度の)十分な報酬を与える・・という条件で集めれば医療の実情・司法の実情ともに習熟した医師を集めることは不可能ではないと考えています。

>民473様
 ご教授ありがとうございます。残念ながら今ひとつ使い方が分からず、まだ判決文に当たれていないのですが・・・。ただ、判決文の要旨を見て「これはないだろ」と思われる判決が多数出ているのは紛れもない事実なのです。ことはアナフィラキシーに限ったものではないと言うこともご理解頂けると幸いです。

僻地外科医さんのURLリンクから、加藤医師の弁護団のプレスリリースを読みました。
加藤医師と弁護人が作り上げた力作です。
医師になれなかった法律屋としては、こういう書面(?)を見ると、不謹慎ですが感心します。
(私は子どものころは医師になりたかったのですが、血が苦手で、血をみるとお尻の穴がキュッとしてしまうので(変な表現使って済みません)、文系に進みました。)
これを読めば、この刑事裁判の主な争点や社会的影響について、よく理解できます。
マスコミの記者がきちんと理解できるかは、不安ですが。

当方は現在医学生で、一般の方と医師との中間の立場にあると認識し、少しだけ医学生の立場からの現状の受け止め方を書き込みさせていただきます。

私たち学生にとって福島の事件と割り箸事件の話は防衛医療の話とともに大きな話題となりました。

大学にもよるでしょうが、私たちの同期のほとんどが産科・小児科志望をとりやめています。それはやはり労働環境もありますがなによりも訴訟をうけることが前提で科を選ぼうという人がいないからです。

更に言えば福島の事件以降、私たちは訴えられない防衛医療とEBMに基づく医療のどちらを学ぶべきなのか見失いつつあると思います。極端に言えば司法判断に乗っ取った裁判所の求める医療を私たちは学ぶべきなのかと考えてしまいます。

おそらく医療崩壊となれば次の産科など特に崩壊に関わる科を選ばない我々の世代が世間から叩かれるのでしょうが(現在も楽な科に流れるや僻地に行かないとして叩かれていますが)、現状に失望し一部では民間企業への就職活動を行う者まで現れ始めているのが私たち医学生の現状です。

珍しくまだ仕事中です…
時代はEBM(根拠に基づいた医療)からすでにJBM(司法判断に基づく医療)ですか。その判断も医学的視点で明確な基準が定めてもらえると言うならまだ対処のしようもあろうというものですが現状では到底。いやあるいは、司法的にはこれで明確な基準というつもりでいるのかも知れませんが、ねえ…

多少なりとも建設的提案というべきものを考えますと、医療側として当座何とかしたいところとしては鑑定人を務める医師の人選といったあたりになりますかね?件の福島事件にしろ結局そのあたりが一番の問題であったように思いますし。
しかしながらすでに皆さんご発言のとおり、ぜひとも鑑定人をお願いしたいというまともな医者ほど到底そこまでは手が回らないという現状につきあたるわけです。結局のところ医師総数が劇的に増えるか医師の業務量が劇的に減少するかを期待するしかないとなりそうですが、どちらも極めて望み薄な現状…厚労省のreportもあまりのいい加減差に腹が立つだけでしたし。

しかしまあ、時とともに医療のよって立つ基準点も変わるものだと頭で理解はしておりましたが、当事者としてこれほど急激な変革期に遭遇することになろうとはつい先年までは思ってもいませんでしたねぇ。ネタとして眺めている分にはこれほど面白い現象もないものだと先日も友人と語り合いましたが、若い先生方はよほど本気で覚悟しといたほうがいいですよ。

茶々を入れますが、割り箸の事件は、小児科ではなく耳鼻科だったと思います。
私は、刑事は嫌いで、業務上過失致死どころか、刑法自体が不要だと思っているので、当然刑事訴追には反対ですが、いろんなblogで書いてあるように、割り箸事件の診断って、そんなに難しいのでしょうか。

医師が、裁判の判決を見て、医師が反省をして勉強したこと。
1、心筋炎事件。
小児科の専門以外がいて、24時間人工心肺がすぐに回せるところ以外は、小児救急をやっては駄目、と教えられた。同じ場面に遭遇したら99%以上の医師は救命不可能だったでしょう。自分も当然救命不可能。
この事件を契機に、自分の病院や基幹病院で小児科待機が24時間出来ないところはいっせいに小児救急から手を引いてしまった。自分だけでなく、他の先生も小児科は手をつけてはだめ、という雰囲気になってしまった。もともと、患者の親のクレーマー化がひどかったこともある。
おまけに、判決が出たからといって、どうしたら再発がなくなるか、いい案が出てこない。患者さんの家族が病院からカネを取れたという事実と、小児救急医療の崩壊をもたらしたことしか、判決は意味しない。もうひとつ、小児は(弁護士から見て)金になると医者が気がついたくらい。もっとも平均賠償額が高いのは0歳ということも知った。裁判で勝った親は、医療事故再発防止のため訴訟を起こしたにといっていたようだが、招いたのは、小児救急の破綻だけであった。見てくれる病院がなくなれば、医療事故は当然おきない。病院外で、死亡が確定するだけ。
2、割り箸事件
小児の頭部外傷は24時間MRI取れるところでないと、見てはいけなくなった。24時間MRI稼動しているところなんて、うちの地区だと、車で2時間かかるところしか、多分無い。夜間はMRI稼動していないところがほとんど。おまけに、意識のある子供をMRIとることの難しさは知らないようだ。15分くらいじっとできる子供でないと、検査は厳しい。あと、親の責任がとわれないのが、不思議。歩きながら食べ物を食べることは、間違ってると思われるがいかがだろう。
このケースは、万が一MRIが取れたとしても100%の医師が救命不可能。割り箸が脳に、刺さっていたのを発見できただけでも、お手柄なのである。脳みその大事なところが広範にやられているのに、死なないほうがおかしい。当然、CTではわからない。
3、産婦人科医逮捕の件。
自分は内科医だから、詳しく走らないが、福島県内は一人で産科医をしていたところをすべて、引き上げたそうだ。全国的にも、その流れになる。これから、産婦人科医が更に逃げてしまうことが確定となった事件。妊婦さんに対する影響はこれから出るでしょう。この事件がきっかけで少子化が更に進むと思われる。
4、鹿児島市民病院で交通事故で、病院に2億以上の損害賠償が出た件。
ここの院長先生も、判決を見て、あきれてものが言えなかったみたいだ。
そもそも、交通外傷を受け入れることが間違い、という事実に行きつく。
死因と、医療過誤と全く理由が違うことは苦笑するしかない。

1,2より、基幹病院で負担が更に増え、それが嫌になった医師は逃げ出していく。これが医療崩壊の実態。大学医局の弱体化と同じくらい、司法の判断が医療崩壊に作用している。
今後問題になるのは、救命救急士が業務上過失致死で訴えられるようになること。これは、今の司法判断の流れから行けば、これから2年以内に起こってくると思われる。救命救急士は医師よりさらにやりがいだけで仕事をしている人の割合が多いので、医師より裁判に打たれ弱い。これは大変な問題になる。へんな判決が出れば、みんな救急救命士を辞めてしまうかもしれない。119まわしても、救急車が来てくれない、そういう事態も最悪想定しないといけない。下手すると、医療崩壊より恐ろしいかもしれない。
自分も大変反省したよ。申し訳ないが、こういう判例から、リスク回避の必要性を感じ取った。あと、救急医療はね、ほとんどの病院が労働基準法違反の状態でされているんだよ。本来は、病棟当直要因なので、救急外来は見る必要が無い。だから、強く文句を言えば、断っても、管理者からは怒られない。(もし怒られたら、労働基準法違反で告訴しますよといえば、相手は黙ってしまうだけ)だから、ひとつの判例が、すぐに救急医療の崩壊につながってしまう。

>民473様
 割り箸事件に関してはそれこそいのげ先生のHP(不当逮捕された耳鼻科医を支援する会)がもっとも詳しいかと思いますので一度ご覧になって頂けると良いかと思います。私も別なハンドルですがいのげ先生のHPに書き込んだ一人です。

 個人的意見ですが、診断も同様の事例で確実に診断するのはそこそこのベテラン(卒後15年)の私でも極めて困難であると思いますし、それ以上に仮に診断し得たとしても救命はほぼ不可能と考えられる症例です。いのげ先生の掲示板の方でもある程度その理由等について触れられています。

割り箸事件の診断について
脳外科医や救急科医なら無症状でもCTとりますから
ゼッタイ帰宅にはしません.
だからといって脳外科医や救急医が優れているというだけの話ではなく
(専門だから優れていて当然ですが)
脳外科や救急科に送られているという時点ですでに選択されているわけで
他科と同等の環境にいるわけではない.
小児や神経に慣れてない医師なら所見をとることが難しいとおもいます.
彼らは神経の心配だけをしていればいい身分ではないのです.
明確な異常所見が無いのに頭部CTを撮る習慣も無い.
この場合の所見とは具体的な意識状態評価以前に意識障害を疑う
センスとか印象,職業上のカンの話になります.
「開眼がある軽度の意識障害の把握は大人でも難しい
小児はなおさら難しい」と検察側証人も証言しています.
以上が医師としての私の見解です

判決文の予見可能性(≒診断)に関する部分については論証や結論よりも,
そもそもの議論の前提に不満があります.
(事実関係の認定にも多少疑問があります)
具体的予見可能性よりもかなり危惧説になってます.
(予見すべき内容の具体性の程度には法曹界でも複数意見がある)
それも,文献上前例の無い状態(=頭蓋底穿通)の想定
又は実際の損傷と無関係な状態(=穿通無き脳損傷)の想定
これが注意義務に含まれるとしてます.
民事ならそれもありでしょうが刑事では到底承服致しかねます.
存在しなかったものを想定しなかったから刑事責任とは無茶な話です.

診断が難しいというより,診断に関する議論の方が
はるかにややこしいです.立証の方法も概念的理解・議論も難しい.
文献も客観的データもなく,経験論だけの世界です.
このため(だとおもいますが)診察に関する議論よりも
死因や救命可能性に関する議論のほうがはるかに量的に多かったです.
クリアカットに論じやすいし物証も多い
それでも救命に関する両者の主張が正反対だったのでした.
判決では検察側証人である日本脳神経外科学会会長の証言
これを全面的に退けています.
よく読むと,別に弁護側証人の意見だけを重視したわけでなく,
司法解剖担当した法医学者の記録した所見との矛盾点が
相当少ないことを理由としており,形式論理的には
権威主義的判断を排除した内容といえるでしょう.

判決文全体としての論理性は非常に矛盾無くできています.(前提抜きの話)
実は後半で無罪にしたから前半をキツメにしたんじゃないかという
いわゆるバランス感覚判決疑惑を指摘する方が判決直後にけっこういました.
疑惑が存在したとしても,判決文中に論理の矛盾点は私には発見できません..

>茶々を入れますが、割り箸の事件は、小児科ではなく耳鼻科だったと思います。

耳鼻科の事件だから小児科は無関係というものではなく,
むしろこの事件の特徴といえる「時間外・救急・小児・専門外疾患・稀な機序」
における刑事責任追及である,と医療関係者はとらえているのです.
神経損傷は大部分の小児科医にとって不得意な分野です.
つまり,被告人は耳鼻科医であってもこの事件の状況は
小児科医にとって全く他人事ではないのです.
ここに茶々を入れるということは
100%他人事と思っている人だけに可能な話です.

>民473様

いのげ先生のHPはご覧になられましたでしょうか。
民473様はどうしても医療者側の反発が理解しがたいようですが、
われわれは個々の医学的判断に対して疑問をもっているのであっ
て、それを一つ一つミクロで見ていただかなくては私たちの意見も
民473様には不思議な反発として素通りするだけでしょう。

>割り箸事件の診断って、そんなに難しいのでしょうか。

現実にその場の判断では不可能だと思います。
「そんなに難しいのでしょうか」という疑問が出ることが私にとっては驚
愕です。

医学的判断とは、今までの文献的報告と、生理学的・生化学的事実と、
医師本人の経験と、診察・検査から複合的に紡ぎ出されるものです。
今まで前例のない状況を予測しろというのは神の領域です。
よく一般の方は、のどを突き刺したらすぐそこには脳があるのだから解
剖学的に予想するのは容易というか当然でないのか、とおっしゃいます。
それはこの事件報道直前までの医学的常識を無視しています。
人間は神ではありません。
診断とはあくまでprospectiveなものであるということを知ってください。

ぜひHPを十分ご覧ください。

 あんまり発言するつもりはなかったのですが、この件についてはあまり行動を起こした医師も少ないのではないかと思うのでちょっとだけ。

れいさん。
>もし怒られたら、労働基準法違反で告訴しますよといえば、相手は黙ってしまうだけ

 いや、私の狭い経験では、そんなことはなかったですよ。
 内部で声をあげても全く取りあってすらもらえないんで、医療裁判の医療現場への影響をみて逆にこれはと思い、労基署に相談→指導、その後刑事告訴・告発もしましたが……
 労基署の指導なんてうわべの体裁だけ整えればいい、起訴なんかどうせされないと、管理者側はやりたい放題ですよ。検事さんには結局起訴して頂けないし、職場にこれといった改善らしきものはないどころか、告訴告発行為そのものへの圧力とか、(愛想つきて辞めたんですが)再就職に際しての圧力とか。まぁ予想された行動なんで、こちらも事前に対応しておいて再就職も困ったことにはなりませんでしたが。その変な圧力行動のおかげで、逆に大学医局とケンカせずに医局人事から離れれたことは良かったのかもしれません。
 実際に起訴されたり判決が出たりしたら、日本の医療現場もかなり変わるんだとは思いますけどね。

支援の会HPのコンテンツについては
運動のかなり初期に書かかれたものでいささか情報が古いのも有る
いのげは主に支援の会HP掲示板の記述の方で活動しております
両方とも文責はすべていのげにあります

岡山の内科医さんの書き込み(15日17:20)がワタシの思っていた通りのことです。
サッカーの審判って、結構難しいんですよ。特にオフサイドの判定は、草サッカーでは大抵もめます。ワールドカップクラスでも微妙な判定はありますけど。

いのげさんがおっしゃるように、非経験者のジャッジは非効率的ということなんです。その辺のコンセンサスが社会全体に欲しいかな、と思います。
審判の人選としては、大学にからまない、第一線病院の部長クラスかな、とも思います。彼らが極超多忙なのはおっしゃるとおりです。

>>ももさん
そんなことはないですよ。
そうおっしゃる方には、いかに自分がそのような判断を下したか、医学的知見を踏まえ、淡々とお話しするだけです。
たまに「診させてやっているんだ」という患者様がいらっしゃいますが、一通り話をお聞きした後、世間話で私の人生観を吐露します。論理的には飛躍しまくりですが、不思議と納得されることが多いです。

割り箸事件については自分も専門外ですが、専門外であるがゆえにこういう場合あるいは患者対策としての意味でCT撮っていたかなという気がしています。大学病院の時間外とかそういった特殊事情がある場合はまた話が別ですが、ね(苦笑)。むろん、撮って何の役にも立たなかっただろうという結論部分には異論ありません。
思うにもし自分がこういう症例に遭遇した研修医でこの場面でCTのオーダーを出そうとしたらば、横で見ている指導医から「何の目的で?その検査で何がわかる?」って即座にツッコミが入るんだろうなって気がしますね。で、たぶん自分はそれに明確には答えられず書きかけの依頼伝票破って捨てるだろうな、と。良くも悪くも我々はそういう教育を受けて育った世代です。
こういう極めてレアな病態であることが最初から判っていたなら確かにMRIというのが「正解」になるんでしょうが、機械の立ち上げから子供の拘束までと手順を考えていった場合に初診でそれをすべきというエヴィデンスを得られる医者が何人いるものか?当時は「まともでない医者ならかえって撮ったかも知れん」なんて友人と冗談を言ったもんですがね。

to:お弟子さん
まさにそうした環境に甘んじることを今の若手はよしとしておりませんよ。数年前からすでにその傾向はありましたが、医局人事というものが崩壊した時点で当たり前の要求を当たり前にする、それが受け入れられなければ他を当たるという意識改革があっという間に進んだことを実感します。結果論としては問題点を改善出來ない、する気のない職場はさっさと潰れるのが社会正義にもかなっているのかも知れませんが。


割り箸の件、教えていただきありがとうございます。

刺し傷の患者が運ばれたときに、内出血や内部臓器の損傷を疑わず、傷口が止血していることを見て良しとするのが普通の診察なのか、素人として疑問に思っただけです。診察が難しいことは一応分かりました。この件を論じ出すと、すごく長くなりそうなので、止めましょう。

誤解のないよう言いますが、刑事訴追には反対です。

岡山の内科医さん、ぞうさんさん
民事事件における裁判所の役割について、重装備にするか軽装備にするかです。

現状の民事訴訟では、原告患者側が「被告医師に過失がある」という別の医師による鑑定書を出さなければ、ほぼ間違いなく負けますから、訴えられた医師としては原告側鑑定書を論破するように戦えば良いことになります。裁判所は、論破されたかどうか分からないようだと問題ですから、それがわかる程度の医学知識を専門委員などにより軽装備で備えれば良いという考えになっています。

これに対し、裁判所を重装備にし、原告、被告どちらよりも医学知識を高くした場合どうなるかというと、訴えられた医師は、「裁判所と戦う」「裁判所の鑑定軍団と戦う」という状況になり、あまり良いこととは思えません。

第三者機関についても同じようなことで、民事については、あまり良い結果を生まないと思います。

これに対し、刑事事件ではどうかというと、検察も警察も医学にはど素人ですから、民事のような原告側医学鑑定対被告側医学鑑定といった医学知識による対立にはならない構図にあります。

なので、警察や検察が動く場合は、事前に、医学知識のある専門機関(第三者機関?)に事件の鑑定を委ねることを義務化することに意味があると思います。本来は新しい法律を作るべきでしょう。

もっとも、裁判所の令状部の意識が高ければ、「逮捕状や捜査令状を請求する際には、必ず医師による鑑定意見を付けること」という運用にすれば、問題は相当改善すると思いますが、意識が低いので無理でしょうね。

>岡山の内科医 | 2006年08月15日 21:03さん
ねぎらいのお言葉、ありがとうございます。

結局不起訴となりましたが、以前、僕の知人が業過ではなく殺人罪で書類送検されたことがあります。
我々田舎医にとっても他人事ではない事案だったので、僕も起訴にまで至らないよう少し動いたりもしました。
たかが警察による事情聴取・書類送検、マスコミによる(執拗な)取材・報道ですが、医者一人を心身ともに疲弊させるには十分すぎるようです。
少なくとも他人の僕にとってでさえ、仕事を辞めて療養生活に入る決意を十二分に後押ししてくれた出来事でした。

>民473様

>これに対し、裁判所を重装備にし、原告、被告どちらよりも医学知識を高くした場合どうなるかというと、訴えられた医師は、「裁判所と戦う」「裁判所の鑑定軍団と戦う」という状況になり、あまり良いこととは思えません。

 このレスあたりにかなりの誤解があると思います。医療の現実に即してまっとうだという判決であれば、これを受け入れないという医師は逆に少ないのではないかと思います。第三者機関についても同様です。現在の訴訟制度では真実がどうであるのか、真相はどうであるのかを追求するのではなく、勝ち負けを重視しています(双方が争わない事実については検討しないとどなたかも書かれていましたね?)
 医師側でも患者さん側でも求めているのは事実・真実だと私は考えているのですが。

 割り箸の件ですが、分かりやすいように追記だけしておきます。
 あの事件では割り箸という鈍的な異物が「奇跡的な確率で」頸静脈孔と言う極めて小さい穴を貫通し脳へ刺さったものです。一般的には喉に鈍的異物が刺さっても骨(頭蓋骨)によって邪魔されるため、割り箸が喉から脳に刺さることはありません。
 通常の(例えば腹部などの)刺創では当然のごとく内部臓器の損傷を考慮します。
 また、粘膜下の内出血に関しては血腫の自然吸収を待つのみで特段の治療はありません。
 もし頭蓋骨の正確な模型を目にすることがありましたら実験してみてください。大人でも口から頸静脈孔を通して頭蓋内に割り箸を通すことは相当困難です。

>その手の病気もあって前線を離脱した医者としては管理人さんらの「まだ踏みとどまっている人の意見だけが聞きたい」にも悲しくなりますね。

 実は一晩頭を冷やしてから書いているのですが、

 私のスタンスをこのように理解されていることを知って、しかもそれに同意される方もあることを知ってとても悲しくなりました。
 読んだときは、このエントリと関連エントリを全て削除してしまおうかと思いましたが、このような認識が多数意見とは限らないと思い直しました。

 なお、「まだ踏みとどまっている人の意見だけが聞きたい」のように括弧書きで書いた場合は、通常、引用と解釈されると思います。つまり、私または私以外の誰かが、括弧の中の文言をどこかで投稿していると解釈されるのですが、検索をかけても見つかりませんでした。
 どこからの引用か明示していただけますと、私の投稿なら私から釈明いたします。

>モトケン様

私は、「出産時障害公的保障制度」というスレッドで「世捨て人」という方のコメントの次に出された下記のようなコメントのことについての反応だと思います。

「私は、まだ世を捨てていない人の意見を聞きたいです。Posted by: モトケン | 2006年08月13日 11:08」

逃散ということは責任回避のためラクな道を選ぶというわけではなく、その前に医療者は現状に絶望し十分傷ついているということではないでしょうか。世捨て人酸はまだ職場に残っておられるのかどうかわかりませんが、残っていても心の中がすさんでいるのは変わりありません。

でもまあ、スレッド全部消去しようというほどのことでもないような気もしますが。

横レス失礼しますけど、出産時障害公的補償制度のスレの最後で

>Posted by: みみみ | 2006年08月13日 22:01

の発言があり、それに対する反発のレスが2、3続いたあとで

>Posted by: モトケン | 2006年08月14日 20:28

という管理人氏のレスが出現しますので、見ている者にとって管理人氏のスタンスは明確であるものだと思いこんでおりましたが。別に立ち位置の違いで非難などするつもりはありませんし、むしろ非医者の考え方を知るという点でここの価値を見いだしてる医者も多いんじゃないかと思いますが。
横レスで話がよけいややこしくなったら申し訳ない。むしろ今回の管理人氏の反応に驚いたもので…

 管理人様、はじめまして。はんぞ〜〜〜です。
 私はこの3月末から、門外漢ながらこの問題をずっと追い続けています。

> 読んだときは、このエントリと関連エントリを全て削除してしまおうかと思いましたが、このような認識が多数意見とは限らないと思い直しました。

 思い直していただきありがとうございます。
 当事者として色々感想や批判を受けられることなども、管理人様にはかなりの負担かと思います。
 ですが、続けてくださっていることが私には嬉しいのです。

 私は門外漢の「患者側」の人間ですので、出きることはほとんどありません。
 ですから私は、周囲の友人・知人に私が知り得ることを伝えるのみです。
 そのための情報源でもあるのです、このブログは。

 どうか、色々とご負担とは思いますが、このまま続けてくださると嬉しいです。

>管理人さん
「まだ踏みとどまっている人の意見だけが聞きたい」の出典としては、08/09の「出産時障害公的補償制度」のエントリの
>私は、まだ世を捨てていない人の意見を聞きたいです。
>Posted by: モトケン | 2006年08月13日 11:08
や、
>さじを投げ終わって世を捨てた方とは無理に議論しません。まだ投げてない人と前向きなお話をしたいです。続きは別エントリーにて。
>Posted by: みみみ | 2006年08月13日 22:01
ですね。
表現の改変、とくに「だけ」の有無等について異論がおありでしたら、謝罪いたします。
すみません。

この発言を含めても、極力中立であろうとする抑制された管理人さんのスタンスは非常に高く評価しています。
せっかくの流れを乱してしまったようですので、再びROMに戻ります。
申し訳ございませんでした。

>医療者さん、老人の医者さん
カブってしまいましたね。
すみません。

 個々の医師が医者または臨床医を続けるかどうかの判断と、医療崩壊の阻止(または医療崩壊からの回復)に対するスタンスは別物と考えています。
 また、すでに医業から撤退された方からの情報提供は重要だと考えています。

 すでに余計なことかもしれませんが

>>「私は、まだ世を捨てていない人の意見を聞きたいです。」

 と

>「まだ踏みとどまっている人の意見だけが聞きたい」

 は同義ではありません。
 無視できない違いがあります。

追記
 元田舎医 さんのコメント見ずに投稿したものですが、私にとって「だけ」の有無はとても重要です。
 私が排除の論理でこのブログを運営していると誤解されるおそれがあるからです。

 そこをご理解いただければ、これからも忌憚のないコメントをいただければ幸いです。

すでに蛇足とは思いますが。

-----------------------------------------
 私は、まだ世を捨てていない人の意見を聞きたいです。
Posted by: モトケン | 2006年08月13日 11:08
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の発言は、

-----------------------------------------
 まさにこのスレで現れているような世間の風潮に嫌気がさして逃散が進んでいるのが現状の流れ。それを是とするならこのまま今の状況を続けられたらよろしいでしょう。
 一方的に罵声を浴びせられ故無く訴えられる危険を甘受してまで敵意ある他人のために献身しようなどと考える愚か者など今どき多くはないという当たり前のこと。他人のカラダより自分のカラダの方が大事なのは人間として当然です。
Posted by: 世捨て人 | 2006年08月13日 10:20
-----------------------------------------

を受けての、特にハンドルネームに着目してのものだった(と理解していますが)ことは強調されてよいと思います。

ネット上に限られないと思いますが、文脈を無視して個々の発言だけを切り取ると、概して議論は非生産的な方向に向かってしまうと思います。経験上。

皆様のコメントはずっと拝見していますが、書いてあることを超えて、読み手が「進んで」相手方の悪意を読み込んでしまっている傾向が感じられるところが(一部ですが)あり、残念に思っています。

医療関係者の知人が少ない私にとっては、現状でも非常に有意義な議論なのですが、さらに建設的・前向きな話し合いの場となることを希望しております。

世を捨てていない人というのは、医療崩壊に対してニヒリズムに陥っていない人ということというように読んでいたのですが。

モトケンさんの、
>政府は選挙によって変えることができます。
>政策も変わります。
>しかし、変えようとしなければ変わらないでしょうね。
ということに同感です。
時折、医療者側から、医療崩壊は止められないから仕方がない、という論調のコメントを見かけることがあります。
医療者側から見て、現状は十分絶望するに値するものであるということは、様々なコメントから一端は認識出来ましたが(もちろん当事者ではないので不十分だと言われる可能性はあるでしょう)、そこで絶望的に現状を放置することと、それに対してどうにか変えていこう、というのは全く異なるのではないでしょうか。
このエントリは後者の趣旨だと思っていましたが…

意外に管理人氏が深刻に受け止められているようなので、一参加者の立場から少し意見させていただきます。

こういう場での発言から管理人氏はじめ他の発言者諸氏の真意が奈辺にあるかまでは他の参加者には知る由もありません。他から見えるのは言葉として現れたものだけであって、ここで医者と名乗って発言している者が事実医者かどうかすらも誰にも判りませんから。ですので、どなたであれ全ては書かれた文字によってのみ判断させてもらってます。

このスレでまさに見られているように、医者が非常に拘ることについて司法はさほどの興味を示していないということは理解できました。同様に司法サイドがこだわる部分について医療者側があまり関心がないということもあるようです。おそらくそれと同じ文脈において、上で述べられたような管理人氏にとっての大きな違いなるものには(こういう言い方申し訳ありませんが)個人的にはさしたる興味がありません。

その上で、司法サイドという立場から発言されている(のですよね?)管理人氏がそうした理由からこの場の閉鎖まで考えられたということに対しては、実際に閉鎖されるかどうかも含めていささかの興味があります。しかし個人的興味は別としまして、その管理人氏のこだわりはこのスレの本来の趣旨に沿うものだとお考えでしょうか?その点につきましてもご賢察願えれば幸いです。

といいますかまあ、ぶっちゃけ今の心境は「なになに?なんでそんなところに引っかかってんの?ねえなんで?」といったところでしょうか(失礼しました)。決して無礼を働く意図はありませんが気分を害されたならば謝罪いたします。無論この発言が医療サイドを代表しているつもりは全くありません。

僻地外科医さま

割り箸の件、大変分かり易いご解説ありがとうございました。

裁判所の重装備や第三者機関の件ですが、こういうものを作ると、これらの鑑定意見が優先し、実質的に医師の反論を許さない運用になってしまうのではないかという点が懸念されます。

「それでも良い」、「○○医師が過失だというのなら、それに従おう」というのであれば、診療科ごとの医師の互選により「事故調査鑑定医」を決め、裁判所に推薦すれば良いのではないかと思います。

ただ、患者側は、それだけでは納得しないでしょうね。

また、日本には仲裁法という法律があります。民事裁判がいやなら、患者に「約款:本医院における医療事故については、医師である仲裁人の仲裁判断に従うものとします。仲裁人は3名とし、患者が1名を指名し、本医院が1名を指名し、指名された2名の仲裁人が最後の1名を指名するものとします。」と書いた紙に署名してもらってから診察をすれば、民事裁判を排除できます。建築約款などにも、同じような仲裁条項が入っていますが、実際にはあまり使われていないようですけどね。

あ、すいません。
仲裁契約ですが、相手が消費者の場合は、消費者側から一方的に取り消せるので、民事裁判はやはり排除できません。
上のコメントの仲裁の部分は、無視してください。

近年の自動車事故は検察審査会による再捜査や危険運転致死傷罪の制定など厳罰化の方向にありますが、事故を減らすというよりは被害者感情への配慮という性格が強いと思います。

私も事故の刑事免責には賛成の立場なのですが、被害者感情にどのように応えていくのかが課題ではないでしょうか。

医療刑事訴訟が医療崩壊の流れを速くしているのは確かだと思いますが、私はそれが主たる原因とは思っていません。
日本の医師数の変化をみると、昭和50年には、病院勤務医5万7千人、診療所医師6万8千人でした。それが平成10年では病院勤務医15万3千人、診療所医師8万3千人です。現在でも医師数は増加しています。一方出生数は、昭和50年には200万人を超えていまいした。それが今や110万人ちょっとです。病院勤務医が3倍近く増えているのに、出生数は半分近くに減っているのです。これでお産が出来ないとしたら、いかに産婦人科医が減ったのかよくわかりますし、医療訴訟だけが原因とは到底思えません。医療訴訟は拍車をかけただけだと思います。
一番の問題は、出生数が減ったのでどこの病院でも産婦人科と小児科の規模を縮小したことではないかと思います。おかしな成果主義が幅を利かせたためです。診療科毎の診療報酬をみれば、少子化の影響で産科小児科の実績が落ちるのは当たり前。「お前のところは儲けが少ないから定員を減らせ」ということです。実際、こうした扱いで知り合いの小児科医は精神科医に転向しました。
ところが、お産を扱うなら24時間体制は必須であり、当直の負担を考えると、取り上げるお産の数とは関係なくある一定数の産科医が必要なのは当然なのです。それを無視したいびつな定員削減が酷い労働環境を招き、嫌気がさした医者達が逃げ出した、というのが本当のところではないかと思っています。
この背景には医療機関自体の問題がもちろんあります。一方において厳しい医療費の締め付けもあると思います。新聞などは、「医療費削減は当然として」と当たり前の前提にしています。財源に限りがあるので統制が必要なのは当然と思いますが、理不尽な抑制は害の方が大きいと考えます。今の医療費抑制のやり方は無茶苦茶です。高齢化による患者と疾患数増加、技術進歩による治療対象疾患拡大と新治療法の出現、高額医療機器の進歩などなど、これらはある意味歴史の必然であり、医療費が一定の増加を示すのも必然なのです。ところが今の医療費抑制のやり方は中身を見ずにまず総枠規制します。しかも最近は前年よりも削減の方向で規制します。これを分かり易い例で言うと、ある量販店には客も新製品も増えているのに、売り上げの総額はここまでに制限せよ、と同じことです。さらに商品の値段も細かく規制します。医療行為には材料代すら出ないものがありますから、それは仕入れ値以下で商品を売れということです。知識と技術を売り物に対価を得るのが医療の本来と考えますが、こうした場合は技術料ゼロというかマイナスです。とにかく技術料が他の先進諸国よりも極端に低いのです。日本医療費の対GDP比が低いのは繰り返し言われている通りですが、医療費の公費負担率は僅か22%程度です。自己責任の国米国ですらこれが44%あるのはご存じない方が多いのでは、と思います。
そして、医療は社会保障全体から見ればまだ良い方です。医者をはじめ大量の医療従事者が少なからず発言するからです。年金・介護などを含めた社会保障を崩壊させようとしている人間がこの国の上層部には少なからずいます。彼らは金があるから、社会保障制度なんて必要ないのです。この人たちと比較すると、医者も法曹もまるで小さな存在です。もともと社会の負の部分を軽減するのが医者や法曹の役目であるはずです。お互いが罵り合うだけでは何も生まれないでしょう。本当の癌は他にあると思います。

>老人の医者さん

>その上で、司法サイドという立場から発言されている(のですよね?)

 裁判実務をある程度知っている一市民、一患者予備軍としての立場で発言しました。
 その立場から、問題解決のためにほんの微力でも役に立てればとの思いでエントリを立てております。

 しかし、医療側の人たちが、私を医療側と対立する司法側の人間と捉え、しかも部分的な情報しか聞く耳を持たない人間であるとお考えであれば、私の医療事故に関する一連のエントリとコメントは司法側の人間が情報操作によって司法側に都合のよい議論に誘導しようとしているエントリであると認識されているという懸念が生じます。

 そのように認識されているのであれば、一連のエントリは私の意図とは大きくかけ離れたものになってしまっていることになりますから、削除したほうがよいと一度は思ったわけであります。

 元田舎医さんが、私が懸念する認識をお持ちでないことはわかりました。

 私が「だけ」にこだわったのは一種の職業病です。
 検事の取調べはこういうところにこだわるものです。

 基本的に裁判でメシを食っている法律関係の方は「法的、論理的に相手の不防備な点を見つけ出し、力の限り攻め立てて、勝ち負けをはっきりさせる」のが仕事。その言語運用能力は、並の医療関係者が束になってかかってもなかなか敵いっこありません。揚げ足を取られたら素直に負けを認めるのが良い方法でしょう。
 たぶん、この手の発言の場で、医療関係者ができる一番大きな役割は現場の現実を非医療関係者にお知らせすることでしょう。できるだけ一般論化しないことです。一般論化すると一般論での反発が待っています。非医療関係者で医師の擁護派は少数派です。少なくともloud-minorityは現状の医師に対して良く思わず、また相当の理論武装をしている方が多いようです。
 医療崩壊は必定です。崩壊は月単位で進み、政策的・人心的な対策は年単位でしか進みませんから。ちょうど「平成」の元号を「昭和」に代えた時代の状況に似ていなくはないと思います。なかでも一番対処が困難な、折れてしまった医療者の心と、尊敬・崇拝から憎悪・侮蔑に変わってしまった非医療者の心は昭和20年8月15日に匹敵する状況がないと変わらないかもしれません。
 このエントリでは、どちらの論が正しいかの非難合戦や、誰が悪いかの戦犯探しは、望まれていないでしょう。崩壊後に新生日本医療を作るならば、どのような仕組が望まれるのかを踏まえて建設的な意見を出すしかないかと。真の意味で医師患者関係が対等になれば、そのような仕組も不要なのかもしれませんが。

 このエントリのコメント欄におきまして、仮に言語運用能力によって勝ち負けをはっきりさせたとしても、それはなんの意味もないことです。

このブログに書き込まれている医療関係者外の方が患者としての立場から被害者的に感じておられるように、医療関係者(医師他)もある意味組織の中に組み込まれ、過剰勤務に疲弊し、訴訟に怯えている被害者でもあるのです。このブログに書き込まれている医師は、研修医やせいぜい中堅医師で、大学教授や院長や部長はいないと思いますから。いくら要求したところで個人の力で制度やシステムを簡単に変えられるものではないと思います。部長以上になれば、当直もほとんどなくなり、入院患者は持たなくて良いところもあります。困難な症例や手術を下の医師(研修医や中堅、下級医師)に押し付ければよいのです。だから最近の訴訟で訴えられるのは圧倒的に研修医や中堅、下級医師(部長より下)が多いように思います。トラブルになった時に彼らは主治医や執刀医でないため責任の矢表に立つことはありません。元来安全に研修すべきはずの研修医や大学の下級医師が訴えられ、それを批評(あるいは鑑定)するのが、現場を長く離れた日本脳神経外科学会会長のような権威ある医師(本当に日常診療をしっかりやってるの?)というような構図になっているのです。だから病院の中堅勤務医や研修医は訴訟ともなれば、医学的知識のない裁判官や検事、地域性や現状を知らない鑑定医、守ってくれない上級医に囲まれることになります。世を捨てたいのではなく、やる気のあるうちに(そんな上級医にならないためにも)有意義な新しい職場を探そうとするのはむしろ当然のように見えます。
最近、ある有名な大学病院に患者を紹介しようとしたところ、スタッフと口論になったという理由で診療を断られました。リスク回避のためにクレーマー患者を断りたい気持ちは良く分かります。しかし、目に見えないところで不平等や差別という形で医療崩壊が進んでいることを感じました。


素人から質問ですが、「医療崩壊」について、上の方で
・いま勤めているところを辞めて、待遇の良い所に勤める
・開業医になる
という話をされている方がいたと思います。素人的には、勤務医でも開業医でも、医者は医者のため、このような勤務形態の変化は医療「崩壊」ではないように思えるのですが、「崩壊」なのでしょうか。当たり前のことが理解できないので、よろしくお願いします。

また、「過疎問題」と医療崩壊を重ねている議論も多いように思いますが、「過疎問題」は医療だけで何とかなる問題ではないので、「そこまで頑張らなくても」と思ってしまいますが、認識がおかしいでしょうか。

「まず本を読め」と言われるかも知れませんが、近くにないので、よろしくお願いします。

>民473様

重症の患者様はどこに集約されるかということをお知りになれば想像がつくかと思います。重症の患者は急変するリスクが高く、循環・呼吸や他の重要臓器が恒常性を維持できなければ、当面バイタルサイン(血圧・脈拍・酸素飽和度・体温・意識レベルと尿量を加えることもあります)を保ちつつ原疾患を治癒させるために点滴・昇圧剤・場合によっては人工呼吸器による補助や血液浄化療法(人工透析)を使用することもあります。緊急手術が必要な場合もあります。現在、三次救急の施設のみならず二次救急を担当する病院でも、ある程度の重症の患者様を診療することができます。

そういった重症の人は、もともと急変する可能性が高く、訴訟のリスクが、歩いて診療所に来る人々に比べると圧倒的に高いことはお分かりになると思います。二次や三次の施設とはいえ、とても労働基準法を遵守したまま重症の患者さんを診られるほど医師を配置できておりません。医師の本当の望みは、まともな医療ができるよう、一人当たりの給料を上げるのではなく医師数を増やすことであると思います。

それは別にして、また、救急外来というものが二次や三次の施設にはあります。救急外来は初診の患者さんが多くを占め、クレーマーや軽症の大群の中にいる本当の重症の患者さんを拾い上げて、診断を迅速に下し(他の患者さんを待たせてしまうからです)、当直医が外来をさばきながら同時に初診で重症で入院させた患者の指示も出す、という非常に判断力と体力を必要とする外来になっています。

重症の入院も、救急外来も、開業医になれば避けることはできます。救急指定病院にしなければ、避けられるでしょう。「いま勤めているところを辞めて、待遇の良い所に勤める」と書かれていますが、「いま勤めているところ」とはどういうところだと思いますか。公立の地域の中核病院であると私は考えます。そういうところは、救急や重症を診れば診るほど赤字になるため、医師の給料も安く、労働時間も長くなっています。しかし、今まで地域で発生して、開業医さんをはじめに受診したり、小規模病院を受診もしくは入院診療を受けていても人工呼吸器もなくCTもなく手に負えなくなった重症患者様を一手に引き受けていたのはそういう病院に勤務する医師たちでした。公立病院は多くの赤字を垂れ流していましたが、そこが最後は診てくれる、という医療水準の最後の砦であったわけです。大学病院は、それほど小回りが利くわけではなく、また非常に特殊な疾患で専門家でないと診れないような患者さんをそれはそれで大勢抱えており、特にcommon diseaseの重症の方を診ることまでしてはこなかったという経緯があります。

それらの公立病院は、症例数が多いだけあって若い医師や臨床能力のレベルアップを考える医師の研鑽の場となっていることもありました。そこで、今まで労働条件にも耐えてやってきたのです。医師の数も赤字が累積する中で増やせないことも解っていますし、自分ひとりが労働条件を改善したところで周りの仲間にすべてしわ寄せが来ることは解りきっており、耐えて頑張ってきたのです。

それがもう限界を超えたということです。
医療の現場の感覚と乖離している判決はそれを後押ししている、と、現場の医師は感じています。もちろん異論はあると思いますが「感じている」ことは事実です。

医療崩壊、とは、重症の患者さんを診てくれる場、悪く言えば押し付ることができた場がなくなりつつある、ということです。開業医さんや小規模病院で重症の患者さんを診ることは不可能です。それほど地域の中核病院は重要な役割を背負っていたわけです。これを崩壊といわずして何と言うか私にはわかりません。

リスクの少ない職場に移ったところで、医師側には臨床の研鑽ができなくなるなで、デメリットもありますが、危険を回避するには止むを得ないと考えて移っています。開業することも、それはそれで経済的にも大きなリスクを背負うことになりますが、それでも今よりはましと考えてリスクをとっているのだと思います。

医療現場とはどういうものかある程度イメージしていただけましたでしょうか。医療者はこういったイメージを殆ど暗黙の了解として理解しているわけです。共通のフォーマットがあるわけです。そういったものがない方は、イメージがつかめないのだろうと思います。私は「医療「崩壊」とはいえないのではないか」という感想が出てくるということは夢にも思っておりませんでした。認識の大きな差を感じます。ただ、それは専門家同士ですから仕方のないことです。今後とも、医療に大きな関心を持って、「現実に起こっていることはなにか」ということをイメージを描きながら興味を寄せていただければ幸いです。

素人から質問ですが、「医療崩壊」について、上の方で
・いま勤めているところを辞めて、待遇の良い所に勤める
・開業医になる
という話をされている方がいたと思います。素人的には、勤務医でも開業医でも、医者は医者のため、このような勤務形態の変化は医療「崩壊」ではないように思えるのですが、「崩壊」なのでしょうか。当たり前のことが理解できないので、よろしくお願いします。

についてですが、
勤務時間の違い、というところで、一くくりにできると思います。
基幹病院で勤務していたら、週80時間労働。
それが、待遇のいいところなら、50時間勤務になります。
開業は何時間勤務とは、一言では言えないですね。(会社経営と同じわけですから)
仕事の内容が(乱暴だけど)まったく同じだとすれば、基幹病院から、待遇のいいところに仕事が変わったら、30時間分の労働力が不足します。
特に、時間外診療については、基幹病院が主にしているので、人手不足に拍車がかかります。
診療のトラブルの多くが時間外診療にかかわっているので、みんないやになってやめていきます。すべてがそうとはいえませんが、時間外診察に来る方は、モラルがなく、病状が急変することが多く、また専門のスタッフに乏しく、検査も限られた中での診察になるわけですから、リスクが高く、また、夜間なので判断力もにぶくなりますので、対外の方は敬遠したがってるのではないでしょうか?
医師以外の職場の人が不思議がるのは、どうして、大きいところから小さいところに移るのかということですが、それは病院の場合、規模が大きいほど給与が安く待遇が悪いというところです。一般企業と逆なんですね。規模が小さいほど、勤務時間は短く賃金が高い傾向にあることですね。(大病院は、医師以外のスタッフの力が強く、医師の待遇が悪いのです)
だから、モチベーションがなくなれば、あっさり転勤してしまうんですね。
おまけに、一般職なら45歳以上は不人気になるのに、医師は経験がものをいいますから、60歳くらいまでは、給与があまり下がらないで転勤ができます。そこも大きいと思いますね。
だから、医師の人数は同じでも一人でこなす仕事量は減るので、当然医師不足が生じます。おまけに、高齢化がやってきていますので、じいさんばあさんになれば、みんな病気になるので病院にかかるようになります(専門用語で、高齢になると受療率が増える、といいます。)そうすれば、人口が同じかやや減少でも、患者数はまだまだ増えますので、それが医師の増加に間に合っていないということですね。厚生労働省も、人口比の医師数の話はしますが、受療率での補正を本来しないといけないのに、それを(悪意がこもってるかわからないが)やらない、ということですね。
これで、医師数が同じでも崩壊が十分に起こりえることがわかりましたでしょうか?
産科医の減少については、10年前は少子化になるということがいわれて、新規になろうとする人が減ったこと、最近は訴訟問題。産婦人科としてやってるが、産科に嫌気が差して、婦人科しない産婦人科医が増えたこと、でしょうか?開業産婦人科医の3分の1は最近分娩を取りやめています。

>>婦人科しない産婦人科医

婦人科しかしない、
の間違いでした。


自分も医師の就職状況を、かみさんと結婚するまでは知らなかったからね。
どうして、給与が安く、長時間労働で働くの?
そうあっさり言われて、返す言葉がありませんでした。
技術を身につけるため、といってはみたのですが、
その技術があって給与が跳ね上がるの?
そういわれて、確かに給与も上がらないし、基幹病院はリスクが高いし(判例も後押しした)それで、基幹病院で働くのをやめました。
ただ、同業者にはそういう理由でやめた、と話しづらいのでネット上だけの話になりますが。
基幹病院から撤退していまは、2次までしかしない病院に勤めております。さすがに勤務時間は60時間くらいになりますが。それでも、減ったので、家庭円満ですよ。

基本認識の差と言うのは知れば知るほど大きそうだという気がしてきますね。ある意味こうした場所の一番の意味とはそれを埋めていく作業なのでしょうが、道は随分と遠そうです。

上記に補足しますが、単に激務であるのみで逃散が進んでいるというわけでもないように思います。当地周囲での事例で見ても特に崩壊を語られるのは地域の中核「公立」病院であって、同様に激務ではあっても案外私立の中核病院では何とか保っている場合が多いように思いますね。
公務員と比較して一般に私立の方が待遇もよく、勤務に融通が利きやすいこともありますが、何よりスタッフの勤務態度の差異によるものと考えますが如何でしょうか?遠い別世界の出来事でなく同じ職場内で自分が不当に虐げられていると感じることほど志気を削ぐこと著しいものはありませんので。

マスコミが報道しないこうした問題について認識を深めておくことも意義あるのではないかと思いますが如何でしょうか?

老人の医者さんへ。

まったくそのとおりと思いますね。
大学病院と一部の旧国立病院は、ありゃひどいですね。
今の勤務先は、公立病院だけど、大事にされてる、そういう感じはしますよ。
だから、勤め続けているのでしょうけど。
でも、いまは、日本医師会より数が莫大な看護協会が政治的に強い力を持ってるから、また、自治労の存在もあるから、マスコミも、どこまで切り込めるか、というところですが。看護協会は与党にも野党にも両方肩入れしているところがうまいですね。

何となく、少しだけ分かったような気がします、が、、、
訴訟リスクと言うよりは、大規模病院のマネージメントの問題のように思えます。

働きやすい職場作り、公立→管理部門はお役所→非効率、といったマネージメントの問題、マネージメントを変えれば何とかなる、といった印象を受けました。
(少しだけ分かった素人の印象ですので、違っていると思いますが。)

>民473様

>働きやすい職場作り、公立→管理部門はお役所→非効率、といったマネージメ
>ントの問題、マネージメントを変えれば何とかなる、といった印象を受けました。

マネージメントを変える、ということは、大赤字をかぶる主体が変るということです。
公立病院はその性格上、差額ベッド代も格安で、患者さんの支払う負担を非常に安くしています。

また、公立病院、旧国立病院のマネージメントは強大な組織で作られており、とても医師が介入して変えることは現実的に不可能です。
ただ、病院に勤務する医師がいなくなれば(医師がいなくなってもまだ存続している病院もありますが)病院自体が機能しなくなって病院がなくなってしまいますので、改革するにはそれしかないかもしれません。医療費分配の改善もされないのであればそれしかありません。

医師には応召義務があります。それを盾に殺到する患者を断ることができないということになっています。それも医師の労働条件改善を阻害しているのですが、そういう認識はお持ちでしょうか。

時間外にも仕事をすることを強要され、法的にも強要され、ストライキもできず、逃げ場がないのであればやめるしかありません。それで辞めていっているわけです。

大変申し訳ないのですが、これはあくまで印象ですが、民473様と私の認識の差はあまりにも距離があります。多くの言葉を使ってお話しても納得される、というか共感する部分もほとんどないようなのですが・・・。他の法曹界の方もこのようなものなのでしょうか。

何となく、少しだけ分かったような気がします、が、、、
訴訟リスクと言うよりは、大規模病院のマネージメントの問題のように思えます。

結局のところ、そうなんでしょうね。
自分も、気がつきませんでしたが。
大病院には、用心棒と専属弁護士がいるように思います。
救急外来に、診療のすべてを記録するため、ビデオカメラか、職員配置をするのがいいと思われます。
国鉄の例を見てもわかるように、公務員の組織を解体するのは容易ではありません。
ひとつでも大変なわけですから、数百ある病院がすんなり変わるわけではありません。最近だと、舞鶴市民病院の動きが面白いですよ。
職員90人近く、医師は、、、常勤がたった一人。それも、まともに働けない爺さんが常勤。こういう民間で考えられないことが、起こってしまうのです。

認識の差は、だいぶ縮まってきたと思います。
・医療崩壊は、地域中核病院で起きている
・地域中核病院は重症患者にとって非常に重要
・地域中核病院の勤務医の待遇は非常に悪い
・地域中核病院から勤務医がいなくなることを、医療崩壊と言う
というのが、私の現状の理解です。

まあ、ほとんどの人は、地域中核病院なんて行ったこともないし、医者と言えば近所の開業医しかイメージにないので、的外れな議論をすることは、ご容赦願いたいと思います。

公立病院のマネージメントを変革することが難しいのは、よく分かります。医師が内部からやったのでは無理でしょう。かといって、放置しておく訳にもいかないでしょうから、有権者として思案のしどころです。

言い出しっぺが恐縮ながら舞鶴は現状の問題以前にやはり崩壊のモデルケースとして検討しておくべき事例かと愚考いたしますが。特にこれだけ有名な事例ながらこちらではあまり詳細な検討はなかったように思いますので。
舞鶴の件においてもそうですが結局のところ医師の志気をどのように維持していくかということが一番のポイントのように感じます。

地方の人口2万くらいの町の公立病院(病床110床)で小児科をしております。

地方の場合、私立中核病院がなく公立病院が地域の入院医療を支えています。
ですから公立病院が崩壊すると、地方ではその地域の入院医療を受けれなくなるという医療崩壊がおきやすいです。

うち町の隣の人口6万ちょっとの市の公立病院(300床)で小児科医師が現在一人。当然、小児の救急制限をしております
この小児科医師も10月に開業予定です。
うちの病院へ患者が殺到してきそうな予兆が既に始まってます。
こうして一つがつぶれると周辺の残ったところに救急患者が殺到して、そこの医師も過労で仕事を続けられなくなり地域全体の医療が崩壊していくのかと妙に納得していたりします。
実際に、後輩の小児科医師が昨年脳梗塞で倒れているのをみていたりするので、自分が乗り越えれる自信がありません。

まあ、そんな感じで小児科の地方の医療の崩壊は進んでいる訳です。
不採算部門という事で私立の病院でも小児科を閉鎖した所も多い(平成2年4120あった小児科標榜していた病院が平成15年に3284まで減少。この機関の減少はほとんどが私立病院でした)から、公立病院の小児科崩壊はその地域の小児救急・小児入院サービスを全滅を意味しやすいですし。

こうなると小手先の診療報酬の増額では小児科医療の崩壊は防げないです。
(昨年のうちの病院の内科医一人当たりで稼いだ年間診療報酬が1億4千万、小児科医は7千万)
小児科医が必要とするスタッフの人件費、診療材料費をかんがえると、まだまだ私立病院が小児科をやりますと手を上げれる環境にはなりえません。

地域で小児科医療の崩壊を防ぐには、診療報酬以外の公的補助をどのように投入しなければいけないのか考えないといけないのでしょうが…。
残念ながらいい知恵がまだ浮かばないんですよ。
やはり崩壊しかないのか。絶望はしたくないのだが。

>医療者 さん

>民473様と私の認識の差はあまりにも距離があります。

 民473さんが述べておられますが、私もほんの少しかも知れませんが距離は縮まったように感じています。

>また、公立病院、旧国立病院のマネージメントは強大な組織で作られており、とても医師が介入して変えることは現実的に不可能です。

 少なくとも私は、「医師」が「個人として」変えなければならない必然性はないと思っています。
 「医療側」の誰かまたはどこかが変えることはできないのでしょうか?
 医療及びその周辺の状況については、医師または医療側の方が我々よりずっと詳しいと思いますので、何かアイデアはないのでしょうか?

 医師会はもとより厚労省や族議員を含めた医療側が何の打つ手もないのであれば、さすがに私も悲観的にならざるを得ません。

 医師の皆さんがおっしゃるように医療崩壊が不可避であるならば、一度完全に崩壊してしまって、十分な医療を受けられなくなったという現実に直面した国民から批判が巻き起こらなければどうしようもないと思います。

 どなたかがコメントされていたと思いますが、日本は人が死なないと何も動かない国ですから。

 しかし、その場合でも、マスコミが騒がなければ何人死んでも動かないでしょう。

 その意味で、時節柄の言葉で言えば、医療崩壊のA級戦犯はマスコミではなかろうかと思えてきます。

 警察や検察もせっせとマスコミにネタを提供している面がありますが、マスコミの論調しだいで検察の動きはかなり牽制できるはずです。

 マスコミの論調が変わったからといって直ちに客観情勢が変わるわけではありませんが、いわゆる状況の変化はもたらしうると思います。

 じゃあマスコミの姿勢をどうして変えるのか、という問題がありますが、私にできることはとりあえずこのブログを維持することです。
 何人かのマスコミ関係者は見ているはずですので。

 おい、お前ら、なんとかせんかい。

と思わず関西弁で言ってみたくなります。

今までの議論から、過剰勤務に疲弊していたところで、医師の志気と義務感でなんとか頑張っていたところに、医師の志気に対して、医療過誤訴訟(刑事訴訟と民事訴訟)がだめ押しをしたためにとうとう崩壊した、というのが現状であると認識しました。
そもそも、医師の志気のみに頼るシステムであったこと自体に問題を感じます。外部からみると、何よりスタッフの勤務態度の差異によるものでかろうじて私立の中核病院は同等の忙しさでも耐えられている、ように思えるのですが。
となると、根本的には医者の数を増やすことと、採算が取れない以上は医療費を上げることしかないような気もしますが、現状で過剰勤務を少しでも減らすよう、医者でなくても出来る仕事を一般の人を雇う等、大規模病院のマネジメントを改善する方法はないのでしょうか。これも赤字の問題で難しいのでしょうか。

あと一つ疑問に思ったのが、
>時間外にも仕事をすることを強要され、法的にも強要され、ストライキもできず、逃げ場がないのであればやめるしかありません。
応召義務でぐぐってみると、「正当な事由」に関する旧厚労省通達というのが見つかりましたが、現在もこの解釈は維持されているのでしょうか?

管理人からの予告

 このエントリは、皆さんの活発なコメント投稿によりコメント数が200に近づいてきました。

 かなりページが重くなってきているように思います。

 明日あたりに、続編の別エントリを立てることを考えていますので、そのときは続編エントリにコメント投稿をお願いします。
 エントリ本文は特に変えない予定です。

この公立病院問題の面白いところは、多分一番達成が容易で確実な改善の方法論というものが公立基幹病院からの医者の脱出、つまり現状の流れのより一層の促進なのではないかということです。むろん上でも出ておりますように特に僻地医療はあっさりと崩壊するでしょうが、そもそも現状の人員と金で全ての国民に同レベルの医療を提供することが可能か?とも思うのです。何しろ周知の通り標準的医療水準自体が医学的にも司法的にも年々高まっておりますから、今や僻地で要求される水準であっても専門外においそれと手を出せる状況ではなくなっていますので。

そういうこともあって個人的に今の状況に悲観はしてはいないのです。むしろ不謹慎ながらいささか興味深く(というより極めて野次馬的おもしろさを感じつつ、ですか)この現象を見つめているところです。混合診療の導入?高齢者への保険給付の制限?それがどういう層になるかはともかく確実に一部の人々にとっては今より悪くなると思いますが、逆に一部にとってはよくなる可能性があるとも思うからです。

このまま国民等しく不十分な医療という平等を追及するのか、あるいは一定の不平等という痛みをも甘受し改革を目指すのか?人も増やさず金もかけずという大方針を変えないという前提であれば、遅かれ少なかれそういう決断を迫られるんじゃないかと思うんですね。国民も、医療者自身も。

追伸
to: 一法学部生氏

全く正しい現状認識だと思いますよ。ただその誰でも理解できる根本的問題を国が断固として方針変更しようとしないからこそ話がややこしいわけなのですが(苦笑)。

まさにこの点については有権者の方々に広くご協力願いたいところですね。

地域中核病院のレジデントです。

結局、みんなが賢くなるしかないのでしょうね。
死や老い、障害や病を含めた地域のノーマライゼーションをすすめ、医学の限界、有用性を医療従事者、市民で共有するしかないと思います。

たとえば学校の教科として医学があってもいいかと思いますし、自分の身近な人が老いてなくなるのを見取るのも貴重な経験だと思います。

そのうえで医師はプロフェショナルとして何が提供できるかではないでしょうか?

モトケンさまのコメントより
>どなたかがコメントされていたと思いますが、日本は人が死なないと何も動かない国ですから。
>しかし、その場合でも、マスコミが騒がなければ何人死んでも動かないでしょう。
>の意味で、時節柄の言葉で言えば、医療崩壊のA級戦犯はマスコミではなかろうかと思えてきます。

福島の件ではテレビ中継で逮捕の瞬間を流し、まるで極悪人かのように報道しました。割り箸事件で無罪が出た時も、なぜ無罪なのか、無罪ではご両親がかわいそうだという論調の報道ばかりでした。
少なくとも明らかに患者よりというか医者叩きの報道が多いと思います。
その上マスコミは煽るだけ煽り、その後に起こることに関しては無責任です。

さんざん福島の件で産科医を過剰に叩いたあと、
いざ産科医の集約化と逃散が始まると、産科医不足がなぜ起こったとまるで他人事のように産科医不足の現状について記事にします。
ここで言っても詮無いことかもしれませんが、私は医療崩壊の責任を占める割合としてマスコミの偏向過剰報道が高いと考えてます。
特にテレビは視聴者が一般人のため、完全に一般人に受けやすい、つまり患者と医者であれば、患者側に立った報道をします。

マスコミの偏向報道がなくなれば、せめて中立な立場で議論していただければ、
また、このような議題を論ずる場所を提供していただければ、
一個人のブログでやるより、効果は高いと思うんですけどね。
医療人、法曹人、一般人、政治家が一同に集まって医療制度改革そのものの議論を
する場を提供してくれるテレビ局とかあればいいのでしょうけどね。
マスコミに対して今自分がやっていることは、テレビ局へのメールくらいです。

医療崩壊が進んでいると一番肌で感しているのは、現場の人間です。
マスコミですら、まだ他人事のような記事を書いています。
私自身はある程度の崩壊はどうしようもないと思っていますが、
新しい制度改革のために、まず一般人の意識改革が必要です。
そのためにマスコミを利用できればどれだけ助かるかと思うんですけどね。

個人的には刑事訴追を免責してもらいたいとは思ってます。
民事で争う分には、仕方がないとは思いますけどね。
刑事事件になるとマスコミが大騒ぎして、あることないこと報道して
医者叩きをします。その影響は計り知れません。
私は医師が完璧でないように、検察・裁判官・弁護士も完璧ではないと思ってます。
完璧を期するために第三者専門機関を作ることも大事だと思いますが、
福島の件では医師の医療行為の正当性をコメントを発表した学会・医会がありますが、それらがマスコミで報道されることはほとんどありませんでした。
このような偏向報道で逮捕されたのは医師が過失を犯したからだ、
という論調に持ってくるマスコミ自体の問題は多いにあると思います。
一般人の情報源はマスコミの報道しかありませんからね。

私は過酷な現場で過労による心労で鬱病になり、ドロップアウトしたものですが、
過酷な環境で頑張っている医師を応援する報道はたまにあっても、
医師は患者の命を預かる仕事だから頑張って当たり前、だから頑張ってね、
で片付けられると何とも言えない気持ちになります。
医師だってただの人間ですからね。

マスコミの方が見てくださるかもしれないので、綴ってみました。
モトケンさまのコメントに触発される形で書いてしまいましたが、制度論についてはすでにたくさんの意見が出ていて、自分の新たなものはありません。
マスコミ関係の方の意見とかあったら報道について聞いてみたいものです。

>モトケンさん

マスコミに関して上でkitaさんがお書きになったことは、たぶんほとんどの医者の共通認識だと思います。その意味ではA級戦犯なのかも知れません。
モトケンさんが書かれた
>医師会はもとより厚労省や族議員を含めた医療側が何の打つ手もないのであれば・・
について少しだけ述べさせていただきます。
日本医師会へは、開業医は100%近い入会率ですが、勤務医の場合は50%以下です。日本医師会と族議員の関心事は開業医に傾きがちで、地域中核病院の問題に対しては今ひとつ熱心な印象は受けません。
厚労省に関しては、私は医療崩壊を推進する側と認識しています。

モトケンさんの提言に反する後ろ向きの意見が多かったので
思ったようにこのエントリで発言できませんでした
次エントリで前向きな発言ができることを祈りつつ
ここまでの発言に対するコメントをまとめておきます

>老人の医者先生

割り箸事件の事実関係について若干誤認が有る様なので訂正させていただきます
事件発生は1999年7月 被告人は研修明け直後の専攻医(現行制度では後期研修医)でした
この誤認は事件直後の病院長記者会見コメントにる同様の誤認・報道が有ったことによると思います

>むろん、(CTを)撮って何の役にも立たなかっただろうという結論部分には異論ありません。

CTを撮っていれば 異常所見が見られたと思われる点については確定的です
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/667/1143860195/7

>最初から判っていたなら確かにMRIというのが「正解」になるんでしょうが、

1999年は脳梗塞急性期診断としてのMRI拡散強調画像が普及する直前の時期であり
時間外緊急MRIという概念が存在しない時期でした
検察側の論証も緊急MRIの必要性については極力避ける方針で行われています

以上の記述は「老人の医者」先生に対する批判ではなく,情報伝達不足の一環であると思っています

>uchitama先生
>現場を長く離れた日本脳神経外科学会会長のような権威ある医師(本当に日常診療をしっかりやってるの?)

この会長先生は臨床力業績人格識見ともにほとんど全ての脳外科医の敬服を集めておられます.
ただし,ここ数年の会長先生所属病院の脳外科外傷手術症例数は年一例前後です

>一法学部生先生
>そもそも、医師の志気のみに頼るシステムであったこと自体に問題を感じます。
>外部からみると、何よりスタッフの勤務態度の差異によるものでかろうじて
>私立の中核病院は同等の忙しさでも耐えられている、ように思えるのですが。
>となると、根本的には医者の数を増やすことと、
>採算が取れない以上は医療費を上げることしかないような気もしますが、

↑このコメントを裏返しにすると「医師の士気のみに頼るシステム」のメリットがわかります.
「医師(医療関係者)の士気」が存在する限りにおいては,絶大な医療コストの削減が可能になります.
そしてこの「士気の崩壊」が生じると少々の医療費増加や医師数増加ではカバーできないという命題
これはイギリスにて実証されつつあります.

>老人の医者先生
>この公立病院問題の面白いところは、多分一番達成が容易で確実な改善の方法論というものが
公立基幹病院からの医者の脱出、つまり現状の流れのより一層の促進なのではないかということです。

この場合の「改善」は,医療システムの安定化における改善であって,医療システムの効率における改善
ではない,という点はお含み置きいただきたいです.

少々感想など。

ヤブ医者さんの2006年08月16日 15:35付と2006年08月17日 02:32付の投稿は,何度言っても個人の労働環境をウダウダ書き綴ったり,知ってか知らずか不適当な表現を繰り返す投稿が多い中で,問題の全体像が良く理解できるものだと思います。わかったと思うなと言われそうですが,少なくとも私にとっては,この投稿があったおかげで一連の投稿を読み続けた甲斐があったと感じています。
それから,medixさんの↓これは,多少なりとも医者の皆さんは思っていることだと思います。みなさんの投稿の端々に表れていますよね?

>医学部に行けなかった(たぶん受験すらできなかった)人の集まりでしょ。

これに限らず,私が今まで持ってきた医者に対する考え方を変える必要があると認識できたことは,収穫だったと思います。

to:いのげ氏

わざわざの御指摘ありがとうございます。この問題についてのいのげ氏の投稿は以前より他のサイトにおいても拝見し参考にさせていただいておりました。
氏の推測にあります所見については、初診時の意識レベルから予想される画質、受傷部位などから我々レベルの読影力であれば出血の有無を見出せるかどうかが鍵であると考えております。むろん専門医Consultが望ましいことは言うまでもありませんが、中小市中病院では現実的に難しいものと思われます。
なお小児科領域の読影の経験は全くないこと、当該耳鼻科医の頭頚部領域の読影能力が我々より低いことはあるまいと推測することは付記させていただきます。

蛇足ながらMRについてはいささか理由がありまして、我々の場合当該時期に緊急MRの有用性が言われていたこともあって他科医の皆さんよりもそちらに発想が行きやすいという事情がありました。救急隊から連絡を受けてすぐ技師を呼びますと、いろいろと準備を整え患者が処置室に入るころにちょうど画像が出来上がってくるという寸法です。ただし頭部においてはむろん未熟であって、この症例においても実際に正確な読影が出來たかどうかは難しいところだと思います。

医療システムの改善の件につきましては、医師の勤務状況が改善し余裕を持って能力を十全に発揮されるようになることにより結果として質と効率も改善されるようになると考えておりますがいかがでしょうか?50時間の連続勤務明けに十分な休養をとった後と同レベルの診療を維持することがいかに難しいかという経験則からの推測です。

一地方勤務医ですが、

medix氏の書き込みは、煽りの書き込みと認識しております。
おそらくここに書き込みしている医療従事者も同様の感想と思います。
はっきり言って、反論の価値もない、ただの煽りではないかと。
ここに参加されている方々も(医療従事者以外の方々も含め)、
同じように認識し、分かってくれているものと信じており、
それ故皆さんスルーしているのだと思います。

しかし、ここでの議論を読むと、
特に裁判の過程では
そのような反論する価値もない問題外と感じられるような主張に対しても
いちいち否定していかなければそれが事実認定されてしまうことがあるようですので、
あえて否定しておきます。
「medix氏の書き込みは、
我々医療従事者は煽りの書き込みと認識しております。
おそらくここに書き込みしている他の医療従事者も同様の感想と思います。」
ここまで書いておかないと、
medix氏の書き込みが医療従事者の認識として一人歩きしそうで怖いです。

TuH氏の書き込みのように、
一日以上経過してから引用される方もおりますし・・・。
あと、
>みなさんの投稿の端々に表れていますよね?
に対しては、
先入観を持って読めば、
どのような書き込みからも悪意を読み取れるでしょう、
としかご返事のしようがありません。

いのげ先生の
「↑このコメントを裏返しにすると「医師の士気のみに頼るシステム」のメリットがわかります.
「医師(医療関係者)の士気」が存在する限りにおいては,絶大な医療コストの削減が可能になります.
そしてこの「士気の崩壊」が生じると少々の医療費増加や医師数増加ではカバーできないという命題
これはイギリスにて実証されつつあります.」

と言うコメントは重大です。是非、非医療関係者に認識して頂きたいと思います。

 私自身は田舎の公的病院に勤務していますが、5年前の赴任時に比べ当直回数は1.5倍に増え(大学からの出張応援削減のため)、給与は手取りで30%減っています(手術手当を廃止したため)。それでも「地域救急のためには一人外科とは言え、外科医は絶対必要」と考え、何とか頑張ってます。しかし、ここへもってきて最近「公立であるというぬるま湯に浸ってる風潮がある」だの、「民間のサービス精神、奉仕の心が欠けている」などの投書が役場にあり、かなり精神的に萎えています。私がやめたあとは当院に外科医が来ないことは、ほぼはっきりしてますのでまだ頑張ってますが・・・。

お話を伺っていると、倒産直前の企業と類似性が多く、やはり病院のマネジメントの問題との感が強くあります。
・管理部門が肥大化し、本業部門の人(医師)が働きにくい職場になっている
・マネジメント不在。(想像ですが、市役所から出向の専務理事とか事務局長とかいう人(?)が、本来マネジメントをするはずなのに、やる気がない、かな?)
・セクショナリズム(医師と事務(?)の間で、人、物、金の融通が利かない)
・職場の人間関係が悪い
・全員に共有されたビジョンがない

こういう組織を立て直すには、マネジメントを変革して、経営資源を再配置し、働きやすい職場を作りれば、自然と回復するものだと思います。(楽観過ぎかな。)

ただ、マネジメントをする人を替えただけでは、下の人のサボタージュにあうだけなので、カリスマ性のある人(人から信頼される人。医師、スタッフ全員から信頼される人)がビジョンをもって変革を行わないと、難しいでしょうね。

そういった、カリスマ性のあるプロの経営者を見つけることができるか、市役所の仕事でしょうか。

>TuHさん

>それから,medixさんの↓これは,多少なりとも医者の皆さんは思っていることだと思います。みなさんの投稿の端々に表れていますよね?

>>医学部に行けなかった(たぶん受験すらできなかった)人の集まりでしょ。

消化器さんもおっしゃられてますが、medixさんの書き込みは単なる煽りとしてかかれたものであると判断され、多くの方がスルーしてきたはずです。

医療関係者が自分の分野のことを理解してもらえないと思うのは、現場の特殊性に問題があるのであって、大学試験の難易度は無関係ですよ。
medixさんのように思っている人がいることはいるでしょうが、「医者の皆さん」で一くくりにされると誤解を生みかねないので、今回は明確に否定させていただきます。

>民473様

 まさにその通りだと思います。公的病院では役場側が院長(ないし管理職医師)に経営責任を押しつけてますが、はっきり言ってそんなことは不可能です。我々は経営に関する教育はおろか、単純な財務処理の経験すらないんですから、我々に経営せよと言うのが本来無茶なんです。

 私は以前から役場に対し、事務職の固定化と経営責任者を設けることを要望していますが、完全に黙殺されています。そのくせ、ことあるごとに町長から「病院経営が赤字なので・・・」です。あほちゃいまっか・・・。打つ手を打たずに、要望することを満たさずに要求だけされてもどうしようもありません。我々は職責上やむを得ず管理職ですが、実際にはあくまで現場の人間なんですよ。

 実はこれも僻地から医師が逃散しつつある理由の一つになっていると思います。多分当院だけじゃないと思います。

「患者側の受療意識の変化」と「医療者側の勤労意識の変化」は医療崩壊の車の両輪です。
いずれか一方を無視しても解決には至りません。

マスコミが中立になろうとしない理由はわからないでもありません。

第一に、視聴者は権威の悪が暴かれるのを観たがる。
一般人は堕ちた権威を叩くのが好きです。世間での医師のイメージは実態に関係なく
「偉い人」「金持ち」「白い巨塔」と悪い要素がどうしてもついてきます。
その上に、今は大型事件や治安の悪化が続いて「ゴーゴー警察&検察」の風潮になってしまっています。
「勧善懲悪もの」として視聴者のニーズに沿うのでしょう。嫌な話ですが。

第二に、社会においては妊婦と幼児と病人は絶対的な弱者。
結果しか見ない視聴者にとっては、絶対的な弱者の死は絶対的な悲劇です。(あくまでイメージとして)偉そうな医師と瀕死の患者では、どうしても判官びいきが働いてしまい、間接的に患者非難と受け取れる医師擁護はネタとして使いづらいのでしょう。

第三に、とりあえず医者を悪者にした方が理解しやすい。
このコメント欄の医療関係者の方の意見を見てもわかるように、医師側を擁護するためには技術論も交えた相当字数の多い反論をせざるをえません。しかし、医師が悪役なら「医者が手を抜いたから」だけで済んでしまいます。どっちが視聴者の耳に入りやすいかは明白です。
実際のところ、医療側が弁明すればするほど「専門知識で煙に巻いてる」「言い訳ばかり」「お高く止まっている」と受け止める素人もいるように思います。

第四に、解決策が視聴者にウケない。
この問題を本気で取り上げると、対策として「国民が医療の限界を知る」「改善のためには医療費アップ」という結論を導かざるをえなくなります。どちらも非常に苦い薬です。国民負担増にさんざん異議を唱えてきたマスコミがこれを認めると、視聴者からダブルスタンダードだと言われてしまう。それが嫌なのでしょう。

そういう事情はあるにしても、反骨的というか余り陽が当たらない領域に目を向けるマスコミもいますよね。テレビなら、NHKスペシャルとか鳥越俊太郎あたりが取り上げてもおかしくない。放送局や新聞社などの会社単位よりも特定のドキュメンタリー枠にターゲットを絞って問題提起したら効果があるかもしれません。
思えば、各自治体の不正な特別手当が次々暴かれた発端は、関西ローカル局がスクープした大阪市の一市役所のカラ残業でした。

前に、NHKで癌治療に関する特集番組を長時間やってましたよね。ああいうのができないのでしょうか。

>民473さま
公立病院のマネージメントといえば、たしか東大阪で民間のプロを招致して立ち直ったケースをテレビで見た記憶があります。どなたかご存知の方はおられますか?

>ヤブ医者さま
厚労省は崩壊を推進する側とおっしゃっていましたが、それで厚労省にメリットがあるのでしょうか? 医療崩壊が本当に社会問題化した時、真っ先に槍玉に上がるのは監督官庁である厚労省自身だと思うのですが。
むしろ、危機感を煽って問題を顕在化させた方が、予算も取れるし権勢拡大にもつながるような気がします。何か全然別の思惑があるのでしょうか。それとも今までの怠慢を叩かれるのが怖いだけ?

>いのげさま
割り箸事件に関する話は今後もあろうかと思いますので、HPをトラックバックなりリンクなりでこのエントリーから飛べるようにしてはいかがでしょうか。
ここに来て初めて興味を覚える非医療関係者が増えているかもしれません。
コメント欄に今まで登場した表記だと、検索のトップにHPが出てきませんでした。
私は恥ずかしながら、「不当〔逮捕〕された耳鼻科医を支援する会」だと思っておりました。

少しずつですが、医療者の主張が聞いていただけるようになってきたようですので、私見ですが多くの医師が感じているであろうと思うことを書き込ませていただきます。

私はHNにもあるように部長という肩書きがありますが、卒業後十数年で自動的につく職名なので、実際には現場の人間で、週3回の外来(通常9時頃から開始してその間、トイレにも立たずずっと診療を続けて終了するのが14時頃)をやりつつ、当直もしますし、病棟では若い医師以上の数の入院患者さんを受け持っています。さらに平均して月に2回程度、研究会や講演会への泊まりでの出張があります。(余計なことかもしれませんが、週の平均的な労働時間は出張を除いて80時間くらいです)

さて、皆さんは、経過が長い病気(例えば抗癌剤治療を繰り返し必要としている癌など)の患者さんの病状が悪化して入院したときに、周りからかけられる言葉で一番嫌がる言葉はどういう言葉だと思いますか?人にもよるでしょうが、多くの患者さんから聞かされたのは、「がんばれ」と言う言葉だそうです。

「自分はこれまで散々がんばってきた、それなのに無責任に『がんばれ』と言われてもどうすればいいのか?」という事のようです。

自分はこれまで医局に属し、その先輩たちに教えを受け、その背中を見ながら一人前と言われるように診療・研修してきました。一番尊敬している先輩には「自分は患者さんと同じ辛さを抱えていないので、患者さんと同じになることはできない。けれど、その患者さんが自分の大切な人だと思って診ることはできる」と教えられ、心配なことがあれば昼も夜もなく、診療し、助けることのできなかった患者さんがいれば、「どうしたらもっと良いことができたのだろうか?」と頭を悩ます毎日を送ってきました。

徐々に若くなくなり、あるいは若くても体力的にきつい環境でも、文句を言わずに患者さんのために働くことを美徳とされ、黙々と働いてきました。因みに、昨今の患者さんの権利を重視するようになった状況や、防衛医療(アナフィラキシーショックなどに代表されるような同意書の増加など)をせざるを得ない状況から、自分が医師になったときと比べて、一人の患者さんに費やす時間は数倍ではきかない増加という実感です。収入は確かに良いと思います(退職金などは期待できないし、引越が多く、その費用が多くかかるのがサラリーマンとの違いですが)

おそらく、多くの勤務医は同じような状況で働いており、自分がその中で特別だとは思いません。上記のようなことは、「当たり前の状況」として働いてきたんだと思います。

前置きが長くなりましたが、散々頑張って、それこそ伸びきったゴムのような状況で働いてきました。(実際に数年に一人はある日突然、いなくなったりもしますし、年に一人くらいは緊急入院となります)

実際に、?診療で忙殺され、医療崩壊について声を挙げようにもそんな時間はないし、?それまでの教育で、労働条件について愚痴は言っても公に発言することは美徳とはされないし、?ごく少数の人が声を挙げようにもマスコミにも相手にされないのは明白で、?そんなことをすれば逆に、世間からは叩かれるのは目に見えているし、?覚悟を決めてやろうという人がいても、どういう手段があるのかさえもわからない。それが自分の実感であり、多くの医師の実感であろうと思います。

冒頭の話に戻りますが、まさに、現在、勤務医の置かれている状況は、経過の長く、病状が悪化した患者さんと同じで、「これ以上、どう頑張れというのだ」という状況です。

先日、妊娠中の妻が交通事故に遭いました。その際にも電話で取りあえずの無事を確認するのみで、受け持ち患者さんの状態が悪く、家に帰ることすらできませんでした(これを自慢するわけでも愚痴るわけでもありません)。また、父が開業医で、70歳を超えており、先日、ついに「自分もせいぜい3年が限度だ。継げとは言わないが、どうするか考えておけ」と言われました。現在、他の医療圏には車で数時間はかかる医療圏で、ある領域では自分しか専門家のいない領域もあります。これまでは継ぐことは考えていませんでしたが、医療の変化と自分の将来や子供の教育などを考えると、開業も考えるようになりました。(継ぐことのできる診療所があるという点では他の医師とは違った環境ですね)。

何も建設的でないことを長々と書いて申し訳ありませんが、ごく一般的な医師像を知っていただきたく、書き込ませていただきました。

公立病院において医師を支えるべきスタッフの問題につきましては非医療者側の皆様もご賢察の通りです。看護職の問題についてはまた別な事情もありますが、事務職の問題は一言で言えば「お役所仕事」なのです。そして病院の運営上ほとんど貢献をしていないスタッフほど待遇もよく、見当違いの見地から診療に口を出し事態をより悪化させているという事実があります。
早い話が仕事もせず新聞読んで時間つぶして9時5時で帰って高給取ってる連中から「稼ぎが悪いぞ!もっと働け!給料減らすぞ!」などと言われて平気でいられるほど人間の出來ている医者もそう多くは無いということですね。

経営改善という点について興味深い事例として岡山市民病院の事例を紹介させてもらいます。巨額赤字にあえぐ公立病院が赤字を削減すればその一部を成功報酬として支払うという条件で外部から院長を招き、経営建て直しに成功しました。その結果何が起こったかといいますと、市民団体から「違法な公金支出である」という訴えを起こされ先ほど全額返還を命じる判決が出されました。

http://iseki77.blog65.fc2.com/blog-entry-68.html

市民、マスコミと医療の関わりという観点からもいろいろと興味深い1例ではないかと思います。

>医療崩壊が本当に社会問題化した時、真っ先に槍玉に上がるのは監督官庁である厚労省自身だと思うのですが。

それによって官僚個人が罰を受ける可能性もないと思いますし、医師が偏在するためであると、医師を人身御供にすれば逃げ切れると考えているのではないでしょうか?

これ以上、人も金もかけられないというのであれば、縮小方向に進むしかないと考えます。そうすると、切り捨てられるのは地元の若い人も定着しないような地方からということになると思うます。しかし、そのまま説明しても住民が納得するはずもないと思いますので、一度崩壊あるいはそれに近い状態にすれば、病院の集約化などしやすいと考えているのではないでしょうか?

厚労省は混合診療拡充を図るとのことですので、国民皆保険も辞めたい意向ではないでしょうか?そのためにも、医療崩壊が必要なのかもしれません。

 遅くなりましたが、私もmedixさんの書き込みは煽りだと思います。これが一般的な医師の考えだと信じられてしまうことが、いかにマスコミに洗脳されているかを表しているようでため息が出ます。

 私は、それぞれの専門の方に敬意を持っています。それぞれの専門性は奥深く、非専門家である私がちょっと勉強したくらいでは絶対にかなわないと思っています。謙虚になるよう心がけています。当然司法関係者に関してもそうです。

 ただ、昨今の医療訴訟の判決には非常に失望するのです。そして不信感で一杯です。これはマスコミに煽られてそうなのではありません。実際に判例をみて、自分があたったかもしれない、こんなのではやっていられないと思うのです。

 実際、臨床医を辞めて、研究者になったり、企業に就職したり、海外に出たり、ロースクールに進む人も激増しています。そういう人は当然必要です。でもそういう人ばかりでは困るのです。前線で踏ん張って実際に臨床をする人がいなくては。そういう人が適切に保護され、報われるようでないといけないのではないかと思います。

 医療崩壊の構図、一法学部生さんの考察されたとおりだと私は思います。
 医師も人間です。間違えることもあるし、病気にもなりますし、家族もいます。決して絶対的強者ではありません。だから医師の倫理観に訴えるだけとか締め付ければよいという考えでなく、もっと前線で矢面に立って臨床をする人のモチベーションをあげるようなことを考えていかなくてはいけないと思います。
 医療事故・過誤にあわれた患者さんへの哀悼の気持ちは尽きません。しかし社会としては医師を悪者にすることではなく、他にすることがあると思うのです。

 裁判の構造が3審制であるのは、ある意味人間のすることの不確実性を認めているからではないのでしょうか。
 医療も同じです。どんな名医だって100%などないのです。でもそのことを本当に理解してもらうのは非常に困難なことなのだと実感します。

上記コメントは
医療崩壊に対する制度論的対策について
という内容にふさわしくない投稿で申し訳ありません。

しかし、これまでの厚労省の動きなどからは医療機関のない地方があっても仕方ないというメッセージばかりに思われます。

マスコミもこの1年で論調が激変してきた。
変えたのは他でもない「逃散」。
どちらの方向に誘導する気かは定かではないけれど、ようやく視聴者・購読者が食いついてくると見て、スポンサーの付かないジャンルにも拘らず報道し始めた。

そろそろ議員も動いてきた。
こちらも「逃散」がきっかけ。
ただ、こちらは投票率の高い高齢者層が離れると困ったことになるので、動き始めた人は意外に頑張っている。
おそらく最初に出てくる政策は逃散を促進することにしかならないだろうけれど、気付かないままよりもマシ。

あまり世間から同情はされない割に他に代替員がおらず、かつ重要性の高い職種の場合、「逃散」は有効な労働闘争になっているよう。
患者側と医療者側の意識のズレを少しでも縮められるのはこの機会しかないだろう。
管理人さんがこのエントリを立てたこと自体も「逃散」の成果。

民473さんへ
民473 | 2006年08月16日 09:14 の投稿を読ませていただきました。
 軽装備の裁判所の場合、得られた鑑定書や助言の内容が、相矛盾したものであった時に、医学に素人の裁判所は、どちらを採用していくのでしょうか?私の2006年08月15日 17:20 の投稿で指摘したような粗悪な判例を残す危険性が高いと思います。現状は軽装備の裁判所ですが、限界は明らかのように思えます。
 重装備の裁判所の場合ですが、「訴えられた医師は、「裁判所と戦う」「裁判所の鑑定軍団と戦う」という状況になる」のでしょうか?医学的に明らかな過誤があって、医師の側からみても「これは被告医師が負けても当然」と思えるような判例だけでしたら、ここまで医師が絶望感に囚われることは無いと思います。医療の現状、医療水準に則って納得できない判例が次々と出るため、司法不信が広がっているのです。医学的に妥当な判決でしたら、被告側も納得する場合が大半だと思いますし、その前提としての重装備の裁判所でしたら望むところです。しかし、実際は、判断の主体が裁判官である限り、期待はできないと思われ、やはり医療専門の第三者機関が必要と考えられます。

>みみみさん

厚労省自体にメリットなどありません。彼らは財務省の言いなりで動いているだけです。強いて言えば、財務省に服従する姿勢を示すことがメリットかも知れません。財務省は、自身の思惑と経団連の意向に沿って動いていると思います。
経団連は1昨年から昨年にかけて社会保障制度に関する意見書を立て続けに発表しています。
2004年9月 社会保障制度等の一体的改革に向けて
2005年5月 医療制度のあり方について
その後これに関連した審議会のスタンスや国の施策をみていると、この経団連の意見書が非常に色濃く影を落としていると、少なくとも私には感じられます。社会保障制度に関してはいずれかの現場に身を置かないと実感が湧かないかもしれません。

これは既にご存じかもしれませんが、
「ホワイトカラーエグゼンプションに関する提言」
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2005/042.html
をお読み下さると、経団連というところが国民や企業の人材をどのようなスタンスで捉えているのか、よくお解りになると思います。
マスコミは当然経団連の会員です。また会員からの広告収入がないと成り立ちません。役人も天下り先の多くは経団連会員です。医療を含む社会保障制度の縮小一直線路線を作っているのは彼らだと、私は思っています。

>ヤブ医者先生
 全く同感です。経団連の幹部連中に近藤克則先生の「健康格差社会」を是非読ませたいですね。まあ、彼らは会社社会の中の勝ち組ですから読んでも意にも介さないかも知れませんが・・・。勝ち組と負け組を作るとどうなるか、一般の方に是非知ってもらうためにも「健康格差社会」は必読だと思います

モトケンさんへ
元田舎医 | 2006年08月16日 11:23と同意見です。モトケンさんの危惧された部分は、全く頭にありませんでした。誤解を与えましたことを陳謝いたします。
みみみさんへ
>>民473さま 公立病院のマネージメントといえば、たしか東大阪で民間のプロを招致して立ち直ったケースをテレビで見た記憶があります。どなたかご存知の方はおられますか?
東大阪市民病院について、NHKスペシャルが扱った部分だと思います。民間のプロではなく、新たに着任した院長さんが立て直しています。その極意は、「医師の人員増」でした。
>NHKで癌治療に関する特集番組を長時間やってましたよね。ああいうのができないのでしょうか。
この番組を全て観ましたが、10倍のスタッフを抱えるアメリカの医療機関と同じことを、「現在の陣容でなぜ出来ないのか」とないものねだりしており、NHKのレベルの低さを露呈した番組でした。報道する側がしっかり勉強しないと、こんなものしかできないという一例だと思います。
民473さんへ
>こういう組織を立て直すには、マネジメントを変革して、経営資源を再配置し、働きやすい職場を作りれば、自然と回復するものだと思います。(楽観過ぎかな。)
 2006年08月16日 21:31や2006年08月17日 10:23 の投稿は、現状を的確に認識されていると思います。しかし、上記の解決策は、公的病院の枠組みでは不可能でしょう。公的病院のトップは所詮中間管理職であり、人員配置、予算配分など何も手が出せませんから・・・

医療関係者です。

流れをみていたところ、だいぶ皆さんの意見が集約されてきたようですね。
このブログにコメントしている司法関係者、医療者ともに「人のためになにかしたい」という使命を持って働いている方だからこそ、このように建設的な論議ができたのだと思います。
他の掲示板などと違い、医療側の反論に対しても、真摯に受け止めていただいたことも良かったと思います。

私は今の医療崩壊の原因の根本は国の政策が原因だと思っています。それに加えて、クレーマー患者や司法判断の結果、マスコミの報道が影響していると思います。ですから、われわれ下々のものがこうしよう、ああしようと思っても政治がそのように動かなければ解決されないものが多いのが事実です。

ただ、すくなからず我々ができることとしては、1つは医療者が声を上げることで、いまの現場で起こっている事実を明らかにして、医療に対する誤解を解くことです。また、医療関係者は医療関係でない人の意見を聞き、何が誤解を招く原因になっているのかを客観的に論議することです。そして人のために働く仕事の代表である司法と医療がお互いを理解して、国に一緒に立ち向かっていくことだと思います。良心をもったマスコミがそれを取り上げてくれるとさらに国の政策に影響をあたえることができるでしょう。

このブログの存在価値は非常に高いと思います。モトケンさん、ありがとうございます。
いい医療を実現させるため、これからもよろしくお願いします。

公的病院からの医師逃散と言うことに関連して、もう一つの事例を紹介します。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060817&j=0019&k=200608174106
巨額の累積赤字を抱え経営再建に乗り出した江別市立病院ですが、当初12人いた内科医のうち相次いで7人が辞職する事態となり再建計画に暗雲が立ちこめている…というより、おそらく元のままの状態での再建はすでに不可能でしょう。

ここで注目したいのはこの記事の中で辞職が相次ぐ理由として、
・夜間急病診療所が併設され当直医が救急医療にも駆り出されていたこと
・民間病院に比べ報酬が半分程度であること
の二点がはっきりと示されているということでしょうか。

ご存知のように本来の意味での当直業務には時間外診療は含まれておらず、当直医はあくまで入院患者の思いがけない急変等に対応するためのものであるとされています。恒常化した時間外外来診療を行わせる場合にはこれは夜勤であって、ほとんどの病院で行われているような行われている日勤−夜勤−日勤という連続勤務は厚労省通達に反するものとなります。
http://www.ajha.or.jp/topnews/backnumber/2002/02_05_01_3.html
http://yu-union.kj.yamagata-u.ac.jp/82kihatsu1128001.htm

このあたりのグレーゾーンについては違反であるから改善すべしと言ってしまうと完全に医療が崩壊するため従来あまり報道でも触れられることがありませんでしたが、マスコミもようやく現場の実態に基づいた報道を心がけるようになったのかと注目しています。

岡山の内科医さん
民事裁判の話に戻ります。
>医師の側からみても「これは被告医師が負けても当然」と思えるような判例だけでしたら、ここまで医師が絶望感に囚われることは無いと思います。

普通、民事裁判になると、原告側も被告側も医師の鑑定書を出し、原告側鑑定書は「被告医師に過失あり」となっていると思います。少なからぬ医師は「過失あり」と思い、少なからぬ医師は「過失なし」と思っているのですから、裁くのが裁判官ではなく医師であったとしても、全ての医師を納得させる結論は出せないのではないかと思います。裁くのが医師であれば、「ここに矛盾があるのでは」とか「この記載は最新研究と違う」といった質問ができる点はメリットでしょうが、裁くのが裁判官であっても、今度は原告被告が相手側に対して同じ質問をするので、大差ないように思います。原告側鑑定書におかしい点があったら、充分攻撃すれば、裁判官も理解できると思います。

2点目は「医師の側からみても」という視点の問題です。では「患者側から見たら」という条件反射が起きます。おっしゃりたいことは「被告医師から見て」という意味ではなく、「高度な知識を持つ専門家から見て」ということだとは理解できます。しかし、中立性を害しないか、疑問があります。

医師への賠償請求を「重過失」に限る立法ができれば、「これは被告医師が負けても当然」と思えるような判例だけになるでしょうが、そういった法律ができるまでは、医師に不満が残るでしょう。でも、裁判は原告被告双方が「自分が勝って当然」と臨む訳ですから、両方が満足することは不可能です。

国民的合意を得て、そのような立法ができるのか、私ももっと考えたいと思います。

TuHさま

>個人の労働環境をウダウダ書き綴ったり

現状の病院勤務医が一般的にどのような環境で働いているのかを知っていただくのは、医療崩壊の制度論を議論をしていく上で大事な事かと思います。
現場の実態を無視した制度改革は、必ず失敗します。
だからこそ、衆議院厚生労働委員会で今後の医療制度改革を議論するのような場でも、「現場の産婦人科医の個人の労働環境」を述べる事を公聴会(2006年4月25日)を開いてまでわざわざ行っていますね。このような公聴会を開いたことに異論がほとんど出ていないのは、医療制度改革を行うのに無視出来ない要因だとの認識が少なくとも国会議員・マスコミにもあったという事です。
それとも、このような「個人の労働環境を」国会のような場で述べる事は、医療制度改革の議論を行う上で全く無駄だったということでしょうか?

>medixさんの↓これは,多少なりとも医者の皆さんは思っていることだと思います。みなさんの投稿の端々に表れていますよね?
>医学部に行けなかった(たぶん受験すらできなかった)人の集まりでしょ。

「みなさんの投稿の端々」といえるほど、現れているようには残念ながら自分には読めません。
この点についてはいくら医療者側から述べてもTuHさまには説得力をもたないでしょうから、他の非医療者のかたがたのコメントも戴けたらと思います。

民473さま

>少なからぬ医師は「過失あり」と思い、少なからぬ医師は「過失なし」と思っている

と考えられる判例であれば絶望感はありません。
ほとんどの臨床医が「過失なし」と考えられる判例も目につくようになっているから絶望しております特に産婦人科領域に多いと感じられます。

たとえば、 山賊 | 2006年08月15日 12:23で取り上げられた判例については、南山法科大学院の町村先生のブログでも問題点の整理・議論が行われているので参考にしていただけると幸いです。

http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2006/07/jugement_0bec.html

もうmedixさんのコメントについて触れることはやめましょう。
こちらでコメントされている医師の方々のほとんどはこのような考えを持っていない方々ですし、その他の方々も医師の方々の一般的な認識だとは思っていないでしょう。
せっかく、議論が前向きになってきているのに、わざわざ蒸し返すほど、このコメントに価値があるとは思えません。

話は変わりますが、現在の民事訴訟における医師の責任について、身近で興味深い意見を聞いたことがあります。

私の知人に歯科医師でありながら現在ロースクールに通っている方がいます。
その歯科医師の方は不法行為法の授業を受けて、「なんで医師だけがこんなに無過失責任に近い責任を負うのか?」という感想を持ったそうです。法律を学んだ医療関係者ですらこのような感想を持つということは、現在の医師に対する民事責任に少なからず問題があるのだと思います。

法医学の先生のお話も興味深いものでした。死体の検案では法医学の専門家が傷口の形などを丁寧に記録して死因を解明しますが、生きている人の傷の場合は法医学者ではなく臨床医の方が診ることになります。臨床医の方は傷の形を記録・記憶することが重要なのではなく一刻も早く治療することが重要なので、後から凶器を特定するために傷口について聞き取りをしても正確に分からないことがあるというお話でした。

現場で患者と向き合っている臨床医の方々にとっては、まさにその瞬間にどういう治療をすべきかの決断が迫られるのですから、後から解剖・鑑定する医師の判断で過失の有無を判断されるのには抵抗があって当然だと思います。臨床医にとっての過失の有無を適切に判断するための資料を提供する第三者機関があってしかるべきだと考えます。

管理人から皆様へ

 コメント数が多くなり、ページが重くなってきましたので、エントリを分割することにしました。

 以後のコメントは

 医療崩壊に対する制度論的対策について(その2)

 へお願いします。

>>れい様 | 2006年08月14日 01:06 
の「どこかの心臓外科医失敗」というのは「東京医大」のことではないでしょうか?経験のない外科医に手術をさせて云々という。あれは、医者の間でも「教授が罰せられるべき」という意見が多いですね(むしろ失敗した医者は患者と共に被害者)。医者としても許されるべき事件ではありませんでした。
心臓外科に関しては事件が本当に多いので大変ですね。例えば女子医大の手術失敗事件に関して言えば、カルテ改竄は処罰されて仕方がないという論調が多いですが、操作ミスに関しては事実が明らかでないので無罪(実際に一審で無罪)という論調が多いですし、東大で起きた心臓手術失敗に関してはマスコミが「犯罪者」の如く報道したにも関わらずその後は忘れ去られたように報道されなくなりました(やはり失敗でも過失とは言い切れなかったということでしょうか)。
やはりマスコミの影響はかなり大きく、医者は悪者と言うスタンスで報道するから結局医者VSマスコミという論争になるんですね。しかも謝罪をしないからなおタチ悪い。で、どちらが強いかは一目瞭然。医者が声高に正しいことを言っても相手にされるどころか、火に油を注いじゃった状態。国に訴えてもなしのつぶて。
よく、医者が世間に訴える努力をしなかったから・・という論調が目立ちますがそんなことはありません。ただ、声を取り上げてもらえないだけです。

医療過誤はありえても(業務上過失)、裁判過誤はありえない。
なぜなら、裁判過誤を裁くところはないからだ。
そもそも裁判官というのは人事以外に関心がない。
そしてその人事は脈々と受け継がれている極右の系譜によっている。
だから、裁判結果が社会に対してどのような影響を及ぼすかよりも、
役職につくためには禅譲によって地位につくことが定石となっている
ため、その役職を勝ち取るために上司にどう思われるかの方が関心事
なのだ。
三好達元最高裁長官。
最高裁長官時代に、司法予算をビール劵に換え、司法記者クラブに配るなど、
マスコミへの接待に使っていた。
http://www.incidents.gr.jp/0209/terasawa020915/terasawa020915.htm
「愛媛玉串料訴訟」最高裁大法廷判決で、「合憲」とする少数意見を述べた。
http://jinja.jp/jikyoku/jikyoku/tamagushi.html
現在、「日本会議」会長。

草場良八元最高裁長官。
1990年(平成2年)2月20日 矢口洪一長官の後を継ぎ、最高裁判所長官に就任。
1995年(平成7年)11月7日 退官。定年の3日前に、村山富市首相(当時)に
会いに官邸を訪ね、後任の最高裁判所長官に三好達判事を推薦したいと切り出
したところ、最高裁判所の判断を尊重すると、草場案があっさり通った。
この人事に関しては、前長官の矢口と現長官の草場との間で確執があったと囁
かれたが、真意は定かではない。草場を最高裁判所長官に決めるにあたり、
矢口前長官が周到に準備したことは杞憂に終わった。歴代最高裁判所長官の人事
について、吉田茂首相が田中耕太郎に固執し、佐藤栄作首相がリベラル派の田中
二郎を排して、保守派の大物石田和外を登用したのと比べ、村山首相は、何とも
安易な判断であったかと指摘されている。
いよいよ我等がリーダー東京地裁の福田剛久さんが
最高裁の局長になるらしいよ。
だって、福田さんってALS患者の選挙権訴訟で
憲法違反って宣言してくれた人だし当然か。
最高裁で落雷の危険を予見しなかったサッカー部の
引率者に責任を認めたけど、そういう判決の流れを
作った人だよね。
スピッツ犬の医療過誤訴訟で慰謝料など80万円の支払いを
認めるような心優しい人らしい。
本命といっていいね。遅すぎたよ。

P R

ブログタイムズ

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