これは Google に保存されている http://www.yabelab.net/blog/2006/09/08-144800.php のキャッシュです。 このページは 2008年10月20日 02:46:29 GMT に取得されたものです。 そのため、このページの最新版でない場合があります。 詳細

テキストのみのバージョン
このページへのリンクにだけ含まれているキーワード: http www yabelab net blog 2006 09 08 144800 php  
医療崩壊について考え、語るエントリ(その2) - 元検弁護士のつぶやき

エントリ

 「医療崩壊について考え、語るエントリ」のコメントが200を超えてかなり重くなってきましたので、別エントリに分割します。

 この続編作成時点での「医療崩壊について考え、語るエントリ」の最終コメントは、No.224 の 元行政さんのコメントです。

 医療崩壊、医療事故関係の関連エントリは、医療関係特集のページにまとめてあります。

| コメント(213) | トラックバック(1) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

トラックバック(1)

トラックバックURL: http://www.yabelab.net/mt4/mt-tb.cgi/1588

医局脱出へのカウントダウン - 医療崩壊論議とネット (2006年9月10日 12:11)

 ブログや掲示板という場で医療者が非医療者である一般の方々と論議する機会が増えているのは良いことだと思うが,感情的なレベルで堂々巡りしていることも結構多い... 続きを読む

コメント(213)

No.224 の 元行政さんのコメント
>一般的な会社は、毎月それ程高額でないお金を払って、弁護士事務所と顧問契約を結んでいます。これで対応できないことはないと思いますが、どうでしょうかね?>法曹の方々

ひょっとすると、「宣伝」になります。
日弁連の旧報酬規定では、顧問料は月5万円となっておりますが、現在は報酬規定が廃止されていますので、各弁護士と相談して決めることになります。
通常顧問料に含まれるのは、法律相談、簡単な書面の作成などが多く、訴訟などの代理人になる場合でも弁護士費用を割り引くことになっていることが多いと思います。
私は、ある社会福祉法人の顧問をしておりますが、法人との話し合いで顧問料は月3万5000円です。
(個人のお客さんと月5000円程度で顧問契約をする弁護士もいます。)
この3万円に、電話や面談での法律相談、簡単な書面作成や簡単な交渉などが含まれています。
特養で亡くなられる入所者が多く、ご遺族との間でいろいろ意見の食い違いが起きるのですが、そのつど職員に対応策を助言したり、場合によっては自分が同席して説明したりして、幸い調停や訴訟になったケースはありません。
職員からの個人問題(離婚や借金)の法律相談も多いです(法人を通しての相談なら法人の法律相談と扱い顧問料の中で対応しています。)。
知り合いの弁護士は、何件かの病院や診療所と顧問契約をしておりますが、病院や診療所から頼まれて、職員の法律の研修を行っています。

勤務医の有志が何人か集まって、自主的な研修として弁護士を呼び、そこからネットワークを広げているケースも見ます(これは弁護士にとってもありがたい話です。)。
正式な顧問契約を結ばなくても、顔見知りになれば、弁護士も医師もメリットがあると思います。

医療水準と医療慣行についての最高裁判例ということで、念のため提示しておきます。

事件番号:平成4(オ)251
裁判年月日:平成8年01月23日
法廷名:最高裁判所第三小法廷
判例集巻・号・頁:第50巻1号1頁
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/B45DF228B9400EF949256A8500311DFA.pdf
(PDFファイル)

長いですが以下に有名な?くだりを引用します。

>人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁参照)、具体的な個々の案件において、債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最高裁昭和五四年(オ)第一三八六号同五七年三月三〇日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号五六三頁、最高裁昭和五七年(オ)第一一二七号同六三年一月一九日第三小法廷判決・裁判集民事一五三号一七頁参照)。そして、この臨床医学の実践における医療水準は、全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく、診療に当たった当該医師の専門分野、所属する診療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものであるが(最高裁平成四年(オ)第二〇〇号同七年六月九日第二小法廷判決・民集四九巻六号一四九九頁参照)、医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない。

具体的に訴訟の認定は以下のように。

>医師が医薬品を使用するに当たって右文章に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである。

>一般にその能書に記載された二分間隔での血圧測定を実施する注意義務があったというべきであり、仮に当時の一般開業医がこれに記載された注意事項を守らず、血圧の測定は五分間隔で行うのを常識とし、そのように実践していたとしても、それは平
均的医師が現に行っていた当時の医療慣行であるというにすぎず、これに従った医療行為を行ったというだけでは、医療機関に要求される医療水準に基づいた注意義務を尽くしたものということはできない。

それをすることによりどの程度のベネフィットがあるかというリスク論ではなく、その件においての因果関係という結果論になるのは、裁判である以上仕方の無いことでしょうかね。

↑昭和49年の事件の最高裁判決が平成8年しかも差し戻してもう一回裁判
とりあえず一行目でズッコケました

>一般にその能書に記載された二分間隔での血圧測定を実施する
>注意義務があったというべきであり、仮に当時の一般開業医が
>これに記載された注意事項を守らず、血圧の測定は五分間隔で
>行うのを常識とし、そのように実践していたとしても、それは平
>均的医師が現に行っていた当時の医療慣行であるというにすぎず、
>これに従った医療行為を行ったというだけでは、医療機関に要求
>される医療水準に基づいた注意義務を尽くしたものということは
>できない。

裁判ではこのようになるんでしょうが,医学的な見地からして血圧
を測定することにどれだけの意義があるのでしょうか?
血圧を測ることは患者さんの状態のごくごく一部を見ることに過ぎ
ません.会話してまともに受け答えできていれば当然血圧はcritical
なほど低下していることはなく,様子がおかしければ脈拍を触知する
だけでおおよその血圧は推定可能です.
全体としてバイタルサインがどうなっているのかをつぶさに観察して
いることが大切なのであって,血圧を2分おきに測ろうが5分おきに
測ろうがそれが争点になるというのはナンセンスです.患者さんの様
子をきっちり把握できていたがどうかが争点となるべきです.
こういう話を聞くにつけ,医療裁判の問題点が浮き彫りになってきま
す.

>level3先生

 私はこの判決を読んで納得した一人です(前のエントリーでも書きました)。
 確かに当時の医学的慣行では麻酔時の血圧測定は5分ごとです。ですが、脳虚血は5分持続した場合に不可逆的な変性を来しうるものです。となれば、医学的慣行の方が間違っており、血圧測定を(状況に応じて)頻回にすることの方が正しいのではないでしょうか?争点は先生自身がおっしゃってますが、何分ごと・・・ではなく、状況に応じて行うべきということであり、その意味でこの判決は私にとっては納得のいくものです。実際私は、腰椎麻酔に置いては投与直後は1分ごと、さらに通常2.5分ごとに血圧測定をしています。麻酔の怖さを知っているからと自分では思っています。

 医療裁判の判決には納得のいかないものが多いのは私も同様ですが、この判決に関してのみ言えば、私は裁判長を支持します。

> れい さん (前エントリNo.223の書き込みについて)

  えーとですね、元の書き込み(前エントリNo.200)の趣旨としては、あまり情報を囲い込んで防衛的になりすぎると、大局的にはかえって損をすることが考えられますよ、ということなのですが。別に、「カルテを見れば何でも分かるんだ! 見せない病院が悪い!」とかいうことではなく。

 医療過誤についての立証責任を病院側に転換させるという制度が導入されると、病院の応訴の負担は従来とは比較にならないほど大きくなります。そして、訴訟法上の立証責任は「公平の見地」から修正されることがありますから、医療機関がカルテ開示に消極的な姿勢を維持し、「医療過誤訴訟における証拠の偏在が固定化している」という声が強まると、「公平の見地から立証責任を転換しよう」というムーブメントが強くなることが予想されます。

 また、前エントリNo.161で少し触れたとおり、患者・遺族の側としては、医学的に厳密で精緻な説明というよりも、「充分な時間をとって丁寧、誠実に対応してくれること」を求める心理が強いと思われます。総じて、カルテを見せても理解できないから意味がないと門前払いされた患者・遺族は感情的に反発して、最終的には訴訟に至ることが多いのに対し、カルテでも各種検査結果でも何でもオープンにして、主治医から時間をとって説明を受けた患者・遺族は、対応に満足して訴訟にまで至らないことが多い、という傾向があります(あくまで傾向であり、そうすれば必ず訴訟を防げるというものではありませんが。)。この面でも、情報を囲い込まない方が、結果として応訴の負担を減らすことにつながると思われます。

 どなたかが以前書かれていたように、カルテという資料自体の所有権は医療機関に帰属するのでしょうし、考えようによっては、それを開示しない自由もあります。ただ、個別のケースでの勝ち負けに固執して防衛的に対応するあまり、その自由を過度に行使すると、将来的、全体的にはかえって望ましくない結果を招く場合がある、という発想はあってもよいように思います。自然科学的な、ロジカルな考え方ではありませんが、「理屈はともかく、争いが深刻にならないように、相手の警戒感・不信感を増幅させない工夫をした方がいいよ」ということです。医師と患者は決してゼロサムゲームをしているわけではありませんので。

 しかし、れいさんに限らず、医師の方に怒りの沸点が低い人が何人かいらっしゃるのが不思議というか、意外です。れいさんのコメント先の書き込み(前エントリNo.200)も、正直なところ、そんなに感情を刺激するとは思いませんでした(いま読み返しても、どこが御不快だったのか分かりません)。ここにおいでの法曹の方は、たとえば裁判制度について不正確な書き込みがあっても、「さすが、法律実務を知らない人のいうことには驚かされます。妄想にとらわれているようですね。」などと書くことはないと思うのですが・・・・。

> それ以外の患者は、必ずしも夜に行く必要がないと考えます

かなり古いレスのコメントで恐縮ですが・・・既出だったらごめんなさい。
実は、夜間当直時間帯の軽症というのはとどまることを知りません。病院に来たからには一応重症でないことを確認しないと医師の義務を果たさないことになります。ということで文句良いながら全国の医師は夜間に軽症の患者を診ることになります。そして最悪、そのために重症患者が犠牲になることさえあるかもしれません。
実は、当直時間帯に軽症患者と重症患者と2人同時に来たとしましょう。このとき、待たされるのは当然軽症です。しかし、「何でこんなに待たせるんだ!」と文句を言うのは決まって軽症患者です。
軽症患者の中には「待たないから」という理由で受診するとんでもない非常識な患者もいます。

実際に夜間や休日の1次救急では半分以上は正直言って来なくても良い、救急以外の患者です。病棟の急変対応や救急外来のために当直をしているのに事実上夜間外来と化しているわけです。次の日の仕事のために少しでも仮眠をとらねばならない医師はこうした夜間に来る必要のない患者に時間をとられます。ひどいときには眠れません。

多いのは「2−3日前から風邪ひいた。昼は遊びや仕事で忙しいから夜中に来た」とか、「眠れないので眠剤が欲しくて来た」とかいう人も結構います(もちろん、当直時間帯に外来で眠剤は事故の元ですので処方できません)。

昔いた職場で当直をしておりますと「何か急に息苦しくなった。俺は何度も気胸になったことがあるんだ。すぐCT撮ってくれ。いや俺の気胸はCTじゃないと判らんと主治医が言ってた」と言って来院した人がおりました。カルテを見てみると几帳面にちょうど半年ごとに息苦しくなって来院されています。それも全部深夜帯で(苦笑)。

というか今日も全く緊急性のない人がやって来ました。その旨説明しても「いや是非」としつこいので根負けした自分も自分ですが…昼間仕事を休んで大人しく外来に並んでいる真面目な患者さん達の行列を見るにつけ、夜間時間外は原則自由診療でいいんじゃないかとも思う今日この頃です。

>「公平の見地から立証責任を転換しよう」というムーブメントが強くなることが予想されます。

医者にかかったら、とりあえず訴えておくと、後は病院側の立証次第で、うまくいけば濡れ手で粟の大もうけになるとなれば、宝くじ感覚で訴えてみる人が増えそうな気がします。

> Level3さま
>こういう話を聞くにつけ,医療裁判の問題点が浮き彫りになってきます.


この裁判は私には納得できるものだったのですが、医師の方にとっては
問題だったのですね。これも興味深いです。

つまり、私の感覚では「説明書なり、能書きに書いてある事以外の事をして、
事故が起こったら自己責任」なのですが、医師の方々は必ずしもそう思って
いないのですね。医師の方々にとって、説明書とはどんな重みを持って
いるのでしょうか。


>全体としてバイタルサインがどうなっているのかをつぶさに観察していることが
>大切なのであって,血圧を2分おきに測ろうが5分おきに測ろうがそれが
>争点になるというのはナンセンスです.患者さんの様子をきっちり
>把握できていたかどうかが争点となるべきです.


明確な基準によって裁判官が判断するよりも、主観を持って裁判官が判断された方が
よろしいのでしょうか。

例えばこのケースの場合、「二分間に一回」測定していれば、事故が起こった
としても医師の過失は問われず、説明書の方が問題になっていたと思います。
「二分間に一回」測定したかどうかと言うのは、きちんと結果を測定できる訳で、
患者にとっても納得しやすいだろうし、患者が納得しなくても、裁判官は判断
しやすいと思います。

一方、「患者さんの様子をきっちり把握できていたかどうか」と言うのは、
医師の主観ですよね。しかし、医師が本当にきっちり把握できていたかどうか、
誰も検証できません。検証できないものを判断する訳ですので、裁判官が
判断するのは至難の業でしょうし、医師にだって事後検証は難しいですよね。

このケースの場合、問われているのは手術中の血圧低下のように思えますので、
血圧測定間隔を争点にするのは、妥当だと思うのですが。

>夜間時間外は原則自由診療でいいんじゃないかとも思う今日この頃です。

元気な年寄りと夜間時間外は自由診療でOKでしょう。

>yamaさま
>病棟の急変対応や救急外来のために当直をしているのに事実上夜間外来と
>化しているわけです。次の日の仕事のために少しでも仮眠をとらねばならない
>医師はこうした夜間に来る必要のない患者に時間をとられます。ひどいときには
>眠れません。

その辺りに関しては、患者に全面的に非があるかと考えます。

用がないと言うか、よほどの重病でもない限り、夜間は病院に行くべきではないと
思います。「医師に対し精神的な不利益」を与えたと言う理由で告訴されても不思議
ではない例ですね。

>FFFさま
『総じて、カルテを見せても理解できないから意味がないと門前払いされた患者・遺族は感情的に反発して、最終的には訴訟に至ることが多いのに対し、カルテでも各種検査結果でも何でもオープンにして、主治医から時間をとって説明を受けた患者・遺族は、対応に満足して訴訟にまで至らないことが多い、という傾向があります』

まさしく、仰る通りだと思います。私は訴訟に至るまでには、なんらかの火種があると思っています。判決要旨を読んでも、そのあたりの機微がわからないのです。

今までの医療関連エントリでは、医療側からみたクレーマーやクレーマー予備軍のことが多く語られていました。それは私も経験しており、頷くことが多かったです。

しかし、自分自身が病気になり、患者になることもあります。また、患者の家族になることもあります。正直、こういう医者には診てもらいたくないなあと思うこともあります。

そこで、自らを反省し啓蒙する意味をこめて、法律家の方をはじめ、医療関係者以外の方にお聞きしたいのです。

「訴訟をおこされやすい医師とはどういうタイプの医師か?」
「訴訟をおこす気にさせる医師とはどういうタイプの医師か?」

>争点は先生自身がおっしゃってますが、何分ごと・・・ではなく、
>状況に応じて行うべきということであり、その意味でこの判決は私
>にとっては納得のいくものです。実際私は、腰椎麻酔に置いては投
>与直後は1分ごと、さらに通常2.5分ごとに血圧測定をしています。
>麻酔の怖さを知っているからと自分では思っています。

脊髄くも膜下麻酔を施行後の血圧測定ですが,たとえば帝王切開時に
いちいち血圧測定の結果をみてから昇圧剤を投与していたのでは間に
合いません.心拍数と患者さんの様子から適宜昇圧剤を投与しながら
その合間で適当に血圧をみています.頻脈になり吐気を訴え始めた時
には大抵血圧は100 mmHgを切っています.私はそうなる前に昇圧剤
を投与しています.心配なら撓骨動脈の脈を触知すれば大体の血圧はわ
かります.一般的な手術の場合には,緊急手術でhypovolemiaでもな
い限り麻酔のレベルをみているだけで血圧がどのくらいまで下がるか,
おおよそ見当がつきます.
いずれにしても脊髄くも膜下麻酔で最も血圧に注意すべきなのは,最
初の10分程度でこの間は麻酔のレベルを確認しながら常に患者さんの
側にいて患者さんの様子をよくみていることです.血圧測定よりも目
の前にいる患者さんをみていることが最大の監視になるのです.
何度も書きますが,我々が知りたい血圧というのは例えば100 mmHg
以上あるのか,それとも80 mmHgくらいなのか,70 mmHgを切って
いるのかといったおおまかなものです.脈拍を触れば数秒以内に判断
可能です.自動血圧計で測っていたのでは場合によっては再測定を要
して測定までに1分以上掛かってしまうこともあります.血圧測定は
あくまで全身状態の把握の補助的なものに過ぎないのです.
麻酔のレベルがある程度落ち着いたら循環動態もほぼ安定します.
外科の先生の場合はここから手洗いを始めればよいのです.我々麻酔
科医はその後も患者さんの側に付いて患者さんの様子をずっと見てい
ますが.
私が最も言いたいことは大切なのは「血圧測定ではなく患者さんの状
態の監視である」ということなのです.モニターを装着して測ってい
たらそれだけで免罪符になるものではないのです.1分,2.5分,5分
といった間隔を問題にするのは的が外れているとしか言いようが無い
のです.いくら血圧計の設定を1分ごとにしていても,再測定を繰り
返すうちに(すでにその時には血圧が無くなっているのに)時間が経
過してしまったのでは何にもなりません.
様子がおかしければ患者さんに声を掛ける.きちんとした応答があれ
ばよし,なければ脈を触知する.これでおかしければ直ぐになんらか
の処置を開始する必要があります.決して血圧計が値を出すまで待っ
ていてはいけません.

また,最初の10分以降も患者さんの様子を常に観察していることが
最も大切なのです.モニターを付けただけで安心してはいけません.
外科の先生が麻酔した後そのまま手術に入る場合には少なくとも常に
患者さんの側に看護師を一人配置して患者さんの様子をみるようにす
ることが重要です.

補足ですが,私は麻酔レベルが十分な域に達したらいくらか手術台の
頭側を挙上して(高比重の場合)それ以上レベルが上がらないように
しています.後からレベルが徐々に上昇して呼吸筋を抑制されるのを
避けるためです.

>例えばこのケースの場合、「二分間に一回」測定していれば、
>事故が起こったとしても医師の過失は問われず、説明書の方が
>問題になっていたと思います。
>「二分間に一回」測定したかどうかと言うのは、きちんと結果
>を測定できる訳で、患者にとっても納得しやすいだろうし、患
>者が納得しなくても、裁判官は判断しやすいと思います。

すみません.「2分に1回測定していれば」裁判には医療側が勝っ
たんでしょうね.でもそれをしていたら事故は本当に回避できたで
しょうか?「2分に1回測定していれば事故は回避できたが,そう
しなかったから事故を防げなかった」という理屈ですが,本当にそ
うでしょうか?
2分に1回測定していても先にも書きましたように再計測etc.は
結構普通に起こることです.特に急に血圧が変化した時や不整脈が
出ている場合にはなかなか測定してくれないことも多いでしょう.

医療としてみた場合たとえ1分間隔で測っていても急変の把握が遅
れてそれに対する対応が遅れたのであればそれは医療側に問題あり
です.一方,すぐに急変を発見しすばやく対応していてもそれが功
を奏さなかったのならそれはやむを得ない事故と判断されるべきで
す.ここが争点になるべきではないでしょうか?

ただし,このレベルの内容は医療関係者にしか判定できないと思い
ます.

血圧計測だけに頼ること自体が間違いの始まりであることを理解し
て頂きたい.私は研修医には「モニターはあくまでおまけに過ぎな
い.常に患者さんそのものをよく観察しなさい」と教えています.
私の考え方はおかしいでしょうか?

>Level3さま
>2分に1回測定していれば事故は回避できたが,そうしなかったから事故を
>防げなかった

回避できたとは言ってません。能書きに書いてあった「2分間に1回」と言う
回数を守らなくて事故が起こった以上、医師の過失は問われてしかるべきでは
ないのかと言う考えです。

>ここが争点になるべきではないでしょうか?

「急変の把握が遅れた」
「急変を発見できた」

「対応が遅れた」
「素早く対応した」

と言うのは、主観の問題であり、裁判の場だと水掛け論になるように思うのです。
定量化できるというのなら別ですが。

裁判の場では、あくまでも客観視できる基準をもって、判断するべきだと思います。


>私は研修医には「モニターはあくまでおまけに過ぎない.常に患者さんそのものを
>よく観察しなさい」と教えています.私の考え方はおかしいでしょうか?

おかしい、おかしくないかで言えば、私の方がおかしいとは思います。
Level3さまの仰ることは、まさに正論だと思います。

>或る内科医さま
>「訴訟をおこされやすい医師とはどういうタイプの医師か?」
>「訴訟をおこす気にさせる医師とはどういうタイプの医師か?」

想像で言いますが、結局の所、コミュニケーションに尽きるのでしょうか
「この先生とは話が通じないな」と思った途端、敵になるのかなと。

これも想像ですが、恐らく、クレーマー患者と、訴訟を起こされやすい医師とは、
同じタイプなのではないでしょうか。鏡写しと思わないでもありません。

書いているうちに思ったのですが、私はクレーマー患者というものを観たことが
ありません。恐らく、他の患者にとっても同様でしょう。医師はクレーマー患者を
日常的に観ている事だと思いますが、患者はクレーマー患者の存在を知りません。

この辺りも、医師と患者の話がかみ合わない原因なのでしょうね。

薬剤の添付書類には困ったものだと感じることが多いのです。
製薬会社は自らの過失や責任を免れるために多くのことを書き加えます。
薬の副作用の多いこと、全部説明していると診療そのものが終わってしまいます。
何番目かに列挙されている極めて少ない確立の副作用なんかどうなんでしょう?
また、1週間ごとに何ヶ月も採血しなければならない薬など、時折非現実性を感じることもあります。でも、何かあったら訴訟になればきっと負けるだろうななどと思い、できるだけ他の薬を選びます。

診療録(カルテ)について。

いわゆるカルテには二つの側面があると思います。ひとつは実際に行った診断や治療について記載するもので、医師法が想定しているものです。もうひとつは医師が備忘録的に記載するもの、あくまでも私的なもので、思考過程を記録したりするもので、これには手術のコツを書いたり、研修医の指導の意味も含めたり、コメディカルに注意を促したり、あとで症例報告を書く時の補足情報を入れたり、といった教育的側面もあります。

後者の意味合いをもって書く時はあくまでも外部の人に見せることは考えておらず、いわば日記帳あるいは仲間内での落書き帳みたいなものだと思っています。

したがって医師としてはこれを裁判での証拠物件に使われるというのはやはりどうしてもひっかかります。あとで自分に不利になる証拠としても使われるかもしれない、と考えれば、必要以外のことは記入できない、自分が感じたこと思ったことも書けない、コメディカルに対する連絡事項も書けなくなってしまいます、というか、もうすでにそうなってしまいました。

われわれは医学部でカルテの書き方を習うときに客観的事実からそれを同判断するか(アセスメント)をきちんと書くように指導されます。そしてそのアセスメントをもとに検査や治療計画をたてるわけです。しかし誤ったアセスメントを書くことによってあとで糾弾される可能性があるのならば恐ろしくて書けません。

医療というものは失敗から学ぶことが多くあります。そしてその失敗の記録で一番大事なものがこれまではカルテだったのです。失敗の記録が赤裸々に書かれたカルテこそが貴重な財産でもあったのです。そのカルテの大事な機能を昨今の情勢が奪ってしまった訳です。第三者にみられることを前提とするものに失敗したことなどは書けません。また医療従事者の間で情報を共有するという大事な役目も果たせなくなりました。

先のれいさんの書き込みは過激に見えるかもしれませんが、私にはれいさんの気持ちがよくわかります。

私は基本的には情報公開に賛成ですが、開示された情報を仕事のあら探しの材料に使うことには反対です。自分や家族のカルテをみて初めて医療者がこんなことを思っていたのかとわかることがあると思いますが、不快に思う人もまた多いと思います(第三者がみることが前提にされていないのだから当然です。)くりかえしますが、カルテには客観的事実だけが書かれている訳ではありません。

これと関係しますが、診療録の内容自体が裁判の上で論争の対象となることは非常に無益であると考えます。カルテの内容は必ずしも正確無比ではありません。臨床の合間をぬって書く訳で、専門のライターが書くのではありません。重症患者などではカルテの記載がどうしても後回しになり、具体的な時間などは不正確なことも多々あります。前後関係ですらあやしいこともあります。仕事のプライオリティからはカルテの記載はかなり下になります。

一般的な医師の感覚ではカルテを診療以外の目的に使用することは明らかに目的外使用と感じます。本来の目的以外に使用する場合はその限界を十分に認識するべきであり、記載された文言の一言一句を検証したり、細かな時間を問うのはやめてもらいたいものだと思います。


薬剤の添付文書について

一番大きな問題は副作用の情報があまりにも抽象的かつ多すぎると言うことです。例として一般的に良く使われている鎮痛剤のロキソニンをみてみましょう。

副作用の欄には、

重大な副作用として 1ショック(頻度不明) 2溶血性貧血(頻度不明) 3皮膚粘膜眼症候群(頻度不明) 4急性腎不全・ネフローゼ症候群・間質性腎炎(頻度不明) 5うっ血性心不全(頻度不明) 6間質性肺炎(頻度不明) 7消化管出血(頻度不明) 8消化管穿孔(頻度不明) 9肝機能障害・黄疸(頻度不明) 10喘息発作(頻度不明) 11無菌性髄膜炎(頻度不明)

その他の副作用として 発疹、発熱、掻痒感、蕁麻疹、腹痛、胃部不快感、食欲不振、悪心、嘔吐、下痢、便秘、胸やけ、口内炎、消化不良、血圧上昇、血小板減少、眠気、血尿、蛋白尿、浮腫、胸痛、動悸、頭痛、貧血、白血球減少、顔面熱感

があげられています。

包丁で指をきった、なんて人によく鎮痛剤としてこのロキソニンを出すのですが、通常このような副作用の説明なんかはしません。他の鎮痛剤も似たり寄ったりの添付文書です。

ほとんどの薬は「頻度不明」で重大で命にかかわる副作用をひきおこします。そして添付文書には『患者の状態を十分観察し、副作用の発現に留意すること』と書いてあります。

さて添付文書に書いてある通りに診療をしたらどうなるのでしょうか?「患者の状態を十分に観察」するために毎日通院してもらうのでしょうか?肝機能障害や腎不全が起きていないことを確認するために毎週血液検査や尿検査をするのでしょうか?

添付文書に書いてあることをまともにとって診療することなどは不可能です。情報の取捨選択をせざるを得ません。そして後で副作用が問題になったときは、製薬会社には責任が無く、「漫然と処方をした」医師に責任がくるのでしょう。

対策としては処方時に副作用の症状を列挙したちらしを渡して、「これらの副作用が疑われる症状に気づいたら遅滞無く受診すること」として責任を患者に転嫁するしかないのでしょうか。しかし上記の副作用の症状を列記したら簡単に100を突破しそうですが。

医師と患者のコミュニケーションについて

あくまで大事なのはどちらも一人の人間であるということでしょう。話が合う人もあればまったくあわない場合もあります。

日常生活ならば話の合わない人とは話をしませんからまったく気になりませんが、残念ながら診療をしているとある程度の確率でまったく話の通じない人にあたります。他の医師の話を聞いてみても同様のことをいわれます。

私も診療の場以外でそのような人に出会うことはないので、一般の方にはなかなか理解してもらえないことなのかもしれません。でも診療中には本当にまったく話が通じなく、会話が成立しない人に出会うんです。大げさにいっているのではなく、最初から本当に聞く耳をもたないのです。「話せばわかる」とうのは必ずしも真ではないと実感しています。

訴訟の原因はコミュニケーションの不足である、と一言にいわれても納得できない医師は多いと思います。

ではどうすればよいのか。

私は現在の古典的な「主治医制度」が曲がり角にあるのだと思っています。医師と患者一対一では煮詰まってしまうこともあるし、関係がこじれかけた患者の主治医であることのストレスはかなり強いものです。乱暴な意見だとは思いますが、主治医を決めないというのもひとつの方法かもしれません。みんなの責任は無責任になるので患者にはマイナスだと思いますが、コミュニケーション自体が訴訟の原因になるのならば仕方がないかもしれません。

No.21  Posted by: oregonian | 2006年09月09日 05:26 (Top) の件

コミニュケーション能力が双方にあれば、主治医制度はうまく活用するというわけですね(私も主治医がいますが)。ただ医師の間にもそれが欠けている人もいるし、患者となれば結構いらっしゃる。
選択の余地のないような地域ならちょっと困りものですが、それはお互いに主治医を代えたり、患者を別の医師に紹介したりという相互扶助的なもっていきかたで解決できるのではないかと。コミニュケーションは信頼される医療の根本ですから。
関係ありませんが、工学部でもコミニケーション論を必修とするところがおおくなりました。入社後、(3年間で)上とぶつかってやめてしまう人が30%いるよし。企業も面白くないし大学としても送り出した責任もあるのでこんなことをしてます。医学部にはそのようなコミにケーションスキルを教える(・・これまた情けないことではあるんですが・・・)講義てのは最近はあるんでしょうか。


>level3先生
 バイタルの測定・争点についてはご指摘の通りです。確かに血圧の測定間隔は本来の争点からははずれると思います。が、いずれにせよ本件では患者の状態把握を怠っていたことは否めなく、麻酔担当者(おそらく術者)の過失には違いないのではないでしょうか?
 どう考えてもこの1件は全脊椎麻酔です。先生のお考えでは本件は救命不可能ですか?

>医学部にはそのようなコミにケーションスキルを教える講義てのは最近はあるんでしょうか。

基本的には2年間のポリクリ(臨床実習)がそれに相当しますが、実際には臨牀の現場に出てから先輩から教わるということが多いように思いますね。んなもんで昨今のローテート研修で臨床能力以前にそうした接遇面での能力低下を懸念しています。
以前から患者に直接触れることのない診療科の先生はそういう能力的に不足を感じる人が多い印象を持っていましたし、体系的な学習より経験頼りなのが現状と思います。このあたりは訴訟対策も含めて早急に座学にも取り入れるべきではないかと考えていますが、問題は誰が教えるかという話になってくるんじゃないでしょうか。
職場の研修等の経験から言いますと、市民団体や法曹の方の場合「かくあるべし」に偏りすぎるきらいがあり、また医療者サイドの講師は「正しいことをやっていれば何も怖くないんだ」調が多い印象を受けています。理論と現場の双方をバランスよく兼ね備えた講師の出現を期待したいですね。

時間外診療のことについて。

昔行政にいたころ、休日夜間の2次救急や3次救急の病院に、1次救急や救急でない患者さんが押し寄せているという指摘を受け、予算を確保したうえで、各医療機関にお願いして実態調査(患者ごとに詳細な調査票の作成)をしたことがあります。
結果は、案の定、2次救急の輪番病院や3次救急の救命救急センターにまで、多くの救急とは思われない患者さんが殺到していました。
調査結果を公表する前に県医師会に説明に行ったところ、県医師会から「これでは医師会で運営している在宅当番医の意義を問われかねないので、発表は差し控え願いたい。」と要望が出て、結局お蔵入りとなりました。
(月150時間も残業してまとめたのにぃ・・・。)


患者とのコミュニケーションについて。

私の経験ですが、私の祖母は、ある民間病院に入院中、看護師がベッドからストレッチャーに移す際に手を滑らせ(?)、祖母は頭から床に落ちました。
近くの救命センターに運ばれましたが、そこで亡くなりました。
亡くなった後、病院の院長、事務長、手を滑らせた看護師が叔父(祖母の長男)の家に来て、時間をかけて事情を詳しく説明し、謝罪してくれました。
看護師に、これからは気を付けてくださいとお願いし、それで終わりにしました。

私の祖父は、国立の大学病院で亡くなりました。
病院からは、胃にできた珍しい癌だという説明だけで、何がどうなって亡くなったのかは説明してもらえませんでした。
まさに息をひきとったばかりで親族一同涙を流しなら祖父を見ていたとき、若い医師が病室に入ってくるなり、「珍しい癌なので研究のためにご遺体をいただきたい。」と言いました。
後から考えれば、大学病院なので研究に使いたいのは分かりますし、荼毘に付される前でないと困るのは分かりますが、その時は怒りがこみ上げました。
叔父のひとりは、「あんまり説明がないのは、珍しい癌なんでいろいろ実験してたんじゃないのか。」などと言いました。
(これが現在だと弁護士に依頼して証拠保全ということになるかもしれません。)
結局、祖父が癌だったのは間違いないですし、もうその大学病院とかかわりたくないので、献体は断ってそれで終わりにしましたが。

>バイタルの測定・争点についてはご指摘の通りです。確かに血圧
>の測定間隔は本来の争点からははずれると思います。が、いずれ
>にせよ本件では患者の状態把握を怠っていたことは否めなく、麻
>酔担当者(おそらく術者)の過失には違いないのではないでしょ
>うか?
>どう考えてもこの1件は全脊椎麻酔です。先生のお考えでは本件
>は救命不可能ですか?

僻地外科医先生へ
これは医師側に問題ありと思われます.救命可能だったでしょう.
裁判結果は同じになるでしょうが,その過程がおかしいのです.

多くの医療裁判で,私が指摘したような本質を外したところが争点
として争われその結果として時として不可思議な判決が出されてい
ます.これが「おかしい」のです.
この例では争点がずれていても結果はたまたま同じでしたが,「も
し2分置きに血圧を測定してれば医師側が勝訴したとするのも問題
です.」

これがいつ頃の事件なのか知りませんが,ここ20年以内であればパ
ルスオキシメータも使われるようになっていますから,血圧が低下し
て脈圧が極端に小さくなったり,心停止を来した場合にはほぼリアル
タイムにトラブルが生じたことが捉えられます.オキシメータの脈
波がおかしくなった時に患者さんに声をかければおそらく異変はすぐ
にわかったでしょう.呼吸停止が先に起こった場合には,SpO2が低下
することで捉えられるでしょう.
いろいろなものから総合的に患者さんをみる姿勢を持っていることが
最も重要です.ただ,裁判でこれが適切に行われていたかどうかをあ
る程度のレベルまで検証できるのは医師だけだと思います.

 このような専門領域の裁判において、素人である裁判官に対して問題の本質や判断のための正しい着眼点を持たせるために、わかりやすい説明をし、効果的な立証方法を考えるのが弁護士の役割だと思っています。

 つまり、医療側代理人たる弁護士には、被告医師の考えを裁判官に伝える通訳人の役割があります。

 その前提として、弁護士には、事前に十分な医療知識がある必要は必ずしもないと思いますが、医師の主張や説明を聞いてそれを理解できるだけの素養と能力は必要だと思います。
 そして、自分の理解を自分と同類(法曹という意味)の裁判官に対して伝えることができる説明能力ないし説得能力が必要です。

No1 PINE先生

えー。宣伝も兼ねて貰おうと思って書きました。

一般的に医師はこの手の情報は知りませんよね。知るだけで価値があることの一つだと思います。ちなみに僻地で弁護過疎地でもある私の居住地の弁護事務所は、流行っている事務所であるにも関わらず、もう少し安かったです。(零細企業が多いためかもしれません)

ちなみに、世間が思っているほど、医療機関は裕福ではありません。(法曹も同じであることが最近わかってきました)しかしながら、建築費でも賃貸料でも機材の代金でも、あまり買い叩かないのを見越されてか、医療機関は結構鴨られています。いい鴨が来たと思わず、労働量に見合った料金設定をよろしくお願いしますね。

No6 FFF様
カルテの記載は大切ながら、開示が必要になってから縛られてしまっているというのも事実です。私が知り合いの弁護士さんからレクチャーをうけた時には下記のようなシチュエーションはどうするか?というのが問題になりました。
「80歳の男性に息子二人がつきそって外来を受診した。長男は自宅で介護しており、患者さんの健康を心配し質問してきたが、次男は今後の予後や保険等について質問をしてきたために、外来中に兄弟で言い争いを始めてしまった」
家族背景をカルテに残しておくことは、診療においてキーとなることは非常に多いですが、この場合、
「兄弟喧嘩をした」「長男は患者さんの介護をしており体調を心配している」「次男は介護に協力しておらず金銭的な問題を気にしている」
どこまで書くかが問題になります。カルテを開示したときに、「金銭的〜」な事まで書いてあると次男からクレーム等がきて、さらに問題となることも考えられます。
そのため、「開示用のカルテ」のほかに、「開示しない医療者申し送りノート」が必要なのではないか?という話も出ました。でもそれはカルテの開示の意義を考えると?
立証責任が医療側に来るとさらに大変ですのでどういうのがいいのでしょうかね。
(今回は蘇生措置等におけるカルテの記載については考慮してないコメントです)

No.21 oregonian 様
>話が合う人もあればまったく合わない場合もあります
まったくもってそのとおりですよね。
小児科で定期フォローしているような患者さんのお母さんをみてますと、主治医毎に受診されているお母さんの特徴(性格、考え方)が結構似通っているという事があります。
これは、それぞれ求めるものが違う結果、それぞれの主治医に落ち着くのではないでしょうかと考えています。
反対に、当直帯のときや、僻地で他の医師を探すという選択肢がないときにこの問題は大きくなっていきます。
ある患者さんをみて、
^綮佞聾〆困必要だと考えても、患者が検査をしたくないという考えのとき
医師は検査が必要ないと考えても、患者がなにがなんでも検査をしてほしいという考えの時
このような場合は、結果に問題があると訴訟になってくる可能性が高くなると思います。主治医制度維持するにも、グループ診療にするにも、1病院あたりの勤務医を増やすしかないですよね。

No.22 デハボ1000様
事はそんなに単純ではないと思っています。
初診で、初めて診察する患者さんにもかかわらず、あからさまに医師や看護士に敵意を持って受診してくるひとは実際にいます。前医での治療で、自分の望むような結果が得られていない場合にこのようなケースがあります。このような患者さんは、(本来は使った薬の効果が乏しければ変更したりするところを)前医に相談なく受診し(これは別に構わないのですが)、場合によっては前医で使った薬や検査の結果もわからない状況で診察しないといけない状況であったりします。スタート地点が既に最悪のところから開始なんです。

>添付文書について
前回の裁判の結果において、その判断の妥当性は別として、医療を行うに当たって添付文書に縛られてしまうことになりました。添付文書以外の使い方については、ガイドライン等の有力なバックアップがないと、裁判になった時に負ける可能性があるわけです。
添付文書は確認するとして、
。裡20でoregonianさんがあげた極めて稀な(1万人に1人以下でしょう)副作用が起きたときの防衛方法が全くないこと(どんな薬でも死ぬような副作用は極めて稀でも起こりうるので)
⊂児科の場合は、禁忌(使ってはいけない)ではなくて、「使用経験がすくない」という表現になっているので裁判になったら負けてしまうのではないかという不安があります。
「使用経験がすくない」というと、危険な薬のように思えてしまうかもしれませんが、多くの薬はこの表示になります。製薬会社からみれば、「使用経験が少ないから、その副作用が起きることはわからなかった」という事なんでしょうけど。

>このような専門領域の裁判において、素人である裁判官に対して
>問題の本質や判断のための正しい着眼点を持たせるために、わか
>りやすい説明をし、効果的な立証方法を考えるのが弁護士の役割
>だと思っています。
>
>つまり、医療側代理人たる弁護士には、被告医師の考えを裁判官
>に伝える通訳人の役割があります。

おっしゃる通りだと思います.
ただ,裁判では弁護士は「裁判に勝つために」あえて本質を外して
むりやり争点を別のところに持っていくこともやってないでしょう
か?
弁護士にとっては,真実が示されることが大切なのではなくて裁判
に勝つことが大切なのでしょう.
もしも最終判断を下す裁判官が,医師と同等の医療知識を持ってい
れば,そのようなdirtyな手段を弄する弁護士の言葉にごまかされる
こともないでしょう.しかしそうでなければ結局biasの掛かったも
のでしか裁判官は判断できません.
米国のような弁護士の腕で白黒がどのようにも変わる(陪審員制度
のためというのもあるんでしょうが)裁判はやはりおかしいと私は
感じています.
医療関係者がダイレクトに判断する方が,よほど適切に判断される
と思います.だから「本当に本質的なところで医療行為が妥当であっ
たかどうかを判断する第3者機関が必要である」と考えているので
す.
別にこれが「悪い」医師を庇うことを目的としたわけではありませ
ん.正しいことを行っている医師を正しく守るためです.

もうひとつ,第3者機関が正しく機能すれば原告側にも真実が
はっきりしてくるのではないでしょうか?
今の民事裁判,ましてや刑事裁判では真実が日の目を見ること
は決してないのではないですか.これは原告にとっても被告に
とっても非常に不幸なことです.

No6 FFF先生

前エントリのNo161は共感できる部分も多い文章(さすが弁護士だと思える名文)でしたが、若干異論があります。対応として頻回云々はその通りですが、とても勝てないような内容で訴訟を起こすというのは、まず病院の拙い対応ありきではなくて、患者側の要因だと思うのですがね。

自分でいうのもなんですが、けっこうムンテラは上手いつもりなんですよ。それで他の医療機関から見捨てられた患者で、長時間のムンテラの後、逆に優良患者に変化した患者を何人もフォローしています。しかしながら変化させることができるのは、せいぜい3分の2程度ですかね。はっきり言って、ダメな人間に対応するためには、その人間に洗脳レベルの心理的な治療をしなければ無理だと思います。
弁護士の助言にも耳を貸さない人間は、医師の説明にも耳を貸さないだろうし、結局誰からも(その人が望むような)誠実な対応を受けられるはずはないでしょう。応召義務を無視して、最初から診ない、又は、極力早く放棄するしか対応方法はないというか、今の現状ではそうするのが正解だと思います。昔は、溺れている人を助けるために飛び込んでいた濁流も、今は流れが速すぎるという感じです。

No10 しま先生

>つまり、私の感覚では「説明書なり、能書きに書いてある事以外の事をして、事故が起こったら自己責任」なのですが、医師の方々は必ずしもそう思っていないのですね。医師の方々にとって、説明書とはどんな重みを持っているのでしょうか。

他の先生方も同様のことを言っておられますが、自分の場合も、参考程度です。隣の国の法律くらいの感覚ですか。
法曹の世界では、まず法律という文章が前提で物事がすすみますよね。しかし医療の場合は、まず現実があってそれを伝えるための表現としての文章であり、文章がいかに不完全かということはあまりにも当たり前の話なのです。説明書に限らず、教科書、鑑定書、論文どれでも当てはまる話です。Level3先生を始めとして、前エントリーから再三説明が出てきているのに、なかなか理解してもらえませんね。

私は刑事では事実が明らかになることはあまり無いと考えておりますが(被告が真実を明らかにする作業を制限されるため)、民事ではどうでしょう?
最も事実を明らかにしたところで今までの民事の判例を見ていると裁判官の持論によって大きく判決が変わり、医療側寄りになったり患者寄りになったりするんだと思います。ただ、世論の高まりが原因なのかどうかは知りませんが、最近の判例は明らかに患者寄りが多いと感じておりますけど。これが理論的ではないと私を含めた医療側から批判される根拠になりうるのです。つまり判決に際して将来の医療を見据えていない点についてツメが甘いと・・・。まあ、民事は理論ではない、ただの喧嘩だ、と言われればそれまでですが。
刑事については検察、警察側は明らかに事実を明らかにするのではなく、相手を有罪にさせることしか考えていませんよね。疑わしきを罰せずと言う基本概念はどこへ行ってしまったのでしょう?これだけでも警察や検察のモラルを疑わざるを得ません。

>つまり、私の感覚では「説明書なり、能書きに書いてある事以外の事
>をして、事故が起こったら自己責任」なのですが、医師の方々は必ず
>しもそう思っていないのですね。医師の方々にとって、説明書とはど
>んな重みを持っているのでしょうか。

端的に言いますと,薬剤の効能書きは「製薬会社の責任逃れ」のために
存在するとしか言いようが有りません.その程度のものです.
薬剤には「効果」と「副作用」が必ず存在します.目の前の患者さんに
対して「効果」>「副作用」と判断された場合には投与します.反対に
「効果」 した結果を注意深く見る事は言うまでもありません.
日本の薬剤の効能書きでは保険のこともあり「海外では常識」と考えら
れる使用法でも書かれていません.これには治験etc.多くの問題が含ま
れています.また,おそらく「製薬会社の責任逃れ」のためでしょうが,
非常に臨床と解離した投与方法が書かれていることもあります.
他の領域のことは知りませんが我々の領域(麻酔)では学会が主導し
て,麻酔関連の薬剤の効能書きに麻酔科医の意見を反映させました.

極端な例を示しますと,元々の効能書きでは「フェンタニル」という
麻薬は2歳未満の患者には「禁忌」と書かれていました.しかし現実
には新生児,乳児を含め世界中で当然のように使用されています.
日本でも新生児,乳児の心臓手術では使用するのが当たり前でしたし,
今でももちろんそうです.現在は効能書きの記載の方が改訂されてい
ますが...
医学的に「フェンタニル」が小児に禁忌であるようなことは決してあ
りません.ではどうして製薬会社はこのように書くのでしょう?
ほとんどすべての薬剤の効能書きには「小児には安全性が確立されて
いないので....」というような但し書きがあります.要するに治験でき
ない(だから確認していない)ので安全性が保証できない,と責任を
かぶらなくてよいように書いているのです.

正直に言いまして,我々の領域で薬剤の効能書きをすべて守っていた
らほとんどの麻酔管理が行えなかったと思います.効能書きには
「麻酔管理」という特殊な状況(循環,呼吸をすべて医師が管理する
)を想定していなかったからです.
まあ,弁護士さんからすれば「鴨がネギどころか薪や鍋までしょって
歩いている」ように映るんでしょうがこれが現実の医療です.
医学と実際の医療の間にはこういったギャップがあります.これは
医療制度(行政上の)問題です.こうした制度上の種々の問題も本来
は解決していくべきものですが,現状ではなかなか困難です.こう
いったものを盾に裁判で白黒判断することがいかに茶番であるかとい
うことです.

しまさん、こんにちは。整形Aと申します。

医療関係者でもなく、司法関係者でもないということですが、いつも熱心に、なおかつ物事を公平に見ようという態度での書き込み、感服しております。

いささか古い話題(何せ進行が早くて・・・)で申しわけありませんが、承諾書と契約書について思うところを書きます。
承諾書の法律的な定義や意味については、前エントリーNo169でPINEさんが詳しく述べております。結論的には、承諾書はこれこれの説明をした、という証明にしかならないということのようです(PINEさん、解説ありがとうございます)。

しかしながら個人的には今後、契約書に近い承諾書、というが採用される可能性はあると思うのです。
想定されるあらゆることを網羅し、これこれの合併症や後遺症が確率的に起き得る。また医療は不確実なものであり、実際の手技を行なう際にはこういったミスも手技上ありうる。これら以外の明らかな過失がない場合には病院は責任を負わない・・・といったことを納得した上で、署名してもらう。
実際に裁判になったときに、民法上は無効かもしれませんが、訴えることの抑止にはなるでしょう。

ただ問題点はもちろんあります。

まず患者さん側から見てみます。
たとえば、癌などで生死がかかっている状況だとします。患者さんはどこの病院で治療を受けるかの選択は可能でしょうが、いずれにせよ何らかの治療は受けざるを得ません。そうなると医療側にどんな承諾書・契約書を提示されたとしても、最終的には受けざるを得ないでしょう。

このようにこのての承諾書・契約書というのは、患者さんにとっては大変不平等なものなのです。

医療の側から言うと、現在承諾書を作って得られるメリットは、患者さんから訴えられるリスクが軽減されるだけです。損害賠償を除けば経済的メリットはあまりありません。
なぜなら、もともとの治療費が安いものだから、ある治療をやろうとやるまいと、病院にとっての収入はあまりかわりないからです。
医療側にメリットがない状況のままだと、特に比較優位の病院においては、一方的な承諾書・契約書をおしつけることも可能です。
「これこれの治療をこれこれの条件でやってやる。いやなら止めてもいいんだよ。ただ、あなたの病気が治らないだけです」といった態度ですね。
そうなっていないのは、単に医療側の抑制が効いているだけだからともいえます。

両者の関係が対等になるためには、医療側が医療を提供することによる経済的メリットをもっと高める必要があります。
この患者を獲得するのと逃すのとでは、経済的損失が大きい。だから患者さんに誠心誠意対応し、自分の病院を選んでもらおう。もちろん病気もよくなってもらって病院の評判を高めよう。そういうモチベーションが働くような医療費にしなければならないと思うのです。

もちろんそうなると、患者さん側も応分の費用負担が必要になります。
医療側のモチベーションを高めるだけの医療費を払える患者は、おそらく限られるでしょう。それが払えない人は、やはり一方的な承諾書・契約書を受け入れざるをえないことになります。

これは、要するにアメリカ型の医療です。
今後混合診療が認められ、また、国立大学が独立行政法人になり経営が厳しくなれば、大学病院などが比較優位の病院になり、高額の医療費を請求してくるようになるかもしれません。
払える人は、病院と対等の立場で承諾書・契約書を作成する。払えない人は、一方的に不利なものになるか、もっと低レベルの治療を行なう病院で治療を受ける。

こんなふうになるかもしれません。

実際に、現在大学病院では赤字補填の目的もあり、高度先進医療という名の「混合診療」を行っております。これが少々いい加減な申請内容でも通ってしまうことがあるのです。
もはや、高度先進医療は高度な医療の施行・研究目的以外に経営手段となりつつあります。

>level3先生。(No.26について)

 ご指摘の意味合いでしたら、全く同意です。ただ、裁判長の言う
「医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない。」

と言う言葉はまさに「5分なら5分、2分なら2分で測定していればいいと言うものではない。医学的慣行に甘んじて、5分ごとの血圧測定のみをし、全身観察を怠ったという点で注意義務違反である」と、と言う意味ではないかと私はとらえました。2分というのはあくまで私が言ったことです。ですからこの判決に納得がいくと言うことです。

 ただ、先生のおっしゃるように適切な観察が行われていたかどうか、十分な質問によって審判をするには、この場合においても医師の方が向いているとは思います。

No.33 元行政さん

>Level3先生を始めとして、前エントリーから再三説明が出てきているのに、なかなか理解してもらえませんね。

私は理解しているつもりですが、弁護士としては、どうしようもないという部分もあるんです。
裁判制度の仕組みを変えることは容易ではありません。
大げさなことを言ってしまうと、憲法が「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」(76条1項)としたうえで、「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」(76条2項)とし、さらに「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」(76条3項)としている以上、憲法で定められた裁判制度の枠組みを変更するには、憲法を改正するしかない。
民事裁判については、憲法32条が「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」としている以上、民事裁判を起こすことを認めないとすることは、法律でもできない。

ここでコメントされている弁護士の多くは、なるべく裁判の仕組みや現状を客観的にお医者さんに伝え、理解してもらい、そういうものを踏まえたうえで何か良い方法はないか議論できないかと考えていると思います。

ただ、そうした前提そのものが、お医者さんには受け容れられないものなんだろうと私は思っています。

>No.30 Level3 さん

>弁護士にとっては,真実が示されることが大切なのではなくて裁判
に勝つことが大切なのでしょう.

 弁護士にとっては、報酬の面では裁判に勝つことが重要ですし、それと同じくらいに依頼人が自分の弁護活動に納得してくれることが重要です。
 そしてこれは依頼人にとっても同じです。
 被告の立場に立たされた医師としては、裁判に勝つこと又は勝てないまでも納得のいく裁判を受けることが重要なのではないでしょうか。

 私は、No.27で医師側の代理人として重要なことを述べたつもりです。
 バイアスのかかった原告患者側の弁護士に裁判官が誤魔化されないようにするためにです。

 Level3 さんは、弁護士というものを医師と対立する存在のように考えられているような記述が散見されるんですが、医師から依頼された弁護士は医師の利益を最大限に守るのが仕事です。

 PINE さんが指摘されているように、日本で裁判を完全に回避することは不可能なのですから、医師側も法律的防御として優秀な弁護士の活用を考えざるを得ません。

>No.34 yama さん

>私は刑事では事実が明らかになることはあまり無いと考えておりますが(被告が真実を明らかにする作業を制限されるため)

 これは医療過誤にかかる業務上過失致死傷事件について見た場合は当たらないと思います。

 刑事訴訟手続においては、立証活動により多くの制約を受けるのは検察官だと思います。
 また、刑事裁判において事実が明らかにならない最大の原因は、被告が事実を語らないことにありますが、医療過誤事件で医師が黙秘権を行使するということはほとんどないのではないでしょうか。

 被告側にとって不利な点というのは、自分以外の第三者の支配下にある証拠を収集する強制手段を持たない(検察は持っています)という点ですが、医療過誤訴訟における主要な証拠は、医師側も検察側と同程度の証拠を持っていると思われます。
 そして専門知識の分野では、検察側より医師側のほうが質量ともにはるかに上です。

 医療過誤刑事訴訟における問題は、事実が明らかになるかならないかではなく、明らかにされた事実の評価が適切妥当なものかどうかだと思います。

できるだけ頑張ってROMして大方の流れをつかんでいるつもりですが、流れが早いのと量が膨大なので重複するコメントであればスルーしてください。

訴訟問題に対して医療者が切望している3点セットである、第3者の専門家による審査機関、無過失医療制度、刑事免責のうち、審査機関と無過失医療制度は漸く整備の動きが出始めています。まだ海の物とも山の物とも分かりませんが、政府が作ろうといっていますので作られる可能性は高いと考えています。

ここで問題にしたいのは第3者審査機関の位置づけです。出来てもいないものを論議しても仕方ないと言う意見もありますが、出来てないから意見を言えるとも考えます。これが出来上がったときに現在の司法との関係はどうなれば理想的なのでしょうか。

    >、「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」(76条2項)

とあります。であるならその結果に不満があれば、従来どおり自由に訴訟が起せますし、司法は何者にもその法律的判断を縛られませんから、審査機関の決定を覆すことも十分ありうるわけです。訴訟の場とルールが異なるでしょうから当然可能性として予期されます。

ただしこんな事が頻繁に起これば誰も審査機関なんかに頼らなくなります。医療側に立って言えば、審査機関で過失無しと認定されても、それを不服として訴訟を起されますし、過失有りとされれば大威張りで訴訟を起されます。そうなる事は大変好ましくないと考えます。何のための審査機関かと言う事になります。

法曹関係者の方は審査機関で過失無しと認定されたら、たとえ訴訟を起されても過失無しの公的機関のお墨付の証拠があるから大丈夫と言われそうですが、医療者の最大の願いは訴訟に勝つことでなく、訴訟を起されないことです。

弁護士も量産時代が来ています。弁護士の数が増えると新たなマーケットの開拓が食うために必要です。そのターゲットと有望視されているのが医療と聞いています。誤解を恐れず言えば、弁護士は訴訟を起してナンボの側面があります。審査機関で過失無しの認定であっても、依頼されたら食うために訴訟を起す弁護士も出てくると考えています。

そういう懸念も考慮して、現行法で許す範囲で、訴訟の抑止力になりうる審査機関の位置づけについて是非助言が欲しいと考えています。もちろん訴訟を起す自由がありますので、完全には無理でしょうが、事実上難しくなるような手立てです。

もし良き方法があるのなら、それを盛り込むように医療者は努力したいと考えますし、逆にそういうポイントを外されているようでしたら、大いに反論の声を上げなければなりません。

厚かましいですが、法律や実際上の運営ルールとなると知識が乏しいもので助けて欲しいと切に願っています。

>被告の立場に立たされた医師としては、裁判に勝つこと又は勝てない
>までも納得のいく裁判を受けることが重要なのではないでしょうか。
>
>私は、No.27で医師側の代理人として重要なことを述べたつもりです。
>バイアスのかかった原告患者側の弁護士に裁判官が誤魔化されないよ
>うにするためにです。
>
>Level3 さんは、弁護士というものを医師と対立する存在のように考え
>られているような記述が散見されるんですが、医師から依頼された弁護
>士は医師の利益を最大限に守るのが仕事です。

すみません.原告弁護士と被告弁護士を区別なく弁護士としたところ
がミスでした.
医師が被告である場合,もちろん被告弁護士に医師の正当性を主張し
ていただけるのはもちろんありがたいことです.(もちろん医師が真
に正しいことをしていた場合を想定しています)
原告弁護士が,「裁判に勝つために」敢えて重箱の隅をつつき,有名
教授(?)の鑑定書を出してきたとします.
さて,確実に裁判官が真実を想定でき,まともな判決が出せるでしょ
うか?もちろんここは被告弁護士にきっちり反論してもらえればよい
でしょうが...
今の裁判では,これまで書いてきましたように本当に問題となるとこ
ろではないところで争われおかしな判決が多数下されているようにみ
うけられます.例えば現役の臨床医が10人が10人とも同じ意見を述べ
るような「我々には明らかな事例」であっても100%勝てる保証はない
でしょう?

また,警察や検察に至っては医療知識は皆無(おそらく法律のことも...
でしょう)な状態で,福島の事件や神奈川の事件を起こしています.
一方で桶川事件の判決など医療裁判と比較するとあまりにも落差が激
しいですね.裁判の公平性にさえ疑問を持たされてしまいます.

みなさんが書いておられますように,現状で医療を行うことは目隠し
して地雷原を歩くに等しいのです.これまで医師の良心から過重労働
に甘んじ,眠たい目をこすりながら労働に比し高給といえない給料で
働いてきた訳ですが,もうこれ以上はがんばれない,というのが多く
の医師の率直な気持ちです.

>Level3 さん

 問題は二つあるように思います。

 まず、医療事故を裁判の土俵に上げないためにはどうすればよいか。

 次に、裁判の土俵に上がってしまったらどうすればよいか。

 です。

 裁判の土俵に上がってしまった場合は、勝つべき側が「100%勝てる保証」はありません。
 様々な要因によって勝つべき側が負ける場合があります。
 それは医療過誤訴訟に限りませんし、患者側医師側双方に起こりうる事態です。

 人間の営みとしての訴訟手続の限界です。

 それを踏まえた上で、これからどうすべきかを考える必要があります。
 医療は全国民(裁判官や検察官や警察官や弁護士を含む)にとって必要なのですから。

 今の私の問題意識は、医療が本来的に高度のリスクを孕んでいるということが裁判官(または厚労省の官僚などの制度設計者)に十分理解されていないところがあるのではなかろうか、という点です。

 刑法理論的な問題を少しだけ示しますと、従来外科手術は、正当業務行為として傷害罪の違法性を阻却すると考えられてきたと思うのですが、緊急行為的側面をもっと強調されていいのではなかろうか、と思っています。

>刑法理論的な問題を少しだけ示しますと、従来外科手術は、正当
>業務行為として傷害罪の違法性を阻却すると考えられてきたと思
>うのですが、緊急行為的側面をもっと強調されていいのではなか
>ろうか、と思っています。

青戸病院のような例を除き,医療行為を刑事事件にすべきではない
と私は思います.これまでにも書きましたように,裁判にしない,
警察がおかしな介入をしない,ようにするためにも公正な複数の医
師による第3者機関を設立して個々の事例を吟味することが必要で
あると考えています.
どなたかが書かれていたと思いますが,その際には生じた結果をブ
ラインドにした状態で複数のその分野の医師に,各時点でどのよう
に考えるかを述べてもらうようにすべきです.このようにプロスペ
クティブな見方で,それぞれの事例を判断すればおおよその平均的
な医療水準に見合った判断がなされると考えられます.

あとはマスコミをどうするかです.今のようなとんでもない報道を
繰り返すマスコミを放置したのでは,どうにもなりません.
まさに「悪貨は良貨を駆逐する」状態です.

検査や治療の承諾書や契約書に関して一言

医師になり十数年目になり、説明(ムンテラ)もかなり上手くなってきたと思っていますが、結局、同じことを話しても話し方ひとつでyesの答えもnoの答えも引き出せると思っています。例えば心臓カテーテル検査のリスクあるいは致死的な合併症が0.2から0.5%と説明しても普通の人は理解できないのです。まあ大丈夫だろうといった程度の理解なのです。かなり危険です!当たれば100%であり死にますよとまで言ううと、じゃあ止めますということになりがちです。それは一般の方は病気であることのリスクが十分に理解できていないからだと思います。治る病気、治らない病気?(さらに言えば平和な日本では水と医療は安全なものだ)程度なのです。これは患者さんのみならず医師とて同じかもしれませんが。
とりわけ心筋梗塞などの際の緊急カテーテル検査になりますと、説明するための時間も極めて限られており(例えば15分以内)、時間をかけることが心筋梗塞を進行させ患者の不利益にもつながるのです。
重要なことは、それはスタンダードでベストな治療であること、致命的な合併症がいくつかはあるもののベストを尽くして対処をしたいと言うこと。そして何より大事なことは、患者さんや家族の本心が、個人的、社会的さらには宗教的ななどの面を含めて積極的侵襲的治療に賛同できるものであるか、だと思っています。
医療における承諾書の意味は少し違うものなのかという印象です(自分の中でもまだ考えがまとまっていませんが)。

>FFF様 (No193の書き込みに対して)
被害者家族の感情、弱者と強者というのは医療には少しなじまないと思います。
(もちろん傲慢な医師はいるかもしれませんが)
以前は心筋梗塞は3人に1人が病院にたどり着く前に前に亡くなられると言われてました。入院後もかなり高い死亡率でした。現在は救命救急やCCU、心臓カテーテルなどによりかなり死亡率は改善してきました。医療を受けられずに亡くなられる方も多かったのです。今でも医療機関への受診が困難な田舎ではそうでしょう。
病院内には、もともとの病気で死ぬ人、合併症を残す患者やその悲しみでいっぱいなのです。医療事故で亡くなった患者家族の悲しみや怒りの感情が大きすぎるために現在の治療をねじ曲げる方向に進めるのは、ひとつの裁判と医療全体で見た場合どうかと考えます。
それから医療事故を起こした医師をただ単に加害者と分類するのはどうかと思います。以前小生の心臓カテーテル検査の合併症で患者が脳梗塞になった時、落胆と自己嫌悪でしばらく食事が咽喉を通りませんでした。父親が心筋梗塞で死んだ時は食欲はありましたが(笑)。医師は神ではありません。むしろ脆い人間なのです。正しい選択と考えながらやっていても、常に完璧でない自分を疑い後悔し自己嫌悪に苛まれることがあります。

私も今まであまりに裁判というもの、法廷というものに関して無知だったと思っております。非常に勉強になります。

PINE様が書かれておりましたが
> ここでコメントされている弁護士の多くは、なるべく裁判の仕組みや現状を
> 客観的にお医者さんに伝え、理解してもらい、そういうものを踏まえたうえ
> で何か良い方法はないか議論できないかと考えていると思います。
> ただ、そうした前提そのものが、お医者さんには受け容れられないものなん
> だろうと私は思っています。

私は、「今の医師を取り巻く環境の中では」医師は前提を受け入れることは難しいと思います。もちろん頭では理解しているのですが、瀕死の患者様に起き上がって働けといっているようなものと考えて頂ければよろしいでしょうか。医師の現状と、法的な前提の問題をごっちゃにするなというのは正論です。しかし、今の状態では、医師は冷静に物事を受け入れられるまともな身体的・精神的状態にはないと思います。将来的に、労働環境・医療にかける費用などさまざまな問題が正常化し、現在の奴隷的状態から、健康で文化的な基本的人権を守られた生活を送ることができれば(何十年後かわかりませんが)、冷静になれると思います。

受け入れることが難しいとはいえ、訴訟をおこすこと自体に医師が制限をつけられる訳もなく、別に医療訴訟をおこす上で問題はないかもしれません。

よく「そんな過労の医師が医師全体の一部であって、全員がそんな状態だとは到底思えない。針小棒大だ。第一線で働いている人間を叩く意志は一般の人間にもないのに論点をずらしている」とおっしゃる方も多いのですが、それは違います。奴隷的生活条件で働く医師が、最も訴訟を起こされるリスクの高い職場にいるのです。大学病院や地域の基幹病院にしか重症の患者さんは集まりません。現実にはほとんどそこで働く医師のみに訴訟に遭遇するリスクがあるといえます。奴隷だけが訴訟にあっている訳で、そこで働く人の環境を変えてあげない限り、訴訟に対する立場(訴訟に対応する余裕もない・もう訴訟はやめてくれと法的には無理なことを願う)が変わることもないでしょう。

法廷という場所で、お互いの立場を代弁する弁護士同士が法的知識を利用して意見を戦わせること、それは冷静に考えれば理解できます。裁判をおこし、法廷で争うことのできる権利は何人にも保障されているということも理解できます。

私は、裁判官がまともな判断をしていただけるのであれば、まだしも現状を受け入れることはできます。裁判官の医学的知識(理系的かつ未来を予測する思考過程をもっているかどうかということですが)は無に等しい(当たり前ですが)ですが、その人しか最終判断を出せないためにおかしな判例が続出しているのだと思います。それを補助する明目で鑑定医が必要とされた場合鑑定医が用意され、また、被告・原告双方が用意してきた医師が用意されているのですが、それらの数も質も不足していることが大きな問題だと思います。より多くの、現場で働く医師の判断・感想を聞かないでどこが医学的に公平だというのでしょうか。医学的な公平を目的としてはいないのでしょうが。今のままでは医師は訴訟を起こされそうな高度な医療を放棄します。それは重症の患者様を診ないように選別するということです。このまま荒廃していくだけで、現実的にはほぼ不可避と考えます。

医療とは、例えば説明書を守れば・注意を怠らなければ・マニュアルに沿えば・教科書を無視しなければ・滞りなくできるような生易しいものではありません。医療の問題を論ずる際には、例えば「金沢大付属病院医療過誤訴訟」のスレッドを見ていただければお分かりいただけるように、解剖学的・生理学的な知識が非常に重要で、また病理学的な知識、薬理学的な知識、生化学的な知識、そのすべてが要求され、そして最も大事なのは「現実の臨床の現場でそれは予見できるかどうか・避けられるかどうか」という臨床の現実に即した判断が必要とされます。患者様が最終的な診断が何であるか全くわからない状態の中、主治医は対応しているわけで、同じ立場に立ってprostectiveな思考を追体験して、自分が主治医だったら予見できたかどうかという判断ができる人間でないと医療の問題を論ずる資格はないでしょう。今の裁判制度では裁判官が、双方の意見を聞いて最終的な判断をしていると思うのですが、裁判官にそれほどまで難しい判断を行えるとは到底思えません。「サッカーができなくてもサッカーの審判はできる」と表現する人がいますが、それは詭弁だと思います。医師が行っているのはサッカーではないのです。手術で人を傷つけて救命し、投薬で人に毒物を投与して生還させたりしているのです。その中で得られた経験と知識を各々が蓄積して対応しているわけで、やったことがない人が想像で判断できるような問題ではありません。

私の考えでは、せめて各々の裁判の事例に対して、被告・原告が用意する各々の立場に利する傾向のある意見医以外に、第三者的な立場から意見を述べる医師集団が用意されるべきだと思います。他の産業でそのような団体は特にないため、医療を他の産業と分けて特別視するなという人もいますが、その医療事故の当事者でない医師でさえも疑問を持つような判例がないのであれば私は納得します。なぜ理解不明の判例が続出するのですか。医療現場は病気の患者様が最終的に命を落とす場所でもあり、重篤な転帰になる人をこれほど多く扱う職業はないと思います。その重篤な転帰が、現病によるものか、医療現場で働く人間以外に判断ができるはずもないと思います。

昨日は頭が働かず、返すべきコメントが返せてませんが、流れが速いのでヌルーにしてください。

>>No.39のPINEさん
>大げさなことを言ってしまうと、憲法が「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」(76条1項)としたうえで、「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」(76条2項)とし、さらに「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」(76条3項)としている以上、憲法で定められた裁判制度の枠組みを変更するには、憲法を改正するしかない。

については終審を最高裁とすることで回避できるのではなかったでしょうか。

>民事裁判については、憲法32条が「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」としている以上、民事裁判を起こすことを認めないとすることは、法律でもできない。

そこで
>民法第一条  私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
>2  権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
>3  権利の濫用は、これを許さない。
を持ち出してくることはできませんでしょうか。

No.46 元内科医さん

>私の考えでは、せめて各々の裁判の事例に対して、被告・原告が用意する各々の立場に利する傾向のある意見医以外に、第三者的な立場から意見を述べる医師集団が用意されるべきだと思います。

そこで、現実的な取り組みの一つとして、新しく民事訴訟に導入された専門委員制度の利用を医師側から働きかけてみたらどうでしょうか。
専門委員制度とは、医事事件や建築事件など専門的知見を要する事件の審理に当たって、裁判所がいわば裁判所側の知恵袋として医師や建築士から説明を聴いて、当事者の主張の整理等を行い、和解や判決に役立てる制度です。
原告と被告にはそれぞれ援助する医師がいるのに裁判所にはいないという状況を何とかしようとするものです。
ちなみに、ウチんとこの地裁は、「どこに協力をお願いしていいかなぁ。」といいつつも病院協会に協力を呼びかけていました。


No.47 元田舎医(1日ぶり)さん

ご指摘のとおり、行政機関は終審として裁判ができないとされているので、行政機関の裁判(通常は行政審判と呼ぶことが多いです。)に対し、何らかの形で裁判所に訴える方法があれば、憲法違反にはなりません。
行政審判の中には、実質的証拠法則(説明が難しいので省略)の採用とか、証拠提出の制限とか、裁判所に対し行政審判の結果を尊重させる仕組みもあります。

後の方のご質問の趣旨が分からないのですが、そもそも言いがかりのような裁判であれば、民法1条を持ち出すまでも泣く棄却されます。


刑事裁判については、そもそも国家刑罰権の発動の問題なので、立法によって、事故原因究明のために刑事免責を与えるとか、第三者機関で審理してその結果に基づいて検察が起訴するとか、やりようがいくらでもあると思います。
今の刑法でも、例えば正当防衛は処罰しないとか、亭主が女房の財布からお金を抜いても処罰されないとか、いっくらでもあります。
国に働きかける機会があれば、ぜひやってもらいたいです。


元田舎医先生(No.47)

> > 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。(76条2項)
> 終審を最高裁とすることで回避できるのではなかったでしょうか

その通りです。
裁判所とは別の機関による判断or訴訟とは別の手続きを、裁判所の訴訟の前に置くというスタイルは許容されています。
前のエントリで、海難審判や特許審判の例が出されていました。
行政作用については、行政不服申立の手続きを前置するものがわりとあります。例えば税務訴訟では、税務署への異議申し立て→国税不服審判所の審査請求という2段階の手続きを経て、初めて地方裁判所に出訴することができます。

これらの例に倣って、立法措置により、医療事故については第三者機関に医学的調査を行わせること、そして医療紛争についてはこの機関による調停を、民事の損害賠償請求訴訟の出訴要件として前置するということは、既存の裁判体系と矛盾しないと考えます。
医学の専門的な判断の下に調停を行うならば、当事者双方に対して説得力があり、かなりの件数が訴訟に至らず解決できるのではないでしょうか。

問題は、第三者機関で出された医学的判断にどの程度の効力を持たせるかで、
裁判では全く争えない(完全拘束)とすることが許されるかどうかは、やや疑問です。
cf.国税不服審判の判断は裁判所に対して拘束力がない。

連投すみません。

> 現実的な取り組みの一つとして、新しく民事訴訟に導入された専門委員制度の利用を医師側から働きかけてみたらどうでしょうか(No.48 PINE先生)

うまく運用できれば、医療訴訟を合理的に解決できる力になると思いますが、それは専門委員に人を得られるかどうかにかかっていると思います。

『自由と正義』の医療訴訟特集で、
患者側弁護士は専門委員に対して不信感を表明し、一方、医師側弁護士は活用を訴えていて、真っ向対立していたのが、興味深かったです。

患者側の立場では、医師の専門委員は同業者を庇うのではないかと疑ってしまうのでしょう。今まで、国税事件で調査官(国税局からの出向)が、裁判官に国税よりの判決を書かせるべく影響力を行使しているという事例等を見ているので、裁判所の人選をうさんくさく感じてしまうのは無理無いことと思います。
医師側の立場から言っても、専門委員は単に医師の資格のある人であればよいわけでなく、その科について臨床経験が豊富で、医学的に正しい見解を臆せず述べられる人でなければ、今までのトンデモ鑑定と同じ結果になるおそれがあります。

>>PINEさん、YUNYUNさん
コメントありがとうございます。

>>No.48のPINEさんのコメント
>後の方のご質問の趣旨が分からないのですが、そもそも言いがかりのような裁判であれば、民法1条を持ち出すまでも泣く棄却されます。

棄却されるまでの経過でさえも医療者側に与えるダメージは相当のものがあります。
このままでは数年内に医事関係訴訟の年間新受数が1万を越えそうな気配もあります。
医師数が30万人とすればそうなれば医師30人に年間1人の割合で訴えられることになります。(2005年現在ではおよそ270人に1人ですね)
1人が訴えられると、その置かれた状況に関する情報は急速に周囲の医師 - 同じ病院の医師、同じ医局の医師、同級生など - に広まります。
医師1人が被告になるだけで、数十人の医師をパニックに陥らせ得るわけです。
訴えられる医師がマジメな医師であればあるほど、そのパニックの輪が大きくなる傾向もあるでしょう。
医者側にとっていわれのない(と思われる)提訴であればあるほど、またそのパニックの輪が大きくなることでしょう。
何年も経って、ようやく出てくる判決は最終的に非医療者だけが下したものです。
被告勝訴であれ、失われた時間、労力、気力は戻ってきません。
結果、ハイリスク分野の空洞化がさらに進み、国民はさらなる不幸を強いられます。

個人的には、医療事故を民法での損害賠償請求、または刑法での業務上過失致死傷罪で裁くこと自体がなじまない、と思っています。
何も医師は裁かれるな、というわけではなく、医療事故補償法等の別法を作り、医療者または患者側から届出られた全ての医療事故を、民事でも刑事でもなく一元的に「医事」の事件として扱い、専門機関(医療者、法律家+α)が調査・分析をし、必要に応じて賠償/補償と医療者に対する行政処分を命じ、さらに再発防止のための教育または具体的かつ実現可能な指導が医療機関と医療者個人になされる、という形で裁かれるべき、と考えています。
自分より知識・技術・経験が明らかに上の医者から指摘されれば、医者は意外にあっけなく引き下がるものです。
周りの医師もあきらめこそすれ、パニックにまでは陥らないはずです。
もちろん、いずれか一方が納得しない場合は、高裁レベル以上に、やはり「『医事』訴訟」として持ち込まれる仕組みを作れば憲法にも背きません。
そのためにも民法第1条にある通り、「公共の福祉のために」同法に基づく損害賠償請求はされるべきではないのではないか、と思うわけです。

以上のような文脈が勝手に自分の頭の中にあったために、あの質問が出てきました。
2006年秋現在、夢物語には違いありませんが、もし実現したいのならば、とりあえず夢の内容を客体視できる形にしないと何も始まりませんので、恥ずかしながらコメントうpさせていただきました。
この案でよければ叩いてみて下さい。

('-`).。 oO 2chだったら「妄想乙」でおしまいだろうなぁ...

No.39 PINEさま

>ここでコメントされている弁護士の多くは、なるべく裁判の仕組みや現状を客観的にお医者さんに伝え、理解してもらい、そういうものを踏まえたうえで何か良い方法はないか議論できないかと考えていると思います。

お医者様でその「仕組み」を理解していない人は少ないようにみうけられますが、
認識に違いがありますでしょうか?

医療崩壊は「現実」です。医療関係者の無知が原因で小児科や産科医が激減していると
お考えですか?

わたしは命にかかわる医療とは関係のない立場にいますが、

・簡単に、訴訟を起こされなく、かつ、相対的に給与のよい立場になれる
・今まで医療側を支えてきた役に立っている、というインセンティブがなくなってきている

これだけで、十分に命にかかわる医療から医療関係者が逃げ出す強烈な動機を
想像できます。

>何も医師は裁かれるな、というわけではなく、医療事故補償法等
>の別法を作り、医療者または患者側から届出られた全ての医療事故
>を、民事でも刑事でもなく一元的に「医事」の事件として扱い、専
>門機関(医療者、法律家+α)が調査・分析をし、必要に応じて賠償/
>補償と医療者に対する行政処分を命じ、さらに再発防止のための教育
>または具体的かつ実現可能な指導が医療機関と医療者個人になされる、
>という形で裁かれるべき、と考えています。

このような形態のシステムができればよいのですが,こういったもの
なら現在の法律の枠内で可能なんでしょうか?

No.39  PINE先生

私たちが厚生省を動かせるわけではないのと同じで、仕組みを変えられるわけでないことはわかります。ただ私たちは、ここの参加者だけでなく、読んでおられる多くの方に事実を知ってもらいたいという意向が強いので(マスコミによって広まっている誤解、知らないことによる勘違いをなんとかすることで、状況の改善に繋がると信じています)ちょっとでもおかしい表現があれば、あたかも過剰反応のようにつっこむわけです。ご理解よろしくお願いします。
もちろん、ご提案や教えていただいたことは、たいへん役に立つ情報です。私も、この状況にどう対応するべきかという観点で考えて、アイディアを出してみたいと思います。

> No.40  Posted by: モトケン 様
コメントありがとうございました。
ということは、公になる様な事項はかなり制限され、我々医療者から見るとバイアスがかかったように見えるということなんでしょうか?となると犯人はマスコミ、ということになりますね。
まあ、判決文をすべて見ると事実が見えてくるのかもしれないのでしょうが、我々でも判決文のすべて見る機会というのはそうそう無いわけで。

>元行政さま
>説明書に限らず、教科書、鑑定書、論文どれでも当てはまる話です。
>Level3先生を始めとして、前エントリーから再三説明が出てきているのに、
>なかなか理解してもらえませんね。

つまり、私は医療は何らかの基準に従って行うものだと思っている訳です。
しかし、どうも違うようですね。むしろ職人芸の世界に近いのですね。
基準というのは最低限のものに過ぎず、個人の経験と熟練度によって大きく変わる。

つまり、医師に取って裁判というものは、職人が手作業で作り上げた工芸品に対し、
何も分からない素人がメジャーとか教科書を元にして「0.5mmも狂っている」とか、
「このやり方が教科書と違っている」と言う感じで、あれこれと批判するような
感じなのでしょうか。

あと、「理解してもらえませんね」とありますが、素人が医師の世界を簡単に理解
できるものでしょうか? あれこれと間違った質問をして、どの辺りに認識のずれが
あるのかを知るというのも、理解の一つかと思いますが。

大阪地判H18.7.28(平成16(ワ)7198)
くも膜下出血及び髄膜炎のいずれもが疑われる症例において、さらなる鑑別診断を進めることを怠り、くも膜下出血を見落とした過失が認められた事例
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20060830102648.pdf

いわゆる医療集中部(第19民事部)の判決です。
「医療崩壊について考え、語るエントリ」のNo.55日経メディカルにさんの判例とも、同エントリのNo.59で私が出した判例とも違うようですが、とくに後者と来院してからの状況が非常に良く似ています。
つまり「内科医が初診。くも膜下出血は鑑別診断に入っていたが、臨床症状は非典型的でCT画像は微妙。神経内科医に引き継ぎ、くも膜下出血と診断されないまま軽快退院し、再出血」です。
判決文には一通り目を通しましたが、私にはかなり受け入れがたい判決です。
識者の皆様方、いかがでしょうか。

なお、Matimulogでは
jugement:医療過誤、不法行為と債務不履行が主位的予備的請求
http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2006/09/jugement_b927.html
>くも膜下出血を見逃した過失があるとされた事例で、それ自体はあまり珍しくはない。珍しいのは、...
として私なぞとは全く別の見地から興味を持たれています。

>>No.56のしまさん
2つの「つまり」の後の文章。
まさにその通りかと思います。

あと、医療者側へはぜひいろいろと質問して下さい。
でも、今まであまりにも叩かれてばかりだったので、すぐ煽られたと判断して煽り返してしまうクセがまだまだ医者側に(私を含め)残っていますので、その辺は平にご容赦を。
だいたい普段他人から「センセイ」などと呼ばれ慣れている人種は(医者とか弁護○とか)、うまくおだて上げればうんざりするくらいいろいろと教えてくれるものです。
上手に使って下さい。

>元田舎医さま

ざっと読んでみましたが、

1.神経内科医が
2.キサントクロミーをトラウマティックタップによるものと判断した
3.くも膜下出血を疑ったのに、より詳しい検査をしなかった

事が問題になっているみたいですね。

受け入れにくいという点は、どこなのでしょうか

>「医療崩壊について考え、語るエントリ」のNo.55日経メディ
>カルにさんの判例とも、同エントリのNo.59で私が出した判例
>とも違うようですが、とくに後者と来院してからの状況が非常
>に良く似ています。
>つまり「内科医が初診。くも膜下出血は鑑別診断に入っていたが、
>臨床症状は非典型的でCT画像は微妙。神経内科医に引き継ぎ、く
>も膜下出血と診断されないまま軽快退院し、再出血」です。
>判決文には一通り目を通しましたが、私にはかなり受け入れがた
>い判決です。
>識者の皆様方、いかがでしょうか。

No.57 元田舎医先生へ
私も,この判決は受け入れがたいと思います.これでは医療をやっ
ていけないですね.まさに後出しジャンケンですね...

No.56 しまさんへ
元田舎医先生がすでにレスポンスしておられますが,その通りです.
同じ人間はひとりとしていないです.従って我々の目の前にやって
来る患者さんも同一の病態の方はひとりとしてありません.
医療技術を上級医から学ぶところもまさに職人と同様です.
治療戦略にしても,個々の医師が習得している技術によって異なり
ます.A医師にはできても,B医師にはできない治療法というような
ものは山のごとくあります.

職人芸というのは言い得て妙で、特に手術や手技においては名人芸を発揮する術者というのは周囲の尊敬を得やすいものです。ただ言ってみればこれは「他の誰にも出来ないが俺には出来る」という方向性なんですね。
一方で近年医療の標準化ということでガイドラインに則った医療をやっていこうという流れもある。個人的な経験や勘よりもエヴィデンスに基づいた、「誰がやっても大きなぶれのない医療」という考え方です。

妙な失敗を減らすという意味でも標準化の意味は大きいし、保健医療という建て前からも望ましい(誰がやっても同じ治療には同じ支払いですから)。ただ、現実問題として見ましたらば医者なんてものは多かれ少なかれ皆職人気質の人間なので、「俺ならもっとうまくやれる」と思った時についつい余分な一歩を踏み出してしまいがちです。
実際に普通の病院では手術不能と言われる症例がやたら集まる病院があります。放っておけば100%死ぬが悪化するまで半年くらいは家で暮らせる。手術をやれば病院のベッドで寝たまま三ヶ月後に死ぬことになる。ただごく希に手術によって長期生存が得られる場合もある。標準化医療から見ればほぼ確実に寿命を縮めると判りきった手術など愚の骨頂で、化学療法でもするか体力維持に徹した方が楽に長生きできるという判断になる。ただ実際それでも切ってくれという人はいるわけだし、未だに少しでも成績を向上させようと骨身を削っている医者もいます。
それがはたして「正しい」ことなのかどうかは判りません。判りませんが実際そういう医者達を間近で見ている者としては、「いらざる手術で患者を苦しめた!また医者が暴走!」と一方的に叩かれる、標準的医療を無視して患者の寿命を縮めたと巨額の賠償金を命じられることに何かしら釈然としないものを覚えるのは確かです。

現実問題として双方の合意と契約関係の元に標準的治療+アルファの部分は別枠で提供すべきものと思いますが、混合診療解禁されるまでなかなかコスト面でも難しいですね。低賃金、労働環境最悪でも未だに大学病院や一部公立病院にも人が集まるのはそういうコスト度外視の部分でやれると言うためもあります。頭が良い人間のやることではないのかも知れませんが、愛すべき馬鹿たちなのかとも思いますね。

>元田舎医 様

 投稿の際、言葉足らずで申し訳ありません。補足だけさせて下さい。
 あの時の議論の流れで鑑定人の話でありましたので、
・裁判所が選任した鑑定人の意見を覆す形で判決を出していた一例
を例示する目的で投稿したことをお断りしておきます。

 むろんその内容についての議論を止める権利も能力も持ち合わせておりませんし、そもそもその内容についていく自信が全く持ってありませんのでまたROMに戻らさせて頂きます。

>>日経メディカルにさん

あのときも今回も、私が空気嫁てないだけですので、ご心配なく。
ROMに戻られるのは、もったいない。

議論の流れを断ち切るようで,気が引けるのですが,なぜか今までの議論に登場してこなかったようなので,リンクを張っておきます。

警察の天下り先確保目的ではないか,という推理で,役人と付き合いがあった者として納得できる理由です。

http://med-legend.com/mt/archives/2006/09/post_935.html

>>No.64のナナさん
実際、病院に警察OBがいるだけでDQN撃退効果があると思うんですけどね。
警備員として働いてくれなくても、受付の向こう側でお茶をすすりながら新聞を広げてるだけでもいいかも。

>No.52 非医療者さん

 横レスですが、法曹界の人間として

>お医者様でその「仕組み」を理解していない人は少ないようにみうけられますが、
>認識に違いがありますでしょうか?

 裁判の実情についての認識の違いは感じています。

>医療崩壊は「現実」です。医療関係者の無知が原因で小児科や産科医が激減しているとお考えですか?

 一部の起訴や判決のインパクトの故に、裁判の一般的な実態ないし実情に対する認識が歪められていることにより、司法不信を原因とする医療崩壊が必要以上に(変な言い方ですが)加速されているのではないかという危惧感は感じています。

しまさま

>つまり、医師に取って裁判というものは、職人が手作業で作り上げた工芸品に対し、何も分からない素人がメジャーとか教科書を元にして「0.5mmも狂っている」とか、「このやり方が教科書と違っている」と言う感じで、あれこれと批判するような感じなのでしょうか。

非常に的確な比喩だと思います。洞察力に感服いたします。

医学には2つの側面、すなわち医科学(メディカルサイエンス)と、医療(メディカルプラクティス)があると思います。医科学は自然科学の一分野で間違いないのですが、医療は自然科学ではありません。

医療の分野では経験と熟練度がものをいうことをよく知っているからこそ、多くの医師は勤務条件がどんなに悪くても、症例が多く指導医も多い病院で働くことを好んできました。そして日本の医療システムはそこにつけこんで医療費を非常に安く抑えていたのです。

経験と熟練とは系統的な教育というよりは、見よう見まね、聞きかじり、断片的な情報、トライアンドエラーというものから得られます。インフォーマルな情報が非常に重要です。

当然働いている環境によって違った経験が蓄積されていきますから、名医といわれている人もひとりひとりやりかたが異なることでしょう。手作りの工芸品にケチをつけようと思えばいくらでもできます。逆に言えば完成品などないのではないでしょうか。

でも時代はたしかに工場生産の規格品を望むようになってきているようです。規格外の商品は排除されることになりました。こうなると経験と熟練に頼ることはできません。したがって卒業後の医師の教育研修システムが重要になります。

残念ながら現在ではきちんとしたシステムがないように思います。本来ならば大学院がそういった教育にあたらなければならないのでしょうが、今の医科系の大学院の教育は基礎研究の訓練の場です。各学会も教育システムを模索しているようですが、今のやりかたでは教える側の負担が高すぎるのも問題です。時間とお金がここでも足りていないと思います。

ナナさま。

おもしろい情報をありがとうございます。たしかに私がこれまでアルバイトにいったい都会のいくつかの私立の病院でも警察OBが苦情処理係として勤務されていました。駅前の病院には危ない患者が多数きますので私自身この警察OBの方に非常にお世話になりました。外来で暴れる患者をどこかにつれていってしまいましたし、左手の小指をつめたあとに来院した患者さんを縫合するときも安心でした。現役の警察官とも簡単に連絡がとれるようですし。

そういった深謀遠慮があることまでは思い至りませんでしたが、ふむ、そうであれば今後警察の介入は減ることはなさそうですね。でもこれも時代の一面かもしれません。頭を使った人が生き残れるのでしょう。

>警察の天下り先確保目的ではないか,という推理で,役人と付き合いがあった者として納得できる理由です。

私が病院の経営者なら、そんな小細工などしなくても、魔除けに1人雇いたいところですが、実際に彼らが欲しているのは、偉い人のポストでしょうね。(医療法人の役職とか、病院の事務局長とか。)

実務的には現場の人(4課系など)の方が役に立ちそうですが。

No.22 デハボ1000様
事はそんなに単純ではないと思っています。
初診で、初めて診察する患者さんにもかかわらず、あからさまに医師や看護士に敵意を持って受診してくるひとは実際にいます。前医での治療で、自分の望むような結果が得られていない場合にこのようなケースがあります。このような患者さんは、(本来は使った薬の効果が乏しければ変更したりするところを)前医に相談なく受診し(これは別に構わないのですが)、場合によっては前医で使った薬や検査の結果もわからない状況で診察しないといけない状況であったりします。スタート地点が既に最悪のところから開始なんです。
-----------------
ご指導ありがとうございます。私はこのようなことを思ったこともないし、場合によっては前医で使った薬や検査の結果を手控えいただくことで、相談するのが、「人と人との技術的判断において」必須であり、ただ体をドンと突き出して「さー見てくれ」は人倫にもとるまで考えておりましたが。
ちなみに、機械でもメンテナンスが必要なものはカルテのようなものを作ります。それでも間違うこともあります。いわんや人体をや。

こういう意見(≠私の意見)もあるということで。
==================================
73 名前: 名無しさん@6周年 Mail: 投稿日: 2006/09/10(日) 07:17:52 ID: EGwGJiqD0
>>72
>救急受診時に穿孔していたっていう証明が出来なければ裁判で勝てないんじゃないの?

民事では関係ない。今回の場合なら、「下腹部の痛みがあれば当然CTをとるべきであり、とっていれば
直腸が穿孔しているのが分かった可能性が高く、この検査を怠ったのは過失である。よって賠償せよ。」

もし、CTをとってFreeAirとかないとしても(実際直腸穿孔だとAirが出ないことも多い)
「CTをとって仮に明らかな穿孔の所見がなくても、穿孔を疑うべきであり疑って開腹手術していれば
患者は助かった可能性があり、外科に相談しなかったのは過失である。よって賠償せよ。」
となるだけ。

何やっても医者が負けるシステムになってるの。
ただ何千万も払う必要はなく、きちんとした病院なら保険会社がお金は払うから、医者の懐は痛まない。
けど、モチベーションは下がり捲くるわな。よって医者が自治体病院から逃散中。

賠償金額は、適当に決めてるみたい。過失の割合は法律で厳密に決めてるとか司法厨は顔真っ赤にして
書き込むが、どうみても最初の過失の割合決定が裁判官とか弁護士の胸先三寸で決まってるから。
関わった、弁護士がお互いに儲けがでるように決めてる。
最近こういうの「法曹ギルド判決」っていうみたい。
法曹界としてはこれから弁護士大量生産で増えるから医療裁判とか他いろんな裁判で弁護士たちを
養っていく気みたいだよ。
==================================
【医療】置賜病院医療訴訟:病院側も争う姿勢 手術受け死亡の遺族「適切診断怠った」 山形[09/07]
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1157566582/

No.56  しまさん

すでに他の方が言われているように、職人芸です。ただ基準によらないというわけではなくて、それ一つでは何の決め手にもならない数限りなくある基準を、取捨選択論理的に組み合わせて、診断を確定したり、治療法を決めたりするのも、職人芸の一部ですけどね。

それから理解云々は、同じ説明を繰り返すことに感じたちょっとした感想であって、質問を非難する等の意図は全くありません。丸い文章を書くのは苦手なので、そんな奴なのだと思って、さらりと流していただければ幸いです。


No.61  老人の医者先生

医師に対してては先生の意図することは伝わると思うのですが、一般の人が読んだときに、医療事故の原因は、医師の人を実験の対象くらいにしか思わない功名心であると、感じる可能性があると思います。
労力の軽減と低レベル事故の防止のため、標準化できる部分は標準化すべきで、自分の病院でも進めていますが、標準化できない部分は大きくそれなしでは充分な水準の医療などできないこと。踏み出した一歩が患者の予後に悪影響を与えるという話ではないことを、失礼ながら補足させていただけたらと思います。

No.43  モトケン先生

>医療事故を裁判の土俵に上げないためにはどうすればよいか

素人の思い付きですが、温かい目でご評価ご教示いただければ幸いです。

一般の裁判でも、嫌がらせ目的とか、よく調べもせずにする思い込み訴訟とかがあり、それに対し名誉毀損等で、訴えたことに対して反対に訴えるといったこともありますよね。医療の場合、判例で、原告は素人だからわからなくて提訴してもしかたないといったものがあったように記憶していますが、逆に訴えるというのはどんなものなのでしょうか?裁判で相手の非を責めることができるということは、相手のした医療に対して調べられることも理解できることも前提のはずです。あまりにもふざけた提訴、例えば抜去した静脈から空気が入ったとか、は充分逆に訴えられてしかるべきだと考えるのですが。裁判官は、不幸な患者さんは何をしても可哀想だから許されるべきで、場合によっては追い討ちをかけることになる行為は、道義的に問題とか考えていて、心証を悪くするなどということもあるのですかね。

>一部の起訴や判決のインパクトの故に、裁判の一般的な実態ないし
>実情に対する認識が歪められていることにより、司法不信を原因と
>する医療崩壊が必要以上に(変な言い方ですが)加速されているの
>ではないかという危惧感は感じています。

一部であっても我々は裁判官を選べないですよね?
患者さんにとって担当医がすべてであるように,被告にとって「たま
たま」当たった裁判官がすべてではないでしょうか?

たしかにそれ以前に,トンでもない訴訟そのものが多過ぎること自体
が問題なんでしょうが...
患者さん側からしても,トンでもないマスコミの報道によって医療に
対する認識がまともでなくなっているところに同様の問題が生じてい
ると思われます.マスコミ関係者にはもっと勉強していただいて,事
実を正確に伝えて頂く必要があります.もっとも彼らがそうしようと
努力しない限りどうしよもないです.

> No.66 モトケンさま

その「一部」でも「多すぎる」と医療関係者は考えているのではないでしょうか?

総体としての裁判や司法制度への理解が進むことで、医療再生がなりたつようにはおもえないのです。

ありていにいってお医者様が「なるほど、司法制度はまったくもって健全だ。まれに司法だって間違えることもあるけれど。よし、これで安心して命に関する医療に打ち込んでいける」と考えるようになるとはおもえないのです。

No.51 元田舎医さん

>医療事故補償法等の別法を作り、医療者または患者側から届出られた全ての医療事故を、民事でも刑事でもなく一元的に「医事」の事件として扱い、専門機関(医療者、法律家+α)が調査・分析をし、必要に応じて賠償/補償と医療者に対する行政処分を命じ、さらに再発防止のための教育または具体的かつ実現可能な指導が医療機関と医療者個人になされる、という形で裁かれるべき、と考えています。

お考えの仕組みは、民事の損害賠償について、裁判所に何らかの方法で争う仕組みが残されるのであれば、憲法違反の問題も生じません。
YUNYUNさんがNo.49でコメントしておられる仕組みも、非常に近いものと思います。

独り言)弁護士会の紛争解決センターに医師に調停委員として関与してもらうなどして、もっと活用できないでしょうかねぇ。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/legal_aid/consultation/houritu7.html

あ、ちなみに、民法第1条の「公共の福祉のために」というのは、主に国が個人に対し「みんなのためだから我慢しなさい。」ということを押し付けるための理屈です。


No.54 元行政さん

ここでコメントしておられる方々は、コメントを読む限り、皆さん理性的(?)だと思っております。
文字でのやり取りなので、多少の行き違いは生じてしまいますが。

No.73のコメントにつきましては、裁判を起こすことが国民の権利であるとはいえ、(医療裁判というわけではありませんが)不当訴訟に対して慰謝料請求が認められることはあるでしょう。
なお、最高裁(最三小法廷判決昭和63.1.26民集42巻1号1頁)は、「民事訴訟を提起したことが相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利または法律関係が事実的法律的根拠を欠くものである上、提訴者がそのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴えを提起したなど訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。」としています。


No.71 便所の落書き転記人さん 

落書きの中身にある過失割合については、医療裁判で過失割合が争点になるような事例は少ないと思いますが・・・。
裁判所が弁護士の儲けを考えてくれたら、どんなに有難いことでしょう。


> Level3 さん  (No.74の書き込みについて)

 「裁判官を選べない」というのは、要するに、「トンデモ裁判官に当たってトンデモ判決を出されたらどうすればいいのか」という趣旨だと思うので、それを前提に書きます。

 医師の方が仰る「トンデモ判決」というのが仮にあったとして、それを裁判所の(回避可能な)判断ミスと見てよいか、さらに言うと、判断を行う裁判官個人の資質・能力に不足があったためと考えてよいか、という点に疑問を持っています。

 裁判では証拠を見て判断を下すわけですが、医療過誤訴訟では、当然のことながらカルテ・医学文献・論文・学会のガイドライン・厚生省の通達・医師による鑑定意見等、医療に関する専門的な証拠が多数提出されます。すなわち、裁判官がトンデモ判決を出したというのであれば、その過程として、「多数の医学的資料の中から、医学的・臨床的に正確なものを選び出すことに失敗した」ということが言えます。

 この「失敗」を、裁判官個人の資質・能力に問題があったからと理解するのは、かなり疑問です(*)。たとえば、今よりIQや事務処理能力の高い人間が裁判官になったら、あるいは社会経験を有する者を裁判官にしたら、「医学的に正確な資料の選び出し」に成功するのかというと、とてもそうは思えません。医師の方には高い知性をお持ちの方が多いと思いますが、それでも、御自分の専門でない分野、たとえば法律に関する玉石混交の資料の中から正確なものを選び出すのは容易ではないはずです。

* 裁判官も2000人いますから、中には本当に資質的・能力的に問題のある人もいるでしょう。ただ、医療過誤訴訟の大部分は3人の裁判官による合議体で審理しますし、控訴すれば高裁の3人も加わり、のべ6人の目で検討することになります。一部のトンデモ裁判官が恣意的な結論を出す、ということは少ないはずです。逆に言うと、仮にトンデモ判決というものがあるなら、3人〜6人の標準的裁判官の目で見ても間違いに達してしまった原因を分析する必要があると思います。

 また、「一般の裁判官は医学の専門家でないのだから、医療の適否に関する判断をすべきでない」=「医学の専門知識を持った者が裁判官として裁くべきだ」という制度にすると、現実にそのような制度が可能かという問題(※)もありますし、仮に、「医師免許と現場での実働経験を持った者のみを医療過誤事件の裁判官とする」という制度を作ったとしても、それが社会に「公平な裁判」として受け入れられるかは非常に疑問です。医師の方にはなじみのない概念かも知れませんが、裁判では「公平であること」と同時に、「公平らしく見えること」も重要な要素なのです。

※ 現在、年に1000件の医療関係訴訟が提起されています。また、一般に、「専門訴訟は専門家が判断する」という制度を導入することは困難でしょう。


 私が繰り返し「トンデモ判決があるならトンデモ証拠がある」と述べているのは、単に「裁判所の判断がおかしい」「裁判官がアホだ」と批判しても、ガス抜き以上の意味はないと思っているからです。

 日本の法制度(大げさに言えば憲法)を前提にする限り、かりに「第三者機関」を設置して紛争の解決を図るとしても、そこでの結果に満足しない当事者は裁判所に提訴して最終的な判断を求めることができることになりましょう。よって、「医学の専門家ではない裁判官に適切な判断をさせる仕組み」を現在以上に充実・改善していくことは、いずれにせよ重要な問題だと思われます。

 先ず考えられる対策としては、臨床に近い医師、医師の目から見て高い臨床能力を持つ医師が鑑定実務に積極的に協力してくれること、それが可能な環境を司法・医療の双方で整備することではないかと思っています。

 すみません、ちょっと油断すると私宛のコメントを見落としてしまいます。

>元行政 さん

 すでにPINEさんからレスがありましたが、濫訴に対する反撃としての訴訟提起はあり得ると思います。
 しかし、訴訟提起が権利濫用と考えられる場合は限られるでしょう。
 逆に、濫訴に対する反撃としての訴訟提起が濫訴にあたると主張されたりしますと収拾がつかなくなります。

 やはり訴訟提起前の手続として第三者機関の調査やそれに基づく調停などを強制することにして、そこでの調査や話し合いを踏まえた上での問題として不当な訴訟提起に対しては損害賠償を認めるというような枠組みが考えられるのではないかと思っています。


>Level3 さん、非医療者 さん

 もはや医師といえども訴訟リスクを回避することは困難であるとの認識のもとに、その訴訟リスクが計算できるものである必要があると思うのです。
 現在はそれが計算できない結果、とんでもなく高いリスクがあるものとして考えざるを得ないというところに問題があるのではないでしょうか。

 現在、交通事故による損害は相当具体的に基準化されています。
 そして事故発生率、発生件数、1年間の一定数のドライバーが負担すべき損害賠償額総額予測などもかなり正確に予測できていると思います。
 損害保険会社などはそれらの資料に基づいて保険料などを決定することが可能になっていると思います。
 ただし、現在のような状況になるまでには、膨大な数の交通事故訴訟の蓄積が必要だったはずです。

 医療過誤訴訟においては、まだそこまでの蓄積はないと思います。
 今後、裁判例の蓄積が必要と思われますが、

 問題は、その蓄積を待つまでに医師の逃散は現在の医療制度を完全に崩壊させてしまう可能性が極めて高い(すでにそうなっている)ということではないでしょうか。

 となりますと、現在の制度・手続によるデータの蓄積を漫然と待っているのではなく、行政や立法が積極的に介入して現在の制度や手続を変える必要があると思われます。
 つまり、第三者機関による調査などです。


 

>また、「一般の裁判官は医学の専門家でないのだから、医療の
>適否に関する判断をすべきでない」=「医学の専門知識を持っ
>た者が裁判官として裁くべきだ」という制度にすると、現実に
>そのような制度が可能かという問題(※)もありますし、仮に、
>「医師免許と現場での実働経験を持った者のみを医療過誤事件
>の裁判官とする」という制度を作ったとしても、それが社会に
>「公平な裁判」として受け入れられるかは非常に疑問です。医
>師の方にはなじみのない概念かも知れませんが、裁判では「公
>平であること」と同時に、「公平らしく見えること」も重要な
>要素なのです。

これまで何度も書きましたように,医師でなければ医療事故を
正確に判定することは困難です.だから第3者機関が必要であ
ると述べているのです.残念ながらこれまでの判決を見ている
限り裁判官では不可能と考えざるを得ません.思考回路そのも
のが全く異なるからですし,相当の知識がなければprospective
に事象を追いかけながら判断することができないからです.
裁判官が「後出しジャンケン」を続ける限り決して改善される
ことはあり得ません.

> 或る内科医 さん (No.13の書き込みについて)

 遅くなりすみません。

 既に何人かの方が指摘されているとおり、「訴訟をおこされやすい医師」というのは、患者や遺族とのコミュニケーションを取ることに不得手な方、その心情を慮って適切な言動をとることのできない方、ということだろうと思います。敢えて言うなら、医学的知識の多寡、治療行為の医学的なレベルといった要素とはあまり関係なさそうです。

 ほとんどの患者・遺族にとって医療行為はブラックボックスなので、病院と患者との間に信頼関係がある状態というのは、要するに、「あの先生のなさることだから間違いない」という状態であろうと思います。つまり、治療行為の各々について医学的見地から検証できない患者・遺族にとっては、医師(特に主治医)個人に対する信頼感が、そのまま医療行為に対する信頼感につながるわけです。

 したがって、マメに時間を取って経過を説明してくれる医師、素人に分かりやすく話をしようとする医師は訴訟にさらされるリスクが低いのに対し、そうした気遣いができない医師はこれが高い、といえると思われます。特に、医学的知識のない人を見下すような言動、金が欲しいなら訴訟でも何でもすればどうだ的な言動は禁物でしょう。この辺りは、医師としてどうこうというより人間としてのデリカシーの問題だと思います。

 ちなみに、No.21でoregonianさんの仰るような「話の通じない人」というのは、確かに一定数存在します。無料法律相談等では、こうした特異な人(何らかの人格障害を疑わせる人)にも結構な割合であたります。たいていの弁護士や役所の窓口担当の人なら、激しく同意するのではないでしょうか。というわけで、「話せば分かる相手ばかりではない」というのは正にそのとおりだと思います。弁護士であれば特異な人の事件は受任しなければよいのに対し(ただし断り方には注意が必要)、医師の方は自称患者であれば無碍に追い返すこともできないという違いがありますので、医師の方がこの点の問題意識をより強くお持ちになるのも理解できます。

 ついでに言うと、上記の、「訴訟をおこされやすい医師」というのは、医師→弁護士に変換しても、ほとんどそのまま当てはまると思います(笑)。弁護過誤訴訟の対象になりやすい人、弁護士会に懲戒を申し立てられやすい人というのは、細かい法律実務の技術云々ではなく、当事者対応に問題のある人というイメージがあります。

> Level3 さん   (No.79の書き込みについて)

  No.39、41、48、49、77等で書かれているとおり、日本の法制度を前提にしますと、仮に医学的知識に長けた「第三者機関」が設置され、そこが何らかの裁定を下したとしても、その裁定・判断が最終的なものになることはないと思われます。「第三者機関」の判断に不満のある当事者は裁判所に提訴できますし、裁判所は原則として「第三者機関」の判断に拘束されることはありません。

 よって、「第三者機関」の有無に関わらず、最終的な判断権限が裁判所に残されるわけでして、「医学の専門家でない裁判官による判断」というものは避けられないものと思われます。これは、ある事象を裁判官が適切に判断できるとかできないとかいう次元の問題ではなく、制度、システムとしてそうなっているということです。そして、このシステムを変えることは現実的でない(憲法改正が必要です)ので、結局は、「医学の専門家ではない裁判官に適切な判断をさせる仕組み」を工夫していくしかないのではないか、というのがNo.77の趣旨です。

No.76  PINE先生

要するに、現実的には訴えたもの勝ちを最高裁は保証しているというということでよろしいですよね。まあ、反撃としての濫訴もありえますから仕方ないと言えば仕方ない。やはり現状では、相手を見て診療回避(ただし断り方には注意が必要)しか方法はなさそうですね。


No.78  モトケン先生

賛同します。第三者機関以上の策はなさそうですね。
しかし現実になるのは、崩壊の実害が大きくなってからのような気がします。

>問題は、その蓄積を待つまでに医師の逃散は現在の医療制度を
>完全に崩壊させてしまう可能性が極めて高い(すでにそうなっ
>ている)ということではないでしょうか。
>
>となりますと、現在の制度・手続によるデータの蓄積を漫然と
>待っているのではなく、行政や立法が積極的に介入して現在の
>制度や手続を変える必要があると思われます。
>つまり、第三者機関による調査などです。

おっしゃる通りだと思います.
さらに警察・検察が追い打ちを掛けているのが現状でしょう.
まずは,状況を全く理解していない警察・検察の暴走を如何に
止めるかでしょう.これは政府,厚労省など行政の仕事です.
現在のトンでもない送検を野放しにしたら,アッというまに
医療の現場は荒野と化してしまうでしょう.
民事裁判の影響よりも遥かに悪影響を及ぼしています.
福島事件しかり,神奈川事件しかりです.

このままでは,我々医師は本気でドイツやフランスのような
ストライキを行わなければならなくなりそうです.
もしくは「立ち去り型サボタージュ」ですね.

>No.59のしまさん
コメントが遅くなってすみません。
私自身も自信のない分野なので、「識者の方」のコメントをlevel3さん以外にもう2、3待ってました。

>ざっと読んでみましたが、
>1.神経内科医が
>2.キサントクロミーをトラウマティックタップによるものと判断した
>3.くも膜下出血を疑ったのに、より詳しい検査をしなかった
>事が問題になっているみたいですね。
>受け入れにくいという点は、どこなのでしょうか

うーん、それだけではありませんね。
ほぼ全経過において、被告側が主張するシナリオの方が現実の臨床の場で起こった事例として遥かに「自然」に思える、というのが個人的な印象です。
これは医学的に正しいかどうか、ではなく臨床家の取った行動として「自然」に思える、ということです。

通常、ある疾患を疑っても、その臨床医の頭の中で予想されている確率が一定以上にならないと、専門科を呼び出すとか、より詳しい検査(たいていより侵襲的)を行うとかの次の行動には至りません。
このあたり、「神経細胞の発火」と似ています。
どの程度の「確率」に予想するか、次の行動に移る「一定以上」の確率とはどの程度なのか、こればかりは医師個人個人で違うとしか言いようがありません。

さらに、画像検査の読影はいるかいないかわからない「ウォー○ーをさがせ!」に似ています。
答えを知っている人に、「ここだよ」と教えてもらえば、誰でもわかります。
「ウォー○ーをさがせ!」では。
ところが、「ここだよ」と教えてもらってさえ判断できないことがしばしばあるのが、医療の現場での画像検査なのです。

「キサントクロミー」を巡る議論は、私は断定して何かを語り得ません。

このくも膜下出血「見逃し」判例群が、常日ごろ救急外来で専門外の疾患を診ている多くの日本の臨床医の人口に膾炙するようになれば、相当なパニックを引き起こしかねません。
おそらく各人は、判例のくも膜下出血を急性虫垂炎(いわゆる盲腸です)や、急性心筋梗塞や、異常妊娠などに置き換えて「明日は我が身」と震え上がることでしょう。
(ちなみに上記の4疾患は、医師に「こんな非典型な○○があった!」という体験談を募ればそれぞれに1冊分厚い医学書が出来上がるはずです)

ここで書かれたコメントや議論を読みながら一番強く感じるのは、医療者と非医療者の間で公平中立のスタート地点が違うのではないかと思うのですが。
理解されにくいことですが、例えば、もし治療されなければ、心筋梗塞なら3分の1、癌ならばほぼ100%、虫垂炎ですら手術されなければかなりの確立で死亡するのです。
もし医療事故があった場合、医療者は心筋梗塞だったけれども助けられなかったと感じるでしょうし、非医療者は元気だったけれども医療事故で殺されたと感じるのではないかと思います。裁判官をはじめ法律家はどうしても後者の考え方に偏ってしまうのではないかと考えてしまいます。例え第三者機関を作っても病気に対する適切な知識がなければどうしても他の人は不公平感を持つのではないかと感じます。

No.48 PINEさま

> 専門委員制度の利用

寡聞にしてその制度のことも存じておりませんでした。こういう場でないと私が認識することもありませんでした。建設的なご提案ありがとうございます。

どこに協力を依頼するかということですが、日本病院会でも良いのかもしれませんが、臨床現場の最前線の知識を持つ人間の集まる集団がより適切かと思います。今のところ各科の医学会が最もそれに近いかと思います。ただ、今まで日本の医学会は臨床よりも研究(基礎寄り)をはるかに重視してきたという経緯があります(臨床の実力は客観的定量が難しいというのが一因と思いますが・一緒に働けば数日ですぐわかりますが)。今のところ適当な集団はあまり思いつきません。今後の課題かと考えます。

>Level3 様
 医療系裁判(民事・刑事含む)は医療崩壊させている要因の一つかもしれませんが、すべてではないと思います。奇跡が起こって立った今、国民も法曹界も医療界も完全に満足行く判定制度になったとしても、今の勤務医のモチベーションは元に戻るのでしょうか。また元に戻るだけで何とかなるのでしょうか。
 医師の年齢や性別構成・看護師の年齢構成・労働環境・国民の期待(過剰な要望?)・金銭の投入額・研究環境・教育体制と環境・既に少しずつ起こっている技術の断絶・医療周辺産業との関係 etc

くも膜下出血の教科書的な症状としては私も「今まで経験したことのない様な頭痛」というのが定番だったように記憶しております。これは国家試験でも散々出てきます。となると過失と問えなくも無い様な気もしてきます。
(もし、今まで経験したことのない様な痛みと患者が申告しなかった場合は明らかに判決が間違っているとも言えるでしょう)

ということは診断に自信がない、あるいは穿刺に自信がなければ他の病院へ搬送することも考慮しないといけないと思います。

但し、これは我々の世代の教科書的な内容であって、より年齢の高い医師の場合(つまり、こういう症状でくも膜下出血を発症するということを習ったことのない世代)、過失に当たるかどうかは疑問に感じます。まず、そこから攻めていかないと行けないのでしょうか?
厳しい論調で申し訳ありませんが、私個人としては若い世代の医師であれば過失を問われるのは仕方ないと思います。

ただ、もちろん訴訟が増えることによるこれからの医療の崩壊を防ぐことを前提とすることがこれからは必要だと個人的に思います。従って馬鹿高い賠償金を請求するのは今後の医療にとってマイナスであると個人的には感じるのですが、皆様のご意見はいかがでしょうか(その理由は別のスレで述べました)。

>>No.88のyamaさん
No.57の判例に関しては、判決文PDFの23-24ページの被告病院受診前の経過に目を通していただけると、だいぶ印象が変わるかと思います。
もう読んでいらしたのならすみません。

>医療系裁判(民事・刑事含む)は医療崩壊させている要因の一つ
>かもしれませんが、すべてではないと思います。奇跡が起こって
>立った今、国民も法曹界も医療界も完全に満足行く判定制度になっ
>たとしても、今の勤務医のモチベーションは元に戻るのでしょうか。
>また元に戻るだけで何とかなるのでしょうか。

個人的な見解ですが,まずは行政(政府,厚労省)が現在の状況に対
してきちんとした対応(医療費の増加,医師の給与,労働環境の改善)
がなされることが第1条件だと思います.現実問題としては期待薄で
すが.これがもしなされるとしたら,もう少し踏みとどまろうと考え
る医師は比較的多いのではないかと思います.現状のように,見てみ
ぬふりをしている厚労省,医療を顧みず医療費を削減しようとする政
府のままでは回避は不可能でしょう.
数多くの公立病院から医師がいなくなってはじめて気が付くのでしょ
うか.

すべてを一気に改善されることは不可能でしょうが,ひとつずつでも
改善される兆しが見えるなら状況は変わる可能性がわずかながらある
と思っています.きわめて希望的な観測ですが.

>FFFさま

これまで、「弁護士の方はいいなあ、けったいな依頼者がきても断ることができて。」と思っていましたが、弁護士の方のナマの声をお聞きして、「弁護士の方もたいへんだなあ。」ということがわかりました。弁護士の方も、訴訟をおこされることがあるというのも、はじめて知りました。驚きです。

弁護士、役所の窓口の方、教師、児童相談所職員、医師等々、主に人間を相手にする職業は、とかくタイヘンですね。

そういえば、松本清張の「霧の旗」は、弁護士が依頼を受任しなかったために、タイヘンなことになってしまうという話でした。

FFFさま

患者や家族とのコミュニケーションがうまくいっていて良好な医師患者関係が築かれていれば多少の「医療ミス」が生じても訴訟に至ることが少ないのは確かでしょう。実際に臨床に従事しているとき、関係が良好な患者をみることはストレスが無いどころか非常に快適で、医者をやっていてとても良かったとしみじみと感じ、これからももっとがんばるぞ、と気力も充実してきます。

問題はコミュニケーションがうまくとれない場合なのです。もちろん医師の資質によってその割合は変わりますが、すべての患者とうまくいっている、という医師はいないと思います。

そしてトラブルになるのはたいてい「一見さん」、救急外来ではじめてあった患者です。人間関係を築くにはたいていある程度の時間が必要であり、初めて会ってから数時間で良好な関係を築くなんてことは通常困難です。

くりかえしますが信頼関係を築いてから問題がおきる場合はそんなに心配をしていません。関係を築くどころか会話をすることもできない前に問題が生じている時に困っているのです。

コミュニケーションの大切さは普通の医師ならば十分に認識しております。毎日数十人の患者およびその家族と会話をしており、勤務時間のなかで会話のしめるわりあいは非常に高いものです。関係がうまくいっていればトラブルになりにくいことは常日頃から実感しています。

医療訴訟の被告の医師はコミュニケーション能力に問題があったのだ、と推測されることに非常に危惧を覚えます。(一般の人どころか医療関係者の中でもそう思う人が多いかもしれません。)

私の考えでは、医師患者関係がうまくいかなければ訴訟になりやすいが、そうした関係を築けなかったのは必ずしも被告の医師の資質の問題ではないのではないか、というものです。

元田舎医先生

No.57の判例に関して私も読んでみました.私も専門外ですがどう考え
ても被告側の思考の方が正しいと思われます.
1/19,1/21の時点でCTを撮影しておりこの時点での画像上異常所見
を認めておりません.経過からしてもここまでのところでは髄膜炎を
疑うのが最も妥当ですし,クモ膜下出血はほとんど否定的です.CT所
見のないクモ膜下出血は通常は考えられないと思います.

>出血量が少ない場合や発症後数日を経過した場合においては, CT写真
>上異常所見を確認できない場合もある。
これってどの位の確率で認められるものなんでしょうか?私は初耳なん
ですが.専門家のご意見を仰ぎたいと思います.

私の医療知識からすると医師側の主張通り,髄膜炎の後クモ膜下出血を
起こしたと考えるのが順当です.裁判官は非常に可能性の低い状況を敢
えて考慮していますが,プロスペクティブに考えれば,クモ膜下出血の
再発と考えるのは困難です.もし仮にそうだとしてもそれを医師に正し
く診断しろというのは酷です.机上の空論に過ぎないと感じるのは私だ
けではないと思います.

>FFF様

> この「失敗」を、裁判官個人の資質・能力に問題があったからと理解するのは、かなり疑問です(*)。たとえば、今よりIQや事務処理能力の高い人間が裁判官になったら、あるいは社会経験を有する者を裁判官にしたら、「医学的に正確な資料の選び出し」に成功するのかというと、とてもそうは思えません。医師の方には高い知性をお持ちの方が多いと思いますが、それでも、御自分の専門でない分野、たとえば法律に関する玉石混交の資料の中から正確なものを選び出すのは容易ではないはずです。

 これは全くその通りだと思います。だからこそ、現場の医師の意見を重視すべきではないかと言うことなのですが。つまり、retrospectiveに考えても、この時点ではこの判断の根拠はこうである・・・とするものが難しい事案を、我々はprospectiveに、しかも救急ではごくわずかな時間で判断し、行わなければならない。これを過失として裁くのはどうなのか、ということを我々が再三主張しているのです。

 また、現行の裁判システムを活用するのであれば、少なくとも鑑定人となる医師同士での議論は必須かと思います。

 おっしゃるように「裁判では「公平であること」と同時に、「公平らしく見えること」も重要な要素なのです。」だと思います。ですが、現行の制度は少なくとも医師側においては、「公平らしく見えない」ということを言っているのです。

 また、第三者調査機関の必要性を私が再三主張しているのは、起きた事案を裁くことだけではなく、起きないようにするための調査・分析の意味合いもあります。この点、モトケン様のおっしゃるように「現在の制度・手続によるデータの蓄積を漫然と待っているのではなく、行政や立法が積極的に介入して現在の制度や手続を変える必要があると思われます。
 つまり、第三者機関による調査などです。」という主張に大いに賛成します。

> 僻地外科医さん (No.94の書き込みについて)

 一点だけ。私がNo.77で挙げた「公平らしく見えること」というのは、判決の内容ではなく、裁判所の構成(判決を下すメンバーの顔ぶれ)について述べたものです。やや言葉足らずでした。

 医療過誤訴訟というのは、医療行為のどちらが優れているかを医学的学術的に判断するというものではなく、そもそもは、医療者と非医療者の関係を律するもの、医療者と非医療者との間に生じた紛争を解決するものです。そうであれば、仮に裁判官が医師免許保有者・臨床実務経験者で占められていたとすると、患者サイドからは、裁判所が医療側の人間ばかりであるとして、「公平らしく」見えないのではないか、そうであれば紛争解決手段として妥当性を欠くのではないか、したがって医学的知識や経験を有する者が最終的な判断をするという制度を採用することは困難なのではないか、ということになります。

 上記の例をひっくり返して、「医療過誤訴訟を裁くのは、かつて近親者を医療ミスで亡くした者に限る」というような制度を作った場合(患者団体にはこうした主張をする人もいます)、その裁判所による判断は、内容がどうであれ、医師の方から見て「公平らしく」見えないと思われます。そのような制度は結局うまくいかない、ということです。

 これも、医療過誤特有の問題ではないと思われます。銀行経営者の背任事件について、銀行実務は専門性があり経験がないと分からないとして、銀行経営者が裁くことにしたらどうなるか。政治家の収賄事件について、公務の広範性は政治家でないと理解できないとして政治家が裁くことにしたらどうなるか。仮に、客観的に正確な判断に至ったとしても、「公平らしさ」という点では極めて受け入れ難いところかと思います。
「事件の性質」に応じて裁判所の構成を変えるという発想には、こうした点で危険性が伴うのではないでしょうか。

> oregonian さん  (No.92の書き込みについて)

 「コミュニケーション能力に問題のある医師は訴訟を起こされやすい」とは言えると思いますが、「訴訟を起こされた医師だからコミュニケーション能力に問題があった」とは必ずしも言えないと思います。したがって、信頼関係を築けなかったのは必ずしも被告の医師の資質の問題ではない、という点にもまったく同感です。

>或る内科医さま
>だからこそ、現場の医師の意見を重視すべきではないかと言うことなのですが。

一面では尤もだと思いますが、他面からみると医師の意見だけを重視できない
事情もあるようです。

>ある麻酔科医教授は、鑑定を引き受けると必ず医師会が何か言ってくると
>面談した私に言っていたし、ある内科教授は学会での人間関係をまずくしたくない
>と断る理由を教えてくれた。またある大学の産婦人科講師は、医師に責任がない
>事例では鑑定を引き受けるが、責任があると思われる事例では鑑定を断るとの
>実態を、裁判所が主催する公式の会場で述べていた。
「医療と裁判」岩波書店 (P.123)

とあります。これは弁護士の方の意見なので、バイアスがかかっているとは
思いますが、第三者機関を作るにせよ、中立性をどう保証するのかが、
不可欠だと思います。現場の医師の意見を重視するためには、現場の医師の
中立性が必要だと思います。

>元田舎医さま
私が言っていることは、ごく大ざっぱに言えば「髄液検査でキサントクロミーが
発見されたとき、どんな病気を疑うのか」です。もちろん、私がキサントクロミーの
なんたるかを知っている訳ではないです。

ただし、判決文を読む限り、髄液検査の結果キサントクロミーが認められたと
あります。その場合、神経内科医は何を疑うのか思う訳です。

キサントクロミーが認められた場合、髄膜炎を疑うというのなら、それはそれで
問題ないと考えます。

>キサントクロミーが認められた場合、髄膜炎を疑うというのなら、
>それはそれで問題ないと考えます。

しまさんへ

判決文の中にも書かれていたように思いますが,キサントクロミーは
髄膜炎でもクモ膜下出血でも認められます.従ってこの所見は両者を
鑑別(見分ける)所見にはなりません.逆にCT画像に異常のないクモ
膜下出血というものは,あったとしても稀です.総合的に判断した場
合(「髄膜炎」>>「クモ膜下出血」)であると,通常の医学知識の
ある人間なら考えるでしょう.レトロスペクティブに考えたとしても
一度軽快退院されています.取られた治療方針でよかったと判断する
のが普通でしょう.
画像所見と出血部位の関係に関しても裁判官は,なぜか可能性の低い
考察を敢えて採用しています.全体的に考えて大部分の事実を斜めか
ら見ながら,可能性の高いものを採用せずに,自分の考え方を敢えて
押し付けているというようにしか取れません.一般臨床医ではあり得
ない考え方です.もし臨床医が集まって検討したとすると,裁判官の
ように考える医師はほとんど存在しないのではないでしょうか?

>FFF様

 おっしゃる意味はよく分かりました。ですから第3者調査機関は設立するにあたり、弁護士など法曹関係者も入っていただくべきだと思います。こちらでは書いていませんが、私の主催する掲示板では以前からそのように主張しておりました。

 もうひとつ、再三主張しているのは第3者調査機関による調査・分析の有用性です。こちらについてはコメントがありませんが、どうお考えでしょう?調査・分析に関してより有効だと思われる方法がありましたがご指導下さい。

>しまさま

あのー、No.97の
>『或る内科医さま』
>『だからこそ、現場の医師の意見を重視すべきではないかと言うことなのですが。』

の発言は私ではないのですが…(^^;。No.94の僻地外科医さまのご発言ではないかと…(^^;。

第三者機関については、私もおおいに賛成なのです。実際、医者の視点から、「これは、被告側に酷な判決だ。」と思うものもあれば、「これは被告側に甘く、原告は気の毒だ。」と感じる判決もあります。

しまさまの仰るように、確かに医療業界には横のつながりがあります。出身大学が違っていても、同種の研究に従事していれば、学会などで、しょっちゅう顔を合わせることもあります。世間さまが、第三者機関での調査は、馴れ合いの調査ではないのかといった疑惑の念を抱くことも十分考えられます。

それ故、世間さまからの監視の目が厳しいからこそ、医療関連死、医療事故・過誤に対して、厳正中立なる精査が必要と考えます。調査機関には、法律家はもとより、行政官、医師、歯科医師、薬剤師等が委員となって、是は是、非は非であることを十分討議すればよいと思うのです。医療業界の「しがらみ」の壁があるならば、委員を登録制にして、会議に選出された委員は匿名にすればよいと思います。

> 元田舎医様
済みません、判決文一部しか読んでいませんでした。ご指摘の箇所、読んでみましたが、確かに髄膜炎で説明できる所見です。鑑別はほぼ不可能と思います。これは過失と問うことの出来ない例だと思います。

私の早合点をお許しくださいませ。

>しま様(No.97のコメントに関して)

 或る内科医先生のご指摘の通り、
『だからこそ、現場の医師の意見を重視すべきではないかと言うことなのですが。』
は私のコメントです。

 おっしゃるように中立性を担保することは極めて重要だと思います。ただ、意外に思われるかも知れませんが、医師は自分で医学的におかしいと思うことを会議・学会で主張することはまずありません。医学的に正しいと思うから主張します。この部分は信用して頂くしかありません。

 次に外から見た公正性ですが、やはり法曹関係者などに入っていただくのが良いと思います。場合によっては医療事故を扱う市民団体の代表に入っていただいても良いでしょう(もちろん、情報を外に持ち出さないことが条件ですが)。

>それ故、世間さまからの監視の目が厳しいからこそ、医療関連死、
>医療事故・過誤に対して、厳正中立なる精査が必要と考えます。調
>査機関には、法律家はもとより、行政官、医師、歯科医師、薬剤師
>等が委員となって、是は是、非は非であることを十分討議すればよ
>いと思うのです。医療業界の「しがらみ」の壁があるならば、委員
>を登録制にして、会議に選出された委員は匿名にすればよいと思い
>ます。

「或る内科医」先生のご意見に賛同します.論文のreviewのように
blindで行うようにすれば「しがらみ」が問題となることはかなり軽
減されると思います.各専門分野の臨床医の先生方を登録性にでも
して複数の担当者に独自にreviewしてもらうような制度がよいかと
思います.まさに論文のreviewと同じことをすればよいわけです.
後の問題はそれら複数のreviewから最終結論を下すところをいかに
公正にするかということです.この段階では法曹関係者も非医療者
も監査役として含めた上でreviewの最大公約数を結論とできるよう
な仕組みにするというのでいかがでしょうか?

このくも膜下出血の判決を読んで、私たちは診療上の過失があるという話が間違いであることを容易にわかるわけですが、教科書程度の知識の人間だと逆にすごくまともなことを言っている判決だと捉えると思えるのですよね。医療訴訟を得意とする弁護士とかは表面的な知識は感心するほど豊富ですが、身内を庇うための詭弁だとか言い出しそうです。
キサントクロミーは、くも膜下出血が疑われるにも関わらずCTで陰性の時に、調べて出れば診断に役立つ所見であるとかいう文章が鑑定書に書いてあったと仮定しますと、それを見れば、実際の診療手続を知らず現場を想像できず、文章の上っ面をなぞることしかできない裁判官では、過失と考えてもある意味当たり前でしょう。おそらくこの裁判では、そんな感じの資料があったのだと思います。結局資料が不適切云々の話ではなくて、現在のシステムでは無理ということを表しているいい実例だと思います。

> 僻地外科医さん  (No.100の書き込みについて)

 「第3者調査機関による調査」の目的としてどのようなものをお考えかによると思います。

 調査の結果として当該医療機関に損害賠償を命じたり、促したりすることまで目的としている場合、医療機関側の調査機関に対する姿勢は防衛的なものになり、調査に困難を来たすことが考えられます。この点は、第三者機関に強制的な調査権限を付与するか、調査に応じない医療機関にペナルティを科すことによってある程度解決されるかも知れません。

 また、第三者機関が医療機関にどれだけ厳格な姿勢をとれるか、という点も問題です。現行の裁判制度では、医療機関と対立当事者の地位にある原告が、被告の医療行為を批判的に検討することによって問題の発見につながっている部分があります(※)。「第三者機関」は別に医療機関と対立する当事者ではありませんから、医療機関の弁解に安易に追随したり、これを追認する姿勢が目立つようだと、あるいは「そのように見える」ようだと、いくら医学的に正しい裁定でも社会的には受け入れられなくなることが考えられます。

※ 一部の医師には「あら探し」と揶揄する向きもありますが、裁判では、一般に被告が責任を免れようとする方向の主張を展開する以上、その問題点を指摘することは極めて当然のことであり、むしろ真実発見につながると思われます。ここにおられる医師の方には、「病院は、訴訟の場において、常に真実に沿った妥当な主張をしている」という誤った思い込みをお持ちの方が多いように思います。これは、何も医療機関が特にウソつきだとか言っているのではなく、どの類型の訴訟においても、一方当事者の主張を無批判に受け入れることはナンセンスである、ということです。

 さらに、現実的な問題として人的資源の点があります。医療関係訴訟は大体年間に1000件起こっていますが、「第三者機関」への申し立てが訴訟提起ほど大変なものでないとすると(訴訟を起こすには医療機関の過失を一応特定することが必要ですから、そのハードルはかなり高いのです)、申し立て件数は、訴訟の数倍になることも予想されます。そして、医療過誤の有無を審査するには、まず、診療経過等の事実を確定し、問題になりそうなポイントを抽出し、それに対する双方の言い分を聴取し、相手方の言い分に対する反論を行わせ、それぞれの根拠となる資料の提出を求め、争点を整理したうえで専門家が判断するという過程が必要になると思われます。しかも、医師の方の意見によれば、臨床実務に通じた医師を何人か集めて合議することが望ましいとのことです。年に数千件とも予想される申し立てを処理するだけの医師・専門家を現実に集めるには、かなり途方もない努力と犠牲が必要になると思われます。

 「第三者機関による調査」の目的を事故再発防止の限度に留め、患者個人に対する賠償命令・裁定というところまで踏み込まないのであれば、上記の問題点はいくらか緩和されると思います。ただ、その場合は、被害者(と主張する人)の経済的救済にはつながらないわけですから、結局、従来の方法による医療訴訟の提起が別途必要になります。 

 もっとも、患者個人の救済とは別に、そういった調査機関による調査を行うこと自体は大変意義深いことと思います。素人考えですが、匿名によるインシデント(アクシデント)レポート、オカーレンスレポートの類を全国的に募集し、事故原因の分析にあたるといったシステムを構築できれば(同種の仕組みが既にあるのでしょうか?)、同種事故の再発防止に資する有意な情報を現場にフィードバックできるのではないでしょうか。

>ここにおられる医師の方には、「病院は、訴訟の場において、常に
>真実に沿った妥当な主張をしている」という誤った思い込みをお持
>ちの方が多いように思います。これは、何も医療機関が特にウソつ
>きだとか言っているのではなく、どの類型の訴訟においても、一方
>当事者の主張を無批判に受け入れることはナンセンスである、とい
>うことです。

FFFさんはどうも我々医師の考えていることを勘違いしているように
思われます.我々は「病院側の主張を聞いて判定」するわけではあり
ません.
これまでにも書いてきましたが,我々は示されている状況から時系列
に沿ってプロスペクティブに自分であればどのように判断したかとい
うことをトレースします.そしてその時の思考に基づいて,なされた
判断や処置が妥当であったかどうかを判断するわけです.
先の例に出されている「クモ膜下出血」の例でも,ここにコメントさ
れている医師の方々は私を含めそのようにして,どう考えるのが最も
妥当かということを考えておられます.その結果全員がこのケースは
当初は「髄膜炎」であったと考えるのが妥当であるという結論を導い
ています.
逆に,全脊椎麻酔になった症例では「医師に問題あり」とみなさん判
断しています.
こういった判断は「医師は状況を適切に判断できるだけの知識を持っ
ている」からできることです.残念ながら非医療関係者には不可能な
ことなのです.
決して「当事者の主張を無批判に受け入れ」ているのではありません.
そこのところをよく理解して頂きたい.

最初に、或る内科医さまと僻地外科医さまを取り違えたことをお詫びいたします。

>皆様がた
「髄液検査の結果、キサントクロミーが見つかったとしても、髄膜炎と
クモ膜下出血の鑑別はできない」というのが医師の意見なのですね。

了解いたしました。

>元行政さま
検索してみるといろいろとありますね。

>腰椎穿刺により血液混入(急性)やキサントクロミー(陳旧性)を肉眼で認める。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A2%E8%86%9C%E4%B8%8B%E5%87%BA%E8%A1%80

>腰椎穿刺にて血性髄液・・・CTで出血が不明瞭な症例に限って実施する
>(それ以外の場合は腰椎穿刺で再出血の危険性が増す)。穿刺時の外傷による
>出血と鑑別するため、髄液を遠心して上澄のキサントクロミーを確認する。
http://www.jsdi.or.jp/~fumipon/text/CVD.html

>ただし,CT上所見がない例でも出血しているケース(全体の5%)があり,
>この場合は腰椎穿刺し,血性髄液またはキサントクロミー反応を証明することで
>診断するが行われる。
http://plaza.umin.ac.jp/~ikeda/BST_SAH.htm

ただし、髄膜炎とクモ膜下出血の鑑別が難しいのであれば、それを主張すれば、
済む話だと思います。「鑑別が難しい事」を明確に示す資料を用意してなかったの
かも知れません。

一方、原告側にとっては、このような資料を用意できるので、裁判官にとっては、
原告側の主張を採用しやすかったのかも知れません。

思いきり話の流れと関係ないのですが…

このたびフィリピン人看護師受け入れが決まったようですが、医療崩壊の一因であるところの人員不足を考える上で今後外国人医療スタッフの導入についての議論は避けて通れないのではないかと思っています。
専門性の高いスタッフになるほど医師にとってはともに仕事がしやすいかとも思いますが、逆に患者にとっては介護等非専門領域の方が受け入れやすいという考え方もあるかも知れません。その意味で医療者側の視点はもとより非医療者側の声も重要であろうかと考えますがいかがでしょうか。

>>既に何人かの方が指摘されているとおり、「訴訟をおこされやすい医師」というのは、患者や遺族とのコミュニケーションを取ることに不得手な方、その心情を慮って適切な言動をとることのできない方、ということだろうと思います。敢えて言うなら、医学的知識の多寡、治療行為の医学的なレベルといった要素とはあまり関係なさそうです。

90%はコミュニケーションで訴訟が防げると思っています。これはおっしゃるとおり。
その人の持っている医学知識とはまったく関係がない。これも、ほんと。
ただ、残り10%が難しいですね。ほんと。
患者さん本人、キーパーソンと思われる人には十分話をしていて、いい関係と思っていたら、突然遠方から(普段まったく患者さんのことをみない)家人がこられ、トラブルになるケースが多いですね。そういう方の中には、こちらから話させていただく前から、いきなりカネ払えとか、裁判で訴えるとか、そうわめく方も珍しくありません。詳しい状況を探ってみると、その方に借金があったり、財産分与のことでほかの兄弟の方からトラブルメーカーとして思われたり、親から縁をきられていて、兄弟衆や患者さんから、病状が伝わらなかったり、というようなことが重なっているように思います。
そういうかたがたに対しては、真摯に対応する、というだけでは、訴訟はとめられなく、医業も一般企業と同じように、クレーマー対策が必要な時期になってると思います。患者さん応対マニュアルとかが必要でしょう。(一般的なことでなく、カネよこせ、とか、殺すぞ・裁判起こすぞといわれたときの対応、また暴力が振るわれそうになったときのもの)
まだ、田舎の病院勤務なんで、家人も病院かかりつけの方が多いので、トラブルは少なめですが、都会の有名病院とかだと、こういうトラブルは多いんじゃないか、そう思いますね。
ちなみに、暴力団関係者は不思議とトラブルになることは少ないんです。(特に、正式な暴力団員であれば、真摯に対応することでトラブルにならない)逆に、教員・マスコミ・多重債務者・医療関係者(医師以外)は、真摯に話しても、トラブルの元になりやすく、こちらも、対応をそれぞれに応じてさせていただいている、ということですね。医師はどちらかというと遠慮されている方が多いですね。(もし、クレームつけられたら、そちらで見ていただけませんか、といわれる可能性高いからね。おまけに短時間で内容の濃い話し合いが可能だから、というのもあります)

>>FFFさん
素人考えですが、匿名によるインシデント(アクシデント)レポート、オカーレンスレポートの類を全国的に募集し、事故原因の分析にあたるといったシステムを構築できれば(同種の仕組みが既にあるのでしょうか?)、同種事故の再発防止に資する有意な情報を現場にフィードバックできるのではないでしょうか。

すでに何年か前から、国が大学病院など高度医療機関から、レポートを提出することが義務化されています。また、一般病院でも、病院内だけの議論になりますが、レポートを分析しています。解析も同時に進んでいると思うのですが、国から有効なマニュアルはまだ出ていない状態です。統一したマニュアルができるのが楽しみなんですけどね。
アクシデントのなかで、誤薬・患者間違い・転倒・処置ミスなどありますが、転倒だけは対策が難しいですね。(家でも普通にこけるのに、病院に入院すると転倒しないということはないですし、入院中だと、体力がなくて転倒しやすいというのがあります)ただ、転倒するきっかけとなること(トイレに行きたい・お茶を飲みたい・ベッドで寝ていることを忘れてしまった)については、ある程度対策を立てることはできますが。
でも、インシデント対策するのにチェック項目が増えすぎて、チェック項目を忘れたり、業務が煩雑になって過労となり集中力低下する、という副作用も生むこともありますね。ある病院では手術患者間違いを防ぐのに30個以上のチェック項目がある、そういう風になっています。

>>しまさんへ
クモ膜下出血とキサントクロミーで検索されたら、そのようなものが引っかかるのは当然です。
通常臨床ではこう考えます。
http://uwb01.bml.co.jp/kensa/conpe.asp?d=90&t=30&k=231&e=0
キサントクロミー…古い髄腔内出血、もしキサントクロミーに混濁が加わっているときは髄膜炎を疑う。

No.111の、れいさまのコメントは、医療側、患者側のrelationshipが集約されていますね。おそらく全国規模で同じなのでしょうね。

FFFさまのコメント(No.80)から、弁護士さんも、同じようなご経験をされているのではないでしょうか。

すみません訂正です。
No.111の、れいさまのコメント
→No.110の、れいさまのコメント

No.108  しまさん

医師の診断というものをもう少し解説させてください。(説明によって一般の方の理解が得られるかどうかちょっと実験です)

病気の診断は、探偵の推理に似ています。デスノートというマンガで初代Lがやっていたようなことをやっています。証拠XがあるからAが犯人である可能性は、α%プラスとかいうやつです。まず主要な症状から、とにかく思いつくままかなり可能性の低い疾患までそんな症状を来たす疾患をあげていきます。次に現病歴、既往歴、家族歴、理学所見そしてすでに出ている検査結果から、それぞれの鑑別診断に対して、可能性をプラスしたり、マイナスしたりしていきます。そして可能性の低いものを消し、陽性ならさらに可能性が増す検査をおこなってみて、より確かな診断に近づくようにします。そして病気のストーリーとして高度に一致するものができれば、ほぼ診断は決まりです。もちろん病気は待ってはくれませんので、見切り発車の治療を開始していますし、また追加の検査も検査自体の侵襲の問題もありますので、簡単にあの検査をすればいいというものではありません。有力候補同士の治療法が相反するものである場合もあります。いかに困難なことをやっているか分かると思いますが、実際、患者は治ったけれど、診断が完全にはつかなかったとか、診断はほぼついて治療もうまくいったけれど説明のつかない検査結果が残ったとかもよくあります。

若い医師の教育や几帳面な先生の場合は実際筆記して、通常は頭の中で大雑把に、上記のようなことをしています。それ一つではなかなか決め手にならない証拠を積み重ねて最小限の負担で最大の効果を得る方法であると思います。
実は、証拠に対してどのくらいプラスするかということは、明確な基準がありません。この部分が職人芸で右脳的な仕事です。しかし各人てんでばらばらかというと違って、経験や訓練等によって大体同じような増減をおこなうようになり、結果として同じような結論がでるようになります。逆に研修医などは他の証拠が見えなくなったり、またはストーリーをうまく組み立てたりできないために、突拍子もない検査や治療をしたりすることがあります。時に大穴で、全く想定していなかったことが発見されることもありますが、それは銃を乱射したらたまたま当たったようなもの。プロの仕事としては正当なものではありません。

キサントクロミーは、しまさんが調べられたように確かに大きなプラスです。しかしそれだけで充分な程の証拠、例えばCTで大量の出血が認められたとかとは違います。またこの場合発熱などの臨床経過、年齢等大きなマイナスが存在します。ポイント及びストーリーとしてはるかに髄膜炎の方が有力である状態で、侵襲も少なくないカテーテルによる血管造影をやるなんてありえないと思います。脳外科医に相談すべきだとか簡単に書いていますが、脳外科医に相談したところで責任を負う対象が脳外科医になるだけの可能性もあります。(最初の内科医が無罪で、神経内科医が有罪というのもちょっと腑に落ちません。それから脳外科医Bは何か前医に恨みでもあるかのような、証言をしていますがいったい何を考えているのでしょう。すみません。ちょっと余計な話でした)

以上から考えて、神経内科医の医療行為は正当であると考えますが、いかがでしょうか?

医療の特殊性と司法判断の予測可能性について、思いついたことを書きます。

こちらのブログで勉強させて頂いて、医療業界の実情や常識、慣行というものについて色々気づかされたり、再認識したりしております。が、その中には、一般人、業界外の者から見て、違和感のあるものも少なからずあるように思います。たとえば、「薬剤は、必ずしもその添付文書にある注意書きに従って投与しているわけではない」というところなどは、そういう実務であることはよく分かりますし、そのこと自体がいけないなどというつもりも全くないのですが、素人的感覚からすれば最初は疑問に感じる、ひっかかるところでしょうし、その薬剤投与が医療過誤であったと考える患者にとっては納得しにくい部分でもありましょう。

このような、「現場の専門家には当然だが外部からは分かりにくい慣行、共通認識」というものが、医療の現場には特に多いのかなという気がします。そして、こうした特殊事情を、対外的に、あるいは訴訟の場において主張することの妥当性については、色々と思うところがあります。

たとえば欠陥住宅をめぐる訴訟があったとして、問題となる建物の建材が、その建材メーカー作成の仕様書、注意書きに反する使い方をされていたとします。当然、発注者としては「建材の使用方法がおかしい」と主張するでしょうし、弁護士もそれに注目した法律構成をするでしょう。しかし、仮に「メーカーの注意書きに従わないで建材を使うこともある」という業界の慣行があったとしても、この提訴を「建築業界の常識を知らない者による濫訴だ」と批判できるでしょうか。

また、この訴訟で建設会社側が「当該注意書きはメーカーの責任逃れに過ぎないのであって、注意書きに従う必要など全くない。それが業界の慣行であり常識だ。」と反論した場合、実際にそのような慣行があるとないとに関わらず、業界の外部の人間は、かなり不信感を抱くのではないでしょうか。

更に、裁判所が、建設業界の上記「慣行」を認めて、発注者の請求を棄却した場合、「業界の実情を理解した正当な判決」と評価できるのでしょうか。「慣行」を認めずに損害賠償を命じた場合、「形式的な証拠の上っ面しか見ない不当判決」と非難できるのでしょうか。

このように、外部の人間がすぐに推知できず、客観的な検証もできない「慣習」「特殊事情」を尊重して判決を下すのは、裁判所としてもかなり勇気の要ることです。先の例で言えば、司法が「注意書きは別に守らなくてもよい」というお墨付きを与えたものと理解されかねないからです。このような、一般人の感覚には必ずしも合致しない「特殊事情」を正面から是認する判決は、それが業界的には「正しい」のだとしても、果たして、社会における最終的な紛争解決のあり方として「正しい」といえるのか、少々疑問に思います。また、業界独自の「慣習」については、その内容・範囲を客観的に確定できるものではありませんから、裁判によって評価にブレが出るのもある意味当然と思います。


結局、外部の人間からはすぐに理解できない「慣行」や「特殊事情」に依拠して業務にあたり、その「特殊事情」の評価に揺れる司法判断に一喜一憂するよりは、そうした慣行を可及的に是正・解消し、業界外の第三者たる裁判所にも明確な判断が可能となる態様での業務を指向することが、長い目で見れば当該業界にとっても望ましいのではないか、と思うわけです。

企業が定型の契約書、取引約款を使用するのは、別に書面を作るのが面倒だからというわけではなく(契約書がなくても契約自体は可能です)、商行為の内容を客観的に明らかにすることによって紛争の発生を予防すると同時に、裁判になった場合の結論も予想できるようにしておく、という意味合いがあります。いわゆる予防法学的な発想です。どこかの会社が、契約書も作らず、あるいは不正確で曖昧な契約書しか作らなかった結果、裁判で負けて債権回収に失敗した場合、「司法判断が予想できない。これでは不安で商売ができない」などと不平を言っても仕方ないわけで、誤解の生じる余地が少ない書面を普段から用意するといった方法で訴訟リスクに備えることが必要であろうと思います。

もちろん、医療に関しては医療特有の事情があり、それ故に「慣行」が形成されてきたのだということは分かります。治療行為の多くはそもそも定型化・標準化に馴染まないものなのでしょうし、明確な証拠を云々する前に緊急治療を施さないといけない場面も多々ありましょう。ただ、それでもなお、客観的な基準、書面、ルールへと発展的に解消できる「慣行」「特殊事情」というのも相当程度あるのではないかと想像します。司法判断の予測可能性を向上させるために、医療サイドでできること、医療機関がすべきこともあるのではないか、というのが私の考えです。以前にも書いたように、どのような制度を作るのであれ、医療も最終的には司法判断の対象にならざるを得ないわけですから、単純に「法律家は医療現場を分かってない!」と慨嘆するだけでなく、一般の企業が努力を払っているのと同様、医療機関も、訴訟で「正しい」結論を得るための工夫を考えるべきではないかと思うのです。

>これも、医療過誤特有の問題ではないと思われます。銀行経営者の
>背任事件について、銀行実務は専門性があり経験がないと分からな
>いとして、銀行経営者が裁くことにしたらどうなるか。政治家の収
>賄事件について、公務の広範性は政治家でないと理解できないとし
>て政治家が裁くことにしたらどうなるか。仮に、客観的に正確な判
>断に至ったとしても、「公平らしさ」という点では極めて受け入れ
>難いところかと思います。
>「事件の性質」に応じて裁判所の構成を変えるという発想には、こ
>うした点で危険性が伴うのではないでしょうか。

FFFさん,
「医療過誤」と「銀行経営者の背任事件」,「政治家の収賄事件」
を同列に並べて考えている所からして我々が繰り返して述べている
ことを理解して頂けていない証拠だと思います.
一般の事件は,法学一般で用いられているレトロスペクティブな分
析で判断されて何ら問題のない事例です.
しかしながら医療は,常にプロスペクティブにしか行えないもので
す.元行政先生が「探偵」に例えておられましたが,別のものを挙
げますと「迷路を通り抜ける試み」なども同じ類いのものだと考え
られます.迷路を抜ける場合,各分岐点でどの道を選ぶか迷いなが
らひとつを決めて進みます.もし行き止まりだったら一つ前の分岐
点まで戻って別の道を探索します.このような試行を繰り返して最
終的にゴールに到達します.「間違った道」に進むことを「ミス」と
言うならば(FFFさんはそのように考えておられると推察されます)
神でもない限りミスなしにゴールに到達することはできないでしょ
う.FFFさんは可能ですか?
しかしゴールを知っていて逆から道をいったん辿れば,「ノー
ミス」でスタートからゴールまで辿れます.裁判官はこのようなこ
とだけを考えているわけですね.我々医師は,時系列的にスタート
からゴール辿る思考しか行えないのです.もちろん後から「今後の
ために」ゴールから辿ることも行いますが,これは該当患者さんの
治療には決して行い得ない(既に時間経過と共に病態が変化してし
まっているため)のです.
カテーテルを操作して脳血管の目的の部位まで挿入する手技もこれ
に近いものがあります.造影剤を流しながらカテーテルを手元で廻
したり出し入れしながらトライアル&エラーを繰り返して目的の部
位まで進めるのです.「誤って違う部位にカテーテル」を全く進め
ることなく目的の場所まで到達させることなぞ神業です.つまり,
FFFさんの主張では「医師は神でなければできない」ことになって
しまいます.人間が医療をやっている以上,この考えのままでは医
療は消滅するしかないですね.

もう少し我々医師の言葉に耳を傾け,思考回路を柔軟にして頂けな
いでしょうか?
そして医療の特殊性に気づいて頂きたい.

この場にいらっしゃる方々は医療問題については平均的市民より興味も知識もある方々ばかりと考えますが、最終的に同じものを見ているようでも違うものとして認識しているのだなと言うことも折に触れて思い知らされます。ま、不謹慎ながらそうであるからこそおもしろいと思うのですが。

医療と司法の関係について言えば、最終的には司法よりに収束していくのは既定路線だと思います。なぜなら医療者は医学的には何が正しいかを言うことしか出来ませんが、司法はこの国において何が正しいかを決めることが出来るからです。そしてまさにその現状を理解しているからこそ、医療者サイドは今まで何度も「どちらが正しいのかという議論は本質的には無意味である」ということを言ってきたのではないでしょうか。
今この瞬間にも医療は司法的にも社会的にも「正しい」方向に向かっているという事実は覆しようがありません。現場の多くの医療者には既にその流れを変えようとする意志も気力も残っていないことは逃散という現実が証明しています。つまるところ医療者が言いたいことは「正しい医療とは望ましい医療とイコールなのですか?それが本当にあなた達の求めていたものなのですか?」という、ただその一事だけなのだと思います。

ここで主に議論されている医療と司法という点からははずれますが、1年半後に導入される75歳以上を対象とした新高齢者医療制度も別の意味で医療崩壊に関係してくると思われます。一部の病院では、DPC(Diagnosis Procedure Combination)による包括的診療報酬制度が導入されていますが、外来も出来高から包括払いへという制度と理解しております。
詳しい制度や報酬は決まっていないと思いますが、DPCからすると主病名に対してのみ支払いという可能性が高いかなと思います。医療費削減を目標にしているあたりから考えますと、外来での抗癌剤をつかった化学療法をはじめ高額な医療は厳しくなるのではと危惧しております。逆に考えると、患者さんのことを考えて様々な検査、治療をすると赤字になり、なにもしない病院が一番儲かるということになります。療養型病床のベッド数大幅削減から考えても、税金を納める元気な人以外の老人切捨てという政府の規定路線ではありますが・・・。

No.116  FFF先生

業界の慣行とか言われますと、建設業界の談合とかのようにあたかもその手の自分の利益のためみたいに聞こえますね。しかし我々の慣行はサボるためでも利益を生み出すためでもありません。純粋に最大限治療成績をあげるための手段を自然科学的に追及した結果です。他の世界からは滑稽に見えようが、法律に違反しようが、かまわずにそれだけ追及してきた結果です。部分的には、事故防止のために航空業界を参考にするなど、他業種のアイデアを取り入れることもありますが、大きな全体的な枠組みを他の業種から導入することは、単なる治療の阻害要因です。世界中で成功したためしの無い、医療の発展的な司法システムへの適応などできるとお思いですか。

>Level3 さん  (No.117の書き込みについて)

 ちょっと勘違いがあるようですが。

 法律家、法学はレトロスペクティブにしか物を見ない、というのは誤解ですね。過去のある時点での情報、知見をもとに考えた場合、その時点で将来の展開、事情の推移を予見できたか、という問題を考えることは、法律家にとって別に不慣れなことではなく、むしろ馴染みのある思考過程です。

 たとえば大規模な災害が起こった場合に国や地方公共団体の責任を問うような類型の訴訟では、大抵その点が問題になります。「災害発生前の天候、現場の地形、当時の土木工学の水準、行政機関が収集していた情報等を総合すると、国は土砂崩れが起こることを予見し得たのではないか?」というようなことです。

 この場合、裁判所は「とにかく結果として赫々然々の経緯で土砂崩れが起きたのだから、国は災害を予見できたし予見すべきだった。だから責任あり」などと単純に断定するわけではありません。災害発生当時(直前)のあらゆる要素を総合して、「当時、その立場では災害を予見できたのか、予見できなくともやむをえなかったのか」を判断するわけです。

 というわけで、この意味で「医療が特殊である」という主張には、ちょっと賛同しかねるというのが率直なところです。プロスペクティブな視点で行われる業務も、その業務を裁判の対象とすることも、特に珍しいことではありません。


 それから、「事後的に検討した結果、ベストの手法であったと判断できた治療」以外のものを全て「ミス」と呼ぶとすれば、その意味のミス=法律上の過失でないことは明らかです。医療に限らず、一定のトライアンドエラーを繰り返しながら行うことが通常とされる業務はいくらでもあります。そうした業務については行為者の裁量が広く認められており、そこから外れた(通常払うべき注意を払っていなかった)ケースのみが有責とされます。

 私の書き込みに、「医師にはいかなる意味でのミスも許されない」と誤解させるような箇所があったのであれば御指摘ください。この点については、繰り返し法律家の標準的な考え方を説明しているつもりなのですが・・・・。

 あとさきになりましたが、念のため付け加えておきます。No.95の書き込みで「銀行経営者の背任事件」「政治家の収賄事件」を例に採ったのは、それが医療過誤と類似しているという趣旨では勿論ありません。「事件の専門性」を強調するあまり、「専門分野の事件はその分野の専門家で裁く」というシステムを採用すると、判断の当否はともかく、外部から見て公平と受け取ってもらえませんよ、ということです。

>>No.121のFFFさん
それではFFFさんは、海難審判庁や知的財産高等裁判所もない方がよい、という立場なのでしょうか?

>FFF様

>公平と受け取ってもらえませんよ、
第三者機関に希望することは公平らしく見える結果を出してもらうことではなく、正しい医療行為であったか、地域性やさまざまな特殊性なども含めて許容されるレベルの医療行為を行ったかの医学的な結論を出して欲しいのです。それは裁判の勝ち負け以上に重要なことだと思います。
小生らは研修医の頃から10人中9人、あるいは過半数の賛同を得られるような医療行為をするように教えられてきました。(医学に絶対の答えがないから)現在はそれすらが揺らぎつつあり、萎縮医療や診療拒否に繋がっているのです。
また正しい医療行為や許容されるべき医療行為、あるいは本当の日本の医療レベルを非医療者や国民全体に知ってもらう意義もあります。マスコミとは違う正しい医療行為の是非を示せるでしょう。また啓蒙活動にもなりえます。
ただ単に説明不足を不満としていた家族ならば納得されるでしょう。

もう一点、これまで小生らは検査や手術の手技の説明、患者の終末期の医療などの教育は少なからず受けてきたと思います。しかしながら、死亡された後の家族への説明や対応、特に医療事故(合併症なども含めて)の教育はほとんどされてこなかったように思います。死亡退院後に家族と話せる機会は実際にはほとんどなく、病院自体も対応していません。家族に説明し謝罪することすらその後の訴訟の引き金となるリスクすらあります。医療事故に対する第三者機関を作ることはそのような場合ひとつの架け橋にもなり得ると思います。

>法律家、法学はレトロスペクティブにしか物を見ない、という
>のは誤解ですね。過去のある時点での情報、知見をもとに考え
>た場合、その時点で将来の展開、事情の推移を予見できたか、
>という問題を考えることは、法律家にとって別に不慣れなこと
>ではなく、むしろ馴染みのある思考過程です。

FFFさん,
予見可能性というのは確かに法律家の方も使われますが,果たして
本当に結果をblindにして「予見可能性」を考えているんでしょうか?
また,その考慮に時間というものを考慮しているのでしょうか?医
療は多くの場合時間との戦いです.悠長に文献などを調べている時
間的余裕もないのが通常です.こういった状況すべてを勘案した上
で「予見可能性」というものを考えているようには思えないのです.
裁判のように多大な時間を掛けられるものとは全く異なります.
例えて言うなら我々は常に1分将棋を続けながら正解を必死で探し
ている,というところでしょうか.麻酔科医の仕事なんぞは,まさ
に秒単位,分単位での判断が要求されます.他の領域でも多少のタ
イムスパンは異なっても似たようなものです.

まあ,何を書いても理解しようと思わない限り理解できるものでは
ないですね.FFFさんには我々が実際に働いているところを1ヶ月
ほど付ききりで見てもらう位しかないんでしょうかね...

いずれにしても現在の医療訴訟の判決は,明らかに現代医療に即し
たものとなっていない事実だけは動かしようがありません.
この問題点を法曹側が認識して,改善しようとしない限り医療崩壊
は必至のものでしょう.もちろん先に書きましたように行政の問題
はさらに大きいかもしれませんが...

FFFさんは「医学的に正しい判決」より「見た目が公平な判決」の方が優先する
という考えみたいだから話にならんでしょ。
医師の皆さんもいい加減ここらでFFFさんとの議論はおしまいになさっては。
彼の言うことをいくら聞いたり反論したところで医療崩壊は止まりませんて。

平等にはよく「機会の平等」と「結果の平等」があると言います。アメリカなんかは機会の平等を求めているのに対し、日本は結果の平等を求めていると良く揶揄されます。
しかし、人間、公平で生まれるわけがありません。従って機会の平等を求めるのは合理的でも結果の平等を求めるのは、これほど難しいことはありません。それに、結果の平等を達成するには本人の努力が不可欠になります。ところが日本人の一部は努力しないのに結果の平等を求めている人が多いと言います。
実際に生活保護を受けている人なんか、仕事が出来るはずなのにしていない人が多いです。
「医学的に正しい判決」より「見た目が公平な判決」と何か概念が似ているなあ、と思ったのでこんなことを書いてしまいました。全然違う、と言われればそれまでですが・・・。

見た目に公平に選ばれた人たちに医学的な正さを説得しなくちゃならないのは事実なので、どうしてこうも相互理解が難しいかをちゃんと分析する努力はしないといけないと思う。議論にならない、と突き放すんじゃなくて。

FFFさん。

>法律家、法学はレトロスペクティブにしか物を見ない、という
>のは誤解ですね。過去のある時点での情報、知見をもとに考え
>た場合、その時点で将来の展開、事情の推移を予見できたか、
>という問題を考えることは、法律家にとって別に不慣れなこと
>ではなく、むしろ馴染みのある思考過程です。

そうかもしれませんが、法律家は「結果を知っていることによるバイアス」を過小評価していないでしょうか?prospectiveに考えているつもりになっているだけではないでしょうか?このバイアスを科学的に排除するという発想はないのでしょうか?

> 元田舎医 さん  (No.122の書き込みについて)

 知的財産高等裁判所は、そもそも東京高裁・大阪高裁の知的財産専門部を格上げしたものでして、判断をするのは通常の裁判官であり、特許の専門家というわけではありません。

 海難審判に対しては、不服があれば裁判所(東京高裁)に再審査を申し立てることができますので、終局的には裁判官による裁判を受けることに変わりはありません。もちろん、海難審判という制度そのものには合理性があると思いますから、海難審判庁がない方がいいとは思いませんが・・・・。

 私が言いたいのは、海難審判庁や国税不服審判所のように医療事件を扱う専門機関を設置するとしても、最終的に裁判所の司法審査に服することは変わりがないし、そうした専門機関の判断が裁判所の判断を完全に拘束するとすることもできないのだから(※)、結局は非専門家たる裁判所で適正妥当な判断が得られるような工夫をしないと仕方がないのではないか、ということです。

※ こう書くと、法律家は自分達の制度を絶対だと思っていて改善する気がない、などとよく叱られる(笑)のですが、この部分は憲法でそう決まっているわけでして、憲法を改正しない限りは、それを前提に行動するしかないわけです。
 もっとも、刑事裁判については、検察庁が方針を変える(医療事故については起訴しないことにする)ことで、事実上、司法判断を回避することはできます。但し、検察審査会の判断によっては起訴が強制される場合があるので、こちらも絶対とは言えません。

>>No.128のFFFさん
コメントありがとうございます。

終審を最高裁に持ってくる、というのは私もNo.51のコメントで申し上げております。

> 通りすがりさん・yamaさん (No.125、No.126の書き込みについて)

 いや、もちろん「医学的に正しい判決」かつ「公平らしく見える判決」がベストだと思いますよ。問題は、どちらからアプローチするか、ということなのだと思います。

 ある医学的な争点についての「学問的に正確な判断」を単純に追求するなら、法律家なんて邪魔なだけでして、医師の精鋭集団による審査が最も望ましいのでしょう。ただ、その審査結果に確定判決としての強制力を与えることは今の制度上不可能ですし、制度を変えることも極めて困難です。それに、実際の医療過誤訴訟では、医療の専門知識と全然関係のない争点も多々あります。

 No.128等でも述べているとおり、現行憲法下では最終的に非専門家による司法審査(公平らしく見える審査)を避けることができないわけですから、そこを出発点として、その審査を今以上に「医学的に正しい」方向に近づける努力、工夫をしないと仕方ないのではないか、と考えています。

> 元行政さん (No.120の書き込みについて)

 No.116の冒頭に書いたとおり、様々な医学的慣行があること自体は当然ですし、それが悪いなどと言うつもりも毛頭ありません。

 学会とか医師同士のカンファレンスとか、業界内部の人間しか関与しない場面では、そうした慣行を前提にして、ジャーゴンも使いながら議論するのは至極当然だろうと思います。何の問題もありません。

 ただ、業界外の人間(患者、遺族、法律家・・・・)との接点がある場面では、業界の常識が通用しなくても仕方ないのではないか、ということです(かなり乱暴な言い方ですが)。「あいつらは業界の常識を分かっていない」と憤慨するよりは、「外部の人間にも納得できるやり方を工夫しよう」と考えた方が建設的なように思います。
 
 元行政さんの、「(医学的慣行というのは)他の世界からは滑稽に見えようが、法律に違反しようが、かまわずにそれだけ追及してきた結果」というのは大変率直な表現で、とても印象的でした。医師の方の多くが、患者の生命・健康第一の純粋なお考えで活躍しておられることに疑問を差し挟むつもりはありませんが、それはそれとして、「外部から奇異に見えるかも知れない慣行」のうち「是正可能なもの」は、法律等の社会一般のルール、一般人の感覚に沿うように変えていった方が、紛争発生を予防し、司法判断の結果を予想できるようにするという意味で、医療業界にとってもメリットがあると思うわけです。誤解に基づいて訴訟を起こされた上、医学的慣行・常識に通じていない裁判所にこれを理解させることが如何に大変か、最もよく知っているのは現場の医師の方だと思うのですが。


 話は変わります。姉歯さんの件が公になる前から、欠陥住宅の施工管理に関する建築士の名義貸し責任が裁判で幾度か争われました。大雑把にいうと、「一定以上の規模の建築物については、その施工が建築確認どおりになされているか、建築士が確認しなければならない」という法律があるのですが、建築士が管理者としての名義だけ貸して、実際には管理しない、という事例が結構あったのです。訴訟における建築士の反論は、「名義貸しは業界の常識であり、しばしば行われている。」「実際に確認していても、施工の欠陥を発見できたとは限らない。」というものでした。

 どの建築士も同様の反論をしますので、そうした「常識」は確かにある程度あったのかも知れません。しかし、近時の裁判例では、ほとんどの場合で建築士の責任が認められています。この司法判断は「業界の特殊性を理解しない不当判決」なのでしょうか。建築士業界は、そうした「常識」「慣行」があった場合、これを改める必要はないのでしょうか。

> Level3 さん、循内勤務医さん  (No.124、No.127の書き込みについて)

 お2人の仰る「結果をblindにして予見可能性を考える方法」「結果を知っていることによるバイアスを科学的に排除する方法」を裁判所の判断過程に組み込むには、具体的には、どうしたらよいのでしょうか。

 たしかに、「実際には結果が既に判明しており、何が起こったか知っている」わけで、それによる事実上のバイアスを少なくする方法があるのであれば、素晴らしいことだと思います。私にはその方法がすぐには思いつかないので、何かアイデアがあったら御披露ください(どこかで既に書かれていたなら申し訳ありません)。

>お2人の仰る「結果をblindにして予見可能性を考える方法」
>「結果を知っていることによるバイアスを科学的に排除する
>方法」を裁判所の判断過程に組み込むには、具体的には、ど
>うしたらよいのでしょうか。

FFFさん,
これまで何度も書いてきましたように,もし自分であったらそ
の場面でどのように判断したかということをそこまでに得られ
ている情報だけを頼りに考えることです.我々はそうやって状
況を中立的に判断しています.残念ながらこの作業は医療知識
を持った医師にしかできません.
従いまして,複数の医師にブラインドで状況を鑑定してもらい
その結果を「素直」に受け入れて,その上で過失の有無を考慮
する作業を裁判官が行うことです.現在の裁判のように医師の
鑑定を無視したり,自分の考えで裁判官が「医療的な判断」を
しないことです.そうすれば我々医師がトンでも判決と感じる
ような判決はなくなると思います.
繰り返しますが,我々は仲間内を庇う判断をするのではありま
せん.

私は先に中立性を保つための方策として,論文の査読(review)
と同様のシステムを提案しました.こういったシステムに沿っ
て得られた複数の回答の公約数の部分は,医学的に最も妥当で
ある判断になっているはずです.(もしそれが結果からみて真
実とは異なっていたとしてもそれは純粋にプロスペクティブに
考察した場合の標準的な医師の判断ということになります)
いかがでしょうか.

>FFF様

公平らしく見える判決やトンデモ判決が今や医学的に正しい行為を駆逐しているから問題なのです。一度訴訟が起こってしまうと、カルテや証拠の一切は取り押さえられ、また医師の守秘義務や個人情報保護法などで全ては闇の中に葬り去られる感があります。断片的な情報がマスコミやインターネットで流されるだけです。
司法の判決という形ではなくとも医学的に許容される医療行為が第三者機関によって示されなければ、手術などの侵襲の大きい医療行為や救急医療などのリスクの大きい医療を行う医師は困惑してしまうのです(多くの医師がこのブログに書いていること)。医学的信念が揺らぐとリスクの大きい医療行為ができなくなるのです。
その最たる例が地域の産科の撤退や小児救急の撤退なのではないでしょうか?
医学的に正しい判決と公平らしく見える判決のどちらが歩み寄るかはそれから先の問題のように思います。

> Level3 さん  (No.133の書き込みについて)

 早速のコメントありがとうございます。

  御指摘の「複数の医師にブラインドで状況を鑑定してもらう」という部分がちょっとイメージしにくいのですが(理解力がなくてすみません)。ある時点での病態とそれまでの診療経過だけを情報として与えて、「鑑定人ならどう治療しますか」などと尋ねる、ということでしょうか。しかし、訴訟の鑑定を依頼された以上、「良くない結果が発生している」ということは、(伏せていたとしても)容易に想像できてしまうのではないでしょうか。この点の手当てとしてどのような工夫がありうるのでしょうか。

 医療過誤訴訟では、「ある治療方法を行ったこと(又は行わなかったこと)」が過失として主張されることが多いのですが、このように、特定の治療方法を実施すべきか否かを「ブラインドで」鑑定してもらうことは可能でしょうか。

 それから、「複数の回答の公約数」とあるうちの「複数」とは、どの程度の数を想定しておられるのでしょうか。現状、1人か2人の鑑定人を探すのも一苦労しているわけですが、満足な人数の医師に鑑定人となって頂くには、どのような点が改善されればよいのでしょうか。

 また、医師の判断が分かれた場合はどのように考えたらよいのでしょうか。現状でも、原告側の協力医と被告の医師の意見は当然分かれており、かつ、鑑定人たる医師の意見とも違う場合が往々にしてあります。複数の鑑定医の間で意見が割れた場合、どの意見を採るべきなのか、何かお考えはありますか。あるいは、複数の鑑定医が独立して意見を述べるのではなく、意見を持ち寄ってカンファレンスを行い、鑑定意見として集約することが望ましいのでしょうか。

 質問ばかりで恐縮ですが、お手すきのときにでもお教え頂ければ幸いです。

しばらく、ROMしていましたが・・・

ここにお集いの「お医者さま」たち、もう少し、お医者さまになられたらどうでしょうか。

モトケンさん初め、法曹関係の方々がいわれるように、世の「正義」を信じたら良いのです。医師なら、己の信じる道を、患者さんと共に、一心に歩めばそれでよいのです。

逃散するか、それとも、私たちの初心に立ち戻り医師として踏みとどまるか、それはそれぞれの自由です。

>>No.135のFFFさん
> 御指摘の「複数の医師にブラインドで状況を鑑定してもらう」という部分がちょっとイメージしにくいのですが(理解力がなくてすみません)。ある時点での病態とそれまでの診療経過だけを情報として与えて、「鑑定人ならどう治療しますか」などと尋ねる、ということでしょうか。しかし、訴訟の鑑定を依頼された以上、「良くない結果が発生している」ということは、(伏せていたとしても)容易に想像できてしまうのではないでしょうか。この点の手当てとしてどのような工夫がありうるのでしょうか。

前半、後半ともおっしゃる通りです。
後半部分の「限界」を回避するのは難しいと思います。

それを踏まえても、前半部分は非常に大事です。
とくに画像所見、病理所見などは臨床病名がわかっているかどうかで、全く所見が変わってくる可能性があります。
出来る限りで当事者の医師を追体験していただかないと、根本的に誤った結論が導かれる可能性が大です。

また鑑定医自身、鑑定とは何なのか理解しないまま鑑定書を書いている方もいらっしゃるように見受けられます。


内部分裂を誘発させるのは攻撃戦略の常道であり、防御側としてそれに乗るのは愚の骨頂であることは理解しています。
その上で、個人的に現在の医療崩壊の主犯は「医師会」だと思っています。
具体的には「医師会のメディアコントロール戦略の失敗」ですね。
1980年代から徐々に増大してきた医療不信の声の高まりに対して、適切なマスコミ対策を取って来なかったことです。
消費者金融業界、原発に対する各電力会社、リコール隠しに対する某巨大自動車会社などのメディアをうまく御した例を挙げるまでもなく、戦略過誤は明白です。

さらに物議を醸すことを承知で言えば、医療不信の主犯は「50歳代以上の医師」でしょう。
十数年前、私が医師になって医療に関与する以前から医療不信は満ちあふれていました。
最初からビハインドを背負っていたのです。
どの世代の医師の言動が日本の医療不信を惹起させ成長させたかは言わずもがなです。
個々人の罪の軽重はあるとしても。
今さら、自分の失敗の挽回のためインパール作戦での第15軍司令官閣下よろしく進軍を命じられても下は困ります。

>それから、「複数の回答の公約数」とあるうちの「複数」とは、
>どの程度の数を想定しておられるのでしょうか。現状、1人か
>2人の鑑定人を探すのも一苦労しているわけですが、満足な人
>数の医師に鑑定人となって頂くには、どのような点が改善され
>ればよいのでしょうか。

FFFさん,人数は状況に応じて可変でもよいかと思います.
例えば,論文の査読では通常reviewerは3名程度です(2名のこ
ともありますが).場合によっては追加されて5名とかになる
こともあります.各雑誌(編集者)から依頼される論文のreview
には通常costは発生しません(つまりボランティアみないなもの
です).もちろんreviewerに全くのメリットがないわけではあり
ませんが,多くの場合労力の方が大きい(?)かと思います.
このようなシステムでも成り立っているのが現状です.なお,
reviewerは論文著者には匿名です.
reviewerの総数は雑誌によって異なると思いますが,私の知って
いるものでは1500名以上を登録しているような雑誌もあります.
それぞれのreviewerは自分の守備範囲を予め宣言していますので,
reviewerするのはその分野だけです.編集者は投稿された論文を
overviewして査読に値すると判断した論文をその分野にあわせて
reviewerを選び,reviewerに査読可能かどうかを尋ねてokの返事
を得た時に査読を依頼します.

さて,これを医療過誤の判断にどのように応用するかということ
です.雑誌にはそれぞれのスコープがありますが,医療過誤では
スコープが医療全体に及びますので非常に多くのreviewerを抱え
る必要があると思います.ただし論文査読と違い,あまり専門分
野に偏った人間を選ぶと適切な判断が難しいでしょう.公立病院
や大きな私立病院に勤務する臨床経験10-25年程度の医師を想定
すればよいのではないでしょうか.
鑑定は査読と同様に裁判の当時者には匿名とします.鑑定者には,
「もし鑑定者がこの症例をみた場合それぞれの時点でどのように
考え,どのように治療したか」を記述して頂きます.時間とコス
トを掛ければコンピュータのシステムで,分岐点と考えられる点
までごとのデータを提示しながらその都度考えたことを回答して
頂くようなものが作るということも考えられないことはないです
が,現実には困難でしょう.これなら完全にレトロスペクティブ
な思考を排除できますが.
現状では臨床医の良心を信じて頂くしかない部分は残ると思いま
す.それでも複数の医師が同じ鑑定を出したとすればそれは一般
的な意見と考えてよろしいかと思います.鑑定が割れる場合には,
さらに鑑定者を追加して意見を聞くようにするとよいでしょう.
それでも鑑定医の意見が分かれるような場合というのはおそらく
誰が担当したとしてもどちらにも決めかねるようなdifficult case
であると考えられます.
少なくともこういったシステムを採用すれば,10人の医師が10人
とも「あの鑑定はおかしい」というようなことは無くなると考えら
れます.こういったものを無くすだけで,現状はかなり改善される
でしょう.
全国規模で,こういった匿名の鑑定医を持つシステムを構築するこ
とが大切であると思われます.ただし,論文の場合と異なりいくら
かのcostを見込む必要はあるでしょう.

最後にもう一度書きますが,こうして出来上がった鑑定を裁判官が
無視するとすべては水泡に帰します.

こんにちは、整形Aです。

FFFさん、日本の医療費が大変安く設定されているにもかかわらず、認められる損害賠償額が多い(と医療サイドは考えている)点についてはいかがでしょうか。
こちらのエントリーに書き込まれる法律家はFFFさんが圧倒的に多いので、失礼ながら指名させていただきました。申し訳ありません。

以下は、「割り箸事件」のエントリーでのoregonianさんの書き込みです。非常に示唆するところが多いと思います。
ちなみにこの文章を発見(笑)したときには、ちょっとした感動をおぼえました。僕自身が常々思っていることを、このように流れるように、かつ論理的な文章で表現されていたからです。引用しようと思ってどこかを削ろうとしたのですが、どこも削るところがありませんでしたので、長文の引用になってしまいました。

このような文章を書かれるoregonianさんを尊敬するとともに、うらやましくも思います。
あ、ついでといってはなんですが、FFFさんをはじめ法律家の皆さんの文章も非常に論理的です。法律家が日常業務として、論理を積み重ねて文書を作成しているからなのでしょうか。
医師の仕事はその点、感覚的なんだなーという気がします。

以下引用

>日本における医師と患者の治療契約は自由契約とはほど遠いのにもかかわらず、これをあたかも他の契約と同じように扱っていることです。
>
>ご存知のように日本の医療システムは国民皆保険制度の上になりたっています。そしてすべてのシステムに共通する事ですが、この制度には功罪があります。優れているところは、国民に低価格でほとんどの医療機関にアクセスできる事を保証していることでしょう。逆に問題は個々のサービスの価格をきちんと評価していないことです。
>
>今回の割り箸事件では時間外の救急外来でのできごとですが、はたして保険機関はどう評価しているのでしょうか。価格表が今手元にないので正確には答えられませんが、せいぜい普段の料金に数千円を上乗せしているだけです。くだんの当直医はいくら当直料をもらっていたでしょうか?おそらく1〜2万円程度ではないかと思います。価格決定権が契約者にない契約で一億円にものぼる損害賠償の請求は法外と考えます。
>
>医療崩壊のお話ですが、私は日本の医療供給システムは世界でも最高水準にあると思っています。質については全体としてはアメリカには多少劣る面がありますが、コストパフォーマンスとアクセスが抜群に優れています。
>
>割り箸事件ですが、はたしてこのお母さんがアメリカに住んでいたとしたら転んだ子供を見てすぐに救急外来に救急車でつれていったでしょうか?救急車は有料、時間外に救急にかかれば診察だけで数万円、それもすぐにみてもらえるわけではありません。脳外科にコンサルトして緊急のCTをとったとしたら診察料は20万円をこえます。ちょっと見て子供が元気そうだったらつれていくことに二の足を踏むと思います。
>
>私はこちらで基礎医学の研究室で働いていますが、夫婦と子供一人の医療保険にひと月約10万円弱を支払っています。実に給料の1/4です。これでも診察料の8割しかカバーされません。また受診できる医療施設も限られています。もっと安い保険に入ればそれだけ保険から支払われる割合が減っていくし、うけられる検査の種類や使える薬の種類がぐんと減ります。まさに命はおかね次第です。
>
>まったくシステムが違うのに日本でもアメリカのように治療に納得がいかなかったら損害賠償を請求する、ということが認められているのが驚きです。現在の民事訴訟のありかたでは日本の現在の医療供給システムは崩れます。アメリカのシステムのおいしいところだけとることは無理ではないでしょうか。
>
>もうひとつ、これはこちらにきて初めて知ったのですが、私の住んでいるオレゴン州では公的医療機関に対する医療過誤の民事訴訟において、請求できる損害賠償額は50万ドルまでに制限されています。オレゴン州に医科大学は1つだけですが、ここは半官半民の施設なのでやはり50万ドルまでしか請求できません。全米の約半数の州でこのように損害賠償の上限が決められています。
>
>アメリカでは日本よりかなり高い医療費を払った上でも損害賠償額に制限がかけられていることを考えると、日本の現状がいかに患者よりに作られているかがわかります。医療崩壊がおこったら損をするのは患者側です。わたしも一人の患者として現在のシステムを維持してほしいと思っています。

引用終わり
何度読んでも自分的には名文です。
oregonianさんにお願いなのですが、oregonianさんの名前や州の名前は伏せますので、この文章を地元医師会の会誌や他のMLなどで紹介させていただいてもよろしいでしょうか。
もちろん不可でも全然かまいません。

No.131  FFF先生

けっこう前に、医師の場合も名義貸し問題がありましたね。しかしこれに関しては、行政や法律に文句を言うことはあっても、従う必要はないとかいう話は決して上がってきません。医療側ではなくて司法が改めるべきと言っているのは、治療の根幹に関わる部分の話です。前述したように、改めることによる医療上のメリットはほとんどない(発展的はありえないという話)だけでなく、治療自体ができない分野内容すらあるでしょう。大雑把に同じように見えること(例えば患者側も医療側も同じように不満を持っているからおあいこだみたいな話)を細部の検討なく同じ枠で括ってしまうのは愚かなことです。理解が浅いことを自分から暴露しているようなものでしょう。

相手が間違っていても、実を取って相手に合わせるというのは時には必要なこともあるかもしれません。しかし司法の暴走は、ちょっとした対応でなんとかなるようなレベルをはるかに超えています。例えは悪いかもしれませんが、産科を今の状況で続けている人は、酒酔い運転をしても自分は事故らないと思っている人に通じるようにさえ思えます。司法に合わせた正しい対応が、医療をしないということになってしまうレベルに、一部の分野はなっているということです。
通常、どんな領域でも知れば知るほどその分野に対する共感は増していくものです。賛同できない場合でも、理解できるものです。実際、私も弁護士活動という領域との接触で、かなり強い共感を感じています。しかし、医療裁判に関しては、マスコミのニュースだけでなく、判決文を読むなどの活動を通じ、知れば知るほど、とんでもないものであるという意識が強くなるだけでした。これは医療裁判を調べている医師の共通の認識だと思います。

>FFF様
>現状、1人か2人の鑑定人を探すのも一苦労しているわけですが、
>Level3様
>10人の医師が10人とも「あの鑑定はおかしい」というようなことは無くなると

FFF様はおそらく原告側の弁護士となられることが多いように想像されますが(間違っていれば申し訳ありません)被告側の鑑定医を見つけるのは比較的簡単なのではないでしょうか。例えば、小生の近くで起こった医療事故でも多くの医師が被告医師の証人となりました。全て庇い合いではなく、同僚ではないものもいます。
このブログに書かれているような割りばし事件や金沢大学附属病院の訴訟、福島県の産科医逮捕などを見ても10人中9人から10人の医師が過失なしと考えるように思います。だから過失ありという原告側の鑑定医を見つけるのは極めて大変なことだと想像できます。にもかかわらず、極めて少ない過失ありの鑑定医(例えば知名欲や名誉欲にかられたトンデモ医師)を見つけ出し、裁判で過失ありとする鑑定医の意見と過失なしとする鑑定医の意見を一対一で戦わせることは、その時点で統計学に反するもの(バイアスをかけてしまう行為)と考えます。
これまでの訴訟で医学的に驚くような結果が出ているのは原告側、検察側が無意識のうちに行っている(バイアスをかける)行為によると思うのですが如何でしょうか?

>これまでの訴訟で医学的に驚くような結果が出ているのは原告側、
>検察側が無意識のうちに行っている(バイアスをかける)行為によ
>ると思うのですが如何でしょうか?

uchitamaさん,
そういうことは十分に考えら得ると思います.

本来の裁判の方法から外れてしまいますが,私の考えていることは
第3者機関を作るという考えの元では,原告被告がそれぞれ鑑定人
を探すのではなく,裁判所が第3者機関に一括して鑑定を求めると
いう形を想定しています.鑑定人の選択に関しては,先にも書きま
した論文のreviewのように予め登録されている何千人か(このくら
いは少なくとも集めておくことが要件になりますが)の中から,そ
の専門分野の人間を無作為に複数(数については先にコメントしま
した)選択することを考えています.鑑定人はブラインドで鑑定し
てその結果を裁判所に返し,それに基づいて裁判を行う.
私は法律に関しては素人ですので,かなりトンでもないことを言っ
ているのかもしれません.ただ,少なくとも医療過誤を判断する部
分に関してそれぞれが自分たちに有利な鑑定書を持って来るという
スタイルそのものに問題があると考えておりますので,このような
システムを考えました.
ご意見をお聞かせ下さい.

第三者機関案は裁判所から独立した機関ですよー
報告書をまとめて場合によっては刑事立件も考えるということで
裁判の前段階の話になります
法務省や裁判所じゃなくて厚生労働省管轄予定です

>uchitamaさま
>被告側の鑑定医を見つけるのは比較的簡単なのではないでしょうか

裁判所が命じる鑑定医というのは、原告被告とも違う、第三者の立場で
鑑定を行うものだと思っていたのですが、違うのでしょうか。


>Level3さま
似たような試みはすでにはじまっているようですが
機能しているか否かは存じ上げません。

>最高裁は二〇〇一年七月、鑑定人の早期選任などを目的として、
>医事関係訴訟委員会をスタートさせた。委員会のメンバーは、医師や弁護士、
>有識者ら十三人。委員会は二カ月間隔で開かれ、各裁判所から鑑定人候補者の
>選定依頼を受けると、それぞれの事案にふさわしい専門分野の医学会に鑑定人の
>推薦を頼む。医学会から推薦されてきた候補者を、委員会は各裁判所に推薦し、
>裁判所が鑑定人として選任するというのが大まかな手順だ。
http://www2.tky.3web.ne.jp/~norin/iryokantei.html

だからもうマジメに相手しない方が・・・・「彼」が本当に弁護士かどうかも分からないわけですし。知性と社会性の程度から判断するに三流私大の法学部生が覚えたての知識をヒケラカシテ悦に入ってるってところじゃないですかきっと。あれが弁護士だったら法務省の見識と自浄作用のなさにビックリです。

整形Aさま(No.139)。

そのようなおほめのお言葉をいただき非常に恐縮しております。割り箸事件のエントリに書き込んだ4月のはじめのころは、そうとう頭に血がのぼっていたため毎日こちらにおじゃましておりました。そういう状態で書いたので、今見直してみると少し筆が滑っています。

私は一つの州で、一つの保険会社で、一つの医療機関しか利用していませんので、とてもアメリカの実情を伝えられる経験を持っておりません。そこに書いたことは事実ですが、民間医療機関を訴える場合には通常賠償額の上限はありませんし、保険の種類によっては治療費が100%カバーされるものもありますから、ひとりひとりの立場により受診行動は異なると思います。

また、過失や注意義務、医療保険のありかた、国家の国民に対する責務などについてもこの半年で少し考え方が変わってきたので、今ならもう少し違った表現になると思います。

あくまで一つの見方として引用されるのであれば別にかまいません(ただ私はモトケン先生のブログの参加者を信頼してある程度素性を明かしているので、その点をどうかご配慮ください。)

あの当時はなぜ業務上過失致死傷罪という条文が刑法の中にあるのかどうしても納得がいかなかったので投稿しました(初投稿です。)ずいぶん長文をくりかえし投稿しているのでスレをあらしてしまったかもしれません(皆様すみません。)

あれから刑法の理論について少しずつ勉強していますが、今でも過失犯を処罰しないという法体系も別に荒唐無稽ではないと考えています。現在ある刑法をそのまま受け入れるのも大事ですが、自分の頭の中でまったく新しい刑法を作ってみるのもおもしろいものだと思います。

oregonianさん

整形Aです。
引用の件、快諾いただきありがとうございます。
すぐにどうのというわけではないのですが、何かの時に「留学中の医師の経験」といった感じで使わせてもらうこともあろうかと思います。

また、僕自身も自らの立場や素性をある程度明らかにすべきと思いますので、「足跡帳」に自己紹介させていただきます。

すいません、昔(と言っても1週間前)の話を蒸し返して申し訳ありませんが、
前エントリー(No.168)で

>「民事裁判では弁論主義という仕組みがとられていて、原告と被告が争わない事実については、訴訟上真実と認め、それを前提に裁判を進めることになっています。
上記の裏返しですが、裁判官が判断を下すのは当事者が争った部分だけです。」
(医療崩壊に対する制度論的対策についてのNo.98 PINE様のご発言から引用しました)ということです。刑事訴訟については触れられていませんが、「公判前整理手続き」という段階があることからして、大差ないものではないかと思いますが、これは私の誤解でしょうか?

という書き込みを私がしました。が、刑事事件でほんとに目の前にこれを覆す判決があったのをすっかり忘れていました。
 ご存じ、杏林割り箸事件です。かの事件では「カルテ改竄」の件について検察、弁護側双方とも公判中一切触れられていませんが、判決文には記載されています。こういうケースは刑事事件では希ではないのでしょうか?

 あるいは判決趣旨に触れなければこのようなコメントは日常的に行われるものなのでしょうか?

カルテ改ざん問題について補足すると
「一切触れていない」といより「論証していない」ということです
証言の中では「診察中には書いてなかった」とする母親の証言があります
直接的な根拠はこれだけ。
(検察側主尋問の質問は改ざんを示唆してるようでもありますが
直截的言及はありません)
他は裁判官が他の診察に関する(事件関係者、関係者以外の医師の)証言・
被告人陳述とカルテ記載から判断したものです。
(刑法用語で職権主義というんでしょうか:裁判官が主体的に調べること:
日本の刑事裁判は戦前は職権主義、 戦後はマッカーサー改革で
当事者主義メインだけど職権主義もちょっとあり、ということなので
今回裁判所が判断をしたこと自体は違法にはならない、のかな?)
どこでどのようにして書いたのかという考察は判決文にも一切ありません。
検察側論告や弁護側の最終弁論では一切論点になっていません。
業務上過失致死の構成要件でもありません。
さらにいうと無罪なのでこの判断に異議が有っても
被告人に控訴する権利がありません。
そして大々的に事実として報道されているわけです
こういうのを法律屋さんの世界では公正な手続きというのかと
わたくし 疑問に思っています

整形Aです。

僕がoregonianさんの意見に共感するのは、医療がはたして通常の商行為、契約と同じであろうか?というところがあります。

oregonianさんがおっしゃるように、日本の医療は価格決定権が当事者にありません。ほとんどが保険診療の枠内で行なわなければならないのです。
保険診療を行なわない、つまり自由診療という選択肢はありますが一部を除いて現実的ではないでしょう。
また医療を提供する側にはいわゆる応召義務があり、基本的に診療を拒否できないことになっています。さらに僻地など地方の病院になりますと、患者さんを紹介したくても紹介する先がなくて、実質的に最終的な治療を行なうのが「義務」に近いものになっています。

このような一方的な立場におかれた場合に、それが通常の「契約」とよべるのでしょうか。たとえば893に周りを囲まれて、「ここにはんこを押して署名しろ」といわれて結んだ契約はおそらく有効ではないでしょう。それと似たようなところがあります。
もっとも患者サイドにしても、他に医療機関がなければ選択の余地はないわけで、そちらから見ても同様の可能性はあります。

また多くの病院において、医師にとって、外来の診察は通常の勤務(病院との雇用契約)の一環といえると思いますが、治療となるとむしろボランティアに近いものといえるでしょう。その理由を述べます。

診察の後、その患者さんに対してどんな治療を行なうか、あるいはそもそも自分が治療を行なうかどうかの決定は、医師個人の裁量によるところが大です。また、ある治療を行ったからといって、それが医師個人の収入につながることはまずありません。
では医師がなぜ治療を行うかといえば、それは第1には患者さんのためにであり、2番目以降に自分の腕を磨きたいとか、手術そのものが好きだとか、研究や資格のため症例数を増やしたいとかが来ると思います。決して収入を上げることが主目的ではありません。
歩合制の病院もあるでしょうが、基本的には営利を目的とするわけではなく、自発的奉仕的な、まさしくボランティア活動なのです。

もちろんボランティア活動だからといって、不法行為(民事刑事ともに)が許されるわけではありませんが、少なくとも通常の商行為における「契約」とは同一視できないのではないでしょうか。

医療行為は、近所の野球好きのおっさんが少年野球の監督を引き受けるようなものです。
監督は基本的には少年たちのため。他に引き受け手がいないとか自分自身の生きがいといった側面はありますが、ボランティアといっていいでしょう。

野球の対外試合に監督がマイクロバスを自分で運転して少年たちを連れて行くこともあるでしょう。その途中で交通事故があったとします。
運転者である監督が運転を誤ったのであれば、それ相応の責任はあるでしょう。ですが、相手側が悪かった場合は監督に責任はないはずです。それを、「そもそもあんたが対外試合を組んだりするからこんなことになるんだ」と非難する親がいたらどうでしょうか。あるいは「交通事故が起きる可能性があるという説明は受けなかった」とか・・・。

また普段の練習でも、野球をするかぎりは多少の怪我はつきものです。運悪く骨折などをすることもあるでしょう。
監督はチーム全体を見てある程度は把握しておく必要があるでしょうが、一人で広いグランドの隅々まで見れるわけではありません。
子供をチーム(監督)に預けている親とて、野球をさせている以上、野球に伴う怪我は当然覚悟するなり許容すべきものではないでしょうか。それを、「子供に怪我をさせた」と非難することが妥当でしょうか。

もっと極端な例を出すなら、子供の野球の技量が上達しなかった場合に「あんたの教え方が悪かったから、うちの子は下手なままだった。許さん。訴えてやる」なんて親が言い出したら・・・。
おそらく少年野球の現場でそんなことを言う親は(そんなには)いないと信じています。親たちも監督がボランティアであり、通常の商行為とは違うことをある程度認識しているからです。
もしそんなことを言う親ばっかりだったら、誰も少年野球の監督など引き受けなくなってしまうでしょう。

患者側やマスコミ、法律関係者、そして何より行政が、現在の日本の医療の多くは、医療従事者のボランティア精神によって支えられていて、通常の商行為の「契約」とは違うんだということに気がついてくれたら、と思います。
今程度の医療費で行くならばこのままボランティアとして医療従事者に過大な責任を負わせるべきではありませんし、もし「契約」にするのならばもっと医療費を上げるべきでしょう。
ところが実質ボランティアに対し通常の商行為どころか、より高度の注意義務を課した「契約」と考えている現状では、医師が逃げ出すのは当たり前です。

もっとも当の勤務医自身が「医療はボランティア」をどの程度認識しているか疑問なところがあります。皆が認識してしまえば「こんな環境でボランティアなんてやってられんわ」と「逃散」はあっという間に進行してしまいます。それがそれほど進行していないということは、認識していないか自分はまだボランティアをやれるという自信があるからなんでしょうかね。

私は医療システムの維持について、我々患者も含めたすべての国民が何がしかの責任を負っていると考えています。その意味で、患者の権利意識というのは方向性としては間違っていないと思います。そして権利がある以上責任もありますから、医療崩壊があるとしたら、その責任を個々人が受け止めなければならないと思います。また、個々人が責任を受け止めるなら崩壊後の再建も建設的に行われるのではないかと思いますし(希望)、そうでなければ徒にフラストレーションを医療にぶつけるなど(イギリス型?)再建を阻害することになると思います(予想)。

そのためにも、医師の方にはあきらめずに医療の実態を伝え続けていただきたい(逃散しないでとはとてもいえませんが)と願っています。勝手なお願いですが(^^;

>整形Aさま
>今程度の医療費で行くならばこのままボランティアとして医療従事者に
>過大な責任を負わせるべきではありませんし、もし「契約」にするのならば
>もっと医療費を上げるべきでしょう。

医療従事者がどこまでの責任をもつか、患者はどこまでの治療を求めるのか、
明記してあるのが「契約」だと思うのですが、現状では書面が作成されてないので、
責任が非常に曖昧な状態なのではないでしょうか。

つまり、双方が合意してないうちに治療がはじまるのが問題なのかと思います。

特に時間外 救急 専門外 小児 稀な疾患などでは
契約というなら最初から遠慮しますという医者も少なくないでせう
ちなみに割り箸事件ではこれらの要素が全部含まれてます

>似たような試みはすでにはじまっているようですが機能している
>か否かは存じ上げません。
>最高裁は二〇〇一年七月、鑑定人の早期選任などを目的として、
>医事関係訴訟委員会をスタートさせた。委員会のメンバーは、医師
>や弁護士、有識者ら十三人。委員会は二カ月間隔で開かれ、各裁判
>所から鑑定人候補者の選定依頼を受けると、それぞれの事案にふさ
>わしい専門分野の医学会に鑑定人の推薦を頼む。医学会から推薦さ
>れてきた候補者を、委員会は各裁判所に推薦し、裁判所が鑑定人と
>して選任するというのが大まかな手順だ。

しまさん,
情報ありがとうございました.現状ではこのシステムの詳細が不明で
すが,個人的には人選が最も大切です.私が先に書きましたようなシ
ステム(臨床歴10-25年程度の現役医師を数千人規模でreviewerとす
る)でないと公平性と妥当性が得られない可能性があると思われます.
しかもこの候補者を学会などが推薦するのでは適切ではありません.
少なくとも大学のスタッフは入れるにしても一部に止めるべきです.
(自分も大学に属しながらこんなことを書くのも何ですが)大学のス
タッフで臨床の腕のよい人間はわずかです.大学にしか存在できない
トンでも外科医というのも少数ながら存在します.
鑑定人の推薦が適切に行われればよいのですが,選ぶ側が正しく考慮
できるかどうか不安です.また最低でも3名の鑑定人が必要です.
名前ばかりのシステムでは結局一般病院の臨床医が妥当と考えられる
鑑定を出せるかどうか疑問です.

もちろん,まともに機能するのであれば有り難いことなんですが...

> 元田舎医さん、Level3 さん (No.137、No.138の書き込みについて)

 詳しい御説明ありがとうございました。現状の鑑定実務を前提にする限りなかなか実現が難しそうな部分もあるのですが、鑑定の精度・速度・信頼性が向上するのであればいずれの立場からもメリットがありますので、この考え方をヒントに、ひとまず試行的にでも新しい方法による鑑定をやってみたら大いに参考になりそうですね。

 ただ、患者サイドや裁判所からこうした改革案が突然出てくることはまずあり得ないでしょうから、医療サイドが様々なチャンネルを通じて働きかけをしていく必要があるのだろうと思います。こちらにおいでの医師の方には医師会の評判がすこぶる悪いようですが(笑)、医師会であれ何であれ、もっと臨床現場の医師の方の声を反映・発信できる組織があるとよいのでしょうね。

> なな さん   (No.145の書き込みについて)

  弁護士については自治権が認められていまして、除名等の懲戒処分を行うのは法務省でなく所属弁護士会です。司法試験委員会は法務省内にあるので、まったく関係ないとまでは言えませんが・・・・。

> uchitama さん   (No.141の書き込みについて)

 しまさんもコメントしておられますが、単に「鑑定」という場合、裁判所が依頼・選任する第三者による判断のことを指しています。一般的な手順としては、原被告のいずれかが鑑定を申請し、鑑定事項(鑑定人に対する質問事項)をどうするか原被告・裁判所で協議し、鑑定人の人選についても原被告双方から意見を聴取し、裁判所が然るべき立場の専門家に依頼する、という感じです。

 したがって、鑑定を依頼する段階では、もちろん、鑑定意見の内容は分かりません。これに対し、原告や被告が独自に専門家に意見の提出を依頼することもあります(「私的鑑定」ということもありますが、ちょっと紛らわしい感がありますね。)。原告がこうした協力医を探すのは、御指摘のとおり困難です。医師の方と違って、そもそも相談・依頼できる人数が少ないということに加え、やっと「過失あり」との見解を頂けても、被告の病院や医師、あるいは系列病院や大学との関係悪化を心配されて、実名での協力をお願いできないケースが多々あるからです。

> 整形A さん   (No.150の書き込みについて)

 おそらく、裁判所は、医療行為を典型的な「契約」であると単純に考えているわけでもないし、「商契約と同じく契約だから〇〇だ」などと結論を導いているわけでもありません。

 多くの判決では、一応のところ医療行為を「契約」と位置づけてはいるのですが、これは、民法で事件を処理する関係上、そう理屈づけざるを得ないからです。細かい話になりますが、相手に損害賠償請求をする場合は「不法行為」か「債務不履行」のどちらかになるところ、「債務不履行」と構成する方が請求する側にとって多少有利なので、原告は普通「債務不履行」構成を選択します。すると、その前提として、「ある時点で診療行為を行うことを内容とする契約が締結された」と主張することになるのです。

 というわけで、医療を「契約」と見るのは、言ってしまえば便宜上そういうことにしている、という面があるように思います。少なくとも、「医療も契約なんだから会社間の契約と全く同じように扱えばよい」という考え方は、一般的ではないと認識しています。

> 元行政 さん   (No.140の書き込みについて)

 No.116、131の趣旨は、決して「司法に合わせろ」とか、まして「相手が間違っていても、実を取って相手に合わせろ」ということではないのですが・・・・。

 例えば薬の使い方について、「説明書どおりに使わない場合がある」という実態があることはよく分かりましたし、「それは製薬会社の保身からくる」という事情も分かる気がします。ただ、医療業界に関係ない人からすれば、ましてや医療過誤に遭ったと考えている人からすれば、「注意書きどおりに薬を使わないなんてとんでもない」と直感的に感じるだろうし、それに対して、いちいち業界の事情を説明するのも難儀なのではないかと思うわけです。更に言えば、裁判所が「注意書きどおりに使わなかったら原則として過失あり」と判断したとしても、それは、はっきり言って仕方がないのではないかとも思います(理由については上記の書き込み御参照)。

 このように、「外部から奇異に見える部分」については、上記のような誤解を招かないように、「可能な限り」是正した方が、医療サイドにとっても有益であろう、ということです。上記の薬の例でいえば、現場での真っ当な使用方法に合致するように、何らかの方法で薬の注意書きを改めさせる(過度な記載を緩和させる)ことが是非とも必要だと思います。ただ、その方法としてどうすべきなのか、部外者である私には分かりません(広い意味での医療業界が自ら改善すべき問題だろうと思います。)。

 なお、「薬の使い方」というのはたまたま目に付いたものを挙げただけですので、特にそれに拘る趣旨ではありません。また、繰り返し留保しているとおり、「可能な部分があれば」改善した方がいいと言っているのであって、医療の全局面を標準化できるなどとは全く思っておりません。

 繰り返しですが、ただ「業界の事情を分かっていない」と不満を述べるのではなく、「事情を分からせる」「分かりやすい体制にする」努力が必要であろう、という趣旨です。透明性、説明可能性を可能な限度で向上させるべきだという発想です。社会におけるごく当たり前の、自然な考え方のようにも思うのですが・・・・。

> 整形A さん (No.139の書き込みについて)

 現行の法制度上、契約の対価・報酬と損害賠償額は直接関係しない(前者が後者を限界づけることがない)ので、「日本の医療費は安いから、賠償額も抑える」という発想がそもそもありません。

 例えば、1000万円する美術品の輸送を20万円で依頼し、運送中にこれが粉々に壊れてしまった場合、依頼者は20万円でなく1000万円の賠償を求めることができます。

 医療過誤訴訟(死亡事例)の場合、損害として主張されるのは、死者の逸失利益と慰謝料です。そして、死者となった者の条件(年齢、性別、死亡時の年収等)が同じであれば、医療過誤に限らず、どの類型の訴訟でも概ね同等の金額が認容されるのが現状です。典型は交通事故です。

 法律を改正すれば、「損害賠償額の上限」を決めることも一応は可能です。たとえば取締役の会社に対する賠償責任については、近年の商法改正により上限が設定されました。ただ、これは賠償額が数百億に上る場合があるという特殊性が考慮された結果ですので、医療過誤についてすぐに同様の改正を行うことは困難と思われます。

 医師の方も、「タクシーの運転手は、数百円の代金しかもらわないのに、交通事故で客を死亡させた場合、億単位の賠償責任を負うことになってかわいそうだ。」とは思わないのではないでしょうか(代金が自由に決められないのは医療もタクシーも同じですが)。ちなみに、単なる好意で車に同乗させてやり、事故に遭わせてしまった場合も、原則として(※)損害賠償は否定・減額されないというのが裁判例です。賠償額の点は、さしあたり保険でカバーするしかないと思われます。

※ たとえば、運転手が酔っていることを承知で同乗したような場合は減額されることがあります。また、慰謝料を若干低めにすることは、たまにですがあるようです。

>FFF様
>被告の病院や医師、あるいは系列病院や大学との関係悪化を心配されて、実名での協力をお願いできないケースが多々あるからです。

それは結局家族の感情を気遣って遠まわしな言い方でNo(過失なし)と言っているのではないのですか?変な家族なら逆恨みされることもあるでしょうから。
(医療訴訟でそこまで人を憎めるのかと不思議になることもあります。特に割りばし事件などを見ていると。)

いきなり第三者機関と言わなくても、例えば公判前整理手続き、あるいはもっと前の段階ででも弁護士と検事、原告弁護士が話し合い、各種の臨床学会に依頼を出して
例えば内科なら内科学会、循環器なら循環器学会などで無作為の10人の医師に手紙を出すあるいは集まってもらい第三者的意見を集めるだけでもかなり違うと思いますが。ただしこの時’齢30-50の現役の勤務医(被告の前後5年くらいが望ましい)地域性などを考慮(勤務状況も考慮)5澣沺¬覺屐∪賁膤阿覆匹瞭端貔には特に留意することなどを盛り込んで評価してもらえば良いのではないかと思います。正式に申し込めば、協力してくれると思いますが如何でしょうか?
FFFさんが思っている以上に医師は案外ドライだと思います。循環器の雑誌などで知り合いの論文の査読が回ってきても案外冷酷にrejectする人も多いですから。
多数の母集団の中の無作為ということが特に重要と考えます。被告家族の感情に配慮するあまり、苦労して極めて数少ない過失ありという鑑定医を同数だけ集めてくることは意味のない行為だと考えます。

>タクシーの運転手は、数百円の代金しかもらわないのに、交通事故で客を死亡させた場合、億単位の賠償責任を負うことになってかわいそうだ。

タクシーで客が死亡する確率は極めて少なく一万分の一以下、恐らく十万分の一くらいの確立だと思うのですが、それに比べ外科手術の死亡率は0.1-1.0%くらいです。
ちなみに、もし治療されなければ、心筋梗塞なら3分の1、癌ならばほぼ100%、虫垂炎ですら手術されなければかなりの確率で死亡するのです。
確率の極めて少ないものや、希少な意見を同じテーブルの上で議論するFFFさんの論法にはかなり違和感を覚えるのですがそれが法律家一般の考え方なのでしょうか?
医学や自然科学ではひとつの事象や仮説を評価するのに、それと同じバックグラウンドのものを無作為に選び検討するのが常套です。そういった確率やバイアスの排除(統計学的な有意さ)を考えなければ、医療過誤の判定も鑑定医の選出も誤ってしまうと思われます。

>  uchitama さん (No.161の書き込みについて)

 いや、決して過失なしという見解ではありません。医師の方から、「過失はあると言わざるを得ないが、被告医師・病院との関係上、名前を出しての協力はできない」、と言われるケースは多々ありまして、そのような場合には匿名での御協力(医学的見解を教示して頂き、それを準備書面に反映させる、医学文献・資料を紹介して頂く等)を頂戴しております。こればかりは、苦労を実際に経験している者でないと実情は理解しにくいところがあるのかも知れません・・・・。この点の困難さを訴える文献やホームページは多数ありますので、よろしければ探してみてください。

 もちろん、uchitamaさんの仰るような「ドライな」医師も相当数いらっしゃるとは存じますが、現実問題としては、医師のしがらみ(出身大学、系列病院等々)の強さに悩まされることしきりであります。こうした現状があるので、原告側代理人は、裁判所が鑑定人を選任する際、「被告医師の出身大学と関係ない人を選任してくれ」と要求しているのです。

 ちなみに、私は利用したことがありませんが、協力医の紹介サービスを目的とする企業もあるようです。これによると、カルテに対するコメントを実名で行うか匿名で行うかによって、医師に支払われる報酬が3倍〜10倍も違ってくるとのことです(下記url)。まさに、医師の方から実名での協力を頂くことが如何に困難かということを示す証左だと思われます。

 http://www.cabrain.net/malpractice/doctor/

整形Aさま(私より年長ですがあえて「先生」をつけないことはお許しください。)

訴訟社会、契約社会、自己主張社会、弁護士社会のアメリカが、そのうちに崩壊すると言われつづけているのに、その社会がきちんと機能し続け、しかも経済的にも成功しているのは、ボランティア精神が国民にしっかりと根付いているところにあると思っています。

公立学校、公立病院をはじめ、およそ公立の施設がなりたっているのはボランティアの活動があるからで、これがなければとっくに崩壊しています。またアメリカでは住民は自分の住んでいるコミュニティの維持に非常にエネルギーをそそいでおり、これはほとんどボランティアが行っています。

ボランティアの効用はさまざまですが、一番重要なことは、ボランティア活動を行うことで社会にインボルブされることです。たとえば学校内での子供の安全確保のためにほとんどの学校では父兄が交代で毎日教室内にいます。教師が授業をする手伝いもしますし、校内の清掃なども行います。このように学校の活動に深くかかわるため学校教育に対して外から自分の要求だけを学校に押し付ける人はいません。父兄はここは自分たちの学校だ、という意識を強く持っています。

もし学校がボランティアをうけいれずに、警備員や清掃員やアシスタントを雇ったとしたら大きな費用がかかる上に、いくらサービスを向上させようとがんばったとしても、必ず現状に不満をとなえる父兄がでてきます。いくらお金をつぎ込んでもみんなを満足させることは不可能でしょう。

アメリカでは人の手をかけるサービスは非常に料金が高いので、こうしたボランティア活動を金額に換算すると莫大な額になると思います。通貨の移動は伴いませんが、実質的には大きな経済活動です。アメリカ社会は通常の通貨の移動を伴う経済と、精神的満足を媒体としたボランティア活動との二重の経済構造になっていると言えるかもしれません。

また社会にインボルブされた人は容易には人を訴えません。訴訟社会だからといっても、公園で頭の上に木の枝が落ちてきたからと訴える人や、学校に外部の人間が入ってきて生徒が傷害をおっても、学校の管理責任を問う人はいないように思います。公的サービスは自分たちが維持するもので、企業が作った商品を買うのとは全く違ったものだと考えているようです。このことはアメリカの社会を安定させていると思います。

さてひるがえって日本の状況ですが、通貨の交換を伴う経済活動に過度に依存しすぎているように感じます。お金は現代経済を維持する上で非常に重要なものですが、それだけでは限界があるということです。

整形Aさまが例に出された少年野球ですが、もしこれを安全に運営するための費用をすべて積み上げたら莫大な額になります。監督の他に複数の監視員の日当はいうまでもなく、さまざまな事故にそなえる保険料などなど、通常の経済行為に換算してしまうと、こういった活動は維持することが不可能です。

整形Aさまの言われたいことは非常によくわかります。医療の中にはボランティア的な要素が非常に多く含まれています。医療の中からボランティア精神をのぞいてしまうと、そのコストは途方もないものになってしまいます。救急医療、小児医療、地域医療、時間外医療、専門外診療はその多くを医師のボランティア精神におっています。

私は良質な社会活動を維持するにはボランティア精神が必須であると考えます。そして法体系の中で、ボランティア的な活動をきちんと位置づける必要があると考えます。

> uchitama さん   (No.162の書き込みについて)

 タクシーの例えは、No.139のテーマであると考えられる「契約の対価が安いことを理由として賠償額を制限するというルール」の妥当性を検証するためのものです。上記ルールが一般的に妥当と認められるかどうかを検証するには、医療過誤訴訟という特定の局面だけでなく、様々な局面について適用してみないといけません。そこで、タクシーとか運送会社という例を出して、そこに上記ルールを適用したらどうなるかを実験したわけです。

 というわけで、タクシー運転手と医師が似ているとか、交通事故と医療事故の頻度が近いという趣旨では勿論ありません。

 なお、以上のような考えが、法律家一般の考え方かどうかは分かりません。

>カルテに対するコメントを実名で行うか匿名で行うかによって、医師に支払われる報酬が3倍〜10倍も違ってくるとのことです

じゃあ50倍払えば小生が実名入りで過失ありのコメントをつけると言えば雇ってもらえますか?(笑)そういうサービスを利用すること自体が医療訴訟における誤審の元凶のように思えます。バイアス以外の何ものでもない!
結果がどちらに出るにせよ、多数の母集団の中から無作為に選ばれた、出来れば被告医師と似たバックグラウンドの複数の(できれば10名近い)鑑定医をの意見を得るための努力をしてください。そうできるように努力していきましょう。よろしくお願いいたします。

・・・・意味分かりません。誰かこの記事の解説をしてくれますか・・・・

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200609151700_06.html

経鼻挿管で脳幹を傷つけるってのは初耳なんですが、そんな合併症ってあるものですか?

>FFF様
 現実問題として、宅急便で物を運んだ場合、30万以上は免責にされるという契約を彼らは結んでいます(というか、宅急便で運ぶ場合は無理矢理結ばされます。嫌なら別の業者を使え・・・です)が、これはいかがですか?(実際40万の買ったばかりのノートパソコンを初期不良のため業者に送ったら運送会社に無くされたことがあります。その時も賠償金額は30万でした)
 また、先ほど、内容証明郵便を出す機会があったのですが、これも郵便事故で紛失等があった場合1000万以上は免責となっていました。
 これらも言ってみれば「契約の対価が安いことを理由として賠償額を制限するというルール」だと思うんですけど。

 例えば・・・ですが、我々が医療行為を行うに当たって、1000万以上は免責、という契約を結ぶことが可能ですか?結べないとしたらそれはそれでおかしいように思えますが。

>> 僻地外科医氏

割り箸が刺さるのですからやり様によっては挿管も刺さるのでしょう、きっと…(汗)

それはともかく、昨今多い「報道だけ見ていると何がなにやら理解できない」事例の1例だと思います。この額で和解に至ったということは大学側も原告の主張を認めたというニュアンスを感じさせるので実際そういうことが起こったのかも知れませんが、少なくとも医療関係者間においてはノーコメントで済ませるのではなくこの種のレアケースに関しても今後はなるべく情報を共有していくべきではないかと思います。一般にもオープンな学会等の場ではなかなか難しいのでしょうが…

>> 僻地外科医氏
>割り箸が刺さるのですからやり様によっては挿管も刺さるので
>しょう、きっと…(汗)
>

老人の医者先生,
どんなにがんばっても気管チューブで骨を割ることはできないで
す.可能性があるとすれば再opeで先のHardyの手術で既に1度骨
を開けていたところに気管チューブが迷入した,くらいでしょうか.
しかし,下垂体腺腫で2度目のHardyだったとして,通常は経口挿
管です.前頭開頭でも経口挿管です.不思議ですね.
咽頭後壁の後ろは頸椎の椎体です.後鼻腔の後ろの骨だって普通は
気管チューブごときの柔らかいもので割れることはないです.
割り箸は固いですし,縦方向にまっすぐ押せば非常に狭い部分に大
きな力を掛けることも可能ですが,さすがに気管チューブではそん
なことはできません.先端も丸く処理されていますし.

ハーディ後に経鼻挿管は問題外にけしからんですが
一般論では脳外科は経鼻好きが多いです
この報道でいう「気道を確保するチューブ」は
気管内挿管(鼻腔の中で曲がる)ではなく
経鼻ハーディ手術において終了直前に鼻孔から挿入する
直なチューブである可能性があるとおもいます
鼻孔の気道確保と鼻粘膜を圧迫する目的です
長さ5センチもあればいいので普通は一本を半分に切って使いますが
ご丁寧にも切らずにまるまる二本使って奥まで届いてしまった
のかもしれません.非常に重要な点なので和解であっても
の再発予防のために公表して欲しいです

なお,割り箸事件においては頚静脈孔からの刺入なので
骨折無き穿通性小脳損傷という,世にも稀なる機序です
(一例過去に文献報告あるも頬からの木片刺入なので
外表を見るだけで診断可能)
死因については検察・弁護側ともに静脈損傷によるとしており
小脳半球損傷そのものは死亡との関連は全く無いかあってもわずか
という点においては争いはありませんでした

#162 Uchitamaさん

> 医学や自然科学ではひとつの事象や仮説を評価するのに、それと同じ
> バックグラウンドのものを無作為に選び検討するのが常套です。そうい
> った確率やバイアスの排除(統計学的な有意さ)を考えなければ、医療
> 過誤の判定も鑑定医の選出も誤ってしまうと思われます。

ここは、逆ではないでしょうか。確かに自然科学ではuchitamaさんのおっしゃる通りですが、裁判の場では「いかに自分に都合の良い証拠を連発するか」がポイントだと思います。過誤の判定にせよ鑑定医の選出も、自分に都合の良い意見を述べてくれる人を見つけることが重要です。

いわゆる「トンデモ判決」にしても、裁判長を責める意見もありますが、私は、そのような判決を出すように誘導した訴訟テクニックの問題だと思っています。

#166 Uchitamaさん
> じゃあ50倍払えば小生が実名入りで過失ありのコメントをつけると言えば
> 雇ってもらえますか?(笑)そういうサービスを利用すること自体が医療訴訟
> における誤審の元凶のように思えます。バイアス以外の何ものでもない!

私が医療過誤を訴える立場なら、雇います。50倍のお金を払っても、一億円多い賠償金もらえば十分ペイします。これは誤審ではなく、技術の問題です。バイアスがあろうがなかろうが、自分に都合の良い意見を「正しい意見」として認めさせるのが重要ではないでしょうか。

繰り返しますが、訴訟は真理探究の場ではなく、「法律と言うルールで殴りあう格闘技」です。裁判は自然科学の延長上にはありません。


>>No.169の老人の医者さん
>「報道だけ見ていると何がなにやら理解できない」事例
いやいや「判決文を読んでも何がなにやら理解できない」事例がたんまりと...


鑑定医・協力医の問題については、裁判員のように強制的に無作為抽出を行うシステムを作るしかないと思っています。
「裁判医」または「陪審医」制度ですかね。
No.161のuchitamaさんの案と似ています。
現実的な方法としては、「○○学会所属医師」とか、「○年目研修医」とか、「50床未満一般病院勤務医」とかいくつかの属性の下でそれぞれに無作為抽出を行うべきでしょう。
医師法を改正して、医師に裁判医協力を義務づけることになっても、それはやむを得ない責務として医師側は受け入れるのではないでしょうか。
例え、無報酬か実費程度の報酬だったとしても。
自分が被告になったときのことを考えれば、私だったら渋々ながらも出来る限り誠実に協力するハズです。

医事関係訴訟の年間新受数が現在1000。
これが2倍の年間2000件になったとして、各事案に10人の裁判医を選定すれば年に2万人。
医師数を30万とすれば15人に1人ぐらい。
科によって大いに偏りが出てくるとしても、数年に1回あるかないか程度であるならば、頻度の面からも許容されそうな気がします。

また、その前提として、医師会を弁護士会のような全員強制加入のギルド制にしてしまう案があるものの、裁判医に関してはそうしなくても国側がやる気さえあればやれますので、どちらでもいいでしょう。
ギルド制にするとほぼセットで懲罰権も付いてきますが、これについてはどうせ医療不信家から「お手盛り」と批判が出るであろうところなので、この点からするとギルド制ではない方がいいかもしれません。

> FFF様

交通事故は道路交通法を守っていれば大抵の事故は防げます(もちろん、例外はたくさんありますが)。
医療は普通に教科書通りやっていても事故は起きますし、インシデントまで含むとほぼ100%起きています。交通事故と医療事故を同列に並べるのは間違っています。全く別の次元として考えなければなりません。
被害者の損失ももちろん考えなければなりませんが、それが無過失保証制度なのです。むやみやたらと医療側のせいにしている判決が増えていますが、それは無過失保証制度が無いからだと我々はどうしても考えてしまいます。

No.159  FFF先生

裁判所が問題意識を全く持っていないわけでも、改善を全くおこなっていないわけでもないことは知っていますが、はっきり言って話にならないレベルだと思っています。先生のコメントから感じたのは、彼らに対する擁護とこちら側への改善の要求ですが、実際医療業界では、何故こんな無駄なことをしなくてはいけないのかというようなことを、既にたくさん導入しました。(むしろ他の業界より余程フットワークは軽いとさえ考えています)それに比べて、司法側は、裁判という業務の主体でありながら、そしてトンデモ判決を連発しておきながら、何をやっているんだというのが、こちらの偽らざる心境でしょう。司法もこちらと同じような背景(人手及び資金不足)があるのは分かりますが、こちらの歩み寄りはほぼ限界です。

添付文書の禁忌の言葉を別の言葉に言い換える。添付文書毎に、それを破ることが法的な過失ではないことを説明する文章を加える。司法が改めれば、こんな下らないことはする必要もないでしょう。

No.168  僻地外科医先生

いいアイディアかもしれませんね。応召義務も、一応診てこれ以上の治療は、契約か紹介かという話にすればクリアできそうですし。裁判では無効扱いされる可能性は高そうですが、ここでの議論を理解できる一般人なら納得もすると思うのですがね。安い医療費のまま、崩壊しないですむかもしれないというのは、甘いですかねぇ。

>元田舎医さま
>ギルド制にするとほぼセットで懲罰権も付いてきますが、これについては
>どうせ医療不信家から「お手盛り」と批判が出るであろうところなので、

弁護士会のような懲罰制度を作れば「お手盛り」批判は出ないと思いますが

>弁護士等に対する懲戒の請求は、事件の依頼者や相手方などの関係者に
>限らず誰でもでき、その弁護士等の所属弁護士会に請求します(同法58条)。

>弁護士会・日弁連の綱紀委員会および懲戒委員会は、弁護士、裁判官、検察官
>および学識経験者で構成されており、綱紀審査会は、学識経験者(弁護士、
>裁判官、検察官の現職および経験者を除く。)で構成されています。
http://www.nichibenren.or.jp/ja/autonomy/tyoukai.html#NICHIBENREN_TETUDUKI

>Level3氏

なるほど。門外漢はライト付きスタイレットみたいなもので押すような状況をイメージしておりました。そもそも経鼻挿管というのは確かに妙ですな…

ところで実際のところ穿孔の例というのはあるのでしょうか?

>元行政さま
>実際医療業界では、何故こんな無駄なことをしなくてはいけないのかというような
>ことを、既にたくさん導入しました。

医療業界が思っているのと同様に、司法は司法で同じようなことを
思っているでしょう。業界の中にいる人は、どのような改善が行われているか
分かるのでしょうが、外の目で見た場合、何がどうなっているのか分からない
と言うのは、医療も司法もそんなには差はないですね。

ただ、医療と司法で違うのは、医療側にまとまりが感じられないことでしょうね。
司法は弁護士会、裁判所、法務省、検察庁など誰がイニシアティブを取っているのか
分かりますが、医療に関してはそれが見えないのが正直なところですね。

改善と言っても、個々の病院、個々の医師レベルにとどまっていて、例えばある県の
病院が一斉にとか、全国の病院が一斉にとか、そのようなケースは少ないのでは
ないでしょうか。

例えば裁判所の場合、↓を見るとどのように取り組んでいるのか分かりますが
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/izikankei/index.html

医療の場合、どこの病院がどのような取り組みをしているのか分からない面はありますね

ちなみに言えば、私どもの会社ではISO9000なる規格を取得しておりますが、
これは全くの無駄です。仕事のやり方を刷新するか、ISO9000に併せて仕事を
しない限り、却って意味のない無駄な作業に労働力が割かれてしまいます。

要するに、○○の認定を取ったからと言って改善しているとは限らないと
言いたいだけなんですが、患者の方が「○○認定を取っているからあの病院は
信頼できる」とか、公立病院の場合、県とか国がISOの取得を強要するとかは
ありそうですね。

無駄な認定を取得するために無駄な作業をする方向には進んで欲しくないですね。

>>No.180のしまさん
病院のISO9000取得は5年ぐらい前に流行りかけました。
医療機関の場合は、それよりも(財)日本医療機能評価機構の認定する「認定病院」等の方がメジャーです。
HP:http://jcqhc.or.jp/html/index.htm

やはり、いずれもNo.180でおっしゃってるのと全く同じ現象が医療機関でも起こっており、認定取得していても更新しないところが出始めたようです。

なお、(財)日本医療機能評価機構はヒヤリハット事例を含む医療事故の情報収集・分析・指導も手がけてはいます。
手がけてはいますが法的な位置付けが全くなされていないので、ミクロ・マクロともに再発防止につながっているかどうか甚だ疑問です。

こんにちは、oregonianさん。
整形Aです。

>整形Aさま(私より年長ですがあえて「先生」をつけないことはお許しください。)

PCに入力する時には「先生」の方が「oregonianさん」よりも楽です。しかし医者や法律家のように日頃「先生」と呼び合わない方々もいらっしゃるブログなので、自分もなるべく「先生」とは使わないようにしたいと思っています。操作が楽で、ついつい誘惑に負けてやっちゃいそうな気がして、貫徹できるかどうかわかりませんが(汗)。

個人的には「○○さま」も違和感があります。「患者様」が医療関係者からのみならず、患者さんたちからも不評だったようですが、似たような感覚でしょうか。
自分としては、年齢にかかわらず皆さんに教えを請うことが多いので尊敬の念を持ってはいますが、敬称は常識の範囲内でいいのではないかと思います。

長々とかきましたが、できますれば僕に対するときには「さま」は止めて「さん」でやっていただければ、と思います。こちらはどなたにも「さん」のみにいたします。

>訴訟社会、契約社会、自己主張社会、弁護士社会のアメリカが、そのうちに崩壊すると言われつづけているのに、その社会がきちんと機能し続け、しかも経済的にも成功しているのは、ボランティア精神が国民にしっかりと根付いているところにあると思っています。
>
>公立学校、公立病院をはじめ、およそ公立の施設がなりたっているのはボランティアの活動があるからで、これがなければとっくに崩壊しています。またアメリカでは住民は自分の住んでいるコミュニティの維持に非常にエネルギーをそそいでおり、これはほとんどボランティアが行っています。

また、とてもいい話を聞かせてもらいました。大変参考になります。

日本においては職能的なコミュニティは機能しているのですが、地域コミュニティは老人会、子供会など一部を除いて機能しなくなりつつある、というのが現実だと思います。
先日、団地の自治会への加入が強制かそうでないかが争われた裁判がありました。詳しいことは専門の方に解説いただければ幸いですが、自分の理解するところを述べます。

結論から申しますと強制ではなく、入退会は自由、という判決でした。
自治会は地域のコミュニティの中核です。ゴミの出し方やら地域の清掃活動など、団地で生活するうえで必要なさまざまなことをお互い助け合うための組織です。
法律論で言えば自由、というのはわかるのですが、それはある意味いいとこ取りを許すことにもつながります。自治会活動はしないけれど、他の人たちが活動した結果得られた、快適な団地の環境という結果は享受することが可能になるのです。
医療崩壊ではないですが、これでは司法が地域コミュニティ崩壊を勧めているのか?と思いたくなります。

同様のことは医師会でもあります。
自分は地域の医師会の役員をしていますが、皆さんがいだくイメージと違って、医師会活動の大半は政治活動ではありません。
行政や地域から、専門家の立場から会議に参加してくれ、行事に人を出してくれ、健診をこうやりたい、予防接種をこうやりたいといった要望が次々と出されてきます。その窓口でありそれらの調整の仕事が多いのです。雑用係といってもいいと思います。

あるとき僕は、「医師会の役員の仕事は、学校の給食当番、お掃除当番と一緒だ。忙しいから、自分には合わないから、嫌いだからといって当番をやらないことが小学校で許されるだろうか。医師会員である以上、全員が同様に医師会活動に参加すべきだ」といった意見を述べたことがあります。
医師会活動の結果得られる果実は享受するのに、果実を得るための下働きはしなくていいのかという主旨でした。
実際に活動している先生方からは賛同を得られましたが、そうでない先生方からは不評でした。当たり前ですが・・・。

話が少々脱線してしまいましたが、地域のコミュニティがボランティア活動によって実際に機能しているアメリカの現状はうらやましく思いました。
もっとも、こういったコミュニティ活動というのは、一種の相互監視システムになることもあり(昔の隣組のように)、たとえば意見の異なる人が村八分的扱いを受けるといった一長一短の面もあるとは思いますが・・・。

>アメリカでは人の手をかけるサービスは非常に料金が高いので、こうしたボランティア活動を金額に換算すると莫大な額になると思います。通貨の移動は伴いませんが、実質的には大きな経済活動です。アメリカ社会は通常の通貨の移動を伴う経済と、精神的満足を媒体としたボランティア活動との二重の経済構造になっていると言えるかもしれません。
>
>さてひるがえって日本の状況ですが、通貨の交換を伴う経済活動に過度に依存しすぎているように感じます。お金は現代経済を維持する上で非常に重要なものですが、それだけでは限界があるということです。

これも目から鱗の視点ですね。
いわれてみれば、先ほどの自治会、医師会なども実際はボランティア活動で成り立っている部分があります。これらを普通の経済活動でやったとすれば、たとえば役員報酬とかを出したりすれば、とてつもない費用がかかり会の運営自体ができなくなるでしょう。
ちなみに全国組織である日本医師会の場合は、会長は結構な額の役員報酬をもらっているようですが、それは別として、普通のボランティア活動の効用をもっと認める必要がありそうです。

>医療の中にはボランティア的な要素が非常に多く含まれています。医療の中からボランティア精神をのぞいてしまうと、そのコストは途方もないものになってしまいます。救急医療、小児医療、地域医療、時間外医療、専門外診療はその多くを医師のボランティア精神におっています。

李啓充先生の言ではありませんが、アメリカの医療は市場原理主義におかされており、それが逆にコストの増大につながっているのではありませんか。
日本で低廉で(一般の人は色々不満はあるようですが)良質な医療が提供されてきたのは、oregonianさんがおっしゃるように医療従事者のボランティア精神によるところが大です。
これを「市場」や「契約」といったものでくくろうとすると、結局アメリカ型の医療になります。

何度も申し上げますが、患者サイド、マスコミ、司法、行政といった人たちがそれをどの程度認識してくれるか、だと思います。「市場」「契約」として膨大な医療費を注ぐのか、せっかくうまく機能している数少ないボランティアの場である今の日本の医療を大事にしていくのか。

↓のoregonianさんの意見に集約されると思います。

>私は良質な社会活動を維持するにはボランティア精神が必須であると考えます。そして法体系の中で、ボランティア的な活動をきちんと位置づける必要があると考えます。

大野病院医療事故:裁判所が争点初提示 初公判12月に−−公判前整理手続き /福島
◇第3回公判前整理手続き
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/fukushima/news/20060916ddlk07040161000c.html

 県立大野病院で帝王切開手術中に女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた
同病院の産婦人科医(39)の第3回公判前整理手続きが15日、福島地裁であった。今回は裁判所から初めて
争点についての考えが示された。手続き終了は11月となり、初公判は12月にずれ込む見通しだ。
 手続きでは、裁判所から「胎盤の癒着がわかった段階で、大量出血を予見して剥離を中止し、子宮を摘出すべきだったか」
が主たる争点との考えが初めて示された。これについて弁護側は手続き後の記者会見で、「止血をするために胎盤をはがすことは
臨床では当然のことで、出血を放置して子宮を摘出することは危険だ」と主張した。これに対し検察側は、
「大量出血をする前に子宮を摘出すべきだと主張しており、(止血することが重要だとする弁護側の主張は)
前提となる事実が異なっているように思われる」と話した。
 次回は10月11日に行われ、弁護側が主張を記載した「予定主張等記載書面」を改めて提出する。11月10日に検察側が
意見を述べて手続きを終了する見込みだ。

非医師の方にもわかるよう、「医師会の3層構造」について少し。
一般に医師会と呼ばれる組織は「日本医師会→都道府県医師会→郡市医師会」のような3層構造になっています。
地方公共団体の「国→都道府県→郡市」という構造と全く同じで、それぞれに応じた機能を分担しています。
日本全体の医療政策を考え、提言するのは日本医師会(というか日医総研)の役割で、市井にあって予防接種をしたり、休日診療所を運営したりするのは郡市医師会です。
郡市医師会の(役員の)活動はまさに>>整形Aさんの言われる通り「給食当番、お掃除当番」と言えます。

※ここからは独り言です
で、ここでも真面目に取り組んでらっしゃる整形Aさんみたいな医師が、「割に合わない」と思い始めてしまう事態に陥ってしまっているのが興味深いところだと思います。
(ちなみに郡市医師会で一般的に「50歳代」は、「一番下っ端ではない若造」扱いでしょう。会社でいうと入社3年目ぐらい?)
税金然り、年金然り、健康保険然り、救急医療然り、産科医療然りで、正直者でいるのが「割に合わない」とか「バカバカしい」とかいちど思い始めてしまうと、組織・体制はけっこうあっけなく崩壊します。
日本列島全体、さまざまな分野でモラルハザードが同時多発的に起こっています。

個人的には医療崩壊と並行して「日本崩壊」が進んでいるのでは、と思っています。
恐慌の大元は「漠然とした将来への不安に基づく買い控え」です。
医療崩壊は日本崩壊を一気に表面化させる引き金になり得ます。
#この空前絶後の原油高騰がガソリンスタンド以外では今ひとつ実感できないのも不気味です

>元田舎医さん

なるほど、医師会について誤解していたようです。

>日本全体の医療政策を考え、提言するのは日本医師会(というか日医総研)の
>役割で、市井にあって予防接種をしたり、休日診療所を運営したりするのは
>郡市医師会です。

基本的には日本医師会と都市医師会は別物と考えてよろしい訳ですか。
その表現だと、市井の医師の意見が、日本医師会には届かない、または届きにくい
と考えてよろしいのでしょうか。


>日本列島全体、さまざまな分野でモラルハザードが同時多発的に起こっています。

恐らく、日本社会の「同質性」が崩れかけているのではないかと考えてます。
「日本人は皆考え方が同じ」と言う前提で社会が動いてきましたが、徐々に
「相手と自分とは立場も考え方も違う」ようになってきました。そのずれが見えつつ
あるのが昨今の日本社会ではないかなと考えています。

医療費の負担増ですが、保険免責制度というのは個人的には合理的な案だと
思ったのですが、やはり医師の方々から観ると問題が多いシステムなのでしょうか。

>>No.185のしまさん
>基本的には日本医師会と都市医師会は別物と考えてよろしい訳ですか。

別物、というよりは「国→県→市」を演繹して下さい。
私たちも同時に国民であり、県民であり、市民でありますよね。

>その表現だと、市井の医師の意見が、日本医師会には届かない、または届きにくい
と考えてよろしいのでしょうか。

その通りです。

また、開設者を除く病院勤務医は16万人弱ですが、
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/04/kekka1-1.html
日本医師会の勤務医会員はその半数以下の7万5000人です。
http://www.med.or.jp/kinmu/bukai17.pdf
さらに上記の医師会に所属している勤務医はほとんどが中堅以上であることを考えると、下っ端の医者(⊂勤務医)の意見はまず日本医師会へは届かないでしょう。

参考までに最近の日本の医師総数は27万人で、日本医師会の会員数は16万人です。
20世紀までのロジックに基づけば、現状を改善するためにギルド化が考慮されてもいい時期だとは思います。

※>>管理人さん、リンクを減らして再コメントしましたので、保留になったコメントは削除して下さい。

こんにちは、元田舎医さん。
整形Aです。こちらは現田舎医です(笑)。

>郡市医師会の(役員の)活動はまさに>>整形Aさんの言われる通り「給食当番、お掃除当番」と言えます。

医師会について詳しい補足説明、ありがとうございます。

まず医師会の役員(僕の場合は平の理事ですが)にどうやってなるのか、ということですが、少なくともうちの医師会の場合、基本的にはなり手がいないのです。会長を含め、次期役員を誰がやるんだといったことを旧役員(その時点では現役員ですが)が相談して、なんとか誰かに会長になることをを引き受けてもらいます。もちろん選挙がありますから、決定ではありません。

そして、会長候補が決まると彼が副会長候補に誰、理事候補に誰ということを算段しなければなりません。
ネクスト・キャビネットといえば聞こえはいいですが、誰もなりたい人がいないのですから、個人的な付き合いでお願いすることになります。

すると、たとえば医師会の学術講演会や総会などによく出ているとか、野球大会やゴルフ大会に出ていて懇親(飲み会)を深めている人が対象になるわけです。
そうやって声をかけまくるのですが、断れる人は断ります。結局僕のように、自分の意見や思ったことをはっきりいえないような気の弱い人間が、断りきれず引き受けてしまうのです。これがうちの医師会の現状です。
えーと、どこかおかしいところがありますか?

>で、ここでも真面目に取り組んでらっしゃる整形Aさんみたいな医師が、「割に合わない」と思い始めてしまう事態に陥ってしまっているのが興味深いところだと思います。

そうですね。僕なんかは2chに近いので(このブログを知ってからは2chを覗く時間がなくなってしまいましたが)、防衛医療、萎縮医療推進派なのですが、同じ開業医の先生でも、夜昼問わず献身的に地域医療に取り組んでいる先生もいます。よくこの地雷原を進んで行けるなあ、と感心しているのですが、そういう先生方は地域でも絶大な信頼を勝ち得ているので、むしろ裁判沙汰になるようなことはないような印象です。

>(ちなみに郡市医師会で一般的に「50歳代」は、「一番下っ端ではない若造」扱いでしょう。会社でいうと入社3年目ぐらい?)

僕は40代前半に最初の理事をやりましたが、その時はさすがに最年少でした。一旦止めて、今年からやることになったのですが、今度は数人年下がいます。
元田舎医さんの推測は概ねあたっています。

>日本列島全体、さまざまな分野でモラルハザードが同時多発的に起こっています。
>
>個人的には医療崩壊と並行して「日本崩壊」が進んでいるのでは、と思っています。

これはあると思います。医療現場だけでなく、教育現場でも崩壊が進んでいる。
世間では、なんだかんだ言っても医師に対する敬意はまだ残っていますが、教師に対する敬意は相当失われています。
問題教師もいるとは思いますが、問題父兄のほうが圧倒的に多く、学校も大変だと思いますね。
学校給食について、「うちは給食費をちゃんと払ってるんだから、うちの子に、いただきます、とは言わせないで下さい」といった親がいるそうですが、これは都市伝説なんでしょうかね。

No.179  しまさん

前にも書きましたが、同じように思っているからおあいこだという話は勘弁してください。その違いを吟味してきたはずです。司法の取り組みも知らないわけではなくて、例えば、裁判所のカンファレンス方式の鑑定採用などは、私は高く評価しています。

医療側のまとまりの無さは、さすがしまさんの慧眼ですね。医師会も厚生省も学会も医師をまとめるものではありません。医師を自分がまとめたいと思っている人間、医師にまとまって欲しくないと思っている人間は、たくさんいます。特にまとまって欲しくないという人間(厚生省や政治家)の意思で、医局制度が崩壊して、社会が迷惑を被っているのはご存知の通りです。医師がまとまろうとすれば強烈な横槍が入るでしょう。逆にまとまっていれば、現在の状況に対しては、ストライキでもなんでもして、強烈に司法だろうが政府だろうが対抗していたと思います。

特に統制する人間がいなくても、例えば同意書などは、驚くほど短期間に全国でおこなわれるようになりました。治療の根幹を阻害しない訴訟対策があれば、日本中の医療機関が飛びつくということです。

>元行政さん
いずれきちんとしたことを書きますが

>医局制度が崩壊して、社会が迷惑を被っているのはご存知の通りです

医師の超人的な努力によって、地域医療が支えられているのは、
私の本意とするところではありません。社会が迷惑しているからと言って、
医師が迷惑を被る必要はないと考えます。

あと、勘で発言しますけど、治療という言葉の意味が患者と医師で違っているのが
問題なのかなとは思ってました。

病気によって、身体の調子が100→50に落ち込んだと仮定します。

患者の場合は、治療によって50→90,100に戻ることを期待します
一方、医師の場合は50→60,70でも治療と考えると思うのです。

個人的には、治療をすると悪くなるものだと思っています。

薬を飲むと身体は悪くなるし
注射を打つと身体は悪くなるし
手術をすると身体は悪くなります

出来るものなら、何もしないのが一番良いとは思いますが、そうもいかないですよね。

悪くなることと引き替えにメリットがあるのが医療行為だと(私は)思っていますが、
何も知らない患者さんはデメリットなく100%回復するのが医療行為だと思って
いるのかも知れませんね。

そのあたりに認識のずれがあるのが現実なのかなと漠然と思っていますが、
いかがなものでしょうか。

>ところで実際のところ穿孔の例というのはあるのでしょうか?

老人の医者先生,
私自身は聞いた事がありません.

>経鼻ハーディ手術において終了直前に鼻孔から挿入する直な
>チューブである可能性があるとおもいます
>鼻孔の気道確保と鼻粘膜を圧迫する目的です
>長さ5センチもあればいいので普通は一本を半分に切って使い
>ますがご丁寧にも切らずにまるまる二本使って奥まで届いてし
>まったのかもしれません.

いのげ先生,
うちの脳外科医は我々が使用する経鼻エアウェイを2本両側の
鼻腔に入れています.Portexのソフトなものですので少々のこ
とでは脳損傷を起こすようなことはありません.
先生の書かれているものがどんなものか私にはよく分かりませ
んが,どんなものなんでしょう...

No.191 しま さん

医療行為に対する非医療者の考え方は概ねしまさんの認識と同様と思います。

>病気によって、身体の調子が100→50に落ち込んだと仮定します。

>患者の場合は、治療によって50→90,100に戻ることを期待します
>一方、医師の場合は50→60,70でも治療と考えると思うのです。

初診時に、体調50でこられた患者さんで、治療をしなければ20まで悪化するであろう病気に対して、治療することで40で、食い止められれば、医療者は治療の効果があったと考えますが、一般の方には理解が困難で、治療したのに悪くなった、とおっしゃる方は少なくありません。
治療開始段階で、確実に悪くなる病気である(癌など)と、診断できる場合は、(死亡する可能性を含めて)、疾患自体の困難さや治療の効果が不確実であることを十分説明できますが、診断的治療を進めるにしたがって、深刻な病気であるとわかった場合、(急性胆嚢炎に胆のう癌が合併していたなど)初診時に楽観的な予想を説明していた場合は、その後の信頼関係構築が困難にあることは、ありえます。

>出来るものなら、何もしないのが一番良いとは思いますが、そうもいかないですよね。

その通りです。
たとえば、かぜ(ウイルス性上気道炎)では、何も薬を投与しなくても、数日で回復しますが、薬が必要ないといっても、納得していただける患者さんは多くありません。
風邪薬でも、本来風邪に必要ない抗生物質でも、薬疹がでたり、アナフィラキシーショックなどで死亡する可能性がありますから、薬は最小限にしたいと考えている医師は多いと思います。

>悪くなることと引き替えにメリットがあるのが医療行為だと(私は)思っていますが、
>何も知らない患者さんはデメリットなく100%回復するのが医療行為だと思って
>いるのかも知れませんね。

医療行為でメリットが、全く無い場合は珍しくありません。
例えば、抗癌剤治療では、効果なく、副作用のみが出るケースは、日常的にありえます。(回復の可能性に賭けるという精神的なメリットはありますが)
入院治療では、まだ時間をかけて説明できますが、外来ではどうしても説明が不十分になりますし、本人のみへの説明となってしまうため、副作用死が生じた場合、ご家族の理解を得るのが大変です。
また、効果が不確実な治療に際しては、治療をする場合だけでなく、治療しない場合どのような経過をとるのかを十分説明した上で、治療するか、経過観察かを決めていただく場合が多くなってきています。

> 元行政さん  (No.175の書き込みについて)

 ちょっと文章の御趣旨がよく分からない(前の書き込みとどう繋がるのか分かりにくい)のですが、私は、医療も世間の常識に合わせられる部分は合わせた方が誤解が生じにくくなって得だと思いますよと言っているわけであって、「改善要求」というものではありません。単なる提案です。ですので、「今の慣行のままでいく」ということであれば、それはそれで一つの考え方ですからよろしいのではないでしょうか。

 ただ、「薬剤について使用方法に関する注意書きがあるのに、それに従った使い方をしない」という慣行は私には(そして、恐らく医療業界と無縁な多くの人々にも)奇異に映るので、これを是正することを「下らない」と仰る元行政さんとは、かなり感覚の違いがあるなあと再認識した次第です。

 蛇足ですが、ある行為が法的に過失と評価されるか否かは個々の訴訟において裁判所が判断する事柄ですので、添付文書に「〇〇することは法的な過失ではない」と記載しても、まったく意味はないものと思われます。

> 僻地外科医さん (No.168の書き込みについて)

 当事者が合意した場合は、責任の範囲を限定する特別な約束をすることも、基本的には差し支えありません。宅急便の事例は、これに該当します。

 「契約の対価が安いことを理由として賠償額を制限するというルール」があるのであれば、上記のような特別な約束を結ばなくても自動的に賠償額が制限されるということになります。逆に言うと、そのような「ルール」がないからこそ、宅急便業者は、個別に責任の範囲を限定する特約をしているわけです。

 ただ、責任の範囲を制限する合意、特約をしたとしても、それが訴訟で有効なものと扱われるかどうかは別問題です。責任を制限することによってあまりに不公平な結果を生じる場合、憲法や民法、消費者契約法等によって、その条項が無効とされる場合があります。

 ですので、医療行為を行うに際し、「賠償責任は1000万円の範囲内でしか負わない」という契約を結ぶこと自体は可能ですが、裁判において、その条項が有効と認められるかどうかは分からない、ということになります。私見では、人の生命身体という最も重要な利益について、それを侵害された場合の賠償請求権を大幅に制限するような条項といえますので、無効とされる可能性が高いと思います。

> uchitama さん (No.166の書き込みについて)

 ちょっと御趣旨が分からないのですが・・・・「弁護士と協力医の協働」に関するイメージを共有できていないせいかも知れません。

 弁護士がクライアントから医療過誤の相談を受けた場合、協力医に相談をしますが、その際、「過失ありという意見を出してくれ」とお願いするわけでは勿論ありません。協力医の方にはニュートラルな立場で事例を検討して頂き、「過失ありとは言えない」との見解に至った場合は、クライアントにその旨を伝えた上で、当然ながら、訴訟提起は見送るということになります。

 他方、協力医の方が「過失あり」とのお考えに達した場合でも、医師特有のしがらみから、名前を出しての協力はできない、と言われるケースが多々あります。つまり、医師にとって、実名で医療過誤訴訟の原告に協力することはリスクをともなうわけでして、それが、No.163で挙げた報酬の違いにもつながっているのだろう、ということです。

 なお、「鑑定医」というのは、裁判所が選任するものであり原告や被告の協力医とは全く立場が異なります。

>FFFさま

>協力医の方にはニュートラルな立場で事例を検討して頂き、

相談された協力医は、FFFさんが原告側の弁護士であることが既に想像できるわけですから、FFFさんに喜ばれるような鑑定をするだろう。このことをバイアスと言います。
(無作為な人選でもなければ、ブラインドでもありません。ニュートラルではありません。)確かに、お話しぶりからはFFFさんは公正な立場を守っていられる弁護士かもしれませんが、例えば、悪徳弁護士と悪徳医師がタッグを組めば、過失ありという意見を出し裁判で優勢に立つことも簡単です。(訴訟額も大きく、保険もあり、感情的になっている家族を見ればさほど良心も痛まない儲かる仕事と思います。これからそういう医師や弁護士が増えてくると思います。)言い換えれば、現状では金さえ出せばいくらでも都合の良いコメントが得られるシステム自体が問題なのです。(100倍もらえれば、実名入り、参考文献付き、過失ありのコメントを小生がお書きします(笑)。)しかし、現実の医療で一番問題となるのは、地域性、救急、夜間、専門外などです。これらの条件を勘案しながら公平に評価することが重要なのです。

>「契約の対価が安いことを理由として賠償額を制限するというルール」の妥当性を検証するためのものです。

例えば、配達されたヤクルトの中にボツリヌス菌が混入していたとする場合はどうでしょうか?確率が極めて低く(ありえない)、1000000・・・?分の1以下(予想)で今回の仮説を判定するためのコントロールとしては適しません。想定される死亡率や事故の確率を一致させるようなコントロール(対照)を用いなければルールの妥当性を検証できなくなります。では実際に医療行為に匹敵する高い死亡率の行為はあるのでしょうか?
以下は、その1のNo.85整形Aさまのコメントです。
>以前、ある病院で脊椎の手術を失敗し裁判になり、1億円の損害賠償の判決が出たことがあります。その手術の値段は約10万円でした。まあ、数字は大雑把なものとご理解ください・・・。その手術は難しく、どんなに上手な医師が行なっても千例全部を続けて成功させることは困難だったでしょう。病院はたかだか10万を稼ぐために1億円を失ったわけです。

以前から疑問に思っているのですが、市場原理、経済行為ではない医療行為に通常の法律を適用する意味があるのでしょうか?ただその医療行為を否定するだけの結果にしかならないのでは?と感じます。

No.167  Posted by: 僻地外科医さん

私も、Hardy opeの2回目だったと思います。
そうでなければ、腫瘍の浸潤、放射線照射後、外頚動脈の血流不全などで頭蓋底が菲薄化していたのかもしれません。

通常、ドリルでかなり削らないと頭蓋内には到達しませんので、経鼻挿管でチューブが頭蓋底を貫通するとは思えません。

上記のような理由であれば、経鼻挿管はさけるべきだったと思います。

No.194  Posted by: FFF さん

横レス申し訳ございません。

揚げ足取りのつもりはありませんが、

>蛇足ですが、ある行為が法的に過失と評価されるか否かは個々の訴訟において裁判所が判断する事柄ですので、添付文書に「〇〇することは法的な過失ではない」と記載しても、まったく意味はないものと思われます。


「赤信号、みんなで渡れば・・・」的なことは、本当にいっぱいあります。
(具体例はいくつか出てきましたので省略いたします。)
でも、いつまでたっても青信号にはなりそうにないし、「立ち入り禁止」の看板を誰も外してくれないのです。
そして、赤信号を渡らなきゃいけないことも、立ち入り禁止の危険地帯に入らなきゃいけない時も多々あります。

そんな時は、杓子定規に「添付文書に書いてあるから」なんて言わずに、「医者の裁量」ってやつを尊重して、目をつぶっていただきたいなと思う次第です。

>FFF様

 ご解説ありがとうございます。大変納得いきました。

 となれば、現行制度は完全に医療者側にとって不公平なものであると思います。
 おっしゃるとおり、私が言っているのは「人の生命身体という最も重要な利益について、それを侵害された場合の賠償請求権を大幅に制限するような条項」だと思います。
「人の生命身体という最も重要な利益について」扱うわけですから、その対価も当然それに見合ったものでなければならないのではないでしょうか?

 例えば私の領域では下肢静脈瘤抜去切除術(通称ストリッピング手術)というものがあり、この手術料金は10万円です。この手術では死亡に至るケースはほぼ無いものの、統計上(アメリカの統計)1/1000の確率で手術ミス(医師ならばご存じかも知れませんが、深部静脈の誤結紮。明白な手術ミスです)が起きえます。手術ミスが起きれば、下肢の極端な腫脹(直径2倍以上になります)、疼痛、だるさ、熱感など、日常生活に差し障る合併症を引き起こします。当然裁判になれば確実に敗訴でしょうし、そもそも裁判に持っていく前に示談にするでしょう。
 この示談金額が仮に2000万だとすると、日本の民間を含めた病院・診療所の平均利益率は2〜3%(おそらく、今年の診療報酬改定で現在はほとんど0%)ですから、いくら手術をやっても理論上儲けは皆無です。仮に裁判になって2000万以上の判決が出れば、完璧に赤字です。1例として下肢静脈瘤手術を挙げましたが、日本の医療における技術料はどれもこの程度のものです。むしろ心臓血管外科医の間では、下肢静脈瘤はその手術危険度・難易度に比べ報酬が比較的良いので知られているぐらいです。

 とすれば、完全自由診療に移行して、訴訟リスクの高いものは料金設定を高くするしかないのでしょうか?これは一般の方々にとってかえって不利益であると思いますが・・・。

No.199  Posted by: 脳外科医(大学助手)さん

産科医−1です。

>そんな時は、杓子定規に「添付文書に書いてあるから」なんて言わずに、「医者の裁量」ってやつを尊重して、目をつぶっていただきたいなと思う次第です。

裁判所も,添付文書違反が、即悪い,と言っているんじゃなくて、それで何か起こったら医師の責任ですよ、と言っているのだと思います。

   ,「医薬品の添付文書(能書)の記載事項は,当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が,投与を受ける患者の安全を確保するために,これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから,医師が医薬品を使用するに当たって右文章に記載された使用上の注意事項に従わず,それによって医療事故が発生した場合には,これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り,当該医師の過失が推定される」 
(最小判平成8年1月23日平成4年(オ)第251号・判例時報1571号57頁,判例タイムズ914号106頁,民集50巻1号1頁)

ところで、ここでお集いの医師の方々、以下のHPをご覧になって、いかがでしょうか。酷い裁判官もいるようですね。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/medical/

No.194  FFF先生

提案と要求に実質的違いはないでしょう。言葉の遊びはあまり意味がありません。

さて、現行の添付文書ですが、禁忌と書いてあること自体、治療に役に立っていないわけではないです。問題は言葉の捉え方、文章の捉え方が一般と違うことのわけですが、それを一般に合わせるために表現を変えたり、訴訟予防のために記載自体をなくしてしまうことは、例外はありますが、治療にとって大きなマイナスです。下らないというのはそんな理由からです。発展的な文章ができるのならそんな表現は使いません。

>まったく意味はない

おそらく裁判官は、添付文書は絶対であると疑いもしていないでしょう。そうでないことを意識させるだけでも意義はあるのでは。無断駐車100万円の張り紙みたいなものです。(添付文書に記入するもっとうまい表現はあるでしょうが、というかアイディアがありましたらご教示ください)

>脳外科医さん
>そんな時は、杓子定規に「添付文書に書いてあるから」なんて言わずに、
>「医者の裁量」ってやつを尊重して、目をつぶっていただきたいなと思う次第です。

薬を仮定しますが、添付文書に書いてないことを行う場合、何も参考にせず
闇雲に患者に投与するのでしょうか。それとも、学会報告なり論文を参考にして
投与するのでしょうか。

つまり、ある程度の裏付けがあって投与しているのか、ないのかと言うことです。

>薬を仮定しますが、添付文書に書いてないことを行う場合、何も参考
>にせず闇雲に患者に投与するのでしょうか。それとも、学会報告なり
>論文を参考にして投与するのでしょうか。
>
>つまり、ある程度の裏付けがあって投与しているのか、ないのかと言
>うことです。

しまさん,
決して闇雲に使用する訳ではありません.
我々が使用する薬剤が国産(日本で開発された)であることは非常に稀
です.従ってほとんどの場合海外で既に使用されているものが遅れて日
本にも入ってきます.この際に海外で使用されている方法がすべて日本
でも認められるとは限りません.安全性の確認etc.のために国内での治
験が必要です.これにはコストが掛かりますから販売する側も利益が得
られると考えられるものしか認可を得ようとしないのです.
このようにして海外で一般に使用されている方法が必ずしも国内で保険
適応として認められるわけではないのです.もちろん添付文書も保険適
応の範囲内の用法しか書きません.こういった社会的理由で,本来医学
的には使用できて当たり前のことが日本では行えないのです.

学会報告や論文での使用方法は必ずしも有効性や安全性が確立されたも
のではありませんので通常はそれだけを根拠に使用することはありませ
ん.他によい治療方法がない場合にチャレンジで使用することはあるで
しょうが,所詮その程度です.
一般的には先に書きましたように,海外で当たり前の用いられている方
法で日本では適応外使用というものを医師は裁量で行っていることにな
ります.
ご理解いただけたでしょうか?

>Level3さん

丁寧な説明、有り難うございました。了解いたしました。

そこで質問なのですが、例えば医療訴訟の場合、海外文献の記述や、
学会報告なり文献を元にした投与で、医師の裁量が認められなかった
ケースはあるのでしょうか。

以前も出た話かもしれませんが、最近医療過誤訴訟で着手金なしの完全成功報酬制をうたう弁護士さんが増えてきたような印象がありますが、この認識は間違っていますか?

確かに、訴訟の敷居を低くして被害者救済という意味合いはあります。
ですが、アメリカではこのシステムがダメ元で高額の請求をする濫訴を招き、損害賠償額の上昇と、結果として医師のハイリスク分野からの逃散を招いているという批判があります。
実際世界医師会は15年前から一貫して医療過誤訴訟の成功報酬に反対する声明を出しており、
「Develop active opposition to frivolous claims and to contingency billing by lawyers」(http://www.wma.net/e/policy/m2.htm)
このシステムが広がるとますますわが国の医療も崩壊すると思うです

海外では行われているが国内で訴訟沙汰になった例としてミソプロストール膣内投与の件はどうなんでしょう?
http://www.usfl.com/Daily/News/06/03/0302_009.asp

 コメント数が200を超えましたので (その3)を作りました。
 
 今後は(その3)へお願いします。

>海外では行われているが国内で訴訟沙汰になった例としてミソプロ
>ストール膣内投与の件はどうなんでしょう?

老人の医者先生,
実例の提示をありがとうございます.プロスタグランジンE2の膣内投与
ですね.確かに海外では行われている方法です.うちの産婦人科でも使
用したことがあります.添付文書では適応外ですが.

これ以外にも探せば数多くの実例が出てくると思います.
医学的に問題のない方法でも添付文書に書かれていないと裁判では確実
に負けます.医師からみれば非常に不理尽な話なんですが...

>老人の医者さん
>Prostaglandin E1 (PGE1)‥サイトテック(胃潰瘍薬)であり,保険適応はない.
>経口,経膣ともに効果はあるが,慎重に投与すべきである.
>〔3〜6時間毎25μg経膣投与(=100μg経口)〕.
http://www.medical-s.jp/data/mstd112.pdf

適当に検索しましたら、上のような文章が見つかりました。
ですから、サイトテックを使用しただけでは過失は問えないと思います。

あとは、「慎重に投与したか」「量は適切だったのか」が問われるでしょうね。
「他に適切な選択肢はあったのか」も気になりますが、医師の裁量の範囲内でしょう。

アメリカの製薬会社の添付文書や、行政当局がなんと言っているかは
存じませんが、そこでも禁止されているのなら話は別かも知れません。

ちなみに言えば、老人の医者さんが紹介してくださった裁判の原告は、
医師の方みたいですね。ブログも作っているようです。

ちなみにサイトテックの添付文書では「妊婦又は妊娠している可能性のある婦人」への投与は「禁忌」となっております(ただし膣内投与は想定していません)。各種医薬品集の記載では慎重投与的な書き方をしている場合が多いようで、あるいは臨床現場に配慮しているということなのでしょうか?
医師の裁量権との兼ね合いでこの症例での使用が司法からどのように判断されるか、特に投与自体は許されるという判断になった場合の添付文書の位置づけには興味があるところですが。

>老人の医者さん
このケースでは膣内に100μg投与されたようで、それだけ観るとガイドラインからは
はずれているような気がします。

産科医さんの意見も聞いてみたいところですが。

個人的には、飲み薬を膣内に直接投与するというのはずいぶん乱暴な気もします。
濃度のコントロールがきちんとできるものなのでしょうか。

ブログタイムズ

このエントリのコメント

債務整理キャッシング