エントリ

 (その3)のコメントが200を超えましたので、分割することにします。

 この続編作成時点での「医療崩壊について考え、語るエントリ(その2)」の最終コメントは、No.222  の 老人の医者さんのコメントです。(期せずして前回と同じでした。)

 医療崩壊、医療事故関係の関連エントリは、医療関係特集のページにまとめてあります。

 なお、エントリのタイトルについてのご意見がありましたが、医療側の方の心情の吐露なども含めて可能な限り多種多様な意見を特に方向付けせずにお書きいただくことも有益であると考え、特に変更しないことにします。

 方向付けはいたしませんが、感情のままのようなコメントは無用の軋轢を生む恐れがありますので、冷静な投稿を希望いたします。

追記
 ここに議論のあり方についての有益な意見が述べられていますので紹介します。

 もう一歩先に進まないかな〜 (新小児科医のつぶやき)

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娯楽、特に笑いの本質というのが、国ごとに違うのは、皆さんなんとなく連想が附くでしょう。その理由は蓄積された倫理概念、時代 続きを読む

コメント(259)

>問題は何100枚もの写真を「そこに異常があるか無いか分からない」
>状況で写真を見て、その中で見落としがあったケースだということで、
>これはどんな名医でも見落とし0とするのは不可能だと言うことはお分
>かりいただけるかと思います。「直径1cmで血管影にかかる癌の胸部
>写真」を1000枚見て5枚見落としがない(正診率99.5%)医師がい
>れば、それはもはや、ものすごい名医、スーパードクターと言っていい
>レベルだと思います。

医師の方々なら,胸部レントゲンの読影の難しさはお分かりだと思います
が,一般の方には分かりにくいと思われます.そこでもっと身近な例とし
て,左右の図の違いを探す間違い探しを考えてみましょう.
ただし,間違いの数は不明かつ間違いがないこともあるとしましょう.
これを単純化のために10組だけということにしましょう.
さてどれだけの方が満点(すべての間違いを的確に指摘する)を取れる
でしょうか?

満点を取れなかった人間は非難されるべきなんでしょうか?
裁判に訴えられるべきなんでしょうか?

私は麻酔科医として毎日自分の担当患者(およびその日の手術患者さん
たち)の胸部レントゲンを自分なりに読影しています(肺癌,肺結核な
どにも注意しています).すでにCT等で診断の付いている肺癌であって
も胸部レントゲンではそのCT画像を見るまで分からないこともしばしば
です.中にはCT画像を見てた後でも分からないものもありますが.上記
の間違い探しもそうですが,一旦解答が分かってしまえば何ということ
はありません.知らないで見た場合にどのくらいまで異常に気がつくか
というのは名医であっても100%ではありません.
先の事例では,「実際に後からみたら見落としだ」と本人も納得したと
いうことですが,病変の有無を知らせないで読影させた場合にどのくら
いの医師がその病変を発見できたか?ということも重要だと思います.
その辺りのことは文書だけからでは推量できません.
また,僻地外科医先生が書かれていますように何百枚ものレントゲンを
1枚も見逃さないように読影することを要求するのは適切なんでしょう
か?
そこまで要求される義務があるのでしょうか?
一杯飲み屋でフランス料理を要求するようなことに,医師は対応しなけ
ればならないのでしょうか?

非医師の方にはあなたが医師の立場ならどう思われるかお答え頂きたい.

Level3さんの例えもわかりやすいのですが、そういえば、以前どなたかが
「ウォーリーを探せ」に例えてたのが秀逸だったと思います。
何人ウォーリーが隠れているわからない、しかも、ウォーリーが隠れていない
場合が多かったりします。その中で全てのウォーリーを探し出すことは
明らかに不可能だと思います。

ただ、
>一杯飲み屋でフランス料理を要求するようなことに,
>医師は対応しなければならないのでしょうか?
という例えは、ちょっと非医療者から見るとヒステリックな発言に取られかず、
余計な誤解や反発を招きかねないかと思われ、もう少し表現に工夫が必要
だと思います。(生意気な発言で申し訳ありません)

> 元田舎医さん (前エントリNo.124の書き込みについて)

 亀レスですみません。自賠責等に関する御理解は、それで正確かと思います。

 また、仮に「医療事故保険」のようなものを公的に設けて強制的に保険料を徴収し、そこから先に保険金が出るようになれば、おそらく、医療過誤訴訟における損益相殺の対象になるものと考えます。こちらも御明察のとおりです。

 医療事故に遭ったと考えている患者や遺族は、その「事故」についての何らかの「決着」を欲しがっていることが多いと感じます。金銭賠償もさることながら、なぜ亡くなったのか、治療過程に問題があったのかどうかを知りたい、ということです。上記の「保険」が、単に保険金を給付するのみでなく、第三者的観点から結果に至る顛末、機序を説明するような形で一応の「決着」を与えることができれば、民事訴訟の抑制につながることは充分考えられると思います(ただし、民事訴訟を完全に遮断することはできませんので、訴訟に関する改善、対策の必要はなお残ります)。 

 出産時の事故に関する無過失補償制度が検討されているようですが、単なる金銭給付だけでは期待するほどの効果はないように思われます。特に遺族には、「医療過誤があったのかも知れないのに、原因究明も何もしないのでは亡くなったあの人(子供)に申し訳ない」という心情があることが多いのです。

 脱線します。出産時の事故に関する無過失補償制度の問題点は財源でしょうが、今の御時世からすると、全てを国(すなわち、出産と何の接点もない人を含む国民全般)の負担とすることは極めて困難でしょう。妊産婦と産科医が保険料を負担するという形式をいったん採用した上で、前者については「少子化対策」名目で、後者については「地域医療振興」「産科医不足対策」名目で、それぞれ地方公共団体等に相当部分の援助を求めるのが現実的なところではないかと想像しています。まだ構想の構想段階にある制度について、だいぶ先走ったことを書きました。

 前エントリで、大学教授は、(臨床医と立場・経験が違うので)医療訴訟について適切なコメントをできないのではないか、という指摘がありましたので、それに関連して少し。

 私のような非医療者からすると、先ず、両者を隔絶と分けて考えるという発想自体が乏しかったのですが、それに加えて、そのような立場の違いがあるにせよ、大学教授が臨床実務の実情に配慮して意見を述べたり、鑑定を行ったりすることは充分可能なのではないか、とも思っています(いました)。

 そのような認識が誤りであり、正に臨床医として活躍している医師にしか適切な鑑定はできないのだということであれば、そのことを、臨床医が団体として対外的にアピールする必要があると思います。これまでの不適切な鑑定を批判し、その原因が、鑑定人となった教授が臨床実務を知らないことにあると指摘し、「裁判所は、自分たち臨床医に鑑定人をやらせろ」という声を上げれば、そして、現実に積極的に鑑定を引き受けて頂ければ、だいぶ風向きが変わるのではないかと考えます。

これからの臨床医は、この「795」センセの親父さんぐらい図太くならなきゃいけないんでしょうか。
=====================================
920 名前: 795 Mail: sage 投稿日: 2006/09/23(土) 23:00:42 ID: timdxOXs0
>>909
自分の専門の科は夜間外来で診るけど、それ以外は受けないし、勝手に受けたら速攻
で家に帰るから代理を病院の方で探してね、と宣言しています。それでお咎めがあれば
引き上げになりますし、非常勤でも代理は来ません、それでもいいなら当直を再開すると
伝えてあり、返事待ちです。

母親からは家業を継げば、といわれているのですが、性格的に全く合わない仕事なので、
無理っぽいし、父親も「お前は性格的に優しすぎて無理かな。まだ医者の方が向いてとる
わ」と言っているぐらいです。なにせ、人の気持ちなど考えてはいけない仕事で、「貧乏人
なんか無視、売られた喧嘩は必ず買って、お釣りを返せ、ただし実際に手は出すなよ、出
した方が負けや。大人の喧嘩は、裁判所でするんもんや。弁護士同士で勝手に吠えあっと
る。たまにストレスがたまったら自ら裁判所に行って、相手をぼろ糞に言い負かせたらええ」、
なんて言っていますし。

父親のような豪快な性格になりたいです。脅すところは似たのかもしれませんが、反面教師
として親を見ていたのかな。ちなみに、開業医は事業主として考えたら割に合わないそうで
(この辺は勤務医だとよくわかりませんが、この板を読んでいるとなんとなく分かってきました)、
マネジメントもできないだろうと、反対されています。

952 名前: 795 Mail: sage 投稿日: 2006/09/25(月) 08:13:33 ID: eU1C1yav0
>>935
これは父親と産科壊滅の話をしたときに、訴訟が嫌で逃げ出しているケースもあると答
えたところ、訴訟なんか何故怖がる? 病院も医者も訴え返さないから舐められるんだ、
というやり取りの一環でした。責任もないのに賠償命令が出るといっても、そんな筈はな
いだろうと、裁判慣れしている父親から見ても理解しがたいようでした。
=====================================
【注意一秒】救急車・急患の断り方2【怪我一生】
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1149129404/

刑事裁判での弁護人の弁護士さんは、確かに「護」って感じがします。
でも、民事裁判で代理人をやってる人は、ありゃ「弁攻士」ですな。
もしくは「法的ゴノレゴ士」とでも言いましょうか。
目的は「敵方当事者の弱点を見つけて法的・言語的・論理的に狙撃する」こと。
あくまでも攻撃対象は「敵方当事者」なのがミソね。
「法的ゴノレゴ士」同士でやり合ってるように見えても。

で、最終的にどっちがより致命的なダメージを受けてるか、裁判官がジャッジするの。


...私には慣れそうにないっす。

お金のことを出して恐縮ですが・・・。

 整形A先生のところのように読影料1枚220円であった場合、2万2000枚の胸部写真を見て、その中に1例見落としがあり、それが訴訟で今回のような判決が出たとすれば、儲けは差し引き0です。フィルム代などのコストを考慮すれば大赤字です。

 220円などという読影料がいかに不当かお分かりかと思います。なお、整形A先生のところの読影料は極端すぎだと思います(苦笑)。通常、胸部写真の検査料金は850円です(当然読影料込み)。この場合、5000枚見て1例見落としがあれば・・・になります。先に静脈瘤の例を挙げて説明しましたが、これも日本の医療費がいかに不当に安く抑えられているかの好例でしょう。

>>FFFさん
回答ありがとうございます。
たいそうスッキリしました。

「決着」の他に、もう一つ重要な要素は「慰撫」ではないかと思っています。
以下、「その3」のNo.42の自分のコメントより恥ずかし気もなく引用します。

>医療事故に対する調査・分析・対策・処分を行う特別なシステムが必要であるのと同等以上に必要なのは、「被害者の心を慰撫するシステム」でしょう。
>可能ならば医療に限らず事故・犯罪被害者全てに対して。
>それを整備しないまま、どんなにいじくっても双方が納得できる制度が出来上がるとは思えません。

>整形A先生、僻地外科医先生
 健診についてのわかりやすいご解説をいただき、ありがとうございます。

 ここより以下は整形A先生へとともに僻地外科医先生への質問でもあるのですが、医師の皆さまは「裁判官の過失認定はレトロスペクティブなものであるから実情に合わない。だから臨床医が臨床におけるカンファレンスと同じような姿勢でプロスペクティブに証拠と向き合い、医師の行為の妥当性を検証する制度でなければならない」と仰っておられたように記憶しています。
 しかしながら、府中市健康診査事業適正運営調査会において行なわれた判断についても医師の皆さまは「単純に考えて、『異常がある』と思ってみるのと、膨大な正常な写真に埋もれた一枚の1cmの影を見つけるのは全然違う」と仰ったり「単体の写真を見て、かつ、そこに異常があるという状況を知った上で写真を見た場合、『異常なしの判定をすることは適正ではない』という判断をした府中市健康診査事業適正運営調査会の判断は間違っていないでしょう」と仰っておられます。

 調査会のメンバー5名のうち4名は医師なのだから、先生方が仰いますように「何百枚もの写真を『そこに異常があるかどうかわからない』状況で写真を見れば、どんな名医であっても見落とすことはある」ということは充分おわかりであるはずです。つまり、「何百枚もの写真を『そこに異常があるかどうかわからない』状況でこの写真を見ていれば、『異常なし』との判定をすることが不適切とは言えない」という結論を出せるはずだったし、そう結論しなかったことについて臨床医の皆さまから「あれは異常があるとわかっていたからだ」と評価されてしまうのなら、「臨床医はプロスペクティブに物を見ることができる。そこが法律家と違う」というのはどうなったの?と思ってしまうのです。

 結局、裁判官が審査を行っても臨床医が審査を行っても、臨床医の皆さまからは「あれはレトロスペクティブなものだ」ということになるのなら、臨床医は「後出しジャンケン」で負けることから逃れられないということになり、医師の不満は解消されないのではないですか?それとも同じレトロスペクティブなものであっても、医師仲間からの評価であれば甘んじて受け入れることができるということですか?それならなぜ、医事訴訟における「後出しジャンケン的なトンデモ鑑定」が批判されるのですか?

※実は以前、或る内科医先生から「医師が行っているカンファレンス」についてご説明を受けたものの、上記のような疑問が浮かんで頭から離れず、結局応答文がまとまらずコメントできないまま現在に至っているのです。散漫な質問になってしまい申し訳ありません。

※※>僻地外科医先生
 先生のお考えに同意しますかとのことですが、医賠責にせよ第三者機関にせよ大歓迎です。ただ、それができるまでは司法による紛争処理で我慢していただくしかないのですから、つなぎとして訴訟制度の改善を行う必要がどうしてもあるし、医師の皆さまに訴訟に対する理解を深めていただくしかない、と考えているのです。

>元田舎医先生
 ぜひYosyan先生のところにもコメントをお寄せください。紳士バージョンの私もどうぞ宜しくお願いします。
 医療事故関連のコメントを投稿する前は、Yosyan先生のところでのようにキチンと猫をかぶってコメントしていたのです。今後はこちらでも紳士的な姿勢でコメントするよう心がけますが、もっとも、また「第三者機関が活躍すると弁護士や裁判官の権限が減る。ましてや争点をうまく逸らしてトンデモ判決でラッキーということがなくなる。トンデモ裁判官には大活躍して欲しい」などとコメントする方が現れ、他の方々がたしなめようとなさらないときにはその限りではありません。

>level3先生
 この事案で「満点を取れなかったから悪い」なんて誰が言っているのですか?
 
 テスト全体の点数が85点だったか90点だったか95点だったか知りませんが、「この問題を落としたことを適切というのは困難だ」と、医師4名と弁護士1名で構成されている調査会が指摘しているのです。医師主体で構成されている調査会が「適切というのは困難」と言っていることを受けて、非医師が「じゃあ適切じゃなかったのだろうなあ」と考えて何がおかしいのですか。臨床医の判断を尊重すれば当然の帰結でしょう。そもそもlevel3先生は「医師の下した医学的判断よりも自らの頭で考えた筋書きを重視する傾向がある」と裁判所を批判しておられたように記憶していますが、私の記憶違いでしたでしょうか。

 level3先生は、実際の写真を見た医師4名を含む5名の合議体が「異常なしの判定をすることが適正であったと認定するには困難があった」と判断しているのに、どうして実際の写真を見ることもなく「そこまで要求される義務はない」と仰るのですか?

>非医師の方にはあなたが医師の立場ならどう思われるかお答え頂きたい.

 複数の臨床医が口を揃えて「無理だった」と言えば「無理だったのだから仕方ないなあ」と思うし、「無理じゃなかった」と言えば「無理じゃなかったのなら、してほしかったなあ」と思いますよ。他にどう思えと仰るのですか。

>卒後15年の内科部長先生
 すみません、反発してしまいました。

胸部レントゲンは読影難しいですよね。
あれは、もともと結核検診用の検査なのですから、淡い影が主流の肺がんには向かない。どう考えても、右上の部分(右上肺野)の肋骨のところは病巣があるかどうか、判断不可能。
CTなら読みすぎはあるけど、肺がんのスクリーニングには最適。
そういうことですね。うちの病院では胸部CT5000円でオプションでしているけど(通常の半額くらいですね)、早期肺がんが結構見つかっている。レントゲンも参考にとることがあるが当然わからない。そんなものですよ。
今回、検診レントゲンの適応が狭まったのもうなづけますね。

> 元行政さん、uchitamaさん (前エントリNo.178、No.182の書き込みについて)

 私の書き込みの本音、真意が奈辺にあるかは、ここを御覧になる方の大多数にとって関心のないところかと思いますので、特に弁解することはありません。私としては、多くの方から様々な意見を伺えて大変有意義であったと感謝しております。「工夫の余地」と申し上げたのは、薬の注意書きのような、素人の目に付くような点にさえ(書面化されたものとは異なる)独特の医療慣行があるということですし、医療過誤訴訟の関係者と接していると、「この医師の不用意な一言さえなければ裁判にならなかった」と嘆息することもしばしばなので、もうちょっと何とかできる部分があるのではないかと想像したものです。これ以上工夫の余地がないということであれば、私の考え違いです。素人が生意気なことを申し上げて、まことに恐縮です。

 ところで、uchitamaさんの書き込みにある「法律で賠償額に制限が付くと報酬が減るので現行法を希望」という箇所は、おそらく、判決の最後の方に「弁護士費用」として判示される数字(たいてい損害額の10%なので、損害額が減ればその数字も減る)を念頭に置いてのことかと思いますので、ちょっと説明させて頂きます。判決で認められる「弁護士費用」という項目は、「原告が弁護士に支払う報酬のうち、いくらを被告に負担させるべきか」という意味でして、「弁護士はその金額しか報酬を得られない」というわけではありません。弁護士報酬は、判決で示される金額とは別に取り決められ、その取り決めに従って支払われます。したがって、「法律で賠償額に制限が付くと報酬が減る」というのは誤解ではないかと思います。

> 整形Aさん (前エントリNo.176の書き込みについて)

 御指摘の「ケース」については、そう言われると変ですね、難しい問題ですね、というのが率直な感想です。

 現実には、「救命率50%」という点を過失論と損害論の両面で考慮するのでしょうか。まず、過失なく手術をしたとしても半分しか救命できないという困難な状況であったことを前提に、過失の範囲を限定する。仮に「過失」ありとされても、それが死という結果と因果関係を有するのか、慎重に検討する。これらが肯定されても、損害の範囲を認定するに際し、そもそもの救命率が低い重篤な状態であったことを考慮する(平均寿命まで生存できない可能性、救命できても通常の賃金収入を得られなかった可能性を念頭に置いて逸失利益を算定する)。そんなところかなあ。自信ありませんが。

>、「何百枚もの写真を『そこに異常があるかどうかわからない』状況でこの写真を見ていれば、『異常なし』との判定をすることが不適切とは言えない」という結論を出せるはずだったし、そう結論しなかったことについて臨床医の皆さまから「あれは異常があるとわかっていたからだ」と評価されてしまうのなら、「臨床医はプロスペクティブに物を見ることができる。そこが法律家と違う」というのはどうなったの?と思ってしまうのです。

 裁判所からある胸部写真を見てコメントを求められたら、もし自分が(異常があると思ってこの一枚だけをよくよくみて)異常があると感じたら、異常があるというでしょうね。

 何百枚のなかからは〜は現場の実感としての現実です。しかし日常診療でもミスは不可避ですが、だからといって一人一人に適当に対応していいといういい訳や確率論でいうことをよしとしない臨床医が多かったわけです(そこにジレンマがあるわけですが)。また自分が裁判の場でそういいきっていいかというためらいもあったのではないかと思います。

 まあ、これからはそうはいかないでしょうね。

 ところで胸部X線のがん検診は対費用効果が悪い、(つまり疾患発見率が悪い)のでやらくてもいいというのを聞いたことがあるのですが。(日本ではそうなっていませんが)。

 このような件が訴訟になるのなら、ますますやらないほうがいいでしょうね。

 

>結局、裁判官が審査を行っても臨床医が審査を行っても、臨床医の
>皆さまからは「あれはレトロスペクティブなものだ」ということに
>なるのなら、臨床医は「後出しジャンケン」で負けることから逃れ
>られないということになり、医師の不満は解消されないのではない
>ですか?それとも同じレトロスペクティブなものであっても、医師
>仲間からの評価であれば甘んじて受け入れることができるというこ
>とですか?それならなぜ、医事訴訟における「後出しジャンケン的
>なトンデモ鑑定」が批判されるのですか?

an_accusedさん,
論理的思考はその後の情報がないと仮定してトレースすることが可能
です.これは以前にも書いたと思います.
しかしながら,読影のようにパターンの認識を行うものに関しては一
旦情報が脳にインプットされてしまいますと,それを無いものとして
読影することは不可能です.これは脳のパターン認識機構が意識下で
働くものであるからです.例えば,隠し絵というのがあります.絵の
中によく見ると人の顔だとか,動物だとかの形が隠されている絵のこ
とです.形に気づかない間は見ての通りの絵にしか見えませんが,一
旦その形が認識されてしまうとその隠された絵を意識から消し去るこ
とは困難になります.お分かり頂けたでしょうか?

>>level3先生
>この事案で「満点を取れなかったから悪い」なんて誰が言っている
>のですか?
何百枚かの読影のうちの1枚の読影で見逃したことを責められている
からです.これは満点を取れと要求していることではないですか?
どなたかが書かれていましたが読影1枚で220円ですか.これで1枚
見逃したら訴訟ですか?
こんな扱いをされたらだれも検診の読影なんか引き受けないですよね.
余りにも割に合わないとは思いませんか?
医師に100%を求めないで下さい.我々医師は100%を目指してがんば
っていますが,現実に100%なんてあり得ないのです.

私はこのように考えています.
人が病気になって助かるのは幸運である.癌になっても助かるのは運
良く直せるうちに見付かったからに過ぎない.
実際のところ多くの病気では医師が直している部分なんてごくわずか
です.(こんなことを書きましたら他の医師の方に怒られるかもしれ
ませんが...)大部分は患者さんが自分で直っているんです.医師の仕
事の大部分はそれを助けているに過ぎない.しょせんそんなもんです.

しかし,どうも非医療者の方々は「医師は病気を直せて当然のように
考えておられる」ように見受けられます.これがベースにあるから少
しでも思ったようにならなかったら不満なんでしょうね.

>整形Aさん
前スレ176の問いかけは確かにその通りですね。
医師が訴訟に対して不公平感を持つのがよく分かりました。

 流れが速くてすべてを読みきれていませんで、流れを読まずに書かせていただきます。話の流れをさえぎってしまいますが、お許しください。

 事あるごとに、患者側の人間として「医療崩壊」のことを周囲に説明していますと、実に見事に患者側の人間は何も知らないことがわかります。「医療崩壊って、具体的に言うとどんなこと?」などという実に素朴な質問が返ってきたりします。

 パート2で36時間連続勤務の具体的事例をお教えいただき(その節はありがとうございました)、早速周囲への説明に付け加えさせていただきました。そのときの相手の顔がまた見ものでした。ほとんどの人は絶句してしまいます。

 自分の知りえる限り、相手の関心の深さに応じて、このブログや他のサイトなどから知りえて自分の言葉にできる内容を説明していますが、私の理解力不足もあり、説明べたな事もあってか、男性諸氏の関心を引かないようです。女相手ですと、食いついてくるのですが……

 なので、最近私はもっぱら、女性陣を相手に「患者側から見た医療崩壊」の説明をさせていただいています。医師の方々が患者の訴えから治療の方針を決めるまでの流れなどは、このブログを拝見して初めて知りました。早速、周囲の女たちに説明したいと思っています。

 私にとって、時に難解な説明もあり理解に苦労することもありますが、貴重な情報源となっています。

 >元研修医さん
 横道にそれますが、医療の費用対効果については、一回の検査費用に大きく依存します。たとえば、胃痛を訴える患者に胃内視鏡を行うか、行わずにPPIを投与するのかどちらが経済的効率がよいかという問題について、1回の胃内視鏡が5万円以下であればペイしうるとした論文を見たことがあります。こうした医療経済に関する論文は日本ではあまり読まれない傾向にありますが、みているとたいていの医療技術は日本でなら経済的合理性をもって行えるのではないかと思うぐらい、日本の技術料は安いです。
 胸部X線の検診については220円のX線であれば費用対効果としては合理的な範囲内と思われます。ただ、220円が医師の労働や訴訟リスク込みの値段とは思えませんので、持続可能性があるかどうかは別問題です。
 本筋に戻りますと、検診については医師側(というか一部経営側、行政など)が早期発見、早期治療と称してあおってきたことに責任の一端があると思います。呼吸器専門医が読影しないことも多いことや、短時間のうちに数百枚のX線を読んでいること、そもそも肺癌を発見するのに向いた検査ではないことなど、検診施設側にとっては当たり前かもしれませんが、検診を受けるほうからすれば相当意外なことだと思うのは想像に難くありません。検査しておけば安心といって検診の勧誘を行っておきながら、見落としがありましたというのでは納得いかないという心情はもっともです。そういう意味では、胸部X線のような本来の目的(結核)と患者さんの期待するもの(肺癌)とが異なるようなものはもっとしっかり説明する必要はあるでしょうし、間接胃バリウムなぞは熟練した人間でなければまともに読むことすら困難であることを予めはっきりさせておくべきです。検査を受ける前から患者さんの期待するものを見つけるには必ずしも向いていないとのことをはっきりさせておかないから、このような訴訟が生じやすくなると思われます。もっともたいていの方は、会社の検診でただ命令できているだけなので、どう説明したものやら難しいところですが。

>Level3さん
ジャンルは違いますが、↓の問題と根っこは同じみたいですね
http://d.hatena.ne.jp/snakefinger/20060926/p1

確かに、どの程度の精度を要求するべきか。
そのためにはどの程度のコストを容認するべきか、
患者の方も考える必要がありますね

検診に関しては、何歳の人がどのような検査を受ければいいのかと言う疑問は
ありますね。胃の内視鏡検査は何歳から始めた方がいいかとか、大腸内視鏡検査は
何歳から始めた方がいいかとか、ガイドラインがあれば参考にしたいとは思います。

一つ一つの事柄をやった方がいいことを列挙していくとします。
今の医療は同意書の取得から始まってやった方がいいこと、やらなければいけないことがずいぶん
増えました。しかし、やらなければいけないことが数倍になった状態で以前と同じようなマンパワー
しかありません。従ってどんどん一人の負担は増えます。負荷量がある容量を超えた時に間違いをおこしやすくなると思うし、患者さんと向き合う時間すら減っています。そういった状況を根本的に変えずにいくらシステムの改善などといったところでどうにもならないところです。

一枚の胸部X−Pをじっくりみれば、異常陰影に気づくということと1000枚を連続した時に一枚も
見逃さないということは一人の人間の能力として大きく異なります。おそらく、平均的医師で見逃す確率が何百枚かに1枚あってもおかしくはないでしょう。そういって見逃したミスも指摘されればどうして見逃したのか自分でもわからないということもあるでしょう。誰であれ、人間の能力はそんなものです。だから、ミスをすればすべからく刑事で訴えられるというのであれば、それ自体は間違いないかもしれませんが、結果として医者が一人も世の中にいなくなるということもありうるのです。

一つ一つのできごとの是非を論じることも大事ですし、ミスは何らかの罰則があってもしかるべきと思いますが、すべての医師が現在の状況でおかしうるミスに対してミスがあったとしても刑事罰は行き過ぎだと思うのです。

一枚のX−Pを鑑定する時と100枚連続してみる時の精度は違う、しかし鑑定の場合にじっくりみればミスだとわかる場合は今の医療水準ならわかるはずだと言えるのがつらいとこだと思います。
ミスなくやれというのは我々に神になれ、というように感じます。
こんなこというのもあれですが、国家試験は6割で合格で専門医試験ですら満点でなくても
なれるのですから。

科学的根拠に基づくがん検診 推進のページを読んでみたのですが
http://canscreen.ncc.go.jp/

ざっと読んだ感じ、がんに関しては「何が有効な検診で、何が有効でない検診なのか」
確立されてない印象を受けますね。「見つかれば儲けもの」「受けないよりは受けた方
がいい」位の心構えで検診を受けるべきだと言うことなのでしょうか。

>an_accused様

>調査会のメンバー5名のうち4名は医師なのだから〜(中略)〜「臨床医はプロスペクティブに物を見ることができる。そこが法律家と違う」というのはどうなったの?と思ってしまうのです。

 おそらくですが、鑑定意見というものの問われ方の問題ではないかと思います。
 鑑定者への設問として「当該写真に付き、これは正常と認めるべきか、正常と認めてもやむを得ないか、異常と判断するに矛盾はない所見か」と言う問われ方をした場合、医師は基本的に科学者ですので、「異常と判断せざるを得ない」という回答を出すと思います。その判定に医師の状況、prospectiveな判断云々、情勢判断云々の入り込む余地がないわけです。

 一方で、「これは一日100枚の胸部写真をチェックしてその中にこの写真があった場合、これを見逃すことはやむを得ないと言えるかどうか?」という問われ方をした場合、自信を持って「私ならこれは見逃さない」と言い切れる医師はいないと思います。もしそう言う回答を出す医師がいるとすれば、それが「トンデモ鑑定」だろうと言うことです。典型例がよくやり玉に挙がる「心筋炎訴訟」です。

 たとえば、これが直径3cmの異常影だとすれば、医師のうち7〜8割が「私は10中8,9見逃さないだろう」と鑑定するかも知れません。5cmならば9割以上が「まず見逃さない」と鑑定すると思います。

>テスト全体の点数が85点だったか90点だったか95点だったか知りませんが、「この問題を落としたことを適切というのは困難だ」と、医師4名と弁護士1名で構成されている調査会が指摘しているのです。

 これについてもすでに述べていますように、設問が「この写真を見て異常を指摘せよ」もしくは「異常を指摘できるか」という問い方であれば、呼吸器内科専門医はほぼ全員が異常を指摘するでしょうし、一般医も7割以上が異常を指摘できると回答すると思います。ですが、「100枚の中にこの写真が紛れている場合、あなたは確実に異常を指摘できますか?」という設問であれば、「100%指摘できる自信はない。見逃す確率は○○%だと思う」という回答になったかと思います。

 このような回答でご理解いただけるでしょうか?

>FFFさま

>『医療事故に遭ったと考えている患者や遺族は、その「事故」についての何らかの「決着」を欲しがっていることが多いと感じます。金銭賠償もさることながら、なぜ亡くなったのか、治療過程に問題があったのかどうかを知りたい、ということです。』

>『医療過誤訴訟の関係者と接していると、「この医師の不用意な一言さえなければ裁判にならなかった」』

法曹の方の生の声と申しましょうか、医事紛争の核心をついていると思います。自分はたまたま医者ですが、医者という職業に就いていなかったかもしれませんし、患者側の立場になりますと、上記のようなコメントに思いを巡らします。

余談ですが、先日NNNドキュメント'06「消える産声 産科病棟で何が起きているのか」という番組を観まして、あらためて愕然としましてねぇ。最前線の病院で、5年間も新人産科医が入職していないようです。産科部長の先生や29歳若手の産科の先生の生活は、健全な人間の生活ではありませんでした。(誤解のないように、医師のみが健全な生活を営めないのではなく、同様の職業が世の中には多数存在することは言うまでもありません。)臨床医は体力が必要です。

元田舎医様

遅い話で恐縮ですが、

前エントリーNo.206の

>「お医者様」と言う言葉は慇懃無礼を感じて非常に不快です。
患者、医療関係者、法曹がそれぞれに対等だと思っている方は使わない言葉でしょうね。

申し訳ありません。
決して悪意があって使っていたわけではないのですが、ご不快な思いをさせてしまったとしたら、お詫びする以外にありません。今後気をつけますのでお許しください。

level3様

我々素人には、読影力の標準が分かりませんので、医師の方々にどのレベルを望むのが適当かは分かりません。何百枚も見る正常な写真の中で、あるかないか分からない薄く写る小さな異常を見つけることの難しさは理解できます。ウォーリーがいないことがほとんどの「ウォーリーを探せ」を何百枚もやって、一枚も見落とさない自信は私にはありません。

>私はこのように考えています.
人が病気になって助かるのは幸運である.癌になっても助かるのは運
良く直せるうちに見付かったからに過ぎない.

先だってのコメントにも書きましたように全く同感です。
本人はもとより医師も看護師も家族もベストを尽くしても治らないこともあります。
私は、患者ないしは家族の立場ですが、各々が「置かれた状況の中で」ベストを尽くしたという過程さえあれば、後は運次第というところで十分だと思っています。

もちろん普遍的なベストではありません。(それを常に人間に求めるのは無理というものです。)極めて短時間に判断しなければならないときなど、一か八かで判断を誤ることも想定の範囲内です(^^)

このブログを読んでいるといろいろ思い出し考えさせられます。

産科、小児科の入局者が減ってきていると思い始めたのは約10年以上前の入局先を決める時でした。かなりやばいなと感じはじめたのは約7-8年くらい前でしょうか?その頃思っていたのは、勤務がハードであり、クレームが多いということでした(逮捕や訴訟という考えではなかったと記憶しています)。
医局制度が崩壊する前は、医師同士で”もしも病院辞めるならその前に教えてね”と話をすることなんて考えたこともありませんでした。医局をやめるということはそれくらい大変なことでした。

今と以前と何が違うかと考えるとほとんどの医師がそうだと考えると思いますが、モチベーションだと思います。患者さんを治療するということでいえば、少々徹夜しても、2-3日病院泊まってもそれ程苦にはなっていませんでした。しかし、最近では訴訟という言葉が常に頭につきまとい、万全の体制でない限り手は出さない方向になってきています。家族が大きい病院を希望されれば、紹介先の先生に申し訳ないと思いながらも紹介状を書いています。どなたかが書かれていましたが、言葉は悪いですが、同じ亡くなるなら何もせずに亡くなったほうが訴えられないということです。ただ何もしない訳ではありません。いろいろな治療法は提案していますし、そのために国内、海外の論文やガイドラインもできるだけ勉強しています。ただし、昔と違うことはきちんと危険性をすべてお話します。そうしますと、当然ですが多くの場合、今より改善する可能性もあるが積極的で侵襲をともなう方法は拒否されます。何もしないからといって、患者さんのために徹夜したり、病院に泊まったりしなくなったかというと今でもしています。それは、家族とのコミニュケーションのためです。何もしなくても病室へたびたび顔を出しています。診察をして少しづつ状態が悪くなっていることを説明しています。ただ、こういう医療が本当に良いものかと言われれば”否”と思いますし、勉強も防衛医療のためのようでモチベーションも上がりません。これを続けるくらいなら今の僻地公立病院をドロッポしようかなと思いますが、辞めると崩壊の引き金を引くこととなりそうですので、このブログの意図とはずれてくるなーと考える今日この頃です。

今日は珍しく暇な当直なのでだらだらとチラシの裏に書けばいいことを書いてしまいました。

ほんの少し、「検査の性能」について>>非医療者の方+眠れない方

※最近はベイズの定理で説明するようですが、なにぶん古いアタマですのでこちらで。式的には等価ですし

             病気あり 病気なし
検査陽性       a         b
検査陰性       c         d

感度(sensitivity):a/(a+c) ※真の患者をどれだけ「陽性」としたか
特異度(specificity):d/(b+d) ※健康な人をどれだけ「陰性」としたか
オッズ(odds):病気あり/病気なし ※健康な人1人に対し患者が何人いるか
 オッズ=確率/(1-確率)、確率=オッズ/(1+オッズ)
事前:検査前
事後:検査後
尤(ゆう)度比(likelihood ratio, LR):「検査の性能」を表す指標(後述)
 陽性尤度比=感度/(1-特異度) ※検査が陽性のときに使う指標
 陰性尤度比=(1-感度)/特異度 ※検査が陰性のときに使う指標

****************************
事後オッズ=尤度比×事前オッズ
****************************

上の式の解釈の一例:
患者と健康な人が同じ人数ずついる集団(事前確率50%=事前オッズ1)に陽性尤度比が10の検査をしたとき、検査陽性組の内訳は患者:健康な人=10:1になっている。

尤度比を計算するときに用いた「感度」「特異度」は、病気の頻度とは全く関係のない数字ですので、尤度比は検査自体の性能を表していると考えられます。

全く見当がついてないときの事前確率は、目の前の患者さんが一般的にその病気を持つとする確率(=有病率)と同じです。
普通、疑う程度によって事前確率は「3割ぐらい(≒オッズ1/2)」とか、「9割ぐらい(=オッズ9)」のように変化します。
それでも基本的に主観そのものの数字です。

一般に事前と事後でオッズを1ケタ変える検査、つまり尤度比が10を越えるとか、0.1未満である検査は優秀と言われています。
 例:急性虫垂炎(いわゆる盲腸)を疑うとき、右下腹部痛がある→尤度比8
尤度比が1の検査はやってもやらなくても意味がありません。

ここで感度99%(=100人の患者のうち99人が検査陽性)、特異度99%(=100人の健康な人のうち99人が検査陰性)という「素晴らしい」検査があったとします。
 陽性尤度比=0.99/(1-0.99)=99
 陰性尤度比=(1-0.99)/0.99=1/99
です。
この検査を有病率40%(=10人に4人が患者)の集団10万人に行ったときと、有病率0.4%(=1000人に4人が患者)の集団10万人に行ったときとでは、偽陽性(病気でないのに検査が陽性。一番上の2×2表の「b」)と偽陰性(病気なのに検査が陰性。同「c」)は一体どんな人数になるのでしょうか。

驚愕の答えは↓を参照下さい。(計算してもいいですw)
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n1997dir/n2257dir/n2257_05.htm

こちら↓の「図2」や「図6」もわかりやすいです。
http://www.jscp.org/booklet/gl05_06/288.pdf#search=%22LR%E3%80%80%E6%84%9F%E5%BA%A6%E3%80%80%E7%89%B9%E7%95%B0%E5%BA%A6%22

臨床医が普段ネチネチとこんな計算をしているわけではありませんが、定性的にはこれに近い感覚で検査をオーダーし、解釈しているわけです。
医学の「いい加減さ」「あやふやさ」を少しでも感じ取っていただければ幸いです。

じじいさま
いつも我々に優しい言葉をかけていただき感謝いたしております。
毎日・毎日、一日でも早く医療崩壊してくれないかな〜と思っておりますが、
そのお言葉で明日もなんとかやっていけそうな気がしました(笑)。

地方医師@当直中さま
当直お疲れ様です。新聞報道などを見るたびにモチベーション下がりますねー。
あと、自分は以前より体力が落ちました(笑)。
自分の専門範囲内に関しては、ほとんど訴訟など考えていませんが、ものすごく雑用が増えまして・・。
うぅ せめて人並みの休みが欲しい・・・。

>>No.24のじじいさん
あ、そう言えば、じじいさんもたまに使ってらっしゃいましたねぇ。
失敬失敬。

でもやっぱり「対等」の方がすっきりしてて良くありません?

じじいさんはたぶん私の出来ないことをたくさんお出来になる。
私は私でじじいさんのお出来にならないことがおそらく出来る。
尊敬はしていますが、不必要にへりくだる必要もないかと。

血液内科さん

>当直お疲れ様です。
ありがとうございます。
自分も体力は年々落ちてまして、当直月5回程度ですがだんだん疲れがとれなくなってます。

血液内科の先生方は、M3のDICだろうが血小板が少なかろうがいつものことだから関係ないよというような涼しい顔で中心静脈カテーテルを挿入されるイメージです。

血液内科様

過分なお言葉、大変恐縮しております・
私も、仕事で徹夜すると疲れが取れない年齢になり、体力と精神力の衰えをひしひしと感じています(^^)

元田舎医様

>でもやっぱり「対等」の方がすっきりしてて良くありません?

そうですね。昔から私だけでなく私の両親も何度か病院で命を救ってもらいましたので、つい。各々ブログの中の匿名コメントですし、そうした方が話がしやすいかもしれませんね。

多分、私にできて、元田舎医様にできないことは極めて少ないかもしれません。自動小銃での射撃と分解整備くらいでしょうか(^^)昔お仕事でやっておりましたので。

尊敬すべき医師の方が多いことは事実ですし、医師としてだけではなく、人格面も含めて個人的に大変尊敬している先生もおります。が、反対に、どうしようもない悪友も数名おります(^^)


No.21僻地外科医さま

> 鑑定意見というものの問われ方の問題ではないかと思います。
> 鑑定者への設問として「当該写真に付き、これは正常と認めるべきか、正常と認めてもやむを得ないか、異常と判断するに矛盾はない所見か」と言う問われ方をした場合、医師は基本的に科学者ですので、「異常と判断せざるを得ない」という回答を出すと思います。その判定に医師の状況、prospectiveな判断云々、情勢判断云々の入り込む余地がないわけです。
> 一方で、「これは一日100枚の胸部写真をチェックしてその中にこの写真があった場合、これを見逃すことはやむを得ないと言えるかどうか?」という問われ方をした場合、自信を持って「私ならこれは見逃さない」と言い切れる医師はいないと思います。

この説明は非常に分かりやすく説得力があります。

裁判所が鑑定を依頼する嘱託書には、実際はどのように書かれていたのでしょうか?
訴訟では診断できなかった、あるいは治療できなかったという医師の行為には過失があったか否かを判断してもらいたいのですが、鑑定人の側でそのことをよく理解していたかどうか?
鑑定人が裁判や鑑定の制度に十分慣れていないと、裁判所が求めることと噛み合わない意見を出してしまったり、表現がまずくて鑑定人の真意が裁判所に伝わらなかったりということは、ありそうです。

こういうことは、訴訟代理人となる弁護士も見落としがちだと思います。
訴訟戦術的には、鑑定事項の文言を吟味し、鑑定人尋問において鑑定人の真意をチェックすべきだということになりますね。

あと、医療側にお願いしたいことは、トンデモ鑑定を出さないために、
訴訟では何が問われているのかという点をきっちり認識した上で、鑑定していただきたいということです。
鑑定を引き受けておきながら、裁判の何たるかを知らずに、間違った鑑定意見を出してしまいました、というのでは無責任です。

鑑定人に臨床医を選任すべきだということについては、
> 「裁判所は、自分たち臨床医に鑑定人をやらせろ」という声を上げれば、そして、現実に積極的に鑑定を引き受けて頂ければ、だいぶ風向きが変わるのではないかと考えます。(No.4FFFさま)

この意見に賛成です。
医師の社会的責任として、年に1〜2件は鑑定を引き受けるべし、というような取り決めを、されてはいかがでしょうか。

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前エントリNo.206元田舎医さま
> 「お医者様」と言う言葉は慇懃無礼を感じて非常に不快です。
> 患者、医療関係者、法曹がそれぞれに対等だと思っている方は使わない言葉でしょうね。

ええ?? と思ってしまいました。
私の周辺では普通に、「早くお医者様に行きなさい」「お医者様に聞いてみましょう」という言い方をします。悪い意味は全然ありません。
専門職に対する尊敬の心は、当然に含まれていると思いますが。
方言なのでしょうか、、、、

本当に、他意はありませんので、悪く取らないでください。

敬称も問題になっていましたが、
私が趣味で覗いている某掲示板では、ハンドルに「様」付けで呼び合うことがデフォとされています。
立場は誰かがエライということなく、みな対等です。
そのサイトはいわば消費者運動系で、要求を掲げてネット署名を集め、企業に送ろうというので、運動方針をめぐっては侃々諤々の大議論をしましたが(プロ市民ではなく素人市民の集まりです)、
煽り文句を書こうにも、「○○様、氏ね」では笑えるだけなので、自然と言葉遣いが丁寧になり、平穏が保たれました。
様付けにそのような効能もあるということで。

すみません、一点だけ。
 元田舎医先生は、私のコメントにおける「お医者様」という言葉の使われ方を、その文意と文脈をお汲み取りになった上で不快感をお示しになったのでして、決してじじい様やYUNYUN先生、他の方々が日常的に「お医者様」と仰ることに不快感をお示しになったわけではないと理解しています。

 無用の混乱を招いたことをお詫びいたします。

No.24  Posted by: 地方医師@当直中 さん

>これを続けるくらいなら今の僻地公立病院をドロッポしようかなと思いますが、辞めると崩壊の引き金を引くこととなりそうですので、このブログの意図とはずれてくるなーと考える今日この頃です。

辞めてもいいのではないですか?
もう、医師の善意に頼る時代ではないと思います。それだけの仕打ちを国もマスコミも国民もしてきたのですから。反対にそんなに善意に頼りたいのならそれなりの態度で臨んでほしいものですが、今の「空気」が急に変わることは考えられません。

.........これも煽りになりますか?でも、無理に無理を重ねてきている現状では致し方ないと思います。

こんにちは、僻地外科医さん(No.6の書き込みについて)
整形Aです。

お久しぶりです。以前先生の掲示板に何度かお邪魔させていただきました。
最近はお見限りになってしまいましたが・・・。

当市の結核肺がん健診(以下、健診と略す)について説明します。
健診を行なう主体は市町村ですが、実施するのは市町村から委託された健診センターです。センターでは検診車を出し、いくつかの地区ごとに間接撮影による集団検診を行ないます。
さらにその写真の読影を当医師会が1枚当たり220円で受託しているのです。

おそらく近隣の市町村も似たようなものだと思います。受託料も安いところで120円(これもすごいですが)、高いところで330円といったところです。
また問題をちょっと複雑化しているのは、結核予防法との絡みです。

同じ胸部レントゲン撮影なんですが、結核健診だと法律に基づく国の事業なので受診者の自己負担はありません。肺がん健診だと当市の場合1000円の自己負担を徴収します。
市町村も苦しい台所事情であります。国から来る補助金の額は決まっているので、その範囲内で健診センターや医師会への委託料を捻出しなければならないので・・・。

ちなみに、間接撮影の写真は僕は直接見ることはないのですが、縮小されたロール上のフィルムです(多分)。昔の(今もあるけど)カメラのフィルムみたいなものですね。これを拡大して読影するのです。
うちの検診委員会ではこれを1度PCに落として、jpegじゃないなんとかという画像にして過去画像としてファイルしています。

僻地外科医さんのおっしゃる850円というのはおそらくトータルの料金ですね。そのうちのドクターフィーがいくらか、という話だと思います。
見逃しがあって裁判に負けた場合、医師にせよ検診を行なう主体の地方自治体にせよ、とてもペイできる予算規模ではないのです。

議論の中で、胸部X線検診が話題になっているようなので、自分の実体験と私見を少し述べます。
検診に義務としてどっぷり漬かっていたのは、医師になって3年目の時でした。田舎の町立病院に赴任し、町の住民検診の胸部X線の読影を上の先生としていました。私の担当枚数は1500枚ほどで、締め切りは2週間後だったので、通常の勤務の後に21-22時ごろから1-2時間かけて一日100-200枚ほど一次読影をしていました。二次読影を上の先生にしていただいたのですが、1-2cmの結節影のある写真を2枚見落としていたのを覚えています。上の先生に「これ何か影ない?」と見落とした写真を見せてもらうと、自分で病変部を指摘できる陰影で、「検診の怖さ」に気付いたのはこの時が初めてでした。ブログで挙げられた例も、自分の感覚では、「運が悪かった」という言葉が最初に想起されます(実際のフィルムは見ていないのですが)。
それから10年近くが経過し、呼吸器専門医となり、色々と知識がついてくると、胸部X線検診については疑問点が多いことに気付きます。まず、結核の検出目的での検診ですが、これは、臨床研究の一貫した結論から、1980年代後半には「住民検診としては奨められない」との見解が世界で一致したものとなりました(WHOやFDA(アメリカ食品医薬品局)の推奨)。この流れを受けて、日本では胸部X線検診の目的を結核検診から肺癌検診に切り替えて、検診を続行したのですが、実は肺癌検診による肺癌死亡減少効果は認められていません。これは、アメリカのメイヨークリニックという、世界でも超一流といわれる病院が主体で行われた厳密な臨床研究で、検診群と対象群の肺癌死亡率が同程度(少し検診群が多い)というデータが得られたのが大きな理由です。ヨーロッパで行われた数件の臨床研究でも結果は同様であり、これらの研究から、日本以外で胸部X線を住民検診でルーチンに行っている国は無いのが実情です。このことは、ほとんどの呼吸器専門医は認識していることです。「見逃しによる訴訟のリスクだけ抱えて、検診を受けた方の寿命延長に役立たないX線検診はしたくない」というのが正直なところです。実際、検診業務に携わるような医療機関への転勤の話が出たら断る積りです。

すいません。その3に間違って入れたので、改めてここに投稿します。

>ざっと読んだ感じ、がんに関しては「何が有効な検診で、何が有効で
>ない検診なのか」確立されてない印象を受けますね。「見つかれば儲
>けもの」「受けないよりは受けた方がいい」位の心構えで検診を受け
>るべきだと言うことなのでしょうか。

しまさん,
その通りだと思います.毎年胃透視を受けていながら胃癌で無くなる方
がある一方で,たまたま調子が悪いとかいった理由で受診したら早期胃
癌が見付かった,(調子が悪かったことは胃癌とは関係なかった)とい
ような方もおられるのです.
私自身も勤務先の健康診断で胃透視が項目に挙げられる年齢になってお
りますが,正直申しますと毎年受けようとは思いません.よくないこと
かもしれませんが,検診に対する期待度とはその程度です.

検診で見落とされたから訴訟なんて考えようとも思いません.(もちろ
ん得られたデータは自分自身で見るでしょうが...)

No.30  YUNYUN先生

>裁判所が鑑定を依頼する嘱託書には、実際はどのように書かれていたのでしょうか?

私も同感で、これを是非知りたいと思います。以前FFF先生との話で出てきた過失かどうか判断するのは裁判所だという話からは、裁判所に総合的な判断をするのは自分たちだという意識があって、過失かどうかを鑑定人に尋ねたりしない気がするのですがどうでしょうか。(FFF先生は裁判官ではありませんが、法曹の共通する意識としてそんなことはありませんかね)

裁判所の質問の仕方にも問題があると思いますが、鑑定文の書き方にも問題があると思います。近く話題になった判例では、適切でないという表現が使われていたようですが、どの程度の過失なのかはよく伝わっていないのではないでしょうか。言葉の摺り寄せのためのマニュアルを作ったり、微妙なニュアンスを伝えるための工夫を検討することが、正確な裁判、正確な鑑定のために必要だと思います。
例えば、臨床でやっていることですが、患者さんに痛みの程度を表現してもらうために、今まで経験した最大の痛みを10として何点くらいの痛みか教えてもらっています。こんな感じで工夫できないものかと。

私見ですが、鑑定医の問題の多くは、今書いたシステム的なものだと思っています。臨床分野、研究分野を問わず、トンデモ医が跋扈しているのは、原告意見書(議論の上で混同されていることが多い)と原告協力医の分野でしょう。YUNYUN先生が以前書かれた、さもありなんという話は、たいへん納得のいく話でした。

>整形A先生

 その節は大変お世話になりました。

>最近はお見限りになってしまいましたが・・・。

 実のところ、向こうの掲示板にも書きましたが、あの掲示板自体がすでに役割を終えていると感じています。こちらでの議論の方が特に一般の方や法曹の方も多く参加され、内容的に遙かに質の高いものになっておりますので、現在私自身が向こうで議論されていた方々をこちらへ誘導するよう動いています。

 私としては「どこで議論するか」より「どんな議論をするか」の方がはるかに重要だと考えておりますので、向こうが廃れていくのは「発展的解消」だと考えています。もちろん、向こうでの議論は大変貴重なものですので、ログ・掲示板を温存するつもりです。
今後医療問題がどの方向に向かうか分かりませんが、「あのときはこんな議論をしてたんだ」という資料としても大変貴重だと思います。

 さて、健診の件ですがやっと分かりました(笑)。確かに読影料220円なら現在の「保険診療の価格から見ると」不当ではないですね。私の挙げた850円は健康保険における胸部レントゲン検査費用(85点)です。ただ、この検査費用自体は不当に安いレベルだと思いますが・・・。

たとえば・・・・、ですが、

 今回の鑑定方法が医師10人ないし20人ぐらいを集め、正常レントゲン99枚と1枚の該当写真を混ぜ、異常影を指摘できるか・・・と言う形にすれば、答えはずいぶん変わっていたのではないかと思います。コストも手間もかかる方法ですが・・・。

>まず、結核の検出目的での検診ですが、これは、臨床研究の一貫した
>結論から、1980年代後半には「住民検診としては奨められない」との
>見解が世界で一致したものとなりました(WHOやFDA(アメリカ食品医
>薬品局)の推奨)。この流れを受けて、日本では胸部X線検診の目的を結
>核検診から肺癌検診に切り替えて、検診を続行したのですが、実は肺癌
>検診による肺癌死亡減少効果は認められていません。

一呼吸器内科医先生,
詳細なコメントありがとうございました.
「肺癌に関して言えば検診の効果はない」というのは私も聞いておりま
したが,世界的な情勢もふくめよく解りました.

ところで本題から外れますがお教え下さい.結核に関しては,諸外国(先進国)では結核の有病率が日本より低く患者の発生地域も比較的限局して
いる点が日本とは異なるため同一には考えられないと思われますが如何
でしょうか?特に私の住んでいる地域は日本全国平均よりもかなり発症
率が高い(こんなことを書きますと場所が特定されそうですが)ので,
気になるんですが...

X線写真の読影について、私はやはり見逃しは過失だと思います・・が、万一訴訟になったときに鑑定官の考えがどうだったか、ということの方が大きいのではないでしょうか?

まず、見逃しのない様なシステム作りが必要です。市町村レベルの健診では予算も少なく、明らかに金をかけていないなあ、と感じます。ひどいときには「病院にかかっている人は検診を受けるな」とさえ言われます。
間接撮影は見るのに大変苦労が伴います。2人か3人のダブルチェックあるいはトリプルチェックは必須です。一人だけのチェックでは見逃しは出ます。2人でも出ることがあります。出ない方がおかしいです(決して見逃しは仕方がないと言っているわけではありません)。トリプルチェックくらいは欲しいところです。
つまり、健診にはお金がかかると言うことです。その財源は言うまでもなく税金です。ここから考えなくてはなりません。

それから、鑑定官は後から見て「もしかしたらこれが初期像なのかも」とレトロスペクティブに見る考えを改めることです。あのとき読んでいたら見逃していたかも、と考えることが大切です。
初めに結果ありきではなく、いきなり一枚の写真を見させられたときにどういう対応をしたであろうか、と考えるべきです。こういう考えがないから日本全国の医師から反発を食らうのだと思います。勿論5cmの肺野にくっきり浮かぶような明らかな陰を見落としていたとかでしたら言語道断ですが、2cm以下で縦隔にかかっていたとか、old TBと区別が付きにくい陰影とかなら仕方がないでしょう、と鑑定を下すことが大切だと思います。

何しろすべての小さな異常を引っかけていたらおそらく3割はCTが必要となるかもしれません。しかし、被爆の問題、予算の問題全員再検査やCTをやるのは非現実的でしょう(大体スクリーニングの意味が無くなってしまいますし)。

つまり、鑑定官は現場を知ることが大切です。それが足りないのではないでしょうか?ミスはミスとして認める、しかし、仕方がないことであった、という考えがこの国にはありません。ミスと認めたらたちまち被告になってしまうからです。そこから是正すべきではないでしょうか?

No.38  Posted by: 僻地外科医 さん

>今回の鑑定方法が医師10人ないし20人ぐらいを集め、正常レントゲン99枚と1枚の該当写真を混ぜ、異常影を指摘できるか・・・と言う形にすれば、答えはずいぶん変わっていたのではないかと思います。コストも手間もかかる方法ですが・・・。

確かに単に一枚を見て判断するよりいいですが、「集めた」時点ですでにバイアスがかかっていると思います。

いっそのこと、何処かの検診(あるいは大学の放射線科読影室)の胸部写真の中にそーっと忍ばせておいたほうが有効かと思います。

level3さんへ
>結核に関しては,諸外国(先進国)では結核の有病率が日本より低く患者の発生地域も比較的限局している点が日本とは異なるため同一には考えられないと思われますが如何でしょうか?

厳密には大規模なRCTを日本で行い、その結果を踏まえて方向を決めれば良いと思います(検診有効の結果が出れば、「これだけきっちりとした根拠があるから、日本は堂々と検診を続ける」と言えば良い事です)。残念ながら、日本でしっかりとしたエビデンスが得られる可能性は限りなく0に近く、欧米のエビデンスを参考に進むしかありません。
成壮年期の患者さんは減少傾向です。それにも関わらず、結核患者が多い理由は2点あると思います。
一つは、人口の高齢化です。高齢者は過去に結核の感染歴や発病歴のある方が多く、化学予防や化学療法を受けていない人も多く、糖尿病・癌・免疫機能障害などのリスクファクターの合併率も高いため、結核の再燃、発症が容易に起こります。また、リスクの高い人は往々にして、気軽に検診を受けるような機動力を有しません。
2つ目は、都市型の結核ですが、結核の多い地区というのは、大阪の某地区のように日雇い労働者の多い地区に重なります。これは、米で治安の悪いダウンタウンに結核患者さんが多いのと同じ理由だと思います。結核を高率に発症する集団は、生活習慣が崩れた方が多く、めちゃめちゃなコントロールの糖尿病を合併した患者さんを多く認めます。こういった方は、検診の受診率が低く、引っかかったとしても病院に受診されません。人手とコストをかけても、検診による発病率低下の効果は、あったとしても低いと思います。

こんにちは、an_accused師匠(No.8の書き込みについて)
整形Aです。

まあ、他の医師の方がコメントしたことに繰り返しになるのですが・・・。

問題の写真1枚だけを見せられて、異常があるかどうかを判定させられれば、調査会の委員(専門医非専門医問わず)はおろか、実際に見逃した医師だって、まず間違いなく「異常ありといわざるを得ない」というでしょうね。
僕だって・・・うーん、ちと自信ないが・・・見つけられるかもしれない。
なんて、普段胸部レントゲン写真は右左くらいしかわからないと豪語(笑)している自分なので、まあ僕は措いておきましょうか。
もしかするとan_accusedさんだって、そばに医師がついていて彼に「これ?これ?これ?」とたずねながらたどっていけば、見つけられるでしょう。
つまり、あらかじめあるとわかっていれば見つけるのはかなり容易です。

さて医療過誤の鑑定の難しさは、過誤を起こした「過程の再現」が難しいことにあると思います。完全に同じシチェーションはありえないわけですし、カルテや看護記録を基にしても、どの程度「過程の再現」に近づいているかわかりません。
ただ、今回のような胸部レントゲン健診における過誤の「過程の再現」はある程度可能と思われます。

それは委員の先生方に、問題の写真が入った健診シリーズの写真すべてをみてもらうのです。これは別に誰の体に侵襲を加えるわけでもないので、倫理的にも問題ないでしょう。
そのときすべての医師が問題の写真をピックアップするようであれば、これは本当に見逃してはいけない写真を見逃したんだな、と判断可能でしょう。
いや、これでも不十分かもしれません。1回だけだと、このシリーズに見逃しやすい写真があるんだな、という予断がはいるので、目を皿のようにしてみるでしょう。

より正確を期すならば、少なくとも1年にわたって、彼が読影していたのと同じシリーズを、同じような環境(日常勤務が終わったあとの夜の9時とか10時であるとか、当直開けの32時間連続勤務後とか)で読影してもらう。
そしてもちろんどこのシリーズに問題の写真があるかはわからないようにします。

これで1年後に、やはり全員が問題の写真を見つけられたら、これは正真正銘の過誤と判断してもいいんじゃないですかね。
もっとも、こんな再現テストをやってくれる医師がいるかどうかは知りませんが。

一応健診結果がでている写真を、医療過誤の再現を検証するためだけに1年間見続けるのは、かなりモチベーションが下がる作業です。
調査会の医師の方の見逃しの方が、圧倒的に多くなる可能性大ですな(笑)。

いやあ、府中市、ここまでやって欲しかったなー。

>元研修医先生(No.12)、level3先生(No.13)、僻地外科医先生(No.21)
 詳細かつわかりやすいご解説をいただき、まことにありがとうございます。
 私は医師の診断に100%を求めているわけではないのです(医師の皆さまからはそう受け取っていただけないようですが)。
 「当該医師が担当した何百枚かのレントゲン写真の中にこの写真が紛れていた場合に、確実に異常を発見することを期待できましたか?」という問いに、例えば「確実に発見することは期待できない」とお答えいただければ充分なのです。

 僻地外科医先生が「これが直径3cmの異常影ならば7〜8割が『私は十中八九見逃さないだろう』と鑑定するかも知れません」とコメントしておられますが、異常影の大きさだけでなく、その影が写真のどこにあるかとかどの程度くっきりした輪郭を有しているかなどによって識別率が当然異なることになるのでしょうから、やはり実際に臨床医の皆さまに写真を診て頂かなければならないわけです。
 パターン認識機構が働いてしまうことは臨床医の皆さまにとっては常識なのでしょうから、それをご考慮いただいたうえで「自分なら健診業務の中でこの写真に当たったらどうだろうか」あるいは「当該医師のキャリアならどうだっただろうか」ということを鑑定で仰っていただきたいのです。

>YUNYUN先生(No.30)、元行政先生(No.36)
 本件において「異常なしの判定をすることが適正であったと認定するには困難があった」という判断を示したのは、「府中市健康診査事業適正運営調査会」であって「裁判所が選任した鑑定人」ではないという点を考慮する必要があると思います。ですので、調査会報告は裁判所の嘱託書の質問事項に対応して作成されたものではありません。またこのことは、「適正と認めるには困難」という結論が、「一人の医師が何百枚も読影する健康診査事業における判断として適正であったかどうか」に対する回答であるということを推測させます。そうでなければ、府中市の選任した複数の臨床医を含む合議体が、健診担当医師に対して、短時間に大量の読影を行うという事情を度外視して100%の正答率を求めたということになってしまいます。

>暇人28号先生(No.41)
 現在でも、他の相当数の患者のレントゲン写真を入れて、いずれかのレントゲン写真に異常が認められるか、認められるとしたらどの部分かという点について、5人の医師にアンケート式で鑑定をお願いするという方式をとったことがありますが、確かに先生がご提案の方法(何処かの健診の胸部写真の中にそっと紛れ込ませる)というほうがよりバイアスを排除できますね。

 「問題となっている胸部写真を何箇所かで行われた健診の中にそれぞれ紛れ込ませたら、どの程度の確率で当該胸部写真から異常影が見つけられるか」を、例えば調査嘱託と言う形で病院に調べてもらうということはできないでしょうか?>モトケン先生、YUNYUN先生、FFF先生

>an_accused さん

>例えば調査嘱託と言う形で病院に調べてもらうということはできないでしょうか?

 このような調査は有益だと思いますが、民事訴訟手続または警察捜査を念頭においた手段となりますといろいろ制約があるように思います。

 第三者機関による調査の一環として位置づけるのが一番よいように思うのですが、現行制度の中でどの程度できるかについては回答に自信がありません。
 民事立証の問題は他の先生のほうが適任です。
 

 

>>No.44のan_accusedさん
ただ難しいのは、当の先生だって、別の日だったらおそらく見逃してなかっただろうな、ってことです。

後から見れば「ある」とわかるレベルであれば、10人で別個に読影したとしても読影医はたぶん9人または10人全員が引っ掛けます。
そのかわり、各医師毎に異なる100枚程度の通常検診フィルムに混ぜて読影したのであれば、1枚ぐらいは誰かが別の病変を見逃しているはずです。
(ダブルチェックまたはトリプルチェック体制はそのためにあります)

やはり、見逃しがやむを得なかったかどうかの判定は難しいです。

No.44  an_accused先生

私の勘違いの修正ありがとうございました。(ただ知りたいというのは、この裁判に限定された話ではなくて、一般的な裁判の場合どんなものかというところであります)

しかしながら、「短時間に大量の読影」まで考慮したかどうかは、より分からないと言ってよいと思います。裁判に利用されることを想定しなければ、むしろ厳しい判定になるとは思いませんか?
似たような話で、例の大野事件があります。逮捕の前に事故調査委員会のようなものが過失ありとしているんですよね。(保険会社から遺族に金がいくように、そのようにしたと推測(憶測?)されています。内容がトンデモであることも多くの医師に検証されています)ですから、先生の説明を聞いて、ここに書き込んでいる医師が納得することはないと思います。(大野事件についてはみんな相当詳しいですからね)

an_accused 様

>健診担当医師に対して、短時間に大量の読影を行うという事情を度外視して100%の正答率を求めたということになってしまいます。

an_accused 様の書き込みからの引用ですが、
>委員全員で詳細に観察し意見を交換した結果、『異常なしの判定をすることが適正であったと認定するには困難があった』と報告した。
という表現からも一枚のX−p写真を詳細に観察した事、多数の中からの見つけるべき事案であったのかを検討していなかったという事が推認されます。
そして何より、Level3さまをはじめ何人かの医師が指摘しているとおり、、この委員会の出した答えが現実的に不可能な事を要求しています。この事からも、「短時間に大量の読影を行なう事情」を度外視しているのは十二分に推認されます。

医療事故は、システムの問題から起こるものも多数あります。
臨床医に「短時間に大量の読影を行なう事情」というシステム上の問題を、すぐ結びつけて考えられる人は少ないです。
「府中市健康診査事業適正運営調査会」に医師と弁護士はいましたが、システムの問題を扱う専門家がいませんでした。
医療事故の調査機関には、臨床医だけでは不十分と考えます。システム工学、人間工学の専門家がはいるべきかと考えております。

最近の新聞報道をみていて妙な損害賠償が認容されていることが多いと思うのですが、法曹関係の方はどう考えておられますでしょうか。以前こちらのブログでも取り上げられていた奥入瀬渓流内で生じた事故に対する賠償訴訟や、公園のベンチから転落した際に枝が突き刺さったことで自治体が管理責任を問われた事件などはどう考えても異常です。一言で言えば過保護というか、出せるところから出してあげてくださいという雰囲気の判決です。
 最近の賠償訴訟については負担能力にのみ着目したと思われる判決が目立ちます。到底結果に対する責任に応じた負担や、過失に応じた按分という発想に立っているとは思われません。
 B型肝炎に伴う肝癌の訴訟で、鑑定などからdoubling time(癌の大きさが倍になる速度)を10-15日程度と計算し、慢性B型肝炎患者に3ヵ月ごとに超音波検査をしていないのが過失とされたものがありました。裁判所が勝手にガイドラインを作成することはさておき、この癌のdoubling timeでは3ヵ月ごとにechoをしても癌死を防ぐのは困難です。少し計算すればわかることです。にも関わらず医療側に過失ありとなるのですから、鑑定を使っても何ほどのこともないという感想はぬぐえません。B型肝炎の場合1ヶ月前のechoで何もなくても巨大な癌を形成していることがあり得ます。そのような臨床的な常識をdoubling timeという形で認識できているはずなのに、この結論になるというのは負担能力のみに着目して論理構成を行っていると疑われてもやむをえないところがあると思います。

>整形A先生(No.43)、元田舎医先生(No.46)
 懇切にご解説をいただき、ありがとうございます。
 皆さま同じことを仰いますね。嫌味のつもりではありません。本当に臨床医の先生方にとっては常識中の常識なのだなあということがよくわかって有難いと思っているのです。ただ、おそらく調査会のメンバーである4名の医師もこの「常識中の常識」を共有していたはずなのです。ではなぜ、調査会のメンバーは皆さまが仰いますように「これは見つけられなかったかも知れない」と言わなかったのか(言えなかったのか)、というのが私の疑問なのです。

 自らの臨床経験に照らして、当該医師が当時置かれていた状況を思い描き、その上で「この写真を診て異常なしの判定をすることが適正であったかどうか」が判定できなければ、何のために複数の臨床医で議論する必要があるのでしょう。これでは臨床から離れて久しい大学教授や研究医による判定と何ら変わらないわけで、結局臨床医の皆さんは「後出しジャンケン」に負け続けなければならないということになってしまいませんか。

>オダさま(No.48)
 コメントをいただき、ありがとうございます。

>「臨床医に『短時間に大量の読影を行う事情』というシステムの問題を、すぐに結びつけて考えられる人は少ないです。」

 とのことですが、例えばこちらにコメントをお寄せになる医師の皆さまが、すぐさま本件見落としの原因に短時間大量読影による精度低下があることを一様に指摘しておられるところを鑑みれば、私にはそうは思えません。

 また、「委員全員で詳細に観察し意見を交換した結果」という記述からは、「実際に相当数の写真に当該写真を混入させて検証するなどの手順を踏まず、問題となっているレントゲン写真のみを観察した」ということは推測できますが、「意見交換の際に『短時間に大量の読影を行う事情』について言及されなかった」ということについては推測することができません。短時間大量読影という事情については、「考慮されたかも知れないしされなかったかも知れない」としか言えず、「度外視しているのは十二分に推認される」などとはいえないと考えます。これについては調査会報告原文や議事録にあたらなければわからないでしょう。もっとも、本件健診に全くかかわりのない大学教授などによる一般的な読影技術に関する議論ならともかく、「健診の実施主体が設置する、健診事業の適正運営について調査する機関で行われた議論」が本件健診の事情を度外視していたのだとすれば、一体何のための調査会なのかと思ってしまいます。

>>No.50のan_accusedさん
>もっとも、本件健診に全くかかわりのない大学教授などによる一般的な読影技術に関する議論ならともかく、「健診の実施主体が設置する、健診事業の適正運営について調査する機関で行われた議論」が本件健診の事情を度外視していたのだとすれば、一体何のための調査会なのかと思ってしまいます。

禿同。

法律的な「過失」の意味を理解していなかった可能性もゼロではないでしょうね。
そうでなくとも、最終的に「見逃したのは確かなんだしなぁ。とりあえずアイツが悪いことにして謝っとくか。そうすりゃ丸く収まるだろ」レベルの議論で結論を出したのではないことを祈ります。

問われ方の問題ではないでしょうか。
健診における胸部X-Pの読影には1/Xで異常陰影を見逃す可能性があります。これを是認した上で健診を受けるべきだ、健診で異常が見つからないことはあなたが正常だと保証する訳ではない。というのが本来の前提ではないでしょうか。もし、そうでない理解があるとしたらそれは健診業務自体の周知の間違いだと思います。
従って僕は間違いが3cmだとか、そういうことは本来的な問題ではないと思います。もし、健診が罰則を受けたりするのであれば、通常の医師が間違える確率よりもずっと高い場合ではないでしょうか。
一枚の写真の判断ミスそのものを問われれば私が委員でも現在の医師に要求される水準としてはミスである、と答えると思います。

問われ方の問題ではないでしょうか。
健診における胸部X-Pの読影には1/Xで異常陰影を見逃す可能性があります。これを是認した上で健診を受けるべきだ、健診で異常が見つからないことはあなたが正常だと保証する訳ではない。というのが本来の前提ではないでしょうか。もし、そうでない理解があるとしたらそれは健診業務自体の周知の間違いだと思います。
従って僕は間違いが3cmだとか、そういうことは本来的な問題ではないと思います。もし、健診が罰則を受けたりするのであれば、通常の医師が間違える確率よりもずっと高い場合ではないでしょうか。
一枚の写真の判断ミスそのものを問われれば私が委員でも現在の医師に要求される水準としてはミスである、と答えると思います。

>an_accused様

 鑑定を依頼した側が回答の自由度をどう設定したか、と言う問題を解決しない限り、この件は永遠に堂々巡りになると思います。

>健診の実施主体が設置する、健診事業の適正運営について調査する機関で行われた議論」が本件健診の事情を度外視していたのだとすれば、一体何のための調査会なのかと思ってしまいます。

 これはご指摘の通りですが、回答した側は「この写真は異常と判定してしかるべき」・・・以外のことを回答していないように思えます。もっと問題なのは医師自体が「これは見つけても不思議はない」と思える写真であれば、「見つけることは可能である。異常と言って差し支えない」と言う回答を常に出す性質にあると言うことです。科学者の本質的習性だと思います。
 ですから、本気で医療を取り巻く社会情勢を考慮する裁判官であれば、「一日これだけの枚数を見て、見逃す可能性はどのぐらいあるか」という鑑定を依頼すべきなのだと思います。見逃す確率が40%以下ならば大きな過失がある、60%以上ならば過失とするには酷であるという判定を下すべきなのでしょう。

 現行の裁判システムの問題点は基本的に「白か黒か」を問うもので、中間色がないものだと思います。そして医療というのは本質的に「白か黒か」で問われるものではないということを、裁判官は理解していないのだと思います。

管理人から報告

 ここ3日間、「語るエントリ」のページビューが800を超えています。

 植草問題で訪問された方がついでに読まれているという感じですが(エントリ本文だけという人も多いと思いますが)、そして800という数字が多いか少ないか問題ですが、増えています。
 植草問題の影響を差し引いても、コンスタントに500前後のPVはあります。(関連エントリを含めればもっと多いです。)

 たとえわずかずつでも、この問題に関心を持つ人が増えれば、このブログに皆さんが費やされた時間や皆さんの大量のコメントは決して無駄にはならないと思っています。

元行政さんのNo.47を読んで知ったのですが、大野病院事件では患者の家族に保険金が支払われていたのですか?

ブログ「ある産婦人科のひとりごと(2006/03/16)」にある朝日新聞の記事によれば、
「県病院局が、05年1月に事故調査委員会を設置したのは、「原因を調べて再発防止に役立てるため」(秋山時夫局長)だった。2カ月後に公表した報告書は、「無理に胎盤をはがした」点などについて医療過誤を認めた。」
とのことですが、これが保険金を支払うための報告書であったのでしょうか?

保険は自分自身を守るために加入するものであり、医療賠償の保険であれば、医療提供者である病院、医師、看護士・・・を守るものでなくてはならない。保険が逆に医師を刑事告発するように働いたのであれば、何のための保険だろうと思ってしまいます。

保険は不可抗力によるミスを助けるものであると思います。本来なら、有効に働いて、集団検診のX線写真が意味がないなら中止する方向に働く。読影を、一人の医師に頼るよりは、バックアップの方法を保険が提案する。そいうのが本来の保険であろうと思うのです。

集団検診のX線写真にしても政府補助金が関係し、単純には行かないことはよく解るのですが。政府・厚生労働省に任しておいても、医療崩壊が進む危険性が相当ある。でも、政府予算というお金なしで色々やろうとすると限度がある。実体を解った人を少しでも増やしていく。取りあえずは、そんな取り組みになるのでしょうか?

こんにちは、健診スレッド(いつそんなのできたんだ?)の皆さん。
整形Aです。

実は今まで医師会仲間の飲み会でして、隣の席の結核肺がん健診委員会の先生に聞いてみました。
前にも述べましたが、当地区の委員会は精度管理もかなりしっかりしていまして、全国平均を上まわっているはずです。

彼によりますと、委員会では年間約4万例の読影を行なっております。
そのうち、肺がんが見つかるのは30例前後であろう。しかしながら、見つかったところで予後に関係しそうなのは10数例であろう、ということでした。
つまり健診で肺がんが見つかったところで、半分以上は手遅れで、救命までは至らない。健診でみつかったゆえに生命予後が大きく改善されたという症例は、10/4万くらいなものだろう。
これでも全国平均を上回っているんだそうです。

そうそう、彼によりますと、その外に平均すると年3人くらいの結核患者も見つかるそうです。
また、医師会の受託料とは別に、純粋たる医師の報酬は1件当たり50円(!)だそうです。

今のところ、健診ではっきりコストパフォーマンスがいいとされているのは、乳がんのマンモグラフィー、大腸がんの便潜血、あとは子宮頸がん(体がんはのぞかれる)あたりのようです。

No.44 an_accused様

> 本件において「異常なしの判定をすることが適正であったと認定するには困難があった」という判断を示したのは、「府中市健康診査事業適正運営調査会」であって「裁判所が選任した鑑定人」ではない

おひゃ!? 前エントリの事案説明をよく読んでおらず、失礼いたしました。
んでも、そうすると、an_accused様のご指摘の通り、

> 府中市の選任した複数の臨床医を含む合議体が、健診担当医師に対して、短時間に大量の読影を行うという事情を度外視して100%の正答率を求めたということになってしまいます

医学的に正しい結論が出せない専門審査会て何じゃい、というのが法曹側としての素朴な疑問です。

>  「問題となっている胸部写真を何箇所かで行われた健診の中にそれぞれ紛れ込ませたら、どの程度の確率で当該胸部写真から異常影が見つけられるか」を、例えば調査嘱託と言う形で病院に調べてもらうということはできないでしょうか?

うーん、そのような再現実験は、民事訴訟法による調査嘱託とはちょっと違う気がします。調査嘱託とは、個別事件に関して、既に世の中のどこかに存在する資料を、裁判所に取ってくるという手続きではないでしょうか。
刑事事件では、例えば、放火犯について、被疑者が自白した方法で火を点けると本当に燃え上がるかどうか燃焼実験をするというような捜査手法がありますから、可能性はあるかもしれません。
もっとも、本件のようなケースで刑法上の過失を問うのは、全く不当なことと思います。念のため。

これまでお医者様のご意見を伺っておりますと、検診見落とし問題は伝統的な過失賠償論は通用しない領域であると思われます。
ただ、たとえ医療行為としての過失が認定されないとしても、何らかの補償がされなければ、気の毒なケースではあります。
そこで、損害賠償ではなく、損失補償的な発想はどうでしょうか。
集団健康診断という全体的な福祉システムにおいて、構造上エラーが避けられないことを前提に、運悪く当たってしまった一個人が受けた損失を、国民全体で分担する(税金から補償する)という方式で救済を図ることには、国民の理解が得られるのではないでしょうか。
cf.予防接種の副作用被害の救済制度

---------
No.47元行政さま

> 裁判に利用されることを想定しなければ、むしろ厳しい判定になるとは思いませんか?

調査目的を、医療技術の向上(みんな、この点を注意せいよというインフォメーション)に重きを置くことにするならば、必然的に要求レベルが次第に高くなっていくものと思います。
ただし、その場合でも、
・当該事故については、医師に過失があったとは言えない
・将来の改善提言として、今後は注意すべきことである
という判定の仕方はアリだと思います。

裁判でも、行政の判断が拙かったことを指摘した上で、「本件については、国家賠償法上の違法となる過失はない」等として、損害賠償を認めないスタイルがあります。
つまり、今後に同様の判断ミスをしたら、その時は許さないという警告になります。

> 例の大野事件があります。逮捕の前に事故調査委員会のようなものが過失ありとしているんですよね。

あれはヘンな報告書です。
あれで、「過失あり」という意味に受け取るべきなのでしょうかね?「過失」という用語自体は使っていません。
結果的に何が悪かったという原因分析が書かれていますが、それはまさに、医師のみなさんが嫌う、レトロスペクティブで現場の実情を無視した分析手法でしょう。
「今後の対策」も、ほとんど精神論のような文言ばかりで、具体的に実施可能な改善手法が指示されておらず、リップサービス的な印象を受けました。

---------
No.49mktaxi73様

> 最近の新聞報道をみていて妙な損害賠償が認容されていることが多いと思うのですが、法曹関係の方はどう考えておられますでしょうか。

留保を付けたいです。
新聞報道では事実関係及び裁判所の下した法的判断について、正確な報道されているかどうかが、甚だ疑問だからです。マスコミ報道ではえてして、大衆のセンセーショナルな関心を惹くように、重要な事実がカットされていたり、ニュアンスが変えられていたりします。
医療者の皆さんは、あらゆる医療事故について、過失が有るのも無いのも十把一絡げに「医療過誤」「医療ミス」と連呼される現状にウンザリしておられるでしょうから、その点はおわかりいただけることと思います。
裁判報道の場合も、最低限、判決全文を見なければ、厳密に言えば準備書面・鑑定書・証人尋問調書等の全ての記録を読んだ上でなければ、
本当にトンデモ判決なのか、確定的なことは言えないというのが、法曹側の立場です。
お医者様が、カルテを見ずに、報道だけに頼って正確な診断をできないのと、同じ事です。

もし仮に、個別の事件報道が正確であるとしても、訴訟の全体的な傾向としては、実務法曹の間では最近特に珍奇な判決が増えたという感覚はないと思います。
医療訴訟にしても、行政相手の取消訴訟や国賠請求にしても、「原告勝訴率が低い訴訟類型」という点では、昔と変わっていないという認識です。
(個別には、裁判所の判断がおかしいと思う判決を受けることは、皆無ではありません。)

だからこそ、印象のみで語るのではなく、具体的にこの判決のここがトンデモ〜という実証的な研究を行ってほしいと思っています。また、トンデモな判断に至った原因は何か。
その積み重ねにより、訴訟全体の傾向も判明するでしょう。
医師のみなさんの不安感(あえて申しますが、「感」)を払拭できるような結果が出ることを期待しています。結果が実証されるのと、医師の撤退・医療崩壊の速度と、どちらが早いかは、、、、全く楽観を許さない状況ですが。

しかし、ブログの新サブタイ...なんかハイジャックに成功した気分w

ってか、ブログじゃなくって、もはや掲示板だしwww

 この胸部レントゲンの部分を読まれた一般・法曹の方は、医療裁判の何が問題かの一端がよくお分かりになったのではないかと思います。

 つまり一般・法曹の方は医療にグレーゾーンがあることを実感としてわからない。もっと問題なのは鑑定する医師も法律上の過誤の概念がわかっていない。簡単にいうと、自分のその症例検討会レベルのコメントで、たまたまあたってしまった人を罪人にしている自覚が無い。

 やはり現行の白黒つけようとするシステム自体が医療を裁くのに適さないのではないのでしょうか。

 医学上の過失と、司法上の過失は大きく異なるもの。そして司法上の過失ということになれば非常に広い範囲のグレーゾーンが存在します。どこに線引きするかは非常に難しい問題で、厳しく過失を認定するとロシアンルーレットのようになってしまいます。(特に重症患者を断らず、頑張っている人があたる傾向にあります)。

 民事・刑事訴訟が増加すれば、院内症例検討会も開かれなくなるかもしれません。なぜなら医学上の過失と司法上の過失の区別がついていないため、これが過失の証拠として使われてしまうかもしれないからです。
 事故・過誤を隠すのではなく、事故・過誤だと思わないけど、つつかれるようなことは証拠に残さないことにしようということです。
 これは非常に大きな損失だと思いませんか。可能かどうかはさておき、厳しく経過を検証することで、その患者さんの事例を教訓とし再発防止や医学の発展に役立ててきましたが、それができなくなるのです。

 社会が「医療事故・過誤を0にしよう」というスローガンを掲げているうちはだめだと思います。「医療事故・過誤はおこるもの。それをどれだけ少なくするか考えよう」とするべきではないのでしょうか。そこには人間工学的な考え方も必要だし、個人を罰するのではなくシステムを改善するという考え方も必要です。

No.56 売れない経営コンサルタント様

大野事件については、ご自身でもっと調べていただきたいと思いますが、
事実関係を若干の説明をいたしますと、

> 患者の家族に保険金が支払われていたのですか?

福島県側は賠償責任保険を出してもらうことを前提に、遺族に対して補償を申し入れた(どの程度熱心に働きかけたかは不明)が、遺族は応じなかったそうです。
現在は刑事事件のほうが進行中なので、たぶん、まだ応じないままでしょう。
賠償責任保険では、示談が成立して「本和解条項に定めるほか、債権債務がないことを互いに確認する」という書面を交わさなければ、保険金を支払いませんので、
保険金は実際には支払われていないものと思います。

> これが保険金を支払うための報告書であったのでしょうか?

県は公式にはそのようなことは認めませんが、その疑いがあるということです。

日本産婦人科学会・平成17年度第9回常務理事会議事録(平成18年3月10日)
佐藤章幹事の説明
「・・・調査委員会を立ち上げた。その冒頭に、委員長と病院局の担当者がこれは今後こういう事件が再び起きないようにすること、非を認めて家族に対する補償の開始を早くしたいということが目的であるので、そのつもりで報告書を書いてくれとのことであった。」
www.jsog.or.jp/about_us/minutes/pdf/GIJIROKU/h17_09joumu.pdf

>謹慎明けさん
>健診における胸部X-Pの読影には1/Xで異常陰影を見逃す可能性があります。
>これを是認した上で健診を受けるべきだ、健診で異常が見つからないことは
>あなたが正常だと保証する訳ではない。というのが本来の前提ではないでしょうか。

「正常だと保証する訳ではない」と言うのはおそらく頭の中では分かっていると
思います。問題なのは、Xがはっきりしてない事だと思うのです。

整形Aさんの掲示されたようなデータを公開して、検診の必要性を問いかけた方が
よろしいかと存じます。昨日も書きましたが、がん検診ガイドラインを観てちょっと
おどろきました。根拠無く行われている検診がいかに多いのかを知ったのです。

>売れない経営コンサルタント様

>元行政さんのNo.47を読んで知ったのですが、大野病院事件では患者の家族に保険金が支払われていたのですか?

 私の記憶が間違っていなければ、遺族は保険金の受け取りを拒否したはずです。

>「県病院局が、05年1月に事故調査委員会を設置したのは、「原因を調べて再発防止に役立てるため」(秋山時夫局長)だった。2カ月後に公表した報告書は、「無理に胎盤をはがした」点などについて医療過誤を認めた。」
とのことですが、これが保険金を支払うための報告書であったのでしょうか?

 この件ですが、医師側の調査委員の本旨としては「再発防止に役立てるため」だったんだと思います。が、県当局は「医療過誤であると認定されないと補償金が下りない」ため、「医療過誤を認めるような報告書にした」ということです。
 この辺の経緯は日本産婦人科学会理事会議事録が詳しいので是非お読み下さい。
http://www.jsog.or.jp/about_us/minutes/pdf/GIJIROKU/h17_09joumu.pdf

あちゃ・・・。YUNYUN様と完璧にかぶってしまいました・・・

ん〜宝くじでも買いに行った方がいいんだろか……

健診の件については既におおよそのところは出そろっているように思いますが、普段から感じているのは実施する医療者側と受診する患者側の感覚があまりに違いすぎることです。精度の件などもそうですが任意の追加項目の選択など見ておりますと「おい、誰か突っ込んでやれよ」と思わず言いたくなるようなものが多すぎると感じますね。受付窓口にいる者も医療素人であるのだから文書で説明を用意すべきなんでしょうが、正直ああいう項目それぞれの意味、あるいは相互の関連など素人に簡潔に説明する自信はありません。
特に実質生活習慣病健診に過ぎないものを「引っかからなかったから健康には何も問題がないのだ」というふうにとられる人が多いと言う点は特に悪性疾患の見落とし問題とも絡めて後々トラブりやすいところです。臨床医は健診にあまり関わりたがらない傾向がありますので、疫学的背景も持ち臨床の側面も知るスペシャリストにそのあたりのインフォーメーションについて協力願えればいいのですが…

あと福島事件については怪情報が多々乱れ飛んでおりどこまで真実かは判りませんが、単純な医療過誤といったレベルの話ではなさそうな印象は受けています。知事がああいうことになったのでどこかのマスコミがついでにそちらも突っ込まないものかと期待しているのですがどうでしょうか?

ところで、府中市の見落とし事件の件ですが、集団検診を前提にして語られている
ように思いますが、これは個別検診です。集団と個別との間に差はないのかも
知れませんが、一応は区別した方がいいような気がします。

>原告は,平成14年9月11日,医療センターで個別の有料健康診断(総
>合健康診査)を受診した。医療センターでは,同日,原告の胸部Xp を撮影
>したところ,肺に直径約1センチメートルの異常陰影が存在していたが,A
>医師は,同月25日,原告に対し,胸部Xp には異常がないと判断しその旨
>説明した。

ただし、今話されている話が集団検診ではなく、個別検診にも通じるというので
あれば、よけいなお節介ですね。

YUNYUNさん、 僻地外科医さん

ありがとうございます。

日本産婦人科学会の平成18年3月10日常務理事会議事録を読みました。

集団検診も個別健診もドックも項目や受診の仕方などは違いますが大多数の医者にとってはやることにあまり違いがありません(少なくとも自分の知っている範囲では)。診て読影し所見をつけるという作業の繰り返しです。それも一度に数十人〜数百人という単位を相手に。経験上(レトロスペクティブに見ての)見落としというのは必ずある程度の割合で存在します。
そもそも集団検診とは集団に対する寿命延長等の効果を期待するものであって費用対効果の面からも個々の事例で100%の見落としなしを求める性質のものではありません(「医者にもここを勘違いしている人が多いんです」と偉い人が講演で力説してました(苦笑)。患者さんにそう言ってくれと思いますが)。肺癌のリスク回避を目的に個別健診を受診するなら胸写よりCTを選択すべきではなかったかと思います。

今回の件は個別なのでそうではないと思いますが結核検診の間接撮影の小さな写真で肺癌を見逃したと言われるのはつらいですね。元々の目的が違うものを目的外の領域において何かしら過失があったと賠償請求するというのは釈然としないのですが司法的にはそういうものなのか、あるいは何かしら免責のための手段があるのか気になるところです。

コメントの流れとは関係ありませんが、今月発売された中公新書の『ドキュメント検察官―揺れ動く「正義」 』にも、福島事件を含めて医療事件と検察権のことについて若干触れられています(本当に若干ですが。)。

『ドキュメント検察官』早速、当ブログ経由でアマゾンに入って購入します。
『ドキュメント弁護士』もありますね。

同じシリーズで、『ドキュメント裁判官 人が人をどう裁くのか』も面白かったです。

 エントリ本文にも追記しましたが

 ここに議論のあり方についての有益な意見が述べられていますので紹介します。

 もう一歩先に進まないかな〜 (新小児科医のつぶやき)

流れが早すぎて2〜3日アクセスしないと浦島太郎になりますね(笑)

癸横押^燭詁皺憤紊気

私も先生と同様の考えをもっています。
事故を起こした事よりも、事故の事実を隠したりごまかしたりが患者さんやご家族との関係を悪化させ、訴訟問題に発展するのでしょう。

法曹関係の皆さんに伺いたいのですが、理由にもよるでしょうが裁判官の忌避はどの程度の率で認められているのでしょうか?
裁判官が裁判官を裁くとなると、同業のよしみで判断が甘くなったりはしないのでしょうか?
昨今では医療裁判の鑑定も引き受ける医師が増える傾向にあり、過失が認められる場合は同業であっても医師側に厳しい判断をする鑑定医が増えてきました。

どうも恣意的で問題のある裁判官が目につくのですが、処分をされたとか忌避が認められたなんて話を聞いたことがありません。

>モトケン様
 ご指摘のブログは読んでますが・・・。

 民事訴訟の話はどうすればよりまともな判決へ持っていけるのかという考察は可能だと思います。ただ、刑事訴訟については・・・。少なくとも重過失以外刑事訴訟では扱わないという形にならない限り、医療崩壊は加速する一方になると思います。

 現状では明らかな重過失と思われない事例で刑事訴訟が起きています(福島に限らず)。となると、「そのような危険行為(手術・分娩など)を行うことには法的に責任を持てない」として、そう言う行為をやめるか、別の職業を選ぶか以外に自衛手段はないです。いままで、私や他の先生も含め、さんざん言っているように医学に100%はあり得ないからです。こればかりは譲りたくても譲りようがありません。民事と異なり、刑事訴訟ではダメージが大きすぎます。仮に杏林割り箸事件のように無罪になっても判決が出るまでに10年では医師が主戦力として働ける時期(約20年)の半分を費やすことになります。

 民事においては鑑定の様式を変更するなどの対応が現時点ではよりよいのではないかと思います。
 FFF様やan_accused様のご指摘のように年に1〜2回の鑑定を義務づける、と言うのも一つの手です。私のように田舎の一人外科の場合や開業医院の先生の場合にはその補償や代診の用意をどうするかという問題が残ると思いますが、これは解決の道はあるでしょう。
 鑑定の仕方についても、鑑定意見の問い方を変えることで手は打てると思います。

>僻地外科医先生(No.54)
 先生が仰いますとおり、調査会の議事録でも見ない限り堂々巡りだと思います。
 ただ、前にも申し述べましたように、私は本件における調査会報告とその報告に対する皆さまの受け止めを拝見して、本当に医療崩壊が「無理やり白黒をつけようとする司法」のせいで促進されているのか、また、医療崩壊の進行が臨床医主体の医療事故調査機関の設立によって遅れさせることができるのか、疑問に感じております。

 「府中市異常影見落とし訴訟」は、過失の有無についてはほとんど争いがなく、専ら損害の評価とそれに基づく賠償額の多寡について争われたものです。過失の有無について争いがないとされたのは、この調査会が「医師の判断が不適正だった」と判断し、被告である府中市がその判断に基づき訴訟で過失の有無を争わなかったからです。つまり、過失の有無という点は訴訟が提起される前に「白黒つけられていた」のです。それがいつのまにか医師掲示板では「裁判所が読影のような白黒つけられない問題にまで無理やり白黒つけようとした」という例として取り上げられ、「裁判官は後出しジャンケンで『こんなものも見つけられないのか』といってるんでしょうね」と裁判官批判の材料にされてしまうようです。本件で「白黒つけた」のが医師主体で構成された合議体であったにもかかわらず。
 「白黒つけようとする」のが裁判所や法律家の問題であるとしても、それが臨床医主体の調査機関であっても同様なのだとしたら、結局「跳散」は食い止められないのではないか、と危惧する次第です。

>モトケン先生(No.45)、YUNYUN先生(No.58)
 懇切なお答えをいただき、まことにありがとうございます。

 「調査嘱託」につきましては、YUNYUN先生にご教示いただきましたように「既に世の中のどこかに存在する資料を、裁判所に取ってくる」という手続なのですが(基本書などでは、例えば気象庁に過去のある場所の天気を調べてもらう、といったものが挙げられています)、「以前東京地裁の医療集中部である薬が胃の中でどのくらいの時間で溶けるのかについて、調査嘱託を使ってある公的機関に実験してもらった」という話が判例タイムズの座談会でありましたので、そのような実験的な調査嘱託が可能ならば、「問題となっている胸部Xpの異常影は通常の健診の場合どの程度の確率で発見されるか」についても調査嘱託を使って調べてもらうことが可能かも知れないと考えた次第です。

※医師の皆さまには内心申し訳ないと思っているのですが(本当です)、医師の皆さまがいくら「現行の司法システム自体が医療を裁くのに適さない」と仰っても、「新たな医事紛争処理システム」が出来ない限り、医事紛争は司法が引き受け続けざるを得ないことは事実なので、だからこそ私は「医師にも患者にもある程度納得してもらえる(納得せざるを得ない)判決」を裁判官に導き出させるために今ある手続がどこまで活用できるか模索し、上手く使えば現状を少しでも改善させる可能性のある手続があれば積極的にアイデアとして提案していきたいと思っていますし、そのための議論はきっと「新たな医療事故調査機関における審理のあり方」を考える上でも有効であると考えています。

>an_accused様

>「府中市異常影見落とし訴訟」は、過失の有無についてはほとんど争いがなく、専ら損害の評価とそれに基づく賠償額の多寡について争われたものです。

 そもそも当の被告医師が過失を認めているのですから、争いがないのは当然だと思います。

ですから
>過失の有無について争いがないとされたのは、この調査会が「医師の判断が不適正だった」と判断し、被告である府中市がその判断に基づき訴訟で過失の有無を争わなかったからです。

 これは調査会の判断だけとは言えないでしょう。

>それがいつのまにか医師掲示板では「裁判所が読影のような白黒つけられない問題にまで無理やり白黒つけようとした」という例として取り上げられ、「裁判官は後出しジャンケンで『こんなものも見つけられないのか』といってるんでしょうね」と裁判官批判の材料にされてしまうようです。本件で「白黒つけた」のが医師主体で構成された合議体であったにもかかわらず。

 ご指摘の通りですね。これは医師側にも問題があると思いますが、報道で得られる情報だと同じように判断する可能性があると思います。おそらくですが、正確に報道されれば「臨床医主体の鑑定」で幾分かの逃散抑止力にはなると思います。なによりある程度、「医師側にもオープンな」鑑定制度が構築されれば(鑑定過程、意見などを医師であれば確認できるシステムであれば)、鑑定結果についてはさほど揉めない可能性はあり得ます。
(医師側には・・・とするのは、個人情報保護の観点からです)
また、再三指摘していますように、鑑定を依頼する側も設問の仕方を工夫していただければ・・・と思います。

 

追加します。

 そもそも、この件は私は「医師に過失はある」と思っています。当の被告医師自身が過失を認めているわけですし。

 問題はそれを裁判で取り上げるべきものなのか、取り上げた場合の社会的影響はどうなるのか、判決の金額はほんとにこれで良いのか?ということです。

 交通事故も重過失ではなくとも起きえるように、医療事故も重過失ではなくとも起こりえます。交通事故の場合は運転することによる利益享受者は運転者ですが、医療の利益享受者は患者さん、一般市民です。報酬をもらうことで医療者も利益を享受していますが、その利益が重過失といえない過失ですべて吹っ飛んでしまうのでは「割に合わない」ということです。

 この事件ははっきり言ってお金の問題のみに集約されていると思います。

>僻地外科医 さん

>民事訴訟の話はどうすればよりまともな判決へ持っていけるのかという考察は可能だと思います。ただ、刑事訴訟については・・・。少なくとも重過失以外刑事訴訟では扱わないという形にならない限り、医療崩壊は加速する一方になると思います。

 この点は制度的には現在の制度で実現可能である、ということは一応できます。
 起訴便宜主義(変な言葉ですが、起訴裁量主義と言ったほうがわかりやすいです)というのがありまして、検察官には、犯罪が成立するとしても起訴しないという裁量権(不起訴(起訴猶予)処分ができる)があります。
 これを使えば、軽過失の医療過誤事件は起訴しない、という処理も可能です。

 しかし、検察官の起訴裁量権も恣意的な行使は許されず、適正な範囲で行使される必要があります。
 では適正な範囲とはどんな範囲かということが問題になるのですが、世論が納得するというのも一つの基準だと思います。

 ではどうやって世論を知るのかということについては、検察審査会というものがあります。

 検察官が片っ端から不起訴にしても、検察審査会が片っ端から「不起訴不当」または「起訴相当」の議決をしたら、検察官は不起訴基準の見直しを迫られます。
 現在、検察審査会の議決は参考意見にとどまっており検察官に対する拘束力はありませんが、すでに検察審査会が2回起訴相当の議決をした場合は起訴されてしまうという法改正が成立しており、2009年5月ころまでに施行予定です。
 改正法施行後は、検察審査会の起訴相当意見は1回目でも相当の影響力を持つことになり、2回目の議決は決定的なものになります。
 つまり、世論が最終決定権を握っており、結局マスコミの論調が極めて重要であるということになりそうです。

>すでに検察審査会が2回起訴相当の議決をした場合は起訴されてしまうという法改正が成立しており、2009年5月ころまでに施行予定です。
>つまり、世論が最終決定権を握っており、結局マスコミの論調が極めて重要であるということになりそうです。

全然知りませんでしたが、恐ろしいことです。

>少なくとも重過失以外刑事訴訟では扱わない

というのが妥当な線だと思っていましたが、

>軽過失の医療過誤事件は起訴しない、という処理

は事実上不可能になってしまうのではないでしょうか?

「マスコミの論調が極めて大事」なのはお役所も一緒です。
関係のある新聞記事を島のバイトのおねえちゃんにコピーしてもらい、供覧に回すのは、公務員の大切な仕事の一つです。
けっこうそれを見て皆さん、一喜一憂しておられます。

>循内勤務医 さん

>事実上不可能になってしまうのではないでしょうか?

 2009年までに国民の意識が変われば可能になる、という希望的観測も成立します。

>モトケンさん
検察審査会の議論と、世論の間には必ずしも相関関係はないのではないでしょうか

>僻地外科医さん
>なによりある程度、「医師側にもオープンな」鑑定制度が構築されれば(鑑定過程、
>意見などを医師であれば確認できるシステムであれば)、

「個人情報保護」だけ考えるのならば、罰則規定を定め、閲覧希望者と
秘密保持契約を結べなど、ルールを用意すれば一般の方が閲覧する事も
可能だと思いますが。

>しま様

 もちろん、おっしゃるような罰則規定を適用すれば、一般の方の閲覧も良いと思います。医師限定というのは、医師はほっておいても「守秘義務」の罰則規定が適用されているからです。法の専門家ではないので正確には言えませんが、鑑定意見の閲覧も「業務上知り得た情報」という解釈は成り立つと思いますので。

>それがいつのまにか医師掲示板では「裁判所が読影のような白黒つけ
>られない問題にまで無理やり白黒つけようとした」という例として取
>り上げられ、「裁判官は後出しジャンケンで『こんなものも見つけら
>れないのか』といってるんでしょうね」と裁判官批判の材料にされて
>しまうようです。本件で「白黒つけた」のが医師主体で構成された合
>議体であったにもかかわらず。

そもそも私が内容を詳細に確認せずに拾ってきたのが間違いでした.
すみませんでした.

ただ,何度も書きますが医師の「診断」や「治療」そのものに対して
何らかの「過失」があったから咎めるという事自体が,医療を破壊し
ていることは解っていただきたい.試行錯誤で行う医療行為に「失敗」
を認めないということは「医療をするな」と言う事と等価です.

結局のところ,病院から医師がいなくなるまで一般の方は解らないん
でしょうね...

>Level3さん
>試行錯誤で行う医療行為に「失敗」を認めないということは
>「医療をするな」と言う事と等価です.

そして、無制限に「失敗」を認めるというのは
「何をされても文句を言うな」と言うことと等価です。
「免責にするべきだ」と言う主張に対して、不安を持つのもその辺りにあります。

失敗をゼロには出来ないと言うことは承知していますが、
そうかと言って、一定の枠は設けない訳にはいかないと思います。

別に失敗をとがめ立てする気はありませんが、
医療の暴走により、命が落とされる可能性もあります。

「心配のしすぎ」だとか「医師の良心を信じてください」とか言う意見もあるでしょうが、
青戸病院のケースや、埼玉医科大学のケースが現実に発生した訳です。
ですので、何らかの線引きは必要だと考えます。

線引きに関しては、特に司法がやる必要もないとは思います。
医師会もしくは医師の団体が独自に調査してもいいかも知れません。

・ミスに対する徹底した情報公開(最低限病院名くらいは)
・明らかな能力不足と判定した場合、医師に対する徹底した再教育制度
・遺族に対する保障(医療機関だけでなく患者側も負担する必要がありますね)

No.73レジ番さま

> 法曹関係の皆さんに伺いたいのですが、理由にもよるでしょうが裁判官の忌避はどの程度の率で認められているのでしょうか?
> 裁判官が裁判官を裁くとなると、同業のよしみで判断が甘くなったりはしないのでしょうか?

この手のご質問に何も答えないと、「法曹側は都合の悪い質問をスルーする」とか言われそうなので。
自分の知見の及ぶ範囲で回答しますが、何ぶん私はこの分野は経験不足なので、経験のあるかた、補足修正をお願いします。

裁判所は各種の事件数をカウントして統計資料を発表していますから、
裁判官忌避の申し立てが年間何件あり、そのうち何件が認容されたかというようなデータは、「司法統計」の冊子に出ているのではないかと思います。
具体的な数値はネット上では見つかりませんでした。

しかし思うに、忌避の裁判は申し立てたこと自体が新聞だねになるぐらい、例外的であり、全国でも1年間に数件単位と思います。
まして、実際に忌避が認められたケースは皆無ではないでしょうか。

裁判官の判断がおかしいと思う場合に、忌避という手段が有効であるかどうかは疑問です。
上記のように、申立しても認められにくいし、
認められたところで、新たな裁判官をこちらが選ぶ権利はないから、またおかしな裁判官に当たったら、どうしようもないです。
そして、途中の訴訟指揮は普通だったけれど、判決を見たらヘンだったという場合は、忌避のしようがありません。

裁判官が裁判官の処分を決めることは、身内のかばい合いにならないかという疑問はもっともであると思います。外形上、そのように疑われても仕方がないシチュエーションです。
医者同士のかばい合いを疑われるのと、同じコトですね。

そのため、裁判所外の者が判断する仕組みとして、弾劾裁判(国会に設けられる)や、最高裁判所裁判官に対する国民審査があります。
ところがその実態はどうかと言いますと、弾劾裁判の前段階として、弾劾裁判所に訴追すべきかどうかを判断する「訴追委員会」が国会内にありますが、そこの事務局長は長年、裁判所からの出向ポストでした。これが身内かばいであると批判されて、2006年4月から事務局長への出向はなくなりました。その後は、事務局次長というポストができて、そこへ裁判官が出向しています。

裁判所で判断するスタイルの責任追及手段としては、他に損害賠償請求(国家賠償請求)が考えられます。、
しかし、誤判について国家賠償請求をすることは、判例は裁判官の故意に近いようなケースでなければ認めないとして、ハードルを非常に高くしています。
また、国家賠償法では、裁判官に限らず、公権力行使に当たる公務員の個人に対して賠償請求するのではなくて、国または公共団体を相手としなければならないというのが、確定した判例です。
私は事情があって、あえて裁判官個人を訴える事件(憲法17条を根拠に主張)を扱ったことがありますが、その裁判官は答弁書を送ってきただけで、代理人も立てず欠席しました。でも原告敗訴なんだよね。
医療訴訟とは関係ないので、これ以上は触れませんが、裁判官が裁判官を裁くという構図については、いろいろと釈然としないものがあります。

 提案ですが、我々が新聞報道を見る限りにおいて、明らかに変だと言う判決は最近のものでは亀田総合病院のカテーテル失血死(?)事件です。これについて判決文の全文、鑑定意見書を入手できないでしょうか?。手始めにこれを有志で分析して新聞報道との比較や鑑定意見の検証をしてみませんか?

そう言えば個人で訴えられる事が無いというのが今まで公立病院医師唯一の?メリットだったのではないかと思いますが、大野病院事件のように刑事扱いされると意味がないですね。公立病院ほんとに終わったかな…

法曹側の方々に申し上げておきます。
医療崩壊は医事関係訴訟の増加が主たる原因の一つではあるものの、決して一番の原因ではありません。
このブログが法律家のブログであるために、訴訟の問題ばかり取り上げているだけです。

↓は医師が立ち上げた会社のサイトですが、さすがに現役医師だけあって「解析」の記事がよく書けています(医者が読んで思うに)。
北海道医師求人コンサルタント A企画
http://members3.jcom.home.ne.jp/3729975002/Menu.html

>別に失敗をとがめ立てする気はありませんが、
>医療の暴走により、命が落とされる可能性もあります。
>
>「心配のしすぎ」だとか「医師の良心を信じてください」とか言う
>意見もあるでしょうが、青戸病院のケースや、埼玉医科大学のケー
>スが現実に発生した訳です。
>ですので、何らかの線引きは必要だと考えます。

しまさん,すいません.愚痴になってしまいました.
これは私もその通りだと思っています.本来は国が線引きすべきなん
ですが,先日の厚生労働委員会での厚生労働大臣たちの答弁を聞くか
ぎり国にそれをやろうという考えはなさそうです.
医師免許は国家資格ですし,医療コストを決めているのも国なんです
から,そのクオリティコントロールからトラブル対応まで本来は厚労
省を中心とした国が行うべきことのはずです.結局のところ現在の
「医療崩壊」の最大の源は厚労省の無策なんでしょうね.

いずれにしても現状のシステムはあまりに医師に不公平です.助けら
れることを前提にしたような評価は基本的に間違っていると思います.
整形A先生のNo.176の書き込みは正にその通りだと思います.治療が
全くされなかった場合のナチュラルコースを規準に考えるべきです.
我々医師は,それを規準にして治療すべきかどうかも含めて選択する
わけですから.

>医師免許は国家資格ですし,医療コストを決めているのも国なんですから,そのクオリティコントロールからトラブル対応まで本来は厚労省を中心とした国が行うべきことのはずです.結局のところ現在の「医療崩壊」の最大の源は厚労省の無策なんでしょうね.

似たようなことが気になっていまして、旧知の知人(厚生労働省本庁の課長)と一献したときそれーとなく「モラルについての考え方は厚生労働省としてなんかガイドラインみたいなのないんですか」と聞きました。
曰く「そこは、最近医師なら医師の、患者なら患者の自己責任・・・ってことになってるの。姿勢が以前と変わってきてるんでねえ」担当課長も余り触れられたくない話題だったらしいのですが。
要するに「無策」よりも意識的な、「棄策」というほうが適当でないかと・・・

確かに医療が崩壊しつつあるのは医療訴訟だけではありません。医局制度の急激な破綻、厚生労働省の無策(「見て見ぬふりと責任転嫁」)、患者権利の過当な高まり、数え上げたら沢山あります。
あくまでも医療訴訟はその一端でしかありませんが、少なくとも医師に与えるダメージは大きいですから大きなウェイトを占めていることは確かであると思います。

>YUNYUN先生(No.87)
 手元にある司法統計年報(平成17年)をみてみましたが、忌避申立事件が事件分類の中で独立項目になっておらず、民事雑事件の中に含められてしまっています。他の統計はまだ当たっていないのですが、公の統計からは忌避申立事件の件数や認容数等は明らかにならないような気がいたします。

>レジ番先生(No.73)
 上記YUNYUN先生宛のコメントのとおり、裁判官に対する忌避申立事件の件数や認容率等については現時点ではお知らせすることができません。申し訳ありません。もう少し他の資料もあたってみます。
 YUNYUN先生からのご説明のとおり、裁判官に対する忌避申立が認められることはめったにないようです。表の理由としては、訴訟指揮に関して不服があれば異議などの訴訟法上の不服申立て手続をとればよく、裁判官の行状や健康、信念、能力などの事情については弾劾、懲戒、分限の裁判があるから、という理屈がありますが(中野貞一郎他『新民事訴訟法講義』〔第2版補訂版〕有斐閣67頁)、裏の事情としては、レジ番先生やYUNYUN先生が指摘しておられるような、「身内でのかばいあい」があるのかも知れません(私も疑っています)。

※ただ、レジ番先生の仰る「恣意的で問題のある」というのが主に判決報道をご覧になってのご感想であるとするならば、判決が出ている時点で忌避は間に合わなくなっており、「恣意的で問題のある判決」については上訴によってしか是正されません。

 なお、裁判官に対する処分を下す手続としては、まずYUNYUN先生が紹介なさっておられます国会に設けられた「弾劾裁判」がありますが、他にも裁判官分限法に基づく「分限裁判」や下級裁判官事務処理規則に基づく内部処分などがあり、罰金以下の罪を犯したとして逮捕された少年に対し誤って勾留状を発布した裁判官や、逮捕状発布の際押印を忘れた裁判官などがそれぞれ何らかの処分を受けていたような記憶があります。

 「恣意的で問題のある裁判官」(あくまでもカギカッコ付きですが)に対しては、10年毎に行われる判事指名(再指名)の際に指名しない、という形で裁判所から排除されることがあります(最近では横浜地裁の井上薫判事など7名が再任されませんでした)。保守と革新(もはや死語?)の対立が激しかった70年安保の時期以降ほとんど行われなかった判事不再任(判事補不新任)も、今後はバンバン行われるようになるかも知れません。

>Level3さん
基本的には、線引きに関しては国は手を出したくないと思います。
患者よりにしたら医師から文句が出ますし、医師よりにしたら患者から文句が出ます。
つまり、どちらに決めたところで文句が出る以上、国が手を出すはずがありません。

また、どこで線を引くかは重要な問題なので、厚労省が決めるべきでなく、
国会と言うか、政治家で決めるべきだと思います。民意を反映させるべきだと
思いますね。

そのためには、患者と医師、双方が要求を出し合わなければならないでしょうが。

>デハボ1000様

 先日、管内に厚生労働省の査察が入り、生活保護受給者について個別調査が行われました。各人のカルテを持ち出させていろいろ査問を受けるわけですが、担当係官(医師免許所有。5年間だけ臨床経験があるそうです(苦笑))がおっしゃった(正直言うと「ぬかした・・・」と言いたい(笑))お言葉。

 「早く症状を改善して労務可能となるよう指導しなさい。労務可能であれば労働するよう指導しなさい。」

 あのね・・・。生保を認定したのは私達じゃないんですが・・・。ついでに言うと生保を切るのも私達じゃないんですが・・・。自分たちの責任はどこへ行った??そりゃ、中には「なんでこの人が生保」って人もいますけどね。認定したのは私達じゃないんですけど?
 「労災」もそうですね。笑えるのは84歳になって「休業補償」がでている婆ちゃんでしたけど(さすがに昨年切られました)、ようするにこういう人にそう言う手当が出てるのって単に厚労省の怠慢じゃないの??そのくせ、どう考えても治療継続が必要な人の労災はばしばし切ってくるし・・・。

 こういうことがあるから、厚労省の「医系技官」って奴は「医師」に信用されないんですわ。

>デハボ1000さん
モラルは「思想」の問題であり、日本国憲法に「思想・心情の自由」が
明記されている以上、国が手を出すべきではないと思います。
思想弾圧に繋がる可能性があります。

また、ルールに関しては、個々の医療機関で作るべきでしょうね。
厚労省がガイドラインを出した途端、そのガイドラインが一人歩きしてしまいます。


>要するに「無策」よりも意識的な、「棄策」というほうが適当でないかと・・・
「医療崩壊」と同じ現象が起こっていると考えています。
医療が防衛医療、萎縮医療に走るのと同じメカニズムですね。

基本的には官僚は誰からも褒められないので、
モチベーションは医師以上に低下していると考えます。

弁護士同士のかばいあいはここでも嫌というほど拝見しましたけど、裁判官同士のかばいあいもあるんですな。どうしようもない。医師のかばいあいがあるとかいう先入観に基づいて散々批判していた連中はどういう神経なのかしら。セカンドオピニオンがどうとか転院義務がどうとか言ってる連中は、自分たちが忌避されても、他の裁判官に判断させることも許さないんですか。まさしく茶番。

そもそも司法が医療を崩壊させている、少なくともその主要な原因になっているという前提、現実があって、この問題点について議論すべきだと思うのですけど、それを忘れて医療バッシングに血道を上げる弁護士、裁判官が散見されますね。特に一部の弁護士は、医療過誤の有無と関係なく、金が取れればめっけもんという考えで訴訟を連発してますからね。ここに散々勝って砲台言い放ったあなたも、たぶん、そういう行動が医療崩壊を招いていると分かってやってるんでしょうね。極端かも知れませんけどテロリストと同じだと言わせて頂きます。確信犯ですもんね。

医師は人の生命のために仕事をしますけど、弁護士は金のために仕事をするんですよね。ポリシーがないのがポリシーというか。だから同じ弁護士でも立場が違えば正反対の主張をするわけで。検察やめてすぐ犯罪者の弁護する人もいるしね。その変わり身の早さある意味尊敬いたします。自分には無理だわ。

馬鹿な判決を出した裁判官や弁護士をくびにする制度が絶対に必要ですけど、何しろ法律を牛耳ってるのは法律家ですから、奴らの地位は安泰なんでしょうね。トンデモ判決には上告すればいいとか言うけど、裁判官の判断を裁判官が裁くことに変わりありませんよね。身内のかばいあい以外の何者でもありませんね。

無能な、あるいは悪意を持った法律家を糾弾するマスコミがないのも不思議ですね。ネットの世界では、そこらじゅうに裁判批判のサイトが立ってるのにね。法律利権みたいなのがあって裁判所・検察から天下りポストでもあるのか、悪い記事を書くと記者クラブから放り出されて記事が書けなくなるのか・・・・闇は深そうですね。

追記。司法修習の不合格者が大量に出たとかいうニュースがありましたけどね。これまでの「優秀」な、ペーパーテストにとってもお強くていらっしゃるセンセイ方が繰り広げてきた医療訴訟がこのザマですからね、先が思いやられるというか、絶望するしかありませんね。勝てば億単位の金になるからとりあえず提訴、負けても手数料ガッポリ、てな弁護士が今以上に増えるんですか。そして、今以上に低レベルな裁判官が裁く。もはやお笑いですよね。抵抗しようにも、結局弁護士雇え、ですから。弁護士が無理やり訴訟を起こすと、それに対抗する意味で弁護士が必要になる。裁判が増えるから裁判官も増員される。自分たちで仕事が作れていいですよね。医師は自分たちで病気の人を作ることできませんからね。できてもしませんけど。

>基本的には、線引きに関しては国は手を出したくないと思います。
>患者よりにしたら医師から文句が出ますし、医師よりにしたら患者
>から文句が出ます。つまり、どちらに決めたところで文句が出る以
>上、国が手を出すはずがありません。
>
>また、どこで線を引くかは重要な問題なので、厚労省が決めるべき
>でなく、国会と言うか、政治家で決めるべきだと思います。民意を
>反映させるべきだと思いますね。

しまさん,コメントありがとうございます.
手を出したくないといってもやはり国の「義務」だと私は思います.少なくとも厚労省は基本案を作成し,パブリックコメントを集め,最終案を法案として国会に提出してもらって成立させるため働きかけをすべきではないでしょうか?

また、医師にとってはつらい判決報道です。
詳細は不明ですが、挿管困難の症例での、蘇生の遅れが重く問われるのは、まさにいつ自分に起こるかわかりません。
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http://www.tonichi.net/articledetail.php?artid=13267
豊橋市民病院医療事故訴訟 病院側に5142万円支払い命令

 豊橋市民病院(小林淳剛院長)で02年6月、肺炎で入院した同市内の会社員、当時52歳の男性が呼吸困難に陥り、内科医(33)が気管挿管を行ったが、心停止状態となり、その後蘇生(そせい)したものの後遺障害等1級(植物人間状態)となったことから、病院に対し慰謝料など8443万円を求めていた裁判で、名古屋地裁豊橋支部は27日、原告の言い分をほぼ認める判決を下し、5142万円を支払うよう命じた。

 病院側の説明によると、男性患者は92年から気管支ぜんそく、慢性呼吸不全で通院していたが、02年6月に肺炎を起こして入院。その日の夜、呼吸困難に陥り呼吸器を装着、さらに悪化したため気管挿管を行ったが、その際、男性医師が患者の首が猪首であり、のどに腫(は)れがあったことなどから手間取った。

 原告側はぜんそくなどそれまでの病状から、挿管に手間取れば低酸素性脳症が起きる可能性は予測できたとし、医療過誤を主張。04年7月に提訴した。

 病院側は、気管挿管は緊急時の対応であり、事前予測は困難だと主張、担当医に問題はないとしていた。

 今回の判決は原告の主張をほぼ認める形になった。早川勝市長は「判決文を精査して今後の対応を検討したい」とのコメントを発表。記者会見した天野裕司事務局長は「2週間以内に控訴か受け入れかを決める」と話している。
(2006-09-28)

かばいあいの好きな弁護士から「あおり認定」されてスルーされるかも知れないので、一つだけ、分かりやすく問題提起させて頂きます。


医学的に荒唐無稽な判決を出した裁判官、それを強要した、あるいは炊きつけた弁護士の責任はどうなるんですか? 


「判断にはミスがつきものだから罰しない」なんてことありませんよね。医師に完璧な完全無欠な神のごときレベルの判断を瞬時に行うことを求めておいて、自分たちだけそんな論理で逃げるわけありませんよね。

>田舎の消化器外科医 さん

 情報提供ありがとうございます。
 別エントリで取り上げることにします。

パソコンもネットもない時代なら、六法を丸暗記している人にも存在価値があったと思うんですけどね。今は、法律の条文も瞬時に検索できるんじゃないですか? やったことないけど〔したくもないし〕。

なのに、弁護士や裁判官がふんぞり返っていられるのは何でなんですか? 条文は誰でもすぐアクセスできる。個々の判断は、むしろその分野の専門家の方が詳しい。どうやって「自分たちにしかできない」仕事を作っているのか、あるいは「自分たちが必要だ」と思わせているのか、そのステータスを保つための秘密が知りたいですね。これは半分皮肉だけど、半分賞賛の気持ちもあります。医師がメディアコントロールに失敗して、実際は訴訟に怯えながら奴隷的労働を強いられているのに、「傲慢なブルジョア」みたいなイメージを植えつけられているのとあまりに対照的ですから。かといって、芸人みたいにマスコミに出てペラペラ喋れる医師とか少ないし、そんなヒマもない人がほとんどですけど。

それはそれとして、六法に書いていない世間のことも勉強した方がいいとも思いますけどね。ここでの実例からも明らかなとおり、弁護士は独自の「正義」を振り回す世間知らずな人多いですよね。周りが見えてないというか。いきなり先生とか呼ばれて何千万円も稼ぐから仕方ないのかも知れないけど、裸の王様状態ですよね。ある意味滑稽だし、むしろ哀れにも思うけど、何しろ実害があるから哀れんでばかりもいられないですね。

>Level3さん
国の義務ではあると思いますが、厚労省の義務とは思えないんですよね。
政策を決める主体は国であるべきで、行政は参謀であり、実行部隊だと思います。
政治家なり、国民の意思を受けて仕事をするのが望ましいと考えます。

行政が政策を決めるというのは越権行為であり、最近は批判を受けていますよね。
ですから、行政に政策決定を求めるのは酷な感じがします。

Level3さんの仰ることも正論ではありますが、「お上頼み」って感じがあるんですね。
私の意見は建前論であり、現実に即してないというのも確かなのですが。

>原告側はぜんそくなどそれまでの病状から、挿管に手間取れば低酸素
>性脳症が起きる可能性は予測できたとし、医療過誤を主張。04年7
>月に提訴した。
>
>病院側は、気管挿管は緊急時の対応であり、事前予測は困難だと主張、
>担当医に問題はないとしていた。

麻酔科医として一言,
「挿管に手間取れば低酸素脳症が起きる」のは医師なら誰でも知ってい
ますが,挿管困難かどうかは麻酔科医でもなかなか予測できないのです.緊急事態の時にすべての医師に即時の気道確保を要求するのは明らかに酷というものです.
次善の策として,気管挿管ではなくマスクによる用手換気を試みるべきなんですが,喘息がある(おまけに猪首)ならマスク換気も必ずしも容易ではないでしょう.「のどが腫れ上がっていた」ということなら喉頭浮腫を来して可能性もあります.これなら気管挿管(もしくは輪状甲状靭帯穿刺,緊急気管切開)しか方法がありません.
結論として,「一般的な医療レベルでこれを後遺症なく助けろ」というのは明らかに行き過ぎです.

>YUNYUN先生(No.87)
>an_accused先生(No.94)

詳しいご解説ありがとうございました。
もはや誰も医療を「聖域」とは認めなくなり、国民からも疑いの目で見られ、警察や検察から土足で踏み荒らされ、裁判官は医療側に酷な判決をブーム化させています。

司法は医療の白黒をつけられても、恣意的な司法判断に医療が白黒をつける手段はないのですね…

an_accusedさま。
遅くなりましたが、No.50のコメントからです。

>>「臨床医に『短時間に大量の読影を行う事情』というシステムの問題を、すぐに結びつけて考えられる人は少ないです。」
 とのことですが、例えばこちらにコメントをお寄せになる医師の皆さまが、すぐさま本件見落としの原因に短時間大量読影による精度低下があることを一様に指摘しておられるところを鑑みれば、私にはそうは思えません。

ここに書き込みをなされている医師は、医療事故のなぜ起きるのかについて考えをもたれる人が多いため、指摘出来るようになっているのだと思います。
(自分の職場の他の医師達はこの府中市の見逃しには、当該医師の過失ありと思ってましたし)

この医師は誤診をしています。
しかしこの誤診は医療過誤でしょうか?
レントゲンの読影には見落とし(誤診)が一定の割合で生じるものです。
レントゲンの読影の誤診を減らす(防ぐではありません)にはどうしたらいいのか。
その解決策のひとつとして、複数の医師で読影することがあります。
これは以前から知られている事です。
この以前から知られている誤診を減らす有効なシステムを、検診の事業主は読影を依頼するにあたりなぜ義務づけなかったのでしょう。
府中市は、読影の医師がその地方に一人しか確保できないわけではないのですから。
府中市の肺がんの見落としの「過誤」に最も責任があるのは、「誤診をした医師」ではなく「誤診を防ぐ有効な手段をとらずに放置」をした検診の事業主です。
一定の割合で起きる医療事故を減らす手段がなかったのではないのです。
不作為の原因が、コストの問題で一人の医師による読影でやらなくてはならなかったのか、それとも単に気がつく人がいなくての不作為か。それによってもこの医療事故の責任のあり方が違ってくるのではないのでしょうか。

誤診をしたことに潔く自分の責任を認めた医師の態度は、人間としては立派なものです。
しかしこの潔さが事件の問題を「誤診は過失」ということで終わらせてしまい、事故の発生率をへらす本当の解決策となる「検診のレントゲン写真の読影を複数の医師で行なう」ことを新たに検診マニュアル加える必要性に気がつく人をなくしてしまいました。
もし複数の医師の読影を義務づけるなら、そのコストはどうすべきかの議論もされなければならなかったでしょう。
この医療事故を教訓はどこへいってしまったのか。
次になんにも繋がらなくなってしまいました。

No.77  で僻地外科医さまもこう述べています。
>そもそも、この件は私は「医師に過失はある」と思っています。当の被告医師自身が過失を認めているわけですし。
やはりどこかで「誤診を過失」ととらえているからこその発言ではないのでしょうか。
「当該医師が過失を認める事」と「過失が当該医師に本当にある」というのは別の問題です。
当人にシステムに対する問題意識がなければ、自分に過失があると思い込む事もあります。
また複数の臨床医がこの案件に関わりながら「一定の割合で発生する誤診」を個人の過失として終わらせています。
僻地外科医さまも当該医師に過失ありと思っています。

やはり臨床医はシステムの問題を、医療事故と結びつけて考えられる人は「少ない」というか、苦手なんだろうという思いを強くしました。

>Level3さんの仰ることも正論ではありますが、「お上頼み」って感じ
>があるんですね。私の意見は建前論であり、現実に即してないという
>のも確かなのですが。

しまさん,
では,我々医師はどのように行動すればよいのでしょうか?
医師が集団で動ける機構はありませんし...
そういった団体を創設して国会議員なりに働きかけるべきというように
考えておられるんでしょうか?

>北の内科医先生

私はバーンアウト寸前で怒る気も失せてますが、先生のお怒りごもっともだと思います。
なぜ唐突に裁判官忌避の話題を出したかというと、
http://www003.upp.so-net.ne.jp/medical/
最近ここをウォッチしているのですが、彼(管理人)が申し立てをした裁判官忌避がなんと「中3日」で、ろくに申し立ての理由を審理しないで却下されました。

医師同士のかばい合いも否定できないし、それが医療不信の一端となっていることは否めないと思います。
ただ、裁判官同士のかばい合いは誰も声をあげないとなると、まさに裁判所は「伏魔殿」です。

彼は高裁に即時抗告をしたようですが、高裁だって裁判官が裁判官を裁くことには変わりないわけだし、まず忌避が認められる望みはないでしょう。
調べたところ、即時抗告が却下されたら許可抗告ができ、許可抗告が却下されたら最高裁に特別抗告できるそうですね。
彼にはぜひ最後まで裁判所にたてついてほしいし、伏魔殿の情報を余すことなく公表してほしいです。

しま様

>国の義務ではあると思いますが、厚労省の義務とは思えないんですよね。
政策を決める主体は国であるべきで、行政は参謀であり、実行部隊だと思います。
政治家なり、国民の意思を受けて仕事をするのが望ましいと考えます。

>行政が政策を決めるというのは越権行為であり、最近は批判を受けていますよね。
ですから、行政に政策決定を求めるのは酷な感じがします。

決定権は確かに政治家にあるのですが、国会議員が全ての政策を最初から企画立案し、トップダウンで行うわけではなく、行政サイドからボトムアップするものも数多くあります。

越権行為と批判が多いのは、国民のニーズよりも、省益とか、天下り先などの利益を考え、現実にそぐわない施策を、族議員などを使って実現しようとすることが批判されているのです。

Level3様が
>少なくとも厚労省は基本案を作成し,パブリックコメントを集め,最終案を法案として国会に提出してもらって成立させるため働きかけをすべきではないでしょうか?
と問題提起されたことについては、私も少なくとも政策として大臣に提案するくらいまでは、厚生労働省もやるべきだと思います。

政策を最終決定するのは、大臣であり、国会であることはいうまでもないですが、必要がある政策を調査・立案し、大臣に提案するのは参謀たる厚生労働省職員の仕事といってもいいと思います。多分、厚生労働省は、ある程度現状を把握しているでしょうから、それでいて政治家の指示がない限り何もせず、座して待つような組織は、最初から存在価値がありません。

すみません。今日初めてこの議論を目にしたものです。
裁判ずれしてしまった者からの疑問です。
(私も故意以外の医療事件を刑事事件にするのは反対です。なので以下の議論は、とりあえず、刑事の話は別にしてですが。)
 医療事件で負けた医療従事者(特に勤務医)自身が、そのことによって現実に費用負担をすることはあるんでしょうか。
 仕事柄、相当多数の医療裁判事案を目にしてきたのですが、勤務医が訴えられる事例で、勤務医だけが訴えられることはほとんどなく、病院もセットで訴えられるのが通常ですよね。この場合、病院と勤務医の連帯責任とされるのがふつうなので、敗訴または敗訴的和解をしたときも、病院と勤務医のどっちかが支払えば、もう一方は、少なくとも患者に対しては支払わなくてよくなる訳です。で、通常は、病院が支払うことが多いかなあと思うんですが。(その後病院と勤務医の間でお金のやりとりがされているのかわかんないんですが)
 さらにいうと、被告側(医療側)の弁護士は、ほぼ100パーセント、医師会ないしは保険会社の責任保険を通して受任していて、例えば、和解の話をするにしても、保険会社の了承が必要なのが通例で、支払も保険会社がすることが前提になってることがほとんどというのが実感です(当然、敗訴判決が確定したら責任限度額(いくらなんでしょう?)までは保険会社が払いますよね。)

 もし、勤務医が現実に費用負担しないなら、読影料220円と判決での認容額を比較して金額がペイするか、と言う議論自体の前提が変わってくるのかなあ、という気がするんですが。
 もし、現実の金銭上の負担がないのならば、無過失補償制度で自分の患者に補償がされることと、民事裁判で負けることとの、勤務医の方々にとっての違いはどんな点になるんでしょうか。

> 医療事件で負けた医療従事者(特に勤務医)自身が、そのことによって現実に費用負担をすることはあるんでしょうか。

開業医についてはざらにありますし,勤務医についても少ないながらあります
http://www.drstyle.com/trouble/trouble_1.html?SESSID=6a5431229fc1bf2d905ef6b9298b95da

判決ではなく請求だけならザラにあります
勤務医がやる気を無くすにはこれで充分です
賠償した病院から勤務医への賠償請求は
これを求めようと発言する地方首長が何人か出てきてます
そういう自治体とはバイバイです
判決が下りたら普通は保険が下りるはずです
大部分の勤務医は保険に加入しています
普通は限度額一億円(オプションで二億とか人数がらみもある)
ただし,この民間保険が危機的状況に有る,とする識者もいます

No.112 ?さま
(ハンドルを名乗っていただいたほうが、お話がしやすいと思います。)

> 現実の金銭上の負担がないのならば、無過失補償制度で自分の患者に補償がされることと、民事裁判で負けることとの、勤務医の方々にとっての違いはどんな点になるんでしょうか

賠償の金銭負担だけの問題ではないのです。
裁判の被告にされると、それ自体、応訴の負担(お金を払って弁護士をやとったり、法廷へ呼ばれる日は仕事を休まなければならないこと)があります。
精神的にもかなりのプレッシャーです。

そして、損害賠償請求の訴訟で敗訴したら、「悪いことをした」と公式に宣告されることになります。
あなたは他の人から、公衆の面前で、「お前が悪い」と言われたら、辛い気持ちになりませんか? そのことは新聞などでも報道されるので、ご近所の人にも知られ、好奇の目で見られることもあります。
まして、自分は全力を尽くして、間違ったことはしていないはずだと思うのに。
同じ仕事を続けていくのが、嫌になったりしませんか。

これに対して、無過失補償制度においては、過失の有無を突き詰めることをしませんので、公式に悪者にされることがない分は、気が楽です。

別件で、工業倫理の教科書(工学部1・2年用)の執筆をしてるのですが、かなり回りくどいとはいえ、医業倫理のことを書いたほうがいいと思っていました。(メインは工業倫理ですが)で、未完かつ未刊で推敲をしなければならないのですが、WEBLOGの形で草稿を作っています。TBをこのエントリーに掛けておきますので、至らぬ点など知己をいただければ幸いです。
あんまり教科書を書くのにWEBLOGを使う方もいないとは思いますが。

何気なくニュースを見ていてまたどうかと思うような判決が流れていました。最近久しく良い話を聞いていないように思います。

日本の医療制度は医療スタッフの過剰な労働によって支えられているのが現状で、何であれそのモチベーションを落とすことがすなわち医療崩壊に直結します。そして現状は皆いっぱいっぱいなのでしごく簡単に士気崩壊します(苦笑)。一度そういう状態になると回復は至難であることはイギリスの例などを見てもよく判ることと思います。

臨床の現場では正解に至る道は一つではないし、そもそも正解のみを選択したからといって望む結果が得られるなどという保障は全くありません。多くの医者は何であれ100%正しい、あるいは100%間違っているなどと言えるようなものではないという認識の元で仕事をしているように思います。望むと望まざるとに関わらず白黒が決まる司法判断に反発する、あるいはへこむと言うのもそのあたりの認識の差もあるのかも知れません(これは別に良い悪いの問題ではなく)。

医療に金をかけないことが国策となり、今さら医療費を増やせとか医者を過保護にしろとか言うつもりはありません。与えられた情況の中でそれなりの最適解を見つけ出す能力に関しては医者は十分なトレーニングを積んでいます。あとは受益者である国民に後から「こんなことになるとは思わなかった!」といわれないようにこうした場所で十分な説明をしておくよう心がけるのみです。

今の医療の状況は病状説明で膨れ上がったカルテを前に「十分な説明を行なうも患者より拒否さる」と記入しようとペンを取り上げている段階だと思います。何より救いがないのは患者は末期であり何をしようがさほど結論に変わりは無いだろうと医者自身が考えていることです。それでも説明と同意の努力は必要とされますし、訴えられ負ける可能性があることは昨今の報道が示すとおり。だからこそ多くの医者が現状に則った最適解を採用しつつあるのです。いま必要なのは改革案ではなく再建のための方法論ではないかという気がしています。

No.96  僻地外科医さま

>デハボ1000様
 先日、管内に厚生労働省の査察が入り、生活保護受給者について個別調査が行われました。各人のカルテを持ち出させていろいろ査問を受けるわけですが、担当係官がおっしゃった(正直言うと「ぬかした・・・」と言いたい(笑))お言葉。
 「早く症状を改善して労務可能となるよう指導しなさい。労務可能であれば労働するよう指導しなさい。」(以下省略)

現場を知っていない人がきたりすると、工業関係の認証でもよく似た光景が(特に厚生労働省関係・・・苦笑)。責任をうまく後ろにスルーパスするほうが覚えめでたく・・・ってやつですね。いやあ、都合のいいお役人ですな。けどそういうのを排除するってことは・・・確かに困難です。技官に方には使命感を持っている人も見かけますが反対にそういうのが足を引っ張られるところも、組織ではあるですからねえ・・・(実情を改めて聞いて、考えを自分なりに熟成してみます。確かに5年の臨床経験だけで語られてもというのもありますし)

No.97  しま さま
>デハボ1000さん
モラルは「思想」の問題であり、日本国憲法に「思想・心情の自由」が明記されている以上、国が手を出すべきではないと思います。思想弾圧に繋がる可能性があります。

その通りです。ただ、個人個人でそのようなガイドラインを作るという作業訓練をするということ自体はどうでしょうか。(運用次第なので、悪い方向にシミュレートするべきですか)

>また、ルールに関しては、個々の医療機関で作るべきでしょうね。
厚労省がガイドラインを出した途端、そのガイドラインが一人歩きしてしまいます。
消防法とかでも、ガイドラインの一人歩きって、確かにあるんですよ。ただ、認証関係の雛形提示のようなものを作るべく意識を共有しないと、いつまでも溝は埋まらんとも考えるんですよね。悩むところです。たしかに。

>基本的には官僚は誰からも褒められないので、モチベーションは医師以上に低下していると考えます。
これ技官のスキルによります。やってるひとはやってる。だめなのはだめ。しかしそのことと出世昇進は無関係。モチベーションの一律化はするわけないでしょうから、どうしてもスキルの低いのが目立つ。しかもスキルの腐ったのが管理職だったら、実務担当者にもハエがたかる(腐るというのではなく、変にちょこまか渡ろうとする)。あとスキルの高さ・広さを比較するすべを担当同士共有してないってのもありますね。やれやれ。

ご指導ありがとうございました。考えることもありますが、少しクールダウンしてからにします。

「医療の現場がこんな感じで変わってきている」一例としてこんな文章があります。
ご参考までに。

レジデント初期研修用資料
2006年09月04日
記号になった医師の価値
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2006/09/post_390.html
より一部引用
>数年で変わった空気
>
>医療の崩壊という現象は、この数年で一気に進んだ。
>
>たしかに、象徴的な事件はいくつもあった。30年ぐらいあとになったら、 歴史家はその事件をきっかけに、医療の崩壊が一気に進んだと記録を残すんだろう。
>
>でも、現場の空気は、世間のそれとは少し違う。
>
>研修医を指導する立場の医師も、彼らの空気が急速に変わりつつあること自体は感じてる。
(中略)
>・何でもできる医者、ボロボロになって働く医者に対する視線が、急速に冷たくなった
>・少ない労働時間でいいとか、責任が発生しにくいとか、悪い意味で「クレバー」な選択肢が、おおっぴらに語られるようになった
>・循環器内科とか、消化器外科とか、主流派だった医師が、廊下の真ん中を歩けなくなった
>・現在、廊下の真ん中を闊歩するのは、皮膚科や眼科

♯医療ネタってわけじゃないですが、このエントリも面白いかも
2006年08月07日
blog 管理者の正体を暴く方法
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2006/08/blog.html

>オダ先生

>>そもそも、この件は私は「医師に過失はある」と思っています。当の被告医師自身が過失を認めているわけですし。
やはりどこかで「誤診を過失」ととらえているからこその発言ではないのでしょうか。

 システム工学の立場に立っても答えが変わるわけではありません。「過失」は「過失」なのです。システム工学の基本は「過失」は「過失」と認め、その過失が何故起こるのかを検討すること、過失を事故につなげないことだと思います。

 はっきり言って「誤診はすべて過失」なのです。それは認めざるを得ない。問題はその過失を重大事故につなげるかどうかで、その改善に役割を果たすのがシステム工学です。

>当人にシステムに対する問題意識がなければ、自分に過失があると思い込む事もあります。

 これは個人の過失のみととらえるか、個人の過失にシステムのエラーを伴い事故を起こしたかという認識の問題です。
 過失自体が事故を起こすとは限りません。過失があってもシステムがしっかりしていれば過失が事故につながらないこともあり得ます。私が言っているのはそう言うことです。過失を過失と認めなければシステム工学も成り立ちません。

追加します。

 システム工学の立場に立てば、「過失」とはhuman errorを指します。human errorは無くならないというのが、システム工学の基本です。

 要は過失というものをどうとらえるか、の問題で私の発言とオダ先生の発言に実はそれほど矛盾も齟齬もありません。

>Level3さん
>そういった団体を創設して国会議員なりに働きかけるべきというように
>考えておられるんでしょうか?

その通りです。そして、医師だけでなく、患者側もその種の団体を作る必要が
あると思います。確かにパブリックコメントも一つの考え方だとは思いますが、
雑多な意見の集合体になってしまって、あまり意味を成さないような感じもします。

団体を作って、その団体の中である程度の合意を作るべきでしょうね。
ただ、現実には間に合わないでしょうし、そんな組織が日本で作れるのかという事も
疑問ではあるのですが。

既出かも知れませんがこういうページがありましたので参考までに。

http://med-qoml.ddo.jp/wiki/wiki.cgi

今月から食費など高齢者の入院自己負担が増えます。月額五万〜七万くらいでしょうか。以前から窓口では周知徹底につとめておりますが、支払いの段になるとまたトラブルになりそうな気配です。

既に介護保険は春から改定になっておりましたが、今年に入って矢継ぎ早の高齢者医療・保険制度の改革が相次いでいます。現場ではその都度患者、家族への告知に追われていますが、リハビリテーション一つとっても恣意的運用で朝令暮改の度も過ぎると不評たらたらです。何より政策のいずれも明るい未来を感じさせるものではありませんし、実際に当院でもスタッフの離職が相次いでいます。

不思議に思うのは何事であれ普段あれだけネガティブキャンペーンを張るのが好きなマスコミがほとんど騒ぎを起こしていないことです。今後も高齢者への公費支出削減策はますます厳しくなっていくでしょう。国民コンセンサスとしてその方向を選択するのならそれもいいのかなと思っていますが、どうも現場から見る限りほとんど当事者達には理解されていないように感じるのが気になるところです。

地方僻地での病院集約化方針なども含め昨今国は着々と医療費削減に向けて邁進しています。現状で言われるところの医療崩壊関連事象も多くは国の方針に合致するものなのではないでしょうか。そう言えば医師の逮捕など司法による締め付けが目立ち始めたのも同じ時期のことでした。政策の是非は国民選択の結果だからそれでいい。ただ最終的に彼らが望んでいるであろう辺りに医療現場が軟着陸出来るのかどうか、その点だけが気になっています。

こんにちは、整形Aです。

以前にFFFさんが、「医療費はどうやって決められるのだろうか?」といった質問をされていました。
まあ、基本的には中医協で決められるのですが、ここがまた結構問題のようです。

中医協の公聴会に出席された先生の話です。

中医協では支払い側がさまざまな主張を一方的にするのに対し、診療側は有効な反論をしません。診療側のそういう控えめな(?)態度に対して、支払い側は非常に攻撃的なんだそうです。
ある委員はお産の際の事故で子供を亡くした遺族代表、被害者代表のような形で出席しており(皆さんご存知の方です)、中医協でもそればかりを話しています。
彼は、「薬を使って昼間にお産させるから異常分娩が起こるのだ。夜働く医者が少ないというのなら診療所を全部つぶして(!)、病院に医者を集めて、夜も産科の体制を整えるようにすべきだ」と主張したそうです。
こういうことを中医協の場で述べても、診療側の日医の委員からは有効な反論は出ませんでした。

そこで、その公聴会に出た先生が「全国のお産の半分を有床診療所が扱っている。その有床診療所は年間1,000ずつつぶれていて、平成の初めの3万床と比較すると、今は半分以下の1万4千以下になった。中核病院でも産科病棟はどんどん閉鎖されているが、ご満足でしょうか」とその委員に言ったところ、彼は黙り込んでしまったそうです。

また、今度の改定から義務化された明細書(領収書ではない)の発行を強く主張したのは、レセコンなどを出しているメーカーの健保組合の代表なんだそうです。
なんのことはない、中医協の場はさまざまな利害関係者の我田引水の場でもあるんです。

それぞれが対等のように思われますが、診療側は実は医療のプロであっても、交渉のプロではないわけです。たまたま日医の担当理事になったからでてきただけで、本業は別にあります。
一方支払い側は、健保組合の専従であったり、厚労省の天下り(逮捕されたS氏といった)だったりして、交渉のプロ、いわゆるタフ・ネゴシエーターです。
ですから中医協の場では、診療側は一方的にやられっぱなしといった感じらしいです。

医師会は、弁護士会と並んで天下りを受け入れませんからね。役人はいつも「痛い目に合わしてやる」と虎視眈々と狙っています。

>整形Aさん
単純に考えれば、専従の方を付けるとか、それこそ弁護士の方に代理人に
なってもらうとかすれば良いように思いますが。

主張した方が勝つ、声の大きい方が勝つ事自体は、自然だと思います。

このところの医療費削減に関しては、「経済財政諮問会議」なる密室で
決められている節がありますね。厚労省の意図さえ無視されている感は
あります。

M3からの転記です。下記のように、医療者側の治療方針に従いたくない患者の自己責任と、それを説得し従わせるという医療者側の義務?では、医療者側の説明の十分さのほうが、より重く問われるのが現状なのでしょうか。
賠償額には、3年間の植物状態の介護費用等も含まれているのでしょうが、それにしても高額の賠償命令だと思います。
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透析患者死亡で賠償命令 基準体重の管理ミスで
06/10/02
記事:共同通信社
提供:共同通信社
ID:320340

 人工透析の際に基準とする体重の管理が不十分だったため、体内の水分が過剰になり死亡したとして、岡山県の女性の遺族が津山第一病院(同県津山市)を運営する医療法人に計約1億3400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、岡山地裁津山支部は29日までに、計約5800万円の支払いを命じた。
 難波宏(なんば・ひろし)裁判官は「基準体重の設定が高すぎた」と病院の注意義務違反を認定。女性は基準体重の引き下げに反対していたが、医師は適正な基準体重を定め、患者が反対した場合でも家族や第3者に説得を依頼することも注意義務に含まれると指摘した。
 判決によると、49歳だった女性は2002年8月、病院で人工透析を受けていた際、体内の水分量が過剰な状態になり、肺水腫から心肺停止し、その後05年11月に死亡した。
 病院は「判決内容に不服だ」として控訴した。

>田舎の消化器外科医さん
基準体重を低めに設定した上で、患者がそれを守らなかった場合に、
どのような判決が下されるのか興味ありますね。

・基準体重を高めに設定した事が問われているのか
・患者に基準体重を守らせなかったことが問われているのか

この記事だけではそれがわかりにくいですね

この記事がもう少し詳しいでしょうか

>女性は人工透析のため01年12月から同病院に通院。「ドライウエート」
>(透析直後の適正体重)を測定するCTR(体内水分量の心胸比)が、02年6月以前
>は50%未満と正常だったが、以降はそれを超え、最終的に60%近くまで上昇。
>原告側は同ウエートの設定が高いために「水分過剰で肺水腫を起こし呼吸困難に
>なった」など、設定管理の義務違反を主張していた。
http://www.okanichi.co.jp/20060930125039.html

こんなものが訴訟になり,さらに医師側が敗訴となるとは世も末ですね.

>女性は基準体重の引き下げに反対していたが、医師は適正な基準体重
>を定め、患者が反対した場合でも家族や第3者に説得を依頼すること
>も注意義務に含まれると指摘した。
同意なしに治療することはできないと思われますが,法律的にどうなんでしょう? >法曹界の方お教え下さい.

この記事からだけでは不明ですが,元々設定されたDry Weightはそのままだった様子ですね.そうとすればCTR増加,肺水腫は心疾患(虚血性心疾患,もしくは弁膜症)による心機能悪化によるもののように思えます.透析患者さんによくみられる合併症ですね.

腎不全の透析患者で計約5800万円ですか?どんな計算をしたらこんな高額になるんでしょう.そもそも請求額が1億以上というのは???
natural courseと考えればいずれにしても余命はそれほど長くなかったのでは...

>しまさん
地元紙の紹介ありがとうございました。
共同通信社の記事だけでは、「患者に基準体重を守らせなかったことが問題となっている」かのようで、またしてもトンデモ判決!と自分も怒り心頭でした(笑)。
だって、患者が指示を守ってくれない場合まで責任は持てないですもん。

で、この地元紙の記事によると「基準体重を高めに設定した事が問われている」ようですが・・はたして、それと死因が直接関係しているのか??
これが、読んだうえでの新たな疑問です。管理が甘目だったにせよ、CTR60%弱で突然の肺水腫→心肺停止まできたすんでしょうか?
って、これは純粋に医学的な関心ですが・・・。

>No.124 整形A先生

>ある委員はお産の際の事故で子供を亡くした遺族代表、被害者代表のような形で出席しており(皆さんご存知の方です)、中医協でもそればかりを話しています。
彼は、「薬を使って昼間にお産させるから異常分娩が起こるのだ。夜働く医者が少ないというのなら診療所を全部つぶして(!)、病院に医者を集めて、夜も産科の体制を整えるようにすべきだ」と主張したそうです。

陣痛促進剤による被害を考える会の世話人ですね?
中医協以外の場でも判で押したように同じことばかり言ってます。
口を開けば陣痛促進剤、この人が中医協の医療被害者代表で大丈夫なんでしょうか??
筋の通った反論をすれば論破できるようですから、診療側もディベートの講習会が必要ですね。

>整形Aさん
陣痛促進剤による被害を考える会は、厚労省ともガチガチやっていて感心します。

それはそれとして、中医協の話ですけど、お互いに話がかみ合っていない
ように思います。その委員の方が仰りたいのは、↓の事だと思いました。

>また意見を聞かせていただきたいと思いますが、僕としては
>もう少し救急医療を充実していく方向へ診療報酬、人件費、収支というのが動くよ
>うな形をちょっとお願いしたいというふうに思いました。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/11/txt/s1109-5.txt

これはこれで正論だとは思います。また、診療所を充実させるというのも正論だと
思います。

僻地外科医さま

>はっきり言って「誤診はすべて過失」なのです。

臨床診断は診察と検査で得られた、身体についての限られた情報を元に判断しなければなりません。
流行性耳下腺炎(おたふくかぜ)は、熟練した小児科医でも誤診がしばしば発生する疾患です。しかし臨床所見からだけでは、誤診が必ず一定の割合で生じる事は避けられません。
産科の分娩監視装置は現在の技術レベルでは実にわずかな情報しか得られないにもかかわらず、診断が遅れた(誤診)とされて訴訟が頻発している現状もあります。
急性虫垂炎の診断の難しさを多くの外科医がおっしゃいます。

要するに臨床診断における「誤診」とは、医学の限界といった性質からくるものではないですか。
だからこそ医療過誤の定義にて「臨床診断における誤診は、医療の限界からくるものであり医療過誤ではない」とされているのだと自分は理解しています。(たとえばネットでは、Wikipediaでの定義はそのようになっています)

「予期しない容態の変化・死亡」があっても、その原因が人的エラー以外のものであれば、医療過誤ではないというのも、医学医療の限界故のことだからです。

もちろん、当然なされるべき検査が施行されなかった場合、当然読み取られるべき所見が無視されていた場合などに「誤診」が「医療過誤」と言える余地が出てくるわけではりますが。

一人でのレントゲンの読影は誤診が、必ず起きるものです。
一人でのレントゲンの読影に限界があること、また複数の医師における読影が一人で行なえば一定の割合で発生する誤診の頻度を減らせる事が明らかになっている以上、全ての過失割合を一人の医師に負わせるのは間違いです。
検診と同程度の条件で複数の医師が読影を行なわれて、何%が見落とすのか検証してみてこそ「当然読み取られるべき所見の見落とし」がどの程度の「過失割合」であったのかが判断が出来ます。
この医師の読影の能力と、読影の見落としが一人での読影という条件下で許しがたい所見見落としであったかがないまま、すべての「誤診」を「過失」と言い切るのは残念ながら同意出来ません。

>オダ先生

 どうも私の言っていることを誤解されているようです。
 私は誤診は「過失」であると言っていますが、「医療過誤」であるとは言っていません。

>流行性耳下腺炎(おたふくかぜ)は、熟練した小児科医でも誤診がしばしば発生する疾患です。しかし臨床所見からだけでは、誤診が必ず一定の割合で生じる事は避けられません。

 先生がおっしゃっているこの「誤診」の性質そのものがシステム工学における「human error」の性質と同じものだと思いませんか?疾患ごとにエラーの起こしやすさが異なると言うだけの問題で、エラーであることに違いは無いわけです。

 たとえば急性虫垂炎であれば、単回の診察では判断できない場合、複数回の採血・触診で診断できるわけです。これはエラーを修正させる為の方法に他なりません。
 もちろん医療においては「時間的制約」という問題がありますから、エラーを修正するための時間が取れず、「医療事故」につながるケースはあると思いますが(特に救急医療、産科医療)、エラーをエラーと認めなければ原因分析も対策も立てようがありません。

>一定の割合で発生する誤診の頻度を減らせる事が明らかになっている以上、全ての過失割合を一人の医師に負わせるのは間違いです。

 これは当然同意します。つまり、誤診が生じても医療過誤につなげないというシステム工学の問題だからです。何度も言いますように「誤診」は「過失」であり、その過失にシステムエラーが加わって「医療過誤」「医療事故」が起きると言うことです。

2chから拾ってきたニュースです。ソースの福島民友新聞HPからは見れませんでした。

男性死亡で医師ら不起訴 出血予見困難と福島地検
記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2006年10月2日】
福島県猪苗代町の県立猪苗代病院で2003年、男性患者=当時(67)=が手術後に出血性ショックで死亡した事故で、福島地検は29日、業務上過失致死容疑で書類送検された元院長(60)と、
執刀した男性外科医(42)を嫌疑不十分で不起訴処分とした。
片岡康夫(かたおか・やすお)次席検事は「手術後の出血を予見するのは困難で、出血を認識した時点で再手術したとしても間に合わなかった可能性が高い」と説明した。
地検などによると、03年11月19日、医師らが腹腔(ふくこう)鏡を使って男性の胆のう摘出手術をした後、傷ついていた動脈から大量出血。同月22日に死亡した。
県は調査報告書で「止血が早ければ死亡には至らなかった」と結論付け04年3月、元院長と男性外科医を減給の懲戒処分にした。福島県警が同年12月に2人を書類送検していた。

 で、片岡検事に問いたい。大野病院は逮捕・起訴で猪苗代病院は書類送検・不起訴?やり方に違いがありすぎるんじゃないか?やり方を変えた根拠を発表する義務があなたにはあると思うぞ。恣意的な逮捕・起訴だと言われたくないならば。

No.134僻地外科医さん
とりごろうブログのころからお疲れ様です。

言葉の使い方・定義の問題だとは思いますし、言いたいことはわかるのですが。

「過失」という言葉は法律用語だと思うので、
すべての「誤診」は「過失」であると言ってしまうと、
法律家の方々がびっくりしてしまうと思いますよ。
僻地外科医さんが言っていることが正しいならば、
ほとんどすべての誤診が損害賠償の対象となってしまいます。
一般用語を使ってたとえば、すべての「誤診」は「ミス」である、
とか言うのなら通ると思いますが。
以前民473さんという方が論破されていたのをごらんになりませんでしたか?

この文脈で「過失」を使うのは誤解を招くのでやめるべきだと思います。
(「過失」を一般用語として使っている、というのは誤解をまねくと思います。
とくにこのスレでは。)

片岡さんが改心?したというのか検察の方針が変わったというのかは判りませんが、さすがにあれだけ叩かれまくって思うところがあったのだろうとは容易に推察できるところです。問題は今更こういう姿勢を見せるほどに大野事件の異常性(衆人環視の中日常診療に従事している医師を逮捕)が際立ってくるということですが、心中エールを送りつつ裁判の行方を見守りたいと思います。

ところで透析はもとより肝硬変、糖尿病をはじめ治療拒否という状況にはしばしば遭遇します。患者の性格もあるでしょうが多く原疾患に由来するものと考えられますので、特に重症例では家族同席の上で治療の必要性等について再度説明を行うという方法で最終的な意志確認を行なっています。
報道で目にした範囲で家族も含めて治療拒否であれば後で法的責任を問われることはないように考えているのですが、臨床家ならば誰でも全てが終わった後に普段見かけたことのない遠い親戚などがクレームをつけてくるという事態はしばしば経験することではないかと思います。また、思想信条から親が輸血拒否をしている場合の未成年患者の対応など未だに迷うところなしとしない場合が多いのではないでしょうか。
昨今では個人情報保護の絡みもあり患者本人、あるいは本人の指定したキーパーソン以外にむやみに診療情報を開示することがはばかられる状況でもあります。また治療拒否患者の場合しばしば家族に説明することさえ拒否されます。患者側の意向で敢えて医学的妥当性から外れた対応をするといった場合にどこまでの範囲で治療の説得あるいは治療しないという同意を取り付けておけばよいのか、司法的な立場からの判断をお伺いしたいところです。

管理人から

 ここでは「過失」という言葉は、「法律的意味での過失」すなわち「法的責任の根拠としての過失」という意味で使ったほうがいいと思います。

>思想信条から
>親が輸血拒否をしている場合の
>未成年患者の対応

法律上の争訟といえるか、
自己決定権、
当事者適格、
なんかが、関係ありそうですね。

僻地外科医さん、循内勤務医さん、オダさんへ
>すべての「誤診」は「ミス」である
というのがすごく違和感があるので少し述べさせて下さい(諸先生の議論に乗り損なっていたら御容赦を)。
一つの例として、急性冠症候群(ACS)を挙げてみます。アメリカのERでは、ACSの危険性が低いと思われる胸痛患者さんでも、一度の心電図や血液検査で帰宅させることはなく、「発症後9時間まで30-60分毎の心電図検査と3-4時間毎の心筋逸脱酵素の測定を行い、それでも異常なければ、9時間後に負荷心電図を施行し、それでも異常なければ帰宅していただく」という慎重な対応がなされているそうです(自分の周囲でここまでの対応をしている施設はみたことないです)。しかし、ここまで慎重な対応しても、2%の見落としがあると報告されています。このような事例に遭遇したとして、「誤診はミス」と言われ責任を追及されるとしたら、胸痛患者さんを診察する医師はいないのではないでしょうか?誤診と言われるものの範疇に、「現代医学の限界」と明らかに言ってよいものが数多く存在すると思います。「すべての「誤診」は「ミス」である」との考え方は高潔であると思いますが、私のような能力の医師には、重すぎます。
>誤診が生じても医療過誤につなげない
という考え方も非常に重要だと思います。しかし、先のACSの例で考えると、2%の見落とし例をカバーしようとすると、胸痛患者さん全例を入院で厳重に経過観察する必要が生じると思いますが、胸痛を訴える患者さんの数からして、このような対応は非現実的だと思います。医療現場がどこまで対応できて、実際問題として、どこまでの見落としを許容できるかという議論の方が実務的だと考えます。

議論を散漫にさせて申し訳ないのですが、医療過誤訴訟としての争点は別としてこういう保証というのは珍しいと思うので貼ります。個人的には和解と言っていますが実質原告勝訴(というより要求以上の保証?)と思えますが如何でしょう?

「終生、無償で看護」約束 医療過誤裁判で和解 愛知
http://www.asahi.com/national/update/1002/NGY200610020008.html

 昏睡(こんすい)状態になったのは愛知県半田市の市立半田病院が適切な外科手術をしなかったためだとして、寝たきりで同病院に入院している同県知多郡内の50歳代の男性と家族が、同市を相手取り、1億7000万円の損害賠償を求めた訴訟は2日、名古屋地裁で和解が成立した。市は、慰謝料など8200万円を支払うほか、「終生にわたって無償で適切な看護、医療を受けさせる」と、条項に盛り込んだ。

 同病院は「家族の意向をできるだけ受け入れた」という。条項ではまた、病院が将来、閉鎖するなどした場合も、市が転院先を確保し、無償提供するなどとした。

 訴状によると、男性は98年7月、自宅で下血して近くの医院で胃潰瘍(かいよう)と診断。同月31日夜、半田病院に入院した。担当医は内視鏡で止血したが、男性は数日間、吐血を繰り返した後、植物状態に陥った。男性の家族は、病院は外科手術をすべきだったと主張。同地裁が今年1月、和解を勧告していた。

 財団法人「日本医療機能評価機構」裁定委員で、医療過誤で子を失った勝村久司さんは「今後、被害者をどう助けていくかを明確にした理想的な和解で、とても珍しい」と話した。

No.141 老人の医者さん

 別エントリで紹介しました。

こんにちは、しまさん。(No132のコメントに対して)
整形Aです。

いつも情報を的確に検索され、鋭いコメント、ありがとうございます。

>また意見を聞かせていただきたいと思いますが、僕としてはもう少し救急医療を充実していく方向へ診療報酬、人件費、収支というのが動くような形をちょっとお願いしたいというふうに思いました(某委員の発言)。

「陣痛・・・」の委員ですが、一見正論を言っているようですが、よく読むと実は中身がないもないことに気づきます。
「世界中の人を幸せにしよう」「戦争を止めよう」とただお題目を唱えているに過ぎないのです。

「救急医療を充実させる」という掛け声はいいのですが、救急医療に診療報酬、人件費をかけるのなら、当然その人的資源、財源の手当てが必要になります。
必要なものが無から涌いてくるのならいいでしょうが、そんな魔法のようなものはありません。

よく言われることですが、コスト、クオリティー、アクセスの3つを両立させることはできません。
救急医療に何を求めるのか。救急ですから、まず大概はアクセスですよね。すぐに診てもらえること。
次に何を求めるのか。

コスト優先、という道もあります。コストをできるだけかけない。
それを徹底すれば救急ではクオリティーの低い医療しか受けられず、しかも国民はそれを甘受する必要があります。
医療過誤、医療事故があっても「救急だから仕方がない」とあきらめてもらわなくてはなりません。

クオリティーを求めるのなら、それ相応のコストが必要になります。
救急に人的資源を投入すれば、当然救急以外の仕事をする人が減ります。
財源はどうするのでしょうか。救急以外の仕事に要する費用を削るのでしょうか。そうなると今度は救急以外の医療のクオリティーが低下します。
右から左へと移すだけでは「救急の充実=日常医療のレベル低下」になるでしょう。

全体の財源が増やせば、徐々に人的資源も充足してくる可能性はあります。
彼がそれを主張するのならば救いはありますが、彼がこの問題にかかわったのはそもそも医療に対する不信、もっというなら医療サイドに対する恨みつらみが根底にあるのではないでしょうか。
ですから、診療側が納得するような答えを用意しているはずがありません。
もっともそのような人間であったからこそ、中医協の委員に任命されたんでしょうが。

本日の朝日新聞夕刊に,フェンタニルの小児への適応拡大が医師主導の治験を経て申請されたと書かれていました.
医師が研究費を治験費用にして行ったそうです.

これで「フェンタニルは2才以下には禁忌」という海外ではあり得ない添付文書の記載が消えてくれると有り難いです.

No.141 老人の医者先生

これは原告にとって勝訴以上の成果ですよね。しかしこんな和解を勧める裁判所も裁判所なら、受け入れる市も市です。当事者でなくても、この市に勤めていたとするならば、私なら辞職するでしょう。(というか、トンデモ医療訴訟多発地帯で勤める気など最初からありませんが)

また、メリットデメリットを考えないレトロスペクティブな鑑定の臭いがプンプンするのですが、詳細がわからないものかなあ。

あいかわらず、法律論理の衣をまとった笑止千万なハンケツが乱発されていますね。

以前は、裁判官の無能故にトンデモ判決が出されるのだと(愚かにも)思っていましたが、ここまで酷い、悪質な判断を堂々と展開されると、認識を改めないといけないと思っています。つまり、裁判官と弁護士は、真実とは関係なく、ある特定の意図に基づいて医療側敗訴判決を出しているとしか思えません。それが法務大臣・法務省の意図なのか、弁護士会の判断なのかは分かりませんが、とにかく、病院を負かすということで法律屋の意思が統一されていることはほぼ間違いないでしょう。そうでなければ説明がつかない位、一方的で偏った、医学的に荒唐無稽な判決ばかりですから。

ですから、裁判で誠実に対応しようとしても意味はないのであって、まずは裁判の不当性を国民に明らかにして、医師を不当に裁かせることをストップしないとどうしようもありません。相手チームと審判がグルになって滅茶苦茶してるところに、正攻法で挑んで勝てるのはスポ根マンガだけです。そんな試合はさっさと放棄して、裁判がいかに茶番であるかを一刻も早く明らかにしなくては。

No.110のレジ番先生、お返事送れてすみません。

裁判の忌避という制度があるとちゃんと認識したのは初めてなのですが、調べれば調べるほど酷い制度、というか運用実態ですね。要するに、裁判官は神であってどんなことをしても許される、当事者が神の交代を求めるなんて身の程知らずでとんでもない、という感じですね。

司法、裁判所というのが信じられないほど腐りきった業界であるとよく分かりました。

司法に何かを期待するほうが間違いですね。

No.102で提起した質問に対する回答がないみたいですね。

弁護士のセンセイは、医療バッシングには熱心だけど、自分の業界の都合の悪い話にはすぐ口をつぐむものなのですね。不公正、不正義、不平等、不誠実の見本みたいな対応ですね。医師の方は、(自分は決してそうではないけど)人格的にも能力的にも立派な方が多いのですけど、そういう人は謙虚過ぎて人様の批判をしたり、言いがかりに反論したりなさらないんですよね。あるいは、忙しすぎてそれどころではないか。ただ、これだけ司法による医療いじめが横行している現実を考えると、どこかで組織的に声を上げないといけないとは思うんですけど、医師の場合、どうしても目の前にいる患者の治療を優先してしまいますからね。かくして医療崩壊は進むわけですね。

ちょっとこのブログからご無沙汰していましたら、北の内科医さん、ご活躍ですね〜〜〜

まあ、あなたも内科医なら、それなりに患者さんから頼られるお方なのでしょうから、もう少し品の良い建設的なご意見をお書きになりませんか?

レジ番さんにあのHPを知らしめたのはどうも私のような気がしますから言いますが、医者にも,患者にも、裁判官にも、おかしな人は居るとして、それを針小棒大にあげつらってみても、何の為にならないですよ。

>整形Aさん
>財源はどうするのでしょうか。救急以外の仕事に要する費用を削るのでしょうか。
>そうなると今度は救急以外の医療のクオリティーが低下します。
>右から左へと移すだけでは「救急の充実=日常医療のレベル低下」になるでしょう。

まさに勝村さんはそう仰っていると思います。財源が無限ではない以上、どこかで
優先順位を付ける必要があると思います。勝村さんは救急を重視するべきだと
仰っているし、また日常医療を重視するべきだという意見もありだと思います。

そう言う意味で、どちらも正論であると思いました。決してお題目ではなく、
むしろ「財源は有限である」と言う現実を踏まえた意見なのではないでしょうか。


>ですから、診療側が納得するような答えを用意しているはずがありません。

診療側が納得するような答えを用意できるのは診療側だけであり、
患者側が納得するような答えを用意できるのは患者側だけだと思います。

中医協のような所は、どっちがどのように妥協するかを決める場所だと思います。
中医協で医者の発言力が弱いと言うことは、医者が無制限に妥協することと
等価なのではないでしょうか。

No.102 北の内科医さま

これまで蓄積してきた怒りや絶望感などは、私の想像の及ぶところではないのかもしれませんが、どうか冷静な目で、「敵」側の実情も見ていただければと思います。

>医学的に荒唐無稽な判決を出した裁判官、それを強要した、あるいは炊きつけた弁護士の責任はどうなるんですか? 
>「判断にはミスがつきものだから罰しない」なんてことありませんよね。
>医師に完璧な完全無欠な神のごときレベルの判断を瞬時に行うことを求めておいて、自分たちだけそんな論理で逃げるわけありませんよね。

過去にも散発的には出てきていた論点と思いますが、
裁判官や弁護士の「責任」というのが、個人が刑事罰を受けることや、損害賠償義務を負わされることを意味するのであれば、
・裁判官(個人)に関しては、原則、その意味での「責任」は負わされない(国賠法の問題)
・(勝訴側の)弁護士に関しても、「強要」「焚きつけた」としても、判決を下した主体ではない以上、やはり原則、その意味での「責任」は負わされない
とならざるを得ないと思います。

当然、どちらも「原則」にすぎず、やったこと、判断したことが荒唐無稽、非常識であることが(正式に)判明すれば、様々な不利益を受けることになるでしょう。
裁判官であれば、再任拒否や弾劾、弁護士であれば懲戒など。
ただし、ここで医療関係者の方々が指摘されている「医学的に荒唐無稽な判決」に関して、そのような不利益処分を受けた裁判官や弁護士たちがいたかといえば、おそらく(まだ)いないのではないかと思います。風評くらいは立っているのかもしれませんが。

そういう意味において、
「裁く側は多少のミスがあろうとのうのうとしているのに、なぜ医療従事者はたった一度のミスで職業生命を奪われるほどのダメージを与えられなければいけないのだ」
という感想をもたれるのは、当然であろうと思っています。

一方、ここは強調したいことなのですが、
医師が「完璧な完全無欠な神の如きレベルの判断を瞬時に行うこと」は、法律上(少なくとも建前上)、求められてはいません。
法律上の「過失」とは、ミスを許容する概念(のはず)です。

行為の当時を基準に(=事後判断の視点を捨てて、prospectiveにみて ←現実にできてないのでは、という点はすでに議論されていますが)、標準的な医療従事者のレベルで最善を尽くしたうえでのミスであるのなら、法的責任は負わせない、というのが法律上の「過失」です。

医療崩壊問題・司法版の核心は、ここでいう「最善を尽くしたうえでのミス」であることが、裁判官に理解されていない(と医療関係者にみなされている)ケースが多数あることだと理解しています。

長くなりましたのでいったん改めます。

>>No.151のfuka_fukaさん
横レス失礼。

>医療崩壊問題・司法版
このblog的に非常に的確な問題の切り分け方ですね。
妙に納得してしまいました。

>法律上の「過失」とは、ミスを許容する概念
というのも目からウロコの解釈です。
確かに反対側から見るとそうですね。

毎度毎度お世話になっております。

No.151 のつづき

「最善を尽くした」といえそうなのに過失が肯定され、医師・病院側の責任が認められているケースについて、医師・病院側にも納得のいく結論にするには、どうすればよいのか。

ここでもいろいろ案は出されていますが、そういう「トンデモ判決」がこれ以上出されるのを防ぐのに最も安価、迅速かつ効果的(立法による新制度の確立などと比較して)なのは、まず通常の訴訟手続での立証活動において、医師・病院側の弁護士が、裁判官を上手に説得することではないかと考えています。

裁判官も、適切な情報を与えられさえすれば、その知見をもとに、「最善の注意義務を尽くしたか否か」という基準を適切に適用できるはずだ、と思っています。
(独善的で「患者カワイソス」のバイアスに固まっていて何を言おうと無駄だ、とお考えの方も一部いらっしゃるかもしれませんが、少なくとも全員そうではないはず、と私は裁判官の良識を信用しています)

以前、職人のたとえ話も出ていたかと思いますが(しま さまだったでしょうか)、ここで医療従事者のみなさまからの書き込みで私がもったイメージは、F1レーサーやラリードライバーです。

優秀なエキスパートたちが、与えられた車体のスペックの限界までスピードを追求し、コントロールする。
その際、ちょっとした操作ミスがあれば(状況によっては何らミスがなくても)、途端にコースアウトや転倒をし、マシンが大破することは目に見えている。ラリーであれば見物客に死傷者が出るかもしれない。
そういう事故は、ドライバーが起こしたくて起こしているか。そんなわけは当然ない。優勝したくて、ひとつでも順位を上げたくて必死にやっている。

そういう状況でも、ドライバーの事故当時の運転行為だけに着目して法律のロジックにあてはめてしまえば、
「Aは、ライバルとの差を詰めるためには多少の無理はやむを得ないと考え、自分の運転する車がオーバースピード気味であることを十分に認識しながらコーナーへ突入した結果、アンダーステアを発生させ、さらにその際に不適切なハンドル操作をしたため、車体を制御不能状態に陥らせ、その結果、車体をコース外壁に衝突させ走行不能にしたものであり、Aには過失があったものと認められる。
 したがって、Aは破損させた車体の時価●円のうち●%相当額について車体所有者であるB社に対して賠償する義務を負う」
なんてことになりかねません。

この例で、ドライバーが法的責任を負わされないための構成として、
「平均的能力を有するドライバーが要求される最善の注意を尽くしていたのだから、無過失」
という立論も十分可能なはずです。
(車体所有者であるチーム側が請求権を包括的に放棄している、等の構成も考えられますが)

とはいっても、これまで、私なぞよりはるかに知識も経験もある医師側・病院側の弁護士による主張立証によっても説得に成功していないのであれば、コトはそう簡単ではないということなのだろうとは思いますが。
(それでもなお、これが最も近道だとは思います。逆にいえば、それすら容易でない以上、崩壊の食い止めは無理なのかもな、とも思っています)

すでに多くの方が言われているように、ヒトを含む生き物は放っておけばみな自然に死ぬものだという認識と、自然状態と比較してプラスマイナスどっちだったのかという視点があれば、
また、人の注意力は短時間しか持続せず、そういう誰でも陥る「注意が欠ける時間」に生じたミスの責任を個人に負わせることの不当性、不毛さという視点があれば、
トンデモな判決だけでなく、トンデモな提訴も減るのではないか、と思います。
が、昨今の消費者意識の潮流は、もろ逆向きですものね。。

同業者の目から見ても「これはひどい」という手抜きや杜撰なルーティンなどから生じたものであれば当然、個人も責任を負わされるべきとは思いますが、そうでないミスは、いわば the last straw にすぎないのではないか、と。
そういう限界領域での治療行為が必要になったという不可避のリスクとして、保険などで分散・再配分されるほうが正義に適うのではないか、と思うのですが。

漠然とですが、分水嶺は、「人命を扱っていることの責任を自覚していることを窺わせる体制と意識のもと」で起こったミスかどうか、に置くべきなのではないか、と。全くソースなしの私見ですが。

うーん、つらつら考えるに、やはり見込は悲観的寄り・・・

ところで今日、こちら経由のAmazonで「医療崩壊」買いましたです。
(技術面ではお役に立てないので^^;)

No.153  Posted by: fuka_fuka さん
>自然状態と比較してプラスマイナスどっちだったのかという視点があれば、

私も「医療崩壊」を購入して今日一日でほぼ読破しましたが、一番ショックだったのが、「薬害エイズ事件」ですかね。
マスコミ(特に桜井よし子女史)に散々犯罪者扱いされた安部元帝京大教授と郡司厚生省課長が、当時エイズの危険性をいち早く認識し、東奔西走して何とか回避できないかと画策していた状況が記載されていました。そして、昨年のシンポジウムで川田氏(薬害エイズの被害者)が郡司氏にシンポジウムへの参加を依頼したこと、そのシンポジウムでは「産官学の癒着が招いた惨禍であるという認識は間違いとの結論で一致した」とのことでした。

私自身、この「事件」報道の最中は学生だったのでマスコミの情報程度しか知りませんでしたが、この事件もマスコミが「捏造した事件」だったのですね。そして、その報道が下火になった結果(もちろん時間が経ったこともあるのでしょうけど)、冷静に論じ合える状況になったと言うことを喜ばしく思いました。

追加

No.153  Posted by: fuka_fuka さん
>自然状態と比較してプラスマイナスどっちだったのかという視点があれば、

これについて追加コメントをするところだったのに(笑)。

この薬害エイズでも当時有用な血液製剤が出現して、その結果助かる人も多かった。そこにわけのわからない奇病が発生してきた。どうやら血液製剤が原因の可能性がある。加熱製剤も開発されるが、その効果は非加熱製剤の1/3。そして、血液製剤はアメリカからの輸入に頼っている。ただでさえ血液製剤の少ない(献血の少ない)日本で加熱製剤を輸入することになると単純計算で3倍の輸入をしなければいけない。血液製剤の製造・濃縮方法も未熟である。どうしたら良いんだろう。

どうも彼ら(安部氏・郡司氏ら)はこんな風に考えていたようです。

こういう風に、その判断過程では色々なことを考える必要があります。しかし、すべての事象は徐々に明らかになっていくもの。徐々に白から黒に変わっていく絵があって、どこまでが白でどこからが黒なのかは判別が難しいのと一緒。簡単に「非加熱製剤中止、間接製剤に変更」なんて紋切り型の判断なんか出来ない。どこの国も同様の被害者を出している状況を見ると我が国の厚生省の判断だけ特別遅れていたとも思えない。

すべての医療行為は利益と危険性を同時に有するという基本原則からすると被害者が出たからと言って彼らを非難するのはなんとも酷だと思いました。

まさに
>自然状態と比較してプラスマイナスどっちだったのかという視点

で論じて欲しいものです。
でも出来ないか、検証能力のないマスコミだから(笑)。

↑訂正

>血液製剤の製造・濃縮方法も未熟である

→ わが国の血液製剤の製造・濃縮方法も未熟であり、国内で作ることも出来ない。

>暇人28号さん
>で論じて欲しいものです。
>でも出来ないか、検証能力のないマスコミだから(笑)。

消費者がそのような視点を求めてないだけかも知れませんけどね

郡司さんの講演録を見つけました
さぞかし優秀な官僚だったのだろうなあと言う印象ですね

エイズ問題で未来を閉ざされてしまったのは社会にとっても
大きな損失なのかも知れません

http://sleep.cocolog-nifty.com/blog/files/GUNJI.pdf

北の内科医さんのおっしゃること、よく理解できます。
現在の医者バッシングは、政策的なものと考えます。
マクロで見ると、医療費抑制政策、混合保険の展開、検察の点数稼ぎなどに、開業医・勤務医が生贄として利用されている実態が浮かびます。

ただ、法曹関係者とは、良い付き合いを築くことが賢明だと思ってます。共通の言葉で論議するしかありません。

ですから、論点を例えば
1 医療従事者に対する訴追裁量拡大に、思想的政策的背景が予想されるとき、公訴権濫用が結果として医療崩壊をもたらすことの論理的説明と、次善策として第三者機関の設立などではなく、非犯罪化の確立(免責)を求めることの妥当性を社会経済的に証明する事

などとして、他人事のように冷静に語るか、

2 主治医団の診断過程や治療方針に対して、同僚らが一部批判的検討を行っていたとする症例検討会記録を証拠として採用するような自体は、判事不再任の検討会を記録させ、その判事の全業務について業務上過失を問うことと相同である

などとして、同じ土俵で説明しないと、法曹関係者は乗ってこないのではないでしょうか。

医療訴訟を受ける医療従事者の、最後の味方、砦は弁護士さん達ですから、法曹関係者を罵倒しても始まりません。(でも、おちょくるのは許して)

学会などではまだしも遠慮がありますが、院内症例検討会などというのは傍から見ればそれはもう「いじめ」に近い世界です。周囲から無体な粗探しをされ集中砲火の中で症例提示する(ほとんどは若い)医者が次々に撃沈していく。暴風によって桶製造業界の業績が伸びることはないかも知れませんが、風が吹いたことによって儲かった桶屋はいるかも知れない。妥当と思われる選択枝を選び出すためには妥当でないだろうあらゆる可能性も考慮に入れた上でなければならないということを身をもって叩き込まれるわけです。
世にトンデモと呼ばれる裁判をみると、どうもこの鑑定をした医者というのはそういう感覚の延長で仕事したんじゃないかという気がして仕方がないことがあるのですが。少なくとも学部教育の中で医療訴訟の鑑定医として必要な素養について教育を受ける機会はなかったし、また実社会においてもそうした経験を積む機会はほとんどない。一臨床家として普段どおりの態度でやってしまうと、確かに「しかし可能性は否定できない」式の鑑定書になりそうな気がします。

そろそろ医学会も司法を意識しながら仕事をしていかないとますます判例が蓄積され、本当に手も足も出ない状況になるんじゃないかという予感がしています。

>循内勤務医先生、モトケン様

 ご指摘ありがとうございます。確かに「過失」というタームを使うのはまずいですね。
「ミス」というタームが適切かどうかもちょっと疑問がありますが、今後は「ミス」で話を進めたいと思います。

>岡山の内科医先生

 ご指摘の論旨はよく分かります。私自身特別臨床能力が高いわけではありませんから、すべての誤診を「ミスとして責任追及」されるのはつらいものがあります。

 ですが、医学の限界とは言え、errorには違いないというのが私の立場です。これは
個人のミスとするのか、システムのerrorとするのかと言う問題だけなのだと思います。個人の能力に100%が無いのと同様、人間が作り上げたシステムにも100%は無いわけです。だから、システムエラーであっても、その原因を追及し、改めるべきところは改める、システムの限界であれば、より費用をかけてシステムを改善するのかどうか討議する。この分析をするためには「すべての誤診はミスである」とひとまず認める必要があるという考えです。責任追及などはそれを検討したあとの話だろう、ということです。「ミスではなく、単に医療の限界」とした場合、その問題はそれ以上討議されなくなり、仮にシステムの単純な不具合や明瞭な個人ミスがあっても、それは埋もれてしまうことになります。これが一番まずいことだと思うのです。

医学研究の上で、統計関係の勉強をしているとき、日本人と欧米人の考え方の違いに驚かされます。例えば、薬によるインターベンションの比較試験において、被験者は当然毎日薬を飲むことが普通なわけですが、欧米では飲み忘れやコンプライアンスの悪さも統計結果の中に含める傾向があるのに対し、日本人はコンプライアンスが悪い症例は除外する、という傾向にあります。
また、誤差においても欧米人はそれを数学的に考えるのに対し、日本人は端から誤差を認めない、といった傾向があります。
つまり、日本人は完璧主義を主張することが多く、科学的ではなく、感情的な部分が研究においても出てしまっていることが傾向としてあげられます。
例えば、内閣支持率は46%から48%に上がったと信じ、信頼区間もバイアスも無視し、誤差を考慮しない国民性ですから、学問的なことは関心無いのかな?と思わされることがあります。

>>No.162のyamaさん
前段については、intention-to-treat analysisが重要であることの認識が日本の医学界にまだ浸透してないだけでは...

「闘い」始めたようです。

診療費滞納者には提訴も 県立医大病院 ('06/10/05 AGARA紀伊民報)
http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=112610
> 今年4月に独立行政法人になった県立医科大学付属病院(和歌山市)は、
>診療費(患者負担分)の滞納が増加傾向にあることから、未収診療費の
>回収に訴訟などの法的手段を本格的に導入する。4日には初めて診療未
>払いによる少額訴訟を提起した。同病院は「理由なく納入しない滞納に
>ついては、民事訴訟などの措置を講じて取り立てを強化する」と話している。

お医者さんて、休むんですか?
http://ameblo.jp/saigo-don/entry-10015899838.html

こういう方多いですね。対価を支払うことなく一方的な要求者たる立場に立ったとき人の欲望は際限なく増大していく。国民皆保険制度は崩壊しつつあるのではなく崩壊するかも知れないのでもなく、崩壊させるべきであると考える人々も確かに増えつつあることを実感として知っています。むろん、財政支出削減に鵜の目鷹の目の政治家、官僚の皆様方の話ではありません。
いまや現場で奮闘する多くの医者達にとって逃散しようが闘争しようが罪悪感を抱かずに済むことだけが唯一救われる点なのかも知れませんが…

医療者側の問題点として

臨床領域を専門とする医療従事者は、専門領域で活発に活動し、
医療崩壊の最前線で、崩壊回避努力をしている者ほど、労働基準法
違反の過重労働を行っている。従って矛盾の真っ只中に居る医者は
多忙であり、医療崩壊というマクロ状況を正面視し、分析し、
建設的対抗策を練る為の時間を作り出せず、ため息や厭世気分を
吐露するレベルで留まっている。

医療崩壊に対抗、あるいは医療崩壊を昇華させようとする建設的
努力の担い手は、小松氏などのマルチタスクのスーパードクター
でなければ務まらない。その意味では、私を含めて臨床経験を
持ちながらも、臨床現場にどっぷりとまでは浸かっていない、
基礎医学従事者、社会人大学院生、老健施設勤務医などに、
医療崩壊現場の医療労働者の悲鳴を代弁し、対抗策を練る時間が
許されている。

医療従事者の専門は、臨床課題であって、医療問題ではない。
ここのフォーラムが(新小児科医のつぶやき)氏が、指摘するような
入り口論議での堂々巡りに留まっているように見える一つの要因
として上述したような、医療者側の多忙と厭世気分があるように
判断出来る。

ここのブログを含めて、医療崩壊を論議するフォーラムやメーリング
リスト、掲示板、各地の医師集団などは、数年前に比べ、活動が活発
になってはいるものの、それでもブレークスルーに欠ける状況である。
(小松氏や李氏、その他のスーパードクターの活躍は注目に値するが)

医療従事者の悲鳴やその代弁を超えるブレークスルーを期待するとき
やはり、専従者の必要性を感じるのである。
さざ波はいまや大きなうねりとなっている。そのうねりが希望に満ち
たものとなるか、悲観のそれとなるかは不明である。
我々が、旗を掲げ勇気を与えてくれるリーダーの登場を期待するのは、
これもまた現実逃避なのだろうか?

竹薮みさえ氏のブログで連載中の「ばあばさまからの投稿」
最新号は今のところ「6」です。

ばあばさまからの投稿6新人修行
http://takeyabumisae.blog66.fc2.com/blog-entry-73.html

新人を教える指導医がいなくなってきている、というお話です。

>僻地外科医さんへ

「すべての誤診はミスである」との言葉に込められた先生の思いが段々分かってきた気がします。確かに、見落とし事例から学ぶには、「すべての誤診はミスである」との観点に立って、問題を意識の俎上に挙げるのは有効だと思います。ある事例に対して、関係者の危機感を喚起させ、無意識のうちにスルーさせないようにするには効果がありそうというのは同意します。
ただ、要注意はマスコミでしょうね。「ミス」という言葉に、それ とばかりに飛びついて、まともな論調になる可能性は低いでしょう。それが一層医療関係者のやる気を削ぐという、という事態は避けたいものです。

>座位臥位立位 先生

僕は多少今まで刑事で活動実績があって
専従になろうかなとおもったこともあるんですけど
なったらいきなり生活が成り立たないんですよね
突撃隊にはなれるんですけどリーダーになるのは
いままでの支援の会実績からいって無理なのかなと
自省しておる次第です

>いのげ 殿
スレ違いかもですが、まあ聞いてください。

勤務医連絡協議会、あるいは医師労働組合の設立の必要性は、
過去に幾度も強調され、提唱されては消えていった経過があ
ります。

医師自身が、もはや国民から敬愛される職業などではなく、
ただ消費される職業であることを知り、医療労働者として
自覚しだした現在、機は熟していると考えます。

我々勤務医に足りないものは、技術以外の全てであって、
団結力、経営能力、目標達成スキル、組織構成能力、交渉能力、
環境調整能力、などなど挙げるときりがありません。

リーダーに望まれる条件として、
過酷な医療労働経験  (現場医師への強いシンパシー)
組織起業経験      (経営能力や決断力、環境調整力)
異業種への理解力と交渉能力
(患者、行政、法曹団体と対面する際に発揮される総合能力)
医事紛争支援の経験  (各種専門家の知恵を引き出せる能力)

などのような、様々な経験、資質、能力があげられますが、
最重要な要素は、粘り強く団結を引き出す事の出来る
魅力的な個性ではないかと思います。

リーダーに足りないものは、皆で持ち出して分業出来れば
理想ですよね。

月3000円拠出する価値のある魅力的な勤務医ポータル
を構築し、会員500人を結集できれば、専従で生活出来ます。
(その前に、月1万円出せる設立有志を50人集めるのが先ですけど)

モトケンさん、スレから飛躍してゴメンナサイ

>いのげ 殿、座位臥位立位 殿、その他blog読者の皆様

現場を離れて活動続ける間に、現場勤務医の立場がだんだん薄れて忘れ去られ
ないような努力、その他カリスマやetc.etc.……。スーパーDrのように無い物
ねだりのような気もしないでもないですが、いると嬉しいですね。

しかし割り箸事件の頃に比べ、怒りは荒れどその行動が逃散に向けられてきた
現在、当時以上に同志を集めるのは難しい気がします。例のごとくの2chでは
このような意見が書き込まれる程の闘争心喪失です。いや、逆に恨みという闘
争心に火がついたと言うべきでしょうか。

---(以下引用)---
【僻地】僻地医療の自爆燃料を語る33【≠田舎】 (dat落ち)
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1158846603/713

>>692 >>694
交渉団体を相手のためにわざわざ作ってあげる必要あるかな?

今、逃散戦術が少しずつ効果を出しているが、
その恐ろしさは分かる人には分かりだした程度にとどまる。
しかしまだ、"交渉相手がいない"という恐ろしさをまだ分からせていない。
それでは「まぁこの程度の条件なら相手は妥協するだろう」としか考えないだろう。

俺はこの"交渉相手がいない"という恐ろしさを味あわせてやりたい。
この時、真に待遇が改善されると思う。
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20060524

>俺はこの"交渉相手がいない"という恐ろしさを味あわせてやりたい。
なるほどー と頷いてしまうほど、すばらしいアイデアだ(笑)。
でもやばいな・・逃散戦術って乗り遅れると、今以上の地獄になりそうな orz

完全崩壊したら不可逆もしくは高コストになるのがみえみえです

>逃散戦術

いやあ、みんな考えることは一緒だ。皆さん、乗り遅れないでくださいね〜(笑)。

こういう書き込みを見ると隔世の感がありますね。
以前は、医療従事者は患者を良くしたいとの一心で、夜中であろうと
休日であろうと病院に駆けつけて、場合によっては一晩中付き合って
治療していたのに。そこには純粋な気持ちが一番強かった。

翻って今は、それは夜中でも休日でも駆けつけるけど、
そこにあるのはただ、「訴訟を回避したい」の一心だけ。
そこには治ったときの喜びなんかあまりない。
そして、理不尽な患者からのクレームがあったら、張り詰めていた
緊張の糸はぷつっと切れてしまい高度医療から離れてしまう。

そうこうしているうちに産科医はいなくなり、救急医療も担い手が少なくなり、
今内科医でさえ居なくなろうとしている。なんか寂しい世の中になりましたね。

>そうこうしているうちに産科医はいなくなり、救急医療も担い手が少なくなり、
今内科医でさえ居なくなろうとしている。

ということは、今、皮膚科医や眼科医などが増えているのでしょうか?

医療にこれ以上コストはかけられない、人手も増やしたくない、質はもっと高くしろ。企業努力で何とかしろと言われればそれまでですが一方で金儲けはけしからん、使命感はどうしたとの声もあり、効率を上げようと集約化、合理化を図ろうとすると今度は見捨てるのかと言われる。結局医療はサービス業なのか公共福祉の一環であるのかもはっきりしないまま現場はあっぷあっぷしているのが現状ではないでしょうか。

ところがよく考えてみますとこの状況にも抜け道がありそうだと思えてきます。一番手っ取り早いのは患者側の医療に対する要求水準自体を引き下げていただくこと。松阪牛丼をワンコインでというのは無理かも知れませんが、吉○家レベルでよろしいということであればおつりを出すことも可能でしょう。
(好意的にみれば)国は医療の患者負担を段階的に増大させていくことでこの方向に誘導しようとしているように見えますが、実は逃散、医療崩壊というのも即効性と実効性を兼ね備えた強力な方法論です。何より自然に任せておけば済むという点で、医者にとって何ら特別な努力をようしないのがよろしい。
どんな医療であれないよりはマシ、どんな医者であれいないよりはマシ。一度そう思わせればしめたものです。「代わりは幾らでもいる」わけではないことを理解したとたん手掌を返したように待遇が変わったという例を、特に僻地や公立病院においては昨今しばしば経験するところではないでしょうか。

医者は基本的に職人気質を持っており同じやるならより良い医療をと考えている人が多いのは事実でしょう。しかしその一方で医者も一人の労働者であり、何より同じ人間であるという視点を患者サイドにも持っていただきたいものです。健全な医療は健全な心身によって初めて為し得る業なのですから。

陶芸、染色、織物から始まり、さまざまな職人など、一芸で身を立てている人は自分の技から生まれる作品で得られる、身の丈にあった生活をしています。人気が出て多くの注文が来ても、作れないものは作れない数年先の予約を受け、毎日コツコツと自分の作品を作っていきます。それで文句を言う人はいない。味のある作品を作る陶工に、もっと安く、もっと早く作れといいますか?。宮大工と姉歯を同一視するに等しい。

作品と人の命との違いはあれど、高い技術職である点では医師も同義です。医師が人の命を助けたいという本来の気持ちを持って仕事をするならば、こなせる仕事量は多くない。大量生産の陶器でいいか、手作りの自分にあった磁器がいいか。それは求める人の考えひとつです。命の処置をモノと同一レベルで考えるならば、これと同義になります。「おまえ、都会に出て、こんなあたりまえのこともわからんようになったんか。悲しいこっちゃ。」と大滝秀次が語るような場面(?)が浮かびます。

No.175  Posted by: じじいさん

>ということは、今、皮膚科医や眼科医などが増えているのでしょうか?

ピンポーン。そうです。皮膚科、形成外科は増えているようですよ。

だけれども、何でもみんなと同じ事をすると後で大変なことになるのは世の常。
バブル期後期に株にお金を突っ込んで破産した人は何人でもいましたよね。
反対に、マスコミが数年前に「不況で株式市場も低迷して.......」
なんて言っていたときに株を買った人は倍になりました。
(私もすこしおこぼれに預かりました)。

しかも、皮膚科・形成外科なんてそんなにパイが大きくなるとは思えない。
今後大変になるのではないでしょうか。
(10年経って、生活が苦しくなったからと言って内科に転向しようとしても無理。
中途半端になってしまい、いい加減な医療しか提供できなくなる。
マスコミで祭り上げられている某医師なんかも診療内容がひどい、と
その後任になった人から聞きました)

>しま様
 足跡帳からしま様のブログに行き当たり、無過失補償制度に関する提言を読ませていただきました。向こうにコメントしようと思ったのですが、はてなユーザー限定のコメント設定となってますのでこちらで議論させていただきたいと思います。大変重要な問題ですので、このエントリーがふさわしいと思います。

 提言の内容についてほぼ同意するのですが、一点、ここだけは再考の余地があると思います。

「避けがたい出来事に対しては無過失補償制度を適用するべきですが、無過失補償制度が避け得るミスにまで適用される事には反対します。」

 これは誰がいつ避け得るミスと判断するのか、どうやって判断するのかと言う点で問題が残るのです。私見ですが、原則重大事案(死亡・重い障害)に関しては無過失補償制度を適用する方が良いと思います。そして、避け得るミスと判断するか否かについては後日の判定(第三者調査機関など)を待ち、明らかな重過失と判断される場合に医療者側が補償基金への返還をすると言う方法の方が良いと思います。
 判定を待つ場合、結局「ことが起こるたびに何年もかけて裁判をしなければ被害にあった人の救済ができないというのは貧しい社会であり、被害者にとって2 重3 重の苦痛である。」と言う状況が変わらなくなってしまうと思います。これではせっかく無過失補償制度を作る意味がありません。

 基金側に医療者も十分な意見を述べれるようなシステムにすれば、基金としては支払額の減少というインセンティブが働きます(つまり、第三者機関が医療者に厳しい判定を下しがちになる)し、それを医療者側もある程度ブロックすると言う作用が働くので運用によっては上手くバランスが取れると思います。

>マイナスの士気 殿

勤務医連絡会議や勤務医労働組合がないという我々の弱点
↓↓
★逆に考えるんだ。
★【交渉相手がいない】という恐ろしさを味あわせているんだ。
★と考えるんだ。

なるほど〜

>僻地外科医さん
そうですね。調査にも時間がかかるという事を失念しておりました。
無過失補償制度の濫用さえ防げれば、方法はなんでもよろしいと思います。

無過失補償制度に関しての私の考え方をまとめますと
・無過失補償制度を社会システムに組み込む事は必要であり、必然である
・無過失補償制度は医師のためだけでもなく、被害者のためだけでもない。
社会のためのものであり、国民のためのものである。

と言うことになりましょうか。すなわち、厚労省主導で推進するべきものではなく、
政治主導で行うべき事だと思います。社会問題化しなければならないことですね。

暇人28号様、ありがとうございます。

>ピンポーン。そうです。皮膚科、形成外科は増えているようですよ。

なるほど形成外科ですか。皮膚科はアトピーが多い(私もアトピーです)し、イメージが湧いたのですが、形成外科は素人には気付きませんでした。

>しかも、皮膚科・形成外科なんてそんなにパイが大きくなるとは思えない。
今後大変になるのではないでしょうか。

各科で崩壊が進むと医師の方々も大変になるみたいですね。
盲腸になっても皮膚科と形成外科しかないとなると患者も大変ですが。

ご参考までに。
(表がズレてたらすみません)

2006年度の各科入局者数(東京大学)
平成18年度研修予定病院 東大病院 研修協力病院
循環器内科             3   12
呼吸器内科             1    6
消化器内科             0   16
腎臓内分泌内科          1   14
糖尿病代謝内科          1    2
血液・腫瘍内科           3    1
アレルギー・リウマチ内科     0    3
感染症内科             0    1
神経内科               2    0
老年病科               0    3
心療内科               1    1
胃食道外科・乳腺内分泌外科  1    0
大腸肛門外科/血管外科     0    1
肝胆膵外科/人工臓器移植外科 0    1
脳神経外科             2    3
麻酔科・痛みセンター       3    0
皮膚科・皮膚光線レーザー科   6    7
眼科・視覚矯正科         10    0
整形外科・脊椎外科        6   11
耳鼻咽喉科・聴覚音声外科    5    4
リハビリテーション科        1     0
形成外科・美容外科        2    13
小児科                9    2
女性診療科・産科/女性外科   7    5
精神神経科             4    3
放射線科              3    4
救急部                2    2
病理部                0    0
合計                73   115   は大学院生

2chのレスからのコピペ(空白を改変)ですが、そもそもの出典は朝日新聞系だったと思われます。
(当のレスに付いていたリンクは日経BPの別の記事のもの?(確認できず))

近日、NHKで医療崩壊についての番組が、立て続けに放送されるようなので、
ご参考までにご紹介致します。

10月7日(土)教育 午後10時〜11時30分 
ETV特集「なぜ医師は立ち去るのか〜地域医療崩壊の序曲〜」

10月13日(金)総合 午後7時30分〜8時45分
「医師が足りない・崩壊する地域医療体制(仮題)」

10月14日(土)総合 午後7時30分〜10時30分
日本のこれから「医療 安心できますか?」

私は皮膚科の勤務医ですが、皮膚科においても、実は結構、医師不足なのでは?と日ごろ思っています。
開業をしたり、バイト医をする人は増えているのでしょうが、勤務医は圧倒的に不足している地域が多いのではないでしょうか?
首都圏は別かもしれませんが、地方においては、地味に病院から皮膚科や眼科が消失していたりします。産婦人科がなくなったり、小児科がなくなったりすると目立ちますが、皮膚科の常勤医が2人から1人になり、そのうち大学からの外来バイトだけになり、外来バイトも毎日から週3回になって、なんてことが地方では静かに進行しています。楽な科の代名詞のように言われる皮膚科ですが、女性の比率が多いため、結婚・出で休業・退職してしまう率が高く、実働人数はそんなに多いとはいえません。
非常勤での勤務形態の医師が増えると、入院を扱う常勤医への業務の集中がみられ(夜間・休日など)、疲れ果てた常勤医がやめてしまう、というサイクルがはじまっていると思います。皮膚科の医者はふえているだろう、といわれても、重症患者を引き受ける先は確実に小さくなっています。外来に重症の帯状疱疹がきても、送りつける先は50km以上先、になりつつあるような気がします。
産科医や救急医療だけでなく、地味に皮膚科もなくなっていますよ。
TENを送りつける先が大学だけ、になる前に、TENやDIHS、SJSを診断する人がもういなくなっちゃっていたりしています。

あっ、TEN、DIHS、SJSというのは、最重症の薬疹の病型です。
これの扱いは結構大変で、訴訟例も全国でいろいろあります。
診断がつけばいいのだけれど、診断が遅れると死亡したりします。

足らない足らない 皮膚かも眼科も今までの供給が少なすぎでしたから
田舎の眼科医同士が一日に外来を80人診た90人診た100人診たと
自慢しあってるのを小耳に挟んだことがあります.
病棟管理や救急してるとマイナー疾患を診ざるをえなくなって
難渋する事もしょっちゅうでもっと増えて欲しいと切に感じます.

私の認識が甘かったみたいですね。

ただ、今は不足していると思いますけど、しかし、今後の状況を見ると大丈夫なのかな、と思います。皮膚科の先生がいらっしゃるところでなんですけど。

私も、数年前まで基幹病院にいましたが、忙しそうにしていました。ただ、町の開業医の先生の中には閑散としているところも見受けましたがどうでしょうか。

結局、みんな基幹病院での診療を嫌がっていると言うことでしょうね。

ところで、NHKの番組についてですけど、変な洗脳番組にならなければ良いですね。NHKの場合、特定の団体に対しては捏造や隠蔽をしてまで歪曲報道をしますからね。取材のやり方や、その後の番組放送の内容など見ると信用できませんね。

>Apila先生

 たしか去年、某研究会で皮膚科の教授の講演を聴きました。
 TEN、SJS、DIHSに関しては我々一般医も診断し転送しなければ訴訟で負けているという恐ろしい話でした。

 皮膚科の医師が少ないというのは私も実感しています。都市部では開業の先生はそれなりにいらっしゃいますが、病院勤務医は少ないと思います。私の地域では40キロ以上行かなければ開業の先生も常勤の病院勤務医の先生もいません。

開業医と言うよりも、勤務医が減ってきているのか、それとも、受診者が増えて、勤務医の数が追いつかないのか、はたまた両方か・・・・

H16までは一応医師数は増えていたようでしたが。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/04/tou9.html

ネタばらししちゃうと最近はコンタクトレンズだけじゃなくて
近視手術とか美容皮膚科なんてのがあるんですわ
病気の治療費には文句言っても
美容の為には大金を投じる方々が田舎にも大勢いらっしゃるの

歯医者でも審美歯科って増えてますしね。

最近は、エステに何万も使うくせに、子どもの給食費はびた一文払わないお母さんも多いことですし。

大事なことが何か分からなくなってる人が多くなってる気がします。

>じじい様

圧倒的に勤務医が減ってきているのですよ。
皮膚科・眼科は非常に女性が多い。
ある程度の仕事ができるようになり、病院でばりばり働く卒業後7年から15年というのは、まさに結婚・出産とぶつかるので、専門医をとるまではなんとかがんばるけれど、あとは沈没しちゃうわけです。
病院には入院患者がいますから、夜は呼ばれるし、休日も回診があります。(もちろん勤務日ではない自主登院ですね)幼児がいたら、無理です。バイトで外来だけなら、夜は呼ばれないし、日曜日はお休みです。この週末は3連休だったりします。生活がかかっているわけではないし、出世を目指しているわけでもないし、幼児を抱えた女医が勤務医やめるのはやむをえないと思います。
女性が多くなった職場では、夜間や休日の仕事を正規の業務にカウントし、きちんと代休を与えるような環境でなければ、常勤を集めることは本当は困難なのだと思います。
地方にいくと、500床の病院で常勤医1人は当たり前で、1000床で1人なんて病院もあります。1000床で1人というのは、入院中の他科患者の薬疹と褥瘡だけで結構おなかいっぱいです。今週の週末も来週の週末も再来週の週末も自分が病棟回診で、インフルエンザになっても、代わりはいないなんて、やってられないわけで、かくして男の医者も病院から去っていくのです。
では、勤務医を集約化しよう、と考えても、病院の経営母体が違えば、「医局人事による強引な集約化」以外方法はないわけです。ただし、勤務医の数(7年目以降くらいの)そのものも減ってきているので、患者は集約されても医師の数は増えない、となっています。まあ、考え方によれば、産婦人科や小児科の集約化問題の一歩先をいっていたりするのかもしれません。

Apila様、ありがとうございます。

>圧倒的に勤務医が減ってきているのですよ。
皮膚科・眼科は非常に女性が多い。
ある程度の仕事ができるようになり、病院でばりばり働く卒業後7年から15年というのは、まさに結婚・出産とぶつかるので、専門医をとるまではなんとかがんばるけれど、あとは沈没しちゃうわけです

亭主元気で留守がいいとは言いますが、確かに奥さんが昼夜分かたず留守では、だんなが専業主夫でもないかぎり、家が持たないですね。子育ても無理目ですし。

最前線で働ける年齢の人たちが常勤はできないとなると、女性の多い、皮膚科、眼科はいくら医者がいても足らない状況になると言うことですか。

しかし、皮膚科、眼科も崩壊となると、医師、患者とも難民状態になってしまうような・・・・。

と言いますか、国の言うように医師総数は充足されており偏在が問題なのだとすれば、どこに過剰な人材が存在しているのか本気で不思議に思っています。

医師の遍在は当然の道理です。ハイリスクローリターンの部署から
ローリスクハイリターン(どこだろう?)へ、競争原理で人材は流れます。
平成の大合併で市町村合併をやりながら、医療だけ僻地医療を
押しつけるのも無理でしょう。

ところが、

問題は、既に諸外国の医療行政を調査済みの賢い(?)厚労省官吏なら、
僻地医療義務化や救急医療義務化、医師免許更新化などを、世論を
煽って、研修義務などの名目でねらっております。
法整備もした上で、運用可能にすることをいくつかのオプション作って
シミュレーションやってるはずでしょう。
僕が厚労省官吏なら、そうするし(笑)

また
規制緩和のおかげで、医療に株式会社や外資が参入することは
ある意味時代の流れでしょうが、資本主義の世界で、
産科や小児科、救急医療に投資するバカ経営者はいないでしょう。
そうして、医療変容が進行するわけです。

医療現場で、指導医が逃げ出し、逃げ遅れた医師達で何とかやれるのも
時間の問題です。地方の大学病院の診療なんて、危なくって見てられない
状況です。中堅の臨床医が絶滅寸前、残ってるのはアカデミズムに
夢を追ってる方達で、臨床指導なんか出来もしない。

出来れば、勤務医連絡協議会などを作って、医師の待遇改善と
医療システムの改善を模索出来る流れを作りたいもんだけど、
それには、人柱がいるのよね。
ねっ、いのげさん。

人柱というか突撃隊や現地調査係ならなんぼでもやる気はあるんですが
組織的バックアップなしの孤軍奮闘はもうたくさんです

 いのげ先生のご活躍は割箸の頃から拝見しており、加藤先生の折には小額ですが応援させていただきました。

 私個人の印象では、厚生労働省は英国型の医療崩壊を狙っているようにも思えます。自分が悪者にならずに医療費を削減できますから、目の上のタンコブである財務省にも顔が立ち、国民の怒りは主に病院医療の現場に・・・。(英国医療崩壊では、医療レベルの低下だけではなく、医療従事者の被暴力も問題になりました)

 以前よりmedtoolz先生が指摘しておられますが、もはや下手に結束して正面から戦うより、交渉相手を与えない方が良いようにも思います。もちろん、逃散しても追手はやってくることにかわりはありませんが。確信犯相手に交渉しても、相手が相手だけに玉砕するのがオチです。

 基幹病院から逃散予定の私が、こんな事をうっかり書くと、『うかつなこと書かぬ方が賢明とと思われます』とか某所から言われそうですが・・・(苦笑)

昨夜のNHKは珍しく医者叩きから脱却した内容でそれなりに意味のある番組だったように思います。番組構成上悪役っぽく見えたのは残念なのですが、赤字を垂れ流してまで自治体がやるべきことではないという行政サイドの声はそれなりに説得力があったと感じました。ならばそうした地域では自治体病院はなくせばいい、それも一つの住民の選択として尊重すべきでしょう。実際のところ赤字病院を維持するより道路網や交通機関を整備する方がより住民福祉に適う地域も多いのではと感じています。

単独スレで幾つか医療訴訟問題が扱われていますが、医療事故という点について医療者と非医療者の間に存在する最も大きな差異はミス、間違いということに対する認識ではないかと思いました。何かしら間違いを犯せば望まない結果を招く、逆に望まない結果を来したならばどこかにミスがあったのではないか、そういう考え方は確かに一般的なものなのかも知れません。しかし医療においては正しいことを行えば正しい結果が得られるという図式が必ずしも成立するわけではないことを医療者達は経験的に知っています。

人は必ず死を免れない存在であり、最終的に全ての医療者を望ましからぬ結果が待ち受けています。そうであるからこそ振り返ってより有効であったかも知れない医療、改善すべきだったかも知れない方法論が一つとして見あたらないという「完璧な医療」を行い得た経験を、少なくとも私は未だ知りません。そしてそれは訴訟となるような症例においても同様だと思います。

何が正しく何が間違っていると単純に白黒がつくような問題ではないことは医療訴訟スレの議論を見ていても判ると思います。何より医療者自身が自らの医療と過誤との間に明確な境界線を引き得ないからこそ、どのような医療を行えば訴えられないかという答えを手にすることが出来ないでいます。爆発の瞬間まで地雷を踏んだことは判らない。しかし日常診療から繋がる未来図の一つに、手錠を掛けられている自分自身の姿が存在していることだけは判っているのです。

医療事故を無くせという要求に対する究極的な回答は医療を行わないということであり、より高度な医療をという要求はすなわちコストも含めたより多くのリスクを甘受するということに他なりません。事故の危険性無くして車の利便性を享受することが出来ないのと同様、国民はリスクと利益との間にそれぞれの妥協点を見いだすことが求められています。そして一国民としての自分はゼロリスクを追及することよりも医療を受けられる利益を優先したいと思っています。

小児科10年目先生レスありがとうございました。
以下、話は少しずれるのですが、書いてみます。

不当な医療訴訟により賠償金を払うリスクを負うよりも、同じ学識者である弁護士に
普段から顧問料なりを支払うことで、医療訴訟回避をしたいと考える医者は
多いと思う。逆に金額が高く付こうが、クレーマー患者に金を毟り取られるのは
我慢ならないのである。一昔の総会屋対策でも同様の進展があったと記憶している。
社会経済的に見て、弁護士とはそういう役割をも持っていると思う。
(勿論、全ての医療訴訟が不当であるなどと思っているわけではない。(強調))

今の司法制度では、不当逮捕、不当起訴をされた当人の人生上の打撃が大きすぎ
この不当性をフィードバックする制度が欠落している。不当起訴を繰り返す検察個人
が内部処理(非公開?)されるだけで済むのならば、始めから検察個人への裁量権は
限定されてしかるべきである。医療訴訟をめぐる事態は、酷いもので検察レベルだけ
でなく、我々の言葉で言うと、リピーター裁判官までいる始末である。

法曹関係者が、司法制度を自らの檻として支配的なものとして自浄作用を不可と
判断しているのなら、我々は彼らに『それでも地球は廻っている』と主張するだけでは
事態は改善しない。
期待すべき事は、医師が強力な同業組合を組織し、立法府に働きかけるか、
弁護士になけなしの金を払って同情を買う努力をすることではないのか。

頼れない同業組合しかない現状では、弁護士を友軍にしなくて、いったい誰を友軍
にするのか?各地域での弁護士顧問料を100倍程度値上げしてもいいのではないか。
それが嫌な医師は、強力な労働組合を作り、立法府にも働きかけよう。

199老人の医者先生

ご参考までに。私は言葉を失ってしまいました。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/medical/

1 名前:管理人 投稿日:2006/10/06(金) 08:05:57 ID:

今日の新聞記事で報道されている通り、昨日昼前、筑波メディカルセンター前の遊歩道にて父親が自死を図りました。
救命処置の甲斐もなく、今朝2時19分永眠いたしました。

事件の際、消火活動に協力してくださった皆様には、伏して篤く御礼を申し上げます。
消火活動をしてくださった方、通行人の方々にお怪我がなかった事を聞き、心から安堵したと共に、世間をお騒がせすること、皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。

冨田将史拝

9 名前:管理人 投稿日:2006/10/07(土) 23:56:28 ID:

皆様の温かいご弔詞を賜り、亡き父に代わりまして篤く御礼を申し上げます。
本日滞りなく荼毘に付し、家族の待つ住まいに帰って参りました。

最期まで救命に努力してくださったICUの医師・看護師の皆様には、ご芳情のほど誠にありがたく深く感謝申し上げます。

先月5日以降、故人はまるでつき物が落ちたように穏やかになり、私に対する感謝、母親に対する愛情を口にするようになっておりました。
私はその物腰に対して、家族の絆が強くなったのだと身勝手な判断をしてしまい、故人が伝えたかった大切なシグナルを見落としてしまいました。
故人の耐えがたい苦しみ、悲しみを理解していたつもりなのに、実は何も感じ入ることができていなかった。

悔やんでも悔やみきれないことですが、心が折れてしまっていたことに気付くことができず迂闊でした。
今後も亡き父の鋼の遺志を引き継ぎ、真実の究明に向けて鋭意努力して参るつもりでございます。
皆様には、これからもご指導・ご鞭撻のほど切によろしくお願い申し上げます。

冨田将史拝

上記の富田さんですがご本人らの主張によると
ヤブ医者にかかって後遺症を被っただけでなく
民事訴訟の裁判官が被告(病院)と結託し不公正な訴訟指揮を行い
これを指摘して裁判官忌避を申し立てたところ不当にも却下された
とのことです 医療過誤だけでなく不当裁判の被害者でもあるということでしょうか

>と言いますか、国の言うように医師総数は充足されており偏在が問題
>なのだとすれば、どこに過剰な人材が存在しているのか本気で不思議
>に思っています。

老人の医者先生,
おそらく厚労省は時間外勤務を計算に入れていない(もしくは時間外は宿直業務のみ:睡眠時間6時間確保)のではないでしょうか?24時間フル稼働を考えれば全く持って足らないのではないでしょうか.ただ一方で厚労省は「厳格に労働基準法を適応すれば救急医療は成り立たない」と言っていますから全く考えていない訳ではないんでしょうが...

いずれにしてもとても不思議な計算をしているんでしょうね.

この事件は自殺ですので痛ましいことで、遺族には同情致します。
ですが、その事と手術合併症をどうみるかとは、医者側からすると別問題です。カルテには99%安全と説明したと書いてありますが、合併症の危険も説明しているようです。また、結腸の再発癌で、切除部の肛門側も経観要する異型上皮で占められていた病理報告から考えると、合併症の有無にかかわらず人工肛門が不可避だった可能性もあります。直腸側の穿孔による腹膜炎が事態を悪化させたわけですが、この穿孔に主治医団の責任がどの程度合ったか真相は不明です。
専門でないので不明ですが、術式の選択に問題はなかったか、穿孔した該当部分の病理変化に問題があったのか外科の先生方おわかりになりますか?(つまり、病態として穿孔しやすかったのか、医者の手術手技のレベルが相対的に低かったのか?)

しかし、術後合併症に対する医師団の責任を問われていたならば、逆に医師の方が、自殺していたのではないでしょうか。
いずれにしろ、裁判結果が不当であるか否かに拘わらず、患者の自殺という不幸な結果は、医療不信を更に加速し、一方でハイリスク手術からの医者の逃亡も加速するでしょう。

座位臥位立位さん
>カルテには99%安全と説明したと書いてありますが、
>合併症の危険も説明しているようです。

この場合、「合併症の危険もあるだろうけど、99%安全なんだな」と思われるかと。
ところで、この99%安全というのは、何を根拠にしているのか気になります。

下の医療訴訟について、請求額も強烈ですが、何故、松江の事件を東京地裁に提訴するのかさっぱり分かりません。弁護士の方にお聞きしたいのですが、こんなの有りなんでしょうか?

被告への嫌がらせなのかは分かりませんが、被告にとっては東京で訴訟を戦うだけでも大変でしょう。

単に医療訴訟集中部なら大阪にもあるのに、わざわざ遥かかなたの東京へ行く理由が全く不明。もしかして、藤山奉行狙いなのかな?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061007-00000197-mailo-l32

なんでも聞くところによると「当たり」の裁判官が担当になるまで訴え出ては取り下げというのを繰り返すというようなこともするらしいですね。
報道などでしばしば「ただ本当のことを知りたいだけ」などという原告コメントを聞くところですが、医療訴訟の実態はそれとは程遠いところにあり、またそうした目的達成にふさわしい手段でもないのだなという印象を受けています。

ところで合併症と患者説明の件ですが、我々が学生の頃は患者の不安を解消し最善の治療を受けさせる心構えを整えさせるのが良い説明だと教わっていました。例として根治手術の可能な癌患者の手術への不安を解消し安心して手術を受けられるようにといった類のものです。
ところが昨今ではこうした風潮ですから「99%安全です」式の説明は不可とされています。例えばとある手技では重大合併症の頻度は0.5%以下とされていますが、この場合も「小さなものも含めれば統計的には過半数の患者さんに何らかの合併症が発生しています」と説明します。実際のところ「じゃあ、やめます」という患者さんも多いです。
「手術が怖い」と根治術を拒否し癌で命を落とす患者というのは実は意外に多いのです。医者も人の子ですから助かるという手応えのある患者さんにはなるべく良い治療を行いたいし、これはいけると感じた症例はだいたいうまくいくものです。しかし決して100%ではない。であるからこそ、絶対の安全を求められれば「それは保障できません」と答えるしかないのです。

合併症においてゼロリスクを求めるあまりに疾患のリスクを放置する、全く本末転倒な話だと思います。しかし有害だと言われながら煙草に手を伸ばしてしまうような二面性が人間にはある。現在の医療環境では医者が患者に「正しい道」を強いることは決して出来ませんし、100%の結果を保証することも不可能です。そこに医者の保身があると言われればそれまでですが、訴訟対策などという以前に少なくとも嘘はつきたくありませんから。

医療の現実と限界を理解した上で患者がより賢明な選択をする。そして何より医者がただ患者を治すために全力を尽くすことだけに専念できる。理想の医療とは案外そんなものなのかも知れません。残念ながら理想と現実が程遠い場所に存在するのがこの世界の常なのですが。


じじいさま(2006年10月09日 04:08)

>下の医療訴訟について、請求額も強烈ですが、何故、松江の事件を東京地裁に提訴するのかさっぱり分かりません。

管轄は、民訴法4条以降に規定されていますが、「訴状を出した」だけの段階ですと、何を根拠にしたのか不明です。
(報道でもそこまで触れていないようですし)

玉造厚生年金病院のホームページによれば、「当院は、社会保険庁が設置し、財団法人厚生年金事業振興団が委託を受けて運営している病院です。」とのことなので、厚生年金事業振興団(事務所所在地:東京都新宿区)も一緒に被告としたのかなと推測されますが、あくまで推測です。

もしそうでなければ、法律上の根拠はちょっと見当たりません。

> じじい さん (2006年10月09日 04:08の書き込みについて)

 詳細は不明ですが、東京地裁に管轄がない場合は訴訟自体却下されます。何らかの理由で東京にも松江にも管轄があると認められた場合、被告側が(東京でなく)松江で裁判をしてほしいということであれば、移送の申し立てをすることができます。

 自分の勝手な想像だと、弁護士のいずれか又は両方が東京在住で、事前協議等により東京地裁で訴訟をすることに合意していたのかなと。特に医療過誤訴訟では、病院側の弁護士が東京での審理を希望することが多いように思います(本件がどうかは知りません)。

 なお、今はテレビ会議システムが各地の裁判所にあり、証人尋問や弁論準備等に利用されています。本件を仮に東京地裁で審理することになっても、松江の医師が東京地裁まで出廷することは(希望しない限り)ないと思います。

 被告への嫌がらせだったら、釧路地裁根室支部、旭川地裁稚内支部、那覇地裁石垣支部などへ提訴した方が、移動は大変だと思いますね。

藤山さんだからと言って原告側に甘くなるとは思えないのですが。

FFFさん
>今はテレビ会議システムが各地の裁判所にあり、
>証人尋問や弁論準備等に利用されています

そんな時代なんですね。

補足

前のコメントの最後の2行は冗談なので、真に受けないでください。そんな「嫌がらせ」は通用しないし、そんなことをする弁護士もいません。

大丈夫だと思うんだけど、「北の内科医」さんやそれに近いスタンスの方から、「法律屋はこうやって嫌がらせをするんですね。どうしようもなく陰湿で程度の低い連中ですね」みたいなレスが付きかねないので・・・・念のため。

>FFFさん
個人的に、北の内科医さんはただ煽りに来ているだけじゃないのかなと
思わない事もないです。

あまり極端な意見は無視した方がよろしいでしょうね。

皆様ありがとうございます。
多分、設置者である国か財団を被告に含めて東京に持っていったんでしょうね。

基本的に何の関係もなしに東京でやれば、管轄外で事案移送で戻ってくるはずなのに、弁護士がついていてそういうことをやる限りは「医療訴訟だけ管轄外でも良くなったの?」と疑問に思った次第です。

財団の弁護士(国が入れば検事さんが入るので頼まないでしょうが)や国側も東京の方が都合がいいでしょうし、被告側もOKしたのでしょう。
ただ、病院側の人は、訴訟の打ち合わせとかでいちいち東京に行くのは大変だろうなあと他人事ながら同情してしまいました。

FFF様
>藤山さんだからと言って原告側に甘くなるとは思えないのですが。

藤山奉行については、民事3部時代の印象で言っているだけで、別に医療に移ってからの判決全部は把握していませんので、現在も原告に甘いかどうかは分かりません。

>多分、設置者である国か財団を被告に含めて東京に持っていったんでしょうね。
PL法に関与する裁判でも、弁護士・(たまーに技術士)の選択肢が多いことを期待して東京に持っていく事例が多いです。契約書に東京にて第1審を行うという文面をみた(それが大阪の会社だったりする)ことがあります

> 座位臥位立位 | 2006年10月05日 21:41 さま
>医師自身が、もはや国民から敬愛される職業などではなく、ただ消費される職業であることを知り、医療労働者として自覚しだした現在、機は熟していると考えます。

薬剤師のほうは明らかに戦意喪失という気分が蔓延しているみたいですね。技術者もそれはこの10年ぐらいで明らかにそうなりました。その理由のモチベーションについては私見を工業倫理との差異を通してまとめております。
よかったら。
http://dehabo1000.cocolog-nifty.com/holder/2006/10/pdcapds_a12e.html

>老人の医者さま
>なんでも聞くところによると「当たり」の裁判官が担当になるまで訴え出ては取り下げというのを繰り返すというようなこともするらしいですね。

都内には医療訴訟を専門にした法律事務所もあり、それぞれの裁判官の過去の事例などもある程度掌握されていると思いますから、もしこういうことが本当に可能であれば、鑑定医や協力医どころの不公平さではないように思いますが。。。

ちなみに知人から聞いたところでは、某法律事務所(医療関係かどうかは分かりませんが)では手付金以外に、弁護士への成功報酬として、賠償額の16%と聞いたのですが、この場合3億4千万円ですから、5400万円になるのですが。。。本当でしょうか?(弁護士にとってははした金?)

人類初の弁護士はおそらく狩猟民族出身だったんだろうなぁ。
No.215のuchitamaさんのコメントを読んでいてふと思いました。

> 某法律事務所(医療関係かどうかは分かりませんが)では手付金以外に、弁護士への成功報酬として、賠償額の16%(No.215 uchitama様)

報酬体系の組み方にもよります。
弁護士会では現在は報酬「額」の規程を撤廃し(独禁法違反と言われた)、報酬の決め方は各弁護士の自由に任されています。
しかしやはり標準的なところはあるわけで、一般事件では、依頼者がその事件から受ける利益額に対して、着手金8〜10%、成功報酬10%(金額が大きくなると逓減)くらいが普通と思います。
着手金と成功報酬により1件いくらと決める以外に、事務処理に要した時間給で請求するチャージ制というやり方もあります。

着手金と成功報酬の割合については、交通事故や医療過誤の原告については、気の毒だから、着手金は少なく成功報酬を多くという配分にすることもあります。
だから、某事務所が、ほんのしるし程度の着手金で始めるシステムならトータルの報酬額は普通と言えますが、着手金はしっかり8〜10%取った上に成功報酬16%だというなら、高い部類になります。

でも、依頼者が弁護士の腕を見込んで、報酬は高額であれ是非ともそのセンセイにお願いしたいとおっしゃるなら、そういう委任契約をするのも当事者の自由です。
従って、本当に勝訴して3億4千万円取れたなら、報酬5400万円というのもアリ。

参考:日弁連ホームページの弁護士報酬の説明
http://www.nichibenren.or.jp/ja/attorneys_fee/

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> 人類初の弁護士はおそらく狩猟民族出身だったんだろうなぁ(No.216 元田舎医さま)

まあ、そういうことですね。
東洋にも古来、律令の法があり、公事代言人もおりましたが、
日本は明治以降は東洋の伝統を捨てて、新たに欧米諸国に倣って近代法制と弁護士制度を構築しました。西洋の法を遡ればローマ法やゲルマン法に行き着きます。
つまり、法律は肉食人種の文化の所産なのですよ。

日本人の日常生活にリーガルマインドが根付かない原因は、文化的背景の異なるものを無理に移植した結果ではないかと疑っています。

以前も1回指摘しましたが、ヘルシンキ宣言などでも知られる世界医師会は、医療訴訟における成功報酬制度そのものに反対しています。これはもう15年前から反対している。

その他の部分を含め、医療過誤訴訟に関する世界的な医療者側の意見を知るには参考になります。

【原文:1992年採択。2005年改定】
http://www.wma.net/e/policy/m2.htm
http://www.wma.net/e/policy/l5.htm

【92年宣言の日本語訳】
http://www02.so-net.ne.jp/~kenriho/topics/WMAmalpra.html

>立木さん
医療と法曹・患者の対立というのは今に始まった事でもないし、
日本に限った事でもないんですね

【原文:2005年改定】
8. National Medical Associations should consider some or all of the following activities in an effort to provide fair and equitable treatment for both physicians and patients:
 j. Develop active opposition to meritless or frivolous claims and to contingency billing by lawyers.

【92年宣言の日本語訳】
4. 各国の医師会は、医師と患者の双方に公正かつ衡平な処置を提供するため以下のような活動を検討する。
 10.言いがかりや弁護士からの成功報酬の請求に対して積極的に反対すること

------
> 医療訴訟における成功報酬制度そのものに反対しています(No.218 立木 志摩夫さま)

ヘルシンキ宣言は本当にそのような趣旨なのでしょうか?
私の拙い英語力ではよく分からないのですが・・・
全ての医療過誤訴訟について成功報酬を否定するのではなく、「法律的に成り立たないような言いがかり的な訴訟を起こさせて、それにより報酬を得ようとする行為」を否定するという意味ではないのでしょうか?
訴訟という手段によって自己の法的権利の実現を図ることは国民の権利であり、濫訴の弊害を防止すれば十分なのではないでしょうか?

というのも、もし仮に、弁護士の成功報酬制度を全面的に否定するならば、1件いくらと手数料を決めて事件を引き受けることとなりますが、
No.217に書きましたように、医療過誤訴訟において着手金割合を少なくするという受任の仕方があるくらいで、
着手時に手数料を全額払えというのでは、資力の少ない患者は訴訟を起こすことができなくなってしまいます。
後払い契約をすればよいというご意見があるかもしれませんが、患者が敗訴した場合には資力は増えないので、結局は履行不能のおそれもあります。それは成功報酬の約束と、実質的に同義でありましょう。

弁護士の成功報酬を全面的に否定することは、確かに訴訟抑制効果がありますが、
それは「医師と患者の双方に公正かつ衡平な処置」には当たらないと考えます。

------
ご紹介のヘルシンキ宣言は、全般的には、医療過誤の問題点を鋭く突いており、りっぱな宣言であると思います。
つまり、今日の日本の惨状は既に15年前から予想されていたとも言えるわけですが、
これに対する医師会側の対策の提言が、なかなか実行に移されなかったのはなぜか?
今からでも取りかかるべきではないか?

それを医者対患者・法曹の対立と捉えるのは間違っていると思いますがね。

でも昔からあることであって、しかも色々な国(特にアメリカ)で起きていることは確か。
だから、今の日本で起きている医慮訴訟とそれに対する医者の反応や、マスコミ報道に対する医者の反応なんかを全て日本固有の事象のみで説明しようとするのは(例:「日本の医者は質が低い」)大間違いですな。

本質的には、医療と言うものに対する過大な期待と大いなる誤解が世界的に共有されているんだと思いますです

>立木さん

その見方に加えて、
・医療に対する患者の反応
・医療に対するマスコミの反応
・医療に対する司法の反応
・医療に対する行政の反応
・医療に対する政治の反応

も日本固有の事象としては扱えないという訳ですね

結局、医療に対する認識が医療従事者と非医療従事者で
大きくずれている事が根底にあるんでしょうか

>220 YUNYUNさん
すみません。書き方が悪かったです。それはヘルシンキ宣言でなくって別の宣言です。ヘルシンキ宣言は臨床試験における倫理を唄ったもので、世界医師会は怪しい団体ではないですよということを言うために引きました。

で、問題の部分の読み方なんですが、確かにそうも読めます。また被害者救済の意味で大事だという意見もわかります。
しかし大きなデメリットとして次のようなストラテジーを採る弁護士が一定数いて医師に無視できない影響を与えているという現実があり、実際医師には脅威となっているようです。

完全成功報酬性をうたって客を集めべらぼうに高い金額の訴訟をおこす。
患者にはリスクなしで大金が入る可能性ある。弁護士は賠償金を吊り上げるほど儲けが多く、また勝つ可能性が低い訴訟でもペイするようになるので目いっぱい要求。

これらが医者の共通認識になっていることを、考えると、(完全)成功報酬性そのものに反対してるんじゃないかなぁ


ところでその完全成功報酬性と、訴訟の場所の選択、陪審員制の3つが合体したのであろうも想像されるステキな訴訟が「訴えてやる!大賞」ハヤカワ文庫214ページに載っています

シサプリドという薬の副作用死がアメリカで問題になった。ミシシッピのある女性がそのこと知って自分もそういえばその薬貰ってたなと主治医他を訴えた。(最近流行の集団訴訟の広告を見て参加を決めたのかも)
「別に副作用は出なかったけど、うまくいけば3000ドルくらいは貰えるんじゃないかなと思ってね」
主治医を訴えたのは訴訟をミシシッピで行うため。この州の陪審員は特に医療過誤原告に甘いことで知られているから。
その結果、度重なる訴訟に耐えかねて訴えられた医者は町から出て行った。訴訟を起こした婦人は語る。
「確かに訴訟は多いけど、先生には出て行ってもらいたくなかったわ。お医者さんがいなくなったらここに住んでいる人はどうすればいいの??」

流れを読まずにコメント

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75 名前: 卵の名無しさん Mail: 投稿日: 2006/10/10(火) 12:20:22 ID: lFZ1PZJO0
42歳男性。風邪の診察で、「胸の音を聴きますから、服を上げて下さい」
と言ったら、突然、「お前んとこは、患者に服を上げさせるのか? 
サービス業だろうが。お前が上げんかい」と怒鳴りだしてしまった。
子供に、診察の時にちゃん付けしたら母親から「様って呼びなさい」
と言われたり、風邪の診察で33歳女性に服を上げてと言ったら、
セクハラだと警察まで呼ばれる騒ぎになるし、最近、なんか、変。
============================
DQN患者の症例報告 Case21
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1159977418/

アメリカの場合、「患者側の医師に対する期待が高すぎて、それを裏切られたから訴える」というものではなく、「訴えることができそうだから訴えてみる」という感覚のように思います。職業を聞くと「ロイヤー」と答える人が多いのですが、日本に比べると、ずいぶん弁護士の数が多いのでは?弁護士が救急室に待ち構えて商売をしてる。

あちらの雑誌に医師の経験談が書いてあったのですが、
その医師が医学生だったとき、バスに乗ってきたお婆さんが誰かに押されて倒れたのを助けた。喜んでくれて話をしているうちに、自分が医学生であることを話し、何かあったら連絡して、とカードを渡した。
数日して、そのお婆さんの代理という人が電話してきた。お礼でも言ってくれるのかと思ったら、「訴える」と。
お婆さんは倒れた時に肩を骨折したらしい。
初めは、その医学生が押したのだと言って訴えたのだけど、それがどうも違うと分かると、今度は、医学生のくせに肩を骨折したことを診断できなかった として訴えたと。

最終的に医学生側が勝ったけど、その裁判に半年ぐらいかかり、お金も使い、精神的にもぐたぐたになった。

日本では、この感覚で裁判を起こす人はほとんどいない と信じてますが・・・

>立木さん

フィラデルフィアはミシシッピ州の中にある一つの町です。
そのフィラデルフィアの1年間の医療訴訟の数は、カリフォルニア州全体の10年間の医療訴訟の数より多いそうです。

>後出しジャンケン様

 フィラデルフィアはペンシルバニア州です

と、思ったらミシシッピ州にもフィラデルフィアがあるんですね。失礼しました。

 でも、人口7300人ですよ・・・(^ ^;

 さらにいろいろ調べてみましたが、カリフォルニア州の年間医療訴訟件数は120件程度で全米で最も少ないようです。これは賠償金額に上限が設けられていることに加え、訴訟に至らない和解が非常に多いことによるようです。医療過誤報告数は1500件程度らしいです。

 にしても、7300人の町で年間1200件の訴訟ですか?(苦笑)。そりゃ、医者も出ていきますね。

>僻地外科医さん

どっちのフィラデルフィアか分かりません。前にミシシッピ州の話があったのできっとミシシッピ州のフィラデルフィアだと。

ちょうど、自分の入ってるメーリングリストにこういう文章があったので。ピッツバーグからの投書です。

I read somewhere that there were more malpractice lawsuits in Philadelphia in one year than in the whole of California in ten.

なぜここでカリフォルニアが出てくるのかと思ったら、そういうことですか。
ありがとうございました。

それほど特殊とは思えませんが、とりあえず、このような方もいらっしゃると言うことで、また。
==========================
79 名前: 卵の名無しさん Mail: age 投稿日: 2006/10/10(火) 15:24:07 ID: 4Yq4O2R30
今日のDQNは外来での男性患者。鼻水と下痢が主症状。なのに、本人希望でなぜか循環器。
とりあえず、診察して、血圧を測ると、「さっき測った値と違う」と怒り出す。
一応、血圧は絶えず変動していると説明したが、納得いかない様子。
その後も「薬のアレルギーはありますか?」と聞いたら、
「お前はもぐりの医者か!医者なら患者の体の状態はわかるだろう!お前が解らない事が
 素人のわしに解るか」と怒り出した。

「アレルギーの事はご本人が一番良く解っておられるはずですが?」と、聞いたら
いすを蹴って出て行った。金も未払いらしい。
最近何かDQNが増加している気がする・・。

83 名前: 卵の名無しさん Mail: 投稿日: 2006/10/10(火) 18:20:20 ID: uPziegFU0
>>79
ををっ、ご同輩。
今日のとどめのDQNは、午前9時20分頃に診察した風邪の患者。
先ほどまたやってきて、「ぜんぜん良くならないじゃないか」とおっしゃる。
で、よくよく訊いてみたら、家に帰って眠くなったから寝た。薬は一回も
飲んでいない。ソファーで窓を開け放してうたた寝していたら、さっき
寒気がした、とのこと。
「診察に来て良くなっていないんだから、午前中の診察代返せ」と、今まで
叫ぶ、わめく、カウンターを叩く、室内樹を揺さぶる……。
お前はキングコングか、と言いたくなっちまった。
==========================
DQN患者の症例報告 Case21
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1159977418/

No.223 立木志摩夫さま
> それはヘルシンキ宣言でなくって別の宣言です
失礼、原文に当たらず勘違いしておりました。

No.222 しま様
> 医療に対する認識が医療従事者と非医療従事者で大きくずれている
まさに、それが根本的な原因だと思います。

そのギャップを埋めるために、マスコミ対策と国民への啓蒙が急務ですが、これからどれほどの労力と時間を要するのだろう? このブログですら、200コメント×4エントリを費やして議論しているというのに。
医療が崩壊するまでに間に合うかどうか、絶望的な気分です。
宣言が出されて15年、犬に喰わせてしまった年月が悔やまれます。

------
以下余談。

> これらが医者の共通認識になっていることを、考えると、(完全)成功報酬性そのものに反対してるんじゃないかなぁ(No.223 立木志摩夫さま)

宣言は、訴訟社会と言われるアメリカの状況を念頭に置いたものであるとすれば、その考えは理解できます。
アメリカ人の(国民も弁護士も)訴訟に対する態度のえげつなさ伝説は数々ありますね。

日本の医師会はこの宣言をそっくりそのまま実行に移したわけではありませんが、
今後に何らかの行動に出られようという場合は、日本の司法制度の現状を踏まえて対応されるよう、お願いしたいと思います。

気休めかもしれませんが、日本の法曹界の一般的理解としては、日本では国民性も法制度も異なるため、アメリカのような訴訟頻発社会には至らないのではないかと言われています。

日本では、国民の感情的にも、印紙代や弁護士着手金等の実際的な費用負担の面でも、訴訟は紛争解決手段としては敷居が高いものであって、気楽に「訴えることができそうだから訴えてみる」という状況ではありません。
また、アメリカの弁護士は完全成功報酬システムが普通で、弁護士数が多すぎて過当競争であるため無理筋の事件でも引き受けると言われていますが、
日本では着手金と成功報酬の二段階システムが普通で、今のところ人数が限られているため、救急車の後を追いかけて(ambulance chacer)まで仕事を取る人はいません。法律的に全く成り立たない濫訴の事件を受任することは、弁護士倫理に反することと考えられています。
日本の民事訴訟法には、懲罰的賠償や純粋な意味での集団訴訟(クラス・アクション)の制度がないので、無闇に大金を請求することは法的に不可能である上、
日本の裁判官はキャリアシステムと転勤のためにアメリカに比べてずっと均質であるため、法廷漁りをして陪審員を上手く騙せば「一山当てられる」ようなことはありえず、
結局のところ、無理筋の事件を頑張っても労多くして益少なしなので、やりません。

まあ、最近では法曹養成制度を変えて、ロースクールで弁護士を大量に生み出しているので、日本でも食い詰めた弁護士が出てきたら何をするやらわからん、と危惧されてはいます。
ちなみに、この司法改革は必ずしも法曹自身が望んだものではありませんが、法律として国会で制定された以上、タテマエ的には、お医者様を含めた国民の大多数が望んだものということになっております。

独立行政法人国立病院機構災害医療センター(東京都立川市)からのアナウンスです。
==========================
お 知 ら せ

 先にお知らせをさせていただいておりますが、平成18年10月1日より産婦人科医が不在となるため、当分の間休診とさせていただくこととなりました。
 皆様にはご不便、ご迷惑をお掛けすることとなりますが、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
==========================
http://www.hosp.go.jp/~tdmc/sin_sanhu.htm

>後出しジャンケン先生

 その書き方でしたらおそらくですけどペンシルバニアの方のフィラデルフィアではないかと・・・。多分ですけど、ミシシッピの方のフィラデルフィアならばPhiladelphia,MSと書くんじゃないかな??ペンシルバニアのフィラデルフィアならば人口150万ですから、年間訴訟件数1200件はまだしも納得がいきます(にしても、すごいと思うけど・・・)。

>No.213 じじいさん

>藤山奉行については、民事3部時代の印象で言っているだけで、別に医療に移ってからの判決全部は把握していませんので、現在も原告に甘いかどうかは分かりません。

おそらく、現在も原告に甘いと思います。
4-9月の藤山氏の判決報道をまとめました。この5ヶ月で5件あります。原告敗訴報道はありませんので、率はわかりませんが、これだけ、原告勝訴が多く報じられている裁判官はいないと思います。いくつかは、裁判所のHPで検索可能です。(長くてすいません)

がん発見できず賠償命令 東京・府中の健康診断訴訟  (共同通信) - 4月26日21時8分更新
東京都府中市の市民医療センター(現保健センター)で健康診断を受けた女性(54)が「エックス線写真でがんの陰影を見落とされ、治療が遅れた」と府中市に約2600万円 の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は26日、市に450万円の支払いを命じた。市側が過失を認めていたため、裁判では損害額が争点となった。 藤山雅行裁判長は手術が約1年遅れ、女性の術後5年の生存率が30%低下したと認定。「見落としで、がんによる死の不安、恐怖が高まった」として、慰謝料と弁護士費用相当 分の支払い義務を認めた。 判決によると、女性は2002年に健康診断を受け、エックス線写真では肺に影が写っていたが、医師は「異常なし」と説明。翌年、別の病院で肺がんと診断され、手術を受けた 。

乳がん誤診で乳房切除 病院側に賠償命令  06/06/26 記事:共同通信社
静岡県の三島社会保険病院で乳がんと誤診され、手術で乳房を切除されたとして、50代の女性と夫が病院を運営する全国社会保険協会連合会(東京都港区)と検査した医師に約 2750万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁(藤山雅行(ふじやま・まさゆき)裁判長)は23日、検査ミスを認め約1600万円の支払いを命じた。 藤山裁判長は「医師は採取した細胞の検査で、がんと判断したが、さらに別の検査をするべきだったのに怠った。その結果手術が実施され、女性は乳房を失い、後遺症も出た」と 判断。女性の治療費や乳房の再建費用、慰謝料などを損害と認定した。夫への慰謝料請求は退けた。 判決によると、女性は2001年、同病院の触診やエコー検査で乳房にこぶが見つかり、細胞を採取して検査した結果乳がんと診断され、左乳房の切除手術を受けた。ところが手 術後にがんでなかったことが判明。その後再建手術を受けたが、左肩の動く範囲が狭くなるなどの症状が残った。

「医療事故、交通事故より慰謝料高額に」東京地裁判決
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060726i413.htm
長野県軽井沢町が運営する国保軽井沢病院で2003年10月、帝王切開で男児を出産後、出血性ショックで死亡した女性(当時32歳)の遺族が、死亡は手術ミスが原因だった として、同町と産婦人科担当医に約1億8180万円の賠償を求めた訴訟の判決が26日、東京地裁であった。 藤山雅行裁判長は、「担当医は女性の症状から腹部からの出血を疑うべきだったのに、診察をしなかった」などと病院側の責任を認め、同町などに計約7250万円の支払いを命 じた。 訴訟では、医療事故の慰謝料を交通事故より高額にすべきかどうかが争点の一つとなった。 民事裁判では、医療事故は交通事故と同じ人身事故に位置付けられ、慰謝料も同じ基準になる例が多いが、判決は「患者は医師を信頼して身を委ねており、信頼を裏切られたこと による精神的苦痛が生じるため、慰謝料は交通事故よりも高額になる場合がある」と指摘。 その上で、交通事故のケースに約300万円を上乗せした2700万円を慰謝料として認め、将来の収入(逸失利益)などを合わせ計約7250万円を損害額とした。 原告側の弁護士は、「医療事故の慰謝料の方が交通事故よりも高くなりうると一般的に示した判決は珍しい」と話している。

がん検査怠ったと賠償命令 担当医と法人に約5000万円   06/09/01 記事:共同通信社
肝細胞がんで死亡した男性=当時(45)=の妻が早期発見のための検査を怠ったとして、担当医と神奈川県の医療法人に約1億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は 1日、過失を認め担当医側に計約5000万円の支払いを命じた。 藤山雅行(ふじやま・まさゆき)裁判長は「肝硬変だったが、担当医は治療費が安くすむように『慢性肝炎』とした。その後、肝硬変であることを忘れ、がん発見の必要な検査を しなかった。患者への便宜供与から出た行為だが、責任はあまりに重大」と判断した。
また「担当医は大学教授で日本肝臓学会でも指導的役割を果たしており、信頼を裏切られた苦痛は極めて大きい」として、慰謝料は通常参考にされる交通事故の基準より多い30 00万円を認めた。 判決によると、男性は1995年以降、担当医の診察を受け、99年からは被告の医療法人が経営する病院などで受診したが、がんになり、02年に死亡した。

http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20060921k0000m040096000c.html
昭和大学藤が丘病院(横浜市)で手術を受けた際に医師が体内にガーゼを置き忘れたため 妊娠できなくなったとして、昭和大学(東京都品川区)に横浜市の女性(47)が約2410万円の 賠償を求めた訴訟で、東京地裁は20日、約891万円の支払いを命じた。藤山雅行裁判長は 「女性は手術後、妊娠できない状態になったのに、気付かないまま不妊治療を計18回行う など相当な精神的苦痛を受けた」と指摘した。 判決によると、女性は97年10月、不妊治療のため通っていた同病院で子宮筋腫の手術を 受けた。約3カ月後、腹部に置き忘れられたガーゼが炎症反応を起こして癒着し卵管が ふさがった。女性は、これを知らないまま、02年4月に別の病院での手術でガーゼを取り去る までの間、人工授精を4回、体外受精を14回受けた。【高倉友彰】


司法の事情はよく知りませんが幾つか疑問がわきますね。

1.信頼があった場合通常より高額の慰謝料やむなしという判断がされるのであれば、例えば長年無事故無違反のプロドライバーの方が昨今の飲酒運転素人ドライバーよりも事故を起こした場合の同乗者への慰謝料は高く認定されるといった判断が一般的なのか?

2.上級審で初審の判断は妥当性を欠くとして判決がひっくり返った場合も(藤山氏は以前に上級審で異例の批判を受けたことがありましたよね)初審の判断は判例として蓄積され今後の訴訟における判断材料となるのか?

管理人から

 「医療崩壊について考え、語るエントリ(その5)」を作りました。

 以後のコメントは、(その5)にお願いします。

藤山雅之裁判長の期待権理論が最高裁小法廷のお墨付きをもらったという報道がありました。

医療ミス:「慰謝料は通常交通事故より高額」確定 最高裁
http://mainichi.jp/select/science/news/20080125k0000m040119000c.html

 長野県軽井沢町が運営する病院で03年、出産時の医療ミスで死亡した女性(当時32歳)の遺族3人が、
町側に賠償を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(涌井紀夫裁判長)は24日、賠償の増額などを求めた
遺族側上告を棄却する決定を出した。医療事故の慰謝料を通常の交通事故よりも高額と認め、
約7200万円の支払いを命じた2審・東京高裁判決(07年9月)が確定した。
 死亡に伴う慰謝料は、判例の多い交通事故被害での金額が基準。だが2審は、1審・東京地裁判決
(06年7月)に続いて「医療ミスでは医師への信頼を裏切られた精神的苦痛も生じる。
女性を約3時間も放置するなど病院側が信頼関係に反した程度は高い」と判断し、交通事故の場合より
約300万円上乗せした2700万円を慰謝料として認めた。
 小法廷は「上告理由に当たらない」とだけ述べ、具体的判断は示さなかった。【高倉友彰】

(本日福島大野病院裁判の公判があります。そちらのアゲをかねて、これだけ掲示板でなくここに貼ることをお詫び致します。以後の議論は場所を改める心算です)

どこのトピに乗せればいいか悩んでいましたが、ちょうど適当なトピが浮いていたので。

県立南会津病院:産婦人科、3月末で休診 常勤医2人退職、後任なく /福島

6県立病院のうち、既に会津総合病院が06年9月、大野病院が同3月に産科を休診し、出産を扱う県立病院はなくなる。

もはや想定できていたことな気がします。
大野事件当事者は、それぞれの立場からこの状況を何とみるのでしょうね。

No.238 ぼつでおk(医)様
毎日新聞の見だしは法的には誤った解釈であると考えます。
その最高裁決定は、患者側が、高裁判決でも不満だから、もっとたくさん払えと請求したのを、「上告理由なし」として蹴ったために、高裁の判決が確定したというだけで、
最高裁として新たな判断を示していませんから、判例とは言えません。
また、そもそも、一審藤山判決は「医療だから当然に慰謝料が高額になる」とは言っていない。法曹の立場からは、裁判基準としてそういうものは存在しないと見ております。
被告が悪質であることを主張・立証できれば慰謝料がアップされるというのは、今までの慰謝料理論の通りで、変わったところはありません。

参考
◆「藤山雅行裁判長のお話」について(その2)
No.176 FFFさん | 2007年2月13日 00:11 | CID 38395
http://www.yabelab.net/blog/2007/01/17-231713.php#c38395

藤山さんは、「医療事故の損害賠償額は交通事故よりも高額に算定されるべきだ」なんて一言も言ってませんて。曲解、デマゴギーもいいところです。
 あの判決が意味するところは、せいぜい「慰謝料は色々な要素を総合考慮して判断するんですよ、だから、医療事故であることの一事をもって常に交通事故より低額になるということはなく、結果として高くなる場合だってありますよ」という程度のことです。別に新しい判断でも何でもなく、ある意味当たり前のことを述べたに過ぎません。

◆新小児科医のつぶやき・藤山プレミアムはどうなった?(2008-02-01)
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20080201
コメントの下のほうに書きました。

ついでに申しますと、
長野の事件では、いわゆる期待権は問題となっておりません。

医療訴訟における「期待権」理論とは、
・過失は立証できた
・因果関係の立証はできなかった
・もし妥当な治療を施していれば、救命or重篤な後遺症が生じなかった可能性が相当程度あることは立証できた
という場合に、見舞金程度(200〜300万円が多い)支払えという理論です。

医療関係で因果関係の立証が困難であることの、救済を図ったものと解されています。
医療に過失がある(不適切な医療であった)ことは必要。
実際には、そうそう認められるものではないと考えます。

>YUNYUN(弁護士)さん
ありがとうございます。
どこで続けていいかわからなかったので書きっ放しになっておりました。YUNYUN(弁護士)さん が受けてくださったのでこちらで続けたく、モトケン先生と皆様にはなにとぞ御寛恕の程お願い申し上げます。

>>No.241へのお返事。
私は毎日新聞の見出しに引きずられておりましたことを白状(笑)申し上げます。ゆえに

>被告が悪質であることを主張・立証できれば慰謝料がアップされる
>というのは、今までの慰謝料理論の通りで、変わったところはありません。
のお話にまったく異存はございません。

そのうえで>>No.242期待権のご解説文の起承転結を拝見いたしますと、「転」の部分で

>医療に過失がある(不適切な医療であった)ことは必要。

としておられますが、起承転結の「承」部分では

>・過失は立証できた
>・因果関係の立証はできなかった

としておられますね。

行為と結果の間に因果関係が立証できないのに「過失」が立証できたとする論証法を、藤山期待権理論以外にはいかなる学問においても聞いた経験がないのです。
文系理系の区別なく、学問はすべて論理で構築されております。

(少し唐突ですが時間が無いので)
この期待権論証への疑問が私の勉強不足が原因か藤山裁判官の勉強不足が原因かのいずれであるのかが最も知りたいところなのです。

>No.243 ぼつでおk(医)さん
>この期待権論証への疑問が私の勉強不足が原因か藤山裁判官の勉強不足が原因かのいずれであるのかが最も知りたいところなのです。

申し訳ありませんが、この二者の選択だと ぼつでおk(医)さんの勉強不足ということにならざるをえません。

 民法の不法行為、刑法の総論等の基本書をお読みいただければ、過失と因果関係は、明確に別の要件です。

>文系理系の区別なく、学問はすべて論理で構築されております。

 この部分はどういうことを言われようとしているかわかりませんが、法律の構造としては、特定条文(あるいは解釈で)で定められた法律要件を満たすと、同じく定められた法律効果が発生するという構造で、たとえば要件に、過失・因果関係・損害等がある場合、そのうち、因果関係という法律要件がないから、法律効果が発生しないという構造ですから、論理的におかしいことはないと思いますが。

 たとえば、交通事故の事例でも、過失による生じた交通事故で、被害者に損害(事故がなくても生じた損害、PTSD等の精神的損害等)が発生した場合で、過失はあるし、損害もある。しかし、因果関係がないという場合もありますし、当該過失があってもなくても、事故が生じ損害が生じたとされる場合は、因果関係はないことになります。


 

No.242 YUNYUN様
>・もし妥当な治療を施していれば、救命or重篤な後遺症が生じなかった可能性が相当程度あることは立証できた
という場合に、見舞金程度(200〜300万円が多い)支払えという理論です。

つまり見舞金程度というのは、「可能性が相当程度はある」といえども、その程度は低い。だから200-300万円程度の小額を支払えと理解してもよろしいのでしょうか。そうだとするとこのような判断、つまり可能性の程度に応じて賠償を支払えという判断は、医療訴訟以外でもされていることなのでしょうか。

>No.244 L.A.LAWさん
レスありがとうございます。
ではお答えいただいた「過失」の立証に関する疑義を別の点について質問いたします(笑)。

>>No.241
>被告が悪質であることを主張・立証できれば慰謝料がアップされる

この「悪質であることを立証」するには具体的にどういう「事実」を材料として(あるいは証言であるならば証言者本人の信憑性についてどういう保証を必要とするか)、被告が業として行う行為の「悪質性や妥当性」を論理的に「立証」するのでしょうか?

時間が無いので今時点ではこの質問だけです(笑)。

>>No.245 うらぶれ内科さん
助っ人ありがとうございます、頼もしす(笑)。
その点も>No.244 L.A.LAWさんに質問しようと思ってました(笑)。

> たとえば、交通事故の事例でも、過失による生じた交通事故で、被害者に損害(事故がなくても生じた損害、PTSD等の精神的損害等)が発生した場合で、過失はあるし、損害もある。しかし、因果関係がないという場合もありますし、当該過失があってもなくても、事故が生じ損害が生じたとされる場合は、因果関係はないことになります。>

この論法でいくと判決や警察・検察捜査の免責もひいては行政のすべての「裁量」行為の免責さえも認められなくなりますが?
論理的に自家撞着の誤りが含まれていませんか?

もうぎりぎり(笑)
>>No.248 fuka_fukaさんに質問(場外で書いたけどお答えいただいてない笑)

因果関係なき過失
過失なき因果関係

正解はどっちですか?(笑)。

ぼつでおk(医)さま

こちら(本館)か場外乱闘掲示板のどちらかで書いた記憶がありますが。。。

L.A.LAWさまが書かれたとおりです。「因果関係なき過失」 は概念上成立し得ますし、割り箸事件でも裁判所が現に採用した立論です。

「過失なき因果関係」 は、概念として成立し得ない、とまでいえないかもしれませんが、語義的にしっくりきません。
「因果関係」 という概念は、その起点となる行為が認められてはじめて、「結果」 との間をつなぐものなので。
「ミスは一切なかったが患者が死亡した場合における実際の死因」 なんかを指すことになるのだろうと思いますが、「過失なき因果関係」 とそれをわざわざ呼ぶと、混乱するばかりではなかろうかと思います。

結局期待権というのは囲碁のコミダシの変更、つまり、コミ五目半では黒の勝率が高すぎるから6目半にルールを(医療訴訟に限って)変更しようてなもんですな。

マスコミが被告の訴訟に関しても期待権という言葉が使われているようですので、特に医療訴訟に限定した概念ではないと思います。

No.245 うらぶれ内科さま

> 見舞金程度というのは、「可能性が相当程度はある」といえども、その程度は低い。だから200-300万円程度の小額を支払え

ん〜ちょっとニュアンス違うような・・・説明が難しいのですが。

期待権論で賠償される損害の内容は精神的苦痛であり、慰謝料の一種とされています。
原則として、過失あっても因果関係がなければ、損害賠償責任は負わない。だから、生きていたら稼いだはずの収入などの逸失利益は賠償されない。
しかし、因果関係がイイ線行っているときは、「過失のない医療を受ける期待」を保護し、慰謝料ちょこっと払おう。

医療以外の他の訴訟で同様の考え方がありうるかという点では、
一般的に因果関係の立証が難しい訴訟類型、例えば公害被害などについて、
立証責任を緩和することができないかという議論がなされています。
原告と被告の衡平性・バランスがあるので、どういう手法で立証緩和すべきか諸説あります。
公害の場合は、「疫学的因果関係論」とか。

> 可能性の程度に応じて賠償を支払えという判断

確率的心証説、つまり原告が立証できた程度に応じて払えという学説のことかと思いますが、
今の判例理論はそういう考え方は取っていないと考えます。
期待権論で、「過失がなければ助かった相当程度の可能性」すらも立証できなかった場合は、賠償額はゼロとされていますので(裁判官の心証では立証度10%とか20%とか、ゼロではないことが想定される)。

最高裁平成17年12月08日判決 平成17(受)715
拘置所に勾留中の者が脳こうそくを発症し重大な後遺症が残った場合について,速やかに外部の医療機関へ転送されていたならば重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されたとはいえないとして,国家賠償責任が認められなかった事例
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=24968&hanreiKbn=01

なお、「因果関係の寄与度」という考え方がありますが、私的には、これは確率的心証説とは別の問題と理解しております。
・結果発生に至る原因が複数ある場合に、どの要因がどの程度寄与したかによって、責任を分担させる
こちらは、判例が取る考え方です。
例えば、交通事故で、被害者の身体の元々の病的素因が後遺症発症に影響した場合。
これを、医療訴訟に応用できるのではないかと思います。医師の治療の不手際と、患者の元々の傷病疾病が競合して死亡に至り、医師の寄与度は50%だから、賠償金額は発生した損害額の半額とせよ、というように。
ただし、この手法は過失や損害が有ることを前提とした医療者側の抗弁となるので、
過失の有無を争っている場合には主張しにくいことと、寄与度の立証が難しそうです。

> マスコミが被告の訴訟に関しても期待権という言葉が使われているようです(No.252 しま様)

確かに、俗な言葉では色々な場面で「期待権」と言われますが、
その意味するところは多種多様で、法的に認められた権利であったりそうでなかったり。
どの場面で使われるかによって、全く別のものを指すと考えたほうがよい。

少なくとも、医療訴訟で使われる、法的権利としての「期待権」とは、No242で述べた意味のものです。
従って、他の意味で「期待権」という用語を使うことは、議論を混乱させますから、止めていただくほうがよいと思います。

>YUNYUNさん
平成19年01月29日 東京高裁判決では以下のように述べられています。

番組制作者の編集の自由と,取材対象者の自己決定権の関係については,取材の経過等を検討し,取材者と取材対象者の関係を全体的に考慮して,取材者の言動等により取材対象者がそのような期待を抱くのもやむを得ない特段の事情が認められるときは,番組制作者の編集の自由もそれに応じて一定の制約を受け,取材対象者の番組内容に対する期待と信頼が法的に保護されるべきものと評価すべきである。そうすると,このような期待と信頼を故意又は過失により侵害する行為は,法的利益の違法な侵害として不法行為となると解するのが相当である。


上記から、私は以下のように考えました

1.期待を抱くのもやむを得ない特段の事情が認められ、
2.期待と信頼が故意又は過失により侵害された場合
3.期待権が侵害されたとして、裁判所は慰謝料を原告から請求する場合がある

そして、これらの条件を満たせば、医療訴訟にかかわらず期待権が認められる事があると。


勘違いしていたり、的を外していた考えであれば、遠慮なくご指摘頂ければ幸いです。

 かなり重たいと思いますので、議論が続きそうなら別エントリを立てますが、どうしましょう。

では顰蹙買いそうですが一言(物議をかもすかな?)。
1 「因果関係」、「結果」、「損害」とか同じ用語を使っていますが、それぞれが生きている分野との関係で、意味や使い方に違いがあるような気がします(直感ですが)。

 「一人の死(又は重症)」という「結果」を意識する場合と、結果は一度に色々な人に複数起きる(一人に色々な種類の結果が起きる)ことをイメージしている場合とでは、話がすれ違うと思います。

 あと自然的因果関係とか法的因果関係とか・・・既出ですかね?

2 私自身は、(相当)因果関係のない過失というのは腑に落ちず、そこでいう「過失」は結果へのラインから外れるのだから過失と呼ぶべきものではない(せいぜい過失らしきもの)かと。
 割り箸事件の一審判決も、因果関係がないと言うなら、その過失(らしきもの)の有無にかかわらず結果が発生したわけで、単なる不運な事故(不可抗力)となってよさそうなもの。

 あるいは「結果」を変容させたものを観念し(結果A→結果B)、その結果B(ex.相当程度の可能性とかいうやつ?)に対して、過失(らしかったもの)との因果関係があるとしているのではないかと考えたりしています。(未整理ですが)

3 もちろん、次のようなことはあります。
 甲が過失で自動車衝突事故を起こし、乙の自動車破損と身体的傷害を与え、そこを偶々通りがかった歩行者丙が事故を見てPTSDになった。
 甲の過失はあるが、丙のPTSDという結果・損害に対しては、相当因果関係の範囲外ということで因果関係がなく、責任を負わない。
 これとても、因果関係の範囲外にあるものまで「結果」と言って良いのかどうかという問題はありますが。

 法曹だけど変かしらん?
 いつでも撤回する用意はあります(笑)

>>No.256 モトケン先生
ブログ主でおられるモトケン先生のご判断に従います。

>>No.257 psq法曹さん
>では顰蹙買いそうですが一言(物議をかもすかな?)。
で始めて、
>・・・(中略)・・・(笑)
>いつでも撤回する用意はあります(笑)
でしめる。
こういうオチ付いた面白いコメント、大好物でつ(笑)。

 別エントリを立てました。
 以後はこちらへ

 期待権論

P R

ブログタイムズ

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