エントリ

移植用腎臓を廃棄、2患者手術できず…中京病院がミス(ヤフーニュース(読売新聞) - 10月14日7時3分更新)

 同病院によると、腎臓は、同日朝に心停止した患者から、家族の同意を得て摘出した。午前9時55分ごろに泌尿器科の医師5人が摘出手術を開始し、同11時25分ごろ、腎臓を摘出して洗浄した後、保存用のクーラーボックスに移した。

 この後、移植手術の準備が完了するまで同じ手術室内に保管していたが、次の手術を行う準備のため、器材やクーラーボックスを室外に出した。午後0時40分ごろになって、器材などの洗浄を担当する職員が、誤ってクーラーボックス内の保存容器を開け、血液などを廃棄処理するボックスに腎臓を移してしまった。職員は、脂肪などの廃棄物と勘違いしたらしい。

 こういうニュースを見ますと、中京病院のシステム全体に対する不信感を覚えてしまいます。

 中京病院ではクーラーボックスに廃棄物を入れるのでしょうか?
 または、廃棄物処理ボックスとクーラーボックスの見た目の区別は全くつかないのでしょうか?

 いずれにしても、ミスを防止しようとする日常的な配慮や対策が講じられているとは思えず、病院全体の姿勢が疑われます。

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コメント(49)

腎臓移植って日本中で年に1000件しかなくって
看護助手さんが居ない夜中に摘出する場合も多い
この病院に限定した問題ではないと思いますし
あんまり日常的な業務ではない
看護助手には全般的教育なんてしないし
だからこそ給料が安いという現実があります

他の報道によるとクーラーボックスには
「右」「左」と書かれており腎臓とか移植とかは
書いてなかったそうです

 経験が少ない行為であれば、なおのこと事前にきちんと手順を検討して関係者に周知徹底させる必要があったのではないかと思います。

>他の報道によるとクーラーボックスには
>「右」「左」と書かれており腎臓とか移植とかは
>書いてなかったそうです

 普通のビジネスマン感覚から見ても、神経の使い方が十分でないように思えます。

おそらく看護助手(要するに掃除のオバサン)を移植関係者と認識していなかったのでしょう(私もしてませんでした 医者のコントロール下にない部門ですし 日ごろ接触が無い)
移植は突然施行されますから摘出してから周知しようとしても無理
日常業務を停止することはできません
よって時地上訓練としての事前の告知のマニュアル追加が必要になる
今頃日本中でやってるでしょう それとクーラーボックス用の表示ですね
ホント掃除のオバちゃんまで気を使わんとイカンから疲れますわ

昔は手術後の後片づけは、看護師さんがやっていたものでした。汚れ物(血にまみれたガーゼとか)の始末や床拭きなどもやっていたのですが、今ではこのような雑用は次第にパートのおばさんの仕事になってきています。確かに、専門職である看護師さんが床拭きなどをするのは、医療資源的にもったいないことですから、間違いではないと思います。手の空いた分を、本来の仕事である患者さんのケアにあてることで、質的にも量的もレベルの高い医療につながるわけですね。

しかし、パートの方は医療現場には不慣れですし、その場所の専任ではないことが多いですから、どうしても「思わぬこと」を行う可能性が高いと思います。決して、「パート=ダメ」ということをいうつもりはないのですが、病院にとってはこの部分のリスク管理も頭の痛いことになりそうです。個人の責任というよりも、現場に不慣れな人にとっても間違いを起こしえないような環境作りが問われることになると思います。言葉は悪いのですが、「fool proof」な環境作りと言い換えられるでしょうか。

以上、「廃棄した人=パートのお掃除さん」という仮定で書きましたが、違っていたらすみません。

> 中京病院ではクーラーボックスに廃棄物を入れるのでしょうか?

通常、廃棄物はクーラーボックスには入れないでしょう。

>または、廃棄物処理ボックスとクーラーボックスの見た目の区別は全くつかないのでしょうか?

移植の関係者であれば必ずつくものです。
しかし、看護助手さんにはクーラーボックスに入れられている意味が解らないでしょうから、廃棄物と考えるのは当然かと思います。

中京病院の想定外の事態として、
『移植手術の準備が完了するまで同じ手術室内に保管』しておくべきものが、次の手術の準備のために室外に出された事。それによって移植の関係者になり得なかったであろう、看護助手の関わる余地が出てきた事となりましょうか。

やはり移植の腎臓を保管するのかってシステムの問題。
責任を持って保管する人を決めておくべきこと、もし万一移植関係者以外の介入する余地を考えて捨てられる事のないようクーラーボックスへの記載をしっかりする事、どこか間違って捨てられる事のない安全な場所に保管しておくべきなどをシステムとして考えるべきでしょう。

中京病院では、そのまま手術室に保管しておくのが間違って捨てられる事もないし、安全と判断していたのでしょう。しかし、実はそこには人の手によるエラーが絡む要因があったことが今回判明しました。

確かに後からみると簡単なシステムミスです。
ですが、いのげさんのおっしゃるとおり、このようなシステムミスはこの病院に限定した問題ではないですね。看護助手まで含めてシステムを考えることは意外と見落とされやすい。

中京病院はミスをしっかり反省し、今後再発防止を図る事が大事です。
我々もこれを人事と思わず、自らのシステムの問題を考える上で教訓とすべき事ですね。

>ホント掃除のオバちゃんまで気を使わんとイカンから疲れますわ
確かに疲れますが、システムがしっかりしていた方が働きやすいのは確か。こういうことはお互い頑張っていくしかないですね。

この事故の報道は,どこまで真実なのでしょうか.
一報では,過失の重点が医療側=中京病院の医師らにおかれていましたが,あとの報道では,移植コーディネータの行動に焦点がシフトしています.
とりあえず「医者を叩いておけ」というマスコミの行動原理がみてとれます.

さて,もう一点,気になるのですが…….
あくまで仮定ですし,それは除外できているのかが気になるだけですが.
これは本当に看護助手の「過失」なのですか?
看護助手の「故意」という可能性は否定できているのですか?
ボロボロのクーラーボックスが汚物室にでもおいてあったのならいざ知らず,おそらくは,そろいのクーラーボックスの中に,氷か冷却剤と一緒に,何重かにパックされている腎臓をひとりでゴミと判断して,使えないように廃棄してしまう……2セット開封してしまう……というのは,かなり不自然に思えます.
「困らせてやろうと思った」という単純な動機は否定できているのでしょうか.

一方で,医療現場では医師を含めて,信じられない経過で,悪意なくとんでもないことをやってしまうひとはときににいますし,それは医療現場に限らず,人間社会ではありえることなのでしょう.

>看護助手の「故意」という可能性は否定できているのですか?

やれやれ。(溜息)

臓器を摘出したらコーディネータの管理下という
考え方も有りますが 医師がナースに管理を指示したのなら
責任は病院にあるでしょう
コーディネータも各方面と連絡をとりまくらなければならない時期
なので腎臓の傍に貼り付いてるわけにもいかない
現実的にはクーラーボックスの表示を充実させるしかないでしょう
臓器移植ネットワークのマニュアル管理はしっかりしてるので
再発予防は充分だと思います
それと掃除のオバちゃんには気を付けましょう

>おそらくは,そろいのクーラーボックスの中に,氷か冷却剤と一緒に,何重かにパックされている腎臓をひとりでゴミと判断して,使えないように廃棄してしまう……2セット開封してしまう……というのは,かなり不自然に思えます.

手術が終わってオペ室を掃除する時に出てきたものは普段はみんな廃棄物ですし、感染症のある患者の組織はビニールの袋に入れて出す事をしないと感染予防になりません。
クーラーボックスも結構ボロボロのものを使っている所も多いという印象が、自分の病院をみても感じます。
クーラーボックスで冷やしてある意味を理解出来ていない人であれば、オペ室から通常の医療廃棄物と同じようにでてきたものを間違える事は充分あり得るだろうから、自分としてはあんまり不自然に感じない所でした。
また、密封してオペ室から出てくるものは感染性のあるものが多いから、わざわざ開封して捨てるような事はしないでしょう。
冷却状態においてなければ腎臓は充分使えなくなってしまうものです。
『使えないように廃棄してしまう』=『2セット開封してしまう』と想定する事の方が不自然に感じます。
他の医療者の方の意見はどうでしょうか?

>看護助手の「故意」という可能性は否定できているのですか?
やれやれ。(溜息)

いろいろな「意味」で溜息をつきたくなる気持ちも解らないのではありませんが、出来る限りの可能性を考えておかないと今後の事故防止には役に立ちません。
悪意を持って事を行なう人に対しては、システムで『事件』を防ぎきるのは難しい事ではありますが。

No.9 オダさん

>いろいろな「意味」で溜息をつきたくなる気持ちも解らないのではありませんが、出来る限りの可能性を考えておかないと今後の事故防止には役に立ちません。

故意の犯罪まで考慮に入れても事故防止効果はあまり望めないと思います。
事件防止には繫がると思いますが。はるかに少ないであろう医療スタッフの故意を考慮する前に頻繁に起こる過失に対するフェールセーフをもっと確実にやるべきです。
誰でもやりそうなミスすら防ぎきれていない現状を解決することに頭を使ってもらいたいものです。

機材洗浄の職員を疑い始めたら、医療過誤について医師のミスについても過失だけではなく故意を疑えることになります。
それを警察が使った場合は医療過誤の真相調査ではなく、犯罪捜査として福島産科医事件のようなことがさらに頻繁になると思います。

医療過誤の事件のたびに医師の故意を疑うようであれば医師の方もいい加減にしてくれよとなるのではないでしょうか?
自分自身のことではないとは言え、善意のみで医療行為に没頭されている医師の皆さんは同業医師が過失を責められるのみならず、故意=悪意の疑いを掛けられる屈辱に耐えられるのでしょうか?
耐えられるとしたら私には想像のつかない立派な方か、あるいは屈辱というのものを感じない大馬鹿ものかのどちらかだと思います。

No.9 オダ先生

目に見えるような話で、私も不自然でないと思います。

可能性を考えて否定することの、方法論としての重要性も同様です。

いつもはROMだけなのですが、医療関係の皆さんに質問があります。

掃除のオバちゃんとの話が出ておりますが、感染性廃棄物である医療廃棄物を、掃除のオバちゃんに任せるのは、事故などの面で怖くは無いのでしょうか?

ご議論の邪魔をして申し訳ございません。

 明確な手順を定めて、それを全員に周知徹底することが故意犯の防止策にもなると思います。
 過失を装うことが困難になるからです。

No.12 konaki さん

確かに何かの事故が起きる可能性は、きちんとした職員として雇い(看護婦がやる必要はないでしょう)教育していった場合と比べて遥かに高いと思われます。が、これも生き残りの策として仕方ないことだと考えています。自分の病院は、僻地病院のくせに何とかギリギリ黒字にしていますが、こういうところで業者を使っています。業者も業者で教育はしているのでしょうが、その範囲はこちらの知るところではないというのが現実です。

クルンテープさま。

自分のこの事件での立場は、「故意と考えるには無理があるのではないか」です。
しかし、たとえ故意の可能性が低いと自分が考えていたとしても、その可能性を指摘されれば、それをシステムとして防ぐ事が可能か検討する必要はあります。
「介在出来る人を少なくする事が悪意ある人の入り込む余地を少なくし、悪意ある犯罪が行なわれた時は関わる人が少ない方が解明しやすくなる」とか手だてを考える事はできます。
システムを良くするためにあらゆる可能性を想定する事で「故意の可能性もある」というのがでてきたのと、「故意だと決めつけて断罪」することは別物だと考えます。
かつとしさまも、「経過の不自然さから故意の可能性もある」との意見で、「故意だと決めつけて断罪」しているとは自分には読めなかったものですから。(自分としては経過が不自然ではないだろうという理由をあげ、故意ではないだろうとの考えをNo.9でコメントしてます)。
もちろん故意の可能性があるとの意見がまた別に出るかもしれませんが、そういう議論をする事は有意義な事だと思います。

>医療過誤について医師のミスについても過失だけではなく故意を疑えることになります。
警察の仕事はまず疑う事ですから、医療過誤についてほぼ全ての事例で故意の可能性を疑うでしょう。
検討した結果、故意の可能性が極めて疑われる事例に犯罪捜査が行なわれるのは当然です。
しかし、可能性として上げる事は出来るが、検討すればすぐに故意の可能性がほとんどないと考えられることまで犯罪捜査を行なえ、というのは行き過ぎだと思います。
次に医療事故が故意でなくても過失があったのか警察は疑うでしょう。
福島の事件で検察は故意による犯罪と言っていません。
「一生懸命やっていたのは間違いない」とK次席検事も新聞記者に答えております。
犯罪捜査として頻繁になってきたのが、医療事故の真相解明には犯罪捜査が有効であるとの国民の要望が増えてきた(医療者からみれば残念なことですが)ことがあるからです。

>誰でもやりそうなミスすら防ぎきれていない現状
誰でもやりそうなミスだからこそ防ぎきれてないと思います。
誰もがしなさそうなミスをするのは、それをした人に問題があります。
これを解決するのはそう難しくない。
しかし、誰でもやりそうなミスってのが一番防ぐのが難しいのです。
たとえば、自分のところの病院でもオーダリングシステムの活用で、誤投薬のミスなど以前の5分の1まで減らした実績があります。
このようにシステムの変更で大幅に減らせてはいるのですが、防ぎきる事は出来ないのです。
誰でもやりそうなミスを防ぎきるのは、余程画期的な変化が出てこない限り不可能です。

No.15 オダさん

>自分のこの事件での立場は、「故意と考えるには無理があるのではないか」です。

私はオダさんをまだ理解していただける方だと信じた上であえて医師各位を不快にさせる書き方をしようと思います。

まず、当該病院の実態をコメンテータ各位は知らないと考えています。
そして私はオダさんの病院のことも知りません。

>たとえば、自分のところの病院でもオーダリングシステムの活用で、誤投薬のミスなど以前の5分の1まで減らした実績があります。

ここで「誤投薬のミス」と主張されていますが、本当にうっかりした「誤」投薬だけなのですか?
この過失だと主張するミスの中に故意に別の薬を指示して、患者に害を及ぼそうとした医師は絶対無いと証明できますか?
患者の中には無茶苦茶な患者もいたりしますから、そんな患者に腹が立ったことはありませんか?
そんな患者を懲らしめてやろう、ついには殺してやろうと思ったことはありませんか?
医師であれば、治療の為に人を死に至らしめる薬物を処方するぐらいは簡単なことですよね。
ふと「うっかり」塩化カリウムの処方量を「間違えた」ことはありませんか。
医師の勤務は激務ですから、うっかりしていたとしても「普通」は過失ですよね?
うっかりしていたと言えば、過失を責められることはあっても、殺意まで暴かれることはまずないですよね。日常的に起こっていることですから。

「誤」投薬率を1/5に減らしたことって素晴らしいことですけど、そうしても防ぎきれないですよね。「うっかり」というのは。

勿論絶対「誤投薬のミス」が全て故意に「ミス」を装ったとは言いませんよ。 可能性が排除できないだけですから。

山口先生の投薬ミスも故意に「誤投薬」して、妊婦さんを懲らしめようとした可能性もありますよね。 その前にトラブルがあったかも知れませんしね。
最終的に助かれば、病院が医療費負担するだけで済むかもしれませんし、最悪刑事訴追されて執行猶予付きの懲役刑になっても、医師不足の現在、産科医は喉から手が出るくらい欲しがられている職業ですから、ちょっと謹慎しているだけですぐにほとぼりが冷めるぐらいに考えていなかったとは絶対言えませんね。 勿論絶対にそうだと言うわけではありません、可能性は排除できないのでそういうことも考えて置かねばと思うだけです。

よくもまあこれだけひどい医師への不信と侮辱を書けたと思いますが、医師の皆さんは不快な思いをされませんでしたか?
それとこれは全然違うと思った方もおられるとは思いますが、オダさんの論理の可能性が排除できないから証拠が無くても他人の悪意について言及できるとこういう侮辱も許されるはずなのです。

さらに申し上げたいことは故意を過失の中から客観的に見抜くことが難しいのが医師の医療行為であり、安易な悪意の言及を容認することは善意の医療行為の結果の過失を悪意の可能性を言及することを許すことになると思います。

詐病はまだ悪意でも病気と関連しますから純粋に医療現場の観点からの議論は良いでしょう。
この件での故意は犯罪行為そのものであって、司法のプロに任せておいてもよいことです。

>福島の事件で検察は故意による犯罪と言っていません。
>「一生懸命やっていたのは間違いない」とK次席検事も新聞記者に答えております。

これは医療行為は善意が前提の原則に沿って、可能性が捨て切れなくても証拠も出さないで故意に言及することはいけないという常識があるからでしょう。

>犯罪捜査として頻繁になってきたのが、医療事故の真相解明には犯罪捜査が有効であるとの国民の要望が増えてきた(医療者からみれば残念なことですが)ことがあるからです。

医療者だけでなく、私も残念だと思いますが、オダさんの安易に疑いを掛けても良いという考えに通じるもののように思えます。
逮捕は容疑であって捜査のためだと司法サイドからの反論として一般には逮捕は有罪と同等だとあったように思います。
それと同様に善意の機材洗浄担当者に故意について言及するのは故意だと断定したのと同様の侮辱だと思います。
悪意など思いも寄らなかった人ほど、ショックは大きいものです。

医師が告訴され始めたときのショックを思い出してください。
御自身の痛みだけでなく、他者の痛みもわかってください。

ついでに言うと私が富山の件で業務上過失について立件(つまり、疑い)を主張したときの医師の皆さんの反感も思い出していただくと良いかと。

業務上過失罪だと疑っただけなのですが、皆さんは断定したように反論されていました。
つまり疑いを掛けられるのは断定に等しいのです。

この事件ってこの病院の治療とは関係ないんだけど
世間的にはえらく病院の評判が落ちたみたい
一般人には細かい事はよくわかりませんからな

個人的に臓器保存法について、強く関心を持っています。
(私はその研究に集中しているわけではないですが)

臓器保存に於いては、灌流液及び保存液の組成、保存温度、
摘出後の時間に対応した追加処置等が重要となります。
追加処置などは、まだ実験段階ですし、臓器別の保存液組成の選択など
も確立した学問ではありませんが。

移植手術自体(手技や操作の流れ)が重要なことは判っていますが、
移植すべき臓器が、このように粗末に保存されていたと言うことは、
臨床支援部隊である基礎研究者の立場から見るととてもショックです。

移植臓器の生着と臓器機能の回復にとって、保存法は重要であると
考えるからです。臨床の現場で頑張っている最前線の先生方には
様々な後方の支援部隊(コメディカルも含めて)が協力していることを、
自覚して、

とここまで、書いた時に、
『やっぱり忙しすぎて無理だよね、自分が病棟でてる時も、そんな余裕ないわ』と呟く自分に気づきました。

ん〜、システムの問題だね、これは。

クルンテープさまへ

>Y先生の投薬ミスも故意に「誤投薬」して、妊婦さんを懲らしめようとした可能性もありますよね。 その前にトラブルがあったかも知れませんしね。

単純ミスでの誤投与の場合、間違いの原因が合理的に説明できることがほとんどです。

Y先生が故意で誤指示をだすのに薬剤師、看護師のチェックが通常入るので出すのは有効な犯り方なのか考えてみましょう。
この事故は、通常働くであろうと期待されるチェック機能を、たまたますりぬけてしまったため起きた事故です。故意の犯罪にこのような手段をとるかといえば、まずとらないです。また、本来出そうと考えた薬も間違って出された薬も産婦人科領域ではよく使う薬であることも、うっかりミスであるとする合理的な理由になります。
「誤投与」を犯罪の手段に選ぶことの合理的な理由は無いと考えますがいかがでしょうか。

Y先生のこととは関係ありませんが、量の過剰投与を故意で行う可能性を考えてみましょう。
現在オーダーリングシステムにより、薬剤の量を間違えたままコンピューターに入力しても、大量投与の警告が出て入力出来ないようなってきているところが増えています。これによりうっかりミスで誤入力したことの過剰投与という誤投与は防げますし、故意の過剰投与も防げます。
またこういう犯罪が成功するには薬剤師のチェックをたまたますり抜ける偶然を期待しなければなりません。

懲らしめようとする犯罪行為を目的に誤投与を指示するというのは、成功の可能性も低いし証拠して残ってしまうことになるので通常は割に合わないことです。また、薬剤師と看護師のチェックを出し抜くという偶然がなければ成功しない方法を、故意の犯罪の手段としてわざわざとる合理的な理由は無いと考えます。

>医師であれば、治療の為に人を死に至らしめる薬物を処方するぐらいは簡単なことですよね。

それほど簡単ではないし、かなり難しいことですよ。
通常処方には、薬剤師、看護師からのチェックが入りますし、劇薬・毒薬は特にチェックが厳しい。
逆にあんまり危険ではない薬だと、「そんな使い方もあるのか」とチェックをたまたますり抜けてしまうことが起きてしまいます。そういう点でもうっかりミスをなくす難しさを感じています。

>ふと「うっかり」塩化カリウムの処方量を「間違えた」ことはありませんか。
劇薬・毒薬ということで、通常の薬剤に比べて検算を繰り返すようにしているので今のところ自分は間違えたことはありませんが、将来起こしてしまう可能性は否定できません。
それ以外の薬では量のうっかりミスは、気をつけているつもりでもたまに行ってしまうことがあります。が、オーダリングシステムのコンピューターが、薬の過剰投与は警告を出して入力拒否してくれるので、かなりシステムによって防いでもらっています。
こういうシステムは故意の過剰投与も防止してくれますね。


>最終的に助かれば、病院が医療費負担するだけで済むかもしれませんし、最悪刑事訴追されて執行猶予付きの懲役刑になっても、医師不足の現在、産科医は喉から手が出るくらい欲しがられている職業ですから、ちょっと謹慎しているだけですぐにほとぼりが冷めるぐらいに考えていなかったとは絶対言えませんね。 勿論絶対にそうだと言うわけではありません、可能性は排除できないのでそういうことも考えて置かねばと思うだけです。

これは「誤投与が故意であることを前提」に「故意の犯罪を行ってもいいと犯人が考えるにいたった倫理面の可能性」です。
「犯罪の倫理面から考えられる可能性」を議論するのと、「誤投与が故意である可能性」を議論するのと意味が違うと考えます。


>>福島の事件で検察は故意による犯罪と言っていません。
>>「一生懸命やっていたのは間違いない」とK次席検事も新聞記者に答えております。
>これは医療行為は善意が前提の原則に沿って、可能性が捨て切れなくても証拠も出さないで故意に言及することはいけないという常識があるからでしょう。

被告医師の働きぶりを調べてみれば、故意を考えるより善意で行っていたと容易に推測できるかと我々医療者は考えましたし、そこからきた発言だと思っていました。
こういう考え方もあるんだということは、大変参考になりました。
このことに関して医療者側の意見に同意出来る、もしくは同意出来ないのか、ほかの非医療者の意見を聞いてみたいところです。

クルンテープ様

>業務上過失罪だと疑っただけなのですが、皆さんは断定したように反論されていました。

当該スレッドを見て来ました

>業務上過失としての刑事事件立件が必要でしょう

クルンテープさまの反論を受けたところは「刑事事件立件が必要」というところではないでしょうか。
疑いの段階で「刑事事件立件」が本当に「必要」なのですか?
疑いの段階であれば「立件」ではなく、「警察による調査」が「必要」というのなら解りますよ。
「刑事事件立件が必要」という表現をされては、クルンテープさまがこの事件での業務上過失致死の存在を確信していると読み手に受けとられても無理はないかと考えます。

だから、医療者から、過失の可能性が高いことや、監査を行って原因究明を行えとの意見が多く述べられておりますし、それを踏まえても過失はあるにしろ、刑事事件立件は問題だという反論となったと見受けられるます。

あと法曹関係者に伺いたいことがあります。

>立件(つまり、疑い)
とクルンテープさんは定義しております。

しかし、疑いであればまずは調査、立件は有罪の確証がえられたと検察が判断したときに行うという認識が自分にはあります。
立件の必要を主張することを、ただ疑っただけと主張することは妥当なのか法曹関係者から見てどうでしょうか?
それとも自分の認識は間違っているでしょうか?

>このことに関して医療者側の意見に同意出来る、もしくは同意出来ないのか、ほかの非医療者の意見を聞いてみたいところです。

非医療者です。(もう分かってるっちゅうに)

「一生懸命やっていたのは間違いない」という言い方からは、故意かもしれないという考え方はしていないように感じます。

「一生懸命やっていたのは間違いない」が、『その手法、過程に重大な誤りがあった』という考え方ではないかと思われます。

故意を想定している場合だと、「一生懸命やっていた」という表現は余り使われないと思います。殺人犯や窃盗犯など故意犯も必死にやっているでしょうが、それを「一生懸命」やっていたとは普通表現しないでしょう。

経過や他のスタッフから聴取した内容などから、純粋に「一生懸命やっていたのは間違いない」と言う感想につながったものと思います。手法の是非は私には分かりませんが、経過などから私にも当該医師の「一生懸命さ」は伝わりましたから。

非医療者として申し上げます。

1)本件は、刑事告訴すべきではない。(故意や重過失がない限り。)
その意味では、故意・重過失があったかについての捜査はやむを得ない。当然、その程度に止めるべき。
2)重要なことは再発防止の仕組みを構築することである。それは、この病院だけの問題ではなく、この事件の教訓を引き出し、医療関係者には通知すること。
・臓器の保管方法(容器、保管責任者があいまいになっていなかったか・・・・等)
・看護助手(看護掃除のオバちゃん)の話しをよく聴取する必要があると思います。何故、破棄したか?何故間違ったか?多分、その為には、この看護助手を刑事、民事の双方を免責とすることが良いと思うのですが。(難しいと思うのですが、出来る限りそうしないとならないと思うのです。)
将来の教訓を引き出すことが、重要と私は思うのですが。

あのー 仮に起訴するとしたら罪状は難なんででせう?

 摘出された腎臓を誤って廃棄した行為については、罰則がないのではないでしょうか。
 故意で廃棄したなら器物損壊罪になると思いますが、過失器物損壊は不可罰です。

何事もあらゆる角度から調べる必要もあります。
何度も言いますが、安易な感情論は真実を追究する上では必要です。決めつけるのは勿論間違っていますが、可能性を追求するのは間違っていません。

> 故意=悪意の疑いを掛けられる屈辱に耐えられるのでしょうか?
耐えられることと可能性を考えることと切り離して考えられないでしょうか?疑いを持たなかったら解決も出来ませんよね。
故意であることの可能性を確実にしてから疑うべきだとしたらいつまでたっても堂々巡りで解決なんかかしませんよね?何事も疑うことから解決を図ろうとするのではないでしょうか?

> 医療過誤の事件のたびに医師の故意を疑うようであれば医師の方もいい
> 加減にしてくれよとなるのではないでしょうか?
確かに不快です。しかし、真の問題は疑われたことではなく、犯罪者の如く扱われることにではないでしょうか。マスコミは医師を犯人の如く報道します。故意にです。実際に悪意に逮捕の瞬間をテレビカメラに納めたり、確かめもしないで明らかにウソの情報を断定調に報道します(実際にマスコミが名誉毀損で裁判されていますよね)。
それに疑われるだけのことなら時間がたって冷静になったときに「仕方なかったんだな」とあきらめることも大切です。こうしたスタンスでないと世の中暮らしていけません。疑いだけならここまで医師達は反発しませんよ、少なくとも自分は。疑いを晴らせば良いだけの話ですから。勿論失われた時間は元に戻りませんが。
実際に疑われること自体は仕方がないと考える人の方が多いのではないでしょうか?

何度も言いますが、当事者以外が感情論が先立つのは賢明ではありません。私も含め、多くの人が失敗しています。冷静になって多角的に議論してください。

で、腎臓破棄の本題に戻りますが、システムの欠陥を明らかにし、良いシステムを作るのは必要です。ただ、お金がかかりますね、きっと。
今まで医療のシステム化は開拓されていませんでした。一例一例違うのでシステム化は難しかったからです。でも、少しずつ伸びていっているというのが私の周りの研究者を見ていて実感します。そても実用化になりませんけど、いつか日の目を見る日を信じましょう。
これから伸びていく分野だと思います。

No.27 yama さん

別エントリーではあなたでさえ、

>というと、また感情論優先の一派から怒られそうですが、あえて言わせて頂きます

と書いておられますから、医師というもはや異質な集団に理解してもらおうと言う気はなくなりましたが、最後に一つだけお聞きしたいことがあります。

>何度も言いますが、安易な感情論は真実を追究する上では必要です。決めつけるのは勿論間違っていますが、可能性を追求するのは間違っていません。

純粋に「可能性を追求すること」が目的なのですと、その対象には例外が無いのが「感情論優先の一派」(一般)の考えなのですが、医師が原因とされている医療過誤の中で患者の死亡その他の引き金になった医療行為が過失でなく故意の可能性について医師たちの間で話されたことがあったのでしょうか?
医師という身内の殺人罪や傷害致死傷罪の可能性です。

今後、医療事故に関するエントリがたつたびに、
これは本当に医師の「過失」なのですか?
医師の「故意」という可能性は否定できているのですか?
と書き込むことにしたいと思います。

>田中 さん

>今後、医療事故に関するエントリがたつたびに、
>これは本当に医師の「過失」なのですか?
>医師の「故意」という可能性は否定できているのですか?
>と書き込むことにしたいと思います。

 そのようなコメント投稿は認めません。

了解いたしました。では、私は書き込みませんので、医療事故の都度、みなさまで、医師が故意に殺人を犯した可能性について出来る限り考えて討論し、今後の事故防止に役立てていただきたいと思います。

この件を受けて移植学会は相当危機感を持ったようです
移植制度の問題点は多々ありますが
腎移植に脳死は必要ではないことと
腎移植を希望している待機者が約一万人いることも事実
是非これを気にいい方に事態を動かしていただきたい

こんにちは、整形Aです。

今回の「腎臓誤廃棄」に関して、スタッフの意図的な可能性云々に関しては、クルンテープさん、田中さんの意見に賛成です。

もともと医療現場は、スタッフや非スタッフの悪意ある行為に非常に脆弱にできています。
たとえば、宮城県で准看護師が患者に筋弛緩剤を投与した、とされている事件。また、産科の病院から新生児が誘拐された事件などがありましたね。
前者では、筋弛緩剤の管理のずさんさ、後者でも、院内への人の出入りの管理がどうだったかといった問題が指摘されています。

まあ、薬剤管理はいずれにせよきちっとやることは必要でしょうが、それだけで医師、パラメディカルなどの悪意ある行為をすべて防げるわけではありません。
院内への外部の人の出入りの管理は、入院がある医療機関ではかなり難しいです。
新生児の誘拐は特殊かもしれませんが、それ以外でも小さな犯罪は結構あるのではありませんか?
僕自身の経験でも、大学病院のみならず、医局荒らしは何度かありました。

空港などは、「悪意を持った人物」を入れないために莫大なコストをかけていますが、医療機関の安全管理の設計上、悪意ある行為を完璧に排除しようとするのは無理があるし、コストがかかりすぎです。
すべての可能性を・・・というのは理想ですが、それが実際的でないのは医療ではよくあることです。
実際的でないことに神経をすり減らすのは、もったいないと思います。

> 医師が原因とされている医療過誤の中で患者の死亡その他の引き金になった
> 医療行為が過失でなく故意の可能性について医師たちの間で話されたことが
> あったのでしょうか?

勿論ありますよ。私の周りでは。
以前、仙台あたりで看護師が殺人罪に問われた事件がありました(内容は詳しくは忘れましたが、筋弛緩剤を入れて故意に患者を死に至らせた容疑です)。あのころは特にそうした議論は多かったです。そして、故意と過失の区別ってなかなか付きにくい、と議論したこともあります。どうやって殺人と事故を区別するのかと。
もしろん、仲間を疑うとは何事だ!という医療スタッフも居られましたが、私自身はこうした議論は必要だと思います。また、このとき思ったのは、警察や検察は過失も故意と同じように見ている!ということでした(実際には刑罰の内容が違いますから法律的には違うのでしょうけど、感情的には同じでしたね)。さすがにここの住人の方々は故意の殺人と医療過誤による医療事故との区別は付いているのでホッとしています。
感情的には受け入れがたいな、と思うこともあるでしょうけど、議論自体は必要です。私自身はそう思っています。

No.34 yama さん

>以前、仙台あたりで看護師が殺人罪に問われた事件がありました(内容は詳しくは忘れましたが、筋弛緩剤を入れて故意に患者を死に至らせた容疑です)。

殺人容疑の事件ではなく、一般には医師の過失が問題とされていて、特に故意の有無が争点になっていないような場合のことです。

採血事故でも、当事者間では詐病かどうかは争点になっていなかったが、可能性を疑いましたね。
それと同様に医療行為が問題となったとき、報道などでも故意性が問題とされていないときでも、医師の故意性を考えたかと言うことです。

故意性を疑う場合に医師仲間とそれ以外では疑い方に違いがあるのではないかと思ったから尋ねたわけです。

採血事故では狭義の「詐病」のみならず心因性であることさえ争点にもなっていないのに、非医師の女性に対しては一般的に詐病があることだけを根拠に疑うのに、医師or看護の身内、仲間だと殺人容疑では疑うとのお答えでは、私の疑いは逆に深まるばかりです。

その疑いとはレイシズムです。医師皆さんがレイシストであって欲しくないし、私の疑いは誤解であって欲しいのです。

> No.35 クルンテープ さん
ですから、そういうことは考えたと言っております。私のコメントは別に仙台の事件のことをメインに取り上げているわけでなく、そのころに別の事故例についてそのような可能性を特に考えたことが多かったと言っているわけです(誤解が生じたのなら私の文書力が無いと言うことで勘弁してください)。結論としては「そんなの調べても分からないことが多いだろうねえ」という結論に達しました。その後はあまりそういうように積極的に人を疑うように考えたことは個人的には無いです。無論、前に取り上げているように詐病であると積極的に患者を疑ったこともないです。
でも、可能性を挙げられれば真剣に考える必要は例え仲間内でもあるのではないですか?でないと解決しませんよね?

> 医師or看護の身内、仲間だと殺人容疑では疑うとのお答えでは、私の疑いは逆に深まるばかりです。
ますます何をおっしゃりたいのか意味が分からないのですが・・・。
無知で済みません。レイシズムとはどういう意味でしょうか?
私には積極的に人を疑うことが人格が悪いとおっしゃっているようにお見受けするのですがいかがでしょうか。人格が悪いかどうかはそれぞれの人の判断ではないでしょうか?しかし、問題提起されたらその可能性を探ることも大事ではないでしょうか?私はそういうスタンスです。でも、もしそれで人格を疑うようなことはあってはならないと思います。

No.36 yama さん

>私のコメントは別に仙台の事件のことをメインに取り上げているわけでなく、そのころに別の事故例についてそのような可能性を特に考えたことが多かったと言っているわけです

一般的な医療過誤においても故意の可能性を考えておられるのなら、非常に慎重であらゆる予断を排しておられることと推察できますので、少なくともyamaさんに対してはレイシズムというのは私の誤解です。


>私には積極的に人を疑うことが人格が悪いとおっしゃっているようにお見受けするのですがいかがでしょうか。

人の悪意をです。積極的でも消極的でも証拠を掴んでいればOKですが。
でも、これまでの医療過誤に関する医師のコメントで当事者の医師の故意性について言及されたのを見つけていなかったからです。 しかし、腕の痛みで医師と和解した女性や当エントリーの器材洗浄の職員に対しては詐病や故意の疑いが立て続けに出てきたから、問題の対象が医師から他者に変わると、「態度」が変わるなと感じたわけです。

yamaさんは対象が医師であれそれ以外であれ態度が変わらず、また疑うときも疑われるときも仕方が無いと考えておられるようですから、その一貫性は私も尊重しようと思います。

高まる不信に関係者懸念 移植法改正の行方左右も 「大型サイド」腎臓誤廃棄の波紋 06/10/16
記事:共同通信社

 名古屋市の社会保険中京病院で、移植のために提供された腎蔵をごみと間違って捨てた問題が、関係者に衝撃を与えている。脳死からの提供を増やそうという臓器移植法改正案の国会審議入りを目指しているさなかに、愛媛県で生体腎移植をめぐる臓器売買事件が発覚。それに追い打ちをかけるような誤廃棄に「国民の移植への不信感が高まり、法案の行方も左右しかねない」と落胆や怒りの声が上がった。

 ▽慣れの落とし穴

 「腎臓が捨てられました」。問題が起きた13日の昼すぎ、中京病院の幹部から興奮した声の電話を受けた大島伸一(おおしま・しんいち)日本移植学会副理事長は「いったい何を言っとるんだ」と聞き返した。「いくら何でも、ごみと間違えるとは、ありえない話。しばらく意味が分からなかった」

 大島副理事長は、同病院で1973年に行われた生体腎移植を皮切りに、多くの腎移植にかかわってきた。同病院で初めて死体からの腎臓摘出があった80年ごろは「緊張の中でピリピリしながらやっていた」という。同病院の腎移植はこれまでに約450例と全国的にも多いだけに、今回は「慣れから生じた落とし穴」と映る。

 学会は臓器売買事件を受け、再発防止策を始めた直後だった。大島副理事長は「こんなことをやっていたら移植医療は広まらないよ」と、ため息交じりに述べた。

 ▽努力がパー

 学会とともに移植推進を掲げる患者団体にも大きなショックだった。日本移植者協議会の大久保通方(おおくぼ・みちかた)理事長は「最悪だ。不信感をぬぐい去るのに、どれだけ時間がかかるか。これまでの努力がパーだ」と声を震わせた。

 妹から提供され腎移植を受けた大久保さんは「移植医療推進には国民の理解と後押しが欠かせない」と活動を続けてきた。最近は法改正案の国会審議入りを目指し、臓器売買事件も「提供者が少ない現状が根底にあると知ってもらうチャンス」と逆手に取って、厚生労働省に法改正に積極的に関与するよう要望を強めていた。

 たるみとしか言いようのない誤廃棄には「臓器が無駄にされるなんて。これでは『本当に足りないの?』って言われ、誰も提供してくれなくなる」と、やりきれなさを隠さない。

 ▽先行き不透明

 1999年10月の移植法施行以来、脳死からの臓器提供は47例と、関係者の期待を大きく下回っている。国会には提供条件を緩和する2法案が3月に提出されているが、他の重要法案の審議に押される形で、たなざらし状態が続いている。

 法案提出者の1人である衆院議員は「マイナスの意味でも、移植のニュースが続いたことで多くの人に関心を持ってもらえたことは良かった」と話す。しかし、条件緩和には根強い反対意見があり、脳死を人の死とすることへの慎重論も少なくない。逆風の中、審議入りができるのか、法案の先行きはさらに見えにくくなっている。

クルンテープさん……私ですらそこまでは言わなかったのに……。
いちおう気を利かせて、その話題は
haseitai.cocolog-nifty.com/20/2006/10/__61b3.html
のほうでいかがでしょうか、といってみます。

>いのげさん
今回の件と臓器移植法との関連がよく分からないですし、「たるみ」「誤廃棄」と言う言葉を使っている時点でダメな気はします。悪い記事のお手本でしょうね。

天邪鬼な話ばかりで申し訳ないですが
わたしは舌足らずだけどいい記事だと思います

移植学会副会長の件を書いているのはこの記事だけだからです

臓器移植法との関連はドナー不足に対応するため
世界一厳しいドナー条件の緩和や
小児ドナーへの適応拡大を働きかけようとしていたと
いうことでしょう それが困難になった
機運が盛り下がったと判断されるという事情です

今回の件が移植医療への不信感を煽ったのは
間違いない話だと思います

>いのげさん
全体的に、ちょっと感情に訴えすぎかなと言う印象を受けたのですね。

廃棄は病院の制度の問題でしょうし、ドナーの適応拡大の議論とは切り離すべき話題かと思いました。不信感を煽ったのは確かでしょうが、廃棄の件をもって移植医療全体へと不信感を広げていいものなのでしょうか。

本来一緒にして語るべきではないことを、無理矢理一緒にしているように見えたのですね。共同通信の何らかの意図を勘ぐってしまったわけです。

クルンテープ様

>その疑いとはレイシズムです。医師皆さんがレイシストであって欲しくないし、私の疑いは誤解であって欲しいのです。

いくら、ブログのコメントとはいえ、「レイシスト(人種差別主義者)」という表現は、不穏当ではないですか。

当然百も承知の上でお使いのことと思いますが、アメリカ等では「レイシスト」という呼称は、つばを吐きかけることと同様に相手の人格を否定するほどの侮辱的表現です。

私は、特定の人に対し、根拠なく公然と「詐病」の疑いをかける行為には組しません。

しかしながら、公然と「レイシスト」という侮辱的表現を特定の人々を指して用いられる行為についても、議論の質を著しく下げるものであり、大変残念に思います。

No.43 じじいさん

レイシストについてはおっしゃる通りです。

しかし、無視できない人数の医師の方々に

>私は、特定の人に対し、根拠なく公然と「詐病」の疑いをかける行為には組しません。

とは異なった考えがあるのではないかという疑念が晴れたわけではありません。
沢山の医師から反論や自らが気が付かなかった過ちがあったことを書いていただいて、私が謝罪することで終結したかったんですが。

今更ながら、レイシストってそう言う意味だったんですね。無知で済みませんでした、本当に。

>医師が原因とされている医療過誤の中で患者の死亡その他の引き金になった医療行為が過失でなく故意の可能性について医師たちの間で話されたことがあったのでしょうか?

福島の事件でS医科大学ゲノム医学研究センター・教授が、悪質な医療事故でとんでもない医師がいるとブログで書いていました。
この教授がこのように判断したことの一つに、問題の事故で胎盤の剥離にクーパー(鋏)を使って行ったことにあります。
(胎盤剥離に鋏の使用したことを根拠に、非医療者による「なんて酷い産科医がいたものだ」というブログの記事も多数ありました)
検察が根拠としてあげているし、医師も加わった事故調査報告書でも過失の根拠にもなっていただけに、少数の医師も含め多数の人が福島の事件を悪質な医療事故と判断して福島の産婦人科医を断罪したのです。
しかし、「クーパーの使用が胎盤の剥離に使うことは適切なことである」との臨床家による根拠をあげての多数の反論の結果、今では裁判の争点になっていません。

断罪した人たち(医師を含む)は、断罪の根拠を信じていたから福島の産婦人科医を疑い、断罪しました。しかし、彼らには悪意があったでしょうか?ほとんどの人には悪意はなかったはずです。

かつとしさまが医療者かどうかはわかりません。
しかし、「看護助手の行動を不自然に感じる」と信じるにたる「かつとしさまなりの根拠」を提示しています。悪意からでた疑念ではありません。
そして「かつとしさまの挙げた根拠」と「事件の経過」だけをみれば、多数の人が「看護助手の行動」に疑念を抱くのではないでしょうか。場合によっては有罪だと決め付ける人が出てもおかしくないと感じました。
かつとしさまの根拠をきちんと否定しておかなければ、福島のときの鋏と同じように、看護助手の故意の証拠とみなされる危険があると思います。

クルンテープさまの「こういう疑いを医師にかけることも可能じゃないか」という問いかけは、可能性として否定できません。しかし、根拠を付けずに可能性だけ挙げても、他の人に「クルンテープさまのいう疑い」が説得力を持つでしょうか?
他の人に納得できるだけの根拠を提示しなければ「言いがかり」とみなされて議論の無駄になりかねませんが、根拠もなしに疑われた人にとってはあまり害にはなりません。
しかし、「一見合理的にみえる根拠」を持っての疑いは、疑われた人にとっては危険です。
こういう危険性を考えれば、ため息で済まさず、きちんと相手の根拠の否定をしておく必要があると考えます。
それが、看護助手の名誉のためです。
同じ医療現場で働くものとして、今回看護助手の擁護に回るのも、福島の産婦人科医の擁護に回ったのも同じ動機からです。
それに対して青戸病院事件では、自分は医師に対しては擁護の活動はしていません。
医師であるかどうかが擁護の基準ではなく、擁護するに足る根拠があるかないかの違いです。

田中さまが、医療事故で医師についても故意の可能性を考える事を否定はしません。
しかし、「医療事故に関するエントリがたつたびに」、理由を付けないまま故意の可能性をあげるのは、モトケンさまの前向きに議論するというブログの趣旨に反することだと思います。
理論的に全ての可能性を疑うのと、全ての事案で「疑うだけの根拠もないまま形式的に疑う」ということを書き込むのは議論とは違う思いますので、この点におきましては整形Aさまには同意できません。

「掃除のオバちゃんが凶悪」より
「掃除のオバちゃんがアホ」の方が
可能性が高いと思います

>「掃除のオバちゃんがアホ」
それは言いすぎでしょ(笑)。自分は看護助手さんに同情します。
この件は、きちんと保管していなかった医者が悪い でいいと思います。
そのくらいの責任感は持っていないと移植医はダメってことで。

>「掃除のオバちゃんがアホ」

小さくて小回りの利く病院なので、掃除の人たちともほとんど顔見知りになっております。
きちんと話をすれば、仕事を理解してくれる人が多いです。
院内感染対策委員長なんてものをしているのですが、顔が見える間柄のため互いに話しあう雰囲気もあって、感染対策マニュアルもかなりまともに運用してもらえてます。
教育を受けていても犯したミスであればアホですが、通常の業務のなかと違う状況に対しては上手く出来ないのが当たり前でないかなと思います。
大事な臓器を、オペ室から他の片付ける器具や廃棄物と一緒にして出した看護師のほうが過失とは言えないまでも問題。

P R

ブログタイムズ

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