エントリ

 このエントリは、「福島産科医師逮捕問題に関する話」の「No.96 老人の医者さんのコメント」への返信の形で書いています。

>老人の医者さん

 私の記憶の範囲では20年30年前には、司法の世界で医師に勝つのは至難の業であったという印象があります。
 「残念ながら手遅れでした。」ですべてが済んでいたと言えば言い過ぎかも知れませんがそんな感じです。
 既出だと思いますが、医師に勝つためには、その医師に勝てる別の医師を探す必要があったのです。
 それが、私が司法試験に合格したころの民事医療過誤訴訟の感覚でした。

 たぶん、その後の10年20年はそのような状況に対する反動と位置づけられるのではないでしょうか。
 極端から極端に振れるというのが日本人の悪い癖のように感じているのですが、この問題についても例外ではないと思っています。

 そして検事も日本人なのです。
 一般的傾向というのは、あくまで一般的な傾向であって常に例外が存在しますが、現在の検察の処分はこれまでの全体的な流れの中で理解する必要があると思います。
 まずは理解する必要があるということです。

 老人の医者さんによれば、「多くの医師達にとっては検察の存在は医者をお縄にしようと虎視眈々とつけ狙う純粋な敵対的存在」とのことですが、はっきり言いまして、これは一部の不適切な起訴事例のみに基づく思い込み的な誤解である可能性が高いと考えています。
 だからといって福島地検の起訴が医療崩壊を大きく加速させた事実を否定するつもりは毛頭ありません。

 しかし検察の実情としては、推測まじりになりますが、起訴事例よりずっと多くの不起訴事例があるはずです。
 医師に対する医療過誤告訴事件について検察が不起訴にし、患者側告訴人が検察審査会に審査の申し立てをし、検察審査会が不起訴不当の議決をしたが検察が再度不起訴処分にした事例を知っています。
 
 検察は「正義の味方」を自認していますが、起訴することが正義であるとは考えていません。

 ところで、私が「検察庁の重罰化(重要な追記あり)」で紹介しました

医療過誤・飛行機事故などはこれまで被害者の利益を考えて刑事責任の追及を行ってきたが、国民や社会全体の利益の観点に立って、原因究明や事故防止のためにどういう枠組がいいのか検討すべき時期に来ている

という但木検事総長の訓示ですが、これは政治家のその場しのぎの国会答弁の類ではありません。

 法務大臣の訓示よりはるかに法務省への影響力がありますし、検察の最前線の感覚を大きく変える力があります。

 次に、以上に関連して付言しますが、これまで医師がミスによって責任を問われるのに、どうして検事や裁判官は判断の誤りについて責任を問われないのか、という指摘が繰り返されてきました。
 これについて以前に私はそんなことをすると司法崩壊が起こると書いたことがありますが、別の観点でいいますと、検察や裁判は権力者である検事や裁判官による権力行使だからである、ということができます。

 権力者の方向を変えることができるのは、民主主義社会においては国民であり、それは国民の権能であると同時に、自己責任的責務であります。
 これは、単に理念の問題ではなく現実的な問題であると考えています。
 そして、国民がその力を発揮するためには国民にどのような情報が伝えられ、国民がどのような問題意識を持つか、ということが極めて重要であると考えられます。
 その意味でマスコミに依存しない、またはマスコミにも影響を与えうるネットコミュニケーションに可能性の一つを見出しているところです。

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資格試験のしくみと勉強法 - 旧司法試験と新司法試験 (2006年11月 6日 17:32)

こんにちは!突然のトラックバック失礼します。よろしければ司法試験について情報交換しませんか? 続きを読む

コメント(38)

「検察庁の重罰化(重要な追記あり)」でもモトケンさんが紹介されておられた、「国民や社会全体の利益の観点に立って、・・」但木検事総長の訓示のこのことは重要なことだと思います。また、検察のみならず多くの場合に当てはまり、この観点で個々の場合についても考える必要がありうると思うのです。

マスコミの情報には、「あれ、何か抜けているのでは?」と思ってしまうことが多い。ブログの情報には、その抜けている部分を補充してくれる機能がある。「マスコミにも影響を与えうるネットコミュニケーション」を目指しての道のりは険しいが、モトケンブログの良さは多くの良いコメント(勿論エントリーも)を読めることです。

検察審査会の議決に拘束力を持たせる刑事訴訟法の改正が既に成立し、現在施行待ちという状況です。
私ら法律に従って仕事せざるを得ませんが、実際にコレが施行されたら、どうなるんだろうと不安です。
施行後は、医療事件に限らず、あらゆる事件で、普通の人たちで構成される検察審査会が「起訴せよ。」と議決をしたら、検察官は起訴しなくてはなりません。
法律家である検察官の起訴・不起訴の判断よりも、普通の人たちの感覚を優先せよ、ということなのでしょうが、無罪事件が増えそうです。
あ、・・・刑事裁判も普通の人である裁判員が裁くようになるんでしたっけ。

原因究明・再発防止を重視するのなら、刑事免責を与える代わりに全て喋らせるという制度を「法律」で作んないと駄目ですね。

> 法律家である検察官の起訴・不起訴の判断よりも、普通の人たちの感覚を優先せよ、ということなのでしょうが、無罪事件が増えそうです。
> あ、・・・刑事裁判も普通の人である裁判員が裁くようになるんでしたっけ。

PINE様はこの帰結を書かれていませんが、煎じ詰めれば、
・冤罪により起訴され、
・間違った裁判で有罪判決を受けて、
・刑務所に行かされたり極端な話は死刑にされる
ことがありうる、という話です。

検察審査会制度の改正に関しては、私は反対の立場であり(でした、が改正法が通ってしまいました)、
検察の起訴便宜主義は、総合的には利点のほうが多いと思っています。

最近の事例では、医療事故ではありませんが、「明石歩道橋事件」で、
検察審査会の二度の起訴相当意見にもかかわらず、神戸地検が不起訴を貫いたことについて、私は一つの見識だと思いました。
世間には、これは検察の警察庇いであるという見方もないではありませんが、私は、
イベントの警備態勢の不備により生じた事故は、いわゆるヒューマンエラーであって、警察署長個人の責めに帰すことはできないから、不起訴処分は正しいと考えます。
医療で言えば、病院の管理システム不備のゆえに事故が起きたケースについては、主治医個人の刑事責任を問うべきでないのと同様です。

しかし、この事件で、マスコミは検察に批判的な論調が多かったようです。
それはまた、一般的な「市民感覚」でもあるでしょう。最近の傾向として、大衆はますます血に飢えているというか、何かコトあれば犯人捜しをして、誰かに責任を負わせ糾弾しなければ気が済まない、私から言わせれば、集団ヒステリーの気味があると思います。
その感覚を持ち込まれたら、司法は一体どうなるか・・・本当に不安です。

そもそも「市民感覚」による判断は本質的に、専門職による判断に比べて、精密さを担保することができません。医師でない素人に、病気の診断をさせるようなものです。
そうすると、何%かの割合で間違いが生ずることは不可避であり、そのことを制度的にも許容せざるを得ません。
その間違いを正当化しうる理由があるとすれば、「お互い様だから」。自分たちで自分たちを裁くのだから、時には間違ったトンデモ判決を受ける結果になっても、それは仕方がないこととして受け容れよう。
しかし、日本人は江戸時代以前から伝統的に、自分より賢くて偉い人が間違いの無いように決めてくれるというやり方−「お上」の裁きに身を委ねてきました。
ここへもってきて、180度方向転換なんて、できるのか? 本当にその覚悟はありや?

-----
> 原因究明・再発防止を重視するのなら、刑事免責を与える代わりに全て喋らせるという制度を「法律」で作んないと駄目ですね。
賛成。
事故調査委員会の資料が刑事手続きに流用されるというのでは、黙秘権の侵害になりますし、誰も真実を語ろうとしないでしょう。

事故調査委員会の必要性に関して。
医療事故に関する民事訴訟や刑事告訴が増えている原因の一つとして、裁判が真相解明してくれるだろうという患者の期待があるのではないでしょうか。
しかし実際にはそれは過剰な期待であって、裁判の真相解明機能は限定的でしかありません。
民事裁判は当事者間での紛争解決が第一だから、当事者が受諾さえすれば、原因や責任の有無を曖昧にしたままの和解もありうる。
刑事裁判は、起訴罪名について被告人が有罪か無罪かの判断しかされず、事件の全容は解明されない。

そこで、このような裁判の機能の限界を広報して国民の「幻想」を打ち砕くとともに、事故原因調査を行う専門機関を整備すれば、無意味な訴訟が減ると思います。

>YUNYUNさん
逆説的になりますが、裁判員制度や検察審査会の制度改革に関しては、「市民感覚」を排除するいい機会なのではないかと思っています。責任を負わないからこそ市民感覚とやらを発揮出来たわけで、責任を負う立場になれば感覚もまた変わってくると思うのですが。

ふむ。確かに重要に思えますね。
このブログは勉強になるのでいつも読んでおります。
今後ともよろしくです

> モトケン様

いつもいろいろワガママな意見ばかり言って済みません。
相変わらず意見を述べさせて頂きますが、「医療ミス」という言葉は一人歩きして、今や日本語的な意味を成さないと個人的には考えております。つまり、ミスを英訳するとmistakeですが、マスコミはこの意味で使用しておりません。いわゆるaccidentやincidentについても医療ミスという言葉を一貫して使用しております。すなわち過誤でない医療事故についても医療ミスという言葉を使い続けてきたという背景があります。言うまでもなく、医療過誤は医療事故の一種です。
多くの医療従事者にとっては医療ミスという言葉は正しい日本語ではないと認識しております(少なくとも私の周りの医療従事者はそうです)。「医療ミス」という言葉はいわゆるスラングとでも言うのでしょうか。それ故、可能な限り医療過誤、医療事故と記載して欲しいと願うのですが、いかがでしょうか?これだけ格調高いブログですので正しい日本語がふさわしいかな、と思った次第です。需要が多ければ「医療ミス」という言葉のエントリーもアリだったりして・・・(冗談ですけど)。

細かくて申し訳ありません。是非ご検討頂ければ幸いです。

> YUNYUN様
明石の事件の警察に対する世論は私には暴動にしか映りませんでした。つまり、誰かを血祭りに上げないと気が済まないような・・・。これが医療事故に対するものだったら怖い、と思ったものです。ところが今やそれが現実化してきている。マスコミの医師叩きはとどまることを知らない。
フランス革命だって、見方を変えればあれは市民の暴動とも言えなくはないでしょう。その証拠に、革命を遂行した人たちが後々処刑されたりしている現実を見ると、感情論というのは良いことを生まないと思ったりするのです。勿論、革命がなければ今の世の中は存在しません。革命は必要だったでしょう。しかし、こうした血みどろの事実を伏せて、フランス市民は革命の記念日を祝ったりするので、ちょっと私には考えられない感覚でした。
同じことが太平洋戦争にも言えますね。日本は確かにアジアを不幸に陥れましたが、そうしなければ日本はおろか、アジアは欧米の植民地と化していたでしょう。歴史とは陰と陽の部分があり、お互いそれが重要なのですが、実際には陰の部分(仕方がなかった部分)は陥れるためのアイテムと化しているわけです。
医療事故も似たものだと思います。必ず陽(被害者の意識)と陰(医学の限界と社会的問題)があります。陰をひたすら隠して陽の部分のみ強調する、少なくとも数ヶ月前までのマスコミはこうしたスタンスでした。それが我々医師から見ると「勉強不足で何も分かっていないくせに世論を患者の同情で一杯にする汚いやり方」に見えてしまうのですが、所詮、一人一人の医師の力なんて弱いもの。
やはり大切なのは真実を追究することではないでしょうか?

>yama さん

 このエントリの本文の文脈においてどのような言い方をすべきかよくわからなかったというのが正直なところです。

 医療側から司法側への不満の表明としてはどう書くべきだったのでしょう?

モトケン様
コメントありがとうございます。たしかに、難しいですね。
例えば総論的には医療過誤という下りをなるべくやめて医療事故とするのがベターでしょうか。
勿論、各論的に、過誤がはっきりしているもの(患者取り違えとか投薬量ミスとか)に限って過誤と言うべきなんでしょうかね?実際に過誤でない事故例がかなり裁判例に含まれています、というか、私もこの手の裁判に経験あります。幸い被告ではなく、民事例にて参考人(実際は私が主治医だったのですが、訴えられたのは別の医師です)として弁護士に事情を説明しただけですけど。ちなみにこのときは示談で話が済んだようですが、医療側は全く間違ってことをしておりません。つまり、事実上の敗訴ということでしょうか?少なくとも私たちはそう感じました。

回答に際してこちらも大変あやふやで申し訳ありません(何を持って総論的なのか・・・)。

どんなに悪質な飲酒運転が原因でもマスコミでは「交通事故」なのにねぇ〜。
「医療ミス」とか「医療過誤」という言葉は既に強い評価を含んでいますので、せめて「医療事故」ぐらいが良いと思うんですが。

先の2006年10月15日のコメントについて、一部訂正します。
『普通の人たちで構成される検察審査会が「起訴せよ。」と議決をしたら、検察官は起訴しなくてはなりません。』とコメントしましたが、正しくは、検察審査会の起訴議決そのものに公訴提起の効果が認められ、裁判所の指定する弁護士が検察官の職務を行うことになります。
ちなみにこの改正規定は、平成21年5月27日までに政令で定める日から施行されることになっています。
YUNYUNさん、私が舌足らずのところを分かり易く説明していただいて、ありがとうございます。

医療事故と呼称されるれる事例には、とても納得出来ない以下のようなものまでが含まれます。

医療現場での事故           本来は→医療偶発症
--------------------------------------------------------
医療現場で起きた、偶発症であって、医療従事者に責任のないもの
(異なる疾患の突然の発症、見舞客による病原菌の持ち込み、
患者自身の危険な行動による受傷など)


誤診とマスコミに呼称されるもの   本来は→仮診断(診断仮説)
--------------------------------------------------------
鑑別診断中の仮診断が後の検査等を経て、異なることが分かったもの
(当初、起立性障害と診断されたが、後にてんかん発作とわかったなど)


医療操作上のミスと呼称されるもの 本来は→不明の原因による損壊
--------------------------------------------------------
医療従事者が行う操作に付随した予想出来ない事例、例えば、
通常の検査では証明出来ない解剖学的異型で稀なものに通常の操作を
慎重に行ったにもかかわらず、受傷などの異変を生じたもの
(極めて稀な、血管走行、神経走行、組織の変位等であって、事前に
検査が困難であるか、検査が保健適応外であるもの)

--------------------------------------------------------
他にも、色々とあると思います。過失を超えたものとして使用している、過誤という語句も意味が広すぎて語弊があり、使用することは不適切だと思います。

(たぶん専門的な調査・検討もされていると思いますが、思いつくまま書きました)

せめて、医療偶発症という用語は、マスコミにも理解して貰い、常識的な語句として定着してもらいたいです。

yamaさん:
>同じことが太平洋戦争にも言えますね。日本は確かにアジアを不幸に陥れましたが、そうしなければ日本はおろか、アジアは欧米の植民地と化していたでしょう。
 へえ。何を根拠にそんなことがいえるんですか?
 アジアといっても広いですが、ここでは東アジアおよび東南アジアに限定しましょう。大まかに分けると、中国大陸、朝鮮半島、日本列島、台湾、仏領インドシナ、タイ、マレー半島、インドネシア、フィリピンです。これらのうち、1941年12月に大日本帝国が連合国に対して開戦しなければ欧米の植民地と化していたであろう地域はどこですか? 地域を具体的にあげたうえで、なぜそう考えられるのか、どのような歴史的なプロセスを経て植民地化が進むと想定できるのか、個別具体的に述べてください。

田中 さん、こんにちは。

> 仏領インドシナ

 …さて、どこか他でやった方が良い議論かと思いますが、…。

No.11 田中 様
> へえ。何を根拠にそんなことがいえるんですか?
> 個別具体的に述べてください。

そういう言い方を典型的な「煽り」と言うのですよ。
このエントリで大日本帝国の植民地支配の功罪を論じることは、完全な筋違いです。

> 日本は確かにアジアを不幸に陥れましたが、そうしなければ日本はおろか、アジアは欧米の植民地と化していたでしょう。(No.6 yama様)
おそらく、これに反対のご意見をお持ちであると拝察いたしますが、それなら一言、
「私はこの部分には反対です。」と言えばよいではありませんか。まあ、書きたければ、簡略に理由を付け加えてもよいでしょう。
(ちなみに、私もyama様のご意見のこの部分には賛成いたしかねます。)

しかし相手を馬鹿にした調子で議論をふっかけること、しかも本題と無関係の議論に誘導することは、サイトの正常な運営を妨げる言動、すなわち「荒らし」です。
田中様は他のエントリでは、有益な良いコメントを述べていらっしゃることも多いのに、
なぜ時々、このように議論を引っかき回すだけの無意味なコメントをされるのか、理解に苦しみます。
まさか、そういう「遊び」が楽しくて好きだから、というのではありますまいが、
もしやりたいのなら、どこか余所の、それに適した場所でやっていただきたい。

管理人でもない私が、このように「仕切る」ことを申すのははなはだ僭越ではありますが、
このブログは、法律や医療の問題について真剣な討議を行うために、多忙な方々が貴重な時間を割いて集まっていただいている場ですから、各人がここに来る時間を有意義なものにしたいと思います。
よって、皆様には、エントリの本旨に沿った発言及び正常な議論進行を心がけてくださるようお願いします。

>YUNYUN先生(.3)
 ご無沙汰いたしております。しばらくコメントを差し控えてまいりましたが、先生のコメントを拝見してやや疑問を抱きましたので、お教えを請うべくコメントを差し上げることにいたしました。

>最近の事例では、医療事故ではありませんが、「明石歩道橋事件」で、検察審査会の二度の起訴相当意見にもかかわらず、神戸地検が不起訴を貫いたことについて、私は一つの見識だと思いました。

 とのことですが、本件では、元署長こそ不起訴になりましたが、部下の地域官らは起訴され、実刑判決が下されています。

 元地域官は事故当日の警備実施責任者としてその刑事責任を認定されたわけですが、元地域官らに有罪判決を下した神戸地裁はその判決(神戸地判平成16年12月17日)で、わざわざ「訴因をどのように構成するかは、検察官がその職責によって決すべき事柄であるから、当裁判所としては、それをもとにして本件業務上過失致死傷事件の過失の有無を判断すべきことになるが、本件夏祭りにおいては、後述するように、そもそも会場選定を含め、本件夏祭りの準備段階において認められる様々な問題点が本件事故発生に大きく関わっていることを否定することはできない」などと述べた上、本件警備実施計画作成の段階において元署長が、元地域官の作成した雑踏警戒班として3個班(24名)を充てることとした警備計画案を「雑踏警戒班って何するんや、こんなにいらん」と言って2個班(16名)に減らし、雑踏警戒班が減員されることに不安を感じた部下による「雑踏を減らされては困ります」という意見具申を却下するなどしていた事実を認定するとともに、「雑踏警備等に関する各種文献においては、雑踏警備について、事前の計画がほぼ8割、その計画を警備員等に周知徹底できれば、その警備のほぼ9割は終わったといわれていることなどからすると、十分な警備計画が策定されていなかったことが、本件事故発生の重要な原因である事は否定できないし、また、警察が十分な警備体制を構築できなかった責任のかなりの部分が元署長にあることは否定できない」と判示しています。

 また、同事故の民事訴訟においては、「明石署の警察官の対応が、上記のとおり、暴走族対策に著しく傾斜し、雑踏警備を軽視することとなった原因は、署長であるJの責めによるところが大きいものと認められる」(神戸地判平成17年6月28日)と、元署長の責任を特に指摘しています。

 このように、刑事・民事の裁判所がそろって元署長の責任について強く言及しているにもかかわらず、あえて起訴を見送った検察の判断を「一つの見識だと思いました」と高く評価し、二度にわたる検察審査会による起訴相当の判断を、その内容に踏み込むことなくただ素人であるという理由だけで「血に飢えている」「集団ヒステリー」とお切り捨てになる理由が私にはわかりませんでした。

>「雑踏事故はヒューマンエラーであって、警察署長個人の責めに帰すことはできない」

 とのことですが、本件について元地域官をはじめとする全ての関係者に対して刑事責任を問うべきではない、あるいは本件に限らず過失犯自体を非犯罪化すべきだ、というご主張ならよく理解できます。しかし、現行法の枠組の中で、元署長の決裁を受けた警備実施計画に従って警備指揮を行った元地域官を起訴しているにもかかわらず、あえて被害発生の危険性を高める方向に計画を変更するとともに当日部下に対して適時適切な指示を与えなかった元署長について頑なに不起訴判断を維持した検察は、自らに与えられた起訴裁量を濫用しているとの謗りを免れることはできないように思われます。
 一体何を以ってYUNYUN先生が「検察の不起訴処分は正しい」と評価なさったのか、ご教示いただければ幸いです。

こちらの方が適切でしょうか。裁判所の方も、第三者機関を導入して欲しいとお考えのようですね。

------------------
それから苦情処理や個別の紛争については,弁護士会が一種の調停をして,細かい事件はそれで大体もうおさまってしまう。だから,弁護士が被告になっている訴訟代理の過誤事件と医療関係事件とを比べると,弁護士が被告になっている民事事件は非常に少ない。そういう意味で,弁護士会という強制加盟の職能集団にはそれなりのファンクション(機能)がある。裁判所の立場からすると,裁判でなければどうしようもないようなことだけ扱いたいという感じがあり,第1ハードル,第2ハードルといったところで区分けして裁判でなければだめだというものだけが来るようなシステムにしなければ,どんどん事件数が増えて処理し切れないという問題が出てくる。
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/asu_kondan/asu_kyogi13.html
------------------

この辺りは、司法も医療側も認識が一致しているようですね。

No.11 田中 さん

私もNo.13 YUNYUN さんの意見の方に賛成です。

田中さんの反論した議題は討論する価値十分に有りだと思いますが、場所としてこのエントリーは不適切だと思います。

「モトケンの掲示板です」http://www.yabelab.net/bbs/yybbs.cgi

とりあえず、こちらは書き込みもほとんど無いようですし、独立したエントリーとして取り上げて頂くなどの要望を出すなどやってみてはいかがでしょうか。

>クルンテープさん
モトケンさんのお手を煩わせる必要もない話題だと考えます。田中さんはご自分のブログをお持ちのようですから、自分のところで好き勝手にやれば宜しいのではないかと思います。

> 本件では、元署長こそ不起訴になりましたが、部下の地域官らは起訴され、実刑判決が下されています。
> 一体何を以ってYUNYUN先生が「検察の不起訴処分は正しい」と評価なさったのか(No.14 an_accused様)

No.3コメントでは検察審査会と検察官の起訴権限の関係を中心に論じたため、部下の警察官の問題には触れませんでしたが、当然ながら、
> 本件について元地域官をはじめとする全ての関係者に対して刑事責任を問うべきではない
というのが、私の立場です。

おっしゃる通り、部下の地域官のみを起訴して署長を起訴しなかった神戸地検の処理は大変不公平な取り扱いであり、
> 自らに与えられた起訴裁量を濫用しているとの謗りを免れることはできない
という点にも、賛同いたします。

そして、それを正す方向性としては、
 a)両者とも起訴する
 b)両者とも起訴しない
のうち、b)であるべきだ、というのが私の意見です。
部下を起訴したのだから、署長も起訴せよというのでは、二重に不当な結果になると考えます。その限度において、「署長を起訴しなかったことは正しい」と述べました。
No.3コメントの書き方ではこの趣旨が不明確であったと思います。ご指摘ありがとうございました。

ちなみに、an_accused様はどちらの方向をとるべきだというご意見でしょうか?
> 刑事・民事の裁判所がそろって元署長の責任について強く言及しているにもかかわらず、あえて起訴を見送った
> 内容に踏み込むことなくただ素人であるという理由だけで「血に飢えている」「集団ヒステリー」とお切り捨て
との表現からして、a)のご意見かもしれませんね。

----
引用していただいた神戸地裁判決では、裁判所が本件地域官の起訴自体について相当疑問を抱いていることが、言葉の端々に窺えます。

> 本件夏祭りにおいては、後述するように、そもそも会場選定を含め、本件夏祭りの準備段階において認められる様々な問題点が本件事故発生に大きく関わっていることを否定することはできない
→本件事故が、さまざまなエラーが集積した結果のヒューマンエラー・ケースであると見ている

> 訴因をどのように構成するかは、検察官がその職責によって決すべき事柄であるから、当裁判所としては、それをもとにして本件業務上過失致死傷事件の過失の有無を判断すべきことになるが、
→刑事司法制度においては当然の前提とされているのに、わざわざ言及

> 責任のかなりの部分が元署長にあることは否定できない
→より強く責任を問うべき者が他に居り、部下の刑責は相対的に小さいことを示唆

しかし、そこまで言うなら潔く、「部下に過失無し−無罪」にしろよ、と私は思いますが。
裁判所は99%有罪の司法統計の中で、無罪判決を出すことに躊躇するということでしょうか。
本件では有罪判決を受けた地域官らは直ちに控訴したはずですが、その後の経緯を追跡しておりません。ご存知でしたら、お教えいただければ、幸いです。

一方、民事(国家賠償)請求に関しては、兵庫県は控訴を断念して、地裁の賠償命令がそのまま確定しています。
本件では、個々の警察官に対し業務上過失致死罪の刑事責任を問うべきでないとしても、警備の不手際があったことについて、民事の賠償はすべきだと考えます。

私見ですが、群衆事故防止のためには、雑踏警備員の人数をただ増やすだけでなく、人の流れを徹底的にコントロールすること、一方通行で横入り厳禁のルートを設定して、一箇所に溜まらないように人を動かすといった管理技術が大切であると思いました(管理される側は自由に動けなくて面白くないかもしれませんが)。

>YUNYUNさん
裁判官は、起訴自体には疑問を抱いていないと思いますよ。

>Q署長やS副署長に本件事故発生に何らかの責任があるとしても,
>それはあくまでも,被告人らの過失と競合するにすぎないのであって,
>被告人らの業務上過失責任を否定するには至らない。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/D2507B926D63AA2D49257018001141C2.pdf

> 裁判所の方も、第三者機関を導入して欲しいとお考えのようですね(No.15しま様)
数年前から、裁判所は自分とこの事件数を減らして負担を軽くしたいため、
裁判所以外の機関に紛争解決機能を求める「裁判外紛争解決機関 Alternative Dispute Resolution」を推進しています。

それはそうと、しま様にご紹介いただいたページは、有益な情報がいろいろ載っておりますので、他の皆様も是非お読みください。
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/asu_kondan/asu_kyogi13.html
「明日の裁判所を考える懇談会(第13回)協議内容」
日時 平成16年7月26日(月)15:00〜17:00

抄録。

用語問題について。
---
(松尾委員)
用語の問題として「医療事故」と「医療過誤」とは違うなどという指摘があるが,先ほどの説明における「医事関係訴訟」と「医療訴訟」という用語は同じ意味で使われているのか。
(最高裁)
これまで慣用的に「医療過誤訴訟」と言っていたが,最高裁の委員会の委員である医師から,「『医療過誤』という,過ちを前提とした呼び方は困る」という意見が出たため,正式には「医事関係訴訟」という用語を使うようにした。ただ,短く「医療訴訟」と言う場合もあり,そういう意味では「医療訴訟」と「医事関係訴訟」とはほとんど同じ意味である。
(大谷委員)
医師の中には,「ミスとエラーは違うんだ。過誤の中にも二通りある」と言う人もいる。
-----

医師と患者の人間関係についての印象。
---
(最高裁)
上告事件の中にも医療関係の訴訟が結構ある。私の第一印象では,医師と患者,また患者の関係者との人間関係が一番問題である。今は医師の説明義務などが非常に話題になっているが,医院側が治療行為やその結果について,患者や患者の家族が納得するような形で説明義務を果たすような人間関係があれば,訴訟にはならない。医療の場合,特に患者が亡くなった場合,向けようのない故人を悼む気持ちが医療担当者なり医療機関に向けられることもあり,人間関係が問題の一つとなっている。もう一つ,いわゆる「むち打ち症」などが典型的であるが,本人はこうだ,こうだと言うが客観的に見てデータ的に症状がないこともあり,もちろん本当に気の毒な場合もあるが,一部には言いがかりをつけるような感じのものもある。そうすると今度は医師の方が気の毒で,そのために何年も大変な心理的その他の負担になるわけであり,もともと過誤などとは全然関係のないような事件もある。一般の民事事件の処理でもそうであるが,そういった人間関係や人間の心理的な対応ということについて上告審までもつれてきてしまうこともあり,その中には「これは患者の方が気の毒だ。医師はどうしているのだ」と感じる事件と,「これは医師の方が気の毒だ。何でこんなので訴えられるのか」という事件と,それぞれかなりのプロポーション(割合)がある。その辺の処理がうまく整理がついてくれば全体の審理ももっと合理的になるのだが,純法律だけで済む問題ではなく,結局,関係当事者が「これはもうしようがないな」というところへ持っていくような訴訟の運営も必要ではないかと感じている。
(松尾委員)
心理学の問題と言えようか。
(平木委員)
そのとおり,「だれがだれをどう許すか」というような問題である。
-----

専門家の判断の意味。
---
(最高裁)
例えば日本の医療訴訟で敗訴した医師は,相当ひどい社会的な職業上のダメージを受けると考えられているのだろうか。それとも,高度な専門的職業であり判断も難しいことであるから,ある程度の過誤率あるいは失敗の率というのはやむを得ないものだという風土があるのだろうか。
(米本委員)
詳細は判らない。ある意味上下関係がある良い面としては,良い医師であれば事故に巻き込まれた後も数年間はそれなりのところにおり,学閥や師弟関係の中でそれなりの処遇を与えているが,逆に表面的には軽い判決でも別の処遇を受ける場合もあるようである。
(最高裁)
間違いの内容にもよると思うが,例えばプロフェッションの中で,裁判官でも裁判を間違えないという保障は全然ないし,医師のように多数の患者を診ていれば一定程度の比率で間違いがあるのは当たり前ではないだろうか。もともと無謬神話があるから防御もガードも堅くなるし,処理の形態が非常に硬直化することになりやすいのであり,こういうものは一定比率以内なら名医ですよ,というような認識が広がれば,それほどかたい争い方はなくなるのではないかとも思うが,いかがだろうか。
(米本委員)
かつてアメリカでは,医療の治療効果はほとんどないという研究がなされたことがある。先ほど申し上げたが医療は現業部門であり,プロフェッションのプロという意味は,手を尽くしても駄目だった場合にその記録をほかの同僚が見ても「これはしようがないだろう」と思われる程度に不確実性を管理することにあり,それがピアレビューということである。それを日本の医師はやってこなかった。こういう職業文化から変えなければならない。
(最高裁)
先ほどのカルテの問題にしても,どうもその価値観が,全体として制度の円滑な運用を妨げている気がしてしようがない。
-----

> 裁判官は、起訴自体には疑問を抱いていないと思いますよ(No.19しま様)

有罪判決を下した以上、最終的な法的評価としては、
起訴したことが「違法ではない」(=検察官の起訴権限の濫用とは認めない)
という趣旨になります。

しかし、普通の事件では、
原因となったこと・責任を負うべき人が被告人以外にあるというようなことは、
ただの一口も言ってもらえませんので、
やはり本件は異例の判決であるという印象です。

>YUNYUN先生
 詳細な応答をいただき、ありがとうございます。
 前述のとおり、「本件において誰の刑事責任も問うべきではない」ということであるならば先生のお考えはよく理解できます。先生のお手を煩わせ、申し訳ありませんでした。

 まず、先生からお尋ねのありました、本件に対する私の立場ですが、

 「一旦は雑踏警備を重視した警備計画を立てて却下され、元署長が変更・決定した警備計画に従って警備実施にあたらざるを得なかった元地域官は起訴されるべきではなかったかもしれないが、警備体制構築にあたって事故発生の危険を高める方向に舵を切った上、警察官や警備員等に対する警備計画の周知を怠った元署長は明らかに起訴されるべきであった」というものです。

 認定事実によると、元署長は、警察本部作成の警備実施要領に基づき、警備計画を決定するとともに関係諸機関及び配下の警察官に周知し、当日は配下の署員及び管区機動隊をはじめとする応援部隊の統括指揮を執る立場にありました。

 にもかかわらず元署長は、元地域官が作成した雑踏警戒に重きを置いた警備計画案を却下した上、部下の意見具申も聞かず、迂回路の設定を含む警備計画を関係者に周知することもなく、当日は署内に設けられたテレビモニターを通じて会場の全体状況を把握できる位置におりながら適時適切な指示を発しませんでした。

 本件をヒューマンエラーとするならば、そのエラーを極力回避する体制を構築できる(すべき)立場にいたのが元署長です。そして、元署長は危険を回避する努力をするどころか、危険を増大する方向に積極的に働きかけていたのです。これで刑事責任を問うべきでないというのであれば、いっそ我が国の法体系から過失犯処罰規定を削除してしまえばよいのではないかと思います。

 もっとも、過失犯処罰規定を極力減らし、非犯罪化していくべしという立場も十分ありうると思います。医療や建築などといった免許制度・許可制度によって運営されている領域では、刑事罰よりも柔軟・妥当なサンクションを設定することも可能ですし、生じてしまったヒューマンエラーを調査し、改善点を見出し、関係者に周知する仕組みを用意することも比較的容易ですから。しかし、英連邦のように警察オンブズマン制度が設けられているというのであれば格別、今の我が国には警察・検察官以外に警察の警備計画や警備実施状況、関係者の行動や認識を調査し、その結果を公にできる機関が存在しません。調査機関やフィードバック制度が存在しない以上、警察や検察官が捜査権限・起訴権限を行使して、エラーであれ何であれ、一体何が生じたのかを解明し、公判を通じて公にする必要があります。従って、「本件では誰も起訴されるべきではなかった」という先生のご見解に従うことはできません。

 さて、検察審査会は「有罪か無罪か」を判定する機関ではなく、検察官の起訴権限が適正に行使されているか否かを判定する機関ですから、先生にご賛同いただきましたように、検察官が著しく不公平な事件処理を行っている疑いがある以上、検察審査会が適正な公訴権の行使を促す議決を行うのは当然ではないかと思います。なぜ先生が、本件における神戸検察審査会の議決を引き合いにして「大衆の集団ヒステリーが司法に持ち込まれればどうなるか」などという危惧を表明なさるのか、まだよくわかりません。本件における検察審査会の議決は、「市民感覚」だけでなく、刑事・民事の裁判所の感覚にも合致した、妥当な議決であったように私には思われるのですが。

横レス失礼します。

医療事故の検証に当たっては、再発防止と被害回復(補償)が優先されるべきであって、個人責任の追及を趣旨とする刑事手続きは本来あるべき流れを阻害するものだと感じます。
医療事故には偶発的な合併症からスタッフの単純ミスまで様々な原因があります。そして、個人の過失責任で片付けることでは根本的な解決にならず何度でも似たような医療事故が繰り返されます。
今から20年ほど前、全身麻酔中に酸素と笑気の接続を間違え100%笑気を投与して低酸素脳症を起こさせるという医療事故が繰り返し起こっていました。当時関わったスタッフの中には業務上過失致死で刑事罰を受けたものもいますが、いくら注意を喚起しても再発防止にはなりませんでした。
この医療事故は現在皆無になりましたが、その決め手は酸素の笑気のコネクタ形状を変え、物理的に誤接続できない構造にしたことでした。ミスの起こった背景を分析し、それをシステムの変更に反映させたことで初めて完璧な再発防止ができるようになりました。
福島県の癒着胎盤の事例はもっと専門的な臨床判断が関係するものであり、上記のような単純ミスと同一視はできませんが、似たような癒着胎盤の症例で死亡につながったもの、救命し得たものを詳しく分析することで望ましい術式や治療法の適応を議論することができます。このサイトの議論の中でも、心臓血管外科を専門とする医師より大量出血時の腹部大動脈遮断についての提言がなされていました。このように、症例の詳細がオープンになることで産婦人科専門医以外からの提言を得て医療レベルの向上を図ることもできます。
しかしながら、このような流れの中に個人責任追及を旨とする刑事手続きを持ち出すことで、症例の詳細や患者死亡につながった背景を明らかにすることができなくなります。被疑者、被告人の立場になった医師は防御権を行使する必要があることから、「現時点の医療レベルでは個人の過失はなかった」という立場で議論を進めざるを得ず、再発防止や医療レベルの向上につながるような議論は全く進まなくなります。

医療が本質的にリスクと不確実性を内在するものである以上、医師性善説に基づいて医療に起因した患者の死亡は刑事手続きから切り離すべきだと思います。被害者救済は現実的に金銭での補償が唯一のものとなることから、過失の有無にかかわらず支払いを受けられる保険で行われるべきでしょう。

医療事故の過失責任の議論は刑事手続きよりも優先した第三者機関での審判にゆだねるのも一計かと思います。各科の専門医や法律家、その他の有識者で構成され、医療事故を専門に議論する審判機関の創設を検討すべきだと思います。著しい能力不足により患者の死亡につながる医療事故を起こした医師や死亡事故を繰り返すリピーター医師の医業停止、再教育などはここで議論すればよいのではないでしょうか。
現在は海難審判の分野でこのような専門の審判機関が存在しますが、海難審判庁の医療版も必要だとと考えます。

日本の刑事司法ではなぜか刑事裁判において99%とも言われる有罪率があり、法廷での議論の前に結論が決まっていることがままあるように感じます。法律の素人の目から見ると、マスコミ等で報道される業務上過失致死事件の判決理由で「はじめに結論ありき」のごとく素人目には首をかしげるような有罪の理由付けを行い、事故の背景となったシステム上の問題点にはほとんど言及されていないものも散見されます。
裁判官に対して、無罪判決を出してはならないと言った無言の圧力があるのでしょうか? 現状が一朝一夕に改善されない以上、検察官の起訴便宜主義を最大限に活用して業務上過失致死事件に対する刑事罰の適用(起訴)をきわめて抑制的(マスコミから突き上げられるくらい)に運用していくべきではないかと思います。

そもそも過失犯の処罰が例外とされる刑法の中で、業務上過失致死という犯罪類型がどのような立法趣旨で制定され、現在まで何の目的を持って運用されているのか、非常に疑問があります。加害者が獄につながれ犯罪者としての烙印を押されて社会的に抹殺されれば、被害者家族は一時的に溜飲が下がるかもしれませんが、結局は何の被害者救済にも再発防止策にもつながっていません。
それから、衆愚政治の典型とも言うべきマスコミの論調も問題です。誤った正義感を振り回し、「とんでもないミスをしでかして人を殺した加害者はどのような重い罰でも受けるべきだ」と言わんばかりです。そして、一般市民の中にも医師や公務員等の社会的地位が高いとされるものが社会的に抹殺される過程を心のどこかで楽しんでいる風潮があるように思います。

>医学生1さん
>現在は海難審判の分野でこのような専門の審判機関が存在しますが、
>海難審判庁の医療版も必要だとと考えます。

必要だとは皆さん思ってらっしゃると思います。
そして、司法も検察も必要だとは思っていると思います

問題は、誰が主導するべきなのかと言うことです

>日本の刑事司法ではなぜか刑事裁判において99%とも言われる有罪率があり、法廷で
>の議論の前に結論が決まっていることがままあるように感じます。

これは単純に、勝てない事件は起訴しないことが多いからじゃないんでしょうか?
もちろんそのような統計が裁判官の予備知識に影響を与えている可能性は
ありますが、なかなか証明しづらいですね。

ああ、不勉強が身にしみる。
法改正が施行されていたんですね。
検察審査会が実際に起訴議決をしたら、どうなるんだろう。


明石歩道橋事故:当時の署長らの起訴申し立てへ 遺族

 兵庫県明石市で01年7月にあった歩道橋事故の遺族が改正検察審査会法の施行後、当時の県警明石署長(64)と副署長(59)=いずれも不起訴処分=について、業務上過失致死傷罪で神戸検察審査会に起訴を申し立てることを決めた。事故から公訴時効期間の5年が既に経過しているが、刑事訴訟法が共犯の公判中は時効を停止すると規定しているためだ。殺人などの故意犯と違い、過失犯で共犯関係が成立するかは法解釈が分かれるが、法施行後は検察審が起訴相当と2度議決すれば必ず起訴しなければならず、注目される。

 事故は花火大会の見物客らが会場とJR朝霧駅を結ぶ歩道橋上に滞留して群衆雪崩が発生。男女11人が死亡、約250人が負傷した。神戸地検は02年12月、県警、市、警備会社の事故当時の幹部ら5人を業務上過失致死傷罪で起訴したが、元署長と副署長を不起訴処分に。遺族の申し立てで検察審査会は04年4月と05年12月、起訴相当を議決したが、地検は今年6月、3度目の不起訴処分を決めた。

毎日新聞 2006年10月17日 15時00分

>PINE さん

 e-Govの法令データ提供システムによれば、まだ未施行です。

 記事は改正後の予定を先取りしたものではないでしょうか。

モトケンさん、ありがとうございます。

私の記事の誤読のようですね。

>田中さんはご自分のブログをお持ちのようですから、自分のところで好き勝手にやれば宜しいのではないかと思います。

ということですので、yama さん、解答は haseitai.cocolog-nifty.com/20/2006/10/__61b3.html まで。

私の一言が間違った方向に進んでしまったようで申し訳ありません。
私も自分のコメントの問題になっている内容はメインではなく、例え程度に書いたものなのでそれに対するコメントは控えさえて頂きます。

>No.22 an_accused さんのコメント

まったく同感です。

hay!!
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senks :)

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