エントリ

 奈良県大淀町の町立大淀病院で8月、妊婦(当時32)が次々に転院を断られた末に死亡した問題は、重体妊婦の転院を大阪府内の病院の「善意」にすがってきた奈良側の依頼に、大阪側の受け入れが限界に迫っていることを浮かび上がらせた。厚生労働省は来年度までに「総合周産期母子医療センター」を指定するよう通知しているが、近畿では同県だけが整備基準を満たす病院がなく、確立された搬送システムもない。「このままではまた、同じことが起きる」。医療関係者は危機感を募らせている。

 妊婦の容体が悪化した8月8日午前1時50分ごろ、大淀病院は県内の産婦人科の拠点施設・奈良県立医大付属病院に受け入れを要請した。だが、県立医大は満床だったため、「代わりの転院先を探す」と回答。大阪府立母子保健総合医療センター(和泉市)に同2時半ごろ打診したが、ここも満床だったために受け入れられなかった。

 県立医大は同センターに「一緒に探してほしい」と依頼。センターの当直医が照会すると、7病院が拒否し、同4時半ごろに8カ所目の国立循環器病センター(大阪府吹田市)に受け入れてもらえることが決まった。

 大阪府には、24時間態勢で高度周産期医療に対応できる府内43病院が加盟する「産婦人科診療相互援助システム」(OGCS)があり、重篤な母体・胎児の緊急搬送ネットワークが構築されている。数カ所の病院に断られるケースはたまにあるが、奈良のように受け入れ先を探すのに手間取ることはないという。端末をたたけば、どの病院に空きベッドがあるか、すぐわかるからだ。

 今回受け入れを断った大阪市立総合医療センター(都島区)は、9床ある新生児集中治療室(NICU)が満床で、臨時にもう1床を入れてやりくりしている状況だった。病院側は「とても対応できる状態ではなかった。どこから要請があっても、そのうちの3割ぐらいしか受けられない。大阪府内の基幹病院で要請の半分以上を受け入れられるところは少ないはず」と漏らす。

 ベルランド総合病院(堺市)は「人が足りず、責任ある対応ができない」と断った。病院幹部は「当日は分娩(ぶんべん)を待つ3人の妊婦がベッドにおり、うち1人は高リスク分娩。帝王切開が必要な妊婦1人も自宅待機していた。産婦人科部長を自宅から呼び出して当直医と2人で対応していた状況だった」と説明する。

 大阪市内のある私立病院は、依頼の電話の内容が「子癇(しかん)発作で意識消失がある」ということだったため、脳疾患の可能性を疑って対応しきれないと考え、受け入れなかったという。

 母子保健総合医療センターの末原則幸・診療局長兼産科部長は「母体の救急搬送を他府県に依存すれば、今回のようなケースは今後も出てくるだろう。奈良は独自で対応できるような拠点施設を早く整備すべきだ」と指摘する。

 奈良県では重篤な状態になった妊婦の県外搬送が常態化している。県医務課によると、県外病院への搬送率は04年で37%(77件)。県立医大病院経営課は「転院先を探すネットワークなど、特別なシステムがあるわけではない」と話す。

 ある民間病院関係者は「県内の公立病院では、出身大学の人的つながりで受け入れを頼んでいるケースが多い。こうした環境を変えなければ、県外に頼り切りの状態は続く」と指摘する。

 高度医療に対応できる設備を持ちながら、今回、要請されなかった近畿大学奈良病院(同県生駒市)には日頃、公立病院からの受け入れ依頼はほとんどないという。竹中勇人・業務課長は「(奈良県は)転院依頼のルールがはっきりしていない。県を中心に早期にきっちりとしたシステムを確立してほしい」と注文する。

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集中治療室や人手足りず、危険な妊婦断るケース相次ぐ 危険な状態の妊婦の受け入れを要請されながら、地域の中核病院がNICU(新生児集中治療室)の満床や人手不... 続きを読む

コメント(62)

>母子保健総合医療センターの末原則幸・診療局長兼産科部長は「母体の救急搬送を他府県に依存すれば、今回のようなケースは今後も出てくるだろう。奈良は独自で対応できるような拠点施設を早く整備すべきだ」と指摘する。

これは現場の大多数の人間が感じていることでしょうね。今回の問題の本質でもありますし、「奈良までカバーできる余裕はない」という大阪側の本音でもあると思います。
ただ拠点施設だけを作っても1次・2次が機能していなければ、なんにもなりませんので・・気の遠くなる問題ですね。

しかし、ようやくマスコミも事態の深刻さに気がついたみたいですね。でも遅すぎるけど。

こういう議論がマスコミで議論されれば事態は好転するかな?

それにしても今回3箇所の医療機関が転院先を探したのですね。なんとなく納得。1−2箇所で転院先を探すには19箇所への転院依頼としては時間が短かったので。

別なエントリーに書きましたが、今回のケースの場合、なぜ近畿大学付属奈良病院に対して要請しなかったのかが最大の疑問であり、問題ですね。

今テレビでショッキングなニュースが。

産科医不足がこんなことに利用されるなんて。これって有名な話なんですか?

あまりの衝撃に書き込みせずにはいられませんでした。

エントリ違いならすみません。

No.4ぴー様
2006年5月より、沖縄県立北部病院の産婦人科に防衛医官が派遣された話は、医療関係のサイトで結構話題になっていました。
産科医が1名しかいないため、複数確保できるまで、当面外来は受けないということです。

なぜ、防衛医官が北部病院に派遣されて、同じく産科医の居ない八重山病院に行かなかったかという理由については、いろいろ取りざたされております。
沖縄タイムズ社説(2006年4月23日朝刊)
ttp://www.okinawatimes.co.jp/edi/20060423.html

to ぴーさん

ちょっと話題から外れてしまいますが
>産科医不足がこんなことに利用されるなんて。
というのはどういう意味で書かれているのでしょうか?

>島袋市長から要請されていたもので
ということで行政からの依頼に公機関である自衛隊が応えたということですし
災害派遣、特に海外での大災害救援の場合、当然被災者には妊産婦も考えられるでしょうから
(まあ、自衛隊部隊内で出産というのはまずありえないでしょうが(^^;)
使えるものを使う、もしものときの経験を積むことに何の問題が?

「とにかく軍隊は悪!自衛隊反対」との村山(当時)首相のような考えを
お持ちの方なのでしょうか?

田舎でのお産が問題か……と思っていたら,都会でも結構テンパってるんですね。NICUで増床して対応してるって記載に,以前見学に行った(以下,譬えが悪いかもしれませんが)過剰収容の刑務所(←8人部屋に10人とかはザラでした)が瞬間的に目に浮かびました。

>>No.7のkobitoさん
>田舎でのお産が問題か……と思っていたら,都会でも結構テンパってるんですね。

ようやく非医療従事者の方にも伝わってきましたか。
理解いただき、ありがとうございます。

スタッフが大勢いてもそのキャパ以上に妊婦さんが来られたら当然パンクします。
疲れ果てた指導医クラスの医者がドロッポし、泥のようになって働いている現場をローテート研修により強制的に見せつけられた研修医は産科を選ばず、新兵の補充がないことを悟った中堅どころの医者が絶望してさらにドロッポ。

で、実はそのスパイラルに内科が突入開始してきた、というのが内部の感触。
報道され始めるにはおそらくあと3年ぐらいかかるだろうけど、そのころにはpoint of no returnはとっくに通過しているはず。
引き返せるかどうかはこの1年がヤマでしょうね。

以下は便所の落書きのコピペです
===================================
200X年、急性期病院に残っている医師

1)日本語がわからず逃げ遅れた
2)自分は神であるから訴えられないとの訂正不能な妄想を持っている
3)不感症
4)自分は獣医と割り切っている
5)催眠術に長けている
6)自衛隊病院の防衛医官
===================================

ヤマケンさん、いつも興味深く読ませていただいております。話題とは関係なくて恐縮なのですが、常々疑問に思っていることがありますのでお尋ねいたします。判決文が時々ネットで公開されていますね。あるいは何とかという判決文を集めた雑誌がありますよね。公開された文書上は匿名にしてあったとしても関心のある人であれば、確実に個人を特定できますよね。このような判決文の公開と個人のプライバシーあるいは人権との関わりはどのように理解すればよいのでしょうか。

>yanyan 様

ありがとうございました。やっぱり非医療者はこの手のニュースに疎いですね。
このサイトを見るようになってずいぶん意識が変わりましたが、それでもまだまだ。
地道に啓蒙活動に励むしかないですね。


>G.Foyle 様

言葉足らずですみませんでした。

私が見たニュース番組では

「米軍基地移転を受け入れてもらうための取引材料として産科医派遣を決めた」

という解説でしたので、怒りに任せてウラを取らずに書き込んでしまいました。

本当のところはどうなんでしょうね。

行政あるいは外交の問題であってここで語るべきことではないように思いますが…

しまさん へ。医師専用掲示板のsont-m3からの引用です。真偽のほどは確認できませんが、ご参考に。

>近畿大学附属奈良病院は産婦人科医は病院長を含め3名。NICUは小児科医引き上げにあい閉鎖中。以前は、母体搬送は平日の日勤帯なら受け取ってくれたが現在は無理。
天理よろづも産婦人科部長(男性)以外の産婦人科スタッフは確か5名。5名ともすべて女医さんばかりで研修医は数名男性がいるらしいが、産科はやる気がなく婦人科の癌患者ばかり集めており、母体搬送拒否を堂々と宣言している。はっきりとこのスタッフでは対応できないとのこと。また天理教の病院で京大系だから奈良医大や奈良県の言うことを全然聞く耳なし。従って奈良県下の産婦人科医はこの二つの病院には最初からまず連絡しない。

近大付属奈良病院の産婦人科医はホームページでは6人ですので、情報が不正確だとは思います。ただ、小児科はベテラン2人にレジデント〜研修医クラスが3人ですので、
NICUの維持が不可能なのは確か。奈良在住の方で、詳細な情報をお持ちの方は訂正をお願いします。

>No.9 yanyan様

 学生の時の記憶では,
 プライバシー権は幸福追求権の派生原理のひとつ,判決文の公開は裁判公開の派生原理のひとつ,で,=の関係だと思いましたが,「公共の福祉」というやつで
 プライバシー<裁判公開
になる,だったと思います。
 ただし,これは「判決文」にだけ言えることで,関係する訴訟記録関係はプライバシーの比重が高いということで
 プライバシー>訴訟記録
となる場合もある,だったと思います。

しまさん へ。追加情報です。

奈良県の産科救急の実情については、道標 のまとめが充実しています。
http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/10/_9_c0c9.html

こちらのブログでの情報の収集、的確なコメントには毎回頭が下がる思いです。
その情報によれば、近大付属奈良病院の産婦人科医で周産期担当は2人。小児科の状況も考えると、深夜の受け入れは不可能と考えます。

>No.13 kobito

一点確認したいのですが、判決文というものは第三者が必ず閲覧出来るものなのでしょうか。つまり、全ての判決文は公開されなければならないとどこかに定められているのでしょうか。

公共の福祉という観点から判決文公開>プライバシーということですが、例えば離婚訴訟の判決を第三者が閲覧することが、どのような意味で公共の福祉に益するのでしょうか。
理屈をこねれば、離婚という行為に対して現在の法的判断はこうですよと広く社会に知らしめることにより、構成員の行為規範の一助になりうるという議論は可能かもしれませんが、どうでしょうか。

Kobitoさん、敬称が抜けていました。大変失礼しました。

yanyan様

kobito様じゃないですが、
根拠は、
「日本国憲法
 第八十二条  裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
 2  裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると
  決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、
  出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる
  事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。 」

第1項にあるように、裁判は原則公開であり、第2項で対審(弁論・尋問等)については非公開にできる場合を挙げていますが、判決はその規定がありませんので、必然的に公開になります。

>理屈をこねれば、離婚という行為に対して現在の法的判断はこうですよと広く社会に知らしめることにより、構成員の行為規範の一助になりうるという議論は可能かもしれませんが、どうでしょうか。

行為規範という考え方もあるかもしれませんが、一応、裁判の公開性を確保することにより、公正な裁判が行われたかどうか、誰でも検証できるようにするためというのが、公開の本旨ではなかろうかと思います。故に対審の非公開からも政治犯などが除かれているのでしょう。

なぜか、判決の公開の話になると登場する私・・・。裁判所の回し者じゃないですよ、為念。

No.15 yanyan さま

訴訟手続はじじいさまが書かれたとおりですが、
判決「文」については、すべてが公開されるわけではありません。
重要な事件、先例的価値のある判断がされた事件などは、裁判所自身(最高裁のHPなど)が公開したり、判例雑誌に載ったりしますが、大多数の事件は裁判所と当事者の手元から外に出ることなく、埋もれたままです。

判決(まして決定・命令も含めたら)は膨大な数が日々生み出されており、しかもその多くは先例的価値の乏しいものばかりなので、それをすべてデータベース化するのは、マンパワー的にもコスト的にも見合わないです。

>判決「文」については、すべてが公開されるわけではありません。

すみません。判決も非公開処理のものってありましたっけ・・・。失念しておりました。

じじいさま

すみません、yanyanさまの関心が「どこかに行けばまとめて見られる状態か」ということかと思いましたので(それも誤解でしたらさらにすみません)、そうやって検索・閲覧できるようなものの意味として「公開」と申しましたです。

手続を踏めばすべての判決文の閲覧は(制度上)可能です。>yanyanさま

fuka_fuka 様

いえいえ、私のほうこそ勘違いして・・・・。そうですよね〜。データベースでも全部は入っちゃいないですし(というか要らない)、事件番号が分からなきゃ調べるのも難しいですし、コピーできないですし、150円要りますしね〜。

民事訴訟法の記録閲覧・謄写に関する規定。

(訴訟記録の閲覧等)
第91条 何人も、裁判所書記官に対し、訴訟記録の閲覧を請求することができる。
2 公開を禁止した口頭弁論に係る訴訟記録については、当事者及び利害関係を疎明した第三者に限り、前項の規定による請求をすることができる。
3 当事者及び利害関係を疎明した第三者は、裁判所書記官に対し、訴訟記録の謄写、その正本、謄本若しくは抄本の交付又は訴訟に関する事項の証明書の交付を請求することができる。
4 前項の規定は、訴訟記録中の録音テープ又はビデオテープ(これらに準ずる方法により一定の事項を記録した物を含む。)に関しては、適用しない。
この場合において、これらの物について当事者又は利害関係を疎明した第三者の請求があるときは、裁判所書記官は、その複製を許さなければならない。
5 訴訟記録の閲覧、謄写及び複製の請求は、訴訟記録の保存又は裁判所の執務に支障があるときは、することができない。

(秘密保護のための閲覧等の制限)
第92条 次に掲げる事由につき疎明があった場合には、裁判所は、当該当事者の申立てにより、決定で、当該訴訟記録中当該秘密が記載され、又は記録された部分の閲覧若しくは謄写、その正本、謄本若しくは抄本の交付又はその複製(以下「秘密記載部分の閲覧等」という。)の請求をすることができる者を当事者に限ることができる。
1.訴訟記録中に当事者の私生活についての重大な秘密が記載され、又は記録されており、かつ、第三者が秘密記載部分の閲覧等を行うことにより、その当事者が社会生活を営むのに著しい支障を生ずるおそれがあること。
2.訴訟記録中に当事者が保有する営業秘密(不正競争防止法第2条第6項に規定する営業秘密をいう。第132条の2第1項第3号及び第2項において同じ。)が記載され、又は記録されていること。
2 前項の申立てがあったときは、その申立てについての裁判が確定するまで、第三者は、秘密記載部分の閲覧等の請求をすることができない。
3 秘密記載部分の閲覧等の請求をしようとする第三者は、訴訟記録の存する裁判所に対し、第1項に規定する要件を欠くこと又はこれを欠くに至ったことを理由として、同項の決定の取消しの申立てをすることができる。
4 第1項の申立てを却下した裁判及び前項の申立てについての裁判に対しては、即時抗告をすることができる。
5 第1項の決定を取り消す裁判は、確定しなければその効力を生じない。

---------
実務上は、確定記録は原則的に誰でも閲覧でき、謄写は当事者か法律上の利害関係がある者に対してのみ許可されます。
しかし、閲覧or謄写申請するために事件番号と当事者名を示して特定せよと言われるので、事件関係者でなければそれを知らないのが普通であり、無関係の第三者にとっては閲覧さえも困難。
たとえ閲覧できても、謄写が許可されなければ、医療事件の長文の判決を人力でいちいち筆写するというのは実際的ではありません。
かくして、裁判所が自らホームページ等で公開するか、当事者からの提供がない限り、
一般人が判決内容を正確に知ることは困難です。

------
No.15 yanyan さま
ご参考に、「医療崩壊3」のエントリで、判決書の公開とプライバシーの関係について議論されていました。
http://www.yabelab.net/blog/medical/2006/09/17-164308.php
以下、抄録
-----
判決の入手方法等について
No.86、87、90、107

No.110 元行政さん
判決文で、公開されていないものを見る場合は、裁判所で閲覧ということみたいですね。つまりは全例検討をしようと思ったら、各裁判所で裁判内容をチェックしておいていちいち見にいかないといけないといけない。
コピー、撮影禁止とか、裁判所は何を考えているのでしょう。由らしむべし、知らしむべからずというやつなんでしょうか。

No.112 じじいさん
多分、個人のプライバシーの保護の観点かと思います。裁判自体は原則公開ですが、公開とはいえ、裁判で提出される資料や判決自体においても、他人に知られたくない内容は含まれます。(医療裁判などでは、たとえば、性病や肝炎などへの罹患や遺伝情報など)
裁判で勝訴するための必要性からそうした情報も出されるのですが、公開の場とはいえ、ごく少数しか来ない法廷・記録閲覧で公開されるのと、マスコミやHPなど不特定多数に公開されるのとでは、プライバシーの侵害度は大きく異なります。
マスコミなどが公開の法廷で知りえた情報を報道することでさえ、公開の場であったことをもって直ちに違法性が否定されるわけではありません。(そういう判例があったように思います。)コピーしたものが、一旦裁判所を離れて出て行くと、裁判所はどう取り扱われるのかコントロールができず、原告又は被告、第三者が損害を被る惧れがあるので、コピー等を禁止しているのだと思います。

No.114 YUNYUN
現代の世の中では、当事者のプライバシー保護には気を遣わなければなりません。
『判例時報』等の判例情報誌では、編者らによる事案解説と判決書のみ(最高裁判例については上告理由書も載せる)、当事者の個人名は伏せる扱いになっています。
近頃インターネット上で公開される裁判例も、同じスタイルです。
古い判例評釈を見ると、氏名がもろ出ていてギョッとなったことがありますが、プライバシー保護に関する考え方が、50年のうちに変わってきたのでしょう。

なるほど―――
裁判は原則公開すべしと憲法に書いてある。裁判公開の原則はその公正性を担保するためと考えられる。制度上は判決文は誰にでも公開されているが、実際にはなかなか困難であると。よくわかりました。

ところでかなり以前アメリカでO.J.Simpson事件というのがありましたよね。確かこれは裁判の様子をテレビ中継していて、私はCNNでその様子を見たような記憶があるのですが、このあたりアメリカでは裁判の公開についてどのように考えられているのでしょうか。

重要事件でテレビ中継が無いのが日本くらいです
アメリカではCourtTVとかいう法廷専門チャンネルも
あるくらいです

> いのげさん  (No.24のコメントについて)

 「アメリカでは法廷の様子がテレビ中継される」というのは、もちろん間違いとはいいませんが、あまり正確な認識ではありません。テレビ中継されることも確かにありますが、州により、また判事により取り扱いは様々でして、少なくとも、「重要事件はテレビ中継が原則」といえるほどの状況では到底ありません(アメリカの判事は、日本とは違い、訴訟関係者から相当の敬意を払われる存在でして、その辺りの権限も非常に強い)。また、州の裁判所の上位に位置する連邦裁判所は、中継どころか写真撮影も認めない扱いではなかったかと記憶しています。イギリスも、現状では中継を認めていないはずです。ちなみに、日本でも比較的自由に撮影を許していた時代があったのですが、勝手に法壇に上がり、裁判官を無理矢理押しのけて撮影を強行する者が出たりして、段々と制限する方向に向かったようです。

 ついでに言うと、そもそも、「裁判の公開」と「法廷のテレビ中継」は別次元の問題だと思われます。誰でも傍聴できるということと、法廷の一挙手一投足を中継するのとでは、審理に与える影響の度合いが全く違いますので。

>FFFさん(No.25のコメントについて)

裁判の公開性という問題について教えて下さい。

(1)裁判を傍聴することと裁判をテレビ中継すること
(2)議会の審議を傍聴することと議会の審議をテレビ中継すること
(3)プロ野球の試合を見にいくこととプロ野球をテレビで中継すること

(1)(2)(3)の間にどのような違いがあるのか少し考えて見たいのですが。
(3)については誰も異論を唱えない。
(2)については異論のある人もいるかも知れませんが、我が国で現実に行われており、ネットでも見れますね。証人喚問なども中継されます。
(3)について例えば刑事事件に限りテレビ中継するということに関して、どのような反論が考えられるのでしょうか。

> yanyanさん   (No.26のコメントについて)

 裁判を公開するのは公正さを担保するためでして、要するに、「見えないところでいい加減にやってるわけじゃありませんよ、何なら傍聴して確認して頂いても構いませんよ」という程度のことです。訴訟に関する情報発信を目的にしたものではなく、「ガラス張りのところで公正に扱ってますよ」とアピールするためのものです。

 したがって、誰かが公正さをチェックできるような状態にあれば(すなわち、裁判所に行って傍聴することが可能であれば)、その時点で既に、裁判を公開することとした目的は達成されていると考えられます。

 一方、テレビ中継によっても上記の効果が期待できないわけではありませんが、これを認めると、弊害の方が大きくなると思われます。思いついたものを列挙します。
 
・ 社会的に注目を集める事件では報道の加熱が法廷内にまで及び、落ち着いた審理ができなくなり、証人の証言内容にも影響が生じるでしょう(法廷内の、せいぜい数十人の前で証言をすることと、日本全国に生中継されている状況で証言をすることでは、心理状態が全く異なるのはお分かりでしょう。)。ひいては、真実の追求という裁判の目的が害されます。
・ テレビを通じて不特定多数の人に自分の顔・名前・住所・地位・証言内容等が知られるくらいなら証人として出ない、という人も相当数いるでしょう。
・ 訴訟ではプライバシーや企業秘密に関する事情が次々明らかにされますが(例えば離婚事件、特許関係事件、性犯罪の刑事事件等)、法廷で傍聴している人だけならともかく、中継によって不特定多数の人にそれを知らせることがよいかどうか、非常に疑問です。仮に中継を認めたら、「テレビでさらし者にされる位なら裁判を起こさない」という人が多数出るはずです。また、「本当は法廷で反論したいけど、テレビ中継されるのが嫌だから断念する」ということもあるでしょう。
・ 場外戦術が横行するでしょう。裁判は証拠による認定を求める手続ですが、テレビ中継を認めると、訴訟の勝敗を度外視して、視聴者に自分たちの主張をPRするためのパフォーマンスに走る当事者が出ます。現在でも裁判を政治的パフォーマンスの場として利用しようとする者が後を絶ちませんが、テレビ中継はそれを強力に推し進める効果を持ちます。

なお、議会で議論されるのは法律、つまり、一般的抽象的なルールです。証人喚問、参考人質疑も、あくまで、ルールを定める際の判断材料にするためのものです。

他方、訴訟で議論されるのは、一般的なルールではなく、個別具体的な紛争です。こちらの方が個人の利益やプライバシーに配慮する必要があることは、すぐ御理解頂けるかと思います。

ところが実際に傍聴した側から言うと
ちゃんと確認させていただけるどころか
証人がCTを読影している間 シャーカステンの裏側を見せられてるわけで
むしろ裁判所は最も肝心の部分を隠したいのではないかという疑念
これを一切否定するような行動がみられません
わざわざ法廷まで出向いてCTを隠されていては何のための傍聴かといいたいです
ガラス張りというには程遠い現状を痛感しております
カメラワークが問題なら裁判所内でカメラマン部門を設立して
情報発信してはいかがかと言いたい
裁判所の審議をチェックするには現状の制度は不十分であり
裁判所にその自覚が全く欠如していると言って言い過ぎではないと思ってます

> いのげさん  (No.28のコメントについて)

 一般に、裁判の公開は、訴訟の全ての情報を残さず公開するというところまで要求していないと理解されています。判決の言渡しとか、証人尋問とか、そういう核心の部分は少なくとも公開でやれ、という程度のことです。

 医療訴訟でもそれ以外の訴訟でも、書面や文献が多数証拠として提出されます。その一言一句を余さず傍聴席にも閲覧させなければいけないというのは現実的ではないように思われます。事件によっては、証拠がロッカー何杯とか、ひどいのだと会議室何部屋という量になりますし。傍聴人も、誰も来ないかも知れないし、満席になるかも知れないわけで、その全てに対応するのは無理でしょう(裁判所の予算と人員を100倍位にすればできるかも知れませんが。)。

 また、実際の訴訟では、法廷外の会議室みたいな場所で行う手続(和解のほかに、弁論準備とか進行協議という名称で、主張・証拠の整理や期日調整をするもの)がありまして、こちらは、性質上公開に馴染まないところがあります。だから非公開です。ビデオカメラによる情報発信については、明らかに裁判所の本業ではないし、かえって訴訟の円滑な進行を妨げる要素の方が多いので、それを裁判所に求めるのは本末転倒という気がします。個人的には、そんなことに人を使うなら書記官の人数を増やして調書を早く上げて欲しいと思っております。

 証拠の内容まで細かくチェックしたいということであれば、訴訟記録の閲覧という方法を選択すべし、ということでしょうか。これも、裁判の公開の一側面ではあります。

>いのげ先生
>重要事件でテレビ中継がないのが日本くらい

 そうなのですか、知りませんでした。
 法廷の映像をバンバン垂れ流して被告人を見世物にしたり審理の帰趨をクイズにしてみたりするような国はアメリカくらいのもので、フランスやオーストラリアでは開廷中の法廷は写真撮影禁止、ドイツではホーネッカー元東ドイツ国家評議会議長らに対する刑事訴訟のテレビ取材が「被告人が現代史上の重要人物であるから」という理由から連邦憲法裁判所の決定により許可されたくらいで法廷の様子がテレビ中継されるなどということはまず認められておらず、イギリスでも証人出廷のほとんどない控訴院のテレビ取材受け入れを近年になって検討し始めた程度であったと思いこんでいたのですが、いつの間に諸外国の裁判所はテレビ中継を受け入れるようになったのでしょうか。

 先生は相当数の国や地域で法廷のテレビ中継が実施されていることをご存知なのだろうと思いますが、何カ国くらいで法廷のテレビ中継が認められているのか、ご教示いただければ幸いです。

>FFF様

> 医療訴訟でもそれ以外の訴訟でも、書面や文献が多数証拠として提出されます。その一言一句を余さず傍聴席にも閲覧させなければいけないというのは現実的ではないように思われます。事件によっては、証拠がロッカー何杯とか、ひどいのだと会議室何部屋という量になりますし。傍聴人も、誰も来ないかも知れないし、満席になるかも知れないわけで、その全てに対応するのは無理でしょう(裁判所の予算と人員を100倍位にすればできるかも知れませんが。)。

 これって・・・、医療では患者さんに処置前、術前にすべてのことを説明するのは不可能です・・・って言うのと同じことなんですけどね。法律は我々にそれを要求し、法曹は自分たちがそれを行うことは不可能だというのはあまりにダブルスタンダードではないかと。

an_accused さん
以前から、あなたの知的な論理には、感心して注目しています。
引き続き、有意義な論議をしていただくと助かります。

法曹業界の内実は、あなた方が詳しいところであり、国際比較や
歴史的変遷に関しても、我々医療従事者の方が、詳しいはずもありません。

ですから、法廷や裁判の公開の実態について、我々が間違った
物知り顔になっているのでしょうから、謝罪いたします。
ただ、いのげ氏は、割り箸事件の法廷での展開を、実際の目で追い続けた数少ない実践者なのです。
我々、医療者が患者の声に耳を傾ける必要があるように、あなたがた
法曹関係者も、被告支援者の『法廷は実に閉鎖的である』という声に
耳を傾けるべきではありませんか?
ただ、過ちを指摘するよりも、もっと法廷の閉鎖性に関して、建設的な論議を進めませんか?

我々が、医療崩壊の過程に絶望しているほど、あなたたちが法曹論議に絶望しているというのなら、話は別ですが。

No.29 FFF さん
>ビデオカメラによる情報発信については、明らかに裁判所の本業ではないし、かえって訴訟の円滑な進行を妨げる要素の方が多いので、それを裁判所に求めるのは本末転倒という気がします。個人的には、そんなことに人を使うなら書記官の人数を増やして調書を早く上げて欲しいと思っております。

も、本来の目的と直接には関係のない業務に忙殺されている某業界とも通じるところのものがありますな。

別にそれがいいか悪いか、ということではなく、何か新しいことにエネルギーを費やせば、必ず別の何かが犠牲になるだけのこと。
単に、キャパシチが有限なら何にどれだけ割り振るか、って問題です。
私個人としましても、最近医学書を読まなくなった言い訳を、法律の勉強が忙しくなったから、ということにしています。
(ネットに逃避しているだけ、では断じてありません。)

証拠全部を出すのはもちろん量的にたいへんなんですけど
死因の究明に最も重要な証拠であるたった一枚のCT画像を
隠したまんまというのは裁判の適正性公正性を公開する意味でも
いかがなものかといいたい 
こんな現状を公開と呼ぶのは欺瞞だと思います

>座位臥位立位先生
 突然何やら過分なお褒めのお言葉や謝罪のお言葉をいただき恐縮してしまいました。申し訳ないのですが、私は座位臥位立位先生からお褒めをいただくようなことを申し上げた記憶はありませんし、なぜ座位臥位立位先生が私に謝罪なさったのかも全くわかりません。

 私の元々の専攻は日本法制史ですし、外国法はドイツ法を少しやった程度なので、2006年11月現在の諸外国の司法制度についての知識はほとんどありません。上記コメントの内容は、学生時代にたまたま図書館にあった「海外司法ジャーナル」(最高裁判所判例調査会)などをパラパラと読んだ程度のうろ覚えでしかありません。(だから私の抱いていた印象については「思い込んでいた」と表現しましたし、詳細をご存知であるいのげ先生にご教示いただけるようお願いしている次第です)。

 今のところいのげ先生からお答えをいただいておりませんが、まさか何の根拠もなく「重要事件でテレビ中継がないのが日本くらい」と断言なさるようなことはないでしょうから、もうしばらくお待ち申し上げれば「この調査結果によれば、何年現在、世界で法廷をテレビ中継している国は約何カ国、していない国は日本を含めて約何カ国、従って前述のとおり重要事件でテレビ中継がないのは日本くらいであるということができる」とお答えいただけることと信じております。

 もっとも、私の質問にお答えいただくのは決して義務ではありませんので、このままお答えいただけないということがあっても仕方がないとも考えております。そのときは「お医者さんは忙しいから、答えていただけなくても仕方ないよなあ。」と考えるかもしれませんし、「医師の中には司法を貶めるためなら平気で嘘を吐く人がいるのだなあ。そういう人の主張に耳を傾ける必要なんてあるのかなあ。」と考えてしまうかもしれません(どう考えるかは現時点ではまだわかりません)。

> 死因の究明に最も重要な証拠であるたった一枚のCT画像を
隠したまんまというのは裁判の適正性公正性を公開する意味でも
いかがなものかといいたい(No.34 いのげ様)

おっしゃることはよく分かります。
これは、制度というより、運用の問題です。
CTは身体の内部構造を撮影したものですから、傍聴席に見せて不都合があるとは、考えられません。
(患部の表面的な写真は、部位によっては公開されたくありませんが)

裁判長にセンスがないというか、傍聴人に見せようという気がないのですね。
そもそも、現在の裁判所は、傍聴人に裁判を見せよう、内容を分からせようという意識は全く欠如しています。傍聴人は裁判手続きには関係ない人として、無き者のように扱われているのです。
証拠書類を傍聴席に見せないのもそうですし、裁判長がボソボソと当事者席にしか聞こえないような小さな声でしゃべっていることもあります。
まあ、弁護士も、自分の側の傍聴人(依頼者など)が来なければ、そういうことはほとんど気に掛けません。

しかしこの点は、運用の工夫で何とでもなることです。
これについては、裁判員制度がこうした運用を変える契機になりそうな気がしています。
というのは、現在各地で裁判員制度実施に備えて、模擬裁判が実施されていますが、
証拠説明や弁論の際に、裁判員向けに、パワーポイントを使って、スクリーンに図表を映して見せるというパフォーマンスがよく行われます。素人を説得するにはビジュアルだというわけです。
模擬裁判である以上、傍聴席に座っている観客に対しても、裁判員と同じ内容を見せなければなりません。そこで、必然的にスクリーンを、前向きのと後ろ向きのと(証人席を塞がないようにやや斜めにして)、2枚立てます。
本番の裁判で、このやり方を普及させればよいのです。

できないことではありません。物理的に裁判所に設備はあります。パワーポイントなど、便利な機械が開発されて、資料を見せる形に作る作業も簡単になりました。
要はヤル気の問題です。
全ての証拠でなくても、これという重要証拠だけでもスクリーンに映して、傍聴席に見せろ、と。
刑事裁判なら、弁護人に裁判所や検察官と話し合ってもらう。
民事訴訟なら、自分の側の代理人弁護士を通じて、裁判所と相手方に働きかける。
傍聴希望者として、裁判所に申し入れ文書を出すとか。
そういう運動を展開すればよいと思います。

 傍聴人は裁判の公正さまたは適正さを担保するための第三者機関のような立場に位置づけられていませんから、これまで傍聴席を意識する法曹または傍聴席を意識しなければならない事件というのは多くなかったと思います。

 しかし、裁判員制度が動き始めれば、裁判員裁判については裁判員を意識したプレゼンテーションが必要になるでしょうから、それは同時に傍聴席に対するプレゼンテーションになると思います。

 また、裁判を傍聴した市民がブログなどで裁判批判を公にすることが増えていけば、法曹もそれを無視することができなくなっていくように思われます。

 なお余談ですが、以前から私がいずれも深く尊敬しているコメンテイターの方の間で無用な軋轢が生じそうな空気が漂っているような気がして、少し心配です。

>FFFさん(No.27のコメントについて)

しつこいようですけど、法律素人の立場でもう少し続けさせていただきます。
裁判の公開という点では傍聴という方法とテレビ中継という方法との間におおよそ質的な差はなく両者の違いは量的な問題ではないかと私は思います。(質的な差があるとすれば、テレビ中継においては“中継者の視点”というものが介在するということではないかと思うのですが如何でしょうか)公開という観点のみからは現実には大きな制約を受ける「傍聴」よりも、より多くの人がより負担無くアクセス出来る「テレビ中継」の方が優れた方法であることは論を待たないのではないでしょうか。

何もすべての裁判を無条件にテレビ中継せよと言っているわけではないのです。事件によってはテレビ中継を認めてもよいのではないかと言っているのです。

テレビ中継による弊害としてあげられた事例の多くはどのような事例に中継を認めるか、あるいはどのように中継するかという運用方法により解決される“技術的”問題ではないでしょうか。
テレビカメラの存在による心理的影響は設置の仕方により解決されませんか。
訴訟を起こすことにより問題を提起すること自体を目的とする戦術はそれなりに社会として意味があるのではないかと私は思います。そしてその問題に関心がある人にとってはテレビ中継により、その問題提起が妥当なものであるかどうかの判断材料が豊富になるわけですから必ずしも負の側面ばかりではないように思います。

>議会で議論されるのは法律、つまり、一般的抽象的なルールです。証人喚問、参考人質疑も、あくまで、ルールを定める際の判断材料にするためのものです。他方、訴訟で議論されるのは、一般的なルールではなく、個別具体的な紛争です。こちらの方が個人の利益やプライバシーに配慮する必要があることは、すぐ御理解頂けるかと思います。

これはどうでしょうか。議論が一般的、抽象的か、個別具体的かという問題ではないと思います。議会での議論は主権者たる国民として何が議論されているか知る権利がある。したがって可能なかぎり広く公開すべしという理屈ではないのでしょうか。

議会のテレビ中継にも異論がありうると思います。例えば生中継の時間が政党の宣伝の場に利用されるのではないか、本質的な議論よりも国民のより興味を引きそうな議論で時間が消費されるかも知れないなどなど。しかし負の側面よりもプラスの側面が大きいと判断されてテレビ中継されているのだと思います。

勿論法廷の中継と議会の中継を同列に論じるのはおかしいと思いますが、しかるべき条件と方法によれば裁判の中継が社会にとってプラスになりうる可能性も十分ありうるのではないかと私は思います。

マタ オチャデモ ドゾー
 (´・ω・`)つ旦旦旦旦旦旦旦旦~


>>No.36 YUNYUN さん
もし裁判官に「見せよう、聞かせよう」という意識さえあれば、マイクを手に音楽を流し、法衣を翻して踊りながらヒップホップ調で判決を読み上げても、「裁判手続き上」問題はないというわけですね。

自分が当事者なら絶対やって欲しくありませんが。

>yanyan先生
 先生のお考えは「法律素人のもの」どころか、アメリカ合衆国において公衆・マスメディアの法廷へのアクセス権を認めたリッチモンド・ニュースペーパー対バージニア州事件連邦最高裁判決(1980年)の根幹にあたる考え方です。
 同判決は、「裁判所は判例法を形成する機関であり、その裁定は社会全体に対して実質的な影響を及ぼす。のみならず、裁判所は、憲法上の権利を解釈し保障するという極めて重要な職責を負っている。それゆえに、正式審理は、裁判所の事実認定と初期の法的判断がなされる場であるかぎりにおいて、正真正銘の統治上の行為であり、正式審理で何がなされるかは、公共の利益に関する事項である。このような正式審理を一般公衆が傍聴することは、他の『抑制と均衡』の仕組みと同様に、司法権の濫用に対する効果的な抑制として機能する」として、公衆・マスメディアの法廷からの排除を違憲としたのです。
 (但しこの判決は、裁判所の扉が開かれていて自由に傍聴が許されること及び傍聴した裁判について自由に報道することは認めているものの、裁判を録音したり、裁判の写真を撮ったり、ビデオに録画したり、放送する権利を含むものではないとしています。録音や録画、放送が直ちに刑事被告人の公正な裁判を受ける権利を侵害するわけではないとして法廷のテレビ撮影・放送への門戸を開いたのは、同判決の翌年に出されたチャンドラー対フロリダ州事件連邦最高裁判決(1981年)です。)
 なお、この米連邦最高裁の考え方は、「国民のチェックによって社会制度運営がよりよい方向に向かって軌道修正される」という“楽観主義”に立脚しているということができます。

> an_accused さん
>私は座位臥位立位先生からお褒めをいただくようなことを申し上げた
>記憶はありませんし、なぜ座位臥位立位先生が私に謝罪なさったのか
>も全くわかりません。

率直に言って、an_accused さんの医療崩壊について考え語るエントリでの論議は、知的で正確であるという私の認識ですので、そう申したまでです。皮肉じゃないですよ。(キャラクターに関しては、別ですが(笑))。

謝罪に関しては、私達医療従事者側に、法的制度の理解に関しての初歩的なミスがあることに関して謝罪しているつもりです。あくまで同業者としての連帯と自戒をこめて謝罪しています。

さて、非医療者の皆さん、特に弁護士とその卵さん、
医療事故そのものに関しては、他のエントリでも申し上げましたが、医者は、重過失や故意のいわゆる医療過誤に興味はないです。一般市民が、犯罪者のことを我が事のように考えられないのと同等です。

我々の不安や士気の低下の原因は、不勉強の医者や医療犯罪者が断罪されることにあるのではなく、治療困難症例を慎重に診療しても、結果が悪ければ、マスコミから罪悪のように宣伝されたり、福島の例のように不当逮捕されたり、奈良県での事件のようにマスコミにより世論操作されたり、過大な損害賠償判決が出るなどの医療バッシングの常態化によるものなのです。

現在の検察、クレーマー患者、マスコミは、最前線で果敢に診療を行っている医療労働者を選択的に狙っているという、別次元の結果論が導き出されます。朝日新聞社が経営している病院のように、小児科と産科を閉院していれば、たらい回しと非難される事すらありません。

医療崩壊を語ることは、決して医師側の恫喝ではなく、進展中の社会病理の指摘なのです。そして崩壊中ではあっても、次善策を練るため、論議に参加しています。これらの建設的な論議の為に、法曹三者にも加わって欲しいし、特に弁護士の先生方には、どうしても友軍として協力を求めたいと思っています。(この場だけではなく、実際の社会でも)

> 現在の検察、クレーマー患者、マスコミは、最前線で果敢に診療を行っている医療労働者を選択的に狙っている

役人も含めて医療従事者で一番立場が弱いのはパラメディカルの方々ですが、責任が生じるという意味では医師と看護師が一番弱い立場でしょう。ある意味、弱いものいじめと撮ることも可能なのかなと個人的には思います。

> yanyanさん   (No.38のコメントについて)

 私も、公開の観点からいえば、単なる傍聴よりテレビ中継の方が効果は遥かに大きいと思います。

 ただ、裁判の本質は、言うまでもなく紛争を適切に解決することであり、裁判の公開は、あくまで副次的な要請に過ぎません。裁判の公開を推し進めるあまり、適切な審理を行って判断を下すという本質的な業務が害されるようでは、本末転倒と思われます。

 そして、テレビ中継を認めることの弊害は、技術的問題として解決できる程度のものとは思えないというのが私の感覚です。弁護士、検察官、裁判官は仕事でやってますので、ある程度の変化に対応することはできるでしょうが、原被告本人や、証人として出廷する一般の方にとっては裁判所に来ること自体が大変なプレッシャーでして、現状でさえ、証人として証言することに躊躇する方が非常に多いのです。証人尋問の点のみをとって見ても、テレビ中継を認めた場合、訴訟の本来的要請が大きく害されることは必至と思います。

 それから、「訴訟を起こすことにより問題を提起すること自体を目的とする戦術」というのは、結局のところ、自分たちの政治的主張を裁判所で宣伝させろということであり、かなり問題があると考えています。こうした訴訟は、できるだけ大規模に提起し、長引かせることによって宣伝効果が増大することを目的としますから、裁判所の本来業務を妨害すること甚だしいものがあるといえます。

 たとえば、自衛隊イラク派兵差止請求訴訟では、「毎日提訴運動」と称して多数の者が毎日別々に訴状を提出し(#)、3200人以上の「原告」が、全国の裁判所で「運動」を展開しています。裁判が終わってしまうとまずいということで、「結審阻止運動」と称して、「裁判所と傍聴席を支援者で埋めよう!」と呼びかけ、実際の法廷でも、裁判長の指示に従うことなく原告席、傍聴席で演説を始めるわけです。そして、ルールに従って訴訟活動をするよう指示した裁判官や裁判所書記官個人に対しては、国家賠償請求訴訟を別途提起して「責任を徹底追及しよう!」という「活動」を始めた上、裁判官室に大勢で乱入しようとしたり、役所と官舎の間で待ち伏せしたりします。あまりに不毛ですが、困るのは、こうした政治的パフォーマンスの煽りを受けて、全然関係ない一般の事件についての進行が遅れることです。テレビ中継が始まったら、この類のパフォーマンス的訴訟が増加・激化するものと思います(※)。

 議会の方は、たしかに政治的宣伝でも構わないと思うんですよ。そもそもそれが本質的な仕事だし、アホな宣伝ばかりしていれば次の選挙で落ちるわけですから。ただ、訴訟はあくまでも個々人の権利義務関係を適切に調整することが目的ですし、弁護士や裁判官を選挙で選んだり、訴訟の勝敗を世論調査で決めたりするわけでもないので、議会の中継とはだいぶ違うのではないかなあと感じます。「しかるべき条件と方法によれば裁判の中継が社会にとってプラスになりうる可能性」というのは勿論あると思いますし、別に問題が生じないならどんどんテレビ中継したらいいと思うのですけど、現状を考えるとなかなか難しいなあ、と。


# 大勢がまとめて原告になることもできますが、それだと裁判所の事件数としては1件になるので、わざと小分けで提訴して事件数を増やそうとするわけです。

※ 恥を忍んで言うと、このような暴挙に賛同するどころか、旗振り役を務める弁護士が多数存在することも事実です。

>>No.43 FFF さん
>「毎日提訴運動」

これはかなわんですね。

私自身は法廷のテレビ中継には反対です。
手術のテレビ中継と同様と考えます。
カメラワーク次第で如何様な主観でも混入させうることも問題です。

むしろ、匿名化した上で全ての判決文をweb上で公開して欲しいです。
「判例」として意味があるかないかを問わず。
おそらく判決文そのものは個人的なレベルではデジタルデータ化されているものと思われますので、それを公開するための人員を予算化することはそれほど莫大なものにならないはずです。
また、現行のようにテキストデータに限ってPDF化する程度であれば、システム自体も現実的な規模で構築できるかと。

「裁判所に来さえすれば誰でも閲覧できるから公開したことになる」というのでは、明らかに遠方の人間にとって不平等です。

> 匿名化した上で全ての判決文をweb上で公開して欲しいです。(No.44 元田舎医さま)

できるものなら、そうして欲しいというのは、私も思うところです。

別エントリ(医療崩壊シリーズ)でも、医師の方からは
・医療訴訟では原告の勝訴率が高い
・過失もないのに病院側が敗訴するケースが大多数である
・裁判官は医師を負かすべしとの先入観を持っている
・トンデモ判決が相次いでおり、裁判所の判断は全く信頼できない
というようなご不満が繰り返し出されています。

ネットや法律雑誌に掲載される事例は大多数の裁判例とは異なる、なにがしか見るべき特色のある事例であり、まして報道される例はニュースバリューのある相当に”変わった”事件であること、
裁判の全体的な傾向は決してそうでない、
という反論は法曹側から繰り返し言われていますが、全く「信じてもらえない」。

法曹から言わせれば、少なくとも民事の訴訟を、闇雲に恐れるのは枯れ尾花であろうと思いますが、
現状では、恐怖<感>のみが先行して、パニック状態となり、医師の逃散を招いています。
(ネット上などで、それを煽る無責任な言説もあります。)

医師の皆様は科学者であり、実証に基づいて物事を評価し判断するご職業と認識しておりますが、
この問題については、なぜそんな根拠のない風評に諾々と従うのか?
自分の信じたいものを信じるのでななく、真実を見て、冷静に客観的に対策を立ててもらいたい。まずは、敵の実情を正確に知るべきです。

そのためには、誰かが全件調査をして、実態を明らかにしなければ、疑念を払拭できないのだと思います。

少し古い資料ですが、最高裁の統計によれば、医療訴訟の判決件数は年間1000〜2000件とのことですので、(http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/asu_kondan/asu_kyogi13.html)
平成10年以降分くらいをとって検証するとして、1万5000件くらいか。

どこかの研究者が裁判所と協力して、やってもらえませんかね?

カメラワークなんて場所固定で今なら無人遠隔操作もあります
将棋の中継なんて全部これです
社会の大部分の目に届かないままにしていることも
司法に対する無知や無関心の大きな要因であると思います

他のスレだった様な気もするんですが
1905年〜1975年の民事&刑事裁判の統計
わたくしの発表前だったのでここへの記載を控えてたのですが
いまさらながら書きます 有責・無責は民事 有罪・無罪は刑事です
出典は「医事紛争」という本で著者と版元は今ちょっと手元にないんで
わかりません(覚えてたら書きます)
ちなみにこの間の変化した要素として以下のものがあると思います

医学の進歩 医師・患者関係の変化 第二次世界大戦 司法制度改革
予見可能性解釈の変化(旧過失論→新過失論)

  年     有責   無責   有罪  無罪   計
05-45     26    17    5    7    55 
46-55      1     5    2    6    14
56-65     24    26    5   20    75
66-75     56    70   13   30   169
 計      106   118   25   63   313
 %      47.6 52.4 28.4 71.6

よく、「医療不信」などといって、むやみやたらと医療者を敵視するマスコミを中心としたメッセージを出すことが一時期はやりました。最近は「医療にメス」を入れようにも入れる相手がいないので若干おとなしくなった感はあります。今は「教育不信」がはやりなのでしょうか。

現在の状態は「司法不信」の時代の始まりだと思います。大きなうねりとなるでしょう。まずそういう段階を経て、医療者も司法に対して成熟した態度がとれる時代がくるのではないでしょうか。

「医療崩壊とか今頃言って、これまで医療の問題など医療者側から何も言ってこなかったではないか。PR不足であるし、これも医療者側の責任ではないですか」など、医療者ではない方からあまりにご無体なお話があります。

「司法のPR不足だ。自分たちの仕事を理解してもらうようにする努力が足りない(医療訴訟に対する誤解があるのであればそれを解くなど)」ということはないのでしょうか。医療者側に「もっと医学的な主張が認められるように医師側が努力せよ」と要求される意見が多いのですが、司法側の努力は必要ないのでしょうか。

司法側の方は「既に裁判で十分真摯の対応してるではないか。何をこれ以上するのだ」と思われるかもしれません。しかし医療者側も「医療を死ぬ気でやっている」のです。ただ、本分である通常業務を黙々と誠実にやるだけでは「PR不足だ!!もっと外部にも情報を発信しろ。訴訟へのかかわりも足りなさ過ぎだ。」と国民のみなさまと司法の方に求められてしまうのであれば、医療者側もそれに応じることはやぶさかではありません。

今度は司法不信の広がりをどう食い止めるかということです。このままでは司法は絶対に理解されることはないでしょう。

YUNYUNさまのコメントに以下の要約がありました。
・医療訴訟では原告の勝訴率が高い→ これが誤りであることは知っていました
・過失もないのに病院側が敗訴するケースが大多数である→ そこまでは私は思っていません
・裁判官は医師を負かすべしとの先入観を持っている→ それも言いすぎかもしれませんが、被害者感情を大切にする風潮が世間にあるので、それに流されるきらいはないのではないかと思います。また、裁判官自身に医学的知識がまったくないのは確かですので先入観を持ちやすい傾向はあるのではないでしょうか。「だまされやすい」ということです。鑑定を充実させることが急務なのでしょうが。
 
ここまでは別にどうということのない問題だとおもいます。
・トンデモ判決が相次いでおり、裁判所の判断は全く信頼できない
これに殆どの医師の怒りが集約されていると思います。
それに対して

・弁論主義が基本であるので、そうはいっても個々の訴訟での被告側の対応がまずかったことを示しているだけでそれ以上でもそれ以下でもない
・今後、もっとうまく裁判官を納得させられるように努力するだけだ
というのが司法の方の考えと理解しました。

それはいいのです。誤った解釈でも勝ちは勝ちということであればそれは司法の世界では完結した話でしょう。

でも、それがまかりとおるのでは司法不信は深まるばかりです。医療の崩壊は不可避です。

>恐怖<感>のみが先行して、パニック状態となり、医師の逃散を招いています。
(ネット上などで、それを煽る無責任な言説もあります。)

とYUNYUN様のメッセージにありましたが、私は恐怖感ではなく恐怖そのものだと思いますし、医学的事実に合わない判決と、医療現場の現状にそぐわないレベルの高い要求をする判決は医療現場への脅迫そのものだと思います。自然な流れだと思います。

なぜなら、医療というものは一般の方が考えるよりはるかにはるかに不確実なものでだからです。人間の体の予想のつきなさ加減は想像を超えます。

「急変」という言葉があります。決して問題があるとどう考えてもおもわれない患者様が急激に(分・時には秒の単位で)体調を崩し死もしくはそれに近い状態になることです。家族の方は、直前まで元気だったことからそういうことが人間の体にはおきうるということが理解できず、急変した方はトラブルになりやすい傾向はあると思います。

しかし急変はどの患者さんにも十分おきうることなのです。なので、理不尽な訴訟に会わない保証は限りなく小さく、決して枯れ尾花などと表現するべきものではありません。

要は「きちんと常識的に仕事やってれば訴訟なんか起きないし、起きても証明がしっかりしてれば勝てる」というわけでもなんでもないということです。
だれにも等しく降りかかる問題なのです。
「明日はわが身」という表現がこれほど適切な状況はありません。
そして司法を信じなくなります。
これからは司法バッシングの時代になるのかもしれません。
司法の方からも、広く世間に司法の仕事の内容の理解を求めること、司法の判断にも限界があるということを大きくアピールする努力を今以上に行うべきではないでしょうか。

No.47 いのげ様

すみません、ご紹介の統計表の読み方がわからないので、解説をお願いします。
数値の単位と、母数は何ですか?
まさか、1966年〜1975年の10年間に、全国の裁判所で、民事の医療訴訟が126件しか審理されなかったという意味ではないでしょうね?

刑事裁判にしても、有罪より無罪数のほうが倍くらいあるというのは、ちょっと理解しがたい(検察官がそうとう無茶な起訴をしていることになってしまう)。

そういう意味みたいです 原典が見つかったらも一回読んでみます
地裁レベル統計とは書いてなかったとおもいます

無茶な起訴というと今でも
例えば福島県大野病院事件
これはどうやら県病院局の報告書を主な根拠にして
逮捕までしちゃってるわけですが医者からは早々に
報告書ごとボロクソに論破されちゃうという失態
割り箸事件でも起訴時点の検察側証拠としての
脳外科医陳述調書で3人中二人が救命可能性を半分以下としてた
自分で構成要件を崩すような証拠を提出するという
お間抜けなことをしてるわけです(幸い判決文では無視されました)
昔の方が検察が医学に詳しかったのかもしれませんが
医事関係についての判断力は程度が知れると思ってます
私も日本の検察は優秀だと思っているのですが
どうしてこういう事態が生じるのかは摩訶不思議です

No.48 元内科医さま

> ・医療訴訟では原告の勝訴率が高い→ これが誤りであることは知っていました
> ・過失もないのに病院側が敗訴するケースが大多数である→ そこまでは私は思っていません

いや、もう、司法について、ここまででも理解していただいているというだけで、元内科医先生は世間の大部分のお医者様とは違い、偏見に囚われていないという尊敬心を深くしております。

司法制度について100ぺん説明しても、「裁判所がおかしい(おかしいはずだ)」の思いこみ一辺倒で来られる方には、正直申しまして、閉口します。一般人なら小学校5年生並の理解力でも仕方がないかと思いますが、世間的には知的レベルが高い部類と目される医師集団でそれでは、タメイキが出るのみです。
ここのブログに来る法曹たちはまず医師の言い分を聞こうという姿勢で、かなり辛抱強く付き合っていらっしゃいますが、あんまり同じコトを何度も言わせるとキレはしないかと、心配です。
他でこのような対応は期待できないので、大事にしてあげてほしいなあ、と。

> ・裁判官は医師を負かすべしとの先入観を持っている→ それも言いすぎかもしれませんが、被害者感情を大切にする風潮が世間にあるので、それに流されるきらいはないのではないかと思います。また、裁判官自身に医学的知識がまったくないのは確かですので先入観を持ちやすい傾向はあるのではないでしょうか。「だまされやすい」ということです。鑑定を充実させることが急務なのでしょうが。

長年にわたって、裁判官は冷徹で同情心のない人種であり、被害者感情に配慮することはないと思われてました。
被害者感情を重く扱えというのは世間・マスコミの最近の主張で、それに沿ったと言われる裁判例がときどき報道されますが、裁判全体的な流れになっているのかどうか、私自身はまだ疑問です。マスコミ報道が作り出した幻影、印象操作ではないかと疑っております。この点は、全件調査により実証する必要があると思います。

裁判官は専門家(と裁判官が思う側)の意見を重視する傾向は確かにあり、行政事件において顕著です。
その例に従えば、医療訴訟では医師側の主張が信用されやすく患者側に不利な結論になるはずです。少なくとも、かつての医療訴訟においては、そのように言われ、だからこそ患者側から「(医師の庇い合いを排して)医学的に正しい鑑定を!」と求められていました。
最近では、これが逆転して、医師側から「(医療現場の実態理解に基づく)正しい鑑定を!」と求められている、ということでしょうか。

> ・弁論主義が基本であるので、そうはいっても個々の訴訟での被告側の対応がまずかったことを示しているだけでそれ以上でもそれ以下でもない
> ・今後、もっとうまく裁判官を納得させられるように努力するだけだ
> というのが司法の方の考えと理解しました。

確かに、それが今日の法曹界の大多数の意見でありましょう。
もっとも、私としては、医療側敗訴原因は、個別の訴訟戦術にのみ帰されるのではなく、
・鑑定医の司法制度に対する無知(鑑定意見の文言が裁判官にどのように受け取られるか、わかっていない)
・裁判官の医療の本質に対する無理解(医療が不確実で人知を尽くしても及ばない要素があることを、わかっていないか、あるいは無視している)
の問題もあるという点を指摘したいと思います。

ただ、それについて、「司法よ、わかってくれー!」と 心 の 中 で 叫んでいるだけでは、世の中は何も変わらないのでありまして、
具体的に悪いところ指摘して、改めさせなければなりません。
漫然と訴訟を受けているだけでは「トンデモ判決」が繰り返され、ロシアンルーレットの餌食になる不幸な医師が増え、それを見た多数の医師がヤル気を失って逃散し、医療が崩壊するという路線まっしぐらなわけです。
それは、国民の誰にとっても困ることです。
だから、黙っていないで、行動せよ。

医療の皆様には、司法制度の実態も限界も知っていただいた上で、(できれば医療者側の組織的に)裁判所に対し、審理方法の改善意見を出していただきたいし、
個別具体的な訴訟においては自分がどのように戦術を組み立てるのがよいかを考えていただきたいというのが、私の願いです。

例えば、このブログでは個々の裁判例について、医学的にココがおかしい、という批判がよく出ますが、
おかしいならおかしいとして、
 被告はその点について主張しなかったのか
 主張したのに認められなかったとすれば、なぜそういう判断になったのか
 どういう審理方法をとれば、正しい結論を導けるのか
を考え、次の裁判での改善に結びつけなければならないと思います。

 YUNYUNさん、まあもう少し我慢してお付き合いいただければ幸いです。

 何度説明しても理解が得られないのは医療側とて同じです。「ひとひとり死んだんだぞ」「自分の身内なら冷静なことは言えないだろう」「過重労働はいいわけにならない」「医療崩壊につながるからといって、個人の裁判を起こす権利を制限できない。医療側の訴訟戦術がまずいせいで現行の司法制度の問題ではない。」「医療崩壊も現状を訴えてこなかった医師のせい」・・・・

 さすがにここを見られている司法関係者は当初と比較して変わってきていただいているように思いますが。。。

 結局、医療裁判における不当判決がどのくらいあるか、実際に調査してみないとなんとも言えず、そしてそれには莫大な労力が必要であり、現状では全数調査は不可能で実態がつかめないといったところでしょうか。

 李啓充氏の「市場原理が医療を亡ぼす」によると
 ハーバード大学医学部・公衆衛生部の研究者が1984年にニューヨーク州の51の病院に入院した患者からランダムに選択された3万人あまりのカルテについて医療事故・過誤の有無を仔細に検討し、医療事故・過誤の頻度を調べると同時に過誤訴訟との関係を調べたところ、3万余りのカルテの1300例弱で医療事故が起こり、そのうち300例余りで過誤によるものであったとされた。
 この医療過誤があったとするカルテのうち実際に医療過誤の損害請求をしたものは8例のみであった。一方全3万例のうち過誤による損害請求をした事例は51例ありその大部分は「過誤なし」と(プロジェクトの審査員により)判定されたケースであった。
 さらに訴訟の帰結がどうなったかについて10年間追跡調査したところ、賠償金が支払われたかどうかという結果と(プロジェクトの審査員が)客観的に認定した事故・過誤の有無とは全く相関しなかった。

 アメリカと日本という違いがありますが、この結果は非常に示唆に富んでいると思います。
 日本でもどこかの公衆衛生学教室や医療政策教室がプロジェクトを組んで調べるといいのにと思います。

 しかしこのような「一体医療裁判の判定は本質的な事故・過誤の有無をどのくらい反映しているかの実数調査」、つまり(一部)医療側が主張するようにおかしな判決が多数なのか、司法関係者がおっしゃるようにそれは非常に特殊な例であるのか白黒つける調査も大事ですが問題の本質はそこではない気がします。

 つまり、少数であれ、とんでも裁判の判決が医療側に与える影響です。一つの判例はその後の判例に影響を与えますから無視できません。
 そしてここで「医療と同じように裁判にも誤りは当然内在する」といって少数だから我慢しろと言われても困るのです。そこのところは同意していただけるのではないかと思います。

 そしてさらに大きな問題はこのような問題にアグレッシブに戦うほど現場の余力が残っていないことです。
 「36計逃げるにしかず」で逃散している状態ですから。

 本当はひとつひとつの訴訟で戦うとともに「毎日新聞の奈良捏造報道」「日刊スポーツの井上氏の恥を知れ発言」などマスコミに対しても名誉毀損で高額訴訟をおこすべきなんでしょうけど。

 現場は戦う体力が残っていない、そこでどうするか。現場が戦わなければ滅びてもしかたがないというのか。本当に困るのは医療従事者ではなく、医療受給者の国民なのに、司法も含めどこか他人事のような気がします。

 もう少し、現状を踏まえて当事者として考えていただきたいと思うところです。

>YUNYUN さん

ここに、出入りする法曹関係者が、我々医療労働者に、多くの知恵を与えてくれたのだと言うことを、感謝しておりますよ。本当に。

今は、我々はヒステリー状態ですが、やがて絶望して静かになると思いますのでお許し下さい。

>>No.54 座位臥位立位 さん
>今は、我々はヒステリー状態ですが、やがて絶望して静かになると思いますのでお許し下さい。

それ何て「血圧下がれば出血止まる」状態?w

ま、故キューブラー・ロス女史の「死の受容の五段階」になぞらえれば、
=================
第一段階:「否認と孤立」←老医

第二段階:「怒り」←若手バリバリ主流派

第三段階:「取り引き」←若手バリバリ少数派

第四段階:「抑鬱」←中堅

第五段階:「受容」←来年度以降も残留予定の産科一人医長

※ルート外
「好きでイラクに行くやつがバカ」←若手バリバリ以外、つまり若手全体として主流派
=================
ですかね?

>No.45 YUNYUN さんのコメント

>どこかの研究者が裁判所と協力して、やってもらえませんかね?

いろんなバイアスがあるので、正確な値も、評価も困難ですが、民事の方が統計が取れていると言うことでしょうか?
明日の裁判所を考える懇談会(第13回)配布資料の第七資料に終局区分の割合の報告があります。
これによると、医療関係訴訟での認容判決は17-20%、棄却却下判決は20-28%、和解44-50%、その他12%と(平成10-15年地方裁)なっており、平成15年度に棄却が15%と急減しているのが気になります。

 ttp://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/asu_kondan/asu_siryo13/pdf/siryo7.pdf
 ttp://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/asu_kondan/asu_kyogi13.html

訂正です。

>平成15年度に棄却が15%と急減しているのが気になります。

22%と急減しているのが気になります。

No.45 YUNYUN さん

一応弁解させてくださいね。

・医療訴訟では原告の勝訴率が高い
⇒予想される勝訴率より原告の勝訴率が高い。数字として一般の裁判と比較すれば低いことはわかりきっています。時に逆の話をされ原告不利不公平という話になることがあるので、背景が全然違うからで事実はまるで逆だという意味でさせてもらっています。
・過失もないのに病院側が敗訴するケースが大多数である
⇒これは報道や判例として出てくるものに関してはです。目に入るもので大多数=少なくとも滅多にないことでは決してない くらいのニュアンスです。
・裁判官は医師を負かすべしとの先入観を持っている
⇒私の言っていることと少しニュアンスの違う文ですが、事後法的に次々創作される損害論は、法による公正さより被災者救済ということに最初から重きをおいていると判断できるのでは。
・トンデモ判決が相次いでおり、裁判所の判断は全く信頼できない
⇒これは弁解しません。医療に関する限り、これに反する有効な情報は何もなかったと思います。信頼おけないのは、システムやマスコミにミスリードされた社会の状況ゆえであり、裁判官が悪党だからとか馬鹿だからという理由では決してないです。


最後に、以前の同様の話題でも同じように主張していましたが私も、匿名化した上で全ての判決文をweb上で公開して欲しいです。

以前、井上真さんという方がこのブログで散々叩かれていましたが、その続報です。
blog.nikkansports.com//nikkansports/writer/archives/2006/11/post_575.html

それにしても、続報がパタッと途絶えましたね。

ちょっと分が悪くなってきたし、旬もとっくに過ぎたからハイ、次!
って感じなんでしょう。

言い訳満載だけれど、自分たちの至らなかった点を認めた井上真さんと、それを報道した日刊スポーツには一定の評価を与えていいと思います。
他の報道各社にはこの姿勢がほぼ皆無ですので、「当たり前のこと」が際立って見えます。

ブログ 天漢日乗から11月2日のMBSの報道の情報です

http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2006/11/_30_a0fd.html
2006-11-02

yuotube に放送そのものがupされています。
http://www.youtube.com/watch?v=M1Gx3zVuX6s
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「マスコミたらい回し」とは? (その30) 大阪のMBS、今日になっても「医療ミス」を主張 大淀病院産婦死亡事例の資料集(ビデオキャプチャ画像→クリックすると拡大します) →追記あり
毎日新聞奈良支局同様
 毎日系の関西キー局MBSは大淀病院産婦死亡事例は、不幸な転帰を取る稀な症例ではなく「医療ミス」という立場で報道を続けている。先ほど18:30過ぎに関西ローカルのニュース枠でこの問題を取り上げていたので、MBSの報道意図がわかるように画像キャプチャを編集してみた。
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我々が、
「やっぱり大阪人だな、短絡的に医療ミスとして報道するなんてレベル低すぎ」
というのと対して変わらないレベルの低い次元で放送しているのが分かっているのですかね?何度も言うけど、医療ミスって何やねん?ってな感じですね。この言葉を使っている前提からしてレベルが低いと思います。

P R

ブログタイムズ

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