エントリ

 医療崩壊について考え、語るエントリ(その7)を分割します。

 その7の最終コメントは、No.243 座位さんのコメントです。

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コメント(218)

座位先生

>あるいは『一期性』の理解をさせないことには

「一期性」→「いちごせい」でいいのでしょうか?

一期病(不治の病)なら聞いたことがありますが・・・。

前エントリNo.242 FFF さん

>「司法は99点の医療でも過失ありとする」「点数に関係なく過失だと断罪する」という誤った情報

心タンポナーゼ(先生の言われている救急指定病院の例はこれではありませんか?)は90点くらいは取れていると思います。この判決は明らかにトンデモですね。(判決ではないですが、大野事件は99点です)
確実に存在し、少なくはない。誤った情報ではないです。

>裁判所の専権

これに関しては、裁判官は相当こだわりがあるみたいですね。わからなくても自分が判断するのだ。我々にはそんなふうに見えます。だから素人が高い蓋然性を感じられればいいんだみたいな理屈を振り回して、プロが蓋然性どころかほとんど否定するような内容でも、簡単に決め付けてしまう。

>医師の関心、問題意識が極端に薄い分野について、たまたま平均点が30点であったとします(そして、少し注意を向ければ容易に70点に到達できるとします)。この分野について、漫然と慣行に従って30点の医療行為がなされた場合、「平均点には達しているから過失なし」としてよいのかは疑問です。平成8年の最高裁判例は、この問題意識から出されたものと理解しています。

これこそ最高裁の勘違いを明確に示しています。添付文書に書いてあることが70点であるという盲信がこの判例の根拠になっていることは明白です。
そんな例があれば理屈としてそれ程おかしくないことですが、実際の判例が文書偏重の裁判官の思い込みであったように、まずそんなものは存在していない。そして一番大きな問題は、それにならって裁判所が次々と裁判官の考える架空の70点を提示してトンデモ判決を量産していることです。(医療側のこれがスタンダードだと言い張ることへの牽制くらいならいいとは思うのですがね)

>救急指定病院に行ったのに、法律が求める水準の救急医療

法律は何も規定していませんよ(むしろ規定して明文化してもらえると大変ありがたい)。患者と裁判官の脳内に、現実には実現不可能な水準が横たわっているだけです。まさに想像の産物です。法律が求める水準の指摘自体が誤りです。

>民事訴訟の当否を論じる際の軸は、「国(医療行政&裁判所) vs 医療者」ではなく、「患者 vs 医療者」であるはず

確かにトンデモな訴えをする原告の方が悪いに決まっていますね。喩えるなら、原告がいじめっ子で、裁判官は教師というところですか。

なかなか面白いことが書いてありますね
(まあ以前にも紹介したことですが)

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最高裁における法技術の出発点は、まず、明示的な診療契約書が存在していないことに求められる。 
手術同意書、説明・同意書の類いは、ここでいう診療契約書には当たらない。
-----
明示的な契約書か約款が存在していれば、裁判所(特に最高裁判所)はそれが合理的なものであれば原則としてその契約文言・約款文言に拘束されざるを得ない。しかしながら、診療契約が黙示的なものに留まるとしたら、裁判所としてはそこに「法解釈」を行う余地を見い出し、「法解釈」を行って医師・医療機関の過失を認定してしまうのである。
http://www.m-l.or.jp/research/media040501_2.htm
----------
 診療契約が文書化されていない現状を前提にして、最高裁はその判例法理を通じて、医師の行為規範を創出しつつある。
 行為規範であるから一義的に明白であることが要請され、その結果、文書化されたものを過度に尊重する傾向が強くなっている。すなわち、医療関連文書を偏重することになっているのである。
http://www.m-l.or.jp/research/media040501_3.htm
----------

>元行政さん
>心タンポナーゼ(先生の言われている救急指定病院の例はこれでは
>ありませんか?)は90点くらいは取れていると思います。

Yosyan氏の掲示板の話では、2審の鑑定医が大きな役割を果たしていたようですね。その鑑定医は、90点だとは思わなかったのでしょう。

じじいさん 様
>「一期性」→「いちごせい」でいいのでしょうか?

そのつもりなのですが、何か的確な言葉が見つかりません。
リアルタイムでの判断、取り返しの付かない場面での行為
を表現しているつもりなのですが、、、
一期一会から、拝借しました。

すべての医療行為にプロトコールがあれば、申し分ないのですが
実際には、合併症の有無、現行の治療の奏功の程度や検査機器、
治療手段の制約、人的資源などのリソースが、ケースバイケース
でかなり、異なってきます。

医療水準は刻々と変化していきますし、、診療現場での状況を
数量化するのも困難ですので、最善解探索アプローチのようなものが
成立しにくいです。

24時間後の天気予報は、現在の科学をもってすれば、
様々なデータを入力することで99%以上正確に判明出来る
と仮定します。但し、その計算に48時間かかる場合、
単純に喜べないようなものです。

No.3 しまさん

Yosyan先生のブログの内容から、私は十分以上の対応をしていると判断しました。確かに裁判官より鑑定医の責任が大きいですね。

FFFさん

>それから、医師の関心、問題意識が極端に薄い分野について、たまたま平均点が30点であったとします(そして、少し注意を向ければ容易に70点に到達できるとします)。この分野について、漫然と慣行に従って30点の医療行為がなされた場合、「平均点には達しているから過失なし」としてよいのかは疑問です。

『知見の普及は、医学雑誌への論文の登載、学会や研究会での発表、一般のマスコミによる報道等によってなされ、また、当該疾病を専門分野とする医師に伝達され、次第に関連分野を専門とする医師に伝達されるものであって、その伝達に要する時間は比較的短い』
これは平成7年6月9日の最高裁判決の文面からです。
しかし、「医学雑誌への論文の登載、学会や研究会での発表、一般のマスコミによる報道等によってなされ」た段階ではその治療法もしくは医療技術は未完成のものが多く、データや論理が積み重なってふるい落とされておくものが多いのです。
「問題意識が極端に薄い分野について、たまたま平均点が30点」とか「少し注意を向ければ容易に70点に到達できる」というのは、このときの最高裁が犯した間違いと同じで、医学の進歩についての誤解からくる思い込みではないでしょうか。


>平成8年の最高裁判例は、この問題意識から出されたものと理解しています。

すいません、平成8年の最高裁判例について具体的にどのようなものであったのかお教えいただけないでしょうか。

> 元行政さん   (No.2のコメントについて)

 毎度同じことの繰り返しなので、ひょっとしたら承知の上でなさっておられるのかも知れませんが、敢えて書きます。議論の段階が違うのです。

 私が申し上げているのは、訴訟の枠組みであり一般論です。

 スポーツでいえば、「審判はこういうルールに従って判定をし、試合を運営しています」ということが言いたいわけです。野球にたとえれば、フライを直接捕球すればアウトとするというルールでやってますよ、ということです。

 これに対して、元行政さんの仰っているのは、「〇〇の試合では、ワンバウンドで捕球したのにアウトと宣告したじゃないか。日本の審判はワンバウンドで捕球した場合にもアウトと宣告するルールでやっているのだ。とんでもない!」ということでしょうか。

 で、私は答えて曰く、「そんなことないですよ、審判は直接捕球したときだけアウトと宣告するルールでやってますよ」と。更に元行政さんからは、「そんなこと言っても現に●●の試合では・・・・」。

 この噛み合わなさ具合、外野から見ると結構面白いのかも知れませんなー。

医療行為を、過失ありか過失なし(yes or no)で判断するのではなく、点数で評価するのは困難な部分もあるでしょうが、まず最初の一歩としては良いことだと感じます。
むしろ、5段階で、A、B、C、D、Eの方が分かり易いのでは。4、5人の鑑定医が評価し、1人だけ他と違う評価をしていれば、その医師はトンデモ鑑定医であることも分かる。
また、全員がAかBの評価をしているのに裁判官が逆の判決をすれば、トンデモ裁判官、あるいはその理由を明記するべきということになる。
いずれにせよ、医療崩壊した後であれ前であれ、司法と医療が擦り寄らなければならないところに来ているのは明らかですから。

>FFFさま
>民事訴訟の当否を論じる際の軸は、「国(医療行政&裁判所) vs 医療者」ではなく、「患者 vs 医療者」であるはず

むしろ、「患者 vs 医療者」の間に保険会社や市町村(市民病院など)が入るからややこしくなっているのではないかと思いますが。そして保険会社にお金を支払っているのは全国の医師達です。

FFFさん
>私が申し上げているのは、訴訟の枠組みであり一般論です

今の訴訟の枠組みのままでは、救急医療の崩壊を助長するでしょう。
救急医療の崩壊の被害を少なく、再建をするには今の枠組みでは駄目だと医療者側は述べております。
救急医療の崩壊の被害を少なくし再建を図るには、「今の訴訟の枠組み」に問題があると述べておるのに、FFFさんからは「今の訴訟の枠組み」ではこうなっているからしかお答えいただけていません。
このエントリは、救急医療の崩壊の被害を少なくし、再建を速やかに行なうにはどうするのかを議論する場です。

「今の訴訟のしくみ」ではなく、FFFさんが「現在起こっている救急医療の崩壊」についてのどう考えておられるのかお尋ねします。

1;「今の訴訟の枠組み」のままでいることが、「救急医療の崩壊を助長していない」もしくは「崩壊後の再建を阻害していない」とお考えでしょうか?
それとも「今の訴訟の枠組み」を維持したままで、救急医療の「崩壊の被害を少なくする」もしくは「再建を促す」ための具体的な案をお持ちですか?
2;「今の訴訟の枠組み」が「救急医療を崩壊を助長」してその枠組みを維持したままで再建する案がなくても、「今の訴訟の枠組み」がそうであるから「救急医療の崩壊は仕方ない」とお考えなのでしょうか?

FFFさん、そのたとえを続けましょう。

医師側は
「そういうルールでやってる"つもり"なのは重々承知だが、最近ワンバウンドをアウトとするような誤審が、看過できないほどに多すぎる」
と、主観ではあるが、実感を語っています。

「99%において正しく審判をしていることは認めるが、1%でそんな誤審があるだけで、ほぼ数試合ごとに大混乱を来すことになり、試合全体が成り立たず、リーグ制が崩壊しているのだ」と言っています。

「そんな誤審がシーズンに1回や2回でペナントに影響しない範囲なら許せるのだが、現状はとにかく、多い。確かに"多い"かどうかは主観的な問題だろう。だがしかし、既に審判の能力不足に起因して、選手や監督のやる気が失われているという現実がある」と。

FFFさんは過去数回で、「審判は、努力はしてます、努力はね。ルールブックに従っています。複雑怪奇なルールであれ、ルールブック(=法律)自体を審判が改変したらとんでもないことでしょ? ルールブックに従って審判しようとする良心と姿勢自体は、どうか否定しないで」と、まさに『一般論』を仰っているのだと思います。

まさにその通りですね。別に自分は審判側の「良心」を疑う気持ちは全くないですし、「審判が裏金を貰っているのではないか」とか疑ってるわけでもありません。
幾ら審判の能力で判断が困難な例が多く誤審が多発するからといって、勝手に個人がルール自体を無視する判定をせよ、とも言う気は全くありません。そこはFFFさんも安心していいと思うのです。

さて、どうすればいいんでしょうね。
現実に、能力不足の審判の元でプレイせざるを得ない、応召義務を持った医師の気持ちが萎えています。実際の誤審率の少なさは確かに90%や50%ではなく、精々3%や1%なのかもしれません、が、なお、納得いっていません。

一番噛み合っていないとすれば、そこだと思います。FFFさんは、現実にリーグが崩壊しつつある原因を、一言で言うと何だと考えるのでしたっけ? 『選手の誤解』ですか?

選手サイドは、誤診率はもう高すぎるから、ビデオ判定(ADR)付けろ、と求め、実際に試合放棄を始めている。それに対して審判として「そんな制度はルールブックにない、我々はあくまでルールブックを遵守する集団である」と主張し続ける。

実際、個人的には「審判」だけを糾弾しても何も解決しないことくらい解ってきてるのですが、この調子じゃ確かに、非建設的ですよね(笑)

訴訟はある決まったルールで行われており、レフェリーが裁判官で、(トンデモ)裁判官に文句を言っても仕方がないという意見もありますが、これに対して裁判所の裁判官は国民投票で罷免されるということがあると聞いています。

ちょっと過激な意見ですが、例えばこのブログで度々登場する藤○雅○裁判官などの判決を名前を付きで十分に評価しとんでもないということになれば、ネットで広がった情報によって全国の医師が選挙の際に×をつける(それで過半数に達するかどうかは分かりませんが)ことも出来るのです。いや少なくとも危機感は持たせることは出来ると思います。

判例そのものを評価するだけでなく裁判官の資質(特に医療訴訟における)も評価すべきものと思いますが、如何でしょうか?わざわざ、岡山の医療事故を東京で裁判するような状況ですから裁判官自体の個人差はかなりのものがあると思います。

> オダさん   (No.9のコメントについて)

 自分としては、「今の訴訟の枠組みのままでは、救急医療の崩壊を助長する」という前提に疑問を持っています。というのは、医療者の多くにおかれては裁判制度自体についての基本的な知識が乏しい(専門分野でないから当然であり、非難する趣旨ではありません)ことに加え、「法律家は悪意を持って医師を攻撃している」「医療訴訟では不公平な審理によって不当に医療者が負かされる事案が大半である」といったネガティブキャンペーンが横行している結果、必要以上に、医療訴訟を脅威と捉える認識が形成されている面があるように思われるからです。

 もちろん、患者側から見てあまりに不当と思える判決があるように、医師から見て不当と思える判決がありうること自体を否定するつもりはありません。刑事責任の追及が何の萎縮効果も持たないということもないでしょう。ただ、司法を過度に脅威とみなすこと、敵視することは如何なものかということです。

 して、訴訟の仕組み(弁論主義であれ過失責任主義であれ鑑定の方法であれ)を知って頂くことで、無用な警戒感を解消できる部分があるのではないか、幽霊の正体を枯れ尾花と看破して頂けるところがあるのではないか、という観点から書き込みをさせてもらうことがあります。

 私は裁判をメシのタネにする法律屋ですから(ただし大学では全然無関係な研究しかしてなかったので、どなたかが仰ったように、自分の見解を法律家一般の見解と同視しない方がいいかも知れません)、もっぱら、「今の訴訟の枠組み」を説明申し上げることにしております。医療現場の実情をふまえた「具体的な再建案」を出せればよいのですが、それだけの知識も経験も能力もありません。以前は思いつきで医療のことにも口を出したのですが、医師の方から、「さすが医療現場を知らない人の言うことには驚かされますね」などと指摘されるものですから、門外漢が下手なことを言わない方が無難なのかな、という判断もあります。

> 裁判所の裁判官は国民投票で罷免されるということがある(No.11 uchitama さま)

それは誤解です。
国民の直接投票により罷免できるのは、最高裁判所の裁判官だけ。
> このブログで度々登場する藤○雅○裁判官
は地裁の裁判官なので、国民審査の対象外です。

ついでに、最高裁判所裁判官の国民審査について少々説明いたしますと、
昨年10月の衆議院総選挙に行かれた時に、3枚の投票用紙を渡されたでしょ?選挙区のと、比例区のと、もう一枚が最高裁判所裁判官の国民審査。裁判官の氏名がずらっと印刷してあって、辞めさせたい人の枠に×をつけろ、と。
審査を受ける裁判官の人数はその時々で違い、全員ではありません(最高裁判所の裁判官は15人います)。
国民審査は最高裁裁判官に任命されてから初めての選挙の際に受け、それから10年ごとに受けることになっています。いいかげん年とった人ばかりが裁判官に任命されているため、定年70歳で退官するまでに、2度目の審査を受ける人はほとんどないそうです。

裁判に対する国民の関心度は概して低いため、国民審査で過半数の×をくらって罷免された裁判官は今までにありません。
方式に問題があるとも言われており、現行の不信任投票ではなく、信任投票方式(裁判官を続けてもらいたいと思う人に○をつける)でやるならば、○を過半数取れずに辞めさせられる裁判官が続出すると予想されます。
つまり、制度的に、国民審査はあまり機能していないと言えます。

裁判の場で、医者側の弁護士を如何にして戦略的優位に立たせるか。
この訴訟戦略について、医師側が不十分であるという認識は、いまや、
医師の多くにあるのではないでしょうか?

FFF さんの場合も、司法構造を絶対視してますから、医学的真理を
絶対視する医師と瓜二つですね。現行の司法構造のなかでの戦いも
勿論必要ですが、我々医師は法律の囚人ではない、「それでも地球は
廻っている」と言うべきことは言います。法治国家ですから、法曹家の理論武装が一見最強に見えるだけです。

座位先生

ありがとうございます。
刻々と変わる状況の中で、その場面、場面で求められる判断というような理解でよろしいでしょうか。

何日も様々な可能性を考えに考えて下す判断ではなく、ごく限られた時間と情報しかなく、瞬時、瞬時に打つ手を求められている中で下す最善と思われる判断というような。

>じじいさん 様
勿論、そういった厳しい状況ばかりなのだ、というつもりはありません。
しかし、そのような状況での診療をめぐる訴訟が多いと思います。
>FFFさんへ
医療犯罪者や重過失を犯す医者を除く、我々普通の医者でも、
業務として、救うべきものを救えないときがある。それは、医者側から
みると偶発症や不運としかいえない事なのに、不当逮捕や不当な
判決が目立ってきている。

弁護士さんは、被告を救おうとして救えなくても、逮捕されることは
ないわけです。これは法律上そうなっているといえば、それまでですが、
我々は逮捕され、あなた方は逮捕されない。
ダブルスタンダードではないのか。

ここまで、言わなければ、我々の不安感や士気の低下は伝わらない
のではないでしょうか?(前にも言いましたけどね)

横から失礼します。

>座位さん
>FFF さんの場合も、司法構造を絶対視してますから

絶対視している訳でもないと思います。取って代わるものがあればそれでもいいけど、現状を見る限り取って代わるものがないという判断なのではないでしょうか。

>>No.12 FFF さん
> 自分としては、「今の訴訟の枠組みのままでは、救急医療の崩壊を助長する」という前提に疑問を持っています。というのは、医療者の多くにおかれては裁判制度自体についての基本的な知識が乏しい(専門分野でないから当然であり、非難する趣旨ではありません)ことに加え、「法律家は悪意を持って医師を攻撃している」「医療訴訟では不公平な審理によって不当に医療者が負かされる事案が大半である」といったネガティブキャンペーンが横行している結果、必要以上に、医療訴訟を脅威と捉える認識が形成されている面があるように思われるからです。

だとすれば正しい司法制度像を医療者に浸透させる責任は全面的に法律家側にあるのではないでしょうか。
FFFさんらが以前からおっしゃるように、真実の医療像を国民に示して来ず、医療に幻想を抱かしめるに至った国家的な瑕疵を償う責務は偏に医療者側に存する、のであればそれと同程度には。

その上で、現行制度の周知徹底で納得した医師だけが日本の医療を担えばいいのでしょうね。
少なくとも私には無理なようです。


ドラゴン桜の教師・桜木の信条の一つは「ルールを作る側に回れ」ですが、まさにその通りです。
おそらく、民事、刑事とも現行の司法制度を運用の段階で細工してみたところで、現場の医師の戦線離脱を回避することはできません。
仮に今、医師側が納得する新司法制度が出来たとしても、主犯は司法だけではないので崩壊は不可避ですけどね。
再生への足がかりにはなろうかと思います。

もっとも「ルールを作る側に回れ」と言う桜木の本来の職業が弁護士であるのは、少々言行不一致の誹りを免れませんね。

♯そろそろHNを「崩壊やむな師」に変えようかな。

>元行政先生(2)
>心タンポナーゼ(先生の言われている救急指定病院の例はこれではありませんか?)は90点くらいは取れていると思います。この判決は明らかにトンデモですね。(判決ではないですが、大野事件は99点です)/確実に存在し、少なくはない。誤った情報ではないです。

 大阪高判平成15年10月24日については、(議論が行なわれていた当時、日医医賠責の話に意識が集中していたこともあり)こちらでの議論に乗り遅れてしまいましたが、私も「キッツイ判決だなあ」と思いました。ただ、「キッツイなあ」とは思いましたが「トンデモだなあ」とまで言えるかどうか、自分ではちょっと判断がつきにくかったので、コメントを控えておりました。

 「ちょっと判断がつきにくかった」というのは、「全国にたった2000人程度しか救急専門医がいないという事件当時の我が国の状況に照らして、近郊の二次救急医療機関に対して常時救急専門医にしか行ない得ないような医療内容を求めることは適当ではないのではないか」と考え、他方、「救急専門医の供給が少ないからといって、はたして司法がその現状を追認することは適当なのか」とも思ったということです。

 以前、医師の方から「司法は建前ばかり唱えて、医師仲間でいうところの『使えない奴』みたいだ」というコメントがありましたが、私は「司法は“建前”を言うからこそ存在意義があるのだ」と考えています。例えばよく「医師の労働環境は完全に労基法に違反している」という主張がありますが(そしてそのとおりだと思いますが)、これも「労基法」という“建前”があるからこそ成り立つ主張です。
 もちろん、“建前”というのは世の中にたった一つしかないということではなく、中には対立するものもあったりするからややこしいのですが。医師の世界なら「新人医師というものは徒弟みたいなものだから、先輩医師から高度な医療技術を学ばせてもらっているうちは薄給(ときには無給)でも我慢せよ」とかいう“建前”が医師の世界内部ではそれなりに通用していたり(門外漢の推測ですが)、「労基法を守りたくても医師が少ないんだからしょうがないじゃん」といった“本音”が幅を利かせ、「労基法」という“建前”はあまり重要視されてこなかったのでしょう。
 しかし、いざ司法の場で医師の労働条件が正面から争われることになれば、医師の世界のみで通用していた“建前”や、「医師数が絶対的に不足しているから、今いる医師に過剰労働させるしかない」という雇用者側の“本音”は通用せず、「医師といえども労働者として労基法に沿った労働条件が適用されるべきだ」という“建前”が採用されることになります(実際、裁判所はそのように判決しているはずです)。

 大阪高判平成15年10月24日に話を戻せば、もしも救急病院等を定める省令1条1項にいうところの「救急医療について相当の知識及び経験を有する医師」が救急専門医レベルを指しているのだとすれば(あくまでも、「もしそうであるならば」です)、「全国に救急専門医が2000人しかいないから本院では無理」といった“本音”は通用しにくいんじゃないかなあと思うのです。

 このことは、「産婦人科における看護師による内診行為が保助看法に抵触するか」についても言えることで、「医師の指示に基づく看護師・准看護師による内診は診療の補助行為であり助産行為ではない」という“建前”をトコトン主張して戦われるのであればよいのですが、堀病院事件で産婦人科医会が出していた声明のように「看護師による内診を認めなければ我が国の産婦人科診療は成り立たない」と“本音”をベースにして看護師内診合法論を語られても、「いや、助産師だけに内診行為をさせている医療機関もあるのだから」といわれておしまい、ということになりかねません(その点、愛知の産婦人科医会かどこかが出していた「起訴猶予に対する声明」は、筋が通っていると思います)。

 そういうわけで、司法に対し「“建前”ばかりで使えない奴」といっても仕方がなく、「司法に通用するような“建前”をどう獲得するか」というのが(法の世界では)重要なのだろうと考えるのですが、このことは医師の皆さまにはなかなか理解していただけないところなのかなあと思ったりしています。経団連などはそこをよく理解していて、「労基法が自分たちにとって都合が悪いなら、労基法を骨抜きにしてしまえばいいじゃない」とばかりに、さっさと新たな立法運動を展開していますね。賛同するかどうかは別として、経団連の推進する「ホワイトカラー・エグゼンプション制度導入運動」は、「(座位先生がおっしゃるところの)法律の囚人」であることを自覚する者にとって最良の選択だと思います。

>an_accused さん
例えば厚労省の「見直し」(現在はそうではないということでしょう)で言えば

>一定期間(三年程度)以上の救急医療の臨床経験を有し、救急医療に精通している
>医師もしくはその指導下にある医師が病院内で常時診療に従事していること。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/12/s1209-8b.html

となっています。

また、立法意図と言うことならば
----------
 それは、この省令をつくりまして、その第一条の第一号に、救急病院及び救急診療所における医師に関しての規定がございます。これを拝見しますと、「事故による傷病者に関する医療について相当の知識及び経験を有する医師」、そういう医師とは、救急医療に関し必要な知識及び経験を修得するのに適した医療機関において、免許取得後相当期間外科診療に従事した経歴を有する者またはこれと同程度以上の知識及び経験を有する者とする、こういう規定になっておるわけです。ところが、救急病院に収容する患者には単に外科だけの技能を習得しておけばいいのかどうかという問題ですよ。

46 - 衆 - 社会労働委員会 - 60号
昭和39年07月31日
----------
と言う事みたいですね。

>YUNYUNさま
>国民の直接投票により罷免できるのは、最高裁判所の裁判官だけ。
> このブログで度々登場する藤○雅○裁判官
は地裁の裁判官なので、国民審査の対象外です。

だとしたら、「医師必携:藤○雅○裁判官のトンデモ判決」というぐらいの本を刊行して10年後、20年後の医師たちにまで知らしめるぐらいの覚悟で臨まなければならないということですね。
実際に書くか、誰が書くかは別として、このブログや他のブログで藤○雅○裁判官の判決に対する批判はかなりの量になります。本人を含めて裁判官の方々には少なからぬ医師達(あるいは全国の医師達)の批判を知ってもらいたいものです。

>FFFさん

要するに質的評価というよりは、量的感覚で、ズレがあるような。
過去にこのブログには、確かに

「法律家は悪意を持って医師を攻撃している」「医療訴訟では不公平な審理によって不当に医療者が負かされる事案が大半である」といったネガティブキャンペーン

を盲信したような発言する人は少数いました、が、現時点で今ここには、そこまで言う人は残ってないと思います。そんな偏見に満ちたネガティブキャンペーンが蔓延していると考えるのは、それこそ偏見かと思います。自分自身は日本の司法制度自体は非常に信頼してます。

それでも尚、「医師への無理解に起因する訴訟リスクが、数量的に許容範囲を超えており、逃散の主因となっている」と感じる人は多く、「法律家に悪意がなくても」「不公平な審理が大半じゃなくても」問題になってるように思えます。FFFさんも、せめてそのレベルの人に訴えるよう、目線を下げて欲しいです。

数量的な感覚は専門化が一番鋭いと思います。FFFさん(以外でもいいのですが法律に詳しい方々)に、客観的にいくつか教えて欲しいことがあります。

(1) 「個人が理不尽な訴訟を受け、理不尽な判決を受けるリスク」って、医師以外の世界でもそんなに多いものですか?

(2) 法務関係以外の仕事をしている普通の労働者個人が毎年数百人に1人被告になっている職業って、他には何と何がありますか? 業務上過失致死ってことだと、例えばトラック運転手とか借金取り立て業は真面目に働いててもリスク高いのかもな、と思いますが、その辺と比較して医師は如何ですか?

(3) 社会性が高いため「原則客を断れない」と法で規定された職業は、医師以外にも、消防士とか警察官とか裁判官とか色々あると思います。が、重過失や故意でない微妙な例においてこれらの人が裁判で有責とされた例を全く知りません。ここの議論上、警察官や裁判官だと、職務遂行上の訴訟リスクは殆ど問題となってないようですが、例えば「消防士や弁護士もこんなトンデモ有責判決受けてるんだよ怖いんだよ」的な例があれば、数個紹介して頂けると非常に参考になります。

(4) 弁護過誤保険とやらの存在はここで初めて知ったのですが、弁護過誤訴訟の頻度と認容率、保険支払いの条件や典型的な賠償額などを教えてください。そんなものがある位なので、さぞかし弁護士はリスク高い職業なのかもと思うのですが、如何ですか?

これで「客観事実として、医師の訴訟リスクに相対的過剰は無い」という納得が得られるんだったら、ごめんなさい私の無知でした、と言えそうです。どうぞよろしくお願いします。

ド素人です。

司法制度を正しく理解して貰えば、幽霊の正体見たりと思って頂けるのではないか、とFFF様はお考えのようですが、では、刑事と民事で現在おなじ用語である「過失」という言葉を、どちらか一方は変更する覚悟がおありでしょうか。

私はIT業界のエンジニアですが、私の業界が「パソコンのマニュアルは分からない」と皆から責め立てられ、色々と試行錯誤して学んだ重要な教訓の一つは「一見おなじに見えるが実は違う、そうしたものは素人を大混乱に陥れる」です。私らエンジニアは内部構造とか、これはxxからxxにシグナル飛ばしてやってるんだなとか想像できる場面であっても、素人衆にはそれが出来ないので、よほどの時間と根気を使って説明しないと理解して貰えない。そして素人衆は素人衆で本業があり、忙しいのです。民事と刑事とでは過失の概念が違う。私は本サイトでそのことを学ばせて頂ましたが、パソコンマニュアルの混乱を見たことがある人間として断言します、素人衆には未来永劫理解されません。もし理解して欲しいなら、用語を変える必要があります。それもせずに理解して貰おうと思うのは、傲慢だ。我々は四方八方からそう言われました。このまま行けば、おそらく司法もおなじ経験をすることになります。

***
2年目様の疑問に関連して、現在日経一面で連載中の「試される司法」という特集の第1回目に、瑕疵のある商品を販売したことについて最高裁が販売店(スーパーだったかな?)の責任を認め損害賠償を命じた、という記事がありました。下級審の判断をくつがえしての判決だそうです。記事からは、最高裁は、法的な因果関係が及ぶ範囲を広げる判断をしたと読み取れました(すいません、いま記事が手元になく引用できません。ネットには載っていませんでした)。スーパーに商品に欠陥がないことをチェックしろと命じる?この人たち、それをやるとスーパーという販売業態は成立しないことを分かった上で判決を書いたのだろうか?と思いました。詳しい事情が分からないので断定は出来ませんが、万が一記事のトーンが正確なら、最高裁はとんでもないことをしてくれた、と感じています。

No.12 FFF さん

>自分としては、「今の訴訟の枠組みのままでは、救急医療の崩壊を助長する」という前提に疑問を持っています。

現実に産科を辞める医師は、現在の激務と並んで、「今の訴訟の枠組み」を問題にして辞めていく現実があります。
「今の訴訟の枠組み」が産科の救急医療を崩壊を助長していないという根拠をお教えください。

すいません。
文章の間違いの訂正です。

産科の救急医療「を」崩壊→産科の救急医療「の」崩壊

あと繰り返しで申し訳ありませんが、「医療崩壊について考え、語るエントリ(その7)でFFFさんのいう最高裁の判決とはどれを指しているのかお教えいただけませんか?

こんにちは、FFFさん。整形Aです。
いつも丁寧な返答、ありがとうございます。

No.242 FFF さんのコメント

>民事訴訟は私人と私人の争い、私人間の利害調整が本質であり、司法は、その審判、レフェリーに過ぎません。

民事訴訟が私人間の利害調整? 国や自治体を訴える例もあるのでは? という突っ込みはさておきまして、もっと根本的なところで疑問があります。

現在の健康保険制度は全国民が加入すべき強制保険であります。
国民は保険者に保険料を払い、病気になったら保険証(被保険者証)をもって医療機関を受診します。
患者となり病院などで受ける治療は、担当する保険医療機関による療養の給付(現物支給)という位置づけになります。

ということは、仮に病院で健康保険による治療を受けた結果が思わしくなかったのであれば、担当者の責任を問うことより、保険者の責任を問うことのほうが合理的ではないでしょうか。
似たようなことは、他の業種でもありそうです。

例えば家を建てたときに、大工さんの不手際で不具合が生じたら、大工さんにクレームをつけるのではなく、施工業者にクレームをつけると思います。
損害賠償の義務を負うのは請け負った業者さんでしょう。
もちろん、下請けの大工さん自身の立場は悪くなるかもしれません。場合によってはそちらに損害賠償のつけを回すことも考えられます。
さらに、何度も不手際を繰り返す大工さんであれば、そのうち仕事が回ってこなくなるでしょう。

保険診療を行なう医療機関は保険者などと契約を行なっていると解され、健康保険法といった法律や療養担当規則の遵守を求められています。医師・看護師などのスタッフの配置も政策的に決められています。
患者のため必要だと思った検査や治療でも、一定の範囲内で行なうことを求められ、過剰であるとみなされれば保険者からの支払いは削られます。

保険医療機関にそのような枠をはめている以上、それに従って行なった療養によって生じた瑕疵については、枠を決めたところ(この場合は社会保険事務局か)こそ一番の当事者になるべきではありませんか。

>No.24 オダさん

現場で働いているもの、および新規に現場に参入しようと考えているものが「割に合う/割に合わない」と"感じる"か否か、なんじゃないかなぁと。「実際に割に合う/合わない」ももちろん大事なんですが。

法律に関しては、全くのド素人です。そのため、これは全くの暴論かもしれませんが、その際は、どうぞご容赦をお願いいたします。
私は、an_accusedさんのコメントを読んで感じたことをそのまま書かせていただきます。
an_accusedさんは、「司法は建前をいうことに、その存在意義があり、本音(現実世界)とは関係がない」とのお考えのようですが、それならば、建前と現実世界(本音)との関係をどのようにお考えでしょうか。
医療の世界では、司法による建前のため、現実世界の崩壊が起きています。特に、産科の領域では、福島の大野病院事件や内診問題のため、産科を廃業する医師が出てきており、深刻な産科医不足が起こってきています。勿論、産科医不足の原因のすべてが司法に責任があるとは言いません。しかし、その原因の一部になっていることは間違いありません。
司法は、現実世界から完全に独立して存在するものなのでしょうか。
いいえ、司法も当然、現実世界の中で存在する筈です。もし、そうならば、司法の建前論のため、現実世界が崩壊していくようであれば、それは、建前が悪いからであって、建前を現実世界に当てはめるように変えていくべきではないでしょうか。司法は絶対不変のものではないはずです。
もし、司法が現実世界を無視して、建前だけを振りかざすようならば、司法はその信頼を失っていくことになると思います。

No.7 FFF さん

裁判所の中で最高裁は裁判のルールを決めていますよね。前エントリの先生の説明は最高裁が医療水準のルールを変えた理由でした。私は最高裁のそのルールがことごとく間違っているということを指摘、批判しています。理論的にもこうだから間違っている。実例として実際にもこんなことがおこっているという感じで書いています。たまたまの誤判を指摘しているわけではありません。

No.6 オダさん

平成8年のペルカミンS事件というやつです。下のページを参照してください。もう一つのトンデモも参考になります。
http://koiwase.com/action/document8.txt

>No.3 しまさん
ご紹介のサイトを読ませて頂きました。
これからの医療は「診療契約書及び約款」を作っていくのが、自然な流れなのでしょう。ただ、それでも急変時の処置を全て書く事は不可能であると考えられます。また救急医療に関して言えば作ることは不可能です。そして崩壊が始まっているのはこれらの急変が起きやすい部位からなので、「診療契約書及び約款」というのは抜本的な解決にはならないと不安に思っています。
さらにこれを作成する上でどうしても避けられない問題として
ーN鼎良坡亮太(誰もその病気が治るかどうかは保証できない)
医療の不確実性(新しい事が発見されれば治療法が大きく変わる事がある。また今まで広く用いられてきた治療法が実は有害だったと言う事も少なくない)
0緡貼昌者の能力(新しい方法が提案されても、すぐに全員が出来るものではない)
等が挙げられると思います。
そして最も大きな問題として、現状では説明に長い時間を掛けられるほど人手がいないということが挙げられます。個人的には「説明に時間を掛ける余裕が無い事」が、医療不信に繋がる第一歩だと思っており、現状を脱するにはここを改善するのは必須であると考えています。「診療契約書及び約款」が訴訟対策として役立つものに作れるかどうかは別としても、説明の仕方は改善する余地は多々あると思います。


ところで、皆様は「医療崩壊」についてどのような定義をなされているのでしょうか?
どうも言葉のイメージが先行してしまい、具体的内容については個々人でかなり違うように思います。例えば「医療崩壊が終わるまで待つ」というような人は、どのような状態になれば動き始めるのでしょうか?皆様の定義をお聞かせ頂けると幸いです。

自分にとっての医療崩壊とは「今まで受けられた医療が受けられなくなること」 です。その為に産科や救急では崩壊が始まっていると考えています。医療崩壊の終着点がどうなるかはまだ良くわかりませんが、このままでは所得の高い人しか医療を受けられないアメリカ型の医療になると考えています。
とりあえず現状では救急や産科の医療がこれからも崩壊していくのは既定路線と言ってもよいでしょう。自分達の世代で「心嚢穿刺が出来る事が条件」とされる救急医療で働く人は(研修期間を除けば)少数派だと思います。志が低いと言われればそれまでですが、過酷な労働条件の上に訴訟が加わる職場に喜んでいくような人を探すのは誰にとっても困難な事だと思います。

No.27 お弟子 さん

>「割に合う/割に合わない」と"感じる"か否か

「今の訴訟の枠組み」のままでは「割に合わない」と考えているのが、特に産科救急医療の現状です。
そのため、産科の救急医療は、昨年からは予想された以上に、急速に崩壊してきています。
産科ほどではないけれど、一般の救急医療でも、「今の訴訟の枠組み」のままでは割に合わないからと崩壊が進んでいます。
「今の訴訟の枠組み」では「救急医療が割に合わない」状況になっているから、救急医療が崩壊を防ぐには「今の訴訟の枠組み」を変える必要があるというのが医療者側の大多数の意見かと思います。

 このブログに投稿されている法曹関係者または司法側の常連の皆さんは、医療崩壊の現状を認識し、医療側の人たちの司法に対する不信または不満を十分理解した上で投稿されていると思います。
 そうでなければ、継続的に投稿することはないはずです。

 そして、司法側の方たちが、訴訟の枠組みや司法の建前を説明されるのは、医療崩壊の主戦場の一つが裁判であり、刑事起訴されまたは民事提訴された医師の皆さんは、否応なく訴訟の場で戦わなければならないのですから、訴訟という土俵がどのようなものであるのかを理解してもらいたいという思いからであると考えています。

 ここで、「司法の枠組み」というのは、「司法の判断」とは別であると理解しています。
 司法の枠組みは、司法的判断に至るまでのプロセスであり、判断そのものを意味しているのではないと思います。

 また、司法の建前というのも、本音と建前の建前ではなく、司法が外すことができない基本的な考え方ないし判断基準であると理解することができます。

 そのように理解しますと、司法の枠組みも司法の建前も、それ自体としては医療側に敵対するものではありません。
 
 医師と法律家は良く似たところがあると思っていますが、当然ながら違うところもあります。

 医師も法律家も事実の認識ないし把握とそれに対する適切な対処を求められていますが、医師の医療行為は基本的に事実行為(投薬や手術等)であるのに対し、法律家の対処の過程の中には法律解釈という論理操作が大きなウエイトを占めます。

 そして法律解釈という論理操作は数学的論理とは異なり、一つの結論を導き出すものではなく、多くの場合、多様な、場合によっては正反対の結論を導き出します。

 ところで裁判はそのような複数の結論から一つの結論を選択しなければならないのであり、そこでは論理ではなく、価値判断が支配します。

 そうなりますと、問題の本質は、誰のどのような価値を重視するのか、ということになります。
 そして、裁判における価値判断の主体は裁判官ですから、裁判官がどのような価値観を持っているのか決定的であるということになります。

 やや尻切れトンボ気味ですが、ひとまずアップします。

No.12 FFF さん

>「法律家は悪意を持って医師を攻撃している」「医療訴訟では不公平な審理によって不当に医療者が負かされる事案が大半である」といったネガティブキャンペーンが横行している結果

このブログにおいて、最近このようなネガティブキャンペーンが横行していますか?
「法律家は悪意を持って」いたりとか「不公平な審理」が原因ではなく、「医学に対する無理解や誤解からとんでも判決になっている」というのが、このブログの議論においてコンセンサスを得ているように自分は考えておりました。
それに対してFFFさんが上記の認識でおられるままであれば、議論は確かに噛み合ないのも無理もないように考えます。


>「さすが医療現場を知らない人の言うことには驚かされますね」

No.194 では
>医学的見解に異論を差し挟むつもりはありませんが、何というか、そこまでして毎度毎度医師の責任を否定し、患者(&弁護士)を攻撃する理屈をひねり出さなければいかんのか、的な感想を持ちました。
とありましたね。これも
「法的見解に異論を差し挟むつもりはありませんが、何というか、そこまでして毎度毎度クライアントの責任を否定し、訴訟の相手(&相手側弁護士)を攻撃する理屈をひねり出さなければいかんのか、的な感想を持ちました」
と返されてしまいませんか?
皮肉を言いたくなるお気持ちも解りますが、挟むべき異論は挟んだ方がいいかと思います。


No.29 元行政 さん
ありがとうございます。
どの判例のことなのか了解しました。

話ぶった切ってすみません。

今日、話題の「ジュリスト (No.1323) 2006.11.15」(¥1750)を買って参りますた。
まだ、
・Leflar, Robert B.著(三瀬朋子訳)「I 総論 医療安全と法の日米比較」ジュリスト1323号(2006年)8-19頁.
しか読んでませんが、この総説、恐ろしくよく書けてます。
買う買わないは別として、医師の皆様もぜひ読まれることをお勧めします。

ちなみに他に買ったのは
・岩波 判例基本六法 (だって安いんだもん。活字もなんか気に入ったし)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4000841076/sr=11-1/qid=1164359418/ref=sr_11_1/250-6331366-7962620
・被害者と加害者の対話による回復を求めて-修復的司法におけるVOMを考える
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4414400198/sr=11-1/qid=1164359351/ref=sr_11_1/250-6331366-7962620

医学書までは金が回らず orz

No.27 お弟子 さんの「割に合う/割に合わない」で思い出しました。
恥ずかしげもなく、私の当ブログ初書き込みを再掲させていただきます。

2006年08月13日
●医療崩壊に対する制度論的対策について(その1)
========以下引用========
No.100 通りすがりの元田舎医 さんのコメント | 2006年08月15日 12:11 | (Top)
今まで医者がいたところから医者がいなくなってきたのは?「『割に合わない』と感じ始めたから」?からにすぎません。?これが医療崩壊の本質です。
何について「割に合わない」かは人それぞれでしょう。?ただ、いくら原告敗訴しても、医賠責が効いたとしても医療過誤訴訟を起こされると考えただけで勘弁、という僕のような医者が他にいても不思議はないでしょうね。?実際の生活の中に、どこにも裁判に費やす時間もエネルギーも残っていませんでしたから。
クレーマー訴訟率が何%か、と言った議論もあまり本質的ではないように感じます。?クレーマー訴訟はクレーマー(もしくはその家族)を診療したことを前提としています。?1件のクレーマー訴訟の陰に数百〜数千のクレーマー診療が隠れているのです。?日常の診療で、たとえ1人でもクレーマー患者を診察すれば、その疲労度は非常に大きなものがあります。?僕にとっても、ある1人の患者がいるというだけで、金輪際もうそこには赴任したくない、という地域が複数あります。?9割以上の患者の皆さんはごくふつうの方なんですけどね。
幸い、訴訟を経験しないまま臨床を辞め、今は以前の収入の1/5(月20万もない)の非常勤の仕事しかしてませんが、訴えられる可能性がほぼゼロの職場なので「割に合ってる」と感じています。?勤務・拘束時間は1/10以下だし。
前向きな提言をしてなくてすみません>>管理人様

> No.34 元田舎医さんのコメント
>・岩波 判例基本六法 (だって安いんだもん。活字もなんか気に入ったし)

なんと、2264ページの単行本が、2730円!
安すぎる!1ページあたり1円20銭です。

法曹家には、浪人などの貧乏人もいるということでしょうか?
金持ちばかりだと思ってましたが。

座位さん コメント(No.243(医療崩壊エントリ(その7))ありがとうございます。

>平均点が70点
>こういった表現が、非医療者に医療について理解したつもりにさせてしまうのですよ。不確実性について、あるいは『一期性』の理解をさせないことには、、、、

確かに極度の単純化であると思います。
でも医療水準論は適切に使われる限り(「普通の医師の普通の医療行為である医療行為」を過失としないと定義する限り)、物差しとして妥当だと思われます。
で私の論は、「普通の医師の普通の医療行為である医療行為」を過失としないと定義する限りと言う運営が法曹実務でされているのですかと言う問いかけなので、話をこれぐらいシンプルにしないと進まないと思いました。ご容赦いただければ幸いです。

> 2年目さん   (No.10のコメントについて)

 レスありがとうございます。

 「リーグが崩壊しつつある原因」についてですが、まさに複合的な問題であり、一言で言い表すことはできないと認識しています。ただ、医療訴訟の結論やイメージが及ぼす影響が一つの因子となっていることは重々承知済みです。

 で、仮に「崩壊の原因」全体に対してその因子が占める割合を30%だと見ると、そのうち5%とか10%位は、「審判に対する不信」とか「選手による誤解」に基づいているのではないか、だとすれば、その誤解を解消する努力を(審判と選手の双方が)すれば、多少なりとも事態が改善するのではないか、という感覚です。

 ですので、「選手が誤解しているのが全ての元凶だ、ちゃんと選手が勉強すれば全て解決して、リーグ崩壊を回避できるのだ」などとは毛頭思っておりません。

 それから、裁判官=審判の資質についてですが、審判がひどい近眼でそもそも判定する能力に欠けているのであれば、ハナシは簡単で、より能力の高い人を選任すれば足りるわけなのですが、果たして実際そう簡単に行くかどうか。

 また、誤審があった場合に、それは審判個人の能力不足によるものなのか、別の問題によるものなのかの検討も必要でしょう。 2年目さんは既にその視点を持たれているところですが、法律家以外の方にはなかなか理解して頂きにくい(※)点だと思います。

※ とはいえ、医療過誤については、患部や薬品の取り違えですら「ミスがあったとしても医師個人に帰責させるのではなく、システムの問題として捉えるべきだ」と主張される医師の方々が、こと訴訟の問題になると、「トンデモ裁判官だ!」と個人の吊るし上げに走りがちなのは何故だろうか、と疑問に思うことはあります。それこそ「個人のミスを責めるのではなく、ミスが起きにくいシステムを作ることが大事」だと思うのですが。

FFFさん お返事(No.242(医療崩壊エントリ(その7))ありがとうございます。遅くなり申し訳ありません。孤軍奮闘でお疲れと存じますが、思うところ述べます。

>ただ、何点以下を「過失」と評価するかは、やはり裁判所の専権であり、医師であれ何であれ、特定の集団が決める問題ではないと思います。「この医療行為は〇〇点であり、過失なしということにしよう」と医師会等が決めても、現行制度上、それが司法判断を拘束することはないし、拘束するような制度を作るべきでもない、という考えです。

FFFさんがおっしゃったかどうかは定かではありませんが、「裁判官がおかしな判決だす裏には、おかしな鑑定書(例 とんでもなく高い水準を当然とする)がある。裁判官は、素人だから、そういう鑑定出ればそれに従って判決が出るのだ。むしろ、鑑定人(医師)こそ批判されるべきだ」論が法曹サイドから出ていたように思います。
この鑑定主犯説が正しいとするなら、「やはり裁判所の専権であり」と矛盾するのではないでしょうか。
医師から見ておかしい鑑定があり、裁判所がそれを採用した時、批判に対して「鑑定がおかしいんですよ(素人の裁判官に言わずに鑑定に文句を付けろ)」といわれ、じゃあと第三者的「医師主体の審査機関」作って「そこが医療水準にかなっていますよ(過失無しと言っているわけではありません あくまで医療水準内ですよと言っているだけです。でも医療水準内なら過失無しと言うルールなら、必然的に過失無しという結果出てきますが)」という鑑定出すと、「それが司法判断を拘束することはないし、拘束するような制度を作るべきでもない」といわれるのは納得できません。
「尊重はするが拘束はされない」と言われるかもしれませんが、
「裁判官が審査機関の医療水準認定に従わず、それによって医療サイドがこぞって非常識という判決が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該裁判官の過失が推定されるというべきものである。」位宣言していただきたいなあと思います。
「それが司法判断を拘束することはないし、拘束するような制度を作
るべきでもない」が法曹のルールなら、法曹サイドとしては、「へぼ鑑定を採用した場合の責任は、あげて裁判官にある」と言う態度を取るべきではないかと考えます。

もちろん元ネタは最高裁判決です。
「医師が医薬品を使用するに当たって文書(医薬品の添付文書)に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるというべきものであ
る。」

> オダさん   (No.25のコメントについて)

 遅くなりすみません。既に元行政さんから紹介して頂いていますが、H8.1.23の最高裁判決のことです。自分としては、個別具体的にみた場合の医学的当否については判断しかねるものの、提示された一般論、判断基準については妥当だと思っています。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/B45DF228B9400EF949256A8500311DFA.pdf

> しまさん   (No.17のコメントについて)

 毎度フォローして頂いて恐縮です。本当にありがたいと感謝しております。

 しまさんに御指摘頂いたとおり、「司法構造を絶対視」しているつもりはありません > 座位さん 
 むしろ、今の訴訟より早く、安く、正確で、公平で、確実な履行を見込める紛争処理方法があるならば、自分も躊躇なくそちらを使うはずです。

 ただ、

  I 現行の裁判制度をドラスティックに変えるには憲法改正が必要であり、それは現実的ではないこと、
 II ADRを用意することは可能だが、患者側にとってのメリットがなければ結局利用されないし、憲法上、最終的には訴訟で争われる選択肢も残さざるを得ないこと

 からすると、「現行の裁判制度で、よりよい結論を得るために工夫するしかないのではないか」というのが私の基本的な考えです。

> falcon171 さん   (No.38のコメントについて)

 正に御指摘のとおり、裁判所にとっての鑑定(第三者的立場にある専門家による意見)の位置づけは、「尊重はするが拘束はされない」というものです。

 ですので、特段の理由(前提とする事実認定が異なるなど)がなければ、それに沿って判決をしているのが現状だと思いますし、特段の理由もないのに、鑑定等の権威ある意見に反して判決をした場合は、不当、不合理な判決であるとの推定がはたらくのではないでしょうか。falcon171さんの御意見には基本的に賛成であります。

No.19 an_accused さん

>日医医賠責の話に意識が集中

あの話は最高に有意義でしたね(医師は過去ログを必読だと思います)。では本題に。

>常時救急専門医にしか行ない得ないような医療内容を求めることは適当ではないのではないか」と考え、他方、「救急専門医の供給が少ないからといって、はたして司法がその現状を追認することは適当なのか」とも思った

これも医療水準の話に通ずるものがありますね。
司法がこの時点で追認しても、今後状況が整って出来て当たり前になったのなら、堂々と新しい水準を求めればいいはずです(医学界に提言したいことがあるのなら傍論ででも述べればよい)。本来民事裁判は原告と被告の問題と言うのであれば、その時点では現実的でないどうあるべきかなどは、考慮する必要のない話ではないでしょうか。(さらに、多くのトンデモ判決においては、そのどうあるべきが、医学的にピント外れで、むしろ実行すると害になります)勝手に後からこれが基準だったなどと示されても医療側としては、あたかも事後法で裁かれているような感覚になります。その医療行為が適正であると信ずるについて相当の理由があるにも関わらず不法行為や、債務不履行扱いされるのは我慢がならないというところです。

>“本音”は通用しにくい

これはそうかもしれませんね。覚えておこうと思います。

それから裁判官の非でない部分で。
G鑑定は、ニュースから我々が普段推測している以上に大胆に推測し、大胆に救命可能(救急専門医なら、又は自分の施設なら)と豪語していますが、これはちょっといただけません。全ての話がピタリを合っているわけでもなく、勝手に他の様々な可能性を極めて低い扱いしているかなり偏った鑑定だと思います。我々が重んじる科学性とはかけ離れた、原告を勝たせるための恣意的な文章です。

FFFさん 意見続けます。立て続けでごめんなさい。

>自分も、平均点と言うか、「標準的な医師が通常の注意を払って医療行為をした場合にとりうる範囲の点数」であれば「過失」と評価すべきでない場合が多いとは思っています。ですので、平均点が仮に70点だった場合、68点だったから弁償しろとか、そういう考えは持っていません (FFFさんNo.242(医療崩壊エントリ(その7))

「「過失」と評価すべきでない場合が多い」 ということは、、「標準的な医師が通常の注意を払って医療行為をした場合にとりうる範囲の点数」でも過失とされる場合もあるということですね。特に例として出しておられるのが、「70点で68点なら過失とはしない」と言うことで不安です。
「私は下位10%(この間の例で50点未満)ではないという自信ある。周囲の医師もそうだと言っている。でも、平均は70点だが、私は、54点であるのも事実だ。田舎の病院の一人医長で研鑽の時間はない。私が止めれば私の診療科に代わりは来ない。」という医師には顧問弁護士の先生方はどのようなアドバイスをくださるのでしょう。
(すいません、麻酔薬判例のように医師集団全体の慣例が不十分という話するとややこしくなるので、医師集団の平均点70点は医療水準にかなっているとして答えてやって下さい。)

1 すぐその医療を止めなさい。
2 自信を持って続けなさい 50点以上は訴えられても「50点以上は医療水準内」ということで裁判官は無罪にします
3 50点以上でも敗訴することありますが、54点で訴えられるとおびえるのは、必要以上に、医療訴訟を脅威と捉える認識が形成されていますし、私が説明するから 無用な警戒感を解消してください。

3の場合はどう説明すれば杞憂であったと安心できるのかが正直私には解りません。本当に説明、ぜひ知りたいです。

で3の説明がうまくいかないなら、論理的には1,または2になると思います。しかし、2という為には、「あの70点でも医師側敗訴の判決(例 一躍有名な救急心嚢穿刺判決)」は「トンデモ判決」と法曹でも評判悪いからあんな判決は二度と出ないよ だから安心しなさい」でないとおかしいと思います。が、法曹の方々は、民事のルールでは「あれはトンデモ判決」とは言えない。とおっしゃる。ということは、法律の素人はまた同様の判決出るんだろうと思う。
だから2は破綻している。

で1しかないんじゃないかなと思いますよ、法律の素人が考えても。
1 すぐその医療を止めなさい。→代わりの医師いなくて閉鎖
これを医療崩壊と言うんじゃないですか。

No.12 FFF さん

>枯れ尾花

最近は交通事故のように身近ですよ。当院の院長も、言った言わないの理不尽な説明義務違反で、泣く泣く和解していますし。隣の病院の院長は、トンデモ訴訟でやはり数百万の判決(実質勝訴みたいですが)。

変に意識どころか、常に気にして診療に当たらなければいけない状況です。(過剰反応に見えるのでしたら、普段医療として患者に対してもこの程度の対応はしているのだと理解してください。かなり細かいことまで気を砕いているのだと)今日の昼も、副事務長が法律のテキストマンガを医師全員に配っていました。

FFFさん 丁寧にお答えいただきありがとうございます。

モトケンさんがおっしゃっているように
>このブログに投稿されている法曹関係者または司法側の常連の皆さんは、医療崩壊の現状を認識し、医療側の人たちの司法に対する不信または不満を十分理解した上で投稿されていると思います。
と思います。
No.43 の質問などは本来医師に理解を示しているこちらのブログの常連法曹関係者ではなく、それ以外のあまり関心ない法曹の方へすべき質問とは思います。言う先がないので、つい、いる人に当たるような口調になり申し訳ありません。

ただ先の質問は、ほんとに反医師サイドの法曹の方がどう考えているのか知りたいです。周りの弁護士に聞いたらこうだったよでも結構です。教えてやって下さい。

自分自身のコメントの訂正
心嚢穿刺90点→80点(再読後の評価:確かに対応として足りない点はあるため)
副事務長→事務次長

いずれにしても、患者のための医療ではなくて、訴訟対策のための医療になっていることは確かですし、私もそれを実践しています。
今のままでは患者中心の医療なんて夢のまた夢です。

法曹関係の皆様 お疲れ様です。
ご教示いただいた判例の医療水準論読みました。

「平成8年ペルカミンS事件」最高裁判決の医療水準論
「具体的な個々の案件において、債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である。そして、この臨床医学の実践における医療水準は、全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく、診療に当たった当該医師の専門分野、所属する診療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものであるが、医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない。」

大筋で私賛成いたします。「一律ではない」というのを、医師の立場からは、「水準アップの時だけではなく、水準ダウンの時もちゃんとしてね(アップはするけど、ダウンは患者に配慮してできない(「過疎地だからと言って医療水準を下げることは道義上容認できない」とか)と言わないでね)」と釘を刺さしていただければ納得します。

「直ちにいうことはできない。」は、「無条件でOKとは言わない、しかし、他に考えるべき事情ないなら、医師が医療慣行に従った医療行為でいいですよ」と取って間違いなければ納得します。

でこの判決の場合、他の考えるべき事情として、薬の能書が出てきて、
「医師が医薬品を使用するに当たって右文章に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである。」として、二分間隔の血圧測定すべきであったかが争われている。

でもさすがにこの最高裁判決では、「能書に従わない特段の合理的理由はなかった」と必死に説明している。

「他面、二分間隔での血圧測定の実施は、何ら高度の知識や技術が要求されるものではなく、血圧測定を行い得る通常の看護婦を配置してさえおけば足りるものであって、本件でもこれを行うことに格別の支障があったわけではないのであるから、被上告人aが能書に記載された注意事項に従わなかったことにつき合理的な理由があったとはいえない。」
「(可部恒雄の補足意見) また、麻酔医の立会いこそなかったが、本件手術に際しては、介助者として婦長を含む看護婦三名、連絡係として看護補助者一名が配置されていた程で、被上告人aが能書の記載に従った指示さえ与えておれば、本件手術に際し、二分間隔での血圧測定が行われることに何の支障もなかったのである。」

うーん 事情が分からないので一応納得しましょう。

でも、話題の「大阪高裁 救急従事医は心嚢穿刺出来て当然」判決はその点条理尽くしているとは思えません。
(http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20061108 に詳しく出ています
最高裁判決に習えば、省令の条文はこうである→「省令に従わない特段の合理的理由はなかった」→だから過失
と言うなら解ります。
「できなくともやむを得ない 合理的理由はあった」→しかし、省令の条文はこうである(合理的理由と条文すりあわせは一切しない、言わない)→ただ過失あり  と認定

納得できません。

an_accused さん
いつもありがとうございます。

>(No19)他方、「救急専門医の供給が少ないからといって、はたして司法がその現状を追認することは適当なのか」とも思ったということです。

おそらく、法曹関係者の方が一番懸念に思われるのはここでしょうね。思考実験として、あの判決が現状を追認せず、かつあまり多くの医師(すくなくとも私の)反発買わない判決に出来たか考えてみます。

「被告となっている脳外科医は、過失無し」
「しかし、設置者と病院は、心嚢穿刺出来る救急認定医を置く義務を怠った点で省令違反、過失あり」
であったのなら、おそらく現場の医師は反発しなかったと思います。
これなら、現状追認せず、むしろ、設置者に真剣にどういう医師を救急に置くべきか考えさせる効果でて、知事、市長、院長、事務長が頭抱えるでしょうが、ちょうど良いぐらいに思います。

あの場合脳外科医に過失ありと言わないと設置者に責任を問えなかったのでしょうか? そうじゃないと思いますよ。

まだ裁判にもなってないようですが、今夏の「プール吸い込み口事故」。もし、あれで、現場のバイトの子本人が資格持ってなかったといって過失ありになるんだったら納得できません。法律、条例?何でも良いですが、救命講習受けたそれなりの人を置きなさいというのは設置者、管理業者に対する義務であって、集められたバイトの子に対する義務ではないでしょう(有資格者募集していたのに本人が資格偽ってバイトしたなら別ですが)。
この場合、バイトの子に過失がある、お前が悪いといわないと、それより上位の管理責任問えないですか そうじゃないと思うんですが。

> あの場合脳外科医に過失ありと言わないと設置者に責任を問えなかったのでしょうか?(No.49 falcon171 さま)

原告がそういう主張をしなかったから、裁判所は判断していないのです。
医療過誤訴訟の主張は普通、

1.行為者=医師の責任
←民法709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

2.使用者=病院の責任
←民法715条 ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。

使用者責任は、被用者がなした不法行為について責任を負うので、被用者(この場合は医師)に過失があり不法行為が成立していることが前提となります。

ご指摘のように、救急需要に対応できるだけの体制を整えなかったことは、病院自身の不法行為(709条)ではないか、という組み立ても考えられるところですが、
原告がそういう主張をしていなかった場合は、裁判所が勝手に認定することはできません(弁論主義、処分権主義)。
不法行為損害賠償請求においては、具体的にどんな過失があるかという点が請求原因になるので、「医師の施術のミス」ということと、「病院の体制がなってなかった」ということは、別個の請求原因になります。

原告がなぜ「病院の体制」を問わなかったかは、原告訴訟代理人に聞いてみなければわかりませんが、
一般にはその組み立てでは主張・立証が難しいと思います。
・損害(患者の死亡)との因果関係が間接的である
・予算の制約がある中で、いかなる体制を整えることが義務とされているか
(監督庁から業務改善命令が入るくらいヒドければ別ですが、過失があるとは容易に認められないのではないか)

------
プール吸い込み事件は、上記とはまた別の組み立て方があるような気がします。
・土地工作物の設置管理の瑕疵(民法717条)
or
・公の営造物の設置管理の瑕疵(国家賠償法2条)

> 法曹家には、浪人などの貧乏人もいるということでしょうか?
> 金持ちばかりだと思ってましたが。(No.35 座位さま)

そりゃ、「開業医は金持ち、勤務医はみな高給取り」と同レベルの伝説です。

裁判官は公務員のうちでは最高級が保障されています。(同じ号俸では最高という意味だと思いますが。)検察官もそれに準じる。
弁護士は経営者なら開業医と同じく、稼ぎは能力と運次第で天井ナシ。が、真面目にやればやるほど儲からないところも、医師と同じでしょう。自由業の自由とは、飢え死にする自由である。

岩波書店は、国語辞典と六法で保ってる会社じゃね?
六法は最も部数の多い法律関係書なので、安く作れるのです。専門書の部数の少ないのはやっぱり高いです。

>そりゃ、「開業医は金持ち、勤務医はみな高給取り」と同レベルの
>伝説です。

ですか、都市伝説ですか?

弁護士さんて、銀縁のめがねで、パイプに煙をくゆらせて
左うちわなイメージです。
私の知ってる弁護士さんは、顧客である嫌煙の私の前で平気で、
タバコを吸ってました。医者と違って随分えらいんだなって思った
のが数少ない、弁護士対面経験です。

>真面目にやればやるほど儲からないところも、医師と同じでしょう。

これって、本当ですか?だったら弁護士稼業も、あほらしいですね。

No.38 falcon171 さまへ
訴訟における鑑定の取り扱いについて補足します。

> 医師から見ておかしい鑑定があり、裁判所がそれを採用した時、批判に対して「鑑定がおかしいんですよ(素人の裁判官に言わずに鑑定に文句を付けろ)」といわれ、

ここはよいですよね。トンデモ鑑定はトンデモ判決を招くから、医学的に正しい鑑定を出させる努力が(医師の側で)必要である、と。
そのつぎ。

> じゃあと第三者的「医師主体の審査機関」作って「そこが医療水準にかなっていますよ(過失無しと言っているわけではありません あくまで医療水準内ですよと言っているだけです。でも医療水準内なら過失無しと言うルールなら、必然的に過失無しという結果出てきますが)」という鑑定出すと、

現行制度上、まだそういう方式になっていません。
各地の裁判所の求めに応じていつでも 鑑定作業を行うor鑑定人を推薦する という常設の医師主体の第三者機関は、今のところ存在しません。
第三者審査機関として任意団体のADRのようなものが一部地域で組織されているやに聞きますが、裁判所との間で鑑定に応じるという合意はできていません。この段階でできるのは、せいぜい一方当事者の証人として意見を述べることだけです。

しかし、医師による第三者審査機関ができれば医療訴訟の適正化に役立つことが期待されるので、ぜひ医師の側でそういう団体を組織して、裁判所に対して「鑑定は俺とこにやらせろ」と掛け合っていただきたいです。
あそこに依頼すれば期限内にきちんとした鑑定書を出してくれて、内容は信頼がおけるし、出廷依頼しても面倒がらずに来て丁寧に説明してくれるという評価になれば、いつも鑑定を頼まれることでしょう。

> 「それが司法判断を拘束することはないし、拘束するような制度を作るべきでもない」といわれるのは納得できません。
> ・・・が法曹のルールなら、法曹サイドとしては、「へぼ鑑定を採用した場合の責任は、あげて裁判官にある」と言う態度を取るべきではないかと考えます

法曹の側として納得できないのは、
「裁判官は医療の素人なのだから、医療判断には口を出さずに医師が行った鑑定結果に従って判決せよ」と言われる一方で、
「この鑑定はトンデモである。裁判官はそのことを見抜いて鑑定を排斥せよ」と求められることです。
これは論理的に矛盾する要求ではありませんか?

それに、実際問題として、裁判官は通常は、原告側、被告側、あるいは裁判所が命じた鑑定人の、いずれかから出された医学的見解に従っているのであって、どれでもない裁判官独自の見解をもって判決するケースはあまりないと思われます。
とすれば、医師らの意見のa説b説c説のうち、正しいものを選び違えたことについて、医学の素人である裁判官にそれほど重い責任を負わせるのは不当です。
それを言う前に、まず同じ医師の間で、意見が割れる現象を何とかせよ。
医学的な真実が一個であるという前提からすれば、対立する医学的意見が出されること自体、医師というだけで常に信頼できるものではないことの証左、ということになるでしょう。

そうすると、「トンデモ鑑定」というものが例外的にせよ、存在するという事実を前提として制度設計しなければなりませんから、
安全弁としてむしろ、「司法判断は鑑定結果に全面的に拘束されることはない」というルールを立て、鑑定を排斥しうる余地を残しておく必要があります。
No.41 FFF さまの言われるのは、その趣旨です。
> 特段の理由(前提とする事実認定が異なるなど)がなければ、それに沿って判決をしているのが現状だと思いますし、特段の理由もないのに、鑑定等の権威ある意見に反して判決をした場合は、不当、不合理な判決であるとの推定がはたらく

そして、それは、将来的に、医師による第三者機関が組織された場合でも、同じことではないでしょうか。
医師の皆さんは、第三者機関の判断には絶対的に服するということでよいのですか?そこがトンデモな判断をするという不安は全くないのですか?

>YUNYUN さま

>法曹の側として納得できないのは、「裁判官は医療の素人なのだから、医療判断には口を出さずに医師が行った鑑定結果に従って判決せよ」と言われる一方で、「この鑑定はトンデモである。裁判官はそのことを見抜いて鑑定を排斥せよ」と求められることです。これは論理的に矛盾する要求ではありませんか?

私は矛盾するとは考えません。
医療側の希望としては「医学的に荒唐無稽な判決が出されること」これが避けられるなら方法はなんでも良いのだと考えます。医学的・そして「実学としての」医療の現状と対照した妥当性に沿っていれば問題はありません。その解決法として下の二方法が考えられるというだけだと思います。
仝什澆料幣戮力帆箸澆魄飮するのであれば・・・訴訟の最終的な判断の全権を裁判官が持っている以上、鑑定の異常さも見抜くだけの能力を裁判官には持っていただかかないと医療を遂行することは今後一切できません。それだけの権力を持っており、当事者間の人生のみならず医療現場にも多大な影響を(裁判官本人は全く無自覚でしょうが)いるのですから、それ相応の厳しい義務を果たして頂くのは当然だと考えます。通常の診療で避けられない出来事であったかそうでなかったかくらいの判断もつけられないような素人の方が、もしまともに診療をしている医師の人生をゆがめるようなことがあってはなりません。絶対に許すことができません。冤罪の乱発ではないでしょうか。
∩幣戮力帆箸澆鯤僂┐蕕譴襪里任△譴弌ΑΑΑ愃枷輯韻楼緡鼎料膿佑覆里世ら、医療判断には口を出さずに医師が行った鑑定結果に従って判決せよ』というのは少し違うような気もしますが・・・。医師が行った鑑定結果が問題であるなら、前置として総合的判断のような事を行える機関をもし作ってそれが第三者的意見として鑑定に参加できるのならそれが理想的だ、という意見が多いのではないかと思いますが。被告人の鑑定・原告の鑑定以外に第3の鑑定ができれば(裁判所から依頼されてそれに応じる意見書に近い物と思いますが、現在はその依頼先に問題があるということもあります)ということではないでしょうか。医療現場とその地域の医療事情に精通した現場で働く多数の医師の意見を(たった一人の教授の判断などでは手に負えないということです)まとめることができれば、それを重視できるようにならないかということではないかと思いますけど。


>それに、実際問題として、裁判官は通常は、原告側、被告側、あるいは裁判所が命じた鑑定人の、いずれかから出された医学的見解に従っているのであって、どれでもない裁判官独自の見解をもって判決するケースはあまりないと思われます。とすれば、医師らの意見のa説b説c説のうち、正しいものを選び違えたことについて、医学の素人である裁判官にそれほど重い責任を負わせるのは不当です。

私は不当だとは考えません。私はそのような過度に寛大な意見を持つことができません。医学的事実に対する冒涜だからです。絶対に許容することができません。医学的に荒唐無稽な判決を出したことについて、裁判官の責任は徹底的に追及されるべきです。たとえ法的に何の問題もなかったとしても社会的責任まで無にすることはできません。


>それを言う前に、まず同じ医師の間で、意見が割れる現象を何とかせよ。

YUNYUNさまは長らくこのブログをごらんになって、いかに医療というものが不確定要素に満ちたものか十分ご存知のはずですのに、このようなご意見が出るとは意外に感じます。医療でも、100人全員が全く同じ意見になることはありえません。原告の方が、原告よりの鑑定をする医師にめぐりあうこともあるでしょう。それも一つの鑑定になります。問題は原告・被告の鑑定(ごく少数の人間のみかかわる鑑定)だけで行われることではないかということです。医療は通常カンファレンスを通じ、複数の医師の目で監視された中で行われます。実際の医療現場での判断決定の過程が、医療鑑定の時のみなぞられないことが判断の歪みに通じているということを言っているのです。

「何とかせよ」とは挑発的な口吻だと感じますが、斯様に完全に実現不可能である事項を先に実現せよと迫ることは不当と考えます。

>No.54 元内科医さん

>>YUNYUN さま

>>法曹の側として納得できないのは、「裁判官は医療の素人なのだから、医療判断には口を出さずに医師が行った鑑定結果に従って判決せよ」と言われる一方で、「この鑑定はトンデモである。裁判官はそのことを見抜いて鑑定を排斥せよ」と求められることです。これは論理的に矛盾する要求ではありませんか?

自分は、矛盾する要求と思います。
現実問題として裁判官が、常時医学的に適切な判断、鑑定を採用するためには、その医学分野の知識や医療水準を正しく理解することが必要であり、そのための鑑定意見であると思います。裁判官が独自に中途半端な勉強をされると、かえって、裁判官の恣意的な判断による、トンでも判決が増えると思います。

以前、地裁の裁判官は、常時100件くらいの案件を担当しているとの、書き込みがありましたが、その記憶が正しければ、その100件すべてにわたって、完璧な専門的知識を要求するのは、人間には不可能と思います。また誤判を厳しく追及するようなれば、司法崩壊をまねくという指摘もありました。

私は、裁判官に正しい判断をして頂く方法としては、鑑定制度の充実から始めるのが現実的と思います。元内科医さまがかかれているように、個々の医師の結論が、割れることは、避けられないので、具体的には、東京地裁で試みられているような、カンファレンス形式のものを、さらに発展させていくということになると思います。

今回無過失保障制度の、審査機関に国費が投入される計画が報道されていますので、経済的裏づけがなされれば、例えば審査専任の医師の雇用(1年任期くらい)や、現役医師の鑑定カンファレンスへの多数の参加を、医師の側からも協力していく必要があると考えます。

>No.54 元内科医 さま
医学が不確実な学問であるように、司法と言う学問も確実なものではないと思います。それなのに個人の責任を追求していくと言う姿勢では「医療崩壊」の構図を「司法崩壊」に持ち込むだけで、建設的なこととは言えないと思います。ご承知の事だとは思いますが、誤解を招きかねない表現でしたのでコメントさせて頂きました。
ご指摘のように医療側にとって重要な事は医学的に正しい(と多くの医療者が納得できる)事柄を裁判所が採用してくれる事だと思います。それに基づいた判決ならば、殆どの医療者が納得できるはずです。
トンデモな鑑定書を出させない為には、複数人によるカンファレンス形式が望ましいと思います。そうなるとカンファレンスに参加する医師をどのように決めるのが望ましいかも議論するべきでしょう。予めリストを作ってその中から裁判所に指名させるのか、それとも医師会か学会から推薦させるのか、はたまた専任の医師を置くべきなのか。参考までに東京地裁ではどのように選んでいるのでしょうか?知っている方いれば教えていただきたいです。

>No.56 koukiさんへ
>参考までに東京地裁ではどのように選んでいるのでしょうか?

 前にカンファレンス鑑定について、その7で書いたときに多少触れましたが、東京地裁では、東大、東京女子医大、東邦大学の協力を得て、これらの大学に依頼し、それぞれの大学から、鑑定人を出してもらいカンファレンス鑑定を行っているようです。他の大学というのは聞きません。

 裁判所が鑑定をやりたがらなくなった背景事情の一つですが、平成15年に裁判の迅速化に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=1&H_NAME=%8d%d9%94%bb%90%76%91%ac%89%bb%96%40&H_NAME_YOMI=%82%a0&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=H15HO107&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1
が制定され、その第2条で、「裁判の迅速化は、第一審の訴訟手続については二年以内のできるだけ短い期間内にこれを終局させ、その他の裁判所における手続についてもそれぞれの手続に応じてできるだけ短い期間内にこれを終局させることを目標として、充実した手続を実施すること並びにこれを支える制度及び体制の整備を図ることにより行われるものとする。」と規定されてしまいました。

 それまでの鑑定は、鑑定人が決まるまでに2ヶ月〜1年間、鑑定人が決まってから、鑑定書が提出されるまでに、6ヶ月〜4年程度(時間の幅は大体ですが)、掛かりましたので、上記の法律の観点からは、到底使用が困難になってしまったのです。

YUNYUNさん 解説(No50)ありがとうございます。

>あの場合(「救急では心嚢穿刺できないといけない判決」)、脳外科医に過失ありと言わないと設置者に責任を問えなかったのでしょうか?(falcon171 No49)
>救急需要に対応できるだけの体制を整えなかったことは、病院自身の不法行為(709条)ではないか、という組み立ても考えられるところですが、原告がそういう主張をしていなかった場合は、裁判所が勝手に認定することはできません(弁論主義、処分権主義)。(YUNYUNさん)

であれば、これは医師サイドから見れば、脳外科医無過失、従って施設も無責 の判決を下していただきたかった。 
原告サイドがどの条文で訴えるかの判断で、妥当でないのを選んでいるなら、それは原告サイドの責任でしょう。それでも判決で、「無過失というと現状追認になるからと言う理由で、過失」という。「どうせ支払いは、施設にしか命じないから被告医師個人は過失と言われても実害無いでしょ」というのは、あまりに職業上のプライドというものをないがしろしていると思います。

いらぬ猿知恵ですが、

救急需要に対応できるだけの体制を整えなかったことは、「救急告示病院では通達通りの救急診療が受けられるという」患者の期待を裏切ったということで、期待権侵害 として 病院のみ あるいは、国県市を訴える(現場の医師には問わない)。

のは私は認めます。

今朝の東京新聞です。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kei/20061125/eve_____kei_____000.shtml
労働時間規制撤廃の対象として、医師、弁護士が明記されていますね。
いままで本格的に議論されていないのであれば、別エントリーが必要な話題でしょうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
労働時間規制の撤廃 『年収1000万円超』
 「一日八時間、週四十時間」の労働時間規制を撤廃する「ホワイトカラー・イグゼンプション(適用除外)」の導入を検討している厚生労働省が、対象労働者の要件として年収一千万円以上を軸に検討していることが二十五日、分かった。同省の年収要件案の数字が明らかになるのは初めて。
 国税庁の昨年の民間給与実態統計調査によると、年収一千万円を超える民間の給与所得者は4・8%だった。
 適用除外をめぐっては、厚労相の諮問機関、労働政策審議会の分科会で使用者側委員が「四百万円以上」として要件を緩やかにするよう主張。一方、労働者側委員は「長時間労働を助長する」として制度の導入そのものに反対しており厚労省の年収要件案にも労使双方の反発が予想される。厚労省は年内に結論を出し、来年の通常国会での労働基準法改正を目指しているが、審議にはなお曲折がありそうだ。
 厚労省が十日の分科会に示した素案は、対象者の要件として(1)労働時間では成果を適切に評価できない仕事をしている(2)重要な権限と責任を相当程度伴う地位にある(3)年収が相当程度高い−などを挙げた。年収要件の設定に当たって厚労省は、労基法で有期契約労働の期間の上限を通常の三年より長い五年としている「高度で専門的な知識等を有する者」の基準に着目。基準に該当する職種として政省令で医師や弁護士のほかに、年収一千七十五万円以上のシステムエンジニアやデザイナーなどを挙げていることから、適用除外でも一千万円を軸とするのが妥当と判断した。

<メモ> ホワイトカラー・イグゼンプション(適用除外) 米国の労働時間制度の一つ。給与額や仕事内容の要件を満たせば、労働時間規制の対象外となり、週40時間などの規制を超えて働いても残業代が出ない。厚生労働省の素案は「自由度の高い働き方にふさわしい制度」と名付け「労働時間に関する一律的な規定の適用を除外する」としている。健康確保のため週2日以上の休日を義務付けることも盛り込んだ。年収400万円以上のホワイトカラー労働者に導入されると、1人当たり年114万円の残業代が失われるとの試算もある。

>前にカンファレンス鑑定について、その7で書いたときに多少触れました
>が、東京地裁では、東大、東京女子医大、東邦大学の協力を得て、これら
>の大学に依頼し、それぞれの大学から、鑑定人を出してもらいカンファレ
>ンス鑑定を行っているようです。他の大学というのは聞きません。

大学に勤務していながらこんなことを書くのも何ですが,医療事故の鑑定を大学病院の勤務医に依頼するのはいくつかの理由で適切ではないと私は考えています.

(1) 大学の医療は,一般病院の医療とは異なるところが大きいのです.高度に専門化されたものや,特殊なものを含みます.従って一般病院と疾患頻度なども異なります.一般病院では稀な疾患も大学ではよく見かけるといったこともしばしばです.当然対応方法への慣れの程度も異なります.反対に,自分の専門以外の知識が非常に希薄な医師も存在します.
(2) 大学病院の医師の多くは研究指向ですし,必ずしも臨床がよくできるわけではありません.適切な臨床的判断ができないこともままあります.研究畑の「教授」が頓珍漢なコメントをすることはよくあることです.多くの場合「教授」は臨床能力ではなく研究業績で選ばれるからです.
(3) ピラミッド構造の弊害ということはあり得る話で,鑑定医の正しい意見が出てこない(出せない)可能性があります.

某大学の元教授が「割り箸事件」で「私だけで2度経験がある.知っていて当然」とコメントしていましたが,これは特殊な環境にいたからこのような症例を2例も体験していただけで,一般病院での頻度を全く考慮していないためにこのようなコメントが出てきたのでしょう.一般の市中病院での医療を前提とした場合,このコメントは適切とは思われません.そういったことも考慮できる鑑定医でなければ実際のところ問題が多いのです.
福島事件でも某N大学の教授の鑑定が取り沙汰されていますが,これにも理由があるわけです.

私は,一般病院の部長から医長クラスで臨床の第1線で働いている医師を複数集めて意見を聞くのが最も妥当であると思っています.そうしなければ適切な「医療鑑定」が行なわれる可能性は低くなるでしょう.
(大学にも優秀な臨床医はいますが,その知識ベースが異なることも多く一般病院の臨床を想定してコメントできる人間が少ないというのが実情だと考えています.決して大学病院の医師をすべて鑑定医から除外するように言っているわけではありません.念のため)

> No.61 Level3 さんのコメント
>私は,一般病院の部長から医長クラスで臨床の第1線で働いている
>医師を複数集めて意見を聞くのが最も妥当であると思っています.
>そうしなければ適切な「医療鑑定」が行なわれる可能性は低くなる
>でしょう.

上記の意見に大賛成です。
裁判所が鑑定人として、大学教授を選ぶのは、彼らが有能であると言う
ことよりも、その道の権威として社会的に認容されやすい肩書きであり、
一方で、労働現場からある程度離れていることから、現場の人間に
肩入れしすぎない(同情しない)というバランスを考えてのことではないか
と勘ぐります。

元々、大学の臨床教室の教授も、教授選考では、論文業績重視で
インパクトファクターと研究費獲得業績が何と言っても大きく左右して
いる。地方や私立大学では、臨床業績で大学教授を求めることは
あるけれど、学問的権威である旧帝大学の教授には、臨床手腕を
求めることがない。
その為、権威と言われる大学教授の臨床場面での論理が甚だ、
現実離れしており、鑑定の対象になっている現場の、労働環境や、
診療設備やコメディカルなどのリソースの状況を全く無視した、
象牙の塔の住人特有の謝った鑑定を生んでいるのだと思う。

これは、法学でも実務者と研究者とのギャップとして相似関係にあるのではないだろうか?

> No.53 YUNYUN さまさま
>医師の皆さんは、第三者機関の判断には絶対的に服するということで
>よいのですか?そこがトンデモな判断をするという不安は全くないので
>すか?

論点整理のため、刑事責任、民事責任、行政責任に分けて論ずる
必要があるし、我々医療者側から第三者機関の確固とした提起も
出来ていないので簡潔明瞭には回答出来ないです。

しかし、一般的感覚としてですが、
裁判官が、鑑定人を外注するのは、自らが、裁定能力がないことを
物語っているわけで、このあたりは枠組みを変える必要がある。
医療関連事案は鑑定人を頻用する領域の審理にあたるわけだから
海難審判や金融庁の課徴金納付命令の事前審査等に類似した
行政審判を前置するか、医療裁判所として地方裁判所と同格の
司法施設を新設して、医療に詳しい裁判官を配置して欲しい。

被告や原告が医学的鑑定書や医学的証人を提出するのは、理解
出来るが、判事が鑑定を外注するのは理解出来ない。それなら
始めから医師を判事の一人にするか、医療専門の判事を育てて欲しい。
それが無理なら、医療を法曹家が裁くことは諦めて欲しい。

社会秩序を考えると、上記のような無謀な感想は害悪でしょうから、
そうですね、level3さんの主張のように、10人医療専門家を集めて
多数決で裁定するのが、妥当な方法ではないでしょうか?

それなら、医者も患者も納得するでしょう。判事は進行役ですね。
多数決が決まった後、『多数決を参考にして○○と裁定します』と
ツルの一声を挙げれば良いでしょう。

少し、むしゃくしゃして書いてます、批判承ります。

>No.61 Level3 さん

たしか、以前の議論では、各大学に依頼して鑑定する医師を推薦していただくということで、大学の医師とは限らなかったと記憶しているのですが、どうでしたでしょうか。当然、当該事件と同様の環境の医師が複数いることが望ましいと思います。

No.57 L.A.LAWさん

鑑定の遅滞が、トンでも判決のひとつの原因となっているのであれば、医師側が自分たちの首を絞めているということになりますので、鑑定を複数で、迅速に行うシステムを立ち上げる必要があります。多分野にわたる、医師を確保する必要があるため、医師会主導で行うことが、現実的かもしれませんが、原告側に鑑定を納得していただくためには、各学会か複数の大学に委託するほうがよいと思います。

 しばらくコメントできませんでしたが、その間に皆さまから多くの応答をいただき、ありがとうございます。

>しま先生(20)
 厚労省見解及び国会議事録をご紹介いただき、ありがとうございます。大阪高裁判決については、私も納得しかねているところはあります(今はまだ上手くまとまらないのですが)。

>ドラゴン桜さま(28)
>「司法は建前をいうことに、その存在意義があり、本音(現実世界)とは関係がない」とのお考えのようですが、それならば、建前と現実世界(本音)との関係をどのようにお考えでしょうか。

 “建前”というものは、それぞれそれなりに“建前”として唱えられるだけの理由というものが現実世界の中にあるものだと考えています。現実世界では様々な利害対立が剥き出しの状態で存在しているわけですが、いざそういった対立が訴訟であったり国会であったりといった「公の場」に持ち出されるとなれば、それぞれの利害は一応の“建前”を身にまとわざるを得なくなります。それが社会というものだと思っています。

>医療の世界では、司法による建前のため、現実世界の崩壊が起きています。特に、産科の領域では、福島の大野病院事件や内診問題のため、産科を廃業する医師が出てきており、深刻な産科医不足が起こってきています。勿論、産科医不足の原因のすべてが司法に責任があるとは言いません。しかし、その原因の一部になっていることは間違いありません。

 「福島の大野病院事件」につきましては、まだ判決が出ていないので、司法はまだ“建前”を述べておりません。卑見を申し上げれば「検察は公判で“建前”の構築に失敗するのではないか」と考えています。内診問題につきましては前述したとおりです。今は二つの“建前”がせめぎあっている段階であり、厚労省が今の“建前”をひっくり返すか、摘発を受けた産婦人科医のどなたかがトコトン訴訟で争って今の“建前”を無効にする判決を獲得するか、産婦人科医の皆さまがあきらめて、法的根拠の怪しい「産科看護師」を養成・採用するのではなく、法的根拠のしっかりしている「助産師」を養成・採用するようにするか、いずれかを選択なさるほかないでしょう(個人的には、助産師養成課程はたかだか一年程度なのに、なぜわざわざ「産科看護師」という別ルートを用意してまで看護師内診を認めさせようとしているのか、ちょっとよくわからなかったりします)。

>司法の建前論のため、現実世界が崩壊していくようであれば、それは、建前が悪いからであって、建前を現実世界に当てはめるように変えていくべきではないでしょうか。

 建前を現実世界に当てはめるように変える必要がある場合もあれば、現実世界を建前に当てはめるように変えていく必要がある場合もあるでしょう。

>もし、司法が現実世界を無視して、建前だけを振りかざすようならば、司法はその信頼を失っていくことになると思います。

 さあ、どうでしょうか。もしも、司法すら建前を捨て、現実世界の後追いばかりするようになれば、この社会は剥き出しの利害関係のみが規律する、ホッブスのいうところの「万人の万人に対する闘争状態」に陥るでしょうね。
 法というものは、国家の力を借りて他人に対してその意に反してでも何かの行為をさせ、または行為を止めさせるために用いられるものです。法を使うためには、それなりの“建前”が必要です。今ある法規を用いて“建前”を作り上げるのが「法解釈技術」であり、今ある法規では間に合わないとして新たに法律なり条例なりを調達してくるのが「政治」です。もし「司法が現実世界を無視している」とお考えなのであれば、「法解釈技術」を用いて“建前”を構築しなおすか、「政治」を用いて「あなたから見える現実世界」に適合的な“建前”を調達してくる必要があるということです。

>元田舎医先生(34)
 今号の特集も興味深い内容ですが、ジュリストの連載「共同研究『医療と法の最先端を考える』」では、主に最高裁判例の検討を中心に、「説明義務」や「因果関係」、「自己決定権」といったテーマについて論じています。共同研究者には東京地裁医療集中部の陪席裁判官が複数名を連ねているようですので、今の医事関係訴訟における裁判官の判断傾向が垣間見えるかも知れません。また、同じ出版社(有斐閣)の雑誌「法学教室」では、樋口範雄東大教授が「展開講座・医療と法を考える」を連載しております。こちらでは「医師―患者関係の性格」「倫理委員会」「医師の資格と処分」「応召義務」「対面診療の義務」「産業医・診査医の役割」といったテーマについて、法学初学者にもわかりやすく書かれています。もし図書館などにお立ち寄りになる機会があればお読みになってみてはいかがでしょうか(有斐閣の回し者みたいになってしまいましたので、他の雑誌も少し。私が時折引用する「判例タイムズ」でも、各地裁の医療集中部における取り組みなどが不定期ですが継続して紹介されています。参考になりそうな文献については、今後もさわりの部分を引用、紹介させていただくつもりですので、もしご関心があるならば「敵を知る」つもりでご覧になってみられては如何でしょうか。なお、医学の側からは医事紛争・医療事故についてどのような取り組みがあるのかについても、お聞かせいただければ幸いです。)。

 ところで、「被害者と加害者の対話による回復を求めて」をご購入なさったのですね。元田舎医先生が以前こちらで「修復的司法」について問いかけておられたのを見かけていたのですが、当方はあまり詳しくないということと、医事紛争の局面で「修復的司法」がどのように出てくるのかちょっとつかみかねたので、コメントを控えておりました。

 「修復的司法」とは、極めて単純に申し上げれば、伝統的な刑事司法が犯罪を国家と犯人(というか刑事法違反者)との関係の上に生じた「害」として見て、被害者はあくまでも証人(もっと言えば証拠の一つ)としてしか見ないのに対し、「修復的司法」は犯罪を加害者と被害者とコミュニティ(地域社会)の三者間の関係としてみるというもののようです。
 ただ、我が国において観念されている(あるいは実践されている)修復的司法では、被害者と加害者との関係が特に重視され、コミュニティはあまり登場してこないように思われます。今別エントリーで取り上げられている「いじめ」などは、「修復的司法」の考え方がしっくりくる紛争類型かも知れません。

>元行政先生(42)
 「現状を追認することは適当かと思った」というのは、あくまでも本判決に接した私の感想でして、大阪高裁の裁判官がそのように考えたと申し上げたつもりはありません(そう考えていそうな雰囲気はやや感じられますが)。

 直截的な表現をしてしまいますが、結局のところ我が国の救急医療体制は「ハリボテ」だったということなんじゃないでしょうか。私たち非医療者は、救急医療体制が「ハリボテ」だと知らずに過ごしてきて、事故が起これば救急医が診てくれると思い込んでいたわけです。ところがこの病院では、実際には脳外科医としては極めて優秀だけれども救急医ではない医師が「ハリボテ」を裏から一生懸命支えていたということでしょう。患者にすれば、「一生懸命『ハリボテ』を支えていらっしゃるのは素晴らしいことですが、それなら最後まで支え続けていただきたい」と考えてしまうかも知れません。「いざというときになって『いや私は救急医じゃないから』とおっしゃられるのは困る」と。裁判官も、「二次救急医療機関では救急専門医による医療サービスが提供されることが一応前提とされていて、それを知った上で救急医療業務に就いていたのだから、いざというときに『いや自分は救急医じゃないのでそんなこと無理っす』といわれても困るよねえ」と考えたんじゃないでしょうか(あくまでも想像です)。

>falcon171先生(49,58,59)
 こちらこそ、いつも勉強させていただいております。
 先生がおっしゃることは本当によくわかります。ただまあ、前述したように裁判官としては「救急医療機関の医師として救急医療業務に就いていたのだから、脳外科医としてではなく救急医として期待される医療水準に照らして医師の行為がどうだったか判断せざるを得ないですね」ということなんじゃないですかねえ。

 前のコメントでやや誤解を招くかも知れませんので付記しておきます。私個人は、超人的な献身で救急医療体制を支えてくださってきた個々の医師を責めるつもりはありません。ただ、当直医に事実上の夜勤勤務を担わせたり、三十数時間勤務を月に何度もさせたりするような医療体制はやはり「ハリボテ」だと思います。「ハリボテ」という言葉は、「ハリボテ」があたかも実像であるかのように国民に喧伝し、その「ハリボテ」を無理やり維持するために臨床医の皆さまに過酷な勤務を強いてきた厚労省医政局や病院設置者に向けた言葉であって、個々の医師の皆さまを侮辱するために用いたのではありません。

>直截的な表現をしてしまいますが、結局のところ我が国の救急医療体制は
>「ハリボテ」だったということなんじゃないでしょうか。私たち非医療者
>は、救急医療体制が「ハリボテ」だと知らずに過ごしてきて、事故が起こ
>れば救急医が診てくれると思い込んでいたわけです。ところがこの病院で
>は、実際には脳外科医としては極めて優秀だけれども救急医ではない医師
>が「ハリボテ」を裏から一生懸命支えていたということでしょう。患者に
>すれば、「一生懸命『ハリボテ』を支えていらっしゃるのは素晴らしいこ
>とですが、それなら最後まで支え続けていただきたい」と考えてしまうか
>も知れません。「いざというときになって『いや私は救急医じゃないから』
>とおっしゃられるのは困る」と。

an_accusedさん,
まさにその「ハリボテ」です.しかしながら言い方は悪いですが「無いよりもまし」というところで,救急専門医以外の方々も救急に従事しておられます.
そもそも放置すれば「亡くなる可能性が高い」(特に3次救急など)わけですから,そのうちいくらかでも助けられれば幸いといったところが救急医療であるわけです.(特にいまのハリボテ状態はそういうことです.)ところが非医療者は「助かってあたりまえ」とまったくベースが正反対のところから考えているわけです.法曹界の方もそうなんでしょうね.

以前にもどこかに書きましたが,「助かったらラッキー」なんですね.その認識をして頂けない方には救急にかかってもらいたくないというのが医療者の本音だと思います.
これも産科と同様で,だから「救急医療が崩壊」するんですね.

>Level3 さん
>救急専門医以外の方々も救急に従事しておられます
と言うのが実態であれば、「○時〜○時までは、救急専門医が救急処置を施しますが、それ以外の時間帯は普通の医師が救急処置を施します」と明記した方がいいのではないでしょうか。

だいたいのところ、医師の皆さんから、私の求める回答が出た思います。

> 医師が行った鑑定結果が問題であるなら、前置として総合的判断のような事を行える機関をもし作ってそれが第三者的意見として鑑定に参加できるのならそれが理想的だ
> 被告人の鑑定・原告の鑑定以外に第3の鑑定ができれば(裁判所から依頼されてそれに応じる意見書に近い物と思いますが、現在はその依頼先に問題がある
> 医療現場とその地域の医療事情に精通した現場で働く多数の医師の意見を(たった一人の教授の判断などでは手に負えないということです)まとめることができれば、それを重視できるようにならないか[No.54 元内科医さま]

> 私は、裁判官に正しい判断をして頂く方法としては、鑑定制度の充実から始めるのが現実的と思います。
> 元内科医さまがかかれているように、個々の医師の結論が、割れることは、避けられないので、具体的には、東京地裁で試みられているような、カンファレンス形式のものを、さらに発展させていく
> 現役医師の鑑定カンファレンスへの多数の参加を、医師の側からも協力していく必要があると考えます[No.55 田舎の消化器外科医さま]

> トンデモな鑑定書を出させない為には、複数人によるカンファレンス形式が望ましいと思います。
> そうなるとカンファレンスに参加する医師をどのように決めるのが望ましいかも議論するべきでしょう。予めリストを作ってその中から裁判所に指名させるのか、それとも医師会か学会から推薦させるのか、はたまた専任の医師を置くべきなのか[No.56 kouki さま]

> 私は,一般病院の部長から医長クラスで臨床の第1線で働いている医師を複数集めて意見を聞くのが最も妥当であると思っています.
> 大学にも優秀な臨床医はいますが,その知識ベースが異なることも多く一般病院の臨床を想定してコメントできる人間が少ないというのが実情 [No.61 Level3 さま]

> 10人医療専門家を集めて多数決で裁定するのが、妥当な方法ではないでしょうか?[No.62 座位さま]

> 鑑定の遅滞が、トンでも判決のひとつの原因となっているのであれば、医師側が自分たちの首を絞めているということになりますので、鑑定を複数で、迅速に行うシステムを立ち上げる必要があります。
> 多分野にわたる、医師を確保する必要があるため、医師会主導で行うことが、現実的かもしれませんが、原告側に鑑定を納得していただくためには、各学会か複数の大学に委託するほうがよいと思います。
> 当該事件と同様の環境の医師が複数いることが望ましいと思います[No.63 田舎の消化器外科医さま]

------
No.54 元内科医さま
やや誤解があるかと思いますが、
「裁判官が医学の専門家の鑑定意見を参照して判決する」というのが現行法の制度的枠組みであり、鑑定人の人数や選任方法の工夫は運用の問題だけです。
医事訴訟は裁判官でない医学の専門家によって裁く とか、医事紛争専門のADRを訴訟に前置するといった方法は、現行法の枠組みを超えるものであるため、法改正が必要です。特に、医事裁判所が終審としての判断を行うという仕組みを作りたければ、最高裁判所以下の司法裁判所とは別系統の特別裁判所を創設することになるため、憲法改正まで要する話です。

> I 現行の裁判制度をドラスティックに変えるには憲法改正が必要であり、それは現実的ではないこと、
> II ADRを用意することは可能だが、患者側にとってのメリットがなければ結局利用されないし、憲法上、最終的には訴訟で争われる選択肢も残さざるを得ないこと
> からすると、「現行の裁判制度で、よりよい結論を得るために工夫するしかないのではないか」というのが私の基本的な考えです。[No.40 FFF さま]

------
ということで、最適の方法は現役医師が多数、裁判の鑑定作業に参加することであるという結論が出ました。(私の考える方法と同じです。)

それを実現するにはどんな障害があるか
1.裁判所の受け容れ 
裁判所としては時間内に適正な鑑定結果が得られさえすればよいので、大きな問題はないと思います。
選任方法について一般人(原告)を納得させる必要があるため、外形的に中立性がある医師会・学会・大学グループなどに頼むのですが、これは医師側で信頼できる選出母体を作るということでも構わないでしょう。

2.裁判所と医師側との調整
医師会か学会が中心になって、鑑定参加の準備をする事務局を立ち上げ、裁判所との間で実務のツメを行うことが必要です。
そういう事務方に名乗りを上げてくださる医師の方はありますか?

3.個々の医師が鑑定に参加できるか
医師を医療現場から引き抜いて鑑定に従事させるための体制づくり。
個々の医師の皆さんにも相当、頑張ってもらわなければならないでしょう。
俺は鑑定には出たくないが、自分が訴訟された時は「現役医師カンファレンス鑑定」を受けたいというワガママは通用しません。お互い様ですからね。
裁判所に呼ばれたら、その間は他の医師が穴を埋めなければなりませんが、しわ寄せに耐えてください。
開業医だったら、本日休業にしてその分収入が減っても我慢してください(日当はたぶん、本業ほどにはお出しできないと思います。)

さあ、さあ、どなたも覚悟はよろしいか?

>総理大臣さま

法曹家に医療関連事案を裁定する能力が無いのですから、
司法予算を全力で削ってください。
その分、医療裁判所の新設に予算配分し、医療専門家を
判事として年収1200万円超で雇用していただけませんか?
但し、時間外業務はイヤです。

私が救急医なら、やめてそこに行きますが、、、

>No.68 YUNYUN さん

>裁判所に呼ばれたら、その間は他の医師が穴を埋めなければなりませんが、しわ寄せに耐えてください。開業医だったら、本日休業にしてその分収入が減っても我慢してください

現在の新規の医療訴訟が約1000件/年だったと思いますので、各事件に10人ずつの鑑定として、年間延べ1万人が必要となりますね。
自分であれば、年1−2件と、限りがあるのであれば、(またカンファレンスが1−2回で終わるのであれば)、現状では協力可能と思いますが、ひとたび重症を抱えてしまうと医師の予定は未定となってしまうので、協力できないという医師は多いかもしれません。(夏休みでさえもつぶれることはままありますから。)
また開業医で一人でやっている先生の事件では、複数の開業医を用意する必要がありますが、審査機関から代診を斡旋するなどの工夫をしないと難しいと思います。
勤務医に関していえば、医療崩壊が進み、病院の集約化が進めば、比較的出席しやすくなるかもしれません。

>財政諮問会議座長殿

1 ホワイトカラーエグザンプション制度導入による
  医師の時間外労働の霧散(医師の不満封じ込め)
2 医師免許の更新制導入と更新時の救急医療、僻地医療
  従事の義務化(医師偏在の解消)
3 病院のベッド数認可条件に、救急患者受入れ体制を
  義務付ける(医療費抑制しつつ救急診療確保)
4 旧帝大以外の大学医学部を医専施設に改変し、
  病院施設と付設基礎医学教室に縮小する
  (大学医局の解体と厚労省管轄の肥大)

以上の医師スケープゴート化により、医療費抑制と医療への
外資導入の並立(医療崩壊)が完成可能です。
                         by 悪知恵官僚

ロハス・メディカルを購読してみましたが、これは良い雑誌ですね。

>an_accused さん
ジュリストを借りてみましたが、下の部分に興味を持ちました

----------
事故調査委員会は真相の究明と調査をしているので、愛知県警察本部に対し捜査を選考させないようにと要望をした。その後県警は捜査を事実上ストップして事故調査委員会の調査結果を待つという態度を取った
P.66
----------

県警の判断でこのような事が行える訳で、「事故調査委員会の申し入れで警察の捜査をストップする」事をきちんと制度化することも可能なのではないかと印象を持ちました。

以下は厚生労働省医政局指導課主導による救急医療等
医療見直しの現状認識です。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/12/txt/s1209-3.txt
一応、現場医師よりの発言も散見できます。

黒川 清を座長に据えながらも、最終的に官僚として
以下のタイムスケジュールを目論んでいます。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/12/s1209-8.html
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/12/s1209-8c.html
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/12/s1209-8f.html

臨床現場からかけ離れた机上の空論を独自に練り上げています。
なんとも無駄で無様な作業ですね。

>と言うのが実態であれば、「○時〜○時までは、救急専門医が救急処置を
>施しますが、それ以外の時間帯は普通の医師が救急処置を施します」と明
>記した方がいいのではないでしょうか。

しまさん,

確かに救急部門は交代制ですからそのような表示もできないことはないでしょうね.ただある程度の規模だと複数の医師がいて救急認定医から研修医までいっしょに待機しています.もし複数の患者さんがほぼ同時にこられた場合には重症度によってどの医師に当たるかはわかりません.上級医がひとりの患者さんの蘇生などに手を取られておりますと,もう一人の患者さんの治療に全くタッチできないこともあるわけです.なかなか難しい問題だと思います.
(ひとりでも認定医がいれば,現場の実働部隊を指揮してそれぞれに適切な診断と治療の指示がだせると思いますので,特殊な状態でなければ上記の表示は結構頼りになると思いますが...)

> falcon171 さん  (No.43のコメントについて)

 私が元のコメントで「過失と評価すべきでない場合が多い」という表現を使ったのは、先に述べたとおり、医師集団全体の慣例が不十分という場合を念頭に置いたものです。

 その上で、提示された「田舎の病院の一人医長」の例について自分の意見を申し上げますと、その方の提供する医療レベルが全国平均からは下回るとしても、その環境において実現できる範囲のことを誠実にやっていたと見られるのであれば「過失」と評価されることはないはずだ、というところでしょうか。御覧頂いた判例の、「医療水準は、診療に当たった当該医師の専門分野、所属する診療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきもの」というのは、要するに、求められる医療水準は、原則として医療過疎地の診療所では低く、大都市の基幹病院では高くなるということだと思います。
 
 ただ、裁判例を見ていると、「自分のところで治療できないならさっさと転院すればよかったのに、そうしなかった」という理由で過失を認めた事例も結構ありますので、転院の要否について検討したか、したとすればどの時点か、転院が必要と判断した場合に搬送先を探す努力をしたか、といった点が問題になる可能性はあります。

>>No.68 YUNYUN さん
医師が「忙しい」というときは「その医師でしか瞬時に判断・介入できない事態が続いている、もしくはそのような事態が高確率で起きるのに備えて待機している」ときのことが多いかと。
つまり、忙しいかどうかは、抱えている仕事の全体量よりもむしろ「on the spot」でこなさなくてはならない仕事量に依存しているのです。
「その医師」がその場にいなければ誰かが具合が悪くなってしまう、そういう状態が続くことを「忙しい」と言うのです。

だから「忙しい」を免罪符にしてくれ、というわけではなく、医師の「忙しい」にはそういう意味合いがあるということを理解していただきたいと思います。

#実際は誰かがいなくなってみたところで、病院の業務自体も、地域の医療事情自体もたいていなんとかなってしまうのが淋しい現実ですw


>>No.64 an_accused さん
お返事ありがとうございます。

例の本「被害者と加害者の対話による回復を求めて」は、まだ半分ぐらいしか読んでおりませんが、井垣康弘元神戸家裁判事が
>我が国の成人刑事司法は、「著しく関係修復的司法である」と言われているのである。
(p97など)
と述べられているのが印象的でした。


医療事故を刑事事件として起訴するかどうかは、それこそ「起訴便宜主義」で国家が医療行為というものをどう意味付けているかにかかっております。
管理人さんによるとそれがどうやら中央では「慎重な方」に傾いているということですので、それが本当であるとすれば今のところ必要以上に心配しなくてもよいのかな、とは思います。

問題は民事での争いです。
医療上の争いの仲裁を裁判所に依頼するのは紛争解決の一つの手段にすぎません。
この場合、起こった全ての「損害」はお金に換算して判断されます。
民事裁判は基本的に「訴えられた側を裁判官が『より分が悪い』と判断すれば、訴えられた側から訴えた側にお金を支払うよう命ずる」仕組みであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
終局区分の一つである「和解」にしたって「判決前に金銭的な落としどころの額を裁判所が提示して、双方『それ以上攻撃しない』ことに納得させる」以上の意義は本来求められていません。

結局、判決にしろ、和解にしろ、金銭換算で「正しく」責任の存否が判断されたにもかかわらず、双方がうじうじモヤモヤしたものを抱えたまま裁判所を後にし、抱えたまま日々を送っているのが多数派の現実であるとするならば、どうやら問題は「金銭だけでは解決しない」ようです。
そしておそらく、医師側が求めるような「医学的に正しい判断」がなされるようになった後でも、その状況は変わらないのではないかと。
医者側が納得しても、患者側が納得できないなら、それこそ「仇討ち」が行われるかもしれません。

どうも、この手の紛争解決に求められているのは「正しさ」だけではないように思えるのです。
私は、何よりも優先すべきは「仲裁者のもとでの当事者同士の直接対話」なのではないかと考えます。
司法が制度としてこの問題に関わるならイメージ的には「家事審判+α」でしょうか。
「+α」には当事者、とくに患者側への厚い心理的サポートと、医学的・医療的妥当性の担保などが含まれます。

トンデモでしょうかねぇ?>>皆さま

>No.67 しまさん

当地は、以前どなたかが、調べられた、県民一人当たりの、救急指定病院の施設数は、かなり多い方でしたが、私が知る限り、救急専門医が、救急外来を行っている病院は、3次救急対応の、2病院のみです。そのほかの、公的病院、準公的病院では、救急専門医が、常勤で勤務しているという話を聞いておりません。(もちろん夜間だけでなく日中もいません。)
ただし、その他の病院も、(救急指定病院ということで、県の助成を受けていることもあるのか)、あえて、専門外の医師が診察していることを表示している病院は、2次対応の病院でも無いと思います。(病院のHPを見れば、救急医がいないことはわかりますが)まさに、No.64 an_accused さんの仰るとおり張りぼてです。

現場の医師としては、このような状況を、ちゃんと告知していただきたいとは思います。

No.65 an_accused さん

>病院設置者

救急医療について相当の知識及び経験というのがどの程度のものなのか、今まで明示されたものもなく(多分)、現在ほとんど全ての救急病院がそうであるハリボテの状態こそ、医療関係者はすべからく当たり前と考えていたわけですから、責められるべき内容ではないと思います。

他の話はLevel3先生に先を越されちゃいました。(同意見です)

YUNYUNさん No53のコメントにお返事遅れ申し訳ありません。既に多数の方がコメントされ、YUNYUNさん(No68)がまとめておられますが、出し遅れのレポート出します。

法曹の側として納得できないのは、
「裁判官は医療の素人なのだから、医療判断には口を出さずに医師が行った鑑定結果に従って判決せよ」と言われる一方で、「この鑑定はトンデモである。裁判官はそのことを見抜いて鑑定を排斥せよ」と求められることです。これは論理的に矛盾する要求ではありませんか?(No.53 YUNYUNさん)

かなりの程度、元内科医さんと同意見です。

法曹が弁論主義を採用されたのです。弁論主義が人類5000年の叡智の一つであることは認めますが、逆らって申し訳ないですが、弁論主義では必然的に、医療裁判の際、原告も被告も事故の弁論に都合の良い鑑定を提出します。そりゃそういう鑑定してくれる人が出てくるまで探す(探せなかったら裁判にならない)んだからそうなります。弁論主義の必然です。
(興味深いコメントがネットにあったので引用します。
>(薬害エイズ問題から見えてくるものと言うシンポジウムで)、(HIV)訴訟の中では、原告側は、危険性を示す情報があったという証拠ばかりを強調し、被告側は、その反対に終始したが、その過程で、隠されたことを出さないと、真実が見えてこないという意見が印象深い。たとえば、原告側がアメリカから呼んだ証人の学者は、自分にとっても、エイズの発症率の高さは、予想外だったと話した時に、それは裁判の席では言わないで欲しいと頼んだエピソードがあった。(http://sleep.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/post_8439.html))

普通の医師が、立ち話で10人ぐらいでしゃべっていれば、「多分こんな所(6か7)だよね」で終わる話も、裁判の場に持ち出されれば、1と9と言う主張になって出てくるのが必然ではないでしょうか。
→つまり現行の裁判の仕組み自体がトンデモ鑑定の誘因になっている。
加えて、自由心証主義でどちらの鑑定を採用するかは裁判官の専決
というなら、「トンデモ鑑定が出るのは現行システムにこだわる限り不可避である。現行システムにこだわる限り、そして専決であると主張するのは、裁判官はトンデモ鑑定を見抜いて排斥する義務を引き受けると言うに等しい」と思います。
自由心証制とは逆で「裁判官に責任を問わない」とは習いました(公民の試験答案にならそう書きますが)が、それはあくまで、その判決、処分をうけいれるということ。外野としては、おかしいといって判決批評は続くでしょうし、現行システムが続くなら、トンデモ鑑定を見抜けない裁判官の不徳と言わざるを得ないのでは。

とここまで書いてきた時に一つのイメージがわきました。
たとえて言えば、今の裁判のイメージは、原告被告が自分たちで選んだ医師陪審員一人ずつつれて出てきているようなものです。
二人の鑑定意見はまず対立しているはずです。この二人に強制力持たせるわけにはいかない。裁判所は自分の責任で黒白つける。

これが、裁判所の選んだ医師陪審員が12名合議で、
「医療水準にかなっているか、判断できましたか」
「はい、裁判長 問題となった行為は水準に    」と出した答申なら強制力もたしても良いと思います。

YUNYUN さんのまとめ(No.68)に意見述べます。

>さあ、さあ、どなたも覚悟はよろしいか?
以前、よそでも述べましたが、カンファランスで意見述べるのは協力させていただきたいと思います。でも時間は、半日から一日ぐらいにしていただきたいです。
その折りも述べましたように、それだけ時間かけて納得いく結論に至らないのは、それ自体問題症例が医師にとって難しい証と思います。ということで、時間かかるというそれ自体が「医療水準以下とは言えない」ことの証だと思います。

で私は、医療水準というのはそういうものだと思っていますが、はたして、一般の方はその医療水準論で納得していただけるんでしょうかね。ここでも、何度か私は下位10%が医療水準以下と言われても仕方ないレベルだと挑発的にいいましたが、こちらの法曹の方はジェントルで、それでは満足できない、ごく平均の医療も受けさせないのかと言う突っ込み入らなかったので少しく不思議なのですが。

まず間違いなく、現場の医療人集団が下位10%ということで判断するレベルが一般の方(特に原告)を納得させることはないだろうなと思うんですよ。
「私はほんとのことが知りたいと思って裁判を起こしました。そうですか、あの医療は下から25%の医療で決して珍しいものではなかったんですね。水準内ですか。心が晴れました。」と言ってくれる可能性は限りなく低いでしょう。
「一般人が受ける医療として期待するところは中位50%の医療であるから、下位10%でなかったことを持って医療水準に達していたと言うことはできない、中位40%を持って医療水準と考えるべきである。」と言う最高裁判例出せと言うプレッシャー高まるだけのような気が。

もともと保険医療って最低限の医療をまんべんなく受けれるようにって趣旨だったはずだし、それだけの予算しか与えられてないんですけどね。

No.68 YUNYUN さんのコメント

>2.裁判所と医師側との調整
>医師会か学会が中心になって、鑑定参加の準備をする事務局を立ち上げ、裁判所との間で実務のツメを行うことが必要です。
>そういう事務方に名乗りを上げてくださる医師の方はありますか?


何らかの団体が、窓口となって取りまとめるべきでしょうね。
日本専門医認定制機構、加盟学会(52学会)
http://www.japan-senmon-i.jp/number/index.html

ここにある基本領域の学会から、ある程度の強制力を発揮してもらい、
(すなわち、「協力しないと、認定医資格を剥奪するぞ」と脅しをかけ)
鑑定人を推薦してもらうようにすればよいのではないでしょうか?

裁判で正当な判断を下してもらえるようにすることは、「医療レベルの維持・向上」に関わりますし、それは当該学会とその会員の利益に適うものと考えます。

>3.個々の医師が鑑定に参加できるか
>医師を医療現場から引き抜いて鑑定に従事させるための体制づくり。

現在も社会保険や国民健康保険の審査員(現役医師)は、月に一度(半日ですが)仕事を休んで審査に参加しています。
医療鑑定への参加も、医師として必要な仕事となれば、引き受けるのではないかと思います。

(個人的には、社保・国保の審査員の面々に、そのまま保険診療のルール下で鑑定をやってもらうのも一興かと思ってみたりします。「裁判長、原告のこの主張は、保険診療では認められません。」なんて意見が頻発するかも・・・。)

No.79 falcon171 さん

弁論主義の弊害に関しては、以前より私も指摘していること(真実に辿りつかない)で、まったく賛成なのですが。

例えば心筋炎訴訟は判決文のみならず鑑定文までネットで見ることができます。詳細を多くの医師が検討して、あの鑑定書にダメだしをしているわけですが、医師が判断するのでなければ、あの鑑定書を比べて判断するのは不可能に近いと思われます(トンデモ裁判で医師が要求される能力のようです)。結局法曹が一番変えたくない部分のどこかを変えなくてはいけなそうで、かなり難しそうですね。

>脳外科医(留学中)先生

>(個人的には、社保・国保の審査員の面々に、そのまま保険診療のルール下で鑑定をやってもらうのも一興かと思ってみたりします。「裁判長、原告のこの主張は、保険診療では認められません。」なんて意見が頻発するかも・・・。)

 たしか、保険診療で認められていないのは過失を否定する言い訳にはならないという判決があったような・・・(検査の回数の問題だったと思います)。

 この判決を聞いたときに思ったのは私の領域で、「手術適応がないASO(閉塞性動脈硬化症)の患者がPGE1(血管拡張剤の一種)点滴でかろうじて足を維持しているとする。PGE1点滴は連続2週間までしか認められていないが、これを超えたときにPGE1を止めて足が腐った場合、訴訟になったら負けるんだな。」ということでした。ま、閑話休題です。

> No.67 しまさん
既出かもしれませんが、救急には一次から三次まであります。一次に救急専門医(あるいは救命救急医)に担わせるのは、例えば松井秀喜にビニールボールとプラスチックばっとで野球をやらせるようなものです(ものの例えば少々悪いかもしれませんが・・・)。ただ、三次救急で救急医以外が対応するのであれば、それは明記した方が良いのかもしれません。但し、普通の医者でも救急対応能力に優れている人が沢山いる事実も付け加えておきます。
一次の方が楽なんだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実際には一次の患者の中にクレーマーが混じっていて帰宅を説得する、または必要な検査を今行う必要がないことを説明するのが困難だったり、複雑な内科的的判断が必要だったり、結構大変な場合が多いです。
また、トリアージのところでも問題が出たように、一件軽症に見えても実は重症だったというケース、あるいは重症に急変するケースも少なくありません。私はむしろ、一次二次の方がプライマリーケアに対する能力、危機管理能力に長けている人が必要だと思います。かといって救命救急が仕事というわけではないですから、搬送までが仕事のうちであり、必ずしも救急医が必要なわけではありません。

>しま様 一次の方が楽なんだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実際には一次の患者の中にクレーマーが混じっていて帰宅を説得する、または必要な検査を今行う必要がないことを説明するのが困難だったり、・・・・・

私も一次救急をやらされますが、不謹慎ですが”じゃあ2次救急へ言ってみてもらいましょうね”といってさっさと紹介状を書いてます。お手数かけてスイマセン。

しま様→yama様の間違いです。すいません。(またやってしまった。)

はじめまして。
いつも楽しくコメントを読まさせていただいております。
医療水準がどうだとか、問題になっているようですが、医療訴訟の問題が収束しない原因は、
医療行為は結果が不確実なものなのにもかかわらず、だれもがよい結果になるのが当然と思い込んでいることと、
「医療の結果がよくなかったときの救済方法がない」ことに、起因しているのだと思います。
ですから、医療の結果がよくなかったら、どうにかして救済して欲しいと考えた患者さんが、司法に頼っている。
頼られた司法も、救済する方法は、誰かの責任(医師が多いようですが)にして、賠償金を払ってもらえたら、少しは救済できるかな?と考えているのではないかと思ってしまいます。

医療訴訟の増加は、望ましいことではないと考えるのであれば、
医療が不確実な技術ということを、念頭に置き、
医療の結果がよくなかった場合の救済方法をどうするかということを考えなければいけない段階にきているのでしょう。
そのひとつの答えが、今話し合われている、出産時の保障制度のようですが?

とこころで、
個人的には、因果関係がよくわからないままに蓋然性を認められている裁判例などが、
このまま、他の業界に飛び火していって、
残業が多かったことと、自殺の因果関係は否定できない。
残業なければ、自殺することはなかった可能性が高いとか・・・
こんなふうになっていったら、どうするのだろうと思いますよ。
裁判例は、ひとつの考え方の論理だから、それぞれの裁判官が自由に判断するのはよいと思いますが、司法というひとつのまとまった団体なのだから、
この裁判官は医療分野でこういう風な裁判例を書いているよ。
なんで、どうような理論でこっちの分野に応用できないの?というふうになっていって、
放置すれば、司法の判断基準がどんどんおかしくなっていうことが起きちゃうのではなんて思ったりしちゃいます。

裁判では、医療の専門家の鑑定をもとめますよね。
弁護士が、似たような裁判例をもってきて、裁判所はこういうように判断してますよって、
裁判官の名前の入った、裁判例をたくさん集めて、医療分野の裁判例をどんどん他の分野に応用したらどうなるのだろう?といった疑問です。
司法の専門家の裁判官の書いた判決文ですからね。

こんにちは、YUNYUNさん。整形Aです。

No.50 YUNYUN さんのコメント

>1.行為者=医師の責任
>←民法709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
>
>2.使用者=病院の責任
>←民法715条 ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。
>
>使用者責任は、被用者がなした不法行為について責任を負うので、被用者(この場合は医師)に過失があり不法行為が成立していることが前提となります。

No.26で、FFFさん(だけ、というわけではありませんが)に、保険診療に基づく医療事故の場合、医療機関が1番の当事者ではなく、保険者こそが当事者ではないか、という意見を申し上げましたが、特に興味を引く話題ではなかったようです。
YUNYUNさんの上記の書き込みを基に、再度教示願いたくコメントいたします。

多くの医療過誤は保険診療を行なう過程で生じるていると思われます。
保険診療を行なう医師は「保険医登録」をおこない、「保険医療機関」の指定を受けた病院などで「健康保険」の範囲内で医療を行なうことを義務付けられております。
社会保険事務所などの説明では、保険診療というのは契約の医療だそうです。
すなわち医療機関や医師は、保険者との契約によって被保険者に「療養」という現物を給付することを「担当」しているのです。

患者さんは被保険者で保険料を保険者に納めています。
保険ですから保険料を納める義務に対して、病気や怪我をしたときには、保険者から保険金などを受ける権利がありますが、実際にはお金ではなく医療機関で「保険診療」の範囲内での療養という現物給付を受けるわけです。
医療機関は、患者さんから医療費を受け取るわけではありません。保険者にレセプトを提出してそこから診療報酬を受け取ります。

このお金の流れを見ればわかるとおり、医療における契約は被保険者(患者)と保険者、保険者と医療機関という契約が本筋で、医療機関は保険者の代行をしているだけともいえます。
そうだとすれば被保険者と医療機関との間の契約はかなり弱いものと考えられないでしょうか。
現物給付である医療において過誤があった場合、行為者が医師であることはわかりますが、一方医師及び医療機関は、国が「健康保険」という事業を行なうにあたっての被用者です。
保険診療における医療事故、医療過誤における賠償責任は、基本的にはまず被保険者と保険者との間で発生するものとは考えられないでしょうか。

>level3先生(61)
>私は,一般病院の部長から医長クラスで臨床の第1線で働いている医師を複数集めて意見を聞くのが最も妥当であると思っています.そうしなければ適切な「医療鑑定」が行なわれる可能性は低くなるでしょう.

 ドイツの「医療事故鑑定委員会・調停所」では、例えば一般の開業医が関係する医療事故の鑑定には、大学病院あるいは大学の教授などではなく、その開業医のすぐ上のレベルの医師に依頼するそうです。もちろん、高度医療が対象になっている場合には大学病院の医師や、ときには外国の医師にも(といってもお隣のスイスとかですが)依頼するようです。

 この「医療事故鑑定委員会・調停所」は、1970年代に医師会と保険会社が任意に設立したものですから、出発点は我が国の日医医賠責審査会や各都道府県医師会に設置されている医事紛争処理委員会と同じということができます。
 出発点は同じでしたが、我が国の日医賠償責任審査会・医事紛争処理委員会は医師にすら「どんな組織なのかわからない」といわれるようになり、ドイツのそれは国民から広く支持され、任意の民間機関から州立機関へと変化していくことになりました。
 この違いを生じさせた最も大きな要因は、ドイツの医師会が強制加入団体であり、全ての医師が加入していることから、勤務医の関係する医事紛争であると開業医の関係する医事紛争であるとを問わず、広く医事紛争をカバーするものであったこと、ドイツの鑑定委員会・調停所は我が国の賠償責任審査会・医事紛争処理委員会のように「有責・無責」のみを述べ鑑定結果を明らかにしないということがなく、きちんと鑑定書という形で双方当事者に審査の結果が明らかにされるので、患者原告の「何が起こったのか知りたい」という希望をきちんと叶えてきたこと、訴訟前に明らかにされた鑑定書は、もし紛争が訴訟に発展した場合には公的鑑定として当然重要視されるし、患者が訴訟を提起するために訴訟救助(法律扶助)を求めようとしても、法律扶助協会が「勝訴の見込みがあるかどうか」を審査する上でこの鑑定書を重視するので、事実上「医療事故鑑定委員会・調停所」で原告不利の鑑定が出た時点で原告は訴訟による勝利はあきらめざるを得ないということになったため、医師にとってもメリットの大きい制度として認識されたことなどがあると思います。

 ついでに鑑定人についてもう一つ。
 鑑定人は、裁判所が選任するわけですが、当然その選任にあたっては最高裁判所に設置されている医事関係訴訟委員会を通じて各学会や各専門医会に適任者の推薦を受けるとともに、両当事者の意向を聞いたうえで選任しています。つまり、照会を受けた各医学会や各専門医会が「大学病院の教授などではなく一般病院の部長から医長クラスを推薦する」と決めれば自ずと鑑定人はそこから選ばれますし、仮に鑑定人候補者として大学教授などが挙がってきたとしても、被告側が「いや、この事案を評価するに相応しいのは大学病院の医師ではなく市中病院で臨床の第一線にいる者だから、そのような人物を選任してもらいたい」と言えば、裁判所は改めてそのような人物を探すことになる、ということです。

>level3先生(66)
>「助かったらラッキー」
 本当にそうですよね。ごく個人的には、「エアバッグのない自動車で道路から飛び出し、道と直角のブロック塀に突っ込んだら、まず死ぬのが当たり前なのだから、お医者さんが一生懸命に治療してくれたのならそれでいいじゃないか、と思うのですがね。

>しま先生(72)
 名大腹腔鏡事故のケースは興味深いですね。ただ、病院内や大学内に事案ごとに設置される調査委員会は、東京女子医大事件のように第一線の医師をスケープゴートにして有力者を守ろうという意向が働くおそれや、その意向に従って事故関係者に対する圧力がかけられ証拠が隠滅されるおそれがないとは言えませんから、内部調査委員会のいうままに捜査機関が捜査を控えたり先延ばしにしたりするのはあまり好ましくないように思われます。
 例えば航空・鉄道事故調査委員会のような公的調査機関や、そこまでいかなくても医師会や病院協会、日本医療機能評価機構といった組織が常設する医療事故調査機関による調査については捜査機関による捜査に優先させるべしということであれば理解できます。

>元田舎医先生(76)
>我が国の成人刑事司法は、「著しく関係修復的司法である」と言われているのである

 たしかに、我が国の刑事裁判では、起訴・不起訴判断や量刑判断に「被害者との示談成立の有無」「被害者からの減刑嘆願の有無」が大きく影響しているように思われ、そういうところをみれば「関係修復的司法」といえるかも知れません(ただ、被害者との交渉は主として弁護人などが担当し、加害者と被害者が直接対話するという場面はあまりないように感じます)。

>どうも、この手の紛争解決に求められているのは「正しさ」だけではないように思えるのです。

 「全ての損害を金銭に換算する」という民事訴訟の枠組では、叶えられないものがたくさんあるというのは、おっしゃるとおりだと思います。

>元行政先生(78)
 「救急医療について相当の知識及び経験」というのがどの程度のものなのか明示されたものがないのなら、都道府県知事は一体どのような基準で救急告示病院の認定を行なっているのか、ちょっと不思議に思いました。

an_accusedさん,

ドイツのシステムはなかなかうまく働いているようですが,これを参考にして日本にもこのシステムに近いものを作ることは可能でしょうか?
ドイツの医師会は強制加入であるところが日本とは明らかに異なりますので,その点がネックになるんでしょうね.ただ,ほとんどの医師は保険医でしょうから,そちらの方からシステムを作れるとよいのですが...

>>「助かったらラッキー」
> 本当にそうですよね。ごく個人的には、「エアバッグのない自動車で
>道路から飛び出し、道と直角のブロック塀に突っ込んだら、まず死ぬの
>が当たり前なのだから、お医者さんが一生懸命に治療してくれたのなら
>それでいいじゃないか、と思うのですがね。

ところが例えば最近の鹿児島の訴訟なんかでは,交通事故の負傷者の救急医療で病院が訴訟に巻き込まれて,負けるというような不理尽なものが散見されるようになっています.そもそも事故を起こした当事者たちがすべての責任を負うべきと思えるのですが...

No.90 an_accused さん

>都道府県知事は一体どのような基準で救急告示病院の認定

補助金の対象になりますが、実際は救急告示病院になってくれる病院を必要数集めることは、救急崩壊が進む前から大変でしたから(そうでない県もあるかもしれませんが大抵)。選ぶとか、篩にかけるとかいう要素はほとんどないですね。強いて基準を言えば、ちゃんと開いていればいいというところですか。

http://www.pref.mie.jp/pdf/jh/jh05k/job20050000004786.htm

>level3先生(91)
>これを参考にして日本にもこのシステムに近いものを作ることは可能でしょうか?

 少なくとも、厚労省が目論んでいるらしい、航空・鉄道事故調査委員会方式よりは実現可能性も実効性も高いと思います。

 航空・鉄道事故は、医療事故に比べて発生件数が少ない(2006年度は航空事故18件、鉄道事故15件)ですから中央に一つ置かれた委員会から各地に調査官を派遣する方式でも間に合いますし、「誰の眼から見ても事故だとわかる」から、当事者の申し立てを待つことなく、報道をきっかけにして自発的に調査を行なうことができます。

 しかし、医療事故は訴訟に発展したものだけでも年間1000件を超えています。そして、医療関連死が医療事故に起因するものなのか寿命だったのか、「誰が見てもわかる」ケースばかりではありませんので、医師または患者側からの申立て事案も含め、医療事故調査委員会は個々の事案が調査対象として相応しいものであるかどうか篩いにかける必要があります(その認定をめぐって新たな紛争が生じることも予想されます)。
 しかも、医療事故調査委員会ができたからといって直ちに民事訴訟・刑事訴訟が抑制されるということにはなりません。鉄道・航空事故調査委員会だって、証拠の取り扱いに関して捜査機関と一定の協定を結んでいるというだけで、捜査機関による捜査に対して優先権を有しているわけでも、調査に協力した者に刑事上・民事上の免責を与えられるわけでもありません(それがよいとは考えていませんが、先行する制度がそうであれば、今後それをモデルとして出来る制度もそうなるだろうと考えておくのが無難でしょう)。

 正直申し上げまして、厚労省が検討しているらしい航空・鉄道事故調査委員会型の“医療事故調査委員会”は、「医療崩壊に対する対応策」としてはあまり意味がないのではないかと私は思っています。

 訴訟を抑制し、不当な判決が乱発されるのを防ぐための実現可能なプランは、今ある医師会の賠償責任審査会・医事紛争処理委員会をドイツ型の鑑定・調停機関として再編する(勤務医向けには、学会単位で医師賠償責任保険と提携した医事紛争処理委員会を設ける)か、訴訟提起された医事紛争を、原則として医師と裁判官とで構成する調停委員会に付すようにし(付調停。民事調停法20条1項)、そこで訴訟並みの証拠調べを行なうとともに、双方の合意が形成されなかった場合は鑑定書並みに詳細に理由を示した「調停に代わる決定」を出すようにするかのいずれかではないかと思います。

 民事調停では、調停委員会が職権で事実の調査や証拠調べを行なったり(民事調停規則12条1項)、調停委員自ら事実調査をしたり(同条2項、3項)、調停委員会を構成する調停委員以外の調停委員から専門的な知識・経験に基づく意見を聴くこともできる(同規則14条)とされており、医師の皆さまから批判の的になっている「弁論主義」に縛られることはありません。調停というと、簡易裁判所の管轄ということもあってどうしても軽いイメージがあり、現実の調停でも「双方の意見を足して二で割る」的な解決を提示されることも多いのですが、上記のように制度上は医事紛争のような専門的・複雑な事案の審理もできるようになっているのです。

 私としては、この2つが医事紛争を妥当な解決に導くための方策としては最も費用がかからず、大掛かりな法改正も必要としないものであると考える次第です。

>元行政先生(92)
 救急告示病院の認定に関する自治体の実情について、ご教示いただきありがとうございます。
 救急告示病院の認定基準を「とりあえずちゃんと開いていること」であるならば、「救急医療について相当の知識と経験」も何もあったものではありませんね。

an_accused さんより、かなり明確な形が出てきましたが、残念なことに
医療事故調査委員会類似のものが日本にはないし、それを創設する
主体もない点が残念である。
内科学会、外科学会、病理学会、法医学会の四学会合同のWGは、
目的も紛争解決ではなく、医療現場での不審死に対する取扱機関として
非警察検察の中立的専門機関を提唱したに留まっている。
また、これを受けて、厚労省が東京・愛知・大阪・兵庫・茨城・新潟を
実施地域とする「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」を
行っているが、これは、診療上の問題点と死亡との因果関係の調査
と再発防止の為の事業であって、処分の決定や紛争解決を行う機関・
事業ではない。
 全員加盟制の弁護士会とは異なり、医師の場合は職能組織が統一
されておらず、全医師に睨みの利く自治組織もない。一つの方法として
は、医道審議会を、現行の厚労省諮問機関から格上げして、医師法
を根拠法とする事前審査型のより高位の行政審判組織にすることが
合理的であるように思う。
ここでも、直接の紛争解決の場とはならないが、各種モデル事業や、
学会合同のWG、医師会の委員会にあるリソースをここに転換し、
審議会の組織を拡充することによって、充分な調査能力を持たせれ
ば、医師患者双方から提起される医療関連事案に関して、原因を解明
することに加えて、医師の行政処分を迅速により正しく行うことが
出来るし、そこでの決定に至った調査報告書は、その後の紛争解決
に方向性を示すものとして充分な牽制力を有すると思われる。

問題は、やはりここでも、医道審議会をそのような組織に格上げする
運動主体がいないことである。全員加盟制の自治組織が無い以上、
官製の組織を利用するしかないのではないか。

No.64、65(an_accused さん)とNo.66(Level3 さん)のやりとりを読んでの感想です。共通理解に至るのは何よりです。

救急医療体制は「ハリボテ」 でも「無いよりもまし」
「救急専門医以外は専門外の救急処置に自信なし」 でも 止めると救急受け手が無くなるから、まだ無いよりあった方が良いのならと言うことで、(少なくとも病院上層部から)頼まれたからやっている、「実力無いのに俺にやらせろといって自発的に救急に志願しているもの」はほぼ皆無
そして重症救急は今でも「助かったらラッキー」の世界

以上が「見たくなくとも事実」
an_accused さんはじめこちらの法曹の方は直視して頂いていると思います。

当面医療に金を注ぎ込まない決意をしているらしい国の下、(つまり当分「ハリボテ」のままです 奈良がこの間の一件受けて、あわてて、高度周産期センターを医大に作ると言っています。はっきり予言します。今と比べて「何でそんなに金がかかるんだ」と批難が出るほどの額を注ぎ込むんでなければ、きっとできるものはやはり「ハリボテ」です)、正直 国民の皆様はどうお考えなのでしょうかね。

「救急専門医以外は専門外の救急処置に自信なし」の医師は救急に関わることを止めよとおっしゃっているのでしょうか
であれば、粛々として医師は止めるでしょう。

「救急専門医以外は専門外の救急処置に自信なし」の医師でも「ないよりまし」でいいから続けろとおっしゃっているのでしょうか
であれば交換条件として、「救急専門医以外は専門外の救急処置に自信なし」の医師には救急専門医並の要求しないで下さいね とお願いしたいのですが。不当ですか?

ですから、「救急専門医以外の救急からの撤退」(=医療崩壊)招きたくなければ、ここであわてて「そんなこと言わずに 君の言い分はのむから」というべきなのは、非医師サイドだと思うんですがね。

上記「事実」を直視した法曹の方は個人としてはどうやら医師サイドに立って頂けそうですが、その方達にも、「裁判官の独立がある以上、裁判官が上記事実を知らずに判決してもあきらめて下さい。知ってても患者被害救済優先で、上記事実を軽視してもあきらめて下さい。」といわれると、(いい悪いの問題ではなく事実として)粛々として、「法曹の理念は解りました。正しいと思います。でも、私にはその条件で救急は出来ません。残念ですが、救急のお役には立てません。」 とつぶやいて撤退する医師は増えるばかりだと思います。

No.93 an_accused さん

>訴訟を抑制し、不当な判決が乱発されるのを防ぐための実現可能なプランは、今ある医師会の賠償責任審査会・医事紛争処理委員会をドイツ型の鑑定・調停機関として再編する(勤務医向けには、学会単位で医師賠償責任保険と提携した医事紛争処理委員会を設ける)か、訴訟提起された医事紛争を、原則として医師と裁判官とで構成する調停委員会に付すようにし(付調停。民事調停法20条1項)、そこで訴訟並みの証拠調べを行なうとともに、双方の合意が形成されなかった場合は鑑定書並みに詳細に理由を示した「調停に代わる決定」を出すようにするかのいずれかではないかと思います。

賛同します。他力本願ながら、実際に政策を模索している人間がこれを知って、参考にしてくれるのを願うところです。(何かのおりにつけ、それなりの働きかけはしたいと思いますが)

一つ提案させてもらえれば、医師会と勤務医を分けるのでなく、再編時に医師会、勤務医、病院全てを網羅する形への再編がよいと思います。

No.93 an_accused さん

 医師会の賠償責任審査会・医事紛争処理委員会を中に取り込むとしても、今のままの制度では、訴訟抑制(適当な言葉ではありませんが)はほとんどないため、これらの点をどうするかという問題があります。

 これらの点については、an_accused さん、元行政さんもふれられていますが、あまり、ご存じでない方もいらっしゃると思うので、記載させていただきますと、患者側が、病院に対し、示談等の交渉を申し入れた場合、病院が賠償責任審査会・医事紛争処理委員会の審査を受けたいといい、この審査を申し出たとします。患者が訴訟を提起すれば、審査手続きはそこで終了します(訴訟ということになります)。

 患者が、訴訟を提起しないと審査の手続きが進められることになりますが、その間、6ヶ月〜1年間位は何の連絡もありません。したがって、何が行わっsれているかは全くわかりません。

 そして、突然、電話等で、「お支払いはしません。」あるいは、「000円をお支払いします」との連絡が入りますが、有責・無責の区別、有責の理由、損害額の算定方法等は、全く説明されません。

 もう一つの問題は、これも保険会社との関係でしょうが、金額を提示される場合でも、数百万円あるいは、まれに1000万円程度が上限のような形です。

したがって、訴訟案件の場合、患者側の弁護士は、この手続きを無視して、訴訟を提起することになります。

>an_accused様

> 訴訟を抑制し、不当な判決が乱発されるのを防ぐための実現可能なプランは、今ある医師会の賠償責任審査会・医事紛争処理委員会をドイツ型の鑑定・調停機関として再編する(勤務医向けには、学会単位で医師賠償責任保険と提携した医事紛争処理委員会を設ける)か、訴訟提起された医事紛争を、原則として医師と裁判官とで構成する調停委員会に付すようにし(付調停。民事調停法20条1項)、そこで訴訟並みの証拠調べを行なうとともに、双方の合意が形成されなかった場合は鑑定書並みに詳細に理由を示した「調停に代わる決定」を出すようにするかのいずれかではないかと思います。

 プランとしては良いと思います。ただ、前提条件としてやはり医師の医師会強制加入は必要じゃないかなと思います。
 で、医師会強制加入は良いのですが、これだけは是非実施して欲しいことが・・・。
現在のような代議員制度ではなく、直接選挙・直接投票制度にしていただきたい。インターネットがこれだけ普及している状況なのですから、これは不可能ではないと思います。

No.97 L.A.LAWさん

先生のコメントの通り、今のままではもちろんダメ(それでも勤務医のシステムよりずっと上)ですが、その辺りは改善しようと考えればできる範囲内であると考えています。それが再編ということでしょう。

> No.91 Level3 さん
> ところが例えば最近の鹿児島の訴訟なんかでは,交通事故の負傷者の
> 救急医療で病院が訴訟に巻き込まれて,負けるというような不理尽なものが
> 散見されるようになっています.そもそも事故を起こした当事者たちがすべての
> 責任を負うべきと思えるのですが...

日本には良きサマリア法なる概念が全くありません。日本の医師で、飛行機や新幹線車内で「お医者さんはいらっしゃいますか?」と聞かれて名乗り出る人はよほどのお人好しか、よほどのお馬鹿さんだと私は思います。言葉は悪いですが、これは事実です。私も名乗りでないでしょう。
勿論、専門家だからといってふんぞり返るのはとんでもない行為ですが、少なくともがんばっている専門家達を敬うという気持ちが日本人から消えてしまったのが一番の問題点ではないでしょうか?
ということで、ここにいる医師の皆さん、法律の専門家たる法曹の方々を敬うようにしましょう(といっても非理論的なことを押しつける人たちはとても尊敬できませんが、このブログでは散々議論されましたね)。

>日本には良きサマリア法なる概念が全くありません。日本の医師で、飛行機
>や新幹線車内で「お医者さんはいらっしゃいますか?」と聞かれて名乗り出
>る人はよほどのお人好しか、よほどのお馬鹿さんだと私は思います。言葉は
>悪いですが、これは事実です。私も名乗りでないでしょう。

そうですね,現状ではそうするのが最もreasonableでしょう.
日本で「良きサマリア法」を法律化することはできるものなんでしょうか?
これをするためには政治家に働きかける必要があるということですね.

「良きサマリア法」に関しては,新居浜病院の越智先生が以下のようなページを作っておられます.
http://plaza.umin.ac.jp/~GHDNet/04/samaritan/
ご参考までに

> No.101 Level3 さん
実際にアメリカでは法律を制定したら医者が名乗り出だしたということですので、私は必要と思います。
もとより医師は患者を治すということに人生をかけた人たちであることは間違いないです。ただ、現状に失望し、やる気をなくしているのです。

いわゆる「良きサマリア法」に関しては、働きかけるとしたら医師ではなく国民の方でしょうね。あと、航空会社が医師会と契約することで、契約関係をはっきりさせたり、紛争防止のルール作りを行うこともよろしいかも知れませんが、これも航空会社側から働きかける種類の物だと思います。

> falcon171 さん    (No.79のコメントについて)

 弁論主義が却って真実発見の妨げになることがあるというのは、御指摘のとおりかも知れません(現に、この考え方を採用しない事件類型も一部あります)。多くの法律家も、弁論主義が何の弊害もない完全無欠のシステムであるとは思っていないことでしょう。ただ、今のところ、これが最も「マシ」な方法だという認識でいるのではないかと。

 弁論主義を採用しないで真実に合致する判断を目指すということは、恐らく、各当事者に自分にとって不利益な主張・証拠の提示も求めるか、裁判所が自ら実態を把握するべく積極的に証拠を収集するか、ということになります。

 しかし、医療訴訟に限らず、自分にとって不利益な証拠を出すということは、残念ながら期待できない。中には高い倫理によって過失を認める方向の証拠を(原告から言われもしないのに)自ら探し出して提出する医療者もいるかも知れませんが、それを前提にしたシステムにすることは無理でしょう。また、裁判所が事件の詳細について独自調査に乗り出すというのも現実的でないし、第三者的立場から公平に判断をするという職責にもそぐわないと思います。

 そして、原告の立場から見ると、医療訴訟で弁論主義を採用しないということは、自ら苦労して主張を組み立て、証拠を集めないでも、被告や裁判所が一生懸命医療過誤を立証する証拠を探して過失を認定し、賠償金を払ってくれるかも知れない、という期待を抱かせることになります。極端なことを言うと、「何か医療過誤があるかも知れないから、そちらで過失を探し出してくれ」程度の申し立てをすれば、あとは何もしなくても賠償金が転がり込むかも知れないわけで(しかも、この申し立てがあったら、病院や裁判所が労力を使って過失の有無を調査しなければならない)、これが濫訴を招くことは明らかだと思われます。逆に言うと、弁論主義を採用することで、軽はずみな、他力本願の提訴が抑制されている面がある。

 結局、弁論主義が真実発見のための最善の方法とは言えないものの、利害が対立する当事者の間で審理を進める以上は仕方ない、ということかと思います。

> 整形Aさん   (No.89のコメントについて)

 すみません、決して先生の御意見に興味がないわけではないのですが、難しい問題で、なかなかお返事申し上げられないでおりました(おります)。なお、No.26のうち、「国や自治体を訴える例」については、たまたま病院の運営主体が国や自治体だったから被告になっているだけでして、訴訟構造としては、純然たる私人対私人の場合と特に変わりありません。患者という私人と、国や自治体の私人的側面との利害調整と見ることもできます。

 ところで、他にも返答できないでいる件があるかと思いますが、時間の都合等で、全てにお答えすることは難しい(と言うか、読むのも追いつかない・・・・)状況です。御容赦頂ければと思います。

 中身のない書き込みで申し訳ありません。

FFF さん ふてくされたような私の意見にコメント頂きありがとうございます。

>弁論主義が却って真実発見の妨げになることがあるというのは、御指摘のとおりかも知れません
私もそうは思いますが、実際、弁論主義も自由心証制もずいぶんと「マシ」なシステムであるとも思います。

ただ、話してて、次第に、ひょっとして、「マシ」な制度である今の裁判制度が法曹的にうまく運営されているが故に、医師が立ち去る結果を引き起こしているのではないかと思い出しました。何か今の裁判の運営がまずいからおかしな判決が出るのかと思ったらそうじゃないらしい。
「ここがおかしいのじゃないですか」「これが変だと思います」「ここを変えられてはどうですか」などの医師サイドの意見はほとんど裁判制度の根幹に関わるようで、つまり、変更不可能な様です。
となると、今の裁判の正しい理念(医師から見て変えた方が良いのではと思う部分も多いが)を的確に実行されているから、現状があるのではないかという疑念が出てきました。むしろ、こちらの方が怖いかもと思います。

「手術は成功しましたが患者は死にました」もブラックですが、
「正しい裁判をしましたが、医師が皆立ち去りました」も同様だと思います。

ここからは暴論です。お聞き苦しい点はご容赦下さい。
「いやなら止めろ」論者のように医師の立ち去りを問題視しないなら、解決すべき問題は何もありません。もし医師が皆立ち去るのが、医療崩壊として緊急に解決すべき問題とお考えなら、その一法として「正しい裁判をあきらめ」ては。もちろん、それででる患者の損害は無過失保険あるいは福祉予算で手当てする。
司馬遼太郎の「胡蝶の夢」だったと思うのですが、「江戸時代は、たとえ大名が患者でも、医師の見立て違い、薬のさじ加減の誤りはお構いなしであった」という文章があった気がします(正確に覚えていなくて申し訳ありません)。確かにあの時代に、「ちっとも治らない 藪じゃないか」と訴えられては(多分その訴えは正しいのですが正しいだけに)、医師はいなくなりますものね。直せるかは別として「医師が居る」と言うことに社会的意義を見いだすなら医師無責で保護する必要があったのでしょう。
「ハリボテ」でも無いよりマシ、存在することに意義を見いだすなら現代でも状況はさほど変わらないと思います。
その辺は、裁判官を無責で保護しないと、裁判制度が維持できないということが分かっていらっしゃる法曹の方ならご理解頂けるのではないでしょうか。

「鑑定書」につき、一言です。

原告、被告からの鑑定書(私的意見書)には、何が書かれていても、私は良いと思います。
問題は、裁判所が依頼した正式な鑑定書にトンデモ意見が書かれている場合でして、これは、確かに大問題です。

ですから、原告、被告、双方の為にも、そんなトンデモ鑑定書を無くさなければいけませんが、その一番の方法は、鑑定書は「全てネットで公開」のような「緊張感」を、鑑定人に与えることなのかと思います。

これまで、それぞれの裁判の鑑定書内容は、なかなか一般人には読めなかったと思いますが、それが、いつでも、何処でも、誰でも、読む事可能となれば、鑑定書をだす人たちの意識も変わって来るのではないか、そうすれば、トンデモ鑑定書は無くなって来るのではないか、と思いますが、いかがなもんでしょうか。

>FFF先生(104)
>医療訴訟で弁論主義を採用しないということは、自ら苦労して主張を組み立て、証拠を集めないでも、被告や裁判所が一生懸命医療過誤を立証する証拠を探して過失を認定し、賠償金を払ってくれるかも知れない、という期待を抱かせることになります。極端なことを言うと、「何か医療過誤があるかも知れないから、そちらで過失を探し出してくれ」程度の申し立てをすれば、あとは何もしなくても賠償金が転がり込むかも知れないわけで(しかも、この申し立てがあったら、病院や裁判所が労力を使って過失の有無を調査しなければならない)、これが濫訴を招くことは明らかだと思われます。

 おっしゃるとおりですね。
 私がご紹介いたしましたドイツ型医療ADRは、畔柳達雄「現代型不法行為事件と裁判外紛争処理機構―ドイツにおける『医療事故鑑定委員会・調停所』管見―」判例タイムズ865号」がネタ元になっているのですが、これには以下のような記述があります。

(以下引用)
「患者のほうは、例えばどこの病院で手術を受けて、多分それが原因で調子が悪くなったのだろうと言えば、それで十分です。後は、調停所のほうで調査いたします。患者にそれ程の負担をかけることは求めておりません。したがって、患者の方が申し立てる内容は、いつそれが発生したのか、医師は誰だったのかという2点をはっきりさせてくれれば、足ります。それ以外のことは、こちらで調べますので細かいことを聞くことはいたしません。」(畔柳前掲66頁)
(引用終わり)

 もちろん、多くの紛争処理制度が弁論主義を採用しているのにはそれなりのワケがあるのであって、単に「法曹が変えたくないと思っているから変えられないのだ」というわけではありません。ただ、FFF先生も言及なさっておられますとおり、職権探知主義を採用している例外的な制度もあり、ここに集っていらっしゃる医師の皆さまの多くは「医事紛争処理制度もその『例外』であるべきだ」とお考えなのでしょう。

>falcon171先生(106)
 「裁判がうまく運営されているからトンデモ判決が出ている」ということなら、我が国の訴訟では全てトンデモ判決が出されているということになりそうですね。でも実際にはそうではありません。やはり訴訟運営がうまくいっていない結果としてトンデモ判決が出ている、あるいはうまく運営されていてもある程度の確率でトンデモ判決が出現するのは避けられない、ということだと思います。

整形Aさまの問題提起(No.26、No.89)

> 保険診療に基づく医療事故の場合、医療機関が1番の当事者ではなく、保険者こそが当事者ではないか
> 医療における契約は被保険者(患者)と保険者、保険者と医療機関という契約が本筋で、医療機関は保険者の代行をしているだけ

この説では、健康保険組合が医療機関の使用者的立場に立つということでしょうか?
そう解するとしても、通常の 行為者(医師、病院)責任+使用者(健保組合)責任 という二本立ての責任追及の構図に変わりはなく、
特別法を制定して行為者医師への請求を禁じる(国家賠償法のように)のでない限り、医師や医療機関を被告とする訴えを阻止できないと思います。

しかしながら、私は基本的に、健保組合を使用者とみる説には賛成できません。
まだ自分の中で整理仕切れておらず、上手く説明できないのですが、
私は、健康保険制度は患者の相互扶助の仕組みであり、掛け金をプールし医療費を払い出すという金銭管理事務を行う組織として「保険者」を設定しただけで、その実態は患者の集合体であるとみています。
1患者が健保を利用して医療を受けた場合に、健保組合が医療機関に対して医療費を払い出すよう、健保組合に請求できます。医療機関が直接に健保組合に支払請求することを可としているのは、事務の便宜のためです。
ここでは、医療契約は、あくまで患者と医師の間で行われるという理解です。
健康保険制度の応用版として、医療事故の相互扶助たる無過失補償制度をつくり、健保組合をその掛け金管理人に指定することも可能でしょう。実質的には、被害を受けた1患者が、他の多数の患者に対して支払いを請求するという趣旨です。

一方、整形Aさまがおっしゃる、患者が健保組合に対して医療を施すことを要求する、という説では、
健保組合は実質的にも患者とは別の主体であり、国民に医療サービスを公平に配分することを任務とする機関という見方になるのでしょうか?
患者と健保組合とは別の主体と見るのでなければ、自分自身と契約するということになってしまい、違和感があるからです。まして、医療の内容に不満がある場合に、自分に損害賠償請求するというのは筋が通らないからです。

1 助かって当然と思っている患者家族、マスコミ、患者側弁護士達
2 不当逮捕不当判決を重過失と捉えず、確立的現象として矮小化
  する法曹家達
3 自治組織を持たず、もはや医療崩壊をよしとする医者達

やや紋切り型のグループ分けですが、なかなか溝は埋まらない
ものです。
最高裁判事の一部や検察の一部に、医療崩壊現象を認識する
流れが生まれてますが、もはや流れは変わらないでしょう。

国保の例ですが、
ここでは、医療機関・医師が、指定ないし登録の手続きを経て療養担当者となり、保険者との間で、療養の給付・治療方針・治療報酬等につき国民健康保険法に規定されている条項(法定約款)を内容とする第三者(被保険者)の為にする双務的・附従的契約を締結したものと理解され、従って、被保険者は、その反射的効力として保険医療機関に対して、保険診療を求める権利を有するものと解される。
とありますた。結構古い下級審判決ですし、もっといい判例があるかもしれません。

まんま読むと、医師と患者との間の契約はどこ行ったのという気もしますが。
会社が社員厚生の一環で契約したリゾートホテルを、社員が利用するような状況でしょうか?

http://home.att.ne.jp/kiwi/JHSC/hanrei-0003.htm

↑ 「リゾートクラブ」が契約した施設をクラブ会員が利用する方が近いような・・・。

an_accused さん コメント(No.108)ありがとうございました。

 もちろん、多くの紛争処理制度が弁論主義を採用しているのにはそれなりのワケがあるのであって、単に「法曹が変えたくないと思っているから変えられないのだ」というわけではありません。ただ、FFF先生も言及なさっておられますとおり、職権探知主義を採用している例外的な制度もあり、ここに集っていらっしゃる医師の皆さまの多くは「医事紛争処理制度もその『例外』であるべきだ」とお考えなのでしょう。

>あるいはうまく運営されていてもある程度の確率でトンデモ判決が出現するのは避けられない、ということだと思います。
an_accused さんのおっしゃる、こちらの方が私の言わんとしているところです。決して、 「裁判がうまく運営されているからトンデモ判決が出ている」「裁判がうまく運営されていないからトンデモ判決が出ている」というわけではなく、「裁判がうまく運営されているにもかかわらず、トンデモ判決が出ている」というところです。

たとえを出して恐縮ですが、
抗ガン剤服用して副作用死が起こったとき(トンデモ判決出たとき)、てっきり「医師が処方量間違えたんじゃないですか(要求医療水準高すぎませんか)」「不必要な抗ガン剤だったんじゃないですか(刑事責任追及はおかしいんじゃないですか)」「患者の体質に合わないこと知ってたんじゃないですか(医療裁判には現行制度合わないんじゃないですか)」など追求すると、結局、医師には過誤はない(裁判制度は適正に運営されている)ことが判明して、つまるところやむを得ない副作用だったと判明するようなものでしょうか。

副作用の場合は、無過失保証の「薬剤副作用保証制度」ありますが、裁判の方はなさそうなのが違いです。
また、抗ガン剤は一応そういう副作用ありますが服用するかどうかは「説明と同意」で決められますが、裁判は同意しなくとも受けることを余儀なくされます。

あ、またたとえですが、こちらの方が良いかもしれません。
種痘その他のワクチン接種の副作用です。強制摂取のワクチン接種は、もちろん本人のためでもありますが、感染症の伝播を防ぐという社会防衛の意味もあったと思います。そういう意味でワクチンが必要だというのは、裁判の仕組みは社会を維持する上で欠かせないのと同様です。でもワクチン接種の副作用はほとんど必発です。かっては「接種に過誤がなければ、副作用出てもあきらめなさい、社会防衛だから」でしたが、それではいかんだろうということで「無過失でも、接種副作用があれば補償する」ようになりました。そうしないと、接種しない人が続出するから。同じ意味で、「裁判に過失無くとも、トンデモ判決出たら補償する」といわないと、「**しない」人が続出するような気がするんですけれど。

すいません。上の113の私のコメントの、最初の引用符(>)までの所は、コピーしていたところが、私のうっかりミスで残ってしまいました。論旨上全く無意味です。>以後で読んでいただければと存じます。

> 「医師が処方量間違えたんじゃないですか(要求医療水準高すぎませんか)」
> 「不必要な抗ガン剤だったんじゃないですか(刑事責任追及はおかしいんじゃないですか)」
> 「患者の体質に合わないこと知ってたんじゃないですか(医療裁判には現行制度合わないんじゃないですか)」

もちろん、上記についてはそのまま不明で終わってしまうでしょう。医学とはそういう不確実なものですから。
結局、そういう言い争いが起きないようにするためにインフォームドコンセントが機能するものだと私は理解しています。しかし、当然インフォームドコンセントは人件費がかかります。それも考慮していない国の姿勢が一番の問題だと私は思います。

yama さん コメントありがとうございます。
ただ、私のあのたとえ(No113)は、あくまで、「裁判の仕組みがおかしいからトンデモ判決出るのではないらしい」「裁判が適正にされているのにトンデモ判決が出る可能性否定できない」ことのたとえとして、「その心は、適切に抗ガン剤使っていても副作用死があるごとし」と書いたんです。たとえの書き方悪くて混乱させて申し訳ありません。

こんにちは、FFFさん、YUNYUNさん。
整形Aです。

お忙しい中、煩わしい問いかけにお答えいただきありがとうございます。

No.105 FFF さんのコメント

>難しい問題で、なかなかお返事申し上げられないでおりました(おります)。

>「国や自治体を訴える例」については、たまたま病院の運営主体が国や自治体だったから被告になっているだけでして、訴訟構造としては、純然たる私人対私人の場合と特に変わりありません。患者という私人と、国や自治体の私人的側面との利害調整と見ることもできます。

僕のぶしつけな突っ込みに、回答いただきありがとうございます。
了解しましたです。

No.109 YUNYUN さんのコメント

>まだ自分の中で整理仕切れておらず、上手く説明できないのですが

実際の当事者である僕自身、保険医療制度をよく理解できているとは言いがたく、好意で発言されておられる法律家の方々にこの場で答えを強要するのは無理があり、かつ失礼であることは重々承知しております。

>通常の 行為者(医師、病院)責任+使用者(健保組合)責任 という二本立ての責任追及の構図に変わりはなく、
>特別法を制定して行為者医師への請求を禁じる(国家賠償法のように)のでない限り、医師や医療機関を被告とする訴えを阻止できないと思います。

これは理解しています。
僕が申し上げたいのは、行為者の免責を求めることではなく、保険診療下で被害が生じたのであれば、きちっとした保険契約を行なっている当事者間(この場合は被保険者と保険者)で最初に賠償責任問題が発生し、また解決を図らなければならないのではないか?ということです。

>健康保険制度は患者の相互扶助の仕組みであり、掛け金をプールし医療費を払い出すという金銭管理事務を行う組織として「保険者」を設定しただけで、その実態は患者の集合体であるとみています。

YUNYUNさんのこの見方ですが、おそらく間違っています。
じじいさんもコメントしていますが、健康保険における保険者は患者さんと一体、というより、むしろ制度上は医療機関と近い関係だと思います。

手元にある、「保険診療の理解のために」(社会保険事務局による集団指導用資料)という小冊子からいくつか引用します。

・医療保険制度の特徴:わが国の保険医療制度の特徴は、「国民皆保険制度」、「現物給付制度」、「フリーアクセス」の3点に集約される。
・保険診療の具体的な仕組み:(前略)この仕組みは健康保険法その他の保健医療各法に規定されている。そのため、保険診療が「保険者と保険医療機関との間で交わされた公法上の契約に基づく”契約診療”と称される所以である。
・保険医・保険医療機関の責務:健康保険法の規定により、「保険医療機関において診療に従事する保険医は、命令の定めるところにより健康保険の診療に当たらなければならない。」(第72条)とされている。ここでいう命令が「保険医療機関及び保険医療養担当規則(療養担当規則)と呼ばれるものであり、保険診療を行なうに当たっての、保険医療機関と保険医が遵守すべき基本的事項を厚生労働大臣が定めたものである。
・療養担当規則第1章:保険医療機関の療養担当 療養の給付の担当範囲、担当方針 等
・第2章:保険医の診療方針等 診療の一般的・具体的方針、診療録の記載 等

ほんの一部ですが、ただ金銭管理事務を行なう組織としての「保険者」が医療機関にこれだけの権限を有するとは考えられないでしょう。
何度も申しますが、保険医療機関は健康保険制度において、療養という「現物給付」を担当しているに過ぎないのです。

>健保組合は実質的にも患者とは別の主体であり、国民に医療サービスを公平に配分することを任務とする機関という見方になるのでしょうか?

健保組合の場合は税金が入っていないので、相互扶助の要素は大きいかもしれません。しかし、健康保険制度という大枠の中での存在ですので、YUNYUNさんが上記で述べられているように、「国民に医療サービスを公平に配分する」任務も担っています。
というのは、大企業などで作る健保組合は、自分たちの組合員に対する医療費のみならず、老人保健法によって本来無関係のはずの老人医療への拠出金も負担しています。これなども「公平」という考え方が前提にあるものと思われます。

中日新聞の報道です。判決理由がいままでに見たことの無いパターンと思われますが、逸失利益の認定理由としてはどのように考えられますか。(病院側はミスを認めているということですから、慰謝料込みでの1700万円と思われます。)
http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20061129/eve_____sya_____016.shtml
ーーーーーーーーーーーーー
名古屋市に1700万円賠償命令
手術ミスで名地裁判決
名古屋市立東市民病院(名古屋市千種区)で胆のうの摘出手術を受けた愛知県江南市の男性が、医療ミスで「内臓に後遺障害が残ったのに、損害賠償の支払額が十分でない」とし て、名古屋市に約4700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が29日、名古屋地裁であった。加藤幸雄裁判長は原告の訴えを一部認め、市に約1700万円の支払いを命じた。

判決理由で加藤裁判長は原告の後遺障害について、医療ミスの後遺症で胆管炎を再発する可能性は「極めて低い」と判断した。その上で「再発するかもしれないという精神的不安 感から仕事を自制し、稼働能力が事実上の制約を受けることも否定できない」と原告に将来の逸失利益が存在することを認めた。

判決によると、男性は2001年11月に胆のうの摘出手術を受けた際、医師が措置を誤ったために胆管炎を発症。内臓に後遺障害が残った。

病院側は医療ミスを認める一方、「内臓は機能面での障害は残っておらず、逸失利益は存在しない」などと主張。損害額の算定方法の一部を争っていた。

東市民病院の安藤裕院長は「患者様には大変ご迷惑をお掛けして申し訳なく思っている。判決文をよく読んだ上で適切な対応を考えていきたい」とコメントしている。

ちょっと別の話

勝手に来院を中止した患者や、医師の指示に従わなかった患者が悪化し、それに対して民事訴訟を患者側がおこし、電話で催促すべきだったとか、もっと説得すべきだったとかの理由で、医療機関が負ける裁判が散見されます。(以前話題になった某裁判官による肝癌の裁判もそうですね)患者の自由意志尊重がもとめられ医療機関もそれを心掛けている今、医療側にしてみればふざけるなと叫びたくなるような話ですが、何らかの対応は必要でしょう。

まず最初に思いつくのが同意書ですが、いちいち同意書をとることは煩雑であり、そもそも問題を内包していると推測できる患者が応じるとは思えない点で、現実的でないと思われます。

それではどうしたらよいか。私の提案は、院内の掲示板を利用し、黙示の同意(*あらかじめ掲示等で広報している内容について、特段明確な反対・留保の意思表示のない場合には、同意が得られたものとみなされるという、医療・金融・情報通信の三つの産業のみに認められている考え方)を得るということです。いろいろな文章が考えられますが、とりあえず上記の裁判を防ぐためには、以下のような文章はどうでしょうか。

○個人情報保護法や、プライバシーの保護の観点から、当院では別途契約書にて契約を交わした場合以外では、外来患者及びその家族に対する連絡はおこなっていません。また検査内容等に対する電話によるお問い合わせも一切お受けいたしません。医師等の指示に従い、服薬の管理、検査結果の確認は患者さん自身でおこなってください。それ以上の管理サービスは当院ではおこなえませんので、この件に了承されない場合は、当院との診療契約は成立しないとご理解ください。その場合は、他院への紹介も可能ですので、お申し付けください。

○当院では患者の自己決定権を尊重しています。個々の患者にとって最善となる検査や治療を提示させていただきますが、納得できない場合は、患者自身の責任の範囲で、選択を尊重します。選択の際には、各治療法における差など分からない部分に関して、希望する場合は説明を受けることができます。また、コストはかかりますが、セカンドオピニオンを受けることも可能です。
以上、当院の趣旨に賛同される方のみ受診をお願いします。

○当院では緊急の場合を除き、侵襲性の高い医療行為に関しては、患者の同意のもとにのみおこなっています。その際には十分な説明をおこないますので、その検査や治療のメリットやリスクを十分理解した上で、それらを受けることをご希望ください。なお同意は、保留することや、変心により後で覆すことも可能ですが、それによる結果は自己責任とさせていただきます。また一旦同意が成立した場合、準備等にコストがかかるため、賠償の必要が生じる可能性があることもご理解ください。

ご意見ご批判よろしくお願いします。

はじめまして。
議論には参加できませんが、いつも興味深く読んでおります。
先月24日は秋篠宮殿下の誕生日ということで、紀子妃と共に記者会見に臨まれておりました。
その中で、紀子妃が産科についてふれている部分がありました。
法律にはまったく関係なく、議論に水をさすことになるかもしれませんが、皇族という立場での発言で、国民の意識に少なからず影響を及ぼすと思いましたので抜粋、転載いたします。
議論のタネにも参考にもならないということでしたら、削除なり不可視なりしてください。
http://www.kunaicho.go.jp/akishino/akishino-kaiken-h18.html
--------------[以下引用]--------------
娘たちに話したことは,例えば今年,母子保健や地域医療などの仕事に携わっている方々から多くの話を伺いまして,そのような中で例えば発展途上国には妊産婦や乳幼児をめぐる医療環境が非常に厳しいこと,日本で産婦人科医や小児科医のなり手が少なくなっていることなどについてです。それに続いて私は娘たちに,「もし私が医療関係者から遠く離れて暮らしていたら,そして前置胎盤であることを知らないでいたら,リスクが非常に高く,今,このようにして過ごすことが難しかったかもしれない。」との思いを,そして医師,助産師,看護師,その他の多くの方々のお陰で無事に出産し,元気に子どもを育てることができることへの感謝の気持ちを伝えました。娘たちはそれぞれ私の話にじっと耳を傾けてくれ,私の気持ちを受け止めたように思います。

元行政先生

>個人情報保護法や、プライバシーの保護の観点から、当院では別途契約書にて契約を交わした場合以外では、外来患者及びその家族に対する連絡はおこなっていません。

につきましては、患者本人が一切の連絡を拒絶している場合はともかく、通常のケースでは残念ながら「個人情報保護法や、プライバシーの保護の観点から、」は連絡をしない理由にならないかもしれません。(家族は微妙です。性病の治療を家族に内緒で受けている場合もあるでしょうし、個人情報は一応個人のものですので。遺伝病や遺産相続が絡むときなどは家族の情報にもなりえますが・・・)

裁判所の判断が、連絡の必要性を当該診療の一環として求めている場合、診療の際に本人から聞いた連絡先に連絡しても、個人情報の目的外使用等の概念が成立しませんし、患者本人に連絡する限りにおいてその権利利益を侵害する可能性も考えがたいので、プライバシー保護の面でも根拠とはならないように思います。

> 僕が申し上げたいのは、行為者の免責を求めることではなく、保険診療下で被害が生じたのであれば、きちっとした保険契約を行なっている当事者間(この場合は被保険者と保険者)で最初に賠償責任問題が発生し、また解決を図らなければならないのではないか?ということです
> 保険医療機関は健康保険制度において、療養という「現物給付」を担当しているに過ぎないのです(No.117 整形Aさま)

おっしゃるように、患者が健康保険組合に対して、健康保険サービスの不備を追及するという方法は法的に可能ではあるでしょうが、
それが、「第一次的に」行われるべきであるということが導けるものかは疑問です。

保険診療契約の性質を、医療機関と健保組合との間で締結される、患者(第三者)のためにする契約であると解する(No.111 じじい様ご紹介の下級審裁判例)としても、これは基本契約というべきものであって、
患者は個々の治療を受けるにあたって医療機関を自由に選べることからみて、保険診療の基本契約に基づき個別具体的な医療契約を、例えば○○病院の内科でインフルエンザの治療を受けるという契約を、患者本人が医療機関との間であらためて締結しているのではないかと思います。
また、第三者のためにする契約説によっても、受益者は債務者たる医療機関に対し、自分に医療を給付せよと直接に請求する権利があることになるので、
給付の内容が悪ければ、やはり医療機関に対して直接文句を言えるのではないでしょうか。
そして、どちらに対する請求を優先するかについて、
医療機関に文句を言うより先に、健保組合に文句を言えという制限は、法律によってそうせよと強制するのでない限り、不可能なような気がします。

(なお、通常の医事紛争では、契約責任ではなく不法行為責任で請求することが多いので、医療契約or保険診療契約の当事者が誰かということとは関係なく、行為者たる医師を被告とすることになります。)

ところで、患者が健保組合に対して損害賠償請求したとして、健保組合がこれに応じて支払いをした場合に、医療機関に過失があるならば、健保組合は原因者たる医療機関に求償することになると思います。
ここでも、法律で求償要件を厳しくしておかないと、やはり医師が訴えられることになってしまうでしょう。

No.121 じじいさん

ご教示ありがとうございました。
個人情報保護法等に根拠をもとめるのではなく、自院の治療限度の提示と、それを了承したから診療が始まったというスタンスのみで書くべきでしょうね。

こんにちは、YUNYUNさん。
整形Aです。

あちこちのブログなどの、医師の疑問(愚問)ともぐちともつかぬ質問に、いつも丁寧にコメントされ、尊敬するとともに感謝申し上げます。
機会がありましたら、ビールでもご馳走します(笑)。

今回のYUNYUNさんの意見に1度に全部、僕の意見を述べようとするととてつもなく長くなりそうなので、部分的に抜き出して、何度かに分けてコメントいたします(できれば)。

No.122 YUNYUN さんのコメント

>ところで、患者が健保組合に対して損害賠償請求したとして、健保組合がこれに応じて支払いをした場合に、医療機関に過失があるならば、健保組合は原因者たる医療機関に求償することになると思います。

これは当然のことと思います。
僕は医療機関の過失を免責せよ、と言いたいのではありません。「契約」している医療機関が過失を犯し、それによって保険者が不利益をこうむった(損害賠償しなくてはならなくなった)のなら、当然保険医療機関、保険医に求償すべきですし、悪質であったり繰り返しミスを犯すようであれば保険医療機関や保険医の登録の抹消や停止(つまり保険医療の契約をしない)も検討すべきでしょう。
そうでなければ、医療機関や医師のモラルハザードを心配しなくてはならなくなります。

しかし、むしろ現在モラルハザードをおこしているのは保険者というか、現在の保険制度の制度設計をしている厚労省ではありませんか。
よく2chなどで言われているように、現在の医療現場は太平洋戦争の末期の旧日本軍のようです。
医療従事者は、十分な装備や食料の補給もなく精神力で勝てとビルマ戦線に送り込まれた兵士です。実戦で敗北した責任は、医療従事者がたるんでいる(もちろんたるんでいるケースもあるでしょうが)せいだけではなく、作戦を立案した指導部にもあるといえないでしょうか。

保険者の責任を追及することは、一種の無過失責任補償にもつながります。
医療機関に明らかな過失がなくても、保険制度上不可抗力ともいえる医療事故もあると思うからです。
先日エントリーで話題になった、小児のミルク誤嚥事故はその一例です。

http://www.yabelab.net/blog/medical/2006/11/01-154542.php

裁判ではこういうケースで、病院に何らかの責任を認めて損害賠償を命じます。確かに医療事故による被害者はいるわけですし、救済されるべきだとは思いますが、このケースでは個人や医療機関の過失というよりは、そういう人員配置やそれに伴う診療報酬を決めた制度設計者にこそ一番の責任があるのはないでしょうか。
こういったケースでは、むしろ無過失責任補償で保険者が補償すべきだと思います。

保険医療の制度設計者は、設計の不備による不具合をすべて現場のせいにして事たれリ、としています。まさにモラルハザードに陥っているのです。
これを放置することは著しく不公正であるばかりか、医療におけるさまざまな問題の放置にもつながり、いつかどこかで似たような医療事故を繰り返すことになります。
裁判のことを英語ではjusticeといいます。justiceには正義、公正という意味もあります。
法律の制定がない現状では、むしろ司法が積極的に保険者の果たすべき役割を追求することこそ、正義であり公正を期するというものではないでしょうか。

>ここでも、法律で求償要件を厳しくしておかないと、やはり医師が訴えられることになってしまうでしょう。

既に述べたように、行為者としての責任はとるべきです。保険者が求償する場合には、医療側の過失の程度によって割合を按分することになるでしょう。
無過失だが保険制度に由来する事故の場合には、制度の維持のため、以前にYUNYUNさんが提案されていたキャップ制もありだと思います。
過失が明らかな場合は、今までの法律家の皆さんのレクチャーからすると、キャップ制の導入は難しいのではないかと思います。

>>No.119 元行政さんのコメント

明文化されていない診療契約を、明文化するということはよいと考えます。

>>3
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明示的な契約書か約款が存在していれば、裁判所(特に最高裁判所)はそれが合理的なものであれば原則としてその契約文言・約款文言に拘束されざるを得ない。しかしながら、診療契約が黙示的なものに留まるとしたら、裁判所としてはそこに「法解釈」を行う余地を見い出し、「法解釈」を行って医師・医療機関の過失を認定してしまうのである。
http://www.m-l.or.jp/research/media040501_2.htm
----------

とあるように、診療契約を明文化してしまい、病院側の提示する診療契約では、契約できない人には、自由診療で医療を提供すればよいのではないでしょうか?

病院で保険診療をする場合は、診察券を作るときにコンピューターで契約内容を表示し、プリントアウトも希望すれば可能な状態にして、すべて「はい」の人だけ診察券が作れるようにしたらいい。
「いいえ」がひとつでもある人は、保険診療は困難なので、個別に医療費を再計算して提示したらいいかも。
生命保険とか、民間保険とか、よくやってますよね。こういう方法。

No.125 じゅんさん

その方が強力でしょうね。文章も残るわけですから。後はどんな契約書を作るかでしょうね。

ところで以前某掲示板でもこんな契約書が提示されたことがありました。
http://www.aiben.jp/page/frombars/topics/61folder/keiyaku.txt
医療機関に義務ばかり押し付ける片務的内容に非難轟々だったわけですが、その時に一歩進めて、これでなければ保険診療などしてやらないぞという契約書を作るべきと気付くべきでしたね。

12月1日22時ごろ、No,127に相当する位置で投稿しましたが、まだ反映されませんので、よろしく。

>元行政先生(83)、falcon171先生(106)
 先生方がお取り上げになっておられました「弁論主義」について、森田茂穂教授(帝京大医学部附属病院麻酔科講座主任教授)が次のようにご発言なさっておられましたので紹介させていただきます。

(以下引用)
森田教授:鑑定のときもそうなのですが、当事者主義や弁論主義、つまり口頭弁論の原則を理解していない医者が多いのです。ですから、自分の知っていることは何でもしゃべろうとしてしまう傾向にあります。それが、公正な裁判の進行を妨げているのではないかという気がします。ですから、医者の側にも裁判について勉強していただいて、民事裁判とは、まず第一に紛争解決を、真実発見よりも優先するのだということを理解していただく。偉そうなことを言わせて貰いますが、その点の教育が足らないという気がします。」(「千葉県医事関係裁判運営委員会第9回定例会」判例タイムズ1220号)
(引用終わり)

 先生方はどのようにお感じになりましたでしょうか。
 まあ、民事訴訟の主たる目的が私人間に生じた紛争の解決にあるということは紛れもない事実です。しかし、そこまで法律家と医療者との協議の場において、医療者を代表しておられる(はずの)立場の方がそこまで“物分りがよすぎる”というのもちょっと違うような気が、私にはいたしました。
 以前こちらで医師の皆さまから「医療システムの専門家であっても臨床のことはわかっているはずがない」と一刀両断されていた高瀬浩造教授(東京医科歯科大)“ですら”、

(以下引用)
「結局、鑑定をやる場合に一番かけ離れると思うのは、弁論主義はそのとおりだと私も理解しているのですが、例えば、それぞれの論点に対する答えを積み重ねて順々につないでも、きちんとした医療にはならないということですよ」(「座談会・医療訴訟と専門情報」判例タイムズ1121号29頁)
(引用終わり)

 と述べ、時々刻々と変化する患者の状態に応じて施される連続した行為である医療を争点ごとに細切れにして判断しようとする訴訟の限界について、控えめな表現ながら指摘しておられます。

 医事関係訴訟に関与する裁判官も弁護士も、多くの場合医療に関する専門知識を有しておらず、

(以下引用)
「その結果、争点を整理しても、真の争点を発見することは困難であるし、一応の争点整理ができたとしても、裁判官には、争点について判断する上で必要な専門的知識がない」(西口元「医療過誤訴訟と鑑定」太田幸夫編『新・裁判実務大系1 医療過誤訴訟』青林書院509頁)
(引用終わり)

のですし、鑑定人の医師が「何でもしゃべろうとする」のは、「ここまで説明しておかなければ素人には理解できないだろう」という配慮の表れなのでしょうから、鑑定事項に関連することである限り鑑定人の先生には「知っていることは何でもしゃべって」いただき、素人である裁判官はそこから「医師のした判断をどのように評価しうるのか」を学び取っていくしかないと思うのです。
 もし今後、鑑定人の医師に対して「弁論主義にしたがって、あくまでも争点についてのみ鑑定し、余計なことと思われることは一切述べないようにしよう」と過度に自己規制するよう指導されるようなことがあると、司法判断が医療の実際からますますかけ離れていくことになってしまうのではないかと危惧してしまいました。

No.128 an_accused さん

たいへん参考になるコメント、毎回ありがとうございます。そして先生のご意見に強く賛同します。

>森田茂穂

なんというか、彼は当事者主義や弁論主義という言葉を知っている。それすら知らない医師も多い、又はそれに則って行動しない医師も多い。知っている俺はすごいだろうくらいの感覚なのだと思います。原則を知っていて、その原則に異論を唱える、又はあえて現実のために無視する医師など想定していないのでしょう。浅い。実に浅い。
彼が鑑定医として活動しないことを祈るばかりです。(ネームバリューのある教授ですし)

はじめまして。
わたしは医師ではありませんが、医療従事者の端くれです。

こちらで医療問題を話し合っておられるとの事で、おじゃましました。
しかし、あまりにもコメントの量が膨大で、すべて見られませんので、上記、2,3のコメントについて感じた事を書かせてください。
もし、的外れ、および、過去に議論した繰り返しになるということでしたら、御指摘いただければ幸いです。

an_accusedさま
>司法判断が医療の実際からますますかけ離れていくことになってしまうのではないかと危惧してしまいました。
とのことですが、わたしも、その危惧は理解できるつもりです。
しかし、考えてみれば、医療というものは、そもそも、日常的にしかも合法的に、患者に障害を負わせているわけです。メスを握って腹を切るようなことが、日常的に、合法的に行われているわけです。
このことは、そもそも司法の側は、医療の事は医師にしか分からない領域だということを認めていることになりませんか?だって、普通犯罪となるはずの患者への傷害を、司法は医師に認めているわけですよね。
それから、今はちょっと、すぐに資料が手元にありませんが、同じ医療行為の過誤についての司法判断が、その時期によって違うということが良くありますよね。昔は違法だったけど今は合法であるというようなことが。
それだけ、医療を司法で判断するのは、もともと、無理があるように思われるのです。
医療現場での過誤行為について、司法ができることは、医療行為そのものではなく、患者に対する医療側の対応(嘘をついたとか、誠意がなかったとか)と、医療行為以外の部分での過失(暴力を振るったとか、患者を取り違えたとか)ぐらいじゃないか、それ以外の医療行為自体の過誤云々は医師自身が規定を作る必要があるのではないか、と思うのですが。つまり、医療行為自体が過誤かそうでないかは、患者と病院との直接の話し合いにゆだねるしかないのではないでしょうか。

なお、ちょっと以前のコメントで、医療事故、医療過誤について医療側の動きがないような発言があったかと思いますが、来年4月発効の医療法の改正で、医療安全が明文化されるため、安全な医療に関する医療の側の動きは最近ようやく活発になりつつありますので、今後の動きに注目していただければと思います。

何度も言うようですが、的外れなコメントだったらすみません。

藤が丘病院の件では、医療事故と刑事罰に関しても、議論が行われていますが、下記のような事故では、(報道がおおむね正しい内容を伝えているとの前提で)、1.死亡時、異状死として警察に届ける必要があるか。2.副作用に対する適切な処置を講じなかったことに対して、業務上過失致死が成り立つ可能性があると考えられますでしょうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://www.mainichi-msn.co.jp/kansai/news/20061202ddf041040019000c.html

損賠訴訟:中1死亡で母提訴へ 抗がん剤投与「副作用見落とす」−−神戸大病院

 神戸大学医学部付属病院(神戸市)で01年、悪性リンパ腫の治療を受けていた中学1年の二男(当時12歳)を亡くした兵庫県内の母親が近く、大学を相手取り約4130万円の損害賠償を求める訴訟を神戸地裁に起こす。命に別条ないとされていた二男が死亡したのは、担当医が抗がん剤の副作用の危険性を見落として投与を続けたのが原因だと主張する。
 訴えなどによると、二男は01年初めに体調不良を訴え、同年4月、同病院で悪性リンパ腫と診断された。入院した後、10月からは通院治療を続けた。週に1度、抗がん剤「ロイナーゼ」の投与を受け、発熱などの副作用を発症した。
 11月6日に副作用の悪化を訴えたが、担当医は「大丈夫だ」と言って投与を続行。その後、嘔吐(おうと)を繰り返したり、頻尿などの症状が出たものの、同月13日にも投与された。翌日、さらに症状が悪化して15日に緊急入院。膵炎(すいえん)と診断され、16日未明に容体が急変して死亡した。死因はロイナーゼの副作用の膵炎と糖尿病だった。
 ロイナーゼの添付文書は「重要な基本的注意」として、重篤な急性膵炎と糖尿病の副作用を挙げ「患者の状態を十分に観察し、症状が出た場合は投与を中止し適切な処置を」と警告している。
 二男は副作用の症状の激化のほか、13日の投与前の血液検査で血糖値が587(正常値は61〜92)に急上昇していた。母親側は「医師が二男の状態を普通に確認し、投与を中止していれば死亡することはなかった」としている。母親によると、二男が死亡した日、担当医が自宅を訪れ「僕のミスでした」と涙ながらに謝罪したという。
 同病院は「現時点でコメントは差し控えたい」としている。【前田幹夫】

毎日新聞 2006年12月2日 大阪夕刊

>>No.131 田舎の消化器外科医 さん
一瞬目を疑って、リンク先まで飛んでいってまで確認しましたが、確かに見出しが
>損賠訴訟:
で始まっていますね。
「医療ミス:」がデフォの毎日新聞に一体何が起こったのでしょうか?

で、元々のご質問の件自体は、私の手に負えるところではなさそうですので、パスさせてください。
エントリ汚し、すみません。

>No.131 田舎の消化器外科医さん
ロイナーゼ(L-アスパラギナーゼ)の使用中に最も注意すべきことは急性膵炎の発症でして・・・まれな副作用ではありますが、起こったら極めて致命的です。
自分も1例だけ診たことがありますが、そのAーCT像たるや、ものすごいものでした。
主治医はプロトコールの遂行にとらわれすぎていたのでしょうか・・通常は症状や検査値異常などが先行しますので、絶対に見逃してはならない重大なミスであったと思われます。

報道による経過からも治療関連死であることは疑いありませんが、
1.死亡時、異状死として警察に届ける必要があるか。
2.副作用に対する適切な処置を講じなかったことに対して、業務上過失致死が成り立つ可能性があるか。
については、どうなのでしょう・・自分には判断がつきません。

流れと全く関係ありませんが・・・・

今日、(過日ちょっと書きましたが)
「東京三弁護士会医療関係事件検討協議会シンポジウム
 徹底討論!『医療訴訟のあるべき姿』とは?」
に行ってきました。

盛会でした。ざっと200人以上の弁護士が参加してたと思います。

内容は、制度論・技術論が中心で、医療崩壊に関連する、ないしそれを意識した発言は皆無でした。ので、あまりこちらで報告すべき内容もないという感じです。
(いい訴状/悪い訴状とは、訴訟提起前の事前準備の重要性、争点整理のポイント、カンファレンス鑑定や専門委員制度のあり方、等々)

ご参考までに、司会者とパネリストを紹介しておきます。
司会: 宮澤潤弁護士(病院サイド) 大森夏織(患者サイド)
パネリスト:
貝阿彌誠判事(東京地裁民事14部)
藤山雅行判事(東京地裁民事34部)
安原幸彦弁護士(患者サイド)
水沼太郎弁護士(病院サイド)

パネリストのキャスティングに惹かれますな〜(^^)

このパネラーで、このタイトルで、素人向けやんないかなあ。

>>No.134 fuka_fuka さん
乙でし。

メンツの肩書きを見て、前から不思議に思っていたことをまた思い出しました。

医事関係訴訟1件につき同数以上にいるはずの「被告側弁護士」の話ってあまり表に出てきませんよね。
なんででしょう。

あっ、訂正です。

>司会: 宮澤潤弁護士(病院サイド) 大森夏織 【弁護士】 (患者サイド)

「弁護士」が抜けていました。失礼しました。ってほんとにご本人ここ見てたりしてw
訂正がてら補足しますと、「自由と正義」2006年8月号に、患者サイド代理人の留意点についての論文を寄稿されてる先生です。

他の先生方も、ググれば色々出てくる有名な方ばかりです。

じじいさま
非法曹向けにやるのであれば、シンポジウム形式でなく、安原先生か水沼先生のどちらかの講演の方がきっと面白いと思います。
理由の開陳は控えます(笑)

元田舎医さま
素人の推測ですが、患者サイドのほうが、いわゆる人権派寄りで、世論に訴える手段のノウハウに長けているからかしら、と。(価値中立的に申し上げてますので為念)
(患者サイドパネリストの安原先生は、医療関係以外にも、HIV、ハンセン病、中国残留孤児、原爆症認定などの事件に関与されてるとのこと、ご参考まで)

fuka_fuka先生

>非法曹向けにやるのであれば、シンポジウム形式でなく、安原先生か水沼先生のどちらかの講演の方がきっと面白いと思います。
理由の開陳は控えます(笑)

二人で徹底討論なんてのも面白そうで・・・。

学会等医療・病院関係者の集まりで水沼弁護士が講演されているのは結構ありそうですが、安原弁護士がされているケースはあまりなさそうですね。「敵」を識るためには、医療裁判のベテラン安原弁護士の話を聞くのも参考になりそうですが。でも会場の空気が怖い・・・。

>>No.133 血液内科さま

そもそも、どこまでの範囲を異状死として届け出るか、ということですが、先生もご存知の通り、各学会でガイドラインが示されていますが、それぞれまちまちではっきりしていません。それどころか、厚生労働大臣や警察署にいたっては、「はっきりしない」と新聞にコメントしています。だから、この件に関しても「はっきりしない」というのが正解でしょう。
異状死に関しては、現在各地で「モデル事業」とよばれる取り組みが行われていて、実際どのあたりまで異状死として届け出るべきか、という検討がなされている段階です。
なぜこんなに異常死の範囲を決められないかと言いますと、異常死の件数が多すぎるからです。調査によると、病院で死ぬ人の1%は異状死といわれていて、その計算で行くと、年間約8万人が、病院で異状死していることになります。これをすべて届け出れば、それだけで警察の機能が麻痺してしまうことが明らかです。だから、実際のところ、異状死の届出制度は機能していないのが実情なのです。

>No.139 hamasaka さま

異常死の定義って難しい問題ですよね。
このケースでは外来ベースの治療のようで(おそらく寛解期の治療)、また既知の副作用でもあったわけですので、相対的にミスの比重が高いのではないかと考えましたが、治療関連死ではあるけれど、異常死って言っていいのか分からない。
治療関連死って言葉は、臨床試験なんかでは 「治療終了後30日以内の死亡」 と定義することが多いですけど、これだと血液悪性腫瘍では(特に非寛解期では)、ほとんどの死因は治療関連死なわけです。
このケースでは、どうしたんでしょうね?。

>>No.140 血液内科さま
そうですね。異状死を届け出るかどうかは、その病院あるいは医師の個人的な判断によるところが多いのが実情のようですねえ。。
神戸大学のリスクマネジメント担当の先生を存じ上げていますが、その先生はモデル事業への協力も比較的積極的なので、もしかするとモデル事業のほうにまわしたかもしれません。
それと、業務上過失致死になるかどうかは、病院が、患者や家族とどう対応したか、にかなり左右されるそうなので、神戸大学の対応を患者家族がどう捉えるか、によって変わってくると思われます。
どちらにしても、こういう医療関連死に、警察の管轄の業務上過失致死がどうかと考えなければならないとは、医療もやりにくい時代になってきましたね。

 すみません。現役医師の方に質問があります。

 「医師の給料は、普通の人が考える程いいわけではない」という話がしばしばでます。私も、インターネット上で医師の方と色々と話をする限り、割の合わない仕事だなぁとは思っています。

 しかし、リアル世界で、最近近くに家を建てた医師の方がいらっしゃいます。内覧会なんかで見ることができたのですが、坪単価は近所の平均的な家の2倍。建坪も2倍。つまり4倍以上の家を建てています。所有する車も1千万オーバーのクラスの車が2台あるということです。これも、単純計算で4倍以上となります。

 私は、この矛盾(に見える状況)をどう理解していのかよくわかりません。そして、これからのためにも医療崩壊の話を他の方に広めたいのですが、「医療費が異様に低い」ということを説明できずに居ます。どう理解したらいいのでしょうか。

>No.142 匿名希望さま
僕は医療関係者ですが医師ではありません。しかし、ぼくもその辺は関心が高いので、現役の先生の御意見をぜひお聞きしたいものですが、僕の知る範囲では・・・医師の給料は、普通の人が考える程いいわけではない、というのは、労働時間と、訴訟リスクを考えれば、ということと思います。
つまり、給料自体は多いが、労働時間で割れば普通の会社員と変わらない、ということだと思います。それに加えて、お医者さんの場合、訴訟リスクというのがある。つまり、失敗したら訴えられる危険性が高いというわけですね。そういう危険な仕事をこれだけ長時間しているのだから、これぐらいもらって当然、ということだと思いますが、先生方、いかがでしょうか。
労働時間といっても、これは病院勤務の先生と開業されている先生とで違うと思いますが、勤務医の先生の場合、24時間労働した次の日にも一日中外来、つまり、連続36時間以上の勤務。そして次の日も朝から出勤、というのが珍しくありません。しかも当直の次の日が手術だったりしてそれが朝から晩までとか。
開業医の先生のばあい、何もなければいいけど、往診している患者に急変があれば24時間対応しなければならなかったり。

あんまり参考にならないかもしれませんけど、知っている範囲で。すいません。

> No.143 hamasaka さん
一般病院においてはおおむねあっていると思います。もう一つはお金をかけて遊ぶ時間が少ない(勿論、本人の性格や科によりますけど)というのもアリかと思います。

但し、大学病院や大病院では事情はかなり異なります。例えば、研修医の月給は(今は多少改善されたとはいえ)25000円から50000円だったりします。国立では15万から20万もらえましたが、私立では生活できないから当然バイトをします。それで大体月20万から30万になる人もいましたが平均的には十数万でしょうかね。しかしながら時給にすると200円くらいだったりします。なんとマクドナルドのバイトよりも安かったりするのです!
おまけに研修医の後は無給だったりします。勿論バイトである程度は稼ぎますが、それでもかなり生活が苦しい人だっています。人によっては大学院生としてお金を払って働かされる場合もあります。
今はまだ大丈夫ですが、将来訴訟が増えた場合、保険料は値上げするでしょう。そうなると月50万の大部分が保険料として差し引かれることだってあります。実際にアメリカでは保険が払えなくて心臓外科医と産科医はなり手がいなくなり、社会問題になっています。
さらに、退職金がほとんどありません。大抵の勤務医は異動させられます。勤続年数を稼ぐことが困難です。それ故退職金がほとんど無いのです。だから今のうちに稼がなくてはなりません。

私は、地方国立大学を3回わたり歩きましたが
2回目の時、39才で内科系医員のとき本俸は、年俸220万円でした。
(あのう、多浪して年くってたわけではないです。)
39才まで、ボーナスなし、日雇い勤務でした。
同年代の看護師、技官、事務は、私の2〜3倍もらってました。

アホらしいので、僻地の救急病院にアルバイトを週一日
24時間行かせてもらってました。
当然週一日救急のバイトの方が、本俸より高かったです。

40才で大学病院や公立病院以外だと大体、年俸1000万円
から1600万いくんじゃないですか?医者の給料は、他の職業
と異なり30年間変わってないと言われてます。

開業医もピンキリです。よその病院の当直のアルバイトを
している貧乏開業医も確実にいます(キッパリ)。

今は、医者の場合、給与体系よりも、社会的に疎まれる存在
になったことが、一番の士気の低下の原因でしょう。

 ご回答ありがとうございます(まだまだ他の方のご意見もお聞きしたいとは思います)。
 みなさんのお話を聞くと、「他の業種と一緒で、ひとそれぞれ」といった感じでしょうか?結構、病院の収入は政策で幅を狭められていると思っていたので、年収200万以下〜1600万と同じ仕事とは思えない幅があるのは意外でした。

 とすると、医療崩壊の話で収入の話をするのは得策ではなさそうですね。医師の愚痴としては、当然出てくるところだとは思いますが。

>No.145 座位先生。

本俸220万円って、すごいですね。ビックリしました。

>開業医もピンキリです。よその病院の当直のアルバイトを
している貧乏開業医も確実にいます(キッパリ)。

とのことですが、実際している先生を僕、知ってます。
先生も大変ですよね。そう思うでしょ。匿名希望さん。

あ、言い忘れましたが、開業医の先生の場合、ローンの返済も大変ですよね。その辺、先生方どうでしょう?

No.142 匿名希望さん

まず医師を同一集団として捕らえることに無理があります。

大まかに分けると、給与額では
大学院生<大学非常勤職員<研修医<国立病院常勤職員<公立(公的)病院勤務医<一般病院勤務医<開業医、というところだと思います。

まず開業医に関しては、中小企業の社長と考えていただければ宜しいと思います。羽振りのいいところは、ベンツが買えるし、そうでない所は国産の中古車になり、さらに悪いと借金が返せず、廃業して勤務医に戻る医師もいます。

研修医は、yamaさんがかかれていた様に、非常に冷遇されていたのですが、研修医過労死事件の後、国が基本給を定め、補助するようになりました。(手取り20-25万/月 くらいでしょうか、大きく間違っていたら訂正御願いします)

次に、大学院へ進学すると、我々の時代は、授業料を払って、大学で医師として働いていました。(今は夜間大学院が増えていると思います)そこで週に1-2回、私立病院でアルバイトして収入を得る生活になります。この(無給でなく)「授業料を払って大学で働く」というシステムが一般人には理解しがたいようです。

座位先生の「内科医員」は大学非常勤職員になります。

自分の給与が、1000万を越えたのは、卒後12年(36歳)で市立病院に勤務したときです。座位先生の書き込みよりも、給与額が多いのは、地方の公立病院は、給与を高くしないと、医師が確保できないので、いろんな手当てを付けているからです。(癌センターなど都会の人気のある公的病院ほど給与が少なくなっていきます。)
国家公務員は法律で給与が決まっているので、その前の大学病院助手では、大学からの給与は600万を越えていなかったと思いますが、週1-2回のバイトで、その半分くらいの額を得ていました。私立病院の勤務医なら、もっと高給になる可能性があります。

医師は、大学6年終了後、大学院(4年)に進学 and/or 学位(医学博士)を取得する方も多く、基本的に高学歴の専門職でありますので、一般の方よりも給与がある程度多いのは、当然と思っています。

36歳で、税込み年収1000-1400万円(国立なら600万)は、普通の方にとっては、「それだけ多くもらっているのだから、寝ないで働け」と思う額なのでしょうか。

>No.149 田舎の消化器外科医先生

>36歳で、税込み年収1000-1400万円(国立なら600万)は、普通の方にとっては、「それだけ多くもらっているのだから、寝ないで働け」と思う額なのでしょうか。

私は病院づとめの経験しかないので、一般企業の大卒の給料がどんなもんなのか知らないのですが、仕事の内容からすると、個人的には「安い」と思いますね。36歳といえば、すでに10年戦士で、普通の病院では中核となってバリバリ働く世代。まして退職金も期待できないとなれば・・・

一般企業の人から見ればどうなんでしょうか。匿名希望さんの意見をお聞きしたいですね。

年収に関してはこんなのありました。

46〜50歳の方へ、仕事の内容と収入(月収/年収)を教えてください!
http://www.kingdom.or.jp/nanchie/html/03/07_05.html
1千万超もちらほら。

他に市職員40歳台年収550万なんてよく見かけます。
残業ほぼなく土日休み、有給消化できるなら、病院勤務医師の1100万に相当します。

経験上、具体的な給与の比較になると、思惑が入り乱れて議論がズレることが多い様ですので、この辺りで…。

それでは公開しましょう。ただし私のところが平均的な開業医なのか、そうでないのかは皆目わかりません。

年収:妻(看護師)と共働きで2200万
勤務:8:30−18:30
ただし、月一回の医師会運営時間外診療所で23時まで担当
その他在宅支援診療所のため、患者さんがやばいときには酒も飲まずに自宅待機
また長期間の休みを取れば患者さんは確実に離散。

診療はテナントにて。医療機器はすべてリース。

肉体的には勤務医のかたよりはるかに楽ですね。自営業のリスクを考えると、これ以下の収入では転職を考えます。

 私の知っているプログラマーの場合は、大卒30台前半で月300時間を越える労働をしても、税込み年収350万程度という場合も普通にあるようでした。そういった人から見れば、「寝ないで働け」と思う年収かもしれません(全く不当な言い分だとは思いますが、感情の話でいえば)。
 私の収入に関しては、ちょっと勘弁して欲しいところですが(笑)、時給計算で言えば、医師の殺人的な労働時間を考慮しても、おそらく年収1000万の医師の方の半分ぐらいになります。
 私の周りに居る業種では、高卒でも大卒でも院卒でも税込み年収で10〜20万程度の違いしか出ていないようです。

 ただ、このような例が普通かどうかは判断つきません。転職の際に他業種も含めて確認した限りでは、こちらの地方では普通と言えるのではないかと考えています。
 やはり、私の周りの方の感情としては、高給取りであるという印象は変わらないと思います。そういったわけで、医療崩壊の話をするのに、「一般の人が考えているほどもらっていない」という話を出すのは逆効果だと思いました。

 誤解していただきたくないのは、私自身は年収1000万以上をうらやましく思う気持ちがあるのは正直なところですが、「寝ないで働け」とは全く思いません。

 確認したところ、近所で家を建てられた医師の方は、親子2代で医師で、親が開業医、子が内科勤務医だそうです。

年収を語る上で避けてはならないのに経費があると思います。
将来的に医師はこのまま訴訟社会が進とアメリカのように保険料に経費がかかることになると思われます。そしてそれは収入を圧迫します。
人によっては奨学金の返還もあると思います。
開業医では機器購入、人件費、リース代、電気代などがあります。だから単純に年収が多い=金持ちとは限らないと思います。ただ、親が開業医で自分も開業医、おまけに患者は沢山来るという状況ではものすごい収入になるでしょう。
勤務医の大部分はほとんど経費は学会の維持費や保険料くらいで現時点でものすごいかかるわけではありませんが、将来はどうなることやら、不安を抱えていることには違いありません。実際に私は今のうちに稼がなきゃという危機感がありますし、社会的責任に伴うリスクを考えると年収が高いとは思えません。

基本的に、医者の場合

研修医、医員=零細企業の正規職員+アルファ
公立勤務医= 役所の主任〜係長クラス
民間勤務医= 大企業の課長〜部長クラス
開業医   = 零細企業の社長クラス (ピン〜キリ)

大病院経営者、老健施設開設者=エリート医者

という感じではないでしょうか?

患者さんや困っている人のために医師の給料が低いのはある程度我慢できたとしても(かといって過労やシステム不備の末に訴えられるのはごめんですが)、官僚の天下り先確保や政治家の利権のために医療費を調節されていることには憤りを感じます。
世界的にも高い公共事業費に比べて低い社会保障費や極めて高い医薬品や材料費など(↓下記参照してください)、もっと国民が声を上げて是正すべき問題はあるのです。
http://www.mie.med.or.jp/hp/iryou/flash.html

>>No.154 yama さんのコメント
訴訟に関する費用を病院や医師が負担したら、どうなるでしょうか?
結局、それらの費用というのは、医療費に跳ね返ります。
しかしながら、国が負担する医療費は、一定費用以下に抑えようと考えているようです。
どうなるでしょう?
訴訟が多いような医療というのは、元が取れなかったり、訴訟関連費用を医療費にうわのせると、医療費の高騰につながるでしょう。
国民健康保険制度を守るためには、医療に関する損害賠償にたいして、何らかの新しい仕組みが必要かもしれません。
その仕組みというのは、
医療は結果は不確実だけど、多くの人がよい結果を望む。
よい結果になるか、悪い結果になるかわからないから、医療の結果に対する新たな保険の仕組みが望まれるのではないでしょうか?
それは、医療を受ける人が、強制部分と任意部分で医療の結果を保障する保険に加入。
医療の提供者は、結果に責任を負わない代わりに、保険料で技術の程度を客観的に評価する。
(質の悪い医療を提供すると、保険料が上がり患者さんに選ばれなくなる。)
第三者の継続的な評価を入れることにより、医療の質を担保できるとともに、医療の結果にたいし、保険をかけない場合は、リスクは高くなるけど、安く医療を受けることができる。
しかも、保険部分は、健康保険の範囲外とすれば、現在訴訟関連により失われている医療費を、純粋に医療の提供に向けることができるので、よいのではないかと思います。

損害賠償金を支払うことは、損害賠償金を受け取る人の被害は救済されるかもしれませんが、健康保険により運営されている現在の日本の医療の実態を考えると、
本来は、全体の医療の質の向上に向けられるはず費用が、特定の医療の結果がよくなかった人のなかで声が大きい人だけに再配分されている、訴訟の現状はどうなのかなとも思います。

> No.157 じゅんさん
私もそういうことを以前考えたことがあります。しかし、強制部分と任意部分でわけるとおそらく任意部分は商売化してしまいます。下手するとアメリカの二の舞になりますから慎重にやらなくてはなりません。また、収入の低い人は医療を受けられなくなります。これは日本医師会が最も懸念していることであり、そのため医師会は混合診療に反対しているわけです。それに結局任意部分を保険にすると良い保険は結局高くなる。質の高い保険に入らない限り、また同じように混合診療解禁の問題が浮上する・・・(と私は考えています)。
なかなか制度化とは困難がつきまとうものですね。

> 全体の医療の質の向上に向けられるはず費用が、特定の医療の結果がよくなかった人のなかで声が大きい人だけに再配分されている、訴訟の現状はどうなのかなとも思います。
ごもっともです。

>>No.158 yama さんのコメント
説明が不足していてすみません。
医療の提供は、現行の健康保険の枠組みで行い、
医療の結果がどうかというところについて、市場原理にまかせるということです。
現在の医療を、医療を提供する部分と医療の結果の部分に分けて考えてください。
医療の提供部分は現状のままで、
医療の結果に関連するものをすべて医療提供者は責任を負わないで、その代わりにその責任は、保険会社に肩代わりさせる制度です。
医療の結果を問わない人は、現状のまま医療を受ける代わりに、医療の結果が悪くても、なんの金銭的な補償はありません。
医療の結果が不安な人は、受ける医療に応じて、結果を保障する保険に加入してもらいます。
医療の結果がよければ、よい医療の結果を、医療の結果が悪ければ、その補償を保険の範囲内で金銭などで受け取れるような制度を想定しております。
ですから、高額の保険に入らなくてもいまのように医療を受けることができるのではないでしょうか?
この医療の結果にかんする保険の加入者が優遇されないように、医療機関にはこの保険への加入しているかどうかがわかりにくくなるような仕組みが望まれます。(保険に加入している人と加入してない人を差別できないようにすることにより、保険に入っていない人も保険に入っている人と同様に扱われる。)
また、この制度は、この保険の加入者からの保険金の数割を、医療安全の向上に役立てるように定めると、保険に入ることができない人もこの恩恵を受けることができるかもしれません。
また、質の悪い医療の提供者は、保険会社より悪い評価を受けて、退場せざるを得なくなるので、医療機関の監視にも役に立つと考えます。

No.159 じゅんさん 
生命保険の医療特約の一つとして、例えば、偶発症特約というものが
あるとします。この特約は、いわゆる医療事故の程度に応じて支払
われ、医者側の過失、無過失を問わないとします。
こうした、偶発症特約は、保険商品の差別化が出来る有利な商品と
して普及するでしょうか?その辺を保険商品に詳しい方に教えて
いただきたいですね。
この際の問題は、例えば、婦人科手術の一部や口腔内腫瘍の手術
のように、手術合併症の頻度が低くない治療を受けた場合です。
術後の症状を、特約の偶発症として、保険会社が認めるか否かなの
ですが、どう処理されるのでしょうね?偶発症特約時の偶発症の
定義が重要になってきます。

また、災害割り増し特約のような性格になるのでしょうから、医師の
過失無過失と無関係な保険商品であったとしても、医療訴訟の問題
とは、独立したものとなり、医者側からすると患者に推奨する商品
とはならないでしょうね。

もう既に、そのような保険商品は諸外国には、あるのでしょうか?

以前、アイオワ大学の木村健先生のお話を聞きましたが、アイオワ州では近くの家庭医(診療所)にまず行かないと、健康保険自体が適用にならない仕組みになっているそうです。(もちろん、あちらの健康保険なので、民間の健康保険が、ということになります。)つまり、診療所を飛ばして高度医療を行う病院に行くと全額自費になるのです。

これは、日本でも真似したほうがいいんじゃないでしょうか。医療費の高騰は、本来、町の診療所で済む病気を中核病院が治療するという、医療制度自体のゆがみというか、欠陥に基づいていると思うのですが。医師会はアメリカ憎しの感が強いようですがね。

それから、座位先生の保険の話ですが、アメリカの保険会社は、医師一人ひとりの危険度を査定しているようです。そしてその査定は、保険会社間で共有されるとのこと。もし、先生がおっしゃるような特約を作るとすれば、こうした査定方法が日本にも導入されるかもしれません。なんといっても、日本はアメリカに右へ倣えですし、現に保険会社なんて、いまや外資系でない方が珍しいぐらいですから・・・

個人的には全部が全部アメリカに倣えとは思いませんが、参考になるところはあると思っています。

>>No.160 座位さんのコメント
偶発症なのか、過失なのかということは、判断が難しいです。
だから、偶発症も医療の提供者の過失もまとめて、医療の結果を補償する保険にやってもらえばいいと考えています。
こんな制度は、どこの国にもないと思います。
健康保険で提供される医療というのは、提供価格を医療の提供者が自由に決めることができないという制約があります。
今後も、国や企業が負担することができる健康保険料は、増加しない見通しです。
ですから、費用に制約があるので、
健康保険で提供される医療に過失があろうとなかろうと、損害賠償請求をできなくしてしまえばいいと思います。
そして、診療報酬の1%くらいを強制的に拠出させて、医療の結果が悪かった人に100万円くらいの見舞金を支払う。
それで不十分だと考える人には、各自で保険に入ってもらえばいい。
損害賠償請求できないことが不利だと考える人には、健康保険による医療の提供を受けなければいいと思います。
そういうひとは、自由診療でやってくれる病院でも外国の病院でも自由に選択していただいたらよいのではないでしょうか?

>じゅんさん

 う〜ん、まだ熟考していませんが、おっしゃるような制度だと、ますます防衛医療に走りそうな気がします・・・。要するに、偶発症を含め、何らかの合併症が多い医師を受診すると料金が加速度的に高くなるシステムですよね?

>>No.163 僻地外科医 さんのコメント
>偶発症を含め、何らかの合併症が多い医師を受診すると
>料金が加速度的に高くなるシステムですよね?
そうですね。健康保険なので医療の提供費用は変わりませんが、
医療の結果を補償してもらおうとすると、合併症が多い医師の下で処置をされると
その保険料は高くなりますね。
現在のお客さんを集めることができる病院が症例を選り好みし、よい治療成績をだすなんてことが起きるかもしれませんね。
でも、それを含めてリスクに応じた保険料ということで、そういうことを補正することができる方法も生み出されるかもしれませんよ。

ところで、数十年前から、医療事故や偶発症はたくさんあるのに、そのときは、医療を受ける人は医療の結果を保証して欲しいなんて考えてなかった。
最近になって、医療の結果が悪ければそれを金銭的に補償して欲しいという、新しい欲求が生まれています。
医療の提供に加えて、医療の結果を補償するところまで、現行の国民皆保険の制度の枠内で考えて行くのがいいのか、
それとも、新しくうまれたニーズ(医療の結果が悪ければ金銭的に補償して欲しいということ)にたいしては、何らかの新しい枠組みで対応するのがよいのかを考える時期に来ているのではないかと思います。

その解決方法のひとつとして、その医療の結果を保証する部分については、健康保険の枠外に移して、民間企業に開放してみて、どうなるか試したらいいのではないかというものを提案させていただいているだけです。

端的にまとまっています。

医療法人オーク会 - 分娩取り扱い終了のご案内
http://www.oakclinic-group.com/info.html

他にも「分娩 中止 お知らせ」でググると良いようです。

流れに沿っていませんが、一番過酷な生活を送っているのは、
食えない漫画家とかアニメーターのように思います

----------
とりわけ過酷な実態が明らかになったのは原画を基に動きを描く動画担当者です。年収百万円未満が73・7%も占めています。動画一枚の単価は百―二百八十円、平均百六十六・九円、労働時間は一日平均十―十五時間です。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-11-03/2005110315_01_2.html
----------

>No.165 元田舎医 さま
「(オーク会の分娩取り扱い終了のご案内より抜粋)信頼を置いていただいているわけではない方に、何か起これば、刑事、行政罰の科せられる違法状態に置かれたまま、医学的リスクが更に高まっている産科の診療を続けることは、私どもにはできません。」

ネット上では良く見かける意見ですが、公式に理由を発表している病院を初めてみました。追い詰められていると感じる産科医院が増加しているのでしょうね。

ところで以前こちらで紹介された奈良病院の産科医が労働環境改善を求め、ついに県を提訴したそうです。
「県立奈良病院の産科医2人、県を提訴 激務改善求め」
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200612090043.html

この訴訟に対してどのような判決がなされるのか、非常に興味深いです。

朝日新聞 平成18年12月9日
「県立奈良病院の産科医2人、県を提訴 激務改善求め」
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200612090043.html

法的議論をお願いいたします。

>法的議論をお願いいたします。

厚生労働省労働基準局長名で、既に都道府県労働局長宛に
平成 14年3月19日に基発第 0319007 号として
日本病院会長、全日本病院協会長、日本医療法人協会長
全国自治体病院協議会長殿宛にも
別添基発第 0319007 号の 2として
【医療機関における休日及び夜間勤務の適正化について】
という指導と要請を行っています。

その上で、今回のように改善されていない実態が判り、訴訟が起きた
わけです。しかも、このような違法実態は、私の知ってる限りでは
例外なく、全国で継続しています。
(ごく一部の救急施設ではクリアしているといわれていますが?)

そこで、早急に全国的に提訴するのが望ましいのですが、逆に
医療費抑制政策を促進させる側(現政権や経団連)からは、
このような訴訟に負けないように、労働時間規制撤廃制度として
ホワイトカラーエグザンプション(WE)の導入を行うことで、解決しようと
判断しているようです。民主党や共産党あたりの反対で、導入が
まごつく場合は、次の手として、
医療現場に限定した労働時間規制緩和の策動を始めるでしょう。
具体的に、どうでるかは予想が付きません。

予想の出来る方が、いらっしゃれば、御教示お願いします。

オーク会の件ですが

>クレームを受けるいわれがない場合でさえ、「納得いかないから説明せよ」と
>激しい非難を受けることがあります。

「納得いかないから説明せよ」と言うのが、なぜ「激しい非難」になるのかが
字面だけではよく分からないですね。説明は説明ですし、非難は非難ですし、
きちんと切り分けた方が誤解を生まないと思うのですが。

「クレームを受けるいわれがない場合でさえ、激しい非難を受けることがあります」
と言うのでしたら、主張としては納得出来ます。

産科の場合、自由診療なのですから「説明の分だけお金を取る」事も
可能だと思うのですが。

No.170 しま さま

>「納得いかないから説明せよ」と言うのが、なぜ「激しい非難」になるのかが
>字面だけではよく分からないですね。

というご指摘で初めて、しまさまのような読み方もあるのだと気付きました。

医師の方々からよく紹介されていたトンデモ患者、DQN患者の症例(?)が念頭にあったからか、
“発言の趣旨は、平易な表現に直せば 「納得いかないから説明せよ」 ということではあるが、発言の表現、語気、状況からは明らかに 「激しい非難」 としか言いようのないもの”
という意味合いとして読んでしまったので。

No.166
>一番過酷な生活を送っているのは、
>食えない漫画家とかアニメーターのように思います

いわゆる「三文字アニメ」問題の存在は知っていたものの、具体的な賃金の額までは知りませんでした。確かに悲劇的ですね。。。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%96%87%E5%AD%97%E4%BD%9C%E7%94%BB

>労働時間規制撤廃制度としてホワイトカラーエグザンプション(WE)の導入を行うことで、
>解決しようと判断しているようです。

労働基準法第1条
労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。

労働基準法第1条をごぞんじですか?
24時間オンコール体制を実質的にとらせたり、実質的な労働時間が1日12時間くらいが続いているような状況は、労働時間規制が撤廃されたとしても、
労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすとは、思えませんけどね。

ところで、法律を守る意識が高い企業が、労働時間規制の撤廃を望むのは、労働時間規制があるからできないことを、できるようにしたいからです。
現在、徐々に能力のある人は日本において人材不足になりつつあります。
労働条件が悪いところには、人材が寄り付かなくなるかもしれませんね。

ところで、医療はどうでしょうか?
もともと、労働基準法なんて守られていないのだから、規制がどうなろうともともと守ってないのだから関係ありません。
ただ、ひとついえるのは、先進国の中で医療従事者(医師と一部看護師)の労働条件は、日本がかなり悪いほうです。
規制がどうなろうとも、労働条件をよくしなければ、人材を確保できない。
結局、そうなるのではないでしょうか?

ところで、未払い賃金の裁判は、非常に多く起こされており、労働時間さえ証明できれば、比較的訴えは通りやすいと考えます。
産科の医師ということですので、出産に立ち会っている医師の名前と時間はわかるでしょう。外来を行っている時間もわかるでしょうし、手術時間も非常に証明しやすいものでしょう。入院患者や急患への処置なども、カルテや看護記録への記載があるでしょうから、労働の証明は比較的容易におこなえるのでは?
労働していた時間さえ計算できれば、それを積み上げて残業代として割増賃金を払っていただくことになるでしょう。
当直や宿直とは、認められないでしょうね。
裁判を起こせば、残業代は2倍になるからお得だね。

今回の、奈良の訴訟は、医療現場で実態として労働基準法を守っていないことへのリスクを病院運営者によくしっていただくよい機会になると思います。

ついでにいえば、裁判の前に病院運営者とも話し合いの機会を設けているにもかかわらず、病院側は、お金を払わないよ、労働基準法?なにそれ?といった態度で臨んでいるわけです。
病院運営者の態度は、かなり悪質だと思います。
32条の違反で、罰金とかとられないのかな?

それから、公的な病院に対する同様の訴訟は、今後増えるかもしれませんね。
産科医2人で約1億円の請求でしょ。
担当弁護士にとっては、結構おいしい仕事になる可能性もありますよね。
着手金が3%でも300万だし、報奨金が6%なら、合計900万でしょ。
産科医師なら、手術の時間も出産の時間もどの医師が立ち会ったかも、記録は残っているだろうからね。

No166:しまさん

確かに時給100円台はひどいですね。
でもそれでも働こうという人がいっぱいいるのは、アニメに夢があるのか、大好きで離れられないのか。いずれにせよある意味で羨ましいです。
もし、これでこんな給料じゃやってられねーよ!!とかいう人が増えればアニメ崩壊が起こるわけですね。

これは繰り返しになりますが、僕は僕たち医者の待遇が悪いことに文句を言っているわけじゃないです。勿論それは個人的には大事ですがほんとに待遇がいやなら辞めればいいだけのこと。
それはアニメーターが嫌ならやめるのとおんなじ。

問題は、そうやって辞める人が多いためにアニメ崩壊がおきているのかどうかは知らないけど、医療崩壊はまさに進んでいるということ。
そしてアニメ崩壊が起きたときと医療崩壊が起きたときでは(多分)一般に与える影響が随分違うだろうということ。まぁ、これはその現場で働いているから過剰に見えているだけかもしれません。アニメ屋さんは逆の意見かもしれませんが。
でもとにかく、そういう意味で何とかしたほうがいいよと警告を発しているですね。

「納得いかないから説明せよ」は、実際には「納得いかないから(自分に都合のいい)
説明せよ」な訳です。事情がわかってないと読み取れないかもしれません。
最初から自分の意図するもの以外は理解する気がないのに、説明を延々と求める。
非難というよりは難癖の類ですね。

「納得いかないから(自分に都合のいい)説明せよ」

はつまり、

「納得いかないから、(事実を曲げてでも自分の気分が晴れる) 説明をせよ」
という意味ですよね。

法律の専門家の方にお伺いしたいのですが、奈良県立病院の産科医の訴えが認められない可能性と言うのはどのくらいあるのでしょうか?
医師の当直というのは事実上の夜勤だと思っているのですが、労働基準監督署は当直を労働時間と認めないことがあるそうです。労働基準監督署と裁判所とは異なる事は分かっているのですが、当直を労働時間として認めない意見はどのような判断に基づいているのかを知りたいと考えています。

過労死した小児科医の遺族の言葉
http://www5f.biglobe.ne.jp/~nakahara/yuigonjo.html
(一番下の段に労働基準監督署に認められなかった話があります)
尚、この方は裁判を起こされており来年の3月に判決が出るそうです。

私もkoukiさんと同じような問題意識を持っています。ネットでうだうだと言っているのとは違い、今回の提訴が、「疲弊する勤務医」問題を公式の舞台に引きずり出した社会的インパクトは非常に大きいと思います。法的には産婦人科医の勝訴は間違いないのか、争点はないのか、請求額は妥当か、専門的立場からの議論をお願いしたいと思います。

>立木さん
アニメ業界は悲惨な状況にあると言いたかったわけで、直接医師と比較する意図はありませんでした。医師と比較出来る立場にあるのが官僚でしょうね。

医療崩壊と同時進行かつ同じような図式で、官僚崩壊が起こっているようですが、これは医療崩壊以上に問題が深刻かも知れません。

----------
一応当事者である霞が関住人として(少なくともこれまで上記エントリに寄せられたtrackbackを拝見した限り、同業者はいなかったようですので)、この運動が仮に成功した場合の影響を予測するなら、天下り斡旋全廃のみがとおって平均的な待遇が下がり、その分だけ人材の質が下がるだろう、ということになります。それでもよろしければ、どうぞ。
http://bewaad.com/20061210.html
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医療崩壊に関しては非医療者が具体的な処方箋を考える必要が出てきているようですが、官僚崩壊に関しても非官僚が具体的な処方箋を考える必要があるのではないでしょうか。

>ひろきさん
>事情がわかってないと読み取れないかもしれません

件の文章が、事情がわかっている方々だけを対象にしたものであれば何も言わないのですが、不特定に公開している以上、事情を知らない方々も対象に含んでいると考えるべきだと思います。


また、「納得する気があって質問している」方々と、「納得する気がないのに質問している」方々は明確に分けた方がよろしいかと思いますが、いかがでしょうか。

No.168 yanyan さま
県立奈良病院の未払賃金請求事件の件

中央労基署長事件(大島町診療所事件)東京地判平15.2.21労働判例847号45頁
https://www.jinji-support.com/enter/laychro15rouki.html
(↑このサイトで簡潔にまとめられています)
で示された基準からいけば、その産科医2名の主張するとおりの勤務実態なら、

とうてい「断続的労働」といえない。
 ↓
監視・断続的労働の許可(労基法41条3号)は要件を欠き、違法。
 ↓
違法なら、その許可は無効。 (※論理的帰結としてはそうなるはずですが、中央労基署長事件判決では争点でないため言及されていない点に留意)
 ↓
原則に戻り、拘束時間はすべて労働時間としてカウントされることになる。 (※仮眠時間でも、呼ばれれば対応する義務があるなら、指揮監督下にあるとして労働時間性が肯定される。大星ビル管理事件・最高裁平14.2.28判決)
 ↓
労働時間分の賃金のほか、時間外・休日・深夜に該当する分の割増賃金(労基法37条)の支払請求権が過去2年分(消滅時効、労基法115条)発生。 (※付加金(要は倍額支払命令、労基法114条)は裁量的で、相当悪質な例に限って認められます)

ということになるとは思うのですが。
勤務実態の立証如何(原告がその立証に成功すれば、被告の反撃手段は考えにくい)かと思います。

> No.180 fuka_fuka さん
fuka_fuka さん、 予想解説ありがとうございました。
この提訴は、特に全国の勤務医が、固唾をのんで注目していると思います。他の法曹関係者も、追加論点等あればご教示下さい。

orz orz 

>fuka_fuka様

>勤務実態の立証如何(原告がその立証に成功すれば、被告の反撃手段は考えにくい)かと思います。

 立証は簡単だと思いますけど。何せカルテがありますので。時間外受診の場合は(診察費請求の問題があるので)必ずカルテに受診時間を記載します。分娩や手術も記録に当然時間が記載されます。カルテのコピーだけで充分証拠になるでしょう。

No.182 僻地外科医 さま

まず先に、私が「立証如何」と書いたのは、立証の容易/困難については意図的に判断留保する趣旨を込めたつもりです。

カルテに必ず受診時刻や主な医療行為をした時刻が記載されている(そのようなルーティンだというのは勉強になりました)ということであっても、
立証上の主なポイント(のひとつ)は、勤務が「断続的」かどうか、つまり待機時間と実際に働いていた時間との「比率」です。
(通達では、手待時間 ≧ 実作業時間 となることが許可要件の目安とされています)
断続的労働の許可が違法・無効と判断されるかどうかは、その「比率」をどの程度まで立証できるかに大きく依存するだろうと思われます。

カルテ(一般企業であればPCのログ、通話記録、入退館記録、作業日誌など)は、実作業時間を推計するための有力(ないし不可欠)な証拠ではあるものの、その中身を見てみないことには、その「比率」がどの程度かは分からないし、
該当するカルテをすべて証拠として出すことの容易/困難性も、部外者にとっては不明です(一般的に、勤務医による提訴に対して、病院側が関連するカルテを片っ端から隠滅・改竄するなどという可能性はおよそあり得ないだろうとは思っていますが)。

本件原告の産科医の方達は、提訴前に県側と任意で交渉していたということですので、その段階ですでに相当の証拠を集めて提示しているのだろうとは推測していますが、あくまで推測です。

つまり、「その都度時刻が記入されたカルテがある」というファクターだけでは、原告を勝訴に導くために必要な「証明」のレベルに足りているということはできず、
カルテ以外も含めた全証拠の質・量、被告側の反証活動、そして裁判官の評価に依存することになるでしょう、
ということです。

*****
大展開した後でなんですが、県立奈良病院も、「断続的労働(宿日直)の許可」を得た上で、宿直手当だけ払っていたという前提で考えているのですが、その理解で合っているのでしょうか?
また、一般に、この許可なしに宿日直をやらせている病院はほとんどないという理解でよいのでしょうか?
実態をご存じの方いらっしゃいましたらおながいしまつ

医師の方々には激しくガイシュツなのかもしれませんが、未見の方のため紹介。

http://www.ajha.or.jp/topnews/backnumber/2002/02_05_01_3.html
>■「夜間救急等の勤務は許可"宿日直"と認めがたい」
>厚労省が通知。四病協として早急の対応を協議
>厚生労働省労働基準局は3月19日付(引用者注:平成14年)局長通知を各都道府県に発出、「断続的労働」として労基監督署の許可を受けている医療機関の宿日直勤務中に「救急医療等の通常の労働が頻繁に行われている」として、その適正化を図るよう指導した。

5年近く前に、すでにこういう事態だったわけなのですね。


>西澤副会長の談話
> 通知は医療現場の認識とは大きくかけはなれている。しかも、事前に何らの相談もなく唐突に出てきただけに病院団体としても認めがたい。四病協として対応を協議するが、早く労働基準局と話し合いを持ちたい。

要するに、この溝(病院−労基局間、病院−勤務医間)は現時点でもあんまり埋まっていないということでしょうか。

>>No.184 fuka_fuka さん
>要するに、この溝(病院−労基局間、病院−勤務医間)は現時点でもあんまり埋まっていないということでしょうか。

×:あんまり
○:まったく、ぜんぜん、1mmも

> No.183 fuka_fuka さん
uka_fuka さま、ありがとうございます。引き続き御教授願います。

>立証上の主なポイント(のひとつ)は、勤務が「断続的」かどうか、
>つまり待機時間と実際に働いていた時間との「比率」です。
>(通達では、手待時間 ≧ 実作業時間 となることが許可要件の
>目安とされています)

ここのところが、判りません。
最高裁の判例(平成14年02月28日 第一小法廷判決)
ビル管理会社の従業員が従事する泊り勤務の間に設定されている仮眠時間が労働基準法上の労働時間に当たるとされた事例
ttp://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/warimasisaikousai.htm
でも、
>労基法32条の労働時間(以下「労基法上の労働時間」という。)
>とは,労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい
>,実作業に従事していない仮眠時間(以下「不活動仮眠時間」
>という。)が労基法上の労働時間に該当するか否かは,労働者
>が不活動仮眠時間において使用者の指揮命令下に置かれてい
>たものと評価することができるか否かにより客観的に定まるもの
>というべきである(最高裁平成7年(オ)第2029号同12年
>3月9日第一小法廷判決・民集54巻3号801頁参照)。
>そして,不活動仮眠時間において,労働者が実作業に従事して
>いないというだけでは,使用者の指揮命令下から離脱している
>ということはできず,当該時間に労働者が労働から離れることを
>保障されていて初めて,労働者が使用者の指揮命令下に置かれ
>ていないものと評価することができる。したがって,
>不活動仮眠時間であっても労働からの解放が保障されていない
>場合には労基法上の労働時間に当たるというべきである。
>そして,当該時間において労働契約上の役務の提供が義務付け
>られていると評価される場合には,労働からの解放が保障されて
>いるとはいえず,労働者は使用者の指揮命令下に置かれている
>というのが相当である。

とされており、当直中の仮眠時間は、手待ち時間であって、すなわち
労働時間である、とするのが定説ですよね。ここまでは、僕でも
理解できます。

fuka_fuka さんご指摘の、
>断続的労働の許可が違法・無効と判断されるかどうかは、
>その「比率」をどの程度まで立証できるかに大きく依存するだろう
>と思われます。

この部分は、県立奈良病院の未払賃金請求事件の件との関連では
どのように関わるのでしょうか?
許可基準は、この際問題にならず、我々勤務医が問題にしているの
は、産科医の当直、宅直での未払賃金問題であり、この点にメスが
入ることによって、医療労働環境が見直されると考えております。

今回の提訴に象徴される医療労働へのダンピングという現状が
、医療労働者へのバッシングとともに、医療崩壊を招いた元凶
であると思っています。

 とりあえず私の元職場は36協定を結んでいないにもかかわらず、平均100時間/月を超える時間外労働はさせるは、勝手に時間外手当を削ってるは(労基署の指摘で判明。いまだ不足分払われず)、待機料は払わず待機させるは、市外へ出るには院長許可を必要とするはetc。労基署の指導もらった後もこんな感じが続きましたんで刑事告訴しましたけど、結局どうやら不起訴処分のようでして。
 どのへんまで証拠用意すれば立件してもらえるもんでしょうね、というのが当時の感想ではあります。

>お弟子さん

ちょっと調べてみたのですが、労働基準法に基づく刑事告訴というのは難しそうですね。

----------
提出後、労働局とのやり取りの中で気づいたことをまとめると、^稻,併超箸髻屬気擦拭廚箸いθ蛤瓩蓮1日1罪であり、長期間にわたる違法残業を「させた」という告訴・告発は、一度に多くの犯罪を告訴することになること、⊇召辰董違法残業を「させた」という告訴・告発は、1日ごとに誰が、どのような業務内容の指示をしたのかを証明する必要があること、そうした作業は、未だ「司法警察職員」としては経験不足の労働基準監督官には荷が重いこと、ぐ稻〇超箸髻屬気擦拭廚箸いθ蛤瓩蓮∨寨茲牢覿箸侶沙責任を問うべきところ中間にいる直接指揮者が罰せられることになる可能性が高いこと、
http://www004.upp.so-net.ne.jp/rouki/katsudou/simokawaronbun200310.htm
----------

No.177 しまさん

同感です。官僚の崩壊は大きな問題だと思います。
官僚というものに威信がなくなってしまい、特にいわゆるキャリアというところに優秀な層が来なくなったり抜けたりする。
(もっと金儲けできるだろう分野に抜けていく)

しかも優秀な人たちというのは得てして優秀な人でないと回せないようなシステムを作りがちですから、あとに残る人たちには無理が大きすぎる。
一方で残った人たちは無気力感が蔓延して、とにかく楽にその場をしのげばいいやという方向に流れる。
そんな感じになっている気がします。医者がいなくなるのと相似な構造であるような。

No.186 座位さま
>>断続的労働の許可が違法・無効と判断されるかどうかは、
>>その「比率」をどの程度まで立証できるかに大きく依存するだろう
>>と思われます。

>この部分は、県立奈良病院の未払賃金請求事件の件との関連では
>どのように関わるのでしょうか?

大星ビル管理事件は、断続的労働の許可がない事案でした(24時間勤務のうち休憩2時間・仮眠8時間。断続的労働の許可は最長8時間までです)。
そのため、労働時間(実労働時間+手待時間のすべて)について、直ちに賃金算定の基礎にできたのです。

使用者である病院が、いったん断続的労働の許可を取って(しまって)いる場合、
そこでの当直や宅直は、通常勤務とは異なる、「基本は寝てておk、たまに急患とか来たら対応してちょ」勤務として扱われることになります。適用除外というやつです。
その当直・宅直の時間帯は、「たまに対応」を前提とした手当(本件の県立奈良病院では当直2万円)が支払われているわけで、適用除外が有効なままでは、「ちゃんと2万円もらってるやん」で終わってしまいます。
(※宅直は0円という点は、ただちに問題にできる可能性がありますが、それでも断続的労働の許可が有効の前提では、1回あたり2万円を超える額を取ることは難しいのでは。当直より拘束度・出動頻度が低いはずだということで。)

そのため、通常勤務と同じベースで計算させるためには、まず断続的労働の許可を無効だと認めさせる必要があるということです。

そして、許可基準がなぜ問題になるかといいますと、労働実態が許可基準を多少超過するくらいだと、許可を申請した病院側にも不正の意図はないとか、許可した役所側にも当時はそもそも許可基準違反の実態を知らなかったからとか裁量の逸脱はないとかの理屈で、許可は違法・無効とまではいえないね、とされてしまう可能性がある(と私は考える)からです。
「断続的」なんて真っ赤なウソ、当直・宅直の時間帯も実態はろくろく寝てる暇もないくらいの多忙だったんですぜ、とまではいかなくとも、大島町診療所事件と同程度の実態の立証は必要だと思います。

※ No.183の「比率」(半々以上)が問題というのは、医師の当直の話では不正確でしたので訂正します。
 通常勤務もしながら時々宿直・日直をする(まさに医師・看護師の方達ですね)労働者の場合の許可要件は、労働基準法施行規則23条で様式が指定され、通達で「半々」よりずっとヒマなのが常態(時々巡視したり電話をとったりする程度。その他、手当は平均日額の1/3が下限、宿直は週1回・日直は月1回以下の頻度、睡眠設備など)でなければ許可しちゃならん、ということになっています。

以上要するに、当直・宅直は、「断続的労働の許可」という殻の中で、一律0.3気圧以下だと扱われているわけです。
殻の中も実は平均0.7気圧もあるんですよ、などと言うだけではダメで、まず殻を割らないといけないということです。
殻を割ってはじめて、1気圧と同じ扱いをしてもらえるようになります。

>fuka_fuka さん
労働基準監督署が、会社側や病院側からの宿日直の許可申請を断ることがあるのでしょうか。この点が、どうもフリーパスになっているような気がしてならないのですが。

今夜はしまさまとチャット状態(^^;

私も労基署の実務の塩梅はまったく分からない(書類でしか見たことがない)ですし、許可申請段階でつっぱねた例がどの程度あるのかも未知の世界です。
(形式審査レベルで要件を満たしていなければ、当然、普通に突っ返すでしょうけど)

ただ、大島町診療所事件判決で判明した事実関係(No.180のリンクご参照)から見ても、労働基準監督官はがんばって仕事して是正勧告出したりしているのに、許可申請の受理段階ではザル、という様子は窺えますね。
(多くの監督官の方は、上のほうの政治的思惑とかとは無関係に、まじめに正義感をもって仕事をされてるのではないか、という印象をもっています。)

また、労基署自身のスタンスとしても、No.184で紹介しましたニュースのように、病院の労働管理体制に対して厳しい目を向けるように変わってきているのではないか、と。

いずれにしても、今回の県立奈良病院事件は、いろいろな意味でキーストーンになりそうですね。

No.190 fuka_fuka さん
ご教授ありがとうございました。戦いの方向が、見えてきた感じがします。

確かに、単に未払賃金請求訴訟というよりも、それに加えて、
断続的労働許可の正当性(基準局)と許可基準の逸脱(病院側)を
問う戦いの方が、本質的で有効ですね。

随分、頭の中が整理できました。サンキューです。

http://www.joshrc.org/~open/doc/a05.htmにある、基監発第1128001号が役に立つかもしれません。
宿日直の回数という項目で、
許可の対象となる宿直または、日直の勤務回数については、宿直勤務については週1回、日直勤務については月1回が原則のようですね。
ところで、宿直の許可は通常の勤務の拘束から完全に開放されていなければならないので、出産するかもしれないものに対して、待機しているいうのは、通常の勤務から開放されてないことになるのでは?
出産時間をうまくコントロールして、通常の勤務時間にしか出産がないのが通常であるような産科ならいいかもしれないけど、
どの時間に出産があるかわからないような、妊婦が入院しているような病院では、三交代勤務にするしかないのではないかと思うけど。
ほとんど労働のする必要のない勤務に認められて、定時的巡視、緊急の文章または電話の収受、非常事態に備えての待機に限り許可でしょ。
救急患者が搬入される救急病院の救急担当や、出産するかもしれない妊婦が入院していて出産に備え待機しているには、認められないでしょ。
出産への対応は、非常事態への対応ではなくて、通常の勤務内容に対する通常の対応なのだから。

>じゅんさん

確かに8時間交代にするのが望ましいですが、そんなことをすると、ひとつの医療機関で最低7−8人居ないと出来ないでしょう。現状では産科医をそんなに集約化をしたらお産空白地帯が激増するはずです。ほとんどのところは1−2人の産科医に依存していたのが現実です。

神戸の基幹病院群も着々と崩壊しつつあるようですね。

神戸市立西市民病院:救急対応時間を縮小 来月4日以降、当面0〜9時停止 /兵庫
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/hyogo/news/20061213ddlk28100004000c.html
> ◇市医師会が批判「本来は行政の分野」
> 神戸市立西市民病院(神戸市長田区)は、24時間対応の救急医療体制(内科系・外科系)を見直す。来年1月4日から当面の間、午前0時から午前9時までの間の救急受付を停止する。同病院では、今年度末までに医師6人が退職する意向を表明。同市は「24時間対応に戻せるよう(欠員分の)医師の確保を急ぎたい」としている。これに対し、神戸市医師会からは「不採算で民間が運営しにくい救急医療こそ、行政が踏ん張らなくてはいけない分野だ」との批判の声が上がっている。【坂口雄亮】
(後略)

【参考】
神戸市立西市民病院-救急診療のご案内
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/18/menu07/nishishimin/kyukyu.html

神戸市立西市民病院-救急部・集中治療部紹介
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/18/menu07/nishishimin/kyukyu2.html
にも興味深い数字が上がっています。
===========
平成12年以降の年度別の救急受診患者数と救急入院患者数を下の表に示します。
平成16年度は年間18,568名(一日平均50.9名)の救急受診があり、そのうち救急車による搬入患者数は2,712名でした。地域別には長田区、兵庫区、須磨区の患者様が83.2%を占めておりますが、4.9%の患者様が神戸市外から救急受診されています。年齢別には70歳以上の患者様が17.7%を占めております。また,平成16年度の救急入院患者数は2,608名(一日平均7.1名)でした。
< 年度別救急受診患者数ならびに救急入院患者数 >
            平成13年度 平成14年度 平成15年度 平成16年度 平成17年度
救急受診患者数  11712     13964     17153     16806     18568
救急入院患者数   1298      2066      2388      2736      2608
===========
受診患者数だけで4年間で1.6倍、入院患者数に至っては2.0倍(平成16年度は2.1倍)になっています。
これが受療行動の変化によるものなのか、2次救急医療体制の崩壊によるものなのかは微妙ですが、入院患者数が増加していることからすると後者の関与が強く疑われます。

>No.161 hamasaka さん

金がなくて質を維持したかったらアクセス制限しかない
アクセス制限をどのような形でどの程度行うかという問題もあります
標準的なHMO:アメリカの民間の医療保険では家庭医だけでなく
高次医療受診病院も指定されます(アイオワに限らないと思います)
地域の患者を独占することで病院に対して値引き交渉するわけです
で、アメリカの場合、夜間緊急受診希望者にとんでもない遠方への
受診を支持して(あきらめさせるため)たどり着いたら手遅れだったなんて
事例も頻発している事実にもご留意いただきたい。
日本ではタテマエのアクセス制限はないけど
長い待ち時間という形での制限は(他国よりははるかに少ないとはいえ)ある。
これが今後 待ち時間が長いどころか近くに病院が無いなんて形の
医療崩壊になる可能性がある、というか救急ではもうなりつつあるわけです。

>>No.195 暇人28号さんのコメント

>確かに8時間交代にするのが望ましいですが、そんなことをすると、
>ひとつの医療機関で最低7−8人居ないと出来ないでしょう。
日本国にいる以上、日本の国の法律を守らなければいけません。
病院も企業も、法律には従わざるをえないはずです。
交代勤務で行うのが妥当な仕事を、無理やり交代勤務でなく行えば、
どこかに無理がくるでしょう。
法律は、無理がこないように、社会全体を守っているのです。
法律を無視しないと成り立たないような事業は、いずれ崩壊するのみです。

>現状では産科医をそんなに集約化をしたらお産空白地帯が激増するはずです。
>ほとんどのところは1−2人の産科医に依存していたのが現実です。
お産空白地帯が激増したら、なにか問題でしょうか?
産科医の集約化により、現在よりも危険性の少ない出産ができるようになれば、
多くの人は、喜ぶかもしれませんよ。
1-2人に依存し、今までの状況を正しく把握できていなかったことが、
早期に対策をとることの妨げになっていたのでしょう。
現状の把握が間違っていたから、間違った対策を立てて実行して、
より間違えが大きくなっていただけなのでは?

No.199 じゅん さん

>お産空白地帯が激増したら、なにか問題でしょうか?

産科の緊急事態は、時間が勝負となるものが多いですよ。
たとえば全妊娠の0.44?1.33%程度に発生する常位胎盤早期剥離。
まったくいつ起こるのか予測ができません。
母体死亡率は4?10%、児死亡率は30?50%。
これは典型的な時間が勝負の疾患です。
発症後、1時間以内に対応の出来る医療機関にたどり着けるかどうかが予後に大きく影響します。
集約化で産科の医療事故はたしかに起こりにくくなります。
しかし常位胎盤早期剥離のような疾患で、医療を受ける前に死亡する胎児・妊婦は確実に増えます。
医療事故は少なくなるかもしれませんが、場合によっては周産期死亡率はかえって上がる可能性が大きいのが産科集約化です。
広く薄く配置して医療アクセスを優先する事は、日本の周産期死亡率を低くする事に大きなメリットがありました。

産科の配置を広く薄くするか、集約化するのか。
これは本来は究極の選択でした。
しかし、産科医の減少がこの選択の余地をなくしてしまったのが現状です。
産科医療の崩壊を考える上で、産科空白区を如何に少なくするかは重要なポイントですよ。

>じゅんさん

「法律は、無理がこないように、社会全体を守っているのです。
法律を無視しないと成り立たないような事業は、いずれ崩壊するのみです。」

法曹が医療よく知らない現状で医療を律しようとする限り、医療は崩壊するのみの状況でございます。とりあえず藤山雅行さんを何とかしてください。あれが司法権独立とか言って全部許容されるんだったら、医師免許証を持った医者の医療行為は全部免責という考えもありなんじゃないでしょうかね?

No.199 じゅん さん
>1-2人に依存し、今までの状況を正しく把握できていなかったことが、
>早期に対策をとることの妨げになっていたのでしょう。
との指摘は、医療従事者が必死で支えてきた医療体制が結果として国民に安心感を与え、医療従事者と国民との間にギャップを作ってしまったとの意味だと受け取りました。

労働基準法を守ろうとすれば医療制度は成り立たなくなります。医療制度が成り立たなくなった結果は、患者さんに対する強いアクセス制限と言う形になります。それは助かる患者さんが助けられない結果になると言う事で、医療従事者にとってはなかなか納得し辛い事だと思います。
とは言え、現状の医療制度をこれ以上支える余力は医療従事者にはなく、なし崩し的に集約化(またの名を医療崩壊)が起こっています。個人的にはこの流れを止める事は不可能であり、集約化は避けられないと思います。それならば各個撃破される前に意識的に集約化を進めた方が賢いやり方ではあると考えます。ただ、それが賢いやり方であると思っていても医療従事者にとっては感情的に納得し辛いのではないでしょうか。簡単に言えば、自らを労働者として割り切って考えてはいないのでしょう。といっても、労働者と割り切った方が良いかと言うと、イギリス型の医療崩壊のことを考えれば一概にそうとはいえないと思います。
まとまらない文で申し訳ないのですが、現状では集約化を推し進める以外に産科医療が生き残る道はないと考えています。その一方で、集約化の途中で国民の意識が変わってくれることも願っています。

検察の基本姿勢は医療施設における医療事故を罰する事であり
社会も医療施設における安全を求めている
医療空白地帯その他アクセス障害による予後の悪化は
医療事故でも過失でもないので検察は罰しない
医師は法に基づいて医師であるわけだから
法に違反するわけにはいかない
アクセスの低下よりも集約による質の向上を優先せざるをえないし
それが検察やマスコミが医療に要求していることなのです

No.199 じゅんさん

>法律は、無理がこないように、社会全体を守っているのです。

法を過大評価しすぎです(言霊信仰だと思います)。作っている人間も、そこまでできるとは考えて作っていません。ちょっと世の中のバランスをとる程度のものでしょう。

>法律を無視しないと成り立たないような事業は、いずれ崩壊するのみです。

医療は無視(しかもかなり激しく)することによってのみ成り立っています。しかもそれが何十年も続いてきました。司法やマスコミ、世間一般の勘違いや、厚生省による医局破壊がなければ、今後も続いていたでしょう。崩壊するのみというのは決め付けで根拠がない。

>産科医の集約化により、現在よりも危険性の少ない出産ができるようになれば、多くの人は、喜ぶかもしれませんよ

既に他の方も指摘されていますが、集約化によるメリットよりもアクセスが悪くなることのデメリットの方が、桁違いに大きい。
集約前後を考えれば、一人のベテランでは無理だが、大勢いれば助けられるという症例はごく一部(事故の減少分も含む)なので、一般人は助けられる症例が増えたことを実感できないでしょう。逆にアクセスが不便になったことによって、一人のベテランが助けられる症例が死んでいくの(死ななくても、以前は防げていた重症化)を、一般人が日常的に体験するようになります。
医師にとっては、一人で責任を背負わなくてよくなる。今よりは過重労働から開放されるなど、メリットも少なくないでしょうが、ちょっと医師としての良心が疼くんですよね。

じゅんさん:

このようなコメントを拝見すると脱力感を禁じえません。

私の妻も2人を出産しましたので良く分かりますが、妊娠中の母体に振動を与えることがどれだけ危険性が高いか御存知なのでしょうか。あるいは当事者にとってどれだけ不安や苦痛なのか御存知なのでしょうか。実際、出産間際に陣痛が始まらなくて、強制的に私と二人で病院の周りを数十分散歩しただけで本格的な陣痛が開始しました。

私どもの地域は北海道の某過疎地域の中心都市です。私自身は市内に居ますので産科まで10分程度で済んでいましたからまあいいですが、周辺の人たちがこの病院に通院するには1−2時間自分で運転しなければなりません。いくら北海道の道路がいいといってもその運転が妊婦にとってどれだけつらいか・どれだけ不安か・どれだけ危険か知れません。冬場になればスリップ事故を起こす危険性も高いです。ホワイトアウトになって衝突事故になる可能性もあります。お腹が張っていると集中力も低下します。シートベルトを締めるのでさえ大変になります。

今後の情勢の如何によっては当地区の産科医療も崩壊です。私どもの都市のとなりの都市まで2時間かかります。(一番遠いところからだと4時間かかります)。
そんなところを妊婦が自分で運転して往復するのはあまりにも危険です。

まあ、これは突出した状況ですが日本各地でこれに準じた状況になるわけです。近い将来、大都市圏でもそういった状況が生まれかねません。移動によるトラブルが無いことを祈るばかりです。
(と言っても起こるだろうけど)。

>>No.204 元行政さんのコメント
>集約化によるメリットよりもアクセスが悪くなることのデメリットの方が、桁違いに大きい。
>集約前後を考えれば、一人のベテランでは無理だが、大勢いれば助けられるという症例>はごく一部(事故の減少分も含む)なので、一般人は助けられる症例が増えたことを実感>できないでしょう。逆にアクセスが不便になったことによって、一人のベテランが助けられ>る症例が死んでいくの(死ななくても、以前は防げていた重症化)を、一般人が日常的に>体験するようになります。
ですが、「No.203 いのげさんのコメント」 にもあるように
>検察の基本姿勢は医療施設における医療事故を罰する事であり
>社会も医療施設における安全を求めている
というのが、現状です。
少数の人の善意に頼っていた現在の最高水準より劣る医療は、
十分に人と物が存在した状況であれば、そのような事態にならなかったと判断されたら、医療の提供者の過失と認められる状況になったのです。

近くに病院がある人ばかりではないですから、社会全体のことを考えれば、
現状の危険を承知で、分散された医療提供体制が望ましいのかもしれませんが、
少人数で医療の提供を行えば、十分に危険性の少ない水準を確保することができずに、
事故につながれば、逮捕され、起訴され、犯罪者になるので、だれもそこまで
善意でがんばろうなんて思わないと思いますけど。

しかも、これらは、裁判所が法律を解釈して、
あるていど裁判例を積み重ねてくださった結果です。
法律に縛られる医療従事者も、企業も、法律の束縛からは逃げることができません。
自ら進んで、犯罪者になるわけにはいかないので、
十分に危険性を少なくできていると判断されるような医療しか提供されなくなるでしょう。

それが、現代の社会の要請であると、確信しております。

>>No.205 暇人28号さんのコメント
何時間病院に通院するのにかかろうとも、日本の平均的な危険性の低い水準の医療が
提供されることを、多くの方が望んでいるのだと思います。
不十分な体制で生じた医療の結果がよくなかったケースに、
多くの人は、医療の提供サイドが悪いと強く主張し、
反対の意見はすくないと感じています。
皆様のお望みどおり、不十分な体制の医療が提供されなくなっただけです。
世の中には、病院を必要としない人もいるかもしれません。
病院が必要なら、自分で病院を作るか、病院のちかくに引っ越したらいいのでは?

ただ、どうしても、現状の医療の提供体制を守りたいというのであれば、
司法の専門家である裁判官が良心にしたがい、法律と法律のあいだの微妙な部分を自由に運用しているように、
医療技術は、日々進歩し、よいものが悪いものになったり、今までの常識がくつがえることもあります。
医療の専門家である医師が良心に従い、日々変わる医療技術を不確実な要素の多い人間にもちいて、医療を提供するときには、なにがあっても罪を問わず、賠償も求めなければ今の制度は守られると思いますよ。

医療には、不確実なものが多すぎて、そこを全部医師に丸投げされているのが現状です。
不確実なところが少なくなれば、スーパーでもかえる薬を一般の人が買って、添付文章にそって使えるようになるけど。
そうでないものばかりを、扱っているのですよ。

医療は酔ってないとできません。
何に酔うかと言うと「体を張って他人を助けている『自分』」に。
とくに手術など侵襲の大きな治療を行っている科の医師ほど、それは顕著。
逆に田舎の病院で夜昼問わず専門外まで診ながら、ぎりぎり地域の医療を支えている医師にもとてもよく認められます。

その酔いが急速に醒めてきました。
曰く「しらふではとてもやってられない。」


成功率が10%の治療法があったとして、患者さんに対する説明は、
2000年頃の医師:「10%の可能性にかけましょう!」
2006年の医師:「10%しか成功しませんので、私もやってやれなくはないですがお勧めしません」

おそらく成功率が90%だったとしても、今なら「90%しか成功しませんので、私もやってやれなくはないですがお勧めしません」と説明する医師はいると思います。
「いいかも知れないことは何だってやってあげよう」という「ポジティブ思考」は、ただの「蛮勇」へと評価が変わりました。


完全に病前/受傷前に復する傷病はありません。
たとえただのカゼであっても、ミクロのレベルまで調べればどこかに影響が残っているハズです。
例えばいくつか嗅細胞が死滅してしまっていたり。(嗅細胞は再生しないと言われています)
なので、ある社会が医療を「減点法」で採点するようになったら、その社会の医療は崩壊します。

警告します。
今、大地震の前の地鳴りがしています。
年明けから初期微動(P波)が始まり、3月いっぱいまで続きます。
主要動(S波、表面波)は新年度の始まる4月以降に訪れます。
僻地も都市もその中間も、日本中がもれなく巻き込まれます。

これがネタであり、私が笑い者にされることを祈ります。

じゅんさん

「自ら進んで、犯罪者になるわけにはいかないので、
十分に危険性を少なくできていると判断されるような医療しか提供されなくなるでしょう。
それが、現代の社会の要請であると、確信しております。」

笑わせてもらいました。そりゃ確信が軽すぎでしょう。一般国民はそんなに甘くないですよ。医療が崩壊したらその原因を探し始めますよ。医者の次に叩きやすいのは法曹でしょうね。「医療現場を無視した不当逮捕、不当判決が引き金となって医療が崩壊した」といえばわかりやすいし、マスコミも叩きがいがあるんじゃないでしょうかね。

医者としては、法曹の暴走に責任を帰する発言をしつこく繰り返すことがまず重要で、さらに個人的には(無理だとわかっていても)裁判員制度に倣った医療員制度の導入を主張しようかなー、と思っています。

勤務医だけでなく、開業医も大変な状況です。
大学病院を含めて、公立機関勤務医の医療労働環境の劣悪さ、
ハイリスクローリターンに関しては、再々述べてきましたが、
同業者であり、我々勤務医の先輩格である、開業医や病院経営者
も惨憺たる状況です。

診療報酬の改定につぐ改定など、開業医は厚労省に、振り回され
続けています。お上の意図的な朝令暮改の医療政策によって、
病院も診療所も、やっとサバイバルできたかと思うと、次の荒波に
さらわれます。
電子カルテ、理学療法、一人医療法人、療養病床、看護師配置基準
診療報酬改定を餌に、上記の数々の誘導政策を場当たり的に
行っては、また大改定を行っている。

この断続的な、ちぐはぐ改定は、厚労省官吏(医師出身者含む)の
単なる短期的な業績作りではなく、もはや意図的な医療崩壊政策
といわざるを得ません。

改定によって、診療所、病院を振り回し、延命できた施設を、更に
改定によって、振り回す。診療所や病院の度重なる経営努力を
無に帰す意図的政策になっています。

医療費抑制政策が続く限り、医者も患者も不幸が続くでしょう。

No.206 じゅん さん

>何時間病院に通院するのにかかろうとも、日本の平均的な危険性の低い水準の医療が
提供されることを、多くの方が望んでいるのだと思います。

いいえ、近くに平均的な水準が医療が出来る事を望んでいます。
だからいまだに、いなくなった産科医を地元の病院に「一人でもいいから連れてくるように」求める署名や意見が全国各地で同じようにでてきているのです。

>十分に危険性を少なくできていると判断されるような医療しか提供されなくなるでしょう。
No.207 元田舎医 さんの「成功率が10%の治療法があったとして」は、その治療法をやらなければ死亡率が100%ですので誤解のないように。

>不十分な体制で生じた医療の結果がよくなかったケース

充分な体制で結果が良くなくて問題にされてるほうが多い気が個人的にはします。
というか小児科をやっていて、不十分なな体制で死んでしまった方がかえってトラブルにならず、中途半端に助かってしまったほうが訴訟になってますから。
その代表的なのが未熟児網膜症の訴訟。
産科についても頑張って子どもを助けようとする人の方が、下手で赤ちゃんを助けられないところより訴えられているのを身近でみていますから。

医療崩壊の原因のひとつとして、臨床研修医制度の開始とともに医局制度が崩壊し、地域への医師の派遣が困難になったと言われていますが、これと同時に医師の雇用体系そのものが崩壊してきているように思えます。
医師の給料に関してはこの20年間上げられていないと言われていますが、確かに小生が研修医の時代から、常勤医なら年収1,500万円前後(30歳〜50歳)、外来などの非常勤なら10,000円/時間程度でほとんど変わりがありません。この給与体系で考えると、非常勤で週3日、一日約7時間、合計で約週20時間も働けば、年収が1,000万円程度になるのに比べ、常勤医で週50時間〜80時間(当直も含め)働いても1,500万円程度で、時給にすれば非常勤医の半分程度にしかなりません。しかしながら、その仕事内容は、病棟業務や救急当直、侵襲的検査(外科系なら手術)など常勤医の抱えるリスクやストレスは非常勤医に比べてはるかに大きなものです。非常勤医の給料を基準にして、労働時間や訴訟リスクなどを考慮すれば常勤医の給料は2,000〜2,500万円くらいになるのでしょうか?この数字が正しいかどうかは分かりませんが、常勤医師1人の損失をカバーするには非常勤医師2人では及ばないのが実情だと思います。
医局制度が崩壊し、臨床研修後の職歴が曖昧になり、常勤、非常勤が問われないこと(アカデミックポストを望む場合には職歴は重要ですが)などから、敢えて忙しい地域の基幹病院の常勤医とならなくとも非常勤でも十分な仕事と給与が得られるのです。最近では医師の求人求職情報などもかなり発達しています。もし医師としてのモチベーションを下げて非常勤医として働いたとしても食うには全く困りません。事実、子育て中心の女医さんや大学で基礎研究に没頭する医師は非常勤医の待遇で働き続けています。
医師に対する労働基準法が適正化されるか、あるいはWE(ホワイトカラーエグゼンプション)制度が導入されるかは別問題として、常勤医の給料が適切なものになるまでは、常勤医師の不足が継続し続けるのではないかと思います。なぜなら、仕事量を半分以下に減らした非常勤医でも十分にやっていけるからです。

>じゅんさん

>何時間病院に通院するのにかかろうとも、日本の平均的な危険性の低い水準の医療が
提供されることを、多くの方が望んでいるのだと思います。

そうおっしゃる根拠はなんですか?
オダさんもおっしゃっていますが、そういった状況なら、尾鷲みたいに一人の産科医に5000万円も出して招聘することもないし、青森県金木病院などのように二人しか居なくなった病院に救急医療などさせないし、集約化に反対しないはずです。

こういった現象はどうやって説明しますか?

住民は集約化以上に近くにとりあえず診てくれる病院が欲しいのではないでしょうか。
しかし、そういった病院を残せばどんどん集約化は遠のきますけれど。
それから、
>世の中には、病院を必要としない人もいるかもしれません。
>病院が必要なら、自分で病院を作るか、病院のちかくに引っ越したらいいのでは?

これは暴論です。人は病院によってのみに生きるにあらず。
特に高齢者は自分の慣れ親しんだ地域コミュニティーから離れるのが嫌なんです。その土地であれば近くに知人が居るから話し相手になり寂しくありませんが、都会に転居してしまえば周りには知人が誰も居ない。息子夫婦は相手してくれない。話が合わない。居づらい。寂しい。また友達が沢山居るところに戻りたい、ってなるみたいですよ。


それから、病気になったらみんな病院に行きます。私の周りでも病院には行かないという方は見たことがありません。

No.206 じゅんさん

ちょっと話が噛み合っていないですね。

無知な連中(裁判官を含む)がその方がいいと考えていることには異論はありません。それを承知で、その通り実行すると、こんなことになるよという話をしているんですよ。(望んだとおりになっても、予測していた成果が出なければ誰も喜ばないでしょう)

>>No.210 オダさんのコメント
>>No.212 暇人28号さんのコメント
日本に住んでいる皆様が選んでくださった政治家と
政治家が従わせることができる厚生労働省の方は、
医師の数は充足している発言されてます。
また、現在の医療をより効率化して医療費をより抑制することを
日本に住む多くの国民は望んでいるようです。
効率化のためには、医師が常に働いている状態が望ましく、
医師が待機している時間がないほうが効率的ですよね。
某自動車会社が採用しているように、機械が動きづつけていて、
そこにオンタイムで部品が搬入される。
産科医が働き続けていて、そこに都合よく妊婦が搬入されれば一番効率的で
医療費がより安くなるかもしれないじゃないですか?
それを望んでいるから、医療費の抑制に賛成していて、増やして欲しいなんて
いわないのでしょ?日本にすんでいるかたは?
また、より僻地に医療を分散化するためには、設備投資も必要だし、
それだけ多くの医療従事者を確保しないといけないでしょうから、
現在の医療費の水準では無理だと思いますよ。

また、ついでにいえば、現在の日本の健康保険の診療報酬では、
医療の提供のための費用だけでぎりぎりというところです。
何らかのミスがあるにせよ、ないにせよ、医療の結果がよくないことを
金銭的に補償するリスクプレミアムは現在の診療報酬には付加されていません。

医療の結果がよくない場合に、金銭で補償される権利があるのか、
ないのかわからないけど、その権利を主張したいと多くの人が望むのなら、
日本の国民皆保険による医療制度は崩壊します。
リスクに見合ったリターンがないから、リスクが高い医療分野からどんどん
医療サービスが提供されていかなくなっているのです。

現在の診療報酬では、医療の提供しかできません。
医療の結果が悪いことを金銭的に補償するための費用は、含まれていません。
ですから、リスクが高い分野の医療が消滅していきます。
医療がなければ、医療の結果は存在しませんからね。

しかし、日本に住む人は、医療の結果が悪ければ、それを金銭で補償してもらうのが
相当だと考え、司法も同様に判断しているようです。
もし、現在の医療制度を存続させたいなら、国会議員に日本に住む多くの人が頼んで
医療の結果が悪くても、金銭的に補償しなくてよいように法律を作ってもらってください。
そうすれば、僻地での産科も救急も復活するかもしれませんよ。
現在の医療費で・・・

じゅんさん の指摘は、アンチテーゼとして、実に良くわかります。
最初、僕らと同じ医療従事者が、自嘲的に話しているんだと
思って聞いていましたが、当てが外れて、びっくりしました。

>>No.210 オダさんのコメント
>いいえ、近くに平均的な水準が医療が出来る事を望んでいます。
 「平均的な水準」について、医療提供者側と医療受給者側の間に大きなギャップがあるのだと思います。医療受給者側の求める「平均的な水準」が上昇してきたため、それに対応して医療供給状況が変化してきたところも一部にあると思われます。医療受給者側の求める「平均的な水準」が上昇している原因としては、医療技術の進歩や医療情報の発達(相対的に高度なサービスを「平均的」として求める傾向になる)などが複雑に絡んでいると思われますが、個人的には社会の自然な傾向と考えています(「平均的な水準」は今後もますます上昇していく)。

 その8を更新しました。

 以後のコメントは、「医療崩壊について考え、語るエントリ(その9)」へお願いします。

P R

ブログタイムズ

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