エントリ

呼吸器外しの指針を明文化 秋田赤十字病院(asahi.com 2006年11月26日23時50分)

 脳死と判定された患者の終末期医療について、秋田市の秋田赤十字病院(宮下正弘院長)は「本人の意思が確認できる場合に限って人工呼吸器を取り外すことができる」と定めた指針を策定していたことが26日、わかった。こうした指針を病院独自で明文化したことは珍しいという。国も終末期医療を巡る法律や指針の明文化について検討している。

 素朴な疑問なんですが、患者本人があらかじめ延命治療不要という文書を書いている場合はともかく、それ以外の場合で、「本人の意思が確認できる場合」というのはどのような場合が想定されるのでしょうか?

 家族が、患者本人が延命治療を望んでいないことを示す「申し出書」と、延命治療の中止を求める「申請書」を病院長に出す。病院長が承認後、臓器移植に必要とされる「法的脳死判定」と同じ基準で脳死を判定する。脳死と判定できない場合は、呼吸器の停止は選択できないとした。

 この「家族が」というところがピンとこないんですが???

急性疾患で脳死、呼吸器外しに指針…秋田赤十字病院(2006年11月26日23時0分 読売新聞)

 秋田市の秋田赤十字病院(宮下正弘院長)が、急性疾患で脳死と判定された患者に限定して、人工呼吸器の取り外しを可能とする独自の指針を策定していたことが、26日分かった。

 こちらは同じ病院の読売の記事ですが、急性疾患に限定しちゃうと余計に本人の意思確認が難しいと思うのですが???

 どうもどちらの記事も要領を得ないような気がします。

 どなたかもう少し分かりやすい説明をしていただけますか。

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コメント(22)

>素朴な疑問なんですが、患者本人があらかじめ延命治療不要という文書を書いている場合はともかく、それ以外の場合で、「本人の意思が確認できる場合」というのはどのような場合が想定されるのでしょうか?

読売の記事にあるように、対象として考えているのは、ドナーカードを持っているケースではないかと思います。

>この「家族が」というところがピンとこないんですが???

後でマスコミなどから医師が勝手に殺したように言われたり、家族が反対していると後々もめるから家族の申請に基づく形にしているのではないでしょうか。

う〜ん、どうも、この案は素直に歓迎できません。秋田赤十字病院のお気持ち、言わんとしていることは非常によくわかるのですが、前提に難があると思います。

「本人の意思を尊重して」などと言いますが、本人の希望や意思というものはその時々の状況によって、容易に変わります。「手術なんか全体イヤだ」

う〜ん、どうも、この案は素直に歓迎できません。秋田赤十字病院のお気持ち、言わんとしていることは非常によくわかるのですが、前提に難があると思います。

「本人の意思を尊重して」などと言いますが、本人の希望や意思というものはその時々の状況によって、容易に変わります。「手術なんか全体イヤだ」と元気な時に言っていた人でも、激烈な症状を経験すると「早く手術してくれ〜」などと言うものです。

また、「家族の意思を尊重して」などとも記載されていますが、家族だからといって患者本人の気持ちを代弁するものではありません。もしかしたら、「早く死んでくれたほうが、遺産が入る」「お金かかるのは困るので、治療はほどほどで良いから早く逝ってほしい」

複数の親族が同時にそのような状態になった場合、死亡する順番によって遺産の配分が変わってきますから、「○○さんより□□さんのほうを、早く人工呼吸器をはずしてほしい。逆は困る」などと言い出しそうですね。

また、こういう人為的な人工呼吸器はずしに対する警察の対応が気になります。羽幌町の件は不起訴になってしまい、結局司法としての判断は保留のままです。「射水市民病院事件」でも警察が捜査中ですが、どの方向に進むのか不透明です。

結局のところ、従来通りの「生命維持に必要な最低限の水分と栄養補給を継続し、心停止を待つ」というのが、一番無難かと思います。

私もドナーカードのことだと思います。私はドナーカードを持っており、脳死状態になったら臓器提供しようと思っています。ドナーカードには、家族の誰かの同意のサインを書いてもらわないといけませんが、父にサインをお願いしたら、複雑か顔をしていました。^−^;

「家族について」ですが、じじいさんの意見と同じ理由だと思います。

じじいさん
>対象として考えているのは、ドナーカードを持っている
>ケースではないかと思います。

それだけではないと思いますよ。ドナーカードを持っていて脳死と判定され,家族の同意がある場合は,「脳死した者の身体」になって,それで人工呼吸器ははずされます。ここで主たる対象となっているのはドナーの意思表示がないけれども人工呼吸器の装着を拒否しているような事例についてであり,その場合臓器移植を前提としない脳死判定を行った後に人工呼吸器をはずそうということであろうと思います。もう一つ考えられるのはじじいさんがおっしゃる場合になりますが,ドナーカードを持っているけれども,家族が臓器移植に同意しない時に,臓器摘出を伴わない脳死判定を行い,脳死と判断されたら人工呼吸器をはずしていいかということを家族に問うという状況だろうと思います。このような状況で人工呼吸器はずしに同意する家族がどの位いるか私にはわからないのですが,「延命治療も臓器摘出も勘弁してくれ」という家族もいるとは思います。

個人的にはこのようなガイドラインを病院が独自に決めても,終末期医療についての社会的規制としてどうかな,と思っています。

私は、刑法上の問題が一番気になるのですが。

即ち、脳死とは臓器移植法で定められているのみであり、その第6条第1項は以下である。

「医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。」

即ち、私の理解は
(1) 脳死という言葉を使用している法律は臓器移植法のみである。
(2) 死体(脳死した者の身体を含む。)から移植術に使用されるための臓器を摘出することができるということであり、この読み方は「臓器移植を目的とする場合には、脳死を死とすることができる。」になる。

延命のみを目的とした治療は、よくないと思っています。しかし、刑法上で問題ないかは、キチンと議論すべきだろうと思ったものですから。

例えば、患者本人が緩和治療を主体にして無駄な延命治療は望まないとしていた場合に、人工呼吸器を使用するのだろうか。人工呼吸器を望み、同時に延命治療不要を希望というのは、少し矛盾するように思えたのです。全くないとも限らないが、問題がありそうな気もするので。

現在の法的脳死判定は、売れない経営コンサルタントさんがおっしゃるように、あくまで心停止前の臓器提供を前提としたものです。

意思表示カード(俗にいう「ドナーカード」)は、この法的な手続きに基づいていますから、それを、移植医療とは無関係な場面に当てはめるのは、かなり無理があるのではないでしょうか。

良識ある医療人であれば、こういうグレーゾーンには近づかないほうが良いと思います。

「本人の意思が確認できる場合」というのは裁判流に言えば「相当と思われる蓋然性をもって意思が確認できる場合」、つまり家族の証言があればいいということであろうと思われます。

>売れない経営コンサルタントさん
例えば、患者本人が緩和治療を主体にして無駄な延命治療は望まないとしていた場合に、人工呼吸器を使用するのだろうか。

こういったケースは慢性疾患の終末期でおこるものですね。普通、それなりのQOLが保たれない限り、あるいは本人が希望しない限り呼吸器をつけないのが一般的であろうと思われます。

で、この呼吸器をはじめからつけないという行為は法的にはどうなんでしょうか。つまり、呼吸器をつければわずかばかりでも延命できるものを、あえてつけないとなると不作為の作為とも言われかねませんでしょうか。

>素朴な疑問なんですが、患者本人があらかじめ延命治療不要という文書を書いている場合はともかく、それ以外の場合で、「本人の意思が確認できる場合」というのはどのような場合が想定されるのでしょうか?

以前安楽死について調べた時、本人の文書による意思表示は必ずしも必要ないということが書いてありました。例えば、以前から、「自分は死ぬときは何もしないでくれ」、と複数の家族の前で、常々話していれば十分と思います。私が実際最近体験したのは、「自分は山で死ぬから最期は山に置いてきてくれ」という方がおられて、経口摂取不能となったとき、点滴も、経腸栄養も行わなかったケースがありました。

>平成7年の「東海大付属病院事件」についての判決中の4要件
1.耐えがたい肉体的苦痛がある。
2.患者の死が避けられず死期が迫っている。
3.患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がない。
4.患者本人が安楽死を望む意思を明らかにしている。

>4要件を出した横浜地裁の判決文にしっかり明示されているが、人工呼吸器の中止は「治療の中断」という消極的安楽死に当たる。判決ではその要件について、 (2)患者における治療行為の中止を求める意思表示が存在し、その意思が治療行為を行う時点で存在することが必要である。......治療行為の中止を検討する段階におい て患者の明確な意思表示が存在しないときには、患者の推定的意思によることを是認してよいと考える。.......右の如く、医師側においても認定を行うのに適確な立場に あり、必要な情報を得ておくことが必要とされのであるが、患者及び家族に関する情 報の収集と蓄積、並びに認定を適確に行うためにも、複数の医師と看護婦などによるチーム医療が大きな役割を演じるものであるといえる。

#8 場末の開業医さん、
> つまり家族の証言があればいいということであろうと思われます。

いえいえ。家族や親族の証言ほど、あてにならないものはありません。遺産相続など、金銭的な利益が生じる可能性のあるものは、家族は目の色が変わります。患者の死亡を心待ちにしている家族もいます(実話)。何らかの本人の自筆の書面が必要でしょう。

> 呼吸器をつければわずかばかりでも延命できるものを、あえてつけないとなると不作為
> の作為とも言われかねませんでしょうか。

これについては、呼吸器を「輸血」と置き換えると、宗教的輸血拒否者に対するものと同じに見えます。基本的に、本人の意思が最優先されると考えると、「呼吸器はいやだ」と本人が明確に表明しておけば、医療者はそれを無視できないと思います。

臓器提供の問題、人工呼吸を含めた終末期医療の問題など、頭の痛いことばかりです。いっそのこと、法律で「これはこうだ」と明示してくれれば、どんなにか楽になるでしょう。なんとかならないものでしょうか。その時その時の解釈で、書類送検だの逮捕だのといわれては、どうして良いのやら。

できるだけかかわり合いのないようにしていますが、職業上、どうしても避けられないもので悩みはつきません。

ぐちってばかりですみません。

>医療人1号さん
>これについては、呼吸器を「輸血」と置き換えると、宗教的輸血拒否者に対するものと同じに見えます。基本的に、本人の意思が最優先されると考えると、「呼吸器はいやだ」と本人が明確に表明しておけば、医療者はそれを無視できないと思います。

そうなんでしょうけれども、現実には意思表明がされてない場合が多いと思います。となると患者さんがまだ元気なうちに「あなたの生命予後は・・・くらいです。最後はどこまで治療しますか」といってメニューを提示しサインをしてもらうということになりますが、なかなか一般の人には理解されがたいことではないかと思います。

私個人的には脳死基準ならぬ治療停止基準をきちんと策定すべきとおもいます。もはやこういったことに悩む立場ではなくなりましたが。

脳死判定後の人工呼吸器の取り外しについて、「脳死」をどう考えるか、脳死判定後の患者の自己決定権の問題、心停止下の臓器移植の問題の3点を考えるべきと思います。
【脳死の問題】
日本救急医学会の出した脳死に関するステートメントがありますが、簡潔にまとまっていて、医療者としては、同意できるものです。
http://www.jaam.jp/html/info/info-20060222_01.htm
脳死は臓器移植を行いたいがために作り出されたものという考え方もありますが、脳死となってしまった患者さんを、管理してゆくのは何の意味があるのかと考えさせられることもあり、臓器移植とは別の意味があると思います。
【患者の自己決定権】
記事の中で「本人の意思が確認できる場合」というのは、どういった場合か記載されていないので、家族の証言で良いのか、書面が必要なのかわかりません。家族は、おそらく2親等までということにしていると思います(そう推定する理由は後ほど書きます)。
【心停止下の臓器移植】
これまで、臓器移植ネットワークから依頼を受け、死体腎移植のドナー候補となった患者家族に、説明を行い、1年間の間に3名の方に提供していただきましたが、私の勤務する病院は、移植病院でもあるため、摘出チームから条件の良い腎臓を得られるように、いろんなリクエストを受けることがあります。まず、条件の良い腎臓を摘出するため、カニュレーションを行いますが、大腿動静脈カットダウンして入れます。この操作は、以前裁判で問題になったことがあり、「臨床的脳死判定」がされてからで無いと、治療行為でないのでしてはならないとされています。極限まで心拍維持しようとすると、昇圧剤をずっと使うことになります。昇圧剤は血管を収縮させ血圧を維持しますから、腎血流も減少することになり、だんだん腎機能が悪化してゆくことになります。また、人工呼吸器をつけている場合、全く血圧が出なくなってからも、20−30分くらい心電図が残ることがほとんどで、このまま人工呼吸器をつけたままであると、実態としてWIT: worm ischemic time が長くなり、生着率が下がることになります。そこで、人工呼吸器を止めることが望まれる訳ですが、ここら辺はグレーゾーンで、呼吸器の条件をおとしたり、呼吸器を止めている施設もあると聞いています。心停止下腎移植(献腎移植)の場合は、臓器移植ネットワークが仲介しますので、摘出条件、腎機能のデータもろもろを収集してゆきますし、「臨床的脳死判定」の根拠を収集してゆきます。臓器提供意思表示カードが無い場合、建前上は患者の意思を家族が想像して、同意されれば提供できることになります。実際の運用では2等親までの家族の同意があれば、提供可能となります。
現場の医師として、刑法で問われることは避けたいので、病院として倫理上のリスクを負ってもらえるなら、ご本人の命は救えないが、ほかの方の命が救えるのなら、ご家族も望むのであれば、協力したいと思っています。

皆様、なぜこんなにお行儀のよいコメントばかりされるのですか?
この問題は単純明快、なぜ無駄な延命がなされるのか、それは医学的に無益な延命が家族にとって有益だからというだけです。人工呼吸器をつけていようが月々5−6万の入院費用しかかからないから、インよりアウトが少ない以上延命を希望しますよ。実際、戦争でご子息を亡くされた方ですが90歳以上に関わらずフルコースの延命治療を「家族のご希望」で施させて頂きました。戦争遺族は特にできることは何でも希望されますよ。ところで、下品なコメントだけでは申し訳ないので。
アメリカ医療の光と影の李先生によるタイムリーな記事をどうぞ。
延命治療の倫理的問題を含めアメリカでは1970年代に解決済み?です。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2006dir/n2707dir/n2707_03.htm
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2006dir/n2709dir/n2709_06.htm

No.13 Hekichin さん

>戦争遺族は特にできることは何でも希望されますよ

一般的な患者の場合との延命治療希望割合の差はどれぐらいあるのでしょうか?
またその差の理由はなんだと考えていらっしゃるのでしょうか?
医療費は全額国負担だから?それとも戦争で家族の命が失われたことに対することで生命への執着が異常に強くなるのでしょうか?

医学的に無益な延命治療は、脳死でなくても、あり得るだろうと思うのです。

医学的に無益かどうかは、医師しか判断できない。でも医師から家族にこれ以上の治療は無益ですと簡単には言い難いと思うし、家族があらゆる手段を尽くして下さいと言えばつらいと思うのです。患者に意識がないときに合理的ではないが、苦しむより痛みを緩和することを重点にしたいと思いますと告げるのでしょうか?

死亡する直前の医療とは、非常に難しい側面を持っていると感じました。

No.14 クルンテープ さま
>またその差の理由はなんだと考えていらっしゃるのでしょうか?

横レス申し訳ありません。

戦没者遺族に対する恩給額は、年間1,962,500円。
生きてさえいれば、どのような状態であっても、国家からその金額が支払われます。

(出典)
http://www.soumu.go.jp/jinji/onkyu.htm

No.14 クルンテープ さん
言葉足らずで申し訳ありません。
脳外科医(留学中)さんのコメントにありますように恩給がらみの話
でした。90歳寝たきりであっても家族の中で一番の高所得という
ケースは家族の希望は現在の医療給付制度では青天井なんです。

No.16 脳外科医(留学中)さん、No.17 Hekichin さん

補足説明ありがとうございます。
家族にとっては稼ぎ頭になっているケースもあるのですね。
そういうケースは戦争遺族に多いというよりも厚生年金などの受給額が多い場合でも当てはまりそうですね。

健康保険制度は所得がいくらであれ、自己負担の上限がありますから、負担額と年金との差額がプラスとなれば、どの家族でもそういう意識が働くことはありえますね。

でもこれは必要悪として黙認するしかないような気がしますね。

結局、どこまで延命するかは、治療費払う側の懐具合でしょ。

と極論するのは別として、現代の医学ではもう助からないことが明らかな場合に延命を拒否するのであれば、親族以外の見守る中で書面を作成するのが望ましいんじゃないでしょうかね。(^_^;)
聞きいれられるかは別として…

秋田日赤のこの「指針」なるものは、重症頭部外傷、くも膜下出血、脳内出血などの脳血管障害急性期等で、気管内挿管、人工呼吸器下で呼吸管理を行った後「脳死状態」に至り、主治医が家族より人工呼吸器をはずすことを求められたという状況を主としてふまえたものと理解してよいのではないでしょうか。

第一線で働く脳神経外科医にとっては、このような状況は現実にしばしば経験するものであり、異論はあるとしてもこの「指針」なるものは一線臨床医の問題意識をきちんと受けとめたものとして評価できると思います。

「本人の意思」とは当然ながら患者さんが元気な時の意思ということでしょう。現実にはこのような意思を表明している人が多数いるとは思えませんが、適切に記載されたドナーカードの存在はその一つに当然なりうるだろうと思います。

私自身はこのような場合には問題に巻き込まれることを恐れて

「一度装着した呼吸器をはずすということはですね〜〜、法律的なこともあってなかなか難しいんですよ。ご家族のお気持ちはよくわかりますが〜〜、この患者さんはそう遠くない将来確実に亡くなられるわけで〜〜、今の時点で敢えて呼吸器をはずすというような事をせずに〜〜、自然の経過に任せるのがよいのではないですか」などとわかったようなわからないような事を言ってやり過ごしております。

家族の方も大抵は「身内にいろんな意見がありましてね〜〜、いつまでも引き延ばさないで呼吸器をはずしてやった方が本人にとってしあわせかな〜〜とか思ったりするんですよ〜〜」という感じで、私は強い調子で迫られた経験はありません。

私のようなものとは違って高い倫理観を持つ医師がしかるべき対応をしたいと考えたときに,このような指針は自身の行為に一定の根拠を与えうるものだと思います。

 東京新聞の記事です。学会の指針原案としては、かなり踏み込んだ内容です。
 呼吸器外しは、現時点では積極的安楽死と解釈されると考えていますが、本人の明確な同意がなく、また安楽死の要件を満たしていない場合は、承諾した家族以外の親族や、第3者から刑事告発されると、殺人罪が成り立つ可能性があると思っています。
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http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2006120401000644.html

「呼吸器外し」も選択可 終末期医療の指針原案

 終末期医療の指針づくりを進める日本救急医学会の特別委員会(委員長・有賀徹昭和大教授)は4日、東京都内で会合を開き、延命治療中止の基準を盛り込んだ「指針原案」をまとめた。患者本人の意思や、家族による本人意思の推定に基づき、人工呼吸器の取り外しも選択肢の1つとして明記している。
 現在は延命中止について明確なルールがなく、富山県の射水市民病院での呼吸器外しが社会問題となるなどしている。呼吸器を含む延命中止には慎重論もあり、学会レベルで中止手続きを打ち出したことは大きな論議を呼びそうだ。特別委は今後、同学会評議員の意見を集約し、来年2月にも最終決定する方針。
 指針原案はまず、救急医療における「終末期」を法的基準などで、脳死と判定した場合や、治療を続けても数時間ないし数日以内の死亡が予測される場合などと定義し、これらの状態は「主治医ら複数の医師が合理的、客観的に判断する必要がある」とした。
 その上で、患者本人の意思を明確にした文書や、家族による本人意思の推定に基づき、家族が同意する範囲で延命治療の中止を選択できるとし、選択肢として(1)人工呼吸器や人工心肺装置などの取り外し(2)人工透析などを行わない(3)呼吸器の設定変更や昇圧剤の投与量変更など(4)水分、栄養補給の中止−を挙げた。
 一方で、筋弛緩(しかん)剤の投与など死期を早める行為は行わないとした。
 治療中止の方針は、主治医だけではなく複数の医師や看護師らによる医療チームで判断するとし、判断の根拠や過程を診療録(カルテ)に分かりやすく詳細に記入することも求めた。医療チームで判断できない場合は病院の倫理委員会などにかけることも盛り込んだ。
 また、家族への説明はプライバシーに配慮した場所で十分時間をかけて行い、家族の「総意」を確認することなども求めている。
 終末期医療をめぐっては、厚生労働省も、患者の意思確認方法や治療内容の決定手続きなどに関して、指針づくりを進めている。

(共同) (2006年12月05日 02時05分)

医療現場におられない方が誤解されるといけませんので、蛇足ながら追加させていただきます。

終末期医療といっても(1)重症頭部外傷、脳卒中などの急性の傷病で、短期間に「脳死状態」を経て亡くなられるという状況における延命治療の問題と(2)悪性疾患などの末期における延命治療の問題とは全く異なるものであることを理解していただく必要があると思います。

秋田日赤の「指針」や救急医学会の「指針原案」は専ら(1)の問題を念頭においているのだと私は理解しています。現場にいるものの実感としては、問題(1)については「医療過誤的」な要素がなければトラブルになることはまずありません。移植という問題を抜きにして考えれば、日本の現在の医療現場で医療者の側から家族に対して「呼吸器をはずす」という提言を行うことは極めて例外的な事態です。家族の方から提言があってそれに医療者がどう対応するかということになるのだと思います。

問題(2)は診療科の特性上私はほとんど経験がありません。個人的にはこちらの方がはるかに難しい問題だろうと思います。

P R

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