エントリ

医療過誤:腹腔鏡手術死亡、執刀医に有罪判決 横浜地裁(毎日新聞 2006年12月1日 12時33分)

 永井秀明裁判官は「手術ミスに最後まで気付かなかった過失は、医師としての水準を大きく逸脱し、極めて重大」と指摘した。一方で「研修指導が万全ではない病院に責任もあったのではないかと疑問が残る。すべてを被告に責任を負わせることは困難」と執行猶予をつけた理由を述べた。

 判決などによると、松田被告は02年10月1日、中沢さんの腹腔鏡手術の際、誤ってすい臓の一部を電気メスなどで切除。切断面を縫合しないまま手術を終え、同28日に出血性ショックによる多臓器不全で死亡させた。

 刑事判決ですが、情報不足でコメント不能です。

追記
 しまさんが、コメントNo.2で外部事故調査委員会の報告書を紹介してくださいました。
 http://shunya-ito.tv/info/img/all.pdf

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学内の事故調査委員会では、手術中の誤りに気付かず、後日内視鏡外科学会の鑑定で、膵臓の一部が誤って切除されているのが明らかになったと記憶しています。
以下、m3からのコピペです。
ーーーーーーーーーーーーーー
2002年秋、昭和大学藤が丘病院泌尿器科で、29歳のクッシング症候群の女性患者が、腹腔鏡下左副腎摘除術を受けた。執刀医は臓器の認識を誤り、膵臓の一部を切除した。 その後、患者は死亡しています。
小松秀樹先生の医療崩壊に詳しく紹介されています。
ーーーーーーーーーーーーーー
膵臓の一部摘出→急性膵炎→DIC
http://www.nc-news.com/frame/20031020/gan031020.htm
ーーーーーーーーーーーーーー
うろ覚えですが、複合的な要素が絡んでいたようです。
責任者がオペ内容を把握していなかった。
教授は腹腔鏡の手術を行うことを知らなかった。手術の適応は各自に任せていた

病理
摘出した副腎を二分割して病理に出したところ、片方だけ見て脂肪隗であると判断された。しかしもう片方が膵臓の組織であった。

当直医の疲労
術後ショックになった報告を受けたが電話指示だけで済ませた。当直医は無給の大学院生で4日連続当直の最終日だった。

検査科の連絡遅れ
膵酵素が異常高値であったにもかかわらず、それを伝えるというシステムがなかった。

放射線科
術後CTで膵炎を指摘できなかった。画像上は所見があったがその段階ではわからなかった。

医局縦割り制度の弊害
救急科がICUでその患者を診るよう依頼されたが、よその科の患者を診る習慣がなかったため、ほとんど放置されていた。

身内の鑑定
講座のOBに鑑定をまかせたため、やや甘い鑑定になった。医療ミスではないとマスコミに公表し世間からバッシングを受ける。

警察による資料押収
その後警察が踏み込んで、手術のビデオテープ、カルテを全て押収されたため、事故の検証が全くできなくなった。コピーは取っておくべし。

執刀医だけを責めるのはかわいそうではある。
この事故を契機に大学病院の悪い膿を出し切り、この病院は新たに生まれ変わるべく、安全対策に力を入れているようです。大学のHPを見てください。


外部事故調査委員会の報告書全文がアップロードされていました
http://shunya-ito.tv/info/img/all.pdf

しかし、どんな名医でもこのようなミスはし得ます。何が言いたいかというと、こういうミスで有罪になるのであれば外科医志望者が減ることは容易に想像ができます。
むしろ、術後管理の問題であり、そのことについてもっと情報がないと何とも言えません。ともあれ、病院組織全体の問題であって、執刀医の問題は(直接死因に関わるミスをしたとはいえ)小さいと考えます。

この判決をみて「医療ができなくなる」と考える外科系医師は少数派ではないと私は思います.
確かに膵損傷は見落とせば,致命的なことはしばしばですが,だからといってこれに刑事罰を科すのは行き過ぎだと思います.
当該の患者さんには申し訳ないと思いますが,民事の損害賠償までに止めなければ医療というものが成り立たなくなります.どんな名医でも「絶対に失敗しないことはありませんし,失敗なしに名医になることもない」からです.

警察や検察は事の重大さを理解していないでしょうね.
国の無策はとうとうここまで来てしまったか,というところでしょうか.

>Level3さん
医師にとっては、患者は実験動物と同じ扱いなんでしょうか?

>医師にとっては、患者は実験動物と同じ扱いなんでしょうか?

しまさん,
すみません.おっしゃる意味がよく解りません.
患者さんは実験動物ではありません.当たり前です.

医師も人間ですから「100%の治療を行なうことは不可能」です.ましてや外科系の手技は職人芸ですから,初心者のうちからすべてうまくいくことなどあり得ません.もちろん上級医の指導の元に行なうわけですが,それとて人間の行なうことですから「絶対」ということはありえません.とりあえず一人前になるまで,「ミスなし」なんてありえないのです.名人と言われる先生でもそうでしょう.もちろんほとんどの場合はカバーされるでしょうし,それ以上に患者さんが自らの生命力で治ってしまうことも多いのです.
以前にも書いたと思いますが,そもそも医療において医師が本当に患者さんを「治している」ところなんてわずかでしかありません.多くは「なんとか悪くならないようにして,患者さんに治ってもらっている」というのが実際のところです.

999人の患者さんをうまく治して(治ってもらって)も,1000人目で失敗したから「逮捕」ですか?「刑事罰」ですか?
それで10年も20年もかけてやっと術者になった医師からメスを奪おうとでもいうのですか? 1000人の患者さんのうち999人も助けたら十分に名人だと私は思います.
そんな状況なら「誰も医療なんてできませんよ」.

プロ野球の選手が「1回エラーをしたからクビだ」と言われるようなものです.ピッチャーが「1回デッドボールを投げたからクビだ」と言われるようなものです.プロ野球でエラーが0の野手がいるでしょうか.デッドボールを投げた事の無いピッチャーがいるでしょうか?
いないでしょう.
医師の no errorを要求するということは「医師は存在できない」ということと同義であることを理解して頂きたい.

意図的に人を殺す「殺人者」と,人を治療しようとして結果が出せなかった「医師」を同じ範疇で考えるのは「明らかに間違っている」と主張しているのです.
「意図的な行為」による事件でない限り「医療行為」に「刑事罰」を与えることは「おかしい」のです.なんのための「医師免許」ですか!

> Level3 さん
報告書のP.17には以下のように記載されています

----------
しかもA医師は、膵臓の位置について「副腎よりも頭部側に存在する」などという誤った認識に基づいてC医師に指示を出すなど、内視鏡的な解剖学の基本的知識を全く欠いていた
----------

この指摘が正しいかどうかは分かりません。しかし、手術を行うような医師に対しては、臓器の位置関係についてきちんと把握して欲しいというのが、患者としての当然の願いなのではないかと思いますが。

このような医師に手術を執刀させた病院側の責任も大きいかも知れません。それはそれとして、この医師も責任を負うべきではないかと思いますが、いかがでしょうか。

失礼しました。報告書のP.27でした。
http://shunya-ito.tv/info/img/all.pdf

>この指摘が正しいかどうかは分かりません。しかし、手術を行うような医師
>に対しては、臓器の位置関係についてきちんと把握して欲しいというのが、
>患者としての当然の願いなのではないかと思いますが。

しまさん,
臓器の位置関係など正確に決まっているものではありません.人の顔がみな異なるように人の体の中も非常にいいかげんなものです.
強いて言うならば,副腎は腎臓の上極(上端)にくっついています.しかし,腎臓の位置は例えば立位と仰臥位でも動くように場所がきっちり一定の位置に留まっているとは限りません.いわゆる遊走腎などでは左側の場合かなり動きます.右側は頭側に大きな肝臓がありますので,それほど動きませんが...
膵臓の尾部は左側の腹腔内背側に位置しており,比較的副腎の近傍に存在することになります.腎の周囲の脂肪組織とは腹膜で隔てられているとは言っても腹膜は非常に薄い1枚の膜に過ぎませんから腹腔鏡のような内視鏡下でみていれば必ずしも簡単に見分けれられるものではありません.
もちろん膵臓は腹腔内臓器であり腎や副腎は後腹膜臓器ですから,副腎を取りに行って膵を損傷するということは進むべき方向は間違っていたことになります.ただし,これは後からだから簡単に言える話であって実際には「誰にでも判るほど簡単」なものではありません.
もちろん名人クラスの医師なら,全体像がきっちり頭の中に描けているでしょうし,危険な領域も熟知しているでしょうから,こういったトラブルを起こすことは「ほとんどない」と思いますが,それでも「絶対にしない」とは言い切れません.対象臓器の周囲に過去に炎症でも起こした既往があったりすれば癒着によって正常な層が見分けられなくなっていることもあります.
手術とはそのようなものですし,人間の体とはそのくらい千差万別なんです.臓器の位置ひとつとってもみな同じではありませんし,血管の走行なんてそれこそどこにあるか決まっていません.機械の修理とは訳が違います.

門外漢で、少し疑問なのですが?腹腔胸手術と似たような状況で、循環器領域でもMICS(minimally invasive cardiac surgery)、off pump CABG(対外循環を回さない心臓バイパス手術)などと話題になり多くの大学などで行われています。傷口が小さく、術後侵襲が少ないというメリットがありますが、これに対してriskは計り知れません。というのは手術がトラブッタ時に開胸に移行するのに時間がかかり致命的になり得る(?)ように思うからです。実際に手術室で見学したことはないのですが。
命の方が遥かに大事なんだから、傷口が大きくても侵襲が大きく入院期間が延びようが、小生が患者ならざっくり開けてくれと頼むと思います。しかし,これらの内視鏡手術などは外科系の近年の傾向でもあり、各学会や大学教授連中もこの方向で進み(論文を書き)、医学的、学術的評価も高まり(?)、マスコミもこぞって報道(王選手の内視鏡手術など)しているように見えます。
個人の医師、外科医がこの傾向に逆らうことはかなり困難だと思いますが、もう少し、医学的にもしっかり検証するべき、中立的な意見(何が中立かは決めにくいですが)も聞きたいものだと思っています。
もちろん、これまでにも様々な治療法の歴史にも革新、発展と反省期の繰り返しがありますが、例えば胆嚢摘出、心臓バイパス術など既に高いレベルで(安全性も含め)確立された領域においても内視鏡手術が必要なのかとふと考えてしまいます。

>門外漢で、少し疑問なのですが?腹腔胸手術と似たような状況で、循環器
>領域でもMICS(minimally invasive cardiac surgery)、off pump CABG(対
>外循環を回さない心臓バイパス手術)などと話題になり多くの大学などで
>行われています。傷口が小さく、術後侵襲が少ないというメリットがあり
>ますが、これに対してriskは計り知れません。

MICSはmaximally invasiveという麻酔科医もいるくらいです.外科医の腕がよければmimimally invasiveですが,そうでないならかなり危険です.
OPCABはもはや普通の手術になっていると言えると思います.我々麻酔科医は大変ですが,人工心肺にまつわるトラブルがないというのはかなり大きなメリットです.結果もすぐに出ますし(きちんと血行再建できれば,心筋の動きはよくなります).

これらの類いの手術は,腕のよい外科医が行なってはじめて患者さんにメリットのある手術になります.指導者もなしに見よう見まねでトライする手術では決してないと思います.通常の手術が通常のレベルにできない医師が手をだしてはいけません.

>しまさん

このような医師に手術を執刀させた病院側の責任も大きいかも知れません。それはそれとして、この医師も責任を負うべきではないかと思いますが、いかがでしょうか。

Level3さんが言われているように、「民事で留めるべきで刑事はやりすぎ」ということ理解していただけないでしょうか?

わたしも、しまさんのご意見に賛成ですね。

あの外部事故調査委員会調査報告書に書かれていた、

「将来ある患者を、防ぎようがないと言われるエラーではなく自らの未熟や怠惰によって、本来、行うべきではなかった手術で亡くしたことは最大の悲劇である。医療を志すものとして最も忌むべき行為であろう。まさに「傲岸不遜」な医療と呼ぶべきである。」

は、まさに至言だと思います。

見よう見まねで手術をしたら、失敗するのは当然です。
そうした「傲岸不遜」が、刑事罰に該当すると言っているのです。
執行猶予は、裁判官のせめてもの温情だと思います。

>まさに至言だと思います。
わたしはむしろ「傲岸不遜」とかA医師の人格攻撃をしている部分については
一部の委員の主観を反映したまったく余計な部分であり、
客観的分析については同意できるだけにそこら辺の点だけが残念に感じたのですが。

内科医からみると、膵組織の表面は脂肪のかたまりとしか認識出来ません。
しかも、クッシング症候群で内臓脂肪が蓄積しているわけだから、
内視鏡手術には向いていないんじゃないかなと率直に思います。
外科の先生なら、膵組織の鑑別も手術操作も自信を持っているのでしょうから、
私ら内科系とは違う感想なんでしょうね。

問題は、医療体制にあると思います。患者が不運だったとばかりは言え
ないのではないでしょうか?内科との術前合同カンファレンスでは、術式
選択に異論は出なかったのか?術者の担当を決定する立場である臨床
教室の教授等は、術式選択と執刀医のバックアップ体制に留意していた
のか?術後管理は病院のシステム的不備になっているのではないか?

手術の素人が上記のようなことをいうのは、外科系先生達に失礼かも知
れませんが、あえて、内科系として発言しました。

但し、刑事事件として有罪が出たことに関しては、私も納得出来ません。
この手術に限ってのことではありませんが、刑事事件として立件する
条件を検察側は、予め公表すべきではありませんか?

この症例の場合を指摘しているわけではありませんが、(強調)
始めから、手術後の異常死に対しては

1 執刀医による当該手術の手術経験が浅く
2 術場でのバックアップ体制が不足しており
3 術式選択に異論があった
4 緊急手術でなく、難度の極めて高い手術でもない
5 手術の偶発症や合併症が通常低いと考えられる
6 術後管理体制に不備があった

これらの条件のうち5つ以上揃った場合は、検察として捜査し立件を
試みる。

とか予め、条件を示して欲しいですね。
医療過誤予防にもなるでしょうし。

>内科医からみると、膵組織の表面は脂肪のかたまりとしか認識出来ません。
>しかも、クッシング症候群で内臓脂肪が蓄積しているわけだから、
>内視鏡手術には向いていないんじゃないかなと率直に思います。
>外科の先生なら、膵組織の鑑別も手術操作も自信を持っているのでしょうから、
>私ら内科系とは違う感想なんでしょうね
いや、先生のおっしゃるとおりです
教科書的に肥満患者の方が腹腔鏡手術が困難であることは記述されています。
ただし適応については術者の技量に依存しますが。
開放手術も含め肥満患者に手術するときは全体に脂肪が多くて
手術もやりにくいですし、術後の合併症も多いです。
料金に肥満割増料金をつけてほしいくらいですよ(笑)。

みなさんは,未熟な医師は手術をしてはいけないと言われます.ではベテランの術者はどのようにして作ればよいのでしょうか?
動物で訓練する?
もちろんできることは,動物で訓練することもあります.いくらかのものはシミュレーションもできます.そのうちにはバーチャルリアリティになるでしょうか?
しかしながら,あくまでもそれはただの練習であって実際の手術とは状況が異なります.

パイロットの場合にはフライトシミュレータで訓練し,ベテランについて訓練し,そして一人前になっていきます.飛行機の場合には機種のよる差はいくらかあるものの,基本的な部分は決まっています.
しかし外科医の手術の場合どうでしょうか.決まったものばかりではありません.新しい手術方法が出てきた場合には,誰もが初心者です.もちろん通常の手術が標準レベル以上になっていなければ,新しいことなど最初からうまくいく確率は低いでしょう.では,外科医の技量は誰がどのようにして判定するのでしょうか?
現在の専門医制度は外科医の実際の技量を確認しているわけではありませんので意味が無いです.第3者機関によるcritificationが必要なんでしょうが,現在日本にはそのようなものもありません.
現在は野放しの状態ですね.

麻酔科医からみていますと,外科医は術者になると他の術者の腕にはあまり関心がないようにみえます.そのためでしょうか,明らかに技量が劣る術者でも,自分の技量を認識していない術者は結構多いように感じています.
また,手術方法も標準術式というものはありながら,それぞれの場面で使う器具すら一定しません.同じ大学医局の出身であってもそうですし,ましてや大学が違えば天と地ほども違うことがあり驚かされることもしばしばです.外科手術はまだまだ徒弟制度に近い状況で,外科医が他の施設と交流することは稀です.

今回のような事件を防ぐには,やはり外科医の技量はきちんと統制する機関が必要ではないかと考えています.また,外科医が種々の技量を磨けるように施設間の交流を促すような方策も必要でしょう.すくなくとも認定システムで認定された外科医が施行した手術に対して,「刑事」が介入することを抑制すべきです.(意図的な殺人行為はもちろん除いてです)

こういったことは「刑事罰」になりうる,という条件が明確に示されない限り,外科医が存在していくことは不可能です.
繰り返しますが,治療に生じたトラブルに「刑事」が介入すべきではありません.世界の先進国をみてもこのようなことが行なわれているのは日本だけです.「異常」としか言いようがありません.「民事」の範囲に留めるべきです.

 報告書を斜め読みしましたが(執刀医の問題を中心に読みました)、慈恵医大青戸病院医療過誤事件と同じ印象を受けます。

 一言でいえば、技量未熟な医師が、必要なバックアップ体制がないのに腹腔鏡手術を行ったことが最大の問題だと思われます。

 病院側の体制にも大きな問題がありますが、執刀医が刑事訴追されたことについては違和感はありません。

>Level3 さん

>みなさんは,未熟な医師は手術をしてはいけないと言われます.ではベテランの術者はどのようにして作ればよいのでしょうか?

 この点については私も以前に問題提起した覚えがあります。

 未熟な医師も手術をする必要があります。
 そうしなければ熟練した医師は存在し得ないからです。
 これは当たり前のことです。

 しかし、未熟な医師が執刀する場合は、独り立ちするまでに必要な教育手順をきちんと踏むことと、未熟さによるミスを早期に発見し適切な対応を可能ならしめるバックアップ体制を取ることが不可欠と考えます。

 本件はまさにその点が問題になっているのではないでしょうか。

 その意味で、本件においても病院側の責任は相当重いと思いますが、執刀医の責任も軽くはないと考えます。

 本件の患者の死亡が熟練した医師が執刀した場合でも避けれらなかったまたは相当程度の確率で生じたものであるならば、刑事責任を問うべきではないと思いますが、報告書を読んだ限りではそのようには思えませんでした。

 「慈恵医大青戸病院医療過誤事件判決」に関するエントリーを「関連するエントリー」としてリンクしました。

 上記エントリでは、私自身に相当筆が走りすぎているところがありますので(「はーい、生まれました。男の子でーす」のくだり)、その点は割り引いて参考にしていただければ幸いです(汗)

問題は報告書が正しいかどうかですね。というのは、女子医大の例もあるからです。
もう、何を信じて良いのか、正直言ってわかりません。

>モトケンさま
>病院側の体制にも大きな問題がありますが、執刀医が刑事訴追され
>たことについては違和感はありません。

医療関連訴訟に関して、納得の出来ないモノの一つが、検察の立件の
基準なのです。
治療の基準や手術選択にも厳格な基準がない場合があるのと同様、
訴追に関して個別に検察が判断していることは理解出来ます。

医療領域では、common disease(罹患人口の多い疾患)の診断基準や
治療基準といった公表可能な基準があり、これはいわゆる現行の医療
水準として様々な疾患群にも整備されつつあります。勿論医療の進歩
や医療財政の動きなどでも左右される性質のモノですが、これらの基準
が我々医療者側の事実上の診療基準となっています。

こういった業界基準というものは、様々な領域であると思います。
是非、法曹家の方々にもお願いしたいのですが、医療事故に於ける
刑事訴追の基準というモノを出して頂けないでしょうか?

作業仮説としても結構です。そうした基準が無ければ、医者側は
とっても不安なのです。No.15は手術場面での私の一イメージです。

>level3先生
>警察や検察は事の重大さを理解していないでしょうね.(4)
>「意図的な行為」による事件でない限り「医療行為」に「刑事罰」を与えることは「おかしい」のです.なんのための「医師免許」ですか!(6)
>世界の先進国をみてもこのようなことが行なわれているのは日本だけです.「異常」としか言いようがありません.「民事」の範囲に留めるべきです.(17)

 「民事」はあくまでも生じた損害の分担が目的です。おっしゃるなら、「行政処分に留めるべきで、刑事処分を加えるべきではない」ではないかと思います(「先進国では」としてよく引き合いに出されるアメリカも、刑事処分を科すことが少ない代わりに行政処分を多く行い、医療者の資質維持に努めているのでしたよね)。

 さて、こちらのブログで私がこのことを申し上げるのはもう何度目かになりますが、例えば重大な医療過誤を犯すなどこのまま医業に従事させるには相応しくない医師に対する行政処分について「その判断の根拠を原則として刑事手続の結果に求める」としたのは、医師会や病院会、大学病院といった医師組織の代表を中心として構成されている医道審議会です。医師が自らの手で公に医療事故の調査や処分を行なおうとしないから、医学の素人である捜査機関や司法が事故調査や紛争処理を行なわざるを得なくなっていることを忘れ(もしくは空とぼけて)、素人に向かって「不当だ」「異常だ」と文句ばかりおっしゃるのは身勝手である、というのが私の率直な感想です。

 元田舎医先生が「医療崩壊について考え、語るエントリ(その8)」のコメント34で「恐ろしくよく書けています」「医師の皆様もぜひ読まれることをお勧めします」と絶賛しておられるLeflar, Robert B.著(三瀬朋子訳)「I 総論 医療安全と法の日米比較」ジュリスト1323号(2006年)には、次のような一文があります。

(以下引用)
「日本の医療界においては、専門家の自己規制や同僚審査は歴史的に盛んではなかった。病院が何らかの資格認定を受けることは、義務的なものではなく任意であった。重大な医療過誤をした医師に対し行政的制裁が科されることも極めてまれであった。民事訴訟システムも、最近まで、概して大部分の医師の注意を引かない程度の働きしかしてこなかった。医療ミスが非常に頻繁に起きているという認識が数年前に突如日本国民に意識されるようになったとき、医療の専門家団体はいわば休眠状態であり。行政の医療担当部門にも準備がなく、さらに民事訴訟システムは事態に対応するには制度的限界を抱えていた。それ以外に適切な公的責任追及手段がないために、警察と検察は代役を務めて、自分たちの自由になる法令を駆使したのである。刑事司法に医療活動の規制者の役割を担わせることにいかなる問題点が潜んでいたとしても(そしてその問題点は深刻なものだが)、今世紀最初の数年の注目を集めたいくつかの事件における刑事訴追は、明らかに、厚生労働省と医療専門家に対する一種の『目覚まし』役として有効であった。」
(引用終わり)

 医師の皆さまが医事紛争に関する独自の処理システムを持とうとせず、医療事故に関する独自の公的調査機関を作ってこなかったのは、捜査機関や裁判所が医学的に妥当な判断を示してきたからではないでしょう。捜査機関や裁判所は、昔も今も医学の素人なのですから。以前医師の皆さまが今の訴訟制度を「割に合わない」と批判しておられましたが、医療事故の調査を捜査機関が行い、医事紛争の処理を裁判所が行なう今の制度が維持されてきたのは、「素人の捜査機関や裁判所に任せておいたほうが自分たちにとって“割が良かった”から」、もっと言えば「捜査機関や裁判所の素人ぶりが、自分たちにとって都合がいいように働いていたから」に過ぎないのではないですか。皆さまは、少なくとも昭和23年の医師法施行以来7〜8年前まで、約半世紀にわたり医療過誤の犠牲者をずうっと『割に合わない』立場に置き続け、医師は(医事紛争処理の局面に限っていえば)『割に合う』立場にい続けていたということをお忘れになり(もしくはおとぼけになり)、ちょっと最近自分たちに不利な判断が見られるようになったからといって、あたかも医師が完全な被害者であるかのようにおっしゃるのは如何なものか、と私は思っています。

 医師の皆さまが、捜査機関と裁判所が発している「目覚まし音」に“正しく”反応なさり、重大な過誤を犯した同僚に対する制裁を自分たちで加える制度をお持ちにならない限り、「逮捕」や「刑事罰」から免れることはできないということを、そろそろ理解していただいてもよいのではないかと思います。

>しかし、未熟な医師が執刀する場合は、独り立ちするまでに必要な教育手順
>をきちんと踏むことと、未熟さによるミスを早期に発見し適切な対応を可能
>ならしめるバックアップ体制と取ることが不可欠と考えます。

モトケンさん,
おっしゃることはよく解ります.
理想的にはそうでしょう.しかし現実問題として,どこまでそれが可能であるかも考える必要があると思います.
現実を無視して理想を語ることはいくらでもできますが,それでは机上の空論に終わってしまいます.現実に即した方策を考えることが大切だと私は思います.
バックアップできる体制ができるようにする努力は必要ですが,新しいことを始めようとする毎に熟練医を呼ぶことがどのくらい可能でしょうか?
熟練医が少ない手術の場合には,そういった医師を探すのも大変ですしスケジュールの問題,報酬の問題など,いくつもの現実的な問題があります.さらに術後のトラブルに対する対策ということも必要です.
1回だけ来てもらったら次回から自分たちだけでできるというわけでもありません.腕のよい外科医でしたら,一度指導してもらっただけでおおよそのコツをつかんで次から自分だけでできるようになることもあります.反対にベースのレベルの低い外科医の場合には何度指導を受けても上手になりません.今回の医師も最初の時には熟練医の応援を頼んでいます.どこまで指導を仰げば「可」となるんでしょうか?
もっとも,この事件に関しては直前の手術でも十二指腸穿孔を起こしていますから,再度熟練医の指導を仰ぐべきではあったと個人的には思いますが.

P.S. 肥満の患者さんは,麻酔も手術も大変です.内視鏡手術だけでなく開腹術でも非常に苦労します.脂肪だらけでメスは切れにくくなる,視野は狭く操作も大変...
麻酔にしてもマスク換気も重たい,気管挿管して人工呼吸してもすぐに無気肺ができる.硬膜外麻酔や脊椎麻酔は棘突起も触れず背中の正中も判らない.本当に割り増し料金を頂かないと,割りに合わないです.
つまり,肥満だから内視鏡手術を避け開腹術を選択するというのは適切とは言えないと思います.どちらも大変です.むしろ上手にできるなら内視鏡手術の方が術後の離床も早く,静脈塞栓などの危険性を減らすことができるため有利であると言えます.

>医師の皆さまが、捜査機関と裁判所が発している「目覚まし音」に“正し
>く”反応なさり、重大な過誤を犯した同僚に対する制裁を自分たちで加える
>制度をお持ちにならない限り、「逮捕」や「刑事罰」から免れることはでき
>ないということを、そろそろ理解していただいてもよいのではないかと思い
>ます。

an_accusedさん,
これは我々が求めている「第3者機関」に当たるものと思われますが,いずれにしても我々医師が自らこれを作る事はできないのではないでしょうか?
残念ながら,そんな力は一介の医師にはありません.

少なくとも「司法」が介入するにしてもその規準を明確にしていないところに大きな問題があると言わざるを得ません.そのことが「医療崩壊」を進めているのです.
おっしゃることがたとえ「正論」だとしても,今の方法論が正しいでしょうか?実際に医師がいなくなって困るのはあなたがたを含めた非医療者です.今の「現実」をよくお考え下さい.
「行政」も「司法」も国民のために存在するのであって,国民に仇を成す結果になる方向に働くことは決して正しいものではないと私は思います.

>座位さん

>医療関連訴訟に関して、納得の出来ないモノの一つが、検察の立件の基準なのです。

 交通事故業過のようなすでに莫大な数の事例の蓄積のある領域においては処理基準が相当程度詳細にマニュアル化されており、基準検察という言葉があるくらいです。

 しかし、医療過誤業過におきましてはまだまだ事例や判例の蓄積が十分でありませんので基準作成の基礎資料が不十分でありますし、高度に専門的な判断と技術を要する医療事故に対して基準検察的な考えを持ち込むことが適当かどうかがまず問題になります。

 さらにもっと根本的な問題として、検察は今まさに、医療過誤訴訟に対する検察のスタンスはどうあるべきかということについて検討している真っ最中のようです。
 
 検察の起訴判断の一般的傾向は、医療側の多くの方が思っているほどには医療側に対して厳しいものではないと認識しておりますが、一部の事例が医療側に対して強烈な萎縮効果を及ぼしている現実が存在していることに異論はありません。
 
 問題はこの萎縮効果だと思われますので、無用な萎縮効果を防止しあるいは除く方策の必要性は認めます。

 しかし、検察として処理基準の定立はかなり困難でしょうし、仮に定められたとしてもそれは公開される性質のものではありません。

 座位さんが希望されている基準は、やはり制度ないし立法の問題として考えるべきものと考えます。

 刑事罰に関する立法論的には、過失犯の親告罪化や、医師の過失犯については特定の機関の告発を要件とするということも可能だと思われます。

 an_accused さんが指摘されてますように、医療事故の特殊性に応じた紛争解決制度(刑事司法も紛争解決制度の一つです)を創設する必要があると思います。

 そしてそのイニシアティブを取るべきは医療側ではないのかという指摘は、私自身もこのブログで医療崩壊を取り上げた当初から主張しているところです。
 なお、「医療側=個々の医師」ではありません。

>No.23 Level3 さん

>もっとも,この事件に関しては直前の手術でも十二指腸穿孔を起こしていますから,再度熟練医の指導を仰ぐべきではあったと個人的には思いますが.

 要するにそういうことです。

 「この事件に関しては」が問題なのです。

 一件の刑事裁判の結果が、強い一般的効果を及ぼすことは事実ですが、個々の刑事事件の処理は、個々の事件の事実関係に基づいてのみ判断されます。

 法律家は「この事件に関して」刑事責任を問うことが相当かどうかを考えます。

医療従事者の自浄作用に関しては、
1 医療犯罪者に対して、我々普通の医療者は、反省する立場にない。
2 弁護士会等とは異なり、全員加盟制の職能団体を組織していない。
といった現状認識があり、私案としては過去に記載したように
医道審議会を格上げし、組織を大幅に拡充し独自の医療事故調査能力
を持った行政処分機関として機能させるべきであると考えている者です。

ここで、問題なのは、やはり、
医療事故の原則的な立件基準を設ける責任が、検察側にありはしない
かと言うことです。基準が無くてやってるのでしょうか?基準を明確に
することは重要です。

その責任は、検察機関にあるはずです。この事を焦点とせず、
医師の側の自浄能力や第三者機関設立の怠惰を問うことは、
建設的ではないと思いますが、モトケンさま、 an_accused様ほか
法曹関係者がたは、いかがお考えでしょうか?

> No.25 モトケンのコメント
前後しまして、申し訳ありません。
ご意見いただきありがとうございました。

>>No.22 an_accused さん
私のコメントを引用してくださって恐縮です。
ただ、私自身は「絶賛」しているつもりはありません。
外国人としては日本の事情をよく調べていて、叩き台としての論点が出そろってるなぁ、という意味で「恐ろしくよく書けている」のであって、論旨に大賛成しているわけではありません。
例えば、最近あたりまえに行われるようになった「診療録開示請求」についても言及してませんしね。(p16右段中ほど)

この点、誤読する余地をみなさまに与えてしまったのは、ひとえに私の文才の至らなさにあります。

本音を言うと、法律家の方や一般の皆様が何と責めようと、もう別にいいです。
日本医療の「シャットダウン」のボタンはもう押されてしまいましたので。
「再起動」ではなく。

昨日も、半径5km以内に複数の大学病院がある300床足らずの某区の中病院の当事者たちから、遠く新宿から救急車を受け入れたりする話を聞きました。
その病院に搬送されるまでに、20軒の病院に断られるぐらいはごく普通にあるようです。

これまでの日本医療に至らなかった点が多々あることは認めます。
それでも与えられたコストとマンパワーからすれば、相当いいハリボテを構築してきたものだとは思います。
♯ただし、若い医師たちはコストとマンパワーに見合った「仕様書通りのハリボテ」を作るのが得意なようで、心強い限りです。だってそれが契約社会ですから。

No.22のコメントで引用後にan_accused さんが感想を述べられた部分は、まさに「いじめられる側にも非がある」ロジックで、「だから次にどうしようか」という建設的な意見にあまりつながりませんね。
相手の非を責めるのは心地よいと思いますが。

an_accusedさんの言葉をお借りします。

非医療者の皆さまが、医療者が発している「悲鳴」に“正しく”反応なさり、真摯に診療している大多数の医療者が疲弊することなく普通に医療技術を発揮出来るような社会の空気を醸し出さない限り、「循環器内科診察予約3年待ち」や「胃がん手術半年待ち」や「救急外来2日待ち」や「盲腸手術100万円」や「人工呼吸器メーター制」から免れることはできないということを、そろそろ理解していただいてもよいのではないかと思います。

簡単なことです。
お互いに「さん」付けで呼び合える関係にすればいいだけです。
日本人ならきっと、焼野原後30年もかければできると思いますよ。

>元内科医さん
>「だから次にどうしようか」という建設的な意見にあまりつながりませんね

「どうしようか」ではなく、「どうしたいか」ですよね。

「医事紛争における処理システム」を
1.医療側で案を出し、国民に提示する
2.基本的には法曹で構築するが、オブザーバーとして医療側が意見を出す
3.医療側と非医療側で構築する

現状では処理システムが存在しないため、検察や裁判所がルールを策定する余地があるというだけの話だと思います。

お名前間違えてしまいました。
お分かりだと想いますが、元内科医さんではなく、元田舎医さんでした。

誠に失礼いたしました。

>元田舎医さん

 私の誤解かも知れませんが

 医師の待遇または労働条件の問題と医療事故紛争の解決方法のあり方の問題は、劣悪な労働条件が医療事故の一因になっているとしても、分けて考えるべき問題だと思うのですが、、、
 

>level3先生(24)
>おっしゃることがたとえ「正論」だとしても,今の方法論が正しいでしょうか?実際に医師がいなくなって困るのはあなたがたを含めた非医療者です.今の「現実」をよくお考え下さい.

 卑見が「正論」かどうかは、本来議論があるところだろうと思いますが、「現実をよく考える」ということは、ただ単に現象を眺めるのではなく、それなりに「なぜこうなっているのか」を説明しようとすることではないかと私は思っていますので、医療崩壊にせよ何にせよ、「正論」を踏まえる努力をせずに何かを申し上げるつもりはありません。

 さて、「今の方法論が正しいのか?」というご疑問には、「たぶんこのままいつまでも続けるのは正しくないだろう」と考えています。

 この点について、樋口範雄教授(東京大学・英米法)は、法律学習誌の連載「展開講座・医療と法を考える」において、私が前記コメントで引用したところと同じ箇所を引用なさった上、次のように述べておられます。

(以下引用)
 「レフラー教授の文章は、休眠状態だった医療の専門家団体が立ち上がり、医療とそれを担う医療従事者への信頼回復のために始めたモデル事業(引用者注:厚労省「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」のこと)を紹介し、これは国際的に見ても注目すべき動きだという記述で終わっている。
 レフラー教授の指摘があたっているとすれば、医療事故についての刑事司法の介入は、近年我が国において一定の大きな役割を果たした。だが、今や、医学会をはじめとして医師も看護師も病院も、もちろん厚生労働省も、医療安全に何が出来るかを真剣に考えている。そうであれば、「目覚まし役」としての刑事司法の出番は終わり、幕の外へ下りてもよさそうなものだが、一旦喝采を浴びると退場したくないということを冒頭の福島の事件(引用者注:福島県立大野病院事件のこと)が示していると思われる。」(樋口範雄「展開講座 医療と法を考える(第9回) 医師法21条―医療事故と警察届出・刑事司法」法学教室315号(2006年12月)127頁)
(引用終わり)

 つまり、「目覚まし」は目覚めるまで鳴り続ける必要があるが、目覚めてしまえば騒音に過ぎなくなるということです。

 私自身は、「刑事司法の目覚まし」は、徐々に鳴り止みつつあるのではないかと考えています(実際、検事総長は医療事故捜査・検挙について方針を転換する旨の発言をしていたり、福島地検も外科手術の不成功事案について不起訴処分を下したりしているようですね。ちなみに民事に眼を転じれば、昨年の医事関係訴訟新受件数は初めて前年に比べて減少したそうです)。
 また、厚労省や医療者が「本当に目覚めた」のかについては、私は樋口教授と異なりやや疑問を抱いています。なぜなら、厚労省のモデル事業は、日本各地に相当数の法医学者と病理学者が存在するようにならなければ、いつまでも「モデル事業」から抜け出すことはできませんし、その「モデル事業」が医事紛争の解決にどのように資するものになるのか、まだ皆目わからないからです。「モデル事業」が細々と発足したからといって、刑事司法が完全に手を引けば、また「二度寝」してしまうのではないか、という疑念を拭い去ることができません。

 卑見を申し上げれば、過去に申し上げた2つの考えのうち、日医の賠償責任審査会や各都道府県医師会の医事紛争処理委員会を拡充して、医事紛争の対象となった医療行為についてきちんと鑑定を実施したうえ当事者に公表し、医事訴訟の事実上の前審的存在として機能させるという考えが、医療事故の当事者や当事者の家族が刑事司法に真相究明の役割を求めようとさせず、民事訴訟・刑事訴訟ともに抑制する途なのではないかと思っています(日医が強制加入ではないことも考慮して、各医学会ごとに医事紛争処理委員会を設け、団体保険と提携するという案も補足しています。一体なぜ勤務医の先生方が日医に忌避感情を抱いておられるのかわかりませんが、どうせいつまで経っても全医師を組織するような団体はできないでしょうし、それなら専門領域ごとに医事紛争処理を行なうようにしたほうが、診療領域が細分化している現状にはマッチしているのではないかと推測しています)。

>座位先生(27)
 厚労省は、医師法を改正して医療事故に関する調査権限を明記するとともに拒否した者に対する罰則も設け、独自に医療事故調査を行ないうる制度にしようとしたようですね(2007年4月施行予定)。ただ、実際に調査を行なうのは厚労省本省と地方厚生局のスタッフであり、「組織の大幅拡充」には至っていませんから、捜査機関に先んじて医療事故の調査を行なうことができるようにはなっておらず、まだ「刑事司法依存」の現状を打破しようとしているとは思えません。

 なお、医療事故の原則的な立件基準につきましては、モトケン先生が26においてご解説なさったとおりですが、卑見を申し上げますと、一般的には、結果が重大であること、回避可能性が高かったこと、被害者との和解不成立など被害回復がなされていないこと、被害者の処分感情が強いことなどが、起訴を選択させる要因であると考えられますが、医事紛争は結果が死亡や重篤な後遺障害など重大である事が多く、保険の関係などにより被害者との和解が成立していないことも多く、証拠や専門知識の偏在などにより被害者が真相解明を中立機関(捜査機関など)に求める傾向も強いため、起訴に傾きやすい類型であろうかとは思います。「回避可能性」については、まさしく医療事故調査委員会の調査結果などによって判断しているといえるでしょう。

>元田舎医さん(29)
 元田舎医さんが「絶賛」していると誤読したのはあくまでも私の読解力不足のせいです。また、前記Leflar論文を「元田舎医先生が絶賛している」とご紹介したのは誤りのようですので、ここに訂正させていただきます。元田舎医さん及び読者の皆さまにお詫び申し上げます。

 さて、
>「No.22のコメントで引用後にan_accused さんが感想を述べられた部分は、まさに「いじめられる側にも非がある」ロジックで、「だから次にどうしようか」という建設的な意見にあまりつながりませんね。/相手の非を責めるのは心地よいと思いますが。」

 とのことですが、私自身は「次にどうしようか」について相当程度コメントしてきたつもりです(一応は実現不可能でなさそうなものを)。

 ところで、医療者の方々からは、一体どのような「建設的な意見」がどのくらい提示されてきたでしょうか。私やFFF先生は、今まで(特に初期の頃は)医師を名乗る数々の方から、「非医療者の議論はレベルが低く、建設的でないから、聞く価値はない」などと批判されましたが、そのような方々からはついぞ「建設的議論」が展開されたことはなかったように記憶しています。

 まあ、「何を責めようと、もう別にいいです」と開き直る方が、他人に対して「建設的な議論ではない」を批判なさるのは、いささか滑稽ではあります。それとも、「日本医療の『シャットダウン』のボタンはもう押されてしまいましたので。/『再起動』ではなく。」とか、「お互いに『さん』付けで呼び合える関係にすればいいだけです。/日本人ならきっと、焼野原後30年もかければきっとできると思いますよ」といったものが、「建設的議論」ということなのでしょうか。それなら私の辞書の「建設的」の項目を書き換えなければなりませんね。

>>No.30 しま さん
>「どうしようか」ではなく、「どうしたいか」ですよね。

私としてはどちらでもけっこうですので、しまさんのおっしゃる「どうしたいか」でいいと思います。
他、話の方向性におおむね賛成です。

>>No.32 管理人さん
「劣悪な労働条件」はさして問題にしたつもりがありませんでした。
誤読を招いてしまい、申し訳ありません。


医療を取り巻く環境はこの5年で激変しました。
体制を構築してこなかったも何も、日本ではほとんど問題になっていなかった領域に必要以上にコストとマンパワーをかけなくてはならなかった理由はどこにもありません。
無駄に社会医療費を増大させるだけですから。
国としても、それを診療報酬に反映させてこなかったことからして、その姿勢は明らかです。
対応の遅れを指摘するならば、たかだか数年です。
それでも、社会の変化を受けて医療者側も劇的に変化しつつあります。

例えば「医療『事故』対策にかけていたコストとマンパワーを医療『訴訟』対策へと振り替えること」です。
医事関係訴訟では、原告側はともかく、被告側が本人訴訟を行うことはまず有り得ないので、人余りを危惧する弁護士業界にとっては市場の拡大につながり、願ってもない展開ではないでしょうか。

問題は、先に上げたように国がヌルーを決め込んでいるので、ほとんどの医療機関にとって、予防を含む応訴コストを吸収できる診療報酬体系ではないということですね。
今でこそ医賠責の掛け金はたいした額ではありませんが、早晩2倍、3倍、10倍に値上げされることでしょう。
この点でも生き残れる医療機関は限られますね。

さて皆さんは、コスト、アクセス、クオリティのうち、どの2つを選びますか?

それが来夏の参院選の争点の一つでもあります。
別に争点にしないのなら、争点にしないなりの判断を医療者・医学生・大学受験生は行うでしょうね。
あくまでも法の枠内で。

>>No.33 an_accused さん
> まあ、「何を責めようと、もう別にいいです」と開き直る方が、他人に対して「建設的な議論ではない」を批判なさるのは、いささか滑稽ではあります。それとも、「日本医療の『シャットダウン』のボタンはもう押されてしまいましたので。/『再起動』ではなく。」とか、「お互いに『さん』付けで呼び合える関係にすればいいだけです。/日本人ならきっと、焼野原後30年もかければきっとできると思いますよ」といったものが、「建設的議論」ということなのでしょうか。それなら私の辞書の「建設的」の項目を書き換えなければなりませんね。

いつものan_accusedさん節炸裂ですね。
最初はぎょっとしていましたが、もうだいぶ慣れました。
それに他人ではなく私に対するものですからじゅうぶん耐えられます。
私は愚かで、an_accusedさんは賢い、という厳然たる事実を認めてしまえばよいだけですから。

このブログに初めて参加したときからずっと基本的なスタンスは「開き直り」だったんですけどね。
それでも私に手伝えることがあるなら、とコメントしてきただけのことです。
それすら誤解させてしまったことを陳謝します。

>しまさん
外部事故調査委員会の報告書の紹介、ありがとうございました。目がチカチカになりましたが、事件の概要が理解できました。
そして刑事処分は当然だろう・・との感想も持ちました。
でも、臨床や医局運営などに全く関心のないB教授・指導医不在の医局・診療が縦割りで各科の連携が薄い院内の体制・そして実働部隊は経験が少ない上に疲労困憊・・・こんな病院っていっぱいあるんですよ。怖いですね(笑)。

自分もNo.29 元田舎医さんのコメント
>本音を言うと、法律家の方や一般の皆様が何と責めようと、もう別にいいです。
に激しく同意です。
とにかく、この劣悪な労働環境から逃れたい・・医療崩壊さえおこれば、ひょっとしたら もう少し楽になるんじゃないか?なんて思ってしまいます。
医療事故報道を見るたびに「こいつ(被告医師)も忙しかったんだろうなぁ・・」なんて感想しか抱けなくなってしまってました。自分が怖いですね(笑)。

>厚労省のモデル事業は、日本各地に相当数の法医学者と病理学者が存在する
>ようにならなければ、いつまでも「モデル事業」から抜け出すことはできま
>せんし、その「モデル事業」が医事紛争の解決にどのように資するものにな
>るのか、まだ皆目わからないからです。

今のモデル事業では全くダメです.
費用を掛けていないこと(おそらくは人選も)が問題なんでしょう.症例が提示されても遅々として進まずというのが実際のところです.
第1例のN大学のものもモデル事業での鑑定はまったくもって酷いもので,「病理結果」が全く勘案されていない鑑定であったというようなことも聞いております.
それ以外のものも時間が掛かりすぎているようです.このままにしたのではおそらくポシャるのではないかと思われます.

厚労省がもっと本腰を入れてやらない限りダメでしょうね...

>Level3 さん

>厚労省がもっと本腰を入れてやらない限りダメでしょうね...

 厚労省の尻を蹴っ飛ばす方法は何かないんでしょうか...


No.33 an_accused さん
>一般的には、結果が重大であること、
>回避可能性が高かったこと、
>被害者との和解不成立など被害回復がなされていないこと、
>被害者の処分感情が強いこと
>などが、起訴を選択させる要因であると考えられますが、、、

an_accused さま
検察には、医療事故の原則的な立件基準を設ける責任があるのでは
ないかという、私の意見に建設的な回答を頂き、感謝致します。
以上の事項は、有罪であるか否かを検証する上では、客観的指標に
ならないものがはいっていると思います。

犯罪要件に、和解過程や処分感情を入れること自体が非科学的です。
結果の重大性は了解可能ですが、回避可能性については、疑問が
あります。立件過程でいわれるところの回避可能性とは、現実的回避
性ではなく、保険診療審査や医療労働者の労働環境を無視したり、
制約された人員配置と制約ある操作時間などを配慮したモノに
なっているか疑わしいからです。

科学的な犯罪要件としては、一般的な診断基準や治療基準から乖離
した診療であること、診療者の技術水準、健康回復の医学的難易度
などが犯罪要件を検討する上での条件となるべきです。

私達は、医療崩壊は進行中であり、非可逆的であるとの予想に立って
いるのは事実であるし、既に諦観の念でいる。しかし、一方で多くの
方との対話が必要であるとも思っている。
検察との全面戦争を望んでいるわけではないし、立てなければいけ
ないメンツも双方が持っていると思う。最低条件として、我々が強く
指摘している不当逮捕事件、不当判決に対しては、絶対に譲ることは
しない。現状復帰だけは強く求めたい。

医療従事者である私達と、賢明なる法曹関係者であるあなた方との、
こうした水面下での話し合いが、善と正義と健康な社会に繋がるよう
祈らずにはいられない。

>座位さん

 検察は面子にこだわるところがありますが、医療崩壊の象徴的事件処理とされる福島の事件については、an_accused さんが引用された

「一旦喝采を浴びると退場したくないということを冒頭の福島の事件(引用者注:福島県立大野病院事件のこと)が示していると思われる。」

との指摘はまさに正鵠を射ているように思います。
 つまり、福島の起訴は福島地検のスタンドプレーであったということです。
 たぶん検察上層部も同様の認識だと思います。

 次に

>犯罪要件に、和解過程や処分感情を入れること自体が非科学的です。

のご指摘ですが、処分感情(処罰感情または遺族感情と言ってます)は、犯罪成立要件の問題として考慮されているのではありません。

 起訴便宜主義、つまり犯罪の成立を前提にした上で起訴不起訴を考える場面において考慮されている事情です。

 検察の起訴裁量においては、結果が重大であったとしても、過失の程度・内容に照らして一般予防的考慮の必要性が低い事案においては、処罰感情の有無・程度が起訴不起訴を大きく左右する場合があります。

>モトケンさん
>検察は面子にこだわるところがありますが、医療崩壊の象徴的事件処理とされる福島の事件については、an_accused さんが引用された
「一旦喝采を浴びると退場したくないということを冒頭の福島の事件(引用者注:福島県立大野病院事件のこと)が示していると思われる。」
との指摘はまさに正鵠を射ているように思います。つまり、福島の起訴は福島地検のスタンドプレーであったということです。 たぶん検察上層部も同様の認識だと思います。


このお言葉って、ホントウニ、本当でしょうか?

私としましては、福島の事件は、この腹腔鏡死亡事故よりも、ある面からすると、もっと問題ありだと思っているのですが。

>産科医−1さん

>このお言葉って、ホントウニ、本当でしょうか?

 私の認識としてはそうです。
 福島の事件は面子というよりはスタンドプレーです。
 検察は、起訴した事件には面子にこだわりますが、起訴するか不起訴にするかという場面では面子にあまりこだわりません。
 少なくとも私や私の知っている検事はそうでした。
 おっと、私は起訴した事件についても面子にこだわるべきではないと思っていましたが。

>私としましては、福島の事件は、この腹腔鏡死亡事故よりも、ある面からすると、もっと問題ありだと思っているのですが。

 検察の起訴としては、福島の事件は問題おおありだと思います。


 質問に対する答えになっていますか?

>産科医−1さん
>福島の事件は、この腹腔鏡死亡事故よりも、ある面からすると、
>もっと問題ありだと思っているのですが

福島の件は、刑事訴追するに値する事件ということでしょうか

>元田舎医さん(35)
>「いつものan_accused節炸裂」

 これは失礼いたしました。別に、「どちらが愚かか」といったことは(少なくとも私には)どうでもよいことなのですが(そもそも医師の皆さまより優秀だなどと思い上がってはいませんし)、「開き直っている」と広言なさる以上、他者の「建設的でない議論」を批判なさるのは筋違いではないか、と感じたまでです。

 もっとも、ご自身は「開き直りが基本的スタンス」とおっしゃっておられるものの、元田舎医さんが過去コメントなさってこられたもの(直近では「修復的司法」など)は、充分に「建設的」なものであったと思っています。医療事故対策として、病院内に「患者相談窓口」を設け、そこで患者の誤解や不満といったものを受け止めたり、実際に過誤があった場合において適切な初期対応をすることで紛争を拡大させないようにするといった取り組みがあり(病院内ADRの試み)、実際に、東京大学大学院医学系研究科で「医療事故対応人材育成ユニット」、大阪大学コミュニケーションデザインセンターでは「医療メディエーター(調停者)養成講座」といったものが開設され、人材育成も始まっているようです。
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/activity/index.php?id=45&p=1

 そういうわけで、元田舎医さんは過去にいらっしゃった「建設的でないとかレベルが低いなどと言って他人を非難しながら自分は一向に建設的な議論を提供しない方々」とは明らかに一線を画していると思っています。

>level3先生(37)
>今のモデル事業では全くダメです。

 私も、厚労省のモデル事業には期待していません。だいたい、監察医すら全国にいない現状で、法医、病理、臨床が一堂に会して医療事故を解明するような仕組みができるはずがないと思っています。

>モトケン先生(38)
>厚労省の尻を蹴っ飛ばす方法は何かないんでしょうか

 実はですね、厚労省のモデル事業には法務省と警察庁からも官僚がオブザーバーとして参加しているのです。ですから、このモデル事業が頓挫するとすれば、その責任は一人厚労省にあるということはできず、法務・警察にも責任の一端があるということになります。

>座位先生(39)
 ご質問にきちんと応答できていなかったようで、申し訳ありません。
 医療事故における犯罪成立基準としては、「結果回避可能性があったかどうか」に尽きると思います。そして、その評価については座位先生のご指摘どおりだと思います。ただ、医学の素人である検察・警察が独自に「一般的な診断基準や医療基準から乖離しているかどうか」「診療者の技術水準はどうであったか」「健康回復の医学的難易度はどのようなものであったか」などを判定することはできませんので、然るべき医師の意見や、医療事故調査委員会による報告などが参考にされることになるでしょう。
 また、「立件基準」としては、「犯罪成立の有無」とともに「処罰価値の有無」が考慮の対象となり、「処罰価値」については前述のような「和解成立の有無」などとともに「被疑者の社会的制裁の有無」も考慮対象になります(時々、公務員の犯罪について「被疑者は既に懲戒処分などにより社会的制裁を受けている」などとして起訴が猶予されたりしていますよね)。したがって、医師については刑事処分に先んじて行政処分が出ていれば、検察はあえて起訴しない場合も出てくると思います。今は刑事処分が先に来て行政処分が追いかける形になっているから、「泣きっ面に蜂」「踏んだり蹴ったり」になっているのです。

>>No.44 an_accused さん
>したがって、医師については刑事処分に先んじて行政処分が出ていれば、検察はあえて起訴しない場合も出てくると思います。今は刑事処分が先に来て行政処分が追いかける形になっているから、「泣きっ面に蜂」「踏んだり蹴ったり」になっているのです。

なるほど。
わかりやすいです。


例えば、国全体としての産科医療の一番重要な指標は「妊産婦死亡率」と「周産期死亡率」です。これらは一貫して下がり続けてきたのですが、すでに今年(2006年)からはあがるのではないかと予想されたりしています(未確認情報)。
その原因は多岐にわたりますがここ数年の民事・刑事訴訟の増加と無関係ではなく、特に大野病院事件の影響は無視できないでしょう。
目覚まし効果を期待して大野病院事件における逮捕・起訴があったのだとすれば、それは医師の自浄作用よりも医療の崩壊を招きました。つまり予想と異なる悪い結果をもたらしたわけで警察・検察のミス・無能さの表れに過ぎません

繰り返しになりますが、戦後ずっと減ってきた周産期の死者は再度増えようとしています。
「約半世紀にわたり医療過誤の犠牲者をずうっと『割に合わない』立場に置き続け、医師は(医事紛争処理の局面に限っていえば)『割に合う』立場にい続けていた」結果が多くの人々の命を助け、一方医療過誤の犠牲者を救おう/減らそうと行った目覚まし司法の結果が失う命を増やすのだとすれば、まだ前者のほうがよいと思いますね。
勿論一部の人々の犠牲の上に成り立つ幸福よりも、全体が平等に不幸であるほうがましだという意見もあるでしょうが。

最善の策が何らかの新たな紛争解決の枠組みを作ることだとすれば
次善の策はさっさと検察が手を引いて、故意かそれに類する以外の医療過誤を一切起訴しないこと。
最悪の策はこのまま目覚まし司法を続けることだと思いますね。

>しまさん モトケンさん

私は(この場でこれを申しますと、また、ブリカエシ、色んなお医者さまからの厳しいご意見になるかと思いますが)、福島の事件は、私としては問題おおありです。

つまり、なぜ若い母親が死ななければならなかったのか!ですが、色んなお医者さま仰る所の、「人は、いつかは死ぬのだから・・・」は、まあ確かにそうだとしても、あの場合、果してそうだったのか。

私がこう言う論拠は?!となると、この場で、彼の事件の詳細を知らぬもの同士が言いあっても、まさに空論でしょうし、また、産科を十分にご存知ない方が、お医者さまと言うだけであれこれ御発言をいただいても、正直申しまして、なかなか返答に苦慮しますので、まあ、真実ともうしますか、裁判の行方は、そのうち分かるということで、福島の事件裁判の行方を私たちは注視すれば良いと思っています。

ですので、いまの時点で一つだけ言えるのは、この事件の外部調査委員会調査報告書にあった

「将来ある患者を、防ぎようがないと言われるエラーではなく自らの未熟や怠惰によって、本来、行うべきではなかった手術で亡くしたことは最大の悲劇である。医療を志すものとして最も忌むべき行為であろう。まさに「傲岸不遜」な医療と呼ぶべきである。」

でありまして、ヒョットしてこの記載は、福島の件にもそのまま当てはまるのかも知れませんし、ともあれ、われわれ医師は「傲岸不遜」になってはイケナイという事なんでしょうね。

>an_accused さま

これは話の本筋には関係ないのですが、一言申し上げてよろしいでしょうか。
an_accused さまのご意見には面白いところ、参考になるところ、勉強になる点も多々あるのですが、そのあいだあいだに、攻撃的な文言が挟み込まれており、とても読み辛く感じます。

読み進めている途中(長うございます)に、気分を害するような表現に当たり「これはわざとかしら釣りかしらどうかしら」といちいち分別して読まないといけないところが困ります。もう少しシンプルにご記載頂ければ幸いです。内容やお話の方向性自体は首肯できる点が多いと思っております。今後もがんばってください。

あと、「もう駄目だ」とか消極的な意見を述べる医師についての苛立ちが大層おありのようですが、死ぬ前の断末魔の叫びと考えてください。常人には計り知れない極限状態にあるわけですから、その状態にない人間がとやかくいうべきではないと思います。実際、医療者側から実現可能な(主に鑑定が問題かと思われます)制度が軌道にのるのは、今後医療崩壊を経て、労働条件が改善してからとなるのは仕方がないことでしょう。それほど逼迫していることがわかりませんか。人を責め立てる言動もほどほどにお願いします。

No.47 産科医−1さん

何をおっしゃりたいのでしょうか?

福島の件を「問題おおあり」で「自らの未熟や怠惰によって、本来、行うべきではなかった手術で亡くし」「傲岸不遜」とおっしゃるのであれば、「空論」とか裁判を「注視すれば良い」などと逃げずに、ちゃんと根拠をおっしゃっていただけませんか?

このブログは注目度が高いので、事実に反すれば風評被害が大きくなりすぎます。

No.47 産科医−1さん

産科医を名乗られるのであれば、ここ2-3年間の自らの年間分娩数を
教えて頂けませんか?卒後20年目のバリバリ産科医でもなく、卒後10
年目の現役産科医でもなく、どちらかというと、卒後30年目の管理職
の方とお見受けしましたが。

> No.22 an_accused さん
コメントはおおむね正論だと思います、が、医療者も全くこの問題についてさぼっていたわけではありません。
まず、10年くらい前(私が医師になりたての頃)、すでに医療者に危機感はありました。この頃からすでに免責の話、第三機関の話はありました。しかしながらそれを公開するというすべを持っていませんでした。国に訴えてももみ消され、マスコミに訴えても取り上げられず日増しに不当な報道ばかり、医師会は全く役に立たず(医師会は保健医療崩壊前の幻想的な、非現実的な社会主義的な幻想を未だに抱き続けています)、本を出そうとしても断られ、それ以前に多くの医師は一日30時間労働(連続勤務という意味です)を強いられ暇は無し。
しかし、近年インターネットという武器が出現し、日増しに理解が深まっています。
まあ、つまり言いたいのは30年前から全く進歩がないのは、医師の責任だけではなく、社会がそれを求めなかったとも言えそうです。従って、我々が惰眠をむさぼり努力を怠ったという表現は、申し訳ありませんがいささか不満とするところでもあります。だから私はこの問題は医師だけでなく、日本国民全体の責任であると以前から主張している通りであります。
このような意見もあることを覚えて頂ければ幸いです。

ちなみに厚生省はマスコミや財務省の言いなりになっています。あまり自分たちの責任になるようなことをしたくない、このようなスタンスがあるから医師達には「何も知らず、何も考えて居らず、新しいアイデアもなく、処置も非理論的で後手後手に回り、おまけに医師を生贄にし続けている役人集団」と見られがちです。
厚生省役人が現場を知らないのに机上の空論を掲げていると言うところについて異論はありませんが、しかし、実際には彼らは彼らなりに考えています。ただ、民衆と財務省の怖さをおそれているだけのように思います。また、医療と言うより、どちらかというと研究方面に神経が行きがちという側面もあるかもしれません。

医師達があきらめかけているのはまさにこういう裏事情があるからです。惰眠しているわけではないことを重ねて訴えていきたいと思う所存です。

>yama さん

 運動論的な話になってきますと、組織化という問題が避けて通れないと思います。
 既存の組織が役に立たなければ新しい組織を作るしかありません。

 インターネットの発達は組織化の手段としてもいろいろな可能性を生んでいると思います。

>No.47 産科医−1さん

 本件と福島の件は、過失の有無程度については、多くの医師から見てもその評価に相当温度差があるように思います。

 過失判断は当面訴訟の推移と裁判所の判断を注視するということになると思いますが、純粋に法律家的視点から見ても、逮捕勾留の必要性については?マークがいくつもつきます。

> モトケン様
ご助言ありがとうございます。
とはいえ、近年は徐々に社会の理解が浸透しつつあると肌で実感しています。まだまだですが、今後の進捗を見守っていきたいと感じます。

こんにちは、an_accused さん。
整形Aです。

なかなか辛口のコメント、ありがとうございます。
いささか揚げ足取りの意見になろうかと思いますが、愚見を述べます。

No.22 an_accused さんのコメント

>皆さまは、少なくとも昭和23年の医師法施行以来7〜8年前まで、約半世紀にわたり医療過誤の犠牲者をずうっと『割に合わない』立場に置き続け、医師は(医事紛争処理の局面に限っていえば)『割に合う』立場にい続けていたということをお忘れになり(もしくはおとぼけになり)、ちょっと最近自分たちに不利な判断が見られるようになったからといって、あたかも医師が完全な被害者であるかのようにおっしゃるのは如何なものか、と私は思っています。

an_accusedさんは「医事紛争の局面に限って」と断りを入れていますので、お分かりなんでしょうが、僕が述べたいのは立木さんと同様のことです。
ここ半世紀、全体として「割に合っていた」のは、医療を受けていた国民全体です。

一例としてあげるならば、インフォームドコンセント(IC)です。
患者さんの自己決定権としてICが重要なのはわかりますが、語弊を恐れずにいうなら、これ自体は医療にとっては無駄です。
一人の患者に長時間にわたって説明して同意を求める作業は、患者の診察、診断、検査、治療といった医療行為ではないからです。
ICをしている時間を当の患者なり、別の患者に対する医療行為に当てたほうが効率がいいのは確かです。
以前にはICが不十分であった。これは紛れもない事実ですが、その分だけ医師は実際の医療にあたる時間が増え、医療全体としては患者さんのためになっていたのです。

医療過誤も同様で、確かに過去にも犠牲者はいたでしょう。その個人にとっては「割に合わない」ことではありましたが、医師がそれにかかずらわずに済めばまわりまわって他の多くの患者さんにとっては「割に合う」ことでもあったのです。
この場合、医師個人が「割に合って」いたのかどうかはなんともいえないでしょう。トラブルを抱えずに済んだので、ただ安心して飲みにいく医師もいれば、その時間とトラブルになりかかったという経験を他の患者さんのために役立てようとする医師もいるでしょう。前者であれば、医師は「割に合った」でしょうし、後者であれば、プラマイゼロ(「割が合いもしないし、合わないわけでもない」)と言えなくもありません。

立木さんがおっしゃられているように、ここ数十年の日本人が得られた保健医療の果実から考えますと、一番「割が合った」のは国民全体であったのは確かでしょう。10数年くらい前までならば、医師個人は中立か、幾分「割が合った」。
今は全然「割に合わない」。

ところで医師だけでなく、個人はその仕事が「割に合う」から続けられるのであり、「割が合わない」と考えるようになったら、誰だってその仕事をしなくなるとは思いませんか。
「割が合わなく」なれば不平を言うのは当たり前だし、「割に合うよう」変革を求めます。それでも状況が変わらなければ、「割に合わない」仕事から逃げ出すのももっともでしょう。

No.51で私が述べた「日本国民全体の責任」の部分ですが、いささかわかりにくいかもしれません。最初にお断りですが、私の言う医療は自費ではなく、国民保険に関する部分にとどめさせて頂きます。
実は他のスレで散々述べているのですが、なぜ、これを医療者だけでなく国民の責任となるのかというと、保険医療は行政サービスに似ているところがあります(問題となっている救急車有料と似ています)。国民は強制的に保険に入らなくてはなりません。しかし、これには当然財源が必要となります。
初期は貧しい国民が多く、その多くが保険診療の恩恵を被ってきたことは紛れもない事実でしょう。憲法で保障されている範囲内での最低限の医療で間に合ったわけです。
しかし、これは一方で過去と比較しても比較にならないくらい裕福になった日本国民の被保険者に割を食うことになります。具体的には、予算が限られているため、最前の医療が受けられない、医療従事者の数に制限が生じるために地方を中心に医師不足となり、医療安全が軽視されているという事実です。しかし、患者の要求は命が救われることは勿論、その質を高めるところまで来てしまったわけです。ここに医療者と患者の意識の違いが広がって来ている現状の原因を求めるのはいかがでしょうか。
一方医療事故が増えたというデータはおそらくありませんが、少なくとも医療事故が国民の目にさらされるようになり、技術の高度化に伴い、事故が容易に増えうる環境になってきているという事実は見逃せません。
この事実を見過ごしたのは医師達だけではありません。日本国民がこの現実を見過ごしたとも言えるわけです。国民に情報を与えるのは国であり、マスコミです。医師個人の力ではどうしようもありません。彼らの責任も大きいはずです。患者個人個人にとっては、確かにこうした事実は知らなかったことであり、責任はあまり無いかもしれません。しかし、マスコミによってばらまかれた情報を誰も疑問を持つことなく信じ込み、魔女狩りの如く医師を弾圧する世論を作ったという責任が国民に無いわけではないと私は思います。
この状況を打破するにはやはり医師が努力するのは勿論ですがそれだけでは駄目(この10年の動きを見て明らか)で、国民の意識改革が必要なこともまた確かなのです。

an accusedさまやFFFさまのコメントを読むといつもカチーンときてついつい反論したくなるんですよね。ただ、勉強させられることが多いことも確かなのです。それから法律が先か医療(救命)が先かというように立場が違うので、医療過誤を刑事罰と一刀両断してしまうのはちょっと待って欲しいと思います。(臓器移植問題No.110 ヤブ医者さまのコメントが的を得ています。)
飛行機の中で人が倒れた時、救急医療の特殊な状況などは未経験なもの、一か八かでする医療行為です。大淀病院の子癇、脳出血のケースもそうでしょう。未経験だから刑事罰なのか、それは緊急避難(良きサマリア人の法)に値するのか、それとも診療拒否、見てみぬふり(狸寝入り)を決め込むのか?現在は「いちかばちかの医療行為」を医療過誤とする方向性が、救急医療の崩壊を進行させていることは確かです。また事故は起こさないけど働かない窓際公務員的な医師を作ってもいけません。つまり、未熟な医師が手術をするのは何とか控えさせなければならないけれども、「未経験でいちかばちかの医療行為」をするゆとりも法律では残しておいて欲しいのです。また「傲岸不遜」だけど人一倍働く、使命感の強い医師がいるのも確かです。

>ついぞ「建設的議論」が展開されたことはなかったように記憶しています。(an accusedさま)
医療訴訟に対する医師側にとって比較的分かり易い対策は、いや最終的にはJBMの講座を各大学が作るレベルまでになれば解決すると思います。現時点ではそういう勉強会の走り、あるいはインターネット上の討論でも良いわけです。過去の手に入る判例に関してコメントを加えていき、何が学べるか議論すること(そういう意味ではモトケンさまこのブログや新小児科医のつぶやきがその走りになるのでしょう)。そのことにより今後医療がかなり消極的防衛医療になる面はあるかと思います。医療崩壊の進行と訴訟と国民の期待が妥協点を見つけるまで医療崩壊するのは仕方がないことです(例えば救急医療がなければ、救急医療に関する訴訟はなくなりますから)。
医師国家試験問題や内科専門医の問題にも禁忌枝(地雷)問題がありますが、似たような感じです。(an accusedさまから見れば)馬鹿な医者でも一度教えられれば分かります。10年前ならカルテを改竄する医師もいたでしょう。しかし、今ではそれは地雷を踏むレベルの(国試に落っこちるレベルの(医者辞めた方が良いレベルの))誤りです。
ただ現在は医療過誤の基準も分からず手探りで医療を行っている状態だから怖いのです。

>ちょっと最近自分たちに不利な判断が見られるようになったからといって、あたかも医師が完全な被害者であるかのようにおっしゃるのは(an accusedさま)
訴訟で具体的に不利益を被る(賠償金を払う)のは、保険会社(医師賠償保険)、病院あるいは市町村です。むしろ原告が可哀相だから何とか保険からお金がでないものか画策する被告医師もいるでしょうし、訴訟が早く終わって欲しいから、和解でも示談でもして欲しいと思う医師もいるでしょう。しかし、最終的に不利益を被るのは保険会社にお金を支払っている全国の医師であり、JBMに基づき特定の医療行為が困難になる現場の臨床医なのです。そしてそれは廻り回って患者さんへの不利益となるのです。

>元内科医先生(48)
>人を責め立てる言動もほどほどにお願いします。

>「もう駄目だ」とか消極的な意見を述べる医師についての苛立ちが大層おありのようですが、死ぬ前の断末魔の叫びと考えてください。常人には計り知れない極限状態にあるわけですから、その状態にない人間がとやかくいうべきではないと思います。

 ええと、先生のコメントを要約すれば、他人には言葉を慎めと言い、自分たちが何を言おうが文句を言うなということでしょうか。寝言は寝てからおっしゃってください。

>yama先生(51)
 応答をいただき、ありがとうございます。
 「医師が惰眠を貪っていたわけではなかった」というご見解につきましては、了解いたしました。ただ残念ながら、非医療者(特に、医事紛争の当事者)にも捜査機関にも、そう見えていなかったということでしょう。前述いたしましたように、検事総長も「もういいんじゃないか」と考え出しているようですし、いつまでも「目覚ましが鳴りっ放し」ということにはならないのではないかと思っています。

>整形A先生(55)
 こんばんは。応答をいただき、ありがとうございます。
 せっかくいただいたリジョインダーですが、先生ご自身が「揚げ足取り」とお書きになっておられますように、論点を意図的にずらしておられますね。
 ところで整形A先生の「医療過誤の犠牲者は泣き寝入らせておいたほうが国民全体のためだったのだから、このまま泣き寝入らせていればよかったのに」と言わんばかりのご見解に接し、眼から鱗が落ちました。勉強させていただき、ありがとうございます。

>uchitama先生(57)
 私にカチーンとくるのは理解できるのですが、FFF先生は相当に紳士的な方なので、傍から見ていて「ずいぶんな言われようだなあ」と感じることがしばしばです。

さて、先生のコメント
>つまり、未熟な医師が手術をするのは何とか控えさせなければならないけれども、「未経験でいちかばちかの医療行為」をするゆとりも法律では残しておいて欲しいのです。

 を拝見して、最近読んだエッセイを思い出しました。
 お読みになっておられない皆さまもいらっしゃるかも知れませんので、(一応著作権に配慮し)前半部分のみ引用させていただきます。

(以下引用)
 「病院では患者が死ぬ。神を信じる人にとって、それは神の意思だ。だがこの国では医学が説明しようとする。そこに無理がある。いや嘘がある。
 そもそも医学で人の運命は説明できないし、そればかりか、そもそも病気を治すのは医学ではない。それは患者の治癒力だ。医学は医療行為の顛末を後付けした屁理屈だ。あるいは経験則を一面的に観念化したに過ぎない戯言だ。不確定な現実の中で医療を実践するわれわれ現場医師は、こういった認識にある。治療の判断に迷うとき、医学など決して助けてはくれない。頼りに出来るのは自分自身の経験と勘、そして胆力なのだ。」(南淵明宏「この国の医療を破壊した『医学』」日本医事新報4308号(2006年11月18日))
(引用終わり)
※現在、南淵明宏医師は大和成和病院心臓病センター長を務めていらっしゃるそうです。

 こちらのブログの「医療関係エントリー」を継続してお読みになっておられる方なら、医療者・非医療者を問わず、南淵医師のエッセイには共感できるところが多いのではないかと思います(信じていただけないかも知れませんが、私も共感しているのですよ)。

 エッセイはこのように続きます。

(以下引用)
 「医学」はしばしば不始末の言い訳に使われる。あるいは「医学」を道具に序列を作り、自らが最高位にランクされたと錯覚して周囲を見下し、実弾飛び交う実戦を戦う兵卒を蔑視する輩がいる。彼らの「医学」はとことん悪質だ。役に立たないばかりか、医師全員の価値を貶め、社会の医療不信を磐石化し、医療を破滅させる。
 例えば医療裁判では「医学」はその悪辣さを存分に見せつけ、大活躍している。」
(引用終わり)

 この後南淵医師は、医事訴訟におけるトンデモ鑑定を3つ簡潔にご紹介なさった後、以下の文章でエッセイを締めくくっておられます。

(以下引用)
 「医学」は自ら汚辱にまみれ、世人から忌み嫌われる鬼子となり果てた。こいつが、医師を理不尽に断罪すべく牙を剥いてこないとも限らない。
(引用終わり)

 同じ“後付けの屁理屈”だからこその「医学と法律学の相性の良さ」など、このエッセイにはいろいろ思うところがあるのですが、今回はuchitama先生のコメントに関連して。

 私は、医師の方々の「胆力」を奪ってしまう今の医事紛争処理制度を決してよいものだとは思ってはおりません。しかし、例えば本件では、外部報告書によれば執刀医は内視鏡下手術の経験が乏しく、そのような場合には指導医による指導下で行なうべきであったのにそのような手配をしていなかったようです。慈恵会医大青戸病院事件もそうでしたが、なぜ一部の医師は、自分の経験が乏しいにもかかわらず、そして指導医の手配を含む準備を整えることができる環境にありながらそれを整えようとせず、手術を実施しようとするのでしょうか。経験を伴わない勘や胆力は「ヤマ勘」であり、「蛮勇」に過ぎません。私は、先生方の「胆力」を損なわないようにすべきだとは思いますが、他方、患者を「蛮勇」の犠牲にしたいとも思わないのです。

 何が「胆力」であり何が「蛮勇」なのかは、本来は医師の皆さまが同僚審査を通じて判別していくべきものだと思います。

私もan accusedに同じく、何故ここで発言される医者の多くが日医に良くない感情を持っている(ように見える)のかよく分からないのですが、医師法を改正して医師免許所持者もしくは医師免許保持者にして医療に従事する人間は、弁護士のように、日医もしくは新設の医師団体に強制加入するようにした場合、形の上では医者(≠医療従事者)全体の利害を代表する団体が誕生します。これは現下の問題を良い方向に動かす上で、デメリットが大きいのでしょうか?デメリットが大きいとすれば、それは何故なのでしょうか?

>an_accusedさま

これ以上は他の方に迷惑ですので口を慎みますが。

>ええと、先生のコメントを要約すれば、他人には言葉を慎めと言い、自分たちが何を言おうが文句を言うなということでしょうか。寝言は寝てからおっしゃってください。

私のコメントの要約はそうはならないと思います。他人へ攻撃的にものをいうことと、「もうだめだ」と現状を述べることは異なります。不適切な要約を勝手に行い、「寝言は寝てからおっしゃってください」と礼を失した発言をなさることはあなたにとって非常に不利益だと思います。せっかくのご意見もこのままでは汚言にまみれてスルーされてしまって勿体ないのではないでしょうか。ご自分のご意見は大切に扱ってください。

以前から感じておりましたが、an_accusedさまはすぐカッとなる性質があおりのようです。直された方がよいと思います。

僕自身は理屈という意味ではan accused先生やFFF先生の書いてある内容に感心してけっこう共感します。理屈というだけではなく、これは医者側の論理構成のような話でan accused先生の言うと違和感がありますが、医者が治外法権であった時代にほおかむりしているというのも本当でしょう。でも法曹の人のコメントとしてはおかしい気もします。だって一件一件を判断するのが法曹の構えなんですから、ここで過去のことを言われてもと思ってしまいます。
医療のあり方なんてその時の社会状況で決まっていく訳ですが、10年20年前の医者が特権的であった時代の方が患者さんにとっても幸せだったんだなあと思ったりします。インフォームドコンセントが当たり前で同意書をとるのも当たり前でそれが正しいことだとして僕たち(国民の大多数の和として)幸せになったのだろうかと思えば誰も答えられないのだろうと思います。まあ、訴訟以外のことで僕自身が感じている医療状況ですが、国の勝手に決めた土壌で普通の医療を行えば病院がつぶれていく現在の状況にも嫌気がさしています。昔、特権的であった医者たちの一部はけっこうアカヒゲでもいられたわけです。でもこんなにせちがらいとアカヒゲではいられなくなってきている。医療だけが、同じ医療をしてどれだけ患者さんに請求できるかを検討するする、つまり商品の品質を変えずに高く売ることが経営努力とさせられるご時世です。
法曹の方からするとなぜこんな話をするのか、論理的に離れた話をするのかと思われると思います。でも医療問題をあまりに論理的に語ろうとすると建前論になってしまうと思うのです。裁判にあたる時に法曹の方がその世界の論理性でものごとを語られるのは職業的必然だとは理解をします。しかし、そこを強く出されればやはり逃げるしかないという結論にもなります。本当にひんすれば鈍するというのは今の医者の状況です。

それから思い切って言えば僕は能力への絶望があります。このすれの事件はさばかれるべきものかもしれませんが、医者はばかなんですよ。どんなにいいシステムを作ってもきっと医者は間違います。外科の方がおそらく診療レベルの上下の幅は少ないのではないんでしょうか。内科の分野によっては10人のうち1人だけが正しい診断ができるなんてことはざらにあります。その一人だって他の分野では間違ったりする、そんなもんです。PRIMARY CAREに対する教育が足りないからだって言うでしょうが、専門性のない医者は決して専門医にはかないません。そしてもう少し思い切っていえば医療全般を学んだはずの最近10年の医師は専門性だけをならい、多くを自学自習した僕らの世代よりずっと自信がなく現実的戦力としては使えなくなっています

システムの問題も大事ですが、まず医者は馬鹿である、という前提を忘れてはいけないのではないかと思います。一般時よりは少し知識があり少し判断力があるにすぎない医師を過酷で判断力を奪うような状況で使用しているというのが現状です。そういうと医者の能力を宣伝してきた医者の自らの責任だと言われそうです。その通りです。でも、医者は能力ある存在だと振る舞わないと医者ではありえないという矛盾した存在でもあるのです。

正しさを振りかざしてすべてが明るみに出てそこを強く糾弾をすれば医師は一人もいなくなるというのももう一つの事実だと思います。民事だとしてもあまりに多額であれば結果的には同じだとも思えるのです。

僕自身は理屈という意味ではan accused先生やFFF先生の書いてある内容に感心してけっこう共感します。理屈というだけではなく、これは医者側の論理構成のような話でan accused先生の言うと違和感がありますが、医者が治外法権であった時代にほおかむりしているというのも本当でしょう。でも法曹の人のコメントとしてはおかしい気もします。だって一件一件を判断するのが法曹の構えなんですから、ここで過去のことを言われてもと思ってしまいます。
医療のあり方なんてその時の社会状況で決まっていく訳ですが、10年20年前の医者が特権的であった時代の方が患者さんにとっても幸せだったんだなあと思ったりします。インフォームドコンセントが当たり前で同意書をとるのも当たり前でそれが正しいことだとして僕たち(国民の大多数の和として)幸せになったのだろうかと思えば誰も答えられないのだろうと思います。まあ、訴訟以外のことで僕自身が感じている医療状況ですが、国の勝手に決めた土壌で普通の医療を行えば病院がつぶれていく現在の状況にも嫌気がさしています。昔、特権的であった医者たちの一部はけっこうアカヒゲでもいられたわけです。でもこんなにせちがらいとアカヒゲではいられなくなってきている。医療だけが、同じ医療をしてどれだけ患者さんに請求できるかを検討するする、つまり商品の品質を変えずに高く売ることが経営努力とさせられるご時世です。
法曹の方からするとなぜこんな話をするのか、論理的に離れた話をするのかと思われると思います。でも医療問題をあまりに論理的に語ろうとすると建前論になってしまうと思うのです。裁判にあたる時に法曹の方がその世界の論理性でものごとを語られるのは職業的必然だとは理解をします。しかし、そこを強く出されればやはり逃げるしかないという結論にもなります。本当にひんすれば鈍するというのは今の医者の状況です。

それから思い切って言えば僕は能力への絶望があります。このすれの事件はさばかれるべきものかもしれませんが、医者はばかなんですよ。どんなにいいシステムを作ってもきっと医者は間違います。外科の方がおそらく診療レベルの上下の幅は少ないのではないんでしょうか。内科の分野によっては10人のうち1人だけが正しい診断ができるなんてことはざらにあります。その一人だって他の分野では間違ったりする、そんなもんです。PRIMARY CAREに対する教育が足りないからだって言うでしょうが、専門性のない医者は決して専門医にはかないません。そしてもう少し思い切っていえば医療全般を学んだはずの最近10年の医師は専門性だけをならい、多くを自学自習した僕らの世代よりずっと自信がなく現実的戦力としては使えなくなっています

システムの問題も大事ですが、まず医者は馬鹿である、という前提を忘れてはいけないのではないかと思います。一般時よりは少し知識があり少し判断力があるにすぎない医師を過酷で判断力を奪うような状況で使用しているというのが現状です。そういうと医者の能力を宣伝してきた医者の自らの責任だと言われそうです。その通りです。でも、医者は能力ある存在だと振る舞わないと医者ではありえないという矛盾した存在でもあるのです。

正しさを振りかざしてすべてが明るみに出てそこを強く糾弾をすれば医師は一人もいなくなるというのももう一つの事実だと思います。民事だとしてもあまりに多額であれば結果的には同じだとも思えるのです。

>整形Aさん
>一人の患者に長時間にわたって説明して同意を求める作業は、患者の診察、
>診断、検査、治療といった医療行為ではないからです。


そのような考えもあるかと思います。医師の方が、そのようなお考えをお持ちなのであれば、病院を説得するべきでしょうね。「当院では、インフォームドコンセントは重視していません。無駄な時間を、患者の診察、診断、検査、治療に振り分けます」と明記しておけば済む話だと思います。そうすれば、それを望む患者さんが集まりますよね。

ところで、インフォームドコンセントは患者と医師とのコミュニケーションの場でもあると思いますので、立派な医療行為の一つだと思いますが。それに十分な診療報酬が与えられていないというのであれば、問題だと思います。もっとも、インフォームドコンセント自体は手段であって、目的ではないと思いますので、十分なコミュニケーションがとれているのであれば特には必要ないと思います。

何も言われずに診断をされ、何も言われずに薬を出され、何も言われずに手術をされるというのは私としては嫌ですが、医師の方にとってはそのような診療が理想的なのでしょうか。


>uchitama さん
>今後医療がかなり消極的防衛医療になる

よく聞かれる言葉ですが、消極的防衛医療って問題なのでしょうか。例えば、積極的な医療と、防衛的な医療のどちらが効果的か、調査が行われたことがあるのでしょうか。


>an_acusedさん
>ところで整形A先生の「医療過誤の犠牲者は泣き寝入らせておいたほうが
>国民全体のためだったのだから

横から失礼しますが、整形Aさんは、医療過誤の犠牲者に泣き寝入りしろとは仰っていないように思います。医療は不確実な物ですから、医師の責任ではないと言うことであり、訴訟の対象外にするべきだと言うことなのではないでしょうか。精神的な補償はカウンセラーが行い、補償は国が「無過失補償制度」で行うべきである。医師は訴訟やトラブルに巻き込まれない事により、余計な時間は取られない。しかも、失敗を糧にすることができる。このようにすれば、誰も困らないし、誰も悲しまない。医療全体は発展していくと言うことなのでしょうね。

>謹慎明けさん
>システムの問題も大事ですが、まず医者は馬鹿である、という前提を
>忘れてはいけないのではないかと思います。

司法は三審制など、人が間違える事を前提としてシステムが設計されていると思いますが、医療に関しては医師一人一人の裁量権が非常に大きいですよね。結果として、医師個人の判断に全てを委ねている印象があります。

馬鹿だと分かっているのなら、馬鹿な事を前提としてシステムを作ればよろしいかと思うのですが、いかがでしょうか。

>傍から見ていて「ずいぶんな言われようだなあ」と感じることがしばしばです。
法曹の方々一般に(原告側であれ被告側であれ)裁判に勝つことを優先してコメントされることが多くカチーンときたのです。確かに先生が仰られる弁論主義を前提としたなら、事実はどうであれ、弁論によって勝つことがすべてですから当初かなりの違和感を感じたのは事実です。

>何が「胆力」であり何が「蛮勇」なのかは、本来は医師の皆さまが同僚審査を通じて判別していくべきものだと思います。

「胆力」と「蛮勇」、これは医師のトータルな人間性を問うかなり難しい課題だと思います。
確かにこれまで多くの医師を見てきましたが、医師に向いていない人間というのはいるものです。優秀で性格も良いけれども、時々トンデモナイことをする医師はいます(研修医の頃カリウム静注するやつとか)。出身大学からスライドして同じ大学医局に入局する場合などは、教授からやんわりと病理や法医学、基礎医学への転向を勧めることもありました。(医局制度が半ば崩壊した今後どうなるのでしょう?)

(小生超個人的には)不器用な医師、下手な外科医は手術はするなと言いたいくらいです。もちろん内科系に関しても同様です。しかし、これもサッカーで監督が得点できないフォワードをレギュラーから外すような簡単なことではありません。良いフォワードを見抜ける監督的な存在(制度)もありません。アメリカなどと比べ良いレジデント制度が確立されていないこと、本当に腕の良い外科医(臨床医)が学会から評価されていないことなども原因でしょうか。

以前は大学でも臨床教授と基礎(学位審査)教授を分けるという議論がありましたが、最近は論文業績の教授(臨床から離れた)重視の傾向です。

むしろ時代を逆行するようですが、徒弟制のような医局制度の方が医師個人の能力の審査には適していたのかもしれません。

>No.64 しま さま
>馬鹿だと分かっているのなら、馬鹿な事を前提としてシステムを作れば
>よろしいかと思うのですが、いかがでしょうか。

その通りだと思います。例えば1人の患者さんに対して常に複数の医師が見ると言う制度が確立されればミスは減ると思います。また、それだけの医師がいれば十分なインフォームドコンセントをすることが可能だと思います。そのような制度が確立される事を心の底から祈っています。
しかしながら、現状ではそのシステムを作ることは不可能です。理由は純粋な人手不足です。厚生労働省の資料によると、勤務時間の平均は週70時間だそうです。この状況で新たに仕事を増やす事は難しいでしょう。
状況の改善策はコスト、質、アクセスのどれかを削らなければ成りません。現在のところは病院が潰れていき、アクセスが犠牲となってきています。病院が激減(例えば各県に10病院くらいに)すれば相対的に医師の密度が濃くなり、しっかりとしたシステムの下で働けるようになるかもしれません。


資料:医師労働環境の現状と課題(厚生労働省)
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/03/s0327-2d.html

医療従事者の皆様へ

an_acusedさんに限らず、ここの法曹関係者からは、僕らがリアル社会で
触れることの少ない理知的な医療批判を聞くことが出来ます。
彼らの発言は、患者家族や『被害者』と直接接した上で、インテリジェ
ンスというフィルターをかけた医療批判発言であったり、知的バックグラ
ンドの全く異なる医療批判であったりして、刺激的で学ぶ面は多い。

モトケンさんの提供されてるこのwebは、命を守るべき我々医療従事者
が、社会的生命を守るべき法曹関係者と語り合える貴重な場所であり、
また医療、法曹関係以外の領域の知的発言も見られる、極めて例外的
な空間になっていると思います。

率直に、医者側から見ると(医者も千差万別ですが)、法曹関係者の
意見は、純粋な自然科学的発想が少なく、中世の英知を結集した
神学論争風の議論を聞く苦痛も伴うし、法権威主義とでもいうようなもの
を見せ付けられ嫌悪感も出てきます。
ただ、これと類似の事が医療者の論議にもあるのだろうと想像させるに
足る不思議な鏡になってるのが、実に興味深いです。

いま、我々医療従事者は、これまで多くの先輩や同僚が築き上げた、
日本医療の到達点を否定された気分に覆われています。
我々が持っていた、医学と医療の誇りは、錯覚だったことを知らされた
わけですから、そこには悲鳴もヒステリーもある、恨みすらあるし、
そのことに非医療者は気付くはずもない。我々の心の奥深い何かが
壊れ医療崩壊とともに進行しています。

ただ、ここのweb空間の参加者は、進行する医療崩壊を契機に、社会を
憂い、見つめなおす作業を、我々と共にしてくれる『友』だと言えると思い
ます。          敵を作ることは我々の目的ではない。

No.61 謹慎明けさん
>インフォームドコンセントが当たり前で同意書をとるのも当たり前でそれが正しいことだとして僕たち(国民の大多数の和として)幸せになったのだろうかと思えば誰も答えられないのだろうと思います。

No.63 しまさん
>何も言われずに診断をされ、何も言われずに薬を出され、何も言われずに手術をされるというのは私としては嫌ですが、医師の方にとってはそのような診療が理想的なのでしょうか

インフォームドコンセントが(医師にとってでなく)多くの患者さんにとって幸せにつながっているのかというと私も懐疑的です。

私は以前は理想的なインフォームドコンセントをとろうと努めていました。あるひとつの治療に誘導することなく、複数の治療法をできるだけ客観的に提示し患者さんに選んでいただく。もちろんすべての場面ではとても無理ですが、可能な限りそう努めてきました。
しかし、ほとんどの場合、患者さんの反応は、「で、先生はどうするのが一番いいとお考えですか?」となります。そこでも私はひとつの答えに誘導しません。すべての選択肢(何もしない、も含めて)において、合併症が起こってしまったら、結果的には後悔することになります、と付け加えます。

こういうスタイルを喜んでいただけることは正直あまりありません。多くの方が「お任せします」とおっしゃいます。もっと「誘導される」ことを望まれます。

私にとってこのような説明が役に立った(助かった)ことがあります。それは治療に伴い致命的な合併症が出てしまったときでしたが、治療前にしっかり可能性について説明していたため、納得されました。この説明がなければ訴訟になったかも知れないという意味ではまさに訴訟対策としてのインフォームドコンセントだと思いました。

しかし、途中からあまりみっちり説明をしないことも多くなりました。それは単純に忙しくて難しくなってきたという理由もありますが、もっと大きいのは、このような私の説明の重大な副作用が無視できなく感じるようになったことにあります。

それは、不安神経症の患者さんをたくさん作り出すということです。

上記のような説明を聞いた方は予後についてのいろんな可能性を聞いてしまっています。そうすると、心不全や心筋梗塞や突然死などの可能性もありますから、不安で仕方なくなります。何か気になることがあると、何度も何度も病院にやってきて「大丈夫ですか?」となる羽目になります。常に体のことが気になって仕方がなくなってしまうのです。

このような場合にも「決して心配ありませんと言うな」というのがJBMですが、どう考えてもこのような方に必要なのは「大丈夫ですよ」という私の言葉です。

よく説明不足を批判されますが、このような背景もあることをわかっていただきたいと思います。

No.63 しまさん
>何も言われずに診断をされ、何も言われずに薬を出され、何も言われずに手術をされるというのは私としては嫌ですが、医師の方にとってはそのような診療が理想的なのでしょうか

そのような診療が理想的なんだと考えている患者さんが結構多いと最近思っています。パターナリズムを望む方が案外多い。
「もっとはっきり言ってほしい」と患者さんに言われたことがあり、私も最近スタンスを変えていますが、そのほうが評判がいいようです。
(私の勤務しているところはそれほど土地柄の悪いところではないです。)

このような掲示板に集う人たちはそれだけで意見にバイアスがあるということです。

ここのエントリー参加してなかったんですが、一点ツッコミを・・・

>level3先生

>もちろん膵臓は腹腔内臓器であり腎や副腎は後腹膜臓器ですから,副腎を取りに行って膵を損傷するということは進むべき方向は間違っていたことになります.

 膵臓は腎・副腎と同様、後腹膜臓器です。で、だからこそ、今回のようなミスが起きたのだ・・・と言うことです。膵臓が後腹膜臓器であることは上行結腸癌の手術や胃癌の手術をするとよく分かります。

今年7月に日本病院会が、「会員病院2535施設に勤務する医師5635人を対象とし」て行い、11/29に日経メディカルオンラインで記事となった調査によると、勤務医について、「『訴訟された』が6.4%、『紛争になったが訴訟されずに終わった』が19.5%と、合わせて25.9%」が医事紛争を経験しているそうです。
つまり、勤務医の4人に1人がトラブルに巻き込まれたことがある、とのこと。
納得出来る数字だと思いますね。

地域によって大いに差はありますが、日常の診療で患者さんの見せる対応も、このブログで非医療者のコメンターの方々が取られる反応とおよそ似たようなものです。
ほとんどの方は話せばわかってくれる、普通の方です。
が、中に必ず、最初から攻撃的であったり、どう説明しても納得していただけない方がいらっしゃいます。
時間・エネルギーの費やされ方もそっくりです。
リソースのほとんどをごく一部の方への対応で消費してしまうのです。
そして、繊細な人から疲弊して立ち去ってゆきます。

「丁寧に説明し、正しく対応していればトラブルになることはない」
私も実際に臨床医になるまでは、青いことにそう思っていましたし、つい10年ほど前まではそれほど間違いではありませんでした。
しかし、今は違います。

先日、とある小病院の院長と話す機会がありました。
幸い、そこの病院で訴訟にまで至ったことはないそうですが、こんなことを言っていました。
「だいたい医者も『失敗したな』と思っているときは、自然と低姿勢になって丁寧に対応するから、それほどこじれない。問題は、医者が『完璧だ。問題ない』と思っているときだ。こういうときが危ない」
ま、そうやってこじれた場合に解決を求めて裁判所へやってくる仕組みですので、判決文を双方の立場に立って読めば、まず間違いなく負けた方から不満が上がるのも無理はありません。


リアルの社会と異なり、ブログでは正視に耐えない表現が含まれるコメントは読み飛ばすことができます。
そのコメンターが医療者側であっても、非医療者側であっても私はそうしています。
そしてその流れが続くようなら、別に無理してつきあう義務や債務はありませんので、ブログ自体を覗かなくなるでしょうね。

あまりにひどいコメントは、ブログを管理するモトケンさんの品位を貶めているのと同値です。
ですので、以下自粛>>自分

こんにちは、an_accusedさん。
整形Aです。

No.58 an_accused さんのコメント

>せっかくいただいたリジョインダーですが、先生ご自身が「揚げ足取り」とお書きになっておられますように、論点を意図的にずらしておられますね。
> ところで整形A先生の「医療過誤の犠牲者は泣き寝入らせておいたほうが国民全体のためだったのだから、このまま泣き寝入らせていればよかったのに」と言わんばかりのご見解に接し、眼から鱗が落ちました。勉強させていただき、ありがとうございます。

an_accusedさんは、前のコメントで医療過誤、医事紛争について「割が合う」「割に合わない」という話をしていましたが、僕はそれを国民全体の医療の問題に敷衍した、ということだと思います。
話が別だ、といわれればその通りなのですが、別でない話しも結構あるのです。

整形の手術方法には、発展途上国で開発され発展していった手技があります。発展途上国で、医療的に恵まれない人たちを手術しまくって、こうしたらうまくいく。こうしたらだめだった。それを学会で発表して、国際的に評価され、開発した医師の名前を冠した術式として確立していく。
こんなケースも結構あるのです。

そういえば、世界で最初に心臓移植が行なわれたのは、当時アパルトヘイト下の南アフリカ共和国でした。黒人の若者の心臓を白人に移植しました。
今のアメリカあたりであれば、訴訟が怖くて決して行なわれない手術だったと思います。

心臓移植に関しては僕はそもそも懐疑的なのですが、それにしても(おそらく)この人種差別に基づく手術がその後の移植医学の発展に寄与したことは間違いなく、多くの心臓病患者への福音となりました。

先進国では裁判沙汰になるからやらないけど、発展途上国なら裁判沙汰にならないからいくらやってもいい。そして、それらによって発展した医学の恩恵は先進国の住民が得る、というのは倫理的にどうかと思います。
しからば、やはり先進国の住民自身がそういった実験的な医療を身をもって受け入れるしかないのではないでしょうか。個々の患者においては「割に合わない」ことがあったとしても。

こんな例も考えられます。僻地において未熟な医者が一人しかいなかったとします。
未熟な医者が治療することによって、うまくいかない患者さんが出るかもしれません。
これを、うまくいかない、つまり医療過誤として追求することによりその地域から医者がいなくなったとしたらどうでしょう。未熟であっても医者がまるっきりいないよりはまし、という考え方もあると思います。

いずれも極端な例で、こういったことで医療過誤や実験的医療を免責したり肯定しようとする意図ではありません。
ただ、an_accusedさんが医師の行動を「割に合う」「割に合わない」という切り口で切るなら、こういう見方もありますよ、ということを提示したかっただけです。

舌足らずの点、言わずもがなのことなどで、お気を悪くされましたことについてはお詫び申し上げます。

こんにちは、座位さん。
整形Aです。

亀レスになって申しわけありません。
座位さんの示された「検察として捜査し立件を試みる」指標ですが、非常に参考になると思います。

No.15 座位さんのコメント

>この症例の場合を指摘しているわけではありませんが、(強調)
>始めから、手術後の異常死に対しては
>
>1 執刀医による当該手術の手術経験が浅く
>2 術場でのバックアップ体制が不足しており
>3 術式選択に異論があった
>4 緊急手術でなく、難度の極めて高い手術でもない
>5 手術の偶発症や合併症が通常低いと考えられる
>6 術後管理体制に不備があった
>
>これらの条件のうち5つ以上揃った場合は、検察として捜査し立件を
>試みる。
>
>とか予め、条件を示して欲しいですね。
>医療過誤予防にもなるでしょうし。

これは刑事として立件されるかどうか、としての観点というより、むしろ手術をする医師(たち)の基本として、「これを守れないなら手術をしてはいけない」と医師全員が遵守すべき事柄ではないでしょうか。

もっとも今から考えると自分も1〜6に該当するような手術はやったわけですが、科の特性で、さすがに手術後の明らかな異常死に遭遇していなかっただけで、なにかあればお縄になっていた可能性はありました。
思い出しても冷や汗が出てくるようなことはいっぱいあります。

初期には、自分の技量を磨くために手術してみたい、という欲求がありました。
その後は、僻地などの地域の事情により、万全を期したいけど応援がないから仕方なく未熟な自分だけでやる、なんてこともありました。
そんな自分が「医師全員が遵守すべき」なんていえた義理じゃないんですけどね・・・。

No.73 整形A さま
昼休みカキコです。

あくまで、内科医が考えたものなので、不足の条件等があると
思います。その意味で外科の先生方に手直しして頂く必要を
感じています。

僕らの、基準と違って、検察の立場では立件基準を定立する
ことが出来たとしても、不思議なことに公表困難というのも
あるでしょうが、逆に、これまでの医療訴訟事案に当てはめて
起訴された事案、刑事罰が認められた事案、棄却された事案
に対する多変量解析を行うことも面白いかも知れません。

で、防衛医学的には、我々医者側が、弁護士の先生方の
有償協力を得て、納得できる立件条件として社会に提示で
きれば、それに対する検察サイドの感想を得ることも出来るし
観測気球として、医師会あたりに提示してほしいという気がします。

そうすることで、良きサマリア人法がなくても、医療者側は
ある程度安心して、救命活動に従事することが出来る
のだと思います。

ただ、そうした努力も、もはやしたくないという厭世気分が支配的なのですが、、、

No.58 an_accused さん

>目覚まし

すでに先生は理解された内容ですが、yama先生のコメントの通り、大野事件で目覚めたのは、医療機関ではなくて、医師の思わぬ反発を受けた法曹そして一般社会ですよね。目に見える形での抗議などを目にしてこなかったために、法曹も医療界とこれほど軋轢が生じているとは思っていなかった。医師の方は、わりばし事件等で遥か前から目を覚ましており、十分とは言えないかもしれませんが、日常業務の合間をぬって、(自分だけの話でなく周囲もほとんどそうです)いろいろな訴訟対策をしていていたのです。隣の産科の民事の話をもとに産科医が暖簾を下ろすなんてことも既に普通におこなわれていたはずです。
ジュリスト1323号は私も購入して読んだのですが、自然科学の論文であら捜しをするのになれているためか、納得するものはあまりありませんでした。特記すべき新しい知見も見当たりませんでした。

>南淵明宏医師

彼の経歴を医師が見れば、どのような人物かピンときます。彼の言動は、教授や医局との確執などがベースで、その点がたいへん判りやすい。臨床家なので共感する部分がないわけではありませんし、臨床上の業績は認めますが、私怨で歪んだ部分や、マスコミに追随する傾向は明らかに存在しますので、意見として参考にするのはちょっとどうかと思います。

それにしても先生は本当に、法と医療に関する文章をよく読まれ、かつ集められていますね。感心します。

> No.68 循内勤務医さん
> それは、不安神経症の患者さんをたくさん作り出すということです。
私もそれを実感しています。
それにインフォームドコンセントをとるときに、一部の患者さんは「それは、責任逃れではないですか?結局何が言いたいのか分かりません」と言われることが多いです(大抵はそう発言するのは神経症チックな患者さんなのですが)。
つまり、一部の人たちから見れば「どれが最適の治療法か全く分からない」、「責任を患者へ転嫁している」となるわけです。しかも、同意書など、法的拘束力が無かったとしても見方によっては実際そういう文面に取れます。
後は、「この薬を使わなかったら致死的心疾患になる確率が上がります」と説明したときに、「では、この薬を使うと心疾患にならないのか?」というおかしな質問がしばしば帰ってきます。患者の一部は確率論を理解できません。これは頭が悪いからではなく、自然科学を学んでいないからだと私は思っております。でも、医師は責任回避から「良くなります。」とか「将来心疾患にはなりません」とは断定調に言うことができません。
私の場合は、こういうときには「大丈夫です。絶対に良くなりますよ。安心してください。」と言って、カルテにしっかりエクスキューズ(例えば、患者は不安神経症であり、嘘を付いた方が良い云々)を記載しています。しかし、それで訴訟になって勝てるという保証は、当然ありません。
また、患者が薬を飲んだり、治療を行ったりすることに同意しても当然副作用や合併症を考慮しなければなりません。厳密に言うとその説明も必要です。とてもそこまで時間はありません。大抵患者さん側から質問がなければ重大な副作用以外は説明しません。

> 南渕医師
私も彼は個人的に嫌いです。自分よりも出来ない平均以上あるいは平均以下の医師を見下した態度と、自分の技量が前提でのマスコミへの追従は鼻持ちなりません。ただ、概論的には彼の言うことも一理あります。従って全てを鵜呑みにするのではなく、一医師としての参考意見にとどめ、自分で考えていくようにしなければ「ただの追っかけ」になってしまうでしょう。
ある意味、医局と上手くやっていけない人物の中にはくせ者もいるわけです。例えば他の人物の助言を無視する、社会の中にとけ込んでいこうとしないなど・・・。彼がそういうタイプかどうかは分かりません。しかし、くせ者が多いというのは私の経験上、実感している事実です。勿論、医局を完全擁護しているわけではありませんが・・・・少なくともある意味医局には意味があり、それなりに医療(例えば地方医療活動)や医学に貢献してきたことは言うまでもありません。

> No.71 元田舎医さん
初めからこちらの言うことに耳を貸さない悪質な患者が増えてきました。多分、自分の頭の中で少ない知識で構築した理論(当然少ない知識ですから医師から見れば非理論的となります)が固定観念として動くことが無い。
もう、こちらが説明しても全く意味が無いと分かったときは、他の医療機関に申し訳ないのですが、やんわりと二度と受診しないように断るか、怒らせるようにして出て行かせます。他の待っている患者さんにも迷惑ですし。

> No.75 元行政さん
私が学生の時は、自分が間違っていないと思ったときは絶対に謝るな、と教え込まれたものです。すでに十数年前にこのような講義がなされていたのです。
ただ、今は謝らないことが正しいかどうか疑問に思います。例えば、相手が謝れば攻撃をやめる様な患者(あるいは親族)であれば謝った方が(正しいかどうかは別として)特であることは確かです。勿論、相手の屁理屈を正当化してしまうのでこれが正しいかどうかは分かりませんが、少なくとも私は余計な紛争を控えるという意味で正しいと思うのです。
相手に理屈が通じず、ちょっとでも変だな?と思ったらこちらの正しい主張を通すのが正しいのか、裁判に持ち込むまでノーコメントを通すのが正しいのか正直言って分かりません。マスコミの報道を見ているとどう行動するのが正しいのか全く見えません。

こんにちは、しまさん。
整形Aです。

No.63 しまさんのコメント

>>一人の患者に長時間にわたって説明して同意を求める作業は、患者の診察、診断、検査、治療といった医療行為ではないからです(僕のコメント)。

>インフォームドコンセントは患者と医師とのコミュニケーションの場でもあると思いますので、立派な医療行為の一つだと思いますが。

自分で言っておいてなんですが、インフォームドコンセントは立派な医療行為の一つだと思います。以前も患者さんの同意なしに医療が行なわれたわけではないと思いますが、手続き的にはしっかりしたものではありませんでした。
今は医療行為の前提となっていますので、医療行為といっていいでしょう。

前段の部分は、自分でもどう表現しようか迷ったんですが、話の都合上とりあえずああ書きました。
直接的な医療行為ではありませんが、説明と同意によって治療成績の向上も期待できますので、その意味でも医療行為に含めるべきでしょうね。

>そのような考えもあるかと思います。
>医師の方にとってはそのような診療が理想的なのでしょうか。

自分としては「そのような考え」ではありませんし、理想的な診療ではないだろうということを申し添えます。

>整形Aさんは、医療過誤の犠牲者に泣き寝入りしろとは仰っていないように思います。医療は不確実な物ですから、医師の責任ではないと言うことであり、訴訟の対象外にするべきだと言うことなのではないでしょうか。

フォローありがとうございます。
せっかくしまさんにフォローいただいたのに申しわけありませんが、実はそこまで深い意味を込めた書き込みではなかったのです(汗)。
先ほども申し上げたように、話の都合上ああいう表現になりました。
自分の表現力のつたなさをお詫びいたします。

僕は医療過誤の犠牲者が泣き寝入りすべきだとは思いません。また、少数の犠牲者の上に多くの人の幸福が成り立ってよい、という考えにも組しません。
むしろ、少数の大きな犠牲を防ぐために、多数が少しずつ負担すべきだと思います。
ですから、しまさんが述べられた無過失責任補償というのも、医療による被害を多数でカバーするための一つの方策と思います。

ICと方針への誘導についてですが、以前、こんな体験をしました。
(レベルの低い話で申し訳ありませんが)

とあるレストランで、ソムリエから今日の料理とワインについて、
どのワインがどうで、この料理にはこういうワインが良くて、
などと、一通りの説明を受けて、さて、どのワインを頼もうかと。
ソムリエの丁寧な説明も、最後にはすっかり忘れてしまい、また、
多少は覚えていても、
「じゃあ、お任せしますので、おすすめのものをお願いします。」と。

結局、普段、ワインの基本的な知識も知らなければ、飲み慣れても
いないので、自分の好みもどんなものかも分からない。
自分の命に関わる治療を決めるのと、料理のワインを決めるのと、
同じ次元で語るべきものでもないのかもしれないですが、
その後、自分がICをする時には、「先生にお任せします」と言われても
やはり仕方がないのかな?と思うようになりました。

>膵臓は腎・副腎と同様、後腹膜臓器です。で、だからこそ、今回のような
>ミスが起きたのだ・・・と言うことです。膵臓が後腹膜臓器であることは
>上行結腸癌の手術や胃癌の手術をするとよく分かります。

僻地外科医先生,
すみません.麻酔科医は直接臓器を触りませんのでイメージが掴めません.
お教え下さい.十二指腸と膵臓は膵管でつながっており,十二指腸は当然腹腔内臓器です.どこから後腹膜の外へ出ているんでしょうか?

膵臓が後腹膜臓器ならば,副腎の廻りの脂肪をかじった時に膵尾部をかじってもなんら不思議はないです.

>No.53 モトケンさん
過失判断は当面訴訟の推移と裁判所の判断を注視するということになると思いますが、純粋に法律家的視点から見ても、逮捕勾留の必要性については?マークがいくつもつきます。

私も、逮捕拘留が必要であったとは申しておりませんので、そこの所は誤解なきようにお願い致します。

>No.58 an_accused さん

快刀乱麻を断つの如きメッセージ、(私は医師ですが・・・苦笑)有り難うござます。

ただ、医療者がこれほどまでに萎縮してきた原因として私が考える所の、例えば、手術とかの技術を伝授していた医局が、インパクトファクターだけで選ばれてきた教授の所為で崩壊してきたとか、だから若い医師は出来ない手術も自分だけでしなくっちゃ、と思ってしまうのだとか、そうした医局では個人の実績の評価が「論文」だけに偏ってしまっているとか、また、一般病院ではその科の評価は「売り上げ」だけになってしまっているとか、こうした遠因と思われるものに対しても、社会としては目を向けるべきだとは思っています。

まあ、一朝一夕には今の医療の状況は好転しないのかも知れませんが、それ程、クレーマー患者が居る訳でもないですし、リピーター医師が居るのでもないと思います。

医師は専門家としてのピアーレビューをしっかりして、自分で自分の襟を正すようにしていれば、そのうちに、クレーマー患者も影を潜めるんじゃないでしょうか。

>No.69 循内勤務医さんのコメント
に対する自己レスですが、

>このような掲示板に集う人たちはそれだけで意見にバイアスがあるということです。

パターナリズム的な説明をしても、特に問題なく経過し、患者さんに感謝され良好な関係を築けている場合が大多数である医師と、
不幸な経過をたどり医師に不信感を持った患者さん(家族)ばかりと接している法曹関係者
とでは、
意見の一致を見るのが難しいのは当たり前の気がします。

>モトケンさん

インフォームドコンセントについて、このエントリーで論じるのも不適切な気がしますが、

インフォームド・コンセント・システム?
http://www.yabelab.net/blog/medical/2006/09/17-085640.php
に移動しましょうか?
あるいは、新たなエントリーを立てていただけますでしょうか?

>No.82 循内勤務医さん

 新エントリ「インフォームドコンセントについて」を立てました。

No.47 産科医−1さん

福島の事件について多くの医師は、「人は、いつかは死ぬのだから・・・」
というレベルの批判をしているわけではないと思います。

わざわざ別の事件の報告書に結び付けてまで、
「最も忌むべき行為」「「傲岸不遜」な医療と呼ぶべき」
などとかなり踏み込んだ見解をおっしゃるならば、

「事件の詳細を知らぬもの同士が言いあっても、まさに空論」
「裁判の行方を私たちは注視すれば良い」
などとせずに、しっかりとした根拠を示す責任があると思います。

なお、回答は(していただけるならば)このエントリは不適切と思いますので、
福島県立大野病院産科医療過誤事件
http://www.yabelab.net/blog/medical/2006/10/13-230902.php
の方にお願いいたします。

No.79 Level3 さんのコメント
>十二指腸と膵臓は膵管でつながっており,十二指腸は当然腹腔内臓器です.
>どこから後腹膜の外へ出ているんでしょうか?

十二指腸球部あたりは腹腔内臓器と言ってもよろしいかもしれませんが
教科書的には十二指腸は後腹膜臓器です。

ボクのムンテラ

(ひとしきりリスクについて説明した後)
私が同じ状況なら手術を選択します。
なぜなら、手術のリスクを引き受けられるからです。
手術をすることによって予期せぬ不利益があるかもしれないが、
その確立は病気を放置する不利益よりも随分低いから、
たとえ予期せぬ合併症があってもしょうがないなと思えるからなんです。

でも手術によって悪い結果となってしまったとしたら、本人や家族はすごくつらい。
あいつのせいで悪くなったと考えてしまう。でも低い確率だけど起こりうることなんです。

あなたが、そういったリスクを引き受けられるなら手術をお勧めします。
もしそうでないなら、手術をすることによって不自由が生じるのがなんとしても許せないのであれば、薬で治療してその結果は自身の寿命であると考えらるのであればお薬の治療をお勧めします。

ここまでのやり取りをICレコーダで保存してます。
こんな風にやると、手術のリスクを患者が引き受けた実感が出てくると思います。
各論ですけど。

でも刑事事件やクレーマーにはムンテラの内容なんか関係ないかもしれませんね。

医療システムが崩壊しても知識や技術があれば生き残りますよ、医者は。必要ですから。
UKでもUSでもシステムに良し悪しはあるが医者はあんまり不幸じゃない。
どこに不幸を集めるのかを国民と行政が考えればいい。医者は描かれた図面どおりに働くだけのブルーワーカー。手術が楽しいからやってるだけ。天下国家はエライ人が考えればいいです。時間が来たのでタイムカード押して帰ります。そんな感じ。

>膵臓が後腹膜臓器ならば,副腎の廻りの脂肪をかじった時に
>膵尾部をかじってもなんら不思議はないです.
ウロの医者が腎摘除術を行う際には腎および副腎を包んでいるGerota筋膜前葉と
癒合筋膜との間で剥離を行います。そうすれば膵臓は癒合筋膜の側に行くので
通常膵臓の損傷はありません。
腹腔鏡下副腎摘除術でもある程度この層での剥離を行います。
ところが今回の件では癒合筋膜の腹腔よりの切開が不十分であったために
膵臓のある層へ入ってしまい膵損傷がおきたものと思われます。
だから報告書にもあるとおり剥離層が間違っているわけです。

>level3先生

 腹腔内臓器に含まれるのは胃、球部十二指腸、空腸、回腸、横行結腸、虫垂、S状結腸、脾、肝、胆嚢です。臓器ではありませんが、大網、小網、小腸間膜、横行結腸間膜、S状結腸間膜も腹腔内。盲腸・虫垂は個体差があり、後腹膜からフリーになっている場合と、後腹膜に固定されている場合があります。

 十二指腸は2ndポーションから腹膜後隙に入りトライツ靱帯で腹膜後隙から出て空腸につながります。上行結腸、下行結腸も後腹膜臓器です。膵は2ndポーションで十二指腸とつながっており、下縁は3rdポーション、4thポーションと接する後腹膜臓器です。後腹膜の膵尾部側は脾門部で終わっており、脾は腹腔内臓器です。

僻地外科医先生,
詳細な解説ありがとうございました.

今回の問題は入っていく層を間違っていたために膵の方へ行ってしまった,ということですね.

脳血管内手術の練習のために、手術器械メーカの研究所に行きブタでトレーニングさせてもらったことがあります。
予め作成された動脈瘤を、わざとカテーテルで突き破ってみたり、血管内に異物を置いてきてそれを回収したり、血管を詰まらせ、また開通させたり、と、実際の人間ではめったに起きないけれど、起きたら非常に困ることを想定してのトレーニングを行うことができました。

そこには手術室を備えた動物実験施設、専用の麻酔機・血管撮影装置、ブタの麻酔を管理する専任の獣医師、ふんだんな手術用機器などなど・・・。
おそらく私の使用した消耗品だけでも、数百万円は下らないと思います(すべてメーカー側が負担してくれました)。

しかし、このような動物を使ってのトレーニングは、日本では一般的ではありません。
おそらく、コストの問題が大きいのだと思います。


近いことを行っている施設や個人はあります。
某センターの脳神経外科では、手術顕微鏡下でラットの血管吻合(人間より細い)を100例行い、ビデオを提出し認められ、初めて、人間の血管吻合の術者となることができます。
熱心な先生は、中古の手術用顕微鏡(300万円ほど)を自宅に購入し、練習したそうです。
腎移植で問題になっている万波医師も、犬を使ったり、自費で渡米したりしながら移植の手術のトレーニングをされていた様です。

海外の外科医のトレーニング施設では、日本では経験できないような症例数を重ねることが可能です。
実際、多くの外科医が海外でトレーニングを積み、指導的な立場となって帰国します。

しかし、通常の日本の外科医は、もっとトレーニングを積みたいと思いながらも、外来診療や病棟での仕事に忙殺されています。
大学病院であれば、学生の指導、研究以外にも、患者の搬送や、薬剤の運搬などまでもが医師の仕事であり、大変な時間を取られます。
患者さんへの説明は非常に重要な仕事であることは認識していながらも、その他の余計な仕事が多すぎ、その結果、全てが中途半端になってしまっているように思われます。

そういった状況で、この国では、まともに手術のトレーニングを行わないことが常態化してしまっていた(いる)のではないかと思います。

外科医の本音としては、一切の雑用をやめて、手術に専念したい。
そのために、トレーニングに集中できる、時間や人的な余裕が欲しい。
説明や、外来診療、術後管理は、研修医や他の医師に任せたい。
お金は、生活できるのに十分なだけあればよい。
といったところだと思います。

しかし、今のままでは、未熟な手術しかできない。
しかも、この状態では、逮捕される可能性すらある・・・。

現在のままでは、現役の外科医は早めに引退し、希望者は減り、外科医の数はどんどん減ることになると思います。
脳神経外科では、学会の新規入会者数(=新規の脳神経外科医)が、研修医制度開始以前の75%減、つまり1/4だったそうです。
その結果、外科医一人当たりの手術件数が増えるかと言うと、そうはならず、一人当たりの雑用が増えるため、かえって手術件数は減る可能性があります。
それは、手術までの待ち時間が増え、手術を受けられない患者が増えることを意味します。
また、不利な状況を避けるため、手術症例の選別が厳しくなり、状態が良く、手術の結果が明らかに良さそうな患者しか、手術を受けられなくなるかもしれません。
今よりは、明らかに状況は悪くなりそうです。

人的にも、予算的にも余裕の無い現状で、医師に何かを求め過ぎると、他の何かがおろそかになる、というジレンマがあります。
それでも、現状で何とかしていくしかないのですが、その「何とかせねば」というモチベーションも、ちょっとした医療への攻撃、例えば、民事裁判を起こされることだけでも、容易に崩れてしまう性質のものです。

我々も、何とかしたいと思っている。
ただ、焼け野原が広がっていくのを、いつでも逃げられる状態を取りつつ、消火活動に当たっているのが現状なのかもしれません。

P R

ブログタイムズ

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