エントリ

 岐阜県立多治見病院(舟橋啓臣院長)の倫理委員会が2006年10月、回復の見込みがないと判断された患者本人が事前に文書で示した希望に基づき、人工呼吸器の取り外しを含む延命治療の中止を容認する決定をしていたことが7日分かった。しかし岐阜県の「国の指針もなく、時期尚早」との意見で外されないまま患者は死亡した。
 病院によると、この患者は80代の男性で10月上旬、入所先の施設で食事をのどにつまらせて倒れ、救急車で運ばれた。搬送時は心肺停止状態だったが、蘇生処置で心拍が戻り、人工呼吸器が装着された。  担当医は回復は難しいと家族に説明。翌日、家族が「重病で再起できなければ延命治療をしないでほしい」という1996年付の患者自筆の文書を提示し、人工呼吸器と強心剤投与の中止を依頼した。(共同通信)

 約2か月間治療が継続されたということのようです。

 現場の意見を問題が生じることを恐れる役人が押さえ込んだ、と感じられます。

 みんなが他人の後をついて行こうと考えたら、全員一歩も前に進めません。

追記
 倫理委が延命治療中止容認の結論 岐阜県立多治見病院(asahi.com 2007年01月08日12時16分)

 朝日に少し詳しめの記事が出ましたし、コメントもありましたので補足追記します。

 病院によると、男性は昨年10月、食べ物をのどに詰まらせて、心肺停止の状態で救急車で運ばれた。救命救急センターの治療で心拍が再開したものの、人工呼吸器を付け、強心剤投与が続けられ、回復の見込みがないと診断された。

 男性は96年7月14日付で「重病になり、将来、再起(の可能性が)ないとすれば延命処置をしないでほしい」とする文書を家族に託しており、入院2日目に家族が延命治療の中止を申し出た。

 病院はマニュアルに従って、副院長を委員長とする倫理委員会(外部委員2人を含む13人で構成)を開催。この男性の治療に関係していない医師2人の「回復の見込みがない」とする診断と、文書は本人の直筆か、書いた後で意思の変化はないかなどを確認したうえで、昨年9月に作った病院の終末期医療のマニュアルに沿い、人工呼吸器を外すことなどを容認した。

 しかし、倫理委の報告を受けた舟橋院長は「国などの指針が明確でなく、時期尚早」と判断。昨年3月、富山県の射水市民病院で人工呼吸器を外して問題化した例もあり、「現段階では、医師だけが責任を問われかねない」として治療中止を認めなかった。

 男性は入院3日目に、人工呼吸器などの治療を受けたまま、「蘇生後心不全、蘇生後脳症」で死亡したという。

 男性の治療にかかわった同病院の間渕則文・救命救急センター長は、延命治療の中止について「現場の医師は日常的に判断を迫られている。法整備やマニュアルがないと、医師1人が悪者にされた射水病院のようなことが今後起きる」と話している。(以上、asahi.com)

「法整備やマニュアルがないと、医師1人が悪者にされた射水病院のようなことが今後起きる」(上記救命救急センター長)
非常に重要なことなので、だれか私以外の他の人が決めてくれると嬉しいです。(No.1 某救急医さんのコメント)

 ごもっともです。
 では誰が決めるのか。
 院長は国に決めてほしがっているようです。
 でもことは人の命にかかわることですので、国(厚労省でしょうか)の担当者も決めたがらない。
 結局、誰もが司法に決めてほしがっているのではないでしょうか。
 なんらかの問題が生じれば、その問題は最終的には司法判断に行き着きますので、ひょっとしたら司法が別の判断をするかもしれない問題について誰も先走って決めたがらない。

 しかしここには、司法は問題が生じないと判断できない、という根本的矛盾があります。

 つまり、人工呼吸器を外してもかまわないかどうかについて、あらかじめ司法判断を求める仕組みがないのです(ひょっとしたら可能かもしれませんが思いつきません)。

 司法は、具体的な事件が起こってからその法律的解決をすることしかできません。
 つまり、人工呼吸器を外して患者が亡くなってから、そのことについて医師の責任を問う人が訴訟を起こしてはじめて人工呼吸器を外したことの当否、違法性の有無、医師の責任の有無などについて司法判断がなされるということになります。

 ということは、どこかの医師または病院が、少なくとも(民事及び刑事の)訴訟リスクを負担するというスケープゴートにならなければ、話は進まないように思います。

 なお、もし私が検事正なら、医学的判断に明白な誤りでもない限り、本件を刑事訴追することは認めません。
 最も厳しい処分としても、起訴猶予の主文で不起訴です。

 私以外の検事だって、これだけ責任分散されてしまっては、起訴しようと思っても難しいと思いますよ。

追記その2(毎日の記事)
 尊厳死:県立病院の倫理委が容認の答申 岐阜(毎日新聞 2007年1月8日 13時44分 (最終更新時間 1月8日 18時18分))

 翌日、家族が担当医に「回復の見込みがなければ延命治療はやめてほしい」という96年付の男性直筆の文書を提示。家族も治療中止を希望した。病院は昨年9月、終末期医療に関するマニュアルを作成しており、担当医はこれに基づき、倫理委委員長を兼ねる副院長に倫理委開催を要請した。

 病院は院内の医師や弁護士ら13人で構成する倫理委を即日招集し、初めてマニュアルに沿った手続きを開始した。開催に先立って別の2人の脳神経外科医が診断したが、「回復は見込めない」という見解で一致。倫理委は、文書が自筆で、現在も同様の意思であることを家族に再確認した上で、「(倫理委閉会の)24時間後に再度診断し、回復不能と判断した場合、院長決裁を経て、強心薬投与をやめ、人工呼吸器を外す」との結論を院長に伝えた。

 だが院長が県医療整備課に相談したところ、同課は「尊厳死に関する法律やガイドラインが未整備で、医師が刑事罰に問われる可能性もある」として治療の中止に反対し、院長もこれに同調した。男性の死因は窒息死。


関連記事
 呼吸器外し経験14% 延命中止依頼は79% 救命センター全国調査
 上記のキャッシュ

関連ブログ
 延命治療について(脊損よもやま話)

重要追記
 この問題に関し、厚生労働省が意見募集をしています。連絡先は下記参照
 「終末期医療に関するガイドライン(たたき台)」に関するご意見の募集について

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コメント(132)

> みんなが他人の後をついて行こうと考えたら、全員一歩も前に進めません。

今の時代、司法やマスコミが恐いですから、自分が先に進もうとはおもいません。先陣をきるものは、昔は称賛されましたが、いまはドン・キホーテと呼ばれて失笑されてしまいます。

結局のところ、このような状態に陥った患者に対しては、私は水と最低限の栄養を投与して、心停止まで待ちます。「早く心臓がとまらないかな」と期待する自分がイヤですが、トラブル回避のためとおもって我慢しています。

家族も最初の数日間は回復を期待していますが、1週間ちかくたつと、「早く家につれて帰りたい」(=早く心臓がとまらないかな)と言い始めます。

こんな状態で人生の最期を過ごすことは、医師も、家族も、本人も希望しているとはおもえないのですが、どうしたらよいでしょうね。

非常に重要なことなので、だれか私以外の他の人が決めてくれると嬉しいです。

朝日新聞を見るとだいぶ印象が違いますね。

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しかし、倫理委の報告を受けた舟橋院長は「国などの指針が明確でなく、時期尚早」と判断。昨年3月、富山県の射水市民病院で人工呼吸器を外して問題化した例もあり、「現段階では、医師だけが責任を問われかねない」として治療中止を認めなかった。
http://www.asahi.com/life/update/0108/004.html
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朝日の報道を見る限り、この判断はこの判断で正しいかと思います。一方、病院で終末期医療のマニュアルを作り、その判断に従いともありますので、何のためにマニュアルを作ったのかと言う疑問は残ります。

本人が望み(1人称の死)、家族が望み(3人称の死)、そして主治医をはじめ担当医療機関がそれを受け入れ(2.5人称の死)・・・
なのに、
行政が、社会(3人称の死)がそれを許さない。

人生の最後を本人や家族の望むようにできない。
医療者もそれを援助できない・・・

病院で人が死ぬことを、社会やマスコミは、医療の責任にしたがっている。
医療者にとって自然あるいは不可避と思われる事例まで、何かと責任を追及され、医療者がそれに対して恐れている。

おかしな世の中になっていますね。


「自分は死なないと思っているヒトへ」(養老孟司)
を読んで、なぜこんな世の中になってしまったのが、私にもようやくわかりかけてきました。

 

私もつい最近窒息を起こしたお爺さんが入院しまして、心停止とはいかないまでも自発呼吸は消失状態にあり、挿管の上人工呼吸器使用を開始しました。幸い改善し無事抜管出来ました。
私がいる千葉の田舎では高齢化社会ということもあって、肺炎や心不全の患者さんが入院した際には、最初から「もし病状が悪化して自発呼吸が弱まったり、心停止を来たしたとしても、挿管や心マは意味のない延命治療になる可能性が高いです。どうしますか?」と話し、急変しても救急心肺蘇生はしない、と予め決めてしまうケースが多いです。
ただ勿論、窒息や脳卒中といった場合には、緊急事態ですから家族の判断を仰ぐ暇もなく挿管せざるを得ないことは多いでしょうね。
前者のような対処は特別な事ではなく、勿論法に抵触するとする考え方も通常なされないでしょう。しかし、後者のように一度挿管して人工呼吸器につないでしまうと、問題が複雑化してしまうのですね。
長く自発呼吸も消失し回復の見込みもなく、意思の疎通も図れない。それでも一度装着してしまった人工呼吸器を外すことは物議をかもしてしまう。そのままの状態で心停止を待つ、という方針が一番無難ということになってしまう。
予めnatural courseと決めておき急変しても挿管しないことは容認されるのに、一度挿管してしまえばその後回復の見込みがなくとも外すことは許され難い、というのは、一見変ですね。

勿論、「本当に回復しないと言い切れるのか?」「人工呼吸器外せばその時点で死んでしまうのだから殺人行為と一緒では?」という考えもあるから難しいのでしょうけど。

 追記しました。

モトケンさんが「どこかの医師または病院が…スケープゴートにならなければ話は進まないように思います。」と言うのは、現制度下ではしょうがないこととの理解は出来なくもないですが、

しかし、この問題に限らず、医療と訴訟の絡みのことでは、医療関係者からはもう山ほどのスケープゴートを出してると思うんですが、また出さないとダメですかね? 医療関係者は、法曹界の凶悪ぶりをさんざん見せ付けられて恐怖におののいているという事実を、モトケンさんはよくご存知でしょう。

医療が崩壊しても、法曹からはスケープゴートは出ないんですよね。

>医療関係者からはもう山ほどのスケープゴートを出してると思うんですが、
 
 訴訟リスクの負担というのは、訴訟を提起させる可能性の負担という意味で、訴訟を提起されることの負担という意味ではありませんでした。
 ちょっとわかりにくかったですかね。

 本件は、その意味でのリスク負担の限度でスケープゴートになるには近来まれに見る最適な事案だったと思います。
 いくばくかのリスクはあるとしても、刑事上も民事上を責任を問われない可能性が極めて高く、同時に延命治療中止の先例として事態を大きく動かすきっかけになりうる事案だったと思います。

 倫理委員会の判断もそうだったと推測します。

 その意味で院長の判断は残念です。

 現状に照らせば無理もないと思いますけど。


>医療が崩壊しても、法曹からはスケープゴートは出ないんですよね。

 ついでに反応しておきますけど、何がおっしゃりたいんでしょう?

>峰村健司 さん
医療界が当事者能力や自浄能力を発揮出来ない以上、スケープゴートはまだまだ発生すると思います。私にとっては、法曹界の凶悪振りよりも、医療界の無策振りが気になるところでございます。

モトケンさん

>現状に照らせば無理もないと思いますけど。

この一言で十分ですね。残念がるのは自由ですが…

>>医療が崩壊しても、法曹からはスケープゴートは出ないんですよね。
> ついでに反応しておきますけど、何がおっしゃりたいんでしょう?

謎な文で失礼しました。
医療崩壊の原因のひとつに検察警察司法の問題があり、特に象徴的なのは福島の宮城正典さん、片岡康夫さん、東京の藤山雅行さんのお三方だと思っているのですが、そういう方々をはじめ法曹の方々は医療崩壊に対して何らかの責任を負うことはまずないと思ったのでちょっと書き足しました。

神経救急・集中治療ガイドライン(メディカルサイエンスインターナショナル)という邦題となっている米国の教科書があります。
インフォームドコンセントとは自己決定権の理念ですから、かの国では判断能力のある末期患者は時に自らの死を前提に、主治医の中止を求めることができると明記されています。本人の医師が確認できない場合も、意識回復の見込みは薄く、代理人(または患者家族)が治療を望まなければ、治療の終了は倫理的に許容されうるとされています。実際上は、主治医の責任で倫理委員会の監視下に治療終了が可能だということです。

倫理という概念をもたらした欧米で終末医療の中止、生命的短縮をもたらしうる苦痛の緩和を許されているとすれば、日本の社会で言われている倫理とは何なのか、と思ったりします。

しまさん

>医療界が当事者能力や自浄能力を発揮出来ない以上、スケープゴートはまだまだ発生すると思います。

スケープゴートはまだまだ発生する、そうでしょうね。ですから我々に出来ることは、極力自分がスケープゴートにならないように努力すること、そして理由を聞かれたら「法で裁かれないように」と繰り返すことじゃないでしょうか。

リスクを犯して自浄能力というのもわからないでもないですけど、現状ではリスクがあまりに大きすぎますよね。刑事捜査の対象になるなんて冗談じゃないですよ。

しまさんへ追記

延命治療に関しては、医療界の当事者能力や自浄能力は無関係ですね。国民や司法の当事者能力がないために混乱しているのだと思います。

>これだけ責任分散されてしまっては、起訴しようと思っても難しいと思いますよ。

モトケン先生のコメントにもありますように、この院長判断は、「リスク回避」、防衛医療の観点からは、無難な対応をとったと思います。 

責任を分散させるという方法は、私も臨床の現場で運用していますが、改めてその有用性を感じました。

さて、これをもし、県が病院にお任せしますとコメントして、実際に、人工呼吸器を止めたとしたら、世の論調が、「批判」か「賛辞」かどちらに傾くかは興味あることころです。

私は、まだ、やっぱり「批判」だと思います。

>No.9 峰村健司 さん

 ご指摘の問題はすでに何度か触れているはずです。
 検察の起訴基準について、福島の事件をスタンダードと考えておられるのでしたら私のエントリのニュアンスは正確には伝わらないでしょう。

 以前に検察の医療事故に対するスタンスは変わってきているということを書きましたが、それは私の根拠のない憶測でも希望的観測でもありません。

 医療界全体で、リスクがもともと少ない事案について、きちんと手順を踏んでリスクを最小限にしながら延命治療の中止問題に取り組めば、検察は味方になる可能性があるのです。
 検察が起訴しなければ、どんな変な裁判官がいたとしても関係ありません。
 警察も、遺族が告訴でもしなければ本気になって捜査しません。
 逮捕など考えられません。
 たぶん、検察がブレーキをかけます。

 民事訴訟でも、遺族が訴えなければ訴訟は始まりません。

 そのような対応を医療側全体が取ろうとしないので、やむにやまれぬ気持ちで延命治療を中止する一部の医師が文字通りスケープゴートになるんじゃないでしょうか。

 やや不謹慎な言い方ですが、赤信号みんなで渡れば怖くない、かも知れませんよ。

 それと検察悪玉論はそろそろ控えたほうがいいんじゃないですか。
 それだけ福島の事件の起訴の罪は深いと思いますが、福島事件を何にもしないことの言い訳に使っているように聞こえるときがあります。
 司法側の私がこんなことを言うと思いっきり反発が来るでしょうけどね。

 司法の人間は判断を間違っても、逮捕も損害賠償請求もされないのに気楽なこを言うな!

という声が投稿する前から聞こえてきます。

 しかしこれは司法側が保護されすぎなのではなく、医療側が保護されなすぎと見るべきです。

 そして権利というのは主張しなければ得られない、というのが法律の考え方です。

 黙っちまったら何も得られませんよ。

 その意味で、院長がブレーキをかけたとはいえ、倫理委員会の治療中止容認の判断の意義は少なくないと思います。


 ところで別の観点での質問ですが、医師側から見て無駄な延命治療のために費やされている医療費というのは年間幾らくらいになるのでしょう?
 厚労省に対する圧力としてはこっちのほうが有効かも知れないな、と思ってるんですが。

モトケンさん

> 以前に検察の医療事故に対するスタンスは変わってきているということを書きましたが、それは私の根拠のない憶測でも希望的観測でもありません。

そういう話は他でも聞きましたが、それを明示するもの(法律か最低限言質等)がない以上、

>たぶん、検察がブレーキをかけます。

「たぶん」じゃあ、ダメなんじゃないでしょうかねぇ。なにしろ、「一か八かでやってもらっては困る」とか言っちゃうんですから。

(つい今しがた、福島事件に関しては「弁護団側から提出した証拠134点の殆どに対し検察側が不同意を示した」ことを知り、おいおい…と思ったところでした)

>司法側が保護されすぎなのではなく、医療側が保護されなすぎと見るべきです。

それはその通りでしょうね。(そもそも私は総じて日本の裁判官は優秀だと思っています。)

さて、延命治療の中止についてですが、私は目医者なので甘いかもしれませんが、もっと患者サイドに考えてもらうといいと思うのですが。極端な話、人工呼吸器をはずすことは患者さんの家族にもできることでしょう。面倒ならば管をはさみか何かでちょん切ればいいわけで。延命治療の中止を切に願う家族がいれば、医者が延命治療中止に反対したとしても、医者が見ていないうちにそうすればいいでしょう。延命治療中止自体が医療行為として合法とされない限りは、誰がやろうと同じとは言えませんかね?

率直な疑問です。
事件、裁判にならんければ基準は出来上がらないのでしょうか?
医療関係者が行政にお伺いを立てる、行政は裁判所にお伺いを立てる、という方法はないのですか?

あるいは、医療関係者が国に対して基準を定めよ、と行政訴訟を起こすことはできませんか?

>No.15 峰村健司 さん、No.16 m さん

 延命治療中止の要件を定めた法律を作っちゃえば一番はっきりします。

 検察官も裁判官も法律には従わざるを得ないからです。

 但し、立法は国会の仕事です。

 行政の一員である検察官も司法府の裁判官も立法はできません。

 司法または行政に立法を求めるのは筋違いです。

>行政は裁判所にお伺いを立てる、という方法はないのですか?

 ないです。
 裁判所に具体的事件を離れて裁判所の見解(裁判基準)を表明する権限はありません。

>No.17 m さん

 行政訴訟については不案内ですが、

 裁判所が認めるかどうかはともかく(たぶん認めないと思いますが)、訴状を裁判所に提出することはできます。

 そして記者会見を開いて、マスコミや国民に基準制定の必要性をアピールすることはできると思います。
 たぶん、その程度の意味しかないのではないでしょうか。

> 行政の一員である検察官も司法府の裁判官も立法はできません。

素朴な質問ですが。 検察官は行政の一員なんですか?

私がNo.10であげた教科書にはアメリカで治療を中止できること、治療を中止することと治療を最初からしないことは同等であったという司法判断があったことも書いていますが、司法は社会通念を追認しただけとも書いています。
だとすれば、日本の社会通念とはなんなのか、それはあるものなのか、作られるものなのか、作れるものなのか、誘導できるものなのかということが大事です。

インフォームドコンセントのところでも書きましたが、倫理という言葉だけを借りて日本化しているところに混乱があるように思います。インフォームドコンセントの世界では全てを承知したうえで治療を決定したら何人であれ、逆らえない、不承知な医師は主治医をおりることだけができるはずです。この新聞のケースは患者の自己決定権の侵害ともいえると思います。アメリカでは倫理委員会にかける必要もないケースではないでしょうか、たぶん(と教科書だけで気弱ですが)。

>クルンテープ さん

 はい、検察官は形式的には法務大臣が任命する行政の一員です。

 ただし、仕事の内容が、裁判官と同様に事実の認定と法の適用に基づく判断ですので、「準司法作用」と呼ばれることがあり、他の行政府の役人と比べて強い独立性が保障されています。

延命中止したところで後でご家族の方々(遠い係累まで含めますと膨大な人数になる可能性があります)全員に納得していただくことは非常に難しい場合があります。

私は「どうして延命中止の基準なんか決めなければいけないのか?」と思います。

後から意外な人から意外な不満を述べられたりと、人の死に関わって散々不快な目に逢った経験が私にはありますが、延命中止の基準を決める必要などないと考えます。延命中止など情けをかけてするべきではありません。

「一度救命措置を行ったら何と言われようと中止しない」これでいいのではありませんか。

「尊厳のある死に方を選択をしたいという家族の期待を実現させてもらえなかった(本人の意思が明示されていればややこしくなりますがそうでない場合)」という民事訴訟はおこされるのかもしれませんが「殺人か否か」という訴訟(刑事訴訟になるのでしょうか)は回避できると思います。

リスク回避が大切ではないでしょうか。今の時代、至極当然の考えと思います。

赤信号をなぜ渡る必要があるのですか?
「やむにやまれぬ気持ち」は自分を重大な危機にさらします。
この医療訴訟が頻発する時代にそのような気持ちをもつ方はいささか無用心ではないかと考えます。

延命治療のためにかかる医療費が勿体ないということであれば、立法を働きかけるほどの国民の皆様の世論が盛り上がれば基準は作られるかもしれません。しかし「費用削減ありきの議論はいかがなものか」的な社説などが量産され、感情的な反発も大きく、結局めんどくさい議論は放置されてこのままだらだらいくのでしょう。それが国民の好みであれば政治とはそういうものですからある意味仕方ないでしょう。

私は医師がそこまで出すぎた介入をする義理もないと考えます。「無策」であるべきだと思います。「基準作りに取り組む」必要があるのでしょうか。

また、この問題について「医療者側の当事者能力や自浄能力が足りない」ということは何を指しているのか私にはよくわかりません。家族の希望と患者の予後を鑑みて延命中止することは不浄なことなのでしょうか。指弾すべき重大な過誤なのでしょうか。私はそうは思えません。

毎日新聞の記事の追記を読んでおりませんでした。

この事例では本人の自筆(らしい)延命措置を中止してほしい旨の文書があったようです。こういった場合難しいのですが、それでも

「やはり中止しません。今の日本では中止は危険すぎるから中止しません。」
これでいいのではないかという考えに変わりありません。

もちろんこの事例ではご本人の自書であったのでしょうし、ご家族の「本人の希望を無にしたかもしれない」という無念さは想像できます。しかし、世の中にはいろいろな方がおられます。

嫌な話ですが、遺産や保険など経済的な要因が関係して、延命措置の中止の判断に慎重さが必要になることもありえます。そういった複雑な問題にまで介入する可能性も予想しておいた方が良いと思われます。今の医療を取り巻く状況でそこまで関与する余裕もありませんので、世論が盛り上がるまで今のまま何も変えないことが一番良いのではないかと思います。

No.14 モトケン 様
医師に対しては労基法違反は適応されない、労災認定されず刑事告訴出されても不起訴、疲れ果てた体で帰宅途中に交通事故を起こしてもそれは医師個人の問題、医療経営者は奴隷医師をこき使ってバシバシ労働させるべし。
私のこのような書込を許すようなまでに議論のレベルが下がってしまったことがもっとも寂しいです。

また追記です。

「自浄能力がない」とは、「本人の希望を叶える努力が医療側に足りない」という意味でおっしゃっているかもしれません。それでしたら意味がわかります。

では「本人の希望を叶えずだらだら延命措置を続けること」が不浄なのでしょうか。過誤なのでしょうか。人道的にみればそうかもしれません。しかしだからといって延命中止をするほど私も甘くありません。無理なのです。こればかりは死亡した患者様の主治医になるなど、当事者になってみないと分からないかもしれませんね。

>>No.24 元内科医さん
>ご家族の「本人の希望を無にしたかもしれない」という無念さは想像できます。
>しかし、世の中にはいろいろな方がおられます。
この一文を読んでとても強く頷いてしまいました
終末医療における延命問題に限らず、どれだけ患者さんやそのご家族と話し合って信頼関係を築いていても
ある日突然、クレーマーのように押しかけてきたり弁護士からの書面が届いたり、見たことも聞いたこともないくらい
遠縁の親族を名乗る方が押しかけてきたり・・・
多かれ少なかれ、誰も経験のある事でしょう
そういった体験をしていくと赤信号を渡る気がなくなり防衛医療へと気持ちが萎縮していきます
多くの仲間達、特に中堅〜若手がそのように感じ、行動しています

正直、私はこの院長の判断を支持しますし私の勤務先のTOPもこのような英断(あえてそう書きます)を下して欲しいと願います

>元内科医さん
私が言っている「当事者能力や自浄能力の欠如」と言っているのは、あくまでスケープゴートに関しての話です。もしこの件で延命治療を中止したとして、医療界からスケープゴートを出してしまうのであれば、それは医療界(個々の医師ではなく)自体に問題があるのではないかと思うのです。

延命治療の中止に関して「医療界は基準作りに関与しない」とか「医療界は延命治療に関して判断しない」と言う合意が形成されているのであれば、それはそれで問題ないかと考えます。

>まさむねさん
「病院が作成した終末期医療のマニュアルに基づき、倫理委員会が延命中止を判断」したにも関わらず、院長が決断したというのは個人的には問題だと思います。倫理委員会の存在意義が問われることになりますし、「病院内部の医師による判断」よりも「県医療整備課の判断」を重視したとも思います。

まさむねさんは、「医師の判断」よりも「役人の判断」を重視するような病院に勤務したいと思われますか?

>医師の判断」よりも「役人の判断」を重視するような病院に勤務したいと思われますか?
何故、この事例が報道されたんでしょうね?
本質から外れたレスで申し訳ありません.

>No.29 しまさん
私は「役人の判断」より「ある日突然現れる遠縁のクレーマー」もしくは「豹変する遺族」を恐れます

それと倫理委員会に過度の期待を抱きすぎです
倫理委員会の判断=現場の臨床医の判断ではない場合も多々あります
倫理委員会がどう判断を下そうと、後に様々な理由でトラブルが起きた場合にトカゲの尻尾切りのように切り捨てられて担当医の責任に全てされる・・・
少なくとも私はそういった例を多々見てきています

もちろん、しまさんやモトケン先生の言われている事が正論であることは認めますが、現実問題として情けない話ですが自分のみを守る事をまず第一に考えてしまう医師も多いです

>「医師の判断」よりも「役人の判断」を重視するような病院に勤務したいと思われますか?
ですから今回の場合は↑ではなく、「いざという時に責任もとらず守ってもくれないであろう倫理委員会の理想論」より「自分たち、前線の兵卒である医師を守ろうとしてくれる院長の現実論」を支持します

>No.29 しまさん

>「(倫理委閉会の)24時間後に再度診断し、回復不能と判断した場合、院長決裁を経て、強心薬投与をやめ、人工呼吸器を外す」との結論を院長に伝えた。
とありますので、この病院の手続きとして、そもそもそういうルールだったのでしょう。

>「いざという時に責任もとらず守ってもくれないであろう倫理委員会の理想論」

 本件の場合、もし延命治療の中止が殺人罪に問われるとすれば、その決定に関与した全ての人間、すなわち倫理委員会で少なくとも中止に賛成した人間は全て共同正犯です。
 賛成した全員が責任を免れるわけにはいきません。

 倫理委員会の開催に先立って診断した別の2人の脳神経外科医も少なくとも幇助にはなります。
 マニュアルに従って中止決定の前提となる診断をしたからです。
 さらに範囲を広げれば、マニュアルを作成したメンバーも幇助が視野に入ってきます。
 延命治療中止、つまり殺人行為のための手順を作成したからです。

 決して主治医だけの問題ではありません。

 以上はもちろん罪に問われるとすればです。

 つまり、上記の全員が否応なしに共同戦線を張ることになります。
 そしてその中には弁護士もいます。
 けっこう強力な共同戦線だと思いますよ。

 そして私の本件の見通しは、メンバーの弁護士も中止に賛成したのであれば、その弁護士と同じです。
 弁護士は当然自らも訴追される可能性を考慮にいれて、その可能性がほとんどない、仮に起訴されたとしても無罪になると判断して中止の決断していることは間違いありません。

モトケンさん

> 弁護士は当然自らも訴追される可能性を考慮にいれて、その可能性がほとんどない、仮に起訴されたとしても無罪になると判断して中止の決断していることは間違いありません。

そりゃあ普段から法曹界に生きる人には、裁判なんて日常生活のひとつでしょうから予測も立つでしょうし、自信も持てるんでしょうね。
しかし医者をはじめ非法曹の民としては、「警察沙汰かもしれない」と思ったら強烈に怯みますよ。「弁護士が大丈夫だと思っているから」と言われたって、普通ヤだと思うんじゃないでしょうかね?

しかも延命治療中止問題は、中止することを諦めれば警察沙汰から免れることは明白でしょう?

医療者と非医療者で、死や病気に対する感覚が違うのと同じように、法曹と非法曹で、裁判に対する感覚はあまりに違うと思いますよん。

>No.34 峰村健司 さん

 私は、岐阜県立多治見病院は延命治療の中止が警察沙汰にならないように、または仮になったとしても警察や検察と戦えるようにするために倫理委員会やそれに付随するマニュアルを作ったと理解しました。

 そして倫理委員会が機能すべき最適の事案が生じたわけです。

 ところが県や院長は察沙汰になることを恐れて倫理委員会の警決定を覆しました。

 これは私の目には明らかな矛盾と映ります。

 だったら最初から倫理委員会など作らなければいいんです。

 金と手間の無駄です。

”伊関友伸のブログ”でも取り上げられています.
こちらでは、中日新聞を紹介しています
http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20070108/mng_____sya_____000.shtml
http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20070108/mng_____sya_____018.shtml
この新聞の中で
>間渕則文救命救急センター長は「何とか意思を大事にしたいと思ったが(時期尚早と言う)県と家族との板挟みでつらかった」と打ち明ける。

ということですので、少なくとも現場は患者、ご家族の意思を大切にしたいと考えていたのだと思います.

モトケンさん

> 金と手間の無駄です。

いや、無駄ではないとおもいますよ。

「倫理委員会の判断としては中止容認だが、諸般の事情から(笑)中止は出来ないのだ」と世の中に意見できたのですから。

第一、モトケンさんのがNo.14で言われた、

> その意味で、院長がブレーキをかけたとはいえ、倫理委員会の治療中止容認の判断の意義は少なくないと思います。

と自己矛盾していますよ。

遠縁の親戚に限って「もっと手厚い医療をすれば云々」という傾向があるのはなぜかとよく思います。現場をよく知らない方のために私が現場でよく感じて考えたことをお話しします。

まず、遠縁の親戚は殆ど看病に来たことがありません。いまわの際まで患者さんにあったことがない場合が多いです。その場合

ゞ瓩靴た佑脇々ゆっくりと衰える患者さんの容貌に徐々になれていきますが、めったに会わない親戚の頭の中には元気なときの姿しか記憶にないのでしょう。そこで、「ついこの間まであんなに元気だった人がこんな姿に・・・」とショックを受け、「もっと医療をがんばれ(そうでもしないとかわいそうだ)」的な意見を持つ。死の受容が自分だけできていないということですかね。

△泙拭△瓩辰燭鵬颪錣覆い箸いΔ海箸蓮患者さんの看病とか細々したことを自分はまったくやっていないということです。その負い目からか、「ここは医療をがんばれと私が言わねば」と存在感をアピールしている場合もあるのでしょうか。迷惑なんですけど、なりゆきもあり、本人の自発的な主張なので仕方ない面もあります。

たくさんの親類の中にこういうことを言い出す人が一人でもいるとその人に向かってまた(その人以外には何回も行った)病状説明と、治療方針を一から説明しなおさなくてはいけません。もちろん説明を行っていますが、勝手に一人だけスパークする人もいます。

そういう場面を何回も何十回も経験した私には、この問題で基準が作れると予想できません。簡単に考えないで欲しいのです。現実の場面をもっと想像してみてください。そもそも日本人の性格からして「いえべつにわたしは・・・」「でもそんなにはっきりとは・・・」とかあいまいな判断で終始することをよしとする傾向があると思います。延命中止って、死んでもらうことなのですよ。それを受け入れるだけの素地が日本の家族縁者みんなにそろっていることはまれではないでしょうか。

 No.14以降で述べられているような事なかれ主義が支配するならば、結局無駄になるんじゃないですか。

>元内科医さん
>延命中止って、死んでもらうことなのですよ。それを受け入れるだけの素地が
>日本の家族縁者みんなにそろっていることはまれではないでしょうか

脳死による臓器移植の場合、一応は基準ができていますよね。臓器移植を行う場合は延命中止を受け入れて、臓器移植を伴わない場合は受け入れられないという事なんでしょうか。

モトケンさん

> No.14以降で述べられているような事なかれ主義が支配するならば、結局無駄になるんじゃないですか。

そうですかね? そりゃあ実際に倫理委員会判断を行使するよりは、もちろん効果は薄いとおもいますが、

「倫理委員会の判断としては中止容認だが、諸般の事情から中止は出来ないのだ」と主張して、倫理委員会の判断能力と、諸般の事情についての問題提起が出来ただけでも、まあよしとしませんかね?

異常死のガイドラインのように、それに従って動いても警察沙汰になる悪夢もありますしね。

倫理委員会が中止容認の判断を出した時点で、事なかれ主義から脱却していると思うんですがねー。少なくともやるべきことはやったと言えませんか?

延命中止に関しては、↓のような調査もあるみたいですね。
http://www.saitama-np.co.jp/news01/03/03x.html

このうち、何件の施設で殺人罪が問われたのでしょうか。

>峰村健司 さん
>諸般の事情についての問題提起が出来ただけでも、まあよしとしませんかね?

諸般の事情というのが、県と病院長の事なかれ主義であり、事なかれ主義の問題提起に関しては成功したと思います。この件ではそれ以上の問題提起には繋がってないと思います。

一方、病院の
1.終末期医療のマニュアル整備
2.倫理委員会を設立
3.倫理委員会がマニュアルに基づき延命中止を判断

と言うのは高く評価されることではありますが、そこまでやっておいてなぜ延命中止を中止したのかと言う疑問が強く残るところではあります。

現在、医療関係者の間で検察・警察不信とマスコミ不信は結構広がっていますからねぇ。
医師や医師会、学会などに指針を作ってそれでというのは無理だと思うし、そもそも指針などで決めるべきものではないと思う。
指針に従えば完全に免責されるという保障があれば別ですが。この問題で医師がリスクを負いに行ってもほとんど得るものはありません。

その結果一番割を食うのは患者さん本人やその御家族、その次は医療費のかさむ国民ですかね。

延命中止問題に関しては、東海大学安楽死事件における遺族の対応も尾を引いているとは思います。
あそこで、「自分たちが頼んだんだ、医者は悪くない」とご遺族が勇気を出して言ってくれればその後の展開もずいぶん変わっていたでしょう。

 質問があります。

 本件のような症例の場合、延命治療中の患者側の医療費負担は一日あたり(または一月あたり)幾らくらいなのでしょう?

 その他代表的な延命治療についての平均的医療費は幾らくらいなのでしょう?

しまさん

諸般の事情は、新聞にあるとおり「現段階では、医師だけが責任を問われかねない」という事情ですね。これを事なかれ主義ととるか、殺人罪の疑いをかけられるという切実な問題ととるかは、非当事者か当事者かの違いかもしれませんね。

いみじくもしまさんが提示されたページに「終末期医療の在り方について「法整備が必要」としたのは51%」と言っているわけで、過半数ですよ。法による寛容の保障がなければ実行しないという考えも、昨今の「何でも捜査」の風潮からは止むを得ないんじゃないでしょうかね?

あ、そうだ。倫理委員会の判断に従って、ご家族の手で延命治療を中断してもらうってのはどうですか?これが一番無難なんじゃないですか?

自己レスです

>あ、そうだ。倫理委員会の判断に従って、ご家族の手で延命治療を中断してもらうってのはどうですか?これが一番無難なんじゃないですか?

これも、殺人幇助になってしまいますね…はて困った…

>峰村健司 さん
>諸般の事情は、新聞にあるとおり「現段階では、医師だけが
>責任を問われかねない」という事情ですね。

延命中止して、殺人罪として起訴されたというのであれば「倫理委員会の判断があろうとも、医師だけが責任を問われかねない」と言う事情が浮かんだと思いますが、延命中止を中止した以上、そこまでの段階には達していないと思います。


>法による寛容の保障がなければ実行しないという考えも、昨今の
>「何でも捜査」の風潮からは止むを得ないんじゃないでしょうかね?

それはそれで構いませんが、「指針による対応を求めた」施設も46%に上るわけで、この辺りは合意を形成してほしいものだと思いました。ちなみに言えば、国による指針も、倫理委員会による判断も、法的には同じ意味合いを持つと思います。

延命治療こそ限りなく自費診療にしたほうが良いと思うのですがどうでしょうか?
原則自費診療とし、救命の可能性があるもののみ1〜2割負担とか。
数々の治療や患者家族への説明や同意など一番労力がかかって実りが少なく、かつ訴訟等のトラブルになりやすい部分だと思うのですが。

>No45 モトケンさん

僕がある程度わかるところとしては。

白血病などの末期で、本気で延命治療をすれば一日10万円とかかかります。
輸血代などが高いのでしょう。

>No.49 uchitama さん

 どうもそれが一番現実的な解決策のような気がしますが、法改正を要しますか?

>No.50 立木 志摩夫さん

 白血病の場合は、延命治療の期間はそう長くないのかも知れませんが、それでも患者側の経済的負担は相当なものだと思います。

 患者本人も家族も中止を望んでも中止できないというのは、患者側の経済的負担の観点から見てもおかしいと思います。

 そしてこの事情は検察としても無視できない事情です。
 言うまでもなく不起訴の方向に働く事情です。

おそらくこの件ではありえないでしょうが、全く同じようなシチュエーションでNo.21 謹慎明け さんのコメントにあるように「人工呼吸器を外さなかったのは患者の自己決定権の侵害だ」として民事訴訟に至るケースが近々出てくるのでは、と予想します。
またはホスピスの現場での訴訟ですね。

もし実現したら判決が出るはるか前に、日本の医療は終焉を迎えそうです。
立法府を動かせない限り。

>モトケンさま
小生の知識は乏しいですが、厚生省が保険点数の改正の際に生命予後の明らかに限られた例に関して保険点数(1,3割負担→5割、10割負担へと)を変更すれば良いのでしょう。
問題は倫理的な部分も含めての線引きですが、これは医師だけでなく国民全員が真剣に考えるべき問題と思います。逆に言えばとりあえず全額自費診療にして、そこから特殊なケースは医療費を還付していくようにすれば良いと思いますが。
多くの科にまたがりますがそれぞれの科でいろいろなケースをシミュレーションすべきと思います。
終末期医療はどれだけ医療費をかけてもその労力が将来国に還元されることがない空しい部分です。家族と医師の自己満足的な部分がかなり大きいことは否めません。

 No.42 しまさんが紹介した資料やNo.53 元田舎医さんのコメントを見て思ったんですが、

 延命治療の中止が刑事事件化するのは、警察や検察のスタンスの問題というより、遺族の十分な納得が得られていなかったからじゃないですか。

 もともとの原因に目をつぶって警察や検察のせいにしてませんか?

 結局、ガイドラインや倫理委員会というのも、遺族の納得を得るためのもの又は納得を確認するための手続じゃあないんでしょうか。

 私が本件は不起訴だというのは、患者が80歳と高齢であることと患者自身の意思が明確であることに加えて、近い遺族が納得していると認められるからです。
 仮に警察が立件しても、ほぼ100%の確率で不起訴だと思います。

>No.54 uchitama さん

 ありがとうございます。

 続きはまた明日考えます。

しまさん

>延命中止して、殺人罪として起訴されたというのであれば「倫理委員会の判断があろうとも、医師だけが責任を問われかねない」と言う事情が浮かんだと思いますが、延命中止を中止した以上、そこまでの段階には達していないと思います。

もちろん、そこまでの段階に達しないように、延命中止を中止したということですね。
しかもこの病院は公立病院ですし、公の立場として職員に責任がかぶる可能性を出来れば排除したいのは非常に納得いきます。

>それはそれで構いませんが、「指針による対応を求めた」施設も46%に上るわけで、この辺りは合意を形成してほしいものだと思いました。

本当は合意が出来るといいんでしょうけどね、現時点で51対46では、難しいでしょうね。尤も、「延命治療中止は殺人罪および業過致死罪免責」+「指針による対応」だったら、合意出来るのではないかと思うのですが、どうでしょう?あるいは、もっと根本的には「医療行為の施行とその中止は、明らかな悪意が無い限り免責」とか。

まあ、ダメでしょうね。そんな甘いのはダメだという空気が、医療崩壊を加速させているのでしょう。

ネットで医師が言うほど本当に治療中止すると遠くの親戚が出てくるのでしょうか。
僕は医者として25年です。
皆さんがおっしゃる雰囲気はわかります。しかし、富山の先生だって家族との問題は起こしていないし、
僕も経験がありません。やくざやベンツを乗り回す生活保護が患者でくる病院で勤務した経験も含めてです。
外科的な緊急事態や救急での怖さは身につまされます。でも内科的診断やある程度時間をかけれる
ことに関してはここに来られる多くの先生に賛同をしません。
この問題はおそら何かのきっかけで十分に変えれることだと思います。
倫理委員会での決定を院長が従わなかったのは僕もすごく残念です。

「延命治療の中止が刑事事件化するのは、警察や検察のスタンスの問題
というより、遺族の十分な納得が得られていなかったからじゃないですか。」
というモトケン先生の意見には富山の先生の例でも同意しませんが、モト
ケン先生の言うことに概ね賛成です。今回は手続きを踏んでるのですから、
そのうえで突破をする、それぐらいの楽観主義がなければ社会を変えること
などできようはずがありません。
ただ、例外的であっても、とんでも判決をみれば常識が通じないで逮捕、ある
いは高額補償という不安感を取り除くほどの説得力はモトケン先生のコメント
にはないように思います。
よくネットの医師が言う感謝されない、尊敬されないからのmotivationの
喪失というのもわかりますが、我が身かわいさばかりを言っていては結局鶏ー
卵論争になってしまいます。


>>No.55の管理人さん
>延命治療の中止が刑事事件化するのは、警察や検察のスタンスの問題というより、遺族の十分な納得が得られていなかったからじゃないですか。

少なくとも警察に関しては、羽幌病院事件では違いました。
遺族からの嘆願書もあり、あの事件では起訴を回避できたようですが。

いずれにせよ、おっしゃられるような「遺族の十分な納得」が常識的な普通の努力で得られるなら、このような医療崩壊はなかったでしょうね。
おそらく通常の医療行為の結果に基づく刑事訴追の可能性が完全になくなっても、状況は変わりないと思われます。

実は、医療崩壊と法に関して、カギは「民事訴訟」にあると考えます。
つまりは「人の心」です。
なので、根が深く、対策が困難なのです。

No.51(No.49)
それはいいアイディアと思いましたが、制度にしようとしたら(法改正を伴わない運用であっても)、どこぞのマスメディアや有識者という人が「貧乏人は死ねということか!」「命に軽重あり!」というように騒ぎ立てるかもしれませんね。
なかなか難しいですね。
なお、騒ぎ立てる親族(遠縁)は、司法の世界でも同じですから(若干程度は違いますが、被害者にも色々います)、その点は共有されているかと思います。

>No.58 謹慎明けさん

>ただ、例外的であっても、とんでも判決をみれば常識が通じないで逮捕、あるいは高額補償という不安感を取り除くほどの説得力はモトケン先生のコメントにはないように思います。

 私のコメントに説得力がなくても、本件で倫理委員会の決定に従って中止していれば説得力のある先例ができたはずだと思うので残念なのです。

 何事にもトンデモ的な例外があります。
 今の問題は、いくつかのトンデモな起訴事例や判決が原則視されていることです。
 または原則視する議論がなされていることです。
 私自身も統計的な数字は持ち合わせていませんが、No.42 しまさんが紹介した資料の事例(私の友人の医師から聞いた話などを参考にすると実数はもっと多いと思われます)が刑事事件化していないことから見て、いわゆる延命治療中止行為が刑事事件化するのはかなり例外的だと思われます。
 後記の記事にも「延命治療の中止を理由とした殺人容疑の立件は極めて異例だ。」とあります。

 トンデモな小学生教師の存在が報道されたからといって、みんな子供を小学校に通わせることを拒否するのでしょうか。
 例外を例外と冷静に認識する必要があるのではないでしょうか。


>No.59 元田舎医さん
 
 羽幌病院事件を本件の参考事例とすることは不適切です。

 羽幌病院事件において警察は、「女性医師が他の医師の意見を聞かず、独断で人工呼吸器を外した▽本人の意思を確認せず、家族への病状の説明も不十分だった――などの点を重視し」たようですが、それらの事情は本件には当てはまりません。

 ついでに指摘しますと、出産時の医療事故と延命治療中止行為は状況が根本的に違います。
 これから生まれ出る命の喪失と死にいく命を無理矢理引き止めていることの違いです。
 その意味で福島の事件を本件の参考事例とするのも適切ではありません。

 医療側の方は、法律家から見ると明らかに違う事件を一緒くたにしているところがあります。
 これは医療側の誤解もしくは認識不足ですので医療側の方に改めていただく必要があります。
 枯れ尾花を怖がっているようです。

 倫理委員会のメンバーになんのために弁護士をいれたのでしょう。
 私が指摘したような法律的な助言を得るためだったはずです。
 そして倫理委員会としては弁護士の法律的見解を踏まえて結論を出したはずです。
 それを何もわかっていない役人がひっくり返したというのが本件なのではないでしょうか。

 仮定の話で申し訳ないのですが、冒頭のケースで、死亡する前に、家族が延命医療中止を求める裁判を起こした場合、どのような展開が予想されるでしょうか。延命医療中止の本人の意思確認が明らかな場合、判決で延命医療中止が決定される可能性はあるのでしょうか。

 これなら、もうすこし可能性の高い仮定の話になりますよ。
 「本人(もしくは家族)が望んでいたのに延命治療を中止しなかったことにより余分な医療費がかかって支出が増えた」と生命保険会社から損害賠償請求が病院にくる。
 これだけでモチベーションがた落ちですね。

>これは医療側の誤解もしくは認識不足ですので医療側の方に改めていただく必要があります。
法曹界がうらやましい。「お前らの説明不足」で叩かれてます医療界です。「そんな話は聞いていない」とおっしゃる初めて見る遠くの親戚は延命治療に限らずいくらでも経験あります。それに振り回され反論できずに意見が変わる家族もいくらでもおられます。富山・射水市民病院の報道の初期に家族がなんと言っていたか記憶される方もおられましょう。それともあれは初期の意見が本当で後期の意見は周囲のプレッシャーに負けて変更された意見なのかもしれません。

そして"枯れ尾花を怖がってなにが悪い""青信号で止まって何が悪い""もう車は運転しない"が現在進行形です。その対策の可能性を司法の観点から語っているからこのblogが人気なんですよね。

No.62 通行人A さんの
>仮定の話で (中略) 家族が延命医療中止を求める裁判を起こした場合、どのような展開が予想されるでしょうか。
これに非常に興味があります。

モトケンさんは
「しかしここには、司法は問題が生じないと判断できない、という根本的矛盾があります。(中略) 司法は、具体的な事件が起こってからその法律的解決をすることしかできません。
 つまり、人工呼吸器を外して患者が亡くなってから、そのことについて医師の責任を問う人が訴訟を起こしてはじめて人工呼吸器を外したことの当否、違法性の有無、医師の責任の有無などについて司法判断がなされるということになります。」
とおっしゃっていますが、「ヤラセ」の裁判起こすのは罰せられるでしょうか?(よくミステリーで、本当の所有者が知らないうちに、詐欺師が共犯者とぐるで裁判起こしてわざと負けて、所有権移転の判決得てしまうなんていうのがありますが)。

 医師サイドも患者サイドも良く話が分かった人だとして、仮にその間でたまたまこういう事案が起こったとします。「司法に判断させる」、ただそれだけを目的に、院長がわざと「医師としては呼吸器はずすことに反対です」と公式に声明し、患者家族サイドはそれに応じて、「この医師の判断は、患者の「延命治療希望せず」の自己決定権を侵害しているので、裁判所として呼吸器をはずすよう病院に命じる仮処分を請求する」裁判を起こす訳です。
日本ではやってはだめですかね? この手の裁判が5例も続けば、たちどころに判例積み重なると思うのですが。もちろん、双方記者会見を開いて、あくまで双方が心ないマスコミ、世間から責められないように「あくまで裁判所の意見が知りたいだけだ」と強調するんですけれど(さらにもちろん、ヤラセの裁判は許さないと法曹が言われるなら、裁判が終わるまでは、ヤラセであることは伏せておくのですが。)
ただアメリカでこの辺の判断が前進してきたのも、カレン裁判などを通じて、事前に「裁判所」が判断してきたからではなかったでしょうか。(呼吸器は無意味だからはずせという要望を持っていた)カレンさんの父母が、呼吸器はずそうとしない医師団(呼吸器はずすことは殺人になるとして抵抗)に対して裁判を起こし、裁判所が「呼吸器をはずせ」という決定したんですよね(はずしたら、皆の予想に反して、相当長期間その状態で生存されたのは皮肉なことでしたが)。

このように行うと明らかに法的倫理的に問題を生じるかもしれないケースは、事前に裁判するのが、言ってみれば、「究極のオープンで公平な議論」ではないでしょうか? 
これが法律的にできないのなら、「法律上難しい問題はもっと積極的に事前裁判にする」法律を制定せよと、法曹界で運動して欲しいものです。
(例えば、逮捕令状の制度なくて、仮に「警察は逮捕が必要だと思ったら自分の責任で逮捕するんですよ。ただし、逮捕した後で不当逮捕だとして裁判起こされたら、一からじっくり裁判しますよ、その結果によっては、逮捕監禁罪で警察官を有罪にします」と言われたら、現場警官からやってられないの声上がると思うんですけれどね。それと同じです。)
この法律上、有る行為をやって良いかどうか相反する主張がある時、これを裁判所に判断してくれともとめる制度が実は現行制度でもあるのなら、その制度普及を怠った人たちの罪であると同時に、裁判を嫌う日本人の風潮の悪い面だと思います。

つーか治療の中止という立派な医療行為を、なんでこんなにおっかなびっくりしながら考えなければいけないのかというと、No.14でモトケンさんが言われるように「医療側が保護されなすぎ」だからです。医療側が相応の保護を受けながら、医療行為を堂々と行えるように最終的には医療免責獲得に繋がるような運動をするのが一番だと思います。

私の意見は著しく萎縮した判断そのものなのですが、それで良いと思います。「事なかれ主義」という批判もあることは十分わかりますし、私にも人の心がないわけではないので、「本人の意思をどうして認めてあげないのだ」という意見もわかります。しかし「事」が起きる可能性を最小限にすることが何より大切だという考えがあっても、別にいいんじゃないかと思います。私ならそうするということです。「枯れ尾花を怖がって何が悪いのでしょうか」「青信号でもとまることがいけないのでしょうか」という意見に近いのです。本当にそれでよいのではないですか?

法的な問題点があるのでしょうか?もしあれば指摘していただきたいと思います。直ちに考え方を改め、決して法的な問題を指摘されないようかつ民事訴訟も起こされないよう対策を練り直します。それまでのことです。

「家族の意見」というものがいかにあいまいで、容易にいつ(患者さんの死後いくら時間がたっても)覆るかわからないようなあやふやなものだという実感が私にはあります。「家族の総意」というものを基本的に信用していないということです。そうではないという意見の方もおられるようですが、地域性などにもある程度かかわることかもしれません。私は自分の経験上そう考えます。

この病院の医師も倫理委員会も家族も善意で事を進めたようですし、しかしその決定を覆すのが院長と病院開設者の県の判断であります。そういう判断をする人を戴いていることも現実ですし、それが総合的な判断ということで別にいいのではないかと思います。それが現在この国に生きる人の民意ということでよろしいのではないかと思います。

今のところ、なぜこの事案が報道されるようになったのか詳細がわかりません。患者様の死亡に伴ってということなのでしょうか。今のところご家族から病院や医師に対する不満・民事訴訟の構えなどの動きがなさそうであることが救いです。県の担当者と院長への不満はあるのかもしれませんが。

>元内科医さん

>なぜこの事案が報道されるようになったのか詳細がわかりません。
そこが自分も気になっています。
この問題はこの一例を話しあって、結論が出る類いのものではありません。

しかし、No36で示した中日新聞の記事を読みますと、根底に医師vs院長、県庁の対立が見えてきます。さらにこの病院は、例の裏金に関連し、医師22名の処分を行った県立多治見です。その辺りが、この件が報道されるに当たって影響しているのは勘ぐりすぎでしょうか?

続けてカキコ失礼します

延命措置としての人工呼吸器管理の中止と、人工呼吸管理からの離脱は明らかに違う話なのですが、実際には、人工呼吸管理から”一時的に離脱”できたが、また呼吸レベルが低下し再挿管が必要となるという症例は多く経験します。
この”一時的に離脱”というのはどの程度の時間あればよいと考えますか?
まさか5分では離脱とは言えず、無謀な行為とされるでしょう。
一日離脱出来ていたら?それは離脱可能な状況であったと言えるでしょうか?
No.64 のカレン裁判はもっと長い期間離脱可能であったわけですが。
なにか、学会などで指針が出てるのでしょうか?

何故、こういう質問をするかといいますと。人工呼吸管理下で10日も意識が戻らない患者を見てますと、ご家族も疲れて、諦めの気持ちになってきます。しかし、人工呼吸管理は中止できない。中止できないなら、一度離脱してしまう。ご家族は、再び悪化した時に、再挿管するか、それとも延命措置は行わないか、非常にリアルな話し合いを持つことが可能と考えます。
あくまでもこちらは、離脱後再び悪化した時は”ご家族のご意向に従います”ということですが。

この件は逆に家族から「もっと本人の望んでいたよい死に方ができたはずだ」といった、一種の期待権を主張され、民事訴訟を起こされる可能性はないのでしょうか。論争の余地はあると思います。
仮定の話で申し訳ありませんが、もしこのような訴訟が起こって病院が負けるようなことがあったら、終わりですな。

>「青信号でもとまることがいけないのでしょうか」
 止まるのは勝手だと思いますが、「法曹界は凶悪だ」みたいな批判は的外れでしょうね。10の権利を主張できるのに、5しか主張せず、「俺たちは虐げられている」といじけているだけのように見えます。交通事故が怖いから時速20kmで走ってたら警察に怒られた、俺たちにどうしろというんだ、みたいな感じです。
 「メスで切ってみると意外な病変があることもある」→「だからCTやエコーによる事前の判断はあてにならない」これはおかしいですよね? 「訴訟になって負けることもある」→「だから弁護士や倫理委による事前の判断はあてにならない」という趣旨のコメントはこれに似てませんか。
 やりすぎると警察に捕まる、やらないと患者に訴えられる。だから医者辞めます、ではなくて(そういう本がありましたよね)、どこが適正なのかを主体的に模索すべきでしょう。自分たちの身を守るのは自分たちではないでしょうか。

 という話を医師の友人にしたら猛然と憤慨されました^^;l

 なんとなくまた感情論の応酬になってきたような。。。

>やや不謹慎な言い方ですが、赤信号みんなで渡れば怖くない、かも知れませんよ。

 正直、私だったら、現状でいかに言われようとも赤信号をわたる気にはなれません。場合によっては青信号でも渡らないかもしれません。
 産婦人科の内診問題だって、慣例的に広く行われていたことでさえ刑事事件化するわけですから。


 同意書も法的効力がない限り、本人・遺族が前言を翻したり、知らなかった、よく説明されたら考えを変えたと言う可能性は充分あるわけで、意思を尊重するということを第一義に持ってくることはとても難しいと思います。

 
 藤花さんのコメント
>「メスで切ってみると意外な病変があることもある」→「だからCTやエコーによる事前の判断はあてにならない」これはおかしいですよね? 「訴訟になって負けることもある」→「だから弁護士や倫理委による事前の判断はあてにならない」という趣旨のコメントはこれに似てませんか。

 ちょっとわかりません。「CTやエコーによる事前の判断はあてにならない」これはおかしいとは言えないと思うのですが。

 所詮他人事だから赤信号でも渡っちゃえ、ということになるんだと思います。問題は当事者が本当に渡る気になるか、ということです。周りが囃し立てるだけでは解決しないと思います。

>自分たちの身を守るのは自分たちではないでしょうか。

 だから、逃散しているのですよ。これが一番確実な身を守る方法だし、別にリスクの高い分野で臨床医を絶対にしなくてはいけないわけではないですから。

 いい加減、何でも医師の自助努力に押し付けるような論調にはため息が出ます。

何か良い制度無いかと探したら、「ノーアクションレター制度」というのがありました。

経済産業省
http://www.meti.go.jp/policy/no_action_letter/index.html
「民間企業等が新たなビジネスを興したり、新商品を販売しようとしたりする際に、その行為が法令に抵触しない(違法ではない)ことが不明確なため、事業活動が萎縮してしまうようなケースが想定されます。
 こうした問題に対応するために、政府においては、昨年12月に閣議決定された「経済構造の変革と創造のための行動計画」において、「日本版ノーアクションレター制度」の導入へ向けた検討を進めることとし、これを踏まえ、本年3月27日に「行政機関による法令適用事前確認手続の導入について」を閣議決定したところであります。
 経済産業省では、この閣議決定を受けて、当省の所管する法令について本手続を導入するべく細則を策定し、平成13年6月1日より、手続の運用を開始いたしました。」

モトケンさんのコメント(No.18、22) によれば
>行政の一員である検察官も司法府の裁判官も立法はできません。
>はい、検察官は形式的には法務大臣が任命する行政の一員です。 ただし、仕事の内容が、裁判官と同様に事実の認定と法の適用に基づく判断ですので、「準司法作用」と呼ばれることがあり、他の行政府の役人と比べて強い独立性が保障されています。
とあります。
行政組織の一つである検察に「行政機関による法令適用事前確認手続の導入について」を適応していただくことを希望します。
「これこれこういうことをしようと思っているが、これは現行のいかなる法令にも引っかからない(つまり起訴されない)ですよね」と問い合わせるということですね。
検察官個々の独立性の問題ありますが、一方では検察官同一体の原則というのもあるようですし、ノーアクションレター発行を最高検察庁事務局あたりにしてもらえば、個々の検事の独立性は形式的には侵害せず、かつ現実的抑止力にはなるかと。

本人は望んでいた。家族もそう願っていた。倫理委員会も承認した。でもこの人達は許さなかった。
<安楽死・尊厳死法制化を阻止する会 >
http://www.arsvi.com/0p/et-2005s.htm
そういうオチだってありますよね。
この中のメンバーが、主治医だけを民事で訴える、刑事で告発する、という事態が考えられませんか?
「『倫理委員会』で承認された、とはいうもののその委員長は副院長であり、外部委員はわずか2名しか参加しておらず、いわば『お手盛り』のもので形式だけ整え、実質は密室での決定であったと言わざるを得ない。
憂慮すべきは公立病院でこのような暴挙がなされたことで、福祉切り捨て『国の役に立たない弱者は早く死ね』との国策が地方自治体にまで浸透しつつあることが露呈したわけである。
その先には「憲法改正=強い国=戦争のできる国」を目指す小泉―安倍独裁政権の野望があり、我々は患者の守護者であるべき医師でありながら独裁者の先兵となって××××氏の生命を奪い去った主治医○○医師を糾弾するものである」
なーんてね。
訴えられても勝つ、または起訴されない、って保証されたってヤダよなあ、こういう人たちとお付き合いするのは。

>No.68 conta さんのコメント

>ご家族は、再び悪化した時に、再挿管するか、それとも延命措置は行わないか、非常にリアルな話し合いを持つことが可能と考えます。

自験例ですが、元々延命処置を希望されていないにも関わらず急変時に当直医によってレスピレーター管理を行われたという超高齢患者において、家族と相談の上で一時的な状態改善に伴って抜管したことがあります。数日後に再挿管しないまま呼吸不全にて永眠されました。
いざその時になってからの話し合いでは家族も冷静な判断が出来かねるだろうことは予想されますので、普段から予め十分な意思確認を行っているような症例でなければ難しいのでは、という印象を受けました。

>No.74 老人の医者さん
コメントありがとうございます
>いざその時になってからの話し合いでは家族も冷静な判断が出来かねる
ご指摘の通りです。
ただ、人工呼吸管理中、離脱を目指している間に、
”離脱後、再び悪化したら再挿管しますか?” 
という問いかけが出来ます。一族集まることも出来るでしょう。延命の中止でなく、”2回目の延命措置のは拒否する”ととらえることが出来れば、意外と多くのケースで延命措置は行われないのではないかと思います。
(前もってご家族に、”もしもの時はどうしますか”と尋ねると多くの家族は、”延命はしない”と答えますから)

そこで、判断出来なければ、増悪時に再挿管し、延命措置を何度でも行うまでです。
ただ、
>一時的な状態改善に伴って抜管
この一時的というのが、どの程度の期間あれば、許されるかな?というのが、今悩んでるポイントです。

本人の意思が確認でき、倫理委員会で承認されたこの件と内診問題などとは異なった次元の問題だと思います。
変えたいのか、変えたくないのかであって変えたければ手続きをしっかり踏むことが必要だ、この件は満たしていたということではないかと思います。

変えたい人の足を引っ張らなければ、そして感謝も尊敬もされないからmotivationが下がったと言わなければ、一人一人の生き方に問題などないと思います。

モトケンさんのコメント(No.61) で、
>何事にもトンデモ的な例外があります。 今の問題は、いくつかのトンデモな起訴事例や判決が原則視されていることです。 または原則視する議論がなされていることです。
と言われます。しかし、どうやって医師はあの起訴、判決はトンデモだと判断できるのでしょう。

以前、私、別ブログ(新小児科医のつぶやき http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20061110)で法曹家のYUNYUNさんと「救急従事者は、循環器専門医でなくとも心嚢穿刺ができないとダメ」判決で議論したとき、
>それ(ある判決)が客観的にもトンデモかどうかは、結局、法律家の多数がどう評価するかにかかっています。(YUNYUN)
>本件判例の評価ですが、率直に申しまして、法律家が全員これをトンデモとみるわけではなくて、人によって判断が分かれるところと思います。つまり、法律家の中にも、判決を出した裁判官を始めとして、この内容をトンデモと思わない人もかなりの数存在するということです。この判決は踏み絵のようなもので、分水嶺は証拠を評価する際のモノサシ、つまり各人が内心に持っている価値基準です。特に、「こういう判決を出せば、医師が医療現場から逃げ出す行動を取るだろう」と感じるかどうか。(YUNYUN)
とおっしゃってました。

ということで、「福島」「救急心嚢穿刺」などが「法曹的にトンデモ」であると法律の素人が安心するためには、法曹の多数がどうとらえているかを知らないといけないわけです。
モトケンさんやYUNYUNさんなどが個人的にトンデモと思ってらっしゃるのは推察できるのですが、弁護士の多数派、検察の多数派、裁判官の多数派はどうなんでしょう。それが知りたいです。それを知る前は、医師サイドとしては、用心して、「あれは医師からはトンデモだが法曹的にはトンデモではないとして対処しておこう」という振る舞いになるのは仕方ないと思います。

以前申しましたが、法律の素人としては、法曹の方からの「あの70点でも医師側敗訴の判決(例 一躍有名な救急心嚢穿刺判決)」は「トンデモ判決」と法曹でも評判悪いからあんな判決は二度と出ないよ だから安心しなさい」と言うお言葉を待っています。

>No.75 conta さんのコメント

個人的に重要なのは期間ではなくデータの有無ではないかと思います。
ある程度医学的に言い訳のつくデータ、具体的にはABG等をカルテに証拠として貼り付けておく。逆に言えばその程度のアリバイでは後でトラブりそうだと少しでも感じるような症例では手を出すべきではないと思います。医者の立場からすれば「出来るだけのことはすべてやりました」と言うことほど簡単な話はありませんし、何より長期レスピ管理が出来ないほど日本の患者負担は高くはないですから。

そういう医療以外の部分での推察の精度という点からも普段から交流のある、家庭内事情も理解出来ているような家族でなければ難しい話ではないでしょうか。当院では他院を追い出され流れ流れてと言う長期入院症例が多いという事情もあるかと思いますがほとんどの家族は積極的延命処置は希望されていません。最後の局面ではほとんどアイコンタクト、担当医と家族との阿吽の呼吸という感じになります。

 謹慎明けさん、

>本人の意思が確認でき、倫理委員会で承認されたこの件と内診問題などとは異なった次元の問題だと思います。変えたいのか、変えたくないのかであって変えたければ手続きをしっかり踏むことが必要だ、この件は満たしていたということではないかと思います。

 私が産婦人科の内診問題を出したのは、モトケンさんが赤信号みんなで渡れば、こわくない、とおっしゃったからです。
 そもそも、他の方もおっしゃっているように思いますが、充分な手続きであったと、誰が判断するのですか?
  内診問題は厚生労働省看護課が数年前に実態を無視して出した勝手な通達。広く慣例的に行われていたし、産婦人科学会は抗議している。実態に合わないからやむなく看護師による内診を行った→刑事事件化多発

 現行では延命治療の中止に関する明文化されたものは無く、一般的には一度始めた延命処置を中止することはできないもしくは非常に困難である、現に刑事事件化したりしかけたりしている。本人や家族の同意があれば中止してよいとは規定されていない。倫理委員会を通せば罰せられない規定もない。→刑事事件化の可能性

 スケープゴートになる可能性のない人が、誰も進まなければ進めないとか、赤信号みんなで渡れば怖くないとかいうのは非常におかしいと思います。

 どうして当事者がスケープゴートにならなくてはいけないのか。

 そうならないような規定を(国家レベルの延命処置中止基準、とかこのように議論がさだまっていない事項に関して刑事事件化を阻止するとか)決めるのではなくて、現場にスケープゴートになれというのは、非常に無責任だと思います。どうしてそんなに他人事なのか。

 私は変えたい人の足を引っ張るつもりはありません。でも自分がスケープゴートになるつもりもないし、高みからそのようなことを主張する人には抗議したいと思います。

>No.78 老人の医者さん
度々のレスありがとうございます。
>個人的に重要なのは期間ではなくデータの有無ではないかと思います。
これは、医者の立場としては自分も同感です。そもそも、それがなければ単なる延命措置の中止です。
抜管の時点では離脱可能と判断し、それを客観づけるデータもある。しかし、その後すぐに悪化し、そこで再挿管しなければ、やはり延命措置の中止とも見られかねません。素人には、その判別は不可能でしょうから。
そのように”誤解”されないためには、ある程度の期間離脱出来ている必要があると思うのです。


>逆に言えばその程度のアリバイでは後でトラブりそうだと少しでも感じるような症例では手を出すべきではない
>何より長期レスピ管理が出来ないほど日本の患者負担は高くはないですから。
>ほとんどの家族は積極的延命処置は希望されていません。

これもその通りに思います。
ただ、自分が考えているのは、家族も延命措置を希望しないのに、延命中止を行う術が無い現実(今回の件で延命中止が行われていれば、状況は変わったかもしれませんが。)の中で、いかに穏便に、ご家族の意思を尊重出来るかであって、医療者から積極的に、延命措置の中止を働きかけることを意図しているわけではありません。
よく、御高齢の方の脳血管障害や肺炎で、”急変したらどうしますか?”と最初に聞いておきます。その意思(再)確認の場を提供したいという考えです。
ですから、ご家族が延命を望めば再挿管するということです。

>最後の局面ではほとんどアイコンタクト、担当医と家族との阿吽の呼吸という感じになります。
医師とご家族がともに考え話し合い、方針が一致すればそういった状況もつくれるでしょう。意にそぐわない延命措置につかれた家族や、延命措置の患者に興味が薄れ、診察にも来ない担当医とでは、このような状況は作れないでしょうね。

>No.80 conta さん

思うにこういう場所においても「どうすれば訴えられないかという基準」を期待する声が大きいし、実際そういう総論としての明確な一線というものを求めていくと言うことは重要なことだとは思うのです。

と同時に、我々末端の一医療者としてはとことん各論を追及していかなければならないとも思うのですね。延命処置停止の問題にせよ急性期病床と療養型では当然その判断基準は異なるだろうし、患者の年齢、以前の状態、家族の状況、そして何より医師である自分と患者・家族との関係など様々な要因を考慮しつつケースバイケースで決定していかなければならない。それは明確な文章なり判断基準なりで定義付け出来るような性質のものではないと思います。

逆に言えばそういう状況判断が適切に出来ない医師であれば今の日本でわざわざグレーゾーンを押し渡るべきではないし、そういう部分で正しく判断出来る医師というのは結果として顧客満足度の高い医療が出来ているのではないかと思うのです。そしてまさにそれこそが訴えられないための最良の防御策ではないかと考えています。

>この事例では本人の自筆(らしい)延命措置を中止してほしい旨の文書が
>あったようです。

本人の意思が明確であっても延命治療が中止できないとしたら,我々麻酔科医を悩ませている「エホバの証人」の患者さんに対する対応も再考しなければならないように思えてきます.

ご存知のように「エホバの証人」の患者さんは輸血拒否です.手術においても本人がその意思を示す限り現在のところ輸血できません.そういう条件ですので,術中にもしも大血管の損傷などで輸血する以外に救命できない状況になった場合にどうするかが以前から問題になっています.東大病院では本人の承諾なしに輸血して「裁判で敗訴」しています.
ではここで輸血せずに死亡した場合,本当に免責されるんでしょうか?

もし,「免責されない」となりますと我々は「エホバの証人」の患者さんの麻酔を引き受ける事が困難になります.「いずれに転んでも裁判になる」のであれば麻酔を引き受けられません.しかし,そうしますと「診療拒否」ということにもなります.どうすればよいのでしょう...

この件も含め,国(厚労省)が明確な指針を出さない限り現場は混乱の極みになると思います.

>No.81 老人の医者さん
患者さん一人一人を大事にされ、ご家族と親密な関係を築かれていらっしゃる診療に敬意を表します。
しかし、各論をこの場で議論しても、自分の患者さんは皆さんは診ることが出来ませんし、逆も然りです。
確かにケースバイケースという表現をしたくなる質問をしていることも認めます。

かなり経験を積まれた医師であるとの認識で質問させていただきます。
以前のレスで
>自験例ですが、元々延命処置を希望されていないにも関わらず急変時に当直医によってレスピレーター管理を行われたという超高齢患者において、家族と相談の上で一時的な状態改善に伴って抜管したことがあります。数日後に再挿管しないまま呼吸不全にて永眠されました。

という書き込みがありました。
この患者さんでは、抜管後数日はもつと認識されていたのでしょうか?
仮に、一時的な状態改善が、数日ではなく、数時間しかもたない、と認識していた場合でも、この患者さんでは抜管しましたか?
されない場合、どの程度の予測があれば抜管されますか?
この患者さんについてで結構です。
お答えいただけましたら参考(決してこういう意見があるなどと引用するつもりはありません)にさせて頂きます。

中日新聞の記事より

> 同病院でこうした手続きは初めてのことだった。間渕則文救命救急センター長は「何とか意思を大事にしたいと思ったが(時期尚早と言う)県と家族との板挟みでつらかった」と打ち明ける。
> あれから3カ月。二男は父の遺影に好きだった日本酒を供える。葬儀後、込み上げたのは「あの文書がなければ判断に苦しんだだろう。あれは父の愛情だった」という思いだ。自分もすぐに同じ文章を書いた。「自分の時までには、願う最期が迎えられるよう制度を整えてほしい」

救急センター長は「板ばさみでつらかった」と。
息子さんは「制度を整えてほしい」と。

一方モトケンさんは、「ところが県や院長は察沙汰になることを恐れて倫理委員会の警決定を覆しました。これは私の目には明らかな矛盾と映ります。だったら最初から倫理委員会など作らなければいいんです。金と手間の無駄です。」と書いてます。

また、この県や院長の行為を「事なかれ主義」と書いた人は複数いましたね。

そういうことをはばかり無く言う人たちが浮世離れしているのだと思います。

現場の人々は、みんな法と法執行の怖さを感じているのだと思います。

名前のところに、中日新聞記事全文へのリンクを貼りました。

No.72 falcon171 さん

 検察庁があらかじめ延命治療中止行為の可罰性または起訴可能性の有無について一般的な回答を公にすることはできないと思います。

 たぶん、越権行為になります。

No.76 謹慎明けさん

 私も、「変えたいのか、変えたくないのか」かが問題だと思います。

 「青信号であっても渡らない」というのは「変えたくない」ということだと思います。
 「変えたくない」というのが言いすぎなら「変わるまで待とう」ということでしょう。

 しかし、何もしないで待っていると何がどう変わるかわかりません。

 ひょっとするとNo.69 うらぶれ内科さんなどがおっしゃっているように、患者側から訴訟を起こされる事態になるかも知れません。
 その場合、No.82 Level3 さんが紹介されたエホバの証人信者の輸血拒否裁判のように敗訴する可能性があります。
 中止しなければ刑事起訴の可能性はないと思いますが、民事の訴訟リスクは生じるかもしれません。

 そうなると、医師としては延命治療に関与しただけで高度の訴訟リスクを負担することになります。
 中止してもしなくても被告です。

 あなたまかせにするとどうなるかわかりません。

 だったら、医療側がイニシアティブをとって方向性を決めるか、医師を辞めるかのどちらかでしょう。

 No.71 元研修医さん

>いい加減、何でも医師の自助努力に押し付けるような論調にはため息が出ます。

とおっしゃってますが、やるべき自助努力をしないと結果的に状況が悪化する可能性があります。
 また、誰も、「何でも医師の自助努力に押し付けるような」ことを言っていません。

 弁護士というのは本質的に補助者なのです。
 依頼人なくして仕事なし、が基本です。
 依頼人の求めることを実現するために法律的な支援をするのが仕事なのです。
 依頼人に目的や目的実現の意思がなければ、弁護士は仕事のしようがありません。

 私自身、このエントリではかなり挑発的なものの言い方をしていることは自覚しています。
 ついでにもう少し挑発してみましょう。

 医療側の方の意見の中には、医療事故を起こした医師に対する正しい処遇は医療専門家である医師にしかできない、という意見が見られます。

 しかし、そのための制度やシステムをどうやって作るのかについては、誰かに作ってもらいたいという人がおられる。

 延命治療中止の問題についても、最もその実情と問題点を把握しているはずの医師の中に、何もしないのが最善とおっしゃる方がいる。

 医療界の大勢は、現状を変えたいのか変えたくないのかどちらでしょう?

 変えたいというのであれば、支援する人はいくらでもいると思います。

素人目に拝見しました、医療現場のお医者様たちが切迫した状況の中で立ち往生している、或いは訴追や訴訟の恐怖に慄いている、といった印象も受けました。

ところが、どこかに救いの手は無いか?と辺りを見回しても誰も居ない訳ですよね。

モトケン様の言われるように、先生方で組織だって方向を見出すことが最善の解決手段、或いは解決には至らずとも現場の個人には大きな力添えに成るように思えます。

口幅ったい物言いと成りますが、この場での様な議論はそれに活かせるのではないでしょうか。

>No.83 conta さん

こういう場合に自分としては時間というものはほとんど重視しておりません。何となくカルテ記載の格好が付きやすいので、日付が変わるまでは保ってくれればいいなという程度の認識はありますが(苦笑)。逆に言うとその程度の余命も期待できない症例であればそもそも抜管の判断を下すべき客観的テータは得られないのではないかと思います。
本症例の場合は原疾患が進行性であり何とか抜管し得るタイミングは今後二度とはないだろうこと、抜管後は早期に再挿管以外救命し得ない状態に陥るだろうこと、挿管を続けた方がより長期の余命を期待できるだろうこと、ただしその場合気切が必要となること、最終的には如何なる方法論を用いても長期の生存は期待できないこと、などを話したように思います。超高齢者であり元々積極的延命処置の希望が無く、特に気切等の侵襲的処置にはご家族の拒否感が強いという事情だったように記憶しております。

当院は治癒・軽快による退院の見込めない「看取るための病院」ですので、自分は入院時に全症例でどのように看取るかを話し合うようにしています。9割以上のご家族は末期の延命のみを目的とする処置は希望されないため、回復不能な状態と判断した時点から苦痛除去のみを行い看取ることにしています。
無論当院でも全ての担当医がこうした方法論を採っているわけではなく、というより現実には自分だけですので、時に他医の患者で意思確認の不徹底から延命治療中止に関連して些か込み入った話になることもあるようです。一方で話し合いの結果として延命治療を「行わない」ことによるトラブルは今のところ経験がありません。むろん、話し合いの過程で何らかのリスクファクターを認めた場合には「適切な対応」をすることが必要条件ですが。

こうした患者や家族への対応は別段職業倫理や哲学といったものから発したものと言うわけではなく、経験的にそれが最も効果的なリスクマネージメントであるということから出来上がってきた自分なりの訴訟回避の方法論です。患者や家族との関係も概して良好にいきますし、何より医師として云々以前の心情的な部分からみて自分には受容しやすい、「気分が良い」やり方ですから。訴訟回避に明確な線引きの存在しない現状では現場で各人なりの工夫を行っていくことが必須ではないかと考えています。

あと一点、「かなり経験を積まれた医師であるとの認識」は誤解で、内科医長クラスとお考え下さい。

>No.89 老人の医者さん
度重なる指名に答えて頂き感謝いたします.
>何となくカルテ記載の格好が付きやすいので、日付が変わるまでは保ってくれればいいなという程度の認識はありますが

本音の入ったご意見ありがとうございます.
人工呼吸管理を行いながら、既に諦めたご家族に”いつまで保ちますか?”と尋ねられるのはとても辛い経験です.
現時点では”延命措置の中止”より、”人工呼吸管理よりの離脱”の方が法的にも問題なさそうに思えるものですから.他の方の経験、ご意見をうかがいたく、しつこくレスを返してしまいました.
丁寧なご返答感謝致します.
また、他のスレでも、お相手ご意見お願い致します.

 モトケンさん、挑発的な物言いは、いいアイデアを出すための高等戦術なのでしょうか?いつもと違う気がして違和感がありました。 


>医療界の大勢は、現状を変えたいのか変えたくないのかどちらでしょう?変えたいというのであれば、支援する人はいくらでもいると思います。

 現状を変えるための方法は自分がジャンヌダルクになることだけではありません。昨年の初めは医療崩壊に警鐘をならす医師の声が多かったと思います。しかし続発する医療界の重大事件と、それに対する世間の反応に従い、次第に医療崩壊やむなし(あるいは積極的に医療崩壊を望む声)がでてきたと思います。

 なぜなら、いくら医師が声を上げても世間は動かないから。マスコミがとりあげず一般の方には報道されないし、国も現場をスケープゴートにして批判をかわそうとしています。とても心苦しいことですが、人間は困るまで変えようと思わないからです。

 産婦人科医の逃散により無過失保障制度(ただし保険料を産婦人科医の負担としているところが非常におかしく、何故出産一時金からの天引きにしないのかと思いますが)がでてきたことも一例に挙げられるでしょう。

 今回の件はモトケンさんは当事者にスケープゴートになれとおっしゃっていますが、もし本当に延命をやめたら、どうなるでしょうか。
 奈良県南部の産科医療を崩壊させた青木絵美記者のほぼ捏造といっていい報道のようにねじまげられて報道されたかもしれない。可能性はひくいとおっしゃいますが、刑事事件化したかもしれない。

 そんなことをしなくても、患者さんが望み、倫理委員会が決定しても現状の医療体制や司法制度ではできない、ということを広く社会に知らせることはとてもインパクトのあることだと思います。今後もこのようなことが続けばいかに現行の司法制度によって医療が萎縮しているかを一般の方に広く知らしめることになると思います。

 医師は現状を変えようと思っています。医療崩壊の小松先生、勤務医よ戦えの本田先生のようなやり方のほかにも、事実とかけ離れたひどい医療バラエティを作ったフジテレビのスポンサー製薬会社の不買運動や、いかに司法がおかしな医療判決を出しているかを検討するネット上の討論会(悪用する人がいないようしばらくは医師限定ですが)もあります。

 結局医療制度・司法制度の不備によって困るのは医療側ではありません。今回の件ももし、患者さん側から延命治療を中止されなかったことによる訴訟がでてくれば、今後はかかりつけ以外のおみとりはしない方向(救急医療は一番打撃をうけるでしょう)になるかもしれません。
 よくも悪くも患者さんが医療の恩恵・ひずみを一番影響を受けるのだと思います。


 それにしても司法側はこれはできないと断言できていいですね。

>No.91 元研修医さん

>違和感がありました。

 やっぱり、(^^ゞ

 でもようやく土俵に乗りつつあるような気がしてます。

>今回の件はモトケンさんは当事者にスケープゴートになれとおっしゃっていますが、もし本当に延命をやめたら、どうなるでしょうか。

 「スケープゴート」という言葉を使ったのは適切だったかどうか反省しているところがあります。
 リスクを負担せずに現状を変えることは難しいという趣旨だったのですが。

 そして現実にリスクを負担してでも変えようという医師の方がいるわけです。
 岐阜県立多治見病院の院長以外の今回の決定に関与された医師のみなさんです。
 その医師の皆さんに私は強い感銘を受けました。

 私は多治見病院の医師の皆さんの勇気に応えたいと思いました。
 それがこのエントリの趣旨です。

 私のブログが力不足なのが残念ですが。


>それにしても司法側はこれはできないと断言できていいですね。

 はい、司法は、何らかの答えを出すための仕組みです。
 そこが司法の強みであり、限界です。

 前コメントの追記です。

 このブログで今一番注目度が高いのがこのエントリです。

 アクセス解析によりますと、昨日のこのエントリのページビューは1000を超えてます。

 

>リスクを負担せずに現状を変えることは難しいという趣旨だったのですが。
 そして現実にリスクを負担してでも変えようという医師の方がいるわけです。
 岐阜県立多治見病院の院長以外の今回の決定に関与された医師のみなさんです。
 その医師の皆さんに私は強い感銘を受けました。


 私も青信号でも渡らないかもしれない、といいましたが、長く一緒に治療してきた患者さんが明白な延命中止の意思をもたれている場合心底悩むと思います。

 昨今の風潮でなかなか世間一般には信じてもらえませんが、臨床医は患者さんをよくしたい、できる限り意思を尊重したいと思っています。

 しかし、昨今の風潮でそれだけではだめで、医療機関の身を守ることや、あえてリスクを避けることで問題提起して世論をかえることも重要だと感じています。だから院長の判断も私にはその立場では正しいと思います。

 富山県の事件では事件後人望のあった外科部長は事務仕事に左遷されてしまいました。自分がリスクを引き受けることで、その後救えるはずだった人を救えない可能性もあると思います。

>No.94 元研修医さん

 ますます話が土俵に乗ってきてうれしく思います。

 私は多治見病院の医師の皆さんに感銘を受けましたが、リスク回避に徹する医師の皆さんを軽蔑する意図はまったくありません。

 やや挑発が過ぎたと反省しております。
 ご不快の念を覚えられた方が多数おられると思いますので、ここに謝罪いたします。

 多治見病院の院長を批判したのは、倫理委員会等を設置した病院の長であるにもかかわらず倫理委員会の決定を反故にしたのは自己矛盾であると思ったからです。
 つまり一貫していないところを批判したのです。

事態を悪化させるのは常に「突然現れる部外者」なのだと思います。
遠い親戚、安楽死〜の会、何よりもマスコミ。

マスコミという部外者の声はあまりにも大きく、あまりにもおかしい。そんな部外者に散々引っ掻き回されるかも知れないという恐怖があったのではないでしょうか。

倫理委員会を通してですら訴訟のリスクが0でないことは確かにそのとおりです。
しかし、それは通常の侵襲的医療行為より大きいのでしょうか。確かに安楽死の会のようなところは騒ぐかもしれません。しかし、そのほかの可能性がこの場合非常に大きい、つまりIVHで訴えられるより大きいとは思いません。
元研修医先生はこんなことを言われると嫌かもしれませんが、こういったことに関する感覚は案外僕と似ているかもしれません。違いは元研修医先生が今臨床をしていないのに対して僕の方が当事者だからではないでしょうか。
conta先生と老人の医者先生のやりとりを興味深くそしてはらはらとして読みました。僕の場合、臨床的に建前的診断というのをよくします。その内容を詳しく述べれば建前自体が崩れますので述べません。もちろん、家族にはニュアンスをしっっかり伝えます。抜管してすぐに耐えられない可能性についてはしっかり伝えます。また、科の性質上補助呼吸なしに昨年は3人のALSの患者を看取りました。この問題に対する当事者意識は強いのです。
僕自身が多治見病院の患者さんの主治医で院長がgoと言えば抜管をします。

ちなみにこの件でコメントしていた有賀教授とは一緒に働いたことがありますが、救急を公立昭和病院で脳外科医としてされていた方です。
高見から言ったのではなく、当事者としてこの院長の決定が残念であったと言ったのだと思います。

久しくあまり出没していませんでしたが今回発言しようという気になったのは、最近当院においても患者、家族とのトラブルが頻発しているからです(幸いにも私は直接関わっておりませんが)。医療の現場に限らず学会等でも内容以前に(失礼ながら)話自体がつまらない講演ばかりと言う現状を見るにつけ、対人交渉術、話術といった診療以前の技術の面で医師の平均的レベルの低さに危惧を覚えざるを得ません。

多くの医療従事者は黙っていても日々知識、技術の研鑽に努めていますし、昨今こうした場所に参加していらっしゃるような心ある方々であれば医療と司法、あるいは行政との関係についても深く思いを致しているように見受けられます。しかしその一方で、日常診療において最も頻用しているであろう舌の動き、表情の作り方、態度振る舞いといった部分であまりに乱暴かつ思慮に欠ける面が目立つように思われるのです。

年に数例しかない手技、ほとんど発生することのない副作用、あるいは生涯に幾度あるかどうかの医療訴訟、確かに我々はこうしたものを更に減らそうと日々努力しています。しかし99%を100%に近づける困難な道より容易なやり方が残っているのであれば、現実世界におけるリスクマネージメントの方法論としてはまずそちらを優先すべきです。あるいは「ゼロリスク」を求める昨今の患者の風潮に医療者までもが引き摺られているのでしょうか。

優秀な医師ほどしばしば混同しがちに見えますが、医学と医療は本来厳密に区別すべきではないでしょうか。現実世界の問題に解答を与えることが出来ない方向に突き進むのであれば、それはすでに医療の範疇ではないと思います。

モトケンさん たぶんに挑戦的な私の意見に対して、お返事ありがとうございます。
ただ少し思うところあり、教えていただければ幸いです。

No.86 モトケンさん>検察庁があらかじめ延命治療中止行為の可罰性または起訴可能性の有無について一般的な回答を公にすることはできないと思います。たぶん、越権行為になります。 

まず、一点 越権行為とのことですが、この場合、誰(またはどの官庁)の権限を侵していることになるのでしょうか? 起訴の権限は検事の独占ですから、「検察に尋ねて検察が解答する」でどなたの権限も侵していないと思うのです。
検察官は個々に独立しているから、法的拘束力を持ったレターでは、将来、同様な事例を起訴しようとする検事を拘束することになり、越権という考え方も出来ますが、私としては、後で引用するSECの実例程度の運用で良いと思うのです。レターに、法的拘束力はもたせないで結構です、ただ、一般に前例は踏襲されるでしょうし、最高検察庁事務局の見解であれば、実質十分な重みがあるのでそれで十分ではないかと。

また、おっしゃるように、一般論は、すなわち法律みたいなもんですから、抽象的な文言ですから、一般的解答は無理だと思います。
元のコメントでもいいましたように、「これこれこういうことをしようと思っているが、」と個別の事例について聞き合わせるわけですがそれでもダメでしょうか。
「今回、患者Aは事前に延命を望まない旨、文書Bの通り表明している。、現在の状況は、3度目の脳梗塞発作で(中略)、回復の見込みは無いと、主治医Cが判断、内科部長Dもその判断に同意している。倫理委員会での審議内容は文書Eの如くで、延命行為中止を妥当としている。家人の同意も文書Fの通りある。このような場合の延命行為中止は、判例Gに示されている延命治療中止が法的に妥当とされる場合に該当し、殺人、業務上過失致死、傷害致死(他思いつきません)などいずれの罪名に該当しないと思われますが、貴職のご見解をお訪ねします」

ノーアクションレター制度の解説
http://www.jlf.or.jp/work/studies/studies1.shtml

厚生労働省はガイドラインのたたき台を作っていますね。
ご意見募集中だそうです。
http://www.mhlw.go.jp/public/bosyuu/iken/dl/p0915-2a.pdf

>No.100 falcon171 さん

 まず、検察庁は組織の帰属としては行政府なのですが、仕事の内容は限りなく司法作用に近いのです。
 そして、検察が行っているのは過去の事実に対する刑罰法規の適用です。

 一般行政省庁が、自己の行政裁量の範囲内の事項について事前回答するのは行政指導などと本質的に異ならないのではないかと思います。

 しかし、まだ発生していない事実に対する起訴の見通しを公にすることは検察の本来的職責の範囲を超えますし、設例のような問い合わせに検察が公式回答した場合、その回答は患者Aに対する個別事例の範囲を超えて基準が一般化して認識されることは避けられません。
 つまり、別の病院の別の患者の同種事例についても同様の起訴不起訴判断がなされるものと認識されてしまいます。つまり不可避的に回答が一般化します。
 このような事態は、罪刑法定主義(少なくともその精神)に抵触する可能性が大です。
 検察権限の肥大化を批判する言葉として「検察ファッショ」という言葉があるのですが、検察が口を出しすぎると「検察ファッショ」の批判が現実化するおそれがあります。
 法の解釈が確立していない領域で検察が一定の解釈を一般的解釈として受け取られる形で公にすることは、やはり検察の権限を越えると思います。

 また、仮に回答がなされたとしても、それは問い合わせに書かれた事実関係が全て存在することを前提にした判断になりますが、実際に不起訴回答に基づいてる延命治療を中止した場合、遺族から「延命を望まない旨、文書Bは偽造されたものだ」というような主張がなされた場合、検察は捜査を遂げて、偽造だと認定すれば起訴する可能性が生じます。
 そのような可能性を前提にしますと(当然前提にしなければなりません)、検察として免罪符と受け取られかねない不起訴回答など責任をもってできるはずがありません。

 検察の判断は事件が起こった後で、捜査によって収集された全ての事実に基づいて個別判断を行うことをその本質としますので、そもそも事前判断になじみません。
 事前に全ての事実を完全に予測することは不可能だからです。

 検察の事前のお墨付きをもらうのは、法律的に問題多すぎであり、現実的にも役に立たない場合がただちに想定され、それを期待するのは非現実的です。

 判断基準の定立は検察の仕事ではないのですから、それを検察に期待すべきではないのです。

 しかし、社会規範としてであったとしても(正式な法律でないとしても)、延命治療の中止は許容されるべきであるという空気が醸成されれば、検察はそれを無視できません。


 そもそもこの問題は、刑罰法規適用以前に、医療行為を妥当な範囲に制限する問題なのではないでしょうか。
 そうであるなら、この問題は本来的に厚生労働省の管轄の問題となり、それに検察が口出しすることはその意味でも越権になると思います。

>ロバートさん

 ご紹介ありがとうございます。

 エントリ本文末尾に意見の提出先へのリンクを貼っておきました。
 メールまたは郵送で受け付けています。

>No.100 falcon171 さん
>No.102 モトケンさん

このようなことは、モトケンさんのようなプロフェッショナルな方に報酬を支払い、意見を求め、相談することではないのでしょうか。
医師が、医療上の正当性を鑑定するように。

No.102 モトケンさん 丁寧にご回答いただきありがとうございました。
了解しました。

ロバートさん、おっしゃるとおりですね。モトケンさん貴重なお時間割いていただき恐縮です。といいながら、さながら大学の講義での学生の質問のようですが、あえてもう一言。
(また、医療に関しての質問あったら答えるか、オフ会あったらお酒をおごると言うことでお許し頂くとして)

>(No.102) 判断基準の定立は検察の仕事ではないのですから、それを検察に期待すべきではないのです。
となると、今の日本で判断基準の定立はどこの役目なのでしょう。裁判の判例ですか?でも、「地雷原と知らずに歩いて爆発してわかる」(全く未知の事に判例を求める)はいざ知らず、ここから先地雷原あり(刑事訴訟の危険性あり)と書いてあるところに安全な道(訴訟にならない手順の確立)を求めて、誰かに地雷原歩かせて(自発的に訴訟になるかもしれない行為をする、あるいはさせる)、あそこは歩けるんだと道を確立するというのは、どうかと思いますが?

そこでぐるっとかえって、No64のあえて事前の「ヤラセ」の裁判です(検察に問うのがダメなら裁判官です。聞かれる方はいやだろうけれど)。可能でしょうか?判例主義の英米法ではカレン裁判できたけれど大陸法系の日本では個々の裁判官は判例で方針示してはくれない(してはいけない)のでしょうか?
しかし、ヤラセでなく心底、医師が「回復不可能でも、呼吸器抜くべきではない」「エホバの証人でも輸血無しでは手術はやらない」と言う信念持っていて、一方患者が、「延命のみの呼吸器は望まないから抜いてくれ」「輸血無しで手術してもらうのは患者の自己決定権だから尊重せよ(これは既に事後例ありますが)」をもとめて「そうするように命じてください」という裁判起こすのはありだと思うのですが。なぜそういう裁判が起こらないんでしょう? 素朴な疑問です。

人を疑心暗鬼にさせるには、判断基準を示さず、ただ何かをやってきたとき、「だめ」「よし」とだけいって罰を加えると言うのがあると思います。どこの現場(医師が患者に、患者が医師に、お客が店員に、先生が生徒に)でも、これをやられるとやられた方は萎縮します。萎縮するな、枯れ尾花だという場合は、やはり「事前に」判断基準を明確にして頂かなくては疑心暗鬼に陥っている人には説得力ないと思います。

すいませんもう一つ。No77の私のコメントの
>弁護士の多数派、検察の多数派、裁判官の多数派は、「福島」「救急心嚢穿刺」などを「法曹的にトンデモ」と言っておられるのか
について、周りの法曹の方の雰囲気なりとご教示いただければ、幸いです。

法曹の皆様の貴重な時間を奪って「教えてください」ばかりでは申し訳ございませんので、参考資料を一つ(カレン裁判などが常識ならご容赦を)。
医学書院の週間医学界新聞というのがあり、そのオンライン版はたぶん誰でも読めます。そこに李啓充先生(医師/作家(在ボストン) 「アメリカ医療の光と影」の筆者です)がコラムを書いておられます。
非常にタイムリーなことに「延命治療の中止を巡って(1)  殺人罪」というのを昨秋から連載されています。カレン裁判のことも(2)からでています。是非ご一読を
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2006dir/n2699dir/n2699_05.htm


連続投稿すいません。
ロバートさん ごめんなさい。私、ロバートさん(No.104) の
>このようなことは、モトケンさんのようなプロフェッショナルな方に報酬を支払い、意見を求め、相談することではないのでしょうか。
を「モトケンさんのような本職の方の法律上の意見をブログ上でただで聞くのはプロに対して失礼ではないか」と言う意見だと受け取ったのですが、ではなく
私がNo100の最後で挙げた「呼吸器はずして良いか」という問いは「病院顧問弁護士にでも正式に相談すべきでは?」という趣旨だったでしょうか?

であれば、その意見は大変まっとうですが、この場合、大丈夫といってくれる弁護士がいるのか疑問です。結局、「私は大丈夫とは思いますが、起訴は検察ですからね、担当検事がどう出るかは断言できません。起訴されて担当判事がどう出るかわかりません。起訴されて騒ぎになったらマスコミに取り囲まれて家族が意見翻すかもわかりません、それでもご自分の責任でやられるならどうぞ」程度の意見なら無意味なのではないでしょうか。
せめて「これが起訴されるなら、日本の医療は真っ暗だ。もし起訴されたら、弁護士生命かけて裁判に臨み、「私が事前に大丈夫と言った」と断言してマスコミの矢面に立ちます」と言っていただけるならと思います。医師が(医師生命かけて)一歩踏み出したらそういってくれる法曹関係者はいるのかしら?

>元研修医さん
>医師は現状を変えようと思っています

それは分かります。そして、社会も現状を変えようと思っています。小松医師の「慈恵医大青戸病院事件」に関心を向け、講演を依頼した最高検察庁(司法)。「慈恵医大青戸病院事件」を出版した日本経済評論社、「医療崩壊」を出版した朝日新聞社(いわゆるマスゴミ)。書店で医療崩壊が平積みになっておりますし、一般市民も医療崩壊にある一定以上の関心を向けていると思います。

医師が適切に問いかければ、社会も適切に医師の声に耳を傾けられると思うのですが。

ちなみに言えば、不買運動はあまり実を結ばないと思います。某航空会社は某サッカーチームの消滅への引き金を引いた件によってサポーターと言われる層から袋だたきにされていましたが、それが何らかの効果を与えたかどうか、寡聞にして存じません。

>falcon171 さん

 No.105 の前段についてはちょっと時間が必要ですので後回しにさせてください。

>>弁護士の多数派、検察の多数派、裁判官の多数派は、「福島」「救急心嚢穿刺」などを「法曹的にトンデモ」と言っておられるのか

 これについてですが、私の知る限り、福島事件については検察上層部は福島地検の処理に批判的だと思われます。

>医師が(医師生命かけて)一歩踏み出したらそういってくれる法曹関係者はいるのかしら?

 これについては、多治見病院の倫理委員会のメンバーになっていた弁護士は、中止の議決に賛成していたらですが(賛成したと思いますが)、医師が起訴されたら全力をあげて検察と戦うでしょう。
 なぜならその弁護士も共同正犯だからです。
 医師と運命共同体です。

>>No.109 管理人さん
> これについては、多治見病院の倫理委員会のメンバーになっていた弁護士は、中止の議決に賛成していたらですが(賛成したと思いますが)、医師が起訴されたら全力をあげて検察と戦うでしょう。
> なぜならその弁護士も共同正犯だからです。
> 医師と運命共同体です。

なるほど、委員会に弁護士を入れるべき理由がようやくわかりました。
お客様ではなく、当事者として参加していただくわけですね。

 補足説明します。

 刑法に共謀共同正犯という概念があります。

 仮に、人工呼吸を外すことが殺人行為と言えるならば

 現実に手を下した者(人工呼吸器を外した手の持ち主たる医師)だけでなく、意思決定を行った者(倫理委員会のメンバー)も共犯である

という概念です。

 共謀共同正犯が成立する場合、多くの場合は、実際に手を下した者より意思決定をした者のほうが責任が重いのです。

 逆に言えば、人工呼吸を外すことが殺人行為と言えないならば、誰も犯人ではないことになりますから、意思決定に関与した弁護士はまさしく当事者として警察や検察と戦うことになります。

モトケン先生に質問です。

No.10であげた神経救急・集中治療ガイドライン(メディカルサイエンスインターナショナル)という邦題となっている米国の教科書にはアメリカでは判断能力のない患者に対して治療中止をする時に患者やその代理人が同意しないときに倫理委員会に諮ることが書いています。そのほかの場合は無意味と思われる治療を続けるべき倫理的な義務はないということになっているようです。その上で治療正否判断自体は委員会の任務ではなく、その責任は主治医にある。倫理委員会の機能は意思決定プロセスが正しく行われたことを保証するとなっています。

単純に日米の法体制の違いかもしれませんが、弁護士も共同正犯というのとは少し違いがあるように思いますが、この点はどうでしょう。治療の中止自体が当然になっている西洋とは役割が違うのはもちろんだとも思うのですが。

ご見解をご教示ください。

>No.112 謹慎明けさん

>倫理委員会の機能は意思決定プロセスが正しく行われたことを保証するとなっています。

 倫理委員会の位置づけと日米の刑法理論の違いの有無が関係してくると思います。

 倫理委員会の容認決定がなければ延命治療の中止ができないという位置づけであれば、日本の刑法理論によれば共謀共同正犯が成立する余地があると思います。

 多治見病院の場合、主治医以外の医師2名の診断が必要とされているようですので、少なくとも主治医だけに責任を問うことはできないと思います。
 私が本文追記で「これだけ責任分散されてしまっては、」と書いたのは、そのような認識を前提にしています。

 なお、私は、共謀共同正犯の成立の前提として人工呼吸器外しが殺人行為になるということを前提にしているのですが、それは逆説的に共謀共同正犯の成立を認めることの困難性を主張しているのです。

 私の基本的な考え方は、中止容認に賛成した弁護士と同じであることはすでに述べています。
 つまり本件で中止行為をしたとしても刑事責任を問うべきではないと考えています。

モトケン先生ありがとうございました。

僕自身はこの事件と通常の医療行為で結果が悪くて裁判になるという話とは別問題と思っています。

>僕自身はこの事件と通常の医療行為で結果が悪くて裁判になるという話とは別問題と思っています。

 私もそう思います。

 医療事故とは本質的に違うと考えられます。

 No63で通行人B さんが書かれてますが、民事で生命保険会社から損害賠償請求が病院にくる可能性はやっぱり残りますよね。
 団塊の世代が引退し(生命保険会社の)医療支出が急増することが予想される中、(今でもそういう傾向がありますが)経営悪いために、取れるところからは取り、支出も可能な限り減らすことが至上命題になってます。

>そうなると、医師としては延命治療に関与しただけで高度の訴訟リスクを
>負担することになります。
>中止してもしなくても被告です。
>あなたまかせにするとどうなるかわかりません。
>だったら、医療側がイニシアティブをとって方向性を決めるか、医師を辞
>めるかのどちらかでしょう。

モトケンさん,
現実問題として医療側がイニシアチブを取って方向性を決めても,非医療側がそれを妥当だと認めてくれるわけではありません.実際に認めてくれる人間と,一部のおかしな患者団体のような「認めようとしない人間」の両方が存在するから困っているのではないでしょうか?
医療側だけで決めさせて頂けるならなんら苦労はありません.

そうなりますと,モトケンさんの論理では「医師を辞める」しかないわけです.結果として医師が一人もいなくなることになりませんでしょうか?

>Level3 さん

 「イニシアティブを取る」とは、錯綜する利害関係の中で主導権を握る、少なくとも握る努力をすることだと理解しています。

 認める人間も認めない人間もその間の多様な人間もいるのが当たり前ですから、私も当然それを前提にしています。

>医療側だけで決めさせて頂けるならなんら苦労はありません.

 こんなことは当たり前です。
 苦労がないなら問題にもならないと言えます。

 医療側の希望するとおりになっていないから、それが正当な希望であるなら、なんとかそれに近づけていく努力をすべきではないか、そういう努力をしている人を支援しなければならないのではないか、ということです。

>Level3さん
同様に、非医療側でイニシアチブを取って方向性を決めても、医療側がそれを妥当だと認めてくれるわけではありません。上の統計でも、51%が法整備を求める一方、47%が国による指針を期待しているわけですので、どっちの方法をとっても医療側の半数近くは妥当だと認めてくれない事になります。

また、以下のような例もあるようです。

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まだ意識がしっかりしていたころ、自らこの病院を選んだ母。「機械の力で生きながらえることは、望まないはず」と考えた三男は、妻、2人の姉とで、「電池の交換はしないで」と院長に告げた。

だが、意外なところから反発が起きた。

「院長の独断はおかしい」「ペースメーカーを止めるなんて、非人間的」。看護師長が、患者を世話する「看護スタッフの総意」として、院長に迫った。

この問題は、病院グループの倫理委員会に諮られた。弁護士や教育長、住職ら外部関係者が半数を占める委員会で、3時間余の激論の末、患者本人が意思表示できない状態であることを再度確認することを条件に、家族の意向を支持することを決めた。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20060731ik07.htm
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医療側であろうと、非医療側であろうと、われわれ日本人は集団の中で合意を形成することが苦手のようであり、その事が問題を根深くしているように思います。

最近、当直は本当に怖いです。
処置の最中に訴えられるかも、と無駄な考えが頭を走ります。

しかし、倫理委員会が認めて病院が認めたとしたらその結果訴えられたとしても自らの正当性に自信が持てるし、社会的に大損失を被る可能性、妻子に大きな迷惑をかける可能性は少ないと思います。おかしな団体ははえのようにうるさく、スケープゴートにされる可能性は少ないのですが。むしろ倫理委員会をタイムリーに開ける病院が少ないのが現実的に問題なのではないかと思います。
富山の先生も含め、多くの意思があうんの呼吸でやってきたこと自体は何かあれば社会問題視される、しかしその中には独断ではなかったかという視点があります。治療中止を認めている国であってもこのあうんの呼吸で行うことに対してむしろ厳しい判断になるのではないかと思います。倫理委員会の決定による治療中止が増加すればある条件下では倫理委員会の関与もいらない状態になっていくと思います。

多くの医師の意見はそうなるとしてもそうなるまでの訴訟やスケープゴート化になる対象がでるのではないかということだと思います。僕はこの点では前述したごとく楽観的です(安楽死の会はかみついて来るでしょうが)。その点ではモトケン先生の言うことを信じます。多治見病院でもそういう判断だったとすればネットでnegativeな面ばかりを意識している医師をのぞいては楽観主義の医師も多いものと信じます。

書き込んですぐ投稿で駄文が多いのに普段はなおしませんが、
おかしな団体ははえのようにうるさく、スケープゴートにされる可能性は少ないのですが

可能性は少なくないのですが

です。

訂正します。申し訳ありません。

>謹慎明けさん
>倫理委員会の決定による治療中止が増加すればある条件下では
>倫理委員会の関与もいらない状態になっていくと思います。

医療訴訟にも同じような事が言えると思うんですよね。つまり、医療訴訟による判例が増加すれば、ある条件下では訴訟を起こさなくても構わない状態になっていくと思います。

これの成功例が交通事故の算定基準のケースでしょうか。

倫理委員会できちんとするとなると僕自身の建前的診断、治療も認められなくなる、自分でもいいやり方ではないと思うようになると思います。
建前的治療、診断を誰に見せるか、一つは看護師です。看護師とは仲良くやっていますが、硬直した考えを持つ一部の看護師に向けて建前を通すことがあります。だからしまさんの119の事例はよくわかります。
でも院内で反発があれば倫理委員会を開いてというのがまっとうな道だと思います。

>交通事故の算定基準

突っ込みを入れますと、自分と身内を含めて何度か経験していますが、画一的で不合理を感じる場合が多く成功例とは思いにくいです。

しかしガイドライン的なものは出来るだけ早く作った方が皆さん助かるでしょう。
ちょうど「プロバイダ責任制限法ガイドライン(案)」なるものが発表されましたが、過去の判例を元に確実と思われる線を解説していますね。

No.107 falcon171 さん

そうです。ここで質問するなということではなく、個別事項が多いので、相談という形しか難しいのではないだろうかということでした。

私の勤める病院では、顧問契約に基づき、様々な質問を弁護士さんにしています。100%の医療鑑定が難しいように、様々な要素がありますが、診断と同じような感じでのご意見はいただけるように思います。弁護士さんには、状況を整理して話さないといけないのは、診療と同じです。一歩踏み出すかどうかも、診断に基づいて、治療方法を選ぶように、ある程度はギャンブルであるのはいたし方のないことではないでしょうか。

医療で100%の保障をせよと言われて困るように、法曹の方々も同様に困られるようにお思います。

>>No.101 ロバートさんのコメント
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/12/s1212-6.html
このサイトが非常に情報がまとまっていると思います。
ヒアリング1−2では、厚生労働省の検討会がまとめた、
今後の終末期医療に関する報告書が
ヒアリング1−4では、上智大学法学研究科の先生が
終末期医療と刑法というスライドをつくって下さっていますよ。

モトケンさん お返事ありがとうございました(No.109 )

>私の知る限り、福島事件については検察上層部は福島地検の処理に批判的だと思われます。
心強い限りです。風が変わるのを待ちます。でも早くしないと、「3月10日より前に(沖縄の前に、広島の前に)どうして決断できなかった」と言われるかも。

>医師が起訴されたら全力をあげて検察と戦うでしょう。 なぜならその弁護士も共同正犯だからです。 医師と運命共同体です。
良いアイデア思いつきました。倫理委員会に新聞記者を正式に呼んで入れる。出来れば現役スター記者が良いけれど(「疋田桂一郎賞」受賞の方はどうでしょう 冗談です)、でなければ、現役記者が誰も頭の上がらない超大物OB記者に委員委嘱。同じ運命共同体に乗ってもらいましょう。

もちろん知り得た秘密は、いかなる形でも会合外に漏らせば、厳しく民事裁判です。

>No.105 の前段についてはちょっと時間が必要ですので後回しにさせてください。
後、このごろご多忙とは存じますが、お時間出来れば、お教え下さいませ。

遅きに失した感もあるが、この件に関しての議論の中で非常に不愉快だったことを一言申し上げたい。

中日新聞の記事を読む限り、この延命治療中止を中止した問題で、ご遺族は倫理委員会が患者の死に対して真摯に検討したことを感謝したし、かつ延命治療中止を中止した病院の立場にも理解を示した。ご遺族はマスコミに対し堂々と思いの丈を語り、制度が問題だという病院との共通理解を示した。富山射水の事件で当事者のご遺族が一切マスコミに顔を出さなくなったのとは全く違った対応となっている。中日新聞に記されたご遺族の言葉に、私は目頭が熱くなった。

病院が延命治療中止を強行した場合に、ご家族がどのような対応を示したかは知る由もないが、マスコミ攻勢などによって心のどこかで後ろめたい気持ちを持つようになったかも知れない。今回の一連の決定にご家族は満足しているようであり、少なくともご家族の信頼を大きく損なうようなものではなかったはずである。100点満点ではなかったとしても及第点はあげられよう。倫理委員会の行動や院長の判断を含めて、一連の決定が及第点なのである。

それなのに、

延命中止を中止した判断が残念だというならまだしも、その決定を下した院長その人を批判する人がいたのは、非常に不愉快だった。当事者とりわけ患者ご遺族の存在を省みず、やれ突破口をあける機会を逃しただとか、やれ虎穴にいらずんば虎子を得ずだとか、何をか言わんやである。

法にももとらず、当事者の理解も得られた医療行為に対して、部外者が文句を言うというのは一体何事なのか。

峰村先生

 男性の治療にかかわった同病院の間渕則文・救命救急センター長は、延命治療の中止について「現場の医師は日常的に判断を迫られている。法整備やマニュアルがないと、医師1人が悪者にされた射水病院のようなことが今後起きる」と話している

と言う言葉があります。だからこそ倫理委員会で決定をしたということです。この方式が認可されれば楽になる医師、患者さんがたくさんいるということです。僕もです。
当事者とご家族は抜管を望んでおられたはずでむしろ無念だったかもしれません。先生も僕も家族のお気持ちを都合のよく解釈しているに過ぎません。

院長が病院の最高責任者であるのですから、院長が責任をとれないことにはgoを出せないわけで、その点においては他者は非難できませんが、残念であったというのは確かではないでしょうか。
先生の視点からはこの問題が現場からあがってきたということをどう解釈されるのでしょう。

残念であったというのは確かではないでしょうか。

終末期医療を扱う医療者で延命中止の可能性を公のものにした者にとっては残念であったというのは確かではないでしょうか。

という風に訂正します。

謹慎明けさん

私の書き込みの最後の部分が曖昧で趣旨が読み取りにくかったかも知れません。ごめんなさい。

細かいことを言えばキリがないのですが、

私は「延命中止を中止した判断が残念だというならまだしも、」と書きました。延命中止を中止した判断自体を残念がることは、いろいろな立場の方がいらっしゃる以上当然だと思います。私がおかしいと思ったのは、その判断を下した院長を批判することです。

罪を憎んで人を憎まず、なんて言葉がありますが、全く対極ではないでしょうか。何でも個人に責任をなすりつけようとする現代の風潮にうんざりしているのです。

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