エントリ

町村先生のブログで、南山大学法科大学院での藤山雅行裁判官の講演の内容が報告されています。

 juge藤山雅行裁判長のお話(Matimulog)

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コメント(68)

該当のブログを読んでみました。

>100点満点ではないということであれば和解による解決も考えられる。

これに関しては、細かいニュアンスが分からないので、判断は保留します。例えば、モトケンさんが教えていらっしゃる法科大学院で、藤山判事を招聘して医師を中心に、一般の方を対象にした講演会を行うというのはどうでしょうか。

藤山判事は、どうやら裁判官の中でもエリートのようですので、我が国の医療訴訟にもたらす影響力は強い方だと思います。そのような方と直接意見を聞く場は、一般の人にとっても、医師の方にとっても貴重な場だと思います。


>このようなノーガード戦法は、それ自体、よりよい療法を患者に分かる形で
>説明すべき義務を尽くしたとはいえないというのが藤山部長の評価で、
>そのことを医療関係者に伝えたいということであった。

これはつまり、将来的に義務違反の対象となることなのでしょうか。

皆さまへ

 町村先生のブログにもコメントしましたが、先生のエントリを紹介した私としましては少し心苦しい思いをしております。

 町村先生は、必ずしも私と同程度に医療関係者の方の意見を聞いているとは限りません。
 ひょっとしたら相互理解の第一歩であるかも知れません。

 皆さま、よろしくお願いします。

 もちろん、コメントを控えて欲しいという意味ではありません。

はーい、わかりました先生!!

みなの衆、抑えて抑えて無礼のないようにいくのじゃぞ

は〜い、分かりまつた!

あ、俺、医療関係者じゃないや・・・。

余計なこと(しかも管理人とは無関係)かもしれませんが、“juge”ではなく“Judge”・・・英語ならですが。
他の言語だったらお許しを。

町村先生のブログのコメントを拝見しているうちに、医療崩壊の現状と教育荒廃のそれとが重なって見えてきました。

入学にあたって厳しく学力を問われる、あるいは多額の資金を要するといった高等教育機関においてはあまり教育荒廃と言うことは表だっては来ません(これはこれで様々な問題があることは確かですが)。義務教育においても私学等では同様の傾向です。しかし「ただ(同然)で、誰にでも」という認識が一般化してしまったとき、現在の公立校におけるような荒廃がやがて襲い来ることになるのかなとも感じます。

医療の現場においてもこれ以上の崩壊を食い留めようとするのであれば、現在のような安価でフリーアクセスを保証するような制度はすでに限界なのかも知れません。

>さらに過失がない場合であっても、100点満点ではないということであれば和解による解決も考えられる。(藤山氏の講演内容らしい)

これって、100点満点じゃなければ金を払えってことですよね。
ピッチャーだったら毎試合完全試合、バッターだったら毎打席ホームランを打たなければいけない?

自分がどれだけ無茶なこと言っているのか自覚して欲しいものだ。
司法試験だって医師国家試験よりは難しいだろうが、100点満点じゃなければ合格しない訳じゃあるまい。
と、愚痴の一つも言いたくなります。

 町村先生、ちょっと地雷を踏んじゃったみたいですが、

 やはり批判すべきは藤山裁判官の講演内容だと思います。

 あれはあれで裁判官から見た制度論なんですけど

 医師から見ると生活に対する具体的かつ重大な脅威なんですよね。

 藤山裁判官の講演にはそういう視点が欠けているのかも知れません。

 「最良の診療方針」というのは「最大のリスク」を抱える場合があるんじゃないでしょうか?

お奉行様の話ではないですが、

>法的責任追及を恐れて防衛医療に走るという弊害はよく言われていますが、それこそ医師の行動倫理としての問題がありそうです。

医師は患者の望みを達成するためには、場合によっては刑事的、民事的な法的責任追及をも甘んじて受けなければならず、それを忌避することは倫理違反であるということでしょうか。

他の職業者に、そこまで過酷な職業倫理を求めることができるというのは、すごいことです。

町村弁護士の考え方が一般的な弁護士のそれだとすると、モトケン先生をはじめ、本ブログの法曹関係の方々が、特異な存在のようにも思えてきました。

>さらに過失がない場合であっても、100点満点ではないということであれば和解による解決も考えられる。(藤山氏の講演内容らしい)

これはすごいですね。医学的に見れば0点10点20点の事実歪曲判決を量産する人が、こういう発言を憚りなくすることは、悲劇なのか喜劇なのか。まあ、人に厳しく自分に甘い類の人間なんでしょうね。

>>管理人さん

わざわざ先方に医療側弁護のコメントまでしに行ってくださり、本当に感謝しております。

>モトケンさん
>やはり批判すべきは藤山裁判官の講演内容だと思います

先のエントリーはあくまでも町村氏の感想であり、これを元に批判すると言うのは、又聞きを元に批判することであり、正当な批判は難しいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。


>じじいさん
町村氏は学者であって弁護士というわけではないのですが……

雑談感想。

> 藤山氏の講演内容らしい
> こういう発言を憚りなくする(No.11 峰村健司 さま)

一応、伝聞情報ですので。クール、クール。
むしろ、そのような趣旨に受け取って怪しまない聞き手の理解度のほうに、問題があるのかもしれません。
しかし、本当に発言があったかもしれないと思ってしまえる罠。

> 町村先生、ちょっと地雷を踏んじゃったみたいですが(No.8 モトケンさま)
このブログを読んでいれば、危険な言葉に髪の毛がピッと逆立つ(鬼太郎アンテナ)ところでしょうけれど。

> 町村弁護士の考え方(No.10 じじい様)
町村泰貴教授は、法学者ではありますが、弁護士登録はされていないので、「弁護士」ではありません。
(司法試験に合格しているかは、ネット上の情報からでは分かりませんでした。)

ちなみに、法律の世界においては、学者と実務家とは資格が別で、基本的に全く違う仕事をしているため、両者の考え方の溝は深いです。医師の大学教授と臨床医の差異より大きいのではないかと思います。

> モトケン先生をはじめ、本ブログの法曹関係の方々が、特異な存在のようにも思えてきました
正直なところ、現時点では「特異」と言わないまでも、少数派です。
我々が明日の多数派になれるかどうかは、医師の皆さんの宣伝活動にも掛かっていると思います。
法曹を啓蒙し、医療崩壊の問題に対する正しい認識を持ってもらい、できれば医師の味方にうために、どこのサイトを紹介するのが適当か?
医師と法曹とが冷静に対話し問題を分析しているこのブログの存在を、私がどれほど貴重に思っているか、おわかりでしょう。

>町村泰貴教授は、法学者ではありますが、弁護士登録はされていないので、「弁護士」ではありません。

YUNYUN先生、ご指摘ありがとうございます。おっしゃるとおり、大学の先生でした。どうも法曹の先生→弁護士が染み付いてまして・・・。町村先生、失礼しました。

>ちなみに、法律の世界においては、学者と実務家とは資格が別で、基本的に全く違う仕事をしているため、両者の考え方の溝は深いです。

モトケン先生は、その溝をどう埋めておられるのでしょうか?駅のトイレかどこかで、服を着替えられるとか、一応「変身っ!」とかやってみるとか・・・。

>法曹を啓蒙し、医療崩壊の問題に対する正しい認識を持ってもらい、できれば医師の味方にうために、どこのサイトを紹介するのが適当か?

少なくとも、今回の件で町村先生がこのブログに関心を持たれ、ご覧になられれば(できれば冷静に、最初から)、味方が一人増えるかもしれませんね。(見る場所によっては敵になっちゃうかもしれませんが・・・)

>じじいさん
町村ブログの書き込みを見る限り、敵を増やしたのかもしれませんね。ま、この程度の炎上は慣れているかも知れませんが。医療界と法律界の溝は深そうですね。

 町村先生の医師に対する見方は、一般の人のそれとほぼ同じか少し詳しい程度と思います。特に悪意を持っているご様子もないと思います。ただ単に、医療問題をご存知ないだけだと思います。

 だからこそ、今の町村先生のブログで進行している状況は、暴走さえしなければ、私には望ましいものと映ります。

 なぜなら、町村先生が医療問題に詳しくなり、医師の置かれている現状・医療崩壊の進む方向と課題を理解されれば、必然的に町村先生に教えを請う若い人にも影響が及ぶと思うからです。


(管理人注記)
町村先生のお名前に付き誤記訂正させていただきました。

モトケンさん、お手を煩わせて申し訳ありません。

 町村先生の医師に対しての見方は、読み返してみてつくづく患者側の人間の見方と同じだなぁと思いました。まっ、私も患者側の人間ですが。

 つまり、医療現場の激務がどんなものか想像がつかず、士気が落ちることの恐ろしさも想像しがたい、また、勤務医のおかれている状況をまったく知らない、高飛車でもやっていけて、高収入で安定した首にならない職業でいいなぁ……とのんきに考えている人々と五十歩百歩ではないかと。

 町村先生はもしかしたら、法律・裁判はいったい、どちらの方向に向けられるべきなのか?どちらの方向にも向けられるべきではないのか?と考えたとき、立ち往生してしまわれるのではないかと、ふと、私は思いました。

 医師は患者側の立場にもたちえますが、非医療者である私たちは、医師の立場には立ちようがありません。 非医療者側の人間は想像力を思いっきり広げなければ、理解するのが難しいかもしれないのです。町村先生は聡明な聞く耳をお持ちの方とお見受けしますから、頭を抱えて唸ってしまわれるほどの理解を期待したいのですけれど。

>町村ブログの書き込みを見る限り、敵を増やしたのかもしれませんね。ま、この程度の炎上は慣れているかも知れませんが。医療界と法律界の溝は深そうですね。

メンテ中で書込不能ということですので、メンテである意味助かったのか、それとも急激なカキコがメンテを呼んだのかは定かではありませんが・・・。

多くはこのブログの医療関係者の方々のようですので、炎上というよりは、このブログのどこかでみたような話になってるみたいですね。(町村先生的には「炎上」かもしれません)先生がこうした応酬に慣れておられることを祈ります。(コメントでは結構冷静に返されてましたので、多分大丈夫とは思いますが)

理系と文系の違いはあれ、どちらも頭脳明晰な方々ですので、一度理解が進むと話が早いかもしれませんが、今はまだ溝が日本海溝のように深そうですね。

モトケン先生、相互理解の出発点になるかもしれませんが、藤山奉行ネタとは、かなりの劇薬ですね(^^;

 町村先生のブログでは以前、2チャンネルのAAの著作権でコメント欄が160近くに膨れ上がる論争が巻き起こっていました。炎上に近いものでしたよ。

 ですから、この程度の議論は無問題だと思います。ただ、論争大好きな方が一人いらっしゃいますので、そちらの方の出方次第かもしれませんが。嵐を呼ぶ方が一人いらっしゃっています。

 どうか、荒れずにすみますように、挑発に皆さんが乗りませんように、と、祈っておりますが。

なんかコメントの名前欄が「じじい」と「ばあば」ばっかりwww

 実をいいますと、町村先生のこのエントリーには、個人的に別の意味でも興味が湧いておりまして……

 ですので、荒れないことを祈っておるのでございますwww

>  どうか、荒れずにすみますように、挑発に皆さんが乗りませんように、と、祈っておりますが。(ばあばさま)

…メンテ明けすぐにコメントしようと思っていたのですが…。

>法的責任追及を恐れて防衛医療に走るという
>弊害はよく言われていますが、それこそ医師
>の行動倫理としての問題がありそうです。

町村先生の上記コメントに対し、強い反論がなされているようですが、医師として、あるいは専門家として、医療の確立性からして止むをえない結果であるとすれば、臆することなく自らが信じる治療を行い、その結果が問題にされたら、訴訟の場で堂々と戦えば良いのであって、それこそが専門家たる医師の行動倫理であることを町村先生は言いたいのではないでしょうか。
戦う武器(情報)は医療側と患者側では、圧倒的な違いがあり、この点を是正しようとする藤山判事の訴訟指揮には共感を覚えるものです。

地方の弁護士さん

 患者側弁護士さんでしょうか?

>その結果が問題にされたら、訴訟の場で堂々と戦えば良い
 
 これは審判が公正であって初めて言えるのではないでしょうか。藤山判事はそうではない。その例は検証されているブログをみていただければよいでしょう。(例えばこのブログとか、新小児科医のつぶやきとか)
 審判が公正でなければ、負けたくなければそこから立ち去るしかない。
 言い方は悪いですが、サッカーの試合でも元々一方の側に立っている審判なら(ある意味八百長なら)、負けるのがいやならその試合をしないまでです。

 挑発的な物言いならすいません。

 そもそも現行の司法制度で真実が明らかになると思っていらっしゃるのでしょうか。情報の差があるのはあたりまえです。相手ととことんまで戦うなら謝罪も得られない。患者さん側の満足度だって低い。

 町村先生もそうですが、100%の結果でなければ和解という発言からして医療の本質を全くわかっていないこと、医療崩壊がもう起こっているのにこの暢気さに心が沈みます。


 どうか、このブログの関連エントリーだけでも読んで下さい。

YUNYUNさん(No.14)
ご指摘ありがとうございました(笑) ご指摘どおり最近ホットでございます。

地方の弁護士さん(No.25)
猛反論が出てきそうですが、本丸はさておきちょっと斜めな点からの疑問です。

裁判官が法廷に独自の理念を持ち込んで、趣旨にそぐわない場合にそぐわなかった側に対して不利益な判決を下すことには、裁判官の行動倫理としての問題はないのでしょうか。越権行為に見えるのですが。

また、医者が法廷で頻繁に時間を取られるようになると、その取られた時間の分だけ通常の診療が手薄になるわけであって、現在通院中の患者そしてまだ見ぬ未来の患者の安全性確保の観点からも、時間を膨大に消費する裁判というものの忌避には一理あると思いますが。

rijin さん、
>…メンテ明けすぐにコメントしようと思っていたのですが…。

町村先生は、大丈夫です! どうぞコメントしてください。
論争大好きな別の方、O氏の言動に踊らされませぬように。

元田舎医先生

>なんかコメントの名前欄が「じじい」と「ばあば」ばっかりwww

すまんこってす。あ、また増やしてしもた。

地方の弁護士様

>その結果が問題にされたら、訴訟の場で堂々と戦えば良いのであって、それこそが専門家たる医師の行動倫理であることを町村先生は言いたいのではないでしょうか。

裁判官も医師と同じく医療を理解し、不確実性と個の違い、医師がその場面でおかれていた環境などを理解されていればよいのでしょうが、少なくとも藤山裁判官はそうではないようです。同じことをすれば、同じ結果がでる実験とは異なるのが医療だと思いますし、その異なる結果が死であったとしたら、遺族から訴訟を起こされるのが医療の現状なのではないですか。

藤山裁判官の言われる、過失がなくても100%でなければ和解で医療側が金銭を支払うということは、どういう理屈なのか少なくとも医療関係者でない私にも理解できません。裁判官全てが藤山裁判官の考えに同意されているわけではないでしょうが、少なくとも地方の弁護士様には共感されておられるようなので、法曹関係者には受け入れやすい考えなのでしょう。

前にも書きましたが、弁護士さんは、裁判所が日常業務の場所であり、訴訟準備や訴訟自体が飯のタネでしょうから、何かあれば訴訟で戦えばよいと考えられるのでしょうが、他の職種の人間にとっては、訴訟準備や訴訟は大きな負担になります。他の職種の人間は裁判では飯は食えませんから、他の仕事をこなして、それ以外に訴訟準備をしなければなりません。ただでさえ過酷な医師の業務に、訴訟準備が加われば、肉体的にも精神的にも金銭的にも大変なことはいうまでもないでしょう。そうでなくても一般人にとって、裁判所は、そして自らが被告となるということは、大きな精神的負担となりますよ。

しかも、原告側は勝てば賠償金が手に入りますが、被告である医師側は、勝っても一切報われることはありません。費やした時間にも、原告や裁判所は報いてはくれません。罵倒した遺族や関係者からの謝罪もないでしょう。また、日本社会では訴えられること自体が悪評につながります。実際に酷い過失があればそういったことも当然なのでしょうが、医学的には過失といえるようなものはなくても裁判官の無理解などで負けたりしたら、また藤山裁判官のいうように過失はなくても和解金を支払わなければならないとしたら。

そうした全ての犠牲を払っても医師はどんどんハイリスクな医療を行うのが行動倫理とされれば、医師へのなり手などいなくなるでしょう。訴訟制度がある以上、そうしたリスクを国民は受忍すべきというお考えかもしれませんが、一般国民(法曹関係者も含む)が負う訴訟リスクと医師が負うリスクとは比較にはなりません。私は、自らはそういうリスクを負わず、他の職種に対しそうしたリスクを積極的に拾う「聖人」であることを職業倫理として求めることを批判しました。

 ばあばさま、コメントありがとうございました。

> 論争大好きな別の方、O氏の言動に踊らされませぬように。

…あ〜、既に町村先生にはお相手していただいておりますので、次は実はそっちの方でして…。

>…あ〜、既に町村先生にはお相手していただいておりますので、次は実はそっちの方でして…。

 rijin さんが常に冷静になさればよろしいかと思います。
 この方の言動を、いろいろな意味で楽しんでいらっしゃる方々も存在しておりますので、「今回の対手の方々はひと味違うな」と思わせていただけると、嬉しいですね。


> No.25 地方の弁護士さん
まず、医療というのは結果を保証できないものです。100%安全ではないということは我々の間では常識です。その理由はこのブログでさんざん述べられているのでいちいち説明はしません。しかし、正々堂々と戦えるくらい医療というのは確立しており、裁判に勝てるものだという思いこみ事態が実際には間違っていると言えるのです。
医療を長年勉強すればわかりますが、その点が一般の人達にはなかなか理解できません。まあ、時間をかけてこちらも説明するしかないのかな、と感じております。

実際に民事でもなぜ賠償の義務が生じるのか不思議としか言いようがない判決が数多く出ています。過失が無くてもです。

まずは医療現場を時間をかけて勉強してみることをおすすめします。

自己の専門的知見に従って医療行為をなし、それが訴訟になったとしたら、それを司法に理解してもらうように全力を尽くすのが専門家の専門家たる所以であると思います。権利のための闘争との著書がありますが、権利は自分で守り、勝ち取るものです。ましてそれが延いては国民のためになると言うのであれば、そのためある程度の時間をさくことになるのは、正に専門家冥利に尽きるのではありませんか。
医療関係者の中には、幾ら努力しても、司法の場で理解される保証がないとの不安を感じている方もいるようですが、仮に裁判所の理解能力に欠けるところがあるとしても、それは制度上の欠陥として、是正されるべきことであって、決して医療を司法制度の枠外に置くことではない筈です。なお、裁判所では裁判所の知見を補充するものとして、専門委員制度を導入し、活用を図りつつあります。
医療に内在する不確実性故に司法判断に馴染まないとの主張かとも思えますが、不確実性故の結果との立証に成功すれば、裁判所は理解を示すと思います。
問題は、不確実性故の結果との立証に成功したのに(事実の認定は正しくとも)、過失があるとして、賠償を命じられるのではないかとの不安は残るのかも知れません。過失の判断は規範的要素を含むからです。ここに100%でなければとの判断が入り込む余地が発生します。その意味で司法にも不確実性はありますが、その不確実性を多数の判例の積み重ねによりなくすのが専門家に与えられた使命であると考えます。

 地方の弁護士さん、周回遅れの議論です。過去ログをお読みいただけませんか?

No.33 地方の弁護士 さん

>100%でなければとの判断が入り込む余地

ここに医療に対する誤解があると思います。
医療は患者から得られる情報に限界があります。そこから導き出される答えには限界があるため医療に100%はもともとあり得ません。
地方の弁護士さんも言われる通り裁判も不確実性がありますよね。
裁判も100%はありえないことです。
では、あるひとつの判例についてそれがあとから100%でないからといって、その判例について「判断が入り込む余地」があってと認められ、「判事が賠償を請求される可能性」があるとしたら、裁判制度は成り立つでしょうか?
医療もまた多数の症例を積み重ねる事で、医療の持つ不確実性を少なくしているのです。
医療も裁判制度も、「100%でなければ判断の入り込む余地」を認められたら、成り立たないのものだと自分は考えます。

>自己の専門的知見に従って医療行為をなし、それが訴訟になったとし
>たら、それを司法に理解してもらうように全力を尽くすのが専門家の
>専門家たる所以であると思います。

地方の弁護士さん,
ここの医療崩壊のブログを時間がある時に読んで頂けないでしょうか?
そうすれば,もう少し医療というものを理解して頂けるのではないかと思います.
「地方の弁護士さん」とほとんど同様のコメントを書いておられる方がおられました.
あなたは,小学生に高等数学の微分や積分を教えて理解されられるでしょうか?特殊相対論を理解させられるでしょうか?
「はい」と答えられる人はまずいないと思います.これに近いことを「地方の弁護士さん」は医療関係者にやりなさいと言っているのに等しいということです.机上の空論では,現実的な意味を成しません.

地方の弁護士さんへ
僕は結果として自分の判断が間違って患者さんに不都合なことが起っても逮捕はされたくないんです。もし、不幸にも自分の注意が及ばなかったり、後になって思い返せばどうして見逃したのかと思うことがあったとしても逮捕はされたくありません。
医学部も法学部も受験では秀才の集まりです。大学受験で何割とれば合格をしますか。100点なんてとれなかったはずです。普段はできる問題だって試験会場ではできないこともある。いくら勉強をしてもいつも正しいことなどできるとは限らない。法曹の世界には瞬時に判断を要求されることはないはずです。じっくり考えてさんざん議論して答えを出す、臨床の現場は違います。一生に一度しか経験をしないようなことを瞬時に判断をしなければいけない。
医療事故が起って被害者を救済しなくていいと言っている訳ではありません。際限なく、医師を許せというのも受け入れられないのはわかっています。
事故を少なくする努力が必要なことも努力によってある程度事故がへることもシステムの改善によって事故が減る可能性もあるでしょう。
それでも間違うのが人間で人間が医師をやっているのです。ミスが起るのは努力では埋めることのできない能力にも起因するからです。

地方の弁護士さんのいわれることはある意味で正論だと思いますが、残念ながら医療現場の実状からは相当な距離があり、それを実践出来る人は事実上いないというのは皆さんが言われるとおりだと思います。

ただ、医療行為の結果が患者、家族にとって著しく不満足なものであれば、それに対して不信の念をいだく、異議を申し立てる、こういう社会の流れは今後もいっそう加速していくのは絶対に止められないと私は思います。

したがってそのことに対して、けしからん、医療の不確実性というものをわかっていないと嘆いてみたところで単なる愚痴以上のものとはならないでしょう。

結局のところ、
(1)リスクの高い医療に従事するもの、あるいは専門医に対して高い報酬と社会的地位で報いる。
(2)患者側のクレームがどういう形をとろうが、当事者である医師はクレーム対処チームにとりあえず丸投げしておけば、話はしかるべく進んでいく(交通事故で保険屋さんに一任するイメージです)。
(3)医師の業務の標準化を推進し、卒後教育で徹底する(これは飛行機のパイロット業務のイメージです)。
こういった具体策で対処するしかないと私は考えています。簡単に言えばもっとビジネスライクにやっていこうよ、ということです。

No.38 yanyanさん
民事訴訟ならそれでいいんですけどね
一番の問題は刑事なんですよ
不起訴になろうがダメージは大きいですよ

ついでながら人間の限界という科学を学んでみれば地方の弁護士さんのおっしゃることは実現不可能だということがすぐにでも理解できると思います。その辺は私も不勉強で申し訳ないのですが・・・。少なくとも人間はミスをする完璧でない生き物である、ということは仕事を通じて認識しているつもりです。

>No39 まさむねさん
>民事訴訟ならそれでいいんですけどね。一番の問題は刑事なんですよ。

こういうことはおそらく誰かがどこかでお書きになっているのでしょうが、蛇足ながら:
私は患者ないしは家族(多くは家族でしょうが)が刑事告発(というんでしょうか?)を行う最大の動機は、怒りのはけ口だろうと思っています。
社会的にいろいろなチャンネルを持っているような家族は医師の目から見ても明らかな犯罪と思われるようなケース以外では刑事告発などしないのではないですか。病院ないし当事者医師に対して働きかけの窓口をもたない人の駆け込み寺みないなものでしょう。
そのような怒りの量が今後減少する可能性は絶望的に低いでしょうから、怒りを他に誘導する手段を考えるしか方法はないのではないですか。、


我が国で毎日行われている手術やその他侵襲的手技の件数に比べると実際に立件され起訴にいたる確率というのは限りなくゼロに近いと言っていいわけですから、最近の「刑事うんぬん」というのはいわば幻影におびえているようなものだと思います。
私なども手術中に半分冗談で「ここでこうしてこういう結果になったとしたら業務上過失致死で逮捕されるのかもしれんなあ、ははは〜」などと同僚と話しております。
結局、幻影におびえることの背後にあるものは「うまくいかなかったら(何らかの形で)問題にされるかも知れない」という恐怖を伴う認識だと思います。
自分自身を振り返るに、かつてはこの「うまくいかなかったら問題にされるかも知れない」ということをあまり意識せずとも医療現場に立てた時代があったのだろうと思います。
しかし考えてみれば他人の健康、生命に直接関わる仕事をしていて「うまくいかなかったら問題にされるかもしれない」というのはむしろ当然のことのように思います。
したがって処方箋は「うまくいかなかったら問題にされるかもしれない」という認識あるいは状況と共存しうるような処遇、制度の整備の方向へと向かう以外にはなかろうというのが私の考えです。

>我が国で毎日行われている手術やその他侵襲的手技の件数に比べると実際
>に立件され起訴にいたる確率というのは限りなくゼロに近いと言っていい
>わけですから、最近の「刑事うんぬん」というのはいわば幻影におびえて
>いるようなものだと思います。

yanyanさん,
私も昨年の大野事件の報道があるまでそのように考えてきました.しかし,あの報道を読んだ瞬間に「とうとうここまで来てしまったか」と正直思いました.だから,すぐに署名運動にも募金運動にも参加しました.
もはや「幻影」などではなくなったのです.
特にハイリスクの患者さんに対しては,結果が悪ければいつ逮捕されても不思議でない状況です.実際に送検されているケースが増加しています.刑事事件になるようなものとは思えない事故でもです.

確率は非常に低いとは言え、「1000の弾倉に1発弾が入ってるかもしれないし、入ってないかもしれない」銃で延々とロシアンルーレットをやり続ける仕事、というのは怯えて当然かと思います。

確率の少ないことは無視できると思っている人が多いのであれば、宝くじを買う行列など出来ないと思われます。
当たる可能性がどれだけ低くても、可能性がゼロではないから買うわけです。
同様に、刑事被告人になる可能性が低くても、センセーショナルな実例があれば、恐れるのは無理がないと思いませんか。

 ばあばさま、こんにちは。

>  rijin さんが常に冷静になさればよろしいかと思います。

 これまでのところは合格点(100%ではない)を頂戴できますでしょうか?

>No42 level3さん
>No43 7年目内科医さん
>No44 Banbooさん

我が国では白内障の手術だけでも年間100万件近く行われているそうです。その他の手術、カテーテル手技、内視鏡的手技によるインターベンション、分娩なども含めれば膨大な数になります。

それに対して昨年1年間で明白な犯罪とは思われない医療行為に関連して「逮捕」された医師、「書類送検」された医師、そのうち「起訴」された医師は何人いるのでしょうか。

数字、確率だけを見れば、「犯罪捜査におびえる医師」(私の感覚とは異なりますが)というのは「幻影におびえている」といわれてもやむを得ないのではないでしょうか。

私は幻影そのものを単純に否定しているわけではありません。
年齢、職場の状況、仕事の内容によって幻想の濃淡、強弱は様々だと思いますが、「幻影」を抱くにはそれなりの理由があるのであって、その背後にある医師、特に勤務医のおかれた状況あるいはその変化を見ることが重要なのだと思います。

“いつ逮捕されてもおかしくない”、“ロシアンルーレットをやっているようなものだ”などという発言はまさにそれ自体が幻影の表現であって一般の人にはおよそ理解不能ではないでしょうか。

確率の問題じゃないことはすでに述べました。
大金を期待できれば、確率が低くても宝くじを買います。
耐えられない屈辱が想定されれば、確率が低くても萎えます。

事実、自然分娩後の大出血が私の勤務先でありました。
緊急手術で子宮全摘が行われましたが、麻酔の導入は筋弛緩剤だけです。
(麻酔剤を使用するには状態が悪すぎた)
導入前にAラインを取ったときの逆流した血液は、血の色をしていなかったそうです。
術後の診断は癒着胎盤です。

麻酔記録を見たとき、良く助かったものだと思いました。
もし助からなかったらと思ったとき、大野病院の事例が脳裏をかすめることが幻影だというのであれば、yanyan さんとは危機感を共有できないでしょうね。
あと一時間早ければ、麻酔を担当したのは私だったのですから。

>我が国では白内障の手術だけでも年間100万件近く行われているそう
>です。その他の手術、カテーテル手技、内視鏡的手技によるインターベ
>ンション、分娩なども含めれば膨大な数になります。
>
>それに対して昨年1年間で明白な犯罪とは思われない医療行為に関連し
>て「逮捕」された医師、「書類送検」された医師、そのうち「起訴」さ
>れた医師は何人いるのでしょうか。

yanyanさん,
白内障のような命に係わる事がまずないようなローリスクの手術は別にして,カテーテル,内視鏡的手術,分娩などでは数件以上が書類送検されていますね.(きっちり数えれば10件を上回ると思います.)いずれも「明白な犯罪とは思われない医療行為」に関してです.

状況からみるに何時我が身に降り掛っても不思議はないと考えられる事例です.宝くじよりも遥かに高率だと我々は考えています.

yanyanさんは余事象の確率というものをご存知ですよね?
ある事象が起こる確率をαとします.n回試行を繰り返した時に1回でもその事象が起こる確率は1-(1-α)^nです.
では,トラブルの起こる確率を0.00001 (1/10万)とし,年間500件の手技を20年行なったとします.この確率は9.5%になります.普通に医療行為を20年行なった場合9.5%の確率(おおよそ10人にひとりですね)で,警察に書類送検(もしくは逮捕)される危険性があるのです.まともな医療しているだけで,です.
危険性の高い医療行為を繰り返せばこの確率は容易に跳ね上がります.手技の回数についてももっと多いかもしれません.これでも「幻影」だと言えるでしょうか?

No.46 yanyan さん

与えられるダメージの大きさを具体的にイメージできると、如何に確率が低いとはいえ人間は恐怖を感じるものだと思います。
理論的には確率がいくら低いといえども、現実に起こりうる事をあのような医師にとっては衝撃的な映像で見せられたのでは仕方がないのかと考えます。

>“いつ逮捕されてもおかしくない”、“ロシアンルーレットをやっているようなものだ”などという発言はまさにそれ自体が幻影の表現であって一般の人にはおよそ理解不能ではないでしょうか。

数字、確率だけを見れば、「アメリカ牛肉による狂牛病におびえる日本人」というのは「幻影におびえている」とアメリカから言われてもやむを得ないのではないでしょうか。
しかし、狂牛病の危険を理由にアメリカ産牛肉の輸入を反対する一般の人に、そんな事は世界ではおよそ理解不能ではないかと言っても納得はされないと思います。
恐怖という感情は理屈ではないと自分は考えます。

それに医師にとっての訴訟は刑事だけではありません。
民事の訴訟もあります。
特に産科の生涯訴訟率は30%を超えようかとしています。
「いつ逮捕されてもおかしくない」は大袈裟と言われてもやむを得ない面もありますが、産科や救急医療を行なうものにとって、民事訴訟に巻き込まれる可能性については「ロシアンルーレットをやっているようなもの」の表現は正鵠を得ています。
実際、自分のこれまで職場が一緒だった事のある医師で、訴訟に巻き込まれている人は既に複数おります。
しかしそのペナルティが民事だけなら医師の使命感からまだ我慢するが、刑事になる事もあり得るとなったらという事です。
刑事の確率がいくら低いといっても、医師が許容出来なくなるのも無理はないと思います。

念のため補足
>刑事の確率がいくら低い

「いつ逮捕されてもおかしくない」というところから自分は思考を始めたので、『刑事の確率』=『刑事事件で逮捕起訴の確率』という意味で書いております。

書類送検まで含めたことについてはLevel3さんが詳しく説明されており、さすがと感服いたしました。

rijin さん、おはようござさいます。

>これまでのところは合格点(100%ではない)を頂戴できますでしょうか?

もちろんでございますです。
このままがんばってくださいませ。ぜひとも、今の状況を認識してもらってください。

私はこれから夜勤で(9時出勤の翌朝9時はんあがり)すので、明日の昼過ぎまでPCとおさらばですが、皆様のご活躍を応援しておりますです。


>No 47 bambooさん

“幻影“という意味をまったく実体のない”妄想“という意味で捉えておられるのであれば、それは私の意図するところではありません。

“確率の問題”はやはり重要ではないですか。
それを抜きにして世間は理解してくれないのではないでしょうか。
宝くじを買う人の大金への期待は一般的にはhopeではなくwishだと思います。


>No 48 level 3 さん
>トラブルの起こる確率を0.00001 (1/10万)とし,年間500件の手技を20年行なったとします.この確率は9.5%になります.

20年間医者をやっていれば重大なトラブルのひとつやふたつは、9.5%どころかほぼ全員が経験すると思います。
私は脳神経外科医ですが、年間500件の脳神経外科的手技を20年行ったとしたら、訴訟になってもおかしくはないケースに出会う確率は100%をはるかに越えると断言できます。私の診療科は産科を除けば外科系のなかで訴訟率No.1を誇っているそうです。しかし少なくとも“警察に捕まるかも知れない”という恐怖は一般的ではありません。
そのかわり“問題にされるかも知れない”という意識は相当強烈です。
“警察に捕まる”“起訴される”“書類送検される”といった確率はやはり再検討していただいた方がよいのではないでしょうか。


>No 49 オダさん
>恐怖という感情は理屈ではないと自分は考えます。

それはそのとおりだと思います。
しかしそれを他人に説明しようとすると理屈が必要になるのではないでしょうか。

>産科や救急医療を行なうものにとって、民事訴訟に巻き込まれる可能性については「ロシアンルーレットをやっているようなもの」の表現は正鵠を得ています。

これは私の診療科においてもまさにそのとおりです。
たとえば未破裂動脈瘤の治療からみなさんひいていってます。
ですから民事訴訟リスクの高まりによるいわゆるdefensive medicine あるいは
medical practiceと警察介入のリスクとは全く異なるレベルの問題であって、後者は“どうかなあ〜”というのが一般的な現場の感覚ではないですか。

>しかしそのペナルティが民事だけなら医師の使命感からまだ我慢するが、刑事になる事もあり得るとなったらという事です。

ちょっとここは意見が違います。
まっとうな事をしているということを前提にすれば、医師の使命感から民事のペナルティを我慢することなどできませんよ。
特定の個人が我慢するのはその人の自由ですが、ある集団に対して我慢しろと言うなら当然リスクに見合った報酬、待遇を用意すべきでしょう。
それがないから産科医は減っているのではないですか。
私にはとても単純な理屈に思えてならないのですが。
まあ単純な理屈がなかなか実現されないのが世の中というものなのでしょう。

警察、検察が自ら特定の意図を持って医療に介入するのは言語同断ですが、私はそれは現在進行形の勤務医問題の話の本筋ではないだろうと思っています。

No.52 yanyan さん
こちらの表現不足から誤解を招いてしまった箇所があったようなので。

>まっとうな事をしているということを前提にすれば、医師の使命感から民事のペナルティを我慢することなどできませんよ。
特定の個人が我慢するのはその人の自由ですが、ある集団に対して我慢しろと言うなら当然リスクに見合った報酬、待遇を用意すべきでしょう。
それがないから産科医は減っているのではないですか。

このあたりは基本的に同意です。
訴訟リスクを恐れて産科の医師が減っているっていうのもその通り。
ただ、それを我慢出来ない人ばかりだったら、産科医は既に0のはず。
これまでそれでも崩壊してしまうほど減らずに残ってきた医師を支えていたのは、やはり医師の使命感だと思います。
訴訟リスクや激務にも関わらずこれまで逃げずに頑張ってこられた医師は、って表現にした方が誤解を招かなくて良かったですね。

 ばあばさま、こんばんは。

 残念ながら小倉先生はあまり議論はお好きではないようで…。

 手応えもなく、理解が深まった様子もなく、つまらなかったですね。

 ご期待に添えず、申し訳ございませんでした。

>“確率の問題”はやはり重要ではないですか。
>それを抜きにして世間は理解してくれないのではないでしょうか。
>宝くじを買う人の大金への期待は一般的にはhopeではなくwishだと思います。

世間が理解しようとしまいと、恐怖心があることは事実です。
確率が低いとき wish はあり得るが fear はあり得ないというのはどういう理屈でしょう。

もう少し確率について言えば、宝くじに当たる確率は、時に変わることはあってもほぼ一定です。
民事であろうと、刑事であろうと、医療側が被告になる確率は他人の意志次第で変わります。
悪意ある相手にかかれば、いつでも被告になる可能性があるのです。

もちろん、御自分が恐怖を感じないのはyanyan さんの自由です。
そのことに異論はありません。
だからといって、他の医師の恐怖を否定していただきたくないのです。

rijin さん、おはようございます。

>残念ながら小倉先生はあまり議論はお好きではないようで…。
>手応えもなく、理解が深まった様子もなく、つまらなかったですね。
>ご期待に添えず、申し訳ございませんでした。

 いえいえ、そんなことはありませんです。
 少なくとも、小倉弁護士さんはご自身の意見で説得できなかったわけですから、表面上はどうであれ、「自分の意見に反論・疑問が山と来た」という事実についてはお分かりいただけたと思います。

 そして、その事実が大切なのだと私は思います。やってみなければ、言ってみなければ、人は気づくことが出来ないからです。気づいた後、どう考え、どう行動されるのかは人それぞれですが、まずは、気づくことがなければ動きようもありませんから。

 小倉弁護士さんは多分、このままこの問題をほっぽらかすことはされないと思います。ROMに回られるかもしれませんが、この問題についてご自身で考察され、何らかの結果を生み出されると思います。それは、ネット上でかもしれませんし、仕事上でのことかもしれませんが。

 今、町村先生のところでの議論を拝見していて感じるのは、個々人の医療・医師集団・患者集団に対する感覚というか認識というか、そういうものが何に影響して、影響されずにして出来上がっているかによって、違うんだなぁということと、ひとつの裁判の結果が、どのような影響力を持っているのか、今ひとつピンときていない人もいるんだなぁということでした。

 たしかに、裁判所において、裁判の結果の影響力を考慮に入れすぎて判断を鈍らせてもらっても困りますが、おかしな影響力が及ばないように、第三者(患者側・医療側)からみて「まぁ、これが妥当だよな」という裁判結果を出していただきたいと思います。

 それから、病院にあるいは、地域に、患者当人あるいは遺族の「喪の仕事」を手伝う集団出来れば専門集団あるいはコーディネーターのような集団があるといいな、と思いました。

 欧米諸国には、病院に宗教家がボランティアなどで出入りし、患者や家族と話し合いを持つことが多いと聞いたことがあります。たぶん、欧米ではそれら宗教家の方々が、患者や遺族の「喪の仕事」の手伝いをしているのではないかしらん。

>No.52 yanyan さん

確率というものを考慮に入れるというのは確かに重要です。しかしこの場合の確率が低いものだとすれば、それは罪に問われるべき行為に関わった医師が絶対的少数派であるからだとは言えないのではないでしょうか。

およそ医療に携わっているもので一度としてヒヤリとした経験を持たない人間はいないと思います。或いは訴えられていたかも知れないというレベルの医療事故の経験のある者も多いでしょう。私自身そうした事例は一度や二度のことではありません。

一方で巷間刑事、民事を問わず様々な訴訟沙汰が連日報じられていますが、それらの医療事故の多くは特殊な事例ではなく、日常診療において普通に遭遇し得る類のものです。であるからこそ決して他人事とは思えない、このことは福島、奈良といった事例における医師側の反応を見ても判ると思います。

訴訟の場に引き出される医師達は決して人がしないような大失敗をした者ばかりではなく、ほとんどの場合当たり前の日常診療に従事している医師です。「誰にとっても起こりえた可能性のあることに対して罪を問われる」ことに恐れを抱くことを幻影と言われるのは、現場の感覚と乖離しているのではないかと思います。

ばあばさま、こんにちは。

 了解いたしました。

 喪の仕事を支えるgrief careにつきましては、国内にも既に10数年の歴史のあるボランティア・グループもありますが、まだまだ一般の認知度が低いのが問題ですね。実は臨床心理士や大学の研究者、製薬企業など支援もあるのですが…。

  これまで以上に、宗教家等への働きかけが必要なのでしょうか。

>No.53 オダさま
>訴訟リスクを恐れて産科の医師が減っているっていうのもその通り。
ただ、それを我慢出来ない人ばかりだったら、産科医は既に0のはず。
これまでそれでも崩壊してしまうほど減らずに残ってきた医師を支えていたのは、やはり医師の使命感だと思います。

産科医の先生が頑張っておられるのは本当にそのとおりだと実感として思います。しかし現場に踏みとどまっておられるのを単に「使命感」の一言でかたづけるのもまた正確な理解を妨げるのではないかと思っています。
(1)産科の受け入れを制限したい、あるいは中止したいが、公的病院という立場もあって、なかなか出来ない。あるいは産科は病院にとって重要な収益源であるので経営サイドはうんといわない。
(2)病院間で産婦人科を統合したとしても、ポストはどうするのか、特に長の立場にある人にとっては微妙な問題でしょう。また医局が異なれば問題はさらに複雑です。
(3)たとえば腫瘍外科にやりがいを感じている人もたくさんいるでしょう。そういった症例は基幹病院により多く集まるでしょうから、その仕事をつづけたいと思えばとりあえずそこにいるしかない、そうするとお産も扱わないといけないので結果として続けることになる。(4)家を持って子供が学校に行ってという人にとっては、通勤、通学という問題があり、そうそう簡単に病院を代わるわけにもいかない。

まだまだいろいろ個別の事情が考えられると思います。産科の現場に残っておられる医師たちは「使命感」以外にもこのような個別に異なるさまざまな事情を勘案され、現状の選択をされているのだと理解します。


>No 55 bambooさん

“逮捕されるかも知れない”という恐怖心について否定をしようとは思いませんが、民事訴訟の増加によるリスクの増大と検察、警察の介入のリスクという点についてはやはり区別をして議論をした方がよいように思います。

宝くじと“hope, wish”のたとえは、hopeというのは実現性のある期待、wishというのはいわゆる仮定法過去、どうせだめなことはわかっているけどまあ夢を求めて買っておこうか、という意味で使わせていただいたのですが、わかりにくいたとえで失礼しました。


>No 57 老人の医者さん

同じところを議論が巡っているように思います。私がいわんとするところは警察、検察に刑事罪を問われるかも知れないということに対する懸念と、患者、家族からクレームがつき民事責任を問われるかもしれないという懸念とは区別されるべきであり、私が現場で理解するところの現実的懸念とは後者であるということです。

民事裁判と刑事裁判が違うものであるということについて。

その話を持ち出すと、医師の皆さんの反発を招くことは経験から重々承知しておりますが(最近では、●医療崩壊その10 No.88など)、
それでも、「法的に、違うものは違う」としか、言いようがありません。

医師の皆さんは、「刑事訴追と違うのだから、民事訴訟を受けても我慢しろ」と言われているかように受け取って怒り出すのですが、
このブログでは、そういうことを言っているのではありません。
具体的な手続きを受けた場合に、民事と刑事では、対策が違う。だから、同じことをしてもダメ。という厳然たる事実を指摘しているのです。
将来的な予防(訴訟抑制)策も、異なるものが考えられます。
(共通する要素が全く無いわけではありませんが、異なる面が多いということです。)

喩えて言えば、
胃潰瘍と胃ガンとでは、どちらも胃が痛む病気ですが、医学的にみれば、明らかに二つの病気は別物で、治療方法も異なるでしょう。
患者が「胃潰瘍でも胃ガンでも、同じだ」と主張したら、医師は「その通りです」と答えますか?違うものは違う、と説明せざるを得ないのではないでしょうか。

>ばあばさん、rijinさん
遺族を慰撫するのとは違いますが、無駄な訴訟を回避するためには、李啓充先生が「市場原理が医療を滅ぼす」(医学書院)などで紹介しておられる患者アドボカシー運動も必要でしょうね。
喪の仕事支援にも通じるものがあると思います。

ブログランキング、3位になっていました。

No.59 yanyanさん

産科医の先生が頑張っておられるのは本当にそのとおりだと実感として思います。しかし現場に踏みとどまっておられるのを単に「使命感」の一言でかたづけるのもまた正確な理解を妨げるのではないかと思っています。

使命感でなかったら「脅迫観念」なのかもしれません。
すなわち、医局員であったら、医局長の命令を反故にしたら現場から抹殺されてしまうかもしれないという恐怖感や、仮に医師を辞めたとしても家族を十分養っていけるほどの収入を今後得られるかという不安感が挙げられるかと。
現在はその概念がだんだん緩みつつあり、離脱する方が増えていますが、踏みとどまっていたと言うよりは自分にはこれしかないんだという観念にとらわれていた方も多いのではないでしょうか。

検察に刑事罪を問われるかも知れないということに対する懸念と、患者、家族からクレームがつき民事責任を問われるかもしれないという懸念とは区別されるべきであり、私が現場で理解するところの現実的懸念とは後者であるということです。
刑事民事どちらにしても、煩雑な訴訟手続と出頭を強要されることにかわりはないと思います。 さらに、民事訴訟を有利にするために刑事訴訟を起こす(告訴)テクニックがもてはやされているとなれば、両者の区別も曖昧になっていくような気がします。それぞれは別物でも1セットになってしまいますから。

 腎臓内科医 先生、こんにちは、

 コメントありがとうございまいした。

 grief care、advocacy、mediatorと、医療機関内部でのOJTによる育成の難しい分野の充実が必要になって久しいということであろうと思います。

 なかなか手許の人的資源の投入が難しく、また、外から人を入れようにも原資がありません。

 他ならぬ患者さん自身、ご遺族自身が必要とされているものであり、広く了解が得られそうな分野であるだけに、医療費抑制の行き過ぎにはそろそろ歯止めが必要ではないかと考えます。

No.60 YUNYUN さん

医療崩壊その10 No.88は
>「刑事訴追と違うのだから、民事訴訟を受けても我慢しろ」と言われているかように受け取って怒り出す
という訳ではないと思いますよ。

まずNo.86 FFFさんは、「当時、その医師の労働量が過重であったために、普段ならしないような重大なミスをしてしまい、患者が死亡した」ケースを想定しています。
そして
>医師についても同様なのであって、その医師の労働量が過重であったことが過誤の原因であったとしても、その点は、原告たる患者としては与り知らないことであり、これを判断事由に含める(つまり、それを理由として原告を不利に扱う)のは、民事訴訟の解決としては妥当でないように思うわけです。
と述べている訳です。

これは被告が医師と病院がともに訴えられて、利害が一致していたのであれば成り立ちます。しかし、被告が医師だけであれば議論の前提が違ってくるのではありませんか。

「医師の労働量が過重であったことが過誤の原因」であったのなら、「労務管理をおこなう病院の責任」を問うのは、FFFさんの言うような判断要素として取り込むことが妥当ではない「もっと遠い所の話」ではないですよね。従ってこれを判断事由に含めるのは妥当であるし、「原告の病院への管理責任に対する損害賠償の権利」を否定していないのだから「原告を不利に扱う」ものでないと考えます。
No.87 L.A.LAW さんの言い方を借りるなら、「トラックの運転手が会社から命じられた過重労働で、事故をおこしトラックの運転手だけが訴えられた」場合、裁判所が「会社が運転手に過重労働させてた事が事故の原因」であることを認めながら、「原告にはそんな会社と運転手との関係は与り知らぬ所である」から、「運転手の賠償責任を減じるに値する正当な判断事由」に含めるのは民事では妥当でない、というのと同じようなことになると思います。

さて、逃散が問題となっている地方の公的病院では医療事故が起きた場合、院長は訴えられた医師の側につくのではなく病院の開設者である自治体首長をまずみます。そして、多くの自治体首長は、票になる医療事故被害者の側に立つ。そのため医師は病院から切り捨てられ、事故の責任を全て負わされる。(福島の医療事故報告書はまさにその典型です)
No.88 元行政 さんに限らず多くの医師にはこのような認識があるから、「医師の労働量が過重であったことが過誤の原因であったとしても、その点は、原告たる患者としては与り知らないことであり、これを判断事由に含めるのは妥当でない」という言葉に怒ってしまうのだと思います。

病院と医師の利害が一致している場合、これを判断事由に含めるのは民事では妥当でないというのなら、まだ医療者も納得するでしょう。FFFさんもそのつもりで書いたのでと思います。
しかし、勤務医にとって病院が味方についてくれる事は少ないのです。
となると、「医師の労働量が過重である事が過誤の原因」であったのなら、「医師の責任が○割で病院が△割」となるのが民事でも妥当ではないのでしょうか。

議論の前提がお互いくい違っていることによる、誤解なんだと思います。

> No.64 オダさん

 私も立木さんの表現を一部誤って読んでいたようなので、本筋からは外れますが一応一言。

 L.A.LAW さんが補足して下さったように、医師個人を被告とすることは少なく、大抵は病院のみを訴えるか、少なくとも医師個人と病院を共同で被告にするので、実際はあまり問題にならない場面ではあるのですが、仮に医師個人のみを被告とした場合、やはり、「医師の労働量が過重であったこと」は考慮されないだろうと思います。

 たしかに「原告が病院に損害賠償を請求する権利」は否定されませんが、それは、別に医師個人に対する請求権を減殺させるものではなく、原告としては医師と病院のいずれに請求するも自由、ということになりましょう(もちろん、両方を訴えても二重に賠償金を取れるわけではなく、どちらか一方で勝てばその時点で他の請求権は消滅します)。

 オダさんが例に挙げた「トラックの運転手が会社から命じられた過重労働で、事故をおこしトラックの運転手だけが訴えられた」事例でも、裁判所は、運転手の賠償額を減じる判断はしないものと思います。このケースの被害者は何も悪くないし、相手の会社の内部事情なんて知る由もないわけですから、「運転手と会社の責任割合を自分で考えて別々に訴えないといけない」「裁判所が相当と認めた割合を超えて請求していたら、その部分については賠償を受けられず、もう一度裁判を起こさないといけない」という扱いをするのもおかしなものでしょう。

 では、これらの事例で、医師や運転手は一方的に責任を押し付けられて損をさせられる役回りかというと、そうではなくて、被害者に損害の全額を賠償した後、医師から病院に、運転手から雇い主に、それぞれ責任の割合に応じて賠償請求する(求償といいます)ことで解決しなさい、ということになります。もちろん、実際に回収するのは大変な場合もあるでしょうけど、その回収の負担、リスクを被害者と医師・運転手のどちらに負わせるべきかといえば、それは明らかに後者であろう、ということです。

 以上、私見といいますか、大体の法律家はそう処理するのではないかなあという予想です。

FFFさん、解説ありがとうございます。
民事では事故の起きた原因として、自分の他に責任がある事が立証出来ても、それぞれ責任の割合に応じて原告が賠償請求することまでの判断は、被告が別の訴訟でやってくれという理解でいいのですね。

>実際に回収するのは大変な場合もあるでしょうけど、その回収の負担、リスクを被害者と医師・運転手のどちらに負わせるべきかといえば、それは明らかに後者であろう、ということです。

この場合、被告である医師や運転手も被害者であるから、原告である事故の直接的な被害者である原告とは、被害者という点では同等の立場と考えていたのですよ。
法曹についてはそういう考えをしないのですね。
う〜ん、自分の考えが甘かったです。
現状の司法でも、運用の仕方で「医師の逃散をこれ以上促進させずに済む可能性」もあるかと思っていたのですが、これは厳しい。
やはり「医療事故の調査・その被害の補償」については、「医師・患者がともにより納得できる判断をくだせる」ような制度を何かしら創って、裁判に持ち込まれる割合を減らすことを考えないと医療崩壊の解決は望めそうもないですね。

 rijin さん、腎臓内科医さん、遅レスですみません。

>病院にあるいは、地域に、患者当人あるいは遺族の「喪の仕事」を手伝う集団出来れば専門集団あるいはコーディネーターのような集団があるといいな、と思いました。
>欧米諸国には、病院に宗教家がボランティアなどで出入りし、患者や家族と話し合いを持つことが多いと聞いたことがあります。たぶん、欧米ではそれら宗教家の方々が、患者や遺族の「喪の仕事」の手伝いをしているのではないかしらん。

 と私が書いたのは、若いころリチャード・フッカーの「マッシュ」を読んだからなんです。朝鮮戦争のさなかの野戦病院を舞台にした小説ですが、その野戦病院には牧師が配属されていたのです。話の様子から、当時どの野戦病院にも牧師が配属されているようでした。

 時に、悪戦苦闘してさえ患者たちを救えなかったことでバーボンに涙の雨を降らせる医師の傍らでバーボンを注ぎ、時に、重症の負傷兵の傍らで語りかけ、野戦病院長にいろいろと具申し、医師らの悪ふざけに目をつぶり、片棒を担ぐ存在として、牧師は描かれていました。

 医師と患者・家族の間を取り持つ存在、真実を知りたがる患者や家族、誰かに話を聞いてほしい患者や家族の精神的な支えになりうる存在、それは今の病院にも必要ではないかと、思ったわけです。無用な訴訟の芽を摘めるかもしれないし。

 特に宗教家でなくても、専門家でなくてもいいんじゃないかとも私は思います。といってもボランティアでは荷が重過ぎるかしらん。

 腎臓内科医さんがおっしゃっていた、「アドボカシー」という言葉は知っていましたけど、「患者アドボカシー運動」という言葉を、私は初めて知りました。しばらく思案して、納得しました。そういう部署を設けている病院があることも知りました。

 教えていただきありがとうございました。ひとつ勉強になりました。

  

P R

ブログタイムズ

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