エントリ

医療崩壊について考え、語るエントリ(その9)を更新します。

 その9の最終コメントはNo.259 謹慎明けさんのコメントです。

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コメント(224)

>> 4 医師に冷たい社会法制に対しては、我々医師は防衛医療以下で対抗
>するしかない
>なぜそこで他の手段を放棄してしまうのかが、理解できません。
>本当に「しかない」のか、十分に検討し試してみた上での結論なのか?
>深い考えはなく、何もしないことが今の自分にとってラクな道だから、
>という説は勘ぐりが過ぎるでしょうか。

YUNYUNさん,
お教えください.他の手段とは具体的にどのような手段をお考えなんでしょうか?
少なくとも裁判で我々が正しいことをしたと証拠を出して主張しても,それが認められない状況ですから,八百長試合に出ることを避けるのは当然であると思います.そして,試合に出ないための方策は「防衛医療」か「逃散」しかないと思いますが,それ以外に何があるとおっしゃるのでしょうか?
「診療拒否」は医師法で禁じられていますし.

医療裁判の制度に関しての現在の主な主張としては

医師側
「医療裁判を扱うのならきちんとした医学的根拠に基づいて判断しろ。医師は本業が忙しいのだから新たな制度を作る余力なんてない」

司法側
「医療訴訟に関わっているのは、医療側が自浄作用制度を作っていなかった為。仕方なく関わっているだけなのだから医学的に間違っていても仕方ない。嫌ならきちんと自分達で処理をしろ」

と言う感じでしょうか。やはりこういう議論をしていると司法対医療みたいな感じになりますよね(私もそんな感じの発現をしておりますが)。
新しく医療訴訟解決機関を作るにしろ、現行の裁判制度を補強するにしても世論がもっと盛り上がらないと両者とも動き辛いものだと思います。幸い(?)なことに、医療崩壊という現象のおかげで少しずつこの問題に興味を持つ人は増えてきています。このペースでいけば半年後くらいにはマスコミも新たな医療裁判制度をどんどん発表してそうな気もします。なんだかんだで最終的には立法府を動かす必要があるんじゃないかなと思っています。問題は誰が何を考えて新制度の主導権を握るかということですよね。主導権を握るのがマスコミにならないことを祈っています。

> 前エントリNo.219(CID 32135) 
   bamboo さん

 私としても「専門家の多数が判断したこと」は尊重するというか、少なくとも参考にされるべきとは思いますが、それを直接結論に反映させる、それによって決着をつけるという趣旨なのであれば疑問です。

○福島の事件について、その捜査手法を警察官・検察官の大多数が支持する場合、捜査手続きという専門領域について専門家の大多数が正しいと見たのだから正しい、ということになるのでしょうか。今回の逮捕が不当であるとして国家賠償請求訴訟を起こした際、裁判官がその理屈で原告を敗訴させたら、納得されるのでしょうか。
○奈良の件に関する報道について、その手法(取材が充分だったかどうか等)をマスコミ関係者の大多数が支持する場合、調査報道という専門領域について専門家の大多数が正しいと見たのだから正しい、ということになるのでしょうか。件の病院や産婦人科医が名誉毀損として新聞社を提訴した際、裁判官がその理屈で請求を棄却したら、医師の方は納得されますか。

どのような捜査方法を選択するかというのは、嫌疑の濃淡、事件の性質や軽重を踏まえ、捜査の秘密保持、スピード、証拠収集としての確実性、対象者や周辺者に与える不利益の程度等を勘案して総合的に決せられるもので、極めて専門的な判断を要する問題でありましょう。
報道についても、限られた時間の中で、様々な手段を尽くして必ずしも協力的でない取材源からも情報を集め、社会情勢を踏まえてニュースとしての価値があるかどうかを判断し、対象者のプライバシーや名誉を害しないよう可能な限り配慮しつつ、記事にまとめて発表するという過程を経るものであり、どこにどの程度の取材をするべきか、どのような方法で発表するかというのは、高度な判断を要する問題でしょう。

しかし、これらの「専門的判断」について、その専門家集団の大多数が正しいと見たところが正しい、裁判になった際にはその多数派の見解に従って判決がなされればよい、その領域について素人である裁判官がそれに反する判断をすべきではない、とは私には思えません。

奈良の報道については、先日なにかの賞を受けたようであり、おそらく業界内では高い評価を受けているのでしょう。しかし、それによって、医師の方が「報道の専門家の多くが良い報道だと認めたのだから、あれは適切な報道だったのだ」と従前の考え方を改めたかというと、全然そんなことはないわけで、むしろ、マスコミはどうしようもない連中だという論調が一層強まったものと認識しています。結局、「専門家の多くが是認した」というだけでは、その分野外の人々に対する理解は得られない、ということではないでしょうか。

No.3 FFFさん

>尊重するというか、少なくとも参考にされるべきとは思いますが、それを直接結論に反映させる、それによって決着をつけるという趣旨なのであれば疑問

専門的判断という言葉でありとあらゆるものを一緒くたにされているようですが、程度の問題でしょう。現実として医療裁判において、裁判官は判断できるレベルに達していない。他の多くの場合に判断する能力が十分であっても、ゆえに医療でも十分と言えるわけではない。トンデモ判決を連発させ、医療に関しては、害悪以外の何ものにもなっていない現状をみれば、まだ子供の使いでいる方が世のためになるでしょう。(最善は裁判所が十分な判断を下せるようになることなのでしょうが、なんて遥か遠い道程なんでしょう。システムの問題もありますがそれを改善すればなんとかなるものでもありません)
裁判という世に有益なシステムの整合性のために、医療は犠牲になるべきという主張でしたら、理解できますが。

FFFさん

>福島の事件について、その捜査手法を警察官・検察官の大多数が支持する場合、捜査手続きという専門領域について専門家の大多数が正しいと見たのだから正しい、ということになるのでしょうか。今回の逮捕が不当であるとして国家賠償請求訴訟を起こした際、裁判官がその理屈で原告を敗訴させたら、納得されるのでしょうか

無論、例として挙げられただけなのは百も承知ですが・・・
医師側から裁判の判決に反論する場合、闇雲に「専門家がおかしいと言ってるのだからおかしい」と言ってるわけではありません。きちんと分かっている事実から検証し、医学的根拠を示した上で反論しているのです。翻って大野事件に対する検察側のコメントはどうでしょうか?「いちかばちかでやってもらっては困る」や「海外逃亡の恐れもあるから逮捕した」という、全く話にならないものばかりです。しかも先日の警官によるタクシー運転手殴打事件と比べると明らかなダブルスタンダードです。奈良救急事件に関するマスコミもそうです。2ヶ月前の事件に関して明らかな誤報を行っていることに対し、何ら根拠のある説明を行っていません。ただ最初の「6時間放置」や「内科医がCTを勧めたのに拒否」というトーンを段々と下げただけです。

> 他の手段とは具体的にどのような手段をお考えなんでしょうか?(No.1 Level3 さま)

過去数ヶ月のコメントの中にあります。
医療崩壊について考え、語るエントリその4〜9 のどこかに。
(私だけの考えではなく、いろいろな方からアイディアが出ています。)

しかし、各200以上のエントリを全部読めというのも大変ですから、数日お時間をいただければ、有用と思われるコメントを抜粋してきます。

>過去数ヶ月のコメントの中にあります。
>医療崩壊について考え、語るエントリその4〜9 のどこかに。
>(私だけの考えではなく、いろいろな方からアイディアが出ています。)

YUNYUNさん,了解です.
すみません.私は読んでいるはずですが,覚えていないのでしょう.
ただ,裁判でまともに戦えないという前提に立てば,残された行動は,私が書き出したもの以外あるようには思えないのですが.

いずれにしても同じような専門職でありながら,裁判官の立場と医師の立場はあまりにもギャップのあることに驚いている今日この頃です.日航機乱高下事件のスレッドでは特にそのように感じました.

> No.5 7年目内科医さん

 コメントありがとうございます。

 御指摘のとおり、専門家の判断であるから正しいとか、専門家の大多数が支持するから正しいということは言えないであろうと考えます。

 だとすると、医療の分野についても、ただ「医師の大多数が支持するから」という理由で、その医療行為を正しいと判断することは適切でないであろう、と考えるわけです。

 そして、ある紛争について当否を決めるのは、その紛争の主体と利害関係のない第三者であるべきであろう、とも思います。不当捜査の有無について捜査機関が最終的判断を下したり、報道による名誉毀損の成否についてマスコミ自身が最終的判断を下したりしても、なかなか納得は得られにくいと思いますが。

 ところで、Level3 さんや元行政さんは裁判所の判断能力という点をさかんに問題にしておられますけど、それでは、名誉毀損訴訟についてマスコミが「裁判所には取材の適否を判断する能力がないから口出しすべきでない」と主張したり、捜査の違法性を追及する訴訟について警察が「裁判官には捜査の実情が分からないから、捜査の当不当について素人判断をするな、捜査の迷惑になる」と主張したら、なるほどそのとおりだ、と納得されるのでしょうか。その場合、それらの紛争についてはどのように解決すべきと仰るのでしょうか。やはり、マスコミや警察の方で、専門的問題を裁判所に分からせる努力を尽くすべき、というのが本筋だと思うのですが・・・・あるいは、こと医療については特別だということなのでしょうか。

FFFさん

すみません、ど素人なのでご教授いただきたいのですが、違法捜査あるいは名誉毀損は民法・刑法の範囲内なのではないのでしょうか。であれば裁判官は当然専門家と言えると思いますので、判断を下すのに何ら差し支えはないと考えます。

しかしながら医療に関することでは判断能力に疑問を抱かざるを得ません。はっきり申しますと僕が法律に関してど素人であるのと同様にど素人なのではないでしょうか。
仮に医師免許取得後10年間臨床の第一線(一般外科や救急など)の現場で働いてきた裁判官が判断するのであれば、少なくとも今よりは納得しやすい判決が出るのではないかと思います。同様に航空事故に関しても、専門家である事故調査委員会の意見が優先されるべきと考えてます。

>No.9  7年目内科医さん

コメントありがとうございます。

違法捜査の点についても名誉毀損の点についても医療紛争についても、適用される法律は、多くの場合、民法(債務不履行又は不法行為)、刑法(業務上過失致死傷、名誉毀損、特別公務員暴行陵虐等)です。

ただ、その条文を適用する際に、法律上の要件(たとえば「過失」等)が満たされているかどうか、裁判官が判断をしなければなりません。

この判断ないし評価については、法律の専門知識は関係がありません。
たとえば、ある報道について、その報道が真実であるかどうか、仮に真実でなかったとしても、充分な取材が尽くされており、報道する側が真実と信じても仕方ない事情があったかどうかという問題は、法律の条文を見ても判断できるものではありませんし、捜査の違法性についても、どれだけの嫌疑があれば強制捜査をしてよいかという問題は、具体的には条文に書かれておらず、ケースバイケースで相当性を判断することになります。

そのような問題については、報道(取材)や捜査に関する実情、報道・捜査をする側の都合、その現場特有の事情等、業界外の一般市民には知り得ない事柄もふまえないと、適切な判断はできないとも言えましょう。そのように「専門性」が認められる分野の紛争について、その分野の専門家が最終的な判断を下す制度がよいか、素人たる裁判官が専門家の意見(医事紛争についていえば、医師による鑑定等)を参考にしつつ判断を下す制度がよいか、という点は議論のあるところでしょうが、現在の裁判制度では後者が採用されています。この制度が根本的に変革されることは今のところ考えがたい(憲法改正とか、そういうレベルのハナシになります)ので、現在の制度を前提に、素人たる裁判官に適切な判断をなさしめる工夫をしていくしかないであろうと認識しています。刑事司法に関していえば、捜査機関に適切な捜査方法を選択させる工夫、そもそも捜査対象にさせない(刑事司法に先んじて問題を解決する)努力が必要でしょう。

余談。そもそも「専門性」の有無ということ自体明確に線引きできるものでもないし、それを言い出したらキリがないとも思うんですね。たとえば、覚せい剤使用の事案では、覚せい剤成分が尿から検出されたという鑑定結果が重要な証拠になりますが、そうすると化学の博士号を持った裁判官が裁かないといけないのか。これ位ならいいとしても、和歌山のカレー事件では、ヒ素の同一性がスプリングエイトという特殊な装置で測定されて証拠になりましたが、これ位の「専門性」があると素人裁判官ではなく専門家が判断すべきなのか。単なる交通事故でも、車のブレーキが故障していたのであり自分の過失ではないという弁解が出てくることがありますが、そのときは自動車工学の専門家が裁判官にならないといけないのか。幼児による証言の信用性が争点となっている事件は、児童心理学の専門家でないと判断できないのか。銀行の経営者による不正融資が問われている事件では、金融や銀行実務の専門家でないと融資の当不当を見極められないのか。長野で起きたロープウェーからの転落事故に関する裁判は、ロープウェーの設計管理に精通した者のみが裁くべきなのか。絵画の真贋が争点となったら、美術評論家や学芸員、キュレーターが裁判官となるべきなのか。拳銃の殺傷能力が争われたら、拳銃の設計に精通した者が・・・・(以下略)。

No.8 FFFさん

あえて言いますが、医療は例外の最たるものではないでしょうか。専門でないと難しいということに関しては業界によって差が大きいと思います。それは業務の難易度だけの話ではなくて、言語化の難易度も関わっている話です。

マスコミや警察の例は、若干の不安要素はあるものの、医療とは別であると私は判断します。何よりも違うことは、実際にどれだけ被害がでているかという現実の重みです。しかも、嫌な気持ちになるので取材を控えるようになるかもとかいうよくわからない被害ではなくて、生業を放棄するくらいの被害ですよ。そして判断できていない実例はご存知の通り医療の場合には山ほどあります。

私もいかに医療の理解が難解であろうとも、情報を得る努力を重ねに重ねれば、ここの弁護士の方や一般の方がかなり理解されているように、裁判官も理解できるようになるであろうと考えている人間の一人ですが、そこに至るための情報提供は裁判の現状(予算や人的問題)を考えれば現実的でない(努力している裁判官の話は知っていますし、評価はいたします)。少なくとも某裁判官のようなスタンスで弁論主義でやっている限りは、無理だろうと考えています。

FFFさん

ご教授いただきありがとうございます。なるほど、「要件を満たすかどうか」の判断がポイントなんですね。
そうすると以前のコメントで読んだような気がしますが、鑑定に関してはある程度の人数の専門的な鑑定人による合議制がいいんですかねぇ。その鑑定結果を参考に裁判官に判断してもらうと。

町村氏のブログのコメントより
「裁判は真実を明らかにすることを第一義にする手続ではなく、紛争解決を第一義とする手続ですから、場合によっては真実が明らかにならずともよいと割り切らざるを得ないところがあります」
とありますから、正しさよりも法廷で如何に納得させるか、が裁判では求められているのだと解釈しました。
となると現状の原告側鑑定人vs被告側鑑定人の仕組みだと、裁判官に「命を失って可哀想な遺族」や「情報量の多い有利な医療者側」という心証(というよりもバイアス)がかかっている場合は明らかに医師側が不利なわけですよね。

どうもまとまらなくなりましたが、やはり裁判の形式がこのままだと、どうも逃散するしかなさそうな気がしてきます。

>(犯罪要件または過失の成立)判断ないし評価については、
>法律の専門知識は関係がありません。

>私知利用の禁止

上記は、法曹家がよく使う論理ですけど、どうも、後ろ向きの
論理だと思います。既に特許庁の審判審決や、海難審判庁
による海難審判など、専門家による行政審判が領域によっては
あるわけです。医療科学の理解の低い判事を集中部で教育
するよりも、医療法や医師法を管轄する厚生労働省が、
医道審議会を機能拡充、予算処置をとって、全ての医療関連
事案を諮ったらいいのではと考えます。

これは、医療裁判所を別個に創設するのでも、第三者機関を
作るアイデアでも同じことです。要は、専門的知識のない判事
では、務まらないことを頑なに認めようとしない裁判所から、
トンデモ判決のでない正当な科学的判断が可能な部署へ、
担当を変えることが必要だと思います。

医療関連事案の場合、
1 高度の自然科学領域の学問であること。
2 準委任契約のなかでも説明行為と治療が一体であること。
3 公法ではあっても、応招義務がはたされていること。
などの特殊性がその根拠です。

医療対法曹という関係で忘れてはならないのは、裁く者と裁かれる者の関係は常に固定化され一方的であって、その逆は存在しないという事実だと思います。この時点で両者は決定的に対等とは呼べない存在です。

平均的日本人自体が世界的に見れば仕事中毒と呼ばれるほどですが、医師はしばしばそのレベルすら超越します。かつてヒラリーが日本の医師を見て「聖職者のごとき自己犠牲」と評したとはよく知られた話ですが、現場に立つ者の実感としては(昨今密かに語られるように)「奴隷」という言葉の方がよりふさわしいのではないでしょうか。多くの医師はすでに自分たちは十分すぎるほどの犠牲を払ってきたと考え始めています。

歴史上被支配者が支配者に抗する手段の一つとして武装闘争という方法論が存在したわけですが、結果としてより苛烈な弾圧と支配を招くということも決して希なことではありませんでした。一方で非暴力、不服従というやり方でもって目標を達成した人々も存在しています。どのようなやり方が正解ということもなく、どの方法が間違っているとも言えないと思います。ただ確実なのは、医師達はそれぞれのやり方で闘いを始めているということです。

闘いの現場にあって自らは何らの代償を払うこともなく他者に対してのみ自己犠牲を強いる、あるいは自分は安全な場所に立ちながら他人に対しては銃を取って戦わないことを非難する、そうした行為は例えどんなに正論と見えても決して虐げられた者の心を打つことはありません。医療と法曹とが真に相互理解を果たすためには互いの一方的関係を超え、法曹も確かに汗を流しているのだと医療が納得する必要があるように感じます。

No.13
一番重要な特殊性の根拠を書き忘れてました。
4 治療行為等の緊急性と不可逆性

です。

No.3 FFF さん
前提がおかしいと考えます。

>福島の事件について、その捜査手法を警察官・検察官の大多数が支持する場合
福島の事件において、「逃亡・証拠隠滅の恐れがある」との逮捕理由は疑問があるとここのブログの法曹関係者からも指摘されております。確かFFFさん自身も逮捕には疑問があるとかつてコメントされていませんでしたか?
以前のモトケンさんのコメントよりも検察上層部は福島の対応に批判的ともあります。
福島の事件について「大多数が支持する場合」という前提は成り立つものでしょうか。

>奈良の件に関する報道について、その手法(取材が充分だったかどうか等)をマスコミ関係者の大多数が支持する場合
記事についての判断は、真実を報道しているか否かで、報道を生業にしていない人でも判断出来る所があります。
奈良の報道では誤報であるとの指摘が数々の根拠を添えてなされています。
マスコミの大多数の支持を得るか否かの前に、誤報である報道に正当性を認められるものでしょうか。
なお、奈良の毎日新聞の一連の報道は新聞労連報道大賞の特別賞をとっております。
昨年1月1日から12月末日までに紙面化された記事などで、柴田鉄治(元朝日新聞社会部長)、北村肇(週刊金曜日編集長)、藤田博司(元共同通信論説副委員長)、鎌田慧(ルポライター)の選考委員4氏による審査で選定されました。
これだけ短期間の審査期間での決定では、報道が誤報であったか検証が行なわれていなかったのではと自分は考えます。
自薦、他薦とも可という応募に問題があると批判されて仕方ないと自分は考えます。

すみません、No14は「●「藤山雅行裁判長のお話」について」スレで書くつもりのレスでした。不適切なようであれば削除いただければ幸いです。>管理人様

>座位さん
>医療法や医師法を管轄する厚生労働省が、医道審議会を機能拡充、
>予算処置をとって、全ての医療関連事案を諮ったらいいのではと考えます。

一つの考え方ではありますが、厚生労働省を動かすのはどこでしょうか。

1.厚生労働省が自らの考えで動くべきである。
2.医師会を中心とする医療界が動かすべきである
3.医療の受益者たる国民が国会を持って動かすべきである

> No.16 オダさん

 コメントありがとうございます。

 福島の事件については、「仮に」警察官・検察官の大多数が支持した場合、とお考えください。

# なお、私に検察上層部のこの件に関する考え方は知るべくもありませんが、しかし、検察官はともかく多くの警察官は、「何が問題なの?」的な感覚ではないかなあと想像します・・・・。

 報道被害による損害賠償請求訴訟においては、「報道が真実か否か」以外に、「報道した側が真実だと信じたことがやむを得ないか」という点の判断も必要とされます。この点の判断をあまり厳格にすれば、「そこまでの取材を要求するのは非現実的だ」とか「報道の自由に対する配慮がない」などと批判されるでしょう。この「やむを得ないか」の判断に際しては、マスコミの実情(報道に要求されるスピード、記者の労働環境)等、取材する事情を充分に考慮すべきであり、報道の専門家でない裁判官が軽々しく「取材が不充分」などと判断することは許されない、というのがマスコミの主張です。

# 誤解を招いたかも知れませんが、私は奈良の報道が良かったなどとは全く思っていません。以前にも書いたとおり、特に週刊誌を相手として、報道被害を追及する立場ですので。

>元行政さん
>最善は裁判所が十分な判断を下せるようになることなのでしょうが

最善は、裁判所抜きでも医師と患者が揉め事を仲裁する事だとは思いますが、これに関してはあまり考えられていないようですね。医師側もその考えには至ってないようですし、患者側もその考え方はしていないかも知れません。

思考実験として、裁判所が医療訴訟に関して受付を中止したら、医師と患者はどのように揉め事を解決していくのか考えるのも興味深いかも知れません。

No.19 FFF さんコメントありがとうございます。

>福島の事件については、「仮に」警察官・検察官の大多数が支持
「仮に」といってもその可能性が問題かと考えます。
大多数が支持するのですよ。
現状ではそこまで支持されない可能性の方が高いと推認されませんか?

> 「そこまでの取材を要求するのは非現実的だ」
この辺りについても、事件後かなりの時間が経っており、速報性の蓋然性がありません。
産科の不足がこれだけ報道されている中で、誤報を出す事の影響を考えたなら、もっときちんと取材せよという批判の方が妥当かと考えます。

>kouki さん
>司法対医療

本当は、患者対医師であり、患者対裁判官であり、医師対裁判官という構図なんだと思いますが。対立しあっているトライアングルの真ん中に裁判官が位置していると言うイメージでしょうか。

裁判官がそんなに患者にバイアスかかっているとは、私には思えないんですね。何かと話題の某裁判官にしても、患者側を敗訴させる事もあるわけだし。なぜか、患者側が勝ったケースしか話題に上らないですが。

No.22 しま さん

>患者側を敗訴させる事もあるわけ
これも大きな問題です。
患者にとっても医学的に妥当な判決を受ける権利があるのです。
医療崩壊の一因のなっているため医療者敗訴(患者勝利)の方に対して主張が偏りがちになってしまいますが、求めているのは患者も医師と同様医学的に公平な判定を受ける権利がが保証される制度です。

>オダさん
>医学的に公平な判定を受ける権利が保証される制度です

患者が医学的に公平な判定を望んでいるのかというと、それもまた疑問には思います。つまり、医師と患者が法学的に公平な判定を望んでいるかどうかと言う事と同じですね。


ちなみに言えば、公平な裁判というのはあり得ないものであり、一度裁判になってしまえば、裁判官のバイアスに左右されることは間違いないと思います。つまり、なるべく話し合いなり裁判外の仲裁で解決するべき事だと想いますし、裁判に持ち込むとすればにっちもさっちもいかなくなった例外的なケースが望ましいと思います。

No.24 しま さんのコメント

>患者が医学的に公平な判定を望んでいるのか

患者が裁判に訴える理由でもっとも強いと言われるのが、真実を知りたいという事です。
医学的に公平な判定であれば、「真実を知りたい」という欲求に繋がると自分は考えています。
現状の裁判制度では、勝訴しても患者の満足度が低いという結果はそのためです。

連投失礼します。

>なるべく話し合いなり裁判外の仲裁で解決するべき事

現状をみるに、医学的に公平な判定を得るのに裁判制度は馴染まないと考えます。

南山堂大学の加藤 良夫教授たちの提唱しておられる「医療被害防止・救済センター」構想などはいいたたき台になるのかなと個人的には注目しております。

>オダさん
例えば、以下のような文章がありますが

>被害者の求めているものは、「なぜ事故が起こったのかの真実の説明」、
>「事故を起こした医師からの謝罪」、「事故の再発の防止」であると考えられ、
>最初に明確な説明と謝罪があれば、裁判は起こさなかったと語る被害者もいる
「医療事故の現状と課題」
http://210.128.252.171/jp/data/publication/issue/0433.pdf

この三点に関しては、病院側の対応次第では裁判が不要になると私は考えます。「真実を知りたい」と言う事が焦点であるのならば、医学的に公平な判定というのは不要であり、情報の詳細な開示で済むものと私は考えます。

また、患者側の「真実を知りたい」と言う欲求を満たすためには、米国流の広範囲な「証拠開示手続」の導入が必要なのかも知れませんが、このあたりは法曹の方々に質問したいところです。

>YUNYUNさま(No.251)
>つまり、検察官は起訴・不起訴を独自に判断する権限を与えられているといいつつも、「被害者の処罰感情」を無視することはできず、正式に告訴があれば少なくとも捜査に動かざるを得ない。改正法では国民の意思を反映するために、検察審査会の起訴決議に強制力が持たされています。
特に、最近では、医療に不満を抱く患者が刑事手続の発動を求める傾向が強まり、しかし実際はそれは実は過剰な期待であって、刑事手続においても満足すべき結果が得られないため、さらに不満を募らせて民事訴訟に挑むという最悪パターンがあるうように思います。

最近、m3.comで読んだのですが、原告側の訴訟テクニックとして民事訴訟を起こすと同時に刑事告訴する(された?)というものです。確かにその方が被告側の受けるダメージは大きく裁判で原告側が優位になります。検察側も必ずしも医療訴訟に詳しくなく、民事の成り行きをみることもあるようです。多額の慰謝料、お悔やみ金(織原城二被告のように)を支払って情状酌量してもらうか、あるいは告訴を取り下げてもらうように被告病院側が動くこともありえます。民事と刑事のダブルパンチでは病院側は疲弊しきってしまいます。
やはり制度としてちょっと問題がありすぎるように思えます。


>FFFさま(No.10)
>そもそも「専門性」の有無ということ自体明確に線引きできるものでもないし、それを言い出したらキリがないとも思うんですね。

仰るとおりだと思いますが、(全レスでも述べましたが)医療という不確実なものは例えると、将棋のようなものだと思います。裁判官、鑑定医が個々の局面(例えば詰め将棋)については解説することができても大局を判断することができていない。だから、全体としては90点以上であっても訴訟では負けるという珍事(トンデモ判決)が起こるのです。これは「争点―因果関係」と絞り込む現行の訴訟手続きに問題があるのです。「つまり木を見て森を見ず」という方向性ができあがってしまうのです。

No.27 しま さん

>患者側の「真実を知りたい」と言う欲求
>情報の詳細な開示で済む

詳細な情報の開示を行なっても病院側の説明に納得がいかない場合、医学的に公平な判定を下してくれる所が必要です。
これまでその役割を裁判所が行なってきたのですが、それを「医療被害防止・救済センター」のようなところで行なえたらよりベターであると考えます。
裁判所に較べ、医療の専門家の意見と法曹の専門科の意見が同等に判定に加わる以上、現状の裁判制度より価値があると考えます。

>uchitama さん
>最近、m3.comで読んだのですが、原告側の訴訟テクニックとして
>民事訴訟を起こすと同時に刑事告訴する(された?)というものです。

著作権の分野では聞いた事がある話ですね。刑事告訴をするだけで、相手が和解に動くこともあるわけですから、仲裁の解決策としては合理的かなとは思います。医療分野においては刑事告訴が通るのは稀だと思うのですが、被告側にとっては身も凍るような話だとは思います。


>全体としては90点以上であっても訴訟では負けるという珍事

勝ち負けの基準がよく分からないのですが、例えば、相手が求めている賠償額が1億だったとして、判決によって1千万円以下の支払いが命じられた場合、医療行為が90点以上だと評価されたと解釈することもできるかと思いますが、法曹の方々はどのような認識なのでしょうか。

>オダさん
センターを作る方法もよろしいと思いますが、医師会が窓口になって実績のある臨床医を紹介するなどして、簡単に第三者の医師を捜し出してくれるシステムを構築するのが手っ取り早いかと思います。

もちろん、業務外の事ですので、実費というか、自由診療並みの料金を患者側が支払うようにした方がよろしいですね。

しまさん

>実績のある臨床医を紹介する

病院の医師の説明に納得しない場合、医療に対する不信がかなり強くなっております。
医師会の紹介による医師の説明で納得がいかなければ、医師同士のかばい合いと思われてしまう確率が高いでしょう。
それよりは医療関係者以外の人がいた方が、だされた判定に対して「真実を知りたい」という患者の欲求にかなう事になると考えます。

前スレNo216、246 本スレNo3FFFさん(すご長です)

「警察や検察は、社会に生起している過失致傷事案の中から、処罰に値すると判断したものを捜査・起訴すべき権限を与えられており、この権限を適切に行使することが期待されている」

「(検察・警察が特定の専門分野の捜査・起訴をする)「能力」の有無については、誰がどのように判断するのでしょうか。」

「「専門的判断」について、その専門家集団の大多数が正しいと見たところが正しい、裁判になった際にはその多数派の見解に従って判決がなされればよい、その領域について素人である裁判官がそれに反する判断をすべきではない、とは私には思えません。」


● まず検察・警察に権限があることに異論はありません。だからこそ「正しく」捜査・起訴することが求められているわけです。裁判所には「正しく」判決を下すことが求められているわけです。すなわち処罰に値するものを処罰し、値しないものは処罰しない。
そして、そういった機関も可謬であること・医療そのものは価値があること、の二つを前提とすれば
多くの専門家が検察・警察・裁判所の態度に疑問を呈し辞めていった結果、国民が不利益を蒙るようになっている現状を見ると「正しい」司法が行われているとは到底言えません。

なぜ、その状況で司法界が正しくなく、医療界が正しいと言えるかというと、専門性があるわけです。
すなわち司法は医療について判断を下している。ある専門分野について判断を下すとき、権力を持ったものがその専門分野自体を壊滅させるほどの判断をしたならば、明らかに判断を下したほうが間違っている。
大きく間違っていない判断であれば、当然専門家も「まぁ仕方ないかな」くらいでついてきます。

このことは、例えマスコミ対象でも、警察対象でも同じです。
すなわち彼らの多くが、裁判の結果に納得できず辞めて国民に不利益が目立ってきた場合、司法が正しく作用していないといえるでしょう(現時点ではそうなっていませんが)。

医療問題を「正しく」扱え、というのは結構厳しい注文です。ですが、司法はその能力を身に着けなければならない。権限を持つものが間違った使い方をしすぎると世の中に垂れ流す害悪は大きいから。
そこを理解できずに介入してくるから、出しゃばる、と表現するわけです。
繰り返しですが、医療問題を扱うだけの能力を身に着けて扱うべき。それができないならば扱わないほうがまだ弊害は少ない。

● 「能力」を誰が判定するかという点について。
これこそ自律ですね。例えば医師免許を持っているおいらは外科手術をすることも可能ですがしません。何故ならおいらは内科医であり、手術をする能力がないことがわかっているからです。誰かが判定してくれるわけでも許可をもらうわけでもない。まさに自らを律しているわけです。
その意味で、現在の司法が、医療問題を正しく扱う能力がないことを自覚していないことは最大の問題点のひとつです。
おまけに、そうやって能力もないのに介入して日本の医療を崩壊させておきながら、医師の自浄努力が足りないと言うのは責任転嫁に見えます。
何故なら正しい介入することこそが本来司法に求められていることだと思うから。

● 専門性について
例えば、何が最も効果的な捜査法で、何が現在の標準的な捜査法であるかについて、警察界と裁判所の見解が真っ向から対立したならば警察を支持します。何故なら彼らこそそういったことについて最も深く考えてきた人であるから。
何が最も効果的な取材・報道で、何が標準的な取材法であるかについてマスコミと司法が分かれた場合ももちろん同じです。
そしてある捜査法やある取材・報道に関して、それは過失があると司法が認定し、これが過失であるとするならば自分たちの日ごろ行っている行いもすべて同じレベルにあるのだから最早やってられない、と警察やマスコミが辞めてしまって社会が不利益を蒙るならば、
その過失認定は有害な過失認定です。


No.20 しまさん

確かにその通りですね。裁判なんてならない方がいいに決まっていますし、それが我々の一番の望みでもあります。一応、過失の有無の判断ということでの最善ということでよろしく。

>思考実験として、裁判所が医療訴訟に関して受付を中止したら

おかしな人権団体の連中が騒ぐぐらいで、後はいいことだけなのではないですか。産科医とか救急医とか戻ってきそうですし。

>元行政さん
医療に関わる揉め事が起こった場合、患者と医師、病院側が直接交渉することになると思いますが、冷静に交渉したり妥協出来るほど、日本人は成熟していないように思います。

前スレNo.239のuchimataさんの医療を将棋と同じように見る発想には同意します。

医療関係者は少しでもいい結果を得ようとしている。
日本一の棋士でも100点満点の将棋ができないように、あらゆる医師は100点満点の治療などできません。僕自身したことはないし、これからもできない。

現場の治療は常にミスに満ちており、そのほとんどはたまたま結果オーライだったか、次の機会にリカバーできたかに過ぎないです。
で、医療現場のミスはほとんどが運が悪ければ患者の死という最悪の結果につながりうる。

一流棋士も同じように多くのミスをする。なかには初心者でもしないようなミスとか反則をすることすらある。でも彼らは比較的ミスが少なく、比較的正しい手を指せて、トータルとしては他に勝るから一流として飯が食えるわけです。
医者もミスだらけではあるけれど、行為によるメリットがミスによるデメリットよりトータルとしては勝るから存在価値があるわけです。間違っても100点満点などはありえない。


おそらく、弁護士さんの弁護活動なんかも同じだと思うんですが・・・
皆さん100点満点の弁護をかなりの確率でやってるんでしょうか?

コメントを書いていて思いついたことを少々。

医療裁判の鑑定文と判決文を見比べて思ったことは、これって何だか絵の鑑定みたいだなということです。
素人の目の前に二枚の絵。題名は「鑑定書」。どちらがニセモノか本物か判定しなくてはいけない。絵を鑑定にかけることは、許されていない。
弁論主義で上手くいかないというのはこういうことだと思います。

No.35 しまさん

訴訟以外でも、直接押しかけて嫌がらせをする遺族もけっこういます。両方する人間もいます。訴訟が合法的な嫌がらせとするならば、全体としての嫌がらせの件数は減ると思います。(むしろ訴訟の方が嫌です。訴訟自体が恐喝のネタにもなっています)

>元行政さん
つまり、訴訟よりは遺族に直接対応した方が病院としての負担は軽いという事でよろしいんですね。

No.39 しまさん

そのくらい訴訟は嫌なことではありませんか?
勝っても一文にもならず、出費も多く、風評被害もあり、時間と労力のロスですから。

クレームなどへの対応がもともと多い業種のような気もします。
それから、これは悪いことではありませんが、患者の社会的な支援のために、患者の家族や隣人、関係機関との折衝も日常的ですよ。ソーシャルワーカーという専門家がいる場合もありますし、医師や看護師、技師もやります。

> No.33 立木 志摩夫さん

 コメントありがとうございます。

 私なりに要約させて頂くと、基本的には社会にとって有益な作用をもたらす専門分野が立ち行かなくなり、国民に不利益が生じるような関与であれば、その関与は「正しい」とはいえない、ということでしょうか。

 大局的に見れば正に御指摘のとおりではありますが、司法判断だけでそのバランスを実現できるものでもなさそうです。例えば、個別のケースにおいて、医師の労働量が加重であることが医療過誤の背景にあったとしても、それを理由として患者側の請求を棄却できるかというと、おそらくできないわけで、司法判断としては医療側敗訴にならざるを得ない場合がある。ただ、それだと医療現場が崩壊するので、医療予算を増やすなり医師を増員するなりして医師の労働環境を改善しないといけない、等々。

 なお、どなたかも仰っておられましたが、民事であれ刑事であれ、事件が持ち込まれれば裁判所が判断を回避することはできません。したがって、「医療問題を扱うだけの能力を身に着けて扱うべき」というのが裁判官に対する指摘であれば、それは無理でしょう。民事訴訟を起こすこと自体を制限することもできないので、考えられる方法としては、「医療過誤に遭ったと考えている者に、裁判より魅力的な紛争解決手段を提示すること」があります。原告予備軍が、裁判を起こすよりメリットが大きい方法があると考えれば、裁判所が利用されることはなくなるはずです。

 「●専門性について」は、そのように(ある意味割り切って)お考えなのであれば、論理は一貫するというか、そういう捉え方もありえますね、という感じです。しかし、専門外の人間から見て公平な判断がなされていると感じられるか、という問題はありそうです。私が、専門家集団とかギルド的なものにマイナスイメージを持ちすぎなのかも知れませんが・・・・。


えらく楽観的なお考えで、ずっこけましたが・・・
医師のみなさんは、警察に逮捕されるのが怖くて辞めたいと言っておられるのではなかったのですか?

> 福島の事件について「大多数が支持する場合」という前提は成り立つものでしょうか。(No.16 オダさま)

> 検察官はともかく多くの警察官は、「何が問題なの?」的な感覚ではないかなあと想像します・・・・。(No.19 FFF さま)

FFFさまは控えめな表現ですが、全国の警察官の9割方はあの逮捕を、全く怪しまないと思われます。
ついでに、第一報を聞いた国民のたぶん7割以上も怪しまなかったのではないでしょうか。「悪いことをしたら、捕まるのが当たり前だ」
「逃亡や証拠隠滅のおそれがない人を、逮捕してはならない」という刑事訴訟法の原則は、一般国民の間に普及していません。また、警察が悪いことをしたと言うならそうなんだろうと信じる人がほとんどで、無罪推定どころか有罪推定です。

> 例えば、何が最も効果的な捜査法で、何が現在の標準的な捜査法であるかについて、警察界と裁判所の見解が真っ向から対立したならば警察を支持します。何故なら彼らこそそういったことについて最も深く考えてきた人であるから。(No.33 立木 志摩夫さま)

悪いことをしたと(警察が)目する人物は、必ず逮捕して代用監獄に勾留し、脅してすかして自白を取るという捜査手法は、日本の警察の標準です。
警察の言うとおりに認めない(否認)しているときは、嘘をついていないか、プレッシャーをかけて調べます。圧力に屈しない場合はだんだんプレッシャーを高めていって、自白するまでは取り調べを続けるというやり方です。
ここでは、そのことを前提として考えてください。

なお、警察と裁判所の見解が対立するというのはレアケースです。裁判所は警察があまりヒドイことをしたとき(殴る蹴る等)はストップをかけますが、おおむね警察の判断を尊重しています。
cf.宇和島誤認逮捕事件国賠請求訴訟

全スレNo.246 FFF さん(CID32232)
遅レスで申し訳ありません。素早い議論展開に置き去りにされており、やや蒸し返し的な議論になりますがどうかご容赦下さい。

>医療は刑事司法に介入をお願いした覚えはなく」というフレーズや・・・

感じの悪い表現でしたね。この点はお詫びします。枕詞に過ぎないので削除して読んで下さい。それでも論旨は全く変わらないと思います。医療が起こした混乱は医療の責任です。司法の起こした混乱は司法の責任です。それを理解できない司法であれば信用されないのは当然だ、と言いたかったわけです。

>刑法等の刑罰法規は国民を等しく対象としており・・

私は、少なくとも前スレNo.241においては、「刑事司法が医療に介入すべきではない」とは申し上げておりません。「医療に犯罪があれば刑事司法の介入は当然だ」という趣旨は述べたつもりです。したがって

>「こちらが介入を求めていないのに介入するのは不当だ」

という趣旨はありません。

>私が以前から申し上げているように、運転手であれ教師であれ調理師であれ薬剤師であれ航海士であれ犬の飼い主であれニートであれ何であれ、自らの不注意で他人を死傷させた場合には、過失致傷として処罰される可能性があります。

可能性があるのは当然だと思います。運転手・航海士は別にして、FFFさんが例として挙げられた他の職業は死傷、特に死は想定外の職業です。普通にしていれば死などないという前提の業務(実は運転も航海もこれに含まれる筈です)において死が発生した場合、誰かの過失が原因であればその責任が問われるは当然かと思います。ここで肝心なのは、それを原因と認定することが第三者の目からも妥当であることです。

もう一つ申し上げたいのは、運転手でなくとも運転はします。教師でなくとも教えますし子供の引率もします。調理師でなくとも料理はします。職業固有の死というのは非常に少ない気がします。

日本人は年間100万人以上死亡します。(平成18年の推計値は109万人)交通事故死(事故後24時間以内)は7000人程度に過ぎません。その交通事故死ですら、病院で死亡する例がかなりあります。悪性腫瘍・脳血管障害・心疾患の3つだけで死亡数は60万を軽く超えますが、この大部分は病院で死を迎えます。これらの数字だけでもお解りの様に、医師という職業は死と関連が深いなどというレベルではなく、死そのものが日常的な職業です。病院における膨大な死の中には予期せぬ死が多数含まれます。病理解剖しても完全に死因を特定できないケースすらあります。「死んだのは医者のせいだ」と難癖をつけようとすればいくらでも出来ます。外科的医療行為は必ず体を傷つけます。内科的治療行為でも侵襲性の高いものはいくらでもありますし、投薬だけでも最悪死があります。さて、本当に医師と教師に同じスタンスで「過失致傷」の概念を適用するのが公平でしょうか?医者の多くは不公平だと感じています。そして司法の説明には納得していません。

FFFさんがよく例として挙げられる交通事故のあるシミュレーションをします。申し訳ありませんが、FFFさんにドライバーになって頂きます。片側一車線の対面通行で両サイドにガードレール付きの歩道がある道路をFFFさんがドライブしているとします。ガードレールが切れて合流する側道からいきなり小学生の自転車が飛び出し、急ブレーキも間に合わず結果的に死亡事故となりました。FFFさんは被害者救助も消防・警察への連絡も迅速に行い落ち度は全くありません。被害者遺族にも誠意を尽くしました。しかし一人息子を失った両親は納得がいかず、FFFさんを刑事告訴しました。そして驚いたことに警察はFFFさんを業務上過失致死で逮捕しました。業務上過失致死と認定した理由は「ミラー」でした。事故現場の側道合流部には、反対側の歩道に凸面鏡ミラーが設置され、本道の交通を視認できる様になっていました。これは逆に言うと本道通行中のドライバーは側道の自転車を視認できる可能性があったということです。現場検証が行われ、同じ体格同じサイズの自転車に乗った小学生が時速20キロで走行する様子はFFFさんの視力があれば十分に手前で視認可能であるという実験結果が出ました。すなわち

FFFさんがミラーの確認を怠ったのが事故の原因の一つであり、ミラーで自転車を確認していればブレーキは十分に間に合い事故は回避できた筈だ・・・・・A

というのが逮捕理由です。有名弁護士であるFFFさんが起こした事故ということでマスコミが注目し、この逮捕劇は直ちに報道されました。すると全国のドライバーは一斉蜂起の如くFFFさんを擁護し、警察の暴挙に抗議しました。ミラーはもともと側道から本道に進入する際に使用するもので、本道通行中のドライバーに確認を要求するのは無茶である。そこまで注意するドライバーは僅かだ。こんなにドライバーに厳しくては怖くて運転などできない。というのが抗議理由です。当然だと思います。一方こうしたケースで全てのドライバーがミラーを見ていないかと言うとそんなことはありません。ちゃんと見ているドライバーがいるのも事実です。ですからAはあり得ない理由とは言えないのです。

さて実際に医師が逮捕された「割り箸事件」ですが、もし概要をご存じなければ拙ブログをご覧頂れば幸いです。
http://blogs.dion.ne.jp/yabudoc/archives/2934747.html

この事件の起訴理由の一つとして
「ファイバースコープによる傷の深さの確認を怠った」・・・B
というのがあります。拙ブログでも書きましたが、受診時には割りばしの刺さった傷口から出血はありませんでした。塞がった傷にわざわざファイバーを突っ込む医療はありません。もしやったとすればそれ自体が傷害行為です。Bだけが起訴の理由ではありませんが、「あり得ない」程度においてA<<Bなのです。

現実にAが理由で逮捕されることはないでしょう。これは警察官・検察官もその多くが自身ドライバーであり、安全運転に求められる常識的な基準をよく知っているからです。あまりハードルを高くすれば何時自分自身も逮捕されてしまうか分かりません。家族・知人・同僚など考えれば尚更です。つまり運転に関しては取り締まる側も我が事として想像するだけの知識も体験も十二分にあります。無謀運転の結果事故を起こして逮捕されても誰も同情しません。無謀運転の何たるかを法律知識の有無とは関係なく、多くのドライバーが共通認識として持ち合わせているからです。

一方医療を取り締まる場合には、取り締まる側に妥当な基準が全くない様に感じられます。Aよりも遙かにあり得ないBが逮捕理由の一つですから、今の医療刑事司法にはノーと言いたくなります。医者が騒ぐのは具体的事例に基づきます。観念的な建前論をいくら提示されても、やはり納得できないのです。

「司法に謝れ」と書きましたが、これは司法の考え次第です。無茶を言ってるつもりはありません。

ヤブ医者さんの意見に同感。

現行の司法制度が、医療関連事案の紛争解決に対して、有効な
調停を行っているか?と問えば、重大な不当逮捕を許したり、
不当判決や過大な賠償金判決、誤った和解導入などを繰り返し、
結果的に、医師側の逃散など、医療崩壊を招いている。
つまり、現行の司法枠組みには、医療関連事案を正当に判断する
能力が乏しく、『紛争解決』の実態により、医療領域の産業の
破壊を招いているのに、その責任を自覚していない。

この事を、法曹関係者は、特に検事や判事は、どう考えておられる
のか?反省しているのか?

そもそも、救命行為に刑事責任を問うこと自体が馬鹿げているし、
治療の成功を保障できない準委任契約に対して、片務的責任を問う
ことが遺憾である。

高度な科学でもある医療行為に対して、その技術的意義さえ理解
できない者たちが、私知利用禁止や弁論主義に守られて、背伸び
しているだけにしか見えない。

この問題を、医師たちの混乱として、あるいは自業自得として
解釈するのは、国家権力の怠慢であり、司法の自殺行為に繋がる
ものである。

>No.26 オダ様
> 南山堂大学の加藤 良夫教授たちの提唱しておられる「医療被害防止・救済センター」>構想などはいいたたき台になるのかなと個人的には注目しております。

加藤良夫弁護士は、患者側の医療事件のみを行う弁護士で、名古屋の医療事故情報センターの設立者です。http://www3.ocn.ne.jp/~mmic/

  したがって、この構想は、医療事故情報センター設立時の昭和の時代からあり、設立の運動を続けられていました。

 もともと、民事訴訟は、真実発見のための手段でないため、このようなセンターが必要と考え運動を続けられていました。しかし、あえて言えば、医療側も含め、このような構想に積極的には、賛成してこなかったという経緯があります。

 その中で、患者としては、より強制力があり、相対的には真実発見のための機能が強い刑事訴訟に頼るようになり、福島の事件等もその流れの中とも考えられます。なお、ほとんどの弁護士は、刑事訴訟のデメリットの部分を知っていますから、医療事件への刑事手続きの利用には、消極的だったと思います。

そして、福島の事件等が起こり、医療側からも、(患者のために)第三者機関等が必用だという声が出始めたというのも一つの経緯だと思います。

じゅんさま、そして、しまさま、
申し訳ありません、まだ、ご質問に答え切れていません。
まだまだ、マルチタスクの処理をこなせていません。
ご容赦下さい。

「司法に謝れ」の追記です。

私は冗談で言っているわけではありません。具体的には「大野病院事件の起訴取り下げ」、「割り箸事件の控訴取り下げ」を速やかに実行した後、検事総長名で全国紙に広告を出す。広告の内容は、

・ 一部の検事が暴走し極めて不適切な検察作用を発揮した誤りを認める。
・ 司法不信が全国で医療崩壊を加速した事実を認め、国民と医療に謝罪する。
・ 今後は「医療における犯罪行為」について医療側と真摯に対話・議論することを約束する。
・ 法曹三者と医師、および外部監員からなる医療事故調査機関の設立に協力する。

等を考えます。

弁護士の方々から医者の自浄努力が足りないというご意見を頂きました。十分に傾聴すべき内容であり、そこへ向けて我々が努力するのは当然かと思います。一方、刑事司法に代わる機関の設立に関して国民のコンセンサスを得て実現するのは10年単位の仕事であり、急速に進行する医療崩壊を食い止めるには時間がかかり過ぎます。また前のコメントでも述べましたが、医療に自浄作用が足りないことが検察作用介入の直接的根拠とはなりません。

検察が上記の「全面降伏」を行えば、少なくとも医療の司法不信は大幅に緩和されます。また、医療事故に対する報道姿勢や国民の理解が大きく変化するのは間違いないと考えます。そして、方法論としては十分に実現可能であり、かつその気にさえなれば短時間に実行可能な手法であると考えます。私が考える特効薬としてはこれ以上のものはありません。

障害は「検察のプライド」だと思います。検察の仕事には大きなプライドが必要であることは十分に理解できます。しかし今の混乱を是正する効果と比較すれば取るに足らないものと考えます。また、これまで検察は散々医者のプライドを踏みにじってきました。我々が彼らのプライドを斟酌する必要も義務もないと考えます。

繰り返しますが、司法の引き起こした混乱は司法が責任をとるべきです。責任を取る具体的方法があるなら、それを実行することが責任を取ることであると考えます。

No.3のFFFさんのコメント は私へのコメントなので、既に他の方から適切なレスも付き、亀レスの状態ですが、お答えします。

>○福島の事件について、その捜査手法を警察官・検察官の大多数が支持する場合、捜査手続きという専門領域について専門家の大多数が正しいと見たのだから正しい、ということになるのでしょうか。今回の逮捕が不当であるとして国家賠償請求訴訟を起こした際、裁判官がその理屈で原告を敗訴させたら、納得されるのでしょうか。

答え:いいえ、捜査対象について全く知識のない集団が、どれだけ自分たちが適切だと思う捜査法を取ったとしても、まともな捜査はできません。

>○奈良の件に関する報道について、その手法(取材が充分だったかどうか等)をマスコミ関係者の大多数が支持する場合、調査報道という専門領域について専門家の大多数が正しいと見たのだから正しい、ということになるのでしょうか。件の病院や産婦人科医が名誉毀損として新聞社を提訴した際、裁判官がその理屈で請求を棄却したら、医師の方は納得されますか。

答え:調査報道対象について全く知識のない集団が、以下同文。

医療について無知であれば、捜査機関が適切だと思う捜査でもとんでもない捜査になりうるし、報道機関が適切だと思ってもとんでもない報道になり得ます。
大野病院や大淀病院の件は、その好例でしょう。

一方で、専門医の集団の多くが賛同するような医療行為が実際にとんでもない医療行為である場合というのはどういう場合でしょう。
もちろんかばい合いなどは排除しなければなりませんが、実際に賛同しているのであれば、とんでもない医療ではあり得ないと思いませんか。
もちろん科学としての限界で、今は判っていないけれど本当は駄目なんだよ、ということはあり得ますが。

No.42 YUNYUN さん

>医師のみなさんは、警察に逮捕されるのが怖くて辞めたいと言っておられる

自分で考えてみても「医学的に到底妥当と考えられないずさんな医療をした」ことを理由に逮捕されるのであれば、たとえ逮捕されるのが自分でもそれは自業自得であって仕方がないと思いますよ。
しかし、大野病院の事件のように、「自分や大多数の医師が医学的に妥当と判断する医療」をしていても、「結果が悪かったからずさんな医療をしたに違いない」といって刑事事件として逮捕されるのなら、これは凄く怖い。だから辞めたいとなるのです。

>第一報を聞いた国民のたぶん7割以上も怪しまなかったのではないでしょうか。

自分としてはあの第1報では国民の99%以上が怪しまなかったと思います。
医師だってあの第1報を知っただけでは7割以上は、怪しまなかったのではないでしょうか。
報道後かなり早い時期から大野病院の事件での逮捕を問題視していた「ある産婦人科のひとりごと」というブログでも、このニュースを同時に知った他科医師のほとんどが、この逮捕をおかしいと思わなかったと書いてありました。
実際、自分も第1報だけでは逮捕を怪しまなかったですから。
医師が雪崩を打つように擁護に走ったのは、事故調査報告書の全文を知ることが出来てからです。
事故調査報告書という、事件について専門的な立場から判断を下せる材料を基に、「専門家としての判断」を我々は行ないました。
もちろんその後も情報の収集を続ければ続けるほど、大多数の医師が過失ではないと判断しているのです。


> 福島の事件について「大多数が支持する場合」という前提は成り立つものでしょうか。
「専門家としての判断」という議論の流れでしたので、警察官という専門家としての判断をくだすには、以下の事実を踏まえた上での判断であることが必要かと考えております。

1.一年前に家宅捜索は終わり、主要な関係者の調書作成も終了。
2.福島県は事故調査を行い、報告書が作成されたうえで処分も行なわれている。
3.医師はその後も大野病院唯一の産婦人科医として勤務し続けていること。

このような条件下においても「逃亡・証拠隠滅の疑い」を理由に、逮捕は妥当であると大多数の警察官は判断するのでしょうか?
刑事訴追の原則を知らない一般国民が逮捕を疑問に思わないのは仕方ありません。
自分は基本的なところで、日本の治安を担当する専門家として警察を信頼しております。
だから、刑事訴追の原則を知っている警察官が、逮捕が妥当かどうか判断する材料を知った上で、大多数がこの逮捕を支持するとは考えられなかったのです(このような判断材料がないままにただ逮捕が妥当かと訊いたのなら、YUNYUNさんのいういように「全国の警察官の9割方はあの逮捕を、全く怪しまない」というのも充分ありうると思います。しかし充分な情報がない状態での判断は、「専門家としての判断」ではありません)
これがえらく楽観的なお考えと思われるのでれば、警察に対する自分の信頼は間違っているのでしょう。

> No.48 bamboo さん

 コメントありがとうございます。

 元の書き込みは、「まともな捜査・報道ができるか」ではなく、「その分野の専門家たる捜査員、記者等の多数が賛意を示したら、そのことによって正当性が認められるのか」という疑問を問いかけているわけです。別に、福島事件の捜査や奈良事件の報道がまともであったなどと主張しているわけではありません。

 私は「新聞労連報道大賞」にどの位の権威があるのか知りませんが、少なくとも、報道の対象が医療であること、マスコミが医療の専門家でないことは承知の上で、受賞に値する報道であると評価されたのでしょう。仲間内では。

 bambooさんとしては、「専門家集団の多数意見といえども、捜査機関やマスコミのそれは信用できないが、こと医師については信用できる。」とお考えなのでしょうか。

 「専門医の集団の多くが賛同するような医療行為は、基本的にとんでもない医療行為ではありえない」というのは、純粋に技術的・学問的な問題については妥当するかも知れませんが、医事訴訟で争点となるのはそのような点ばかりではありませんし、どの程度のミスがあれば民法所定の「過失」と評価すべきかというのも、医学的に決められるわけではありません。

いつも、ROMさせて頂いております。卒後15年ほどの内科医です。
皆さんの真摯な議論に敬意と表したいと思います。

FFFさんに、一言申し上げたく意見をさせていただきます。

>その分野の専門家たる捜査員、記者等の多数が賛意を示したら、そのことによって正当性が認められるのか

ということですが、これは、人間の社会的な問題です、当然その行動規範はその当時の社会常識に縛られるものと考えます。人間社会の問題ですので。

しかし、医学のような科学(完全に科学とは言い切ない部分もありますが)はそうは行かないと申し上げているのです。

すこし、極端な例になりますが、例を示したいと思います。

地動説というものが有ります。これを主張したガリレオは裁判に掛けられ死刑判決を受けます。当時の社会常識に反する考え方だったからです。科学的な真実を社会常識や法律で判断することのおろかさを端的に示している例だと思います。

科学的な真実は、社会常識や裁判官の判断の問題ではないのです。「捜査員、記者等の多数が賛意」を示すかどうかと比較する問題ではありません。地動説を唱えたら、裁判所から賠償を命じられたり、検察に逮捕されたら天文学者は存在しえなくなります。
それと同じようなことが、現在なされていると思います。

それでも地球は回っているのです。

流れに乗っていないレスですいません。
m3配信記事ですが、一般には報道されていないようなので、全文コピーします。
ーーーーーーーーーーーー
「輸血ミスで死亡」と提訴 千葉の病院、B型にO型  07/01/17
記事:共同通信社  提供:共同通信社  ID:449118

 千葉県の鋸南町国民健康保険鋸南病院で2005年1月、肺炎で入院していた同町の男性患者=当時(87)=に輸血をした際、血液型を取り違えるミスがあったことが16日、分かった。患者は約半月後に死亡し、遺族が昨年12月、町に約2600万円の損害賠償を求め千葉地裁木更津支部に提訴した。
 訴状などによると、病院側は05年1月末、男性が貧血状態のため輸血を開始。男性の血液型はB型だったが、O型と取り違えたことに気付き、40ccを輸血した時点で中止した。男性は同年2月中旬に死亡したが、死亡診断書で直接の死因は「肺炎」とされた。
 遺族は「死亡したのは輸血が原因で、医師らに注意義務違反があった」と主張。同病院の内田正司(うちだ・まさし)事務長は「輸血ミスは事実で大変申し訳ない。弁護士と協議した上で対応を決めたい」としている。
 遺族は男性死亡の約半年後、代理人を通じ病院に説明を求めたが、輸血ミスと死亡の因果関係を否定されたため、提訴に踏み切った。
ーーーーーーーーー
 異型輸血があったことは事実のようですが、血液型から見て(GVHDなど、まれな合併症がない限り)、それが死亡との因果関係がないことは、高校の生物レベルのことと思います。

 この事案を引き受けた弁護士の胸のうちを予想してみると、

1.輸血が死亡との因果関係があると本気で考えている。
2.因果関係はないと思われるが、異型輸血の事実があったので、注意義務違反には問える。
3.あまり勝算は無いと考えているが、依頼人の押しが強く、提訴に踏み切った。

上記の、いずれにしても、この提訴が裁判所で受理されるのであれば、さらに医療者のモチベーションは下がります。 (一社の報道のみから考察するのは、危険ですが)

No.49 の追加です。

No.42 YUNYUN さんのコメントの引用です

>悪いことをしたと(警察が)目する人物は、必ず逮捕して代用監獄に勾留し、脅してすかして自白を取るという捜査手法は、日本の警察の標準です。
警察の言うとおりに認めない(否認)しているときは、嘘をついていないか、プレッシャーをかけて調べます。圧力に屈しない場合はだんだんプレッシャーを高めていって、自白するまでは取り調べを続けるというやり方です。

実態としてこういう面もあるのが日本の警察かと思います。
(YUNYUNさんから見ると大甘なのかもしれませんが、それでもきちんと捜査を行なおうという警察官のほうが多いとまだ自分は信じているんですよ)
本音として逮捕は当然と思う警察官の数は、そこそこ存在するでしょう。
しかしそういう警察官でも「専門家としての判断」を正面きって公的に求められたとき、(たとえ本音で思っていることと違っても)「刑事訴追の原則」を建前がある以上、大野事件の逮捕について賛成に廻れないのではありませんか?
(すべての医療事故で免責になればいいと本音では思っている医師も中にはいるでしょうが、それを言ってしまえば専門家としてのプライドを疑われる事になるため言えないのと同様に)

No.50 FFF さん

>私は「新聞労連報道大賞」にどの位の権威があるのか知りませんが、少なくとも、報道の対象が医療であること、マスコミが医療の専門家でないことは承知の上で、受賞に値する報道であると評価されたのでしょう。仲間内では。

「ジミーの世界」事件をご存知でしょうか?
1981年「ジミーの世界」という記事がピューリッツァー賞を受賞しました。
「ジミーの世界」という記事は、アメリカのジャーナリストの仲間内で素晴らしい評価を得たわけですね。
しかしその評価は、記事が正しい事実関係を伝えている事を前提にしたくだされた評価です。
そしてその後、記事は嘘である事が判明しました。
嘘という事が判明したことで記事の評価は一変し、ワシントン・ポストは賞を返上しました。
このようにマスコミにとって、誤った事実関係を報道する事は許される事ではなく、記事の発表当時の評価よりも重要なことです。

今回の毎日の報道においても、記者が医療の専門家であるかないかは問題ではないのです。
事実関係をきちんと取材し、知らない事は調べ、事実関係についてはきちんと検証して上で書けばいいのです。
特に今回のように速報性の必要がない調査報道においては、余計に事実関係の検証をきちんとする必要があります。
報道の専門家としての評価の前に、事実関係の正しい報道であることが大事です。
そして毎日の報道には、事実関係の誤認があるとの指摘が数多くなされています。

>奈良事件の報道がまともであったなどと主張しているわけではありません。
この表現から推察するとFFFさんも毎日の報道はまともでなかったと思う所があるのでしょう。
そう思っているのなら余計に、記事を評価するのに根幹である「事実関係がおかしいこと」を抜きにして、いきなり「専門家の評価がよければいいのか」という前提で議論する事はおかしくありませんか?
事実関係の検証が間違っていれば、専門家としての評価を受けるための前提が崩れてしまうのですよ。
自分は、医学的根拠(ジャーナリストなら「記事の事実関係の検証」になりますね)を抜きにして「専門家の判断」を主張した事はありません。

初めて書きこめさせていただきます。
突然の書込で申し訳ありませんが、かなりビックリした書込みを
某巨大掲示板で見かけたもので・・・・・・これはいったいどこまで本当なのでしょうか?
「381 名前:卵の名無しさん[] 投稿日:2007/01/18(木) 16:48:50 ID:ntE9M9Xq0
福島県の事件ですが逮捕を最初に言い出した検察官退職したそうですね。
理由はうつ病だからだそうです。
逮捕劇を演じたころは躁期だったそうで躁うつ病があったそうです。
それでも引き継いだ検察は医師を何らかの処分に処しようとしているそうです。
躁うつ病の検察官に日本の週産期医療のみならず急性期医療が左右されるのは
なんだかおかしいですね。
堀病院の件も県警が勇み足だったことを医会に認め手うちをしたがっていますし・・・。

もうこの流れは変わりません。
一体誰が責任をとるつもりでしょうか?」

非医療、非法曹系の立場(ド素人)から専門家の方の意見を拝見させていただいております。
法律がある以上司直の手が入るのは致しかたないのかもしれませんが、逮捕=犯人が蔓延している状況では対象者は生きた心地がしないだろうなと思います。
逮捕=犯人のような感覚は多くは報道でつくられるのかも知れませんがそれに対して法曹(とくに検察や裁判所)から抗議がなされたりしているのでしょうか?弁護士会などから声明がでたりするのは目にするのですが・・・

No.49 オダさま
捜査の専門性の話題で問題にしているのは、主に捜査手法(How to)の面です。
どういう容疑がある場合に捜査権を発動するか(For What)という問題とは、一応別個の論点です。

>● 専門性について
>例えば、何が最も効果的な捜査法で、何が現在の標準的な捜査法であるかについて、警察界と裁判所の見解が真っ向から対立したならば警察を支持します。何故なら彼らこそそういったことについて最も深く考えてきた人であるから。(No.33 立木 志摩夫さま)

つまり、指紋を採るためにはアルミ粉を撒いてフィルムを押し付ける、血痕を判別するにはルミノール液を振りかける、というのと同じこと。
ここに犯罪の疑いを掛けられる人間が居た場合に、いかにして彼から真実の(と警察が思える)供述を引き出すか?
「捕まえて、脅してすかす」という手法が最も効果が高いというのが、捜査の専門家としての警察の判断です。
これまで、一般国民も医師も、その判断が正しいと思い、警察のとる捜査手法を是認してきたのではありませんか?

> 自分としてはあの第1報では国民の99%以上が怪しまなかったと思います。
> 医師だってあの第1報を知っただけでは7割以上は、怪しまなかったのではないでしょうか。(No.49 オダさま)

-----
> 以下の事実を踏まえた上での判断であることが必要かと考えております。
>
> 1.一年前に家宅捜索は終わり、主要な関係者の調書作成も終了。
> 2.福島県は事故調査を行い、報告書が作成されたうえで処分も行なわれている。
> 3.医師はその後も大野病院唯一の産婦人科医として勤務し続けていること。
>
> このような条件下においても「逃亡・証拠隠滅の疑い」を理由に、逮捕は妥当であると大多数の警察官は判断するのでしょうか?

断言しますが、大多数の警察官は、これらの事実を前提とした上で、なお逮捕は妥当と判断するでしょう。
警察が逮捕に踏み切る最大の理由は、「警察の見込みと違うことを主張している」(否認)という点にあります。犯罪を行っていないと主張する者は、素直に縛に付くはずはなく、必ずや逃亡したり証拠隠滅に走るに違いないという<思い込み>があるからです。
否認かどうかに比べれば、被疑者の職業・家庭環境や、被疑事実の軽重などという要素は些少なことと考えられています。上記1〜3の美点は、否認という最大の悪事の前に霞んでしまい、何の擁護にもならないのです。

このように、警察の思考方法は刑事訴訟法の建前とは根本的に相容れません。
しかしこれは、警察官に専門家としてのプライドがないから、職務をないがしろにして違法な捜査をしているというのとは違います。
日本の警察官たちの大多数は真面目に職務に取り組んでいることは疑いませんが、その真面目さの方向性、価値観が問題なのです。
警察とは、極論すれば、日本の治安を守るためには、100人の無実の人間を逮捕してでも、1人の真犯人も逃してはならぬとする組織です。
万が一、間違いで逮捕→勾留→起訴されても、刑事裁判がきちんと機能していれば、間違って刑務所へ送られることまではないでしょう、たぶん。拘束された期間の補償はされるからモーマンタイ。社会の治安を守るためには、その程度の個々の犠牲は甘受すべし。

一方、刑事訴訟法の建前は、「100人の真犯人を世に放つとも、一人の無辜の市民を害するべからず」という人権保障の思想です。ところが、このような考え方は日本では不人気です。
警察がアヤシイと思えば誰でも逮捕できるのは、権力でもって世の中を押さえつけている(警察ファッショ)ということでななく、国民の大多数がそれを支持しているという事情があるからであり、そのほうが根が深い問題であると思います。

> hsp さん

素人として口を挟みますが、ご容赦ください。

>医学のような科学(完全に科学とは言い切ない部分もありますが)は
>そうは行かないと申し上げているのです

私が見る限り、医療については医師個人で考え方が異なるものであり、その個人の考え方が強く反映されるものであり、ひいては個人が属している社会の考え方が影響しているように思います。


科学的な真実というものが存在するかどうか分かりませんが、医療に関しては「真実は常に一つ」とは限らないのではないでしょうか。例えば、傷口に対して消毒をされる先生とされない先生がおられますよね。消毒をするのが正解なのか、消毒をしないのが正解なのか、誰にも決められないと思います。どっちの考えが医療界において主流なのか、どっちの考え方が患者に支持されるのかはあると思いますが、真実とか間違いとか言うものはこの二者には存在しないと思います。


そのような、一つの真実が存在し得ない医療というものに対して、司法や国民が一つの真実を求めてくるのが問題になってきていると思うのです。

For What(何を犯罪とみるべきか)問題について。

これについては、医師の皆様がおっしゃるように、専門家の意見が重んじられなければならないと思います。
しかし、福島事件で、警察は何も独断で「医学的に過失がある」と判断して捜査に入ったわけではありません。
医師の意見は聞いています。おそらく、聞かれた医師が、他の多数の医師とは異なる見解を述べたと思われます。

このような状況では、いくら刑事訴訟法を厳格に運用しようとも、刑事司法のルートに乗ること自体を防ぐことはできません。
少数派であれ、医師の資格を持つ人が「刑事訴追に値するだけの過失がある」と判断したのなら、少なくとも犯罪の嫌疑があることにはなり、
毎日精勤している医師なら逃亡や証拠隠滅のおそれがないから、身柄を拘束してはならないということは言えても、身柄拘束をしない形で、送検→在宅起訴は可能だからです。
このことは、民事訴訟において、患者が相談したある一人の医師が「過失があると思う」という意見を述べたらば、訴訟が提起される結果になることと、パラレルです。

医師としては、
  医学的に真実、過失があるならば、刑事訴追されても民事責任を問われても仕方がない。
  しかし、過失がない場合にまで民事刑事の訴訟に巻き込まれることは、最終的に無罪や責任なしの結論になるとしても、訴訟を受けるだけでも耐え難い苦痛である。

では、どうしたら、そのような「濫訴」を防げるか?
(逃散!逃散!という茶々は入れないでください)

医事紛争は医学の専門家の判断に則って解決されるべし、の原理を徹底するしかない。
つまり、素人の患者や司法関係者が一番最初に(裁判前に)医師の意見を聞く段階で、医学的に間違った見解に遭遇しないようにすること、専門家の正しい判断を照会できるようなしくみを作るべきであると思います。
現状では、患者や訴追側の相談に乗ってくれる医師の数が圧倒的に少なく、素人にとってはどこで相談できるかという情報もあまり明らかにされていません。その中できちんとした鑑定能力を持つ人かどうかも解らないままに、取り敢えず相談にのってくれた医師の意見を信じるしかないのです。
多大な費用と労力を使って裁判を起こしたのに、間違った見解に依拠していたために、徒労に終わったとしたら、訴訟を提起した側も浮かばれません。

「鑑定人協会」(名称は何でもよいですが)のようなグループをつくり、中立公正な立場から、医療問題の照会に応じるしくみを作るのはどうでしょうか。
自分好みのただ一人の医師を意見を持ってくるのでななく、
そういうきちんとした場所で相談をしてからでなければ、医師の過失を問うのは無謀、ということが社会常識になれば、誤った見解に基づく訴訟はかなり抑制されると思います。

別スレでは藤山氏発言に関連してスレが伸びているようで、新規参入の方、一般の方々も積極的に発言をされている現状は喜ばしいことではないかと考えます。信頼性にはいささか疑問無しとしませんが、参考までに提示させていただきます。

医療崩壊の原因は?
http://www.touhyoubako.com/box/156/1/

現在の医療崩壊の原因として司法の関与がどの程度あるのかははっきりしません。部長クラス以上の中高年層世代では未だネット上の非公式情報に接する機会も少なく、日常話をしておりましても「今どきそれは…」と思われる認識の方々も未だ多いことは事実です。逆に若年層では現場の経験が乏しい分、やや過剰反応に陥っている部分もあるやも知れません。

医療関係者は常に二つと同じものの存在しない人間を相手にしているだけ、医療には完璧などというものは存在し得ないものという感覚を自然に身につけています。将棋や囲碁において未だ必ず勝てる定石というものは見いだされていないのと似たものかも知れません。某独裁国ではかつて試合に負けたサッカー選手が鞭打ちの刑に処せられましたが、現代日本で同じ事が起こったとすれば国民はどう感じるでしょうか?「奴らは高い給料をとっているのだから当然だ」と溜飲を下げるでしょうか。

医療という行為において本質的に存在し得ないはずの「百点満点」などという概念を安易に公言することが出来る、そんな程度の認識の人物が仮にも医療訴訟における最も権威ある地位を占めている。自分は正直怖いことだと感じていますし、同じ恐怖を感じて逃散する同僚達に説得する言葉を持ちません。この場でも長く議論が続いていますが、未だ「過酷な労働に加え不当に犯罪者扱いされてまで何故医者は踏みとどまらなければならないのか?」という根本的疑問に対する明確な答えは提示されていないようです。

今まさに崩壊しつつある医療という現実を前にして、今さら戦犯捜しは無意味だと思っています。司法、行政、国民、そして医師自身…全ての人々の無自覚な少しずつの行為の積み重ねこそが一番の要因なのかも知れません。しかしながら、今もって明らかに崩壊を助長させつつあると思われる人々に対して、何より一介の現場の人間として感情の部分で納得しかねています。

>YUNYUNさん

つまり、素人の患者や司法関係者が一番最初に(裁判前に)医師の意見を聞く段階で、医学的に間違った見解に遭遇しないようにすること、専門家の正しい判断を照会できるようなしくみを作るべきであると思います。

賛成です。一口に医師とは言っても、バックグラウンドが違いますから、ある医師の単独意見ではなく、ある程度の平均的意見を参考にすべき意見を得られるようにすべきだとは思います。 ここでのポイントは、権威ではなく、同じような現場で働いている医師の意見を得ることです。教授絶対という信仰はいけません。

WEB2.0の世代に突入した今からのシステム構築であれば、ネットを介した医師意見集約システムなどが作れるのではないかと思います。事前登録制と、資料やコメント作成の時間的制約に対するpaymenntが納得いけば、登録してくれる医師も出てくるのではないかと思います。

>yunyunさま
>「鑑定人協会」(名称は何でもよいですが)のようなグループをつくり、中立公正な立場から、医療問題の照会に応じるしくみを作るのはどうでしょうか。

管理人さんが冒頭におっしゃっておられたことは、まさにここのところではないでしょうか。
結果を求める前の段階が、勘所かと。

最近愚痴ばかりで何ですので(苦笑)一つ議論をネタまじりの素朴な疑問を。

第三者専門家による事前検討の場を訴訟の前段階として用意することで訴訟の濫用を防ぐという考えにはある程度コンセンサスがあるように見受けられます。またその際の構成員としては大学教授等の学閥トップではなくあくまで現場の臨床家であるべきだろうと言う意見も多数派のようです。

一方で司法側の見解を概観いたしますところ裁判の場で問われるのは「現在の医療水準において一般的とされる水準に達していたか否か?」であるように理解しましたが、そういたしますと新たに一つの疑問が湧きます。

すなわち多くの医療訴訟において被告となる医師はまさに平均的水準の医師であると予想されるわけですが、その医師の治療行為が平均的水準であるのか否かを判断する者として「あの先生の言うことなら間違いない」と誰もが納得するレベルの権威者であるべきなのか、同様の医療環境において同じレベルの医療を行っているだろう末端の医師であるべきなのか?ということです。

特に外科手術等の手技的比重が高い領域では誰が鑑定を行うかによって極めて判断の分かれるところとなるのではないかと考えるのですが、如何でしょうか?

>老人の医者さん

訴訟において、鑑定医個人が「現代の医療水準」を鑑定すると言うことは、そもそも「現代の医療水準」が決まってないことを意味すると思います。

決まっていないし、決められるものでもない現代の医療水準を尺度に判決を下すこと自体が問題なわけですが、裁判官の立場としては医療水準というものを尺度とする以外、判決を下せないかと思います。

とすると、次の2点に焦点が絞られるのかなと思います。

1.医療水準とは何かを追求する
2.医療水準に変わる裁判の基準を追求する

医療訴訟は諸外国でも盛んだと思いますが、諸外国の方々は何を持って医療訴訟の尺度にしているのでしょうか。

>しまさんへ

医学にあなたが仰ったような消毒に対する議論があることは事実です。しかしこれは学説であり、全ての学問に存在するものです。法律の世界にも学説は存在するのではないでしょうか。理論物理では、今、次元はいくつあるかでもめているそうです。

話が少しずれましたが、専門家同士でも意見の一致を見ない問題はどの世界にも存在すると思われます。もしこれが、裁判の場に持ち込まれるとすれば悪夢のような事態になると思います。専門家同士の論争を、裁判で決着させることは不可能でしょう。それこそ、専門家の議論に任せ、裁判所が口をさしはさむのは止めるべき、最たる問題ではないでしょうか。

私が申し上げたいのは、法律でどう決めようと、社会常識がどうであろうと、科学的事実の前には無力であるということです。人間の力で、科学の法則が変えられない限り、人間の考えや法律を現実の科学にあわせざるおえないのではないでしょうか。法律論がどうであれ、社会常識がどう思おうと地球は回っているのであり、林檎は木から落ちます。

根本的に考えると、「日本の医療水準」で考えることが間違っているわけです。医師の技量、病院の体制や規模によって、提供出来る医療水準が異なるだろうと思いますので、医療水準は各病院によって異なるものであるし、医師個人によって異なると考えるのが自然です。

医師側から見ると、医療水準なんてものは病院によって異なるという事を無視し、現代の医療水準という一つの尺度で測るというのはナンセンス極まるものではないでしょうか。

一方、患者から観ると視点が異なってくるわけですが。

> No.51 hsp さん

 コメントありがとうございます。

 No.50の最後の段落で申し上げたつもりだったのですが、「科学的な真実」については、たしかに専門家集団の多数意見によって判断するしかないと思います。難解な高次方程式の解については、門外漢が何と言おうと数学者の意見の方が正しいと思いますし。

 しかし、医事訴訟に限らず、裁判においては、「科学的な真実」だけで決着がつくわけではありません。こう書くと、科学者たる医師の方からは何て非科学的で不合理な世界だろかと反発がくるのですが(笑)、裁判とか法律判断というものは、関数のように、ある要件を与えれば機械的にロジカルに必ず単一の解が得られるわけではなく、多くの場合、価値判断、評価が入り込むのです。

 素人の幼稚な発想ではありますが、仮に医療行為のレベルを点数で表せるとした場合、「どのような医療行為がなされたか」、「その医療行為は何点か」というのは客観的、科学的に決せられるべき問題であり、医師の専門的判断が尊重されるべきでしょう。
 しかし、民事訴訟では、それが法律上の「過失」に該当するか否かの判断をせねばなりません。いわば、「何点以下なら過失ありと判定すべきか」ということですが、これは、学問的に決まる問題ではありません。「どの程度のミスがあれば、賠償責任を負わせるのが妥当なのか」という社会的相当性の問題です。真実か否かではなく、当不当の問題なのです。この点については、結局、双方の意見を聴いた上で、損害の公平な分担という見地から第三者が判断するほかないわけで、「医師の意見に従わなかったから不当だ」と単純に言い切れるものではないと思います。

>No.52 田舎の消化器外科医さん
>「輸血ミスで死亡」と提訴 千葉の病院、B型にO型
医学常識から言えば、死因とはなり得ないでしょう。
しかし、去年ウチの病院でコンサルタントが危機管理のワークショップをしたときの話では、「因果関係が乏しくとも輸血ミスは裁判になると勝てない」そうです。
注意義務違反があったとみなされるのでしょうね。

>この点については、結局、双方の意見を聴いた上で、損害の公平な分担
>という見地から第三者が判断するほかないわけで、「医師の意見に従わ
>なかったから不当だ」と単純に言い切れるものではないと思います。

FFFさん,
もし,「1+1=1だから,2+1=2である.従って2+1=3という答えは間違っている」と言われた場合,あなたは納得するでしょうか?
現在の医療裁判における裁判官の中にはこのような論理を医師に押し付けているところもたくさんあるのです.この計算がおかしいことは誰でも解ることですが,医療裁判においては時にはほとんどの医師が正しいと判断することを裁判官がこのような論理で否定しているのです.
非現実的なことをあたかも,一般論であるがごとく論理を展開している判例はひとつやふたつではないのです.これまでにも何度もこのブログに書かれてきたことですが,まだ理解して頂けないのでしょうか?

FFFさまの意見には首をかしげることが多いのです。

個別の事例については大変勉強になりますので、コメントは大変うれしいのですけれど。

FFFさまはよく、「たとえば姉葉氏のような」とか、「マスコミ全体が」とかおっしゃられるのですが、実態として、建築士が訴訟におびえて家が立たなくなるような現実があったり、マスコミが訴訟におびえて新聞や雑誌が出なくなるような事態は、まだ、ないかと存じます。

わたしは、もし、そのような事態が現出したら司法は抑制的になるべきだとおもっています。

現在の実態はFFFさまからいろいろ教えていただいて理解はしていますが、それでいいのでしょうか?

焼け野原でよい、という意見にしか見えないのです。

>No.64 しまさん

医療という場を離れて一般的に事故というものについて過失の有無を判断する場合に、同じ状況にあったならほとんどの人が同じ行動をしただろう、であるが故に過失無しと認定するという論理は納得しやすいものがあります。一般ドライバーの起こした交通事故において熟練のプロドライバーが鑑定をし「私なら回避出来ただろう」と証言した、故に過失ありと認定されるようでは困るという理屈です。

しかしながらこと医療においては先頃の例のように「脳外科医であっても救急医療に携わる身であるなら心嚢穿刺程度は出来て当然」と言う現場の実情を無視した「医療水準」を要求されているようにも見受けられます。無論学問ですからガイドライン等はありますが、理論通りに行かないことがままあるのが医療、特に救急や患者急変時の現場です。自分自身、スタッフの揃った基幹病院と同じ医療を末端の市中病院レベルでは行い得ていません。

こうした点から激務に追いつめられ専門外や不十分な機材といった制限要因の中で事故を起こした医師の行動に過失があったか否かは、まさに同様の環境に置かれた平均的医師ならどう行動するかということこそ参考にすべきではないか。少なくともそうした現場の視点を外してしまえば容易に机上の空論となるのではないかという危惧を感じています。

>老人の医者さん
仰ることは私も賛成します。市中病院には市中病院の医療水準があり、基幹病院には基幹病院の医療水準があると思いますので、そのあたりは訴訟において当然区別されるべきだとは思います。

No.50 FFFさんのコメント
>bambooさんとしては、「専門家集団の多数意見といえども、捜査機関やマスコミのそれは信用できないが、こと医師については信用できる。」とお考えなのでしょうか。

こういう誤読をされないように気をつけて書いたつもりなんですが、やっぱり文章力がないのかなあ。
医療に対する事実認識を無視していたのでは、捜査機関やマスコミがどれだけその他の部分で頑張ってもダメだと言いたいのです。
医療に対する事実認識であれば、専門の医師の合意は信用がおけると思います。

>どの程度のミスがあれば民法所定の「過失」と評価すべきかというのも、医学的に決められるわけではありません。

その通りです。
どの程度のミスなのかを多くの医師に訊いて欲しいのです。
そして、ミスの程度がはっきりすれば、後は法曹に任せればいいのです。

現状は、ミスじゃないじゃないか、という事例が高額の賠償金になったり、逮捕になったりしているので困るのです。

> No.69 Level3 さん

 コメントありがとうございます。

 しかし、仰っている趣旨がよく分からないのですが・・・・No.67の書き込みに対するものなのでしょうか?

 入試の採点について、ある解答が正解かどうかは、ロジカルに決められるべきでしょう。合計点が何点かも同じです。しかし、何点以上とった生徒を合格させるかは、その学校の方針の問題であり、ロジカルに決まる事柄ではないでしょう。

 法律的な意味での過失の判断というのは、正にそのような次元の問題だ、ということです。合格ラインの設定が厳しすぎて妥当でないとはいえても、「論理的(医学的)に間違っている」とか「医師の専門的判断によって決せられるべきだ」とはいえないのではないかと。そこでは、常に反対側当事者(患者)とのバランスが考慮されなければならないはずです。

輸血ガイドラインでは、緊急に輸血が必要な場合、血液型が判明する前や、判明しても同型血がなかった場合にはO型赤血球製剤を使うことになっています。
http://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/iyaku/kenketsugo/dl/5tekisei3a.pdf

B型の人にO型を少々輸血したくらいでは、例え全血製剤でも問題にならないでしょう、医学的には。
注意義務違反で、結果との因果関係はないが、多少は賠償しろという判決なら仕方がないと思いますが、結果責任まで問われるとなると問題ですね。
関心を持って見守りたいと思います。

>FFFさま
>双方の意見を聴いた上で、損害の公平な分担という見地から第三者が判断するほかないわけで、「医師の意見に従わなかったから不当だ」と単純に言い切れるものではないと思います。

医療というのが限りある人的資源であり、全ての国民に平等であるべきという前提が必要と考えます。大学病院の外来でよく言われるように「3時間待ちの3分診療」、つまり午前中に60人の患者さんが来院し1人3分(入れ替えの時間も必要)で診療している。そこで1人のクレーマー患者が文句を言い、1時間費やされたとすると残りの59人がわりを食うわけです。(国はここまで切り詰めなければやっていけないような診療報酬(体系)へと誘導しているのです。)
これと同じことが訴訟でも起こっているのです。以前のコメントで医療行為を将棋に例えましたが、恐らく、各々の医師の医療行為の点数はせいぜい60点から90点、まあ医師を2〜3回訴えれば1回くらいは勝つでしょう(藤山裁判官ならもちろん1回で)。要するに文句を言ったもん勝ちの状態です。全ての患者家族がその権利を行使すればいとも簡単に医療は崩壊します。

例え、医師の説明不足(以前FFFさまも強調されていましたが)などがあるにせよ、全て医療行為を保険診療の枠内でと考えると自然に無理が生じてきてしまうのです。
あるいは、医療の中でも産科、救急、小児科、僻地医療などは特区(刑事免責、民事免責もある程度、説明時間を削るのも可など)を設けるなどしなければ、立ち行かなくなり(医療崩壊は進み)不公平感はますます募っていくでしょう。そもそもこのご時勢に産科、救急、小児科、僻地に行く医師は悪徳、金儲けどころかちょっとドンくさいお人よしの医師しか行きませんよ(笑)。

患者側は、医療訴訟で本当に"事実解明”を求めているのだろうか?
そういう人もいるだろうし、その気持ちが含まれていることは否定できないだろうけれど、事実は別のところにありそうである

http://www3.ocn.ne.jp/~mmic/041kinkyutokusyu.htm#10
上田和孝弁護士(名古屋)が、医療事故情報センターに寄稿されたものを見ると、
『患者側が鑑定を避けたがる理由
 患者側は、なぜこれほどまでに鑑定を避けたがるのでしょうか。鑑定費用の負担のほかに、鑑定資料の選択、鑑定事項の作成そして鑑定人選任に時間がかかるといったこともあるのでしょう。しかし、最大の理由は、鑑定結果があいまいで、患者側に不利な内容のものが多く、公正さに期待が持てないことにあるように思われます。
 しかし、事件がもともと患者側に不利なら、不利な鑑定自体を責めることはできません。また鑑定のあいまいさは医療の特質から来る面があり、一概に不当ともいえません(センターニュース163号8頁「確率的判断」参照)。不当な鑑定が出にくいような、あるいは出たとしても裁判官をしてこれに盲従させないような主張・立証ができていないことにも問題があると思います。』

と、実は、鑑定により事実認定を受けるのを、患者側が避けている実態が見える

多くの医師が憤慨するようなトンデモ訴訟でも、医師なら誰でも診療過程が手に取って見るような錯覚にあい、自分の正当業務行為と重なるから、怒りが吹き上がる

医療側が、債務不存在確認訴訟を積極的に打って出ないと仕方がない、悲しい時代が来るのだろうか?

治療の成功の保障なんて出来ない医療行為を
準委任契約として受けておきながら、
期待に沿わなかったからと、その医療行為を傷害行為だと
主張されるのでは、医療は成り立たないんだよね。

確実に治る保障なんてものは無いという
この準委任契約を、誤解の無いように、毎回時間かけて
言うしかないのかな?

法曹家すら、医療の特殊性を理解できないのに、
病院のエレベーターも自分では探せず、いちいち聞いてくる患者に
不確実性や不可逆性が理解できるはずないしね。

こりゃ、永遠に解決せんかも知れん。

>uchitama先生

>そもそもこのご時勢に産科、救急、小児科、僻地に行く医師は悪徳、金儲けどころかちょっとドンくさいお人よしの医師しか行きませんよ(笑)。

 う〜ん・・・、それはあまりに言い過ぎかと(苦笑)。

話していると、だんだん自分の考えが整理されてきていい感じですな。

No41:FFFさん

おいらの意見は、ほぼまとめて頂いたとおりです。

● 事実的な要素に関しては、専門家以上に事実に肉薄できる人はいないのだからそれに従うべき

● 規範的な要素に関しては、対象となった出来事に近いところの話から、もっと遠いところの話までの整合性、その行為のメリットや現状における問題点等、総合的に判断して妥当な範囲に設定するべき

だと思うです。
疑問に感じるのは前者の要素が一点。どんな議論に関しても大勢とは異なる意見の専門家はいるわけですが、多くの場合その意見は明らかに間違っています。そういった意見を重視することは
後者の要素に関しても、多くの医者が逃げ出してしまうような運用の仕方は妥当とはいえません。

これはついでですが、
● 「司法判断としては医療側敗訴にならざるを得ない場合がある」という点について

は疑問があります。機械ではない、権限がある人間が判断をする以上、「ならざるをえない」ということはない。
その人自身が、その行為が医療を崩壊させる結果につながる可能性をおかしても、法的な整合性を重視して判断したということに他なりません。
そのこと自体は一般に責められることではありませんが、その自覚なく「〜せざるをえない」という言葉で行為を正当化するのは倫理的でない。

あと、過失を罰する本来の目的が同じような事故の再発を防ぐためであるのならば、

● 何をすれば罰せられ、どういうふうにすれば罰せられないかを、その行為を実際に行う専門家集団が類推できるように判断するべき。

でしょう。この点に関しても今の司法はうまく機能しているとはいえない。
この部分も素人が、類推できるはずだ、と言っても意味がなく、実際に行っている人たちが類推できなければいかんと思うです。
少なくとも今の医療裁判を見ていると、どうもどうすればいいのかわからない、無茶なことを求めている、というのが僕の感想。

>そこでは、常に反対側当事者(患者)とのバランスが考慮されなければな
>らないはずです。

FFFさん,
私は裁判には素人ですので,おかしなことを言っているのかもしれません.
判決では「○○は,××という理由で妥当と考えられる.とか,△△は適切とは言えない.」というように論理立てて示されるものだと理解しています.
この「論理立て」がとても納得できるようなものでなかったとしたら(非常識であったり実際には不可能であったりした場合),どのように思われますか?という質問です.
場合によっては「原告」に非常に問題がある場合もあれば,「被告」に非常に問題がある場合もあると思いますが,それはそれぞれそのように判定されるのが筋であり,そこに「バランス」どのように入り込むのでしょうか?
できるだけ判決が「どちらにも納得されるように」というような配慮であるとしても負けた方がそんなことで納得するはずもないでしょう.

>座位さん
>治療の成功の保障なんて出来ない医療行為を
>準委任契約として受けておきながら、

患者側としては準委任契約と言う意識はないと思います。
そもそも、契約を交わしている意識自体が薄いでしょう。

また、これは法曹の方々に質問したいところではありますが、法曹の間では、医療契約は準委任契約と言うのが定説なのでしょうか。それとも、完全に準委任契約というわけではないが、準委任契約が一番近いと言うことなのでしょうか。

>FFFさま
はじめまして。ずっとROMっておりましたが…

>仮に医療行為のレベルを点数で表せるとした場合、「どのような医療行為がなされたか」、「その医療行為は何点か」というのは客観的、科学的に決せられるべき問題であり、医師の専門的判断が尊重されるべきでしょう。

>「どの程度のミスがあれば、賠償責任を負わせるのが妥当なのか」という社会的相当性の問題です。

ここに、法曹と医学界の齟齬があるように思います。
社会的相当性を加味して民事としての落としどころを探るとしても、医学的に妥当と思われる事実認識を前提とすべきでしょう。そうでなければ医師側としては、正しいと思える医療行為であってさえ安心して行えない場合があるのは御理解いただけるものと思います。

しかし法廷は真実を明らかにする目的の場ではなく、原告・被告とも判決を自らの方にたぐりよせて利益を求める場と言えます。前提条件となるべき”医学的に妥当と思われる事実認識”の追求自体が、現在の法廷では困難な状況にあると考えます。

事実認識が不十分と思われるのに社会相当性の加味など、私には砂上の楼閣に思えてなりません。最低限として、医学的見地から十分に吟味できる第三者機関は必要と思います。

海難審判のシステムが成立したいきさつは不勉強にして存じませんが、高度に専門化された分野で真実の追究と再発の防止を目的とするためには同様のシステムが必要ということなのではないでしょうか。

どうもYUNYUNさんのご意見を拝見するに失礼を承知で申し上げれば、現在の司法制度のありかたをアプリオリな聖域とすることで思考が止まっているような気がしてなりません。

一応過去ログから追いかけているつもりですが、もし周回遅れの話でしたら御容赦ください(^^;

>>No.64 しまさんのコメント
>医療水準とは何かを追求する
ほかのかたのコメントにあるように、全国一律の医療水準なんて
おかしいですよ。
それぞれの病院で、それぞれの医療を提供し、その医療がよいとおもって
医療水準に納得の上、医療を購入されたのは、お客様です。

例えば、レストランで食事が出るまでの時間が10分以内が
レストランのサービス水準だなんてことはないですよね。
お客さんが、自由に自分のすきなお店を選んでいるから、
提供サービスの水準というのは、お客さんが選択しただけのことでしょ。

また、最低限度のまもるべき医療水準があるのであれば、
その基準を、まえもって定めておいていただかないと困りますね。
あとから、実は、こういう水準ということにしました・・・
これは、ひどいですよね。

医療水準がどうこうなんていうけど、
結局、医療というサービスをどこで購入するかを決めるのは、
お客さんの自由なんだから、
自由に医療機関を選択したのだから、医療水準がどうこういうのはおかしい。
それは、お客さんがその医療を納得のうえ購入されたのだから、
あとから、文句を言う筋合いのものではないと感じています。

お客さんが、知識不足でどのような医療が、どこの医療機関で提供されているか
わからないという、ご指摘があるかもしれません。
知識不足は、お客さんの責任です。
お金を払って、知識を購入して、よい医療を提供している医療機関を
選択したらいいと思います。

例えば、法律で定められたリスクを説明されて、購入した金融商品で
値下がりしても、運用方法が悪くても、購入された人の責任でしょ・・・
知識が不足して、商品を購入したとしても、知識不足はお客さんの責任。
決断したのは、お客さんなのです。

医療と金融商品・・・
医療の分野の説明責任とか、結果責任とかという考えが、
他の業態にひろがったらどうするんでしょうね・・・

No.77 Med_Law さん

>患者側は、医療訴訟で本当に"事実解明”を求めているのだろうか?

真相を知りたいからという話が、提訴する患者又はその遺族からよく出ていますが、日々患者の言葉をそのまま鵜呑みにするのではなく本音はどこにあるのか注意して診察している我々から見れば、それを本音と考えるのは愚の骨頂ですよね。

こんなことを言うと反論として、真相がわかった時点で、裁判で勝てるのに賠償を受ける権利を放棄する患者等の実例がよく出てくるのですが、これは大して根拠になりませんよね。
人間というものは建前を述べているうちに、それが本心になったり、それに則って行動せざるをえなくなったりすることもありますし、裁判官が誤解しているにも関わらず、原告が先に真実(自分の例で、賠償させることは理不尽である)に気付く(こともありますよね。又は、ある意味病的な精神状態から脱して冷静になり、撤回の言い訳として利用したことも考えられます。

>債務不存在確認訴訟

医師に市民運動家のようなタイプが多いならばやっているかもしれませんね。アピールとしてはいいアイデア?

> No.80 立木 志摩夫さん

 コメントありがとうございます。

 「規範的な要素に関しては、対象となった出来事に近いところの話から、もっと遠いところの話までの整合性、その行為のメリットや現状における問題点等、総合的に判断して妥当な範囲に設定するべき」という部分ですが。

 この「もっと遠いところの話までの整合性」をどこまで判断要素として取り込むのが妥当か、という点について考えたいと思います。

 No.41と同じように、「当時、その医師の労働量が過重であったために、普段ならしないような重大なミスをしてしまい、患者が死亡した」ケースを想定します。立木さんの見解では、そのミスをした場面のみを近視眼的に取り上げるのではなく、その医師が抱えていた業務量、直前の睡眠時間、病院の診療体制(特に人員配置)、その地域の医療資源、病院への予算配分、医師の報酬などの諸般の事情まで判断要素に含めた上で、医師の逃散、医療崩壊が起こらない程度の司法判断がなされるべきだ、ということになるのでしょう。

 上記のケースを刑事事件として扱うときは、そのような見地からの運用が必要だと思います。基本的に賛成です。

 しかし、民事事件として扱うときは、「もっと遠いところの話」を判断要素として取り込むことが妥当ではない場合も多いと思うのです。民事事件においては、生じた損害をどちらにどれだけ負担させるのが公平かという観点から「過失」の点について規範的判断を行いますが、一方当事者に関する事情を判断要素に加えるということは、結局、それを理由に他方当事者を不利に扱うということを意味しますから、一方当事者にまつわる事情の全てを司法判断に取り込めるわけではない。

 たとえば、医療過誤はあったが、原告である患者についても、自覚症状があったのに受診が遅れたという過失があったとします。これが原告に不利に考慮されるのは当然です。しかし、仮に「原告の勤務していた会社が休みをくれなかった」「休んだらクビにされて一家が路頭に迷う状態であった」からといって、判決でその点まで考慮する、すなわち、受診の遅れという過失を軽減する扱いをすることは、明らかに妥当でない。極端にいえば、「犯罪組織に監禁されていて受診できなかった」場合でも同じでしょう。いずれも病院にとっては何の関係もない、どうしようもない事情であり、そこまで判断材料にする(つまり、それを理由に病院を不利に扱う)のは公平でないからです。その部分は、原告と病院の間ではなく、原告と会社等の間で解決されるべき問題だから、とも言えましょう。

 医師についても同様なのであって、その医師の労働量が過重であったことが過誤の原因であったとしても、その点は、原告たる患者としては与り知らないことであり、これを判断事由に含める(つまり、それを理由として原告を不利に扱う)のは、民事訴訟の解決としては妥当でないように思うわけです。

 医師不足や過重労働は是正されるべきですが、それは、医療過誤訴訟における司法判断という場面ではなく、他の方法で達成されるべき筋合いのものと考えます。それが、No.41で「司法判断としては医療側敗訴にならざるを得ない場合がある」と申し上げた趣旨です。

> No.80 立木 志摩夫さん

FFFさんのコメントに付け加えというか、気づいた点ですが、

>No.41と同じように、「当時、その医師の労働量が過重であったために、普段ならしないような重大なミスをしてしまい、患者が死亡した」ケースを想定します。立木さんの見解では、そのミスをした場面のみを近視眼的に取り上げるのではなく、その医師が抱えていた業務量、直前の睡眠時間、病院の診療体制(特に人員配置)、その地域の医療資源、病院への予算配分、医師の報酬などの諸般の事情まで判断要素に含めた上で、医師の逃散、医療崩壊が起こらない程度の司法判断がなされるべきだ、ということになるのでしょう。

これを裁判所が考慮するためには、被告たる医療機関側がこれを主張しなくてはなりません(そもそも患者側にはわからないことですから)。しかし、被告には、個人の医師だけでなく、その医師を雇用している病院も含まれるのが通常です。とすればその医師が抱えていた業務量、直前の睡眠時間、病院の診療体制(特に人員配置)等を言っても、病院の責任は軽くならない(そうしているのは病院ということになるので)ため、主張しないということになり、裁判所としても考慮しないことになると思います。

 要は、トラックの運転手が会社から命じられた過重労働で、事故をおこし、会社とともに訴えられた場合、会社が過重労働させてたとは主張しないのと同じようなことになると思います。

No.74 FFF さん

>何点以上とった生徒を合格させるかは、その学校の方針の問題であり、ロジカルに決まる事柄ではないでしょう。

医療に関する裁判所は、まさに方針が出鱈目なために、誰も学校に入らなくなって(産科や救急をしなくなって)、倒産の危機にある学校法人のようですね。方針の妥当性は、その結果によって判断されざるをえないのではありませんか?

No.86 FFFさん

>民事事件として扱うときは、「もっと遠いところの話」を判断要素として取り込むことが妥当ではない場合も多い

取り込んで判断しろということではなくて、もっと遠いところにおこっている結果をみれば、方針が妥当でなかったことがわかるという話なのだと思います。(司法という制度は社会のためにあるのではありませんか)
また、民事だって最高裁まで行って判例になったりするのですから、この場合刑事との違いを強調することにはちょっと違和感をおぼえます。(民事と刑事の違いって、法律素人をやりこめる時の常套手段ですよね)

医療の状況は素人にはわかりづらいのは確かです。しかしそれは全ての業種で同じように存在するものであり、会社が休みをくれなかった等の話と等価なものではないはずです。等価であるとすれば、医師がバイトで疲れが溜まっていたとかでの過重労働がそれで、構造的な現実での過重労働ならそれなりに考慮すべきです。患者が医療側の現実を受け入れていないのならば、そもそも契約自体が成り立たないはずなのですから。(もちろん過重労働などはあまり理由にはならないとは思いますし、裁判所が医療水準を間違えているのはそんな部分でもありませんが、現実を重要視すべきという話の例えとしてそのまま使いました)

ちょっと訂正。

「取り込んで判断しろということではなくて」というのは立木先生の意見と明らかに違いますね。FFF先生、失礼しました。この部分は無視してください。

No.87 L.A.LAW さん

>トラックの運転手が会社から命じられた過重労働で、事故をおこし、会社とともに訴えられた場合、会社が過重労働させてたとは主張しないのと同じようなことになる

なるほど、勉強になります。弁論主義の穴ですね。

>医師の労働量が過重であったために、普段ならしないような重大なミスをしてしまい、患者が死亡した

念のためにコメントしておきますが、こんな例を無罪にしろという主張を、ここの医師の多くが主張しているわけではないです(おそらく立木先生もです)。医師と患者がそれぞれ契約の上にあるとされている保険診療の枠の中での現実や、厚生省の通達などの枠の中での現実、社会の要請に対し我々が対応しようとして無理して形成した現実、それらを無視又は軽視した裁判所のかくあるべきという医療水準に対して、その結果こんなに我々及び社会に被害があるじゃないかという観点で、非難していると理解していただけると幸いです。

>被告たる医療機関側がこれを主張

過去の判例と、その判例のためにおこった問題を提示して、その判例を利用しないこと、その判例の修正をもとめることは、難しいと思うのですが、その辺りどうなのでしょうかね。(全くの素人の疑問、すみません)

>じゅんさん
66の私の発言も参照して頂きたいと思います。

>お客さんが、自由に自分のすきなお店を選んでいるから、
>提供サービスの水準というのは、お客さんが選択しただけのことでしょ。

その通りだと思います。

そして、また、ステーキレストランに訪れるお客さんは、他の店より美味しいステーキを期待して店に訪れますよね。それと同じレベルで、○○専門医に関しては、○○に関しては他の病院より水準の高い医療を患者さんは期待しているのかと思います。それが期待権に繋がっているのかなと。


>医療の分野の説明責任とか、結果責任とかという考えが、
>他の業態にひろがったらどうするんでしょうね・・

個人的な印象では話は逆で、他の業態に広がった考え方を、医療分野に当てはめているのではないかと思います。

No.82 しまさま

>座位さん
>治療の成功の保障なんて出来ない医療行為を
>準委任契約として受けておきながら、
患者側としては準委任契約と言う意識はないと思います。
そもそも、契約を交わしている意識自体が薄いでしょう。

そのご意見自体には賛同します (電車に乗る行為を「運送契約」と意識しない等と同様に) が、座位さまと噛み合ってはいないかも?
座位さまの言わんとされているのは、「準委任契約を締結したではないか!」 ではなく 「治療の成功という結果についての請負契約は交わしていない(少なくとも医師側は請け負ったつもりはない)!」 ということかと。

>法曹の間では、医療契約は準委任契約と言うのが定説なのでしょうか。それとも、完全に準委任契約というわけではないが、準委任契約が一番近いと言うことなのでしょうか。

ナマの事実関係は切り取り方によってある程度左右できる面があります。また、複数の側面を複数の法律構成にあてはめるということも可能です。
つまり、あるカテゴリーの社会的事実を、1つの法律上のカテゴリーに固定しなければならないわけではないということをまず前提として。

患者の受診と医師の診療、という社会的事実に対して、そこに 「患者は 『診療』 という事実行為を依頼し、医師は承諾している」 という関係が存在することを否定しない限り、それは 「完全な準委任契約(の側面がある)」 といって差し支えないだろうと思いますし、法曹界での一般的な理解でもあるだろうと思います。

>fuka_fuka さん
つまりですね、医師は患者が何を望んでいるのか分からず、患者は医師の意図が分からないのではないかと思うのですよ。契約とはお互いの合意があってはじめて交わすものなのに、お互いがお互いの要求を認識しないのが契約なのかなと言う疑問があります。

もっと言えば、準委任契約なのか請負契約なのかは些末なことであり、患者は医師が病気を100%治すと思っているが、医師は病気が100%治るものだとは思っていない。このあたりの認識のずれが問題だと思うのですよ。

認識のずれを調整するのが契約であるにも関わらず、医療行為に置いては認識のズレを修正する機会はない。これは契約なのかという疑問もあります。


>「患者は 『診療』 という事実行為を依頼し、医師は承諾している」 という関係
それはそうだとは思うのですが、医師と患者との間において、「診療」の定義がずれているようにも思うのですが、いかがでしょうか。

>>No.91 しまさんのコメント
>個人的な印象では話は逆で、他の業態に広がった考え方を、
>医療分野に当てはめているのではないかと思います。
そうですか?
個人的な印象では、医療の結果が悪かった。
その結果が悪いのを、どうにかして、救済してあげたい。
医療機関はお金を持っているし、医師も保険に入っている。
だから、医療機関と医師にお金を出させる救済方法を無理やり
考えましたというのが、司法の答えなのでは?

たしかに、目の前で医療の結果がよくなくて困っている人がいる。
短絡的に救済方法を検討すれば、医師と医療機関に責任を転嫁して
しまえば解決するし、短期的にはそれでOKだし。

医療が最先端をいっていると思いますよ。
説明責任とか、期待権とか、他の事例であったかな?
期待権については、どこかの裁判で意見がでてたはず。
これが、他の分野に広がると困るし、一定の範囲がどうだこうだと・・・

医療分野の裁判例を投資信託に当てはめたら、投資信託は壊滅しますよ。
だって、投資信託を売る人は、自社以外の投資信託の説明をしていないでしょ。
国債を買いたい人に、投資信託を勧める銀行もあるくらいだから。
投資の結果が悪ければ、どこかに責任を求める。
説明が不十分だったか、投資信託の運用者の投資方法が
現在の投資水準と比較して悪かったから、運用が悪くて損をしたと・・・
結果的にみると、他の運用方法をしていれば、お客さんが損をすることはなかった。

投資信託だけではないですよ。
他の業種の営業なんて、医療で求められている水準の説明責任を
果たしていないところがほとんどでしょ。
そういうのは、裁判すれば、お客さんが勝つのが日本の司法ということに
したいのかな?
営業では、とりあえず、他社の製品も選択肢としてあげて、
メリット・デメリットを自社であつかっていなくても、説明しないとね。
それができていないと、お客さんが、最終的に不利益をうけて損をしたら
営業が説明責任を果たさなかったから、不利な選択をしたとして訴えることができる。
そういう、日本に司法がしたいということですよね。
ダブルスタンダードは、よくないと思うので、医療に求めたさまざまな責任を
他の業種にも押し付けてください。

No.93 しまさま (しかし9分でレスて。ドラフトが遅い身としてはまじめに羨ましいです)

おっしゃるとおり、確かにそのような患者/医師の認識の不一致が問題なのだと思います。

が、互いの内心に多少の不一致があっても、外形的に合致している部分がある以上、何某かの効果を与える契約の成立を認めることに意味はある、という理解をしています。
契約なんて、脳内のフィクションにすぎないわけで、自販機に100円玉を放り込む行為が 「なんとかビバレッジ社に対する売買契約の申込みの意思表示である」 と構成することは、それを売買契約と認めることによって生ずる効果を両当事者に帰属させるために意味があるのであれば、正当化される擬制なのだと思います。

準委任か請負かの区別の問題は、 「結果が不幸な転帰を辿った場合の債務不履行責任の有無」 を区別するという、効果から逆算しての問題です。
カネを払うか払わないか、という問題が法律問題である以上、準委任か請負かの区別は、その効果(カネ)に直結する核心となります。

>認識のずれを調整するのが契約であるにも関わらず、医療行為に置いては認識のズレを修正する機会はない。

そのズレを修正するのがインフォームドコンセントの意義・役割なのでは。
そして、人体のしくみと医療行為との関係について、医学の素人である患者に対して十分な理解は期待できないし、仮に理解可能であったとしてその説明に割く時間は事実上相当限られている、という問題点が医療者側から指摘されている、という図式だと理解しています。

>これは契約なのかという疑問もあります。

法律家としては、やはり 「それも契約だ」 と言わざるを得ないです。
「契約」 というコトバのイメージに合致するかどうかの問題ではなく、ある法律効果を発生させるために必要かつ適切なのであれば、その効果にふさわしいだけの 「契約」 というものの存在を脳内で擬制すればよく、そうすべきであると思います。

> No.88 元行政さん

 コメントありがとうございます。


民事だって最高裁まで行って判例になったりするのですから、この場合刑事との違いを強調することにはちょっと違和感をおぼえます。(民事と刑事の違いって、法律素人をやりこめる時の常套手段ですよね)
』 

 という部分ですが。前段については、医療過誤の民事裁判に関する判断基準が最高裁判例として示されることがあること自体は、御指摘のとおりです。ただ、それはあくまでも民事事件の判断基準であって、「私人と私人の利害調整」という大枠の中での準則になるでしょう。他方、刑事事件では、「国家対個人」の構図になるので、それに伴って判断要素も変わってくるはずです。私の例で言えば、「医師の労働負担が過重であったこと」も踏まえて、なおその医師を処罰するべきなのかどうか、総合的な判断が下されるべきでしょう。

 後段のカッコ書きの部分は、その御趣旨がよく分からないので今一度御説明ください。

fuka_fuka さま
真意を汲み取っていただきありがとうございます。

みなさま、
医療崩壊の要因の一つには、医療行為の契約関係への医師ー患者
間の認識の齟齬があると思います。この齟齬の原因は、医療行為が
高度なことによる理解困難もありますが、患者側に 過度の権利
意識の蔓延があり、その多くは、患者側の自己責任の欠如に由来する
ものと感じています(これは立場によって批判反論もあるでしょう)。

この齟齬は、病態が悪化しない場合は、クレームがないため、問題に
なりませんが、患者の過度の期待と逆行する場合、クレームとなります。

ですから、医療効果の不確実性を患者側に判ってもらい、過度の期待
を持たせないように、準委任契約ではなく、「地方の弁護士」さんが言う
ような、条件付きの委任契約(軽過失の免責)を診療前に、書面で行う
のが望ましいと一見、思えてきます。

ところが、救急現場や病棟の急変現場といった、突発的な新規医療操作
介入が必要な時は、無理ですし、一方で書面契約をする医師が出て
きた時には、他方で書面契約をしなかった医師の立場が悪くなるという
可能性も出てきます。(するなら全員でしないとわりをくう。)

現実には、連続した診療行為の中に、たとえば、採血行為や無侵襲検査
行為によっても、ごく稀に、異常事態を引き起こされる場合があります。
手術や各種の侵襲的治療行為、侵襲的検査を行う場合は、リスクを
考えて患者へのリスク説明と承諾書を取ることが一般的ですが、
リスクがかなり低頻度と考えられるものに対してまで、書面契約すると
なると、一人あたり毎回10分程度の診療時間の延長となります。
これは、3時間待ちの外来が6時間待ちになることを意味しますし、
病院経営の破綻を意味します。

かといって、包括的に、診療行為に対する免責契約が成立するかどうか
となると、これは疑問です。
また、そもそも医療側の責任ではない、患者側の病気都合による
偶発症の発症までを、医療側の過失だと誤解、曲解されるわけですが
これらの患者の病気都合によるものは、そもそも免責の対象にすらなら
ない、正確に言って医者には責任がないものです。

病状説明に関しても、医療法や医師法の中に、診療行為の説明義務が
明示されていますが、ここでいう「説明」の定義も問題になっていますし、
そもそも、説明作業の対価(診療報酬)を認めていないのも問題であると
思います。

整理しますと、
1 医療行為の契約関係への医師ー患者間の認識の齟齬を埋める
  作業として、書面契約は現実的でない
  (包括的でない、採算面、時間面、患者理解面)
2 「軽度の過失の刑事免責」などではなく、医療側に問われる
  「過失」の一部は、偶発症であって、そもそも、患者側病気都合に
  よるもので、始めに期待された医療行為と何ら因果関係がない。
  側に責任はない
3 医療法等に明示してある、「説明義務」の定義は不明確であり
  説明行為に対する正当な対価(診療報酬)が支払われていない。

といったことになります。(またしても、羅列的な主張で申し訳ない)

> No.83 takuzo さん
 
 コメントありがとうございます。

 「社会的相当性を加味して民事としての落としどころを探るとしても、医学的に妥当と思われる事実認識を前提とすべき」という部分について申し上げます。「医学的に妥当」というのが、純粋に学問的な局面について言われているのであれば、私もそのとおりだと思います。

 しかし、医師の方が「医学的に妥当」「専門家を尊重すべき」と指摘される点の中には、実は純粋に学問的な局面だけでなく、むしろ医療実務、医療慣行に属するようなものも、相当部分あるように思います。

 説明義務に関して言えば、「どのような副作用、合併症がありうるか」というのは学問的な問題ですが、「どこまで、どのような方法で説明すべきか」というのは、医学のみで決められる問題ではないように思います。「あるレントゲン像に異常があるか」というのは学問的な問題でしょうが、「その業務体制で異常に気付けたか、気付くべきだったか」「大量の写真の中からでも異常を発見できる業務体制を作るべきだったか」というのは、医学的に決まるものではない。そんなことを考えていたのですが・・・・。

 ところで、法廷が利益追求の場であるために事実認識の追求が困難である、という評価は可能かも知れません。しかし、「医学的見地から十分に吟味できる第三者機関」が設けられたとしても、そこの裁定が賠償金支払いの有無や額に直結するのならば、今度は、第三者機関における審査が「利益追求の場」となって、真実の解明が困難になるように思うのですが、如何でしょうか。

 航空事故調査のエントリで話題になったように、何らかの責任が生じうるのであれば事故原因の真相解明は困難だ(不利益を恐れて調査に協力しない)、ということであれば、真相解明を達成するには予め免責を与える必要があり、仮に過失ありとの真相が解明されても被害者は救済を受けられない、ということになりそうですが・・・・。もちろんこれでは話にならないし、医師の方もそこまで求めているわけではないと思うので、どこかで両者(真相の解明、真相に応じた救済)のバランスをとることになるのでしょう。全国の医療機関が補償金をプールして、第三者機関の裁定で過失ありと判定されたらそこから支払うという形式を取れば、「支払い義務を恐れて真相解明に協力しない」という問題は解決するかも知れませんけど、実際には医師のプライドとか色々な阻害要素があるだろうから、そう単純に考えたらいかんのだろうなあ。まとまらなくてすみません。

こんにちは、整形Aです。
みなさん、お久しぶりです。

以前に「割に合う合わない」の話で、an_accusedさんを怒らせてしまったようで、少し落ち込んでいて、ご無沙汰しておりました。

No.95 fuka_fuka さんのコメント

>>これは契約なのかという疑問もあります。
>
>法律家としては、やはり 「それも契約だ」 と言わざるを得ないです。
>「契約」 というコトバのイメージに合致するかどうかの問題ではなく、ある法律効果を発生させるために必要かつ適切なのであれば、その効果にふさわしいだけの 「契約」 というものの存在を脳内で擬制すればよく、そうすべきであると思います。

以前にも、保険医療における契約は、被保険者(患者)>保険者>医療機関(医師)、という流れがメインで、医療機関及び医師は、保険者に成り代わって「医療」という現物支給を行なっているに過ぎない、ということを述べました。
まあ、YUNYUNさんなどからは不評だったわけですが(笑)、上記のような「脳内擬制」のような契約の理論を持ち出さなくても、保険者をかませれば、立派な「契約」になるのではないでしょうか。

もちろん、医療機関の不法行為を免責せよといいたいわけではありません。
しかしながら、医療機関は医療制度の枠内でしか医療を行なえないわけで、その「枠」に起因する医療事故というのがあるのも事実です。

医療事故によって健康被害を受けた場合に、単に医療機関の責任を追及するだけでは、「枠」を決めた大元の制度設計者や、契約の当事者であるべき保険者を免責することにもつながるのではないでしょうか。
それは結局、(「枠」に起因する)医療事故を減らすことにはならず、新たな健康被害をどこかで作り出し続けることにもなります。

一案ですが、医療により健康被害を受けた人が裁判を起こすときに、医療機関、担当医師のみならず、保険者、厚労省も必ず一緒に訴えたらどうでしょうか。
損害賠償は、それら4者の中で責任の割合によって負担する。
そうすれば、医師やスタッフの人員不足、過重労働による事故であれば、制度設計者である厚労省や支払側の保険者の責任が重くなるでしょう。

そういう判決が頻回に下されるようになれば、厚労省や保険者も考えを改めざるを得なくなります。医師の不満もある程度解消されるでしょう。
あるいは、医師や施設管理者に責任があるとされれば、そして彼らが何度も同じようなことを繰り返すのであれば、そういうところとは保険者は保険診療を行なう契約をしなければいいのです。

そうすれば少なくとも保険診療からのリピーター医師の排除にもつながり、患者サイドにとってもメリットが大きいと思います。

こんにちは、整形Aです。

産業保健情報誌「東京さんぽ21」に、医師の過重労働が特集で載っています。
東京散歩(?)といった、お気軽な情報誌のように思えますが、中身はそんなもんじゃありません。

http://download.sanpo13.jp/pdf/s32.pdf

中頃、11ページをご覧ください。

警視庁生活安全局地域課のデータによりますと、平成17年度の医師の自殺は、総数32552人中、男79人、女11人、あわせて90人となっております。

まあ、日本全国で毎年3万人の自殺者が出るというのもすごいですが、医師だけでも、一つの大学の卒業生まるまる一クラス分の医師が自殺しています。
3万人の中には経済的事由がかなり含まれると思いますが、医師の場合は、その可能性は低いでしょう。
とすると、やはり過重労働、過重責任といったことが原因として多いのではないかと思います。

> 全国の医療機関が補償金をプールして、第三者機関の裁定で過失ありと判定されたら
> そこから支払うという形式を取れば、「支払い義務を恐れて真相解明に協力しない」
> という問題は解決するかも知れません
明らかな過失であれば医師も納得すると思います(少なくとも私は納得します)。しかし、明らかな過失とは言えない場合(因果関係がはっきりしていない場合)はもちろん、今国が考えている無過失保証制度のように過失がなくても医療機関に支払いの義務があるというのは明らかにおかしいし、医師退散の格好の材料になります。何を持ってこの無過失保証制度を医師不足の切り札としているのか定かではありませんが(医師不足を助長するのが明らかなのに何故医師不足対策になるのでしょう?)、別エントリで記載したようにプロスペクティブに見たときに起こした過失であれば民事責任を問うべきとむしろ思います(但し、過労や勤務状況、その他ミスするような環境であるならばそれらに応じて医療機関や自治体、上司、国の責任も問えるようにする)。
プライドの問題ではないと思います。間違ったら潔く認める、こういう姿勢も大事です。

結局現在の保険制度では、保険者が被保険者に対してではなく、医療機関側にのみ「〜は保険として認めない」と伝えるだけ(勿論保険収載の本は誰でも手に入れることは可能ですが、普通はまず買わないでしょう)なので、医療機関のみに責を負わせることになっているのではないでしょうか。ちなみに私は患者さんに「本当はやりたいんだけど、保険が認めてくれないからできない」とはっきり伝えます。
よく外来にいらっしゃる方で「この際だから他の部位も徹底的に検査をして欲しい(全身のCTや頭のMRIなど。下手するとPETまで)」とおっしゃる方がいますが、「保険は病気を疑うときのみに検査を認めるのであって、疑えないのに検査はできません」と答えると、ムッとされて困る場合が多いです。基本的にはやりませんが、その後たまたま症状が出て発見されるとトラブルになりかねないので、時々根負けしてCTくらいはやってしまうこともあります。
こういう制度になっていることをもっと国やマスコミが啓蒙するべきだと思うのですが、なぜか現場に丸投げなんですよね。

皆保険が破綻して民間保険会社になるとこの辺りの問題はもっとアメリカのようにドライにクリアーできるのかもしれませんね。

> No.101 7年目内科医さん
全国紙に出ていましたが、今後は保険で査定された分をきちんと患者に還元しなければならない可能性が出てきそうです。しかし、保険査定は皆さんのおっしゃるように問題がかなりあります。
まず、病院と医院とで差をつけて前もって何%査定するか予め決まっています。つまり、医学的に検査や治療の適応であっても予め決めていた査定額に達していた場合や査定医の知識不足により査定されます。現在は社会保険庁が1万円を超える場合に患者に知らせているらしいですが、それ以外は3割だけは医療機関の収入になっています。ところが病院の大部分は赤字運営です。これ以上収入が減ったら回り回って患者が不利益を被ることは明らかです(マスコミではそこまで情報を流していません)。
私も原則として症状の無い患者さんで検査をして欲しいと訴えられた場合は保険がきかない旨を説明し、健診を紹介していますが、一部の患者さんはそれに納得せず、説明を求める場合があります。こうした患者は往々にしてこちらの説明を聞かないので理解してもらえない場合が多いです(こういう患者さんに説明義務云々も無いと思うのですが、裁判所の判断はこういう患者にも理解させろ、と言うことなのでしょうか)。

必要な検査・治療に対するでたらめな査定(1ヶ月入院している患者さんの血糖測定を10日分だけ削るなど)がほとんどなのに、なぜか「不正請求」というあたかもやってもない、全く必要でない治療を医療機関が行っているかのようにミスリードするマスコミには本当にがっかりさせられます。(勿論そのようなことを行っている医療機関が存在することは噂では聞くことはありますが、全体としてはわずかです)

>僻地外科医 さま(No.79のコメント)
>う〜ん・・・、それはあまりに言い過ぎかと(苦笑)。

すみません。新人医師、研修医のことです。でも現状はもっと進んでるようです。

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20070105
# 774氏 『医学部学生のうち、何割かは臨床医や研究ではなく、マスコミや金融方面に進みたいと考えている大学まであるそうです。通常のルートでそういう会社に入ろうとすると高倍率ですが、医学部ルートですとわりと楽に入れるという噂(本当か知りませんが)もあります。もはや医師免は、医療だけに用いられるものではないようです。』

確かに勤務状況(給料)、訴訟など考えれば医師は魅力のある職業でなくなってきているのです。

>法的責任追及を恐れて防衛医療に走るという弊害はよく言われていますが、それこそ医師の行動倫理としての問題がありそうです。(町村先生のコメント)

医療崩壊は現場医師だけでなく研修医や学生のレベルからすでに始まっているのです。今崩壊が止まっても現状が5年先10年先まで続くかもしれません。


我々医師の最強の論者、本田宏先生の口演CDが公開されています。

内容は
1無駄な公共事業費に比べ、医療費が如何に不当に抑制されているか。
(日本の公共事業費は先進国6カ国の合計より多い。)
2医療費亡国論、医師遍在論の嘘
(日本の医療費のGDP比率は低い。医師数医療従事者の絶対数不足)
3日本の医療がWHO評価世界一であること。
4過酷な医師の労働実態
(労働基準法無視の実態、週間労働時間数は日本だけが極端に多い)
5虎視眈々と狙っている医療関連産業
(病院を雇用対策に使えば、失業者は減る。)
(人件費でなく、製薬メーカ、医療機器メーカーが得をしている実態)
(電子カルテ、調剤チェーンなど医療ビジネスが虎視眈々)

様々な事実を、諸外国との医療実態の対比、国家予算支出割合の比較、などで明確に語っています。
同時に、国民みんなが幸せに生きる事の大事さを説いています。

パワーポイントデータですので、ソフトを持っていない方は、無料のパワーポイントビューワーを使用すれば見られます。http://office.microsoft.com/ja-jp/downloads/CD010798701041.aspx

ここの↓
http://blog.hashimoto-clinic.jp/200701/article_3.html 
ある町医者の診療ブログの44行目あたりに、アップロードのリンクが
貼っています。
皆さん是非ご覧下さいませ。

訂正
ttp://blog.hashimoto-clinic.jp/200701/article_3.html
ここの44行目あたりです。

No86 FFFさん、88 元行政さん

すいません。近いところ、とか遠いところ、とか言う言葉が不正確で申し訳なし。
例えば産科医療におけるミスの事件を取り上げた際、
近い=産科医療における似たような医療ミス
やや近い=他の分野での医療ミス
遠い=交通事故とかのミス、あとは故意に損害を負わせたなど

くらいの意味で使っております。すなわち、同じような産科医療におけるミスを裁く論理とはよく整合していなければならず、もっと広い範囲の事件においてもある程度論理的な整合性をもっていなければならない、ということです。
そしてこの辺りのことは医療しか知らないおいらのような医者にはよくわからんわけです。

民事における損害の分配について。

実は医療崩壊への司法の関与という点から言うと、刑事もだけど民事のほうが大きいと思っているわけですが。

あらゆる行為にはリスクを伴うわけです。

●行為によって直接ベネフィットを得るものとリスクを負うものが一致している。
●ベネフィット/リスクを含む行為に参加するかどうかを自分で決定できる。

の二点があるかどうかというのは重要だと思うですよ。
例えば、無理なスケジュールで走る電車に乗って事故に遭う場合と、道を歩いていて制限速度オーバーの車に引かれた場合では行った運転手の責任や、生じた損害の分配の仕方も変えるべきだと思います。

前者では、その電車を利用することで直接のメリットを得ているわけで、しかも電車に乗らなければ電車の事故に遭うことはなく(そしてあらゆる乗り物が事故を起こすかもしれないことは常識です)。
一方、後者ではその車が道に走っていることは被害者に何のベネフィットも与えていませんし、しかもその出来事に巻き込まれているに過ぎません。

特に医療の場合は、ベネフィット・リスクともに命に直結します。リスクに伴って生じた損害を医療者に分配してしまえば、医師の行動としてはベネフィットが少なくともリスクの少ないほうの行為を選びやすく(ベネフィットは分配されないので)、最終的にトータルで見た患者さんのベネフィットが小さくなります。
もちろんそういって生じた損害の一部を、過失ありという名で分配しているわけですが、現時点で医療を行う側から見ると、これを行っておけば過失ではない、これを行えば過失というのがまったく判らない(少なくとも純粋に医療で見た水準の高さ低さとはあまり関係ないように思える)ため、結果としてリスク全体を少なくするほうへと移動しているんでしょうね。


例えば警察の捜査やその後の裁判について言うと、日本で生活している以上現状では不当な逮捕と非人道的な取締りにより、無実なのに犯人とされる危険があります。
それでも、何が最も効果的な取り調べであり、何が標準的な取り調べなのかという事実レベルの問題は警察の意見よりも誰かの意見を正しいとはいえない。
問題はひとつひとつの行為によってベネフィットを受ける人(社会全体?)とリスクを負う人(被疑者)が異なっているということであり、しかもその取調べに強制的に参加させられているというところに起因すると思います。
ベネフィットをうける人とリスクを負う人が異なっている場合、ベネフィットを重視してしまい結果としては潜在的な参加者・将来逮捕されるだろう人が妥当と思うよりリスクが高くなる危険があります。すなわち効果的な取りしらべが、妥当な取調べではないというところですね。
そして、なおおいらの個人的な決定という点では、現在のようなリスクのある状態でなお、全体として警察のあり方は支持します。
もちろん、宇和島誤認逮捕事件のように危険はあり、最悪おいら自身無実なのに死刑になる危険もあるわけですがそのリスクを考えても、です。


マスコミによる間違った報道においても、ほとんどの場合報道で利益を得る人(報道を読む人)と報道被害を受ける人(報道される人)は異なっており、さらにそれぞれの報道は当事者の承諾なく行われるので、厳しい基準で望むべきだろうと思います。
警察の場合と違い、もし、この報道機関をおいらは一生利用しないから、この報道機関はおいらのことを報道することも禁止、という契約があらかじめ結べるとしたら結びたいところは山ほどありますね。

No.96 FFF さん

なるほど「国家対個人」の構図ということで、一応理屈としては成り立つますね。解説ありがとうございました。括弧の部分はちょっと穿った見方でした。失礼をお詫びします。

しかしながら国家対だから社会的影響を考えるべきだが云々というのは、やはり腑に落ちません。民事でも国家対個人というのも存在しますよね。

> No.43 ヤブ医者 さん

 コメントありがとうございます。

 割り箸事件で医師が逮捕されたとは記憶していないのですが、私の勘違いだったら申し訳ありません。それはともかく、医療事故に関する捜査・起訴のあり方がラフに過ぎる、という御指摘と承りました。

 ヤブ医者さんの御意見ですと、その原因は「専門知識の不足」ということでしょうが、私としては、それ以前の問題として、捜査機関の人権感覚と、それを是正できない制度、世論というものがあるだろうと思っております。

 別のところでもちょっと話題になりましたが、まず、警察が「その業界に対する萎縮効果」を充分念頭に置いて捜査をしているとは思えないところがあります。というか、萎縮効果を云々する以前に、被逮捕者自身の不利益についても殆ど考えていないフシがある。逮捕を「お灸を据える」「お仕置きする」ようなものと捉えている警察官は結構いるというか、大体はそうでないか、というのが私の感覚です。

 では、裁判所が逮捕状の請求を拒めるかというと、まず拒まない、拒めない。これについては、裁判官が安易に請求に応じているという批判も可能でしょうが、それ以上に法律の規定が問題だと思っています。刑訴法199条2項但し書きによると、「明らかに逮捕の必要性がないと認めるとき」でないと請求を拒めないとなっており、これを普通に解釈すれば、却下なんて殆どあり得ないことになるわけです(実際、殆ど却下となった例はないはず)。

 更に、世論というか社会の雰囲気のようなものは、多分、こうした運用や規定を是としているような感じがします。「100人の真犯人を逃しても、1人の無辜を罰しない」というのが法の美しいタテマエですが、世論や社会の雰囲気は、明らかにそんな期待をしていない。むしろ、無辜が処罰されることがあっても、真犯人を逃さない社会を指向しているように思えます。捜査官らも、そんな雰囲気を肌で感じ取っているから、現状を是正しようという姿勢にならないのではないかと想像します。

 医療の専門性が問題とされるのは、この後のレベルであろうと思います。例えば、例に挙げられた割り箸事件でも、検察側の証人として医師有責の証言をした医師がいるはずです。福島の事件でも、検察側の証人として証言する医師がいるでしょう。そうした医師が、医学的常識に外れたとんでもない連中なのであれば、集団で何らかのアクションを起こし、医師の多数意見を表明するべきだと思います。

ちょっと追伸。

別エントリでのYUNYUN先生のコメントを読んで、FFF先生の言わんとしていることをやっと理解しました。目的が違うという意味では、FFF先生の発言には矛盾はなかったと認めます。重ねて失礼しました。(もちろんそれがいいかどうかは別です)

>検察側の証人として医師有責の証言をした医師がいるはずです。福島の事件でも、検察側の証人として証言する医師がいるでしょう。そうした医師が、医学的常識に外れたとんでもない連中なのであれば、集団で何らかのアクションを起こし、医師の多数意見を表明するべきだと思います。

福島では、影響力の強い医師によるアクションが見られると思います。そしてそれをさらに次に繋いでいくべきでしょうね。

No.111 FFF さん

レス有り難うございます。

割り箸事件で医師が逮捕されたとは記憶していないのですが

起訴だけでしたね。済みません。これは私の思いこみでした。

その原因は「専門知識の不足」ということ

とどのつまりはそういうことなのですが、あのコメントに限れば一番申し上げたかった事は、

医者は「特別扱い」を求めているというよりは、むしろ「普通の扱い」を求めている

ということなのです。法曹の方や法律を学ばれた方(だけではないと思いますが)が、医療事故と交通事故を対比して論じられることが多いという印象を持っています。医療行為を経験したものでなければ、「事故」に関しては医療も交通も本質的に同じだという印象を持たれるのは仕方がないと思います。ですから、ことある毎に、それは違うんだ、という主張はしていきたいと考えています。

それはさておき、

捜査機関の人権感覚と、それを是正できない制度、世論というものがある

これは仰る通りであろうと私も思います。

むしろ、無辜が処罰されることがあっても、真犯人を逃さない社会を指向している

これもある程度は仕方のない話です。タテマエでは「人命は地球よりも重い」そうですが、現実は「車より軽い」わけですから、ホンネの部分では残酷な一面が存在するのは不可避と考えます。医療にしても裏目に出て余命を縮める可能性は常にあります。ただ、それらはあくまでも程度問題であり、そのホンネが人々をより有利な方向へ導いているという認識が共有されて初めて許容されるものであろうと考えます。

幸いなことにこのブログではFFFさんはじめ優秀な法曹の方が議論に参加して下さっています。モトケンさんが昨年の締めをされたエントリーでもコメントしましたが、医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か、を書かれた小松先生のところへ検察の上層部の方がインタビューに来られたそうです。司法が医師の意見に耳を傾ける動きは現実に起こっている(モトケンさんの努力は確実に効果を上げつつあると思います)ので、いつか検察とも裁判所とも、もちろん弁護士さんとも、協力して医療事故の調査機関が設立される日が来ると信じています。

ただ、それには時間が掛かることも事実で、喫緊の問題には間に合わないことも多いでしょう。

そうした医師が、医学的常識に外れたとんでもない連中なのであれば、集団で何らかのアクションを起こし、医師の多数意見を表明するべきだと思います。


仰る通りです。YUNYUNさんもまた同意見をお持ちです。法廷で採用されるか否かは別にして、医療事故や判例を複数の医師で評価して公表するシステムを学会単位でも早急に作る必要があると思います。ネックの一つは、医育機関の上層部(教授とか病院長、学部長クラス)は自分たちのネクストに非常に感心が高く、波風立てるのを嫌がるので、影響力は大きいのに積極的に発言しようとしないことです。何か上申しても、「ならお前がやりゃいいだろ」って言われそうです。

#No.106で座位さんが私のブログのエントリーを紹介する形で本田先生のパワーポイントデータを紹介されていますが、以後は、できればこの講演会を主催された Medical Compass"(http://www.medicalcompass.jp/)さんの方をご紹介下さい。
私のブログを紹介されて困るということは全くないのですが、できれば主催者サイトの方がベターと思いますので。
なお、ファイルデータ自体は鳴門市医師会のサーバーに置かれています。
配布自由とのことですので、ご自分のサーバーに置いていただけると負荷分散になるかとも思います。

初めての投稿で何かおかしくしてしまったようです。
すみません。
ダブルクォーテーションの閉め忘れかもしれません。

「なお、ファイルデータ自体は」からは次のようにしました。

なお、ファイルデータ自体は、鳴門市医師会にあります。
データは配布自由とのことですので、ご自分のサーバーなどにおいていただければ負荷分散になっていいかなと思います。

>ある町医者さん

 リンクタグの後のほうのダブルクォーテーションが落ちていました。
 下記タグを使用する場合は、「URL」の上でダブルクリックしていただくと、「URL」の3文字だけが選択されるはずです。
 IEとFFで確認しました。

管理人です。
以下は、ある経営コンサルタントさんが、1月17日に投稿されたコメントで非公開になっていたものです。
公開処理しますとコメントナンバーが混乱しますので、ここに掲載することにしました。
ある経営コンサルタントさん、大変申し訳ありませんでした。

以下、ある経営コンサルタントさんのコメント

******************

11月23日のエントリー「人生の最期を自宅で・・・」の判決文が裁判所の判例Webに出ていたのですね。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20061201104616.pdfです。

実は、このHatena Diaryで知った次第です。

既に、皆様はご存じなのであれば、済みません。私の認識不足です。判決文自身が50ページもあり、私も未だ読めていないのですが、上のHatena Diaryの方は、以下のように述べておられ、もし、このモトケンブログで判決文に下づいての議論が、未だであれば、モトケンさんに新たなエントリーを作成いただいて、そこで議論するのが興味深いと思ったものですから。

”マスコミは相変わらず大事なことが抜けているって事。「人生の最期を自宅で家族と過ごすことができたはず」って事で敗訴したと言うのでは、医師に取っては納得がいかないだろうし、もちろん、一般人にとっても納得いかないだろう。マスコミは、以下の部分も併せて報道するべきだったと思う。”

亡Aは敗血症性ショックに陥って以降、入院を継続しており、その間、意思表示ができず、家族とも十分にコミュニケーションがとれない状態であったことが認められる。

******************

引用終わり

新参の素人としていくつか疑問があるので,教えてもらえませんか。

民事裁判は,証拠なんかなくても,訴えることだけはできるのでしょうが,刑事裁判は,絶対有罪と検事が思わなきゃ起訴しないでしょう。
つまり,この医療行為には過失がある,と専門家である医者の鑑定が必要なのだろうと思います。(また,裁判の時に,過失がないという鑑定が出てきて,それに相当説得力があれば,なかなか有罪にはならないのではないでしょうか。(なかには,がんばって有罪にしてしまう裁判官もいるかもしれませんが。))
だとすれば,どこそこの医者が医療過誤で捜査の対象になってるよ,という段階で,医師会なり名の通った大学なりで,その医者がやったことに過失があるのか否か,そういう症例に対して,あるべき医療はどういうものなのか,意見を明らかにすれば,医師の標準的な見解からはずれた起訴は,まずできなくなるんじゃないかと思うんですが,そういうわけにはいかないんでしょうか。

次に,医者といえば,医師会自民党とはつながりがあるはずだから,自民党を通じて何とかすればいいんじゃないか,と,これも全く素人の考えですが,そんな風につい思ってしまいます。法律を作って解決するとか,医療過誤事件はあまり処罰しないよう,国会なり内閣なりで指針を打ち出してもらうとか,検事総長と裏取引するとか,何とかならないんですか。
また,このブログで,どなたかが,「民主党」に法律を作ってもらう,というような発言をしてたと思うんですが,なぜ,自民党じゃないんでしょうか。

また,このブログで,時々,民事で訴えられるのは仕方ないけど刑事で医療過誤を扱うのは不合理・不適切でとんでもない,とか,捜査の対象になること自体容認できない,などの発言を見るのですが,今ひとつ理解できません。
つまり,例えば,患者なり,その遺族なりから,医療過誤だと訴えがあれば,警察や検察は捜査をするだろうし,当事者である医者から話しを聞くことも当然あるはずです。
その過程で,過失なし,と判断されて不起訴になるのなら,問題ないんじゃないですか。むしろ,民事で訴えられて長々と裁判やるよりは,刑事や検事と1,2回話をして終わりのほうがましなんじゃないか,とすら思います。
想像ですが,例えば,「最初から開腹手術をしてれば,死にはしなかっただろう。」とか「もっと早く子宮摘出を決断していれば,助かったはず。」と医師本人が(あたかも過失を認めるように)供述したけれども,その場面で,そうではない判断をしたのはやむを得ないことだったということで,起訴されずに終わったという事例の方が,起訴された事例より多いんじゃないですか。
もちろん,起訴されなくても,被疑者扱いされるのは負担かつ不愉快だし,医療過誤だと訴えられること自体,心外だというのは理解できますが。

医療過誤を刑事で裁くのはおかしいが,民事で訴えられるのはしょうがない,という意見も,理解できません。民事は,患者が訴えたいと思えば,それで裁判が始まるわけだし,金の問題だから,刑事で処罰されるほどの過失はないけど,7対3くらいで,医者の方にも責任があったことにしておこう,というような判断もありそうだし,金はとられるし,民事のほうが面倒なんじゃないか,とすら思うのですが。

最後に,同業者から見て「俺でも同じようにやるだろう。」という事例で,逮捕までされて起訴されたのであれば,司法に強烈な不信感を持つのは理解できます。が,このブログでは,「司法には能力がないのだから,医療には手を出すな。そもそもペナルティを課しても,医療過誤を減らすことはできない。問題のある医者は極めて少数なのだから,下手に手をだすより,放置しておけばいいのだ。」というような意見をよく見かけるように思うのですが,どうなんでしょうか。
私としては,司法が間違いをおかせば人生はめちゃくちゃに狂うかもしれませんが,医者が間違いを犯せば命を落とす羽目になるかもしれない,と思うと,いくらごく少数でも問題のある医者をほっておけばいいという意見には,とても賛成する気にはなれません。

以上,これまである程度このブログの議論を読んで,いろいろ思うところはあるものの,議論の前提等よく分からないところが多いので,疑問点としてまとめてみました。
どなたか,教えてくださると幸いです。

No.118 北 さん
北さんに対する疑問の、まあ自分なりのまとめですが。

>どこそこの医者が医療過誤で捜査の対象になってるよ,という段階で,医師会なり名の通った大学なりで,その医者がやったことに過失があるのか否か,そういう症例に対して,あるべき医療はどういうものなのか,意見を明らかにすれば,医師の標準的な見解からはずれた起訴は,まずできなくなるんじゃないかと思うんですが,そういうわけにはいかないんでしょうか。

福島県の大野病院の医療事故は逮捕されてから、いろんな学会、医師会などがこぞっておかしいと声明を出しましたが、起訴されています。
周産期医療の崩壊をくい止める会のHPの声明一覧を見ていただければと思います。
このことから少なくとも医師はほとんど「そういう訳にはいかない」と思っているでしょう。

>その場面で,そうではない判断をしたのはやむを得ないことだったということで,起訴されずに終わったという事例の方が,起訴された事例より多い

多い少ないの問題ではないと思います。
少なくても訴えられて有罪になっていれば、判例として残る。
判例として有罪となっている事をしたいと思う人はあんまりいないでしょう。
医師を続けている年数が長ければ、問題となった医療行為を1万回以上するなることある。
万にひとつの確率といっても、医師を長くやっていればいつかは巻き込まれると信じてしまうんじゃないかな。
そうなったらその医療行為は行なえなくなる。

>医師会
全ての医師が所属している訳でなく、開業医が中心です。
救急医療の崩壊の問題となっている病院勤務医には、医師会はどちらかというと遠い存在です。

>司法が間違いをおかせば人生はめちゃくちゃに狂うかもしれませんが,医者が間違いを犯せば命を落とす羽目になるかもしれない,と思うと,いくらごく少数でも問題のある医者をほっておけばいいという意見には,とても賛成する気にはなれません。

単純に被害の事を言うのなら、司法が間違った判断を下す事である医療行為が行なえなくなると、その医療行為が行なえれば助けられた人がどのくらい命を落とさなければならないかを考えてみてください。すでに現実的な問題として、被害影響を考えると桁違いに司法の医学的に間違った判決の方が問題となってきてますよ。
(ただ自分としては、司法の間違いというよりは、司法の限界といった方が正しいのかなと考えております)
もちろん、問題のある医師をほおっておけというのではないですよ。
問題は救急医療を行なっていれば不可避な事で有罪の判決を受けてしまい、その救急医療行為が行なえなくなる。
実際、病院の勤務医がどんどん辞めていくのは、救急医療なんかやっていたら危なくてしかたないって人が多いからでしょう。

>No.118 北さん

北さんの尻馬に乗らせていただいて、私も私見を述べたいと思います。

どこそこの医者が医療過誤で捜査の対象になってるよ,という段階で,医師会なり名の通った大学なりで,その医者がやったことに過失があるのか否か,そういう症例に対して,あるべき医療はどういうものなのか,意見を明らかにすれば,医師の標準的な見解からはずれた起訴は,まずできなくなるんじゃないかと思うんですが,そういうわけにはいかないんでしょうか。

おっしゃる方向には進むと思います。杏林の割り箸事件の検察側鑑定書を書いたのは私も存じ上げている重鎮の方ですが、同じような鑑定書は今後は書かないでしょう。やはり、これは許せないと誰もが思うようなケース以外には、検察側鑑定書は医師としては書きにくい雰囲気になっています。ただ、杏林の場合では、大野病院のような、大きな運動にはなりきれていませんでした。人柱が立っていって、変わっていくものののように思います。

医者といえば,医師会自民党とはつながりがあるはずだから,自民党を通じて何とかすればいいんじゃないか,と,これも全く素人の考えですが,そんな風につい思ってしまいます。法律を作って解決するとか,医療過誤事件はあまり処罰しないよう,国会なり内閣なりで指針を打ち出してもらうとか,検事総長と裏取引するとか,何とかならないんですか。
また,このブログで,どなたかが,「民主党」に法律を作ってもらう,というような発言をしてたと思うんですが,なぜ,自民党じゃないんでしょうか。。。。

自民党は構造改革路線を歩んでおり、どちらかというと医師の多くが考えている路線とは反対の方向性です。また、医師は看護師と比べても政治力が弱くなってきています。前医師会長は、自民党と明確な対決路線でした。会長選で負けてしまいましたが。また、医師会は、個人事業主(開業医)の意見を中心にせざるを得ない状況にあり、サラリーマン(病院勤務医)とは利害を異にすることも多いようです。被用者である勤務医が大きな問題を抱えている状況です。勤務医の意見を代表してくれるような組織は、大きなものは見当たりません。
検察は、どちらかというと「被害者側」の意見を聞かざるを得ず、被害者意識は苛烈を極める場合も多く、なかなか難しいのではないかと推察します。海難審判庁のような独自の審判を始めるとしても、刑事や民事の責任を逃れるようにはしにくいでしょう。海難事故でも、自衛隊潜水艦「なだしお」が釣り船と衝突した事件では、民事も刑事も問われています。ただ、かなりの部分は減らせますので、法廷外での調査制度には賛成します。


このブログでは,「司法には能力がないのだから,医療には手を出すな。そもそもペナルティを課しても,医療過誤を減らすことはできない。問題のある医者は極めて少数なのだから,下手に手をだすより,放置しておけばいいのだ。」というような意見をよく見かけるように思うのですが,どうなんでしょうか。
私としては,司法が間違いをおかせば人生はめちゃくちゃに狂うかもしれませんが,医者が間違いを犯せば命を落とす羽目になるかもしれない,と思うと,いくらごく少数でも問題のある医者をほっておけばいいという意見には,とても賛成する気にはなれません。

そのように考える方が一般的であると思いますし、医師は一般社会の考え方を理解すべきだと思います。ただ、問題のある医師は、ある程度の速度では臨床の場面から排除されていきます。医局人事の場合には、院長が教授に泣きついて、「あの医者だけは替えてくれ」ということも結構あります。その結果、多くの場合は「やっぱりだめか」ということで交代させ、何らかの形で、生きる道を探してもらいます。
ただ、今は、開業等をして辞めていく医師も多く、各病院からの需要が大きすぎるので、交代要員がいず、排除が難しくなっているような感じはします。一般社会の考え方を変えてもらうには、明確な改善制度が必要なのでしょうが、これもかなり難しいことだと思います。改善制度を作るべきであるとは思います。

不二家の事件を見ても思うのですが、人々の要求は過剰になりつつあるのではないでしょうか。また、給食費の不払いの状況をみても、権利を主張し、状況判断ができない人も増えているのではないでしょうか。そのような方々への対応は、本当に手がかかります。もちろん、一般社会でも対応はしているのでしょう。ただ、日本の医師は生産性がある意味、高すぎて、個人的な努力で対応できた部分はあったのですが、もはや、そういうレベルではなくなってきてしまっているようです。パイロットと同じような労働条件で働いてもらえるようにしないといけないでしょう。ヨーロッパの医師の優雅な休暇のあり方を聞くと、これではいかんなと思います。さまざまな分担や自動化も必要でしょう。医師数を増やすことは、給与の低下を意味することが多いですが、実際、この30年間、勤務医の実収入の額面は殆ど変化していないように思います(購買力平価にすると低下している)。ちょっと目端の利いた人には、医学部卒でも臨床医にならずに、別の道を歩む人も出現してきているようです。


No.118 北さん
過失のありかたの解釈が医師を初めとする専門職と検察や警察、一般の方々では違うのではと最近思い始めています。
一般の人達はレトロスペクティブにみて過失がある、あるいは実際には過失が無くても人が死んだ(傷ついた)のだから過失があるはずだという非科学的な思いこみをしているのだと思います。
それに対して医師は科学者でもあるわけだから理論的なアプローチをする。あるいは過去の経験を基にして判断をするわけです。そして理論的にはプロスペクティブに見ていく傾向がある(もちろんそうでない医師もいます)。
実際に科学の理論をたてていくときは万物はプロスペクティブにみていかなければ問題は解決しません。特に医学研究(に限らず研究はすべてそうですが)はレトロスペクティブにみた場合、「そうかもね」としか言えないのが、プロスペクティブにみると「その可能性があるね」とまで言えるのです(残念ながら統計学上、100%正しいことを見つけるのは不可能です)。
医療事故をプロスペクティブにみた場合は「こうなったからこれが原因の可能性がある」といったレトロスペクティブ的手法だけではなく、「そのとき自分が同じ境遇にいたらどのように判断したであろう」というプロスペクティブ的な考えも必要なのです(もちろん解明には常にレトロスペクティブにみることが必要です)。残念ながら医学を知らない人達は後者の考え方ができていません。
もう一つ、レトロスペクティブにみたって「これが原因だ!」と解明することはまず不可能です。「この可能性が高い」とか、「この可能性がある」といった確率論でしかものを言えません。しかし、検察、警察、一般の方は少しでも可能性のあるものを原因として追及する傾向があるように見受けられます(少なくともマスコミではそのように報道されています)。
こうした科学の理解度を原因とした意識のすれ違いから過失の解釈が違っているのだろうと私個人は考えています。
まずは医学を知ること。これができなければより正しい回答は得られません。
そして、医師に責任追及を過度に行った場合の結果は、皆さんが見ておられるとおりです。これだって我々はもう10年くらい前から予想していた。しかし、ここ2年くらいでインターネットの発達により少しずつですが理解され始めたものと感じています。

もうすでに出ていることかもしれませんが、事態の打開策で、法曹と医師が手を取り合ってできることには、労働基準法を守らせるということがあると思います。民間の病院をいじめても仕方ありませんので、公的・公立・国立の医療機関の医師がこぞって、労働基準法の遵守状況を調査し、まずは時間外労働の給与を全て払ってもらうことにすれば、急性期医療機関の経営はえらいことになります。しかし、崩壊させるわけには行きません。法律を守るナともいえません。必ず、診療報酬を含めて、大きな制度改正が行われることになります。本当は、その給与をプールして、自分のものにしない(基金化するとか)となれば、世間も味方につくだろうなと思いはします。世間、特にB層を味方につけることが大きな力になると思うのですが。

>No.121 yama さん

多くの一般の方々は、確かに、期待した結果が出なかった場合には、何らかの失敗があるはずだと思い、それを探し、追求をしようとします。医療の場合には、それが通用しないのはおっしゃるとおりです。ただ、一部の方を除き、このルールを説明し、フェアに医療が行われたということを理解すると納得なさいます。当然、このこと(それぞれの時点での所与の条件下での判断の適否が問題)を前提として裁判も進められています(結果が変であることもそれなりにあるのは、おっしゃるとおり)。

庇いあいにみえないように、救うべき人を救うように、臨床に向かない医師を排除できるようにしないと、みのもんたは味方についてくれないのでは。私は、彼が嫌いですが。

専門家でないと分からないのだという議論(「素人はだまっとれ」と聞こえなくもない)だけでは、説得はちょっとつらいように思います。

日弁連ニュース2007.1.24 掲載情報より。
犯罪被害者の刑事裁判手続関与について、法制審議会で専門部会を設けて検討中のところ、要綱案が下記の線で固まりつつあるとのことです。政府は本年の通常国会での成立を目指しています。
日弁連は基本的に反対の立場ですが、委員の中では少数派。

たぶん1月11日第7回部会の情報と思われます。審議会の公式議事録はまだ出ておらず、ネット上の報道は本日現在、見あたりません。

<被害者参加制度>
被害者等が刑事裁判に参加し、証人尋問、被告人質問、弁論としての意見陳述(「死刑にしてください」などと言う)をする権利を保障する。
対象罪名は、
「故意の犯罪行為により人を死傷させた罪、*業務上過失致死傷等の罪*、死刑・無期・短期1年以上の懲役の罪」
医療過誤を刑事起訴するときの罪名は「業務上過失致死傷罪」ですから、含まれることになります。

<損害賠償請求(いわゆる附帯私訴)>
「有罪の言い渡しがあった後直ちに開始する」、刑事の審理とは一応分けた形で行われるスタイル。通常の民事訴訟への移行はできる。
対象罪名は、
「故意の犯罪行為により人を死傷させた罪、強制わいせつ、逮捕監禁、誘拐等」
*業務上過失致死傷罪は含まない*(件数の多い交通事故事案を除こうという趣旨と思われますが、医療過誤は対象外です。)

この案によれば、医療過誤が「業務上過失致死傷罪」として刑事起訴された場合に、
被害者参加はできるが、附帯私訴はできない。
そうすると、医療過誤の被害を受けたと思う患者としては、刑事告訴にどれほど熱心になるか?
民事の訴訟は別に起こさなければならないとしても、刑事の法廷に出かけて、医師に面と向かって文句を言ったれ、ということになるでしょうか。

 少し前にこのHPを見つけ、興味深く皆様の意見を拝見していました。
 医療崩壊について、素人なりに状況が分かってきましたが、いくつか疑問点がありますのでどなたか教えていただけますでしょうか。

・医療費について
 医療費については対GDP比では国際的にまだ低いとの意見もHPで見かけましたが、額自体で見れば大きく伸びています。(昭和60年と比較して約2倍強。同時期の国民所得は約1.4倍)(厚労省HPより)

 医師の目から見て何にお金がかかるようになっているのでしょうか?(逆に言えば20年前の医療はなぜ今の半分の医療費で崩壊もせずに成り立っていたのでしょうか?)
 患者数の増加? 新しい病気の治療? 既存の病気の新治療法? 人員増加? 所得の増加? 薬代?
 前よりお金をかけているのに崩壊に向かっているのがよく分かりません。医療費の増加やこのところの抑制政策と、医療崩壊は無関係なのでしょうか?

・医学について
 ここ20年の医学の進歩によって何ができるようになったのでしょうか? 大変失礼な質問かもしれませんが、私がここ20年歯科以外の病院にほとんどかかっていないもので、素人にも分かりやすい例で教えていただけるとありがたいです。

・医師免許について
 医師の方にはそれぞれ外科や内科などの専門がありますが、なぜ医師免許は診療科目等で区分されていないのでしょうか? 
自動車免許が大型、普通などに分かれているように、医師免許も科目別等にすることはできないのでしょうか?

 どなたか教えていただけるとありがたいです。

医療費の増大についてだけちょこっと説明します。
もっと詳しい方、後はお願いします。

医学の発展に伴って、高額の医療機器が必要になってきました。
特に、日本では同じ医療機器が外国の数倍の値段で売られています。
http://www.mie.med.or.jp/hp/iryou/flash.html
購入時だけでなく、維持費も結構かかります。
また、集約化が進んでいないため、国内全体での台数は膨大なものになります。

医療機器だけでなく、使い捨てが常識となり、材料費もバカになりません。
針や注射器ももちろんですが、手袋もバカになりません。
我々が何らかの手技料をとれる医療をしたとき、必要な材料費に満たないこともしばしばあります。
必要だからやっているのに、やればやるほど労力は使いながら赤字になります。

結局、医療費が増大した分は、医療関係の業者の所に行っているんじゃないかと思っています。

> No.126 bamboo さん、No.125 ゆきだるまさん
もちろん、医療機器もコストが問題になっていますが、製造コストとメンテナンスを考慮した場合決して高すぎるとは言えないのでは?というのが私の率直な意見です。もちろん無駄があるなら是正されるべきですが、安全性を削ってまでコスト削減は危険です。実際に医療機器メーカーは電話をかければ担当者はすぐに飛んでくるしその人件費だって馬鹿にならないはずです。果たして外国ではこのように医師の要請(クレームも含む)ですぐに飛んでこれるでしょうか?

それから20年前は今よりも医療訴訟に対してはおおらかでした。病院で死ぬのはある意味仕方がないととられていたのです。医療も助かれば(死ななければ)良い、そんな時代でした。ところが最近は患者の意識が高まり(これ自体は悪いとは思いません)、死なないのは当たり前、その後不自由なく過ごせるかどうかが問題になってきたのです。いわゆるQOLというやつです。そのためには当然治療のコストがかかります(権利を主張するならこのことを患者は認識すべきです)。
さらに医療機器自体もコンピュータ制御になり高騰しています。以前は医師がマニュアルを見て操作方法を覚えたのですが今ではOSにWindowsを使ってソフトウェアが制御する時代。機械がバカチョンになることで人件費節約を狙ったのでしょうが実際はコスト増大と機器トラブルによる医療事故増加という結果になってしまいました。それから清掃員などの一般職の人達の人件費も上がっています。
それに一番重要なのは老人医療費の増加です。ここ20年で爆発的に老人人口が増えました。老人で病気を持っていない人なんてほとんどいません。当然医療費は値上がります。しかし国はその対策をせず、医療機関に責任を負わせてきた。そのツケが医療崩壊の原因の一つに成っていることは間違いではありません。

免許の問題については・・・・。まあ、もっと大事な改革があるから一番後回しになるでしょう。実際問題現時点では時間的にもコスト的にも人的にも無理です。

すみません。自己レスです。
前のレスでアンポンタンな回答をしてしまいました。免許更新の問題と勘違い・・・。

専門別で医師免許を分けるというのは全く意味が無いです。あくまでも理論、解剖、生理を学び病因論を学び、全身がわかったところで医師免許を取る。そこからさらに専門的な治療に行くことについてはもちかしたら将来は医師免許の上に位置する専門免許が現れるかもしれませんし、実際アメリカでは専門別になっていることもあります(州別なので州ごとに違いますが)。ただし、いわゆる医師免許は一種類だけです。
歯科医という職種がありますが、これだって全身の解剖・生理を学び、多少簡素化されているものの、内科だって外科だって学びます。一般には歯科医は歯だけ診ているという印象があるかもしれませんが人の体というのは歯も全身と密接に関係しており、正確には歯科・口腔外科といった方が日本語的には正しいのです。全身麻酔を扱う科もあります。私個人としては歯科医師と医師を分けるのは理論的に不自然なような気がしてなりませんが、アメリカを始め、大抵歯科医と医師は別れていますからその名残なのでしょう。もしかしたら政治的な問題なのかもしれません。
そして中国や韓国では漢方の免許もあります。実際に西洋医学(日本では西洋医学の大学しか無い)とは理論体系も全く異なります。そこで日本ではまず西洋医学の免許を取った上で漢方医になるのは自由ですし、実際将来はお互い補完しあう形で共存しなければならないと思いますので西洋医学を学んでから漢方を学ぶというのは実は理にかなった方法かもしれません。

>No.124YUNYUNさん
つまりこれからの医療裁判では、刑事であっても検察側に医療行為の「結果」として、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり、言葉がしゃべれなかったり、手足を失ったり、人工呼吸器がなければ生命が維持できない、誰がどう見ても「かわいそう」な人たちがぞろぞろ参加するわけですね。
で、医療者側はその人たちの前で自己の正当性を主張し、裁判官はその人たちの前で判決を読み上げる、と。
うーん、これはかなり深刻です。
散々議論してきたとおり、我々医療者が司法に感じている一番の不安・不満は「過失の認定に際し、結果を重視し過ぎている」という点にあります。
これではどう考えても「結果の重視」が加速するのは間違い無いと思うのですが・・・

No.118 北さん

あまり重複しないように解説を。

>民事で訴えられるのは仕方ないけど刑事で医療過誤を扱うのは不合理・不適切

これは、他国の実情や、起訴便宜主義でなんとかなるはずなのに等で、刑事がおかしいと言っているところの、相対的な話で民事は仕方ないと言っているだけのことです。システム上仕方ないという話であって、理不尽に民事で訴えられることを仕方ないとは誰も思っていないでしょうし、産科の崩壊はおそらく民事のウェートの方が大きいでしょう。

>例えば,「最初から開腹手術をしてれば,死にはしなかっただろう。」とか「もっと早く子宮摘出を決断していれば,助かったはず。」と医師本人が(あたかも過失を認めるように)供述したけれども,その場面で,そうではない判断をしたのはやむを得ないことだったということで,起訴されずに終わったという事例の方が,起訴された事例より多いんじゃないですか。

このような表現の供述はほとんどの場合、過失ではありません。むしろ毎日のようにそう思うことがあり、遺族等に言うのは勘違いのもとになるのでおこないませんが、スタッフの間では普通にそんなことを言い合っています。これが、我々がよく口にする医療の不確実性というものです。つまり通常は、起訴されないことが多ければOKという話ではなくて、起訴されなくて当たり前ということです。(yama先生のコメントも参考にしてください)

>司法が間違いをおかせば人生はめちゃくちゃに狂うかもしれませんが,医者が間違いを犯せば命を落とす羽目になるかもしれない,と思うと,いくらごく少数でも問題のある医者をほっておけばいいという意見には,とても賛成する気にはなれません。

誤解の一つは、司法の行為が、問題医師対策になるという考えです。つまり全くに近く役にたっていないという現実があります。そして社会に対して実害もある。
問題医師の問題は、当然社会全体としてはほっておけばいいということにはならず、我々も対策を練って対応していかなければいけないでしょうが、司法に対しては(というより司法による対応がよいと思っている人たちに対して)できないなら(できないのだから)するなと言っているだけです。
さらに、問題医師が少ないのだからという話は、多くの逃散との比較で、例え効果があったとしてもという意味でもあります。

>No.125 ゆきだるま さん
医療費については高齢者の増加が最大の要因だと思います。医療費の約半分は65歳以上の方(人口の21%)が占めております。他にも医療技術の高度化、疾病の変化(慢性疾患の増加など)が挙げられます。
医学については、一例として産科領域を考えてみます。厚生労働省の資料によると、昭和60年の自然死産率(千人対)は22.1人なのに対して、平成16年では12.5人となっております。昭和60年ならば栄養不足の人は少なかったであろう事や、現在の高齢出産の増加を考えれば、医学の寄与は大きいと思っております。
免許に関して言えば、1人の患者さんが複数の病気を持っていることは多々あり、それらの病気は互いに関連する事が多いので各科の知識は必須だと思います。ただyamaさんの仰るように将来的には専門科の上級免許が出来るかもしれません。

>医師の目から見て何にお金がかかるようになっているのでしょうか?
>(逆に言えば20年前の医療はなぜ今の半分の医療費で崩壊もせずに
>成り立っていたのでしょうか?)
>患者数の増加? 新しい病気の治療? 既存の病気の新治療法? 人
>員増加? 所得の増加? 薬代?
>前よりお金をかけているのに崩壊に向かっているのがよく分かりませ
>ん。医療費の増加やこのところの抑制政策と、医療崩壊は無関係なの
>でしょうか?

ゆきだるまさん,
この20年の間にも医学はおおきく進歩しました.新しい医療機器や検査が開発され,それによって診断精度の向上や早期診断が可能となってきました.(具体的に挙げればきりがないでしょうが,例えばMRIなども私が医師になった頃はまだどこにでもある機械ではありませんでした.)これらの検査機器や検査キットには当然ながらお金が掛かります.20年前には存在しませんでしたから,それらに使用するコストも掛かりませんでした.

医療費の抑制政策は明らかに医療崩壊の一翼を担っています.昨年のマイナス査定の結果,多くの公立病院では赤字がさらに進んでいます.赤字が増加すれば,職員の給与が据え置かれたり,引き下げられることになります.
これも職員の士気の低下に拍車を掛けています.(それだけではないのですが...)

>・医師免許について
> 医師の方にはそれぞれ外科や内科などの専門がありますが、なぜ医師
>免許は診療科目等で区分されていないのでしょうか? 

病気というものは人間の体の全体を診なければならないからです.そして,その病状によって「どのような治療をすべきか」が異なってきます.これはこれまでに積み重ねられた膨大な臨床データや経験から決められてきたものです.もちろんこれも「現時点では」このような方法が妥当である,ということで将来的にはこれが変わる可能性を秘めています.そしてそれによって内科的治療がよいとなれば内科の専門医が治療しますし,外科治療がよければ外科が治療します.最初の病状判断を適切に行なうためには,すべての医師がある程度基本的な病気の見方を身につけておく必要があるのです.この最も初歩のレベルが国家試験に合格するレベルであると言えるでしょう.
反対に言えば,診療科目だけの免許というものでは問題が生じます.例えば目の病気だとしても,それが全身性の病気のひとつの症状である場合もありますから,眼科医はその全身の病気に気付く必要があります.そして自分で治療できなくてもその専門の医師に紹介して治療を依頼するわけです.それぞれの科の病気が独立したものとは限りませんから,すべての科の疾患を知っておく必要があるのです.
お解り頂けたでしょうか?

>ゆきだるま様
もっともな疑問だと思います。私の分かる範囲でお答えします。

1.医療費の伸び
 高齢化社会、新しい治療・検査法の登場、時間外診療の伸びが3大原因ではないかと思います。
 高齢化についてはkouki先生のお説の通りだと思います。また、20年前MRIはやっと一部の施設で導入が始まったところでした(MRIは1984年に臨床試験開始)。いまはそんなに大きくない病院にもあります。20年前、腹腔鏡下手術は始まったばかりでした。今や腹腔鏡下胆嚢摘除術は胆嚢摘除術の標準術式です。救急車の出動件数は20年前の2倍になってます(全国での出動総数)。

2.この20年の医学の進歩
 主観に近いですが、この20年で最も進歩したのは低侵襲治療・検査だと思います。30年前、心筋梗塞に対する治療は薬物治療とバイパス術しかありませんでした。今はPTCAが標準治療です。1.で上げた腹腔鏡下胆嚢摘除術や総胆管結石症におけるEST(内視鏡的乳頭切開術)などもこの20年に普及したものです。胸部大動脈瘤などのステント手術はこの10年間に普及しました。

3.科別免許
 疾患は一つの科で限局してみるものとは限らず、多くの科にまたがっての知識が必要になります。例えば糖尿病一つ取っても内分泌内科、神経内科、眼科、泌尿器科、心臓血管外科など多くの科の知識を必要とします。内分泌内科の先生が内分泌の知識しかなかったらどうなるでしょう?
 また、都会では良いですが田舎ではもっと困ります。各地域すべてに総合病院を置くわけにはいきません。一人である程度の疾患を見る知識が要求されます。救急はもっとそうでしょう。

> ゆきだるまさん
言い忘れました。
誤解の無きように申しておきますと、大半の医師はいわゆるリピーターは排除すべきとの認識を持っています。
ただ、弘法も筆の誤りというようにどんな名医でも失敗を犯します。いわゆる過失というのは、イコール技術不足ではありません。そういう医師を排除するのは結局患者にとって悪い影響を及ぼしますし、医師の士気も低下します。そして誰もリスクのある治療はしなくなります(いや、すでにその前兆が見えてきています)。同じ過失でもリピーターとそれ以外と似分ける必要があるのです。
リピーターについては放っておいて良い問題ではありません。しかし、他の先生方も話されているとおり、多くの一般病院では大抵は淘汰されていきます。しかし残念ながら大学病院や開業医を中心に淘汰というシステムが機能していない現実もあります。危なっかし医師が治療していたりするのも事実です(よく、開業医はレベルが低くて大学病院はレベルが高いというブランド志向の患者さんを数多く見かけますが、それは間違いだとはっきり言えます)。

リピーターについてはこのブログでも散々議論されてきましたのでお時間があったら是非覗いてみてください。もし削除されていたり、時間が無くて見れないと言うことでしたら誰かがきっと答えてくれるでしょうが、一つだけ言わせて頂くと、リピーターというのは人の意見を聞かない人が多いのでは?というのが私の経験上の意見です。もちろん、たくさんの意見があるでしょうから間違っているかもしれませんが、まあ、そんな感じです。

>>No.123 てつさんのコメント
>多くの一般の方々は、確かに、期待した結果が出なかった場合には、
>何らかの失敗があるはずだと思い、それを探し、
>追求をしようとします。
>医療の場合には、それが通用しないのはおっしゃるとおりです。

>>No.129 つくねさんのコメント
>医療行為の「結果」として、目が見えなくなったり、
>耳が聞こえなくなったり、言葉がしゃべれなかったり、
>手足を失ったり、人工呼吸器がなければ生命が維持できない、
>誰がどう見ても「かわいそう」な人たちがぞろぞろ参加するわけですね。

結局、医療の結果がよくなかった場合の救済方法が整備されていない
というのが、医療提供者と消費者が争う最大の原因なのでしょう。
結果がよくない場合の補償を価格に上乗せしたら、医療費は高くなる。
補償が受けられないと、「かわいそうな人たち」が同情を求め訴える。

しかし、日本には、医療を受けたことをきっかけとしない、
例えば、事故とか、で手足を失ったり、言葉がしゃべれない人もいるのです。
もしも、社会保障として医療が存在するのなら、
医療の結果が悪いことは、障害年金とか、障害者支援とかの枠組みの中で
最低限のところを保障していったらいいかもしれないと感じます。

それ以上の補償が欲しいのなら、補償におうじた、医療の結果が悪ければ
金銭で補填する保険に各自に入っていただくしかない。

オダさん,てつさん,元行政さん回答ありがとうございました。

照会いただいたサイトを私がちょっとのぞいてみた限りでは,起訴の1週間くらい前に,県保険医協会が,逮捕は不当だというコメントをだしたらしいほかは,ほとんどの声明は起訴後に出されているようで,そうだとしたら,起訴不起訴に影響を与えられなかったのもしかたないかな,と思いました。とはいえ,当時,医師たちは,まさか逮捕・起訴されるとは思っていなかったようですから,対抗手段を講じられなかったのは仕方なかったのだろうと思います。
しかしながら,現時点では,医師達が強烈な危機感を持っているようですから,今後は,捜査の対象になっているとなった段階で,処罰に値する過失がないと思えるような事例であれば,大学や学会や医師会など,それなりの権威のある者の名前で,過失なしという鑑定を先回りしてやるべきではないか,というのが私が思っていることです。
同業者のコメント,ではなく,それなりの説得力を持った鑑定書のような意見書を出して,起訴するなら,それを覆すだけの鑑定を用意しなきゃダメだろう,という状態にできないものかなと。
そうすれば,起訴されて法廷で争う前に,医師側の意見と検察側鑑定人との,医療の専門家同士の議論という場面に,土俵を移して,まだしも医師にも納得できるような方向になりゃしないかなと思うわけです。
それに加えて,有能な弁護士を雇うなりして,捜査機関が,鑑定を軽視して無茶しないように釘をさしておくことも,ある程度,必要だろうとは思いますが。
ヤメ検の大物弁護士に,説得力ある鑑定書を持って,検事正なり次席検事の啓蒙に行ってもらうというのは,どうでしょうか。

>>例えば,「最初から開腹手術をしてれば,死にはしなかっただろう。」とか
>このような表現の供述はほとんどの場合、過失ではありません。
私も,これが過失だと思って書いているわけではなく,起訴されないのが当然だと思ってます。ただ,ほとんどの場合,医師と捜査機関(あるいは患者)との間で,そういう当たり前の話ができているはずだと思う,と言いたいだけです。ま,たまに,そういう話しが通じない刑事や検事いるのが問題だということなのでしょうが。

皆さんは怒るかもしれませんが,私の個人的な感想としては,一般人の間では,「医者の中には,時々,おかしなのがいるらしい。」という不信感があり,だから,何かあると「おかしな医者にあたってしまったんじゃないか。医療過誤なんじゃないか。」と,追及的になってしまうんではないかなと思います。
つまり,司法に対する不信感が医療現場に相当悪影響を与えているらしいですが,そうなった原因としては医師に対する不信感というのも影響あるんじゃないかなと。
もちろん,それだけでなく,今の世間は,やたらヒステリックで,迷惑を顧みずに権利主張ばかりして,被害者意識が極めて強い人が,いやになるほど多いとも思っています。なお,これは,戦後の教育とマスコミが悪いんじゃないかと私は思っています。

それから,私は,世間の本音は,刑罰≒復讐 であり,問題医師対策のために刑罰が必要とか有効とかいったとしても,それは,刑罰を正当化するための理屈付けにすぎないと思っています。昨日,テレビを見ていたら,生徒を刺し殺した塾講師の事件の求刑について,「なんで死刑じゃなくて無期懲役なのか!」とみのもんたが言ってましたが,これを見ても世間の復讐心の高まりは明らかであり,「問題医師対策に何の役にも立ちませんよ。」といくら主張しても,あまり意味はないのではないかなと思います。

>>No.125 ゆきだるま さんのコメント
>医師免許について

 一般の人からみると医師免許は「なんでもやってよい」というようにみえて不安に思うのかもしれません。しかし医師免許はむしろ「必要最低限の知識を修得したので医師として職務を行うことを認めるが、職務を行う以上患者さんの診療にあたっては全力を尽くせ」という意味だと思います。従って、医師法で「応召義務」が規定されており、「専門外だから診れない」と言って診療拒否できないのです(専門医の中には「専門領域だけを診たい。病院当直で専門外を診療させられるのは免除させてほしい。」と内心思っている方がいるようですが)。また臨床研修義務化でスーパーローテート研修が主体になったことからも社会の要請を感じます。医療の進歩によって医療が高度化したため、現実には1人の医師が全ての疾患を診療することが不可能になり、専門細分化したのです。専門診療では高度な知識や技術が要求されるので、専門外の医師が興味本位で高度な医療を行うことはほとんど不可能と思います(名義貸しは別の問題)。
 もし専門医の診療行為を制限すると各診療科の医師数が不足するため、莫大な数の医師を補充する必要が出てきます(なお専門細分化の進んだアメリカ合衆国では、専門医の診療行為を制限しているわけではありませんが、必要な医師数の問題が昔からあり、まだ結論は出ていないようです)。しかも他の方々がコメントされているように、専門医であっても全科にわたる知識が必要なので、医学部で修得しなければならない学習項目を減らすことはできません(医師の養成にも社会的に莫大なコストがかかっているそうです)。各専門領域が扱う疾患の中には、専門医でなければ扱えない疾患(あるいは治療)から、専門医以外でも扱える疾患(あるいは治療)まであり、そうした疾患の診療を皆で分担しているからこそ、本当に専門医を必要としている患者さんが専門医の診療を受けることができているのです。また医療行為には人手が必要なことが多いので、専門外の診療行為を制限してしまうよりは、専門医の指導の下に専門外の医師にも手伝ってもらう方が効率的と考えられています(特にマンパワーの少ない地方病院での診療やへき地医療)。事故や災害等で大量の傷病者が発生した際には(日本では決して希ではないと思います)、専門を問わず多くの医師が必要になります。医師免許の制限(更新制や定年制も含めて)を推進する場合は、社会コストの増大と医療を受ける機会の制限について検討する必要が出てくると思います。

No.136 北さん

>そういう当たり前の話ができているはずだと思う
>「医者の中には,時々,おかしなのがいるらしい。」という不信感があり,だから,何かあると「おかしな医者にあたってしまったんじゃないか。医療過誤なんじゃないか。」と,追及的になってしまう

この二つは矛盾しているような。。
後者が現実だと思います。それを煽ったのがマスコミというのも、疑問のないレベルのここでの共通認識だと思います。

>世間の本音は,刑罰≒復讐 であり,問題医師対策のために刑罰が必要とか有効とかいったとしても,それは,刑罰を正当化するための理屈付けにすぎない

これも疑問のないレベルの話だと思います。これに対して、過失でないことを説明するのが、正攻法というのは確かですが、辻説法している医師はけっこう絶望しています。(このブログに医師がこれだけ集まっているのは、説明すれば理解できる一般の人が集まっているレベルの高さにあると思います)ですから、善悪関係なく損するよという話も、筋道論が苦手な連中のために必要ということです。実際崩壊して困って初めて理解するなら、崩壊を止めようとせずに静観すべきなどという過激な意見も、今ではむしろ主流派になりつつあるという話もあります。

>No.138 元行政さん

医療崩壊が具体的になにを意味するかはありますが、私が危惧するのは、仮に医療崩壊したとして、それが、どの程度一般の国民にわかるかということです。

 社会の中では、健常者が圧倒的に多く、出産さんする人、救急にかかる人は圧倒的少数者です。

 こういう思いを持つのは、司法改革の時のことがあるからかもしれません。司法にとって、社会にとって、重要な問題でしたが、未だに、一般の方は、理解されていないと思います。

 アメリカには住んでいましたが、医療崩壊しているというアメリカ、イギリスについても、私が情報網がないせいかもしれませんが、国がどの程度真剣になって、直そうとしているのでしょうか。

 

>No.136 北さん

冷静なコメント、ありがとうございます。

それなりの説得力を持った鑑定書のような意見書を出して,起訴するなら,それを覆すだけの鑑定を用意しなきゃダメだろう,という状態にできないものかなと。

鑑定には、調査権限とコストと知識が必要です。前2者をサポートすることが必要になります。何らかの組織や基金のようなものが必要なのですが、なかなかできません。もう少し人柱がいるのかなと思う所以でもあります。

ただ,ほとんどの場合,医師と捜査機関(あるいは患者)との間で,そういう当たり前の話ができているはずだと思う,と言いたいだけです。

殆どの場合には、確かにできており、不満は残るもののご納得いただいています。特に、100%医療側に責任があるような場合には、正直に話をして、謝ることができます。責任の所在が不明確な場合(多少は責任があるかもしれないが、全く間違ったことだったかというとどうかなという場合:たとえば、普通なら気づくはずのサインに気づくのが遅れたときなど)には、説明も明確にはできず、困る場合もあります。

また、稀に、全く医療側には責任があるとは思えない場合でも、ご納得いただけず、大きなトラブルになる場合もあります。

一般人の間では,「医者の中には,時々,おかしなのがいるらしい。」という不信感があり,だから,何かあると「おかしな医者にあたってしまったんじゃないか。医療過誤なんじゃないか。」と,追及的になってしまうんではないかなと思います。

確かにおかしな医師はいます。そんな説明の仕方は止めてと思うこともしばしばあります。タメ口を使ったり、患者さんの顔を見ることができず、コンピュータの画面を見て話したりとか。ただ、悪意を持つ人は殆ど見かけません。患者さんにとって悪いことを承知で儲けのために診療を行う医師は個人的には見たことがありません。患者さんの役に立とうとは思っています。

また、医療従事者にとって、医療は日常の営みです。私語もするし、冗談も言い合うこともあります。ちょっとした間違いも発生します(そういうことを少なくするようなシステム的なアプローチも行っていて、努力はしていますが、なくすことはできません)。心がけとしては、全身全霊を込めて医療を行うとしても、他の患者さんもいますし、力の配分を考えて診療に当たっています。患者さんの期待に完全に対応できるだけの資源は用意されていません。

世間の復讐心の高まりは明らかであり,「問題医師対策に何の役にも立ちませんよ。」といくら主張しても,あまり意味はないのではないかなと思います。

同意します。復讐心の解決が必要だと思います。どうすればよいでしょうか。自分はフェアな医療を受けたのだということを納得してもらうには。

メディアがいかんと思いますが、メディアは大多数の心の赴く方向を鋭く察知して動いています。理性的な聖人君子向けの番組の視聴率はあまり高くはないでしょう。


>No.139 L.A.LAW さん

横レスになります。

私は、いくつかの不幸な事例やつぶれていく病院は発生すると思いますが、焼け野原になるとは予想していません。妊産婦の死亡も年間50人くらい発生していますが、これが、100人になるかというと私は疑問に思います。妊婦も通うのは遠くになるかもしれませんが、行き場を失う妊婦は非常に少ないのではないでしょうか(そういう人に支援が要らないといっているのではなく、支援は必要です)。

勤務医の不満は臨界点に近づいてはいるのですが、全員が開業することはできません。組織的に行動ができれば別ですが、医師は組織だって動くことが苦手なような気がします。

統計的に平均寿命が左右されるほどのことは発生せず、どちらかというと自殺の数を減らすような状況が出るかどうかのほうが(統計的には)重要ではないかと思います。


割り込みレスですが…

一般の方や新規参加の方も増えているようですし、このスレの議論も既に何周かしております。そろそろFAQや基礎的知識のまとめを用意してもよいような気がしますが如何でしょう?

>No.142 老人の医者さん

 私もその必要性はものすごく感じているのですが、いざ手をつけようとするととても手間隙がかかりそうな予感がして放置状態です。

 ご協力いただける方があれば助かるんですが、誰か大学生の方でもこの問題に興味がある方はいませんでしょうか?

 場合によっては、別サイトに分離して数人で共同管理するのもありかと思いますし、そうするといろいろ発展させるアイデアも出てくるかな、などと思っているのですが、私一人ではこのブログ一つが限界です。

No.139 L.A.LAW さん

司法改革(改悪)に関しては、医療のいつか来た道です。数十年前の医療改革(必ずしも改悪とは言えない点が医療の場合にはあります)とダブらせて見ている医師も多いと思います。つまり司法と医療は、段階と言えばいいんでしょうか、そこが違うために同じとは言えないでしょう。逆に、今後の医療は、司法の未来予想に有用かもしれません。

確かに、崩壊はあまり医療を受けない人間にとっては気付きにくいことかもしれませんね。また、どの状態まで行けば崩壊かというのも難しい。以前コメントしたことですが、私の病院では救急を縮小した結果、住民は他の場所へ救急を求めると言うより、極力日中の受診を心掛けるようになり、結果的に住民にとっても被害よりも利益(日中の診療の充実もある)の方が大きかったなどということがありました。ですから、一概には今のシステムが壊れることが社会の不利益とは言えませんよね。(人によってはこれも崩壊と考えるかもしれません)
ただし産科だけは無理でしょう。これはもう偏在というレベルの話では決してない。対策は子供を作らないことになりそうですね。(厚生省がどんな馬鹿なことを考えているか想像できますが、これは長くなりそうなので止めておきます。結論として上手くいくはずない)

>No.143 モトケンさん

テンプレ作成用の専用スレにて書式方法論等は一切お任せで諸氏にご検討いただき、ある程度議論がまとまったものから順にhtml化していくということでは如何でしょう?

本日福島事件公判が始まっています。全国の医療関係者が注目する中、どのような司法判断が下されるのか見守って行きたいと思います。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070126k0000e040046000c.html

No.141 てつ さん

>統計的に平均寿命が左右されるほどのことは発生せず
う〜ん、どうでしょう。
妊婦の通院先が遠くなるという事は、発症後時間が勝負の常位胎盤早期剥離などの産科救急症例の子どもの死亡が確実に増えるからなあ。
新生児死亡は、妊婦や老人の死亡より平均寿命にとても大きな影響を与えるから、平均寿命は下がるんじゃないかなと自分は思っているんですが。

>オダさん
直接関係ないかも知れませんが、医療崩壊と言われているイギリスの場合、平均寿命はどの程度下がったのでしょうか。

個人的には、医療崩壊というのはインフラとしての医療が崩壊するわけではなく、サービス業としての医療が崩壊するような印象を持っています。平均寿命などの数字は大きく変化しないでしょうが、精神的な負担が国民にのしかかってくるのかなと。

>しま様
 イギリスでは医療崩壊後も平均寿命は延びているようです。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life05/03.html

 他の保健データはちょっと検索し切れませんでした。ただ、医療崩壊は死亡率に直結するわけではないのは確かです。

>僻地外科医さん
ありがとうございました。医療崩壊と平均寿命に関係がないと言うことは、いわゆる「生活の質」が大幅に低下するわけですね。

もちろん、イギリスの医療崩壊と、日本の医療崩壊を同列に考えるのも早まった考えだとは思いますが、今のところ判断材料がなかったので、上記のようにコメントしました。子細に調べれば、もっと別なことが分かるのでしょうが。

リンク先が切れてしまう可能性があるので引用を


福島産科事故:被告産婦人科医、起訴事実を否認 初公判で

弁護人とともに入廷する加藤医師(左)=福島市の福島地裁で26日午前9時45分、今村茜写す 福島県立大野病院(同県大熊町)で04年、帝王切開手術中に女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、加藤克彦被告(39)の初公判が26日、福島地裁(大沢広裁判長)であった。加藤被告は「死亡や執刀は認めますが、それ以外は否認します。切迫した状況の中で精いっぱいやった」と起訴事実を否認した。

 冒頭陳述で検察側は、応援を呼ぶべきだという先輩医師の事前のアドバイスを被告が断ったことや、胎盤はく離開始5分後の血圧降下など大量出血の予見可能性があったことなどを指摘した。

 弁護側も冒頭陳述を行い、明白な医療過誤とは異質と指摘。胎盤はく離は現場の裁量で、事後の判断は結果責任の追及になると反論し、産科専門家の意見も聞いていないと捜査を批判した。

 起訴状によると、加藤被告は04年12月17日、帝王切開手術中、はがせば大量出血するおそれがある「癒着胎盤」であると認識しながら、子宮摘出手術などに移行せず、手術用はさみで胎盤をはがし失血死させた。また、医師法が規定する24時間以内の警察署への異状死体の届け出をしなかった。【町田徳丈、松本惇】

 ◇被告 落ち着いた声で書面読み上げる

 「1人の医師として患者が死亡したのは大変残念」。初公判で加藤被告は起訴事実を否認する一方、死亡した女性に対しては「心から冥福を祈ります」と述べた。黒っぽいスーツを身につけ、落ち着いた声で準備した書面を読み上げた。

 加藤克彦被告が逮捕・起訴されて休職となり、昨年3月から県立大野病院の産婦人科は休診が続いている。同科は加藤被告が唯一の産婦人科医という「1人医長」体制。再開のめどは立たない。

 隣の富岡町の30代女性は加藤被告を信頼して出産することを決めたが、休診で昨年4月に実家近くの病院で二男を出産した。女性は「車で長時間かけて通うのも負担だった」と振り返る。二男出産に加藤被告が立ち会った女性(28)も「次も加藤先生に診てもらいたいと思っていた」と言う。

 一方、被害者の父親は「事前に生命の危険がある手術だという説明がなかった」と振り返る。危篤状態の時も「被告は冷静で、精いっぱいのことをしてくれたようには見えなかった」と話す。

 病院の対応にも不満がある。病院側は示談を要請したが父親は受け入れず、05年9月の連絡を最後に接触は途絶えた。昨年11月に問うと、病院は「弁護士と相談して進めていく」と答えたという。「納得できない。娘が死んだ真相を教えてほしい。このままでは娘に何も報告できない」と不信感を募らせる。【松本惇】

 ■「通常の医療行為」の結果責任追及 医師界に危機感

 この裁判では、加藤被告を逮捕、起訴した捜査当局に、全国の医師から強い批判の声が上がっている。背景には、通常の医療行為で患者が死亡した結果責任を、医師個人が追及されているのではないかという危機意識がある。医師の刑事責任を負うべき判断ミスか、1万例に1例といわれる「癒着胎盤」のために起きた不幸な事故か。医師法で届け出義務が課される異状死の定義があいまいという指摘もあり、裁判の展開を多くの医療関係者が注目する。

 最大の争点は「癒着胎盤」のはく離を中止すべきだったかどうか。検察側は「癒着胎盤と分かった時点で大量出血しないようにはく離を中止し、子宮摘出に移行すべきだった」と医師の判断ミス、過失ととらえる。これに対し、弁護側は「臨床では止血のために胎盤をはがすのは当然で、出血を放置して子宮を摘出するのは危険」と通常の医療行為だと主張する。

 このほか、癒着胎盤の程度や大量出血の予見可能性なども争点となる。

 日本産科婦人科学会の昨年12月の発表によると、06年度(11月まで)に同会に入会した産婦人科医は298人で、2年間の臨床研修が課される前の03年度の375人から2割程度減少した。同会の荒木信一事務局長は「産科医の過酷な労働状況や訴訟リスクに加え、大野病院の事故が減少に拍車をかけた」と分析している。【松本惇】

毎日新聞 2007年1月26日 12時00分 (最終更新時間 1月26日 13時33分)

ここで遺族は「危篤状態の時も被告は冷静で、・・・」と言っていますが、こういう緊急時に大騒ぎする医師がいたらそれこそそんな医師には任せられないというのが普通の人の感覚だと思うのですが・・・・。あまりにも遺族の主張は感情論になりすぎで論理的妥当性に欠けていると思います。
しかし、医療人たる我々はそういう感情論も一応真摯に受け止める必要性があると思います。ただ、問題はその後の行政、司法の対応です。また、マスコミといった第四の権力の暴走を止めることも必要です。患者や患者の家族の意見は聞くだけ聞く、しかし正当性を主張し、よりよい医療に向けて啓蒙活動をしなければならないのだと思います。
そういう意味で加藤医師の冷静な態度というのは評価できます。しかし、一般の人には冷酷と映るのでしょうか?

>yamaさん
>病院側は示談を要請したが父親は受け入れず、05年9月の連絡を
>最後に接触は途絶えた。

どっちもどっちだとは思います。個人的には、病院側が示談を要請したというのは問題であり、「何かミスがあったから示談を要請したんだろ」と何も知らない方に勘ぐられる可能性があると思います。

お年寄りのところに訪問マッサージをしに行っている鍼灸あマ指師です。
施術過誤を疑われたことがあったので、医療過誤訴訟は人ごとではない気持ちで見守っています。

2ちゃんで大野病院関連のスレをいくつか見ていたら、こんな書き込みがありました。どこかからのコピペかもしれないけど。
なんかあまりにつらそうでつい、もってきちゃいました。

*****以下引用*****
オンコールにも負けず、不法労働にも負けず
日直にも当直にも負けぬ丈夫な体を持ち
欲はなく、決して怒らず、いつも寡黙に仕事をしている
一日にカップラーメン3杯とコーヒーと少しの菓子を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずによく診察し、治療し、手術し、そして研究し
旧病棟の廊下の奥の小さな汚い当直室にいて
東棟に割箸の刺さった子供あれば発見できたはずと訴えられ
西棟に癒着胎盤の母あれば止血できたはずと逮捕され
南棟に外傷で死にそうな人あれば心嚢穿刺できたはずと罵倒され
北棟に痙攣の妊婦がおればCTすれば助かったとこき下ろされ
教授命令には涙を流し、徹夜明けはおろおろ歩き、みんなに税金泥棒と呼ばれ
ほめられもせず、感謝もされず、そういうものに私はなりたくない
*****引用終わり*****

宮沢賢治でも、なりたくないだろうなあ…。

No.150 しま さん

イギリスと日本では医療崩壊の被害を受けている世代が違うんですよ。
悪評高いイギリスのNHS(国民医療制度)の中で,唯一よい評判を勝ちとっているのが出産。
助産師が主体であることもあって、イギリスの中では医療崩壊の影響が最も少なかった分野です。
ユニセフの統計では2004年のイギリスの新生児死亡率は5/1000。
1990年の8/1000に較べて新生児死亡率は下がってきており、イギリスの平均寿命を伸ばすのに大きく寄与しています。
(さすがに産婦人科医が出産の98%近く関与している日本の2004年の3/1000には及びませんが)
平均寿命が1970年代に同じ72歳であった両国の平均寿命の差が3歳開いたのは、周産期死亡率の差が逆転し事が大きかったのですが、それだけにしては差が開きすぎたのも事実。
イギリスの医療崩壊が与えた影響を判断するには、50歳以降の平均余命がどう変化しているのかを見るのが一番確実なのでしょうが、残念ながらデータをちょっと見つけられませんでした。
できるだけ探してみますね。

さて、日本の医療崩壊ですが、イギリスと違って産科救急領域が一番進んでいます。
産科救急の崩壊は周産期死亡率に大きく影響し、それはとりもなおさず平均寿命の短縮という形で顕われる。
イギリスとは違った形でデータになてくると自分は考えているのですよ。

米国の医療崩壊というか医療危機が近いのかもしれませんね。

過誤保険の保険料の高騰は,特に,産科・救急外科など,過誤訴訟のリスクが高い科の診療にたずさわる医師を直撃した。それまで,年4万ドルだった保険料が,年20万ドルを超すことになった例も稀ではなく,「過誤保険の保険料を払うためだけに診療をするなど馬鹿げている」と,医師を廃業したり,産科医が妊娠中の患者を置き去りにして過誤保険料が高いネバダ州から安いカリフォルニア州に転出したり,家庭医が保険料を安くするために産科診療をやめたりする事例が続出したのである。  また,ラスベガス市には救急外傷センターは1つしかないのだが,「常勤外科医が過誤保険の保険料が払えず,勤務を辞めざるを得なくなったので,24時間体制の運営が不可能になった」と,同センターが3月に閉鎖されることが発表され,同市の医療危機の深刻さを象徴することになった。

医学書院/週刊医学界新聞 【〔連載〕続・アメリカ医療の光と影(3)(李啓充)】 (第2483号 2002年4月22日)

すみません、No.155のリンク先が違っていました。正しくは以下です。

医学書院/週刊医学界新聞 【〔連載〕続・アメリカ医療の光と影(2)(李啓充)】 (第2481号 2002年4月8日)

しかし、年4万ドル=480万円 -> 年20万ドル=2,400万円とは...
(1ドル=120円で換算しました)
9・11が影響したとありますが、やはり民間保険は災害などの特殊要因に弱いですね。

>オダ先生
 自宅からOECDの統計データを持ってきました
女性の65歳時平均余命は1970年時各国ほぼ横並びで15年程度でした。この時イギリスは16年、日本は15.3年です(OECD平均は15.6年)。2003年統計ではイギリス19.1年、日本は23年(OECD平均は19.3年)です。

 男性は女性に比べばらつきがひどいのですが、65歳時平均余命は1970年当時イギリスは12.0年、日本は12.5年(OECD平均12.7年)、2003年統計ではイギリス16.1年、日本18.0年(OECD平均15.9年)です。

 各国とも平均余命が伸びていますが、これは1970年に比べ医学が進歩していることによるでしょう。医学の進歩そのものはイギリスは日本に比べ劣ってないはずですので、違いは医療の差と考える方が良さそうです。

No.153 訪問マッサージ師さん
>宮沢賢治でも、なりたくないだろうなあ…。
なんか読んでて涙が出てきました(T−T)
そりゃなりたくないですよね

こんな現状ならいっそ途上国に医療支援NGOとして参加したほうがよっぽどやりがいもあるし患者さんからの感謝もありそうですもんね

>>No.150 しま さんのコメント
>いわゆる「生活の質」が大幅に低下するわけですね。

 昨年のテレビのニュースによると、イギリスの中産階級の人々は人工関節置換術などの待機手術をインドで受けているそうです。イギリスで検査したデータをインドの病院に送って手術計画をたてるそうです。手術日が決まると、患者さんはインドに入国した日にインドの病院に入院し、翌日に手術を受け、順調であれば1-2週間ほどで退院して帰国するそうです。患者さんが増えていることもあって、こうした待機手術のインドの外科医のレベルは高いそうです。しかしお金がない人にとっては国外で医療を受ける選択はできないのではないかと思います。
 無責任なコメントかもしれませんが、あえて述べると、日本の医療が崩壊した場合、待機手術については、(現在の臓器移植のように)国外で受けるという選択肢が出てくるかもしれません。

>通行人A さん
2ちゃんねる経由で、視力矯正や健康診断 「タイの病院」に日本人押し寄せる理由なる記事を読みました。どうも、今の日本でも、海外で手術を受けるのは、私が思っているよりは一般的なのでしょうね。

ちなみに、紹介されているタイの病院、バムルンラード国際病院では、産科の特別パッケージも用意されていました。現実的に利用出来るとは思わないんですが、需要は少なくはないと言うことなのでしょうか。

いきなり流れをぶった切り失礼しますがこの件につきまして特に法曹関係の皆様方の御意見をうかがいたく思います。

日赤に1000万円賠償命令
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070126-147622.html

 兵庫県姫路市の姫路赤十字病院で、悪性リンパ腫だった9歳の男児が合併症で死亡したのは、治療上の過失や説明不足が原因として、遺族が日本赤十字社と担当医師に計約9400万円の損害賠償を求めた訴訟で、神戸地裁は26日、計1000万円の支払いを命じた。

 下野恭裕裁判長は、同病院が当時、血液疾患の治療方法などを共同研究する「小児白血病研究会」に参加していないという説明を医師が怠った義務違反を認定。

 同研究会の参加病院であれば、蓄積された治療ノウハウの提供を受けるなど高度な医療を期待できることから、「説明があれば、参加病院で診断を受けることなどにより、死亡という結果を回避できる可能性があった」と指摘した。

 判決によると、男児は1999年10月、同病院で悪性リンパ腫と診断され、同研究会作成の治療計画書に従った化学療法などの治療を受けたが、合併症による間質性肺炎で翌年10月に死亡した。

[2007年1月26日22時2分]

>老人の医者さん
典型的なトンデモ判決のような裁判のように思えます。突っ込みどころを探すのは素人でも比較的簡単のように思えますが、判決文を読まないで批判するのも難しいと思います。

ところで、小児白血病研究会に所属していないのに、小児白血病研究会の治療計画書に基づいて化学療法を行ったというのは疑問なのですが、これはよくある事なのでしょうか。

>No.162 しまさん

内科領域ではしばしば行います。

つい近年まで、特に地方の症例数の少ない施設では化学療法の院内標準レジュメというものは存在しないのが一般的でしたから、多施設研究等を参考にさせていただくことは珍しいことではありませんでした。

むろん成書にも様々なレジュメが記載されていますが、出版物の性質上奏功率等の確定したもの、別な言い方をすればやや古いものが多かったわけです。新しいレジュメの方が通常旧来の方法より同等かそれ以上の効果が期待できると思われるため(有意に効果が劣るものは通常早期に試験が中止になりますから)、担当医としては少しでも効きそうなものをと言う気持ちになるわけです。

ちなみに現在こうした化学療法も学会で標準的治療法を確定していくという方向で話が進んでおりまして、ここ最近各種癌でそうしたものが刊行されるようになってきています。今後は原則として(少なくとも初回治療では)全国一律のやり方が主流になっていくのではないでしょうか。

専門の先生方に突っ込まれる前に…

No163のコメントは成人固形腫瘍を念頭に記述したものですので、小児白血病治療の現状を必ずしも正しく反映したものではないかも知れません。あくまで一般論ということでご理解いただきますようお願いします。

>老人の医者さん
ありがとうございました。お手数おかけしました。

では、こちらの方も今回の件に関して情報提供を。原告側のバイアスがかかっている事を考えても、マスコミが伝えている情報は重要なポイントをことごとく外しているように思います。


9才長男の大騎くんに使用したJACLS(小児白血病研究会)の悪性リンパ腫プロトコール(臨床試験計画書)は、臨床試験ゆえに参加施設以外でのプロトコールの使用を認めていなかったが、当時の被告姫路赤十字病院はJACLS参加施設でないのに無断でプロトコールを入手し、原告らにJACLS参加施設でないことを伏せ、同意を得ずに臨床試験治療する。治療中に使用した抗癌剤投与後のプロトコールや薬剤添付文書の指示による必須の検査を被告医師の怠慢により一切行わず、副作用の発現と指示療法の遅れで感染症による間質性肺炎で死亡。
裁判日程


ちなみに、臨床試験かどうかは正確には分かりません。違う事(臨床試験とは書かれていない)を書いてある資料もありましたので、こちらの方も紹介します。
がんサポート伝言板

No.161 老人の医者さん,

姫路日赤の裁判に関する神戸新聞の記事です.

裁判長は,肺炎の予防薬の内服(おそらくバクタ)に関してもコメントしていますが,抗生剤の予防投与は保険適応外です.悪性リンパ腫や白血病で強力な化学療法を行なった場合,CariniやCMV肺炎は要注意ですが,薬剤の予防投与はできません.この症例ではどうやらCarini肺炎(?)を合併して死亡したようですが,医学的に言えばどこの病院で治療を受けてもこのような合併症を起こす可能性はあります.悪性リンパ腫が治療できずに死亡したのではないのです.
従って「小児白血病研究会」に入っている病院で治療を受ければ死亡しなかった可能性がある,という論法には無理があると考えられます.そもそも「可能性がある」と言い出せばきりがありません.「説明義務」というのもほとんど難癖ですね.もっとも9000万円の慰謝料請求に対して1000万円ですから,さすがの裁判長も少しだけでも良心が咎めたのでしょうか...

うーん、小児科領域はよくわからないですが、どうやら非ホジキンリンパ腫の維持化学療法時、ST合剤を内服していない患者におきたカリニ肺炎の可能性が高いですかね。
しかも発熱当時はおそらくそれほど酷い好中球減少は生じていなかったと。

臨床試験ではないでしょう。
少なくとも、「悪性リンパ腫で亡くなるならまだしも、寛解後に感染症で亡くなってしまうのは不自然」というのは間違っており、%のオーダーで治療による死亡は起こりえます。その治療による死亡の中で一番多いのが感染症です。
抗生剤を2-3剤で開始するというのも絶対の正解とは言えないでしょう。

これ以上は憶測ばかりになるので避けます。

こちらの方でもコメントがついているようです(少し読みにくいのですが…)。

新小児科医のつぶやき
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20070126

> No.126 bamboo さん、No.125 ゆきだるまさん

議論の流れを断ち切ってスイマセン。試論されていることについては、
「改革」のための医療経済学
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E6%94%B9%E9%9D%A9%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%8C%BB%E7%99%82%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6-%E5%85%AA-%E7%82%B3%E5%8C%A1/dp/4840417598/sr=8-1/qid=1169950810/ref=pd_bbs_sr_1/250-7449053-0714629?ie=UTF8&s=books
が必読の書だと思います。

以下はこれに書かれていたことです。

実は、国際的な医療経済研究者の間では、少なくとも、総医療支出と急性期医療費(現時点で総医療費の大部分を占める)についての「医療費高騰の犯人探し」はすでに終了しています。犯人探しの(研究)結果は、先進国間では医療制度上の相違にもかかわらず、非常に似た結果になりました。すなわち、「犯人」として疑われた5つの要因は、いずれも「小物」であったということです。この5つの要因とは、/邑の高齢化、医療保険制度の普及、9駝噂蠧世両緇此↓ぐ綮婉ゝ訖増加(ないし医師誘発需要)、グ緡妬野と他の産業の生産性上昇格差を含みます。〜これら5要因の寄与率をすべて合わせても、米国の総医療費上昇率(1940〜1990年)のせいぜい25〜50%しか説明できませんでした。すなわち、医療費上昇に50〜75%も寄与した「主犯」は、〜「医療技術の進歩」が主犯ではないかと推測しています。また、この研究結果は、単に米国の特殊な事例を示しているだけではなく、米国以外の先進諸国でも多くの類似した研究が行われ、同様な研究結果が認められたことから、先進諸国においても普遍性の高い研究結果であると言えます。

この本を読めば、医療費高騰の対策として、厚生労働省が行っている療養病床の削減や高齢者自己負担率の増大などは、医療の質を落とし国民の不安を増大させるだけで、医療費削減に無力であることが分かります。政策立案者の無能ぶりがみてとれます。

>岡山の内科医さん
あちこちの病院で、最新機器の導入が行われているようですが、費用対効果はどんなものでしょうか。大した効果が上がってないにもかかわらず、最新機器を導入しているのであれば、病院経営者の無能ぶりが医療費高騰の原因でしょう。

さらに、「最新機器を導入した病院=いい病院」との思いこみが患者にあるのならば、国民の無能ぶりも原因になることになりますね。

No.169 岡山の内科医さん

高齢者の医療費については、保険制度の問題が大きいような気がします。

そもそも、なぜ現今の医療保険財政破綻の危機が招来しているかと言えば、「老健拠出金制度」という、いずれ破綻することがわかり切っていた制度に闇雲にしがみつき続けてきたからであることは論を待たない。
日本が世界に類を見ない「少子高齢社会」となり、高齢者の医療に対する「必要」(「需要」ではない)が増え続けることがわかり切っていたのに。この増え続けるはずの高齢者の医療費を、被用者保険や国民健康保険か流用して賄うことを続けたのであるから、財政が破綻する健康保険組合が続出したとしても何の不思議もない。
李 啓充 著「市場原理が医療を亡ぼす―アメリカの失敗 」,医学書院, 2004

私の加入する社保は、かろうじて黒字だそうですが、団塊の世代の大量退職に伴う退職者給付拠出金により、赤字転落が予想される、とありました。制度の問題以前に、そもそも、絶対額が少なすぎるのかもしれません。

参考:
">東京医科大学健康保険組合−拠出金について

ちなみに、先に紹介のありました、本田 宏氏の講演資料によると、医療費の内訳は以下のようになっていました。
--
病院・診療所医療費 24兆円(2000年推計)
--
医薬品 3.9兆円
材料費 1.7兆円
委託費 1.3兆円
減価償却費 1.0兆円
賃借料 0.5兆円
支払利息 0.3兆円
経費 3.0兆円
人件費 12兆円
税金/再生産費用 0.3兆円
--
当たり前ですが、一番大きいのは人件費ですね。

ちなみに日本の医療費は高騰しているわけでないのでは?先進国全てで医療費は増え続けているようですが、日本の医療費は最低レベルに抑制されているようですけど。

>No.170しまさん
割り箸訴訟や大淀病院の件でもありましたが「CTを撮っていれば助かった」とか「MRIを撮っていれば〜」云々などという判決や論調のマスコミがある限り高額な医療機器を導入する流れはとまらないと思いますよ
つまりマスコミと司法の無能ぶりも医療費高騰の原因でしょう。

>当たり前ですが、一番大きいのは人件費ですね。

ronさん,
この中には事務系(つまり非医療者)の人件費も含まれているのでしょうか?
公立病院では事務系職員は公務員として勤続すればするほど高給となりますので,年配の事務員を抱えている病院ではこれらの人件費が医師の人件費を上回ることもしばしばです.
こういった構造を改善していくことも重要ですが,公務員である以上難しいんですね.独法化すればある程度フレキシブルにもできるのでしょうが...

No.174 Level3 さん

この中には事務系(つまり非医療者)の人件費も含まれているのでしょうか?

総額だと思いますので、当然含まれていると解すべきでしょうね。
人件費内訳の話は以下が参考になりますね。内科医が大量退職した北海道の病院です。
---
事務職の職員数、平均年齢、給与額
江別市立病院(給料は1月分)
 職員数         17人
 基本給      360,230円
 手当       256,961円
 (うち時間外手当) 71,789円
 合計       617,191円
 平均年齢        51歳
医師の職員数、平均年齢、給与額
江別市立病院(給料は1月分)
 職員数         33人
 基本給     598,841円
 手当      667,343円
 合計     1,266,184円
 平均年齢       46歳
 平均経験年数     20年
看護師の職員数、平均年齢、給与額
江別市立病院(給料は1月分)
 職員数      224人
 基本給    301,976円
 手当     181,730円
 合計     483,706円
 平均年齢      37歳
 平均経験年数    15年
伊関友伸のブログ 江別市立病院の経営状況と職員給与の分析2
---

ちなみに私は人件費を単に経費と考えることには反対です。病院の例で言えば、特に医師・看護師の人件費は収益に直結しますからね。明らかに資本の側面を持っています。
会計上、単に経費に仕訳されるからと言って、帳簿だけを見て「経費削減」を考えるのは問題が大きいと考えます。
最近は、その手の安易なコスト削減話が多いので...

連投ですみません。
先の医療機器の話ですが、これは「減価償却費 1.0兆円」あたりに入ってくるはずです。耐用年数は何年かわかりませんけど(買取の場合)。リースの場合は「賃借料 0.5兆円」「経費 3.0兆円」のどちらかでしょうね。
全体からみると、医療機器の導入がそれほど影響しているのかな、という感じです(医薬品より少ない)。もちろん、絶対額はでかいですけどね。

また流れと無関係にレスしますがこういうのを読むと、日本の医療関係者(含看護師・コメディカル)は献身的だなと思うですね。

http://blog.drecom.jp/ukhospice/archive/145

そんな今、ホスピスではスタッフの病欠が続出。
たぶん、ホスピスに限らずイギリス国内の医療現場や職場でも病欠続出しているのでは無いかと思う。
イギリスの病院やホスピスにはBank Nurseと呼ばれる臨時職員、誰かが病欠したり、スタッフが必要なときだけ働いてもらうためにそこに登録しているスタッフがいる。
またエージェンシー(派遣会社)をつかって急遽スタッフの穴埋めをすることもある。
現在夜勤スタッフ5人勤務者中4人病欠。ほぼ全滅・・・。

エージェンシー(派遣スタッフ)を夜間頼むと値段も高いといことで、普段は日勤スタッフが夜勤スタッフのカバーをするか、ここのホスピスのBank Nurseに登録している人にお願いする。
(エージェンシーに頼むよりも、Bank Nurseのほうが安上がり)

しかし、今はもう緊急事態。
エージェンシーですらつかまらない。
スタッフ不足でもやるしかないという状況。

日本に比べてイギリスの看護師は病欠を躊躇せずに取る人が多い。
日本みたいに、少しぐらい調子が悪くても、熱が38度あろうが、喉が痛くて声が出なかろうが、回りに迷惑をかけるから休めないなんてことはまったく無い。
調子が悪ければ休む。
休んだところで「あなたが休むと周りに迷惑がかかる」なんてことを言われることだって無い。
自分の健康が大事。
だから調子が悪ければ休む。
もちろん病欠で休んだ分も給料がもらえる。

日本の会社も病欠はあまり認めないみたいですね。私の社でも、盲腸で入院・手術した人が、病欠にならなかったと聞いて驚いたことがあります。ちなみに有給休暇は年20日です。
この辺ももっと柔軟にしないと駄目のような気が。裁判員制度が始まったら、有給消化で間に合うのか?と、ひそかに不安に思っていたりします。

アメリカの会社の有給休暇は世界で一番少ない。一般的な会社の有給休暇は一年間で10日。これに病欠も含まれているのが一般的。そして国の決めた休日も世界一少ない。だから、アメリカ人は風邪をひいても休まない。結果的に自分の大事な有給休暇を使ってしまうことになるからだ。 MOZANBLOG: 病欠しないアメリカ人

>No.170しまさん

社会的医療保険システムが完備された日本において、病院収入を増加させる一番わかりやすい手段は、患者数を増やすことです。おっしゃられるように、、「最新機器を導入した病院=いい病院」との患者さんサイドの思い込み、マスコミの報道は強力です。PET CTがゾロゾロ導入されているのも、受診者数増加を狙う病院の思惑があるからだと思います。
高額器機の導入により、実際の医療のアウトカム(患者さんの死亡率、QOLなど)が向上したかについては、データを知りませんが、集客増となった施設は現実にあります。

「大した効果が上がってないにもかかわらず、最新機器を導入しているのであれば、病院経営者の無能ぶりが医療費高騰の原因でしょう」とありますが、大した効果の中身として何を仰られたかったのかは知りませんが、患者数の増加にはつながっていると思います。
病院経営者を無能呼ばわりするのは、筋違いではないでしょうか。

また、No.173 OLさんさんのコメント にもありますように、結果が悪くて検査を素早くできなかった場合のバッシングは、強烈なものがあります。必要時にすぐに検査をできるようにするためには、検査器機を余裕をもって揃えておく必要が出てきます。日本の診療所がCTまで装備して、欧米の診療所よりはるかに重装備なのも、こういったことが一つの理由ではないでしょうか。

尾鷲総合病院産婦人科の2人目の医師に内定していた県外の男性勤務医(65)辞退
http://www.chunichi.co.jp/00/mie/20070127/lcl_____mie_____003.shtml

予想通りと言いますかなんというか・・・
もうすぐ二人体制になると言われて現在、勤務されている先生の心が折れなければいいのですが。
大野病院の裁判の結果如何ではここや他の一人医長も続々と撤収になるでしょうね

ここでこんなことというのなんですが、臨床医というのは本当に働きたがっているんだなと思います。「医療が崩壊するぞ」とかいうのも、「安心して働けるようにしろよ」ということの裏返しに過ぎないような。

多くの臨床医は患者を目の前にすると脊髄反射的に働くでしょ。

「医療崩壊」という言葉では、多くの一般の人々の気持ちに訴えることはできないと思います。検事側鑑定医バッシングも進むことでしょうし、明確なミス(そりゃだめでしょうというような感じのもの)以外は事実上刑事責任を問いにくくなっています。免責にこだわるのではなく、医療システムの改善を「組織的に」動かしていく時期だと思うんですけど。

また、「金をよこせばいいんだ。日本の医療費は安すぎる」という議論も通じにくいように思います。公共事業費はどんどん削られていますし、談合もしにくくなっています。一部を除いてどこでも苦しいのですから。

「法医学者の悩み事」のブログ主の方なんかも臨床医の敵になろうと思っていないのに、意見を異にするからと飛び掛っていくような感じの状況を見ると、味方を失うようなことは止めたほうがいいのになと思うのですが。。。

> しまさん
> あちこちの病院で、最新機器の導入が行われているようですが、
> 費用対効果はどんなものでしょうか。大した効果が上がってないにもかかわらず、
> 最新機器を導入しているのであれば、病院経営者の無能ぶりが医療費高騰の
> 原因でしょう。
そういう病院もありますが、そう言い切れない病院もあります。
たとえば今はやりのPETを導入した病院があったとします。しかし読影する医師がいなければ成り立たない。始めはきてくれると約束していたにもかかわらず諸事情で医師派遣ができなくなったなんてことは珍しくありません。その原因は医師不足に根本的な原因があるわけで、病院経営者が怠慢をしていたとは限らない。
ただ、むろんそういうリサーチをしないで安易にもうけることができるからとPETを導入したはいいけど読影医を雇うところまでちゃんと計算していなかった。当然PETを稼働することができず減価償却できない。こうなれば病院経営者の怠慢でしょう。

病院経営の悪化にはいろいろな要素が絡んできます。その一つが救急医療ではないでしょうか。救急医療は多くの病院では不採算部門です。人件費がかかる割には収入が少ない。下手すると患者に料金を踏み倒される。
その他には医師の怠慢もあります。必要な検査を怠ってきたなどです。検査は巷で言われているようにやればやるほど儲かるものではありませんが(むしろ査定額が増え、儲からないケースも多いです)ある程度はやった方が当然経営が良くなる。やりすぎないようにやるのが一番良いようです。患者も安心します。しかし、実際には心電図が異常であっても心エコーを行うケースというのがきわめて少ない。でも、心電図の所見に一言「この症例は心エコーが必要です」とコメントしてやると一気に増える。どういうことかというと心電図に異常が出ても何もしない医師がいると言うことです。
それから先ほど話題に出した保険の査定も問題です。とくに小さな病院では検査をやればやるほど査定され、病院経営に響きます。医学的な適応があっても保険医療的には適応でないことがある。査定については私も他のスレで説明しているのいちいち述べませんが、要はまじめにやりすぎると経営に響く可能性があるということです。ある程度抜きどころを知らないといけない。もちろんやりすぎると医療過誤や医療事故の原因になり、好ましくない結果を生み出す可能性も高いです。
手っ取り早い儲け方は検診を行うことです。しかし、そう簡単に医師が集まるわけでは無いのでできるかどうかはそう容易ではありません。

このようにいろいろな要素が絡んできますから一概に病院経営者の怠慢だけでは言えないところがあります。

>岡山の内科医さん
>yama さん

有り難うございました。「効果」と言うのは、なんでもいいんですが、「集客増」を狙っているのであれば、狙ったように患者が増えたのかという事でしょうし、救命効果を狙っているのであれば、救命率がどれだけあがったかでしょう。

一言で言えば、「手段と目的が入れ替わってないか」と言うことです。最新機器は手段であるべきなのに、いつの間にか「最新機器を導入する事自体が目的」となっていないのかと言うことです。ちなみに、これは私が一番苦手としている分野ではあります。病院に限ったわけではないでしょう。

不採算部門に関しては、別に問題視していないです。「効率的=採算が悪い」と言うことではないでしょうから。宿命的に不採算な分野があるのであれば、それを社会は許容するべきだとは思います。

保険の査定に関しては、複雑かつ深刻な問題がありそうなので、今の私では何も答えられそうにありません。

No.182 てつさん

>多くの臨床医は患者を目の前にすると脊髄反射的に働くでしょ。

それはその通りですが、それに世間も厚生省も甘えすぎた結果、臨界点を突破してしまったということではありませんか。脊髄反射的に働いたりしないために多くの医師が自ら逃散しているのではありませんか。

>「医療崩壊」という言葉では、多くの一般の人々の気持ちに訴えることはできないと思います。

小松先生の本は、多くの一般の人にも影響を与えましたよね。崩壊食い止め派はめっきり少なくなってしまいましたが、アリバイ作成派の先生方と手を取り合って、今後より一層、訴えていかなくてはいけないと思っています。

>医療システムの改善を「組織的に」動かしていく時期

ちょっとの出向程度で現場を理解したつもりになっている厚生省医官の机上の計画のことを言っているなら、そんなものはほとんどの医師の賛同を得られないでしょう(何故今時計画経済的な発想になるかなという感じですか)。現場の経営者や運営に携わっている医師は、いかに厚生省の打ち出してきた方策の裏をかくか、生き残りのために日夜努力しているわけで。そもそも梯子外しなどで裏切ってきた厚生省を信用している医師がいるとしたら余程おめでたいといったところでしょう。
厚生省がすべきことは、システムの改悪以外に山ほどあるでしょうに。

>「金をよこせばいいんだ。日本の医療費は安すぎる」という議論も通じにくいように思います。公共事業費はどんどん削られていますし、談合もしにくくなっています。一部を除いてどこでも苦しいのですから。

恣意的に低く押さえられていた本来もらって当然の報酬と、談合を一緒にするとは(悪意がないのは理解できますが)。変な介入をせずに市場にまかせれば目が飛び出るほどの上昇が予想されるところで、通じにくいも何もないでしょう。それから、個々の事案での上げるべきかどうかという話が重要であり、どこも苦しいからなどというような話は全く意味がありません。

医療崩壊とは直接は関係がないのですが。

以前FFFさんが仰っていましたが、マスコミの方は医療界の方々と同じ理論を用いて司法を批判するものなのですね。医療界のJBMに相当するような判決だと言えそうです。

ただ、懸念されるのは、編集の自由の制約に関する司法判断が拡大解釈されて、独り歩きしないかということだ。

 報道の現場では、番組や記事が取材相手の意に沿わないものになることは、しばしばある。ドキュメンタリー番組や新聞の連載企画などでも、より良質なものにしようと、編集幹部が手を入れたり、削ったりするのは通常の作業手順だ。

 「編集権」の中の当然の行為だが、それすら、「期待権」を侵害するものとして否定されるのだろうか。2審では「期待権」の範囲がNHK本体にまで拡大された。そのため、報道機関全体に新たな義務が課せられる恐れが強まった。

読売社説(2) [NHK番組訴訟]「報道現場への影響が懸念される」

医師の方々はどう思われますか。期待権と言う意味不明な権利を押しつけられる報道機関に同情するか、それとも例えマスコミといえども「番組や記事が取材相手の意に沿うものである」との縛りは、最低限は必要だと思うか。

No.186 しまさん

FFF先生との話の時でも、私はマスコミと医療は全然違うという主張でしたが、この期待権には大反対ですね。マスコミの恣意的な編集は、かなり不快に感じることも多いのですが、編集自体を禁止してしまうのは無茶というものでしょう。マスコミが事実を歪めようとしても、最近は真実を知る手段があるわけで、今更必要であるとは思えません。マスコミに必要なのは、取材相手に対して誠実(そうであるに越したことはありませんが)であることより、真実に対して誠実(医療に関しては勉強不足且つ視聴率優先で最低ですね)であることだと思います。
個人情報保護法なども同じですが、悪人を喜ばすような判例を作ってどうするのかという感想です。

>元行政さん
私としては、例えば以下のようなケースを考えています

医療番組で、病院にマスコミが取材を行きました。趣旨としては「真実の医療現場が知りたい。医療崩壊が叫ばれる今、医療現場の本音を視聴者に訴えたい」と言うものでした。この趣旨に賛同した医師や現場スタッフは真摯に取材に応じ、労力を割いて協力しました。

いざ放送されてみると医療の現場をおもしろおかしく伝えた、娯楽番組に編集されていました。

私自身は、マスコミは真実でないものを真実として伝えられる力がある以上、編集権を濫用するものではないという意見です。

No.188 しま さん
ハナから期待してなければ「期待権」など決して存在しないことに、今、ようやく気付きましたw

編集されるのがいやならば、取材前に契約書を交わせばいい。
たぶん報道側はそんなものを交わそうとはしないでしょうが、だったらそんな取材を受けなければいい。
もしそれでも受けるなら、信用できるところを選んで受ける。

最初に言ったことと違う内容の番組を作るのは倫理的には非難されてしかるべきだと思うけど、期待権というのはどうかと。

> 立木 志摩夫さん
口約束でも契約になるという事ですから、この場合、マスコミ側が番組内容を説明し、取材を受ける側が説明を受けて出演に合意したというのなら、契約が成立しているかも知れません。すると、説明以外の内容で放送した場合、契約違反という考え方もあり得るかも知れません。

法曹の方にお伺いしたいのですが、この場合、契約違反という考え方は成り立ちますか?例えば、「あるある」に出演していた研究者の方は、契約違反で関西テレビを訴えることは可能なのでしょうか。

No.182 てつさん:

>多くの臨床医は患者を目の前にすると脊髄反射的に働くでしょ。

最近はそういった「脊髄反射」をしたくなくなってきました。もちろん、仕事が絡んでたらしますが、それ以外ですとしなくなりました。


>免責にこだわるのではなく、医療システムの改善を「組織的に」動かしていく時期だと思うんですけど。

どの点を改善させよとおっしゃっているんでしょうか。今後医療システムの改善をするのは「金銭」と「マンパワー」だと思いますけど。精神論で「何とかしろ」と言われて改善できる時期は過ぎました。それに、この期に及んでまだ医療側に「何とかしろ」というおつもりですか?


>また、「金をよこせばいいんだ。日本の医療費は安すぎる」という議論も通じにくいように思います。公共事業費はどんどん削られていますし、談合もしにくくなっています。一部を除いてどこでも苦しいのですから。

それなら、国民がその支払いに見合う医療の質で満足すればいいだけです。1000円で5000円のフランス料理フルコースを求められても困ります。

追加:
なぜ、医療従事者が医療崩壊の危機を皆さんにお知らせしているか御理解いただいていますか?

以前にも書き込みましたが、医師(特に勤務医)はさほど困らないのです。困るのは国民・利用者です。私も、自分の子供の万が一の際に満足な医療が受けられるようにしたいから言っているのです。従業員として考えれば崩壊してもらって構いません。

コメント内容を拝見していると当事者意識が希薄な気がしますがいかがですか?もう少し、当事者意識を持っていただきたいと存じます。

予想以上に急ピッチで出てきましたね

犯罪被害者も「論告・求刑」 法制審が要綱案
2007年01月31日00時06分
http://www.asahi.com/national/update/0130/TKY200701300389.html

犯罪被害者や遺族が「被害者参加人」として刑事裁判に加わり、法廷で被告に直接質問できる見通しになった。法制審議会(法相の諮問機関)刑事法部会が30日、被害者参加制度の要綱案をまとめた。2月の総会の答申を受け、法務省は刑事訴訟法などの改正案を国会に提出し、今国会での成立を目指す。施行は09年の裁判員制度の導入期と相前後する見込みで、日本の刑事裁判は大きな転換期を迎える。
(以下略)

当然のように業務上過失致死傷も被害者参加制度の対象となるようですね。
もちろん加えて付帯私訴の導入も行われるようです。

> 法制審議会(法相の諮問機関)刑事法部会が30日、被害者参加制度の要綱案をまとめた(No.194 元田舎医さま)

No.124で速報したことですが、
前回審議会から半月で要綱案が出たとは、早いですね。

要綱案では、業務上過失致死傷罪は、被害者参加の対象とされますが、附帯私訴の対象にはならない、ということです。

「客観的な事実で議論することが難しくなるのではないか」と述べられていますが、当然の意見ですね。
また、故意犯に限ると書いてありますが、過失も対象になるのでしょうか?だとしたら勇み足だと思うのですが・・・。過失は客観的判断が必要です。過失について、私自身は陪審員導入には反対です。

三重県からなんですが行政が僻地へ医師の配置転換を試みるようです。

 
三重県は、県南部など医師不足が深刻な地方の病院に、大学医学部などを卒業して
民間病院で研修中の若手医師を一時的に派遣する制度の検討に入る。新年度の
当初予算案に、検討組織の運営経費を盛り込む。厚生労働省は「聞いたことがない
試み。 成功すれば他地域に広がるのではないか」と注目している。

 対象は、大学病院などで2年間の臨床研修を終え、専門診療科での研修
(後期研修)を 民間病院で受けている医師。
 最近は研修先に、勤務条件の良い民間病院を選ぶケースが増え、大学病院に
残って 研修する若手医師が減少。大学病院が担ってきた地方の病院への医師派遣
機能が低下 したことが、医師不足の背景にある。県は、民間病院を選んだ若手医師
らにも一定期間、協力を求めざるを得ないと判断した。

 制度作りには、若手医師を多く抱え、理解もある民間病院に協力を求める。
若手医師らに どのようなメリット、補償を提供するかは今後の検討課題だが
▽先進医療を学べる充実した 研修体制の提供▽派遣されることによる勤務先
変更で生じる社会保障上の不利益の解消− などを想定。制度が固まれば、
医師不足に悩む病院と調整する。
http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20070131/mng_____sya_____003.shtml

民間に勤務している職員の三重県による配置転換、効果はほぼないような気もするの
ですが、あるていどの強制を伴わせることは法的には可能なんでしょうか?

> 私としては、例えば以下のようなケースを考えています
> 「いざ放送されてみると医療の現場をおもしろおかしく伝えた、娯楽番組に編集されていました。」(No.188 しま様)

いや、その喩えでは甘いかと。
皆さんに当事者意識を持っていただくためには、

「いざ放送されてみると、厚生労働大臣の横やりにより視点が変えられ、
医療崩壊の原因は公的な健康保険制度ではチェック機能が働かず過剰な医療が行われているためである、医療は自己責任とし全て民間病院と民間保険に委ねるべきである、医療をビジネスとして成り立たせるために医師の給料を一定以下に抑制すべきである、医師が不足している分野(僻地、救急、産科)への勤務を強制する法律が必要だ云々
の内容に編集されていました」

この訴訟では、公共放送が政治的中立性を保持していない、ということを問うているのです。

No.188 しまさん No.198 YUNYUN さん

ふざけた医療番組に対して、つい最近スポンサー製薬会社の薬の不使用運動がネットで起こって、製薬会社を青くさせたという事案がありました。もともとマスコミは信用していないし、お二人が上げたような例なら、間違いなくそれ以上のものが起こるので、それで十分と思っていましたが、NHKのあり方という話なら少し事情は異なりますよね。ただこれも取材を受ける側の期待権とはちょっと違う気がします。政治的中立性を期待権をもって取り締まるという発想はやはりおかしいのでは。(医療事故を説明責任で賠償させるのと同様で)

ちなみにNHKはすでに役割を終えていると思います。

>民間研修医の派遣検討

若手医師の待遇次第かも知れませんが、該当する民間病院への希望者が逃げるだけのような気がする。制度をいじる余裕があるなら、医師の待遇を改善すれば他の医師も集まってくるんじゃないかなあ。給与だけじゃなくて、勤務環境を整えることが大事なんだと思う。

No.199 元行政 さん
>ちなみにNHKはすでに役割を終えていると思います。

すみません、ラジヲ第2放送だけは残してください。
何卒おながいします。

>No.197 柳さん

一地域だけでこのような条件(制約)を設ければ、今の研修医は、その就職先の候補リストから三重県の順位を下げるだけだと思います。

ひょっとして、4月から内定している来年度の後期研修医にも逃げられるかもしれません。(今はどの地域も引く手あまたですから)

NHKの中立性は、すでに取材を十分行わない点で終わっています。公共放送にする意味はあるのでしょうか?疑問に感じます。

少し話が飛びますが、医療費抑制の記事です。

昨年4−9月医療費横ばい 診療報酬3・16%下げの影響で
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2007013101000381.html

 昨年4月に診療報酬が3・16%引き下げられた影響で、医療費は伸びが抑制され、同年4−9月は前年同期と比べて横ばいになっていたことが31日、厚生労働省の調査で分かった。

 医療の高度化や、現役世代の4−5倍の医療費が掛かる高齢者の増加などで、制度改正や診療報酬改定のない年の医療費の伸び率は「3−4%」と同省はみているが、今回は診療報酬の引き下げで1日当たりの医療費が0・9%増に抑えられ、患者数も0・8%減ったことで、伸び率が相殺された格好だ。

(後略)

政府の強力な医療費抑制政策によって医療費総額は今後も据え置かれることは確定的で、対国民所得比においても横這いとなっています。このことは何を意味するのか?

http://www.med.or.jp/nichikara/vision2005s.pdf

就職戦線は超売り手市場と言いますが、求職者側の目からみてこういう産業はどう映るでしょうか?市場規模は国策によって決定され今後伸びることはなく、一方で顧客の要求水準は年々高まっており結果が悪ければ刑事訴訟も有る。業務の高度化に伴い機材コストはますます増加しており利益率は低下していくと予想される。激務に過ぎ逃散が進んでいるためスタッフ増員はようやく認められたがその代わり一人当たりのパイの分け前は今後減少していく一方だろう、云々…

自分が新卒者だったとして企業説明会でこういう話を聞かされた場合、多分その方面に進もうという強い意欲をかき立てられそうにはありません。あるいはこういう言い方をしてもよいかも知れません。先の見える人間、物事を合理的に考える人間はこの商売を選ばないだろうと。医学も科学としての側面を持っている以上、そうした資質は重要であるように思われるのですが。

それでも医学部人気は根強いものがある、競争率の高さがそれを証明していると言われるかも知れません。ではその理由はと言えば、仕事にあぶれることがなく一生食っていけるからとのこと。かつて批判された公務員体質かとも思いますが、まさしく現場にやってくる研修医たちはこうしたタイプが主流になりつつあるように思えます。

かつて(今も?)大学病院では五時になれば手術場の看護師が帰ってしまうため医師が道具出しをするんだなどと笑い話になっていたものですが、医師の世界も今まさにそうなりつつあるようです。困ったことに一介の労働者としてはむしろ喜ばしいことであるようにも感じられるのですが、これも仕事中毒患者としての洗脳が解けつつあるということの証明なのでしょうか。医療は変わりつつある、変わらざるを得ないということを実感するのみです。

>老人の医者様

 ずれたレスになります(笑)

>かつて(今も?)大学病院では五時になれば手術場の看護師が帰ってしまうため医師が道具出しをするんだなどと笑い話になっていたものですが、

 個人的には若い(特に研修医1〜2年目やジュニアレジデント1年目)医者が機械出しをするのは悪いことばかりではないと思ってます。何せ術野はよく見えますし、何より良いのは手術の流れ・手順、その時にどういう機械を使うべきかが自然に身に付きますので。
 少なくとも私は術野も見えない状況で鈎引きをするより機械出しの方が好きでした(笑)。

これはちょっと医学的に見て強烈な判決だと思いますのでアップ(2chで拾いました)。
医療過誤訴訟:遺族側が逆転勝訴 東京高裁

モトケン様、ぜひエントリー立ててください。これは詳細な検討が必要に思われます。
また、一審の判決全文がお分かりでしたら皆さん情報提供お願いいたします。

>医療過誤訴訟:遺族側が逆転勝訴 東京高裁

たぶん局所麻酔薬とは関係ないんだと思う。
人工骨の手術では、叩き込むときに骨セメントや骨髄が血管内に入り、
心収縮抑制や肺塞栓を起こすことがあります。

たいていは血圧が下がるくらいで死亡に至ることはまれでしょうが、
あり得る合併症の範囲でしょう。

股関節置換術や人工骨頭置換術でステムを打ち込むときに肺塞栓を起こす可能性があります.手術経過の詳細が分かれば考察できるのですが.

例によって情報少なすぎですね。これでは何のコメントもできません。
しかし、マスコミの情報だけ見ると「個々の麻酔薬は過剰投与ではないが、局所麻酔は単独使用の場合の限度量が投与され、総量が最小になるよう努める注意義務を担当医は怠った。この過失が心停止の原因」の部分の麻酔薬過剰=心停止の原因と断定できるのでしょうか?よほど使わない限り(例えば通常量の5倍とか)医者でも断定不可能だと思うのですが・・・・。その自信はいったいどこから?

皆さんご指摘の通りだと思います。
 全身麻酔にどういう種類のものを使ったのか(いわゆる全身麻酔じゃなく静脈麻酔だったとか・・・)、局所麻酔はどういう方法で行ったかなどの情報が少なすぎますが、極量の範囲内で局所麻酔を使って(どういう原因か分からないが)心停止したということで敗訴するようでは麻酔は一切出来ません。

 これがbamboo様やTM様がご指摘になったように骨セメント由来と言うことでしたらまだしもですが・・・。

 今のところ報道は地味ですがこれは核爆弾級のトンデモ判決(と言うか報道)になりえます。

>No.206 僻地外科医 さん

 立てました。

 麻酔医療過誤訴訟:遺族側が逆転勝訴 東京高裁

>モトケン様
 ありがとうございます。なお私も一審判決文を探しているのですが見つかりません。議論の土台とする上でぜひ必要なんですけどね・・・

>No.192 暇人28号さん

コメントありがとうございます。

殆どの急性期医療機関では生産性が向上し、平均在院日数が短縮し、回転率が上がることでも医療従事者への労働負荷が強まっています。また、患者さんの消費者意識の変化もあり、期待権という言葉に象徴されるような部分が拡大し、その対応にも追われています。これまでの司法の動きはそれに反応しているところもあるのかなと思いました。

で、どうするかということですが、私自身は次のようにしています。
○ 弁護士との意見交換
医局会と全体研修会に顧問弁護士の人に来てもらい、刑事と民事の両面から現状についての分析と対処の方法をお話いただき、議論も行いました。不安の解消にかなり役立ちます。当然、それなりのお礼(報酬)も必要ですが、経営陣には納得してもらいました。
○ 警察との交流
大規模災害や事故の際には警察との協力は重要ですということを中心に警察への挨拶を行い、病院としての協力関係を構築するように経営陣に求めました。何度か懇談会のようなことも行い、医療上の意見が必要な場合にも積極的に応じるようにしています。クレームの中には犯罪すれすれもしくは犯罪の範疇に入る場合もあります。そのような場合の相談も緊密に行っています。警備担当に警察OBの受け入れも検討中です(効果はないという説もあるので、要注意です)。
○ 地域との交流
地域自治会組織にアプローチし、講演会や見学会の開催を進めようとしています。味方を増やすことを目的にしています。
○ 医療従事者数の増大
当然、診療サービス量は拡大しているのですから、医療従事者数の大幅増加を進めるように画策しています。患者さんに直接サービスを行う職種については、渋らなくなってきました。
○ クレーム対処の組織化
相談を行う組織を拡充し、クレーム対応も相談の一環として行う方向で検討と研修を行っています。診療サービスとクレーム対応とをできるだけ早期に切り離し、組織的に対応策を講じるという方向です。クレーム側にも理解してもらうために、そのように対応を始めようとしていることを広報していく方向になっています。メンバーへのストレスマネジメントも要注意事項です。
○ サービス改善意欲のある医療従事者への組織的対応
クレームの多くは少数の医療従事者に集中します。その人自身に希望があれば、実際の診療シーンの記録を行い、対応策を一緒に考えます。視線や言葉遣い、衣服等の変化は目覚しいものがある場合があります。ただ、興味がないのに、強制的に介入してもだめなような気がします。対人サービスに向かない人はいますからね。
○ 大学医局の人事担当との意見交換
医師派遣のクライテリアや今後の構想などを知っておくことは重要です。病院としての医師確保を行うことへの反応を探ることも必要です。医局に一応籍を置けばOKなのかとか、全く関与しない方向とかいろいろあります。大学として、派遣病院を集中化させ、病院統合のようなことを考えていることもありました。

個別の病院としてはこのようなことかなと思います。ほかにもあるかもしれませんが。

病院の壁を越えたものとしては、勤務医の横断的な組織があればいいなとおもいます。病院医局会連合のような組織ですね。ひとつの大学で動いている県などでは大学の人事担当と連携すれば、立ち上げることも可能なのではないかと予測しますが。県でまとまれば十分圧力団体として機能するでしょう。

追加です。

自分でこうしているというよりも、こうしてもらうように努力しているというほうが正確です。
失礼しました。

でも組織的にというのは、「してもらうようにする」という事でもあると思います。

世の中に動いてもらわないと、力(ちから)にはならないのではないでしょうか。

はじめまして。医療者側です。法曹の方に質問があります。第三者機関その他の話が出る場合法曹の方が必ず問題にすることにかばいあいということがあると思います。しかしながら一般的な法曹の方の知識を伺っていくと客観的にかばいあいかどうか判断する基準を持たないように感じます。いったい法曹の方は何を基準としてかばいあってるとかそうではないと判断されるのでしょうか?もし第三者機関ができて医者にとってはきわめて妥当な理由で99%訴えが棄却された場合それは99%棄却されたということをもってしてかばいあいと判断されたりするのでしょうか?法曹の方がなにをもってしてかばいあいを申しているのかが僕にははっきり理解できないのですが。
一応想像すると専門職は常に自分の側の裁量権を多めにとりたがります。(これは医療に限らないと思います。例えばこの医療問題に関しても検察、司法の裁量権を多くとりすぎたという見方も可能だと考えます)医療の場合は不確実性、それぞれの場合の特殊性があるため、やはり裁量権を多くとりたがります。その裁量権の広さが人(医療者)によって違うため、話を聞くとそれぞれ違うことをいうため、全体として同じことをいってられないように感じられるのではないかなあとは思います
また、司法の人と社会との係わり合いにも質問があります。例えば医療、知財に関する裁判などは社会性が高く、社会との係わり合いを考えざる得ないと考えます。一方それぞれ特殊性が高く司法の人だけでは現実的に裁くことが困難です。また社会の欲求が急速に変化している(僕個人が今は産業革命のような社会変化の時代ととらえていることもありますが)時代に新たな時代に合わせた現実的な法運用(変化が少ないことが司法の良い点でもありますが)や仕組みについて司法の側からどのようなものが提出されいるのでしょうか。また、司法をどのように運用してどういう社会を作るべきだと考えるのは完全に政治の役割と考えているのでしょうか

 「第三者機関」の機能・性格をどのように考えるかによりますが、「第三者機関」に紛争解決機関としての役割を持たせるならば、医師から見て公正であることはもちろん、患者側から見て公正に見えることが何より重要であり不可欠の条件となります。

 客観的に公正であるだけでは不十分で、紛争当事者から見て「公正に見える」ということが重要です。

> 第三者機関
> 法曹の方は何を基準としてかばいあってるとかそうではないと判断されるのでしょうか?
(No.215 じゃんべが様)

法曹の思考方法では、民事紛争の最も正統的な解決方法は訴訟手続きですから、
「訴訟をするのと、近い結果が得られるか」によります。
第三者機関が仲裁判断ではなく和解あっせんの手法による場合は、「裁判所の民事調停」「訴訟上の和解」と比較します。
勝訴「率」自体はあまり問題ではありません。個々の事案において、もらうべき金額の賠償金が得られ、妥当な解決になっているかです。(訴訟外では迅速な解決ができるというメリットもありますから、そのメリットを加味して評価することはありえると思います。)

実際に庇い合いが生じるかという点では、「今までの経験によれば生じる」としか、言いようがありません。業界が設置し業界の者が裁定する機関では、必ず庇い合いが生じ、業界よりの解決しか、なされてきませんでした。
解りやすい事例で説明しますと、
多重債務者から債務整理の相談を受ける機関で示される解決案の基準は、
1.貸金業協会の和解あっせん
  過去の利息制限法超の支払利息については不問、将来にわたり年利10〜15%の利息を付した額で、分割払い
2.裁判所の債務者特定調停
  過去の利息制限法超の支払利息については引き直し計算、将来にわたり利息なしで分割払い
というような差があります。
多重債務者としては、どちらの機関を訪ねるべきかは、言うまでもありません。

この経験則は強固ですが、医師が作る第三者機関は違うという、確たる根拠はあるのでしょうか?

また、本当はどうかということに加えて、世間から「どう見えるか」(評判)ということも大切です。
第三者機関による紛争解決システムが成功するか否かは、患者が「裁判するより第三者機関での解決を選好する」ことになるかどうかの1点にかかっています。法改正をしない限り、第三者機関での解決を強制しえないのですから、一種の客商売であって、裁判所との競争です。
その中で、もし患者が、(実際どうあれ)「第三者機関では公正な解決は得られない」と思ってしまったら、解決を頼まないでしょう。
そうすると、第三者機関が多くの客を呼び込むためには、外部から見て「公正らしく見える」ようにしなければなりません。法律をもって訴訟に前置させる制度を創設するにしても、国会で多数の支持を得るために、やはり外観上の「公正らしさ」が必要です。
そのためには、医師だけで判断するのではなく、業界以外の外部からの識者を参加させるべきであると考えます。
実際に、現に稼働しているADR(裁判外紛争解決機関)においては、弁護士が関与しているケースが多いです。

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> 新たな時代に合わせた現実的な法運用(変化が少ないことが司法の良い点でもありますが)や仕組みについて司法の側からどのようなものが提出されいるのでしょうか。(No.215 じゃんべが様)

裁判所としては、医事紛争解決を裁判所が独占したい気持ちは全くなく、むしろ訴訟は他の手段ではどうにもならない場合の最終兵器に残しておきたいという考えです。
そのことは公式の場でも表明されています。

◆明日の裁判所を考える懇談会(第13回)協議内容
平成16年7月26日(月)15:00〜17:00
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/asu_kondan/asu_kyogi13.html
[引用開始]
(最高裁)
完全に医師だけで行う必要はないが,以前にも大谷委員あるいは北川委員から「医師の集団を医療問題のADR(裁判外の紛争解決手続)の受け皿として考えられないのか」という意見が出されていたが,それはADRの組立て方として考えられないだろうか。
   ・・・・・・
裁判所の立場からすると,裁判でなければどうしようもないようなことだけ扱いたいという感じがあり,第1ハードル,第2ハードルといったところで区分けして裁判でなければだめだというものだけが来るようなシステムにしなければ,どんどん事件数が増えて処理し切れないという問題が出てくる。
[引用終わり]

また、原告代理人弁護士としても、必ずしも裁判所でなければならないとは、考えません。同じような妥当な解決が得られるならば、場所はどこでもよいのです。
(現在の裁判所が医師側から見て妥当な解決をできているかということとは別問題)

このように、司法界では、医師が第三者機関を作り医事紛争解決に乗り出すことについて、基本的に反対はないものと思います。
「公正さ」を担保するために、判断主体が医師オンリーでなく、「弁護士を関与させろ」ということにはなるでしょうが。

私は、むしろ、医師の方に、問いたい。本気で医事紛争に介入するつもりがあるか、と。
医師が意見を聞いてほしいと思うなら、積極的に「俺にやらせろ」と言って司法の側に踏み込むべきであると思います。
原告側の弁護士に対し専門的知見を助言する協力医として、訴訟外の紛争解決機関として、訴訟における鑑定人として。

今現在、医療の専門家の手によって紛争解決してもらえる場所というものは、全国でも数カ所で散発的、実験的に行われているに過ぎませんが、せめて各県の県庁所在地には設置されるようにならなければ、実効性があるとはいえません。

参考資料:医療訴訟に関する裁判所の意識を知ることができるものとして、
◆医事関係訴訟委員会 平成17年6月答申
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/izikankei/index.html
答申では主に、鑑定人の選任方法について述べていますが、医療訴訟において改善すべき点の問題意識は、このブログで出された多くの意見とも共通しています。

モトケン様YUNYUN様ご返事ありがとうございました
僕の日本語のせいで意思が通じてる所と通じてないところのキ
メラになってます
かばいあいについては言おうとしていることはとしていることがわかりますが医事関係訴訟委員会 平成17年6月答申のとおりにやっても今度は逆にかばいあいが生じない保証がないのではないでしょうか。僕としては医療側が不満に思っているのは量刑よりも医学的正当性なので法曹の心配がそのような点なら外人の専門家(医者)でも混ぜればある程度解決できるようなきがします。(もしくは時々抜き打ちで医者の言ってることをチェックしてもらうとか)
いくつか更に質問です
医事紛争に関しては社会情勢、欲求の変化によって増加したと
僕は考えますが
法曹の方々には何となく受身な点が見うけられると感じます
YUNYUN様のご返事にもありますが当事者で解決できないのだか
らしてやっているという感じです。そうではなくて現在増加し
ている医事紛争をどうやって患者様、医療従事者に納得しても
らえよう どう裁判もしくはそれ以前司法を使った解決方法と
いうスキームを柔軟かつ精度を高めていくかというような議論
はないのでしょうか。イギリスやアメリカなど医療紛
争の司法介入が上手くいかなかった(これは一面的な見方でも
あります)ようなことや他国を参考にし、どう司法介入するべ
きかという議論はないのでしょうか。つまり、医事紛争をより社会的側面で考え、患者様の権利を守りつつ、また、社会的コストを最小にまた医療従事者に納得されるにはどうしたらよいかという議論です。僕らの側からはこれがまったくうまくいっていないと考えていますがそういう問題意識はないのでしょうか。このまま、医療訴訟が増え続けると現実的に医療にさしさわりがでると考えられるのですが。

また医療従事者にもっと司法と関わるべきだというご返事でし
たが、例えば鑑定人に関しても現実のところ僕のところにお願
いされたこともありませんし、現実としてどう対応してよいか
わかりません。上記の社会問題として考えるのであればたとえば裁判を日曜日に開くとか(これで鑑定人は病院業務を休まなくてすみます。)書面のみでOKにするとか。また書面でOKにして鑑定人をネットで大量に募集するとか(少数の権威者より多数の凡人のほうが上だ作戦ですね)

なんかまとまりがなくてすみません。

>No.218 じゃんべがさん

>法曹の方々には何となく受身な点が見うけられると感じます

 法曹は本質的に受身なのです。
 弁護士は依頼があってはじめて動くことができます。
 弁護士はあくまでも助言者・支援者の地位にとどまります。
 裁判所も、訴えがあってはじめて判断することができます。
 訴えがないのに紛争に介入することはできません。

 事態に問題があるならその当事者が変えようと思わないと法曹はまったく頼りになりません。
 これは法曹の仕事がそういうものだからなのです。
 医者は病人がいなければ仕事がない(本質的にできない)のと同じです。

 法曹にも予防法学というものがありますが、これは病気の予防と同じ次元の問題と考えていただいてよいかと思います。

自分なりに医療変容について考えています。

私のスタンスは、『医療労働者の労働環境と待遇を改善することが、医療変容を建設的に修正する』ことに繋がるというものです。勤務医サイドに立っているつもりで、開業医の先生達は勤務医の先輩として共同戦線を張りたいと考えています。皆さん以下のテーマでコメントを頂けませんか?

1卒後医師の就職市場自由化と医局
 新臨床研修制度移行後、マッチングによって、卒後医師の就職市場が自由化されたという時代認識が重要だと思います。自由化された以上、旧帝大以外の医局の権威低下は必至です。移行後の見直しより先に道州制実現による大学再編が近いかも知れません。弱小県の大学は、もはや、レイムダックとして、もはや行政から相手にされないのかも知れません。地域医療が道州制にリンクするかもしれませんね。
2保険診療下では公立病院での主治医制度はサービス過剰
 主治医制度のシステムとしての優位性は認めますが、 公立病院では、この主治医制度は、医者の善意を逆手に取った勤労医洗脳ツールであって、保険診療下では採算割れのサービス過剰の制度であると考えます。それに変わる制度移行には、ハードルもあります。

>座位さん

医療労働者の労働環境と待遇を改善することが

と言うか、もはやそのような時代になったと思ってます。尾鷲の産婦人科で、五千万というのが話題になるのは問題だと思うのです。激務でリスクの高い産婦人科医を招聘したいというのなら1億2億積むのは当たり前と考えなければならないと思います。

医師は逃散といいますが、条件と環境の良いところを求めて異動するのはプロなら当たり前で、自治体が医師に来て欲しかったらそれなりの待遇を準備するべきだと思うのですね。

No217:YUNYUNさん。
僕自身は協力医でもなんでもやりますよん。ほんとに自分が適任だと思えるなら鑑定だっていつでも引き受けることはします。(誰も頼んでこないけど)。

ただ、問題意識としては「意見を聞いてくれ」というよりも、「適切に裁判をしろ」ですね。最近。
紛争を解決するのは医者の仕事ではないです。確かに。
適切な解決が得られるならば、別に誰が解決に当たろうと、僕にとっては同じです。
少なくとも医療の常識とかけ離れた判断をしたり、医者がこんなんじゃやってられないという判断を出すのはやめてほしい。

No.217 YUNYUN さま
私は医療側の人間ですが、YUNYUNさまと同様、民事に関しては免責や過失認定の変更等の制度変更は非現実的であり、いかに訴訟外での解決を促進するかということが重要であるという立場です。第三者機関のお話が出てまいりましたので、横レスで申し訳ないのですがコメントさせていただきます。

私は医療訴訟における第三者機関の機能は紛争解決より被害者救済置にすべきと考えます。
話が大きくなってしまいますが、私は現在の民事医療訴訟を巡る最大の問題は、社会が医療行為に付随する「悪い結果」を
A:確率的におこる合併症(いわゆる医療事故)
B:明らかな人為的ミス(いわゆる医療過誤)
に分類しておらず、(マスコミは全て「医療ミス」と呼びます。また多くの一般の方も「安全神話」を持ち、Aの存在を認識していません)そのためAによる被害を受けた方が補償を求める際も、AもBも同じテーブルで審議される訴訟として取り扱うしか手段がなく、それが医療側の「適切な対応をしていても結果が悪ければ裁判になる」という不安に繋がっていることにあると考えます。
そこで、今後医療ADRはAの被害者に対し訴訟以外の補償手段を提供し、訴訟に至る以前に解決をめざすことにその目的を置くべきであると考えます。
具体的には
・まず医療に伴う悪い結果がAであるかBであるかを審議し決定する。
・Aと決定した場合の補償額は被害の程度に応じて予め決めておき、過失の有無・大小に関係なく支払う。
・Aと決定した場合は医療行為を担当した側の過失認定は行わず、賠償義務は認めない。補償にかかるコストは医療システムを維持する上での必要経費と考え、医療費全体から捻出する。
・Aと認定され、被害者が補償を受け取る場合、被害者は同件で民事訴訟を起こす権利を放棄する
・Bと決定した場合は、その解決には関与しない。
というのがあるべき姿だと思います。
現に周産期医療での脳性まひの発生に関しては同様のシステムが検討されています(コストを誰が負担するかでもめていますが)が、早急に医療全体に拡大すべきでしょう。
ここでかばい合いの話題に戻りますが、上記のシステムでは賠償額の決定や過失認定という過程はありませんので、かばい合いが存在する余地は「AかBかの審議決定」のみとなります。Aに関しては、その発生率は既に統計的に報告されていますので(例えば、全身麻酔では10万例に1.1例が死亡する、また造影剤を使ったCT検査では10〜20万例に1例が死亡することがわかっています。)審議結果を定期的にその値と比較し、解離が存在すれば被害者側あるいは医療者側に偏った判断が行われているとして修正をかけることが可能であると考えます。

第三者機関による紛争解決システムが成功するか否かは、患者が「裁判するより第三者機関での解決を選好する」ことになるかどうかの1点にかかっています。

同意いたします。医療訴訟は全てADRでの審議を通すというような仕組みができれば理想的なのですが、そうでなくても「予め貰える補償額がわかる(妥当な補償額が設定されることが条件ですが)」「証明責任がない」という点で被害者にとっても利益があり、裁判所との競争には十分勝てる要素があると考えます。
医師が意見を聞いてほしいと思うなら、積極的に「俺にやらせろ」と言って司法の側に踏み込むべきであると思います。

ADRの立ち上げに関しては、個人の医師でできる規模の仕事ではありませんし、その目的はあくまで「医療者の訴訟回避」ではなく「医療制度の健全な維持運営」ですので、その業務を担う政府にお願いしたいと思います。審議に参加することは、多くの医師に抵抗は無く受け入れられると思います。

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 医療崩壊について考え、語るエントリ(その11)
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P R

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