エントリ

 町村先生のjuge藤山雅行裁判長のお話で紹介された藤山裁判官の講演についての私の意見である「藤山雅行裁判長のお話」についての続編です。
 ほとんど医師側代理人の感覚ですが、一読願えれば幸いです。

 町村先生によれば、藤山裁判官は医事紛争のレベルの高い解決の一つのパターンとして和解に関し以下のように述べられています。

さらに過失がない場合であっても、100点満点ではないということであれば和解による解決も考えられる。具体的事実が解明された上での最良な選択を模索するというのが、藤山部長のいうレベルの高い解決ということであろう。

 医師側に過失がない(と裁判官が判断している)場合について述べます。
 過失はないけれど100点満点の医療ではないということが前提です。

 裁判官が和解を勧める場合、医師側に過失がないという自己の判断を明らかにせずに医師側に和解を迫る場合が考えられます。
 つまり、医師側代理人に対して、自分(裁判官)の心証はこれまでの証拠調べの結果に基づいてあなた(医師側代理人)が自分の責任で判断して、和解に応じるか、応じる場合はその条件を検討しなさい、と言っているわけです。
 患者側にも同様の判断を求めていると考えられます。
 仮にこの場合に、裁判官が医師側に対して過失が認定される可能性があるかのような心証に反するサインを送るようなことがあったとすれば、それは詐欺・恐喝の類になってしまいますが、そのようなサインが全くなかったとしても、和解を勧告された医師側としては、医師側に過失が認定される可能性があることを前提として和解応諾の可否とその条件を検討することになります。
 その結果として、裁判官が過失がないと判断しているにもかかわらず、したがって法の建前からすれば医師側に賠償責任がないにもかかわらず、医師側の支払義務が和解という形で確定してしまうことになります。
 これを法律家から見れば、後述のように紛争解決のための経費と理解することができますが、ほとんどの医師から見ると、結果が全てですから、自分に過失があると裁判所が判断したと認識することになり、これで過失が認められるんならやってられない、という司法不信が残ってしまうことになります。

 では、裁判官が、医師に対して、「あなたの医療行為には過失は認められないが、100点満点の医療とは言えないので、和解金を支払うべきではないか。」とはっきりと言ったらどうなるでしょうか。

 実は私が医師側代理人として、依頼人たる被告医師の利害だけを考えた場合、この和解に応じることを検討します。
 医師に過失がないにもかかわらずです。
 それはどうしてかと言いますと、将来的な応訴の負担が馬鹿にならないことと、最終的に勝訴する保障がないからです。
 つまり、医師側に過失がないならばその裁判では医師側が勝訴することになると思いますが、敗訴した原告は控訴することが予想され、そうなった場合さらに長期間被告(被控訴人)として裁判に付き合わなければなりません。
 そして控訴審の裁判官が一審の裁判官と同様に医師側に過失無しと判断する保障はないのです。
 先に私が「紛争解決のための経費」と言ったのは、このようなリスクを回避して紛争を終わらせるための経費という意味です。
 ではその額はと言いますと、原告に控訴を諦めさせる程度の金額ということになります。
 和解が成立するためには、対立当事者の合意が必要です。
 つまり当事者双方が和解条件に納得する必要があります。
 そのために裁判官が当事者を説得する必要があります。

 裁判官は原告をどうやって説得するのでしょう。
 「私の判断では医師に過失はありませんから本来は賠償金がゼロですが、今回の治療行為は100点満点ではなかったことから医師側はある程度は和解金を支払うと言っています。」というような説得になることが予想されます。
 原告たる患者・遺族側はこれで納得するでしょうか。
 原告は勝つつもりで訴訟を起こしています。
 100点満点の医療でないということですから、医師側に何らかの問題があったことが前提です。
 原告から見れば、それは過失に見えます。
原告から裁判官を見れば過失があるのにそれを過失と認めない間違った判断をしていると見えます。
 となると、控訴すれば勝てると思います。
 そのような原告に和解に応じさせるためには、原告勝訴に準じる和解金額を提示しなければならないのではないでしょうか。

 次に被告である医師側は納得するでしょうか。
 過失はないのですから、本来は損害賠償義務はないはずです。
 しかし、裁判官は100点満点の医療ではないことを理由として和解に応じることを迫ってきます。
 「過失はないが100点満点の医療ではないから和解に応じたらどうか。」
 裁判官からこのような説得を受けた医師はどう思うでしょうか?
 そして原告勝訴に準じるような和解金額を提示されたらどう思うでしょうか?
 「結局100点満点の医療行為をしなければ裁判所は医師に賠償責任を認めるんだ。100点満点の医療など不可能なのに。」
 と諦めとともに和解に応じるのでしょうか?

 もう一度藤山裁判官の言葉を引用しましょう。

さらに過失がない場合であっても、100点満点ではないということであれば和解による解決も考えられる。

 藤山裁判官は、医師がどういう気持ち、どういう考えの下に、この和解に応じると考えているのでしょう。
 どういう論理でこの和解を受け入れるように説得するつもりなのでしょう。

 そしてこのような和解が一般化した場合、どのようなことになるか考えているのでしょうか。

 患者・遺族側はこうは考えないでしょうか?
 「医師側の過失が立証できなくても、100点満点の医療ではなかったことさえ立証すれば、裁判所は、「レベルの高い解決」として医師側に和解を強く勧告してくれて医師側はそれに応じるだろうから、それなりの和解金を受け取ることができる。」と。
 そして、医療側も認めているように100点満点の医療などありえないとすれば、100点満点の医療ではなかったことを立証することはそれほど難しくないと思われます。
 結果、「レベルの高い解決」としての和解狙いの濫訴の危険はないのでしょうか?

 町村先生は、

ところで100点満点でなければ、の件ですが、まあ和解ですからそれもアリかなという気がします。医療側に無理強いするという話ではありません。

とコメントでおっしゃってますが、藤山裁判官は、そのような和解を「レベルの高い解決」つまり「より望ましい解決」と考えています。
 そのような考え自体に問題はないかが問われます。
 このような和解を現実的解決と考えると言うことは、医師側が応じるという認識または応じさせるという裁判官の意思を前提にしています。
 しかし、このような和解に医師が納得ずくで応じるとは考えられません。
 そうすると残るのは裁判官の意思です。

 また小倉秀雄先生は、

過失の有無に争いがあり、かつ裁判所としては過失ありとの心証を抱いていない場合でも、被告が一定の金銭を和解金として支払うことで和解を推し進めることは、医療過誤に限らず結構ある(ex.製造物責任等)のですが、そういうことって裁判所は回避すべきなのかといわれると、被告側代理人に付くことが多い私でさえ、躊躇してしまいます。

とコメントされていますが、医療に100点満点を要求することの問題性を認識されていないようです。
 医療行為は、一般的に100点満点は取れない営みであると医療側から指摘されていますが、私もそうだろうと思います。

 相当医師よりの視点からのエントリであり、藤山裁判官及び町村先生に対しては揚げ足取りの感が否定できないと自覚しておりますが、私なりのシュミレーションをしてみますと以上のような感じになります。

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コメント(195)

医療側の立場を親身に考えていただいていることに感謝申し上げます。

ヒトが理性だけの動物であればけっこういいアイディアだと思います。僕はヒトである以上、必ずミスをする、ある程度以上の能力を獲得できないと思っています。だから、自分が逮捕される状況も想像します。それはいやですが、医療事故で失われた命や後遺症に対してなんの救済もないとすればそれは申し訳ないことと思います。和解金を払っても経営できる体制であれば病院負担の和解金もありかなと思います。
ただ、現実はお金を払うことで過失ありと思うであろうことはモトケン先生が書いておられる通りです。また和解金によって病院がつぶれていくということも起るでしょう。
無過失であっても補償するという制度を国民が負担をするという覚悟を国民が持つことがむしろ望まれるのだと思います。

はじめまして。
>藤山裁判官は、そのような和解を「レベルの高い解決」つまり「より望ましい解決」と考えています。

これは誤読されているのだと思います。
町村教授が何度も強調されているこの場合のレベルとは

『藤山裁判官が言うレベルの高い解決というのは、医療事故訴訟で、事実関係が十分明らかにならずに、よく分からないという理由で原告敗訴というのではなく、両当事者とも手持ちの資料を十分に開示して、可能な限り事実関係が明らかになった上での解決という意味です。』
このように
その場合に和解が最上の選択肢とまで藤山判事が述べているようには思えません。
あくまで高いレベルというものが目指すべき前提としてありそこから和解という手段を選ぶことが更に高いレベルかどうかは何ら言及していないと考えるのが自然です。

私なりに敷衍しますと、以下のようになります。

藤山判事は医療過誤訴訟においては、(行政訴訟も含めてかも知れません)原告の真の目的である真実発見を訴訟という場においてなるべく真実に近い事実を明らかにした上で、最終的に満足度の高い裁判を含めた訴訟指揮を司法はするべきである。
そのためには、現在のような証拠の偏在により被告側が情報を全てオープンにせず出し渋るのは上記目的を達することが出来ないから是正されるべきである。

それから、
藤山判事が過失が認められない場合でも100ではない場合に和解の解決を目指すことがあるというのは、被告側が情報の提供に協力しないために、結局その高いレベルに到達していないから過失が認定し得ない場合というふうに限定的に解釈することもできるのではないでしょうか。
このような場合は実質的には過失を認めうる場合として被告敗訴判決に等しい
ものと解するのかもしれません。(一種の文書提出命令に応じない場合の不利益に似ていますね。)
もっとも、被告にかかる義務を裁判所が一方的に課すことが許されるかは
一概にどっちといえません。。。
医療過誤訴訟を含め、訴訟の当事者としてなるべく自己に関する情報を積極的に
さらけ出そうとしないで原告の請求を棄却してもらいたいと思うのが通常でしょうから。

なお、
個人的には和解は自由裁量を裁判所に認めたものではなく、
他の訴訟指揮と同様いわゆる手続的裁量一般に存在する規律に服するものと
考えます。モトケンさんが言われるような和解の勧試の事実的効果に
鑑みるとなおさらです。
和解の濫用を防ぐためには、少なくとも原告の請求権が立つと言う意味で、一部認容が出来る場合以外には、
和解という手段は原則許されないのではないかというのが現在の立場です。
例外というのは上記の藤山判事の立場に立ったときに、和解以前に
訴訟が原告側が出来る限りの立証をしたのに被告側の不協力により高いレベルに達しなかったとき
及び、
被告側が自発的に和解を申し出たときに限定されるべきかと考えます。

 矢部先生が、患者の遺族から相談を受けたら、「医療行為は、一般的に100点満点は取れない営みであるから、医師側に悪意又は重過失がない限り、医療過誤訴訟は提起すべきではない」と諭されるのでしょうか?
 矢部先生が今後任官された場合、「医療行為は、一般的に100点満点は取れない営みである」から、和解勧試などせず、最高裁までとことん争わせるのでしょうか?あるいは、過失ありとの心証を裁判官が抱いたときには紛争を早期に終わらせるために本来の認容額の何割引かの金額で和解させ、過失無しとの心証を抱いたときには和解勧告などせずにあっさり請求棄却判決を書いて済ませるのでしょうか?
 「医療行為は、一般的に100点満点は取れない営みである」といわれても、正直な話、そこから「弁護士は、裁判官は、医療過誤訴訟においてこのように行動すべきである」という行動規範に具体的に結びつきそうにありません。精神論はともかくとして、法曹としての具体的な行為規範の問題としては、傾聴に値するお話は出ていないなあというのが正直な感想です。

>小倉秀夫さん

 相変わらずの(意図的かどうか不明ですが)誤読には閉口します。

> 傾聴に値するお話は出ていないなあというのが正直な感想です。

こんなこと自分のブログに書かれたら荒らしだコメントスクラム(←笑)だと騒ぐくせにね.

法曹には門外漢のわたしにすら,「ろくに本文を読まないでコメントした」ってバレバレだし.

小倉さんへ。
>遺族から相談を受けたら「(略)医療過誤訴訟は提起すべきではない」と諭される
法曹、医者、患者側のそれぞれの立場を解説しているだけで、特にご自身がもしこの立場に立ったならの見解を述べているわけではないようです。

>今後任官された場合、(略)和解勧試などせず、最高裁までとことん争わせる
医師側代理人としての立場なら「この和解に応じることを検討」、その理由は「将来的な応訴の負担が馬鹿にならないことと、最終的に勝訴する保障がないから」。
というような見解から憶測を広げてみれば、ここで断ち切るために和解勧試をする派ともとれますが、和解勧試の理由を述べ無い場合は医師側に不信感が募り、述べる場合でもこれはこれで両者に悪影響を及ぼすから難しいという結論のようです。

>法曹としての具体的な行為規範の問題
まぁそもそもそういう方向性のエントリーでは無いというのが大前提だと思いますし、というかこのブログ自体がそうですし、それ以前にそういう啓蒙主義的思想を前面に押し立てた書き物って早々無いような感じもしますが。
ただ少なくとも問題を分かりやすく示したりすることは、前エントリにあるように「双方が相手の主張に耳を傾け、相互理解の努力を積み重ねる」ことには役に立つ可能性が非常に高いと思います。勿論、結局のところ具体的でも直接的でもなく、そういう意味では何も言っていないに等しいとも言えますが、それがあるようならそもそも根深い問題に発展していない訳で。
しかしこれは具体的に行動規範を示したところで同様だと思いますよ(もし私が裁判官だったらどうするという内容のエントリーだったら傾聴に値するんですよね?? 相変わらず意味不明で素敵です)。それじゃないと傾聴する意見じゃないという程度でしたらせっかくの貴重なコメントですが、残念ながらそのコメントこそ傾聴に値するお話ではないなあというのが正直な感想です。

過失はなくとも、100%の医療がなされていないとの表現は、通常期待される医療水準を100%として理解すべきではないでしょうか。言葉を変えれば、適切な医療を受けられなかったことに対する慰謝料請求とも言え、法律上の根拠なく、金員支払いを求めている訳ではないと思えます。
なお、当職は直接の死亡原因が心室細動であるとの診断書の記載を基に、icuにおいて心電図の警報音が鳴らず、適切な医療行為を受けられなかった等として提訴し、提訴後3年ほど経過し、裁判所に相応の理解を得られたと感じていたところ、医療側の訴訟代理人が代わり、原因は心破裂の可能性があり、原告が心室細動であると主張するなら、その旨立証せよと開き直られ、証拠保全をしていたものの心電図が存在せず、裁判所の和解勧告を飲まざるを得なかった苦い経験があります。
医療の不確実性と言うことでしょうが、相応の金員支払いはあり得る解決方法と思います。

 誤読だと仰られるのならばそれでも構いませんが、では、患者の遺族から相談を受けた弁護士はどうするべきなのか、また、医療過誤訴訟において裁判官は和解についてどのような態度で挑むべきなのかという具体的な行動指針についての矢部先生のお考えをお聞かせ頂けると嬉しいです。
 矢部先生や町村先生のところにコメントを投稿される医師・自称医師の方のお話を聞いていても、「では、具体的に、誰に、どうしろと?」というところが全然見えてきません。医療過誤弁護団や医療過誤集中部の裁判官を「医師の敵」として倫理的に非難してみせるのは簡単ですが、しかし、彼らにだってできることとできないことがあります。裁判実務について素人である医師が倫理的非難しかできないのはやむを得ないと思いますが、矢部先生はそうではありません。

一般人の感覚だと
和解に応じるとの報道=あの病院には過失があった
ではないでしょうか?
私なら「何も悪くなければ和解する必要がない」と考えると思います。
そう考えると、このような過失なき和解は風評被害が発生する可能性が高くなり、
(医療従事者に限ったことではありませんが)規模の小さな診療所にとっては
死活問題となることも考えられます。

あと、満点の医療というのが問題となるのであれば、
「医療従事者が提供すべき医療を50点の医療」と定め、
(もちろん100点に近い医療を行うこともできるようなものとします)
そのガイドラインを学会などが作成し、それに基づいて判断すれば、
医療従事者側もやりやすくなるのではないかと思います。

法の門外漢にも判りやすいエントリーいつもありがとうございます。
NGワードを「誤読王」と設定しているせいか、コメントが飛び飛びになって読みづらいのがちょっと難なのですが(きっと間抜けな人が間抜けなことを言っているんでしょう)。
それはそうと、町山さんによると藤山さんは「元気な頃のビデオ」を証拠として提出するように原告の弁護人に指導してるようですが、これってどうなんでしょ。想定するのは「(何らかの医療過誤ないしは100%ではない医療によって亡くなった、と原告が主張している)愛らしい子どもが(バカ医者のミスさえなければ今でもこんな風に)楽しそうに遊んでる風景」なんですけど、これって客観的な証拠価値があるんですかね。
藤山さんって、可哀想な人の姿を見て泣きたい人なのかしら。
あと、民事訴訟って、訴えられたら(合法な)どんな手段を使っても勝つことを目指す、ということでいいんでしたよね? ボクのイメージでは訴訟って「高度にコントロールされた決闘」だったんですけど、これって間違いじゃないですよね? 藤山さんは「医者はちょっと殴られてもいいからもっとガードを下げなさい」って言ってるように聞こえるんですが、これって誤読?

 最初に確認しますが、このエントリ(その1を含む)はこのブログでこれまで積み重ねられてきた医療崩壊問題の議論の流れの中で書いています。
 だから町村先生のブログに対するコメントではなくて、私のブログのエントリとして書いているのです。

地方の弁護士さん

>過失はなくとも、100%の医療がなされていないとの表現は、通常期待される医療水準を100%として理解すべきではないでしょうか。

 原文は「100点満点」です。
 「100点満点」という比喩的表現は通常は、「非の打ち所がない」または「完璧」を意味するのではないでしょうか。

 それに、「通常期待される医療水準」以下の治療行為であったならば、それは「通常過失がある」と評価されるのではないでしょうか。
 しかし、藤山裁判官は「過失がない場合であっても、」と言っています。
 さらに、藤山裁判官の「具体的事実が解明された上での最良な選択を模索する」という文脈で考えれば、「100点満点」は「完璧」を意味すると読むのが自然な読み方だと思います。

 仮に、「通常期待される医療水準」と読んだとしても、医療側からは、「医師が考える」ところの「通常期待される医療水準」と「裁判官が考える」ところの「通常期待される医療水準」とが大きく乖離しているという指摘がなされています。

 この問題は「適切な」と言えるかどうか、言うべきかどうかの判断に直結します。

>法律上の根拠なく、金員支払いを求めている訳ではないと思えます。

 和解を前提にするならば、法律上の根拠は不可欠の要件ではないでしょう。
 紛争解決のあり方が問われるだけです。
 私のこのエントリは、医療崩壊問題の中で議論する場合、

さらに過失がない場合であっても、100点満点ではないということであれば和解による解決も考えられる。

という考え方の当否が議論されるべきであるという問題提起であるわけです。

>相応の金員支払いはあり得る解決方法と思います。

 個々の医療過誤紛争において、それは当然にあり得る解決方法だと思います。
 私が代理人なら常に視野に入れる解決方法です。
 つまり私もそのような解決を依頼人に勧める場合があるということです。
 
 しかし、東京地裁医療集中部の裁判官である藤山裁判官の公の場での講演ということになりますと、それは個々の事件の具体的解決を超えて、医療側に、医事紛争解決の一般的な解決基準さらには制度的なものとして理解される危険性があります。
 ここで危険性という言葉を使ったのは医療崩壊を加速する恐れがあるからです。

伝聞の伝聞に対して元々の発言の趣旨を詮索するみたいで、ナンセンスかも知れませんが。

藤山さんが「100点満点ではないということであれば」というのは、何も、「その医療行為が事後的に神の視点から見てパーフェクトなものでなければ」ということではなく、「本来要求される医療水準には達していない感があるが、さりとて過失ありと断定するには躊躇されるとき」という程度のことなのではないかと想像します。

刑事事件では、この程度の心証で有責とすることは勿論許されないわけですが、民事事件で、主張立証を尽くしても上記のような心証しか形成できなかった場合、上訴による両当事者の負担も考慮して、和解を勧めることもあってよいと考えます。また、医事訴訟においては、ほぼ全件で病院側にも弁護士がついていますので、「和解するとしても、それは紛争処理のコストであり、過失が認められて支払い義務を課せられたわけではない」ことを当事者に説明してもらえるのではないかと。

それから、私が経験した限りでですが、過失を正面から認めない前提で「原告勝訴に準じるような和解金額」(たとえば請求額の7割とか8割)が提示されたことはなく、むしろ、そのようなケースでは請求額の2パーセントから多くても10パーセント程度、まさに見舞金という程度の金額しか示されておりません。しかし、その程度の金額でも和解に応じる原告は結構います。原告本人が和解に応じるか否かは、請求額と和解金の比率だけで決まるものではなく、例えば医療訴訟では、提訴前には説明してもらえなかった治療経過について担当医が法廷で証言をしてくれたことに満足感を覚えたり、そこから不信感がある程度解消されたりして、和解の機運が到来することもあります。

(※モトケンさんには釈迦に説法の部分が多いかと思いますが、閲覧されている弁護士以外の方に対するコメントとして残させて頂きました)


小倉秀夫さん

 あなたの悪い癖は、他人の立論が前提としている条件を無視するところです。

 私のこのエントリは、医師に過失はないが100点満点ではない場合における和解勧試について藤山裁判官の考えを批判的に検討したものです。

 それが読み取れれば(通常の読解力の人なら読み取れると確信しますが)、No.3 小倉秀夫さんのコメント のような私に対する質問は出てこないはずです。

 あなたがこのような読み方を続ける限り、あなたのコメントに対するレスのモチベーションは低下する一方です。

>医療過誤弁護団や医療過誤集中部の裁判官を「医師の敵」として倫理的に非難してみせるのは簡単ですが、しかし、彼らにだってできることとできないことがあります。裁判実務について素人である医師が倫理的非難しかできないのはやむを得ないと思いますが、矢部先生はそうではありません。

 まず、町村先生のブログで批判的コメントを書いた医療側の人(や私)が、「倫理的に非難して」いると考えるのは必ずしも正しくありません。
 また出来ないことを要求しているのでもありません。

 医療過誤訴訟の当事者でない医師が、医療過誤訴訟についての不安と不信を述べているのです。
 そしてそれは司法に対する制度的不信につながり、それが医療制度を崩壊させつつあるのです。
 
 このブログでは、そのような医療側の不信を払拭する対策を模索しているとも言えます。
 法律家による法律家のための法律ブログではありません。

>「では、具体的に、誰に、どうしろと?」というところが全然見えてきません。

 このブログの医療関係エントリのコメントを全て読んだ上でのご意見でしょうか?
 町村先生のブログでは、このブログでの議論が再び一から始まったようなものです。
 どこまで続くかわかりませんが、物事には順序というものがあります。
 議論が続けば、そのうち町村先生のブログでも見えてくるでしょう。


 ところで私は医療崩壊問題は司法の中だけで解決できるとは考えていません。
 その点は既に何度か述べているはずです。
 このエントリはその文脈の上にあります。

 あえて裁判官に対してものを言えば

 裁判官は、医療崩壊問題を念頭においた上で、医療側の主張(不満・不信の声を含む)にもっと耳を傾ける必要があると思っています。
 個々の紛争解決だけを考えていればよい、とは言えない状況があるからです。

 但し、医療側に有利な判断、患者側に不利な判断をするべきだと言っている人は、私を含めてこのブログでコメントしている人の中には一人もいないと思います。
 こんな但し書まで書く必要はほんとはないんですけどね。

> No.10 バカP医さん

 これも想像ですけど、「元気な頃のビデオ」の提出を促すのは、医事訴訟の被告病院側が「その症状は入院前から出ていたのであって、医療過誤の結果として生じたものではない」と主張することへの反論として用意しなさい、ということではないかと。運動機能障害などに関しては、よくある攻防です。

 あとは、損害の算定に関しても証拠になり得ます。病院側の主張として、「医療過誤のあった以前から既に働けない状態だったのだから、その患者に逸失利益はない」というものがありますが、これに対して、「入院前は元気に働ける状態でしたよ」と反論するわけです。

 たぶん、「可哀想な人の姿を見て泣きたい」わけじゃないと思いますよ。

>過失はなくとも、100%の医療がなされていないとの表現は、通常期待される医療水準を100%として理解すべきではないでしょうか。
>言葉を変えれば、適切な医療を受けられなかったことに対する慰謝料請求とも言え、法律上の根拠なく、金員支払いを求めている訳ではないと思えます。(No.6 地方の弁護士さま)

我々弁護士の知識経験からすれば、そのような”善解”は当然にありうるものです。
しかし、それはいわば「業界用語」であって、一般社会においては、そのような受け取り方を当然にはしてもらえるものではない、ということは、我々が肝に銘じておくべきであると思います。

その点の問題意識をもって藤原発言をレポートするとすれば、
1.文脈から「通常期待される医療水準を100%とみている」と理解されるならば、そのことが明確になるように表現する。でないと、藤山判事の発言を誤報したこととなり迷惑をかけてしまう。
2.「事後的評価による最善の医療を100%とみている」と理解されるならば、筆者の立場としてはそれを批判するでも、あえて支持でもどちらでもよいが、単純な引用ではなく、医療現場に与える影響についての考察を含んだ記述が望まれる。

町村教授のレポートは残念ながら、その問題意識が決定的に欠けているために、医師達の反発を招いています。
モトケンさまが「町村教授は地雷をふんじゃった」とおっしゃるのはその趣旨です。

うあ No.15にものすごい誤字。

>その点の問題意識をもって藤原発言をレポートするとすれば、
× 藤原発言
○ 藤山発言

大変失礼いたしました。

No.14 FFFさん

そのような攻防を繰り広げてる場では、真実の追究など遠いなぁと素人ながらに思いました。
『病状の進行』は全く無視されているわけですか。いやはや。

現在の日本で起こっている「医療崩壊」とは、本質的に「急変対応を必要とする医療からの臨床医の撤退」です。
「急変対応」には医療の不確実性・予測不可能性・不可逆性・要迅速性が凝縮されています。
それに関係する医師とは「手術を要する外科系診療科一般」と「休日・夜間の救急当直勤務が必要な二次医療機関全般」との2つの集合の和集合に属する医師です。
これまでは、産科のように上記の2つとも満たす積集合に属する医師の逃散行動しかなかなか報道されなかったようですが、この1月からはいずれか一方しか満たさない医師の逃散も、ようやく一般の方にも目につくようになってきました。

別に触法行為を行っているわけではなく、判事さんが自動車を運転しないのと全く同じ理由です。


さて、例のエントリのコメントで峰村さんが↓を紹介されてましたね。

ある産婦人科医のひとりごと
2006/05/27 読売新聞:医療事故 摘発どこまで
投稿 産婦人科医 | 2007/01/18 00:53
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2006/05/post_4b17.html#comment-4955734

産科事故で民事訴訟に至り、一審は全面勝訴したものの控訴されている方のようです。
医事関係訴訟の被告側の当事者心理としてしごく普通に思えます。

以前から繰り返していますが、私は「民事で訴えられるのは仕方ないけど...」とは思えません。
当事者双方が納得する紛争解決システムを作らない限り、医療崩壊は止まりません。
少なくともそれが実現しない限り、臨床復帰する決断ができない医者がここに1名存在します。


結局のところ、「否認→怒り→取り引き→抑うつ→受容」と言われるgrief workの5段階のうち、今の制度ではせいぜい3段階目までの移行しかサポートしてくれないことも問題の根底にあると考えています。

>No.2 東馬さん

 私のブログ管理上の不手際で非公開になっておりました。
 大変失礼いたしました。

 その後のコメントの引用NO.も修正したつもりですが、見落としがありましたらご指摘ください。

> No.17 bg さん

 何故そのような理解に帰着するのか、ちょっとピンと来ないのですが・・・・。

 念のため説明しておくと、当事者が証拠を出すということと、裁判官がその証拠に従った認定をするということは全く別の問題です。原告側が出した証拠では原告主張の事実が認定できないと思うのなら、被告は、その証拠の価値について批判をするなり、別の証拠を出すなりすればよいわけで、現にそうしています。

 ただし、自分は、裁判をすれば全て真実が明らかになるとか、判決は常に客観的真実に合致しているとか、そういう無邪気なことを言っているわけではありません。

> No.20 FFFさん
直感で物申し上げてしまい申し訳ありません。
入院前と現状という"before"と"after"だけ掲げて「なんということでしょう」と言っただけでは、その間に何があったのか、病状はどのように進行し、治療はどのように行われ、一つの治療の結果どう病状が変化したかがわからないので、証拠としてどうかなと思った次第です。

過誤・事故に対する逸失利益を算定する場合にも、中間プロセスがどうなっていたかは非常に重要だと思います。
病院側からそれを証明する証拠にはカルテがあると思いますが、「カルテは改竄可能だ」で一蹴されそうです。

なので、件のビデオは行き過ぎた心証獲得の手段になりはしないのかなと感じました。
藤山フィルタがかかってるからそう見えるのかもしれませんが。

>No.13 モトケン

膨大な発言があるので、ざっとしか見ていませんが。

>医療過誤訴訟の当事者でない医師が、医療過誤訴訟についての不安と不信を述べているのです。
>そしてそれは司法に対する制度的不信につながり、それが医療制度を崩壊させつつあるのです。

この認識が素人には少し変に感じます。

現在の医療制度は様々な問題を内包しており、医療過誤訴訟が無くても崩壊に向かって進んでいるように素人には見えます。そもそも保険医療制度が経済的に破綻しそうです

医療過誤訴訟は医療制度の崩壊を加速していることは事実でしょうが、医師が「司法に対する制度的不信」を感じるから「医療制度を崩壊させる」というのは論理的な飛躍があると思います。

逆に言うと素人的には、司法が「医療制度に対して制度的不信」を感じているように思います。藤山発言はそういう風に見ることができると思います。
このプログのコメントを読んでも、「カルテの開示」や「院内検討会の話」、「どうせ素人には何を言っても・・・」などで、そういう「医者側への制度的な不信感じる」ことがあります

「理不尽な判決」と思うことは医療だけでなく他の分野でもあります。それに対して「どうせ素人には何を言っても・・・」と言ったら終わりだと思います。最近の例で言えば特許の訴訟でしょうか、特許の技術的な内容に関して裁判官は分かっていないでしょう。

司法やマスコミ、更には一般大衆に「医者側への制度的な不信」を感じさせない制度をまず医療側が実施することが必要だと思います。例えば、カルテや検査結果の保管・開示方法の明確化とかです。あるものが無かったり、無いはずのものが出てくるのは制度的な問題で、印象が非常に悪いのです(中身云々以前の問題です)

>医療過誤訴訟は医療制度の崩壊を加速していることは事実でしょうが、
>医師が「司法に対する制度的不信」を感じるから「医療制度を崩壊させ
>る」というのは論理的な飛躍があると思います。

たかちゃんさん,
我々医療者が適切な医療している限り訴訟に巻き込まれたり,万一巻込まれても敗訴することがない(正しいことをしているのですから当然ですが)のであれば,誰も問題にしません.
現実には,ここのブログにも,他所のブログにも書かれていますが10人の臨床に携わる医師が10人とも「その判断はおかしい」という判断が裁判官によって「正しい」と判断されているということが起こっているのです.
これはつまり,医療者が適切な仕事をしていても何時犯罪者呼ばわりされるか,場合によっては刑事に逮捕されるか判らない状況になっていることを意味しています.

決して論理的飛躍でも何でもありません.一般的な思考回路の持ち主であれば誰でもそのように考えざるを得ない状況が身の回りで次々と発生しているのです.昨年の「大野病院事件」はその筆頭ですし,それ以外にも挙げればきりがありません.

あなたは,もし自分が普通に仕事していたにも係わらず,仕事の結果が思わしくなかったからといったような理由で,他人から訴えられたり,逮捕されたりするように状況に置かれたらどうされますか?
裁判で「自分に落ち度がなかったにもかかわらず,結果が悪かったから」賠償しなさいといわれる状況であったらどうされますか?
我々医療者は現実にそのような状況で毎日仕事をしなければならない状態にされています.しかも,労働基準法の基準を遥かに超えるような過重労働をさせられながらです.かろうじて責任感が勝っているから踏みとどまっているようなものです.なんらかのきっかけがあったら,現在の国公立病院や大学病院から勤務医がいなくなるのもそう遠い日ではないのです.
よく考えて頂きたい.その時に最も困るのは一般の非医療人です.
我々は少なくとも,自分たちの仲間うちの病人の面倒をみることくらいは非医療者よりもできるでしょうし,つてと辿ってなんとか医療を受けることも不可能ではないでしょう.我々が困るレベルは非医療者ほどではないでしょう.それでも,このような発言を多くの医師が繰り返しているのは,「本当に困るのが大多数の非医療人である」からです.

No.22 たかちゃん さん

隠蔽体質が改善していると医師が述べても信用されないでしょうから、
明日の裁判所を考える懇談会(第13回)協議内容よりの抜粋です。
>審理期間が短くなった原因についてであるが,過去にはかなり病院側の隠ぺい体質が問題視されていた。裁判所がきつく言わないとなかなか資料を出してこない。それが,医学界全体で説明責任についての議論が高まり,それから隠ぺい工作に対して非常に批判が高まった。今の裁判所の説明とは少しずれるが,逆に医学界の方が非常に協力的になった,体質が変わってきたということは原因の一つとして考えられないか。

医療関係訴訟の審理期間の短縮についての話題ですが、平成16年における最高裁においては、医学会の隠蔽体質は改善しているとの認識にいただいております。


>カルテや検査結果の保管・開示方法の明確化

平成17年の個人情報保護法の施行で、カルテ開示は医療機関の法的義務になっています。
そのため、かなりの病院でカルテ開示方法が明確化されております。
まだまだ開業医となると開示方法の明確化されているかというと難しいでしょうが、基本的にカルテ開示を拒む事は許されておりません。
機会があれば、病院の窓口でカルテ開示の方法について訊ねてみるといいですよ。
自分の病院も100床規模の小規模病院ですが、カルテを含む医療情報の開示の手続きが個人情報保護法の施行に間に合うように明確に決められております。

>どうせ素人には何を言っても…

というか、医療事故についてのプロになってもらいたいし、制度的にも真相解明と再発防止に役にたつような公平な第三者機関が欲しいです。
この主張は患者側からは昔からよく言われていた事ですが、最近は医師からの求めも多くなっています。
予算もついたのですが、いまのところあんな少ない予算ではとみんな嘆いております。

>No.22 たかちゃん さん
>司法やマスコミ、更には一般大衆に「医者側への制度的な不信」を感じさせない制度をまず医療側が実施することが必要だと思います。

一般の方は医療に関することは制度的なものも含め全て医師や医療関係者に決定権があると考えがちです。ですから、萎縮医療の問題も医師不足の問題も全て医師が解決すべきと思われるのでしょう。
しかしながら、実際には現場で働く医師はあくまで末端労働者であり、医療全体を動かす事に関しては何の力もありません(自分達の提供しているサービスの価格決定権ですら自分達には無いのです)
ですから、目の前の患者の容態には大変敏感であっても、その地域全体の医療供給体制や、たかちゃんさんが言われるようなカルテ開示の制度的な変更などは全く自分とは無関係の政治家さんや役人さんが雲の上で決める事だと思っています。
工場で車の部品を組み立てる工員に、同時に新車開発もマーケティング計画も、戸別訪問セールスもやれと言われても無理です。工員は給料や労働内容が割にあわなければ単純に他の工場や職種に移ります。医者も基本的には同じです。
それを踏まえた上で、色々な障害を取り除き、調整をして、工員を上手に働かせ安定した商品供給を実現させるのは経営者の仕事でしょう。
医療という会社の経営者は医師ではありません。まずその認識を持って頂きたく思います。

>医療過誤訴訟は医療制度の崩壊を加速していることは事実でしょうが、
>医師が「司法に対する制度的不信」を感じるから「医療制度を崩壊させ
>る」というのは論理的な飛躍があると思います。

たかちゃんさん,
我々医療者が適切な医療している限り訴訟に巻き込まれたり,万一巻込まれても敗訴することがない(正しいことをしているのですから当然ですが)のであれば,誰も問題にしません.
現実には,ここのブログにも,他所のブログにも書かれていますが10人の臨床に携わる医師が10人とも「その判断はおかしい」という判断が裁判官によって「正しい」と判断されているということが起こっているのです.
これはつまり,医療者が適切な仕事をしていても何時犯罪者呼ばわりされるか,場合によっては刑事に逮捕されるか判らない状況になっていることを意味しています.

決して論理的飛躍でも何でもありません.一般的な思考回路の持ち主であれば誰でもそのように考えざるを得ない状況が身の回りで次々と発生しているのです.昨年の「大野病院事件」はその筆頭ですし,それ以外にも挙げればきりがありません.

あなたは,もし自分が普通に仕事していたにも係わらず,仕事の結果が思わしくなかったからといったような理由で,他人から訴えられたり,逮捕されたりするように状況に置かれたらどうされますか?
裁判で「自分に落ち度がなかったにもかかわらず,結果が悪かったから」賠償しなさいといわれる状況であったらどうされますか?
我々医療者は現実にそのような状況で毎日仕事をしなければならない状態にされています.しかも,労働基準法の基準を遥かに超えるような過重労働をさせられながらです.かろうじて責任感が勝っているから踏みとどまっているようなものです.なんらかのきっかけがあったら,現在の国公立病院や大学病院から勤務医がいなくなるのもそう遠い日ではないのです.
よく考えて頂きたい.その時に最も困るのは一般の非医療人です.
我々は少なくとも,自分たちの仲間うちの病人の面倒をみることくらいは非医療者よりもできるでしょうし,つてと辿ってなんとか医療を受けることも不可能ではないでしょう.我々が困るレベルは非医療者ほどではないでしょう.それでも,このような発言を多くの医師が繰り返しているのは,「本当に困るのが大多数の非医療人である」からです.

横からすみません。横道にそれるかもしれませんが・・・。

私はこの議論をみて私はガリレオ裁判を思い出しました。

科学的根拠で物を言う医師と、経験で物をいう法曹。その対立です。

医師たちは裁判に負けても「それでも地球は回っている」といい続けると思います。どちらが正しかったかは後になってわかるとは思いますが、いまそれを主張してもむりなのかなあ、と思います。

> No.27 まるべ さん へ
> 医師たちは裁判に負けても「それでも地球は回っている」といい続けると思います。

適切なたとえだと思います。明らかに科学的に間違った判断を、医者は是認することはできません。それが職業的な本能なのです。

言い換えれば、「司法が医療を破壊している」と医者は考えるわけです。

>裁判実務について素人である医師が倫理的非難しかできないのはやむを得ないと思います

素敵なコメントですね(笑)
30年以上前の、医師患者関係のように思えて、噴き出しました

医療実務について素人である裁判官が、目の前にある証拠のみで事実が解明できると信じている姿が非常に良く分かるコメントですね

藤山さんをはじめ、トンデモ判決を出す人達が、請負契約と委任契約の理解が出来ているのかどうか、素人ながら心配になってきました
いつから医療契約は、『間違いなく疾病を免れ、障害なく、健康な生活を取り戻せる』請負契約となったのでしょうか????

>いつから医療契約は、『間違いなく疾病を免れ、障害なく、健康な生活を取り戻せる』請負契約となったのでしょうか????

きっと、カルテというのは、名前を書かれたら死ぬ「デスノート」ならぬ、名前を書かれたら間違いなく疾病を免れ、障害なく、健康な生活を取り戻せる、「ライフノート」だと思われているのでしょう。

近い将来に実現可能だとも思わないけれど、行くべき道を逆に一法かと夢想しました。つまり、医師は積極的に過失を認めて悪い結果に対しては積極的にお金を払う。そのかわり、医療収入を現在の何倍かにしてその何割かを患者支払い用にストックをする。
なぜかといえば、過失無き医療ということを僕は信じることができないからです。過失があってなんらかの問題が生じる。過失のレベルはという議論をいくら重ねても合意はできそうもありません。
現在、内科は外科に比べれば訴訟リスクはずいぶん多いですが、その気になれば過失はごろごろしています。患者さんの意識が変わればすぐに訴えられることになりそうです。
例えば、最近僕自身はこういう過失をしました。長くパーキンソン病で診てきた方です。動けなくなれば薬をコントロールするということを繰り返してきました。去年の暮れから動けなくなったと訴えがあります。診察時はそれほど大きな神経症状の悪化はありませんでした。でも、日内変動のありうる病気ですから少し薬を増量しました。いつもは増量するとよくなりましたとおっしゃるのによくなりません、と数日後に受診をしました。そんなに動きが悪いのなら入院して薬の再調整をしましょう、と提案しましたが、提案のしかたが弱かったせいもありまた外来で少し薬を変えて帰っていただきました。
それから数日後、低血圧になり意識を失って患者さんは運ばれてきました。Ht11でした。
神経所見と動けないということの解離が会った方でした。結膜をみれば真っ白でした。採血さえしていれば容易に気づいた貧血でした。
患者さんもご家族よりはこの状態で感謝をいただいています。しかし、過失があったかなかったかといえば過失はあったのです。
パーキンソン病の概念をわかっているかと疑いの目を向けられましたが、僕自身は自分をやぶ医者とは思っていません。大病院の部長であったということを示すに過ぎないのですが、複数の大学の臨床助教授(大学からの学生、医師の指導役)です。ただ、なまじ神経内科専門医であったためにそこにこだわりがありすぎたためのミスではあります。
また、最近こんな例もありました。20代の妊娠中にふくらはぎの奥の方からいたくなり、眠れないことがあった。妊娠後よくなったけれど。10年前から同様の症状で眠れない。開業医の先生が診ておられて、10年に3回神経内科に紹介をしています。4回目に僕のところに来ました。訴えのしかたが典型ではなかったけれど、l-dopaというパーキンソンの薬が効果のある病態かもしれないと思い、処方をしました。その日から眠れるようになりました。
どちらも、ある意味医師の能力不足、過失という言い方もできます。どちらも患者さんもご家族も医師を恨んでいません。しかし、だれかがこれも訴えられると言えば訴える方もでてくるかと思います。
こういった症例は裁判ではやはり医師に支払いを命じるようになるのではないでしょうか。僕もその結論に異論は言いにくい。あるとすれば、それはやはり現在の医療収入では病院倒産、医療崩壊につながるからです。

>No.31 謹慎明けさん

面白い考え方ですね。
先生の告白は、「過失」の概念が、医師にとっても、きわめてあいまいなものであるということを如実にあらわしているものと思います。

ありとあらゆる可能性を考える医師ほど、物事をレトロに振り返ることで、自分の過失?という考えを思ってしまうことになりませんか?

私は、救急の最前線で仕事をしています。つまり、患者診療の時間軸の一番先頭のところで、戦っているわけです。先生のおっしゃるような「反省」は、日々日常茶飯事です。
もちろん、致命的な「エラー」を起こさないように、努力はしている自負はあります。
それでも、先生のおっしゃるような「反省」はあります。これを「過失」として、自分を責めていたら、救急医療の医師は全滅します。

われわれ医師は、完璧をめざしても、病的な「完ぺき主義」に陥らないように、事故コントロールをして必要があると同時に、紛争予防としての対患者および対家族に対して、不用意に不振をいだかせない振る舞いを行う「スキル」を日々つけていく努力をしないかといけないかなと思います。

私は、リスク回避の診療に、最近、ちょっと疲れ気味なってきました。
おそらく、一発地雷を踏み込んだら、もう自分は、もたないと思います。

自己レスです。すみません。誤字多すぎ m(_ _)m

  <誤>     <修正>
思ってしまう → 持ってしまう
 事故    →  自己
 不振    →  不信
 一発   →  一発でも


誤字だらけというと僕の方がよほど恥ずかしい限りです。
内容に関わる点だけ訂正します。

行くべき道を逆に一法か

行くべき道を逆に行くのも一法か

現在、内科は外科に比べれば訴訟リスクはずいぶん多い
はもちろん
現在、内科は外科に比べれば訴訟リスクはずいぶん少ない

です。

ER医のはしくれ先生
救急はもちろんそうですよね。
よりたいへんな毎日を送っておられると思います。
反省しなければいけないことを過失と呼ぶべきかは違うかもしれませんが、非医療者はそう思っても不思議はないかもと思います。つまり、今の状況は誰かが問題にするかどうかでその医者の運命が決まるという側面があります。どんな医者でも過失?のようなものを起こすとすれば、公平に一つ一つが訴訟されれば医師は一人もいなくなると思えます。
夢想かなとも思うのですが、ちょっと現実的でないと考えているからでもありますが、悪意のないミスをきちんと金銭で償うことが社会的信頼をより高める、経済的に大きなダメージを受けないという状況はありえないかもと考えたからです。

日本全国で予想された様に産科崩壊消滅していますね。国民は今まで無知だったから産科崩壊を警告しても理解不能だった。、今現実的にに産科崩壊して、やっと国民は事態が理解できた。、産科崩壊の原因の多くは福島地検であり、藤山の非科学的判決にあると気が付く。国民とマスコミの非難の矛先は当然、福島地検と藤山に向けられるのは時間の問題だ。

>No.35 批判の矛先は司法へさん

過去、司法が槍玉にあがったことは、それほど多くはないように思います。

マスメディアは、まず厚生労働省や地方自治体を責めるだろうなと思います。
次には、医師自体のモラルの問題だというかもしれません。

診療報酬を上げることは、小児科で行ってきましたが、あまり効果はないようです。もともと、あげるのも難しい診療科ではありますが。

まずは、逃げ道をふさぐ(自由開業制の制限・診療所の診療報酬の切り下げ)ということになるかもしれません。

「出もの腫れもの処嫌わず」の最凶さんのような患者さんが増えることが重要なのかもしれません。

コメントありがとうございます

最初に「藤山雅行裁判長」の「100点満点の治療」について
素人から見ますと「100点満点の治療」とは医療者が後から見て「自己の治療行為に後悔する点が無い治療」ということのように思います。医療者に後悔する点があれば和解しなさいという意味だとしっくりするのですが・・・・

逆に言うと我々素人は医療者の治療に対して「80点の治療」、「60点の治療」で合意をした覚えは無いですよ。医療者側がそうしたいのあれば、社会的な合意を形成するべきでしょう。

>我々医療者が適切な医療している限り訴訟に巻き込まれたり,万一巻込まれても敗訴することがない(正しいことをしているのですから当然ですが)のであれば,誰も問題にしません.

ここなんですが、
1)「医療者が適切な医療していた」ことが医療者にしか分からないのでは訴訟に勝てないですよね。
2)「訴訟に巻き込まれたり」、結果として人が死んでいる場合なんかであれば「訴えられない保障」を求めることは素人には奇異に写りますよ

そもそも、医療行為が多分に個人的、経験的要素が多いものであれば、「何が適切な医療」であるかは誰にも分からないでしょう。「医療者が適切と思う医療行為」も「状況、経験、技能」で変わるのでは無いですか?

まあ、裁判所に「あら捜し」をされているのでしょうが
情報偏重の場合、社会正義がどこにあるかを考えると情報を持っている側に厳しい態度をとりたいと思うのは十分考えられます。
「疑わしきは被告人の利益に」という構図が国家と個人の力関係を加味して成り立つのであれば、医療裁判では「疑わしきは原告の利益に」という構図が成り立つように思います

カルテの開示ですが、これで十分開示しているというのであれば間違っていると思います。自分のカルテは複数の病院で見たこと(抗生物質の副作用が出て勝手に転院したためですが)があります。
開示請求後、何分で開示されます?私は3〜7日かかりましたが、30分以内でないと疑義を招かない開示とは言えないと思います。それに内容も充実させて欲しいです、何書いてあるのか不明な箇所もありました。

このプログでの議論も拝見しましたが、未確認情報に基づいての議論が多いですよね。情報は十分公開されていないし、十分な公開(判決文?)されたときは手遅れになっているように思います。

最後に、奈良事件でマスコミを批判されている方がいますが、多くの専門施設で移送を拒否されたということは報道する意味があり、その意味でその報道が賞を受けたとしてもなんら問題はないでしょう。

>No.37 たかちゃんさん

医療者の意見として、少しコメントさせてください。

>2)「訴訟に巻き込まれたり」、結果として人が死んでいる場合なんかであれば「訴えられない保障」を求めることは素人には奇異に写りますよ

医療者にも各個人で温度差があるとは思いますが、「死」は、きわめて自然現象で、
我々人間には太刀打ちできない場合も多々あるという感覚があります。
その感覚は、総じて言えば、「医療者」>>「非医療者」 といえると思います。
現代社会は、都市化が進み、「死」は忌み嫌われるものとして、社会から隔絶され、まるで病院の中でしか起こらない出来事になってしまいました。そのような社会背景の結果、多くの一般の人にとって、「死」は、どこか他人事になっていないでしょうか?
この発言を読んで、私は、「みんな自分は死なないとおもってるんだよなあ」と感じずにはいられませんでした。
だから、医療の中で予期せぬ「死」がおきれば、医療者に責任を追いつめたくなる気持ちになるんだと思います。私は、医療者と一般の医療を受ける方々の信頼をより回復するには、
社会の中で「death education」が極めて重要な役割を握っているものと感じています。
つまり、今の死生観が、産科や救急での予期せぬ「死」が受け入れらずに訴訟にまでいってしまう一因になっていると思います。

>最後に、奈良事件でマスコミを批判されている方がいますが、多くの専門施設で移送を拒否されたということは報道する意味があり、その意味でその報道が賞を受けたとしてもなんら問題はないでしょう。

転送先が決まらなかったことは、確かに報道する意味あり受賞する意味もあるかもしれません。しかし、毎日新聞は、批判されるべきだと私は確信しています。
明らかに、「医師が悪人」という誘導的な論調で記事を書いておきながら、後から、いろいろと事実関係が出てきても、謝罪訂正をしない。「医療不信」というイメージを世間にうえつけておくだけおいて、その修正報道を自らの責任で行おうとしない。
こんなマスコミの態度は、批判をうけて当然だと思います。
ぜひ、大淀町事件の詳細は、この過去ログをお読みください。

>>No.37 たかちゃん さん
私に限って言えば、「自己の治療行為に後悔する点が無い治療」など、ただの一度たりとて行えた試しがありません。
ヤブで申し訳ない。

No.37 たかちゃん さん お疲れ様です。

>素人から見ますと「100点満点の治療」とは医療者が後から見て「自己の治療行為に後悔する点が無い治療」ということのように思います。医療者に後悔する点があれば和解しなさいという意味だとしっくりするのですが・・・・

多分、そのように考えると、余計混乱しそうな気がします。
その医療者の性格にもよりますが、真面目な医師ほど、たとえ結果が非常に良好であっても、後で振り返った時に、色々な反省点が山ほど出てくるのではないかと思います。
「あの時にAという薬を出したけれども、Bにすればもっと経過が良かったのではないか」
「あの時にCという検査を行ったが、症状をもっと詳細に検討していればCと言う検査は省略できたのではないか」
などなどです。

昔、ある有名な指揮者がインタビューで
「オーケストラを指揮していてミスをすることがありますか?」と聞かれ
「いつも、一拍目からミスをしていて、それを取り戻そうと必死になっているうちに曲が終わってしまいます」
と言うようなことを言ってました。
記憶で書いているので間違ってるかもしれませんが、医療に関しても似たようなものではないかと思っています。

>No.37 たかちゃんさん | CID 32822 |

>最初に「藤山雅行裁判長」の「100点満点の治療」について
素人から見ますと「100点満点の治療」とは医療者が後から見て「自己の治療行為に後悔する点が無い治療」ということのように思います。医療者に後悔する点があれば和解しなさいという意味だとしっくりするのですが・・・・

このブログでも繰り返し出てきていますが、重傷者の治療や、患者さんが亡くなったとき、また合併症などによる予期しない死亡などが起こったときは、通常「自己の治療行為に後悔する点が無い治療」になることはまず有り得ません。(そのような治療過程で満足していては、自分のスキルアップがなくなります)
患者さん側からみて、満足される結果であっても、常に自分の治療過程に疑問を持つように、我々は訓練されています。医師同士のカンファレンスでも、治療レベルを向上すべくいろいろな議論になります。このレベルは、通常なされるべき医療水準を超えた部分での治療を理想として、努力していきます。

即ち、「自己の治療行為に後悔する点が無い治療」が「100点満点の治療」であるとすれば、医事紛争になったときには常に、和解に応じなければならなくなります。これを、民事の有責の基準にすることは、非常に無理があると思います。


元田舎医さん、田舎の消化器外科医さん、私も、「自己の処理に後悔する点が無い事件」などありません。

世の中に、どんな仕事だって、常に100点満点なんてないと思います。
裁判だって、下級審の誤りを是正する上訴制度があるのです。

過失はないけれど100点満点の医療ではないという前提で、例え減点1があるとしても、それをお金に換算しなければならないとしたら、相当な程度のものだと思います。

でも、私は、勝ち筋の事件においても、モトケンさんと同じように、「紛争解決のための経費」として和解を勧めると思います。
もちろん、和解金額は、「経費」という言葉に見合う程度でですが。


#以下本筋とは関係のない余談
テレビ番組の影響か、最近、地方自治体や弁護士会の法律相談などに来られる方の中に、ちょっとしたことで、すぐに慰謝料はいくら貰えるんだって口にする人が目立ちます。
慰謝料って、その人の精神的苦痛をお金に換算するものです。
ですから、慰謝料の基準なんてそもそもないのですが、それにしたって、お金に換算できる精神的苦痛ってのは、相当なもののはずです。
「なぜ慰謝料が認められないのか!」などと怒り出す相談者には、「あなた、それだけのお金を自分で稼ぐとしたら、どんだけ働く必要があるかね。」なんて言っちゃいます。

網田先生か出臼先生なら100%の医療ができると思います。


それにしても当直をしていたころは毎回が恐怖でした。
ただでさえ足りない頭が、例えば朝04:00に寝て04:20に起こされたときなど(徹夜明けよりキツいです)ふだんの3割程度にしか働かなくなりますから。
とてもまともな判断をし続ける自信はありませんでした。
で、次の日が平日であればそのまま通常業務です。

私が臨床を辞めて一番利益を得たのは、私の診察を受けていた地域の皆様だと確信しています。
今でもずっと、私が診療していたことを申し訳なく思っています。

No.42 PINE さん

ちょっと雑談部分に反応させていただきます。

>慰謝料の基準なんてそもそもないのですが、それにしたって、お金に換算できる精神的苦痛ってのは、相当なもののはず

なんだか医療での相場が、他の場合の慰謝料と比べて高額な気がするんですよね。子供の頃親の本棚にあった法律の抜け穴全集を読んで、慰謝料って少なくしかもらえないんだと思ったことに比べると。
法曹のコメントで、裁判官は医者だから多く払わせようとか思っていないというようなことを何度か読んでいるのだけれど、どうなのでしょうかね。

>あなた、それだけのお金を自分で稼ぐとしたら、どんだけ働く必要があるかね

ドクハラならぬロウハラとか言われませんか。

No.36 てつさん

>過去、司法が槍玉にあがったことは、それほど多くはないように思います。

その通りですね。マスコミは司法に対して腰がひけているような印象がありますよね。

>診療報酬を上げることは、小児科で行ってきました

産科と小児科の点数アップは、厚労省の単なる言い訳というのが、多くの医師の評価ですよね。

>まずは、逃げ道をふさぐ

厚生省は医師と全面戦争するつもりですか。

No.44の元行政さん、

>法曹のコメントで、裁判官は医者だから多く払わせようとか思っていないというようなことを何度か読んでいるのだけれど、どうなのでしょうかね。

私は、訴訟で医療事故を扱ったことはないですが、例えば、裁判官に、「被告はお金があるんだから、払ってあげたらどうですか。」となどと露骨に言われたことはありません。
ただ、逆に、「被告は資力がないから、ここらへんの金額で和解したらどうですか。」という説得をされることはあります。
判決をもらっても資力のない相手からは回収できませんし、和解なら任意に払ってくれる場合が多く強制執行の手間もかからない(不動産競売などでは50万円くらいの予納金が要ります。)からです。

>ドクハラならぬロウハラとか言われませんか。
さすがに、言葉には注意しています。(笑)
#「隣の家のテレビの音がうるさい。弁護士に頼んで慰謝料を100万円請求したい。」なんて言われると、「まず、アンタ、その口で、隣の家に文句の一つも言ってみたらどうですか。100万円なんて大金だぞ。」と思うわけです。

No.46 PINE さん

>露骨に言われたことはありません。

平等を価値観の上位におく司法ですから(あってますよね?)、口が避けても言えないでしょうね。しかし、逆の考慮があるということは、幾分かは意識していると思います。

>テレビの音>慰謝料を100万円

我々の日常的な診療の一コマと、だぶるものがありますね。

No.37 たかちゃんさん

>開示請求後、何分で開示されます?私は3〜7日かかりましたが、30分以内でないと疑義を招かない開示とは言えないと思います。それに内容も充実させて欲しいです、何書いてあるのか不明な箇所もありました。

個人情報の開示は審査が必要です。
・開示請求に係る個人情報のすべてが不開示情報に該当する場合
・開示請求に係る個人情報の存否を答えるだけで不開示情報を開示したことになる場合
などの審査しなければなりません。
たとえば官公庁とか公社では、「決定の内容は原則30日以内に書面で通知します。決定期限を延長することもあります。」ってありますし。
ググってみても、民間でも価格.comは3週、東急電鉄は2週以上とか日数をかけて審査しています。
個人情報の提供ていくらでも悪用が出来るからきちんと審査して責任者が開示の許可を出すのが普通。
3〜7日なんて随分速いですよ。
あと内容の充実っていわれても現在の医療費では無理です。
待ち時間をもっと増やすこととか医療のアクセス制限を許容するかか、医療費の値上げのどちらを選ぶかになります。
それにしても30分以内の根拠ってなんだろう?

>奈良事件でマスコミを批判されている方がいますが、多くの専門施設で移送を拒否されたということは報道する意味があり、その意味でその報道が賞を受けたとしてもなんら問題はないでしょう。

首相に任命者責任があるように、賞の選考した人にも責任があります。
報道する価値があっても、誤報は問題。
それに賞を与えてなんら問題がないと言われても、そこまでの賞なんだと思われる。
自らの賞の権威を貶めることを問題ないと思っているなら、賞を与えても無問題ってところだと思います。

”juge藤山雅行裁判長のお話”に書き込んだ疑問点です

回答は面倒だと思われますが、何か御意見がいただけると、本当に大喜びして、勉強に励むことができそうです。

どなたか、お手数ですが、よろしくお願いします

*******************************************
『過失がない場合であっても、100点満点ではないということであれば賠償責任が発生する』とする委任契約と、請負契約との相違点を簡潔に述べよ


医療訴訟で、過失を重過失、軽過失に敢えて分けずに、重過失と同列に全てを扱う必要性と許容性、実現性について簡潔に述べよ


弁護契約も準委任契約と云われるが、求める賠償請求額に満たない結論が出た場合、要求額に満たない部分に対する賠償をする責を負うか?
医療契約との相違についても述べよ
責を負うとした場合に、妥当な着手料について述べよ


医療行為は須らく身体に働きかけるものであるから傷害行為とみなすことも可能であるが、正当業務行為とするための違法性阻却事由を述べよ。


『正当業務としての医療行為において、故意または重過失に因らなければ賠償の責を負わない』という立法がなされた場合の、現行法との対立点について述べよ。違憲とするならその根拠を述べよ

No.49 Med_Law さん

『過失がない場合であっても、100点満点ではないということであれば賠償責任が発生する』とする委任契約と、請負契約との相違点を簡潔に述べよ

法律の素人ですが、何か違うような気がします。

また受任者が事務処理にあたって損害を被った場合、受任者に過失がなければ委任者に対してその賠償を請求することができる。この際、委任者は自己に過失がなくても請求に応じなければならない(民法650条3項)。

委任 - Wikipedia

医療契約では、受任者=医師、委任者=患者、ですよね?
医師が損害を被った場合には、患者に過失がなくても患者に賠償を請求できる、と読めるのですが。

>また受任者が事務処理にあたって損害を被った場合

ronさん,
すみませんが,この「事務処理」とは何をさすのでしょうか?
「医療行為のように結果そのものが不確定の行為」を「事務処理」と言えるのでしょうか.最初の仮定が間違っていないでしょうか?
仮定の間違った論理の結果はすべて「真」になりますので,「仮定」の正しさは論理を組み立てる上で重要です.

>No.49 Med_Law さん

私も法律ど素人ですが、やはり何か違う気がします。

『過失がない場合であっても、100点満点ではないということであれば賠償責任が発生する』とする委任契約と、請負契約との相違点を簡潔に述べよ

「委任契約」と「請負契約」が法律概念として独立に存在する以上、類似性はあるにせよ所詮は別のものでありその違いは一般論です。まして「委任契約」に対してのみ限定条件を付帯し、「請負契約」は一般概念ではたとえ法律家と言えども比較の仕様がないのでは、と思います。

医療訴訟で、過失を重過失、軽過失に敢えて分けずに、重過失と同列に全てを扱う必要性と許容性、実現性について簡潔に述べよ

この設問の趣旨も測りかねます。制度や運用上の事柄の必要性を考察するのは現実に存在するものを対象とするのが一般的です。言い換えると、現実に存在しないものは必要性がないから存在しない、というわけです。もちろん革新的な制度を新たに提唱するのであれば、それが従前のものと比較してどれほど素晴らしいか説明する義務があります。誰かが
「医療訴訟で、過失を重過失、軽過失に敢えて分けずに、重過失と同列に全てを扱う方が合理的である」
と主張したとしたら、その時こそ提唱者に質問なさるべきでしょう。いきなり上記の様な質問を投げかけることは、「ほのめかし」になると思います。

弁護契約も準委任契約と云われるが、求める賠償請求額に満たない結論が出た場合、要求額に満たない部分に対する賠償をする責を負うか?

「契約」に「求める賠償請求額に満たない結論が出た場合、要求額に満たない部分に対する賠償をする責を負う」ことが明記されていればそうせざるを得ないでしょう。でもそんな契約をする弁護士さんは日本中探しても一人もいない筈です。弁護契約と医療契約は全く別物です。そもそも「医療契約」なるのがあるのかどうか、法律家のお考えは別にして、医療者には議論が尽きないところです。もし医療者として理不尽な「契約」を押しつけられていると感じたら、その理不尽さを論理的に説明すべきかと思います。

医療行為は須らく身体に働きかけるものであるから傷害行為とみなすことも可能であるが、正当業務行為とするための違法性阻却事由を述べよ。

これは別エントリ臓器移植問題で詳しく議論されたことですので、まずそちらをお読みになった方が宜しいかと思います。

『正当業務としての医療行為において、故意または重過失に因らなければ賠償の責を負わない』

賠償に代わる別の補償制度があれば別ですが、「気に入らないから金よこせ」もとりあえず訴える権利があると考えます。そして「気に入らない」に十分客観的根拠があるかないか判断するのが民事裁判である気がします。「現行法との対立点」が少なくなるような社会状況の整備が先でしょうね。個人的な考えとしては「単なるいちゃもん訴訟は原告100%敗訴」の事実を作ることが肝心だと思います。

「藤山裁判長のお話」のツッコミどころとしては「100点満点の定義」ではないかと思います。医療も「契約」であると仰るなら、古今東西の契約書で「100点満点の成果でなければ補償義務が生じる」といった文言があるのか、あるなら見せて頂きたいと思います。目標を数値設定して達成度を%表示するのは可能ですが、テストの様に採点基準が予め示されていない事柄に対して「出来は○点」などというのは「大体出来た」とか「ほとんど出来なかった」とか言う定性的表現と本質は同じです。定性的評価に「100点満点」などと数字を持ち出すことで、主張に定量的客観性がありそうだと相手を騙す悪質なトリック議論にしか見えません。

なお、民事裁判は「過失があるから過失による不利益を加害者・被害者で分配しましょう」ということだと思います。過失がないのに「和解金」という名の補償金を出せというのは民事裁判の根幹を揺るがす思想に思えます。過失がないのに補償せよ、は無過失補償そのもので、これは制度的に行うべきでしょう。今の厳しい医療財政で医者個人や病院に無過失補償の財源を出せというのは無理ですよ。

>また受任者が事務処理にあたって損害を被った場合

これは、結局は受任者の必要経費にあたると私は独学しましたけど。

>No.50 ron さま
No.53 座位さまが指摘されるように、民法650条1〜3項の趣旨は、委任事務の処理にあたって必要な経費は一切、委任者側で負担し、受任者には負担させない という趣旨であり、No.49の説問1 とは場面が異なります。

民法650条3項の「損害を被ったとき」の事例としては、商取引の代理で出張した先で自爆テロに巻き込まれ負傷した場合の治療費を、(爆弾犯人に請求しようにもできないので)依頼者に請求出来るというようなことです。
そうすると、内科医が風邪の患者を診て、風邪を移された場合は? この場合は契約締結時から委任事務の内容自体にそのような危険性があり得ることが想定されているため、別途の損害賠償は請求出来ないという解釈になるでしょうか。

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No.49の説問は、いずれも法律用語の使い方が正確でない、というか、そういう条件設定は法律の世界ではまずしないというような質問の仕方なので、回答しずらいです。
とりあえず説問1 は語句を補って、下のように理解すべきかと。

  『[受任者の事務処理の仕方に]過失がない場合であっても、[事務処理の結果が]100点満点ではないということであれば[受任者は委任者に対し、予定した結果が完全に達成されなかったことについての]賠償責任が発生する』とする委任契約と、[契約法に言う典型契約たる]請負契約との相違点を簡潔に述べよ

法律家の回答としては、
成果を約束する点では「典型契約たる請負契約」に近い、といえますが、そのほかの点についてはどうかは、契約全体の条項を見てみなければわかりません。
例えば、請負では瑕疵修補請求ができますが、当該契約ではそういう請求ができることとされているか?

契約法は典型的な契約はこう、ということを規定しているだけで、原則的にどういう内容を定めるかは当事者の自由ですから、
契約の法的効果の解釈においてはタイトルより中身が問題であり、個々の契約条項の趣旨を追及することが重要なのであって、これは何契約に当たるか、という議論はそれほど意味のあることとは思えません。

本件では、当事者双方が納得して合意する限り、受任側にそのような重い義務を負わせる契約(何という表題を付けるかに関わらず)も有効であり、公序良俗違反として無効にされることはないと考えます。
普通は、よほど高額の報酬でなければ、引き受けないことになるでしょうが。

No.49設問2
「医療訴訟で、過失を重過失、軽過失に敢えて分けずに」

そもそも、過失の程度に重過失と軽過失とがあるとして、取り扱いを区別することのほうが、例外的です。
法律の条文上、単なる過失と重過失が区別されているものもありますが、

  第95条 意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に*重大な過失*があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。
 
医療訴訟の請求の根拠条文たる不法行為法では、条文上は「過失」一本です。

  第709条 故意又は*過失*によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

判例の解釈も、不法行為責任は、単なる過失だけで成立するとされています。
ですから、法解釈学としては、逆に、医療についてのみ、一般の不法行為とは異なり、
「あえて軽過失と重過失を区別するべき」必要性を論じなければなりません。

私は、民法の解釈のみで軽過失を免責することには無理があり、そうしたければ立法が必要であると考えます。

>No.51 Level3 さん

すみませんが,この「事務処理」とは何をさすのでしょうか?

帳簿付けのような、一般的な事務処理を委託するような契約を想定して、Wikipeiaの文書が書かれている、というだけだと思います。法律上は、具体的に委託する行為の内容が決められている訳ではないのだと思います(ですよね?>法曹のみなさま)。

>No.54 YUNYUN さん

本件では、当事者双方が納得して合意する限り、受任側にそのような重い義務を負わせる契約(何という表題を付けるかに関わらず)も有効であり、公序良俗違反として無効にされることはないと考えます。

コメントありがとうございます。
私はおおざっぱに、委任契約=委任者の責任が重い、請負契約=請け負う側の責任が重い、という類型で理解していました。私の仕事上ですと、委任契約=仕事の完成責任はない、請負契約=仕事の完成責任がある、ということで、金銭の支払いについて、委任契約は期間で料金を算定し、請負契約は仕事の成果物の原価から料金を算定する、という程度です。

そうすると、「100点満点でなければ、受任者に賠償責任が発生する」かどうかは、個別の契約でそのように決められているかどうかであって、委任であるか請負であるかは、あまり関係がないような気もします。請負契約でも、普通は検収基準というものがあって、これが80点ならOKとか70点でもOKとかを決めているように思います。

No.49設問3
「弁護契約も準委任契約と云われるが」

最初に、用語の定義の問題(No.51、56)。

(委任)
民法第643条 委任は、当事者の一方が法律行為をすることを相手方に委託し、相手方がこれを承諾することによって、その効力を生ずる。

(準委任)
民法第656条 この節の規定は、法律行為でない事務の委託について準用する。

「委任」は法律行為をすることの委託、「準委任」は事実行為をすることの委託です。
法律行為とは法的な効果が生じる行為のことで(トートロジーのような定義ですが)、典型例は売買契約の締結を代理人にやらせるような場合。契約締結の法律効果が、本人に帰属します。
委任された仕事のことを「委任事務」と呼び、「委任事務を処理する」という言い方をします。
弁護士には<法律事務>を委任することが普通で(誰にでもできる事実行為を、わざわざ高いお金を払って弁護士に委任しない)、だから弁護士への依頼は、典型的な「委任契約」であると言われます。
帳簿付けのほうは、事実行為です。庭の植木の葉刈りをしてくれとか、猫にエサをやってくれとか。そのこと自体から法律的な効果は生じないもの。そういう仕事を他人に依頼する契約も可能である、と。
医師の治療も事実行為なので、「準委任契約」と言われます。

が、実際には委任だろうが準委任だろうが、全ての条文が準用されているため、区別する実益はあまりありません。

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弁護契約の法的性質は委任であると一般に解されていますし、具体的な契約の際には、弁護士は依頼者に対して、結果を保証しない旨を説明するのが普通です。
従って、「求める賠償請求額に満たない結論が出た場合、要求額に満たない部分に対する賠償をする責を負う」という条件を特約しない限り、そのような法的効果は生じませんが、
No.52 ヤブ医者 さまご指摘の通り、常識的にそんな依頼を引き受ける弁護士が存在するとは思われませんので、
このような特約の存在を立証するためには、強い証拠、例えば弁護士の印鑑証明付きの契約書などが必要でしょうね。

弁護士の妥当な着手料は、依頼内容によるとしか、言いようがありませんが・・・

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設問4 「医療行為は須らく身体に働きかけるものであるから傷害行為とみなすことも可能であるが、正当業務行為とするための違法性阻却事由を述べよ。」

設問の趣旨が不明です??

(正当行為)
刑法第35条 法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

刑法にはこれだけしか、書いていません。
医療行為の違法性を阻却する事由は、それが「正当業務行為」であるから、という趣旨。

cf.Q:刑法における違法性阻却事由にはどのようなものがあるか?
A:「正当行為(35条)」「正当防衛(36条)」「緊急避難(37条)」。そのほかに、条文にはないが解釈上「可罰的違法性のないこと」

医療のどういう行為が具体的に正当業務行為とされるかについては、医学的に通常の治療方法として認められた行為であれば、正当業務行為であるとして問題ありません。
争いになるのは、
・治療効果や副作用の程度について医師の見解が一致しない最先端の治療方法
・臓器移植
・安楽死、尊厳死
・生殖医療(代理出産、凍結受精卵の利用) etc.

No.49設問5
「『正当業務としての医療行為において、故意または重過失に因らなければ賠償の責を負わない』という立法がなされた場合の、現行法との対立点について述べよ。違憲とするならその根拠を述べよ」

現行法との対立点(相違点)は、文言から明らかなように、「軽過失を免責する」という以外に何かありますか?
質問の意図がよくわかりません。

私は現行法の解釈として軽過失を除くことはできないが、立法によるならば、可能(そのような法律は憲法に反しない)と考えますが、法律家の間でも異論はあるかもしれません。

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No.49 Med_Law 様がこのような設問を立てられた意図を推測しますに、
軽過失を免責して医師を保護すれば、医療紛争が減少して医療崩壊を避けられるということではないでしょうか。

私は、過失の程度で区切るというアプローチのしかたが適当かどうかは、疑問と思います。

軽過失、重過失と言ったところで、裁判所が線を引くだけの言葉の綾なので、線引きの甘い辛いによっては、あまり免責されないおそれがあります。

過失の程度以前に、「過失の認定方法、何を過失と判断するか」が問題です。
いわゆる「後出しジャンケン」の手法を否定しなければ、医師が自らの注意力によって危険を回避することはできません。回避しえない不測の危険が存する限り、「重過失でなければ大丈夫」と言ったところで、医師は納得できず逃散は止まないのではないでしょうか。
いや、妥協的に、重過失ならば後出しジャンケンで責任を問われても仕方がないと諦めるという意味でしょうか。

一方、医学的に明らかに医師がヘマしたのであっても、軽過失ならカンベンしてやれ、というのは、患者側にすれば納得しがたいことなので、
軽過失免責立法を通すことは、かなり厳しいと思われます。

No.58 YUNYUN さん

いつも勉強になります。
先生のコメントを読んで、以下のようなことを考えたのでコメントさせてもらいます。

>医学的に明らかに医師がヘマしたのであっても、軽過失ならカンベンしてやれ

例えば採血などはよくミスがあります。名人がやっても上手くいかない難しい例もあれば、困難でない例でも失敗することもあります。採血では結果が重篤でないこと、確実性がないことを理解しやすいこと、一般の人にも日常的であることから、すでに暗黙の了解の上で施行され、問題にならないのだとは思いますが、もう少し分かりにくいことでは昨今の判例(心嚢穿刺できたはずだとか、挿管できたはずだ等)のように過失とされ医療側が敗訴しています。
ここでもし契約で、こんな場合は免責と事細かに取り決めたら(莫大な項目になりそうですが)どうでしょう。採血で失敗したら賠償なれば、誰も採血などおこないません。軽過失のような曖昧なものでなく、このような契約という形なら、立法ということまでいかなくても可能と思いますがどうでしょうか。

YUNYUNさん、元行政さん

以前に医者2ちゃんことm3で書いたのですが、採血ミスに6800万円を賠償する和解が成立したのですが、採血技術料は120円でして、68000000÷120=566667、すなわち56万回分の採血技術料がパーになるわけです。

人間なら誰でもミスはするものであって、このような事例を賠償するのが当然ということになれば、当然採血技術料に織り込まねばなりませんので、採血技術料は大幅に増額してもらわねばなりません。過失免責を認めないという場合は、このことを飲み込む覚悟を決めてもらうということでもあるわけです。「両方とも飲めない」と言われれば、医療は崩壊に向けて驀進を続けることになります。

どうしたら良いでしょう…?

#YUNYUNさんにはいくつかレスポンスを頂いていて、返答が滞っていることをお詫びします。

No.60 峰村健司 さん

以前読んだ記憶があります。(m3は最近はご無沙汰です)
麻痺か何かでしたっけ。確かに採血の失敗⇒痛い思い以上の場合もありましたね。
採血一つで書類か。。。ふぅ。。同意書や契約書までいかなくても、採血コーナーに大きく、詳しい解説と免責を了承しなければ治療契約が成り立たないことを書いておけばいいかもしれません。

>>No.60 峰村健司 さんのコメント
採血ミスに6800万円を賠償は、ひとつの例に過ぎませんよね。
賠償責任が生じる合併症の頻度と賠償金額を掛け合わせて、
そのリスクを上回る価格設定ができていないといけないということに
なりますよね。
当然、採血技術料に限った話ではありませんよね。
あらゆる医療行為にそのことは広がるので、
いまの医療の価格は、賠償を想定していない価格だけど、
賠償を想定した価格に変えなければいけないということになりますよね。

でも、健康保険による医療費には、限りがあるようなので難しいかも知れませんね。
しかも、いま健康保険で医療を受けている人のうち全員が
医療の結果が悪ければ、金銭で賠償して欲しいと思っているか
どうかもわかりませんよね。
医療の結果が悪くても、金銭で賠償をしてもらえない代わりに、
やすく医療を受けることができたほうがよいと考える人もいるかもしれませんね。

医療の価格が高くて、結果が悪ければ金銭で補償してもらえる医療がよいのか、
医療の価格は安いけど、結果が悪くても何の補償もないほうがいいのか、
考えていただかないと、いけないのだと思いますよ。

なにも考えず、選択しないで、漫然と、医療の結果が悪いと金銭で補償させとこうと
いうことにすると、リスクに合わない医療が少しづつ提供されなくなるだけ・・・

個人的には、国民健康保険による、医療の提供では、
医療の結果が悪くても、金銭による保障をしない。
医療の結果が悪いときに、金銭で補償してもらいたいひとは、
専用の保険に加入して、その医療の結果が悪ければ金銭で補償してもらえる保険で
解決するようにしたらよいと思います。

この保険により、保険会社という第3者から、医療提供者は監視されることになりますし、
この保険の保険料に数パーセントの税金をかけて、
そこからの税金を医療の危険性の低下に使えば、
お金がなくて、この保険を利用できない人も、
いままでより危険性の低い医療をうける機会が増えるかもしれませんね。

皆様、お返事ありがとうございます

まだまだ法律については、用語、概念とも勉強途上であり、とても専門家と議論できる緻密さを持ち合わせていません。

ただ、現代の進んだ医療の実態を、民法は想定してなかったんじゃないかと思ってます

>医学的に明らかに医師がヘマしたのであっても、軽過失ならカンベンしてやれ、というのは、患者側にすれば納得しがたいこと

とありますが、説明してくださったように、過失=不法行為であり、違法行為を前提とした賠償予定まで認められないという意見も、別のところでありました
でも、それでは、今の廉価な医療費では、医師は対応できないんです
リスクに見合った報酬体系であれば、納得する人もいるでしょうけれど、今のままでは逃げるのみで、誰にも、その医師個人に責任を問う事はできないでしょう

やはり、裁判以前に立法処置が必要だと感じる次第です。

準委任行為の解説は、良く分かりました。

歴々の先生方が(司法試験を通った)司法修習生ですら、実務に耐えられないとされておられようなのは、まるで研修医が直ぐには役に立たないのと同じ程度なのかと、妙に思うところがありました。

別ですが、今日『それでもボクはやってない』という痴漢冤罪事件を見てきました
痴漢冤罪に有罪判決でしたが、被告人側の怒号が鳴り響いていました。医療訴訟では、攻撃・防御の位置関係がハッキリしているので、患者側不利な判決を下すと、あのような罵声を裁判官は浴びるし、原告弁護側は検察のように迫るのだろうなぁと思うと、『冤罪はいけません』という趣旨と共に、限られた資料を限られた時間で、なんらかの法的決着をつけないといけない裁判官の大変さが思われました。

まあ、藤山さんの考え方が正しいとは、それでも思うことはありませんが。。。。。

元行政さん(No.61)

>採血一つで書類か。。。ふぅ。。同意書や契約書までいかなくても、採血コーナーに大きく、詳しい解説と免責を了承しなければ治療契約が成り立たないことを書いておけばいいかもしれません。

そういう治療契約も、法による裏づけがないと危なっかしい気がします。私としては、悪意無き医療行為は、刑事民事免責、医療審判所による行政処分(運転免許のような点数制)ていどでないとやっていけないと思います。民事免責がどうしてもダメなら、民事起訴放棄を前提とした無過失保障制度でしょうか。

医療事故は些少なものも含めれば、医療を受ける人なら誰でもしばしば経験することがありうるものであって、質・量両面で他の事故とは一線を画すでしょう。それを端から裁判所が担当するのは無茶だし、今のようにごく一部の積極的な患者だけが裁判所に出て勝訴により恩恵を受けるというのは、他の声無き患者さんのことを考えたら非常に不公平ですね。また医者が本来の医療行為ではない裁判に時間を消費することは、すなわち他の患者さんの受診機会を奪うことになりますから、好ましくないです。(ここらへんは私のサイトの表紙で昨年の3月12日に記載済みです)

今のようにやっていたら、医療費は暴騰せざるを得ないということは常々口にし続けておきましょう。

YUNYUNさん

 なるほどね、プロの解説を読むとモヤモヤしたものがスッキリと晴れました。ただ、恐ろしいのはプロには「設問の趣旨が不明です??」がど素人にはなんとなく通じてしまうところです。これは英語があまり得意でない日本人の書いた英語もどきが日本人には通じるけどネイティブには全く通じないのとなんとなく似ています。

そもそも、過失の程度に重過失と軽過失とがあるとして、取り扱いを区別することのほうが、例外的です。

これは全く意外でした。補償額は遺失利益の程度と過失の程度を総合して決めるとばかり思っていました。医療者からみて、
「大した過失とは思えないのに賠償額が大きい」
としばしば感じるのは、「賠償額がほぼ遺失利益の大きさによって決まるから」、と考えて宜しいのでしょうか?

>>No.63 Med_Law さんのコメント
>裁判以前に立法処置が必要だと感じる次第です。
そうですよね。
結果的に、必要な医療が提供される機会が得るというのは、
不幸なことですから、そうならないための決まりを作ることは
重要なことだと感じます。

ところで、コメントを残されている方に現役の医師の方もおられるようですが、
現在の医療は国民健康保険で提供される医療が多いと思いますが、
保険者から過剰といわれそうでも、医療費を使って、
必要だからと判断して、保険者が過剰だと感じる医療費を使った人も
けっこういるのではないでしょうか?

藤山裁判官も同じようなもんなんじゃないのかなと、感じてしまいます。
目の前に、医療だけじゃないけど、医療の介入を受けたけど、
最終的な結果が悪くて、介護とか医療とかにお金がかかって困っている人がいる。
自分の裁量で、お金をもっている医療機関や、
医療訴訟用の保険に加入している医師から、賠償金を払わせることは可能。
判決文を書いたとしても、ある程度の裁量が裁判官には認められているでしょ。
無茶苦茶をすると、上位の裁判所からとっちめられるけど、
一応の論理的思考がなされていたら、無理じゃないだろうから。

でも、それは、短期的な解決方法でしかなくて、積み重なると、
いろいろな不具合が生じる。

でも、やはり、医療は必要なものだから、
どうすれば、多くの人が満足する医療を、
提供される人全員の理解を得られる方法を考えないといけないのだと思います。

いろいろご質問をいただいていますが、今は全部にお答えできないので、今は1点だけ。

> > そもそも、過失の程度に重過失と軽過失とがあるとして、取り扱いを区別することのほうが、例外的です。

> これは全く意外でした。補償額は遺失利益の程度と過失の程度を総合して決めるとばかり思っていました。
> 医療者からみて、「大した過失とは思えないのに賠償額が大きい」
> としばしば感じるのは、「賠償額がほぼ遺失利益の大きさによって決まるから」、と考えて宜しいのでしょうか?(No.65 ヤブ医者 さま)

それはこちらのほうが「全く意外」
だって、「損害賠償」なんだから、損害額によって賠償額が決まるのが当然でしょ〜!!

もう一度、不法行為の基本条文

民法第709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

故意と過失とでは、非難の程度はどちらが大きいかといえば、故意のほうが大きいと思うのが常識でしょうが、民事上の賠償責任の範囲は、故意〜重過失〜軽過失 まで、一括して「これによって生じた損害を賠償する責任を負う」とあるだけ。
故意と過失が同等なくらいですから、いわんや重過失と軽過失をや。

損害の内容は財産的なもの(主に遺失利益)と、精神的なものとに分けられますが、いずれも法的な評価額は客観化されています。
慰謝料に関しては行為者の悪性によって金額を若干調整する場合もありえますが、基本的には加害者の内心の態様はどうあれ、同じ損害を与えたら、同じだけ賠償しなければならないものと思ってください。

従って、過失の程度と、損害額=賠償責任額 とは、必ずしも比例しません。
軽過失であっても、損害額は大きいというケースがあり得ることが、軽過失免責説は患者にとって受け容れがたいと思われる理由の一つです。

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cf.刑事責任
刑事責任は故意と過失で、取り扱いが全く異なります。
そもそも、刑法は原則として故意犯のみを処罰し、過失犯は特定の犯罪に限って処罰するという体系です。
同じ結果(人の死)が生じても、殺人罪と過失致死罪とでは、量刑に大きな差があります。
刑罰を決めるにあたっては、結果(損害額)もさることながら、加害者の内心の態様(故意、過失)が大きな要素とされており、
故意犯は過失犯に比べて、それだけ非難の度合いが大きいと考えられているのです。
なお、刑法上、重過失と軽過失とを区別する犯罪は、例外的です。

(殺人)
第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

(過失致死)
第210条 過失により人を死亡させた者は、50万円以下の罰金に処する。

(業務上過失致死傷等)
刑法第211条 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。

>>No.60 峰村健司 さんのコメント

> 以前に医者2ちゃんことm3で書いたのですが、採血ミスに6800万円を賠償する和解が成立したのですが、採血技術料は120円でして、68000000÷120=566667、すなわち56万回分の採血技術料がパーになるわけです。

ただそのために保険があるのではないでしょうか?運送会社の場合にたとえると、交通事故を起こす確率は、かなり高く、人身の死亡事故であれば、賠償額が億を超えることも頻繁にあります。だからといって、その損害賠償金額から運送料を算定するのではなく、保険料との関係ということになるのではないでしょうか。

 今の国民健康保険の金額では、保険料もまかなえないということであれば、おっしゃるとおりかと思いますが。

自分のコメント(NO68)に対する修正ですが、保険ばかりでわかりづらくなりましたが、最初の保険は医療過誤保険、運送会社のたとえの保険は、自動車保険のことで、保険料とは、これらの保険の維持のためのもののことを書いています。

No.68 L.A.LAW さん

特に稀な合併症は保険でいいのでしょうね。
しかしながらご指摘の通りで、今の国民健康保険の金額では、保険料もまかなえません。
峰村健司先生の指摘通り、医療費の予想される増大幅はかなり大きいでしょう。この問題での一つのポイントは、非医療従事者は根拠もなく医療従事者が暴利をむさぼっていると思い込んでいて、保証等のコストは簡単に出せるだろうと考えているところにあると思っています。

No.49設問4
「医療行為は須らく身体に働きかけるものであるから傷害行為とみなすことも可能であるが、正当業務行為とするための違法性阻却事由を述べよ。」

> 設問の趣旨が不明です??(No.57 YUNYUN)

一晩寝て考えたのですが、この設問の趣旨は、通常の医療行為つまり結果が良かった場合を想定しているのではなくて、
「医療行為を行った結果が悪かった場合でも、傷害罪の違法性が阻却され得るか」を問うているのではないかと思いました。

そうであるとすれば、回答は、
結果が悪かった場合に、違法性阻却事由には当たらない。
刑法の違法性阻却事由(実質的な違法性が無いこと)とは、客観的にみて、構成要件に該当する法益侵害を上回る、何らかの良い結果が生じていること(法益が守られた)により、処罰を否定する理屈だから。

-----
犯罪成立の要件 
  構成要件該当性(刑法典の「罪」の条文に形式的に該当)
     ↓
  違法性(違法性阻却事由が無いこと)
     ↓
  有責性(責任阻却事由が無いこと)

※詳しくは、刑法総論を解説したサイトを見てください。

違法性阻却事由の例
1.胃ガン患者Aを医師Bが手術をして、Aの身体に傷が付いた(傷害罪の構成要件に該当)が、Aの病気が治るという良い結果が生じた(正当業務行為)。
2.Aが突然ナイフを振りかざして襲ってきたので、Bは防ごうとしてとっさにAの顔面を殴りAを傷つけたが(傷害罪の構成要件に該当)、Aの不法の侵害行為に対してBの生命身体が守られるという良い結果が生じた(正当防衛)。
3.AとBが山道を歩いていたら突然、Bの頭上に石が落ちてきた。Bはとっさに横に居たAを突き飛ばして落石を除け、Aは転倒して負傷した(傷害罪の構成要件に該当)が、Bは降りかかった危難を避けて生命身体を守るという良い結果が生じた(緊急避難)。

医療行為の結果が悪かった場合を救済するためには、このように違法性の段階ではどうにもならないので、
責任論に持ち込んで、過失を否定するしかないと思います。

>No.71 YUNYUN さん

 私は基本的には結果無価値論者なんですが、医療過誤業過の領域では行為無価値論も無視できないのではないかと考え始めています。

> 行為無価値論も無視できないのではないかと考え始めています(No.72 モトケンさま)

結果無価値説vs行為無価値説 は、違法性の本質とはなんぞや? という議論です。

私は行為無価値説というもの自体を警戒するので、安易に持ち出したくない考えです。
(訴追の現場では、違法性と責任を厳密に区別することはなく、総合的に判断されているようには感じますが、理屈として一応)

目的が正しければ少々結果が悪くても救おうという非加罰方向に運用されればよいのですが(モトケン様が医師の刑事訴追を否定しようとする理屈)、
逆に、目的が悪ければ、結果が発生していなくても処罰しようという方向に運用される危険がある説なので。特に、政府与党が共謀罪法案導入を唱えているという社会情勢においては。

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過失犯の成立を否定する理屈としては、
・社会的に許された危険
とみるのはどうでしょうか?
医療は不確実であり、個別には悪い結果が生じる場合があることは否めない。しかし社会全体として見れば、医療を実施するほうが、医療を行わないよりも、救われる人が多く益が大きい。よって、確率論的に発生する悪い結果を許容するという考え方。

現時点においては、このような社会的コンセンサスが形成されていない ことが問題ですが、これから説法啓蒙に努めるということで。

なお、刑事訴追の面ではこのように何らかの理屈をつけて非犯罪化しうるとしても、
民事的な救済をどうするかという問題が残ります。

つくねと申します。法律は素人の医療関係者です。
結果無価値説と行為無価値説、早速調べてみました。非常に興味深い考え方ですね。勉強になります。

医療は不確実であり、個別には悪い結果が生じる場合があることは否めない。しかし社会全体として見れば、医療を実施するほうが、医療を行わないよりも、救われる人が多く益が大きい。よって、確率論的に発生する悪い結果を許容するという考え方。
現時点においては、このような社会的コンセンサスが形成されていないことが問題ですが、これから説法啓蒙に努めるということで。

医療者の感覚としては、医療行為は全て上記の様な考え方の上に成り立っていますので、少なくとも医療行為を受ける事を希望して医療機関を受診する患者様は全員理解している筈の最低限のコンセンサスなのですが・・・かなり温度差がありますね。

ところで、違法性阻却に関しての質問なのですが、

違法性阻却事由の例
1.胃ガン患者Aを医師Bが手術をして、Aの身体に傷が付いた(傷害罪の構成要件に該当)が、Aの病気が治るという良い結果が生じた(正当業務行為)。

では、次の様なケースはどうでしょうか。
胃ガン患者Aを医師Bが手術した。ところが開腹してみるとAの胃癌は既に腹腔内全体に転移しており、手術は不可能な状態であった。そのため、Bは手術による根治を断念しそのまま閉腹した。結果、Aの胃癌は治らず、Aの身体に傷が付いた。
この場合、患者Aは何も良い結果を受けていませんが、傷害罪は成立するのでしょうか?Yes or No、及びできればその根拠も教えて頂きたく存じます。

No.67 YUNYUN さん

それはこちらのほうが「全く意外」
だって、「損害賠償」なんだから、損害額によって賠償額が決まるのが当然でしょ〜!!

まさに考えるまでもない事のようですね(_ _。)/~~・・・
でもこういう無知は私だけなのかなあ。どうも交通事故の過失相殺とか過失割合が根にあるとか、一般に賠償請求額に比較して支払額がかなり低いとか、私自身はそういうことで錯覚していた様です。目からウロコでした。御丁寧な解説有り難うございます。

> ここでもし契約で、こんな場合は免責と事細かに取り決めたら(莫大な項目になりそうですが)どうでしょう。(No.59 元行政さま)

契約によって損害賠償を制限する(賠償限度額、免責事項)ことは、患者に不公平にならない合理的な内容であれば、有効(公序良俗違反でない)と考えます。
何が合理的な取り決めであるかも問題ですが、その次に、当事者の間で合意がきちんと為されたかが問われます。裁判所はときどき、「説明不十分で患者が理解していなかった」として、せっかく取り付けた合意書面を排除することがあるので、油断は禁物です。
<合意>書といっても実質的には、医療側が「このやり方でなければ治療しない」として、患者に対し一方的に押し付けたものであるというのが、裁判官の問題意識ですから、
内容の合理性を担保し、実質は押し付けでも仕方がないと思わせるためには、業界標準約款を作って監督官庁(厚生労働省)の事前認可を受けるほうがよいのでは。
約款については、裁判所は割と有効性を認めてくれますから。
cf.鉄道運送約款、損害保険契約の約款

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> 個人的には、国民健康保険による、医療の提供では、
> 医療の結果が悪くても、金銭による保障をしない。
> 医療の結果が悪いときに、金銭で補償してもらいたいひとは、
> 専用の保険に加入して、その医療の結果が悪ければ金銭で補償してもらえる保険で
解決するようにしたらよいと思います。(No.62 じゅん様)

医療崩壊の過去のエントリの中でも、そういうご意見が出ていました。
負担の安い保険診療に関しては法的に賠償額の上限を設けよ、という考え方は、一定の合理性があると、私も思います。
参考事例として、低廉な公共サービスについて、賠償額が法律上制限されているのが、郵便法。

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> 同意書や契約書までいかなくても、採血コーナーに大きく、詳しい解説と免責を了承しなければ治療契約が成り立たないことを書いておけばいいかもしれません(No.61 元行政さま)

合意書を書かせる目的の一つは、教育啓蒙であるといえます。

> 医療者の感覚としては、医療行為は全て上記の様な考え方の上に成り立っていますので、少なくとも医療行為を受ける事を希望して医療機関を受診する患者様は全員理解している筈の最低限のコンセンサスなのですが・・・かなり温度差がありますね。(No.74 つくね様)

病院でもらう「手術合意書」のような書式類は、治療の結果こうなるおそれがあります、ああなるかもしれません等と予想される合併症が事細かに書いてありますが、
そういう細かいことよりも、もっと根本的なところで、
そもそも医療とは不確実なものであり、人間は不死でなく各人の身体に個性がある以上、一律の結果を保証しえない。医師が努力しても、上手く行くときも行かないときもあり、それは運命であってどうしようもないのだということを、患者と家族に解らせないといけないと思います。

医療側からすれば、そういうのは常識でしょうが、最近20年くらいの間に、世の中の常識は急速に失われています。
寿命が伸び、人の病気や死を身近に見ることが少なくなったのが、原因のひとつにあると思います。人の命を儚さを実感する機会がないから。
我が家でも葬式が25年振り、なんてことがありまして、どういうやり方をするのか、みんなすっかり忘れておりました。

>No.76 YUNYUN さま

そもそも医療とは不確実なものであり、人間は不死でなく各人の身体に個性がある以上、一律の結果を保証しえない。医師が努力しても、上手く行くときも行かないときもあり、それは運命であってどうしようもないのだということを、患者と家族に解らせないといけないと思います。医療側からすれば、そういうのは常識でしょうが、最近20年くらいの間に、世の中の常識は急速に失われています。寿命が伸び、人の病気や死を身近に見ることが少なくなったのが、原因のひとつにあると思います。人の命を儚さを実感する機会がないから。

上記ご意見に激しく賛同いたします。そして、この役割はまさにマスコミが担うべきではないかと思います。 マスコミの影響力のすごさは、納豆騒動をみればわかります。そのすごさは、今の医療者にとっては脅威以外の何者でもありません。

死は不可避であり、医療はそれに立ち向かう努力はすれども、所詮さからえない
ということをマスコミは世論に訴えかけてほしい。それは、医療崩壊回避のひとつの方法となりえると私は思います。ROMの中にマスコミ関係者の方がおられましたら、どうかご検討の程をよろしくお願いします。

設問4−2 「胃ガン患者Aを医師Bが手術した。ところが開腹してみるとAの胃癌は既に腹腔内全体に転移しており、手術は不可能な状態であった。そのため、Bは手術による根治を断念しそのまま閉腹した。結果、Aの胃癌は治らず、Aの身体に傷が付いた。
この場合、患者Aは何も良い結果を受けていませんが、傷害罪は成立するのでしょうか?」
(No.74 つくね様)

少なくとも手術前以上に病気を悪化させたわけではないので、これを処罰せよという法曹は居ないと思います。

積極的に良い結果を出さなければ犯罪だということを突き詰めるならば、
身体に侵襲的な検査方法(採血やらレントゲンやら、検査は多かれ少なかれ人体に悪影響があるものが多いです)により、治療可能な病気が発見できなかった場合、つまり病気が全く見つからなかったか、見つかっても手遅れで治療のしようがなかった場合は、無意味な検査=侵襲行為であったとして、傷害罪が成立してしまいます。
それはあまりにも不合理です。

しかし、理屈付けは難しい。
一応、法的に成り立ちうる理屈をあげてみます。
← はそれに対する批判。

1.違法阻却とみる考え方
a.結果無価値の立場から
少しでも良い要素があれば、良い結果を生じたとして違法阻却を認める。
本件では、「胃ガンで手の施しようがない」という確定診断が付いた。
←死の宣告が良い要素なのか?

b.行為無価値の立場から
行為者の内心に良い目的があることを加味して、必ずしも良い成果を達成できなくても違法ではないと解する。
医師は治療目的でしたことなので、違法阻却を認める。
←駄目もと・一か八かの冒険的治療方法だと思っていても、良い目的なのか?

ところで、もし、明らかに悪い結果が発生した場合、例えば開腹手術が患者の身体に負担となって寿命が縮んだ場合は、どうなるでしょうか。
確定診断が付いたという良い点、医師の治療目的という良い点でもって、どこまで悪い結果を相殺しうるのかが疑問です。

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2.責任阻却とみる考え方
a.期待可能性がない
当時の医師の置かれた立場では、開腹してみるまで手の施しようがないことは解らないから(プロスペクティブな判断)、手術する以外の方法がなかった。
←成果が確実と見込まれない場合に、手術をしないという選択肢もあるのではないか?

b.違法性の意識(の可能性)がない
医師は最適な治療のつもりでやっているのだから、成果が達成できなくても、自らの行為が違法であるという認識はない。(標準的な治療方法とされていることであれば、違法の意識がないだけでなく、その可能性すらもない)
←医師は治療行為についておよそ違法性の意識は持たないから、ナンセンスな議論。

・・・私の手に余るようになってきました。他の方のご意見を期待します。。

> つくねさん
>患者様は全員理解している筈の最低限のコンセンサス

身もふたもない言い方をすると、患者が理解している最低限のコンセンサスは「医者にかかれば病気が治る」事以外に存在しないと思います。


>ER医のはしくれさん
>マスコミの影響力のすごさは、納豆騒動をみればわかります

個人的には、あれはマスコミの影響力は僅かしか影響していないと思います。マスコミの役割は、視聴者の「楽してダイエットしたい」と言う欲望をほんの僅か刺激しただけです。すごいのは人間の欲望であり、マスコミではないと理解しています。

つまり、たとえマスコミが「死は不可避であり、医療はそれに立ち向かう努力はすれども、所詮さからえない」と報道したとしても、世間は無視する可能性が高いと思います。

>No.75 ヤブ医者 さま
民事賠償の話のつづき。

> 交通事故の過失相殺とか過失割合が根にある
それは行為者の過失ではなく、被害者側の過失の問題です。
損害が発生したのはこちらばかりの責任でないのだから、損害額の全部を賠償しなくていいだろ、という趣旨。

> 一般に賠償請求額に比較して支払額がかなり低い
低いケースばかりではないと思いますが、
請求側は法的に考えられる最大限のところで請求しますので、裁判所ではそこまでは賠償責任がないと判断されることもあります。
削られる理由はいろいろです。
・法的に保護される利益でないから、損害が生じたと評価できない
・行為と結果の間の因果関係がない
・行為者に過失がない

No.78 YUNYUN さん

設問4−2 「胃ガン患者Aを医師Bが手術した。ところが開腹してみるとAの胃癌は既に腹腔内全体に転移しており、手術は不可能な状態であった。そのため、Bは手術による根治を断念しそのまま閉腹した。結果、Aの胃癌は治らず、Aの身体に傷が付いた。
この場合、患者Aは何も良い結果を受けていませんが、傷害罪は成立するのでしょうか?」
(No.74 つくね様)

少なくとも手術前以上に病気を悪化させたわけではないので、これを処罰せよという法曹は居ないと思います。

ではでは、開腹術後、数日経ったころに術後腸管癒着が起き、そのまま腸閉塞→腹膜炎→再開腹にまで至って有意に死期を早めてしまった場合などはどうなりますでしょうか?
術後腸管癒着自体は、ごく軽いものを含めれば「割」の単位で起こりうる合併症です。
回避のためのさまざまな手技を行っていても、です。

YUNYUNさん こんにちは

「もし、明らかに悪い結果が発生した場合、例えば開腹手術が患者の身体に負担となって寿命が縮んだ場合は、どうなるでしょうか。
確定診断が付いたという良い点、医師の治療目的という良い点でもって、どこまで悪い結果を相殺しうるのかが疑問です。」

おお。これはかなりびっくりです。
というのは、そういった例を完全に刑事免責できる理論が整っていないということが、司法に医療を裁く能力がいまだ備わっていない証のように思えるから。

例えば、本田美奈子が引き合いに出される骨髄移植という治療がありますよね。
骨髄移植は非常に毒性の強い治療で、数%から状態によっては数十%が治療によって100日以内に死にます。

しかもそのうち、ほとんどは骨髄移植などしなければ、もっと長くもっと元気に生きられていただろう人たちです。中には移植などしなければ何十年も生きられていた人が混じっていることにも疑いはありません。

では何故そのような治療-多ければ数十%が死んでしまうような治療-が、治療として認められるのかというと、5年とか10年後の生存率を見ると移植をしたほうが移植をしないときより勝っているからです。

骨髄移植という治療は世界中で認められ、行われている治療であり、この治療を行ったこと自体が殺人などの罪に問われた例をどこの国でも聞きません。
医療者側の考え方は説得力があると思いますし(おいらが医者だからかもしれませんが)、少なくとも患者さんには共有されています。世間の同意も得ているように思えます。

ところが今の司法においては、刑事責任を問われないことが常識ではないのですよね??明らかに有害な結果をまねいていますからね。

これはほんの一例ですが、手術をはじめとして他の医療も多かれ少なかれ同じ側面を持っています。
そういった医療行為を「適切に」裁ける理論をまず持つことが大事なように思えるですよ。

No.76 YUNYUN さん

ご教示ありがとうございました。
二つの問題事項は今まで話題になっていないと思いますが、以前より裁判所に対して不満を感じるていることです。

>何が合理的

過去の判例を否定するような内容のもの。例えば心嚢穿刺は成功しない可能性が高いことを認識して、不成功を過失としないとか書いてあったら、面子にかけて否定してきませんかね。

>「説明不十分で患者が理解していなかった」

いくつかの判決で、そのようなことがありましたね。某掲示板では強い非難の声があがっていました。テストして合格したものだけ治療するなんていう案が出ていました。

>業界標準約款

保険医療をこのまま続けるつもりならば、国民健康保険組合が作成して各家庭に配るなんていいと思うのですがね。

>>No.78 YUNYUN さん
あー、↑で立木 志摩夫さんが引用してくださった通り、コメント内に既に仮定されてましたですね。
粗忽で申し訳ありません。

No.78 YUNYUN さん

すごく面白いですね。
他の法曹の方の意見も是非聞いてみたい。

>立木さん
世間は骨髄移植の危険性に必ずしも同意しているのではなく、単に「骨髄移植は非常に毒性の強い治療」と言うことを知らないだけの話だと思います。私は知らなかったのでかなり驚きです。

ちなみに
>刑事責任を問われないことが常識ではないのですよね

骨髄移植で刑事責任を問われたケースがあったとしても極々まれでしょうから、「常識」としては骨髄移植で刑事責任を問わないと思います。YUNYUNさんが苦しんでいるのは、あくまでも理屈付けでしょうね。

>No.78 YUNYUN さんのコメント

司法では医療が裁けないことの逆説的な証明に成っている様に見えます。

法で一般人の医療行為を禁止してますが、その基本的な考えは。
高度な判断と経験によってのみ人体に手を加えて良いなのだと思います。

その判断を医師でない者が評価することに無理が有る・・・のでは。

行為無価値と結果無価値に関しては↓のサイトがまとまっていますかね
http://homepage1.nifty.com/gips/jl/keiko/souron/keiko4s.html

>MultiSync さん
医師が評価するかどうかの問題ではなく、裁判官はミクロ(個別の事象)の視点でものを見ていて、医師はマクロ(確率)でものを観ているからだと思います。

ですから、例えばADRで医師が判断したり、スウェーデン式の無過失補償制度で医師が判断する場合はミクロでものを観ざるを得なくなって、医師側に納得がいかない判断が出ることもあり得るのではないかなと思います。

L.A.LAWさん(No.68)、元行政さん(No.70)

今のところ保険でなんとかなっているのは、訴える人が少ないからであって、今後医療訴訟(民事)がさらに増加し、千万〜億単位の賠償が簡単に出るような傾向が続けば、アメリカのように、「盲腸手術で数百万円」というレベルが考えられたのですが、如何でしょう?

医療訴訟(民事)を起こすことはさほど難しいことではなく、しかも勝てば結構いいカネになる。ということになってくれば、救急車の無分別利用と同じように医療訴訟の急増を見て、保険負担額のビッグバンを起こすのではないか、と危惧します。

ボクはそれ以前に、訴訟に打って出るかそこまでできないかの違いによって、九歳無いように大きな差が出ることになるという、現在のような司法の場での決着方法は、不公平でいいことが無いと思います。

↑すみません。ひどいタイプミスでして

×「九歳無いよう」
○「救済内容」

あべし!

> 今の司法においては、刑事責任を問われないことが常識ではないのですよね??明らかに有害な結果をまねいていますからね。(No.82 立木 志摩夫さま)

> 「常識」としては骨髄移植で刑事責任を問わないと思います。YUNYUNさんが苦しんでいるのは、あくまでも理屈付けでしょうね。(No.87 しま様)

しま様のおっしゃる通りです。
医学的に確立され妥当とされる治療方法を行ったが、たまたまその患者の個性から適応が悪かった場合に、
「司法(実務)」としては、刑事責任を問わないのが常識的です。
だが、そのことを、刑法学理論から「犯罪が成立しない」と理屈づけるのは容易ではありません。
犯罪が成立するが政策的に処罰しないのだと、言ってしまえばそれまでですが・・・

ここは本来、刑法学者に頑張ってもらうべき分野です。
実務法曹、特に弁護士は学究的なことは苦手なんで。。。(このブログにはロースクール刑事法学教授もおられますが。)

実務的な処理としては、検察官が不起訴処分にする際には、
無理に犯罪不成立の理屈をひねり出さずとも、起訴便宜主義により「起訴猶予」
で、済ませているのではないかと推察します。
起訴便宜主義は、刑法理論では対応仕切れない複雑な現実を、司法制度が上手く泳いでいくための安全弁と言えます。

ただし、「起訴猶予」とは、理論的には犯罪が成立することを前提に、あくまで裁量的に、本件については諸般の事情を考慮して起訴しないという趣旨であって、
検察官の判断力を頼みにする制度なので、
検察官がトチ狂ったら起訴されてしまう危険がありうる(割り箸事件や福島事件のように)。
また、新法では検察審査会の二度の起訴決定というのも出来ることだし、
そもそも犯罪とならないことが、理論的にスッキリと説明できれば、それに越したことはありません。

---
行為無価値だからですというのは一見説明し易いですが、
私としては、行為無価値説というものは「自分が妥当と思うから正しい」と主張しているだけで、理由になっていないように感じるのですよね。

モトケンさん ここ数日の町村先生関係のコメントありがとうございます。勇気づけられました。

YUNYUNさん

(No73)医療は不確実であり、個別には悪い結果が生じる場合があることは否めない。しかし社会全体として見れば、医療を実施するほうが、医療を行わないよりも、救われる人が多く益が大きい。よって、確率論的に発生する悪い結果を許容するという考え方。
(No76)医師が努力しても、上手く行くときも行かないときもあり、それは運命であってどうしようもないのだということを、患者と家族に解らせないといけないと思います。
ご理解ありがとうございます。ほとんど医療サイドの意見と見間違うようなご意見です。医療サイドの意見はほとんど最初からこれにつきるので、法曹の方が、この精神で、裁判において(刑事、民事両方で。YUNYUNさんは民事は留保しておられますが)、実践して頂ければ文句なしです。

ただ、

(No73)現時点においては、このような社会的コンセンサスが形成されていない ことが問題ですが、これから説法啓蒙に努めるということで。
(No76)医療側からすれば、そういうのは常識でしょうが、最近20年くらいの間に、世の中の常識は急速に失われています。
といっておられますが、本来は、一般の方にもコンセンサス有ったんだと思います。

前に私、医療崩壊について考え、語るエントリ(その8)No106で

司馬遼太郎の「胡蝶の夢」だったと思うのですが、「江戸時代は、たとえ大名が患者でも、医師の見立て違い、薬のさじ加減の誤りはお構いなしであった」という文章があった(中略)直せるかは別として「医師が居る」と言うことに社会的意義を見いだすなら医師無責で保護する必要があったのでしょう。「ハリボテ」でも無いよりマシ、存在することに意義を見いだすなら現代でも状況はさほど変わらないと思います。
と述べております。

昔有ったコンセンサスが今失われて医療崩壊をまねいているなら、今度の再構築では、うまくコンセンサスが出来てもそれで終わらすべきではなく、はっきり法律化すべきだろうなと思います(次の段階の話ですし、コンセンサス出来る前から言ってもしかたがないでしょうが)。「昔、有ったコンセンサスが失われた」→、一度あったことは二度ある、コンセンサスは法律ではないから世論が変わればまた反古にされる危険性あり。

参考になるいい法律有ると思います。「失火ノ責任ニ関スル法律」
これを参考にたった一条の法律
「医療ノ責任ニ関スル法律」
民法第七百九条ナラビニ第四百十五条ノ規定ハ医療ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ医療者ニ重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス
をつくれば(債務不履行も入れちゃいました)、少なくとも、「訴訟が原因である医師の立ち去り」(もちろん激務などによるのは別問題ですが)による医療崩壊は食い止められるかと。
本当の法律が無理なら、保険診療(かって上記のコンセンサスがあった時に基本が出来ているので、補償を含まないとは明示してないけれど、実際上「補償を含まない」としか思えないきわめてお安い保険料になっております)規則を保険診療約款として、この文言を入れて、保険診療を受ける者はこの規則に同意したとみなす(または、同意した者のみ保険給付を行う)かですね。
それではこまる、補償が欲しいと言う人はNo.60 峰村健司 さんのコメントにあるようにプレミアムを払って頂くのがよいのでは。

亀レスで申し訳ありません。(仕事の合間の休憩時間にコソコソやってるもので…ちなみに昨晩は救急車5台受け入れました、この後運がよければ一時間程仮眠して、また夜まで通常勤務です。これって明らかに労働基準法違反ですよね^^;)

>No.79 しまさん

>患者様は全員理解している筈の最低限のコンセンサス

身もふたもない言い方をすると、患者が理解している最低限のコンセンサスは「医者にかかれば病気が治る」事以外に存在しないと思います。
それは「宝くじを買えば全員必ず1等3億円当たる」と同じです。明らかに現実と解離しています。100歩譲って一般人がそう勘違いしているとしても、裁判所が「勘違いしても仕方が無い、よって宝くじ販売業者は購入者全員に3億円づつ賠償せよ」などという判決を出してしまえば、宝くじそのものが成り立ちません。宝くじなら消滅しても年末の楽しみがひとつ減る程度ですが、医療が消滅すればそれは人命を失うことに直結します。


>No.78 YUNYUNさん
詳細なコメントありがとうございます。大変興味深く読ませていただきました。
ひとつ考えたのですが、
医療行為は結果を保証するものではありません。怪我や病気によって受ける不利益を回避する「チャンス」を提供するものです。(No.82 立木 志摩夫さまのコメント内容などはその良い例ですね)
宝くじの例を出したのでそのまま使いますが、宝くじは買わなければ当たりません。通常購入者は外れるリスクを承知で、「当たるかもしれないチャンス」を購入する訳です。お金を払うと言うことは、たとえ結果的に外れても、そのチャンスにはそれなりの価値が認められるということです。
では、「チャンス」に価値があるという前提のものにおいて

1.違法阻却とみる考え方
a.結果無価値の立場から
少しでも良い要素があれば、良い結果を生じたとして違法阻却を認める。
本件では、「胃ガンで手の施しようがない」という確定診断が付いた。
←死の宣告が良い要素なのか?

に関して、「胃がんの手術を受けることで、胃がんににより死亡するという不利益を回避できるかもしれない「チャンス」を得た。」
というのは、良い要素として認められないのでしょうか。

No.94 つくねさん

>不利益を回避できるかもしれない「チャンス」を得た

これを認めるということは、患者は被害を受けていないけれど、過失があって危険な目に合わせたのだから慰謝料をとかの、説明義務に続くトンデモ判決の理由が増えそうですよね。

YUNYUNさんへ

>「損害賠償」なんだから、損害額によって賠償額が決まるのが当然でしょ〜!!

なるほど、やはり話が合わない気がします。

宝くじの話より、強制的にプット・オプションの売り手に回らされている気がします
プレミアムは僅かなのに、リスクは甚大
とても、自由契約化では起こりえるTradeではありません
医療が公的性格があるというなら、損害も公的に補償するべきでしょう
軽過失でも結果無価値で、高額賠償の対象とするなら、現在のように誰もリスクを取りたがらないのも、取っても評価されないのも理解できます

「過失による賠償は任意保険で備えなさい」というのであれば、保険料を診察料に加えないと計算が合わなくなります。
すでに計算が合わないので、撤退するしかないですね。特に産科では

医療という不確実なものに患者が自分で保険を備えても、補償は保険料の対価であり、過失への賠償額の減額には考慮されてないのであれば、医療側が備えないといけないということなのでしょうね

Cream Skimmingをどうやって防ぐのでしょうね。科によってリスクも極端に違うし、救急外来に身を置くことが、もはや自殺行為のようにも思えてきました。

損害額の積算が、交通事故のように扱われていたり、極端な例では、交通事故の傷病者の治療で過失があれば、事故加害者と連帯責任です。これも法的には公正なのですよね

あるいは倒産寸前の赤字会社の資産だけに注目して賠償額を設定し、倒産寸前だった原因の赤字については無視して、再建の責任を押し付けられている気がします

重病患者が、重症患者が疫病神に見えたときに、医療はどうなるのでしょうね?

>損害額の積算が、交通事故のように扱われていたり、極端な例では、交
>通事故の傷病者の治療で過失があれば、事故加害者と連帯責任です。こ
>れも法的には公正なのですよね

現実に鹿児島ではこのような訴訟で医療側が敗訴していますが,こんなことがまかり通ったらそれこそ,交通事故の患者さんなんかどこも診てくれなくなりますよ.火のついた爆弾が向こうから飛び込んでくるのを黙って受け取る救急医はいなくなっても不思議ではないと思います.
そもそもの原因は事故を起こした加害者(自損事故なら起こした本人)にあるわけで,放置した場合がnatural courseです.それをどれだけ挽回できるかが医療の効果であり,何もできなくても仕方がないと考えるべきではないですか?
以前にも似たような話を書いたように思いますが,「助かって当たり前,治って当たり前」ではなく,「助かればラッキーですし,治ればラッキー」なんです.このような事例で医師に賠償責任が生じるとすることが間違っているとしか言いようがない.

>No.95 元行政さん
コメントありがとうございます。
確かに解釈の仕方によってはそういうことになる危険もありますね。
しかしながら、私は>No.89 しまさんが指摘されているように、医療側と司法側のすれ違いの原因は最終的に

裁判官はミクロ(個別の事象)の視点でものを見ていて、医師はマクロ(確率)でものを観ている
に集約されると考えます。
これは双方の対象の性質の違い(医療は病気という世の中に無数に存在するもの、司法は裁判という立場の違う2者の対立)に起因するものですので、変える事は基本的に不可能と考えます。
では、ミクロの視点の中でマクロの要素を取り扱ってもらうあたり、ひとつの手段として「チャンス」の価値を認めるという方法があるのではないかと考えたわけです。(というか、それ以外に有効な手段が思いつきません。)
「患者Aは最終的にはBから受けた医療行為により不利益を被ったが、医療行為を受ける前の段階でAの5年後生存率は20%であり、Aには医療行為を受けることにより5年後生存率を60%まで上げることが出来る可能性(=チャンス)を手に入れるという利益が生じた。よってBの過失は相殺する。」
という論理が司法の場で展開されるようになれば、医療裁判も多少は医療者に理解できるものになるのではないかと。
素人の言うことですので、法律の専門家の方から見れば失笑を隠し得ない様な意見かもしれませんが…

>No.96 Med_Law さん>No.97 Level3 さん
私は医療者側の人間ですが、あえて多少批判的なことを書かせていただきます。気分を害されましたら誠に申し訳ありません。

「過失による賠償は任意保険で備えなさい」というのであれば、保険料を診察料に加えないと計算が合わなくなります。
すでに計算が合わないので、撤退するしかないですね。特に産科では

Cream Skimmingをどうやって防ぐのでしょうね。科によってリスクも極端に違うし、救急外来に身を置くことが、もはや自殺行為のようにも思えてきました。

重病患者が、重症患者が疫病神に見えたときに、医療はどうなるのでしょうね?

火のついた爆弾が向こうから飛び込んでくるのを黙って受け取る救急医はいなくなっても不思議ではないと思います.

この様な懸念は私も日々痛いほど感じています。しかしながらそれを司法関係の方に訴えることにどれだけ意味があるのでしょうか。

「私ガンなんです、死にたくありません。とにかく私のガンを治してください、お願いします。それから来月大事な子供の入試があるんです、それまでには治してくれないと困るんです。」
こういう患者さん、いますよね。
それに対する医療者の平均的な心情は
「私ガンなんです、死にたくありません。とにかく私のガンを治してください、お願いします。」(はいはい、わかりましたよ。で、どの臓器の癌なの?stagingは?それが判らなきゃ治療のしようがないだろうが。)
「それから来月大事な子供の入試があるんです、それまでには治してくれないと困るんです。」(大変なのはわかるけどさ、子供の入試は俺には関係ないよ。代わりに誰かに行ってもらうとか、そっちでどうにかしてくれよ。)
といったところだと思います。

これを医療関係者と法律関係者に当てはめてみます。
「最近医療訴訟でトンデモ判決ばかり出されて現場はとても困ってます、とにかくどうにかしてください」(医療訴訟は年間1000件以上あるんだよ、トンデモ判決っていったって判決は刑事も民事もあるし、業務上過失致死も医療法違反も説明義務違反もある、どれがどう問題なのか言ってくれなきゃ対応のしようが無いよ)
「医療が崩壊しています。地方の病院では産科・小児科が次々閉鎖しています。このままでは都会の病院や、内科、外科、救急といった診療科でも同じことが起きます。」(大変なのはわかるけどさ、裁判は医療訴訟だけじゃないんだよ。そんなこと俺に言われても困るし、医療の監督官庁は厚労省だろ、そっちでどうにかしてくれよ。)
といったところでしょうか。

勿論、患者の身体は100%患者の所有物です。ですから自らの健康に対して患者が責任を持つのは当然です。一方、医療は国民の財産であり、医療者はあくまでその実務者に過ぎません。よって医療者が医療の健全な維持に対する責任と問題が起きた時の対応を他者に委ねることは道理にかなっています。
しかしながら、相談を持ちかけられる方にとってはそんなことは関係ありません。(司法関係者だって病気になるんだから医療がなくなれば困るだろ、という理論は正しいように思えますが、あくまで「姿勢」の問題ですので、実際に相手がそう感じていないのでは意味がありません。)

ここは、やはり我々が「賢い患者」となるべく、できるだけ相手の言葉で、相手に判り易く、相手の裁量の中で解決できる範囲を予め設定した上で、議論を求めるべきではないでしょうか。

重ねまして、偉そうなことを書いてしまい申し訳ありません。

>No.93 falcon171 さま

立法により医療過誤の軽過失を免責することは(国民の多数が賛成して法律が制定できたとして)、医療紛争を減少させる役に立つ面があるとはいえますが、医療崩壊阻止の切り札になるかどうかは、疑問です。(No.58)

・理論的に、何を過失とみるかの認定方法の問題(医学的知見に添わないトンデモ鑑定、現場状況を無視した過度の要求)が残る。
・判例が軽過失と重過失の線引きをどこでするかによって、実際の免責効果は少ないかもしれない。

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失火法の話。
失火法は燃えやすい木造建築が大半で火災類焼が多かった時代の産物であり、民法と刑法とで、責任の軽重が逆転している珍しい例です(普通は、民事のほうが責任範囲が広い)

(失火)
刑法第116条 失火により、第108条に規定する物又は他人の所有に係る第109条に規定する物を焼損した者は、50万円以下の罰金に処する。
2 失火により、第109条に規定する物であって自己の所有に係るもの又は第110条に規定する物を焼損し、よって公共の危険を生じさせた者も、前項と同様とする。

(現住建造物等放火)
刑法第108条 放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、艦船又は鉱坑を焼損した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

このように、刑法では、通常の過失で処罰されます。失火罪は過失犯であり、故意犯たる放火罪と比べて刑はずっと軽いのではありますが。

現代の世の中では、耐火建築が進んだ反面、マンションなど集住形態では火を出した場合の被害が甚大であることもあって、
「過失」の認定自体が厳しくなっており、「軽過失」であるとして民事賠償を免れるケースは少なくなっているような気がします。例えば、天ぷら油から目を離した、寝たばこ、ストーブを点けたまま外出など、火が出やすい状況を作り出していた場合は重過失にされています。

なお、借家人が火を出して賃借物件を損傷した場合は、賃貸借契約に基づき家主に対する関係では失火法は適用されないので、不可抗力でない限り、原状回復義務により弁償しなければなりません。

No.100 YUNYUN さま お返事ありがとうございます。

>「過失の認定方法、何を過失と判断するか」が問題です。理論的に、何を過失とみるかの認定方法の問題(医学的知見に添わないトンデモ鑑定、現場状況を無視した過度の要求)が残る。
>判例が軽過失と重過失の線引きをどこでするかによって、実際の免責効果は少ないかもしれない。
>私は、過失の程度で区切るというアプローチのしかたが適当かどうかは、疑問と思います。軽過失、重過失と言ったところで、裁判所が線を引くだけの言葉の綾なので、線引きの甘い辛いによっては、あまり免責されないおそれがあります。(No58)
>いわゆる「後出しジャンケン」の手法を否定しなければ、医師が自らの注意力によって危険を回避することはできません。回避しえない不測の危険が存する限り、「重過失でなければ大丈夫」と言ったところで、医師は納得できず逃散は止まないのではないでしょうか。(No58)

No100のコメント読んで、ちょっと混乱したんですが、もう一度元に戻って改めてNo58、を見ますと、見れば見るほど医師サイドのコメントと言うべきコメントのオンパレードです。これは実際上、医療は刑事免責、場合によっては民事免責も付加でないと実効有る医療崩壊対策にならないと言うお言葉ともとれるのですが。

YUNYUN様としては、これは思考実験のみ(法曹の立場をいったん捨てて仮に医師サイドに立ったとして)のことなのでしょうか。それとも、医師の逃散を防ぐには、上記コメントの内容を立法であれ司法の場であれ行わないとだめだと実感として思われたと言うことでしょうか?

後者であれば、討論を通じて、貴重な法曹の同士を得たということになり万々歳ですが。

失火法の話 以下余談。
>民法と刑法とで、責任の軽重が逆転している珍しい例です。刑法では、通常の過失で処罰されます。

類焼10軒、ほんとに軽過失なら民事一切免責(債務不履行賠償はないとして)なら、喜んでと言っては語弊有りますが、罰金50万円ですませてくれるなら御の字では。
言ってみれば、これ、「ほれ、お奉行様がきつくしかりおいたで、お前ら、こらえてやれ」といってるような。

>No.73 YUNYUN さん へ

YUNYUNさんも刑事訴訟が主なのでしょうか?

>結果が悪かった場合に、違法性阻却事由には当たらない。

のであれば、全ての医療行為は悪い結果が起こる確率を内在しており、全ての医療行為は違法である予測が可能です。
どの医療行為も違法である可能性がある場合に、取りえる手段は医療行為の放棄になりますが、これも治療機会の喪失という悪い結果につながります。
医療行為を行うのも違法、行わないのも違法。
他院に紹介しても、なんら解決にはなりません。自分の手を汚さなかっただけの話ですから。

結果が悪ければ、遡って違法行為であるという認定がされるのであれば、どの医療行為も患者のために行うことは出来ないでしょう

本気で結果無価値が全てと司法が考えるのであれば、医師は危険を察知して前もって行動する習性が付いてますから、敢えて違法行為になる医療行為をすることはないでしょう。
違法行為とならない医療行為が明示されない限り、その医療行為をする判断を下さなくなるでしょう。
で、その処罰は、他の医師への教訓となる一般予防となるのでしょうか?当該医師の戒告となる特別予防になるのでしょうか?
結果が悪かった人の報復感情に沿うのが刑罰という人権侵害の目的でしたっけ?
やはり、遡及的に全ての価値観を求める思考回路は現実の医療にはそぐわないです。

さらにいうと、民事に結果無価値で旗を振っても、なんとなく現実の私人間の争訟には合わない気がします。
医療訴訟が、大企業の公害訴訟やPL訴訟と同じように扱われては、医療は存続できません。

原典の藤山語録
『過失がない場合であっても、100点満点ではないということであれば和解による解決も考えられる。』
に戻ると、無過失補償を念頭に入れた医療費を請求しないと、事業の継続が困難です。
高い期待をする人には相応の対価を払ってもらわないと釣り合いません。
支払困難を理由に応召を断ることはできないと、片務的に虐げられているのが医療契約です。

PS。オプションの話は、解り難かったでしょうか?

 刑法の解釈は、結果無価値では割り切れないと考えています。
 故意犯(殺人罪)と過失犯(過失致死罪)の法定刑が大きく違うことなどがその表れです。

 故意犯(殺人罪または傷害罪)について言えば、医師に、ここで言われている「悪い結果」に対する「認容」がなければ、故意を欠くので故意犯は成立しないと説明できます。

>Med_Law さん
>支払困難を理由に応召を断ることはできないと、片務的に
>虐げられているのが医療契約です。

それは単なる厚労省の解釈であり、昭和24年の通達ですよね。これに関しては、何ら法的根拠を持たないかと思います。

厚労省の一解釈をもって「司法」や「国民」から医療契約が虐げられていると言うのは、やや早計ではないかと思います。

>それは単なる厚労省の解釈であり、昭和24年の通達ですよね。これに
>関しては、何ら法的根拠を持たないかと思います。

しまさん,
確認ですが,「厚労省の通達」には法的根拠はないんですか?
それなら「内診問題も法的根拠なし」なんでしょうか?
教えて頂ければ幸いです.

>Level3さん


通達は、国民の法的地位に直接影響を及ぼすものではない。単に下級機関の権限行使を制約するにすぎない。そのため、上級行政機関は、その有する包括的な行政監督権限に基づき、下級機関の所掌事務について、とくに法律の根拠を必要とせずに通達を発することができる。

第6回 行政立法

上記の文章を読む限りでは、通達には法的根拠は無いように受け取れます。法解釈は裁判官のみが行うことができますから、厚労省の解釈と裁判所の解釈が違うと言うこともあり得るでしょうし、同じと言うこともあり得ます。それは、訴訟を起こしてみないと分からないという事でしょうね。


で、内診問題の通達というのを読んでみましたが、「助産行為は医師、助産師しかできないか、厚生労働省医政局看護課長としての解釈をお聞きしたい」という質問に対して、「その通りである」と回答したに過ぎないのですね。

〜 無資格助産行為に関して 〜

> これは実際上、医療は刑事免責、場合によっては民事免責も付加でないと実効有る医療崩壊対策にならないと言うお言葉ともとれるのですが。(No.101 falcon171 さま)

私は刑事についてはともかく、民事では「免責」という捉え方はしていません。
過失責任は民事法の大原則であり、医療者も責任を負うべきは負っていただかなければならないと考えます。

思うに、今の裁判制度の最大の問題は、
・過失の認定の仕方が適正でない。
 結果の重大性に引きずられた感情的な意見、後出しジャンケンの判定、現場の実情を無視した実行不可能な要求
・過失の有無の判断にあたって、専門家の意見が正しく反映されていない。

この点をふまえて裁判で正しい結果をだそうとするならば、
1.被告医療者側が裁判所の正しい理解を得られるように、効果的な主張・立証を尽くすこと
2.鑑定人が裁判の目的に叶った正しい鑑定を行うこと
3.裁判官が医療における過失とは何かについて正しい認識をもって判断すること

過失の認定方法を適正にすれば、「医師に不当に責任を負わせた」という批判は、なくなるのではありませんか?
「軽過失免責」論は、責任範囲を狭めることによって、不当判決の数を減らそうとしていますが、問題の本質から逃げていて理論的ではなく、本来救済されるべき被害者を犠牲にすることは不公平であると思います。

-----
専門家の意見を正しく反映させる方策について、医師の皆さんに考えていただきたいことは、
基本的に、司法に対して外部の意見を入れさせたかったら、積極的に「俺にやらせろ」「俺の言うことを聞け」と踏み込んで行かなければならないということです。
cf.裁判員制度

裁判所は憲法によって権限が与えられ、提訴された事件を裁く責任を負っているのですから、結果が正しかろうと間違っていようと、何らかの答えを出さなければなりません。
「お前がやるな」といっても放置しているだけでは、何も変わらないのです。
裁判所と交渉して運用を変えさせるなり、国会議員に働きかけて法改正に持ち込むなりして、現状を動かさなければ。

特に、上記3つの方針の2.は医療側の問題です。
法曹としては、「医師専門家に聞いても正しい意見が得られない場合がある(トンデモ鑑定)」という点がまったくもって、理解できない。世の中には腕の悪い医者が多いということなのかもしれませんが、なぜそんな人が排除されずに存在を許されているのか?
法曹を始めとして、医療者でない素人には、医師の実質的な信頼性は分かりません。(見分けが付くほど専門的な見識を持っているなら、医師に意見を聞く必要はない)

トンデモな医師が裁判所の鑑定人に選任されないように、また原告の相談に応じることがないようにするには、
医師の側で事前に選別して、司法に対して「この人に鑑定をやらせろ」「この人の意見を聞け」と持ちかけるべきでしょう。
その前提として、腕に自信のある人が多数、「俺が鑑定をやってやる」と立候補していただかなければなりません。

医療の鑑定は一人や二人の鑑定で足りる=十分な信頼性が得られるのでしょうか?

宝石や美術品のややこしい鑑定は、多くの鑑定結果を並べて表示し、来歴まで明らかにするなどして信頼性をあげていますが。医療の技術や判断はそれ以上に難しいものが有るようにも思えます。

そのような鑑定は、合議で行ったり鑑定結果をぶつけ合って検証する必要が有るのでは?

> 法曹としては、「医師専門家に聞いても正しい意見が得られない場合がある
> (トンデモ鑑定)」 という点がまったくもって、理解できない。世の中には腕の
> 悪い医者が多いということなのかもしれませんが、なぜそんな人が排除され
> ずに存在を許されているのか?

物事には多面性があると言うことだと思います。いま私の目の前にある鉛筆だって、みる角度によって;

1)鉛筆とは丸いものだ − 長軸方向から見た場合
2)鉛筆とは長いものだ − 横から見た場合
3)鉛筆の先はとがっている − 先端(書くところ)を見た場合
4)鉛筆の先は鈍である − 書くところと反対側を見た場合(ケシゴムがついている)

などという事実を認めます。いずれも正しい記載ですが、このどれをとってみても鉛筆全体の形を表現するものではありません。 「丸い」「長い」、「とがっている」「鈍」などと相反する言葉があり、これによると「鉛筆とは、丸くて長くてとがっていて、鈍なもの」と定義されてしまいます。

医療事故に関する鑑定書だって、これと同じことです。どれもが正しく、しかし、どれもが全体を正しくとらえているわけではないでしょう。経験を積めば積むほど医療事故の多面性を知りますから、「俺が正しく鑑定してやる」などとは、言えなくなってくると思います。

医学の多様性を知れば知るほど、「これが正しい。正確無比!」という鑑定は不可能だと思い至ります。

> YUNYUNさんも刑事訴訟が主なのでしょうか?(No.102 Med_Law さま)

ご質問の趣旨が分かりません。

過去のエントリをご覧いただければお解りと思いますが、私の立場はこのブログに参加した当初から一貫して、
医療の結果が悪かった場合に刑事責任を問うことは、故意または(故意に準じる)重過失に限るべきであると主張しています。
しかし、刑事政策的に、軽過失以下の医療事故を訴追すべきでない−−起訴猶予処分が相当である−−ということは言えても、
刑事法学として、医療に起因する悪い結果には一般的に犯罪が成立しない ということの理屈付けは難しかろうと思います。

このことを敷衍しますと、
刑事責任の理論上の判断手順は
 (1)構成要件該当性 → (2)違法性 → (3)有責性

医療行為が犯罪となるかについて、今の考え方の主流は、(3)有責性の段階において個別的に「故意・過失がない」というところで切っています。
> 故意犯(殺人罪または傷害罪)について言えば、医師に、ここで言われている「悪い結果」に対する「認容」がなければ、故意を欠くので故意犯は成立しない(No.103 モトケンさま)

しかしながら、実際的に問題になりやすい過失犯(業務上過失致死傷罪)において、
何をもって医療上の過失とみるかにつき、裁判所の判断基準が適当でないと思われるところがあり、
個別の過失判断に依拠していては、不当判決を阻止し得ないのではないかという懸念があります。
また、刑法理論としては、上記(1)→(2)→(3)のできるだけ早い段階で、非犯罪を選別して振るい落とすことが望ましい。

そのような問題意識に基づいて、No.49設問4
 「医療行為は須らく身体に働きかけるものであるから傷害行為とみなすことも可能であるが、正当業務行為とするための違法性阻却事由を述べよ。」
を提起されたのではないかと拝察しておりました。
つまり、(2)違法性 の段階で、切る理屈を考えよ、と。

しかし、残念ながら、違法性を結果無価値的に考える立場においては(私はこの立場を取ります)、結果が悪かった場合に違法性なしとすることは無理があります。
ならば、せめて、責任がないことを、個別の行為者の非難可能性(故意・過失)によってではなく、<一般論として>理屈づける方法がないものかという観点から提示した説が、
・期待可能性
・許された過失

これに対して、モトケン様は
違法性を行為無価値的に解することにより、違法性の段階で切るということを提唱されています(No.72、No.103)。

----
ところで、No.102のご意見は、

> どの医療行為も違法である可能性がある場合に
> 結果が悪ければ、遡って違法行為であるという認定がされるのであれば
> 本気で結果無価値が全てと司法が考えるのであれば

は、違法=犯罪成立 と見ておられるようで、刑事法学理論に対する批判としては的外れであろうと考えます。
今まで議論してきたのは、あくまで刑事法学的な判断手順に従って、
(1)構成要件該当性 → (2)違法性 → (3)有責性
の(2)の段階で非犯罪となしうるか、という論点に過ぎず、最終的な犯罪の成立については論じていないからです。

さらにいうと、
> 民事に結果無価値で旗を振っても、なんとなく現実の私人間の争訟には合わない気がします。

ここで一気に民事責任の議論に飛んでしまうのですが、
民事不法行為責任について、医療の結果が悪かった場合でも「違法性が阻却される」から賠償責任を負わないという考え方は、
刑事違法性阻却説にも増して、少数派であろうと思われます。
民事で賠償責任を否定する理屈としては、個別に「過失がない」ことによるとするのが大多数であり、私もその説で考えています。

続きになりますが、訴訟に関して、鉛筆は丸いほうが都合が良い場合には、そのように書いてくれる鑑定人を選ぶでしょうし、鉛筆はとがっているほうが都合が良い場合には、そのように書いてくれる鑑定人に依頼するでしょう。

いずれの鑑定も正しいのですが、それぞれの鑑定人は「あいつの鑑定はでたらめだ」と思うのでしょうね。

> 医学の多様性を知れば知るほど、「これが正しい。正確無比!」という鑑定は不可能だと思い至ります。(No.109 某救急医さま)

誤解があると思いますが。
鑑定で聞かれていることは、「(刑事上あるいは民事上の)責任を負うべき過失があるか」
本件にどんな治療を施すのが最適であるかを問うているのではなく、
最低限、何をしなければならないかを問うているのです。

治療法Aと治療法Bがあって、治療法Aを取ったことが過失と言われるのは、「(プロスペクティブに見て)治療法Aをとるべきでない」ときです。
治療法Aと治療法Bのどちらがよいとも言えない、どちらを選んでもよい、と判断される場合は、どちらを行っても過失とはなりません。「本件は過失なし」という鑑定意見を書いていただければよいのです。

> 訴訟に関して、鉛筆は丸いほうが都合が良い場合には、そのように書いてくれる鑑定人を選ぶでしょうし、鉛筆はとがっているほうが都合が良い場合には、そのように書いてくれる鑑定人に依頼するでしょう。
> いずれの鑑定も正しい(No.111)

「医師がとった治療法Aの他に、治療法Bもある」という紹介は可能でしょうが、
いずれをとるべきか確定的に判断できないなら、「いずれでもよい」と書かなければ、嘘を書いたことになると思います。
鑑定依頼を受けた医師がみな、依頼者の意向に添って「治療法Bをとるべきだ、Bを取らなかったことは過失だ」と書くとは信じられないのですが。
福島事件の事故調査報告書の読み方については、あちらのエントリにコメントしたいと思いますが、「過失がある」という言葉は使っていません。

YUNYUNさんの言われるところの「トンデモ鑑定(?)」に対する一つの答案は、町村さんのブログの該当エントリーのrijinさんのコメント(2007/01/21 16:42)に一つの答えがあるように思います。

そもそも、法廷に出れば一つの事件について、原告被告の弁護士から真っ向から違った見解が出されることなんて、当たり前のことですよね。医療でも同じことではないでしょうか。

民事の賠償責任については、それが司法が全く妥当に判断できることが保障されればそれでもいいのかもしれないですが、それは無理でしょう。では医者の手を煩わせて妥当な判断を得るための仕組みを整えるとしたら、その仕組みを整え需要に応えるにかかる莫大な経費を医療費に上乗せすることと、民事免責+無過失保障整備でお茶を濁すこととで、どちらを国民が望むかを確認すべきだと思います。

No.103 モトケンさま、No.110 YUNYUN さま

故意犯(殺人罪または傷害罪)について言えば、医師に、ここで言われている「悪い結果」に対する「認容」がなければ、故意を欠くので故意犯は成立しないと説明できます。
見逃していただいている立場の医療者が言うのも何ですが、上記の論理には私は矛盾を感じます。
例えば、採血や手術を行なえば患者の身体に傷が付くのは誰の目にも明らかです。また、No.82 立木 志摩夫さまのコメントにあるように、骨髄移植を行なえば患者のうち数%から数十%が治療の影響で死亡に至ると言うことも医療者は知っています。
これは「悪い結果」を「認容」しているとは言えないのでしょうか?
医療者の意識としては、我々は「悪い結果」を「認容」した上で、確実ではないが、確率的には患者にそれを上回る「良い結果」がある可能性が高いと考え医療行為を行っています。
ところが、刑法的には「悪い結果」を「認容」すること自体が違法であることの構成要素のひとつとされているのであれば、そこには大きな認識の違いが存在すると感じます。

すみません、最後の文章の表現が適切ではありませんでした。
>ところが、刑法的には「悪い結果」を「認容」すること自体が違法であることの構成要素のひとつとされているのであれば、そこには大きな認識の違いが存在すると感じます。

ところが、刑法学的には「悪い結果」を「認容」することが故意犯の成立根拠のひとつであり、現状では(実際にはあるにもかかわらず)それが無いということが医療行為の犯罪性阻却の理由とされ、事実と異なる根拠によって自分たちが守られているとすれば、医療者としては大変大きな不安を感じます。
と読み替えてください。

>No.110 YUNYUN さん

>違法=犯罪成立 と見ておられるようで、刑事法学理論に対する批判としては的外れであろうと考えます。

ご検討いただいてありがとうございます。犯罪について『構成要件に該当し、違法且つ、有責でないと有罪にならない』とは、眞でない先生の授業で勉強したままであり、理解しております(笑)

ただ最終的な有責でしか医療行為が認容されていないような不安定な法的保護では、医療行為を続けるのは、やはり難しいのではないかと思います。
やはりご指摘のように(2)の違法性阻却自由の段階で、白黒つけてもらわないと、やはり請負契約的な過剰な負担を強いられる感があります。

刑事、民事が別のものであるということは法曹では常識かもしれませんが、違法でなければ、賠償責任も負わないのが過失責任原則であることを考えれば、(2)の違法性阻却事由の明瞭化が民事的にも不当な高額の賠償要求の防護となると考えています。

No.115 つくねさんのコメントの危惧が、一般臨床医の危惧を代表しているものと思われます。
医療行為は、なにも有責になるのを目こぼしして頂くような、そんな後ろ向きのことではないはずです。
YUNYUNさんの思考の先には、
『良きサマリア人の法』
http://www.janjan.jp/living/0603/0603221231/1.php
は存在しないかのように見えます。
「下手に手を出すと罪に問われかねない」
というのに、違法性阻却事由のない行為を続けることができるでしょうか?

法学的な考えで限界があるのであれば、同様に医学倫理の限界で医療が崩壊する必然性があるように思われます。

>No.113 峰村健司 さんのコメント
『需要に応えるにかかる莫大な経費を医療費に上乗せすることと、民事免責+無過失保障整備でお茶を濁すこととで、どちらを国民が望むかを確認すべきだ』

にありますような、立法不作為の行き詰まりが見えてきた気がします


No.110の誤字訂正。筆が滑りました。失礼致しました。

 × ・許された過失
 ○ ・許された危険

-----
> (2)の違法性阻却自由の段階で、白黒つけてもらわないと、やはり請負契約的な過剰な負担を強いられる感があります。(No.116 Med_Law さま)

私が逆にお聞きしたいのは、
「違法性阻却がよい、責任阻却では駄目だ」ということの理由です。
失礼ながら、医師のみなさま全員が全員とも、刑法における構成要件該当性→違法性→有責性の思考手順を深く理解した上で、おっしゃっているとも思えないのですが。

行為無価値説に立って違法性が阻却されると主張すること[モトケン説]も、
期待可能性or許された危険説に立って一般的責任が阻却されると主張すること[YUNYUN説]も、
実際上の効果は、さほど変わりなかろうと思われます。
いずれも、
  医療の結果が悪かった場合でも、悪い結果をことさら希求したのではなく、他のよりよい方法を取ることを期待するのが酷であるという場合は、犯罪は成立しない。
との結論を導くためのものです。
両説の相違点は、刑法体系上の理論的位置づけに過ぎません。
行為無価値説を、結果無価値の立場から分析すれば、責任論の一部を前倒しで違法論に取り込んだものと見ることができますが、
私は、理論の優劣の評価として、違法性は外形的客観的側面の判断に徹するほうがよかろうと考えるだけです。

> YUNYUNさんの思考の先には、
> 『良きサマリア人の法』
> は存在しないかのように見えます。

私は現時点において刑法典にはそのような規定は存在せず、解釈によってストレートにそのような効果を導くことは困難であることを述べているのです。
(政策的に起訴猶予にする、というのは運用の問題です。)

解釈論と立法論は別ですから、私としては「良きサマリア人の法」の立法化に反対するものではなく、現行刑法の枠組みと整合性を持たせた形での法制化は十分可能であると考えます。
なぜならば、それは、現行刑法典中に違法阻却・責任阻却等バラバラの形で、既に存在する理論的道具立てを、明確に一個の構成要件にまとめ上げたものとなるであろうからです。
逆に言えば、わざわざ法制化せずとも、現行刑法の適切な運用により具体的に妥当な結果を実現できるはずであって、法律がなければ刑事事件の処理に絶対に困るというものではない。法制化の効果としては、「医師に対し安心感を与え、パニック的逃散を防止する」という側面が大であると思われます。(社会政策としてはそれも重要なことです)

ところで、No.116 Med_Law さまは、そもそも「良きサマリア人法」の趣旨、すなわちそれが刑事責任を免ずる理論的根拠は、何であるとお考えですか?
 a.違法阻却
 b.責任阻却
 c.政策

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故意の判断と犯罪の成否について。

> 医療者の意識としては、我々は「悪い結果」を「認容」した上で、確実ではないが、確率的には患者にそれを上回る「良い結果」がある可能性が高いと考え医療行為を行っています。
> これは「悪い結果」を「認容」しているとは言えないのでしょうか?(No.114 つくね様)

まず、司法実務的には、医療の結果が悪かった場合でも、ことさらに悪い結果を希求したのでない限り、「故意犯」の成立は考えず、過失犯の成否のみを考えます。
確率論的に過半数どころか、成功率のほうが低い、冒険的な治療方法を行った場合であっても、それが医学的に正当な治療方法と認められているもので、患者への説明と合意等の手続きも含めて標準的な術式に則って行われる限り、「故意」責任を問うことはない。
つまり、医療行為について故意犯が問われるケースでは、「確定的故意」が必要とされ、「未必の故意」的なものは認めない扱いであると思います。

これを理論的に分析した場合に、医療行為についてのみ、故意の認定基準を変えているのかどうかは、はっきりしません。

私見では、個別の行為者の故意の判断ではなく、もっと一般的な責任阻却理由として、医療行為については他の方法が期待できないことに起因するのではないかと思います。
医療行為においては、客観的に危険が皆無であったり、危険がないと信じて行うということのほうが、あり得ない状況であって、むしろ逆に、医師は治療行為の危険の程度を十分認識していることのほうが要請されのですから。

なお、臓器移植、生殖医療、新薬投与などの先端医療分野においては、殺人罪・傷害罪等の「故意犯」として起訴されるケースがあります。
これは、「標準的な医療行為と認められていない」「患者の説明同意を欠いたり倫理委員会の審査を受けない等の手続き違背がある」ということによって、一般的に責任阻却が認められず、個別の行為者の認識としては、少なくとも悪い結果が生じることをも認容していたとみられる以上、故意有りとされてしまうのだと考えます。

以上の分析は、単なる私の個人的意見に過ぎず、権威ある学説の裏付けがあるわけでもないので、異論は大いにありうることと思います。
また、実社会で役立つというより、思考実験として、ためにする議論という面もありますので、間違っていたらご容赦ください。

>No.117 YUNYUN さん

『良きサマリア人法』には、刑法的には、第37条2項を消すだけで十分に可能と思われますが、条文を消すことは司法の仕事ではないですものね


刑法 第三十七条  (緊急避難)
1  自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2  前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない


私は、やはり違法性阻却事由に基づく刑の免除または、必要的減免がなければ、結果の予測不能な医業は、継続不能(あえて潜在的違法行為を続ける理由がない)と思われます。

民法には正当防衛に相当する条文はあっても、緊急避難に対する認識は乏しいように思われます。”他人の不法行為に対し”という大前提が取れれば、医業の正当業務による損害賠償請求棄却の理由付けができそうな気がします。


民法 第七百二十条  (正当防衛及び緊急避難)
1  他人の不法行為に対し、自己又は第三者の権利又は法律上保護される利益を防衛するため、やむを得ず加害行為をした者は、損害賠償の責任を負わない。ただし、被害者から不法行為をした者に対する損害賠償の請求を妨げない。
2  前項の規定は、他人の物から生じた急迫の危難を避けるためその物を損傷した場合について準用する。

疾病が違法行為であるはずもないのですが、立法主旨に沿った類推解釈はできないかとも、愚考します。

>失礼ながら、医師のみなさま全員が全員とも、刑法における構成要件該当性→違法性→有責性の思考手順を深く理解した上で、おっしゃっているとも思えないのですが。

もちろんです。
だからこそ、有責性の検証だけの法的保護だけでなく、違法性阻却による法的保護も医業になければ、一般の臨床医は恐れて医療などできないでしょう。
二重の保護を要求している所以です。
本当は、第一段階の構成要件該当性から外してもらいたい位ですが、トンデモ医療による被害も考えると、そこまでの要求は無理かと思ってます。

片岡訴追や藤山判決等で、最後の有責性だけでは、自分たちの医療行為は法的保護の対象となっていないことを、もう日本国中の医師は皮膚感覚で知ってしまっているのです


PS
前に告白しましたように、まだまだ法律の勉強は始まったところです
初学者として失礼な質問とか、文体とかあるかと存じますが、ご容赦いただけると有難いです

>Med_Law さん
医療行為から、第三十七条の二項を除外するとします。この場合、末期の腎臓病患者を助けるために、無断で第三者の腎臓を摘出し、移植した場合でも、刑法に問えないという事だと思うのですが、いかが思われますか?

>No.119 しまさん

透析という方法があるなかで、第三者への傷害を許容した腎移植が、『緊急避難』に相当するとは思えませんが?
『無断で第三者の腎臓を摘出し』という段階で、第三者に対する他の有罪行為を犯しているように思われます(詐欺、恐喝、暴行、傷害、殺人、、等々)ので、条文中の利益均衡で考えても、想定されている腎移植案件に正当な違法性阻却事由があるとは思えません。

『緊急避難』の第一項は、危急の疾病または傷害を有する患者に対して、第三者である医師の治療・救助行為なくして救命し得ない場合には、免責可能としえる条文と見ることもできます(現在は、第二項で無理ですが)

×利益均衡 ⇒ ○ 利益衡量
に訂正です

YUNYUNさん こんにちはです

「失礼ながら、医師のみなさま全員が全員とも、刑法における構成要件該当性→違法性→有責性の思考手順を深く理解した上で、おっしゃっているとも思えないのですが。」

失礼でもなんでもないです。少なくとも僕は理解してないですし、たぶん他の多くの医者も理解していないです。

ただ、医療という、昔からあり、今もあり、今後とも滅びることはまずなく、しかも本質が変わらないだろう社会の一分野の行為を裁く基準なり何なりをうまく理論づけられないのは美しくないと思う。

YUNYUNさん ありがとうございます。
少し遅れましたが、No.107のご意見にコメント述べます。

このスレッドちょっと落ち着いておりましたが、No107以後ヒートアップですね。つまるところ、
1 現状を理解いたとして、医師サイド、法曹サイド、国民サイド、政治サイドどこが先に動くべきか論
2 過失認定レベル問題、鑑定書ばらつき納得いきません問題
がでると、法曹、医師お互い一歩も引かないチキンレースの様相を呈しています。

このコメントでは、鑑定書ばらつき問題につき意見述べさせていただきます。

>法曹としては、「医師専門家に聞いても正しい意見が得られない場合がある(トンデモ鑑定)」という点がまったくもって、理解できない。世の中には腕の悪い医者が多いということなのかもしれませんが、なぜそんな人が排除されずに存在を許されているのか?法曹を始めとして、医療者でない素人には、医師の実質的な信頼性は分かりません。(見分けが付くほど専門的な見識を持っているなら、医師に意見を聞く必要はない)

そうですか。最高裁の判決でも多数意見に反対する少数意見つくのでは。価値判断がはいることになるとばらつくんでは。
私としては、きわめて機械的に「医師の上から90%までの医師がやることはたとえ平均以下でも、通常の医療行為、過失ではない、下10%はまあしかたがない」として、価値判断入れずに鑑定やり(ただし1人、2人では個人のどうしても消せない価値判断が入るので10人前後で合議)、裁判官が鑑定に従って「価値判断入れずに」「過失ありなしを認定して」判決すればよいと思います。が確かFFFさんだったと思いますが、「価値判断せずに鑑定書くのは良いが、裁判官はそこに更に価値判断して過失レベルを操作する(あるいは操作する権限を認めよ)」といわれるからおかしくなるんだと思います。あんまりそういう判決続けば、鑑定する方だって価値判断入れて書くべきかなと思ってしまうではないですか。

それから、●第1回公判報道状況 No.5 YUNYUN さんコメントに関して、
>医師の中立性にも疑問があるというならば、
前にも述べましたが、迎合して意見を変えるというのではないが、そもそも非常に過失レベルを高く取る(「平均以下は皆論外」「日本の医者は皆、不勉強」「私ならできる」「大学なら出来る」)人を探しだして鑑定人にすえていると言う傾向ないですか? 逆に医師サイドは低く取る人を探す(つまるところかばい合いと非難される行動)。これに問題あると思えば、私は弁論主義という裁判システムを変えないとしかたないなと思います。
これらの人も過失レベルを高く取って裁判で他医師を非難する以外は、本人に医師としての力量あるのなら、医師として排斥する必要ないですよね。だから排斥されません。

おもしろい新聞記事ありました。これ長くなるので分けます。

おもしろい新聞記事ありました。
YUNYUNさん、法曹の方は、これ読まれて、どう思われるでしょうか。
朝日新聞 2006/12/24 関西版25ページ(広告特集 2006年国際肺癌学会 第7回肺がん撲滅デー市民公開講座 紙上採録)で、エキスパートによる仮想症例に対する治療方針です。

症例1 40歳の女性 たまたま受けたがん検診で、1センチの小細胞肺癌が見つかった。抗がん剤治療が不安。髪の毛が抜けるのも嫌だし、子供も小さいので入院もしたくない。

A先生(副院長 放射線科) 抗がん剤の副作用には造血障害や嘔吐、下痢などの消化器症状、脱毛、しびれなどがあります。嘔吐は制吐剤の工夫であまり苦にせず治療できますが、脱毛は対応策がありません。治療が終了すると1、2ヶ月でまた生えてくるので、その間辛抱していただくということです。この患者さんには、私なら抗がん剤と放射線治療の併用をお勧めします。

B先生(外科教授) リンパ節転移がないなら、私は先に手術して、その後に抗がん剤がいいと思います。先に手術すると体が衰弱して、その後に抗がん剤を使ってどうかという意見もありますが、40歳の女性というのは体力があるはずです。

A先生(副院長 放射線科) 治る確率はどの方法でも同じくらいだと思いますが、手術が先だと、その後に抗がん剤を目いっぱいできる人の割合が減ります。小細胞がんは早期から全身転移があることが多いです。この患者さんも転移がないように見えて、転移している可能性が高いと思われます。ですから、私は十分に抗がん剤治療をしてから手術という選択をしたいと思います。

C先生(放射線科教授) 小細胞がんは非常に放射線が効きやすい。私は抗がん剤と放射線の併用でいけると思います。

D先生(呼吸器センター長 外科)奥仲 外科医の意見としては、先に手術です。今は手術といっても胸腔鏡で行ったり、出来るだけ肋骨や胸筋を温存する方法が主流で、大体6泊7日で退院できます。手術の翌日からご飯も食べられ、それほど体に負担がかかりません。人間の心理として、がんが残っていると不安なので、とりあえずとってから、後はじっくり抗がん剤でというのが私の方針です。

司会者のコメントは専門家の皆さんでも方針別れるものなのですね。でした。

私の意見としては、「医療なんてこんなもの。どれももっとも、どれを選んでも良い、どれでも過失と言われる筋合いはない。」です。4先生ともおなかの中では俺の治療が一番と思っているでしょう。でも他の先生の治療が過失かというとたいていの先生は、それは医者にとっては許容範囲つまり、医師の裁量権の範囲内です。しかし、20万人からいる医師ですから、もっと断固とした主張持っている(「私の治療がベスト、それをやらないのは問題」)先生探すのは難しくありません。その先生がだいぶ偏った主張することも否定できません。医師サイドから言えば、「医療はそんなもの、そんな偏った主張をする先生を抱えている(他の先生を論難しない限り実害はない)からといって医療界が悪いわけではない。問題あるのは無理から鑑定者としてそういう先生を引っ張り上げてきたサイド」と考えております。

例えば、D先生にかかって、胸腔鏡手術の稀ではあるが予想できないことはない合併症おこり、体力低下、そうこうするうちに、更にがん再発し死亡。ありがちです。
遺族納得せず。ありがちです。さがせば必ずA先生のような意見見つかると思いますよ。それを少しエキセントリックに主張してくれる先生を捜せば
「手術が先だと、その後に抗がん剤を目いっぱいできる人の割合が減る。小細胞がんは早期から全身転移があることが多い。先に手術をやるのはこの可能性を無視した暴挙と言わざるを得ない。十分に抗がん剤治療をしてから手術をするのが医療水準である。」
医療水準に悖ると言う鑑定書のできあがりです。
これに、「仮に医療水準内としても、他の治療法を聞いて選択する機会が奪われたのは期待権侵害、D先生が「抗ガン剤治療研究会」に属していない事を告げていないのは過失」なんて言われた日には。

刑事責任の違法性阻却、責任阻却、「良きサマリア人法」について。

> 『良きサマリア人法』には、刑法的には、第37条2項を消すだけで十分に可能と思われます(No.118 Med_Law さま)

私のNo.117の質問にまだお答えいただいていませんね。
「良きサマリア人法」は刑法37条1項の本文ですか?それとも但し書き?

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「良きサマリア人法」が刑法37条の場合にストレートに当てはまるかどうかは、疑問と思います。
緊急避難とは、自分が被った危難を、危難の発生原因でない、何ら悪くない他人に対して転嫁することが許されるというものです。

一方、「良きサマリア人法」の内容は、アメリカなどの実際の法制度を詳しく知りませんが、だいたいにおいて、
 正規の医療機関以外の場所で、緊急の必要から、業務に就いていない医師が呼び出されて無償で救命治療活動を行った場合に、たとえ結果が悪かったとしても刑事責任(民事責任も?)を問い得ない
と捉えられているようです。
この場合、無関係の他人を巻き込んで危難(命の危険)を転嫁するのではなく、マズイ結果を危難の発生源に返す点では、むしろ正当防衛(刑法36条1項)と共通するところがあるように思います。もちろん、病気や怪我をしたことに患者の責任は無いので、「不正の侵害」には当たらないのですが。
ともあれ、緊急の行為につき違法性ないし責任の阻却を認めるという根本原理は同じなので、少なくとも刑法37条1項を<類推>適用することは可能でしょう。

医療現場において、刑法37条1項の適用がストレートに考えられるのは、「トリアージ」です。
災害などで大量の怪我人が発生し、医療資源が大変逼迫している場合に、どの患者を優先的に治療するかというシビアな命の選択が生じます。一般的な基準によれば、命に別状ない軽傷患者と、治療しても助かる見込みの薄い重傷患者は後に回し、中程度の患者を優先治療することが、最も効率的で治療成績が良いとされるそうです。
そこで、もし判断を誤って、正しく選択していたなら救えるはずであった命を失ってしまったとしても、選択を行った者の責任を問うてはならない。これで責任を問われるとしたら誰も選択の仕事を引き受けようとせず、治療が開始できずに多くの命が失われるという最悪の結果になってしまうからです。
この場合に刑事免責を与えることは、まさに緊急避難or過剰避難に該当するから、と説明できます。

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現行刑法の37条2項は、医師の免責を阻むか?

Med_Law さまは37条2項の存在を問題視されますが、ここでいう「業務上の特別の義務がある者」とは極めて限定的に解され、医師の医療行為であるからといって、直ちに37条1項の適用を排除することにはならないと考えます。
ご承知のように、「業務」の文言は、法律によって、また条文によって異なる意味に解釈されており、必ずしも業務上過失致死傷罪の主体となりうる業務者と、刑法37条2項とを同じに解する必要はありません。
cf.交通事故は業務上過失致死傷罪の構成要件に該当するが、緊急避難の成立を認めた例がある。

もっとも、私個人としては、刑法37条2項の規定はかなり不合理であって存在自体に疑義があり、刑法改正して削除すべきであると考えています。
緊急避難→論理的にみて、客観的に大きな法益が守られた場合に、行為者の個人的属性によって違法性阻却を否定すべき理由はない。
過剰避難→業務者であるからといって、より良い結果を生む方法を選択しうるケースばかりではないから、一律に重い責任を課すことは過酷な結果になるおそれがある

現行の実務運用は、検察官の起訴猶予の処理により、過酷な結果を避けていると思われます。(安全弁)

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> 有責性の検証だけの法的保護だけでなく、違法性阻却による法的保護も医業になければ、一般の臨床医は恐れて医療などできないでしょう。(No.118 Med_Law さま)

この「有責性」が個別の内心の事情−故意・過失−だけであれば、危ういと感じるのも無理はありませんが、
その前段階の判断として、私の提唱する「一般的責任阻却」(No.117)を加えるならば、違法性阻却と、さほど変わりがないのではありませんか?

> 医療という、昔からあり、今もあり、今後とも滅びることはまずなく、しかも本質が変わらないだろう社会の一分野の行為を裁く基準なり何なりをうまく理論づけられないのは美しくないと思う。(No.122 立木 志摩夫さま)

社会の一分野をなしているというのは、数が多いというに過ぎません。
どちらが原則か例外かという点からいえば、原則はあくまで、何らかの法益侵害が発生したら刑法によって「裁かれる」。
医療行為を全部一律に裁いてよいなら、理論上は単純明快、すっきりと筋が通って美しいのですが。
「裁かない」という「例外」を理屈づけようとするところで、理論がねじ曲がり苦悩するのです。

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ところで、民法上の違法阻却事由について。
正当防衛(民法720条1項) 他人の不法行為に対し、
緊急避難(民法720条2項) 他人の物から生じた急迫の危難

要するに、「人」からやられたか、「物」からやられたかの区別で、不法の侵害に対する防衛行為である点は共通しています。意思のない「物」による侵害行為を「不法行為」とは呼びにくい、と考えるようです。

> 民法には正当防衛に相当する条文はあっても、緊急避難に対する認識は乏しい(No.118 Med_Law さま)

ご指摘のように、民法には刑法の緊急避難に相当するような規定が存在しないといえます。
民法は対等な私人同士であるAとBとの利害対立を調整する原理ですから、Aが受けた被害をBに転嫁することを許すわけにはいかないのです。
なお、一般的に、刑事責任のほうが民事責任より過酷であると解されるので、刑事責任の成立範囲は狭く限定して刑事免責は認めるが、民事免責は認めない、ということがあります。

> ”他人の不法行為に対し”という大前提が取れれば、医業の正当業務による損害賠償請求棄却の理由付けができそうな気がします

上記サマリア人法について述べましたように、医療行為は危難の他人への転嫁ではなく、マズイ結果を発生源に返すという性質がむしろ正当防衛に共通する、と言う点がヒントになるかもしれません。

もっとも、現行民法の解釈論として、医療行為について一律的に、違法ないし責任阻却を認めることは相当に無理があります。
立法をする際の、根拠付け理論には使えるかもしれない。
私としては、立法的に解決を図るとしても、民事賠償を完全に不要とするのではなく、賠償額の上限を設けて責任を限定するというあたりが、民法の利害調整原理に基づく妥協点ではないかと思います。

>No.125 YUNYUN さん
>ところで、No.116 Med_Law さまは、そもそも「良きサマリア人法」の趣旨、すなわちそれが刑事責任を免ずる理論的根拠は、何であるとお考えですか?

の私の回答は、できればcの施策、つまり立法です。
現在、『良きサマリア人法』というのがないので机上の空論ですが、『良きサマリア人法』という立法が条文としてあれば、学説は不要でしょう
論争なく、医療の本旨に沿って立法があってしかるべきと思われます

ところで、

>医療現場において、刑法37条1項の適用がストレートに考えられるのは、「トリアージ」です。

とは、現状では矛盾しているように思われます。
現場で働く医師としては、救急外来での対応が困難である(つまりは他の人の処置で受け入れ困難である)ことは、患者の期待権の侵害として訴えられて、実際に訴訟で和解(300万円)を余儀なくされています
http://www.sankei.co.jp/local/kanagawa/061014/kng001.htm
現に助けられる人への医療資源の集中化さえ、治療を要求する人への権利侵害として訴えられる、解決困難な時代になってきているということです。
果たして、災害での緊急医療で、治療を行えず(あるいは行うことができなかった後)死亡された方が、トリアージした医師を訴えた場合、本当に無罪となるでしょうか?
トリアージの判断が確定的なものでない限り、訴訟の不安がいつでも付きまといます。

医師が個々の患者さんのためとして行動できる能力は限られている中で、解決不能な能力を求めて、真摯に努力して逃げなかった医師に負担が集中する制度となっているように思われます。
真面目に事態を予想して考える人ほど、深刻になやんで、逃げてしまうような気がします

PS
今日は、治療が奏功せず、若い方が亡くなってしまい落ち込んでます。少し文章が乱れているかもしれません。ご容赦くださいませ

No.126 Med_Law さま
大変な一日でしたね。ご心痛、拝察申し上げます。
ここのコメントへのお返事は義務や強制では全くありません。
みな自分の楽しみでしていることですから、お仕事やプライベートに差し支えのない範囲で、気分が乗った時にご参加くたされば幸いです。

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> > 「良きサマリア人法」の趣旨、すなわちそれが刑事責任を免ずる理論的根拠は、何であるとお考えですか?
> 私の回答は、できればcの施策
> 立法が条文としてあれば、学説は不要でしょう

あ、いや、質問の趣旨がわかりにくかったでしょうか?
私がお尋ねしたかったのは、
サマリア人マターを、違法性阻却(緊急避難・37条1項本文)とみるか、責任阻却(過剰批難・ただし書き)とみるか、です。

Med_Law さまは、これまで、医療の刑事免責は責任阻却では不足であり、違法性阻却が与えられるべきであると主張されますので、
a.違法性阻却 という回答が論理的に一貫するだろうと予想しておりました。
が、そうなれば、客観的には悪い結果が生じていることとの整合性、緊急避難類似に考えるならば法益の均衡が正当防衛にも増して要求されるのですから、「違法でない」ことをどう説明するかが、問題となりますよ、
と言いたかったわけです。

「政策です」と言ってしまえば、説明は不要ですが、理論的裏付けがないものは説得力が弱くなります。一旦法律が出来ても、そんな政策いらんやろ、と考える人が多数になれば、簡単に廃止されてしまう危険があります。
そんなわけで、法律の趣旨を理論づけることは、単なる頭の体操でなく、意味があることと思うのです。

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トリアージ

> 患者の期待権の侵害として訴えられて、実際に訴訟で和解(300万円)を余儀なくされています

それは、民事賠償責任の事例ですね。
私が主張していたのは 刑事免責 なので、民事責任とは一応は別個に考えてください。
刑事上は緊急避難が成立して責任を問われない場合であっても、民事賠償責任は負うべきとした判例があります。

また、刑事免責を背景に強力なトリアージを敢行する必要があると認められるのは、よほどの大規模災害の場合に限るという考え方もあり得ます。命と命の遣り取りになりますから。
私が念頭に置いていたのは、阪神大震災とか、先の尼崎列車衝突事故のように、何百人以上の単位で怪我人が発生したケースです。

阪神大震災や尼崎列車事故に関して、医療に対する不服の刑事告訴や民事訴訟が生じたとは寡聞にして存じません。トリアージは実際には行われたのではないかと推測しますが、情報が開示されないために、不満の出ようがなかったのかも。(医療機関内部において効果の検証はなされたのか?)

>No.127 YUNYUN さん

『良きサマリア人法』の問いは、違法性阻却を求めておられるのを分かった上で、更に上位の保護を求める答をしました。
なぜなら、違法性阻却、責任阻却などという消極的なものでは、日本の医師は不安で活動に専念することができません。
良きサマリア人に倣って医師が活動しなければ、むしろ助かる人が助からないということですから、積極的に法が災害医療を援助する理由がある理由です。

>阪神大震災や尼崎列車事故に関して、医療に対する不服の刑事告訴や民事訴訟が生じたとは寡聞にして存じません。

逆にYUNYUNさんにお伺いしたいのですが、もしトリアージされ、治療を受けられず死亡した人の家族がトリアージした医師を不当な医療判断として賠償を訴えたら、どうやって医師を弁護されるのでしょうか?あるいは弁護価値がないものでしょうか?
ボランティアで救助活動した医師を、賠償の責ありと認めて、和解を勧告されるのでしょうか?
刑事免責されても民事免責されなければ、ボランティア医師を募ることは倫理的に許されることでしょうか?

良きサマリア人で免責になるかどうかと、訴訟を起こすかどうかと言うのは関係ないのでしょうか。

飛行中の機内で乗客に致死的な重度の気管支喘息発作が生じ,米国の医師と英国の医師・看護師,乗務員が2時間近く心肺蘇生を行ったが不成功に終わった事例である。後日,米国の医師は州及び裁判所に呼ばれ数回に渡る審理を経て,原告の訴えはよきサマリア人法に基づき棄却となった。しかしながらこの医師はレジデントであったために職場からの法的援助が得られず,報告にて,引き続き機内医療への協力は勧めるものの被告は感情的・財政的・時間的損失を被る,と述べている。
航空機内での救急医療援助に関する医師の意識調査

アメリカでも色々と難しいのですね。

>No.129 しまさんへ

裁判を起こすことは憲法で認められた権利ですから、誰にも止められません(もちろん、濫訴として賠償を逆にしないといけない場合もありますが)

アメリカであれば、『良きサマリア人法』で裁判の行方は明白です。

では、法が緊急医療行為を保護していない日本ではどうでしょう?

崇高な倫理観に富んだ医師が真っ先に被告、被告人に堕ちる可能性があります。
もし法が保護していれば、本人訴訟でもない限り、原告の弁護士が訴訟で賠償要求の容認が可能であるか判断してくれることでしょう。
仮に訴えられたとしても、請求却下が予測できれば、緊急医療行為で訴えられることを懸念することは少ないでしょう

大事なことは、医療行為をする段階では、過失と後で認定されるかもしれない行為も含めて、被医療者には救命の可能性を広げる善い事であり、結果を恐れて誰も助けてくれないのは、過失の可能性がなくても善い事ではないということです。

正当な医療行為をする医師を保護するということは、その恩恵を受ける患者を保護することに他ならないということです。

> トリアージした医師を不当な医療判断として賠償を訴えたら、どうやって医師を弁護されるのでしょうか?あるいは弁護価値がないものでしょうか?(No.128 Med_Law さま)

民事責任においては、刑事における緊急避難のような、危難の他人への転嫁を一般的に正当化しうる理論はなく、現行法制には救済規定がありませんので、個別の過失の認定のところで勝負するしかありません。
医師の代理人弁護士としては、具体的な状況下において、通常できることを尽くしたから、過失はないと主張して争うでしょう。

> 違法性阻却、責任阻却などという消極的なものでは、日本の医師は不安で活動に専念することができません。

刑事責任については、理論的に違法阻却or責任阻却が認められ、現行法の規定を(類推)適用しうることに加えて、実務運用上は起訴猶予の救済がある。
民事賠償については、一般的に違法阻却や責任阻却を認めることは困難にしても、通常できる手だてを尽くしておれば個別に「過失無し」と判断される。
以上の法律の専門家の説明を聞いても、不安<感>が払拭されない、というのでは、もはやお手上げです。

確かに、弁護士の見解は一般的予測に過ぎず、未来永劫すべてのケースにおいて医師が絶対に責任を負わされることがないと保証するものではありませんが、
それは医療において不確実性を言うことと、同じではないでしょうか。
医療については不確実な結果を受け容れよといいつつ、法律家に対して不確実な未来を保証せよと要求することは、間違っていると思います。

こんにゃくゼリー事件は立証の問題があったと思われますが、
理論的な面からは、平時の医療機関における事故であり、大災害時のトリアージや医療機関外での医師召命とは別個の要素があるため、そのまま当てはまるとは言えないものです。
医師のみなさんはとかく、一つの事例を全てに拡大解釈して不合理を叫ぶ傾向がありますが、法律学の立場から見れは、そのようなことは判例の射程距離を無視した暴論であり、現実に起こる可能性がほとんどないと判断される事象を、既に起こったかのように想定して批難するのは、不当です。

以上のような説明を弁護士がしても、医師からの信頼を得られないことは、有る意味仕方がないことかもしれません。
しかし医療と法律の両方を学ばれたMed_Law さまのような方が、お仲間の誤解を解いて説得してくれなくては困ります。あるいは、立法がぜひとも必要であるとお考えなら、前向きにお仲間に働きかけて法制化の運動を展開するとか。
しかるに、今のMed_Law さまの態度は法律学の努力を認めず、ことさら法の不備を言いつのって、他の医師の方々に対して、不安感を煽り立てるものです。

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民事賠償責任を否定することは立法措置によるしかありませんが、
政策的にそうすべきであると主張するならば尚のこと、立法化が社会にどのような影響を与えるかを慎重に測らなければなりません。

ボランティアを奨めるためにサマリア法を制定せよ、という政策は疑問があります。
医療機関「外」でのボランティアをし易くするよりは、まず正規の医療機関における医療をしやすくする方法をつくることが先決でしょう。
また、もし仮に、医師に民事免責まで与える、バーターで応招義務や僻地勤務を罰則をもって強制するというような制度設計にされては困ります。

なんか、医師の免責を医師の特権と解釈している一般の方が多いのですが、これとて医師のためと言うより患者第1主義の賜物なのですよね。マスコミが率先して誤解を解いたりしなければならないのに目先の利益や視聴率ばかり気にしているからマスコミ本来の使命(ジャーナリズム)を忘れてしまっている。
良きサマリア人法は明白な患者人権保護法だと思います。でも医師の特権と勘違いしている人がいる。いかんですね。

No.131 YUNYUN さん

刑事責任については、理論的に違法阻却or責任阻却が認められ、現行法の規定を(類推)適用しうることに加えて、実務運用上は起訴猶予の救済がある。
民事賠償については、一般的に違法阻却や責任阻却を認めることは困難にしても、通常できる手だてを尽くしておれば個別に「過失無し」と判断される。
以上の法律の専門家の説明を聞いても、不安<感>が払拭されない、というのでは、もはやお手上げです。

ハイ、全く払拭されません。(キッパリ)

現に、相当金欠になってきた私でさえ、未だに臨床に復帰していないことがその動かぬ証拠であります。

結果が悪かったとしても、自分としてはやるだけのことはやったという状況は、医療の現場では日常的です。そのような日常的なことで、警察や検察に取り調べを受け、結果的には起訴猶予になったとして、「ああ良かった。また同じように医療を続けよう。今後も逮捕されることはあっても、良い医療を心がければ起訴猶予で済むだろう」と思う医者はいないでしょうねえ。

民事でも同様です。
たとえ無責になっても、訴訟に巻き込まれるだけでイヤになるでしょうね。
不安<感>はぬぐえません。(T_T)

結局医療を取り巻く法的なスタンダードがないことが問題なんじゃないでしょうか。
異常死の定義すら決まっていない状況で、届け出で義務違反で逮捕されてしまうのですから。

以前、まだ医師となって3年しかたっていない頃、24時間以内に医療機関にかからずに来院したDOA(というか、固さから言って死亡してから数時間はたっていると思われる)の患者で家族に「警察を呼びます」といって呼んだらバッシングを受けました。おまけに警察医曰く、「こういう明らかな病死の場合は適当にそちらで処理してください」とのこと。
ところがつい先日、同じように明らかに病死で不審な点は見あたらない24時間以内に病院にかかっていないDOAの患者(私が主治医でした)で当直時間帯に別の医師が死亡を確認して死亡診断書を書いたら消防署から警察に連絡が行っていて怒られたそうです。
警察の態度の変化ということであろうか?まあ、届けるのは原則なので昔の警察の言い分の方が間違っていたのでしょう。
しかし、あくまでも不審死についてのこと。合併症は届け出る必要があるのでしょうか?我々のモラルの問題ではなく、法律の整備の問題だと思います。

私は、制限をかけるには、実体法より手続法を使うべきだと考えています。
(具体的な方法は、医療崩壊エントリのほうで述べてきました。)

医師は裁判で理不尽な責任を押し付けられるのはイヤ。
というのは、とにかく、民事・刑事で「訴追されない」「万一、訴追されてもトンデモ判決を受けない」保証があればよいので、
それが実体法の効果であれ、手続法の効果であれ、どちらでも構わないではないか。
なぜ、手続法を、というかは、
そのほうが国会を通しやすいor国会を通さず運用だけで解決できるので、実現可能性が高いと思うからです。

確かに正面突破は、<実体法>により医療無問責とすることですが、法理論面からは、医師だけを特に免責するという理屈は立てにくい(特に、民事責任)。
では政策目的で医師を保護するか、ということになりますが、利害対立が複雑な現代社会において、民法の過失責任の原則を変更する大きな問題を、政策目的だけで説得するというのは困難です。
実体法による医療免責制度は一見、医師に特権を与えることであり、一般人の反発は相当に強いことが予想されます。
医師を保護することはひいては適正な医療を確保し、国民の利益のためである〜と説明しても、法律でそこまで保護されている職業は他に無いのですから、なかなか理解は得られないでしょう。

cf.国会議員の特権は、法律より上位の憲法で保障されている。
  一般の公務員は国家賠償法により、被害者からの直接請求が許されない、というのは手続的制限である。実体的には求償義務あり。

国民の多数が支持しない限り、法律が国会を通りません。そうすると、国民に受け容れやすい方法を考えなければなりません。
他方、手続法は権利実現の手段の議論ですから、「政策目的」によって縛りを掛けやすい。(実質的には、手段がなければいくら権利があっても、カラ手形なのですが。)
国民の多数は司法手続きに詳しくないので、わりと文句を言わずに、専門家の意見が通っちゃうところも、制度改正には有利に働きます。

そこで、民事紛争においては
・紛争解決はできるだけ訴訟外の、医療専門家のいる場所に移す
・訴訟において専門家の適正な意見を入れさせる
という手続面の方策を提唱するものです。

そもそも刑事免責とされている他の先進国でももしかしたら法律上は免責となっていないだけなのかもしれません。しかし、行政処分については日本もありますが、第三機関があり訴訟とは別の次元で原因解明と再発防止のために設置されており、訴訟は民事でということは事実であり、そこには医療過誤=犯罪者という図式は成り立ちません。つまり前科はつかないわけです。法律が無くても刑事訴訟が成り立たないと言うことは事実上日本以外は免責になっています。
しかし、日本では過誤で医師が犯罪者となります。そして有罪であれば実刑判決を食らいます。そしてそれが患者たちの身に不利益となって降りかかるのです。ここで遅まきながらやっと一部の見識者たちがそのことを理解し、ブログ等で発信していますが、不十分です。大野病院事件に象徴されるように現実として日本の医療崩壊が患者の身に降りかかっていますね。
しかし、民事訴訟大国のアメリカでも問題があります。それは賠償金の高騰です。これによって医療崩壊が進んでいます。日本はこうした事実をふまえて最終的には患者のために法律を整備すべきではないでしょうか。
例えば民事でも明らかな過失ではないのに示談や敗訴によって賠償金が生じている、あるいは過失とは言い切れないのに過失と認定するのはおかしいと思います。
患者第一主義を考えるとやはり医師免責というのは必須です。

済みません、免責というのは刑事免責のことです。
それに、事実上(あまりにも過ちが明らかなものは除いて)誤認逮捕や誤判決(あるいは明らかにそうではないかと思われる判決)は免責になっているではないですか。というよりも、免責になっていないときちんと司法・行政ができないということなのです。逮捕もしかりです(但し、大野病院事件については逮捕が明らかに必要でなかったのに1ヶ月以上も拘留した訳ですからこれは担当者は訴えられても文句は言えません。検察のモラルを疑います)。
私も以下の場合は刑事訴追されて仕方がないと考えています。

1.労働基準法がきちんと守られていて、緊急ではなく、十分考える時間があったにもかかわらず起こしてしまった医療過誤(左右取り違えや臓器取り違い、投与量間違いなど)
2.リピーターによる医療過誤
3.医療事故あるいは患者死亡で殺人が疑わしい場合
4.緊急性が無いのに自分の技量を明らかに超えた手技によって行われた医療事故

ここで医療過誤と医療事故を分けて書いたのは意味があります。マスコミは合併症、医療事故を医療ミスと呼んでいます。しかし、英語で医療ミスというのを指すのは医療事故の中でも特に医療過誤のことだけです。つまり、マスコミが使う医療ミスという言葉は日本語や英語とは関係のないマスコミ語とも言うべき言語なのです。
さらに、民事で賠償責任が生じるのは明らかな過誤に限るでしょう。

>yama さん
日本の場合、刑事罰が付かないと行政処分が降りないケースが多いのが問題の一因だと思います。あと、アメリカに関しては、医療行為といえども刑事免責にならないとは思いますが。

>No.131 YUNYUN さん

>今のMed_Law さまの態度は法律学の努力を認めず、ことさら法の不備を言いつのって、他の医師の方々に対して、不安感を煽り立てるものです。

法律については勉強中(現在進行形)なので、勉強した(現在完了)と言えるほどの知識はありません(笑)。

医師の仕事とはリスク管理に尽きます。
隠れたリスクにより患者さんの健康が損なわれないよう、あるいは損なわれた状態であれば、回復できるよう、病態を出来る限り把握し、限られた医療資源を再分配して、社会福祉を実現する存在です。
リスクに敏感になるのは当然とも言えます。
これまでの医師は、他人のリスク管理に敏感になる余り、自身のリスク管理については感覚が麻痺していたと思える節があります。
私の医師としての発言を利己的、自己保身的と考えてみるとYUNYUNさんのような反応もあってしかたないのだろうと思いますが、救急医療や婦人科医療のようなり利他的、献身的な医療行為についてのすら、全く社会的保護が与えられないのに、多くの医師は気がついて愕然としているのです。

法の穴があって通常医療をすること自体が非常に危険であると分かった場合に、仲間に警告を与えることは、倫理に反するのでしょうか?

救急外来や、産科、小児科医療は、今や爆弾処理班のような目で見られています。爆弾を爆発させずに処理して当たり前、爆発させれば本人・家族共々崩壊です
青ケーブル、赤ケーブル、黄ケーブル、どれかを切らないと爆弾処理できないが、どれかを切ると爆発するかもしれない。時限爆弾かもしれない。

普通なら、爆弾を見たら逃げるのが正解。
遠くで爆弾処理しろと叫ぶのは良いとして、他人に業として爆弾処理を義務付ける権利などあるの誰にあるでしょうか?
しかも業として繰り返して行う必要性がある爆弾処理には、必ず犠牲が強いられます。その稀な確率は、業としての繰り返しの中では必然です
爆弾処理する人に罰則を与えて行動させるのが正義なのか、保護、実益を与えてお願いするのが正義なのか、医療の本当の利益享受者である社会(国民全体)が考える必要があるでしょう。

私の同僚に国際救援部隊で働かれた方がおりますが、自分の身を守るリスク管理の出来ない者は、他人の救助に就く資格はないと日頃から言っておられます。
個人努力だけに依存させず、行動規範、手順書を作り、通常医療の中のリスク管理をしてもらっております。
私自身も紛争地域で医療を行っているような錯覚に陥ることがあります

方法は、手続法でも何でもいいので実効性があればよいのです。
もはや医療恐慌と言える状態ですので、新しい施策を行う強力なパブリック・コメントが必要でしょう。
医療に貢献する人を保護することは、医療で福祉を享受する人の利益保護に合致するものです。

個別具体的な紛争の解決手段である裁判で、今のジレンマを解決できるとは思っていません。
やはり立法処置が必要であろうと思っています。
刑事的には行政判断が必要であろうと思われます。検事は司法というより、行政組織ですものね。

最後に、
YUNYUNさんのように現在の法の中での思考に限られた発想に囚われていると解決は困難に思われます
医療に対する新しい法概念、社会システムの構築が必要になっていると思います。
是非、新しい法、社会制度の構築にお力をお貸しくださいませ

>Med_Law さん

YUNYUNさんのように現在の法の中での思考に限られた発想に囚われていると解決は困難に思われます


法曹の方が現在の法の中での思考に限られた発想にとらわれるのは当然というか、それが仕事なんだとは思いますが。例えば、医師の方も、

現在の医学の中での思考に限られた発想に囚われていると解決は困難に思われます。社会に対する新しい医療概念、医療システムの構築が必要になっていると思います。是非、新しい医療制度の構築にお力をお貸しくださいませ

と言われても困惑するばかりだと思うのですが。現状を現状としてとらえて、現実の中でどうするかを考えないと、机上の空論になるばかりではないでしょうか。

空想…医療員制度の導入(某所で書き込んだものを手直ししたものです)

やはり、しまさんをはじめとした世間の人々の感覚を医療に取り入れるには、司法における裁判員制度のように、医療員制度を導入したいですね。医療員制度の導入により,医療の専門家ではない国民の皆さんが医療に参加して,国民の皆さんの感覚が医療の内容に反映されるようになるでしょう。そして,それによって,国民の皆さんの医療に対する理解と支持が深まることが期待されます。医療員は専門の医療者とチームを組んで、専門の医療者の助言を得て治療方針を決定します。労働基準法無視の当直もチームの一員として担当してもらいましょう。ただ、裁判官の誤審は咎められませんが、医療の誤診はお咎めの対象になりますからうかうかできません。治療方針の誤りもお咎めの対象になりますし、説明義務違反もお咎めの対象です。当然ながら医療員も裁判の被告となる可能性は免れません。医療員は裁判員と同様に、全国民から公平に抽選されるべきですが、個人的な希望としては、法曹の人々がまず担当してもらいたいですね。

それにしても、どうやったら裁判員制度なんてものが国会を通るんでしょうかね?

>新しい医療制度の構築にお力をお貸しくださいませ

に呼応して、個々の医師が超人的献身行為を止めてしまっているのが、日本の医療崩壊の現実ですものね。
勤務医は、労働者としての実態に目覚めてきてますので、現在の医療制度に囚われず、来世を夢見ております。
焼け果てた荒廃の果てに何があるのか解りませんが、今より悪い医療環境であれば、逃げ出すことも含めて思慮することになるでしょう

器に自分を合わせるか、器を自分に合わせるか?の大問題です。

今の日本の器では、救急医療、産科、小児科は収まりきらないようです

個人の努力を限界を超えてます
公共の福祉という文言が虚しく響きます。

YUNYUNさんには感謝しており、困らせようとしている訳でも、狼少年役をしている訳でもありません。法の実務を知らないので、勉強するほど素朴な疑問が沢山沸いて来ている状態です。

真面目に努力している医師ほど、苦しんでいる現状を嘆いているのです
解決の糸口を探している最中で、まだ出口が見えてないのです。
Massとしての患者利益と、正当業務行為を行う医師個人の利益とが相反しない制度構築を願いたいものです。

>医師のみなさんはとかく、一つの事例を全てに拡大解釈して不合理を叫ぶ傾向がありますが、法律学の立場から見れは、そのようなことは判例の射程距離を無視した暴論であり、現実に起こる可能性がほとんどないと判断される事象を、既に起こったかのように想定して批難する

これはトンデモ判決を検討して裁判所を非難したりすることを言っておられるのでしょうか。(JBMなんかもそうかな)
法律学上の建前で一地方裁判所の判決はここまでの射程距離だということになっていても、類似の裁判で参考にされているでしょうし、むしろそれが修正されることの方が珍しいことを考えれば、現実は法律学上の建前とは完全に乖離しており、今後を予想する上でこれに勝るものはないと思われます。(肝癌関係の判決文を2つ読みましたが、先例で争点だった部分が、次の例では当然のことと判断されていました)

> No.139 しまさん
法律上はともかく、事実アメリカでは刑事訴追されることは故意犯を除き非常にまれなはずです。事実上免責といって良いのではないでしょうか?

基本的な過失のコンセプトの違いで、YUNYUNさんとの『過失』と、『危険性を含んだ正当行為』の認識のずれが修正できなかったのですが、今日、刑法総論を勉強していて、少し合点が入った気がします

○結果無価値論に基づく(旧)過失論
故意犯と過失犯とは構成要件該当性、違法性で区別せず結果予測義務を果たした場合に責任阻却が議論する立場
⇒重大な結果があれば、過失処罰が広がりすぎる。

○行為無価値に基づく新過失論
予見可能性を前提とした回避義務違反を構成要件的過失と見る立場
⇒違法行為(=過失)を類型化して示すことで、処罰対象を限定。医療行為などの法益侵害の危険を伴うが社会的に有用な行為を法的に保護

『許された危険』論から発展し、医療は社会倫理的規範に照らし相当な範囲の行為であるから、違法性が阻却される(社会的相当説)。
更に構成要件まで引き上げることで、医療行為の結果から過失を粗探しされるまでもなく、第一段階のフィルター(構成要件)で刑事罰から開放される予測が立つ。

・・・・我が意を得たりという感じの講義でした。
行為無価値に基づく新過失論が判例・通説であるっていう、説明でした。
新過失論は、本当に判例・通説なのでしょうか?(>モトケンさん?)
だとすると、少し安心するのですが。

それにしても結果無価値って、それほど魅力的な主張なのでしょうか?

刑事で免責されても、民事の解決は。。。。まだまだでしょうね
勉強頑張ります

>Med_Law さん
行為無価値論に基づくと、過程において重大な過失が発生した場合、結果の善し悪しに関わらず医師が処罰されてしまう可能性があると思うのですが、いかがでしょうか。例え結果が良かったとしても、行為自体が処罰の対象になってしまうようにも思います。

>No.147 しまさん

>過程において重大な過失が発生した場合、結果の善し悪しに関わらず医師が処罰されてしまう

そうでしょうか?結果だけが大事とも思えませんが?
新過失論で規定される過失に相当し、有責なら、結果がどうあろうと処罰の対象になることには医師は納得するんじゃないでしょうか?
結果が伴わないのであれば(患者に実害がないのであれば)民事上の賠償というより、刑事罰が対象になるのでしょうし、厳罰が待っているとは思えませんけれど。
私には、普通の道路で150km/hで走る暴走車を罰する行為と同じに映ります。
人を轢くまで有罪ではないということでもないでしょう

医療での例で言うと、罰される対象はインチキ療法で癌治療をしているワル共などです。
インチキで効果がないから悪い結果もないということで免責されるのは、正当な医療を行っている者からみると不思議です。
インチキ健康食品、インチキ水、インチキ整体、インチキ診断、インチキ民間療法.....違法性阻却、責任阻却できる理由は何もありませんよね

医師として同僚から見て犯してはならない過失で責められるのであれば、またその過失を犯さないことが医療倫理と同じベクトルを向いているなら、現状より受け入れ易いことでしょう。
もちろん刑の量刑にもよりますが(笑)

▼No.144 元行政さま
> トンデモ判決を検討して裁判所を非難したりすることを言っておられるのでしょうか。(JBMなんかもそうかな)

いや、批判は大いにすべきだと思います。
それが、トンデモ判決の先例的価値を抹殺する、あるいはそれが叶わぬまでも、射程距離を押し込め社会への影響力を最小限に留めることになるからです。

> 先例で争点だった部分が、次の例では当然のことと判断されていました

先の判例は個々的に、先例的価値があり、次の事件にも当てはまる(射程距離内である)とみなされたからでしょう。

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▼No.146 Med_Law さま

私も受験教科書を手放してから何年も経つので、理論面の記憶が薄れているのですが、

> 予見可能性を前提とした回避義務違反を構成要件的過失と見る立場(新過失論)

過失の考え方については、現在もこれが通説・判例であると言ってよいと思います。
しかし、私は受験時代の答案を、故意犯は「結果無価値説」、過失犯は「新過失論」で書いていましたから(それが書き易いから)、この二つが理論的に整合しないということはないように思います(私見)。

> ⇒違法行為(=過失)を類型化して示すことで、処罰対象を限定。医療行為などの法益侵害の危険を伴うが社会的に有用な行為を法的に保護
> 『許された危険』論から発展し、医療は社会倫理的規範に照らし相当な範囲の行為であるから、違法性が阻却される(社会的相当説)。

ここは、「行為無価値説」の考え方ですね。
私は、結果無価値説の立場から、結果悪ければ法益侵害はある(から、責任阻却にしかならない)と考えていることは、既に述べました。
実務的には、検察官や裁判官は、違法阻却か責任阻却かを厳密に突き詰めずに、総合的にみて、処罰していいかなーと考えているようなので、「行為無価値的」と評価されるかもしれません。

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> > それにしても結果無価値って、それほど魅力的な主張なのでしょうか?
> 例え結果が良かったとしても、行為自体が処罰の対象になってしまうようにも思います。(No.147 しま様)

まさに、私が危惧するのもこの点です。
行為無価値が処罰範囲を制限する方向にだけ働くのならいいけど、逆に広げるためにも使われる。
刑法の謙抑性から、違法な結果が発生していない場合には、刑罰の対象とすべきでないと考えます。
例えば、国会で長いこと継続審議になっている共謀罪法案の是非について。
結果無価値の立場からは未遂罪は「結果発生の危険」という法益侵害があるから辛うじて処罰しうるのであって、共謀しただけでは危険すらないから処罰すべきでない。
一方、行為無価値の立場からは、実害が生じていなくてもよからぬ企みがあった以上、共謀段階で処罰することが正当化されやすいと言えます。

実務的には、公判段階の戦略としては、
検察官が行為無価値の考えに立つなら、弁護人は結果無価値で対抗するほうがいい。
検察官は行為無価値の立場から良い目的の行為は既に不起訴にしてくれていますから、
弁護人としては、残る悪い結果が発生していないケースについては、結果無価値の立場から無罪を主張する。
(起訴前弁護については豹変して、「悪気があったわけじゃないから、起訴猶予にすべきだ」と行為無価値的弁護をすることもありうる)

> 結果がどうあろうと処罰の対象になることには医師は納得するんじゃないでしょうか?

いや、人生に前科は無いに越したことはないので、いかに軽かろうと、納得せんだろうと思いますが。
何にも悪い結果を与えていないのに、なぜ非難されなければならない?

> 私には、普通の道路で150km/hで走る暴走車を罰する行為と同じに映ります。
> 人を轢くまで有罪ではないということでもないでしょう
それは話が別で、
数年に1回も車が通らない無人の荒野のど真ん中の道路でも、制限速度60kmの標識を立てれば、150km/hで走る行為は道路交通法違反です。
スピード違反は実質的な違法性を要求しない形式犯だから、成立するのです。その代わり、あまり重い刑は定めません。
危険運転罪(刑法208条の2第1項第2文)は実質犯であり、高速運転だけでなく「よって、人を死傷させた」という結果の発生を要求しています。

> インチキ療法
結果無価値の立場からは、
タダの水を薬と偽って飲ませる等の健康に悪影響を与えない行為については、傷害罪(未遂)は成立しない解します。
「傷害罪」をもって取り締まるべき行為ではない、という考え方です。
ただし、治療費と称してお金を巻き上げたことについては詐欺罪が成立し、医師でないのに医師と称したら医師法違反になります。

YUNYUN先生

>先の判例は個々的に、先例的価値があり、次の事件にも当てはまる(射程距離内である)とみなされたからでしょう。

トンデモ判決かどうかは置いておくとして、2つ目の判決を書かれた裁判官が、最初の判決を書かれた裁判官と同じレベルないしより深みに入っていった上で書かれたのなら良いのですが。

先例というのは、ややもすれば人の思考の足を止めてしまいます。2番目の人が先例を踏まえ、最初の人の少し手前で立ち止まると、3番目の人はさらに少し前で立ち止まることになります。先例を踏まえ、自らの足でそこまで到達し、さらに別の可能性を探るという方向に進むのは非常に難しいことですが。

>じじいさん
先例を考慮せず、自分で流れを起こそうと勤めているのがF裁判官でしょう。と言うのは冗談です。

先例主義でないと法的安定性が保たれず、同じようなケースでも、裁判官によって結果が違うことになると思います。それが許容出来るかどうかでしょうね

しま様、コメントありがとうございます。

先例が悪いのではありません。先例はあくまで参考であり、その先例を踏まえて、そこから何をするかが大切なのだと思います。要は「先例主義」に陥るとすれば問題ということです。

ご存知の通り、事件は一つとして同じものはありません。また、先例が必ずしも常に正しいとも限りませんし、先例は教科書ではありません。先例があるのなら、少なくともそれを作った人のレベルより一歩でもその先の深みにまで入っていってほしい。その結果、先例がおかしいと気付いたのなら、法的安定性に縛られる必要はないと思います。

>同じようなケースでも、裁判官によって結果が違うことになると思います。それが許容出来るかどうかでしょうね

先般の住基ネット訴訟や靖国訴訟など、裁判所ごとに結果が異なることもままありますし、一応わが国の社会では許容されているようです。

>先例を考慮せず、自分で流れを起こそうと勤めているのがF裁判官でしょう。と言うのは冗談です。

F裁判官は、他人と違っていること自体が問題なのではなく、その流れの向きが問題であるような気が(^^)

※上の文中「先例主義」と打ったら、変換で「先例手技」と出てしまいました。私と同様に着実に洗脳されつつある我が愛機(^^;)

>No.149 YUNYUN さん

>何にも悪い結果を与えていないのに、なぜ非難されなければならない?

正当な医療行為が成された結果として悪い結果が起こっても、違法性も、責任も阻却される理由が、治療段階の”正当行為”というProspective(前向き)で評価される高い信頼からだといえば、矛盾するでしょうか?

悪い結果を与えていなかったとしても、許容されない医療行為、医療判断というのはあるので、その行為の時点で、患者さんを不必要な危険に晒したというだけで、非難可能性はあると思います。

これまでの議論で、私が医療行為免責を無制限に主張してきたような誤解があるとすれば、私の表現が稚拙だったのでしょう。

>治療費と称してお金を巻き上げたことについては詐欺罪が成立し、医師でないのに医師と称したら医師法違反になります。

困ったことに、インチキ治療でお金を巻き上げながら、その行為がインチキ医師によるために加罰ができていない事例がたくさんあるのです。

もちろん行為の段階で有責とするためには、その行為を正当に評価できる専門家が必要であり、これまでの医療界がPeer Reviewという自浄努力をしてこなかったことも原因であるとは思っています。
残念ながら、医師会は強制加入団体でもなく、医療倫理に反しても医師会は無力です。
弁護士では、弁護士会から除名されたら弁護士活動ができなくなるのとは大違いです。

弁護士会のような内部規律を保って、外部からの規律の導入を阻止しながら医療に対する信頼を担保する方法を考える必要があるのでしょうね

>行為無価値が処罰範囲を制限する方向にだけ働くのならいいけど、逆に広げるためにも使われる。

結果無価値であっても現在のような運用であれば、正当な医療行為を萎縮させ、国民福祉を損なうことは実証ずみです。藤山判決だけで、十分に医療は蹂躙されています。
もはや産科は壊滅寸前で、絶滅危惧種です。
結果無価値であれ、行為無価値であれ、運用の仕方で効力は違ってくることでしょう
正しい医療行為とは何ぞや?(というより、間違った医療行為とは何ぞや?)ということが担保されない限り、萎縮医療は続くことでしょう
実は、これで医療提供側は何も困らないということを、国民、為政者は知るべきです。

>Med_Law さん
藤山判決は行為無価値を厳密に取り入れた結果、あのような判決になっているのだと理解していますが、いかがでしょうか。


>萎縮医療は続くことでしょう
医療受益者が萎縮医療で困った例を知らないのですが。

しま様、まるっきり横レスですが

>医療受益者が萎縮医療で困った例を知らないのですが。

多分、気付かないだけぢゃないですか。医師から提示される選択肢が減っているだけなので、その選択肢が最初からないのか、萎縮医療の結果消えたのか、普通患者には分からないっすから。患者は助かる「かもしれない」可能性が減り、医師は訴訟のリスクが減る。

医療受益者的には、それは寿命だと納得するか、医療の萎縮を改善するための手段を探すか、いずれかを選ぶ必要はありますが。

.>No.154 しまさん

>藤山判決は行為無価値を厳密に取り入れた結果、あのような判決になっているのだと理解していますが、いかがでしょうか。

いえいえ、藤山判決は事実認定そのものに大問題であり、これまでの過失の議論とは時限の違う、低レベルなものです。
事実の処理ができないまま、法処理を行うから、法の安定性を欠き、結論の妥当性(対立利益者への説得)もありません。

新過失論では、一般人レベルが果たすべき客観的注意義務を果たさないことが求められる上限らしいので、藤山判事を初めとするトンデモ判決のウルトラC医療を求められても、普通の医師は逃げ出すしかなく、ウルトラB級ならそのうち淘汰されてしまうことになるでしょう。
だいたい、行為無価値、結果無価値という議論を民事で聞いたことがありません(・・・過失認定の基準が私法、刑法で一致するとは思えませんが)
YUNYUNさんも、何を過失とするかという構成要件的予見可能な形で提示することを避けておられるような気がします。


>>萎縮医療は続くことでしょう
>医療受益者が萎縮医療で困った例を知らないのですが。

公立病院からの医師の逃賛
婦人科不在で、出産困難が続出
夜間救急閉鎖、縮小
・・・・・・・・・・・困ってないなら、私たちも気に病む必要はないのでしょうね
見えない形でも、萎縮により、必要以上の努力をしなくなったとしたら、専門家の手抜きを素人が判断できるでしょうか?
知らないということと、その存在がないということとは、全く違います
このモトケンさんのブログのなかで、しまさんがそのような発言をされるとは驚きました

鼓腹撃壌、無為自然、、、、
恵まれた医療を享受しながら、感謝しない、維持努力をしない無責任な庶民感覚を代表する言葉として、付け加えて置きましょう

>Med_Lawさん

だいたい、行為無価値、結果無価値という議論を民事で聞いたことがありません

そうですね。刑法の考え方を無理矢理民事に結びつけたのが失敗でした。期待権とか、過失と死亡の因果関係が認定されなかったケースを念頭においていたのですが、これは切り離して考えるべきですね。

逃散と萎縮医療とは切り離して考えていたのですが、リスク回避という意味では同じですね。ただ、困っているとしても、その事を医師が気に病む必要はないと思いますよ。必要以上の努力を求めるわけでもないですしね。

> だいたい、行為無価値、結果無価値という議論を民事で聞いたことがありません。(No.156 Med_Law さま)

確かに民法ではそういう議論は普通しませんが、
そもそも違法性と責任とを厳密に分析しない傾向がありますから(構成要件もたった1個しかないという大さっぱさ)、
言うなれば「行為無価値」的であると評価しうる思います。

> 藤山判決は事実認定そのものに大問題であり、これまでの過失の議論とは時限の違う、低レベルなものです。(No.156 Med_Law さま)

ちょっと用語が混乱しているように思います。
「事実認定」とは、当事者の間でどんな出来事があったかということです。
例えば、何月何日に手術をしたとか、その日に患者の血圧がどうだったかとか、手術前の説明で医師が何を言いったか、というようなこと。
医師がどんな治療をしたかしなかったは事実認定の問題で、それが過失といえるかどうかは法的評価の問題です。

今までトンデモ判決として問題視されている事例は、何が起こったかという事実認定面ではあまり争いはなくて、
その行為を(違法性があることを前提として)過失アリと評価したところがおかしいと批判されているのだと理解しています。

なお、行為無価値とは、論者が自分で「これは正当だ」と思う事実は違法と評価しない、という意味ですから、
F判事の見るところ、正当的医療行為であるかと思うか否か、によって決めているのでしょう。
(私が刑法において行為無価値説を批判する理由も、この理屈抜きの恣意性にあります。)

>藤山判決は行為無価値を厳密に取り入れた結果、あのような判決になっているのだと理解していますが、いかがでしょうか。(No.154 しま様)

その意味で、しま様のご指摘は、結構、鋭いかと思います。

> 期待権(No.157 しま様)

解釈上は、期待権というものが、「法律によって保護される利益」に当たるかどうかの問題です。
判例の考え方によれば、一般論として、医療にかかったらあることをしてもらえるはずだという「期待権」が法的権利として存在するとみており、
個々のケースで裁判官が保護すべきだと考える場合は、「本件でこういう期待権がある」と判断されているわけです。
時々、医療側が「そんなこと出来っこないや」と思うような内容を「してやれ」と言われてびっくりするのは、行為無価値的に俺がルールブックだ基準で判断されるから?

-----
> YUNYUNさんも、何を過失とするかという構成要件的予見可能な形で提示することを避けておられるような気がします。(No.156 Med_Law さま)

それは法の構造上、不可能ではないかと思いますが。

その一因として、過失が「不作為」によるものが多いということがあります。
刑法で考えていただければ解りやすいかと思いますが、
通常の条文は「(殺人を)してはならない」という<禁止>の形式になっています。
これを不作為犯として「〜せよ」という<命令>の形に考える場合には、「作為義務」「作為可能性」が必要であると言われます。
しかし、この作為義務をあらかじめ全てのケースについて個別に規定すること、すなわち具体的な場合において人はどう行動をすべきかということを、個別に構成要件的に明示することは、実際上は不可能です。それは法を解釈し具体的事案にあてはめて導く以外にありません。
同様のことが、民事賠償責任についても生じます。

医療において不作為による過失が問題となる場合には、「作為義務」として最低限行わなければならないとされる治療内容は何であるかを論じなければなりません。
しかしながら、人間について生じうる全ての傷病例をあらかじめ予測しえないことはもとより、それらについて「最低限このように治療せよ」という治療指針を立てて、立法的に規定するということは、実際上、不可能です。
医師は個々の事案において何が過失とされるかを事前に知りたがる(いわゆるJMS?)ということは心情的には理解できますが、現実問題として、そういうものは医学的にも、法学的にも、作ることはできない。

判例は、「この場合は、こういうことが過失である」という個別のケースの判断であり、全ての傷病例をカバーすることはできません。
そして、他の事案にどこまで適用できるか(射程距離)が常に問題になります。

>No.158 YUNYUN さん

>今までトンデモ判決として問題視されている事例は、何が起こったかという事実認定面ではあまり争いはなく

いえいえ、過失認定に至る前に、強引に”仮想”事実認定を行っているのがトンデモ判決の特徴です
行為事実があるという認定も、あるいは患者側に不利な事実の認定をしないことも、結果から針の穴を突いた過失に相応しい"仮説"を事実として認定することもザラであり、まさに詭弁に相当するものです。

亀田病院テオフィリン中毒事件
http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/09/_2_fa7a.html
などは典型的な事例でしょう
中心の事実となりうるテオフィリンの致死的中毒性には目もくれず、ありえるはずのない膀胱損傷や、主たる死因となるはずのない後腹膜血腫を持って過失へと結論付ける事実認定をしています

YUNYUNさんらは医療の専門家ではないから、ここの事実認定の間を生める科学的推測の確度を検証できないでしょうが、我々から見ると、過失認定に至る事実認定に、噴飯物の低レベル"推定事実"が結論に含まれていて、結論のあからさまな不当性を感じるのです。

前提条件が偽なら、結論が偽でも真でも、命題は真になるでしょうが、それで、命題の正しさが結論されたといっても、誰が納得するでしょうか?

そこまでインチキな事実認定するのであれば、構成要件的違法行為を列挙してみろ!と憤るのは、そのためです。
結論が科学知識に欠け、論理を補うため"仮想(科学的にありえない)"事実認定の補完をする医療裁判が多いことに、本当に唖然とします。

Med_Lawさん(No.159)

たしかに亀田事件はひどすぎる、と、目医者の私でも感じました。ああいうのを出されると、そりゃあいくら善良な法曹の方々がいろいろ気にかけて下さっても、「やっぱり法曹にはどうやっても医療の裁きは無理だよな」ということになります。

>Med_Law さん

中心の事実となりうるテオフィリンの致死的中毒性には目もくれず、ありえるはずのない膀胱損傷や、主たる死因となるはずのない後腹膜血腫を持って過失へと結論付ける事実認定をしています

判決文を読んでみましたけど、死因が出血性ショックだと診断されている以上、後腹膜血腫との因果関係を認めざるを得ないのではないでしょうか。

被告が逆転勝訴するためには
1.出血性ショックと死因との因果関係を否定する
2.テオフィリン中毒と出血性ショックとの因果関係を説明する
3.テオフィリン中毒と死因との因果関係を説明する

上記三つのうちのどれかを説明する以外にはないと思います。


なお、この事例ほどのテオフィリンの高濃度中毒が極めて稀なことであり、高濃度のテオフィリンが人体に与える作用が未解明であるのならば、「医学的に事実認定が不可能であるものに対して、裁判所が無理に事実認定をさせた」と考えることもできますね。この場合、裁判官が判定するよりも前に、医学、薬学の専門の先生を揃えたチームに調査を委ねて、その委員会の判断を優先させる方が望ましいのかも知れません。

少し途切れているので、、、、

死因が出血死とは誰が認定したんでしょう?

>著明な肉眼的血尿とともに採血部位からの持続出血が始まった。
http://sword.txt-nifty.com/guideboard/2006/09/_2_fa7a.html

っていうのであれば、何をしても助からない状態であることは確実
治療のための、必要な処置すらどうにもならない状況であるのだから、”後腹膜血腫が死因”というのは、頭を拳銃で撃ちぬかれている人が死んだのに、"心停止したから、心不全で死亡”と言うのに等しい

死因は、薬物中毒による極度の凝固異常障害であり、後腹膜血腫があったとしても、それは薬物中毒による終末期像を見ているだけに過ぎない

さて、医療はこの薬物中毒患者の処置で、寿命を縮めたことになるのだろうか?
医療措置がなければ即死していただろうから、患者が医療処置から損害を受けたことになるだろうか?
医療処置⇒出血⇒死亡であったとしても、医療処置がなければ更に短命であり、救命可能性もなかったとしたら、患者・原告側の損害は発生していないことになりはしないか?

因果関係、損害発生認定、過失性(違法性)ともに???の事件であり、どうこじつけても賠償要求が認容されるはずのなかった事例のはずである
被告側の弁護人のミスだろうか???

> 過失認定に至る前に、強引に”仮想”事実認定を行っているのがトンデモ判決の特徴です(No.159 Med_Law さま)

おっしゃるのは、A事実の存在が証拠により立証された→B事実があると推認される の推論過程が<医学的常識に反する>というもので、
それは確かに法的評価ではなく、事実認定の問題です。
通常、事実の推論は経験則に従ってなされなりませんが、この「経験則」の適用に医学的知識が必要とされるケースといえると思います。

その場合は、医学の専門家に対して「本件は医学的にみて、どういう事実があったと推論できるか」の意見を訊くことになりますが、
裁判に出された複数の見解が対立するときは、素人たる裁判官は、結局どの意見が一番信用できそうかで決める以外にありません。
つまり、専門家の意見を如何にして裁判に取り入れるかという点では、過失評価と同じ問題があります。

「トンデモ判決」は法律用語ではないので、何を指すかは論者によって異なるのかもしれませんが、医学的な推論の誤りも「トンデモ」の一種であるというなら、そのように分類してよいと思います。

> そこまでインチキな事実認定するのであれば、構成要件的違法行為を列挙してみろ!と憤るのは、そのためです。

No.158で述べたように、医療として何をせよするなということを構成要件として全て法律に書き上げることは不可能です。
それと、事実認定(裁判上、なにが真実か)のあり方は、これまで論じてきた実体法の違法論や責任論とは別の、手続上の問題になります。違法性を行為無価値的に解そうと、軽過失を免責する法を制定しようと、事実認定で重過失ありと認定されてしまえば、救われる余地はありません。

事実推認や過失評価を<医学的に正しい>ものとするために、裁判手続きの方法をどう工夫したらよいかについては、「医療崩壊」エントリのほうでも繰り返し議論されてきましたが、
医師のみなさんの考えでは、多くの医師の意見を聞くことにより、正しい見解に収斂するだろうとのことです。科学的真理が多数決によって決まるというのもヘンな気がしますが、多くの人が支持する意見が正しいことが多いとは言えるでしょう。
法曹としては、どこか、医療側で意見をまとめる場をつくって、公定的な意見をまとめてから、裁判に持ち込んでほしいなあと思います。つまり、医学的な論点について、権威をもって判断を示せる機関。そうなれば、裁判官がどの意見が医学的に正しいかを選び違えたと非難されることもありません。

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亀田病院事件の判決はたぶんこれと思います。
余談ながら、これは千葉地裁の事件なので、藤山判事ではありませんね。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=04&hanreiNo=33764&hanreiKbn=03

既に専用エントリが立っておりますので、具体的な判例批判はこちらでするのが適当と思います。
●これもカテーテルです。(2006年09月12日)
http://www.yabelab.net/blog/2006/09/12-005947.php

YUNYUNさま
一部だけ取り上げるのはルール違反だとは思いますが、
>>そうなれば、裁判官がどの意見が医学的に正しいかを選び違えたと非難されることもありません。

それを正しく選択出来る事が求められているからこそ、
判事は如何な判断も免責されているのではないのですか?
それこそ「『たぶんこっち』とばかりに、一か八かで判断されては困る」
というのが医師側の不満の原因かと思われます。

「判断出来ない」のであれば、判断し得る機関の設置を求めなかった法曹界にも責任はないのでしょうか?
(信頼されるに至らない態度と、その様な機関の設置を放置してきた医療側の責任も勿論無視出来ないものではありますが)

>No.163 YUNYUN さん

>違法性を行為無価値的に解そうと、軽過失を免責する法を制定しようと、事実認定で重過失ありと認定されてしまえば、救われる余地はありません。

そんなことはありません。

行為無価値(=行為が悪い)的、新過失論に基づけば、過失を構成要件的に規定しなければならないというのが論旨ですので、
1)予測可能性がない (テオフィリン中毒によるDICまでショック状態を直ぐには判定不能)
2)結果回避可能性がない (極度のDICではどのような小さな傷でも、致死的出血が起こりえるので、救命不可能)
2段階のフィルターの何れもが、構成要件的過失を否定します。

正当医療行為であり、有責性にも乏しいし、治療過程が死亡を早めた事実もないので、損害発生事実すら怪しい。
民事的にも不法行為に基づく損害賠償請求が認容される余地は乏しいと思います

また、このような当たり前の手技が、重過失と認定される理由は何もありません
(専用エントリで論証済み)
亀田事件でカテーテル留置が重過失とされるなら、救命救急でカテーテル留置することはなくなります。
救急医療行為は患者のためにする利他的なものであり、個々の医師には利益を考えた利己的な要素はないので、患者の利益にならないと予め法が規定するなら、行う患者利益はないと考えるのが当然だからです
(法を遵守して犯人を取り逃がしても責められないが、違法取締りで犯人を逮捕したら責められる警察官と同じ立場です)

個別具体的争訟の解決とは視点が異なりますが、ナノ・ピコ・レベルの救済を優先することで、マクロレベルの医療が崩壊します。この訴訟の射程は大きいと考えてください。
トンデモ判例が社会に及ぼす害は、大きいのです
裁判官の無知を突く原告の訴訟戦術で、不公正が罷り通るようでは、法の安定性も保てません

>科学的真理が多数決によって決まるというのもヘンな気がします

意外でしょうか?
一つ一つの医療行為は科学的でも、医療行為の状況や患者、結果は、”歴史的事実”あるいは”推測される事実”に過ぎません。
科学事実のように検証可能性や再現可能性がある訳では全然ないのです。
”一番信用できそうか”という判断が”素人”的で許されるというのは、”一般人が信じるに足りうる高度の蓋然性”という文句で、自分たちの判断能力の不足を棚に挙げた第二次未熟児網膜症訴訟と同じ逃げ口上ですが、それでは医療者を納得させることは不能でしょうし、和解すらおぼつかないと思われます。

>No.164疑問さま

医療崩壊エントリその1〜11でさんざん繰り返されてきたところですが、
現行の裁判制度では、素人たる裁判官が、原告の意見と、被告の意見の、どちらが正しそうに見えるか、ということしか判断しようがないのです。
現行法はそれ以上のことを要求していません。

その中でトンデモ判決を防ぐためには、これまた何度も言われている通り、
医学的な専門判断を行う機関を、訴訟に前置することです(前置強制には法改正が必要です)。
そして、そのような機関を作る動機は、法曹の側には乏しいので、医師の側で声を大きく上げていただくしかありません。

> 「判断出来ない」のであれば、
そもそもこの認識が誤りです。
何度も繰り返しますが、
裁判官は「医療訴訟は判断できない」とはつゆほども思っていないし、自分が正しい判断をしたものと信じています。
今の訴訟のやり方でマズイとか、変えなければという意識はないので、
「医師のみなさん、私に代わって判断してください」などと言うはずがありません。

医療機関の訴訟代理人弁護士にしても、理不尽な判決で敗訴することは面白くないには違いありませんが、
そういうことは医療訴訟に限らず、一般事件でもありますから、自ら制度改革に乗り出そうという特別大きな動機付けにはなりません。

一般人=患者側は、医療過誤と思って弁護士に相談しても10件に1件以下の割合いでしか訴訟提起してもらえず、原告勝訴率40%(わずかな見舞金を得た一部勝訴を含む)でしかなくても、それはそれで仕方がないと諦めています。医療審査機関が出来ても、特に患者に有利な展開になるとは思えませんし。

そういうわけで、医師以外に、医療審査機関を作ろうと考える人は少ないでしょう。
また、作ろうとしても、医師がやる気にならなければ実際上不可能です。審査員として労働力を提供するのは医師ですから。
ここが、言うは易く行うは難しだと思います。
みんなのためになる意義深いお仕事であるとはいえ、多忙な医業に加えて、(たぶん安い日当で)審査員に駆り出されることは、あまり嬉しくない人が多いのではないでしょうか。

弁護士会の例で言いますと、
弁護士会から各種ADR(裁判外紛争解決機関)のあっせん委員に人材を派遣していますが、これの負担は、特に地方の小規模会では厳しいものがあります。個々の弁護士にとっては、ADRの仕事に呼ばれるよりも、自分の事件をやっているほうが、明らかにお金が儲かり楽しく将来性があるからです(弁護士の大多数は経営者で、開業医と同じ立場です)。
それでも、公益的な活動は弁護士の義務であると考えて、順番に引き受けているのです。
正直に申しますと、皆が自発的にやりたがるのを待っていては100年たっても始まりませんので、少数の強固な意志の人たちが、無理矢理に引っ張ってオープンにこぎ着けるという感じ。そういう先導(扇動)者がいないと、制度づくりは成功しません。

同じことを、医師の皆さんもやる覚悟はおありでしょうか?

>No.165 Med_Law さま

亀田病院事件第一審は、裁判所が行為無価値や新過失論を用いなかったために、医師が責任を負わされたという事案ではないと考えます。
(判例の主流は、民事訴訟においても、一応、行為無価値・新過失論に依拠していると思われます。もっとも、医療行為であれば何でも正当化されるわけではありません。)

本件では違法論・過失論以前の問題として、
いかなる具体的行為をもって過失とみるか(事実認定)の点で、千葉地裁の判断とMed_Law さまのご意見とは食い違っています。
千葉地裁は
> (判決要旨)被告が患者の中心静脈ラインを確保するため右鼠径部にカテーテルを挿入した際に血管を損傷した過失があり,その損傷による出血が出血性ショックの原因である

この事実経過・死因に関する認定を前提とする以上、
過失か否かを問われる医師の具体的行為は「カテーテル操作による血管損傷」です。
そこで、過失の判断については、
1)予見可能性あり (カテーテル操作を誤って血管を傷つければ、大量出血で死に至ることが予想される)
2)結果回避可能性あり (血管を破らないようにカテーテルを挿入することは、医師に通常要求されるレベルの手技である)

裁判所の事実認定を前提としつつ、過失ナシの論陣を張るとすれば、おそらく予見可能性は否定し難いので、結果回避可能性のほうを否定して、
「カテーテルで血管を破り大出血せしめたことは医学的には不可抗力であり、通常の能力の医師には避けがたい事故である」と主張することになるでしょう。

一方、No.165 Med_Law さまのおっしゃる思考プロセスは、
「テオフィリン中毒が死因であり、これに対する救命措置が正しくなかったことが具体的過失行為と目される」
という事実認定がなされた場合です。
ですから、その論法で判例を覆すには、まず死因から争わなければダメだということなります(●これもカテーテルです。No.71

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> この訴訟の射程は大きいと考えてください
> トンデモ判例が社会に及ぼす害は、大きいのです

「射程」は法律用語ですので、その意味で使うことは誤用です。
Med_Law さまの謂わんとする趣旨は、「社会的影響」くらいの表現が妥当であると思います。

「判例の射程(距離)」というときは、今後にその判決と同様の法的判断がなされるケースはどのような場合か、どこまで同様の判決がなされるか、という問題です。
その意味では、私は、この千葉地裁判決は法的に特に目新しい考え方を示したものではなく、あくまで一事例に留まり、先例的価値はさほど大きくない(そもそも地裁レベルの判断に過ぎない)と考えます。
つまり、今後に各地の裁判所でこれと同じ判断が続出するという予想はない。
また、本件はそもそもテオフィリン中毒死の事案ではないから、テオフィリン中毒患者に対する治療方法の妥当性が問題となる事件では、別の判断がなされるであろう。

それとも、Med_Law さまは私の考えに反対で、
「いや、この判例は今後も各地の裁判で繰り返し参照され、裁判実務に影響力大である」というご意見でしょうか? その場合の根拠如何?
そういう法的分析なくして、法律用語を(わざと?)「誤用」し、裁判予測と医師の感情的反応を混同せしめ、徒らに医師の恐怖心を煽る行為は、科学的な態度とはいえません。

私がこのように、Med_Law さんのさまの態度を強く批判するのは、あなたが「法律を知っている医師」という立場で発言されるからです。
あなたは医師の方々からは<仲間>とみなされ、あなたが述べる法的見解は、法曹が言うよりも、医師に対して遙かに浸透度が高い。つまり、影響力が大きいということをご配慮ください。

>No.167 YUNYUN さん

>本件はそもそもテオフィリン中毒死の事案ではないから、テオフィリン中毒患者に対する治療方法の妥当性が問題となる事件では、別の判断がなされるであろう。

『これが裁判官の判断であり、正しい』というのには頷くことはできません
この事例は、テオフィリン中毒死事件なのです

民訴まで勉強が回っていないので、控訴論点をどうすべきかについては付いていけません

この症例ではDICでもあり動脈血採血の時の小さな穿刺部位からの大量出血だったかもしれない。
静脈からの横溢で大量の後腹膜血腫はできないと思われます(カテーテルが静脈外に出たというのは、造影剤原液の横溢がないので論外。)

裁判官の死因推測(後腹膜血腫による出血性ショック)が正しいとして
予見可能性ですが、DICの状態が予見できない限り、穿刺部の出血は圧迫により数分で止血可能なものであり、大量出血の予測など想定外であること(これは一般医師レベル)
結果回避努力は、ここで列挙するまでもなく、まざまざと目に浮かびます。
薬物中毒によるDICがなければ、結果回避できたのですから

カテーテルは血管内に挿入するものであり、原理的に血管を破らずに血管内挿入することは原理的に不可能。薬物中毒による致死的作用を避けるためには、太いカテーテルで血管確保する必要があり、その血管確保で死んでしまうような致死的DICが起こるようでは、元々救命可能性が無かったといわざるをえない (医療行為による損害発生とは認めない)
(これは、私の個人的見解というより、亀田病院自身が学会報告している抄録を見れば明らか)

この判例の教えるところは、
『致死的状態の患者に対して、救命可能性のある侵襲的な治療を行って救命できなかったら、死亡の全損害を賠償しろ』
ということです

医師の中でも、亀田病院は、千葉地域で有力な、そして最も強力な救急体制を引いている病院です
奈良救急事件(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/5DC0E6DAEC784F5649256DD70029B153.pdf)と同じく、非常に高い救命水準、過失水準を要求しています。
『許容された危険』とも捕らえず有責判断を下すのですから、社会的には影響大です

>「射程」は法律用語ですので、その意味で使うことは誤用です

誤用ですか、これは申し訳ありません。
法律家の先生には勘に障ったことでしょう。
言葉は大切ですので、気をつけます

ただ藤山裁判やこのような判例が続くと、横並びの地裁も救命努力への顧慮をしないことにも良心の呵責はないことでしょう
それみたことかと、患者側の弁護士も高額訴訟を我先へと飛びつくかもしれません
(原告側が当初求めていた弁護士費用は800万円!)

一般人レベルの法律知識の医師は、次はわが身と身構えることには変わりありません。
懸命の救命処置に対する評価も何もない(それが裁判と言われればそれまでではあるけれど)のでは、積極的に救急に関わることがバカらしくなります
産科・小児科もそうですね

これは煽りではなく、同僚に向けての警告です
法を勉強しようとしている私でさえ、現状の裁判に恐れおののいているのです。何も知らずに地雷を踏もうとしている仲間に警告を与えて、逆に何が悪いのでしょう?

医療版ADRは、仰るとおり医療側が提供すべき事柄ですね。
100%、趣意に同意いたします
微力ながら現実化に向けて、協力できるよう法の勉強を進めたいと思います
(最近、法の勉強が沈滞気味です。(^_^;) )

えー わたくし 民事の方についてはぜんぜん勉強した事ないのですが
刑事の方では 法律家の皆さんの大勢が新過失論=リスク容認で
いらっしゃると感じております

YUNYUN先生のおっしゃるとおり 
ここは穿刺手技の予見可能性 結果回避可能性で争うべきでしょう
わたくしは結果回避可能性のみならず 予見可能性も争えるとおもいます
「ブラインドの手技ですから血管は見えず カンに頼るしかありません
ちゃんと入ったと思っても損傷をおこしてるなんてこともあり
これは体の外側からは見えません」
非常に重要な点なのですが,カテ挿入してCHDFをしなければ
確実に死亡する状態だったのです.


↑ところでこの「」内の部分 これって
予見可能性と結果回避可能性のどちらに絡む問題なんでしょうか?
(そういう形式論理には私に限らず 医者は弱いと思います)

それはさておき YUNYUN先生のご指摘の大筋は同意なのですが
それでも(法律家はさておき)医療関係者に対する影響は
全く変わらないと断言します
こんな判決ではやっとれんわ

といいつつも 実はまだ判決文読んでませんでした
ネット公開されてたんですね
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20061106163942.pdf
今から読みます

この判決の一番オカシイ点は
4日前に感度以下だったテオフィリン血中濃度が
真夜中に突如100を超えたという事実の原因を無視していることでしょう

これこそ 裁判官の職権主義とやらを発揮すべき点じゃないんでしょか

法律には詳しくないので感情で述べます。
この症例は単なる一地方の一病院での事例ではないということは覚えておいて下さい。
研修制度以前から、しっかりとした指導医師がつき、複数の医師で治療に重症患者を断ることなく、全力を尽くす病院でした。今でも亀田で研修を受けた医師は全般的に初期救急対応能力に優れ、各地の基幹病院で第一線の救急医療に全生活を捧げています。
その亀田総合病院でこの症例の判決が確定してしまった時の影響力は十年単位で考えると、全国で救命救急施設の崩壊が確実に訪れることになるでしょう。
超重症患者には関わらないこと、この教訓が亀田卒業生に刷り込まれないことを望みますが、やっと目が覚めた、患者のためというのは幻想にすぎないと感じた医師も多いかと思います。
控訴審、最高裁まで行くかもしれませんが亀田院長にはがんばってもらいたいと思います。

Med_Lawさん(No.168)

この判例の教えるところは、 『致死的状態の患者に対して、救命可能性のある侵襲的な治療を行って救命できなかったら、死亡の全損害を賠償しろ』 ということです

医療事故に限らず、奥入瀬枯れ枝落下事件とか、荒天下サッカー落雷事件とかを見ると、遺失利益(っていうんですか?)は全額負担になっちゃうんですよね。99%は自然災害のせいだから1%分支払え、なんていう判断にはならないんですよね。そういう判断の仕方が規定されているからなのだと思いますが、これでは医療はやってられないですね。

ふと思うんですけど、現代日本ではもう保険医療は時代錯誤の廃れ行く運命下にある事業なのではないでしょうか。

換気不十分のCO中毒死だとか、羽越線竜巻被害だとかのように、まずは誰かに落ち度がある、と考えることが当然の風潮では、その風潮が断じて悪いと言うわけではないけれど、医療はもうだめでしょう。

採血ミスとか言って、6000万円とかいったバカ高賠償金(採血手技量50万回分以上)を命じられるのですから、現在の診療報酬では成り立たなくなるでしょう。

もういいんじゃないでしょうかね?「医者にかかってダメだったら仕方が無い」 これまでの日本の医療は、ほとんどの皆がこう考えていた(諦めていた)からこそ成り立っていたのであって、藤山雅行さんのような考え方で来られたら、潰れるのは必定でしょう。医療は藤山さんや一般の人が考えるよりも、ずっと危険があってバクチ性が高いのですから。

国民皆保険は無力化され、医療費はアメリカと同等に高騰し、医者にかかるのは高額所得者ばかりに。でもそれでいいでしょう。100%確実でないし、他の職業に比べてミスも多い、そんな仕事で安定した賃金を貰ってしかも訴訟からも免除される。そんな職業の存在を現代の国民は許してくれなさそうです。

残念なことは…これまで通りの安価な医療で十分事足りていた「運命」を知っている人々に対しても、これまで通りの安価な医療を気軽に提供できなくなることですね。

藤山判事の判決でこれまでにない新しい?解釈が見られる点は、いみじくもご自身の発言の一つである「医療事故の損害賠償額は交通事故よりも高額に算定されるべきだ」という点です。
藤山氏の判決文を複数読めば、因果関係や過失の認定においてとんでもない誤認をしている点はなく、それどころかよく医療の実際について勉強しておられると感心させられます。
藤山判決における問題は、損害の程度の認定すなわち賠償金額の設定にあります。
藤山判事はこれまで医療裁判で民事のみ担当してこられたと承りますが、医療者側は自分の提供する医療が常に100%に達していないことを自認して業務にあたっていますから、いったん事故となれば民事の賠償責任はその患者さんに対して自分が行ったすべての医療行為にかかってくることは覚悟のうえで医業を行っております。
そこへ藤山判事は、医療者は人命を左右する本来は刑法上の傷害行為を高度の倫理責任を果たすことで許可されているのだから、事故の処理に当たっては倫理責任に相応の「高いレベルでの謝罪すなわちより高額の補償を」支払うべきだとした訳です。これまでにない解釈です。
これは、患者が医療結果に対し100%に近い高い「期待」を抱くことを、藤山判事がほぼ100%認めたということで、「期待権」がいよいよ現実社会に形を現したというイベントとなりました。
そして、藤山判事自身が生まれたばかりのこの「期待権」を守り育て根付かせようとして、本エントリーの元となった「100点満点」発言をも行ったもので、これに対して医師側の一斉反発が起こっているのでしょう。
すなわちこの新しい「期待権」を法治国家において正当な「権利」の一つであると認めることは、法治国家の国民としては到底できないだろう、という意見です。

長い文章は自分でもまとめられないので、ここで止めときます。
横入り失礼しました。

ぼつでおk さんへ

つっこみどころありすぎですね。思わず感情的になってしまいそうです。

1. あなたが医療関係者かは知りませんが、藤山判決には、因果関係や過失の認定においてとんでもない誤認をしている点は多数あります。

"医療者側は自分の提供する医療が常に100%に達していないことを自認して業務にあたっていますから、いったん事故となれば民事の賠償責任はその患者さんに対して自分が行ったすべての医療行為にかかってくることは覚悟のうえで医業を行っております。"

2. 何の根拠があり、このようなことを言っているのでしょうか。少なくとも私はそのような覚悟はありません。この文は、医療の結果が悪かった時はすべて医療者のせいで、どのような場合も責任をすべて取ると同義と思います。

"藤山判事は、医療者は人命を左右する本来は刑法上の傷害行為を高度の倫理責任を果たすことで許可されているのだから、事故の処理に当たっては倫理責任に相応の「高いレベルでの謝罪すなわちより高額の補償を」支払うべきだとした訳です。"

3.この場合倫理責任とは、どういう意味でしょうか。人を救う責任という意味でしょうか?これは人を救う義務があるということでしょうか。もちろん努力はしますが、義務といわれてしまうと何もできなくなります。医療は不確実なのです。医療は高度の倫理責任を果たすことで許可されているのではなく、その行為が、危険より利益の確率が高いから許可されているのだと思います。

(モトケン先生、勝手なお願いで申し訳ございませんが、no.173の文中の語句を一部訂正して再掲いたしますので、掲載中の173を削除していただければ幸せです)。


藤山判事の判決でこれまでにない新しい?解釈が見られる点は、いみじくもご自身の発言の一つである「医療事故の損害賠償額は交通事故よりも高額に算定されるべきだ」という点です。
藤山氏の判決文を複数読めば、因果関係や過失の認定においてとんでもない誤認をしている点はなく、それどころかよく医療の実際について勉強しておられると感心させられます。
藤山判決における問題は、損害の程度の認定すなわち賠償金額の設定にあります。
藤山判事はこれまで医療裁判で民事のみ担当してこられたと承りますが、医療者側は自分の提供する医療が常に100点満点に達していないことを自認して業務にあたっていますから、いったん事故となれば民事の賠償責任はその患者さんに対して自分が行ったすべての医療行為にかかってくることは覚悟のうえで医業を行っております。
そこへ藤山判事は、医療者は人命を左右する本来は刑法上の傷害行為を高度の倫理責任を果たすことで許可されているのだから、事故の処理に当たっては倫理責任に相応の「高いレベルでの謝罪すなわちより高額の補償を」支払うべきだとした訳です。これまでにない解釈の上乗せです。
これは、患者が医療結果に対し100%に近い高い「期待」を抱くことを、藤山判事がほぼ100%認めたということで、「期待権」がいよいよ現実社会に形を現したというイベントとなりました。
そして、藤山判事自身が生まれたばかりのこの「期待権」を守り育て根付かせようとして、本エントリーの元となった「100点満点」発言をも行ったもので、これに対して医師側の一斉反発が起こっているのでしょう。
すなわちこの新しい「期待権」を法治国家において正当な「権利」の一つであると認めることは、法治国家の国民としては到底できないだろう、という意見です。

長い文章は自分でもまとめられないので、ここで止めときます。
横入り失礼しました。

> No.175 ぼつでおkさん

 藤山さんは、「医療事故の損害賠償額は交通事故よりも高額に算定されるべきだ」なんて一言も言ってませんて。曲解、デマゴギーもいいところです。

 あの判決が意味するところは、せいぜい「慰謝料は色々な要素を総合考慮して判断するんですよ、だから、医療事故であることの一事をもって常に交通事故より低額になるということはなく、結果として高くなる場合だってありますよ」という程度のことです。別に新しい判断でも何でもなく、ある意味当たり前のことを述べたに過ぎません。おおかた、病院側が「医療事故の慰謝料は常に交通事故より低く算定するべきだ」とでも主張したから、その主張は採らないということを注意的に説明しただけだと思いますが。

>ぼつでおkさん
>藤山判決における問題は、損害の程度の認定すなわち賠償金額の設定にあります。

細かく見ているという印象はありますね。他の裁判官が百万、二百万の目盛りを持っているとしたら、藤山判事は十万、二十万の目盛りを持っているようには思います。

やはりコメントが長すぎて余計なことまで書いたようです。簡潔に言い直します。

藤山判事の100点満点への期待権は、権利と責任・自由と義務の観点から見て、いかなる責任を果たした人が行使できる権利なのですか。
100点満点で60点への期待権なら常識的に理解できますが、さらに上乗せを期待できる人とはどれだけの責任と義務をともなうのか、そしてどのようにそれを果たせるのか、藤山氏の「高いレベルの和解」論が理解できるという人があれば、100点を期待できる人に生じる「責任と義務」について、ご教示願いたいです。

前の書き込みのそれ以外の部分は枝葉末節なのですべて取り下げます。悪しからずご了承ください。上記の質問への答えさえ見つかればおとなしくROMに戻ります。

No.168 Med_Law 様
 あのう。差し出がましいようで,気が引けるのですが,Med_Law 様は法律勉強中とのことでYUNYUN様も厳しめに述べておられるので,私も。

法を勉強しようとしている私でさえ、現状の裁判に恐れおののいているのです。何も知らずに地雷を踏もうとしている仲間に警告を与えて、逆に何が悪いのでしょう?

 Med_Law様は,法律を勉強し始めてどれくらいでしょうか?刑法,民法の実体法のいくつかと手続法をこれからというところ?そうすると,いわゆる「法学」をやっているだけでしょうか。「法学」をやったからといって法律実務がわかったことにはならないと思いますよ(必要条件ではありますが。)。それで,「法律を勉強している」という立場を明らかにしつつ,ほかの医師の方も読まれている中で,誤読,誤解釈を含む形で,問題点を提示されるのは,少し?かなり?,法律関係者から見ると,どきどきします。
 YUNYUN様たちが適切な解説でフォローされることが多いのですが,フォローがすぐつくときはいいのですが,みなさん本業もあるでしょうから,放置されてるときなんか,とてもどきどきします。
 将来的には,Med_Law様のような方が,法曹,医療界双方に不可欠な人材でしょうから,どんどんコメントして議論されることはすばらしいと思いますよ。ただ,断定的な物言いを少し和らげられたら,法曹側のどきどきも少しは減るかなあと。

レスがつかないうちに178訂正。(削除してもらえればしあわせ)

やはりコメントが長すぎて余計なことまで書いたようです。簡潔に言い直します。

藤山判事の100点満点への期待権は、権利と責任・自由と義務の観点から見て、いかなる責任を果たした人が行使できる権利なのですか。
100点満点で60点への期待権なら常識的に理解できますが、さらに上乗せを期待できる人とはどれだけの責任と義務をともなうのか、そしてどのようにそれを果たせるのか、藤山氏の「高いレベルの和解」論が理解できるという人があれば、100点満点で60点を越えた領域を期待できる人に生じる「責任と義務」の内容について、ご教示願いたいです。

前の書き込みのそれ以外の部分は枝葉末節なのですべて取り下げます。悪しからずご了承ください。上記の質問への答えさえ見つかればおとなしくROMに戻ります。

(管理人)
旧No.178を非公開としました。No.は振り直されました)

No.168 Med_Law 様
 テオフィリン中毒事件について,もう少しコメントをしようと思ったんですが,そもそもエントリタイトルと関係ないようですし,エントリの流れからもずれてきたように思うので,「これもカテーテルです」のエントリにあげておきます。http://www.yabelab.net/blog/2006/09/12-005947.php#c38465
 

>ぼつでおkさん
>藤山判事の100点満点への期待権は、権利と責任・自由と義務の観点から見て、いかな る責任を果たした人が行使できる権利なのですか。

藤山判事が100点満点との言葉は、和解を勧試した場合の文脈で語られているようですから、100点満点の期待権を行使するとの見方は必ずしも該らないでしょうし、100点満点とは最善の医療を指しているものとも思えません。
私の100点満点の理解は、癸靴能颪い燭茲Δ法◆峅畆困呂覆とも、100%の医療がなされていないとの表現は、通常期待される医療水準を100%として理解すべきではないでしょうか。」と考えます。これに対し、通常期待される医療水準を充たさない場合は過失があることにならないかとの反論をモトケンさんから頂きましたが(癸隠院法医療水準に満たなくても損害に結びつかない場合(当職の経験した癸靴了例で言えば心破裂で死亡した可能性を否定できない場合)もあり、必ずしも過失があることにはなりません。
法律家の発想として、尺度がないものに100%を措定することはあり得ない感じがします。裁判の場では過失の有無が争点であり、通常期待される医療水準を尺度として争われ、最善の医療が何かが問われる訳ではありませんから、裁判官が最善の医療行為を100%と措定して、和解を進めるとのイメージが沸きませんし、実務的感度からしてもあり得ないものと思います。
この点、YUNYUN さんには理解頂けたようですが(癸隠機法医療側には「100%」との言葉が却って不安を煽っているように感じましたので、遅まきながらレスをしました。

癸隠牽欧離灰瓮鵐箸妨躄鬚鮠靴かねない表現がありましたので、補足します。
私の書き方だと最善の医療水準という判断基準もあるとの反論が寄せられそうですが、何が最善であるかが訴訟で争われていないのに、それを判断基準にすることはあり得ないと言うことです。

>私の書き方だと最善の医療水準という判断基準もあるとの反論が寄せら
>れそうですが、何が最善であるかが訴訟で争われていないのに、それを
>判断基準にすることはあり得ないと言うことです。

地方の弁護士さん,
しかしながら,現実の判例では我々医師からみて「ここまで要求するのか」という「医療水準」を求めているものがいくつも出ているのです.
このブログにもいくつかは挙げられていたと思いますが.
心タンポナーデのケースでは一般の病院に「救急専門医のレベル」を求めたりしています.「現場を無視した医療レベルを期待している」実際の判例に対してそのようなコメントは妥当でしょうか?

2点、どなたか教えてください。

1つ目。
・請負契約

・高度に注意義務を追及した(準)委任契約
に実質的な差異はあるのでしょうか。

2つ目。
それとも関連して、「弁護活動を第三者の弁護士に点検してもらう」ことはできるのでしょうか。
例えば、「傍聴席で法廷戦術をチェックする」などはやろうと思えばいつでもできますが、「全資料の閲覧/複写」などはできるのでしょうか。
もちろん「点検」するだけですよ。

> > 裁判の場では過失の有無が争点であり、*通常期待される医療水準*を尺度として争われ、最善の医療が何かが問われる訳ではありません(No.182 地方の弁護士さま)

> 現実の判例では我々医師からみて「ここまで要求するのか」という「医療水準」を求めているものがいくつも出ているのです.(No.184 Level3 さま)

医療者の皆さんにご理解いただきたいのですが、
判例が一般論として「医療者は世の中で発見されている*最高の医療水準*を実現しなければならない」というような理論を打ち出したことはありません。

医療者に厳しい判断が出ても、それはたまたまの個別事例であって、別の事件では別の判断がなされています。
患者側敗訴の事件で、「医療者に甘い」基準により判断されたとみられる場合もあるでしょうが、それもまた個別事例に過ぎません。(原告の請求が全面棄却され医療者側が完全に勝利した事件が全体の6割ですから、中にはそのような事例もあると思われます。)

医師の皆さんは、ある薬が患者Aに効かなかったら、その薬は全ての患者に対して無効だと解釈されるでしょか。個々の患者の病状体質により、効くことも効かないこともある、と説明されてきたのではなかったのでしょうか。

医師の皆さんは、裁判の一事例を、際限なく一般化して考えておられます。
先の薬の事例で言えば、薬Pが患者Aに効かなかったから、薬で治療するのは無意味であると判断して、全ての患者に対し投薬療法を廃止する、というようなものだと思います。
医学的根拠無く広大無辺に一般化することが、ナンセンスであるのは言うまでもありません。
それと同様に、判例の「射程距離」を法的に正しくとらえる必要があり、個別事案をむやみに一般化して今後の行動指針を立てることはナンセンスです。

しかしながら、法律の素人である医療者にとって、「判例の射程距離」ということが理解しにくく、不安を感じられるのは無理ないことではあります。
そこで、本エントリの趣旨に戻りますが、
町村教授が藤山講演をレポートするにあたっては、そのような現状理解に基づいて、医療者の間に無用な誤解不安を招かないように、言葉を尽くして説明を加えてもらいたかった、ということです。

地方の弁護士さん、レスありがとうございます。
和解という法的解決を第一の目標に置くお立場から丁寧にお答えくださったことにお礼申し上げます。

医療現場では診断から治療まで全ての医療行為がそのまさに現場の環境(人的条件、薬剤や検査検査機器所蔵等施設条件、時間的条件等)の制約下にあって状況の変化に即して判断修正しながら業務が行われています。それぞれの瞬間瞬間の判断は決して教科書的な理想の医療(答えがわかっている場合の医療)の記載にみられる100点満点に達することは出来ません。医療現場は、専門的試行錯誤の集積でしか医療を実行できないのです。現場で払うべき注意とは、全経過中の個々の医療行為において60点を割り込んで下回ることがないように、そこに医療者としての個々の全能力を(100%)傾注しているのであり、最終的な結果(これは神のみぞ知る、一寸先は闇なのですが)よりも結果に至るまでのプロセスのレベルを保つことが専門的注意義務であると心得ていると思います。そしてこうすることで法が医療に期待するべき部分を専門家としてきちんと確保していると認識しているとも思います。

「和解」が目標なのだからという理由で、過失やミスの採点基準を60点を越えて100点満点に近づける「高いレベルの和解」を目指すべきだという概念を、司法が単独で医療側に相談なく一方的に持ち出せば、裁判等司法行政に現在のような混乱を惹き起すことは、高率に予測される予見可能性の高いことではなかったのでしょうか?

現実問題として残念ながら裁判官のみならず、検察の要求水準としてスーパードクターあるいはそれ以上の技術=通常の水準としている判決や訴状が多く見られます。

医学は不完全な学問であり医療の結果は常に不確実である。同様に、法学も不完全な学問であり司法の判断もまた不確実である。
同じ様な状態の患者に同じ治療をしても助かる人と助からない人がいる。同様に、同じ様な事故や過誤で被告や被告人になった医療者がいても、勝訴する人と敗訴する人がいる。

結局、これが現実なんですよね。

とすれば、いち個人のレベルで取りうる対応は

・病気で死にたく無ければ、予防するしか無い。
・訴訟で負けたく無ければ、逃散するしか無い。

ということでしょう。

>No.189 つくねさんのコメント
>医学は不完全な学問であり医療の結果は常に不確実である。
>同様に、法学も不完全な学問であり司法の判断もまた不確実である。

先生のおっしゃる通り両方とも学問と思いますが、私の思いますに法治主義標榜のわが国社会においてもっとも思惟的倫理的な論理的実学という面で両者はまったく同等に社会構築システムの最上位に並ぶと思っています。一般的には三権分立では司法が最上位の判断と思いますし。
現在わが国で司法法曹職にある人たちは最難関の司法試験をクリアするだけの勉学における刻苦精励を経験してこられた精鋭の方たちです。この先裁判員制度やロースクール卒者が増えて現在の精鋭度が薄まってしまう(んじゃないかと個人的な勝手な危惧?)まえの今のうちに、尖鋭的な論議が出来るだけなされて欲しいように思います。この場を用意してくださったモトケン先生のご厚意に一方的に甘える形でいささか申し訳ないとは思いますが。

> 現実の判例では我々医師からみて「ここまで要求するのか」という「医療水準」を求めているものがいくつも出ているのです.(No.184 Level3 さま)

だからと言って、上記判決の裁判官が、最善の医療水準を尺度として判断している訳ではなく、医師側が「ここまで要求するのか」との医療行為を当該医療機関に通常期待される医療水準であるとの理解のもとに判断しているのです。
その意味では、医師から見て「ここまで要求するのか」という判決が出たのは、一次的には、通常の医療水準の立証に失敗した医師側代理人の責任かと思います。このような判決がなされる場合であっても、権威ある教科書ないし鑑定書に「ここまで要求するのか」というレベルの医療行為を通常期待される医療水準であることを伺わせる記載があり、医師側が自らの代理人に当該記載内容と医療現場における実情(これが通常の医療水準と言えることが多い思われます。)の乖離を立証するに足る材料の提供ができなかった場合かと思います。
その意味では戦いのフィールドは正に医療現場にあり、医師側がこの戦いを恐れる理由はないものと思います。医療訴訟は基本的には当該医療現場の特殊性を含め、医療情報を豊富に有する医師側が有利の構図なのです。敢えて言えば兎と亀の徒競走です。
もちろん、医師側に厳しい判決の背景には、専門家に対する社会の期待の高まりもあるとは思います。ただ、これは医師だけが標的になってるのではなく、専門家一般に対する要請であり、医師だけをその例外とするとの視点での運動が成功するとは思えません。
繰り返しになりますが、医療現場の実情が患者を含む社会一般に正確に理解されるように努める姿勢が医療に対する過剰の期待を排除し、適正な裁判がなされる決めてかと思います。その意味でモトケンさんのブログの果たしている役割は大きいと思います。

>No.191 地方の弁護士さんのコメント
>もちろん、医師側に厳しい判決の背景には、専門家に対する社会の期待
>の高まりもあるとは思います。ただ、これは医師だけが標的になってるの
>ではなく、専門家一般に対する要請であり、医師だけをその例外とすると
>の視点での運動が成功するとは思えません。

この期待の高まりに対して、専門家がわが確保している60点以上の無過失行為を、藤山判事に代表される司法側が独断で80点以下は過失、90点以下は過失、100点じゃなければ過失が存在するのだ、と「60点じゃ期待権を侵害している」判断をくだしていると思います。
私の質問は、この新解釈の期待権を行使できるすべての人が当然負うべき「責任と義務」を、藤山氏はじめ司法人が社会に対して具体的に同時に示していない(そうすべき責務があるでしょう)ので、早く教えてくれというものです。

同じ一つの発言、同じ一つの事件をとっても、見る者聞く者の立場によって解釈は全く異なるということが実感されるスレだと思います。医療側が司法側に対して「何故そんな解釈を?」と疑問符を感じるのと同様の感想を、おそらく司法側も医療側に対して抱いているのでしょうが。

医療も司法も学歴社会におけるある意味頂点を極めた人々の集う場ではないかと思うのですが、そうした人々が集まったからといって劇的な問題解決が図られるかと言えばさにあらず。門外漢の素人に指摘されて改善されるような明白な欠点が存在するならとっくにやってる!というのが正直な感想なのかも知れませんが、これが何周目の同じ議論かと思える流れが続いているように見えます。

現場の人間と言うものは案外適応能力は高いものですから、いわゆるJBM(司法判断に基づく医療)というものはますます浸透していくのでしょう。現場の医師には食いっ逸れる危機感といったものは今のところ全くありませんし、医療がなるようになっていくのをむしろ楽しんで眺めている気配も見え隠れします。罪を問う側の司法に差し迫った危機感が存在しないのと似たようなものなのかも知れませんが。加えて政治家官僚の現状を見ても、既にこの国で医療を維持しようと考える勢力など存在しないのかとも思いますね。

件の藤山氏の名も2年前なら医療崩壊の元凶の一つで通ったかも知れませんが、昨今ではネタの提供元に堕しつつある様にも見えるのはおもしろいなと思いますね。おそらく今後藤山氏がどんなトンデモな(あるいはその逆の)判断を示そうと、もはや医療の流れ行く先には何らの影響もないのではないか、スレを眺めていてそんなことも感じられました。

藤山学派は過失という「言葉」を用いていないから私の質問に答える義務はないというかもしれません。しかし、法治社会における法の実効性を鑑みると判事が過失責任を認定しているとしか思えません。その法的根拠が新解釈の期待権であるなら、同時にその権利に伴う義務と責任の範囲を明らかにするのが法律家の義務ではないかという疑問なのですが、どなたか藤山学派の優秀な方で法律的に教えていただけないでしょうか。法の下に生活している一般人としての質問です。

基本的に今の日本の司法制度では、裁判まで持ち込まれた段階で「トンデモ判決」は医療で言う「合併症」として甘受しなければならないシステムのようです。
何せ裁判官は「法律の知識と論理力と記憶力だけ並外れた小学5年生」が建前ですので。
その「いびつな小学5年生」を証拠と論理と心証で納得させた方が「勝ち」、失敗した方が「負け」なのです。
それは民事でも、刑事でも同じです。

ですので、医事紛争が出来る限り法廷に持ち込まれないシステムを作らない限り、医学的に見て理解不能な判決を受ける医師が今後減ることなど断じて有り得ない、ということになります。
で、確かにその問題は医療者側が多数関与した「裁判所外で紛争を解決するシステム(ADR)」を整備すれば、解決しそうではあります。
しかし、それだけやってもなお医療崩壊は止まることはないと考えます。
なぜなら

「マスコミによって強化・増幅された日本国民全体の医療不信」が日本医療崩壊の最大の原因

であるからです。

この数週間で至った私の結論:投了です。

皆様、永らくお付き合いいただき、ほんとうにありがとうございました。
心から感謝しております。
それでは、またどこかで。

P R

ブログタイムズ

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