(転記開始)
No.217 YUNYUN さま
私は医療側の人間ですが、YUNYUNさまと同様、民事に関しては免責や過失認定の変更等の制度変更は非現実的であり、いかに訴訟外での解決を促進するかということが重要であるという立場です。第三者機関のお話が出てまいりましたので、横レスで申し訳ないのですがコメントさせていただきます。
私は医療訴訟における第三者機関の機能は紛争解決より被害者救済置にすべきと考えます。
話が大きくなってしまいますが、私は現在の民事医療訴訟を巡る最大の問題は、社会が医療行為に付随する「悪い結果」を
A:確率的におこる合併症(いわゆる医療事故)
B:明らかな人為的ミス(いわゆる医療過誤)
に分類しておらず、(マスコミは全て「医療ミス」と呼びます。また多くの一般の方も「安全神話」を持ち、Aの存在を認識していません)そのためAによる被害を受けた方が補償を求める際も、AもBも同じテーブルで審議される訴訟として取り扱うしか手段がなく、それが医療側の「適切な対応をしていても結果が悪ければ裁判になる」という不安に繋がっていることにあると考えます。
そこで、今後医療ADRはAの被害者に対し訴訟以外の補償手段を提供し、訴訟に至る以前に解決をめざすことにその目的を置くべきであると考えます。
具体的には
・まず医療に伴う悪い結果がAであるかBであるかを審議し決定する。
・Aと決定した場合の補償額は被害の程度に応じて予め決めておき、過失の有無・大小に関係なく支払う。
・Aと決定した場合は医療行為を担当した側の過失認定は行わず、賠償義務は認めない。補償にかかるコストは医療システムを維持する上での必要経費と考え、医療費全体から捻出する。
・Aと認定され、被害者が補償を受け取る場合、被害者は同件で民事訴訟を起こす権利を放棄する
・Bと決定した場合は、その解決には関与しない。
というのがあるべき姿だと思います。
現に周産期医療での脳性まひの発生に関しては同様のシステムが検討されています(コストを誰が負担するかでもめていますが)が、早急に医療全体に拡大すべきでしょう。
ここでかばい合いの話題に戻りますが、上記のシステムでは賠償額の決定や過失認定という過程はありませんので、かばい合いが存在する余地は「AかBかの審議決定」のみとなります。Aに関しては、その発生率は既に統計的に報告されていますので(例えば、全身麻酔では10万例に1.1例が死亡する、また造影剤を使ったCT検査では10〜20万例に1例が死亡することがわかっています。)審議結果を定期的にその値と比較し、解離が存在すれば被害者側あるいは医療者側に偏った判断が行われているとして修正をかけることが可能であると考えます。
第三者機関による紛争解決システムが成功するか否かは、患者が「裁判するより第三者機関での解決を選好する」ことになるかどうかの1点にかかっています。
同意いたします。医療訴訟は全てADRでの審議を通すというような仕組みができれば理想的なのですが、そうでなくても「予め貰える補償額がわかる(妥当な補償額が設定されることが条件ですが)」「証明責任がない」という点で被害者にとっても利益があり、裁判所との競争には十分勝てる要素があると考えます。
医師が意見を聞いてほしいと思うなら、積極的に「俺にやらせろ」と言って司法の側に踏み込むべきであると思います。
ADRの立ち上げに関しては、個人の医師でできる規模の仕事ではありませんし、その目的はあくまで「医療者の訴訟回避」ではなく「医療制度の健全な維持運営」ですので、その業務を担う政府にお願いしたいと思います。審議に参加することは、多くの医師に抵抗は無く受け入れられると思います。
(転記終了)
>つくねさん
合併症と人為ミスの線引きをどこまでADRが行えるのかとは思います。もっと言えば、人為的ミスまで合併症、人為ミスまで裁量権の範囲内にされてしまうのではないかとの不安はあります。
大野病院事件の逆の事例ですが
埼玉医科大学総合医療センター医療事故調査委員会報告書
極端な事例ではありますが、このような事件が起こった時に、ADRはどのように機能するのか、ADRがどこまで病院の調査に踏み込めるのか、警察とどのように連携を取るのかが、ADRが機能するためのカギなのかなと思います。
なお、埼玉医大の件に関しても、刑事訴訟は馴染まないものだと思っています。
私は、裁判前設置で、第三者機関による紛争解決システムを設けることなら、憲法的には可能なのではないかと考えてきました。
ただ、このモトケンさんのブログで、自分で書いてきて、以下の問題もあるなと気がつきました。
1 判断の前提となる証拠の収集がどこまでできるか。
おそらく、医師からカルテ等の提出を求めることまでは、可能なのではないかと思います。ただ、私の経験から見ても、カルテからだけでは、事実関係をつかむことは難しいです。その中で、どこまで、判断ができるかということです。
当該医師から聞き取る法的あるいは、事実上の権限を与えたとして、その聞き取り形態及びその聞き取った記録はどうするか。
2 1のことにも、からみますが、現状では、患者側の弁護士は、弁護士に相談がくる案件の約10分の1程度しか、訴訟に持って行っていません。ただ、上記のADRが、職権的なものであればあるだけ、ということは、申立人がなにもしなければよければよいほど、弁護士に相談するよりは、まず、申し立ててということになるかと思います。
そうすると今の訴訟数の数倍(現在は、年間の事件数が1000件程度ですが、それが3,000〜10,000件)にはなると考えられます。
仮に、1件について、1人の医師が必要としても、3,000〜10,000人、3人として、9,000〜30,000人が必要になります。ただ、これは、現実的ではないため、どうするかです。
>>No.2 L.A.LAW さん
>現状では、患者側の弁護士は、弁護士に相談がくる案件の約10分の1程度しか、訴訟に持って行っていません。
現場ではその数十〜数千倍のトラブルを経験していると考えてください。
弁護士事務所まで辿り着く方は氷山のてっぺん数cmです。
システム(と地域)次第では全死亡の9割近くがそのADRに持ち込まれる事態になるかもしれません。
>No.3 元田舎医さん
>現場ではその数十〜数千倍のトラブルを経験していると考えてください。
弁護士事務所まで辿り着く方は氷山のてっぺん数cmです。
これは、企業のクレーム処理の実態(弁護士に相談にくるのは、全体のほんの少し)から見ても、うなずけます。
本当は、この個々の医療機関のトラブルを個々の医療機関がどう対応するかも重要な問題だと思います。
>>No.4 L.A.LAW さん
>本当は、この個々の医療機関のトラブルを個々の医療機関がどう対応するかも重要な問題だと思います。
話題が少しズレますが、ご容赦を。
20世紀までは私も「やるべきことをやり、丁寧に対応してさえいればトラブルになることはない」と考えていました。
実際、私に限らずほとんどの医者はそう教わって医師免許を手にし、行使してきたものと考えます。
恥ずかしながら、元スッチーの講師のセンセイのところへ、職場の看護師、事務もろとも接遇研修を受けに行ったこともあります。
たかだか数年前の話ですが、しみじみ懐かしく思います。
「やるべきことをやり、丁寧に対応する」などは「トラブルにならない」ことの必要条件に過ぎなかったのです。
>元田舎医様
>20世紀までは私も「やるべきことをやり、丁寧に対応してさえいればトラブルになることはない」と考えていました。
実際、私に限らずほとんどの医者はそう教わって医師免許を手にし、行使してきたものと考えます。
恥ずかしながら、元スッチーの講師のセンセイのところへ、職場の看護師、事務もろとも接遇研修を受けに行ったこともあります。
歯科医に救急医療研修 流れは“適法”どう裁く 市立札幌病院事件、控訴審再開へ
これなんか、よかれと思ってやったことが・・・の典型でしょう。私ぐらいの世代まではよかれと思ってが通じるのが当たり前だったと思いますが、私より10年下になるともうこれは通用しないのが当たり前になっているかと思います。
>No.220 座位さん
私も大学の医局人事は変貌を遂げていくと思います。大阪大学は派遣人事の集中化を発表しているようです(2CH情報ですけど)。
医師の質の確保としてもブランド化できるのであれば、新たに医師が集まってくる可能性もありますが、お礼奉公等の過去の悪弊を踏襲するのであれば、そう簡単には成長路線には入らないと思います。ただ、医師の質の向上には、先進医療を含めての研修体制も必要ですので、その核としても、多くの大学は存在意義を見つけていかざるを得ないことには気づいているでしょう。
診療所ベースのかかりつけ医制の推進ということでしょうか。基本的に同意します。DPCによって、入院医療は単機能化(あれもこれもとは治せない)します。相互に関連している疾病は別ですが、関係の薄い複数の疾病を持つ場合には、一度退院してもらい、改めて入院しなおしてもらうということも必要になってきました。統合的に診るかかりつけ医は重要です。医療依存度の高い患者さんについての疾病ごとのコーディネーションは急性期病院の仕事と思いますが、患者さんごとのコーディネーションは地域医療におまかせしたいところです。急性期病院の勤務医の中には、診療所の先生の能力に疑問を持つ人もいらっしゃるようです。交流や研修などの互いの切磋琢磨も必要ですね。
てつ先生(No.7)のコメントを読んで思いついたことがあります。
>卒後医師の就職市場自由化と医局
医局は嘗てのボランティア団体から、医師の権利を守る組合的な組織に生まれ変わる可能性があるのでは?派遣会社よろしくガリガリ就職先と交渉する医局が出てくると面白いと思うし、以前以上に医師が纏まる切欠になりそうです。(どこかの医局がやり出したという話が伝われば、皆やり出すような気がします。派遣会社は全滅するかもしれません)
無過失補償制度のエントリをたてて頂きましたのでそちらでの議論が相応しいかとも思うのですが、コメントに対するお返事だけ書かせて頂きます。
1.ある医療行為が普及する際には、その医療行為に伴う不利益が証明され、更にそれを上回る利益が見込めることが証明されることが条件になります。よって、一般的に行われている医療行為に関してはどの様な合併症が付随し得るかの知識は確立されています。>No.1 しまさま
2.その10の最後のコメントでも述べましたが、それぞれの合併症の発生率は統計的に分かっていますので、審査結果がある程度集まったところでそれらを比較し、医療側・患者側へ片寄った線引きが行われていれば修正する事が可能です。
3.「合併症と認定され、被害者が補償を受け取る場合、被害者は同件で民事訴訟を起こす権利を放棄する」ということは、裏を返せば、被害者側が結果に納得できない場合は保証金の受け取りを拒否し、民事訴訟を起こす事ができるということです。
上記3点により被害者側に不利な裁定が乱発され、被害者が泣き寝入りになってしまうということはまずあり得ないと思います。
また、埼玉医科大学の件は、そもそもの発端が薬品の投与量の間違いという明らかな人為的ミスなので、私の考えるADRの取り扱う対象外となります。
私はむしろそれが望ましい姿だと考えます。私が考えるADRの最大の存在意義は「医療行為は賭けであり、当然損をする人もいる。」ということを一般の方に知ってもらい「安全神話」を壊す事にありますので「もし損をした人がいれば、その人を救済するシステム」が頻繁に利用され、その存在が一般に認識されればされるほどその目的は達成される事になるからです。
亀レスです
モトケン様御返事ありがとうございました
しかし僕が聞きたいのは医療用語で言ってよいなら訴訟のトリアージの方法ということについての議論もしくは意見についてです
一般的に訴訟できる権利=社会の利益です
しかし、産科はこのまま行くと
一時的にせよ訴訟すること=社会の損失という状態になりそうです
不幸ながらそういう事態になった場合に一部の訴訟を抑制することによって
全体の利益を確保するような議論が法曹界にあるのかどうかを聞きたかったのです
>No.10 じゃんべがさん
法曹界は訴訟を万能のものと考えていませんから、さまざまな要請に基づき訴訟の抑制というのは常に考えられています。
訴訟以外の紛争解決制度によるほうが適切妥当迅速に紛争解決が可能なパターンはありますから、その辺の問題意識はあります。
しかし全ての法的紛争解決システムは、最終的には訴訟手続があるということを前提にしています。
その意味で、法的紛争について訴訟を禁止することは困難です。
優先順位の問題というよりバックアップの問題と言ったらわかりやすいでしょうか。
従って、トンデモ判決の可能性は常にあるのであり、それとの関係で言えば、訴訟の抑制の問題ではなく、裁判所が適正妥当な判断をしているかどうかの問題に帰着します。
結局、司法に対する信頼がなければダメだということです。
医療崩壊の危機が深刻であるというのはまさに司法に対する不信があるからだと思います。
司法に対する不信は司法自らが解決すべき問題ですが、そのためには医療側に司法判断の手続的及び実質的な特徴を理解してもらうことも重要だと考えています。
答になってますかね(^^;
>モトケンさん
「理解してもらう」というのはなかなか難しいような気もしますので、一度法律を抜きに、医療側と非医療側とでお互いが紛争解決のシステムを考え、同じテーブルで意見をすりあわせる。その同じテーブルの上で、法曹の方々が法律的なアドバイスを行うと言う感じがいいのかなと思います。
まあ理想論なんですけどね。
>つくねさん
埼玉医科大学の件では病院が適切な治療を行ったと患者に押し通していると言う節が伺えます。そのような特殊なケースの場合、1「ADRの所まで話が伝わるか」2「ADRがどこまで病院を捜査できるか」という疑問です。
>No.12 しまさん
法律家が法律抜きで紛争解決のシステムを考えるというのはかなり難しいかも(^^;
でも、和解というのは法律抜きの、というか法律に拘束されない紛争解決手段であり、法曹が日常的に行っています。
妥協の余地がある紛争であればですが。
妥協の余地がなければ強権的な解決が避けられません。
強権的な解決を正当化するものは、法治国家では法律です。
>モトケンさん
私の思いつきでは「法律抜きで出されたアイデア」に対して法律的なアドバイスを行って頂けたらなと思います。法律なしでは実効力がないとは思います。
また、例えば「ここの考え方は既に○○法できちんと構築されているので、○○法を採用すれば済む」とか「この考え方は、突き詰めて考えると○○という問題が生じる。この問題を解決するために法律は○○法というものを用意している」とか、そのようなアドバイスを受けて考えている内に自然と「司法判断の手続的及び実質的な特徴」が身に付くのかなと。
的はずれな考え方かも知れないのですが。
>No.15 しまさん
つまり法律家が交通整理をしつついろんな人がブレインストーミングをしたらどうか、ということでしょうか。
けっこう有益な議論になりそうです。
残念ながら私は弁護士としてはあまり有能ではありませんので、交通整理の任に耐えませんが(^^;
> 一部の訴訟を抑制することによって全体の利益を確保するような議論が法曹界にあるのかどうか(No.10 じゃんべが様)
「紛争解決」を抑制することはできませんが、「訴訟」という手段を抑制することは、法曹は常に考えています。
訴訟は紛争解決の最終手段ですが、手間暇かかることであり、他にもっとよい解決方法があれば、その方法に乗り換えたいのです。
紛争が生じた以上、何らかの方法で解決しなければなりません。
仮に訴訟を禁止しても(禁止は現行の憲法に違反すると思いますが、仮に憲法改正してでも禁止するとして)、訴訟に代わる何らかの紛争解決のしくみがなければ、不満を持った側が実力行使に出るでしょう。復讐のために刃物を持って病院に乗り込み主治医を殺傷するとか、賠償金代わりに病院の金庫からお金を奪うとか。病院も防戦するために武器を取ることになるでしょう。
そのような、万人の万人に対する闘争を防ぐために、社会は紛争解決のルールを作ってきました。
現行憲法と整合す範囲での訴訟抑制の手だてとしては、
医療の専門家が中心となって判断する第三者機関をつくり、訴訟に前置させることが考えられます。
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ひょっとして、 じゃんべが様は、「権利抑制」=民法を改正して、医療に関して生じた結果は損害賠償請求できないこととする
という方向を考えておられるのでしょうか?
確かに、もともと権利がなければ、訴訟どころか法的紛争にもなりませんが、
法曹としては、権利制限という手法には反対が多いと思います。
本件では法理念的には権利がないものと解する根拠はありません。
しかし、政策目的のみで、そのような大幅な権利制限を正当化しうるという情況は考えにくいです。
萎縮医療や産科医の退職の原因は、医療過誤について損害賠償請求なしうるとされていること自体にあるのではなく、医学的に誤った判断や実現不可能な過剰要求をされることに嫌気がさしている(本当に過失がある場合は損害賠償請求されても仕方がないと医師は考えている)、というのが、この場のみなさんの共通認識であると思います。
この情況を前提としますと、権利制限をかける前に、より制限的でない他の方法があるはずです。
訴訟外の紛争解決システムを整備して訴訟を抑制したり、訴訟になってもトンデモ判決が出ないよう鑑定方法を工夫したり、といったことです。
それらを尽くしても成果がみられない場合に初めて、権利制限の可否を議論するべきであると考えます。
>No.12 しまさん
「理解してもらう」というのはなかなか難しいような気もしますので、一度法律を抜きに、医療側と非医療側とでお互いが紛争解決のシステムを考え、同じテーブルで意見をすりあわせる。その同じテーブルの上で、法曹の方々が法律的なアドバイスを行うと言う感じがいいのかなと思います。
確かに、おっしゃる通りですねー。
医療に関しては、専門的な事が多いんですが。
きっと裁判官も変にプライドが高いから、あんまり素直に意見を聞かないで、わかったふりしてちょこっと文献を読んで、偉そうな判決を出してる、とかそんなのがあるのかもしれませんね。
偏見かもしれませんが。
一度、そういうの関係なく、ざっくばらんに話せると良いですね。
個人的には、医療裁判に関しては、弁護側一人、検察側一人の医療鑑定人ではなくて。
もっと何十人もの医師の意見を聞いて、一般的な意見はこうだ、ってのがないと。
弁護側賛成、検察側反対、ってなって、裁判官もどっちの意見を取り上げたら良いのかわかんなくなって、いちかばちかで判決を出しているような感じですもんね、最近。
医者は人が足りないので、それだけ集めるのは大変ってのはありますが。
私も個人的には法的な制限を設けて医療に対する訴訟を抑制するという手段は大きな危険を伴うと思います。
そう言う前例を作ってしまった場合、次に来るのは企業に対する訴訟抑制であり、政府に対する訴訟抑制ではないでしょうか?これはファシズムへの半歩手前の状態だと思います。
もし制限を設けるとするならば
1.医師個人に対する訴訟を制限すること
現行の医療制度の中では医師は保険・その病院の人手の枠内でしか診療を行えない。また、医療事故の多くはシステムエラーによるものであり、個人の責を問う性質のものではない。
2.原則として第三者機関に判断をゆだね、その上で不満がある場合に訴訟を起こすよう定める。
とすべきではないかと思います。
> No.19 僻地外科医 さん
現状でも、特別な事情がない限り、被告とするのは病院(の運営主体)であって、医師個人を被告とする訴訟は多くないと認識していますが、その上で何点か。
まず、統計的・全体的に観察した場合の傾向はともかく、個別具体的なケースについて見れば、その医療事故が主にシステムエラーによるものなのか、専ら個人の責に帰せられるべきものなのかは、実際に審理をしてみないと判明しないと思います。だとすると、審理をする前から、個人を訴訟の対象から外すというのは理屈に合わないような気もします。
仮に、「システム」を被告とした審理の結果、問題はシステムではなく個人にあったと判明した場合の扱いはどうするのでしょうか。その場合にも個人の責任は問わないということなのか、改めて個人を対象に訴訟を起こせということなのか。前者であれば極めて不公平(被害者は泣き寝入り)ですし、後者であっても著しい負担増になります(その個人には、「システム」がしたのとは別の反論があるはずであり、審理が長期化する上、主張や証拠が異なる以上、必ず賠償が認められるとも限らない)。
次に、問題とされるべき「システム」の範囲がよく分からない、という点があります。医療関係者の方々は、民事訴訟において、又は「第三者機関」における審査において、(個人責任を追及する代わりに)問題とされるべき「システム」として、どのようなものをイメージされているのでしょうか。
手術に関するミスが争点の事例では、過失の主体を執刀医と見るのか、手術室にいたスタッフ全員と見るのか、外科全体と見るのか、診断をした他の診療科も含めるのか、その病院全体と見る(業務体制整備の責任を念頭に)のか、医師の派遣元となった病院まで含める(適切な労務管理という点では責任の一端あり?)のか、地方自治体も対象とする(救急車の配置、病院の誘致、医師の確保といった環境整備は充分であったのか等々)のか、医療機器・製薬業者の責任も考慮する(医療者がエラーを起こしにくくする工夫は尽くされていたか等)のか、医師の出身大学や研修先における教育内容も検討するのか、厚生労働省による医療行政こそ問題とされるべきなのか、その医療行政について責任を持つ内閣、予算を決める国会の行動についても検討を要するのか、国会議員を選出した国民の政治責任も・・・・と、考えようによっては無限に広がりそうです。
もちろん最後の方は極端なのでしょうが、ではどこまでかと言われると、恐らく、医師によって、また事案によって様々な回答があり得るのだと想像します。しかし、訴訟においては被告を決めて提訴した上、その相手からは各々反論を聞かないといけませんし、判断権者は、全ての主張と証拠を総合して結論を下さなければなりません(これは「第三者機関」による審査でも同じでしょう。)。患者側から見れば、「システムエラー」こそ問題にすべしと言われても、どの範囲を対象にすればいいのか分からない上、あまり対象を広げすぎると、各当事者の言い分を確認するだけで大変な労力となり(当然、各々の言い分に対しては、別の当事者からの反論があり、それに対する再反論もあります)、その主張立証の全てを詳細に検討して責任の有無や割合を確定するのは容易ではなく、紛争解決に要する時間とコストは、当事者にとっても、判断権者にとっても、現在とは比較にならないほど莫大なものになると思われます。
最後に、「システム」に問題があることと賠償責任の関係がどうなるのかがよく分からない、という点があります。「システム」の範囲自体不明瞭であることは前述のとおりですが、仮に、個々の医師や病院だけでなく、それを取り巻く「システム」全体に過誤の原因があったとして、誰がどのように賠償するのか、させるのか、指針はあるのでしょうか。責任の割合に応じて負担するのだとしても、実際に「医師15、看護師15、病院30、製薬会社20、医療行政20」などと数値化できるのでしょうか。仮に上記の割合を確定できたとしても、1000万円の損害を被った患者は、医師や病院とは別に製薬会社や国を訴えなければ損害の全額についての賠償を受けられないということになるのでしょうか。「第三者機関」がこのような査定をした場合、製薬会社や国が賠償金を支払う見込みはあるのでしょうか(又は、支払いを強制する法律を作るということ?)。
現状で刑法上個人を裁くことができないという点を問題にしているのでは?認識が違っていたら済みません。>>僻地外科医さん、FFFさん
>FFF様
おっしゃる疑念は大変もっともだと思います。
> 現状でも、特別な事情がない限り、被告とするのは病院(の運営主体)であって、医師個人を被告とする訴訟は多くないと認識していますが、その上で何点か。
まず、この点について私が念頭に置いているのは福島の件であり、都立広尾病院の件です。これは刑事訴訟になりますが、仮に民事でも同じことだと思います。特に都立広尾病院の件では看護師が有罪判決を受けていますが、これはシステム工学の立場で言えば明白なシステムエラーで本来個人の責を問う性質のものではないと思います(院長の有罪判決はちょっと論議が違いますので置いておきます)。FFF様の考えとは異なるかも知れませんが、故意でない場合はシステムエラー以外の原因はほとんど無いと思います。
> 仮に、「システム」を被告とした審理の結果、問題はシステムではなく個人にあったと判明した場合の扱いはどうするのでしょうか。その場合にも個人の責任は問わないということなのか、改めて個人を対象に訴訟を起こせということなのか。
故にこれに関して考慮する必要はほとんど無いと思いますが、あくまで完璧に整備されたシステムの元、個人の過失によって引き起こされた事故であれば、(たとえば、広尾病院の件で言えば、消毒薬を注射器で計ってはいけないという規則が周知徹底されていたなど)この時点で個人を提訴されても良いでしょう。この審査をするために第三者機関を提唱しています。
> 最後に、「システム」に問題があることと賠償責任の関係がどうなるのかがよく分からない、という点があります。
おっしゃるとおりだと思います。ですが、実質の賠償となるとこれは医療事故保険での補償となるべきでしょう。したがってすべての医療機関に医療事故保険への加入を義務づけること、診療報酬に医療事故保険への加入に見合う点数を付けることは最低限必要だと思います。現行の医療事故保険においては事故回数と関係なく保険料は定額ですので(ここが車と違います)、現在の運用方法であれば賠償額について問題にする必要はないと思います。要するに実質的無過失補償制度です(いや、過失はありますが・・・)。これで被害者については救済できるでしょう。こう考えればどこに何割の責任という論議は特別必要ありません。
ここで問題になるのは、システムエラーの改善提言をどうするかですが、第三者機関にシステム工学の専門家を入れ、システム上のミス修正を各機関(国、自治体、病院)に促すこと、エラーの改善がない場合は何らかのペナルティーを課すこと、そのペナルティー担当に医療事故保険業者を関わらせることなどで改善可能かと思います。
ちょっと横レスになりますが、知識不足や経験不足はどうなのでしょうか。そういう人が従事しているというシステムエラーであるとするのなら、知識や経験、能力というものを明示的に日頃からチェックするシステムが必要ですね。実際、そのような決め事が増えてきていますが、現時点で充分でしょうか。
また、もちろん、自覚があれば能力を超える行為については、援助を求めるということが必要になります。この自覚がない場合などは、どう考えましょう。慈恵医大青戸病院の例のように未経験なものを行おうとするのは故意でしょうか。もちろん、失敗しようとしているのではないので、故意とはいえなくなります。でも、そういう行為をおしとどめることができなかったシステムエラーと考えますか?(実はそうかもしれないとも思っていますが、事実上、そこに押し込めることを納得できる一般人は少ないような気がします)
>No.23 てつさん
>ちょっと横レスになりますが、知識不足や経験不足はどうなのでしょうか。
そのさらに横から失礼しますが、それを担保するのが国家試験合格者に交付される免許です。特別な訓練を修了した者だけが特殊業務に従事して実践のなかで技術を磨いて(知識や経験を獲得して)ゆくことを国家が認めているのです。
> 故意でない場合はシステムエラー以外の原因はほとんど無いと思います。
ついでに言うと勘違いも過失では?
個人的にはシステムエラーと合併症を厳密に区別する事は難しいと思います。
医療行為があれば合併症という名の事故は必然的に起こります。合併症といえば聞こえは良いのですが、一つ一つの事例を見ればどこかしらに避けられたかもしれない可能性は残ります。
合併症の殆どは可能性でいえば避けられるはずですが発生をゼロにする事は不可能です。けれど合併症だからと言われても事故の当事者にすれば納得のいかない話でしょう。だから裁判を起こすのだと思います。
結局は
>医療機関に医療事故保険への加入を義務づけること、
>診療報酬に医療事故保険への加入に見合う点数を付けること
によって、事故の当事者を包括的に補償するしかないと思います。事故を起こした医療者は(故意でなければ)その内容によって免許の剥奪、給料の値下げ、研修などの措置をとられるという制度が理想に近いものだと思います。問題はいくら補償するかです。補償金額を高くすれば医療費は高くなり、安くすれば不満が残ります。現在は医療費は安いけど補償が無いので不満がある状態だと思います。
将来的に国民全員で補償費を負担するという制度が出来れば、合併症に対する理解はだいぶ進むと期待しています。
No.26 kouki さん
>結局は
>>医療機関に医療事故保険への加入を義務づけること、
>>診療報酬に医療事故保険への加入に見合う点数を付けること
同感です。
一般の人にこのことを理解してもらうための比較対象はやはり交通事故でしょうか。
医療行為は、止まることも許されず初めての見通しの悪い道路を高速で逆行するようなものですよね。もしそんな状況で、事故の度に裁判になったら運転する人はいないでしょう。仕方ないことと最終的に認められたとしても、裁判を金銭的な損害に換算すれば相当大きいものです。
一方、通常の交通事故では綿密な過失の判定なしに過失とされますが、加害者の負担は軽微です。だから一般的な多くの人が安心して運転できるのですよね。
個人的なアイデアですが、保険点数を全て1割増しにして、その1割をそのまま保険会社にまわし、医師会型の医賠責を作ればそれで司法の問題は解決だと思います。鑑定の問題も裁判官の問題も最早気にしなくていい。(刑事が増えると元も子もないかな)
>てつ様
>事実上、そこに押し込めることを納得できる一般人は少ないような気がします(長いので引用略)
一般の方が納得できるかどうかは別として、技術が未熟なものが執刀・処置・検査をしてトラブルが起き、「それをフォローできる体制がない」と言うのは立派なシステムエラーです。技術が未熟な人が自分で勝手に執刀・処置・検査を出来るというのもシステムエラーに違いないと思います。
このような事例を無くすためには研修システムの確立と技術認定試験しか方法がないと思います。いくら個人を罰してもこのタイプのミスは減らないというのがシステム工学の基本的な考え方でしょう。
>yama様
勘違いは過失ですが、勘違いを事故につなげるのはシステムエラーです。
>元行政様
いくら何でも1割は・・・と思ったら、国民医療費は約30兆円。1割として3兆円。医療事故被災をすべて補償したらそのぐらいにはなるかも知れませんね。
> No.22 僻地外科医 さん
コメントありがとうございます。
保険金を給付する際の査定についてはあまり話題になりませんが、実際の運用は医師から見て概ね適当であると受け止められているのでしょうか。
保険とはちょっと違いますが、医薬品の副作用救済給付を医薬品医療機器総合機構に請求したところ、その副作用は「医薬品の不適正な使用による」と判定されて給付が受けられなかったのに、当該医薬品を使用した病院を被告とした訴訟では、担当医から「医薬品の使用方法は適正であった」と真っ向から反論されたことがあります。
> No.29 FFF さん
「医薬品の不適正な使用による」というのは、当該薬剤の添付文書を基にした発言ではないかと推察します。例えば、日本の抗生物質の承認量は、国際的にみて著しく低いものとなっています。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2006dir/n2669dir/n2669_02.htm
昨年の感染症学会総会でも、この問題についてシンポジウムが行われていました。
こんな量では患者さんの命が危ないと、現場の医師が承認容量を無視して、国際的に標準的な投与量・投与法で治療を行うことは日常茶飯事です(当然、体格や腎機能などからモディファイした量です)。
担当医から「医薬品の使用方法は適正であった」 とあるのは、患者さんのために、国際的には標準的とされる使用量・使用法を用いた可能性はないでしょうか?
「添付文書のジレンマ」は大きいですね。
添付文書の内容が実地と乖離している不利益と言うのは、最終的には治療を受ける患者がおってしまうのですが、なかなか改訂する話も出てきません。日本の抗生剤の投与量が少なめに記載されていて、効果が不十分との指摘は昔からありました。
私も以前は、国際的に標準な用量を投与していましたが、添付文書に反しているのと、保険で査定されてしまうので、いまでは添付文書通りに「少なめに」投与しています。
感染症を抑えきれず不幸な転帰をたどる患者さんも少なくないのですが、まぁ、なにかあって裁判になった場合に「添付文書以上の用量を投与したから死亡した」などと言われるのはイヤなのでね。
> No.30 岡山の内科医さん
コメントありがとうございます。
しかしながら、投薬の適否自体は本題ではありませんで(実際に担当した事件なので具体的な事情を説明できないというのもあります。)、保険会社や医薬品機構等、裁判所とは異なる第三者的立場の機関における医学的判断の妥当性は、医師の方から見てどうですか、というのがNo.29の趣旨でした。
福島・大野事件において調査報告書が果たして中立の視点で書かれたものかどうか疑問が持たれています。遺族への補償の関係上「過失があったことにしなければ補償が出来ない」と言われれば良識ある医師ほど同意してしまいそうですが、そうした善意が後日訴訟の場において自らの首を絞める結果となるのであればどうでしょうか?
無罪医師、女子医大を提訴 「手術事故の調査は誤り」
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2007020801000583.html
東京女子医大病院で2001年、心臓手術を受けた群馬県の少女=当時(12)=が死亡した事故をめぐり、誤った内部調査で名誉を傷つけられ解雇されたとして、当時の担当医=業務上過失致死罪に問われ1審無罪、検察側控訴=が8日、大学と調査責任者の教授に、損害賠償や未払い賃金計約8300万円を求める訴訟を東京地裁に起こした。
訴状によると、内部調査委員会は01年10月、担当医による不適切な人工心肺装置の操作が患者の死因になったとの報告書を公表。その後担当医は業務上過失致死罪で起訴され、大学も解雇された。
05年11月の東京地裁判決は「人工心肺装置に取り付けられたフィルターの目詰まりが直接的な原因で、担当医は事故を予見できなかった」として無罪を言い渡した。
(共同)
>岡山の内科医さん
現場の方から見れば当たり前のことだと思いますし、それをもって過失とする事は問題だと思いますが、非医療関係者から見ると2点ほど疑問があります。
1.何をもって「国際的に標準的」だと見なすのか。例えば、アメリカとドイツ、アメリカとフランスなど二国間において投与量が違っていた場合、「アメリカではこの投与量は標準だが、イギリスと日本では過剰投与と判断されるケース」が考えられると思います。その場合、どのようにして適正な使用量を判断されるのでしょうか。
2.国際的に標準的な使用量が適切だと裁判所で判断された場合、逆に日本の薬品の添付文書に従って投与した医師が「過小投与」だと過失を問われるケースもあると思います。その辺りのことは、どのように医師の方々は考えていらっしゃるのでしょうか。
>老人の医者さん
事故調査と、遺族への補償は切り離して考えるべきかと存じます。事故調査で過失が認められないと、遺族への補償ができないというのであれば、情報を公開するというのが理想論ではありますね。
しかし、事故調査委員会でこのような発言が私にできるかというと、そのような事が言える自信はないですね。
前エントリ つくねさん。
僕自身は合併症と人為ミスを区別できるか、また区別すべきかというのに疑問なんですね。
第一点:人為ミスもまた確率的におきるからです。人により、また条件により、その確率は上下しますが確実に防ぐ方法は存在しない。
そしておそらくはミスを減らす最良の方法はミスを起こした人に罰や責任を負わせることではない。ミスした人を罰すれば皆が【よく注意するようになって】、ミスしなくなるというのは神話です。
ミスは常にある。ならばそれをどうすれば減らせるか、どうすればミスが起きたときにも重大な結果にならないようにするか、それが知恵です。それにはもちろんコストがかかる。
ミスと合併症を区別し、ミスは本来あってはならないもの、ありえないものとする考え方はミスを減らすことにはつながらない。
第二点:合併症と呼ばれているものの中にもやはり「ミス」が絡んでるんですよ、たぶん。
例えば造影CTは10万例に1人の死者が出る、それはいいでしょう。しかし、その一人というのももっと上手に発見や処置に努めれば、あるいは問診をもっとしっかりしていれば防げたかもしれない。ならばそれは「ミス」とも評価されえます。その境界は思った以上にはっきりしない。
第三点:医療行為と他の行為の違うところはそれが、命を救うための行為ということです。
すなわちどの部分を医療ミスと認定するにしろ、それが十分に小さい確率にならない限りは医療行為を行わないとすると却って患者トータルで見たときの利益にはならない。
ここも強調してもし過ぎることはない。
例えば電車や原子力発電所であれば、ミスにしろ事故にしろ起きる確率が一定以下にならない限りは導入しないという選択がありうる。だががんの手術を、99.9999%の安全性がない限りは行ってはいけないとするとミスや合併症で死ぬ患者は減りますが、それ以上に癌で死ぬ患者が増えます。
つまり多くの技術は便利さと命のトレードオフであるのに対し、医療は直接命と命のトレードオフなわけです。
以上のことから、僕自身の見解としては、合併症も医療ミスも区別しない。そこを区別するメリットは少ない。それよりも補償をするならば過失の有無を問わずに補償する。
一方医師の技術不足や適性に関しては、専門家集団によって勧告や懲戒みたいなことを考慮するのがいいと思う。
No.28 僻地外科医 さん
コメントありがとうございます。
私もシステムエラーの部分があるなとは思うのですが、手術中つかんではいけないところをつかんで神経挫滅とか血管挫滅とかを患者さん側がシステムエラーですと言われて納得できるのかなと。
外科系の方なら、自分ではしたことがなくても、見聞きすることはあるでしょ。
それと、医療業界というのはもともとコンプライアンスの低い状況もあると思います。コンプライアンスの低さもシステムエラーだとするのはちょっと難しいかなとも思いますし。
追加です。
ここで、「つかんじゃいけない」といっているのは、解剖学的に、そこをつかむと血管や神経の損傷を引き起こすであろうと通常なら予見できるのに、無知からくるミスでつかんでしまった場合です。手術中に、術者が「うわ」と声を上げるようなことを助手がすることですね。
>てつ様
あなたは外科系の実務経験はない方だと思います。無知な新人はそんな危ないところに手を出せるような環境は通常ありません。そう言う新人が手術に入って危ないところに手を出せるとしたらそれ自体システムエラーでしょう。新人はよけいなことに手を出さないことを最初に厳しく教えられるのが外科研修です。
というより、医学部を卒業した時点でそこまで無知な新人がいると言うこと自体、私にはちょっと想定できないです。学生実習の時点でも外科実習では勝手にいろんなところに触るな・・・をまず教えられます。実習で勝手にいろんなところに触るような人間を卒業させたとしたら、それも立派なシステムエラーでしょう。
また、もし執刀医が無知でそんな損傷を起こしたとしたらそれ自体がとんでもないシステムエラーです。
No.39 僻地外科医 さん
コメントありがとうございます。
えと、手術部の看護師さんに一度話を聞いてみるといいですよ。結構、いろんなことがあります。外科は大丈夫かもしれませんが、それ以外の診療科ではどうかとかね。
麻酔科のセンセなどもいろんな経験をお持ちではないでしょうか。ひやひやするような術者がいるとかいないとか。
たしかに、非常にうまくいっているところがないとは申しません。そういうところがあるということはいいことです。
それと、被害が発生しないということが多いのも事実です。過失があっても目に見える被害は発生しなければ、責任があるということでもありません。血管をつなぎなおしたり、尿管をつなぎなおしたり。でも、後遺症が残る被害が発生する場合もあります。そういう場合には正直に患者さんにもうしあげて、謝罪します。クレーム対応としては、ストレスが少ないです。確かにシステムエラーでもあるので、組織として責任があることを痛感しますから。そんな経験は何度もあります。
手術って、芸術的にうまい人もいれば、下手な人もいます。それぞれ少数で、大多数は堅実な手術をするという状況ですが。もちろん、下手な人は、そのうち別の道を探すことになりますが、ごく稀に、研究がうまくいって教授になってしまうという人も。
>No.32 FFF さん
お返事ありがとうございます。
「保険会社や医薬品機構等、裁判所とは異なる第三者的立場の機関における医学的判断の妥当性」については危惧しているところがあります。
保険会社は営利企業であり、支出を極力抑えようとするインセンティブが働くことは容易に想像できます。薬品の投与量の件にしても、添付文書を盾に、医師の過失に話をすり替え、支払いを拒否するような態度に出る可能性はないでしょうか?少し筋から外れる例で申し訳ないのですが、アメリカでは、ある保険会社が、小児の髄膜炎の標準入院期間をたったの2日とするガイドラインを作成、運用しようとし、あまりに危険すぎると小児科の教授がそのガイドラインの運用の差し止めを求める裁判を起こしたことがあります。
また、医薬品機構にしても、その運営資金は大部分が製薬会社からの出資に頼っており(製薬会社もイヤイヤ出しているようです)、保険会社と同様の心理が働き、添付文書を盾に(医学的妥当性とは無関係に)、支払いを拒否することは十分想定されるシナリオです。
>No.34 しまさん
説明不足の書き込みで申し訳ありませんでした。
>1.何をもって「国際的に標準的」だと見なすのか
医薬品の投与量については、一般的に米=加=豪≒EU諸国>日本です。アメリカの標準量は、他の先進国でもおおむね標準量であると思います。例に挙げた抗生剤にしても、先ほどの一般論は適応でき、日本以外ではアメリカのSanfordなどのマニュアルの投与量が援用されます。また、アメリカで臨床をされた感染症医の先生方は、日系人相手に、アメリカ標準の使用量で安全かつ的確に治療を進めた経験を多くされ、日本の保険承認量の過小さに危機感を持っているのです。
>2.について
このような事を争点にした判例の有無は存じません。私の感覚では、「わが身がかわいければ、保険承認量で使う」です。No.31 某救急医さんと感覚が似ていると思います。これまでは、患者さんのためと思い、医学的に妥当なら分かってもらえると能天気に考えていました。査定されて病院に損害が出ると上司や事務にイビられても頑張るところは頑張ってきました。しかし、昨今の不可解な判例をみるにつけ、結果が悪かった場合のつっこまれどころを作るようなことは、心理的にキツくなっています。正直、裁判には医学的妥当性は期待していません。とくに下記の一連の論文を読んでからはそうです。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2489dir/n2489_05.htm#00
No.36 立木 志摩夫さま
コメントありがとうございます。
ご指摘の三点全て同意いたします。私も理想としては「合併症も医療ミスも区別せず全ての悪い結果を、社会が医療の恩恵を受けるための必要経費として社会全体で補償する」というのがあるべき姿だと考えます。
しかしながら、現状は正反対といってもよい状況です。「あらゆる身体の不調は決められた検査を適切に行なえば必ず診断がつき、決められた治療を適切に行なえば必ず完治する筈である。我々は金を払っているんだから、そうでなければ契約違反であり医療ミスだ。」と考えている患者さまの何と多いことか。
そのような状況でいきなり上記の理想を唱えたところで、一般の方には到底受け入れて貰えないだろうというのが私の結論です。そこで私は
「医学は完全である。結果が悪ければ責任は全て医療者にある。」
↓
「人間の身体に手を入れる以上避けられない合併症があるのは仕方が無い、救済制度を作って社会で補償すべきである。しかし医療者のミスはあってはならない、それらは医療者が責任を持って補償すべきだ。」
↓
「合併症とミスを明確に分類する事は不可能である。ミスを過剰に責任追及すれば合併症までミスと判断される事を恐れ医療が萎縮し、我々患者は医療の恩恵が十分受けられなくなる。」
↓
「我々患者が最も多く医療の恩恵を受ける為には、予め診療行為を行なう医療者のレベルを審査・保障し、その上で生じた悪い結果は全て社会で補償する事が必要なのではないか。」
と段階を追って意識が変化していくことを期待しております。まずは一段目から二段目に進める事ならば、医療不信の現状でも何とか可能なのではないかと考え、前エントリのコメントをさせていただいた次第です。
なかなか興味深い内容でしたので紹介します。
労働者としての医師という視点からもう少し真っ当な社会的対応がなされない限り医療崩壊の本質的な解決は無理なのではないかという気がします。
医師の労働問題:日本の医療はお先真っ暗
http://inoue0.exblog.jp/4711705/
> No.41 岡山の内科医さん
コメントありがとうございます。
医薬品機構の主な出資者が製薬会社だとは存じませんでした。保険会社にせよ機構にせよ、支払いを抑えようとするインセンティブから自由になることはなさそうですね。
患者側からすれば、病院からでも保険・医薬品機構からでも補償が受けられれば一定の目的は達成されるので、過失の有無が明確でない場合もひとまずいずれかの主体が補償をして、あとは病院・保険会社・医薬品機構の間で決着をつけるという形にすれば、「患者vs病院」の医事訴訟は抑制されるものと思います。もっとも、その場合は「保険会社・医薬品機構vs病院」の医事訴訟(どちらが最終的に補償金を負担するかの争い)が代わりに登場することが予想されますが・・・・。
医薬品機構が、添付文書外の用法であることを理由に副作用の補償金を支払わないために、患者が病院側を訴えるような事例は結構目にします。医師の論理からすれば、添付文書の記載を形式的にあてはめるような判断は「トンデモ」であり、裁判所が同様の姿勢を示すと「やっぱり司法は医療を分かってない、医療破壊の一因だ」みたいな批判をされるわけですが、同様の批判は医薬品機構の裁定にも向けられているのでしょうか。機構が「添付文書にとらわれない、適切な」判断をしていれば防止できた訴訟は多いと思います。
* ハナシがとんで恐縮ですが、製薬会社にとって添付伝書の記載を厳格にすることのメリット(責任回避)と、これを緩和することのメリット(医師が使いやすくすることで使用量が増え、収益が上がる)とでは、基本的に前者が大きいと見てよいのでしょうか。
No.44 FFF さん
>添付伝書の記載を厳格にする
記載内容は厚生省の指示によるものが大きいようですよ。何かある度に記載変更を指示され、製薬会社のMRが病院に走るといった感じになっています。
>岡山の内科医さん
基準がアメリカと日本とで異なっていること自体が、突っ込み所を作ってしまっているように思います。訴訟を起こす意志を持っている人にとっては、アメリカの基準でうまくいかなかった場合には「なぜ日本の基準を使わなかったのか」となるでしょうし、逆に日本の基準でうまくいかなかった場合には「なぜアメリカの基準を使わなかったのか」となるでしょうコメント有り難うございました。
>FFFさん
医薬品医療機器総合機構が添付文書を基準にして適切かどうかを判断している以上、望み薄なのではないでしょうか。
No.46 しま さん
ま、そういうことです。
で、日本の臨床の場では一事が万事その調子。
#添付文書に記載されてある医薬品の適応・用量の変更はいつだって可能ですが、その前提として莫大な費用と時間のかかる臨床試験が必要です。
##ま、その辺で製薬会社の不作為を責めることができるかもしれませんがね。
これから先、どんなに制度をいじくったとしても「訴訟を起こす意志」がなくならない限り、生死が関わる分野からの医師の逃散は収まらないでしょうね。
仮にもし、その「意志」を無理やり押さえ込む制度が出来たとしても、今度は刺されるだけですから。
予算委員会での柳沢大臣の答弁です。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=33330&media_type=wb&lang=j&spkid=153&time=01:09:30.7
・産科医が減っているのは、出産数が減っているから
・呼吸器外科や消化器外科などを足すと外科医の総数は減っていない
・助産師不足はネットワーク化、効率化で凌げる
これって現実あるいは現場の感覚と合っているんでしょうか?
No.48 一般人 さん
その質疑のテキスト起こしが有志でなされているようです。
勤務医 開業つれづれ日記
2007-02-10 18:36:18
【時限記事】その一 民主党枝野vs柳沢厚労相(と安倍総理のゆかいな仲間たち)
http://ameblo.jp/med/entry-10025400815.html
そ