エントリ

 判決によると、村上被告は01年2月、当時非常勤で麻酔科医をしていたこの病院で、男児の右足の整形外科手術後に麻酔をさます際、のどに分泌物がたまっていたことから、気道確保のために気管チューブを挿管。この際、誤って食道に入れたうえ、正しく挿管できたかを確認するなどの注意義務を怠ったため、男児は無酸素脳症に陥り、1週間後に急性呼吸障害で死亡した。
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コメント(286)

麻酔科の権威であったこと、現在80歳という年齢を考慮しての判決とは思いますが、禁固1年8カ月執行猶予3年(求刑禁固2年)という量刑は、重いのでしょうか?それとも軽いのでしょうか?

例えば、4歳の子供を死亡させた交通事故であれば、どの程度の情状が斟酌されれば、この量刑になるでしょうか?

ちなみに、「禁固1年8カ月執行猶予3年」でググってみたところ、こんな感じの交通事故が出てきましたが・・・。

http://www5.ocn.ne.jp/~ys2001/yougo-tounyoubyou.html

車の運転中の女性(34)が1型糖尿病による低血糖発作で意識を失い、対向車と正面衝突して3人が死傷する事故が2005年8月、大分市内で起きた(注:38歳の主婦が死亡、2人の子供が大怪我)。この事故で業務上過失致死傷罪に問われた女性に対し、大分地裁は2006年7月5日、禁固1年8カ月執行猶予4年の判決を言い渡した。宮本孝文裁判官は「結果は重大だが、被告は運転中に意識を失う発作を起こしたことはそれまでなく、運転を中止しなかったのは悪質な過失とまでは評価しがたい」と述べた。

誤って食道に入れたなんてことは誰にでも起こしうる過失であり、これを業務上過失と見るのはいささか問題があるのではないでしょうか?過失という言葉が悪ければ合併症とでも言いましょうか。正直こんな程度のことで刑事訴訟になっていたら医師は逃散します(あ、現に逃散しているか)し、挿管の経験のある医師の多くは有罪になってしまうでしょう。裁判官の医学的知識の欠如とも言うべきであり、全くお話になりません。
但し、問題はその後の処置でしょうね。つまり、ちゃんと気管に入っているかどうか確認をしなかったとなれば問題でしょう。ただ、これとてちゃんと音がしたから気管に入っているかどうかは別問題です。
これが問題にならないくらい遅ければ過失として問われてもある程度は仕方がないでしょうね。つまり、問題とすべき点は確認作業を怠ったかどうかということです。

> No.2 yama さん

 報道を見る限り、挿管の失敗と、その後の確認作業の懈怠とをセットにして、「過失」と捉えているようですね。
 
「日本麻酔科学会長」というポストの重みがどれ位のものなのかは知りませんけど、いずれにせよ被告人はかなりの重鎮のようで、応援団の動員力という点では福島事件より遥かに上回っているようにも思えるのですが、あまり大きな話題になっていないのは何故なのでしょうか。

注意義務違反が焦点のようですね。

 堀内裁判長は判決理由で「チューブを食道に挿管した後、徐脈や血液中の酸素が欠乏するチアノーゼなど、誤った挿管を示す兆候があったのに、十分な確認を怠った」と挿管後の注意義務違反を認定。村上被告の過失と男児の死亡には因果関係があると認めた。
金沢大名誉教授に有罪

誤挿管自体は問題にしていないのでしょうか。

 この事件の過失(訴因構成)は、誤挿管&確認懈怠の両方です。
 交通事故でも、赤信号看過謀進&ブレーキとアクセルの踏み間違えの両方の過失で有罪となることがあります。

気管と食道を間違えたことは明らかで過失は明白。
医師なら誰でも起こしうるとしても起こさないようにするのが義務であり、その結果死亡したのなら責任は当然だと思うのですが。
結論的には確認しなかったところが問題としているので問題ないにしても、No2の感覚(前段部分)は私には理解できないところですが、医療側の普通の感覚なのでしょうか。

気管チューブが声帯を越えるところが直視できればいいが、喉頭蓋が大きかったりして見えないことも多い。
この場合きちんと挿管できたかどうかは、「勘」でしかない。
ただし、きちんと挿管できてるかを確認する手段はいろいろあり、それを怠っていたのでは刑事罰は免れ得ない。
医学とは所詮不確実なものであり、「技」は「職人芸」である。きちんとできることの方が、むしろ奇跡に思える。

元日本麻酔科学会長でもやってしまう程度に、食道挿管そのものはごく日常的に起きています。
ただ日常的に起きてはいるけれど、日常的に即座に気付いて対処しています。
気管挿管という手技と食道誤挿管とその対処はほぼ一体になっていると言っていいようなものです。

つまりNo.4 しま さんがおっしゃるように、「挿管後の注意義務違反」が焦点なのでしょうね。

これ以上は情報がないのでコメントを控えます。

>No.6 オジヤマ虫さん
>気管と食道を間違えたことは明らかで過失は明白。

私も日常的に全身麻酔を行っていますが、気管内挿管が困難な症例で、食道にチューブが入ってしまうこと自体は、珍しくありません。但し通常は挿管直後に、チューブが、食道でなく、気管に入っていることを確認しますので、食道に挿管した場合でも、それに気付けば大事に至ることは殆どありません。

このケースでは、食道挿管に気づかなかったことが、問われているのだと思います。食道挿管自体を、刑法罰に値する過失と捕らえるのであれば、だれも気管内挿管を行うことはできなくなります。

この施設は、重度肢体不自由児の入所施設であり、身体的問題から挿管も、確認も困難であった可能性があります。村上先生が、確認作業を怠っていたのなら、悪質と思われますが、確認が困難な状況であったのなら、刑事罰までは厳しいかなとは思います。但しそのような場合でも民事責任はあると思います。

No.4 しまさんのコメント
>誤挿管自体は問題にしていないのでしょうか。

No.6 オジヤマ虫さんのコメント
>No2の感覚(前段部分)は私には理解できないところですが、医療側の普通の感覚なのでしょうか。

はい。
理由は、ヒトの体は、固形の管が気管に入るように設計されてはいないから・・・・(理由になってない??)。

食道挿管は、プロゴルファーがティーショットでOBしたり池ポチャしたりしてしまうようなものと考えて下さい。
プロでもやってしまいます。
ましてや、フェアウウェイが極端に狭かったり、バンカーを避けたところにちょうど池があったりしたら・・・・。

しかし、ゴルフとの違いは、ペナルティ無しで何回でも打ち直し可能なことです。
最悪ダメなら、気管切開という奥の手もあります。

No.3 FFF さんのコメント
>被告人はかなりの重鎮のようで、応援団の動員力という点では福島事件より遥かに上回っているようにも思えるのですが、あまり大きな話題になっていないのは何故なのでしょうか。

厳しい言い方かもしれませんが、被告人が麻酔学会の重鎮だったからこそ、と思います。
経験不足の医師が同じ事故を起こしたのであれば、もっと同情の余地はあったと思います。

No.3 FFF さん

>応援団の動員力

医師は団結力はなく、是々非々で動くんですよ。それだけ福島はとんでもないことだった(しかも断片情報だけでトンデモ逮捕だと判断できる)わけで、この例では本当に過失があった可能性も(詳細がわからないとなんとも言えない)ありますからね。(もちろん食道挿管自体を過失とするのは論外ですし、確認も必ずしも簡単とは言えない)

> No.6 オジヤマ虫さん、No.5 ハスカップさん
過失であってもそれが処罰の対象になるかどうかは医学的には別問題です。残念ながら臨床医は誤挿管については仕方がないと思うのが普通でしょう。
何度も言うように誤挿管で過失と認定されてしまったら臨床はできません。医師は神様ではありません。気持ちはわかりますが、理想論は理想論であって、現実は全く異なります。残念ながらその理論は医療崩壊を招くだけで正論とはいえません。人によっては挿管時に声帯が見えません。この状態で100%間違いなく挿管せよ、というのは神様以外できません。例えて言うなら手探り何かを正確に見つけろというようなものです。それでも挿管しなければ患者は死にます。失敗する可能性を前提に患者を助けることはこの場合は必須です。
問題は、他の皆さまも言ってらっしゃるようにその後の確認を怠ったということです。これくらいのことは正直言って麻酔科をまわった研修医や救急を回った研修医でも知っている確認事項です。何度も言うようにこれを怠ったと言うのであれば過失を問われても仕方がないと思います。

> 医師なら誰でも起こしうるとしても起こさないようにするのが義務であり、
> その結果死亡したのなら責任は当然だと思うのですが。
神様以外はこんなことできないと思うのですが・・・(苦笑)。医師は神様ではないのでできないものはできないんです。
一般の人たちがこのようなことを言うのはまだ許せるのですが(教えればすむことなので)、社会を洗脳させられる権力のあるマスコミや検察、医療担当の法曹の方がこのような甘い認識であればそれは許されることではないと思います。もし、裁判官が誤挿管自体を過失と認定し、処罰の理由としたのであれば医学のコトは全くわかっていない素人がでっち上げで医師を罰したということになります。とても歓迎できることではありません。医療崩壊を招き、回りまわって結果として患者が損をするだけです。

このケースでどうこうというわけはなく、一般論として気管挿管に関する意見を言います。

人間の体は画一化された製品とは異なります。当然解剖形態にバラエティーがあります。
気管挿管に関していえば、喉頭展開したときの声帯の直視状況を分類するものがあります。(コールマック・レイハンの分類) 少数ではありますが、どうやっても声帯を直視できない症例があります。したがって、医療者の挿管技術の過失ではなく、患者側の解剖学的要因のために、食道挿管となってしまうことはあります。

私は、食道挿管は、過失とは考えていません。

挿管後の確認を怠ったという行為は、医療者の過失と考えています。

さて、非医療者の方々に知っておいてほしいのは、挿管の確認というのは、ひとつの手技で100%確実というのは存在しません。 ですので、挿管後は、複数の確認手技を組み合わせて、100%を目指すという医療行為を普通行います。
また、挿管している患者は、移動や体位変換などでチューブトラブルが発生することがあるため、適宜、確認作業は一度だけでなく、繰り返して行うということも行います。

私の体験では、心肺停止患者に対して気管挿管を行った直後の型どおりの確認作業はすべてOKであったにもかかわらず、食道挿管であった事例を過去に経験したことがあります。おかしいと思い、声帯直視下再確認をしてそれに気がつくまでの時間は3分ぐらいであったように思います。直ちに再挿管はしましたが、その3分が致命的だと非難され、結果責任を問われたら、私は有罪かもしれません。しかし、私は、スタンダードの方法で、確認作業をを行った自信はあります。しかしながら、結果は正しくなかったのです。
どんなに正しいと思うことを自分が実践しても結果は100%でないということを身をもって知った一例でした。

医療行為というものは、こういう不確実性の中で確実をめざしていても、結果は100%でない現実があるのです。医療者の多くは、これを、社会に認めてほしい、信じてほしいという気持ちから多くの裁判結果を批判しているだと思います。

> No.11 元行政さん

 コメントありがとうございます。

 福島事件の逮捕について話題になったときは、たしかに「証拠以前の問題として、捜査機関の立論は医学的にあからさまにおかしい、とんでもない」という声が大半だったと記憶しているのですが、先日の第1回公判に関するコメント群を見ると、そのような意見があまり出ていないようにも思えるんですよね。

 元行政さんの立場からすると、福島事件における検察の主張は医学的に見て明らかに間違っている、破綻しているということなのか、それとも、学問的に間違っているとは必ずしも断言できないけど、要求する注意義務のレベルが高すぎて不当だということなのか、あれ位で刑事責任を問われてはやってられないから、社会政策的判断から事件化を控えるべきだということなのか、それ以外の御意見(証拠を見ないと是非を判断できない等)なのか、どこになるのでしょうか。

 このエントリの本旨からは外れるので、適当な場所で、適当な機会に御教示頂ければ幸いです。

過失の定義がそもそも曖昧なんですよね。「うっかり」から来る失敗も過失とするのか、あるいはここの法曹の方がおっしゃられているように刑事罰として認定できうるものを過失と言うのか、人によって違うと思います。本来の過失の意味は「不注意や怠慢などから起こる失敗。あやまち。(Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988.国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988.)」です。これを見ると過失というのはあくまでも相対的であって、見る人によって過失にするかどうかは違いますね。
例えば食道挿管も誤りといえば誤りです。失敗ともとれます。しかし、失敗ととらえるか、あるいは失敗ではなく自然現象だととらえるか、合併症ととらえるか・・・。つまり、これを過失と言うのかどうかは解釈によって違います。

 誤解があるようですが。過失があれば即処罰とか損害賠償ではありません。
 過失致死罪や業務上過失致死傷罪は、過失があっても死傷結果がなければ最初から犯罪不成立です。民事でも損害が発生しなければ過失があっても損害賠償責任は生じません。

 世の中は過失(注意義務違反:予見可能性と回避可能性)で満ち溢れていることぐらい、法律家の方々はご存知だからでしょう。
 誤挿管というヒューマンエラー(注意義務違反)はしばしば発生しやすいから、その次の適正挿管確認義務(フェイルセーフ)が発生したものと思われます。

 つまり「誰でも間違いやすいんだから過失にするな」というのは逆立ちした立論ではないかと思います。逆に「誰でも間違いやすい…予見可能性十分…だから事後の確認をしっかり(回避可能)しましょう」となるのだと思いますが。

 医療の門外漢が差し出がましいことを言って失礼があったらお詫びします。m(_ _)m

 刑法上の「過失」の定義解釈は、国語辞典とは異なり

1 予見義務違反
 (1) 結果発生を客観的に予見可能であり
 (2) 行為者に予見する義務があり
 (3) 予見義務を不注意で怠り
2 回避義務違反
 (4) 結果発生を客観的に回避可能であり
 (5) 行為者に回避する義務があり
 (6) 回避義務を不注意で怠り

という6条件がそろうことです。

 民事の不法行為でも厳密に判断する場合は同じようです。

No.15 FFF さん

>先日の第1回公判に関するコメント群を見ると、そのような意見があまり出ていない

検察の主張が、想定問答における既に論破済みと考えている内容だったので、今さらコメントする必要もないということだと思います。当初の予想と違って一理あるなどと考えた医師はいないでしょう。
私の見解は、医学的に破綻です。(多くの医師がそう考えていると思います)

今回の誤挿管について言えばこうなるでしょうね。

1 予見義務違反
 (1) 結果発生を客観的に予見可能であり→あり
 (2) 行為者に予見する義務があり→あり
 (3) 予見義務を不注意で怠り→なし
2 回避義務違反
 (4) 結果発生を客観的に回避可能であり→なし
 (5) 行為者に回避する義務があり→なし
 (6) 回避義務を不注意で怠り→なし

6つすべては該当しませんから過失なし、と判断するのでしょうね。とすれば裁判官が誤挿管についても過失と認定したならばそれはおかしいと言うことになります。
ついでながら確認作業については

1 予見義務違反
 (1) 結果発生を客観的に予見可能であり→あり
 (2) 行為者に予見する義務があり→あり
 (3) 予見義務を不注意で怠り→あり
2 回避義務違反
 (4) 結果発生を客観的に回避可能であり→なし
 (5) 行為者に回避する義務があり→なし
 (6) 回避義務を不注意で怠り→なし

となり、これも過失とは認定しがたいです(回避義務というのは確認作業をしても結果が100%ついて来ないため)。医師の感覚では確認作業を怠った→過失です。但し、「確認作業で問題がなかった=患者は助かった」ではありません。結果責任を医療では問うべきではありません。何度も言うようにプロスペクティブに見てやるべきことをやったかどうか、です。
これも外出ですが、私の考える刑事の過失としてとらえるべき基準です。ちなみにいわゆる期待権の問題や下記以外の過失、システムに起因する過失、エラー等は民事で問うべきです。異論があればどうぞ。

意識がある場合に患者が協力的であり、医療情報が行き渡っており、かつ緊急でもなく労働基準法が守られているという前提で
1.患部の取り違い、患者の取り違い
2.投薬量ミス
3.殺人の疑い
4.医師のほとんど全員が間違わないようなミス(一般の意志にとって当たり前すぎることを怠った等)

今回の事件は4に当たるかもしれません。

あ、もうし忘れましたが、あくまでも一般論です。今回の事件についてではありません。ついでに後者の方を訂正です。

1 予見義務違反
 (1) 結果発生を客観的に予見可能であり→あり
 (2) 行為者に予見する義務があり→あり
 (3) 予見義務を不注意で怠り→あり
2 回避義務違反
 (4) 結果発生を客観的に回避可能であり→なし
 (5) 行為者に回避する義務があり→あり
 (6) 回避義務を不注意で怠り→なし


 (4) 結果発生を客観的に回避可能であり→なし

 (5) 行為者に回避する義務があり→あり
は矛盾しますね。

>(回避義務というのは確認作業をしても結果が100%ついて来ないため)

 それは回避義務ではありません。
 確認作業を尽くすことによって人の死傷という結果を回避する義務が,回避義務です。
 ご意見の100%を条件とするなら、この世に過失は存在しないことになります。
 「社会的に相当な手段」又は「医学会で通常認められている手段」において、でいいはずです。法は完全という不能を強いるものではないからです。

 それに今回の過失は、「適正挿管義務&確認(誤挿管是正)義務」ですから、適正挿管と確認義務の2つに分けてバラバラに考えるものではないでしょう。

 もともと確認義務は、「適正挿管かどうかを確認し、もし誤挿管と判明したら適正挿管に是正する義務」です。
 ですから、誤挿管は「確認義務の履行」で回避可能ですし、患者さんには各種センサーが取り付けてあったので、血中酸素濃度や心拍呼呼吸数のチェックによって低酸素状態は通常は判明するので、「確認義務を履行」すれば誤挿管が判明し、ただちに適正挿管ないし気管切開などにより救命救急措置がとれた(回避可能だった)と思います。

 そもそも、誤挿管による死傷を回避する義務がないとか、確認義務の履行で死傷を回避する義務がないとかするのは、常識にも反してないでしょうか?
 もしそうなら、お医者の先生は、民事損害の賠償責任(過失責任)も負わないことになります。当然、その使用者の病院も賠償責任(使用者責任)を負わないことになります。これは不法行為責任(民法709条以下)、医療に関する契約責任(民法415条以下)も負担しないことになるので、これは不当な結果だと思います。

法律用語って難しいですね。少しずつこのブログで勉強しているつもりですが、いまだにチンプンカンプンです。日本語の意味がよくわかりません(苦笑)。

> 「適正挿管義務&確認(誤挿管是正)義務」ですから、
> 適正挿管と確認義務の2つに分けてバラバラに考えるものではないでしょう。
マスコミの文面の流れからすると通常は誤挿管と確認作業両方に過失が認められると言うようにとってしまう人はいるでしょう。現にここの住人である医師はバラバラに考えていますよね。故に医師たちの反発を招いたんだと思います。少なくとも私にとっても誤挿管と確認作業は別の問題です。
それにこのマスコミ発表の判決文をみた一般の患者さんはどう思うでしょう?おそらく挿管に失敗するなんて許せない!と思い、技術の問題を挙げるのではないでしょうか?しかし医師にとって大事なのは確認を怠ったということです。そのように解釈できるようにマスコミや法曹も工夫すべきでしょうね(もちろん医師の協力も必要ですが)。現にこの医師以外のブログの住民でさえ誤挿管は過失である、という意見が一般的のようでしたから。
では、確認作業をしたにもかかわらず誤挿管を認識できなかった場合はどうなるのでしょうか?気になるところです。医学的に普通に考えれば無罪で無いと医療なんて怖くてできません。逃散あるのみです。

他に例えると中心静脈栄養で気胸を作った場合も同じでしょう。私もお恥ずかしながら気胸を作りましたし、気胸を作った医師は数えられないくらいいます。でも鎖骨下静脈からの穿刺は自信がありましたし、もちろん穿刺後は確認作業(この場合レントゲン写真)を行いました。気胸を作らないためには大腿で穿刺する方法が一般的ですが、不潔ですし、ADL上大問題です。この患者さんはその後しばらくして(おそらく原疾患の悪化により)亡くなりましたが、このときは穿刺失敗の責任は問われませんでしたし、そんなこと考えても見ませんでした。しかし、今だったら責任を問われ裁判で負けて前科者になっていたかもしれません。現にこれと同じケースで過失を問われ、確か有罪になった医師がいたようないなかったような記憶があります。
このとき私は一回目の確認で気胸が無いことを確認しました。しかし翌日(か翌々日か忘れましたが)の写真を見てびっくり。縦隔が編位しているではありませんか!あわてて気胸に対する治療を行いました。
気胸は過失になるのでしょうか?それとも合併症になるのでしょうか?自信を持って言いますが、穿刺の失敗には違いありません。しかし回避義務はあるかもしれませんが、回避することは不可能です。これでもし過失に問われるのであれば全国のお医者さんも過失に問うべきだと思いますが・・・・。私は今でも過失かもしれないが、罪に問われることは無いはずだとの認識を持っています。問題は確認を怠っていないかどうか、合併症があったら直ちに治療を行うというところに過失の有無があると思いますがいかがなものでしょうか。

もう一つこれに関連して・・・。いつだったか夜中に医師がいないからと呼び出され、酔っぱらっているのに診察だってしたことがあります(幸い私は顔が赤くなりませんからばれませんでした)。当時は何が何でも主治医が駆けつける、それが当たり前でした。でも、悪習でしょうか?もし、私がいなかったら患者は最悪死んでいたかもしれません。これは日本の医療というシステムの問題であり、個人の問題ではありません。それにもかかわらず、その後すぐに酔っぱらいで善意で駆けつけた医師が訴えられるという事件を耳にしました。全国の医師はこれに怒りました。最も夜中に最低限の医療を超えた内容のことをやった可能性は否定できませんが・・・(それについては詳細な状況がわからず何とも言えません)。少なくとも駆けつけたことは褒めるべきです。もし有罪というのであれば当時それが当たり前だった医療の世界を訴えるべきです!

> そもそも、誤挿管による死傷を回避する義務がないとか、
> 確認義務の履行で死傷を回避する義務がないとかするのは、
> 常識にも反してないでしょうか?
私は誤挿管による死傷を回避する義務がないと言う意味で用いたのではなく、誤挿管を回避するのは不可能であるという意味でこう書きました(誤解されるような文章で申し訳ありません)。確認作業についても同じです。確認作業をやったからと言ってそれを完全に回避することは不可能であると言いたいのです。こういう意味であれば何ら矛盾はしないと思います。
もし、義務があるからそれは失敗してはならない、しいては結果が死傷であったから有罪であるという意味でとらえているのであれば、法曹の言うそもそもその過失の定義が医療においては間違っており、問題であると思います。義務があってやるべきことをやっていたにもかかわらず結果が悪かったのは罪に当たらないとすれば我々は納得するでしょう。しかし、やることをやっても結果が悪かったら業務上過失になるのでしょうか?そんなことでは医療はできません。
もし結果が悪ければダメだよ〜というのであれば医師の大部分は有罪となる行為を幾度と無くやってきたと言うことになります。適正に裁かれるのであればさしずめ医師は前科者の集団となるでしょう。

医療というのはこうしたリスクがつきまとうものであり、限界があるため、システムでカバーすべきなのです。それでも医療事故は無くならないでしょう。そういうことを一般の人はともかく、少なくともマスコミ、政治、司法、行政は知るべきです・・・いや、知らなくてはなりません。
「とにかく医師は善意で寝る間も惜しんで患者のために尽くしていることだけは知ってください。そしてその結果が悪くても一般の医師が必要とする義務を果たしており、その範囲内で最前を尽くしたのならそれで良しとしてください。良きサマリア法というものを学んでください。でないとその結果、回り回って患者の不利益となるでしょう。」
と思っているはずです。結果責任は誰のためにもなりません。怨念を生むだけです。

No.22 ハスカップ さん

>「適正挿管義務&確認(誤挿管是正)義務」

誤挿管は人体の構造の多様性から避けられない事であります。
にも関わらず、適正挿管を義務とする事は、典型的な「完全という不能を強いるもの」ではありませんか?
「最終的に適正挿管になる義務」なら同意です。
「最終的に適正挿管になる義務」というのは、確認義務とは切り離して考える事は出来ないと考えますがいかがでしょうか。

>誤挿管は「確認義務の履行」で回避可能

誤挿管は「確認義務の履行」で判明することで、「確認義務の履行」で回避可能とならないのでは。
どうやったら「確認義務の履行」で回避可能なのか説明していただけませんか?

>患者さんには各種センサーが取り付けてあったので、血中酸素濃度や心拍呼呼吸数のチェックによって低酸素状態は通常は判明する

記事を信頼するなら、のどに分泌物がたまっていた状態なので、完全に気道閉塞となっていたとは考えにくく、低酸素状態になっていた可能性は低いと考えられます。
気道やのどにたまっていた分泌物があって呼吸がゼロゼロしているだけで気道閉塞していない場合でも、その後の気道閉塞のリスクを減らすために挿管して気道の痰を吸引することがあります。
このような気道分泌物除去のための挿管では、患者は呼吸がしにくくなっているだけでまだ低酸素状態になっておりません。
そのため誤挿管であったとしても、心拍数やパルスオキシメーター(血中酸素飽和度を測定する器械)に異常がすぐに顕われないことのほうが多いです。
こういう場合では、「低酸素状態の把握」以外の確認作業のほうが大事なのです。

それから適正挿管されれば、すぐに低酸素状態が改善される訳でもありません。
医療者にとってみれば挿管で呼吸管理がしやすくなっただけで、呼吸障害の原因の治療をしなければ問題の解決になりません。
適正挿管であっても「血中酸素濃度や心拍呼呼吸数のチェックによって低酸素状態」が判明することはしばしば起こりえます。
低酸素状態の持続は誤挿管を疑う有力な状況証拠ではあるが、これがあるだけでは誤挿管がただちに証明されたわけではありません。

麻酔覚醒の時に、只分泌物を吸引するためだけに気管挿管することって、私はあまり経験がない。あるとすれば、何らかの原因で気道閉塞のある場合だと思う。それなりに危険な状況だったのではないだろうか。既に酸素飽和度は下がっていた可能性がある。

食道挿管に気がつかない症例も経験した。他科のローテイションが麻酔を担当し、指導医が見ていたのだが、どちらも食道挿管に気がついていなかった。通りかかった私が気がついて指摘したときも、指導医は自分で聴診して食道挿管ではないと断言した。実際に喉頭鏡で覗かせたところ、やはり食道挿管だった。見分けがつきにくいことはあるのだ。

また、気管挿管していても換気が出来ないことはある。強い咳反射のため怒責状態になると、子供といえども換気が出来ない。報道からは誰がどのように食道挿管だと判断したのか判らない。

教授というのは自分で麻酔することは少ないし、退官からだいぶ年月も経ち、高齢でもあるので、麻酔の技術に難があった可能性はあるのだが、それでも気道の確保を確認しない麻酔科医が居るとは信じられない。
麻酔で最も重要なのは、学問より確認なのだ。・・・・・・・と思う。

村上被告自身は事実認定に誤りがあると言ってるようだ。(共同通信)
控訴審の報道は、もう少し詳しいものであって欲しい。

亀レスですが
>No.3 FFF さま

応援団の動員力という点では福島事件より遥かに上回っているようにも思えるのですが、あまり大きな話題になっていないのは何故なのでしょうか。
まず、福島事件の医師は本件の医師と違い、手錠をはめられて警察に連行され、更にその姿を全国に報道されました。
法律関係者の方にとっては被疑者に対する通常の手続きのひとつが遂行されたに過ぎないのかもしれませんが、法律の素人である我々医療者にとっては、そのような扱いは殺人や強盗といった重大犯罪を犯した人間が受ける「社会的制裁」だという認識があり、通常の医療行為を行い全力を尽くしたとしても、結果が悪ければ社会からはそれらと同等に扱われるのか、という大変大きなインパクトがありました。
また、福島事件の医師は働き盛りの年齢で、事件前も過酷な僻地での産婦人科のひとり医長の任務を十分に果たしており、一般的な医療者から見ても非常に同情できる立場です。事件の内容に関しても、公開されている情報を見る限り、医療者側の論理ではどこをどうとっても過失の可能性が見当たりません。
この様な点が本事件と異なっているため、大きく話題になったのだと思います。

誤挿管に関しての判断です。

毎日新聞>地域ニュース>石川 2月8日

堀内裁判長は、村上被告が男児に気道確保のためのチューブを誤って食道に挿管した事実については「迅速な措置が要求されていた状況下ではやむをえない」と過失を否定したが、「チアノーゼなど異常を疑わせる兆候があったが、状況を継続させた」として挿管後の注意義務違反を指摘。「多くの実績を持ち、知識も経験も豊かなはずの麻酔科医の行動としては遺憾」と述べた。

No.25 bamboo さん

>只分泌物を吸引するためだけに気管挿管することって、私はあまり経験がない。

重度肢体不自由児の入所施設だと情報がありましたので小児科ながら出しゃばりました。
重度肢体不自由児はもともと痰がからむ子が多いです。
重度肢体不自由児の麻酔後の痰絡みが強い時に「普段はどうなの」ってオペ室で呼ばれた場合では、「サチュレーションがそんな悪くなくても、痰で呼吸状態が不安定ぽい状態なら挿管してしっかり吸痰したのち抜管。そして呼吸状態の安定を確認」って感じでやっておりました。麻酔の後の痰絡みによる呼吸の不安定さは、呼吸器感染症がある場合と違ってこれでほとんどすぐ安定していたんですよ。
だから分泌物を吸引するための気管挿管はこの場合、珍しくないのかと考えていたのですが、これってあんまり一般的ではないのかなあ。
もし違うって他の小児科医の意見があれば是非教えてください。

No.26 つくね さん

>手錠をはめられて警察に連行され、更にその姿を全国に報道されました。

加藤医師の記者会見で、「診療中の逮捕」「手錠をはめられて連行」は誤報と解りました。
会見の中から引用を。

午前中に2時間くらい家宅捜索があり、「警察署で話を聞く」と言われた。その前にも3回くらい警察署で話をしており、それと同じかなという感覚だった。(所属している)大学にも電話し、「警察に連れて来られた。逮捕されたら、どうしようか」などと冗談で言っていった。ところが警察の取調室に入ったら、突然逮捕状が読み上げられた。「これは、こうだからこうしたんですよ」などと説明もしたが、もちろん聞き入れてもらえなかった。

会見についての元記事は以下のアドレスにあります。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/200701/502358.html

ただ逮捕の話は事前にマスコミにリークされており、K医師が警察署へ行く映像がテレビで放映されているのだから、福島県警・検察はこれはこれで悪質だなと思いました。

 おそらく2つの過失の連鎖で初めて有罪になるという流れが更に理解を難しくしているのだと思います。学術的にも過失競合とか二重過失とか過失の連鎖とか誤解を招く点があると思います。

 逆に言えば2つの義務を共に怠って死傷が生じた場合にのみ有罪なのです。
・適正に挿管されていた−>人が死傷しないから確認義務を怠っても最初から不加罰
・確認中に誤挿管に気付き挿管しなおした−>最初の挿管に過失があっても最初から不加罰
・両方の義務を怠ったが自発呼吸に支障がなかった−>結果が生じないから最初から不加罰
という感じではないかと思います。

 それに、注意義務を尽くせば人が死傷しても過失がなかったことになりますから
・麻酔学会所定の適正な医学的方法で両義務を履行した(注意義務を尽くした)が、不慮の事態や想定の範囲外の生体反応で死亡した−>予見可能性か回避可能性がないから無罪
・同様に注意義務を尽くしたが、医療機器の故障で死亡した−>主治医の医療行為と死傷結果との間に因果関係がないから無罪(医療機器の管理行為の過失は別論点として)
という感じになると思います。

 また、誰が手術しても、それまでの統計から手術成功率(生存率)が30%程度の手術で、説明義務を尽くして患者も手術に同意した(望んだ)とき、手術に失敗しても、ただちに過失ありとはいえないでしょう。
 過失があっても、社会的相当行為という違法性阻却事由(許された危険・患者の真摯な同意・患者の自己決定権……)があると思うからです(実は私が受けるはずだった脳血管手術がそうでした(大汗。)。

 (1) 過失という言葉自体が誤解を生みやすいですし、(2) 構造的な過失6要因に基づく分析も理解が困難かもしれませんし、(3) 過失競合や二重過失や過失の連鎖となるともっと誤解を生じやすいし、(4) 過失と因果関係と違法性阻却事由となるば混乱すると思います。ここらへんは、私より刑事医事法に精通した弁護士先生から講義を受けられた方がよろしいかと思います。
 私は自治医大卒の弁護士先生(医籍と弁護士登録の双方をお持ちの方)のお話を聞いて感銘を受けた者です。

 なお、具体的な各確認行為が過失となるかどうかは、医学的知識の乏しい私には判断できないので(議論する資格がもとから無い程度です)、コメントを控えさせてください。
 この場を借りて、十ウン年前、私の命を救っていただいた医師の先生をはじめとする医療従事者の皆様にお礼を申し上げると共に、そのあまりの激務の中で患者さんの命と健康を必死に守っておられるご努力に敬意を申し上げます。

ま、医師の皆さんそうカリカリなさらずに。
ここは一つ、非医療者の方々のペースに合わせて、のんびりじっくりいい案を考えればいいんじゃないんですか。

日本の医療崩壊は必定なのですから。

今は「19年」です。
昭和の「19年」ではそろそろインパール作戦が始まります。


さて、
変身後のウルトラマンが誰かを踏みつぶして、死なせてしまったら、やはり業務上過失致死傷の罪に問われるんですかね?
少なくとも相当の器物損壊はしてそうですし、あれで民事の責任が問えないなんてのも考えられそうにありません。
民事の場合はやっぱり国際科学警察機構の下部組織である科学特別捜査隊を相手取って訴訟を起こすことになるんでしょうか。
あれってパリに本部を持つ国際組織なんですよね。
特別立法してなかったらけっこうめんどくさそうです。

いずれにせよ、文字通り命をかけて怪獣と戦ってるのに、感謝の替わりに逮捕・民事訴訟が待っていると思えば、やってられませんね。
これで刑事裁判での被害者参加制度が始まったら、涙ながらに呪詛の言葉を投げつけられる、被告人席に立つウルトラマンはかなり分が悪くなりそうです。
立法でなんとかしてあげることなく、東京地裁と大阪地裁に「対怪獣戦闘問題集中部」なんかを作るだけでお茶を濁されそうですし。

ウルトラマン(シリーズ)は宇宙警備隊銀河系局からの派遣ですが、あそこは4月人事ですので、もし、そんな事態になれば、今回のウルトラマン・メビウスの後がどうなるかわかりませんね。
宇宙保安庁長官であるウルトラの父が激怒して来年度以降の引き揚げを考えるかも知れませんし、何より宇宙警備隊の士気が相当低下しそうで、仮に地球への派遣が決まっても「それなら俺、除隊するわ」てなことになりそうです。

さてさて、ウルトラマンの方々に気持ちよく戦闘していただくにはどうしたものでしょう。

※Wikipediaを見い見い書いたので、細かい突っ込みはご容赦下さい。実は幼少時からウルトラシリーズはあまり見てない人なのです。

No.27 脳外科医(留学中)さま
詳細ありがとうございます。
誤挿管→過失を否定
確認義務→違反を認定
な訳ですね、すっきりしました。
これで医療者側の「食道挿管自体を刑法罰に値する過失と捕らえるのであれば、だれも気管内挿管を行うことはできなくなります。(No.9 田舎の消化器外科医さま)」という懸念はとりあえず払拭できたと思います。

今後の議論は確認義務違反になると思いますが、ここでは法曹側と医療側で大きな認識の違いがあると思います。
法曹側は

患者さんには各種センサーが取り付けてあったので、血中酸素濃度や心拍呼呼吸数のチェックによって低酸素状態は通常は判明するので、「確認義務を履行」すれば誤挿管が判明し(No.21 ハスカップさま)
にあるように
「確認義務を履行すれば誤挿管が判明するのだから、誤挿管を発見できなかったのであれば確認義務を果たしたとは言えない」という認識です。

一方医療者側は

挿管の確認というのは、ひとつの手技で100%確実というのは存在しません。ですので、挿管後は、複数の確認手技を組み合わせて、100%を目指すという医療行為を普通行います。(No.14 ER医のはしくれさま)
にあるように
「どんなに確認作業を尽くしても誤挿管を100%発見することはできない、よって誤挿管を発見できなかったからといって確認義務を果たさなかったとは言えない」という立場です。

まずはこの認識の溝を埋める事が必要だと思うのですが。

追記:

 もし本件の判決例が、確認義務のみの単独過失とする訴因構成なら、それは「直近過失」理論に近い過失の連鎖に対する判断枠組みだと思います。
 いわば第一の行為は避けられない事故だったから過失は無いが、第二のフェイルセーフに相当する適切な処置を怠った場合、第二の過失のみで有罪とするという理論でしょう。

 つまり過失を問われない誤挿管があったことを前提として
(1) 誤挿管(で人の死傷が生じること)が客観的に予見可能であり
(2) 誤挿管(同上)を予見する義務があり
(3) 不注意により(2)の義務を怠り
(4) 誤挿管(同上)を挿管しなおすことが客観的に回避可能であり
(5) 誤挿管(同上)を是正する回避義務があり
(6) 誤挿管(同上)を回避する義務を怠った
という構成ではないかと思います。

 もちろん(3)を怠れば自動的に(6)を怠ることに通常はなると思います。予見(予測)もしていないなら回避する義務があるとは認識できないので(認識のない過失)、そのまま回避義務を怠るからです。このような場合は、予見義務違反が回避義務違反を包摂する(自動的に随伴する)、という学者先生もいます。

No.28 オダさん
私は肢体不自由児の麻酔経験はあまりないのですが、一般的には、麻酔覚醒時には気道の被刺激性は高まっており、気管挿管による有害反射の危険があると思います。健常者であれば、十分に覚醒してから咳をさせるだけで、たいていは大丈夫だと思うのですが。もっとも、自分で十分に痰を出せない児童は、反射も弱いのかも知れませんね。

>挿管の確認というのは、ひとつの手技で100%確実というのは存在しません。ですので、挿管後は、複数の確認手技を組み合わせて、100%を目指すという医療行為を普通行います。(No.14 ER医のはしくれさま)

 私が大学で習ったところでは、たとえ患者が死亡しても、処置当時の医学水準で通常求められる医学的処置を施したのであれば、それは注意義務を尽くしたのであり、過失がないから不加罰である、となると思います。
 刑法上の注意義務とは、
     100%結果を回避する義務(結果無価値)
ではなくて
     その業界で一般に認められた相当な方法を尽くす行為の義務(行為無価値)
ということを意味するのです。

 「義務」という言葉の説明が不十分でたいへん失礼しました。m(_ _)m

PS:『ウルトラマン研究序説』や『空想科学大全』によれば、ウルトラマンの踏み潰し行為は、故意又は過失があっても「緊急避難」として違法性が阻却されて不加罰だそうですw。

医療員制度妄想者です。一般人で医療員に選ばれた方に、適正な挿管の確認の一端を担ってもらいましょう。

>ウルトラマンの方々に気持ちよく戦闘していただくにはどうしたものでしょう。(No.31 元田舎医さんのコメント )

 冗談にマジレスしますと、刑法上の過失を含む「行為」は
    人の人格の主体的現実化たる身体の動静(団藤説)
ですから
    ウルトラマンは「人」でないから、何やっても刑法上不加罰
となると思います。

 そのかわり、ウルトラ一族が
    なんだと、地球の刑法では
    人間扱いしてくれないのか
    俺たちは犬猫といっしょかよ
    もう来ない!プン!プン!
とやっぱりお怒りになってお助けくださらなくなるかも……(。_・☆\ ベキバキ

 もっと怖いのは
    ウルトラ一族が日本国政府に対し
    「不当な宇宙人差別で精神的苦痛を受けた」
    と訴えて損害賠償してくること
だそうです。というのは、法理論問題以前に
    ウルトラマンが物理的に入れる法廷がない
    M78星雲に特別送達状も付郵便も出せない
からだそうです(某裁判官のお話)。

>No.32 つくねさん
>「どんなに確認作業を尽くしても誤挿管を100%発見することはできない、よって誤挿管を発見できなかったからといって確認義務を果たさなかったとは言えない」という立場です。

私は外科系の臨床医です。

法律的な観点ではなく、医学的な観点から、基本的にハスカップさんの意見に賛成です。

麻酔医の基本的な役割の一つは手術室において患者に適切な呼吸管理を施すということでしょう。

もしそれが結果として出来なかったのであれば、麻酔医は“かくかくしかじかの理由でこの症例(の呼吸管理)は難しかったのだ”と言い訳をする必要がある。

それが説得的であれば、少なくとも臨床医の多くは“なるほどもっともだ”と納得するでしょう。

“誤挿管を100%発見することは出来ない”式の議論が有効な反論とは私には思えません。

>No.29 オダさま
そうでした、その記事は既に読んだのですが、それ以前の印象が強くすっかり忘れておりました。
しかしながら、福島事件以前は、我々医療者は業務に関連した件でテレビで名前に「容疑者」とつけられて写真や画像入りで報道されるのは「治療用の麻薬を暴力団に横流しした」とか「気に入らない患者に片っ端から筋弛緩剤を打って殺した」ときくらいのものだと思っていたのです。
それが、通常の診療行為の結果でもそうなりえるという現実を突き付けられた時のインパクトやはり並み大抵では無かったと思います。
もうすぐ逮捕から1年ですが、今でもあの時の衝撃は忘れられません。同僚皆で「もう日本で医者で食っていくのは無理だね」などと毎日の様に話したものです。

約1年弱ROM専ですがこのブログで勉強させて戴いているものです。多分非医療者が主宰する医療関係のブログでPV・質ともにトップである貴ブログのコメント欄を汚してしまう事をお許しください。今日、あまりに無礼なコメントを見てしまったので出てきました。

>No.3 「日本麻酔科学会長」というポストの重みがどれ位のものなのかは知りませんけど、いずれにせよ被告人はかなりの重鎮のようで、応援団の動員力という点では福島事件より遥かに上回っているようにも思えるのですが、あまり大きな話題になっていないのは何故なのでしょうか。

FFF さん、被告が「日本麻酔科学会長」なら無条件で医者の「応援団」が動員される、と本気でお思いですか?元行政さんがNo.11だ述べたとおり、医局に所属しようが、学会に所属しようが医者は個々に一科学者として「独立」しており、常に、一事象に対して各々独立した科学的な思考をもっているのですよ。あなたが福島事件で「動員」された集団のように見たものは、たまたま考えが一致した、「独立」した個人の集まりに過ぎませんね。

そして、No.11で元行政さんの完璧なコメントを受けながら、尚も痛いコメントを
>No.15 福島事件の逮捕について話題になったときは、たしかに「証拠以前の問題として、捜査機関の立論は医学的にあからさまにおかしい、とんでもない」という声が大半だったと記憶しているのですが、先日の第1回公判に関するコメント群を見ると、そのような意見があまり出ていないようにも思えるんですよね。

FFF さん、あなたの文面からは「医者どもは公判で形勢が悪くなったから、ダンマリを決め込んだか」と読み取れますが、医者は一々「捜査機関の立論は医学的にあからさまにおかしい、とんでもない」と言わなければならないのですか?捜査機関の立論は医学的に理論破綻している事は言うまでもないことですが、検察側の冒頭陳述内容で真新しいネタ(我々が事前に報道、ネット等で入手した以上の「事実」)は全くなかったことに呆れ果てているだけです。検察に対して、こんなんで公判維持できんの?とお節介ながら心配すらしています。彼らは「漢字」さえも正しく読めない「オチ」までつけてあまりにも痛々しいようですので。

これらのコメントが、あまり事情の知らない方のものであれば口下手な私が恥をさらしてここには出てきません。これが福島事件以来数々のコメントを重ねられたFFF さんから発せられたものであることに一医療者として愕然としております。一年近く議論を積み重ねてきても、所詮は平行線、交点を見出せない事に失望の念を隠せません。
またROMにもどるしかないようです。

No.31のコメントについて補足。

今ひとつ冗談じゃなかったりします。
数時間前に、私の中で何かの線が切れてしまったようですね。

> No.32 つくねさん

 法律家が過失を肯定する際も、「確認義務を履行すれば必ずや誤挿管が判明する」と断定しているわけではなく、「誤挿管が判明して救命できた可能性が高い」「だからきちんと確認しておくべきだった」という認識を基礎にしているのでしょう。

 「どれだけ注意しても100%発見することはできない」というのは分かるのですが、「誤挿管を発見できなかったからといって確認義務を果たさなかったとは言えない」というのは議論の対象が違います。裁判所が「過失」としたのは、「結果として発見できなかったこと」ではなく、「発見しようとする努力を尽くさなかったこと」です。

 もちろん、最善の努力を尽くしても誤挿管を発見できる可能性が低いということであれば、過失責任を問うことは妥当ではありませんが、本件ではそう判断しなかった、ということだと思います。

>No.35 ハスカップ さま

刑法上の注意義務とは、
 100%結果を回避する義務(結果無価値)
ではなくて
 その業界で一般に認められた相当な方法を尽くす行為の義務(行為無価値)
ということを意味するのです。
もしこれがその言葉の通りに遂行されていれば、この様に多くの医療者が不満を唱えることは無いと思います。
今回の件に関しても、医師が通常の確認手技を行っていなかったことが判明すれば、判決に異を唱える医師は多くはいないでしょう。
しかしながら現実には「結果無価値」的な判断がかなりなされているというのが医療者の不満だと思います。
ハスカップさま自ら出された例を引用させて頂きますが
それに、注意義務を尽くせば人が死傷しても過失がなかったことになりますから
・麻酔学会所定の適正な医学的方法で両義務を履行した(注意義務を尽くした)が、不慮の事態や想定の範囲外の生体反応で死亡した−>予見可能性か回避可能性がないから無罪
に関しまして
「麻酔学会所定の適正な医学的方法で両義務を履行し(注意義務を尽くした)、不慮の事態も想定の範囲外の生体反応も存在しなかったにも拘らず、誤挿管が発見できず死亡した」
という例は確実に存在するのです。
その事を理解されずに判断が下される事があってはならない、ということを医療者は訴えていると考えていただければ幸いです。

No.38 yanyan さま
上にも書きましたが、私の立場は「誤挿管を100%発見することは出来ない」のだから「誤挿管を見つけられなかったとしても全て無罪にしろ」ではありません。
少なくとも医療者にyanyan様の言われる「“かくかくしかじかの理由でこの症例(の呼吸管理)は難しかったのだ”と言い訳をする」機会が与えられ、それが正しく公正に評価され「説得力のあるものであれば“なるほどもっともだ”と納得する」基盤がなければならないと言う事を訴えているのです。

 割箸刺突事件では、割箸が脳ミソに突き刺さったことの予見可能性がありながら予見義務を尽くさなかったと仮定しても、どのような医学的手段を尽くしても、もはや患者を救命する可能性がなかった(回避可能性がなかった)ということで、法的責任を問われなかったと聞いています。

 事故当時の医学的通常の水準に基づいた適切な処置(行為)をしているのであれば
(1) 予見可能性がなかった(当時の医学では予測自体ができなかった)
(2) 予見しても回避可能性がなかった(当時の医学では実際にした以上の治療手段がもはやなかった)
というのが第1のポイントではないかと思います。

 ですが、私が見聞きした例では、第2のポイント
(3) 予見義務に基づく治療行為を尽くしたか
(4) 回避義務に基づく治療行為を尽くしたか
という医療行為の適正面ばかりに焦点が当てられ、しかも、そこばかりをマスコミが「ずさん治療」とか「初歩的なミス」とセンセーションに報じるので、医師の先生側が誤解に基づく反発を生じるのも無理もないと思います。
 マスコミの方の法律知識の誤解や無知に基づく誤った観点からの報道が散見される今日は、おそらくマスコミの医療知識の誤解や無知もそうであろうと拝察されるだけに、特に痛感します。

 漫画ブラック・ジャックの台詞ですが「医者は神様じゃないんだ。」「治せない病気は治せないんだ。」という言葉が頭をよぎります。まさに「法は不能を強いらない」と価値観は同じだと思います。

> No.40 JOY さん

 御指摘のような悪意はありません。

 なお、No.19:元行政さんのコメントと、他エントリのコメント(CID 34784、CID 34791)を読み比べて、医師の方でも色々見方はあるのね、という理解をしております。

>ハスカップさん (No.44)

 漫画ブラック・ジャックの台詞ですが「医者は神様じゃないんだ。」「治せない病気は治せないんだ。」という言葉が頭をよぎります。

つい先日のこと。患者「その治療を受ければ100%大丈夫ってことなんですよね」、私「いやあ、100%じゃないですよ。生身の体なんだから、何が起こるかわからないですよ」、患者「それを何とかするのが医者なんじゃないんですか?!」
こんなことをもう80くらいの年配の方が言い出すんで、もう脱力です。

リンクの貼り方がよく分からない・・・・No.45で引用させて頂いたコメント(CID 34784、CID 34791)は、下記のものです。

http://www.yabelab.net/blog/medical/2007/01/26-224939.php#c34784
http://www.yabelab.net/blog/medical/2007/01/26-224939.php#c34791

そもそも,本当に食道挿管だったのかも気になりますね.
挿管の際は半ば無意識的に呼吸音・SpO2はチェックすると思いますし.

食道挿管だったとしても,途中でおかしいと気付いて入れ直すでしょうから,
当該医師の「治療は最善を尽くした」というのも,早々と気付いて適切な再挿管を行ったという意味なら非を問うのはやり過ぎな感じも歪めません.

(食道)挿管後,記録も含めて機械任せで,SpO2が低下するのも気付かずにずっとそのままなら,流石に弁明の余地は無いでしょうが,吸痰目的の挿管の様ですから,そのまま放って置くでしょうか?

弁護側の主張の詳細も聞きたいですな

>患者「それを何とかするのが医者なんじゃないんですか?!」 こんなことをもう80くらいの年配の方が言い出すんで、もう脱力です。(No.46 峰村健司 さんのコメント)

 どこも同じですね。心中お察しします。
公務員「もう予算がありませんので、随契(随意契約)で仕事を寄越せと言われても」
土建屋「そこをなんとかするのが公僕だろうが!市長に言ってやろうか」
こんな感じの繰り返しで3時間半も粘られました。嗚呼!
 土建屋さまが帰ったあとは、脱力を超えた虚脱放心状態でした。

 無理を通せば道理が引っ込んではいけないのが、辛いところです。
 がんばれ「全体の奉仕者」(憲法上の公務員の定義)

>ハスカップさん
>がんばれ「全体の奉仕者」(憲法上の公務員の定義)

公務員は右も左も見なければならない立場なのに、右の人からは「右の面倒を見ろ」と言われ、左の人からは「なんで右の面倒ばかり見るんだ。お前は間違っている。左の面倒を見るというのが正義というものじゃないのか」と言われる立場だと認識しています。

すなわち、何をどうしようと叩かれる。おまけに、「公僕だからその程度やって当たり前」だと思われ、誰からも評価されない。


公務員崩壊、官僚崩壊も心配してしまいますね。

>No.42 FFF さま

裁判所が「過失」としたのは、「結果として発見できなかったこと」ではなく、「発見しようとする努力を尽くさなかったこと」です。
その点に関しては納得いたします。発見しようとする努力を尽くさなかった=通常の確認行為を行わなかった、なのであれば過失の肯定は当然だと私も考えます。

ところで、医療訴訟の報道の度に思うのですが

遺族は「医療の現場に今回のことが反映されて、同じような事故が起こらないことを願っている」と再発防止を願った。
とありますが、私も同感です。責任の所在や刑事罰の妥当性はおいておいて、このような不幸な事象は少ないにこした事はありません。
そこで、裁判所は「発見しようとする努力を尽くさなかった」と認定する過程において、当然「発見しようとする努力を尽くすにはこうすべきであった」という事を考えている筈ですから、本人の再犯抑制のためにも、また同様の事件の再発防止のためにも、ぜひそれを判決文に盛り込み、公に提示する必要があると思うのですが、法曹の皆様のご意見はいかがでしょうか。

>すなわち、何をどうしようと叩かれる。おまけに、「公僕だからその程度やって当たり前」だと思われ、誰からも評価されない。(No.51 しまさんのコメント )

公務員崩壊 _| ̄|○  ○| ̄|_ 官僚崩壊

 自治体のご主人様の前後左右からだけではなくて、ウエ(クビ長や議員)からの政治的配慮の無理難題とシタ(部下)からの突き上げというのもあります(ここらへんは民間と変わりません)。
 課長クラスになるとノイローゼや自律神経失調症(つまりウツ病の疑いかウツ病そのもの)で長期病欠が出やすくなるのも……。若い身空で心不全や脳梗塞で他界した部下同僚を見送るようなときすらも……。
 嫌でも法律知識で武装する(法による行政・法治行政)しか手が無いのが……。
 自治体立公立病院の事務担当(通称「墓場」「棺桶」「鬼太郎」)となると特に。orz
 「とにかく医者や公立病院を揺さぶれば金が出る」と思っているご主人様も中にはいらっしゃるわけで……。

 今は遠い昔の思い出ですが、目を真っ赤にした36時間不眠の救急外来日直・当直なのに「俺が救ってやる」と言いながら手術室に向かった先生の後姿が目に焼きついてます。事務屋でありながらドクターの過労死を心底心配しましたから。

>本人の再犯抑制のためにも、また同様の事件の再発防止のためにも、ぜひそれを判決文に盛り込み、公に提示する必要があると思うのですが、法曹の皆様のご意見はいかがでしょうか。(No.52 つくねさんのコメント )

 横レス失礼します。m(_ _;)m
 今は現場を離れて久しいので記憶が曖昧ですが、有斐閣発行 『別冊ジュリスト 医療法判例百選』というのがあったと思いますので、これが(お医者の先生から見たら内容が薄いでしょうけれど)参考になるかも知れません。今は名称が『医事法判例百選』になっているかと思います。
 もっといいのは自治医大か、それともその周辺の図書館に医療事故の判決原本の写しが集積していたような記憶です(あのころはお世話になりました(お辞儀。)。

>ハスカップさん(No.50)

僕は自分のサイトで、教育崩壊、官僚崩壊と書きました。(リンクは名前のところにあり)
「何でも100%の結果を求めて自分の思い通りにならないと激しい非難を浴びせる勘違いな人々、その勘違いな人々を無条件に擁護するマスコミ、そして司法。この3者にやられている点で、教育や官僚の崩壊と同根だと思います。」と。
マスコミ批判はマスコミになかなか取り上げられそうにないので、とりあえずは勘違いな人批判と司法批判を地道に続けるべきかな…と。

>ハスカップさん
大変ですねと軽々しく言えそうもないくらい大変ですね。ただ、市民とか企業から持ち込まれた無理難題を情報公開する訳にはいかないのでしょうか。テープに録音してネットで公開するとか。

いかないんでしょうね。「公務員は事を荒立てないもの」と言う先入観が刻み込まれてしまっていますし、実際その通りなのかも知れません。

中にはこのようなお役人さんもいらっしゃるみたいですが。公務外の事ではありますが

著作権の専門家を自任する文部科学省の課長が13日、教育関係の新聞などを発行する教育家庭新聞社(東京都台東区)に自分の原稿を勝手に書き換えられたとして、著作権法違反容疑の被害届を警視庁蔵前署に出した。同省企画・体育課長の岡本薫さん(49)で、文化庁の著作権課長や国際著作権課(現国際課)長などを計6年半務めたエキスパート。

>僕は自分のサイトで、教育崩壊、官僚崩壊と書きました。(リンクは名前のところにあり)
(No.55 峰村健司 さんのコメント )

 私はバイトを含めて職遍歴があるため元塾講師でもありますから、本当は教育問題に一家言があります。しかし「政治的中立性」が至上命題の公僕は口を塞ぐしかありません(泣)。

>ただ、市民とか企業から持ち込まれた無理難題を情報公開する訳にはいかないのでしょうか。テープに録音してネットで公開するとか。(No.56 しまさんのコメント )

 それは古い判例(詳しくは忘れてます)によればですが、国家・地方公務員法上の守秘義務違反(秘密漏せつ罪)で責任を問われるリスク(懲戒〜罰金)があるのです。

 すいません。エイヤッの投稿です。

 マスコミの裁判報道や事件報道は、そのまま素直に信じてはいけない。
 特に医療や技術がからんだものは。
 無知な記者の主観(「まとめ」や「丸め」)が入っている。
 事件を担当していない刑事の憶測発言(読者受けするもの)がそのまま警察発表と同列で報道されることもある。
 ソースは私の体験ということでご容赦ください。

 本日は連投饒舌になり過ぎたことをお詫びします。
 3歳弱児童に対する実親による虐待「死」事件の検討をしていたもので。
 心底やりきれなくなってしまいました。仕事とはいえ。

No.45 FFF さん

他の医者が一応正しいと言っているじゃないかということだと思うのですが、これは検討している範囲の問題ですよ。AもBも正しい方法の時、Aのみとすること自体は破綻した理論です。

世の中万事色々見方はあるわけですが、それらのコメントと比べて色々見方があるがあると判断するのは誤りですね。

変な文章の修正
× いろいろ見方があるがあると
○ いろいろ見方があると

ついでにこの話に関連して。
以前患者側弁護士さんの話で、協力医同士の意見が合わなくて結論が出ず、困ることがあるという話を聞いたことがあります。医師同士の話し合いなら、微妙な修正で結論が出るはずという話をしましたが、納得してもらえませんでした。で、その理由に関して今回の話でピンときたわけです。
FFF先生の今回の誤りのように、実際違わないものを違うと捉えてしまう。医師の意見のニュアンスまで理解が及ばずに、こちらは正しいと言った。こちらは正しくないと言ったというレベルで捉えてしまう。そんなことなのだと思いました。

少し詳細な報道が出たようですね。私は最初、誤挿管の確認を怠ったというのは挿管直後に写真を撮らなかった、あるいは音を聞かなかったと解釈していました。それを怠ったのであれば過失と言えるとも書きました。
しかし、その後出た報道を見るとチアノーゼの兆候が云々・・・であり、初期の確認事項については全く問題にされていなかった。ということは、

1.確認したけど食道挿管を客観的に認める所見は無かったが、実は食道挿管だった
2.当初は誤挿管は無かったが、その後何らかの理由で食道に入ってしまった

ということも考えられるようです。そしてチアノーゼが出たから直ちに誤挿管を疑え、というのは経験の少ない私では難しいのですが、麻酔科の先生方、どうなんでしょう?私だったら肺炎の増悪、肺水腫、末梢気道の閉塞、心不全などを考えてしまうのですが・・・。もし、初期確認が済んでいればとても誤挿管を見抜ける自信はありません。麻酔科のベテランの先生レベルなら見抜けるのでしょうか?私だったら確実に有罪になっていますね。

おそらく一般内科医レベルなら間違いなく無罪を声高に主張します。これはやむを得ない、(原因究明を速やかにしたという前提の元に)精一杯尽くしたけどわからなかった。だから注意義務は果たしたが結果は悪かったから無罪!という感じで。

No.46 峰村健司 さん
>患者「その治療を受ければ100%大丈夫ってことなんですよね」

10年前なら「概ね大丈夫ですよ」とか「普通は大丈夫ですよ」とか言って、患者に不要な不安感を与えず、安心させるのが臨床医の技術だよと後輩に教えていたものですが、今では違います。お互い苦労しますね。

大腸内視鏡検査前には、心気症覚悟で予想される合併症副作用を説明します。前処置に飲む薬で死亡例もあります、とまで。
恐くなって当日キャンセルもよくあります。

>No.59 元行政さん

 コメントありがとうございます。

 私の問題意識は http://www.yabelab.net/blog/medical/2007/01/26-224939.php#c34763 のとおりです。

 要するに、治療法AとBがあるとき、検察と「報告書」を作成した医師は「Aが正しくBは正しくない」、被告人医師は「Bが正しくAは正しくない」、元行政さんは「AもBも正しいから、Bが正しくないという検察の主張は破綻している」という見解だと理解してよいのでしょうか。

 私から見ると、三者それぞれの立場で医師の見解が食い違っている(#)ように思えるのですが、これも、ニュアンスを正確に理解できていないということなのかしら。

 ちなみに、捜査を批判する意見の大勢は「Bが正しくAは正しくない、だから捜査機関の主張はトンデモだ」というものだったように記憶しておりまして、それ故、公判段階の感想と違うんじゃないの、というコメントに至った次第です。私の勘違いでしたら相済みません。

# 「報告書」が作成者たる医師の真意に沿っていると仮定した場合です。その医師がクライアントの意向を受けて学問的真実をねじ曲げたのだという見解も有力ですが、そこはひとまず措きます。

 無理矢理エントリの本題に戻しますと、医療行為については刑事責任は原則免除すべきであるとの意見が多数の医師から繰り返し表明されていたので、この事件についても「過失の有無にかかわらず免責すべきだ、そもそも刑事裁判をすること自体が不当だ」という運動が起こるのかいな、と思っておりました。なもので、反応が静かなのがちょっと意外だなあと。それ以上の他意はありません。

No.63 FFF さん

横レス、失礼します。

私の理解では、非常に重い過失は刑事事件となるのは仕方ないという人が多いのではないかというところです。

金沢の件では、読売新聞によると聴診での確認もしなかったような報道もありました。初歩中の初歩の確認事項なので、しなかったとは信じにくいのですが、もしもそうなら、大声を上げて反対を唱えにくいという気持ちがあるのではないかと。もう少し情報が沢山出ると反応が変わるかもしれません。

また、年齢的にも70歳代でのことなので、その影響もあるかもしれません。福島のほうは現役バリバリですし、より身近に思えるということも邪推ながら感じます。

現実的なレベルの注意義務を果たしているのであれば免責されるべきであるということには争いがないところだと思います。もし、この部分がはっきり分かる情報があればよいのですが。

餅は餅屋といいます医療の本質を知らずに喧嘩を売るのは見苦しい。


FFF先生

 あまり相手をするとかえって飛びついてくる人なので本当は言いたくありませんが(リアル世界でまともに相手してくれる人いないのですか)あいもかわらず痛々しい反論にもなっていない反論やいいわけに終始して非を認めない見苦しい態度でがんばっておられるので直接的な表現をすることをお許し下さい。一人の人間として直言します。

1 あなたが本当に弁護士であるなら
  一刻も早くこのブログから退場して下さい。あなたのせいでまともな法律家の印象まで悪くなっていることにまだ気付かないのですか何回も多くの先生方が指摘して下さっているというのに。とにかく痛いですよあなた。医師の先生方の貴重な労力を下らない言葉遊びに使わせないで下さい人的資源の浪費です。完全に論破され尽くしていることに早く気付いて下さい。

2 あなたが弁護士をかたっているなら
  あなたは哀れな人ですね。無理に法律用語を使おうとしてもあいにくここには法律のプロの方が大勢いらっしゃいますからすぐボロが出ますから今のうちに退散した方が身のためですよ。あなた一人がこのブログのレベルを下げています。冷静な議論ができるだけの社会性と日本語力と最低限の品を身につけてからおいでなさい。

(JOY 先生へ)
 彼は多分弁護士ではないし万が一弁護士だったとしても例外的に知性と人格に劣る人です。まともな弁護士の先生もおられるのでROMに戻るとおっしゃらず議論に参加して下さい。害虫駆除には私も協力します。

(みなさんへ)
 彼の語彙、知的レベル、品性、粘着質な性格からすると個人的には2の可能性が極めて濃厚とは思っています。本当に弁護士をなさっておられる先生方には1の可能性を指摘すること自体御不快の念を抱かせてしまいまことに申し訳ありません。おおかた医学部にも司法試験にも合格できずに何年も浪人して医師と弁護士の双方に妬みの感情を抱いているニートというところか。日本の法律家はそこまで無能で下品ではないですからと思いたいという願望も含まれているかも知れません。お目汚し失礼しました。

No.61 yama さん

 相当詳細に見えても、報道は所詮報道です。
 ここで問題になっているような微妙な問題については報道記事に基づいて論評するのはピンボケになる危険があります。
 
 結局誤挿管に何時の時点で気づくことが可能であったか(気づくべきであったか)が問題だと思われますが、これは証拠関係を見てみないとまともな論評は不可能です。

>てつさん

現実的なレベルの注意義務を果たしているのであれば免責されるべきであるということには

現実的なレベルの注意義務と言うのは、人によって「現実的なレベル」が異なるものなのでしょうか、それともスタンダードな注意義務というのがどこかに用意されているものなのでしょうか。

No.63 FFF さん

>治療法AとBがあるとき、検察と「報告書」を作成した医師は「Aが正しくBは正しくない」、被告人医師は「Bが正しくAは正しくない」、元行政さんは「AもBも正しいから、Bが正しくないという検察の主張は破綻している」

被告は否認しているわけですが、Aが正しくBは正しくないということを否認しているのであって、Bが正しくAは正しくないなどと言っていないですよね。逆に我々が子宮を取ることも間違っていないとは言っても、どちらかと言えば取らない選択の方が(結果に引きずられないならば)正しいと考えているのも確かです。このニュアンス伝わりませんかね。

 福島事件について議論するのであれば、検察側と弁護側の主張が比較的よくわかる

 検察・弁護 冒頭陳述要旨(詳細版)

 で議論するのが適当ではないでしょうか。

> No.66 モトケンさんの
いわれるように,また,さらに前でも書かれていますが,医療事故裁判の新聞報道は信頼できないものと考えるべきです.
ちゃんと判決全文を入手して,それを精読してから検討しないと,仮定に仮定を重ねて,とんでもない方向に行きかねません.

ところで,ここには弁護士さんや法科大学院の先生もいらっしゃるようですから,職権でこの事件の判決文を入手することはできないのでしょうか?

で,ここで公開していただけるとありがたいですし,勉強にもなります.
「刑事医療過誤3」が出版されるのは,まだ,さきでしょうし.

モトケンさんならご存じの書籍だとは思いますが.

元福岡高検検事長の飯田英男先生が
「刑事医療過誤」「刑事医療過誤供廚箸いλ椶鯣塾礇織ぅ爛瑳劼ら出版されています.

「刑事医療過誤」は明治40年から平成10年までの137件の刑事医療過誤訴訟(これがこの間のほぼ全ての刑事訴訟です)の判決文か起訴状(略式命令の場合)が収録されています.また「刑事医療過誤供廚砲亙神11年から平成16年4月までの79件の刑事医療誤訴訟の判決文か起訴状(略式命令の場合)が収録されています.

これを読めば本邦の刑事医療過誤訴訟の傾向・現状がわかります.
というか,これを読まないで刑事医療過誤を語ってはいけないくらいです.
ついでにいうと,これを読むと福島県警・福島地検がいかにこの傾向・現状から逸脱したかがわかりますし,福島県警・福島地検はおそらくこの「刑事医療過誤」「刑事医療過誤供廚鯑匹鵑任い泙擦鵑諭ト單沈萓犬里海箸鮹里蕕覆い里任靴腓Αヂ臾酩賊〇件も,地検が飯田先生に相談していれば,こうはならなかったはずです.

というわけで,上記2冊の購入をみなさまにお勧めします.

ちなみにわたしは飯田先生にサインしていただいた「刑事医療過誤」と,飯田先生から「謹呈」された「刑事医療過誤供廚鮖っています(^_^)v.

>No.68 元行政さん

 被告人の主張の要旨は、「子宮摘出(A)より胎盤剥離(B)を優先すべきであった、その方が危険が少なかった」というものだと理解しておりました。


>No.65 決して医者として言うのではありませんさん

 「直言」ありがとうございます。医師の方でいらっしゃいますか?
 私が退場すべきかどうかは、モトケンさんの裁定にお任せするつもりです。

みなさまへ

 今のところ、どなたの退場も考えておりません。

おいらはFFFさんは論理展開がきちんとしてて好きですよ。
(おいらとは意見がずいぶん違いますが)。
間違っても自主退場なんかはしないでくだされ。

この事件に関しては、正直なところ何もよくわからないので反対してないです。
ただ、基本的にはいかなる医療行為も故意でない限り、刑事罰を加えるべきではないと思います。

私も論旨はともかく退場には反対です。
ブログ内の意見が大政翼賛会化するのはイヤですね。
それこそいつのまにか裸になってるのに気がつかなくなりそうで。

麻酔科の専門の先生のコメントが無いのが気になっています。
既に刑事罰の判断が下った先生に対して、さらに後ろから撃つようなことはしたくないのかな、と勝手に想像しますが・・・。

本当に食道挿管に気付かずに、4歳の子供が亡くなったのならば、少なくとも、麻酔の技量に欠けていたと言わざるをえないと思います。
自分が術者だったり、さらには患者の家族だったりしたら、やはり技量の無さは許し難いであろうと思います。
(それが、あまり盛り上がっていない原因なのだと思います。)

反面、過去には多くの医師を育て、たくさんの命を救ってきたであろうことを考えると、有罪は厳しいとも感じています。
しかも、医療には不確実が伴うことも身をもってわかっているだけに。

まとまらない意見で申し訳ありません。

No.71 医療集中部watcher さま
「刑事医療過誤」「刑事医療過誤供
不勉強ながら初めて知りました。医療側の人間ですので読解が困難であろうと思いますが、機会があれば是非手にとってみたいと思います。
ところで
「刑事医療過誤」は明治40年から平成10年までの137件
「刑事医療過誤供廚砲亙神11年から平成16年4月までの79件
とありますが、91年間で137件(約1.5件/年)だったものが、5年4ヶ月間で79件(14.8件/年)とは、もの凄い増加傾向ですね。
これは刑事事件そのものが増えているのでしょうか、それとも刑事医療過誤訴訟の割合が増えているのでしょうか?
また、後者であればその要因はどのような事が考えられますでしょうか?
医療現場での業務内容は、医療の進歩に伴い多少煩雑化してはおりますが、同時に人間工学的にエラーを防ぐ仕組みも多種導入されており、そこまで急に重大な危険が伴う業務に急激に変化したという認識はあまり無いのですが…。

> これは刑事事件そのものが増えているのでしょうか、それとも刑事医療過誤訴訟の割合が増えているのでしょうか?(No.78 つくね様)

最近、テレビ週刊誌等で「治安が悪化している」といいますが、まさに「体感治安」という論者の主観的な感覚だけで、客観的な統計数値として刑事事件が増えているということはありません。
ひとたび事件が発生すると、ニュースだけでなくワイドショーなどで繰り返し取り上げられる怒濤の報道体制(大衆が興味を持ち、視聴率を取れる話題と思われている)のために目立つようになっただけだと思います。

客観的には、日本で殺人・強盗等の凶悪犯が多く発生し最も治安が悪かったのは昭和20年代、戦後すぐの時期でした。食糧難・貧困に対しては満足な社会保障施策もなく、人々は一片のパンを求めて争い、戦争に行ってヒトゴロシ技術を習得した人間が巷に溢れるという殺伐とした社会でしたから。

刑事医療過誤事件、つまり業務上過失致死傷罪の起訴(略式罰金を含む)件数は近年、やや増かもしれません。
しかし、犯罪認知件数が目立って増えているというほどでもないと思います。

判例集のほうは、法的に見るべきものがある事案をセレクトしているので、
全体の件数がどうかよりも、編集方針により沢山拾ってくるか厳選するかで、数が変わるのです。

> これを読むと福島県警・福島地検がいかにこの傾向・現状から逸脱したかがわかります(No.71 医療集中部watcher さま)

ほーらほら、みなさま、医療者側の方からのご意見ですよー
(同じことを、モトケンさま他が繰り返し主張してきましたが、医師側からは「法曹の言うことは信じられない」という反応のみでした。)

> 職権でこの事件の判決文を入手することはできないのでしょうか?(No.70 医療集中部watcher さま)

一般的には、事件番号がわからなければ閲覧さえできないので、外部の者が判決文を手に入れるのは困難です。
判例雑誌や裁判所のホームページに出るかどうかは、編集者の考え次第です。
民事事件なら被告医療者の方にお願いすれば、勝訴敗訴にかかわらず提供していただける可能性もありますが、刑事被告人の方にお願いするのはちょっとね。。。
飯田先生はご経歴からして、検察側から資料提供を受けられたのかもしれません。

No.77 脳外科医(留学中)さん

麻酔科の専門の先生のコメントが無いのが気になっています。

結局報道からは何も判らないからじゃないでしょうか。
医者は自分ならどうしたか、で考えるのだと思います。
気道のトラブルは色々なことが考えられますから、詳細が判らないと何とも言えません。
検察側・被告側双方の主張の詳細が判れば見えてくることも多いと思います。


asahi.comトップ > マイタウン > 石川 整肢学園医療過誤事件に有罪 2007年02月08日

死因との因果関係について、被告は「搬送先の金沢大医学部付属病院の治療に問題があった」とし、処置と死亡との因果関係はないと主張。だが、判決は「十分な酸素を吸入させなかった過失により、被告は無酸素脳症に起因した急性呼吸障害で男児を死亡させた」と認定し、「被告は責任を免れようとする態度に終始し、反省の気持ちがうかがえない」と厳しく指摘した。
 一方で、遺族との間で民事訴訟で和解が成立していることや、被告が高齢であり、長年臨床医学に貢献してきたことなどを考慮、禁固1年8カ月執行猶予3年とした。

asahi.comトップ > マイタウン > 石川

小堀秀行弁護士は判決について「弁護側の主張を理解してもらっていない。控訴は量刑の問題ではなく、事実認定に誤りがあるから」と説明。具体的には確認の注意義務違反が認定されたことを挙げ、「チューブを抜いてやり直したら確実に挿管できたのか、判決は全く触れていない。注意義務違反は納得できない」と不満を示した。男児の死亡との因果関係についても「高裁判断を仰ぎたい」とした。

No.79 YUNYUN さん

> これを読むと福島県警・福島地検がいかにこの傾向・現状から逸脱したかがわかります(No.71 医療集中部watcher さま)

ほーらほら、みなさま、医療者側の方からのご意見ですよー
(同じことを、モトケンさま他が繰り返し主張してきましたが、医師側からは「法曹の言うことは信じられない」という反応のみでした。)

そうじゃなくて、法曹側と医療側とでは反応が異なったと言うことではないですか。
法曹側:滅多にない事例なんだから、オタオタするな。
医療側:今までになかったことなのに、今後はこれがスタンダードになるかも知れない。
     そうならないように、今まで相互批判ばかりしていたけど力を合わせよう。

(臨床医というのは、気位の高い職人ですから、他の医者には厳しいのが普通なんです。)

>麻酔科の専門の先生のコメントが無いのが気になっています。

banboo先生も書いておられますが,現在の情報から「実際に何が起こって,どのような経過であったのか」全く解らないのです.
従って,対応が適切であったのか不適切であったのかコメントのしようもないのです.
もう少し詳細な情報があればコメントのできますが,どこかにあるでしょうか?

麻酔の専門家の意見がほしいとのことで、登場します。
さて、No.81 脳外科医(留学中)さんの朝日新聞引用記事の前には


堀内満裁判長は「のどに大量の分泌物が発生し、気管挿管は困難だった」という被告の主張を認め、食道への誤挿管については注意義務違反はなかったとした。しかし、誤挿管後の処置については「漫然とチューブを食道挿管のままにしていた」と指摘。難しい挿管だったのだからこそ、より一層の注意を払って気道確保を確認すべきだったとして、 注意義務違反があったと断定した。

このような記述があります。
このいかにも少ない情報量から、私見を述べさせてもらいます。

97年2月11日、妊娠37週目の急な破水で緊急帝王切開となり、体重1890グラムの未熟児で生まれた。生まれつき先天性内反足(右足首の骨の異常)で言葉や運動 機能の発達に遅れがあったものの、3歳を迎えた頃には他の子と変わらないくらい成長した男児であり、顔面奇形、小顎症など挿管困難をきたすような合併疾患がないと仮定すると分泌物が多くなければ挿管は難しくありません。しかし、分泌物が多くて挿管しにくいことはあります。
私も挿管困難症例で2-3回挿管をtryするうちに分泌物で視野が非常に悪くなることは何回も経験しています。このようになるのを防ぐため、硫酸アトロピンを投与することがあります。
いずれにせよ、麻酔科指導医がいったん挿管できたと診断すれば、ほぼ挿管できているでしょう。挿管できなければ、マスク換気をし続けているにちがいないからです。
私は初めてこのニュースを聞いたときcannot intubate–cannot ventilate (CICV) (挿管できないどころか換気もできない状態)で死亡させてしまったのかなと思っていました。
CICVは非常に手強く、20年麻酔をしている私でも対処できるかどうかわかりません。とくに小児と高度肥満患者は、とっさに気管切開はできないからです。
しかし、記事をよむと金沢大学まで搬送できるほどであったわけで、事実が食道挿管であるか否かを問わず自発呼吸があり換気はできていたことになります。食道挿管で自発呼吸がなければすぐに死亡します。搬送はできません。
もしも、きちんと気管挿管できていたのなら、低酸素脳症になった理由は気道分泌物で気道が閉塞し不十分な肺胞換気しか行えなかったことが原因でしょう。しかし低酸素脳症になるほどの低換気であれば、ほぼ窒息と思われますので、ほどなく心停止し搬送する余裕はないと思います。もちろん肺塞栓などのまれな疾患も考えられますが他の原因では低酸素脳症だけでなく早い時期から循環にも問題が出てきます。したがって悠長に搬送などできません。
私も昔、近くの産婦人科開業医から手術中に状態がわるくなったということで、救急車で運ばれてきた患者が食道挿管だったという経験があります。
食道挿管でも自発呼吸があれば心停止することなく搬送できます。
もう一つ考えられることは、搬送中に気管チューブが気管から抜け食道に入ってしまったということもあります。小児は気管が短いのでちょっとしたチューブのずれで片肺挿管になったりチューブが抜けてしまったりします。抜けかけたチューブを盲目的に押し込むと多くは食道に入りますから食道挿管になるでしょう。
従って、麻酔科医としてこのケースで考えられることは
1.最初から自発呼吸下に食道挿管して気づかなかった。自発呼吸下の小児のゼロゼロの肺では聴診だけでは食道挿管に気がつかないかもしれませんが、カプノメーターを使えば大抵分かります。麻酔中に使っていないとすると麻酔専門医としては落ち度です。手術終了時でごたごたしていてつけなかったのかもしれませんね。しかし、これは言い訳にはなりません。
2.搬送中に気管チューブがずれて食道に入ってしまった。これについては挿管直後に気管挿管であったかどうかの証拠がないとなんともいえませんね。挿管した本人が気管挿管だと思いこんでいればあとで確認しないかもしれません。なんでこんなにSpO2が悪いのかな?心不全なのかな?位にしか思えないかもしれません。いったん思いこむと訂正不可能な認識になってしまうこともあり得ます。しかしこれとて、もう一度確認すればなんとかなったでしょう。搬送中に気管チューブがずれて気がつかなかったのあれば、挿管した患者の救急車搬送時には医師が付き添うと思いますので、付き添いの医師の責任でもあります。
結局CICVでないとすれば、挿管チューブの確認不足で低酸素脳症にしたというのは麻酔指導医としては言い訳しにくいでしょう。

No.80 bamboo さんのコメント
No.84 Level3 さんのコメント
No.85 いち麻酔科指導医さんのコメント

あまり情報の無い中、私の独り言に対するコメントをいただきありがとうございました。

もちろん、どのような状況で「食道挿管に気付くことが出来なかった」のかが、量刑の判断になると思います。

食道挿管に気付くことが困難な状況であれば、有罪判決には不当と思います。
ただ、報道どおり、「行うべき確認を怠ったことが死亡の原因」であったとして、本当に刑事事件での有罪に納得いくだろうか?というのが私の疑問でした。


実際に4歳の子供が亡くなっている訳で、警察・検察以外の調査機関が無い以上、現状で、起訴、刑事裁判は仕方の無いことと思っています。

今後、私達が望むように、医療事故の刑事裁判が免除され、それに替わる医療事故調査機関が設立され、「事故の真相解明と再発防止」が成されたとしても、被害者感情に配慮し、それなりの罰則規定を定めることは必要になると思います。
しかし、強力な罰則があるとわかっていたら、当然、真相解明は困難になります。

例えば今回は禁固1年8月(執行猶予3年)となった訳ですが、では医師が主体となって自律的に罰を定めた場合に、どの程度の罰が与えられるのだろうか?ということを考えていました(もちろん、被告側に確実に過失があったと仮定しての話です)。

ソースは、ちょっと古いですけど、チューブトラブルに関する報道です。

東京医科歯科大、気管チューブを食道に挿入 患者重体

さて、上記引用とこのエントリーの記事において、いずれも、手技完了から誤挿管に気がつくまで、かなりの時間が経過しています。

一つの可能性として、チューブがdisplacementしてしまったというのはどうでしょうか?
つまり、手技は正しく行われ、最初は気管に入っていたが、患者のちょいとしたはずみ(体動、移動など)で チューブがずれてしまい、そのdisplacementの結果、食道に入ってしまった。そしてそれに気が付くのが遅れた・・・・。

蘇生に関しては、2005年秋に国際的な新コンセンサス(CosTR2005)が発表され、これを元に各国が蘇生にまつわるガイドラインを出しています。その代表的なものはアメリカ心臓協会(AHA)から出たガイドライン(G2005)です。日本はAHAの後追いの形でわずかだけ独自色を入れたガイドラインを出しています。

そのG2005では、気管挿管の確認は、患者が移動する毎に確認を繰り返せと明言しています。つまり、チューブトラブルは、チューブを入れるときだけはなく、入れた後もずっと起こりえるということです。

本エントリーのケースがそういう視点で討議されたのかどうか新聞記事からはうかがい知ることはできませんが、搬送先の大学病院でも、引継ぎ直後に、自分らの手で確認をしていなかったとすれば、そちらにも過失責任は発生すると思います。

非医療者の皆様方には、
  食道挿管が判明という事実と挿管手技を行った医療者の過失は必ずしも同等とは限らない
ということをは知っておいてほしいと思います。

気道確保の遅れで過失と判定された判例

本件において,N医師が,午後10時00分以前に,気管穿刺ないし緊急気管切開等の必要な措置を行い気道を確保していれば,亡Hは死亡を免れた蓋然性が高いのであるから,被告医師らの過失と亡Hの死亡との間には相当因果関係があると認めるのが相当である。


救急外来においては,心停止・呼吸停止を起こしている患者の診察が日常的に求められており,挿管後の呼吸音の確認は医師としての基本的な技量である。よって,呼吸音を誤認し,食道への誤挿管のまま放置した被告医師らの措置には過失がある。

判決文、斜め読みですが、 急性喉頭蓋炎にともなうCICV症例のようです。
上記のごとく、気道確保できなかったこと、誤挿管してしまったこと いずれも医師側が負けてます。 

この判例をみて、急性喉頭蓋炎のCICVに遭遇すれば、私もきっと過失責任を問われることになると思いました。私は救急医とはいっても内科系出身であり、外科的な緊急気管切開はできません。
せめて、シュミレーションで練習しただけの、輪状甲状間膜穿刺までです。
それでさえ、緊急症例では、一か八かです。 
この判例の症例のように切羽詰った状況で、自信をもって確実に気道確保をやれる医者は、当直している日本全国の病院でどれほどいるでしょうか? 医療を受ける方々には気の毒ですが、私の実感では、当直する医師の<5%以下だと思います。しかし、判例では、外科医であれば、だれでもできて当然と言っています。 
こういう判例が積み重なればなるほど、救急をやる医者はいなくなります。
産科の次は救急といわれるゆえんです。

連投失礼しました。


私もER医のはしくれさんの示した急性喉頭蓋炎の判決を以前見て愕然としました。このときは刑事事件としてはとりあげられていなかったので福島大野病院事件のようには医者連中は危機意識をもたなかったかもしれません。
民事訴訟は、それこそ肩がぶつかっただけでも起きうるわけで、どのような仕事をしていても、ある意味避けることはできないように思います。言うのは勝手ですから。
しかし、福島大野事件が起き、そう悠長には構えてられない気もしてきました。ER医のはしくれさんのおっしゃる「過失」責任の心配は私も毎日のようにしています。毎朝の神頼みも欠かせません。
こんな状況にあるのは、そもそも法律上の「過失」の定義がハスカップさんの示されるようでありながら、地方裁判所の示す「過失」の拡大解釈に異議を申し立てず民事で安易に医者側が和解や賠償金を支払い解決しているからではないのかと思っています。しかし、裁判を続けるのは本当に労力がいる作業で、日常診療に大きな支障が出ますから早く解決したいのも頷けます。
この掲示板は法曹関係の方もご覧になっているでしょうから敢えていわせていただきます、法曹は全く怠慢であると。我々医者は日進月歩の医療に追いついていこうと毎日勉強しています。そして新しい治療もなるべく安全に行えるように日夜努力しています。翻って法曹はどうでしょう?明治時代に作られた刑法に沿って、なんでもかんでも業務上過失致死にして過去の判例に則って判断するだけです。その時代の技術進歩や生活変化などを考慮し、法解釈を刷新していく努力は認められません。
国家権力におんぶにだっこ状態ですから仕方がないかもしれません。治安を維持するには検事や裁判所がこのくらいでないと国民は安全には暮らせないと思っていらっしゃるでしょう。冤罪をやっても関係者のだれにも刑事罰は与えられないのですからのんきな商売です。しかし、我々公立病院の医者が日夜の診療の激務に加え刑事裁判の恐怖に悲鳴をあげているのです。医療崩壊が叫ばれています。新司法試験になって法曹関係者も増えるそうですね、是非、より時代に即した法律解釈の研究をしてください。くれぐれも、何処かの国みたいに、病院の前で出てくる患者さんに名刺を配る仕事はしないで欲しいと思います。

>No.62 消化器内科医さん

私の場合は、合併症に関してはそれなりにデメリットを話して理解を得たほうが、あとが楽だと思ってそれなりに話しているのですが、先の例のように「100%成功させてください」などと言われると萎えます。あと、「先生を信じてますから」と言われるのも結構堪えます。「いやいや、信じてもらってもダメなときはダメで、下手したら目がつぶれちゃうこともあるんですよ…」と説明したりもします。放送禁止用語も使いながら。(私は眼科です)

結局、説明と同意なんていうのは、患者さんに覚悟を決めてもらい、それを医者が確認することが重要なのだと思います。「怖くなって当日キャンセル」にあたることもありますが、「覚悟を決めかねている患者さんに手を下さなくて済んで良かった」と考えるようになりました。

>No.88 ER医のはしくれさん
>No.89 いち麻酔科指導医さん

わたしのよーに判決を読む前にバイアスになる情報をもってーるのもどーか思っていますが……。

この裁判の被告病院は某カルト教団(壺を売ったり、集団結婚式したりしていうるとこ)と密接な関係にあることはご存じですか?
ここです。
http://homepage1.nifty.com/kito/uc.kanren.content.htm

 いち麻酔科指導医さんと同様、私も以前この和歌山急性喉頭蓋炎症例の判例文を読み、ぞーっとした麻酔科指導医です。麻酔科医は気道確保に熟達しているのは当然のことですが、熟達しているからこそ輪状甲状靱帯穿刺や輪状甲状間膜切開を選択しなければならないような状況に陥ることが少ないのではないか?と思います。本件で経過の途中で加勢した医師が経口気管挿管になんとか成功したのと同様に、このような危機的状況を自らの経験によって培われた技でなんとか切り抜けてきた麻酔科指導医は数多いでしょう。

私の場合、このような手技を緊急時に実際に行わなければならないときは、生体で実施するのは一例目ということになります(マネキンでシミュレーションした経験がわずかにあるのみ)。指導者や経験者の助言が得られない状況である可能性も高いでしょう。それにもかかわらず、複数の専門家による事後の遡及的分析にも十分耐えられるほどの正しい判断、正しい手技の実施、正しい全身管理を求められるのであれば、このような事態に陥ったとき、一体どうすればよいのでしょうか。

法的に正しい行為(過失認定されることを避けたり、期待権の侵害?の度合いを減らすことを主な目的とするような行為)は、「私は、今すぐに外科的気道確保の必要性があると診断しますが、私にはその手技を正しく実施する経験も自信もありません。外科的気道確保の十分な経験を持っている専門家を迅速に呼び寄せます。」と言うことなのでしょうか。私はおそらく、はじめてであってもとにかく留置針を刺してなんとか換気ができるように努力すると思いますが、結果が悪ければはじめから死に瀕しているような症例であっても、いろいろと断罪されるのでしょうね。想像の話ですがやりきれません。

医学的介入が可能なすべての疾患・状態について、すべてのステップ(判断・説明・手技・予想外の問題の対応など)で、事後的に子細に検討しても正しいと判断されるような方法を常にとることは、医学的介入を行う医療従事者および病院設備等の資源・能力などが量的にも質的にも無尽蔵に存在しなければ不可能なのではないでしょうか。医学的な正しさということについては、非常に厳密に追求され、背景事情がどうであれかなり高いレベルの診療水準を措定しそこからどれだけ逸脱しているのか、ということの「解明」にはご熱心な一部の法曹関係者がいらっしゃるようですが、与えられているリソース(国家、地域、各施設のレベルの医療的資源)、それまでの経験および受けてきた医学教育の量と質、勤務状況や待遇、所属医局・病院などの管理体制などなどから、当時その当事者に可能であったと思われる診療水準というものを無視・軽視するのであれば、法律を現実の問題に適応しているのではなく、現実を無視した空想的法律実務というものに陥るのではないでしょうか。今の医療をとりまく法的環境は我々に不可能を強いているような気がしてなりません。

> No.89 いち麻酔科指導医さん

 あなたが医学に詳しいのは分かりますが、法学の歴史や発展、理念、現状等にもお詳しいのですか?

FFFさま、もっとはっきりおっしゃっても宜しいのではありませんか、
この場で法曹に喧嘩を売るのは、阿呆の業であると。

法律系ブログで、医療訴訟の不条理について理解がある唯一の場所なのに。
ここで発言する人に数倍する法曹たちが、このブログを読んでいるのです。医師が何を考えて、何を求めているかを法曹に伝えるのに、ここに勝る場所はないと思います。
逆に言えば、ここから発せられた医師のマイナスイメージは、速やかに法曹の間に伝播するということでもあります。

法曹の中に味方を増やさずして、裁判制度の改革はありえません。医療事故調査の専門機関を作ったらとか、裁判外紛争解決機関を作ったらとか、いろいろカッコいいことを提案しても、医師だけで、どうやって実現できるのでしょう?
自分の個人的利益だけを考えても、民事紛争に巻き込まれたときに、万一、刑事訴追を受けたときに、頼るべき相手を「怠慢」と罵ることが、よい結果に繋がると思われますか?

No.94 YUNYUN さん
基本的に同意します。

ただし、後半部分を改変した下記も同様に成立します。
===================
法律系ブログで、医療側にも理解がある唯一の場所なのに。
ここで発言する人に数倍する医療者たちが、このブログを読んでいるのです。法曹が何を考えて、何を求めているかを医療者に伝えるのに、ここに勝る場所はないと思います。
逆に言えば、ここから発せられた法曹のマイナスイメージは、速やかに医療者の間に伝播するということでもあります。(本当です。発言からほどなくして某掲示板にマルチコピペされていたりします)
医療者の中に味方を増やさずして、医療制度の崩壊・復興はありえません。周産期救急のネットワーク化を図ったらとか、がん拠点病院を作ったらとか、いろいろカッコいいことを提案しても、非医療者だけで、どうやって実現できるのでしょう?
自分の個人的利益だけを考えても、交通事故に巻き込まれたときに、万一、腹腔内損傷を受けたときに、頼るべき相手を「怠慢」と罵ることが、よい結果に繋がると思われますか?
===================
ま、要はYUNYUNさんと同じで、お互いの専門家である部分を尊重し尊敬してお話ししましょうよ、というだけのことです。
対立・反目からは何も意味のあるものは生まれません。

>>95の訂正です。

× 医療者の中に味方を増やさずして、医療制度の崩壊・復興はありえません。
○ 医療者の中に味方を増やさずして、医療制度の崩壊後の復興はありえません。

最近、こちらのブログも大ネタがない日は医師のPVが落ちてませんでしょうか。
ただのカンですが。
法曹バッシングから法曹パッシングに移りつつある気がしてならないのです。

 双方の苛立ちが感じられる今日この頃ですが

 医療崩壊の原因の一つとしての司法不信を議論するというのであれば、その戦場は手術室ではなくて法廷であるわけです。
 そうであるならば、医療者側の皆さんに法廷の戦いのルールを理解していただくことが不可欠です。
 私はその思いでこのブログで医療崩壊問題を取り扱っています。

 これは私が弁護士だからいうのではありません。
 ボクシングにはボクシングの、フィギュアスケートにはフィギュアスケートの戦い方があるでしょう。
 どういう場面における問題なのかを考えれば明らかです。
 
 そして、司法不信というのは、つまるところ裁判官不信であり検察官不信であると思います。
 しかし司法は裁判官と検察官だけで成立しているわけではありません。
 原告側弁護士、被告側弁護士、被疑者被告人の弁護人もいるのです。
 そしてその全てを法曹と言います。
 法曹というときは全てを含みます。
 そして、法曹は一部の例外を除き原則として当事者ではありません。
 検察官は当事者として登場しますが、これも「公益の代表者」としての当事者です。
 つまり、法曹は事件については個人的な利害関係がないのです。
 その意味でその仕事は本質的に受け身になります。
 そして法律及び法制度に拘束されます。
 そして法律及び法制度を変えるのは法曹の本来的な仕事ではありません。

 いち麻酔科指導医さんは法曹の不勉強を指摘されているようですが、法曹に医師と同じ程度の医学的知識及び経験を要求することはできませんし、要求されてもいません。
 もし当事者と同程度の経験を要求するならば、極論すれば人を殺したことのない裁判官は殺人事件の裁判ができなくなります。
 裁判官としては事件の都度、必要な知識を補充すれば足りるのです。
 そして裁判官に必要な知識を持たせるのは、当事者法曹(原告側弁護士、被告側弁護士、検察官、被告人の弁護人)の仕事です。
 そして法曹に対して裁判官に補充すべき知識を教えるのが当事者(原告または被告本人、患者または医師)です。
 つまり大本は当事者だということです。

 法曹が怠慢であるとするならば、大本である医師は怠慢でなかったかがただちに問われます。

 このコメントのような説明は、私を含めてこれまで何度もなされてきたと記憶しています。
 既に説明済みと思われる誤解が今なお見られるのですが、これはやむを得ないでしょうね。
 コメント数が膨大すぎて途中からの参加者の方はとても読めないでしょうから。

 忍耐づよく説明するしかないかもしれませんが、十把一絡げの人格攻撃的批判は非建設的です。

 医者の中にも、名医もいればやぶ医者(ハンドルにあらず)もいるでしょう。
 やぶ医者が一人いるからと言って日本の医者はみんなやぶだとは言わないでしょう。
 法曹も同じです。

 日本の医師の大部分の方は、日本の裁判官の医療過誤事件の判決の大部分はトンデモ判決であると思っているのでしょうか?
 そのように思っている医師は日本の医療過誤事件の判決の全てを検討されたのでしょうか?

 法律家及び法学者は、個々の事件の裁判批判を通じて司法全体の適正を図ろうとしています。

(本来なら医療崩壊エントリVol.11に書き込むべきですが、今あちらでは別の話題になっているようなのでこちらに書きます。必要ならば転記等よろしくお願いします>>管理人さん)

さんざん煽っておいてなんですが「医療崩壊」など起こりません。
少なくとも「医療そのもの」が崩壊するなんてことは有り得ません。

2007年2月13日現在、日本で進行中なのは「いつでも誰でも安価に受けられるそこそこの質の医療の崩壊」だけです。
小売業のうちスーパーとコンビニのみがいっせいに減少しているような状況なだけです。
個人商店やデパートは残っていますし、残りますよ。
例えば今でも、首都圏のお産予約争奪戦の中、わずか100万円余分に出すだけで然るべき病院での出産が可能です。
それが他の分野にも広がるだけのことです。

それから、医師と都市部の看護師は「いつでも誰でも安価に受けられるそこそこの質の医療の崩壊」が起こってもあまり困ることはありません。
どんな社会保障制度になろうと、そんなものがなくなろうと、潜在的な需要に応えるだけの供給量はありませんから。
仮に政府が供給量を倍に増やそうとしたとしても、卒後、独り立ちするまで10年かけて育てる側の人間がどこにもいない現状を見れば不可能なのは明らかです。

医科診療報酬点数表に並ぶ数字が今後どんなに変化しようと、それに従って医療を提供する施設が自分の周りになければ事実上意味をなしません。
例えば、Yahoo!ヘルスケアで検索される全国の救急告示病院数も

'06 12/9:4010→12/23:4005(-5)→12/31:4002(-3)→'07 1/5:4000(-2)→1/18:3997(-3)→1/27:3976(-21)

のような変化を辿っていますね。
無理やり動員しようとしたところで、旧東側諸国末期の医療体制が出現するだけです。
政府の思い描く集約化、なんてのもそれが強制力を伴おうと伴わなかろうと、少し簡単な算数を行うだけで、どれほど非現実的なものかはわかります。
最近ではYosyan先生のところでもその関連のエントリが立ってますね。
医師はもう「目覚めてしまった」のです。
元には戻れません。
未来の優秀な高校生たちも賢明な判断を下すことでしょう。

さて、既存の保険に頼らない医療のビジネスモデルとしては、例えば年会費数百万円の会員制医療クラブなんかが今後流行るかもしれませんね。
高級人間ドックをそのまま医療の分野、とくに救急医療の範囲まで延長したような仕組です。
右往左往する市の救急車を尻目に、選ばれた会員だけがすっとプライベート救急車で設備の整った病院に収容されるのです。
もちろん応召義務がありますので、飛び込み非会員の急患も表立っては拒否しません。
その場合、支払い能力を厳密に審査され、なければすぐ退院、あっても払わなければ常勤の弁護士によって即刻法的措置が取られます。
おそらく院内は罵声・怒号が飛び交うはずもなく、落ち着いた心安らげる雰囲気であることでしょう。

そうなると黙っていても、アヒルで有名な保険会社さんらが年収に応じて一般庶民にも手の届くような中級会員制病院(当然、株式会社立)とセットの医療保険商品を作ってくれます。
ずっと以前から経済界と東隣の某大国とがタッグを組んで日本政府に要求してましたよね。

繰り返します。
「いつでも誰でも安価に受けられるそこそこの質の医療の崩壊」が起きても、医師と都会の看護師が困るわけではないのです。
むしろメリットの方がおそらくは大きいのです。

そうそう、忘れてました。
「いつでも誰でも安価に受けられるそこそこの質の医療の崩壊」が起きても起きなくても、あまり影響を受けない方達がいました。
弁護士の皆様です。
医事関係「訴訟」はともかく、これからも医事紛争は決して減ることはありません。
患者側ももう「目覚めてしまった」のです。
元には戻れません。
医事紛争解決システムが従来型であろうと全く新規のシステムになろうと、患者側、医療側、もしかしたらの第三者機関側それぞれに弁護士の大活躍が期待されます。
医事紛争市場は、准弁護士と揶揄されるようなロースクール卒法曹の激増にも十分耐えうる、まだまだ未開の肥沃な広野だと言えましょう。

No.95 元田舎医さま

一点、確認しておきたいのですが、このブログで、法曹を名乗って、医療職に対し、
「日本の医療は明治100年、古い治療方法をなぞるばかりで、科学の進歩に対応した新たな技法を何も工夫せず、徒らに患者に苦しみを与え寿命を縮めるばかりで、怠慢であった」
というような非難をした者はいません。

医療現場において、医師の明白な過失による医療過誤事件が、時には医療者の故意による犯罪事件が、何件発生しようとも、そのことによって日本の医療の全てが悪であった評価されるものでない。多くの医療者が専門家としての知識技能を尽くして、患者を治そうと日々努力し、成果をあげていることを、みな承知しているからです。

>翻って法曹はどうでしょう?明治時代に作られた刑法に沿って、なんでもかんでも業務上過失致死にして過去の判例に則って判断するだけです。その時代の技術進歩や生活変化などを考慮し、法解釈を刷新していく努力は認められません。

上記引用が法曹の逆鱗に触れた理由は、
これが一個の事件処理や現代の裁判制度の一つの問題点を指摘するということでなく、
法曹職全体の、専門家としての永年の営みを全て否定する言葉であるからです。
法律を学び法曹実務に数十年携わり、専門的に十分な知識経験を踏まえた上で、客観的証拠を挙げて批判されるならまだしも、
自分のよく知りもしないことについて、妄想に基づいて非難されることには、我慢がなりません。

>翻って法曹はどうでしょう?明治時代に作られた刑法に沿って、なんでもかんでも業務上過失致死にして過去の判例に則って判断するだけです。その時代の技術進歩や生活変化などを考慮し、法解釈を刷新していく努力は認められません。

このご意見に対する反証としては 新過失論があると思います
明治時代から戦前くらいまで(どこまでかはよく知りません)旧過失論時代は
リスクの概念が無かったので因果関係だけで立証可能でした
現在主流となっている新過失論こそ 技術進歩によって
リスクの概念の導入が必要と認識されて 
「刷新された法解釈」と言っていいとおもいます
もうけっこうな昔にできたんですけど
(予見可能性の範囲については諸説有るところです)

なんでもいいから刑法総論の本を読んでください

No.99 YUNYUN さん
お怒りになるのももっともだと思います。
ここではなかったとしても、私たち医療者側はリアルでもネットでも同じような言葉を投げられ続けて来ましたので、同じプロとしてそのように自分の職業を貶められるお気持ちはいくぶんでもわかるつもりでいます。

それでもなお、「私」のスタンスはNo.95で述べた通り、
・お互いの専門家である部分を尊重し尊敬してお話ししましょう
です。
それでよろしいですか。

>No.101 元田舎医さん

>お互いの専門家である部分を尊重し尊敬してお話ししましょう

 私はこれに賛成です。

 YUNYUN さんが、そして私も苛立ちを隠さないのは、今までの議論はなんだったのかという思いもあるからです。
 もっともこの点は、これまでのコメントが多すぎて最近の参加者は読み切れないので無理もないとは思いますが。

 あと一点指摘させていただければ、個々の事件の判断の問題と制度論とは立て分けるべきであるということです。

 司法界は法曹個々人の判断の幅がとても大きな業界です。
 同じ事件について同じ証拠を前提としても判断が逆になる場合も珍しくありません。
 同じ事件における対立当事者の代理人の見解は最初から逆です。
 つまり、少数のトンデモ判決(これは個々の裁判官の判断です)に基づいて、司法界の判断はおかしい、という批判は必ずしも当たらないのです。

 参加者全員の自戒として、レッテル貼りやラベリングには十分気をつけていきたいと思います。

 このブログでの議論でも、双方とも最初はかなり濃い色眼鏡をかけていたようですが、その色がだんだん薄くなってきたというのがこのブログの議論の過程だったように思います。

No.97 モトケンさん

>今までの議論はなんだったのかという思いもあるからです。
>もっともこの点は、これまでのコメントが多すぎて最近の参加者は読み切れない

とりあえず常連医師の多くの、法曹に関するここでの議論の結果到達した(と思われる)知識をまとめてみたいと思います。(偏見が入っている惧れがありますので、違うと思われる方は具体的につっこんでください)

検察⇒マスコミに騙された状態から、方向を転換した。しかし一旦とりかかったものに関しては、取り下げたりはしていない。
医療機関側弁護士⇒医療の事情もよくわかっていて大変頼りになるが、さっさと終わりたい医療機関自体に足を引っ張られることもあり。
裁判所⇒(YUNYUN先生やモトケン先生のお言葉にあえて逆らいますが)射程は建前、そもそも判断の基になる最高裁の判例自体がトンデモ(医療水準)。藤山は例外(論外)なので裁判の対策のためには参考にはならない。多くの裁判官は真面目で公平を期す努力をしており、医療側の勝訴も決して少なくない(判例集に掲載されるのは何故か敗訴例ばかり。さらに言えばトンデモが多い)が、システムの問題もあって正確な判断は現状では無理。
患者側弁護士⇒決しておいしい仕事ではなく(だからいいという話では全然ない)、訴訟にならないように心掛けている弁護士も少なくない。相談の1割程しか訴訟にはならない。しかしながら医療に関しては勉強不足の印象は否めない。また、おかしな信念、おかしな論理で、医療裁判に向かうもの(弁護士雑誌で患者側弁護士の代表として堂々と主張していたりする)も存在する。

>元行政さん

藤山は例外(論外)なので裁判の対策のためには参考にはならない。多くの裁判官は真面目で公平を期す努力をしており、医療側の勝訴も決して少なくない

藤山判事といえども医療側勝訴の判決を少なからず出していますので、1「藤山判事も真面目で公平を期す努力をしている」、2「真面目で公平かどうかと言う事と、医療側勝訴にするかどうかと言うことは無関係」のどちらかになるかと思います。

また、藤山判事の判決を例外扱いされておられるようですが、藤山判事の判決は多くの裁判官や法曹に参考にされ、今後の医療訴訟のスタンダードになる可能性を考えた方がよろしいかとも思います。

>No.103 元行政さん

>検察⇒マスコミに騙された状態から、方向を転換した。

 まず、「検察」というのは一般化し過ぎです。
 「福島地検」と言うべきです。
 
 次に、「マスコミに騙された」というのは当たっていなくはないのかも知れませんが、やはりちょっと言いすぎかと。
 福島地検のスタンドプレーという印象は持っていますが。

 こういう言い方をすると弁護士も裁判官も同様で、結局まとめにならないと言われそうですが、法曹三者とも、

 ご指摘のような問題がある場合がある

として議論されてきた、ということだと思います。

> 患者側弁護士⇒

「医療問題弁護団」
http://www.iryo-bengo.com/index.php

は患者側弁護士の集まりのようですが、考え方はいろいろあるように感じました。

「Q1 医療ミスを疑ったら」
http://www.iryo-bengo.com/general/qa/no01.php

1 はじめに
 相談者のケースは、大きく分けて、2つの場合が考えられます。
 1つは、通常の医師であればしないようなことを執刀医がしてしまった、つまり、術中にミスがあった場合です。いわゆる医療ミスです。
 もう1つは、手術や病気自体の危険性が原因で急変してしまった場合です。現代医療には限界があり、100%安全な手術はありませんし、もともと持っていた病気が悪化することもありえます。
残念ながら、医療側が最善を尽くしていても、患者にとって望ましくない結果が生じることもあります。

4 刑事責任を問うことの是非
 近年、医療ミスで刑事責任を問われているケースの報道がいくつかありました。このように医療側の刑事責任を問うことについては、大きな議論のあるところです。
 患者側から見て、医療ミスを犯した医師を道義的に許せない、罰してほしい、と感じることがあるのは確かです。
他方で、
〜楮叉ヾ悗帽霑福告発したからといって必ず捜査が開始されるものではないこと。
告訴・告発に対する一定の結論が出るまでに長い時間を要することが多いこと。
7沙手続をとることを前提に司法解剖をした場合、その解剖結果を知ることが容易でないこと(当弁護団のホームページには司法解剖結果開示に関する意見書が掲載されています。)。
じ什澆留人僂箸靴瞳沙責任が問われているのはかなり限定されたケースであること。
グ緡殿Δ正直に説明するきっかけを失う。
など、刑事責任追及にはさまざまな限界や問題点もあります。

刑事立件に関してはこういう考え方もあるのだなと思いました。

「医療過誤刑事事件の立件を巡って」
http://www.iryo-bengo.com/general/essay/no01.php

曰く「一生懸命やった挙げ句に捕まったのではたまらない」「こんなことでは医者なんかやっていられない」。医療従事者に過重な負担が課せられている医療現場の惨憺たる現状を見れば、そう言いたくもなる気持ちは分からないではない。
しかし、この理屈は医者仲間以外では通らない。「一生懸命ですむんなら警察要らない」と言われるのが落ちだ。通らないどころか、この理屈は、特権意識を振りかざした恫喝としか映らないだろう。

2 医療の世界も聖域ではなくなった
 福島県立病院のケースを報道で知る限り、確かに逮捕権を行使すべき事案であったかどうか疑問がある。しかし、実は、こうした警察の行きすぎは、医療の世界以外では既に珍しくなくなっている。弁護士なら、選挙違反・ビラ貼り・公務員の政治活動など政治絡み・社会運動絡みの事件だけでなく、交通事故や交通違反、痴漢冤罪事件など、誰でも巻き込まれる可能性がある事件の中で、「何でこんな事案で逮捕しなければならないんだ」と思わされることがしばしばある。身柄を拘束して、自白させて、一丁上がりという旧態依然たる捜査のあり方は、今なお重大な人権侵害を起こしている。
これまで刑事事件の聖域とされていた医療の世界に、警察が足を踏み入れたとき、こうした安易な逮捕・自白の強要という人権侵害が、当然のように医療の世界にも入ってきたのである。

>No.97 モトケンさん

>医療者側の皆さんに法廷の戦いのルールを理解していただくことが不可欠です。

全くその通りと思います、で、勉強中です(叱られることの方が多いですが....(^_^;))

医療の基本は、ヒポクラテスの誓いにもあるように”自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない”ということです
これまでは、医学的という科学的、統計的判断に基づいて”患者に利”を判断することが多かったのですが、医療訴訟を考えているうちに、社会的判断ももっと考慮すべきなのだろうと思うようになっています

トンデモ判決も多いですが、判例の中には医療側から見たら頑張ったと見えるものでも、患者さん側からすればアリガタ迷惑であったり、理解が追いついていない例もあるのも事実です

社会的に許容される安全な医療を意識することは、原則、悪いことではないのだろうと思ってます。安全管理は、目に見えて改善しています。(負担も多いですが。。。。。)
恐らく数多くの医療行為が、裁判も含めた社会の目を持つことで患者とって良い方向に向かっていると思います

問題は、説明・理解⇒契約⇒履行という順序が踏めない領域が医療には多くあるということです
救急外来しかり、産科しかり、小児科しかり、難病治療しかり、終末期医療しかり、、、、

互いに理想的な医療契約が結べない時、お互いに妥協可能な契約形態があれば良いのですが、特に医療環境に余力が失われています(多忙な労働状況、細る医療予算、高まる患者期待、医療の高度化、、、、)。
紛争を予め避けるための医療契約という特別の契約形態があっても良いようにも思えるのですが、浅学のため解決法が見つかりません

法律用語としては間違えた理解かもしれませんが、医師の多くは、”(患者)利益の帰するところに(患者)不利益も帰す.”と考えていると思います。
医師の多くは自らの利益を顧慮せず、目の前の患者利益のため、自らも含めた医療資源を投入すべしという使命感を持っています。。
自らの利益に関係ないところというと、医療収入について突っ込まれそうですが、保険診療では、患者には窓口負担付きの現物給付に過ぎず、医療機関には患者の支払より大部が保険で公的に賄われている特殊契約であると考えれば、医師が公共の福祉の最前線にいると思うのも無理ないと思います

特に最近の高額の慰謝料認容の流れは、医療側には屈辱的ですらあります。
多分、多くの医師が冷や水を浴びせられている感覚だと思います
もし医師が自らを公僕と捉えるのが誤解であるというなら、そうなのでしょう。
医療の中のボランティア部分は消えてなくなることでしょう

理論は詰まっていませんが、御容赦を。
(ここに集う法曹の方を責めている訳ではありませんので)

>No.97 モトケンさんへのコメント


 つまり、法曹は事件については個人的な利害関係がないのです。
 その意味でその仕事は本質的に受け身になります。
 そして法律及び法制度に拘束されます。
 そして法律及び法制度を変えるのは法曹の本来的な仕事ではありません。

確かにそうなのですが、その上で、不案内な分野(特に科学技術分野)に介入せず、結果として行政や立法にボールを投げ返すという判断もあるべきと思います。

裁判官、検察官は自らの守備範囲を逸脱し、本来介入すべきでないところまで踏み込んでいると感じるのが、科学技術系の人間(もちろん医療者も)が抱く、彼らへの不信の根本ではないでしょうか。ウィニー判決でIT技術者(ちなみに私は医療者です)が判決に批判的なのも、判決内容云々でなく「なんであんた(裁判官)がウィニーの技術的評価までする資格があるの?」といった不信ではないでしょうか。繰り返しになりますが、「判断しない」という判断があってもいいと思います。

>元ライダーさん

>その上で、不案内な分野(特に科学技術分野)に介入せず、

 趣旨としては、刑事司法の謙抑性という原則がそのような考え方に近いです。
 だから現在の検察の上層部は福島地検の起訴について全面支持ではないのです。
 だからといって公訴の取消にはつながりませんが。
 大野病院事件の検察の公判立会は、どうも意地になっているように感じられます。

>判決内容云々でなく「なんであんた(裁判官)がウィニーの技術的評価までする資格があるの?」といった不信ではないでしょうか。

 この批判は正当でないと思います。
 裁判所が行ったのは技術的評価ではなく、社会的影響です。

>繰り返しになりますが、「判断しない」という判断があってもいいと思います。

 民事でも刑事でも、適法な訴えが提起された以上、それが法律上の争訟である限り、裁判所は判断しないわけにはいきません。
 その場合、判断しないという判断は、一方当事者の敗訴を意味することになると思います。

 ちょっと答がピンボケかも知れませんが。 

>元ライダーさん
逆に、IT技術者に対して一般人は以下のように思っているかもしれません。

技術者は技術の事だけやってればいいんであって、社会の事にまで口を出すのは範囲外。自ら作ったものの社会的影響すら分からない奴が、ソフトウェアを公開する資格はない

不信というのは相互不信だと思います。IT技術者が司法に不信感を抱いているのと同じように、社会もIT技術者に対して不信を抱いている。社会の不信感の表れが判決に反映されたと言えなくもありません。


裁判官に必要な知識を持たせるのは、当事者法曹(原告側弁護士、被告側弁護士、検察官、被告人の弁護人)の仕事です。
そして法曹に対して裁判官に補充すべき知識を教えるのが当事者(原告または被告本人、患者または医師)です。
つまり大本は当事者だということです。

 法曹が怠慢であるとするならば、大本である医師は怠慢でなかったかがただちに問われます。

いや、それはどうですかね。医療に限らず一般の感覚とはちょっと乖離していると思いますよ。
もちろん法曹界ではそういうことで一致しているのかもしれませんし、わかるんですが。
基本的には裁判というのは正しい結果を出してくれるもので、それができないとすれば法曹(特に裁判所)何やっているんだ!、というのが世間の感じ方な気がします。
例えば大本である被害者にとってきわめて理不尽な判決が相次いだときに、それは君たち被害者が怠慢だからだ、という意見はすこぶる一般的でない。

むしろ、

そういったゴタゴタを正しく判断するために高い給料貰ってるんだろ?
法曹になるときに専門的問題も裁かなきゃいけないことは解っていたはずだ。
誰もお前らに働いてくれなんて頼んでない。
やるなら骨身を削って働け。無理だなんて泣き言を言うな。


い や な ら 辞 め ろ 代 わ り は い く ら で も い る

みたいな、ムキーな意見が結構あるかも。さすがにそれはないかな?


>No.109 モトケンさんへのコメント

>裁判所が行ったのは技術的評価ではなく、社会的影響です。

法曹の評価はそうなんでしょうが・・・
今回はあまり重要ではないので深入りはやめて起きます。

「裁判官、検察官は自らの守備範囲を逸脱し、本来介入すべきでないところまで踏み込んでいると感じるのが不信の根本」
こちらの方がメインです。
もし誤解ならモトケンブログのように「わかりやすい説明」を法曹はもう少し心がけても良いのでは?医師は嫌になるほど言われていますが。

>民事でも刑事でも、適法な訴えが提起された以上、それが法律上の争訟である限り、裁判所は判断しないわけにはいきません。

長沼ナイキ訴訟高裁判決(高度に政治性のある国家行為は、極めて明白に違憲無効であると認められない限り、司法審査の範囲外にある)のように「高度に専門性のある行為は司法審査の範囲外にある」として、医療訴訟に我関せずの態度をとり、結果として行政や立法に行動を促す態度は期待できないものでしょうか?長沼ナイキ判決は「判断しない」という裁判所の判断ですよね。

>その場合、判断しないという判断は、一方当事者の敗訴を意味することになると思います。

敗訴した当事者の不利益への責任は裁判所ではなく、行政もしくは立法の不作為にあるという態度は取れませんかね。そうした態度表明が制度新設(あるいは変更)への圧力としては、医療者や患者の主張とは比較にならないほど大きいと考えるのは司法への過剰期待でしょうか。

> 立木 志摩夫 さん

 当事者が主張立証しない資料に基づいて裁判をしますと公平性の観点で問題が生じるんですよ。
 一方当事者に不意打ちになる場合も考えられます。

 モバイルアクセスなので続きは後ほど。

> 「高度に専門性のある行為は司法審査の範囲外にある」として、医療訴訟に我関せずの態度をとり、結果として行政や立法に行動を促す態度は期待できないものでしょうか?(No.112 元ライダーさま)

>その場合、判断しないという判断は、一方当事者の敗訴を意味することになると思います。(No.109 モトケンさま)
つまり、医療訴訟においては、医師の過失の有無に関わらず、常に患者が敗訴するという結論になります。
その結論を一般国民が妥当とするかどうかは、大いに疑問です。

日本では法的紛争の解決は全て司法の役割であるとされていて、司法判断の及ばない空白地帯は、国政の他の権力(立法・行政)と衝突する場合等、ごく例外的な現象と考えられています。
なぜなら、司法以外の他の救済手段が用意されていることのほうが少なく、司法が手を引けば、原告には全く救済が与えられないという過酷な結果になるおそれがあるからです。
長沼ナイキ訴訟で最高裁が「自衛隊は政治問題」として介入を避けたことについては、批判意見は少なからずあります。

裁判所は「専門家の裁量」とされる範囲については、その当否の内容判断には踏み込まないというルールです。
しかし、どこまでが裁量範囲であるかの「枠」は裁判所がはめるし、定められた手順を遵守したかという手続面からのチェックは掛けます。
フリーハンドを与えるのではなく、何らかの形でコントロールを及ぼしていこうとする態度といえます。

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> 敗訴した当事者の不利益への責任は裁判所ではなく、行政もしくは立法の不作為にあるという態度は取れませんかね。
 
「行政もしくは立法による救済」とは具体的には、「税金を投入して補償せよ」(過失ある医師に対して求償するという制度設計は可)との趣旨でしょうが、
裁判所がそのような命令を出すことは、現行民事訴訟の制度的枠組みの中では、ほとんど不可能と思われます。
第一に、民事訴訟の当事者主義構造からして、原告が求めていない判断(原告の請求は被告医療者が支払いをすることであって、国に対する請求ではない)を、裁判所が勝手にすることはできません。
第二に、患者が国に対する請求を立てた場合でも、法律のない状態で、司法が行政に支払いを命じることは原則的にできません。(医療過誤では憲法25条や29条に基づく直接請求は不可と思われる)
第三に、司法が国会に対し立法を促しても、法的効果がない、単なる要望に過ぎない以上、救済の実効性がありません。仮に将来、立法が出来たとしても、本件に遡及適用されるかどうかはわかりません。
適当な立法ができるまで、患者は救済されず泣いていろ、というやり方に、納得するか?

> そうした態度表明が制度新設(あるいは変更)への圧力としては、医療者や患者の主張とは比較にならないほど大きいと考えるのは司法への過剰期待でしょうか。

過剰期待です(キッパリ)。
例えば、司法の意見表明の事案として有名なものに、選挙定数違憲訴訟の事情判決があります。最高裁が違憲審査に踏み込むほとんど唯一といってよい事案であり、違法どころか「違憲状態だから早く改正してね」とまで、厳しく注文を付けたにもかかわらず、国会は素直に改正した例しがありません。
それに比べれば、単なる要望ごときに、国会が従うわけがないでしょう。
国会を動かすには、国民世論の後押しがぜったいに必要です。

モトケンさんのコメント

つまり、少数のトンデモ判決(これは個々の裁判官の判断です)に基づいて、司法界の判断はおかしい、という批判は必ずしも当たらないのです。(No.102)

に半分は同意、いたします。数えたことがないのでわかりませんが、トンデモ判決は少数例でありといわれればそうでもあろう。ここまでは同意できます。
ただ、繰り返しになりますが「少数のトンデモ判決に基づいて、司法界の判断はおかしい、という批判は当たらない」まで同意するには、「その少数のトンデモ判決に対して、司法界が非難をあびせているか、せめて強烈に反対意見続出になっていれば」と言う前提条件付けさせていただきます。
どうでしょう。これまで、医療に関して医師からトンデモ判決だと言われた判決で、「(医療崩壊に詳しい人ではなく、一般の)法曹人の間でも、あれはトンデモ判決だと名高い。そしてそのことが(医師を含む)一般人にも読める媒体で、これこの通り、論評されている」と言う判決あればご教示いただければ幸いです。

何かで読んだのですが、「かっての日本政府、現地軍の暴走で問題引き起こした時に、「あれは現地軍が勝手にやった、日本の国家意志は違う。」と釈明するけれど、海外から見ていると、じゃあ、国家意志に逆らった現地軍首脳を処罰、更迭するのかというとそうでもない。下手すると、移動の名目で出世することも。それでは政府の意志ではないというのは口だけで、本心は現地軍と一緒と見られても仕方ない」と言うフレーズありました。

裁判官の地位は憲法で守られていますから、処罰とは言えませんが、せめて、司法専門誌上で厳しく論難されている実態があれば、大筋の司法の判断は違うんだと思えますが。

>No.115 falcon171 さん

>「その少数のトンデモ判決に対して、司法界が非難をあびせているか、せめて強烈に反対意見続出になっていれば」と言う前提条件付けさせていただきます。

 このトンデモ判決というのは、医師の目から見てですよね。
 その事件に関与した法曹を除いて、法曹一般は当該事件において争点となった医学的問題について適正に判断するだけの医学的知識を持ち合わせていません。

 つまり、当該判決がトンデモであると主張できるのは、第一義的には当該訴訟の当事者たる医師及びその代理人であって、トンデモであるというのであればまず訴訟法上の不服申立手段を尽くすべきであり、最高裁まで徹底的に争うべきです。
 そして医療界がその戦いを支援すべきであると思います。

 多くの法曹は、まだ医療崩壊問題に気づいてさえいないかも知れません。
 私が気づいたのもつい最近と言っていいのですから。

 これまで弁護士のグループあるいは弁護士会が積極的に活動して法制度の改正や判例変更を勝ち取った例がいくつかあると思いますが、それも当事者側の強い要求があったればこそです。

 この意見を法曹の責任回避または責任転嫁と読む人がいるとすれば、そのような人はまだ司法制度とその限界についての理解が足らないと言わざるを得ません。
 
 繰り返しますが、当事者が声を上げないと何も変わりません。
 当事者が声を上げれば、それを支援しようとする法曹が必ず現われます。

> No.115 falcon171 さん

 「トンデモ判決」と表現しておられるのは、「falcon171さんの目から見て医学的におかしいと思える裁判例」「医師の多くが不当だと考える裁判例」ということかと思いますが。

 まず、その「おかしい」「不当」という意見が正しいかどうか、再考して下さい。報道された判決要旨、人づてに聞いた判断内容、裁判制度一般に対する印象といった曖昧な根拠に基づいて物をいうのではなく、判決全文にあたり、当事者の主張と提出された全ての証拠、鑑定の結果を踏まえて、訴訟法の原則も理解したうえで、なお、「間違った判断」と断定できるなら「トンデモだ!」と批判するのもよいでしょう。しかし、これらの確認作業もせずに「トンデモ判決」というレッテルを貼るのは、「とにかく人が死んだのだから医療過誤だ、ヤブ医者だ」と言うに等しいように思われます。

# はっきり言って、判決というのは、敗訴した方からすれば殆ど常に「不当判決」と映るわけで、証拠も見ず単に「不当だ」というだけでは、彼ら(裁判所、勝訴当事者、代理人等)は何の痛痒も感じないと思われます。そもそも「トンデモ判決」なんて思っていないでしょうし。

 そして、上記の確認作業を経てなお「トンデモ」と評価できる裁判例があるなら、その判決に至った原因を検討して下さい。裁判官が、証拠として全く出てもいない理屈を勝手にひねり出して無理矢理医療側を敗訴させたのだとすれば、その裁判官の罷免を求める運動をすべきです。賛同する弁護士、マスコミだっているでしょう。しかし、そのようなケースは、現実には想定し難い。仮に「トンデモ」な裁判例があるとすれば、そこには、裁判所の判断を誤らせた「間違った証拠」「間違った鑑定」が存在するはずです。その証拠、鑑定が如何に間違っているかを指摘するのは、正に医師の役割だと思います(この点の批判的検討は、基本的に法律家には無理です。)。

 逆にお聞きしたいのですが、医師の方が「トンデモ」と批判している判決の基礎となった鑑定意見について、医療界が強力な非難を浴びせているという事実はあるのでしょうか。福島事件についても、医療界は、検察の主張を支える見解を示した医師に対する非難をしているのでしょうか。そのようなトンデモ医師に対する非難はせず、トンデモ医師の見解に従った法律家のみを非難するということであれば、フェアとは思えないのですが・・・・。

> 福島事件についても、医療界は、検察の主張を支える見解を示した医師に対する非難をしているのでしょうか。(No.117 FFF さま)

某匿名巨大掲示板あたりでは検察の相談に応じた医師の名前が取りざたされ、非難されているようですが、
そういう噂話的なことでなく、
名の通った医学雑誌上において、「公開質問状」を出して論戦を挑む、
というような行動を、法曹としては期待しております。

しかし、その医師が具体的にどのような内容の意見を言われたのか、意見書等の資料が公開されなければ、批判はしにくいですね。
裁判で証人に呼ばれたりすれば、解るかも知れません。

県の調査報告書のほうは、作成者は判明していますが、あれはかなり巧妙に書かれていて(「過失」という文言は一切使用していない)、「トンデモ」とまでは非難しにくいと思います。

No.117 FFF さん

>判決全文にあたり、当事者の主張と提出された全ての証拠、鑑定の結果を踏まえて

とりあえず全文にあたればある程度判断できると考えていいのではありませんか?それに越したことはありませんが、ちょっと何だかと思いますよ。

>敗訴した方からすれば殆ど常に「不当判決」と映る

こういう印象操作的な一般論は止めた方がいいと思います。

>医師の方が「トンデモ」と批判している判決の基礎となった鑑定意見について、医療界が強力な非難

これは今後おこなわれていくべきことでしょう。トンデモ判決(医学的に妥当性に欠く判決)頻発に対して、危機感を持つまではいっても、自分で勉強して活動しようという医師は、重鎮達にはほとんどいないというのが医療側の問題でしょうね。(ただ弱者被害者(のように見えるもの)やそれを助ける存在に対しては、彼らが明らかな悪事を働いている場合でさえも、叩くことが傍から見て、悪いことのように見えるため、なかなか叩けないという日本らしい背景もあるでしょう)

ところで例をあげるならば、鑑定医協力医を槍玉にあげて社会的制裁を加えるべき今一番の候補は、テオフィリン中毒の訴訟だと思われます。協力医と弁護士とどんな遣り取りがあったのか是非知りたいところです。あんな出鱈目を主張させたのが医師だとすれば医師の資格なしですし、弁護士の先走りならばその活動は社会の害悪でしょう。

>No.114 YUNYUN さんへのコメント
>つまり、医療訴訟においては、医師の過失の有無に関わらず、常に患者が敗訴するという結論になります。
その結論を一般国民が妥当とするかどうかは、大いに疑問です。

私も一般国民がそれで納得するとは思いません。しかし、司法のみが「一般国民の納得」に対して責任を持つ必要はないと思います。立法、行政あるいは国民自身にボールを投げ返せばよいのに、国民の期待に応えるためとの思いから、無理な分野に介入する姿勢が科学技術者の裁判官、検察官不信を招いていると思います。

>日本では法的紛争の解決は全て司法の役割であるとされていて、司法判断の及ばない空白地帯は、国政の他の権力(立法・行政)と衝突する場合等、ごく例外的な現象と考えられています。

医療紛争も法的紛争であることには同意しますが、ある局面では科学的紛争です。複数の鑑定意見が対立した場合、どの鑑定意見を採用するか、鑑定意見をどうつなぎ合わせるか、最終判断を下すのは科学のルールには素人である裁判官です。法廷のルールはそうなんでしょうけど、科学的紛争は科学のルールで判断されなければ正当性(間違いないという意味ではありません)はありません。正当性に優先して法廷のルールを掲げられても専門家は納得しません。

>なぜなら、司法以外の他の救済手段が用意されていることのほうが少なく、司法が手を引けば、原告には全く救済が与えられないという過酷な結果になるおそれがあるからです。

このような姿勢が無理な分野への介入を招き、その結果、専門家の不信をかっていませんか。専門家が不満であるだけで済めば、それでも良いかもしれませんが、医療においては医療崩壊の一因となり、国民全体の不利益になっています。

>裁判所は「専門家の裁量」とされる範囲については、その当否の内容判断には踏み込まないというルールです。しかし、どこまでが裁量範囲であるかの「枠」は裁判所がはめるし、定められた手順を遵守したかという手続面からのチェックは掛けます。

専門家は自身の裁量の枠は事前明らかにして欲しいのです(となると、「枠」をどの程度の大きさにするかは裁判所の仕事ではありませんね)。結果が発生してから枠を決められたのでは不安を抱えながら仕事をすることになります(医療崩壊)。枠を事前に決められないとしても、枠の大きさをどのように決定するかのルールは事前に明確であるべきではないでしょうか。

>「行政もしくは立法による救済」とは具体的には、「税金を投入して補償せよ」(過失ある医師に対して求償するという制度設計は可)との趣旨でしょうが、裁判所がそのような命令を出すことは、現行民事訴訟の制度的枠組みの中では、ほとんど不可能と思われます。

そうではありません。「行政もしくは立法による救済」でもありません。司法が法を変えることはできないとしても、裁判所が判断しない姿勢を示すだけで、それを不満とする国民世論が法改正への圧力となるのではないかということです。紛争当事者以外の医療者は安心して仕事ができ、その結果、国民も適切な医療受けられるような医療紛争を扱うルールの法改正です。裁判所は何も言う必要はありません。

>過剰期待です(キッパリ)。
そうかもしれませんが、上記のような世論形成のきっかけにはなると思います。
裁判所も無理をしないでサボタージュ(身の丈にあった仕事)をして欲しいのです。

No.104 しまさん

>医療側勝訴の判決を少なからず出して

100点か0点かで見ているわけではありませんので、少なくなくてもあまり関係がないと思います。

>今後の医療訴訟のスタンダードになる可能性

射程は建前と言っているように、意識していないわけではありません。
一応説明すれば、その部分の意図は、法曹個々人の判断の幅がとても大ということもわかっているということです。


No.105 モトケンさん

>問題がある場合があるとして議論されてきた

議論の結論ではなくて、あくまで医療側の現時点の到達点としてコメントしました。私が誤っていた医療側弁護士の話しかり、当初多かった患者側弁護は金になるという話しかり。新たに参加する医師が、同じ間違いは繰り返すのは大きなロスなので、そちらを強調したつもりです。


話はちょっとずれますが、以前このブログの内容をまとめようという話や、想定問答集という話が出ていました。何が重要で何が重要でないか人によって違う点や、結論の出ていない話が多い点などから、それらは途方もなく困難だと思ってきました。しかし今回私がやった(簡易なものですが)ように、ここでの議論の結果、自分自身が到達した内容(考え、知識)を、参照コメントとともに多くの参加者(ROMを含む)が書き出せば、可能なのではないかと考えた次第です。

>No.120 元ライダーさん

 まず裁判所が判断しないという姿勢を示すべきであるという議論は、申し訳ありませんが、非現実的な議論です。
 その意味で建設的な議論ではありません。

 専門領域に関する損害賠償請求事件について司法の判断回避を許容するというのは、法律改正にとどまらない憲法改正が必要な問題であると思います。

 医療側の皆さん(の多く)がお忘れである重要な点を指摘しておきます。

 司法権は国家権力の一部であるということです。
 裁判官(及び検察官)は、国家機関なのです。
 その意味で、語弊を恐れずに言えば、裁判官は(検察官も)特権階級であると言えます。
 誤判について裁判官が責任を負わないというのもここから導かれることです。
 皆さんが如何にブーイングをしようとも、法律の議論ではこれは動かし難いことであって、前提として考えざるを得ません。

 司法と医療の問題は、このことを前提として考えないと、単なる不平・不満・感情論になってしまう恐れがあります。
 それでは建設的なまたは現実的な議論にはなりません。

> No.119 元行政さん

 コメントありがとうございます。

 私としては、判決文全文を読んだだけでは、司法判断の是非、当否は論じ得ないと思っています。というのも、判決では、ある証拠から何らかの事実を認定する場合、その証拠の内容まで一々説明せず、単に「甲●号証によれば○○の事実が認められる」とだけ説示することが多いからです。これでは、裁判所が○○という認定をしたことが妥当なのかどうかは判断できず、その根拠になった甲●号証に直接当たる必要があると思われます。

 医療行為に例えて言えば、判決文は診断書に、証拠はその診断の根拠となった身体所見、検査データ等にあたります。診断書(判決文)の記載だけを見て、その判断が妥当かどうかを議論するのはあまり意味がないように思うわけで、診断が不当なものであったか否かは、その基礎になった身体所見等を検討しないと何とも言えないのではないでしょうか。

 そして、裁判所が医師と違うのは、基本的に自ら証拠を収集する(各種検査をする)ことはできず、当事者(患者)が述べた主張と、提出した資料から診断を下すしかない、という点です。なお、この限界は法律家が勝手に決めたものではなく、国民が法律で定めたものです。

No.122 モトケンさんへのコメント

>まず裁判所が判断しないという姿勢を示すべきであるという議論は、申し訳ありませんが、非現実的な議論です。その意味で建設的な議論ではありません。

そうですか、では切り口を変えましょう。
「医療崩壊の原因の一つとしての司法不信」、その根本は医療側から見れば、裁判官が医療行為評価の最終判断をすることだと思います。
とすると、例えば専門陪審制とし、医療行為の評価は専門家が行う、その評決に基づいて裁判官が量刑や損害額賠償額の算定を行うといった制度が望ましいと考えます。専門裁判員制度でもかまいませんが、その場合は裁判員の意見公開が必要です。意見を発した裁判員個人が特定できなくてもよいのですが、裁判官の判断と専門家の判断の乖離の有無は公表すべきでしょう。
専門陪審は最高裁も検討したという話を聞いたことがありますが、日の目を見ないようです。憲法改正が必要なんでしょうか?

医療行為評価の最終判断に医療者を参画させるのは現実的ではない、すべての判断を裁判官が行う現制度の変更は現実的でないとするなら、医療者の司法不信は解消されないでしょう。その結果、医療崩壊をくい止められなくても司法には責任は無いというのも理解できます。司法は司法の役割を忠実に果たしただけですから。ただ、それで誰が幸せになるのかと考えてしまいますが。

>司法権は国家権力の一部であるということです。
 裁判官(及び検察官)は、国家機関なのです。

医療と司法の係わりに、このことがどのように関係するのでしょう?
ピンときません。
どぎつい表現になるのを避けられているのでしょうか。

No.113 モトケンのコメントの補足

 裁判では、双方の当事者の主張と双方の当事者が提出した証拠に基づいて判断するのが原則です。

 もし仮に、裁判所が自らの判断によって独自に証拠を集めたりしますと、それらの証拠によって不利な認定をされる当事者から見ますと、裁判所は相手方に有利な不公平な裁判所に見えます。
 裁判所としては公平な気持ちで客観的真実を見極めたいと思っていたとしても、敗訴当事者から見れば不公平に見えてしまいます。

 このような配慮から、裁判所は当事者の主張と立証をまって判断するということになってしまうのです。

>私としては、判決文全文を読んだだけでは、司法判断の是非、当否は論じ得ないと思っています。というのも、判決では、ある証拠から何らかの事実を認定する場合、その証拠の内容まで一々説明せず、単に「甲●号証によれば○○の事実が認められる」とだけ説示することが多いからです。これでは、裁判所が○○という認定をしたことが妥当なのかどうかは判断できず、その根拠になった甲●号証に直接当たる必要があると思われます。

FFF様

一点お忘れなのかは分かりませんが、我々一般人(医師も含む)は、事務員さんに行ってもらってコピーを入手できる法曹界の方々と異なり、当事者でない限り裁判記録を謄写することはできません。また、膨大な記録の書写も事実上不可能なので、事務員さんに代理で行ってもらうこともできません。本人が裁判所の記録室まで行き、申込書を書き購入した印紙を貼って、出てきた記録を裁判所事務官の事務スペースの隅にある長机と丸イスで見せてもらうことになります。(何度もやりましたが、腰痛もちにとっては結構大変です。)

そんな状況で膨大な記録を一度に読めるはずもなく、実際に証拠類まで全て読み込もうと思えば何度も通うことになるでしょう。近所の裁判所の事件ならともかく、遠地の裁判所の記録となると大変です。また、パソコンで何かを調べながら、何かのデータや書籍などを引きながら精査しようとしても無理です。持ち帰れるのはせいぜい自分の手書きのメモくらい。

また、医療訴訟の性質上、センシティブな記録が多いので非公開の証拠類も多いのではないかと思っていたのですが、そんなことはなく概ね公開されているということでしょうか。
加えて、コピーがなければ複数の人間が情報を共有することはできません。

これで「判決全文だけでなく全ての証拠を当たってから批判せよ」とおっしゃることは、事実上「法曹以外の人間が判決を批判することは罷りならぬ。」とおっしゃっているに等しいことだと思いますが。

ちなみに、この公開方法は国民が法律で決めたことではなく、法曹界(裁判所)が規則または内規で決めたことだと記憶しています。これも国民のせいなのでしょうか。以前、裁判所に同趣旨の文句を言ったことがありましたが、「決まりですから」の一言しかもらえませんでした。

>No.124 元ライダーさん

 「裁判所が判断しない姿勢を示す」ということと「医療行為評価の最終判断に医療者を参画させる」というのは同じじゃないでしょう。

 元ライダーさんの意見は、結局医療事故紛争の解決は医者に任せろ、と言っているに等しいのではないですか。
 そうすれば確かに医療側の司法不信は払拭できるかもしれません。
 しかし医療事故紛争は、医療側と患者側の紛争であるわけです。
 医療側の司法不信を払拭する代償として患者側の司法不信が生じてはいけません。

 元ライダーさんの頭からは、これまで議論されてきた第三者機関のことがすっぽり抜け落ちているような気がします。

> No.126 じじいさん

 どれだけの情報に基づいて発言するかは個人の自由ですから、証拠を見ずに批判すること自体も、その人の自由です。

 ただ、その批判が、相手から真剣に受け止められるか否かは、どの程度の根拠に基づいた批判であるか、という点に大きく左右されるでしょう。そして、根拠の入手難度は、批判の説得力とは別次元の問題であるはずです(批判の根拠を得ることが困難だからといって、根拠なく批判することが正当化されるわけではない。)。

 医師の方は、個別の診断について、その患者を実際に診察してもいない素人から「診断ミスだ、医療過誤だ、トンデモ医師だ」と批判されたからといって、その批判をマジメに受け止めて反省するのでしょうか。診断ミスかどうかの判断根拠を一般人が入手することが困難だからといって、根拠なき批判を甘んじて受けるのでしょうか。「トンデモ診断だと批判するなら、その患者の当時の状態に照らしてどこの判断が誤りだというのか、根拠を示してもらいたい」と思うのではありませんか。

> No.126 じじいさん

>また、医療訴訟の性質上、センシティブな記録が多いので非公開の証拠類も多いのではないかと思っていたのですが、そんなことはなく概ね公開されているということでしょうか。

>ちなみに、この公開方法は国民が法律で決めたことではなく、法曹界(裁判所)が規則または内規で決めたことだと記憶しています。

 「この公開方法」がどこを指しているのかがよくわかりませんが、民事訴訟については、

第82条  裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
○2  裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。

民事訴訟法91条 (訴訟記録の閲覧等)


◇ 何人も、裁判所書記官に対し、訴訟記録の閲覧を請求することができる。


2  公開を禁止した口頭弁論に係る訴訟記録については、当事者及び利害関係を疎明した第三者に限り、前項の規定による請求をすることができる。


◇ 3  当事者及び利害関係を疎明した第三者は、裁判所書記官に対し、訴訟記録の謄写、その正本、謄本若しくは抄本の交付又は訴訟に関する事項の証明書の交付を請求することができる。


4  前項の規定は、訴訟記録中の録音テープ又はビデオテープ(これらに準ずる方法により一定の事項を記録した物を含む。)に関しては、適用しない。この場合において、これらの物について当事者又は利害関係を疎明した第三者の請求があるときは、裁判所書記官は、その複製を許さなければならない。
5  訴訟記録の閲覧、謄写及び複製の請求は、訴訟記録の保存又は裁判所の執務に支障があるときは、することができない。

民事訴訟法92条(秘密保護のための閲覧等の制限)
 次に掲げる事由につき疎明があった場合には、裁判所は、当該当事者の申立てにより、決定で、当該訴訟記録中当該秘密が記載され、又は記録された部分の閲覧若しくは謄写、その正本、謄本若しくは抄本の交付又はその複製(以下「秘密記載部分の閲覧等」という。)の請求をすることができる者を当事者に限ることができる。
一  訴訟記録中に当事者の私生活についての重大な秘密が記載され、又は記録されており、かつ、第三者が秘密記載部分の閲覧等を行うことにより、その当事者が社会生活を営むのに著しい支障を生ずるおそれがあること。
二  訴訟記録中に当事者が保有する営業秘密(不正競争防止法第二条第六項 に規定する営業秘密をいう。第百三十二条の二第一項第三号及び第二項において同じ。)が記載され、又は記録されていること。
2  前項の申立てがあったときは、その申立てについての裁判が確定するまで、第三者は、秘密記載部分の閲覧等の請求をすることができない。
3  秘密記載部分の閲覧等の請求をしようとする第三者は、訴訟記録の存する裁判所に対し、第一項に規定する要件を欠くこと又はこれを欠くに至ったことを理由として、同項の決定の取消しの申立てをすることができる。
4  第一項の申立てを却下した裁判及び前項の申立てについての裁判に対しては、即時抗告をすることができる。
5  第一項の決定を取り消す裁判は、確定しなければその効力を生じない。

と法律で定められています。92条が制限ですが、医療事件であっても当然に制限がかけられるわけではありません。

 弁護士も当事者の代理人等利害関係がない限り、医師の皆様と同様、コピーはできませんので、裁判所に記録を読みに行くことになります。私も関連事件、類似事件で読みに行くことがあります。

 ただ、弁護士の場合、当事者の代理人の弁護士に手紙を書いた上で、電話で記録を読ませてくれないか頼む方法はあります。

> 協力医と弁護士とどんな遣り取りがあったのか是非知りたいところです。あんな出鱈目を主張させたのが医師だとすれば医師の資格なしですし、弁護士の先走りならばその活動は社会の害悪でしょう。(No.119 元行政さま)

弁護士としては、訴訟活動を批判されるなら、訴訟の全経過を詳細にみた上でしてもらいたいと思うものです。
各当事者がどんな主張を、いつ出したのか。証拠、特に、医学文献や私的鑑定は、いつどのうような形で提出したか。
裁判所がどんな訴訟指揮をしたのか。
証人は具体的に何と証言したのか。
判決だけではそこのところが、よく分かりません。

医師の医療行為が適切であったかは、死亡診断書を見るだけではなくて、カルテを取り寄せて全経過を見なければ、判断できないのではないでしょうか。

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> 事務員さんに行ってもらってコピーを入手できる法曹界の方(No.126 じじい様)

記録の閲覧は誰でもできますが、謄写は許可制で、利害関係がなければ許可されません。それは一般人でも法曹でも同じ扱いです。

ちなみに、謄写のやり方は、
裁判所出入りの独占的な謄写業者に依頼して、1枚40〜50円くらいの値段で、コピーしてもらうというものです。セルフではやらせてくれません(やるヒマもありませんが)。
事務員は、謄写室へ行って、出来上がったコピーを受け取ってくるだけです。郵送料を払えば郵送もしてくれます。

記録を手に入れる簡便な手段として、当事者の一方からというルートはどうでしょう。
医療者同士はお友達ではないですか?
「俺はトンデモ判決を受けちゃった。ちょっと見てくれよー」というような話はないのですか?

No.123 FFF さん

トンデモ判決は資料イの判断はAであるべきところをBにしているからトンデモということではありません。
裁判所が認めた事実から導きだした事実が、ありえないからトンデモと評価されるわけです。最初の事実が正しいことは絶対条件で、そこで間違いならば話にもならないわけで、最初の事実の検証の有無はトンデモであるという評価に影響しません。(トンデモでないことを証明するためには必要でしょうね)

裁判官が鑑定書に騙された場合も、我々はトンデモ判決と評価しています。裁判官を裁くということでは是非鑑定書は必要でしょうね。(素人である裁判官には見破るのは酷と思えるものもありました。それでも見破れと言っている医師もいましたが)
しかし医学的な妥当性を検討するだけなら、判決文は十分よくまとまっていると思いますよ(他医師のカルテよりいいですね)。添付文書なしでは評価の対象にならないような代物だと、裁判官自身は思っているのですかねぇ。

L.A.LAW様、ご指摘ありがとうございます。

>3  当事者及び利害関係を疎明した第三者は、裁判所書記官に対し、訴訟記録の謄写、その正本、謄本若しくは抄本の交付又は訴訟に関する事項の証明書の交付を請求することができる。

弁護士も代理人にでもならない限り謄写はできなかったのですね。失礼しました。しかも謄写請求は民訴法だったのですね。完全に間違えて覚えていました。お恥ずかしい。

FFF様

>「トンデモ診断だと批判するなら、その患者の当時の状態に照らしてどこの判断が誤りだというのか、根拠を示してもらいたい」と思うのではありませんか。

おっしゃるとおりですが、FFF様が求めておられる手法に現実味がないのであれば、単なる理想論に過ぎないと思いますよ。

確かに、空想だけで根拠もなしに判決を批判しても仕方がないですが、仮に判決文だけでも専門的な観点からつじつまがあっていないのなら、そのことについて疑問を呈するのは意味がないことではないと思いますよ。聞く耳があれば謙虚に聞き、次からはそういった視点があることも頭に入れて注意しておればいいのではないですか。神様ならぬ裁判官が、その分野の素人でありながら、たった数名の限られた専門家の意見だけを頼りに判断するのですから、根拠ある批判は積極的に聞くべきだと思います。

ただ、全証拠を検討しない批判は聞く耳持たぬというのが、裁判官の考えであるとすれば何を言っても仕方がないですが。

>元行政さん

一応説明すれば、その部分の意図は、法曹個々人の判断の幅がとても大ということもわかっているということです。

藤山判事の判決がスタンダードになると言う意味を説明すると、医事訴訟における個人の判断の幅を狭くし、誰が裁判官となっても同じような判決にするための基準作りこそが、藤山判事の仕事なのではないかと思うわけです。(「判例に見る医師の説明義務」を編集したのもその表れかと思います)

ですから、今後は他の裁判官は、藤山判事(正確に言えば医療集中部)の判決文を元に判決をするでしょうし、藤山判事の著書を元に自分なりの医事訴訟というものを考えるのではないかなと思います。もちろん、かなり飛躍した考えです。


これは横から失礼します。

裁判所が認めた事実から導きだした事実が、ありえないからトンデモと評価されるわけです。

裁判官は証言や証拠を元に、あれこれと考えを巡らし、練り上げた上で判断を下すわけですので、トンデモと評価するにしろ、裁判所がどのような事実を元にそのような事実を紡ぎ上げたのか、裁判官の思考過程を追った方がいいのかな、とは思います。

No.130 YUNYUN さん

あの判決を読んだ医師は、患者の病態に関してほぼ同じストーリーを描いたと思います。もし別のストーリーを描く医師がいたとしたら、それは臨床経験レベルの高度な話ではなくて医師としての基礎ができていないと言っていいと思います。逆に明確には証明できないことを逆手にとってごねる方法も医師ならば思いつきます。(案件を最初に医師に相談した時に、そのストーリーの説明がなかったとはとても思えません)
訴訟がどのような経緯であったにせよ、原告の主張は真実とは程遠いものであったことが明確です(例え被告が原告に嫌がらせの限りを尽くしてきたという経緯があったとしても肯定できるものではありません。被告の思い違いなどの修整で、ちぐはぐな原告の主張になったわけでもないでしょう)。一端受けたからには勝つために何でもやる。そのようなポリシーで原告側弁護士が活動しているとしたら、医療側としては批判せざるをえません。

判決文は死亡診断書というより、サマリーとか情報提供書ではありませんか?(死亡診断書だとすれば主文のみでしょうね)

No.133 しまさん

藤山判事の話了承しました。藤山判事の話をその趣旨で出すべきではありませんでしたね。

>裁判官の思考過程

私としては(一部の例外を除き)裁判官より、裁判の制度及びシステムの限界、原告、トンデモ鑑定医協力医に問題意識を持っているので、医学的な是非で十分だと思っています。

この意見を法曹の責任回避または責任転嫁と読む人がいるとすれば、そのような人はまだ司法制度とその限界についての理解が足らないと言わざるを得ません。(No116)

モトケンさん すいません 理解足りません。

私が

「その少数のトンデモ判決に対して、司法界が非難をあびせているか、せめて強烈に反対意見続出になっていれば」と言う前提条件付けさせていただきます。

と言いましたのは、以前、YUNYUNさんと「救急医、心嚢穿刺出来て当然」判決で討論した時、YUNYUNさん、最後まで、法曹の目からはあれはトンデモではないとおっしゃっていたからです。

今回も再度それを確かめたくて申しました。少し、条件を上げて一般法曹がトンデモだという医療判決あるのか、と問いましたところ、これがそうだ とのお返事はなかったわけです。
では、条件を下げて「医療崩壊に関心を持ってる法曹がこれはトンデモ判決だ」という判例有るのでしょうか?

どうも、なさそうな気がするんですね。モトケンさんもYUNYUNさんもFFFさんも「私はこの判例なら法曹的にもトンデモだ、太鼓判押す」という判例はお持ちではないようですし。

と言うことはどういうことでしょう。これまでこのブログで論じられてきた判例は、「ことごとく法曹的にはトンデモではない」ということです。

この方が状況的には「法曹から見てもトンデモ判決あり」と言う状況より、重症だと私には思えます。
だって、「法曹から見てもトンデモ判決あり」と一部の人でも法曹の人が言ってくれればそれをよりどころに、そういう見方をする人を増やそうとか、対策たてようがある気もします。
しかし、法曹人から見ると「トンデモ判例」はただの一件もないということは、医師が不満に思っているのは、「まっとうな判例」と言うことになりませんか。
この状況で医師が出来ることは、
「医師をやるからには訴訟リスクは覚悟の上」と悟って「なるほど、当事者主義、自由心証制度にのっとった法曹的にまっとうなご判断ですね」といって現状を受け入れるか、
「現下の日本で医療行為を行うことは、「当事者主義、自由心証制度にのっとったまっとうな裁判制度にかけられて医師の多数が過失と思わなくとも裁判官が過失と判断する可能性が十分にあるというリスクを負う」ことを意味するなら、そのリスクを負うつもりは、申し訳ないが、私にはありませんから」といって医療現場から立ち去るか
になってしまいます。(第三の道有りますか? 有れば考えます。疲れていて医師主導でその道開けと言われたら、気力ないです。)

議論で、医師が納得して第一の道選ぶことはまずないと私見では思います。正確には、法曹的にまっとうなのは解るが、医師的にトンデモだと感じる以上、医師として納得できない。もし、法曹の人が第一の道を医師に自主的に選ばせようとするなら、「あの判決は医師的にもトンデモではない」と納得させないと。
現在、医師が上記二つの道のどちらを選んでいるかは皆様ご存じの通りです。

医師は、いないよりはいる方がマシ、と国民がお考えなら、医療をやってもリスクフリーよ(江戸時代から医師の誤診はお構いなし)と誘った方が医療崩壊を招かなくて良いのでは、と老婆心ながら思う次第です。ここのところ、過去の(見て頂けるだけでありがたい、医師を訴えるなんてとんでもないといった)感情、慣習に任せてしまって、憲法に記載しそびれたのは残念です。記載しておけば、憲法に書かれているたった2つの民間の職業になったのに。

>falcon171 さん

しかし、法曹人から見ると「トンデモ判例」はただの一件もないということは、医師が不満に思っているのは、「まっとうな判例」と言うことになりませんか。

例えばテオフィリン中毒の判決文を法曹人ではない私が予備知識なしに読んだ場合、「この判決は間違いなくトンデモだ」とは思えません。死因が「出血性ショック」とされている以上、「なるほど、テオフィリン中毒とは無関係なのだな」と言う解釈です。「出血性ショックと診断されている以上、この判決文は妥当なものだろう」と。

つまり、医師の方から「トンデモ判決」だと言う意見が出なければ「この判決はもしかしたらトンデモ判決なのかも知れない」と言う認識はかけらも抱かなかったと思います。

FFF さん コメントありがとうございます。
 

「トンデモ判決」と表現しておられるのは、「falcon171さんの目から見て医学的におかしいと思える裁判例」「医師の多くが不当だと考える裁判例」ということかと思いますが。(No.117 )

大本の意味は医師多数がトンデモだと考える判決という意味ですが、先の文脈では、法曹の人から見てトンデモだと言う判例は有るのでしょうか? ないのでしょうか? との問いですから、この場合は法曹人がトンデモと判断するわけですね。
で、「あっても、それは少数例だ、気にしないで。」
と言われれば、
気にしない為には、何らかの対処期待するではないですか。
(「○○会社です。当社のガス器具、ごく少数例ですが、不完全燃焼起こします。対処、いや別にしてません。少数例です。そういうこともあります。当社の器具全体がそうだと思わないで下さい。」では、私は、器具全体がそうだとも思いませんが、あまり安心できませんが。)

仮に「トンデモ」な裁判例があるとすれば、そこには、裁判所の判断を誤らせた「間違った証拠」「間違った鑑定」が存在するはずです。その証拠、鑑定が如何に間違っているかを指摘するのは、正に医師の役割だと思います(この点の批判的検討は、基本的に法律家には無理です。)。

医師の役割だと思いますが、こうきっぱりと法律家には無理ですと言い切られると。 では、判決を書いた人は、鑑定の批判的検討は無理な人と言う理解でよろしいでしょうか。であれば、上の方でもありましたが、出来ません、立ち入りませんと言うべきではと反論したくなります。
いつも判決で、施設、自分の能力にて対処できない患者は速やかに転送する義務あったのにしなかったとご批判頂いている身としてはなんだかなあと思います(でも逆に、手に余ると思っても法律に規定なくて手放させてもらえないのも辛いこととお察しします。つまるところ、法の想定していない事態なんでしょうね。19世紀までなら、諸学兼ね備えた才人というのもそんなに珍しくなかったし、判事になるようなインテリは一通りの説明でまず分かると仮定して問題なかったんでしょうね。今は、医学の中でも縁遠いところは私、自信持って言えません。

逆にお聞きしたいのですが、医師の方が「トンデモ」と批判している判決の基礎となった鑑定意見について、医療界が強力な非難を浴びせているという事実はあるのでしょうか

これは医師サイドも自戒しないといけないですね。これからは、大野事件皮切りにきっと公開論争みたいなもの拡がると思います。

鑑定人の意見のばらつきについては、
「藤山雅行裁判長のお話」について(その2)No.123、124に意見述べました。もしお時間有れば、No124の新聞症例に関する感想なりお伺い出来れば幸いです。


> No.138 falcon171 さん

 コメントありがとうございます。

 これは決してfalcon171さんだけに向けて言うわけではありませんが、認識のギャップを生む原因の一つは、医師側が好んで使いたがる「トンデモ判決」なる表現ではないかなと思っております。

 「トンデモ」の正確な定義(笑)は知りませんが、「原因はどうあれ、事後的に検証して、結果として誤りであったもの全て」を指すのであれば、「トンデモ判決」と呼ぶのもいいでしょう。ただ、その意味で言うなら、医師の診断ミスは全て「トンデモ診断」と呼ぶべきだし、事後的に見て適当な治療行為ではなかったものは全て「トンデモ医療」です。全知全能を傾けて真剣に治療した場合であれ、結果として誤っていたなら「トンデモ診断」「トンデモ医療」というべきであり、きっと医師は全員トンデモな人々です。法律家とはトンデモ仲間です。

 他方、「トンデモ」に、「努力や注意を怠ったために誤った」とか「能力的に劣っていたが故に誤った」「無知と偏見に基づいた」などといったマイナスの意味が込められているのであれば、実際の判断過程において怠慢や無能、偏見が介在していたという指摘なくして「トンデモ」などという批判はできないはずです。

 司法判断は、所詮「証拠により認定できる事実」を前提にしたものでしかありませんので、これが「客観的な事実」と常に合致しているとは限りませんし、そもそも両者を完全に合致させるのは人間には不可能です。しかし、法律家は、限られた証拠、定められたルールの中で、この両者をできるだけ近づけた上で公平に決着をつけたいと思っており、それに向けた努力をしています。医師の方が、完全無欠な診断・治療というのはあり得ないと知りつつ、それに向けて努力しておられるのと同じです。

 私としては、医療事件において、客観的真実ないし医学的知見と異なった司法判断(勝敗がいずれであれ)がなされるとき、その主な原因は、訴訟当事者や裁判官の怠慢、法律家としての無能、偏見などにはないと認識しています(勿論、絶対絶無だとまでは言いませんが。)。むしろ、「当事者が正常な訴訟活動をして、裁判官が真実に合致した判断をしようとしても」、時として間違いに至ることが問題の本質なのです。そして、誠実に判断しようとしたのに間違いに至ったのだとすれば、その判断の根拠となった証拠、鑑定のあり方こそが議論されるべきでしょう。「トンデモ」という表現は、この過程を検証する枕詞としては、あまり相応しいものではないと感じています。

FFFさん
司法は十分な時間をとり、証拠集めをして判断をします。少なくとも1分以内に判断をしてその判断が違えば重大な結果の違いに結びつくという医療とは大きな違いがあると思います。理論的にFFFさんのいうことはもっともですが、法曹(強者)、医療者(弱者)という関係を少なくとも医療者が思っているからトンデモという言葉になるわけです。
医療行為をすべてよくトレーニングすることが不可能だと言うことをどうしても理解していただけないというのも僕自身の大きなジレンマです。その意味でよく例えに出てくる車の運転とも違うのです。車の運転には十分な時間をとってトレーニングを受けて免許をもらう訳です。医師の場合は国家試験に通っても何もできません。長い研修期間を熱心に行っても経験していない状況に立ち会い、判断しあまりしたことのない手技を行わねばばらないという中で裁かれるのです。
裁判になるような事例は氷山の一石です。しかし、もし本気で掘り起こせば似たような話はたくさんあります。脳腫瘍でMRIを数日待つなんて普通のことでそれで結果が悪いと断罪されたら全ての脳外科医はその時点で負債をおいます。急いでもいない、十分に調べられる、一般常識とも異なるそんな判決はやっぱりトンデモといいたくなります。とんでもない判決だからです。医療行為の判断、治療ミスはやはり本質的に異なるという気が少なくとも僕はします。

>「トンデモ」の正確な定義(笑)は知りませんが、「原因はどうあれ、
>事後的に検証して、結果として誤りであったもの全て」を指すのであ
>れば、「トンデモ判決」と呼ぶのもいいでしょう。

FFFさん,
これまでにも繰り返し書かれていたので繰り返しになるとは思いますが,端的に定義を書きますと
「トンでも判決」とは,複数の医師が状況をプロスペクティブに判断した場合妥当とは考えられない論理を裁判官が用いて下した判決と言えるでしょう.
医学的に正しいとはとうてい考えられない理屈をいくら出されても医師が納得するはずもないというのは当然のことだと思います.以前にも書きましたが,プロのスポーツ選手のプレーを素人は適切に評価できない(審判もできない)のと同じことが起こっているのです.
一般の裁判で,非常識な理屈をこねくり回しても裁判官は当然それを妥当とは認めないでしょう.それは一般常識の範疇で適切に判断できる事例だからでしょう.

FFF さん コメントありがとうございます。

認識のギャップを生む原因の一つは、医師側が好んで使いたがる「トンデモ判決」なる表現ではないかなと思っております。
 「トンデモ」の正確な定義(笑)は知りませんが、「原因はどうあれ、事後的に検証して、結果として誤りであったもの全て」を指すのであれば、「トンデモ判決」と呼ぶのもいいでしょう。ただ、その意味で言うなら、医師の診断ミスは全て「トンデモ診断」と呼ぶべきだし、事後的に見て適当な治療行為ではなかったものは全て「トンデモ医療」です。(No.139 )

ワンフレーズの多用は、心惑わせますものね。でもそれだけ政治的にというか人を動かす力は大論文よりあるから、つい「トンデモ判決」って使ってしまいます。気をつけます。WEも、残業代ゼロ法案と断定されたら(私としてはこのワンフレーズは正しいと思いますが)一気にお蔵入りのようですし。 古くは「一つの国民 一つの国家 一人の総統」とか危ないのもありますから。
ところでどうでしょう、「原因はどうあれ、事後的に検証して、結果として誤りであったもの全て」を指す この意味で使って、法曹的に「トンデモ」判決ありますでしょうか?

むしろ、「当事者が正常な訴訟活動をして、裁判官が真実に合致した判断をしようとしても」、時として間違いに至ることが問題の本質なのです。

同意します。でも、それを法曹の考え方として理解しても、現実生活でその間違いを医療活動に伴うリスクとして許容する気が医師にはないのも事実のようです(No136での第一の道を選ぶ人は少ないでしょう)。

そして、誠実に判断しようとしたのに間違いに至ったのだとすれば、その判断の根拠となった証拠、鑑定のあり方こそが議論されるべきでしょう。

「藤山雅行裁判長のお話」について(その2)No123でも申し上げましたが、鑑定人個人の問題(ももちろんありますが)以上に、双方が有利な鑑定を出すという弁論主義に基づくと考えております。

いろいろ言いましたが、本当に医療と司法はよく似ているなと思いました。
「医療はこういうものだから、無いよりましと思って許容してください」と言っているのだから、「司法はこういうものだから、無いよりましと思って許容してください」と言うのも理解しないといけませんよね。上記で、医師がリスク許容する気がないと申しましたが、司法関係から言わせれば、「リスクが許容できない? 今の医師は、なんとか作り上げた現在の司法制度が、無料だと思っているのか(今の患者は医療が無料だと思っている!)。するなと言うなら司法制度止めますよ。どうなると思う。今のイラクですよ。自力救済の内戦状態ですよ。アフリカ某国のように、普通の商店主でも銃持ってないと危なくて店開けない状況ですよ。戦後の「酔いどれ天使」の頃の闇市の暴力だけが秩序という時代に戻るんですよ。」というところでしょうか。ちょっと返す言葉につまりますね。
ホッブス先生の「万人の万人に対する闘争」状態、本の中の絵空事だと思ってました。まさか、生きてる内に、テレビで目の当たりにさせられるとは思っていませんでした。

>この病院で、男児の右足の整形外科手術後に麻酔をさます際、のどに
>分泌物がたまっていたことから、気道確保のために気管チューブを挿
>管。この際、誤って食道に入れたうえ、正しく挿管できたかを確認す
>るなどの注意義務を怠ったため、男児は無酸素脳症に陥り、

あまりこの例に関する話が出てこないので,この記事の文面上での疑問点に関して書かせて頂きます.
通常気管挿管は,手術の開始前に行ないます.ところがここでは「麻酔をさます際」となっています.それでは手術中はどのようにして麻酔をしていたのかという疑問が生じます.肢体不自由児の患者さんの麻酔ですから通常は気管挿管して全身麻酔管理するのが通常です.
考えられることは,麻酔を醒まして一度抜管したが気道内分泌物が多いので再挿管して気管内吸引しようとした,くらいでしょうか.そうであるなら一度は気管挿管しているはずで,気管挿管が難しかったどうかは最初の挿管時にわかっていたと考えられます.最初の気管挿管が困難であったなら抜管時にはかなり注意するはずです.もし簡単であったのなら通常は再挿管もそれほど困難ではありません.また,無呼吸の状態で食道挿管を放置すれば1週間後に死亡ではなく,「まもなく死亡」してしまいます.
と考えれば自発呼吸が残っている状態で気管挿管して吸引だけ行なおうとしたのでしょうか?それだと気管内に正しくチューブが入っていなくてもすぐに死亡することはないのであり得る話かと思われます.また,それであれば反対に食道挿管が致命的とは言い切れません.口腔内分泌物を丁寧に吸引し,上気道を確保して酸素投与しておけばある程度まで酸素化は可能であったと推察されます.
事故が起こったのが2001年ということですからパルスオキシメータが付けられていなかったとは思えません.カプノグラムは全ての手術室に装備されているとは言えないですからCO2の呼出を確認することは必ずしもできなかったのではないかと思われます.聴診では食道挿管を確実に鑑別することはできません.(ほとんどの場合は判定できますが,時には気管挿管時のように空気も帰って来るし,呼吸音らしき音が聴取されることもあるのです)
SpO2が低ければトラブルを疑ってあれこれ検索するのが常でしょうから,低酸素状態を気付かずに放置することも考えにくいですし...

いずれにしても,この記事からだけでは私の頭の中には「?」マークが飛び交うばかりで何がどうであったかさっぱり解りません.

裁判の本質については、私の認識もFFFさまと同じです。

> 医療事件において、客観的真実ないし医学的知見と異なった司法判断(勝敗がいずれであれ)がなされるとき、その主な原因は、訴訟当事者や裁判官の怠慢、法律家としての無能、偏見などにはないと認識しています(勿論、絶対絶無だとまでは言いませんが。)。
> 「当事者が正常な訴訟活動をして、裁判官が真実に合致した判断をしようとしても」、時として間違いに至ることが問題の本質なのです。
> そして、誠実に判断しようとしたのに間違いに至ったのだとすれば、その判断の根拠となった証拠、鑑定のあり方こそが議論されるべきでしょう。(No.139 FFF さま)

個々の代理人や裁判官の資質の問題ではなく、訴訟制度の本質に根ざした問題なので、
人を代えても問題は解決しません。
どのようなやり方をすれば、正しい判断が出せるか、その方法を工夫すべきであると言えます。

そこで、今までの医師の皆さんの意見ではおおむね、
・裁判所は専門家の鑑定意見に従うべきこと
←法曹側から、裁判所は、原告提出意見・被告提出意見・裁判所が選んだ鑑定人の専門的意見うち、どれか一つには従って判断しているとの反論

・当該分野が専門である複数の医師の意見を聞けば、少数の偏った見解を排除でき、正しい結論が出る
←法曹側から、複数鑑定人制度により3名の医師の意見をきくやり方をしている事案もあると説明。全ての事件についてその体制でない、専門分野がピッタリ一致しているか、人数は3人で足りるかという問題はありますが、一応、そこまでの努力はなされているという意味です。

と言う流れでした。

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> 「トンでも判決」とは,複数の医師が状況をプロスペクティブに判断した場合妥当とは考えられない論理を裁判官が用いて下した判決と言えるでしょう.(No.141 Level3 さま)

法曹側からの根本的な疑問は、

医師の大半がおかしいと思うというほど明白な内容が、なぜ法廷の場で立証できないのか。
原告側から、明らかに医学的に成り立ち得ないトンデモ意見書が出された場合であっても、なぜ被告側医師や裁判所鑑定人において、それをきちんと論破できないのか?

テオフィリン事件
●これもカテーテルです。
http://www.yabelab.net/blog/2006/09/12-005947.php
この事件では、原告被告双方から医学的意見が出され、裁判所が「複数の」医師鑑定人の意見を聞きました。
それでもなお、最終的にはあの判断になったわけです。
裁判所に顕出された医学的意見の、おそらく多数に従った結果です。
裁判官に対して、これ以上どうせよ、と言うのでしょうか。

これは法曹側にとってもかなり絶望的な状況であります。
現状でなしうる限りの手厚い体制を取っても、ダメだと言われるのですから。

もし可能であるならば、この事件の訴訟経過をつぶさに追って、なにが原因でそのような結論に至ったのかを検証することは、今後の制度改革に有益であろうと考えます。
(被告の訴訟活動が拙かったせいで勝ちを逃したのだというご意見もありましたが、訴訟の全経過をつぶさに追ってみなければ、そのような批判は軽々にできないことを、ご理解ください。)

>もし可能であるならば、この事件の訴訟経過をつぶさに追って、なにが
>原因でそのような結論に至ったのかを検証することは、今後の制度改革
>に有益であろうと考えます。

YUNYUNさん,
これができれば確かに非常に有用であると思われますが,訴訟経過が書かれたものなどを入手する手段はあるのでしょうか?
できるなら是非ここで検証したいです.

>No.144 YUNYUN さん

>裁判所に顕出された医学的意見の、おそらく多数に従った結果です。

私もそうおっしゃる論拠をお教え願いたいと
「おそらく」でしかないなら「述べない」という選択もお持ちではないかと

モトケンさんも仰っていたように、司法の判決はまさしくケースバイケースなのでしょう
客観的な全証拠評定の結果、もしくは
小磯武男裁判長が、「かの」藤山判事と同様の方「でない」とという「悪魔の証明」がない限り
ご発言は無責任の域と感じるものもあります。

> No.141 Level3 さん

 コメントありがとうございます。

 御指摘の点も、説得、立証の巧拙に結びつけられる問題だと思います。「プロスペクティブに考えるべきこと」を裁判官に理解させるための訴訟活動を医療機関側が尽くしたかどうかが、まず問題とされるべきでしょう。

>医師の大半がおかしいと思うというほど明白な内容が、なぜ法廷の場で
>立証できないのか。
>原告側から、明らかに医学的に成り立ち得ないトンデモ意見書が出され
>た場合であっても、なぜ被告側医師や裁判所鑑定人において、それをき
>ちんと論破できないのか?

この原因ですが,以前も書きましたように「権威」と呼ばれる方々は往々にして現役バリバリの「臨床医」ではないことに起因しているのではないでしょうか?
鑑定に出て来る医師は往々にして「教授」とかの肩書きを持った方々だと思われますが,こういった方々は一般病院の臨床についてはあまりご存知ないことが多いでしょう.「教授」は臨床能力ではなく,論文作成能力で選ばれますから...
一般の方々は「教授は臨床も最も優秀である」という幻想を抱いているようですが,このようなことは比較的稀です.また,臨床能力のある教授の先生でもすべての分野に精通している保証はありません.
裁判官の方々は非医療者ですから,「肩書き」のある人間の鑑定書を重視しても何ら不思議はないように思います.単なる推測ですが...

> No.140 謹慎明けさん

 コメントありがとうございます。

 判決に至る過程について、医師の方を含め外部の人にはなかなか認識しにくいところがあるので、そのような印象になるのかなと思いますが。充分な時間をかけても、可能な限り証拠を集めても、やはり限界はあります。

 まず、ない証拠は出せません。例えば、AさんがBさんに100万円貸したとします。契約書も領収書も作っておらず、銀行送金でなく現金での手渡しにしたので、何の客観的証拠もないとします。Bさんが全く返済しないので、AさんがBさんに貸金の返還を求める訴訟を起こしましたが、貸し付けの事実を立証できる証拠がないので、裁判所はAさん敗訴(返還義務なし)との判決を下しました。これは「トンデモ判決」なのでしょうか。

 また、悲しいかな人はウソをつきます。別エントリでも、医師が看護師に偽証をさせた裁判例を紹介しました。それは偽証が発覚した事案ですが、(原告被告を問わず)当事者や証人が巧妙にウソをつきとおして、これを裁判所が信用してしまったケースも相当数あるでしょう。或いは、悪意はなくとも、勘違い、記憶違いで真実とは違う証言をしてしまい、裁判所がそのことを看破できなかったケースもあるでしょう。しかし、それに基づく司法判断は、全て「トンデモ」なのでしょうか。法律家には、どのようなウソ、勘違いにも決して騙されない神のごとき目が求められているのでしょうか。

> No.140 謹慎明けさん
ちなみに私の病院はMRIは1ヶ月待ちです。ホルター心電図や心エコー、CTも一ヶ月待ちです。緊急かどうかを判断する材料は教科書しかないわけですが、当然所詮教科書であって、本当に緊急入院が必要な場合を除き、実際にそれだけ待てるかどうか見当もつきません。
以前、女子医大が房室ブロックの患者を緊急入院させなかったとして入院待ちの間に死亡し訴訟を起こされた事例がありました。
いったいどうすれば良いのでしょうね。

私もかねがね言っておりますが、複数の医師が状況をプロスペクティブに判断した場合妥当とは考えられない論理を裁判官が用いて下した判決(level3さんのコメント引用)以外は基本的に過失は無いと考えるべきです。そしてその場合は民事的責任も負うことはないと規定すべきであると個人的には思います。
鑑定はあくまでも鑑定です。その可能性があることであり、ではほとんどの医師が同じように行動したかどうかはまた別問題です。鑑定はあくまでもレトロスペクティブにしか見ません。それが正しくても、それを一般の臨床医が実行できるかどうかは別問題なのです。そういう目で過失の有無を判断すべきです。

「疑わしきは罰せず」、すなわち疑いだけでは罰してはいけないと私は解釈していますが(これについて間違って解釈していたらごめんなさい)、つまり、確固たる証拠が無ければ罰してはいけないのだと思います。可能性が高くてそれがプロスペクティブに見て一般の意志であったら間違えるはずはない、というのであればともかく、そうでないのであれば罰すべきではないと、私は思います。
これはかなり私見なのでもし異論があればフォローお願いいたします。

教授についてもう一つ付け加えると、どんな馬鹿なことを言っても、面と向かって批判されることが滅多にないこと。もちろんまともな教授の方が多いと思いますが、馬鹿なことを平気で言う教授は居ます。批判されること自体少ないのですが、たとえ批判されたとしても、そういう人はたいてい批判を受け付けません。

かなり昔の麻酔科関連の事例で、こんなものがありました。局麻で手術中に心停止となり、麻酔科医が呼ばれて蘇生を試みましたが、結局は蘇生出来ずに死亡し、民事訴訟となり、蘇生法に問題ありとの理由で病院敗訴となりました。

問題となったのはメイロンの使用でした。裁判の時点では、蘇生時のメイロン使用に疑義ありとの研究報告が発表されていたことは事実ですが、だからといって使用しないことがコンセンサスを得ていたわけではありませんでした。問題の蘇生をしたのは裁判より前ですから、その時点では、心配蘇生時にメイロンを使用することは一般的に行われていたのです。

どのような形で意見を述べたのか記憶にありませんが、法廷が採用した意見は日本のトップと言われる大学の教授の意見でした。
この件は経験した麻酔科医自身により、ある学会の演題発表という形で発表されました。
感極まって大幅に時間をオーバーし、途中でマイクのスイッチを切られる事態となりました。

> No.142 falcon171 さん

 コメントありがとうございます。

 1点だけ。
『 「原因はどうあれ、事後的に検証して、結果として誤りであったもの全て」を指す この意味で使って、法曹的に「トンデモ」判決ありますでしょうか? 』

 実際にどのような方法で「検証」できるかは問題ですが、その意味で言えば、「トンデモ」判決は確実にあります。どれがそうだとか言うまでもなく、無数に存在するはずです。別エントリで紹介された、無実の方が強姦で有罪とされて服役を強いられた事案などは、正に「結果として誤りであった」ことが明白なケースです。

 極端なことを言えば、過去に生起した事象の細部まで完璧に間違いなく再現する確実な方法(証拠)というものは存在しない以上、全ての判決について、「客観的事実」とはどこかで相違している可能性があります。裁判制度に本質的に内在する限界です。タイムマシンでも発明されない限り、この点が解決されることはないでしょう。

> > 裁判所に顕出された医学的意見の、おそらく多数に従った結果です。
> 私もそうおっしゃる論拠をお教え願いたい (No.146 G.Foyle さま)

判決文には認定根拠の説明が書かれています。
おおむね、裁判所が選んだ鑑定人3名の意見に従っているようですので、原告側意見書を書いた医師を加えて、4対1と思います。
「おそらく」「思います」と留保をつけた理由は、私自身は判決文(裁判官の理解したところを示したもの)を見ただけで、原典である原告側意見書、被告側意見書、裁判所鑑定書に直接当たっていないからです。

●これもカテーテルです。 No.76に判決内容のまとめがあります。
http://www.yabelab.net/blog/2006/09/12-005947.php#c38314

-------
> 訴訟経過が書かれたものなどを入手する手段はあるのでしょうか?(No.145 Level3 さま)

事件は控訴されたのでしょうか?
原告か、被告のどちらかが控訴していれば(本件は全部認容ではないので、原告にも控訴権があります)、東京高裁が管轄なので、訴訟記録はそこに行っています。
控訴されずに確定していれば、千葉地裁にあるはずです。

閲覧は誰でもできますが、謄写は法曹・非法曹を問わず利害関係人でなければ許可されませんので、ここのブログの住人というだけではだめです。

被告亀田病院から資料をご提供いただればよいと思いますが、
被告に利益になることならともかく、こちらの興味で研究したいから見せろと言っても、普通は承諾してもらえないでしょう(見せる義理はない)。
特に、「被告の戦術ミス」というような観点でものを言っては、協力は得られないと思われます。

> 鑑定はあくまでもレトロスペクティブにしか見ません。それが正しくても、それを一般の臨床医が実行できるかどうかは別問題なのです。(No.150 yama さま)

本当にそういうものなのですか?
今までの医師のみなさんのご意見では、
医師がきちんと鑑定すればプロスペクティブに見て妥当であったかを判断しうる(医師でなくてはそのような判断はできない)
ということでした。
中には、裁判で求められる鑑定の何たるかを理解しない鑑定人が、誤った鑑定をしてしまう場合があるが、それは鑑定人の人選が悪いのだ、と。

医師にさえも判断できないのであれば、どうしたらよいのでしょうか。
本人が「これは過失でした」と認めて賠償する以外、賠償しなくてよい、ということになるのでしょうか。
医師の皆さんは、仲間の医師をご覧になって、医師は嘘を付かないから自己申告システムをとれば救済すべき事例がきちんと救済されると信じますか?

私としては、40年前の医療紛争を思わずにいられません。
そのころは医療の問題で訴訟を提起すること自体が非常に困難とされていました。
きちんとミスを認めて示談に応じる医師も居る一方で、酷い医師はほんとうに酷いことをしていました。
過失があったことを決して認めず、病院を上げてカルテを隠したり改竄してミスをひた隠しにし、他の医師に医学的見解を問うても同じ医師を陥れるようなことは言えないと庇い通されるため、過失があっても訴訟で立証することができず、運悪く悪徳医者に当たってしまった患者は泣き寝入りするしかありませんでした。
そのうちに、カルテ改竄行為が社会的に強く批判されるとともに、医事紛争が起きたら、まずカルテ保全というやり方が一般化して改竄ができなくなったために、今ではあえてカルテを隠したり改竄しようする動きはほとんどなくなっていると思います。医師の考え方も変わり、本当に過失があるなら責任をとらせるべきであるとして、原告患者側に協力する医師も増えてきました。
こうして今では、医療紛争の争い方の手順が一定出来上がり、訴訟するにせよ訴訟外で示談するにせよ、秩序だった解決が行われるようになってきています。
しかし、その状況は医師の側から自律的に達成されたものでなかったということは、明白です。
裁判制度という最終的な強制手段がなければ、そういうことは実現できなかっただろうと思うのです。

No.144 YUNYUN さん

>その主な原因は、訴訟当事者や裁判官の怠慢、法律家としての無能、偏見などにはない

訴訟制度の本質に根ざした問題という要素が大きいのはその通りだと思いますが、訴訟当事者にはあるでしょう。トンデモ提訴なくして、トンデモ判決なし。

>裁判所が「複数の」医師鑑定人の意見を聞きました。
>それでもなお、最終的にはあの判断になったわけです。

これは聞き方の問題の可能性が高いと思います。(実際の鑑定書を見ていないので推論ですが、鑑定依頼の記事等を読んでの話ですからあまりはずれていないはずです)原告及び被告が出す指摘鑑定書やそれぞれの主張は、病態を考えた総合的なストーリーになっているでしょう。それに対して裁判所からの依頼は、このCTの所見はとか、質問が分割されていると思われます。裁判官は総合的に判断するのは自分だと考えるあまりに、本来最も必要であるはずの医師による総合的な判断を純粋に医学的なものでさえ、もとめていないのではないでしょうか。結果として、根拠の乏しい心証に合致した主張を正当化する(それ一つでは何も言えないような)鑑定結果や証拠のつぎはぎで、判決文を書くことになったというわけです。
解決策としては(公正に見えるかどうかは置いておきます)、判決の更正を医師に頼んで、それを議論した後、再度判決を書くということである程度避けられる話だと思います。

もちろんLevel3先生のあげたような話も実際あるようです。いのげ先生レポートの割り箸訴訟などはそれの典型でしょう。

> No.154 YUNYUN さん
言い方が悪かったようです。原因究明のための手段としてレトロスペクティブに見ると言うことです。そして過失があるかどうかの判断はプロスペクティブに見ると言うことです。それを言いたかったのですが、誤解されるような文章で申し訳ありません。
その上で質問ですが、では、裁判所が認めたからと言ってプロスペクティブに見て過失だと言い切れないものを過失と認定すべきなのでしょうか?私はそれは間違っていると思います。やはり本人の供述と数々の明らかな証拠の中で判断していくしかないと思います。

> 医師にさえも判断できないのであれば、どうしたらよいのでしょうか。
医療事故の大半は原因が完全に解明されることは無いです。例をいくつか挙げます。治療する上でいくつかのオプションがあり、たまたま一つを選んだために患者が死亡した、こんなことは医療では日常茶飯事です。ああしていれば助かったかも、といつも自責の念にとらわれます。しかしこれは過失ではありませんよね。たまたま選択した治療法が悪い結果をもたらしただけです。
誰にも判断できないものを医師の責任にさせられたらたまったものではありません。患者の死=医師の責任ということになります。明らかな過失とは言えないのであるから過失と認定できないとしか言いようがないのではありませんでしょうか?それでもできうる限りの原因解明を行う必要はありますが、原因不明の時に責任をとらなければならないという根拠はどこから来るのでしょうか?
もう一度言います。医学というのは因果関係がはっきりわかるような単純な学問ではありません。それを念頭に入れて頂きたいと願っております。それでも医師は患者が死んだら賠償責任をとるべきですか?それなら医師は退散するしかないです。救急や外科をやる人間はそのうちいなくなるでしょう。

後半の部分は同意です。

No.122 のモトケンさんのコメントを見てからつらつら考えてみたのですが、
私自身ではどうにも結論が出ないので書き込んでみます。

法律上の争訟の問題についてです。

判例では
「法令の適用によつて解決するに適さない単なる政治的または経済的問題
や技術上または学術上に関する争は、裁判所の裁判を受けうべき事柄では
ない」(最判昭和41年02月08日民集第20巻2号196頁)
とのことで、医学上の議論が「学術上に関する争」ではないというのは、
文言上は不自然に思われます。
もちろん上記判例は技術士国家試験の合格、不合格の判定に関するものだ
という背景がありますから、医療過誤訴訟と事案が異なりすぎるといえば
それまでなのですが、要素としてどこが異なるのかというとどう説明する
べきなんでしょうか。
別の点からいうと、裁判所が「板まんだらの真偽」は判断できないが
「鑑定書の医学的妥当性」は判断できるというのはなぜなんでしょうか。

宗教上の問題については、政教分離の問題が前面に出てくることになると
思うので、まあわからなくはありません。
国家試験の件でも、そこに司法手続が出て行くのではそもそも国家試験と
いう仕組みが成り立たなくなってしまいますから、事案の解決としては
わかります。では、司法手続が積極的に出て行ったがために医療という
仕組みが成り立たなくなってしまったらどうなんでしょう。医療処置の
妥当性のような医学上の問題を前提問題として判断しなければならない
ような争いは、法律上の争訟に当たらないとされる。まあ無理筋だ
というのはそうなんですが、つきつめてどこが無理なのか、自分では
上手く説明できませんでした。

私の言いたいことを僻地外科医さんがまとめてくださっています。
http://www.yabelab.net/blog/2006/09/12-005947.php#c38910
 

 優秀なスタッフが数多くいる亀田総合病院だったからこそ「こうすれば、あるいはこうしなければ助かったかも知れない」という議論が出来るんです。

 この判決を許容することは確実に医療の崩壊を招きます。
 なぜならば、標準的医療のレベルを明らかに高く置きすぎているからです。医療レベルが高いことを根拠に「亀田総合病院ならばこれは救命出来たはずだ」では高度医療の担い手が手を引きますし、逆に亀田総合病院のレベルを標準とされれば私達のような中小病院のスタッフが救命救急から手を引きます。どちらに転んでもこの判決は医療崩壊への引き金を引いているんですよ。

 そう言う意味で私はこの判決は被告側弁護士の大きな戦略ミスだと思いますし(つまり、純粋に医学的な側面に的を絞りすぎたこと)、判決を出す方も医療の実情に関して不勉強すぎます。

No.127 モトケンさんへのコメント

>元ライダーさんの意見は、結局医療事故紛争の解決は医者に任せろ、と言っているに等しいのではないですか。 そうすれば確かに医療側の司法不信は払拭できるかもしれません。

私もまわりくどい言い方をしましたが、大体ご指摘の通りです。細かく言えば、「純粋に医学的判断にかかわる部分は医療者のみで判断させてくれ」ということです。突拍子も無い意見でしょうか?法廷を離れて世間一般では、専門的行為の評価は専門家が行なうべきで、素人がその是非の最終判断を行なうことなど、専門家集団ばかりでなく、素人集団からさえも異常なことと判断されるでしょう。しかし法廷ではそれがまかり通っています。こうした異常なことが法廷で許される理由が、モトケンさんが先回指摘した「司法権は国家権力の一部である」というのでしたら、私も司法と医療の関係を根本から誤解していたのだと思います。

>元ライダーさんの頭からは、これまで議論されてきた第三者機関のことがすっぽり抜け落ちているような気がします。

第三者機関については「今よりマシになる可能性がある」と言う意味で否定はしません。ただし、第三者機関でも純医学部分の評価が医療者以外に影響されれば医療者は第三者機関に不信を持つでしょう。逆に純医学部分の評価は医療者で、それ以外の部分は法曹等で評価する分業制であれば医療者はかなり満足できますが、この場合はモトケンさんのおっしゃるように、患者側は医療者のみで下した純医学部分の評価を受け入れるとは思えません(先に述べたように、本来それは異常なことなのですが)。

したがって、患者側が専門的行為を素人にも最終判断してもらうという異常な判定を求める限り、医療者の判定機関不信と患者側の判定機関不信は同時に解決できないのです。とすると、どちらの不信解消に重きを置くか?医療崩壊が具現していない社会においては最大多数の最大幸福の観点から患者側の不信解消に重きを置くのが妥当であったかもしれませんが、昨今ではそれが最大多数の幸福につながるのでしょうか。

> 判決の更正を医師に頼んで、それを議論した後、再度判決を書く(No.155 元行政さま)

・・・ああ、びっくりした。
「判決の更正」という法律上の手続きがあるので、そのことかと思いました。

(更正決定)
民事訴訟法第257条 判決に計算違い、誤記その他これらに類する明白な誤りがあるときは、裁判所は、申立てにより又は職権で、いつでも更正決定をすることができる。
2 更正決定に対しては、即時抗告をすることができる。ただし、判決に対し適法な控訴があったときは、この限りでない。

おっしゃりたいことは、「校正」(朱入れ)ですよね?
医学用語の使い方、理論の筋道が通っているかどうか、判決起案段階でもう一度、鑑定人なり専門委員なりの医師に、相談せよということですか?
裁判所の内情は知りませんが、既にある程度やっているのではないかとも思うのですが。。。

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> 医療事故の大半は原因が完全に解明されることは無いです。例をいくつか挙げます。治療する上でいくつかのオプションがあり、たまたま一つを選んだために患者が死亡した、こんなことは医療では日常茶飯事です。ああしていれば助かったかも、といつも自責の念にとらわれます。しかしこれは過失ではありませんよね。たまたま選択した治療法が悪い結果をもたらしただけです。?(No.156 yama さま)

「例」が合わないと思いますが。
治療方法の選択が結果的に悪かった場合は、治療が失敗した原因は判明していると言えます。しかし、そのことを医師の過失と評価すべきでないのです。
医師がその当時置かれた立場からみれば(プロスペクティブな判断)、患者のために複数の療法が考えられ、そのうちどれを選んでもよいという場合は、鑑定医は、「医師の判断は医学的にみて合理性があり、治療方法の選択に過失はなかった」との意見になるはずです。

もし鑑定人がそのような鑑定を出さないとすれば、なぜ医師同士でありながら、そのように意見が割れるのかを、むしろ医師のみなさんの間で議論していただきたいと思います。
新規の医学知識を共有するのと同様に、医師の治療が医学上過失とされる場合は何かについて、見解を統一しておいていただきたい。

(「死亡原因不明」は医師に過失があることが立証されておらず、不法行為賠償の立証責任は請求者患者側にあるため、真偽不明なら患者敗訴となります。)

> 明らかな過失とは言えないのであるから過失と認定できないとしか言いようがないのではありませんでしょうか?(No.156 yama さま)

医療が万能でなく、人の死の原因が医学的に解明できないケースが存在するという一般論は、裁判官も理解していると思います。
さして優秀でもない若輩の弁護士である私が、皆さんの説明を聞いて理解したくらいですから、優秀な裁判官に理解できないということはないでしょう。

裁判所としては、医師が「過失なし」と判断することなら、過失なしで文句はありません。
問題は、具体的な事件において、医学的に過失が有るのか無いのか、ということです。
過失アリと思う医師と、過失ナシと思う医師がいて、過失ナシ意見が相手を論破できていない点にあるのです。

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> 「鑑定書の医学的妥当性」は判断できるというのはなぜなんでしょうか(No.157 ひ様)

鑑定書は医学的に妥当でなければならない。
妥当性を法曹が判断しなければならないという状況が、困るのですよ。
医学の専門家に聞いているのに、なんで医学的に妥当でない意見が出てきちゃうのですか。あってはならぬことだ。そんな医師が存在すること自体がけしからん。
医師の間であらかじめ、けしからん医師を排除してください。
(裁判所には、どの医師がけしからん奴かどうかは、判断できないから)

というわけで、裁判所としては、鑑定人の推薦を学会に依頼したりしているのですが、
それでもけしからん鑑定人が紛れ込んでしまうことがあるのですかね・・・?

>元ライダーさん

 あまりにもあからさまな司法の否定のご意見ですので、議論の混乱を避けるためにアクキン第1号にしようと思いましたが、あなたも司法に対する無理解者の一人だろうと思い直しました。

 あなたは、裁判官が専門家である医師の意見・見解をまったく無視していると思っているのですか?
 裁判官は医師の意見に基づいて判断しているのです。
 私は、以前に裁判官のことを「法廷の独裁者」と言ったことがありますが、同時にその独裁者も頭が上がらないのが人の命を司る医者であると
思ったものでした。

 No.160 YUNYUN さんのコメントなどの最近のYUNYUN さんコメントを読み直していただけませんでしょうか。

 それでもお考えが変わらないようでしたら、議論の土俵がまったく違うということになりますので、このブログでのご発言を控えていただければ助かります。

 日本の司法は他の先進諸国と比較して特に異常とは思えません。
 そして日本における公権的、強権的、最終的紛争解決機関です。
 それを否定したのでは議論になりません。

私の感想ですが、トンデモ判決と言えるものでも、入り口(判断根拠)と出口(主に賠償額)を除けば、法律の素人が口ばしを挟めるものではありません。
当たり前の話で、法の職人が仕上げたものは、法曹からのチェックを受けても大丈夫なように理論武装されたものだからです。
しかも私も含め多くの医師が恐れるのは、過失認定による不法行為責任の一点突破です

争うとすると、

鑑定に基づく事実認定(証拠採用)
酌量を加味した賠償額

でしかないように思えます

公開されている鑑定報告がないか検索してみると

診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業
http://www.med-model.jp/jigyou.html

というものを見つけました。鑑定には弁護士も含めた詳細な検討がされているようです

裁判に使うことを前提にしている訳でもなさそうですが、この事業が海難審判のように公的に認められるようなことになれば、期待できるかもしれません

ただし、現況のように過失一発で数千万〜億の賠償容認のような事態が続けば、どんな鑑定制度を作っても、医療崩壊は避けようがありません。

法制度と共に、なんらかの患者さんを含む社会の許容度、補償体制が必要と思うことには変わりありません

。。。。というと、また政治にからみそうなので、ここまで

>Med_Law さん

 医療崩壊問題は現在の紛争解決システムの中だけで解決するのが困難な部分があると思います。
 したがって、政治がらみの話は必要ではないかと思います。

 司法を否定した議論は不毛ですが、現状維持を前提にする必要はないでしょう。

> 現況のように過失一発で数千万〜億の賠償容認のような事態が続けば、どんな鑑定制度を作っても、医療崩壊は避けようがありません。(No.162 Med_Law さま)

医療崩壊の過去エントリのどこかで書いたことですが、
・法律により賠償額の上限を設ける(キャップ制)
という提案。

この法律は、国民全体に一律に制限を課すのであるから、憲法29条3項等には反しないと考えます。

交通事故では損害の全額を賠償しなくてはならないのに、医療過誤では一定限度までの賠償でよいとする理論的根拠(「社会の許容度」を求めて国民を説得する理屈)如何?
・国民は健康保険制度により、低廉な負担額で高度な医療を受ける恩恵に浴しているから。
(健康保険外の自由診療においては、高い料金をとる一方、事故時は全額賠償しますという個別の診療契約を結ぶことを許す。)

cf.郵便法 低廉な料金で高度のサービスを提供する反面、郵便事故時の賠償額は一定限度に制限されている。

まあ、政治目標としても遙かな構想なので、喫緊の話題でないとして、スルーされました。

No.160 YUNYUN さん

>「校正」(朱入れ)

変換ミス大変失礼しました。
ただ文章を直すというより、妥当性の確認作業のことなので、これがやられている可能性は低いと思います。

No.161 モトケンさんへのコメント

アクキン第1号指定寸前とは恐れ入りました。そんなに礼を失した表現や、司法を完全否定したつもりは無いのですが、おっしゃるように私も司法に対する無理解者の一人なんでしょうね。自分の言葉で語るのはマズイ雰囲気なので、引用を元に書き込みます。

No.161 モトケンさん
>あなたは、裁判官が専門家である医師の意見・見解をまったく無視していると思っているのですか? 裁判官は医師の意見に基づいて判断しているのです。

無視しているとは思っていません。「医師の意見に基づいて判断している」と思っています。
その上で、

No.160 YUNYUN さん
>鑑定書は医学的に妥当でなければならない。
 妥当性を法曹が判断しなければならないという状況が、困るのですよ。

この意見に完全同意です。鑑定意見が複数ある場合、どの鑑定意見を採用するかを医学に素人である裁判官が判断しなければならないという状況が医師にとっても不信につながるのです。今まで言ってきたことをYUNYUNさんの意見を借りて言えば、鑑定書は唯一であるほうが裁判所にとっても悪いことではない、「鑑定書を一つにする作業を医療側に丸投げしてくれないか」ということでもあります。

No.161 モトケンさん
>日本の司法は他の先進諸国と比較して特に異常とは思えません。

他国と比較して異常と言ったのではありません。法廷外の世間一般と比較すれば異常と言ったのです。

No.161 モトケンさん
>そして日本における公権的、強権的、最終的紛争解決機関です。
 それを否定したのでは議論になりません。

否定したつもりはありません。判決は裁判所、裁判官の名の下に下して結構です。ただ、純医学的な評価のみは医療側の意見に拘束されてくれと言っているのです。もちろん先立って、先に述べたように医療側の意見(鑑定書)を統一する必要はあります。
医療側にとっても、第3者機関の設立よりも統一鑑定書作成機関設立のほうがbetterと思います。統一鑑定書作成機関が誤りを乱発した場合、医師自らがそれを正すことができますから。ただし法曹が統一鑑定書を受け入れてくれればの話ですが。

以上でROMに戻ります。我慢できなくなって、いつか書き込みをするかもしれませんが、モトケンさんの退場勧告が出れば御迷惑を最小限にするために直ちに従います。
モトケンさん、お相手ありがとうございました。


>元ライダーさん

 元ライダーさんのコメントが礼を失していたというわけではありません。
 そういう観点でアクキンと言ったのではないのです。

 ただ、司法を否定するような前提での意見となりますと、土俵が違ってくるのです。
 元ライダーさんがまじめに議論されているからこそ、議論が混乱する恐れを感じたわけです。
 一見してトンデモな議論であれば皆さんスルーしますからいいんですけどね。

 というわけで、YUNYUN さんの説明をご理解いただけているようですので、今後もコメントを期待します。
 
 

N0.149 FFFさん。
僕は医療と法曹は類似性があっても違いもかなり大きいと思います。しかし、現状より過度の期待を負っている点、実際には他者には理解できない当事者としての壁があることもわかります。確かに誤解に基づいての発言内容もありました。しかし、それでもずっと医療者よりは恵まれた状況での判断だとは思います。それから、自らの正当性やexcuseを語るときはマスコミを含めて3者のいい分は驚くほど似ますね。しかし、同じ理屈をいってもやはり最も断罪されやすいのは医療者であり、次はマスコミで最後は法曹であるというのは事実でそういう意味での不当か正当かはわからないけれどやっかみのようなものは僕にはあります。法曹が同じ理屈で自分たちの免責を主張して当然としているのになぜ、医療者には認めないのか。
福島の件など、法曹の間でも意地になっているという話が出ましたね。根拠を無くした時に速やかに引っ込めないというのは医療の世界では青戸の話に匹敵するような話でこんなのは罰してほしいと思います。

医療は社会の業種の中で唯一官民の別を問わず法に拠ってのみ職業として存在し得る業種であると思います。医療行為の実践は法がなければすべてが他者への傷害行為であるからです。よって、数ある職業の中で最も直接に司法の影響を受けざるを得ず、医業を行うものは他の誰よりも司法の動向の微細な変化まで見落とさないように高度の集中力をもって常に注視し続けているのです。
業務の遂行のしかたは両者はともに人間の身体生命を対象とするだけあって裁量を業としており、洞察力と分析力と倫理を保持する精神力と決断力を向上心をもって高いレベルに維持することが求められる点で一卵性双生児の如しであると思います。
元ライダーさんのコメントはある意味現実のくびきを離れた(モトケンさんから見れば当然離れすぎた)思惟世界の談論であったことでしょう。しかし、医師の法に対する研ぎ澄まされた感覚を司法側諸氏へ示してもらえたと思いました。
横から失礼致しました。

でも法曹の人が言うように鑑定医の意見をもとにされた多くの問題判決を考えると本当の敵は身内の医師かという気もしてきます。でも、鑑定医が最善をつくしたといっても敗訴にする例も存在します(医療崩壊について考え、語るエントリ(その11)No94)。とはいえ、大多数は鑑定医の意見が現状にそくさなかったのでしょうね。

>>No.164 YUNYUN さんのコメント
>交通事故では損害の全額を賠償しなくてはならないのに、医療過誤では一定限度までの賠償でよいとする理論的根拠

 賠償額の上限の設定とは別に、以下の考えは可能でしょうか。
 事故に遭わなければ健常な生活をおくれていた人が被害者となる交通事故と異なり、医療事故の被害者は傷病者であることから、「もし適切な医療行為が行われていた場合の治癒率ならびに社会復帰の可能性(仕事ができるのか)」を考慮して、その分を差し引いて賠償金額(うち逸失利益)を算出することで制限するという考え。

> 医療事故の被害者は傷病者であることから、「もし適切な医療行為が行われていた場合の治癒率ならびに社会復帰の可能性(仕事ができるのか)」を考慮して、その分を差し引いて賠償金額(うち逸失利益)を算出することで制限するという考え。(No.171 通行人A さま)

その説は、前にちらっと出ていました。とりあえず、これの前後あたりをご参照ください。
医療崩壊について考え、語るエントリ(その6) コメントNo.229
http://www.yabelab.net/blog/2006/10/29-232428.php#c19411

私は理論的には成り立つ話と思いますが、認められた裁判例はないようです。
というか、裁判で主張した事例があるのかどうかも??
訴訟での実践が困難な理由は、
・もともとの病状での余命や稼働能力がどのくらいか、立証が難しい
・医療に過失があったことを前提として、支払額を値切る主張なので、訴訟でそういう戦術を取ろうとする医療者が少ない
(訴訟では過失を否認して争っているケースがほとんど。過失があれば医賠責も下りるから、金額のみを争って訴訟にまで至る事件は少ないと思われる)

No.171 通行人A さん

>交通事故と異なり、医療事故の被害者は傷病者であることから、「もし適切な医療行為が行われていた場合の治癒率ならびに社会復帰の可能性(仕事ができるのか)」を考慮して、その分を差し引いて賠償金額

肝癌の見落とし訴訟(判断自体はトンデモ)では、肝硬変があることからその分安く(甘い見通し且つ大雑把ではあります)算定されていました。考慮しないわけではないと思います。

> No.157 ひさん

 なかなかコメントがつかないようなので、私から少しだけ。

 御指摘の判例は、判決の結論として何を求めることができるか、という点に関する限界を言ったものです。裁判は、具体的紛争における当事者間の権利義務関係に決着を付けることが本来の目的であり、それを越える要求(一般的に何が正しいとか正しくないとかの判定を求めること)をされても困るから受け付けませんよ、という程度の意味合いです。

 例えば、「絵画Aは絵画Bより良い作品だ」とか「宗教Aは宗教Bより正しい」という判決を求めることはできません。その意味では、医学についても、「医療行為Aは医療行為Bより医学的価値が高い」とか「医学書Aの記載は間違っている」という判決を求めることはできません。

 ただ、例えば、絵画Aを誤って破損した相手に所有者が損害賠償を求める訴訟は、損害賠償請求権の存否という個別具体的な問題ですから、もちろん裁判所が扱うことができます。その訴訟の中では、絵画Aの経済的価値を算定することになります。司法が、具体的な紛争と関係なく、絵画Aの芸術的な価値とか優劣を判定しているわけではありません(なお、絵画の経済的価値を判断するのも専門的で大変だといって裁判所がその判断を放棄すると、被害者は結局救済を受けられなくなります。)。

 同様に、医事訴訟においても、損害賠償請求権の存否を決めるために、「なされた医療行為Aは適切な医療行為とだったいえるか」という判断をするわけです。この判断は、あくまで「そのケースにおいて適切だったか」という点に限ったものであり、決して「一般的に医療行為Aが正しいかどうか」という判断をしているわけではありません。この辺りが、法律家と医療者で最も捉え方の違う部分だと思われます。

> No.155 元行政さん
> これは聞き方の問題の可能性が高いと思います。(実際の鑑定書を見ていないので推論ですが、鑑定依頼の記事等を読んでの話ですからあまりはずれていないはずです)原告及び被告が出す指摘鑑定書やそれぞれの主張は、病態を考えた総合的なストーリーになっているでしょう。それに対して裁判所からの依頼は、このCTの所見はとか、質問が分割されていると思われます。裁判官は総合的に判断するのは自分だと考えるあまりに、本来最も必要であるはずの医師による総合的な判断を純粋に医学的なものでさえ、もとめていないのではないでしょうか。

 誤解されているのではないかと思うのですが、鑑定書の依頼の問いの部分を作成するのは、裁判所ではありません。当事者の合意で作成されます。裁判所は多くの場合字句などの形式部分の修正をするだけです。通常は、鑑定を申し立てる側が、案文を作成し、それに対し、相手方が修正または、別の案文を出し当事者が合意できた段階で、完成されます。鑑定の依頼の問いの作成は、双方の当事者の弁護士が、力を入れるところの一つです(要は、自分に有利な答えを引き出すために)。したがって、問いが悪くて、医療機関側に不利な回答が出されたとしても、それは医療機関側の責任ということになります。


>L.A LAW様

 というか、そもそも質問の仕方で科学的議論がゆがめられるというのが・・・。ここら辺も法曹の方々と医療者との相互不信の原因になっているような・・・。

>No.176 僻地外科医 さん

>というか、そもそも質問の仕方で科学的議論がゆがめられるというのが・・・。

 ただ、元行政さんも質問の仕方で、答えが違ってしまうことを前提とされていると思います。

 一般論を聞いているのでなく、個別の事象について、聞いているのですから、データーの与え方が違えば、結論が違うのは、科学的にも当たり前だと思いますし、どの部分について、どのような質問をされるかによって回答が違うことは、科学的にもおかしくはないと思いますが。

No.175 L.A.LAW さん

ご教示ありがとうございます。
そう考えたのは、判決文を読んで、複数の医師の意見を採用している部分が、断片的な判断であったこと。以前読んだ鑑定医へインタビューしている文書で、こんな質問がされたというような話からそのような推測をしました。
質問を作るのが裁判官であるとすると、裁判官のせいではありませんね。ただ、素人の誤った心証に合わせるように、他の鑑定のいいとこ取りをする可能性が低くないということは言えると思います。
先生の発言をもとに修正させてもらうと、文章の達人である弁護士が鑑定の質問文を作っても、正確なニュアンスの伝わる鑑定医の回答を引き出すことは至難の技で、結局伝言ゲームの愚ということでしょう。かなり判定の不正確さを増す要素だと思います。

>No.178 元行政さん
>先生の発言をもとに修正させてもらうと、文章の達人である弁護士が鑑定の質問文を作っても、正確なニュアンスの伝わる鑑定医の回答を引き出すことは至難の技で、結局伝言ゲームの愚ということでしょう。かなり判定の不正確さを増す要素だと思います。

そうです。ですから、この点もあるから、裁判、特に刑事裁判においては、直接的な証言等が重視され、伝聞証拠(書いたもの等)は原則禁止(大野病院事件で、同意不同意で問題となっている話しです)とされているのです。

 ただ、これは、判断者が、専門家か素人かの問題ではありません。また、伝聞証拠を完全に禁止すればいい問題ではないことは、大野病院事件での記載等でおわかりかと思います(文献等は出せないことになりますから)。

>No.178 元行政さん
>先生の発言をもとに修正させてもらうと、文章の達人である弁護士が鑑定の質問文を作っても、正確なニュアンスの伝わる鑑定医の回答を引き出すことは至難の技で、結局伝言ゲームの愚ということでしょう。かなり判定の不正確さを増す要素だと思います。

連続ですいません。補充ですが、これを補うために、鑑定後、当事者(通常は不利な判断をされた側ということになりますが)は、鑑定人尋問を申請し、鑑定人を呼び出し、法廷で尋問することができます。ただ、この鑑定人尋問は、鑑定人になる医師を減らすということで、鑑定人となる医師からは評判が悪く、鑑定人集めに苦労する裁判所としてはしない傾向にあります。

こんにちは、YUNYUNさん。
整形Aです。

No.164 YUNYUN さんのコメント

>医療崩壊の過去エントリのどこかで書いたことですが、
>・法律により賠償額の上限を設ける(キャップ制)
>という提案。
>
>この法律は、国民全体に一律に制限を課すのであるから、憲法29条3項等には反しないと考えます。
>
>交通事故では損害の全額を賠償しなくてはならないのに、医療過誤では一定限度までの賠償でよいとする理論的根拠(「社会の許容度」を求めて国民を説得する理屈)如何?
>・国民は健康保険制度により、低廉な負担額で高度な医療を受ける恩恵に浴しているから。
>(健康保険外の自由診療においては、高い料金をとる一方、事故時は全額賠償しますという個別の診療契約を結ぶことを許す。)
>
>cf.郵便法 低廉な料金で高度のサービスを提供する反面、郵便事故時の賠償額は一定限度に制限されている。

YUNYUNさんのこの提案ですが、おそらく一番現実的な解決方法だと思います。
「医療崩壊」があるとすれば、それはおそらく「健康保険医療の崩壊」なんですよね。国民が現在の、低廉で割合良質な医療を受けられなくなる。それが「崩壊」なんだと思います。

ですから健康保険制度の維持のため、(健康保険制度化での)医療による健康被害に対し一定額までしか損害賠償を認めない、という理屈は通ると思います。
キャップ制がいやならば、自由診療という手もあるわけですから。

>まあ、政治目標としても遙かな構想なので、喫緊の話題でないとして、スルーされました。

すみません。特にスルーしていたわけではありません。
いつかきちんとコメントしようと思ってはおりましたが・・・。
無過失補償の問題とか、損害賠償の負担割合(以前から主張していますが、制度に起因する健康被害に対しては、制度設計者、保険者も負担すべきである)など、色々考えるところがあり、なかなか書けないでおりました。
てゆーか、今もよくまとまっていませんが。

No.160 YUNYUN さん

ちょっとしたことですが、

>裁判所としては、医師が「過失なし」と判断することなら、過失なしで文句はありません。

過失かどうか決めるのは裁判所だという意識を、裁判官は強く持っていると、今まで紹介されてきた文章、議論から言えると思います。過失かどうか直接問う鑑定医への質問文は許されないという話もあったと思います。

No.179 L.A.LAW さん

>伝聞証拠(書いたもの等)は原則禁止

紙には紙のメリットもありますよね。現実を最大公約数でさらう極力単純な論理を見出そうとする法学の特徴の出た話だと思います。

No.180 L.A.LAW さん

>この鑑定人尋問は、鑑定人になる医師を減らすということで、鑑定人となる医師からは評判が悪く、鑑定人集めに苦労する裁判所としてはしない傾向

絵に書いた餅ではしょうがないですねぇ。
呼んで話を聞くことで精度は上がるでしょうに。ただ尋問というシステムも真実追及の面ではネックになるでしょうね。証人で呼ばれて、思ってもいないことを言わされてしまったという話がどこかにあったような気がします。

>No.174 FFF さんのコメント
の結論部分について横入り質問させてください。

> 同様に、医事訴訟においても、損害賠償請求権の存否を決めるために、「なされた医療行為Aは適切な医療行為とだったいえるか」という判断をするわけです。この判断は、あくまで「そのケースにおいて適切だったか」という点に限ったものであり、決して「一般的に医療行為Aが正しいかどうか」という判断をしているわけではありません。この辺りが、法律家と医療者で最も捉え方の違う部分だと思われます。

これは民事裁判でのお話でしょうか。民事裁判で個人の医師の一つ二つの医療行為の適否を問うて主たる損害金額を決定するというのは、治療結果の全責任が、病院において行われた全治療の流れの中から部分的に切り出された当該医療行為の適否だけにかかってくることになり、現実的な責任の配分算出という面で適切を欠くような気がいたしますが、法曹の方の見方はどうでしょうか。

流れぶった切った話ですが、医師の皆さんは医療訴訟のニュースを見た場合に賠償金の「額」というものを気にしてますか?

数千万〜億単位の賠償金と比べて非常に安い数百万以下の場合見舞金的なものであって敗訴とは言ってもあまり気にすることはない、と言うような意見も以前に見かけたこともあります。

実際司法的観点としてはそうなのでしょうが、こと医療崩壊という現象との絡みで考えた場合に高い安いというのは医師側の受け取り方としてほとんど関係がないような気がするのですが自分だけの感覚でしょうか。

> 「例」が合わないと思いますが。(YUNYUNさん)
亀レスで申し訳ありません。例は合うと思います。まさに福島の事件が該当するのだと思いますよ。子宮全摘出に移行しなかったのが過失に問われていますよね。

> 新規の医学知識を共有するのと同様に、医師の治療が医学上過失とされる場合は何かについて、見解を統一しておいていただきたい。
残念ながらすべては無理です。膨大な医学の中からガイドラインを作るという作業が学会レベルや厚生省などで行われていますが網羅することはできません。つまり、各論での統一見解を作るのはものすごい作業なのです。
しかし、少なくとも努力はしています。答えになっていないかもしれませんが、それが医学の限界でもあるのです。
それにガイドラインができてもそれが全医師に行き渡るとは思えませんし、学会はこれを刑事訴訟に用いられることを強く警戒しているため、一般には公開していません。「ガイドラインにそってやらなかった→過失」というきわめて簡単なセオリーを作ることさえ難しい。
一方総論でみると、確かに統一見解を作ることは必要かもしれません。例えばプロスペクティブにみて過失があったかどうかの判断です。しかし、結局は各論での議論が必要になります。つまり、解決にはほど遠いと言うことになります。

No.174 FFF さま

FFF 先生ご自身はご了解のことがほとんどでしょうが、確認がてら。

> 裁判は、具体的紛争における当事者間の権利義務関係に決着を付けることが本来の目的であり、それを越える要求(一般的に何が正しいとか正しくないとかの判定を求めること)をされても困るから受け付けませんよ、という程度の意味合いです。

板まんだら事件については「当事者間の権利義務関係に決着を付けること」を目的としていたには違いありません。問題は、その判断に先立つ先決事項として「一般的に何が正しいとか正しくないとか」のようなことを判断しなければならないから、結局そういう問題を前提にした紛争は裁判所ではあつかえない、ということかと思います。
前に引いた技術士の事案も、「国家試験における合格、不合格の判定も学問または技術上の知識、能力、意見等の優劣、当否の判断を内容とする行為であるから、その試験実施機関の最終判断に委せられるべきものであ」るとはしていますが、厳密に言えば裁判所が判断できないのは「答案が正解か」であって、もし国が(言うわけないとは思いますが)「答案が正解であることについては争わないが、原告は法定の技術士の欠格要件を満たすことが最終判定段階で判明したので不合格とした」などと答弁したらその点について審理されるのではないでしょうか。

少し長くなりますが引くと、「本件訴訟は、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとつており、その結果信仰の対象の価値又は宗教上の教義に関する判断は請求の当否を決するについての前提問題であるにとどまるものとされてはいるが、本件訴訟の帰すうを左右する必要不可欠のものと認められ、また、記録にあらわれた本件訴訟の経過に徴すると、本件訴訟の争点及び当事者の主張立証も右の判断に関するものがその核心となつていると認められることからすれば、結局本件訴訟は、その実質において法令の適用による終局的な解決の不可能なものであつて、裁判所法三条にいう法律上の争訟にあたらないものといわなければならない」(最判昭和56年04月07日民集第35巻3号443頁)という判決で示された基準は、宗教問題以外の「法令の適用による終局的な解決の不可能な」前提問題を核心として持つが、一応「具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争」の体裁をもつ事案にも射程を持つのではないかと。(そういうものがなかっただけで)

「なされた医療行為Aは適切な医療行為とだったいえるか」というと、これはあくまで具体的な事案に対する判断ですが、たとえば「Xという疾患の患者にA・Bという治療方法を提示したが、Cという方法も提示しなかったことは過失であったのではないか」という一見具体的な問題にも、えてして「一般にYという疾患に適応があるとされるCという治療法はXにも適応があるか」というような一般化された問題が含まれているのではないかと思うのです。ここで、あくまでXという疾患一般ではなく、具体的な患者に対してどうだったのかという判断しかしていないのだということはわからなくはないのですが、一般化された問題には前提事項としても一切判断していないと言われると、俄には首肯しかねるところがあるのです。
「核心として持つ」わけじゃないから良いとするべきでしょうか。
板まんだら事件の判断基準をあくまで寄附金返還等の名を借りた教義争いを遮断するための理論としてみて、その射程をごく狭く見るべきなのでしょうか。

民事裁判は人権対人権の闘争でありますから、両者の人権を虚心坦懐に時の法に照らして公正に裁定する、これが司法だと小学校で習いました。医療裁判でも裁判官は医者ではないのだから医療知識を持つ必要は全くありません。逆に、権利行使に伴う責任や義務が明らかでない「患者側(上乗せ)期待権」を、本来法理的に対立する位置にない医療がわの「裁量」に対立させる法理的必然性もまったくないと思っています。医療の「裁量」の正当性は権利義務の概念によってではなく、専門教育と国家資格試験によって担保されている(司法と同程度に)と思っていますから。
これが現在私の法律司法に対する解釈で、自分ではごく常識的なレベルの理解度じゃないかと思いたがっています(笑)。そのレベルの知能ではですが、法を司るとは対立する人権を法に照らすことで裁量判断するものだと考えております。

私が藤山学派の人に質問を発したのは、医療民事裁判における「高いレベルの和解」論を司法としてどう説明してもらえるか、最も法に拠って業務を行う医療者として、私が理解できるかどうかは別にしても、できるだけ明確に知っておかなければならないからです。
裁判の手続き論ではなく法理学的学問的なことが知りたいという真意をご理解いただければしあわせです。併せて、学問として修めた経験がない故の私の認識違いをご指摘ご教示いただければ幸甚に存じます。

No.160 YUNYUN さま

> 医学の専門家に聞いているのに、なんで医学的に妥当でない意見が出てきちゃうのですか。あってはならぬことだ。そんな医師が存在すること自体がけしからん。

「医学的に妥当でない」というか、「実務に当たる人間の大多数が受け入れられるものでは(必ずしも)ない」ということだと、どの学問領域でも同じようなことになってしまうんではないでしょうか。

「ある具体的な事案における処分・手続・事実行為等につき、鑑定類似の方法によって違法か否かの意見を述べよ」という要請が法学界に寄せられたとして、これに応えることができますでしょうか。
ほとんど同じような刑事手続の事案の鑑定依頼が、ひとつは土本武司教授のところに行き、もうひとつは渡辺修教授のところに行ってしまって、結果を見た外野からどうしてこうなるんだとかいわれてしまったりはしませんでしょうか。

No.185 老人の医者さん

>見舞金的なものであって敗訴とは言ってもあまり気にすることはない

医療側でも法曹側でも言っていないような気がします。それは実質敗訴ではないというコメントはありましたし、その通りでしょうが、許せるかどうかや、気にすべきかどうかは別問題でしょう。
ちなみに私は、全面勝訴でも許せませんし、気にします。(医師はこのくらいのスタンスが多いと思います)

> 過失かどうか直接問う鑑定医への質問文は許されない(No.182 元行政さま)

民法709条の不法行為が成立しますか? とか
執刀医に法律上の過失があると思いますか? というような問いは
<法的判断>を求めることになってしまい、医学的鑑定でないので、そういう訊き方はできないでしょう。
あくまで、医学的にみて、その患者に対して行った治療が、標準とされる治療方法の範囲内(→裁判官は法的に過失なしと判断する)か、それとも、普通の医師ならやらないヘタな方法(→裁判官は法的に過失ありと判断する)なのかを尋ねることになると思います。

医師の皆さんが、これは普通のやり方だ、許容範囲だと判断するなら、それでよいのです。

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> 医療事故の原因(No.186 yama さま)

もう一度繰り返しますが、その例は、
死因(治療法Aは拙かった)は死後には解明できることがあるが、
治療の最中には、治療法Aと治療法Bのうちどちらを採るべきであるかを、一義的に決められない。治療の効果は予測不能で、やってみなければ分からないことが多い、
という趣旨のお話ではないかと思います。

福島事件では、死因は、胎盤癒着を剥がした際に大量に出血したため、というように解明されたのではなかったのですか?
胎盤を剥がす(治療法A)と、剥がさず子宮を摘出する(治療法B)とで、どちらを採るべきであったかが問題とされ、
検察「Bを採るべきであった。Aを採ったことは過失アリ」
弁護「プロスペクティブな判断としてはAでもBでもよい。Aを採ったことに過失ナシ」

> 各論での統一見解を作るのはものすごい作業なのです
事前にあらゆるケースを想定して、過失有無一覧表を作ることが、不可能であるというのは解ります。
そうではなくて、過失の判断基準を共有するというか、具体例について意見を求められた場合に、極端に意見が割れることがないようにしておいてもらいたい、ということです。
10人に聞いたら最低8人は同じ答えが返って来る、というぐらいには一致してほしい。
そうすれば、3〜4人集めて多数決を取れば、だいたい間違いない結論が出せるでしょう。

しかし、亀田病院テオフィリン中毒事件では、4対1でも、おかしいという批判が出ているのですから、
何をやってよいのか、よくないのか、医師の間でもイマイチ見解が一致しないようですね。

-----
> 刑事手続の事案の鑑定依頼
> 結果を見た外野からどうしてこうなるんだとかいわれてしまったりはしませんでしょうか(No.189 ひ様)

法解釈の専門的意見を求める鑑定もありますが、
法律の世界では、たとえ見解が分かれても、他説に対して、「そんな意見はおよそありえないトンデモだ」と批判することは少ないと思います。
見解が違っても、他説がその結論に至った筋道は理解できる、学問的にその説は成り立ち得るものと認識される。

だから、医学上の問題について、同じ医師の間で、「それはありえない、トンデモだ」と批判されるほど、大きく意見が分かれるということ自体、
法曹にとっては、想像を絶して異様な状況なのです。まして、医学が自然科学の一種であり、科学的真理は一つのはずであるにもかかわらず。
なぜ同じ医師同士で、そんなに意見が食い違うのか、さっぱり分かりません。

「医学の問題は裁判官には判断できない、医師に判断させてくれ」と言われます。
いいですよ、医師の間で決めていただいても。みながそれで納得するならね。
でも、この調子では、いくら医師が判断しても、他の医師から見れば、やはり納得できないトンデモだと批判されるケースが出てきそうな気がします。

そこで生じる疑いは、
     医学の問題は、実は医師にも判断が付いていないのではないか?

ぶった切って申し訳ありませんが、

毎日新聞 2007年2月16日 ニューストップ > 地域ニュース > 宮城

栗原中央病院のチューブ誤挿管:築館署、外科医書類送検へ 麻酔医療過誤で /宮城
 栗原市立栗原中央病院(小泉勝院長)で05年10月、全身麻酔を受けた患者が意識不明の重体となった医療過誤で、築館署は16日にも麻酔を担当した男性外科医(53)=同市=を、業務上過失傷害の疑いで仙台地検に書類送検する方針を固めた。

 調べでは、外科医は同月17日、急性虫垂炎の男性患者(33)=同=の手術で筋弛緩(しかん)剤を使用。その際、体内に酸素を送り込む塩化ビニール製チューブを気管に挿入しようとしたが、誤って食道に挿入し、男性を低酸素脳症による意識不明の重体に陥らせた疑い。

 外科医はこの間、血液中の酸素濃度の低下を示す機器などの確認も怠っていたため、チューブの誤挿入は十数分間にわたって続いたという。男性は現在も意識を回復していない。

 同病院の事故調査委員会は昨年2月、「ミスが重なった」などと医療過誤を認める内容の報告書をまとめた。【比嘉洋】

2007年2月16日 読売新聞 >地域>宮城

麻酔ミス外科医を書類送検へ 栗原中央病院
 栗原市立栗原中央病院で2005年10月、市内の男性(33)が急性虫垂炎の手術のために行われた全身麻酔で、低酸素状態に陥り、意識不明の重体となった医療過誤で、築館署は16日にも、麻酔を担当した外科医(53)を業務上過失傷害の疑いで仙台地検に書類送検する。

 調べでは、外科医は05年10月17日、腹腔(ふくこう)鏡による虫垂切除手術のため、男性に全身麻酔をかける際、酸素を送り込むチューブを誤って食道に挿管、低酸素状態を引き起こした疑いが持たれている。外科医は「誤挿管しているとは思わなかった」と話しているという。

 当時の病院長などでつくる事故調査委員会がまとめた報告書などによると、外科医は、体内に酸素が行き渡っているかをチェックする機器の表示を確認していなかったという。

 当時、病院には常勤の麻酔医はおらず、東北大などから専門医を派遣してもらう日以外の緊急手術では、外科の医師が麻酔を担当していた。昨年8月から麻酔医が常勤している。

 同署では、「安全管理上の重大な過失はなかった」として、病院側の責任は問わない方針。


東北大学の麻酔科が

すみませんが、上のところで尻切れになっている文面は、無視してください。
(なんだか、思わせぶりで申し訳ありません。)

麻酔科医が少ないという背景の中で、外科医の先生が専門外を担当せざるを得ない中で起きてしまった医療事故ですね。社会の糾弾の仕方一つによっては、また1つ手術ができる病院がなくなるでしょう。

私が勤める問題も麻酔科医が足らないということで困っていて、しばしば、「今晩は、緊急手術できません。」という通知が救急外来に麻酔科より入ります。そんな日に、緊急手術を要する急患が入ったら、救急外来は、転送を行わざるを得ません。

>外科医は「誤挿管しているとは思わなかった」と話しているという。

No.14で私も書きましたようにこれは挿管者がちゃんと確認をしてもありえる話だと思います。

>体内に酸素が行き渡っているかをチェックする機器の表示を確認していなかった

カプノメトリのことを言っているのだと思いますが、手術場であれば、とうぜんこれがあるわけで、なぜこれで確認できなかった(確認しなかった?)という点は、もう少し詳細を知りたい気がします。


・・・・・・。

 この事例、そもそも麻酔科医がいない状況で虫垂の腹腔鏡下摘除をしようとしたこと自体がJBM的に敗因だと思います。

 虫垂切除なら無理せず腰麻にすれば良かったのに・・・。いや、うちの病院じゃ腹腔鏡下摘除が出来ない(外科医一人しかいないから)ひがみなんですけど。

>>体内に酸素が行き渡っているかをチェックする機器の表示を確認し
>ていなかった
>
>カプノメトリのことを言っているのだと思いますが、手術場であれば、
>とうぜんこれがあるわけで、なぜこれで確認できなかった(確認しな
>かった?)という点は、もう少し詳細を知りたい気がします。

カプノメトリではなくオキシメータでしょう.現在ではオキシメータは必須のモニターですし,置いていないところは非常に少ない(orない)と思います.おそらくはSpO2が低下していたのに見ていなかったのでは...

食道挿管の検出にはカプノメトリは最も有用ですが,こちらはまだオキシメータほどは普及しきっていないのではないでしょうか.(ラパロを行なうならカプノも必須だとは思いますが)

No.191 YUNYUN さん

>標準とされる治療方法の範囲内(→裁判官は法的に過失なしと判断する)か、それとも、普通の医師ならやらないヘタな方法(→裁判官は法的に過失ありと判断する)なのかを尋ねる

このような質問の仕方が許されるとはとても思えません。鑑定文が公開されている裁判でもこれが聞かれていたことを見たこともありませんし、法的な過失まで委ねているように見えるという意味でも許されないと思います。こういうことが尋ねられるべきということなら大歓迎なんですが。

>そうではなくて、過失の判断基準を共有するというか、具体例について意見を求められた場合に、極端に意見が割れることがないようにしておいてもらいたい、ということです。

これには賛同します。
しかしながら、このためには、医学部に講座として鑑定医学教室ができる必要があると思われ、他の政策より簡単ということも言えないと思われます。

>他の医師から見れば、やはり納得できないトンデモだと批判されるケースが出てきそうな

医師が判断しても弁論主義に則って判断すれば、トンデモ判決が出るかもしれませんね。

誤挿管で外科医書類送検の件に関してですが・・・

私も外科医で、以前麻酔を担当したことがあります。食道挿管の経験もあります。そのときは危ういところで気がつき、再挿管を行い患者さんに問題はなかったのですが、食道挿管はある確率で起こることで、ぎりぎりまで食道挿管に気づかないってこともあると思います。ま、それでも患者さんの顔色や酸素濃度をきちんと見ていれば、早期に発見することは可能ですが、結果的に救命できたか、できなかったのかは、ケースバイケースだと思います。

ただし、今回の例は僻地外科医先生と同じく、虫垂切除を腹腔鏡でする必要性があったのか。それのほうが疑問です。今回書類送検された誤挿管の件とは関係ないので、反論は十分に承知しています。

>>No.172 YUNYUN さんのコメント
>>No.173 元行政さんのコメント

 ありがとうございました。

 「医療崩壊について考え、語るエントリ(その6)」をざっと読んで、医療事故訴訟における賠償金額の算定にあたっては次の2点の医療の特殊性について考慮する必要があるのではないかと思いました。
(1)「医療」は他の領域と異なり「傷病者」を扱っている。
(2) 賠償金の支払いの一部は元をたどると医療費(税金・社会保険料)から支払われることになると考えられる。(医師個人や病院が加入している賠償保険の保険料も元をたどれば医療費から支払っていると考えられる。)
 また、賠償金額の制限には次のような効果があるのではないかと思います。
・実質的に、金銭目的の訴訟を抑制することができる。
・賠償金が高すぎると感じる事例における医療者側の不満が少しは軽減できるかもしれない。(賠償金が高すぎると感じる事例:高齢者の患者さんが死亡した場合の遺族への賠償、もともとがんの末期や重篤な状態で助かる見込みが少なかった場合、診断あるいは治療で過失があったかもしれないがそれが救命に大きな影響があったとは考えにくい場合、など。)
・将来医療事故被害者救済制度ができたとしても、おそらく金額は少ないと予想されるので、その際のギャップを縮める作用。

>訴訟では過失を否認して争っているケースがほとんど。
 確かに医療者側の目的は過失がなかったことを認めてもらうことだと思います。訴訟では医療者側は過失を否認して争うしかないと思われるので、現状では賠償金の設定は(専門家の意見を参考にしながらも)法曹の裁量になると思います。

> No.187 ひさん

 コメントありがとうございます。No.174ではかなり大雑把な書き方になって済みません。

 今は大した資料も手元にないので、半ば思いつきですが、御指摘のとおり、板まんだら事件で示されたロジックは、宗教問題以外の事案にも適用されうるものと考えます。ただ、このロジックは、「司法に判断するのが困難だから、裁判の守備範囲からから外しましょう」という考え方に基づくものではなくて、「そもそもそんな判断を司法に求めること自体が間違いだ、宗教論争、政治闘争に裁判所を巻き込むな」という考え方によるものであると理解しております。

 そして、裁判所は、例えば靖国参拝の違憲確認&損害賠償請求(参拝により原告個人が精神的苦痛を被ったと主張したもの)訴訟でも、前者は却下したものの、後者については審理をした上で棄却としたわけで、このように、本質は政治的・宗教的主張であり、法律上の争訴要件を形式上整えたに過ぎないことがかなりあからさまな事案ですら一応は相手をしていることからすると、法律上の争訴でないとして裁判所が判断を避ける範囲はかなり狭く、少なくとも医事訴訟についてこのロジックを使うことは現実的でないと思われます。医事訴訟は、純然たる損害賠償請求であり、その意味では正に裁判所の守備範囲です。判断が困難であるという側面については、鑑定や専門委員を活用し、最終的には立証責任で解決すればよいということでしょう。

 なお、医事訴訟において、御指摘のように、「ある程度一般化された医学的問題」が争点となり、これに対する判断が示されることはあります。ただ、それは判決の結論ではなく、具体的過失の有無を判断する前提としての判断に過ぎませんし、一見「ある程度一般化された医学的問題に対する判断を示した」ように見えても、やはりそれはその事件、その証拠に基づくものでしかなく、最高裁の判例でもない限り、他の紛争に特段影響を及ぼすものではないと考えます。

No191:YUNYUNさん

科学の世界では、「Aが正しいか、Bが正しいか」と聞けば答えは割れること多いですよ。
「Aを正しいと思っている人が多いか、Bを正しいと思っている人が多いか」、と聞けば意外と一致するかも。

あと、医療は科学であると同時に、技術でもあるので、流儀みたいなものも大きいし・・・

> 科学の世界では、「Aが正しいか、Bが正しいか」と聞けば答えは割れること多いですよ(No.202 立木 志摩夫さま)

医学の場合もそうなのですか?
医師の間で専門的見解が割れることがあって、学術的にはどちらが真実とも決められないものならば、自分と意見が異なる人に対して、「トンデモ」などと非難することは、できません。
世の中にA説論者と、B説論者とが相当数存在して、拮抗している場合は、
A説論者は、B説に対して、「そういう考え方もありうるが、自分はそれは採らない」という最低限の理解と敬意を示すべきであると思います。

現状では、A説が成り立つハズがないと思う(感情的に思っているだけです)人と、B説が成り立つハズがないと思う(同)人とが、実社会でいがみ合っており、
その対立をそのまま司法の場に持ち込むから、トンデモ非難の応酬になっているのではないでしょうか?

-------
学術的にただ一つの正解が確定的に定まらないことなら、むしろ話は簡単です。
専門的でない一般的な事実と、同じ扱いをすればよろしい。

裁判においては歴史的な真実が確認できるわけではありません(そんなことは、タイムマシンでもなければ無理)。
紛争を解決するために、対立する複数の意見のうち、ある一つ見解を、裁判上は「これが正しい」ものと、強制的に決めてしまう。当該紛争においては、その見解が正しいと<みなす>。
当事者が判決結果に対して不服を言えない、同じ訴訟を二度と提起できなくさせることによって、紛争の最終解決力が法的に担保されています。

結論の出し方については、裁判官の好みだけで判断されたのでは到底納得できませんから、
当事者が主張して、書証や証人の証拠を出して、相手方手持ちの証拠もできるだけ開示させてというような、公正な判断を導くための一般的な手順が、民事訴訟法という形でルール化されています。
この定められた手順に則って、裁判として一旦、結論が出され以上、自分はそれを真実と思わないと考えるのであっても、当該事件の解決方法としては、それに服さなければなりません。

そこで、医学的な事実についても同様に、どういう手順で出された結論なら、それを裁判j上「正しいものとみなす」(学術的な真実とは一応、無関係)ことができるか、という判断手順の問題に帰着します。

被告になることが多い医師の皆さんが最大の利害関係者ですから、ご意見を取り入れて、手続のルールを定めればよいでしょう。
現状では、原告被告双方から見解を出してもらうほか、裁判所が選任した鑑定人の意見を聞きます。鑑定人を複数(3人程度)にまで増やすこともあります。
それで足りんというなら、どういう方法が適当でしょうか?
(費用効果の観点で、どこが妥協点かということになると思います。)

一案として、●医療崩壊その11 コメントNo.122うらぶれ内科さま のご意見をご紹介します。 

医学上の問題を裁判で決着をつけるにはどうしたらよいか、一応私案を述べます。

1)まず、鑑定は従来どおり数名の鑑定者に行ってもらう。
2)つぎに、鑑定が妥当かどうかのみを、関連する学会から無作為に選んだ多数に投票をしてもらう。
3)結果を多数決で白黒をつけるようなことはしない

  そして、仮に鑑定が原告側主張を支持するものだったとして

4)鑑定が妥当であるという割合が50%ならば引き分け。
5)上記の割合が100%ならば、妥当と思われる賠償額全額の支払い。
6)上記の割合が0%なら裁判費用、医師側の弁護士料を被告側が支払う。
  (当然訴訟のリスクは被告も負うべき)
7)これらの間は比例配分する。

-----
>当初の鑑定が被告側主張を支持するもの(過誤なしとの意見)だった場合も、すぐに請求を棄却するのではなく、「関連する学会から無作為に選んだ多数に投票」してもらって再検討し、場合によっては「過誤なし」との鑑定を覆して医療側に賠償を命じる、ということでしょうか。(No.123 FFF さま)

数名の鑑定医の意見が一致したとしても、なお有限の危険率を持っての意見です。そうである以上、鑑定医が100%正しいということにはなりません。したがっておっしゃるとおりの結論になると思います。

ついでに、上で述べた意見の 6)上記の割合0%・・・ には、医師に対する精神的慰謝料、時間のロスによる損害に対する保障も含めるべきです。

割合的認定という理論上の問題はさておき、手続面に限ってみれば、この案はかなり慎重なやり方です。
丁寧な手続きにすることで、誤りを避けられる確率は高まるといえますが、反面、結論が出るまでに時間がかかり、訴訟費用もかかります(通常、鑑定費用は当事者双方で負担するので、このような学会アンケートをとる費用も、当事者負担となるでしょう。)
アンケートに協力する義務を負う学会員の負担も大変です。産婦人科学会などはフル回転かもしれません。この負担を嫌って、学会からの脱退者が出るおそれもあります。

そして、何よりも、手間暇かけたこの方法なら、医療者の皆さんは本当に納得されるのでしょうか?
他説に対しては容赦なく「トンデモ」非難を浴びせるのが医学界の通念であるなら、
どんなに手続きを尽くしても、自分意見と違う結論に対しては、「トンデモ」非難が出るのではないかという悪寒。

 医療者が自分と違う意見をトンデモというのは、エセエリートの尊大な習性とか、小学生の時から”優秀なやつ”として偏向教育されてきた精神的な奇形児であるということに発生していることは否定しませんが、自分が間違っていれば人が死ぬという現実のなかで、自分を信じるしかないということもあるのです。
 たとえば外科系の医者には客観的にみればへたくそはいます。しかし、多かれ少なかれ執刀医(もちろん、まえ立ちにおんぶにだっこであることを自覚している状況の人をのぞけば)は口でなんといっていようと自分がへたくそであるなんぞとは思っていません。下手すればブラックジャックよりうまいと思って手術に望んでいるのです。そうでなければ生死を分ける手術なんぞやってはいられません。
 それゆえ、世界的に有名な名手ですら、身の程知らずの場末の医者にトンデモな腕の外科医とののしられてしまいます。
 内科系だって、自分の治療が悪くて人が死ぬと思ったら、医者なんかやってられません。違う意見をすんなりと受け入れるのが困難な土壌がここにあるのではないかと思っています。(挿管だって−俺に入らんもの誰がやったって入るわけないじゃん−とおもってませんか?−手をかわって、あんまりにも簡単に入れられるととってもがっくりー患者さんにはいいことですが−)
 的はずれな意見でしょうか?

No.204 でもさん

違う意見だからトンデモと言っているわけではありません。でもさんが医師なら一度判決文を検討してみてください。違う意見とかの話でないことがわかると思います。

優秀と偏向が相関があると考えている点や、人が死ぬ現実で客観的な判断ができなくなると考えている点は、(科学者の端くれである)医師には見えませんがね。

>自分が間違っていれば人が死ぬという現実のなかで

臨床医の感覚と少し違う気がしました。(少なくとも私は違いますし、私の周りの医師たちはこのようには考えていません。 内科系の医師というバックグランドで)

自分が、正しいことをしようが、多少間違ったことをしようが、患者さんは助かるときは助かるし、なくなるときはなくなるという現実

もう少しいうと、
患者さんはなくなってしまったが、はて、これまでやってきた治療は正しかったのか?間違っていたのか? 正直よくわからない・・・
こんな現実

私を含め、周りの内科医もこんな感じかと思います。

「間違い」という単語に、医療者と非医療者の間で温度差があるかもしれません。
私が使ったニュアンスは、医療者の中で議論として成立しうる範囲の治療方針の差
という程度のものです。塩化カリウムを間違って投与するというようなレベルの間違い
というものではないと付け加えておきます。


>自分が、正しいことをしようが、多少間違ったことをしようが、患者
>さんは助かるときは助かるし、なくなるときはなくなるという現実

臨床医でもそのベースによって感覚が少しずつ違うものですね.
多くはER医のはしくれさんが書かれていますように,結局患者さんが助かるかどうかは「運命」に過ぎないでしょう.
しかし,いくらかのグレーゾーンでは「自分が適切なことをして,さらに運が良かった時にだけ助かる」という状況があります.そのゾーンを少しでも増やしていこうと我々は日々修練しているのです.
一瞬の判断を間違わなかったために助けられた患者さんというのはあるものです.ERではそれが特に顕著であると私は思っていますが,違いますでしょうか?

No.207 Level3 様

一瞬の判断を間違わなかったために助けられた患者さんというのはあるものです.ERではそれが特に顕著であると私は思っていますが,違いますでしょうか?

Level3先生、麻酔科の立場からの貴重なご指摘ありがとうございます。まったく仰せのとおりだと思います。 自分の一瞬の判断で患者を救えた!と思うとき・・・、その一瞬がER医にとって最大の喜びであり、モチベーション維持につながっています。

その一瞬に磨きをかけるために、私は努力をしているのですが、では、その判断ができなかったとき・・・、これを「間違い」と反省し、今後につなげていこうと考えるのが、医師の一般的な思考だと思います。しかし、この思考プロセスが、紛争の中では過失判断として論争の的になってしまう今日この頃が悲しく思います。

私は常に自分のやっていることが正しいのかどうか疑問に持ち続けることが最大の勉強だし、そうやって切磋琢磨していくのが正しいと信じています。おそらくでもさんはそういう自信を持っていないといけないというニュアンスで言っておられるのかもしませんし、それはある程度必要なことかもしれません。しかし、いわゆるリピーターや間違っているのに何を言っても耳を貸さない人というのは大抵自分に自信過剰である人の方が多いように感じます。
それと、経験上(私も含めて多くの臨床医は)自信過剰で自分は何でもできる、と思ったときに何か失敗をやらかすと感じているのでは無いでしょうか。その反省が石橋をたたいて渡るではありませんが、年を追うごとに慎重になっていく原動力になっているような気がします。

> No.205 元行政さん

 そうすると、元行政さんは何を根拠に「トンデモ」と連呼しておられるのでしょうか。

1 現行の医事訴訟で提出されている証拠、鑑定意見等を見れば、ちゃんと「医師が正しいと考える結論」に辿り着けるはずであるのに、多くの裁判例において、裁判官が不注意や偏見によって証拠の評価を誤っているということなのか

2 現行の医事訴訟で提出されている証拠、鑑定意見等から「正しい結論」を導くことは困難だが、それを導くために有効な他の証拠を収集・選別・提出することは可能なのに、当事者が不注意にもその証拠の収集等を怠っており、その結果、判決が誤っているということなのか

3 証拠の収集や評価の問題はさておき、とにかく裁判所は「医師が正しいと考える判決」を出すべきなのに、結果として正しくない結論に至っているではないか、という不満の表明なのか

4 それ以外なのか
 
 よろしければ御披露下さい。特に、上記2の御意見である場合には、「どのようにすればより確度の高い証拠、専門的知見にアクセスできるのか」という点についても教えて頂けると有り難く思います。

>FFF様

 横レス申し訳ありません。この問題はFFFさまのおっしゃるような一元論では語れないのではないかと思います。
 一例としてこれもカテーテルですエントリーの最近の議論をご覧下さい。

1の要素からは判決における証拠として呈示された情報が判決本文を読んですら医療のプロフェッショナルである我々にも理解し得ないということでしょう。亀田病院カテーテル事件は救急医療、カテーテル類、血管外科のプロである私が読んでも推論でしか語れない部分が多すぎます。

2の要素としては(これは1にも絡みますが)、私の挙げた後腹膜へのカテーテル誤入時のカテーテルのとぐろ現象です。これは現象面の解釈という点で2に分類しても良いでしょう。

 で、なにより問題なのは、判決文を読んですら、これは本当に医学的に問題無く議論されたのか、あるいはやはり医学的にもとんでもない判決なのか分からない点だと思います。マスコミ報道レベルではもっとそうです。もちろん、民事訴訟においては当事者間の利害関係という点から詳しい議論の内容を公開できないのかも知れません。しかし、今我々にとって最も重要なことは「こうやっていれば訴えられない、訴えられても敗訴することはない」という法的保証が何もないことなのです。そこから出現した(ある意味とんでもない)考え方がjudgement based medicine(JBM)なんだと思います。医療者がJBMという言葉を使うのは自嘲を込めた皮肉です。

 我々は科学者ですから、ここはこう、これはこうだから論理的にはこうなる、という組み立てが納得できるものでしたらこれほど騒がないと思います。ですが、現在の判決に関して(少なくとも私達が目にするものは)、医学的にツッコミどころが多すぎるか、あるいは、ここはちゃんと議論したのかと言う点が見えないところだと思います。また、医療社会学的にこんなことを要求されても困るという判決も実際にあります。(保険点数で担保されていなくても、必要があれば採血しろと言う判決がありましたよね?)

 我々がトンデモ判決と呼ぶものの多くは明確な議論の内容が見えないもの、もしくは社会的に不可能な要求をされたものだと思います。

 現状の裁判制度を維持するままで、医療崩壊を起こさないように・・・とするならば、我々にもっと情報開示をして欲しい。こうしなければ、あるいはこうすれば特別心配なく医療が出来るんだぞと言うことを示して欲しい、単にそれだけなんだと思います。

>No.210 FFF さん

私も横入りですが、

トンデモ判決では、
1) 結論の妥当性
2) 量刑の妥当性

の両方の側面から考える必要があります。

亀田事件では、病院側有責とした判断もおかしければ、有責とした結果、全損害を補償せよという量刑も不当です。

結果としてある医療行為が最後のトドメを打ったとしても、その医療行為をしなければ救命可能性すらなかった場合、有責ゆえ全損害賠償という結論は衡量を欠いたものでしょう

その法理を認めるのであれば、アメリカのようにその賠償額を予想した上での、医療契約の見直し(高額な治療費用、高額な医療賠償保険費用、高リスク患者の締め出し)は必然となります。

医療側がトンデモ判決に怒っているのは、単に医療側が不当な扱いを受けているというだけでなく、そのような判決による医療崩壊で、日本の保険医療システムが崩壊すれば、末端の一番弱い人に皺寄せがくることが分かっているからです。

当該被害者の損害に応じて認められるのが当然する論理からは、推定される賠償額に応じた治療費用の請求が認められなければ、経済的継続性がありません。
小児医療、産科医療は、不当に廉価な保険政策の犠牲としかいえない

現状の医療裁判の正当性を盾にするのであれば、現状からの医師の逃散ということでしか、医師個人は対応できません。
そして逃げた医師を誰が責められるというのでしょうか?

No203:YUNYUNさん

そりゃ意見は分かれますよ。何より、どういう事実があったか、ということ時点で意見はすごくわかれ、どの可能性がmost likelyであるかということも各自の経験やレベルによって分かれます。
さらにある状態を仮定したときに、どれが一番よい手段かなんて意見が分かれることはしばしばです。それは科学が自由であるということ、科学に限界があるということ、同時に医療に個別性があるということらからの帰結だと思います。

個人的に一番妥当な手段だと思えるのは、やはり科学の原則、すなわち真理はすべての人に開かれており、一人の権威者の意見よりも多くの目のチェックが最終的に真理に近づいていくという手段をもっと広く取っていくことだと思います。
となると最終的な鑑定書を書く人を一人指名、
あとはすべてのカルテ記録だの何だのを広く公開して医者なら誰でも意見を言っていい形にする。それら議論期間を何週間かとって、それらの議論を見て鑑定者が最終的に鑑定書を書くという感じがいいんじゃないでしょうかね。

医者に限定するのは(あるいはその科限定でもいいですが)、基本的知識を共有しないところでは科学的な議論は不可能だから、ですね。

> No.212 Med_Law さん

 コメントありがとうございます。

 私がよく分からんのは、なぜ「おかしい」と言えるのか、という点なのですが。御指摘の亀田事件について、「病院を有責とすること、その額の賠償を認めること」は、その裁判で提出された全証拠、鑑定等に照らして本当に「おかしい」ことなのでしょうか? 裁判所がそのように認定した以上、その認定を裏付ける証拠があるはずですが、その証拠のどこが信用できないのでしょうか。

 あるいは、「病院を有責とすること、その額の賠償を認めること」が明らかにおかしく、その言い分を裏付ける証拠もあるなら、なぜ被告病院がその証拠を提出しなかったのでしょうか。あるいは、その証拠を提出し、素人にも分かるようにちゃんと説明したのに、裁判官が不当にもそれを信用しなかったということなのでしょうか。

 仮に、こうした点の検討なしに、とにかく自分の感覚から外れるから「トンデモ判決」と断定しておられるのだとすると、「とにかく患者が死んだのだから医療過誤だ、ヤブ医者だ、トンデモだ」と罵声を浴びせるのと大差ないような気がします。「結果だけ見て非難するのは不当だ」というのは、医師の皆さんが繰り返し強調されてきたことだと思うのですが。

『東京地裁においては患者側に不利な場合のみ鑑定を採用する(医師に不利な場合は鑑定しない)とのことです。しかし、鑑定もないまま医師側が非専門家の判断に素直に従うとも思えず、控訴されることも多くなるでしょう。控訴審で鑑定が採用されたら、結局審理は促進されません。』
http://www3.ocn.ne.jp/~mmic/041kinkyutokusyu.htm#10

患者側弁護に回ることの多い弁護士さんからも医療訴訟指揮についての疑問の声がでています。
ほんとうに公平な訴訟指揮がなされていたのか、疑問に思えます。
これも不信といえば、不信です

医療裁判というナノ・ピコの微視的解決で、医療政策が崩壊しているのであれば、根本の法を正して、医療側、医療を受ける側の妥協点を探すのが本筋だと思います。
今の現状を追認することは、今の医療を否定することに他なりませんので。
今の法に則って、裁判所は正しい結論を出しているというのであれば、その通りかもしれませんが、次の未来では医師はその結論を避ける行動を採ることになるでしょう。
危険予測義務を遵守した上で、結果回避義務を尽くすと、一般病院レベルでは、婦人科も、小児科も、救急外来もなくなるということです。

亀田事件の鑑定のおかしさについては、カテーテルの項で議論していますので、そちらをご参照ください

> No.211 僻地外科医 さん

 コメントありがとうございます。

 しかしながら、紹介頂いたエントリの議論は専門的過ぎてサッパリ分かりません・・・・。

 判決文の情報量が不足しているという御指摘については、判決を読んで全て議論が理解できればいいとは思いますが、現実的ではないような気もします。結局、認定に使用した全ての証拠や鑑定の内容を判決文に移記ないし要約し、それによる事実認定の過程を詳論しろということになるのかも知れませんが、それをするとなったら、裁判官の人数がどれだけ必要になるか(なお、彼らの一人あたりの手持ち事件は200件とも300件とも言われており、過労死・自殺の多さがウワサされる職種の一つです。もっと増員すればいいと思うんだけど、最高裁の考えることはよく分かりません。)。

 説明の細かさに対する私のイメージは、学術論文 > 判決文 > 診断書、です。医師の方も、診断書に「診断結果だけではなく、そのような診断をした根拠を、第三者が読んでも分かるように資料付きで記載せよ」と要求されても困るでしょう。

 それから、「こうやっていれば訴えられない、訴えられても敗訴することはない」という法的保証については、「できない」と答えざるを得ないと考えます。訴えを起こすのは個人の勝手です。弁護士は無用な訴訟は起こさないよう説得しますが、弁護士を代理人とせず、個人で訴訟を起こすことは止めようがありません。そして、全ての医療行為について明確なガイドラインを予め定めることが不可能であるように、全ての医事紛争について「こうすれば裁判で負けない」という予防をすることも不可能です。ただし、この不確実性を軽減するための工夫は、色々考えられます。法律家の方がここで提言されているのは、主にこの部分であると認識しています。

>No.216 FFF さん

>裁判官の人数がどれだけ必要になるか(なお、彼らの一人あたりの手持ち事件は200件とも300件とも言われており、過労死・自殺の多さがウワサされる職種の一つです。

全く同意します。
選挙に多額の費用を掛けて、”民主主義のコストだ!”と言っているのに、司法に掛ける予算には、他人事ながら涙します。

法曹人口を増やすといいながら、新人教育の手当てもなく荒地に放つ姿勢にも立法・行政の無責任が垣間見えて涙します。

私は、法科大学院制度の一期生を目指すべく適性試験を受けた口ですが、今となっては落ちてよかったと思ってます。

法律家を兼任することを諦めてはいませんが、司法試験制度崩壊後の未来に何らかの突破口が見えてきそうな気がします。

FFFさん
とんでも判決と僕が言いたくなるのは亀田の件であれば、ネオフィリン中毒であった、この時点で死すべき運命であっただろうと推定されること。しかしながら、それこそ一か八か救命しようとしている間にDICになったということ。非常に簡単な話のようにみえるのに、医療経験がないために枝葉末節詳細にこだわり、本質を見失って判決をされたということです。
死すべき運命に逆らっての行為です。一発逆転を狙って万一心臓を刺すようなことがあっても責めてもらっては困ると僕は思っています。亀田の場合、カテーテルによって出血を助長したと思っていない医師がほとんどですが、たとえそうであっても何が悪いのということだと思います。
そういう感覚がどうしてわかってもらえないのかと思いますが、鑑定医の鑑定にそった判決をなされているとしたら僕もそのあたりはわからないのですが。

FFFさん
とんでも判決と僕が言いたくなるのは亀田の件であれば、ネオフィリン中毒であった、この時点で死すべき運命であっただろうと推定されること。しかしながら、それこそ一か八か救命しようとしている間にDICになったということ。非常に簡単な話のようにみえるのに、医療経験がないために枝葉末節詳細にこだわり、本質を見失って判決をされたということです。
死すべき運命に逆らっての行為です。一発逆転を狙って万一心臓を刺すようなことがあっても責めてもらっては困ると僕は思っています。亀田の場合、カテーテルによって出血を助長したと思っていない医師がほとんどですが、たとえそうであっても何が悪いのということだと思います。
そういう感覚がどうしてわかってもらえないのかと思いますが、鑑定医の鑑定にそった判決をなされているとしたら僕もそのあたりはわからないのですが。

2重登録すいません。
ついでに書くと全ての証拠や情報には軽重があり、その判断が医療を実際おこなわないとわからないということだと思います。
MRIが数日遅れただけで転帰が変わったという判断、こんなのは臨床医はほとんどがとんでもと思うのだと思います。最も医師が情報がない段階で医師に有利な推論をここで行っているのも確かだとは思います。大淀の報道直後は医師に大きな過失があった可能性はあったと思います。僕自身はネットに出たカルテを信じました。意識消失後も四肢を動かしていたという記載があったと思います。四肢が動いていたということは、出血による麻痺がその時点でなかったということだと思います。だからCTを早めにとっても出血はなかったわけで、多くの非難があたらないと思いました。しかし、その記載がなければ観察をおこなっていたから麻痺を見逃しCTをとらなかった可能性を否定できませんでした。
研修医の頃は観察を行い、考えて必要な検査をしなさい、無駄な検査をしないようにと指導を受けました。しかし、今や検査をしていなければ何かあれば裁判で負けます。必要のない検査を裁判のためのEXCUSEとしてする状況があります。

No.214 FFF さん

>裁判所がそのように認定した以上、その認定を裏付ける証拠があるはずですが、その証拠のどこが信用できないのでしょうか。

自分は証拠は基本的に信用できると考えています。
信用出来ないのは、その証拠で明らかなことを、専門知識がないため誤って評価する裁判官です。

亀田の事件では死因は、カテーテルが原因の出血性ショックだと認定しています。
死因が出血性ショックであったことを裏付ける証拠として「医師が血管にカテーテルを挿入した」「カテーテルは血管を穿刺して腹腔内へ出血があった」「カテーテル挿入して数分後、血尿が止まらない」ことをあげています。
しかし解剖学の常識として、カテーテルの挿入による出血が起きても血尿にはなりません。
「カテーテル挿入して数分後、血尿が止まらない」という事実認定からは、出血性ショックを全く証明していないのは明らかです。また、「血尿がカテーテルが原因の大量出血の証明している」という鑑定はありえません。
出血性ショックを認定しない事が明らかな証拠を、逆に出血性ショックが起きていた証拠としている。
これが問題なのだと思います。

亀田事件の本質的疑問点としてはそもそもこれが自殺(少なくとも自傷行為)であって患者はそれにほぼ成功していたこと(他の死因が存在しようとしていなかろうとテオフィリン中毒のみで十分死因足りえる)、そして本来であれば純然たる善意の第三者(医師がいなければ100%亡くなっていた)であるはずの医師が何故か罪に問われていることでしょう。それも、医学的に見て事の本質を外れているとしか思えない議論によって。

絶壁から飛び降りて自殺した人がいた、遺族が「故人が亡くなったのはよく見える場所に”ここから堕ちると死ぬ危険がある”という警告を掲示していなかったからだ!」と訴えを起こした、裁判所がもっともであると土地の管理者に賠償金支払いを命じた、こんな話であれば誰しも何かがおかしいんじゃないかと思うかも知れませんが、端的に言ってそんな印象を受けるわけです。医学的妥当性以前に社会的にそれってありなのか?というのが率直な感想です。

 診療ガイドラインはマニュアルではありません。これまでのコメントの中に読み手が誤解を受けるような記述がみられましたので、念のため、中山書店「EBMジャーナル」2000年7月号editorialより引用します。

(前略)
 さて、「特定の臨床状況において、医師が適切なヘルス・ケア上の決断が下されるように支援する目的で体系的に作成された文書」(Field MJ, et al)とされる診療ガイドラインは、上記4要素(注釈1)のうち、主として臨床疫学的な手法で行われた過去の患者でのアウトカム研究を一般臨床医が利用しやすい形にまとめたものである。特定の臨床状況において、ある治療を行うことでもたらされる健康上のアウトカムが、これまでの研究で明確になっているかどうか、そして、そのアウトカムについて誰もが同じように価値付けするものなのかどうか、などによって診療ガイドラインの内容がどれくらいの患者にあてはまるのかが決定される。
(中略)
 現在、わが国を含め、世界的に話題になっている診療ガイドラインとは、せいぜい60〜95%の患者に適用されるものであり、たとえEBMの手順を厳密に踏んで作成したものであっても、生物医学的知識や患者個人の価値観、社会規範などの要素も考えて参考にすべきものである。診療ガイドラインは、あくまでも医師が使いこなすものであり、医師が診療ガイドラインに使われるものではないことを銘記しておきたい。

注釈1)臨床判断・決断の拠り所となる要素:生物医学的知識、過去の患者でのアウトカム、患者個人の価値観、社会規範(医療倫理)(前段落に記載がありますがここでは前略とします)

>FFF様

 しかしながら、紹介頂いたエントリの議論は専門的過ぎてサッパリ分かりません・・・・。

 かもしれません。ですが、あの議論は医学的に決して高度というわけじゃないんですよ。医者であれば研修医レベルでもついて行ける内容だと思います。むしろ、実際の裁判の方がパーシャル・ボリューム効果(はっきり言って医者でもこのタームは知らない人の方が大多数だと思います)だの、高度な医学的議論が行われていたはずです。で、じゃあ、どうやって裁判官は医学的妥当性を判断したのかと・・・。千葉地裁の裁判官はFFF様に比べて特別な医学知識を持たれているのでしょうか?あるいはあの判決は医学的妥当性などと全く関係なく法的妥当性のみに基づいて下されたものなのでしょうか?

 説明の細かさに対する私のイメージは、学術論文 > 判決文 > 診断書、です。医師の方も、診断書に「診断結果だけではなく、そのような診断をした根拠を、第三者が読んでも分かるように資料付きで記載せよ」と要求されても困るでしょう。

 細かさのイメージはその通りだと思います。ただ、判決文と診断書をほぼ同列に語られるのはいかがなものかと。判決文が社会的影響を及ぼすのは間違いないでしょう。

 それから、「こうやっていれば訴えられない、訴えられても敗訴することはない」という法的保証については、「できない」と答えざるを得ないと考えます。

 あ、ここは勘違いされているようです。私は医学的な妥当性の話をしている訳なんですが。FFF様がおっしゃっていることは、いかに医学的には妥当であっても、敗訴すると言うことでしょうか?(訴えられるかどうかは別問題なので置いておきます)。
 であるとするならば、ここでの議論はまるで無駄だと思います。時間の無駄ですからお互い撤収した方が良いでしょう。我々も当然、わずかでも訴えられる危険性のある仕事からは撤収せざるを得ません。産科医療などやってる人は馬鹿だという2chあたりの主張に裏付けを与えるご発言だと思います。

No.210 FFF さん

No.221のオダ先生の説明を読めば、どうしてテオフィリン中毒の裁判がトンデモなのかさすがにわかると思います。結局裁判官は理解できなかったとしか思えないようなレベルなのです。(判決文を読めば、医学医療を理解できていないことがよくわかります。仕方ないかどうかは関係ありません)

裁判官の知性をもってすれば、医師と面談し、長時間にわたって質疑応答すれば、相当高い医学的なことも理解できると思っています。しかし弁論主義の場では、そこに騙そうとする奴(どちら側の場合でも)が絡んでくるわけで、そうすると片方が完璧な説明をしても理解に達しないでしょう。
このようなシステムの側面、物理的な側面、もともと医療素人の法曹には問題があることすらあるだろう点から、裁判官が断罪の対象になるとは考えていません。しかし仕方ないこととして容認していても何も変わらないでしょう。

FFFさんが問題にしている事は、「テオフィリン中毒が死因ではない」と認定される基になる証拠が信用出来ないのか、「死因は出血性ショック」だと認定された証拠が信用出来ないのかです。
証拠が信用出来るなら、裁判官は正しい判断を下せるという立場ですよね。
だから証拠の信用性を問題にしているのだと思います。

自分はどちらの証拠も信用できると思います。
問題は、「信用出来る証拠が出ている」にも関わらず、その「証拠が証明している事」に反する判断を裁判官が出しているということです。

出血性ショックだと認定された証拠は信用出来るが、その証拠が明らかにしている事は、裁判官の判断と逆のことを証明する証拠であることをNo.221 では述べています。

事の本質の「テオフィリン中毒が死因」でないとの裁判官の認定も、証拠の評価がおかしい事から起きていることです。
証拠としてテオフィリンの中毒を認定しております。その血中濃度が極めて高濃度(103μg/mL)であることも証拠として認定しています。
この証拠を科学的に正しく評価すれば、この血中濃度だけで「テオフィリン中毒が死因」であるのは充分妥当である。

「出血性ショックが死因である」の認定が証拠評価を誤ってくだした判断であり、「テオフィリン中毒が死因」であることが妥当であるおことを証明する「血中濃度が極めて高濃度」という証拠をきちんと評価できない。

証拠を裁判官の思い込みから誤って評価するから「とんでもない判決」というのが自分の立場です。

> No.224 僻地外科医 さん

 コメントありがとうございます。

 千葉地裁の裁判官について詳しく知る立場にはありませんが、おそらく、彼らが特別な医学知識を持っているわけではないでしょう。ただ、多くの方が繰り返し説明されているとおり、裁判官に法律以外の専門的知識が要求されているわけではありません。当事者の主張立証を踏まえて判断すれば足りるというか、そういう制度になっているわけです。

 反対に言うと、当事者(代理人弁護士を含む)は、裁判官に自らの主張立証の妥当性を理解させることが必要になります。仮に、裁判官がどちらの主張立証が正しいのか判断できないときは、基本的に原告が負けます(立証責任)。

 医事訴訟において、「医学的に明らかにおかしい判決」が仮に存在するのだとすれば、その訴訟における被告病院は、なぜ「医学的に明らかにおかしい」原告の立証を動揺させることすらできなかったのか、という点が議論されるべきです。また、「医学的に明らかにおかしい」結論は、裁判官が勝手にひねり出したものではなく、何らかの医学的根拠(鑑定意見、文献、医師の証言等)に基づいたものですので、そのように誤った医学的根拠が出されるに至った経緯についても検証が必要でしょう。

 最後の、「いかに医学的には妥当であっても、敗訴する」という箇所は、「一般的、抽象的に述べた場合、敗訴する可能性を完全には否定できない」という意味であれば、そのとおりです。裁判における不確実な要素を完全には払拭できない以上、医学的に妥当なことをしていても敗訴する可能性は、ゼロにはなりません。ただ、そのリスクをどの程度現実的なものと考えるかという点において、これを強調したがる医師の方々と、そこまで心配する必要はないとする法律家とで、相当の違いがあるということでしょう。医師に限らず、というか、仕事をしていなくとも、ある日突然無実の罪で捕らえられ、誤判によって服役するという可能性は、ゼロではありません。日本においても、司法制度のある他の国においても。

 ところで、「わずかでも訴えられる危険性のある仕事からは撤収せざるを得ません」という部分は、要するに、(天皇のように)最初から民事訴訟の対象外にしないと、医療なんてやってられないよ、という御趣旨ですか? その要求が実現しないと医師が撤収するということであれば、仰るとおり、たしかにここでの議論は無駄だと思います。

No.227 FFF さん

何らかの医学的根拠(鑑定意見、文献、医師の証言等)に基づいたものを、正しく評価しないでつぎはぎに繋ぎ合わせて、「医学的に明らかにおかしい」結論を裁判官が勝手にひねり出したものになっている典型が亀田の判決になっています。
裁判官は自ら事件について調べる事は出来ないとしても、証拠を評価する医学的な基礎知識が必要なのではないでしょうか。
基礎知識がないために証拠の評価が正しく出来ず、科学的に誤ったことを勝手にひねり出したようにしか見えない判決になっているように思います。

>>No.227 FFF さん
天皇のように一切訴えられない地位までは希望していないけれど
人が死ぬだけで訴える風潮はみんなハイリスクと感じているからこそ
眼科医や皮膚科医が激増してるのだと思います。
眼科でもごくまれには麻酔事故で死にますね。でも外科などに比べて
遙かにローリスクハイリターンですから。

>No.227 FFF さん

(医療危険度)=堯瞥責審判率)x(賠償金額)

と考えれば,分かりやすいでしょう.
いくら有責とされる率があっても,賠償金額が安ければ,医療側から感じる危険度は高くありません.
実際,10数年前までは,明らかに慰謝料を含む賠償額は低額でした.

亀田の事例でも,数百万円単位であれば,あきらめも付く医師もいるでしょう
実際には,慰謝料全額容認の上,1億円近い賠償額です(5%の金利を含む).

努力しても,わずかな診療利益,何かあれば莫大な賠償
これを経済行為として成り立たせるのであれば,なんらかの利害調整が必要でしょ?
日本の医療の半分以上は,民間病院で行われています.
公立病院は,もはや赤字で経営継続の危機に立っています

司法の問題でないとするなら,日本の立法・行政の問題なのでしょうが,藤山判決に見られるよう,高額慰謝料の全額容認は,故意・重過失でない限り,医療行為の全面否定と受け取っているのが,偽らざる医師の本音でしょう.
怒るか,あきらめて逃げる医師は,感情だけでの動いている訳ではありません.

9割以上が出産前に原因があるにも関わらず、出産時に問題があったとされて訴訟をおこされる産科。そして具体的な訴訟をおこされる率を考えると、たまたま事故にあうような話ではない。ある日突然無実の罪で捕らえられ、誤判によって服役するという可能性と同列では絶対にありません。

統計を見て物事を評価することにかけて、医師はかなり高い部類に属するものと自負しています。法曹がリスクの過大評価だと主張したところで、根拠もなく受け入れられることはないでしょう。それは司法のシステムに関する知識が増えたところで変わることはない。(互いの無知は質の違うものです)

.轡好謄爐箸靴得賁臈知識が要求されているわけではない。
⇒△世らトンデモ判決が頻発する。
⇒0多瓦靴洞般海鬚こなっていられない。
単純に考えれば極めて当たり前のことです。
これを悪いものだが仕方ないものとして、改善策を考えるというのがすべきことであって、△筬を否定しても意味はないでしょう。

>FFF様

 最後の、「いかに医学的には妥当であっても、敗訴する」という箇所は、「一般的、抽象的に述べた場合、敗訴する可能性を完全には否定できない」という意味であれば、そのとおりです。裁判における不確実な要素を完全には払拭できない以上、医学的に妥当なことをしていても敗訴する可能性は、ゼロにはなりません。ただ、そのリスクをどの程度現実的なものと考えるかという点において、これを強調したがる医師の方々と、そこまで心配する必要はないとする法律家とで、相当の違いがあるということでしょう。医師に限らず、というか、仕事をしていなくとも、ある日突然無実の罪で捕らえられ、誤判によって服役するという可能性は、ゼロではありません。日本においても、司法制度のある他の国においても。

 ところで、「わずかでも訴えられる危険性のある仕事からは撤収せざるを得ません」という部分は、要するに、(天皇のように)最初から民事訴訟の対象外にしないと、医療なんてやってられないよ、という御趣旨ですか?

 上で元行政様がおっしゃっているとおり、確率の問題です。分かってる癖に下らないツッコミはやめてください。
 例えば、現在産科の年間被訴訟率は1.33%程度です。これは産科医としての実働年限を55歳まで30年間とすると生涯累積被訴訟率は33%にもなります。救急ではまだ産科ほどではありませんが、昨今の訴訟事情からすると(平成11年から平成16年までで2倍近い伸び率)、いずれ産科に追いつくでしょう。
 このような被訴訟率に置いて「医学的に妥当である場合でも敗訴するのはやむを得ないことだ」と平気でおっしゃれる神経が私には理解できません。そんな職業が他にありますか?他の職種と同列に語るにはあまりにも無理があります。救急ではまだ産科ほどではありませんが、昨今の訴訟事情からすると(平成11年から平成16年までで2倍近い伸び率)、いずれ産科に追いつくでしょう。

 飛行機が年間1%の確率で落ちるとして、その飛行機に乗ろうとする人はどれだけいるでしょう?要はそう言うことなのです。

 ちょっと説明不足の感があったので、No.227の書き込みに付随して何点か。

 オダさん、元行政さんの御指摘は、裁判官が証拠の評価を誤った(又は、正しく評価できるだけの素養がなかった)という御趣旨かと思うのですが、訴訟において、当事者には、単に「証拠を出すこと」だけでなく、「その証拠の意味や価値を裁判官に理解させること」まで要求されているわけです。

 例えば、外国語で記載された証拠については、そのまま提出するだけではダメで、日本語の訳文を添付する必要があります。同様に、専門分野に関する証拠については、その専門分野に通じない裁判官にも理解できる(その価値を正しく評価できる)ような形で、説明を補ってやる必要があります。

 私が強調したいのは、「裁判官にも理解できるような証拠であったのか」「その証拠の信用性についてどのような説明がなされていたのか」という点の検証が必要であろう、ということです。そして、医学の素人たる裁判官にも被告病院側の主張立証が優っていると容易に判断できる証拠と説明があったのに、何故か被告を敗訴させたのなら、それは非難されるべき判断の誤りというほかないけれども、実際には、そのような状況にはない場合も多いのではないか、という問題意識を持っています。だとすれば、いくらトンデモなどと非難しても問題は全然解決しないわけで、どのようにすれば素人たる裁判官に正しい認識を形成させられるか、という工夫を考えねばなりません(原被告ともに)。いわば、彼らに据え膳を食わせるのが訴訟当事者の役割なのです。

 なお、今ひとつピンとこないのが、「医師の大多数が挙って反対するほど明白に誤っている、あるいは妥当でない医学的知見」が訴訟に提出されたとき、それを突き崩せない(ことがあるらしい)のは何故なのか、ということです。結論において医学的に間違っている判決があるとすれば上記のような事情があるはずなのですが、そこまで異端であることが明白なら、そのことを裁判で反論、立証できないはずがないのではないか、という素朴な疑問を持っています。

>FFF様

 なお、今ひとつピンとこないのが、「医師の大多数が挙って反対するほど明白に誤っている、あるいは妥当でない医学的知見」が訴訟に提出されたとき、それを突き崩せない(ことがあるらしい)のは何故なのか、ということです。結論において医学的に間違っている判決があるとすれば上記のような事情があるはずなのですが、そこまで異端であることが明白なら、そのことを裁判で反論、立証できないはずがないのではないか、という素朴な疑問を持っています。

 これは人体があまりに巨大なブラックボックスであると言う理由によると思います。例えば、「これもカテーテルです」エントリーで私は2回目に入れたカテーテルが血管外にあった可能性は低いという推論を出しましたが、やろうと思えば多少の医学的に合理的な論拠を持って、カテーテルは血管外にあると推論することも可能です。ただ、その「多少」の範囲が「我々の常識的医学知識の範囲」を逸脱している場合にも、裁判官は本当に逸脱しているかどうか分からないと思います。

 しかも、質問の仕方によっては如何様にも誘導できるでしょう。
 以前、どこかのエントリーで私が教わった法医学の教授が、「(以前産婦人科医であった当時に)診察の結果を裁判で証言したときに、弁護士の誘導によって自分が本来思っていた回答とは正反対の回答を誘導されたことがある。」というエピソードを紹介したことがあります。まあ、これはずいぶん昔の話だと思いますから、今とは違うかも知れませんが、本質的には同じではないでしょうか?

「明白に間違った認識を抱いている相手を説得し正しい結論に導くことが出来ない」というのは日常診療でも少なからず経験することですが、推察するに弁護士等でも似たような事情なのではないでしょうか。

それ故に「裁判官が間違った判断をしたとしても、それは裁判官を説得出来なかったのが悪いのだ」というのが司法の一般認識であれば、予想されるその間違いの確率はそれなりに高いものになるのだろうなという気はします。事実、報道から見る限りいわゆる「とんでも判決」の発生率は決して低いものではないようです。

医師と一般人の間に医療と言うものに対する大きな認識の差があるのと同様、司法に対する認識の差異というものをよく認識しなければ医師はこれからも司法に対する失望感を味わい続けることになるでしょうね。現代日本で医療に従事するということはそうしたリスクも含めて考えていかなければならないことなのでしょう。

No.233 FFF さん

>「その証拠の意味や価値を裁判官に理解させること」まで要求されている

ちょっと脱線しますが、この辺りをみると、無茶な説明義務と同じ臭いがしますね。あ、ここの部分は無視しておいてください。

>「医師の大多数が挙って反対するほど明白に誤っている、あるいは妥当でない医学的知見」が訴訟に提出されたとき、それを突き崩せない(ことがあるらしい)のは何故なのか

YUNYUN先生と同じ疑問ですね。確かに先生の言われるように、テオフィリン裁判などのの全経過を見れればいいなと皆が思うところでしょう。

さてテオフィリンの例で考えてみたいと思います。
まず判決文から判断できる内容として、『つぎはぎに繋ぎ合わせて、「医学的に明らかにおかしい」結論を裁判官が勝手にひねり出したもの』(No.228 オダさん)になっています。何故そうなるかを考えてみます。
鑑定医に尋ねた内容を判決文から判断すると、CTでカテーテルによる出血があったかどうか判断させるような内容でしょう。これは原告が破ったことが原因であると主張していることから当然の質問です。ところが、僻地外科医先生ご紹介のエントリでの議論にあるように、この質問の結果はカテーテルで破らなくても起こりうるため判決を左右するものでは本来ないものです。しかし裁判官にはそのことはわからない。それを裁判官に理解させるために、それも鑑定に出せばいいのではと簡単に考えられるかもしれませんが、医師にとって常識の内容でも、証明しにくい内容です。対抗するように逆のことを言い張られれば、その部分では水掛け論のようになってしまうでしょう。結果、分かりやすい証拠のある内容に引きずられることになります。こうしてツギハギ判決の出来上がりです。程度や確率の問題をすっ飛ばして、鑑定内容を記号化して明確なところだけ集めることしか医学の素人である裁判官にはできないだろうということだと思います。

ところでF判事のおかしな考えに基いた訴訟指揮の話が他のところで出ていましたが、他の裁判官の裁判の場合も重要になってくると思います。議題として取り上げられていませんでしたが、この辺りの実際はどんなところなのでしょうかね。

 テオフィリン裁判について、裁判官が、「様々な証拠を(自分の考える結論を導くために)つぎはぎに繋ぎ合わせた」という評価が当然の前提になっていることが、正直言って、よく分からんのです。その事件の全証拠、鑑定意見を検討せずして、「都合のよいようにつまみ食いしたのだろう」と判断できるものなのでしょうか。この事件に限らず、証拠を見ずして判断の当否を論じる(論じられると思っている)こと自体が、私には不思議なことに映ります。業種による感覚の違いというしかないのでしょうか。

> No.232 僻地外科医 さん   

 私は「医学的に妥当である場合でも敗訴するのはやむを得ないことだ」なんて一言も言ってませんけど・・・・。現実問題として、誤判の可能性はゼロにはできない、という当たり前のことを言ったまでです。誤判の可能性をゼロに近づけるべきことは当然ですが、完全にゼロにはなりません。人間ですから。医師の方も、「治療が奏功せず死亡に至る可能性はゼロにはできない」と認識しつつ、その可能性を下げるべく努力しておられるわけでしょう。それと同じです。

いろいろな情報をどういう風に捨ててどう解釈するかということにはトレーニングがいるのだと思います。
最近はあんまり見ませんが、僕らの若いころはよく勉強をして「書いていること」しか信じない若い医者がいました。
指導医にとっては最も扱いにくい存在だったのを覚えています。優秀でよく医療を勉強した法曹の人はまさにそういう優秀な若い医師と似ているように思います。要は実際の医療行為をしないといくら勉強をしても医者と同じセンスをもてないということだと思います。
各学会の地方会なんかで裁判例に対して報告をして議論をする、それを答申していくというのは絶対できないんでしょうか。
医者同士の議論を聞くと判決もだいぶ変わるんではないでしょうか。裁判官も特に藤山さんをここに招待して匿名で参加をしてもらったらどんな風に変わるのか変わらないのかと思ったりします。
それから、したの先生を指導していると、最初は何でそんなことをしたんだ、なぜするべき行為をしなかったんだと思うことがありますが、そのうちの一部は問いつめて事情をよくしるとやむを得ないと判断しなおすことがあります。一部の鑑別医の先生は事情を知らずに問いつめる上級医のようなことをしているのではないかとも想像したりします。

ほかの方が誰も指摘してくださらないので。

>No.221 オダさん
>No.225 元行政さん(上記オダさんコメントを根拠に論じられているので)

亀田の事件では死因は、カテーテルが原因の出血性ショックだと認定しています。
死因が出血性ショックであったことを裏付ける証拠として「医師が血管にカテーテルを挿入した」「カテーテルは血管を穿刺して腹腔内へ出血があった」「カテーテル挿入して数分後、血尿が止まらない」ことをあげています。
しかし解剖学の常識として、カテーテルの挿入による出血が起きても血尿にはなりません。
「カテーテル挿入して数分後、血尿が止まらない」という事実認定からは、出血性ショックを全く証明していないのは明らかです。また、「血尿がカテーテルが原因の大量出血の証明している」という鑑定はありえません。
出血性ショックを認定しない事が明らかな証拠を、逆に出血性ショックが起きていた証拠としている。
これが問題なのだと思います。

以前も指摘したのですが,この判決は,,本当に,死因が出血性ショックであったことを裏付ける証拠や理由付けとして,オダさんがあげていることを述べてますか?

判決全文 → http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20061106163942.pdf

それをある程度まとめたもの
  → http://www.yabelab.net/blog/2006/09/12-005947.php#c38314

いちおう,繰り返し気味に書きますが,

(裁判所選任の3人の鑑定人による)複数鑑定は,
 1 血管損傷については,カテーテル挿入時に血管損傷が生じたとの結論を導いてい   る。(p13.15行目)本件では,カテーテル挿入時の動脈損傷も疑われる(p19 5行  目)としている。
 2 出血性ショックの原因
  (ア) 血管損傷による急性出血があれば,大量の凝固因子,血小板の消費を引き起こ    し,血液凝固障害に影響を与えるとともに,腹腔内大出血と血尿を生じ,出血性ショ   ック,重症代謝性アシドーシスから,肺出血,多臓器不全へと進展し,死亡した可能   性がある。
  (イ) 文献において,テオフィリン中毒により出血傾向又は血液凝固障害を生じた例は    報告されていないこと,剖検において認められた出血が,後腹膜腔,腹腔内,膀胱    周囲に限局していることからすれば,テオフィリン中毒は,出血の原因及び程度に     影響を与えていない。
 としています。

  他方,これに反論する医療側の理由付けもあるわけですが,

 最終的に判決が,出血性ショックを死因とした根拠は,(p17冒頭から)

 1 A病院(被告病院)において剖検を担当した証人Fが,『明確に,』テオフィリンの心筋  毒性により心筋損傷を生じて,急性左室不全に陥ったとの機序を認めるに足りる所見  はなく,死因は出血性ショックであった旨証言していること
 2 Dの出血量は少なくとも2000ccを超えており(証人F,複数鑑定の結果),同人の体  重から推定される循環血液量を考慮した場合,出血性ショックを生じ得る程度の出血   があったものと考えられること,
 3 死亡診断書作成時点では,出血性ショックとの診断がされていたこと
 とされています。

 というわけで,

死因が出血性ショックであったことを裏付ける証拠として「医師が血管にカテーテルを挿入した」「カテーテルは血管を穿刺して腹腔内へ出血があった」「カテーテル挿入して数分後、血尿が止まらない」ことをあげています。

 とおっしゃる根拠はどこなのかなあと。
「カテーテル挿入して数分後、血尿が止まらない」という事実認定からは、出血性ショックを全く証明していないのは明らかです。また、「血尿がカテーテルが原因の大量出血の証明している」という鑑定はありえません。

としても,この判決への当を得た批判たりえるのかなあと疑問に思うわけです。
 そして,このエントリ,オダさん以降,当然のようにオダさんのいう判決理由が,本物であるということを前提に進んでいるようです。それは,議論の流れとして適切なんでしょうか。

 みなさん,お願いです。ソースがあるときは,面倒でも,判決文本体に当たってから議論していただけませんか。

No.239 うーんさん

判決文を何度も読んだ上で書いているのですが。。。。

オダ先生の文章は死因が出血性ショックであることを否定しているのではなくて、カテーテルによる出血性ショックであることを否定しています。この違い分かりますか?

4時40分の時点でシリンジ内に凝血塊そしてすぐ後血尿ですから、この時点で完全に血流のシステムが破綻しているのは医師としては常識レベルです。

また判決文では『Dに凝固異常が生じていたとしても,肉眼的血尿等が生じたのは,カテーテル挿入の直後であったとの時間的経過からすれば,カテーテルによる血管損傷を推認させる事実であることは否定できないこと』とちゃんと書いてあります。

要するに専門知識のない検討というのはこういうものだということですか?

>うーん様

 申し訳ありませんが、そちらこそ私が「これもカテーテルです」で論じた点を読んでいただけませんでしょうか。私としてはかなり判決文(本文)を熟読し、その上で論じています。

 ただ、オダ様の論点は残念ながら私も少しずれてしまっていると思います。私自身はオダ様の論点を議論の基本とはしておりません。

 なお、死因を「出血性ショック」と書いたことについては、これは他でも論じられたことがありますが、亀田病院の「わきが甘い」こととしてあげられるでしょう。死亡診断書に書く死因とは医学的に一片の疑いの余地もない死因ではなく、死亡の原因として可能性を否定できないレベルのものです。裁判において判決の根拠とされるならば「テオフィリン中毒」と書けば良かったねと言うのがその点を議論した主立った医師の意見です。はっきり言えば、「こんな下らないこと突っ込むなよ、お前ら」ということを突っ込まれたわけですわ。

なぜとんでもかということからすれば、この場合は議論が細かすぎる気がします。ネオフィリン中毒で亡くなった方の話です。助けられた可能性はほとんど亡かったという理解でいいのではないでしょうか。
つまり、カテーテルで血管を傷つけていたとしても何の罪もない症例であった、そこを中心的に議論した時点で的はずれということのように思います。
医者でない人はかえって細かい議論で誤解するような気がしています。

次に鑑定人の書いた死因についてツッコミどころを上げます。

1.


(ア)
血管損傷による急性出血があれば,大量の凝固因子,血小板の消費を引き起こ    し,血液凝固障害に影響を与えるとともに,腹腔内大出血と血尿を生じ,出血性ショ   ック,重症代謝性アシドーシスから,肺出血,多臓器不全へと進展し,死亡した可能   性がある。

 まず、この点ですが、前提条件として「血管損傷による急性出血があれば」と書かれています。当然、大出血があれば最終的に出血傾向をきたすであろうことは医学的に論を待ちません。従って、この部分に関して異論がある医師はいないでしょう。ただし、その出血が本当に(カテーテル挿入時の)血管損傷とすべきかどうかは問題があります。

2.


  (イ)
文献において,テオフィリン中毒により出血傾向又は血液凝固障害を生じた例は    報告されていないこと,剖検において認められた出血が,後腹膜腔,腹腔内,膀胱    周囲に限局していることからすれば,テオフィリン中毒は,出血の原因及び程度に     影響を与えていない。

 これはかなり極端な三段論法です。まず、テオフィリン中毒、しかも致死量に至るレベルのテオフィリン中毒というのは決して多い事例ではありません。したがって、文献報告を無いことを持ってテオフィリン中毒が出血傾向、血液凝固障害を生じないというのはかなり無理があります。

 さらに、血液吸着中に回路凝固があったこと、2回目のカテーテルを挿入してからわずか5分かそこらで血尿が始まったことから考えて、2回目のカテーテルを挿入したときにはすでに出血傾向、血液凝固障害を生じていたというのは、医学的にもっとも蓋然性のある結論です。

 大量出血があったら即時に(5分程度で)血尿という状況は(テオフィリン致死量中毒よりはるかに多い)手術時の大量出血に関する治験からほぼあり得ないと断言できます。

 こんなこと、まともな医学知識を持っていれば普通に論じられるはずなのです。私が特別優れた医師であることはあり得ないのですから。これが十分に論じられなかったと言うこと自体に、我々は司法に対する不安を覚えるのですよ。

>謹慎明けさん

ネオフィリン中毒で亡くなった方の話です。助けられた可能性はほとんど亡かったという理解でいいのではないでしょうか。

判決文では鑑識医も病院側も、テオフィリン中毒により、この患者の死が不可避だったとは述べていないのです。そこさえ説明出来ていれば、簡単に納得出来ると思います。

また、病院側は

1.テオフィリンによる脳血管の収縮により生じた脳虚血に起因する中枢性ショック,
2.テオフィリンの心筋毒性により生じた肺水腫に起因する心不全
3.テオフィリンによる血管拡張による循環量の減少に起因するショック
のいずれか又はこれらが複合的に発生したことにより心不全に陥ったものであり

と主張していますが、このように主張すると言うことは「脳虚血」「肺水腫」「循環量の減少」と死の因果関係が証明されない限り、テオフィリン中毒が死に繋がったと言うことは否定されてしまうと思います。この点、病院側の主張が裁判官のミスリードを招いたと言えるかも知れません。


恐らく、僻地外科医さんの仰る

裁判において判決の根拠とされるならば「テオフィリン中毒」と書けば良かったねと言うのがその点を議論した主立った医師の意見です。はっきり言えば、「こんな下らないこと突っ込むなよ、お前ら」ということを突っ込まれたわけですわ。

と言うのが正解だと思います。なお、何が下らないか下らないくないかと言うのは、医師でないと分からないと思いますので、医師の方で主張するべきでしょう。

>我々は司法に対する不安を覚えるのですよ。

 具体的には誰のどのような行動または判断が一番問題なのでしょう?

医者同士の議論でおそらくなぜ血尿がでたかを論じても確信をもった結論が出ないことを断定的に言えるのは経験のなさ、知識のなさのなせる業です。でも、そういう議論に踏み入れたから、法曹の責任感が一つの可能性の提示、そして判決ということになったのではないかと思うんで、医学素人の法曹に細かい医学的議論をすると裁判官に木の幹を見せず、枝を注視させてしまい、とんでも判決になるのではないかと思うのですが、違うでしょうか。

>FFF様

下から順にレスをしたため最後になります。

 私は「医学的に妥当である場合でも敗訴するのはやむを得ないことだ」なんて一言も言ってませんけど・・・・。現実問題として、誤判の可能性はゼロにはできない、という当たり前のことを言ったまでです。誤判の可能性をゼロに近づけるべきことは当然ですが、完全にゼロにはなりません。人間ですから。医師の方も、「治療が奏功せず死亡に至る可能性はゼロにはできない」と認識しつつ、その可能性を下げるべく努力しておられるわけでしょう。それと同じです。

 申し訳ありません。私はFFF様がそう言う意図でおっしゃってるのだろうな・・・と言うこと知りつつ、意図的に上のように論じました。まあ、FFF様も私の発言を意図的に曲解されているようなので、これはお互い様でしょう(と、信じます。本気で「医者は天皇と同様に・・・」などと言い出すのなら、本当にお互い議論にならないでしょうから)。

 それはともかく、最近の判決事例で「どう考えてもこれは医学的におかしいんじゃないか」と我々が思うものが頻発しているというのもまた事実なのです(もちろん判決文を読んだ上での話)。ここに現在の司法システムに何か限界点があるのではないか、と思わせられる部分があるのです。かつては医療訴訟自体が少なかったために見えていなかった司法の問題点は、本当にないといえますか?

 なお、
>。医師の方も、「治療が奏功せず死亡に至る可能性はゼロにはできない」と認識しつつ、その可能性を下げるべく努力しておられるわけでしょう。それと同じです。

 これはちょっと違います。人は必ず死にます。医学はそれにわずかばかりの抵抗をしているだけです。治療が奏功するというのは「助けれるケースを助けただけ、その人の運が良かっただけ」というのが多くの医師の本音だと思います。

しまさん、
ムンテラしてると詳しく一生懸命話すと、肝心のその診断がその人にとっていいのか悪いのか、全然わかっていないころがあります。
たとえばですが、出血がありますね、どうしてでしょうという疑問に答える形で鑑定していくと本当の死因に対するその鑑定医の判断が伝わらなくなる可能性はあるのではないかと思います。出血性ショックと死亡診断書にありますが、正しいですか、はい正しいです。それはカテーテル挿入と関係のあった可能性はありますか、あったかもしれませんと答えていけば誤った結論にどんどん行きます。答えるたびにしかし、この患者はネオフィリン中毒い陥っていたことが転帰の原因であったことを主張しなければ、いつのまにか枝葉の議論に終始してそのうえで結審となるのではないかと想像したりもしますが、そんなことはないのでしょうか。

>僻地外科医さん

したがって、文献報告を無いことを持ってテオフィリン中毒が出血傾向、血液凝固障害を生じないというのはかなり無理があります。

鑑定人の判断を元にして、裁判所は「出血性ショックが,テオフィリン中毒により生じたものであることを積極的にうかがわせる事情はないというべきである」と判断しています。鑑定人ではなく、司法の判断が間違いだというのなら「出血性ショックが、テオフィリン中毒により生じたものであることを積極的にうかがわせる事情がある」と判断するべきだと言うことでしょうか。

No.244 しまさん

>テオフィリン中毒により、この患者の死が不可避だったとは述べていないのです。そこさえ説明出来ていれば

『テオフィリン中毒が出血傾向、血液凝固障害を生じない』というくらいですからね。広くテオフィリン中毒をみれば助かっている例もあることですし難しそうです。その血尿を見れば不可避と確信をもってますけどね。(機序がよくわからず、証明困難だが、医師のほとんどがそう考えるような事実)

>しま様

鑑定人の判断を元にして、裁判所は「出血性ショックが,テオフィリン中毒により生じたものであることを積極的にうかがわせる事情はないというべきである」と判断しています。鑑定人ではなく、司法の判断が間違いだというのなら「出血性ショックが、テオフィリン中毒により生じたものであることを積極的にうかがわせる事情がある」と判断するべきだと言うことでしょうか

 まず第一に鑑定人の判断そのものに私は疑義を呈しています。このエントリーおよび「これもカテーテルです」エントリーに詳述しておりますのでよろしければご覧下さい。

 次に「出血性ショックがテオフィリン中毒によるものであることを積極的に疑わせる事情」については残念ながら判決文からは読み取れません。ただし、出血性ショックが「カテーテルを挿入したことによる大量出血から凝固障害を生じた」という議論については上や向こうのスレで論じたとおり、ほぼ否定できます。

 出血性ショックが死因であったにせよ、その前提条件として先に凝固障害があり、そのためにわずかな損傷から巨大な血腫を作ったのであろうというのが、医学的にもっとも合理性のある回答だと思います。

 問題はその凝固障害が何故起きたか・・・です。

これは考え得る理論として
1.活性炭カラムによりDICが誘発された。
2.テオフィリン中毒により高ミオグロビン血症->DICにより生じた。

この2つのパターンがもっとも考えやすいかと思います。

No.239 うーん さん了解です。

うろ覚えとはしょり過ぎの説明は良くないと反省です。

改めて、判決文のなかで自分が一番証拠の認定が問題と考えていた箇所の検証から。

>カテーテル挿入以前から,Dに凝固異常が生じていたとしても,肉眼的血尿等が生じたのは,カテーテル挿入の直後であったとの時間的経過からすれば,カテーテルによる血管損傷を推認させる事実であることは否定できないこと

変更前
カテーテル挿入して数分後、血尿が止まらない」という事実認定からは、出血性ショックを全く証明していないのは明らかです。

変更後
出血性ショックで血尿が起こる機序として、以下の事が言えます。
循環血液量の減少による腎臓の虚血→組織がダメージ→血尿を含めて乏尿などの症状。従って血尿というのは、出血が起こった直後にすぐ現れる症状ではありません。
「カテーテル挿入した直後から血尿が止まらない」という事実認定から導き出される事は、カテーテル挿入の前に出血性ショックが起きていた事の証明であり、カテーテル挿入による出血性ショックを証明していない。
血尿は出血性ショックのときにしばしば見られる症状であるが、血尿が出現時期は出血性ショックの原因がカテーテルである事を否定しているものである。

別にも証拠の認定の仕方については突っ込みどころはあるので、また挙げていきますね。

>モトケン様

No.248の謹慎明けさまの議論がもっとも端的に私の不安を示してくださっていると思います。私は現在の司法における弁論主義が医療になじまないものではないかと考えています。

いつもROMさせて頂いています。
ネット初心者で、初めて投稿します。失礼があれば、お詫びします。

流れに乗らない、ぼけた意見で申し訳ありません。
既に議論がされているかも知れませんが、右ソケイ部のカテーテルは血管内にあった可能性が高いと思われます。
H意見書では、カテーテルが血管外にあれば、CT造影の時に血管外に原液が漏出し、そのようなCT所見になるはず(14頁)と主張しております。裁判官はこれを無視し、右橈骨静脈にもルートが確保されておりを理由に、H意見書は採用されていません。
しかし、裁判所の事実認定では、(10〜11頁)午後4時45分右ソケイ部にカテーテル挿入、5時10分心エコー →CT検査 →6時40分血圧70 →ICU移動 →右橈骨静脈にライン確保です。すなわち、時間経過より、CTの造影剤は右ソケイ部のカテーテルより注入です。もし、カテーテルが血管外にあれば、造影CTはでは血管内に造影剤が存在しないことになります。
裁判官は、血管確保の時間認定を間違えていることになりますが、いかがでしょうか?
また、鑑定人は細かい時間経過には気がつかなかった。
事情の分かった病院は意見書で反論したが、裁判官に否定されてしまったと考えることは、出来ませんか?


No.254 通りすがり(内科医)さん

>血管確保の時間認定

ほんとだ(そんな間違いしないと思って気付かなかった)。重大な事実誤認ですね。

No.254 通りすがり(内科医)さん
>血管確保の時間認定

ほんとだ、これは自分も気がつかなかった。

>通りすがり(内科医)様、元行政様

 患者の状況から考えて右鼠径以外にルートを確保していなかったと言う状況はちょっと想定できません。従って、造影剤をどこから注入したかについては論じられないと思います。

しかし!!!
 これ、一番大事な論点じゃない??右鼠径から造影剤を注入したのか、末梢ルートから造影剤を注入したかって、カテーテルが血管内にあったのか、血管外にあったのか判定するのに最も重要な事実じゃないでしょうか?なんでこんな重要なことをきちんと論じなかったんでしょう??

 少なくとも「死亡診断書に死因が出血性ショックと書いてあった」などとはレベルの違う重要な論点だと思います。

 やっぱり裁判のやり方に問題があるんじゃないかと思わずにはいられません(弁護側の訴訟戦略ミスを含めて)。

僻地外科医先生
重要な論点だけど、それは材料をきちんと提供できなかった当事者の責任だと言われると思うし、そう言われれば僕もそう思います。

事実認定に関して、何かおかしいですか? 意見書の論点1は剖検が焦点で、CT画像が焦点なのは、意見書の論点3だと思いますが。私の見落としかも知れないので、ご指摘をよろしくお願いします。

仮にカテーテルが静脈外に出ていたのであれば,カテーテルから注入された液体が漏出したはずであるにもかかわらず,剖検の際に,このような事実は確認されていないこと等の事情を考慮すれば,カテーテルの先端は,下大静脈内にあったと考えるほかないこと,

Dについては,鼠径部のほか,右橈骨静脈にもルート確保がされており,いずれから,どの程度の量の輸注がされたかについては明らかではないこと,剖検時点は,カテーテルからの液体の漏出は特段考慮されていなかったと考えられるから,漏出が存在しなかったと断定することはできないこと等の事情を考慮すれば


3カテーテルから造影剤が直接漏出した場合,原液のまま漏出することになり,この場合,ハレーションを引く程の高信号が認められるはずであることからすれば,本件CT画像で見られた造影剤は,カテーテルから直接漏出したものではなく,肺や心臓を通って希釈されたものであると考えるのが整合的であること

3の点について,造影剤がいずれの部位から投与されたかは明らかではない上,本件のCT画像が,カテーテルから造影剤が直接漏出した場合の所見と矛盾するものであることを裏付けるに足りる的確な証拠はないことに加え,

>謹慎明け様

 ご指摘の通りです。ですから「(弁護側の訴訟戦略ミスを含めて)」と書きました。

でも、これでいいの?、ほんとに。
これって被告側だけの問題じゃなく、原告側にも大きな問題じゃないでしょうか?こんな重要な論点がぽろっと抜け落ちてて「それが裁判です」ではちょっと・・・。私らの世界で言えば腹部大動脈瘤の手術で、中枢側はちゃんと繋いだけど末梢側はつなぎ忘れた。末梢側のグラフト(人工血管)はクランプしたまま閉腹した・・・ぐらいの重大ミスだと思うんですけどね・・・・。

>材料をきちんと提供できなかった当事者の責任だと言われる

ここが問題。
これが法曹側の立場なんだと思います。
材料をきちんと提供ても、医療に対する基礎知識がなければ誤解に基づいて科学的におかしい判決が出されることを検証して証明しないと、現在の裁判についての医療者側からおきている非難について法曹側は納得が出来ないと考えます。
自分が亀田の事件で枝葉末節部分のところにこだわっているのは、証拠の認定の仕方が誤る典型的な落とし穴がここにあると考えているのです。
狙い所が違ってますかね。

ああ、ようやく自分が誤解していたところが分かりました。

>僻地外科医さん

カテーテルが血管内にあったのか、血管外にあったのか判定するのに最も重要な事実じゃないでしょうか?なんでこんな重要なことをきちんと論じなかったんでしょう??

なぜ病院側が立証出来なかったんでしょう

>しま様

このように考えればいいと思います。

1.カテーテルから造影剤を直接注入した場合、血管外にカテーテルがあればハレーションをひくほどの高信号が認められる。

2.裁判所の事実認定では「鼠径部のほか,右橈骨静脈にもルート確保がされており,」とあるが、この右橈骨静脈ルートは事実認定によればCTを取ったあとに確保されている(通りすがり(内科医)様のご指摘)

3.2から考えると造影剤はカテーテルから注入されたと考えられる。

4.1.3.から考えるとカテーテルは血管内にあったと考えられる。

これが通りすがり(内科医様)がご指摘になった部分です。

で、私が指摘しているのは
「3の点について,造影剤がいずれの部位から投与されたかは明らかではない上,」
ここはこんなにさらっと流すところではなく、レントゲン技師、当該医師などから十分事情聴取し、どこから注入されたかきちんと論じるべきだったと言うことです。

なお、判決文に対する下らないツッコミですが、解剖学的に橈骨静脈(橈骨動脈に伴走しているごく細い静脈)からルートを確保するというのはあり得ません。橈側皮静脈の間違いでしょう。

No.260 僻地外科医 さん
>こんな重要な論点がぽろっと抜け落ちてて「それが裁判です」ではちょっと・・・。

真実の解明ではなく、紛争の処理が裁判。
あいての土俵がそうであるのだから、その上で裁判について議論していかなくてはと考えます。

感情的には僻地外科医さんには全く同意ですが。

オダ先生
「亀田の事件で枝葉末節部分のところにこだわっているのは、証拠の認定の仕方が誤る典型的な落とし穴がここにあると考えて」
おっしゃる通りかもしれないけれど、結局一生懸命説明した後、患者さんからそれで結局治るんですか、とかそれで結局どうなんですか、というようなことになっているんじゃないかと思うわけです。細かいことは所詮わからないのじゃないか、それであっと合点がいった場所をつなぎ合わせてストーリーができてそれを確信して判決するというふうになっていないかと思うわけです。

>僻地外科医さん

ここはこんなにさらっと流すところではなく、レントゲン技師、当該医師などから十分事情聴取し、どこから注入されたかきちんと論じるべきだったと言うことです。

刑事ではともかく、民事ではきちんと論じることは難しいかも知れません。確かに日本の裁判の大きな問題点ではありますね。

逆に伺いたいのですが、「どのルートを確保し、何れの部位から投与された」と言う事がはっきりしていたのならば、CT画像や、剖検の結果と重ね合わせればカテーテルが血管外にあったか血管内にあったかと言う事は、ほぼ分かるものなのでしょうか。

>No.240 元行政さん

判決文では『Dに凝固異常が生じていたとしても,肉眼的血尿等が生じたのは,カテーテル挿入の直後であったとの時間的経過からすれば,カテーテルによる血管損傷を推認させる事実であることは否定できないこと』と書いてあります。

 おっしゃるとおりでございます。これは,カテーテルによって血管損傷を来したか,という認定の理由の一つ(あくまで多数のうちの一つなので,これが決め手になったわけではないと思いますが。)としてあげられていますね。私は,血管損傷を認定したあとの因果関係判断のところでは,使われてなかったので,即断してしまいました。ご指摘ありがとうございます。
 
>No.241 僻地外科医 さん
 当該エントリでのみなさまのコメントは,興味深く読んでおります。そして,僻地外科医さんらが,そこで交わされている議論は,おおむね本質的な問題であり,かつ本件判決への医療専門家からの批判として,非常に有益なものと思っています。
 それと,No.243の鑑定についての指摘も,わかりやすくてありがたいです。

> オダさん
 ということで,私の指摘も,必ずしも当を得なかったものでした。おわびいたします。
 それと,No.252のコメントもありがとうございます。そういう形で言っていただくと,とてもわかりやすくて助かります。

> というところまで,つらつら書いてたんですが,なんか大変なことになっているようですね。議論をしばらく見守らせていただきます(流れ悪くしてすみません)

>しま様

逆に伺いたいのですが、「どのルートを確保し、何れの部位から投与された」と言う事がはっきりしていたのならば、CT画像や、剖検の結果と重ね合わせればカテーテルが血管外にあったか血管内にあったかと言う事は、ほぼ分かるものなのでしょうか。

 これは右鼠径のカテーテルから造影剤が注入された場合にのみ、カテーテルが血管内にあったのか、血管外にあったのか確実な判定が出来ます。他のルートから注入された場合には、判定できるものではありません。

この判決がこうなった,考えられる事情
 1) ルート確保時刻と認定した時刻の誤記
 2) 実はICUに入る前に,一度別にルート確保をしていたと認定したが,判決に書き忘れた。
 3) ほんとうに,CT時にはカテーテル以外ルート確保をしていなかったという時系列で事実認定をしたのに,それと矛盾するような理由付けを書いた。

 いずれにしろ,医療者・医療側弁護士は悪くないと思いますよ。これは,医療訴訟だから,とか,専門家ではないから,とか,弁論主義という問題ではないような気がします。

>うーん様
 もしそうであるなら、このような判決がこの事例に限るものであり、かつ、上級審でちゃんとひっくり返るならば、裁判はそれほど恐ろしいものではないのですが・・・。

 ただ、どちらにせよ、この判決は論理の展開の点で医学的に不合理なところが多すぎます。時系列の問題だけではないと言うことはここまで論じたとおりです。

裁判官には理解に費やす時間もあり理解力も平均的なそれよりは優れているだろうからこれくらいは理解してくれるだろうという医療側の無意識の思い込みが招いた結果なのかも知れません。

訴えられたというだけで頭に血が上ってしまうのは十分に理解できますが、法廷戦術にも習熟し突っ込むべきは突っ込まなければ自分の権利は守れないということでしょう。医療という司法的ハイリスクな職業を選んだ以上、鑑定医の問題も含めて医療スタッフにはもっと司法に対する教育が必要ですね。

初めまして。新参者です。今日、はじめてこのブログを読みました。

気管チューブ誤挿管過誤の状況について、私の聞いた内容をお知らせします。
村上名誉教授から直接き聞いたのではないので間違った部分もあるかもしれません。

手術は3〜4時間程の長さの手術であった。
麻酔中はラリンゲアルマスクで管理していた。
麻酔覚醒時のラリンゲアルマスク抜去時に、嘔吐をしたかあるいは分泌物が口腔内に多量にあることがわかった。
誤嚥状態になり、気管チューブで気管挿管した。
大学の救急部に転送し治療を行ったが数日後に死亡した。

私としては覚醒時の嘔吐と大量の誤嚥が死亡原因だと理解しています。
気管挿管時に食道挿管があったかどうかは知りません。
また、大学への移送時に片肺挿管になっていたかもしれません。
ラリンゲアルマスクを再び入れるのではなく、気管挿管したのは、肺内を吸引するためだったのだろうと思います。
あるいは喉頭痙攣のような状態か。
すくなくとも食道挿管で低酸素状態になったとは聞いていません。
覚醒時の嘔吐は常に起こる可能性のあるものです。
特に、小児の場合は。

新聞記事の判決内容がが余りにも自分が聞いたことと違うのでびっくりした次第です。
また、裁判はほとんど一人でやっておられるようで、応援団チームのようなバックアップはないようです。


>手術は3〜4時間程の長さの手術であった。
>麻酔中はラリンゲアルマスクで管理していた。
>麻酔覚醒時のラリンゲアルマスク抜去時に、嘔吐をしたかあるいは分泌物
>が口腔内に多量にあることがわかった。
>誤嚥状態になり、気管チューブで気管挿管した。
>大学の救急部に転送し治療を行ったが数日後に死亡した。

この書き込みで状況がやっと理解できました.
覚醒時に嘔吐もしくは分泌物多量というのはCPの患児ではよくあることです.小児の場合誤嚥状態では容易に低酸素血症にもなりますし...
LMAの場合抜去前に口腔内分泌物をしっかり取り除くことは結構難しいです.

No.272 麻酔科医さんのコメント
>また、裁判はほとんど一人でやっておられるようで、応援団チームのようなバックアップはないようです。

事実とすれば、ちょっと哀しいですね。

No.272の麻酔科医さんの書かれている内容が報道のものと全く違うことに驚きました。
これは防ぎようのない、麻酔の合併症の一つです。
数年前、やはりベテランの麻酔科医が外勤先で麻酔をした際、全く同様のことがおこり(40歳ぐらいの男の人の麻酔でしたが)、挿管し、救急車で患者さんをICUに連れて来られたことがありました。
いつ自分の身に起こるか分かりません。起こったら、吸引して挿管してICUに入れ気管支鏡で吸い取って、後は祈るしかないです。

患者さんが亡くなったら、これは有罪になるのですか?食道挿管を確認せず見過ごしたならまだしも、この明らかな麻酔の合併症を麻酔科医の犯罪とするなら、ちょっと自分の身の振り方を考えないといけないです。

>これは防ぎようのない、麻酔の合併症の一つです。

ここまで言えるかどうか少々疑問があります.
CPの患児ではGER(胃食道逆流)も結構多いですし誤嚥の確率も高いですから,原則として気管挿管を選択するべきと思います.少なくともNGチューブが入れられるLMAプロシールを使用すべきでしょう.
もちろん,ここまでやっていても誤嚥することはあり得ますが,そのリスクを最小限にする努力はしておく必要があったと思います.

麻酔の合併症が刑事事件になったことは大きな問題です.
このような状況であったのなら,麻酔科学会ももっと積極的に動くべきだったように思います.

LMAの使用については、私も気管挿管を選択すべきだったと考えます。かなり、長い手術であることも考慮すべき点でした。LMAは導入時は簡単ですが、麻酔終了時はかなり神経をとがらせて行う必要があります。麻酔に深い時点で抜去するか十分覚醒してから抜去するかは、問題のあるところと思います。ある施設では全例にLMAで行っているとの学会報告もありますが、気管挿管に比べて安全性が低いと考えます。
この点では民事訴訟は仕方がないかと思います。
麻酔科学会でも、この件は十分議論されていたようです。しかし、起訴までがかなり長時間を要し、起訴されないように思われるとの推測がなされていました。村上名誉教授自身もまず起訴はないだろうと話されていました。
ところが突然起訴され、裁判も迅速に進行してしまいました。その間、産婦人科医の逮捕の事件が起こり、その対応もあって麻酔科学会は適切な対応の時機を逸してしまったように思われます。
産婦人科医逮捕に関しては麻酔科学会は抗議声明を発表しましたが、自らの学会の名誉会員に対しては援護できなかったことを残念に思います。
今回の産科医逮捕と麻酔科医有罪判決に関して、私が感じたのは学会は刑事訴訟に対する抗議については経験未熟ということです。憂慮すべきという認識と議論はありますが、有効な手段の行使についてははなはだ未熟であるということです。
今後は自らの学会員が起訴された場合には迅速に状況把握をして、起訴されるべきではないと考えられた時は学会として抗議声明を出すとともに、他学会にも応援を求めることが必要と思います。

 No.272 麻酔科医さんのコメントを読む限り、少なくとも食道挿管のまま放置と言うことはなさそうですね。そのままなら搬送先に着く前に亡くなるでしょうから。

 カンファランスレベルであればいくらでも反省点を挙げられるでしょうが、刑事罰を与えるにふさわしい犯罪行為とは言えないと思います。事実関係を明らかにした上で、麻酔科学会としても関与が必要だと思います。麻酔科医のメーリングリストでも取り上げられていますので、今年の代議員会で何らかの動きがあるかも知れませんね。

 それにしても、食道挿管を放置と断定した根拠は何だったんだろう。

この事件に興味があり傍聴した者です。(医師ではありません)
被告は誤嚥について一貫して否定しています。
術後に多量の分泌地物に気付いた後の大まかな事実経過は
・16:45頃にマスキュラックスを投与
・16:50頃に気管挿管(この時点で食道挿管であった)
・数分後に徐脈になりエホチール、ボスミンを続けて投与
・17:00頃にチアノーゼ出現し心臓マッサージ開始、その頃に下腹部の膨らみに気付く
・17:10頃にレントゲン撮影を行い17:15頃に写真より食道挿管と断定し再々挿管を行う(約30分後に片肺挿管が判明し修正を行った)
 (この頃まで心マと吸引に追われていた)
尚、カプノメーターは再挿管時は吸引に追われ取り付けできなかったとのこと。
素人の私にはよくわかりませんが、吸引に追われていたとはいえ、処置にこんなに時間がかかるものなのでしょうか?

下腹部のふくらみに気がついた17時の時点で抜管アンビューに切り替えてたら
どーだったんでしょと言うのは結果論ですか
胸部X線撮影には相当時間がかかるので
ぜんぜん安全を担保する方法じゃないと思うんですが

>尚、カプノメーターは再挿管時は吸引に追われ取り付けできなかったと
>のこと。
>素人の私にはよくわかりませんが、吸引に追われていたとはいえ、処置に
>こんなに時間がかかるものなのでしょうか?

傍聴者さん,
書かれた経過から16:55辺りで心停止になり蘇生を行なっています.まずは自己心拍を再開させるべく心臓マッサージをしながら,合間をぬって気管内吸引して分泌物を吸引します.とにかく緊急事態ですから処置を続けるだけで手一杯であったと思います.食道挿管に気付いて再挿管するまで心拍が戻ることはない(酸素が肺にいっていない)のですから「時間経過」に関しては書かれた通りでなんら不思議はないと思います.
気管内吸引も結果的には「食道内吸引」であったわけですから,気道内の分泌物は取り除かれていません.さらに食道内であれば後から湧いて来る口腔内分泌物がいくらでも吸引できたでしょうからいくら吸引しても状況が変わらなかったというのが結果論だと思います.

いのげさん,
確かにアンビューに変える方法もあるかとは思いますが,CPの患児で口腔内にも分泌物が多い状況では躊躇するのではないかと思います.
O市大の食道挿管もそうですが,こういった事故が刑事裁判になるのはやはり疑問です.臨床を続けていれば我々麻酔科医は同じような状況に置かれることがきっとあるでしょうし,その時にすべての麻酔科医が適切に対処できるとは限らない状況であると考えられるからです.「誰でも簡単に回避できる」ようなものでは決してないのです.これでは我々には「逃散」しかありません.

この麻酔科の先生は、多分、50年以上麻酔科医をやってこられ、色々な修羅場をくぐり抜け、クリアし、そして、最後の最後になって、このような残念な結果を作ってしまった。これまで何人もの命を救ってきただろうに。50年間つちかってきた麻酔の技術で麻酔し、危機の対処方法で対処したのに、犯罪者になってしまった。
 自分たちが、20年や30年麻酔をかけてきて、今まで、なんとかなってきたからといって、明日も大丈夫とは絶対に言えない。
 明日のバイト症例で、あなたも犯罪者になるかもしれない(そうは言っても、4年目の駆け出しの麻酔科医でさえ、心の中では、自分だけは大丈夫だと思っている)

周回遅れで、登場致しました。座位でございます。

法曹家の皆さんに問いただしたいのですが、

第一問
術前に、一定の割合で危険な事態が回避不能であることを、予見している場合の問題です。この場合、結果的に危険回避が不能のため、手術に失敗し死亡に至った場合、これは業務上過失致死ですか?
(いちかばちかでやっては、駄目か?)

第二問
過失責任に相当するか否かを判断する際に、法廷上の証拠によって賛否両方の主張があり、そのいずれが正しいかの判断能力が、自分にあるかないかを、どのように判断されているのでしょうか?判断は回避可能でしょうか?
(法廷での判断回避は不可能なのか)

第三問
現行の行政環境、立法環境で、過失責任を問う場合、当該領域の産業の建設的な発展を阻害し、その産業従事者の逃散を招く事が、明確な場合であっても、裁判所は現行の法体系に依り、裁判権を強行することが正当と考えておられるのでしょうか?
(裁判権は産業崩壊よりも優先するのか?)


どなたか、頭の良いヒト、回答して下さい。

訂正(失礼しました)

法曹家の皆さんに問いただしたいのですが、
           ↓
法曹家の皆さんにお尋ねしたいのですが、

上記質問は下記エントリに、転記致しました。
↓↓
医療崩壊について考え、語るエントリ(その12)

このエントリの皆さん、失礼致しました。

傍聴さんへ

>術後に多量の分泌地物に気付いた後の大まかな事実経過は
>16:45頃にマスキュラックスを投与

マスキュラックスを投与したということは、きっと挿管がしにくい症例だったのでしょうね。
また、この時点でX線をとらずに気管挿管を選択したのは、マスク換気でも酸素飽和度が低下していたか、あるいは肺内に分泌物が入り込んだという確信があったのかのどちらかでしょう。

>16:50頃に気管挿管(この時点で食道挿管であった)

マスクラックスが効き始めるには、5分間かかります。
食道挿管というのは、きちんと声門がみにくい症例であったのでしょう。
みえるのに食道挿管というのは、プロの麻酔科医ではありえないと思います。

>数分後に徐脈になりエホチール、ボスミンを続けて投与
>17:00頃にチアノーゼ出現し心臓マッサージ開始、その頃に下腹部の膨らみに気付く

心停止はなかったのでしょうかね。
徐脈なら薬剤投与と心マッサージは正しい処置です。
10分間心停止しなかったのなら、マスク換気でかなり十分な酸素が供給できていたことになる。

>17:10頃にレントゲン撮影を行い17:15頃に写真より食道挿管と断定し再々挿管を行う(約30分後に片肺挿管が判明し修正を行った)
 (この頃まで心マと吸引に追われていた)

この部分が悩ましいですね。
時間的にはこれくらいはかかるように思います。
レントゲン技師を呼び出し、レントゲンの器械を手術室まで運ぶのにある程度時間がかかりますし(電動式で動く場合はすごく遅い)、撮った写真を現像して手術室に持ち帰るにも最低5分位はかかるでしょう。
問題は、レントゲンではなく、聴診で判定ができなかったのかということでしょう。
挿管をすれば必ず聴診をしますから、なんらかの判定しずらい状況があったと考えられます。
胃内の音が胸部でも聞こえて判定がつかなかったのでしょうか。
結果論から言えば、この時点でマスク換気かラリンゲアルマスクにかえれば良かったのでしょうが、かなり勇気のいる決断と思います。

>尚、カプノメーターは再挿管時は吸引に追われ取り付けできなかったとのこと。
>素人の私にはよくわかりませんが、吸引に追われていたとはいえ、処置にこんなに時間がかかるものなのでしょうか?

カプノメーターは取り付けても役には立たなかったかもしれません。
肺に酸素を送り込めても戻ってこないこともありますから。
時間的には処置の遅れはないと思います。

肺内に入り込んだと思われる分泌物を取り除くほうがいいと判断した行為ですが、レントゲンを撮ってから行っても良かったかも知れません。
少量の分泌物だけなら必ずしも気管挿管せずに肺炎防止の抗生物質でもよかったかもしれません。
全体に広がる前に少しでも吸引して肺炎を少なくしようと努力した結果が思わぬ落とし穴に落ち込んでしまったということでしょう。
良かれと思って行った行為が、麻酔科医と患者さんおよび家族の方の双方に思わぬ悲劇を招いてしまった。
誠に残念なできごとだと思います。
ご両親の気持ちを考えますと民事訴訟は仕方がないかも知れませんが、これで刑事訴訟で有罪となると、麻酔科医としてはとてもやっておれない気持ちです。

P R

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