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【医療を問う 第5部】(1)真実が知りたい(Sankeiweb 2007/02/08 13:16 キャッシュ

以下は関連記事の目次ページです。
産経のスタンスが分かると思いますが、私はまだ一部しか読んでいません。
健康の一覧

 感想めいたコメントを2点書きますと

1 カルテの改ざん等の隠蔽・偽装工作に対して今よりもっと厳しい態度で臨んで、絶対あってはならないことを強調すべきだと思います。

2 医療側の司法不信と患者側の医療不信には似たようなところがあるように思います。
  一部によって全体を見るような見方、または言い方は問題の本質を見誤る原因になると思います。
  問題の本質を見誤るということは、有効適切な対策が打ち出せないということです。

以下に全文を引用

「17年間、産科医療がほとんど変わっていない現実が悔しかった」

 厚生労働省中央社会保険医療協議会の委員を務める勝村久司さん(45)はそう話す。奈良県大淀町の町立大淀病院で昨年8月に起きた医療事故のことだ。同県五條市の高崎実香さん(32)が分娩(ぶんべん)中に脳内出血になり、19病院から転院を断られた末に、搬送先の病院で8日後に死亡した。

 夫の晋輔さん(24)が事故後初めて病院を訪れたとき、担当医は「ミスだった」と認めた。だが、10月に応対した院長と弁護士は一転してミスを否定した。「病院側に問題はない。提訴してください」。弁護士はそう言った。

 それでも晋輔さんが、実香さんが意識を失っているときに担当医が仮眠をとっていたことなど、対応の不十分さを指摘すると、弁護士はみるみる表情を変え「誠意ある対応をします」と引き下がった。連絡はまだない。

 12月に大阪市内で開かれた会合で、実香さんの遺族は「真実を知りたい。同じことが繰り返される構造を、改めたい」と訴えた。会場にいた勝村さんは、この思いが痛いほど分かった。

 高校教諭の勝村さんが医療問題にかかわるようになったのは、初めての子だった長女、星子(せいこ)ちゃんの出産と死がきっかけだった。

 平成2年12月2日、当時29歳だった妻の理栄さんは陣痛がないにもかかわらず、枚方市民病院に入院させられた。「子宮口を軟らかくする薬」との説明で陣痛誘発剤(促進剤)を飲まされた。ぜんそくの既往歴のある産婦の場合、厳重な管理が必要な薬だったが理栄さんは放置された。

 異常に強いおなかの張りと息苦しさを、理栄さんは訴えた。それを聞いた医師は「しゃべれるから陣痛が弱い」と判断し、さらに陣痛促進剤の注射を指示した。胎内の星子ちゃんは強く圧迫され続けた。

 医師が分娩監視装置を取り付けたとき、星子ちゃんは仮死状態だった。緊急帝王切開で星子ちゃんを取り出し、なんとか蘇生(そせい)したが9日後、短い人生を閉じた。あまりに小さな亡きがらを前に、家族は何度も泣き崩れた。

 星子ちゃんの死後、事実経過をたずねる勝村さんに、医師はやむを得ず起きた事故のように装った。カルテを改竄(かいざん)し、うその説明を繰り返した。

 「この医師と病院は同じ過ちを繰り返す。星子と同じ被害者を生む」

 勝村さん夫妻はそう確信し、4年3月に枚方市民病院を運営する枚方市を相手に提訴した。1審は敗れたが、11年3月の大阪高裁は、病院が不必要な陣痛促進剤の投与後、理栄さんの分娩監視を怠り、帝王切開の判断が遅れたことが星子ちゃんの死亡につながったと認め、逆転勝訴の判決を言い渡した。判決は確定した。 分娩にともない脳性まひを負った新生児に、過失の有無にかかわらず補償する無過失補償制度の本格的な設計が、今月から国で始まる。勝村さんは補償だけ先行し、原因究明を置き去りにする制度になってしまわないかと危惧(きぐ)している。

 「事故をゼロにするためには、医師、病院は被害の事実に向き合い、過ちを見つけ改善しなければならない。無過失補償制度が、虚偽の説明やカルテを改竄する悪質な医師や病院を放置することになってはいけない」

 今月12日午後、東京都千代田区のアルカディア市ケ谷で、勝村さんが世話人を務める陣痛促進剤による被害を考える会は、産科医療における無過失補償制度を考えるシンポジウムを開く。被害者の声に耳を傾けた補償制度、医療システムづくりを訴えるつもりだ。

 死因の究明と再発防止。医療事故で愛する家族を亡くした人たちに共通する願いだ。病院の説明に納得できなければ裁判を起こすしかないが、法廷での対立はさらに遺族を傷つけかねない。医療者と患者の溝は埋められるのか。

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コメント(24)

【医療を問う 第5部】(2)事故調の課題
http://www.sankei.co.jp/seikatsu/kenko/070209/knk070209002.htm

【医療を問う 第5部】(3)闘う院長
http://www.sankei.co.jp/seikatsu/kenko/070210/knk070210000.htm

いかなる場合も死因は特定できると考えているのでしょうか?

それとも、カルテの開示や事故が起きたときの患者や遺族への
説明こそが重要だと主張したいのでしょうか?

死因が特定できない場合、新葛飾病院がどう説明をしているのかも
是非知りたいところです。

2002年5月27日
続 アメリカ医療の光と影 第4回

Defensive Medicine(防衛医療)
李 啓充 医師/作家(在ボストン

http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2487dir/n2487_02.htm

科学的スタンダードと社会的スタンダード

 そもそも,患者の利益を主目的としない医療行為は「First, do no harm(まず何よりも患者に害をなすなかれ)」というヒポクラテスの誓い以来の医療倫理にもとるものである。しかし,医療倫理にもとるだけでなく,Defensive Medicineが広く行なわれている実態は,現代の医療には「科学的エビデンスで決められるスタンダード」とは別に,判例や患者が抱いている根強い先入観などの「社会的条件で決められるスタンダード」とがある現実を示している。
 科学的スタンダードと社会的スタンダードの矛盾の問題を,産科での分娩監視装置の使用に見てみよう。「分娩監視装置を使用すれば胎児の合併症を防ぎ,母親の安全を守るだろう」という患者・社会の思いこみとは裏腹に,多くの研究が「分娩監視装置を使用する場合と産科医の定時的聴診だけで胎児の状態をモニターする場合とを比較すると,胎児の予後に差はない」,「分娩監視装置を使用するほど母親の死亡率は上昇する」という逆の結果を示している(Am J Obstetr Gynec 174巻1382頁,1996年)。
 現在の分娩監視装置の技術レベルでは胎児の予後を予見することは不可能であり,分娩監視装置が発する擬陽性の所見ゆえに不必要な医療行為が行なわれる結果,母親の死亡率が上昇するからだろうと考えられている。また,米国産婦人科学会は,リスクを伴わない出産の胎児のモニターについては医師による定時的聴診でも分娩監視装置でもどちらでもよい,という指針を出している。しかし,訴訟に巻き込まれたり,負けたりする可能性を考えれば,分娩監視装置を使用したほうが得策と考える医師は多いのである。
 また,米国では1965年には5%未満であった帝王切開の施行率が1986年には24%と,20年で5倍以上に増えている。これは,出来高払い制度のもとでの経済的インセンティブに加え,訴えられた経験のある産科医は帝王切開の施行率が増えるという報告(JAMA 269巻366頁,1993年)もあるように,訴訟の危険を考えてのDefensive Medicineによるものもこの上昇に寄与したと考えられている。

http://www.sankei.co.jp/seikatsu/kenko/070208/knk070208027.htm
 「この町にホスピス(緩和ケア病棟)があれば、妻はあんなに苦しんで死ぬことはなかった」
 6年前の話だそうですが、「モルヒネは中毒になる」とか「使うのは最後のとき」とかいう話は20年ぐらい昔の認識じゃないのですか?80歳過ぎのロートル開業医ならともかく、病院務めの外科医がそんなことを言うとは信じられない。
 79年発行の柳田邦男の「ガン回廊の朝」で、すでに長時間持続製剤MSコンチンの話が出てくるのですし。「病院で死ぬということ」が出たのが90年。

 ホスピスがあるとかないとかいうレベルの問題じゃないと思う。

>Inoueさん
緩和ケア病棟云々の問題ではないでしょうが、一方で緩和ケアに慎重な医師がいるのも確かなことだとは思います。

モルヒネを中心としたWHO方式によってがん患者の80〜90%の痛みが和らぐといわれている。しかし、日本においてはいまだにモルヒネに対する偏見が強く、麻薬=モルヒネ、モルヒネ=死であるという公式がなかなか抜けていないのが現状である。その結果を反映してか、日本での除痛率は60%に満たないという報告もあり、モルヒネ作用に対する正しい理解、教育が重要である。
がん疼痛の治療

日本のがん疼痛に関する問題は、ジャーナリストである佐々木俊尚氏の末期ガンの患者の激痛無惨 こんなに遅れている!日本の「痛み」治療で書かれていることによれば、

1.医療費の問題
2.健康保険の審査の問題
3.麻薬行政の問題
4.医師の問題
5.社会の問題

が原因であるようです。

知りたいのは本当に「真実」なのでしょうか?
確かに「真実が知りたい」事案もありますが,一方で
「患者に都合のよい物語をつくりたい」ケースも散見します.
だいたいなぜそうなったのか当の医師ですら不明なことが少なくないでしょう.
それが人間のからだです.

>Inoue様

 いや、そうでもないです。私が赴任した当時(6年前)のうちの病院でもモルヒネの使い方が根本的に間違ってましたし。今50代、60代ならWHOのガイドラインすら知らない医師はまだ決して少なくありませんよ。さすがに40代以下でそれを知らない医師がいるとは私にも思えませんが。

 まあ、ホスピス云々の問題ではないというのは同意です。

 医師が妊婦死亡直後に「ミスを認めた」のを後から「ミスはなかった」と証言を変えたことを批判する記事なんですが、状況によって言うことが変わるのは当然じゃありませんか。
 奥さんが死んで悲しんでいる夫に、
「やるだけのことはやりましたが医学の限界です。どうしようもありませんでした」
と言うよりは、
「私の力が足りませんでした。申し訳ありません」
と言う方が慰めになるだろうし、後日、遺族感情が悪化して訴訟の用意をしている状況だったら、
「ミスはなかった」
と主張するに決まっています。ウソをついているわけじゃない。相手を見てモノを言っているだけでしょう。
 患者の搬送先を探す以外、何もできることがない状況で、仮眠を取ることが悪いことですかね?おきていれば病人が助かったんでしょうか?

 大体、遺族は、行われた処置の正誤ではなくて、患者が死んだことが納得いかない(結果の成否)のだから、医師がどう対応しようが文句をつけると思います。
「やるだけのことはやりました。処置にミスはありません。なぜ亡くなったかといえば、強いて言えば運が悪かったんだと思います」
とか言ったら、科学的には正しくても、
「生死を運任せにしやがって」
とか文句が出るだろうし。

患者並びに家族感情というのは難しいですね。
随分前ですが、癌末期の方で疼痛はあるものの、麻薬以外の鎮痛薬でコントロール良好(体動に支障無し、普通に笑顔が見られる)だった方がおられましたが、麻薬について家族から
「中毒とかどうですか?」との問いに、
「痛み止めとして使う場合は依存性、所謂中毒は心配ありません。
 麻薬は必要になれば使います。」
と返答していたら、ある日廊下で、
「先生は,麻薬は中毒になると言って使ってくれない。
 あんなに痛がっているのに。」
との会話が聞こえて愕然とした事があります(勿論その家族)。

案外伝わっていない事、間違って伝わる事って多いのではないでしょうか?

>Inoueさん

担当医が仮眠をとっていたのは確か「様子を見ていた」時間ではなかったのかと。
明確な意識はないけれど、呼吸血圧が安定している場合、
急変に備えて体力回復をはかることがなぜ非難されるのか、
素人の私には理解できませんでした。

この年下の旦那さんはもう沈黙を保ったほうがいいと思えます。
「過ちを認めた」と伝えられていたのはのは確か当初は担当医ではなかった記憶が

どうも医師の間ですら院長がミスを認めたと言うことが既定路線になっているように思います。本当に院長はミスを認めたのでしょうか。私がテレビでの記者会見を見ていた感じでは、院長が認めたのは結果論としてのミスであったと記憶しています。

「当該時点では子癇と考えても無理のない状況ではあったが、結果としては脳内出血であったのだから、結果論ではミスではあった」というオーラが出ていたように見えました。ミスを認めたと囃し立てたのはメディアだったんじゃないでしょうか。それとも私の見ていない場面でミスだと明言したのでしょうか。

わたくしが常々いう 単語の多義性がここにも見られます
「ミス」とか「責任」という言葉は多義的であります.
院長の言う「ミス」と報道が言う「ミス」が同じものなのか
こういう解釈のズレを防ぐ為に専門用語というものがあるわけで
報道は普遍的な解釈のプロとして この点を認識していながら
意図的に曲解している可能性が有ると感じております
一般人においては「多義性」の概念すら無い方も居るかもしれませんが

 シンドラーエレベータの事故直後の社長の対応については危機管理の観点から批判しました。

 日本では自分の行為によって(因果関係)悪い結果が生じたら、ともかく謝罪する、というのが信頼を得る(少なくとも反発を招かない)対応と言える場合が多いですが、どうも医療事故においてはそれが直ちに医師の責任論に直結してしまう(マスコミはそのように報道する傾向あり)みたいですね。

 私の知っている医療過誤訴訟でも、事故直後の病院側の記者会見の報道が思いっきりこじれる原因の一つになってました。

 記者会見にあたっては言葉を慎重の上にも慎重に選ぶとともに、発言が正確に記事になるようにペーパーを配るとか病院側がきちんと録音しておく必要があると思います。

 まかり間違っても準備もせずに記者の前に立つべきではありませんね。

モトケン先生おすすめの田中辰巳著
「そんな謝罪では会社が危ない:」
管理職の必読書ですな

「被害者」側に寄ったマスコミ報道の話だと、最近の
「でっちあげ」新潮社、2007年がものすごく面白いです。ドキュメンタリーです。
今の医療と報道、訴訟、クレーマー、「事故」が起きたときの謝罪、現場の勤務医と院長の関係などなどの問題点に非常に類似点が見えてきます。この事件そのものに関してひとつの本だけに拠るのは危険ですが。
予備知識も何もいらないし、お勧め。

【あらすじ】
2003年福岡の小学校教諭が家庭訪問で、ある4年生生徒の曾祖父が米国人ということを知り、人種差別的な発言をした。
その日以降、教諭はその児童に対して人種差別的な発言を公然と繰り返したり、「穢れた血を恨め」などと言いながら暴行を加えた。さらには「血の穢れた人間は生きている価値はない」と自殺を強要したため、児童は自殺未遂まで図ることとなる。この事件は新聞・雑誌・テレビを通じ連日大々的に報じられ、教諭は6ヶ月の停職処分を受けた。
児童はPTSDで入院を余儀なくされ、ここに到って両親は6000万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。呼びかけに応じ、全国500人の大弁護団が結成された。
教諭は代理人も決まらないまま第1回口頭弁論を迎えた・・・・

2 医療側の司法不信と患者側の医療不信には似たようなところがあるように思います。

私もそう思います。臨床医の皆さんからのこのことに関するコメントはどうなのでしょうか?

「医療側は患者さんのことを考えながら行動しているけど、必ずしも結果が良いとは限らない。トンデモな状況はどの業界にも存在する。」

「司法は世の中のトラブルを公平に解決したいと思っている。必ずしも全ての人に好ましい結果にはならない。トンデモな判決や和解も中には存在する。」

結構似ていると思うのですが。

>てつさん

以前にも述べましたが、私は医療関係者ではなく単なる技術屋です。
今回はそれを念頭においていただいた上で。

>「医療側は患者さんのことを考えながら行動しているけど、必ずしも結果が良いとは限らない。トンデモな状況はどの業界にも存在する。」

ここで「トンデモな状況」とは何を示しておっしゃているのでしょう?。
まじめに考えていらっしゃる医療関係者に対してずいぶんと失礼な表現に取れますが。

>「司法は世の中のトラブルを公平に解決したいと思っている。必ずしも全ての人に好ましい結果にはならない。トンデモな判決や和解も中には存在する。」

この場合の「トンデモ」は理不尽・現実に則さない − 司法関係者の無知やそれに根ざす無茶や藤山判事らの御得意な「恣意」でしょうね。

どこが似ているのか私にはまったく理解できません。

患者側の不信は「患者自身の不理解、誤ったマスコミ等からの情報」が大部分、
医療関係者側の不信は「不合理な司法関係者やそれを恣意的に先導するようなマスコミ」
また、「医療ミス」に関してはあくまでも「事故」といえるでしょうが
「司法の判断ミス」は「結果」であって「事故」ではないでしょう。


今回の産経の記事の冒頭、
>「17年間、産科医療がほとんど変わっていない現実が悔しかった」

大淀病院との状況比較を産経の記者は行っているのでしょうか?
まさにミソもクソもいっしょの域....
この勝村さんという方も「医師は皆不誠実」との信念がある方のようだし。

「医療側の司法不信と患者側の医療不信には似たようなところがあるように思います。」

おそらく、そこの相違点と違いは次のとおり。

○ 医療は、病院対患者という2者関係である。患者から見ると患者はベネフィットとリスクの両方を負い、医者はリスクを負わない。

○ 司法は3者関係であり、医者はほとんどの場合訴えられる方としてしか出てこない。(これは医療において患者のみがリスクを負うことに起因します)。なので医者から見ると司法の場にはベネフィットがなく、リスクしかない。一方司法をつかさどる法曹はリスクを負わない。

どっちも当事者の一方にしかリスクがないということが不信感の源ですな。

産科医が17年間変わっているかどうかは当事者でないとわからないと思いますが、少なくともやる気が失せたのは事実だと思います。その原因を作ったのは日本国民であり、医療者のみに負わせるのは単なる責任逃れだと思います。
産科医が仕事しやすい環境を作ることを怠ってきた、この観点で言えば医療関係者のみならず官僚、政治家(ひいては日本国民)、法曹、マスコミ、すべてに責任があります。特に官僚とマスコミの責任は医療者の声を無視したという点で非常に大きいものがあるはずです。これらが動かなければ政治家も法曹も情報が無く、動こうにも動けないですから。

日航機乱高下事故をググっていたらヒットしました。
粘る稀なガン患者:医療制度について一つの見方
http://neuroendocrine-tumor.cocolog-nifty.com/pancreac_endocrine_tumor/2007/02/post_3666.html

福島大野病院事件の検察の無理筋は
 社会のノー・リスク視と結果責任思想
 社会の感情重視と「不寛容精神」      が関連。

産科不足問題について、MPS(Medicine, Patient and Society)の立場から整理をしておく。(中略) 産科というリスクの高い分野において、社会をノーリスクと見なしているSがリスクの受忍を拒否し、さらに、刑事訴訟という形でMに対して罰しようとするならば、Mとしては出産医療の停止というSにとってマイナスの形ではねかえることもやむを得ないだろう。そして、これは、ノーリスク・結果責任・感情優先というSのものの考え方の本質に結びついているだけに解決は困難なように思えてならない。

最後に

自主浄化作用はすくなくともつい最近まで機能してこなかった(というよりも「かばいあい」というほうが適切)。
これが、専門職不信を社会から招いている大きな要因であり、単に、検察の行動を問題視するのではなく、自主浄化メカニズムを一刻も早く確立されることを望みたい。

…同意します。

臨床では後から診察すると症状も出揃っているので有利です。それで「安易に前医を批判してはいけない」との不文律があります。
システムとして自浄作用が必要ですが、個人で動くには難しい。

「安易に前医を批判してはいけない」というのはあくまでも検査結果とその処置内容がわかっている場合は私は無効としています。つまり、前医の検査結果から明らかに間違っている場合は患者さんからの訴えがあれば批判することもあります・・・が、訴えがない場合は患者−医師関係が悪化する可能性があるので黙っています。最も大事なのは患者−医師関係の悪化ですから。
しかし、大抵前医の内容に不満のある患者は当然紹介状なんて持ってきません。患者によっては最初から医師に敵意を抱いています。医学的に言っても検査結果は持ってきてもそれだけで判断できないケースがたくさんあります。そして患者の話はバイアスがかかっていますから客観的に判断することなんて困難です。さらに医師側の言い訳も聞かない限り客観的に判断するのは困難です。医学はそれほど単純な学問ではありません。だから患者の前で前医の批判をしたことは今まで1、2回しかありません。
個人的には変なかばい合いはしたくありません。が、患者が批判に耐えうる資料を持ってこないのも事実です。逆に少ない情報で安易に前医を批判する医師は、医師としての臨床対応能力に欠けていると私は思います。

本エントリーのきっかけとなっていました Sankei WEB の【医療を問う 第5部】が
本日15日付で「おわり」となっておりますね。

>【医療を問う 第5部】(5)裁判外紛争処理
>http://www.sankei.co.jp/seikatsu/kenko/070214/knk070214000.htm
>【医療を問う 第5部】(6)医師も間違える
>http://www.sankei.co.jp/seikatsu/kenko/070215/knk070215001.htm

かなり感傷的な「(1)真実が知りたい」(個人的には反吐が出る表現)に比し
ずいぶんと端折った感がある終わり方だと感じます。
執筆者側の公平を装うがごとくのいい訳じみた(5)、冒頭の

「患者は末期の目の病気だった。手術をしなければ失明する可能性が高かった。」

は本文中には背景説明も何もなし。全くの創作の可能性すら疑える代物。
そして続いての(6)....

>同じ年の11月、米国で「To Err is Human(人は誰でも間違える)」(邦訳は日本評論社が発行)と題する報告書が刊行された。

>それによると、コロラド州とユタ州の調査結果を97年の全米の入院患者に当てはめた場合、毎年少なくとも4万4000人が医療過誤で死亡しているというのだ。

センセーショナルなことを前面に押し出すのは「目的」なのでしょうが、
5W1Hのうち、WhyとWho、How の背景説明がない代物は煽動以外の評価が下せませんね。

結局彼らは何をどうしたいのかな

>結局彼らは何をどうしたいのかな

「売れる」記事を書きたいわけです

>No.17 G.Foyle さん

コメントありがとうございます。

「トンデモ」で表現したいことは、たとえば埼玉医大での抗がん剤の処方ミスと組織的な隠ぺい工作などが挙げられると思います。普通に考えてそれは許せないという状態です。

そういう状況はどこにでもあるようで、フードサービスビジネスに関しては、週刊SPAの先週号で出ていました。

もちろん、まじめに営業なさっておられるところが多いのでしょうが。

医療不信のかなりの部分は、医療そのものへの「無知」や「無理解」があります。司法不信のかなりの部分は、司法への「無知」と「無理解」から出ているという点で似ていると思います。

福島の事件への指揮権発動を行うことは、司法の世界では、「それは事実上無理」ということでしょう。そんなことを強要しても仕方のないことです。また、司法の方々が、世の中のトラブルを解決したいのだという気持ちを疑うことも無用なのだと思います。どうやって、「トンデモ」な状況をシステム的に削減していくのかが重要だと思いますが、いかがでしょうか?

P R

ブログタイムズ

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