ここはふと思ったことをつぶやく場所です。
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やぶ医者より下手くそな医者として「どて医者」という言葉を聞いた覚えがある。 その心は、藪はまだ向こう側が少しは見えるが、土手は全然見えない、ということだった。 つまり、医者には推察や洞察といった見通しが求められるが、その能力が乏しいまたは無い医者がいるということだと思う。
その意味で言えば、「やぶ法曹」、「土手法曹」もいる。
「やぶ経営者」、「土手経営者」なんて、掃いて捨てきれないほどいると思います。「やぶ政治家」、「土手政治家」といい勝負だったりして。
さらに下がいたとは ハンドルを間違えたかも・・・
そろそろ煮詰まってきたかな、と思っていたら、
これまで続けてきてよかったな、と思うコメントが増えてきたような気もして
企画をひとつ思いついた。
あとでお披露目(^^)
魔夜峰央氏が「パタリロ!」江戸時代版の中で 「土手より酷いヒモ医者」というのを書かれていましたね。
その心は 「ものがヒモなだけにかかったら命に係わる」(^^;
「パタリロ!」、「ガステレビ」とかのねた、懐かしいなぁ・・・
前から疑問に思っていることがある。 でも、誰に訊いて良いのか判らないし、不謹慎だと叱られる恐れもある。 せっかくこのようなエントリが出来たのだから、ここでつぶやいてしまおう。
電車の中や飛行機の通路で勝手に転んで怪我をしても、JRやJALが責任を問われたりするんだろうか。電車の中や飛行機の通路でインフルエンザに感染しても、JRやJALが責任を問われたりするんだろうか。
病院だと、院内での転倒事故は病院の責任を問われる。病院だと、院内感染があれば病院の責任を問われる。確かに弱者を抱える病院の責任は重いとは思う。だったら金をかけて、抜本的な対策が可能なシステムにして欲しい。
病室は全て個室、患者1人にいつでも看護師か介護士が付き、スタッフが病気になれば休めるだけの補充要員を確保しておく。このような体制なら、転倒転落事故も院内感染も大幅に減少することだろう。
薮医者で検索してみたら…
単なる独り言ですが、「トンデモ」という言葉を使用禁止にしたらいかがでしょう。 どうも、個々のコメンテーターが描く「トンデモ」の解釈がそれぞれ異なっているように見えるのです。
bambooさん
一般市民は病院をヴァルハラかガンダーラのように考えているのかもしれません。 だから、院内の出来事に対して神懸り的な責任を求めるのかも。
"そこにいけばどんな病も 治るというよ"(不謹慎失礼)
そのうち本当にガンダーラになってしまうかもしれませんが。
"どうしたら行けるのだろう 教えて欲しい"(不謹慎失礼)
高田馬場駅、福島(環)駅、大阪市営交通天王寺駅で視覚障害者転落事故が訴訟になっていますが、和解しているはず。 あと、阪神青木駅で特急列車が通過した際に乗客(幼児)が転倒した事故がありましたが、結果は忘れました。請求認容だった記憶があるのですが、ハッキリしません。
故 桂枝雀の落語に登場したヤブ医者シリーズ
タケノコ医者 … これからヤブにならんとする医者 雀医者 … これからヤブに飛んでいこうとする医者
こういう事を言うと双方から怒られるのでしょうが、医療界の方々はは性善説に基づいて人間を捉えているのに対し、法曹界の方々は性悪説に基づいて人間を捉えているようですね。例えば、弁護士の方々は「悪意を持つ弁護士もいるに違いないので、あらかじめ対処策を考えよう」としているように感じ取れます。
>モトケンさん
そろそろ煮詰まってきたかな
むしろ、ようやくスタート地点に立ったように思います。
> こういう事を言うと双方から怒られるのでしょうが、 > 法曹界の方々は性悪説に基づいて人間を捉えているようですね。(No.11 しま様)
法曹は怒りませんよ。性悪説が当然であって、そのことが悪いとは全然思っていないから。 人間の本性は、(道徳的に)弱いもの。 法の支配を求める理由は、取りも直さず、人の支配を信じていないからです。
「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する。」(ジョン・エメリック・アクトン)
それは、法曹が人間嫌いであるという意味ではありません。 心弱き者同士が、揉め事を起こさずに、この社会の中で何とか折り合って暮らしてゆける方法を見い出したいと願うのは、人間を愛すればこそではありませんか?
>No.11 しまさん
なるほどですね。仕事の内容がそうさせるのでしょうね。法曹の方、特に検察と弁護士の方の仕事は、原則として他人との戦いでしょう。医者の仕事はいわば天災との戦いであり、人を助ける戦いです。弁護士の方の仕事も人を助ける戦いでしょうが、その戦いに勝てば同時に敗者が生み出される戦いでしょう。医者の戦いは、成功すればそれを恨む人は原則としては存在しません。
なんかアタリマエのことを浅はかに書いているようで、つまらなかったらすみません。
とてもとても参加できないので、読んでばかりいますが このところの議論が方向性を持ってきたようにも思えて楽しみです。 ポチっとだけはせっせとしております。 No.11 しま さん 『スタート地点』からのこれからを、わくわくどきどきしながら待っています。 よろしくお願いいたします。
周防監督が対談で、こんなことをいってました。 ttp://www.1101.com/suo/2007-02-14.html
元田舎医先生、寂しいからまた遊んでおくれよ〜(T_T)
全くオフトピになるのでこちらに書きます。
麻薬アンプル30本盗難、国立病院の医師を逮捕
単にこの医師個人の問題なのか、国立循環器病センターの勤務体制の問題なのか・・・
カーター君がはまったのもフェンタネストだったよなぁ・・・。
ただ、ちょっとだけ気持ちは分かります。私もひどい睡眠障害ありますんで・・・。 国循の麻酔科なら臨時手術・緊急手術の嵐でしょうから、睡眠障害になるのも 当然でしょう。 でも、自宅にいるときはいつ呼ばれるか分からないから眠剤使えない・・・。 (じゃあ、何故フェンタ使えるんだ?w)
No.11 しまさんのコメント > 医療界の方々はは性善説に基づいて人間を捉えているのに対し、法曹界の方々は性悪説に基づいて
逆だと思ってました。 「運用でカバー」という言葉に対して、 法曹界の方は「適切な処理・望ましい処理」をイメージするのに対して、 医療界の方は「恣意的な処理・不完全な処理」をイメージする、みたいな感触が……
法曹の方は、普通の人間の判断力とか良識とかを、よいほうに見積もりすぎじゃないのかなぁ、と思ってます。
司法は制度自体が相矛盾する理念の上に構築されている。
司法は常に相矛盾する価値観のバランスを取ろうとしている。
バランスが取れた結論を保障するものではないが。
医者は最終的には負ける戦を戦っているんですね。 大体平均すると1学年100数十万人のうち8000人が医者になるとすると、平均して200人くらいの死を見取ることになりますかね。
医療側が勝訴した判例の判決文も読んでみたいので、紹介していただけますと幸いです。
>通行人A様
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0010?action_id=first&hanreiSrchKbn=01
こちらのページで適当に裁判署名、期間を入れ、 「損害賠償」で検索するとかなりの数の医療関係訴訟にヒットします(東京地裁がお薦め)。
当然原告敗訴も多いですし、中には首をかしげるようなものもあります。
上の性善説、性悪説を見ていて、医療と社会制度についてちょっと思ったこと。
アメリカ型医療というのは、これは文句なく資本主義制度に基づく医療だと思います。 これに対し国民皆保険制度というのは本来社会主義制度に基づく医療です。で、イギリス型の資本主義、社会主義折衷型国民皆保険制度と異なり(最低限の医療(NHS)を保証し、それ以上のアメニティ部分に関してはプライベートホスピタル受診とする)、日本型国民皆保険制度は完全な社会主義的医療だと思います。
国民皆保険制度においては(現実はどうであるかはともかく)、すべての医療機関に於いて提供される医療の質は同等であるという前提条件がつきます。その前提条件があるから大学病院であろうと、田舎の中小病院であろうと支払われる医療費が同じなわけです。この場合、受益者たる患者サイドには本来医療機関選択の自由がないのが当然です。というか、どの病院を受診しても同じだから、自由があってもなくても同じなわけですね(現実的にはあり得ないことなのですが)。
日本は社会制度としては自由主義・資本主義を取っていますから、患者サイドは自由に医療機関を選択できますが、それでも何とかこの制度が維持できたのは、これは受益者性善説に乗っ取って、「常識的に風邪ぐらいで大学病院にかからないだろう、近くの病院・医院を受診するだろう」という発想が根底にあるわけです。
これを歪めたのが、交通機関(特に自家用車)の発達、コンビニエンスストアの出現、近年の病院ランキング本だと思います。自家用車がほぼ存在しなかった昭和23年頃には夜具合が悪いから、と言う状況でも近くの病院医院を受診するしかなかったわけです。そこで夜間・休日、地域のどこにも医者がいなければ困るということで「医師法第19条:医師の応召義務」が生まれたのだと思います。一つの病院・医院のカバーする患者数は当時、決して多いものではなかったはずですから、休日夜間に呼ばれることはそう滅多にあることじゃなく、だからこそ対応できたのでしょう。 病院ランキング本に至っては論外で、これは国民皆保険制度になじまない物件です。つまり、どの病院・医院でも同質の医療を受けれるという前提条件をたたき壊すものなのですから。
医師法成立から60年、国民皆保険制度から50年。現在の医療崩壊問題は制度疲労によるものなのでしょうね。患者も医療者も資本主義に目覚めてしまったわけですから。
ちょっと思案の練りコミが足りませんが、思いつきレベルで語ってみました。
やっぱ小中学校での教育も大事なのかも。
● 人生には誰が悪いわけでもない理不尽な不幸というものが存在すること。
● やってしまったら取り返しのつかないことが存在すること。
この二つかなぁ。 そこを押さえた上で、人は必ず死に、医療は不確実で最終的には負け戦であることをどっかで教えておかねばなと。
★★ 町の最安値の定食屋と同じ値段で、最高級三ツ星レストランで好きなだけ食事が出来る。ちょっと気に食わなかったり、たくさん使われる食材や調理法を余すことなくコックが説明し、その内容も記載しておかなければならない。ソムリエの説明じゃダメ。調理場の裏でお客様がきづかないようなちょっとした不手際があっても、何百万も賠償しなければならない。
閉店後に腹をすかせた客がやってきたら、万全の体制で客の望む料理を速やかに作らなければならない。金を払わない客にも何時でも提供しなければならない。
国の指導で、最安値の値段をさらに安くしろといわれている。マスコミも国民も、市場原理を取り入れれば安くなるはずだと固く信じている. ★★
こんな状況ですからね、日本の医療は。 市場原理で再構築すべきなんでしょう。患者が資本主義での対応を望んでいるわけですから。
日本国民は、勝ち取った民主主義ではないので、有権者としての義務を果たさず文句だけいっています。何もしないで無条件にお上から与えられるものだと勘違いしています。義務と権利が表裏一体であると自身の命をもって実感するまで、この国民性は治らないでしょう。
いつも心温まる内容の「産婦人科残酷物語 �」というブログに、こんな記載がありました。内容はごらんいただければわかりますが↓、現場は大混乱ですね。
http://ameblo.jp/sanfujinka/entry-10025994855.html
福島事件以前と以降では、現場の雰囲気が変わった様子がわかります。これは、私の実感とも一致するところでして、いったいどうすればよいのかと、ため息の毎日です(少し大げさですが)。
実際に司法解剖になったのか、もしそうであれば鑑定処分許可状の容疑や被疑者の記載はどうなっていたのかとか、いろいろ考えるところではあります。
他人の心配ばかりしている余裕はないのですがね。
民事の裁判所の判断は8割がた正しいのだそうな。 しかしちょっと待てよ、これは推定危険率0.2で判断しているということなのかな。 自然科学や統計学をちょっとかじったものなら、これがいかに不合理であるか実感できると思う。通常医学では確実にものをいうにはP<0.05であり、これとて他の自然科学から見たら、大甘のはず。 P=0.2ということは、判例を2つか3つ踏襲すれば、容易に風が吹けば桶屋が儲かる議論になりさがる。トンデモ判決も許容範囲ということなのかな。
管理人さま、このエントリありがとうございます。普段ROM専の者です。
これまでは医療崩壊と言えば、マスメディアや司法がその原因かなと思っていましたが、最近は、国民全体の医療へのスタンスの問題なのかなと思っています。 今、少しインフルエンザが流行ってきましたので、病棟への不要不急の面会はお断りしているのですが、何度説明しても子どもさんを病棟へ連れて来る家族が多くいます。実は2年前も、面会の方から病棟内でインフルエンザが流行し、対応に難渋した事があるので、ナーバスになっているのですが、全然無視ですね。もしも、病棟内でインフルエンザが流行れば、誰も責任はとってくれないし、高齢者の多い病棟では最悪、死人もでますが、本当に自分勝手な人が増えて、つらいです。 トンデモ判決がトンデモ国民を助長するのか、トンデモ国民がトンデモ判決を誘発するのか、最近は後者だと思えるのです。独り言失礼しました。
>最近は、国民全体の医療へのスタンスの問題
私もそう思います。 物心ついたときはすでに国民皆保険の元、医療の恩恵にあずかってきた人たちが、国民の大勢をしめるようになってきた。よって、その国民皆保険のおかげで、医療が当たり前になりすぎて、医療のありがたさを国民が忘れていったのでしょう
「孝行したい時には親はなし」の境地か・・・・・・
「医療に感謝したいときには医療はなし」 となろうとしているのが、今の問題。
みんなあっっ!! 気が付いてくれえ・・・
私の心のつぶやきではなく心の叫びでした。
> 民事の裁判所の判断は8割がた正しいのだそうな(No.27 うらぶれ内科さま)
その数値のソースは? 上訴が棄却され第一審判決が維持される件数、なんてのはナシですよ。
民事訴訟は弁論主義を採りますから、当事者が主張・立証して裁判所に顕出した資料のみに基づいて判決がなされ、裁判上の真実は、歴史的真実とは必ずしも一致しません。 また、事実に関する主張・証拠の提出は、事実審(高等裁判所以下の裁判所)の口頭弁論終結時まで、とされますから、 控訴審で新たな証拠を出したために判決が覆ったという場合は、第一審の判断が誤っていたことにはなりません。
従って、「裁判が正しかったかどうか」は、各審級における口頭弁論終結時に裁判所の手にあった訴訟資料を再検討して、それを基に裁判所としては本来いかなる判決をなすべきであったかという観点からしか、評価のしようがありません。 そのような精密な検証作業を、統計的数値がとれるほどの規模で行った研究があるのでしょうか?
私としては、その言葉の「8割」という数値自体にさしたる意味はなく、 ・裁判官も完全無欠ではなく、時には間違うことがある という趣旨ではないかと思います。
No.22 僻地外科医さん、ありがとうございました。 さっそくいくつかみてみたのですが、医療側勝訴例を含めて眺めてみると訴訟の理由はなんでもありといった状況であることが分かりました。想像以上でした。どこにも安全地帯はないことを改めて認識しました。
司法不信司法不信って言うけれど、それって何か、問題が起きるんでしょうかしら。
医療不信は訴訟増加、弁護不信もどうやら同様。 じゃあ、司法不信は裁判官への訴訟が増えるのかしら……?
>jackさん
防衛医療とかJBM(Judgement-Based Medicine)が蔓延するでしょう とゆーかもう 標準化してますがな
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2487dir/n2487_02.htm
>いのげ様 いえ、それで、「司法」そのものは別に困らないよなーという意図でした。 医療不信は「医療」そのものが困るのに、と、ふと思っただけです(^^;)
軽く問題提起してみます
以下の事例は科学的スタンダードなのか、社会的スタンダードなのか
1.風邪に抗生物質を投与する 2.傷口に消毒を行う 3.低脊髄圧症候群にブラッドパッチを施す
>35 社会からの影響もありますが 3つとも 科学としても合意形成には至っていないケース だと思います こんとろばーさる
>しま様 3は専門外なので知りません。 1,2は科学的には無意味な行為だと思います。社会的にもすでにスタンダードとも言えない状況になっています。
No.30 YUNYUN さん
ソースは医療崩壊を考え、語り合うエントリー(その11)のNo.125 地方弁護士さんのコメントです。でもよく見ると「あえて数字で示せば」とおっしゃってますね。でもこれが法曹家の実感なのだろうと思いますよ。YUNYUNさんはどの程度の感触をお持ちですか。私は多数の法曹家の実感の平均値を採用したいと思います。
>私としては、その言葉の「8割」という数値自体にさしたる意味はなく、 ・裁判官も完全無欠ではなく、時には間違うことがある という趣旨ではないかと思います。
これはもっと問題であろうと思います。被告側は負ければ国家権力を発動され、財産を没収されてしまうのですから。同じ負けでもP=0.05とP=0.2ではまるで理不尽さを感ずる程度が異なるということです。
結局、裁判の結果の真偽判定なんてできないということならば、後は大数の法則に従うことしかないはずですが、どうも法曹家は失礼ながらこの辺の視点が欠落しているように思えて仕方がないのです。同じ法律で同じ事件を裁いても裁判官によって結論が違うなどとは到底受け入れがたい話で、せめて95%の裁判官は同じ結論になる、というくらいの推論はしてほしいと感ずるわけです。
No.26 某救急医さん
「産婦人科残酷物語 �」 読みました。 http://ameblo.jp/sanfujinka/entry-10025994855.html
涙が出てきました。
コメントでどなたか、 日経メディカル2007年2月号P.131-133 「異状死基準で注目の判断」 田邊昇 が紹介されていました。
高裁で 医師が「死体の外表に異状を認めた場合」のみを「異状死」と定義しており
>No.38 うらぶれ内科さん >ソースは医療崩壊を考え、語り合うエントリー(その11)のNo.125 地方弁護士さんのコメントです。でもよく見ると「あえて数字で示せば」とおっしゃってますね。でもこれが法曹家の実感なのだろうと思いますよ。YUNYUNさんはどの程度の感触をお持ちですか。私は多数の法曹家の実感の平均値を採用したいと思います。
ずれた話しとなるかもしれませんが、おそらく、突き詰めていくと「民事の裁判所の判断は8割がた正しい」と、弁護士が使う場合、普通の人とは違った意味で使っているのではないかと思います。
つまり、弁護士は、真実はなにかはわかりません。基本的には当事者の言う事実を主張します。で、判決であれば、おおざっぱに言えば、どちらかが勝ち、どちらかが負けです。
では、ここで例えば8割という数字が出てくるのはなぜかというと、それは、弁護士は常に、当事者の側からだけではなく、法廷に出された証拠を(当事者の立場からだけでなく)裁判官の立場でも見ています。したがって、訴訟の最終段階であれば、自分なりに事実認定しています。で、8割という数字は、自分の認定と裁判官の認定が一致する確率を言っているのではないかと思いますが、他の弁護士の皆様、どうでしょうか。
No.40 L.A.LAW さん
真偽がわからない以上、各個人がいかにして数字を出したかをと打てもあまり意味がありません。back-ground noiseにすぎないと思います。
私は多数の法曹家に、誤判率をどのくらいと考えるかアンケートをとったら面白いと思います。ちゃんと正規分布していると仮定して、P<0.05であるならば、私ならばどの裁判の結果にも無条件に服従するでしょう。P>0.2であるならば裁判はかぜがふけば桶屋が儲かる程度の推論に過ぎず、トンでも判決だと大騒ぎすることが多くなります。もし正規分布しないなら、これはもう何をかいわんや、裁判なんて信じません。
裁判所の誤判率について。
> 8割という数字は、自分の認定と裁判官の認定が一致する確率を言っているのではないか(No.40 L.A.LAW さま)
それだと、もっと低くて、7割くらいでは? つまり、一般民事事件の原告勝訴率と同程度。
弁護士は依頼者から詳しく話を聞いていますから、弁護士の心証としては、依頼者のほうが正しいと信じるものの(自分の依頼者を贔屓したい気持ちが手伝っているかもしれません)、 裁判所を納得させるだけの証拠を用意できないケースは、往々にしてあります。 契約書のような紙に書いた証拠がなく、原告被告本人がそれぞれ法廷で証言して、どちらが信用できるかで決めるしかない場合など。 弁護士がどんなに自分の依頼者を信じても、裁判所を納得させるだけの確実な証拠を提出できなければ、裁判では敗訴しても仕方がありません。 そういうのは、「誤判」とは言いません。
裁判所がどういう判決を出すか、「勝てそうか、負けそうか、五分五分か」くらいのおおざっぱなは予測は、弁護士なら9割以上の確率で、できるでしょう。 証拠が弱い事件で、訴訟を提起してみたけれど、裁判官の心証もやっぱりはかばかしくなさそうなときは、判決を避けて和解による解決に持ち込んだりもします。 和解では「誤判」ということは生じません。
厳密な意味での誤判、すなわち「提出された証拠からみて、裁判所はそのような判決をすべきでなかった」という事件は、 私の印象では(あくまで印象に過ぎませんが)、0.01%以下と思っています。 自分の事件で言うと、ここ10年間で2件、弁護士として絶対に裁判所の判断がおかしいと思う判決を受けたことがありました。(刑事事件と行政事件であり、一般民事ではありません。)
No.42 YUNYUN さん
>私の印象では(あくまで印象に過ぎませんが)、0.01%以下と思っています
そうすると、上級審で判決が覆る率も0.01%以下ですか? もちろん上級審が正しいといっているわけではありません。判決が異なった場合、どっちかが間違えているわけですから。
>No.41 うらぶれ内科さん
信じる信じないですむ話ならいいのですが、
裁判には強制力が伴います。
なお、私の裁判所の誤判率についての印象はYUNYUN さんと似たようなものです。
>No.43 うらぶれ内科さん
一審と二審の判断が異なる場合について、どっちかが間違えているだけとは限らないことはすでに説明があったと思いますが。
No.45 モトケンさん
なるほど一筋縄ではいかないですね。 もともと多次元にわたるアナログ的な話ですから、どう割り振るかという問題が生じますね。
連投恐縮です。 ここにきてどうも私の頭が混乱してきたようで。誤判率という言葉は使うべきではありませんでした。0.01%という数字はほとんどぶれがないはずですので。
問題を次のように考えます。 いま、ひとつの裁判に多数の裁判官が参加したとします。そして、各裁判官同士はお互いにやり取りを禁止したとします。このとき、裁判官の結論が大筋において一致する確立はどの程度なのでしょうか。法曹家の方はどの程度に推測されますか?
もし不一致率が0.01%以下ならば、判決にほとんどぶれはないことになり、裁判官を非難するのは筋違いでしょうね。裁判といっても、医療が確立の問題であるのと同様、結局は確率の問題ですから、われわれは黙ってその判断を受け入れるべきです。
>No.47 うらぶれ内科さん
司法には立証責任という概念があるんですよ。 真偽不明の場合に一方当事者が不利益に事実認定される負担という意味で、もう少しわかりやすくいうと、ある事実があるかないか不明な場合にはないと扱われてしまうということです。
しかし医療は違うでしょう。 がんがあるかないかわからないときに、ないとみなしていいというわけにはいかないでしょうから。 あると思って手術したなかったとなった場合でも、あるという判断が軽率だったらやはり責任を問われると思います。
No.48 モトケンさん
ちょっと趣旨が違うのではないかと思います。裁判の過程でなく、裁判官の判断の信頼性を問題にしているのです。
> 裁判官の結論が大筋において一致する確立はどの程度なのでしょうか(No.47 うらぶれ内科さま)
モトケンさま、誤解と思います。 うらぶれ内科さまのご質問は、 ・全く同じ訴訟資料(主張&証拠)を与えて審理判断させると仮定して、裁判官100人のうち、どれくらいの割合で意見が一致するか つまり、個々の裁判官による法解釈や事実認定の自由度(自由心証の幅)を知りたいという意味だと思います。
私が「弁護士は判決の方向性を9割以上の確率で予想できる」と言ったのは(No.42)、担当裁判官が誰になるかにかかわらず、という意味です。つまり、裁判官の個性による差異はあまりないという前提で、考えているのです。 私が思うに、裁判官の意見が一致する割合は90%、いや95%と言ってよいかもしれません。 日本の裁判官はキャリアシステムが主で、均質な人材が集まっているから、とっぴな判断は出にくいのです。
もちろん、事件の内容によって、振れ幅が大きい(意見が分散する)問題と、小さい(誰が見ても同じ判断をする)問題とがあります。 法解釈の面では、法令の文言の解釈の余地が広いか狭いかや、法解釈を示した判例が存在するか否か。事実認定の面では、証拠ががっちり固まっているか、薄い証拠しかないのか、といったことに関係します。 ちなみに、模擬裁判に使われる事案は、意見が分かれたほうが観客がおもしろいので、わざと証拠を曖昧にして、迷わすように作ってあります。
誰もが同じ判断を出すような明々白々な事件であれば、裁判するまでもなく、双方とも結果が読めるので、マトモな相手となら話し合いで解決できます。 しかし、実際の事件では、特に証拠がどの程度揃えられるかにより、裁判結果が完全には予測できないため、裁判所の判断を仰いでみようということになるのです。 また、控訴審の意義については、裁判官の目を代えて見直すというだけではあまり変化は期待できませんが、新たな主張・証拠を追加して一審では弱かったところを補強することによって、判断を覆そうとする動機が大きいと思います。
------ 付け加えると、裁判官だけでなく、弁護士に対して法的意見を求めても、回答が大きく違うということはあまりないと思います。 どこが問題点で、こういう証拠なら強いとか弱いとかは、誰でも解る。 それで実際に裁判に勝てるかどうかという判断になると、果敢にチャレンジしようと言う弁護士と、慎重に和解狙いで行く弁護士とがいて、事件解決に向かう芸風は異なります。
同一事件について、原告と被告とで見解が対立する最大の理由は、見ている材料が違うということにあります。 弁護士は基本的に、自分の依頼者の目を通してしか、事件を見ることができないので、自信たっぷりの依頼者を信じて裁判に訴えてみたら、相手方から予想外の反論や証拠をドバーと出されて慌てるということも無きにしもあらず。その意味では一番信頼できないのは、自分の依頼者だということになるかもしれません。 裁判をして互いの主張と証拠を交換し合っているうちに、材料が共通してくるので、原告代理人と被告代理人と裁判官の三者で、落としどころの共通認識ができて、和解に至るというケースは多いです。
このように、法曹の頭には、専門的見解を求めるに、そもそも同じ材料を与えれば同じ結論が出てしかるべきだという感覚があるので、 鑑定医を何人も呼んで多数決を取らなければ、、、とのご意見には、何となく違和感があります。 せいぜい3人も聞けば、判断がぶれることはないのじゃなかろうか。裁判官だって3人でやっているんだし?
>YUNYUNさん
日本の裁判官はキャリアシステムが主で、均質な人材が集まっているから、とっぴな判断は出にくいのです。
とっぴな判断をした裁判官は閑職に回されやすいという話を聞いたことがあります。また、法的安定性を何よりも重視しているし、裁判官が違ったとしても同じ結論がでるように努めているという話も聞いたことがありますね
裁判をして互いの主張と証拠を交換し合っているうちに、材料が共通してくるので、原告代理人と被告代理人と裁判官の三者で、落としどころの共通認識ができて、和解に至るというケースは多いです。
逆に言えば、材料が最初から全て明らかになっていれば、そもそも訴訟にならないか、なったとしても裁判が短期で和解すると言うことになるのでしょうか。
>いのげさん >僻地外科医さん
傷口に消毒を施すというのは、医師の間では根拠がないものになっていたのですか。これは失礼しました。ちなみに、何のための問題提起かというと、社会的なスタンダードの中には、一般社会から押しつけられる社会的スタンダードと、医師社会から押しつけられる社会的スタンダードというものがあるのではないかなと言う思いがあったからですが、的はずれもいいところでしたね。
1 風邪をひいたらとりあえず寝る。(ビールくらいは可) 2 傷口は水で洗ってハイ終わり。
が我が家ではスタンダードです。
No50:YUNYUNさん いつもお世話になっています
法曹の頭には、専門的見解を求めるに、そもそも同じ材料を与えれば同じ結論が出てしかるべきだという感覚がある
じゃあ、法廷戦術?みたいなものに関してはどうですか?? 依頼者の利益を最大化するための方策については100人の弁護士さんがいれば結構意見が分かれませんか?? 弁護の専門家である弁護士さんがたでどの方針が最良であるかについての意見は一致しますか??
>うらぶれ内科さん、YUNYUN さん
失礼しました。 仕事の片手間コメントではだめですね。
全くの素人考えですが、訴訟の多くは感情的対立で、それを可能な限り理性的に解決するのが弁護士さんのお仕事ではないかと思っています。仕事の本質が感情よりも理性を優先させることを要求するのであれば、言葉遣いや文章も自ずと品格や教養を感じさせる様になると思います。
一方医者は、浪花節的な情念先行型の人間が結構いい医者になったりします。理性的な医療が同業者からは評価されても患者さん受けが悪い場合もあります。手術が上手くいかないと周囲に当たり散らす医者は結構いますが、それでも「神の手」などと呼ばれることさえあります。
管理人さんのモチベーション低下は、一部の粗野なコメントにも原因がある様な気がしますが、医者は弁護士さんほど品格を保てない職業です。だからそれでいいと言うことは決してありませんが、そういうものだと言うのも事実でありまして、まあ何となくそんなことが言いたい気分です。
YUNYUNさん、モトケンさん
レスしてくださり、誠にありがとうございます。90-95%ですか。かなり微妙な数字ですね。 No.50の最後のところの
>鑑定医を何人も呼んで多数決を取らなければ、、、とのご意見には、何となく違和感があります。 せいぜい3人も聞けば、判断がぶれることはないのじゃなかろうか。裁判官だって3人でやっているんだし?
というところは違います。もともと鑑定すべき対象が大きな分散値を持っている場合には、(すなわちあらかじめさまざまな可能性が考えられ、意見が割れそうな場合には)N=3というのは十分なサンプル数とはなりません。また多数決で真偽を決定するというのも正しい方法ではありません。せいぜい重率が決まるだけです。ですから、その率で民事ならば金額を配分するというのが多分正しいやり方と思います。
----- No.47ではちょっと裁判官の意見の一致という意味があいまいですので、次のように問題を設定しなおします。
裁判を適当にサンプリングしたとして、それぞれを多数の裁判官が担当し、かつ裁判官の間の情報交換を禁止したとします。このとき、民事であれば算定された賠償額はどのような分布を取るのでしょうか。刑事であれば量刑はどのようの分布をとるのでしょうか。十分小さい分散になっているのでしょうか。
以下はたんなるつぶやきです。 こんな仮想空間の中での質問にこたえられっこないだろうな。しかし、これに近いようなことは多分考えられるはず。しかし司法は判断の正確さの検定をしないのはどういうことであろうか。自然科学ではありえない話だ。そもそも検定という発想がまったく欠落しているのか、それともやればとんでもない結果となるのを恐れているのか。ことは裁判の信頼度にかかわる問題で重要だろう。
> CID 39967 しまさん
不適切どころかあまりにも微妙なところをおっしゃるので 医師だと思ってましたです 医療と社会 二つのスタンダードについては 今月三回目の引用ですがここの二段落目に詳しいです
1.風邪に抗生物質を投与する
ウィルス疾患に対して抗生剤は無効 耐性喚起や副作用のデメリットだけがあるという 医学的コンセンサスがある一方で それを承知の上で二次感染予防目的の有用性を 主張する医者もいれば そんなことにおかまいなしに 抗生剤を欲しがるジジババ,健康雑誌あたりで 仕入れた知識で「風邪に抗生剤出す医者はヤブ」 と決め付ける若いお母さま方もいらっしゃる 医学的にも少数意見が特に日本では根強く存在してます
2.傷口に消毒を行う
ちょっと前までは医学でも社会でもスタンダードだった 消毒剤の有害性については夏目睦先生が活動されて この10年ほどでおおいに認識が変化しつつありますが 医学文献として臨床効果の証拠となる論文は 技術的困難性などのため存在しません 形成外科医や皮膚科医でも褥瘡にイソジンシュガーを 用いる人はなんぼでもまだまだいます 医学的スタンダードが変動しつつある概念です
3.低脊髄圧症候群にブラッドパッチを施す
10年ほど前まではほとんど知られてない概念でした 髄液漏れによる頭痛があり それに対するパッチが 有効な例は多々あるのは間違いないです 問題は診断・検査の精度がなんぼのものだったのか ぶっちゃけ 髄注シンチグラムで漏洩箇所を探す検査 この画像がもうロールシャッハかっちゅう位画像が荒いっす 頻度も今のところ高くないので信頼できる規模の臨床結果が まとまってない さらにいうと低髄圧症候群といっても要するに頭痛頚部痛ですから 外傷性頚部症候群(いわゆるムチウチ)という巨大な原因不明の 暗黒大陸の中に一筋の部分の目印がついてきたという現状だと わたくしは解釈しております. 社会的にはムチウチ=低髄圧という誤解がちょこちょこ存在してるようです
これら3つの疾患の治療方針に不満をお持ちの患者さんにおける 社会と医学のスタンダードのギャップに対して 民事訴訟をおこされちゃったら法律家はどのように対処されるんでしょう 医療水準はどこにあるんでしょう?
No.50 YUNYUN さん
>このように、法曹の頭には、専門的見解を求めるに、そもそも同じ材料を与えれば同じ結論が出てしかるべきだという感覚があるので、 鑑定医を何人も呼んで多数決を取らなければ、、、とのご意見には、何となく違和感があります
極力同じ結論がでるように定める学問が法学というものと理解しているのですがどんなものでしょうかね。 一方医学は人間の都合なんて関係のない世界です。
> 材料が最初から全て明らかになっていれば、そもそも訴訟にならないか、なったとしても裁判が短期で和解すると言うことになるのでしょうか。(No.51 しま様)
一般論としてはその通りです。 事件に対する共通認識(法解釈、事実認定)があることが、和解をする上での必要条件になります。 ただし、人間は理性やゼニカネだけでは割り切れないので、感情的な対立が深刻である場合は、和解は上手くいきません。 (医療訴訟は感情的にこじれているケースが多いと言われます。)
単純な事件では、法的な知識さえちょっとアドバイスしてやれば、当事者同士の話し合いで自主的に紛争解決ができ、訴訟に至らないということは、よくあります。 これが上手く機能した例が、阪神大震災のときでした。 震災による倒壊家屋が20万棟、借地借家関係がどうなるかといった法律問題が大量かつ一斉に発生したため、裁判所は関東大震災の経験に鑑みて、調停係を増員して備えました。しかし蓋を開けてみれば、裁判所の事件数は前年よりも減少したのです。 なぜかというと、みな弁護士会等の法律相談に行って、こう解決すべきだという指針を得て、自主的に紛争解決したからです。その代わり、法律相談のほうは膨大で、1年間で10万件とも言われました。 家主と借家人とがそれぞれに相談に行って、同じ話を聞いてくるので、共通認識に立って話し合いができたのです。また、そのころは、お互いに被災して大変だから、無茶な要求はしないで折り合おうという機運もありました。
------ > 法廷戦術?みたいなものに関してはどうですか?? > どの方針が最良であるかについての意見は一致しますか??(No.54 立木 志摩夫さま)
こういう種類の事件はおおむねこういう手順で処理する、この条文の適用を求めるためにこの要件事実を主張しなければならないという標準的なやり方は想定されますが、 では具体的に準備書面にどんな文言で書くか、証拠はどう出すか、尋問でどんな訊き方をするかとなると、裁量の幅は広いです。 依頼者の好みや、弁護士自身の得手不得手があり、相手がどう反応するか、裁判官がどのように介入するかといった不確定要素も大きいため、 この時にこういう活動をするべきだということが、一義的に定まる場合はむしろ少なく、 後から振り返ってみてさえも(レトロスペクティブ)、弁護士の個々の訴訟行為の善し悪しを客観的に評価することは容易ではありません。
そもそも大枠の戦術選択にしてからが、 あの時、和解せず判決をもらっていれば勝訴してもっとお金が取れたはずだとか、敗訴するくらいなら少ない金額でも和解に応じておけばよかったとか、後知恵で文句を言う人はいますが、 訴訟は大きな流れのようなもの、天地人揃ってその時はそういう結末を迎えたということなので、もう一度やり直したら、思い通りの結果が出せるという保証はどこにもないのです。
そのことが、弁護過誤訴訟が成り立ちにくい理由の一つであると思われます。 現状で弁護過誤というと、時効を飛ばしたとか申立期間を失念していたというような、客観的に明白な過失に限られているのは、そのためです。
------ > 民事であれば算定された賠償額はどのような分布を取るのでしょうか。刑事であれば量刑はどのようの分布をとるのでしょうか。十分小さい分散になっているのでしょうか(No.57 うらぶれ内科さま)
「十分小さい」というのが、法曹の認識です。
特に、民事損害賠償訴訟における「人の命の値段」はトコトン客観化され、逸失利益(生涯賃金)から慰謝料に至るまで、標準額が公表されていますから。 どの弁護士に依頼しても、少なくとも訴状の金額計算の部分については、ほとんど同一の内容が書いてあるはずです。結果的に、証拠関係が同じなら、裁判官は同じような認容額を出すでしょう。 印象だけで客観的な資料はありませんが、原告の請求額が満額認めれるとした場合に、裁判官個性による認定の幅はせいぜい500万円くらいかと思います。 なお、念のために申しますが、 <賠償額>について類似の裁判例を探したいときは、患者の年齢性別職業をみるべきであって、病状経過は大きな要素ではありません。
刑事事件においては「量刑相場」というものがあり、こちらのほうこそ、裁判官によって大きく差が開いては不公平であり人権侵害ともなりますから、かなり収斂しています。 業務上過失致死罪の法定刑は懲役5年以下ですから、初犯で1年半から2年くらい(執行猶予付き)、裁判官の個性による量刑差は数ヶ月以内と思われます。
No.58 いのげ さんのコメントに人名の間違いがありましたので訂正します。
間違い)夏目睦先生 正しい)夏井睦先生
参考ホームページ http://www.wound-treatment.jp/
>いのげさん 私も時々、消毒をした医師に対して「患者に無用な苦痛を与えた」と理由で訴えたら、どのような判決になるのかなと思う時はあります。お互いに、何を根拠にして主張するのかなと思うわけです。
やぶ医者より下手くそな医者として「どて医者」という言葉を聞いた覚えがある。
その心は、藪はまだ向こう側が少しは見えるが、土手は全然見えない、ということだった。
つまり、医者には推察や洞察といった見通しが求められるが、その能力が乏しいまたは無い医者がいるということだと思う。
その意味で言えば、「やぶ法曹」、「土手法曹」もいる。
「やぶ経営者」、「土手経営者」なんて、掃いて捨てきれないほどいると思います。「やぶ政治家」、「土手政治家」といい勝負だったりして。
さらに下がいたとは
ハンドルを間違えたかも・・・
そろそろ煮詰まってきたかな、と思っていたら、
これまで続けてきてよかったな、と思うコメントが増えてきたような気もして
企画をひとつ思いついた。
あとでお披露目(^^)
魔夜峰央氏が「パタリロ!」江戸時代版の中で
「土手より酷いヒモ医者」というのを書かれていましたね。
その心は 「ものがヒモなだけにかかったら命に係わる」(^^;
「パタリロ!」、「ガステレビ」とかのねた、懐かしいなぁ・・・
前から疑問に思っていることがある。
でも、誰に訊いて良いのか判らないし、不謹慎だと叱られる恐れもある。
せっかくこのようなエントリが出来たのだから、ここでつぶやいてしまおう。
電車の中や飛行機の通路で勝手に転んで怪我をしても、JRやJALが責任を問われたりするんだろうか。電車の中や飛行機の通路でインフルエンザに感染しても、JRやJALが責任を問われたりするんだろうか。
病院だと、院内での転倒事故は病院の責任を問われる。病院だと、院内感染があれば病院の責任を問われる。確かに弱者を抱える病院の責任は重いとは思う。だったら金をかけて、抜本的な対策が可能なシステムにして欲しい。
病室は全て個室、患者1人にいつでも看護師か介護士が付き、スタッフが病気になれば休めるだけの補充要員を確保しておく。このような体制なら、転倒転落事故も院内感染も大幅に減少することだろう。
薮医者で検索してみたら…
単なる独り言ですが、「トンデモ」という言葉を使用禁止にしたらいかがでしょう。
どうも、個々のコメンテーターが描く「トンデモ」の解釈がそれぞれ異なっているように見えるのです。
bambooさん
一般市民は病院をヴァルハラかガンダーラのように考えているのかもしれません。
だから、院内の出来事に対して神懸り的な責任を求めるのかも。
"そこにいけばどんな病も 治るというよ"(不謹慎失礼)
そのうち本当にガンダーラになってしまうかもしれませんが。
"どうしたら行けるのだろう 教えて欲しい"(不謹慎失礼)
高田馬場駅、福島(環)駅、大阪市営交通天王寺駅で視覚障害者転落事故が訴訟になっていますが、和解しているはず。
あと、阪神青木駅で特急列車が通過した際に乗客(幼児)が転倒した事故がありましたが、結果は忘れました。請求認容だった記憶があるのですが、ハッキリしません。
故 桂枝雀の落語に登場したヤブ医者シリーズ
タケノコ医者 … これからヤブにならんとする医者
雀医者 … これからヤブに飛んでいこうとする医者
こういう事を言うと双方から怒られるのでしょうが、医療界の方々はは性善説に基づいて人間を捉えているのに対し、法曹界の方々は性悪説に基づいて人間を捉えているようですね。例えば、弁護士の方々は「悪意を持つ弁護士もいるに違いないので、あらかじめ対処策を考えよう」としているように感じ取れます。
>モトケンさん
むしろ、ようやくスタート地点に立ったように思います。
> こういう事を言うと双方から怒られるのでしょうが、
> 法曹界の方々は性悪説に基づいて人間を捉えているようですね。(No.11 しま様)
法曹は怒りませんよ。性悪説が当然であって、そのことが悪いとは全然思っていないから。
人間の本性は、(道徳的に)弱いもの。
法の支配を求める理由は、取りも直さず、人の支配を信じていないからです。
「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する。」(ジョン・エメリック・アクトン)
それは、法曹が人間嫌いであるという意味ではありません。
心弱き者同士が、揉め事を起こさずに、この社会の中で何とか折り合って暮らしてゆける方法を見い出したいと願うのは、人間を愛すればこそではありませんか?
>No.11 しまさん
なるほどですね。仕事の内容がそうさせるのでしょうね。法曹の方、特に検察と弁護士の方の仕事は、原則として他人との戦いでしょう。医者の仕事はいわば天災との戦いであり、人を助ける戦いです。弁護士の方の仕事も人を助ける戦いでしょうが、その戦いに勝てば同時に敗者が生み出される戦いでしょう。医者の戦いは、成功すればそれを恨む人は原則としては存在しません。
なんかアタリマエのことを浅はかに書いているようで、つまらなかったらすみません。
とてもとても参加できないので、読んでばかりいますが
このところの議論が方向性を持ってきたようにも思えて楽しみです。
ポチっとだけはせっせとしております。
No.11 しま さん
『スタート地点』からのこれからを、わくわくどきどきしながら待っています。
よろしくお願いいたします。
周防監督が対談で、こんなことをいってました。
ttp://www.1101.com/suo/2007-02-14.html
元田舎医先生、寂しいからまた遊んでおくれよ〜(T_T)
全くオフトピになるのでこちらに書きます。
麻薬アンプル30本盗難、国立病院の医師を逮捕
単にこの医師個人の問題なのか、国立循環器病センターの勤務体制の問題なのか・・・
カーター君がはまったのもフェンタネストだったよなぁ・・・。
ただ、ちょっとだけ気持ちは分かります。私もひどい睡眠障害ありますんで・・・。
国循の麻酔科なら臨時手術・緊急手術の嵐でしょうから、睡眠障害になるのも
当然でしょう。
でも、自宅にいるときはいつ呼ばれるか分からないから眠剤使えない・・・。
(じゃあ、何故フェンタ使えるんだ?w)
No.11 しまさんのコメント
> 医療界の方々はは性善説に基づいて人間を捉えているのに対し、法曹界の方々は性悪説に基づいて
逆だと思ってました。
「運用でカバー」という言葉に対して、
法曹界の方は「適切な処理・望ましい処理」をイメージするのに対して、
医療界の方は「恣意的な処理・不完全な処理」をイメージする、みたいな感触が……
法曹の方は、普通の人間の判断力とか良識とかを、よいほうに見積もりすぎじゃないのかなぁ、と思ってます。
司法は制度自体が相矛盾する理念の上に構築されている。
司法は常に相矛盾する価値観のバランスを取ろうとしている。
バランスが取れた結論を保障するものではないが。
医者は最終的には負ける戦を戦っているんですね。
大体平均すると1学年100数十万人のうち8000人が医者になるとすると、平均して200人くらいの死を見取ることになりますかね。
医療側が勝訴した判例の判決文も読んでみたいので、紹介していただけますと幸いです。
>通行人A様
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0010?action_id=first&hanreiSrchKbn=01
こちらのページで適当に裁判署名、期間を入れ、
「損害賠償」で検索するとかなりの数の医療関係訴訟にヒットします(東京地裁がお薦め)。
当然原告敗訴も多いですし、中には首をかしげるようなものもあります。
上の性善説、性悪説を見ていて、医療と社会制度についてちょっと思ったこと。
アメリカ型医療というのは、これは文句なく資本主義制度に基づく医療だと思います。
これに対し国民皆保険制度というのは本来社会主義制度に基づく医療です。で、イギリス型の資本主義、社会主義折衷型国民皆保険制度と異なり(最低限の医療(NHS)を保証し、それ以上のアメニティ部分に関してはプライベートホスピタル受診とする)、日本型国民皆保険制度は完全な社会主義的医療だと思います。
国民皆保険制度においては(現実はどうであるかはともかく)、すべての医療機関に於いて提供される医療の質は同等であるという前提条件がつきます。その前提条件があるから大学病院であろうと、田舎の中小病院であろうと支払われる医療費が同じなわけです。この場合、受益者たる患者サイドには本来医療機関選択の自由がないのが当然です。というか、どの病院を受診しても同じだから、自由があってもなくても同じなわけですね(現実的にはあり得ないことなのですが)。
日本は社会制度としては自由主義・資本主義を取っていますから、患者サイドは自由に医療機関を選択できますが、それでも何とかこの制度が維持できたのは、これは受益者性善説に乗っ取って、「常識的に風邪ぐらいで大学病院にかからないだろう、近くの病院・医院を受診するだろう」という発想が根底にあるわけです。
これを歪めたのが、交通機関(特に自家用車)の発達、コンビニエンスストアの出現、近年の病院ランキング本だと思います。自家用車がほぼ存在しなかった昭和23年頃には夜具合が悪いから、と言う状況でも近くの病院医院を受診するしかなかったわけです。そこで夜間・休日、地域のどこにも医者がいなければ困るということで「医師法第19条:医師の応召義務」が生まれたのだと思います。一つの病院・医院のカバーする患者数は当時、決して多いものではなかったはずですから、休日夜間に呼ばれることはそう滅多にあることじゃなく、だからこそ対応できたのでしょう。
病院ランキング本に至っては論外で、これは国民皆保険制度になじまない物件です。つまり、どの病院・医院でも同質の医療を受けれるという前提条件をたたき壊すものなのですから。
医師法成立から60年、国民皆保険制度から50年。現在の医療崩壊問題は制度疲労によるものなのでしょうね。患者も医療者も資本主義に目覚めてしまったわけですから。
ちょっと思案の練りコミが足りませんが、思いつきレベルで語ってみました。
やっぱ小中学校での教育も大事なのかも。
● 人生には誰が悪いわけでもない理不尽な不幸というものが存在すること。
● やってしまったら取り返しのつかないことが存在すること。
この二つかなぁ。
そこを押さえた上で、人は必ず死に、医療は不確実で最終的には負け戦であることをどっかで教えておかねばなと。
★★
町の最安値の定食屋と同じ値段で、最高級三ツ星レストランで好きなだけ食事が出来る。ちょっと気に食わなかったり、たくさん使われる食材や調理法を余すことなくコックが説明し、その内容も記載しておかなければならない。ソムリエの説明じゃダメ。調理場の裏でお客様がきづかないようなちょっとした不手際があっても、何百万も賠償しなければならない。
閉店後に腹をすかせた客がやってきたら、万全の体制で客の望む料理を速やかに作らなければならない。金を払わない客にも何時でも提供しなければならない。
国の指導で、最安値の値段をさらに安くしろといわれている。マスコミも国民も、市場原理を取り入れれば安くなるはずだと固く信じている.
★★
こんな状況ですからね、日本の医療は。
市場原理で再構築すべきなんでしょう。患者が資本主義での対応を望んでいるわけですから。
日本国民は、勝ち取った民主主義ではないので、有権者としての義務を果たさず文句だけいっています。何もしないで無条件にお上から与えられるものだと勘違いしています。義務と権利が表裏一体であると自身の命をもって実感するまで、この国民性は治らないでしょう。
いつも心温まる内容の「産婦人科残酷物語 �」というブログに、こんな記載がありました。内容はごらんいただければわかりますが↓、現場は大混乱ですね。
http://ameblo.jp/sanfujinka/entry-10025994855.html
福島事件以前と以降では、現場の雰囲気が変わった様子がわかります。これは、私の実感とも一致するところでして、いったいどうすればよいのかと、ため息の毎日です(少し大げさですが)。
実際に司法解剖になったのか、もしそうであれば鑑定処分許可状の容疑や被疑者の記載はどうなっていたのかとか、いろいろ考えるところではあります。
他人の心配ばかりしている余裕はないのですがね。
民事の裁判所の判断は8割がた正しいのだそうな。
しかしちょっと待てよ、これは推定危険率0.2で判断しているということなのかな。
自然科学や統計学をちょっとかじったものなら、これがいかに不合理であるか実感できると思う。通常医学では確実にものをいうにはP<0.05であり、これとて他の自然科学から見たら、大甘のはず。
P=0.2ということは、判例を2つか3つ踏襲すれば、容易に風が吹けば桶屋が儲かる議論になりさがる。トンデモ判決も許容範囲ということなのかな。
管理人さま、このエントリありがとうございます。普段ROM専の者です。
これまでは医療崩壊と言えば、マスメディアや司法がその原因かなと思っていましたが、最近は、国民全体の医療へのスタンスの問題なのかなと思っています。
今、少しインフルエンザが流行ってきましたので、病棟への不要不急の面会はお断りしているのですが、何度説明しても子どもさんを病棟へ連れて来る家族が多くいます。実は2年前も、面会の方から病棟内でインフルエンザが流行し、対応に難渋した事があるので、ナーバスになっているのですが、全然無視ですね。もしも、病棟内でインフルエンザが流行れば、誰も責任はとってくれないし、高齢者の多い病棟では最悪、死人もでますが、本当に自分勝手な人が増えて、つらいです。
トンデモ判決がトンデモ国民を助長するのか、トンデモ国民がトンデモ判決を誘発するのか、最近は後者だと思えるのです。独り言失礼しました。
>最近は、国民全体の医療へのスタンスの問題
私もそう思います。 物心ついたときはすでに国民皆保険の元、医療の恩恵にあずかってきた人たちが、国民の大勢をしめるようになってきた。よって、その国民皆保険のおかげで、医療が当たり前になりすぎて、医療のありがたさを国民が忘れていったのでしょう
「孝行したい時には親はなし」の境地か・・・・・・
「医療に感謝したいときには医療はなし」 となろうとしているのが、今の問題。
みんなあっっ!! 気が付いてくれえ・・・
私の心のつぶやきではなく心の叫びでした。
> 民事の裁判所の判断は8割がた正しいのだそうな(No.27 うらぶれ内科さま)
その数値のソースは?
上訴が棄却され第一審判決が維持される件数、なんてのはナシですよ。
民事訴訟は弁論主義を採りますから、当事者が主張・立証して裁判所に顕出した資料のみに基づいて判決がなされ、裁判上の真実は、歴史的真実とは必ずしも一致しません。
また、事実に関する主張・証拠の提出は、事実審(高等裁判所以下の裁判所)の口頭弁論終結時まで、とされますから、
控訴審で新たな証拠を出したために判決が覆ったという場合は、第一審の判断が誤っていたことにはなりません。
従って、「裁判が正しかったかどうか」は、各審級における口頭弁論終結時に裁判所の手にあった訴訟資料を再検討して、それを基に裁判所としては本来いかなる判決をなすべきであったかという観点からしか、評価のしようがありません。
そのような精密な検証作業を、統計的数値がとれるほどの規模で行った研究があるのでしょうか?
私としては、その言葉の「8割」という数値自体にさしたる意味はなく、
・裁判官も完全無欠ではなく、時には間違うことがある
という趣旨ではないかと思います。
No.22 僻地外科医さん、ありがとうございました。
さっそくいくつかみてみたのですが、医療側勝訴例を含めて眺めてみると訴訟の理由はなんでもありといった状況であることが分かりました。想像以上でした。どこにも安全地帯はないことを改めて認識しました。
司法不信司法不信って言うけれど、それって何か、問題が起きるんでしょうかしら。
医療不信は訴訟増加、弁護不信もどうやら同様。
じゃあ、司法不信は裁判官への訴訟が増えるのかしら……?
>jackさん
防衛医療とかJBM(Judgement-Based Medicine)が蔓延するでしょう
とゆーかもう 標準化してますがな
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2487dir/n2487_02.htm
>いのげ様
いえ、それで、「司法」そのものは別に困らないよなーという意図でした。
医療不信は「医療」そのものが困るのに、と、ふと思っただけです(^^;)
軽く問題提起してみます
以下の事例は科学的スタンダードなのか、社会的スタンダードなのか
1.風邪に抗生物質を投与する
2.傷口に消毒を行う
3.低脊髄圧症候群にブラッドパッチを施す
>35
社会からの影響もありますが 3つとも
科学としても合意形成には至っていないケース
だと思います
こんとろばーさる
>しま様
3は専門外なので知りません。
1,2は科学的には無意味な行為だと思います。社会的にもすでにスタンダードとも言えない状況になっています。
No.30 YUNYUN さん
ソースは医療崩壊を考え、語り合うエントリー(その11)のNo.125 地方弁護士さんのコメントです。でもよく見ると「あえて数字で示せば」とおっしゃってますね。でもこれが法曹家の実感なのだろうと思いますよ。YUNYUNさんはどの程度の感触をお持ちですか。私は多数の法曹家の実感の平均値を採用したいと思います。
>私としては、その言葉の「8割」という数値自体にさしたる意味はなく、
・裁判官も完全無欠ではなく、時には間違うことがある
という趣旨ではないかと思います。
これはもっと問題であろうと思います。被告側は負ければ国家権力を発動され、財産を没収されてしまうのですから。同じ負けでもP=0.05とP=0.2ではまるで理不尽さを感ずる程度が異なるということです。
結局、裁判の結果の真偽判定なんてできないということならば、後は大数の法則に従うことしかないはずですが、どうも法曹家は失礼ながらこの辺の視点が欠落しているように思えて仕方がないのです。同じ法律で同じ事件を裁いても裁判官によって結論が違うなどとは到底受け入れがたい話で、せめて95%の裁判官は同じ結論になる、というくらいの推論はしてほしいと感ずるわけです。
No.26 某救急医さん
「産婦人科残酷物語 �」 読みました。
http://ameblo.jp/sanfujinka/entry-10025994855.html
涙が出てきました。
コメントでどなたか、
とのことです。日経メディカル2007年2月号P.131-133
「異状死基準で注目の判断」 田邊昇 が紹介されていました。
>No.38 うらぶれ内科さん
>ソースは医療崩壊を考え、語り合うエントリー(その11)のNo.125 地方弁護士さんのコメントです。でもよく見ると「あえて数字で示せば」とおっしゃってますね。でもこれが法曹家の実感なのだろうと思いますよ。YUNYUNさんはどの程度の感触をお持ちですか。私は多数の法曹家の実感の平均値を採用したいと思います。
ずれた話しとなるかもしれませんが、おそらく、突き詰めていくと「民事の裁判所の判断は8割がた正しい」と、弁護士が使う場合、普通の人とは違った意味で使っているのではないかと思います。
つまり、弁護士は、真実はなにかはわかりません。基本的には当事者の言う事実を主張します。で、判決であれば、おおざっぱに言えば、どちらかが勝ち、どちらかが負けです。
では、ここで例えば8割という数字が出てくるのはなぜかというと、それは、弁護士は常に、当事者の側からだけではなく、法廷に出された証拠を(当事者の立場からだけでなく)裁判官の立場でも見ています。したがって、訴訟の最終段階であれば、自分なりに事実認定しています。で、8割という数字は、自分の認定と裁判官の認定が一致する確率を言っているのではないかと思いますが、他の弁護士の皆様、どうでしょうか。
No.40 L.A.LAW さん
真偽がわからない以上、各個人がいかにして数字を出したかをと打てもあまり意味がありません。back-ground noiseにすぎないと思います。
私は多数の法曹家に、誤判率をどのくらいと考えるかアンケートをとったら面白いと思います。ちゃんと正規分布していると仮定して、P<0.05であるならば、私ならばどの裁判の結果にも無条件に服従するでしょう。P>0.2であるならば裁判はかぜがふけば桶屋が儲かる程度の推論に過ぎず、トンでも判決だと大騒ぎすることが多くなります。もし正規分布しないなら、これはもう何をかいわんや、裁判なんて信じません。
裁判所の誤判率について。
> 8割という数字は、自分の認定と裁判官の認定が一致する確率を言っているのではないか(No.40 L.A.LAW さま)
それだと、もっと低くて、7割くらいでは?
つまり、一般民事事件の原告勝訴率と同程度。
弁護士は依頼者から詳しく話を聞いていますから、弁護士の心証としては、依頼者のほうが正しいと信じるものの(自分の依頼者を贔屓したい気持ちが手伝っているかもしれません)、
裁判所を納得させるだけの証拠を用意できないケースは、往々にしてあります。
契約書のような紙に書いた証拠がなく、原告被告本人がそれぞれ法廷で証言して、どちらが信用できるかで決めるしかない場合など。
弁護士がどんなに自分の依頼者を信じても、裁判所を納得させるだけの確実な証拠を提出できなければ、裁判では敗訴しても仕方がありません。
そういうのは、「誤判」とは言いません。
裁判所がどういう判決を出すか、「勝てそうか、負けそうか、五分五分か」くらいのおおざっぱなは予測は、弁護士なら9割以上の確率で、できるでしょう。
証拠が弱い事件で、訴訟を提起してみたけれど、裁判官の心証もやっぱりはかばかしくなさそうなときは、判決を避けて和解による解決に持ち込んだりもします。
和解では「誤判」ということは生じません。
厳密な意味での誤判、すなわち「提出された証拠からみて、裁判所はそのような判決をすべきでなかった」という事件は、
私の印象では(あくまで印象に過ぎませんが)、0.01%以下と思っています。
自分の事件で言うと、ここ10年間で2件、弁護士として絶対に裁判所の判断がおかしいと思う判決を受けたことがありました。(刑事事件と行政事件であり、一般民事ではありません。)
No.42 YUNYUN さん
>私の印象では(あくまで印象に過ぎませんが)、0.01%以下と思っています
そうすると、上級審で判決が覆る率も0.01%以下ですか?
もちろん上級審が正しいといっているわけではありません。判決が異なった場合、どっちかが間違えているわけですから。
>No.41 うらぶれ内科さん
信じる信じないですむ話ならいいのですが、
裁判には強制力が伴います。
なお、私の裁判所の誤判率についての印象はYUNYUN さんと似たようなものです。
>No.43 うらぶれ内科さん
一審と二審の判断が異なる場合について、どっちかが間違えているだけとは限らないことはすでに説明があったと思いますが。
No.45 モトケンさん
なるほど一筋縄ではいかないですね。
もともと多次元にわたるアナログ的な話ですから、どう割り振るかという問題が生じますね。
連投恐縮です。
ここにきてどうも私の頭が混乱してきたようで。誤判率という言葉は使うべきではありませんでした。0.01%という数字はほとんどぶれがないはずですので。
問題を次のように考えます。
いま、ひとつの裁判に多数の裁判官が参加したとします。そして、各裁判官同士はお互いにやり取りを禁止したとします。このとき、裁判官の結論が大筋において一致する確立はどの程度なのでしょうか。法曹家の方はどの程度に推測されますか?
もし不一致率が0.01%以下ならば、判決にほとんどぶれはないことになり、裁判官を非難するのは筋違いでしょうね。裁判といっても、医療が確立の問題であるのと同様、結局は確率の問題ですから、われわれは黙ってその判断を受け入れるべきです。
>No.47 うらぶれ内科さん
司法には立証責任という概念があるんですよ。
真偽不明の場合に一方当事者が不利益に事実認定される負担という意味で、もう少しわかりやすくいうと、ある事実があるかないか不明な場合にはないと扱われてしまうということです。
しかし医療は違うでしょう。
がんがあるかないかわからないときに、ないとみなしていいというわけにはいかないでしょうから。
あると思って手術したなかったとなった場合でも、あるという判断が軽率だったらやはり責任を問われると思います。
No.48 モトケンさん
ちょっと趣旨が違うのではないかと思います。裁判の過程でなく、裁判官の判断の信頼性を問題にしているのです。
> 裁判官の結論が大筋において一致する確立はどの程度なのでしょうか(No.47 うらぶれ内科さま)
モトケンさま、誤解と思います。
うらぶれ内科さまのご質問は、
・全く同じ訴訟資料(主張&証拠)を与えて審理判断させると仮定して、裁判官100人のうち、どれくらいの割合で意見が一致するか
つまり、個々の裁判官による法解釈や事実認定の自由度(自由心証の幅)を知りたいという意味だと思います。
私が「弁護士は判決の方向性を9割以上の確率で予想できる」と言ったのは(No.42)、担当裁判官が誰になるかにかかわらず、という意味です。つまり、裁判官の個性による差異はあまりないという前提で、考えているのです。
私が思うに、裁判官の意見が一致する割合は90%、いや95%と言ってよいかもしれません。
日本の裁判官はキャリアシステムが主で、均質な人材が集まっているから、とっぴな判断は出にくいのです。
もちろん、事件の内容によって、振れ幅が大きい(意見が分散する)問題と、小さい(誰が見ても同じ判断をする)問題とがあります。
法解釈の面では、法令の文言の解釈の余地が広いか狭いかや、法解釈を示した判例が存在するか否か。事実認定の面では、証拠ががっちり固まっているか、薄い証拠しかないのか、といったことに関係します。
ちなみに、模擬裁判に使われる事案は、意見が分かれたほうが観客がおもしろいので、わざと証拠を曖昧にして、迷わすように作ってあります。
誰もが同じ判断を出すような明々白々な事件であれば、裁判するまでもなく、双方とも結果が読めるので、マトモな相手となら話し合いで解決できます。
しかし、実際の事件では、特に証拠がどの程度揃えられるかにより、裁判結果が完全には予測できないため、裁判所の判断を仰いでみようということになるのです。
また、控訴審の意義については、裁判官の目を代えて見直すというだけではあまり変化は期待できませんが、新たな主張・証拠を追加して一審では弱かったところを補強することによって、判断を覆そうとする動機が大きいと思います。
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付け加えると、裁判官だけでなく、弁護士に対して法的意見を求めても、回答が大きく違うということはあまりないと思います。
どこが問題点で、こういう証拠なら強いとか弱いとかは、誰でも解る。
それで実際に裁判に勝てるかどうかという判断になると、果敢にチャレンジしようと言う弁護士と、慎重に和解狙いで行く弁護士とがいて、事件解決に向かう芸風は異なります。
同一事件について、原告と被告とで見解が対立する最大の理由は、見ている材料が違うということにあります。
弁護士は基本的に、自分の依頼者の目を通してしか、事件を見ることができないので、自信たっぷりの依頼者を信じて裁判に訴えてみたら、相手方から予想外の反論や証拠をドバーと出されて慌てるということも無きにしもあらず。その意味では一番信頼できないのは、自分の依頼者だということになるかもしれません。
裁判をして互いの主張と証拠を交換し合っているうちに、材料が共通してくるので、原告代理人と被告代理人と裁判官の三者で、落としどころの共通認識ができて、和解に至るというケースは多いです。
このように、法曹の頭には、専門的見解を求めるに、そもそも同じ材料を与えれば同じ結論が出てしかるべきだという感覚があるので、
鑑定医を何人も呼んで多数決を取らなければ、、、とのご意見には、何となく違和感があります。
せいぜい3人も聞けば、判断がぶれることはないのじゃなかろうか。裁判官だって3人でやっているんだし?
>YUNYUNさん
とっぴな判断をした裁判官は閑職に回されやすいという話を聞いたことがあります。また、法的安定性を何よりも重視しているし、裁判官が違ったとしても同じ結論がでるように努めているという話も聞いたことがありますね
逆に言えば、材料が最初から全て明らかになっていれば、そもそも訴訟にならないか、なったとしても裁判が短期で和解すると言うことになるのでしょうか。
>いのげさん
>僻地外科医さん
傷口に消毒を施すというのは、医師の間では根拠がないものになっていたのですか。これは失礼しました。ちなみに、何のための問題提起かというと、社会的なスタンダードの中には、一般社会から押しつけられる社会的スタンダードと、医師社会から押しつけられる社会的スタンダードというものがあるのではないかなと言う思いがあったからですが、的はずれもいいところでしたね。
1 風邪をひいたらとりあえず寝る。(ビールくらいは可)
2 傷口は水で洗ってハイ終わり。
が我が家ではスタンダードです。
No50:YUNYUNさん いつもお世話になっています
じゃあ、法廷戦術?みたいなものに関してはどうですか??
依頼者の利益を最大化するための方策については100人の弁護士さんがいれば結構意見が分かれませんか??
弁護の専門家である弁護士さんがたでどの方針が最良であるかについての意見は一致しますか??
>うらぶれ内科さん、YUNYUN さん
失礼しました。
仕事の片手間コメントではだめですね。
全くの素人考えですが、訴訟の多くは感情的対立で、それを可能な限り理性的に解決するのが弁護士さんのお仕事ではないかと思っています。仕事の本質が感情よりも理性を優先させることを要求するのであれば、言葉遣いや文章も自ずと品格や教養を感じさせる様になると思います。
一方医者は、浪花節的な情念先行型の人間が結構いい医者になったりします。理性的な医療が同業者からは評価されても患者さん受けが悪い場合もあります。手術が上手くいかないと周囲に当たり散らす医者は結構いますが、それでも「神の手」などと呼ばれることさえあります。
管理人さんのモチベーション低下は、一部の粗野なコメントにも原因がある様な気がしますが、医者は弁護士さんほど品格を保てない職業です。だからそれでいいと言うことは決してありませんが、そういうものだと言うのも事実でありまして、まあ何となくそんなことが言いたい気分です。
YUNYUNさん、モトケンさん
レスしてくださり、誠にありがとうございます。90-95%ですか。かなり微妙な数字ですね。
No.50の最後のところの
>鑑定医を何人も呼んで多数決を取らなければ、、、とのご意見には、何となく違和感があります。
せいぜい3人も聞けば、判断がぶれることはないのじゃなかろうか。裁判官だって3人でやっているんだし?
というところは違います。もともと鑑定すべき対象が大きな分散値を持っている場合には、(すなわちあらかじめさまざまな可能性が考えられ、意見が割れそうな場合には)N=3というのは十分なサンプル数とはなりません。また多数決で真偽を決定するというのも正しい方法ではありません。せいぜい重率が決まるだけです。ですから、その率で民事ならば金額を配分するというのが多分正しいやり方と思います。
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No.47ではちょっと裁判官の意見の一致という意味があいまいですので、次のように問題を設定しなおします。
裁判を適当にサンプリングしたとして、それぞれを多数の裁判官が担当し、かつ裁判官の間の情報交換を禁止したとします。このとき、民事であれば算定された賠償額はどのような分布を取るのでしょうか。刑事であれば量刑はどのようの分布をとるのでしょうか。十分小さい分散になっているのでしょうか。
以下はたんなるつぶやきです。
こんな仮想空間の中での質問にこたえられっこないだろうな。しかし、これに近いようなことは多分考えられるはず。しかし司法は判断の正確さの検定をしないのはどういうことであろうか。自然科学ではありえない話だ。そもそも検定という発想がまったく欠落しているのか、それともやればとんでもない結果となるのを恐れているのか。ことは裁判の信頼度にかかわる問題で重要だろう。
> CID 39967 しまさん
不適切どころかあまりにも微妙なところをおっしゃるので
医師だと思ってましたです
医療と社会 二つのスタンダードについては
今月三回目の引用ですがここの二段落目に詳しいです
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2487dir/n2487_02.htm
1.風邪に抗生物質を投与する
ウィルス疾患に対して抗生剤は無効
耐性喚起や副作用のデメリットだけがあるという
医学的コンセンサスがある一方で
それを承知の上で二次感染予防目的の有用性を
主張する医者もいれば そんなことにおかまいなしに
抗生剤を欲しがるジジババ,健康雑誌あたりで
仕入れた知識で「風邪に抗生剤出す医者はヤブ」
と決め付ける若いお母さま方もいらっしゃる
医学的にも少数意見が特に日本では根強く存在してます
2.傷口に消毒を行う
ちょっと前までは医学でも社会でもスタンダードだった
消毒剤の有害性については夏目睦先生が活動されて
この10年ほどでおおいに認識が変化しつつありますが
医学文献として臨床効果の証拠となる論文は
技術的困難性などのため存在しません
形成外科医や皮膚科医でも褥瘡にイソジンシュガーを
用いる人はなんぼでもまだまだいます
医学的スタンダードが変動しつつある概念です
3.低脊髄圧症候群にブラッドパッチを施す
10年ほど前まではほとんど知られてない概念でした
髄液漏れによる頭痛があり それに対するパッチが
有効な例は多々あるのは間違いないです
問題は診断・検査の精度がなんぼのものだったのか
ぶっちゃけ 髄注シンチグラムで漏洩箇所を探す検査
この画像がもうロールシャッハかっちゅう位画像が荒いっす
頻度も今のところ高くないので信頼できる規模の臨床結果が
まとまってない
さらにいうと低髄圧症候群といっても要するに頭痛頚部痛ですから
外傷性頚部症候群(いわゆるムチウチ)という巨大な原因不明の
暗黒大陸の中に一筋の部分の目印がついてきたという現状だと
わたくしは解釈しております.
社会的にはムチウチ=低髄圧という誤解がちょこちょこ存在してるようです
これら3つの疾患の治療方針に不満をお持ちの患者さんにおける
社会と医学のスタンダードのギャップに対して
民事訴訟をおこされちゃったら法律家はどのように対処されるんでしょう
医療水準はどこにあるんでしょう?
No.50 YUNYUN さん
>このように、法曹の頭には、専門的見解を求めるに、そもそも同じ材料を与えれば同じ結論が出てしかるべきだという感覚があるので、
鑑定医を何人も呼んで多数決を取らなければ、、、とのご意見には、何となく違和感があります
極力同じ結論がでるように定める学問が法学というものと理解しているのですがどんなものでしょうかね。
一方医学は人間の都合なんて関係のない世界です。
> 材料が最初から全て明らかになっていれば、そもそも訴訟にならないか、なったとしても裁判が短期で和解すると言うことになるのでしょうか。(No.51 しま様)
一般論としてはその通りです。
事件に対する共通認識(法解釈、事実認定)があることが、和解をする上での必要条件になります。
ただし、人間は理性やゼニカネだけでは割り切れないので、感情的な対立が深刻である場合は、和解は上手くいきません。
(医療訴訟は感情的にこじれているケースが多いと言われます。)
単純な事件では、法的な知識さえちょっとアドバイスしてやれば、当事者同士の話し合いで自主的に紛争解決ができ、訴訟に至らないということは、よくあります。
これが上手く機能した例が、阪神大震災のときでした。
震災による倒壊家屋が20万棟、借地借家関係がどうなるかといった法律問題が大量かつ一斉に発生したため、裁判所は関東大震災の経験に鑑みて、調停係を増員して備えました。しかし蓋を開けてみれば、裁判所の事件数は前年よりも減少したのです。
なぜかというと、みな弁護士会等の法律相談に行って、こう解決すべきだという指針を得て、自主的に紛争解決したからです。その代わり、法律相談のほうは膨大で、1年間で10万件とも言われました。
家主と借家人とがそれぞれに相談に行って、同じ話を聞いてくるので、共通認識に立って話し合いができたのです。また、そのころは、お互いに被災して大変だから、無茶な要求はしないで折り合おうという機運もありました。
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> 法廷戦術?みたいなものに関してはどうですか??
> どの方針が最良であるかについての意見は一致しますか??(No.54 立木 志摩夫さま)
こういう種類の事件はおおむねこういう手順で処理する、この条文の適用を求めるためにこの要件事実を主張しなければならないという標準的なやり方は想定されますが、
では具体的に準備書面にどんな文言で書くか、証拠はどう出すか、尋問でどんな訊き方をするかとなると、裁量の幅は広いです。
依頼者の好みや、弁護士自身の得手不得手があり、相手がどう反応するか、裁判官がどのように介入するかといった不確定要素も大きいため、
この時にこういう活動をするべきだということが、一義的に定まる場合はむしろ少なく、
後から振り返ってみてさえも(レトロスペクティブ)、弁護士の個々の訴訟行為の善し悪しを客観的に評価することは容易ではありません。
そもそも大枠の戦術選択にしてからが、
あの時、和解せず判決をもらっていれば勝訴してもっとお金が取れたはずだとか、敗訴するくらいなら少ない金額でも和解に応じておけばよかったとか、後知恵で文句を言う人はいますが、
訴訟は大きな流れのようなもの、天地人揃ってその時はそういう結末を迎えたということなので、もう一度やり直したら、思い通りの結果が出せるという保証はどこにもないのです。
そのことが、弁護過誤訴訟が成り立ちにくい理由の一つであると思われます。
現状で弁護過誤というと、時効を飛ばしたとか申立期間を失念していたというような、客観的に明白な過失に限られているのは、そのためです。
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> 民事であれば算定された賠償額はどのような分布を取るのでしょうか。刑事であれば量刑はどのようの分布をとるのでしょうか。十分小さい分散になっているのでしょうか(No.57 うらぶれ内科さま)
「十分小さい」というのが、法曹の認識です。
特に、民事損害賠償訴訟における「人の命の値段」はトコトン客観化され、逸失利益(生涯賃金)から慰謝料に至るまで、標準額が公表されていますから。
どの弁護士に依頼しても、少なくとも訴状の金額計算の部分については、ほとんど同一の内容が書いてあるはずです。結果的に、証拠関係が同じなら、裁判官は同じような認容額を出すでしょう。
印象だけで客観的な資料はありませんが、原告の請求額が満額認めれるとした場合に、裁判官個性による認定の幅はせいぜい500万円くらいかと思います。
なお、念のために申しますが、
<賠償額>について類似の裁判例を探したいときは、患者の年齢性別職業をみるべきであって、病状経過は大きな要素ではありません。
刑事事件においては「量刑相場」というものがあり、こちらのほうこそ、裁判官によって大きく差が開いては不公平であり人権侵害ともなりますから、かなり収斂しています。
業務上過失致死罪の法定刑は懲役5年以下ですから、初犯で1年半から2年くらい(執行猶予付き)、裁判官の個性による量刑差は数ヶ月以内と思われます。
No.58 いのげ さんのコメントに人名の間違いがありましたので訂正します。
間違い)夏目睦先生
正しい)夏井睦先生
参考ホームページ
http://www.wound-treatment.jp/
>いのげさん
私も時々、消毒をした医師に対して「患者に無用な苦痛を与えた」と理由で訴えたら、どのような判決になるのかなと思う時はあります。お互いに、何を根拠にして主張するのかなと思うわけです。