エントリ

医療崩壊について考え、語るエントリ(その11)を更新します。

 その11の最終コメントはNo.284 L.A.LAW さんのコメント です。

 以下にL.A.LAW さんのコメントを転記します。

No.282 会計士X さん

 続けてですが、自分で読んでいて前のコメントは、たぶんわからないだろうなと思いましたので、もう少しまとめてみます。

 法律的には、損害賠償請求は、責任論の問題と、損害論の問題に分かれます。

 責任論というのは、責任が存在するかどうかという議論で、過失・因果関係・損害(金額ではなく、損害があるかどうかの問題)の存否の問題です。

 損害論は、責任論で責任があるとして、いくらの損害があるかの問題です。

 損害論のいくらの損害があるかの議論には、故意か、重過失か、経過失かという過失の態様は原則としては影響しません。例外的に影響するのは、慰謝料(精神的損害)と過失相殺の議論ですが、前記のとおり、医療事件では、過失相殺の問題がほとんどでないため、慰謝料の問題だけといってもいいと思います。

 なお、期待権の損害賠償という場合も、その性質は、慰謝料というのが、ほぼ通説的見解だと思います。

 また、この損害論については、交通事故の判例等により、どういう場合にいくらということが細かく、決まっています(慰謝料のほとんどの場合についても)。

 したがって、被害者の収入・年齢等が同一の場合、責任論で、責任があるとなってしまえば、後は、どの裁判官でも、損害賠償請求の金額は、ほとんど差がないことになります。

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コメント(297)

地方の弁護士さん、しまさん、もしくは非医療者の皆様の意見を伺いたいのです。

平成7年6月9日最高裁判例全文からの引用を下に挙げます。

ある疾病について新規の治療法が開発され、それが各種の医療機関に浸透するまでの過程は、おおむね次のような段階をたどるのが一般である。すなわち、まず、当該疾病の専門的研究者の理論的考案ないし試行錯誤の中から新規の治療法の仮説ともいうべきものが生まれ、その裏付けの理論的研究や動物実験等を経た上で臨床実験がされ、他の研究者による追試、比較対照実験等による有効性(治療効果)と安全性(副作用等)の確認などが行われ、この間、その成果が各種の文献に発表され、学会や研究会での議論を経てその有効性と安全性が是認され、教育や研修を通じて、右治療法が各種の医療機関に知見(情報)として又は実施のための技術・設備等を伴うものとして普及していく。

「新規の治療法の有効性と安全性が是認された知見」が得られるのは、以下のどの時期にあたると判断されるのでしょうか?

a) 当該疾病の専門的研究者の理論的考案ないし試行錯誤の中から新規の治療法の仮説ともいうべきものが生まれた時
b) 裏付けの理論的研究や動物実験等を経た上で臨床実験がされた時
c) 他の研究者による追試、比較対照実験等による有効性(治療効果)と安全性(副作用等)の確認などが行われた時
d) c)の成果が各種の文献に発表された時
e) d)で発表されたデータを基に、学会や研究会での議論を経てその有効性と安全性が是認された時

「新規の治療法の有効性と安全性が是認された知見」という言葉の定義として、確認しておかないと議論が堂々巡りになると思いましたので、よろしくお願いいたします。

>オダさん
非医療者である私としては、a〜fの間のどの時期で医師が是認するべきかどうかは判断することができません。どの時点で是認するかどうかは、個々の医師の考え方、個々の医療機関の考え方で決定されるので、一概に言えるような問題ではないのかと思います。

ここまで言ったところで、議論がかみ合わない原因が一つあることに気が付きました。医師本人や医療機関が「有効性と安全性を是認していない新規の治療法」を患者に対して施すケースに関しては念頭に置いてませんでしたが、このような事は実際にあり得るのでしょうか。

勤務医 開業つれづれ日記
http://ameblo.jp/med/entry-10027348772.html

失言再び 柳沢「強制労働」大臣 
「医師の労働時間はたいしたことない発言」??

「たしかに病院に着いてから帰るまでの時間は長いかも知れないけど、
その中には待機してる時間や休憩時間、自分の研究をしてる時間も
含まれてるんだから、本当の勤務時間である『患者を診察してる時間』
だけを見たら、厚労省の調査では別にたいしたことはない」

どんな仕事にも事前準備や後処理はあるものですが、この人は
今までどんな仕事をしていたのでしょう。

将棋の二日制のタイトル戦を見た柳沢大臣 

「確かにタイトル戦が始まって終わるまでの時間は長いかも知れないけど、
その中には相手が指すまでの時間や自分の番になって指すまでの時間も
含まれているんだから、本当の仕事時間である『駒を動かす時間』
だけを見たら、厚労の調査では別にたいしたことはない」

他にも、色々といい例えがありそう。

> No.1 オダさん
私は何れでもなく、大部分の病院に浸透したときというのがしっくりくるような気がします。ただ、「大部分の」が何をさすのか、問題は尽きないですね。

No.2 しまさん

>一概に言えるような問題ではないのかと思います。

学会研究会の位置付けの問題がありますが(yama先生の意見はこの辺りだと思います)、医師にとってこれはe以外の答えはありません。

>有効性と安全性を是認していない新規の治療法

aも普通にやってます。
bの後の治療はさらに当たり前のようにやっています。
こんなことを書くと人体実験の嵐のように感じると思いますので説明すると、そこでおこなわれているのは元来の治療の延長にあるもの、患者に害になる怖れの少ないものということになります。網膜のレーザー治療のような侵襲の大きいものだと、eより後でおこなう場合が多いでしょう。

>しま様

 そもそもe)まで行ってあとで有効性が否定されているものがざらにあります。
1例を挙げれば傷の消毒がそうですし、私の領域では下肢静脈瘤の硬化療法がそうです。人体はまだあまりにもブラックボックスでありすぎるのです。

皆さんのおっしゃるとおりeまで行く途中では研究の方法論の違い、人種による違い(と言ったら差別用語になるかもしれませんが、医学的に人種が違えば遺伝子も違うので・・・)、年齢による違い、性別による違い、環境による違いなどいくらでも反論の余地は出てきますし、別人種で試験を行ったところ全く別の結果が出てきたなんてことだって結構あります。従って海外でのエビデンスをそのまま日本人に当てはめようとするのはそもそも無理があります。
こうした経緯からa−dまでの段階で物事を断定調に言い切るのはまず不可能ですから、それらを証拠として取り上げられるのはダメなわけです。
但し、eまで行ったところで田舎も含めた地域までに浸透するのも時間がかかるでしょうし、保険が対応するのはさらに先になることもあり、事実上それがスタンダードになるのには大変な時間と労力がかかります。
そうした意味で私は「大部分の病院に浸透したとき」と言いたかったのです。

身近なところでワーファリンの用量があります。文献では特に危険因子が無い限りINR 1.5-2.5の間が適当であり、さらに人工弁を入れていたりリスクが大きいときは2.5-3.0でコントロールすることだって結構あると思います。しかし、これを日本人にそのまま当てはめてみると脳出血を起こすことが実に多い。私は最近は1.5程度でコントロールする場合が多いのですが、これは全く教科書的ではありませんし、つまり、a-dを証拠として取り上げられると事故が起きたときに弁解することが不可能になってしまいます。
だから教科書とかを証拠採用するときは慎重にならなくてはいけません。あくまでも参考程度に取り上げるべきだと私は考えております。

医師にとってこれはe以外の答えはありません
⇒医師にとってこれはeより後以外の答えはありません
に訂正した方が良さそうですね。

>元行政さん

bの後の治療はさらに当たり前のようにやっています。
こんなことを書くと人体実験の嵐のように感じると思いますので説明すると、そこでおこなわれているのは元来の治療の延長にあるもの、患者に害になる怖れの少ないものということになります。

私の解釈では、これで十分に「有効性と安全性を是認した」と言うことになります。

つまり、
・「新しい治療を行う」=有効性を是認
・「患者に害になる恐れの少ない」=安全性を是認

是認の定義から始めた方が宜しいかも知れませんね。
私は、辞書通りの意味で使っています

>僻地外科医さん

e)まで行ってあとで有効性が否定されているものがざらにあります。
1例を挙げれば傷の消毒がそうですし

傷の消毒に関して、比較対照試験は行われたのでしょうか。また、傷を消毒しないことに関して、比較対照試験は行われたのでしょうか。

仮に行われていないとして、傷を消毒すること、しないことと言うのはa)-d)のどの段階に位置するのでしょうか。

>yamaさん

田舎も含めた地域までに浸透するのも時間がかかるでしょうし、保険が対応するのはさらに先になることもあり、事実上それがスタンダードになるのには大変な時間と労力がかかります

浸透するのに時間がかかる事からすれば、どの段階で是認すると言うのは、一意には決まらないと思うのです。「大部分の病院に浸透」と言うのでは、浸透しきっていない地域や、浸透していない病院が窮地に晒されないでしょうか。

ですから、私は「新規の治療法の有効性と安全性が是認」される時期は、個々の病院によって違うものであり、その「病院において、新規の治療法がスタンダードの治療法になった時」に是認される時なのではないかなと思ったのです。


本題の姫路日赤に関して言えば、姫路日赤にとって光凝固法がスタンダードの治療法になっていたかどうかを問題にするべきであり、厚生省研究班の報告云々は本質ではないように思うわけです。

No.10 しまさん

ぜにん 0 【是認】

(名)スル
よいと認めること。
⇔否認

>「新しい治療を行う」=有効性を是認

新しい治療に限らず、医療では是認しておこなうことができない状況というのはけっこうあるのです。どちらがよいかわからないがとりあえずということが、しばしばおこなわれています。新しい治療を試す時のニュアンスもこれに近いものです。(どちらかと言えばこちらという判断も多い。医療というものはこのようなものの積み重ねです)
*bの後を一般的な事象で喩えるならば、隣町で宝くじを当てた人がいるのを聞いて、自分も宝くじを買ってみようというくらいの感覚。宝くじを買うことがそれ程危険でないこともわかっている。だからと言って宝くじを買うべきという話が確立しているとはとても言えないでしょう。買わないと罰せられる?

ということで何例もおこなっていたり、積極的におこなう体制にしていても、これをスタンダードの治療法になっているということはできません。この時点ではおこなってもおこなわなくてもいい治療法にすぎません。
最高裁も姫路日赤が準備をしているのにしなかった(やるべきだとわかっていたのにしなかった)と責めているのではなくて、既にこの時点で同等の病院では当たり前になっている=この病院でもすべきだったという論理ではありませんか。(形としてはそれを検討すべきという話ですが)
医師の感覚としては、研究班の報告等はスタンダードであるための最低条件ですので、それが満たされなければ無条件でスタンダードと言えません。

「全く新規の侵襲性の高い新しい治療」と「これまでの治療の延長として新しい治療」は区別して議論した方がいいかと思います。

これまで有効性と安全性が医学的に是認されていたことに、新たに別の有効性の可能性が出てきた場合に、有効性が是認されていなくてもその「新しい治療」を行なう事があります。

例えば14員環マクロライド(抗生剤のひとつ)に、抗菌作用以外に新しい有効性がある可能性が注目されています。
びまん性汎細気管支炎(DPB)に対して長期少量投与の有効性が認められた事で、抗菌作用以外の気道粘膜の粘液線毛輸送機能改善、痰の過剰分泌抑制、好中球浸潤抑制、炎症性サイトカイン産生抑制、菌体外毒素抑制、バイオフィルム形成抑制などの効果があることが証明されてきています。
治療の有効性としても、DPBをはじめ慢性副鼻腔炎などに新しい治療として有効性が是認されています。
最近、インフルエンザ罹患時の粘液線毛輸送機能機能維持が明らかになってきました。インフルエンザに抗菌剤はもちろん無効です。しかし新しく明らかになったことから、呼吸器系に基礎疾患がある患者に対して14員環マクロライドを使う事はインフルエンザの呼吸器系疾患の合併症を予防する可能性が高くなる可能性があります。
もちろん現段階において、インフルエンザに14員環マクロライドを使う事は、呼吸器系疾患の合併症予防に対しての有効性が証明された新しい治療法ではありません。しかし、安全性については問題はないとなれば、この新しい治療法を試すのは医師の裁量権として許される事と思われます。
このように安全性が証明されている事に対しては、b)の後の段階(有効性の可能性があるが、有効性自体はまだ証明されていない)で「新しい治療」が行なわれていくのはあるのです。

それに対し、「全く新規の侵襲性の高い新しい治療」というのは、まず安全性が証明されていません。
このような治療による侵襲を上回る有用性があること、安全性が期待される治療の効果に見合うものということが証明されなければなりません。
その為の有効性と安全性が是認された知見というのはe)の段階でなければ得られません。

No.12 しま さん

本題の姫路日赤に関して言えば、姫路日赤にとって光凝固法がスタンダードの治療法になっていたかどうかを問題にするべきであり、厚生省研究班の報告云々は本質ではないように思うわけです

スタンダードの治療法になるには安全性と有効性が是認されていなければなりません。
昭和50年の厚生省研究班の報告は「一応の治療基準」とあるように、b)とc)の間の段階で出されたものになります。
b)からc)へ進むには、治療のデータを客観的に評価するための基準が必要なのです。
「全く新規の侵襲性の高い新しい治療」というのは、安易に取り入れてしまって後でやっぱり危険がありましたというでは被害が大きくなってしまいます。
厚生省研究班の報告が、「新規の治療法が開発され、それが各種の医療機関に浸透するまでの過程」をみていく上で、どの段階に位置づけるのかを曖昧にしては、本質からはずれてしまうと自分は考えますが、いかがでしょうか。

亀レスですみません。
No.263 オダさん
安全性や有効性が是認されていないから、「統一的な指針」に「一応の」なんてつけているんですよ

平成7年6月9日最高裁判決は、規範の定立と事実への適用を間違えたとの主張は理解しましたが、昭和60年3月26日最高裁判決は、昭和50年3月の厚生省の(一応の)指針をもって、医療水準と解し医師の過失を認定していますが、同判決の最高裁判所判例解説には「医学は精密科学ではないのであり、個別的な存在である人体を対象とするものであるため、診断・治療方法も常に確実、有効、安全であることは保し難く、確実性、安全性に限界があっても、より確実、有効、安全な診断・治療法がない場合には、当該患者の疾病との対応関係で確実性、有効性又は安全性に限界のある診断・治療方法であってもこれに依拠すべきであるとするべきことがあることも考慮する必要がある。」と記述されており、最高裁の述べる確実性も医療の不確実性を前提とした「確実性」であると判断すべきものと思います。

>昭和63年になって…その有効性と安全性が是認されたのです。

ここまで、ここまで絶対的な確認を求めると患者は昭和42年に公表された新規治療法の恩恵を法的権利として約20年余受けられないこととなりますが、この点は如何お考えですか。

No.266 つくねさん
>医療の知見というのは発生→確認→確立と一方通行に進行するのではなく、…、と色々な事がおこる訳です。

司法が求めているのもNo.263 オダさんへのレスで書いたように相対的な確認と言うことかと思います。

>世の中には無数の病気があり、それぞれに対し更に多くの検査・治療法が存在します。それら全てについて「裁判所の判断が数多く出され、事案に則した規範が数多く定立される」事に伴うダメージに耐えられるほど日本の医療は強くはありません

私は、「未熟児網膜症に関し約100件の訴訟が係属」するような状況は、新規治療法が何時医療水準となるかに付き、争いがあったから起こったことであり、裁判所により医療水準の判断要素が確定されれば、後はその種の訴訟は基本的に減少することを申し上げただけで、個別の治療法につき、全て裁判所の判断がなされることが必要であるとの趣旨ではありません。むしろ、基本的判断枠組みが提示されたことで個別の治療法に対する判断も予測が立ち易く、訴訟が減少するであろうと言うことです。

No.271 つくねさん
>現在日本中で行なわれているタミフルの投与が、誰かが「タミフルやっぱヤバイで」と言った瞬間に過失になるんです、恐ろしいですね。くれぐれも情報には注意しないと・・・。

従来安全であるとされてきた医薬品につき、新たな副作用等の情報が報ぜられた場合は、その情報の真偽につき、薬を認可した行政による判断を待たざるを得ないと思います。行政による判断が出る以前は、その情報を信ずべき余程信頼すべき根拠(例自らの使用体験)がない以上認可された薬を使うことに過失はないと思います。
法的発想として、一度是認せられた判断を覆すには、一度是認されたと同じ判断過程を要する必要との感度があります。

No.1 オダさん
通常はe)の段階で良いと思いますが、この経過に余りに日時を要する場合は、医療側に対し、医療慣行に安住することを許さないとの規範的判断が働きその前の段階で認定される場合もあるかと思います。

No.16 地方の弁護士さん

>「医学は精密科学ではないのであり、個別的な存在である人体を対象とするものであるため、診断・治療方法も常に確実、有効、安全であることは保し難く、確実性、安全性に限界があっても、より確実、有効、安全な診断・治療法がない場合には、当該患者の疾病との対応関係で確実性、有効性又は安全性に限界のある診断・治療方法であってもこれに依拠すべきであるとするべきことがあることも考慮する必要がある。」と記述されており、最高裁の述べる確実性も医療の不確実性を前提とした「確実性」であると判断すべき

最高裁の他の判断(数々のトンデモ判決のもとになっている蓋然性の話)等を考慮にいれて考えると、この不確実性というのは、かなり確実に近いけれど完全に確実でないことをもって医療側を免罪にしないという意味で発せられたものと思えるのですがいかがでしょうか。そう考えること自体は妥当だとは思いますが、悲しいかな最高裁は医療の素人なので医療は5.5対4.5くらい不確実な事象でも普通におこなわれていることがわからない。結果としてトンデモ判決の量産に繋がる発言になっているのであると思います。

>昭和42年に公表された新規治療法の恩恵を法的権利として約20年余受けられない

20年かかろうが100年かかろうが、それは全く二の次の話です。それって非論理的な感情的な話ではありませんか。スタンダードになる前の治療は、人体実験の覚悟とそれなりの代価により相互の了承に基いておこなわれることで、希望すれば受けられて当たり前の権利ではありません。

>基本的判断枠組みが提示されたことで個別の治療法に対する判断も予測が立ち易く、訴訟が減少するであろう

周囲の同等機関も参考にすべきという最高裁の示した枠組みは、e以降であるという医療側の常識と大きく乖離しているだけでなく、より具体性に欠け、個別の治療法に対する判断は医療機関にとってより困難となりました。一方原告にとってはイチャモンをつけられる可能性を広げたわけですから、訴訟は増加すると思われます。(医療機関の当該分野からの撤退という意味なら減少するかもしれません)

>医療側に対し、医療慣行に安住することを許さないとの規範的判断が働きその前の段階で認定

e以降で対応するということは、慣行に安住ではなくて、これ以外医療は成り立たないというレベルの話です。これを安住などと判断することに、最高裁の無知傲慢を多くの医師は感じています。(ガイドライン等を出すことによってそれが義務化することを怖れて、あえて出さなくなっている最近の状況が進めば、e以前で認定することもありえないことでなくなる可能性はあります)

>しま様

傷の消毒に関して、比較対照試験は行われたのでしょうか。また、傷を消毒しないことに関して、比較対照試験は行われたのでしょうか。

仮に行われていないとして、傷を消毒すること、しないことと言うのはa)-d)のどの段階に位置するのでしょうか。

 傷の消毒が行われたのは1866年にリスター(英)が発表したものです。このときはまだ無作為前向き試験(比較対照試験の中でも最も厳密なもの)という概念がありませんでしたから、主に米国の外科医の追試によって支持され、コッホによる化膿が細菌で起きることの発見により、常識として定着しました。以後はほとんどまともな追試を受けていませんでした。現在に至るまでも通常創傷においての比較試験は十分行われていません。(JAMA(アメリカ医師会雑誌)に消毒薬を使うことによって創傷治癒遅延が起きるという大規模前向き試験は発表されているそうです。ちょっと見つけられませんでしたが)

 一方、消毒薬が組織傷害を起こすことは十分証明されています。消毒薬を使って組織傷害が起きても感染を制御できていれば、組織治癒力の方が消毒薬による組織傷害力より高いので、使う意味があるというのが消毒派の理論です。

 現在のところ、急性創傷に消毒薬を使わないことはe)のレベルには達しておりません。しかし、d)のレベルにはすでに達しております。一方、消毒することに関しては一時e)のレベルでしたが、現在は反消毒派の理論によりd)のレベルに落ちています。

No.16 地方の弁護士さん

昭和42年に公表された新規治療法の恩恵を法的権利として約20年余受けられないこと

昭和42年というのは、『a) 当該疾病の専門的研究者の理論的考案ないし試行錯誤の中から新規の治療法の仮説ともいうべきものが生まれた時』の時期に相当しますよね。
この段階の新規治療法の大多数は、次のb)のところで淘汰されてしまいます。
安全性が確立していない治療をそんな段階でおこなうことを容認するのは、未熟児網膜症の光凝固療法のような「ごく少ない例外的な成功した新規の治療法の恩恵」など霞んでしまうほどの、「大多数の失敗した新規治療法」による凄まじい被害を容認しなければいけない事になります。

あと20年という期間を問題にされていますが、新規治療法が認められるのにどれだけ長い時間がかかるのかご存知でしょうか?
例えば、ノーベル賞にもなったヘリコバクターピロリ菌の除菌療法。
ヘリコバクターピロリ菌が1979年に発見されて、ピロリ菌の研究者Marshallが自分でこの菌を飲んで実際に自分の胃に胃炎が生じることを証明したのが1982年。
ヘリコバクターピロリ菌を除菌する治療法としては「従来の安全性の証明された薬剤で行なえ」、「患者数も多くてデータを集めやすい」にも関わらず、医学的に有用性が認められたのは1990年シドニーで開催された世界消化器病会議で難治性および易再発性の十二指腸潰傷が除菌の適応があるとの合意が出来てからです。日本においては海外のデータに加えて日本独自の治験ガイドラインにもとずくデータの収集がなされ、ガイドライン作成委員会は2000年3月31日にようやく日本人向けのガイドラインができています。(ちなみに日本での保険適応は2000年11月l日)
未熟児網膜症のように「患者の絶対数が少なく、侵襲性の高い治療法」であれば、「安全性と有効性の是認された知見が得られる」のにより時間がかかるのは当然だと思いますよ。

この経過に余りに日時を要する場合は、医療側に対し、医療慣行に安住することを許さないとの規範的判断が働きその前の段階で認定される場合もあるかと思います。

大原則として、「侵襲性の高い新規治療法」は安全性と有効性が証明されるまでは人体実験です。
元行政さんが言われる通り「人体実験の覚悟とそれなりの代価により相互の了承に基いておこなわれる」治療なのです。
「安全性と有効性が証明されるまで行なわない」というのは、医療慣行ではなく、科学的に認められるか否かの問題です。

>この経過に余りに日時を要する場合は、医療側に対し、医療慣行に安住することを許さないとの規範的判断が働きその前の段階で認定される場合もあるかと思います。

医療側の行為は「誰が」が明確なのですが。
「医療慣行に安住することを許さないとの規範的判断が働き」とは、「誰が」「何を基にして」判断を下すのでしょうか?その判断がおかしかったときの責任は誰がとるんでしょうか?

>オダさん

このような治療による侵襲を上回る有用性があること、安全性が期待される治療の効果に見合うものということが証明されなければなりません。
その為の有効性と安全性が是認された知見というのはe)の段階でなければ得られません。

ブラッドパッチ療法を例にとります。

ブラッドパッチ療法の有効性と安全性が科学的に証明されたと言う話は聞きませんが、篠永医師がブラッドパッチ療法の有効性と安全性を是認していることは確かだと思うのです。そして、篠永医師の情報(知見)を元にブラッドパッチ療法を患者に対し積極的に施している医師も、ブラッドパッチ療法の有効性と安全性を是認していると思います。

有効性と安全性が是認された知見をa)の段階で得ている医師もいれば、e)の段階で得ている医師もいるのではないでしょうか。

有効性と安全性に関しては、各個人が「有効かつ安全であることが是認された」と思っているではダメなんですよね。
科学一般にそうなんですが、「Aである」ということと「Aであると認められている」ということは別物だし、前者が一致しない人とは話ができますが(というかそういう人ばかりなんですが)後者が一致しない人とは議論が難しいです。

そういう意味で、「ブラッドパッチ療法は有効であり安全であると信じている行っている人がいるのは確かだし、それで効いた人がいるのも事実のようだが、一般的にはまだ有効性も安全性も是認されていない」あたりなのではないかと。

>立木 志摩夫さん
医師一般に認められている、いないという話だったら分かります。医師に取って何を一般的とするべきかと言う話において、オダさんが言われるe)の段階以降でようやく議論が始まる。そして、e)の段階以降でなければ、一般的になる事はあり得ないという事でしたら、特に反論することはありません。

うだうだ書きましたが、当時の姫路日赤に置いて、光凝固法が是認されてなかったというのなら、それはそれで私は納得する話なのですね。

話が飛びますが:

この年度末には各地で大きな変動が起こるとは言われていましたが、国循に続いて亀田までこういう事態に至るとは思っていませんでした。

2007.03.01
小児科外来を受診される患者さまへ
http://www.kameda.com/info/detail.php?i=83
平成19年3月31日をもちまして、以下の6名の小児科医師が退職いたします。
  小太刀康夫  伊藤直香   楠本欽史
  小宮山 馨  鈴木久美子  高橋長久

亀田メディカルセンターといたしましては、小児科医の確保に全力をあげて取り組んでおりますが、残念ながら現状では4月以降の亀田クリニックの小児科診療枠を減らさざるを得ません。
(後略)

No.17 元行政さん
私が「医学は精密科学ではないのであり、個別的な存在である人体を対象とするものであるため、…」以下の最高裁判所調査官のコメントを引用し、最高裁の述べる確実性も医療の不確実性を前提とした「確実性」であると判断すべきとしたのは、司法も医学の不確実性を前提に判断していることを知って貰えば医師の皆さんにも少しは安心して貰えるかと思ったからです。
しかし、このコメントを深読みし、
>かなり確実に近いけれど完全に確実でないことをもって医療側を免罪にしないという意味で発せられたものと思えるのですがいかがでしょうか。
と受けられたのは遺憾と言うほかありません。私は前に(その11の癸隠娃海慮緘勝砲如◆岼緡鼎良坡亮太を前提に医療水準が決まっているのだろうと思います。」と述べたことがありますが、医療水準を判断するについて医療の不確実性を考慮することに不安を感じると言うのなら、もう私には語るべき言葉はありません。

>20年かかろうが100年かかろうが、それは全く二の次の話です。それって非論理的な感情的な話ではありませんか。
私は、有効性と安全性が是認された新規治療法の恩恵を国民が早く受けられるように医療側も努力して欲しいとの感情を込めて述べたものです。十分努力をしても20年間かかったのであれば止むを得ません。ただ、新規治療法に対する組織的対応がなされていないように感じますが如何でしょうか。

>スタンダードになる前の治療は、人体実験の覚悟とそれなりの代価により相互の了承に基いておこなわれることで、希望すれば受けられて当たり前の権利ではありません。

この理解は必ずしも正確ではありません。未確立の治療法でも説明義務が課される場合があります。
平成13年11月27日最高裁判決は、「裁判要旨 乳がんの手術に当たり,当時医療水準として確立していた胸筋温存乳房切除術を採用した医師が,未確立であった乳房温存療法を実施している医療機関も少なくなく,相当数の実施例があって,乳房温存療法を実施した医師の間では積極的な評価もされていること,当該患者の乳がんについて乳房温存療法の適応可能性のあること及び当該患者が乳房温存療法の自己への適応の有無,実施可能性について強い関心を有することを知っていたなど判示の事実関係の下においては,当該医師には,当該患者に対し,その乳がんについて乳房温存療法の適応可能性のあること及び乳房温存療法を実施している医療機関の名称や所在をその知る範囲で説明すべき診療契約上の義務がある。」と判示し、当時医療水準として未確立であった治療法についても診療契約上の説明義務があるとし、高裁に差し戻し、高裁は金120万円の慰謝料等を認容しています。この判決の背景には、患者の自己決定権の尊重との理念があるようです。

No.20 北風さん
>「誰が」「何を基にして」判断を下すのでしょうか?その判断がおかしかったときの責任は誰がとるんでしょうか?

裁判所が、提出された証拠を基に判断します。その判断が誤っていても裁判官に故意又は重大なる過失がない以上責任を問われることはありません。

No.25 地方の弁護士さん

>司法も医学の不確実性を前提に判断していることを知って貰えば医師の皆さんにも少しは安心して貰えるかと思った

不確実性があることを理解していることは、最高裁の座談会等を読めばわかりますし、ここの参加医師は十分知っています。しかし最高裁以外の判例や、最高裁が表明した枠組みを考えれば、不確実性の程度の理解に関して不十分極まりないというところが現実だと思います。
我々が最高裁が間違っているということを、ネット上でしつこく書いているのは、最高裁の理解が不十分であることを最高裁に気付いてもらいたいということもあるわけです。

>医療側も努力して欲しいとの感情を込めて述べたものです。十分努力

誰に言われるまでもなく世界最高の医療(アクセス、コストだけでなくクォリティにおいても)を目指し達成した産科に対し、裁判等で圧力をかければよくなると思い込んで、崩壊させている現在の状況と同根ですね。新しい治療で患者をよくすることはほとんどの医師にとってむしろ活力の源であり、むしろ暴走することを押さえるように戒めている状況では、努力不足など考える余地はありません。医療のことを知らない非医療者のコメントですから、仕方ないというところだとは思います。

>未確立の治療法でも説明義務が課される

この判例も医師の間では、トンデモと評価されているものです(説明義務はトンデモの宝庫です)。医療の実務に対する無知がベースにあるのは間違いありません。

>患者の自己決定権の尊重との理念

自己決定権の尊重にともない本来患者が果たすべき義務の多くを、医師にかぶせていることが何よりも問題ですね。(生産者と消費者の関係でも似たことがありますが、裁判の結果を無視して業務にあたるか、業務自体を止めるかになってしまう現状は、バランスが悪いのは間違いないでしょう)

>地方の弁護士さん

>ここまで、ここまで絶対的な確認を求めると患者は昭和42年に公表された新規治療法の恩恵を法的権利として約20年余受けられないこととなりますが、この点は如何お考えですか。
>司法が求めているのもNo.263 オダさんへのレスで書いたように相対的な確認と言うことかと思います。
>私は、有効性と安全性が是認された新規治療法の恩恵を国民が早く受けられるように医療側も努力して欲しいとの感情を込めて述べたものです。

新規治療法の恩恵を法的権利と考えるという発想にまた脱帽です。司法の皆様との議論は学ぶことが多いですね。確かに、そう考えると医療者と法曹は「患者によりよい医療を提供する」為に共同して努力しているようにも思えてきました。

しかしながら、納得できない点もあります。その辺りも含めて、医療側からの意見です。
まず、医療行為というのはマニュアルやガイドラインさえ読めば誰でもすぐにできるというものではありません。実際にそれを行なう人間の経験と知識と勘などを総動員して行なう極めて高度な職人的技術を要します。その意味ではスポーツ選手のプレーと同じです。(私や地方の弁護士さまが今から野球の技術を解説された本をどんなにたくさん読んでも、おそらく160kmの投球をしてプロのバッターを打ち取れる様にはならないでしょう。)
スポーツ選手のプレーと同様、現場で提供される医療のレベルというのは、どんなに優れたマニュアルやガイドラインを整備しても、最終的には実際にそれを実行する医療者の精神・身体のコンディションに大きく依存します。
地方の弁護士さんは、そこに現場を知らない外部からの圧力を与える危険性というものを認識されているでしょうか?
例えば、ある国のサッカー代表のフォワードの選手が、国際試合を前に国王から「もし明日の試合でシュートを決められなければ、お前の家族も含めて全員を銃殺にする」と告げられたら、その選手は試合で実力を出し切ることが出来ると思いますか?
私は、常に恐怖がまさってしまい、普段どおりの実力を出すことは不可能だと思います。ゴール前の絶好のチャンスでも「これを外せば殺される」と思えば足が動かなくなってしまうでしょう。
もちろん国王はその選手を殺したくてそのような事を言ったのではないと思います。自分の国の選手は絶対ゴールを決めてくれると信じ、自分の国が勝って欲しいからこそそう告げたのでしょう。
しかしながら、結果としてその一言が国を敗北させることになることもある。
その感覚を共有していただければ嬉しいのですが・・・。

>十分努力をしても20年間かかったのであれば止むを得ません。ただ、新規治療法に対する組織的対応がなされていないように感じますが如何でしょうか。

科学の世界というのは、基本的に「信じるも信じないも自由」という前提で動いています。それ故、常に「疑いの目」が存在し、時に思わぬ視点から知見が覆され、新たな真実を発見する機会が生まれるのです。個人の医学者は勿論、その集合体である学会や研究会でも同じです。似たような分野の学会や研究会が複数存在し、それぞれが最終的に別々の見解を示すことなどは医学の世界ではよくありますが、それはむしろ健全な状態であると考えます。
その状況は「法律を成立させる」という明確な目標をもって国会等で行なわれる法案の審理とは根本的に異なります。法曹の方が「新規治療法に対する組織的対応がなされていない」という印象をもたれる原因はそこにあるのではないかと思いますが、それは医療の知見と法律との根本的な性質の違いに起因するものではないかと考えます。

私は、「未熟児網膜症に関し約100件の訴訟が係属」するような状況は、新規治療法が何時医療水準となるかに付き、争いがあったから起こったことであり、裁判所により医療水準の判断要素が確定されれば、後はその種の訴訟は基本的に減少することを申し上げただけで、個別の治療法につき、全て裁判所の判断がなされることが必要であるとの趣旨ではありません。むしろ、基本的判断枠組みが提示されたことで個別の治療法に対する判断も予測が立ち易く、訴訟が減少するであろうと言うことです。

この点に関しては、No.17 元行政さんのコメントとほぼ同意見です。
「一般的に行なわれていること」という基準は、混沌とした医療の世界では、割とわかりやすい基準だったと思います。それが「確認」を基準とするとなると一気に客観性を失います。
「疾患Aに対してXという治療法が考えられる」と誰かが発表すると、世界中の研究会や学会で「疾患Aに対してXという治療法は有効である」という研究成果が発表されるとのほぼ同時に、別の場所で「疾患Aに対してXという治療法は無効である」という研究成果が発表されることなどは日常茶飯事であり、更に「Xという治療法を多少手直ししてX´として用いればより効果的である」とか「Xという治療法は無効であるとまではいえないが、私が考えるYという治療法の方がより効果的である」とか「そもそも疾患Aという概念が間違っているのではないか」なんて研究成果まで発表されたりします。
そして上記のように、それらの多彩な意見から導かれる結論は、各学会や研究会で大きく異なります。
医療水準を「確認」の段階に引き上げるのであれば、そのうちどれを信じれば自分の行なっている医療行為が過失と判断されずに済むのかが誰の目にも明らかにならない限り、医療側の萎縮は避けられないと思います。

行政による判断が出る以前は、その情報を信ずべき余程信頼すべき根拠(例自らの使用体験)がない以上認可された薬を使うことに過失はないと思います。
法的発想として、一度是認せられた判断を覆すには、一度是認されたと同じ判断過程を要する必要との感度があります。

すみません、私の理解力の問題だと思うのですが「一度是認せられた判断を覆すには、一度是認されたと同じ判断過程を要する」ということは、是認せられた判断が覆る(=医療水準が変化し、過失の判断基準が変化する)ための条件はNo.1のa)〜e)のどこかに存在するのではないでしょうか。
つまり、例えばa)の段階とするならば、「当該疾病の専門的研究者」(この基準も曖昧ですが・・・)の誰かが「俺はタミフルはヤバイと思うで」と言った段階で判断は覆され、今度は「タミフルを投与してはならない」という知見が是認される訳ですよね。例え最後のe)の段階で覆るとしても、学会や研究会からの「世間で色々騒がれてますから、とりあえず一旦○○を行なうのは止めておきましょう」という判断が、行政による判断に先立って出されることなどいくらでもあるのですが、その場合は過失の認定はどうなるのでしょうか?

>つくねさん

「当該疾病の専門的研究者」(この基準も曖昧ですが・・・)の誰かが「俺はタミフルはヤバイと思うで」と言った段階で判断は覆され、今度は「タミフルを投与してはならない」という知見が是認される訳ですよね

知見が是認されているのは、その医師個人のレベルだと思います。つまり、「タミフルはヤバイ事を是認した医師」がタミフルを投与しないというのは、自由だと思うわけですが。個々の医師が是認した知見を医療界全体に広げるべきだとは思っていませんし、逆に医療界が是認したからと言って、その知見を個人に押しつけろとも思っていません。

>No.26 元行政さん

しかし最高裁以外の判例や、最高裁が表明した枠組みを考えれば、不確実性の程度の理解に関して不十分極まりないというところが現実だと思います。

同意します。自分で書いた文章を読み返して感じたのですが、ここで時に法曹の方と医療者の意見が噛み合わない原因は、おそらく医療の世界の「混沌」が、法曹の方の想像を遥かに超えたところに存在するからではないでしょうか。

以下は私の思い込みも含め印象論全開です、議論のネタとしては不適切かもしれません。また、私は法律は全くの素人ですので、多少不適切な用語の使い方があるかもしれませんが、ご容赦いただければ幸いです。


法律というのは、そもそも発案できる機関が非常に限られています。また制定される為に必要な手順も非常に明確に示されており、発効された時期に関しても○年○月○日公布/制定と明示されます。総じて非常に統制された世界であります。
私はNo.1でご紹介いただいた文章を読むたびに、そうした「統制された世界」にどっぷりつかった法律の世界の住人が、医療という未知の世界に対し最大限の想像力を働かせて書いた文章なんだろうな、という印象を受けます。そしてなおその想像力は現実に遥かに追いついていないと・・・

具体的に述べていきます。

当該疾病の専門的研究者の理論的考案ないし試行錯誤の中

「当該疾病の専門的研究者」という表現が涙ぐましい感じです。おそらく「絶対的な発案者がいない」という法律との相違点に悩まれて、何となく選んだ表現なのでしょう。しかしながら、そもそも医療の知見はその発生のルーツを辿っていくと、当該疾病の専門的研究者が明確な目的を持って一生懸命考案して生み出したものよりは、むしろ偶然の産物の様なものの方が多いのではと思います。例えば(この例を挙げるのは多少躊躇しますが・・・)有名な勃起機能改善薬であるバイアグラは、男性性機能不全の専門的研究者が理論的考案や試行錯誤を行った末に生まれた訳ではなく、全く別の心臓病の治療薬として製薬メーカーが治験を行なっていたところ、心臓病治療薬としての有効性は認められなかったものの、被検者のうち男性のみが治験が終わっても余った薬を返却しようとしないため、その理由を問いただしていたらたまたまそのような効果があるのだとわかったという話があります(実話です)

裏付けの理論的研究

おそらく全ての医療行為には理論的な裏づけが存在していると思われているのでしょうか。確かに「医学」という学問は一般に非常に堅いイメージがあります。また「整合性」を重視する法律の世界には理論的な裏づけは欠かせませんし、裏づけのない法律などは考えられませんからね。
しかしながら現実は異なります。医療者は、理屈は抜きにして、要は患者が治ればそれでいい、という考え方も容認します。「なんでかよくわからないんだけど、この薬とにかく効くんだよね」といって使用されている薬品など世界中にいくらでもあります。特に漢方薬などはその最たるものであり、作用機序不明のまま何千年もの間に何億人という人に投与されてきて、ごく最近になってそのうち一部に多少の理論的な裏付けがなされはじめたという状態です。そもそも対象である人体が未知の集合体である以上、人体に与える影響を完璧に理論的に裏づけするなど不可能だということは、医療者でなくても感覚的にわかることだと思うのですがね。

逆に考えれば「裏付けの理論的研究」が十分なされていなければ(医療水準を判断する上での)知見として成立しない、というのは医療者にとって非常に魅力的な表現であります。

他の研究者による追試、比較対照実験等

法案は審理する機関が予めほぼ決定されています。どうやら医療の世界ではそうではないらしい、というところまでは想像できたのではないかと思います。
法曹の方の頭の中では、医学は万能であり、「新たな知見に対する追試、比較対照実験」は、最終的には yes/no の必ず同じ結論に達し、ここで「新たな知見」はよりその信憑性を増すのでしょう。
しかしながら、現実では、無数に存在する「他の研究者」が全く異なった結論を好き放題に発表し、それまで一部の人間の頭の中に存在していた「新たな知見」は、一気に無秩序の嵐の中に放り出され、好き勝手に解釈を捻じ曲げられ、また勝手に脚色を加えられ、元の形などわからないくらいまで変形してしまう事の方が多いように思います。(その理由はNo.27「疾患Aに対してXという治療法が考えられる」と誰かが発表すると・・・以下で挙げたとおりです。)

学会や研究会での議論を経てその有効性と安全性が是認された時

おそらく「国会での議論を経て法律が成立した時」みたいなニュアンスなのでしょうか。
これも、絶対的な立法機関がない、という相違点に悩み、その実態もわからないまま「学会や研究会」という表現に変えただけなのではないかという印象を持ちます。
実際には「学会や研究会」は何の管理もなく各地で大小さまざま好き勝手に開催されており、全てで統一した見解を示すなどということはまず不可能です。新規の治療法どころか、その元になる疾患の診断基準でさえ、複数の診療科にまたがる領域の疾患でそれぞれの診療科の学会が別々に診断基準を出しているなんてことも過去には普通に生じていました。
また、そもそも医学の知見には「何が正しくて何が間違っている」という絶対的な価値基準というものが存在しません。同じ疾患であっても、国が変われば診断法も治療法も大きく異なります。もちろんそれぞれの国の医師は、自分のやっている治療こそが最高だと信じて行なっているわけです。その様な状況では、各地で開催される「学会や研究会」は、知見を科学的に完全に公平に審査する機関というよりは、似たような嗜好や解釈を持つ人が集まって「俺達が正しい」ということを身内で確認しあう機能の方が大きいともいえます。(小さな規模の集まりほどその割合が大きいです)。
そこでの議論をもって医療水準を設定しようとする行為は、フェラーリオーナークラブで行なわれている「フェラーリこそが最高のスポーツカーである」という議論と、ポルシェオーナークラブで行なわれている「ポルシェこそが最高のスポーツカーである」という議論をもって「スポーツカーとは何か」という基準を決めようとする行為と同じくらいに滑稽なものもに私の目にはうつります。(もちろんどちらも所有したことはありませんが・・・)

そして、最終的には、必死に議論頂いた法曹の方には申し訳ありませんが、○年○月○日公布/制定とされる法律とは異なり、このような混沌の中で「新たな知見の是認された時」を特定しようとすることの方に無理があるのではないかとも考えます。

もちろん、だからといって法曹は医療に立ち入るなというつもりはありません。裁判を受けるのは憲法で保障された権利ですからね。ですが、このギャップを埋めない限り医療と司法の悲劇が終焉することはないのではないでしょうか。

批判ばかりで全く建設的でない意見で申し訳ないのですが、ふと思ったことをつぶやかせていただきました。失礼致しました。

>No.28 しまさん

個々の医師が是認した知見を医療界全体に広げるべきだとは思っていませんし、逆に医療界が是認したからと言って、その知見を個人に押しつけろとも思っていません。

法律の世界の方もそう考えていただけるなら大変ありがたいのですがね。
「あなたが正しいと思ってしたことなら、全て無過失とする」
医療者にとってこんなにありがたい言葉はありません。

少なくとも、法曹の方が求める「知見が是認」の議論というのは、司法の場での過失の有無を決定するための客観的な「医療水準」を決める上での話ですから、それが「当事者の裁量の範囲内」というのでは困るのではないでしょうか。

No.27 つくねさん
>新規治療法の恩恵を法的権利と考えるという発想にまた脱帽です。

この感度の違いに医療側と司法側の決定的違いを感じます。医療行為は、医師と患者の医療契約に基づき行われます。契約とは意思の合致を前提とします。ここにおいて、医師も患者も対等です。どのような治療行為をするのかは両者の合意に基づき決定されるのです。ただ、患者は目的とする医療行為の内容を自ら特定することが困難であり、結果として((ex)治して下さい)治療内容を求めるのが通常です。あるいは特定した治療内容が不適切な場合すらあるかも知れません。すなわち、契約内容が特定し難いことから、裁判所が医療水準なる概念を基に判断するのです。既存の治療法では救われない患者が、新規治療法に希望を託するのはいわば当然です。契約の一方の当事者の意思を裁判所が考慮してその契約内容に反映させようとするのは医療契約が契約であることから来る必然的結果であるとすら言えます。前に(その11の癸横横亜飽緡顛綵爐砲弔、患者の意向も含めて決定すべしとする見解もある旨ご紹介しましたが、ここに理論的根拠を有するのであり、平成13年11月26日最高裁判決は、この見解に一定の理解を示したと言うことです。
私には平成13年判決に若干の違和感を感じるものですが、「とんでも判決」とレッテルを貼る元気はありません。

>それはむしろ健全な状態であると考えます。

弁護士も在野法曹として、個々独立した存在として活動していますので(ただ、近時新人弁護士は就職するとの感覚を持っているらしく、私自身は前途に不安を感じています。)、精神的風土は医師と似ているとは思いますが、そのような健全な状態を前提として、有力な新規治療法が生まれた場合は学会が率先して追試や臨床例の収集をする体制があれば好ましいと思い、実情をお聞きしたかったのです。本来行政が主導すべきことかもしれませんが…。

>「一般的に行なわれていること」という基準は、混沌とした医療の世界では、割とわかりやすい基準だったと思います。それが「確認」を基準とするとなると一気に客観性を失います。

通常、是認されていることを立証するためには、当該手技が一般的に行われていることを直接的な立証命題にすることが多いと思われ、特に見解の違いが大きいとは思えませんが…。確認され是認された結果、一般的に行われるようになると理解できるかと思います。

>「一度是認せられた判断を覆すには、一度是認されたと同じ判断過程を要する」

改めて、是認されないとの判断につき、a)〜e)の過程を通る必要があるとの感度です。

医療行為は、医師と患者の医療契約に基づき行われます。

もちろんその点に関しては理解していますよ、一応患者さんからお金を貰って医療行為を行なっている訳ですから。

医療者の考え方としては、患者が受ける医療レベルを決定する要因には「個別の医療契約」以外にも「医療供給体制の整備」や「医学全体の発展」が存在します。今医療崩壊を論ずる上で主な問題となっているのは主に後2点です。
契約内容云々以前に、医師がいなければ患者は契約することもできませんし、医療者が萎縮してしまい新規の知見にトライすることが躊躇される状態が続けば、結果として医療の発展が遅れ「既存の治療法では救われない患者の新規治療法への希望」を叶えることも出来なくなるわけです。

私は、法曹の方は「個別の事案」を解決するのが仕事ですから、後2点に関しては業務の上で直接関わることはありませんし、その概念が欠落してしまうことはある程度仕方ない事だと思っています。
しかし、地方の弁護士さんが「有効性と安全性が是認された新規治療法の恩恵を国民が早く受けられるように医療側も努力して欲しい」と発言されたので、「個別の医療契約」の枠を超えて後2者の概念も含めて「患者が受ける医療レベル」とする、という概念を多少は理解していただけたかな、と感じたのですが・・・

このレベルでの議論を求めます、なんて言ってみたりして。

散々長文書いといてすみませんが、野暮用が出来てしまったので、残りに関してはまた後ほどレスさせていただきます。

No.77 いのげさん

いのげさんも「横田報告書の設問に問題点があることは報告者自身も認めているところです」書かれているように、横田報告はかなり杜撰なデザインで、結論を歪める様々なバイアスの混入の可能性が否定できないから、「その結論を議論に使うべきでない」というのが、私の趣旨です。ですから、ある医学的介入が害であるか否かの研究の妥当性を吟味する際に評価しておかなければならないポイントを挙げ、論文を批判的吟味の流れに沿って吟味し、それを満たしていないこの研究報告は捨てるべきというのを結論として書いたつもりです。質の低い研究報告を基にした議論自体が無意味だと思っています(対象群間の相違やバイアスの存在によって、結論が簡単に反対向いたりするからです)。議論をするのは、しっかりとしたデザインの報告が出てからの方が良いのではないですか?

アセトアミノフェンについての記述も、アセトアミノフェンの安全性について強調したかっただけで、インフルエンザの発熱との関連については、「インフルエンザの小児の発熱に対して、その安全性から世界中で広く使用されている」としかコメントできません。インフルエンザの発熱に対するアセトアミノフェンの使用について、何か良い論文をご存知ないですか?

>地方の弁護士さん

私は、有効性と安全性が是認された新規治療法の恩恵を国民が早く受けられるように医療側も努力して欲しいとの感情を込めて述べたものです。

うーん、改めて非医療者である地方の弁護士さんからこのような発言を聞くことが出来たことを非常に嬉しく思っています。少なくとも、地方の弁護士さんは「有効性と安全性が是認された新規治療法の恩恵を国民が早く受けられる」世界の実現をご希望されているということがわかりましたので。

さて、このご希望は大変嬉しいのですが、残念ながら地方の弁護士さんは医療者ではありませんので、ご自身のこのご希望を実現させる為には、医療者にお願いして実際に動いて貰わなければなりませんね。
他人を自らの希望に沿って動かす場合に必要なのは、基本的に「アメとムチ」です。
どちらの要素も必要ですが、「ムチ」だけで人間を動かそうとする試みは将来必ず破綻します。(「恐怖政治」の行く末は、私の様な門外漢が指摘するまでもなく、法曹の方なら良くご存知だと思います)

ここでNo.11のNo.255で地方の弁護士さんのコメントの

平成7年判決の言う、知見の「是認」というのは、それまでの判例で使われていた知見が「確立し、定着する」との概念からすると、早い段階で医療水準が成立するニュアンスを含むものであり、その点、過失が認定され易くなったことは否めませんが、新規治療法を患者に広く提供せしめようとする価値判断があったものと推測されます。

を改めて取り上げさせていただきますが、「早い段階で医療水準を成立」させ、医療者に対する過失の認定をより安易にすることにより、自らの望む「有効性と安全性が是認された新規治療法の恩恵を国民が早く受けられる」世界を実現させようとする地方の弁護士さまの(そして最高裁の?)発想は、医療者の側から見れば「恐怖政治」そのものです。

少なくとも、「アメ」はどこにも存在しません(涙)
この点について、地方の弁護士さんのご意見を伺いたく思います。

No.33 にスレ違いのコメントを載せてしまいました。
とんだスレ汚しでスイマセン。
モトケンさん、できましたら消していただけないでしょうか。
余計なお手数をかけまして申し訳ございません。

>地方の弁護士さん
>学会が率先して追試や臨床例の収集をする体制があれば好ましいと思い、実情をお聞きしたかったのです。

勿論、時代はEBMですので、今後新規の治療を普及させる為には十分な信頼性を伴った大規模な臨床研究が不可欠となって行きます。学会やその分野の中核的な研究をしている医療機関が中心となり、多くの施設に協力を依頼してそうした研究を行なう試みはたくさん行なわれていますよ。


>通常、是認されていることを立証するためには、当該手技が一般的に行われていることを直接的な立証命題にすることが多いと思われ、特に見解の違いが大きいとは思えませんが…。確認され是認された結果、一般的に行われるようになると理解できるかと思います。

No.17の元行政さんの意見とダブりますが、少なくとも、医療側の認識ではa)〜e)の段階と「確立し、定着」した段階というのは相当大きく違います。医療の知見というのは、一旦制定されれば絶対のものとしてその日のうちに全国に普及する法律と異なり、「学会や研究会」の見解が示さたのち、現場の医療者の感覚で「これはいい」となれば直ちに普及しますし、逆に「これは使えない」と判断されればなかなかその通りには普及しません。そこに「学会や研究会」での是認を超えたもうひとつの「確認」段階が存在し、そこでの判断は概ね患者の利益に繋がることが多いです。「これが医療の不確実性」という奴ですかね。このあたりの感覚は非医療者の方にはなかなか理解が困難かもしれません。


>改めて、是認されないとの判断につき、a)〜e)の過程を通る必要があるとの感度です。

うーん、また考えてみます・・・


さて、本日一日この高尚なエントリをほぼ私物化してしまったことを反省しておりますし、明日から本業の方が多少忙しくなりますので、暫くはROMに戻らせていただこうかと思います。
もしお許しいただけるならまた参加させて頂きたいと思います。お付き合いありがとうございました。

この1週間の皆様の医療水準に関する議論を興味深くROMしました。参考までに治療経験者として未熟児網膜症治療の歴史に関して再度記して置きます。


昭和42年 天理よろず病院永田医師 光凝固2例の学会初報告
昭和44年 永田医師さらに4例の学会報告 その後いくつかの他の施設で症例報告
昭和44年12月 高山日赤症例出生
昭和49年3月 岐阜地裁 高山日赤症例に対して原告勝訴・病院敗訴の判決、
以後未熟児網膜症の訴訟約100件
同年     厚生省研究班結成
昭和49年12月 姫路日赤症例出生

昭和50年8月 厚生省研究班報告、雑誌「日本の眼科」に掲載、治療症例をレトロスペク
ティブに集積しその当時での診療・光凝固治療指針を示した(前向きな
比較臨床試験ではない)。
以後、光凝固治療普及。
昭和54年 名古屋高裁 高山日赤症例に対して原告敗訴・病院勝訴の逆転判決
  *この頃よりMedline上米国で未熟児網膜症に対する冷凍凝固治療報告あり

昭和57年 厚生省研究班追加報告 昭和50月の報告を確認。況拭雰狆彪拭砲箸いν集緝
良例の存在、治療に反応する儀燭盞覿匹麓然治癒する症例に対して光凝固
は単に病像を早期に沈静化させるだけではないかとの疑義あり
*昭和40-50年代の本邦での未熟児網膜症に対する光凝固・冷凍凝固治療業績は
欧米では前向きな比較臨床試験ではないため認められず。

昭和60年 最高裁 高山日赤症例に対して上告棄却、高裁の判断を支持

昭和63年(1988年) 米国にて冷凍凝固治療(光凝固と同様の作用機序をもつ治療法)の前
向きな比較臨床試験で有意差ありの報告。光凝固(冷凍凝固)の有用性が証
明された。(但し、厚生省研究班より進行した病期を治療適応としたため視力
保持では有意差出ず)
*その後、Medline上欧米で未熟児網膜症に対する光凝固治療報告多数あり

平成3年 大阪高裁 姫路日赤症例 原告敗訴・病院勝訴の判決
平成7年 最高裁 姫路日赤症例 高裁差し戻し
平成9年 大阪高裁差し戻し審姫路日赤症例 原告勝訴
平成10年 最高裁 姫路日赤症例 上告棄却 日赤敗訴確定

平成15年 米国での1988年の報告より早い病期(昭和50年の厚生省研究班とほぼ同様)       の比較臨床試験で視力に関して有意差あり。
*昭和50年の厚生省研究班報告と同レベルでの光凝固(冷凍凝固)の有用性
が比較臨床試験で証明された。

第二次未熟児網膜症事件の基礎となる『東大病院ルンバール事件(最高裁昭和50年10月24日)について、今月のJURIST(2007.3.15号、p75-92)で詳説がありました。

『因果関係-「ルンバール事件」からの問題提起」(溜箭将之、立教大学講師)』
この論文で、事件の鑑定結果が5通、認定事実を詳細に分けて提示してあります。
どの鑑定を採っても(一貫して採れば)、過失認定には至りません。

筆者は

「最高裁による因果関係の具体的判断は、個々の間接事実に対応した証拠を摘示しているとはいえ、結論に整合する証拠のみを取り上げている面を否定できなかった。その結果、緻密な間接事実の積上げの形をとりながら、具体的な判示は、因果関係を肯定する方向、言い換えると患者を救済する方向につんのめっている印象を与えることになる。さらに、具体的な認定と抽象的な判示との間の論理的連関が明確でなく、また自由心証と経験則違背や理由不備との境界も曖昧で、どこまでが下級審での行為規範として機能しうるか、また反証可能性があるのかも不分明だった」

ルンバール(事件)の「高度の蓋然性」の判示を、現実と乖離したドグマとして放棄し、むしろ訴訟上の具体的な諸問題に正面から取り組む必要が出てくるであろう。

と、問題点を提示しています。

『高度の蓋然性』に蓋然性を認めることができなければ、どうして被告の納得が得られるでしょう。
科学的な事実認定から目を背けた判例からは、医師・病院側が納得する結論は得られないでしょう

東大ルンバール事件が、あらたな法理への一過程であるとしても、行き過ぎた原告患者保護から起こった医療側の司法不信には根深いものがあると思われます。

一方、最高裁が「原判決において適法に確定した事実は、上告裁判所を拘束する。(民訴法第321条一項)」にギリギリの線で、医療過誤訴訟に一石を投じたのは、昭和33年に訴訟が提起されて、昭和50年の最高裁までもつれ、また差戻しさせた当時の司法の苛立ちもあったのだと思われます。が、この一石の重さには、医療側は耐え切れない気がします

>No.284 L.A.LAW さん

レスが遅くなりました。
わかりにくい書き方で誤解を招いたようですが、趣旨は、「裁判官により判決内容が変わる」のが問題ということです。
損害賠償額が0か100か(責任論)も含めて、損害賠償額は裁判官の函数という表現を用いたのであり、特に損害額の算定を問題としているわけではないことをご了承ください。
さらに敷衍するなら、要するにあるべき姿から逆算し、どのような制度や法整備があるべきかを、既存の法制度を離れて考えない限り、「投了」となることは明白と思います。
まあ根本的問題としては、医療に限らず、労働者としてその業務に従事する際に「本当は違法で、たまたま誰がが損害こうむって訴えられたら敗訴確実なんだけど、それでもやらなければ業務がなり行かないし、みんながその違法行為で利益を受けているので改善されない」というような状態が、日本には多すぎるのでしょうね。

>No.39 会計士X さん

>損害賠償額が0か100か(責任論)も含めて、損害賠償額は裁判官の函数という表現を用いたのであり、特に損害額の算定を問題としているわけではないことをご了承ください。

了承しました。

>趣旨は、「裁判官により判決内容が変わる」のが問題ということです。

 ただ、これは簡単にそうとも言い切れないのが難しい点です。わかりやすい例で、やはり、もっぱら損害賠償の例ですが、たとえば

岩波新書 二木雄策著「交通死」 
http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%A4%E9%80%9A%E6%AD%BB%E2%80%95%E5%91%BD%E3%81%AF%E3%81%82%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%8B-%E4%BA%8C%E6%9C%A8-%E9%9B%84%E7%AD%96/dp/4004305187/ref=sr_1_3/503-9139808-8786342?ie=UTF8&s=books&qid=1173692177&sr=1-3

 という本がありますが、これは、娘さんを交通事故で亡くされた大学の教授が、交通事故の民事裁判等を批判した本ですが、それは、あまりに定型化されている、つまり、どの裁判官でも同じ結論になるということ等を批判しています。

 どの裁判官でも同じ結論でも批判され、裁判官により結論が違っても批判されるという側面があります。

m3に書かれていた以下の事件ですが...
誤診で送検?

詳細までは不明ですが,これが刑事事件になるんでしょうか?
さらに医療崩壊加速ですね.

読書感想文です

『実務 医療過誤訴訟 -訴訟における専門的アプローチとノウハウ -』
(上田和孝(弁護士)著、¥4700、民事法研究会、2007年1月30日)

終始、”被告側医師はペテン師であり詭弁を弄するので騙されてはいけない”という論旨が貫かれています。
「医療知識、ここがポイント」と題して、患者原告側から見たツッコミどころを列挙しているけれども、非常に皮相的。レトロ(スペクティブ)とプロ(スペクティブ)の違いを強調しているものの、感度・特異度で検査を割り切っていて、陽性予測率などのプロスペクティブな判断はできないようです。

この著者の言う”弁護士が医療を学ぶことの「デメリット」(p。269)」は

医療の理解が深まってくると、医療のむつかしさ、医師の悩みも見えてきます。「勝つための医学」ではなく「真実発見の医学」身につければ、当然悩みは深くなっていくものです。これは医療を学ぶことのデメリットといえます。

この人にとって、勝つための弁護活動が最優先のようです。

医療過誤訴訟の攻撃法は、出版されていますが、防御については余り前面に出てくることがありません。医療側弁護の努力はあるのでしょうか?素手で裁判を戦わされているような悲しい気分になります。
どんなに頑張って医療をしても、救命できなければ、感謝の言葉の代わりに、見舞金だの慰謝料だの、賠償金を要求されそうな恐怖心を煽るには十分に刺激的な内容です

この上田先生の師匠にあたる加藤良夫先生・増田聖子先生の著書となる
『患者側弁護士のための 実践 医療過誤訴訟』
(加藤良夫、増田聖子 著、¥4300、日本評論社、2004年2月27日)
では、患者と医療の関係を、消費者と製造者に見立てている。

無過失でも医療行為と損害の間に因果関係があれば補償する。このことにより被害者の救済が拡大する。現在の医療過誤訴訟では、医師側に過失がなければ損害賠償は認められない。たとえば心臓カテーテル検査で検査中に死亡した場合、医師に過失があったかどうか問われる。「検査」と「ショック」との間に因果関係が認められても過失が立証できなければ裁判では負けてしまうのである。たまたま医療側の過失を立証しやすいケースでは被害者は賠償を受けられるが、医療側に問題点がたくさんあったとしても、いずれも過失とまでいえないという場合は損害賠償は一切認められない。これでは不公平感も残る。医療に起因して起こった大変気の毒なケースは、過失があろうがなかろうが保証していくことが必要であろう。(p.50)

と、過失が医療側になくてもPL法に準じて補償すべきだとお考えのようす。過失がないのに賠償金がもらえないのは不公平なのでしょうか?
もちろん、著者らが構想する「医療被害防止・救済センター」が現実にうまく運用されるとよいが、公的財源がない中でいきなり医療側に高度な負担を強いているだけのようにも思える。
患者の救済を行う患者の味方だったはずなのに、過失がなくても加害者として賠償せよとなるのであれば、そもそも患者の味方になる理由が乏しくなるのではないかと思ってしまう
患者がリスク負担をせず、医師にリスク負担を強いているのは、道理が違うのではないのだろうか?

現在の司法制度で、合併症を含めた利害調整を行うのは難しいのではないのだろうか?
加藤先生らが提案する「医療被害防止・救済センター」構想も立法・行政措置がなければ成り立たない話であり、性急に医療側に負担を押し付けられても戸惑うばかり。

最低レベルの医療支出の中で、最高レベルの医療を保っている日本の医療ではあるけれど、労働環境の悪化と合わせて維持不可能に思えてます
広い患者利益を考えると充分すぎるほど日本の医療は充実していたのに、もう時代は逆には戻れないのでしょう
医師が合理的に動く時に、患者にとって有利に働くかどうかは私には予測がつきません
アメリカ型であれば、おそらく高給取り以外には地獄の医療制度となることでしょう

> No.41 level3さま

リンクがうまくいかなようです。

同様の記事のソースと内容を示しておきます。

腸捻転を風邪と誤診 札幌で女児死亡 2医師書類送検 2007/03/13 14:02

札幌市厚別区の会社員三上直也さん(27)の長女紗英ちゃん(4つ)が昨年一月、同区の小児科医院で診察を受けた際、院長の男性医師(50)から、実際は腸捻転(ねんてん)なのに風邪と診断され、回復しないため再び医院を訪れた際も、男性医師(57)に誤診され死亡したとして、道警は十三日、業務上過失致死の疑いで、院長と医師を書類送検した。

 三上さんらによると、長女は昨年一月二十三日夜から腹痛を訴え、回復しないため、翌二十四日午前、家族と同医院を訪れた。診察に当たった院長から、風邪と診断されて帰宅したが、ぐったりした状態となったため、二十五日夕方、再び医院を訪れ、別の男性医師の診察を受けた。この際、エックス線などの検査を受け、医師から「胃腸炎ではないか、風邪の影響もある」と診断され、「命に別条はない。明日来なさい」と言われたという。

 長女は帰宅後、意識がなくなり、心肺停止状態となったため、救急車を呼んで市立札幌病院に搬送したが、二十六日早朝に死亡した。

 道警が長女の遺体を司法解剖した結果、死因は、腸捻転による腹膜炎だった。道警は、診察した医師二人が二回の診察でいずれも誤診したとみて、適切な医療行為を怠ったことから長女を死亡させたと判断した。

 同医院の院長は、北海道新聞の取材に対し「誤診ではなく、適切な診療だった。今回の送検は女児の解剖結果を誤って解釈しており、妥当性を欠いている」と話している

m3.comでは、思いっきり医師たちは怒っています。また、医師を辞めるという意見もあります。

医療知識をあまりお持ちでない方が、これだけの記事を見れば、「なにやってんだ、ヤブ医者」とお感じなるになるかもしれません。なぜ、これがこれだけ医師の怒りを買う報道なのか。各人、ご自身でよく考えていただければ幸いです。 最近、私は、メディア・リテラシーという言葉を知りました。この記事をどう見るかは皆さんしだいです。

No.32 つくねさん
>医療行為は、医師と患者の医療契約に基づき行われます。
もちろんその点に関しては理解していますよ、一応患者さんからお金を貰って医療行為を行なっている訳ですから。

理解頂いているのなら、これ以上言葉を重ねる必要もないのですが、医療契約に基づき行われるからこそ、患者の期待権が法的保護に値する意味を含むことも理解して頂いたと考えて宜しいのでしょうか。

No.34 つくねさん
>他人を自らの希望に沿って動かす場合に必要なのは、基本的に「アメとムチ」です。

上記一般論に異議はありませんが、司法はその意味では、権利を侵害した者には「ムチ」であり、権利の侵害の回復を受けた者には「アメ」として作用するので、いわば価値中立的な存在と思います。現在の医療崩壊の一番の要因は医療費抑制策による「ムチ」であり、医療訴訟が増加していること自体が「ムチ」として作用していることは認められるとしても、医療訴訟の判断自体が誤っている(とんでも判決)から、「ムチ」として作用しているのかについては懐疑的です。藤山判決がとんでも判決として取り上げられていますが、今後私なりに検証して見たいと思います。

No.36 つくねさん
>そこに「学会や研究会」での是認を超えたもうひとつの「確認」段階が存在し、

あーそういうことですかと感じますが、有効性と安全性が是認されていながら、何故普及しないのか、その理由が問題かと思います。非医療者にとっては具体例で説明頂けると有難いのですが…

No.38 Med_Law さん
>ルンバール(事件)の「高度の蓋然性」の判示を、現実と乖離したドグマとして放棄し、むしろ訴訟上の具体的な諸問題に正面から取り組む必要が出てくるであろう。
と、問題点を提示しています。

昭和50年ルンバール判決は「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を検討して、特定の事実発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるとものである。」と判示したものです。この一般論に代えて、「訴訟上の具体的な諸問題に正面から取り組む」ことで安定的な判断が可能とは思えません。
訴訟上の諸問題が何を指すのかも不明ですが、仮に訴訟上のテクニック(弁論主義や真実擬制規定)で事実認定をしようとしたら、Med_Law さんが懸念する科学的な事実認定から目を背けた判例が増える可能性があります。
私の患者側弁護士としての苦い経験ですが、特定の病名で診断治療し、裁判でも医師側はその病名を前提に争っていながら、提訴後3年も経過し人証調べの直前になって他の病名である可能性が高いと主張を変更し、患者側は高度の蓋然性の立証ができず、事実上敗訴的和解を余儀なくされたことがあります。訴訟上の信義則に反する、遅れた攻撃防御方法の提出は許されないとして、訴訟上の問題として判断して欲しかったとは思っておりますが…

No.42 Med_Law さん
>この著者の言う”弁護士が医療を学ぶことの「デメリット」(p。269)」は
医療の理解が深まってくると、医療のむつかしさ、医師の悩みも見えてきます。「勝つための医学」ではなく「真実発見の医学」身につければ、当然悩みは深くなっていくものです。これは医療を学ぶことのデメリットといえます。
この人にとって、勝つための弁護活動が最優先のようです。

このようなまとめ方は著者の本意を伝えているとは思えません。上記記述の続きのくだりを付記します。

 私は、聞く耳を持つ依頼者には、上記のような悩みを率直に説明することがあります。医師との対決をことさらに望むわけではない多くの依頼者は、十分時間を使って医療のむつかしさを説明すれば、それを踏まえて冷静に方針を決定していくものです。
 私はこれからも、こういったスタンスを大切にしていきたいと思います。依頼者によっては、私のような考え方は「医師の味方」のように見えるかも知れません。そうした人には、私は不向きです。しかし、いろいろなニーズがあるように、いろいろなサービスがあっても良いと思います。


医療行為が本当に契約関係ならばまだ良いのですが、そうであるなら双方の合意が形成できない場合に契約を締結しないという選択枝も当然に用意されるべきでしょうね。応招義務などという不当な片務的関係はさっさと撤廃されてしかるべきだと思います。

No.44 地方の弁護士さん

>医療契約に基づき行われるからこそ、患者の期待権が法的保護に値する意味

最高裁の判例を含むいくつかの裁判所の勝手な医療水準の判断は、まともな医師全て(誇張ではありません)がそれならとても契約など結べないと考える点において、明らかに誤りです。
同様に、誤りの基になる期待権も、文書で契約を取り交わすという話ならば、医師は誰も署名捺印しないでしょう。医療が契約であることをもって、期待権が法的保護に値するとするということを、医師に納得させるのは無理です。

> No.42 Med_Law さん
過失がなくても賠償が可能という論理的な説明は一切ないのでしょうか?これが一般的になれば医師は侵襲的医療に手を出さなくなるでしょう。そうなった場合に被害をこうむるのは患者であるし、筆者はどうも論理的思考に欠けているな、と思います。

> No.43 ER医のはしくれさん
誤診しない医師はペテン師かヤブか、あるいは神でしょう。現実に神はいません。
世の中に誤診した事が無い医師なんていません。問題は誤診までの過程に医学的な妥当性があったかどうかであると思います。警察が入る余地は全くありません。これは純粋に医学的な問題です。あるとすれば家族が告発したということになるのでしょうが、書類送検とは大げさな気もします。日常診療に影響がないように警察の対処を御願いしたいです・・・というよりもすべきではありませんし、その資格は医学的に考えて裁判所はおろか警察には無いと断言できます。法的にどうなっているのかは知りませんが、論理的にはそういわざるを得ませんし、そうなっているのであれば方率が間違っているとしか言いようがありません。
例えば風邪を一発で診断できる医師はいるでしょうか?答えはノーです。鑑別の難しい疾患であれば尚更です。腸捻転ということは要はイレウスであったと解釈すればよろしいのでしょうか?その場合、レントゲンにうつらない場合は診断が不可能であるといわざるを得ません。良く見るとX線写真を受けたとあります。イレウスの兆候が出ていて、かつ見逃していない限り誤診はあってあたりまえだと思います。イレウスの所見が出ていて、見逃したのであればちょっと問題ですが・・・。

No.44 地方の弁護士さん

>勝つための弁護活動

患者側弁護士が少なからずこのような感覚をもっていることは、古くからの議論でここの医師の間では周知のことです。以前PINE先生ご紹介の日弁連の機関誌「自由と正義」平成18年8月号を、私を含めた多くの医師が購入しましたが、医療側弁護士が我々の主張している問題点を的確に理解していることに対し、患者側弁護士の投稿は、無知と無邪気さにあふれていました。Med_Law先生のご紹介された話も同じではないですか。それは、多少最後で善良なポリシーを見せたとしても、実際に実行しているわけですから否定できないことだと思われます。

>依頼者によっては、私のような考え方は「医師の味方」のように見えるかも知れません。そうした人には、私は不向きです。しかし、いろいろなニーズがあるように、いろいろなサービスがあっても良いと思います。

それから、善良なポリシーと書きましたが、これではとても十分とは言えません。不向きとされている依頼者は、簡単に言えば裁判の悪用により社会に害をなしても自己の利益を図ろうとするものです。あっても良いではなくて、そうでないものをむしろ厳しく戒めていく姿勢が必要のはずです。誰もが弁護を受けられるということは重要なことですが、だからと言って、法律にふれていなければ他人や社会に大きな迷惑をかけるような行為でも受けてよいとまでは言えないと思います。

患者側弁護士の中には、吟味をつくしてこれぞという訴訟しかおこさないような正義感の強い人も少なくないと思っています。しかしながら、現実として訴訟にすること自体問題と思われるような例も少なからず存在し、しかもトンデモ判決で勝つことすら(見舞金程度の実質敗訴例も含む)散見される。トンデモ鑑定医やキチガイマスコミ医を何とかできない我々と同じようなこともあるのかもしれませんが、患者側弁護士の中から他の患者側弁護士を非難するような話があまり聞かれないところがかなり異なります。結局単なる怠慢による不勉強又は意図的に学習しないことによって、真実に目を背けて目の前の勝利に邁進し、結果として社会に悪影響を与えるだけの弁護活動をしている。患者側弁護士のほとんどがそんななので、良識派が声をあげられないという状況なのではないでしょうか。

>No.44 地方の弁護士さん

>司法はその意味では、権利を侵害した者には「ムチ」であり、権利の侵害の回復を受けた者には「アメ」として作用するので、いわば価値中立的な存在と思います。

そんな馬鹿な「アメとムチ」を提唱されても困ります。ワザとですか?
搾取のような構図があるなかで、搾取されるものと搾取するものとでゼロサムだったら中立?
それだったら国の大赤字は国民の大黒字に転換されているのだから資本で中立?
夕張の自治体破産も住民に黒字移転されてたあとなのだからゼロサムで中立ですか?

『実務 医療過誤訴訟 -訴訟における専門的アプローチとノウハウ -』
(上田和孝(弁護士)著、¥4700、民事法研究会、2007年1月30日)
の第7章は『医師の詭弁と対策』と題し、p396〜464の多頁を割いて述べておられます

1  医師の詭弁(総論)
2  争点ぼかしの詭弁
3  他原因の詭弁(確率を偽る詭弁、科学的正確さの詭弁)
4  表見的他原因の詭弁
5  原因不明の詭弁 櫺鯡隻塒弩彊の詭弁
6  原因不明の詭弁◆歛真他原因の詭弁
7  先行原因の詭弁
8  特異体質の詭弁
9  検査の精度に関する詭弁
10 症状の特異体質に関する詭弁
11 診断確率に関する詭弁
12 表見的快復の詭弁と複雑疾患の詭弁
13 プロとレトロに関する詭弁
14 頻度、統計に関する詭弁
15 出血事故に関する詭弁
16 血液ガスに関する詭弁
17 複合的詭弁
18 その他の詭弁

医学的な知識の乏しい人が、正確な事実把握のないまま相手を詭弁と断じて、あの手この手の攻撃手法を丁寧に解説しておられますが、読むたび毎に、トンデモ「医療知識、ここがポイント」を金科玉条に突っ走る恐ろしい姿が目に浮かぶようです

さらにこの著者は、”刑事手続は民事責任追及に不利に働くこともおおい”ので反対だとして、”懲罰的慰謝料の積極的導入を求め(p.142)”て居られる。

>、「訴訟上の具体的な諸問題に正面から取り組む」ことで安定的な判断が可能とは思えません。

何を言っておられるのか意味が不明です。個別具体的な終局的紛争解決が司法の目的でしょう。具体的な事実の取上げができないのであれば、過失責任主義の原則から言えば、請求棄却が当然の帰着点ではないですか?

死亡時点がずれることによる期待権侵害が認められるのであれば、同じ価値として死亡時点を伸ばすことによる価値創造(つまりはもっと高額の診療費用)が発生しなくては、不平等な契約関係でしょう。日本の医療費は診療内容に相応していません。
そんな期待権を認めることによる医療費の高騰まで、訴える患者側は責任もたないということでしょうが、その影響は甚大に反映されています。

>No.47 yama さん
>過失がなくても賠償が可能という論理的な説明は一切ないのでしょうか?これが一般的になれば医師は侵襲的医療に手を出さなくなるでしょう。そうなった場合に被害をこうむるのは患者であるし、筆者はどうも論理的思考に欠けているな、と思います

これは加藤良夫弁護士らの『構想』に過ぎません。しかし、医療被害者(と称する人)には無過失でも補償を与えるべきだと信念を持って、構想が実現化する前に、医師・病院と闘っている弁護士が居られるのが現実で、その影響もあって裁判所が、患者側に甘い判決を下しています。

それにしても、医療側の顧問弁護士は何をやっているのでしょう?
法理を闘わせる裁判所で、医療を守ってくれている代理人がいないような気になるのはナゼでしょう

不幸な事例では、かならず加害者と被害者がいるようなドグマは危険です

>Med_Law さん

さらにこの著者は、”刑事手続は民事責任追及に不利に働くこともおおい”ので反対だとして、”懲罰的慰謝料の積極的導入を求め(p.142)”て居られる。

「アメリカでは医療訴訟は刑事免責だ」と仰っている医師をネット上ではよく見かけますが、「アメリカ的に懲罰的損害賠償も導入するべきと主張しているのかな」と思うことはありますね。

また、日本の医療訴訟で刑事免責が導入されるとしたら、懲罰的損害賠償とバーターになるようにも思います。

どうも感情的になって双方の論旨が噛み合っていませんが。

No.38 Med_Law さま
>「ルンバール(事件)の「高度の蓋然性」の判示を、現実と乖離したドグマとして放棄し、むしろ訴訟上の具体的な諸問題に正面から取り組む必要が出てくるであろう。」
と、問題点を提示しています。

原典に当たっていないので、No.44 地方の弁護士さま同様、私ものここの論旨が解らないのですが、
Med_Law さまは、論者溜箭講師の意見に賛成で、「高度の蓋然性」理論を放棄して、「訴訟上の具体的な諸問題に正面から取り組む」べきとおっしゃるのですか?
「訴訟上の具体的な諸問題」をどのような意味で使っているかが解らないので、もう少し前後を紹介していただけませんか?

なお、ルンバール事件の「高度の蓋然性論」は、訴訟においてどの程度の立証があれば原告が主張する事実を真実であると認定してよいかという、まさに訴訟手続上の問題(事実認定のあり方)を扱っているのであり、
これ以外にどういう問題を、「訴訟の具体的な諸問題」として取り組めというのか、ちょっと見当が付きません。

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> ”弁護士が医療を学ぶことの「デメリット」(No.42 Med_Law さま)
> 私は、聞く耳を持つ依頼者には、上記のような悩みを率直に説明することがあります。医師との対決をことさらに望むわけではない多くの依頼者は、十分時間を使って医療のむつかしさを説明すれば、それを踏まえて冷静に方針を決定していくものです

上田和孝弁護士の主張は、「医療の実態を知るにつれ、医療に対する闇雲な攻撃はできなくなる。それは依頼者(相談者)の意に添わないこと(=「デメリット」)であるかもしれないが、自分は弁護士のポリシーとしてそうする」というものです。「勝つための医学」ではなく「真実発見の医学」のほうを重視すべきである、「不幸な事例では、かならず加害者と被害者がいるようなドグマは危険」であるという諫めです。
これは、むしろ医療者側に理解を示した公平なスタンスであり、「良識派として声をあげている」ものであると受け取れます。

なぜこれが非難されるのか、全く理解できません。
自分の味方になってくれない人は、全て間違っており悪であるという決めつけのほうが歪んでいると思います。
上田弁護士が、患者側弁護士のリーダーとして、このようなポリシーを仲間に広めてくれることは、医療者にとって有利な話であるから、感謝して応援するべきです。

> 多少最後で善良なポリシーを見せたとしても、実際に実行しているわけですから否定できないことだと思われます(No.48 元行政さま)

上田弁護士が代理人を引き受けた事件を全部見なければ、「実行している」という批判はできません。
上田弁護士が患者側代理人の闘い方の指南書の中で、わざわざ「医師の味方のように見えるかもしれない」ポリシーを披露する以上、
上田弁護士の目からみても、医療者に過失はないと見える事件については、依頼を断るという態度に出ていると理解するほうが自然です。

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> さらにこの著者は、”刑事手続は民事責任追及に不利に働くこともおおい”ので反対だとして、”懲罰的慰謝料の積極的導入を求め(p.142)”て居られる。(No.49 Med_Law さま)

刑事手続きに反対するというのは、医師の皆さんとも同じ意見ではないですか?
患者側代理人の立場でも、刑事責任の積極的な追及を善しとしない、という事実は重要です。
最近の刑事責任追及の風潮は、マスコミの煽りによるものと考えます。取材で「あなたは告訴しないのですか」と聞かれたり、新聞TVで告訴告訴と報道されるのに刺激を受けて、じゃあ俺もやってみようかという契機が多いのではないかと思います。

「懲罰的慰謝料」は、特に反社会性がある行為について課罰的な趣旨で損害額以上の賠償義務を負わせる制度で、公法と私法の区別のない英米法の思想に基づく制度であり、
私としては、日本の既存の法制度や社会風土になじまないと思うので反対です。
しかし法理論的には、刑事罰の代わりの制裁手段として、考慮の対象にはなり得るところです。当然ながら、全ての場合に「懲罰的」慰謝料が認められるものではなく、故意か、それに近い重過失がある事案が想定されますから、そんなに無謀な考え方ではありません。

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> 裁判所が、患者側に甘い判決を下しています。(No.49 Med_Law さま)

このブログで何十回と繰り返し説明されてきたことですが、医療訴訟が患者側に甘いという事実はありません。(世間では原告勝訴率の低さからして、むしろ厳しいと認識されています。)
年間1000件の終結事件のうち、何件が報道されていますか。医療側敗訴の事案の報道が多い理由は、それが珍しく、ニュースバリューがあるからです。

不当な判決があるとしても、裁判所が判断を誤る最大の理由は、訴訟上顕出される医学的見解が誤っているためです。
これをあらためさせるためには、まず、ご同業の「トンデモ鑑定医やキチガイマスコミ医を何とか」していただくことが先決です。
それに成功しない限り、不当判決を撲滅することは不可能です。

> それにしても、医療側の顧問弁護士は何をやっているのでしょう?
> 法理を闘わせる裁判所で、医療を守ってくれている代理人がいないような気になるのはナゼでしょう(No.49 Med_Law さま)

医療訴訟の医療者側が本人訴訟ということは考えられず、全件、代理人弁護士が付いています。あなたが自分の狭い世界の中で、医療側弁護士と面識がないからといって、世の中で彼らが活動していないわけではないのです。
医療者側の代理人弁護士は、おおむね、病院の顧問弁護士、自治体の顧問弁護士、保険会社の顧問弁護士といった人たちです。彼らがマスコミに出たりサイトを持つといった表立った活動をせず、個別の事件についても黙して語らないのは、顧客の要望によるものと推察されます。

ご自身の事件の代理人を探したいなら、医療訴訟を経験された医師の方に評判を聞いて、紹介してもらうのが、早道です。

>No.50 しま さん

懲罰的慰謝料は医療に限定されない制度なので
他の業界とか 民事訴訟全般の制度見直しも
必要になるとおもいます
やる気があるならそれでもいいかなとも思います
その際は 現状で日本の医者が我慢している
患者側の問題行動も全部懲罰的訴訟になるでしょう

さらにいうとアメリカの医療チェック制度としては
日本と比較にならないほど能動的な行政処分機構があり
こっちのマネの方がはるかにメリットが多いとおもいます

それと懲罰的賠償ってアメリカ以外にはあるんでしょうか?

No.51 YUNYUNさん

最近思うのは、熱心に議論される法曹の方々の、法的に正当な議論を読み最終的にはケチがつけられないものであろうことを悟るたびに、だからこそ司法が医療崩壊の直接的原因としてあまりに大きいものなのだなぁ、ということです。

>不当な判決があるとしても、裁判所が判断を誤る最大の理由は、訴訟上顕出される医学的見解が誤っているためです。

僕は、裁判官に当たりハズレがあることもそれと同じくらい大きな理由じゃないかと思うんですけど。裁判官に当たりハズレがあることは、たしかYUNYUNさんが書かれていましたよね。

>これをあらためさせるためには、まず、ご同業の「トンデモ鑑定医やキチガイマスコミ医を何とか」していただくことが先決です。
それに成功しない限り、不当判決を撲滅することは不可能です。

裁判官に当たりハズレがあることと同じように、鑑定医やマスコミ医に当たりハズレがあることも仕方が無いと思います。
そうなると、もう医療側はトンデモ判決を完全回避することはできない、という境地から再建策を考えたほうがいいのかもしれませんね。となると、アメリカ並の医療費の高騰がもっとも現実的でしょうか。

ああ、患者不在の医療裁判議論…

>>不当な判決があるとしても、裁判所が判断を誤る最大の理由は、訴訟上顕出される医学的見解が誤っているためです。

>僕は、裁判官に当たりハズレがあることもそれと同じくらい大きな理由じゃないかと思うんですけど。裁判官に当たりハズレがあることは、たしかYUNYUNさんが書かれていましたよね。

法律家のコンセンサスらしい「私知利用禁止の原則」が当たり外れ防止に逆効果になってるというのが 大部分の医者の直感です.そもそもそんな原則があるのも知らない医者の方が多い.はじめて知った医者はかなり驚きます.なんでそんな原則があるのかあたりから わたくしも多少勉強したつもりですが 理解いたしかねる部分があります.

>これをあらためさせるためには、まず、ご同業の「トンデモ鑑定医やキチガイマスコミ医を何とか」していただくことが先決です。
それに成功しない限り、不当判決を撲滅することは不可能です。

具体的にどう排除するのでしょうか.そういう医者はたいてい すでに業界からは排除されてます.まともな医者は存在すら知りません.認知してないものに対処のしようがない.キチガイマスコミ医を飼っているのはマスコミです.「餌を与えないで下さい」を強制する権限も医者にはありません.医師免許をとりあげるのは医道審だけが持っている権限であり,現在の制度では原則 刑事又は民事判決が出ないと医道審扱いになりません.(例外は過去一例くらい)権限を持ってる人が排除しないで医者にしろと言われても方法がありません.

ちなみに 医療有資格者以外も含めたトンデモ医療データベースとしてはこんなのを作っておられる人もおられますです
http://khon.at.infoseek.co.jp/

裏返して言うと 医師に弁護士のような自治権限を与えていただけるならば 自律性も機能できるというものですから そういう医師法改正を個人的には希望してますが 残念ながらそういう意見が医療業界では極少数だと思います.

>いのげさん

さらにいうとアメリカの医療チェック制度としては
日本と比較にならないほど能動的な行政処分機構があり
こっちのマネの方がはるかにメリットが多いとおもいます

実は同感です。アメリカ、特にニューヨーク州の報告システム・行政処分システムは理想だとは思います。
http://shakai-gijutsu.org/ronbun2/293.pdf

学ぶべき点は多々あるとして、文書中のピアレビュー特権と、ディスカバリーと言われている証拠開示手続とが干渉するように思うのですが、このあたりがどのように解決されているのか気になるところですね。

懲罰的損害賠償ですが、日本では懲罰的損害賠償は受け入れられないと思いますし、安易に懲罰的損害賠償を取り入れることで予測し得ない悪影響を与える可能性が大きいと思います。

そういえば、これも確かYUNYUNさんだったと思うんですが、「弁護士同士は同業批判はしないように取り決めている」旨の書き込みを見た覚えがあります。それを知ってびっくりしました。医者もそういう方向で変化しているようです。当然患者側鑑定医はいなくなりますが、それは「弁護士の道徳」に倣った流れですから、当然法曹からの文句は出るはずがないものと思います。どこかで「患者側鑑定医がいない」と嘆く意見も見た覚えがありますが、何をかいわんやです。

ただし、医療と患者の為にはなんら資することの無い流れだとも思います。やっぱり、司法の道徳は医療崩壊の大きな原因でしょう。

あと、ついでですが、医療裁判での勝訴率が低いのは、単に「泡沫候補が多い」からというのが直感です。他の種類の裁判と比べる意味がどこにあるのか分りません。

>No.51 YUNYUN さん

感情的に流されている訳でもないですが、、、

>上田和孝弁護士の主張は、「医療の実態を知るにつれ、医療に対する闇雲な攻撃はできなくなる。それは依頼者(相談者)の意に添わないこと(=「デメリット」)であるかもしれないが、自分は弁護士のポリシーとしてそうする」というものです。

ポリシーとしてそうする=針の穴を突いてでも患者側勝訴のため攻撃する。であって、真実発見の医学というより、弁護実務的武器としての医学という主張と採りましたが、解釈の間違いと言えるのでしょうか?竅ちすぎですか?

溜箭講師の「医療と法の最先端を考える 『因果関係 -ルンバール事件」からの問題提起』(ジュリスト、2007年3月15日号、No.1330、p75-92)を全て引用する訳にもいかないでようから、是非、現雑誌をお手元に購入してみてください。最新号ですので、書店で並んでいるはずです。

>ご同業の「トンデモ鑑定医やキチガイマスコミ医を何とか」していただくことが先決です。

これについては同感です。但し、溜箭講師の批評を見る限り、トンデモ鑑定でなくても、鑑定事実の摘み食いだけでも、不能犯的な行為を、因果関係のある過失行為と認定している現状がありそうですので、簡単に肯首しがたいものがあります。
関連学会を通して、筋の通らないマスコミ報道やマスコミでの発言を是正すべく、委員会立ち上げを模索しています(本来、委員会を立ち上げるような立場ではありませんが。。)

>世間では原告勝訴率の低さからして、むしろ厳しいと認識されています。

これもどうでしょう?示談、和解も含めた実質的勝訴率を考慮すれば、一方的に不合理に患者側不利とも言えないと思いますが?
むしろ、患者側不利な事案を無理矢理、全損害賠償までの責任を負わせる判決が与える悪影響の方が深刻だと思います (これは、立場が違う以上、埋めようがないところかもしれませんが)
加藤先生が提唱されているような「医療被害防止・救済センター」が実働し、ワクチン被害者救済と同じように、医療の恩恵の影で、”悪魔の籤引き”の結果、不幸な事例に遭われた方の救済ができれば理想的ですが、現実にそのような仕組みがない以上、その救済の原資として医師の資産(主に、医療事故担保保険ですが)を当てにするのは、それまで救命に尽くしてくれた医師に対して、信義則に反するのではないかと、単純に考えます。

加藤先生や上田先生が患者側専任弁護士だからといって、非難している訳でもありません。
”カルテの入手すらしないままに、病院で治療中に死亡したから胃瘻過誤であると主張するがごとき、ずさんな訴訟を提起している弁護士がいるとの風評を耳にすることもあるが、きわめて遺憾なことである(p.57)” 『患者側弁護士のための 実践 医療過誤訴訟』
こういった訴訟が、罪深いことは、共通認識としてあると思います。

私たちが適切な医療を安全に提供できる仕組みができるための過渡期なのでしょうが、非常に危険な状況であるという共通認識も同じでしょう。

医師患者がお互いに納得できる医療契約関係がどうすれば構築できるのか、私には解決策が見えないままです

No.59 Med_Lawさん

>医師患者がお互いに納得できる医療契約関係がどうすれば構築できるのか、私には解決策が見えないままです

医療の値段を「民事訴訟放棄価格」と「民事訴訟可能性留保価格」との2本立てにすることが出来れば、概ね解決するだろうと夢見ます。治療によっては数十倍の価格差が出ると思いますが、もはやそういう方法でも導入しないと、そもそもどんな結果になろうとも運命として受入れるような善良な方が、現状どおりの安価な医療を受ける権利を維持できないですよね。

原文に当たっていないのですが

>Med_Lawさん
「針の穴を突いてでも患者側勝訴のため攻撃する」=「闇雲な攻撃」だと私は解釈します。一方、上田弁護士は「闇雲な攻撃はしない」と仰っているようなので、「訴訟しても真実が見えないと判断した場合は、患者に訴訟を諦めさせる」事がポリシーなのではないかなと思います。

>いのげさん

医師に弁護士のような自治権限を与えていただけるならば 自律性も機能できるというものですから そういう医師法改正を個人的には希望してますが

医師が望むのであれば医道審議会を廃止して、医師に大幅な自治権限を与えることも可能だと思いますし、賛同もします。その場合、医道審議会に変わるシステムは医療界のどこが構築するのかが気になるところですね。

>医道審議会に変わるシステムは医療界のどこが構築するのかが気になるところですね。

それはもう医師会しか無いと思いますが
そーゆー法改正の要望は業界にも世間一般にも無いと言って寡言ではない状況です
ここに来る医者や非医療関係者は例外的です
わたくしも毎日いろんなキーワードで検索を続けてますが
他ではほとんど見た事も聞いた事も無い議論です

美容外科の考え方からは学ぶことが多そうに思います

そのような時、商行為として美容外科を位置付けたと仮定したら、術前に医療側と患者さん側でどのような約束事がなされていたかが重要となります。例えば

(イ)合併症をきちんと説明したが不幸にも発生した時
(ロ)患者さんが100の要求をし、医療側が100の要求を可能だと約束したがそれが出来なかった時、或いは
(ハ)医療側が術前に60点くらいしか可能でないと約束したにも関わらず、患者さんが術後100の事を期待し要求した時

医療事故と医事紛争


自由診療だからこそできることなのかも知れませんが。


>いのげさん
今までの制度が疲労して、新しい制度の構築がどの分野でも望まれているのでしょうが、制度の作り方を誰も知らないんでしょうね。試行錯誤でやっていくしかないのでしょうが、そもそも誰も手を付けていないと言うのがあるんでしょうね。混乱の中でもがき苦しむのは、国民皆同じかも知れません。

少し、黙って聞いていたが、我慢ならん。

法曹関係者が、法治国家では、法が全てだと言わんばかりに法理論を振りかざすのは、なんとも滑稽である。共通言語を使いませんか?あなたたち法曹家が、傷害罪とやらを作る数万年前から、我々の治療は行われ、ヒトが救われてきていた歴史を逆さまに理解して、『本来、医療行為は傷害行為であって、これこれの条件が満たされて始めて、違法性を阻却できる』などとしたり顔は、陳腐だと思う。共通言語で話そう。
年間1000件に上る医療訴訟のうち、トンデモ判決は、ごくわずかであり、云々も、トンデモ判決の『重過失性』を学んでから、いいなさい。

兎に角、法曹家の先生方は、もう少し共通言語で話してみませんか?
医師に時々法的無知があるのを指摘するのは、道理だが、法曹家に医療行為の無知があっても『私知利用の禁止』で救われるのだから、これも陳腐であろう。

上記で、ちょっと、スゴンでみましたが、キャラですから、軽く受け流してください。法曹家の皆様、引かないでください。私馬鹿ですから。

いろいろありますが、これだけは。

> これも確かYUNYUNさんだったと思うんですが、「弁護士同士は同業批判はしないように取り決めている」(No.57 峰村健司さま)

うっそー!!そんなこと言ってません。
同業者批判はしないという「取り決め」は存在しません。

しかし、安直な批判はできないとは思います。まともな弁護士なら、みなそのように考えるでしょう。
死亡診断書を見ただけで治療法を推測して批判できないように、判決書を見ただけでは訴訟活動の全てが解りません。訴訟記録と打ち合わせ経過を全部見てみなければ。
また、一般的に、訴訟活動では、相手があり裁判所の考えありで、不確定要素が多いため、
ここで和解に応じたほうがよいか、それとも判決をもらったほうがよいか、どちらが有利とは確定的に予測できないように、ベストの行為が一義的に定まらないことが多い。
このことが、弁護過誤との批判を難しくしている要因であるとはいえます。
根拠ある批判はOKです。時効を飛ばしたとか、申し立て期間を徒過したとか、客観的に明らかなミスについては、申し開きができません。

なお、弁護士としての活動方針は倫理に反しない限り、自由ですから、法の枠内でどちら側の代理人になろうと、そのこと自体は批判されるものではないとされています。
患者側に立つも医療機関側に立つも自由。
ただし、医療事件や労働事件のように、立場の対立が鮮明な分野では、一度どちら側で働くかを決めたら、その立場を取り替えることはあまりしないものです。立場をコロコロ変えると、依頼者に信頼されないから。
その場合に、どちら側を選ぶかは、やはり自分の趣味というか、弁護士としてのポリシーということになるでしょう。
弁護士に応召義務はないので、自分のポリシーとどうしても相容れないお客さんは、お断りすることになります。そんなときに無理に引き受けても、良い結果を出せないことが多いので、依頼者にとっても自分にとっても不幸だからです。

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陳腐とは、使い古されたというような意味と思います。

> 『本来、医療行為は傷害行為であって、これこれの条件が満たされて始めて、違法性を阻却できる』
> 『私知利用の禁止』

これらは何百年も前から疑いもなく使われている法理論だから、確かに、陳腐ではありますね。

ところで、医師と法曹とに、「共通言語」てあるの?
少なくとも法律用語は日本語だけど。裁判では日本語を使えということに、法律で決まっています。
でも、医師同士は、ほれ、わけのわかんない横文字の符牒で会話するじゃん。素人には隠しておきたい事があるからだよ、きっと。カルテなんか、暗号文よろしく「解読」してもらわなきゃ解らんし。(悪筆で読めないから、という説は却下

No.46 元行政さん
>医療が契約であることをもって、期待権が法的保護に値するとするということを、医師に納得させるのは無理です。

契約内容が不明確だから裁判所が介入するのです。裁判所の判断がそこまで信用できないなら貴殿の納得する契約書を作るか、少なくとも診療窓口に「私は軽過失があっても賠償責任を負いません。」と掲示することをお勧めします。

No.48 元行政さんのコメント | 2007年03月15日 15:36 | CID 44804 | (Top)
>勝つための弁護活動
患者側弁護士が少なからずこのような感覚をもっている

弁護士は勝つ見込みのない事件は引き受けません。勝つための弁護活動をするということは弁護士一般の習性です。

No.49 Med_Law さん
>そんな馬鹿な「アメとムチ」を提唱されても困ります。ワザとですか?
ワザとではありませんが、例としては適切ではなかったですかね。司法は原状を回復するだけですから、「アメ」にはなりえないのかも知れません。やはり「アメ」の代表はお金ですから、医療抑制策を転換させるしかないのでしょう。

>第7章は『医師の詭弁と対策』
おそらく筆者の体験に基づくものと推測されますが、この記述のどこが不適切なのか具体的に指摘頂かないとレッテルを貼った批判に止まってしまいます。

No.51 YUNYUN さん
>「訴訟上の具体的な諸問題」をどのような意味で使っているかが解らないので、もう少し前後を紹介していただけませんか?

私の言いたいことを代わりに答えて頂いてありがとうございます。貴職の投稿だけは何時も安心して読んでいられます。
なお、上記の前後の紹介ですが、私が読む限り、訴訟上の具体的諸問題について、何ら言及はありません。筆者の問題意識は
「高度の蓋然性」を堅持しつつ実体法理の充実を図るという最高裁の路線が維持できるか否かは、その裏返しである事実認定にかかわる判断の恣意性という危うさを克服できるかが大きな意味を持つように思われる。
と述べているところにあると思われます。規範に対する事実認定に向けられる批判としてはあり得るものですが、だからと言って「高度の蓋然性」の規範を捨てる根拠には到底なりえない、正にないものねだりの論考というのが私の感度です。
この論考で参考になるのは、鑑定実施において、前提となる事実が確定されることなく、鑑定が行われていることを指摘している点です。原告は「常識の範囲を超えた押さえつけ方をし(ルンバーを実施し)た」と主張したのに対し、鑑定は「常識的な範囲であれば容体急変に関連する可能性は低い。」としています。差戻審の事実認定を見ると
 前日のルンバーは幼児(3才)の激しい抵抗にあって中止されていること
 当日のルンバーにも激しく抵抗し、手技の失敗も重なり、その間約20分間を要したこと
 その手技終了後、15分〜20分後に容体が急変したこと
を認定しています。幼児の抵抗を排するのは当然としても、3才の幼児が必死に20分間も抵抗することが、幼児に大きな肉体的精神的負担を与えたことは容易に推測されますが、この事実が医学的に見て常識的な幼児の抵抗の範囲に入るのかを知りたいところです。

No.65 座位さん
>法曹家が、傷害罪とやらを作る数万年前から、我々の治療は行われ、ヒトが救われてきていた歴史を逆さまに理解して、『本来、医療行為は傷害行為であって、これこれの条件が満たされて始めて、違法性を阻却できる』などとしたり顔は、陳腐だと思う。

最近NHKの報道特集でしたか、ネパールでは国民の95%は貧困により、医療を受けられないので、日本人がボランティアで針治療に行っているとの報道がなされていました。
医療が最古の昔から存在していたことを争うものではありませんが、人が社会生活を始めると必ず社会規範が生まれ、その最低限度の規範が法規範として成立し、国民は好むと好まざるとにかかわらず、その規範に従うことを強いられるのです。今の医学が多くの人の英知と協力の上に成り立っている以上、医療も法規範の枠内でしか保護されないのは受忍するしかありません。
なお、私は座位さんのキャラが好きです。

No.67 YUNYUNさん

大変失礼いたしました。私の記憶していた発言は地方の弁護士さんの発言でした。お詫びします。
医療崩壊について考え、語るエントリ(その11)のNo.147 地方弁護士さん

弁護士は他の弁護士の批判することは弁護士倫理に反するされており、しかも会規化までされました。弁護士に対する負の情報は、本当に親しい関係者にそれも暗に伝えるだけです。

http://www.yabelab.net/blog/medical/2007/02/04-124938.php#c39639

尚、前後の文脈から、地方の弁護士さんはこの現状をよしとしていないものと読みました。

過去の議論も含めてみるに、多くの医療事故被害者はそれなりの補償と真実の追求をこそ願っている。また多くの医療関係者も再発防止のための医学的事実の解明と過失の有無に関わらない補償の導入については是認しそうな気配がある。そんなふうに考えてみると、本来患者と医師というのはもっと近いところに歩み寄れるのかなとも感じています。

そうなると結局のところ患者と医師の断絶関係がここまでになったのは、何が悪いのかと言えば両者の対立的関係を煽ることしかしなかったマスコミと、両者いずれの要求にも応えられない法曹ということもいえるのかも知れません。

医師という高度な専門職が一般人から遠いということはしばしば非難されますが、医師と同等以上の歴史と専門性を発達させてきた法曹もまた同じ以上に遠い存在なんだなと実感します。あるいは良い悪いとは別の次元で、お互い頑固だなといいますか(苦笑)。

>ところで、医師と法曹とに、「共通言語」てあるの?

YUNYUNさん、地方の弁護士さん、これが、このブログの目的の一つだと思いますよ。

『共通言語』、これを我々の自戒にしましょうよ。

> これが、このブログの目的の一つだと思いますよ。
> 『共通言語』、これを我々の自戒にしましょうよ。(No.71 座位 さま)

そのお言葉には大賛成です。
共通言語で語れるように、日々精進します。

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> 弁護士は勝つ見込みのない事件は引き受けません。勝つための弁護活動をするということは弁護士一般の習性です。(No.68 地方の弁護士さま)

付言しますと、
勝つ見込みが全くないにもかかわらず、そのことを秘して依頼者に誤った期待を抱かせ、事件を受任して着手料を受け取る行為は、
弁護士倫理に反する(ヘタをしたら詐欺罪)と解されています。
このことは、依頼者に無用な出費をさせないことと共に、相手方を無意味な紛争に巻き込まないという意味でもあります。

法的に全く成り立ち得ない、無理な主張をする相談者に対しては、その旨を説明して訴訟を断念させることも弁護士の役割の重要な部分であり、
上田弁護士が、きちんと医学的な根拠を調べて訴訟せよと言われるのも、そのことを指していると思います。

”カルテの入手すらしないままに、病院で治療中に死亡したから医療過誤であると主張するがごとき、ずさんな訴訟を提起している弁護士がいるとの風評を耳にすることもあるが、きわめて遺憾なことである(p.57)” 『患者側弁護士のための 実践 医療過誤訴訟』

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> 弁護士は他の弁護士の批判することは弁護士倫理に反するされており、しかも会規化までされました(医療崩壊その11 No.147地方弁護士さま)

このコメントは読み飛ばしておりましたが、
地方弁護士さま、具体的に会則何条の規程指しておられるのでしょうか。
「品位を保持しなければならない」「礼節を持って」というような道徳的規程群のことですか?
根拠無く誹謗中傷することは「品位がない」行為ですが、この規程があるからといって正当な批判が封殺されるとは思えません。

No.72 YUNYUN さん、こんにちは。

>地方弁護士さま、具体的に会則何条の規程指しておられるのでしょうか。
門外漢ですが、ちょっと調べてみましたら、次のような文章が出てきました。

〔参考〕弁護士倫理
平成二年三月二日 臨時総会決議
改正 平成六年十一月二十二日

第四章 他の弁護士との関係における規律
(名誉の尊重)
第四十三条 弁護士は、相互に名誉と信義を重んじ、みだりに他の弁護士を誹ぼう・中傷してはならない。

上記文章を含む会規一覧が掲載された日弁連のホームページ
http://www.nichibenren.or.jp/ja/jfba_info/rules/kaiki.html
上記文章のURL(PDF形式)
http://www.nichibenren.or.jp/ja/jfba_info/rules/pdf/kaiki/kaiki_bengoshirinri.pdf

No.68 地方の弁護士さん

>契約内容が不明確だから裁判所が介入するのです。裁判所の判断がそこまで信用できないなら貴殿の納得する契約書を作る

契約書作成や文書掲示は、以前に私が主張したことです。(あまり議論になりませんでした)
それから、そこまで信用していないのは、私だけではなくほとんどの医師がです。法律等を勉強している医師は、システムやこちら側の問題(トンデモ鑑定医等)ゆえに信用がおけないと考え、一般の医師は裁判官が馬鹿なので信用できないと考えています。
さらに言えば、私がそこで批判しているのは、期待権という考え方であり、こちらの意向を省みずに勝手に契約内容としている行為です。信用の問題とはちょっとずれています。

>勝つための弁護活動をするということは弁護士一般の習性

文脈から理解できると思っていたのですが、真理は何かということを無視してということを非難しています。

『他の弁護士の批判することは弁護士倫理に反するされており』というのは読んでいたのですが失念していました。ただ特定の弁護士個人を批判するのではなくて、一般論として弁護士の問題行動に対する意見表明をすることは大事なのではないかと思います。無知ゆえマスコミに踊らされて、特別おいしい仕事でもないのに、正義の味方にでもなったつもりで受けて、実際は社会に悪影響を与えている。患者側弁護士はまとまった行動も盛んなように見えるのですが、そんな懸念をお互い話し合ったりはしないのでしょうかね。

No.72 YUNYUN さん

>でも、医師同士は、ほれ、わけのわかんない横文字の符牒で会話するじゃん。素人には隠しておきたい事があるからだよ、きっと。カルテなんか、暗号文よろしく「解読」してもらわなきゃ解らんし。(悪筆で読めないから、という説は却下

法律用語が日本語というのは言い過ぎじゃないでしょうか?(笑)
少なくとも普通に勉強していても難しい言葉や、一義的に決まらない用語が多すぎます。非常に偏った難解な特殊用語であることを認識していただかないと、分かりやすい判決文などというのはありえないでしょう
裁判員制度になったら、たぶん、分からないとゴネだす一般人の言葉が耳に痛くなるはずです。

医学用語も実は英語で話している人は少ないです。カタカナでの和製英語・ドイツ語が殆どでしょうね(笑)。
法律でのパンデクテンとかLRAの原則とか、日本語ともどこの輸入後かも分からない言語も多いですし。。。。

日本語はいろんな外国語がカタカナになった途端に、すんなり日本語化されるものです。


>No.68 地方の弁護士さん

「アメとムチ」は、ムチで打たれる対象にアメを与えることで、飼いならすとか、管理するという意味で使われるもので、ムチで打たれる者にはムチだけ、ムチで打つ者にアメを与えていたら、虐待促進政策のようなものです。ワザとじゃないとすると、とんでもないムチの使い方をしていたんじゃないかと心配になります。

医師にムチ、患者にアメを与えていたら、医師が患者を喜んで診察する筈がないでしょ?患者が医師を哀れんで診察を受けないという選択肢も小さく霞んでしまうでしょ?
医療訴訟というムチの一方で、診療報酬増額とかいうアメを与えるのであれば、バランスが取れることもあるでしょう
問題はアメだけ与えられた患者からアメを取り上げたり、ムチをくれたりする者がいるかどうかですが、現状は難しいので、医師が逃げ出す訳です

弁護活動なら筋の悪い者を断ることも簡単でしょうが、応召義務のある医師は逃げ場がなく、たとえ診察5分でも何千万〜億の賠償が強制されるとしたら恐ろしいでしょう?
救急外来に腹痛で本人も説明してきて、いきなり15分で心筋梗塞で死んでしまっても数千万円の賠償を求められるのが救急外来の現場です。
万が一の保障もなく、兵士を最前線に送るような卑怯なことを強いているのが、今の日本の医療政策です

No.72 YUNYUN さん
> 弁護士は他の弁護士の批判することは弁護士倫理に反するされており、しかも会規化までされました(医療崩壊その11 No.147地方弁護士さま)

弁護士の能力そのものを批判の対象にすることは弁護士倫理に反するとの感度で述べたものです。当該箇所をこのような趣旨でお読み頂ければ幸いです。
私は、当該弁護士に具体的非違行為があった場合は弁護士会に通知し、執行部によるしかるべき処分を求めますし、法律的見解を異にする場合はもちろん直接又は間接に批判の対象にします。
困るのは知人から「〇〇先生はどういう先生ですか。」と聞かれた場合です。単純に情報収集の一環で聞いてくる場合もありますが、怒りに満ちている場合もありますし、困惑して聞いてくる場合もあります。このような場合、聞きたいのはその弁護士に対する信頼性です。名前が出るのは何時も特定の2〜3名の弁護士です。この場合、私自身が不安を抱いている場合どのような回答をするのか悩みます。

No.59 Med_Law さん
>ご同業の「トンデモ鑑定…」を何とか」していただくことが先決です。
これについては同感です。

私は、前に、大阪大学大学院医学系研究科救急医学助教授であり、大阪大学付属病院高度救急救命センターの嶋津岳士氏の「添付文書の効力を学会ガイドラインより優先する見解」が医療判例解説と題する専門雑誌に掲載された折、医師の方々に嶋津氏の肩書からしても裁判所に対する大きな影響力があると考え、著者に対する訂正を求めたら如何と提案したことがありますが(無過失補償制度検討へのエントリNo.80 )、そのときの医師の方々の反応がもう一歩でしたのが残念でした。YUNYUN さんが歯がゆく思っているのは医師の皆さんの行動力のなさかと思いますが、Med_Law さんならできるような気がします。
ちなみに私は日弁連発行の民事弁護教材や研修叢書に不適切な見解が掲載されている場合は指摘し、訂正して貰った経験があります。


No.74 元行政さん
>私がそこで批判しているのは、期待権という考え方であり、こちらの意向を省みずに勝手に契約内容としている行為です。

期待権という考え方自体を批判しているという趣旨ですか。こちらの意向を省みずということに批判のポイントがあるとすれば、通常は、医師の方は患者の期待に沿うべく治療をしている筈ですから、こちらの意向というのは医師としては実施する意思のない患者の求める新規治療法であることを前提に論を進めますが、その場合であっても患者に対し、当該治療法を採用しない理由を話すか、理解能力不足の患者に対しては当該治療法を採用している医師を紹介することを法的義務とする考え方には合理性があると考えます。この場合、医師としては患者の意向を知った以上、その意向に従いかねる場合でも道に迷わないように適切に指導してやる説明義務があるということです。都会でタクシーに乗ったりするとどの道を行ったら良いですかと聞かれびっくりすることがありますてが、同じ感度かと思います。
なお、延命に対する期待が保護され、慰謝料の対象になるなら、延命したことによる利益も報酬の対象にならなければ、バランスが採れないとの議論も目にしましたが、治療契約の内容は医療水準に応じた診療行為を提供することであり、結果を債務として請け負うものではありませんから、延命を理由に報酬を得ることはできないと解するべきでしょう。一方、患者が延命に対する期待を慰謝料として請求できるのは医師が医療水準に応じた診療行為をしないことから来る相当因果関係にある損害として認められるものであり、それぞれ場面を異にするので、バランス論で論じるのは誤りと思います。
もちろん、結果として請け負った場合は成功報酬は法的権利となり、請求できます。

No.75 Med_Law さん
>一義的に決まらない用語が多すぎます。

法律は、用語の定義を定めて議論する学問です。一義的に定まらない用語があると感じているなら、有斐閣から「法律用語辞典」が刊行されていますので、確認して下さい。多義的な用語はそうない筈です。
法律用語を医師の方との共通言語にするというのは無理なお願いでしょうか。日本語ですが… Med_Law さんが一義的に定まらない用語と感じている用語を教えて貰えば両者の誤解が判明するかも知れませんね。

>「アメとムチ」

私は、No.34 つくねさんの提示された「アメとムチ」の枠組みの中で、医師も法律で守られる側面があることを「アメ」とし表現しただけです。「アメ」は診療報酬増額であることは意見の一致をみたようなので何よりです。

地方の弁護士さん
はじめまして。整形Aと申します。

以前にも書いたことがあるのですが、医療におけるお金の流れは、大雑把に言うと、被保険者(患者)>保険者>医療機関、となっています。
被保険者は、保険者にお金を払い、病気や怪我をしたときに「医療」という給付を受ける権利を得るわけです。これは、実際にお金のやり取りがある、立派な契約です。
しかしながら保険者は医師ではないので、医療を行なうことができません。
ですから保険医療機関と、被保険者に対して保険者に成り代わって(代理で)、「医療」を現物給付する契約をむすびます。
(健康)保険医療が契約医療と呼ばれる所以です。

この保険者と医療機関との契約は、微に入り細をうがつようなもので、その契約をはみ出すことはほとんど認められません。医療機関はその契約の範囲内でしか医療を行なうことはできないのです。

このような状況において、患者と医療機関との契約というのは、どう位置づけたらよろしいのでしょうか。
患者と医療機関との間にお金のやり取りはありません。
患者と保険者、保険者と医療機関といった、お金のやり取りがある契約を主としたら、お金のやり取りのない契約は、いわば従とでも言うべき契約ではありませんか?

>治療契約の内容は医療水準に応じた診療行為を提供することであり、

医療機関と保険者との間の契約には、「現在の医療水準に応じた診療行為を提供するように」、という具体的な記載があるわけではありません。
むしろ全般に、(患者のためだからという理由で)勝手に医療を行なうのではなく保険診療の枠内で、健康保険事業の健全な運営の確保を考慮して医療を行なうよう求めるトーンになっています。

さて、医療機関は一体どちらの契約を重視して医療を行なわなければならないのでしょうか。
以前に書き込んだ時にも法曹の方々からは、医療は「被保険者>保険者>医療機関」が主たる契約である、という僕の主張はあまり受け入れられませんでした。
しかし「治療契約」という考えがあるならば、そもそも医療における契約とはどのようなものなのか。患者と医療機関、医療機関と保険者との契約の間に、相反する事態が生じたときには、どちらを優先すべきなのかなど根本的なことについて、お教え願えれば幸いです。

No.77 整形Aさん
>被保険者は、保険者にお金を払い、病気や怪我をしたときに「医療」という給付を受ける権利を得るわけです。…しかしながら保険者は医師ではないので、医療を行なうことができません。ですから保険医療機関と、被保険者に対して保険者に成り代わって(代理で)、「医療」を現物給付する契約をむすびます。

保険者と患者、保険者と医療機関の間に申込と承諾というような意味の契約が成立していると言えるのかは疑問です。ただ保険と医療の関係については門外漢ですので、保険という趣旨から法律的な発想を貫くとこうなる位のことでご理解ください。
整形Aさんの理解によると、保険者と患者との間で、保険事故(病気等)が発生したときに医療を受けられる権利を取得したと考えているようですが、保険とは、保険事故が発生した場合その損害を回復させるものです。損害の回復は通常金銭の給付によって行われるのが普通です。
このことは火災保険や自動車保険を考えて見てください。火災保険事故が発生しても、保険会社はお金を支払うだけです。健康保険も、病気等の治療のため診療を受けて、医療費支出を余儀なくされるという損害が発生した場合、当該医療費相当分を保険金として医療機関に支払うことが予定されていると理解すべきと思います。
ただ、医療保険は国の社会保障制度の一環として、国の財政支出で賄われており、保険者としては、財政的制約があるので、どの範囲の医療行為に幾らを支出するとの保険の聞く範囲を予め決めておかないと財政的に破綻してしまうため、予め医療者に支出基準を伝え、保険診療であれば、保険が効く範囲を明示しているのかと思います。保険者は金銭支出をするために、適正なる医療費が幾らなのかを査定するのが本来の仕事であり、保険者が医療自体を提供することは最初から予定されていないと理解すべきです。
ところで、自動車事故については、自動車賠償責任保険(強制保険)が設けられておりますが、この保険も支出基準が設けられており、私の感度では裁判基準の7割程度しか支給されません。この差額を塡補するために任意保険に皆さんは入っているのだと思います。(ただ、任意保険でも裁判基準の8割位しか支払わないのが現実かと思います。この問題点についてはまた機会が会ったら述べたいと思います。)
ところが、医療では国による強制保険だけで賄うことで安価な医療が提供されてきたことは医師の方々が自負されているとおりかと思います。医療費抑制策により、保険の範囲内では従前の診療(医療水準を充たす診療)ができなくなっている現実があるのかも知れません。保険では医療水準を充たすことができないことがハッキリすれば、保険診療を前提とする患者と医療機関との診療契約の中身の解釈も、保険診療の範囲内での医療(=医療水準以下の診療)を提供する義務しか負わないことになるのが論理的帰結です。
ただ、現在の健康志向からすれば、保険ではまともな診療を受けられことが分かれば、国政選挙の争点となり、医療費抑制策が変わるか、あるいはこの政策が変わらなければ、今の自動車保険の任意保険のような保険に入る必要になるか、差額を現金で支払うことが必要になるかも知れません。これが医師の皆さんが憂いている医療崩壊の帰結の一つかと思います。

No.76 地方の弁護士さん

>通常は、医師の方は患者の期待に沿うべく治療をしている筈

医療の契約は患者の体の不具合に対して改善をはかる試みをおこなうというものであって、患者が改善を期待しており、多くの場合期待に沿えるように努めていると言っても、期待に沿うこと自体が契約ではありません。
期待権だけが非難の対象ではありませんが、期待権は単なるワガママ拡大の詭弁と言っていいでしょう。

>こちらの意向というのは医師としては実施する意思のない患者の求める新規治療法であることを前提に論を進めますが、その場合であっても患者に対し、当該治療法を採用しない理由を話すか、理解能力不足の患者に対しては当該治療法を採用している医師を紹介することを法的義務とする考え方には合理性があると考えます。この場合、医師としては患者の意向を知った以上、その意向に従いかねる場合でも道に迷わないように適切に指導してやる説明義務があるということです。都会でタクシーに乗ったりするとどの道を行ったら良いですかと聞かれびっくりすることがありますてが、同じ感度かと思います。

こちらの意向というのは、期待権に限ったことでなく、そんなことを求められるのならば無理だから医療契約自体しないこと全てを指しているのですが、とりあえず新規治療法の話をしたいと思います。
道に迷わないように努めるのは大事なことですが、実現の難易度をまるで考慮していない点に昨今の判例の問題があります。裁判は個々の問題でそれぞれ実現の難易度を評価して考慮すればおこなえばよいというのは単なる言い逃れで、実際に程度の評価が許容できない頻度で出来ていないことを考えれば、道に迷わないようにすること自体を義務とか、できなければ過失とかいうことに、妥当点があると表現することは慎まなければならないと思います。(タクシーと同じに思えていることが程度を理解できていないことを証明しています)
それから、患者の意向を知った以上とありますが、判例では新治療を受ける希望が医師に伝わっていないと記憶していますが(だからこそ強く多くの医師が反対を表明しています)、誤りでしょうか?

>延命に対する期待が保護され、慰謝料の対象になるなら、延命したことによる利益も報酬の対象にならなければ、バランスが採れないとの議論も目にしましたが、治療契約の内容は医療水準に応じた診療行為を提供することであり、結果を債務として請け負うものではありませんから、延命を理由に報酬を得ることはできないと解するべき

これは弁護士報酬と矛盾しませんか?結果を請け負わない契約でも、予想される結果の大小で報酬の大小が決まることは当然のことです。

>医師も法律で守られる側面があることを「アメ」

水より甘くなければアメとは言えないでしょう。

>診療報酬増額であることは意見の一致

どの程度の増額が適正だと思いますか?素人の意見を今まで見てきた限り、コストの見積もりの甘さは呆れるレベルです。(司法による産科崩壊の話も、コストで考えると司法のせいであることは疑う余地はありません)

No.79 元行政さん
>患者が改善を期待しており、多くの場合期待に沿えるように努めていると言っても、期待に沿うこと自体が契約ではありません。

医師は、診断に際して危険防止のために必要な最善の注意義務を負担する改善に勤めるべき義務(委任契約における善良な管理者の注意義務・民法644条)を負っており(昭和36年2月16日最高裁判決)、期待に沿うように努めるもの契約の内容をなすものと裁判上考えられています。 元行政さんは裁判所がこのような認定をすること自体がおかしいと言いたいのでしょうが、当事者の意思が必ずしも明確ではない場合、裁判所は当事者の合理的意思の推測をする形で契約内容を自ら決定してしまいます。裁判において、事実をどのように認定するのかは、裁判所の専権であり、意に沿わない認定をされないように当事者としてできることは、何回も言っているように契約書を作成して合意内容を明確にしておくことです。

>実現の難易度をまるで考慮していない点に昨今の判例の問題があります。

難易度が高い場合は、医療水準を超える手技になるかと思いますし、確立されていない新規治療法については、転医させる義務があると解されます。難易度というより当該患者にとって死亡の危険性が高い手術の場合は事前に患者に説明し、その承諾を取る必要があると思います。もし、緊急医療現場であれば、外に採るべき手段がないことを要件として、本人の意思確認が不能でも免責されるものと思います。
何れにしても抽象論ですが、もし、不満であるという判例を具体的に指摘して頂ければ、何が問題であるのかより明確になるかと思いますので、ご指摘頂けますか?


>患者の意向を知った以上とありますが、判例では新治療を受ける希望が医師に伝わっていないと記憶していますが(だからこそ強く多くの医師が反対を表明しています)、誤りでしょうか?

この理解は誤りと思います。前に(No.25 )紹介した平成13年11月27日最高裁判決は「当該患者が乳房温存療法の自己への適応の有無,実施可能性について強い関心を有することを知っていた」ことを要件としています。
元行政さんの記憶にあったのは東大輸血梅毒事件と呼ばれる有名な判決でしょうか。同判決は「給血者がいわゆる職業的給血者で、血清反応陰性の検査証明書を持参し、健康診断および血液検査を経たことを証する血液斡旋所の会員証を所持していた場合でも、同人が、医師から問われないためその後梅毒感染の危険のあつたことを言わなかつたに過ぎないような場合、医師が、単に「身体は丈夫か」と尋ねただけで、梅毒感染の危険の有無を推知するに足る問診をせずに同人から採血して患者に輸血し、その患者に給血者の罹患していた梅毒を感染させるに至つたときは、同医師は右患者の梅毒感染につき過失の責を免れない。」と判示しています。
上記判旨の背景の考え方に冒頭で紹介した「医師には最善の注意義務がある」との判示があります。この最善の中身が何かについて、医師に過大な負担をかけないとの流れの中で医療水準論がでできたものとの理解されています。

>これは弁護士報酬と矛盾しませんか?結果を請け負わない契約でも、予想される結果の大小で報酬の大小が決まることは当然のことです。

鋭いご指摘かと思います。No.77 整形Aさんの質問に答えていて思いあたったのですが、医師の方は保険診療が殆どで保険の枠内でしか報酬を貰えないことから、弁護士のような成功報酬的なものが事実上認められていないだけであり、自由診療の場面であれば契約書に明示しなくとも成功報酬的なものが認定される余地はあるような気がしてきました。自由診療の報酬がどのように決定されているのか教えて頂ければ幸いです。

No.77 整形Aさん
保険診療が診療契約に及ぼす影響との視点に気付かせて頂きました。改めて御礼申し上げます。このようなことがあるからブログが止められないのですね。
なお、日本臨床整形外科学会編集「Q&A 交通事故診療ハンドブック(改訂版)−医療機関のためのガイドラインと患者対応のノウハウ−」(発行株式会社ぎょうせい)と題する本に保険に関する基礎知識的な記載がありました。参考になります。

座位でございます。

こちらのエントリの法曹家の皆さんにお尋ねしたいのですが、

第一問
術前に、一定の割合で危険な事態が回避不能であることを、予見している場合の問題です。この場合、結果的に危険回避が不能のため、手術に失敗し死亡に至った場合、これは業務上過失致死ですか?
(いちかばちかでやっては、駄目か?)

第二問
過失責任に相当するか否かを判断する際に、法廷上の証拠によって賛否両方の主張があり、そのいずれが正しいかの判断能力が、自分にあるかないかを、どのように判断されているのでしょうか?判断は回避可能でしょうか?
(法廷での判断回避は不可能なのか)

第三問
現行の行政環境、立法環境で、過失責任を問う場合、当該領域の産業の建設的な発展を阻害し、その産業従事者の逃散を招く事が、明確な場合であっても、裁判所は現行の法体系に依り、裁判権を強行することが正当と考えておられるのでしょうか?
(裁判権は産業崩壊よりも優先するのか?)


どなたか、頭の良いヒト、回答して下さい。

No.81 座位さん
>どなたか、頭の良いヒト、回答して下さい。

お答えしたいのは山々ですが、前にも書きましたが、私は刑法が苦手ですし、私には回答資格がないようなので、今回はスルーさせて頂きます。

先日以来何度か目にしているのですが本気なのでしょうか。今でさえ少ない社会保障費を更に切りつめる意図というのは何なのか判りかねるのですが。

社会保障のコスト削減に「数値目標を」 首相指示
2007年03月16日23時34分
http://www.asahi.com/health/news/TKY200703160514.html

 安倍首相は16日、経済財政諮問会議で、社会保障分野のコスト削減策について「具体的な改革項目と数値目標を盛り込んでほしい」と、臨時議員として出席していた柳沢厚生労働相に指示した。

 社会保障は昨年の「骨太の方針」で、07年度からの5年間で国と地方を合わせ1.6兆円を削減する全体像が決まっている。だが、厚労省は診療報酬や薬価の見直しなど個々の政策について、削減金額を盛り込んだ具体案作りには慎重だった。

 これに対し、諮問会議の民間議員らは数値目標が伴わないと削減の実効性に欠けるなどと主張。柳沢厚労相も16日の会議で「諮問会議として参考試算として出したらどうか」などと容認する考えを示した。この日の会議で大田経済財政相も試算に必要なデータを厚労省が提供するよう求めた。

>No.82 地方の弁護士さん
>今回はスルーさせて頂きます。

了解しました。無問題です。

元々、法曹資格者は、医師の1/14〜1/15と数が少ないですし、無茶はいいません。ここの法曹資格者は殆ど、我々の味方ばかりですので感謝しこそすれ、強要するつもりもありません。気長に待ってます。ピントはずれのお馬鹿な質問かもしれませんし。
他の法曹資格者にも、強要致しません。それから直接の回答でなくても、感想でも構いませんので、お気づきの点があればついでの際に触れて頂ければうれしいです。

>No.81 座位さん
頭も良くないしたいして勉強もしてないのですがわたくしの見解でも

第一問
そういう状況は過失の構成要件である「結果回避可能性」について
十中八九判例をクリアしてないことになると思います
(もっとも明らかにクリアしてないと医者が思っている事例が
起訴されるという現象もまたしばしばみられるのであります)

第二問
賛否両論どころか百家争鳴な説が成立しうる状況も学問的には
なんぼでもありえるんですけど 刑事裁判の基本である当事者主義としては
検察と弁護側が法廷に呼べる証人と持ってこれる証拠が全てです
それ以外は無視で当事者主義は成立してますです

第三問
そこらへんは法律というよりその解釈で対応してるとおもいますが
旧過失論から新過失論へと通説が変化したことが
 情勢変化に対応した実例としてあります
対応できるし したこともあるわけです

No.80 地方の弁護士さん

>平成13年11月27日最高裁判決

判決文読みました。勘違いでした。ご教示ありがとうございました。(相当前に雑誌の特集記事で読んだものだと思います)ただ最高裁の『上告人の乳がんについて乳房温存療法の適応可能性のあること及び乳房温存療法を実施している医療機関の名称や所在を説明しなかった点で,診療契約上の説明義務を尽くしたとはいい難い』と具体的にすべきとしている(言葉を濁していますが間違いないでしょう)ことが医療の現実の感覚から乖離しているのは確かでしょう。

>難易度が高い場合は、医療水準を超える手技

これは意図している意味が違います。例えば温存術があること自体を伝えることは簡単なことです。しかし、伝えるべき候補は限りなく存在し、正確なニュアンスまで伝えることや、判断できるまで理解させることは至難のわざです。その難易度です。

>当事者としてできることは、何回も言っているように契約書を作成して合意内容を明確に
>自由診療の報酬がどのように決定されているのか

自由診療の報酬は言い値です。基準などありません。適当です。
保険者が入ってくる保険診療の場合よりも、契約という観念が強い自由診療の方がスムースに契約書導入も可能でしょうね。
医師の善意で支えられてきた保険診療は終焉を迎える運命なのかもしれません。

自由診療となったあとの日本の保険診療の未来は壊滅的でしょう

保険診療で救済不可能だったとされた患者に、自由診療なら救済手段があったとすると、患者の恨み、家族の恨みを買うことになります

最善を尽くすことが当たり前ということだった医療裁判も変化することになるでしょうが、身体を財産権と冷徹に比較することに馴れていない日本社会がどう対応するのでしょうか?
茹で蛙、日本人もその時は、真剣に考えることになるのでしょうか?

今なら保険診療として合併症の治療もできていたのに、自由診療ともなれば数百万円の診療費負担が当たり前のように請求されるようになり、金の切れ目が命の切れ目となり、切れないように、あるいは切らせられた家族が、針の穴を突いて医療過誤で訴える地獄絵図が見えるようです

DPC(包括的診療報酬制度)ですら、合併症がたんまりとあって、入院させるだけで大赤字が確実視される患者の入院さえ受け入れざるをえない自治体・公立病院が存在し、当該病院の勤務医に過大な負担が押し寄せている
民間病院のDPC受け入れ病院も、経営上、”高度な専門治療”を受けることができる病院への転院を大義名分として、不採算患者を転医させることになるだろう(民間病院が受け入れていたら倒産するので、経営上、選択の余地なし)。
自治体病院が潰れて、不採算患者で溢れ出したら、、、倒産あるいはDPCを取り下げるか?。。。。もはや急性期病院がDPCなしで採算が取れないとすれば、地域で急性期病院がなくなり、、、、県外へ救急患者が助けを求め彷徨い出し、押しかけられた近隣病院を更に押しつぶしていく、、、、

ちょっと酒が入ると、危険な医療崩壊スケジュールが目に浮かぶようです

医療裁判の成り行きだけでなく、患者の期待権などというものをどこかで立法的に、行政的に制限しないと、国民総倒れになりそうな、恐ろしい事態になりそうですが、まあ、地方末端組織の末端職員には何ともしようがありません。

厚生省のコ●ヤ●さん、あとはヨロシクね

こんにちは、地方の弁護士さん。
整形Aです。

コメントありがとうございます。

>保険とは、保険事故が発生した場合その損害を回復させるものです。損害の回復は通常金銭の給付によって行われるのが普通です。
>
>健康保険も、病気等の治療のため診療を受けて、医療費支出を余儀なくされるという損害が発生した場合、当該医療費相当分を保険金として医療機関に支払うことが予定されていると理解すべきと思います。

地方の弁護士さんの理解では、保険金(医療費)の流れが、保険者>被保険者(患者)>医療機関、である、ということでしょうか。
これは明らかに違います。いや、別に責めているわけではありません。医療制度を専門としているわけではないので、仕方がないことだと思います。

手元にある「保険診療の理解のために」(社会保険事務局)によりますと、「わが国の保険医療制度の特徴は、「国民皆保険」、「現物給付」、「フリーアクセス」の3点に集約される。」とあります。

保険診療の具体的な仕組みとしては、「患者は、保険医療機関の窓口で一部負担金を支払い、残りの費用については、保険者から審査支払機関を通じ、保険医療機関に支払われることとなる。この仕組みは健康保険法とその他の保険医療各法に規定されている。そのため、保険診療が「保険者と保険医療機関との間で交わされた公法上の契約に基づく、”契約診療”」と称される所以である。」と書いてあります。

これでお分かりのように、被保険者が病気や怪我をしたときに保険者が保険金(治療費)を被保険者に給付するのではなく、保険者と契約した医療機関が、被保険者に医療という現物給付を行い、その費用を保険者が医療機関に支払う、という仕組みになっています。
この契約は強固なもので、医療機関としてはその契約内容から逸脱すれば、医療費を支払ってもらえないばかりか、場合によっては保険医療機関から外されてしまうこともあります。

一方地方の弁護士さんが触れられていた自賠責は、通常の保険契約の形態をとっているのです。
自賠責は自費診療ですので、本来医療機関に医療費を支払う義務を負うのは(交通事故被害者である)患者さん本人なのです。その医療費相当分を損保会社は保険金として患者さんに支払う。
実際そうしている医療機関もあります。

しかし、大概の車は自賠責のみならず任意保険にも入っているので、間に入った損保会社が患者さん(被害者)、医療機関の便宜をはかって、任意一括という支払をしてくれます。これは損保の義務ではなく、一種の「サービス」であると解されています。
その結果、患者さん自身がお金を支払うことなく済んでいるため、一見健康保険と同じような仕組みに見えますが、内容は似て非なるものです。

本来であれば被保険者に契約内容を説明する義務を負うのは、保険者であるべきだと思うのですが(生命保険の契約内容については、保険者である保険会社が説明義務を負っていますよね)、健康保険においては、保険者はそれを医療機関にまる投げしています。
そればかりか制度を運営する厚労省などは、(おそらく自らの保身のためか)保険医療の限界を示すことなく、むしろ被保険者に過大な期待を抱かせようとし、現場の実情とのあいだに大きなギャップを生じさせています。

医療機関としては、患者さんとの「診療契約」もさることながら、保険者との契約にも縛られざるをえず、患者さんと保険者との板ばさみになっているのが現実です。

>医療費抑制策により、保険の範囲内では従前の診療(医療水準を充たす診療)ができなくなっている現実があるのかも知れません。保険では医療水準を充たすことができないことがハッキリすれば、保険診療を前提とする患者と医療機関との診療契約の中身の解釈も、保険診療の範囲内での医療(=医療水準以下の診療)を提供する義務しか負わないことになるのが論理的帰結です。

まったく同意いたします。
地方の弁護士さんが述べられ論理的帰結こそが、ここに集う多くの医師が言いたかった事だと思います。

保険診療が国民にとって必要不可欠なものであるものならば、その維持のため、保険診療下でおきた医療による健康被害に対する賠償責任は、一定の制限が加えられるべきだと思います。
これが以前にYUNYUNさんが述べられたキャップ制で、僕が思うに一番現実的な方法ではないでしょうか。

いのげさんの指摘も会ったので、問題の表現を若干修正します。

第一問、
手術をせずに放置すると自然死を起こすような病態にあるとき、手術中の処置には、一定の確率で結果回避不能な致死性の偶発症を伴うことがあります。結果回避不能な事態がわずかでも予見される場合、処置を行い手術死を起こした場合、業務上過失致死になりますか?
(いちかばちかでやっては、駄目か?)

第二問
診療行為の妥当性について科学的諸説が並存している場合、期待される医療水準を司法の側が明確にする事が可能なのか?医療訴訟において、担当する判事が、双方の証拠等を元に、診療行為における過失認定を行う、裁定能力があるか否かの基準はどのようにして決定しているのか?
(裁判権の対象の制約や裁定能力について)


第三問
当該領域の産業の建設的な発展を阻害し、その産業従事者の逃散を招く事が、明確な場合であっても、裁判所は現行の法体系に依り、裁判権を強行することが正当と考えておられるのでしょうか?
(裁判権は産業崩壊よりも優先するのか?)

新しいニュースです。

産婦人科志望の女性医師、10年後は半数が現場離れる(読売)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20070319it13.htm?from=top

女性産科医:出産に携わるのは11年目で45.6%(毎日)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070320k0000m040056000c.html

元の報告書です。

「女性医師の継続的就労支援のための調査」中間報告の掲載について(日産婦)
http://www.jsog.or.jp/about_us/jyoseiishi_shuuroushien19MAR2007.pdf

こういうのも出てます。

「産婦人科医療提供体制検討委員会」最終報告書(案)掲載のお知らせ(日産婦)
http://www.jsog.or.jp/about_us/iryouteikyotaisei_last19MAR2007.pdf

>座位さん
立法より司法を優先させることは、三権分立の崩壊を招くと思います。現行の法体系が産業崩壊を阻害しているというのならば、それは立法者の責任でしょう。

>元行政さん

これは意図している意味が違います。例えば温存術があること自体を伝えることは簡単なことです。

最高裁はそこまでしか要求していないように思います。


保険者が入ってくる保険診療の場合よりも、契約という観念が強い自由診療の方がスムースに契約書導入も可能でしょうね。

レーシックや美容外科などの自由診療を見ると、比較的トラブルも少ないように思いますし、トラブルを前提としているように思いますし、裁判でも病院側の勝訴率が高いと思います。契約の概念が浸透していると言うことでしょうか。

しかし、同じ自由診療でも産科は事情が異なるようですね。

No.88 整形Aさん
>保険者と契約した医療機関が、被保険者に医療という現物給付を行い、その費用を保険者が医療機関に支払う、という仕組みになっています。

仰る通りでした。健康保険法及び国民健康保険法は何れも、第4章保険給付において、保険者は被保険者に対し「療養の給付」をするとし、「療養の給付」として「診療」「薬剤又は治療材料の支給」「処置、手術その他の治療」等が定められていました。保険給付として医療という現物支給をするとの構造なのですね。

>このような状況において、患者と医療機関との契約というのは、どう位置づけたらよろしいのでしょうか。
>医療機関は一体どちらの契約を重視して医療を行なわなければならないのでしょうか。(No.77 整形Aさん)

やっと整形Aさんの疑問の真意が分かりました。不勉強のまま答えてしまいすみません。
患者が医療機関に求める「診療」の中身と保険給付としての「診療」の中身は通常一致するものとして理解されてきたものと思いますが、患者の容体によっては保険診療だけでは治療行為として不十分である場合は、自由診療による治療をする又は少なくともその説明する義務がある(自由診療の場合は医療水準を超える治療法の場合が多いと思います)ので、
  私法上の「診療」≧公法上の「診療」
と考えるべきと思います。
この間の矛盾衝突をした場合は、患者の利益確保の観点から判断して頂きたいと思います。

以上の回答が司法からの一般的理解かと思いますが、以下は問題提起です。
患者は保険給付を事実行為として受けているだけで、患者と医療機関の間には、患者は医療機関に対し、保険給付を受ける申込(通常は保険証の提示)があるだけで、通常、医療機関との間で診察内容にわたる合意は存在しないとの考え方もあり得るのではないかということです。明示的に私法上の診療契約がされればともかく、現実にはされていない以上、診療の中身は保険診療基準で決定されることが原則であり、患者との私法上の合意なるものが、そもそも擬制なのであるから、私法上の合意から診療基準を推測する理論的根拠に乏しく、保険診療基準の中身としてどの程度の診療を行えば良いのかは、国の置かれた財政状況等から決定されるべきであるとの見解の是非です。この見解からすれば、患者の意向は保険給付の内容を決定する二次的な役割を担っているに過ぎないことになりそうです。
整形Aさんの発問もこのような発想があったのではと推測します。
医療の皆さんには魅力的な見解に思えるでょうね。私法上の契約がなければ、医療水準論に患者の意向を反映させるとの理論的根拠を失うことになりますから。また、医療水準論を取るのか否かも、政策課題として、政治的なファクターで決められることになりそうです。その意味で医療の現場に司法が介入する機会は減少するかと思います。
この視点は、今までの一般的理解を覆すものであり、今まで判例を積み重ねてきた裁判所が採用することはまずないと思いますが、こう事実認定をすれば、こうなる筈と言う、一応論理的帰結と言う意味で問題提起をしてみました。

No.92 しまさん

>最高裁はそこまでしか要求していない

意味が違いますし、現実も違う(それ以上のことを要求している)と思います。
乳癌らしき患者が来たとき説明すべき候補になる話はたくさんあります。時間の関係から全部話すわけにもいかず、時間があったとしても混乱をきたすため余計なことを言うべきでもないです。乳房温存の説明の前に標準的な手術だけでもかなりの説明が必要なわけで、温存の話をすべきかどうかということは簡単に決められることではありません。ましてや他のやっている施設を説明することは、他施設の治療を正確に知る術がないことから現実的に無責任な話であり(実際ある治療をやっているという噂で患者を送ったらやっていなくて再転送になったこともあります)、しないのがむしろ当たり前だと思います。一方温存の話をすることや、知っていれば他施設の話をすること自体は難しくもなんともないので、今書いたような事情を考慮せずに、何故こんな簡単なことをしなかったんだという話に素人(裁判官)は陥りやすいのだと思います。
次に、患者が温存の希望を強く求めていて、それがしっかり医師に伝わっているたとしたら(手紙は発見されていない)、簡単にでも説明するのは必要だとは思いますが、この裁判の医療機関は簡単な説明はしていたようです。やっている施設に移る段取りをしてやれというのはふざけ過ぎだと思いますし、自分の希望の治療が受けられないことがわかった時点で転院を強行せずに後から文句を言うこともとても賛同できません。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/E99848047D4837D549256B8400269D25.pdf

>同じ自由診療でも産科は事情が異なる

何度も書いていることですが、保険診療は国による強力なダンピング行為です。全額負担でも低額(諸外国に比べれば容易にわかります)に設定されているだけでなく、さらにその7割引8割引9割引では、競争できるはずはありません。ところがその価格設定は常識的な価格(時には高いという馬鹿な意見もあります)であるという誤解が蔓延しているために、公立病院では自由診療であるにも関わらず保険とほぼ同じ額(異常分娩を参考)に設定され、保険診療と同じような手続で診療がおこなわれているわけです。必然的に周囲の産科も似たような価格設定にならざるをえず、また安くても頑張ることができる程本来産科というのは幸せに包まれる科であったわけです。
契約書に関して考えると、最近は産科も料金踏み倒しが話題になっていますが、誰もが納得しやすい価格設定であること、訴訟など昔は考えられなかったことを考慮すれば、歴史的に必要なかったのでしょう。産科と美容外科の違いは明らかです。(科としてはまず産科が作るべきでしょうね。ただ裁判所の顔を潰すような契約内容に、裁判所が牙をむいてくる可能性は高いのではないでしょうか)

こんにちは、地方の弁護士さん。
整形Aです。

大変医療サイドよりの(笑)コメント、ありがとうございます。

>患者の容体によっては保険診療だけでは治療行為として不十分である場合は、自由診療による治療をする又は少なくともその説明する義務がある(自由診療の場合は医療水準を超える治療法の場合が多いと思います)ので、
> 私法上の「診療」≧公法上の「診療」と考えるべきと思います。
>この間の矛盾衝突をした場合は、患者の利益確保の観点から判断して頂きたいと思います。

これは現場の医療者のほぼ一致した考えだと思います。
目の前の患者さんを助けるためには、使用したい薬に保険適応があるとか、支払い基金からの査定があるとか、そんなことは考慮しないで治療にまい進します。
結果として、病院は治療費を請求できない、あるいは請求しても支払われないこともあり、病院は患者のために損を引き受けざるを得ないこともままあるのです。

まあ、そこまではよしとしましょう。
ところがそうした状況で、仮に結果が悪かった場合に、保険適応がない薬を使った、すなわちそれは不適切な治療ではないか?と訴えるケースもあるのです。

このブログとリンクしている「新小児科医のつぶやき」からの紹介です。
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/?of=5

脳内出血患者に禁忌薬物投与!医療ミスで提訴へ
> 東京・青梅市の病院が去年6月、脳内出血を起こした患者に使用が禁止され>ている薬物を投与していたことが分かりました。遺族らは「医療ミスだ」と
>指摘していて、病院に対して裁判を起こす方針です。

この薬物はペルジピンという血圧を下げる薬です。
それについてこれも同ブログからですが、ある方の投稿の引用です(無断引用失礼します)

>ペルジピンは通常,脳出血の急性期には降圧をしないと脳出血が拡大するので使わざるを得ないことが多いのですが,使用添付文書には頭蓋内出血で止血が完成していない患者では禁忌とされています.しかし,出血が拡大するので血圧を下げるのが治療の優先事項なのに止血が完成してから血圧を下げても殆ど意味がない(中略)ちなみにヘルベッサーは禁忌ではないのですが,血圧はちっとも脳出血では下がらない経験が多いです.脳出血では降圧剤を使ってはいけないというJBMが出たら,もう脳出血ではヘルベッサーとかいくしかなく助かる患者も助からなくなると思います.今日から脳出血の患者にはペルジピンを使えないとなるときついなあ・・・.

患者のためを思えば使ったほうがいいが、薬の添付文書では禁忌とされる。使用して結果がよければいいのですが、結果が悪いと「医療ミス」と追及する口実にされる可能性があるわけです。

こうなると
> 私法上の「診療」≧公法上の「診療」と考えるべき
という、至極当たり前の考えも、なかなか簡単にはいかないもののようです。

No.95 整形Aさん
>患者のためを思えば使ったほうがいいが、薬の添付文書では禁忌とされる。使用して結果がよければいいのですが、結果が悪いと「医療ミス」と追及する口実にされる可能性があるわけです。

これについては、無過失補償制度検討へのエントリの後半で大分議論されたと思いますが、私は、医療側が、転付文書で禁忌とされていても医療現場で有用性と一定程度の安全性が確認された場合は、学会でガイドラインを作って対処するべきものと考えます。
前に、医療側に新規治療法についてどのような組織的な検証体制があるのかお聞きしたことがありますが、転付文書の問題も正にその一環に属する問題であり、何故早く手を打とうとしないのか、歯がゆくてなりません。敢えて誤解を恐れずに言えば、ブログにかける暇があるなら(これは、単なる言い回しで本意ではありません。)、まず同士を募り、情報を収集した上、学会にガイドライン制定の上申書を提出するなり、厚労省及び製薬会社を相手方にして、転付文書の改訂を求める調停を起こすなり、方法は色々ある筈です。
弁護士会の公害対策委員会が国及び製造会社に製造中止を求める調停を申立て、一定の効果を上げたこともあると聞いています。
医師の皆さん、現状を嘆く前に、行動したら如何ですか。敢えて挑発的な言辞を弄してみました。

No.96 地方の弁護士さん

>転付文書の改訂

簡単に考えすぎです。薬物の説明は、禁忌表記を削除すればよいという単純な話ではないのです。(個別の事案としてペルジピンと脳出血に関しては製薬会社に働きかけることですむ可能性はありますし、少なくない医師が既にやっていると思いますが)。添付文書が参考に過ぎないというのは、医療側とすればはるか昔からの常識であるわけです。人間の体の不確実性(複数の事象が相互に矛盾していても先に進まなければならないこと等)などから、そうしなければ添付文書が実用にならないという現実があります。書かなければ情報として不足し、書いたことを厳密に守らせれば使用できないということです。最高裁の添付文書に関する枠組みは、事情もしらない素人が後から来て勝手なことを言っているということに他なりません。

>整形Aさん

ペルジピンに関しては以下のような判断が存在しているみたいですね

しかしながら,証拠(鑑定)によると,ペルジピンを頭蓋内出血で止血が完成していないと推定される者に対し投与することが禁忌とされているのは,ペルジピンの投与により投与された者が急性期再出血が発症することが考えられるからであり,証拠(乙A11の1・2,13の1・2,検証,鑑定)によると,ペルジピンが投与される前である9月30日撮影のCT画像(乙A11の1)と,10月1日撮影のCT画像(検証)及び同月2日撮影のCT画像(乙A13の1)とを比較すると,前者に比べ後者では,出血を思わせる高吸収域は,明らかに減少していることが認められるから,ペルジピンの投与によってAに急性期再出血が生じたものではないと推認すべきである。

また,ペルジピンを投与しなかった場合に,Aがなお生存していたことをうかがわせるに足りる証拠もない。したがって,証拠上,被告病院のAに対するペルジピンの投与とAの死亡との間に因果関係はあるということはできない。

No.97 元行政さん
>簡単に考えすぎです。
添付文書が参考に過ぎないというのは、医療側とすればはるか昔からの常識であるわけです。

私は添付文書の記載はなるべく正確な方が良いと考えています。人間の不確実性を前提としても、より正確な情報提供が望ましいことは言うまでもないでしょう。そのため医師が努力をするのは当然でしょう。簡単なことを敢えて難しく言い回して、そのための努力を怠ることのないよう重ねて申し上げます。
今回タミフルの添付文書が変わったとのことですが、医師の常識からすれば、もともと参考程度のものなので、引き続き使い続けるのが医師の常識なのですか。元行政さんなら患者が10代であっても使い続けますか?

>今回タミフルの添付文書が変わったとのことですが、医師の常識からす
>れば、もともと参考程度のものなので、引き続き使い続けるのが医師の
>常識なのですか。元行政さんなら患者が10代であっても使い続けますか?

地方の弁護士さん,
横レスになりますが,現在のところ「タミフルと異常行動の間に因果関係があるかどうか」に関してエビデンスはありません.別スレにも書きましたが,原段階であれば私なら使用します.(リレンザを使うという選択枝もあるとは思いますが.)他の先生方がどのようにお考えかは不明ですが.
使う,使わないの判断は個々の医師の判断に委ねられると思います.
タミフルの添付文書の変更は,おそらく現状の騒ぎに対する政治的対応であろうと推測されます.(いわば責任回避かと)医学的には未だ何の根拠もないからです.
現在進行形のものですから,ある程度判断のできるエビデンスが出揃って,これは危険だとなれば使わないようにすると思いますが...

No.99 地方の弁護士さん

>添付文書の記載はなるべく正確な方が良い

正確に作ることができるというのが素人(法曹)の誤解です。わからないこと、証拠のないこと、添付文書の中にはもともとてんこ盛りなのです。添付文書で正確な部分は、半減期やら構造式やらの部分だけで、他の部分はかなり不正確であると理解してください。特に副作用の部分などは、誤りすら相当混入しており、これを除去するのは不可能です。

タミフルを例にとれば、添付文書が変わったことによって、使わなくなったのではなく、幾分該当患者に対する説明が長くなって、患者家族の了承をとってから使うようになったくらいの変化です。リレンザが県内在庫切れにたちまちなったこともあって、何人かには使いましたよ。

タミフルに関し追伸です。

本日の発表を今読みました。
前記の例は、最初の厚生省からの文書(注意喚起)の話です。
あのような発表なら護身的意味で使用を控えると思います。

添付文書が変わって薬屋さんが病院を飛び回ること自体はたまにあります。その際、詳細の事情を薬屋に問いただすこともします。その例を聞いて、誤りと判断できても、従って使用中止にすることもあるし、無視することもあります。医師としての科学的な判断、つまり正確な判断としては使いつづけるという選択肢が強くても、昨今の事情を考慮して使用しないことはありえます。

No.101 元行政さん
>正確に作ることができるというのが素人(法曹)の誤解です。

私は、整形Aさんの必要な薬が使えないとの文脈で添付文書の記載の正確性を特に問題にしているつもりです。禁忌表記についても正確に作ることができると言うのも素人の誤解ですか。無駄な努力なのですか。禁忌表記についても、参考程度に医師は扱っているのですか。扱えないから、整形Aさん外、多くの医師が悩んでいるのではないですか?
私はその悩みを解消する方法を司法サイドの立場から素人なりに提案しているだけです。
そもそも、禁忌表示の不備は、医師側の問題ではないですか。医師の方々には専門家の自負にかけて、その不備を解消する努力を自分の問題として始められることを希望するものです。
もっとも、私がこのように言うと、我々は精一杯努力をしてきたのにこれ以上努力せよと言うのかとの声が聞こえて来そうですが、…

判決文なんて素人相手に提示するものでしょうに、いつまでたっても意味不明の法律用語満載なんですよね。何十年たっても法律家って自分たちの不備を解消する努力を払うつもりってないんでしょうか?
他人に要求することの何十分の一かでも法律家は自分の問題としてはじめてみたらいいのにって思いますよ。言葉って法律家にとって医者のメスと同じくらい他人の命運を左右する大事なものじゃないんですかね。

いやなに素人なりに提案してるだけですが、我々は精一杯努力をしてきたのにこれ以上努力せよと言うのかとの声が聞こえて来そうで怖いです。

地方の弁護士さん、私は先生が真摯に答えてくださり、そして少しずつ医療のことを理解してくださろうとしていることに感謝しています。
添付文書の問題にしても、おっしゃっていることは医療の標準化がどうしてできないのかということかもしれません。しかし、実際的な困難さは薬や疾患病態や日々集積される新しい知識のなかで実際的な医療もどんどん変わっていくからです。文書にされたことは過去の事実に基づいていて今の最新の知識に基づくものではありません。
さらに医学でいうevidenceは大規模な試験で得られますが、一回市民権を得た知識もそれを信じない医師のグループの新しい試験によって否定されることも珍しくありません。ある疾患で使用を見合わすべきとされてきた薬が新しい知見によって治療薬として有効になることもあります。一方、添付文書はそのまま変わっていないこともあります。
多発性硬化症という疾患があります。ステロイドは再発予防に欧米では使用されず、効果が証明されていないのですが、日本の一般的神経内科医はよく使用しました。一部の多発性硬化症を専門にやっている医師はステロイド使用をエビデンスを無視したものと批判していました。しかし、最近になり日本の多発性硬化症の一部にはある抗体があって抗体陽性の場合はステロイドの再発予防効果が見直されつつあります。専門家より一般神経内科医の方が正しく治療できていた患者さんがいた訳です。
ですから、エビデンスエビデンスといっても個々の医師の判断こそが最後の砦になる場合も有ります。専門家が間違っていた例は例外的で、経験の積んだ専門家の判断がエビデンスに勝ることはありえます。

それから添付文書は製薬会社が医師に責任を負わせるために自分たちが責任を負わないようにしているために実際にあわないことも多々あります。
重症筋無力症という病気では睡眠薬や抗不安薬は使用できません。呼吸筋抑制が怖いのですが、病態によっては使ってもまったく問題になりません。目の筋肉にしか症状のない人にまで禁忌にしているのは明らかに行き過ぎです。病態がわかっている専門医の判断は添付文書に勝ります。

No.104 末端臨床医さん
私は、このブログで何人もの医師の方と議論をさせて頂いてきましたが、末端臨床医さんの反応には何か違うものを感じます。何か踏み込んではいけないところに踏み込んでしまったのですかね。もう努力しなさいとは言いませんから、怖がることはありません。安心してお休みください。

添付文書が問題になっていますので、地方の弁護士様に一言。
 産婦人科の分野では、妊婦および授乳婦という特殊な人種を扱います。ところが、多くの場合治験は妊娠していない成人しか対象にしていません。このため、生理食塩水ですら、「妊婦に対する安全性は確立していない」と書かれます。また乳汁は血液から合成されるため、血液中にある薬は、程度の差はあっても乳汁にも分泌されます。
 PL法施行以後、ほとんどすべての薬に「授乳を避けること」と添付文書には書かれることになりました。おかげで添付文書を遵守すると、授乳中はほとんどの薬が使えません。授乳を選ぶか薬を選ぶかの二者択一になってしまいます。
 実際にはその薬で乳汁中にどれほど移行し、移行濃度で薬が乳児に影響するのかどうかを調べるべきなのですが。(これは本来製薬会社の役目だと思いますが違いますか?)結果としてわれわれは経験上これは大丈夫と判断して薬を飲ませているわけです。そのほかFDA勧告とか、虎ノ門病院が出してる本とか参考にしていますが。

>地方の弁護士さま

医療事故といえば医師にばかりが注目されますが、病院、医師、看護師、などのほか厚生労働省、製薬会社、政治家も含めて、多くのものが医療を担っていると思います。厚生労働省とその天下り先である製薬会社は一枚岩であり、医師個人あるいは例え学会が声明を出したところで添付文書一つ変えるのが困難なところだと思います。トラブルや責任は個々の医師に押しつけろというのが現在の医療現場のあり方です。
その証拠に助産師の内診問題で学会や医師会がいくつかの提案を出しても厚生労働省は全く見向きもしません。
その一方で政府安倍政権の推し進める超低医療費政策でますます医療レベルの低下、医療事故の多発に陥っているのが医療の現状なのです。そうだとすると整形Aさまの言われるように、医療事故の責任の半分は現行の保険制度、医療政策にあるというべきものだと考えて欲しいのです。

No.103 地方の弁護士さん

>禁忌表記についても正確に作ることができると言うのも素人の誤解ですか。無駄な努力なのですか。禁忌表記についても、参考程度に医師は扱っているのですか。扱えないから、整形Aさん外、多くの医師が悩んでいるのではないですか?

素人の誤解です。禁忌表記も正確に作れない部分です。(今日のタミフルのテレビのニュースで、流された素人のコメントの馬鹿なこと馬鹿なこと。マスコミに判断能力がないということだと思いますが)

努力はすべきですが、焼け石に水というところもあります。

禁忌は、製薬会社等の責任回避のためという側面もありますが、特に注意喚起という役割もあるでしょう(参考書のここがポイント印という感覚だと思います)。そこに素人(司法)の誤った介入があって、本来の参考程度という使い方ができなくなって、毎度嫌な思いをしながら使うか、使わなくて患者の不利益に目をつぶるかになって、困っているという順序です。

>禁忌は、製薬会社等の責任回避のためという側面もありますが、特に注意
>喚起という役割もあるでしょう(参考書のここがポイント印という感覚だ
>と思います)。

地方の弁護士さん,
元行政さんの上記のコメントは多くの医師がその通りと考えていると思います.添付文書に関してはこのエントリのかなり以前(おそらく,その6とかその辺りだったか)に多くのコメントが書かれています.その中には元製薬会社のプロパーの方も書かれていたと思います.時間がありましたら探してみて下さい.
添付文書はまさに「製薬会社の責任回避」以外の意味はほとんどないのです.しかし,これがないことにはその薬剤は保険適応されません.
問題の根本は厚労省にあると言えます.法曹では文書に書かれたものが最も拠り所になるのでしょうが,医療の世界では教科書を含めそのようなものをいくら読んでも適切な治療は行えないのです.

タミフルについて言えば、金を貰っているのだから悪いことは書かないと断定されていますが、本当にそうでしょうか。
答えは「わからない」です。私はタミフルを飲んで異常行動を起こし、やめたら収まった、しかし再開したら異常行動が出たという再現性を示した症例を聞いたことがあるので(自分で見たわけではないですが)タミフルが異常行動を起こすというのはある程度信憑性があると思います。しかし、この投与→中止→再開というのは科学的には必要でも医師もあまりやりたくないことであり事故が起きる危険性もはらんでいます。従って研究班がこのような科学的手法を用いて解析したとは考えにくいし、科学的に傾向有りとなっても統計学的に有意差が無ければ「根拠なし」と言っても間違いはないのです。どのような手法で解析したかはわかりません。論文が出ていればそれを見て判断する必要もあるでしょう。
従って現時点では「タミフルで異常行動は科学的根拠は無い」と言われても我々医療人はある程度納得せざるを得ないのです(個人的には上記のごとく、異常行動はある可能性が高いと思いますが)。
だから判断は数多くの報告を読んで考えるしかないと思います。

禁忌と歌われていてもそれは一部の観察から得られた結果でしかあり得ず、科学的に調査しているのかどうかはわかりません。従って私も添付文書はまさに「製薬会社の責任回避」以外の意味はほとんどないのと考えています。
結局頼りどころは論文しかないと思います(その論文が捏造だったらどうする?という問題はさて置き)。

>元行政さん

禁忌は、製薬会社等の責任回避のためという側面もありますが、特に注意喚起という役割もあるでしょう(参考書のここがポイント印という感覚だと思います)。そこに素人(司法)の誤った介入があって、本来の参考程度という使い方ができなくなって

禁忌と注意喚起というのは意味が異なり、同一視するものではないと思いますが、薬の世界では同一視されているのですね。医師は添付文書を読んで「禁忌のこの部分は本当に禁忌であって、この部分は注意喚起に過ぎない」と言う事がすぐに分かるものなんでしょうか。

添付文書の禁忌という表現が、1から10まで参考程度のものだと言う事でしたら、禁忌という表現自体を変更するか、一般向け、司法向けの医学用語辞典というものを作って、禁忌の意味を明記しておけばいいようにも思います。

実のところ、添付文書にそんなにこだわっているわけではなく、医療の正当性を主張する根拠があれば何でもいいのではないかなと思います。法廷においては、学会の声明、ガイドライン、論文が添付文書と同列に扱われているかどうかが問題だと想いますが、そのあたりは地方の弁護士さんの領域でしょうね

経験でも構わないと思いますが、文書化しているかどうかが問題でしょうね。


何を問題にしているかと申しますと、埼玉医科大の抗ガン剤過剰投与事件のような事態を想定しているわけです。「経験とカンに基づいて、一週間分の抗ガン剤を一日に投与した。添付文書とは異なった投与ではあるが、医学的に不適切なものではない」と主張した場合、裁判所は添付文書以外の何に基づいて判決を下せば宜しいのかという事です。

>No.114 しまさん

>埼玉医科大の抗ガン剤過剰投与事件のような事態を想定しているわけです。「経験とカンに基づいて、一週間分の抗ガン剤を一日に投与した。

抗癌剤の領域は、話が簡単なので、心配には及びません。
埼玉医大の過剰投与事件などでは、失敗を隠しようがありません。
抗癌剤投与で、何らかの経験の基となる根拠がなくて行うことはないので、見る物が見れば、ありえない治療かどうかは、実はハッキリします

問題はむしろ慣行として有益で便利なのが分かっているのに添付文書一発で有責とされる危険性が高くなる一般薬品の方が心配です。

キレの良い薬は使い方を間違えると大変な目にあうので、限定使用が望ましいので、イレッサのように適切な慎重投与をするように伝えるだけで十分じゃないかと思うのです
(イレッサも抗癌剤ですが。。。。。)

いろんな処置でディプリバンを使うのですが、非常に良い薬ですが、適応症は
1) 全身麻酔の導入および維持、2) 集中治療における人工呼吸中の鎮静
だけで、添付文書だけに従えば、子供にも使えないし、気道確保されてなくては使えない
過渡期なのでしょうが、子供にまで使えるのを待っていたのでは、蓄積性のある他の薬剤で子供が参ってしまうので、使えない。。。

まあJBMによれば、責任取れないならしないに越したことはないし、そこまでの責任を求めないということでしょうが、目の前に困っている人がいて、道具があるのに使わない状況というのは、なかなか環視できる状況じゃないんですよね
もちろん建前上は、適応症に書いてあるとおりを守っていれば、法的には責められないでしょうが、職業倫理上では責め立てられるのです。誰にって、自分にですよ(苦笑)

No.113 しまさん

同一視というより、それが現実的な使い方ということです。『病態がわかっている専門医の判断は添付文書に勝ります』『法曹では文書に書かれたものが最も拠り所になるのでしょうが,医療の世界では教科書を含めそのようなものをいくら読んでも適切な治療は行えない』ということです。
*個人的な意見ですが、禁忌等の表現はやめて、注意グレードAとかBとかの表現にすべきだと思います。グレードAは使用禁止の意味だとか言われてしまうと意味がないですが。

No.114 しまさん

>「経験とカンに基づいて、一週間分の抗ガン剤を一日に投与した。添付文書とは異なった投与ではあるが、医学的に不適切なものではない」

添付文書から裁判官は本来判断する必要はないでしょう。専門医に尋ねるしか方法はありません。多数の医師に尋ねるのが一番正確な判定ができるでしょうね。

>元行政さん

『病態がわかっている専門医の判断は添付文書に勝ります』

病態が分かっている専門医の場合は仰るとおりだと思います。病態がわかっていない医師が投与する場合は、添付文書に従った方がいいというお考えでしょうか。


No.117 しまさん

病態の理解度にも幅がありますが、禁忌を打ち消す理由を持たないのならば投与すべきではありません。こんなことを言うと最高裁判例の特段の理由という表現でOKではないかと思われる方もいるかもしれませんが、特段と言う表現が他の裁判官に医師が現場で許容する理由よりも強い理由を求めさせている点、結局その理由の程度は裁判官には判断できないにも関わらずその手続を省きやすくしている点で、実質上誤り(最高裁の判断を正当化するために特段という表現の重みを無視する法曹も多いと思いますが)であります。

No.118 元行政
>禁忌を打ち消す理由を持たないのならば投与すべきではありません。

禁忌を打ち消す理由がある場合も正に最高裁のいう特段の理由と解して何ら差し支えがないと思います。
私は、禁忌を打ち消す理由があると言えるかを具体的に立証するとしたら、学会のガイドライン等があった方が立証が容易ですよと述べているのです。ガイドラインが多数の医師の判断ということだから説得力を有するのでしょう。

>結局その理由の程度は裁判官には判断できないにも関わらずその手続を省きやすくしている

裁判官は、鑑定ないし専門委員により知見の補充を得て、判断するのであり、仮に裁判官が知見の補充を受けても特段の程度を判断できないとしたら、それは医師側弁護士の主張立証が不十分だけのことであり、裁判官の資質の問題にするのは誤りです。このことはこのエントリで何回となく指摘されてきたところであり、未だこのような主張に接するのは残念です。

なお、私は添付書類の記載に反する使用をする場合は、新規治療法の実施と同じ側面があり、医師は患者に説明をした上、使用することが必要なのであり、その理由が裁判官にも判断できないような種類のものであれば、患者は説明を受けても理解できないでしょうから、止めておいた方が無難であると思います。
このように述べると助けることができる患者も助けられなくなるとの反論が予想されますが、この責任は製薬会社が使用法を制限したことにより生じたものであり、その責任が司法にあるとは思えません。

>地方の弁護士さん

私は添付書類の記載に反する使用をする場合は、新規治療法の実施と同じ側面があり

添付文書の記載にない使用をする場合でも同様でしょうか。

また、Med_Lawさんご紹介のディプリバンという薬品ですが、添付文書には「小児に対する安全性は確立していない」旨の記述があります。このような、製薬会社が使用法を制限していないケースはどのようにお考えになりますか。


話は逸れますが、添付文書に反する使用を行った場合、裁判官は添付文書に従って機械的に判断を行うわけでもなさそうですね。意見書があればその意見書に従っているような印象を受けます。他に何も判断する材料がない場合、最後に添付文書を参考するような感じでしょうか。

>このように述べると助けることができる患者も助けられなくなるとの反論が予想されますが、この責任は製薬会社が使用法を制限したことにより生じたものであり、その責任が司法にあるとは思えません。

頭蓋内出血急性期におけるペルジピン注射がまさしくこの好例であるとおもいます.
それはそうとして 不適切な法令に対する違憲立法審査権すら持つ裁判所が
たかが保険会社の誤りを正す事ことができんという理屈がわかりませんです

↑×保険会社→製薬会社

>いのげさん

頭蓋内出血急性期におけるペルジピン注射がまさしくこの好例であるとおもいます.

No.98で書きましたが、ペルジピン投与だけをもって即有責となるわけでもなさそうです。もっとも、地裁判断の話ですが。

平成18年08月31日 京都地方裁判所 第2民事部

ただ、ペルジピン投与後に急性期再出血が発症した場合、添付文書が問題になってくるとは思います。

半年前にいのげさんと全く同じようなやりとりをしていたことに気が付きました。
申し訳ありません。

>No.119 地方の弁護士さま

裁判官が知見の補充を受けても特段の程度を判断できないとしたら、それは医師側弁護士の主張立証が不十分だけのことであり、裁判官の資質の問題にするのは誤りです。

そう言うためには、「医師側弁護士の主張立証が十分であれば、裁判官は正しく判断できる」という前提が必要ですが、医療側はこの前提を疑問に思っています。

そこが噛合わないところです。

>No.120 しまさん

>添付文書には「小児に対する安全性は確立していない」旨の記述があります。このような、製薬会社が使用法を制限していないケースはどのようにお考えになりますか。

【禁忌】(次の患者には投与しないこと
1. 本剤又は本剤の成分に対し過敏症の既往歴のある患者
2. 妊産婦(「妊婦、産婦、授乳婦等への投与」の項参照)
3. 小児(「集中治療における人工呼吸中の鎮静」の項参照
(ディプリバン添付文書より引用)

小児・妊婦への治験が進むはずがないのは、製薬会社も重々承知のはず

目の前の危険な状況を回避するために、将来起こるかもしれない危険を承知してもらった上で使用するというのは、どの医薬品でも、治療法でも同じなのですが、【禁忌】とされると、きっちりと同意書も取って、添付文書の説明もして、他剤では代替不能であることを説明して使用しても許されるかどうか?

もちろん【禁忌】とされているような対象者には他の不満足な方法や、あるいは治療できないと適応外とすることも可能であり、責任回避には一番でしょうが、それでよいのかということを現場の医師は迷い悩んでいるのです。

使いやすい薬が濫用されることによって害の方が目立つようになれば、本末転倒なので仕方ない面もあるのでしょう。医療をしていて悩みは尽きません

No.121 いのげさん
>不適切な法令に対する違憲立法審査権すら持つ裁判所が
たかが製薬会社の誤りを正す事ことができんという理屈がわかりませんです

裁判所は、具体的な事件として訴えられないと、当該事件に適用された法律が違憲か否かについて判断できないとされています。前に、私は、軽過失免責の契約書を作り、予め裁判所の判断を得ておく方法を提案し、直ぐに撤回したことがありましたが、具体的事件性がないと裁判所は判断しないからです。法曹にとってある意味常識的なことなのですが、私はこのことを失念して提案してしまったものであり、私も余り大きなことを言えませんが、裁判所が事件性を離れて、添付文書自体の適否を判断することはないということです。
なお、裁判所は、添付文書の不適切な記載により、患者が損害を被ったとして、医師又は製薬会社に対し訴訟を提起した場合、当該事件の判決の理由中の判断として、添付文書の誤りを認定することはあり得ます。ただ、患者が当該添付文書の訂正を製薬会社に直接求めることはできないと解されます。損害を被った場合、民法上、損害を回復する方法は金銭賠償が原則であり、金銭賠償請求以外の損害の回復方法が認められているのは、名誉毀損の場合のみです。
もっもと薬事法か、何かに特別規定でもあれば、別ですが(調べてありません。)、あくまで民法レベルの話として聞いて下さい。


No.125 元ライダーさん
>そう言うためには、「医師側弁護士の主張立証が十分であれば、裁判官は正しく判断できる」という前提が必要ですが、医療側はこの前提を疑問に思っています。

裁判官が事実認定し、法を適用するというのは、裁判の基本的枠組みです。ある意味普遍的紛争解決方法です。仮に、裁判官が鑑定や専門委員による知見の補充を得ても、正確な事実認定ができないとしても、現時点では甘受するしかないでしょう。紛争解決方法として裁判に勝る方法が容易に生み出せるとも思えませんし、裁判を受ける権利は憲法上の権利ですから、裁判制度を変えるのは、今の医療政策を変えるより困難と思います。
医療側の疑問は、医療が法の枠内でした保護され得ないとの現実を感覚的に受け付けられないとのことかと思いますが、癸僑犬慮緘召了笋離灰瓮鵐箸鮑禿抃悩椶靴泙后
「最古の昔から(医療が)存在していたことを争うものではありませんが、人が社会生活を始めると必ず社会規範が生まれ、その最低限度の規範が法規範として成立し、国民は好むと好まざるとにかかわらず、その規範に従うことを強いられるのです。今の医学が多くの人の英知と協力の上に成り立っている以上、医療も法規範の枠内でしか保護されないのは受忍するしかありません。」

No.119 地方の弁護士さん

>最高裁のいう特段の理由と解して何ら差し支えがない

辻褄があうというのと、下級裁判所にどのような効果を発揮するかという話は、話の次元が違います。

>医師側弁護士の主張立証が不十分だけのことであり、裁判官の資質の問題にするのは誤りです。このことはこのエントリで何回となく指摘されてきたところであり、未だこのような主張に接するのは残念です。

逆です。主張立証が不十分なだけであるという主張は何度もなされてきましたが、それに納得した医師はほとんどいません。司法のシステムの詳細を学ぶにつれ、むしろ弁論主義だから無理、裁判官は素人で資質にかけるから無理という結論にいたっています。不十分だけのことというのは、現実と乖離した根拠のないお約束(天動説みたいなもの)、誤りです。

>添付書類の記載に反する使用をする場合は、新規治療法の実施と同じ側面があり、医師は患者に説明をした上、使用することが必要なのであり、その理由が裁判官にも判断できないような種類のものであれば、患者は説明を受けても理解できないでしょうから、止めておいた方が無難であると思います。

一般人から見れば筋の通った意見だと思いますが、医療の現場からみれば現実的でない話です。
この理論のダメなところは、記載に反する治療法をおこなう頻度に関する無知があるところです。いちいち説明していられないくらい日常的な頻度なのです。多くのトンデモ判決に見られる傾向でもあると思います。
それから患者の理解力に関しても誤解があるでしょう。裁判官ですらあのような状況ですから、期待できるものでは最初からありません。(昨今のDQN患者のDQNたる大きな理由は、自分は理解できる又はできているという過信です)

>このように述べると助けることができる患者も助けられなくなるとの反論が予想されますが、この責任は製薬会社が使用法を制限したことにより生じたものであり、その責任が司法にあるとは思えません。

そもそも添付文書上に書かれた使用法の制限の本来の意味を間違って捉えたのは裁判所です。改善の余地はありますが、添付文書を作る立場で考えてみればやむをえないところであり、大きな過失はありません。過失は裁判所にありです。(下級の裁判所が過ちをおかしやすくする枠組みを示し、個別の案件としても誤った判断を示した最高裁の過失です)

No.128 地方の弁護士さん

>仮に、裁判官が鑑定や専門委員による知見の補充を得ても、正確な事実認定ができないとしても、現時点では甘受するしかないでしょう。紛争解決方法として裁判に勝る方法が容易に生み出せるとも思えませんし、

仮にでもなんでもなく事実です。だから制度を変えるべきということではなくて、最高裁は見解を改めるべき、修整した見解を出すべきということです。
先生の反応を見ても、最高裁が改めるとは思えませんが、添付文書の枠組みを示したように、現実に則した枠組みを示すことは、簡単なことではありませんか。慣習的な血圧測定すら特段の理由になりうると言えば、それで解決のはずでは。

No.130 元行政さん
>仮にでもなんでもなく事実です。

だから、事実であること(裁判官に判断能力が欠ける)を前提としても、裁判官が判断するのが、裁判の本質ですから、裁判官に判断能力が欠ける結果、裁判官の判断が誤っているとしても、その判断の誤りは裁判の中で是正するしかありません。たから、裁判官の説得に向けて、医師側弁護士に主張立証を尽くしてもらうしか方法はないのです。

>慣習的な血圧測定すら特段の理由になりうると言えば、それで解決のはずでは。

平成8年1月23日の最高裁判決を念頭に仰っていると思いますが、慣習的な血圧測定が特段の事由に該ると判断するのが何故正しい判断なのか、その理由こそが問題であると思います。その理由を裁判官に理解して貰うしか、解決はしないのでしょう。
そもそも、元行政さん批判は、添付文書に違反する用法に対し、特段の事情を必要とする最高裁の示した判断基準に向けられいてる筈で、特段の事情に何が該るかの問題ではなかったかと思います。もっもとも、このような反論をなさること自体、最高裁の示した判断枠組みの中で解決を模索するしかないことを暗黙の内に認めていらっしゃるのなら、一歩前進かと思いますが、まさかそんなことはありませんよね。
前にも申し上げたと思いますが、規範の定立の問題と、事実への規範の適用の問題を意識して論じることが無用な誤解を避けるためにも有益かと思います。私は、元行政さんから上記主張を受けて一瞬喜んでしまいました。

なお、特段の事情という言い回しは、一定の事実が認定されることにより一定の法律効果(本件は過失)が推認できる場合に、その推認される効果を否定する事実を示す場合の慣用句です。何が特段の負担を医師に課したものと誤解されている危惧を感じますが、まず、添付文書違反の用法に過失を推認する効果を与えた以上、それを否定するを事情を、特段の事情と表現するのは用語法としてこれ以外の表現は考え難く、この用語法に違和感を感じる法曹はないと思います。

No.131 地方の弁護士さん

>事実であること(裁判官に判断能力が欠ける)を前提としても

それゆえに論理的に考えれば、最高裁の判例で示した枠組みが間違いとなるというだけの話です。個々の事例の特段の事情を判断できるのならともかく、実際できもしないのにできることを前提にして間違っていないとか妥当だとかいうのは意味がないでしょう。

>裁判官の判断が誤っているとしても、その判断の誤りは裁判の中で是正するしかありません

私知を禁じ、偏見から自由であろうとしようとも、判断の元には必ず日常の知識が存在するため、日常の知識の変化は判断に影響するでしょう。実際のトンデモ裁判には、マスコミに誤誘導された一般人的な発想が色濃くでていると感じるわけで、誤りを誤りと指摘し、問題点を白日に晒すことは、意味のないことではないと思っているのです。
医療側弁護人がいかに頑張ってくれようとも、裁判官の『偏見』でおかしな訴訟指揮をされればたまりません。だからこのような援護射撃をどんどんしろと言っている医療側弁護士の方もおられるようです。

>その理由を裁判官に理解して貰う

高裁は理解してくれたのに、最高裁は医療側弁護人の話を聞いたわけでもなく、勝手に判断したのではないですか?

>特段の事情に何が該るかの問題ではなかった

何が該るかということはもちろん問題にならないはずはないです。今までの私の主張を言い直せば、最高裁があのような判例を出したおかげで、現実として、現場が困るような何が該るかの基準が世の中に蔓延している。だからあのような判例を出したことは間違いであると。
判例のようなことを最高裁が断らなくても、添付文書を参考に判断されること自体は、できなかったわけではないはずで、あの判例で改善されたことなど何もないはずです。

>規範の定立の問題と、事実への規範の適用の問題

血圧測定は例えなので、初期のように混同しているわけではないです。ただし、参考書辺りに法則と具体例が記載されている如く、最高裁の規範と定立された事実とはとても無関係とは言えないのではないですか。

>特段の事情と表現するのは用語法としてこれ以外の表現は考え難く、この用語法に違和感を感じる法曹はない

ようするに判例の表現として、特段という表現は強調でもなんでもないということですか。随分一般的な表現とは違うということですね。現実的に訴訟のネタにされているので、強調のニュアンス(どうしようもないような余程の理由がある場合は除くの意)で伝わっていることはありそうですが。

No.132 元行政さん
>論理的に考えれば、最高裁の判例で示した枠組みが間違いとなる

裁判官が判断能力に全く欠けるならそうかも知れませんが、現実には全く欠ける訳ではないから、論理的帰結としたら判断を誤ることが多いくらいのことでしょう。それも医師の不見識な鑑定に惑わされるのであり、それを裁判官の資質の問題にするなら、医師の資質こそ問題にされてしかるべきです。

>誤りを誤りと指摘し、問題点を白日に晒すことは、意味のないことではない
この主張自体はそのとおりです。しかし、添付文書の記載が現実の扱いと乖離されていること是正の方が先決かと思います。数か無数に多いなら、組織的な対応こそが必要なのでしょう。免責される理由になるとは思えません。製薬会社は説明不足に対する身の危険を感じて販売しているのですから、その説明を受けて薬剤を使う医師もその危険を感じるべきでしょう。製薬会社の責任回避だと揶揄するのでは該らないと思います。むしろ、企業としてとるべきリスク管理というべきでしょう。

>高裁は理解してくれたのに、最高裁は医療側弁護人の話を聞いたわけでもなく、勝手に判断したのではないですか?

これは、誤りです。医療側に代理人(弁護人という言い方は、弁護士は被告人の代理人ではないとの趣旨で代理人と区別する意味で刑事事件で使う用法です。業界用語ですが、刑事事件を念頭において聞かれているのかと誤解を生みますので、敢えて指摘しました。)が付いた場合は、上告理由に対する反論をするのが、基本的職務ですから、当然反論書を提出している筈です。もし提出していないなら、懲戒ものです。最高裁は、高裁の判断を見直さない場合、弁論期日を開きませんから、弁論という形にはなりませんが、見直すか否かを決定する材料として必ず読んでいる筈ですし、高裁の判断を見直す場合は必ず弁論期日が開かれますから、改めて弁論することになります。本件では判決が見直されたのですから、弁論も開かれていると思います。
なお、最高裁が弁論期日を指定したことがニュースになるのは、判決が見直される可能性が高いからです。

>最高裁の規範と定立された事実とはとても無関係とは言えないのではないですか。

それは仰るとおりですし、規範の内容がどのような事案に適用されたかによって、明らかになるとの側面もあります。ただ、不適当な事案を前提として定立された規範だからと言って直ちにその規範が一般性を失うとは言えないと思います。
当該事案について言えば、添付書類に血圧対策として、2分間隔で血圧を測定することが規定されていたが、被告医師は、従前の慣行に従い、5分間隔で計った事案です。被告医師が慣行以外の合理的理由を示すことなく、単に慣行に従っただけと主張したため、医師が敗訴した事案です。合理的理由があるか否かを示す一番説得力を持つものが学会のガイドラインかと思います。
この点、多数の医師の見解を裁判所は聞くべきであるとの提案もなされていますが、一人の鑑定人を探すのにも裁判所は苦労しているのに、意見を述べてくれる多数の医師は何処にいるのですか。日々過酷な労働環境にいる多くの医師が裁判に参加してくれることが期待できるのですか。どのような現実的な手段があるのですか。私は、多数の医師の意見を聞くのが無意味であると言っているのではありません。多数の医師の意見をどのように裁判に反映させるのかとの視点で提案しているものです。

>随分一般的な表現とは違うということですね。

そうかも知れません。例外のない規則はないと言いますが、最高裁が規範を定立した場合、例外に言及して、原則の射程距離を明らかにしようすることが多々あります。例外に言及することなく、原則のみを示す判示と較べ、例外に言及する方がその原則の適用範囲が狭いことを意味するので、敢えて言えば緩やかな原則と理解できる側面もあります。
なお、本件の平成8年1月23日判決は「特段の合理的理由」とありますが、「特段の事情
」と同じ意味に解して差し支えないと思います。

医師の皆さんへ
最近の自分の投稿を読み直して見ると誤字脱字が多く、論述も荒くなっており、お見苦しいかと思います。繰り返しの論述も増えましたし、私が医師の皆さん方にお伝えしたいと思ったことは一通りお伝えしたようにも思えます。
暫くはROMに戻らせていただこうかと思います。元行政さんはじめ医師の皆様お相手頂きまして有り難うございました。

No.133 地方の弁護士さん

>全く欠けるなら

全くでなくても、枠組みによって不具合が増え改善されることが存在しませんから誤りと言いきってよいはずです。作られた枠組みが、ない時よりあった時の方が誤りが多くなることが論理的に予想され、実際その通りで被害も出ていれば、枠組みが誤りであることは動かしようがないでしょう。トンデモ鑑定医の責任が99%で、裁判官の問題が1%でも、最高裁の枠組みが悪いということは変わらないでしょう。

>添付文書の記載が現実の扱いと乖離されていること是正の方が先決

この部分に関して、未だ我々の主張をご理解されていないということなのだと思います。
現場の医師を大量に集めて、長時間かけて、予算もいくらでもかけて、自分達の役に立つように、何のしがらみもなく自由にたった一つの薬の添付文書を作らせたとします。それで是正された添付文書ができるか。決してできません。人間を相手にする薬もまた、不確実性の塊だからです。(ガイドラインも似たような感度ですね)
この部分は法曹に理解してもらわなくては絶対にいけないところであるにも関わらず、なかなか理解してもらえません。今まで何人もの医師が必死に説明しても、医療にある程度くわしく理解しようという意欲も高い先生にすら理解してもらえないのを見てもかなり根の深い問題だと思っています。(ここで学んでいる医師は文化の違いだと感じています)
*製薬会社の責任回避は一つの障害に過ぎないと思います。

>本件では判決が見直されたのですから、弁論も開かれている

ご教示ありがとうございました。私が想像していたもの程軽率であるわけではないようですね。しかし日本の今後に影響する最高裁の判例ですから、当事者だけでなく広く反論を集める制度があればよかっただろうなとは思います。

>敢えて言えば緩やかな原則

勉強になりました。世に広く知らしめるべき話だと思います。

P.S. ありがとうございました。またそのうち書き込みよろしくお願いします。

まぁ、皆さんだまされたと思って読んでみてください
新たな疫病「医療過誤」
朝日新聞社の新刊です。訳本ですが、日本もアメリカとほぼ同じ課題を抱えていることがわかりますな。

例えば司法関係ではこんな感じ

不法行為に関するほうの仕組みは、過去の仕事をどれほど安全に成功させてきたかを見ようともしない。そのため、危険な作業を頻繁に行わなければならない業務についているものにとって不公平な判決を下す。ニュージーランドの麻酔科医アラン・メリーと。エジンバラ大学の法医学教授アレクサンダー・マッコール・スミスはこのように考察している。「高い水準の技能と注意力、ケアの内容等々を『常に』保ち続けられると想定して基準が設けられてしまっている。しかし、このような者がいるとしたら、それは人間ではない」(P401)

>立木 志摩夫さん

司法は司法で、まともな判決を出したとしても当事者の一方からは責められてしまうわけで、これほど割の合わない職業もないかも知れません。

この他にも安部氏に有利に働く視点が目立つ。判決は安部氏といえども医学界のコンセンサスなしには治療方針を変えることは難しく、変えなくても責任は問われないとの立場をとった。コンセンサスなしに変えれば、“かえって過失責任を追求される”かもしれない、従って2人の患者の死亡原因がエイズだと自分が考えていても、その「自身の見解の正しさについて、医学界のコンセンサスを得ようとするのが、通常の医師のとる行動様式」と述べている。安部氏がギャロ博士に血液検査を依頼したのも、帝京大の自分の患者のエイズ死を医学界に認めさせることを主な目的としていた可能性ありと書いている。

元最高検検事で、筑波大学名誉教授の土本武司氏が語った。 「今回の判決はあくまで従来の過失犯罪の枠組みで論じられました。その枠組みでとらえれば、予見可能性が低いから、結果回避義務も低くてよいという論理になります。 しかし医療現場の場合、この過失理論では、被害者が死んでも誰も責任を負わないという誠に不思議な状況になります」

http://blog.yoshiko-sakurai.jp/profile/message/cat24/

病院に7700万円賠償命令

藤山判決が高裁で逆転されているという、珍しくもない事件だと思いますが、ご参考までに。


平成十七年九月三十日 東京地裁

しかし、本件は出産時における出血であるところ、証拠(甲B5〔1060〕、乙B4〔155〕、鑑定人H〔10〕)によれば、妊娠末期の女性の血液量は非妊婦に比べて40%〜50%、場合によっては量にして1リットル以上増えている可能性があること、細胞外液量は非妊娠時には約208ml/kgから妊娠後期には約284ml/kgとなることが認められる。
 したがって、出産時における母体からの出血については、このような出血に対する予備能を考慮して輸液量の適否を判断する必要がある。

No.137 しまさん

前提とされている、「まともな判決を出したとしても当事者の一方からは責められてしまう」とゆうのが間違いですね。司法関係者を被害者wに仕立てようとゆうことかも知れませんが、そうゆう悪質な印象操作は控えてはいかがですか。

我々は、医学的にまともな判決なら、いくら敗訴されても構いませんよ。まともじゃないから怒っているのです。

医療過誤の被害者と称する連中も、裁判所の医療判断はおかしいと主張しています。双方から不満が出ているのは、どちらにとっても、どこから見てもまともな判断じゃないからです。

>No.138 しまさん

医療側無責とした藤山判決の高裁逆転例ですね。
興味深いものがあるので、高裁の判決文を読んでみたいものです。

最高裁のホームページの判例検索は全判決の検索ではないので、何らかの最高裁の判断が入っていると思われるのですが、この地裁の判断がひっくり返されたら、また検索可能判例から削除されるものなのでしょうか?

公開裁判のあり方について、インターネット時代なのだから全判決文が無料で公開されるべきだと思うのですが、裁判所のIT化は進んでないみたいですね

>魔人ドールさん

我々は、医学的にまともな判決なら、いくら敗訴されても構いませんよ。まともじゃないから怒っているのです。


医師の目からみて、安部英被告の一審判決がまともでないというのならば、それは仕方ありませんね。

 医療行為は,一定の危険を伴うが,治療上の効能,効果が優るときは,適切と評価される。本件においては,非加熱製剤を投与することによる「治療上の効能,効果」と予見することが可能であった「エイズの危険性」との比較衡量,さらには「非加熱製剤の投与」という医療行為と「クリオ製剤による治療等」という他の選択肢との比較衡量が問題となる。刑事責任を問われるのは,通常の血友病専門医が被告人の立場に置かれれば,およそそのような判断はしないはずであるのに,利益に比して危険の大きい医療行為を選択してしまったような場合であると考えられる。他方,利益衡量が微妙であっていずれの選択も誤りとはいえないというケースが存在することも,否定できない。
http://www.jca.apc.org/toudai-shokuren/abetisaihannketu.html

民事裁判で理想的判決のイメージとして皆さんはなにをお考えになるのでしょう。
私は江戸の名奉行大岡越前守の裁きを思い浮かべます。三方一両損とかです。当時学のある者もない者もみな納得できる裁定だったようです。
近年小泉首相がこの言葉を欺瞞的に用いたため、本来の大岡裁きの持つ輝きが見失われました。偉大な先人の業績に対して当然の敬意が払われなくなってしまったことは、小泉政治の失政部分と私は評価していますが、それはさておき、本来民事裁判は和解をもって最上の解決とすべきものであると思っていました。刑事事件は人間対法だから白黒をつける事が法治国家では絶対的に必要ですが、民事は人間対人間(法人も含む)の争いでありこれに裁判所が白黒をつけるということは一方が善人で他方が悪人であると国が国民にレッテルを貼ることと同じであり、近代法の基本的理念にそぐわない考え方だと思えてなりません。
ぼつでおkな短め(ちょっと長いかも)のぼそっと呟きでした(笑)。

全然関係ない話ですが厚労省が今度遺跡登録者を検索できるというシステムを公開しています。

医師等資格確認検索
http://licenseif.mhlw.go.jp/search/

このシステム、物故者や大正時代の登録者も検索出来るようです(国内最高齢者以上は削除されるらしいですが)。まさか厚労省の熱心に主張するところの「医師は足りている」説はこのDBを元にしているということはないですよね…?

>No.144 老人の医者さんのコメント

>このシステム、物故者や大正時代の登録者も検索出来るようです(国内
>最高齢者以上は削除されるらしいですが)。

厚労省はこの情報の公共性の高さを公開の理由として挙げていましたが、ぼつでおkの頭がアレなせいか(笑)、物故者情報の持つ高い公共性という
のがどうにもこうにも理解し切れませんです。(笑)

藤山裁判長、異動される様ですね。
左遷、と言うわけでもないみたいですが。

法曹界人事

No.142 しまさん

極めて当然のことですが、数ある判決の中に、結果としてマトモなものが紛れ込んでいることがあったしても、そのことによって「判決全部がマトモだ」とゆうことにはならないのですよ? 

それに、その判決を担当した裁判官は東京大学医学部卒業で、医師としての勤務経験もある人です。つまり、医療問題については医師が判断すれば、マトモな判決が書けるとゆうことですよ。

>まともな判決を出したとしても当事者の一方からは責められてしまう

「まともな判決」って何で誰がそう評価するものと考えておられるのでしょうね。

工業製品なら、メーカーが「まともに作った」といってもそれを評価するのは消費者です。消費者がこれは不便だ、と言えば、それは直さないと売れないわけで。

医療なら、私が患者になっても医者の治療がまともかどうかなんて分かりませんが、昨今の裁判=「医者の治療方法はおかしかったのではないか?」ということで、医者が「まともな治療だった」といってもそれを評価するのは他者なわけで。

司法に関しては、上では通用しない、「正当な手続きにのっておれば、まともな判決である」という論理が通りつつ、「まともさを保証すべき対策をうたねばならないのはそれを実施するものである」という通常の論理が通らない特殊な場なのでしょう。

>魔神ドールさん

それに、その判決を担当した裁判官は東京大学医学部卒業で、医師としての勤務経験もある人です。つまり、医療問題については医師が判断すれば、マトモな判決が書けるとゆうことですよ。

医師にはまともな判決なのですよね。しかし、櫻井氏はまともでないと批判していらっしゃるわけです。当事者の一方からは責められるというのは、こういう事です。


>北風さん

「まともさを保証すべき対策をうたねばならないのはそれを実施するものである」という通常の論理が通らない特殊な場なのでしょう。

裁判所は法律を解釈する、いわばコンピュータみたいなものだと考えています。まともでない法律が入力されたら、出力された結果もまともでなくなってしまうだろうし、まともでない証拠が入力されても同様です。

間違ったプログラムを入力して、意図しない結果が出たら、それはプログラムのせいでしょうか、それともコンピュータのせいでしょうか。

>No.149 しまさん

用意されているプログラムで対処できないデータを入力されても、何らかの出力をするコンピュータ(あるいはOS)なら困りますね。
「データを処理できません」というメッセージが用意されていないシステムにはどう対処しましょうか?

既出かもしれませんが、
法律時報という雑誌の79巻4号に米田泰邦弁護士が、

「刑事法学の動き
1 小松秀樹『慈恵医大青戸病院事件―医療の構造と実践的倫理』(日本評論社、2004年)
2 同『医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か』(朝日新聞社、2006年)」

と題する論考を投稿されています。
両書を「痛烈な刑法学批判」と受け取られています。

 「…医学の論証の厚みからは『痛々しいほどの危うさ』の教科書しかない「刑法で世界を統べるか」と問いながら業過規定の科学無視批判を繰り返し、結果論からの処罰で新しい手術による進歩の道をふさぐべきでないとする…」
 「ロースクール教育も問題であるが、裁判盲従・謙抑不感症の痛々しい刑事法学ばかりではなかろう。哀れみを撥ね返す動きを期待したい。」

 米田弁護士は、過失論、医事刑法の専門家です。法学の分野から両書の問題提起に応える論考は、少なくともメジャーな法律雑誌では初めてだと思われます。

>No.149 しまさん

>>「まともさを保証すべき対策をうたねばならないのはそれを実施するものである」という通常の論理が通らない特殊な場なのでしょう。

>裁判所は法律を解釈する、いわばコンピュータみたいなものだと考えています。まともでない法律が入力されたら、出力された結果もまともでなくなってしまうだろうし、まともでない証拠が入力されても同様です。

 なんで、誰のせい、という責任問題に一足とびにとぶのでしょうね。エラーをどう直すのか、というのが問題のような。

>間違ったプログラムを入力して、意図しない結果が出たら、それはプログラムのせいでしょうか、それともコンピュータのせいでしょうか。

 予め、「入力したものが間違っている」と分かっていれば誰も入力はしないでしょう。
分かるのは、「コンピューターからでてきた結果」です。その結果がおかしい、ことから、逆算して、プログラムなのかコンピューターなのかを切り分けることになります。
 コンピューターから意図しない結果がでた場合、「コンピューターの正確さ」「入力したものの正確さ」の両方を検証すると思いますが。少なくとも、「コンピューターの正確さ」の検証をするのはどこかという問題は残りますよね。

 コンピューターでいえば、コンピューターに詳しい人間でなければ仕様や使用手順書などを作成して、利用者に徹底できません。
 上でいえば、「まともでないデーターが入力されないような仕組み」「どういデーターがまともでないのか、まともなデーターとはどういう方式にすればいいのか」「コンピューターのメンテナンス」「エラーが出た場合のコンピューターの検証」などは、コンピューターの管理者の仕事ではないのでしょうか?(他者にこういう保守をしてくれ、ということを依頼する、でも可です)
 
 エラーがでたときに上のような対策がなされてなければ、それはそのシステムがおかしいといわざるをえないでしょう。
 話を戻せば、「対策がなされていないのなら、裁判所を含むシステムがおかしい」ということで、実際に誰がどう対応するのかは難しいのでしょうけども。

>北風さん

仰ることには同意いたしますが、2点だけ。

分かるのは、「コンピューターからでてきた結果」です。その結果がおかしい、ことから、逆算して、プログラムなのかコンピューターなのかを切り分けることになります。

通常は切り分けて考えるべきですが、司法に関してはその通常の論理が通用しないようですね。「コンピューターの正確さ」だけに囚われていて、「入力したものの正確さ」は議論されていないのではないでしょうか。

コンピューターの正確さに関しては、三審制である程度は保証できるのではないでしょうか。


コンピューターの管理者の仕事

司法を管理するのは民主主義国家においては国民であり、社会の仕事だと思います。

最近はこういうことがやっと公の場で語られるようになったんですね。しかしむしろ驚くことはマスコミがこういう記事を載せるようになったということ。お前が言うな!という面も多々あるわけですが…

医療現場もう限界…日本医学会総会で“崩壊寸前”報告
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20070408p301.htm

「医師少なく勤務過酷」 医学会総会が特別シンポ
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007040801000359.html

医学会シンポ:厚労省局長、産科医不足に強い危機感示す
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20070409k0000m040079000c.html

しかし、

> 一方、助産師不足を背景にした看護師の違法内診問題に関し、会場の産婦人科医らが「(内診ができる)助産師がいなくて困っている」などと訴えたのに対し、看護師出身で参院議員の南野(のおの)知恵子・元法相は「それほど頻回に内診がいるのかとも思う。看護師に内診をさせるのは、運転免許のない人に自動車を運転させるようなもの。資格を持っていないものに安全安心のケアを任せることはできない」などと答えた。

お産絡みの訴訟率の高さがこれだけ騒がれている今の時代にあって「内診=安全安心のケア」という認識があるならなぜ「それほど頻回に内診がいるのかとも思う」という発言になるのか理解できないのですが。

>看護師出身で参院議員の南野(のおの)知恵子・元法相は「それほど頻回に内診がいるのかとも思う。看護師に内診をさせるのは、運転免許のない人に自動車を運転させるようなもの。資格を持っていないものに安全安心のケアを任せることはできない」などと答えた。

 うちの助産師でも「むしろあまり内診しないでも進行状況をある程度知ることができるのが助産師の技。看護師が内診したって別にそれくらいは」といったりします。実際問題あまり頻繁に内診すると、いくら滅菌手袋使っても細菌感染の原因になったり、破水させちゃったりと言う事態が生じますし。

しかしそう言い出せば、「内診しなければいい」訳だから、看護師が内診しなくても進行状況を分かるように仕込んでしまえば、助産師不要じゃん。

人様のブログの引用ですが、元法相、現実にはもっとすさまじい発言だったようです。
vvvfの雑感 2007-04-08
http://vvvf.exblog.jp/5860372/

『「内診を法律的に認めてくれないとこのままでは産科は確実に崩壊してしまう。ぜひ法律で内診を明記して欲しい。」ということを会場の質問者が言うと南野が
「日本は法治国家である。ライセンスを持ったものでないと安全が確保できない」
とまぁここまでは許容範囲です。(現状の危機に対して「法治国家云々」を持ち出してきた段階で会場中が失笑の渦でしたが・・・・。どう考えても持ち出すような場面じゃないだろ)

で、次が超トンデモ発言
「最近は看護師さんにも男性がいますよね。そういう人をお産の現場に立ち合わせてもいいのですか?」

さすがにこれには岸本会頭がツッコミを入れていましたが、とかく会場中がため息と失笑でもうなにがなんだかよく分からないような状況でした。とかく、ちょっと前の法務大臣様が「産科に男性はいらない」と明確におっしゃっているわけで、我々は産科に携わればそれだけで罪になる可能性があるということのようですね。』

ここまで言われたら、男性産科医は黙って逃散するしかないし、だからといって女性医師に男性医師の代わりにフルタイム当直つきで働けったって・・・よーするにい、元助産師であるはずの南野元法相は、「お産に男はいらない。医師もいらない。助産師だけでできる(助産師は今のところ女性にしか受験資格ありません)」とおっしゃるわけですな。

> 「最近は看護師さんにも男性がいますよね。そういう人をお産の現場に立ち合わせてもいいのですか?」

 これはダメでしょう。本当にそう言ったのであるとしたら、これは明確な性別に対する差別です。日本国憲法を奉じる法治国家の国会議員として相応しい発言ではありません。

 さらに言えば、充分な助産師と女性産科医師がいて、妊婦さんに事実上の選択権が保証されているならともかく、そうでない現状では、異常分娩の妊産婦と赤ちゃんは死ねばいいと言っているのと同じ発言です。

 助産師には、累々たる屍の山を築き上げていくどんな権利があるというのでしょうか。発言者は、まさに日本の母性全体の敵であると感じます。

> No.156 山口(産婦人科)さんのコメント
リンク先拝見いたしました。現状を把握していない発言ですね・・・・。その女性議員(M野さん)が自ら女性たちのクビを絞めているような発言です。こういう発言は女性医師や女性看護師が十分いて子供がいても十分働けるような環境にあってから言うことです。
では政治は女性医師や女性看護師が十分足りるような状況になるべく努力したのか?していないですよね。これはもはや性差別の問題ではありません。労働環境の問題です。自分たちは努力していないのにチープな現場にすべての責任を押しつけるようなものです。つまり、平たく言えば責任逃れ。
つまり、優先順位が全く論理的ではありません(つまり単なる感情論的な発言です)。女性にしか見られたくなければそれを標榜している高ーい値段の産院があるもしれませんからそちらに行っていただくとして、もしご本人がおっしゃられる様にしたいのであれば、まず女性医師や女性看護師が働く環境を整備することが最優先ではないでしょうか?

MRICというメールマガジンにもう全文乗っけたいくらいの記事が配信されていました。
早稲田大学の和田仁孝先生の裁判外紛争手続き(ADR)に関する原稿です

ADRには2種類あり、ひとつは裁判下請け型のADR、すなわち本来裁判で解決するべきなのだが、アクセス性が低いためにその部分を補完するためのADR。もうひとつは「裁判や法的解決では達成し得ない目的、満たし得ない当事者のニーズのため」のADR。前者は交通事故などでは機能するが後者は医療事故紛争に関しては機能しないだろうと述べて、

 

医療事故紛争をめぐって、現在のような動きが加速してきた背景はそもそもなんだっただろうか?医療事故民事訴訟の急増と、刑事事件の増加がその理由であった。

医療側にとって、民事訴訟の増加は、防御医療の傾向を否応なく強め、特定診療科の医師不足など医療崩壊をもたらす大きな要因のひとつである。つまり、法的解決というものが、たとえ法的観点からみていくら適正なものであっても、実際に、医療や社会に及ぼす影響を考えたときに、もはや受忍しがたい否定的効果をもってしまっているというのが、現在の動きの出発点にある。

 だとすれば、言うまでもなく、裁判下請け型ADRは、受け入れがたい選択肢ということになろう。判例をベースに、法的解決をより簡易迅速に浸透させようとする裁判下請け型ADRの発想は、訴訟の医療への否定的な社会効果を、むしろ拡張し、加速する効果を持ってしまうからである。しかも、対話を求め、再発防止など将来へ向けた解決を得ることで、事故の悲嘆を受容し乗り越えようとする患者や医療者の強いニーズにも応えられない。


とおっしゃってます。この考え方は医療現場から見ると非常に納得いくものです。

多分以下のサイトに全文が載ると思います
http://mric.tanaka.md/
MRICへの申し込みはこちら
http://mric.so-netm3.com/top/showTopPage.do?pageFrom=index.html

加古川市に賠償命令 市民病院で転送遅れ死亡 神戸地裁
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000298041.shtml

また何とも強烈な判決きましたね…「医師は早期に転送する注意義務があったが、措置が遅れた。義務が果たされていれば、約90%の確率で生存していた」ですか。
心筋梗塞ってそんな生存率高かったっけ?というのもあるのですが(当方医療従事者じゃないですのでこれはうろ覚えですが死亡率20%くらいじゃなかったっけ)、10%の確立で死亡する病気で搬送されて病院で死んだら、それは医師のせいだそうです。

no.160 KKさん

ご指摘のとおり、心筋梗塞は致死率の高い病気です。一般論としてこれはCCUと称する専門の施設で、専門医の元に管理されるべき病気です。したがって初診医は一刻も早く専門医の元に送ることを考えるべきです。
今回のケースがどんなものだったか知る由もありませんが、もし初診医がただ漫然と点滴のみで経過を見ていたならば、現行の制度では何らかの過失を問われても仕方がないかと思います。

はっきり言って心筋梗塞は死ぬ病気です。循環器の専門の人間が言うのですから間違いないです。この裁判官の判断は間違っているとはっきり言って良いでしょう。
ただ、心筋梗塞を扱うことのできない病院では転送を行うのが基本だと思います。そこで転送が困難である旨の理論武装をしていなければ過失を問われて仕方のない判定と思われます。
但し、担当医が転送が必要なことの認識があったかどうかが過失の争点になるのではないでしょうか?つまり、担当医が内科か外科の担当であれば過失は問われてしかるべきと考えますが、精神科とかでしたら転送が必要とは思わないのかもしれませんね。

No.149 しまさん

故意にかどうか分かりませんが、「当事者の一方からは責められる」とゆうのを単純化し過ぎですね。

櫻井氏は、阿部医師が悪人だ、有罪だとゆう信仰に近い思いこみが先行していて、何事も強引にそちらの方向に結びつけて議論する非科学的な人ですよ。先生の後を暴言を吐きながらストーカー的に追い回した上、先生がそれを注意しようとした場面だけ切り取って放送して、いかにも先生が乱暴な人間であるかのように描写したことは御存知ですか? そういう人だから、判決の論理構造なんて無視して、イデオロギー的に批判するに決まっているじゃないですか。

はっきり言って、医師がトンデモ判決を批判しているのとは次元が違うんですよ。何度も繰り返しますが、医師は科学者であり、過誤があったと正しく指摘されることはむしろ歓迎するところです。そうでないから、全く以て医療の本質を理解していないトンデモ判決ばかりだから、おかしいものはおかしいと批判しているのであって、櫻井氏の批判なんかと一緒にしないで頂きたい。医学的に正しい医師敗訴判決なら、医師は決して批判しないのですよ。とゆうことは、医師からこぞって批判される医師敗訴判決は、医学的に間違ったトンデモ判決だとゆうことですよ。

No.162 yama さん

御指摘のとおり、この裁判官の判断は間違っていると断言できるわけで、法律家の無能を示すトンデモ判例がまた一つ積み重なりましたね。

ただ、「過失を問われて仕方のない判定」とゆう点が不可解なのですよ。転送しなくても(とゆうか、何をしても)死に至る可能性が極めて高いのだから、転送しなかったから賠償しろというのは無茶です。

ま、とにかくこれで賠償しろと言われたら、火災で死亡した人の遺族は消防署を訴えれば巨額の賠償金をせしめることができるとゆうことですね。同様に、山で遭難した人の遺族はボランティアの山岳救助隊を、海でおぼれた人は善意のライフセーバーを、それぞれ訴追すれば億単位の富を手にできる、と。法律って実にすばらしい。日本って本当に「美しい国」ですね。


No.162 yama さん 以下のWebに書かれていることは専門家から見ると間違っているのでしょうか? 
http://www.lifescience.jp/ebm/medhist/0204/0204.htm

1980 年から 2000 年にかけて,上記の画期的な早期再灌流療法の普及に伴い病院収容後の死亡率は著しく低下したが,現在でも急性心筋梗塞の致命率は 30〜50%とされ,そのうちの 50〜75%は院外死とされている
2 MIC(Myocardial Infarction Center)

 現時点で ACS の治療は,発症からより早期にカテーテル治療および集中治療のできる病院への搬送システムを確立させ,病院収容後は的確な診断のもと迅速に CAG を施行し,責任病変への積極的インターベンション(primary PTCA)による治療を入院後短期間(door to balloon inflation を 1〜2 時間,できれば 1 時間以内)のうちに施行し再灌流させる治療が最善かと考える。

No.162 yama さん
専門の循環器のお医者さんのコメントにけちをつけるのも何なんですが
心筋梗塞になって助かった立場から言わせてもらうと、専門の病院へ行けば今は助かる確率が上がると思います。

例えば以下のWebにも書かれていますし、病院の先生もそう言っていましたが。

http://www.naist.jp/japanese/ippan/NAISTNEWS/backnumber/2004/2004march/visualkenkou2004march.htm
*****************************************************
一刻も早くCCUのある病院へ
 
心筋梗塞の致死率は30〜50%といわれますが、専門病院に入院後の死亡率は10%台(最近では6.5%になったという報告もある)です。心筋梗塞が起こったら、一刻も早く詰まった冠動脈を再開通させなければなりません。同時にショックや不整脈、心不全の有無をチェックし、急死を防がなければなりません。痛みを和らげる処置も必要です。CCU(冠動脈疾患集中治療室)は、こうした応急処置を24時間体制で行える医療施設です。発作が起こったら早く救急車を手配して、CCUのある病院で治療を受けることが重要です。
********************************************************

これって、専門医の間で見解が異なるということですか?
上のWebを書かれた上田氏が鑑定人になると有罪で、yama さんなら無罪ですということでしょうか?

個人的には、裁判長が90%と判断した根拠を知りたいと思いますが。

朝日にまとまった経緯が掲載されていました。

 判決によると、男性(当時64)は03年3月30日、自宅で心筋梗塞の症状が出たため、午後0時15分ごろ、妻が同病院に連れて行った。担当医師は同0時40分ごろ、急性心筋梗塞と診断して点滴を始めたが、症状が変わらないため、同1時50分ごろ、効果があるとされる経皮的冠動脈再建術(PCI)が可能な同県高砂市の病院への転送を要請した。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200704100041.html

素人さんへ,

一口に心筋梗塞といっても心臓を灌流する冠動脈のどの部分が詰まるかによって予後は全く異なります.もちろん,その人の冠動脈の流れ方にも依存します.
心筋梗塞になって助かる患者さんは「たまたま」そこが詰まってもなんとか生存可能であったに過ぎないのです.また,発作を起こした場所が「たまたま」すぐに治療の受けられる所に近かった,治療してくれる医師や医療リソースがそばにあった,という幸運が重なったためと考えて頂きたい.

私は麻酔科医ですが,たとえ麻酔中に心筋梗塞が起こるといった治療にはかなりよい状況(すでに気道確保,酸素投与,静脈路確保,などが行われている)であっても,助けられない確率はいくらもあります.1回目の発作で左室の主要部分が障害されたりすれば助けようがありません.
我々麻酔科医にとっても心筋梗塞は非常に恐ろしい病気であるのです.

90%も助かるというようなことはあまりに非現実的としか言いようがありません.
医師の中にも自分たちの技術を過信する「自信過剰」のものが自慢めいたことを言う場合もありますが,それは多くの場合「話半分以下」と思って聞くべきでしょうね.良医は概ね病気に対して謙虚です.ここまでは治療できるが,その先はやってみなければわからない,というのが普通だと思います.

>No.166 素人さん

私、循環器内科医でもなく、三次救急病院から離れて10年ほど経ちますが、

専門病院に入院後の死亡率は10%台(最近では6.5%になったという報告もある)です。

いつの時点から入院になるのでしょうか。私の感覚では、救急の心筋梗塞患者さんの場合、最初のカテーテル治療が一段落し、CCUなどの病室へ入室した時点で入院扱いになるのだと思います。とするとその時点では、最初の危機的段階はクリアしている(でなければ亡くなっている)訳ですから、入院後の死亡率は10%台だとしても「そんなものでしょう」という感想です。専門病院に到着してからの死亡率と入院してからの死亡率では意味がまったく違います。

※むしろ、初期治療が無事終わっても死亡率が10%もあると受け取っていただきたいものです。

日本でだけ医療訴訟が問題になっているというのであればまだしも救いはあるのでしょうが、世界的にも問題になっているのですね。日本の役所、日本の司法、日本の病院、日本国民が特に悪いという事もなく、医療訴訟に対する特効薬はないという事なんでしょうね。

「熱いじゃがいも(Heiβe Kartoffeln)」:これは、ドイツの医療過誤問題の現状を象徴的に表現する言葉であると言われている。即ち、「おいしそうなじゃがいもに、誰もが手を出したいと思っているのだが、下手に手を出すとやけどをするので、皆手を出しかねている」というのがこの言葉の意味であり、ドイツの医療過誤問題が深刻化し、何らかの手を打つ必要性を誰もが認識しつつも、様々な困難な問題を根源的に抱え、解決の方法を見いだしかねている現状を端的に物語っている言葉である。
ドイツにおける医療過誤の現状


上の文章の中では以下の記載も目を引きますね。

医療過誤事件については、患者が民事賠償請求に留まらず、医師を刑事告訴し、傷害事件として捜査が行われる事例も決して希ではない。
医療過誤に関連する刑事告訴は、毎年2,500件近くなされている。そのうち90%は公訴保留となるが、1%は立件され公訴されている。

年間25件も立件されていることになります。

No.168 Level3 さん
No.169 元ライダーさん

入院の定義などはWebを引用しているので、それを書いた医療関係者の責任だと思いますよ。上田氏は奈良先端科学技術大学院大学の方のようですが。

通りすがりさんが挙げたのは「月刊治療学2002年4月号」でこちらは論文のようですね。
**********************************************************
よって病院収容前の的確な処置いわゆるプレホスピタルケアの充実が急性心筋梗塞治療の大前提となる。治療開始までの遅れの原因として,(1)患者による遅れ(患者自身が問題の重要性を把握できず,救急医療を求めるのが遅れる),(2)入院前の評価,治療,搬送に要する時間,(3)病院における診断と治療開始までの時間があげられる
**********************************************************

私は車を運転中に心筋梗塞になったのですが、最寄の病院へ搬送されそこに専門医がおられて助かりました。10年以上前です。その先生は現在某大学で教授になっています。
昨年、精密検査を受けるように言われて、入院したときに最近は助かるようになったとの話が出ました。

さて、Level3 さん、麻酔中の心筋梗塞ですか、誰がそれを話題にしているのでしょう?我田引水というか被害妄想?がすごいですね。

この患者さんはすぐ亡くなられていない、つまり「回目の発作で左室の主要部分が障害」なんてことは無かった事例ですよね。

病院へついてから死亡されるまでの時間も3時間位あるようです。
専門医がおられるようですから、その方はこれをどう見るのでしょう?

また、Level3 さんや元ライダーさんのいうほど、危ない病気であることが分かっているなら何故最初から専門病院へ送らなかったのでしょうね?

>良医は概ね病気に対して謙虚です
病気に関しては謙虚でも、緊急医療では時間が勝負の場合が多いということは夙に宣伝されています。それを否定することがLevel3 さんのいう良医でしょうか?

裁判で医療関係者を助けたいのでしょうが、こういう例を見ると、素人、患者としてはyama氏の発言といい医師側に公平を求めるのは無理、医師側だけで構成される裁定機関なんてもってのほかに見えます。

>No.171 素人さん

対応した医師のJBM的な間違いとすれば,病名を”狭心症”でなく,”急性心筋梗塞”と付けてしまったということでしょうね

報道にあるような”心筋梗塞による症状”などというものと,”狭心症”は同じ。
ただし,”心筋梗塞”と病名をつけてしまったことで,短時間でカテーテルでの血管拡張術または,バイパス手術で対処しなければいけない状況であるかのごとく,自ら追い詰めてしまったということなのでしょう.
自らに不利になるような証拠の提出,容認ということで,法律用語では『自白』ということでしょうか?

素人さんには分かり難いだろうが,急性心筋梗塞と狭心症との鑑別は,最初の1時間で,簡単にできるものではありません.
鑑別ができないのであれば,最初から血管拡張術ができる病院へ送れというのであれば,それも結構ですが,狭心症の患者数は,急性心筋梗塞の数よりずっと多く,頻度も比べ物になりませんから,あっという間に対処できる病院の許容量を超えてしまうでしょう.

そうすれば,確かに初期の心筋梗塞も対処できる可能性もあるでしょうが,多数の重症の心筋梗塞の患者さんの受入れが非常に困難になります.

狭心症に対する初期対応を行い,症状の改善が得られなければ,専門病院に対処をお願いするというのは,問題がないと思うのだけれど?

>病気に関しては謙虚でも、緊急医療では時間が勝負の場合が多いということは夙に宣伝されています。それを否定することがLevel3 さんのいう良医でしょうか?

Time is Money !
時は金なり

軽症患者で押しつぶされた二次病院が潰れた後には,医療事故は起こりません
医師・医療がなければ,医療事故の元になる医療が存在しないのですから
奈良大淀病院事件の後の奈良では出産できる病院はなくなりました
No Doctor, No Error.
それも時代の流れでしょう

理想を求めるのは簡単ですが,現実に対処するのは難しいのです

もう1ついうと,カテーテルによる血管拡張術で助けれられない患者も存在し,カテーテルで血管が損傷されて死亡する患者も存在します.
この時に必要なのは心臓外科医チームによるバイパス術だったりするのですが,今の状況では心臓外科が応援体制にある病院でなければ,心臓カテーテル術を行える状況ではありません.

空母と戦闘機による護衛のない戦艦大和は,あっけなく沈没してます
戦艦大和を存分に戦わせるには,更に強力な援軍が必要なのですが,

医療を分かってない素人さんには,これでも医療側が言い訳しているだけのように聞こえるのでしょうか?

それでは,逃げるか,夜間の患者の受入れを断るしかないです.
どうぞリスクを自分で対処してみてください

私は、心疾患は専門外なのですが、素人さんの主張には、あまり違和感を感じません。

患者側の立場に立てば、その病院で出来る最良の処置がなされなければ、不満が残るのは当然とは思います。

今回のケースでは、心筋梗塞と診断したのであれば、早期にPCI可能な施設に送ることが(不整脈、心不全の対処を行いつつ)、当該病院での最良の処置と思われます。もし、搬送中に、死亡したのであれば、状況は変わっていたかもしれません。

ただ、2003年3月30日は、年度末の日曜日で、診察はアルバイト医師と記載されていました。自分も、大学在籍中は、一般病院の休日日直に行かされていましたが、他の外来患者の診療中に、不慣れなスタッフの中で、的確な対応をする自信はありません。医師の大移動の日ですから、搬送先でも、スムーズにPCIが行われるかは不明です。

診察医が、搬送を前提に、加古川の内科医と連絡をとり、搬送先が決定するまでに、70分を要したのであれば、システムの問題が大きいと思います。

また、診察医が単独で診察し、心筋梗塞の診断から搬送の決断を行うまでに、70分かかったのであれば、期待権の侵害が認められても、しょうがないのではないかと思っています。

但し、報道内容が正確であるのであれば、この症例に関し、搬送されれば90%助かったという判断や、3900万円の損害賠償額は、不当と思います。しかし、そのような鑑定をした医師がおられるのでしょう。

拙ブログに書きましたが、この事例を新聞記事の断片的な情報だけから、医療の妥当性を論じるのは不毛です。

新聞記事で「心筋梗塞」と報じられていても

1)ST上昇型心筋梗塞
2)非ST上昇型心筋梗塞
3)不安定狭心症(ハイリスク)
4)不安定狭心症(中〜低リスク)

真実は1)〜4)のどれでしょうか?だれか別筋で情報をごぞんじないですか?
すべてどれも可能性ありと私は考えています。
よって、初期対応の妥当性、転送時間の妥当性を私は論じることができません。

>素人さん

yamaさんもlevel3さんも、裁判所のCCUに収容すれば90%は助かったという判定を自らの経験から疑問視しているわけです。別にどこのどなたが訴えられたとして、われわれは擁護する立場にありませんよ。またこの医師に過失がなかったなんて誰も一言も言ってません。ただ1人気分が高揚している医者がいますが。サノレックスの加量投与かも。

1980 年から 2000 年にかけて,上記の画期的な早期再灌流療法の普及に伴い病院収容後の死亡率は著しく低下したが,現在でも急性心筋梗塞の致命率は 30〜50%とされ,そのうちの 50〜75% は院外死とされている。よって病院収容前の的確な処置いわゆるプレホスピタルケアの充実が急性心筋梗塞治療の大前提となる。

つまりCCUに収容する余裕のあった患者はある意味軽症だったのです。このあたりyamaさんが詳しいと思いますが、心筋梗塞の死因の第一位は心室細動という致死性の不整脈で、CCU収容以前の早期にこれが起こると、現状では助けられないことが多いでしょう。何しろ心筋梗塞はいきなり突然死をおこす代表的原因です。ですから、よしんば過失があったにせよ、CCU へ収容したら90%助かったとする判断は私も疑問に思います。しかしながら本例がどうであったかは詳しい判決文を見てみないとまったく分かりませんので、今議論しても無駄でしょうね。

どうも論点がずれているような感じがしますね
Webの論文でも、私の主治医でも心筋梗塞全てが助かると言っているわけではないですよ。病院へ搬送され、しかるべき処置を受けること最近は助かる確率が上がったということです。これは否定できないでしょう。

No.175 うらぶれ内科さん
>つまりCCUに収容する余裕のあった患者はある意味軽症だったのです。
患者からみると死亡された患者は「ある意味軽症」であった、だから裁判所で賠償の判決になったと読めます。それを「この裁判官の判断は間違っているとはっきり言って良いでしょう。」と医者が決め付けるのが拙いということです。

172 Med_Law さん
ご高説は良いですが、それでも心筋梗塞にも緊急医療体制の充実が必要であると主張されている医療関係者はいますし、それは重要だと患者としては思います。

また「夜間の患者の受入れを断るしかないです.」ってなんの事でしょう?
これは昼間の案件ですが・・・・

プログを読んで「ここに登場される医者」の視野が狭いという感じが拭えません。看護士の問題にしても、看護協会が頑なな態度をとるのは、これまでの歴史があるからでしょう。

国立病院の医師が大変なのはよく分かっても、それは国立病院の体質が奴隷的状態を生みやすいためであって看護士が理由ではないように思います。
ババを引かされているのは嫌だから、だれかにババを引かせるという理屈では誰も協力できないでしょう。

このプログでも医師の権威主義的な一面が見えることがあります。そういう医師、医療体制下では看護士は自分達を守る必要があったように見えます。

医療崩壊は大変なことですが、それが医師の自己保身に見えるような議論をしては駄目なのではないですか>まあ、諦めている方が多いということでしょうか?

>さて、Level3 さん、麻酔中の心筋梗塞ですか、誰がそれを話題にして
>いるのでしょう?我田引水というか被害妄想?がすごいですね。

素人さん,
私は単に,「治療に対して非常に条件のよい状況の例」として手術中という状況を挙げたに過ぎません.普通の生活中に発作を起こした場合には,死亡する確率はもっと高くなるでしょう,ということが言いたかったのです.心室細動を来せば適切なCPR, 除細動ができないと救命率は非常に悪いですし,そうでなくても重度の心不全では時間の余裕はほとんどありません.

>また、Level3 さんや元ライダーさんのいうほど、危ない病気であるこ
>とが分かっているなら何故最初から専門病院へ送らなかったのでしょう
ね?

すでにいくつもコメントが書かれていますが,誰が何時どこでどのようにして「心筋梗塞」を「確診」するのでしょうか?
可能性を疑うことは医師であるなら,大部分の医師は疑うでしょう.しかし類似の病態を示す疾患はいくつもあります.当然治療法も異なります.
「狭心症」で済んでいるのであれば亜硝酸剤や酸素投与のみで対応可能です.何時でも確実に専門病院に搬送できる体制があるなら,そうすることもありでしょうが,現実はそうではありません.
まあ,「素人さん」は本当に運がよかったのです.

心筋梗塞であっても例えば回旋枝の先の方だけの梗塞とか,前下行枝でもやはり先端の方だけの梗塞で,ポンプ力は十分保たれているような場合は軽症で救命は比較的容易でしょう.しかし左主幹部が詰まったりすると,ほとんどダメでしょうね.
心筋梗塞や肺塞栓などの致死性の疾患に対して,治療が成功しなかったから訴えるというのでは「医師は立ち去るしかない」ということになります.
「助かる方がラッキーである」ということをもっと認識するべきです.そして「助かった場合には,自分の強運に感謝すべきです」.もちろん「助けてくれた医療関係者にも感謝していただきたい」と思います.それが我々医療関係者のポジティブなモチベーションになるのです.

医療崩壊は大変なことですが、それが医師の自己保身に見えるような議論をしては駄目なのではないですか

今の社会は、医師を含め、厚労省の役人および医療を受ける一般の方々を含め、皆が、つまり今の社会そのものが、自己保身の世の中といえるのではないでしょうか?

医師だから、自己保身はだめだという論調には断固私は反対です。

まずは、自分が生き残り、
余力があったら人を助けるというのが正論ですよね。
我々医師はいいかっこしいなので、
しばしば患者のために犠牲的な行為をおこなっていますが、
そうすべきなどと他から言われる理由はない。

すごい燃料が投下されてますね。皆様乙

No.177 Level3 さん
困った人たちですね。
Webにある論文などでは、CCUに収容する余裕のあった患者の生存率は90%と書かれていますよね?

http://www.nikkeibp.co.jp/archives/319/319068.html
急性心筋梗塞発作を起こして救急車で搬送された人の生存率:60%。35%は病院
到着前に死亡、5%は院内で死亡。

・急性心筋梗塞発作を起こして心疾患集中治療室(CCU)で治療を受けた人
の生存率:92%

これを書いたのは素人ではないですよね?
医療関係者でそう言っている人がいることは認めるのでしょうか?

私は助からない人を助けろと言っていませんよ。
これまで助からない人が心疾患集中治療室(CCU)で治療を受けて助かるようになったと言っているのです。

Level3 さんのコメントはそれを否定しているのでしょうか?
医学的な言葉を繋いで難しく言っても、助からない人は助からないと言っているだけではありませんか?

それは、死亡された患者が心疾患集中治療室(CCU)で治療を受ければ助かるようになったことと矛盾しませんよ。

「助けてくれた医療関係者にも感謝していただきたい」無論感謝しています。だから、緊急医療体制で時間が重要という主張にも共鳴しているのですよ。

No.178 なんちゃって救急医さん

>医師だから、自己保身はだめだという論調

だれがそんなことを言っているのですか?
被害妄想と言うか、論理が飛んでいます。

もう少し冷静に原因分析をするべきです。
素人から見れば、医師(勤務医と開業医の区別だって普通はしません)が自分達で出来ること、学会で出来ることを十分出来ていない。

標準的な治療法に関しても異論が出るような状況に甘んじている、今回の心筋梗塞もWebの情報だけを見ればCCUで治療を受ければ生存率90%と思うでしょう?
これが不思議なのですよ、分かりますか。

No.179 元行政さん
まずは、自分が生き残り、余力があったら人を助けるというのが正論ですよね。

一般の人はそうですよ。ただし職業によっては「自分だけが生き残る」と批判される職業もあります。医師はどうでしょう?

また、自分達で出来ることをやっているのか?という問題もありますよ

>素人様

あなたの文章の行間から、あなたの論拠を推定し、個人的な意見を述べてみたまでです。相手が行間をどう読んだかを認めようとすることをしなければ、「そんなことは一言もいってない」という論法でいくらでも相手の発言を否定することが可能となります。
「被害妄想」という誹謗的な言葉を用いて相手を否定するだけの方と私はこれ以上意見を交わす気にはなりません。

ちなみに、CCUでの生存率90%のデータは私も認めます。
繰り返しになりますが、そんなデータとは関係なく、この事件を医学的に妥当かどうかを私は論じることができません。

以降、ROMに徹します。 お騒がせしました。

No181, No182 素人さんへ

病院到着時に生存していた人は65%で、100%中の5%が病院内で死亡ということですから、CCUに収容されているいないにかかわらず病院での死亡率は5/65=7.8%です。この数字から のみではCCUの有効性は論じられませんよ。

後の能書きについてはマジンドールさん出番ですよ。

新聞報道だけでは、何も言えないのは分かっていながら少しだけ。

2003年3月30日(日曜日)に受診されたようですね。当直医の専門がなんであったか分かりませんが、兵庫県なんで無理矢理マイナー科が当直させれていた可能性もあるかもしれません。HPを見ると平成18年まで循環器の常勤がいたことになってますので、点滴しながら循環器の先生を待っていたのかもしれません。

実際、救急やってると難しい例が時々でてきますね。(当方が循環器専門ではないためかもしれませんが)

嘔吐後の胸痛ということで自力来院。心電図では一部の誘導でT波が増高、先鋭化している気がするが初診のため比較心電図なし、reciprocal changeもなし、トロポニンTも陰性。食道破裂、大動脈解離を鑑別のためCTを撮影するが明らかな所見なし。でも胸痛持続するため、心電図再検するとSTが上昇してました。すぐに、連絡して搬送の準備にかかるが、その途中で心室細動が出現したためすぐCPR、DCで運よくsinusへ復帰し何とか転送できました。結局、診断は来院後40分ぐらいかかってますし、転送は来院後1.2時間後くらいでした。

上の例がもしも死亡されていた場合、新聞記者が書くならば、
胸痛にて来院するも、心電図変化を見逃し転送が遅れ患者死亡
になる気がするんですよね。

他の方も書かれていますが、心筋梗塞であると確診し、心カテができない病院で、転送が遅れれば何らかの過失は指摘されても仕方はないかもしれません。
しかし、自信を持って送りにくい症例もあります。そのため、点滴をして循環器の医師を待っていた可能性もあったのかなとも考えてしまうのは現場を知っているためですかね。

> No.166 素人さん
亀レス済みません。素人さんの挙げた数値ですが、この数値は私は知りませんでした。無知をお詫び致します
しかしながら、この数値を鵜呑みにして9割は助かるなんて思わないようにして欲しいと思います。というのは、病院にDOA(到着時死亡)を除いた症例(つまりCCUまで生存していた症例)で9割が助かるということではないでしょうか?私は一応有名な病院で勤務していますが、実感的に9割も助かるなんてことは無いと思います。
素人さんが挙げた論文からは今回のケースが90%助かったとは到底証明できません。むしろ逆にこの論文は9割が助かるなんてことを否定できる根拠になります。
詳しく説明すると転送の準備をしただけでは9割の生存率にはなりません。転送を行っても9割助かりません。CCUまで生き残っていた人のうち、1割が死亡した、ということにすぎません。つまり、CCUに到達するまで死亡する人は沢山いると言うことです。

あと、もう一点、私は一言も許すべきだなんて書いていません。通常は過失は問われてしかるべきだと書いてありますので誤解して頂きたいくないと思います。悪気は無く、単なる勘違いと信じておりますが、念のため。

ただ、担当した医師が内科や心臓外科でない場合はどうでしょうか?私もそうですが、他科のことは到底勉強できないし、知識も素人並みです。ただ、私たちの世代は手に負えないと専門医に送りますが、心筋梗塞はただ点滴をして見ているだけと信じている年寄りの医師だと逆に使命感から自分で何とかしようとするでしょう。そしてその結果逆に不幸な結果になるでしょう。このような場合、過失を認めるかどうかを疑問に思っているだけです。
実際にほんの十数年前までは多くの施設では心筋梗塞は抗凝固療法の点滴を行うだけでした。PCIが一般的になったのはここ十年です。
但し、転送が危険だったとか、地方のロクに情報もない施設とかでない限り、それなりの大きな病院の内科の医師が転送をしなかったのであれば過失を問われても仕方ないと私は思います。

要は医師も素人も心筋梗塞という病気を甘く見ないことです。

No.182 素人さん

>一般の人はそうですよ。ただし職業によっては「自分だけが生き残る」と批判される職業もあります。医師はどうでしょう?

批判自体があらゆる場合において誤りであることを理解できるようにとの意図だったのですが。。。
医師ならば批判できるという理由など、どこにも存在しません。
自分が困るからという理由で、批判している馬鹿はどこにでもいます。(それはどのような職業でも同じはず)
医師の場合はダメであるという説明ができますか?

>また、自分達で出来ることをやっているのか?という問題もありますよ

素人さんの出来ていなければおかしいという判断自体が、医療の現実に対する基礎知識不足と、眼前の資料を読んで理解する能力が追いついていないための誤解です。そもそもあなたは、最初のyama先生のコメントの内容を理解できておらず、最初から頓珍漢なことを言っているんですよね。(その後相手の理解力を考慮して、わかりやすい説明をしなかったことには多少こちらにも問題があるかもしれませんが)

素人さま

素人さまのご指摘のとおり我々医師は、心筋梗塞と診断したら治療できる専門施設への転送を考えるし、なるべく早く転送した方がいいことにはまったく同意しているんですよ。

しかしなるべく早くというのは何分が適切か司法がきめるのですか?
これを短くするのは我々の理想で努力目標ですが、理想を達成できなければ罪ですか?
理想の達成を妨げているのは何なのかをよく考えてください。
我々努力の足を引っ張っているのは、あなた方の選んだ政府による医療費抑制施策ですよ。 救急外来に押し寄せる軽症者ですよ。 心ない報道で医師の善意をくじくマスコミですよ。

また、自分達で出来ることをやっているのか?という問題もありますよ

できることをやっているのですよ。 できることと理想の目標の達成とは違うでしょ。
消防車が火事現場に何分で到着しなくてはならないなんて司法が決めますか?
火事現場に何分以内に到着できなければ人命が失われたとして賠償しなくてはならないのですか? 


こちらでも先日たまたまこういう症例がありました。

持続する胸部苦悶で受診の新患さん、直ちに心電図とりましたら典型的なAMI。
さっそく三次救急に搬送依頼しましたところ「迎えの救急車送りますので」と返事あり。
普通でしたら15分もあれば到着するような距離です。

患者さんに「すぐ処置してもらいましょうね」といいつつ待てど暮らせど音沙汰無し。
もう一度連絡してみるとちょうど救急車が余所に出ているので少し待ってとのこと。
さらに待ちましたがいつまでたっても救急車がくる気配はありません。
こちらから送りましょうかと電話しますと「いや危ないからもう少し待って」とのこと。

結局迎えは無理ということでこちらで救急車を手配して到着したのがかれこれ二時間後。
横で見ていた院長がカルテに時間経過と電話のやり取りを記録させていたのには笑いましたが、待ち時間中に何かあったら誰かが訴えられていたでしょうか。

おはようございます。
昨日、私のブログに久しぶりのコメントが入っていました。

フロリダから帰ってこられた方のコメントで、フロリダでは訴訟が多く医師が逃げたため、
医師を訴えることができなくなった、というものです。

いまの日本を見ていると、こういう状態まで行くのではないかと不安です。

結局、訴える少数(今後は少数ではなくなっていくかもしれませんが)により、
多くの方の医療を受ける権利が失われるとともに、
訴訟をおこす権利さえも失われているのです。

このサイトを読んでいる法律家の方はこのコメントを読んでどう思われますか?

わたしはこうならないうちに、なんとか手を打たなければならないと思っていますが、いまの状況ではかなり悲観的です。

すみません、補足です。
私のブログに投稿されたコメントを見るには、
私の名前をクリックして(ブログにリンクしています)、
そのブログのコメント欄の最後をみてください。

>素人さんの示されたデータに関して

現場の実態を説明しても、非医療者は即座にピンとこないでしょうから、ここで示された資料を基に心筋梗塞の救急搬送について考えます。(すでに言及されていますが)

急性心筋梗塞発作を起こして救急車で搬送された人の生存率:60%。35%は病院
到着前に死亡、5%は院内で死亡。

・急性心筋梗塞発作を起こして心疾患集中治療室(CCU)で治療を受けた人
の生存率:92%

このデータでは病院の玄関からCCUまでの死亡率0%なので「今はCCUでカテやる(X線を出す)の?」という疑問もありますが、千差万別な状況を省いて、上記から言えるのは

送り出す側の立場では、送り出しても救命率60%
受ける側の立場では、適切な治療ができる状態で到着すれば救命率92%

さらにこれに基づいて考えれば、

裁判長「効果的な治療を受けていれば90%程度の確率で助かった」(asahi.com)というのは、受け手から見れば間違いではありませんが、この裁判は送り手側を被告としているので、送り手側から見た救命率を判決の根拠にしなければ意味がありません。

判決文を見なければ分りませんが、判決の根拠として送り手側の立場でも90%助かったと言っているのならトンデモでしょうし、判決の中で単に参考として「効果的な治療を受けていれば90%程度の確率で助かった」と言ったのを報道されたのであれば記者のミスリードです。

仮に裁判官が「救急車に乗ったら、すべてのケースで効果的な治療を受けられる」と誤解していたとすると、今までの議論から、「それは病院側弁護士が悪い」となるのでしょうが、そもそも(裁判官がする可能性のある)あらゆる誤解を想定して立証するなんて可能なんでしょうか。

今朝の新聞に出ておりましたのでご存知の方も多いと思いますが厚生省の新政策が発表されました。
激務で逃散が進むなら激務を改善するというのが通常の労働監督省の業務ではないかと思いますが、どうやら逃げ道を塞ぐという画期的手法を選択するつもりのようです。さすが強制労働省と呼ばれるだけのことはあるかなと。

開業医は日曜や夜も診療を 今後の医療政策で厚労省
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/life/20448.html?_nva=7
 厚生労働省は13日、開業医に対し地域で果たすべき役割として、日曜日や祝日、夜間も診療することなどを求めた今後の医療政策に関する報告書案をまとめた。

 2030年には75歳以上の後期高齢者が、現在の2倍近い2260万人に増えるとみられており、現在は時間外や日曜・夜間の診療を行っている診療所が減少するなど身近な地域での医療に不安があると問題提起。

 このため、開業医について(1)地域で在宅当番医制のネットワークを構築、日曜日など救急センターに交代勤務(2)いつでも携帯電話で連絡が取れる(3)午前中は外来、午後は往診、訪問診療(4)みとりまで行う在宅療養支援診療所を含めグループによる対応で24時間体制の確保−といった取り組みが期待されるべきだと提言している。

 病院と診療所の役割分担については、診療所は一次的な地域医療の窓口として患者の生活を支えながら、急な発症への対応を診療所同士や病院との連携で実現。急性期の病院は、質の高い入院医療が24時間提供されるよう原則、入院治療と専門的な外来診療のみとする。

>No.173 田舎の消化器外科医さん

素人さんの主張には、あまり違和感を感じません。
私には違和感ないとは言えませんが、現状非医療者の方の意見としてごく一般的、という意味なら同感です。
このような考えの方から同意が得られない限り、自己負担、医療費の増額による皆保険制度の維持は不可能なのだと思います。

昨日、舞鶴市民病院と公立忠岡病院の崩壊を報じたニュース番組の特集でも、キャスターの閉めのコメントは医師の使命感の低下を嘆くものだったし、陪席していたコメンテーターに至っては、「ブータンなら僻地に行くほど幸福度が高いのに。」でしたもんね。

で、厚労省の施策といえば「研修医の僻地勤務の義務化」、「開業医にも日曜や夜の診療を」ですから。
もう崩壊は目前かと。

No.189 老人の医者さん

横で見ていた院長がカルテに時間経過と電話のやり取りを記録させていた
JBMに準拠した正しい指示じゃないですか。笑ってはダメですよ。

>>No.194 腎臓内科医さんのコメント
>昨日、舞鶴市民病院と公立忠岡病院の崩壊を報じたニュース番組の特集

 その報道によると、厚生労働省の見通しでは15年後の2022年までに医師不足の問題が落ち着くそうです(医療崩壊の完成?)。

No.171 素人さん

悪質な宣伝、印象操作は止めましょう。

医師は、「裁判で医療関係者を助けたい」なんてこれっぽっちも思ってません。公平で正確、適切な判断がなされれば、医師が勝とうが負けようが関係ないです。医師は、その辺りのプライドが高い人種ですから、不当に勝つことをむしろよしとしません。

ただ、現在の裁判では、医学的常識を無視したトンデモ判決が跋扈している状況にあり、これを少しでも是正しなければならないとゆう問題意識を皆様お持ちなのです。これはあくまでも「正常な解決を指向」するものであって「医師に有利な解決を指向」するものではないことを御理解頂きたい。仮に裁判で医師側に有利な不当判決が出る傾向にあれば、医師は、「もっと医療側を敗訴させるべきだ」とゆう声を上げることは間違いないです。

> 少しでも是正しなければならないとゆう問題意識(No.196 魔人ドールさま)

医療訴訟において、
 「医学的常識を無視したトンデモ判決」の出現を阻止し、「正常な解決」ができる
方法を提案してください。
憲法改正(医療訴訟を受け付けないというようなこと)は、現状では非常に困難で実現可能性が薄いので、省くとして、
・法律改正すればできること
・運用改善でできること
に分けて、ご提案いただければ幸いです。

このブログで過去に出されていない、斬新なアイディアをお待ちします。

刑事はともかく、民事で訴えられてもほぼ絶対に負けないような契約を結ぶことは可能ですか??

法律変えたり運用変えたりするより、医療は一度焼け野原になって
日本人が何でも他人に責任を擦り付ける習慣を改め、
身の程をわきまえ、諦めの心を取り戻すのが近道のように思います。

「人も金も無いんだから、諦めるか我慢するしかないでしょ?」というのは
医療に限った話ではなく、他の分野でも同様の事態が進行中のように
思いますが、医療の場合は社会インフラであることと、統制経済で
動いている事が特殊なんですよね。何にしても法務省も財務省も
医療だけ特別視して対策を考えるほど暇とも思えませんし、
朝令暮改が代名詞の厚生労働省に期待は0ですし。

結局 医療崩壊の原因は(医者も含むかもしんないけど)
日本人のマインドですから そこをどうにかしないかぎり
なにをやっても焼け石に水の対症療法ってことですかな
焼野原も運用の変更と言えなくもない

 多勢に無勢という状況ですので、やはり、一旦リセットするしかないのではないでしょうか。
何故かというと、
 個々の有力な医師や有力組織の代表が、厚労省や検察庁、最高裁などの有力な個々人と公式非公式に協議したところで、その解決方向が現場に届くまでには相当の時間がかかります。
 ここでの論理的(?)なディスカッションにも限界が見えてますし、何よりもマスコミや患者さん達に理解してもらうのは更に厳しい状況です。

それで、医療崩壊、医療変容を建設的な努力で、解決するというのは無理だと考えます。プログラムがバグ取りに追われて、修正しても、余所で諸種のバグがでてる感じですから、今のプログラムを一旦廃棄したほうが良いという感じです。

まずは、日本医師会がコメントを出すことですかねぇ。

「今まさに日本の医療は崩壊しようとしている。これは現在の最大の問題であり、つぎの選挙はこの局面にどう対処していくかを最大の焦点として争われるべきだ」
みたいな感じで。

そしたら議論が盛んになる(かな?)。盛んになれば大衆と現状認識を共有するチャンスが増える、かな。

http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2007dir/n2728dir/n2728_01.htm
週刊医学界新聞 【対談】医療崩壊から医療再生へ
の結論では‥
【あまり悲観することはない。民は賢い!】
となったようですが‥

No.179 元行政さん
まずは、自分が生き残り、余力があったら人を助けるというのが正論ですよね。
No.182 素人さん
一般の人はそうですよ。ただし職業によっては「自分だけが生き残る」と批判される職業もあります。医師はどうでしょう?

医師は、数ある職業の中でもとりわけ「自分が生き残る」よう努めなければならない職業の一つだと思います。

本人訴訟で医療損害賠償請求棄却の判決を受けました。
患者がリスクの予感ができた場合、医師側のリスク説明は省いてもいいものなのでしょうか?言った言わないの世界でなんとか覆せる判例やアドバイスなどあったら教えてください。

最近では毎日いろいろとネタがあふれておりまして面白いなと思うのですがこういうのが出来たそうです。私的サイトではなくある程度公的な場所にこれがアリということになってしまうあたりに時代を感じますが。

全国ヤブ医者マップ〜こんなトコ二度と来るか!
http://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=yrHK7KrEm9L7nZDwgjPC9Ars0dfqLA4He6PDmw--
こんなトコ二度と来るか!って医者医院をエピソードを添えて教えて下さい☆
仝共の利害に関する事実に係る事
△修量榲が公益を図る事にある
事実の真否を判断し、真実である事の証明がある
投稿はこの3点厳守。

>全国ヤブ医者マップ〜こんなトコ二度と来るか!

 ちょこっと覗いてきましたが、自分の体験というより、報道で知った「医療ミス」関係が多いのですね。大野病院も出ていました。個人的体験だと3番に抵触するのかな。

>全国ヤブ医者マップ〜こんなトコ二度と来るか!
見てみました。
田舎の普通の病院でそこが無くなると半径30kmで時間外の対応がなくなる病院も載っていました。(だからヤブでいい訳ありませんが)

一部の患者の「ないものねだりで」トドメを刺して貰いましょう。
奈良県の産科事情はどうなりました?
小児科だけでなく外科も内科もすぐそこまで来ていますよ。

春の学会シーズンです。臨床系各科の総会学術集会があちこちで開催されています。プログラムを渉猟するに、ほぼ必ず医療崩壊系の講演/シンポジウムは組まれていますな。外科学会総会では、マスゴミから強力な燃料投下もあったようですが・・・。
先週末から今週にかけて行われた、おらたちのとこ(日本泌尿器科学会総会・於神戸)では、我らが侍大将、小松秀樹先生が講演されました。平日にもかかわらず、神戸国際会議場のメインホールにかなりの入りでした。内容的には同先生の両著書プラスこぼれ話って感じで。手術や講演その他でめちゃくちゃお忙しいようで、倒れそうだとのこと。小松先生自身が『崩壊』したらシャレにもなりません。
しかし『指導医教育企画』として行った学会本部の意図は、これいかに?

No.209 おしっこのお医者さん

小松先生のご講演、私も拝聴しました。
内容的には、それほど新機軸はありませんでしたが、参院選までに新たな本を出版されるとのこと、マスコミ始め医療従事者以外の方に広く読まれることを期待したいです。

大会長に深い意図はなかったものと想像します。「話題の人だし、呼んでおこうか。」程度かと。
司会の先生も、「豊島」→「とよしま」、「青梅」→「あおうめ」などあまり下調べはされていないようでしたな。

上に書かれていた心筋梗塞についてだと思います
真偽の程はいつもどうりネット上なので不明ですが参考までに

http://kenkoubyoukinashi.blog36.fc2.com/blog-entry-180.html
のコメント欄より

===以下引用===

この件に関しては内情が流れてきております。

まず、日曜日患者さんは歩いて来院された。
しかし、医師は直ちに心筋梗塞を疑い
ミリスロールという心臓の血管を拡げる薬を開始し、
リドカインという不整脈を防ぐ薬も点滴した。

パーフェクトです。
それからが核心です。
その後速やかに心臓カテーテルをしてくれる受け入れ施設
を探しにかかります。
しかし、どこも受け入れ不能!!
一杯で無理だったのです。
高砂市民病院ダメ、神鋼加古川ダメ、姫路循環器病センターでさえダメ・・!!
その間、沢山の時間外に来られた患者さんを待たせつつ
必死に医師と担当看護師は努力しています。

結局ねじ込んだ形で転送先を決定し
救急隊が患者さんを担架に乗せようとした瞬間、
恐らくは心臓内の血栓が頭に飛んだのでしょうか
一瞬で頓死されたそうです。

そして家族は医療側の努力を見ておられますし
「どうも有難うございました」と言って帰られた。

その後に誰かがけしかけたのでしょうか?
訴訟が起されたわけです。

この、来院されてから受け入れ先を決めるまでの時間、
受け入れ先がなかった為手間取っていますが
そんな事情があったとしても決して遅いとは言えません。
心電図をとり、点滴ルートをとり、点滴を準備するのに
少なからず時間がかかります。
そして救急車の呼び出し。

パーフェクトじゃないですか!!!
これ以上どうしたら良かったのか。

しかし結果は負け。
わっけが分かりません。
まさにシャレにならないトンでも判決。

若手バリバリの医師ですが
彼の未来は絶たれました。

それからこの病院では循環器っぽい疾患の場合
最初の受け入れから断らざるを得なくなりました。
不可能だからです!!

この地域、それから医療崩壊が進んでいます。
医師が辞めても、その後だれも来ようとしません。
誰が理不尽に医師生命が絶たれる地域に行きますか!!

この判決は狂っています。
そして、この判決自体が医療崩壊を著しく助長させる
犯罪性さえあると思います。

この裁判官はこの地域のこれから患者さんになる人々に
多大なる損害を与えたと言わざるを得ない。

「裁判官も医療には無知な訳で」と承諾は到底できない。
すっごいすっごいトンでも判決です。

どれ程の影響があると思っているのか。
この地域は最近更に医療崩壊が進みました。
大きな3つほどある基幹病院が今まさに沈没しつつあります。

医療が消えていきます・・。
この判決はこれからも大きくそれに寄与するでしょう。
市民こそこの判決の多大なる被害者です。

これを読む人々にはどうかそれを解って頂きたいです。
誰に対して怒りを向けるべきなのかを。

===引用終わり===

この件から、私は

・搬送先が確保しにくい時間には、診療しない。
・急性で生命予後の悪い疾患は無理してまで診ない。

そうしなければ、重過失が無くても医師生命を絶たれ
家族を路頭に迷わす事になると学びました。

ありがとうございました。いまさら怒りとかいう感情は
沸かないですね。ただ残念というか、悲しいです。
そうは言っても、センチメンタルに浸っていても
しかたありませんから、目の前の現実に対応するだけ。
ただ、それだけ。

「新小児科医のつぶやき」のところのこの話は既出でしょうか?
以前からそうなのだろうなという予想はされていた話ですので、やっぱりなと言う感じで意外性はないのですが。
裁判の場でのこともそうですが、こういうのを見ますと医者なんてよほど交渉事というものが下手くそな人種なんだなという気がします。

第2回主要官製市場改革WG議事概要
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20070421

No.205 患者Aさん

ここの議論を見れば分かるように、医療裁判では極めて患者側が有利に扱われ、何とか患者を勝たそうとする方向で裁判が進められますから、言うなれば審判に味方をしてもらったのに負けたとゆうことでして、どれだけ医療側の粗探しをしてもイチャモンのつけようがなかったとゆうことでしょうね。早く「医師は悪人だ、医療過誤があったはずだ」とゆう根拠なき思い込みから自由になった方が、貴方の今後の人生は豊かになると思います。

No.206 老人の医者さん

それの法律家版は作れませんかね。トンデモ判決に携わった弁護士、裁判官、検察官をリストアップする。それと同時に、比較的マトモな裁判官がもしいるのであれば、それも挙げておく。そこで紹介された比較的マトモな裁判官に裁かせるようにすれば、司法による医療破壊のスピードは、僅かにでも遅くなるかも知れません。

No.211 地方医師さん

全面的に同意します。

こうして、愚かな法律家によって医療破壊が進むのですね。

このように、あからさまに不公平な、バイアスまみれの判決が極めて高い頻度で示される(全部、とかゆうとまたあげあしを取られますからね。)理由は何なのでしょうか。裁判官は、専門家を負かすことで歪んだプライドを満たそうとしているのか。俺はお前らより偉いとでも言いたいのかね。

で、また法律家の詭弁的反論として「弁論主義」云々とやらの御高説が展開されるのかも知れませんけど、はっきりいって、そんなことどうでもいいとゆうか、単なる責任転嫁、責任逃れですよ。「弁論主義」とやらがどんなに素晴らしいものなのか知らないけど、宗教じゃないのだから、それ自体に価値があるわけではなくて、正しい判断をするための道具に過ぎないわけでしょう。そして、「弁論主義」とやらを適用する結果、医療に関してはトンデモ判決が続出しているのなら、その適用を止めるべきですよ。

仮に「弁論主義」と裁判が切り離せないものなのであれば、裁判:弁論主義:トンデモ判決はそれぞれ不即不離の関係にあるとゆうことですから、もはや、司法で医療を扱うこと自体が無理があるとゆうことですね。

いずれにしても70分間で何が成されたのかの詳細がなければ批判も何もできないですね。
私はてっきり一晩中寝かしていただけとか、そういうレベルかと思いました。
このソース自体が間違っていればまたさらに意味がないわけですが・・・。

>No.217 yama さん

加古川、心筋梗塞事件。衝撃の事実
Dr.Iさんのところに詳細情報がのりました。
http://blog.m3.com/yabuishitubuyaki/20070424/1
http://kenkoubyoukinashi.blog36.fc2.com/blog-date-20070424.html

加古川事件

詳細情報を見る限り、医学的には非の打ち所がない。

それなのに、なぜ紛争に発展したのか? 
感情のこじれの問題?積極派弁護士の登場?
病院のクレーム処理としての初期対応の不備?

そういう視点でも、考えてみたらどうだろうか?

ソースが本当だとしたら明らかに医師側に過失はありませんね。通常の対応です。
このソースが本当なのかどうか・・・・裁判所におけるソースを知りたいところです。

No.220のyamaさん、

>裁判所におけるソースを知りたいところです。

私もそう思います。

誰か見てきてくんねぇかなぁ。

民事訴訟法91条1項
何人も、裁判所書記官に対し、訴訟記録の閲覧を請求することができる。
確か、150円の印紙代がかかりますが。

そういえば医師側のソースと報道の内容がかなり違うようですが・・・。

すでに出ている話題かも知れませんが、今週発売の「週刊東洋経済」4/28・5.5合併特大号が「ニッポンの医者 病院 診療所 これが医療崩壊の実態だ」という100ページあまりの特集を組んでいます。
内容ですが現状の問題点についてそれなりにネットも含めて学習してきたのだろうなと思わせるもので、話題的に新味はないものの一般向けだけに読みやすくまとまっており資料的価値も高いかと思います。

大手マスコミが相変わらず見当違いの議論ばかりに終始する中で最近この種の経済誌が比較的冷静な論調の記事を載せている例が多いように感じています。
現状を復習するという意味でもお時間があればご一読されてみては如何でしょうか。

大阪で産科医療を考えるシンポがあり、奈良・大淀病院事件の遺族が担当医と大淀町を相手に損害賠償の民事訴訟を来月中にも起こすということです(刑事は立件せずで確定すみ)。

このことに関連してネット上に当時の診療情報の詳細が公開されていたことが報道されています。
かねてから言われていることですが、医療紛争に関して患者側はネット、マスコミを通じて自由にアナウンスが可能であるのに対して、医療サイドは守秘義務の問題から事実に基づいた有効な反論を行えず、結果として社会的不利益を被っているのではないかという懸念があります。
こうした片務的状態が当事者の権利保護と関連して法的にどのように許容されているのか興味がありますが如何でしょうか?


転院断られ死亡の妊婦、詳細な診療情報がネットに流出
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070429i401.htm
 奈良県大淀町の町立大淀病院で昨年8月、高崎実香さん(当時32歳)が出産時に脳内出血を起こし、19病院に転院受け入れを断られた後、死亡した問題で、高崎さんの診療経過など極めて詳細な個人情報がインターネット上に流出していることがわかった。

 情報は医師専用の掲示板に、関係者らしい人物が書き込んだとみられ、「転載して結構です」としていたため、同じ内容が、医師や弁護士など、かなりの数のブログに転載されている。

 遺族側の石川寛俊弁護士が28日、大阪市内で開かれた産科医療をめぐる市民団体のシンポジウムで明らかにした。石川弁護士は、個人情報保護条例に基づく対処を町に要請した。遺族は条例違反(秘密漏示)などでの刑事告訴も検討している。

 書き込みは、昨年10月に問題が報道された翌日から始まった。仮名で「ソース(情報源)が確実なきょう聞いた話」「この文章はカルテのコピーを見ながらまとめました」などとして、最終月経の日付から妊娠中の経過、8月7日に入院して意識不明になるまでの身体状況や検査値、会話など、カルテや看護記録とほぼ同じ内容を複数回に分けて克明に書き込んでいた。

 この中には、入院前の記録など、当時、遺族が入手していなかった内容や、医師の勤務状況など病院関係者しか知らない内容も含まれていた。

 石川弁護士は「主治医と家族のやりとりを近くで聞いていた人物としか思えない書き込みもある。許しがたい」と批判している。

 遺族は「あまりに個人的な内容で驚いた。患者の情報が断りもなく第三者に伝わるなら、診察室で何も言えない」と話している。

 大淀病院の横沢一二三事務局長は「高崎さんが入院した日に病院にいた職員を対象に聞き取りをした。全員が『情報を漏らしたことはない』と答えたので調査を終えたが、遺族の弁護士には伝えていない。掲示板の運営事業者への照会などは思いつかなかった。再度検討する」と話している。

(2007年4月29日3時6分 読売新聞)

No.224 老人の医者さんのコメント

(略)奈良・大淀病院事件(略)に関連してネット上に当時の診療情報の詳細が公開されていたことが報道されています。かねてから言われていることですが、医療紛争に関して患者側はネット、マスコミを通じて自由にアナウンスが可能であるのに対して、医療サイドは守秘義務の問題から事実に基づいた有効な反論を行えず、結果として社会的不利益を被っているのではないかという懸念があります。こうした片務的状態が当事者の権利保護と関連して法的にどのように許容されているのか興味がありますが如何でしょうか?

転院断られ死亡の妊婦、詳細な診療情報がネットに流出
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070429i401.htm

モトケン様
この事に関して、医師、弁護士等で議論し勉強したいのですが、どこのエントリでするべきでしょうか?

だいたいカルテと看護記録は遺族がマスコミに配っていませんでしたっけ?
それを入手した医療関係者がm3に転載したと記憶しています。

>遺族側の石川寛俊弁護士が28日、大阪市内で開かれた産科医療をめぐる
>市民団体のシンポジウムで明らかにした。石川弁護士は、個人情報保護条
>例に基づく対処を町に要請した。遺族は条例違反(秘密漏示)などでの刑
>事告訴も検討している。

こんなことをするメリットって何でしょうか?
「医療に対する復讐」くらいしか思い当たりませんね.「真実が知りたい」と主張するかの団体の本性が出ているように思えてなりません.
言っていることと,行うことにかなりギャップのある団体ですね.

 遺族側が入手してマスコミに公開したとされる情報が、操作的なものであった時に、診療担当者側及び病院側の反論権は、個人情報保護の観点からどのような制限がされるのか?
 この反論を、病院関係者が事実に基づいて行った時、罰せられるのかどうかも問題になります。
 問題の本質からは、離れますが、実際には、個人情報保護によって罰せられようとも、反論によって真実を公開することの価値の方が高いとする医療関係者が、遺族側の入手していない内部情報を、クロ−ズドな医師間掲示板や、ここのブログ、巨大掲示板で論議した場合、どう取り扱われるべきなのか、興味あるところなんです

患者とのやり取りを公表されるなんて、お医者さんにとって、平気なんでしょうか。

#今回は、関与しているのは、公務員だろうな。

自分自身もたびたび経験のあることですが、時に謂われのない誹謗中傷まがいの非難を受けることがあります。
言った覚えのない発言、した覚えのない行為であっても、記憶違いで済ませられる範囲であればまだ良いかも知れません。中には明らかに事実からかけ離れた主張をされる方もおり困惑します。

当事者同士で話し合っている間は「これこの通り、事実はこうなっています」と言えますのでまだ良いですが、マスコミその他第三者が間に入ってきた場合にどこまで主張することが許されるのかが問題でしょうね。

そう言えば政治家芸能人が入院すると病院が記者会見をしているのは時に目にしますが、ああいうものは法的に許されるのでしょうか?あるいはマスコミ取材を守秘義務を楯に完全シャットアウトして良いものなのでしょうか?

>患者とのやり取りを公表されるなんて、お医者さんにとって、平気なん
>でしょうか。

PINEさん,
ネットをみる限り今回の情報は遺族が配ったカルテと看護記録のコピーだそうです.
これだと彼の弁護士の話とかみ合いません.朝日新聞には,上記に書かれている情報以外の情報が出ていると書かれていますが,どちらが正しいのでしょう?

ネットでは「おそらく新聞記者はtechnical termが理解できず,看護記録だけから情報をかいつまんで記事を作ったのではないか」と推測されていました.
根本的な問題は新聞の情報が,事実と異なっているらしいというところです.あの書き方は明かに医師に非ありという「医師を攻めるスタンス」で書かれていました.ネットが無ければ我々医師は実際のところどうであったか知る事は困難であったでしょう.遺族の出した情報から真実に最も近いと考えられることを示した書き込みのどこが悪いのでしょうか?

私の目にはむしろこのような訴えを起こす彼らやこの弁護士が異常に映るんですが,私の感覚は異常でしょうか?

Level3 さんの御指摘にいちいち同意です。あの弁護士は異様。

もっと進めて言えば、原則として医師が診療情報を公開できないのは当然ですが、患者側が医療過誤だの何だのと言って外部に騒ぎ立てる場合は、情報を公開してでも然るべき反論をすべきだし、それが許されないとゆう方がどうかしているでしょう。患者側が自ら情報を公開した時点でプライバシーは消滅しますから、守秘義務も消滅すると理解するのが正しい。

 それにしても「遺族側の石川寛俊弁護士」なる人物、まったく大したタマですね。自分たちは極めて一方的な、偏った情報のみを垂れ流したいだけ垂れ流してマスコミを総動員して医師と病院を攻撃し、県内の産科医療全体を危機に陥れてまで賠償金をせしめようとしていながら、医療者側(?)が、正確な事実に基づいた検討を有志でしてもらおうと、ささやかな情報交換をすることについては、「許しがたい」わけですか。ふーん。

 つまり、自分たちが都合のいいことだけ全国的に宣伝するのは当然だけど、相手については、有志での情報交換をすることすら許さない、とゆうことですね。もはや不公平とか図々しいとかいう次元じゃありませんよね。法律以前に、人間として恥ずかしくないんでしょうか。

 石川寛俊弁護士が弁護士として異端なのかどうかは知りませんが、もしこういう態度が弁護士として当然なのなら、賤業と言われるのもむべなるかな。彼の態度が弁護士として許されないなら、お得意の弁護士自治制度で懲戒免職して下さいよ。医師にはなくて弁護士にはあるwとゆう自浄作用とやらを存分に発揮してほしいものですね。この弁護士をどう処分するか(しないか)によって、弁護士が標榜する自浄作用と正義と公平とゆうのがどれほどのものか知れるとゆうものです。

もう一点思いついたことですが、個人情報保護は故人の場合にも適用されるものなのでしょうか?
今回の奈良の件の場合あくまで亡くなった患者の個人情報であるわけですが、もしそうであればいつまで保護されるべきなのか。未来永劫無条件に保護ということになれば殺人事件の捜査などでも支障を来しそうですし。

No.231のLevel3さん、

>遺族の出した情報から真実に最も近いと考えられることを示した書き込みのどこが悪いのでしょうか?

遺族の出した情報に基づいているのであれば、遺族としてはそれが一人歩きすることは当然許容していると見るべきです。
遺族側のプライバシーの利益は、原則として消滅すると考えてよいと思います。

ただ、読売新聞の記事では、

この中には、入院前の記録など、当時、遺族が入手していなかった内容や、医師の勤務状況など病院関係者しか知らない内容も含まれていた。
とありますので、遺族は、入院前の記録などの内容が、病院から入手する前に、病院関係者によって既に掲示板に書き込まれていたことを問題にしているのではないでしょうか。

もし、職員が、掲示板に書き込んだのだとしたら、私は、地方公共団体の個人情報の管理として非常に問題があると思います。
個人として私がやられたら、激怒し地方公務員法違反で刑事告訴するかもしれません。

>私の目にはむしろこのような訴えを起こす彼らやこの弁護士が異常に映るんですが,私の感覚は異常でしょうか?

まず、「訴え」についてですが、これはNo.224の老人の医者さんのコメントによれば(コメントの内容として)、大阪で開かれた産科医療を考えるシンポにおける情報として、奈良・大淀病院事件の遺族が担当医と大淀町を相手に損害賠償の民事訴訟を来月中にも起こすとされています。
「担当医と大淀町を相手に」とありますので、これは、医療事故に基づく通常の民事訴訟(損害賠償請求訴訟)の提起だと思います。

さらに、遺族が知る前に、死亡した患者の個人情報が職員の手によってネット上に掲載されたと思われることについて、石川弁護士は町に対し個人情報保護条例に基づく対処を要請し、遺族は個人情報を漏洩した職員について条例違反(秘密漏示)などでの刑事告訴も検討しているということなのではないでしょうか。

そうすると、いくら賤業の弁護士とはいえ、「異常」とはいえないのではないでしょうか。
(こんな事案で民事訴訟を起こされたら堪らないという議論は別ですよ。)

No.233の老人の医者さん、故人でも保護されます。

通常、どこの地方公共団体の個人情報保護条例にも、個人情報の目的外利用の規定が置かれております。
大淀町個人情報保護条例では、以下のようになっています。
http://www.town.oyodo.nara.jp/reiki/reiki_honbun/ak43705091.html

(利用及び提供の制限)
第8条 実施機関は、利用目的以外の目的のために保有個人情報を当該実施機関の内部において利用(以下「目的外利用」という。)をし、又は当該実施機関以外のものに提供(以下「外部提供」という。)をしてはならない。ただし、次の各号のいずれかに該当するときは、この限りでない。
(1) 本人の同意があるとき又は本人に提供するとき。
(2) 法令等に定めがあるとき。
(3) 出版、報道等により公にされているとき。
(4) 個人の生命、身体又は財産を保護するため、緊急かつやむを得ないと認められるとき。
(5) 実施機関が法令等の定める所掌事務の遂行に必要な限度で保有個人情報を内部で利用する場合であって、当該保有個人情報を利用することについて相当の理由があると認められるとき。
(6) 他の実施機関又は国等に保有個人情報を提供する場合において、保有個人情報の提供を受けるものが法令等に定める所掌事務の遂行に必要な限度で提供した個人情報を利用し、かつ、当該個人情報を利用することについて相当の理由があると認められるとき。
(7) 前各号に掲げるもののほか、実施機関が公益上特に必要があると認められるとき。
2 前項の規定は、保有個人情報の目的外利用又は外部提供を制限する他の法令等の適用を妨げるものではない。
3 実施機関は、第1項第5号、第6号及び第7号の規定により、保有個人情報を目的外利用又は外部提供をしようとするときには、あらかじめ審査会の意見を聴くことができる。
4 実施機関は、第1項第6号の規定により、保有個人情報を外部提供する場合において必要があると認めるときには、保有個人情報の提供を受ける者に対し、当該保有個人情報の利用の目的若しくは方法の制限その他の必要な制限を付し、又は個人情報の適正な取扱いについて必要な措置を講ずることを求めるものとする。
5 実施機関は、第1項ただし書の規定により個人情報の目的外利用又は外部提供をしたときには、次に掲げる事項を町長に届け出なければならない。
(1) 目的外利用又は外部提供をした個人情報取扱事務の名称
(2) 目的外利用又は外部提供をした理由
(3) 目的外利用又は外部提供をした個人情報の記録項目
(4) 前項の規定により求めた措置内容
「実施機関」というのは、町長、教育委員会、選挙管理委員会、監査委員、農業委員会、固定資産評価審査委員会、公営企業管理者及び議会です。
捜査機関への個人情報の提供は、通常「法令等に定めがあるとき」に該当するものと思います。

そもそも治療内容などの医療行為の記録は、個人情報なのかなあ?

しかも、やたらと個人情報保護を叩く読売新聞がこの記事ですか、と思うとなんだかイヤな感じです。

そもそも治療内容などの医療行為の記録は、個人情報なのかなあ?

 もちろん個人情報です。カルテの内容や検査結果、処方箋なども個人情報です。

No.238 bamboo さん

いや、勿論患者が特定できる情報を併せてのものなら個人情報になりますが、個人情報を伏せた形での治療内容などは違うのではないでしょうか。

この奈良の事件で治療内容が個人情報に当たると錯覚する理由は、患者遺族が自ら個人情報を公表したためでしょう。

例えばこの奈良の事件で、患者指名などの個人情報が公開されていなかったとしたら、事情はだいぶ違うと思うのですが、どうなんでしょうかね…

No.233の老人の医者さん、私のNo.235のコメントに対する補足です。

故人については、地方公共団体たる大淀町が制定した「大淀町個人情報保護条例」では、

第2条 この条例において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
(2) 個人情報 個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と照合することにより、特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。
となっておりますが、民間に適用される「個人情報の保護に関する法律」では、
第2条  この法律において「個人情報」とは、生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。
と限定がなされております。

個人情報に該当するか否かのポイントは、その情報によって「特定の個人を識別できるか」です。

>さらに、遺族が知る前に、死亡した患者の個人情報が職員の手によって
>ネット上に掲載されたと思われることについて、石川弁護士は町に対し
>個人情報保護条例に基づく対処を要請し、遺族は個人情報を漏洩した職
>員について条例違反(秘密漏示)などでの刑事告訴も検討しているとい
>うことなのではないでしょうか。

PINEさん,
すみません.一般人なら,そんなに簡単に「刑事告訴」するなんて言わないし騒がないと思うのですが,弁護士はそうではないんでしょうか?
一番の核心の部分のカルテと看護記録を公開していますよね.そんなに由々しき情報なんでしょうか?
つまり,弁護士は何でも法律に触れていることを発見したら告訴するもんなんでしょうか,という質問です.
「ウラに相手に報復してやろう」という意図が見え隠れしているのが異様に映るんです.
(すみません,こんなことをここに来られている弁護士の方に聞くものではないとも思いますが,どうも彼らの姿がヒステリックに見えるものなんで)

ブログのリンクを付けておきました.

このブログによりますと,確かに全体のうちの95%は公開されたカルテが情報源であり,それを補足して100%にしたように書かれています.

以下上記ブログからの転載です.

>マスコミは、これと同じ物を持っているんですよ。
>確かに、カルテは医療の専門用語が多いですから、
>一般の人が見ても、わからない事も多いと思いますよ。
>
>でも、新聞やテレビで、主治医を悪者にする前に、
>他の産科医等、医療の専門家にこれを読んでもらって、
>正しいかどうかの判断くらいすれば良いんじゃないですか。
>
>患者の家族の話を元に、都合の良い部分だけを記事にして、
>個人攻撃をするのが、マスコミなんでしょうか?
>
>医療の現場の詳細がわからない事も多いので、
>それに関しては推測で書かざるをえない事もあるかもしれないので、
>やむを得ない面もあるとは思いますけどね。
>
>今回の場合は、マスコミはカルテのコピーを入手しているんですよ。
>それなのに、最初に報道した記事は、明らかに誤報です。
>最近、この件に関して個人攻撃が減りつつあり、
>医療システムの問題や、残された親族の悲劇を強調するような
>論調になっていますけどね。

むしろ「事実を歪曲したこと」を産科医が新聞社を告訴すべきと私は思いますが...
真実の情報がなかったらマスコミはもっと医師叩きをしたことでしょうね.

また,亡くなった患者さんのご主人は,当初「訴訟を起こす気はなく,このような事故が再発しないようにして欲しい」と話していました.訴訟する気になったのはおそらくは,「XXの会」やかの弁護士の影響でしょうか.
目的(医師への復讐)のためには手段は選ばずというところなんでしょうか.非常に悪意を感じます.

Level3さま
刑事告訴、物騒な話ですよね。ただ、大淀の件、堀病院の件等々連続で「"自称"医療ミス被害者の会」が関与する事例が敗北濃厚となっており、かなり焦っているのは間違いありません。陣痛促進剤被害者を代表する出元さんに至っては、「医療崩壊の原因を医師の低レベルのせい」だとヒステリックに言ってしまったようですし。(Wikipediaにも法的措置を取るんだってw)
http://blog.m3.com/case-report-by-ERP/20070429/1

もう、これはマスコミ(毎日新聞系)&自称被害者の会とネット医師団(実体のない敵)の戦争なんです。情報戦の段階でかなり不利に陥った連中が、法的に有効な措置として、個人情報の漏洩を武器に再度戦いを挑んできたのでしょう。(カルテをみてサマリーを書き込んでくれた医師は実在するわけですし)
その彼か彼女か医師かどうかも分かりませんが、その人が法廷に引きずり出される可能性がでてきました。実体はないもののネット医師団は全力で支援するべきでしょう。我々は実体そのものなのですから。絶対に彼らへの攻撃の手を緩めてはいけません。

まず、遺族側が配布したコピーについて、記者に対してどこまで使用に制限をかけていたかが判らないので、何ともいえないですが・・・。ただ、黒塗等加工をしないでコピーそのままを配っていたとすれば、さすがにコピーまんまは使わないでしょうが、その中の情報はある程度記者の判断で自由に使っていいという了解があると想像できますが、実際はどうだったのでしょうか。

さて、町の個人情報保護条例の罰則からすると、

>第50条 実施機関の職員若しくは職員であった者又は第10条第2項の受託業務に従事している者若しくは従事していた者が、正当な理由がないのに、個人の秘密に属する事項が記録された第2条第4号アに係る個人情報ファイル(その全部又は一部を複製し、又は加工したものを含む。)を提供したときは、2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。

今回のケースでは、「個人の秘密に属する事項」に当たるのかどうかがポイントではないかと思います。確かにカルテ・看護記録は通常なら個人の秘密といえるでしょう。しかし、今回は遺族側が事前にカルテ・看護記録のコピーをマスコミに配っていたということですので、コピーの記載内容と掲示板の記載内容の差について、そこに「秘密」というべき内容があったかどうかが問題になるかもしれません。ただし、医師の勤務状況は、遺族ではなく当該医師の情報ですが。

なお、今回のカルテ、看護記録については、死者の個人情報(法では保護されない)ではありますが、生まれた子どもさんにとっての個人情報でもあります。為念。

さりながら、今回の事例のように、大筋で遺族側が関係個人情報をオープンにしている場合、ネット上に書かれた情報と配ったコピーの「差」がどれほど個人の人格を傷つけ、侵害するのか、その内容にも拠りますが、私個人としてはいささか疑問があります。

所詮素人考えですので、実際に警察や裁判所がどう考えるかはわかりませんが、マスコミで応援してくれる分には、使用して貰ってもいい(くどいようですが実際に記者との間にどういう取り決めがあったのかは知りません。)が、ネットで反論する場合には人権侵害というのは、どうも腑に落ちません。

私は、個人情報は、当該個人の人格を守るために保護すべきものだと思っています。遺族には遺族のお考えがあってのことでしょうが、マスコミにコピーを配ったことについて、私には余りいいこととは思えません。亡くなられたご本人は、遺族とは別人格ですし、既に「止めて」とは言えないのですから。(誰しも自分のカルテがコピーとして出回るというのは嫌でしょうし)

Level3さん、

>すみません.一般人なら,そんなに簡単に「刑事告訴」するなんて言わないし騒がないと思うのですが,弁護士はそうではないんでしょうか?

私が弁護士として関与するのであれば、この事件で刑事告訴までは考えないでしょう。
経験則上、捜査当局が動くとは思えないし。
特に、民事の損害賠償請求事件と並行してやるのは、民事に利用するための刑事告訴と受け取られかねないので、むしろ避ける弁護士が多いと思います。
遺族から町の職員の個人情報漏洩の問題を指摘されても、「町当局にちゃんとやるように申し入れておきましょう。」くらいで済ませようとするのではないでしょうか。
それが、記事にある、「石川弁護士は町に対し個人情報保護条例に基づく対処を要請」ということだと思ったのですが(刑事告訴は警察ないし検察に行います。)。

ただ、「個人として私がやられたら、激怒し地方公務員法違反で刑事告訴するかもしれません」(No.234のコメント)。遺族は、町当局への要請程度では、おさまらないかもしれません。

#ちなみに、私が町の代理人だったら、掲示板に書き込んだ職員について「余計な揉めごと増やしやがって、まったく。」と思ったでしょう。

>一番の核心の部分のカルテと看護記録を公開していますよね.そんなに由々しき情報なんでしょうか?

私個人としては、遺族に示す前に、病院関係者が掲示板に書き込んだとしたら、非常に由々しき問題だと思っています。
私は、自分の個人情報が、しかも地方公共団体の職員によって(ま、民間人によってでも同じでしょうが)、自分の承諾なしに、掲示板に書き込まれたりしたら、極めて不愉快です。

>弁護士は何でも法律に触れていることを発見したら告訴するもんなんでしょうか,という質問です.

むしろ、多くの弁護士は、その逆だと思います。

>「ウラに相手に報復してやろう」という意図が見え隠れしているのが異様に映るんです.

そのように思われることについては、仕方がないと思います。

>むしろ「事実を歪曲したこと」を産科医が新聞社を告訴すべきと私は思いますが...

刑事告訴しても、捜査当局の動きは鈍いでしょう。
ただ、報道機関に対する名誉毀損に基づく民事の損害賠償請求訴訟は、それこそ日常茶飯事(と言ったら言い過ぎかなぁ)です。

自分の個人情報が承諾なしに掲示板に書き込まれるのは不愉快なのは全く当然なのですが。遺族が自分で死んだ患者の個人情報を入手したものは遺族の要望どおり使用される事が可能であり、しかし病院には個人情報の保護という観念からそれに反論が許されないというのは何かおかしい気もするんですよね。こういう場合はまず遺族に「この場でこういう反論を行います」と断りを入れてから反論するべきなのか…それもなんだか…

マスコミの報道が間違ってるとまではいかなくとも反論したいという場合、自分が訴えられた側だったらどうすればいいんですかね?自分の反論は個人情報漏洩の禁止のために裁判になるまで封じ込めなければならないのか。それまでマスコミで散々印象操作が行われることをどうすることも出来ない。こういう状況も問題あると思われますし…。
マスコミで訴えればいい、といったってマスコミの側が没にすればそれまで。今回の件についても大淀からの意見を取り上げたマスコミは殆どありません。これでいいのか?と思うのです。

患者の診療記録を伏せて完全に開かれた医療なんて出来ないだろうし…情報公開と個人情報保護の両立も無理な話ですね。医療には。まあ個人情報流出?の件については実際訴えるというのでどういう結果が下されるのか見たいです。新聞に流された情報について検証するというのはどこまで認められるのか、確認できるでしょう。


1 遺族側が入手してマスコミに公開したとされる情報が、操作的なものであった時に、診療担当者側及び病院側の反論は、個人情報保護の観点からどのような制限がされるのか?(いわゆる 反論権)
2 この反論を、病院関係者が事実に基づいて第三者に行った時、罰せられるのか?( 加罰的違法性)
3 個人情報保護法によって守られるべき個人のプライバシーは、法廷外で、反論を含めた論議をすることによる社会的価値よりも、どの程度まで優先されるのだろうか?( 個別的医療事故の検討の是非)

 医療事故として周知されている件に関して、その事故が医療過誤なのか、偶発症なのか、何かの誤解なのかを、ネット等で論議する時に、 論議の前提となる情報が、患者側が公開した資料(とマスコミが取材で公開した資料、捜査当局等資料)に限定され、それ以外は違法ということになれば、医療事故の社会的論議はするなということに等しいです。

No.247の座位 さん、

>医療事故として周知されている件に関して、その事故が医療過誤なのか、偶発症なのか、何かの誤解なのかを、ネット等で論議する時に、 論議の前提となる情報が、患者側が公開した資料(とマスコミが取材で公開した資料、捜査当局等資料)に限定され、それ以外は違法ということになれば、医療事故の社会的論議はするなということに等しいです。

「医療事故として周知」されている状況であれば、病院が事実について説明等を行っても、個人情報の目的外利用には当たらないと思います。
医療事故の社会的論議をしなければならないような状況というのは、既に医療事故として周知されている場合が多いんじゃないでしょうか?

それに、個人情報保護法制というのは、個人情報を管理する者に対して、保有する個人情報の管理を徹底させる点に目的があり、社会に出てしまった個人情報までどうこうできません。
(ただ、新たに名誉毀損やプライバシーの侵害の問題が発生する余地はありますが。)

くどいようですが、私が問題だと思うのは、遺族も知らない、病院も公表していない段階で、職員が掲示板等に個人情報を流したことです。


個人情報保護法の施行により、国や地方公共団体だけでなく、民間の我々も一定の要件に該当すれば、個人情報保護法に定める責務を負うことになりました。
個人情報保護法の施行とコンプライアンス意識の高まりにより、民間企業などでの業務が、これまでとがらりと変わりました。

ちなみに、厚生労働省は、医療関係者のためにガイドラインを定めています。
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/seisaku/kojin/dl/170805-11a.pdf

また、多くの病院で個人情報の取扱指針を定めているはずです。
「病院 個人情報」で検索をかければ、多くの病院の指針等を見られると思います。

No.248 のPINE様
>私が問題だと思うのは、遺族も知らない、病院も公表していない段階で、
>職員が掲示板等に個人情報を流したことです。

御指摘の点は確かに納得出来るものです。アドバイスありがとうございます。
「個人情報が、個人の人格尊重の理念の下に慎重に取り扱われるべきものである」との趣旨の個人情報保護は、我々医療者が厳格に守らねばならない事柄です。これは、刑法134条の秘密漏洩罪と別個に重要です。

問題にしたいのは、
1 マスコミで非難、あるいは誹謗されている病院や診療担当者自身に、反論権がないのかどうか、
2 個別の医療事案であっても、不当逮捕や不当な起訴、不当な世論形成がされる前に、第三者の同業者が独自の調査で、有効な反論を行うことが許されないのか
と言う点です。

この症例が問題になったのは、『たらい回しされた』だの『CTを先にとっておれば』だのという患者家族やマスコミの主張が、実は誤っており、冤罪作りへの加担に他ならないからです。こうした冤罪事件を防止しなければならない局面では、たとえ個別の事案であっても、治療効果やタイミングに関する論議は、法で守られるべき個人情報とは言えないのではないかと思うわけですね。

重ねて言いますが、個別の症例の治療選択やタイミングの決断は、確かに症例の病態という一種の個人情報を元にされるわけですが、問題となる医師の側の選択や決断や診断過程という医師の診療行動そのものは、情報保護すべき個人情報には成らないと考えますが、皆さんいかがでしょうか。

個人情報と、情報保護すべき個人情報には、区別があってしかるべきだと言うことなんです。

No.249 座位さま

重ねて言いますが、個別の症例の治療選択やタイミングの決断は、確かに症例の病態という一種の個人情報を元にされるわけですが、問題となる医師の側の選択や決断や診断過程という医師の診療行動そのものは、情報保護すべき個人情報には成らないと考えますが、皆さんいかがでしょうか。

私の理解からの結論は以下のとおりです。

・本人が公開することに同意していない情報であれば、それを「個人が特定可能な形」で公開して議論のネタにすることは、不法行為(プライバシー侵害)に該当するリスクあり。

・したがって、本人が公開済の情報「のみ」に基づいて議論を行うことは、別途名誉毀損の問題にならない限り、原則として不法行為は成立しない。

・今回問題にされている病状や診察・治療経過の情報について、本人が未公開の部分が含まれていた場合、形式的にはプライバシー侵害が成立しうる。
 しかしそれが公正な議論のために不可欠の情報であり、本人が非公開としておくことについて、すでに公開済の情報とのバランスから本人に新たな侵害が生じたとはいえないような場合(本人によって公開された情報と質的に大差ないと評価できる場合)、法的責任(=慰謝料支払義務)は発生しないといえるのでは。

*****

法的な建て付けについての説明は、No.234,235でPINEさまがお書きのとおりです。

最後のバランス論のところは、限界がどのあたりに置かれるべきかは見解が分かれると思います。私も思いつきで書いていますのでご批判歓迎です。


No.250 座位さま

個人情報と、情報保護すべき個人情報には、区別があってしかるべきだと言うことなんです。

はい、区別はあります。
みずから公開した自分の個人情報であっても、個人情報の定義から外れることはありません。
が、みずから公開した個人情報については、プライバシー権の保護は及ばなくなる、という図式です。

本人が公開していない状況下であっても、法令に基づいて公開された情報や、個人の特定に至らない範囲の情報だけを使って、症例検討や議論を行うことは、許容されます。

No.249の座位さん、

>1 マスコミで非難、あるいは誹謗されている病院や診療担当者自身に、反論権がないのかどうか、

反論「権」と銘打ってしまうと、そこまでのものがあるのかなと思いますが、既にマスコミで報道されている点について反論・釈明・補足等をすることは、当然許されるべきことだと思います。
ただ、それも記者会見等で行うとすれば、一般の人に伝わる情報は所詮マスコミの目を通したものになりますし、対応を誤ると紛争を悪化させ却って恐ろしいことになりかねませんね。
そうした場合でも、(個人的な企業等のクレーム対応等の経験から)患者さんや遺族の頭ごなしにやらない方が無難だと思います。

>2 個別の医療事案であっても、不当逮捕や不当な起訴、不当な世論形成がされる前に、第三者の同業者が独自の調査で、有効な反論を行うことが許されないのか

座位さんが想定する、マスコミや遺族が騒ぎ出す前に、「第三者の同業者」が調査を必要とする事態というのは、実際に起こりうるのでしょうか。
通常、マスコミで騒ぎだすから、「えらいこっちゃ」となるわけで。
患者さんからクレームが来ただけのような段階だったら、同業者たるお医者さんには、個人を特定しないで、「オレ、今回、こんなことしちゃったんだけど、どう思う?」ってな具合に質問すれば問題ないと思いますし(弁護士同士ではよくやります。)。
もっとも、(民間病院が対象となる)個人情報保護法16条3項3号は個人情報を目的外に利用できる場合として、また同法23条1項3号は個人情報を第三者に提供できる場合として、いずれも「公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」と定めており、その例として厚生労働省のガイドラインでは「医療安全の向上のため、院内で発生した医療事故等に関する国、地方公共団体又は第三者機関への情報提供のうち、氏名等の情報が含まれる場合」としています。

面倒くさいかもしれませんが、せっかくの機会ですので、上記厚生労働省のガイドライン(私のNo.248のコメント)の16条と23条に関する解説のところだけでも、ご覧になってみてください。

あまり噛み合っていませんね(苦笑)。

自分なりにまとめると、こんな感じでしょうか。

1.患者側の訴えに対して医療側カルテ等の情報に基づいて反論することは、患者の同意を得るかまたは訴訟にならない限り違法である。
2.ゆえに患者側が情報公開に同意せず、なおかつ訴訟にも訴えない場合、医療側は自ら訴訟を起こす以外に公の場で反論することは出来ない。

更に付言するならば、
3.個人を特定しない形での(症例検討のような?)情報の開示と検討は必ずしも違法ではないが、当然ながら当の患者側に対して直接の反論とはなり得ない。

こんな感じでしょうか。

さて、事実に基づかない一方的攻撃に晒された場合に医療側が如何にしてこの状況を打破するかですが…当面医療側から訴えるという手段は現在の医療訴訟の雰囲気(笑)を見る限りあまり成功率が高そうにありません。
名誉毀損で賠償を取れる金額の期待値に対して、患者離れ等の被害を避けるために適当な和解金なり見舞い金なりで解決した方が安く上がるということであれば、多くの末端医療機関はそちらを選ぶかも知れません。

こういう構図はいろいろなところで見かけた記憶があるのですが、この場合マスコミがほぼ確実にあちら側に立っているだろうことだけが常と違うところでしょうか。

No.252
>座位さんが想定する、マスコミや遺族が騒ぎ出す前に、「第三者の同業者」が調査を必
>要とする事態というのは、実際に起こりうるのでしょうか。

座位さんは、不当逮捕・不当起訴の前に、と言っているので、おそらく^簑旺▲泪好灰濮ぎ→A楮叉ヾ悗動く、という流れを前提にしていると思います(ある意味当たっています)。
△鉢の間に「くさび」を打ちたいということでしょう。

大淀の事件に関して言えば,もしカルテに書かれた事実が最初から報道されていたら警察が捜査することはなかったと思えるのですが,どうでしょうか...

マスコミの報道で「6時間放置」とか「当直医は寝ていた」とか「CTを取れば助かった」とか,明らかに虚偽ですよね.意図的としか思えない悪質な書き方だと思います.しかも,真実が知らされた後は,「個人攻撃」を意図したわけではないといったような白々しい書き方をしていました.

奈良県南部の産科を壊滅させたマスコミ(毎日新聞)の罪は甚大です.

では,実際問題としてどのようにこういったマスコミの不当攻撃に対処すればよかったのでしょうか?

「新小児科医のつぶやき」でも同じ話題です。
やはり誰しも気にするところは同じということでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20070430

PINE様、fukafuka様、psq様、
アドバイスありがとうございました。

やはり、僕には、相当理解が難しいです。この問題を理解するのは、今の知識では無理なので、しばらく勉強してみます。

家族が医療情報をマスコミに公開した時点で、引き続いて病院側を告訴する意図を全く持っていなかったことを合理的に証明できなければ、情報流出の責任が家族に全くないという被害者認定がそもそもできないのではないのか?と普通に論理的に考えてみたのですが、間違いでしょうか(笑)。

No.255のLevel3さん、

>では,実際問題としてどのようにこういったマスコミの不当攻撃に対処すればよかったのでしょうか?

みもふたもない言い方ですが、対処しようがありません。
誰も、彼らマスコミが記事にしたり放送したりすることを、止められません。
(雑誌などの場合は、出版差止の仮処分を申立てる時間的余裕がある場合もありますが、それとて裁判所に認めてもらうのは大変です。)

マスコミの攻撃にさらされるのは病院や医師だけではなく、いろんな企業や個人が同じ状況にさらされます。
私は、マスコミの攻撃を受ける側の代理人になることもありますが、「辛いが耐えろ」「嵐が通り過ぎるのを待て」「人の噂も75日」とアドバイスします。
下手に反論すれば、それを伝えるのもまたマスコミであるゆえに、場合によっては対立の構図を作られ面白おかしく煽られて、却って紛争を複雑にしておしまい、ってことになりかねません。

#代理人であれば仕事なので、依頼者の負のエネルギーをできるだけ背負って、依頼者が不利な状況になるのを避けるよう頑張りますが、私個人がやられたら消火器でも持って殴りこむかもしれません。ボソッ。

>>では,実際問題としてどのようにこういったマスコミの不当攻撃に
>対処すればよかったのでしょうか?
>
>みもふたもない言い方ですが、対処しようがありません。
>誰も、彼らマスコミが記事にしたり放送したりすることを、止められません。

そうですか...
せいぜい「死ぬ死ぬ詐欺事件」のように2chとかあちこちのWebに反論を挙げる程度が関の山というところなんですね。

>みもふたもない言い方ですが、対処しようがありません。
 たとえ同業者であっても、代理人でもない第三者の医師が、特定の医療事案に関して、業務上知り得た情報を元に不特定多数で論議することは、刑法134条1項に違反するということになりますね。
 この事は、自称医療被害者による情報操作、誤った世論形成に有効な反論は、第三者はもとより、診療に当たった医師ですら法廷外では出来ないということですね。第三者は、支援が制限されますし、当の医師本人あるいは弁護士ですら、反訴するより有効な手段はないのでしょうか。

 一方、カルテの中の情報は、PINE様紹介のガイドラインに記載されているように

例えば診療録には、患者について客観的な検査をしたデータもあれば、それに対して医師が行った判断や評価も書かれている。これら全体が患者個人に関する情報に当たるものであるが、あわせて、当該診療録を作成した医師の側からみると、自分が行った判断や評価を書いているものであるので、医師個人に関する情報とも言うことができる。したがって、診療録等に記載されている情報の中には、患者と医師等双方の個人情報という二面性を持っている部分もあることに留意が必要である。

 医療事故の全体像の中でみると、開示されたカルテを元に、自称被害者家族が、マスコミに、自分の個人情報をコピー配布などする行為は、
見方によっては、 医療過誤冤罪被害者である担当医師の個人情報を無断で、マスコミに公開したことにはならないのでしょうか?
 そもそも、カルテなどの開示は、あくまで患者やその代理人への開示であって、第三者であるマスコミへの患者側の宣伝に供与されることを想定してはいないはずである。しかも医師から見ると医師の個人情報を歪んで晒されていることになる。
 自称被害者家族が、真に被害者家族であるか判らない時点で、カルテ記載を覗き見するマスコミは、その中に医師の診療行為という個人情報が入っている限り、医療過誤冤罪に加担し、冤罪被害者である医師の個人情報を無断で違法に公表していることになるのではないでしょうか。

座位先生

> 医療過誤冤罪被害者である担当医師の個人情報を無断で、マスコミに公開したことにはならないのでしょうか?

その件については、公務員(町立病院のドクターは公務員)の職務に関する情報は、同町の「情報公開条例」においても、個人情報としての非開示情報の枠からは外れていますので、そういった観点で違法性が問われることはまずないのではないでしょうか。

本件カルテはそもそも患者の個人情報ですので、情報公開制度では当然非開示ですが、仮に公務員たる医師が行った職務(診療)に関する情報で患者の個人情報とならないものがあれば、残念ながら公開対象になると思われます。

http://www.town.oyodo.nara.jp/reiki/reiki_honbun/ak43700541.html

>仮に公務員たる医師が行った職務(診療)に関する情報で患者の個人
>情報とならないものがあれば、残念ながら公開対象になると思われます。

じじいさん様、御教示ありがとうございます。

公務員の一挙手一投足が、公開対象になるとは思えないのですが、診療業務に関しては、ほぼ全て公開対象になるということなんですね。
冤罪と言う言葉は、狭義で使えば、刑事有罪の確定判決済みのものを指すのかも知れませんが、たとえ判決前であっても、現に報道被害を受けている事実を考えれば、医療過誤冤罪といっても良いと考えています。

 この医療過誤冤罪の状態にある医師をどうやって支援するかが、僕ら同業者の関心事なのですが、マスメディアなどの報道側が、自称被害者に肩入れすることで、自社の利害を追求する意図的な行動に出ている事への対抗行動を、ネット上で合法的にかつ有効に行いたいという願いがあります。
 医療事案以外の紛争とは異なり、患者側の個人情報を盾にした情報宣伝戦は、技術的にではなく、原理的に、医師側にハンディをかぶされた格好となります。
 マスメディアに対抗する医師達のネット支援活動の可能性、有効性には大きな制約があるということなのでしょうか。リアルな組織による支援行動も、あるいは代理人を立てた抗議行動もどのくらいの可能性と有効性があるのか確信がもてず、他の可能性を模索しなければなりません。

医療過誤の存否をネットで論ずることは最近の問題ですが、患者の個人情報の保護と医学研究の両立の問題は、以前からの論点であったと思います。「がん登録」という事業がありますが、がんの研究・対策の向上を目的とする当該事業でも、がん対策基本法施行前は、個人情報保護の観点から種々議論されていたようです。学会での症例発表でも、トラブルがあったという話も昔聞いたことがあります。個人情報と切っても切れない関係がある医学の進歩と個人情報保護の両立は、悩ましい問題であることは確かだと思います。

仮に何らかの医療ミスがあった場合でも、再発防止策の検討や情報の共有でさえも個人情報保護が障壁になるかもしれません。

とりわけ、マスコミとリンクした医療トラブル事案の場合、名前等を隠しても患者が特定されてしまうので、自身で割り切ってしまえば、個人情報を自由に使える患者側に対して、持っている情報を自由に使えない医師側が、マスコミの不公平な報道姿勢とあいまって圧倒的に不利であることは事実でしょう。

名誉毀損や信用毀損・業務妨害などで訴えることも可能でしょうが、手間も相当かかる上に、その間に傷つけられた信用を取り返すことは非常な困難を伴います。また、折角訴えても、ことが医療に関する内容だけに、虚偽であることが明白なケース(受けてもいない治療を受けたとか、後遺症を偽るとか)を除けば、裁判で勝てるとも限りません。

さらには、患者側はともかく、マスコミ自身はこういうときの防御だけには長けていますので、戦術を心得た専門の顧問弁護士団を投入してくるでしょうから、個人又は一病院が勝つのは至難の業かと思います。(訂正記事など、それを命じる判決でも出ない限りは絶対出さないですし)

患者の氏名・住所等個人を特定できる情報を秘匿することを条件に、守秘義務を負った医師だけが参加できる、医学の進歩を目的とする症例検討システムってできないものかと思います。

>医療過誤冤罪被害者である担当医師の個人情報を無断で、マスコミに公開したことにはならないのでしょうか?

すくなくとも、ご遺族は、さるシンポジウム聴講者に配布したレジメの中に、看護記録を公開しており、ある医師一名のみを実名公表しています。

この事実をどう受け取るかはいろんな意見があるものと思われます。

じじいさん様、重ねて御教示ありがとうございました。
非常に理解しやすいご説明で助かりました。

僕以外にも興味ある医者達にとって、本エントリでの皆さん(じじい様、PINE様、fuka_fuka様、psq様、YUNYUN様、モトケン様、ほか、法曹資格者及び法律知識者)のアドバイスは、貴重なものと考えております。
ここに、あらためて、深い感謝を表明致します。
ありがとうございました。

ほなっと違う話を振ります。
これは以前出ましたっけ??2003年に判決が出た大橋病院の転移性肝臓癌訴訟ですが。
http://homepage3.nifty.com/malpractice/report.htm

簡単に言うと、
1)T1N0M0の早期胃癌に対する胃亜全摘
2)4年後の肝多発転移・リンパ節転移・脾転移・副腎転移疑いに対し減量手術目的で肝切除を行ったところ大出血を起こし、術後2週間で多臓器不全で死亡したという症例

なのですが、これが御遺族の手にかかると、

● 胃の切除は助教授が早く旅行に行きたかったので部下に手術を任せた。
● その結果胃癌が残存。それを知りながら放置
● 肝転移が出てきた時点で言葉巧みにだまして手術を受けさせる。こうすれば癌死するまで自分の外科で患者を拘束できるからだ。
● 手術後も利尿剤をとめる、酸素投与量を減らす、膀胱洗浄で迷走神経反射を起こさせるなどあの手この手で患者を殺害しようとした

という話になります。

ちなみにこの御遺族の中に現役の裁判官さんもおられるのですが。その方が何をされているかというと。術後1週間の父親を見舞った際に、表情の変化を見て
「医療過誤が起きたことに気づき、それを子供の中で一人法律家になった自分に訴え託そうとしたのではないか」と思い当たり、
「医者がお父さんに何をしたのか、お父さんに何が起こったのか、僕が調べますから。医者に必ず責任を取らせますから安心して下さいね。」
と熱く声をかけています。

うーーん。なんていうのかなぁ。
こうやって見ると判決なんかよりも大きな問題はどっかにありますね。

肉親との死別が人の精神状態に大きな喪失感と悲しみを与えた場合、一種のPTSD発症の原因となり得ると思います。

一般にPTSDはあるきっかけで発作的に心神耗弱状態に陥りその間身体的には業務遂行能力を失うので、そのきっかけに関連が大きいとみなされる業務に従事させることは禁じられてしかるべきだと思います。

精神障害なので見た目には健常人ですが、本人が病識に乏しいことが多々ありますので、判断の誤りが大きな事故につながるような業種の職場では特に、業務中事故発生を防止する目的で職場に専属のカウンセラーを置くことが大事でしょう。

精神科医でもないのに一席ぶってしまった身の程しらずのぼけでおつじゃないぼつでおk、毎度失礼致しました(笑)

あ、このPTSDで事故が発生した場合、PTSDの診断がなされなければ日本の法律では業務上過失責任が本人にかかることになるし、PTSDだったと診断されれば業務に就かせていた事業者が刑事責任をかぶることになるんでしたっけ?刑法を誤解してますでしょうか。

立木 志摩夫様
これはひどい...控訴しなくて正解でしょう、控訴して原告敗訴なんてことになったら、殺し屋でも雇って復讐しかねない。金払ってさよならが一番でしょうね...
でも、この原告さんたち、実名だしてますけど、大丈夫なんですかね〜

さて、精神障害は病人本人だけの問題と思われがちですが、本人に病識がなく同居人も病気に気付かず(発作性精神障害ですからふとおかしいなと思っても持続しないのでああ大丈夫だったかと思ってしまう)健常な正常人と認識して接し続けているうちに、同居人も病者の認識パターンを自ら全面的に受容してしまい病者と同じ思考行動様式をとるようになる。いわゆる同情が過ぎて自己と他者が区別できなくなる状態で他者のトラウマそのものまで取り込んで、見かけ上病者のように振舞うようになる、という見かけ上の伝染性を持つことも知られています。古い記憶ですが二人精神病と俗に呼ばれたりしてたと思います。

判決文読みましたが、原告が裁判官であることが判決をした裁判官に影響を与えていると疑われる部分が見られましたが、興味深いことに原告本人が下線を付して強調している部分と完全に一致しているように感じました。

私は精神病理の専門家ではありませんので、疑いを抱くのみですが、このホームページについてはいちどその方面の専門家に相談したほうがいいような気がしました。ただのお節介ですが(笑)。

>立木志摩夫様、Hekichin様、ぼつでおk様

 この症例はそもそも民事訴訟では敗訴してもやむを得ないのでは?
 両葉にまたがる転移性肝癌をMCT併用とは言え切除しようという考え方が標準的とは思えませんが・・・。この症例に関しては立木志摩夫様のおっしゃる減量手術という考え方も標準的とは言いがたいと思いますし、そもそも減量手術という説明はされていないと思います。

 HPを見ると確かにご家族の誤解と思われる部分も中にありますが(リンパ節郭清に関する記載、最初の胃癌手術の時期に関する記載、癌の転移と郭清に関する問題など)、総合的に見ると「これじゃ、負けても仕方ないかな」と私には思えます。

 唯一問題になりそうなのはH5年頃は癌の手術治療に対する考え方が大きく変遷した時期(拡大郭清術から縮小手術へ変遷した時期)だということぐらいですが、H8年となるとむしろ縮小手術へ向かう方が主流だと思います。
 ただ、刑事訴訟でこれを取り扱うのがどうかという部分は問題有りだと思いますのでその点に関してご家族の意見に同意できませんが・・・。

確かに民事訴訟に関しては勝ち負けがどうかはわからないですね。
というか、そこを判断する能力は内科医のおいらにはないです。
普通だと胃癌肝転移は手術にまわしませんし。

僻地外科医様
民事訴訟の内容が酷いというわけではありません。(遺族情報だけでは判断できませんし)
復讐心をここまで露骨に出している遺族と縁を切るには敗訴はむしろよかったかもしれません。間違って(?)勝訴してしまったら、確実に夜道で襲われていたと思います。
江戸時代なら....とかT大学に公開謝罪を要求する、学会資格停止、医師免許停止の要求等々度が過ぎていると思います。

当時、検察の判断はあれで問題なかったと思いますが、ここ2年程度の出来事ならおそらく執刀医グループの中から逮捕者がでていたと思います。検察審査会にまでかけあっていますよね、これは現在、医療事故、過誤の家族の定番のルートになりつつあります。
合法的ではありますが徹底して医師を社会的に抹殺しようとした遺族には不快感しか残りません。

>HPを見ると確かにご家族の誤解と思われる部分も中にありますが
>(リンパ節郭清に関する記載、最初の胃癌手術の時期に関する記載、
>癌の転移と郭清に関する問題など)、総合的に見ると「これじゃ、
>負けても仕方ないかな」と私には思えます。

僻地外科医さん,
私もこれは「負けても仕方ない」と思います。
麻酔科医からみていますと,こういった手術適応に疑問のある手術(胃癌の肝臓への両葉に存在する多発転移)を行おうとする外科医はいるものですが,医学的に考えてやはり問題だと思います.
もちろん最初の胃癌の手術に問題があったかどうかまでは言えませんので,そのあたりはご家族の誤解もあるとは思いますが.

しかし、これは患者サイドのホームページですから、自分の都合の良いように作成しているだけかも知れませんよ。「医者=悪」の情報操作もあるでしょうし。裁判資料も提示されていますが、

あまり、ホームページなどの情報で、判断するのもいかがなものかと思います。病院側もこのホームページに対して物申したいこともあるでしょうが、いえないだけかも。

>某救急医様

 HPをどう割り引いて読んでも、両葉にまたがる転移性肝癌という事実は動かし難いでしょうし、だとすればやはり手術適応はないかと思います。家族、又は本人が「何としてでも手術をしてくれ、途中で死んでもかまわない」とでも言ったのでもない限り、この症例ではかばいようがないでしょう。

 そんな事実があれば当然裁判でも争ったでしょうし、HPの情報云々のレベルを超えてしまってると思いますよ。この症例ではそんな微妙な問題ではないと思います。

 そもそもそんなことを言い出せば我々がやってることも「m3の情報で判断」とか「メーリングリストの情報で判断」等々と言われても仕方ないと思いますし。

>あまり、ホームページなどの情報で、判断するのもいかがなものかと
>思います。病院側もこのホームページに対して物申したいこともある
>でしょうが、いえないだけかも。

某救急医さん,
おたずねしますが,HPのCT画像やエコー所見が「捏造」だとしたらという仮定を考えておられるのでしょうか?
そこまでのものが創作であったと言われるなら,そのようなお話も出るかもしれませんが,そうでない限りCT画像やエコー所見から判断して僻地外科医 さんが書かれていますように「両葉にわたる多発性肝転移であり手術適応なし」というのが常識的な判断だと思われます。
我々医師が判断するものは,家族が書かれた文章ではなく医学情報ですから...

いえ、捏造でもうそでもないと思いますよ。事実が集められていると思います。

いろんな考え方があると思いますが、物事には必ず裏と表があります。自分にとって都合の良い時事実が10個あれば、都合の悪い事実も10個あると、私は思っています。都合の良し悪しは、立場によって決まります。

うまくいえないのですが、そうですね、凝固系と線溶系が微妙につり合って正常な状態が維持されているように、物事には都合の良い事実と都合の悪い事実が必ずあるというイメージです。

かなりイジワルな言い方をしていると思いますが、患者がホームページを立ち上げる目的は自分の意見を主張する場ですから、それを見て「あぁ、これなら患者のほうが正しい。医療者に非があるな」と信じさせれば、目的を達成したわけです。してやったりと言うか...

私などは、あまのじゃくですから、あまりに非の打ち所のない主張を見ると、「どうしてそんな都合の良いことばかり、集まったんだろう?逆に、(本来あるはずの)不都合な事実はどこに行っちゃったんだろう」と疑問に思うのですよ。

これはネット情報だけでなく、新聞報道でも、テレビ報道でも、そう思います。マスコミだけじゃなくて、うわさ話も同じですね。

誰かも言っていましたが、「真実とは、その人にとって一番都合の良い事実」というのが正しいと思います。醒め過ぎですか?

判決全文はこちらですが
http://homepage3.nifty.com/malpractice/hanketsu1.htm

被告は
「肝多発転移・リンパ節転移があり根治は不可能。いくつかの方針があるが、減量手術+可能ならば補助療法が最も危険性は高いものの生活の質を向上させる最良の方法だと考える」と説明したとしています。

まぁそれはいいんです。気になるのは

(1)術後合併症の出血・肺炎などで全身状態が悪化した
(2)医師が肺炎のことを肺に水がたまっていると表現した
(3)アンモニアの数値を一人が110と言い、一人が160と言った
(4)患者が、裁判官である自分だけに険しい顔をした

この4つから、裁判官である次男は医療過誤が起きたことを確信し、病床の患者に向かって
「医者に必ず責任を取らせますから安心して下さいね。」と声をかけています。
このメンタリティですね。このメンタリティの蔓延が医療崩壊に拍車をかけている気がしますね。

某救急医さん

> いろんな考え方があると思いますが、物事には必ず裏と表があります。
> 自分にとって都合の良い時事実が10個あれば、都合の悪い事実も10
> 個あると、私は思っています。都合の良し悪しは、立場によって決まります。

あ〜、何となくわかります。今、目の前に薬屋さんからもらったボールペンがありますが、軸方向にみれば円にみえるし、横から見れば細長く見えると言うことと近いでしょうか。で、「ボールペンは細長い」vs「ボールペンは丸い」という論争が、裁判に持ち込まれる、と。

丸い派は、ボールペンを10本集めてきて「ホラ、丸いでしょ?」と主張するし、細長い派は100本のボールペンを集めてきて、「100本のボールペンはすべて細長い。だから細長いが正しい」みたいな。。。。

疑うわけではないが、信用するわけでもないという距離感をもって、情報を解釈しなさいということで良いですか?

原告とすると問題点と思った部分を全部列挙しないと後から争点にできないという事情があるにせよ、1つの争点以外はイチャモンやトンデモという主張が多いので、嫌になります

訴える側からすると何もかもが気に入らないということでしょうが、普通の論争なら1の真実のほか、9のウソやデタラメを交えれば、訴え全体の信憑性を疑ってしかるべきものです
(一般社会ではそんな人の言い分を信用するでしょうか???)

もちろん裁判という劇場でのお芝居ということですが、訴えられた医師からすると言い掛かりと思う部分が多すぎて挫けます。いじけます。凹みます。

この事例では、肝切除という方法を取っていなくても、あるいは術後合併症がなくても訴訟を起こした可能性が高いのでしょう。なぜなら胃癌が再発しているなら、癌性腹膜炎や肝転移で張り切れんばかりのお腹で苦しむことは避けがたいと思えるから。

病気に対するやりきれなさを医師への怒りに転嫁させる人が後を絶たなくなる現状で、どうやって医師患者関係を維持するのか?問題アリアリです

No.279 立木 志摩夫さん

>4つから、裁判官である次男は医療過誤が起きたことを確信

裁判官が自称事実認定のプロであることがよく分かる出来事ですね。
別エントリに例として書き込むべき内容かもしれません。

全然関係ない話ですが、裁判官流というのはこういうものか?と思う記事。
不謹慎ながらちょっと笑ってしまいました。

http://hosted.ap.org/dynamic/stories/6/65_MILLION_DOLLAR_PANTS?SITE=ORBAK&SECTION=HOME&TEMPLATE=DEFAULT

>立木志摩夫様

 この4つから、裁判官である次男は医療過誤が起きたことを確信し、病床の患者に向かって
「医者に必ず責任を取らせますから安心して下さいね。」と声をかけています。
このメンタリティですね。このメンタリティの蔓延が医療崩壊に拍車をかけている気がしますね。

 いや、HPで言ってる部分におかしいなと思う部分がないと言ってる訳じゃないんです。ただ、少なくとも我々は「医学的に見て、妥当なのか。地域情勢を含めた医療の観点からどうなのか」と言うことについて考え、意見を述べていくべきで、むやみやたらと患者サイドのHPを攻撃するのは我々自身にとっても得策ではないと思うのです。

 明らかに医学的におかしいと思う部分はたとえ同業者であってもおかしいと言うべきで、そうでない限り「医療の閉鎖性」だの「密室性」だのという誹りを否定できなくなります。件のHPに関しては私から見て「どう見ても医学的におかしい」という部分も「これは実情を知らないからこう書いているのだろう」という部分もありますが、総合的に判断するとご家族が訴訟を起こしたのも納得できますし、その判決が原告勝訴に終わったことも納得できます。

 そう言う部分は我々も認めることで、医療の自浄性と訴えることが出来ますし、今後仮に第三者調査機関を設置するときにも十分発言権を得ることが出来るようになると思います。

 もし何らかの必要性があってHPについてコメントするのであれば、感情的な手法ではなく、「この部分は医学的におかしい」という指摘をし、総合的に言い分が正しいならばそれも認めると言うことが必要だと思います。

 一方、明らかに不正確な記述により医療者側を叩くものに関しては、とことん叩き返すべきでしょう(ex.大淀事件の初期報道および今回のカルテ流出騒動)。


Med_Lawさん、元行政さん、老人の医者さん、僻地外科医さんこんにちは

うーーん。最近は訴訟の結果そのものよりもそれ以前の問題が大きいのではないかと思うようになって来たですよ。

例えば今は消されてしまいましたが、特発性食道破裂死亡事例に関する訴訟のサイトがありました(一審は確か原告敗訴。幕内教授の非常に説得力ある鑑定が印象に残っています)
あれも元々は患者が「とんでもないことが行われている。犯罪の可能性あり」と家族に筆談で伝えたことが大きな推進力となっています。
そのケースにしろ、この胃癌のケースにしろ、「上手くいかないのは医者のせい。医者に責任を取らせなきゃ」というメンタリティがあります。
それは「運が悪かったのだ」という言葉の説得力が失われていることでもあり、以前あったベンチから落ちて枝が刺さって死亡した幼児の両親が公園の管理者を訴えた訴訟なんかとも通底するものがあるとおもうですよ。

勿論つらい現実を前にしてこれが医療ミスかもと思うことはあるでしょう。誰かの責任にしてその人に責任とって貰おうという誘惑は非常に強いものがある、自分自身振り返ってみても。しかし医療ミスかもしれないという疑念と医療ミスだという確信の間には相当大きいギャップがあります。

このケースで印象的だったのは、裁判官という職に就いている方ですらその誘惑にいとも容易くしかも早い段階で負けていること。元行政さんの意見とは反対に僕自身は裁判官の判断能力は一般人である我々よりも高いと見ています。ですが少なくともこの段階で入手している情報と知識では医療ミスの疑念以上のものは持てないはずです。
もう一点として医者がわざと殺した、とこのページの作者が信じていることです。

嫌なことは誰かのせいに違いない、という思考が蔓延しつつあること自体を問題にしたほうがいいんじゃないかという感想を持ったわけです。


別にこのサイトの原告の方を攻撃しているつもりじゃなかったです。
もし関係者の方が見ておられたら謝罪します。すみません。

No.285 立木 志摩夫さん

>意見とは反対に僕自身は裁判官の判断能力は一般人である我々よりも高い

別に反対ではないです。
裁判官が自分自身が持っていると思っている判断能力>医療裁判における臨床医の判断能力>>>医療裁判における裁判官の判断能力>>医療裁判における一般人の判断能力
というところだと思います。

No.284 僻地外科医 さん

>患者サイドのHPを攻撃するのは我々自身にとっても得策ではないと思う

この部分の理由がわかりません。私としては全く反対の意見です。間違いを正すことこそ大事なのだと思いますが。

>元行政様

 引用は正確にしていただけると幸いです。私が書いたのは

>>むやみやたらと患者サイドのHPを攻撃するのは我々自身にとっても得策ではないと思う

です。
 間違っていることを間違っていると指摘すること自体を否定しているわけではありませんし、事実、件のHPについても「HPで言ってる部分におかしいなと思う部分がないと言ってる訳じゃないんです」とコメントしていますし、別のコメントでは「HPを見ると確かにご家族の誤解と思われる部分も中にありますが(リンパ節郭清に関する記載、最初の胃癌手術の時期に関する記載、癌の転移と郭清に関する問題など)、」とも書いています。

 再三繰り返しますが、総合的に判断して原告の主張には理があると言っているわけで、個々の些細な間違いについて攻撃的になっても仕方ないだろうと言うことです。私が「むやみやたらと」と書いているのはそういうことです。

>立木志摩夫様

 レス番が逆になってしまいました。申し訳ありません。

そのケースにしろ、この胃癌のケースにしろ、「上手くいかないのは医者のせい。医者に責任を取らせなきゃ」というメンタリティがあります。
それは「運が悪かったのだ」という言葉の説得力が失われていることでもあり、以前あったベンチから落ちて枝が刺さって死亡した幼児の両親が公園の管理者を訴えた訴訟なんかとも通底するものがあるとおもうですよ。

 こういう情勢があることについて私も同意しますし、それが今の以上情勢の悪化につながっていることも同意します。しかし、このHPの原告の方について「幾分感情的である部分は見られる」ものの、基本的には事実関係を明晰に記載されており、「上手く行かなかったのは(この場合は)医者のせい」であることを論理的に否定できるものではありません。そのメンタリティの根っこがどこにあるものかは必ずしもこのHPだけであぶり出すことは出来ないと思います。

 立木志摩夫様が攻撃的である意図ではなかった旨は了解いたしました。誤解を招く発言をし、申し訳ありません。

No.288 僻地外科医 さん

この判決に対する評価は、おそらくほとんどの医師コメンテーターで一致しているでしょう。裁判官は正しい部分は正しいと言い、間違っている部分はちゃんと間違っていると言っています。先生が言われるように、原告が裁判をおこしたことも、原告勝訴も、総合的な結果として誤りではないのは当然のことです。
しかしながら総合的に誤りでなければいいのでしょうか。先生もお認めのようにおかしい部分は少なからずある。立木先生の指摘されたポイントなどはとても些細なこととは思えないのですよね。総合的な評価とは切り離して、そこを批判すること(攻撃すること)は、積極的におこなっていいと思います。これを先生が「むやみやたら」であると判断していると思ったための発言です。

些細な間違いも放置しない。その方が方策としていいと思った次第です。

リニューアル記念(?)にこちらに少し。

いのげちゃんねる方面で法概念・法解釈に関する疑問がいくつか出されているようですが、医師サイドからのまっとうな (法律の話として正面から解説可能、という程度の意味です、為念) 疑問・質問であればこちら (かほかに適切なエントリがあればそちらでも) で、可能な範囲で対応したいと思います。

まず1点目、わりばしエントリに絡んで、「過失」と「因果関係」の概念に関して医師サイドにやや誤解があるようなので。
http://www.yabelab.net/blog/2006/04/03-160243.php

民事でも刑事でも、

過失 ――→ 悪い結果(民事:損害 刑事:死、傷害)
      ↑
     因果関係

という構造です。過失、結果、因果関係が、それぞれ別個の要件。


すみません、ここまで書いて今日は落ちます。

>No.291 fuka_fuka(イソ弁)様
>過失、結果、因果関係が、それぞれ別個の要件。

この点、疑問の余地はないのですが、「・しかし事実認定上はかなり微妙。(あちらのfuka^2様)」というコメントで再び疑問符。
微妙の意味が・・・・(もしかして若者言葉の『微妙』ですか?^^?)

No.292 元ライダー.開業医さま

微妙の意味

事実認定は、sollen ではなく、あくまで証拠に基づいた sein の話なので、個々の事件での証拠関係に依存する。
理論上は「因果関係なき過失」はありえても、事実認定においては「因果関係」を支える証拠と「過失」を支える証拠はクロスオーバーしてくるので、証拠評価が相互に影響することは不可避で、理論上の切り分けと同様にスパっと行くわけではない。
というような趣旨です。
# そんな意味を込めたにしてはイミフな表現ではあります。 「改めて説明を試みれば」、くらいに受け取っていただければ幸いです

元のエントリのモトケン先生の意図も遠からずとは推測しますが、あくまで私個人の考えとして書きますと、

・ 本件では、平均的な医師が同じ条件下で注意を尽くしても、割り箸を発見できなくても仕方がない(医師の皆さんの論評を前提にすれば)。
  であれば、因果関係だけでなく、過失すら否定すべきだった。

・ ただし、一般論として、「どう考えてもマトモな医師だったら絶対にしないような診断・処置」 をした医師がいた場合に、結果的にはその診断・処置の時点で救命不可能だったと判明しても、(井上元判事の意見のように)「因果関係がない以上、あとは検討する必要なし。無罪。」 とだけ言い放って裁判(判決文)を終わらせていいものか。
  「結論は無罪。ただし、因果関係は否定されるものの、過失があったことは否定できない」 という判決の意義というものは、なおあるのではないか (←あくまで 「どう考えてもマトモな医師だったら絶対にしないような診断・処置」 が前提です)。


# 文脈を無視して個別の表現だけ切り取って言質を取ったかのように言い募るコメントを目にすると、本当に萎えます。(当然ながら元ライダーさまのことではありません、為念)

横から失礼します(笑)。ちょっと推敲してアップ。

割り箸事件にしても大野病院事件にしても医師から見て刑事事件でないのは明らか
だが、後から考えて違う対応もあり得るという症例検討会レベルの議論はいくらでも可能。
川口裁判官が因果関係無き過失としたのはその部分かと。

本来民事で論じる部分だが、医行為が本来侵襲行為を業務としているだけに見掛け
上刑事と民事の区別が非医療関係者にとってわかりにくい。それを川口判事が「(刑
事の)因果関係を認めない過失」と表現したために余計に民事も刑事も一緒くた、み
たいな印象を与えた。
川口裁判官としては、現在日本の医療界には「因果関係無き過失」の部分をアメリカ
のように医療界の中で自ら譴責処分する、対外的に明らかな機構が実質的にない
以上、その部分に向けて司法が代替する意図をもって「因果関係無き過失」論を提唱
したのであろう。

しかしながら判決後も医療界に自発的に医療事故検討会を各基幹病院に設置する
などの司法対策はとられてきていない。そのため、割り箸事件以後刑事立件化だけ
が先行するようになってしまった。

マスコミは警察が動けばかならず報道するものだから、立件がふえれば報道も増える。
各事件でいちいち根源的な医療界の割り箸判決以来の無策まで書ける記者は少ない
だろうから、全体として表面的に医師叩き的風潮が生まれるのも避け難いことだろう。

あげくの果ては福島大野事件や大淀病院事件のように、警察が新聞と同じレベルの
理解度で医行為そのものをとにかく刑事事件化して調べようという、憂慮すべき法解
釈の基本的態度における混乱が生じることになってしまった。

私はだいたいこんな流れじゃないかなと思ってる。医療ばかりじゃなく司法も行政も
混乱してみな右往左往してますますこじれているような気がする。全部いっぺんに
は手が着けられないと思うが、社会構造的観点からいちばん基本的な生死に関わる
緊急事態にあたるのは、福島大野病院裁判だろう。医行為の根幹にあたる部分を
完全に見かけ上だけから刑事過失と誤認しており、民事で扱うべき事案までとにか
く刑事で扱おうとしたもので、それをまた裁判所も「因果関係無き過失」論の煙に巻か
れて見極めが出来ていない。
医療側から見れば、もともと司法の代替的提案であった因果関係無き過失論に、軒を
貸しているうちに母屋までとられそうになっている状態か。
しかし緊急事態といえば検察側も同じで、検察業務という面から見れば、やってはい
けない冤罪構築の領域にまで手を出しているようにみえる。

この裁判では一時的な風潮に左右されることなく、本来の刑事過失論に立ち返って
皆が地に足をつけて考えないと、ひとり医療ばかりか警察検察行政も、最終的には
司法そのものも本来備わっているべき正当性と権威を根本から失うことにもなりかねない。

あれ、確認したのに改行が失敗してますな。余計な事しなきゃよかった(笑)。これもミスのひとつですね。もういっぺんやり直したいけどちょっと時間が、、、(笑)。

>No.293 fuka_fuka(イソ弁)様

解説ありがとうございます。
概念上は過失、結果、因果関係は、それぞれ別個の要件だけれども、
事実認定上は『別個の要件』と言えるかが微妙。
ということですね。

被告(人)になる可能性のある立場としては、どうしても、「事実認定上は微妙」と表現されると、判決での有責、無責が『微妙?』と脊髄反射してしまいます。
実際に”あちら”ではそういう反応あり。

(No.294は表示的に失敗したのでこちらに訂正をアップします(笑)。ついでに少し推敲しました(笑)。)

割り箸事件にしても大野病院事件にしても医師から見て刑事事件でないのは明らかだが、後から考えて違う対応もあり得るという症例検討会レベルの議論はいくらでも可能。
川口裁判官が因果関係無き過失としたのはその部分かと。

本来民事で論じる部分だが、医行為が本来侵襲行為を業務としているだけに見掛け上刑事と民事の区別が非医療関係者にとってわかりにくい。それを川口判事が「(刑事の)因果関係を認めない過失」と表現したために余計に医療裁判では民事も刑事も一緒くた、みたいな印象を与えた。

川口裁判官としては、現在日本の医療界には「因果関係無き過失」の部分をアメリカのように医療界の中で自ら譴責処分する、対外的に明らかな機構が実質的にない以上、その部分に向けて刑事司法が代行する意図をもって「因果関係無き過失」論を提唱したのであろう。

しかしながら判決後も医療界に自発的に医療事故検討会を各基幹病院に設置するなどの直接的司法対策はとられてきていない。そのため、割り箸事件以後「因果関係無き過失」論に基づく刑事立件化だけが先行するようになってしまった。

マスコミは警察が動けばかならず報道するものだから、立件がふえれば報道も増える。
しかも各地にわたる各事件でいちいち根源的な医療界の割り箸判決以来の無策まで書ける記者は少ないだろうから、全体として表面的に医師叩き的風潮が生まれるのも避け難いことだろう。

あげくの果ては福島大野事件や大淀病院事件のように、警察が新聞と同じレベルの理解度で医行為そのものをとにかく刑事事件化して調べようという、憂慮すべき法執行の基本的手順における混乱が生じることになってしまった。

私はだいたいこんな流れじゃないかなと思ってる。
医療ばかりじゃなく司法も行政も混乱してみな右往左往してますますこじれているような気がする。全部いっぺんには手が着けられないと思うが、社会構造的観点からいちばん基本的な生死に関わる緊急事態にあたるのは、福島大野病院裁判だろう。

福島地検が医師たたきの風潮に煽られた結果、医行為の根幹にあたる裁量部分を見かけ上だけから刑事過失と完全に誤認しており、民事で扱うべき事案までとにかく刑事で扱おうとしたもので、それをまた福島地方裁判所も「因果関係無き過失」論の自分で吐いた煙に巻かれて見極めが出来ていない。

医療側から見れば、もともと司法の代替的提案であった因果関係無き過失論に、無策のまま軒を貸しているうちに母屋までとられそうになっている状態か。

しかし緊急事態といえば検察側も同じで、検察業務という面から見れば、ここ福島ではやってはいけない冤罪構築の領域にまで手を出しているようにみえる。

ここの裁判では一時的な風潮に左右されることなく、とにかく本来の刑事過失論に立ち返って皆が地に足をつけて考えないと、ひとり医療ばかりか警察検察行政も、最終的には司法そのものも本来備わっているべき正当性と権威を根本から失うことにもなりかねない。

医師がわの自浄努力不足は認めざるを得ないが、ここ福島裁判のような極端に不正義なやり方で本来刑事過失の無い医師を罰することにより医療改革を進めることをまでも、検察の質の保証も無いまま刑事司法に無制限に許容することは、医師としてよりもそもそも民主主義国家の国民としてできないことである。

と思うがゆえに福島大野病院医療事故裁判のエントリーに拙い書き込みを続けている(笑)わたしでした。いやはや、コメントを思うようにアップすることだけでもなかなか難しいです(笑)。

P R

ブログタイムズ

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