エントリ

 医者とおぼしき魔神ドールさんが司法制度を批判しています。
 その主張を要約すると、「司法には医療を理解し医療事故を適切に判断する能力はないのだから、司法は医療事故に介入するのをやめろ。」ということのようです。

 そこで、民事医療過誤訴訟の現状の手続の流れを踏まえつつ、魔神ドールさんの主張を採用したらどうなるかを少し考えてみました。

 まず、司法(民事訴訟)が起動するためには、紛争当事者の存在が大前提として必要です。
 さらにその前提として、医療過誤訴訟が起こるためには、医療事故が発生することが必要です。
 ここで、「医療事故」というのは、医療行為の結果、患者が期待した効果が得られなかった場合において患者または遺族から見て「医療事故」に見える場合のことを言います。
 そしてその原因が患者側から見て、医療側の故意または過失によるものであると見える場合に患者側から見て医療事故は医療過誤になります。

 このような事態が生じた場合、魔神ドールさんは、

先ず、過誤が本当にあれば、医師ないし病院が適切な額の賠償を自発的にしていますよ。

と主張されます。

 しかし、この主張は、「医師から見て過誤がある」ことを前提としており、患者側から見て「適切な額」であるかどうかの問題意識が欠落しています。
 患者側と医療側の見方に違いがあれば、紛争は顕在化し当事者間のみにおける話し合いが困難になります。
 また、非医療者側(決して司法側という意味ではありません。患者側と一般市民という意味です)から見て、大多数の医療側が「先ず、過誤が本当にあれば、医師ないし病院が適切な額の賠償を自発的にしていますよ。」とは到底考えないと思います。
 不信感があれば紛争が生じるのです。

 医療側が「問題はない。」と言ったとしても、患者側が「問題がある。」と言えば、そこには問題が存在するのです。、
 要するに、魔神ドールさんは、世間の紛争の原因と実態というものを理解していません。

 そして、問題があると考えた患者側がどうするかと言いますと、司法側の一員である弁護士に相談します。
 現状では、相談を受けた弁護士は、可能な限りの調査をした上で勝訴の見通しを検討して受任するかしないかを決めていると思いますが、この段階で、司法の一員である弁護士が医療事故に介入しないということが何を意味するかと言いますと、

医療事故については、検討するまでもなく受任しない。

ということになると思います。
 これは個々の弁護士のポリシーの問題としては何の問題もありませんが、およそ弁護士は医療過誤訴訟を受任してはならないということにしようとしますと、相当問題があります。とりあえず話を進めます。

 弁護士から受任を断られた患者側はどうするかと言いますと、裁判をすることをあきらめる人も多いと思いますが、自分で勉強して損害賠償請求訴訟を起こす人もあるはずです。
 民事裁判は、弁護士に頼まずに自分でやっても(本人訴訟と言ってます)法律上は何も問題はありません。

 民事訴訟が提起されますと、その後は裁判所の対応が問題になります。
 魔神ドールさんの言う「司法」というのはたぶん裁判所のことだろうと思います。
 
 で、民事裁判において、「司法(裁判所)が医療事故に介入しない」ということが何を意味するかと言いますと、裁判所は原告たる患者側の主張に対して判断しない、ということを意味することになると思います。
 ということは、患者側の主張は認められないという意味で、患者側は裁判を起こしても文字通り常に負ける、ということになります。

 これは結論的に言えば、患者側は医療事故紛争において、裁判所における法的救済の可能性がなくなる、ということを意味します。

 法的救済の可能性がない患者側はどうするでしょうか。
 ここでも泣き寝入りをする(少なくとも患者側の主観としては)人もいるでしょうが、泣き寝入りをしない人もいるはずです。

 泣き寝入りをしない人はどうするでしょうか。
 法的救済の可能性がないならば、非法的救済の可能性を探ることになります。

 そして、非法的救済手段として真っ先に思い浮かび、かつ有効な手段は、暴力団を使うことです。

 医療事故が起こったときに、医療側だけで患者側と対応して、常に患者側の納得が得られる解決を図ることができる能力が医療側にあるのであれば、そもそも司法が医療事故に介入する必要がありません。
 
 しかし、現実問題としては、理不尽な要求をする患者側も存在するのですから、そのような患者側の存在を前提にすると、常に患者側の納得が得られる解決ができるわけがありません。
 そして、理不尽な要求をする患者側というグループが最も泣き寝入りをしないグループだと思われます。

 以下は魔神ドールさんに対するレスになりますが

 裁判所における民事訴訟以外の紛争解決制度を考えることなしに「司法は医療事故に介入するな」ということは、医療側と患者側との揉め事が起こったときに、患者側の弁護士や裁判官を相手にするより、患者側の暴力団を相手にするほうがいい、というのと変わりありません。

 このブログで発言されている医療側の皆さんは、以上のようなことを前提問題として理解した上で発言されています。

 そして、基本的に他の人の発言に対して耳を傾けるという姿勢を持っておられます。

 そろそろこのブログの空気が読めてきてもいいのではないでしょうか。

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コメント(372)

現実におきたのは、むしろ、暴力団ではなく、刑事手続きの発動だったと思います。

 民事訴訟は、紛争解決のための手段であり、医療事件については、適切な手段ではなく、このことは、患者側の弁護士が一番理解しています(専門家ですから)。

 魔神ドールさんが把握されていない経緯ですが、たとえば、患者側の弁護士の代表格の一人である加藤良夫弁護士は、ずいぶん前から、「医療事故被害防止・救済センター」等の紛争解決も含めた構想を提唱し、運動を行ってきました。しかし、医療側の協力が得られず、実現しませんでした。このことは例えば、小松秀樹著「医療崩壊」の30頁以降等にも記載されています(別の代表格の一人である鈴木利廣弁護士も同様です)。

 その間に、患者・遺族は、相対的には真実発見の強制力が強い刑事手続きの発動を促し続け、刑事手続きが動くようになってしまいました。
 
 もともと、弁護士は刑事手続きの発動については抑制的ですから、患者側の弁護士の多数は、この結果を望んでいたわけではありません。

>現実におきたのは、むしろ、暴力団ではなく、刑事手続きの発動だったと思います。

 このエントリは、司法が介入しないとすれば、という前提の非現実的シミュレーションです。

 そして、このエントリは民事編ですが、司法の不介入ということは当然刑事司法の不介入をも意味するはずですので、民事訴訟もだめ、刑事告訴もだめということになりますと、残る有力なオプションは、暴力団ということになってしまいそうです。

 そして弁護士を含む司法の完全不介入ということになれば、(他の紛争解決制度が整備されていないという前提では)暴力団の介入を不当と見る考え方の説得力が失われます。

 要するに、医療事故を治外法権化するとどうなるか、というシミュレーションです。

モトケン先生

医療事故と司法制度(民事編)

わかりやすい解説をありがとうございます。勉強になります。
次は、刑事編ということでしょうか?
期待しています。

とくに、医事紛争については、刑事訴追はできないシステムの国(州?)もあるかと聞き及んでおります。

とにかくカネが欲しい者は暴力団を使うかもしれませんが、私は、今以上に、より直裁に実力(武力?)行使に出る者が出てこないか危惧します。

モトケンさんの設定では、弁護士としては、「日本の法律では損害をお金に計算して裁判等で請求するしかありませんよ。」というアドバイスもできないわけで。
弁護士として、相談者をなだめる術を一つ失うと思います。


請求される側からの視点です。
我々は、いわゆる不当要求事案については、なるべく裁判所の手続に乗せようとします。
これにより事件屋等の介入を排除できるからです。
たとえば交通事故の加害者の代理人になった場合、事件屋等の介入があるとき、あるいは事件屋等の介入がなくても本人からの不当な請求がしつこく何度も続くようなとき、加害者側から裁判所に債務不存在訴訟を提起することもあります。
一切支払う義務がないとか、○円以上は支払う義務がないとかを、裁判所に確認してもらうのです。
モトケンさんの設定では、それもできなくなりそうです。


#それから、魔神ドールさんは、無条件に司法は医療事故に介入するなと主張しているのではないと思うのですが。

司法権の及ぶ範囲というものを、考えたときにまず除外されるものは
1 部分社会(家庭内の裁量、自治組織内の裁量など)
2 宗教の優位性、芸術の優位性、学問理論の優位性
3 国家機密に類するもの、軍事類似行為、外交など
4 具体的な事件性や争訟性のないもの(原告適格性含む)
5 高度に政治的な内容(統治行為論)
などが挙がるだろうと思います。
そして次に挙がるものとして
6 高度に専門性があり、理論的実務的に過失性の判断が困難なもの
があるのではないでしょうか?

ですから、筋としては、専門性を理解できる特別裁判所を創設して頂きたいし、その為には、憲法を変えなければならないと思います。
これは、空想ではなくて、夢想なのですが、第76条第2項を変えて、『高度の専門性を有する領域の紛争で、裁定に当たって、高度の知識や実務経験を必用とされる紛争解決組織として、専門性裁判所を置く』とでもして、医療裁判等をあたらせて欲しいと思います。そこでの判事や代理人には、法曹資格者以外に専門職組織から推薦させた専門家を置くと良いと思うわけです。

あくまで、夢想ですから、筋を通した話なんです。
それまでの間は、既存の医道審議会を拡充して十分な予算措置をとって、医療事案に対する取り扱い事務機能と、専門的な調査機能と、迅速な処分機能を与える。そこには、医療職と法曹資格者を含めた専門官を配備し、そのための法整備をするという考えです。行政審判以上の機能を持たせ、民事訴訟に前置させ、公式の鑑定力を持たせるという方向です。法的整合性は専門でないのでよく解りませんが。(他にもどなたかが言ったように、医師会の賠償責任審査会・医事紛争処理委員会をドイツ型の鑑定・調停機関として再編する案や、付調停による合意または調停に代わる決定案でも良いです。)

現存の医療訴訟が集中部などの確立により、以前より機能的になっていることも、鑑定の選択や、三者協議など工夫をしていることは見ていますが、やはり医療専門家のリーダーシップがないと、医療事案に関しては、紛争解決能力が劣ると思います。

 さらに言えば、現行の司法制度は、医療紛争解決能力が低く、われわれの言うところのトンデモ判決を続発させるなど、法曹側の過誤の重過失性が際だってきてはいませんか?
 法曹の介入によって、明日は我が身と考える現場の医師達の逃散が始まるなど、我が国の医療の混乱と崩壊を引き起こす主要因となっています。また、患者側弁護士や検察によって、現場の最前線で誠意を持って患者に対応している医師達が選択的にねらい打ちにされているのが今日の医療の実態です。
 WHOのhealth report 1998でも明らかなように、日本の医療は、医療費抑制政策のもとで世界最高と言って良い医療水準を保持している。この医療水準は、抑制された診療報酬、不十分な施設整備状態、人員の不足の元で、医師達の犠牲によって、かろうじて成立していたのが実状なのです。 そしてこの医師達の士気をくじかせているのが、不当逮捕であり、不当判決なのです。
 ですから、法曹に於いては、紛争処理が業務だからと言って、理解困難な医療事案を安易に判断判決し、医療崩壊を起こすことは止めて頂き、その点に置いては無能力であることを素直に声明して欲しいと思います。

(ここでは、医師側の自浄作用不足の点は、割愛します。)

 少なくとも(大半の)裁判官には、既得権益を守るために自分たちの守備範囲を狭めたくない、というような考えはないと思います。

 憲法を改正して特別裁判所を設置して、そこで医療紛争を裁くということになれば、裁判官は喜んでその改正を支持すると思います。

 しかし、現状において、裁判官の職務・職責として医療事故の裁判をしなければならない以上、裁判官が自らの無能を認めることなど死んでもしないでしょう。
 それこそ司法の自殺に他なりません。

 裁判官が裁判するということは、裁判官の権限であると同時に義務なのです。
 裁判しろと言われて、しませんと言うわけにはいかないのです。
 そして裁判というのは権力作用だということをお忘れなく。
 権力作用として裁判する義務のある裁判官が、「いや〜、私実はこの事件で裁判する能力がないんですよ。」なんて言えるわけないでしょ。
 裁判官がそんなことを言えば、それは裁判の体をなしません。
 その裁判で負けたほうがどう思うか考えてみればおわかりかと思います。

 そして裁判官ないし裁判所にどの程度のまたはどの範囲の権力行使を認めるかという問題は主権者たる国民の判断に基づきます。
 すでに意見が述べられていますが、座位 さんの主張の相手方として適切な相手方は司法ではありません。

 ただし私は、問題のある裁判官、思慮の足りない裁判官(などの法曹)が少なからず存在すること、それによって医療崩壊が加速していることを否定するものではありません。

 現時の司法制度、または司法制度運営に問題があるならば、それを改善しなければいけないというのは、私(や他の司法側コメンテイター)の当初からの基本的な考え方です。

そこで、お互いの大人の知恵というものが、出てこないんでしょうか?
先ほどと違って、トーンダウンしますが、

 検事長合同の場で、検事総長が、医療訴訟に関しては慎重に立件するべしと訓示したとかしないとかも、これは確かに立派な大人の知恵だと思います。地方にまで徹底されるかどうか、訓辞の詳細にもよります。
 判事に関してはどうでしょうか?最高裁の設置したた医事関係訴訟委員会は、有効に作用しているでしょうか?鑑定人の選出だけで終わってないでしょうか?専門委員は有効に作用しているでしょうか?医療職の専門委員を争点整理、証人尋問、和解の場でどれほど活用させていますか?患者側が嫌がっても専門医委員の出席や説明は義務化させるべきではないですか?
 厚労省の管轄である医道審議会は、どうでしょうか?予算大幅増額の申請をしていますか?少なくとも、もっと迅速に、各月毎に処分を公表してはどうですか?判決後に動いてちゃ駄目でしょう。
 医師会は、勤務医をおろそかにしていませんか?政権に媚びを売ってるだけでは第二医師会が出来てしまいますよ。日弁連真っ青の自治組織になる気はないんですか?

いろいろ、上記のような関係者による手だてはあるだろうとは思います。

>いろいろ、上記のような関係者による手だてはあるだろうとは思います。

 それを議論したいと思います。

 なお、検事総長の訓示の問題は刑事編で触れる予定です。

No.7の座位さんの一連の「?」事項は、どれも至極ごもっともなもので、しかも現実的なものです。

裁判所と厚生労働省に対する「?」事項は、政治の問題だろうし、突き詰めれば、主権者たる国民が騒ぐ問題でしょう。
ま、そんなこと主権者たる国民には期待できないんで、座位さんがここで一生懸命に訴えかけているんでしょうけど。
誰かが圧力をかえればいい話なんで、もっと医師会が頑張れないんですかね。
(議論が堂々巡りする危険が・・・。)

医師会に対する「?」事項は、医師会会員が騒ぐ問題でしょう。
>政権に媚びを売ってるだけでは第二医師会が出来てしまいますよ。
どっかの団体では、東京に3団体も出来てしまっていますね。
>日弁連真っ青の自治組織になる気はないんですか?
おぉ。

#医師会のA会員って主に開業医で、B会員って主に勤務医ですよね。
A会員とB会員でどんな違いがあるんですか(会費とか待遇とか違うんですか。)。
スレ違いですね・・・。

それで、弁護士と医師個人について抜けていたので追記しますと

弁護士さんも、国家試験での網羅的な領域の知識や技能というのは確かめられていますが、生涯学習はすすんでいるのでしょうか?医師の専門医や認定医と同様に、専門訴訟に関する(医療訴訟、知財、建築、IT)領域は、認定弁護士制度を作って頂き、その認定を宣伝出来るようにすることで、訴訟の濫造を防ぐようにして頂きたいと思います。勿論暫定処置は必要でしょうし、(あくまで訴訟に関与する為の義務的資格ではなく、宣伝可能な認定制度と言うことで)日弁連内での認定と言うことになるでしょう。

また、医師の側も、数年に一度の医療事故研修を義務化し、医師会からの講師と弁護士さんの講師による医療事故防止関連講座を行い質を高めると言う方法があると思います。

で、ここで、もういっぺん、トーンが上がるのですが、
実は、こうした大人の知恵は建設的なのですが、その徹底には時間がかかるわけです。それで、結局、ガラガラポンで、いっぺん医療崩壊させてリセットした方が良いというのが、実は僕の考えたあげくの(子供の)知恵なんですね。マスコミや国民に医療の必要性をよく知ってもらうのは、それしかないでしょう。

古いビルを修正して立て替えるより、壊して新しく作るのが良いだろうと思います。暴論ではないと思っています。

今朝の新聞を読んだら、「病気がよくならない」と逆恨みして実力行使に出た患者がいましたね。なんと70歳。正直言ってその年齢では、「治らないけどつきあっていける」程度にコントロールするしかない病気が多いと思うんですが。
裁判は嫌いですが、こんな目にあうよりは裁判の方がましです。

>PINEさま
A会員とB会員では会費もかなり違うし、確か賠償保険の金額も違ったと思います。産婦人科医は母性保護法指定医の関係で「医師会に入っているべきだ」となっているそうで、私も指定医をとったとき「個々に医師会にまだ入っていない医師がいるが、入っておくのが望ましい」と面と向かって言われ、一応B会員になっています。全く役に立ちませんが。

>それで、結局、ガラガラポンで、いっぺん医療崩壊させてリセットした方が良いというのが、実は僕の考えたあげくの(子供の)知恵なんですね。マスコミや国民に医療の必要性をよく知ってもらうのは、それしかないでしょう。

 こういう選択肢を現実的選択肢の一つとして認めざるを得ないところがこの問題の深刻さであるように思います。

 そしてその最大の原因は、司法の無能ではなく、政治の無能だというのが私の考えです。

 司法というより、個々の裁判官の能力不足があることは否定しません。
 能力不足というより、自分の判決により社会にどのような影響が出るのかという問題意識の欠落のほうが問題だと思っていますが。
 となりますと、社会的影響を正面から問題にするのは、司法というより政治の仕事だと思います。

患者さんが、病気が治らないのを医者の所為にするのと
医者が、医療崩壊を、法曹の所為にするのと、
両者は実に、相似してますよね。

政治が悪いって言ったって、政治に善悪はなく、あるのは力関係だけという気もしますしね。一番関わり合いたくないのが、政治なんですけど、今の医師会に変わる医政活動が出来る組織作りにはこれまた時間がかかりそう。

で、頭の中はグルグル廻ります。

(訂正)
No.10の弁護士さんの生涯学習に関する、発言は、実際を知らないので、触れるべきではなかったかも知れません。その点はスミマセンです。

こんばんは。
以前別のスレッドにコメントを書きましたが、実際訴訟が増えて医師が逃げ出したアメリカのフロリダでは医師を訴えることができなくなったそうです。
そこでどういう状態が起きたかというと、医師以外の医療従事者が訴えられているそうです。

病院や医療従事者を訴えることができなければ、日本の医療制度が問題だと国家を訴えたり、製薬会社を訴えたり、そういう違った方向の訴訟が増えるのかもしれないと思いますが、いかがでしょうか?

もちろん、逆恨みの犯罪も増える気がします。

そういう面では適切な判断が行なえる(わたしはいまの裁判はあきらかに患者よりだと思う)第三者機関をつくるのが一番だと思います。

魔人ドールさん
舞台が出来てます。頑張ってカキコしてください。

>PINEさん


裁判所と厚生労働省に対する「?」事項は、政治の問題だろうし、突き詰めれば、主権者たる国民が騒ぐ問題でしょう。
ま、そんなこと主権者たる国民には期待できないんで、座位さんがここで一生懸命に訴えかけているんでしょうけど。

一つの解としては、NPO団体の成熟でしょうね。つまり、ある程度の政治的影響力を持ち、組織内の見解を政策として政府に提案でき、社会に反映する能力を持つ組織の誕生を待たなければならないかと。日本医師会もそれができる団体の一つだと思っているんですけどね。


>座位さん

それで、結局、ガラガラポンで、いっぺん医療崩壊させてリセットした方が良いというのが、実は僕の考えたあげくの(子供の)知恵なんですね。マスコミや国民に医療の必要性をよく知ってもらうのは、それしかないでしょう。

ごもっともなご意見だとは思うのですが、制度作りに関して日本人が学んだ上でないと、ガラガラポンをしたところで同じような制度ができあがってしまうのではないかと思います。

制度作りに関して言えば、看護協会の取り組みは凄いですね。政策を変えられると、本気で思っているあたりが(色々な意味で)凄いです。

看護職者のための政策過程入門

以前、「司法は医療事故に関与しないで欲しい」と発言した者として、一言二言(もっとかな)。

No.9 PINE さんのコメント
>(No.9 PINE さん) 裁判所と厚生労働省に対する「?」事項は、政治の問題だろうし、突き詰めれば、主権者たる国民が騒ぐ問題でしょう。

医療問題に関しては、国民が実際に困るか、困るであろうと自覚しなければ何も変わりません。医療提供者が困っても「奉仕の精神」でスルーです。実際に、産科問題で国民が困りそうになってから、やっと医療裁判の問題も公に語られるようになってきました。

国民に困ってもらう(変な表現ですね)ためには「医療崩壊待望論」も一つの考えですが、司法が医療事故に関与しなくなることで国民に困ってもらい、それによって、より早期に新しい医療紛争処理システムを構築することができるのではないかと考えていました。

>(No.6 モトケンさん)憲法を改正して特別裁判所を設置して、そこで医療紛争を裁くということになれば、裁判官は喜んでその改正を支持すると思います。

という話に近いことも耳に入っていましたので、司法に協力してもらえないか(裁判所は科学上の議論は管轄外として請求を棄却してもらう)という考え方もありかと思いました。

しかし、ほんの数ヶ月で、こんな妄想を抱く必要がない程のスピードで医療崩壊が世間に浸透しています。浸透度はまだまだですが、今では真の医療改革への最短コースでしょう。

>(モトケンさん)非法的救済手段として真っ先に思い浮かび、かつ有効な手段は、暴力団を使うことです。

裁判が法的救済手段にならなければ、「別の法的救済手段を作れ」との国民の声が上がるのではないかと考えていました。

このコメントに関してもう一つ、
「医療裁判が無ければ暴力団が医療紛争に介入する、だから医療裁判があったほうが良い」という論は「グレーゾーン金利が無ければ闇金がはびこる、だからグレーゾーン金利が必要」という論と同じように思います。
(医療裁判を否定しているのではありません。ただ、論としてどうかと)


>No.17 しまさん
看護教育の一つに看護過程というものがあります。どんな業種の人でも無意識に行っている思考プロセスの事なのですが、それをわざわざ教育することは、私にとって未だに意味不明です(私が看護過程の本質を理解していないだけかもしれません)。そこからもじって「看護職者のための政策過程入門」と題したであろうことには苦笑してしまいます。

>モトケン先生
 本エントリーを拝読し、「何があっても絶望しない」という先生の姿勢というかご覚悟に対して、純粋に敬意を表します。

 その上で申し上げます。先生は

>裁判所における民事訴訟以外の紛争解決制度を考えることなしに「司法は医療事故に介入するな」ということは、医療側と患者側との揉め事が起こったときに、患者側の弁護士や裁判官を相手にするより、患者側の暴力団を相手にするほうがいい、というのと変わりありません。
> このブログで発言されている医療側の皆さんは、以上のようなことを前提問題として理解した上で発言されています。
> そして、基本的に他の人の発言に対して耳を傾けるという姿勢を持っておられます。
> そろそろこのブログの空気が読めてきてもいいのではないでしょうか。

とおっしゃっておられますが、このご見解には異論がございます。

 たとえば、医療崩壊について考え、語るエントリ(その10)において、元行政と名乗る人物は次のようにコメントしています。

>>思考実験として、裁判所が医療訴訟に関して受付を中止したら
>おかしな人権団体の連中が騒ぐぐらいで、後はいいことだけなのではないですか。産科医とか救急医とか戻ってきそうですし。
http://www.yabelab.net/blog/medical/2007/01/17-090609.php#c32408

 私はこのコメントを眼にしたとき愕然としました。問いかけにある「思考実験」の内容は単に「裁判所が医療訴訟の受付を中止する」であり、そこには当然「代替ADRの設置」や「無過失保障制度の整備」といった条件がございません。この問いかけに対して、この人物はなんの留保や条件もつけずに「いいことだけ」と述べています。そして、その後の議論においても元行政氏は「非法的解決を抑制しているのは司法ではなく警察である」などと論じています。つまり、「一時期は行政官として厚生・医療行政に携わった経験もある医師」と自ら触れ込んでいるこの人物は、

「医療行為に疑問や不審を抱いた患者や患者家族が、いざとなれば警察沙汰に発展し自らが犯罪者になってしまう覚悟で医者と相対交渉に臨まざるを得ないか、その覚悟ができなければ泣き寝入るほかない社会制度のほうが、我々医者にとって都合がいい」

と広言しているわけです。

 私は、この発言のあまりの身勝手さに言葉をなくすとともに、たとえ短いものであってもこのような人物との対話に時間を費やしたことに激しい後悔の念を抱きました。そして、「もうこのような人物と二度と対話などするまい」と固く誓うとともに、このままこの人物とのやりとりが過去ログの中に埋もれてしまうことのみをひたすら願い続けました。

しかし、この人物はエントリ「おすすめコメント大募集」において、あろうことか私のコメントを引用しながら「第三者機関」について言及してきました。私は、「たとえ医療過誤の被害を蒙っても、患者はただ泣き寝入っていればよいのだ」というような了見の持ち主が提唱する「医師主体の医事紛争処理機関」を心底おぞましく感じるとともに、このような人物に私のコメントが利用されていることにこの上ない嫌悪感を抱きました。私が二度にわたり「私のコメントをすべて削除してもらいたい」と願ったのは、この出来事があったからです。
 
 「このブログで発言されている医療側の皆さん」が、必ずしも「以上のようなことを前提問題として理解した上で発言されてい」るとは限らない、むしろ上記の人物のように、さんざん訴訟に代替する医事紛争処理システムの必要性や実現可能性の高そうな制度枠組みについて他人に語らせておきながら、「医師に不満を抱く者は暴力団に頼らせるか自ら病院に殴りこませるかして、警察力を以って犯罪者として目の前から排除するか、さもなくばただ黙って泣き寝入らせておけばよいのだ」と言わんばかりの見解を平然と口にする者も間違いなく存在しているのです。

 そして残念ながらこの人物と私との対話がまったくの無駄に終わったように、ここに集う医師たちと先生との対話も多くの実りを残すことはないでしょう。結局、彼らの「理系特有の卓越した思考力」なり「全体(時空)鳥瞰能力」とはこの程度のものです。私たちは彼らに多くを期待することなく、粛々と現行制度に基づいて医師の過失を裁いて行くほかないのではないでしょうか。泥臭く、地道に制度改良を重ねながら。

>元ライダーさん
無意識に行っていることを、意識的に学習させる事自体は意味があると思います。それはそれとして、政策過程という用語は存在していると思います。


>an_accused さん
思想信条の自由は権利として誰にでも与えられているかと思います。従って、元行政さんがどのような見解を主張しようとも、それ自体に対しては批判できないと思いますが、いかがでしょうか。見解には見解でもって対抗するべきかと思います。

先の元行政さんのコメントを私なりに解釈するのであれば、医事紛争において「司法は紛争解決の役に立たない」と言う実感を持っているのが現場での元行政さんの印象なのでしょうから、その点に関する法曹関係者の反論を読んでみたく思います。

司法を間に通してスムーズに行くものなのか、行かないものなのか。スムーズに行かないというのであれば、元行政さんが「後はいいことだけなのではないですか。産科医とか救急医とか戻ってきそうですし」と言う感想を抱くのも無理はないかと思います。


ところで、紛争解決に司法が役立たないと言うのであれば、医師の時間外労働問題や、過労死問題の紛争解決に関しても、司法に助けを求めるべきではないかと考えます。

女性研修医の過労自殺、労基署が労災認定…日大付属病院
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070417i301.htm?from=main3

司法に助けを求めても無理というか、もう頼ってる時間はないというのは正しいと思います。司法に頼る必要のない働き方をするしかないか。と

>元ライダー様

看護教育の一つに看護過程というものがあります。どんな業種の人でも無意識に行っている思考プロセスの事なのですが、それをわざわざ教育することは、私にとって未だに意味不明です。

 要するに「脊髄反射」で物事を行うことを戒めるのが看護過程の考え方だと思います。手順を踏んだ思考方法を初学者に教えるには非常に良い方法だと思います。看護師も医師と同様、基本的に見落とし・ミスが許されない職種ですので、指導方法としては有効だと思います。日本の医師教育法はもともとドイツのギルド式に端を発するものですので、我々にはなじみのないものですが、アメリカ式教育に由来するのが看護教育ですので、この辺に文化の違いがあるのだと思います。

また

「医療裁判が無ければ暴力団が医療紛争に介入する、だから医療裁判があったほうが良い」という論は「グレーゾーン金利が無ければ闇金がはびこる、だからグレーゾーン金利が必要」という論と同じように思います。

 これはちょっと違うような・・・。元ライダー様のおっしゃってるのは「必要悪」論ですよね?モトケン様がおっしゃっているのは「法のしばりを無くしたところには無法がまかり通る」と言うことで、必要悪論とは論じている次元が違うと思います。医療裁判が法と離れたところにあるとおっしゃりはしないでしょうし、グレーゾーン金利や闇金が法の枠内にあるとはおっしゃいませんよね?この論を持ち出すことは議論のすれ違いの原因になると思いますので避けた方がよろしいと思います。

>KKさま

その事件を「司法の無力」論につなげるのはちょっと抵抗を感じるのですが・・・。
第一義的としてまず病院の労働管理の問題、次が行政ではないのですか?

>しま様

ところで、紛争解決に司法が役立たないと言うのであれば、医師の時間外労働問題や、過労死問題の紛争解決に関しても、司法に助けを求めるべきではないかと考えます。

 おっしゃりたい本意は分かるのですが、ちょっと極論ですね(^ ^;。労働法については法の専門家の扱う範疇を超えることはないでしょうし、医療紛争については法の専門家が「理解しにくい・し得ない」部分があるからこの問題が生じてるのだと思いますが・・・。

 で、私の私見としては司法が医事紛争に役立たないとは考えません。例えば仮に第三者機関を設けるにせよ司法の介入は「絶対必要」であると思いますし、それ無しでは医療紛争解決が上手く行くことはないでしょう。

 大きな問題は現在の医療裁判のやり方であるというのが私の考えです。LMnetの方で法学部の学生さんと論じたことがあるのでそれを引用します。

刑法学を学ぶ者として医師の皆さんに教えて頂きたいことがあります。

たとえば業務上過失致死傷罪の事例では、過失(結果予見可能性と結果回避義務違反)の有無や程度は、(主として)法廷に提出された証拠の評価により決定する事実認定の問題であり、実際に証拠に接していない者(たとえば私)がその当否については判断すべきでないと考えています。したがって、刑事事件の事例(判例)検討ということであれば、判決の法的理論の妥当性を検討にするにつきると思うのですが、やはり、実際医療の現場におられる方々にとって、このようなアプローチは意味をもたないのでしょうか。
*********************************
僻地外科医の回答


 本質的にはおっしゃるとおり「実際に証拠に接したもの」が当否を論じるべきなのでしょう。ですが、残念なことに我々にはその機会が与えられていません。そして、ここで問題なのはさらに残念なことに司法家の方々が必ずしも「証拠としてあげられた事象の科学的整合性」について検証する能力を持たれていないことです。

 現状で司法家の方々が出来るのは「証拠としてあげられた事象を各証人が解釈したもの」の論理的整合性を判断することだけだと思います。結局のところ、司法家の方々も「直接証拠に接しているわけではない」といえます。

 よくYUNYUN様がおっしゃっていることですが


医師の大半がおかしいと思うというほど明白な内容が、なぜ法廷の場で立証できないのか。
原告側から、明らかに医学的に成り立ち得ないトンデモ意見書が出された場合であっても、なぜ被告側医師や裁判所鑑定人において、それをきちんと論破できないのか?

 私はこの原因が現状の裁判の「弁論主義」によるものではないかと思ってるのですが、、、、(司法の方に異論があるのは以前の議論で出てきてますが、あえて再掲)。証拠に関して専門家が直接接し、その解釈について専門家同士で討論(つまり、現状のように弁護士(検事)を介した間接的討論ではなく)した場合、明らかにおかしいものは論破される可能性が高いと思います。その意味で東京地裁で行っているディスカッション方式は不完全とは言え解決策の一端だと思います。

 もう一つの問題は医療の社会的限界についてもう少し論じられるべきではないかと言うことです。私はこの点にはかなり不満があります。
「医療に地域格差があること、金銭的・人員的限界があること」は自明の事実なのですが、「地域格差があってはならない。人命は地球より重い」という妄想が世間にはびこっているのが大きな問題ではないかと思います。事実は「医療の地域格差はやむを得ないものである。文句があるならアフリカの発展途上国で暮らしてみろ。」「人命は時として1片のパンよりも軽い」これが事実だと思います(これも極論は承知の上であえて)。医療の金銭的・人員的限界について、医療者側もあるいは政府ももっと論じ宣伝すべきだと思っています。いままでは医療者側も良いかっこをしすぎていた部分があると思います。

みみみ様
>ところで、紛争解決に司法が役立たないと言うのであれば、医師の時間外労働問題や、過労死問題の紛争解決に関しても、司法に助けを求めるべきではないかと考えます。

当方のコメントはこのしま様の一文についての流れとして申し上げたものですので、つぶやき程度に流していただければと思います。どちらかといえば医師向けに「何だかんだ行ってる間に自分の身を自分で守るよう理論武装をしないと…患者の事に構ってる間に自分がつぶれてどうするんだ」とそんな感じの単なる感情論です。

私にとっては、司法はどのような場合でも、なくてはならず、裁判を放棄すると闇になってしまいます。

トンデモ判決の存在は、認めます。私は、現憲法においても、医療専門裁判に関するシステムを構築することが可能であると思うのです。知財高裁のような制度です。判決も個人情報を除き、公開し、現状の医療技術においての医療サービスは、民事責任を問われないためには、どこまでが必要かを医療側と患者側が裁判所と弁護士の協力を得て作っていくことが必要であると思うのです。

私は医療事故である・ない
の例がまずできないものか、と思います。

この医療事故のラインが
医療・患者・司法の中で大きく異なっていることが大きな問題だと思います。
そのガイドラインに沿って明らかに医療事故で無い、
と言うラインならそもそも受けつけない。
そういう司法の介入に対する制限と言う形は出来ないものでしょうか。

多くの裁判では判例が重視されると思いますがそこに医療側としての見解が必要だと思います。
結局の所、裁判官も医療分野は未知数な人が多く、現在は手探りで判断している人も多いでしょうからそういう助けが必要なひとは多いと思うでしょうがどうでしょうか。


> そして、非法的救済手段として真っ先に思い浮かび、
> かつ有効な手段は、暴力団を使うことです。

あまり関係は無いのですが遺族はお金を求めているんでしょうか?
(これは皮肉ではなく単に関係者ではないので判らないからです)
やっぱり金がひたすら欲しい人も多いのでしょうか。
私の推測ですが遺族はお金が欲しいのではなく、その人が無価値である、と思われるのがいやでその価値をお金に換算して求めているのではないかと思います。
その人が非合法なお金も金は金、と思えるのならどんな手段でも使うでしょうが、遺族はその価値を周りに認めて欲しい気持ちが強いのではないでしょうか。
そういう人は世間に公言できない金をもらったところで意味がないような気がします。

夢かもしれませんが、そういった遺族の気持ちを癒すうまい方法があるならこうした問題はもっと減るかもしれませんね。
死生観とか人生観とかの分野になるのでしょうか。

No.28 mastacos さん

 2006年4月に茨城県医師会主導で茨城県医療問題中立処理委員会が発足しました。委員は、弁護士会推薦の弁護士3人、学識経験者2人(大学教授1人、新聞社社長1人)、市民代表2人、医師会から3人で計10人です。2007年2月19日現在、合計14件の申し立てがあり、その紛争処理経過報告が4月号のASAHI Medicalに掲載されています。継続中のものが5件、双方合意が1件、取り下げが2件、病院側拒否が1件、打ち切りが5件でした。打ち切り案件の5件の理由ですが、金額面で折り合いがつかなかったのが3件、患者側が一方的に賠償を求めるだけであったためだったのが1件、病院側が全く責任を認めなかった例が1件でした。筆者の総括では、「事例のほとんどがアクシデントが生じて数年を経過してしまって、当事者間で既に埋められない感情のもつれがあり、賠償額にこだわりがあるものがほとんどであった」とあり、今後の対応への教訓点を挙げられていました。

mastacos さんのおっしゃられるように、感情のもつれの一つの解決点としてのお金の問題があるのでしょうか?個人的には、復讐心に代表される負の心理的作用が訴訟への一番の原動力だと思います。病院側から勝ち取る賠償金の額に比例して、病院側を罰することができるという心理が、原告側にあるように思えてなりません。

> ガイドラインに沿って明らかに医療事故で無い、
> と言うラインならそもそも受けつけない。
> そういう司法の介入に対する制限と言う形は出来ないものでしょうか(No.28 mastacos さま)

ガイドラインでも教科書でも医師の鑑定意見でもよいのですが、ある種の医学的判断基準を立てたとして、
その上で、誰かが、「基準に照らして、本件は医療事故であるのか無いのか」の判断をしなければなりません。
その判断を、現在は司法がしています。
基準に照らして、医療事故に当たらないと裁判所が判断すれば、原告の請求は棄却されます。

治療ガイドラインを立てること自体は、学会でも医師会でも、権威のある医師の集団が行えば、裁判所はその見解を尊重するでしょう。
しかし、一般的なガイドラインだけで済まないのが、生身の身体を扱う医療のむずかしさです。
医療訴訟はあくまで個々のケースについて過失があるか否かの判断ですから、ガイドラインの位置づけとしては、一応の推定に過ぎないということになると思います。
もっとも、推定といえども、訴訟においては有利不利が生じることは明かですから、
そのような一般的ガイドラインが一人歩きして不利な状況に追い込まれることを恐れて、現段階ではむしろ医療者側でガイドラインを出すことを控えているのではないかという印象があります。

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> 遺族はお金を求めているんでしょうか?

お金が欲しいという人もいますし(年寄りの年金を当てに一家が生活していた場合など)、
復讐したいという人もいます。自分が不幸になったのだから、関わった人も皆もろともに不幸に堕ちるべきだと。
経済的な要求は合理的であり金銭で解決できますが、感情的なこじれは理不尽で解決方法がないだけに、やっかいです。

> 遺族はその価値を周りに認めて欲しい気持ちが強いのではないでしょうか

私見ですが、それはやや疑問。
ある人の命の現在価値がいくらですか、という問題は訴訟上は既に解決済みでして、
よほど特殊な要因がない限り、あなたも私も値段は今すぐにでも付けられます。
普通、周囲は司法が付ける値段を争ったりしませんので、存在価値を認めさせようという要求は一般的でないように感じます。

> 世間に公言できない金

日本では紛争解決の正規の方法は司法ルートですが、そうではなく、村の有力者が力関係に基づき独自に裁定したり、暴力団の示談屋を頼んで話をつけさせたりといった、イレギュラーな解決方法も、残念ながらかなりの数で行われているので、
社会全体としては、そういうことに対する「引け目」感は、薄いのではないかと思われます。

> 遺族の気持ちを癒すうまい方法があるならこうした問題はもっと減るかもしれませんね

それは必要なことと思います。
身内の死を運命として受け容れさせ、無意味な復讐欲求を捨てさせることができれば、医療紛争の何割かは減ることでしょう。

暴力団がでてくるのなら顔の聞く議員さんか有力者につないでもらって
解決しちゃったほうが、たとえ同じ金額を払うことになっても新聞にのったり
刑事で逮捕されて全国に報道されたりして社会的制裁を受けない分
ましかなぁなんて思っちゃうほど、すでに心は壊れています。

考えるまでもなく戦うより逃散することをえらんでしまいましたし。

こんにちは、僻地外科医さん。整形Aです。

>医師の大半がおかしいと思うというほど明白な内容が、なぜ法廷の場で立証できないのか。
>原告側から、明らかに医学的に成り立ち得ないトンデモ意見書が出された場合であっても、なぜ被告側医師や裁判所鑑定人において、それをきちんと論破できないのか?

整形外科の学会で発行するニュース紙には医事紛争に関する連載があります。その最新号からの紹介です。

事件の概要です。
ある日の未明、Aはガラスコップを持ったまま転倒、コップが割れて右手に切創をおい、救急病院Cを受診。医師は切創のある1、3指に対し創傷処置を行なう。
翌日AはD病院を受診し、その後そこで抜糸まで処置を受けた。
9年後、Aは2指に違和感を感じH病院を受診し、X線を撮ったところ、ガラス片が発見され、K病院を紹介され摘出手術を受けた。

患者は原告となり、C,D病院に対し、休業補償、慰謝料などの支払を請求した。C,D病院ではX線は撮っていなかった。

患者側の主張は、ガラスで怪我したのだからガラス片の有無の確認のため、X線を撮るべきであった。医師の注意義務違反にあたる、というものです。

それに対し医療側の反論は、初診時に2指には大きな傷はなく、ガラス片は最初の受傷時ではなく、その後の9年間の間に入ったものだ。
また、異物の存在を疑わせる事情がないときにX線を撮ると、保険審査で過剰診療を指摘されるので撮らなかった、というものでした。

判決は、休業補償などの一部は認められなかったものの原告勝訴でした。

これを読んで僕が思うのは、医療側の反論の稚拙さです。
「ガラス片は9年間の間に入ったものだ」「レセプトで過剰診療といわれるから撮らなかった」なんて、どう贔屓目に見ても反論になっていない。
こんなんじゃ負けちゃうのも無理がないと思います。

ではどう反論すればよかったのでしょうか。

僕が思うに、医療というのは、最初からベストの治療が受けられるわけではない。
特に救急医療の場合、その時の医師の判断で優先順位が決められ、場合によっては患者も何らかの不利益をこうむる可能性のある医療であることを、認識すべきだと思います。

X線をいつ撮るかはその時の担当医が、自分のところの救急体制、患者の症状、訴えなどから総合的に判断すべきことです。未明の救急受診時に必ず撮らなければならないわけではありません。
再診時でもいいし、特段の訴えがなければ撮らなくてもいいと思います。

Aさんは、救急時の受診でしたので、優先順位としては創傷の縫合が1番であり、X線撮影はその日にとらなくてもなんら問題ない。しかもその後その病院を受診していないのですから、仮に撮ろうと思ったって撮れる訳もありません。
問題がありそうなのは、2番目に受診した病院でしょうね。

最初の病院で撮っていなかったのなら、X線を撮っていたほうがよかったかもしれない。もっともこの辺は患者の訴え次第だと思います。
縫合するほどの大きな傷がなかった2指について、患者が何か訴えていたのならば、撮るべきだったと思いますが、訴えがなかったのなら、必ずしもそうともいえない。

そもそも9年前の患者のカルテやX線写真自体があるかどうかも疑問ですよね。
保存義務の期間はとうに過ぎています。
9年前のことについては、わからないし、わからなくてもいい、と法律で決まっているんじゃ?

まあ、こんなまっとうな(?)主張ができない、あるいは主張しても裁判所は理解してくれないと思うから、逆にトンデモ反論をするんでしょうかねー。

>(No.23 僻地外科医 さん)この論を持ち出すことは議論のすれ違いの原因になると思いますので避けた方がよろしいと思います。

モヤモヤ感は残りますが、忠告に従ったほうが良いのかな。でも一点だけ、

>法のしばりを無くしたところには無法がまかり通る

そうなった場合、「だから法で縛ったほうが良い」ではなく、無法を許さないことが先なのでは?そういう意味での比較なのですが。

>(No.30 YUNYUN さん)しかし、一般的なガイドラインだけで済まないのが、生身の身体を扱う医療のむずかしさです。

そういう分野であることこそ、専門家の裁量を最大限尊重すべき理由になると思いますが、今では「医師の裁量」なんて言葉(もはや死語?)を言うと、かえって叩かれてしまいます。「勝手」と「裁量」がごちゃ混ぜになってるような。

>元ライダー様

>そうなった場合、「だから法で縛ったほうが良い」ではなく、無法を許さないことが先なのでは?そういう意味での比較なのですが。

 無法を許さないためには法で縛ることが必要では?無法を許さないためには無法に対して何らかの対抗策が必要になります。
 この場合の方法として、
1.法で縛る。
2.法の範囲外で対抗する(無法で返す)。
3.倫理的規制で返す。
の3種類の選択になりますが、無法に対し無法で返すのは近代社会の論理ではないですし、倫理的規制には有効性がありません。法の必要性はそこにあるのではないでしょうか?

No.19 an_accused さん

>たとえ医療過誤の被害を蒙っても、患者はただ泣き寝入っていればよいのだ

何と言うか曲解しすぎです。もちろん別の救済手段がある方が社会にとっていいに決まっているでしょう。それについて言明しなかったから、そんなことどうでもいいと考えているなどと思う方もどうかしていると思います。(私のコメントは、しまさんが実力行使のことを考えていると感じたので、先回りして強く否定しようとしての表現です。医療側が実力行使で損をするという話に対して、損などないと強調したまでです。前後の遣り取りを読んでもらえば、私の裁判に対するスタンスもわかってもらえるはずです)

裁判がなければ実力行使で、医療機関が困るという話に対しては、それは現実的でないとの考えに変わりはありません。(モトケンさんの意見には同意するところがほとんどなのですが、今回のこの一点だけは反対です)ほとんどは単に患者側が泣き寝入りするだけで、トンデモ裁判にかけられる程の被害はないでしょう。
暴力団を雇って犯罪行為をおこなわせるコストは、ほとんどの人間にとって現実的ではないでしょう。借金の返済などとは質が違います。
(裁判所がなければ、警察もないという話なら違ってきますが)

この思考実験は、きっとこんなことが起こると思うとか、増えると思うとかくらいの話になって、説得力のある明確な根拠を誰もだせないものだと思います。

名指しでエントリを立てて頂きちょっとビックリですが。

 まず『医療側が「問題はない。」と言ったとしても、患者側が「問題がある。」と言えば、そこには問題が存在するのです。』これは分かります。しかし「問題が存在する」ことと「訴訟沙汰に巻き込む」は雲泥の違いです。

 それは要するに、「イチャモンをつけるのは自由」とゆう意味でしょう。何の問題もない医療行為でも、患者や弁護士とゆう医療の素人が、いかなる憶測に基づいてか「問題がある」とゆうレッテルを貼って訴訟を起こせば、医師は、好むと好まざるとにかかわらずお白州に引っ張り出されるわけです。そして、看護学生程度の知識もない(ジンタイとサイタイの区別も付かない!)素人に一から医学のレクチャーをさせられるとゆう不毛な労苦を強いられた末に、トンデモ判決で罪人にされる。別に、トンデモ判決の割合が100%でも80%でも50%でもいいんですよ。要するに、医学の素人である患者と弁護士さえ主観的に「問題がある」と思い込めば、医師は強制的にロシアンルーレットに参加させられる(しかも、死ぬ可能性があるのは医療側だけ!)とゆうことであって、そんな状況でモチベーションを維持せよとゆう方が間違っている。この現状を改善するには、司法が銃口を突きつけるようなマネを止める以外、方法が思いつきません。

 それから、「法的救済を受けられない患者側は、暴力団等の非合法的手段で解決しようとする」とゆうのは、いくらなんでも論理の飛躍とゆうか、風が吹けば桶屋が儲かる、に近いのではないですか。法的救済が受けられないといっても、そんな直接的、暴力的手段を取る人は多くはないです。大体、トンデモ判決でいじめられている医師は正に「泣き寝入り」を強いられていますが、誰も暴力的手段に訴えていないでしょう。

 そのうえ「司法が医療事故に介入しないこと」によって「暴力団が医療事故に介入すること」が正当化されることはないです。つまり、万が一、本当に暴力団が介入してきたら、それは警察の出番であり、彼らに検挙させればよろしい。秩序を守るはただ司法のみにあらず。

 モトケンさんに限らず、法律家の考え方、判決に欠落しているのは、社会全体を見渡す視野の広さだと思います。目先の勝ち負けに固執するあまり、自分たちの行動が社会全体に与える影響の大きさを想像できていない。仮に司法が医療問題について正しく判定できる確率を、大甘に見積もって10%だとしましょう。司法が医療問題の判断に踏み込んだとき、10%の確率で原告1人の利益は守られるかも知れないが、90%の確率で将来の医療行為が不当にも制約され、原告以外の患者の利益、つまり社会全体の利益が害されるのであって、両者を天秤にかけること自体がアホみたいです。このことに対する「畏れ」と、専門領域における高度な判断に単純に白黒つけることへの「畏れ」。その両方が決定的に欠落しているのが現在の医療訴訟だと言ってよいです。

No.6 モトケンさん

行政官僚は、縄張り意識が強く、少しでも自分たちの権限、既得権益を拡大しようと、他の省庁や民間を蹴落とし踏みつけてでも、仕事とゆうか、管轄分野、守備範囲を増やしているわけでしょう。官僚の一員たる裁判官のみが、そうした意識から自由だと主張されるのは何故ですか? 「彼らは清廉潔白だから」なんて冗談は無しですよw 

あと、「裁判する能力がないんですよなんて言えるわけがない」とゆうのも不思議でして、たしかにメンツは潰れるだろうけど、現に能力がないのだから能力がないと認めるべきなのではないですか。医師が、できもしない手術をできるなどと安請け合いしたら、途端に司法から集中砲火を浴びるでしょうに。なぜ裁判官だけは、そういう虚勢を張ることが許されると考えるのですか?

No.19 an_accused さん

 元行政先生の御指摘を曲解するのは止めましょう。

 元行政先生は、日本における現在の司法のレヴェルを前提にして、「裁判所は、トンデモ判決を乱発する位なら、受付を中止した方がマシなのではないか」と仰っていると考えます。当然のことであり、全く同感です。

 「患者が泣き寝入るほかない社会制度のほうが、我々医者にとって都合がいい」とゆうのも、貴方らしい悪意に満ちた曲解ですね。まず、「泣き寝入る」とゆうのは、本来であれば救済されるべきなのに救済されない、とゆうことですが、医療過誤の被害に遭ったと言い張っている人々の何パーセントが「本来であれば救済されるべき」人なのか、そこを見ていない。そして、そのほんの数パーセントの人についても、そのほとんど全てのケースで、医療側が司法に命令されるまでもなく適切な額の補償をしていることを意図的に無視している。さらに、元行政先生としては「医者にとって」都合がいいのではなく、「社会にとって」有益であるとゆう意味で書かれたことが明確なのに、これまた意地悪くねじ曲げている。

 言うなれば、「自称医療過誤被害者の恫喝を助けて医師を弾圧、搾取し、善良な医師がなしうる医療行為の範囲を著しく狭め、その結果、患者全体、ひいては国民全体の医療を受ける権利を大きく害することになる現在の裁判制度を盲目的に維持するより、そのような恫喝を許さず、医師が安心して医療に励めるように、ひとまず司法が医療への不当介入を止める社会制度の方が、国民全体にとって都合がいい」とゆうことであり、これはほとんど自明です。繰り返し言っているように、いつの日か司法が医療の本質を理解できるようになり、トンデモ判決のおそれがなくなったと言えれば、そのときは司法が医療行為について判断することも認めていいですよ。

No.32の整形Aさんのコメント
>まあ、こんなまっとうな(?)主張ができない、あるいは主張しても裁判所は理解してくれないと思うから、逆にトンデモ反論をするんでしょうかねー。

被告にも弁護士が代理人としてついていたでしょう。
通常、弁護士である被告代理人は、「主張しても裁判所は理解してくれない」なんて思って応訴しませんから、反証するのに必要な証拠(カルテとか当時の医師の事情説明とか)がないので已む無く主張したのか、本気で「この主張でいける!」と信じて主張したのか、どちらかだと思います。

 何人かの方から、私の意見が「建設的でない」と指摘されました。

 「できないことはするな」とゆうのは極めてシンプルな方法であり、こんな簡単な方法が何故とれないのか、何故建設的でないと批判されるのか正直言ってよく分かりませんが、それなら「建設的」な案を出しましょう。

 司法による恫喝で現場の医師が著しく萎縮し、逃散が進んでいる現状を前提にすると、この恫喝をストップするには、訴訟そのものを起こしにくくするか、訴訟沙汰にされたときの負担を少なくすることが有効と考えられます。

 以前言いましたが、医療過誤があったと攻撃する側はたとえ負けても何の痛痒もないのに対し、医療側は負けると一瞬にして巨額の負債を負わされ、犯罪者の汚名も着せられるとゆう、極めて非対称的な状況にあります。ロシアンルーレットを強要される上に、仮に弾が出なくとも、強要した側は何のペナルティも受けないとゆう異常な状況です。そこで、医療訴訟の原告が負けた場合、請求額と同じ額の罰金を、病院側ないし国に払うとゆうシステムにしたらどうかと思います。本当に医療過誤があるなら罰金を払わされる危険はないのだから、「本当の医療過誤被害者」の権利が制約されることはありませんし、エセ被害者の恫喝も防げます。同時に、提訴時に医療過誤があったかのような新聞記事が出ることが多いですから(自称医療過誤被害者が記者会見などして宣伝した結果でしょう)、原告が敗訴した場合は「私は不当にも○○病院を訴えて無用な負担を強いた上、名誉も毀損しました。ここにお詫びして謝罪します。」とゆう新聞広告を出すこともルール化すべきです。

 また、医療過誤だと病院を攻撃したのに結局敗訴した弁護士や、トンデモ判決で不当に勝訴した弁護士に対するペナルティも有効です。医師が弁護士の主張が医学的に正確だったかどうかをチェックして、不正確だった場合に億単位の罰金を納めさせる、その免許を剥奪ないし停止するとゆう制度を創設すべきです。これまた、ちゃんとした弁護士活動をしていれば危険はないのだから、「本当に誠実な弁護士」は心配する必要がありません。この制度を創設するなら、協力する医師は出るでしょう。

 さらに、医療訴訟を提起するとゆうことは、医師を「被告」の立場に無理矢理に置いて、その反論とか証言に必要な期間、医師の行動を制約するとゆうことを意味します。その間、医師は仕事ができず、患者が困るわけですから、裁判が続いている間、原告が代理の医師を探してその賃金を負担し、被告病院に派遣することにするか、それが無理であれば、少なくとも被告医師が拘束されたことによる仕事量の減少を人日単位で算出し、それに相当する賃金を原告が補償すべきです。

 以上の点を法律で決めるか、司法が自主的に決めるか、医療契約の内容として取り決めるかすれば、ある程度はマシな状況になると思います。

 しかし、いずれにしても簡単ではないように思える。こんな迂遠なことを考えなくても、単に「司法は医療に介入しません、判断能力がありません」と白旗あげるのがいちばん簡明でしょうに。

 私は別に、司法の意義を全面的に否定しているわけではないんですよ。司法が作用しないと紛争の多くが解決しない局面では、どうぞ介入して下さい。一般の営利企業では、金儲けを追求するあまり、いい加減な手抜きの仕事をしたり、本当は責任があるのに賠償に応じないところもあるだろうから、会社相手の裁判ならやったらいいと思いますよ。でもね、医師は金じゃなくて患者の生命と健康のために仕事をするんです。対価は国が決めてます。医師は、基本的には理性的な科学者であり、賠償すべきケースでは自発的に適切な額の賠償をしてます。そもそも司法が介入する必要が極めて乏しい分野なのであって、「司法が介入しないと正義が保たれない」とゆうのは、控えめに言えば肩に力が入りすぎ、はっきり言えば法律家の驕り、傲慢ですよ。


>(裁判所がなければ、警察もないという話なら違ってきますが)

 これは刑事編で述べるべき内容ですが、話が違ってくる可能性があります。
 近代法秩序は、法的権利保護手段(訴訟等)を保障する反面として当事者の自力救済を原則として禁じているのです。
 となると、法的権利保護手段を封じられた者に対しては自力救済を認めなければならなくなります。
 民事上の自力救済を認めれば、刑事上の自救行為も容認されることになりそうです。
 そうなると、患者側または患者側から依頼を受けた暴力団が力ずくで賠償金名目で医療側から金を取ったとしても、刑事責任を問われないことになります。
 刑事責任を問われない行為について警察が動くことはありません。

 もちろん、以上は医療事故に対する司法介入を認めないことを徹底した場合において、裁判にかわる患者側の救済手段がないことが前提の非現実的なシミュレーションです。

 逆に言えば、裁判に代わる患者側救済制度を整備しないで、医療事故に対する司法介入を否定する考えというものが非現実的であることを示しているわけです。

No.32で整形Aさんが紹介された9年前のガラス片の例、すごいですね。論破とか以前の問題で、こんな事例で敗訴になるような世の中で、医療がマトモに出来るわけがないですね。これこれこういう風に弁論していたら勝てたとか、そんな次元の問題ではないのではないかと。

ただ、藤山雅行さんを何とかしてくださいなんて言っていた僕ですが、裁判官は多少差こそあれ「法的には」そんなにおかしな判断をしているはずは無いと思うようになりました。今後もこのガラス片訴訟のような、これで医療が負けるようでは医療は出来ないと思われる例に対して、「法的に正しい判断」で医療側敗訴をどんどん出せば良いのではないでしょうか。

自分は、とにかく医療裁判に巻き込まれないことを、これまで私をお守りくださった菅原道真様にひたすら祈りながら、体制が変化するのをじっと待ち続けるしかないかと。

魔人ドールさんの法に対する無理解は、多くの法曹の医療に対する無理解と大差ないと思うと、僕は魔人ドールさんを責める気にはなれないなぁ(ボソッ)

> 近代法秩序は、法的権利保護手段(訴訟等)を保障する反面として当事者の自力救済を原則として禁じているのです。
> となると、法的権利保護手段を封じられた者に対しては自力救済を認めなければならなくなります。

契約期間を勘違いして火災保険が切れていた自宅を、もらい火で
全焼させてしまった持ち主が、軽過失の火元から暴力団を使って
金品をゆすり取る行為が正当化されるわけではないので、いくら非現実
的な前提を元にしているにしても議論として意味がなさ過ぎるように
思うのですが、いかがでしょうか。

それとも手続法や運用での門前払いがまずいのだという話であれば、
「民法第七百九条 ノ規定ハ医療ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ医療者ニ
重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス」
という実定法はありということでしょうか。

>整形A先生

 う〜ん・・・、この事例9年経ってからってのがちょっとあんまりで、その意味では

そもそも9年前の患者のカルテやX線写真自体があるかどうかも疑問ですよね。
保存義務の期間はとうに過ぎています。
9年前のことについては、わからないし、わからなくてもいい、と法律で決まっているんじゃ?

この点については先生のおっしゃるとおりだと思います。

ただ、
>Aさんは、救急時の受診でしたので、優先順位としては創傷の縫合が1番であり、

 ここについてはやはりちょっと異論があります。縫合は創傷処置の1手段に過ぎませんし、異物を中の閉じこめたままの縫合は膿瘍形成の可能性という意味でも問題があります。例えば同じ創傷でも咬創、特に猫の咬創を先生は縫合しませんよね?異物の存在が疑われるケースでX−Pによる確認もせずに縫合してしまったことに初診医の明らかな過失はあると思います。たまたま膿瘍が出来なかっただけで、例えばこれが縫合したために蜂窩織炎から手指切断などという状況になれば言い訳できなかったでしょう。

 私の経験事例でも当直の内科医がガラスが割れたことによる腕の切創を独断で縫合し、翌日X−Pを取ってみたら上腕動脈近くに巨大なガラス片があり、あわててガラス片を圧迫しないように固定し、救急車で整形外科+血管外科のある病院へつれて行ったことがあります(当時はど僻地にいたので・・・)。この事例もまかり間違って橈骨神経や筋皮神経を切断していたら・・・と思うと他人事ながら冷や冷やしました。

 この意味で「9年経っていた」「膿瘍や蜂窩織炎ではなく違和感のみが症状であった」という点を除けば、敗訴はやむを得ないかなと思います。

>元行政さん

ほとんどは単に患者側が泣き寝入りするだけで、トンデモ裁判にかけられる程の被害はないでしょう。
暴力団を雇って犯罪行為をおこなわせるコストは、ほとんどの人間にとって現実的ではないでしょう。借金の返済などとは質が違います。

徒党を組んで、患者側・遺族側自ら犯罪行為を行うと言うのであれば、低コストで済むと考えます。また、犯罪行為を行わなかったとしても、100人くらいの人間を集めて、一斉に病院に乗り込むという手は、他に手段がないのであれば有効だとは思います。


>僻地外科医さん

労働法については法の専門家の扱う範疇を超えることはないでしょうし、医療紛争については法の専門家が「理解しにくい・し得ない」部分があるからこの問題が生じてるのだと思いますが・・・

法の専門家は、医事法については詳しいかも知れませんが、医療に関しては理解しにくい面があると思います。となれば、法の専門家は労働法については詳しいかも知れませんが、労働問題に関しては詳しくないのではないかというの出発点です。


裁判所が医療に関しての知識不足のために、医療紛争を解決する能力がないのであれば、労働紛争に関しても全く同じ事が言えるのではないかと思ったのが、先の書き込みの意図の一つであります。

>No.37 魔人ドールさん

 裁判官は官僚ではありません。
 行政と司法は本質的に違います。

 一例をあげましょう。
 民事の裁判官は、当事者に和解を勧めることが多いのです。
 和解というのは判決という権力作用ではなく、当事者同士の合意です。
 裁判上の和解における裁判所の役割は当事者同士の和解を公証するに過ぎません。

 民事裁判官は自らの権力の行使より、当事者が和解することを望んでいるのです。
 それは何故かと言いますと、和解のほうが裁判官としての仕事が減るからです。
 判決を書かなくて済みますから。

 また、和解のほうが紛争の最終的解決が速やかに、かつより好ましい形でできることも大きな理由の一つです。
 判決というのは白黒をつける一刀両断的な解決手段ですから、どうしても負けた方に不満が生じます。
 不満が生じる解決というのは、紛争解決手段としてははっきりいって下の部類ですから、裁判官としては和解が可能なら和解を勧めるわけです。

 多くの医師と同様、裁判官の多くはオーバーワークに悩んでいます。
 仕事が減ることを望んでいます。
 訴訟以外のより和解に近い紛争解決制度があるのであれば、そっちを利用して欲しいと裁判官は思うわけです。

 裁判官の報酬は出来高払いではありません。
 残業手当もつきません。
 何の利権もありません。


>賠償すべきケースでは自発的に適切な額の賠償をしてます。

 たぶん、医師の多くも賛成しないと思いますよ。
 医師も人間でしょ。

>「彼らは清廉潔白だから」なんて冗談は無しですよw 

 そっくりあなたにお返しします。

>魔神ドールさん

つまり、万が一、本当に暴力団が介入してきたら、それは警察の出番であり、彼らに検挙させればよろしい。秩序を守るはただ司法のみにあらず。

司法がバックについているからこそ、警察が手腕を発揮できるのではないかと。同じ事は労働基準監督署にも言えるのではないかと思いました。労働基準監督官について詳しくしらないので、ふとした思いつきですが。

>ひさん

>という実定法はありということでしょうか。

 立法論としてありでしょう。

 立法されれば裁判官はそれに従います。

>No.43 峰村健司 さん

>魔人ドールさんの法に対する無理解は、多くの法曹の医療に対する無理解と大差ないと思うと、僕は魔人ドールさんを責める気にはなれないなぁ(ボソッ)

 では、多くの法曹の医療に対する無理解も責めないということでよろしいか?

No.50 モトケンさん

 では、多くの法曹の医療に対する無理解も責めないということでよろしいか?

 一応、その方向です。なので裁判官を責めるのはやめたつもりです。ただ、日和見判決を出すようになるならその日和見主義をけなすことにはなるかと思うのですが。

そういえば以前モトケンさんが書かれたことだと思うのですが、裁判官が自分の判決の社会的影響を自覚していないようであることが問題だとのことですが、裁判官が社会的影響を自覚する必要があるのですか? 社会的影響を自覚するということはつまり私知利用になるのでは?(シロートの疑問ですみません)

>社会的影響を自覚するということはつまり私知利用になるのでは?

 この趣旨がよくわかりません。

No.50 モトケンさん

法曹は権力を行使させますが、魔人ドールさんは何の権力もないので次元が違うと思いますが。

No.35 元行政さん

ちょっと何か感じません?

社会的影響を自覚するためには、社会情勢を知っていなければできないわけで、その社会情勢に関する私知によって判決が左右されるということが、司法として正しい態度なのかということです。

司法は裁判所という外界と切り離された箱の中に入って、法廷に注ぎ込まれる証拠を法に従って斟酌して判決を出すものなのかなー、なんて思って。(本当にシロートの質問ですみません)

 医療事故と司法制度を語る上で、No.40の魔人ドールさんの意見は、傾聴に値します。
 不当な医療訴訟を起こされた、医師や病院は、不当訴訟を起こした患者や患者家族側に、反訴すべきでしょう。名誉毀損によってもたらされた損害賠償訴訟を行うべきです。反訴をするだけ余分にお金はかかりますが、黙ってクレーマーにたかられるよりは、紳士である弁護士さんに投資したほうが良いし、これが本当のマネーロンダリングです。この投資によって、医療側弁護士さんたちの経験値もあがるわけですからね。

>うらぶれ内科さん

 私のどのコメントに対する批判なのかよくわかりませんが、たぶん

>「彼らは清廉潔白だから」なんて冗談は無しですよw 
>>そっくりあなたにお返しします。

 ここでしょうね。

 魔人ドールさんの

>賠償すべきケースでは自発的に適切な額の賠償をしてます。

 というコメントは、医師は科学的で論理的で誠実で正直である、ということを前提にしています。

 「彼らは清廉潔白だから」というのが冗談であるならば、「医師は科学的で論理的で誠実で正直である」というのも冗談に聞こえます。 

 論理としては全く同じ論理を返したつもりです。

 私は魔人ドールさんの論理を批判したのであって、「医師は科学的で論理的で誠実で正直」でない、というつもりはありません。

 そういう人が多いと思いますが、そう思わない人も思っていてもそうは行動しないまたはできない人もいると考えています。

No.36の魔人ドールさん、社会全体を見渡す視野の広さが欠落しているとまで言われてしまうとさすがに辛いものがありますが、自戒させていただいたうえで、そもそも司法というのが「具体的な紛争に対して法を適用する作用」と定義され、我々の仕事が個々具体的な紛争を対象とする以上、やむを得ない点もあることをご理解ください。

No.57 モトケンさん

これはどうも舌足らずでスイマセンでした。

魔人ドールさんの法に対する無理解を責める気にならないのと、多くの法曹の医療に対する無理解も責めないということは次元が違うといいたかったのです。

>うらぶれ内科さん

つまり、こういう事でしょうか。

法曹は権力を行使できるのだから、医療を理解した法曹と理解していない法曹とでは医療者に与える影響力が段違いである。

他方、医療者は権力を行使できないので、法律を理解した医療者であろうと、法律を理解していない医療者だろうと、法曹に対しては何の影響力も与えないと。

No.60 しまさん

>他方、医療者は権力を行使できないので、法律を理解した医療者であろうと、法律を理解していない医療者だろうと、法曹に対しては何の影響力も与えないと。

まぁ、不快な思いはずいぶんとさせるかもしれませんが。

 医療側が自発的に賠償を支払うのだって、後ろに民事訴訟や刑事起訴で病院の経営や医師免許が危うくなるという「脅し」があるからで、裁判という後ろ盾がなくなったら本当の事件に対して何千万という損害額の自発的支払いがあるのかは、保証の限りじゃないでしょうね。

 例え人格高潔な人でも、何千万もの金額で、しかも支払わなくても済むかもしれないとなれば迷わざるを得ないのが普通でしょう。

このスレは伸びる。          (刑事編も期待してます。)

>はさみさん

 適切なご指摘ありがとうございます。

 訴訟の存在意義の重要な一側面ですね。

すみません。既出だと思うのですが質問させていただけますか?
裁判所が「判断する能力がない」と言って門前払いした場合、
日本国憲法
第三十二条【裁判を受ける権利】
 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
に抵触しないのでしょうか?

魔神 ドールさんは日本国国民ですよね。
ならば当然このことを知った上で、これに対する明確な解答を持って”建設的な意見”と称されているのだと思いますがいかがでしょうか?

>No.59 うらぶれ内科さん

 私は、以前から医師というのは総理大臣以上の実力者だと思っていました。
 なにしろ、人の命を助けることができるからです。

 何人といえども、怪我や病気をしたときには医師に頼らざるを得ないからです。

 私が医療崩壊を憂えるのは、医師にそれだけの力があるからであり、その力の助けを借りることのできない人が増えるからです。

>No.55 峰村健司 さん

 訴訟は、社会的紛争の解決のための制度です。
 基本的には、個々の紛争解決を直接の目的としますが、それによって社会が全体として悪化したのでは、私は本末転倒だと思っています。

 法律論ぽくいうと、判例は法源つまり、重要な社会規範となる場合があります。
 ですから、最高裁は明らかに社会的影響を意識していると思われます。

我々が主張している、

『相当数の医療訴訟に関して、現行の司法制度が、有効に機能していない事を法曹関係者、特に、検察や判事さん達は認めましょうよ。医療事案に関して理解不能、判断困難である事を認めましょうよ』

ということは、
裁判の場で『この裁判では我々は判断不能です』と発言しなさいと言ってる訳じゃないんです。裁判は粛々とされて結構なんです、仕事なんですから。
裁判の現場ではなくて、マスコミ、患者さん、あるいは最高裁に向かって、現行のシステムでは、医療訴訟の裁定は能力的に荷が重いという本音
を言わないことが、おかしいといってるんです。そのまま粛々と裁定されていては、最高裁も国民も、今のシステムでいいんだなと勘違いしてしまうではないですか?

我々、不当判決の被害者である医療者側だけに、その責(代替システムを提示し、立法させること)を負わせるのは酷ではないですか?

医療裁判の場合、裁判官による過失の認定がすべてを決定することになります。
裁判は弁論主義ですので、原告側被告側がそれぞれ弁論し、それをもとに裁判官が裁定意見を述べるわけです。
医師側には以前議論があった医療水準の弁論化という非常に困難な作業を強いられる事になり、弁論主義裁判を受ける事自体最初から明白に著しく不利であります。
法の前の平等を維持するためには、医療裁判において原告の裁判を受ける権利を保護するだけで医師側被告の公平な裁判を受ける権利が著しく侵害されてしまう現行の裁判制度(弁論主義)は大きな問題があると思うものです。

医療問題に関しては、論戦に加わる知識も資格も持ち合わせていないのでROMに徹してきましたが、「法的救済の受けられない患者」という話が出てきましたので、つたない経験が、先生方のご参考になればと思い書き込ませていただきます。
以前私が経験した事案ですが、大学病院で手術(確かガンだったと記憶しています)を受けた60代の男性が、術後1年ほどして体の不調を訴え同じ大学病院へ診察を受けに行かれました。
検査した結果、どこも悪いところはなかったようで、医師の先生は悪いところはないと言って男性を帰したそうですが、男性はそれを信用せず、何度も病院を訪れるようになりました。
しかし、どこも悪いところはないので病院も次第に門前払いをするようになり、男性はこの病院の態度に不信感を抱き「体の不調は手術のミスが原因ではないか」と考えるようになってしまいました。
その後男性は他の病院を転々としますが望むような結果は得られず、医療全体に不信感を抱くようになり、今度は主治医を業務上過失致傷で警察に告訴しようとされたのですが、警察は事実が認められないとしてこれを受理せず、弁護士に相談するも相手にされなかったそうです。
思い詰めた男性は、ある朝家族に「散歩に行ってくる」と言い残し、車にポリタンク入りのガソリンを積み、近所の開業医のロビーに車で突入したのです。
そして男性は無人のロビーにガソリンを撒き、自分も頭からガソリンをかぶり火をつけました。
幸い病院は開院前で誰もおらず、男性以外の死者はいませんでしたが、この病院は前述の大学病院とは全く無関係で、以前2回ほど男性が診療に訪れただけでした。
上記の経過については、男性が車の助手席に遺した大学ノート4冊に及ぶ日記(というか恨み言)に綴られていたので判明したものです。
これは本人の勘違いの結果ではありますが、誰にも助けてもらえないと思った人間はどんな行動に出るか分からないと痛感した事案でした。

ちなみに私自身は警察が医療事故を業過で捜査することについては、魔人ドールさんのおっしゃるとおり、能力不足なので適切ではないと考えています。

>しまさま(20)
 いつもいつも、私と医療者との軋轢を緩和すべくいろいろと助け舟を出していただき、感謝しています。
 その上で申し上げるのですが、私がいつ元行政氏の「思想・信条の自由」を否定しましたでしょうか。元行政氏が何をお考えになろうと私の預かり知るところではありません。ただ、その内心がひとたび(たとえばコメントという形で)外部に出れば、さまざまな評価に晒されるのは当然でしょう。申し訳ありませんが、なぜあなたが「批判できない」とおっしゃるのか、その理由が私には皆目わかりません。

 さて、
>先の元行政さんのコメントを私なりに解釈するのであれば、医事紛争において「司法は紛争解決の役に立たない」と言う実感を持っているのが現場での元行政さんの印象なのでしょうから、その点に関する法曹関係者の反論を読んでみたく思います。

とのことですが、これについてはすでにモトケン先生のエントリーにおいて語りつくされていると考えます。

 ものすごく初歩的なことを書くので、「馬鹿にするな」と怒らないでほしいのですが、紛争というものには、離婚問題であれ貸金トラブルであれ、「〜してもらいたい」と求める一方当事者と、それに応じたくない相手方当事者とが存在します。たとえば離婚してもらいたいと願う夫(妻)と離婚したくない妻(夫)、金を返してほしい貸金業者と返したくない債務者などです。

 離婚したい夫(妻)や金を返してほしい貸金業者は、たいていの場合まず直接相手と交渉して、離婚や返済についての合意を獲得しようとします。しかし常に円満な話し合いで合意が形成されるわけではありません。合意の形成どころか、離婚したくない妻(夫)や金を返したくない債務者は、交渉のテーブルにすらつかないことで、相手の要求を拒むことができます。離婚したい夫(妻)は、相対交渉が困難であることに気づくと、二人の仲人や親兄弟、場合によっては相手方の職場の上司などといった、「相手方に交渉のテーブルにつくことを承諾せざるを得ないと考えさせられるだけの影響力を有する者」の介入を得ようとしたりしますし、貸金業者は連日家に押しかけたり連日職場に催促の電話をしたりして、相手を交渉のテーブルにつかせようとするわけです。

 しかしながら、このような方法をもってしても、直接的な強制力があるわけではないので、いつまでたっても交渉がはじまらない場合があります。こうなると、紛争はこじれ、夫(妻)はいつまでたっても新しい人生をスタートできず、貸金業者は債権を焦げ付かせることになります。

 このような形で紛争がこじれるままに社会にあふれかえることになると社会秩序が安定しなくなりますので、私たちの社会は、国家の名において紛争当事者を強制的に交渉のテーブルにつかせ、合意の形成を図り、場合によっては合意の形成を待たずに公権的に社会関係を確定させることにしています。これが裁判です。

 そして、裁判制度を有する社会の中で行われる相対交渉は、「相対交渉にいつまでも応じなければいつかは国家によって強制的に交渉のテーブルにつかされるかもしれない」ということが前提になっています。

 これは医事紛争についても当てはまります。

 「〜してほしい」というのはたいてい患者で、「〜したくない」というのは大抵の場合医師・病院です。裁判制度がない(あるいは裁判制度が医事紛争を扱わないと決められている)場合、患者がいくら医師・病院に交渉のテーブルにつくことを求めても、最終的に国家による応訴強制がなければ、医師・病院はいつまででもその求めを放置しておくことが可能です(多くの場合、患者側は医師・病院に対して「交渉のテーブルにつかないわけにはいかないなあ」と思わせることができるような影響力を有する者を動員することは困難でしょう)。このような状態は、たしかに医師・病院にとっては居心地のいい環境かもしれませんが、社会内に紛争が放置され、こじれるままに任せられているという状態は、社会全体としては容認することができないのです。

 もちろん、社会における紛争処理システムは訴訟ただひとつというわけではありません。しかし、「もし裁判所が医事紛争を受け付けないとしたら?」という思考実験に対して、社会全体の利益を考える立場に立てば「直ちに別の紛争処理システムを機能させるべき」という答えが出てしかるべきであり、決して「いいことだけ」という答えにはならないはずです。つまり、「別の救済手段があるほうが社会によっていい」ではなく、「別の救済手段がなくてはならない」となるべきなのです。この思考実験に「いいことだけ」と答えるということは、医事紛争について常に医師の側からしか見ていない、医師の側からしか見られない、ということを示しているにほかなりません。元行政氏は医師ですから、医師の側からの見解を述べるのは当然かも知れません。しかし、「医事紛争を処理するためのシステム」を考えようという人間が、医師の側からしか医事紛争をみることができないのではダメなのです。たとえばここのコメント欄のPINE先生のコメント(4)をご覧になってみてください。ちゃんと「患者からの不当請求事案の処理」も視野に入れておられる、つまり医師側の視点からみた紛争処理システムの役割もちゃんと見ることができているでしょう?しかし元行政氏は、私の批判コメントやモトケン先生のエントリーをお読みになってもなお、

>ほとんどは単に患者側が泣き寝入りするだけで、トンデモ裁判にかけられる程の被害はないでしょう。

 とおっしゃっておられます。この違いは大変に大きいのですよ。なにしろ患者は泣き寝入りする「だけ」なのですから。

 医師のみなさんは当事者だから、どうしても今ある訴訟問題に困っている、だからとりあえず何とかして訴訟を制限すればいいと考えるのも無理はありません。しかし、一律に訴訟を制限するということは、当然不当請求事案も排除されますが本当に理由のある請求も門前払いにするということです。もちろん、本当に理由のある請求がごくごくわずかということであれば、社会全体の利益を考えて泣いてもらう、という主張もアリかもしれません(社会的に受け入れられるかどうかは別として)。しかし、馬鹿の一つ覚えのように引用しますが、医師主体の審査機関である日医医賠責審査会での裁定の約6割が「医療側有責」であるということや、国は異なりますが同じく医師主体で鑑定・調停を行うドイツの医療事故調停委員会・鑑定所で実質審理の対象となった事案の約2割が医療側有責であることなどから類推するに、公的機関による裁定を必要とするほどの医事紛争の数割は「本当に救済すべき医療過誤被害者」であり、決して「社会全体の利益のために泣いてもらう」ことが許されるような規模ではないと思われます。

 しまさん、私は何も元行政氏が憎くて過去の発言を穿り返しているわけではありません。あの発言を読んだとき、ほんとうに情けなくてなさけなくてどうしようもなかったのですよ。

No.69のぼつでおkさんのコメントに関連して、概念の整理ですが、民事訴訟法でいうところの弁論主義とは、訴訟資料の収集・提出を、当事者の職責と権能とする原則をいいます。
具体的には、以下の3つを内容とします(3テーゼと呼んでいます。)
〆枷十蠅蓮当事者の主張しない事実を判決の基礎に採用してはならない。
∈枷十蠅蓮当事者間に争いのない事実をそのまま判決の基礎として採用しなければ
ならない。
裁判所は、当事者間に争いのある事実を証拠によって認定する際には、当事者の申し出た証拠に基づかなければならない。

No.67 モトケンさん

 訴訟は、社会的紛争の解決のための制度です。
 基本的には、個々の紛争解決を直接の目的としますが、それによって社会が全体として悪化したのでは、私は本末転倒だと思っています。
まーしかし、もし医療訴訟でのトンデモ判決と言われる判決たちが、社会的影響を意識しての患者側勝訴判決であったのであれば、意に反して医療崩壊と言う社会不安をもたらした権力行使であったわけで、本末転倒の極地ということになりますね。そんなことだったら、医者から見たトンデモ判決であっても「暗い箱の中で、放り込まれた証拠を法に従って処理した結果です」と言ってくれるのであれば、その方がまだ清々しいです。
社会的影響を正しく評価することが裁判官の本分ではないと思うし、裁判を公正に進める技術と違って、社会的影響を正しく評価する技術が特段に長けているとも思えないです。それよりも周りなんか見ずに粛々と裁判を進めてくれたらそれでいいんじゃなかとも思います。そのほうが、もしそんな判決が社会不安を引き起こしたとしてもその原因が裁判官じゃなくて法そのものにあることが明らかになってよいのではないかと。
「医療水準の考え方の変更」はA級戦犯かな。

No.46 しまさん

個人の賠償を求めるために100人集めるのはたいへんですよ。信仰のように市民運動やっている連中以外では。
実力行使は、警察が機能しているならかなりリスクの高い行為ですし、完全なボランティアでなく幾ばくかの経費を払えばこれでもそれなりの金がかかります。私はありえないと思います。(多分やくざより金がかかる)

それに素人100人押しかけたからって、数千万、億の金を納得していない医療機関が出すと思いますか?

>感熱紙さん
やり場のない怒りというものが、焼身自殺(と放火行為)に向かわせた事例ですね。
僕は、

医療過誤冤罪
という冤罪類型をもっと、世の人に知ってもらいたいと思っています。冤罪は、きついですね。痴漢冤罪もそうです。
http://megalodon.jp/?url=http://moviessearch.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id325423/rid12/p1/s2/c1/&date=20070417235157
この感想にある無罪を勝ち取った方は、キリスト教に出会い救われたとのことです。紫色先生や加藤先生などの医療事故冤罪を繰り返させない戦いの本質は、医師の為だけではないと思います。

>元行政先生
 あのコメントがもし、北の内科医先生や一介の司法研究家氏、魔人ドール先生のような人物や、彼らのコメントを「平均的な心の叫び」だの「傾聴に値する」だのと持ち上げる人々から出たものであれば、「ああまたか」と素通りするだけで腹も立たなかったでしょうし、今回あえて取り上げるようなこともしなかったでしょう。しかし先生とは、「新たな医事紛争処理システムの構築が不可欠である」という点で見解を一にし、たとえ短い間であってもともに内外の制度の特徴や発展可能性について具体的に対話を継続してきたつもりでしたし、それだけに「いいことだけ」というご発言は衝撃的だったということです。
 むしろ私の曲解であってほしいと思ったくらいですが、先生のコメントのニュアンス(「あるほうがいい」「泣き寝入りするだけ」といった表現)を拝読する限り残念な結果であるようです。

>モトケン先生
 またまた長文投稿申し訳ございません。拙コメント71の氏名欄にURLが入ってしまいました。お手数ですが、“an_accused”に修正していただけないでしょうか。お忙しいところお手を煩わせまして申し訳ございません。

>an_accusedさん

あえて論点をずらします(いつものことですが)


元行政氏は医師ですから、医師の側からの見解を述べるのは当然かも知れません。しかし、「医事紛争を処理するためのシステム」を考えようという人間が、医師の側からしか医事紛争をみることができないのではダメなのです

医師からすると、「医事紛争を処理するためのシステム」を考えるのは医師の役割ではないと思われるかも知れません。

個人的には、医師の側からの見解しか述べられない医師、患者側からの見解しか述べられない国民、双方の立場に立って物事を見ることができる法曹のそれぞれが意見を出し合い、揉めに揉め、合意を重ねていくしかないと思います

医師は医師の立場に立ち、国民は国民の立場に立ち、法曹はその溝を埋め、法的なアドバイスを行うというのが理想なのかなと思うのですが、いかがでしょうか。

賑わってますね。ちょっと目を離してレスすると半日で亀レスになりました。

>No.34 僻地外科医 さん

御忠告の通り議論のすれ違いになってしまったようですね。

>無法を許さないためには法で縛ることが必要では?無法を許さないためには無法に対して何らかの対抗策が必要になります。

No.41 モトケンさんの解説で「法のしばりを無くしたところには無法がまかり通る」という意味がわかりました。
「法的権利保護手段を封じられた者に対しては自力救済を認めなければならなくなります。」というこは、驚きでしたが論としては理解できました。

>(No.41 モトケンさん)そうなると、患者側または患者側から依頼を受けた暴力団が力ずくで賠償金名目で医療側から金を取ったとしても、刑事責任を問われないことになります。

とういことで、ここ↑までのモトケンさんのお話も論としては辻褄が合っていると思えるのですが、なんだかスッキリしません。

>No.72 PINE さん
ありがとうございました。勉強になりました。

>座位さん

これも医療過誤えん罪の類型ですね

 この症例では、入院当初に病院関係者が「最初に内服した薬が強かったので、脳梗塞を起こしたのではないか」と失言をしたようで、これを根拠に、私を罰することを患者さんがライフワークとして燃えているようである。
軽率な発言が医療訴訟を招く

>No.71 an_accused さん

>なにしろ患者は泣き寝入りする「だけ」なのですから。

これについては、反論させて頂きます。患者側だけでなく、医療側にも大きな憤懣が溜まっております。
指導を守らず医師を脅す患者、患者を病院に押し付け、文句だけ言いにくる家族、支払をしない患者も後を絶たず、、、、、

応召義務に縛られ、労働基準法から見放された長時間労働をしながら、次の医療事故は自分に回ってくるかもしれないとの恐怖に耐えているのが、今の医療従事者です。

医療過誤問題だけでなく、劣悪な医療労働環境も重なり、医療側が患者に寛容であった時代は過ぎています。

患者側が正しく権利を主張することを私は否定するものではありませんし、過去の医療訴訟での怨念の反動がトンデモ訴訟として現れていることも理解しますが、その紛争そのものが医療環境を破壊しているのも現実です。

ある人の権利の主張が、他人の権利の侵害に繋がるとすれば、その調整は法によらなければなりません。適切なバランスが保たれなければ、不利益を蒙る一方の当事者は、退場することになるでしょう。
医療関係者が退場したあとの医療環境を想像できるでしょうか?
目の前の事例の被害者の最大の尊重をすることで、他の大勢の患者の救済を難しくしているということです。
「できない治療はしてはならない」という判決で、どれほどの萎縮医療が行われる結果となったか、ご存知のはずです。

通常の過失&賠償モデルでは、医療過誤賠償は対処困難と思います
適切な医療賠償制度(認定制度 & 賠償金額算定)について、継続可能なモデル設計が必要ですが、これは司法の仕事ではなく、立法府、行政府の仕事です。

医療側が司法をあげつらっても何の解決にもならないように、司法側が医療倫理を押し付けても何ら解決には向かわないと思います。

代表民主制で選ばれた議員、政策担当する行政府で、法律が作成される限り、代議士を選ぶ国民、公共の福祉を実現する行政機関が困らない限り、法の改正は行われないということでしょうから、日本の医療が崩壊しない限り、根本的な解決法を立法・行政が模索することはないと諦観してます。

末端医療人としては、激しい嵐が過ぎ去るのを小さくなって待つのみです

No.76 an_accused さん

あくまでもありえない実験としての発言(ディベートモードとでも言いましょうか)でしたが、先生にそのような感情を引き起こさせていたということに関しては、軽率な発言で申し訳なく思います。
私自身医師の利益を第一と考えていることは確かですが、泣き寝入りすべきなどという意見はなく、追加のコメントも、「裁判廃止⇒暴力団のため医師にとって不利益」という内容に対して、「医師のためには、泣き寝入りがほとんどで、実力行使が増えてもトンデモ裁判の実害には及ばないことを考えれば得」というこれもディベートモード(相手の論理に対する論理的な反論)の話です。
現実として、(暴力団が出てくるからなどではなくて、本当の被害者保護や、社会の仕組みとして)裁判又はそれに代わるものが必要であるから、その方向でベストの方策を考えるという私のスタンスは以前も今も変わっていません。そして先生の出された案を最善案と考えていることも変わっていません。

>No.68 座位 さん

スミマセン、私、「裁判の場で『この裁判では我々は判断不能です』と発言しなさい」と言っていました。そのほうが社会的インパクトがあるかと思い。

>裁判の現場ではなくて、マスコミ、患者さん、あるいは最高裁に向かって、現行のシステムでは、医療訴訟の裁定は能力的に荷が重いという本音を言わないことが、おかしいといってるんです。

こちらのほうがスマートですね。

>最高裁も国民も、今のシステムでいいんだなと勘違いしてしまうではないですか?

そう、そこが代替システムの構築ができない(遅れる)大きな要因。

ただですね。裁判所が本音を言ってしまうと、現在進行している医療裁判が成り立たなくなってしまうので裁判所も本音を言えないのではないかと、最近考えています。

直接言わなくても、なんとなく雰囲気をかもし出して、「代替システムを提示し、立法させること」に協力してもらいたいものです(水面下で協力しているのかな?)。

医師の方々は代替システムの必要性を主張されますが、それはつまり医療問題において、日本の司法システムがうまく機能していないという事だと思います。


それでは、どこの国の司法システム(及び司法外紛争解決システム)が医療問題を裁くのに適切だとお考えでしょうか。それとも、医療問題を適切に裁く司法システムなど世界中のどこにも存在しないので、一から考えていこうという事なのでしょうか。

1)憲法上,特別裁判所は不必要。医療専門部で対応可能。
2)医療専門部を置けない地方でも,工夫次第で対応可能であり,現に対応している。
3)裁判官の能力を過小評価するべきではない。徹夜で頑張っておられる。
4)裁判官の努力を補うのが,当事者法曹の役割。
5)訟務検事当時,敗訴した医療過誤訴訟は,相手方弁護士の工夫の賜物であった。時系列順グラフを用意するなど,わかりやすい主張立証をされた。
6)現在,私自身は,三百代言だが,医者のきちゃない字で書かれたカルテを浄書するなど,最低限の工夫はしている。
 以上

>医療専門部で対応可能、、略、現に対応している。
その結果が、今の数々の不当判決
>医者のきちゃない字
速記すると、きたなくなりますわ、時間との勝負中ですよ
>徹夜で頑張っておられる。
努力が足りないなどと入っていない。専門性のハードルをいってる

以上

>しまさん、
いつもレスに対するレスが出来ずに居ますが、僕も考えてはいるんです。
無視しているわけではありませんのでご了解下さい。スミマセン

>bara17 さま

お疲れさまです。
お願いがあるのですが、こちらは様々な職種の方がご覧になっているところですので、より詳しく・平易に・分かりやすい記載を今後お願いできないでしょうか。

簡潔すぎる箇条書きは貴殿の意図が伝わりにくいばかりか、誤解されかねないのではないかと老婆心ながら懸念いたします。こちらは言葉のキャッチボールをするところだと考えております。言いたい意見がおありなのでしたら、「以上」と閉じるのではなく、他人の意見を取り入れるより「開いた」姿勢を見せていただかないとキャッチボールになりません。今後気をつけていただければ幸です。

こんにちは、PINEさん、整形Aです。

コメントありがとうございます。

No.39 PINE さんのコメント

>被告にも弁護士が代理人としてついていたでしょう。
>通常、弁護士である被告代理人は、「主張しても裁判所は理解してくれない」なんて思って応訴しませんから、反証するのに必要な証拠(カルテとか当時の医師の事情説明とか)がないので已む無く主張したのか、本気で「この主張でいける!」と信じて主張したのか、どちらかだと思います。

僕が医療側(弁護士さんも含めて)の主張に疑問を感じるのは、このケースだけではありません。

以前に地方の弁護士さんが、1審と2審とで医療側が反論の主旨を変更してきたため、原告(地方の弁護士さん側)が対応できず敗訴した、といったことを述べていました。
普通、そんなふうに反論の主旨をころころ変えるような側(この場合医療側)の主張が容れられることのほうが少ないように思うのですが、実際にはそうではないのでしょうか。

また、以前「弁護士のため息」さんのブログに出入りしていた時があったのですが、そこで、擬似症例検討のようなことを行ないました。
結論は麻酔時のチューブが外れたのだろうということでしたが、医療側は当初麻酔薬のアナフィラキシーショックを主張されていたとのこと。

まあ、ショックもないことはないでしょうが、確率的にはぐっと低い。でも、医療側はそんな「荒唐無稽」といってもいいような主張をするんです。

先のガラスの件にしても、9年間の間に入ったんだろうなんて、それこそ患者側からすれば「荒唐無稽」ですよね。
なぜ、そんな明らかな「荒唐無稽」な主張をするんだろう、というのが疑問なんです。

僕は「医療というのは不確実なものだ」「不確実なものの中で試行錯誤でいろいろ試す中で間違いを起こすこともある。それも含めて医療と考えてもらうしかない」「何がいいか選択するのは最終的には医師の裁量の範囲内である」といった主張が本筋だと思うのですが、そういう本筋の主張では到底裁判の場では受け入れられない(勝てない)ので医療側は荒唐無稽の主張をしたり、場合によっては主張そのものをころころ変えたりする姑息的な手段を講じるのかなあ、と思ったわけです。、

こんにちは、感熱紙さん。整形Aです。

No.70 感熱紙さんのコメント

>ちなみに私自身は警察が医療事故を業過で捜査することについては、魔人ドールさんのおっしゃるとおり、能力不足なので適切ではないと考えています。

伝聞の伝聞なので、不確かな話で恐縮ですが、うちの県レベルだと、年間数10件の医療事故の情報が寄せられるそうです。
その多くは「医療被害者」とその家族によるものだと思いますが、要は「医療によって健康被害が生じたが、それは医療ミスによるものではないか。捜査してくれ」というものでしょう。

警察としては情報があれば捜査しない訳にはいかないので、捜査し、場合によっては専門家(鑑定医といっていいのかどうかわかりませんが)の意見を聞くそうなんです。
そうしてみると、医師が見ても「こりゃ医療側が悪いだろう」ってのが結構あるんだそうです。

しかし、警察は基本的には医療事故を扱うことには消極的で、「医事紛争は民事で・・・」というスタンスなんだそうです。
そこで、「医療側が悪い」ってのをなんとか作文して「必ずしも悪いともいえない」といった風にして、刑事事件にはもって行かないようにしているんだそうです。

最初に述べたように、又聞きの又聞きなので、本当かどうかわかりません。
以前にモトケンさんなど弁護士の皆さんが述べられたように、少なくとも刑事の射程はあまり広くないように思います。
と同時に、刑事にならなくても、実際には医療側に問題があるケースがかなりあるんだろうな、というのがこの話を聞いての感想です。

> No.29 岡山の内科医さん
> No.30 YUNYUN さん

なるほど「お金を得たい」という気持ち以上に
「復讐心の為」となると非合法手段だろうが何だろうが取りそうです。
厄介なことです。
復讐心は空しいものですがそこしか遺族の気持ちをぶつける事ができないと言うこともあるのでしょうね。私も当事者になればどうなるか判りませんし。

ところで本題の内容に関して、
「司法は医療事故に介入停止」と言うのは極論ですがそれであっても益と不益の両面が同時に起きるのにコメントではお互いそのいい所だけ悪い所だけをばらばらに語っているように思えます。
この例ですと、裁判を恐れて医療から逃げ出す、ということを食い止められるという益があります。
一方で非合法手段に訴える人がでたり医療への不信が強くなるなどの不益もあります。

「司法は医療事故に介入停止」と言うのは暴論ですが
「このまま放置すれば死んでしまうのだからどんなに副作用が強い劇薬でも投与すべきである」
と言うのは意見としてありうると思います。

現にNo.15 まるべさんのコメント によると、

> アメリカのフロリダでは医師を訴えることができなくなったそうです。
> そこでどういう状態が起きたかというと、
> 医師以外の医療従事者が訴えられているそうです。

実行したところもあるようですし。
(これをなぜ皆がスルーしているのか疑問ですが)

ちなみに私としては上でも書いている通りある程度まで司法の介入を制限すべきでは?
と言う意見です。副作用が出来るだけ小さくなる程度に劇薬を投与できないかなと。

個々の人権や自由は非常に重要ですがそれを出しすぎれば公共の利益に反してしまう。
学校教育も酷いものです。
戦前の反動なのでしょうが行きすぎたまま修正できないのが戦後日本の問題だと思います。
(他の国に比べて特に修正が日本は異常に遅すぎる)

>整形Aさん
>そうしてみると、医師が見ても「こりゃ医療側が悪いだろう」って
>のが結構あるんだそうです。

あなたのいう、伝聞の伝聞とか、『結構あるんだそうです』というのは、
不正確だと思いますよ。
『少なくはないらしいです』ぐらいが、表現としては妥当なんじゃないですか?

>元行政先生(82)
 丁寧な応答をいただき、ありがとうございます。私としては、先生から

>現実として、(暴力団が出てくるからなどではなくて、本当の被害者保護や、社会の仕組みとして)裁判又はそれに代わるものが必要であるから、その方向でベストの方策を考えるという私のスタンスは以前も今も変わっていません。

というお言葉をいただき、先生のスタンスを改めて確認させていただいたことで充分でございます。元行政先生は、本ブログに集う医療者の中で本当に数少ない「まともに話ができる先生」です。元々数少なかったのですが、今に至ってはもはや3名いるかいないかでしょう。
 私自身、私の考えが「最善」であるとは思っていませんが(現憲法下でできうる「最善」は、裁判所法を改正して、今の家庭裁判所のように「医事裁判所・高等医事裁判所」を作ることでしょう。そして審判官に医師を大量に採用するか、それが叶わなくても家裁調査官と同じように専門の資格を持った(医師資格は当然として)「医事調査官」を置き、少年事件、家事事件と同じように医事事件についても専門調査官が職権で調査し、審判に大きく反映させるようにすることでしょう。しかし、そのような大幅な予算措置や人員採用、法改正を伴うような仕組みづくりが迅速に行われることは期待できないので、あえて提案しませんでした)、私の提案は大幅な法改正を必要とせず、ただ最高裁に「そうしよう」と言わせさえすればいいものなので、もう少し具体的に(できれば運動論レベルまで)検討していただいてもよさそうかな、と思っています。

 今は時間がないのでこれで失礼いたしますが、今後とも「現実の医療崩壊に対応した現実的な取り組み」について、対話を重ねさせていただければと願っています。

油断したたら猛烈に伸びてますね、このスレ。

さて
>bara17様


1)憲法上,特別裁判所は不必要。医療専門部で対応可能。
2)医療専門部を置けない地方でも,工夫次第で対応可能であり,現に対応している。
3)裁判官の能力を過小評価するべきではない。徹夜で頑張っておられる。
4)裁判官の努力を補うのが,当事者法曹の役割。
5)訟務検事当時,敗訴した医療過誤訴訟は,相手方弁護士の工夫の賜物であった。時系列順グラフを用意するなど,わかりやすい主張立証をされた。
6)現在,私自身は,三百代言だが,医者のきちゃない字で書かれたカルテを浄書するなど,最低限の工夫はしている。

まず、1)についてですが論旨が不明です。医療専門部で対応可能という言葉と、憲法上不必要という言葉にどういう繋がりを見いだせばよいのか理解できません。解説をお願いいたします。現状では憲法上特別裁判所を置くことが出来ないというのであればi意味は通りますが、この場合不必要という言葉の意味が分かりません。

2)他の先生も挙げていらっしゃいますが、残念ながら、我々からの目から見て明らかにおかしい判決がこのところ続出しています。

3)能力と努力をごっちゃにした発言をされるのは控えられた方が・・・。この論を許すのであれば「医師は努力して仕事をしている限り、ミスをしても許される」という論が成り立ちます。

4〜6)についてはこちらから論じることは特にありませんが、現状の医療裁判を現状のままの運営で行っていくことは、明らかに社会全体の運営に支障を来します。このブログはそこを論じるものだと考えているのですがいかがですか?

>No.93 an_accused様

 先生と元行政先生が和解に至ったことはこのブログで論じている人間にとって非常に喜ばしいことだと思います。これからもよろしくお願いいたします。その上で、先生の現在挙げられている手法について2,3質問が。


 現憲法下でできうる「最善」は、裁判所法を改正して、今の家庭裁判所のように「医事裁判所・高等医事裁判所」を作ることでしょう。そして審判官に医師を大量に採用するか、それが叶わなくても家裁調査官と同じように専門の資格を持った(医師資格は当然として)「医事調査官」を置き、少年事件、家事事件と同じように医事事件についても専門調査官が職権で調査し、審判に大きく反映させるようにすることでしょう。

 非常に面白い考えだと思ったのですが、これは現行の裁判所とは別の流れにすると言うことではなく、例えば家庭裁判所がそうであるように高等裁判所へ異議申し立てするなど、通常の裁判過程を内包すると考えて良いのでしょうか?「高等医事裁判所」という言葉が思いもよらず出てきたので、ちょっと混乱してしまいました。

 おそらくですが、現実論として高等医事裁判所まで設けた場合、その作業に従事できる医師(医師経験者)の数は絶対的な不足に陥ると思います。将来的にその方向へ進んでいくのが最も良いとは思われますが・・・。

 あと、元行政様とan_accused様が「合意」されたというのは「日医医陪責」(のようなもの)の活用ということですよね?あまりに膨大なスレなので私も記憶の彼方に吹っ飛んでいってしまってますが、この辺の話だったかなと・・・。

 この活用のためには医師全員が弁護士のように「医師会」ないし新たな医師統合組織に加入する必要があると思います。情けない話ですが、現状の医師会に信を置いている会員はごくわずかだと思います(総数の10%以下)。この辺は「お前らが何とかしろよ」と言われればそれまでですが、現状の代議員制度をやめない限り、新規参入する医師で医師会に積極的に従うものはいないのではないかと思います。

こんにちは、座位さん。整形Aです。

コメントありがとうございます。

No.92 座位さんのコメント

>あなたのいう、伝聞の伝聞とか、『結構あるんだそうです』というのは、
>不正確だと思いますよ。
>『少なくはないらしいです』ぐらいが、表現としては妥当なんじゃないですか?

僕がその話を聞いた方(医者)は、一応オフレコで、ということだったのであいまいな表現にしました。
座位さんがどこまで正確な話を求めているのかわかりませんが、それでは可能なかぎり忠実に「伝聞」を書きます。

その方は、警察の鑑定(裁判所の鑑定とは違うので、鑑定医というかどうかは知りませんが)をしている先生(当然医者)から聞いたそうです。ですから、伝聞の伝聞・・・でいいかな?

鑑定を担当している先生は「正直、ほとんど医者のほうに非がある」といったそうです。「ほとんど」だそうですよ。
さすがにこれは、僕自身の実感とも違うし、何らかのバイアスがかかっている可能性があると考え、「結構ある」と表現しました。

No.96 整形Aさん、 No.92 座位さん

実際のところ、「これで患者に文句を言われたらちょっとヤバイかも」という事例は、それこそゴマンとあると思うのですが、先生の周りではそうでもないですか?

私も、No.27 のコメントは、医療高等裁判所を念頭に書きました。知的財産が専門的だから知財高裁法がある。医療高等裁判所は、現憲法下でも法律で設置可能と思います。ただし、問題点等がないか十分議論を尽くす必要があると思います。

ところで、これは寓話ですが。
A国とB国があり、A国は法令がきわめて細かく医療について何が民事賠償の対象になるかならないか明白である。一方、B国では、法は慣習法である。A国がよいとは限らないと私は思います。勿論、法令があっても、それが遵守されていなければ、施行されていないのと同じとなりますが。法の遵守を確立することは、容易でない場合もあるし、法の遵守は司法制度がしっかりしていて実現すると考えます。

慣習法の場合、一件ごとに和解・裁判で延々と紛争を継続する場合もあるが、過去の判決・裁判例が公開されていれば、それを参考に和解に至りやすいことがあると考えます。さらに、進歩・変化が著しい場合、進歩や変化に追従することが容易であると思います。

民事司法制度は、判事と弁護士がつくっているものではなく、そこに原告、被告が存在するのであり、主役はやはり原告と被告であると思います。医療関係に精通した判事による医療裁判を、医療関係者の方は望んでおられます。私は、医療関係に精通した弁護士が増加することが、一方で必要であると思います。医師免許を持った弁護士が増加すれば、いかがでしょうか?(医療崩壊の下、医師が弁護士になりやすい方法があればよいと思いますが)

かつて、米国でのある建設契約における訴訟での話です。米国弁護士は私に言いました。「建設契約では、常に訴訟があります。」なお、弁護士は複数であったのですが、その中にはEngineerがいました。

整形Aさん お疲れ様です。

印象を述べられるのは構いませんし、どこまでも正確にと言う訳じゃ当然ないです。

その鑑定医さんは、「正直、ほとんど医者のほうに非がある」といいながら、モミ消しているのを自慢されているのでしょうか?それでしたら、大変な違法行為となります。オフレコにしてはいけないんじゃないですか?
医者のほうに非があるというのは、50%以上の非があるという受け止め方でいいのですか?そうした質問はしたのでしょうか?その鑑定医さんに臨床経験はあるんですか?

まあ。あんまり質問攻めにする気はないです。悪い医者や極度に下手な医者がいないなどとは思っていませんから。

>「これで患者に文句を言われたらちょっとヤバイかも」
「こんなことで患者に文句を言われたら、ちょっとかなわんな」という想いは経験しますね。内科系だからでしょうか?

こんにちは、僻地外科医さん。整形Aです。

No.94 僻地外科医 さんのコメント

>油断したたら猛烈に伸びてますね、このスレ。

禿同です。

ところで

No.45 僻地外科医 さんのコメント

>縫合は創傷処置の1手段に過ぎませんし、異物を中の閉じこめたままの縫合は膿瘍形成の可能性という意味でも問題があります。例えば同じ創傷でも咬創、特に猫の咬創を先生は縫合しませんよね?異物の存在が疑われるケースでX−Pによる確認もせずに縫合してしまったことに初診医の明らかな過失はあると思います。たまたま膿瘍が出来なかっただけで、例えばこれが縫合したために蜂窩織炎から手指切断などという状況になれば言い訳できなかったでしょう。

この辺に関しては、外科医(正確には外科系医師)それぞれによって多少感覚は違うのではないでしょうか。
僕自身は、傷は放置すればするだけ治癒が遷延するので、可能なかぎり1次縫合する、です。仮に咬傷であっても1時間以内であれば洗浄の上縫合します。
ゴールデンアワーを過ぎていても、テープなどを用い、なるべくオープンのままにはしません。

実際咬傷で来院される方は、すでに数日間たってからのことが多いです。
咬まれた後そのままで、つまりオープンの状態ですが、結局感染を起こし受診するのです。
ということは、咬傷はオープンによって感染を防げるのではなく、抗生剤の投与など適切な治療のほうが必要だということを示していると思います。

もちろん縫合する時には、可能なかぎり創を探って、異物があるかどうかは確認しますが、完全ではないのはわかります。
異物が原因の感染のリスクもありますが、それでもなるべく新鮮なうちに縫合することのメリットのほうが大きいと考えます。

確かに教科書的には、手の外傷において異物を考えX線はとるように、とありますが、ガラスで切って血がだらだら出ているような状態だと、ガーゼを分厚くまいて、血がしみてこないようにしなくてはなりません。
それだと、いいX線写真を撮れないこともあります。

1次縫合をして、とりあえず出血に関してあまり心配しなくてもいい状態になってから、改めてとるのもありだと思います。
もちろん、後からとって異物が見つかり、「あちゃー」ということもあるでしょうが、その辺は最初の段階で説明しておけばいいことではないでしょうか。

こんにちは、座位さん。整形Aです。

No.99 座位 さんのコメント

>その鑑定医さんは、「正直、ほとんど医者のほうに非がある」といいながら、モミ消しているのを自慢されているのでしょうか?それでしたら、大変な違法行為となります。オフレコにしてはいけないんじゃないですか?

すみません。
「医師に非がある」としながら、刑事事件にもって行かないようにしているのが鑑定医なのか、あるいは警察そのものなのか不明です。
僕もその辺を、むしろ感熱紙さんにでもお聞きしたいところです。

それ以外のお尋ねについても、申し訳ないですがさっき書いた以上の内容はわかりません。
ただ、僕自身としては、「ほとんど」はないんじゃない、と思い「結構」という表現にしました。

それから、先ほどPINEさん宛のレスで、医療側の主張がおかしいんじゃないか、といったことを述べましたが、皆さんが以前から述べられているように、鑑定がおかしい、というケースも多いと思います。

近所の病院で、やは民事訴訟になっているケースがあるんですが、当事者の先生が言っていました。「相手方(患者側)の鑑定書を出した医者の首を絞めたろか、と思うことがある」
まあ、いささか物騒な表現ですが、それほど心外でトンデモ鑑定だったんでしょうね。

裁判所が鑑定依頼する時は、当該学会に適当な人を推薦するよう依頼すると思うのですが、理想が高すぎたり、実務に疎かったりするんでしょうかね。
トンデモ鑑定団をいかに排除するかというシステムを構築することも必要かと思います。

こんにちは、峰村さん。整形Aです。

No.97 峰村健司 さんのコメント

>実際のところ、「これで患者に文句を言われたらちょっとヤバイかも」という事例は、それこそゴマンとあると思うのですが、先生の周りではそうでもないですか?

恥ずかしながら、自分自身にも数限りなく、とは申しませんが少なくとも数例はありますし、周りでもそういったケースは見聞きします。
今思うと自分の場合、大きなミスではなかったと思いますが、無知ではあったと反省しています。
そういううまくいかなかったケースというのは、20年以上たった今でも覚えています。

結果的に大きな問題(ヤバイこと)にならなかったのは、たまたま運がよかっただけとか、フォローしてくれた先生方のおかげだったと感謝しています。

>整形A先生

 スレ違いですのでこの辺に止めておきますが、

実際咬傷で来院される方は、すでに数日間たってからのことが多いです。
咬まれた後そのままで、つまりオープンの状態ですが、結局感染を起こし受診するのです。
ということは、咬傷はオープンによって感染を防げるのではなく、抗生剤の投与など適切な治療のほうが必要だということを示していると思います。

 皮下組織に限らず、感染制御の基本はドレナージであるというのが私の考えです。咬まれて数日経ってから、感染したとして来院する患者さんは例外なく「元の傷が痂皮化などで閉創してしまっている」症例です。抗生剤投与で感染を防げない・制御し得ないのは「感染性粉瘤」を考えればすぐ分かります。感染性粉瘤にいくら抗生剤を投与してもruptureしない限り痛み・腫れ(つまり炎症の徴候)が続きますが、切開排膿すると抗生剤を投与せずともあっという間に腫れが引きます。もっと端的な事例が蜂窩織炎で、局所麻酔下に5mmぐらいの小切開を数カ所置くとほとんど翌日には炎症が治まります。

 咬創の場合は創が大きい場合には2〜3日待ってデブリードマン後縫合。猫咬創のように刺入部が小さく深い傷の場合は、細いナイロン糸を傷の中に2〜3本入れ、ドレナージし、排膿しなくなってから抜けば、ほとんどあとは残りません。逆に縫合してしまったために感染が遷延している事例を多数見ています(もちろん抗生剤投与されているケースで)。

抗生剤の使用はドレナージの補助であるというのが私の基本の考えです。


傷は放置すればするだけ治癒が遷延するので、可能なかぎり1次縫合する、です。仮に咬傷であっても1時間以内であれば洗浄の上縫合します。

 これに関しても一次縫合が良いのは言うまでもありませんが、wet conditionを保っていれば創は翌日に縫合してもきれいに一次治癒します。経験上では最大48時間を経過してもwet conditionを保っている状況では一次治癒しました(もちろんデブリードマン無し).


確かに教科書的には、手の外傷において異物を考えX線はとるように、とありますが、ガラスで切って血がだらだら出ているような状態だと、ガーゼを分厚くまいて、血がしみてこないようにしなくてはなりません。
それだと、いいX線写真を撮れないこともあります。

 このケースでも私はガーゼを厚く当てるのではなく、創面には軽くガーゼを当てるのみで、あとは平オムツなどを敷いてX-Pを取ります。
 感覚の違いなのでしょうが私としてはリスクの少ない手段を選びたいと思っています。

 ただ、挙げられた事例については「9年前かよ」「こんなものまで訴えるのかよ」という点で何だかなぁ・・・とは思いますが。訴えられてしまったら負けること自体はやむを得ないでしょう。

僻地外科医先生,整形A先生,

教えて頂きたいのですが,大きさにもよりますがガラス片はそんなに簡単にレントゲンでみることができるでしょうか?
少ない個人的な経験では,見つけるのは難しいと思っているのですが.
「レントゲンを撮影していれば...」という論理は成り立つものでしょうか,という質問です.

>level 3先生

 経験上では直径2mm以上あるガラス片はX-p上で十分同定できます。より難しい透視下ですら5mmもあれば楽に同定できます。

No.89の整形Aさん、

>以前に地方の弁護士さんが、1審と2審とで医療側が反論の主旨を変更してきたため、原告(地方の弁護士さん側)が対応できず敗訴した、といったことを述べていました。
普通、そんなふうに反論の主旨をころころ変えるような側(この場合医療側)の主張が容れられることのほうが少ないように思うのですが、実際にはそうではないのでしょうか。

通常は、主張をコロコロ変えるというのは心証を悪くするものですが、変更したことにやむを得ない事情があって、変更した内容が合理的であれば、裁判所は主張を採用すると思います。

>なぜ、そんな明らかな「荒唐無稽」な主張をするんだろう、というのが疑問なんです。

ごもっとも、だと思います。私も、そう思います。
少なくとも被告訴訟代理人の弁護士は、独自に反論を考えることはないと思いますので、依頼者である病院がそういう主張をしたということだと思います。
まさか、病院の事務局が反論の主張を考えているわけじゃないでしょうが。

あまりに「荒唐無稽」な主張を依頼者から説明された場合、普通の弁護士なら、「そんな言い訳、裁判所が信じるわけねぇだろ。」と言うと思います。
被告訴訟代理人すら納得できない説明をしても、裁判官を納得させられるわけがありません。
だから、弁護士の立場からは、「被告訴訟代理人も、何をしていたんだろう?」と思います。

>僕は「医療というのは不確実なものだ」「不確実なものの中で試行錯誤でいろいろ試す中で間違いを起こすこともある。それも含めて医療と考えてもらうしかない」「何がいいか選択するのは最終的には医師の裁量の範囲内である」といった主張が本筋だと思うのです

私も、全くそのとおりだと思います。
私は、医療事故がらみの相談に対しては、そういうスタンスで回答をしています。
ただ、「試す」ということは、当然、専門的知識に裏付けられているという前提ですよね。

>が、そういう本筋の主張では到底裁判の場では受け入れられない(勝てない)ので医療側は荒唐無稽の主張をしたり、場合によっては主張そのものをころころ変えたりする姑息的な手段を講じるのかなあ、と思ったわけです。

私個人は、そんなことはないと思います。
本筋の主張というのは、誰にでも(裁判官にも)理解しやすいものです。
本筋から外れた場合には、なぜ外れたのか合理的な説明ができるかどうかがポイントになると思います。


いわゆるお医者さん皆さんがトンデモだと思うような判決が出るということは、原告の主張立証に対して、被告が反論反証に失敗したということなんですね。

こんなことコメントすると同業者から非難轟々だと思いますが、トンデモ判決で負ける訴訟事件というのは、被告訴訟代理人にも原因がある事案がソコソコあるのではないかと思います。

通常の原告訴訟代理人は、裁判を起こす前に、協力医の意見を聞いたうえで、裁判を起こすか否かを判断します。
被告は、病院や医師です。
だから、医療事件訴訟というのは、医療者の主張の戦いという面も否定できないと思います。
原告が裁判に勝ったという場合、原告協力医の主張が勝ったとも言える事案があると思います。
(裁判所が判決文などで「90パーセントの確率」言葉を使う場合、おそらく原告側が提出した医師の鑑定書、証言などに依拠しているはずです。)
で、被告の主張が通らなかったということは、被告である病院や医師と被告訴訟代理人の間の連携等がうまくいかず、被告の主張や反証がうまく裁判所に伝わらなかったということもあるのだろうと思います。


それから、トンデモ判決事件には、私がNo.72でコメントした弁論主義の影響がある事件もあると思います。

弁論主義の3テーゼから、原告の主張に対して、被告が、
・明確な反論をしない
・荒唐無稽な反論をした
・主張しっぱなしで反論の根拠となる証拠をださない
などにより被告の主張を採用しえない場合、裁判所は弁論主義により原告の主張に拘束されるので、トンデモな内容が含まれていても原告の主張が採用されるということもありうると思います。

だから、トンデモ判決が出た事案というのは、判決文だけでなく、どのような主張立証をたどったかということを訴訟記録全部を検証しないと原因が明らかにならないと思っています。

私の職場の近くにある公立病院では、医療事故訴訟が起きた場合、その自治体の顧問弁護士が訴訟を遂行しています。
行政事件訴訟や国家賠償訴訟なんかと一緒に、その顧問弁護士が医療事故訴訟も対応しているわけです。
で、その弁護士、立証責任が原告側にあるという原則をかざして、殿様のごとく原告に立証を促すばかりで、被告側から積極的に反論・反証をしようとはしません。
実際に、結構、敗訴を食らってます。
私は、ひそかに(こんなトコでコメントして「ひそか」もへったくれもないのですが)、この弁護士は「ヤブ」(お医者さんには使ったことがない言葉です。)だと思っています。


スレからズレたうえに、長文で申し訳ありません。

No.103で書いた自分の回答を見てちょっと情けなくなったのですが・・・。

 医学は感染の制御などという極めてプリミティブな疑問にすら完璧な正解をまだもたらしてません。私の主張にせよ、整形A先生の主張にせよお互いの経験上からもたらされる理論付けに過ぎないわけで、、、、。

 こんなもんに完璧を求めてどうするのかな・・・というのが現場の医療従事者たる医師の本音です。

こんにちは、PINEさん。整形Aです。

コメントありがとうございます。

具体的にどれが、ということではなく、内容すべて大変勉強になりました。
重ねて御礼申し上げます。

>スレからズレたうえに、長文で申し訳ありません。

いいえ、中身が面白かったので長文、全然気になりませんでした。

ガラスの異物はXpで写らない場合がほとんどですが、運良く写ることもあります。写っても摘出できる可能性はかなり低い。
「レントゲンを撮影していれば...」という論理は成り立たないはずですが、注意義務違反とか期待権とかで、他の裁判でもレントゲンを撮る注意義務を認定されています。

医師の良心からなるべく被爆を避けるのか、訴訟対策でレントゲンを無闇に撮るのか、結論は出ているようです。

こんにちは、僻地外科医さん。整形Aです。

コメントありがとうございます。

No.107 僻地外科医 さんのコメント

>医学は感染の制御などという極めてプリミティブな疑問にすら完璧な正解をまだもたらしてません。私の主張にせよ、整形A先生の主張にせよお互いの経験上からもたらされる理論付けに過ぎないわけで、、、、。

いや、僻地外科医さんのやり方、僕は勉強になりましたよ。
感染を防ぐやり方は、別に一つである必要はなく、自分の経験と知識とで一番よさそうな方法を選択すればいいわけです。あまりにかけ離れた選択をするのはもちろん論外ですが・・・。

例えば、感染を起こしたアテロームなんかは、僕だって絶対切開します。
フォーカスが明らかであれば、排膿ドレナージは基本だと思います。

あとは、感染に強い臓器を扱っているかどうか、というところもあると思います。
自分的には四肢軟部組織は比較的感染に強いと思っています。それから、顔面や頭部の表面などもそうです。ですから1次縫合をそれほど恐れることはない、というのが僕の印象です。

でも、腹部は違いますよね。開腹術後の感染は命取りになります。
出血もそうで、四肢の出血は一部を除いて、それほど重大な結果にはなりませんが、腹部の出血はそうはいきません。
救急にいってた時に、教授の手術の糸結びで糸を切るたびに、「腹なら死んでるぞ」と怒られた記憶がよみがえります。

>hama様

>ガラスの異物はXpで写らない場合がほとんどですが、運良く写ることもあります。写っても摘出できる可能性はかなり低い。

 え?そうですか??私はX-Pで写らないケースの方が希だと思いますが。3mm×3mm程度の筋内ガラス異物でも透視下で(当然X-Pよりかなり悪条件です)摘除したことは何度もありますし、厚さ0.3mm×3mm×2mm程度のガラス片もX-Pで同定できています(これはさすがに取るのが大変でしたが。透視では見えなかったので)。むしろ見逃す方が少ないかと・・・。

>整形A様

>でも、腹部は違いますよね。開腹術後の感染は命取りになります。

 先生が思っている以上に腹腔内は感染に強いと思います。これもドレナージが十分に効いていれば・・・の世界になりますが、胆石術後の胆汁瘻をENBDで乗り切ったこともありますし、アッペの術後腹腔内膿瘍や胃切後のリーク、はては結腸切除後のリークもドレナージだけで乗り切ったケースはけっこうあります(そんなにリークあるのかよ・・・(泣)。もちろん自分の執刀例だけじゃないですが・・・)。多分これらの経験が私をしてドレナージ優先という考えに導いているのだと思います。

No.102 整形Aさん

恥ずかしながら、自分自身にも数限りなく、とは申しませんが少なくとも数例はありますし、周りでもそういったケースは見聞きします。
ですよねぇ。で、ぱらぱらと話題になっていますが、医療側が責められても仕方が無い例は多々あるわけですが、その中でも患者の温情(?)で裁判に至らない例が大多数でしょうが、中には裁判になってトンデモでなく医療側が負ける裁判も少なからずあるでしょう。

このような現状でADRとかがはじまって、患者が割と気軽にADRに事故を持ち込むようなことになったら、却って医療崩壊を後押ししたりするんじゃないかという気もします。

まず、とにかく医療事故は多くて、医者だったらほとんどの医者が「あのうまく行かなかった治療は自分にも問題があった」という経験をしているでしょうから、ADRでも何でも総攻撃を受けたら、医者がすぐいなくなっちゃう可能性がある。

次に、前にちょっと書いたのですが、高額賠償の問題。裁判では自然災害と人的要素との過失相殺というのは無いようで、そのため医療側から見ると、医療側の責任の程度に比して高額と思われる賠償が命じられるように思います。先日、新生児緑内障の見逃しの失明で1億以上の賠償が命じられた例がありましたが、「見逃していなかったって失明だったかもしれないし、そもそも失明した主原因は緑内障でしょ?」と思いますが、でも判決では全てを人的責任に負わせるしかない。

法的にでも何でもいいですけど、ここらへんで医療側に対する大幅な譲歩が無ければ、裁判所だろうがADRだろうがうまく行かないんじゃないでしょうか。

まあ、アメリカ並みの訴訟社会での高額医療の世界も、世がそれを望むなら悪くはないのかもという気もします。アメリカでは尊敬される職業の上位は看護師、医師などの医療職が占めると言いますから。(ソースは失念しました。すみません)

No.99 座位さん

「こんなことで患者に文句を言われたら、ちょっとかなわんな」という想いは経験しますね。内科系だからでしょうか?
私は眼科ですが、糖尿病(II型)の患者さんではそういうこと多いです。糖尿病網膜症で網膜にレーザーをしこたま撃って、かえって見えにくくなって… いくら事前に「見えにくくなるかもしれませんよ」と説明して同意書を書いてもらってから治療しても、「見えない見えない」って文句を言ってくる人が。糖尿病網膜症の方には要注意です。

No.85 bara17 さん,

書かれている意味が私にはよく理解できませんが,あなたは医療というものがどのようなものであるのかという本質的な部分の理解に欠けているのではないかと推察されます.
医療は,基本的にその時点までに得られた情報からプロスペクティブにその病態診断や治療方針を考案します.従いまして,その各段階において後から全体を通してみれば適切でなかったことがたくさん出て来るわけです.つまり100%適切な医療というものは人間の身には不可能です.経験を積む事により,少しずつ診断や治療の精度は増しますが,それでもその精度には限りがあります.
一方,裁判では結果が解っているものに対してレトロスペクティブに判断するわけです.結果が解っていれば誰でも簡単に正解に辿り着けます.あみだくじの「当たり」から逆に辿れば簡単にどれが「当たりくじ」であるか解ってしまうわけですね.
そのような思考で医療をみれば「医療は常に100%からはほど遠いもの」になってしまいます.そしてそのような思考では「xxxしてしかるべきであった」といったような現実の医療では取り得ないような選択枝の選択を強要する判決となってしまいます.
またプロスペクティブにみた場合,正解は一つとは限りません.多くの臨床医が同じ答えを出すような簡単な問題であれば判断に困ることはありませんが,熟練医でも判断が割れるような事例も数多く存在するわけです.このような場合にはある意味では「正解がいくつもある」もしくは「正解がひとつもない」という事態もあるわけです.
このような不確定要素の塊であるような医療に対して,その結果から医療を弾劾することはとうてい適切とは言えません.
原則として意図的な犯罪を除き,これに刑罰を科すことはおおよそ適切とは言えないのです.そのようなことをすれば医療は成り立たなくなるからです.刑罰を科しても,決して問題が解消するわけではありません.
医療の本質は「試行錯誤」の繰り返しによって治療がなされているところにあります.「誤」を無くすことはそもそも不可能です.

昨今の医療における司法の不法介入が「医療崩壊」の大きな原因になっていることをもう少しよく考えて頂きたい.
諸外国(すべてではない)では一般的に司法が医療に介入することはないようです.その代わり,海難事故や航空機事故のように専門の別の判断機関が存在しているようです.日本でも医療の可否はそういった機関を創設して,そこで行うべきです.今の厚労省が作ろうとしているものがどれほどまともなものであるのか原時点では不明ですが(彼らがまともなものを作るのは期待薄ですが),まともなものができるならそれが最も望ましいでしょう.

現役の臨床医でなければ医療の適切さを判断することは不可能です.
現役の臨床医とは言い難い「教授」や「評論家医師」に判断を仰ぐことはそもそも間違いです.ましては裁判官や弁護士の方が,医療の適切さを判断することなどおおよそ不可能でしょう.「できる」と思われる非医療者ほど「実際にはできない」というのが正しいと思います.「プロの仕事はプロでなければ理解できないし,判断もできない」のです.

人は過りを犯すものです.ましてや医療のように不確定要素の多い対象に対して「誤りを犯すな」,「誤りに対しては罰則を与える」ということは「医療をするな」ということと等しいのです.よく考えていただきたい.

 ちょっと周回遅れですが、、、、、
 創傷治癒のwet or dry も相当の論議でしたけど、解熱剤の適応も相当なものではないでしょうか?
 感染症による発熱(38.5〜40℃程度)に限ってみても、
幼少児など水分補給できずに致命的になる場合を除いて、解熱する積極的な理由はないと思うのですが、解熱剤を使用する場合が圧倒的に多い。感染症の動物モデルで、解熱した方が致命率が高いという古典的な報告もありますし、下げても下げなくても免疫能は不変という小児のデータもありました。 
 IVH(中心静脈栄養)で24時間持続する場合も、生体リズムを考えれば本来は、昼間に多めにカロリーを入れるべきでしょうが、どこでも平均的に入れてます。 手術侵襲からの回復は、夜間手術した方が軽いという報告もあるけど、人手の問題もあって夜間の手術は例外的。 坑不整脈薬剤は、不整脈は治すが死亡率は逆に高くなるものもあった。 高トリグリセリド血症には治療を要さないものが多いけど、無理やり薬で下げている。 インスリン抵抗性の治療薬は、却って脂肪を増やすはずである意味逆効果。
あまり言うと、浜六郎と間違われるなあ。

臨床から遠ざかってますから、私の古い知識、無能をさらけ出してるだけかも、、、でも、医学って基本的なところも未だ不明なところ多いでしょう。

上述にもかかわらず、治療自体は、標準的治療を行っていますのでご心配なく。

No.114 Level3 さん

そうは言っても、やっぱり最後の最後は司法が出てくるのは、仕方がないことのようですよ。医療審判所とかを創設しても、そこで解決しなければ、最後は高裁、最高裁に行くことになると思います。

なので、裁判外解決制度だけを考えても片手落ちで、司法が出てきても医療崩壊しないような方策も考えるべきでしょう。

で、多分ここに出入りする多くの人は判断の精度を上げることに熱心なのですが、そんなことには限界があるわけです。なので判断が多少ブレても、医療側に過度の負担がこないような制度も併せて推進したいところです。

以前YUNYUNさんが提唱された賠償額キャップ制について、医者2ちゃんねる(m3のことです)に書き込んだら結構な推薦を頂きました。

弁護士さんのブログでちょっと話に出ていたのですが、法定価格で動く保険診療では、賠償額の上限を設ける方法があるのではないかということです。郵便物の賠償額の上限が設 定されているのと同じように。上策とは思わないですが、さしあたりの策としてはありかも。

例えば診療報酬額と同額までとかすれば、心臓手術は100万円くらいですか? 白内障手術の失明は13万円くらい、そして採血の合併症は120円が上限になりますが、どうでしょうかね。しかしこの策だと、保険診療でないとダメかもしれないので、国民皆保険がもはや壊れようとしている今では、不十分かとも思います。

あとは自然災害(=病気)責任(?)と医療者責任で責任の按分ができるような判断が民事でできるようにするのもいいと思うのですが、美容整形や不妊治療での死亡例では、医療側敗訴なら全責任がかぶってくるでしょうし…

ま、なんにしても医療の現実がもっと世間一般に広まってから動くべきでしょう。それまでは現行制度でいいんじゃないかと思うようになりました。医療がどんなに公共性が高くて必要不可欠なものだとは言っても、結果を保証できない商売であることは間違いありません。医療が崩壊しても「そんなものいらない」と国民から三行半を突きつけられる可能性もあるでしょうから、一度は崩壊して国民の真意を問うべきです。

とりとめがなくてすみません。

>Level3さん

現役の臨床医でなければ医療の適切さを判断することは不可能です.

確かにその通りだとは思いますが、現役の臨床医であろうと医療の適切さを判断することが困難な場合があるのではないでしょうか。例として、ドイツの医師職業裁判所の判決を下記に転載しますが、これは日本の裁判であればトンデモ扱いされる事例ではないのでしょうか。


夜間の救急当番に当たっていた一般医(家庭医)が、救急センター(事務的に連絡するだけ)を通して午前4時35分に急患の連絡を受けた。妻は心臓疾患の既往はないが、呼吸と体を動かすことに関係のない胸部の痛みを訴えているという内容の夫からの電話であった。また、6時10分にも再度同様の電話連絡があったが、2度とも電話で指示を与えただけであった。7時35分にその患者の家庭医が診て心筋梗塞と診断し、それはその後心電図で確認されたというケースである。

職業裁判所は、このケースは心筋梗塞のような重篤な疾患を疑わなければならない状況であったのに、そのような判断をせず、患者や家族のために往診をしなかったことは義務に違反するとして、戒告と2000マルクの罰金を科した。
ドイツ医師職業裁判所の判例から

医師が医療を評価することには同意しますし、制度作りも行うべきだとは思います。同時に、制度ができた時に、ようやくスタートするのではないでしょうか。つまり、制度ができてからも、不断の努力がないと適切に機能しないのではないかという意味です。

No.118 しまさん

職業裁判所は、このケースは心筋梗塞のような重篤な疾患を疑わなければならない状況であったのに、そのような判断をせず、患者や家族のために往診をしなかったことは義務に違反するとして、戒告と2000マルクの罰金を科した。
民事も含めて2000マルクくらいなら多くの医者は文句を言わないと思います。民事はどうなってるんでしょうかね。

URLミスしていました
http://www.hi-ho.ne.jp/okajimamic/m408.htm

>僻地外科医先生(95)
 和解と申しますか、今回の件は(「も」というべきか)お恥ずかしい限りです。
 さて、私が93で申し上げました「医事裁判所・高等医事裁判所云々」に対するお問い合わせについて申し述べます。まず、

>例えば家庭裁判所がそうであるように高等裁判所へ異議申し立てするなど、通常の裁判過程を内包すると考えて良いのでしょうか?

につきましてはそのとおりです。現憲法が明示的に禁じているのは最高裁判所をピラミッドの頂点とする審級関係から外れた特別裁判所(たとえば旧憲法における軍法会議や行政裁判所など)の設置であって、そのピラミッドに組み込まれてさえいれば、特定の事件類型のみを対象とする下級裁判所を作ってもよいし(家庭裁判所、簡易裁判所、知財高裁)、行政機関に審判を行わせることもできます(公取委、公調委など)。別に一審に相当する「医事裁判所」だけでもいいでしょうし、「高等医事裁判所」をつくることで二審にも医療専門家を入れ、事実審をすべて医療専門家主体で行われるようにしてもいいでしょう。私自身はあまりこだわりはありません。
 「医師の絶対的な不足を招くおそれ」に関しましては、医事紛争の規模(年間1000件あまり)という点を考えれば、地家裁なみ(全国50箇所)におく必要はなく、せいぜい高裁所在地にひとつづつ(8箇所)、高等医事裁判所をおくとしても東京にひとつ置けば十分だと思いますので、そんなに人がいるかなあと思ったりします(もちろん、書記官や事務官、調査官などなどのスタッフを考えればそれなりの人員と予算を食いますが)。

 もちろん、「何が最善か」については人それぞれだと思います。「最高裁を頂点とするヒエラルヒーに組み込まれること自体我慢できない」ということであれば、憲法改正は不可避でしょう。国民投票法もできることですし、がんばって自民党の憲法改正草案の中に「特別裁判所として軍法会議および医療裁判所を置く」とでも入れさせれば実現も夢ではないと思いますし。

 なお、私と元行政先生との間には、何か具体的なプランを実現しようというような「合意」があるわけではありません(と私は認識しています)。私と元行政先生との間に共通認識があるとすれば、

>現実として、(暴力団が出てくるからなどではなくて、本当の被害者保護や、社会の仕組みとして)裁判又はそれに代わるものが必要であるから、その方向でベストの方策を考える

ということだと思っています。「裁判さえなくなればいいことだけ」なら、「それに代わるもの」なんて考える必要などなくなってしまうわけで、「共通認識だと思っていたものがそうではなかったのか」と思い落胆してしまった、ということです。

 ついでに申し上げますと、私の案は

「日医医賠責(のようなもの)の活用」あるいは「付調停制度の活用」

 です。

http://www.yabelab.net/blog/2006/11/23-231315.php#c24373
1)につきまして、「医師会加入強制が必要ではないか」というご懸念が生じるのもごもっともかと思いますが、私といたしましては、勤務医の皆様向けには各医学会単位で「紛争調停委員会」といったものでもつくればいいんじゃないかと思っています。勤務医の皆様が巻き込まれやすい紛争は高度医療における診断・治療の是非をめぐるものが多いのでしょうから、地域単位の医師会より診療科ごとの医学会が主体になっているほうがよいように思います。

2)につきましては、今でも実際に東京地裁などで医療集中部に係属した事件を調停に回し、そこで医師調停委員を含む調停委員会が争点整理をし、そこで和解の落としどころが見えれば調停成立、だめでもそこでできた争点整理を活用して審理の迅速化を図る、ということがあるみたいです(ただし今は全体の1.6%くらい)。もちろん争点整理だけではだめで、もっと突っ込んで鑑定レベルまでできるようにしなければなりませんが。そのための「医事調停法」なんかができればよし、法律を変えなくても最高裁民事局が医事事件担当裁判官会同なり協議会なりを開催し、「医事事件は原則として医師を調停委員に交えた調停で」とでも言えば、翌日から全国の裁判所で受け付けられた医事事件は片っ端から調停にまわされることになるんじゃないかと思います(「裁判官の独立」なんてそんなもんです)。

>mastacos先生(91)

>現にNo.15 まるべさんのコメント によると、
>> アメリカのフロリダでは医師を訴えることができなくなったそうです。
>>そこでどういう状態が起きたかというと、
>> 医師以外の医療従事者が訴えられているそうです。
>実行したところもあるようですし。

>(これをなぜ皆がスルーしているのか疑問ですが)

 私がスルーしているのは、詳細がまったくわからないからです。フロリダにおける医事関係訴訟制度改正の概要を解説した論文なりエッセイなり、新聞記事でもよいのでもう少し詳しくわかるものをご紹介いただければ、コメントできることもあるかも知れません。


 これだけでは申し訳ないので余談を少し。
 ご存知のようにアメリカは州ごとに法律が異なるわけですが、ジョージア州では2005年に大幅な医事関係訴訟制度改革を行ったそうです。ジョージア州における医事関係訴訟制度改革の概要は次のとおり。
1)医療側代理人に対する医療情報の開示要件の緩和
 医事関係訴訟の原告に対して、医療側代理人が訴訟準備のために利用するために医療記録に含まれる保護医療情報の開示を受け、入手することを承諾し、さらには患者の担当医との間で患者の治療・処置について会話することを承諾する旨の医療承諾書を訴状に添付することを義務付け、もし患者が医療承諾書を添付しなかった場合には訴状は却下されうるとした。
2)専門家証人に対する規制の強化
 専門家証人となるべき者について、問題となっている専門領域において、過去5年以内に少なくとも3年間、臨床医としての経験を有しているか、公認教育機関における教育に従事していなければならないとした。
3)救急医療における過失要件の厳格化
 救急医療における損害万障請求に関して、医療者および医療機関に対する医事関係訴訟において、は、重大な過失(“gross negligence”わずかな注意を払うことを怠り、不注意の度合いが大きい点で、通常の過失と区別される)があると明白かつ確信を抱く証拠(「証拠の優越」よりも厳格であるが、「合理的疑いを入れない証明」よりも低くても足りる)により証明された場合を除き、損害賠償責任を負わないとした。
4)医療機関の表見代理責任と複数訴訟における連帯責任の緩和
 病院が、「この病院内において従事している医療専門家の全部または一部は独立系役者であり、病院の代理人や被用者ではありません。独立系役者は自らの行為について自己責任をおっており、病院は、これらの者の作為または不作為についていかなる責任も負いません」とロビーに大きく掲示するなどしていれば、代理関係または雇用関係がなければ、病院は担当医の過失による損害賠償責任を負わないこととした。
5)非経済的損失に対する損害賠償額の制限
 医療従事者に対する訴訟では、非経済的損失に対する賠償額について、その相手方の数にかかわらず35万ドル以下などと制限した。
(以上、長田雅之「アメリカ・ジョージア州における医事関係訴訟制度改革」判例タイムズ1227号86頁以下より適宜要約。長田氏は大阪地裁判事補。同論文にはこのほかにもいくつかの改革項目が紹介されておりますので、関心がおありの方はぜひお読みください。)
 これらの改革により、医療側にとっては潜在的な訴訟リスクを減少させるとともに、医師賠償保険の保険料の減額や訴訟および訴訟に伴う支出の減少というメリットがあると考えられており、実際現時点でも医事関係訴訟が5〜10%程度減少しているのではないかと見られているようです。また、改革法がジョージア州で大きな議論の対象となった末に成立したことから、一般国民にとって改革法の内容や医事関係訴訟の現状などについての意識が高まり、医療機関側にとって有利な形で、陪審の意識に大きな影響を与えるだろうとの予測もあるそうです。他方、同改革法が州憲法および連邦憲法に抵触しているとの指摘もあり、今後の州最高裁および連邦裁判所の判断を待たなければこの改革法の行方はわからないということもあるようです。

 以上紹介したような内容の改革法さえ州憲法違反あるいは連邦憲法違反として無効とされるおそれがあるとしたら、「医師を訴えることができなくなったというフロリダの例」も、もう少し詳しく知らなければコメントしづらいなあ、というところです。
 
>Med Law先生(81)
 先生のコメントのご趣旨はよくわかりますし、まったく異論はないのですが、それがなぜ私のコメントへの反論になっているのかよくわかりませんでした。

<お詫びと訂正>
上記コメント(CID49299)中、「独立系役者」というのは「独立契約者」の誤りです。お詫びして訂正いたします。

>an_accused さん

勤務医の皆様が巻き込まれやすい紛争は高度医療における診断・治療の是非をめぐるものが多いのでしょうから、地域単位の医師会より診療科ごとの医学会が主体になっているほうがよいように思います。

高度医療は、ハイリスクなものが多いので、かえって紛争になりにくいものではないかと思います。

開業医や市民病院などの、小規模〜中規模な病院で紛争が多いのではないのかなと考えますので、各地域毎の医師会に窓口があった方が良いのではないのかなと思います。

医療事故の被害者側、遺族側にとっては、とにかく相談できる窓口がほしいと思いますので、なるべく身近な所に窓口があれば良いのかなと考えています。

No.119の訂正

すみません、金額に目が行ってしまっていました。内容的にはなんとも言えません。日本の医者ほどの激務ではない可能性があるので…

>峰村健司さん

転載元のサイトで、見る限り、「職業裁判所は損害賠償のような民事的な事件は扱わない」らしいです。また、この件では、恐らく死亡していないので、民事は微妙なのかと思います。

職業裁判所という制度は医師だけでなく、歯科医師、薬剤師、獣医師のような医療職にもそれぞれ存在する。職業裁判所は医師と患者間、医師相互間、医師会やその監督官庁と医師の間に生じた義務違反や倫理違反を審理して判決を下すので、その性格や手続きは刑事裁判所と同じである。職業裁判所は通常の裁判所の下位に位置する。職業裁判所は損害賠償のような民事的な事件は扱わない。
ドイツの医師職業裁判所の判例


ドイツの医師の労働環境に関しては、研修医などの勤務時間について故柴田三代治医師(ドイツ)の書簡と会話の記録あたりが参考になるかと思われます。

>先ず、過誤が本当にあれば、医師ないし病院が適切な額の賠償を自発的にしていますよ。

これは、医者の側に性善説を適用してるんでしょうけど。
さすがに、無理がありますかね。
患者の側に性善説を適用して、医者が問題ない、って言ったら訴訟をして欲しくないんですが。
無理なのと一緒で、これも無理でしょう。

>司法には医療を理解し医療事故を適切に判断する能力はないのだから、司法は医療事故に介入するのをやめろ

というより、司法の内部に医療事故を判断する専門家をもっとたくさん入れなさい、としか言えないですね、私には。
そうじゃないと、治外法権というか、やりたい放題になっちゃいますので。
医者の側から見ても、ちょっと無理がある主張のような気がします。


先のサイトでは、以下の件も興味深いですね。

夜間の当直の内容を見ると、実際に業務を行っている時間と、仮眠を取ったりして休憩している時間とがあるが、ドイツの場合、当直は待機業務扱いで、業務を行っている時間だけが勤務扱いとなっている。ところがEUの裁判所は2000年10月3日に、待機業務も勤務とみなすという判決を下した。EUの裁判所の判決は、一国、たとえばドイツの裁判所の判決よりも重い。
外国の医療事情を国民と共に勉強し医療改革の推進力に


医師の当直を時間外勤務として扱いたくないのは、洋の東西を問わないようですね。現在はどのように扱われているか分かりませんが、つい7年前までは、ドイツでは医師の当直は勤務として扱われてなかったという訳です。

この判決による衝撃も、日本で考えられているのと変わらないというのが、さらに興味深いところでありますね。

しまさん、いろいろとご紹介ありがとうございます。量の多いページもあるようなので、あとでまとめて見させていただきます。

ドイツといえば、これも見逃せません。
「ドイツで大学病院医師ストライキが続いている」
http://kkrsasebo.blog.ocn.ne.jp/blog/2006/05/post_4775.html

 司法が医療従事者の信頼を取り戻せるか否かは、このエントリにかかわる重要な問題ではあるけれども、医療訴訟のシステムを変えるために活動しようというモチベーションは勤務医の側では消退してきている。
 極言すれば、自らの過ちを、権力たる司法さんが自覚するかどうか、変える必要を感じているかどうかが決定的であって、医師の側は抗議する事はあっても主導的に拘るつもりはさらさらない。

 医療変容が起きた主要因は三つあって、一つは司法による医療従事者いじめ、一つは医療費抑制政策、もう一つは患者の医師に対する過度な要求とマスコミの煽りである。この明確な医療崩壊の原因とその帰結像については、我々は十分に警報を鳴らし、ヒステリーと言われながらも説明を尽くしてきた。聞こえなかったとは言わせない。

 だから、それを受けて、医療関連事案への司法の対応をどうするか、患者の過度の権利意識やマスコミの医療バッシングをどうするかは、それぞれの当事者が考えればよい。ボールはもう我々の手を離れている。

 我々の今の関心事は、医療訴訟の重過失性を尻目に、第一に防衛医療に全力を尽くすことであり、第二に医療労働環境を改善することである。余裕があれば第三に医療費増額を呼びかけたいと思うし、それらの為の運動は起こそうと思っている。

No.130 座位さん

 司法が医療従事者の信頼を取り戻せるか否かは、このエントリにかかわる重要
僕は達観しましたよ。僕はもともと司法にそんなに悪いイメージを持っておらず、むしろ激務で孤独で大変だろうなぁと思っています。しかし、彼らが医療問題を正しく判断することは、土台無理です。医療にだって誤診はつきもの、司法にだって誤審はつきものということで。これはもう正しく判断することを期待するほうが間違っているのであって、正しく判断できなくてもこちらがそんなにカッカカッカしなくて済むような法改正がされることを期待するしかないかなと。

ただ、「管理人そっちのけで議論するエントリ」のNo.39で書いたことなのですが、

 しかし現在の医療バッシング判決が傾向的なものであり、今後法改正なしに医療側に有利な判決が増加する傾向に転じるようであれば、それは逆にとんでもないことだと思います。特に象徴的なもので疑問なのはこれまでにも議論されている「医療水準の考え方の変更」です。僕には「医療水準の考え方の変更」は、ほとんど立法行為に近いクレイジー司法に思えます。なんら前触れもなく司法が勝手に医療行為に義務を課すことが、まっとうな司法の行為には思えないのですが如何でしょうか。その上もし、医療崩壊が問題視されるやその考え方を自ら翻すようなら、僕は日本の司法を日和見司法と嘲笑うしかありません。
と、世間の空気に感じて傾向を変えるようであったら、そちらのほうが大問題だと今は思っています。なんとなくそうなりそうな気がするところが嫌なんですが。

 だから、それを受けて、医療関連事案への司法の対応をどうするか、患者の過度の権利意識やマスコミの医療バッシングをどうするかは、それぞれの当事者が考えればよい。ボールはもう我々の手を離れている。
本音を言えば、裁判所こそ、クレーマーに対して「あなたはクレーマーです」という判決を出して、以ってして患者の過度の権利意識やマスコミを統制してもらいたかったものですが、恐らく民法などの規定によりなかなかそういう判決にならなかったのでしょう。

全く関係が無いことですが、NOVA授業料解約訴訟や、大学入学辞退の授業料返還訴訟でも、僕なんかから見たら極端に消費者有利な判決を出していますしね。

 我々の今の関心事は、医療訴訟の重過失性を尻目に、第一に防衛医療に全力を尽くすことであり、
ご利益のありそうなお宮さんで「相手取られませんよーに」と祈ることも重要な気がします。(そちらのほうが重要かも)

>峰村健司 さん
お疲れ様です。

僕の方は、まだ達観できていません。(峰村さんは自らをさらけ出していますから初めから立派です)
ところで、今日の新小児科医のつぶやき http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20070418 を読まれましたか?
774氏さんが実に見事に未来予想をしています。彼の鳥瞰能力は優れているんです。冗談でなく、カリスマ的です。彼の116行に及ぶ医療の将来像、予想シナリオを是非皆に読んでもらいたいです。まるでアカシックレコードですね。

No.106 PINE さんが書かれた

私の職場の近くにある公立病院では、医療事故訴訟が起きた場合、その自治体の顧問弁護士が訴訟を遂行しています。

について、おそらく多くの自治体病院ではそのようなケースが多いであろうと思いました。

企業の場合、様々な分野があるので、紛争の性質により、起用する最適な弁護士は違ってくる。企業の法務担当の仕事は、案件ごとの最適弁護士選びであると言える。地方の場合、弁護士は限られてくるのでしょうが、訴訟案件については顧問弁護士と相談してその訴訟に最適な弁護士を起用して病院側の主張を通すことを目指さなくてはと思いました。

訴訟にしろ、和解にしろ、賠償金支払いにしろ支出、費用が伴うのであり、これに見合う収入は現行の保険制度では特にない。管理費に属するのであり、保険報酬において適切な管理費が確保されないと医療は成立せず、適切な管理費の確保は重要と思います。

> No.122 an_accusedさん

ご丁寧な解説ありがとうございました。
私のはもっと単純に
「そのフロリダの例の詳細知りたいですねえ」
くらいのコメント誰も言わないのかなあ程度のものだったんでした。
それがいい悪いは別として他の国の例は参考になるだろうと思いましたので。


> ついでに申し上げますと、私の案は
>
> 「日医医賠責(のようなもの)の活用」あるいは「付調停制度の活用」
>
>  です。

私から見るかなりいい案のように思えます。
他の方(特に医療・司法の方)から見てどうなんでしょうか?
ある程度賛同が得られそうなら
・それを実現するためにはどういう問題があるか?
という方向に議論が進むといいですね。

ここでいい案が出たからと言ってそれが即実際に採用されると思うほど子供ではありませんが、ここやそれ以外でも議論され出た、いい案の一部でも実際の運用に活かされればいいのにと潜在的な患者の一人として切に願います。

あと、「〜程度は黒」「〜程度は白」「〜程度はグレー」
という医療事故の例が参考例だけでも出来れば、どこまで気をつけるか、また訴えられたときの安心/心配度が把握できて心理的に楽になれるんじゃないかなと品管の仕事柄思います。
例をそのまま適用は出来ないでしょうが目安程度でもなればと。


#an_accused様
 私はただのしがない一市民ですのでさん付けで上等でございます(^^;;

ボソッ
こう言っちゃうと同業者にお叱りを受けるかもしれませんが、裁判を起こすことにより、たとえそれが原告敗訴で終わっても、原告の「ガス抜き」になってる事件もある。
訴えられる被告はたまったもんじゃなし、医療崩壊の一原因なんでしょうが、「裁判までやってダメだったんだから仕方ないでしょ。」と弁護士も説得できるし、原告本人も踏ん切りがつけられる、気持ちを整理する一つの理由にもなる。

ボソッボソッボソッ
あくまで私個人としてはね、実は、モトケンさんがこの記事で設定した「司法(裁判所)が医療事故に介入しない」でもいいと思うんですよ。
私個人は、医療事故訴訟を扱っていないので、すぐには収益構造に影響しません。
なまじ民事訴訟ができるから、自治体の法律相談なんかでも、怒りや悲しみや恨みで荒れ狂っている相談者に対して、現在の日本の法制度を説明し、なだめ、裁判の仕組みを説明し、なだめ、裁判には手間ヒマがかかることを説明し、なだめ、それでも裁判をするかどうか考えてもらう、などというカウンセラーのような対応をしなくちゃならない。
それが、「ボクらが出来る仕事はありませんので、もう直接、病院なり医師なりとの間で解決してください。あああぁ、私に怒んないでね。」って言って済ませられますもん。

> こう言っちゃうと同業者にお叱りを受けるかもしれませんが、裁判を起こすことにより、たとえそれが原告敗訴で終わっても、原告の「ガス抜き」になってる事件もある。

民事訴訟の目的論における手続保証説というのは、そういった機能の存在を正面からふまえた上でのものだと個人的には理解しています。

> 裁判所こそ、クレーマーに対して「あなたはクレーマーです」という判決を出して、以ってして患者の過度の権利意識やマスコミを統制してもらいたかった(No.131 峰村健司 さま)

医療訴訟に限りませんが、「請求棄却」の判決は、原告に対しておまいはクレーマーだ、という意味に他なりません。
医療訴訟で請求棄却されている事件はいくらもあります。判決に至る事件の60%は請求棄却ですから、和解と判決が半々として、ざっと見積もって、
 1000×0.5×0.6=300
1年間に300個の医療側完全勝訴(何も払わなかった)判決が、全国各地の地方裁判所で出されています。
200件の原告勝訴判決も、「一部なりとも請求が認められた」ものを含みますから、当然クレーマーな請求部分は認めれていません。

にもかかわらず、なぜ、世間にかくも医療者敗訴につぐ敗訴のイメージが蔓延しているか、理由はみなさん既に十分お分かりのことと思いますが。

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> 企業の法務担当の仕事は、案件ごとの最適弁護士選びであると言える(No.133 ある経営コンサルタント さま)

法務担当が、現場の実情をよく知っているかが問題で。
ボソッ
私が地方の市役所に勤務していたときの経験では、現場職員らの認識としては、仕事の実情を知らない(知ろうとしない)法務担当者はむしろ敵〜でした。

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> 裁判を起こすことにより、たとえそれが原告敗訴で終わっても、原告の「ガス抜き」になってる事件もある(No.135 PINE さま)

そういう側面は実際にあると思います。
裁判所は一般的に訴訟を早く終わらせたがりますが(そのくせ、裁判所の都合で判決を書きにくい事件は長期間寝かせておいたりもしますが)、
当事者にとって納得するまでに一定の時間が必要だから、訴訟はある程度の時間をかけてやってくれなくちゃ、なのです。

> 「ボクらが出来る仕事はありませんので、もう直接、病院なり医師なりとの間で解決してください。あああぁ、私に怒んないでね。」って言って済ませられますもん

ボソボソッ
そういう理屈の通る相手じゃないと思う。
私は、ストレスは受けた相手にぶち返すのが筋だろうと思いますが、たいていの人は、返しやすいところで返したがるようです。目の前に座っている大人しそうな弁護士とかにね。

>峰村健司 さん
日本の医療の将来像は、アメリカを参考にしていると言われているようですが、私はドイツを参考にしているのかなと思います。もっと言えば、政府の考えるところはいずこも同じなのかも知れませんが。

八九年に第一次医療保険改革を実施したドイツは、
(1)医薬品給付の定額打ち切り制
(2)入院自己負担の引き上げ
(3)必要性の低い薬の給付除外
(4)保険料引き上げ―などを行った。
患者の負担を重くして需要の面から医療費を抑制しようとしたものである。
これにより最初の年は医療費が一・九%減少した。日本が来年度に実施を予定している第一段階の医療保険改革とよく似ている。ところが、ドイツの医療費は翌年からたちまち大幅増加に転じた。
このため、九三年に第二次改革を実施した。
(1)賃金の伸び率による医療費上限の設定
(2)家庭医の定額払い
(3)病院の一件当たり定額払い
(4)薬剤費超過分の医師・メーカー負担
(5)医師過剰地域の保険医認可基準強化
(6)保険者(疾病金庫)団体と病院の価格交渉
−など、医療供給を抑制しようというのである。
昨年からまたしても医療費が膨張し始めた。
総枠予算制について

また、財務省の審議会資料ドイツ(医療制度改革)も、今後の日本の医療制度の変化を占う上で貴重な資料かと思います。

で、ドイツを参考にしているのであれば、医師の収入も、ドイツに近づくのでしょうか。1999年時点でのドイツの専門医ごとの収入が掲載されていました。この額は手取りであって、診療所経費等、55%を差し引き、さらに年金も引いているそうですが。

専門医ごとに見たドイツの医師の収入(手取の額)

ハッ!

医療崩壊の4番目の責任者を、挙げなくてはいかんかった。

トンデモ鑑定医 ←

臨床を知らん、現場を知らん、後出しジャンケン医、これを忘れ取った。

No.139の座位さん、民事裁判って、さしずめ、こんな感じでしょうからね。


                      裁判所―専門委員(医師)

                 鑑定医      鑑定医


 被告(病院・医師)            ☆          原告―協力医
民事裁判で被告が原告の主張を争う場合、原告が自分の主張を裁判所に認めてもらうには証拠によって証明しなければなりません(cf No.106の無駄に長いコメント)。
理屈の上では、トンデモ判決も証拠によって裏付けられているわけです。
その証拠としては、鑑定が非常に大きなウエイトを占めます。

わき道にそれるボソッ
別のトコでもコメントしましたが、私は「法曹」と一括りにされるのに違和感があります。
法曹には、法曹資格を持っている裁判官、検察官、弁護士がおり、裁判官にも裁判をやる者もいれば司法行政に携わる者もおり、検察官にも捜査・公判に従事する者もいれば法務官僚もいます。弁護士も、経営弁護士もいれば勤務弁護士も企業内弁護士もいます。最近では、法科大学院の教授もいます。
お医者さんは、医師免許を持っているということで、厚生労働技官や保健所長、病院の経営者、勤務医、開業医、大学教授を一括りにされても、そんなに違和感は感じないんでしょうか?

>PINE 様
そうなんですよ。離れて4番目の戦犯にしたのは少し卑怯でしたね。
トンデモ鑑定医の問題が大きいと言うのは、
1 証拠としては、トンデモ鑑定医も0.03人前ではなく一人前
2 トンデモぶりは、鑑定人同士でディスカッションさせれば
  素人が見ても判るだろうが、別々に発言させれば素人には
  優劣がわかりにくい。
3 臨床や現場から離れていたり、専門領域が微妙に離れている
  大学教授、一部の後だしジャンケン病理専門家など過失の意味を
  知らない不用意な発言
4 優秀な該当領域の臨床医は、多忙でもあり、時給の安いかもしれない  患者側協力医になりにくい点
こういった様々な要素が、トンデモ鑑定医誕生を導いていると思われる。
だから、今のシステムでは、トンデモ判決は回避できないでしょう。
ディスカッション形式を導入した方は、確かダブルライセンス(法曹&医師)の方でしたでしょう。

それから、法曹となべて、呼称するのが、失礼な言い方なのかどうかは、医師には全くもって不明です。
恐らく文化の違いでしょう。同じ弁護士職なのに、被告側と、原告側に分かれて代理戦争しているのが、医師には非常に奇妙に見える。だから、裏で繋がってるんじゃないかとか思いがち。医師は、検討会で論議し対抗することはあれど、患者を前にして診療中に、医師同士が対抗することは、極めて稀だから(外科と内科の戦いなどはあり)。医師なら、一括りにされてもさほど違和感はない感じです。

>座位さん

医師同士が対抗することは、極めて稀だから

率直に言いますと

勤務医VS開業医
臨床医VS法医学者
臨床医VS病理医
臨床医VS医系技官

と言うのは、かなりの対立と言うか、溝があるのではないかというのが、外野である私の見解です。

検事と判事と弁護士をひとくくりで法曹と呼ぶのは、臨床医と法医学者と医系技官をひとくくりで医師と呼ぶのに等しいようには思います。でも、法曹という言い方は使いやすいのもまた事実だとは思います。

>しま様
医師の中でも、似たような、過酷な研修医、奴隷医(最近では医奴ともいいます)を経験したことで、連帯感があるのかも知れません。
そういえば、臨床経験5年未満が資格要件の厚労省医系技官って、あんまり連帯感を感じませんし、基礎まっしぐらの学者さんにも連帯感は感じにくい。但し、医師でくくれば、皆納得。

No.29の岡山の内科医さん、超カメレスですが(っても3日しかたってませんが)、茨城県医療問題中立処理委員会について、今日の朝刊で実績を伝える記事で見ました。

おそらくまだ手探り状態の中で、双方合意が1件というのは(理由によっては取下げ2件も)、私はそれなりの成果だと思います。
解決に至らなくても、争点が明らかになることによるメリットというのは、双方にあると思います。

「あんまり役にたたねぇな。」なんて制度を潰すのではなく、結果を分析しながら、歩みは遅くともより良い制度になればいいなと思っています。

No.141の座位 さん、
>裏で繋がってるんじゃないかとか思いがち。

ここらへんは、弁護士という仕事の存立そのものに関わっているので、厳しく戒めています。
まぁ、あくまで代理人であり、自分の権利を争っているわけではありませんので(弁護士が争っている権利を紛争解決前に譲受けることは刑事罰をもって禁止されています。)。
代理人同士で和解に向けての条件調整などは行いますが、最終的に依頼者本人が「ヤダもん。」って言えば和解は吹っ飛びます。


あ、それから、「法曹」と呼称されることが「失礼」と感じているわけではありません。

No.135 PINEさんやNo.137YUNYUNさんのコメントを見ていると、一番必要なのは医療トラブルに遭遇した人たちに対する心理カウンセラーではないかという気がします。

>うらぶれ内科さん
さすがに彼らは紛争解決のプロだけあって
観察能力も対応能力も感じさせるものがある。
紛争勃発を自演する輩(0.03人前とか)とは、一味ちがいます。

>座位さん

禿同。

こんにちは、PINEさん。整形Aです。

また同じことの繰り返しで恐縮です。

No.106 PINE さんのコメント

>>なぜ、そんな明らかな「荒唐無稽」な主張をするんだろう、というのが疑問なんです。
>
>ごもっとも、だと思います。私も、そう思います。

以下は、急性喉頭蓋炎という病気で、入院後まもなく急変して亡くなった患者さんの遺族が裁判を起こし、そのHPです。
http://www.geocities.jp/takeno_saiban/index.html

1審は原告勝訴です。

判決理由として、HPによりますと以下の注意義務違反を認めています。

>担当医師の注意義務
>急性喉頭蓋炎の患者の担当医師として、常時呼吸困難が急激に進行する可能性があることを意識し、その兆候を見逃すことのないよう、患者の状態を把握し、急激な変化を直ちに発見できるような監視体制をとり、かつ、これを発見した場合には直ちに救命のための気道確保を図る措置をとる準備態勢をとるべき注意義務があったというべきである。

それに対し被告側は控訴していますが、その理由として、1)急変発見の遅れはない、2)気道確保の遅れはない、3)医師連絡への遅れはない、としています。

HPを見るかぎり、急変に対し病院側としてはやるべきことはやっている(つまり注意義務違反はなかった)が、ただ単に間に合わなかった(その患者さんの運命としか言いようがない)、というのが僕の印象です。

急性喉頭蓋炎は、突発的に呼吸困難に陥り死に至る可能性がある病気です。
だからといって、最初からすべての症例に気道確保を目的に挿管したり、気管切開しなければならないというものでもないです。
また起こるかどうかわからない急変に備えて、医者か看護士が付っきりで呼吸状態を監視するというのも不可能なことです。

ですから、病院側には明らかな過失はないと僕は思うし、それだけを主張すればいいと思うのですが、引き続く、死亡の因果関係についての主張が?なのです。

死因について医療側は、1)医療行為との関係はない、2)心臓に問題があった、3)アナフィラキシーショックが考えられる(また出た)、と主張しています。

そりゃ、入院中に心筋梗塞を起こすこともあるし、アナフィラキシーを起こす事だってあるでしょう。でもこの患者の死因として、あなた(医師)は本当にそれが原因であると思っているんですか?ということなんです。

病院としてはやれるだけやったが、だめでした。しかしそれが現代の医療の限界です、という主張は、法廷では通用しないのでしょうか。予見義務、回避義務に違反する?
だったらとりあえず、まったく予想しない病気を併発したので不幸な結果になった、といったこじつけのような主張でもしてみよう。少なくとも「予見義務」には抵触しない、ということなんでしょうかね。

No.144 PINE さん

私もこの医療版ADRが実績を挙げ、医師や患者さんから信頼を獲得し、今のトゲトゲしい医療環境を少しでもマシなものにしてくれないかと期待している一人です。現在のところは、「手探りの状態の中で、頑張られているな」という印象です。

あと、議論の流れを断ち切るような質問で申し訳ないのですが、法曹の方々に一つ教えていただきたいことがあります。お時間ありましたら、簡単で結構なので教えて下さい。
勝村久司氏(陣痛促進剤による被害を考える会)がある雑誌に載せた文章(結構つっこみどころ満載です)に、「裁判の判決で提示される額よりも、示談や和解で支払われる額のほうが高いことは、弁護士ならば常識」であり、「クレーマーなら医療裁判よりも示談交渉をするだろう」とあります。彼の示した「常識」は一般的なのでしょうか?

皆様、あんまり質問攻めにしないで下さいね。
法曹資格者は、医師国家試験合格者の1/12前後しかいませんので
一人で相手をするとなると、大変なことになってしまいます。

コンビニじゃないんですから。

 ていうか、一番質問攻めにしていたのは、僕でしたね(失礼)

No.150 岡山の内科医さま

「裁判の判決で提示される額よりも、示談や和解で支払われる額のほうが高いことは、弁護士ならば常識」

医療訴訟の具体的実務はよく知りませんが、一般論的にはウソ、言い過ぎであれば信じられません。

  判決による認容額 ≧ 和解金額

の関係になければ(和解勧試時点でそのように両当事者に思わせなければ)、当事者が納得するはずがありません。

原告(支払を受ける)側: 
和解を蹴って判決を取りに行けば、今提示されている和解金額よりも高い額が認容されるかもしれない。でも判決は水物だし(100%敗訴の可能性もゼロではない)、勝訴判決をもらっても強制執行が功を奏するかも保証はない。ならば今現在、何割か低い額でもキャッシュで受け取っておく方が確実だし、早く片がつく。

被告(支払わせられる)側: 
判決だと100%認容(敗訴)かもしれない。それよりは低い額を今払っておくほうが安く済む可能性があるし、判決だと公開されてしまうが和解なら秘密保持条項を入れて内密にしておくことができる(すぐにはマスコミに嗅ぎつけられない)というメリットもある。総合すれば今和解金を払ってしまう方がリスクは小さい。

こういう双方の利害得失の判断が折り合うからこそ、和解が成立するわけで。
  判決による認容額 ≦ 和解金額
の場合に、どうやったら当事者を説得できるのか、皆目見当がつきません。

補足しますと、

もし業界内で、 判決による認容額 ≦ 和解金額 が常識だった場合、被告は絶対に和解に応じるはずがありません。

No.149の整形Aさん、

リンク先のHPをざぁっと見てみました。
裁判において被告が勝つためには、訴状に記載されている事実を認否したうえで、原告が主張する被告らの過失行為の主張を叩き潰すことです。これだけです。

リンク先のHPはあくまで原告の視点に基づいており、掲載されている書面等も原告の取捨選択を経ていますので、それを前提とする必要がありますが、訴訟の経過を見ますと、被告は原告が主張する過失行為に具体的な反論をしていない印象を受け、しかも被告は書面の提出も遅れがちで、おまけに争点整理(確定)後に行われる証人尋問の直前にいきなり患者の死因は心臓疾患とする意見書を出そうとしたり、事実審理が終了した後で鑑定申請をして死因を争いだしたりと、正直「被告は何をやってるんだろう。」というのが感想です(新民訴に対応できてない弁護士なんでしょうかね。)。

控訴審では、原審が認定した注意義務違反を、さらに徹底的に叩き潰す必要があります。
主眼はそこです。
ですが、控訴人(原審被告)は控訴審に至って因果関係や死因を本格的に争いだしており、私は、「後出しだぁ。控訴人(原審被告)は注意義務違反についてマズイと思っているな。」という印象を受けます。

なお、高裁が控訴人(原審被告)の鑑定申請を最終的に採用したというのは、どちらを勝たせるにせよ、鑑定結果を証拠(「だってお医者さんがそう言ってんだもん。」)として判決に使いたいからだと思います。
現在和解交渉中のようですが、和解交渉が決裂して判決となった場合、救急医と耳鼻咽喉科医のどちらの鑑定意見を採用するか・・・。
控訴審では、被控訴人(原審原告)に有利な新たな証拠(by医療関係者)も出ています。

>HPを見るかぎり、急変に対し病院側としてはやるべきことはやっている(つまり注意義務違反はなかった)が、ただ単に間に合わなかった(その患者さんの運命としか言いようがない)、というのが僕の印象です。
>急性喉頭蓋炎は、突発的に呼吸困難に陥り死に至る可能性がある病気です。
だからといって、最初からすべての症例に気道確保を目的に挿管したり、気管切開しなければならないというものでもないです。
また起こるかどうかわからない急変に備えて、医者か看護士が付っきりで呼吸状態を監視するというのも不可能なことです。

こうした整形Aさんの印象は、私にも素直に理解できるものです。
ですが、その主張を通すためには、被告側から、事実関係をきちっと確定したうえで、実際に行われた診断治療の内容や診療・看護体制について、細かく具体的かつ説得的に主張し、的確に立証していく必要があると思います。
ここで、「主張立証責任は原告にあるから」なんて思って対応をおろそかにすると、足元をすくわれる結果になります。
また、本件では訴状の内容を見れば、原告側が医学的なアドバイスを受けていることが想像できます。
それを崩せるのは、やはり医師しかいないでしょう。


No.151の座位さん

ご配慮ありがとうごじゃる。

>一人で相手をするとなると、大変なことになってしまいます。
しかも、私、専門外です。

No.150の岡山の内科医さん

fuka_fukaさんがご説明のとおりです。
「常識」ではありません。

ただ、訴訟に至らない示談交渉の場で、いわゆる「厄介払い」「手切れ金」の意味で、あるいは(恐喝とまではいかないが)不当要求に屈して、本来支払う必要のないお金、あるいは、本来支払うべき額よりも高いお金を支払うケースは現実にあります。

2006年11月23日のモトケンさんのエントリー「人生の最期を自宅で・・・」ですが、この東京地裁の判決文がアップされています。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20061201104616.pdf
藤山雅行氏が裁判長で、判決では死亡した女性の夫と長男に各660万円の支払いを命じています。(相続人としては、長女と次男がいるが賠償請求権の相続を放棄した。)

判決で逸失利益については認めなかったものの、慰謝料として合計1200万円と弁護士費用120万円を認めました。これについて、原告の病院と医師は、高裁に上告したのかご存じの方はおられますか?

私の感想は、これで1320万円も医療側が払わされるのであれば、不当であると思いました。民事における賠償責任は刑事よりずっと広いというのが私の考えです。しかし、絶対的に正しい医療を求めることは不可能を求めることであり、リスクは常にある。リスクを完全にゼロにすることは不可能である。受容すべきリスクがあると思いました。

なお、判決はカテーテル感染症が原因であると断定しているように思えました。しかし、そこまで断定してよいのでしょうか?また、そうであるとして、1320万円の慰謝料他が成立するのでしょうか?
10、11ページに病理解剖の結果が書いてあります。[「直接死因としては、経過中のIVH感染による敗血症とそれに続発する腎不全、心不全が考えられる。」との記載がされた]とあるのですが、可能性についての記述と考えます。判決は、手術直後からの静脈カテーテルを継続し早期抜去をしなかったことが死亡原因としています。これ、私にはすごい論理の飛躍があるように感じられるのですが、医師の方々は、どう思われるでしょうか?

>ある経営コンサルタント さん

判決は、手術直後からの静脈カテーテルを継続し早期抜去をしなかったことが死亡原因としています

これを突き崩すには、
1.静脈カテーテルを抜去したとしても敗血症が発生した
2.静脈カテーテルを抜去するような所見はうかがえなかった

と言うことを立証しなければならないようには思います

>No.146 うらぶれ内科さん

一番必要なのは医療トラブルに遭遇した人たちに対する心理カウンセラーではないか
激しく首肯します。いわゆる患者アドボカシーシステムですね。
そういう部署を設けておられる病院もある由ですが、誰がやるの?費用はどこから出すの?やっぱり医療機関?など普及はまだまだ困難かと思われます。
やはりADRでしょうかねえ。

>No.157 ある経営コンサルタント様

Yosyan先生のブログの下記エントリーで、詳しい解説があります。
コメント欄で、多数の医師の意見が載っています。
このような、カテーテルを抜去すべきかどうか迷うケースは、多々ありますが、私自身は、カテーテルを抜去するメリットとデメリットを勘案すると、本件での抜去の時期が遅かったという判断は、過失とは捉えられないと思っています。また、早期にに抜去したら、感染症が制御できた可能性はありますが、予後が良好となる高度の蓋然性は無いと思います。

岡山IVH事件

No.159 腎臓内科医さん

一番の問題は、どうやってカウンセラーの下へ彼らに通ってもらうのかでしょうね。やろうと思うとなかなか難しい。

No.160 田舎の消化器外科医さん

Yosyan先生のブログが冒頭でリンクされている道標 Guideboardのブログ 岡山 IVH 事件 2ですが、ここに次のように道標さんが書いておられる部分があります。

本件は、岡山での出来事でありながら、東京地裁に提訴され、医療集中部で審理された。藤山裁判長にあたるまで提訴と取り下げを繰り返したという噂も伝わってくる。噂はともかく、裁判は勝つためにあって、真実はどうでもよいのだろうか。

藤山裁判長は、死亡に対する賠償や逸失利益は認めていないのに、家で元気に過ごせなかった、その期待を裏切ったことへの慰謝料を認定した。原告になにがしかの金銭的補償をもたらすために、結論ありきの判決文のストーリーを書いたのだろうか。

原告の主張の一部を見てみる。訴訟戦術とはいえ、かなり踏み出した見解ではないだろうか。判決では、これに関心は払われなかったようだが。

私は、最初この事件を2006年11月23日のモトケンさんのエントリーで知りましたが、なぜ原告も被告も岡山の事件が東京地裁でという部分が謎でした。「藤山裁判長にあたるまで提訴と取り下げを繰り返した。」のであれば(噂として書かれています)、すごい原告の人たちとその弁護人と思います。もし、これが事実であれば、高裁に行って病院が勝てるはずだし、勝たなくては医師全員が医療をすることができなくなる。

患者が不当な要求を行った場合、それを毅然として断ることも医療側が医療崩壊を防ぐための重要なことと思います。不当な裁判結果であれば、最後まで争うことが自らのためにすることですが、社会のためにも行うことであると私は思います。

>ある経営コンサルタントさん

民事訴訟法のこの辺りでしょうか(特に第12条)。管轄違いの抗弁を行わないと、遠隔地の裁判所にも行かなければならないはめに陥るんですね。

(管轄の合意)
第11条 当事者は、第一審に限り、合意により管轄裁判所を定めることができる。2 前項の合意は、一定の法律関係に基づく訴えに関し、かつ、書面でしなければ、その効力を生じない。3 第1項の合意がその内容を記録した電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。以下同じ。)によってされたときは、その合意は、書面によってされたものとみなして、前項の規定を適用する。《追加》平16法152

(応訴管轄)
第12条 被告が第一審裁判所において管轄違いの抗弁を提出しないで本案について弁論をし、又は弁論準備手続において申述をしたときは、その裁判所は、管轄権を有する。


No.153、154 fuka_fuka さん、No156 PINE さん

不躾な質問にお答えいただきありがとうございました。

おいらとかがIVH事件の内容を見たときに考えるのは、まず自分ならIVHを抜けたかということです。

手術後、食事をはじめた直後でなければ抜けたでしょうが、この状況では自分自身6月1日には抜けない可能性が高い。
もっと早く抜ける優秀な臨床医がいることは間違いありませんが、抜けない医者も多いんじゃないでしょうか。

No.162のある経営コンサルタントさん、No.163のしまさんのコメント

管轄については民事訴訟法でいろいろ定めがあり、原則は被告の住所地ですが、例えば損害賠償債務などは持参債務(払う側が持って行かなければならない債務)なので債務の履行地である原告の住所地にも管轄が認められます。
岡山に住んでいた人も、東京に住所を移せば、東京地裁に提訴できます。

管轄のない裁判所に訴えを提起した場合、普通は裁判所から管轄のある裁判所に出し直すよう指導されます。
それでもゴリ押しした場合、職権で管轄のある裁判所に移送されるか、応訴管轄で処理してくれるか、私はやったことがないのでわかりません。

合意管轄は、訴訟前から弁護士が代理人としてついている場合に、利用することが多いです。
例えば、横浜に住んでいる人同士の争いで、交渉段階から双方にそれぞれ東京の弁護士がついていた場合(双方とも東京に通勤しており打ち合わせには東京の弁護士が便利)、管轄合意をすれば横浜地裁ではなく双方の弁護士に便利な東京地裁に訴訟を起こすことができます。

No.114 Level3 さん

まったく同感です。

と同時に、先生をはじめ多くの方が同旨の説明をされているのに、そして、その説明が素人の方にも分かりやすいものであるのに、なぜ法律家は自分たちが一番だとゆう態度を改めない(司法が医療に介入できる余地を残したがる)のか、訳がわかりません。「何事も法律に支配される」とか「法律家はどんな事でも判断できる偉い階層である」とゆうプライドがあるのですかね。未知なる人体に対して、不確定要素に翻弄されながら、細々と「少しでも患者さんが良い方向へ向かうように」と仕事をしている身には、あの傲慢さはよく理解できない。

No.127 Dr. I さん

「医師と患者側の、集団としての資質の違い」と、「法律家のレヴェル」とゆう2つの要素を踏まえれば、無理がある主張とは言えないと思ってます。

私も、医師が一人残らず善良な人間であるとまでは言いません。しかし、医師は何しろ患者のために仕事をしているのであって、金を取るためにしているのではないし、当然だけど国家試験も通っている。科学者として合理的な思考も身につけている。基本的には、ちゃんとした行動を期待できる人々です。これに対して、患者はあらゆる階層の人が構成する集団であって、特に病院にあれやこれやと要求を押し込んでくる人々の資質がどんなものかは、先生方が一番よく御存知のはずです。このような現実の前で、医師側の集団と患者側の集団を同一視するのは、偽善であり、誤った「公平」です。

それと、司法の医療への介入を肯定する(否定しない)人々が頭に思い描いているのは、「紛争の内容を正しく把握し、実態に基づいた正しい判断ができる司法」でありますが、少なくとも医療に関する日本の司法の現実を前提にする限り、これがいかに空虚な妄想であるか。現実に存在しないものを前提にして議論しても仕方ないでしょう。

まずは司法と医療者が互いの分野を謙虚に勉強し合い、意見を交換していくべきだと思います。司法を含め一般の方は医療は確実で絶対的で、人は間違いがなければ死ぬことはないと考えているようにも見えます。つまり、病院で人が死ねば必ず過失があったと考えているような。死生観の問題なのでしょうが、人は必ず死ぬという認識に薄いように思います。また、医療は未だ発展途上で不確実なものなのですが、医療を受ければ人は必ず助かると、適切な治療をしても個体により反応はまちまちで治療がむしろ害となることもある。薬は薬にも毒にもなりうる。それを医師がバランスよく使用し治療を進めていく、しかし個体差によりうまくいかないこともある。手術にしても100%安全なものではない、一定の確率で偶発症が発生し、その一部に不幸な転帰があり得る。これを医療者の責任とする風潮がマスコミをはじめ一般の方から感情的に発せられます。全く論理的でなく、かわいそうだ、責任をとれと。それが最近は司法にも飛び火しているように見えます。とても非生産的なことだと思います。医療は決して安全ではなく不安を払拭できるものではない。司法と医療、お互いの世界がどのような体系で成り立っているのかを勉強しあう必要があると思います。また、民事訴訟は訴えた者勝ちのようなところがあるように思います。あらを探せば医療には小さなあらはいくらだって見つかる、後から考えて結果的にあのときこうすべきだったということはいくらだってあるわけで、我々はそれを症例検討会で話し合い次の症例の治療に当たっての経験としていく。つまり症例検討会に上がった症例は訴えられたら負けることがあり得るということになる。医療にはその都度その都度無数の選択肢があり、それを一つずつ選択し成り立っているため、そのときのベストが未来のベストとは限らない。患者に不利に働いた治療においては全症例訴えられたら負ける可能性がある。医療者は萎縮医療にならざるを得ないし、私もそうなりつつある。医療事故に対する論理的に判断できる第三者調査機関や無過失保証制度(産科で創設されそうな医師側費用負担の制度は論外だと思いますが)の創設は必要と思います。それ以上に国はもっと医療に予算をかけろ!と言いたい。安い医療費で安全対策や訴訟対策は不可能、死ねと言っているようなもの。最後に一般の方々にも言いたい、健康はタダじゃない!ただ、本音は医療は崩壊すべきだと思います。そうしないと国民は死生観について真剣に考えないでしょう。この国に必要なのは医療ではなく宗教!

そうですね。医療には様々な側面がありますが、その中のひとつとして確実なのが、
医療を受けることは「合理性のある賭け」であることです。
必ず裏目が出る可能性がある。

そして医学研究者や医療従事者はこの賭けの勝ち目を少しでもあげるように努める。
それでも医療従事者の能力不足で勝ち目が低くなったりもするわけ。

もし誰かを排除しなければならないとすれば、普通は負けない賭けにたまたま負けてしまった医者ではなく、そもそもが勝ち目の薄い医者であるべきだと思うんですけどねぇ。

 第三者機関による医療事故調査委員会(厚生労働省が新設を検討しているというニュースが再度報道されていますが)については、次の二点を危惧しています。
 一点目は、客観性・公平性の問題です。現行では医療者・医療機関の過失が認定されないと賠償保険が支払われないため、被害者よりの評価になってしまうのではないかという危惧です。(福島県立大野病院事件の報告書ではこの点に配慮し過ぎたため刑事事件に進展してしまったとも聞きます。)
 二点目は、医療の不確実性について医療事故被害者が納得できるのかどうかという問題です。他のエントリーで取り上げられた産経新聞の連載にもありましたように、調査しても原因が分からない(断定できない)ことが少なくないのではないかと思います。そのような場合に、医療事故被害者は納得できるのだろうかと懸念します。
 上記の二点について解決するためには、無過失保障制度(公的あるいは民間(保険))などの被害者救済制度をセットにすることが必要なのではないかと思います。

>NO.167 魔人ドールさん

なぜ法律家は自分たちが一番だとゆう態度を改めない(司法が医療に介入できる余地を残したがる)のか、訳がわかりません。「何事も法律に支配される」とか「法律家はどんな事でも判断できる偉い階層である」とゆうプライドがあるのですかね。

介入できる余地を残していないと、国民が納得しないのではないでしょうか。患者が生命・健康を失った(害した)場合には医者が説明しますよね?その説明に納得がいかない患者側に対し、第三者の判断を求める場(裁判)を提供しているのを、国民としてはむしろ望ましいと感じるのではないでしょうか。

ただ医療訴訟は専門性が高いので、裁判所は専門部を作ったり鑑定制度などを設けて国民の期待に応えようと対応しているのでは。
そしてこれでは現状として上手くいっていない面があるので、それをカイゼンすべく色々と提案をモトケン先生や弁護士の方々が提案されているのではないでしょうか。

刑事でも自分の意見を述べましたが、民事ではどの程度許容すればよいのでしょうか?まず私の考えでは過失が無い限り民事でも賠償成立させるべきでないと考えます。つまり、過失があってはじめて民事責任を問うべきだと思うのです。結果論ではなく、その過程を重要視すべきです。
それからアメリカでは賠償額の上昇が逆に医療を萎縮させているという現実があります(特に産科と心臓外科)。賠償額が上がれば保険料も上がる、そして医師のなり手がいなくなるという論法です。
人間ですからノーミスは不可能です。需要と供給を考えれば解りますが、ここから導き出せる答えはむやみやたらに(容易に)賠償額の上昇を考えるべきではないと思います。

>魔神ドール様(No.167)


と同時に、先生をはじめ多くの方が同旨の説明をされているのに、そして、その説明が素人の方にも分かりやすいものであるのに、なぜ法律家は自分たちが一番だとゆう態度を改めない(司法が医療に介入できる余地を残したがる)のか、訳がわかりません。「何事も法律に支配される」とか「法律家はどんな事でも判断できる偉い階層である」とゆうプライドがあるのですかね。未知なる人体に対して、不確定要素に翻弄されながら、細々と「少しでも患者さんが良い方向へ向かうように」と仕事をしている身には、あの傲慢さはよく理解できない。

 う〜ん・・・、いろいろ言われるのはけっこうなんですが、せめて自分の議論がここでは2周も3周も遅れていることは自覚していただけないでしょうか?2ch用語を使うならば「半年ROM汁」と言われるレベルですよ。

 まず、「弁護士、検察、裁判官」を司法とひとくくりにされるのはやめた方が良いですし、弁護士にも検察にも(裁判官は知らないけど)我々の味方はいます。それをまとめて敵に回すような言い回しは避けてください。今まで1年以上かけて築いてきた我々の信頼関係を根底から覆す行為です(まあ、あなたの発言程度で覆るとも思えませんが)。

 次に司法は現状の法律と行政の上に成り立っていて、そこを無視したところで議論は出来ないものです。運用面でもっとなんとかならないかという部分はありますが、それは彼らの無能云々の問題ではないでしょう。裁判所は訴訟が起きたものを門前払いで突っ返すことは出来ないですし、被告側の立証に問題があれば原告側に有利な判決が出るのもやむを得ないでしょう。それが今の司法そのものの実情で、そのシステムに問題があるから「制度論的改革」をここで論じているわけです。「司法が万能の権力の元に医師を裁いている」わけじゃないですよ。

 その辺の認識がある上で、「これはトンデモ判決だ」という議論をされるならば分かりますが、あなたの言っていることは同業者の私から見ても子供が駄々をこねているようにしか見えません。

 せめて、今までの議論の半分でも良いですから虚心坦懐に先入観無く読んでみてください。

 最近、私のコメントに一言多いせいか、私宛のコメントにも一言多いんじゃないかと感じられるコメントが散見されます(^^;

 原因は私にあるようですので反省して陳謝 m(_ _)m

>僻地外科医 さん

 ありがとうございます。
 だいぶんガスが抜けました(^^)

魔人ドールさん

わかりましたか?僻地外科医お兄様のゆうことをしっかり胸にしまってくださいな。あんまり友軍を敵に廻したら、おしりペンペンしますからね。
それとも、もしかしたら、患者から不当な訴訟を起こされでもしたんじゃないですか、それなら尚更、弁護士さん達の助けが必要ですよ。

こんにちは、PINEさん。
整形Aです。

丁寧なコメント、ありがとうございます。

No.155 PINE さんのコメント

>一人で相手をするとなると、大変なことになってしまいます。
しかも、私、専門外です。

PINEさんに負担をおかけして申しわけありません。
以下は、PINEさんあてのレスではなく、医師一般向けのコメントです。

いやしくも「医師は科学者」であるのであれば、裁判所における判決や和解案が医療側に不本意な結果になった場合に、単に、「これはトンデモ判決だ」というだけでは、科学的な態度とはいえないでしょう。
なぜそういう判決が下りたのか、その原因を究明することが必要です。
「症例検討」を考えれば、少なくとも医師ならばむしろ常識ではありませんか?

仮に、ある民事裁判で「トンデモ判決」が下ったとします。
医師にすれば患者側(患者側弁護士も含む)の主張もトンデモ、判決もトンデモといったケースを想定します。

なぜ医療側は敗訴したのか。原因を考えて見ましょう。

1)医療側の反論が不十分であった
さきにPINEさんが述べられたように、裁判の場では、相手側の主張を徹底的に叩き潰す必要があります。
裁判の場では、どんなに原告の主張がトンデモで、DQNな奴であったとしても、それに対して被告側が有効な反論ができなければ、その主張が通ってしまいます。

これには、被告側弁護士が無能である場合(PINEさんもおっしゃられていました。言ってはならぬことかもしれませんが・・・)、被告医師自身が裁判にやる気がなく、弁護活動に協力せず適切な反論、反証もしないといったこももあるでしょう。

2)病院やその設立母体のやる気のなさ
病院の事務や経営者、さらに設立母体が公的な場合、病院や政治家が評判を恐れて、あまり事を荒立てたくないこともあると思います。
そうなると、裁判にも及び腰。負けてもいいから早く決着つけたい、と思うこともあるでしょう。

3)医賠責を担当する損保会社の問題
以前にFFFさんなどが述べられていましたが、損保会社はむしろ裁判所の関与を求めるケースがあります。
裁判所による判決、和解案などがあると、会社としても賠償金を支払いやすいのだそうです。
こうなると、損保会社も「裁判で勝つ」ことには熱心ではなくなるでしょう。

4)鑑定医の問題
以前から、「鑑定医は現役ばりばりの医師であるべきだ」といった意見が医師側から出ています。
ですが、僕は以前に出した「喉頭蓋炎」のHPを見て、そうとばかりもいえないのではないかと思うようになりました。

簡単に紹介しますと、急性喉頭蓋炎で入院した男性が、入院中に容態が急変し死亡したケースです。
急変前は全身状態はよかったのですが、死にいたる可能性もあるとは説明されていた。急変後、直ちに看護婦が駆けつけ、さらに医師も来て心肺蘇生等を行なうも不幸な転帰をとりました。

なお、この鑑定医の部分は、最初に述べた「トンデモ主張」「トンデモ判決」の設定からは離れます。

ここでは3人の鑑定医が出ています。
循環器の医者は循環器疾患については否定的で、死因は喉頭蓋炎による上気道の閉塞によるものだろう。喉頭蓋炎の重症度については、専門家(耳鼻科)の意見を聞かなくてはわからない、としてます。
耳鼻科医は、本件の喉頭蓋炎自体はその時点では重症ではなく、対応は問題なかった。ただ急激に悪化する稀な例であったため対応できなかったのであり、回避は不可能であった、としています。

一番医療側にとって厳しい意見を出したのが救急医で、死因については循環器内科医と同じ。その上で三次救急、あるいは二次救急でも三次と同等の体制をとっていれば救命できた。その体制にないのであれば、三次への転送も考慮すべきであったとしています。
では、この救急医がトンデモ鑑定医なのかといえば、そうはいえないでしょう。
救急医ですからばりばりだと思うのですが、ばりばりがゆえかえっ自分たちの行なう医療に対して厳しい傾向はあると思います。このケースでも、「自分なら絶対助けることができた」という思いはあるでしょう。
その意味では、トンデモ鑑定ではありません。

しかし、そもそも三次救急はその施設における医療資源を、数少ない重症あるいは重症化する可能性のある患者に集中的に投入できます。
一方重症から軽症までさまざまなレベルの患者をみる必要のある一般病院では、すべての患者に三次と同じことを行なうのは無理があります。

かといって、重症化する恐れがある患者をすべて三次に送れば、それこそ三次がパンクしてしまいます。どこまでを一般病院で診て、どこからを転送するかは、それぞれの医師がいろいろな条件を勘案して対処せざるをえないのです。

「俺ならこうした、こうできた」というのは、それぞれの医師のおかれた状況によって違ってくるはずです。
ですから鑑定医の意見は、普遍的なものではなく、例えば今回の救急医のように、三次救急といった限定的な場でしか成立しないこともあるのではないかと思います。

5)裁判官の問題
長くなってきましたが、医師が一番懸念している裁判官の問題です。
別のエントリーでモトケンさんも述べられているように、裁判官は、傾向としては「被害者救済」の意識があるんじゃないかと思います。

ですから、鑑定書が何通か出てきたときに、一番患者よりの鑑定書を採用する可能性はあるでしょう。
そうなると本来限定的な状況でしか成立しないはず医師の意見を、すべての医療現場で成立する、つまり被告側医療機関の現場でも成立するとみなすこともありえます。
それが結果として、医師にとって不本意な判決につながるわけです。

僕があげた1)〜5)以外でも、トンデモ判決にいたる原因は考えられそうですが、いずれにせよ、トンデモ判決(と我々が考える判決)にはさまざまな要因があり、闇雲に裁判所や患者側弁護士だけを批判してればいいというものではないと思います。

>「俺ならこうした、こうできた」というのは、それぞれの医師のおかれ
>た状況によって違ってくるはずです。
>ですから鑑定医の意見は、普遍的なものではなく、例えば今回の救急医
>のように、三次救急といった限定的な場でしか成立しないこともあるの
>ではないかと思います。

整形A先生,
私はこの救急医は「鑑定医としては,トンでもの要素を含んでいる」と思います.鑑定に際して「俺ならこうした、こうできた」を考えるべきではありません.特に専門医の場合問題です.その時の状況下において「一般的な医療を行ったと仮定した場合にどのように考えられるか」ということを回答する必要があるからです.(もちろん相手も専門医ならそれ相応に考えるべきですが)
私も,以前ある事故のトラブルの鑑定を行ったことがあります.正直「私なら助けられた」と思いましたが,それは私がたまたま似たような事例をこれまでに数回以上経験していたからであり,そのような事例は一般的なレベルからみますと非常に特殊です.私は鑑定では「一般的なレベルであれば,助けられなかったことは止むを得ない」と鑑定しました.
繰り返しますが「私」ではなく,ある程度冷静にその世代のその科の医師の対象となる事象に関する一般的な医療レベルを想定した上で,その状況を考え鑑定しないと問題が生じると思います.

鑑定は自慢とは違いますからね。
自己アピールの場と勘違いしても困るわけで。
そこの地域の医療環境、たとえば搬送に掛かる時間と距離とか、そろっている人員とその専門とか、専門家のいる施設にアクセスしやすいのかどうかとか、その人自身の経験がどうかとか、一般レベルで責められるものかどうかとか。

そこのところの想像力が必要ですね。

学会で症例発表をクソミソにけなすのと同じ気分で鑑定されると困りますが、そこのところが鑑定する者として後ろから撃つ人々にどれだけ理解されているのか疑問です。そこから叩き直す必要があります。どうすればいいのでしょう。難しいですね。鑑定について、決まりとか特にありませんから。

>Level3 さま
>繰り返しますが「私」ではなく,ある程度冷静にその世代のその科の
>医師の対象となる事象に関する一般的な医療レベルを想定した上で,
>その状況を考え鑑定しないと問題が生じると思います.

冷静な態度だと思います。

殺人犯を死刑でなく有期刑にしたら出所後再び殺人を犯した。
強姦魔が出所後再び強姦を犯した。
死刑宣告をしたら後日冤罪であることが発覚した。

こんなとき当該の案件にかかわった裁判官・検察官・弁護士は業務上過失致死あるいは業務上過失致傷だと思うのですが、現実にはお咎めなしです。
冤罪であるなら裁判官・検察官は民事賠償の責を負ってもいいと思います。
それぐらいの気持ちで司法力の行使に挑んでくれるのなら、全面的にこの国の司法を信用しましょう。


古い表現ですが、軍に軍の警察組織として憲兵がいたように、医療界も司法界もその業界用の憲兵みたいなものが必要ではないのでしょうか。

でも、司法の現場で偽装・隠蔽(自分側に都合の悪いものは証拠として不同意にできる権利と言ってしまえばそれまで)が罷り通る国ですから、その憲兵組織が絶対的にクリーンな組織という保障はないでしょうがね。

誤審をしたら業務上過失致死あるいは業務上過失致傷だったり、冤罪だったら民事賠償の責を負うようでは司法界は萎縮し機能しなくなってしまう。
という人がいるでしょうね。


医療界がまさにその状況なのです。

はじめまして

私は、ある医療過誤訴訟の原告です。

 私は、たまたまこのHPを見つけました。そして、このサイトでは、現役の医師のみなさまが意見を交換されているようですので、被害者の家族側からも、是非、コメントをさせてください。
 なお、ここに記載することは、すべて私の医療事故の場合ですので、一般的な事例とは異なるかもしれませんが、何卒ご了承ください。


 さて、私がみなさまに訴えたいこと、是非理解して欲しいことは沢山ありますが、以下の3点に集約させて頂きます。

1)医療過誤訴訟を起こした理由(起こす理由)

※それは、「医療事故に対して」というよりは、むしろ「不誠実な対応」に対しての怒りであるという事実

 当然、妻を失った絶望感や怒りもあります。しかし、医療行為に対する怒りというよりはむしろ、その後の病院や医師達の卑劣な対応や無反省な姿勢が許せなかったからなのです。現在、私が情報交換している医療過誤被害者家族の方々の殆どが、みなさん同じ気持から訴訟に踏み切っていることを、どうかご理解ください。

 また、私たちは金銭目的で訴訟を起こしているのではありません。亡くなった妻を生き返らせてくれるのであれば、私は土下座して感謝します。 逆に、たとえ大金をもらっても、この悲しみや狂わされた人生を戻すことはできないのです。この辛く苦しい絶望感は、おそらくみなさんがその立場に置かれてみないと分からないと思います。

 私は事故から約1年間、ずっと病院側に説明を求め続けました。しかし、病院側からは無視し続けられ、何ひとつ返答がありませんでした。私は「何故、彼女は命を落とさなければならなかったのか」を解明したかった。だから私は1年後に訴訟を起こしたのです。また、搬送先の九州大学病院からも「これは医療ミスの可能性が高い」と後押しして頂いたこともあります。
 もし、事故発生時に、この産婦人科の医師達が精一杯救命治療を行い、また、亡くなった後も、心から謝罪し、反省してくれていれば、私は訴訟なんか起こしてはいません。医師だって人間ですからミスや過ちを犯しますし、それは分かっています。

 私は14年前、父を肝臓癌で亡くしました。10年以上も通っていた診療所の見落としが原因で、他の病院で診てもらった時には既に末期で手遅れで、その後1ヶ月足らずで亡くなりました。私はその診療所に対して訴訟を考えていました。しかし葬儀の当日、その診療所の医師夫婦が自ら弔問に訪れ「私の診察ミスでした、本当に申し訳ございませんでした」と何度も何度も頭を下げられました。それを見て、私達家族は訴訟を止めました。それは、その医師が自ら本当に反省し、謝罪してきたからです。
 もちろん、お金など1円も頂いておりませんし、不思議なことに、その医師に対しては、今も怒りや恨みはありません。
 人間って、そんなものじゃないですか? 誠心誠意謝罪され、反省されたら、誰もそれ以上責めようとは思わない。また、ミスを絶対に犯さない人間なんて、おそらく絶対に存在しない。誰だってミスを犯し、反省を繰り返しながら今があるのですから。

 妻の命は、現代の医療レベルでは救えない程厳しい状態だったのか? それとも、私が主張しているように、医師や看護婦の怠慢な対応に問題があったのか?私は本当にその真実が知りたいのです。


2)人間として許せないこと

 本当に沢山、沢山あります。でも、どうしても私が人間として許せないことは、

※帝王切開手術以降、最後まで全く意識がなかった彼女の容態を心配し、私は次々に観察に来る医師や看護婦に「意識が無いが大丈夫なのか」と、何度も何度も訴えたにもかかわらず、医師達はみな薄ら笑いを浮かべながら「大丈夫ですよ、ただ麻酔が切れてないだけだから」と繰り返して相手にせず、数時間以上も適切な診察や検査をしなかったこと

※九大病院へ搬送後、その原因が「出血性ショック」であったと分かるや否や、急に態度を一変し「当院には全く関係ない」と私の抗議を無視し、さらに妻の死後、こちらの抗議に対し「亡くなったのは九大病院だから、そっちを訴えればいいじゃないか」と完全に開き直って我々を無視し続けたこと

 妻は、手術後より極度の意識障害、貧脈、乏尿、低体温等の症状が確認されており、もし、その時点で何らかの適切な検査や処置がなされていれば、彼女の命が助かる可能性は非常に高かったのに、それが残念です」と九大病院の医師は証言されました。
 本当にそうならば、妻と私は完全に無視されていたことになります。でも、その件について産婦人科側は「知らぬ、存ぜぬ」の一点張りで無視し続けました。

また、

※搬送先の我々の病室へは一度も姿を見せなかったくせに、九大病院の医師達のところへは何度も足を運び、裏で高級菓子や金券等を渡していたこと

※事故当日に九大病院へ持ち込まれたカルテと、後日、私が証拠保全として回収したカルテとは、当時記載の無かった投薬名や虚偽の病状が所々に追記され、また搬送前約1時間の部分の血圧や脈拍等の病状が二重線で訂正(修正)されていたこと

 ・・・これは、明らかにカルテの改竄ではないのでしょうか?
 法廷に持ち込むまで、まともに返答しようとしない姿勢を私は許せませんでした。


3)訴訟後の対応で許せないこと

※裁判所が要請した証拠物や提出期限を何度も守らなかったり、争点とは違った回答書を平気で提出してきたこと(裁判所からも注意勧告有り)

※裁判所からの和解提案に対し「日本●●会からの保険金が下りそうにないから和解は出来ないし、もし敗訴しても賠償金は払えないだろう」と返答してきたこと

 ・・・本当は、もっともっと沢山あります。


 ところで、みなさまの言われるように、今の日本の医療過誤裁判は「医療知識のない法律家が判断をくだす茶番劇」かもしれません。 実際に、私もこの裁判が始まるまでは「何故、妻は命を落とさなければならなかったのか? 裁判所とは、その真実を追究し、解明してくれる場所」だと思っていました。 しかし、実際は全く違うところでした。裁判所とは、結局「賠償金」ですべて決着をつけさせるところであり、事故の原因や真実の解明ということとは程遠いところでした。
 私は、この現実を知ってかなりショックを受け、一時は訴訟の取り止めも考えました。でも、やはりこのまま泣き寝入りはしたくないのです。 また、私がここで何らかの行動を起こさなければ、同じような犠牲者が出るかもしれません。事実、妻の事故の3年前にも、この産婦人科の診療ミス(判決済)で妊婦が亡くなっていましたし、その後も医療事故が後を絶たず、周りの病院の医師達からも、この産婦人科の悪評をよく耳にします。


 以上、支離滅裂な文章になってしまいましたが、結局、私が言いたいことは、「医療過誤訴訟を起こす目的はお金なんかじゃなく「何故、命を落とさなければならなかったのか?」
その本当の原因を追究したい一心なのです。
 そしてまた、ミスを犯し、その責任を認めず、挙句には隠蔽しようとする卑劣さを許せない人間としてのプライドなのです。例えは悪いですが、もし、私の妻の事故の原因が人的な医療ミスに起因するのであれば、その医師達は「交通事故のひき逃げ犯」と何ら変わらないと私は思います。

また、このHPにて以前、

「勝訴した患者側は、敗訴した病院側に、事故の再発防用の資金として、賠償金の一部を返還できるか?」という議論があったと思います。それについてもお答え致します。

 もし、この産婦人科が、訴訟当初より心から反省し、謝罪し、事故の再発防止に全力を尽くそうとしていたのであれば、私は一部を返還する?かもしれません。いや、それ以前に、もし、そうであるならば、私は訴訟を起こしていないと思います。

 しかし、現実は、「日本●●会(の保険)から保険金が下りないから、たとえ敗訴しても、1円も払えない」と言い切る産婦人科院です。このような保険金の横流しで、人の命を軽く考える病院や院長に対し、みなさまは賠償金の一部を病院へ返還できますか?そんなにみなさん心が広い人間ですか?心の狭い私は、おそらく絶対に無理です。

 それより、そんな仕組みで患者側に賠償金が支払われていることを知れば、誰も返還なんかしないと思います。また、裁判所から提示されている和解金額も驚く程少なく、大変失礼ですが、医師のみなさまの年収に毛が生えた位の金額です。でも、それでもこの産婦人科院は、病院の資金や個人の預金から支払う気持は一切ない様子で「保険金が入ってきたら、それをそのまま賠償金へ回そう・・・」と言われています。
 みなさまは、どうお考えになられますでしょうか?

 私は、この裁判で勝つか負けるか分かりません。しかし、訴訟を起こしたことは間違っていなかったと思っています。誰にだってミスはあります、失敗もあります。でも、許せないのは、その犯したミスよりも、それを無視し、隠蔽し、謝罪や反省もしない、その卑劣な心なのです。
 少なくとも、ここで議論されている医師のみなさまは「医療ミス」なんかに縁の無い、誠実で正義感の強い医師の方々と思いました。だから、これ程まで真剣に「医療過誤」を議論し合えるのだと思います。
 でも、実際にこのような最低な病院、卑劣な医師達がいることも事実であることを知って頂きたいと思い、長々とコメントさせて頂きました。

 改めて乱文乱脈を、また無礼な言葉の数々を、何卒お許しください。

>たまたま酸化医さん

 あなたのような意見はすでに何度か述べられています。
 そして、No.181 の「医療界がまさにその状況なのです。」という点については、このブログの常連さん(司法側を含む)にとっては共通認識だと思います。
 それを前提にして、「医療側が責任を問われるのであれば司法側も責任を問われるべきだ。」というのではなく、「医療側の責任を適正妥当な範囲に限定するにはどうしたらいいか。」というのが議論の方向性になっていると認識しております。

 なお、No.180については法律的には突っ込みどころがたくさんありますが、とりあえずスルーしておきます。
 一点だけ指摘すれば、私は文字通りの意味で「絶対的にクリーンな組織」というものはありえないと思っています。司法側であろうとなかろうとです。

>「医療側が責任を問われるのであれば司法側も責任を問われるべきだ。」というのではなく、

これが司法は人を罰するところで罰されるところではないという大前提の臭いがするので魔神ドールさんが極論を申されると感じています。
司法責任を追及するような機能が社会に実装されることはまず無いでしょうが、そういう気概で法曹の方々も仕事をしていただきたいと思っているだけです。


>「医療側の責任を適正妥当な範囲に限定するにはどうしたらいいか。」
そういえばここは民事のスレッドでした。失礼いたしました。
目一杯多く見積もった当該原告の逸失利益を当該医療行為の場合の合併症出現率や失敗する確率から過失相殺(被告は過失はないと言うわけですからこの表現はすごくおかしいとは思います)して○○○万円とか機械的に算定し補償するシステムでもできないものですかね。損保じゃないですけど。
財源が・・・という人がいるでしょうな。

私に落ち度はないと思って、医師免許を賭けて仕事をしていても患者・医療側両者から不本意な結果になることはあります。
それで誠心誠意謝ったから赦してもらえた、お金も取られなくて済んだでは悪い気がするのです。


産科医をしていますが、全く正常経過だったのに数年して見たことのあるお母さんが障害のありそうな児を連れているの見ると
「私が取り上げた子だ。CPかな。分娩時心拍正常だったし臍帯血pHも問題なかったな。養育費大変だろうなぁ。(まともにやったら負ける理由は全くないのだが)提訴でもしてくれたら、故意に負けるというのもアリかな」
なんて思ったりもするのです。口に出すと業界から抹殺されます。
そこで無過失何とかいうのが考えられていますが、この中の無がついているとはいえ「過失」「責任」という字に拒否反応があるようです。Googleすればわかるのですが企業の世界にはしばしば装備されている機能です。「妊娠保険」とか分かり易い名称ではだめなのでしょうか。

No.182の方の、対応が不誠実だったから提訴する、は個人の権利でして提訴してもいいと思いますし、「こりゃないだろう」というレベルの医療機関もありますから、低レベル機関淘汰のために勝って頂きたいと思います。
今回の訴訟で勝てる保障はありませんが、奥様を失われたという損失は発生しているのであり、医療過誤なのか確率論的に発生する医療事故なのかは別として何らかの補償があってもいいと思うのです。

>司法責任を追及するような機能が社会に実装

 制度的には、国家賠償法があります。
 個人責任としては、同法により、当該公務員(判事や検事)に故意・または重過失があれば国から求償を受ける可能性があります。
 もちろん、判事や検事は刑事訴追を免れているわけではありません。

 もっともそのようなこと(求償・刑事訴追)が現実的にはまったくといっていいほど行われないので医療側が重大な不平等感を持つのでしょう。

 しかし、医療と司法、つまり医師と裁判官・検察官との間にはかなり根本的な違いがあります。
 それは裁判官・検察官は権力行使者であるという点です。
 しかも、最も公正さが要求される立場です。
 公正さを確保するための制度設計や独自の組織原理というものがあります。
 十分機能しているかどうかは批判の余地がありますが。

> No.182 ある医療過誤訴訟の原告さん

始めに、医療事故でお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。

ホームページ見させていただきました。
リンクにある、5歳の方が亡くなったというホームページも併せて見させていただきましたが、こちらからは明らかに医療過誤というのは感じなかったです。医師の対応もそれほど悪くはないと思います。それなのに悪者になっているという印象でした。もちろん、カルテ改竄については刑事事件として捜査を進めても良いと私でも思いますが、過誤があったかどうか・・・・これは原告寄りの文を見ても首を縦に振ることは残念ながらできません。診断がつかないなんてことは日常茶飯事だし、誤診をしたことのない医師なんてまずいませんし、誤診をしたことのない医師は神か詐欺師でしょう。ましてや診断のつかないことなんて当たり前です。ましてやそんな難病なんて治療方針がころころ変わるでしょうし、難病に無知な医師は何をやるべきか解らないわけですから間違った回答をするかもしれません(私なら「解りませんからそちらで聞いてください」と冷たく言うでしょう)。
むしろ、5歳の子が亡くなったという事実からの悲しみからその怒りを医師たちに向けているとしか感じませんでした。もちろん、亡くなった子に対してはご冥福を祈りますし、とても残念だったと思います。しかし、おそらく一生懸命医師も戦ったと思います。彼らを逆恨みするのか?カルテを改竄したことや、『病棟部長であるKi医師に、国立小児病院のセカンドオピニオンを受けたいと申し出たところ、すごい剣幕で「貴方方は行く病院をせばめますよ!何処へ行っても、治療が変わるわけがない」』というエピソード等は同情を覚えるし、そんな対応は医師として失格だと思います(この部分については私も怒りを覚えます)。しかし、その他は概ね常識範囲内だと思います。ところがちょっとした感情のもつれがマスコミで取り上げられ、結果、マスコミの煽動と共に医療ミス(本来医療ミスという言葉は日本語ではありませんし、マスコミ的用法では医療過誤ではなく医療事故という意味なので誤解の多い用語でもです。そのため我々専門家は滅多に用いません)に仕立て上げられていくのです。正直、5歳の亡くなられた子もかわいそうですが、やり玉に挙げられた医師たちもかわいそうに感じます。
つまり、この出来事は感情論の方が強い為にでた行動と思うのです。我々から見ると難病で子供が亡くなったということ以外、よくあるドラマ的な物語以外の何物でもない、と感じてしまいます。事実を追求することよりも医師たちを血祭りに上げようという感情の方をむしろ強く感じます。

これを踏まえて回答いたします。
上記の場合私の予想では医療事故ではありませんが、ある医療過誤訴訟の原告さんの場合は医療事故の可能性もありそうです。しかし、残酷なようですが、事実を解明するには感情論はむしろ弊害です。感情抜きで事実をあらわにしていく必要があり、裁く場合にもそれは必要だと思います。感情のもつれは男女間でもありますし、いろいろな場面で出くわします。意見の相違から来る喧嘩なんていくらでもあります。人間である以上感情的になるのはある意味当たり前です。しかし、このような状態では冷静な正しい対応ができなくなります。収拾つかなくなります。
我々医師でも「訴えられても仕方がないな」と考えるのは「真実を語らないこと」です。不誠実な対応に対してのお怒り最もですが、これが前提になってはいけないと我々は思うのです。不誠実な対応はあくまでも付属、問題は真実を語らないことです。つまり、過誤があるかどうかが本来は問題ではないでしょうか?
医療過誤が明らかでない場合は本質的に許す許さないは本人たちが解決するか、民事で解決する問題です。こうした意味では「お金のやりとりになってしまうこと」は仕方が無いと思いますよ。

ただ、今の世の中、真実を語った故に通常の医療行為でたまたま患者が死亡し逮捕されてしまった医師もいます。カルテを正確に書く時間なんて無い、という実情もあります。後から書くから記憶が曖昧になりますし、医師、家族共に記憶が曖昧になり、「言った言わない」の世界になってしまうことなんて日常茶飯事です(医師も家族も自分が想像していない、あるいは理解できない範疇のことは覚えていないものです)。こういうことがあるから医師は簡単に自分の失敗を認めにくいということもあります。そのためにこのブログではいろいろなことを模索しています。
特にリピーター(反省無き医療過誤常習犯)は排除すべきだと思います。

私個人の意見を言わせていただくと、カルテ改竄を行う、あるいは真実を隠す医師は、現代においてはプロとして失格だと思います。そして過誤の有無について訴えるという行動に出ることは間違いないと思います。それから誤診を正直に反省し、次回に生かす、これも大事です。
しかし、感情が過誤や犯罪を暴くという行動の範疇を超えたとき、多くの医療事故原告のホームページに書いてあるようにそれは単なる医師叩きでしかありません。そこには憎しみ以外の何の意味もありません(マスコミは医師叩きとして喜んで取り上げるでしょうけど)。つまり、単なる喧嘩と違いはなくなってしまうのです。

できればこのブログに顔を出して、怒りを捨てろとは言いませんが、少なくともこのブログを見るときは冷静になって、客観的に遠慮無く意見してください(出ないと叩かれる危険もあるので)。
一般人や医療事故の当事者あるいはその家族の意見も必要だと思います。

以前にもご紹介したかもしれませんが、国家賠償法の訴訟を行っている弁護士の方のページです。
http://www.marimo.or.jp/~yuri/chotei/
勝訴したものもありますが、壁は厚いようです。

http://www.marimo.or.jp/~yuri/chotei/030127.html
しかし、明らかな録音テープまで否定するとはすごい・・・

>NO.186 yamaさんへ

 早速のコメントありがとうございました。

 確かに、再度冷静に読み返してみると、感情の怒りにまかせてあれこれと記載してしまったようです。これを読んで、お気を悪くされた医師のみなさまがおられましたら、本当に申し訳ございませんでした。何卒、お許しください。

 私はみなさまに喧嘩を売ろうとしているのではありません。ただみなさまのように良識を持って、毎日過酷な環境の中、患者の病気と闘っておられる医師の方々がおられる反面、利益やビジネスだけを優先し、患者の数を優先し、真剣に患者の容態を見ようとしない病院や医師もいるのだ、ということを知って頂きたかったのです。
(・・・これも過激な発言でしょうか?)

 これは私だけの発言ではなく、周りの小児科の医師やその産婦人科の院長と同じマンションに住まれていた方々、出産時の障害から現在もお子様に麻痺が残っていると言われる数多くの方々から発せられた言葉なのです。
 特に小児科の医師の方々からは「あの産婦人科から救急で搬送されてくる乳幼児数は多く、病状も明らかにおかしいことが多い」と複数のメールを頂いていることも事実です。

 また、この産婦人科はセレブ的サービスで市内でも有名であり、病院内でコンサートが開らかれたり、スポーツクラブと提携していたり、産後は夫婦でフランス料理のフルコースが食べれたり、各部屋には早くから液晶テレビやインターネット付きパソコンが配備されていたりと・・・。
 でも、そのサービスに騙された?私達夫婦が馬鹿だったのかもしれませんね。そう考えれば考える程、虚しくなってきます。

 ・・・すみません。これも単なる怒りにまかせた取るに足らない意見なのでしょうね。

> No.188 ある医療過誤訴訟の原告
いえいえ、私が見るところかなり冷静な意見だと思いますよ。
ところで、実は我々医師の間でも「あいつはやばい」とか、「あいつならやりかねない」とかいうのはあります。いつか事故をやらかすな、と思うものです。こちらが忠告しても聞く耳持たずです。しかし、不思議なことにそうした医師の一部はなぜか患者に評判はいいです。
世間の噂は残念ながらアテになりません。所詮素人意見だからです。むしろ悪口を叩かれているような医師ほど良医だったりすることもしばしばあります。例えば容易に眠剤や風邪薬を出さないなどです。しかしこの手の医師は医学的にはとても正しいのですが、なぜか患者の評判が悪いのです。
従って近所の噂はアテにならないと私は考えています。しかし、紹介を受けたり、救急を受けたりする医師が言うのであればその可能性はかなりありそうです。

一般的には解らない場合は遠慮無くいろいろな人の意見を聞いてみることです。その際には専門家の意見を聞くことが重要です。最もセカンドオピニオンの際には紹介状が絶対必要です。これがないと依頼された医師も判断できません。
簡単な鑑別法ですが、

1.セカンドオピニオンに当たった医師が明らかにおかしいと言った
2.紹介状を書いてくれなかった

場合はヤブと考えて良いでしょう。

丁度産科の話になったのでしつこく出現します。

>・・・利益やビジネスだけを優先し、患者の数を優先し・・・

ありますありますそんな産院。
妊娠出産は自然現象なのでほとんどはうまくいってしまいます。
最近の統計では250回に1回は危険な目に遭うでしたでしょうか。
逆に言えば249/250は問題が起きないので、分娩は何もなくて当たり前という風潮ができてしまっています。
分娩は24時間いつでもですから、本当は24時間営業体制にしないと妊婦さんがいつでも安全に、にはならないのですが、人件費や医療的設備に投資するより「・・・また、この産婦人科はセレブ的サービスで市内でも有名であり、病院内でコンサートが開らかれたり、スポーツクラブと提携していたり、産後は夫婦でフランス料理のフルコースが食べれたり、各部屋には早くから液晶テレビやインターネット付きパソコンが配備されていたりと・・・」などのつまらないインフラにお金を賭けるほうが費用対効果が高いのです。
商業誌等のメディアがそれを宣伝します。

被搬送病院勤務をしていると搬送症例をみて「ここはヤバイ」というのがわかってきます。
親しい友人等には「命が惜しければ○○と××には行くな」と言いますが、おおっぴらにすると業界から抹殺されます。
直接そのヤバイ病院に「こうなる前に搬送していただけませんか」とは言ってみたりもします。
こういう「ヤバイ病院」を監督してくれる機関があれば、医療界に自浄作用があるということで少しは訴訟沙汰も減るのではないかと考えますがいかがでしょう。

 yamaさん、そして、たまたま酸化医さん、適切なコメントありがとうございました。お二人のご意見に同感です。
 でも、患者側が病院を選ぶ基準は、結局、世間の評判しかないという現状なのです。それに「どうせ同じお金を払うのなら、綺麗でゴージャスでお洒落な・・・」という妻の意見に私は異論はありませんでした。今考えると、悔やんでも悔やみきれません。やっぱりこの世の中、「綺麗なバラには棘がある」んですね。

>こういう「ヤバイ病院」を監督してくれる機関があれば、医療界に自浄作用があるという
>ことで少しは訴訟沙汰も減るのではないかと考えますがいかがでしょう。

 そのとおりだと思います。 事故当時、私は保険庁や社会保険局等を回り、そのような機関を探しましたがありませんでした。 なので、そのような行政機関の設立を訴えたのですが、「医療行為に不満なら、民事でやってください」とまったく相手にしてもらえませんでした。
 ニュースによると、数年後から医療過誤の被害者には、行政から〜2000万円の補償金が出る?ようですが、私は反対です。 それこそ、お金目当ての人間が悪用するに決まっています。
 そんなことよりも、もし、医療過誤の疑いのある事故が起こったのであれば、交通事故の取調べのように、完全なる第三者的な医療知識を持った機関が、公平に、慎重に証拠等を調査して、本当に医療過誤なのか違うのかを明確にすることが先決だと私は思います。
 もちろん、入院にかかる費用も馬鹿になりませんが(妻の場合、ICU入院費用は1日約10万でした)、私たちが本当に知りたいのは、「救命できた症状だったのか、それとも現代の医学では困難だったのか?」なのです。
 綺麗ごとを言うわけではありませんが、訴訟を起こす時、「私は本当に訴えていいのだろうか?もしかしたら、本当に罪のない人間を犯罪者にしてしまうのではないだろうか?」と真剣に悩みました。そして、この気持ちは今でも心の中にあるのです。

 「とりあえずは、お金で解決するだろう」と安易に考える行政、裁判所、加害者。 でも、そんなことだけでは絶対に納得しないのが被害者の心だということを、もう少し理解して欲しいと私は思います。

yamaさんといろいろなところが同意見です。
2.3個人的な感想を。

● リンク先の小児科患者さんの場合十分医者は手を打っているように感じます。結果が悪かったにしろこれが訴訟になるとたまらないと感じる先生も結構いそうです。
一方ある医療過誤訴訟の原告さんの奥様の場合は医療に問題があるように見えます。

● ミスをしない医者はいません。ミスをしたことのない将棋指しがいないように。
ここにいる皆を含め多かれ少なかれミスをしていますし、医療現場におけるミスは一定確率で命に関わります。

● 改ざんは許せないです。改ざんと追記の境をどこに置くべきかという問題はあるが。
でも実は大事なことはカルテ読んでも判らないことが多い。例えば患者を診たときに一番重視するのは「見た感じの重症感」ですが、重症感ありとかなしとか書いてあっても本当にその状態かはわからないです。


● 「利益とビジネスだけを優先」対「真剣に患者の容態を見ない」という対比は無理があるので、全く真剣に見ない医者もいないし、利益とビジネスを考えない医者もいません。また真剣に見るといっても、どこまでも真剣に見るということは不可能でどこか常識的なところで手を打たざるを得ないんですね。つまりそこは二分法ではなく程度問題と見ていただいたほうがよい。
同じように神のような名医と絵に描いたような藪がいるのではなく、ほとんどの医者は連続するスペクトルのどこかにいます。

> ある医療過誤訴訟の原告様

 まず、奥様のご冥福をお祈りいたします。

 さて、
> また、私たちは金銭目的で訴訟を起こしているのではありません。亡くなった妻を生き返らせてくれるのであれば、私は土下座して感謝します。

 これからご不快に思われるかも知れないことを論じます。あらかじめご了承下さい。

 医療訴訟を起こされる方、患者団体のHPなどには常に「金銭が目的ではない。私達は真実が知りたい」と書かれています。確かにそう思って医療訴訟を起こされる方も多いと思います。ですが、そのような方々が敗訴された場合、「裁判は負けたけど、真実が明らかになって良かった」と言って喜ばれる方は皆無です。たとえ、裁判の中で明らかに「どうやってもこの方は助けられなかった」という事実が証明されてもです。「やはり、この人はどうやっても助けられなかったんだろう」という諦観を持たれる方も少数派でしょう。

 明らかに思い込みで訴訟を起こされる方も間違いなくいらっしゃいます(ある医療過誤訴訟の原告様がそうであると言っているわけではないので、念のため)。そして、残念なことに、そのような事例で医師が敗訴する例が希ではなくなってきているというのが、我々が論じていることなのです。医師が敗訴した判決文を詳細に医学的に検討しても、「どう考えてもこれは医療過誤ではない」と思われる事例がたくさん出てきています。あるいは仮に医療過誤であったとしても、周囲の状況からこれはやむを得ないであろうという事例での医師の敗訴も相次いでいます。

 また、これは元ハーバード大助教授の李啓充先生が「市場原理が医療を亡ぼす」という著書の中で触れられていることですが


 第3報で対象とされた約3万のカルテの分析で,280例に医療過誤が存在したと同定されたのだが,この280例のうち,実際に医療過誤の損害賠償を請求していたケースはわずか8例のみであった。一方,全3万例のうち,過誤による損害賠償を請求した事例は51例あり,その大部分は,HMPS(ハーバード・メディカル・プラクティス・スタディ)の医師たちが「過誤なし」と判定したケースだったのである。つまり,実際に過誤にあった人のほとんど(280人中272人)が損害賠償を請求していない一方で,「過誤」に対する損害賠償の訴えのほとんどは,実際の過誤の有無とは関係のないところで起こされていたのである。
 さらに,HMPSは過誤訴訟の帰結がどうなったかを10年間追跡したが,賠償金が支払われたかどうかという結果と,HMPSの医師たちが客観的に認定した事故・過誤の有無とはまったく相関しなかった。事故や過誤はまったく存在しなかったと考えられる事例の約半数で賠償金が支払われている一方で,過誤が明白と思われる事例の約半数でまったく賠償金が支払われていなかったのである。それだけではなく,賠償金額の多寡は医療過誤の有無などとは相関せず,患者の障害の重篤度だけに相関したのだった(ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン335巻1963頁,1996年)。

  医療訴訟を起こすか否か(あるいは判決がどうであったか)は残念なことに医療過誤があったかどうかとは相関しないと言う証明がすでになされているのです。

 ではどうするか、というところを今我々は論じています(というか、論じている部分の一つです)。

 もうひとつ。これも是非覚えていただきたいことですが、「医療に関して、コスト、アクセス(病院へのかかりやすさ)、質のうち、2つまでしか達成できない」という医療経済学・社会学上の法則があります。日本の医療コストはGDP比でG7(ロシアを除く先進国主要7カ国)中最下位に落ちました(2006年統計)。日本の医療アクセスの良さは文句なく世界最高です(アメリカ、イギリスでは個人が勝手に専門医にかかることは出来ません。場合によっては救急病院を受診することも保険で制限されている州があります。)。つまり、コスト、アクセスについてはすでに達成されており、この状況を維持したまま、世界最高の質の医療を達成するのは不可能であることを認識してください。

 今、日本で必要なのは医療にかけるコストです。これは医者の給料を上げろと言っているわけではなく、医療従事者の人数を増やせと言っていると考えていただくのが最も良いと思います。人口10万人当たりの医師数は日本よりもっと医療崩壊が深刻なイギリスとほぼ同じで、アメリカ、フランスの2/3,ドイツの半分です。人口10万当たりの看護師数はアメリカとほぼ同じですが、1ベット当たりの看護師数はアメリカの1/4です。

 これが何を意味しているかというと、日本では広く薄く医療施設を配分し、それによって低コストで高アクセスの医療を維持していると言うことなのです。低コストで人員が少ないまま、高質の医療を維持しようとするとどうしても現場の人間の疲弊を来します。疲弊の次に来るのが医療過誤です。
 いま言われている産科医療の崩壊、僻地医療の崩壊、救急医療の崩壊は、小児医療の崩壊はそうやって疲弊した医師達が「疲弊した環境で危険な医療過誤を起こすよりは、より安全な医療をやってそちらで貢献しよう」と人員のシフトが起きているからです。

 ある医療過誤訴訟の原告様がご経験されたような「問題のある医師による医療過誤」「いわゆるリピーター医師による医療過誤」ばかりであるならば、我々はこうも騒がないであろうと言うこともご理解いただけると幸いです。

追記です。

 私も立木志摩夫様、yama様と同様、リンク先のお子さんの事例については、医師に明瞭な過失はないと考えます。どちらの病院でも最善を尽くしていると考えて良いと思います。「過失はなくても人は亡くなります。」このお子さんの事例はその典型だと思います。

 一方、ある医療過誤訴訟の原告様の事例では明瞭に医師側に問題があると思われます(厳密に言えば、もう少し原資料に当たらねば断言できませんが、ある医療過誤訴訟の原告様の書かれたことのみから判断すれば、明らかに医師側に問題があると思われます。)。

 この2つの事例だけを取っても、医療過誤訴訟を起こすかどうか、その判決・和解結果がどうであるかは「真実と必ずしも相関しない」と私は考えます。

No.191のある医療過誤訴訟の原告さん、

>裁判所とは、結局「賠償金」ですべて決着をつけさせるところであり、事故の原因や真実の解明ということとは程遠いところでした。

ご指摘のとおりです。
日本の民事裁判所は、当事者間の紛争を解決する場であり、(実体的)真実の解明の場ではありません。

私は、法律相談などで医療事故や交通事故について相談される方には、民事裁判では真実の解明にはつながらず、最終的には金額の話になることを必ず説明します。
説明していて、いつも心が痛む思いをするのですが。

民事裁判を起こさなくても、交通事故などでは、ほぼ必ず事故処理に警察が入っていますので、加害者が起訴されれば法廷を傍聴したり刑事記録を入手したりできますし(もっとも、これは医療事故でも同じで、相談者が刑事告訴を求める理由の一つになっていると思います。)、加害者が不起訴処分になっていても実況見分調書ぐらいなら入手できます(供述調書などについては民事裁判を起こさないと難しいです。)。

それ以上に真実を解明するには、最低でも、関係者に刑事・民事の免責を与えたうえで、強制権限を持った調査を目的とする国の機関を創設して調査するような仕組みでないと、無理でしょう。

> ある医療過誤訴訟の原告さん
前の投稿で「さん」の敬称が抜けていました。申し訳ありません。
ところで、今ではどの病院(有名な一流大学病院も含めて)も「如何に採算を合わせるか」というのが最優先におかれています。今の世の中、国は助けてくれませんから自分で自分の身を守るしかありません。その結果、本来「医療の質」の向上には欠かせない「労働環境の整備」が後回しになり、結果、従来と同様の奴隷的労働を強いられ、過労死などの問題だけではなく、医療過誤の増加を招いていると考えられます(医療が高度複雑化するにつれて何も対策を講じなければ当然過誤は増えます)。
ある意味、国が何とかしないと医療の質は下がる一方という訳なのです。こうした実情を一般国民は全く知りません。ようやく一部のマスコミが気づき始めたかな?という程度です。
こうした実情を知っていただくにも一般の方のこのブログへの参加は必須であると私は考えます。

立木志摩夫さん、僻地外科医さん、PINEさんへ

 みなさんの貴重なご意見、ありがとうございました。

 私は昨年まで(妻の死後3年間)、訴訟に関すること以外、どうしても医療過誤に関する一切の情報を見ることができず、ましてや、病気で家族を亡くすドラマや映画なんて絶対に見れませんでした。 それは、妻の最後の時の情景がフィードバックし、急に胸が苦しくなって思考がストップしてしまいそうになっていたからです。
 しかし、これではいけないと自分に言い聞かせ、そのきっかけにと、昨年の春からHPを開設しました。そして、この1年間に本当に多くの励ましや批判のメールを頂き、中には「偽善者の顔をした金の亡者」なんて言われるメールを受けたりもしました。
 でも、いろんな意味で勉強させられましたし、賛否両論を冷静に受け止めることができるようになりました。両者の立場の意見を聞くことは、本当にいろいろと考えさせられますし、勉強になります。
(決してみなさんのコメントが不快であったということではありませんから誤解されないでくださいね。逆に、このサイトでコメントされてあるみなさまは、本当に相手の気持を良く考えて発言されており、良識ある方々だと尊敬しています)
なので、敬称なんて気にしていませんので、どうかご心配されないでください。お気遣いありがとうございます。

 さて、確かに 「利益とビジネス」か「真剣なる診察」、どちらを優先しても、結局どちらかが蔑ろになる。 問題は、そのバランスなのですね。 医療レベルを落とさないように経営する分岐点を、病院はどこに設定するのか、なのですね。
 でも、現代の日本医療の現状では、患者に対する医師の比率からして、高水準の医療レベルを保ちながら経営をおこなうことは至難の業なのでしょう。 しかも、これから高齢者数は増加する一方・・・。
 でも、この現状に対して、国は、行政は、日本医師会は、何か活動をしているのでしょうか? やはり、首相や大臣の家族が医療事故や医療現場の危機的状況に遭遇しない限り、国や行政は医療過誤の調査機関を本気で設立しようとはしないのでしょうね。

> No.197 ある医療過誤訴訟の原告 さん
行政は世論に押されてようやく重い腰を上げたといって良いでしょう。でもごく断片的なことであり、十分とはとても言えません。ただ、彼らにも言い分はあるでしょう。財務省から予算を削るよう強要されているからです。若い官僚には「何とかしなければ」という人も結構います。中には臨床現場をきちんと勉強してから官僚になった優秀な人もいます。
医師会は保険医療死守にいっぱいいっぱいでとてもとても手が回りません。
そもそも勤務医を守るという発想は彼らにありません。あくまでも開業医を守るという集団ですからどちらかといえば医療事故に対しては今のところ役に立たないといって良いでしょう。

政治は医療に対して素人です。共産党が頑張っていますが(念のため、私は共産党のシンパではありません)、国会では無意味な議論が続いています。おそらく医療系の議員が現れない限り根本的な対策はできないと思います。

結局は世論なんだと思います。しかし国民は真実を何も解ってはいません。その真実を語るべき最先端にいるのがマスコミのはずです。しかしマスコミは取材不足と偏見から来る無意味な医療バッシングを続けており、多少わかってきたものの、まだ十分理解しているとはとても言えず、過去の報道に対しては今なお姿勢を根本的に改めようとしていません。

もちろん、現場の医師や医療過誤当事者の意見なんて届くはずもありません。一個人の力はたかがしれています。

これでは日本の医療はお先真っ暗です。
でも少しずつ少しずつ医療が崩壊していくことによって日本国民の目が覚めるのだと私は信じています。

> No.197 ある医療過誤訴訟の原告 さん
当方、内科勤務医です。
大変なご苦労をなさって、しかも、冷静な対応には頭が下がります。
リピーター医を排除できない現状には医師の一人として申し訳なく思います。

以下、独り言。
首相や大臣の家族や官僚は手厚い医療を受けられるので、彼らの体験は期待薄です。医師が人手不足、医療費不足を訴えても今まではマスコミも市民も「高給取りが何言ってんの」という態度です。

職場や家族の話題に医療崩壊を取り入れて、草の根運動的に(市町村、県、国会)議員とその秘書に、政治の責任を強く伝える事になれば転換点ができるかもしれません。

>No.198yamaさん
>No.199hamaさん

 コメントありがとうございます。

hamaさんの、
>リピーター医師を排除できない現状には医師の一人として申し訳なく思います。

 いえいえ、みなさまが恐縮されることはありません。もし、そうであれば、私も「同じ人間として申し訳ない」ということになります。その優しいお気遣いに感謝です。ありがとうございます。

>首相や大臣の家族や官僚は手厚い医療を受けられるので・・・

 これは、どの国、どの時代においても変わらない俗世の慣しですね。結局、弱者は貧乏クジを引くしかないのでしょうね。私の悪友も、「悔しかったら、お前も議員になればいいじゃん!」と言い切りますが、それもある意味、的を得た答えだと思います。 でも・・・、やはり納得いかない世の中です。

また、yamaさんの、
>でも、少しずつ医療が崩壊していくことによって日本国民の目が覚めるのだと私は信じています。

 これは非常に怖いことだと思います。このまま過酷な労働環境が続くと、医療レベルも高く真面目な医師達までもが、その対応限度を超えて医療事故を起こす可能性も高くなる訳ですよね。そうなれば、患者側も、医師側も、共に被害者となってしまいます。そして、その責任は、国や行政だと主張しても、「何よりも自分が一番大事」なお役人様達は、絶対責任を認めようとはしないでしょう。また、そう気づいた時には、日本という国は容易に軌道修正できないのではないでしょうか?
 贅を尽くし、世界に君臨しようとしたこの飽食の国は、自らの過ちを省みなかった結果、やがて衰退の道を歩まなければならないことは、本当に悲しいものです。

 ・・・、ここでこのような議論をしても仕方のないことでしょうが、これは大変重要な課題だと思います。

<お願い>
 もし、宜しければ、事故当時に搬送先の九大病院の某医師に作成して頂いた「病状説明書」を見て、何かコメントを頂ければ嬉しいのですが・・・。(本当は、事故があった産婦人科のカルテの方がいいのでしょうが訴訟中ですし、改竄も多いので・・・)
 あまり興味のない不特定多数の方には見て欲しくないので、私のHP
http://www.geocities.jp/mhr3129/
の「事故記録」ページ内の下方「医療ミス当日の詳細記録(時系列)」の下方左側欄の「九州大学病院・集中治療室(ICU)担当医師の説明」という文章の(ICU)というところをクリックして頂ければ別窓で開くように作成しています。
 現在のところ、産婦人科側は「術後(12時半)からずっと正常であったが、18時前後に急激に症状が悪化した(DICになった)ので緊急搬送した」と言い訳しています。
 しかし、HPに記載のとおり、彼女は術後から極度の意識障害、乏尿、頻脈、低体温が続いており(産婦人科のカルテにも記載)、それなのに適切な診察や検査はありませんでした。
 もし、百歩譲って、彼女が18時前から急にDICに陥ったとしても、九大病院へ搬送された時点での容態(この病状説明にある状態)とは辻褄が合わないと私は思いますし、また、14時の時点での病状を産科DICスコアで判定してみると、とても危険な状態であったことがわかりました。

 私の訴訟は、まだまだ続くと思いますが、もし、みなさま様方のご意見で参考になればと思い、コメントのお願いをさせて頂きました。宜しくお願い致します。

No.174 僻地外科医 さん

「裁判所は訴訟が起きたものを門前払いで突っ返すことは出来ない」とか「被告側の立証に問題があれば原告側に有利な判決が出る」とゆうのが、当然の前提になっているところが間違いなのです。先生は既に彼らのペースに巻き込まれている、もっと言えば策略に乗せられているのではありませんか。

法律の細かい仕組みがどうとか、裁判の細則がどうなっているとかは、しょせん人間が作ったルールをどうするか、取り扱いをどうするかとゆうレヴェルの問題でしょう。自然現象ではないのだから、人間がその気になればすぐにでもコントロールできるわけです。ついでに言うと、過失とか法律責任とか弁論主義とかいう御立派な概念は、いずこかに客観的に存在するものではなく、単に法律家がそう分類した、そう名付けたとゆうだけのことです。これを言葉遊びと言うかどうかはともかく、自然科学とは根本的に異なることは確か。

つまり何が言いたいかとゆうと、裁判とか法制度とかいうのは、病理や薬理の機序と違って、人間の匙加減ひとつでどうにでもなるとゆうことですよ。弁論主義とやらは、自然科学的な真理などでは断じてない。もちろん彼ら法律家にとってみれば絶対不可侵の信仰対象なのかも知れませんが、科学者たる我々や法律家以外の一般国民がその考え方に服従する必然性は全くないです。もちろん、自然科学的な真理が、そのようなお題目より下位に置かれることを許すべきでもない。

そして、裁判一般がどんなものかは知りませんが、こと医療の分野に関しては、司法が無能でありトンデモ判決を乱発していること(トンデモ判決が出る仕組みをこねくり回して議論する必要もないです。結果として間違っているのだから、それで十分。)、これにより深刻な医療崩壊が引き起こされていることは、明らかな事実です。自分に都合の悪い証拠は「不同意」にして排除するとか、そうゆう不合理で非科学的で恣意的な、盟神探湯と大差ない儀式で医学的真実に合致した判断ができるはずもありません。訴訟が事故の原因究明、再発防止に全く役立たないとゆう事実も、一部の司法原理主義者を除けば、既に常識として定着しているといってよい。

このように、司法が医療に介入することは医師にとっても患者にとっても社会全体にとっても有害であることが数々の調査、証拠から既に客観的に判明している(先生ご自身も、No.193で、医療訴訟の判決と医療過誤の有無との間に何の相関関係も認められないことを、学術的調査を引用されて説明されておられますね。)のだから、その上、裁判制度なんてのは人の考え一つでどうにでもなるのだから、すぐにでも介入を止めればいいのに、なぜ止めようとしないのですか、とゆうのが私の根本的な疑問なのですよ。

これは法律家の先生に聞きたいけど、医師が、「ごくごく些細なかすり傷くらいはあるが、全体として見れば極めて健康な状態の人」に対して、そのかすり傷の治療であると称して、実際には何の治療効果もない学問的常識に反する危険な手術を断行し、その相手を瀕死にさせた場合、どうされるんですか?

その医師は有罪だけど、司法が、「ごくごく稀には問題のある医師がいないではないが、全体として見れば世界トップ水準の医療サーヴィスを提供してきた日本の医療界」に対して、「問題のある医師を排除する」と称して、医学的常識に反するトンデモ判決を乱発し、善良な医師を投獄する暴挙を繰り返し、日本の医療界全体を瀕死に追い込むことは無罪だとでも? それどう考えてもおかしくありませんか?

> No.201 ある医療過誤訴訟の原告 さん
私は外科や麻酔科は専門外なので、ちょっと答えは出せないのですが、ともかく真実を追究するという姿勢は間違っていないと思いますので頑張ってください。

あと、何故私が崩壊してから気づくと書いたのは、マスコミが産科・救急医療が崩壊してようやく気づき始めたという実情があるからです。これまでも我々医師はささやかながら医療崩壊が起きるという予想を発信してきました。決して黙っていたわけではありません。ところが黙殺されてきました。
今後はインターネットで自由に発信できる時代です。それ故理解する人も増えてきました。このブログが好例です。それにも期待しましょう。

 そうは言っても、法治国家では、悪法に従いつつ闘うしかないわけだ。私刑は許されないわけだから。これは、人文科学だとか自然科学だとかに関係なく、理論でもなく、まさしく現実なわけだ。
だとすると、我々には友軍が必要である。そして、此処には友軍たる弁護士さんたちが多く居る。
 医療崩壊歓迎派であろうと、医療崩壊防止派であろうと、医師の労働環境や、開業医の診療経営を改善すること、医療費抑制政策を改めさせること、医療裁判システムを修正させることに関しては、医師間での意見一致があるはずだ。そしてその実現を図る為には、有効な戦いをしなければならないし、どうしても、法曹資格者やIT技術者の協力が必要なんだ。
 それはわかるだろう?

 ある医療過誤訴訟の原告 さん、初めまして、麻酔科医のbambooと申します。 「病状説明書」拝見しました。九大病院搬入時の検査データを見ると、すでに救命は困難な状態だったと思われます。大量出血に対する初期治療に問題があると考えるのが妥当と思われます。

 後医が前医を批判することは、どうしても後出しじゃんけんのそしりを免れないため、躊躇する傾向があります。けれども、この件に関していえば、大学病院の ICU の医師から見たら「何をやっていたのだ」という思いはあるでしょう。私もそう思います。

 それでは医療ミスだったのかというと、私はそうは思いません。レベルが低かったのだと思います。一口に医師といっても、レベルは様々です。考え得るあらゆる状況を想定して医療を行っている医師もいれば、決められたレールをはずれたらお手上げの医師もいます。前者から見ればミスの事例でも、後者から見たら想定外の非常事態で、悪いのは患者の病態だったのだというでしょう。

 お産に出血はつきもので、妊産婦は結構出血に強いものです。他の場合なら輸血が必要な出血量でも輸血をしないことも多いのです。おそらくは高をくくったのだと思います。そう考える理由は以下に述べます。

 自宅で出血したとしても、入院時の検査では貧血がなかったのではないかと思います。出血からある程度時間が経たないと、血管外からの水分の移動が行われず、血液が希釈されないからです。急性期の出血では血算(血球数や血色素量をはかる検査)は当てにならないのですが、これを知らない医師は多いのです。術前に貧血がないと思っていれば、帝王切開で1kg位の出血があっても輸血することはないでしょう。術後もたいていの患者は順調な経過をたどるものであり、そうでない異常な事態は患者の側の問題であって、自分たちのせいではないと思っていれば、術後の観察もおろそかになるでしょう。

 以上は少ない情報からの、あくまで私の想像です。事実とは異なる可能性は大いにあることをご理解ください。そして、私の想像通り、被告がレベルの低い医師(病院)だとしても、排除すればそれでいいのかというと、悩ましいものがあります。

 たとえレベルが低くても、順調な経過の患者であれば問題なく診療をできています。レベルの低い医師を排除して、これらの順調に経過する患者が他に押し寄せれば、結局すべて崩壊します。レベルの低い医師でも、必要なのです。排除したからといって、有能な医師が降ってくるわけではないからです。残念ながら、これが医療の現状です。他の国と比べて、特に劣っているわけでもありません。

 最後に、奥様のこと、お悔やみ申し上げます。

>No.205 bambooさんへ
 ご意見ありがとうございました。

>それでは医療ミスだったのかというと、私はそうは思いません。レベルが低かったのだと思います。
 そうですね、確かにこの病院、この医師(院長なのですが・・・)は、周りの搬送先の医師たちからも「あそこは医療レベルが低すぎる」と批評されています。
 でも、私の妻は妊娠が分かった時からずっとこの産婦人科に通院しており、妻が普段から「貧血症」であったことや、出産の1週間前には「妊娠中毒症の傾向有り」と診察され、事故当時も自宅で相当量(おそらく1000〜1500ml)の出血で倒れて動けなくなったので、救急車で産婦人科に搬送されました。そして、帝王切開手術前にも「自宅で大量に出血しました、また貧血症だからよろしくお願いします」と伝えてから手術に入った経緯があります。産婦人科のカルテからすると、手術中の出血量は約1000ml前後ですので、術前術後の出血量はかなりのものだったと思います。しかし、bambooさんの言われるように、出血量は個人差があるでしょう。
 でも、私が許せないことは、そのような状態であったので、術後から極度の意識障害であることに危機感を抱いていた私が、何度も「意識がまったくないが大丈夫か?」と聞いていたにもかかわらず、みんな薄笑いしながら「麻酔がきれていないだけ」といい続け、最後には院長までもが「脳がおかしい」と診察ミスを犯し、搬送するまでに6時間以上も経過した結果、救える命も救えなかったのではないでしょうか?何度も観察に来たあの時、少しでも診察や検査をしてくれていれば妻は助かっていたと思います。でも、実際には離れたところからチラッと見るだけでした。そして、院長は九大病院に到着するまで、私に「麻酔が切れない、脳がおかしいのだ」といい続けたのです。
 確かに「医療ミス」とは言い切れないかもしれません。でも、適切な検査や処置をせず、間違った診断のために搬送判断が大幅に遅れ、その結果命を救えなかったということは、明らかに人的ミスではないのでしょうか? 出血性ショックやDICを疑って検査をし、輸血さえしてくれていれば、このような悲劇は回避できたのではないでしょうか?
 私はこの医師を排除しようとは思っていません。ただ、医療ミスなのか、判断ミスなのか分かりませんが、とにかくミスを犯した結果、救える命を救えなかったことへの反省、謝罪はすべきだと思います。大切な、大切な人の命がひとつ失われたのです。その事実を隠蔽しようとしたり、証拠を改ざんしたりすることは、人間として、夫として、絶対に許せないのです。
 私が主張していることは、間違っていますでしょうか? ただ、「医療レベルが低かった」(運が悪かった)では、どうしても納得できないのです。

>それでは医療ミスだったのかというと、私はそうは思いません。レベル
>が低かったのだと思います。一口に医師といっても、レベルは様々です。
>考え得るあらゆる状況を想定して医療を行っている医師もいれば、決めら
>れたレールをはずれたらお手上げの医師もいます。

bambooさんと同じ麻酔科医としてのコメントです.
「胎盤早期剥離」と診断して帝王切開を施行した,ということからしてその産科医は,「危険な状態であったことを認識していたはず」です.
胎盤早期剥離は産科DICを来す代表的疾患であることは産科医であるなら誰でも知っていることです.
また,「術後になかなか意識が回復しなかった」ということ,「胎盤早期剥離」の診断からみて,全身麻酔下の帝王切開が施行されていたのでしょう.帝王切開では特別な理由がなければ全身麻酔を選択しませんが,適切に「全身麻酔」を選択しているところからみてもそれなりに対応しています.(だれが全身麻酔を管理したか,という情報はありませんが)
ここまでのところでは私には「レベルが低い医者」というようにはみえません.
それではなぜ,高度貧血になってしまったのでしょうか?この辺りがよく解りません.ある時点から急速に出血が進んだのでしょうか?それなら,救命することは困難であったのかもしれませんが...
なお,その後の態度がある医療過誤訴訟の原告さんの書かれている通りだとすれば(すみません,一方だけの話しか解りませんので敢えてこのように書かせて頂きます),不適切な対応であったと言わざるを得ません.

ある医療過誤訴訟の原告さんの書かれている情報からしますと,医師側にも対応に問題があった可能性はあります.(もっと詳細な時系列の情報が整っていなければはっきりしたことは言えません.)ただ,「胎盤早期剥離」という病気は母子共に生命の危険がある病気であったということだけは認識しておく必要があると思います.適切に対応できていたとしても救命できなかった可能性があることも私には否定できません.

最後に奥様のご冥福をお祈り致します.

ある医療過誤訴訟の原告さん、
まず、亡くなられた奥様のご冥福をお祈り申し上げます。
昨年3月に私が自分のサイトで書いた文を貼ります。

医療事故を裁判で裁くのは好ましくありません

私は会社員を経験してから医者になりましたが、医療の世界に入ってみて、普通の社会感覚で考えれば患者さんに不親切なことが沢山あるし、遅れた部分が沢山あるということは常々思います。

一般の人が医療に対して不満・不信を募らせる原因の一つに、結果が思わしくなかった治療について、それが止むを得なかったのか、それともミスなのかを知ることが難しく、また医療者側でそれを検証報告する公正なしくみが十分整備されていないということがあるでしょう。この様な現状では、そのような不満が唯一の窓口とも思える裁判に向かっても、それは止むを得ないかなぁ、とは思います。

ただし実際には、医療事故を一般の裁判で裁くのは非常にまずいことです。まず第一に、医学的に科学的に検証すべきである医療事故を、医療の素人である裁判官、検察官、弁護士が、わずか数名の鑑定医の証言を元に断ずることに無理があります。弁護士の選び方や鑑定医の選び方が、真に科学的な検証結果を超えて、原告・被告それぞれに対して有利に働いたり、不利に働いたりします。第二に、そうした判決は判例となり、その後の医療を縛ります。医学に基づいた医療ではなく、判例に基づいた医療が優先される可能性があります。先日徳島で、微妙な判断で起きた医療事故について、治療方針を一方的に断じた最高裁判決が出ました。今後この判例の治療方針に従った治療を受けて思わしくない結果となった患者さんは、もうどうすることもできないでしょう。

昔は医療事故(過誤を含む)で思わしくない結果になっても、患者さんや家族は「医者にかかってもダメだったんだから、仕方がない」と諦める人がほとんどだったと思います。それが良いか否かは別として、そういう甘い風潮のお陰で、医者は本来の医療行為(=医者が病気を治すために解決策を考えたり、手を動かすこと)に集中できたのではないでしょうか。そのようにして限られた医者資源を本来の医療行為に集中することによって、日本の医療が安い医療費で回っていたことは事実だと思います。それが今では、説明と同意の意識が高まり、思わしくない結果についての弁明も求められ、本来の医療行為に割ける時間を圧迫しています。心労も増えています。

今でも「医者にかかってダメなら仕方がない」と思う患者さんが多数だとは思いますが、徐々に裁判などに訴える人が増えています。そういう人が例えば医療事故の裁判で1億円を勝ち取ったとします。そうすると医療側は医療原資を1億失うわけです。医療原資が減ればその分医療の質は低下し、結局割りを喰うのは「仕方がない」と思って諦めるような、昔ながらの安価な医療で十分事足りていた人なのではないかと思います。訴訟で1億を勝ち取った人は勝者ですが、それによる敗者には医療関係者のみならず、声無き一般の人々も含まれてしまうのです。
昨年起きた福島産婦人科不当逮捕事件を受けて、上記のようなことを考えました。今も考えは変わらないのですが、そのような訴訟について「悪影響を及ぼす可能性があるから止めたほうがいい」と諭す気持ちはなくなりました。実際問題としてそのような訴訟を起こすことが可能であり、また億単位の賠償金を勝ち取れる可能性がある以上、医療訴訟の害悪を個人個人の心の問題に帰して済ませることはできるはずもなく、解決には制度自体の修正(法の改正)が絶対的に必要だと考えるようになりました。訴訟を起こされて、医療をよくわかっていない裁判官が心証を元に医療側に不利な判決を出しても、医療が崩壊しないで済むようなルールが絶対に必要だと思うようになりました。そういう法改正がなされるまでは、訴えたい人はどんどん訴訟を起こし、裁判官に判決文を書くように迫れば良いと思います。ある医療過誤訴訟の原告さんの訴訟を応援する気持ちはありませんが、訴訟を起こして問題を顕在化させることは決して悪いことではないと思うということです。

 みなさん、いろいろなご意見ありがとうございます。
二つだけ、書き忘れていたことがありましたので追記させて頂きます。

>No.206に追記
1)出血量は、多量出血した術前術中以降、九大病院へ搬送されるまでの6時間内では、たしか150ml前後程しかありませんでした。

2)麻酔は全身麻酔ではなかったようです。搬送先の病院で一時的に意識が戻った時、妻が「手術から出産まではちゃんと覚えている」と言いましたし、産婦人科のカルテにも全身麻酔とはなっていませんでした。

>魔人ドール様


「裁判所は訴訟が起きたものを門前払いで突っ返すことは出来ない」とか「被告側の立証に問題があれば原告側に有利な判決が出る」とゆうのが、当然の前提になっているところが間違いなのです。先生は既に彼らのペースに巻き込まれている、もっと言えば策略に乗せられているのではありませんか。

 申し訳ありませんが、もうちょっと今までのコメント、議論を呼んでから御発言される方が宜しいかと思います。はっきり言って、「いまだにこの程度の議論か」と笑われて仕方ないレベルだと思いますよ。

 あなたが住んでいる社会は日本ではないのでしょうか?今の日本の法律では「裁判所は起こされた訴訟を門前払いすることは出来ない」ですし、「被告側の立証に問題があれば原告側に有利な判決がでる」のは当然のことです。司法は法を超えて判断することが出来ません。それを許すこと自体が司法の独走になってしまいます。その法を決めるのは誰かと言うことをもう一度考えた方がいいと思いますよ。


法律の細かい仕組みがどうとか、裁判の細則がどうなっているとかは、しょせん人間が作ったルールをどうするか、取り扱いをどうするかとゆうレヴェルの問題でしょう。自然現象ではないのだから、人間がその気になればすぐにでもコントロールできるわけです。

 そう。そして、そのルールを決めるのは誰かということを本当に分かってますか?司法とはあたえられた条件(法)の元に「判断」するのが仕事であって、法(ルール)を決めるのが仕事ではないです。こんなことは中学校で習っていると思うのですが?

 まあ、正直なところ、私もここに参加した初期の頃、そのへんを十分に理解していたとはいいがたいので、魔人ドール様の誤解もやむないかなと思います。しかし、あなたの誤解はやむないとしても、誤解したまま堂々と他者を非難している姿勢には問題を感じます。


そして、裁判一般がどんなものかは知りませんが、こと医療の分野に関しては、司法が無能でありトンデモ判決を乱発していること(トンデモ判決が出る仕組みをこねくり回して議論する必要もないです。結果として間違っているのだから、それで十分。)、これにより深刻な医療崩壊が引き起こされていることは、明らかな事実です。自分に都合の悪い証拠は「不同意」にして排除するとか、そうゆう不合理で非科学的で恣意的な、盟神探湯と大差ない儀式で医学的真実に合致した判断ができるはずもありません。訴訟が事故の原因究明、再発防止に全く役立たないとゆう事実も、一部の司法原理主義者を除けば、既に常識として定着しているといってよい。

  トンデモ判決は確かに存在します。私は過去のエントリーで散々それを叩いています。ですが、問題の奥底にひそむ「立法」や「行政」、「市民意識」、「教育」の問題をあっさりスルーして「司法で医療をあつかうのはまちがってる」とだけ叫んでも、何の意味もありません。
 我々がここで議論しているのは「司法が問題だぁ、医療を司法であつかうのはまちがってる」という幼児的議論ではなく、医療事故の問題を扱うに当たってどの様な手法を用いればより確実に当事者双方が納得できる結論を出せるか、と言う問題なのです。


このように、司法が医療に介入することは医師にとっても患者にとっても社会全体にとっても有害であることが数々の調査、証拠から既に客観的に判明している(先生ご自身も、No.193で、医療訴訟の判決と医療過誤の有無との間に何の相関関係も認められないことを、学術的調査を引用されて説明されておられますね。)のだから、その上、裁判制度なんてのは人の考え一つでどうにでもなるのだから、すぐにでも介入を止めればいいのに、なぜ止めようとしないのですか、とゆうのが私の根本的な疑問なのですよ。

 ここでも私の議論をまるっきり誤解しているようです。今の訴訟で医療事故に関する真実を見出すことは不可能です。すくなくとも私はそう考えています。ですが、訴えられたものを門前払いすることも今の法では不可能です。これは司法の問題ではなく立法、行政の問題です。せめてその程度の常識を身に着けてから議論に参加してください。
 「介入をやめろ」とただ言ってみたところで、法がそれを定めている以上、司法はそれに従うしかないんです。
 そもそも、このブログでトンデモ判決自体の存在を否定している人はいません。その判決がどういう理由で出て来たのか考察もせずに「トンデモ判決だ、医療を司法であつかうのはまちがってる」と短絡していては100年経ってもこの問題は解決しません。あなたも医者ならばもう少し「病態生理的発想」を身に着けた方がいいのではないでしょうか?それでは医者としてもやっていけませんよ。

 もう一度いいます。
 今までのここの議論をきちんと読みなおしてください。半分とまでいいません、1/3でもいいです。

追記

 私が上のコメントを書いている間に、峰村先生の素晴らしいコメントがありました。
 私が言いたいこともまさにこの通りです。問題は司法にあるのか本当に我々は考える必要があります。

ある医療過誤の原告さんこんにちは

● 「適切な検査や処置をせず、間違った診断のために搬送判断が大幅に遅れ、その結果命を救えなかった」

門外漢ですが、確かにその前に検査をしておけば判断は変わっていた可能性はあると思います。
ですが、一般に「Aをしておけば患者さんが助かっただろう」(そんなことは医療現場ではしょっちゅうあります)ということだけからはAをしておくべきだったということにはならず、
他に「この状況ではAをするのが当然である」という根拠が必要だと思います

つまり、「胎盤早期剥離の手術後、意識が戻らない。もともと貧血があり、術中にも出血。そして今のこの患者さんの容態」。この状況が麻酔がまだ切れていないということで十分説明可能である、と判断するのが一般的な産科医として許せる範囲かどうかということですね。
でも実はデータや実際目の前の患者を診ていないと確定的な結論は出ないですし、正直専門家でないとなんとも言えないですよ。

>No.209 医療過誤訴訟の原告 さん

裁判所が提示してきた和解金額は医者の年収程度の金額であり、命の値段とは到底考えられない程低い金額である。しかし、W院長は「真面目に働いて支払う」意思はなく「保険金で支払う」ことしか考えてないのか? また前回、当方より要求した謝罪文書提示に関しての回答は皆無であり、改めて反省の欠片もないことが分かった。
http://www.geocities.jp/mhr3129/index.html

逆撫でするようですけれども、もし裁判所が本当に有責だと判断していれば、その和解勧告ではないように思われます

本当に有責かどうか判る前に感情的になって謝罪を求めたりしておられます

もちろん、感情的になるような相手の態度もあったという見方もできますが、非がないのに謝るというのは、今の時代にはできない相談でしょう

訴訟の難しさ、実情把握の難しさもあるでしょうが、あなたは自分に非が合った場合(本当は医療過誤がなかった場合)、どのような謝罪、補償をするつもりですか?

被害者なのか、加害者なのか?

私には判断しかねますが、真実が藪の中にある以上、その加害者意識ももってもらいたいものです

このところの話の流れを傍観していまして…
何度か話題になった鑑定医の問題というものも実際はこんな感じなのかも知れません。

10人の医者がいれば10通りのやり方、考え方がある。
医師のレベルが様々であるならば当事者より上の者もいれば下の者もいるでしょう。
他科医であれば根本的に違う方向から見えてくるものがあるかも知れない。
そしてそれぞれが自分の立場から意見を述べる。決して悪気があるわけではなく。

訴訟の場というのは臨床の場とは違うと頭でわかっている。
それでもつい臨床の感覚で、症例検討会と同じ方法論で100%でないことを追及してしまいそうになる自分がいることを感じます。

本当に今の時代、こうした面の教育の場があってもいいんじゃないかなと思い知らされました。

No.214 老人の医者さん

10人の医者がいれば10通りのやり方、考え方がある。
医師のレベルが様々であるならば当事者より上の者もいれば下の者もいるでしょう。
他科医であれば根本的に違う方向から見えてくるものがあるかも知れな
そしてそれぞれが自分の立場から意見を述べる。決して悪気があるわけではなく。

まさにそのとおりと思います。医療の不確実性というか、決して正解がただひとつであるわけではない。然るに正解がこれだときめつけるのが裁判なんだろうと思います。マジンドール氏は、裁判官が医学をよく知っていれば正しい裁判ができると確かどこかで述べていたようですが、私はこの点についてはもっと悲観的で、裁判官はすでに十分に優秀である(らしい)。裁判官の判断が如何に正確であっても、裁くべきものがあいまいであれば、結論もまた様々なのが考えられるわけであります。この意味でかの養老猛司先生が述べられていたように、裁判と医療はなじまないものなんだろうと思います。

一方不幸にして医師が地雷を踏んだら裁判を忌避するわけにはいません。ではどうすればよいか。裁判を医師にとって有名無実化してしまえばよい。具体的には訴えられた医師に対し十分な金銭的な保障をするための保険を新たに作ればいいと思います。もちろん保険料は医療費に上乗せして別途徴収します。医療のリスクもメリットも患者さんが負うべきですから。
地雷を踏んで訴えられたら「ラッキー」てなもんで。

>No.202 魔人ドールさん

>結果として間違っているのだから、それで十分。
 
 これって科学的態度ですか?

 「結果として患者が死んだのだから、それで十分。主治医は有罪。」というのと同じでしょ。

>これは法律家の先生に聞きたいけど

 聞く耳があるなら答えてもいいけど、あなたは聞く耳を持っていない。

>No.208 峰村健司 さんのコメント
>>訴訟を起こされて、医療をよくわかっていない裁判官が心証を元に医療側に不利な判決を出しても、医療が崩壊しないで済むようなルールが絶対に必要だと思うようになりました。

 これは事故防止対策の基本概念(エラーがおこっても、それが重大な事故(結果)に発展することを防ぐ)と相通ずるものがあり、とても興味深い提案と思いました。

医療過誤訴訟の原告さんの件で、もし皆様が鑑定医だったらどう発言しますか。
鑑定医じゃないので議論しなくていいとは言わないでください。

妊娠中毒症をベースとした常位胎盤早期剥離は母体死亡率4〜10%、胎児死亡率30〜50%といわれています。
ここで「私がやっても10回に1回は救うことができなかった」と言うのと「私がしたら90%の救命率であった」と言うのでは大変印象が違うと思います。
司法の方は世間に与える影響を考えるべしという話がありますが、私達も適切な発言というものに気をつけなくてはならないと思います。

医療の細かい仕組みがどうとか、診断基準の細則がどうなっているとかは、しょせん医者が作ったルールをどうするか、取り扱いをどうするかとゆうレヴェルの問題でしょう。法律に明記してあるわけではないのだから、医者がその気になればすぐにでもコントロールできるわけです。ついでに言うと、疾患とか病因とかいう御立派な概念は、単に医師がそう分類した、そう名付けたとゆうだけのことです。これを言葉遊びと言うかどうかはともかく、社会の常識とは根本的に異なることは確か。

言葉遊びしてみた
適当に変換代入しただけなのでつっこみどころ満載は承知


高血圧は自然現象だから投薬の必要なしと?
高脂血症は自然現象だから投薬の必要なしと?
心筋梗塞も自然現象だから心カテの必要なしと?
高齢者の圧迫骨折は自然現象だから処置の必要なしと?
妊娠分娩は自然現象だから無介入でよろしい?
魔神ドール君の発言はそう聞こえるのだが

司法も医学も種族の維持のために必要なテクノロジーと思うがね

>No.218 たまたま酸化医さん

医療過誤訴訟の原告さんの件で、もし皆様が鑑定医だったらどう発言しますか。

 九大搬入時のヘモグロビン濃度は 1.9g/dl であった。(ほぼ事実)
 搬送途中の出血は少量であった。(原告からの情報)
 術後から搬送までに、検査も輸血もしていない。(原告HPからの想像)

 上記がすべて事実だという状況であれば、前医は有責と私は判断します。妊娠中毒症であろうと胎盤早期剥離であろうと、なすべきことをしていたのかどうかは争点になりうると考えます。

 逆に、大量に出血したのは搬送途中で、搬送前には出血性ショックの兆候は見られなかった。あるいは、出血量の把握もできており、検査によって高度の貧血も見られ、出血性ショックの診断はついていたが、輸血用血液の用意ができなかったというのであれば、やむを得ない状況として前医は無責でしょう。

 実際のところ、当事者の一方だけからの情報で判断することは不可能です。でも、ヘモグロビン濃度 1.9g/dl というのはとてつもない状況です。これを放置したのが事実なら、医師の判断は割れないのではないでしょうか。

私が鑑定医であったら...
一番疑問なのは,術前の検査値の有無と術後のfollow upのところです.ここの詳細な情報が解らないと適切な鑑定は困難です.
全身麻酔でなかったということですから,帝王切開時点では出血傾向は無かったのでしょう.執刀医の記述した「出血:多量」がどの程度のものだったのか.また,入院前にすでに出血しており,どの程度の貧血であったのか不明です.通常であればこのような場合には輸血を考慮して帝王切開前に検血くらいは行うはずです.普通なら止血検査も行っているはずですが...
これらのデータはおおいに参考になります.

脊椎麻酔だけでしたら意識がなくなることはありません.「麻酔から醒めていないだけ」というコメントは出産後に鎮静剤が投与されたのか,出産後に全身麻酔に切り替えられたのか,どちらかでしょうがここも不明です.
低体温を考慮すれば麻酔薬や鎮静薬の残存を考慮すれば意識レベルは低くても不思議はないのかもしれません.

胎盤早期剥離で帝王切開の術後なら,通常は血圧,心電図,パルスオキシメータくらいのモニターは装着すべきであり,これがなされていればある程度出血の進行具合は把握できたと思います.その辺りがどうであったのかに関する情報も必要です.また,術後の輸液や輸血はどうであったかということも情報として必要です.
「術後や救急車内での出血は殆どみられなかったことも後日判明した」というのは,体外でカウントされた分だけですよね.おそらく見えないところで出血は進行していたのではないかと推察されます.K大病院到着時のHb 1.9 g/dlの状態が相当時間持続したことになりますが,それは到底考えられないからです.

上記に書きましたようなことを含めて,どの時点で問題を把握し治療が開始できたかを推定することが鑑定のポイントになると思います.

もし私に鑑定が強要されたら。

まず産科における出血は周産期センターでスタッフ経験があり緊急帝王切開の立会い経験豊富な新生児科医にとっても想像を絶するものであること、医学的に真摯に対峙するのであれば個別事例についての専門的な判定はできない事を明記します。そして確率的に死亡率が10%近くあり、仮に救命できても高度の後遺症を残す例を日常的に経験する病態であることから、死亡した事実のみをもってして、過失を疑う事はできないできない。

という鑑定をだします。妊娠高血圧ベースの早剥なんていうのは、搬送先まで1時間以上だったらアウト。30分以内で、インタクトだったらラッキー、数人に一人が重度の神経学的な後遺症を残し、十数人に一人が死亡というのが、元新生児屋の印象です。DICとMOF乗り切っても、HIEで頭スッカスカなんてのは普通に予想される経過ではないでしょうか?

鑑定医は限られた情報で意見を述べなければいけないところが難しいですよね。


早剥の緊急帝王切開をしたことのある人間ならchaimdさん同様自分でも助けれたかどうかわからないと言うと思うのです。

ベースは妊娠中毒症なので元々軽度の血液濃縮があり、プレショック状態であれば入院時Ht35%とか40%はざらにあります。たいしてあてにはなりません。
開業医なので凝固系は検査できません。出血時間と血沈位でしょう。
出血時間が1分であろうが10分であろうが帝切準備。
時間との勝負です。
救急車搬入から約50分、手術承諾から30分で娩出は高次病院以外では早いほうです。
開腹し紫色の子宮を切開し子供を娩出します。
胎児死亡率30〜50%のところ無事泣いてくれたので少しほっとしますが、念のためクベース収容を指示します。
「頼む収縮してくれ」と祈るような気持ちで子宮収縮剤を使用し、子宮マッサージをします。
止血・閉創ですがDICなのでなかなか出血が止まりません。
やっとの思いで閉腹できました。
次に怖いのが子癇と弛緩出血です。
子宮収縮剤を持続点滴しながら(しないかもしれませんが)、降圧剤・マグネゾール・セルシン等を準備します。

このときに既に不可逆な領域に突入していた可能性はあります。
搬送が早かっ「たら」とか何らかの検査をしてい「れば」状況が変わったかどうかは私には判断しかねます。

あの分単位の修羅場を経験したことのある私には、この程度の意見が精一杯です。

突然失礼します。
あのう、モトケン先生、このエントリーの最初の一行の
> 医者とおぼしき魔神ドールさんが
ですが、僭越ながら私が魔人ドールさんのコメントからプロファイリング(笑)すると、私のようなロートルではなく恐らく医学医療水準ともに第一線の病院の勤務医であり、現場で責任ある立場で最新の医学および医療を取り入れながら水準のさらなる向上に精力的に取り組んでおられる人物と想定致しました。私などより医師として上級であることは確実でしょうから、最初の表現を「医師である魔神ドールさん」と訂正なさっていただければ、こんなアレな私でも医師の端くれとしてなんとなくうれしいのですが(笑)。ぼそっ。
あ、ここ呟くトコじゃなかったかな。お呼びでないコメント失礼致しました(笑)

 いろいろなご意見、本当にありがとうございました。
確かに、これだけの数少ないデータからの判断は困難であると思います。それなのに、
いろいろと真剣にご意見を頂き、感謝致しております。
 私はITシステム系のため、医療分野は殆ど分かりません。しかし、みなさまの過失判断とその理由を見て、(中には完全に否定したい所もありましたが)「なるほど、そういう考え方や判断も出来るのだ」と冷静に考えさせられたことは本当です。とても勉強になりました。ありがとうございました。

 さて、私はこれまで記載してきたように、医療過誤裁判とは、みなさんのような医療レベルの高い専門の医師の方々が、当該事故を多方面から公平に調査・分析し「どこまで医療ミスなのか」、「どこまでミスではないのか」という結論の結果、判決が下されるものと思って訴訟を起こしました。でも現実は違っていたようです。
 もちろん弁護士からは当初、「医療過誤裁判は真実を解明する場ではありません」と聞いていました。でも、訴訟の過程において、また証人尋問において、少しでも真実に近づけるのではないか?と期待して始めたことであり、それ以外に手段はなかったということをお分かり頂きたいと思います。
 私は、No.213 Med_Lawさんのご指摘どおり、感情で言動しているのでしょうね。でも、こちらが真剣に抗議しているのに完全無視されたり裏で隠蔽工作やカルテを改竄され、挙句には保険屋のせいにされたら、誰だって感情的にならないでしょうか?ましてや最愛の妻を亡くしているのです(「殺された」とは言っていません)
 私は「産婦人科が医療ミスを犯したのではないか?」と思ったから、それが本当に医療ミスだったのかどうかを調査するため、また卑劣な態度や隠蔽行為が許せなかったために、公平なる第三者で法的権威のある司法に判断を委ねたのです。
 この裁判において、最終的にどのような判決が下されるか、どのような結末になるかは分かりませんが、私は訴訟を起こしたことは間違っていないと思いますし、あとは司法の判断に任せるつもりです。(少なくとも、私の裁判に関わって頂いている弁護士や裁判官のみなさまの医療知識のレベルは相当高いと思います)

 でも、やはりみなさんの言われるように、医療過誤問題を解決する方法は、今のような民事訴訟ではいけないと思います。それは、医師側が主張されるような司法と医療知識の問題もありますし、患者側が主張する密室事故の隠蔽性やカルテ改竄等の問題もあります。
これらはいくら言い合いしても平行線だと思うのです。でも、事故が起こり、それが訴訟へと発展した以上、誰かが有責無責の判断をしなければいけません。
 私が今でも悔やまれるのは「妻の容態を、ずっとビデオカメラで撮影しておけば、私の主張がすべて真実だと証明されたのに!」ということです。そう、今のタクシー等にはビデオカメラが搭載されており、交通事故の際には証拠として利用され、これまでより早く、より正確に事故の分析と責任の有無が判断されるようになっていますよね。医療現場にも、このような記録カメラが設置されれば、そして、その映像やその他の証拠を調査・分析する医療レベルの高い機関が設立されれば、司法は、より真実に近い(100%は絶対に無理ですが)判断ができるのではと考えます。

 突然に現れ、あれこれと被害者的コメントを記載し、みなさまには大変ご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び致しますとともに、真剣に考え、ご意見を頂きましたことに感謝し、御礼申し上げます。ありがとうございました。

>No.225 ある医療過誤訴訟の原告 さん
奥様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

ご傷心の中ご真情をお語りいただいたことには、おおいに感じさせられました。このブログの参加者としてお礼申し上げるものです。

世に話せば楽になると申しますが、大きな衝撃を受けた当事者は衝撃そのものを語るためには多くの精神的受傷を乗り越えなければなりませず、簡単なことではございません。

お語りになることを含め前向きのご努力を続けられることで、ご傷心事が早く癒されますことをお祈り申し上げます。

正直なところ、ある医療過誤訴訟の原告さんの件について、ビデオカメラの有用性については疑問があります。外科的手技において限定的には有効でしょうけど。内科的病態をほとんど反映しないでしょう。

それから、ICU医師の病状説明書も拝見しましたが、あまり産科・・・というより周産期医療そのものに明るくない病状説明という印象を受けました。またHPに第三者的な産科医のコメントが無いのが気になります。もし産科医に相談していらっしゃらないなら、帝王切開を行った施設での看護記録をカルテとともに、第三者的な産科医に検討してもらう事をお勧めします。記録として大事なのは看護記録です。

セレブ出産な産科だったら、ふつう妊娠高血圧+早剥なんて受け入れせずに、高次施設にスルーパスしたいと思うハズです。もしかしたら、そうも思わないくらいアレという事もあり得ますが、そう簡単に高次施設に送れない地域の苦しい産科事情というのもあるかもしれません。ここのコメントを読んでも、周産期医療に従事したかどうかで反応がまったく異なるのが、お分かりになっていただけたと思います。産科あるいは産科麻酔に詳しい麻酔科医以外の言葉には、あまり心乱されない方がよろしいかと思います。

過誤があったかなかったはについては、私には判断いたしかねますが、一日もはやく、ある医療過誤訴訟の原告さんの心が安らぐ日がやってくることをお祈り申し上げます。また、訴訟に費やすエネルギーを、全て、お子さんへの愛情に費やせる日がやってくる事を強く強く願います。

全然関係ない話ですが、

風見しんごさんが娘さんを交通事故で亡くされた後のインタビューで、加害者に対する思いを尋ねられても、恨み言を一言も口にしなかったことを思い出します。あの時、風見さんは本当にすごいと思いました。

http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20070120-144749.html

No.204 座位 さん

私は、裁判一般がいけないとか、法律家が全ての業務について無能だと言っているつもりはありません。ただ1点、医療行為の是非を、「現在の日本の司法」で判断することは無理だと言っているだけです。無理なのだから一旦止めなさい、と。

医師の労働環境改善(とゆうか奴隷的拘束からの解放)について法律家との協力が必要とゆう点についても同感です。

No.210 僻地外科医さん

もちろん、問題が司法「だけに」あるとは言いません。たしかに、司法が扱う法律を決めるのは国会ですし、国会議員を選出するのは国民です。

ただ私が分からないのは、司法が、医療問題を扱うことが自分たちの手に余ると分かっていながら、改善の声を全く上げないとゆうところなんですよ。

法律家は、自分たちの裁判の結果、医療が崩壊している、社会が混乱しているのを知っているのだから、もう自分たちに医療問題を扱わせるのは止めて下さいと声を上げるべきです。法律家は、法律のユーザーでしょう。いくら立法は国会の仕事だと言っても、ユーザーが要望を出さないと、法律が変わることは事実上ないと思うのですが。

ところで、医療に関するトンデモ判決が枚挙にいとまないことは既に常識として認識されていますが、弁護士や裁判官ら司法関係者が、トンデモ判決を出したことを公に認めて医師と病院に謝罪し、それによる被害(風評被害含む)の弁償をしたとゆうのは聞いたことがありません。ただの一度すら、です。つまり、司法「だけに」問題があるのではないとかゆう以前に、法律家は、司法「に」問題があることすら認めていない、認めたくないのではないですか。

No.216 モトケンさん

「患者が死んだのだから〜」とは全然違うでしょう。

いいですか。先日も言いましたが、医療行為の多くは、リスクを冒してでもしないといけないのですよ。放っておいたら患者さんが死ぬんだから。

それに対し、医療裁判は、社会全体に対するリスクを冒してまでする必要などどこにもないでしょう。これまでの議論から、日本の医療水準は世界一であること、医師が精励刻苦してこれを何とか支えてきたこと、医療過誤があったとしても、大半の医療機関は自発的に適切な額の補償をしていること、医療裁判の原告の多くは「医療過誤があったと思いこみたい人」ないし「難癖をつけて医者から金を取りたい人」であること、医療は極めて専門性の高い領域であり、医師でない者はもちろん、医師であれ軽々しくその是非を判断できないことなどが、既に明らかになっています。

つまり、司法は、基本的には、やらなくともいいことを敢えてやっているわけですよ。医療過誤裁判をしても原因が究明されるわけでもない。事故の再発防止にも役立たない。裁判をやらなくても人が死ぬわけじゃないし、医療水準が下がるわけでもない。万が一判断を誤れば、その医師はもちろん、日本中の医師が治療方法を制限され、無数の患者が危機に瀕する。このような状況で、敢えて踏み込んで「医療の是非について司法が判断する」以上は、よほどその判断に自信がないと許されないですよ。

しかし現実には、しゃしゃり出てきた挙げ句にトンデモ判決連発でしょう。よけいなことをして失敗しているのだから、「その失敗の原因を云々する(これをすると、専門用語でケムにまかれるのがオチ)までもなく、そもそもよけいなことをするな」と言いたいのですよ。要らんことをして間違った人に対して、間違った理由をどうこう詮索しても仕方ないでしょう。ほら言わんこっちゃない、とゆうのが普通じゃないですか?

No.225 ある医療過誤訴訟の原告 さん

何点か指摘させて頂きます。

まず、司法は、医療に関しては、「公平なる第三者」ではありません。極めて患者側に偏った、バイアスの強くかかった判断が頻出していることは、このブログを御覧になればすぐお分かりになるかと思います。

それから、「私の裁判に関わって頂いている弁護士や裁判官のみなさまの医療知識のレベルは相当高い」とゆう部分、貴方にそのように見えるのは仕方ないことかも知れませんが、弁護士や裁判官は法律の専門家であり、医療の専門家ではありません。まず、医学部の課程が6年であること、学部を出て国試に通った程度では到底医者として使いものにならないことを想起して頂きたい。裁判の片手間に、資料の価値や位置づけも分からず、もちろん医学の基礎知識もなく、現場に立ったこともない人々が、文献の都合のいい部分だけ抽出したような「証拠」を読んでも、「レベルの高い医療知識」が身に付くことは決してありません。

それは別として、奥様のご冥福をお祈り致します。ただ、裁判の結果がどうなるかは分かりませんが、医療過誤ではなかったと判明したときには、貴方が医師と病院を被告人という不名誉な地位に追い込んだこと、無用な負担を強要したことに対して、潔く謝罪されるとともに、その労力に見合った賠償をすること、医師を裁判に関与させたことによって、その期間中その医師の治療を受けられなくなった無数の患者さんに対する謝罪の気持ちを持つことを、強く希望するものであります。

 何人かの方から過去ログ嫁と言われましたが、それなりに読んではいるんですよ。でも分からない。

 特に分からないのは「弁論主義」とやらです。証拠から判断するということ自体はよい。

 しかし現実には、どの裁判でどの証拠が出るか分からないわけです。裁判が100回あれば、証拠の組み合わせも100通りでしょう。

 すると、全く同じ問題について、東京の裁判では有罪、大阪の裁判では無罪になることがあるはずですね。いわば、1+1が、証拠の出し方、証言の仕方、尋問の聴き方等によって3になったり5になったりする。これどう考えても変でしょう。誰がどんな証拠を出そうが、出すまいが、1+1は常に客観的に2と定まらないといけないのに、裁判ではそうゆう常識が通用しないということですね。

 しかも、いくら病院側が正しい証拠を出したくても、患者にとって都合の悪い証拠は「不同意」とかいって出せなくなる場合があるわけでしょう。無茶苦茶ですよ。

 その上、裁判官が鑑定に従わないことが正当化されてますね。この点も到底理解しがたい。つまり、専門家の意見が自分にとって都合が良ければ利用し、都合が悪ければ排除するとゆうことでしょう。しかも、証拠とか鑑定と判決の結びつきも、裁判官の「自由心象」とかいって、完全にブラックボックスになっている(ついでに言うと判断を誤った責任も問われない)。全く不透明な、検証可能性、再現可能性のない操作です。言葉の遊びとして、あるいは法律学的にどうなのかは知りませんけど、客観的な真理を重んじる、真実を追究しようとする学問の世界では絶対に通用しない。

 こう考えると、司法が医療行為の是非を判断するツールとして如何に不合理なものか、よく分かるというものです。誰が何と言おうと、1+1は常に2でありまして、証拠の出し方とか裁判官の気分次第で変えられるものではないのです。とゆうか、この論理、法律家以外には全く通用しないと思いますよ。弁論主義とやらが理解できないのは、私の頭が悪いせいなのか、それとも、そもそも真っ当な理性と感覚を持った人には理解しがたい概念なのか、どちらでしょうね?

>No.233 魔人ドールさん

>特に分からないのは「弁論主義」とやらです。

 あなたが医師であると仮定して、上記のあなたの発言にあなたの論理を適用するとどうなるか指摘してみましょう。

  医師は、司法というものを理解する能力がない。
  よって、医師は司法を批判すべきではない。
  こんな簡単なことが何故わからないのか?

ということになります。

 しかし、このブログの常連の医師の方たちはそうではない。
 司法を理解しようという意思があります。
 そして、相当程度理解されています。
 このブログの医療関係エントリの歴史は、司法と医療の相互理解の努力の歴史なのです。
 
 (以下、略)

すると、全く同じ疾患について、東京の病院では手術、大阪の病院では保存的治療になることがあるはずですね。いわば、疾患Aの治療が、参考文献の調べ方、その医師の経験、施設の設備等によってXになったりYになったりする。これどう考えても変でしょう。誰がどんな所見を得ようが、得まいが、疾患Aの治療は常にBと定まらないといけないのに、医療現場ではそうゆう常識が通用しないということですね。

その上、医師がガイドラインに従わないことが正当化されてますね。この点も到底理解しがたい。つまり、専門家の意見が自分にとって都合が良ければ利用し、都合が悪ければ排除するとゆうことでしょう。しかも、エビデンスとか統計と診断の結びつきも、医師の「裁量権」とかいって、完全にブラックボックスになっている(ついでに言うと診断を誤った責任もあまり問われない)。全く不透明な、検証可能性、再現可能性のない操作です。言葉の遊びとして、あるいは倫理的にどうなのかは知りませんけど、絶対的な真理を重んじる、真実を追究しようとする真の科学(物理学とか)の世界では絶対に通用しない。

言葉遊びしてみた
適当に変換代入しただけなのでつっこみどころ満載は承知

医療者が自爆しているみたいぢゃないか。
発言は考えてくれ。
魔神ドールってアンチ医師の手先では・・・

No.233の魔人ドールさん、一部誤解されていると思われる概念の整理だけさせてください。

「弁論主義」というのは、No.72でコメントしましたが、もっと噛み砕いて言ってしまうと、民事の裁判では、裁判所に裁判をしてほしいことについては原告が明らかにしてください、原告で証拠も出してください、原告の言い分についての反論は被告がしてください、反論の証拠は被告で出してください、国(裁判所)はそのことについて関わりませんよ、という民事訴訟法の原則です。

具体的に「弁論主義」には、以下の3つの内容があります。
〆枷十蠅蓮原告も被告も主張していない事実については、原告も被告も何も言ってないんだから、無いものと扱わなくていけませんよ。
∈枷十蠅蓮原告も被告も争っていない事実については、そのとおり事実があるものとして扱わなければいけませんよ。
(民事訴訟というのは、原告と被告の揉め事を解決するためのものなので、原告も被告も争っていない事実については、判断する必要はありませんよ。)
裁判所は、原告と被告で争っている事実を証拠で認定するときには、原告か被告の出した証拠によらなければなりませんよ、裁判所が自ら証拠を見つけてきてはいけませんよ。

こうした「弁論主義」を前提に、原告や被告が裁判所に提出した証拠をどう評価するか、また原告と被告の言い分のどっちを認めるかは、裁判官の良心に従って判断してください、というのが自由心証主義です。

(自由心証主義)民事訴訟法 第247条
 裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する。

ちなみに、民事裁判では、原告も被告も、相手方の意思に関わりなく、証拠を裁判所に提出できます。

>しかも、いくら病院側が正しい証拠を出したくても、患者にとって都合の悪い証拠は「不同意」とかいって出せなくなる場合があるわけでしょう。無茶苦茶ですよ。

証拠の同意・不同意というのは、刑事裁判についての問題です。

刑事訴訟法
第320条1項  第321条乃至第328条に規定する場合を除いては、公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない。
第326条1項  検察官及び被告人が証拠とすることに同意した書面又は供述は、その書面が作成され又は供述のされたときの情況を考慮し相当と認めるときに限り、第321条乃至前条の規定にかかわらず、これを証拠とすることができる。
320条1項は、簡単に言ってしまうと、又聞き(伝聞)で書かれた調書などは、原則として刑事裁判の証拠には使えませんよ、ということです。
326条1項は、又聞きで書かれた調書などでも、検察官が提出するものについては被告人(弁護人)が、被告人(弁護人)が提出するものについては検察官が、同意した場合には証拠として使えますよ、とうことです。
大雑把な言い方になってしまいますが、例えば、医療事故の事件で、警察官が、被告人と一緒に執刀した医師を取り調べて、「あれは被告人の明らかな過失です。」みたいな調書が作られた場合、被告人としては「あれの、どこが過失なんだ?」と思っていても、書面である調書に対して確認できません。そのため、被告人が同意しない限り、原則として証拠として使えないことにしてあるのです。
ただ、第321条から第328条に証拠として使えるための例外の定めがありますので、不同意となった調書等は、これらの規定で証拠として使えないか検討することになります。
福島の事件で問題になったのは、弁護人が提出した医学文献まで検察官が不同意にしたことだったと記憶しています。
私個人としては、「何てケ○の○の小さい検察官なんだ。」と思いましたが、一旦不同意にされても、例外規定で証拠に採用される話だと思います。

> 特に分からないのは「弁論主義」とやらです(No.233 魔人ドールさま)

私が原稿を書いている間に他の方の投稿がありましたが、とりあえず投稿します。

弁論主義が理解できなければ民事訴訟を満足に闘うことはできません。
貴殿は「弁論主義」を甚だしく誤解されている上、刑事訴訟とも混同されており、要するに裁判手続きの何たるかを全く分かっておられません。
ここは一つ、謙虚に裁判とは何かを知った上で、ご批判を願いたい。
このブログで発言されている他の医師の皆さんも努力して理解されたのですから、貴殿だけが理解できないということはないでしょう。
過去ログを読み返していただくのが一番ですが、少しでもお役に立つよう、ここでかいつまんで説明します。

弁論主義の根本は、
 民事訴訟の主張及び立証は、当事者の責任かつ権能である
ということです。
裁判所が主張や立証をしてくれません。
だから、当事者は自分にとって有利な主張や証拠を積極的に探してきて、裁判に出さなければ敗訴してしまいます。

> 全く同じ問題について、東京の裁判では有罪、大阪の裁判では無罪

民事訴訟においては「有罪・無罪」というものはありませんが(有罪無罪は刑事訴訟です)、ここでは、「有過失・無過失」の趣旨と善解しておきます。

> これどう考えても変でしょう。誰がどんな証拠を出そうが、出すまいが、1+1は常に客観的に2と定まらないといけないのに、裁判ではそうゆう常識が通用しないということですね。

弁論主義においては、「裁判所に出された証拠によって判断する」
これが変どころか、民事訴訟においては当たり前の、最も基本的なルールです。
また、このルールは西欧型の法制度をとる全ての国において、法系統の細かい差異にかかわらず、共通のやり方です。ということは、現代社会においては、日本を含めて世界の大多数の国々における共通ルールという意味であり、このルールによらない国のほうが少数派です(社会主義国や部族固有の掟によって裁判する地域など)。
アメリカでもイギリスでもフランスでもドイツでも、弁論主義のルールの下に民事訴訟を行い、その中に医療訴訟も含めて処理しているのですから、
弁論主義が医療訴訟の本質的な問題でないことは明らかです。

付言すれば、一般的に、医療訴訟において、弁論主義のルールは被告医療者側にとって有利になりこそすれ、不利に働くことはないと解されています。
その理由は
1.弁論主義における立証責任分配のルールは、不法行為賠償請求の類型にあっては、請求者(患者)側が不法行為があったことを立証すべきものとされている。
2.医学的な証拠は医療者側が握っている。
3.患者側は医療の素人であるのに対して、医療者には医学的な知識があり、自己に有利な主張を組み立てやすい。

つまり、医療訴訟においては、主張・立証の基となる情報が圧倒的に医療者側に偏在しているために、原告は厳しい闘いを強いられており、そのことが原告勝訴率が40%の低い水準に留まる(一般民事事件では70%)原因とみられています。

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民事訴訟においては、基本的に証拠方法の制限はありません。

> いくら病院側が正しい証拠を出したくても、患者にとって都合の悪い証拠は「不同意」とかいって出せなくなる場合があるわけでしょう

民事訴訟では自分の手持ちの証拠は、出したいだけ全部出せます。相手方の同意は要りません。
(刑事訴訟では伝聞証拠の提出には制限があります。)

なお、相手方の手持ちの証拠を裁判に提出させることは、日本法はアメリカ法などと比べて限界があります。
しかし、この点では、カルテや看護記録を始めとする医学情報は被告医療者側の手にありますから、医療者側にとって問題はありません。

> 裁判官が鑑定に従わないことが正当化されてますね

鑑定結果は主張ではなく、証拠の一種なので、その評価は裁判官の「自由心証」に委ねられます。
実際上は、裁判官は専門家の意見を重んじており、
原告提出意見・被告提出意見・裁判所が選任する鑑定人のうちの、いずれかの意見を選択して判断しているはずです。

この方法では、三人の医師の意見が割れ、どれが正しいか裁判官には判断できない→選び違えるという現象があり得るというのは、その通りです。
しかし、これは鑑定人の意見に拘束力を設けることによって解決できる問題ではありません。
もし、そうしたければ、民事訴訟法を改正して、自由心証の例外として、裁判所が選任した鑑定医の意見に拘束力を持たせるという方法は可能です。しかし、医療者側からもそのような法改正要望はついぞ出されたことはありません。
裁判所が選任した鑑定医の意見に対して、他の医師から「トンデモ鑑定」の批判が浴びせられる事態が続出していることからすれば、絶対的な拘束力を持たせることは、かえって危険でもあると思われます。

医学的な見解を、一つの正しい意見に収斂するにはどうしたらよいかについては、裁判所の運用でできることは限られており(医師会や学会に鑑定医の推薦を依頼する、複数鑑定人、カンファレンス鑑定など)、
抜本的な対策は医学界が主導して対処していただく他はないと考えます。司法界としては、国民の多数の賛成を得て、法によりルールを定めてもらえるなら、それに従います。
厚生労働省が構想する専門的医療調査機関は、一つのアイディアでしょう。

ポイントがずれてる上に既出かも知れませんが。

医療訴訟においては、主張・立証の基となる情報が圧倒的に医療者側に偏在しているために、原告は厳しい闘いを強いられており、そのことが原告勝訴率が40%の低い水準に留まる(一般民事事件では70%)原因とみられています。

YUNYUN さんの示されるこの現象が、逆にこじつけた様な理由によるトンデモ判決を誘発している様な気もします。
証拠上は医療側有利なのに心証が患者有利・・・・だったりとか

> この現象が、逆にこじつけた様な理由によるトンデモ判決を誘発している様な気もします(No.238 MultiSync さま)

判官贔屓の可能性?
そうしたことがあれば、勝訴率は年を追ってどんどん上昇していかなければならないはずですが、
昔から勝訴率はほどんど変わっていません。

平成8年〜17年の認容率(最高裁判所ホームページより)
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/izikankei/toukei_03.html

>MultiSync さん

 鋭い!

 という気がします。

 「心証が」というより「心情的に」と言うべきかも知れませんが、、、

原告の勝訴率が一般民事事件で70%という点を確認したいと思います(既出かもしれません)。
これは被告が争わない事件(被告が不出頭で擬制自白で勝訴、請求の認諾、認めるが払う資力が無い)が含まれていますか、それとも含まれていませんか。
含まれていたら、争う事件の勝訴率はもっと低くなりそうな気がするので。
この数字に和解がどのように関係しているかも(含む、含まない)、分かればありがたいと思います。

>勝訴率は年を追ってどんどん上昇していかなければならないはずですが
 
と言うことは、トンデモ判決がえらい勢いで増えている、との御認識でしょうか?
私には解りませんが。

>「心情的に」

なるほど、有難うございました。

> 原告の勝訴率が一般民事事件で70%という点を確認したい(No.241 psq さま)

上記の最高裁の統計によると、通常事件の勝訴率は80%超となっていますが、
内数として「人証調べ実施」が65〜70%であり、こちらがいわゆる欠席判決を除いた、争っている普通の事件です。被告が無資力かどうかは区別していません。
これでみると、通常民事事件も医療事件も、勝訴率は下がり気味?

判決で終了した件数のみなので、和解や認諾はここに含まれません。医療事件は最近では年間新受が1000件くらいあり、うち約半数が和解により終了するそうです。
ごく大ざっぱな計算ですが、判決件数500件につき勝訴率40%ならば、原告勝訴事件は件数にして年に200件ほどになります。
ところで、これは一部認容を含んだ数値ですから、原告が見舞金程度にせよ、なにがしかの金銭給付を認められた事件であり、
残り300件は原告が1円ももらえなかった、被告完全勝利の事件です。

原告がやたらに勝っている、という医師の皆さんの印象は、弁護士の実感とは全くかけ離れております。

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> トンデモ判決がえらい勢いで増えている、との御認識でしょうか?(No.242MultiSyncさま)

私の認識ではありません。
医師のみなさんが、「最近になってトンデモ判決が増えている」と主張されていますが、
MultiSyncさまはそのことを前提として、増えた理由は、裁判官が原告に肩入れするようになったためではないかとおっしゃるのかと思いました。

私の意見は、もし判官贔屓があるとすれば、
 裁判官が普通に判決する → 勝訴率が低い → 裁判官は統計を見て勝訴率の低さに気づく → 原告が可哀想だから勝たせてやらなくちゃ! → 勝訴率上昇
という流れになるのではないか。
しかし現実には、勝訴率は上がっていないので、少なくとも最近になって判官贔屓が行われるようになったということはないだろうというものです。

もっとも、上記統計は最近10年間のものなので、それ以前と比べてどうかという問題はあります。

 私のコメントは、医師から見てトンデモ判決があるならその理由として考えられることは・・・ という程度であって、心情的な判決が多いという意味ではありません。

 ちなみに、最近刑事の無罪判決のニュースが多いですが、それでも有罪率は99.数パーセントを維持しているはずです。

 目立つからといってそれが多いとか一般的であるとは必ずしも言えないと思います。

No.243 YUNYUN さん

勝訴率だけで語られても「そうですか」とは言えません。
10年間で新受件数が倍近くに増えています。勝訴件数も増えているわけですが、敗訴件数も増えています。やはり全判決を吟味できる機会が与えられなければなんとも言えません。

今後仮に、思わしくない結果に終わった医療行為が全て民事訴訟に付されて、それでも40%敗訴するようならやっぱりおかしいと思います。これは極端な例でしたが、訴訟件数が倍に増えていることは見逃せません。

増えた分はもしかしたら全部が不条理な訴えで、その不条理な訴えの中でも40%が勝訴しているのかも…

YUNYUN 様御回答感謝します、私は患者になりうる一般人の立場です。

医療者から見て不条理な訴えの原告=第三者から見て救済すべき不幸な患者

かも? このギャップが大きいと思います。

もう一つ、勝率40%について。
普通の民事なら70%程度の勝てる見込みが無ければ、訴えようと思わないのでは?

ですから医療に尽いて、少なくとも「半々以上は勝てるつもり」か、ほぼ「負けを覚悟して何かを訴えたい」か、どちらかと思います。

モトケンさま
YUNYUNさま

No.193 僻地外科医 さんのコメント(医療事故と司法制度(民事編)のエントリ)からすれば、訴訟そのものが医療過誤とは全く相関しないことが証明されています。もちろんこれは制度の違うアメリカ(でも同じ弁論主義)の結果ですが。
すなわち勝訴率そのものが全く意味をなさない数字かもしれません。

以下引用
>これは元ハーバード大助教授の李啓充先生が「市場原理が医療を亡ぼす」という著書の中で触れられていることですが

 第3報で対象とされた約3万のカルテの分析で,280例に医療過誤が存在したと同定されたのだが,この280例のうち,実際に医療過誤の損害賠償を請求していたケースはわずか8例のみであった。一方,全3万例のうち,過誤による損害賠償を請求した事例は51例あり,その大部分は,HMPS(ハーバード・メディカル・プラクティス・スタディ)の医師たちが「過誤なし」と判定したケースだったのである。つまり,実際に過誤にあった人のほとんど(280人中272人)が損害賠償を請求していない一方で,「過誤」に対する損害賠償の訴えのほとんどは,実際の過誤の有無とは関係のないところで起こされていたのである。
 さらに,HMPSは過誤訴訟の帰結がどうなったかを10年間追跡したが,賠償金が支払われたかどうかという結果と,HMPSの医師たちが客観的に認定した事故・過誤の有無とはまったく相関しなかった。事故や過誤はまったく存在しなかったと考えられる事例の約半数で賠償金が支払われている一方で,過誤が明白と思われる事例の約半数でまったく賠償金が支払われていなかったのである。それだけではなく,賠償金額の多寡は医療過誤の有無などとは相関せず,患者の障害の重篤度だけに相関したのだった(ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン335巻1963頁,1996年)。
  医療訴訟を起こすか否か(あるいは判決がどうであったか)は残念なことに医療過誤があったかどうかとは相関しないと言う証明がすでになされているのです。

>No.115 魔人ドールさんのコメント(医療事故と司法制度(刑事編)のエントリより)
>もちろん、仮に置いた数字ですよ。1パーセントかも知れないし2パーセントかも知れない。文脈から分かるでしょう。
上記の結果からすると、280/約3万=約1パーセントは妥当な数字のようです。でもこれはアメリカのデータで崩壊進行中の疲弊しきった日本ではもう少し高そうです。医師の能力はさほど変わらないと思いますが。。。。

魔人ドールさんのコメントは共感できる部分も多くありますが、個人の医師や法曹にその矛先を向けても解決できるものではなく、むしろ崩壊の原因の本質を見ようとせず、多く事象に沈黙を続けている厚生省あるいはトンデモ報道するマスコミにこそ問題があると思います。(さらにその根幹は現政権の社会保障費抑制、超低医療費政策でしょうか)

小生がこのブログに書き込み始めた去年から比べ医療崩壊は着実に進み、多くの医師は嘆息して、崩壊を呆然と眺めているという状況です。しかし、一方では現実に医師は患者さんを目の前にして、日々どうするかを悩んでいます。その点、加古川心筋梗塞賠償訴訟の判決は強烈です。法曹の方々はあくまで地裁の判決と思われるかもしれませんが、そのことによって地域医療が崩壊していくさまが(他のブログ(下記)などでも)明らかです。もちろん医療訴訟の問題点を早急に解決することは無理かもしれませんが、法曹の方々からも(むしろ法律的でない)意見を発しても良いのではないかと思います。戦場にいる個々の医師が早急にできることは危険地域から逃散することだけなのですから。

新小児科医のつぶやき(加古川心筋梗塞賠償訴訟、これが真相か)
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20070425
健康、病気なし、医者いらず(加古川、心筋梗塞事件。衝撃の事実)
http://kenkoubyoukinashi.blog36.fc2.com/blog-entry-182.html

> 全判決を吟味できる機会が与えられなければなんとも言えません(No.245 峰村健司 さま)

このことは、私からも強く申しておきます。
トンデモ判決が有るのか無いのか、どれがトンデモなのか、トンデモの数は全体の中でどれほどの割合なのか。
また、トンデモが発生した原因は何か。悪いのは、判断を誤った裁判官か、むちゃくちゃな鑑定をした鑑定医か、防戦に失敗した被告代理人か。
個々の事件を分析していかなければ、分かりません。

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> 10年間で新受件数が倍近くに増えています(No.245 峰村健司 さま)

医療事故(医師の過失の有無を問わず)の総数が増えているか、ということも、問題になるだろうと思います。
実際どうかはわかりませんが、少なくとも世間に聞こえる数は多くなりました。

なお、参考までに、
平成17年の新受が、平成16年より100件ほど減った理由について、
 医療側が勝てそうにない事件では、訴訟提起される前に和解するようになった
ためであるという弁護士の意見があります。

平成18年9月20日/「TKC医業経営情報」2006年12月号
http://www.clinic.tkcnf.or.jp/b/b03/b0360.html

医療機関が自らの非を認めてしかるべく賠償を行い、無意味な訴訟が減ったというのであれば、結構なことと思います。

>No.245 峰村健司 さんのコメント

 同感です。
 数例の判例しかみていませんが、医療側勝訴例(原告敗訴例)の中には確かに訴訟理由がほとんどいいがかりのようなものがあり、ちょっと調べれば分かるような医学的に明らかに間違っていることを原告(患者側)が争点にあげているものもあります。本ブログで話題の藤山雅行裁判長が医療側勝訴とした下記事例もあり、そのような事例ではおそらく判断に迷う余地がなかったのではないかと思います。自由に訴訟を起こす権利がある以上仕方がないし、司法の判断が正常に働いている(医療側が勝訴している)じゃないかと主張される方がいるかもしれませんが、こうした例も含めて、「医療側勝訴率が60%もある(原告勝訴率が40%の低い水準に留まる)」と言われても、そのまま素直に納得できないところがあるのかもしれません。

(事例)多発性硬化症を発症し、一度寛解したものの再発が起こり、障害が残存している場合において、多発性硬化症の診断が遅延した過失、多発性硬化症の再発を招いた過失及び再発時の治療が不適切であった過失をいずれも否定した事例。(そもそも「多発性硬化症」は寛解と再発を繰り返すことが特徴である疾患であり(それが診断基準のひとつ)、初発の時点では診断が極めて困難です。またステロイド治療によって再発率が減少するという根拠はありません。)

> 普通の民事なら70%程度の勝てる見込みが無ければ、訴えようと思わないのでは?
> ですから医療に尽いて、少なくとも「半々以上は勝てるつもり」か、ほぼ「負けを覚悟して何かを訴えたい」か、どちらかと思います(No.246 MultiSync さま)

「勝てるつもり」は、全体平均の勝訴率ではなく、自分の事件について勝てるかどうかの判断によります。
医療訴訟に限らず、民事事件では、たいていの人は、70%でなくても、「半々以上は勝てるつもり」なら訴訟に踏み切ると思います。
相手が任意に払わない以上、泣き寝入りするか、果敢に勝負するか、どちらかしか、ないのですから。

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> 実際に過誤にあった人のほとんど(280人中272人)が損害賠償を請求していない(No.247 uchitama さま)

たびたび引用される文献ですが、一つ疑問があるので教えてください。

この272人に対して、医療機関側は自ら賠償を申し出たのでしょうか?
医療機関から説明を受けて、自分が医療過誤の被害に遭ったと知った上で、請求放棄した(許した)のでしょうか?
もし何も知らされていなかったのであれば、賠償請求しないのはむしろ当然であると思われます。本来は請求権があるにもかかわらず、賠償を受けられなかった人がいるとすれば、どうすれば彼らを救済できるのでしょうか。
(自分で気がついて、文句を言ってきた人に対してだけ賠償すればよいのだ、という考え方は、正義とは思えません。)

日本の今の医療訴訟の状況は、
医療機関が自ら過失を認めないケースがあり得ることが前提となっています。
患者は、自分の事件では(病院は認めないが)過誤があるに違いないと信じて、訴訟に踏み切るのです。

もし、全ての医療事故について、過失の有無が判明するとしたら。
権威有る機関によってきちんと調査され、その結果が患者側に通知されるシステムであれば、
医療過誤があったケースについてのみ賠償請求がなされ、医療過誤でないものについて訴訟提起することは考えられません。
そして、そのほとんどは、訴訟外の和解で解決されるはずです。
訴訟になるのは、(過失の有無については争いがないので)賠償金額で折り合わなかった場合だけ。

> HMPS(ハーバード・メディカル・プラクティス・スタディ)の医師たちが「過誤なし」と判定したケース

和解で終わるケースは別として、HMPSの判断と、訴訟判決の過失認定とが、一致しているのでしょうか?
食い違いがあるとすれば、アメリカでも医師によって過失の有無の判断が割れるケースがあるということになりますが、、、、

>No.251 YUNYUN さん
>食い違いがあるとすれば、アメリカでも医師によって過失の有無の判断が
>割れるケースがあるということになりますが、、、、

おやYUNYUNさん、アメリカでは陪審制だから有罪無罪の判断は陪審員の全員一致でなされるんじゃないでしょうか。弁論主義だから医療に過失があったかどうかについて対立する医師が出てくるはずですから、医師の判断は割れるのが当たり前(笑)、という認識の社会であるように思います。

医療を素人が判定すると言う条件は同じですが、日本の裁判官の数よりあちらの陪審員の数のほうが多い(人数は知りませんが)うえに全員一致ですから、弁論主義下での判断エラーは論理的に言って日本の裁判より起こりにくそうな気がしてます。まちがってるかな(笑)。

>No.249 YUNYUN さん
>医療機関が自らの非を認めてしかるべく賠償を行い、無意味な訴訟が減ったというのであれば、結構なことと思います。

医療機関は、非の有無と裁判の勝ち負けに相関は無いと思っていますから、そうではないんじゃないかと。

非の有無を抜きにして、どんなケースで裁判に負けるのか、医療機関がわかってきたということではないかと。

>No.251 YUNYUN さん
>和解で終わるケースは別として、HMPSの判断と、訴訟判決の過失認定とが、一致しているのでしょうか?

「一致していない」というのがこの文献の主旨です。
(私は、あくまでも米国の裁判制度での話と理解しています。日本はどうだかわかりません。)

大雑把に言えば、医療過誤の有無を米国の医師が判断すると、
・医療過誤に遭った人のほとんどは損害賠償請求をしていない。
・損害賠償請求をしている人のほとんどは、医療過誤に遭っていない。
という内容だと理解しています。

>この272人に対して、医療機関側は自ら賠償を申し出たのでしょうか?

多分、申し出ていないと思いますが、その点は論文の主旨に影響はありません。

もし、全ての医療事故について、過失の有無が判明するとしたら。
権威有る機関によってきちんと調査され、その結果が患者側に通知されるシステムであれば、医療過誤があったケースについてのみ賠償請求がなされ、医療過誤でないものについて訴訟提起することは考えられません。

マジンドールさんも賛成してくれる御意見と思いますが、日本でも上記HMPSレポートと同じ現状であれば、患者側は納得しないでしょう。事実は如何に?

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弁論主義について
>(No.236 PINE さん)裁判所は、原告と被告で争っている事実を証拠で認定するときには、原告か被告の出した証拠によらなければなりませんよ、裁判所が自ら証拠を見つけてきてはいけませんよ。

とすると、

>(No.237 YUNYUN さん)原告提出意見・被告提出意見・裁判所が選任する鑑定人のうちの、いずれかの意見を選択して判断しているはずです。

上記の「裁判所が選任する鑑定人」は、原告提出意見・被告提出意見と同等の扱いであるならば、原則に反していると思われるのですが、どういう扱いなのでしょうか。

アメリカ陪審制は、刑事では有罪が全員一致が原則ですが、最近は全員一致でなくてもよい州が出てきています。
おそらくここでは民事が主題でしょうが、民事だと陪審制でも全員一致でなくてよいのが普通です。2/3多数とかそういう決め方だったと思いますが。

YUNYUNさま
この論文の要旨は「医療訴訟を起こすか否か(あるいは判決がどうであったか)は残念なことに医療過誤があったかどうかとは相関しない」と言う事実と思います。
>この272人に対して、医療機関側は自ら賠償を申し出たのでしょうか?
賠償されたかどうかに関しては、論文に記載されているかどうか分かりませんが、今度、図書館で原著を読んで調べてみます。
>食い違いがあるとすれば、アメリカでも医師によって過失の有無の判断が割れるケースがあるということになりますが、、、、
論文のためにカルテから医療行為を評価する医師はバイアスのかかっていない中立的な医師(New Eng J Medレベル(医学臨床の世界最高峰の雑誌>>>>医事新報、日本内科学会雑誌など)の雑誌では如何に無作為、randomize、double-blindに調査を行うかがかなり厳しく審査されるため)であるのに対し、裁判で証言する医師(協力医や鑑定医)はどちらかを勝たせるために偏った判断をする可能性あるいはその選出にも問題があるというように理解したのですが。。。
小生が魔人ドールさまのコメントに一番共感する部分は司法が医療過誤を判断する能力に極めて乏しい(ほとんど0%に近い)という点です。この点に同意する医師は少なくないと思います。(むしろカルテ改竄や異常死の届出など医療行為の過失と全く関係ないところに地雷が存在することなどを感じています。)
一方、恐らくモトケンさま、YUNYUNさまをはじめとする法曹の方々は50%程度は判断できるだろう。であるから現行法でも少し工夫を加えることあるいはADRなどを作ることによってその精度をあげれば何とか今のままでも使えるのではないかと考えておられているのではないかと推察します。
この前提が医師側と法曹側で大きく異なるため議論が食い違うのだと思います。最近、発言しない医師達はもはや諦めモードに入ったのかも。。。
したがって現場の医師の恐れるところは、過失のない合格点の医療と思っていても、いざ告訴されると敗訴となるかどうかは運でしかないところです。だから加古川心筋梗塞賠償訴訟の判決のように、それが例え民事の地裁の判決であれ、兵庫県播磨から医師が逃散という事態が生じるのです。(もし心筋梗塞患者の搬送までの時間が70分以上を過失であるとすれば小生なんぞはもう十数回以上は医療ミスを繰り返しています。)
>自分で気がついて、文句を言ってきた人に対してだけ賠償すればよいのだ、という考え方は、正義とは思えません。
アメリカなどとも比べ、極めて限られた資源(予算)の中で行っている日本の医療行為ではもはや市場原理は全くといっていいほど働いてないものと思います。それが訴訟にさらされると、もはやそれに対抗できる精神的、経済的余裕などなく、医師の逃散や診療拒否(転院や重症患者は断る)という形で現れているのです。
結局、「医療訴訟において、勝って賠償金をもらった人は勝者だけれど、敗者は、それまでの医療レベルで満足していた一般の人々です(峰村健司さまのコメント)」
正義ってなんでしょう?崩壊寸前の医療機関に1%の医療過誤(システムエラーやヒューマンエラーなどを含めた)を認めさせることなのでしょうか?

感情のままに書き込んでしまい申し訳ありません。もちろん、現行法の上でもADRや被害者救済制度(無過失賠償制度)などの制定を進めていくことが重要なことは言うまでもありません。しかし、もっと早急に効くカンフル剤(使ったことないなぁ)はないものかと思うのです。

>No.239 YUNYUN さん

>判官贔屓の可能性?そうしたことがあれば、勝訴率は年を追ってどんどん上昇していかなければならないはずですが、昔から勝訴率はほどんど変わっていません。

勝訴率はそうかもしれませんが、認容されている賠償額は恐ろしいほど急上昇しているはずです。
情け容赦がなくなったといっても過言ではないほどです

患者原告が最初から要求する賠償額も恐ろしく増えた印象です
昔の訴訟記録を読むと、原告側も結構控えめだったのだという印象を受けるのです
今や、捻挫で元気なのに一億円訴訟を起こし、百万数十万円の”説明責任義務違反”明目の見舞金をせしめる連中まででる程です(まあ、弁護士費用+印紙代で消えるでしょうが、請求棄却して制裁加えても当然の要求に思えるが。。。)。

医療を医療者に委ねる部分が多いだけに、紛争処理ルールを紛争前にキッチリと決めて置くことを容認しないと、医療崩壊後も医療復興はないでしょう。
ある程度の患者権利の抑圧も、今の医師の権利抑圧(応召義務等)を考えれば、議論にあげるべきものだと思っています

。。。またしてもシステム問題に行き着く訳ですが、個別事案の処理手段でしかない司法が頑張りすぎるのは、いかがなものかと?もし国の政治のあり方などの憲法判断は極端に控え目なのに・・・・

>No.239 YUNYUN さん

>判官贔屓の可能性?そうしたことがあれば、勝訴率は年を追ってどんどん上昇していかなければならないはずですが、昔から勝訴率はほどんど変わっていません。

勝訴率はそうかもしれませんが、認容されている賠償額は恐ろしいほど急上昇しているはずです。
情け容赦がなくなったといっても過言ではないほどです

患者原告が最初から要求する賠償額も恐ろしく増えた印象です
昔の訴訟記録を読むと、原告側も結構控えめだったのだという印象を受けるのです
今や、捻挫で元気なのに一億円訴訟を起こし、百万数十万円の”説明責任義務違反”明目の見舞金をせしめる連中まででる程です(まあ、弁護士費用+印紙代で消えるでしょうが、請求棄却して制裁加えても当然の要求に思えるが。。。)。

医療を医療者に委ねる部分が多いだけに、紛争処理ルールを紛争前にキッチリと決めて置くことを容認しないと、医療崩壊後も医療復興はないでしょう。
ある程度の患者権利の抑圧も、今の医師の権利抑圧(応召義務等)を考えれば、議論にあげるべきものだと思っています

。。。またしてもシステム問題に行き着く訳ですが、個別事案の処理手段でしかない司法が頑張りすぎるのは、いかがなものかと?もし国の政治のあり方などの憲法判断は極端に控え目なのに・・・・

No.253の元ライダーさん、

>上記の「裁判所が選任する鑑定人」は、原告提出意見・被告提出意見と同等の扱いであるならば、原則に反していると思われるのですが、どういう扱いなのでしょうか。

鑑定人は裁判所が選任しますが、鑑定も原告か被告の鑑定申請に基づいて行われます。
原告も被告も申請していないのに、裁判所が職権で鑑定をすることはできません。

原告としては協力医の意見書や私的鑑定書で充分と考えていても、被告が納得できなければ、被告から鑑定申請がなされます。

被告が鑑定申請をした場合、被告が推薦する鑑定人候補者は原告が嫌がります。
でも、原告が推薦する鑑定人候補者は被告が嫌がります。
で、なるべく中立的なお医者さんを、ということになります。

>No.258 PINE さん
>原告も被告も申請していないのに、裁判所が職権で鑑定をすることはできません。

解説ありがとうございました。上記は了解しました。しかし、

>原告としては協力医の意見書や私的鑑定書で充分と考えていても、被告が納得できなければ、被告から鑑定申請がなされます。

これは原告が鑑定書を提出しているのに、被告が(反論としての)鑑定書を提出していない場合でしょうか?とすると、原告は自らの主張に沿った鑑定書を提出しているのに、被告が選んだ鑑定人による鑑定(被告の主張に沿った鑑定)を認めない(嫌がる)のはフェアではないと思います。

そうではなくて、原告も被告も鑑定意見を出しているのに、その意見が真っ向対立している場合のことをおっしゃっているのだとしても疑問があります。

原告・被告ともに自分側の鑑定で十分であると考え、鑑定申請をしない場合は、その真っ向対立した鑑定意見を基に裁判官が判断するのでしょうか?

私の個人的意見ですが,
まず刑事は原則として意図的な殺人などに止めるべきです.その代わり第三者機関が鑑定し,その結果に応じて行政処分などを講じるようにする.
命を対象にする医療はいつも危険と背中合わせですし,必ずよい結果が得られる保証はありません.どんなにがんばってもよい結果が得られなかったからといって結果責任を問うことは適切ではありません.
リピーター医師を排除する必要はありますが,そういう作業は行政処分が担うべきです.
国が国家免許として「命を扱うこと」に対して許可を与えているのですから,その責務をまっとうしている限り結果によって個人に刑事罰を与えることは適切ではないと私は思います.今の現状は「どんなに努力して適切な医療に努めたとしても殺人犯と同じ扱いを受ける可能性が十二分にある」というところです.こんな状態のままで医療を続けていくことに不安を覚えるのは当然のことだと思います.だから「逃散」のであり「医療崩壊」が生じているのです.

民事に関してですが,原告は「原告に有利な鑑定」を探して来るでしょうし,被告は「被告に有利な鑑定」を探して来るでしょう.結果は争点に関してはおそらく正反対に近い内容になるでしょう.どちらもバイアスだらけです.こんな鑑定書はどちらも意味がありません.
そこで提案ですが,どちらも鑑定書は出さないようにして,その代わり複数の第三者の鑑定を元に,原告と被告それに対して意見を述べ,最終的に裁判官が判断するという方法です.
基本線を第三者鑑定にするということです.これまでにも書いてきましたように,鑑定者は大学教授などのいわゆるauthorityではないようにすることが重要です.

> アメリカでは陪審制だから有罪無罪の判断は陪審員の全員一致でなされるんじゃないでしょうか(No.252 ぼつでおk様)

このエントリは「民事編」なので、「有罪無罪」の刑事裁判ではなく、「賠償責任有りや無しや」の民事裁判を念頭に置いています。

また、裁判所内の意見の一致の問題ではなく(日本の裁判でも裁判官の評議による多数決で判決を決めます)、
裁判判決とHMPS検証とでは、それぞれの医学的見解が食い違っているのではないか、という趣旨です。
つまり、本文献の趣旨は
 民事訴訟においてどこかの医師の意見に基づいて過失ありと認定され最終的に損害賠償が認められたケースであっても、HMPSの医師によれば過失がなかった事案が多い
ということではないかと私は思ったので、お尋ねしました。

で、その理解で正しいとのことです。

> 「一致していない」というのがこの文献の主旨です(No.253 元ライダーさま)

> 裁判で証言する医師(協力医や鑑定医)はどちらかを勝たせるために偏った判断をする可能性あるいはその選出にも問題があるというように理解したのですが。。。(No.255 uchitama さま)

そうだとすれば、日本におけると同じ問題を抱えているわけで、
アメリカの司法制度はその点を如何にして乗り越えようとしているのかが、気になりました。
しかし、この文献では、そこまでは触れていないのですよね?

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> 現場の医師の恐れるところは、過失のない合格点の医療と思っていても、いざ告訴されると敗訴となるかどうかは運でしかないところです(No.255 uchitama さま)

過失が有るか無いかの判断を医師が誤解していた場合は問題にならない、
医学的には「過失が無い」にもかかわらず、裁判では誤って「過失有り」と認定されてしまうことがある、という問題意識ですね?

現在の状況では、どこかの医師に聞いてきた意見がいくつか裁判所に出され、裁判官にはそのうちどれかを正しいかを選んでいますが、医学の専門家ではないので、選び違えることがないとは言い切れません。
これを避けるには、中立的な医療者において、医学的に正しい「一つの」見解を定め、それを裁判の中に持ち込む方法を工夫をするしかないのではないでしょうか。

> 原告・被告ともに自分側の鑑定で十分であると考え、鑑定申請をしない場合は、その真っ向対立した鑑定意見を基に裁判官が判断するのでしょうか?(No.259 元ライダーさま)

弁論主義のルールからはそうなります。
裁判官としては、どちらの医学的意見も不十分であると考えるならば、「鑑定申請したらどうですか」と立証を促すことはあるかもしれませんが、
費用負担もあり、当事者が「要らない」と言えば、裁判所が押しつけることはできません。
被告医療者側の訴訟戦略としては、自らの医学的意見に自信があり、裁判所が選んだ鑑定医もそれに賛成してくれるはずだと信じるならば、勝利可能性を強固にするために、鑑定費用を全部負担してでも、鑑定を申し出るべきだと思います。

> どちらも鑑定書は出さないようにして,その代わり複数の第三者の鑑定を元に,原告と被告それに対して意見を述べ,最終的に裁判官が判断するという方法です.
> 基本線を第三者鑑定にするということです(No.260 Level3 さま)

裁判上の証拠制限をすることには、民事訴訟法の改正が必要です。
しかし、運用としてそちらの方向に誘導することは現行法下でも可能であり、厚労省の専門調査機関はそれを狙ったものと思います。
つまり、医療過誤を疑う患者は専門調査機関に調査を依頼し、その結果「過失有り」との意見が出れば、それを基に医療機関に対して損害賠償請求する。裁判外で和解が成立しなければ患者側は訴訟提起します。しかし、訴訟において医学的な所見に関しては専門調査機関の判断を尊重するという慣行が成立すれば(裁判所は原則的に鑑定を許可せず、両当事者が私的鑑定を出しても重んじない)、私的鑑定を出しても無駄ということになります。

どうせなら、訴訟手続きの中で第三者専門家の意見を聴取するより、訴訟になる前に意見を聞けることとしたほうが、裁判外の和解を促し訴訟抑制効果があります。

> 日本でも上記HMPSレポートと同じ現状であれば、患者側は納得しないでしょう(No.253 元ライダーさま)

おっしゃる趣旨がよくわかりませんが、
アメリカの事案では、訴訟提起前に患者に対してHMPSレポートが渡されたわけではないですよね? というか、HMPSの調査結果は、裁判終結に至るまで当事者には全く知らされなかったのでは?
しかし、もし仮に、病院と交渉中の段階でHMPSレポートが示されれば、その結論に沿った裁判外の和解が成立した可能性は、大いにあったろうと思います。HMPSレポートの医学的判断に権威があり、患者からも医療者からも信頼を得ているならば。

専門調査機関による調査を行ってもなお、その結論に納得せず、訴訟において医学的見解を争うこととなるかは、専門調査機関がどれほどの権威を持つかによります。
つまり、専門調査機関の見解を裁判によって覆せるかどうか、ということです。
法的に縛りをかけることはできないとしても、裁判所がその結果を信頼してめったに覆さないという運用をすれば(もちろん、専門調査機関の医学的判断が正確で信頼しうるものであることが前提です)、あえて訴訟で争っても勝ち目が少ないので、争う人は減るでしょう。

専門調査機関の調査がそこまでの信頼性を勝ち得ないものであるならば、
私的鑑定を頼める先が一つ増えたということに過ぎず、訴訟抑制には役に立ちません。
とすれば、これを訴訟抑制装置として利用するためには、
医師のみなさんは専門調査機関の運営に協力して、専門調査機関の見解は信頼できる、あそこが言う以上、争っても仕方がないと、(特に)患者側に思わせることが必要です。

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> > この272人に対して、医療機関側は自ら賠償を申し出たのでしょうか?
> 多分、申し出ていないと思いますが、その点は論文の主旨に影響はありません。(No.253 元ライダーさま)

論文はともかく、医療者としてはどう思われますか?
HMPSレポートのようなものが、日本で出されたとして、「過失あり」と判断されたなら、それに従って自ら患者に対して賠償を申し出ますか?
アメリカでは、むしろ「請求されなければ払わなくてよい」という当事者主義が強いのかもしれませんが、
そういう感覚では医療機関に対する不信感は払拭できず、医療機関が過誤を認めないが自分は過誤だと信じるから、訴訟提起してみようという人は後を絶たないでしょう。

> それが訴訟にさらされると、もはやそれに対抗できる精神的、経済的余裕などなく、医師の逃散や診療拒否(転院や重症患者は断る)という形で現れているのです。

本当は医療過誤でないものについて訴訟の応答をさせられることが現場の疲弊を招いているというなら、無意味な訴訟をさせない工夫が必要です。
つまり、現行の原告勝訴率40%が低すぎることのほうが問題なのであって、
これが刑事事件の有罪率並に90%ということになれば、無意味な訴訟はほとんどないことになるのではないですか?
(裁判で正しい結論を出しているということが前提の話なので、トンデモ判決が出ないようにするという対策は別途必要です。)

>YUNYUN様

(No.261より)
アメリカの事案では、訴訟提起前に患者に対してHMPSレポートが渡されたわけではないですよね? というか、HMPSの調査結果は、裁判終結に至るまで当事者には全く知らされなかったのでは?
しかし、もし仮に、病院と交渉中の段階でHMPSレポートが示されれば、その結論に沿った裁判外の和解が成立した可能性は、大いにあったろうと思います。HMPSレポートの医学的判断に権威があり、患者からも医療者からも信頼を得ているならば。

(No.251より)
たびたび引用される文献ですが、一つ疑問があるので教えてください。

この272人に対して、医療機関側は自ら賠償を申し出たのでしょうか?
医療機関から説明を受けて、自分が医療過誤の被害に遭ったと知った上で、請求放棄した(許した)のでしょうか?
もし何も知らされていなかったのであれば、賠償請求しないのはむしろ当然であると思われます。本来は請求権があるにもかかわらず、賠償を受けられなかった人がいるとすれば、どうすれば彼らを救済できるのでしょうか。
(自分で気がついて、文句を言ってきた人に対してだけ賠償すればよいのだ、という考え方は、正義とは思えません。)

 おそらく誤解があると思いますが、HMPSレポートは「ランダムに選ばれた30000のカルテを検証し、その中で医療過誤があるか、医療過誤と訴訟の関係はどうか」ということを「事後検証」で調査したものですので、当然ですが裁判終結まで当事者がその結果を知ることはありません(物理的に不可能)。また、当然ですが、事後のカルテ検証ですのでこれを当事者に伝えると言うことはないでしょう(そんなことを目的とするとして、社会正義論は別としても協力する人がいるかどうか・・・)。

 おっしゃるように「実際に被害に遭われた方が申し出ないために救済されない」というのは社会正義としてどうか・・・という部分はあります。ですが、これは医療過誤だけの問題ではないように思われますが、いかがでしょう?で、あればこそ、専門機関による医療過誤「調査」が必要ではないかと思われますが・・・。

そうだとすれば、日本におけると同じ問題を抱えているわけで、
アメリカの司法制度はその点を如何にして乗り越えようとしているのかが、気になりました。
しかし、この文献では、そこまでは触れていないのですよね?

 ご指摘の通りだと思います。が、そもそもこれは医学論文であって、法学論文ではありませんので・・・。論文の目的は「過誤に遭遇した患者の被害を訴訟によって救済するという制度は被害救済制度としてまともに機能しているかどうか」という公衆衛生学的検証です。

 ですから

HMPSレポートのようなものが、日本で出されたとして、「過失あり」と判断されたなら、それに従って自ら患者に対して賠償を申し出ますか?

 この部分はちょっと的はずれな応答のように思われます。


専門調査機関の調査がそこまでの信頼性を勝ち得ないものであるならば、
私的鑑定を頼める先が一つ増えたということに過ぎず、訴訟抑制には役に立ちません。
とすれば、これを訴訟抑制装置として利用するためには、
医師のみなさんは専門調査機関の運営に協力して、専門調査機関の見解は信頼できる、あそこが言う以上、争っても仕方がないと、(特に)患者側に思わせることが必要です。

 この点は深く同意いたします。問題はそのマンパワーをどうするか・・・なのですが・・・。

で、例えば・・・なのですが、

 鑑定を現状のような鑑定書方式や証人方式ではなく、インターネットによるディスカッション方式に切り替えることは現行法上不可能なのでしょうか?

 前提条件として鑑定医としてネット登録する医師の経歴、医籍番号等の調査は必要になると思いますが、

メリットとして
1.多忙で法廷出席できない医師の鑑定参加が容易になる。
2.広汎な分野の専門家の鑑定参加が容易になる。
3.議論の過程を逐一裁判官が読むことが容易。
4.裁判官が議論の途中で質問を加えることも可能。

デメリットとして
1.当事者が論点として提出した事柄についてしか鑑定は行われない->真実の追究には必ずしもつながらない。
2.議論が割れたときの最終的判断は裁判官が行うことになるので、結局どちらかが不満を持つ可能性は高い。
などが考えられると思います。

HMPSレポートについて私が指摘したかったことは、

患者が医療過誤訴訟を提起したくなるかどうかは、医学的な過誤の有無に係わらないという現象は、ありうることである。
しかしその理由は、患者側が訴訟提起前に、正しい医療情報を知る機会を得られないためではないか。

過誤がありながら病院側が自主的に賠償していない事例が280/3000件、1割弱とは、少なからぬ数値であり、医療機関に対する不信感「医療機関は自らの過誤を隠しているのではないか」を醸造するのに十分な数値と思われる。(これが1%以下なら稀な事態ということになろう。)
この状況下で、事前に確かな医学情報を得られなければ、自分の事件は過誤アリと信じ、訴訟の勝敗予想は五分五分とみて、提訴に踏み切るという患者心理は無理からぬことである。

しかし、もし訴訟提起前に、患者が権威ある医療調査機関から「あなたの事件については過誤はない」と知らされていれば、訴訟しても負けると予想され、闇雲な提訴はしないであろう。
すなわち、HMPSレポートからは、「訴訟抑制するのためには、早い段階で患者に正しい医学情報を知らせよ」という教訓を読みとるべきであると考える。

これについて、
 医療機関が患者にいくら説明しても納得しない
という反論が予想される。
確かにその通りで、敵対的な関係の者の説明は「言い訳に過ぎない」と受け取られるであろう。
だからこそ、中立的で信頼しうる第三者による見解が示されることが必要であると考える。

------
なお、アメリカと日本とでは、訴訟に対する一般人の感覚の違い、弁護士の事件処理方法の違いから、アメリカでは提訴に対するハードルは日本より低いので、
アメリカの訴訟状況をそのまま日本に当てはめることは危険である。

YUNYUN様
280/3000件 → 280/30000件 の間違いでは?

座位様のご指摘の通り、1割ではなく1%未満です。

おわあっ 済みません。大呆けこきました。

> HMPSレポートは「ランダムに選ばれた3000
> 0のカルテを検証      (No.262 僻地外科医 さま)

左に「0」が来ていました。
1%弱ですね。

なお、提訴率は単純な数値計算で、
> 全3万例のうち,過誤による損害賠償を請求した事例は51例あり
0.17%

ただし、提訴された51件が、過誤のあった280件と、ほとんど重ならないことが問題である。
1.真の被害者が救済されていない
2.無意味な訴訟に応訴させられて医療機関が疲弊する

1.については、
法律家の認識としては、1%の少数だから救済されなくても構わないとは言えません。政策的にみても、「医療事故はいかなる場合も賠償不要」とするやり方が、医療の質を向上させ医療現場を平穏に保つのに役立つとは思えません。
医師の皆さんも、過失がある事案についてまで、賠償不要とするご意見は少数ではありませんか?

アメリカでは医療機関の自主性に任せていては賠償されないうようですが、日本ではどうなのでしょうか。
(私個人の印象では、日本ではアメリカより真面目に自主的賠償しているような気がしますが・・・)
日本でも自主的な賠償がなされていないようなら、第三者機関が調査して賠償を促すことも考える必要があると思います。

2.を防ぐためには、患者に正しい医療情報を伝えて無意味な訴訟を止めるように促すことが必要であろうと思います。

-----
ところで、No.264で書いた、「アメリカでは訴訟のハードルが低い」ということ。

・訴訟費用
弁護士費用は日本では(着手金+成功報酬)制、アメリカでは完全成功報酬制が一般的である。完全成功報酬制では手持ち資金不要だから、訴訟できる層が広い。

・私的鑑定
日本の医療訴訟のやり方では、原告側が証拠として私的鑑定書や医学文献を提出すべきものとされている。また、事前にある程度調査して、五分以上の勝ち目が見込めなければ、高い費用をかけて訴訟するに値しない。
つまり、少なくとも1人は患者にとって有利な医学的見解を述べてくれる医師が存在しなければ提訴に踏み切ることはできない。
アメリカではそこまでシビアに事前調査はせずに訴訟提起してしまうようである。

このように、日本の訴訟では、患者サイドが自ら訴訟提起前に医学情報を得ようとする圧力が働いているから、闇雲な提訴はアメリカに比べて少ないのではないかと思われる。
その上でなお、医療訴訟の勝訴率40%は一般民事事件と比べて「低すぎ」、無意味な提訴を減らす工夫が必要であると考える。

「HMPSレポート」の話が面白そうなので久々に出てきました。

ところで、医師の方は、そのレポートによる過誤の判断が「正しい」ことを当然の前提にされているようですが、はたして本当に「正しい」のでしょうか。その「正しさ」はどのように保証されているのでしょうか。教えてください。

uchitama さんの御説明だと、レポートの検証方法は「カルテを分析して」とか「論文のためにカルテから医療行為を評価した」ということなのですが、一方で、「カルテに医療行為の全てが書いてあるわけではない」とか「カルテだけを見ても医療行為の当否を判断することはできない」という主張も、以前のエントリで、医師の方から強力に展開されていました(#)。結局、カルテだけから適否は判断できるのでしょうか、できないのでしょうか。それとも、アメリカのカルテと日本のカルテはそんなに違うのでしょうか。

また、カルテの改ざんが争点だった事件、改ざんが認定された事件も中にはあると想像しますが、そのような場合、どのように「検証」がなされたのでしょうか。

# なお、そのときは、「医療側がカルテをなかなか開示しないのが紛争を難しくしている」という指摘に対する反論として上記の説明がなされたと記憶しています。あまりカルテだけにこだわっても無意味だという趣旨であり、そうだとすれば、必然、「HMPSレポート」の信用性も乏しいことになりましょう。あるいは、カルテによって「過失のあること」は推知できないが、「過失のないこと」は認定し得るということなのでしょうか。

そして、その「レポート」は、裁判における原告側の言い分や、医療側敗訴の根拠となった証拠(過失を指摘する鑑定書的なものが出た場合もあれば、専門家が証言をした場合もあるでしょう)についても全てチェックを経た上で、それらを合理的な理由で排斥できている(つまり、裁判所が「誤った」判断に至ったことを客観的に証明できている)のでしょうか。私が知る限り、アメリカの裁判所が示す判決は、州(と判事の趣味)にもよりますが、一般に日本のものに比べると非常に簡素であり、判決文を見ただけでは主張の詳細や証拠の内容は分からないことが多いので、上記の点を本当に調べようと思ったらものすごい作業量になりますし、医学的知識と関係ない単なる事実認定については、司法判断と研究者の事後的な検証のどちらが正しいかなど一概に決められない(少なくとも、医師であるが故に裁判所より正しく判断できる、ということではない)と思いますが・・・・。

もし上記の点を顧慮せず、ただカルテだけを見て「過誤なし」「過誤あり」という判断をしているのであれば、「レポート」の出した結論自体、かなりマユツバのように思えるわけでして、訴訟の結論と過誤の有無との間に相関関係がないという「証明」がなされたとは到底いえないのでは、という気がします。

もっとも、色々書きましたが、自分としては、そのレポートの「正しさ」に疑問を差し挟むのが目的ではありませんで、ただ「過誤の有無を正しく判定できる」すばらしい方法が本当に存在するのなら、そもそも、その方法を活用して紛争を解決すればいいのになあ、というおよそ法律屋らしからぬ素朴な疑問を持っているのです(笑)。


話はかわりますが、現行の医事訴訟では鑑定人等の専門家から意見を聴取し、特段の事情がない限り、いずれかの専門家の意見に従った判決が示されます。鑑定人についても、別に手当たり次第に選んでいるわけではなくて、病院側の意見も聴いた上で、適当と思われる医師を選任しています。3人程度のチームでカンファレンスしながら鑑定をする方法もあります。鑑定の結果に疑問点があれば、事後的に質問をして追加回答をしてもらうこともあります。

このような方法で得られた判決について「正しく判断できている確率がゼロパーセントに近い」とすると、それが意味するところは「医療紛争の争点に関して述べられた医師の意見の全部又は一部が誤っている可能性は99パーセント以上である」ということでして、要するに、「医師には医療過誤の有無を判断する能力がない」と言っているのと殆ど同じではないかと。それならそうと最初から言ってくれればいいのに、という気もします(笑)。

まあ、それは冗談ですけど、上記のような方法をとってなお「正しく判断できる可能性がゼロパーセントに近い」のだとすれば、「第三者機関」で「正しい判断」ができる(完璧とまでいかなくとも、医師が一応は安心できる精度の判定ができる)というのは、一体どのような構想を描いておられるのか。よく言われるように、意見を出す主体を勤務医にすれば、誤った意見が混入する確率が99パーセントから劇的に下がるということなのでしょうか。

>No.268 FFF さんのコメント
>ところで、医師の方は、そのレポートによる過誤の判断が「正しい」ことを
>当然の前提にされているようですが、はたして本当に「正しい」のでしょうか。
>その「正しさ」はどのように保証されているのでしょうか。

法律や医学書には書いてありませんが、俗に言う「餅は餅屋」「けものみちは猟師に訊け」のようなごく普通の行動規範が判断の際の思考過程に加わっていると思います。文章化や数値化はなかなかできないでしょうね。(笑)
つまらないお答えですみませんが、私の頭で考えつく限度なのでご容赦ください。

FFFさま
ご無沙汰しています。今後ともよろしく御願い致します。

>医師の方は、そのレポートによる過誤の判断が「正しい」ことを当然の前提にされているようですが、
医療の(おそらく法律も)全ての診断や判断にゴールデンスタンダードというものはなく、完璧という評価方法はないものと思います。従ってバイアスのかからない第三者による判断ということになるかと思います。その第三者による判断(HMPSの調査結果)と、訴訟における被告側と原告側の相反する鑑定医の意見から出された結論(+裁判官の酌量)との比較という意味で、HMPSの調査結果が絶対的に正しいという意味ではないと思いますが。

>カルテに医療行為の全てが書いてあるわけではない」とか「カルテだけを見ても医療行為の当否を判断することはできない」という主張も、以前のエントリで、医師の方から強力に展開されていました(#)。結局、カルテだけから適否は判断できるのでしょうか、できないのでしょうか。
>カルテの改ざんが争点だった事件、改ざんが認定された事件も中にはあると想像しますが、
ちょっと忙しく図書館に行けなかったのですが、近々原著を見てみます。しかしカルテの改竄は医療過誤ではないと思うのですが?余談ですが、小生が医師になった18年前頃にはカルテの改竄などという概念はなかったのです。それが数年して修正液を使うななどと先輩医師に言われ始めて・・・その頃から法律に取り入れられたのかなぁなどと思っていたのですが。。。最近では小生なんかはむしろ不利になりそうなこと(特に相手が難しい患者の場合)はカルテに書かない、必要最低限のことしか書かないに徹しています。アメリカではどうなのでしょう?
恐らくアメリカの場合は医療者側(日本では原告患者側)が医療行為の正当性(過失)を立証しなければならず、むしろ医師の記載は多くなる(正確になる)のだろうと思います。

>そもそも、その方法を活用して紛争を解決すればいいのになあ、というおよそ法律屋らしからぬ素朴な疑問を持っているのです(笑)。
「医療側の意見を求めます」のエントリでも書き込みましたが、例えば「めまいがする」と言って来院された患者さんを耳鼻科に紹介するのか、神経内科なのか、循環器内科なのか脳外科なのか眼科なのか整形外科なのか精神科なのか素人の人が判断できないように、裁判官が適切な鑑定医を選ぶことができていないという現状があります。

複数医のチームでカンファレンスしながら鑑定をする方法はどれほど一般的なのでしょうか?複数の医師といっても、よく政治家や官僚が選んだメンバーで「最初から結論ありき」で進められるような諮問委員会やWGを思い起こしてしますのですが。。。原告被告双方に利害関係のない(バイアスのかからない)第三者ってどうやって見つければ良いのかが問題です。(さらに医師(特に教授など)の場合は世間知らずで偏屈な人も多いのですよ。)

>「正しく判断できる可能性がゼロパーセントに近い」
すみません。正確に言えば医療過誤を判断する能力がほとんど0%に近いというのは、訴訟の勝敗と医学的な過失の有無の相関係数が0に近いという意味です。2つに1つが誤判であるとすれば、過失ありか過失なしの二者択一で、それではコインで決めても同じです。(裁判官が医師を苛めてやろうと思って全て違った判決をするならば相関係数−1)


裁判所は行き当たりばったりに鑑定人をリクルートしているのではなく、学会等の医療者団体から候補者の推薦を受けています。

最高裁判所・医療関係訴訟委員会
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/izikankei/index.html

選任の考え方が誤っていると思われるのであれば、司法に対してあれこれ注文を付けるよりも、
ご自身の所属学会や医師会において、「こういう人を鑑定人として送るべきだ」という運動を展開していただくほうが、早道ではないでしょうか。

つまりは、人間活動という自然現象は是か非かの二者択一のデジタルな原理の連続ではなく、連続性で見れば是非の判定不分明なアナログ的というよりファジーなものであり、そして科学の世界でも宇宙の事象の存在原理としてファジーすなわちf理論が現在支持されている、ということです。

272ってなにがいいたいのか自分でもわかりませんでした(笑)。
例えていえば、ある将棋の試合を評価するのに解説者に囲碁のプロでは
見ているものは納得し難いでしょうし、囲碁のプロも囲碁ならわかるが将棋はわからんというでしょう。
専門家といっても判断できる領域は非常に限られている、その領域外の判断はファジーなもので素人のレベル(ファジーな定義です笑)と全く同じ分析能力にとどまるという認識、みたいな(笑)。

んー、結局ファジーな言い方しかできませんね(笑)失礼しました。

こんにちは、整形Aです。

No.236 PINE さんのコメント

>「弁論主義」というのは、No.72でコメントしましたが、もっと噛み砕いて言ってしまうと、民事の裁判では、裁判所に裁判をしてほしいことについては原告が明らかにしてください、原告で証拠も出してください、原告の言い分についての反論は被告がしてください、反論の証拠は被告で出してください、国(裁判所)はそのことについて関わりませんよ、という民事訴訟法の原則です。

そもそもこの弁論主義というのに、我々(医師だけでなく日本人全体)はあまり慣れていないのではないかと思います。

普通我々が裁判を経験することは稀ですが、どういうわけかTVでは似たような場面がよく出てきます。
一例を挙げるなら時代劇の法廷である「お白洲」。

まあ、裁かれるのはほとんどが刑事ですが、あそこに登場する裁判官(兼検察官)遠山金四郎は自分で調べ(隠密捜査?)、証拠(遠山桜)を提示して、判決を下します。
水戸黄門も似たようなもんですよね。今はなき風車の弥七が集めてきた情報を基に、黄門様が判決を下します。

ですから我々は、争いごとには必ず真実があり、「法廷」にいくと、裁判官ってのは自分で証拠を収集し、真実を見出すもんだと思い込みがちです。
しかし「弁論主義」というのは、裁判所は真実を見出す場ではない、と言うことを示しています。

医師から見てある判決がトンデモというのは、当然ありうることです。判決=真実ではないからです。
トンデモ判決を回避する一番いい方は、原告の言い分を打ち負かす裁判上のテクニックを磨くことにつきるのではないでしょうか。

もっともその前にはだかるのが「自由心証主義」でして、裁判官がいかにバイアスがかかっていたとしても、「これは自由な心証によって得られた結果だ」と言い張られたらどうしようもないわけですが・・・。

しつこくてすみません(笑)が273の続きです。
で、結局一人の人間がどんなに頭がよくても、同時に囲碁の最高峰のプロと将棋の最高峰のプロであることは現実には起こり得ないだろうというあたりが、人間の頭脳力の限界に近いと言う結論に至るわけですが、これは歴史的観察からほぼ正しいと思っています。いわゆるエビデンスですね(笑)。

ここでいったん意見として括ります。ファジーなままですみません。

> 裁判所は真実を見出す場ではない(No.274 整形Aさま)

いや、そこまで言い切ってしまうのはどうも。
裁判は正義に裏打ちされていなければ独裁に堕し権威を失いますから、
裁判において真実探求がどうでもよいということではありません。
弁論主義は、真実を見いだすために役に立つ、それどころか、真実発見のために最も<効率的>な方法であるという積極的な意味づけがされています。

つまり、裁判所としては、判断材料となる主張・証拠が欲しい。少ない材料では判断を誤る危険があるので、一定量以上を何とかして集めたい。でも、裁判官が自分で探しに行くのは大変です。
そこで、当事者に主張・証拠の提出の責任を負わせれば、どちらも勝ちたいあまり、一生懸命に主張をするし、進んで証拠を探して持ってくる。
裁判所は労せずして判断材料を手に入れ、結果として正しい判断をすることができるというわけです。

これは、両当事者の訴訟追行に対する意欲・能力が同程度である場合に、最もよく妥当します。
当事者間の力関係が不均衡である場合は、弁論主義だけでは上手くいかないことがあります。

>ご自身の所属学会や医師会において、「こういう人を鑑定人として送る
>べきだ」という運動を展開していただくほうが、早道ではないでしょうか。

YUNYUNさん,
どこの学会もお偉方は教授の先生たちです。そして学会に鑑定人を依頼された場合には彼らが鑑定人を推薦するわけですよね。そこに末端の一般会員が「鑑定人はXXな人にしてくれ」と言ったとしてもそれが認められるとお考えでしょうか?

そもそも学会は学問をやる人間の集まりであって,臨床をやる人間の集まりではないんですね。学会の趣旨もそのようになっていると思います。
結局のところ「鑑定人の推薦を学会に依頼するところ」からして間違っているんですね。基本的にはもって別ルートを考えなければなりません。
臨床医の集まりみたいなものがあれば最もよいのでしょうけど...

No.269 ぼつでおkさん
No.270 uchitama さん

 コメントありがとうございます(ひとまとめで済みません)。

 私の関心はNo.268 で書いたとおりで、第三者が過誤の有無を確実に知ることができる素晴らしい方法というのがあるならいいなあ、教えて欲しいなあ、それ使いたいなあ(#)という程度のものです。しかしまあ、「正しく」かつ「第三者にもその正しさを理解させることができる」というのは、どの領域であれ難しい課題ですね。

# 法律屋の感覚としては、何が何でも裁判をしたい、訴訟に持ち込みたいということは全くありませんで、むしろ、訴訟はできる限り回避したい最後の手段です。正確性、公平性、迅速性、利便性、履行の確実性といった要素に照らして訴訟より優れた方法があれば、どの法律屋も躊躇なくそちらを選ぶと思います。

 それから、カルテの改竄それ自体がいわゆる「医療過誤」に当たらないことは当然ですが、私が言いたかったのは、「医療過誤があった。その記載がカルテにないのは改竄されたからだ」と原告が主張しているケース(そして、裁判所もカルテの改竄を前提事実として認めたケース)については、カルテの事後分析だけによっては過誤の有無を推知し得ないのではないか、その点の検証は「HMPSレポート」ではどうなされているのですか、ということです。

 複数医のチームによるカンファレンス形式の鑑定は、東京等の大規模庁ではそれなりに行われているものの、全国的に定着しているとは言いがたい状況と認識しています。この運用に対する評価が高まり、かつ、医師の協力が得やすくなれば、一般的手法になるかも知れません。

>No.278 FFF さん
コメントありがとうございます。

>カルテの改竄それ自体がいわゆる「医療過誤」に当たらないことは当然ですが、
>私が言いたかったのは、「医療過誤があった。その記載がカルテにないのは改竄
>されたからだ」と原告が主張しているケース(そして、裁判所もカルテの改竄を前提
>事実として認めたケース)については、カルテの事後分析だけによっては過誤の
>有無を推知し得ないのではないか、その点の検証は「HMPSレポート」ではどう
>なされているのですか、ということです。

ご指摘の点は私も確信を持ってお答えすることができませんが、いわゆる「カルテの改竄」(事実で無いことを記載する)についてはあちらの国では即刑事犯罪(業過致死がありませんからすなわち殺人まで含めた傷害罪)だったような気がします。あちらは一人の患者の医療記録の記録者は複数の職能のさらに複数の人員がおのおの前記のプレッシャーを受けながら記録を行いますから、犯意をあらわす改竄部分の特定が比較的容易であり、改竄前の事実の探求も行いやすいと想像します。この作業を経て医療過誤の認定がされるのであれば、過誤行為前後の患者の病態分析を行えば、件の過誤行為そのものがどういう性質でどのように行われどのような病態変化を起こしたかをかなり定量的に正確に掴むことが可能だと思われます。

が、よくよく考えますとNo.269ではえらそうに申しましたが、私が考える「HMPSレポート」の「信憑性」はこういう個人的想像に基づいたこれまたファジーなものでありましたことを白状致しまして(笑)、おわびとお答えにかえさせていただくことを申し訳ございませんがお許しください。

しかし、考えても見れば当たり前のことですが、過失が無い場合に民事裁判により賠償できたとしたらどんな人でもとりあえず訴えて相手を言い負かせればいくらでもお金を引き出せると言うことになりかねません。
これはどう考えてもおかしいと思わざるを得ません。

私の考えではやはり被告に過失があって初めて賠償を請求できるものと考えてしまいます。
しかし、これは間違っているのでしょうか?

こんにちは、YUNYUNさん。
整形Aです。

コメントありがとうございます。

No.276 YUNYUN さんのコメント

>> 裁判所は真実を見出す場ではない(No.274 整形Aさま)

>いや、そこまで言い切ってしまうのはどうも。

ははは、さすがにそこまで言い切るのは問題でしたか(汗)。

ですが、思うに民事の当事者にとっては、自分に有利な「真実」(正義と言い換えてもいいですが)が認められれば、本当の(あるとすればですが)「真実」なんてどうでもいいんじゃないでしょうか。
中には、自分がうそを言っているとわかっていて、それでも裁判官をなんとかだまくらかそうとしているケースもあると思います。

要は、自分に有利な「真実」にどれだけ裁判官の考えを近づけさせるか。そこに弁論を含めて裁判上のテクニックがあると思うのです。
近づけさせてさえしまえば、本当の「真実」が明らかにならなくても当事者はかまわないように思います。

>つまり、裁判所としては、判断材料となる主張・証拠が欲しい。少ない材料では判断を誤る危険があるので、一定量以上を何とかして集めたい。

もしそうなのであれば、当事者同士の主張のほかに、裁判官が自分で材料を探すことだってなんら問題ないのではありませんか?いや、むしろ「真実」を探求するのであれば、限界はあるにせよ、裁判官自身が遠山の金さんのように自ら証拠探しをすることは当然あっていいと思います。

ところが実際には自分で材料を探してきて、それを元に判断することはむしろ禁じられていると理解していました。
そこに提出された材料以外で判断してはならない、仮にその結果「真実」から遠ざかろうと・・・。

>これは、両当事者の訴訟追行に対する意欲・能力が同程度である場合に、最もよく妥当します。
>当事者間の力関係が不均衡である場合は、弁論主義だけでは上手くいかないことがあります。

これはそのとおりでしょうね。実際、均衡しないことも多いでしょうから、結局金があって、声が大きて、人手をかけれる方の主張が通っちゃうことになるのでしょう。

> 末端の一般会員が「鑑定人はXXな人にしてくれ」と言ったとしてもそれが認められるとお考えでしょうか?(No.277 Level3 さま)

そんな弱腰じゃダメダメ。
自分の主張を通すためには、ヘンな遠慮は捨てて、果敢に突っ込んでいかないと。

だって、医師のみなさんはいずれ専門調査機関を作るのでしょ?
そこでは現役バリバリの臨床医の調査委員が、医療過誤か否かを判定するのでしょ?
調査委員の人選は、医師会か学会か、どこかの医師の団体が推薦するのでしょ?
今のうちからオルグして、どういう人が相応しいかという認識を、医師の間に広めておかなけりゃならん。

学会の推薦会議はいい予行演習です。
たとえ今は意見が容れられなくても、毎回「こういう人を送れ」発言をして、みんなの耳にタコができるまで繰り返す。洗脳ってこういうことさ。
偉そうぶった教授がごてごて文句つけるようなら、ガツンと一発、かましたれ。
「あんたから給料もらってへんわ!」

(教授から破門されても、私は責任持ちません)

> 民事の当事者にとっては、自分に有利な「真実」(正義と言い換えてもいいですが)が認められれば、本当の(あるとすればですが)「真実」なんてどうでもいいんじゃないでしょうか(No.281 整形Aさま)

実際上、歴史的な真実は、タイムマシンでも使わない限り、発見不可能ですからね。
裁判で認定される「真実」は、しょせん、いずれかの当事者が真実だと信じる内容でしかありません。

> 裁判官が自分で材料を探すことだってなんら問題ないのではありませんか?

弁論主義の第一テーゼ:当事者の主張しない事実を、裁判所は認定してはならない
(No.236 PINE様の弁論主義に関する解説参照).

裁判官が材料を探してくる時間と労力が大変であり、少ない人員で多数の事件を裁かなければならないのに、とてもそんなサービスはできない、という実際上の理由の他に、
理論的な理屈付けとしては、「当事者に対する不意打ち防止」ということがあります。

民事裁判の目的は私権に関する紛争の解決ですから、裁判所は当事者の求めに応じた裁判しかしません。
当事者は、裁判結果を予測し、勝訴した場合に得られるもの、敗訴した場合に失うものを計算した上で、それに見合った費用と労力をかけて、訴訟活動を展開します。
裁判所が勝手に判断材料を拾ってくることは、当事者に対して不意打ちとなり、予測可能性を害するので、「してはならない」のです。

>No.283 YUNYUN さんのコメント

>裁判所が勝手に判断材料を拾ってくることは、
>当事者に対して不意打ちとなり、予測可能性を害するので、
>「してはならない」のです。

散々議論されていることだと思うのですが、再確認したいと思います。公的医療制度に限定して考えると・・・

医療制度の不備で患者に損害あっても、
原告が病院または医師個人の個々の問題と考えて告訴すれば、
医療制度の不備に対する責任を個々が請け負うという側面が
否定できないと考えます。

弁論主義は、どのあたりまで修正が可能なものなのでしょうか?
たとえば、被告について(強制的に国も被告に)は?、
証拠について(第三者機関の調査内容を証拠として強制的に認定)は?

YUNYUNさま
以下は単なる読み物レベルの空想ですが、お時間有れば教えて頂きたく存じます。

裁判所が勝手に判断材料を拾ってくることは、当事者に対して不意打ちとなり、予測可能性を害するので、「してはならない」のです。

ペリーメースンは弁護士ですが、仮にメースンクラスの判事さんがいたとして、アリバイ証言する証人の矛盾を、検事も弁護士も気がつかずスルーしていて一人判事のみ気がついた時、判事が直接、補充尋問?をしてアリバイを砕いてもいいのでしょうか?
この場合、証言は既になされているので、あえて法廷の場でアリバイを崩さなくても、判決本文でいきなりそれを論証したとしても私知利用には当たらないような気もします(つまり、判事が探してきた情報ではなく、法廷の場での公知の証言のみで、論理的に、でも弁護士も判事も気がつかなかった論点で、自由心証制で、論証成功するということです)。

民事になぜか医師上がりの裁判官がいたとして、原告、被告からほぼ全部のカルテが書証として出されており証拠採用した。原告の論点は、「○時の腹痛にて遅滞なく手術するべきだった」で被告はそれに反論している状況(ここでは、これは原告の言いがかりに近いのでこの論点では原告敗訴の状況とします)で、判事がカルテ見ると「×時にY薬投与」と書かれており、それはこの病態では禁忌であり、これが死亡に繋がる可能性高い事を判事は知っていた(原告被告ともそこにはふれていず)。判事は判決ではこのY薬にふれてはいけないか、それとも既に出されているカルテという書証から導かれるのでいいのか、補充尋問でこのY薬投与が死亡に繋がったのではないかを判事が疑っていることを明らかにすれば(不意打ちにならないので)、判決に利用できるのか?

私知利用せず原告敗訴の判決して、一審の裁判終わってから、控訴期限前に、原告弁護士と雑談して、ボソッと、Y薬って禁忌がいっぱいあるようだね、というのは職業倫理に反しますでしょうか?

僕の意見はいつもスレ汚しのようで精緻な議論もしてません。まあ、役に立たないことを時々書き込んでいると自覚をしています。
実際のところ、僕は医師側の書き込みに時々違和感があります。医師はすばらしい、科学的、えそうなのと思います。法的問題の起きやすい外科はたぶん診断、治療のレベルがむしろそろっていると思いますが、内科医のレベルなんてものすごい差があります。医師のレベルの差による患者さんの不利益が処罰対象になるなら内科の方が(僕が神経内科医かもしれません)よっぽどたくさんの問題が埋もれています。
法曹の方の意見に頷くことも多いです。
しかしながら、結局自分を振り返ります。僕は患者関係がうまくいっていたために患者さんから訴えられなかったと思っているいくつかのことがあります。確かにどこかで出ていた本来訴えられるべきことは訴えられていない、訴えられるべきでないことが訴えられているというのは個人的実感です。
もし訴えられるべきことが訴えられて法曹の先生や一部の方の言うとおり責を負うなら僕は退場しなければいけません。少なくとも退場しないためには、民事で十分に自己のレベルの低さを患者に還元するにはより多くの収入を得る必要があります。
僕はここでの多くの医師と違うのは医師はえらい思えない点です。医師は間違う、常に間違うのです。だから罰したらだれもいなくなる、それでいいのというのが僕の気持ちです。
やっぱりすれ汚しになりました。

謹慎明けさん 

しかしながら、結局自分を振り返ります。僕は患者関係がうまくいっていたために患者さんから訴えられなかったと思っているいくつかのことがあります。(中略)
もし訴えられるべきことが訴えられて法曹の先生や一部の方の言うとおり責を負うなら僕は退場しなければいけません。少なくとも退場しないためには、民事で十分に自己のレベルの低さを患者に還元するにはより多くの収入を得る必要があります。
僕はここでの多くの医師と違うのは医師はえらい思えない点です。医師は間違う、常に間違うのです。だから罰したらだれもいなくなる、それでいいのというのが僕の気持ちです。

同意します。私も胸に手を当てると関係が悪ければと思う事例ございます。

ごく一部の人を除けば、「ゴッドハンドでもない、桁外れの使命感を持っているわけでもない、普通の市民とかけ離れてはいないレベルの倫理観と職業意識と世俗的欲望を持っている普通人、自分の専門分野は医師全体の平均よりは出来るが、それ以外の分野ではそこの専門家より間違いなく技量的に劣る」のが私も含めた並の医師と思います。他職業より「エライ」とは思えないですね。専門職業人としてのごく普通の敬意を払って頂ければ満足です。

この並の医師達を退場させるべきではないと思っております。退場させてスーパーな医師のみで医療が回るなら良いですが、回りません。並の医師まで入れての総医師数で、医師不足だと言っているので、スーパー医師だけだと破綻します。

小児科専門医だけで小児救急出来るか 無理ですね。だから、内科開業医にも是非小児救急をと言う話になっているのでしょう。もし始めたら、ごく少数かもしれませんが、間違いなく「最初から小児科専門医が診れば救命できたが、内科開業医が経過観察を指示した為に手遅れとなった(しかも、小児科の教科書読めば書いてあるので抗弁しづらい)」例出てきます、絶対。

でてくること判っているのだから、あらかじめ「非専門家は、過失有っても免責(というか、過失とは認めず、こういう状況だと理解し、今の日本では患者が受忍すべき損害と了解できる人のみ受診できる」と(医師が言うと角が立つし、大体、やりたくない内科開業医にやれと行ったのは政府だから)政府が、その責任に置いて国民に周知徹底、国民の不満も政府が引き受け、政府の機関である検察も告訴受理せず、権力機関である司法も(ここまで書いてきてはじめて、ロッキード事件のコーチャンが証言前に最高裁免責求めてすったもんだしたのがなぜか、実感できました。以前「あらかじめ教えろよ」とコメントしましたが、日本では最終解釈権持ってる司法があらかじめ大丈夫と言ってくれないと不安だったけれど、制度上絶対言わないと言うことだったんですね、私としてはコーチャンに一票です。)医師無責判決出すと確信もてないと、怖くてやる気でないですね。

もちろん「医師でしょう、凡人並みの倫理観でいいんですか」「医師でしょう、そんな使命感のないことでいいんですか」「医師でしょう、どんな分野も専門医並みに出来なくてどうして救急に乗り出したのですか」と言われるのはご随意にとしか言いようがありません。でも言えば、撤退を招くだけではないかと。

以前だしたので心苦しいですが、謹慎明けさんの「医師は間違う、常に間違うのです。だから罰したらだれもいなくなる、それでいいの」に対する私なりの答えは、

並の医師は訴訟リスクを取るつもりはほとんどないのが事実であり、この並の医師に医療をさせる為には

1 法は変えられなくとも、「医師がいるだけでありがたい、医師相手に裁判なんて」というのが21世紀低医療費国日本の社会常識として周知徹底、実質訴訟リスクない時代に戻す(バブルへgo ならぬ 江戸時代へgoです)
2 「医師もサービス業、何かあったら訴えますよ」が社会常識になってしまった以上、逆に法に明文化して医療の訴訟リスクを強制的に落とす(裁判官を憲法で守っているように)
3 法に明文化は国民感情で困難だったら、静かに司法レベルで医療の訴訟リスクを落とす運用して(過失証明は厳格に原告サイド、過失認定のレベルは専門医から見てではなく並の医師から見て下位10%レベルの著しいもののみ過失とする、適切な内容の説明をした証明できればいいのであって、理解できなかったという弁明排除、専門医レベルの医療を受けれる期待権は認めず)守ってしまう
4 実際上訴訟がなくなるように工夫された公的資金による無過失保険を導入しリスクを落としてしまう(がんばってお金を工面してね 政府 医師が工面することにするならその分医療費増やしてください)
5 訴訟リスクも霞むようなハイリターンで誘う(これうれしいかも 自分で賠償責任保険料を払ってもなお十分ハイリターンでないといやですが)
6 訴訟リスクがあってもまだ医師はマシと思えるほど他職業の状況を切り下げてしまう(これ有りそうで怖い)
7 自由競争で勝ち残る本当に良質なスーパー医師だけで十分な人数いるほど医師を大量に養成(上位1/3をスーパー医師として、必要医師数の三倍は養成して欲しいですね 医療費は間違いなく今の2倍入りますけれど)
8 単純に強制する(シンプルですね 金の卵を産む鵞鳥の腹を割くような事態になって、医師そのものが消えてなくならないことを祈ります 2か月前に書いた時は半分冗談だったけれどホントになりそうですね)
(医療関係エントリに関するつぶやき No95 一部改変)

>No.286 謹慎明けさん
>No.287 falcon171 さん
いつも横からすみませんのぼつでおkでございます。すみません(笑)

お話を拝見していましたが、民事編というより刑事編の業務上過失寄りにナチュラルシュートしておられるように見えたのですが(笑)。

但し年のせいで目も悪くなっていますので、わたしの錯覚でしたらおわび申し上げます。

ぼつでおkさん コメントありがとうございます。
私としては民事の話しているつもりだったのですが

政府の機関である検察も告訴受理せず、権力機関である司法も(中略)医師無責判決出すと確信もてないと、
の部分など刑事とごっちゃになっていますね。失礼しました。

でおついででよろしいのですが、ぼつでおkさんにも、また他の方にも1から7までの民事訴訟リスク軽減のアイデア(ここの部分ははっきり民事と意識して書いてます)ご評価頂ければと存じます。どれが良いでしょうね?

「並の医師を裁判で鍛えれば、国民の期待する医療水準を施行できるようになるだろう」というのは私には幻想のような気がします。
並の医師は「並の医療」しかできないから、「「並の医療」では裁判所が定める医療水準に達していない」といわれたら、立ち去るのみです。

国民の訴訟に訴える権利を押さえることはできないので、
立ち去りを防ぎたいのであれば、後は、すべからく、裁判所が、「裁判所のいう医療水準は、並の医師の並の医療でOK、それ以上の要求は民事裁判になっても間違いなく被告勝利だから問題ない」と並の医師に実感させ安堵させる判決を連発し、報道することしかないでしょう。法律家の方がまだ医師勝訴判決が多数有ると言われますが、正直、報道されない物は目に触れないので実感になりにくいです。

医師敗訴の判決は、「なるほどひどい医療だ。カルテをどう検討しても、その場に自分がいたら、絶対そんなことはしなかった」と並の医師が実感できる(スーパー医師が私なら出来ると鑑別したとか、設備が有れば出来ると救命センター医師が言ったとか、症状認めたら30分で帝王切開が望ましいとガイドラインに書いてあるとかじゃないですよ)症例ばかりなら良いわけです。「自分もそうした可能性有るかも」と思える事例を医師敗訴にされれば、撤退せざるを得ないです。

トンデモ判決と言う言葉以後控えるようにします。以後言っても、私としては、裁判官が頭が悪いとか言う意味では使わないようにします。「鑑定が非現実的要求をしていたかもしれない、被告側が立証不十分だったかもしれない、裁判官はきっちり正しく仕事を果たされたかもしれない。ただ、結果として並の医師に明日は我が身と思わせ、医療の現場を立ち去らせる結果になる」判決だ、とんでもない影響力だなあ」と言う詠嘆でトンデモと言うことは有るかもしれません。

裁判官が正しく仕事をして「結果として並の医師に明日は我が身と思わせ、医療の現場を立ち去らせる結果になる」判決が出た時は、並の医師として、法の下にある日本国民として判決は甘受はします。が、疑問なんですが、並の医師が「以後の行動はそれに基づいて、撤退もする」のは、法律家の方から見て、判決の射程を考えない予想外の愚かな行動なんでしょうか?

>No.289 falcon171 さん
コメントありがとうございます。
お尋ねの件ですが、すみませんがここで直接にお答えできません。が、刑事編にご質問の内容に関連すると考えたコメント致しましたので(刑事編No.136)そちらでお返事にかえさせていただくことをおゆるしください。

> 並の医師に実感させ安堵させる判決を連発し、報道することしかないでしょう。法律家の方がまだ医師勝訴判決が多数有ると言われますが、正直、報道されない物は目に触れないので実感になりにくいです。(No.289 falcon171 さま)

<報道>の問題であることを、声を大にして言いたいですね。
判決は連発されているのです。年間約300件が医療側の完全勝訴(1円も取れない)ですから。
でも、そのうち一体何件が報道されましたか。
法律の専門家がこうであると説明しても、医師のみなさんの反応は「そんなのは見たことも聞いたことも無いから、信じられない」というものばかりでした。
法律家が法律の問題について、嘘をつくとでも?そんなことを言うなら、患者が死んだ場合に、医師がやみくもに悪者にされ嘘つき呼ばわりされても、批判できないのではありませんか。

> 医師敗訴の判決は、「なるほどひどい医療だ。カルテをどう検討しても、その場に自分がいたら、絶対そんなことはしなかった」と並の医師が実感できる
> 症例ばかりなら良いわけです

報道されるかされないかという点で言えば、
誰が見ても医師が悪いという事件には<社会的には>何も目新しい観点がなく、報道する価値が低いため、取り上げられにくいのでしょう。(医師の過失行為が民事上、損害賠償請求の対象となりうることは、確立した判例です。)
むしろ、「これでよく原告が勝てたな」と思えるような際どい事件のほうが、裁判報道としてはニュースバリューがあると言えます。
あるいは、逆に「これはヤバイ事案だが、医療者の訴訟戦術が成功して辛くも逃げ切ったな」という判決も、ニュースバリューがあるにはりますが、
そんな特異な先例を頼みにレベルの低い医療を行うことが、行動指針として危険であるのは言うまでもありません。
つまり、報道されるかされないかに関わらず、判決ごとに、どのような先例的価値があり、医療としてどのような教訓を見いだすべきかを、きちんと分析することが必要です。

だから、医療者側のほうで、医療訴訟に関する正確な情報を調査分析して流すことができないかと思うのですがね。
報道で取り上げられた事件だけでなく、全件的に網羅して調査する。今あるm3や医療関連情報サイトでさえ、選択基準は既存の報道機関と同じで、「珍しさ」だけになってしまっているのではないかと思います。

医療事故調査機関が、そういう研究機関の役割をできないか。
今のところ、判決件数は年間1000件ですから、やってやれない数ではありません。
医療者側が訴訟を受けたら必ず結果報告させるというようにして、情報収集することは可能と思います。

> 判決の射程を考えない予想外の愚かな行動なんでしょうか?

愚かです。
「訴訟もリスク・コントロールの一つ」という意見がどこかで出されていましたが、その通りだと思います。リスクの性質と大きさを正確に測り、それに見合った対処をすることが大切です。
「交通事故を避けるために、家から一歩も出ない」「食中毒が怖いので、夏場は食物を採らず点滴栄養で過ごす」という生き方が合理的とは評価できないことと同様です。
加えて、上にも書きましたが、そもそも報道姿勢からしてバイアスがかかっているので、分析はよほど慎重にしなければなりません。
一件の裁判報道に一喜一憂して振り回されるのは愚の骨頂です。

YUNYUN先生
いくら正しい判決の割合が多くても、普通の診療行為で多大な賠償を負ったり、刑事罰を背負う判決が年間複数なされればmotivationは下がり、恐怖におののくのが自然だと思います。割合ではなくて不正義がなされる頻度が問題ではないでしょうか。現在の状況は割合がいくら小さくても、実際につかまる可能性や多大な賠償を払う可能性のある当事者としては、通常の医療行為でダメだしされる頻度は恐怖におののくに十分です。

最近の最高裁の判断は,医学知見に相当踏み込んでいるように思えますが,いかがでしょうか?
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070403164443.pdf
http://kanz.jp/hanrei/search.html?cat=01&arv=200611&court_cd=000
(平成18年11月14日 平成16年(受)第2226号 )

No.284 chaimd さま、No.285 falcon171 さま、お返事が遅くなってすみません。

まず、一般論として、
弁論主義に対立する概念と、弁論主義の限界を補完するしくみについて。

弁論主義は真実発見のために実際上(費用効果も加味して)有用な方法ではありますが、限界はあります。
民事訴訟においては弁論主義が採られているのに対して、
当事者の思惑よりも真実発見を重視する必要性がある訴訟類型においては、職権探知主義(離婚などの人事訴訟)や職権証拠調べ(行政事件訴訟)を行っているものもあります。

>当事者間の力関係が不均衡である場合は、弁論主義だけでは上手くいかないことがあります(No.276 YUNYUN)

民事訴訟において、この不均衡甚だしく、正義に反すると思われる場合に、裁判所の介入を許す道が用意されています。

民事訴訟法
(釈明権等)
第149条1項 裁判長は、口頭弁論の期日又は期日外において、訴訟関係を明瞭にするため、事実上及び法律上の事項に関し、当事者に対して問いを発し、又は立証を促すことができる。

法律上は裁判所の権限として規定されていますが、釈明権を行使するかしないかは裁判所の全面的な裁量に委ねられてているのではなく、
場合によっては裁判所が釈明権を発動しなければならない、「釈明義務」としても考えられています。

たとえば、訴訟で普通ならこういう法律要件事実を主張をするだろう、それを主張すれば絶対に勝てるのに、当事者が主張していないという場合に、
「当事者の主張しない事実を、裁判所は認定してはならない(弁論主義)」から、主張漏れ→敗訴、でよいのか。
特に、弁護士を付けずに本人訴訟していると、法律に無知なために気づいていないということがあります。
そこで、本人の主張が不明確であるから、裁判所が確認するという形で、実際には裁判所が必要な主張を「させてしまう」ことがあります。
この場合に、裁判所がどの程度介入して良いかどうかは、微妙な問題があります。あまり一方に肩入れすることはかえって不公平になりかねません。弁護士を付けるか否かも含めて、訴訟でどんな闘い方をするかは、当事者の自己責任というのが原則ですから。

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> 弁論主義は、どのあたりまで修正が可能なものなのでしょうか?
> たとえば、被告について(強制的に国も被告に)は?(No.284 chaimd さま)

これは、弁論主義がどんな場面に適用されるかということとも関わります。

訴訟の相手方、対象物(請求内容)の選定については、訴訟提起する原告の側に、全面的な選択権があります(当事者主義)。訴訟の土俵を設定するのは原告であるということですね。
裁判所は、相手方、請求内容とも、当事者が求めた事項についてだけしか、裁判できません。

民事訴訟法
(判決事項)
第246条 裁判所は、当事者が申し立てていない事項について、判決をすることができない。

従って、裁判所としては、原告に対して、「別の人に対して訴訟してはどうか」「そういう内容の請求をするな」ということは言えません。
被告に対しては請求できない、そういう内容の請求は法的にできないと判断すれば、請求棄却の判決を下すだけです。
もっとも、法律に無知なあまりに、間違って訴訟提起したみられる場合は、釈明権を行使して、「あなたは本当にそういう請求をしたいのですか」と確認し、やんわりと取り下げを促すことはあると思います。

まして、chaimd さまのおっしゃるのは、
 現行法上は法的に請求が成り立つとしても、公益ないし社会政策の観点から、別の者を相手方として別の形式の訴訟を行わせるほうが適当である
という一つの考え方であり、法的な判断というより、価値観・政治信条に関わることであって、その考え方が必ず正しいとも言い切れません。
具体的にも、代替案は訴訟戦術としていまだ確立されておらず、訴訟上大変な困難が予想されるため(国の関与は間接的だから、医師に対する請求が認められる事案でも、国に対する請求が認められるとは限らない)、
裁判所としては、そちらの訴訟のほうがよいからそうせよと「促す」わけにはいかないと思います。

なお、弁論主義は訴訟提起の場面ではなく、訴訟開始した上での主張・立証の場面で行われる主義ですので、弁論主義とは
が、当事者が主導権を持つという意味で、当事者主義の一つの形であるともいえます。

> 証拠について(第三者機関の調査内容を証拠として強制的に認定)は?(No.284 chaimd さま)

裁判所は当事者が提出した証拠をもとに判断し、当事者が裁判に持ち出さない証拠が世の中に存在することを、たまたま知っていたとしても、それを元に判断することはできません(弁論主義の第三テーゼ)。
医療調査機関が設立されても、法的にそのレポートの訴訟への提出を強制しない限り、訴訟手続内に証拠として持ち込まれないという現象が生じることはあり得ます。その場合に、訴訟内に出てこない医療調査機関のレポートを、裁判所が勝手に証拠として判断することはできません。

しかし、そのようなケースはほとんどあり得ないくらい稀であろうと思います。
医療調査機関のレポートは当事者双方に与えられますから、有利な結果を得た側が当然に、証拠として持ち出すでしょう。証拠は原告・被告どちらから出してもよいのです。
レポートが部分部分で有利不利があるからといって、原告と被告が協定して出さないことにする(もしそんな協定が出来たとして)という戦略が功を奏するかは疑問です。医療調査機関の調査を経た以上は、裁判所としてはそのレポートが訴訟に出されることを期待しており、前記の「釈明権」を行使して、提出を強く促すでしょう。それに逆らって、あえて提出しないことは、裁判官の心証を著しく害するおそれがあります。
レポートは一応提出した上で、ここがおかしいというカウンター意見書を出すとか、正式鑑定を申し立てて争うしかないのではないでしょうか。

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> 判事は判決ではこのY薬にふれてはいけないか、それとも既に出されているカルテという書証から導かれるのでいいのか
> 補充尋問でこのY薬投与が死亡に繋がったのではないかを判事が疑っていることを明らかにすれば(不意打ちにならないので)、判決に利用できるのか?(No.285 falcon171 さま)

Y薬が投与されていた事実自体はカルテ記載等により証明されているが、
原告は「Y薬により患者が死亡した」という事実を主張していないのですね。

弁論主義によれば、裁判所は当事者の主張しない事実を認定することはできません。
しかし前提問題として、弁論主義の適用される「主要な法律事実とは何か」が問題となります。

民法
(不法行為による損害賠償)
第709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

民法に書いていることは、「故意又は過失によって」
そうすると、原告は「医師に過失があった」ということだけ、主張すれば足りるのでしょうか?
falcon171さまは既に感じておられることと拝察しますが、「過失があった」とされる具体的な行為内容、つまりいつ何をしたことがマズかったのかを、示してもらわなければ、被告は実際上、防御ができません。手術の判断の遅れの不備を言われているのだろと見当を付けて防御していたら、いや投薬誤りがあったのですよ、と言われては不意打ちになってしまいます。
だから、不法行為請求の主張事実(訴訟で請求者が主張しなければならない事実)は、過失の元になった具体的な行為であると解されています。

そうすると、弁論主義により、裁判所は当事者が考えてもいない「Y薬が死因である」とい認定はできません。
しかし、それは原告にとって気の毒だという価値判断はあります。原告は非医療者で、医学的な助言を探すにしても、ぴったりの医師に出会えるかどうかはわからないから。
そこで、裁判官としては、証人尋問より前に、争点整理の段階で、「死因の主張はこれでいいですか」「Y薬投与の点は争いませんね」といった確認をすることは考えられます。敏感な弁護士なら、裁判官がY薬に拘っているなと感じて調べると思います。
それをせずに証人尋問の段階まで行ってから、裁判官がY薬のことをしつこく聞いてきたら、やはり疑って調べるでしょうが、
最終準備書面で主張追加されても、被告側も十分反論できないし、訴訟運営としては不意打ちに近い不手際と言えるでしょう。

> 控訴期限前に、原告弁護士と雑談して、ボソッと、Y薬って禁忌がいっぱいあるようだね

私の感覚では、それはやり過ぎと思います。

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> アリバイ証言する証人の矛盾を、検事も弁護士も気がつかずスルーしていて一人判事のみ気がついた時、判事が直接、補充尋問?をしてアリバイを砕いてもいいのでしょうか?(No.289 falcon171 さま)

刑事裁判は「弁論主義」というのと、ちょっと違うので、民事訴訟の損害賠償請求で考えます。被告にアリバイ成立すれば、加害行為をしてないことが証明され請求棄却されるとします。
この場合、「アリバイがある」というのが主要事実たる主張であり(立証責任は被告側)、証人の証言内容を評価して信用できるかできないか、信用できなければアリバイは成り立たないという認定になります。

当事者は証拠の評価についても意見を述べることができ、最終準備書面で「証人Aの証言はこの点で矛盾している」等を指摘しますが、
基本的には、証人の証言の信頼度の評価は、裁判官の自由心証によりますから、当事者が指摘していない矛盾点に裁判官が気づいて、そのために信用できないという認定をすることは一向に構いません。

証人の証言とは別に、裁判官がその日時に別の場所で被告とばったり会ったから、アリバイがあることを知っている、という場合は、問題になります。
被告がそのアリバイを主張しないことは考えられませんが、裁判官が証人を兼ねることはできませんから(現代の裁判では遠山桜を見せてはダメ)、
そのような形で事件に関わった以上は裁判官は自ら事件を回避すべきでしょう。

ROMさせて頂いてる者ですが、ひとこと

No.291 YUNYUNさん

医師の「撤退」は当人にとっては単なる「転職」にすぎないので
>「交通事故を避けるために、家から一歩も出ない」「食中毒が怖いので、夏場は食物を採らず点滴栄養で過ごす」
みたいな日常生活の基礎的なところにかかっているわけではないから「自分の職業の選択に誤ったと判断する」レベルで「撤退」してしまうのでは?

それも、おそらくは、それまで様々な状況で苦悩している背景みたいなものがあって、ついには最後の一線を越えるのであって
>一件の裁判報道に一喜一憂して振り回されるのは愚の骨頂です。
というのはちょっと当たらないのでは?と思いました。
まあバイアスのかかった報道に振り回されて、撤退してしまうのは愚かというより、普通にその医師に受診している患者さんが気の毒だなとは思います。


> No.295 ROMのひと様

No.289で「法律家の方から見て、 愚かな行動なんでしょうか?」と問われたので、「愚かであると思う」という私の考えを述べました。

医師の皆さんが、法律と判例の趣旨を正確に読み取り、訴訟のリスクを正確に測った上で、合理的な判断に基づいて行動されているならよいのです。
が、失礼ながら、法律の意味も裁判のしくみも知らないで、ただ闇雲に「訴えられるかもしれないから逃散だ!」というのは行動方針として、全く合理的ではありません。
加えて、医療過誤訴訟を極度に恐れる一方で、秘密漏洩に関しては「個人情報保護法なんかブっ飛ばせ!」などと勇ましいことをおっしゃったりして(診療情報流出エントリ)、方針が全く一貫しないという批判はさて置き、
こちらのほうも厳密に利害を量った様子もなく、あまりの脳天気ぶりに、いつか地雷を踏むのではないかと心配になります。人体と違って情報の取り扱いは「予測不可能」の言い訳は通用しませんし、法の不知が宥恕されないことは、言うまでもありません。
もっと利口に立ち回ったほうがいい。

もっとも、人生の選択はその人の自由ですから、合理的な判断に基づかず、その場その場で感情の赴くままに動こうと、阿弥陀籤や卜占にすがろうと、好きにすればよいのであって、その結果どうなろうと自己責任なのですから、私のような外部者がとやかく言うのはおせっかいではあります。

>No.294 YUNYUNさま

ご丁寧な解説ありがとうございます。

個人の良心や矜持というのは通用しないですね。国の問題は国に、自治体の問題は自治体に、熨斗つけて突っ返す他に手が無いものか、ちょっと期待してみたりもしたのですが、現実はやはりそんなところですよね。現場の仕事でないことを、下手に現場がその場でなんとかしようとすると、地雷を踏んだとたんに、全責任が降りかかるという、ある意味当然の現実が再確認できたのは収穫でした。

私も個人情報保護法は注意すべき問題であると思います。今ではご理解いただけることがほとんどですが、施行直後は、むしろご家族側からクレーム多かった記憶があります。現実には、電話での問い合わせに応じない施設が多くなっており、それに対して某省庁から批判があった経緯を考えると、YUNYUNさんのご心配は杞憂ではないかと・・・思いたいです(^^;

その一方で、私の行動に何が影響しているかというと、訴訟を避けることであり、起訴されても勝訴すれば平気ということではありません。誰をどう訴えるかは訴える側の自由であり、それを補う仕組みは無きに等しいようですから、訴える側の行動および敗訴時の最大リスクを予測するうえで、新聞報道は非常に重要です。これはもう法的判断の問題ではなく、価値観・信条に関わることなのでしょう。

YUNYUN先生
いつも貴重なアドバイスをありがとうございます。
僕の書き込みは法曹の方からみれば未熟な子供っぽい意見に写っていることは自覚をしております。
しかしながら、合理的に生きるとはどういうことでしょうか。恐れるという感情は合理的に生じるものでしょうか。法曹の方は実際には正当な判決が圧倒的多数であることを主張されます。おかしな判決は世に出やすいだけで少数だとも主張されます。この主張は医師の不安を緩和するのに役に立つでしょうか。中心静脈に関して書類送検されたり、民事で多額な金額を払えとの判決は去年1年間で何回あったでしょう。一件や二件ではなかったはずです。たとえ一件でも最近の加古川の心筋梗塞の事件や大野事件のような報道があれば自分の身にも降り掛かる可能性を感じるのは人として当然ではないでしょうか。
僕自身は覚悟があることであれば、捕まってもかまわないと思っています。熟慮の上、終末期医療の際に抜管をして捕まったとしても最初に覚悟をあれば私自身は納得します。個人情報の問題もあまりにおかしなマスコミの情報をただすためなら私もするかもしれません。罰っせられてもそこには覚悟があるからです。

No.287 falcon171 さんの文章にあった

「医師がいるだけでありがたい、医師相手に裁判なんて」というのが21世紀低医療費国日本の社会常識として周知徹底、実質訴訟リスクない時代に戻す(バブルへgo ならぬ 江戸時代へgoです)

を実現しても良いような気がしました。医療保険による医療については、公的な保険制度がカバーする。余程のことがない限り、医師には保険機関は賠償を求めない。一方で、自由診療は認め、自由診療における契約内容は自由とし、損害賠償金額を高く設定しようが、「***の場合は、医療機関はOOOを支払う。」と記載しようが自由とする。

YUNYUNさま
コメント(No294)ありがとうございます。よく理解できました。

> アリバイ証言する証人の矛盾を、検事も弁護士も気がつかずスルーしていて一人判事のみ気がついた時、判事が
刑事裁判は「弁論主義」というのと、ちょっと違うので、民事訴訟の損害賠償請求で考えます。
また民事と刑事ごっちゃになって申し訳ありません。

また、コメントNo291もありがとうございました。

信じられない」というものばかりでした。
法律家が法律の問題について、嘘をつくとでも?
いや、そう熱くなられずに。嘘とは決して思いません。ただ、感覚的に、「実感は持ってない」のは正直な感想です。


> 判決の射程を考えない予想外の愚かな行動なんでしょうか?
愚かです。
「訴訟もリスク・コントロールの一つ」という意見がどこかで出されていましたが、その通りだと思います。リスクの性質と大きさを正確に測り、それに見合った対処をすることが大切です。
「交通事故を避けるために、家から一歩も出ない」「食中毒が怖いので、夏場は食物を採らず点滴栄養で過ごす」という生き方が合理的とは評価できないことと同様です。
加えて、上にも書きましたが、そもそも報道姿勢からしてバイアスがかかっているので、分析はよほど慎重にしなければなりません。
一件の裁判報道に一喜一憂して振り回されるのは愚の骨頂です。

愚かだ と断言されちゃったです。確かに、「いつか天が落ち、地が崩落して身の置き所が無くなってしまうのではないだろうか。」と心配して、夜も眠れず、食事もとらなかった杞の国の人は愚かだと私も思いますし、「交通事故を避けるために、家から一歩も出ない」のはいかがかと思います。
しかし、はっきりソース思い出せないのですが、「免許持っていても有る芸能人(野球選手?)は、万が一の事故をおもんばかって、運転手雇って、自分では決して運転せず」という記事読んだ気がします。あるいは、「ある判事が自分では運転せず」と言うのもあったような。これが本当だとして、自分の所得と名誉と仕事と万が一の事故の際のマスコミから受ける打撃考えて、芸能人や判事が運転しない選択は愚かではないと思います。

医師の皆さんが、法律と判例の趣旨を正確に読み取り、訴訟のリスクを正確に測った上で、合理的な判断に基づいて行動されているならよいのです。(中略)ただ闇雲に「訴えられるかもしれないから逃散だ!」というのは行動方針として、全く合理的ではありません。

おっしゃるとおりと存じます。
ただ、私、心嚢穿刺は出来ません。循環器専門ではないので。こういう私が、奈良救急心嚢穿刺事件のようなことを避けたいと思えば、「病院から当直で救急をやるように命じられても、拒否。勤務医である限り拒否できないなら、勤務医を退職」はかなり合理的な行動だと思っているのですが。そもそも専門外のことをやるのは、訴訟が無くても好きではないし、「訴訟の頃はさらなり」です。救急やらずに専門分野だけでも病院には十分貢献していると思うし、勤務医退職しても何とか食っていけるだろうと思いますし。
この場合、実の所、私が「闇雲な」訴訟回避行動を取っても、私には実害ほとんど無いと思っております。実害有るとすれば、「心嚢穿刺はできないがとりあえずの人手にはなったであろう医師を失った病院と地域(もちろん住民の中には法曹関係者も含みます)」ではなかろうかなと。
住民の方が「心嚢穿刺のできない医師に救急してもらわなくて結構、せいせいしました」とのことであれば、三方一両得で無問題です。

三方一両損の大岡裁きの心服者である(笑)ぼつでおkです。

falcon171 さん、さきのNo.287についてのお尋ねにはお答えできませず失礼申し上げましたが、このNo.300 「三方一両得」には、心底感動感服致しました。尊敬のまなざしになっております(笑)。

このコメントをせんだってのお尋ねへのお答えにかえさせてください(笑)。

>falcon171 さん

心嚢穿刺は出来ません。循環器専門ではないので。こういう私が、奈良救急心嚢穿刺事件のようなことを避けたいと思えば

あの判決文では、「心嚢穿刺ができない場合は、できる医師に支援を求めるか、第三次救急病院に転送させる事が必要だった」みたいな事も書いてあったように思いましたが、いつの間にか「救急では全ての医師が心嚢穿刺を成功させる義務がある」との言葉が一人歩きしてしまっている印象を受けます。


もっとも、「加古川では転送を試みた医師の過失が認定されたではないか」という意見もあるでしょうし、それは正当な主張だと思います。

>No.302 しまさん

「心嚢穿刺ができない場合は、できる医師に支援を求めるか、第三次救急病院に転送させる事が必要だった」

夜中の当直時間帯で心嚢穿刺が必要な心タンポナーデでショックになっている時に、裁判所の求める上記のことを達成するのは不可能です。
判決文を読めば判るように、患者は外傷後、小康状態で落ち着いた後、ショックとなり死亡しており、転送可能な段階で、裁判所の要求を満たせるような病院への転送などしていたら、全ての軽症の患者も3次救急送りです。
第一、心タンポナーデで心嚢穿刺が本当に有効であったという傍証はないに等しい。

Falconさんの危惧は正しい危機への感情です。
上記の判決を出した裁判官が認める予見可能性、危険回避義務というものが如何に現実から懸離れているかを、医師であれば誰でも感じるからこその恐怖です。

闇雲に訴えられている感覚があればこそ、闇雲に危険回避行動を採る事になるのです
それほど追い詰められた状況にあるということです。勤務医は。

>No.303 Med_Law さんのコメント
>>心タンポナーデで心嚢穿刺が本当に有効であったという傍証はないに等しい。

 御指摘のとおり心嚢穿刺はあくまで応急処置にすぎず、その原因の治療が重要ですが、ショックになるような心タンポナーデを来す疾患は、重篤で救命困難なものが多く、むしろ救命できたは場合は症例報告されるほどですよね。
 私の場合、心破裂(外傷や心筋梗塞後)をみたことはないのですが、上行大動脈起始部に及ぶ急性大動脈解離を3例、癌性心外膜炎を1例、間接的にみたことがあります。いずれも最終的に亡くなりました。急性大動脈解離の1例は院内心肺停止(CPA)の際に、心臓血管外科の先生が、心嚢内の血液を灌流させて自己血輸血のように血管内に戻す処置をしていましたが、ショックから回復せず手術不能で、亡くなりました。

>Med_Law様、通行人A様

第一、心タンポナーデで心嚢穿刺が本当に有効であったという傍証はないに等しい。

 御指摘のとおり心嚢穿刺はあくまで応急処置にすぎず、その原因の治療が重要ですが、ショックになるような心タンポナーデを来す疾患は、重篤で救命困難なものが多く、むしろ救命できたは場合は症例報告されるほどですよね。

 ちょっとこの部分は異論があります。確かに心破裂に近いようなケースでの心タンポナーデの場合はご指摘のように「症例報告されるほど救命困難」であると思いますが、奈良の事件のような遅発性ショックを来すレベルの心タンポナーデの場合は心嚢穿刺に十分な救命効果があるといえます。その辺を間違った指摘をしてはならないと思います。

 一方Med_Law様のおっしゃるようにこの件で転送の余裕があったかというと、これはかなり疑問だと思います。ショックを来した時点ではすでに転送の余裕はなく、何とか救命するために現場の医師が心タンポナーデを試みたというのは仮に経験が無くとも正しかったと思いますし、他に方法はなかったと思います。

奈良救急事件については、被告側として関与された弁護士の方から、「控訴審での敗因は、救急医学教授による鑑定意見が、現実離れしたおかしなものであったため」とのご意見がありました。
出典:新小児科医のつぶやき(Yosyan)2006-11-08 救急の黄昏
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20061108

この件では、臨床医の皆さんがこぞって「そんな技はムリー!!」とおっしゃっているので、
普通ではできないことなのでしょう。
しかし問題なのは、そういう考え方の人が、あろうことか、救急医学の第一人者として医学教育に携わっているという事実です。大学で一体どういうように教えているのでしょうかね?

裁判所は鑑定人の人選について医学の学会に意見を求めたりしていますが、「学会では本当に相応しい人が推薦されていない」との見解もあります。偉いサンには逆らえないと言いますが、仲間の医師を人身御供に差し出すような態度でよいのでしょうか。
勤務医を退いて開業しても、将来にわたって医療過誤訴訟に絶対に巻き込まれないという保証はありません。

厚生省が検討しているという医療事故調査専門機関ができたら、そこの調査員はどこから推薦されますか? 裁判のトンデモ鑑定と、同じ結果になるのではないですか?
医師内部のことは、医師の皆さんたちの手で変えていいただくしかないのです。

司法側としては、医学的な問題は専門家である医師の意見によって決めればいいと思っています。
しかし、裁判所に持ち込まれた段階で、医師の意見が幾種類もあって対立したり、間違っていたりするというのは困るのです。司法システムの中では、それを正すことは、はっきり言って不可能です。
だから、まず医師の集団の中で「一つの正しい意見」をまとめて、そこは原告被告とも争いがないものとしてから、裁判所に来ていただくしかありません。

>No.302 しまさん
横から失礼致します。

>あの判決文では、「心嚢穿刺ができない場合は、できる医師に支援を求
>めるか、第三次救急病院に転送させる事が必要だった」みたいな事も書
>いてあったように思いましたが、いつの間にか「救急では全ての医師が心
>嚢穿刺を成功させる義務がある」との言葉が一人歩きしてしまっている印
>象を受けます。

これについては逆に考えていただきたいです。
心嚢穿刺は心タンポナーデを解消して心機能停止を回避できる第一選択としてよいが、どこでもだれにでもできる簡単なものではなく、ERのような専門施設に運んでそこで訓練された専門家によって行われた場合にのみ救命に成功する可能性が高まる。またそういう施設では閉胸で心嚢穿刺できなくても開胸心マッサージほか次の手を用いて救命努力をつづけられる。
そこ以外の環境条件では開胸心マッサージなどできないから、心タンポナーデを考えた場合見殺しにするよりはいちかばちかで閉胸で心臓めがけて針を刺すしかない。何もしなければすぐに心臓が止まってしまうかもしれないからである。医師であれば専門医でなくてもそれくらいは常識である。専門施設に患者を送った時、最初の医師が心タンポナーデと考えたのに心嚢穿刺を一度もトライしないで送ってきたら、その医師が本当に患者を救命しようと考えたのかどうかという点まで疑念をもたれてもしかたがないくらいの、医師の間では救急のABCみたいなコンセンサスがある疾患です。

裁判官の書いた判決文には斯様なコンセンサスへの理解が全く見られないですね(笑)。

>YUNYUN様(No.307)

 この問題は医学的蓋然性の問題ではなく、医療の問題になります。


しかし問題なのは、そういう考え方の人が、あろうことか、救急医学の第一人者として医学教育に携わっているという事実です。

 この救急医学の第一人者がおっしゃっていること(G鑑定)は医学的に極めて妥当です。実際私もNo.305で同じ指摘をしています。しかし、救急医療の現場においてそれが出来るかどうかと言うことは全く別の問題です。外傷性に限らず心タンポナーデというのは循環器専門医であってもそうしょっちゅう診ることが出来る疾患ではありません。従ってこれに関する研修は外傷を普通に扱う医師であってもそうそうできるものではありません。

 これは医学の問題ではなく医療の問題であるというのはその部分です。鑑定については

G鑑定やH鑑定も,被控訴人Eの医療内容につき,2次救急医療機関として期待される当時の医療水準を満たしていた,あるいは脳神経外科の専門医にこれ以上望んでも無理であったとする。

としています。
 それをわざわざ覆して
そうすると,2次救急医療機関における医師としては,本件においては,上記のとおり,Fに対し胸部超音波検査を実施し,心嚢内出血との診断をした上で,必要な措置を講じるべきであったということができ(自ら必要な検査や措置を講じることができない場合には,直ちにそれが可能な医師に連絡を取って援助を求める,あるいは3次救急病院に転送することが必要であった。),被控訴人Eの過失や注意義務違反を認めることができる。

としたところがこの判決の問題点です。

残念ながらYUNYUN様のご指摘は的はずれと言わざるを得ません。

循環器が専門にもかかわらず、致命的な心タンポナーデは緊急手術に回したもの以外は自分が治療したこともないし、ましてや、外傷性のものは一度も見たことがありません。従ってお恥ずかしながら心腔内穿刺は一度もやったことがありません。
しかし、助言はできます。一度、外科のない施設で「外科がいないのにここでやるのは危険だ」と進言したことがあります。ところが回答は「そんなことを言われたら医療事故で訴えられたときに差し障る」として撤回させられました。確かに緊急時に手段を選んでいる暇なんてありませんよね?「じゃあ、今からこの人にこういう手技をしたいんだけど、議論しましょう。適応はどうなんでしょうね?」なんて言っている間に患者は死にます。適応が少しでもあれば過誤が元で亡くなっても仕方がないのではないでしょうか(適応が全くないのであれば話は別ですが)?
ここから学んだ教訓は緊急性の高い治療はある程度ダメもとで仕方がないんじゃないかということです。
だから私はこのブログでもさんざん言ってきたとおり、免責の条件に緊急治療を挙げています。救急治療において医療過誤を後からいろいろ言われたら助けられる人も助けられないのではないですか?非医療関係の人達にはそこのところをちゃんと解っていただきたいと思います。
「やったことがないから」と言って他の施設にたらい回しにするのは(法整備の整っていない現時点では正論ですが)本来は本末転倒な話で、正しいことではありません。こうしたリスクのある治療こそ、医学的知識のある人間が判断して行わなければならないのです。ところがこうした良きサマリア人的な発想のない日本人はすぐ「失敗=医療ミス」として断罪してしまいます。

いずれにしても「多くの患者がどうすれば助かるか」ということを前提に医療は語っていかなければならないと思います。これが一番優先順位が高いと私は思います。で、それに法律や教科書的知識が追従しなければならないのです。マスコミも警察も、一部の放送関係の方もその優先順位をはき違えています。
遺族からは批判されるでしょうが、ある一定の確率で起きる医療過誤は優先度はそれに比べ高くありません。むやみやたらと刑事的責任を追及するのも優先度は高くありません。

こんにちは、YUNYUNさん。
整形Aです。

コメントありがとうございます。
GW中は家族サービスで留守にしていました。疲れたー。

そんなわけでレスが遅くなって申しわけありません。

No.283 YUNYUN さんのコメント

>> 裁判官が自分で材料を探すことだってなんら問題ないのではありませんか

>弁論主義の第一テーゼ:当事者の主張しない事実を、裁判所は認定してはならない
>(No.236 PINE様の弁論主義に関する解説参照).
>裁判所が勝手に判断材料を拾ってくることは、当事者に対して不意打ちとなり、予測可能性を害するので、「してはならない」のです。

おっしゃることはわかります。つまり民事裁判というのはそういうルールだと・・・。
ですから、僕が申し上げたいことは何度か前に書いたことに尽きます。

>「弁論主義」というのは、裁判所は真実を見出す場ではない、と言うことを示しています。
>医師から見てある判決がトンデモというのは、当然ありうることです。判決=真実ではないからです。

そう考えれば、医師の皆さんがトンデモ判決にそんなに怒り狂う必要はなく、裁判所と言うリングで民事訴訟法というルールでファイトしたが、戦い方が悪くて負けてしまった、そう考えればいいだけなんじゃないでしょうか。

よく考えますと、これは市場経済(資本主義とも自由主義経済とも)そのものともいえます。ある一定のルールの中でいかに金儲けをしてもいい。それによって金持ちになるのもいれば貧乏人になる者もいて当然。別にどちらが真実かとかという話ではありません。
あえて言うなら、儲かったほうが正しい。

市場原理主義というのもありますがこれは、ルールは最小限にして市場に任せればすべてうまくいく、と言う考え方ですよね。
ところが実際市場に任せていると、勝つほうはルールの穴を見つけてますます勝つ。弱者はよくわからないまま強者の言いなりにならざるを得ない、なんてことがおきてくるわけです。

例えばサラ金の金利の問題などがその一つですが、これなどはそれこそ弁護士さんたちの努力により、政府が介入することによって社会的公正(正義)にある程度近づくことができた面があります。

弁論主義も、突き詰めれば市場原理主義と近い(強いものが常に勝つ)と思いますが、さすがにNo294のYUNYUNさんの説明で、裁判所が弁論原理主義ではないことはわかりました。
そうはいっても、やはりうまく立ち回ったほうが有利ということにはかわりはないわけで、医療側が本来勝てるはずのファイトに勝てないのは、やはり戦い方に問題があって、それで負け組になっていると考えるべきではないでしょうか。

では、どうやって戦えば、負け組みから勝ち組へ移ることができるのか?
それはまた、稿を改めまして・・・。

>No.308 僻地外科医 さん

この救急医学の第一人者がおっしゃっていること(G鑑定)は医学的に極めて妥当です。

 今手元に資料がないのではっきりしたことは言えないのですが、そもそも心タンポナーデの診断は妥当なのでしょうか。結局解剖もされず、何とでも言える状況だったと記憶しているのですが。確定診断されるほどの所見もなく、CPKの値だけが一人歩きしていたような気がします。救急医でありながら、外傷でCPKが上昇することも知らんのかとあきれたものです。判決文を見た記憶はあるのですが、何か見落としているのでしょうか。

> 医学の問題ではなく医療の問題である (No.308 僻地外科医さま)

医学も問題も、医療現場の問題も、どちらも専門知識に属する内容であり、裁判所は鑑定人の意見を聞いて判断します。
裁判所も不可能なことをやれとは言いません(言えません)。
つまり、奈良の救急医は、
1.自分で心タンポナーデの心嚢穿刺をして救命することができたはずである
2.能力のある他院に転送することができたはずである
のどちらかでなければなりません。
裁判所の認定によれば、
1.は二次救急のレベルとして必ずしも要求されないが、2.は要求されるということであり、医師はそれをしなかったことに「過失がある」としているのです。

しかし、それは医学的に不可能である、あるいは日本の医療レベルはそこまで要求していないというなら、そのことを鑑定で言ってもらわなければ、裁判官には判断のしようがないでしょう。裁判官は医療現場を知らない素人なのですから。

G鑑定書自体に当たっていませんので、定かではありませんが、その中では

> ショックを来した時点ではすでに転送の余裕はなく、何とか救命するために現場の医師が心タンポナーデを試みたというのは仮に経験が無くとも正しかったと思いますし、他に方法はなかった(No.305 僻地外科医 さま)

ということは書いていない、
むしろ逆に、「転送すれば助かった可能性が高い」というようなことが書いてあると想像されます。
裁判所としては、訴訟に出された医師の意見書がみな一致して「本件は助からない→過失なし」であるにもかかわらず、
あえて専門家の意見を否定して独自に「助けられたはずである→よって過失アリ」という認定を行うことは、考えられないからです。
(もし仮に、裁判所がそのような妙な認定を行ったとしたら、「理由齟齬、証拠に基づかない認定、経験則違反」の違法があり、絶対的上告理由となります。)

-------
従って、救急の第一人者が、どうして、「本件では医師は自ら治療することも、転院させることも不可能であり、およそ救命できる余地はなかったから、対応に過失はない」という意見を書いてくれないのかが、問題だと思います。

> 医師の間では救急のABCみたいなコンセンサス(No.307 ぼつでおkさま)

> 救急治療において医療過誤を後からいろいろ言われたら助けられる人も助けられないのではないですか?非医療関係の人達にはそこのところをちゃんと解っていただきたいと思います。(No.309 yama さま)

本当にコンセンサスなのですか?
非医療者を言う前に、医師の間で統一見解になっているのかどうか。

以前はもっとずっと医師に対して受容的であったYUNYUN先生のコメントのニュアンスが変化しているのは医師があまりにもわからずやで未熟にみえているのだと思います。
しかしながら、いろいろオープンな議論をした後に鑑定を書かせたら今よりとんでも鑑定は少なくなると信じます。また、医師が読んだ場合には強調されるべきでない部分を勝手に強調したりする読解力の問題もあるに違いありません。
医師の問題もあるかもしれないけれど、医師のコンセンサスを反映できないような間違ったことを言わせる鑑定システムに問題があるのだと考えるようになっています。
そうったシステムの問題は法曹の人には関係ない、今のシステムで正しさなりを追求するのであればとんでも鑑定はなくならないと考えます。以前にも書きましたが、僕でもおそらくします。

> No.312 YUNYUN さん
残念ながら
1.自分で心タンポナーデの心嚢穿刺をして救命することができたはずである
2.能力のある他院に転送することができたはずである
の二択にはなりません。緊急治療の際には「今治療しなければ死ぬけど転送する余裕もない、だったら一か八かで治療を行うか転送の準備をしてその間に死なないことを神に祈る」という選択肢もあり得ます。つまり、助けられるかどうか解らないという選択肢です。上記の二つから選ぼうとするのは不可能です。
これを踏まえると、私の先に書いた

> 救急治療において医療過誤を後からいろいろ言われたら助けられる人も助けられないのではないですか?非医療関係の人達にはそこのところをちゃんと解っていただきたいと思います

の意味がわかると思います。
これを理解できないと裁判官も正しい判決を下すことは不可能で、医療崩壊への道を進むことになります。

ついでにいうと、医療者でもコンセンサスが得られないことを非医療者が判断することは不可能ですよね?意見を統一しろ、といってもそれは不可能(開き直りにも見えるかもしれませんが)。それだけこの問題は奥が深く、悪い言葉で言うと神のみぞ知る「聖域」なのです。
こうした医療者でも解らない事象をましてや素人が判断するのはおかしいのでは?ということなんです。そしてこれで断罪されてしまったら救急治療はできない、ということなんです。

> 裁判所と言うリングで民事訴訟法というルールでファイトしたが、戦い方が悪くて負けてしまった、そう考えればいいだけなんじゃないでしょうか(No.310 整形Aさま)

法曹は基本的にそういう考えです。民事訴訟のシステムが、完全無欠とまでは主張しませんが、おおむね上手く機能しているという認識です。
このブログではそのことの説明に、百万言を費やしてきました。

医療者のほうは、負け試合について
・ルールが不公平
・ジャッジが依怙贔屓
・リングが荒れ放題
という疑いを持つようです。

ルールが不公平だとか、ジャッジが依怙贔屓だとかいうことは、まずない。これは信じてもらうしかないことだけど。
リング整備が不十分(鑑定人の選任方法の工夫、裁判官の研修の必要性)ということはあるかも。
なので、司法としても努力しますとは言っている。
だから、医療者のほうでも努力してほしい、質の良い鑑定人を推薦する等

> 医療側が本来勝てるはずのファイトに勝てないのは、やはり戦い方に問題があって

敗訴事件が全て戦術のまずさに帰着されるわけではないでしょうが、戦術が悪かったケースもあるにはあると思います。
ミクロ的に、個々の訴訟代理人ができることは、次の訴訟で戦術を考えることしかないですから。

yamaさま

横から失礼いたします。

残念ながら
1.自分で心タンポナーデの心嚢穿刺をして救命することができたはずである
2.能力のある他院に転送することができたはずである
の二択にはなりません。

YUNYUNさまが言われる 「1.2.のどちらかでなければならない」 というのは、「奈良の救急医に過失が認められるためには 1.2.のどちらかでなければならない」の意味であろうかと思います。

「判決では、奈良の救急医の過失が認定されているのだから、その理由は1.2.のいずれかである(1.でないのなら 2.であるはずである)」 という文脈(だと私は理解しましたが)なので、噛み合っていない議論ではないでしょうか。

つまり、yamaさまの言われる「助けられるかどうか分からない」場合であれば、1.自ら穿刺、2.他院に転送、いずれも功を奏しなかったはずである(功を奏したはずと立証できない)以上、過失は否定されるということかと。

今のままでは民事はマネーゲームで医療者は自分が参加する意思のないゲームの相手をしなければいけないという認識でいいんでしょうか。
医療者がそんな存在であれば、医師になどなりたくなかったと思います。

民事の判決文を読むときにいつも気になっていることがあります。

この判決文でも使われていますが、注意義務違反、回避義務違反の過失と言う言葉です。

私は福島大野病院事件以来ネットに書くようになりましたが、あの刑事事件で用いられているのが上記と同じ注意義務違反、回避義務違反の業務上過失です。

道交法でも刑事有罪とされるのが注意義務違反、回避義務違反であることを考えると、損害の程度を勘分するのが目的の民事裁判でこれらの言葉が使われているのをみると、何を民事裁判で裁こうとしているのか判事の意図が理解できなくなります。

私が頭が悪いせいだとすると、裁判員を務めることは欠格条項にあたるから不可能であるという結論に至るわけです(笑)。

No.314 yama さま

論理操作が解っておられないと思いますが。
私が主張しているのは、

医師に責任を負わせるための前提条件として、
1.自分で心タンポナーデの心嚢穿刺をして救命することができたはずである
2.能力のある他院に転送することができたはずである
のうち、少なくとも一方が実現していることが必要である。

医師は心嚢穿刺か転送か、最低どちらか一方ができれば過失はありませんが、
上記の前提条件が満たされない、すなわち1.も2.も、およそ誰にも出来ない不可能事であったなら、医師の責任を問うことはできない、と指摘しているのです。
この理屈はどこか、おかしいですか?

> 「今治療しなければ死ぬけど転送する余裕もない、だったら一か八かで治療を行うか転送の準備をしてその間に死なないことを神に祈る」

これは2.が成り立たないことはもとより、1.も成り立たないだろう(「一か八か」とは、普通はできないという否定的な意味ですよね)、要するに過失責任を負わせる前提がないという主張。
私の思考方法と、同じと思いますが、違いますか?

裁判所も同じ前提の上に立っていると思います。
そして、1.は成り立たないかも知れないが、少なくとも2.は成り立つ、と認定するがゆえに、医師に過失アリとしたのです。

だから、過失ナシという結論を導くためには、
1.も成り立たないし、2.も成り立たない
ということを立証する必要があった。
1.が成り立たないことは、医師の専門的見解が全員ほぼ一致。
しかしながら、「2.はできる」と言った(あるいは、「2.はできない」と明言してくれなかった)鑑定医師が約1名おり、裁判所はそれに乗っかった。
つまり、医療者敗訴の主たる要因は、その鑑定医師の出した意見にあります。

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> 医療者でもコンセンサスが得られないことを非医療者が判断することは不可能ですよね?意見を統一しろ、といってもそれは不可能

医療者の間で意見統一できず、どちらが正しいとも決めかねる状態なら、
司法がどちらの意見を採ろうと、誤りとはいえないでしょう。
ある医師からみれば、それは自分の医学的見解と一致する、まったく正しい判断ですから。

微妙な問題でこれはいろんな意見がありうるという論点ならよいのですが、
救急医療とはどんなものという基本的なところで、それほどに意見が割れるということのほうが、大問題だと思います。

他エントリーで鑑定意見についてFFFさんに教えていただきました。それとこのエントリーのトンデモ鑑定の話、さらに神経内科医のどなたか(ソースは探せませんでした)の「部下のカルテチェックをしていると『何だこれは!』と思うことがあるが、いざ本人(部下)に話を聞いてみると半分くらいは「仕方がないかな」と思う。」というお話から、トンデモ鑑定について、ふと思いました。

鑑定医にはどの程度の情報(判断材料)が与えられているのだろうかと。弁論主義にて(裁判所が選ぶ)鑑定医も与えられた材料のみで判断しなくてはならないのでしょうか。

そうだとすると、トンデモのレッテルを貼られる鑑定医もかわいそうです。「これだけではなく○○の情報が欲しい」と思っても得られないのですから。

判断材料が少なければトンデモとなる確率が高まります。トンデモ鑑定を出した医師も、もしかしたら被告医師と直接話をすれば、上記の神経内科の先生のように「それじゃあ、しかたないかな」と意見が変わることもあるんじゃないでしょうか。

更に言えば、データが不十分だから「判断できない」「わからない」と答えても、裁判官によって、あるときは「否定していない」と採られ、またあるときは「肯定していない」と採られますからね。

> No.321 元ライダーさん

 鑑定人に提供される情報は、「それまでに双方が提出した証拠、証人尋問調書、主張書面の全て」という場合が多いと思います。

 鑑定が依頼されるのは基本的には訴訟の終盤でして、その頃までには主張整理・事実整理も終わっているので、診療の経過についての時系列表が作成されて、争点も明らかになっているはずです。たとえば「治療の経過は別表のとおりであるが、○○の時点で○○しなかったことは妥当か」とか。

 で、大概の医事訴訟では、診療経過自体には争いがないんですよね。どのような医療行為がなされたか(なされなかったか)というところまで深刻に争われる事案というのは、そう多くないと思います。

 事実経過について争いがある場合は、裁判所が選択肢を作って、「事実がAだった場合はどうか。Bだったとすればどうか。」などと聴くんですかねえ。鑑定人も、その限度で回答しているはずです。鑑定人が、「証拠からは窺い知れないけど、○○という事実があったかも知れないから医師は無責(有責)」とか始めたら収拾がつかないし。

 もちろん、鑑定人の求めに応じて、どちらかの当事者が証拠を追加するということは考えられなくはない(たとえば、ある検査の結果を知りたいとか、ある時点での内蔵機能を示す数値が欲しいとか)のでしょうが、殆どの場合、それは既に証拠として出ているような気がします。自分の経験では、鑑定人から(裁判所を通じて)、情報の補充・追加を求められたことはありません。

 ちなみに、鑑定人が「判断できない」「分からない」と回答した場合、病院側が不利になることはありません。鑑定で問われるのは、過失の有無や、過失責任を判断するための前提事実の有無、医学的知見等ですが、これが不明で判断できないということは、「鑑定によっては過失があったと立証できなかった」ということを意味しますので。そして、原告側が提出した証拠から過失の認定ができるなら、そもそも鑑定なんかしませんから、鑑定人が「分からない」という場合、ほとんど請求棄却でしょう。

> 鑑定医にはどの程度の情報(判断材料)が与えられているのだろうか(No.321 元ライダーさま)

裁判所に選任された鑑定人は、訴訟に顕出された全ての主張・証拠を見ることができます。
一方当事者が書証として提出する私的鑑定では、依頼者側の手持ちの資料のみです。

しかし、原告患者側はともかく、被告医療者側としては、もともとその事件に関する医療関係の全ての資料を握っており、裁判所に何を出そうと自由ですから、
少なくとも被告側鑑定医や裁判所の選任する鑑定人にとっては、医療者側と同じだけの資料は提供されるはずであり、「資料不足」ということはありえません。
原告も被告も出さない資料は、世の中に存在しないのですから、取りようがありません。
被告医師と同じ材料を見て、何が悪くて死んだかわからないというなら、「死因は不明、医師に過失があったとは断定できない」でよいと思います。

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> 被告医師と直接話をすれば

普通、医師の言い分は被告の準備書面や医師の陳述書に書いてあるはずです。
時系列はカルテや看護記録等の客観的資料により、かなり厳密に調べられます。
それでもなお、取りこぼされていた事実とは?

原告も被告も主張していない事実で、鑑定人としては、「こういう事実があったかどうか、医師に聞いてみたい、聞けば過失の有無がはっきりする」という場合は悩ましい。
弁論主義のタテマエからすれば、当事者が主張していない事実を、裁判所(の立場である鑑定人)が持ち出すことには、問題があります。

見落としがあるとすれば、多くの場合、原告患者にとって有利な事実でしょう。
(もし、被告が医療者でありながら、自分に有利な医学的な事実を見落として主張していないというのであれば、何をか況やである。)
実体的に真実であるし、原告は医療の素人でもともと力関係に差があるから、教えてやってもよいという利益衡量は、あり得ることですが・・・

鑑定人から直接、当事者に問い合わせることは、普通、許されません。
裁判官に問題点を説明して、裁判官から当事者に釈明するかどうかを判断していただくしかないと思います。

鑑定にあたった人間は、「わからない」と分からない場合は積極的に明言していくようにしていくことが答えなのかもしれませんね。

「専門家として選ばれた以上、答えを出さなければいけない」という思い込みがよろしくないのかもしれませんね。変に断言しようとすることがよろしくないのかもしれません。

私の予想では、これだけ鑑定が医師間で問題になっている昨今ですから、今後そうなると思われます。「何とも言えない。」ということが真実に一番近い場合が多いですしね。優等生的回答に縛られないというのも、現実に即すという意味ではとても良いことだと思います。おそらく判断材料としての意味は大きく弱まるのかもしれませんが、鑑定人自身の身を守るという意味でも有効だと考える人が今後増えるのではないでしょうか。形を変えた逃散、といえるかもしれませんが、世間の風潮からしても妥当な傾向ではないでしょうか。

こんにちは、整形Aです。

医療裁判で(裁判官によって、と言い換えてもいいですが)、鑑定書はどのように扱われているのでしょうか。

ある裁判においてA原告側(被害者側)、B被告側(医療機関側)、C裁判所の3つの鑑定書が提出されたとします。そして、それぞれがどちらかに有利な鑑定とします。
それを裁判官がどのように判断するか考えてみます。ここから先は、多少デフォルメして書きますので、不快に思われる方がおられましたら、お許しください。

1)バイアスがかかっていると思われるA、Bは除いて、Cを採用する。
2)3通の多数決で決める。この場合、Cがキャスティングボードを握っていると言う点では、1)と同じですが、後ほど説明しますがちょっと意味合いが違います。
3)3つのくじ引き、あるいはアミダで決める。
4)ABCすべてを参考にして、考えをまとめて判決を下す。
5)あらかじめ自分(裁判官)の答えは決まっていて、答えを肉付けするのに鑑定書を利用する。

だいたいこんなふうに使われるんじゃないかと思います。

鑑定書に不満を述べられる医師の方は、トンデモ鑑定といいますが、鑑定書が上記のいずれかのプロセスで採用されると仮定しますと、ある程度対策の立てようもあります。

まず、大概の被害者側は協力医の不足を嘆いています。それは事実でしょう。
ですから鑑定もようやく1通だせた、と言うことだろうと思います。
一方医療側は、自分のところのは意見書、弁明書で鑑定書ではないので除きますが、同業のよしみで、似たような医療機関に鑑定書を書いてもらうのは比較的容易と思われます。

そこで、病院同士であらかじめ鑑定書を書いてもらいあうことにすればいいのです。似たような規模、形態の病院であれば、おそらく医師の構成や技量も似たようなものになるでしょうから、「現場を知らない」「論文ばっかり書いている」と言ったことには決してなりません。
何かあったときには、たちどころに数通の鑑定書を書いてもらえるようにしておくのです。

極端なことを言うなら、10通くらい書いてもらったっていいんです。その中に自分の病院に不利なものがあったら、それを外して裁判所に提出します。
仮に5通得られたとします。
そうすると、少なくとも先ほどの2)から4)のケースにおいては、数の力で有利になります。
もっとも、自分とこに有利な鑑定が1通も得られなかったのなら、それこそ医師誰が見ても「こりゃあかん」と言うケースですから、早々と白旗を揚げたほうがよろしいでしょう。

具体的には、2)3)は言わずもがな。4)についても、これだけ多くの医師の鑑定が被告側にミスがなかったというんだから、やはりそうなんだろう、と裁判官に思わせるのに効果は十分です。

1)であった場合は徒労に終わりますが、そもそも多くの医師は鑑定書の書き方に慣れていない可能性があります。
ですから、鑑定書の依頼があった場合に、「俺ならできたのに・・・」といった自慢話ふうに書いてしまうのではないでしょうか。

普段からお互いの症例の「正しい」鑑定書を書くトレーニングを積むことは、決してマイナスにはなりません。
さすれば裁判所からの鑑定依頼があった場合、粛々と「正しい」鑑定書を書けるってもんで、そうなれば必ずしも徒労とはならないかもしれません。

最後の5)のケースですが、裁判では、裁判官があらかじめ予断を持つことはないとされている(自由心証主義)ので、本来はありえないはずです。
しかしまったくないとは言い切れません。
これがあるかどうかについては、1)から4)までをすべて医師側がクリアした上で、それでもどうしてもトンデモ判決が出るのであれば、やはり裁判官に問題があるのでは?という推測が可能かと思います。

とりあえずこれが、僕の考える実践的な医療側の対策です。

>YUNYUN様

この問題は明らかに鑑定人の問題ではなく、裁判所側の判断の問題です。

むしろ逆に、「転送すれば助かった可能性が高い」というようなことが書いてあると想像されます。
裁判所としては、訴訟に出された医師の意見書がみな一致して「本件は助からない→過失なし」であるにもかかわらず、
あえて専門家の意見を否定して独自に「助けられたはずである→よって過失アリ」という認定を行うことは、考えられないからです。
(もし仮に、裁判所がそのような妙な認定を行ったとしたら、「理由齟齬、証拠に基づかない認定、経験則違反」の違法があり、絶対的上告理由となります。)

 G、H両鑑定人とも転送すれば助かった「可能性」を否定しているものではありませんが、転送できなかった理由として、「診察に当たった当事者が脳神経外科医、小児科医であり、日常的に心エコーに慣れ親しんでいるものではなかったこと」「ゆえに心エコーが出来なかったこと、胸部読影が完全でなかったことは認められる」と判決本文に書かれています。
 さらに、G、H両鑑定人ともの意見として「救急専門医は全国に2000人しかおらず、心嚢穿刺、心エコー等について習熟していなかったのはやむを得ず、二次医療機関に要求される当時の医療水準を超える外傷であったこと」と認めています。

 にもかかわらず判決文に現れたのは「救急医療機関は救急医療について相当の知識・経験を有する医師が常時従事していることなどが要件とされ」という判断を下し、頭から1次救急、2次救急、3次救急の枠組みを超えた判断を下しています。

 このことは「1次救急であろうと救急を名乗っている以上、最低でも心エコーを含む救急医療の実技・診断に習熟した医師が常時従事していなければならない」ということを各医療機関に要求していると同義です。または仮に1次医療機関であっても心エコーが出来ないのであれば「疑わしき患者は即座に転送しなければならない」と言う論理的帰結が成立します。それは現実的に不可能であることすらわざわざ説明せよと言うことでしょうか?しかもそんなことは聞かれてもいないのに?

 お聞きしますが、鑑定医はどういう鑑定をすればこの事例で被告勝訴となったのでしょう?

>僻地外科医さん

最低でも心エコーを含む救急医療の実技・診断に習熟した医師が常時従事していなければならない」ということを各医療機関に要求していると同義です

私も、それこそが奈良救急事件の判決の本質だと思います。心嚢穿刺が失敗したことで患者が亡くなったことではなく、ショックが起こる前に心タンポナーゼを発見できなかった事を裁判官は問題視していると認識します。

裁判官がそのような思考回路を辿った原因には、G鑑定があると思います。つまり、G鑑定は、「高エネルギー外傷が疑われる場合は、胸腹部の超音波診断がルーチンワークであり、救急のスタンダードである」と書いてある、医学の素人は認識してしまうと思います。超音波診断が救急のスタンダードである以上、超音波診断は救急病院では必ず行われて然るべきであると判断してしまったとも考えられます。


鑑定医はどういう鑑定をすればこの事例で被告勝訴となったのでしょう?

H鑑定であれば原告敗訴になったと思います。

G鑑定は、G医師が同じ立場に立てばあれば救命できたと言う事を主張しているように思えますが、この場合に必要なのは、2次救急に当直した専門外の医師に取ってどのような診断がスタンダードなのか、と言う情報なのだと思います。

ぼつでおkさん 過分なコメント(No.301)ありがとうございます。救急心嚢穿刺事件は、今でも一言言うとコメント欄に熱帯びさせるパワー有りますね、 ちょっと焦りましたです。

YUNYUNさま ありがとうございます。

> 医療者でもコンセンサスが得られないことを非医療者が判断することは不可能ですよね?意見を統一しろ、といってもそれは不可能

医療者の間で意見統一できず、どちらが正しいとも決めかねる状態なら、司法がどちらの意見を採ろうと、誤りとはいえないでしょう。ある医師からみれば、それは自分の医学的見解と一致する、まったく正しい判断ですから。

微妙な問題でこれはいろんな意見がありうるという論点ならよいのですが、救急医療とはどんなものという基本的なところで、それほどに意見が割れるということのほうが、大問題だと思います。
ここん所は、「うーむ、納得いかないなあ」です。
民事の原則論をYUNYUNさんは説いておられて、誤りではないと思っております。法曹の方からは「そうだ、そうだ」の声出るところと推察します。
しかし、これが、私には「あなたのこれからやろうとしていることが、医療者の間で意見統一できず、どちらが正しいとも決めかねることなら、へそ曲がりな家族がいて訴えられたら、敗訴する可能性結構ありますよ(←原告側鑑定採用しても文句付けられる筋合いはない←司法がどちらの意見を採ろうと、誤りとはいえないでしょう )。」と聞こえてしまうというのが、正直な感想です。
でもそういわれたからと言っても、医療の現場では、どちらが正しいとも決めかねることは(なくせと言われても)無くならないと思っています。ここ多分、医療サイドからは「そうだ、そうだ」の声出るところとお考え頂ければ。

私個人としては「よろしい、ならば裁判だ」と言う気構えは正直ないので、「正しいと決めかねることをせざるを得ない状況(救急や当直に多いです)を避ける」ことを合理的とやはり考えてしまいます。

>しま様

裁判官がそのような思考回路を辿った原因には、G鑑定があると思います。つまり、G鑑定は、「高エネルギー外傷が疑われる場合は、胸腹部の超音波診断がルーチンワークであり、救急のスタンダードである」と書いてある、医学の素人は認識してしまうと思います。超音波診断が救急のスタンダードである以上、超音波診断は救急病院では必ず行われて然るべきであると判断してしまったとも考えられます。

 そう。私もここがポイントだと思ってます。救急医すべてが、つまり救急専門医であろうと無かろうと、救急にたずさわるものすべてが少なくとも心エコーは出来なければならないと、G鑑定を誤読した、もしくはそう誘導される方向にG鑑定が書かれていたということですよね。

 ところがですね、この裁判官がそのような事情を分かっていないで判決文を書いているとは、あの判決文からは読み取れないんですよ。

そうだとすると、被控訴人Eとしては、自らの知識と経験に基づき、Eにつき最善の措置を講じたと言うことが出来るのであって、注意義務を脳神経外科医に一般的に求められる医療水準であると考えると、被控訴人Eに過失や注意義務違反を認めることは出来ないことになる。鑑定Gも鑑定Hも、被控訴人Eの医療内容につき、2次救急医療機関として期待される当時の医療水準を満たしていた、あるいは脳神経外科医にこれ以上を望んでも無理であったとする。

 この内容から読み取れることは、G鑑定、H鑑定とも心エコー、胸部CTで救急専門医(もしくは循環器専門医)の助けを借りずに心タンポナーデを診断することは脳神経外科医には要求できるレベルではないと言うことになります。G鑑定に書かれていることは「救急専門医の標準治療である、しかし二次救急医に要求される標準治療ではない」ということが明言されているわけです。少なくとも当該裁判官もこういう鑑定であることを認識していたということが覗われる文章ではないでしょうか?

 この部分を指して「1次、2次、3次の枠組みを超えた判断を裁判所がしている」と私は書いたわけです。

> YUNYUNさん
前半について概ね了解いたしました。私の読み違いなのでしょう。しかし、


医療者の間で意見統一できず、どちらが正しいとも決めかねる状態なら、
司法がどちらの意見を採ろうと、誤りとはいえないでしょう。
ある医師からみれば、それは自分の医学的見解と一致する、まったく正しい判断ですから。

微妙な問題でこれはいろんな意見がありうるという論点ならよいのですが、
救急医療とはどんなものという基本的なところで、それほどに意見が割れるということのほうが、大問題だと思います。

についてはやはり異論があります。そもそも、救急が基本的なこと、と言いますが、流れ作業的に教科書的にできないのが救急医療です。実態は「こうすれば良い」というものではありません。
二つの対立した意見が鑑定医から出されて、どちらか一方をっただしいとしてとるというのはちょっと乱暴なような気がします。誤りとは言えないけど正しいとも言えないわけです。こういう場合は両方の意見を考慮すべきです。
他の医師の方々も指摘しておられますが、一つの正しい意見だけを見てしまい、他の正しい意見を無視するといわゆる「森の中の一本の木しか見ていない状態」になってしまいます。つまり、各論的には正しくても総論的には間違っているのです。
こうした意味で、「どれか一つの意見をとれば十分だろう」(と私は解釈してしまいましたが、間違っていたらごめんなさい)という理論は成り立たないと私は思います。
では、裁判で決着がつけられないじゃないか、という意見もあるでしょう。ただ、これは医療と司法の相容れない部分として解釈するしか無く、「疑わしきは罰せず」の原則を採ることが望ましいと個人的には考えます。この問題をどうするか、これが最大の今後のテーマだと思います。
たぶん結論は私とYUNYUNさんで同じだろうと思います。だからこそ


被告医師と同じ材料を見て、何が悪くて死んだかわからないというなら、「死因は不明、医師に過失があったとは断定できない」でよいと思います。

と言っておられるのだと思います。しかし、残念ながら細かなところで医療というものをまだ理解しきっていないように私には見えます。

こんにちは、整形Aです。

昨日、いくつか違った鑑定が出てきたときに、裁判所はどう判断するのか?といったことを書き込みました。
鑑定について、また考えてみました。

個人的な意見なのですが、鑑定書の意見が当該医療行為に肯定的、否定的と割れるケースというのは、本来医療側に責任はないのではないでしょうか。

医療行為に100%の正解はないということは、法曹の方にも耳たこだと思いますし、それ以外の方にも異論はないでしょう。
しかし、そのものずばりの正解はなくても、おそらくその一群の中に正解が入っている、というものはあるんです。これを仮に「正解群」と呼びます。

肯定的鑑定が出たということは、行なった医療行為は少なくとも正解群には入っているのだろう、という推測が可能です。
その医療行為は、肯定的鑑定を出した医師も行なう可能性があるわけで、それほど間違ったものではないと思われるからです。

逆を考えて見ます。
左右の取り違えといった医療ミスがあったとします。
これを鑑定に出せば(鑑定に出すのもばかばかしいですが)、どの鑑定医も「左右を取り違えなければこのような結果にはならなかった」と全員否定的に鑑定するでしょう。どう考えても正解群には入っていませんもんね。

医療に身をおく人間としては「正解はなかなか得られない」というのを実際に経験しているので、ここからここまでの範囲内であれば、どれもまあ正解(正解群)としていいんじゃないか、と考えます。

ところが裁判官には、この「群」という考え方がないように思います。
医療裁判の判決文を読みますと、正しいストーリーは一つなんですね。そしてそれから外れたから医療事故がおきた、と。

裁判官はこれがお仕事だから、「ストーリーが作れない」なんていえません。
だからどうしても(医師からすれば)無理筋のストーリーを作っちゃう場合もあるんじゃないでしょうか。

もちろん、すべてがそうだとは申しません。
「わたしゃ蓋然性のあるストーリーを作れません。よって原告側の請求を退けます」という素直な裁判官だって、いっぱいいらっしゃることも理解しています。

No.331 整形Aさん

「わたしゃ蓋然性のあるストーリーを作れません。よって原告側の請求を退けます」という素直な裁判官だって、いっぱいいらっしゃることも理解しています。
 以前に私も含めて何人かが、『裁判官は「医療については判断が出来ません」と白旗を揚げたらどうだろうか』というようなことを述べて、それに対して弁護士の方から、それは無理のようなことを言われてたように記憶しています。今となって考えるに、恐らく弁護士の方は「医療裁判を受け付けないというのは無理」という意味での「無理」との話だったのだと思いますが、私などは今回の整形Aさんのコメントのような意味での「白旗」を考えていたので、そういう白旗の揚げ方をする裁判官がいっぱいいらっしゃるのであれば、そういう裁判官がそうでないトンデモストーリーテラーをたしなめてくれないかなー

群馬大医学部55歳女性不合格訴訟で、裁判官は「医学・医療に携わる人材としてふさわしい人格と適性があるかは、医療に携わってきた面接官の最終的な判断に委ねるのが適当で、裁判所の審理に適さない」と、至極まっとうな話をされていますが、医療自体が裁判所の審理に適さなくはないというのは、どうも腑に落ちんのです。

ちなみに群馬大医学部55歳女性不合格訴訟は、2審で敗訴確定しています。

↑あ、広島・山口旅行から帰ってきています。

Level3です.整形A先生の考え方が最も医療という行為を適切にあらわしているように思います.

各時点での診断に関してはいくつもの可能性があり,その中でもmost likelyなものに目星をつけながら治療に当たりつつ,新たな所見からその方針を修正していきます。また治療にもいくつもの方法があり,各医師のそれまでの経験や知識によって選択の優先順位が変わることもしばしばです.
これらはある意味ですべて正解であり,ある意味で不正解です.

ほとんどの臨床医が選ばない方法以外はすべて正解と捉えることが妥当かと思います.また,たとえ1%の医師しか選択しないような方法であっても,その医学的理由の正当性を他の医師が認めるならば,それさえも正解のうちに入ることになるでしょう.

そのような理屈で,よほど標準から外れたものだけを「問題」と捉えるのが妥当だと私は思います.ある意味では現在の裁判で用いられている「医療水準」という考え方が諸悪の根源であるのかもしれません.標準化された医療など医療全体のほんのわずかの部分に過ぎませんし,それさえも10年後に標準である保証はどこにもないのです.
また,ある程度以上ベテランになってきますと新しいことが取り入れにくくなってきます.それまでに築き上げた自らの経験に伴う医療を崩すことが困難となるからです.「標準化された医療」自体がtransientなものに過ぎない可能性があることを考えればそういったベテラン医師が古い方法を取っているから妥当でないとはいい難いところがあります.医師の経験年数に応じた考慮も必要だと思います.

その位のところに線引きをしなければ医療と司法はなじまないと私は思います.
医療には元々正解がないという前提で話をすべきなんでしょうね.


>僻地外科医さん

G鑑定に書かれていることは「救急専門医の標準治療である、しかし二次救急医に要求される標準治療ではない」ということが明言されているわけです。

私としては、G鑑定に書かれていることは「高エネルギー外傷を受けた場合の標準治療である。しかし二次救急医に要求される標準治療ではない」と言う事が明言されていると思うのです。以上の様な考え方を元に、第二次救急病院というのは二十四時間高エネルギー外傷を診断・治療・転送できる必要があるが、該当医師及び該当病院はその水準に達していないと判断したのではないかと思います。


>yamaさん

救急が基本的なこと、と言いますが、流れ作業的に教科書的にできないのが救急医療です

横から失礼しますが、YUNYUNさんは「救急が基本」と言いたいのではなく、「救急とはなにか」と言う基本的な事に対し、医師の間でコンセンサスが取れていない事を問題視しているのではないかと思います。


>整形Aさん

医療に身をおく人間としては「正解はなかなか得られない」というのを実際に経験しているので、ここからここまでの範囲内であれば、どれもまあ正解(正解群)としていいんじゃないか、と考えます。

裁判所としてもその辺りを知りたいのではないかと思います。従って、鑑定書には正解だけを書くのではなく、正解群というものを強調して書く事が必要なのでしょうね。

しま様
微妙な誤解だと思うのですが

私としては、G鑑定に書かれていることは「高エネルギー外傷を受けた場合の標準治療である。しかし二次救急医に要求される標準治療ではない」と言う事が明言されていると思うのです。

 この点で私が指摘しているのは治療ではなく診断の部分です。二次救急レベルの医師に要求される水準として心嚢穿刺が要求されていないと言うことは、判決本文にも書かれており、裁判所もそれを認めているところです(つまりこれが治療の部分)。
 で、G鑑定書が指摘しているのは「一般的に脳神経外科医は研修医の時を除けば心嚢穿刺に熟達できる機会はほとんど無く、胸腹部の超音波検査を日常的にすることもほとんど無いこと」なんです。つまり、仮に心タンポナーデがあってもそれを診断する能力に欠けているのが「日本の二次救急レベルの医師の常態である」ということなんです。
 ここで仮に診断できない場合、選択肢は2つあります。「経過観察」か「転送」かです。
 で、この判決文が要求していることは「仮に診察できないのであれば即時に転送すべきだ」ということなんですよ。ところが現実問題として高エネルギー外傷において「遅発性心タンポナーデ」が生じる確率は極めて希です。裁判所の指摘するとおりに「疑わしいものは3次救急施設へ転送する」ならば、あっという間に3次救急施設がパンクすることは疑いを入れません。
 G鑑定はそう言う意味で「2次救急医療機関として期待される当時の医療水準を満たしていた」と書かれているわけです。

 ってか・・・・
 我々にとってはごく当たり前のことをここまで詳細に説明しなければならないという時点で、G鑑定はその表現力に問題があったと言うべきなのかも知れませんね。確かにそう思えてきました。

>banboo様

すいません、レスを見逃していました。

 今手元に資料がないのではっきりしたことは言えないのですが、そもそも心タンポナーデの診断は妥当なのでしょうか。結局解剖もされず、何とでも言える状況だったと記憶しているのですが。確定診断されるほどの所見もなく、CPKの値だけが一人歩きしていたような気がします。

 確かに確定診断は付いていないかと思います。また、CPKに関してはコメントすること自体論外だと私も思います。
 で、それとは別として、医学的蓋然性として、当該症例のような事故の場合、あのように急変するとなると、腹腔内(胸腔内)出血又は心タンポナーデのいずれかしか考えようがないと思います(いや、極めてレアケースとして事故とは全く関係なく心筋梗塞や大動脈緊急を起こした、と言うことも考えられなくはないですが・・・)。
 で、腹腔内(胸腔内)出血の場合、CTで初回撮影時に腹腔内(胸腔内)出血がO又はほとんど同定できない程度で、あとから救命し得ないほど急激な出血が来るケースはちょっと考えにくいと思います。
 従って、急変の原因として心タンポナーデを第一に考えるのは極めて妥当性が高いと思います。

>僻地外科医さん

この判決文が要求していることは「仮に診察できないのであれば即時に転送すべきだ」ということなんですよ。ところが現実問題として高エネルギー外傷において「遅発性心タンポナーデ」が生じる確率は極めて希です。裁判所の指摘するとおりに「疑わしいものは3次救急施設へ転送する」ならば、あっという間に3次救急施設がパンクすることは疑いを入れません。

なるほど、その点で食い違っているわけですね。私の解釈では、裁判所は「2次救急では心タンポナーゼは診断できて当たり前。心タンポナーデと診断した場合、心嚢穿刺を行う必要があるが、心嚢穿刺ができない場合は3次救急施設へ転送する」と判断したと認識しています。

もっと言うのであれば、裁判所は超音波や心嚢穿刺、心タンポナーゼ云々に対してはそれほどこだわっているわけではないと思います。裁判所がこだわっているのは、「2次救急は高エネルギー外傷に対処できる必要があるかないか」という事であり、対処できないのならば、高エネルギー外傷はおしなべて3次救急に送るべきと言う事になるかと思います。


G鑑定から医療側勝訴にするのも比較的簡単で、「受傷機転から高エネルギー外傷が疑われる場合には」のくだりで

その後,心嚢液の貯留,胸腔内出血,腹腔内出血に焦点を絞って,胸腹部の超音波検査をする(この検査は数分あれば可能である。)。その他に,動脈血ガス分析(呼吸機能と循環動態の評価),血液検査(初期は主に貧血の評価),血液生化学検査(基礎疾患,肝損傷,心筋損傷の評価)を実施する。さらに,その後,胸部と腹部の仰臥位単純X線撮影,頸椎の正・側面撮影をする。

を抜けば病院側が勝訴したかと思います。その後の文章で「以上の診察及び検査は,高エネルギー外傷患者については,症状がない場合でも必須である」と書いてあるのが裁判官の判断の助けになったかと。

>しま様

裁判所がこだわっているのは、「2次救急は高エネルギー外傷に対処できる必要があるかないか」という事であり、対処できないのならば、高エネルギー外傷はおしなべて3次救急に送るべきと言う事になるかと思います。

 ここを読むと「うっひゃ〜〜」となってしまいますが、高エネルギー外傷というのはしま様が思っていらっしゃるよりはるかに高頻度で勃発するものなんです(^ ^;。例えば人口1万ちょっとの我が町でも年間80件ぐらいはあります。これらをすべて3次救急施設へ送ったらどういうことになるか・・・。私の知る某3次救急施設は当町を含め人口60万ぐらいをカバーしてます。と言うことは・・・、高エネルギー外傷だけで年間5000件弱が3次救急施設へ集中すると言うことなんですけど・・・(^ ^;。で、3次救急施設で診るのは高エネルギー外傷だけではなく、AMI、脳血管障害、大動脈緊急、毒物服用など他にもまだまだあります。高エネルギー外傷を含めてこれらが3次救急施設に集中してしまったら・・・。

 で、高エネルギー外傷と言っても、その9割以上は1次、2次救急施設で保存的に経過を見ることが出来るものなんです。

 ここまで裁判所(というか、一般の方)に説明しなければならないんですね・・・(^ ^;

>僻地外科医さん

ここを読むと「うっひゃ〜〜」となってしまいますが、高エネルギー外傷というのはしま様が思っていらっしゃるよりはるかに高頻度で勃発するものなんです(^ ^;。

ある程度は分かって言ってます。

2次救急病院の現状から考えると、24時間超音波による診断は不可能のようですから、鑑定書で「高エネルギー外傷の患者に対し超音波診断が必須である」と書くのは大変危険な事ではないかと考える次第です。


ごく一部の病院、ごく一部での医師でしか行えないような事を「必須」と書くのは、医学的には正しいのかも知れませんが、医療的には問題ですよね。裁判所は、提出された鑑定書を医学的ではなく、医療的に捉えるのだと思います。


 ここまで裁判所(というか、一般の方)に説明しなければならないんですね・・・(^ ^;

鑑定書にする際は、これ以上の事を書かなければならないかと思います。

>No.305 僻地外科医 さんのコメント

 御指摘ありがとうございます。
 外傷性心タンポナーデは鑑別にあげることはありますが、実際に経験したことはありません。内科領域で目にする心嚢液が貯留する疾患の予後は、貯留速度よりむしろ、原疾患(の病態)とその治療によることが多いため、その少ない経験からコメントしました。本件では、G鑑定で、Fの外傷性心タンポナーデの原因(心破裂ではなく心挫傷である)と治療(心臓手術は必要なく心膜切開で救命可能)についての考察がされていましたので勉強になりました。

「証拠(G鑑定)によると,(中略),Fのように,受傷後2時間半頃に症状が出るのは,心破裂は極めて稀で,ほとんどの原因は心挫傷であること,心挫傷の場合は,心嚢穿刺又は心嚢を切開して貯留した血液の一部を出すことで症状を改善することができ,心臓の手術は必要ではないこと,血液を吸引除去あるいは手術的に心嚢を開放(心嚢切開又は開窓術)していれば,救命できた可能性が極めて高いこと,Fは受傷から容体が急変するまでの約2時間半は循環動態も安定していたので,この間に重度外傷患者の診療に精通する施設に搬送していれば,ほぼ確実に救命できたことが認められる。」

 ここで、確かに本件Fの急変の原因として心タンポナーデを第一に考えるのは妥当性が高い(No.337)とは思われるのですが、本件では解剖もされていないようですし、確定診断できる根拠(情報)が乏しい以上、裁判にあたっては、個人的にはbanboo様と同じく、あくまでも可能性のひとつに過ぎないと思います。しかし判決は「救命可能であった心挫傷による外傷性心タンポナーデ」の確定診断で進められています。

>>ここで仮に診断できない場合、選択肢は2つあります。「経過観察」か「転送」かです。(No.336)

 判決文には、「そうすると,2次救急医療機関における医師としては,本件においては,上記のとおり,Fに対し胸部超音波検査を実施し,心嚢内出血との診断をした上で,必要な措置を講じるべきであったということができ(自ら必要な検査や措置を講じることができない場合には,直ちにそれが可能な医師に連絡を取って援助を求める,あるいは3次救急病院に転送することが必要であった。),被控訴人Eの過失や注意義務違反を認めることができる。」とありますので、もうひとつ「超音波検査のできる医師を常に待機させる」という選択肢も考えられます。しかしあまりに非現実的なので救急告示の取り下げが相ついでいるのかもしれません。

 ここでの疑問は、G鑑定書がいつ提出されたのかは分からないのですが、「平成5年当時の救急医療において外傷患者の胸部超音波検査は標準的であったか」という問題です。
 平成11年頃に野戦病院のような病院の救急外来で研修した際、外傷患者の診察では聴診器のようにルーチンで心エコーと腹部エコーを行うように指導されたので、平成11年当時は、救急医の間では標準的であったのだろうと思います。
 海外ドラマ「ER」の話になってしまうのですが、近年の診療風景では外傷患者に対して携帯型の超音波検査装置で検査が行われているのを目にしますが、最初の頃(11年前)の放送の診療風景ではルーチン検査としてはみられなかったようにも思います。
 よろしければ平成5年当時の状況について教えていただけますと幸いです。

こんにちは、しまさん。
整形Aです。

いつも迅速かつ的確なコメント、情報検索に敬服いたします。
「しまさんって、何者?」といつも疑問に思っています(笑)。

No.335 しまさんのコメント

>>医療に身をおく人間としては「正解はなかなか得られない」というのを実際に経験しているので、ここからここまでの範囲内であれば、どれもまあ正解(正解群)としていいんじゃないか、と考えます。
>
>裁判所としてもその辺りを知りたいのではないかと思います。従って、鑑定書には正解だけを書くのではなく、正解群というものを強調して書く事が必要なのでしょうね。

正解群の範囲を知る簡単な方法は、その医療行為に肯定的鑑定があれば、正解群に入っているという考え方です。
Level3さんも述べておられるように、ある医療行為を別の誰か一人でも肯定するなら、その人も同様の医療行為を行なう可能性があるわけで、誤った医療行為とは言えない、と考えられます。

鑑定人の誰もが否定的鑑定を行なうのであれば、こりゃもう間違いなく医療ミスといえるのではないでしょうか。

>No.342 整形Aさん

鑑定人の誰もが否定的鑑定を行なうのであれば、こりゃもう間違いなく医療ミスといえるのではないでしょうか。

ただ,鑑定人の数と,質が問題になると思います.根本的には一版の現役医師にも鑑定をお願いする,あるいは数が少ない(2-3人であるのならお話にならないと私個人は思ってしまいます)のであれば鑑定人を増やすというところでしょうか?もちろんそれに伴う諸問題(協力医師がいない,予算の関係など)があるとは思いますが.

> 正解群の範囲を知る簡単な方法は、その医療行為に肯定的鑑定があれば、正解群に入っているという考え方です。
> 鑑定人の誰もが否定的鑑定を行なうのであれば、こりゃもう間違いなく医療ミスといえるのではないでしょうか。(No.342 整形Aさま)

医師のみなさんがよく、「疑わしきは罰せずにしてくれ」というやつですね。
医師が一人でも擁護してくれたらセーフとする、という。逆に原告患者側は、(裁判に出てくる限度でですが)、全ての医師から過失アリ意見を取らなければ、損害賠償請求が認められないというやり方です。

しかしそれは刑事ではともかく、民事の立証要求としては過大であって、原告に対して著しく不公平と思います。
被告医療者側は、基本的には自分に過失ナシと信じるからこそ、示談を拒否して訴訟を受けて立ったのであって、
過失ナシ意見を支持してくれる医師が、世の中に一人も居ない孤立無援の状態で、あえて訴訟を闘うという事態は考えにくい。
(もし、私が弁護士として被告から相談を受けたなら、「あなたに有利な意見書を書いてくれる医師が見つからないなら、諦めて賠償金を払いなさい」とアドバイスします。)

そこまで立証要件を厳しくすると、訴訟で原告はほとんど勝ち目がないばかりでなく、
訴訟で請求できないものなら、裁判外で示談する必要もないのであって、医療過誤についてはおよそ損害賠償請求自体が成り立たなくなるのではないでしょうか。
医賠責保険は医療側に甘い意見を言う医師をたった一人用意しておけば、全く支払いせずに済ませられることになりボロも受け、なのは束の間で、医療訴訟を受ける心配がなくなれば保険を掛けようとする動機がないので、その種の保険は廃れるでしょう。
要するに、医療過誤請求を実質的に法の支配から外すという結果になりますが、エントリ記事にありますように、法による紛争解決を放棄した結果が、医療者側にとっても幸福であるとは限りません。

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医師の専門的見解は分かれるのが常態である、という話もあります。
立証の程度としては、民事の一般原則に従い、おおむね過半数の医師が、過失アリ認定するなら、過失があることが立証できたと認めるのでなければ、不公平ではないでしょうか。

問題は、裁判に出される医師の意見書や鑑定人意見はせいぜい数個なので、それが全医師の間でどの程度の割合の意見なのかが、外部から見ては解らないことです。
以前に、単純な確率論で、抽出集団と母集団の多数決が一致するためには、最低限何人を抽出しなければならないかを試算したことがありましたね。
つぶやきエントリ コメントNo.136〜
http://www.yabelab.net/blog/medical/2007/02/15-104709.php

母集団において7:3に意見が分かれる事案では、鑑定人を10人呼んでも足りないという話でした。
逆転現象を回避し多数意見に収斂させるための方策として、鑑定人間で討議させることが考えられますが、それで万全という保証はありません。

 医療事故・過誤の裁判に何を求めるか?ではないでしょうか?
 「悪徳医師に復讐したい」という一心だったらたしかにYUNYUNさんのおっしゃるとおりでしょう。
 でも、本来必要なのは、可能な限りの真実の追究、再発防止、適切な保障と心理面も含めたケアが求められているのではないのでしょうか。特に社会全体としては再発防止が一番重要と感じます。でも今は再発防止というよりそもそもその行為を行わないようにしようという流れになっています。

 謹慎明け先生と同じように、私も医療は本来不確実で、みんな間違えるものだと思います。現在の基準では臨床医はみんな有罪だと感じています。

 まずは、マスコミを含め国民全体の医療は不確実で、個人に復讐しようというのはナンセンスだという啓蒙が必要なのではないでしょうか。少なくとも国民全体が感情的になって糾弾する現在のようなクレイジーな状況は避けられると思います。
 
 もちろんその基盤に医療費削減政策をやめて充分な説明時間を確保、カウンセラーの配置、各専門医の厳しい資格審査、第三者機関&無過失保障制度が必要だと思いますが。
 
 医療にそもそも万全や絶対の正解など絶対ないのです。医療側でも意見が分かれるからその一方を採択して司法が飛んでも判決を出しても問題ないというのは詭弁と感じます。

 司法側と、多分この意識の乖離は決して埋められないのでしょうね。それだけはこの1年間でよく分かりました。

こんにちは、YUNYUNさん。
整形Aです。

いつも迅速、かつユーモアあふれるコメント、ありがとうございます。

> 正解群の範囲を知る簡単な方法は、その医療行為に肯定的鑑定があれば、正解群に入っているという考え方です。
> 鑑定人の誰もが否定的鑑定を行なうのであれば、こりゃもう間違いなく医療ミスといえるのではないでしょうか(整形A)。

上記が大甘な意見だというのはもちろん承知していますが、鑑定が公平に行なわれることが担保されるのであれば、医療の実態に即した方法だと思います。

一方YUNYUNさんの提案を考えてみます。
No.344 YUNYUN さんのコメント

>立証の程度としては、民事の一般原則に従い、おおむね過半数の医師が、過失アリ認定するなら、過失があることが立証できたと認めるのでなければ、不公平ではないでしょうか。

これは実に恐ろしいことでして、医師の半数が賛成する医療を行なわなければ過失を問う、といういことですよね。
これは現実的には、侵襲(体に負担をかける)的治療や検査のかなりができないことを意味します。

私事で恐縮ですが、先日僕の母親が、夜間に3時間以上持続する胸部痛が出現し、心筋梗塞か不安定狭心症の疑いで入院しました。
入院中の経過は良好で、主治医の話では、心筋梗塞ではないだろう。
ただ今のところ原因ははっきりしない、ということでした。

さてここからが問題でして、1)とりあえず経過がいいのでこのまま何もせずに退院する、2)心臓の症状があったのは確かなので、心カテを行って原因を突き止め、場合によっては血管を拡張する治療を行なう、の二つの選択肢が提示されました。

主治医は立場上「やったほうがいいのでは?」というニュアンスだったので、あまり気が進まない母親を説得して検査してもらうことにしました。

結果は冠動脈攣縮性狭心症という診断で、内服薬の追加だけでよかったのですが、検査中に不測の事態が起きて、死亡することもありえたわけです。
もしそうなったの場合に、うちの母親に侵襲的検査を行なうことの適否を何人かの医師に聞いて、はたして半数の医師の賛同が<必ず>得られるという確証があるでしょうか。

母親の検査は、絶対的適応があったわけではないと思います。「経過観察」というのも立派な医療ですので、そちらのほうが適切であった、と考える医師も結構いると思います。
恐ろしいと思うのは、もうこう考えただけで、検査はできなくなる、ということです。

戦前の言論統制下では、当局ににらまれるかもしれない、と思うだけで言いたいこと、書きたいことを抑制する自主規制がありました。
半数の医師の賛同が得られないとその医療行為が不法行為になるというのであれば、ちょっと危ないものは自主規制せざるをえなくなるのではないでしょうか。

一般人です(患者経験あり、原告被告経証人経験なし)

>医療者の間で意見統一できず、どちらが正しいとも決めかねる状態なら、
>司法がどちらの意見を採ろうと、誤りとはいえないでしょう。

に関連して、ここでも時々話題になる「法医学者の悩みごと」
http://blogs.yahoo.co.jp/momohan_1
の5月6日の記事に

前略==>、「医学的に決められないからこう診断した」と言ったら、「先生がどちらかに決めてください」といった検事が<==
中略==>ところで、古い法医学者の中には、「先生が決めてください」といわれた場合、どちらかに決めてしまう先生もいて、鑑定を巡っての様々な無益な論争が発生したこともあった。<==後略

とありました。医業と法律業両方のプロであるはずの法医学者でこのありさまでは、一般のお医者さまが適切な鑑定を効果的な表現で伝えられなければ医者の責任とするのは、無茶な要求ではないでしょうか。鑑定のシステム自体、改善が必要です。

法律業のシステムや人が、未知・不可知(あるいは常識の変化)を適切に扱えるものになっていない印象を受けます。飛行機事故で原因・責任・救済・再発予防(と類似事故予防)の切り分けの必要がいわれはじめてから、50年かかってようやく今の世界の状態だと考えると、日本の医療と法律の関係が今のわたしになるほどと思えるものになるのは子や孫の時代かもしれませんね。

百年の尺度で考えると、いっそ、お医者様が全員一旦廃業して法医学に転業し、その分析の成果をもとに、日本の医療をゼロから再立ち上げ(法律や裁判との関係も)するのが最良かもしれないとさえ思えてきます。

無茶な意見に聞こえるかもしれません。でも、医者は暴力団か大企業のおかかえ、たまに道楽や練習台・実験台で庶民も治療してくださる…なんていう未来は、いくら現実的でもイヤです。

京都出身の先輩が「おカミの権力より地元のヤクザの方が、生活・運命共同体なぶんマシな場合がある」と言っていたことがあります。日本国より歴史の長い都市で暮らした人のリアルな意見なのでしょう。でも、そんな「場合」はゼロであってほしいものです。

いち納税者

> No.346 整形Aさん

 つい先日も別のエントリで説明しましたけど、鑑定に対するイメージが間違っておられるのではないかと。

 繰り返しますと、鑑定医に対する設問は、「この医療行為に賛成ですか」とか「あなたならこの医療行為をしましたか」ではありません。

 ある時点において選択肢として考えられる医療行為は数々あって、特定の1つに定まるものではない。上で出てきた表現を借りれば、ただ一つの解があるわけではなく、「正解群」として存在する。

 鑑定では、このことを前提に、「被告の選択した医療行為は、正解群の中に入っていたと考えますか」という趣旨の質問をするわけです。決して、「ベストの医療行為だったと考えますか」ではなく。言い換えると、「医療行為としては、一応それもアリですね」と言える範囲のものなのか、「いくら何でもその選択はないだろう」という程度のものなのか、という聴き方です。

 No.344 でYUNYUN さんが仰っているのは、この意味での質問において、全ての医師から「正解群の中にない」との回答(=過失ありとの意見)を得なければ過失を認めないというのでは、原告に過大な負担であり不公平ではないか、ということかと思います。

>整形Aさん
>YUNYUNさん
横入り失礼します。

ご近所トラブルで、どちらの言い分が正しいかを、ご近所トラブルの専門家である一般人が鑑定し、多数決で決めたとしても私としては違和感はありません。

同じように医師の責任の有無を医師の多数決で決めても、よいのではないかと思います(現実に多数決が可能かどうかは置いときます)。

ただし、多数決に参加する医師は「自分ならそんな過失はありえない」とか「そんな過失を犯すとは、断固として批判できる」というものを有責とします。逆に「確かに過失だけど、そこまで責任負わされたら、やってられないな(自分だってそういうケースでは過失を犯す可能性が大いに有り)」というものは無責とします。「判断できない」は白票です。

こういう基準だったら多数決でも私は納得できますが、整形Aさん、こんな多数決ではどうでしょうか?また、法曹的感覚ではどうなんでしょう?

※いつも法曹への質問ばかりで申し訳ありません。私には皆様の意見はとても参考になっています。

あれれ、直前にFFFさんのコメントがありましたね。

でも、私の愚説がFFFさんのコメントに近いのか、真逆なのか、よく分かりません。

あれれ、直前にFFFさんのコメントがありましたね。

でも、私の愚説がFFFさんのコメントに近いのか、真逆なのか、よく分かりません。

こんにちは、FFFさん。整形Aです。

コメントありがとうございます。

No.348 FFF さんのコメント

>鑑定では(中略)「医療行為としては、一応それもアリですね」と言える範囲のものなのか、「いくら何でもその選択はないだろう」という程度のものなのか、という聴き方です。
>
> No.344 でYUNYUN さんが仰っているのは、この意味での質問において、全ての医師から「正解群の中にない」との回答(=過失ありとの意見)を得なければ過失を認めないというのでは、原告に過大な負担であり不公平ではないか、ということかと思います。

言わんとすることはわかりました。
「正解群」の範囲は医師個人によって違うので、裁判官はその範囲を認定するに当たって、鑑定医の多数決なり平均値なりを使う、ということですね。

しかしそうすると次の疑問が・・・。

何度も出てくる心嚢穿刺のケースですが、はたして裁判官は鑑定によって「正解群」の範囲を決めて判決を下したんでしょうか。
詳細に読めば、おそらく大多数の鑑定が、被告側の医療行為は「正解群」の中に入る、としていると思うんです。

それをどう読んで、「正解群の中にない」と判断したのか?
なぞは深まるばかり・・・。

どこに書けばいいのかわからず、ここに書きます。

韓国語をだいぶ勉強してきた僕にとって最後の砦は韓国の医療なのですが(自分が大病を患ったときに治療を受ける場として)、韓国の医療訴訟がどうなっているのか全然調べたことがなかったので、韓国YAHOO!で検索してみたら面白かったので紹介します。

韓国でも医療訴訟が急増しているそうです。
1994年208件→2004年802件
しかし原告勝訴率は低下しているとのこと。
1994年完全勝訴率22%、部分勝訴率25%→2004年完全勝訴率5.3%、部分勝訴率24% (これはその年の処理件数に対する比率とのこと)
その上賠償額も目減りしているそうな。
一方、和解率は増加しているとのこと。
1994年6.1%→2004年28.4%
(以上http://kr.blog.yahoo.com/ceokiy/940より)

そのくせ韓国YAHOO!で「医療訴訟」を検索すると、スポンサーサイトにずらずらと弁護士事務所名が並ぶようになってます。

>整形Aさん

何度も出てくる心嚢穿刺のケースですが、はたして裁判官は鑑定によって「正解群」の範囲を決めて判決を下したんでしょうか。

発言を繰り返すことになるかもしれませんが。

G鑑定では二つの意見を述べているように思います。

1.高エネルギー外傷患者の対処としては適切ではない(超音波を用いていない)
2.二次救急における専門外の当直医の処置としては適切である

裁判所が、二次救急では高エネルギー外傷患者を扱うべきと考えれば、被告の医療行為は間違っていたと判断するだろうし、二次救急では高エネルギー外傷患者を扱う必要がないと考えれば、被告の医療行為は適切だと判断したと思います。

YUNYUNさま 法律家の皆様 お疲れ様です。

医師が一人でも擁護してくれたらセーフとする、という。逆に原告患者側は、(裁判に出てくる限度でですが)、全ての医師から過失アリ意見を取らなければ、損害賠償請求が認められないというやり方です。
しかしそれは刑事ではともかく、民事の立証要求としては過大であって、原告に対して著しく不公平と思います。(中略)そこまで立証要件を厳しくすると、訴訟で原告はほとんど勝ち目がないばかりでなく、訴訟で請求できないものなら、裁判外で示談する必要もないのであって、医療過誤についてはおよそ損害賠償請求自体が成り立たなくなるのではないでしょうか。(No.344 YUNYUN さま)

民事裁判の精神にてらせば不公平とのご批判は甘受します。

ただ、以前拙コメントで述べた

小児科専門医だけで小児救急出来るか 無理ですね。だから、内科開業医にも是非小児救急をと言う話になっているのでしょう。もし始めたら、ごく少数かもしれませんが、間違いなく「最初から小児科専門医が診れば救命できたが、内科開業医が経過観察を指示した為に手遅れとなった(しかも、小児科の教科書読めば書いてあるので抗弁しづらい)」例出てきます、絶対。
でてくること判っているのだから、あらかじめ(後略)(No287)
について、ご意見伺えたら幸いです。
この例で、小児科専門医の鑑定得れば、間違いなく小児科医としてはミスと言わざるを得ないとの鑑定かえってくると思います。
内科医としてだって、よく勉強している上位半数なら、早期に小児科専門医に送ることできるよなあとの意見有ってもおかしくないと思います。でも、「並の内科開業医なら結構悩むよね、自分でも無理かも」というところでしょう。鑑定書合戦では医師側負けるかもと思います。

この内科開業医が、「俺は何でも診れます、小児科だってばっちりです」と言って夜間小児救急に自分から参戦したのなら、「ミスなんだから医師敗訴」でしかたないと思います。

でも、「私は内科開業医です。小児は無理です。まして、夜間に微妙なところは見逃すかもしれません。辞退します。」と言っているのを、強制的に(例えば、医師免許を更新しないとか、夜間救急やるのを保険医登録の必須条件にするとか)参加させるたなら、民事で医師敗訴、賠償し払えというのは妥当ではないんじゃないかなと思います。「上記の例のようなことおこっても民事免責にしてくださいね」とあらかじめ契約で求めるのは不自然ではないと思います。

「液晶モニターのドット抜けは故障じゃないのでご了承下さい」との文言入ってますし、同じ感じですね。
「日本の保険での夜間救急は、小児科医ではない医師が参加しています(厚労省がそう認定しています)ので、小児科専門医と同等レベルの診療は出来ません、その医師なりの最善の努力で必要と認めた場合は専門医に転送いたしますが、その判断の遅れ等は免責にすることにご同意いただける方のみ、診察させて頂きます。」と言ってはだめですか?

「この免責契約を、後で公序良俗に反すると言ってチャラにされない」と確信が持てれば参加者でると思います。
「被告が、内科開業医の平均的な能力を持っており、平成X年度開始の夜間救急医療システムに参加している医師の大半と比べて劣っていないことは認められる。しかしながら、夜間救急診療医は、厚労省政令で、「小児もみられること」と書いてあるのだからして、内科開業医だからと言ってその要求される診療レベルを下げる事は認められないのであって、この点につき過失があったと言うべきである」と言われる危険性が有れば、なんだかなあです。

この場合、損害があるのは事実なので「健康保険」システムが掛け金出した賠償保険でまかなうのは妥当と思います(国がお金を出したくなければ、今の日本の医療費ではこういう事例はあきらめるべきなんですよと国が主体となって国民を教育するべきでしょう)。

昼間だけの診療報酬では成り立たなくなるところまで締め付けて、参加させるのは(自由競争下で商品が値下がりしているわけではなく、公定価格を押しつけている条件下では)、実質的な強制に等しいので、やはり上記の例は免責がフェアだと個人的には思います。(厚労省は、医師が自発的に参加したと言いたいでしょうが)

実の所は、今行われている多くの病院での救急専門医ではない持ち回り当直医による救急診療も「自分の専門外」分野では、本質的には同等だと思います。「免責契約」を結ばせて頂くのが妥当ではないでしょうか。専門外に飛び込んでいく医師は少ないと思ます。免責無しで、それでもやるかと自由に選ばせれば、勤務医は続けても、救急や専門外診療に手を上げる医師は激減です。

免責契約を厚労省が結ばせてくれないから(健康保険にその条項入れてしまえればなあ)、司法で実質民事免責に出来ませんかと、無理筋なお願いしているわけで。

以上ではシステム的に見た対案になってないでしょうか?

今回の心嚢穿刺のケースが緊急を要する治療だったかどうかについてはあまり触れられていませんが、どうなんでしょうか?もし緊急に治療が必要なら転送するかそこで応援医師を呼ぶかの判断を待つことなしに私は一か八かの賭に出ることは間違っているとは思えません。皆さんが指摘しておられるようにそれは不可能に近いからです。

こうした誤解があるのも一つは鑑定が個々バラバラになされているからかもしれません(実際にはどうなっているのか解りませんが)。数人の鑑定医によるディスカッション(カンファランス)形式にしたらもっと正解に近い答えが出るかもしれませんね。決して正解は出ませんが・・・。

あと一つ。医師側としてはやはり明確な過誤の理由がない(つまり、鑑定医のほとんど全員が過誤と判定しなかったと言うこと)限り賠償を払うというのは、一つは「間違った対応をしていないのになぜ賠償を払わなければならないんだ」と思い、医師として働く上でのモチベーションが消えてしまうという理由の他に、このままだと保険金地獄でいずれそのツケは患者側に不利な形で帰ってくると思っているからだと思います。実際にアメリカでは民事訴訟の行き過ぎが医療崩壊を生んでいます。

No.356 yama さん

>このままだと保険金地獄でいずれそのツケは患者側に不利な形で帰ってくると思っているからだと思います。

私はそれがあるべき姿だと思います。そもそも、患者さんは医療のメリットのみならず、リスクについても負担すべきです。そのシステムがないのが問題なのだと思います。

前にも似たようなことを書き込んだのですが、民事は法廷というリングの中で原告側弁護士と被告側弁護士が屁理屈(失礼)を戦わせる場ですので、弁護士に任せておけばよい。真実追求をしているわけではないので、敗訴したってべつにその医師が間違っていたことにはならない。そのためにはさし当たって医賠責を青天井にし、費用はすべてそこから払うことにする。保険料は健康保険の保険じゃから徴収し、最終的には健康保険料に上乗せして徴収する。
医療訴訟がどんどん起これば、医師は訴えられてもめげることはない、つまりそれが当たり前になる。医師の名誉が傷つくわけでは決してない。弁護士さんも仕事が増えて万々歳。
そして健康保険料が高騰した時き初めて国民は考えてくれるでしょう。
医療訴訟のばかばかしさを。

> No.357 うらぶれ内科さん
それも一つの選択肢でしょう。今回のように産科医療と小児科医療が崩壊し、実際に患者、妊婦たちが路頭に迷っている・・・こういう形にならないと日本国民というのは気づかない人種なのかもしれません。それならそれで崩壊させるというのも一つの選択肢です。

要は、民事訴訟の原則を守り(という言い方が合っているかどうかは解りませんが)少しでも当事者たる患者(決して世の中の患者すべての為では無い)に有利にさせるを大事とするか、将来の医療の為に、すなわちすべての患者たちの未来のために民事訴訟は医師ならほとんどの人間が納得するような過失以外はすべて賠償はゼロまたは少しでも過失があれば少額賠償とするかの二択になるでしょう。
前者は潜在的に将来の医療を暗いものにするでしょう。それに気づく人と気づかない人がいますが、これはアメリカの例を見ても確実です。
もしそれ以外の選択肢があれば教えていただきたいのですが、私の頭ではこれしか思い浮かびません。

No.316 YUNYUN さん

悪質な印象操作、プロパガンダに対して断固反論します。ルールは不公平だし、ジャッジは依怙贔屓です。

いいですか。自称医療過誤被害者は、医師の超人的努力と低賃金での奴隷的拘束によって成り立っている世界一の水準の医療を低コストで享受していながら、自分が「医療過誤」に遭ったことにすれば、それだけで億単位の賠償請求を医師にふっかけることができます。根拠があろうがなかろうが、とにかく裁判さえ起こせば医師は「被告」のレッテルを貼られ、報道で徹底的に悪者扱いされます。それだけで相当のダメージだし、医師は否応なしに裁判に付き合わされる。それに時間をとられて他の患者さんが迷惑するから、泣く泣く、訴訟前に金を払っておしまいにする医師もいるでしょう。ヤクザにショバ代を払う構図と同じです。

ジャッジは、実際に過失があろうがなかろうが、とにかく患者が死んでいれば、又は後遺症があれば、過失ありと断じて超高額な賠償を命じます。これも説得的な説明がないけど、80歳の無職老人が亡くなっても億単位になるのが珍しくない。どうやったらその老人が1億も2億も稼ぐのか、これから何十年も元気に働くはずだったとでもゆうのか。まともな感性の人間には説明できないです。

あと、裁判では「100人の犯人を逃がしても1人の無実の者を罰するな」とゆう思想があり、実際、かなり胡散臭い奴でも無罪になることがある。ルーシー事件なんて、ルーシーさん一人だけについてやってないなんてことは現実のところないだろうけど、とにかく証拠が少ないから、その件については無罪にしました。これは一面では融通がきかないと思うが歴史的に見れば落ち着いた考え方であり間違ってはいない。しかし医者に対しては突然牙をむき、この落ち着きはどこへやら、患者の死亡とゆう結果さえ生じていれば敗訴、有責、犯罪者の魔女狩りです。民事と刑事は違うとかゆうけど、民事で敗訴したとゆうことは過失があったとゆうこと、過失があって人が死んだのだから業務上過失致死とゆうことですから、民事で医師を敗訴させるとゆうのは、犯罪者の烙印を押すに等しいです。起訴しないからいいってもんじゃないです。法律家は、裁判所は国家、検察官も国家であると。その国家から「お前は業務上過失致死をした犯罪者だけど、刑事裁判にかけるのは勘弁してやろう」と宣告された医師のプライドはどうなりますか。それでもやる気を出せとゆうのですか。

そして、自称医療過誤被害者は、依怙贔屓なジャッジの助けにもかかわらず敗訴した場合でさえ、何のペナルティも負わない。自称医療過誤被害者とその弁護人が、医療過誤冤罪被害者である医師に対し、謝罪と補償をし、名誉回復のための謝罪広告や記者会見をしたことありましたか。一度たりともないですね。YUNYUN さんは、多くの事件で患者側が敗訴すると仰る。年間数百人敗訴なんですね。10年で数千人が、医師を医療過誤冤罪被害に合わせたわけですね。その数千人のうち、また、数千人を代理した弁護人のうち、ただの一人たりとも、冤罪被害者の医師に対する公的・対外的な謝罪と弁償をしてませんよね。これが事実なんです。

不当にも被告の立場に陥れられた医師は、最大限の労力を費やし、依怙贔屓なジャッジですら患者側を勝たせられないほど完全な判定勝利をおさめても、それで得るものは何もありません。むしろ、病院側弁護士に対して報酬を払わないといけない。完全に勝利した場合ですら、経済的にはマイナスなのです。

自称医療過誤被害者から見ると、安全地帯から一方的に攻撃を加え、成功したら儲けもの、たまに失敗しても痛くも痒くもない。ノーリスクハイリターンとはこのことだ。病院側は完全勝訴しても弁護士報酬は払わされる。

さあさあ、これのどこが「公平」なルールだとゆうのですか? どっちに転んでも弁護士は儲かるからいいのでしょうが、あまりに不公平、不正義としか言いようがないです。

弁護士は金儲け目的じゃないとかゆう人もいましたけど、それが本当ならさらに病根は深いです。「自分こそ正義」と鼻息荒くして周囲が見えないタイプの人間だってことですよね。それは既に宗教活動ですから医学の領域に介入しないで欲しい。無理だとゆうことだから単なる願望です。裁判官にしたって、病人の表情から「医師の悪事を暴くことこそが私の人生に課せられた使命だ!」と思いこんでしまったり、服を汚したといってクリーニング店相手に数十億円の訴訟を起こして、あろうことかそれを自分で裁いてしまうような、いわゆる「痛い」人々でしょう。ある意味ピュアだが、本当に痛すぎるし、彼らが強大な権力を持っているとゆうのが恐ろしい。「本当は怖いグリム童話」どころじゃない。

大体、「ルールが公平で、ジャッジも依怙贔屓していない」なら、なんでこれだけトンデモ判決だらけになるんだか、全く説明がつかないです。法律家は、この時点で論理が破綻していることに気付いた方がいいのではありませんか。リングの整備がどうとか、小手先をいじってどうにかなる次元ではありませんよ。

>魔神ドール様
 はぁ・・・(ため息)。悪いけど、ここでそう言うしょうもない主張しても意味無いですよ。
 そういうことは2chかm3でやってください。

ジャッジは、実際に過失があろうがなかろうが、とにかく患者が死んでいれば、又は後遺症があれば、過失ありと断じて超高額な賠償を命じます。

 あほかっつうの。
そんじゃ
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070427151335.pdf
この判決はどう説明するの??かの高名なるF判事の判決ですけど?
お得意の「たまたま」ですか?
これ以外でも原告敗訴の判決は60%にも及ぶんですが?

 悪いけど、あなたここで「議論」する資格無いよ。前にも言ったけど半年ROMしてもうちょっと虚心坦懐に他の人の意見を読んだ方が良い。
 基本的にあなたのやってることは議論ですらないし。
 議論って言葉の意味知ってますか?他の人の意見を聞かずに自分の主張だけすることをなんて言うか知ってる?「クレーマー」っていうの。あなたのやってることはクレーマーそのものなんだけどね。

ついでだからもう一つ。

医療訴訟問題に関して、医師側のバイブルといえる本があるんだけど読んでます?
虎ノ門病院泌尿器科、小松秀樹先生の「医療崩壊」って本なんですけど。

そこから引用しますね。

「いくら話したって、お前じゃラチがあかないんだよ、店長を呼んでこい店長を。さもなきゃ土下座して謝れ、この野郎」〜中略〜会話の相互性は以下のように表現される。「君が私に話したいとき私は君の話を聞くのだから、私が君に話したいときも君も私の話を聞くべきである」あるいは「君が私の話を聞きたいとき私は君に話すのだから、私が君の話を聞きたいとき君も私に話すべきである」
 会話の相手の独立性の承認は以下のように表現されている。
「自己の目的と関心を追求する独立せる人格として互いに相手を尊敬し配慮すべし」

八重洲ブックセンターでレジ係に対し、大声で一方的謝罪要求をした男は、相手の言い分を聞こうとしない。相手を独自に判断できる主体として承認していない。この謝罪要求は、会話ではなく、威嚇とでも言うべきものである

で?あなたの議論は相手の言い分を聞いてますか?

No.360 僻地外科医さんが紹介された判決文
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070427151335.pdf
39ページの下から7行目、「こうした状態が現に存在した以上、」の直後からその段落の最後まで、フォントが小さくなっているのはなんでだ? (ボソ)

No.359 魔人ドールさんのコメントについて。

コメント全体については特に申し上げることはありませんが、以下の記述に関して。

> 病院側は完全勝訴しても弁護士報酬は払わされる。

たとえば、「医療を司法の埒外におくというのは論外にしても、今のあり方は応訴負担が大きすぎる。せめて勝訴の場合には事後的にでもいくらか負担を回復できればまだマシなのだがなんとかならないのか」というのはもっともな考えかと思います。そこから出てくるのは敗訴者負担制度なのですが、法案として論議されたものの、日弁連をはじめとする各方面からの大反対により廃案となりました。
行政訴訟やいわゆる公害訴訟といった類型の訴訟において活動された弁護士の方々の意識からすれば、当然反対の声が大きかったことは理解できます。そして、以前から医療関連の訴訟に携わってこられた弁護士の方々の意識はそれらと連続的なものがあったのではないでしょうか。ただ、「あなたは、裁判で勝てるかどうかわからなくて、もしも負けたら最後に相手方の弁護士費用まで負担しなければならないとしたら、それでも、裁判をするという気になりますか?」※という問いかけに対して、医療サイドとしては「こっちは負けたら医師として破滅しかねないんだから、そっちもそのくらいは覚悟してくれよ」と言いたくなりはしないでしょうか。

法曹の皆さんとしては、あれはやはり不当訴訟や費用倒れの防止という一応目的とされていた効果以上に弊害が大きいとお考えでしょうか。

http://www.aiben.jp/page/frombars/topics2/156haisosha.html

ひ さま

魔神さんのスタンスについては一度コメント済で、それに尽きるので基本ヌルーでしたが。パイルダーオーフ!

が、しかし、被告側の応訴負担の指摘は、私も正論だと思います(以前から思っています)。

被告側だけでなく、原告側にとっても、訴訟提起・追行、そして執行までのハードルは非常に高い。

実体法(民法や刑法)では、 “If A, then B.” と、一定の事実が発生すれば直ちに権利が実現するかのように書いてあるけど、現実にはまったくそんなことはない。
必然的に一定のコスト(時間・出費)がかかることによって、原告側/被告側のいずれに対しても、損益分岐点を下回る場合には、泣き寝入り(原告側)や、和解金の支払(被告側)などの不正義を経済的に強いられることになる。
# そして、そのコストに寄生してメシを食っている連中、と司法関係者が非難されることがあるわけですが、他人の手と頭はタダではないことを知っている人は、その多寡を問題視することはあっても存在自体を問題視することはないと信じます。聞いてますか魔神ドールさん?

そして、司法制度における「被害者」(刑事:誤認逮捕・起訴され無罪になった被告人、 民事:理不尽な訴えをふっかけられたが請求全部棄却を勝ち取った被告、等)に対して、補償・救済の制度はあるものの(刑事:刑事補償、 民事:濫用的提訴による不法行為)、自分がその立場に置かれたら到底満足するはずないだろうな、という額あるいは基準でしかない。

医療問題の枠をはみ出た、司法制度全体の歪みだと思っています。
どうすれば効果的に是正できるか、の具体案までは考えついていませんが。


ちなみに私個人は、訴訟費用敗訴者負担制度には、賛成。制度としてあってよい。運用があまりに原告側に過酷になることによって萎縮効果が目に余るようであれば、細かい制度設計や運用方法を調整すれば足りるはず、と考えます。
日弁連・各地方弁護士会の見解は、「泣き寝入りする弱者」の側の視点に偏りすぎてて、バランスが悪いと思ってます。身に覚えもないのに一か八かで請求をふっかけられる側の不利益との考量がなさすぎ。
# いや、考量した結果の反対意見かもしれず、政治的に反対する以上は一面的なキャンペーンを張らざるを得ないでしょうから、表層的な批判かもしれませんが。

> 私個人は、訴訟費用敗訴者負担制度には、賛成。制度としてあってよい。
> 日弁連・各地方弁護士会の見解は、「泣き寝入りする弱者」の側の視点に偏りすぎてて、バランスが悪いと思ってます(No.364 fuka_fuka さま)

以前の議論は、大企業(経済財政諮問会議に呼ばれるような)が、PL法などで訴えられたくない という意図があまりにも露骨でしたから、あれは潰してよかったと思ってます。

本来的な弁護士費用敗訴者負担の議論で言えば、
明かなイチャモン訴訟について、制裁的に裁判所が特別に弁護士費用の負担まで命じるというようなのは考慮の余地があるとしても、
一律に敗訴者負担とすることは、私は反対です。
原告にとって、勝てば完全に費用回収できるメリットがあることよりも、提訴のハードルが高くなることの弊害のほうが大きいと考えます。

これは、弁護士の立場によっても回答が分かれる問題でしょう。
医師に外科医と内科医の区別があるように、
弁護士の中に専門はないのかというご質問がどこかのエントリで出ていましたが・・・
弁護士の中にもある程度の色分けはあります。

fuka_fuka さまは企業法務中心の事務所にお勤めです。
つまり、企業が契約に反して代金を払わない消費者相手に請求訴訟したり、
> 身に覚えもないのに一か八かで請求をふっかけられる
という事件を受ける弁護士さんです。

対する私は、一般民事を扱う個人事務所であり、企業のお客様(除・個人商店)はほとんどありません。
訴えてやりたいけど、弁護士費用が用意できないので諦めて、相談だけで終了することは、結構あります(法律扶助は要件や手続きがうるさくて、全件扶助が当たるわけではないので)。
まして、自分の弁護士の費用ばかりか、敗訴したら相手方の弁護士費用も負担しなければならないというのでは、提訴のハードルはぐっと高くなるでしょう。特に、必ず勝てると解っている事件はほとんどないこと(司法の、というよりこの世の不確実性)を思えば。

ところで、現行の弁護士費用の当事者負担制度は、イチャモン請求など、私が受任したくないような相談者を追い払う手段にも使えるのですよ。
弁護士費用なら100万円とか500万円とか、ふっかけることができますが、実費費用(訴状印紙、郵券代)だけではインパクトに欠けます。

 訴えてくれはいいけどねー まずは私の着手金を払ってもらわんとねー 指一本動かせまへんな 後払い?分割払い? 私はそんな安い弁護士と違う、おとといいらっしゃい!

という趣旨のことを、もっと穏やかな表現で説明して、お引き取り願っております。

ひ様

弁護士の端くれとして私も一言。
既に、fuka_fuka先生とYUNYUN先生が、それぞれのお立場から解説を加えられていますので、私の個人的見解を申し上げますと、YUNYUN先生と同じく、敗訴者負担制度は反対です。
私が原告となるべく側の相談を受けた際には、「弁護士費用をかけてまで訴えるメリットがあるか」を常に依頼者に意識させるようにしています。いわゆる「費用対効果」ですね。したがって、勝ち目のうすい事件、勝訴しても得られる金額が少ない事件、はたまた、勝訴して莫大な金額の支払いを勝ち取れる事件であっても、被告(相手方)に財産はなく、判決が「絵に描いた餅」になる場合などは、訴えを提起することを改めて考えるよう話をしています。

このしばりがなくなるとどうなるか?
私が考えるに、今まで以上に訴えを提起される場合が多いように思えます。というのも、
1 訴えを提起するかどうかの段階では、相談者は「先生!負けてもいいから、勝つ可能性が少しでもあれば訴えてやつ(注:相手方)を懲らしめて下さい。」
2 原告敗訴の場合「あんた(注:原告弁護士)が勝つからと言ったので訴えを提起したが負けてしまったので費用はあんた(注:原告弁護士)が負担しろ!」と言われかねないと考えるからです(もっとも、これは私の経験に基づく推測であり、法曹の間でも異論があると思います)。

さて、医療過誤訴訟の場合ですが、これも予測に過ぎませんが、敗訴者負担制度が導入されると、訴えを提起される場合が多いと推測されます。医師の先生方がお嘆きのように、医療過誤訴訟が医師に過失ありとして損害賠償が認められた場合、莫大な金額になることが多いです。そうなると、訴えを提起する側が、「一か八か」と考えてもおかしくないと思われます。

以下はつぶやきです。
それにしても、魔神ドールさんの書き込みの熱意は感動的ですね。どなたかが書かれていますが、本業ではきっと熱血漢のある患者さんにとっていい先生なんでしょうね。ただ、もう少しこのブログでの議論を前提にお話をしていただければなあと思ってます。

医療についてだけ言えばの話ですが・・・。

明かな過失であれば被告負担はある程度は仕方がないのかなとは思います。ただ、民事の場合、賠償金の中に弁護士費用も含まれていると解釈できないのでしょうか?黒字の病院はともかく、大病院はほとんど赤字です。経営が怠慢なわけではありません。先進的な医療や高度な医療を行うと赤字になります。そういう意味で私はむやみやたらと高騰する賠償金について問題意識を持っています。

しかし、過失が明らかでない場合については・・・これは反対です。医師側が悪くない、通常の医療行為において起きた合併症や偶発症についてなぜ医療側が負担しなければならないのでしょう?

でも、確かにnukiさんのおっしゃる問題もあると思います。今までこういう考えだったけど・・・・もっと勉強してみます。

訴訟や、その対策のマニュアル化でがんじがらめにされ、医療はホルマリン固定されるでしょう!?

医療の世界で常識が覆ったことはいくらもあります。それによって、
「今までの正しい治療法」→実は「やってはいけなかった治療法」であったのか!!がっくり、どうりで成績よくなかったわけだ…。あるいは、「がーん、今まで苦労して実は病状を悪化させていたのか!」ということが時々あります(例:先天性股関節脱臼の治療)。

そうすると、最初にマニュアル通りしなかった医者がいる訳です。その人は後に賞賛されるのですが、実は物事をマニュアルどおりにしない確信犯であったりするわけです。或いは、怪我の功名で「イヤー大きな声ではいえないのですが、治ったのは実は研修医が量を10倍間違えましてね(抗がん剤)」と言われることもあります。

医学とは、一般の人が考えるように、まだ十分進歩していないのです。たとえて言うなら、未開拓の広大な西部の土地にほんの少し入植者が入った状態と言えるでしょう。あるいは、今の医学の常識は未知の領域の大海に浮かぶ小船に乗っている猫の、たったその額ほどの範囲でしかないといえます。

一般の方は、以前に比べこれだけ分かってきたのだから、結構研究し尽くされてきているのでは?と考えるようです。実は、1つ疑問が解決すれば、2つ3つ新たな疑問が出来るのです。だから、法医学者の見解が分かれてもそれは当然だと言う気がします。本質はまだまだ未解明なのです。

No.368 不思議の医療のアリスさん

>怪我の功名で「イヤー大きな声ではいえないのですが、治ったのは実は研修医が量を10倍間違えましてね(抗がん剤)」と言われることもあります。

結果オーライはありえても、あなたのいうような状況で結果が悪ければ、当然責を負います。当然過ぎる過失なので、あなたの側に付いた弁護士も示談/和解を勧告することになるでしょう
訴えられたら刑事罰も喰らうかもしれません。

我々医療人が『結果責任を負いたくない』と主張する前提として、『プロセス責任を全うしている』という保証がなければなりません。

医療という不確実な世界で仕事をする限り、自分たちの仕事の正当性を自ら担保するには、その仕事の過程が正しいということを何らかの方法で証拠として残し、患者・家族に過程ごとに納得させるのが正当な方法です。

怪我の功名の次は、塀の中かもしれないことを強く自覚してください。

理論武装が脆弱なのに批判を呼ぶような議論を吹っ掛けるのは、このブログでは御法度
我々、医療側の者が悲しくなるような投稿は控えるか、もう少し吟味して頂きたい

怪我の功名の影に、数多くの犠牲者が出ることを反省することなしに医療の進歩はありえません

あなたのような人には、ヘルシンキ宣言を一度読み直してもらいたい。
読んだ感想をお待ちしています。

No.368 不思議の医療のアリスさん
No. 369 Med_Law さん

確かに今の世では,不思議の医療のアリスさんが書かれたようなことは認められないでしょう。しかし一方で,これまでの医療の歴史の中ではそのようなことから発見された事象が存在するのも事実です。医療においてこういったことをばっさり切り捨ててしまうこともできないのではないでしょうか?
もちろんあくまでaccidentalに起こったことに限定しての話ですが.

現在では廃れましたが,心臓の手術などで大量モルヒネ麻酔(その後は大量フェンタニル麻酔)という麻酔法が用いられていたことがあります。この麻酔方法は,研修医が投与するモルヒネの量を(確か)10倍だったと思いますが間違えたところ非常に安定した循環動態を得ることができたことから始まっています。その後,この麻酔法で重症の心疾患患者の麻酔の危険性がかなり軽減されました。まさしく不思議の医療のアリスさんが書かれていたようなことがかつてあったのです.

>No.368 不思議の医療のアリスさん
>No. 369 Med_Law さん

みなさんもうご存知とは思いますが、お二人のコメントに関連が深いと思いましたので下記のホームページを貼らせてください
http://neuroendocrine-tumor.cocolog-nifty.com/pancreac_endocrine_tumor/

刑事ではどうかわかりませんが、民事では「遺族のどうして死んだのかを知りたいと思う気持ちをかなえる」べきだとは思います。民事訴訟が今後どんどん起こされることを止めることなど意味がありません。そして、どんどん医療者が負けるでしょう。それは受容できます。

しかし、この状態に耐えるにしては医療費が安すぎます。訴訟のコストを織り込んだはるかにはるかに高額な医療費設定がされないかぎり、誰がこのような奴隷的苦役を甘んじて受けるでしょうか。ご遺族の気持ちを尊重するだけでは世の中は回りません。医療費が上げられない限り、もうどうなっても仕方ありません。

ただ不当な訴訟には声を上げて糾弾しつくします。

P R

ブログタイムズ

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