医者とおぼしき魔神ドールさんが司法制度を批判しています。
その主張を要約すると、「司法には医療を理解し医療事故を適切に判断する能力はないのだから、司法は医療事故に介入するのをやめろ。」ということのようです。
そこで、民事医療過誤訴訟の現状の手続の流れを踏まえつつ、魔神ドールさんの主張を採用したらどうなるかを少し考えてみました。
まず、司法(民事訴訟)が起動するためには、紛争当事者の存在が大前提として必要です。
さらにその前提として、医療過誤訴訟が起こるためには、医療事故が発生することが必要です。
ここで、「医療事故」というのは、医療行為の結果、患者が期待した効果が得られなかった場合において患者または遺族から見て「医療事故」に見える場合のことを言います。
そしてその原因が患者側から見て、医療側の故意または過失によるものであると見える場合に患者側から見て医療事故は医療過誤になります。
このような事態が生じた場合、魔神ドールさんは、
先ず、過誤が本当にあれば、医師ないし病院が適切な額の賠償を自発的にしていますよ。
と主張されます。
しかし、この主張は、「医師から見て過誤がある」ことを前提としており、患者側から見て「適切な額」であるかどうかの問題意識が欠落しています。
患者側と医療側の見方に違いがあれば、紛争は顕在化し当事者間のみにおける話し合いが困難になります。
また、非医療者側(決して司法側という意味ではありません。患者側と一般市民という意味です)から見て、大多数の医療側が「先ず、過誤が本当にあれば、医師ないし病院が適切な額の賠償を自発的にしていますよ。」とは到底考えないと思います。
不信感があれば紛争が生じるのです。
医療側が「問題はない。」と言ったとしても、患者側が「問題がある。」と言えば、そこには問題が存在するのです。、
要するに、魔神ドールさんは、世間の紛争の原因と実態というものを理解していません。
そして、問題があると考えた患者側がどうするかと言いますと、司法側の一員である弁護士に相談します。
現状では、相談を受けた弁護士は、可能な限りの調査をした上で勝訴の見通しを検討して受任するかしないかを決めていると思いますが、この段階で、司法の一員である弁護士が医療事故に介入しないということが何を意味するかと言いますと、
医療事故については、検討するまでもなく受任しない。
ということになると思います。
これは個々の弁護士のポリシーの問題としては何の問題もありませんが、およそ弁護士は医療過誤訴訟を受任してはならないということにしようとしますと、相当問題があります。とりあえず話を進めます。
弁護士から受任を断られた患者側はどうするかと言いますと、裁判をすることをあきらめる人も多いと思いますが、自分で勉強して損害賠償請求訴訟を起こす人もあるはずです。
民事裁判は、弁護士に頼まずに自分でやっても(本人訴訟と言ってます)法律上は何も問題はありません。
民事訴訟が提起されますと、その後は裁判所の対応が問題になります。
魔神ドールさんの言う「司法」というのはたぶん裁判所のことだろうと思います。
で、民事裁判において、「司法(裁判所)が医療事故に介入しない」ということが何を意味するかと言いますと、裁判所は原告たる患者側の主張に対して判断しない、ということを意味することになると思います。
ということは、患者側の主張は認められないという意味で、患者側は裁判を起こしても文字通り常に負ける、ということになります。
これは結論的に言えば、患者側は医療事故紛争において、裁判所における法的救済の可能性がなくなる、ということを意味します。
法的救済の可能性がない患者側はどうするでしょうか。
ここでも泣き寝入りをする(少なくとも患者側の主観としては)人もいるでしょうが、泣き寝入りをしない人もいるはずです。
泣き寝入りをしない人はどうするでしょうか。
法的救済の可能性がないならば、非法的救済の可能性を探ることになります。
そして、非法的救済手段として真っ先に思い浮かび、かつ有効な手段は、暴力団を使うことです。
医療事故が起こったときに、医療側だけで患者側と対応して、常に患者側の納得が得られる解決を図ることができる能力が医療側にあるのであれば、そもそも司法が医療事故に介入する必要がありません。
しかし、現実問題としては、理不尽な要求をする患者側も存在するのですから、そのような患者側の存在を前提にすると、常に患者側の納得が得られる解決ができるわけがありません。
そして、理不尽な要求をする患者側というグループが最も泣き寝入りをしないグループだと思われます。
以下は魔神ドールさんに対するレスになりますが
裁判所における民事訴訟以外の紛争解決制度を考えることなしに「司法は医療事故に介入するな」ということは、医療側と患者側との揉め事が起こったときに、患者側の弁護士や裁判官を相手にするより、患者側の暴力団を相手にするほうがいい、というのと変わりありません。
このブログで発言されている医療側の皆さんは、以上のようなことを前提問題として理解した上で発言されています。
そして、基本的に他の人の発言に対して耳を傾けるという姿勢を持っておられます。
そろそろこのブログの空気が読めてきてもいいのではないでしょうか。
現実におきたのは、むしろ、暴力団ではなく、刑事手続きの発動だったと思います。
民事訴訟は、紛争解決のための手段であり、医療事件については、適切な手段ではなく、このことは、患者側の弁護士が一番理解しています(専門家ですから)。
魔神ドールさんが把握されていない経緯ですが、たとえば、患者側の弁護士の代表格の一人である加藤良夫弁護士は、ずいぶん前から、「医療事故被害防止・救済センター」等の紛争解決も含めた構想を提唱し、運動を行ってきました。しかし、医療側の協力が得られず、実現しませんでした。このことは例えば、小松秀樹著「医療崩壊」の30頁以降等にも記載されています(別の代表格の一人である鈴木利廣弁護士も同様です)。
その間に、患者・遺族は、相対的には真実発見の強制力が強い刑事手続きの発動を促し続け、刑事手続きが動くようになってしまいました。
もともと、弁護士は刑事手続きの発動については抑制的ですから、患者側の弁護士の多数は、この結果を望んでいたわけではありません。
>現実におきたのは、むしろ、暴力団ではなく、刑事手続きの発動だったと思います。
このエントリは、司法が介入しないとすれば、という前提の非現実的シミュレーションです。
そして、このエントリは民事編ですが、司法の不介入ということは当然刑事司法の不介入をも意味するはずですので、民事訴訟もだめ、刑事告訴もだめということになりますと、残る有力なオプションは、暴力団ということになってしまいそうです。
そして弁護士を含む司法の完全不介入ということになれば、(他の紛争解決制度が整備されていないという前提では)暴力団の介入を不当と見る考え方の説得力が失われます。
要するに、医療事故を治外法権化するとどうなるか、というシミュレーションです。
モトケン先生
わかりやすい解説をありがとうございます。勉強になります。
次は、刑事編ということでしょうか?
期待しています。
とくに、医事紛争については、刑事訴追はできないシステムの国(州?)もあるかと聞き及んでおります。
とにかくカネが欲しい者は暴力団を使うかもしれませんが、私は、今以上に、より直裁に実力(武力?)行使に出る者が出てこないか危惧します。
モトケンさんの設定では、弁護士としては、「日本の法律では損害をお金に計算して裁判等で請求するしかありませんよ。」というアドバイスもできないわけで。
弁護士として、相談者をなだめる術を一つ失うと思います。
請求される側からの視点です。
我々は、いわゆる不当要求事案については、なるべく裁判所の手続に乗せようとします。
これにより事件屋等の介入を排除できるからです。
たとえば交通事故の加害者の代理人になった場合、事件屋等の介入があるとき、あるいは事件屋等の介入がなくても本人からの不当な請求がしつこく何度も続くようなとき、加害者側から裁判所に債務不存在訴訟を提起することもあります。
一切支払う義務がないとか、○円以上は支払う義務がないとかを、裁判所に確認してもらうのです。
モトケンさんの設定では、それもできなくなりそうです。
#それから、魔神ドールさんは、無条件に司法は医療事故に介入するなと主張しているのではないと思うのですが。
司法権の及ぶ範囲というものを、考えたときにまず除外されるものは
1 部分社会(家庭内の裁量、自治組織内の裁量など)
2 宗教の優位性、芸術の優位性、学問理論の優位性
3 国家機密に類するもの、軍事類似行為、外交など
4 具体的な事件性や争訟性のないもの(原告適格性含む)
5 高度に政治的な内容(統治行為論)
などが挙がるだろうと思います。
そして次に挙がるものとして
6 高度に専門性があり、理論的実務的に過失性の判断が困難なもの
があるのではないでしょうか?
ですから、筋としては、専門性を理解できる特別裁判所を創設して頂きたいし、その為には、憲法を変えなければならないと思います。
これは、空想ではなくて、夢想なのですが、第76条第2項を変えて、『高度の専門性を有する領域の紛争で、裁定に当たって、高度の知識や実務経験を必用とされる紛争解決組織として、専門性裁判所を置く』とでもして、医療裁判等をあたらせて欲しいと思います。そこでの判事や代理人には、法曹資格者以外に専門職組織から推薦させた専門家を置くと良いと思うわけです。
あくまで、夢想ですから、筋を通した話なんです。
それまでの間は、既存の医道審議会を拡充して十分な予算措置をとって、医療事案に対する取り扱い事務機能と、専門的な調査機能と、迅速な処分機能を与える。そこには、医療職と法曹資格者を含めた専門官を配備し、そのための法整備をするという考えです。行政審判以上の機能を持たせ、民事訴訟に前置させ、公式の鑑定力を持たせるという方向です。法的整合性は専門でないのでよく解りませんが。(他にもどなたかが言ったように、医師会の賠償責任審査会・医事紛争処理委員会をドイツ型の鑑定・調停機関として再編する案や、付調停による合意または調停に代わる決定案でも良いです。)
現存の医療訴訟が集中部などの確立により、以前より機能的になっていることも、鑑定の選択や、三者協議など工夫をしていることは見ていますが、やはり医療専門家のリーダーシップがないと、医療事案に関しては、紛争解決能力が劣ると思います。
さらに言えば、現行の司法制度は、医療紛争解決能力が低く、われわれの言うところのトンデモ判決を続発させるなど、法曹側の過誤の重過失性が際だってきてはいませんか?
法曹の介入によって、明日は我が身と考える現場の医師達の逃散が始まるなど、我が国の医療の混乱と崩壊を引き起こす主要因となっています。また、患者側弁護士や検察によって、現場の最前線で誠意を持って患者に対応している医師達が選択的にねらい打ちにされているのが今日の医療の実態です。
WHOのhealth report 1998でも明らかなように、日本の医療は、医療費抑制政策のもとで世界最高と言って良い医療水準を保持している。この医療水準は、抑制された診療報酬、不十分な施設整備状態、人員の不足の元で、医師達の犠牲によって、かろうじて成立していたのが実状なのです。 そしてこの医師達の士気をくじかせているのが、不当逮捕であり、不当判決なのです。
ですから、法曹に於いては、紛争処理が業務だからと言って、理解困難な医療事案を安易に判断判決し、医療崩壊を起こすことは止めて頂き、その点に置いては無能力であることを素直に声明して欲しいと思います。
(ここでは、医師側の自浄作用不足の点は、割愛します。)
少なくとも(大半の)裁判官には、既得権益を守るために自分たちの守備範囲を狭めたくない、というような考えはないと思います。
憲法を改正して特別裁判所を設置して、そこで医療紛争を裁くということになれば、裁判官は喜んでその改正を支持すると思います。
しかし、現状において、裁判官の職務・職責として医療事故の裁判をしなければならない以上、裁判官が自らの無能を認めることなど死んでもしないでしょう。
それこそ司法の自殺に他なりません。
裁判官が裁判するということは、裁判官の権限であると同時に義務なのです。
裁判しろと言われて、しませんと言うわけにはいかないのです。
そして裁判というのは権力作用だということをお忘れなく。
権力作用として裁判する義務のある裁判官が、「いや〜、私実はこの事件で裁判する能力がないんですよ。」なんて言えるわけないでしょ。
裁判官がそんなことを言えば、それは裁判の体をなしません。
その裁判で負けたほうがどう思うか考えてみればおわかりかと思います。
そして裁判官ないし裁判所にどの程度のまたはどの範囲の権力行使を認めるかという問題は主権者たる国民の判断に基づきます。
すでに意見が述べられていますが、座位 さんの主張の相手方として適切な相手方は司法ではありません。
ただし私は、問題のある裁判官、思慮の足りない裁判官(などの法曹)が少なからず存在すること、それによって医療崩壊が加速していることを否定するものではありません。
現時の司法制度、または司法制度運営に問題があるならば、それを改善しなければいけないというのは、私(や他の司法側コメンテイター)の当初からの基本的な考え方です。
そこで、お互いの大人の知恵というものが、出てこないんでしょうか?
先ほどと違って、トーンダウンしますが、
検事長合同の場で、検事総長が、医療訴訟に関しては慎重に立件するべしと訓示したとかしないとかも、これは確かに立派な大人の知恵だと思います。地方にまで徹底されるかどうか、訓辞の詳細にもよります。
判事に関してはどうでしょうか?最高裁の設置したた医事関係訴訟委員会は、有効に作用しているでしょうか?鑑定人の選出だけで終わってないでしょうか?専門委員は有効に作用しているでしょうか?医療職の専門委員を争点整理、証人尋問、和解の場でどれほど活用させていますか?患者側が嫌がっても専門医委員の出席や説明は義務化させるべきではないですか?
厚労省の管轄である医道審議会は、どうでしょうか?予算大幅増額の申請をしていますか?少なくとも、もっと迅速に、各月毎に処分を公表してはどうですか?判決後に動いてちゃ駄目でしょう。
医師会は、勤務医をおろそかにしていませんか?政権に媚びを売ってるだけでは第二医師会が出来てしまいますよ。日弁連真っ青の自治組織になる気はないんですか?
いろいろ、上記のような関係者による手だてはあるだろうとは思います。
>いろいろ、上記のような関係者による手だてはあるだろうとは思います。
それを議論したいと思います。
なお、検事総長の訓示の問題は刑事編で触れる予定です。
No.7の座位さんの一連の「?」事項は、どれも至極ごもっともなもので、しかも現実的なものです。
裁判所と厚生労働省に対する「?」事項は、政治の問題だろうし、突き詰めれば、主権者たる国民が騒ぐ問題でしょう。
ま、そんなこと主権者たる国民には期待できないんで、座位さんがここで一生懸命に訴えかけているんでしょうけど。
誰かが圧力をかえればいい話なんで、もっと医師会が頑張れないんですかね。
(議論が堂々巡りする危険が・・・。)
医師会に対する「?」事項は、医師会会員が騒ぐ問題でしょう。
>政権に媚びを売ってるだけでは第二医師会が出来てしまいますよ。
どっかの団体では、東京に3団体も出来てしまっていますね。
>日弁連真っ青の自治組織になる気はないんですか?
おぉ。
#医師会のA会員って主に開業医で、B会員って主に勤務医ですよね。
A会員とB会員でどんな違いがあるんですか(会費とか待遇とか違うんですか。)。
スレ違いですね・・・。
それで、弁護士と医師個人について抜けていたので追記しますと
弁護士さんも、国家試験での網羅的な領域の知識や技能というのは確かめられていますが、生涯学習はすすんでいるのでしょうか?医師の専門医や認定医と同様に、専門訴訟に関する(医療訴訟、知財、建築、IT)領域は、認定弁護士制度を作って頂き、その認定を宣伝出来るようにすることで、訴訟の濫造を防ぐようにして頂きたいと思います。勿論暫定処置は必要でしょうし、(あくまで訴訟に関与する為の義務的資格ではなく、宣伝可能な認定制度と言うことで)日弁連内での認定と言うことになるでしょう。
また、医師の側も、数年に一度の医療事故研修を義務化し、医師会からの講師と弁護士さんの講師による医療事故防止関連講座を行い質を高めると言う方法があると思います。
で、ここで、もういっぺん、トーンが上がるのですが、
実は、こうした大人の知恵は建設的なのですが、その徹底には時間がかかるわけです。それで、結局、ガラガラポンで、いっぺん医療崩壊させてリセットした方が良いというのが、実は僕の考えたあげくの(子供の)知恵なんですね。マスコミや国民に医療の必要性をよく知ってもらうのは、それしかないでしょう。
古いビルを修正して立て替えるより、壊して新しく作るのが良いだろうと思います。暴論ではないと思っています。
今朝の新聞を読んだら、「病気がよくならない」と逆恨みして実力行使に出た患者がいましたね。なんと70歳。正直言ってその年齢では、「治らないけどつきあっていける」程度にコントロールするしかない病気が多いと思うんですが。
裁判は嫌いですが、こんな目にあうよりは裁判の方がましです。
>PINEさま
A会員とB会員では会費もかなり違うし、確か賠償保険の金額も違ったと思います。産婦人科医は母性保護法指定医の関係で「医師会に入っているべきだ」となっているそうで、私も指定医をとったとき「個々に医師会にまだ入っていない医師がいるが、入っておくのが望ましい」と面と向かって言われ、一応B会員になっています。全く役に立ちませんが。
>それで、結局、ガラガラポンで、いっぺん医療崩壊させてリセットした方が良いというのが、実は僕の考えたあげくの(子供の)知恵なんですね。マスコミや国民に医療の必要性をよく知ってもらうのは、それしかないでしょう。
こういう選択肢を現実的選択肢の一つとして認めざるを得ないところがこの問題の深刻さであるように思います。
そしてその最大の原因は、司法の無能ではなく、政治の無能だというのが私の考えです。
司法というより、個々の裁判官の能力不足があることは否定しません。
能力不足というより、自分の判決により社会にどのような影響が出るのかという問題意識の欠落のほうが問題だと思っていますが。
となりますと、社会的影響を正面から問題にするのは、司法というより政治の仕事だと思います。
患者さんが、病気が治らないのを医者の所為にするのと
医者が、医療崩壊を、法曹の所為にするのと、
両者は実に、相似してますよね。
政治が悪いって言ったって、政治に善悪はなく、あるのは力関係だけという気もしますしね。一番関わり合いたくないのが、政治なんですけど、今の医師会に変わる医政活動が出来る組織作りにはこれまた時間がかかりそう。
で、頭の中はグルグル廻ります。
(訂正)
No.10の弁護士さんの生涯学習に関する、発言は、実際を知らないので、触れるべきではなかったかも知れません。その点はスミマセンです。
こんばんは。
以前別のスレッドにコメントを書きましたが、実際訴訟が増えて医師が逃げ出したアメリカのフロリダでは医師を訴えることができなくなったそうです。
そこでどういう状態が起きたかというと、医師以外の医療従事者が訴えられているそうです。
病院や医療従事者を訴えることができなければ、日本の医療制度が問題だと国家を訴えたり、製薬会社を訴えたり、そういう違った方向の訴訟が増えるのかもしれないと思いますが、いかがでしょうか?
もちろん、逆恨みの犯罪も増える気がします。
そういう面では適切な判断が行なえる(わたしはいまの裁判はあきらかに患者よりだと思う)第三者機関をつくるのが一番だと思います。
魔人ドールさん
舞台が出来てます。頑張ってカキコしてください。
>PINEさん
一つの解としては、NPO団体の成熟でしょうね。つまり、ある程度の政治的影響力を持ち、組織内の見解を政策として政府に提案でき、社会に反映する能力を持つ組織の誕生を待たなければならないかと。日本医師会もそれができる団体の一つだと思っているんですけどね。
>座位さん
ごもっともなご意見だとは思うのですが、制度作りに関して日本人が学んだ上でないと、ガラガラポンをしたところで同じような制度ができあがってしまうのではないかと思います。
制度作りに関して言えば、看護協会の取り組みは凄いですね。政策を変えられると、本気で思っているあたりが(色々な意味で)凄いです。
看護職者のための政策過程入門
以前、「司法は医療事故に関与しないで欲しい」と発言した者として、一言二言(もっとかな)。
No.9 PINE さんのコメント
>(No.9 PINE さん) 裁判所と厚生労働省に対する「?」事項は、政治の問題だろうし、突き詰めれば、主権者たる国民が騒ぐ問題でしょう。
医療問題に関しては、国民が実際に困るか、困るであろうと自覚しなければ何も変わりません。医療提供者が困っても「奉仕の精神」でスルーです。実際に、産科問題で国民が困りそうになってから、やっと医療裁判の問題も公に語られるようになってきました。
国民に困ってもらう(変な表現ですね)ためには「医療崩壊待望論」も一つの考えですが、司法が医療事故に関与しなくなることで国民に困ってもらい、それによって、より早期に新しい医療紛争処理システムを構築することができるのではないかと考えていました。
>(No.6 モトケンさん)憲法を改正して特別裁判所を設置して、そこで医療紛争を裁くということになれば、裁判官は喜んでその改正を支持すると思います。
という話に近いことも耳に入っていましたので、司法に協力してもらえないか(裁判所は科学上の議論は管轄外として請求を棄却してもらう)という考え方もありかと思いました。
しかし、ほんの数ヶ月で、こんな妄想を抱く必要がない程のスピードで医療崩壊が世間に浸透しています。浸透度はまだまだですが、今では真の医療改革への最短コースでしょう。
>(モトケンさん)非法的救済手段として真っ先に思い浮かび、かつ有効な手段は、暴力団を使うことです。
裁判が法的救済手段にならなければ、「別の法的救済手段を作れ」との国民の声が上がるのではないかと考えていました。
このコメントに関してもう一つ、
「医療裁判が無ければ暴力団が医療紛争に介入する、だから医療裁判があったほうが良い」という論は「グレーゾーン金利が無ければ闇金がはびこる、だからグレーゾーン金利が必要」という論と同じように思います。
(医療裁判を否定しているのではありません。ただ、論としてどうかと)
>No.17 しまさん
看護教育の一つに看護過程というものがあります。どんな業種の人でも無意識に行っている思考プロセスの事なのですが、それをわざわざ教育することは、私にとって未だに意味不明です(私が看護過程の本質を理解していないだけかもしれません)。そこからもじって「看護職者のための政策過程入門」と題したであろうことには苦笑してしまいます。
>モトケン先生
本エントリーを拝読し、「何があっても絶望しない」という先生の姿勢というかご覚悟に対して、純粋に敬意を表します。
その上で申し上げます。先生は
>裁判所における民事訴訟以外の紛争解決制度を考えることなしに「司法は医療事故に介入するな」ということは、医療側と患者側との揉め事が起こったときに、患者側の弁護士や裁判官を相手にするより、患者側の暴力団を相手にするほうがいい、というのと変わりありません。
> このブログで発言されている医療側の皆さんは、以上のようなことを前提問題として理解した上で発言されています。
> そして、基本的に他の人の発言に対して耳を傾けるという姿勢を持っておられます。
> そろそろこのブログの空気が読めてきてもいいのではないでしょうか。
とおっしゃっておられますが、このご見解には異論がございます。
たとえば、医療崩壊について考え、語るエントリ(その10)において、元行政と名乗る人物は次のようにコメントしています。
>>思考実験として、裁判所が医療訴訟に関して受付を中止したら
>おかしな人権団体の連中が騒ぐぐらいで、後はいいことだけなのではないですか。産科医とか救急医とか戻ってきそうですし。
http://www.yabelab.net/blog/medical/2007/01/17-090609.php#c32408
私はこのコメントを眼にしたとき愕然としました。問いかけにある「思考実験」の内容は単に「裁判所が医療訴訟の受付を中止する」であり、そこには当然「代替ADRの設置」や「無過失保障制度の整備」といった条件がございません。この問いかけに対して、この人物はなんの留保や条件もつけずに「いいことだけ」と述べています。そして、その後の議論においても元行政氏は「非法的解決を抑制しているのは司法ではなく警察である」などと論じています。つまり、「一時期は行政官として厚生・医療行政に携わった経験もある医師」と自ら触れ込んでいるこの人物は、
「医療行為に疑問や不審を抱いた患者や患者家族が、いざとなれば警察沙汰に発展し自らが犯罪者になってしまう覚悟で医者と相対交渉に臨まざるを得ないか、その覚悟ができなければ泣き寝入るほかない社会制度のほうが、我々医者にとって都合がいい」
と広言しているわけです。
私は、この発言のあまりの身勝手さに言葉をなくすとともに、たとえ短いものであってもこのような人物との対話に時間を費やしたことに激しい後悔の念を抱きました。そして、「もうこのような人物と二度と対話などするまい」と固く誓うとともに、このままこの人物とのやりとりが過去ログの中に埋もれてしまうことのみをひたすら願い続けました。
しかし、この人物はエントリ「おすすめコメント大募集」において、あろうことか私のコメントを引用しながら「第三者機関」について言及してきました。私は、「たとえ医療過誤の被害を蒙っても、患者はただ泣き寝入っていればよいのだ」というような了見の持ち主が提唱する「医師主体の医事紛争処理機関」を心底おぞましく感じるとともに、このような人物に私のコメントが利用されていることにこの上ない嫌悪感を抱きました。私が二度にわたり「私のコメントをすべて削除してもらいたい」と願ったのは、この出来事があったからです。
「このブログで発言されている医療側の皆さん」が、必ずしも「以上のようなことを前提問題として理解した上で発言されてい」るとは限らない、むしろ上記の人物のように、さんざん訴訟に代替する医事紛争処理システムの必要性や実現可能性の高そうな制度枠組みについて他人に語らせておきながら、「医師に不満を抱く者は暴力団に頼らせるか自ら病院に殴りこませるかして、警察力を以って犯罪者として目の前から排除するか、さもなくばただ黙って泣き寝入らせておけばよいのだ」と言わんばかりの見解を平然と口にする者も間違いなく存在しているのです。
そして残念ながらこの人物と私との対話がまったくの無駄に終わったように、ここに集う医師たちと先生との対話も多くの実りを残すことはないでしょう。結局、彼らの「理系特有の卓越した思考力」なり「全体(時空)鳥瞰能力」とはこの程度のものです。私たちは彼らに多くを期待することなく、粛々と現行制度に基づいて医師の過失を裁いて行くほかないのではないでしょうか。泥臭く、地道に制度改良を重ねながら。
>元ライダーさん
無意識に行っていることを、意識的に学習させる事自体は意味があると思います。それはそれとして、政策過程という用語は存在していると思います。
>an_accused さん
思想信条の自由は権利として誰にでも与えられているかと思います。従って、元行政さんがどのような見解を主張しようとも、それ自体に対しては批判できないと思いますが、いかがでしょうか。見解には見解でもって対抗するべきかと思います。
先の元行政さんのコメントを私なりに解釈するのであれば、医事紛争において「司法は紛争解決の役に立たない」と言う実感を持っているのが現場での元行政さんの印象なのでしょうから、その点に関する法曹関係者の反論を読んでみたく思います。
司法を間に通してスムーズに行くものなのか、行かないものなのか。スムーズに行かないというのであれば、元行政さんが「後はいいことだけなのではないですか。産科医とか救急医とか戻ってきそうですし」と言う感想を抱くのも無理はないかと思います。
ところで、紛争解決に司法が役立たないと言うのであれば、医師の時間外労働問題や、過労死問題の紛争解決に関しても、司法に助けを求めるべきではないかと考えます。
女性研修医の過労自殺、労基署が労災認定…日大付属病院
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070417i301.htm?from=main3
司法に助けを求めても無理というか、もう頼ってる時間はないというのは正しいと思います。司法に頼る必要のない働き方をするしかないか。と
>元ライダー様
要するに「脊髄反射」で物事を行うことを戒めるのが看護過程の考え方だと思います。手順を踏んだ思考方法を初学者に教えるには非常に良い方法だと思います。看護師も医師と同様、基本的に見落とし・ミスが許されない職種ですので、指導方法としては有効だと思います。日本の医師教育法はもともとドイツのギルド式に端を発するものですので、我々にはなじみのないものですが、アメリカ式教育に由来するのが看護教育ですので、この辺に文化の違いがあるのだと思います。
また
これはちょっと違うような・・・。元ライダー様のおっしゃってるのは「必要悪」論ですよね?モトケン様がおっしゃっているのは「法のしばりを無くしたところには無法がまかり通る」と言うことで、必要悪論とは論じている次元が違うと思います。医療裁判が法と離れたところにあるとおっしゃりはしないでしょうし、グレーゾーン金利や闇金が法の枠内にあるとはおっしゃいませんよね?この論を持ち出すことは議論のすれ違いの原因になると思いますので避けた方がよろしいと思います。
>KKさま
その事件を「司法の無力」論につなげるのはちょっと抵抗を感じるのですが・・・。
第一義的としてまず病院の労働管理の問題、次が行政ではないのですか?
>しま様
おっしゃりたい本意は分かるのですが、ちょっと極論ですね(^ ^;。労働法については法の専門家の扱う範疇を超えることはないでしょうし、医療紛争については法の専門家が「理解しにくい・し得ない」部分があるからこの問題が生じてるのだと思いますが・・・。
で、私の私見としては司法が医事紛争に役立たないとは考えません。例えば仮に第三者機関を設けるにせよ司法の介入は「絶対必要」であると思いますし、それ無しでは医療紛争解決が上手く行くことはないでしょう。
大きな問題は現在の医療裁判のやり方であるというのが私の考えです。LMnetの方で法学部の学生さんと論じたことがあるのでそれを引用します。
よくYUNYUN様がおっしゃっていることですが
私はこの原因が現状の裁判の「弁論主義」によるものではないかと思ってるのですが、、、、(司法の方に異論があるのは以前の議論で出てきてますが、あえて再掲)。証拠に関して専門家が直接接し、その解釈について専門家同士で討論(つまり、現状のように弁護士(検事)を介した間接的討論ではなく)した場合、明らかにおかしいものは論破される可能性が高いと思います。その意味で東京地裁で行っているディスカッション方式は不完全とは言え解決策の一端だと思います。
もう一つの問題は医療の社会的限界についてもう少し論じられるべきではないかと言うことです。私はこの点にはかなり不満があります。
「医療に地域格差があること、金銭的・人員的限界があること」は自明の事実なのですが、「地域格差があってはならない。人命は地球より重い」という妄想が世間にはびこっているのが大きな問題ではないかと思います。事実は「医療の地域格差はやむを得ないものである。文句があるならアフリカの発展途上国で暮らしてみろ。」「人命は時として1片のパンよりも軽い」これが事実だと思います(これも極論は承知の上であえて)。医療の金銭的・人員的限界について、医療者側もあるいは政府ももっと論じ宣伝すべきだと思っています。いままでは医療者側も良いかっこをしすぎていた部分があると思います。
みみみ様
>ところで、紛争解決に司法が役立たないと言うのであれば、医師の時間外労働問題や、過労死問題の紛争解決に関しても、司法に助けを求めるべきではないかと考えます。
当方のコメントはこのしま様の一文についての流れとして申し上げたものですので、つぶやき程度に流していただければと思います。どちらかといえば医師向けに「何だかんだ行ってる間に自分の身を自分で守るよう理論武装をしないと…患者の事に構ってる間に自分がつぶれてどうするんだ」とそんな感じの単なる感情論です。
私にとっては、司法はどのような場合でも、なくてはならず、裁判を放棄すると闇になってしまいます。
トンデモ判決の存在は、認めます。私は、現憲法においても、医療専門裁判に関するシステムを構築することが可能であると思うのです。知財高裁のような制度です。判決も個人情報を除き、公開し、現状の医療技術においての医療サービスは、民事責任を問われないためには、どこまでが必要かを医療側と患者側が裁判所と弁護士の協力を得て作っていくことが必要であると思うのです。
私は医療事故である・ない
の例がまずできないものか、と思います。
この医療事故のラインが
医療・患者・司法の中で大きく異なっていることが大きな問題だと思います。
そのガイドラインに沿って明らかに医療事故で無い、
と言うラインならそもそも受けつけない。
そういう司法の介入に対する制限と言う形は出来ないものでしょうか。
多くの裁判では判例が重視されると思いますがそこに医療側としての見解が必要だと思います。
結局の所、裁判官も医療分野は未知数な人が多く、現在は手探りで判断している人も多いでしょうからそういう助けが必要なひとは多いと思うでしょうがどうでしょうか。
> そして、非法的救済手段として真っ先に思い浮かび、
> かつ有効な手段は、暴力団を使うことです。
あまり関係は無いのですが遺族はお金を求めているんでしょうか?
(これは皮肉ではなく単に関係者ではないので判らないからです)
やっぱり金がひたすら欲しい人も多いのでしょうか。
私の推測ですが遺族はお金が欲しいのではなく、その人が無価値である、と思われるのがいやでその価値をお金に換算して求めているのではないかと思います。
その人が非合法なお金も金は金、と思えるのならどんな手段でも使うでしょうが、遺族はその価値を周りに認めて欲しい気持ちが強いのではないでしょうか。
そういう人は世間に公言できない金をもらったところで意味がないような気がします。
夢かもしれませんが、そういった遺族の気持ちを癒すうまい方法があるならこうした問題はもっと減るかもしれませんね。
死生観とか人生観とかの分野になるのでしょうか。
No.28 mastacos さん
2006年4月に茨城県医師会主導で茨城県医療問題中立処理委員会が発足しました。委員は、弁護士会推薦の弁護士3人、学識経験者2人(大学教授1人、新聞社社長1人)、市民代表2人、医師会から3人で計10人です。2007年2月19日現在、合計14件の申し立てがあり、その紛争処理経過報告が4月号のASAHI Medicalに掲載されています。継続中のものが5件、双方合意が1件、取り下げが2件、病院側拒否が1件、打ち切りが5件でした。打ち切り案件の5件の理由ですが、金額面で折り合いがつかなかったのが3件、患者側が一方的に賠償を求めるだけであったためだったのが1件、病院側が全く責任を認めなかった例が1件でした。筆者の総括では、「事例のほとんどがアクシデントが生じて数年を経過してしまって、当事者間で既に埋められない感情のもつれがあり、賠償額にこだわりがあるものがほとんどであった」とあり、今後の対応への教訓点を挙げられていました。
mastacos さんのおっしゃられるように、感情のもつれの一つの解決点としてのお金の問題があるのでしょうか?個人的には、復讐心に代表される負の心理的作用が訴訟への一番の原動力だと思います。病院側から勝ち取る賠償金の額に比例して、病院側を罰することができるという心理が、原告側にあるように思えてなりません。
> ガイドラインに沿って明らかに医療事故で無い、
> と言うラインならそもそも受けつけない。
> そういう司法の介入に対する制限と言う形は出来ないものでしょうか(No.28 mastacos さま)
ガイドラインでも教科書でも医師の鑑定意見でもよいのですが、ある種の医学的判断基準を立てたとして、
その上で、誰かが、「基準に照らして、本件は医療事故であるのか無いのか」の判断をしなければなりません。
その判断を、現在は司法がしています。
基準に照らして、医療事故に当たらないと裁判所が判断すれば、原告の請求は棄却されます。
治療ガイドラインを立てること自体は、学会でも医師会でも、権威のある医師の集団が行えば、裁判所はその見解を尊重するでしょう。
しかし、一般的なガイドラインだけで済まないのが、生身の身体を扱う医療のむずかしさです。
医療訴訟はあくまで個々のケースについて過失があるか否かの判断ですから、ガイドラインの位置づけとしては、一応の推定に過ぎないということになると思います。
もっとも、推定といえども、訴訟においては有利不利が生じることは明かですから、
そのような一般的ガイドラインが一人歩きして不利な状況に追い込まれることを恐れて、現段階ではむしろ医療者側でガイドラインを出すことを控えているのではないかという印象があります。
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> 遺族はお金を求めているんでしょうか?
お金が欲しいという人もいますし(年寄りの年金を当てに一家が生活していた場合など)、
復讐したいという人もいます。自分が不幸になったのだから、関わった人も皆もろともに不幸に堕ちるべきだと。
経済的な要求は合理的であり金銭で解決できますが、感情的なこじれは理不尽で解決方法がないだけに、やっかいです。
> 遺族はその価値を周りに認めて欲しい気持ちが強いのではないでしょうか
私見ですが、それはやや疑問。
ある人の命の現在価値がいくらですか、という問題は訴訟上は既に解決済みでして、
よほど特殊な要因がない限り、あなたも私も値段は今すぐにでも付けられます。
普通、周囲は司法が付ける値段を争ったりしませんので、存在価値を認めさせようという要求は一般的でないように感じます。
> 世間に公言できない金
日本では紛争解決の正規の方法は司法ルートですが、そうではなく、村の有力者が力関係に基づき独自に裁定したり、暴力団の示談屋を頼んで話をつけさせたりといった、イレギュラーな解決方法も、残念ながらかなりの数で行われているので、
社会全体としては、そういうことに対する「引け目」感は、薄いのではないかと思われます。
> 遺族の気持ちを癒すうまい方法があるならこうした問題はもっと減るかもしれませんね
それは必要なことと思います。
身内の死を運命として受け容れさせ、無意味な復讐欲求を捨てさせることができれば、医療紛争の何割かは減ることでしょう。
暴力団がでてくるのなら顔の聞く議員さんか有力者につないでもらって
解決しちゃったほうが、たとえ同じ金額を払うことになっても新聞にのったり
刑事で逮捕されて全国に報道されたりして社会的制裁を受けない分
ましかなぁなんて思っちゃうほど、すでに心は壊れています。
考えるまでもなく戦うより逃散することをえらんでしまいましたし。
こんにちは、僻地外科医さん。整形Aです。
>医師の大半がおかしいと思うというほど明白な内容が、なぜ法廷の場で立証できないのか。
>原告側から、明らかに医学的に成り立ち得ないトンデモ意見書が出された場合であっても、なぜ被告側医師や裁判所鑑定人において、それをきちんと論破できないのか?
整形外科の学会で発行するニュース紙には医事紛争に関する連載があります。その最新号からの紹介です。
事件の概要です。
ある日の未明、Aはガラスコップを持ったまま転倒、コップが割れて右手に切創をおい、救急病院Cを受診。医師は切創のある1、3指に対し創傷処置を行なう。
翌日AはD病院を受診し、その後そこで抜糸まで処置を受けた。
9年後、Aは2指に違和感を感じH病院を受診し、X線を撮ったところ、ガラス片が発見され、K病院を紹介され摘出手術を受けた。
患者は原告となり、C,D病院に対し、休業補償、慰謝料などの支払を請求した。C,D病院ではX線は撮っていなかった。
患者側の主張は、ガラスで怪我したのだからガラス片の有無の確認のため、X線を撮るべきであった。医師の注意義務違反にあたる、というものです。
それに対し医療側の反論は、初診時に2指には大きな傷はなく、ガラス片は最初の受傷時ではなく、その後の9年間の間に入ったものだ。
また、異物の存在を疑わせる事情がないときにX線を撮ると、保険審査で過剰診療を指摘されるので撮らなかった、というものでした。
判決は、休業補償などの一部は認められなかったものの原告勝訴でした。
これを読んで僕が思うのは、医療側の反論の稚拙さです。
「ガラス片は9年間の間に入ったものだ」「レセプトで過剰診療といわれるから撮らなかった」なんて、どう贔屓目に見ても反論になっていない。
こんなんじゃ負けちゃうのも無理がないと思います。
ではどう反論すればよかったのでしょうか。
僕が思うに、医療というのは、最初からベストの治療が受けられるわけではない。
特に救急医療の場合、その時の医師の判断で優先順位が決められ、場合によっては患者も何らかの不利益をこうむる可能性のある医療であることを、認識すべきだと思います。
X線をいつ撮るかはその時の担当医が、自分のところの救急体制、患者の症状、訴えなどから総合的に判断すべきことです。未明の救急受診時に必ず撮らなければならないわけではありません。
再診時でもいいし、特段の訴えがなければ撮らなくてもいいと思います。
Aさんは、救急時の受診でしたので、優先順位としては創傷の縫合が1番であり、X線撮影はその日にとらなくてもなんら問題ない。しかもその後その病院を受診していないのですから、仮に撮ろうと思ったって撮れる訳もありません。
問題がありそうなのは、2番目に受診した病院でしょうね。
最初の病院で撮っていなかったのなら、X線を撮っていたほうがよかったかもしれない。もっともこの辺は患者の訴え次第だと思います。
縫合するほどの大きな傷がなかった2指について、患者が何か訴えていたのならば、撮るべきだったと思いますが、訴えがなかったのなら、必ずしもそうともいえない。
そもそも9年前の患者のカルテやX線写真自体があるかどうかも疑問ですよね。
保存義務の期間はとうに過ぎています。
9年前のことについては、わからないし、わからなくてもいい、と法律で決まっているんじゃ?
まあ、こんなまっとうな(?)主張ができない、あるいは主張しても裁判所は理解してくれないと思うから、逆にトンデモ反論をするんでしょうかねー。
>(No.23 僻地外科医 さん)この論を持ち出すことは議論のすれ違いの原因になると思いますので避けた方がよろしいと思います。
モヤモヤ感は残りますが、忠告に従ったほうが良いのかな。でも一点だけ、
>法のしばりを無くしたところには無法がまかり通る
そうなった場合、「だから法で縛ったほうが良い」ではなく、無法を許さないことが先なのでは?そういう意味での比較なのですが。
>(No.30 YUNYUN さん)しかし、一般的なガイドラインだけで済まないのが、生身の身体を扱う医療のむずかしさです。
そういう分野であることこそ、専門家の裁量を最大限尊重すべき理由になると思いますが、今では「医師の裁量」なんて言葉(もはや死語?)を言うと、かえって叩かれてしまいます。「勝手」と「裁量」がごちゃ混ぜになってるような。
>元ライダー様
>そうなった場合、「だから法で縛ったほうが良い」ではなく、無法を許さないことが先なのでは?そういう意味での比較なのですが。
無法を許さないためには法で縛ることが必要では?無法を許さないためには無法に対して何らかの対抗策が必要になります。
この場合の方法として、
1.法で縛る。
2.法の範囲外で対抗する(無法で返す)。
3.倫理的規制で返す。
の3種類の選択になりますが、無法に対し無法で返すのは近代社会の論理ではないですし、倫理的規制には有効性がありません。法の必要性はそこにあるのではないでしょうか?
No.19 an_accused さん
>たとえ医療過誤の被害を蒙っても、患者はただ泣き寝入っていればよいのだ
何と言うか曲解しすぎです。もちろん別の救済手段がある方が社会にとっていいに決まっているでしょう。それについて言明しなかったから、そんなことどうでもいいと考えているなどと思う方もどうかしていると思います。(私のコメントは、しまさんが実力行使のことを考えていると感じたので、先回りして強く否定しようとしての表現です。医療側が実力行使で損をするという話に対して、損などないと強調したまでです。前後の遣り取りを読んでもらえば、私の裁判に対するスタンスもわかってもらえるはずです)
裁判がなければ実力行使で、医療機関が困るという話に対しては、それは現実的でないとの考えに変わりはありません。(モトケンさんの意見には同意するところがほとんどなのですが、今回のこの一点だけは反対です)ほとんどは単に患者側が泣き寝入りするだけで、トンデモ裁判にかけられる程の被害はないでしょう。
暴力団を雇って犯罪行為をおこなわせるコストは、ほとんどの人間にとって現実的ではないでしょう。借金の返済などとは質が違います。
(裁判所がなければ、警察もないという話なら違ってきますが)
この思考実験は、きっとこんなことが起こると思うとか、増えると思うとかくらいの話になって、説得力のある明確な根拠を誰もだせないものだと思います。
名指しでエントリを立てて頂きちょっとビックリですが。
まず『医療側が「問題はない。」と言ったとしても、患者側が「問題がある。」と言えば、そこには問題が存在するのです。』これは分かります。しかし「問題が存在する」ことと「訴訟沙汰に巻き込む」は雲泥の違いです。
それは要するに、「イチャモンをつけるのは自由」とゆう意味でしょう。何の問題もない医療行為でも、患者や弁護士とゆう医療の素人が、いかなる憶測に基づいてか「問題がある」とゆうレッテルを貼って訴訟を起こせば、医師は、好むと好まざるとにかかわらずお白州に引っ張り出されるわけです。そして、看護学生程度の知識もない(ジンタイとサイタイの区別も付かない!)素人に一から医学のレクチャーをさせられるとゆう不毛な労苦を強いられた末に、トンデモ判決で罪人にされる。別に、トンデモ判決の割合が100%でも80%でも50%でもいいんですよ。要するに、医学の素人である患者と弁護士さえ主観的に「問題がある」と思い込めば、医師は強制的にロシアンルーレットに参加させられる(しかも、死ぬ可能性があるのは医療側だけ!)とゆうことであって、そんな状況でモチベーションを維持せよとゆう方が間違っている。この現状を改善するには、司法が銃口を突きつけるようなマネを止める以外、方法が思いつきません。
それから、「法的救済を受けられない患者側は、暴力団等の非合法的手段で解決しようとする」とゆうのは、いくらなんでも論理の飛躍とゆうか、風が吹けば桶屋が儲かる、に近いのではないですか。法的救済が受けられないといっても、そんな直接的、暴力的手段を取る人は多くはないです。大体、トンデモ判決でいじめられている医師は正に「泣き寝入り」を強いられていますが、誰も暴力的手段に訴えていないでしょう。
そのうえ「司法が医療事故に介入しないこと」によって「暴力団が医療事故に介入すること」が正当化されることはないです。つまり、万が一、本当に暴力団が介入してきたら、それは警察の出番であり、彼らに検挙させればよろしい。秩序を守るはただ司法のみにあらず。
モトケンさんに限らず、法律家の考え方、判決に欠落しているのは、社会全体を見渡す視野の広さだと思います。目先の勝ち負けに固執するあまり、自分たちの行動が社会全体に与える影響の大きさを想像できていない。仮に司法が医療問題について正しく判定できる確率を、大甘に見積もって10%だとしましょう。司法が医療問題の判断に踏み込んだとき、10%の確率で原告1人の利益は守られるかも知れないが、90%の確率で将来の医療行為が不当にも制約され、原告以外の患者の利益、つまり社会全体の利益が害されるのであって、両者を天秤にかけること自体がアホみたいです。このことに対する「畏れ」と、専門領域における高度な判断に単純に白黒つけることへの「畏れ」。その両方が決定的に欠落しているのが現在の医療訴訟だと言ってよいです。
No.6 モトケンさん
行政官僚は、縄張り意識が強く、少しでも自分たちの権限、既得権益を拡大しようと、他の省庁や民間を蹴落とし踏みつけてでも、仕事とゆうか、管轄分野、守備範囲を増やしているわけでしょう。官僚の一員たる裁判官のみが、そうした意識から自由だと主張されるのは何故ですか? 「彼らは清廉潔白だから」なんて冗談は無しですよw
あと、「裁判する能力がないんですよなんて言えるわけがない」とゆうのも不思議でして、たしかにメンツは潰れるだろうけど、現に能力がないのだから能力がないと認めるべきなのではないですか。医師が、できもしない手術をできるなどと安請け合いしたら、途端に司法から集中砲火を浴びるでしょうに。なぜ裁判官だけは、そういう虚勢を張ることが許されると考えるのですか?
No.19 an_accused さん
元行政先生の御指摘を曲解するのは止めましょう。
元行政先生は、日本における現在の司法のレヴェルを前提にして、「裁判所は、トンデモ判決を乱発する位なら、受付を中止した方がマシなのではないか」と仰っていると考えます。当然のことであり、全く同感です。
「患者が泣き寝入るほかない社会制度のほうが、我々医者にとって都合がいい」とゆうのも、貴方らしい悪意に満ちた曲解ですね。まず、「泣き寝入る」とゆうのは、本来であれば救済されるべきなのに救済されない、とゆうことですが、医療過誤の被害に遭ったと言い張っている人々の何パーセントが「本来であれば救済されるべき」人なのか、そこを見ていない。そして、そのほんの数パーセントの人についても、そのほとんど全てのケースで、医療側が司法に命令されるまでもなく適切な額の補償をしていることを意図的に無視している。さらに、元行政先生としては「医者にとって」都合がいいのではなく、「社会にとって」有益であるとゆう意味で書かれたことが明確なのに、これまた意地悪くねじ曲げている。
言うなれば、「自称医療過誤被害者の恫喝を助けて医師を弾圧、搾取し、善良な医師がなしうる医療行為の範囲を著しく狭め、その結果、患者全体、ひいては国民全体の医療を受ける権利を大きく害することになる現在の裁判制度を盲目的に維持するより、そのような恫喝を許さず、医師が安心して医療に励めるように、ひとまず司法が医療への不当介入を止める社会制度の方が、国民全体にとって都合がいい」とゆうことであり、これはほとんど自明です。繰り返し言っているように、いつの日か司法が医療の本質を理解できるようになり、トンデモ判決のおそれがなくなったと言えれば、そのときは司法が医療行為について判断することも認めていいですよ。
No.32の整形Aさんのコメント
>まあ、こんなまっとうな(?)主張ができない、あるいは主張しても裁判所は理解してくれないと思うから、逆にトンデモ反論をするんでしょうかねー。
被告にも弁護士が代理人としてついていたでしょう。
通常、弁護士である被告代理人は、「主張しても裁判所は理解してくれない」なんて思って応訴しませんから、反証するのに必要な証拠(カルテとか当時の医師の事情説明とか)がないので已む無く主張したのか、本気で「この主張でいける!」と信じて主張したのか、どちらかだと思います。
何人かの方から、私の意見が「建設的でない」と指摘されました。
「できないことはするな」とゆうのは極めてシンプルな方法であり、こんな簡単な方法が何故とれないのか、何故建設的でないと批判されるのか正直言ってよく分かりませんが、それなら「建設的」な案を出しましょう。
司法による恫喝で現場の医師が著しく萎縮し、逃散が進んでいる現状を前提にすると、この恫喝をストップするには、訴訟そのものを起こしにくくするか、訴訟沙汰にされたときの負担を少なくすることが有効と考えられます。
以前言いましたが、医療過誤があったと攻撃する側はたとえ負けても何の痛痒もないのに対し、医療側は負けると一瞬にして巨額の負債を負わされ、犯罪者の汚名も着せられるとゆう、極めて非対称的な状況にあります。ロシアンルーレットを強要される上に、仮に弾が出なくとも、強要した側は何のペナルティも受けないとゆう異常な状況です。そこで、医療訴訟の原告が負けた場合、請求額と同じ額の罰金を、病院側ないし国に払うとゆうシステムにしたらどうかと思います。本当に医療過誤があるなら罰金を払わされる危険はないのだから、「本当の医療過誤被害者」の権利が制約されることはありませんし、エセ被害者の恫喝も防げます。同時に、提訴時に医療過誤があったかのような新聞記事が出ることが多いですから(自称医療過誤被害者が記者会見などして宣伝した結果でしょう)、原告が敗訴した場合は「私は不当にも○○病院を訴えて無用な負担を強いた上、名誉も毀損しました。ここにお詫びして謝罪します。」とゆう新聞広告を出すこともルール化すべきです。
また、医療過誤だと病院を攻撃したのに結局敗訴した弁護士や、トンデモ判決で不当に勝訴した弁護士に対するペナルティも有効です。医師が弁護士の主張が医学的に正確だったかどうかをチェックして、不正確だった場合に億単位の罰金を納めさせる、その免許を剥奪ないし停止するとゆう制度を創設すべきです。これまた、ちゃんとした弁護士活動をしていれば危険はないのだから、「本当に誠実な弁護士」は心配する必要がありません。この制度を創設するなら、協力する医師は出るでしょう。
さらに、医療訴訟を提起するとゆうことは、医師を「被告」の立場に無理矢理に置いて、その反論とか証言に必要な期間、医師の行動を制約するとゆうことを意味します。その間、医師は仕事ができず、患者が困るわけですから、裁判が続いている間、原告が代理の医師を探してその賃金を負担し、被告病院に派遣することにするか、それが無理であれば、少なくとも被告医師が拘束されたことによる仕事量の減少を人日単位で算出し、それに相当する賃金を原告が補償すべきです。
以上の点を法律で決めるか、司法が自主的に決めるか、医療契約の内容として取り決めるかすれば、ある程度はマシな状況になると思います。
しかし、いずれにしても簡単ではないように思える。こんな迂遠なことを考えなくても、単に「司法は医療に介入しません、判断能力がありません」と白旗あげるのがいちばん簡明でしょうに。
私は別に、司法の意義を全面的に否定しているわけではないんですよ。司法が作用しないと紛争の多くが解決しない局面では、どうぞ介入して下さい。一般の営利企業では、金儲けを追求するあまり、いい加減な手抜きの仕事をしたり、本当は責任があるのに賠償に応じないところもあるだろうから、会社相手の裁判ならやったらいいと思いますよ。でもね、医師は金じゃなくて患者の生命と健康のために仕事をするんです。対価は国が決めてます。医師は、基本的には理性的な科学者であり、賠償すべきケースでは自発的に適切な額の賠償をしてます。そもそも司法が介入する必要が極めて乏しい分野なのであって、「司法が介入しないと正義が保たれない」とゆうのは、控えめに言えば肩に力が入りすぎ、はっきり言えば法律家の驕り、傲慢ですよ。
>(裁判所がなければ、警察もないという話なら違ってきますが)
これは刑事編で述べるべき内容ですが、話が違ってくる可能性があります。
近代法秩序は、法的権利保護手段(訴訟等)を保障する反面として当事者の自力救済を原則として禁じているのです。
となると、法的権利保護手段を封じられた者に対しては自力救済を認めなければならなくなります。
民事上の自力救済を認めれば、刑事上の自救行為も容認されることになりそうです。
そうなると、患者側または患者側から依頼を受けた暴力団が力ずくで賠償金名目で医療側から金を取ったとしても、刑事責任を問われないことになります。
刑事責任を問われない行為について警察が動くことはありません。
もちろん、以上は医療事故に対する司法介入を認めないことを徹底した場合において、裁判にかわる患者側の救済手段がないことが前提の非現実的なシミュレーションです。
逆に言えば、裁判に代わる患者側救済制度を整備しないで、医療事故に対する司法介入を否定する考えというものが非現実的であることを示しているわけです。