エントリ

 延命医療の中止の問題を考えたいと思います。

  この問題は、人生観、死生観といった哲学的問題から、医学プロパーの問題、医療行政に対する影響、延命医療中止行為の法的責任など問題は多岐にわたりますので、最初から(その1)をつけます。

 まず最初に、現場の問題状況を確認したいと思いますので、

 中止したほうがいいと思える延命医療とはどういうものか?

ということについて、皆さんのご意見をお聞きしたいと思います。

 もちろん、中止肯定意見に対する反対意見も述べてください。

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呼吸器を停止するかどうかが問題となる例、であれば

  • 患者さんに意識がなく、いわゆる「脳死状態」「植物人間」が続いている。
  • 回復の見込みはないが、病状は安定しており呼吸器を外さない限り当分の間は 生存が見込まれる。
といったものでしょうか。

でも、先日話題になった事件はこれにあてはまらないんですよね。


捜査段階の鑑定では、呼吸器を外さなくても女性患者は2〜3時間で死亡したと
みられるが、県警は外したことで死期を早めたと判断、今年1月に書類送検した。

この鑑定が本当であれば、担当医がみても2〜3時間のうちに亡くなると見込まれる
状況であれば、呼吸器を外すという大きな決定をした理由が私には理解できません。
私だったら「本当に危篤の状態です」「最後を看取るために近親者を集めてください」
と家族に言います。呼吸器を自分の手で止めるなどといった考えは絶対にしませんよ。

> 呼吸器を外すという大きな決定をした理由が私には理解できません。(No.1 都内病院勤務医さま)

わずか2〜3時間がなぜ待てないか、せっかちな、ということになりますもんね。

「脳死状態」でも同様のことが言えるでしょう。
間違いなく脳死状態なら、呼吸器を付けた状態でも数日〜せいぜい数週間しか生きないそうですから、そのくらいは待ってやれよ、と思います。

問題になるのは、
 植物状態で本人に意識がなく、回復の見込みはないが、病状は安定しており呼吸器を外さない限り、当分の間は 生存が見込まれる(★)
半年以上も生きそうな場合、どうするか?

なお、
2〜3時間や脳死は「心停止まで待て」で、★のケースは呼吸器を外してよし、とすると、半年生きそうな人のほうを早く死なせるという矛盾が生じます。
外してよいものなら、みな一律に外してよしとしなければ不均衡です。

個々の症例では、不必要な延命処置だったかもと思うことは多々あっても、書き出せといわれると少し考え込んでしまいます。
呼吸器を止めてもいいと思える条件は?とか新規の透析を開始しなくてもいい条件は?
蘇生をしなくてもいいと思われる条件は? etc.etc.
など具体的にしていただいた方が、実際的なお話ができると思います。 

現在のお話が呼吸器を止めていい条件は?であると理解して、書きますと
数時間〜数日以内に死亡することが予想されており、その運命を大きく変える因子がすでにない状態と思います。つまり、呼吸できるか否か以外の要因で死亡することが明白である症例と言う事になります。
半年以上も生きそうな場合は、呼吸以外の点で死亡が確定的ではないことになり、該当しないと考えます。

今のご時世で急に、
外してよいものなら、みな一律に外してよしとしなければ不均衡です。
といわれても難しいように思います。 ホーキング博士も呼吸器で著作を続けることができていたのですから。 まずは、確実にOKなライン(確実に無駄なライン)はどこかを明確にする方がいいと思うのですが。


個人的には癌のend-stageの処置の一部もこれに該当するように感じます。
ホスピスで死を待つ人と病院で死を待つ人たちでは処置の内容が違うと思います。

よくよく考えてみると、数時間のうちに亡くなるような状態というのは、既に脳死判定 の段階さえ過ぎているんですよね(脳死判定は6時間の間をあけて2回行う)。

YUNYUN(弁護士)さま: 2〜3時間や脳死は「心停止まで待て」で、★のケースは呼吸器を外してよし、とすると、半年生きそうな人のほうを早く死なせるという矛盾が生じます。 外してよいものなら、みな一律に外してよしとしなければ不均衡です。

その程度の不均衡を問題にしていたらとてもじゃないけど仕事になりません。 呼吸器外しが問題になる患者さんは、

  • 家族などが病院に搬送する選択をした。
  • 搬送先の病院が、人工呼吸器管理ができる病院であった。
  • 患者家族が人工呼吸器管理などの積極的な治療に同意した。
  • 人工呼吸器管理が必要となった時点で、院内に管理できる医師がいた。
  • 担当した医師が人工呼吸器管理をする決断をした (つまり呼吸器管理によって 回復する可能性があると判断した)。

という非常に恵まれたケースなのです。そのような恵まれたケースの不均衡が 問題ならば、そうした治療を (仮に患者さん本人が望んでいても) 受けられなかった 大多数の患者さんをどうすればいいのか。

日本尊厳死協会は、治る見込みのない病気にかかり、死期が迫ったときに「尊厳死の宣言書」(リビング・ウイル)を医師に提示して、人間らしく安らかに、自然な死をとげる権利を確立する運動を展開しております。
 リビング・ウイルとは、自然な死を求めるために自発的意思で明示した「生前発効 の遺言書」です。その主な内容は
○ 不治かつ末期になった場合、無意味な延命措置を拒否する
○ 苦痛を最大限に和らげる治療をしてほしい
○ 植物状態に陥った場合、生命維持措置をとりやめてください

本人に尊厳死の意思表明があれば、尊厳死を法的に認めてあげる

本人の意思確認ができない時、本人に代わって家族が希望する場合は、医師の同意があれば、尊厳死として法的に認めてあげる

要件・手続の不備をなくすために、家族に公正証書を取ってきてもらう、とすれば、後処理を医師が悩まずに済みそうです

尊厳死を望むのであれば、これで如何でしょう?

>No.1 都内病院勤務医さん
この件では一般論を当てはめる前に現実感覚を忘れないことにも注意が必要ではないかと思います。
と申しますのは新聞報道によると88歳とされていましたので、わたくしも本件を論じる際にはこのことも具体的に勘案したうえで述べるつもりでおります。

一般に思われているほど生と死の間は明瞭ではありません。このことは臨床医ならば誰でも知っていると思います。特に呼吸器や昇圧剤を使用した場合には、血圧50-60、心拍数30-40といった状態が延々と続き、徐々に徐々に完全な死へと向かっていきます。そもそも死というのは1個体のなかで部分的に徐々に起こってくるものです。問題にされているケースでも、2-4時間後に心停止すると思われる状態というのは、すでにこんな状態になっていたものと想像されます。
このような低血圧、低心拍+もろもろにおちいったら、すでに個体死が始まったことを認めて呼吸器をはずしてもよいとするところから始めたらよいと思います。

「死とはなにか」「延命治療とはなにか」を問うても答えも出ませんから、いまは臓器提供を前提として行われている法的脳死判定を、臓器提供を前提としなくても許されるようにしては、如何でしょうか。

ここで法的に脳死であると判断されれば、次に以下の二つを選択します。

(1)人工呼吸を含む延命処置を中止する(=心臓死)
(2)それまでの治療を継続する。この場合、保険診療の自己負担率が3割から6割にアップする。

「医療費の負担がつらい」「どうせもうダメなんだったら、自慰的な医療はいらない。はやく家につれて帰りたい」という家族は(1)を選択しますし、「心停止まで今の治療を続けて欲しい」と希望する家族は、(2)を選択します。

脳死であれば医学的には回復不可能(=死体)ですから、医療費をつぎ込むことはムダです。本来は他のひとにそのお金を譲ったほうがよいのですが、いきなり全額自己負担は気の毒なので、自己負担率6割にして保険からの支出を節約します。

(1)をえらぶか(2)を選ぶか迷う家族もいると思うのですが、経済的負担を考慮する家族の希望を尊重します。

現在、社会的に稼働している法的脳死判定の手続きをそのまま応用できるので、抵抗はすくないとおもうのですが、どうですかね?

医療側専門弁護士です。
今週月曜に関東の某病院で講演したところ、
副院長から「モトケンブログは見てる?」とお声かけいただいたため、
これまで閲覧のみにとどめていましたが、
初めて投稿してみました。

延命治療中止に関しては、
数ヶ月前に日本救急外科学会からガイドラインが出されましたが、
これをどのように司法の現場に反映できるのかが課題と思います。

これまで議論されてきたように、
療養病床で通常行われている「ナチュラルコース」も、
厳密にいえば不作為の殺人罪の構成要件に該当します。
そのような法体系自体が現代社会に対して合理性を保てないことは明らかですので、
このブログに参加されている皆様のような良識ある方々の声を
是非とも厚労省が現在進めている立法化の動きに結びつけていただければと思います。

すこしこのスレからは外れるかもしれませんが、
 忘れてはいけないのは、末期の患者さんは、苦痛をのなかにおられるということです。痛みなどはモルヒネなど効果のある薬剤もありますし、その他の苦痛にも医師のほうはできるだけ取り除くべく努力するのですが、”なんともいえずしんどい”とか、”身の置き所がない”と表現されるような訴えにはなかなか対処の方法がないですよね。意識のない方でも、ベッドサイドで家族から”痛みとかは感じてないんですよね?”って聞かれることもよくありますが、”意識がないのでもう痛みは感じておられないと思います”と答えてはいます。でも、あえぎ声をだされたり、顔をしかめたりされるのをみると、本当に苦痛は全く”知覚”されてないのかな?(変な表現ですが)と思うこともあります。安楽死の話をするつもりはありませんが、ただ、延命という行為が下手をすると苦しみを長引かせるだけの結果になるかもしれないということは、考慮していく必要があると思います。
 癌の末期であれ、肝硬変の末期であれ、あるいは肺炎や心不全を繰り返し徐々に弱ってきているお年寄りであれ、治療に反応がなく、みていてもかなり辛そうな方で、”意識レベルがおちています。血圧も○○です。”とか看護師からドクターコールがあった時、昇圧剤の使用や、原因を検索(いろいろな検査)し処置をとることが必要か、本当に悩みます。夜間などは当直医が対処するため、事前にある程度方針を立てておく必要があります。そこでNo.9に書かれている、いわゆるナチュラルコース指示(事前に家族とかと相談しておく)になるわけですが、”不作為の殺人”ですか...。延命行為の中止の話ではなくて、開始是非の話ですが、以前にも新聞で、行為を開始しないのも中止するのもある意味同じというように(有識者というような方でしょうか、具体的にどういう方かは覚えていません)書かれているのを見てけっこうショックでした。

>アトニさん

 医事紛争の経験の豊富な弁護士の参加は大歓迎です。

 いつ書こうかとタイミングを計っていた問題の一つに、人工呼吸器のスイッチを切るまたは取り外すという行為は作為なのか不作為なのかという問題があります。
 アトニさんは「ナチュラルコース」を不作為の殺人と評価されていますが、「ナチュラルコース」に人工呼吸器のスイッチ切断も含むかどうかについては議論があるのかも知れませんが(私にはよくわかりません。いままでこのブログでは「ナチュラルコース」という言葉はほとんど出てきませんでしたので)、それはともかくとしてもスイッチ切断を不作為と解する余地があるように考えています。
 この問題は法律論プロパーの部分が多いと思いますので、別エントリを立てたほうがいいのではないかと思っています。

ナチュラルコースというのは、死期が迫っている患者さんに対し、時間稼ぎにしかならないとわかっている治療、要するに延命治療を最初から行わないということです。
ですから、人工呼吸器を使うこともありませんし、蘇生術を行うこともありません。
極端に言えば、静かにお亡くなりになるのを見守るのみと思っていただいてよいかと。

No.10 コンスタンチン(内科医) さんのコメントと被りますが、ナチュラルコース選択は、私も年中経験します。

私は精神科医ですので、救急患者さんを診ることは(精神科救急を除けば)ありません。
一方で、入院患者さんは、高齢の方も多く、亡くなられる方も当然多く診ます。
この場合、時間的猶予があるので、そろそろ急変の可能性が出てくると思われた時に、私は必ず家族に説明を行うようにしています。
今すぐどうこうという状況ではないが、急に病状が悪化することが起こりうる。だが、その時になってから、どうしよう?と考えていたら間に合わない。
いよいよとなったら、どこまでして欲しいかを、どういう選択肢があり、それぞれの結果がどうなるかを説明して、今のうちに家族で話し合って決めて下さいと言って、前もって対応を選択してもらいます。
ここで出来る限りのことを、つまり延命をと望まれるご家族は多くはありません。
時間的猶予があれば、ゆっくりと吟味できるため、患者さんが長く苦しむのは望まない、自然に…つまりナチュラルコースでと選ぶ方がほとんどです。

(本来なら、同様の説明を患者さんにした上で、患者さん本人にまず選択していただくべきなのでしょうが、患者さんは精神症状の重篤な方ばかりですので、理解力にも制限があり、どこまで理解できるか難しい上に、説明によって一気に精神症状が悪化、かえって抑うつによる食思低下、果ては自殺など、状態を悪くする可能性が高すぎて、なかなかできません。いっそ全ての人が、自分の死に方を健康なうちに決めて、書面にしておくべしというルールがあればと思うこともあります)

自分が日常感じている 中止したほうがいいと思える延命医療は、植物状態となった、高齢者への経腸栄養です。

1980年頃までは、高齢者は、脳血管障害などによって、徐々に食事が食べられなくなり、寝たきりになっても、入院せず、時に開業医の往診をお願いして、自宅で亡くなっていくケースが少なくなかったと思います。

現在は、このような場合でも、胃ろうから、流動食を流し続けることによって、ほぼ植物状態になってもそこから何年も生きる場合が珍しくありません。

この「水栽培」状態の現実を見てしまった方は、自分がこのようになったら、経腸栄養で延命して欲しいと思わない方が殆どであると思います。(しかしご家族は、その状態でも生きていて欲しいという方が少なくありません)

また、アトニさんが書かれているように、通常行われている「ナチュラルコース」も、厳密にいえば不作為の殺人罪の構成要件に該当します。昨年、当院の内科の先生が、95歳の患者さんに経腸栄養をしないことが罪に問われる可能性があるか当地の警察に電話して尋ねたところ、犯罪となる可能性があるとの返答でした。
そこで、「ナチュラルコース」をまず公に認めることが急務と思います。

現在保険証が、個人対象になりましたから、経口摂取、意思表示が不能になった場合に、経腸栄養の不開始、または中止を容認することを、同意するかどうかのサイン欄を設けて、そこに自署があった場合には、延命中止が、犯罪とならないとすれば本人にとっても、国にとっても有用と思います。

このケースは、対象患者が呼吸器の中止よりも圧倒的に多く、しかも一般人のコンセンサスが得られやすく、必ずしも立法措置が不要で無いかと思います。(経腸栄養の不開始のみなら、厚生労働省のガイドラインでも可能と思います。)

団塊の世代の方々が、まだ自署可能のうちに、このシステムを導入していただきたいです。

No.13
団塊世代は、自分の意思を通すことでは人後(他の世代の後?)に落ちない!ので、別にガイドラインなどが出る前でも、公に認められる前でも(公に認めさせる活動をしつつ)、どんどんその承諾書を取っていけばよいのではないでしょうか。
ところで、公に認めさせるにはどうすればよいでしょうか?

なお、警察に聞けば、殺人の「可能性」と言うしかないと思いますので(警察に限らず、検察だろうが、厚生労働省だろうが同じです)、それよりもまず事実上広めるのはどうでしょうか。
それじゃあ書類送検される危険があって嫌だとなるのかもしれませんが、本人の承諾書があればそうはならないと思いますし、あってもそれこそ書類送検→不起訴の繰り返しで事実上定着していきそうな気がします。

病院で医師の管理下で、議論にあるような自然死に近い形をとれば問題がないけれど、自宅で餓死するとなると、保護責任者遺棄致死に問われ、実際に逮捕されています

私は患者、家族に説明するときに、『昔は、御飯が食べられなくなって衰弱し、お亡くなりになったら、老死として誰も不思議に思わなかった。亡くなる方も、徐々に意識が遠くなって、傍目にも苦しむように見えなかったことも多かったでしょう。逆に元の病気が残ったまま蘇生すると更なる苦しみに苛まれることもあります。』と説明して、DNR (Do Not Resuscitate:積極的な救命処置不要)またはNo CPR (No Cardio_Pulmonary Recuscitation:心肺救命処置の不実施) の承諾を得ることが多いです。

『心肺停止時に、心臓マッサージや人工呼吸を用いるような積極的な救命処置を希望しません』

というものです。

同じことが病院で許され、自宅で介護している場合には許されないことがあるということも踏まえて、基準作りが必要でしょうね
もちろん、自宅で老人虐待が行われて、有責な遺棄致死に相当する行為もあるでしょう

私自身は癌や重篤な脳梗塞になれば、できるところまでは通常治療で頑張り、間に合わなくなれば自宅で餓死することを考えることでしょう
そのことで、家族が訴追されるようなことがあれば、悲しすぎます。もちろん、遺書は作るつもりです

・・・・いつのことやら判りませんが。。。。。 (その前に家族を作れ!という話も???)


 No.14 psq法曹さんのコメントについて皆さんへ

>あってもそれこそ書類送検→不起訴の繰り返しで事実上定着していきそうな気がします。

 医師を含む一般の皆さんからすれば、書類送検だけで震え上がる感覚のようですが、その感覚を修正していただいて(修正できなくても^^;)

 私もこれが一番現実的な現実的方策だと思います。

 どこの地検でも何回送検しても不起訴、という事実上の基準が成立してしまえば、警察も主体的に立件することは止めてしまうでしょうし、告訴・告発を受理せざるを得ないとしても、事実上の基準が成立してしまえば不起訴も短時間で可能でしょうし、検察審査会も文句は言わないでしょう。

 事実上の基準が成立するまでは行ったり来たりがあるかも知れませんが、どう考えても落ち着きどころは見えていると思います。

 となると問題は、医療側の意識変革つまり殺人罪なのに書類送検なんてどうせ起訴できない格好だけの立件だということをきちんと認識していただくことかと思います。
 延命医療の中止事案の書類送検くらいで医療界から追放されたりして医師生命を失うなんて、法曹界の感覚からすれば過剰反応を通り越してナンセンスなんですが。
 かの安田弁護士も弁護活動に関連するトラブルで逮捕・起訴されてますが(結果は無罪)、逮捕された時点ですでに弁護士の受け止め方の大勢は不当逮捕というものだったと思います。
 身内を庇うという意味ではなく、弁護士が通常やっている代理人としての活動に照らして、不当逮捕に見えたわけです。ぶっちゃけた言い方をすれば、職業意識を共有する多くの弁護士が明日はわが身と思ったわけです。
 やりすぎと思った弁護士も多かったと思いますが、逮捕・起訴されるのは警察・検察の不当介入と思った弁護士は少なくありません。
 大弁護団が結成されたことがそのことを示しています。

 医療界においても、医師としての意識・感覚が共有できれば、少なくとも医療界においてその医師を守るという行動が出てこないのが不思議です。


 但し、事実上の基準が成立する前に、はねっ返り検事正などのために犠牲者が出たりして医療が崩壊する可能性が否定できないところが不安材料ではあります。
 しかし、現在の検察上層部の動きからしますと、そういう不安は杞憂程度と見ていいと思います。

殺人の構成要件として殺意の有無が重要だと思いますが、
その行為が死を招く場合と寿命を縮める場合とをわけて
考える必要があると思います。

人工呼吸器を外す行為は死と直結していますが、いわゆる
ナチュラルコースは本来死ぬべき命をあえて積極的に介入
しないだけで、死の原因は既に患者さんの方にあります。
殺人というには、殺害の意思をもって、なんらかの積極的
手段を講じて、被害者に死をもたらすものですから殺人罪
にはあたらないのではないかという素朴な感想を持ちます。

もしナチュラルコースが殺人となるのならば、その病態に
対し、最新最高の医療を常に提供しなければ、殺人という
疑いが常に存在することになります。山形県の山奥で起き
た特殊な外傷が、京都府の大学で最近開発された、特殊な
治療でしか助けえなかったからといって、最初から京都に
搬送しないで近くの救急病院に搬送したのは殺人罪に問う
という極端なロジックもその延長線上にあり得ます。
(過去のトンデモ医療訴訟判決の大半は、こういう無茶が
通ったケースが多いようですが…)

しかし、逆に延命医療を止めさせるために胃ろうを禁止と
いうのも厳しい選択と思います。意思疎通が可能なレベル
で脳血管疾患によって嚥下機能が障害されている方も多く
いらっしゃるので、本人が死を自覚できる状況で胃ろうを
止めろというのは酷な選択だと思います。

ひどく痴呆が進んでいても、脳血管痴呆の患者さんの中に
は家族とだけは何の問題もなくコミュニケーションをとれ
ているケースもあり、ほとんど植物状態になっても、視線
の動きに意思を感じ、意識があると強く主張されるご家族
も多く存在します。彼らの意思を尊重する意味合いもいわ
ゆる延命医療には存在します。

実際、死を需要する過程は人それぞれであって、胃ろうや
中心静脈栄養によって死をひきのばしている間に死生観が
徐々にかわって、家族がその人物の死を受容できるように
なるという場合もあります。延命と呼ばれている期間は、
家族にしてみれば、死をみつめる重要なステップになって
いるので、それが無意味であると一方的に決めつけるのは、
問題があると思います。

補足ですが、リビングウイルを残す既存の仕組みの利用も悪くないです。

日本尊厳死協会↓
http://www.songenshi-kyokai.com/

>[リビング・ウイルを知っていますか]
>Do you know what the "Living Will" be?
> 日本尊厳死協会は、治る見込みのない病気にかかり、死期が迫ったとき
>に「尊厳死の宣言書」(リビング・ウイル)を医師に提示して、人間らし
>く安らかに、自然な死をとげる権利を確立する運動を展開しております。
> リビング・ウイルとは、自然な死を求めるために自発的意思で明示した
>「生前発効 の遺言書」です。その主な内容は

>○ 不治かつ末期になった場合、無意味な延命措置を拒否する

>○ 苦痛を最大限に和らげる治療をしてほしい

>○ 植物状態に陥った場合、生命維持措置をとりやめてください

>というものです。

> 日本尊厳死協会ではこのリビング・ウイルを発行しており、入会希望者
>はこの書面に署名・押印し、それを登録・保管しております。登録手続き
>が完了すると会員証と証明済みのリビング・ウイルのコピーをお渡しいた
>します。

http://www.songenshi-kyokai.com/dwd02.htm より引用

 No.13の田舎の消化器外科医さんのコメントに全く賛成です。あと、超高齢者、認知症の重い方の透析導入、透析継続も、私には辛い延命治療に思えます。本当にこんな状態で透析続けるの?という方ばかりです。公的な医療費をこういう形で配分も考えずに使うことにも疑問です。
 透析しない選択もあるんだよ、と必ず説明しますが、あるいは場合によっては、透析はやってやれない事もないが、心肺機能が不十分なので、とても無理と説明したりもしていますが、透析しない事も不作為になるのでしょうか。
 せめて人工呼吸器装着、経管栄養、血液透析は最低、自分の意思を明記すべきかと思うのですが。
 暴論と叱られるかもしれませんが、今、日本人で増えている心原性脳塞栓の重症の時の開頭外減圧術の可否についても、さらに自分の意思を明記しておいた方がいいと個人的には思います。

 本題の延命治療の積極的中止というのは、特に人工呼吸器の中止というのは、本人の明確な文書による意思表示以外、無理ではないですか。法整備が進んだとしても、医療者としては、倫理的に自分から進んでスイッチは切れません。延命治療の中止とはあくまで、○○しないという、消極的中止しか考えられないのですが。

No.16 モトケンさん

>どこの地検でも何回送検しても不起訴、という事実上の基準が成立してしまえば、警察も主体的に立件することは止めてしまうでしょうし、告訴・告発を受理せざるを得ないとしても、事実上の基準が成立してしまえば不起訴も短時間で可能でしょうし、検察審査会も文句は言わないでしょう。

不起訴か、起訴猶予か、法律上は同じでも、マスゴミはいい加減に報道して、対象になる被告人を恐怖に陥れています。

モトケンさんは、元検察だから、

書類送検だけで震え上がる感覚のようですが、その感覚を修正していただいて(修正できなくても^^;)

という気持ちかもしれませんが、これは我々の痛みを無視した暴論でしょう。

捜査・起訴手続に至るだけでも、非常に負担が大きいのです。起訴に至る前に、約3週間の勾留を受ける可能性も含めての逮捕の恐怖を味わい続けろと???
司法の試行錯誤の渦中の人物は、必要な犠牲であり、甘受せよと?
福島大野病院の産婦人科医も含め、これまでの犠牲者では足りない、もっと生贄を寄こせ!とでも言われるのでしょうか?

公権力の威力を軽く見過ぎて居られませんでしょうか?
ブログが思考実験の場としても、驚きを隠せません

自由保障の観点からも、医療において違法性阻却事由を明示すべきと考えます
(これが司法の役目でなく、立法の役目であることは存じてます。)

死にゆく患者の法益保護と、通常医療制度の権利調整を、政府・与党は考えていないのでしょう。

医療は振り返って行うものではなく、前向きにどんどん進行していきます。遡って違法性を指摘されるような危険のある行為を医師に要請することは倫理的に許されない事態であることを一般の人には知って頂きたい。

> 自由保障の観点からも、医療において違法性阻却事由を明示すべきと考えます
> (これが司法の役目でなく、立法の役目であることは存じてます。)

もちろん、立法的に解決することが、一番よいのです。
そのために、医師の皆さんは立法要求してください。
書類送検のたびに震え上がるのはごめんだ、
法律制定に反対する国会議員には、投票しない、と声を大にして言ってください。

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> 延命医療の中止事案の書類送検くらいで医療界から追放されたりして医師生命を失うなんて、法曹界の感覚からすれば過剰反応を通り越してナンセンスなんですが。(No.16 モトケンさま)

> これは我々の痛みを無視した暴論でしょう。(No.20 Med_Law さま)

医師の皆さんがそれほどまでにおびえる根底には、「誰にも助けてもらえない」という不安感があるのではないかと拝察します。
誰にも、というのは、同業の医師にさえも、という意味です。

> 医療界においても、医師としての意識・感覚が共有できれば、少なくとも医療界においてその医師を守るという行動が出てこないのが不思議です。

「要件に叶った延命中止は正当な医療行為であり、書類送検は不当である」という声明を、医師会・学会・個人の医師らがどんどん発してください。病院に「延命医療の中止を犯罪扱いするな!」という垂れ幕をかかげるとか、ビラをくばるとか、デモ行進とか。
医師が理解のない経営者から辞職を迫られたら、他の医師が団結して、不当労働行為であり、辞職勧告を撤回せよと申し入れる。
マスコミがいいかげんな報道をするのに対しても、抗議の文書やメールをどしどし送ってください。

そういう後ろ盾が必ずあるということを前提とすれば、信念に従った医療を行うことができるのではありませんか?
専門職としての気概、「正しい医療を、医師の手で守る」ということを、
 行動
として表してほしいと思います。

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余談ですが、医師のみなさんはビラ配りやデモ行進をなぜそんなに嫌がるのか、理解できません。
弁護士会では、会長が自らデモの先頭にも立ちます。自分の主張を世の中に通したければ、目立つ場所へ出て、大声で言うのは当たり前のことです。
病院に籠もってぶつぶつ言っているだけでは、世間は理解してくれません。

ひょっとして、デモやビラ配りは無産市民階級のすることであって、社会的地位のある医師がやるのは沽券に関わる、というような偏見に捕らわれていませんか?

医療とは関係ないんですが、一般人から見ても書類送検という言葉にはびびります。書類送検自体がどうこういうより、書類送検を大きく取り上げるマスコミの報道姿勢にひっかかるのが怖い、社会的制裁が怖いのだ、という感じでしょうか。

風評被害、社会的制裁。裁判も怖いがこれはもっと恐ろしいです。

医師の方にとって疾病が日常であるように、法曹界の方にも書類送検は日常なのでしょうけど、それに縁がない業界で生きてる人間にはどちらも恐ろしいことであります。散々テレビで書類送検という言葉を聴きますが、その後どうなったのかが殆ど報道されないから…

ただ医師ももっと組織的になんか叫べ!戦ったらどーよと(超要約)いうYUNYUN様の発言には完全に同意です。行動しなきゃ結局何にも変わらない。ネットの意見交換も行動の一つではありますが、病院にビラを張る、患者にパンフを配る、チラシをまく、そういうところからはじめてってもいいと思います。

余談ですが、医師のみなさんはビラ配りやデモ行進をなぜそんなに嫌がるのか、理解できません。
弁護士会では、会長が自らデモの先頭にも立ちます。自分の主張を世の中に通したければ、目立つ場所へ出て、大声で言うのは当たり前のことです。
病院に籠もってぶつぶつ言っているだけでは、世間は理解してくれません。
ひょっとして、デモやビラ配りは無産市民階級のすることであって、社会的地位のある医師がやるのは沽券に関わる、というような偏見に捕らわれていませんか?

そんなことはありません。
先輩の先生方は喰わねど高ヨージとか思っていた事もあったかも知れません。
でも、本当のこといって、自分たちもごく最近まで権利を主張してもいいことをわかっていなかだけです。持ち場を離れてもいいとは思っていなかっただけです。

まさか、本気でそんな風に思っておられるのですか? ちがいますよね。
こんな偏見を持っておられますか?
むちゃくちゃショックなんですけど。


 「何回送検しても不起訴、という事実上の基準」というのも、医師としては悲しいものですが、次善の策として理解可能です。
 賛否両論あってもまず法を作り、その法が現状にそぐわなくなれば改正するというフットワークの軽い国ならともかく、日本は、こういう問題には法整備に反発必至、簡単に立法ができないように感じます。
 ならば、いつになるかわからない法の成立を待たずに基準を作れるというのがメリットではないかと。
というか、医師が納得しようとしまいと、こうなっていきそうな気がしますが、少なくとも、それは法の不備であり(法に縛られた)司法のせいだとは考えないようにしたいと思います。

>医師の皆さんがそれほどまでにおびえる根底には、「誰にも助けてもらえない」という不安感があるのではないかと拝察します。

 確かにこれはあると思います。
近頃では変わってきたと思いますが、以前は、医師であっても詳細のわからない報道を信じて、そりゃ酷い!と感じる人が多かったため、余計そうであったと。
昔の医師の感覚では、書類送検された医師というのは、相当に悪質なんだろうと受け止められ、以後の自分の評価や信頼の回復は絶望的という風に思われるのです。
多分、医師に限らず、どんな職業であっても、書類送検された社員に対する会社や顧客の評価は、書類送検なんて大したこっちゃないとは思ってくれないでしょう。

>余談ですが、医師のみなさんはビラ配りやデモ行進をなぜそんなに嫌がるのか、理解できません。

 これに関して、個人的意見です。
私自身は、嫌だとは思いません。
地方在住医師には、参加がとても難しいというのが難点ですが、参加可能なものなら参加したい。

 ただ効果の程は正直期待できない気がしています。
まずどれ程正しく報道してくれるかに、欠片も信用がおけません。
次に、報道されたとしても、日頃から嫌になるほど聞いている意見「医者のくせに、金持ちのくせに、我が侭言うな!」という訴えた内容が何であれ全て押し潰すに等しい市民の反応が予想されてしまって、腰が引ける、というより、やった方が反発を招いて逆効果ではないかという、いわば国民に対する不信感があります。
 とはいえ、そう言っていたら何も始まりませんから、やはり現場の対策だけでなく、法整備に向けた行動も必要ですよね。

た、確かに医師の方から見れば
>ひょっとして、デモやビラ配りは無産市民階級のすることであって、社会的地位のある医師がやるのは沽券に関わる、というような偏見に捕らわれていませんか?
こんなことをいわれねばならない理由はないですね。余談不要だったかと。

あと、書類送検から不起訴になる過程でいくらかかるのか、どれだけ時間が取られるのか、それもはっきりしないとやはり恐ろしいというのはありますね。弁護頼んでも何十万かかかるのかな。不起訴になるのが分かりきってて、何でこちらが金を払わなければならないんだ!?という疑問を持たれるのは当然かと。過渡期といっても、時間と金を医師が無駄にしてまでやることではないような案件とは思います。
(書類送検についても無知ですので、書類送検は送検された側は時間も金もたいして食わん!というのでしたらこれまた無知をお詫びします…)

>No.20 Med_Law さん

 すでにコメントが重ねっていますが

>不起訴か、起訴猶予か、法律上は同じでも、マスゴミはいい加減に報道して、対象になる被告人を恐怖に陥れています。

 まずこの点から考えてみましょう。

  医師 延命医療の中止(人工呼吸器OFF)
  警察 立件して書類送検
  検察 不起訴

 こういうことが何回か繰り返されたらマスコミはどう考えるでしょう。
 上記3者のうち、医師と検察は同じ判断をしていることにお気づきですか?
 ひとり警察だけがはしゃいでいると言ったら言い過ぎですが、そんな感じになります。
 さて、マスコミの批判はどこに向かうでしょう。
 ここで確認すべきは司法判断の序列です。

 裁判所 > 検察 > 警察

です。
 これくらいのことはマスコミもわかっています。
 そして検察が理由はどうあれ医師の行動を容認したわけですから、マスコミの批判の矛先が立件を繰り返す警察に向かうのは当然だと思います。
 なお、今回の件ですけど、私はマスコミの論調も医師を批判する空気は薄いように思うのですがいかがですか?

 それはさておき、問題は検察が確実に不起訴にするかどうかですが、少なくとも今回のような事案で検察が殺人罪で起訴することなどおよそ考えられません。
 さらに起訴リスクを下げる方法も考えられます。

 以上で大事なことは、事実の積み重ねによってマスコミの論調を変えることもできるということです。
 マスコミの論調が変われば国民の意識も変わってきます。

 私は以前から「医師が変わるべきだ」と言っていますが、「医師だけが変わればいい」と言ったことは一度もありません。
 「まず医師が変わるべきだ」と言っているのです。
 「まず」というのが私の言いたいところなのです。
 「まず医師が変われば」それによって「マスコミが変わり」さらにそれによって「国民の意識も変わる」ということが現実的に期待できると考えています。

 少々長くなりましたので、ここで一区切りです。

YUNYUNさんの意見(余談のビラ配り云々)は、単に医師の皆さんを鼓舞するため便法だと思いますよ。もちろん偏見なし。

書類送検にも色々ありますが・・・
1 今回のような場合(契機となった家族懇願→医師治療中止)、医師も家族も検察での取調べを受けることはないでしょうね。警察も不起訴意見ですし、知らないうちに不起訴になっているのが普通です。
 仮に呼出しがあるとしても、せいぜい事実経過(警察捜査で明らかになっている点)が間違いないかの確認ぐらいでしょう。
(むしろ確認するなら、家族から「嫌がった医師に無理にやってもらった。何で事件にするのか分からない。あんな良い医師に巡り合って幸運でした」という内容の調書を駄目押しで作成する可能性が大)
 ただ新聞で騒がれたので、逆に検察も慎重になって取り調べるでしょうが、結論は変わらないでしょう。
2 このエントリーの「同意書あり」+延命治療をしない(or中止する?)の場合(No.13前提)も似たようなものだと思います。もちろん、家族の同意・納得もあったほうがよいでしょう。
処分すると、事務的には検察から警察に連絡が行きますが、警察が陣容が変わらず、かつ、気が利いていれば医師に連絡することもあるでしょう(あまり期待できませんが)。

ということで、マスメディアが騒がない限り、また警察が取材に応じない限り、何も問題にならずに消えて行く事件のはずです。
ですから医師としては普通に医療に携わっていれば良いかと思います。

それじゃあ不安だと言うなら、1〜2か月に1回くらい、「私の事件の処分はどうなりましたか。処分されていれば、その内容を文書で回答願います」という手紙をルーティンで送れば、処分済みなら「不起訴・処分年月日」が書かれた回答が来ることでしょう。
未処分なら返事しない可能性があるので、連絡を取って、検事に「不安で仕事が手につかない」と言えば、何か反応があるかもしれません。
そうすることによって検事に早期処理のインセンティブが働くことにもなるでしょう。

で、弁護士を頼むなら、弁護士に検察庁に行ってもらって感触を聞いてもらえば良いでしょう。これぐらいだったら、そんなに費用かからないと思いますが。

 中止したほうがいいと思える延命医療とはどういうものか?
というお題ですので、春野ことり先生の天国へのビザは議論の土台として最適のように思います。

私がNo27を敢えて書いたのも、書類送検云々の不安から消極的になるのではなく、本題(本筋)に戻って欲しいからです。

この話、主役は弁護士でも、警察でも、医師でもないでしょう。
主役は全国民ですよね。 誰でもいつか必ず死ぬのですから。
それなら、医師のみ書類送検ではなく家族もそうするべきでしょう。 
こんな事、家族にとって医師に頼んで当然なのに(ここにおいでの方はどなたも脳外科もと助教授、もとに注目、のした行為を正しいと感じているのでしょう)、そのことでもと助教授は実名で報道されている。 
家族も頼んだからには、同じ状況におかれるべきでしょう。
そうして関係者を増やさないと議論が進まないでしょう。
医師のみに血を流すことを求めているように聞こえて、かえって、もう勝手にしたら。 という気持ちになります。 
不安は法律家の皆様には些細なことのようですが、この不安には頼まれた家族に背中から撃たれるという不安もあることをお忘れなく。
ともに戦うならともに血を流してください。

私は老年に近い中年でして、本来なら物知りと呼ばれなければならない年齢なのですが、現実は専門バカで世間知らずです。

今まで結構長く生きていますが、人が死ぬ瞬間に立ち会った経験は一回だけです。
ゼロ回の一般人も多いはずです。
これは医師と一般人の決定的な差かもしれません。
人の死を体験していない一般人の「善意の発言」が、医師にとってはクレーマーに感じる場面もあると思います。

そのあたりの温度差を埋める必要があると思うのですが、不本意ながら私には妙案がありません。
No.28で紹介した本が広く読まれれば、少しはマシになるかもしれない、と考えるのが精一杯です。

> 書類送検から不起訴になる過程でいくらかかるのか、どれだけ時間が取られるのか
> 弁護頼んでも何十万かかかるのかな。不起訴になるのが分かりきってて、何でこちらが金を払わなければならないんだ!?という疑問を持たれるのは当然かと。(No.25 KKさま)

書類送検された場合の時間拘束については、No.27 psq法曹さまのコメントを参照。

私は金銭的負担の面について説明します。
基本的に、刑事事件では、有罪判決を受けて罰金・科料のような財産刑を科されない限り、金銭的な負担はありません。懲役・禁固のような自由刑では自由を奪われるだけで、財産を奪われることはありません。
民事訴訟の原告のように訴状に印紙を貼るということもありません。
つまり、刑事裁判を「受けるだけ」なら非常に安上がりです。お金がない人は刑事裁判を受けられないとすると、犯罪者の多くは裁判を受けられないことになってしまいますからね。
不起訴で終われば、罰金刑すらもありません。

刑事事件で被疑者・被告人が負担することになる費用のメインは弁護士費用です。
書類送検された被疑者の段階では、弁護人を依頼するかしないかは自由です。従って、依頼するならば私選で、自分のお金を出してということになります。
被疑者国選制度は、殺人罪は対象罪名に入りますが、要件が身柄拘束されている場合に限るというところで、書類送検では対象外です。
私選の弁護士費用については、保険診療のような公定料金はなく、各弁護士の裁量に委ねられていますので(統一基準を定めることは独禁法違反と言われました)、ここでは一般的な話しかできませんが、
着手金は30万円(消費税別)くらいが相場と思います。

「自分は不起訴になるのが分かりきっているから、弁護はムダ」と考えるなら、頼まないという選択もアリと思います。
弁護人に付いてもらうことはしないが、スポット的に法律相談だけするという手もあります。法律相談は30分5000円が標準的です。
弁護士を依頼したら具体的に何をしてくれるか、またそれにかかる弁護士費用について疑問があるなら、相談された先生に、納得できるまで質問してください。その点で遠慮する必要はありません。

No.30
エントリーは、次のとおりです。
>「まず最初に、現場の問題状況を確認したいと思いますので、
 中止したほうがいいと思える延命医療とはどういうものか?
ということについて、皆さんのご意見をお聞きしたいと思います。」

ここで「医師のみ書類送検ではなく家族もそうするべきでしょう。」「家族も同じ状況におかれるべきでしょう。」と言われると、何だかガックリきます。
趣旨は、家族も医師もそういうことにならないように知恵を出し合いましょう、ということだと思っています。

一方で、過渡期として書類送検も無いとは言えない万が一の場合があるので、その時の話に及んだだけです。
そのために意図する方向(私のみ?)に進まないのであれば、本意とするところではないのです・・・(謝)(嘆息)

>No.30 みーこさん

 何度言っても無駄かも知れませんが、みーこさんは無駄な延命医療を止めたいのか止めたくないのかどちらなのでしょう?

>主役は全国民ですよね。 誰でもいつか必ず死ぬのですから。

 みーこさんは、患者の死の間際の苦しみを見るにみかねている(または医療費の負担に耐えかねている)家族とマスコミに踊らされている無責任な一般国民を一緒にしていますね。

>ともに戦うならともに血を流してください。

 いったい誰と誰が誰と戦っているのでしょう?
 医師が家族も立件すべきであると言うことは、「俺(医師)が撃たれたんだからお前(家族)も撃たれろ」と言って敵の銃口の前に家族を突きだそうとするようなものに思われます。

 医師がマスコミや警察権力と戦うために一番頼りにすべき戦友を医師自らが戦死させようとしているようなものです。

 医師が撃たれないようにするための最大の防御者を医師自らが葬り去ろうとしていることがわかりませんか?

 これで平行線なら、これ以上あなたにコメントすることはしません。

 先に趣旨を逸らすコメントをしてしまったので、お詫びと共に、改めて本題に添ったコメントをさせていただきます。

>中止したほうがいいと思える延命医療とはどういうものか?

 私個人の意見としては、苦痛を伴う処置を行ってでも延命を希望するという意思表示が不可能な状態となり、かつ積極的治療を行っても、再び可能な状態に戻る可能性が限りなく低い場合、それ以降の延命治療は不要だと考えます。
摂食が不可能となり、チューブを入れられる苦痛に暴れて抜こうとするため、手を拘束して経管栄養を行うような場合も含みます。
しかしながら、これは私自身だったら、まっぴらごめんということです。

 医師として、自分が治療を行う立場で考えれば、時間的猶予がなかったために、とりあえず助けて欲しいとしか家族には言えなかった → 始めてしまえば中止はできない、このパターンとなった延命は中止した方がよいと思います。
むしろ、最初からすべきでないと言うべきでしょうか。

 大抵の患者さんご家族は、延命治療というものが、どのような状態になった時に、どのような医療行為として開始、継続されるか、ご存じではありません。
当然、その結果が意味するところも知りません。
漠然としたイメージはあっても、自分や自分の家族にどう降りかかってくるか、実感できないというのが本音ではないでしょうか。

 私達、医師は、患者さんを診ていれば、そろそろ、そういう危険が出てくるというのはわかります(予想外の急変も勿論ありますが)
ですが、家族にはおそらくわかりません。
その段階で、予想されることを説明しておけば、よく考えて選択する時間が、家族に与えられます。
これが一番大事だと思っています。

 そして、最良なのは、健康なうちに本人が十分な情報を得た上で選択し、公的に認められる形で、それを記録しておくことができる、それが最大限、尊重されることかと。

 従って、この方法がとられるならば、たとえ、たった一分延ばすためだけの治療であっても、本人の希望なら中止すべきではないと考えますし、逆に、五分五分ほどに可能性のある状態であっても拒否や中止も認められるべきと考えます。

今「確認」を押したら、スレ違いのご指摘が。
でも、せっかく書いた労力が悔しいので、そのまま投稿します。
返事は無用です。皆様には本論に戻ってお話をお続けください。

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デモの方法のアイディア。

> 持ち場を離れてもいいとは思っていなかっただけです。(No.23 みーこ様)

ビラ配りやデモ行進をするために、全医師が一斉に職場放棄をするということは、考えていません。(弁護士会でも、そこまでやったことはありません。)
参加できる人だけが、参加すればよいのです。できるだけ、多くの医師が参加しやすい日時を設定します。
多くの病院や診療所が休みである日曜日の午後1時〜2時なんて、どうですか?

> 地方在住医師には、参加がとても難しいというのが難点ですが(No.24 猫医者 さま)

ある一カ所に全国から集まり人数の多さをアピールする、という方法では、確かに地方からの参加は大変です。
全国各地で同時的に(同日、それが無理なら1週間くらいの間に)実施するという方法もあります。
要は、目立って、新聞TVに取り上げられればよいので。
私としては、一般人に、医療の問題を自分たちの身近に考えてもらうためには、近い場所でやるほうがよいような気がします。
各県の県庁所在地その他の大都市くらいのスケールで、できるといいですね。

> 腰が引ける、というより、やった方が反発を招いて逆効果ではないかという、いわば国民に対する不信感があります(No.24 猫医者 さま)

スローガンの立て方によると思います。
 尊厳死の選択を認めよ!延命中止を犯罪扱いするな!
ということなら、少なくとも反発はされないのでは。

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> 医師のみ書類送検ではなく家族もそうするべきでしょう。
> そうして関係者を増やさないと議論が進まないでしょう(No.30 みーこ様)

「家族を送検せよ」論はこれで決着したと思っていましたが。
●呼吸器外し…医師を殺人で書類送検 No.133 YUNYUN(弁護士)
http://www.yabelab.net/blog/medical/2007/05/22-152707.php#c56122

みーこ様も含めて、今もって、このご家族を告発する人が一人も出ないところを見れば、
そういう方法が不適切であると、皆様お考えであることは明々白々です。

> 頼まれた家族に背中から撃たれるという不安(No.30 みーこ様)

経緯を明らかにし証拠を残すため、患者の親族から口頭による依頼ではなく、書面を一筆取っておくことは必要でしょう。
同等以上の近親者が居るが病院に来られない場合は、その人たちも呼吸器外しに賛成していること、もし意見不明の場合は、どういう理由で意見を聞けないかを書いてもらう。
例 患者の最近親者としては長男である私のほかに二男○○が居りますが、彼は10年来音信不通でどこでどうしているかわからず、意見を聞こうにも連絡の取りようがない状態です。

こうしておけば、もし後で、署名者が翻意しても、立ち会えなかった親族が反対だったのにと文句を言ってきても、
刑事責任を問われるということはないでしょう。

自分はみーこさんのいう内容自体には大変共感いたします。
延命治療の中断という行為の主役は医師ではなく、あくまで「患者」です。医師はこの状況においてはある意味単なる道具。
最後の決断は個々の死生観により決められるべきであり、医師はその患者の希望をかなえるためのツールにすぎないのだ、と。ここは同意です。他の方も特にこれに反対されてるということはないと思います。

ですから医師が集まって、それをもっと大きい声で声明を出すなり何なりしたらいいのではないのでしょうか、と法曹の方はいってるのだと思います。
「これは医師が決める問題じゃない!医師に責任を負わせるな!」という医師の声は国民にもそう抵抗なく届くでしょう。少なくとも何も言わないよりはましと思うのですが、どうなんでしょうか。
実際やるのは私達なんだ!というお気持は分かるのですが、分かるからこそもっと大きい声で言ってくれたらなあ、と思うのです。

YUNYUN様 
費用その他についての詳細な解説をありがとうございました。大変参考になりました。
医師の勤務条件の改善とかならまだしも、延命治療中断というケースで不起訴になるために30万とかいうのは…ちょっと気の毒な感じもします…。とはいっても今回のケースみたいに「不起訴が適当と思われる」という意見書つきだったら弁護士とかは実質的には不要なのでしょう。

モトケン様
現実的にはおっしゃるとおりの方法が一番手っ取り早いのかもしれません。
しかしその前には、何人かの医師が書類送検され不起訴となる過程を経なければならない、という事になるわけですよね…。
何かそれもちょっと気の毒ですし、誰もそんな地雷を踏みたくはないだろうなあ…という気もします。

これに遺産だの何だのという問題が絡んでくると…モトケン様が別に書かれていた「取り外しの前に発表」が本気で一番いい気がしてきました。

ここ数十年間で医療技術は急速に進歩しましたが、急速に進歩したが故に、目的を見失っている側面があるのかもしれません。
医療が進歩した原動力は、患者の長寿願望であることは論を待たないと思いますが、患者の希望は長寿だけではありません。
苦しまずにポックリ逝きたい、と思う老人は少なくないのです。
つまり、尊厳死を望む患者は少なからず存在するのに、医療と司法の対応が遅れているのだと思います。

>No.14 psq法曹さん

スレが伸びているので、亀レスとなってしまいますが、

別にガイドラインなどが出る前でも、公に認められる前でも(公に認めさせる活動をしつつ)、どんどんその承諾書を取っていけばよいのではないでしょうか。

まず、自分から尊厳死宣言を行うか、それに準じる意思表明を書面でされている患者さんは、すでに迷わずに、ナチュラルコースとしています。問題は、そのような意思表示無しのかたですが、急性疾患の発症後に承諾書を得ることは、それほど簡単なことではありません。

承諾書を取れるケースでは、承諾書を取るべく努力しますが、このような流れになるケースは自分の場合はまれです。
例えば、癌の患者さんで、初診時に、すでに根治不能となっている場合、または、術後に再発した場合に、あなたの寿命はあとどれくらいです、という話は、することは良くありますが、治療中に、本人に積極的な治療効果が見込めなくなったときに、延命治療を行うかどうかを尋ねるのは、なかなか難しいです。(この点、他の医師の見解を聞いてみたいです。)ただし、近年は、悪性疾患では、積極的な延命を行わないこととに同意する家族が殆どなので、苦労することは殆どなくなりました。

その結果、日常遭遇する、無駄な延命と考えられる方々の多くは、良性疾患で、来院時に脳血管障害などで、正常な判断が出来なくなっている方であり、そのような方は発症後に本人の意思を確認するのが困難であることが多いと思います。病院に来てから承諾書を取るのでは、取れないケースのほうが圧倒的に多いというのが実感です。

つまり、臓器提供カードのように、現在は健康な方に、自分が回復不能となったときに、呼吸器をつけるか、胃ろうするかを考えさせ、承諾を得ておかないと、無駄な延命治療を行わない、承諾書を得られる率は上がらないと考えます。

ここに参加されている、医師や、それ以外の方で、自分がそのような状態になったらどうしてくれと、家族と相談していない方は、是非一度考えてみてください。自分は、妻や、それぞれの両親と、癌の告知をするかしないか、胃ろうをつけるかどうかという話し合いをしています。(書面は残していませんが。)まず、自分自身が自分のこととして考えることが重要です。


米国での医事紛争の問題は今も継続しており終焉の見通しはない。医師達は躍起になってこの問題の解決を図るが、その進展はほとんど無い。法案を審議する議員の多くは弁護士で、自分たちの収入源である医事紛争を減らす法案はまず通過しない。
ハワイ州では2007年にTort reformが審議されたが、またまた過去と同じく、否決されてしまった。

Tort reformとは一般的に医療訴訟問題の軽減化をさすが、その内容はnon-economic damageに対して上限を設けることで、cappingともいわれている。


闇の部分もしっかりと認識しようね、お医者様達。

既に行われているナチュラルコースについて、
刑事捜査の末に不起訴・無罪になればよいではないかとの議論については
現場にかかわる者としては賛同しかねるところです。
もちろん、法曹の皆様のそのような主張の根拠については十分理解できるところですが、
刑事的に取り調べを受ける医療従事者の弁護に携わる身としては、
そのような方針以外の方法を模索すべきであると言わせてください。

医療従事者(特に勤務医等の給与所得者)は、
「患者様のために」過酷な労働条件に耐えていますよね。

そのような、ある種「まじめで警察のご厄介にもなったことがない」人たちが、
「他人のために自らを犠牲にしてきたにもかかわらず」
「犯罪者の疑いのもとに捜査の対象とされること」が、
いかに重要な意味をもつか、
我々法曹かは想像力を豊かにする必要があるのではないでしょうか。

実際、自分が携わった大規模医療刑事訴訟では、
結果的に無罪判決を取ることが出来ましたが、
被告人となった医師の人生は大きな変貌を余儀なくされました。
偏向報道を行ったマスコミも片っ端から訴えましたが、
結果は推して知るべしです。

 すでに述べられていることですが、とりあえず延命医療の範囲を、人工呼吸器の装着(気管切開等の気道確保は除く)、昇圧剤投与による循環動態維持、血液透析、心肺蘇生術などに限定して(経管・経静脈栄養療法は除く)、その「中止」について考える場合(「開始」を含めると難しくなるので)、(生命に影響を与える原疾患の根本的な治療が不可能であることを前提として)、まず第一に、対象となる患者さんの「意識状態(覚醒度)」が重要だろうと思います。

(1) 意識が清明である。
(2) 軽度の意識障害(あるいは脳機能障害)があるが、自発的に開眼し、コミュニケーションをとることができる。
(3) 意識障害があるが回復する可能性がある。
(4) 不可逆的と考えられる中等度(刺激によって開眼する。反応はあるが自発的な意思表示は不可能)〜重度(刺激しても開眼しない)の意識障害がある。あるいは、いわゆる植物状態。あるいは、脳死。

本人の意思が確認できない場合、個人的には、
(1)(2)の場合、一般的な感覚として延命医療の中止は困難だろうと思われます。
(3)の場合(例えば、治療不能の癌患者が、感染症や薬物中毒などを合併して意識障害を伴う呼吸不全状態になったが、治療によって意識や呼吸状態の回復が見込める場合など)、家族が治療行為そのものの中止を強く望まない限り、治療を行うことになるのではないかと思います。
(4)の場合に延命医療の中止についての議論が必要になってくるのではないかと思います。

もうコメントするのはやめようと思っていましたが、再度。

No.40
それはアメリカの話ですね。
アメリカは弁護士100万人で、議員の半数以上が弁護士だといわれています。
なお、ここでいう弁護士というのは、日本で言えば法律家全般というほうがいいかもしれません。

日本は、弁護士出身の議員さんは何人いるでしょうかね?
そして、アメリカの弁護士と日本の弁護士は、基本的にスタンスが違います。(もちろん個々には似た人は居るでしょうが)

前者は依頼者が訴訟の相談すると翌日には分厚い本のような暑さの解決法・対策がいくつもかかれたものを持ってくるが、後者(日本の弁護士)は「もう一度考え直したほうがいいですよ」と言うと言われています。(もちろんそれはアメリカ弁護士からは嘲笑されるコンテクストですが)

日米の違いに思いをいたさず、米の論理のみを引用・指摘されているので、誤解を避けるために、あえて書きました。

これで最後にしたいと思います(狼少年?)。

No41
法曹も同じことを言っているはずですが。
誰も「刑事捜査の末に不起訴・無罪になればよいではないか」とは言っていないと思うのですが。

それ以外の方法を模索するからこそ、このエントリーであり、上の「」のところは、万一そうなったときのケアのつもりで言ってきたのです。

> なお、ここでいう弁護士というのは、日本で言えば法律家全般というほうがいいかもしれません(No.43 psq法曹さま)

この表現では、趣旨が伝わりにくいかと・・・

法律家全般 ⇒ 法曹以外にも法律関係資格職全般を広く含む概念(例・司法書士、税理士、土地家屋調査士、行政書士、社会保険労務士etc)

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私は日本の弁護士として、
もし自分の息子から「弁護士は収入源が減るから、医療過誤訴訟を抑制することに反対なんだろ?」と言われたとしたら、
弁護士を侮辱するな!と張り倒すと思います。

No.40様の、弁護士であるお父上またはお母上とは、日本の資格を持った弁護士ではなく、アメリカ・ハワイ州の弁護士さんなのかもしれません。
もし日本の弁護士でいらっしゃるのなら、是非一度、「<日本の>弁護士にとっては、医療過誤訴訟を重要な収入源なので、訴訟抑制策には反対」と考えられるかどうか、お聞きしてみてください。
(その結果、張り倒されても、私は責任持ちません。)

No.39 田舎の消化器外科さん
現状の説明、ありがとうございました。
私の場合、妻とは常日頃そういう話をして相互に意思確認をし、子供にも伝えております。大事なことですからね。

なお、団塊世代云々というのがあったので、今後の話かと思い、事前の同意明確化を進めるべきではないかという反応になりました。
趣旨は良く分かりました。

反応すべきコメントの優先上、遅れてしまいました(謝)

何故に医師はデモをしないのか?
その通りです。皆さん思うでしょうね。

弁護士は基本的に個人経営ですから、弁護士会には皆さん同じような立場で参加されるのでしょう。
医師にも医師会がありますが、これは入会金も高く病院及び医院の経営者が一同に会する場であって、被雇用者たる勤務医は蚊帳の外です。
この人達が雇われ人の立場を考慮するあまり、例えば病院を一斉に休業するはずがありません。
医師会自体も6割の医師が入会していることになっていますが、実質的な会員数はもっと少なく(勤務医を病院が会費を立て替えることで入会させている事が多い)、また今は自民党の言いなりで、昔のような実行力のある組織ではなくなってきています。
つまり、医師は横のつながりが薄く、なかなか一致団結をして行動に移せないんですよ。そのストレスによりm3やこのブログに多数の投稿が寄せられている訳で、そのくせ実行に移せないんです。

例えば第二医師会なんて組織があればいいのですが。

No39 田舎の消化器外科医さん

癌の患者さんで、初診時に、すでに根治不能となっている場合、または、術後に再発した場合に、あなたの寿命はあとどれくらいです、という話は、することは良くありますが、治療中に、本人に積極的な治療効果が見込めなくなったときに、延命治療を行うかどうかを尋ねるのは、なかなか難しいです。

おいらのプラクティスは逆ですね。
寿命の話は本人から強く聞いてこない限りまずしませんが、
延命治療を行うかどうかというのは積極的に聞くようにしています

No.47 pon(内科医) さん
>弁護士は基本的に個人経営ですから、弁護士会には皆さん同じような立場で参加されるのでしょう。

弁護士資格を持つ法曹の方々に代わり、法律資格を持つ者としてあえて一言。我々法律資格者(弁護士、司法書士、税理士、社会保険労務士、等々)は、国家試験に合格のうえ、それぞれの士業会(弁護士会、税理士会、社労士会、等々)に入会して、その士業会への入会の事実を官報に載せて貰わないと○○士と名乗ることを許されません。

入会しなければ、単に「×年度試験合格者」であり、弁護士とか社会保険労務士という名刺を使うことすら法令上違反行為となります。この点で我々法律資格者と士業会の関係は、医師会に入会しなくても医師免許が交付される医師の皆さんとは違いがあります。

>何故に医師はデモをしないのか?

思い切りスレ違いの話ですが、スタッフがデモ、ビラ配りやってた病院の経験者です(苦笑)。なぜにビラ配りをしないのかと訪ねた場合、答えはこんな感じでしょうか。

1)年配の医者>余計なことやる暇があるなら黙って仕事しろ!
2)ネットに通じた医者>他に幾らでも有効な方法があるのに馬鹿じゃね?
3)いわゆる奴隷医>青息吐息でそれどころじゃない…

前述の病院で有志?スタッフがビラ配りをしていた頃、我々は仲間内で「どうやったら合法的にこの病院を潰せるか」なんて密やかな相談ばかりしていました。潰れるべきものを延命させるがごとき行動など、医局内にはほとんど支持するものはいませんでした。
昨今では周囲の先生にきいて見ても「子供にだけは医者をさせたくない」とそんな先生ばかり。ようやく脱出して開業した先生ですら「後をついで欲しい気持ちもあるが難しいね」と口を濁される。
結局のところ現場の人間に守る価値が感じられない、社会的に求められていないと思わされるようなもののために動く人間などいないということではないでしょうか。

先日地元の文化財保存のことで改めて思い知ったのですが、宮大工等の伝統技能所持者が今まさに絶えようとしています。もう一〜二世代もすると本当に修繕する人もいなくなるかも知れません(むろん、現代の技術によって形ばかり直すことは出来ますが)。
日本の伝統の継承なりそれらしい言葉でもっと世論に訴えていけばいいのにとも思うのですが、随分とさばさばしている感じで「まあ仕方ない」みたいに言われるのですよね。もったいないとも思いますが、傍目に医療もそんな風に見えているのかも知れません。

医者も技術職であって技術の継承こそが何よりも大事である以上、事情は大きく変わりません。医療崩壊の本質的問題は人手不足なんかではなく、受け継がれてきた技能が途絶えることです。もったいないとは思いますが、本来それは職人の側から言い出す話ではないのも確かでしょう。
もしいつの日か自分の子供が医者になりたいと言い出したら…少し嬉しくも感じるだろう一方で、「喰っていく手段として自己責任で選ぶならいいが、万一にも医者を天職だの聖職だのと妙な幻想を抱いているなら絶対にやめておけ」と言うでしょう。その上でそれこそゲロを吐くまで厳しく鍛えてやりそうな気がします。

>No.50 老人の医者さん の意見には賛成。
医師がデモやビラ配りができるほど暇だったら、医療崩壊なんて
起きなかったんじゃないかなあ、と。

だからこそ、医師が逃散しはじめた事実の傷は深く、病は重い。

話題は変わりますが、医療そのものが一種の"延命"なわけで
延命治療という表現はいささかあいまいすぎて議論しづらく
ないですか?

がん終末期医療と、痴呆老人の終末期医療でも、大きくかわる
でしょうから。そのへん、誰か定義できたら議論も進むでしょう。

訴えられるからには医師と患者あるいはその遺族と何か問題があるのだろう、
と伺われる民事医療訴訟と違い司法警察官によって行われる刑事捜査による
刑事医療訴訟とは質的な差異があると思います。

刑事事件にするということは、その行為に法に抵触する内容があり、法的な
秩序を維持するに必要な措置として行うという意味合いがあると思います。

しかるに、医療行為とはそもそも医師と患者あるいはその家族との、合意に
より行われるものであって、司法警察官なり検察官が介入するということは
その行為が、法的な社会規範に違反しているという認識を、国権を代理する
人々が考えているということにほかなりません。

すなわち、家族や本人が望む死ぬ権利を国が認めないというに等しいと考え
るのですが、いかがでしょう。

(重複投稿につき削除)

スレの流れからまたさらに外れて申し訳ないのですが・・・

>何故に医師はデモをしないのか?

これは医者がデモを行っても逆効果だから、というのが私が思う答えです。
「患者の命を粗末にして・・・」という論調がマスコミから絶対にあがります。
これに反論したとしても、その反論は一般市民には届かない(その理由はマスコミが客観的な報道しないから)。デモをやっても医療問題は改善されるどころか、ますます医療者の立場を悪くするでしょう。デモをすることはリスクの高い選択です。

黙って現場を去るほうがデモより数段効果的だと思います。けれど一番良いのはこのようなブログで地道に医療問題について発言して、いろんな人に医療現場の問題を理解してもらうことだと思います。医療を本当に必要としている患者を犠牲にせずにやれる一番簡単で効果的な方法だと思います。

さて、本題にもどります。

No.51とおりすがりさんの意見の「医療そのものが一種の"延命"なわけで」という発言には私もいつも感じていることです。

医療の必要性を考え始めると、人間の生や死とはという哲学的な問題に行き着いて、いつも結論がでません。永遠のテーマだと思います。

だから、中止すべき延命治療とは、という問いに答えるのは非常に難しい。人に永遠の命はないのだから、自力で生きられなくなったら中止すべきと思うこともあるし、人類の技術の進歩で生きることができる可能性があるなら、どんな場合でも延命を中止すべきでない、と思うこともあります。生とはなにか、その問題が解決されたときこそ、結論がでると思います。

答えになってませんね。すみません・・・。


(重複投稿につき削除)

すみません、なんかネットが重くてボタンを押しすぎたのか多重投稿して
しまいました。No.52とNo.53は削除してください。すみませんでした。

(管理人)
投票済みコメントを残しました。
ネットというかこのブログが重いんです(^^;
どうもすいません。

ちょっとここで一石を投じてみます

緩和治療が医療行為と言えるのであれば、延命治療の中止も医療行為と言えるのではないでしょうか。

医療の目的が「QOL」の向上、つまり「いかに良く生き、いかに良く死ぬか」を手助けするものだと定義すれば、延命治療の中止も医療行為の範疇に含まれるようにも思います

とおりすがりさん、No.55と56の削除にしてくださいね、52は投票ボタンもう私押しちゃいましたよ(笑)。

投票ボタンのコメントにも書きましたが、私は診療契約は医師一人と患者一人の間にだけ成立すると考えています。

ですから、No.52に殆ど同意ですが、「医師と患者あるいはその家族との」は「医師と患者との」へ、また最後の「家族や本人が望む死ぬ権利」は「本人が望む死ぬ権利」へ書き換えれば投票コメントに書いたとおり全文同意いたしたいと思います。

アメリカではたぶんそれが個人の権利とされていると思いますが、それに倣うほうが生存権という権利の概念に混乱が生じにくいと考えますので。

No.52 へのじぶんの投票コメントをちょっと修正したかったので、こちらへ書かせていただきました、すみません。

ぼつでおk(医)さんすみません。
どっちでもいいです。
モトケンさんかどなたか共同管理者の方が良いと思う方を生かして頂ければ。

延命医療の中止を希望する家族の方って、本人の肉体的苦痛と家族の経済的
苦痛と両方から望む方、多いです。経済的目的ならば殺人罪かもしれません
が、つきつめていくと結局、国の医療保険制度の運営ミスなんじゃないかと
いう気もします。殺してくれってマジで頼む人もいますし、そういうのは、
嘱託殺人であって、医師だけでなく家族も裁かれなければならないのでは
なかとか、なんか複雑ですね。でも、そこには患者本人の姿は見えないの
ですよ。悲しいことに。

psp法曹さん

>法曹も同じことを言っているはずですが。誰も「刑事捜査の末に不起訴・無罪になればよいではないか」とは言っていないと思うのですが。それ以外の方法を模索するからこそ、このエントリーであり、上の「」のところは、万一そうなったときのケアのつもりで言ってきたのです。

No27を読む限り、どうもそのような行間が読み取れず、即レスしてしまい失礼しました。

>今回のような場合(契機となった家族懇願→医師治療中止)、医師も家族も検察での取調べを受けることはないでしょうね。警察も不起訴意見ですし、知らないうちに不起訴になっているのが普通です。

若干本題をはずれるかもしれませんが、K市の病院において「家族の依頼」→「抜管等による延命治療中止」があった事件で、刑事裁判の一審においては「家族の依頼」が否定されて結構重い有罪判決が出されていたところを、本年の控訴審判決でやっと家族の依頼が認定された事件があったのはご周知のところです(控訴審で大幅な減刑)。不作為ではなく作為の事案ではありますが。また、昨年大々的に報道された北陸の病院の事案でも、家族は当初、延命治療中止の依頼の事実を否定し、しばらくしてから認めるに至ったということもありました。
手術同意書に限らず、同意書の有効範囲が問題となることは、民事訴訟においてとかく経験されるところですが、医療者としては、どこまで防衛的になれば免責となるのかに非常に興味があるようです。

ご指摘のとおり、、「医師としては普通に医療に携わっていれば良い」として、臨床現場の先生方を鼓舞したいところなのですが、自分としてはなかなかそうとも言い切れないところもあります。

なお、本題については、日本救急医学会から近時出されたガイドラインを叩き台として議論する方が効率的ではないでしょうか。同ガイドライン策定に携わったドクターには、医療と刑事司法に日頃から関心をお持ちの先生がおられますので、延命治療中止について同ガイドラインを抜きにして議論するのはもったいない気がします。

psp法曹さん

>法曹も同じことを言っているはずですが。誰も「刑事捜査の末に不起訴・無罪になればよいではないか」とは言っていないと思うのですが。それ以外の方法を模索するからこそ、このエントリーであり、上の「」のところは、万一そうなったときのケアのつもりで言ってきたのです。

No27を読む限り、どうもそのような行間が読み取れず、即レスしてしまい失礼しました。

>今回のような場合(契機となった家族懇願→医師治療中止)、医師も家族も検察での取調べを受けることはないでしょうね。警察も不起訴意見ですし、知らないうちに不起訴になっているのが普通です。

若干本題をはずれるかもしれませんが、K市の病院において「家族の依頼」→「抜管等による延命治療中止」があった事件で、刑事裁判の一審においては「家族の依頼」が否定されて結構重い有罪判決が出されていたところを、本年の控訴審判決でやっと家族の依頼が認定された事件があったのはご周知のところです(控訴審で大幅な減刑)。不作為ではなく作為の事案ではありますが。また、昨年大々的に報道された北陸の病院の事案でも、家族は当初、延命治療中止の依頼の事実を否定し、しばらくしてから認めるに至ったということもありました。
手術同意書に限らず、同意書の有効範囲が問題となることは、民事訴訟においてとかく経験されるところですが、医療者としては、どこまで防衛的になれば免責となるのかに非常に興味があるようです。

ご指摘のとおり、、「医師としては普通に医療に携わっていれば良い」として、臨床現場の先生方を鼓舞したいところなのですが、自分としてはなかなかそうとも言い切れないところもあります。

なお、本題については、日本救急医学会から近時出されたガイドラインを叩き台として議論する方が効率的ではないでしょうか。同ガイドライン策定に携わったドクターには、医療と刑事司法に日頃から関心をお持ちの先生がおられますので、延命治療中止について同ガイドラインを抜きにして議論するのはもったいない気がします。

 下記の<NO39:田舎の消化器外科医さん>の意見に賛成です。

>臓器提供カードのように、現在は健康な方に、自分が回復不能と
>なったときに、呼吸器をつけるか、胃ろうするかを考えさせ、
>承諾を得ておかないと、無駄な延命治療を行わない、
>承諾書を得られる率は上がらないと考えます。


 入院の際(後でも)、上記書面を病院に提出することを義務付ける法律を
作るべきではないでしょうか。健康な時に、各自が作成しておく方法です。
自己の意思表示を書面で提出するのですから、患者本人のためでも
あります。その後、気が変わったら、新書面と交換すれば良いでしょう。

 例えば、車免許証の裏面に、同様な記載項目と署名・捺印欄があれば、
更新のたびに記載しなおせるので便利でしょう。記載するかしないかは
本人の勝手なのですから、国は、そのくらいの便宜を図っても
良いのではないでしょうか? 勿論、自筆の書面が良い人は、
そうすれば良いでしょうし・・・。

 実は既に、(今は健康な)私は自筆で、署名・捺印つきの書面を
妻に渡してあります。勿論、
「回復不能な状況下なら、一切の延命治療を拒否する」という内容です。

 私の場合、80歳(前後)以降で癌になったら、延命どころか、
癌の積極的治療そのものも拒みます。
例え70歳くらいでも、病期次第では同様に考えるかも知れません。
そして苦痛がひどくなってきたら、あの有名になった
 「少量の水だけで餓死を選ぶ自宅安楽死(?)」 という方法を
選ぶような気がします。実はこの方法だって、今のところ、簡単には
実行できない法体制です。

 80歳を過ぎて延命もくそもない、(医師でなく) 神の思し召しに
従うというのが、私の感覚です。

 昨日、先輩の妻が肺癌でなくなりました。75歳くらいでしょうか。
手術―化学療法という闘病9ヶ月でした。聞くに堪えない、
つらい毎日だったそうです。でも、その夫婦愛には感動です。

 しかし、私が同じ75歳で、同様な病期だったら、やはり
闘病そのものを拒みます。手術はおろか、つらい化学療法まで
したいとは思いません。
つまり、ここまで生きれば、あとはいいよ・・・と思うでしょう。

  延命治療の中止問題は、やはり(一般的な)尊厳死・安楽死の
問題と切り離さずに考えて欲しいと思います。
(切り離した方が検討・議論しやすいのは確かでしょうが)

 こういう偏屈な人間の意志も、かなえてくれるような法体制を望みます。

 

長いですが、全文引用します。

患者の意思あれば延命中止 がん終末期医療に指針案 '07/6/6

 死期が迫ったがん患者の延命治療中止手続きについて、厚生労働省研究班(班長・林謙治国立保健医療科学院次長)がまとめた指針試案が五日、判明した。対象となる終末期を「余命三週間以内」と定義し、患者本人の意思を前提に中止できる医療行為の範囲を「人工呼吸器、輸血、投薬」などと明記する一方、意思確認できない場合は除外するなど慎重な判断を求めている。

 終末期医療をめぐっては、厚労省が「患者の意思が最重要」とする国として初の指針を作成し、五月に都道府県などに通知したが、延命中止の具体的な内容や終末期の定義には踏み込まなかった。がんなど病気の特性を踏まえた個別の指針は、厚労省が設置した研究班が担当。試案をまとめたのは初めてで、今後、医療現場の声を反映させながら内容を詰める。
 ただ、全国約千五百の病院が回答した同研究班の調査では、がん患者への病名告知率は平均で65・7%、余命告知率は29・9%にとどまり、患者の意思確認が容易でない実情にどう向き合うかが課題となりそうだ。
 試案は末期がん患者の終末期を、複数の医師が繰り返し診察するなどした結果「余命三週間以内と判定されたとき」と定義。指針の目的を「終末期の患者が、尊厳ある死に至るプロセスを選択すること」とした。

 患者の意思確認の方法は(1)二年以内に書かれた文書(2)口頭での患者の意思表示(3)家族による患者意思の推定と同意―のいずれかとした上で、中止や差し控えの対象は「人工呼吸器、人工心肺、栄養や水分の補給、輸血、投薬などすべての治療」とした。
 患者の意思が確認できない場合や、認知症や知的障害で判断が困難な場合などは、対象から除外するとしている。
 同研究班は今後、植物状態など、がん以外の病気についても指針を検討するとしている。
 林班長は「がんは三人に一人が亡くなる日本人の最大の死因だが、病状の経過がある程度予測可能で、患者や家族と治療方針を検討する時間的余裕もあるケースが多い。今回の試案を、終末期医療をめぐる議論を一歩進めるきっかけにしたい」と話している。

初回の指針としては、概ね妥当と思います。
中止可能な行為を「すべての治療」としたことも、(話が複雑にならず)理解しやすいです。
個人的な感想としては、予後数日は比較的判断しやすいですが、予後3週間の判断は当たり外れが多いと思います。
以前も書き込みましたが、あとは、個人の意思表示を促すシステムが必要と思います。

んじゃ わたくしもすこし引用
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第107回
延命治療の中止を巡って(15)
パターナリズムの呪縛
李 啓充 医師/作家(在ボストン)
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2007dir/n2730dir/n2730_04.htm
「 何度も書いてきたことだが,現在の米国医療において,延命治療の中止はルーティンの医療行為であり,昨今の日本のように,「安楽死」や「殺人」と混同されることはありえない。カレン・クィンランの呼吸器取り外しを巡って両親が法的手段に訴えたのは1975年のことだったが,当時,米国でも,延命治療の中止が安楽死と混同されたり,中止に関わった医療者が殺人罪に問われる可能性が論じられたりしたことを考えると,延命治療の中止を巡る現在の日本の状況は,30年以上前の米国の状況に酷似しているといってよいだろう(言い換えると,いまの日本は,米国と比べると30年以上遅れた議論をしているのである)。」

アメリカでは民事の医事紛争は多少もりあがってるらしいですが
延命関連の刑事については盛り下がってるようで
弁護士さんの商売気がからむ余地は無いようです

108回からも引用
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2007dir/n2732dir/n2732_05.htm
「現在,日本で,家族の合意を得たうえで回復の見込みがない患者の延命治療を中止した医師を殺人罪で訴追することが検討されているようだが,もし,件の医師が殺人罪で訴追されるようなことになった場合,日本では,終末期医療を巡る医療倫理の理解が著しく遅れていることを,世界に喧伝する格好の機会となることは間違いないだろう。四半世紀前,「延命治療を中止したのは殺人」と,ネジルとバーバーの2医師が殺人で訴えられた際,カリフォルニア州控訴審は「殺人罪で告発することによって,延命治療の臨床に関わる重大な決断に直面する医師たちの倫理・道徳的規範を決めようとするやり方は,愚かな方策」と,検察の姿勢を厳しく叱責したのだが……。 」

108回からも引用
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2007dir/n2732dir/n2732_05.htm
「現在,日本で,家族の合意を得たうえで回復の見込みがない患者の延命治療を中止した医師を殺人罪で訴追することが検討されているようだが,もし,件の医師が殺人罪で訴追されるようなことになった場合,日本では,終末期医療を巡る医療倫理の理解が著しく遅れていることを,世界に喧伝する格好の機会となることは間違いないだろう。四半世紀前,「延命治療を中止したのは殺人」と,ネジルとバーバーの2医師が殺人で訴えられた際,カリフォルニア州控訴審は「殺人罪で告発することによって,延命治療の臨床に関わる重大な決断に直面する医師たちの倫理・道徳的規範を決めようとするやり方は,愚かな方策」と,検察の姿勢を厳しく叱責したのだが……。 」

アメリカといえば、2年前、テリー シャイボさんの延命処置中止の是非について大騒ぎをしていましたね。アメリカは日本ほどではないにしても、延命医療の中止に関しては、(患者さんが、その医療をカバーできる保険に入っている場合は)慎重になっている傾向にあるように感じます。そういう関係のMailing list上のDiscussionを読んでいると各国の状況が分かります。ヨーロッパ、オセアニアに比べ、アメリカはずいぶん慎重です。ただ、日本のように、脳死患者の心臓を動かし続けるようなことはしないようです。以前、海外での学会で、日本では脳死患者が2,3日、呼吸器にのったままになっていると話したとき、「さすが、日本はお金持ちだね」と皮肉を言われました。私がイギリスで働いていたころ、植物状態になりそうな患者さんの挿管チューブを抜くのは、日常的なことでした。日本でそれをやったら確実に殺人罪ですね。イギリスでは患者も家族も望まない延命医療をやっていることが倫理的に許されない雰囲気でしたが。
余談でした。

>しゅうさん

>日本でそれをやったら確実に殺人罪ですね。

 議論にはなりますし、現状では警察による書類送検の可能性は高そうですが、検察の起訴の可能性はどうでしょうか? それほど高くはなさそうに思えるのですが。

>余談でした。

 とんでもない。
 エントリのテーマそのものです。

延命治療の中止には、利害関係のない新たな第三者の仲介が必要と思ってます。

遺言と同じように公証役場で公正証書を作ってもらう位の手続きを踏んでも良いと思ってます。

大事なことは手続きが透明化することで、医師は患者/家族のゴタゴタから、法的に保護されながら開放される保証になるかもしれないということです。
もちろん、患者/家族の事前の意思表明を公証役場でやってもらうというのが前提です

医療の密室性を開放する仕組みがなければ、家族の都合だけで実質殺人の手伝いをさせられる危惧さえなしとしません。

P R

ブログタイムズ

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