エントリ

 このブログの医療問題エントリは、医療崩壊を(できるものならば)なんとか食い止めたいという思いのもとに、このブログでできることとして司法側と医療側の相互理解を目指して続けてきました。

 もとより私一人で司法側としての対応ができるはずもなく、決して数は多くはありませんが私の気持ちに賛同し献身的と言ってもいいほどの熱意でコメントを寄せてくださった数人の弁護士を中心とする法曹や研究者の方の協力によってこれまでやってこれました。

 私としましては、さらに多くの司法側の皆さんに医療側の実情を理解していただき建設的な意見をお聞きしたいという気持ちを持ち続けており、これまで何度かブログ上で呼びかけをしたこともあります。
 最近では、nuki さんなど新しく参加してくださった弁護士もありうれしく思っていましたが、まだまだ少数であり、さらに多くの司法側の皆さんが参加してくれないかなと願っていたところです。

 しかしここ数ヶ月の間に一部の医師の発言をめぐって私自身の思いとしていくつかのエントリにおいて医療側の議論の姿勢に対する私の不満を述べさせていただきました。
 やや表現に不適切な部分があったかも知れませんが、その根底にあった気持ちを「特にロムの医師の皆々様へ」のNo.126 モトケンのコメントにまとめてあります。

 そのようなところに、某掲示板(いのげちゃんねる)のこのブログに関するスレッドが紹介されました。
 異なる意見もあるようですが、概ねこのブログ(というかほとんど私)に関する批判(極めて控えめな表現)であります。

 念のため申し添えますが、いのげさん個人は私が最も信頼する医師の一人であり、以下の記述はいのげさんに対するいかなる批判を含むものではありません。
 若干皮肉を込めて言わせていただければ、いままでm3という医師以外は見ることができなかった掲示板の中を見る機会を与えてくださったという意味で感謝しております。

 話を元に戻しますが、
 某掲示板の投稿者及び投稿者と同様の考えをもつ潜在的批判者の数が、医師全体の中でどの程度の割合なのかわかりません。
 しかし、医師である老人の医者さんがコメントにおいて、「少なくとも自分が見聞している範囲では明らかに否定的に見えますが。」と述べておられることからしますと、某掲示板の批判者及び潜在的批判者は無視できないほど多数であることがうかがわれます。
 ある世俗的な推計理論を適用しますと、某掲示板における批判者の100倍から数百倍の潜在的批判者がいても不思議はないことになります。
 仮に100倍と見積もっても無視できない数字です。
 医師全体の中から見れば微々たる数字だという意見もあるかも知れませんが、その根拠を示していただかないと納得はできません。

 私及び常連の司法側に見えるのは、このブログに投稿する医師の意見と某掲示板に投稿する医師の意見だけです。

 ちなみに、このブログには、はてなリング経由のアクセスも少なくありません。
 昨日一日で100人以上のアクセスがありました。
 その中には法曹が相当数含まれているはずです。
 そのような法曹から見えるのも、このブログに投稿する医師の意見と某掲示板に投稿する医師の意見だけです。
 そのような法曹が某掲示板を見たときどう思うでしょうか。
 某掲示板の投稿者が医師全体の中で何割程度を占めるかという問題はほとんど関係ないと思います。
 そのような法曹が、医師の一部はこんなことを考えているのか、そしてそのような批判者がこのブログを見ているのか、ということを考えただけで、このブログで司法側と医療側の相互理解のために協力しようという気になるとは到底思えません。
 今まで協力していただいた法曹の皆さんはネットリテラシーの高い方が多いので私ほど悲観的ではないかも知れませんが、最近の状況を見ますとそうそう楽観できなのではないかと思います。
 仮に、今後も協力いただけるとしても、現状では無用の心労と時間的ご負担をおかけするばかりではないかと申し訳ない気持ちが先に立ちます。

 そこで私としては、このブログの医療問題エントリをめぐる状況を確認したいと思います。
 
 これまでコメントをされたか否かを問わず、医師の皆さんにお尋ねします。
 今後もこのブログにおいて司法側との議論を希望されますか?
 今後も司法側と医療側の議論を読みたいと思いますか?

 これまでコメントをされたか否かを問わず、司法側の皆さんにお尋ねします。
 今後も医療側との相互理解のためにご協力いただけるでしょうか?

 回答にあたってはこのブログの投票機能を利用させていただきます。
 このエントリをアップした後、

 「医師として継続を希望」というハンドルネーム及び「司法側として協力する」というハンドルネームでコメントをします。

 議論の継続(そのROMを含む)を希望される医師の方は、「医師として継続を希望」のコメント欄下部の「投票」ボタンをクリックし、表示される投票画面でもう一度「投票」ボタンをクリックしてください。

 今後も協力する意思のある司法側の皆さん、同様に「司法側として協力する」のコメント欄で投票してください。

 ネット投票の問題性は十分認識した上での判断です。
 二重投票防止措置は一応講じてあります。
 匿名投票でも結構です。

 なお、投票状況はこちらで確認できます(かなり重いです)。

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コメント(16)

 司法側との議論の継続を希望する医師及びそれを読むことを望む医師の方は、下の投票ボタンで投票してください。

 司法側の皆さん、よろしくお願いします。

モトケンさん、誤解だとあえて申し上げます。
僕がモトケンさんの立場であれば掲示板の存在を知ればぶち切れすぐに閉鎖すると思います。
それでもあえて言います。
掲示板の書き込みを見ても本当の意味での批判は少数です。
モトケンさんの内的必然であったにせよ、ほかの誰がモトケンさん以上のことができたのかということをのぞけば、感情的反発に感情的(理性の衣をかぶしたとしても)なエントリーを立ち上げられたことへの批判以上のものを持つ医師はほとんどいないと思います。あの掲示板においてですらです。そして、僕は老人の医者さんの指摘はわかりにくかったけれど、むしろ今までの議論を惜しむという意見だったと思っています。老人の医者さんはモトケンさんのサポーターではないかと思います。
ドアを1万回あけると壊れるとします。ドアを壊すような行為はたくさんありました。しかし、1万回目が並外れてひどくなかったので違和感を覚えたという気もします。
多くの医師はモトケンさんを尊敬しています。

ログが長いからFAQがあるといいなあ、と発言した私は
批判者なのでしょうか…。

はっきりひと言、ROM時代から一貫して尊敬申し上げております。
この医師非難の声荒れる時代に、このブログを立ち上げなさったモトケン先生の度量の大きさは、はっきり言って日本一だと思います。われわれ燕雀の到底思い及ぶところではございません。ここに参加するようになってそのことをますます痛感いたしました。
である以上、私はモトケン先生のブログ運営法にすべて従うのが私の務めであり、参加させていただいた者のとるべき礼儀であると心得ます。
以上、いち燕雀(て、どっちなんだか(笑)自分でもわかりません)のサエズリ(笑)でした。

僕は、いのげ氏が引き継いでも、ことは簡単ではないと思いますよ。ただ、モトケンさんが望むなら、判断して下さい。僕でも少しは協力できます。その上で、正直に書きますよ。

1 『司法側』と『医療側』との相互理解は、『医療崩壊』の抑止に決定的なものではありません。政治的経済的社会的複合要因ですから。
2 司法側との協力や相互理解が重要であることと、医師側の自暴自棄の表現がやむを得ない事態であることは、相互に独立した事実です。
3 司法側が推測する、医師達の心の痛みの程度は、リアルな医師達の痛みよりも、ずっと軽いものです。

要するに、相互理解と医療崩壊はバーター関係にない、と思います。

残念ながらm3comの投稿の大部分は建設的なものではありません。
だからこそ、モトケンさんの議論は貴重だと感じています。
私はとびとびにしか読めていないので、これ以上のコメントができないのが残念です。

モトケン先生、本当にお疲れ様です。

 私のブログにも医師の方々からのコメントが殺到し、同様の事態に陥ったことがあるので、お気持ちはよく分かります。

 しかし、「司法と医療の相互理解」をめざすと言われていますが、具体的には何を目的とされているのか、よく分かりません。

 医療崩壊は政治の問題であり、弁護士などの法曹関係者(少数かつ無力)よりも政治家や国民全体に考えてもらわなければならない問題だと思います。

 もし、本気で医師の方々の司法(刑事?民事?)に対する誤解を一つ一つただしたいのであれば、今までのコメント内容や新たな文献をもとに、QアンドAなどを作成されたらいかがでしょうか。

 私は自分のブログ内に一般の方々向けの刑事裁判についてのQアンドAを作成しましたが、これによってかなり議論の整理ができ、その後の混乱を回避することができたと思います。
 しかし、ものすごい時間とエネルギーが必要でした。

 もし、モトケン先生が本気で医師の方々に司法に対する理解を深めてもらいたい(誤解を解きたい)とお考えでしたら、たくさんのエントリーに対するたくさんのコメントを交通整理され、QアンドAなどを作成して分かりやすく提示することが必要だと思います。

 しかし、これは本業の仕事が忙しいと、なかなかできないことだと思います。

>フィデル さん

>残念ながらm3comの投稿の大部分は建設的なものではありません。

 しかし、一般の人及び法曹から見ると、医師の意見(の一つ)です。

 医師全体の中での何割かの考えを反映しているものと読めます。
 何割かは問題ですが。

 そして建設的でない意見に対する医師の反応もまた医師の意見(の一つ)とみなさざるを得ません。

 私は、そして他の法曹も、後者を重視したのです。

>M.T.さん

>しかし、「司法と医療の相互理解」をめざすと言われていますが、具体的には何を目的とされているのか、よく分かりません。

 簡単にいうと、

 1 司法側としては、医療側の司法不信の原因を理解すること
 2 医療側には、司法判断の仕組みを理解してもらうこと

です。

 1は2を説明するための前提です。
 2は何のためかというと、医療側の司法不信を少しでも軽減してもらいたかったことと、医療側のリスクマネージメントに役立つのではないかと考えたからです。
 一部からは詭弁と言われましたけどね。

>もし、モトケン先生が本気で・・・

 そのためのシステム的な準備には着手してはいます。
 私一人では無理なので、LMnetの皆さんに協力を仰がなければいけないとは思いますが。
 コメントの投票欄の右端にあるテキストボックスはそのためのものです。
 私がしょーもないことにかかずらわったりしましたので、実現できるかどうかわかりませんが。

モトケンさま、おつかれさまです。いつもありがとうございます。

私は当該掲示板を拝見していませんので、なんともいえませんけれど、大体想像はつきます。なんと申し上げていいかわかりませんが、医師ばかりの集まりは、基本的に批判的なものです。意地悪と言うかスレているというか、あれは常に「学説」がひっくり返るために、既発表の論文でさえ、簡単に信じると足元をすくわれるという私たちのすんでいる世界による特性によるものかもしれません。


もうひとつは、やはり不信感があるのはぬぐえません。
誰しも嫌な経験はあるものですが、検察とか弁護士と聞くだけでゲッとなる方も多いはずです。(みなさま、ひとつふたつは法曹の方々のお手をわずらわしたというか、こちらからすると「ひどい目にあった」経験がありますので。)

それとストレスラットをゲージに閉じ込めて、みんながキーキー鳴いているようなストレス高い医療界です。ストレスが言葉に反映されて必要以上にキツイ言葉が出ていることもあるかとは存じます。
粘り強くやっていくしかないのではないかと思われます。
あっちこっちから踏みつけられて、居場所のない荒みきった動物たちだと思っていただければいいかと思います。

あまり耳を傾けなくてもいいかと思われます。
必要があればきちんと書き込みをされると思いますし。
あまりお気になさらないでくださいませ。
医師側として幾重にもお詫び申し上げます。

モトケンさんへ

<医療側の司法不信を少しでも軽減してもらいたかったことと、医療側のリスクマネージメントに役立つのではないかと考えたからです。>

 こういうことは、本来、病院の顧問弁護士や保険会社側の弁護士(示談や訴訟では病院や医師の代理人となる)が、なされるべきではないかと思います。
 (もっとも、私のブログでこう説明したら、勤務医の先生方から「病院の顧問弁護士は勤務医のことなんて考えていない。」とお叱りを頂きましたが・・・)。

 病院や病院の顧問弁護士が、日頃から司法の「システム」や「リスクマネージメント」についての研修(判例研究なども含む)を行うべきであると思いますし、実際に実施されている病院もあるようです。
 
 そういう病院ではない病院に勤務されている勤務医の方々に対しては、病院以外の組織で研修の機会が与えられるべきだと思います。
  
 この分野での弁護士のニーズは相当高いのではないでしょうか。
 私は、患者側の弁護士ですが、医療側にももっと優秀な弁護士がたくさん必要だと思います。

 モトケンさんが、ブログであえてこの問題に挑戦されるというのでしたら、ちょくちょく拝見させて頂こうと思っています(残念ながら協力はできませんが)。

 でも、医療側の方々にも司法側のQに答えて頂きたいものですね。Qでしたら、いくらでも提供させて頂けますよ。

1 司法側としては、医療側の司法不信の原因を理解すること
2 医療側には、司法判断の仕組みを理解してもらうこと

1私の司法に対する不信は、ここに来るようになってずいぶん軽くなりました。なくなったとまでは申せませんが。

2司法判断の仕組みを理解したとはとても言えませんが、「結果が悪ければ罰せられる」が明らかに誤っていることぐらいはわかるようになりました。

しかし医療側のコメントの誤りを指弾しないことが、司法側ロムの方へどう見えるかまでは考えていませんでした。
エントリNo.1への投票数がダントツになるのは容易に想像できますが、No.2への投票数が気がかりです。

今後、LMNetを通じて協力できることがあればと思います。

>以下の記述はいのげさんに対するいかなる批判を含むものではありません。

よーくわかっております

>某掲示板の批判者及び潜在的批判者は無視できないほど多数であることがうかがわれます。

これも大筋同意であります
さらにいうと医者の大部分は法廷を見たことがないし
見るヒマもない そこからくる無知誤解があります

>そのような法曹が某掲示板を見たときどう思うでしょうか。

わたくしは常々 「司直に医療をチェックする能力は無い」
と申しております.今もそう思っています.
医療関係者にしか医療をチェックする能力が無くて
司直にチェックされたくないのなら
充分な自律性・医療による医療チェックシステムをつくらなければ
それはそれで医療が荒れます
「医者による医療チェック機構の確立」を作ろうという機運が
ネット医師世論にほとんど見られないことについては
これまた常々 おおいに不満を持っております
いのげちゃんねるは現在 m3掲示板の対立的補完として
集客中であります.
そろそろもう少しマシな話題を増やして行きたいと言う気が
ここ数日でやっと沸いてきたところです

 先日、カンファレンス後の雑談で和歌山県立医大の人工呼吸器取り外し事件が話題にあがった際、書類送検の意味について私が同僚に説明できたのは、ひとえに本ブログ並びに法曹の諸先生方のおかげです。この場をお借りして御礼申し上げます。

医療訴訟の歴史を振り返ってみれば、確かに医師の献身的な仕事で廉価で国民皆保険が実施されてきたものの、少数の犠牲者についての権利保護が十分ではなく、明らかな過失があっても、その権利の救済が難しく、地団太を踏む時代がありました。

その時代に安住していた医療側も、過失責任主義の転換があり期待権というものを認め、想定される医療レベルに達しないものを不作為責任として追及されるような反動の中、恐れ慄きながら、ようやく医療安全について、被害者救済について、説明責任について、席に付いて対応するようになってきました。

医療訴訟の影の部分だけでなく、光の部分もスポットを当てないと、議論は偏ってしまうでしょう。

同時に、少数の医療被害者と言われる人を司法で救済するということの弊害も見えて来た気がします。廉価だけれど安全性が担保されない医療から、安全性を担保される医療に変換される時に必要な人材、資源、社会環境はかなりの部分が枯渇・腐敗しました。

残念ながら、安価で安全で何時でも受けられる医療というのは、矛盾しているか、医療者の犠牲なくして成り立ちません。これまでの医療での患者の立場が弱者であるとするなら、今の医療環境での医療従事者は弱者と言うべきでしょう。

法律は、つまるところ私人間の権利の調整の役割、個人と社会との緊張関係の調整の役割を担っているものと思っています。

新たな医師・患者・社会の関係がどうなるのか、揺れ戻しのなかで、大人の関係を作っていく苦しみの時代と思ってます。
大人の関係と言うのは、甘えがない分、厳しいものではあります。
医師にとっても、患者にとっても、社会にとっても。

残念ながら、日本では大人の理性を発揮する人を尊敬することを忘れている人が多くなった気がします。

 智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

夏目漱石の時代から、何が進歩したというのでしょうね(笑)

大人が少ない世界と言うのは、私にとっても住みにくい世界だと思いますが、大人を増やすことは自分の住みやすい世界にするために必要なことだと思ってます


P R

ブログタイムズ