エントリ

 このエントリは6月15日午前10時ころに書いていますが、「医療側と司法側の皆さんにお尋ねします。」でお願いした投票結果は、現時点の結果を見る限りかなり危機的です。
 今は何がどう危機的かを明確に指摘することはせずに、その背景事情を語るにとどめます。

 医療崩壊の原因はさまざまあるでしょうが、その要因の一つとして医療側の司法不信があることは間違いないでしょう。
 司法不信との関係で図式化すると

 トンデモ判決・トンデモ起訴 → 司法不信 → 逃散 → 医療崩壊

ということになると理解しています。
 そして、医療崩壊の医師側の象徴的行動とも言うべき「逃散」の根底にあるのは、「明日は我が身という恐怖感」だと認識しています。
 つまり、逃散の原因の大きな部分は感情反応だと考えています。
 私が使った「感情反応」という言葉の中にはいかなる非難の意味も含んではいません。
 純粋に事実認識としての言葉です。
 そして医療側としては当然の反応であろうと思います。
 司法側から見ても、まったく何の不思議もない反応です。

 医療側の恐怖感とそれによる感情反応は、医療崩壊に関する議論がこのブログで始まった当初において、私を含めて司法側の人間の全てが理解したと思います。
 そして、恐怖感による感情反応を抑止するには「理性的判断」しかないのではないかという考えのもとに、司法側は、理性的判断の材料として、司法の仕組みや考え方を説明してきたのです。
 それによって少しでも恐怖感を和らげ克服してほしいという願いからです。

 我々司法側は、多くの説明を繰り返すことにより、少なくとも常連の医師の皆さんには我々の考え方自体は理解されてきているのではないかと思っていました。
 司法の仕組みが理解されていると思ったという意味ではありません。
 我々が、医師が恐怖感を克服するための理性的判断の材料を医師に対して提示しようとしている、ということを理解してもらっていると思っていたわけです。

 ところがそのような認識が司法側の独りよがりであったことを思い知らされるような事態が何度か生じました。

 座位 さんが今朝のコメント

 特に医師の場合、誰もがいっぺんは通る、法曹への敵視や悪罵への衝動が、次から次へとヒトを変えて蒸し返されているのです。

と指摘されました。
 この指摘は今回初めてのものではなく、以前にも同様の指摘があり、そのこと自体は司法側としても理解できます。
 過去ログ読めというつもりはありません。実際不可能です。
 司法によって恐怖感を与えられた医療側が司法関係者の運営するブログで自分の思いをぶちまけるというのはそれ自体が感情反応(ここでは非理性的非論理的という意味で否定的評価を含みます)ですが、司法側が日常業務で経験している反応ですからそのことによって司法側が腹を立てたりしません。
 司法側は上記の基本的な考えに従って説明を試みました。

 しかし、一部の医師はそのような司法側の説明に対して全く理解する姿勢を示しませんでした。
 私が問題にしたのは、この段階における医療側の反応だったのです。

 ただし、私はこのときミスを犯しました。
 「共感」という曖昧な言葉を使い、しかも医療側の何に対するどのような共感を問題にしたのか明確に説明しなかったのです。
 当時としては私自身の感覚の整理がついていなかったのがその原因だと思われます。
 議論を混乱させた責任を感じているところですが、話を続けます。

 私が、問題に感じたのは、新規参入した医師が法曹への敵視や悪罵をぶちまけることへの共感ではなく、司法側がそのような新規参入医師に対して説明を試みたのに理解しようとする姿勢を示さないにもかかわらず、医療側が依然としてその新規参入医師に共感を示したことなのです。

 私はその状況を見て、医療側は、私を含む司法側が何のために医療問題をエントリでコメントを繰り返してきたのか全く理解されていないのではないかという重大な疑念を抱いたのです。
 私のモチベーションを急激に下げるのに十分な状況でした。
 そのとき私の頭に浮かんだ言葉を正直に言いましょう。

 医師は甘えている。

 私以外の司法側の頭にも同様の言葉が浮かんだのではないでしょうか。
 それ以来、私はスタンスを微妙に変えるようになりました。
 甘やかしているだけでは状況は変わらない、という思いからです。
 「司法側の対応が冷淡になってきている」というコメントがあったと思いますが、その認識は外れてはいません。

 私が、議論のあり方について問題提起を繰り返した理由がご理解いただけますでしょうか?

 医師が、病気で苦しんでいる人を何とかしたいという使命感で状況の悪化にもかかわらず必死にがんばっておられるように、弁護士の中にも困っている人を銭勘定抜きで何とかしてあげたいという気持ちを持っている人がいるのです。
 しかし、医療が病気を治そうという気持ちがない患者に対しては力を発揮できないように、弁護士の助力も自ら事態を打開しようとする意思のない人には無意味です。

 すでに何度か指摘したことですが(例えばここ)、医療崩壊問題で誰が一番苦しみ不利益を受けているのですか?

 ここは私のブログですから、私の自由にやらせてもらっています。
 しかし、私以上に時間を使ってコメントしてくださった匿名の弁護士など司法側の皆さんは、全くのボランティアです。
 匿名というのは宣伝効果などということは全く考えていないことを意味するのですよ。
 誰のために時間を使ってくれたとお思いでしょうか?

 私は常々、そのような司法側の皆さんの行動に心から感謝と尊敬の念を抱いていました。
 他の司法側の皆さんの協力なくしてこのブログの医療問題エントリはなかったのです。
 すでに過去形かも知れませんが。。。

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コメント(94)

医療問題エントリを今後どうするかはモトケン先生が決定することですが、
このまま「所詮分かり合えないのさ」で終了してしまうのは、私のようなROMからみて、
なんか、かっこわるいって感じがします。

理解しようと努力できる方もいれば、理解しようとしない方も居ます。
そして、人間はそのどちらかの部類にはっきり分けられるというものではないと思います。
特に、「明日は我が身という恐怖感」を持っている場合、理解したい自分と、理解したくない自分が一人の中でせめぎ合ったとしても無理はないのではないでしょうか。

恐怖感による感情反応を抑止するには「理性的判断」しかないのではないかという考えのもとに、司法側は、理性的判断の材料として、司法の仕組みや考え方を説明してきたのです。  それによって少しでも恐怖感を和らげ克服してほしいという願いからです。
確かに恐怖感による感情反応を抑止するには「理性的判断」は重要ですし、こちらのブログが与えることができるのも、理性的判断の材料だけです。 しかし、理性的判断の材料だけでは恐怖感を取り去ることができないのもまた事実です。

友人の幼い子供を持つ母親が言っていましたが、
浅瀬で溺れている子供に対しては、そこは背が立つ深さしかないのだから立ちなさいと橋の上から説教するのは悪い方法で、川に入っていって抱きしめて立たせてやるべきなのだそうです。
背が立つ深さしかないと諭すのは、その後です。

子供の成長には、厳しい父親と、甘えてもいい母親が必要、と言うことですね。

もちろん「医師」は頑是ない子供ではありません。
しかし、医師は医師である以前に人間です。
そして、人間なんて、いくつになっても子供みたいなもんだと思います。
このブログは「父親ブログ」です。
どっかに「母親ネット」ができても不思議ではありません。
(本当は母親は親父に知られないように子供にあめ玉をなめさせるものなんですが・・・)


こちらのブログは、司法側からも医療側からも多くの方から助言を得られるほど信頼を得ています。
これもひとえにモトケン先生のお人柄と努力の成果でしょう。私にはとても出来ないことですから。

医療問題エントリを終えるなら終えるなりに、
何か、これだけのことは出来たのだ、という
「オチ」をつけて欲しいと思います。

ああ、この段階で誤解があるのかもしれません。われわれは怒ってやめるんじゃなくて、醒めてやめていくんじゃないかなとおもいます。患者さんのためという感情がいままで医療をささえてきた。でも現場にとどまる最近のリスクを理論的に考えるとやめるという結論に達してしまうんです。

医療界は理論的に矛盾だらけでまともな精神状態では現場にいられません。現場にいるためには患者さんのためにとか、逃げるのは医師として恥ずべきだとかそういう感情で自分を洗脳して現場に踏みとどまるしかなく、そのような医師ほど無理解をあらわにして法曹の絶望をさそうのです。司法にそれをぶつけるのは筋違いだと理解すると夢から醒めてしまうのです。医者バカですね。ここらへんを生命原理主義と表現してみたのですが、理解していただいた方がいてうれしかったです。

理論的に考える医師ほど医療崩壊はもう避けれないと考えるんじゃないでしょうか。短期的には司法を理解すると逆に医療崩壊は早まるんじゃないかとかちょっと前から思ってました。でも私にとっては崩壊の後、どういうモチベーションで医療を続けるか再建するかを考えるという意味があるのがこの場所なんですよね。

>医療崩壊問題で誰が一番苦しみ不利益を受けているのですか?
もちろん患者さんです。崩壊、逃避すると医者はリスクが減り、収入があがるなんておかしいです。悲しいです。

>もちろん患者さんです。

 なるほど
 そのとおりなんでしょうけど、こういう認識が私がおぼろげに感じていた当事者意識の欠落の原因だと思われます。

>ペンギンさん

 モバイルなんでまた後で

すみません、自己レスです。逃避の誘引になりうる司法理解というのはここでの司法理解とは異なる一種諦観、リスクとしての理解もはいってます。だた理性的に逃避という結論に達する引き金になりうるのは同じでしょう。

訴訟は数から言うと少ないリスクのはずなのですが、医師はこまった性癖をもってまして。それは頻度の高いリスクとともに頻度は低いが致命的なリスクを常に並列して考えるようトレーニングを受けていることです。わたしには医者バカが自らのモチベーションに致命的リスクを見出しての悲鳴に見えてしまう。その悲鳴に無意識に反応してしまう部分はたぶんほとんどの医師が多かれ少なかれもってます。その部分を正面から問うことは誤解を引き起こすと思うのです。

>もちろん患者さんです。
なるほどそのとおりなんでしょうけど、こういう認識が私がおぼろげに感じていた当事者意識の欠落の原因だと思われます。

いえいえ、もともと医者って自分たちのためと思うより、患者さんのためと思うほうが行動力も意欲もわく人種ですよ。患者さんのためと思わなければ呼吸器なんか止めません。

と、書いてたらなんとなくモトケンさんの意図がわかってきたような。ちょっと考えます

>柳さん

もしかして私が変なコメントを書いたからこんなことになったのかと申し訳ない気持ちです。議論を繰り返すつもりも蒸し返すつもりもなかったのですが。正直な私の気持ちとしては、以前は患者さんのためなら命をも投げ出して当然と強制されてきて、しかもその基礎の上に成り立っていた医業です。肝炎になろうがMRSAの痰を浴びようが、勲章と思うことこそあれ、間違いだとは思っていなかった。しかも自分たちがそうなんだから、多少なりとも社会のルールから外れても許されるだろう、そう思って仕事をしてきましたが、それは間違っていたということです。確かに今思えばそれはモトケンさんが言う甘え以外の何物でもないでしょう。(モトケンさんの意味とは違うかもしれませんがあえて)この社会で生きていくためにはたとえ誰でも守らなければならないルールがあり、そのひとつが法だということに気づいたのです。医者だから、患者さんのためだから許されるなどということはないのです。結果責任を誰よりも甘んじて受け入れていたのは実は医者の方なんだということを自覚しなければなりません。私から見ればいまだに鎖骨下からIVHを挿入する行為などは医者のおごり以外のなにものでもありません。

>モトケンさん

そして、医療崩壊の医師側の象徴的行動とも言うべき「逃散」の根底にあるのは、「明日は我が身という恐怖感」だと認識しています。

確かに私も怖いと書きました。その意味でモトケンさんの理解は至極正しいです。しかし怖さにも2つあるんです。ひとつはおっしゃるとおり法的なものです。これに関しては皆さんからののご説明で多少なりとも救われました。しかしながらそれとは関係なく、自分が関与した治療で、良かれと思った行為で逆に目の前の患者さんに不利益をこうむらせてしまうという結果責任に対する怖さもあるんです。前にも書きましたがこれだけ医療費を削られると物的にも人的にも十分な準備などできる施設は少ないんです。そんな中でたとえば手術をして結果が悪かったら・・・本心から患者さんに対して申し訳ない気持ちになるのです。しかしそれに関しても自分なりの対策を講じてはいますが。

医療崩壊により最も不利益をうけるのは患者さんという認識が当事者意識の欠落の原因だと思われます。

医療崩壊で最も不利益をうけるのは医師という認識に立って当事者意識をもって行動しろというご指摘かと思います。たしかにそのとおりなのですが、多くの医師が患者さん以外にその行動基準を移したとき、医療崩壊は完成するのではないかと感じます。

なぜ、自分たちのこととして考えないのか。それはわれわれが医学部、医師生活を通して自分の利益を考えるな。それは医師の倫理に反する。患者さんの利益を考えろと洗脳されているからでしょうね。そしてそれは何時でもどこでも安く高品質を支えてきた本質です。

医療崩壊問題で誰が一番苦しみ不利益を受けているのですか?(それはあなた方医師でしょう?)という質問はある意味、医師の倫理性を(生命原理主義、医者バカと言葉をかえて表現してきましたが)捨てろといっているのと同じなのです。

いま崩壊しつつある医療は医師の感情の産物であったといってもいいんじゃないかと思います。


(重複投稿につき削除)

(重複投稿につき削除)

No.8 柳さん

原理主義はともすれば独善に陥ります。よく医師は「患者さんのために」というけれど、患者のためになったかどうかは本来患者がきめることのはずですよ。そしてそれは社会が、さらにきわめて限られた例では司法が決めることです。結局、独善的になると
「患者さんのため」にやったのに、「結果が悪ければ罰せられる」なんてひどい話だ!
となって、「患者さんのためだったはずだ」の御旗の前に反対意見は耳に入らなくなるのでしょうな。

医療崩壊は主たる原因は政府の政策、ある意味で国民の選択です。医療崩壊して困るのは職と権威を失い、巧妙に政府とマスコミに悪者に仕立て上げられるであろう医師なのです。

少なくともしばらく発言するつもりはなかったのですが、例題に取り上げられているようだったので慌てて参上した老人の医者です。


>法律家が開いている、しかも法律家と医師が議論しているこのブログにおいて、一方当事者の一人である医師が誤った情報を発信しだしたのです。
> しかもその誤った情報というのは、ここでの議論の根幹部分に関するものです。
> これをスルーつまり放置しろというのですか。
> 議論の経緯を知らず、その前後のコメントだけを読んで去っていく人もいるのですよ。
> つまりその発言がいかに非常識で誤ったものであるかを理解できず、反論がないのだから司法側もそう思っているのだろう、と考えて去っていく人もいるのですよ。

モトケンさんがそうお考えになり放置できないと考えられたことは自分なりに理解したつもりです。

基本的なスタンスとして自分はこう考えています。
過去何度も繰り返されたループの輪の中で数え切れないほど誤解や間違いは存在しました。
けれども、今に至るまで一度としてそれらがこの場で支配的な意見となったことはなかった。自分のスタートラインはそこにあります。

免疫反応は生体にとって極めて有用ですが、不適切な免疫応答はアナフィラキシーと呼ばれる危機的な状況を招きます。
モトケンさんが自覚的に状況をコントロールされてさえいれば、自分などから申し上げることなど何もありません(妙に偉そうな言い方ですが)。

最後になりましたがこの場に参加させていただいたおかげで、少なくとも今現在の自分は司法に対する盲目的な恐怖感は感じていません。
医療現場に存在する数多くのリスク、その一つとして相応に、適切に対応出来ているつもりです(プロの目から随分と見たら甘いのでしょうが)。

モトケンさんはじめ司法家諸氏のご尽力に多大な感謝を、そして場を騒がせご迷惑をおかけした諸氏に深くお詫びを申し上げつつ、再びROMに復帰させていただきます。

 医療側からもできることはいろいろあるなあ〜と、ようやく見えてきたような気がしています。

 ついさっきまで、地裁の医療訴訟担当の判事さんのお話を学生と一緒に聞いていましたが、鑑定人としての医師の活躍に期待しているというご発言もあり、少なくともこの辺りから手始めに、と思っています。

>うらぶれ内科さん

原理主義はともすれば独善に陥ります。よく医師は「患者さんのために」というけれど、患者のためになったかどうかは本来患者がきめることのはずですよ。

まさしくそうです。さらにいえば昔は人生50年、今はといえばより良い80年ならまだしも、必ずしもそうとはいえない終末の何年間をベッド上で迎えられる方もいらっしゃいます。コムスン問題によってまた介護難民が増えるのではと言われていますが、それに関しても我々医師にも責任があるのです。ベッド上ですごす何ヶ月もしくは何年間を患者さんやご家族が必ずしも望んでいるのでしょうか?我々は果たして本当に患者さんを救っているのか?ひいては医学の進歩が患者さんにとって本当に大切なことなのでしょうか?医師としての自分のための医療になっていないか?自問する日々です。

いいねえ、部外者は好き勝手言えて。

>そして、恐怖感による感情反応を抑止するには「理性的判断」しかないのではないかという考えのもとに、司法側は、理性的判断の材料として、司法の仕組みや考え方を説明してきたのです。
 それによって少しでも恐怖感を和らげ克服してほしいという願いからです。

だって?訴訟になるリスクを理性で克服しろと!w 
訴訟になる裁判を検事や弁護士が、どこに問題があるかはっきりできずに医師や現場に押し付けたがゆえの逃散だろうが。怒りすら感じるね、現実現場から離れた机上の空論には。
医療行政と医師不足、先進国GDP比給与下位、世界一二を争うフリーアクセス、これらを放置してきた政治、訴訟と罪を現場に押し付けた原告、弁護士、法曹界が現実を知らずにヤリタイ放題で医療を崩壊させたんだよ。
どこの誰が訴訟を恐れず理性で仕事ができようか?無謀で特攻する神風特攻隊になれようか?それが理性ある人、教養あるとされる医師のすることだろうか?
わかっちゃいないねえ。無理やり医師に医療をさせようとしても絶対に無理。医師は奴隷ではない。医療は仁術でなく、サービス業。辞めたい人は辞められ、科も変えられ、病院も職業選択の自由で変えることもできる。
医師がボランティアと奉仕で守って来た制度、医師の人権を無視し続けた制度と訴訟、無理解が医療崩壊を進めています。国民、政治、法曹界、自業自得です。医師は、医療が崩壊しても患者が減っても救える人が少なくなっても、自分が死ぬよりはマシだと考える人がほとんどでしょう。自分が過労死したところで、寿命を削って救ったところで、精一杯やっても結果が悪ければ訴訟で敗訴でウン千万円。
やってられるかよ。w 逃散を止める唯一の方法は、医師の待遇改善です。当たり前のことができないから医者が逃げるのです。w

私は医療に直接関係する者ではないので沈黙していましたが、モトケンさんに教えられたことが二つあります。ひとつは、人は誰かを訴える権利を持つことと、もう一つはその際弁護士、裁判官といった司法側の方々はそれに応える義務を持つという点(応召義務みたいなもんですね)。

実のところ、日本では裁判そのものが懲罰的な側面を持っていることが根本の問題なのではないかと思うんです。本来ならば裁判で白黒つけたり妥協点を探ったりするはずなのに、裁きの庭に引きずり出される=訴えられただけで「悪い人」になってしまったかのようなマスコミの取り上げ方がまずあります。また多くの国民に取って裁判が遠い異郷のできごとのように感じられている(生まれてから死ぬまで裁判所に足を運んだことのない人の方が多いのではないかと - 交通違反の簡易裁判は例外として)こともあると思います。そこに福島事件でK先生が逮捕されたことで、医師の頭の中で司法への恐怖が無視できない程顕在化したのだと。

>No.15
はいはい。好きなだけ言ってなさい。でも、ここじゃなく2chかM3でね。

猫又大魔王さま

日本では裁判そのものが懲罰的な側面を持っていること

同感です。
http://www.yabelab.net/blog/medical/2007/04/16-112210.php#c53237


部外者がーー#さま

ヒント:         「少しでも」


まず1点、

訴訟と罪を現場に押し付けた原告、弁護士、法曹界

私もこのブログで学んだことですが、どうやら医療界自身も、「訴訟と罪を現場に押しつけた」一味であるらしいのですよね。(去年のコメントを貼らせていただきます。ご寛恕のほど>an_accusedさま)
http://www.yabelab.net/blog/2006/08/19-085554.php#c9259


それから、

どこの誰が訴訟を恐れず理性で仕事ができようか?

無理やり医師に医療をさせようとしても絶対に無理。

医師がボランティアと奉仕で守って来た制度、医師の人権を無視し続けた制度と訴訟、無理解が医療崩壊を進めています。

国民、政治、法曹界、自業自得です。

医師は、医療が崩壊しても患者が減っても救える人が少なくなっても、自分が死ぬよりはマシだと考える人がほとんどでしょう。

逃散を止める唯一の方法は、医師の待遇改善です。

このあたりのご主張は、このブログでは、医療従事者・非医療従事者間の共通認識になっているのではないかと思っています。

>No.15 部外者がーー#さん

サービス業だって言い張るんなら、患者側が満足するだけのサービスを提供したら宜しいんじゃございませんか?そうすればオソロシイ訴訟なんかにビビる必要は微塵もありませんよ。
「お客さん」が満足行くだけのサービスを提供してないくせに、イイワケばっかり並べ立てて被害者ヅラしてたら訴えられても仕方ないですね。

まして人のせいにすることばっかり熱心で、しかも自分らの業界はトクベツだから法の統制の埒外にいるとでも思ってるかのような態度を「お客さん」が見たら、そりゃあ裁判で身包みはいででも弁償させてやろう、刑事責任を負わせて思い知らせてやろうって感じるでしょうよ。

マスコミが医療従事者を袋叩きにしたくなる気持ちが、すっごくよく理解できました。

ついでに

売り言葉に買い言葉さま

患者側が満足するだけのサービスを提供したら宜しいんじゃございませんか?

神ならぬ人にはそれはムリというのもまたこのブログの共通認識かと。

>No.20 fuka_fuka(イソ弁) さん

神ならぬ人にはそれはムリというのもまたこのブログの共通認識かと。

ええ、私もその点には異存はありません。あくまで「このブログの」ですがね。
でも訴訟を起こす患者さんやその家族は、そうは思ってないでしょうし、マスコミも思ってないでしょう。
サービス業って言う以上は、客の要求に応えてこそそれを名乗る資格があるってのが世間の通り相場じゃないですかね。
お客は満足させられない、そのことを指摘されると「仕方ない」「限界だ」「行政が悪い」。そんなサービス業がありますかね。

言いたいのは「サービス業」を逃げ口上に使うな、サービス業をなめるな、ってことですよ。

>うらぶれ内科さん
二つの立場は本来善悪は存在しないとおもってます。もちろん患者さんのためで全てが許されるなんて思っていないわけで、モトケンさんが疑問に感じる部分が出る背景をわかりやすく単純化してみただけです。それを法に許せといってるわけではありませんよ。というか法が許す許さないという議論自体が本来ありえないんで。

それぞれの業界に属する個人がどう評価するかは関係なく理性を感情がうわまわっていたからこそ今までの医療が成り立っていた部分があるということを言いたかったわけです。

No.21 売り言葉に買い言葉様

>サービス業って言う以上は、客の要求に応えてこそそれを名乗る資格があるってのが世間の通り相場じゃないですかね。

 客の要求に応えることは必要ですが、客の要求の「全て」に応えることまで必要ではないですよね?客の実現不可能な要求にまで応える必要はありませんよね?
 そこはおわかりになっている前提で、

>訴訟を起こす患者さんやその家族は、そうは思ってないでしょうし、マスコミも思ってないでしょう。

 このように思う患者やその家族、マスコミこそが間違っているのではないですか?

 おっしゃりたいことのご趣旨は、全体としてはわかりますが(そのご意見には同意できませんが)、サービス業かどうかということはかかわりないことかと思います。


 
 

売り言葉に買い言葉さま

再度書きかけてたのですが、nukiさまと完全にカブっているのでそこは略して補足のみ。

部外者がーー#さまのような物言いをされれば反感を覚えるのがふつうの反応とは思いますが(私はもう麻痺したので「あーまたか」と思うくらいですが)、それに対する批判に夾雑物がまじってるとよろしくないと思うわけで。

まあ、気持ちくらいは建設的にまいりましょうよ。

No.15 部外者がーー#さん

むかーーしこのブログを知る前、僕もそう思っていたんですよ、正直。
でも、今は全く違うんです。
自分でも、びっくりするぐらい、あなたの意見に共感しなくなっています。

忙しいのと間違ったら怖いのとで発言できないし、
ゆっくりとしか読み進められないROM専の僕でも。
こういう風に変化した医師、実は多いんじゃないかなと思ってます。

僕みたいに目立たないけどひっそりと変わっていってる医師も
必ずいます、とだけいいたい。
今までもそっと署名とかしてきましたけど、もうちょっと
身の回りのもうちょっと大きなことにも挑戦してみます。

モトケンさん、私は、そんなにコメントする方ではないのですが、モトケンさんがこのエントリで記載した内容については、概ね同じ思いを持っています。

当初、直面している医療崩壊を憂い、「何とかしなければ」という気持ちが読み取れるお医者さんのコメントに接したとき、お医者さんたちが声を上げていくには、法制度のきちっとした知識や理解を前提としたものでないと、特に権力機関は聞く耳を持たないだろう思い、仕事に支障の出ない範囲で、他の弁護士に比べ誠につたない内容でしたが、私なりのコメントをしてきました。

弁護士の仕事というのは、基本的に民事であれば依頼者の代理人であり、刑事であれば被告人の弁護人です。
自ら闘うのが仕事ではありません。
自ら闘う意思のある人を助力するのが仕事です。
このブログのコメントでも、仕事でないにもかかわらず、お医者さんに闘ってもらうのに必要な知識や理解をしてもらおうという職業的意識が、無意識のうちに働いたのだろうと今となれば思います(それが上から目線だと思われてしまうかもしれません。)。
魔神ドールさんは厳しい言葉の中にも司法制度について理解しようとする気持ちがうかがわれましたが、そうではなくて「貴方の言いたいことは分かりました。でも司法のせいで医療崩壊は進むのです。私達には闘う余裕もありません。」みたいなコメントに当たってしまうと、「ああそうですか。」という気持ちになります(批難する気持ちではないですよ。)。
私は民事介入暴力事件を扱いますが、まず被害を受けた本人が暴力団相手に立ち上がってくれないと、弁護士としては助力のしようがありません。
本人さえ勇気を持って立ち上がってくれれば、一緒に頑張ります。
ここでコメントしている弁護士も、多かれ少なかれ、こういうマインドを持っているんじゃないでしょうかね。

自分のブログで触れましたが、トンデモ起訴だトンデモ判決だなどと言っているうちに、刑事裁判の分野では、首相官邸主導で、裁判員裁判制度や検察審査会の議決への法的拘束力付与などの法整備が進みました。
今後は、例え検察官がお医者さんを不起訴にしても、国民の「常識」のもとに起訴され、そしてさらに国民の「常識」のもとに裁かれる可能性がでてきました。

訴訟制度以外にも、お医者さんの本業そのものが、今以上に国から締め付けられる危険はないですか?
逃散しても、逃散した先を国が締め付けてくることは考えられませんか。
医師に免許を与えている国が、その免許に制限や条件を加えてくることは考えられませんか(教員免許は更新制にされそうです。)?

このブログでコメントされているお医者さんの中に、少しずつでも実際に行動を起こし始めている方を見ると、非常に頼もしく思うし、何だか嬉しくなります。

はじめて書き込みます。
医師がなぜ恐怖感を持つかというと、仕事を続けていけば必ず「明白な過失」と言われることをしでかしかねないと思っているからです。
とくに難しい手技を避けるのはそのためですし、半歩踏み込んだことをしなくなったのもそのためです。どちらでも許されることならば安全策を言うようになってしまいました。
そうなると悲観論でしかないので、工学的アプローチについて書きます。

特にロムの医師の皆々様へ の中で気になったご指摘です。

>180 しまさん
私が医療問題の最たるものとして考える、埼玉医科大の抗ガン剤過剰投与事件や、塩化カリウムと塩化カルシウムの誤注射事件ですが、このような事件に関して、医療界周囲からそれをたしなめる行動や活動といった事はありましたか?

医療側での取り組みは続いていますが、発想は違っています。その個人をたしなめる問題とはとらえていません。みんな使命感で頑張っています。明白な過失は多くの場合システムエラーと考えています。呼吸器の接続ミスをなくすために接続部の形状を変えてただしい接続にしかできないようにするたぐいのことです。私の病院での取り組みを示します。

コンピューターで指示だしをするようになってやっと可能になったことですが、抗ガン剤のオーダーは体重を記入してそれに応じた投与量上限が定められ、それ以下に減量すること以外に変更は認められないプログラムになりました。それ以上の投与は可能ですが、あらかじめレジメン改訂でいくかその症例だけでいくかを決めて、抗ガン剤レジメン委員会に上げ、承認が必要です。多くの場合は主治医の希望はとおりますが、患者さんへの説明内容も含め資料を提出します。

塩化カリウムや塩化カルシウムのように濃厚溶液が有害事象をもたらす薬剤は希釈液しか病棟におかれていません。ICU/CCUでは重症者管理上必要な場合もあると言うことで少量の濃厚溶液在庫はありますが、上級医でないと指示だしできませんし、薬剤使用記録に記録されてその後医療安全委員会でチェックされます。これは東京大学病院の事例をまねたもので、今は多くの病院でもそうなっていると思います。

数多くの薬剤の処方上限が定められて、間違ったタイピングが阻止されるようになりました。
結局、明白な過失の再発防止にはそのためのシステムが必要で踏切にきちんと遮断機を置かなければ踏切事故は防げないということだと思っています。

今までは病棟に上級医が最初はつきっきりになって教えて、一人一人に薬剤の危険性を知らしめていったのですが、もう人間の能力に頼るのは限界になってきています。さまざまな事例に対し安全システムを整えるには時間・費用・人材が必要です。

繰り返しますが、例としてあげられた事例は「たしなめる」「たしなめない」といった善悪の問題でなく、工学的な問題として考えています。必死に検討した学問的成果として出てくるものだと思います。

No.25 ハナの肉マサ(医師)さん

そうですね、中二病みたいなものですよね。
誰しも通る道だとは思いますが。


No.26 PINE さん
>逃散しても、逃散した先を国が締め付けてくることは考えられませんか。

まさにその通りです。もはや逃散しても安住の地はありません。
その為の流れは着々と作られています。
その点でNo.15 部外者がーー#氏は間違っています。

>No.23 nuki さん
話が拡散してしまいそうなので、ポイントを絞りながらご返答申し上げます。

客の要求の「全て」に応えることまで必要ではないですよね?客の実現不可能な要求にまで応える必要はありませんよね?

趣旨については首肯しますが「必要ない」のではありません。「必要だけれども、できない」です。本当は「できるようにしたい」んです。
この点に関しては医療も同じだと思いますが、いかがでしょう。

このように思う患者やその家族、マスコミこそが間違っているのではないですか?

医療の限界を上記の人々が認識しているのなら、間違いでしょう。
 ですが、医療業界では常識でも、そこから一歩でも外へ出たら、それは通常「専門知識」とか「内輪の論理」って言われるものになってるんじゃないですか?
医療業界の「内輪の論理」が世間一般でも通用することを無条件かつ過度に期待していませんか。
 世間は非・専門家が圧倒的多数を占める世界です。世間の無理解を責めるのも結構ですが、専門知識というものは、それを持つ側が積極的に広める努力をしなければ、理解されないものだとは思いませんか。

 その努力を、医療側は、これまでどの程度払ってきたのでしょう。一般人の抱く期待を、それは幻想だとして誤解を解く努力をしてきましたか。
 マスコミに限っては、報じる前に調べるのが彼らの仕事なので、それをしていない怠慢は激しく糾弾されてしかるべきですが、その前にマスコミと言う便利なアナウンス装置を医療の側が利用するくらいのことは考えてもいいんじゃないですかね。罵倒だけしてたって、何にも変わらないと思いますが。

>No.26 PINE さん

弁護士の仕事というのは、基本的に民事であれば依頼者の代理人であり、刑事であれば被告人の弁護人です。
自ら闘うのが仕事ではありません。
自ら闘う意思のある人を助力するのが仕事です。

医師も実は、患者に対して第三者であり、患者が疾病・傷害から回復することを助けるのが仕事であり、病気と闘うために医療を受けるのは患者であり、医師ではありません。

弁護士/Client関係と、医師/患者関係は、相似しています。交換性もありません。

医療崩壊にしても、医師が失うのが経済的基盤に過ぎないのに対して、患者側は医療を受けられない=生命の危機です。どちらが、危機感を持つべきかは、実は議論の余地はないとさえ思ってます。
医療側に危機感がないという以上に、患者の予備軍である国民に危機感がないことを憂いています。

モトケンさんは、「医師は甘えている」と言明されましたが、もはや医師に活力は残されていないかもしれません。
癌治療も、癌が余りに進行していると手術もできず、抗がん剤も使うことさえできないのと同じように、日本の医療危機も抜き差しならないところまで来ている気がします。

この医療崩壊の最たる元凶は、司法でなく、立法の無作為、行政の無能であることは共通認識だったと思います。

医事裁判については、誰かが例に挙げていた明らかな「作為型過失」ではなく、一定の医療水準を想定した「不作為過失」を争点にした訴訟が医師を震え上がらせています。
明らかなミスが無くても、水準が期待に達しなければ、賠償責任を問いうるということは、藤山判事の発言を見ても、期待権判決を見ても、司法関係者には通説となりつつあるのでしょうが、当事者である医師の納得、理解を得るには至っていません。

水準違反というのは民事訴訟であり、金銭問題ですから、自動車保険のように医療保険が使われれば、社会的制裁とは別に解決できるかもしれません。ただ、その未来はアメリカにあるように、やはり医療崩壊です。保険料を医療費に転嫁できなければ、他人事である医療に関わることは”業”としては出来なくなります。”業”でないボランティア医療を希望される方は、誰でも受けられる医療をボランティアに押し付ける倫理違反を犯すことになります。

私が見るところ、多くの医師は甘えているよりは、絶望しているのです。力を失っているのです。
同情するかどうかは別にして、社会として保護しなければ、絶滅の危機にあります。
産科は絶滅危惧種、小児科は希少品種となっています。絶滅危惧種が絶滅すれば、その種に依存していた宿主、依存種も運命を共にすることでしょう

日本の医療モデルの素晴らしさは、失った後で、世界から再評価されることになるでしょう
今でも高く世界から評価されているのに、内部評価は最悪のようです。国からも国民からも

私の当面の目標は、崩壊後まで生き残ることと、崩壊を支えて散りそうな同僚を側面から支援することです。
未だに国民皆保険を死守し、患者利益を守ろうとしている同僚を見ると涙が禁じえません

モトケンさんに伝えることがあるとすると、医師を恐怖、パニックに落としているのは、明らかな「作為過失」による訴訟ではありません。一定の医療水準を患者期待権として認め、その水準に達しない「不作為過失」に責任を押し付ける訴訟です。
藤山判事が代表して「100点満点の医療でなければ賠償の責を負う可能性がある」と言わしめている、それです。求められる医療水準、期待権は、通常治療として提供できるレベルを超えた感があります。

医療側の疲弊度を見誤ると、医療全てを失ってしまうかもしれません。
モトケンさんの「医師かくあるべし」という期待水準も、現状以上に高いのかもしれません

>No.30 Med_Law さん

>モトケンさんの「医師かくあるべし」という期待水準も、現状以上に高いのかもしれません

 何についての期待水準を言っておられるのか酒気帯びの頭ではよくわかりませんが(^^;

 弁護士の仕事というのは、往々にして絶望しかかっている依頼者を元気付けることから始まるんですよ。

売り言葉に買い言葉さん>

趣旨については首肯しますが「必要ない」のではありません。「必要だけれども、できない」です。本当は「できるようにしたい」んです。

売り言葉に買い言葉さんが言われている「患者側が満足するだけのサービス」「必要だけれども、できない」の具体例を挙げられた方が良いのではないでしょうか?
このままだと、議論が、ずっと平行線を辿りそうなので。

医療関係者の方と、売り言葉に買い言葉さんでは、同じ「患者側が満足するだけのサービス」と言う言葉を使っていても、別のものをイメージしているかもしれません。
売り言葉に買い言葉さんが「必要だけれども、できない」と思っている「サービス」は、実は、とうの昔に実現されているかもしれません。
売り言葉に買い言葉さんが、患者側から見ればやってもらって当然だと思ってる「サービス」は、医療関係者の方から見れば有害無益なものかもしれません。

売り言葉に買い言葉さんが言われている「患者側が満足するだけのサービス」が具体的に何か判らない以上、その他、色々な可能性が有り得ますので。

>No.30 Med_Law さんのコメント
>医師を恐怖、パニックに落としているのは、・・・一定の医療水準を患者期待権として認め、その水準に達しない「不作為過失」に責任を押し付ける訴訟です。

まったくそのとおりだと私も思います。
医療が徐々に崩壊しつつあるこの国に住む住民の一人として、こうした共通の認識の上での、建設的な議論が進むことを切に望みます。

>白片吟K氏 さん

 いつもながらつぼを突いた譬えで感服します。
 私がこんなことを言うとまたまた「ずいぶんと上目線になって」いると言われるんでしょうけどね。

>何か、これだけのことは出来たのだ、という

 皆さんのコメントを読んでいますと、微力な私にとっては望外の成果があったと見るべきだと思っております。
 皆さんありがとうございます。

>「オチ」をつけて欲しいと思います。

 というわけで、まだまだオチないということで(^^)

 ただし、スタンスをちょっと変えます。
 詳細は別エントリで。

No.29 売り言葉に買い言葉様

>「必要だけれども、できない」です。本当は「できるようにしたい」んです。この点に関しては医療も同じだと思いますが、いかがでしょう。

 概ね同意いたします。不可能とわかっていても「完全」を目指すというその「意欲」は同一だと思います。ただ、医療の仕事はどうしても「人は最期は死ぬ」というところがあるという特殊性から、「意欲」の中身も自ずと他の仕事と異なってくるのではないでしょうか(どうしても「死」という最後の結果が見ようとしなくても見えてしまうので)。

>世間は非・専門家が圧倒的多数を占める世界です。世間の無理解を責めるのも結構ですが、専門知識というものは、それを持つ側が積極的に広める努力をしなければ、理解されないものだとは思いませんか。

 この点は全面的に同意いたします。昔のような「先生」と呼ばれた人たちが無条件に尊敬された時代に戻れたらいいのですが、もはや引き返すことはできない以上、「広報」「アナウンスメント」は日々の仕事と同じくらいの重要性を持ってきていると思います(個人的には嫌な時代と考えてますが…)。
 しかし、

>その努力を、医療側は、これまでどの程度払ってきたのでしょう。一般人の抱く期待を、それは幻想だとして誤解を解く努力をしてきましたか。

 これを医療側のみの責めに帰するのは酷ではないかと思います。一般人の「異様な」権利意識の高まりが、「期待」をバブルのごとく膨らませた結果、もはや「誤解を解く」レベルでなく、(一般人の)「考え方を根底から覆す」レベルまでに至ったのではないかと考えています。もはや医療側の努力のみでは、覆せないと考えた医療側の絶望が現在の状況なのではないでしょうか。
 もちろん、だからと言って努力しなければ、何も変わらないという売り言葉に買い言葉様のお考えには同意いたします。

 


最近のエントリーで私の考えが固まらないのは、「医療崩壊問題で誰が一番苦しみ不利益を受けているのですか?」(エントリ本文)というモトケン先生の問いに対して素直に「それは医師だ」と言えないからなのです。

>逃散しても、逃散した先を国が締め付けてくることは考えられませんか。(PINE様)

国がそうするためには、今の医師数を2倍くらいにして圧倒的な医師過剰状態を作り出さなければ無理です。今の医師不足の状態では逃散先を締め付ければ、逃散先が別のところに向かうだけです。医師不足の状態では医師の売り手市場ですから、逃散先に困ることはありません。
逃散を食い止めるには
・医師を激増させる
・医療機関を減少させる
このどちらかしかありません。「医師を激増」で対処することを国が行うと思えませんが、もしそうなれば医療リスクは分散され医師は願ったり叶ったりです。待遇は多少悪くなるかもしれませんが、コメディカルとの待遇バランスを考えれば限界があります。一方、「医療機関を減少させる」ことで逃散は食い止められるでしょう。しかし、医療機関の減少こそが医療崩壊の本質です(産科を見れば明らか)。「逃散は食い止められたが医療崩壊は加速した」では本末転倒です。そして、この場合一番困るのは患者さんです。

(No.30 Med_Law様のコメントの一部とダブりました)

>柳様
私が言おうか言うまいか迷っていたことを切り出して頂きありがとうございました。おかげさまで覚悟ができました。

>nuki様
売り言葉に買い言葉様への対応ありがとうございます。本来は医師側で対応すべきで、またモトケン先生にしかられそうです。

 国は着々とたくらんでいます。医療機関を倒産させて勤務医を余らせ、開業医を締め付け簡単に開業に逃げることのない用に。
 昨年度の決算書をみたとき私は絶望しました。私の所属する医療法人は今まで優良とされ、銀行のほうからすり寄ってくるようなところでしたが、もう未来を描けません。
 厚生労働省上がりの理事は、この5年で医者はだぶついてくると明言していますし、数多くの医療機関が実は銀行管理に置かれている現実をみんな知らないといっています。
 おそらくまず、今度の決算で赤字の拡大に驚いた自治体などから騒ぎが上がるのではないでしょうか、そうこうしているうちにまず中小の医療法人の倒産が始まります、そして倒産した病院の患者の受け皿があるうちはいいのですが、ある時点でオーバーフローして大変な社会問題が生じるのではないかと思っています。
 勤務医が疲弊しきっている以上に、病院の体力も限界を超え始めています。
このブログを診ている医師の方で病院の決算書を見ることのできる立場にいる方は少ないと思います。見る立場の人たちはそんな余裕はないと思います。自治体病院は倒産はしませんが、切り捨てられるおそれは出てきていますし、運営困難なところは多数できてきているようです。
 民間病院の勤務医の皆さん。夏のボーナスは出ます?

 国民がこのことを知るように各所で声を上げマスコミにアピールしないと恐ろしいことになるでしょう。

>でも(病院経営サイドの医者) さん

そうですね。年々厳しくなってますね。後2年程度て1/3ほどの病院はつぶれるなり、経営が代わるなりするでしょう。もう人件費を下げるしかなく、私なども覚悟しています。病院を運営する方であれば後は効率を考えるしかありません。つまりリスクが高く、リターンも少ない救急はもう続けられないでしょう。必然的に救急を受けるところは各県に数ヶ所にしぼられ、集約化は達成するでしょう。
それでも勤務医としては今までよりはいいのかも知れません。私はもうすでに「医療崩壊」ではなく「勤務医の解放」だと思ってます。

真に世のためにあるべきサービス業の倫理は
「お客様の出せる金の範囲内で、できるようにしたい。金の範囲外については、必要ないし、してもならないし、したくなってもいけない」
です。ゼニの切れ目は縁の切れ目。鉄則です。
この鉄則を破るということは、サービスのダンピングという、資本主義社会における倫理的人道的経済的大罪を犯す事になります。われわれの業界(監査法人)でも、概ねこの鉄則を破って監査をダンピングしていた所が、不祥事を起こして潰れています。不祥事で話題にならないところでも、相対的に労働環境が悪かったり鬱病が多かったりする部署と、ダンピングするしか能の無い幹部の割合が高い部署は一致しております。不祥事を起こす企業というのも、大体同じような状況ですね。サービス業は奴隷業ではないのです。

しかしながら、普通のサービス業はそれで良くとも、社会のインフラを担う医療や法曹の方々は必ずしもそうは行かないでしょう。明らかに安い対価でも、それなりのサービスを提供しなければならない局面もあると思います。医療はそのサービスの内容や、訴訟・感染等の諸リスクに比し、余りに無理なところまでダンピングが進んでいるのでしょう。

私はモトケン様が、かなり議論の進んだ段階で「医師は甘えている」と気づいたということが、もっとも驚きました。当初より自明のこととわかった上で、甘えを拒絶するために知らんぷりしていたのだと、私は思っていたからです。「自己犠牲で医療を提供しているのだから、司法も医師に特権を認めてくれなければもう続けられない」という甘えが、多くの医師の主張の根底にあるはずです。医師が自己犠牲を正当化するためには医療を至高のものと位置付ける必要があり、そのため当然に医師には特権が与えられてしかるべきという「幻想」がなければなりません。医療崩壊の原因は、訴訟のリスクや訴訟の恐怖が問題なのではなく、この「幻想」が否定された事と考えます。
一方、法曹の方々についても、医師に特権を与える事の是非に対して理論以前の段階の感情的な面での強い反発を持っていることが行間から窺えます。司法の外部の力により政治的見地から特例を作られるということについて、まず否定ありきから議論をはじめようとしていると感じざるを得ません。しかし、それは司法の存在価値や独立性について法曹の方々が非常に高い位置付けをしており、プライドを持っているからでしょう。
医師の方々の甘えも、元はその高いプライドによるものでしょうが、私は医師のプライドも法曹のプライドも、それこそがそれぞれの高い倫理観と質の高いサービスをもたらして来た源泉であると考えるので、肯定されるべきと考えています。
しかしながら、このブログにおける議論では、その双方の高いプライドが無意識の次元でぶつかり合っており、それが理解を妨げていると見受けられます。

No.30 Med_Law さん
>私が見るところ、多くの医師は甘えているよりは、絶望しているのです。力を失っているのです。

飲み屋で愚痴をこぼして、くだを巻いているのと同様な反応では「甘え」と言われても仕方ありません。
医療を社会システムとして保持していかなければならないことは、同意です。産科・小児科が象徴的でやっとマスコミも気づいてきたところです。


No.36 元ライダー.開業医さん
「医療崩壊問題で誰が一番苦しみ不利益を受けているのですか?」

完全崩壊後に困るのは一般市民です。そのころには勝ち組医師と負け組み医師ができていることでしょうが、それでも食いっぱぐれることはありません。過渡期には医療従事者が負担を追うことでしょう。
自分は子供の時代に米国型や英国型に移行していては困るから、軟着陸をと願っています。そのためには医師側が反省すべき点も多々あります。

No.34 モトケンさん
> というわけで、まだまだオチないということで(^^)

起承転結
 ↓
起承転 ・承転・承転・・ でお願いします。

もうダメだ、と思って寝て起きたら、モトケンさんの継続のエントリが…

> というわけで、まだまだオチないということで(^^)

オチて貰っては困りますから、この昨日はハラハラしながらROMしてました。
まずは、ヨカッタァ!

さて、No.36 元ライダー.開業医さんのコメントに私の仕事柄チョット補足したくなる部分がありました。

>逃散を食い止めるには
>・医師を激増させる
>・医療機関を減少させる
>このどちらかしかありません。
>「医師を激増」で対処することを国が行うと思えませんが、

医師を増加させる手段について、医療界の皆さんは医学部の定員増ということしか発想されないようで、それを前提に将来の「過酷な環境の勤務医が逃散→医療崩壊」というパターンを予測されている。
しかし、医師を増加させるには「国産」以外にもう一つ「輸入」という手段があります。具体的には海外への医師職の労働市場開放です。すでに厚労省は介護職と看護職についてはこの施策にゴーサインを出していますし、医師もやがて俎板に載る、と社労士という労務のプロとして私は予測しています。

医学部の定員増ではそれなりにまとまった人数の増加を得るまでに10〜15年が必要でしょうが、出稼ぎ医師の輸入であれば日本語研修などの期間を見込んでも2〜3年で医師増が図れます。されに20年先になって日本が人口減の時代になり、医師過剰の状態に突入したら母国へお帰り頂けば良いのですから、「労働力の調整弁」という観点からは非常に有力な選択肢です。

また、国内の勤務医にとって現在の報酬水準は満足できるものでないかも知れませんが、他の国の医師から見ればどうでしょうか? 周辺アジア諸国の医師の収入水準付いては正確に知りませんが、出稼ぎに来る魅力があるのではないかと考えます。また日本の優れた医療技術を実地に経験して医師としてスキルアップする、という利点もあり得ると思います。

さてもう1点、医療側の皆さんが見落としていることがあります。それは「患者の海外逃散」です。すでにインプラント義歯やメガネを作りに費用の安い韓国へ出掛けるツアーがあります。また日本では様々な制約がある高度な医療(臓器移植など)では、周辺アジア諸国で手術を受ける人々が多くいて、その臓器提供の手段がモラル的に問題があるのではないかと言われているのは周知の事実です。

日本国内の医療体制が崩壊してくれば、緊急性のある医療は無理とは思いますが、比較的富裕層の海外受診はかなりな流れとなるのではないでしょうか? ちょうど現在のシンガポールとその周辺国のように。

医療界が自分達の仲間内の議論に向かいがちで、医療を取り巻く社会の変遷に無頓着というか、医療が遣りやすくなるように周囲が配慮するべきだ、という論調が医療界に多いと思います。しかしいつまでも医療が仲間内の議論に留まっていると、社会の方で医療(現在の医療体制)を見限る可能性があると考えています。

少々このエントリには的はずれの書込みとなりましたが、モトケンブログの継続に喜んだ勢いということでご容赦下さい。

最近ROM専でしたが、一言。

No.19 売り言葉に買い言葉さん:
 
>サービス業だって言い張るんなら、患者側が満足するだけのサービスを提供したら宜しいんじゃございませんか?そうすればオソロシイ訴訟なんかにビビる必要は微塵もありませんよ。
「お客さん」が満足行くだけのサービスを提供してないくせに、イイワケばっかり並べ立てて被害者ヅラしてたら訴えられても仕方ないですね。


こういう発言を見るたびに「さっさと医療崩壊させたほうがいいな」と思ってしまいます。
医療は通常のサービス業ではないです。企業には価格決定権がなく、顧客を選ぶ決定権がないです。

あなたは、海外の医療情勢を知っているのですか?日本の低所得者層がどれだけ恵まれているのか知っているのですか?海外に行っていた人、外国人はよく言いますよ。
「うちの国では専門医の診察を受けるまで3ヶ月待ち。日本は2−3時間待つだけで専門医に罹れるのに、何でみんな文句を言うんだろう」
「医療を受けるには年間100万円以上の保険料を払わないといけない。しかも、それでも受けられる医療には限りがあり、受けたければ何千万円もの多額のお金を払わなければならない」
「日本の医療システムはすばらしい。日本は医療従事者の奉仕の精神によって支えられている(by ヒラリークリントン)」 (ちなみに、次回に民主党政権が誕生したら、日本の医療制度を見習って医療改革をしようとしている)


現行の国民皆保険制度誕生時に国民はみんな感謝したそうですよ。「これで医療が受けられる」ってね。

No.42 法務業の末席さん


医師の輸入はかなり難しいのではないでしょうか。
まず、看護職・介護職についてはフィリピンから輸入しようとしていますが軌道に乗っていません。一つは言葉の問題。もう一つは待遇の問題です。フィリピンの医科大学を主席で卒業した医師が看護師になってアメリカに行きました。そのほうが待遇がいいから。

他の東南アジアでも医師の待遇は非常にいい。額面の収入は日本の医師と比較すると安いけれども、物価を考えると非常にいいようですよ。わざわざ日本に来て奴隷労働をする必要なんかないわけです。私の知人が日本に来ていたインドの留学生医師とインドであったそうですが、豪邸に住んでおり、召使を20人以上も雇っていたそうです。しかも、うちわで扇ぐだけの人を雇っていたそうです。


中国も共産主義ですが、実際は自由診療に移行しています。
ーーーーーーーーーーーーーー
=2004年度=
中国  バス搭乗中に悪路のためバウンドし、腰椎圧迫骨折。
(保険金支払額6,326,607円)
中国  転倒して左大腿骨骨折。手術を行い入院。
(保険金支払額4,319,430円)

=2003年度=
中国  腹痛・胃潰瘍となり現地で入院・手術。日本から家族が駆けつける。
(保険金支払額4,519,436円)
ーーーーーーーーーーーーー
日本で必要とする医療費の10倍です。恐らく日本では10分の一で済みます。これは保険会社が介在した分ですので、介在しなければもっと請求されます(下手したら1000万円以上)。しかも、医療水準は明らかに日本のほうが上です。実際に中国人の医師と仕事をしていたことがあるから分かります。

韓国の自由診療だってあやしいです。たとえば美容形成だって、そのほとんどが美容形成の専門外の医師が担っており、被害にあっている人も少ないない。


外国に赴任している人の多くは日本に帰ってきてから医療を受けています。私の患者さんもそうですし、ネットでもその類の話はごろごろ転がっています。


日本では世界最高レベルの医療を安価に受けられているのです。

N0.26 PINEさんのコメント

>お医者さんたちが声を上げていくには、法制度のきちっとした知識や理解を前提としたものでないと、特に権力機関は聞く耳を持たないだろう思い、仕事に支障の出ない範囲で、他の弁護士に比べ誠につたない内容でしたが、私なりのコメントをしてきました。

  なるほど。

>このブログのコメントでも、仕事でないにもかかわらず、お医者さんに闘ってもらうのに必要な知識や理解をしてもらおうという職業的意識が、無意識のうちに働いたのだろうと今となれば思います(それが上から目線だと思われてしまうかもしれません。)。

  何人もの弁護士が根気よく説明されているなと感心していたのですが(私にはとてもできない)、そういうことだったのですか。
  弁護士の仕事の多くは書面を作成することです。正直、オフの時間にまで文章を書くのは勘弁してもらいたいし、ましてや仕事に関連する内容の文章を書くのは相当辛いものです。
  また、弁護士は訴訟の中で(主として準備書面の中で)さんざん議論をやっているので、ブログやコメントの中で、そうそうやりたいものではありません。
  それをあえてしている弁護士に対して、暴言をはいておられる一部の医療関係者、及びそれを煽ったり、傍観されている医療関係者には正直相当腹が立ちました。
  モトケンさんが「そんならやめてしまおうか。」と思う気持はよく分かります。  
  モトケンさんは、それを続けられるのですから、医療関係者の方々にも「暴言」に対しては断固とした対応を取って頂きたいものです。

  また、今は医師向けの裁判や判例などを分かりやすく解説した本(多くは弁護士や裁判官が著者や編集者に加わっている)も多数出ています。それを知的水準の高い医師の方々がブログやコメントで質問されたり誤解されたりしていることが多いのは意外です。
 お忙しいでしょうが、質問や誤解の前に、そういう本にも目を通されたり、病院や医師会などの研修会に参加されたらいかがでしょうか(弁護士が講師になって医療事故裁判について説明するものもあります)。
  
>「貴方の言いたいことは分かりました。でも司法のせいで医療崩壊は進むのです。私達には闘う余裕もありません。」みたいなコメントに当たってしまうと、「ああそうですか。」という気持ちになります(批難する気持ちではないですよ。)。

  これも同感です。
  しかし、司法ばかりを問題視されてますが、医師の方々が闘うべき相手は違うのではないでしょうか。
  民事だけでいえば、医療事故訴訟は増えてはいないし、医療側の敗訴率は極めて低いままです。
  これに対し、本当に医療被害にあっている患者がいても、調査をしようにも協力医は得られず、裁判になっても容易に鑑定医は見つからず、患者側は医療側に比し情報量で圧倒的に劣っています。また、前医の明らかな医療ミスに気づいていながらそれを指摘できる後医は極めて少数です(私はそういう中できちんと指摘して調査に協力して下さった協力医や後医の方には本当に感謝しておりますし、尊敬もしています)。
  こういう状況下で、医療側にばかりトンデモ判決が出ているとすれば、それは医療側の代理人の責任でしょう。医療事故訴訟に限らず、勝つべき裁判で負けるのには、立証活動に問題があったことをまず疑うべきです。しかし、具体的立証活動の内容は、判例集からも、マスコミ報道からも分かりません。
 これからはたくさん弁護士が輩出されますので、医療側(医師会や保険会社側)であれば優秀な弁護士を選択する機会が増えるでしょうし、豊富な医療知識によって弁護士を育てることも可能なはずです。
 これに対し、患者側は、弁護士がいくら増えても「労多くして益少なし」の患者側弁護士がそんなに増えるとは思えませんし、増えても患者側にはどの弁護士がいい弁護士かは分からないでしょうから(広告などでは分からない)、医療側に比し有利になるとは思えません。
 私には、医師の方々が(少なくても民事については)「司法」に対しそんなに悲観的になる必要はないように思えるのですが。
 

>私は民事介入暴力事件を扱いますが、まず被害を受けた本人が暴力団相手に立ち上がってくれないと、弁護士としては助力のしようがありません。
本人さえ勇気を持って立ち上がってくれれば、一緒に頑張ります。
ここでコメントしている弁護士も、多かれ少なかれ、こういうマインドを持っているんじゃないでしょうかね。

 これは、うつ病の患者に「がんばれ」と言うようなものかもしれません。
 コメントを読むと、多くの医師の方々は既に「涅槃の境地」(諦めの境地)にあり、立ち上がることは困難のようです。そして、怒りの感情が残っている方は、司法に怒りをぶつけておられます。しかし、その「司法」が、患者側代理人や裁判官であるとすれば、方向違いだと思います。

>自分のブログで触れましたが、トンデモ起訴だトンデモ判決だなどと言っているうちに、刑事裁判の分野では、首相官邸主導で、裁判員裁判制度や検察審査会の議決への法的拘束力付与などの法整備が進みました。
今後は、例え検察官がお医者さんを不起訴にしても、国民の「常識」のもとに起訴され、そしてさらに国民の「常識」のもとに裁かれる可能性がでてきました。

訴訟制度以外にも、お医者さんの本業そのものが、今以上に国から締め付けられる危険はないですか?
逃散しても、逃散した先を国が締め付けてくることは考えられませんか。
医師に免許を与えている国が、その免許に制限や条件を加えてくることは考えられませんか(教員免許は更新制にされそうです。)?

このブログでコメントされているお医者さんの中に、少しずつでも実際に行動を起こし始めている方を見ると、非常に頼もしく思うし、何だか嬉しくなります。
 
 これも同感です。
 ただ、これについては、国の締め付けに対して「立ち上がってこなかった」弁護士も、大きなことは言えないと思います(自嘲を込めて)。
 

最後に司法と医療崩壊についてひとこと。

司法が医療崩壊を助長しているのは紛れもない事実です。「司法は上から目線だ」と感じている医師が多いのも事実です。

でも、司法だって立法府で作られた法律に則り厳粛に職務を遂行しているだけですよね?そう考えると、司法に文句を言っても仕方ないんじゃないかと思ってしまいます。そうだとすれば、立法府が何とかしなければならない問題じゃないでしょうか。

やっぱり、この問題は政府・議員・財界を何とかしないと解決しないんじゃないかと思います。しかし、議員を動かすのはお金と多くの国民世論です。(財界がお金をマスコミに流して世論操作をしているのでは?と言う話は良く聞きます。先日の「ハケンの品格」なんかも、派遣労働を促そうとする財界の意向を汲んで製作したという噂があります)。

そう考えると、国民世論が医療費にもっとお金を出そうとなることは考えられず(ここのコメントでも「医者がマスコミに叩かれるのは当たり前」などという発言が出ていますが)、政府もあまり崩壊阻止に動くことはありえないと思います。


どの道、医療崩壊するしかないのだな、と思います。最近では早々に崩壊させてしまったほうがいいと思うようになりました。そうしないと、肝心の「レベルの高い医療を提供できる医師」がいなくなってしまい、いくらお金を積んでも医療を受けられなくなる可能性があります。

No.44 暇人28号さん、早速のレスありがとうございます。

少々板違いの話題ですので簡単に書きますが、医師の皆さんは厚労省の厚の施策には充分な知識がおありと思います。ですが厚労省にはもう一つ労のセクションがあります。

従来は厚と労のそれぞれの官僚は互いの分野に手を出さないシキタリでしたが、最近は労の官僚が厚の分野にまで手を突っ込みそうな気配を私は感じています。特にハンセン病対策、公害(水俣病、自動車排ガスの喘息等々)、少子化対策、年金問題などで厚の官僚の失点が続き、労の官僚側から見れば省内で主導権を奪う一大チャンスです。

また、労働行政の分野では「外国人研修制度」として、中国などから「研修生」という名目で格安の労働力を3年の期限付きで輸入する制度があり、国内の中小企業の製造業などで相当数の「研修生」が働いています。

>医療水準は明らかに日本のほうが上です。
>実際に中国人の医師と仕事をしていたことがあるから分かります。

これこそ、中国の医師のレベルアップにも貢献しながら日本の勤務医の過酷な労働条件を改善する特効薬として「医師研修生制度」を新設すべきだ、という政策導入に対する労働官僚の理由付けに使えそうですね。

もう一つ。

逃散先がなくなることはありません。いくら締め付けても逃散先は山のようにあります。今のような圧倒的な供給不足の状態では完全に逃散先をなくすことは。不可能です。それに、医師免許を持った人を欲しがっているところはたくさんあります。臨床(診療)にこだわらなければ全く問題ないです。

ROM専なのですが気になったので一言

No.42 法務業の末席さん:

>しかし、医師を増加させるには「国産」以外にもう一つ「輸入」という手段があります。具体的には海外への医師職の労働市場開放です。

外国でもこういう例はありますが、いずれも労働環境が悪い国から優秀な医師が外国へ逃げ出すパターンです。労働環境が悪いところへあえてやってくる人間はあまりいないのではないでしょうか。
日本の物価が高いことを利用し、物価の低い国から出稼ぎにくる、というパターンはありえるかもしれません。現在の、クレイジーと呼ばれるような(書いていて自分でも悲しくなりますが)「献身的な」医療は期待できるのでしょうか。多分、クオリティーが落ちると思います。
コストを何とか落としていくための国の政策だ、と言われてしまえばそれまでですが。

>さてもう1点、医療側の皆さんが見落としていることがあります。それは「患者の海外逃散」です。
現在でもこれは可能ですし、(いいか悪いかを別としても)臓器移植などで行われています。
しかし、これができるのはごく一部の資産家だけです。海外で治療を受ける場合、一体どれくらいのお金がかかるのでしょうか?
お金が充分にあれば、良質の医療を受けられますが、お金がなければ下手をすると医療を受けられません。「海外逃散」出来るような人はごく一部に限られています。ほとんどの人は、海外での治療を受けられるだけの資金を持たないでしょう。日本での医療費の自己負担は(特に入院するような状況下では)世界と比べてみても恐ろしく安いのです。

法務業の末席さん:

中国人を受け入れることはまず不可能でしょうね。中国は日本以上に医師不足に悩んでいますし、先ほど示したように中国の医師の収入は現状では決して安くなく(10年以上前は非常に安かったようですが)、日本のような奴隷労働をする必要性がありませんから。

そういえば、少し前に、東北の大学に中国の医師が一人研修に来ていたけど、どうなりましたかね。噂によると、日本の奴隷労働に嫌気をさしてすぐに帰ったという噂を聞きますが。

外国人医師を受け入れるための絶対条件は「本国よりも待遇をよくする」ということが一番大事です。日本のように収入はぼちぼち、奴隷労働、言葉も特殊、「医療ミス」と称して逮捕される国になんか来たがる医師がいるでしょうかね。

もう一つ。

今、日本で必要とされているのは「即戦力の医師」です。
日本の医師は非常に優秀なので世界的に有名ですが、それでもご不満の国民の皆さんが、それよりレベルの低い外国人医師を受け入れて診療をさせて満足できるのでしょうか。それに、ある程度のレベルに達したら早々に日本から逃散されるでしょうね。もっと待遇のいいところに。

>法務業の末席さま

>「外国人研修制度」として、中国などから「研修生」という名目で格安の労働力を3年の期限付きで輸入する制度があり、

そして30年後くらいに、中国人医師の皆様に
「われわれは日本に強制連行されて奴隷労働に従事させられた!謝罪と賠償を・・・・」
となるのですね。
歴史は鑑とされず、繰り返すわけです。

私の癸苅押47の書込みは、あくまでも労働行政の可能性として予測したにすぎません。

こうした政策は私が発想するのではなく、「労働官僚が思いつきそうな政策」だという予測であり、またそのような予兆が感じられるという話です。もっとも予兆といっても確たる証拠があるわけではありません。加えてこの政策が医療崩壊に対してどのような影響が出るのか、あるいは将来のアジア諸国との関係も含め、一人の社労士にすぎない今の私には正確に判断する能力がありません。

なお現行の「外国人研修制度」については、外国人労働者を安いコストで使い捨てにする制度だと個人的には思っていますし、実際にこの制度で国内で働いている(働いた過去形も含め)外国人労働者から数多くの苦情・批判が出ているのは事実です。労働問題に関わる法務業の一員として、常日頃から問題のある制度であるから制度の是正・廃止を関係方面(行政&企業経営者など)に訴えております。

医療の末端に携わる者として、医療の健全な発展のためになにかサポートできないかとここ半年くらい拝見させていただいていて、議論が正常化することを切に願っているROM(またしゃしゃりでてしまいましたが)の薬屋の企画屋です。

暇人28号さんの意見にほぼ同意です。
ただ、医療費のためにもっとお金を出そうという意識にするためには長いスパンでの取り組みが必要だと思います。

やっぱり、この問題は政府・議員・財界を何とかしないと解決しないんじゃないかと思います。しかし、議員を動かすのはお金と多くの国民世論です。(財界がお金をマスコミに流して世論操作をしているのでは?と言う話は良く聞きます。先日の「ハケンの品格」なんかも、派遣労働を促そうとする財界の意向を汲んで製作したという噂があります)。

医師の皆さんが影響力を行使できるところが医師会以外にもあるじゃないですか。
うちの業界は医師の皆さんの意見には戦線恐々ですよ。
昨年のカスペの事件がいい例です。

なお、誤解のないように補足しておきますが、医療崩壊での製薬企業は医師と同様、困らない産業のひとつです。

>No.15 部外者がーー#さん(及びその同類さん)

 書き逃げしかできなヘタレは最初からこのブログに書かない方がいいよ。

   厨房並みの医師がいる → 医師は厨房並だ

 という一般化が生じて他の医師に迷惑になるから。

 ちなみに弁護士は常に部外者です。

>No.26 PINE さん

>このブログでコメントされているお医者さんの中に、少しずつでも実際に行動を起こし始めている方を見ると、非常に頼もしく思うし、何だか嬉しくなります。

 LMnetに参加するともっと嬉しくなりますよ(^^)

 私が、医療崩壊で医師が一番苦しんでいるのではないかと考えたのは、

 医師が高度の倫理観をお持ちだと思うからです。

>No.39 会計士X さん

 私が言った「甘え」は、会計士X さんの言う「甘え」とは意味が違います。

 このブログ、つまりこのブログの司法側に対する「甘え」です。

薬屋の企画屋様

>なお、誤解のないように補足しておきますが、医療崩壊での製薬企業は医師と同様、困らない産業のひとつです。

むしろ家庭薬の部門は増益になるかもしれませんね。

医療崩壊で困るのは、最初から産業ではなくて患者(国民)です。企業の病気は病院では治せませんから。

モトケンさんの提起された問題から話がそれてきているように思い書いています。
「明日は我が身という恐怖感」
私はそういう気持ちよりも医療提供者と受ける側がそれぞれどういうスタイルに
変わっていくのか?

善意で行なったから全て免責される・・とはならない。
しかし、当事者の実行責任だけを追求するやり方では「次につながる負の遺産」は
残らない。それを誰が、どういう風に考えていくか?
をこのHPで考えていければいいかと思っています。

>えぴどらさん

 具体的なお題をいただければエントリを立てますよ。

> > No.15 部外者がーー#さん(及びその同類さん)
> 書き逃げしかできなヘタレは最初からこのブログに書かない方がいいよ。

やはりこういうヘタレ用のFAQを作る必要がありそうです。

「まずFAQを読んでください。以上」

で終われるようなFAQができるといいですね。
(…非常に大変そうではありますが)

トンデモカキコを賛同するカキコはあってもたしなめるカキコがないと言うのは
単に「ああ、またか」と思ってるだけじゃないかと。

過去ログを読め、というような発言は私が読んだ限りではほとんどないと思いますねえ。
逆に整理されてなくて申し訳ない、というようなのは見ましたが(^^

私の提案はFAQを作るに当たってここにカキコしている人に助けてもらうといいんじゃないかと言うものです。
大枠はモトケン様が作るとしても細かいところは
「こんな内容でどうでしょ?」とか「〜のコメントが参考になるのでは?」
という意見をもらってまとめる感じです。
…まあコメントが多すぎてまとまらないかもしれませんが(^^;;

じじい(患)さんへ

医療崩壊で困るのは、最初から産業ではなくて患者(国民)です。企業の病気は病院では治せませんから。

はい、その通りです。
ただ、薬価制度の維持のために言っている意見だろうと言われるのが嫌だったもので補足というか蛇足ですね(笑)

ちなみに現在の市況から考えると、医療制度が崩壊して自由薬価になったほうが医療用医薬品も儲かるのですよ。
それでも、なお、製薬協が医師会と同様に国民皆保険制度を望んでいるは、この制度が日本社会にとって良い制度だと思っているからです。
世間からはすごく誤解されている部分なんですけどね。

>No.62 mastacos さん

>やはりこういうヘタレ用のFAQを作る必要がありそうです。

 ヘタレかどうかは別にして、新規訪問者に対するFAQの必要性を痛感しております。
 検討中ですが、着手するときには皆様のご協力をお願いしますm(_ _)m

>受ける側がそれぞれどういうスタイルに変わっていくのか?

医療者ではないので、医療サイドは分かりませんが、患者がやるべきことは取り急ぎ2点(政治を動かして社会システムを何とかするという究極目標はありますが)

1.人の命の限界を識る。
  所詮人の命には限界があり、病気・けがが最終ライン(人体の治癒・回復能力の限界)を超えたら助からないのが普通。助かったら奇跡と思うべし。奇跡が起こらなくても普通なんだから、他人を恨んじゃいけない。医者は常に奇跡を起こせる神様じゃない。

2.社会の一般ルールは守る。
  営業時間が終わると店を閉めるのはどこも一緒。差し迫った緊急性もないのに、閉まったシャッター(救急病院でも普通の患者にはシャッターが閉まっている状態)を叩くのは無礼なことだと気づくべし。病人でも特別な権利はなく一人の社会人であることを自覚せよ。
 料理屋でプロの料理人に料理の講釈をするのが恥ずかしいことであるように、医療のプロに、聞きかじったいい加減な知識で無理な薬の処方や治療を要求するな。黙ってプロの見立てを聞き、注文するかどうかだけ決め、納得がいかなければ他所に行けばよい。そして、大人なら、注文するもしないも自分の判断結果くらい自分で背負うのが当然。

どれも、別に難しいことじゃないんですけどね。 

mastacos さんへ

FAQを作るのは大変な労力ですし管理も大変なので、いっそのこと、モトケンさんにはFAQのエントリだけ立ち上げていただいて、エントリの中で参加者が『この説明がわかりやすい!』というレスを参加者が次々とコピペして参加者の知恵が集積できるようにしてみてはどうでしょうか?

No.64 モトケンさんへ

ご検討中だったのですね。
差し出がましい意見失礼いたしました。

薬屋の企画屋様

レスありがとうございます。

>ちなみに現在の市況から考えると、医療制度が崩壊して自由薬価になったほうが医療用医薬品も儲かるのですよ。

医療が崩壊し、医療アクセスが制限されると、家庭用医薬品以外の処方箋を要するような医薬品の流通量そのものが減る可能性があるのかなと思いまして。単位あたりの利益が上がっても、総量が減ってしまうと企業利益としては上がらないですから。

それよりも、病院のアクセスが制限されると市販の家庭薬に頼る人が増えるでしょうが、そうなるとこれまで医師や医療機関が受けてきた、結果が気に入らない患者の攻撃を、直接つながることになる薬剤師や薬局、製薬企業が代わりに受けることになってしまわないかという方が心配です。

じじい(患)さんへ

自由薬価制度になった場合のシミュレーションはいくつかあるのですが、新薬が高価になること、特許期間中の強制的な値下げがなくなる効果は大きいですね。
10〜15年の特許期間中に隔年で5%以上販売価格が下がることがなくなるのですから、総量が10%減っても大丈夫です。

後段の件に関しては、楽観的です。
いい意味でも悪い意味でも大企業ですから、訴訟リスクは常に対策を用意しています。

アメリカや周囲のアジア諸国にも日本の医師の状況が知られてきて海外からの引き抜きの話がさいきん結構ありますね。今の日本の医療崩壊は海外から見ると医師確保のチャンスだそうです。条件もけっこう良くて年間50万〜100万ドルでの複数年契約をぼつぼつ見ます。100万ドルはたしかシンガポールだったかな。

海外から医者を呼べという話がでてますが、日本は逆に医師流出の危機なんじゃないかな。医者よぼうとすると、その最大のライバルは医師報酬が日本の5倍のアメリカです。先例は医療費削減型の医療崩壊をおこしたイギリスで医師がアメリカに流出、それを補うために医療費を上げ(途上国からアメリカに行けなかった)医師輸入をし、途上国の医師がいなくなり深刻な摩擦を引き起こしています。

世界のレベルで見ると日本自体が医療過疎地域になる可能性をもっているんじゃないかな。

 まず,海外からの医師の輸入ですが,良い実例がイギリスです.イギリスも国民皆保険でした.サッチャー政権下で医療費の総額規制(現在の日本と同じです)が行われた結果,医師の労働環境の悪化を招き,医師が海外に(主にアメリカに)流出しました.流出したのは医師だけでなく,多くのコメディカルも流出しました.で実際に英語圏であるインドをはじめとする旧大英帝国域内から医師,看護師などの輸入が行われましたが,深刻なモラルハザードが発生し,イギリスの医療現場は目を覆うばかりの惨状になったといいます.
 外国人医師にとって日本人は同胞ではありませんから,日本人医師が行っているような時間外に患者を診に行くといったようなことは期待できません.ひとたび医療ミスだとなれば本国に逃げ帰ればいいだけのことです.犯罪人引き渡し協定はアメリカとしか締結していませんし,日本国外では医師の過失に刑事罰を適用しませんから,代理処罰も不可能です.
 実際,急速に高齢化が進んでいて,現役世代に対する退役世代の割合は急速に大きくなりますから,大幅に医療費を増やすことは不可能です.日本は資源のない国で,国内企業の国際競争力も維持する必要があるのですから,法人税を増税することは難しいのです.法人税増税で企業が国外に逃げ出したフランスの例を見れば明らかです.
 高齢化が進むのですから,医療や介護の需要が増えるのは自明なのです.しかし同時に少子化となり,現役世代が減少するのですから,需要を抑制するしか方法はないのです.これはアクセスの制限に相当します.外国人医療従事者を入れたとしても,医療労働力はえられても,これをまかなうコストを負担する人間が少なくなっているのですから,現実には不可能な案です.
 小松先生の医療崩壊で解説されていることですが,医療にはアクセス,コスト,クオリティーの3要素があり,そのうちの2つしか満たせません.日本は高齢化でコストは増やせないのでクオリティーを削るかアクセスを削るしかないのです.
 産科・小児科はコストが固定のままクオリティーの要求が高まったため急速にアクセスが悪くなっていっています.
 救急医療はコストがそのままで,政策的にアクセスを維持しようとしているので(実際できてませんが),クオリティーとアクセスの両方が少しずつ低下しています.
 日本は過去アクセスとコストを優先してクオリティーをある程度あきらめてきた過去があります.実際には周産期死亡率をはじめとする医療の質を示す指標は世界でも上位なのですが,この統計にはアクセスの要素が絡むものが多いので純粋にクオリティーを反映していません.
 何を医療崩壊と定義するのかによって考え方が変わるでしょうが,多くの論調はアクセスの低下を医療崩壊ととらえています.日本ではコストが固定されており,むしろ年々コストが切り下げられつつあります.その一方,グローバルには医療費の増大は医療技術の進歩だけで起こっていることが統計的に明らかにされています.コストとクオリティーを求めればアクセスが低下する=医療崩壊,は必然なのです.
 そういった意味で,司法が現状で医療に厳密に法適用を行う姿勢を変えなければ,クオリティーを維持する圧力になり,コストが固定なのでアクセスが低下します.特に,刑事罰はインパクトが大きく,クオリティーを求める強い圧力たり得ます.
 過失理論をはじめとする医師の司法への理解が深まっても,実際に刑事罰を適用される事例が発生するだけで,もっと言えば起訴される事例が1例でもあれば,インパクトになります.法曹がそこを否定しようとしても否定できないのです.
 繰り返しになりますが,高齢化でコストが増やせないので,アクセスとクオリティーの両立はできません.実質的なクオリティー追求圧力である司法が抑制的にならない限り,アクセスは改善しません.つまり医療崩壊は避けられないのです.

>じじい(患)さん
>No.69 薬屋の企画屋さん

>いい意味でも悪い意味でも大企業ですから、訴訟リスクは常に対策を用意しています。

そのひとつが説明書でしょうね。「使用法を守らなかったアンタが悪い」と。そして「異常があれば医師に相談すること」とも書かれています。
相談されても困るんですけど(^^;
時々「Aという市販の風邪薬を飲んだんだけど・・・」とい患者さんがいらっしゃいますが、医師にとっては「Aって何?そんなモン知らん」という感じです。医師には市販薬に関する情報ゼロ。最近はAの成分をネット検索して患者さんにアドバイスしていますが、診療中にネット接続できる病院はかなり少ないのではないでしょうか。検索しても出ていないマイナー製薬の薬ならお手上げで、患者さんに「薬の箱持ってきて〜」となります。

病院で使われる薬では(ここで話題の)添付文書が製薬企業にとってリスク回避の手段になっています(企業としては当然です)。過剰な注意事項の記載は「非現実的だ、役に立たない」との指摘もこのブログでは見られますが。

で、私が医師の皆さんに言いたいのは、その役に立たない添付文書をよく読むことです。そして、現実的でない注意事項(たとえば、「意識消失発作の可能性を十分に(患者に)説明すること」)とか「投与後十分に観察すること」といった曖昧な注意事項が記載されている薬は極力使わないようにすることです。そうしたことで製薬メーカーに添付文書の改善を促すことが可能なはずです。製薬メーカーは厚労省との交渉という大変な作業が増えるでしょうけど。

※私は実際にやってますよ。こちらにリスクが降りかかるような注意事項が追加記載された薬は可能な限りバッサリやってます。

今朝(6/16)の日本経済新聞朝刊に、医療事故のADR機関設立(準備中)の記事がありますが、どなたか詳しい経緯や裏側の情報をお持ちでしたら教えて下さい。

元ライダー.開業医さん

切るだけなく、MRにもぜひ一言いってやってください。
そうすれば、本社はビビリますから(笑)

No.42 法務業の末席 さん、こんにちは。
>医療側の皆さんが見落としていることがあります。それは「患者の海外逃散」です。

日本人患者の海外逃散が進めば、日本人医師の海外進出がやりやすくなりそうです。
現時点では、言葉の壁(問診したり、スタッフ間の会話で微妙なニュアンスが伝えにくく、
下手すると医療事故につながりかねない)がありますから、日本人医師の海外進出は
難しい面がありますが、日本人患者の海外逃散が進めば、当然日本語のわかる日本人
医師の需要は増えるはずですから、就職先としてよいかもしれません。
場合によっては、日本人経営、スタッフも全て日本人で専ら日本人を相手にした病院が
海外にできるかもですね。

テレビは勝ち続ける(最近はそうでもないが)。
大衆はヒーローを祭り上げ、咀嚼し、養分を吸い取ったあと捨て去る巨大な怪物のようなものである。
大衆は愚かである。
愚かであるがそれゆえに勝ち続けてしまうのだ。

モトケン氏のブログに集まる医師は(法律的知識の点で)愚かである。
医学知識は圧倒的に優位だが、相手が患者でも医療訴訟関係弁護士でもない限り意味がない。
そうした中、知識を授けて下さった司法関係者はまさしくヒーローであり、英雄であった。
圧倒的に数の多い医師は、はるかにレベルの低い知識しかない。
衆愚である医師は、しかしヒーローから基本的な知識を吸収し、咀嚼し、身につけるとまた前に進んでいく。吸収されたヒーローが疲弊してどうなったかは触れない。
衆愚である医師は、怪物のようなものである。

医師は勝ち続けなければならない。
まだ問題が解決したわけでもなんでもない。
世話になった人間のためにも医師は勝ち続けなければならない。


医師の基本的人権を回復しなければならない。それが全ての始まりである。
労働時間を記録し、過労死申請のために備えなければならない。三六協定を確認して時間外労働について取り決めを確認しなければならない。当直は厚労省通達以上のことは行わない。法に準じた労働時間を守らなければならない。
今までの医療水準を保つために、3倍以上の医師(本当はコメディカルを増やしてもいいのだがそんな知恵があればそれ)を雇用しなければならなくなるかもしれず、医療機関は多数つぶれるかもしれない。患者は沢山死ぬだろう。しかしそれは医師の仕事ではない。行政の責任である。知ったことではない。

主治医制度を廃止しなければならない。24時間おそばに臨終の時までお仕えする意味がわからない。
説明義務を果たすことは大切である。しかし、医師の時間をすべて説明に費やすことは不可能である。説明を専門に行う人間を養成すればよい。医師でなければ説明してはいけない決まりがあるのだろうか。それが嫌ならすべての説明を盛り込んだ説明書集を販売してサインしてもらうしかない。大枠だけ説明して後をよんで納得できればサインとしなければ物理的に不可能である。
薬剤の添付文書がどんどん付けたしに付けたしを重ねてふんどし状になっては説明はできない。医師の労働時間から薬剤説明について割ける時間を割り出して、それに充てられるだけの字数しか認めないよう字数制限した説明ビラをつくることを義務化する。もしくは、薬剤師に遺漏なくすべて説明していただくしかない。今後どんどん付け足した添付文書になれば、それを患者に伝えきれないし、どんな些細な副作用も書いておくなら製薬会社の注意喚起義務の免責の意味にしかならず結局は患者の不利益になる。裁判所は添付文書を重視する。医師は対抗するかアウトソーシングするしかない。


医療事故・医療過誤において、患者の希望はかなえなければならない。最も強い欲求は「医師を敗訴させてやりたい」よりも「真実が知りたい」ではないだろうか。真実とは「どうして死んだのか」である。そのためには、司法解剖を充実して証拠保全することが重要である。たとえ結果が「調べましたがわからなかった」でも、患者の気持ちは叶えられる部分が大きいと思われる。
刑事における過失の判断で、結果予見可能性を現実に比較して高度になり過ぎないように、結果回避の可能性を現実よりも高くなりすぎないようにしなければならない。法廷における医学的な判断を、医師の手に戻さなければならない。医師の閉鎖的な空間で今までの民事・刑事の医療訴訟を洗い直し(既にやっているが)不適当な医学的判断を教唆した医師を同定し、糾弾し、裁判官を同定し、あざ笑い、軽蔑し、公にアピールしなければならない。いつの時代も異常な人間はある程度おり、後ろから不適切な判断で医師を撃つ医師もいる。そういう人間は指弾しなければならない。
ここで、大きな問題がある。
医療訴訟は近年上げ止まっているとはいえ、原告勝訴率が低いとはいえ、今後増加しないとは全く思えない。医師がかける医療訴訟保険はじき破綻する。今後「訴訟のコストを織り込み済みにした診療報酬にしない限りだれも医業を行わない」ことは確実である。国民にその覚悟があるかどうかわからないが、「真実を知りたい」という欲求は止められない。それを抑えることは訴訟を起こす権利の侵害である。必ず訴訟をカジュアルに行う世の中になる。するとそれを織り込んだ診療報酬に設定する必要が必ずでてくる。もし、診療報酬を上げることなく、患者側の要求を満たす方向のみの環境整備が進むのみであれば、医師はストライキを起こすしかない。
自由診療になった場合も、医療訴訟になったら病院が直接医師に賠償金を請求する可能性も大いにある。責任の所在をはっきりさせるために勤務医も法的に武装しなければならない。


職業集団として、不適格者を排除するシステムは絶対に必要になる。
弁護士の懲戒制度を見習えとはいわないが、あるのとないのとは全く違う。ただ、医道審議会が既にあるので、これに捜査能力と知能を授ければよいだけの話ではある。
今後、専門職集団の集団的沈没が始まることだろう。教職もしかり、国家公務員も然り、検察官も裁判官もおそらく世論の厳しい目にさらされていかに憲法で保証されていようと今までのシステムでは立ち行かなくなることが見えている。衆愚だと思われるがしかし、ノブレス・オブリージュを自認しているだけではもう認められずまとめて沈没させられるしかない。ただ、何でも「監視」し「資格更新」すればいいかというと、きりがなくなってしまう。法医学者も、病理医も「専門医だからといって質がいいとは限らない」などと言い出せばきりがない。しかしきりがないものを民衆は求めている。
何とかして「見た目がいい」制度を作らなければならない。医道審でも医師会でも何でもいい。「能動的に調査している」ことを公開しなければならない。


医師の集団が機能し続けられるよう、何らかの金銭的利益を生み出す方法を医業以外に持たなければならない。私にはアイデアがあるが、それは秘密である。


日本の医療は終わる。絶対に崩壊する。間違いない。もう間に合わない。
今までのような気軽に医療を受けられる世界は終わった。もういつでも奴隷的医師に診療してもらうことはできなくなる。この文章を読んでいるどの人間もそういう世界に放り投げられている。まだまだ自覚が足りない。
高い金を払うか、何ヶ月も待つかしなければ納得の行く医療は受けられなくなる。
ただ、私はもう日本という国で医療を提供する道はほとんど放棄した。
必死で別の生きる道を探している。
そういう人間もどんどん増える。

しかし、医師は勝ち続けなければならない。それが使命である。


ところで民事における救命期待権ってなんでしょうか。
説明義務はわかります。
医療水準に準じた注意義務もわかります。
適切な治療を受ける期待権もわかります。より高度な施設に搬送してもらう必要があるときもあります。
救命期待権ってなんでしょう。救命の期待を裏切られたということは、結果が死亡であれば期待はずれ=救命期待権侵害でしょうか。これが債権になるのであれば、結果を請け負うのですから準委任契約とは呼べないのではないでしょうか。勝手に期待されても困る、と一応感情的に言っておく。
1998/2/27金沢地裁では8500万円の請求に対し550万円の支払いが命じられた。「救命しようとする努力すらしなかった」ことに対する賠償か?それなら「救命期待権」は誤解を招く不適切な命名である。医学において救命とは救命処置も生還することも両方指すからである。医師は「結果責任」に過敏になっているのである。判例検索システムで検索できないので詳細は不明である。

「野村総研 知的財産創造 2007年4月号」
http://www.nri.co.jp/opinion/chitekishisan/index.html
 「医療事故の解決に向けて 中村実」
http://www.nri.co.jp/opinion/chitekishisan/2007/pdf/cs20070406.pdf

この文献によるとアメリカでは医師に刑事処分がくだされるのはまれではあるが、医師からなる州の懲罰委員会で多く処分されていて(2000年に全医師70万人中、免取1600人、免停650人。2004年の州別処分数は最も少ないハワイ州でも日本の10倍。)
医師自身が医師の質の管理に責任を持っているから刑事処分にならずに済んでいると書かれています。

No.76 元内科医さま

ところで民事における救命期待権ってなんでしょうか。

マジレス気味に記事をご紹介します。
これを読んだら逆に裁判所・裁判官への恐怖・嫌悪が増すだけかもしれませんが、「敵」の姿を正確に把握することは大事だと思います。

日経Medical ケースに学ぶトラブル対策講座
 連載第57回
 因果関係の考え方は時代とともに変化

医療機関サイドの弁護士による7ページに及ぶ力作です。

まずは医師のみなさまにじっくり読んでいただきたいと思います。
(登録しないと読めません、為念)←日経の回し者?

これを読んだら逆に裁判所・裁判官への恐怖・嫌悪が増すだけかもしれませんが

 まさにその通りですね。(笑
 数の少ない専門医には、高い専門的な知識と技術を必要とする患者だけを診て貰うことが必要です。時にはありふれた病気と思われて、専門医の受診の機会を与えられないまま亡くなる人がいても、社会制度上やむを得ない事例として納得していただいた方が、効率的な社会制度が可能です。

 そのような事例は許されないとするならば、何でもかんでも専門医に依頼することになります。専門医の数は限られますから、結局は先着順にするほかありません。専門医の診るほとんどの患者は、ありふれた軽症患者ばかりとなり、本当に専門医の知識や技術を必要とする患者がバタバタと死んでいくことになります。

 世の中は後者に傾いているように思えますが、それが多くの人の望みなのでしょうか。

No79について、
そのような認識や言葉を裁判官に届けるにはどうしたらいいんですかね。

裁判沙汰になってから言い出すのは言い訳じみて聞こえるでしょうし。

マスコミ、行政、一般市民、裁判官。これら敵(笑)のなかでは
一番理性的で話せば分かりそうな方々と思われるのですが。

No.77 Nobody さん

それを行うには医師不足を解消(正確には総有効時間の拡大)しておくことが前提になるのでは? 医師不足のまま行うと、残された医師の労働環境が更に悪化→医療ミスの誘発という結果になるだけかと思います。

外野の戯言として・・・・

期待権を積極的に認める判決を下した裁判官が、退職し弁護士に転職後、元依頼主から「ベテラン裁判官だったのに、稚拙な法廷戦術で敗訴した」と期待権違反で訴えられる裁判を見てみたいユーワクが(^^;

どー答弁するんだろ?

医療崩壊というけれど、医療自体は知識と手技なので崩壊しない。
崩壊するのは、医療システムですよね。
現在の日本の医療システムが崩壊することは悪いことなのでしょうか?
危機的なことなのでしょうか?
私は良いことだと思って待ち望んでます。
ただ、崩壊にあたって、医療者側、患者側共に、非常な痛みを伴いますね。

新刊紹介です。
医療の限界 新潮社新書 小松秀樹著


FAQの件ですが、ウィキペディアのように、複数の人がいろいろ書き込んで完成させるような仕組みがあれば、モトケンさんに負担がかからないのではないでしょうか。

>日経Medical ケースに学ぶトラブル対策講座
> 連載第57回
> 因果関係の考え方は時代とともに変化
>医療機関サイドの弁護士による7ページに及ぶ力作です。

fuka_fukaさん,
読んでみました.
気になったところに関してお教え願えないでしょうか?
ルンバール事件では1審,2審とも過失が否定されているにもかかわらず最高裁からの差し戻し審では過失が緩やかに認められている.と書かれていました.さらに解説では「特にこのような「被害者」を救済するために、」というように書かれていますが,このような目的のために「過失を一部でも認定する」ことは(この通りだったとして)適切な法の運用なんでしょうか?
確かに障害の残った患者さんは気の毒ですが,だからといってそれを診療した医師に一部でもその保証を担わせようとすることは適切とは私には思えません.それは個人が負担すべきものではなく,行政が補助を行ったりするべきものと私は思います.
法は厳格に(ある意味では冷徹)に運用されるものではないのでしょうか?

それから病気になったのは誰のせいでもなく残念ながら病気になった本人の問題です.患者さんに「被害者」という表現を使うのも適切とは言えないように思います.同業の医師からみればむしろ被告の方が「被害者」に見える私は間違っているのでしょうか?

このハンドルを使い続けるのも我ながらどうかと思いますが(汗)一応、発言主体の首尾一貫性を担保したいとので御寛恕の程を。

 さて、医療行為と言うものは基本的に全て、患者の身体への侵襲ですよね。言い換えれば「医療行為=傷害」なわけです。
極端を言えば「治療行為だから、人の体を傷つけても特別なお目こぼしで罪に問われない」だけのことです。「免許」ってそういうものですよね?
 でもこの考え方を出発点にしてしまうと、「結果が悪かった場合には全て、事情は委細関係なく、罪に問われる可能性がある」ことになりかねません。運転免許保持者に、無事故運転が義務付けられているので「事故が起きた=過失・故意を問わず運転者は原則有責」と見なされるのと同じでしょうか。

 しかしこの考え方では「どうやっても結局助からない患者を、やっぱり助けられなかった場合」も有責にされる恐れがある。と言うより、原則的には有責として扱うことになる。これは不条理です。

 対して、医療行為として行われたものならば、結果の如何にかかわらず原則無問責とすべきだとの考え方もあります。私の主観では、十数年ほど前までは(よしあしは別にして)この考え方が主流だったように思います。非・専門家である一般の患者や家族/遺族には、仮に医療行為の中で過誤があったとしても容易にそれと知ることができなかったのも一つの理由かもしれませんが。

 この考え方では、例えば埼玉医大病院で起きた抗がん剤過剰投与による患者副作用死のような事例ですら免罪されかねません。免罪ではなく「何も悪くない」ですね。
 これも不条理ですし、極端な事例とは言え実は失敗して死なせたのに原因を隠していたことまで「何も悪くない」扱いするようでは、世間一般は医療全般に対して不信を募らせることになるでしょう。

 思うに、医事訴訟の一つの大きな原因に、患者や遺族の医療への不信があるんじゃないかと言う気がします。一種の揺り戻しですかね。必要な措置をきちんと講じていたのか、禁忌を破ったのではないか、ミスを隠しているんじゃないのか等々。特に「隠している」に関しては、専門知識を持たない立場では中々判断がつかない。医療側から受けた説明が本当に事実に即しているのかどうかさえ、素人にはわからないわけです。
 となれば公的な権威に縋って調べてもらうよりほかないわけですが、不幸なのはこうした場合に対応できるのが裁判所以外にないということじゃないかとも思います。

 であるならば、司法手続きの中に医療行為の妥当性を審査する専門機関を設けることが望ましいのですが、ことは現行制度の変更に関わりますから、政治的ロビー活動やキャンペーンが不可欠になるわけです。
 日医の武見さんみたいな人物がいれば……などと言ってもせん無いので、司法や立法・行政、マスコミを「敵」とみなして反発するよりも、上手に啓蒙して味方につける工夫をしたほうが生産的だし良いんじゃないでしょうか。

 なんかここの議論を拝見していると、世間一般の認識と隔絶した専門家だけの世界に閉じこもったまま、危機だ危機だと自己完結的に将来展望を描いてるように感じます。

>No.86 売り言葉に買い言葉さん

9割反論なし
御参考までに

No.86 売り言葉に買い言葉さん

>司法や立法・行政、マスコミを「敵」とみなして反発するよりも、上手に啓蒙して味方につける工夫をしたほうが生産的だし良いんじゃないでしょうか。

そのとおりかと。

> なんかここの議論を拝見していると、世間一般の認識と隔絶した専門家だけの世界に閉じこもったまま、危機だ危機だと自己完結的に将来展望を描いてるように感じます。

この文章は

No.76 元内科医さんのコメント
不適当な医学的判断を教唆した医師を同定し、糾弾し、裁判官を同定し、あざ笑い、軽蔑し、公にアピールしなければならない。いつの時代も異常な人間はある程度おり、後ろから不適切な判断で医師を撃つ医師もいる。そういう人間は指弾しなければならない。

これに対する疑問と解釈して良いですか?

No.85 Level3 さま

目を通されたとのことで、たいへんお疲れさまでした。
(法曹でも意味を咀嚼しながら読むには数十分〜小一時間かかると思います)

ご質問の点は、いずれも、「おっしゃるとおり」とも言えるし、「いやまったく違います」という反論も可能です。
抽象的なので、ことばの定義や文脈によってどちら側の意味にも解釈、あるいは誘導が可能ではないかと思います。

「地に足のついた議論」にもっていくためにもう少し噛み砕いていきたいと思いますが、また後日に。。。 スミマセン

No.88 guri(産婦人科)さん

この文章は(中略)これに対する疑問と解釈して良いですか?

 いえ、違います。そもそもNo.76 元内科医さんのコメントは読み飛ばしておりました(失礼しました)。趣旨としましては個々の発言に対する投げ掛けではなく、もっと広く全体を覆う傾向性についてです。

 例示いただいたコメントについて私なりの感想を申しますと、「それでは解決に向かわない」に尽きます。
 だって、そういうことは既に2chなどの匿名掲示板で散々やられているにも拘らず事態は一向に好転していないじゃないですか。単に鬱憤を晴らしたいだけ、憤懣をぶちまけたいだけならそれで十分でしょうけれども、今の状況を良しとせず改善を望むのならば別のやりようを検討すべきだと思います。

>fuka_fukaさん

以下のくだりが個人的には気になりました。

 医療裁判では、個々の患者の訴えを基に裁判が開始されますので、どうしても「紛争解決」「被害者救済」が念頭に置かれがちになります。上記「2」から「5」の最高裁判決の事案で最終的に認められた金額は、いずれも200万〜300万円と、患者側の請求金額と比較するとはるかに低額ですが、鋭く対立する当事者双方の意見を聞き、その中で最良の判断を下さなくてはならない裁判所としては、本来ならば患者の請求を棄却すべきところ、その一部を認めることで、「被害者救済」と医療側の利益との調整を測ったと考えることもできます。


これは非常に筋道が通った意見だと思いますが、別の考え方もできるように思うのです。と言うのは、200万〜300万円の金額を認めたところで、被害者救済に繋がるのかなと疑問が生じます。患者の請求の一部を認めたという解釈は間違っていないと思いますが、同時に、患者の請求の一部を否定できなかったと言う解釈もあり得るのかなと思います。

長く議論に参加している割には民事訴訟の一般的な考え方を把握していないのですが、民事訴訟とは「原告側が立証できない主張を棄却」するものなのでしょうか、「被告が否定できない主張を認容」するものなのでしょうか。

ただ、裁判官がどのような立場で判断するのかはケース・バイ・ケースであり、時代や社会によって変化し、裁判官個人の考え方によっても異なっているのかも知れませんが。


また、

私が受けた「相当程度の可能性」が使われた3つの判決の認容額は,患者の請求金額からすると,約10〜20分の1の金額でした。

とあります。確かに医療側から見れば、患者の主張の5%〜10%を裁判所が認めたと解釈するのでしょうが、患者側から見れば90%〜95%の主張は却下されたと解釈することもできます。二つの解釈のうち、どちらが正しいかは立場によって受け取り方が違いますが、第三者から見ると本質的に同じであり、区別することは不可能のように思います。


だからどうしたと言う訳でもないのですが、この日経メディカルオンラインの記事は、医療側の立場にいささか偏り過ぎなのではないかなと言う疑問はあります。

No.91 しま(その他)さん

結果と行為に因果関係がなければ、被害者も加害者も居ないはずです。
単に可哀想な人と、可哀想な人に訴えられた更に可哀想な人がいるだけです。

因果関係を否定しながら賠償を容認するという論理は破綻しているとさえ思えます。
結果責任を要求する患者の期待権などというのは、医療契約の破壊行為だとさえ思ってます。結果責任を期待するなら、その保険料は患者が支払うべき性質のものです。
医療による利益は患者に帰するのですから (医療側の利益は、公定で、極端に制限されていることをお忘れなく)
(解決金を予定して医療を行うことは、公序良俗に反するのか、私には分かりません。自費診療であれば許される契約のようには思えますが、その請求される医療費は、極端な高額になるでしょう)

”民事訴訟とは「原告側が立証できない主張を棄却」するもの”が原則ですが、医療訴訟では医療側に証拠が偏在しているため、立証責任の転嫁が往々に話題になります。
確かに患者側が証明責任を果たすのは酷ですが、さりとて、医師をPL法の企業のように見立てて責任転嫁させるようなことがあれば、間違いなく医師がいなくなるでしょう

契約自由の原則が制限されている応召義務のある医師・患者関係なのですから、「相当の可能性」程度で過失認定されてはやってられません。

>私が受けた「相当程度の可能性」が使われた3つの判決の認容額は,患者の請求金額からすると,約10〜20分の1の金額でした。

この患者請求額というのが曲者で、本来ありえない請求額を上乗せしていて目を覆いたくなるようなものも見受けられます。

患者の保護法益を過大に解釈するなら、その大きな法益を保護した場合の報酬も考慮に入れなければ、バランスが悪すぎるでしょう

可哀想な人と、可哀想な人を助けようとして訴えられる更に可哀想な人
どちらに同情を寄せるかは人それぞれですが、私は後者に同情を寄せます

>可哀想な人と、可哀想な人を助けようとして訴えられる更に可哀想な人
どちらに同情を寄せるかは人それぞれですが、私は後者に同情を寄せます

「救われなかった可哀想な患者の救済」は、神様と立法府の仕事であって、司法のお仕事ではないと思うんですが、拠ってたつ法もないのに、何でそんなとこまで手を伸ばそうとするんでしょうかね〜?しかも、裁判所が負担するならともかく、「さらに可哀想な人」の懐をアテにしてるし。

No.91 しま(その他)さま

民事訴訟とは「原告側が立証できない主張を棄却」するものなのでしょうか、「被告が否定できない主張を認容」するものなのでしょうか。

原則は前者です。
原告が必要な事実の立証に成功した場合、被告が原告の権利を否定する事実(時効、弁済等々)の立証に失敗すれば、「被告が否定できない主張を認容」という局面になります。
が、初めの「原告の立証」ができていなければ、全面棄却です。

あくまで上記は原則であって、(裁判所の考える)配分的正義の実現のために、原告サイドの立証(証明)のハードルが下げられることがあることはご承知のとおり。
# そして、それが果たして裁判所の仕事なのか、という疑問 (by じじいさま) は私も共有


ただ、裁判官がどのような立場で判断するのかはケース・バイ・ケースであり、時代や社会によって変化し、裁判官個人の考え方によっても異なっているのかも知れませんが。

御意。
付言すれば、裁判官の 「立場」 に不当なバイアスがかかっているかどうかは、必ずしも直ちに明白にはならない。
法解釈としてのロジックに破綻がない限り、結論の不当性 (一方当事者からは常にある程度「不当」とみられがち) だけでは、バイアスの存在を指摘することは難しい。
結論を導くロジックに詭弁が含まれていないか、きちんと検証しないと、結論だけをもって安易に批判してもなかなか第三者の共感を得ることはできない。
と深夜につらーと考えました


この日経メディカルオンラインの記事は、医療側の立場にいささか偏り過ぎなのではないかなと言う疑問はあります。

表現が医療機関寄りになっていることは確かだと思いますが、私見としては、偏り「過ぎ」とまでは感じませんでした。
「医療側の代理人の弁護士」が書いていることが明記されているし、医療関係者向けのサイトである以上、ある意味当然といえるかもしれません。
# 日本の大手メディア批判の文脈でよく言われることですが、スタンスを明言した上での「肩入れ」は許容されるべきでしょう

ただ、内容 (裁判例の分析) それ自体は、中立を保っているという印象です。
その「これが現実だ」という結論を、医療機関側にとって行動指針としてほしい、という観点で書かれているように思えます。

P R

ブログタイムズ

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