エントリ

 「過失」判断さんの紹介です。

 年々増える医療訴訟について、医療関係者と法曹界との相互理解を深めようと、医療訴訟に関するパネルディスカッションが二十八日、さいたま市浦和区の埼玉会館で行われ、県内の医師や弁護士、裁判官ら約三百人が参加した。さいたま医療訴訟連絡協議会が企画し、二年前から毎年一回行われ、今回が三回目。
 今回のケースについて、参加者に対してアンケートを実施。医師に過失があるとした医師は三人だったのに対して、なかったとする医師は百十七人の大多数が過失を否定した。しかし、弁護士では過失ありが二十一人、なしが二十人と意見が割れた。

 なぜこのような結果になるのかについての検討が深められる必要があると思います。

 ところで、この記事は

とはいえ、紛争を減らす意味でも、何より大切なのは医者と患者が信頼関係で結ばれることだろう。

と結んでいますが、長年強い信頼で結ばれていた医師と患者側の関係が、事故後の医療側の対応でいとも簡単に相互不信、相互憎悪の関係になってしまう場合もあります。
 医療事故が医療において不可避であるならば、医療事故が発生した場合の事後的対応について医療側がもっと研究することが重要だと思います。

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大雑把に言えば、人々の意識が「悪い結果でも『そういうものだ』と受入れる」から「悪い結果を容認できない」に激変したことが第一の理由で、それは医療側も百も承知だと思います。

長年強い信頼で結ばれていた医師と患者側の関係が、事故後の医療側の対応でいとも簡単に相互不信、相互憎悪の関係になってしまう場合もあります。
事故後の医療側の対応でという部分が全くないわけではないでしょうが、もっと一般的には、
「長年強い信頼で結ばれていた医師と患者側の関係が、『悪い結果の発生』でいとも簡単に相互不信、相互憎悪の関係になってしまう場合もあります。
とした方がより事実に近いように思います。『悪い結果の発生』を、『事故発生』と言い換えても良いと思います。

もちろん悪い結果を受入れられる人々もいるわけです(むしろそういう人のほうが多いと思う)が、悪い結果を受入れられるか否かは、医療側の対応の巧拙よりも、患者さん(とその家族)のキャラクターそのものがより大きな要因だと思います。

ちょうど具体的な話が、「お産SOS」の掲示板のNo.169とNo.170に出ていました。
http://cgi.kahoku.co.jp/osan-sos/index.cgi

>「お産SOS」の掲示板のNo.169とNo.170
経過についてはこの投稿だけではなんとも判断しかねますが、いずれにせよ、2人目の医師の対応から、この投稿者は26週3日の時点で、一子の死亡は確かなことで、超低出生体重児であってもすぐに帝王切開で出産させるべきという2人目の医師の意見が正しいと考え、1人目の医師の医療には納得していないようです。出生体重500−1000gの超低出生体重児で、6歳の時点で脳性麻痺が存在する確率は13.5%、健常児である確率は76%だそうです。http://pedata.med.kobe-u.ac.jp/chosho/century21.pdf#search='%E8%B6%85%E4%BD%8E%E5%87%BA%E7%94%9F%E4%BD%93%E9%87%8D%E5%85%90'

>とはいえ、紛争を減らす意味でも、何より大切なのは医者と患者が信頼関係で結ばれることだろう。
>医療事故が医療において不可避であるならば、医療事故が発生した場合の事後的対応について医療側がもっと研究することが重要だと思います。

このお産SOSのケースでは研究に値する点が多そうですね。アメリカでは訴訟を減らすためにこういった事例についての研究が進んでおり、医師の接遇教育に日本よりもはるかに熱心なんだそうですが、日本もいずれそうなるのかもしれません。Behavioral scienceという科目に「医師患者関係」という項目があり、質問の仕方や、悪い情報の伝え方までUSMLE(国試)に出たので昔に勉強しましたが、当時は何で国試のためにこんなこと勉強しないといけないのかなーと正直思いましたね。(このことに限らず、USMLEの受験勉強はは今思うと本当に実践的な勉強です。)これからは、日本人が特に下手な「アピール」を患者さんに対して上手に行うためにこういうことが必要な時代になり、必然的に研究される時代になるのかもしれません。(今はそういえば、少しOSCEでやっていますね。)
国民の選択ならやむを得ませんが、そうなったときに、技術としての医療が相対的に軽視されないかということと、全体の医療コスト上昇が生じないかが心配ですが。よい医療を受けていると感じることと、実際によい医療をうけているということはこの国ではしばしば両立しないように思いますので。

>何より大切なのは医者と患者が信頼関係で結ばれることだろう。
>長年強い信頼で結ばれていた医師と患者側の関係が、事故後の医療側の対応でいとも簡単に相互不信、相互憎悪の関係になってしまう場合もあります。

 患者さん本人と患者さんの家族・親族は、あくまでも別人格であり、(病気やその治療の)経験や受けとめ方は異なっている、ということを認識する必要があると思います。
 (医療者・非医療者を問わず、)今後は「二人称の死の受容」の研究が必要かもしれません。

はじめまして、20年の勤務医生活を経て昨年開業した泌尿器科医です。医療訴訟は医療ミスを減らせるか?この答えはもちろん「減らせる」でしょう。ただ多くの医者が危険な医療行為から撤退した結果、かも知れません。多くの医療行為は危険に満ちあふれています。それを通り抜けないと治らない病気もたくさんあります。これは飛行機が落ちるかもしれない、新幹線が転覆するかもしれないという危険とは比較にならない頻度で起こりうるものですし、後から道をたどっていけばひとつやふたつの「こうすれば避けられたはず」との原因(それを過失というのだ、とおっしゃるのかも知れませんが)がでてくるはずです。いろいろな医療事故のニュースを聞くたび、明らかに医療に過失がある場合、責められてもしかたがないという場合、こりゃ運が悪いやという場合などいろいろなケースがあります。振り返って、自分の勤務医時代を分析すると(ひいき目にみても)責められても仕方がないケースは片手では余りますし、過失ありとして民事、刑事で裁判に持ち込まれた可能性のあるケースもあると思います。幸いにも訴えられたことはありませんが、のこり半分の医師生活で訴訟に持ち込まれる可能性は30%ぐらいはあったと思います。開業することにより危険な手術や重症例から離れることで数%に減ったのではとも思いますが、もしも多くの医師がこうして危険な治療を回避していくようになったら、医療はどうなってしまうのかと(逃げ出したお前がゆうなといわれるかも知れませんが)心配になります。現にこれだけ少子化がすすみ、出産数が激減しながら婦人科医は足りなくなっています。外科医、特に大きな手術を行う消化器外科などの医師が足りなくなるのも時間の問題と思います。で、対策ですが、よほど明らかな過失(だれがみてもそれはムチャだよというもの)以外は免責する、というのがひとつ、(現実的とは思わないのですが)難易度に応じてあらかじめ契約した成功報酬制度とするというのがひとつでしょうか。もし対策がなされなければリスクを伴う治療は(治療する医師が激減していくでしょうから)なかなか受けられなくなるでしょうが、医療ミスは間違いなく減っていくでしょう。

No.6 urouro さま

医師の過失の免責に関しては、下記のコメントが、このブログでの現在の到達点といえると思います。(推薦の多かったコメントです)

No.49 fuka_fuka さんのコメント | 2007年06月09日 23:03 | CID 60140 | (Top)
(中略)

今日はあまり時間がないので手短に書きますと、私個人の考えは、

・ 刑事責任は、証拠上故意に匹敵するとみなすことができるような重過失(または明らかな故意)による死亡・重篤障害でもない限り、追及すべきでない(立法、解釈いずれでもかまわない)

・ 民事責任は、システムエラー、ヒューマンエラー問わず、刑事責任と同水準での免責はすべきではない。原則どおり、過失があれば賠償責任を病院経営主体に負わせるべき(担当医個人には負わせるべきでない)。ただし未熟児網膜症事件等による最高裁の水準は厳しすぎるので、是正されるべき。

・ 賠償額については、逸失利益、慰謝料とも現在の算定基準は是正されるべき。医療が一切介在しなかった場合の推定余命を前提としての計算でなければ配分的正義とはならないと考える。YUNYUNさまが提案されているようなキャップ制が検討されるべき。

というものです。

>難易度に応じてあらかじめ契約した成功報酬制度とするというのがひとつでしょうか。

これに関しては、将来的に保険料が高騰し、混合診療が導入されれば、自然にそうなるのではないかと思います。

この症例は、多忙を極める主治医である循環器内科医が胸痛発作で救急受診した患者の肺梗塞を診断できずに患者を死亡させたとして、東京地検で争われた事例です。救急搬送直後は(午後2時)、心筋梗塞を疑って緊急で心カテを施行したが結果は陰性。技師が行った心エコーのレポートも陰性で返ってきました(夜9時)。実は、このとき確認しなかった心エコーの生画像には、肺梗塞を疑わせる右心負荷の所見が出ていたことが後ほど判明したというものです。患者は翌早朝に急変して死亡しました。

アンケートによると、法曹関係者の半数が過失ありと判断していますが、医師は98%が過失なしとしています。

両者の判断に隔たりがある理由は、法曹関係者は回顧的に医療行為に過失を探し出せるかに視点を置いており、医師は自分が同じ立場であったならどのように判断していたかを想定する、という思考の違いにあるためと私は考えます。

現場の医師たちは、常に限られた情報量・時間の中で、同じく限られた医療資源をどう使うかを逐次的に判断しています。「診断」というのはそのような中で試行錯誤を繰り返してゆきながら正解に収束して行こうとするダイナミックな作業であることを肌で感じ取っています。このような医師からすれば、事後に机の上に全てのデータを並べて、過失をあぶりだすことによって賠償責任を問う行為に違和感を持つのは当然です。医師の側から「後だしじゃんけん」とか「結果違法説」などの批判が出るのも、このような思考の違いによるものでしょう。

医療行為が「その当時の医療水準に満たない」と判断されれば、賠償責任が発生します。しかし、私は常々「医療水準」は裁判官が決めるべきものではなく、現場の医師によって構築されるものであると考えています。そのためには、医療事故を裁判所ではなく、複数の医師を中心に構成される第三者機関で評価するシステムづくりが急務だと考えています。

さらに根本には、やるものとやらざるものの違いが。例えばサッカーで言えば、PKをはずして優勝を逃したとき、選手なら「過失なし」と判断し、町のおっちゃんなら「過失あり」と判断するようなものですかね。野球で言えば凡フライを落球したとき、選手なら「過失なし」と判断し、町のおっちゃんなら「過失あり」と判断するようなものですかね。

No.5 PINEさん

(紹介されたページより)

座長の伊藤隼也氏(日本医学ジャーナリスト協会)が,「医療訴訟は確実に医療ミス削減にある程度の役割を有しているように思うが,日本では訴訟そのものに問題が隠れているのではないか」と口火を切った。
阿部康一氏(医療事故市民オンブズマン・メディオ)は自身の経験から「病院を訴えたのは,ミスを認めなかったため」と提訴の経緯を説明。しかし,訴訟は裁判所を舞台とした対立であり,両者の主張が真っ向からぶつかるため,「歩み寄るプロセスとはならず,再発防止対策の導入など病院の医療の質の向上に寄与していないかもしれない」と述べた。
 南淵明宏氏(大和成和病院)は,医療訴訟が医療ミス削減に寄与するとしながらも,「医師同士のコミュニケーションの中で,判例から“自分も気をつけていかなければ”という意味」と回答。医療訴訟のあり方として,「自分が信頼している,もしくは自分以上に技術・キャリアがある医師によって手術計画自体の過ちや手術手技の評価・採点をされるのであれば納得できる」としながらも,実際の裁判では,弁護士の優劣により重箱の隅をつつくような論点のすり替えが行われ過失となる,「裁判のための裁判」に巻き込まれるのではないかという医師側の不信が大きいと指摘した。
伊藤隼也さん、阿部康一さん、南淵明宏さんといった錚錚たるメンバーが、このようにしおらしい発言をするようになっていることに軽い衝撃を覚えました。やっぱりギャーギャー騒いでみるものですね。
鈴木氏は,「医療訴訟はなくなることはない。なぜなら訴訟がなくなるということは,司法制度自体がなくてよいと聞こえるため」と発言。
この一文は何なんでしょうね?自意識過剰かな?

No.8 あすとろさん

単純な話だとおもいます。
パネリストに原告側、被告側半々で意見を述べたから、弁護士は意見が半々に割れただけで、医師はこれが如何に診断が困難な例かよく知っているから98%が無責と考えただけなのでは?

循環器内科医が心エコーを読めるとは限りません。私は一応心エコーを専門としていますが、はっきり言って、技師や医師の施行・判読レベルにはかなり差があると言わざるを得ません。
従って、私は過失無しと判断しますが(自分自身が見落としたら、過失かな、と思います)、おそらく一般の方は循環器内科医なら心エコーを全員完璧に読める、と勘違いしているのでしょう。
国家試験や専門医試験でやるのはあくまでも教科書レベルの話しです。それ以上になると経験と教育が必要であり、その習得には途方もない時間がかかります。

ちなみに、訴訟は医療ミス(医療事故のこと?それとも医療過誤のこと?よく解りませんが・・・)を減らせるかどうかですが、医療ミスの定義を過誤も含む医療事故と仮定すると答えはYesでしょう。ただ、医療機器や技術の進歩に伴い新たな想定外の事故は起こるでしょうし、なくすことは不可能です。
また、訴訟が原因解明や再発防止に役立つかと言えば、同じ事例であれば多少は役に立つが、応用としての再発防止は何ら役に立たないでしょう。責任者追求に走ればなおさらです(罰することが前提になると被告は黙秘をする可能性が高くなります)。

No. 11 うらぶれ内科医さん

このパネルディスカッションで評価できる点は、医師と法曹の認識の違いを表す象徴的な事例をうまく選択しているところです。すなわち、現場の医師の98%が「診断困難」と考える症例においても、法曹の半分が「過失あり」と判断してしまうことです。実際、この事例については平成16年5月27日の東京地裁の判決で、医師側に6900万円の賠償命令が出ています

問題は、医師の2%の意見を代表する原告側鑑定人と98%を代表する被告側鑑定人が法廷の場においては同等に扱われることです。そして、その結果として裁判官の考える仮想の「医療水準」が判例として残ってしまうことです。

人間の脳内で行われる生物学的営みである「診断」の可否を、作為的に抽出した2名程度の鑑定人の意見をもとに裁判官が判断しようとすることに、生物学を扱う医師として強い違和感があります。

東京地裁の判決の場合、医師本人が肺塞栓症を疑っていたというのも、原告勝訴の要因になったのではないかと思います。

前記のとおり,G医師が午後9時ころに確認したN技師の報告書には,肺 動脈圧については「38mmHg」,下大静脈については,「29〜20mm」,「ややコンプライアンス弱いです」と記載されており,G医師は,この報告書を読んで,肺動脈圧については微妙な数値で,正常な者でもこの程度の数値を示すことがあると判断したが,下大静脈は,コンプライアンスが弱く,かつ拡張しており,肺動脈圧の数値と下大静脈の状態が合致していない(下大静脈の状態から判断すると,肺動脈圧はもっと高くなってよいはずなの に,それほど高い数値を示していない)ので,心電図を見直してみたところ,右心負荷傾向を示す所見が認められ,肺塞栓症の可能性についても検討すべきものと考えたが,心エコービデオの画像を確認するまでのことはしなかった(前記認定事実)。


まー、医者の「疑ってた」は、極端な話が、「女性を見たら妊娠を疑え」というレベルまで疑いの目を持つので、「疑いを持つ」と「精査が必須」とはイコールではありません。

尤も、ここで取り上げられている判決については、よくわかりません。すみません。

No.13 あすとろさん

>問題は、医師の2%の意見を代表する原告側鑑定人と98%を代表する被告側鑑定人が法廷の場においては同等に扱われることです。

まったく同意いたします。そして正にパネルディスカションで同じことが起こり、判定者に医学的知識がなければ50%-50%で判定されるということが証明されたのだと思います。

No.13 あすとろさん
>問題は、医師の2%の意見を代表する原告側鑑定人と98%を代表する被告側鑑定人が法廷の場においては同等に扱われることです。
No.16 うらぶれ内科さん
>まったく同意いたします。そして正にパネルディスカションで同じことが起こり、判定者に医学的知識がなければ50%-50%で判定されるということが証明されたのだと思います。

この結果から、管理人様の書かれるように
「医療事故が医療において不可避であるならば、医療事故が発生した場合の事後的対応について医療側がもっと研究することが重要だと思います。」
98%の医師の判断が、50%-50%で判定されてしまう、ということで、医師の考えを伝える必要はあるのでしょう。

ただ、医師では98%の判断を50%-50%で判定してしまう側も、もっと研究することはあるのではないのか、というのが一市民の感想です。

No.14 しまさん

肺梗塞を疑っているコメントをカルテに書いていたことが、原告勝訴の要因になったとすればなんとも皮肉な話ですね。

No.8 でも書きましたが、内科における診断というのは、複数の可能性の中から正解を見つけ出す行為です。確定診断(最終結論)にたどり着くまでの道のりは、いつも電車道とは限りません。一旦は棄却したものを後ほど再検討することもあります。そうやって試行錯誤を繰り返して最終結論にたどり着くものです。

また、検査というのは万能なものではありません。検査をしたから全てにおいて白黒つくものではないのです。全ての検査には、一定の確率で偽陽性(本当は病気がないのに、検査で陽性と出てしまうこと)や偽陰性(本当は病気があるのに、検査で陰性が出ること)があります。

私たち医師は、このような検査の特徴を考慮に入れて、更にそれに病歴や身体所見を組み入れた上で総合的に判断して、次にどうするのかを考えるのです。ここで大切なのは、使える医療資源(人・検査機器・お金)は限られているということです。医療資源が限られてないのなら、夜の9時に心エコーの所見をみて診断がつかなかった時点で、関係部署の専門医師・技師を全て呼び出してあらゆる検査をして複数の医師と相談すれば、明け方までには診断がついたかもしれません。しかし、これは非現実的な話です。患者の状態が落ち着いているのなら、翌朝、医療資源がそろった時点で再検討するというのが現実的なのです。

医師は常に限られた情報量と時間の中で、限られた医療資源をどう使うかを常に考えながら業務を行っているのです。日本の医療現場、特に救急医療の現場はこの医療資源の不足が顕著です。このような現場を理解しない裁判官が仮想の「医療水準」を作ってしまうことが問題なのです。

No.17 北風さん
>「医療事故が医療において不可避であるならば、医療事故が発生した場合の
>事後的対応について医療側がもっと研究することが重要だと思います。」
>98%の医師の判断が、50%-50%で判定されてしまう、ということで、
>医師の考えを伝える必要はあるのでしょう。

それはおっしゃるとおりです。
そのためにも、No.8で述べたように、医療事故を、複数の医師を中心に構成される第三者機関で評価するシステムづくりが急務だと考えています。ただ、医療費削減および医師不足の現状を是正しなければ、実現は相当難しそうです。ただでさえ医師不足で忙しい今日の勤務医に、更に医療事故評価の第三者機関で働いてもらうのは現実的には困難でしょう。

暫定的な処置として、医療裁判における鑑定人のあり方を変えるのはどうでしょうか。原告側・被告側関係なしに、裁判所が無作為に選んだ被告と同じ立場(専門)の医師5−10人に鑑定を依頼するのです。原告、被告側弁護士にはこれらの鑑定結果をもとに議論を進めていただきます。98%の医師が過失なしと考える事例では、通常なら10人中8−10人は過失なしと認定することでしょう。

この方法は裁判手続の原則を変えることになりますので実現は難しいとは思いますが、法曹の方の意見を聞きたいところです。

記事には裁判官の方がどう判断されたかが書いてないのが残念ですが、
もしかして、出席された弁護士の方の立場が、民事の場合原告側の代理人の立場に主に立たれる方と医師の代理人の立場に立たれる方が単純にほぼ同数こられていただけなのかと思いました。


肺動脈圧38というのは正常と異常値の境目で、私でも微妙と判断し、肺塞栓を疑いつつも放置していたでしょう。右室負荷所見も肺塞栓以外でもありえます(肺性心など)。従ってこれは肺塞栓を疑う決定的な証拠とはならないと思います。まあ、私なら確かに肺動脈塞栓を疑ってヘパリンくらいは使ったかもしれませんが。
そもそも心エコーに於ける肺動脈圧は推定値でしかありません。肺動脈圧を算出するには三尖弁の圧較差をまず測定します。これとて推定値であり、実測値ではありません(まあ、ほとんど正解ですけど)。肺動脈圧はこれにさらに10から20を足します。この足した数値がいくつかによっても解釈が違ってきます。ちなみにこの10から20というのは大静脈の圧です。これは状況によって大きく違いますから、右心負荷のある患者さんはむしろ20を足した方が良いのかもしれません。だから38という数字は確かに肺動脈血栓を疑う根拠とはなり得ます。
しかし、重症の患者さんでは肺動脈圧は100くらいになる例さえ存在します。正直言って38というのは確定診断には至らないでしょう。
また、何を持って右室負荷所見というのか分かりませんが、代表的なのは心室中隔の扁平化、及び右室の拡大だと思います。でも、これでも確定診断には至りません。
では何で確定診断を行うのかというと肺動脈血流シンチで確定診断を行います。私ならこれを緊急でオーダーしますが、シンチを備えている病院はそれほど多くはありません。
余談ですが、シンチは非常に高額で、アメリカだと故意で検査すらしない場合が多いのです。それで命を落とす人がたくさんいるそうです。
知れば知るほど確定診断は困難であり、この症例で過失を問うのは酷なような気がします。

ところで、この患者さんはタバコなどをお吸いになったのでしょうか?あるいは他の肺疾患(
陳旧性肺結核など)はなかったのでしょうか?もし肺気腫などの病変があれば肺性心になることがあるので鑑別は一層難しくなります。

こんにちは、あすとろさん。
整形Aです。

No.19 あすとろ(医師)さんのコメント

>暫定的な処置として、医療裁判における鑑定人のあり方を変えるのはどうでしょうか。原告側・被告側関係なしに、裁判所が無作為に選んだ被告と同じ立場(専門)の医師5−10人に鑑定を依頼するのです。原告、被告側弁護士にはこれらの鑑定結果をもとに議論を進めていただきます。98%の医師が過失なしと考える事例では、通常なら10人中8−10人は過失なしと認定することでしょう。

鑑定書は何も裁判所だけが出させるわけではなく、被告側医療機関でも出すことができます。
被告側が取れる対策としては、自分のところに有利と思われる鑑定書を複数用意して、「ほれ、ほとんどの医者はこの通り、過失なしといってますよ」と主張することではないかと思います。

「医療事故と司法制度No325の拙コメントを参照ください。
http://www.yabelab.net/blog/medical/2007/04/16-112210.php

>yamaさん

肺動脈圧38というのは正常と異常値の境目で、私でも微妙と判断し、肺塞栓を疑いつつも放置していたでしょう。

肺動脈圧38と技師から聞かされた場合、心エコーのビデオ映像を医師が見ることはないと言うことですね。このような判断が通常のものであれば、本判決は不当判決という事になると思います。

判決文は↓にありますが、この医師は優秀な方のようですね。優秀な医師ほどリスクを追いやすいという理不尽さは感じました。同時に、遺族が訴えるのも無理はないかなと思いました。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=5549&hanreiKbn=03

あと、原告側には医師のブレーンが付いていますね。確実に。その医師の書いたシナリオに被告側が反論できなかったと言うことかも知れません。

>No.23 しま(その他)さん

私の理解では、”普通の(!)損害賠償訴訟”だったら、一般的注意義務を果たし、結果回避義務を果たしていたら、過失なしとされて無責(賠償責任を負わない)はずなんだけれど

医療の場合、これも繰言になるかもしれないけれど、ほんの少し前までは(藤山判決以前、あるいは10年前)、当該施設の診療義務を果たせば無責に近かったし、患者側も仕方なし、主治医も頑張ってくれたよね、という信頼感で医療が維持できてたと思う

転送義務違反だの、地方などの医療環境に配慮せず、無い物ねだりで、負い切れない責任を医療側に負わせて、患者の救済を優先することが行われているような気がする
それも一つの国のあり方だと思うけれど、もしそれを実現するなら、保険でカバーできるように医療費を上げないといけないし、医療訴訟の被告(医療側)に対する配慮も必要だと思うのだけれど、司法が先にあるべき姿を先取りしている気がする。

。。。。。。敬語、丁寧語が怪しいけれど、日本酒3合呑んだ後なので、御容赦ください
突っ込み勘弁願います。。。。。(^_^;)

>No.23 しまさん
>同時に、遺族が訴えるのも無理はないかなと思いました。

横から毎度すみません。上記に関連してもう少ししまさんのご意見をうかがってみたくなりました(笑)。それは以下の質問です。
遺族の請求額と裁判所が認めた金額についてはこれで適正相場であると思われますか。

ぼつでおkの質問ですのでスルーなさってもおkです(笑)。私としては高過ぎるし支払う相手も多すぎると思ったんですが、自分の相場感覚が常識的に適正かどうか自信が全くもてず、つい誰かにききたくなっただけの詰まらん質問なんで心苦しいです(笑)。

判決を読みました。

判決のキモは、「忙しいことが精査加療の言い訳になるか否か」という点について、裁判所は「否」と答えた、ということだと読みましたが如何でしょうか。

そうだとしたら、この裁判は「医者対医者の争い」とは程遠いものと感じます。

>No.25 ぼつでおk(医)さん

私の理解では、こんな感じなんですが如何でしょうか。

1. 賠償額のうち、遺失利益の計算はほとんど機械的に決まってしまうので、この部分について高い低いを考えることは無意味である。

2. 支払う相手の数も、相続人の数で決まるだけなので、これも数を考えることは無意味である。

3. そうなると考えるに値する部分は慰謝料の部分で、この判決では2000万円ですね。いやー、高いなー。慰謝料を見ると、裁判官の医療に対する偏見が見え隠れするように感じます。

失礼しました。

誤「忙しいことが精査加療の言い訳になるか否か」

正「忙しいことが精査加療遅延の言い訳になるか否か」

No.23 しま(その他)さん

判決文読みました。
鑑定医の意見が原文で出ていないのでわかりませんが、少なくとも判決としては間違っていると言わざるを得ません。鑑定医意見を見ればどちらが間違った解釈をしているのか明らかになるでしょう。鑑定医所見に過失の可能性はある(どれくらいあるのかもわからない)、と書かれていても実際に過失があるのかどうか判断するのは裁判官だからです。過失がある、と言い切ってしまっているのであれば鑑定医に非があるし、可能性がかなり高くない(例えば感覚的に70%以下)のに過失と判断してしまえば裁判官の非となるでしょう。

まず、被告の主張を見ても明らかなようにプロスペクティブに判断すべきであって、その時点で何が考えられるか、何をすべきかを考えるわけです。そして検査の結果からは明らかに肺塞栓とは言えず、疑いとしか言えないわけです。
さて、疑いの時点で治療を開始すべきかどうかですが、これは経験がものを言うでしょう。教科書的に「疑いでも治療を始める」とは書いていないです。

私の場合、この症例を救う自信はあります。迷わず肺血流シンチを行ったでしょう。しかし、これはあくまでも肺塞栓の経験があり、また上司からイヤと言うほどその恐ろしさを教えて頂いたからです。

今回の判例における主治医の対応は60点です。つまり及第点です(残念ながら教科書的なこと以上のことはしていないのでそれ以上の点数はつけられません)。及第点で過失を認定するとは酷を通り越して過誤と言うべきものです。

鑑定医の文書を見ていないのでどちらがおかしいのかわかりません。でも、今一度考え直して欲しい判例ではあります。これを過失と認定されてしまったら危なくて臨床は出来ません。

>yamaさん
裁判所は、医師がエコー画像を見れば肺血流シンチグラフを取ったと言う判断だろうと思うのです。

G医師も,本件訴訟が提起されてから本件心エコー検査のビデオ画像を確認したところ,K医師と同じく,肺高血圧症の所見があると供述している(証人G)。
G医師は,相当数の肺塞栓症の診断,治療の経験があり,肺塞栓症の診断をする場合,心エコー検査で肺高血圧の所見が得られれば,肺血流シンチ等の検査を行い確定診断をつけるのが診断のプロセスである旨供述しており


従って、問題はなぜ医師が心エコーの画像を見なかったか、あるいは、緊急性があることが分かっているのならば携帯心エコーがあるのだから、それを使えばいいじゃないかという事になるかと思います。

私も判決文見ましたが、ほんとか??という記載がいくつかあります。

前期のようなEの症状から判断して、心カテーテル検査の結果、狭心症や心筋梗塞のような冠動脈疾患が否定された以上、急性肺塞栓症を疑って早急に心エコー検査を実施することは当然のことであり

 ってか、この件、原告側も被告側も全く触れてないんですが、なんでFDPを調べなかったのか、その点が私には不思議です。エコーは判決文にもわずかながら触れられているとおり、特異度は比較的高いですが、感度の低い検査ですから、エコーやシンチを行う前にこの症状ならFDPを調べて当然だったと思うんですが。まして、肺梗塞の経験が豊富な先生であればこれは当然行うべき検査だったと思います。
 この点が全く無視されている(のか、FDPが高かったことを無視されているのか?)のが静脈外科医の私としてはとても不思議です。

血栓溶解療法を行うことは、静脈血栓の溶解を助長するのみならず、血栓の再発を抑える作用がある。」(甲B14・96頁、97頁)とされているのであるから、17日中にヘパリンが投与されていれば、Eの急性肺塞栓症の再発は防ぐことができ、Eの死亡という結果は生じなかったものと推認される。

 これも「おいおい・・・」ですね。自験例ですが、大腿静脈CVCを起因として発症した肺塞栓症で、フラグミン投与に反応せず開心術で血栓摘除した症例があります。従って、「急性肺塞栓症の再発を防ぐことができ」は明らかに言いすぎです。

 従って、この件では
1.担当医はFDPのチェックを怠った(?)こと、心エコーの判読が遅れたことで過失があり、FDP高値であれば心エコーを行わずとも、肺血流シンチを行っていたはずである。
2.しかし、仮に1.を行っていたとしても救命し得なかった可能性はある。

と、考えられ、判決の半分ぐらいの賠償が妥当じゃないでしょうか?

No. 30 僻地外科医さん
>エコーやシンチを行う前にこの症状ならFDPを調べて当然だったと思うんですが。

おっしゃるとおり、「肺梗塞を疑ったら、まずD-dimer(もしくはFDP)を!」 というのは、専門外の私でも10年前に知っていた教訓です。しかし、悩ましいのは、この検査は特異的ではないために、あらゆる全身性疾患で陽性になることです。実際、私は肺梗塞以外の疾患で入院する患者にもほぼ全例にD-dimerを計っていた時期がありましたが、陽性率が結構高いことを実感しました。

Harrison’s Principles of Internal Medicine(16th edition)にも、「D-dimerは肺梗塞を除外するためには用いることはできるが、診断の目的には有用でない。」と書かれています。同時に、肺シンチの感度もそれほど高くなく、「肺シンチで明確な所見の無かった40%の患者が血管造影検査で肺梗塞と診断される。」とのことです。

「肺梗塞の鑑別診断は非常に多く、確定診断が極めて難しい」というのが、世界標準の教科書の認識のようです。

> No.29 しまさん
域を行きを出ませんが、もしかしたら心エコーの判読が自信なかったのかもしれません。
前にも述べましたが、心エコーというのは非常に特殊な技術であり、それを完璧に近いくらいまで判読するには結構修行がいります。その取得には何年もかかるのです。
それ故、技師の判断を鵜呑みにしてしまったということは結構あります。

多くの施設では技師がエコーを行い(時間的関係や、技術的関係からすべて医師が行うのは不可能)、ビデオを見たて判読することは結構あります(私もその一人です)が、多くの施設ではビデオを見ずに、技師の判断を優先し、サインだけして終わり、ということも結構あります(技師さんでも下手な医師より出来る人は結構います)。それには心エコー専門医が少ないと言うこと、さらに医師不足があり、すべてを医師の責任にするのは酷でしょう(つまり、国や病院の責任はもっと大きいと言うことです)。

なんちゃって判読医は結構いますが、きちんとした判読医は少ないという事実が背景にあるのではないかと私は睨んでいます。
それでなくても確定診断は難しいのですから、判決についてはそれ以前の問題のような気もしますが・・・。

> No.30 僻地外科医 さん
狭心症を否定できた!なんてことがあるはずがありません。隠れている可能性もあるし、そもそも狭心症は心エコーなんかで鑑別は出来ません。カテーテルにしたってアセチルコリン負荷等をしているわけではありませんから否定しきっていません。

前期のようなEの症状から判断して、心カテーテル検査の結果、狭心症や心筋梗塞のような冠動脈疾患が否定された以上、
の部分は誤りです。
FDPやD-Dは心筋梗塞でもよくわからないその他の炎症性疾患でも高くなりますよね。しかも、肺血栓以外の肺塞栓では高くなるのでしょうか(私はそこまで経験はありません)?やはりこれを持って肺塞栓と確定診断するのは難しいのではないでしょうかと個人的には考えます(経験不足で済みません)。

済みません、自己レスです。
域を→推測の域を
です。

原告の主張
Sa02も酸素吸入が行われていたにもかかわらず97パーセントと再び低下しており,血液のガス交換機能低下の徴候が見られていた。(したがって、入院時に肺梗塞を発症していた)

被告の反論
肺塞栓症を発症している場合,少なくともそれが致死的なものであれば,酸素吸入を行ってもSa02 は上昇しないところ,Eについては,被告病院到着時に酸素吸入措置が施され,93パーセントであったSa02 が,99パーセントにまで上昇している

カンファレンスで原告、被告を戦わせれば、原告の撃沈。
致死的肺梗塞という病態生理を理解していれば、SaO2という機械の特性が分かっていれば、原告の主張に何の根拠も見出せない。

こんな主張を許してはいけません。理に適いません。
心エコー云々の話、以前の事実認定に誤認がありそうです。

大前提が間違っていては、小前提をコネコネして修正しようと間違いを修正できはしない

死んだ患者が不幸なのは同意するが、その不幸の救済を、責任のないi医師・病院に押し付けるのは如何なものだろうか?

特に当該医師の能力が高いことを理由に、その責を認めているが、本来過失責任は、一般人レベルで判断すべきものではなかったのか?
能力が高いことを理由に、その限界まで更に過失の範囲を広げようとするのは、酷ではないのか?

診察時は無症状で、「心臓に問題がないのなら帰りたいと申し出た」者が、致死的肺梗塞?

どうみても、カテーテルの翌日の安静解除時に致死的肺梗塞が起こったと思えるが、その後の対処は十分に結果回避義務を果たしている。
心エコー検査のことなど、全く無関係であり、言い掛かり

被告は、直ちに上告して事実認定の間違いを正すべきだろう

No.34 Med_Law さん

医療事故訴訟の実態エントリの方で

幾度か述べているように、事実認定そのものの把握が医療裁判の大事な部分を占めており、素人の心証を得てから玄人の鑑定を仰ぐなどというのは、本末転倒であろう
と書かれていたのは、なるほど医療判断のかかわる事実認定のことでしたか。僕なんかいくつかの判決文を読んで、さすが裁判官、「言った言わない」などの非専門的な事項に関する事実認定の手腕は大したものだわいと思っていたので、Med_Lawさんのご指摘がよく理解できていませんでした。

医療判断のかかわる事実認定で、実態とかけ離れた事実認定がされてしまうと、もちろんそれだけでも納得いくものではない上に、およそ事実と違う前提に立った裁判を受けねばならないという馬鹿馬鹿しさに見舞われるんですよね。

「ジャッジがアホやから医療がでけへん」、ってやつですね。(ん?ちょっと違うか?)

ところで、これって控訴しているんでしょうか?

D-dimerはこれは肺血栓塞栓症ではないだろうな、と思う患者に対してやっぱり違うよとルールアウトするために使うのが一番確実ですね( N Engl J Med. 349:1227-35, 2003)
ただ我が国ではその日のうちにD-dimerを検査できる施設は多くないでしょう。
そのときはやはりFDPで代用ですか。

ちなみに、この判決文、SaO2ではなくSpO2が正しいと思う。
(前者は動脈血を採血してわかる、後者は指先を機械に挟んで測る)

昨日、ちょっと疲れて早寝してしまったので、今頃まとめレスで申し訳ありません。

>あすとろ(医師)様

 ご指摘のようにFDPは感度は高いものの特異度は低い検査です。ただし、この検査で確定的に言えるのは「何らかの血栓(微小血栓含む)」があったことだけは間違いない・・・ということです。ここで冠動脈内に血栓がなかったのなら、症状からして肺塞栓症を疑って良かったのではないかと言うことは間違いなく言えますよね?それでシンチや造影を行っても確定診断がつかなかったんなら、これはやむを得なかったと言えると思うんですが・・・。

>yama様

狭心症を否定できた!なんてことがあるはずがありません。隠れている可能性もあるし、そもそも狭心症は心エコーなんかで鑑別は出来ません。カテーテルにしたってアセチルコリン負荷等をしているわけではありませんから否定しきっていません。

 そうですね。明らかに言いすぎでした。申し訳ありません。

FDPやD-Dは心筋梗塞でもよくわからないその他の炎症性疾患でも高くなりますよね。しかも、肺血栓以外の肺塞栓では高くなるのでしょうか(私はそこまで経験はありません)?

 肺塞栓の原因の最も多いものはDVTから脱落した血栓が塞栓したものですから、この場合はFDPはほぼ100%上昇します。あとは大腿骨折時の脂肪塞栓とか羊水塞栓ですけど、この症例の場合は考慮する必要がありませんし、この2つの場合でもほぼ確実に上昇します。もちろん他の血栓症や炎症性疾患でも上昇しますが、ルールアウトには役立ちます

 で、私が言いたいのは担当医は
1.検査の流れからすると第1鑑別診断に冠動脈疾患を考えていた。
2.第2鑑別診断に肺血栓/塞栓症を考えていたが、緊急疾患として対応していない。

 ということです。どうも肺塞栓症の本当の恐ろしさ(小さい塞栓からでも二次血栓を生じて急変することが多い)を分かっていなかったんじゃないかという気がするんですよね。もし、本当に肺塞栓症の怖さを知ってたら、エコーも技師任せじゃなく自分でやってたと思いますし、夜にエコーを見た時点でも患者を起こして検査はあり得たんじゃないかと。

>立木志摩夫様

 日本ではD-dimerはDIC以外には保険適応がないようです。ゆえにFDP測定しか選択肢がないと思います。それにFDPの方が早いですしね。

> No.38 僻地外科医 さん
コメントありがとうござます(実は、僻地外科医さんのコメントを批判したのではなく、判決文を否定していたのですが、誤解を生じさせたのであれば申し訳ありません)。

それにしても、この主治医が心エコーを判読出来るくらいの経験がなかったのか、肺塞栓で怖い思いをしたことが無いのかわかりませんね。
まあ、虚血性心疾患を第一に鑑別するのは重要なことですし、多分その時点でヘパリンは少なくともボーラスで打っていると思います。それでも血栓(と解釈して良いのでしょうかね?)が出てきたと言うことは、本当にこの症例が救命出来たのかどうか、微妙と思うようになってしまいました。

肺血栓塞栓症は疑わなければ診断できない疾患で有名ですな。また疑いですとキリがないのも事実なようで。そういえば一昔前SLEにステロイドパルスをやって肺血栓症を作ってしまった経験があります。また突然死した症例をゼクしてみたら、見事な騎乗血栓だったなんてのもありました。ああおそろしや。

ヘパリンは基本的に、完全にできてしまった血栓を溶かしません。tPAとは違うのだから。
ヘパリンだけで大丈夫なのか、それとも、この症例のように、夜中に急変するか(ヘパリン
を入れていたって急変します)の鑑別の指標として、トロポニンがある程度役に立ちます。

すぐに心カテ、エコーをしようと思うほど症状は強かったわけで、chest X-rayはきれい(多分)のわりに、呼吸困難感があり、酸素がないとSpO2が低下する等あり、もし、昔のように、mortalityカンファでもあれば、関係者は大いに学び反省する症例だったと思います。

これが裁判でなく、病院内のカンファや学会であれば、「よくがんばったのに残念だった」
という人は少数派で、なんらかのお小言を言う人が多数派だと思います。こういうカンファは結果を見て物を言うので、結構、厳しいものです。医師にとっても、結果が全てなのです。患者さんが亡くなったのに、「60点の及第点の医療はやったからいい」と思う医者は限りなく少ないです(or 少なかったです)。

今は、訴訟多発による萎縮で、このような、医師同士の率直なカンファがめっきり減りました。自分やお互いを厳しく追及するより、少しでも正当化する言い分を探す傾向にあります。
いつ自分が患者となるか分からない国民にとって、これは、不幸なことだと思います。

まあ、ヘパリンは半減期は短いですしね・・・。


これが裁判でなく、病院内のカンファや学会であれば、「よくがんばったのに残念だった」
という人は少数派で、なんらかのお小言を言う人が多数派だと思います。こういうカンファは結果を見て物を言うので、結構、厳しいものです。

厳しくなるのは、人間の認知バイアス上(後知恵バイアス)のため、ある意味当然かとおもいます。医療の世界に限ったことではないでしょう。

> No.41 窓際の医師さん
ヘパリンについては、よーく考えたらその通りですね。ボーラスで打っても効果は持続しませんし・・・。

医療は限りなく100点を目指すべきですが、合格点は60点です。カンファでは100点にするにはどうしたらよいか、合理的な方法以外でも考えるのに対し、責任をとる事態(訴訟、医療事故における責任追及も含みます)は60点の合格点であれば良い、と私は認識しています。責任をとる採らないの問題で60点以上を追求したら、医師は全員クビになってしまいますよね。
つまり、私にとってはカンファも裁判も目指すべき点が違うだけで評価方法においては何ら変わりが無いと認識しています。
ただ、実際には裁判では60点を超えていなければ過失を問われる(まれに合併症と考えられるのに過失と問われているケースもあります)、という事例が少なくないだけに、方法論として間違っていると言うことです。それには鑑定医や裁判官に合理的な考えの追求が欠けていると思うのです(鑑定書が無い限りどちらが問題なのかは解りません)。
合理的でないとついて行く医師はいないです。ただ退散するだけでしょう(今の医療崩壊・医師不足問題の原因はこれがあるからです)。

以前、鑑定医の意見を統一すべきとの意見がありましたが、それはマニュアル化(それも不完全とならざるを得ないでしょうが)やよほどの時間をかけた審議がないと不可能です。その複数の鑑定医の意見を合理的にどう組み立てるかが裁判官の役目だと思います。そうした意味において、以前モトケンさんが裁判は医師対医師の戦いと言っておられましたが、私はそれに(現時点では)賛同できません。双方の問題とも言えるからです。
方法としてはカンファランス形式(カンファランスも問題症例は時間をかけてじっくり行う)における可能な限りの意見統一を行うか(完全な意見統一は不可能です)、統一意見が出なかった際の複数の意見のまとめ役を選出し、意見書を作成するなどの措置が必要になるでしょう。

P R

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