エントリ

 事故を巡っては、根本医師が業務上過失致死罪に問われ、東京地裁は2006年3月、「診断ミスはあったが、死亡との因果関係はなかった」として無罪判決(検察側控訴)を言い渡したが、この日の判決は診断ミス自体を認めなかった。

 当然のことながら

 両親は控訴する方針。


追記
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コメント(25)

判決全文を読むまでは何の意見も持ち得ないです。

 判決に関する情報がありましたらコメントしてください。
 このエントリに追記する形で紹介する予定です。

時事通信の魚拓
http://s03.megalodon.jp/2008-0213-0104-17/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080212-00000096-jij-soci

産経新聞の魚拓
http://s02.megalodon.jp/2008-0213-0105-44/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080212-00000960-san-soci
http://s03.megalodon.jp/2008-0213-0106-41/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080212-00000947-san-soci

毎日
http://s04.megalodon.jp/2008-0213-0110-21/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080212-00000122-mai-soci

産経・毎日だけが自称”被害者”の言い分を偏重して掲載している。
真相が明らかになったら、被告に責任がないと認めるのだろうか?

毎日は被告の言葉は一行。原告の言葉は10行。
全く訴訟に関係のないお涙頂戴ものでも紙面を汚している

訴訟相手方を公平に扱うということが、どうやら産経・毎日にはできない様子。

マスゴミの名前に相応しい

毎日新聞は、前日から
『割りばし死亡事故 12日判決 遺族「真実明らかにして」』
という記事を飛ばして煽ってます。
http://s03.megalodon.jp/2008-0213-0152-51/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080211-00000002-maip-soci


>病院側は一貫して「脳に割りばしが刺さっているとは予想できない」と過失を否定し、直接の謝罪はない。

と、過失を否定している被告から謝罪がないことを非難するかのごとく紙面を構成してます。

敢えて死因は?と問われたら
”自分で転倒して、のどに割りばしが刺さって死亡した”としか答えようがない

不幸な人を慰めるのに、加害者は必須でしょうか?
全ての責任を問うのであれば、保護者の責任には頬かむりして良いものでしょうか?

最終結果はどうなるか分からないが、毎日の報道の仕方は傷に塩を塗りつける行為に見えて仕方がない。

再三、このブログでも取り上げられていますが、このような訴訟が増え、かつ一般受けしそうな論調がマスコミが煽った結果、救急医療に従事する医師が減っているように思います。

マスコミによる煽り行為は、医療裁判に限らず、最近激増しているので、これを受信する読者・視聴者側の冷静な対応が必要だと思うのですが、難しいのでしょうかね。

真実とは時には残酷なものである。

今朝のみのもんたも酷かったですね・・・
「3年前の刑事裁判でミスが認定されてるのに、おかしい」という趣旨でしたねぇ
番組に出ておられた自称医療ジャーナリストの方が、
「より厳格な判断をする刑事でミスがを認定しているのだから、民事でひっくり返ったのは不思議」というような事をおっしゃってましたね。

>No.5 Feriさま

いみじくも昨日のNHKニュース(午後9時)で「訴訟を恐れて治療を控える医師」の話が放送されていましたね。
「急患たらいまわし」の問題の原因の一つにも「専門外の医師が診察して結果患者が死ぬと、訴訟になる場合があるから」というものがあるそうですね。
NHKは「結果が悪かったときに病院から患者側への説明が不十分だったから、感情的な対立になり、訴訟まで発展するから、医療メディエーターという仲介者を置くところが増えてきた。しかし、数も不足しており、病院側のスタッフなので上手く機能するか?」という感じで報道していましたが、「患者に納得してもらう」というのも難しそうに思います。

どうも、私たちは「犯人探し」が好きなようですね。飛行機事故などで思うのですが「ミスをした人間」を責めるのではなく、「なぜミスをしたのか、他の人間でも犯す様なミスなのか、ではどうすれば再発を防ぐことができるか」という視点が欠けているようです。遺族の感情は大事ですが、メディアには、「感情的」にならず冷静で中立な立場に立った報道を心がけてもらいだいものです。

判断の基準が違うだけの話。
過失という言葉も曖昧な表現であり、同じ事実でも過失としてとらえるのか、そうではないととらえるのか判断は分かれるでしょう。
過失を単に「結果から見た失敗」としてとらえるのか、「因果関係があるもの」と過失としてとらえるのか、それだけでも変わってきます。
朝のバラエティ番組はいくら医療ジャーナリストと言っても所詮素人。プロスペクティブにものを見ることができないのでしょう。それが現場の感覚と結果論からものをいえる素人の考え方の差なのでしょう。「より厳格な判断をする刑事でミスがを認定しているのだから、民事でひっくり返ったのは不思議」は何ら不思議では無い。ただ判断の基準が違うだけ。

> No.8 通行人1さん
私もそれを見ました。そして怒りを覚えました。
たしかにある医療紛争においては患者と医療スタッフが会話をして真実を見つめていくのが解決のために必要ということはわかります。でも、それで心を満たされる患者や家族が全てでしょうか?
実際には現場にいると理不尽なことを要求する患者が少なくありません。昨日の番組はまるで全て我々医療スタッフの責任のような報道でした。実際には違います。両方が平等の立場にならないと真実や解決は見えてきません。NHKにはそういう視点が欠けていて、患者側の視点でしかものを言っていません。これでは真実は見えてきません。

ざっと見ただけでNHKの欠けている視点をあげてみたいと思います。
まず、明らかな医療過誤でない限り、医療事故の原因を究明すると言うこと自体大変な時間と労力を要します。つまり、患者はすぐに事実を説明することを要求しますが、実際には「わからない」とか、「今調査中です」とか、そういうこともある意味当たり前のことであり、それで誠意が欠けていると言われるのであれば怖くて医療なんかできません。
もう一つ、モンスターペイシェントに代表されるように最近は理不尽な要求をする患者が後を絶ちません。さすがにこうした事例では訴訟になっても医療側が勝つでしょうが、訴訟になるという時点で我々の労力やストレスは大変なものです。でも、そうしたリスクが避けられないのであればやはりリスクのある慰留おから撤退するのは当然の帰結ですよね?

NHKには患者側からの視点も大事ですが、昔から医療スタッフ側の視点が欠けているというか、軽視されているように思えます。
言葉では再発を防ぐ視点が必要と言っておきながら、実際にあげている具体的な策は「犯人捜し」になってしまっていて、とても再発防止に薬立たないな、と思いました。

インターネットの記事しか見ていないのですが、サンケイのニュースは、原告の一方的な意見のみを載せ、裁判所はこちらの主張を採用しなかった。裁判所はあやまった判断をしているというような、論調で被告は過失がなかったと、いわば刑事事件でで言えば無罪とも言える判決なのにいまだ犯人用扱い。遺族が納得できないのはやむをえないとしても、お互いの主張、利害が食い違ったときに判断を下すのが裁判所であり、それが法治国家であるはずであり、その判断には敬意を払うべきでしょう。それを、「医療過誤の立証なお壁高く」では訴えられて、自分が正しいと思ったことを主張し認められた被告に対しあんまりでしょう。そこまでくると、遺族が、どうして死んだのか、その原因が知りたいだけというコメントには裁判所の出した答え(原因の説明)が納得できないというだけであり、それを正義のように伝えるマスコミというか、この記事を書いた記者のレベルの低さにがっかりします。ジャーナリストはジャーナリストとしての誇りを持ち、ジャーナリズムについて勉強すべきである。当然、公権力に対抗する記事を書く事は大事ですが、この記事は単に大衆を扇動し迎合しているだけです。

全く、逆の立場からですがこんな考え方は?

民事訴訟での無罪判決が真実であり、刑事裁判の時の判断が不当なものであった、よって当時の記事裁判の際の裁判自体に問題があると認められる。
民事の結果からは明らかに刑事裁判の結果が謝っているのであり、ゆえに当時の裁判官の結果責任を問いたい。

感傷的にはこのような意見も考えられるのではないかと
医療関係者の素直な気持ちです。

後出しじゃんけんで訴えられる怖さがおわかりでしょうか。

 マスコミの一部では刑事裁判において過失を認めたのに、という点が指摘されているようですが、理論的な問題としては、刑事1審判決が過失を認めたことには問題があると解する余地があります。

 割りばし事故無罪判決の理論と現実

 検察官が控訴していますから控訴審の判断が待たれます。

 なお、上記引用エントリは、医療問題に関するものの中で最も初期のものですので、今の私の状況認識とは異なるところがあります。

やはり一部の勉強不足のマスコミや一般大衆はミス(過誤)があったから死亡したとか、過失があったからそれは過誤だとか、全てのものは合理的に説明できると信じているのでしょう。
もちろん、科学とは理論的に証明しうるものでありますが、実際には医学においては解明されていないことがあまりにも多く、必ずしも1対1で簡潔に説明できるようなものとはいきません。理論的なのですが、パラメータが多すぎて一般の人からは理論的に見えないのでしょう。
これについてはモトケンさんのブログで、以前「医学は科学的か」みたいなテーマで議論がされていましたが、医療においては医学よりもさらにパラメータが多く、より世間の常識で考えることのできないようなことばかりなのです。
でも、産○とか、毎○とか、N○Kとか勉強不足のマスコミは悪気は無いのかもしれません(と信じたいですね)。単なるお馬鹿さんなのでしょう。朝日とか読売の記事の内容を見れば、いかに彼らが勉強不足のくせに憤っているだけなのかが明らかでしょう。

鹿児島、富山の冤罪事件の被害者を悪人扱いしてるも同然なんですが判ってるんですかね?>マスゴミ各位。
判決が確定したら、根本先生には、マスゴミは無論の事、是非、この遺族を名誉毀損で訴えてもらいたいですね。簡単に済むでしょうよ。
Amazon.co.jp: 「割り箸が脳に刺さったわが子」と「大病院の態度」
(小学館文庫): 本:
杉野 文栄
http://www.amazon.co.jp/dp/4094047417/
@カスタマーレビュー必見!
これを裁判所に出せば証拠提出終了www
ところでどこぞで「元医師」と、あったのが気になります。私みたくドロッポ生活を満喫…してるわけないよね。そんな訴訟は不可能でしょうけど「医師としてのキャリアを棒にふった分の逸失利益損害賠償請求訴訟」も起こしてもらいたいですね。
…奴隷せずにすんだ分の利益○億円遺族に払え!って判決が出たりして…

>>No.16 峰村健司さん
ありがとうございます。やっと拝読できました。

判決全文を読んで初めて実際の医療記録そのものと関係者全員の証言そのものに接することができます。
これは症例検討会と全く同じ材料であり、医師として詳細に症例検討を行う機会が得られて初めて、病死であるか異状死であるかの判断を行うことができるようになるのです。
これがNo.1で判決全文を読むまでは何の意見も持ち得ないとした理由です。

先ほど読み終わりました。裁判長の示した分析法は、同じ証拠から私が医師として異状死である可能性を検討するために用いる分析法と異なるところがなく、ほぼ完全に一致しております。

同じ事件の刑事裁判判決文での分析に比べるとはるかに精密な分析が行われており、合理性の判断においては専門家に等しい格段に高い医学レベルでの論証がなされていると考えます。

さらに、本症例における救命可能性の検討の項においても、冷静に事実の経過に従って当を得た公正な検討が行われており、医師から見ても傷病の本質と医術の本質を知り人間そのものを深く洞察できる優れた人物による判決全文であると私には思えました。

これが判決全文に対するいち医師としての私の感想であり、同時に本裁判に対する肯定「意見」であります。

頭蓋の解剖とかほとんどわからず読み終わりました。

>No.17 ぼつでおkさん

>同じ事件の刑事裁判判決文での分析に比べるとはるかに精密な分析が行われており、合理性の判断においては専門家に等しい格段に高い医学レベルでの論証がなされていると考えます。

8年もかかっちゃねぇ… って、それを言っちゃあオシマイでつか?

 司法解剖に基づいて作成された鑑定書(K鑑定書」)に、
 「創洞は軟口蓋を貫通して上咽頭腔内に入り,(中略),ついで頭蓋底において「左頸静脈孔内を通り(頭蓋骨の損傷なし)」,頭蓋腔(左) 後頭蓋窩)に達している.」
とありました。
 割り箸は、頭蓋内外を交通する血管が通っている頭蓋骨の孔を、まさにピンポイントで貫通したことが分かりました。

十分な診察を行わず、子の頭蓋骨内損傷を看過し、適切な治療を行わなかった診療上の注意義務違反(過失)があり、これによって子が死亡するに至ったこと(判決文P1)

基本的に、医療には「診察時の患者の状態」を観察や問診、触診、検査などによって診断し、その診断に基づいて、「その後の患者の状態」を予測し、処置/治療するという目的があるように思います。

言い換えれば、医療は、患者を【観察】や【検証】などによって診断し、その診断に基づいて患者の状態を【予測】【制御】することを目的にしているように思います。

上記を医療の目的の一つと捉えることについては、原告も被告も否定はしないのではないでしょうか…。

ただ、ここで疑問に思うのは、医師の診断は、常に『医学的証明』とみなされるべきなのだろうか?という点です。
医師の「診断」を『医学的証明』とみなすか、それとも『仮説』とみなすかという違いによって、患者が「医療に期待する範疇」が変わってくるような気がします。

* * *
上記原告側の主張を見ると、本件の被告の「診断」を『医学的証明』とみなしているように見えます。
ゆえに、基本的に「その後の患者の状態」に対して医師は予見義務を負うべきだとみなしているのでしょう。
もちろん、原告側も医療が万能ではないのは承知しているのでしょうが、「医療が万能ではないこと」の許容範囲は、例えば、未知の病で【予測】や【制御】が困難である場合などに限られるのかもしれません。(その場合も、少なくとも現在の医療水準での【予測】【制御】は期待しているとは思いますが。)

原告側が、上記の通り「診療上の注意義務違反(過失)」を主張する時は、

医師の診断が正しいならば(頭蓋内損傷だと診断していたならば)、患者の症状(心停止)が予測できた。

患者の症状を予測できなかった。

したがって、医師の診断が正しくなかった。

というロジックに支えられているように見えます。

頭蓋内損傷に対してその時点の医療水準の「処置/治療」を受けた上で死亡した場合ならば、原告側も訴訟を起こしたりはしなかったのではないかと思います。その機会を受けられなかった事に対して無念を抱いていらっしゃるのかもしれません。
(原告側が診療に対して期待していたのは、"真に正しい診断を基にした、医療水準の「治療/処置」を受けられる機会が得られること”のように見えます。)

* * *
一方、医師の診断が『仮説』であるとみなす場合は、医療水準を満たした医師・病院においても、上記のような原告の期待に必ず応えられる、とは言えないように思います。
そして、被告らが「経験科学という医学の本質(判決文P18)」と主張したことも、諒解できるように思います。

医師は診断する際、観察や検査などから得た情報を基に「患者の状態を最も適切に説明しうる仮説を導出する推論(アブダクション)」を行っているように見えます。
そして複数推論があれば、確証度合いの高そうな推論を仮説として選ぶのかもしれません。

アブダクションは小会議室(その2)エントリNo.160で少し書いていたように、「最も適切に説明しうる仮説を導出する推論」や「最良の説明への推論」の事であり、その範疇は「真偽は別として、手元のデータから最良の説明仮説が選択できればそれで十分だ」から「おそらく仮説は正しい」までの辺りの推論を指すようです。医師の診断では、「おそらく仮説は正しい」という所までは期待される事が多いのではないかと思います。

「受傷状況」「搬送中の状況」「診察室での状況」「割りばしの状況」「初期的印象」「口腔・中咽頭の外傷の診察」「問診」「嘔吐」「バイタルサイン」「意識状態の把握」「神経学的診察」などの複数の情報からアブダクションを行う段階では、「割りばしの刺入による頭蓋内損傷」は「なさそう」「確証度合いが低そう」であったため、「創傷内の異物の確認」「頭部外傷」「CT・MRI検査」「上司や他科への相談」という更なる検査・診察等を必要だとは判断しなかったのでしょう。

以上のように、診断を『仮説』とみなす場合は、「割りばしの刺入による頭蓋内損傷」の可能性を考慮しない診断であっても、「医師が、診察時にその可能性に思い至らなかったこと」が医療水準においても相当であると法廷でみなされる事もあり得るだろうと思います。
すなわち、後で診断内容が正しくなかった事が判明した場合でも、直ちに「診療上の注意義務違反(過失)があった」とみなされる訳ではないことが、諒解できるように思います。

* * *
以上は、判決文を読んだだけで勝手に想像しただけですけれども…。
8年ですか…。控訴するという事は、まだ続くという事なんですね…。

判決文の全文、目を通しました。

医学的な検討内容については、私は門外漢なので、その妥当性等を評価することはできませんが、裁判所が行った検討のプロセスを見る限り、とても丁寧な作業を行っていることが伺えます。

特に、「理由はない」としてそこで終わりにできることに関しても、本件では特に踏み込んで判決理由を示すなど、まさに言葉を尽くして、請求が棄却されることになる原告側の理解と納得を求めようと努力している観があります。

正直申しまして、ご遺族の感情は理解できないでもないのですが、判決理由がこのような内容である以上、控訴するのは最早、ほとんど「言いがかり」同然にさえ感じられます。判決内容をよく検討してからアクションを起こすべきではないかと思います。

それは兎も角、判決全文を読むと、いかに今の司法記者がダメかがよ〜〜〜〜〜っく分かりますね。
司法記者会所属の記者は、いち早く判決要旨に(全文じゃないですが)接することができるのに、ここまで懇切丁寧に解説されてもなお、ああいう記事を書くってんですから。

そりゃ、原告が納得してないのは事実でしょうし、幼いお子さんを亡くした原告が可哀想だって情緒的に反応するキモチは私も分かりますがね。被告や、このような判断を下した裁判所を、感情論で批判する記事を書くような人物は裁判記者としてはまったく適性がないから、サッサと文芸部にでも配置転換すべきです。

ええっと、No.17のコメント中病死と異状死の用語を用いましたが、行なわれた医療について過失がなかった=病死、過失があった=異状死というつもりで書きました私の表記ミスです。訂正してお詫び申し上げます。

この判決文を読んで気付いたことがもう一点あります。
それは、裁判長の判断部分において「期待権」を判断ツールとして用いた個所が皆無であるということです。
つまり、過失の認定において「因果関係無き過失」を最初からまったく論証しようとしておられない、非常に論理的かつ合理的な判決文であると思いました。

> No.21 惰眠さん

> 被告や、このような判断を下した裁判所を、感情論で批判する記事
> を書くような人物は裁判記者としてはまったく適性がないから、サッ
> サと文芸部にでも配置転換すべきです。

まったくおっしゃるとおりです。ちゃんとした記者もいるでしょうが、今の新聞を見ているとそういうまともな記者が記事を書いていることは内のでしょう。
まともな記者はつぶされているか、あるいは、新聞社の方針でまともな記者が書いた文を書き直されているかのどちらかにしか思えません。

 この判決では、司法解剖の所見(K法医学者の尋問内容も含む)が重視されていると思われました。原告の主張(および原告側と思われる鑑定)は、いずれも解剖所見によって支持されなかったことにより(ヘルニアの所見を認めないこと、左内頚静脈閉塞の存在、割り箸の木片の位置)、立証不十分とみなされたのではないかと思われました。
 ところで、原告側の主張を読むと、司法解剖の結果は知らされていないように推測されます。解剖ですべてが明らかにできるわけではありませんが、医療事故(疑いも含む)において、このように解剖の結果が開示されない状況のままでよいのだろうかと思います。
 本症例の場合、原告側と思われるe鑑定医でさえ述べているように、左内頚静脈損傷・閉塞は致命的と考えられます。もし遺族が解剖の結果について説明を受けて、救命不可能であったことを遺族が理解されれば、場合によっては裁判にまで至らない可能性もあるのではないかと思うのです。仮に裁判に至ったとしても、無理な(不毛な)主張をすることはないのではないかと思います。
 また、医療側にとって解剖の結果を知ることは、医療事故再発防止あるいは同様の症例における今後の診療を行う上で極めて重要です。この場合、当事者だけでなく、広く情報を共有することが必要です。
 医療事故調査委員会のような第三者機関で解剖を行って結果を開示するようにすることはひとつの方法かもしれませんが、まだ解決しなければならない問題がいろいろとあるようです。
 なお、いわゆるトンデモ判決とされる事例の多くは解剖されていないことが多く、解剖が行われなかった事例における問題は依然として残っていると思われます。

この事故における解は私は実はシンプルだと思っています。
この事件の真相・真実は誰も知らない、が正解なんですよね。全て確率論のお話。しかもその確率は今までのデータがないから算出はほぼ不可能。
臨床試験でも組んで再現し、しかもnがたくさんあればより正確なデータが得られます。それでも確率論になってしまう(何もしないよりはより確実にパーセンテージがわかりますが)。おまけに被験者は脳に割り箸を突き刺すということをされなければならない・・・そんなの不可能ですよね。
一つわかっていることは、こんな、多くの臨床医が見つけられないだろう事故で有罪になってしまったら医療者は逃げてしまうだけ、それだけです。

P R

ブログタイムズ

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