エントリ

 これで、薬害エイズ事件の刑事裁判が全て確定するようです。

 薬害エイズ事件をめぐっては、ミドリ十字の元社長2人の有罪が確定し、別の元社長1人が一審有罪の後に死亡して公訴棄却となった。帝京大の安部英元副学長は一審無罪の後、死亡により公訴が棄却された。今回の決定で、起訴されたすべての被告の司法判断が出そろった。

追記
 No.11 guriさんが判決文サイトを紹介してくれています。

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コメント(53)

今朝のNHKニュースで最高裁が行政の不作為の過失という刑事責任!を認めたという解説がされていました。
最高裁ってほんとうに最高の司法判断ができるところなの?というのが私の感想です。

連投失礼。
不作為の過失とは、個人の行為として結果との間に相当因果関係が立証されない即ち因果関係無き過失と等価でしょう。法理論では因果関係無き過失は刑事責任を問われないはずではなかったのですか?
個人の刑事責任を問うのであれば因果関係無き過失の証明では不十分で、薬害で人が死ぬことについて個人に殺人の未必の故意が証明されなければならないと思います。それが証明されて初めて刑事有責となりますが、それは不作為の過失の刑事責任有責とは全然別のものです。
なぜなら不作為の過失の刑事責任というものの存在を許せば、国家の行為に認められているすべての「裁量」に刑事責任を認めることになり、法治国家を維持してゆくことが困難になるからです。才口千晴最高裁裁判官(弁護士出身)が危惧したとおり。

この最高裁の司法判断については、底抜けの馬鹿でないとできない判断としか思えません(笑)。自分で自分の権威の根源を否定して見せるとはね。

不作為の過失とは、個人の行為として結果との間に相当因果関係が立証されない即ち因果関係無き過失と等価でしょう

いいえ、違います。
不作為が、作為義務違反という「行為」として評価される場合には、その行為と結果(HIVに罹患した血友病患者らの死)との間には因果関係が当然認められるものです。

万々が一、そのような法解釈を誤信されるROMがいないとも限りませんので、一応釘を刺させていただきます。ご容赦の程。

なぜなら不作為の過失の刑事責任というものの存在を許せば、国家の行為に認められているすべての「裁量」に刑事責任を認めることになり、法治国家を維持してゆくことが困難になるからです。

そのような全か無かのような話として認識している方は少数派だと思います。

法律問題は、 「もしAという事実があればBという法律効果(法的責任)が生ずる」 場合に、 「Xという行為がAに該当するか否か」 という問題です。

ぼつでおkさまは、「XはAには該当しない」 と主張すべきところを、悉く 「AならばBというテーゼが不当だ」 という問題に置き換えてしまわれています。

誰が見てもAに該当することに疑いのないYという類型で考えれば、「AならばB」自体が不当だという主張はまったくナンセンスであることが容易に理解されると思うのですが。

このコメントは、松村元課長の有罪という判断に対する是非の論評を一切含みません。
純粋に論の立て方の問題です。

>No.2 ぼつでおk(医)さん
新聞記事を見る限りですが、最高裁の判断は因果関係を認めていると私には読めたのですが・・・。

状況としては、例えば殺虫剤入り餃子の問題で、
“稜筝鬼覿箸蓮∪ご岼貳未任呂泙税知されていない時点から自社のギョーザを食べた消費者に食中毒症状が多発ことを知っていて
継続販売すればさらに被害が拡大する蓋然性が高いにも拘らず
商品の回収も注意喚起も行わず漫然と出荷・販売を続け
と稜筝鬼覿箸当然負うべき商品の安全性に関わる義務を果たさなかった結果、
チ換餤模での食中毒禍を引き起こした
って言う図式になぞらえられると思います。

で、通常こういう場合は法人企業の責任が問われるわけですが、今回の判決では、いわば法人企業の意思決定を個別具体的に為すことのできる立場にいる個人の刑責を認めたということではないでしょうか。

私はぼつでおk(医)さんとは逆に、とかく役所に責任をおっかぶせて当事者本人は「失政」の責任(民事であったり場合によっては刑事であったり)から免れているかのごとくに見える現状に強い不満を抱いていましたので、今回判決には百年の溜飲が下がったような感じでいます。

>>No.3 fuka_fukaさん
コメントありがとうございます。

>純粋に論の立て方の問題です。
の論の立て方についてですが、わたしはここで刑事責任を伴う過失認定について論じておりますが、No.3 fuka_fukaさんも不作為の過失の「刑事責任」を論じておられるのでしょうか。
確認のための質問で申し訳ないですが。

個人の刑事責任を問うのであれば因果関係無き過失の証明では不十分で、薬害で人が死ぬことについて個人に殺人の未必の故意が証明されなければならないと思います。

これは、「業務上過失致死傷罪を廃止せよ」 または 「公務員が公務として行った行為(不作為を含む)については適用を排除せよ」 という立法論です。

そういうご趣旨であればよいのですが、もし法解釈論としてのご主張、つまり本件の裁判でもそのような結論が採られるべきであったというご主張となりますと、論外ということになりますので、念のため。

No.2 ぼつでおk(医)さま

個人の刑事責任を問うのであれば因果関係無き過失の証明では不十分で、薬害で人が死ぬことについて個人に殺人の未必の故意が証明されなければならないと思います。

これは、「業務上過失致死傷罪を廃止せよ」 または 「公務員が公務として行った行為(不作為を含む)については適用を排除せよ」 という立法論です。

そういうご趣旨であればよいのですが、もし法解釈論としてのご主張、つまり本件の裁判でもそのような結論が採られるべきであったというご主張となりますと、論外ということになりますので、念のため。


No.5 ぼつでおk(医)さま

No.3 fuka_fukaさんも不作為の過失の「刑事責任」を論じておられるのでしょうか。

はい。そのとおりです。

>>No.7 fuka_fukaさん
>はい。そのとおりです。

でありましたら、この厚生省課長の職務権限に鑑みて職務上回収命令を出す判断をすべきところを、出さないという判断をしたことに対して刑事責任を問うべきだという刑法論を立てておられることになりますね。違いますか?

No.8 ぼつでおk(医)さま

厚生省課長の職務権限に鑑みて職務上回収命令を出す判断をすべきところを、出さないという判断をしたことに対して刑事責任を問うべきだという刑法論

それが、「松村元課長の行為(=X)」 についての話であれば、私は 「べきだ」 という主張はしておりません。
証拠に接していませんから、裁判官の認定した事実のとおりであれば、そのような評価もありうるだろう、という程度です。

「厚生省課長の職務権限に鑑みて職務上回収命令を出す判断をすべきところを、出さないという判断をした」 というのが一般論としてであれば、「AならばB」 の話に過ぎません。

ぼつでおkさまの言われる 「刑法論」 とはどちらを指していらっしゃいますか?
A、B、X の話は難しいでしょうか?

また、私の指摘した各事項についてのコメントは特にないと理解しておいてよいでしょうか。
そもそも即レスなさる前にきちんと読んでいただけているでしょうか。

なにか言葉が通じ合っていないようですね(笑)。私はNHKの解説を聞いてその解説者が言うとおりであればという話をしているのですが(笑)。
まあそれはおいといて、No.9のおたずねにじっくりお答えすることに致します。

まずNo.3の冒頭のお説
>不作為が、作為義務違反という「行為」として評価される場合には、
>その行為と結果(HIVに罹患した血友病患者らの死)との間には
>因果関係が当然認められるものです。

この因果関係は刑法ですから当然相当因果関係ですね。
相当因果関係というものは「不作為という行為」の間におっしゃるほど容易に「当然認められる」ようなものでしょうか?その点は勿論おん自ら論証済みなのでしょうから、それをご教示いただければ幸いです(笑)。

>>No.11 guriさん
ありがとうございます。
NHKの解説者がのたまった「不作為の過失」ではなく業務上過失致死の注意義務違反・回避義務違反が用いられていますね。
職務権限の解釈部分については一般論的には妥当だと思います。(惰眠さんが快哉を叫ぶお気持ちは理解できました(笑)。)

ただ、この同じ事件の刑事裁判で安部英医師は無罪となっていましたね。そのことが課長の職務権限を遂行できる条件の(いわゆる特段の事情)勘案に組み入れられた痕跡が全くないところに、なんだかなー、というものを感じます。

この判決が安部医師が無罪であるということに全く言及していないために、NHKの解説者も「不作為の過失」有罪判決という表現を選択することになってしまったのかなあとも思えてきました。

不作為の過失有責判決でないなら、因果関係なき過失論とは別の論理になりますね(笑)。よってその部分は取り下げます。

しかし今述べたように課長が裁量判断において刑事責任を問われない特段の事情についての最高裁の審理が不十分であるという疑念は、判決文読んだ後も払拭できませんでしたね(笑)。

No.12 ぼつでおk(医)さん
>ただ、この同じ事件の刑事裁判で安部英医師は無罪となっていましたね。そのことが課長の職務権限を遂行できる条件の(いわゆる特段の事情)勘案に組み入れられた痕跡が全くないところに、なんだかなー、というものを感じます。

一、二審判決はともに、元課長が投与の危険性を認識できた分岐点を「85年末ごろ」と判断。それ以前に投与された帝京大の件は無罪とし、検察側が上告せず、確定した。

安部先生と同じ件については当然のように無罪な訳ですから十分勘案されたと思いますが。

ところで安部先生が無罪となった判決文はこちらです。

http://www.jca.apc.org/toudai-shokuren/abetisaihannketu.html

ぼつでおk(医)さま、
とりあえず、「因果関係なき過失論」からは離れてください。

これは刑事事件です。因果関係が立証できない場合に、刑事責任を問われることはありません。
つまり、刑事事件で有罪になったということは、裁判所が、因果関係アリと認めたという意味です。

cf.民事不法行為では、因果関係が完全に立証できなくても、過失と相当程度の可能性など一定の要件の下に、期待権による責任を問われることがある。

------
刑法上犯罪とされる行為 → (因果関係) → 法益侵害の結果

作為か、不作為かは、「行為」の問題です。因果関係の問題ではありません。
犯罪は、作為の形式で犯される場合も、不作為の形式で犯される場合もあり得ます。
特に、過失犯では不作為の形式であるケースが多いので、「不作為による業務上過失致死罪」は別段不思議でも何でもありません。

典型的な不作為犯として、交通事故の例で考えてみましょう。
【事案】運転者は、赤信号でブレーキを踏まずに、車が惰性で走行するに任せて横断歩道につっ込み、横断中の人を轢いて死なせた。

この時、運転者は積極的な行動は、何も取っていません。作為はなく、不作為です。
しかし、この運転者の態度が、刑事上、自動車運転過失致死罪に問われる「行為」であることは、誰も疑いませんね。

 行為 赤信号でブレーキを踏んで停止すべき義務があるのに、しなかった
  ↓
 結果 車で人を轢いて死なせた

また、この「行為」と「結果」との間に、「因果関係がある」ことも、疑問の余地はありませんよね。

このように、不作為の形式による「行為」が、刑事上有罪とされる場合があるのです。

> 法律問題は、 「もしAという事実があればBという法律効果(法的責任)が生ずる」 場合に、 「Xという行為がAに該当するか否か」 という問題です。
> 誰が見てもAに該当することに疑いのないYという類型で考えれば、「AならばB」自体が不当だという主張はまったくナンセンスであることが容易に理解されると思うのですが(No.3 fuka_fukaさま)

> なぜなら不作為の過失の刑事責任というものの存在を許せば、国家の行為に認められているすべての「裁量」に刑事責任を認めることになり、法治国家を維持してゆくことが困難になるからです(No.2 ぼつでおk(医)さま)

表現が法律的にはちょっと厳密ではありませんが、おっしゃりたいことは分かります。

「何もしない」ことが 常に 犯罪になるという解釈は不当です。
私達は一歩家の外に出れば、いつ法益侵害状況に遭遇するかも知れないのですから、たまたまそういう状況の近くに通りかかっただけで「不幸な結果を阻止しなかったから有罪!」と言われるのでは、危険で町を歩けません。

そこで、不作為犯の形式の犯罪においては、「作為義務」があることが前提とされています。
何らかの積極的行動をとるべき義務があるにもかかわらず、それをしなかったことが、犯罪とされるのです。
作為義務を負わされていない状況で、何もしなくても、犯罪にはなりません。
この一般論は、既に確立した判例であるので、ぼつでおk(医)さまのご懸念には及びません。

本件の行政官僚の場合についてみると、
一般的には、行政官僚は、法律によって与えられた権限を発動してある施策を行うか行わないかについて、かなり大幅な裁量権限を与えられています(行政の第一次的判断権)。
しかし、ある特定の状況下においては、この地位にある行政官はこれこれの施策を行わなければならないという「作為義務」が認められ、その場合は、行動しないことの裁量権は無いのです(裁量権のゼロ収縮)。
この理論は、行政法上の義務として考えられてきましたが、
本件判例は、行政官僚が行政上の作為義務に違反したことで、刑事責任を問われる場合があることを示しました。

ぼつでおk(医)さまのご意見を善解しますと、
本件事案における具体的な作為義務の内容として、
 行政官僚には薬害を阻止すべき(刑法上の)作為義務はない
との趣旨かと思います。
今回、最高裁はそのような解釈を取りませんでしたが、これに対しては異論はあり得ることと思います。

------
> NHKの解説者がのたまった「不作為の過失」ではなく業務上過失致死の注意義務違反・回避義務違反が用いられていますね(No.12 ぼつでおk(医)さま)

それは同じ問題を述べているのです。
過失の罪における「過失」とは、注意義務違反であり、
予測可能性と結果回避可能性があるにもかかわらず、注意を怠って結果を発生せしめた点が、刑事責任の根拠とされます。

不作為犯の形式の犯罪においては、
もし十分注意していたならば、
・自分がある特定の行動を取らなければならない場合であることに気づくことができた(予測可能性)
・その行動を取ったならば、結果発生を阻止することができた(結果回避可能性)
はずであるのに、それを怠った(注意義務違反)
ことについて、刑事責任を問われるのです。

--------
> 薬害で人が死ぬことについて個人に殺人の未必の故意が証明されなければならないと思います(No.2 ぼつでおk(医)さま)

具体的な事案を想定しにくいのですが、
未必的にせよ、「故意があった」と認められる場合には、
業務上過失致死罪ではなく、故意犯である「殺人罪」が成立することとなって、
(殺人罪にも「不作為による殺人罪」というのがあります)
>過失の刑事責任有責とは全然別のもの
ということになります。

繰り返しますが、これは刑法上の「行為」を如何に解するかという論点であって、「因果関係」の問題ではありません。

>>No.13 guri(医)さん
非常に納得の判決文をご紹介いただきありがとうございました。裁判官の高い知性と理性を感じました。

ところで、別の裁判官による
>一、二審判決はともに、元課長が投与の危険性を認識できた分岐点を「85年末ごろ」と判断。

ですが、85年(昭和60年)末ごろ安倍医師は検討会において課長に医師としての意見を述べる際、非加熱製剤によるHIV感染は致死率10%が証明された危険な行為であると発言されていたのでしょうか。安倍医師裁判の判決文を読む限りでは課長の分岐点とされた昭和60年末ごろ安倍医師が検討会で非加熱製剤使用が患者死亡の第一原因であると発言したとも思えないのですが。課長は自らの権限で行政判断を行なうにあたっては、臨床医学的知見を無視した独断専行にならぬよう検討会の医学的意見の動向を頼りにしていたでしょうし。

って、今度は課長の1,2審判決を読む必要がありそうですねw

連投失礼。
>>No.14 YUNYUN(弁護士)さん
>とりあえず、「因果関係なき過失論」からは離れてください。

はい、No.12
>不作為の過失有責判決でないなら、因果関係なき過失論とは別の
>論理になりますね(笑)。よってその部分は取り下げます。
で取り下げております。ご忠告いたみいります。

ところで>>No.14 【事案】は被害者死亡の原因となった過失行為を赤信号でブレーキを踏まなかった不作為犯と解釈するべきものなんですか?
私は道交法の前方不注意の業務上過失なんじゃないかと思いましたが、違ってます?

>ぼつでおk(医)さん
松村元課長の有罪判決に不服であれば、不服と書き込めば宜しいと思うのですが。

薬害エイズは担当課長個人の問題なのか、厚労省という組織の問題なのか、行政の枠組みを大きく超えた国家の問題なのかとか、法律論以前に考えるべき事があるはずです。

法律論を法律家の前で語るのは、医学論、医療論を医師の前で語るのと同じであり、多くの場合無為に終わると思います。

>>No.18 しまさん
コメントありがとうございます。お言葉ですが(笑)

医療は基本的に患者という国民の一部に対するものであり、そのなかで医師は基本的に治療を行なうだけの存在です。医師の前で医療を語るときその一般的でない分野専門用語領域に点にご注意ください。

対して法律は国民すべてに影響を及ぼすものです。ゆえに法律に遭っては普通の人が用語として理解できない概念を有することを厳に慎むべきであり、裁判が特殊な用語を特殊な運用法で駆使する世界であっていいはずがありません。

ところで、課長の有罪か無罪かという点を問題にしているのではないです。日本の司法がどういう過失認定をしているのだろうということが知りたいだけです。

ついでのトピずれ余談ですが(笑)、以前ご紹介いただいた藤山裁判官の産科事故一審産科無罪判決文の読後感想を書きます。
過失の検討がずさんで木を鼻で括ったごとしの感を受けました。判決文全体も短かったですしね。
あれじゃどっちも和解点を探ることなどできないでしょう。
全体に最初から判決に文句があれば上級審でどうぞといわれているようなヤな感じ、の読後感でした。
もっと言うと、事象の分析能力が足りない人が書いた文章に似ている気がしました。以上です。

No.19訂正w
木を鼻で括った→木で鼻をくくった

うーん、厚生労働省自体の罪は問いたい。けれどそれを個人の不作為という形に帰するのはなんだか納得がいかない。

ちょっとすっきりと判断できない問題です。厚生労働省に限らず、官僚の集団というのは幕末の幕府とか、戦争末期の軍上層部とかみたいに、「集団無責任体制」で最終的に責任を負うところがないってイメージなんですよね。

集団全体に責任を負わせたいのに、この人個人の犯罪という形にされるのはなんだか不本意な。

前方不注意というのは、典型的な不作為です。

「前方をよく注意して見ていなければならなかったのに、見ていなかった」 のですから。

なお、 「その間何もしていなかったのではなく別のことをしていたのだから、まったくの作為というものはありえないのではないか」 というのも、古典的な論点で、学説上はかなり昔に決着済です。
それは言語上の切り取り方でしかなく、作為も不作為も同じく 「行為」 として扱って良い (ただし不作為は不定形なので「作為義務」という概念によって絞りを掛ける) というのが今日の一般的な解釈です。


また、「不作為につき過失が認められる場合には常に因果関係も認められる」 というのは、理屈上は別個独立の要件であっても、現実に起こった「事故」から遡って誰の不注意かを特定していく作業の中で、必然的に因果を遡れるものだけに絞られていくからです。

「因果の糸は繋がっているけれども、過失があったとまではいえない」 という不作為はありえても、その逆はまずありえない、ということです。

No.21 山口(産婦人科)さま

集団全体に責任を負わせたいのに、この人個人の犯罪という形にされるのはなんだか不本意な。

同感です。
刑法の目的に資する適用ではないだろうに、と思います。

被告人としても、非加熱製剤の使用に伴うHIV感染の問題について、無策であったわけではない。被告人が加熱製剤の早期承認に向けて積極的な対応をしていたことは事実であり、加熱第IX因子製剤が昭和60年12月に承認の運びとなったのは、その成果であったと考えられる。そして、被告人が、HIV感染の問題を含め、血液行政全般の懸案を解決するために、血液の国内自給に向けて具体的な施策を推進していたことも認められる。被告人の行動は、国の血液行政を担当する者として、大局においては適切であり、行政として重要な国家レベルの施策の方向性という点では、その職責を果たしていたものということができる

他の国であれば功績が認められてヒーロー扱いされてもおかしくないと思うのですが、功績が報いられず、立場に立っていたと言うだけで罪を問われる社会なのですよね。この国は。

>>No.22 fuka_fukaさん
コメントありがとうございますw

前方不注意は不作為ですが、もし寸前でかわして事故を回避できたら不作為の過失責任は生じませんでしょうか?
またこの事故が起こった場合赤信号でブレーキを踏まなかった不作為の過失致死責任はどういう罪名でどう量刑されましょうか?

>「因果の糸は繋がっているけれども、過失があったとまではいえない」 という不作為はありえても、その逆はまずありえない、ということです。>

ありえないその逆というのが、不作為の逆の作為か、因果の糸が繋がってないのか、過失があるのか、全体にどういうセンテンスが「その逆」なのか理解できないんですが、お手数かけて申し訳ないですがセンテンスで教えていただけませんか。

「その逆」 というのは、不作為による過失と、誰かの死とがあって、その間に因果関係がまったく存在しないということの意味です。

事故が起こっていないのに 「致死」 罪が成立するはずはありません。

複数の過失が観念できる場合にどれを 「犯罪行為」 と特定するのかは、きわめて技術的な刑法上の論点です。
あまりぼつでおkさまの問題意識と直結しないとは思いますが、本気でご関心があるのであれば刑法の基本書をお読みになることをお勧めいたします。
「過失併存説・過失段階説の対立」 がキーワードです。

No.21 山口(産婦人科)さんへ

>うーん、厚生労働省自体の罪は問いたい。けれどそれを個人の不作為という形に帰するのはなんだか納得がいかない。

どうでしょ、権限はあるけ責任はないという無責任状態になるのは個人の責任がうやむやになるからなので、刑事罰と言う形はどうなのかと言う問題はありますが、最終的に個人の権限に応じた責任が問われただけのような気がしますが? 組織の罪を問うと言いますが、最終的には個人の権限に応じた責任が問われなければならないわけでそう考えるとちょっとどうかと思います。
 ただ、納得行かないと考えてしまうのは上司とのしがらみで行った部分もあるのに、上司の罪が問われないのに、この人のみ責任を問われるのは納得がいかないと言う部分があるからではないでしょうか。

 No.25 ぼつでおk(医)さんへ

>前方不注意は不作為ですが、もし寸前でかわして事故を回避できたら不作為の過失責任は生じませんでしょうか?
 事故が起きていない(回避)のに、事故を起こしたとして処罰は出来ないと思いますが?ただ、赤信号なのに停止しなかった部分については責任を取らされるでしょうけど(反則切符を切られる)

No.27 質問者さん

1.非加熱第IX因子製剤の販売を直ちに中止
2.自社の加熱第IX因子製剤と置き換える形で出庫済みの未使用非加熱第IX因子製剤を可及的速やかに回収
3.第IX因子製剤を使用しようとする医師をして、本件非加熱製剤の不要不急の投与を控えさせる措置

地裁で問われたのは以上3つの不作為な訳ですが、これを行わなかったと言って刑事責任を問うのは酷なように思います。もっとも、厚労省の課長ともなればそれくらい行うことはたやすいかも知れませんが。

No.28 しまさんへ

刑事罰として問うのはどうかと言う件と刑事罰の軽重は難しいところがあると思いますが、彼の立場からすればその件で責任が問われないと言うのは、じゃあ彼の職業は薬品会社から接待をうけるのが職業なのかと逆に聞きたいです。
 他の国に比べてかなり遅れて承認、その他行動を行っているわけで、その危険性は十分認識していない方がおかしいことを考えると、とてもじゃないですが彼の責任が問われないのはおかしいと思います。

No.29 質問者さん

じゃあ彼の職業は薬品会社から接待をうけるのが職業なのか

製薬会社から接待を受けたことが裁判で問われていたとは寡聞にして存じ上げませんでした。


他の国に比べてかなり遅れて承認、その他行動を行っているわけで、その危険性は十分認識していない方がおかしいことを考えると

輸入血液製剤の承認が遅れた責任は問われておらず、地裁判決ではむしろ早期承認に積極的だったと言及されています。

>>No.24 しまさん
にこの事件では同感です。
司法が一体であれば(つうか憲法は一つなので少なくとも最高裁判断はシングルスタンダードであるべきですがw)、課長が安部医師の医学的判断を尊重していたのは職権濫用を自戒する行政官として立派な態度であるから、課長に個人的な明らかな汚職行為がない限り、司法は安部氏に不作為の過失責任がないと認めたのであれば当然課長にも不作為の刑事責任を認めてはならないと思います。ダブルスタンダードの刑事司法など法治国家の恥の極みではないでしょうか。
民事責任をそれぞれの立場に応じて別々に取ればそれでよかったという事件ではなかったかと考えます。

No.30 しまさんへ

>刑事罰として問うのはどうかと言う件と刑事罰の軽重は難しいところがあると思いますが、彼の立場からすればその件で責任が問われないと言うのは、じゃあ彼の職業は薬品会社から接待をうけるのが職業なのかと逆に聞きたいです。
という私の回答に対して

>製薬会社から接待を受けたことが裁判で問われていたとは寡聞にして存じ上げませんでした。
 と返答されると言うのはわざとごまかしているのかと疑いたくなりますが?
 それでは、しまさんは彼の立場ではNo.28でのコメントでの3つの不作為について問われる立場にはなかったと思われているのでしょうか?問われるような立場になかったのであれば彼の仕事は何だとおもわれますか?

>輸入血液製剤の承認が遅れた責任は問われておらず、地裁判決ではむしろ早期承認に積極的だったと言及されています。
 実際に責任が問われているのは、加熱製剤が潤沢に出回ると判断できる時期に回収命令を出していないわけで回収命令を出しても問題ない時期に回収命令を出していないのは問題だと言われているだけですが?

>>No.31 訂正w
不作為の刑事責任を業務上過失致死の過失責任に訂正。

どうも最初に政府広報もやってるNHKの解説委員が「不作為の過失責任」としゃべったので印象が強すぎて間違えてしまいましたw

おや、汚職行為が認められていたのですかw
しかしそれは汚職として罪に問うべきで、汚職が理由で行政判断が遅れたことと、非加熱製剤の致死性の予見可能性の相当因果関係については、安部氏が最後まで否認していたとおなじ業務上過失性しか認められない、すなわち判断が遅れた事実の回避義務違反は安部氏と同じく無罪であるべきでしょう。

No.31 ぼつでおk(医)さんへ

 それは、妊娠中の女性に睡眠薬としてサリドマイドを処方するのは今でも問題ないと言っているようなものなのですが。

 最高裁の判断でも、95年以前の件については、その時の状況を考えて無罪の判断をしていますし、あくまでも責任が問われているのは加熱製剤が潤沢に出回り、非加熱製剤の危険性が判明した後だと言う事に注意してください。(別に後で危険だとわかったからさかのぼってその処置で責任を取らされたわけではない事に注意)
 それを考慮に入れると、安部氏が無罪で元課長が有罪なのは責任が問われている時期が異なるのだから判断が異なって当たり前だとおもいますが?

> 事故が起こっていないのに 「致死」 罪が成立するはずはありません(No.26 fuka_fukaさま)

補足しますと、
犯罪の着手があって、
・結果が発生した場合を「既遂」
・結果が発生しなかった場合(因果関係が認められず、既遂罪としての責任を負わない場合を含む)を「未遂」
といいます。

犯罪の基本は、言うまでもなく既遂罪であり、
未遂が処罰されるのは、法律で特別に定めた場合に限られます。
が、現行刑法で未遂処罰の規定がある犯罪は故意犯の類型に限られ、過失犯に関して、未遂処罰の規定は全く置かれていません。

過失罪に関して「未遂」というもの自体が観念できないとする説が通説的ですが、概念的には考えられるとする説もあります。
刑事政策的には、結果発生に至らなかったヒヤリ・ハットのケースをわざわざ探し出して刑事処罰する必要はない。そんなことしたら、警察がいくらあっても足りないし、日本は前科者だらけになってしまうという点で、みな一致しています。

-------
刑法
(未遂罪)
第44条 未遂を罰する場合は、各本条で定める。

(殺人)
第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

(未遂罪)
第203条 第199条及び前条の罪の未遂は、罰する。

http://www.jca.apc.org/toudai-shokuren/matumura-tisai/mokuji.html
1審判決要旨を読み直してみましたが

 他方、第IX因子製剤については、生物製剤課では、昭和60年前半ころまで加熱製剤の承認申請に関する具体的方針を示していなかったが、同年7月18日に至り、同製剤の承認申請手続に関する説明会を開催し、症例数は特に明示せず、頻回投与のデータは不要とするなどの加熱第VIII因子製剤に比べて著しく簡易な臨床試験で足りる方針を示した。
被告人としても、非加熱製剤の使用に伴うHIV感染の問題について、無策であったわけではない。被告人が加熱製剤の早期承認に向けて積極的な対応をしていたことは事実であり、加熱第IX因子製剤が昭和60年12月に承認の運びとなったのは、その成果であったと考えられる。そして、被告人が、HIV感染の問題を含め、血液行政全般の懸案を解決するために、血液の国内自給に向けて具体的な施策を推進していたことも認められる。被告人の行動は、国の血液行政を担当する者として、大局においては適切であり、行政として重要な国家レベルの施策の方向性という点では、その職責を果たしていたものということができる。

とまで認められています。
逆に、なぜ元課長がその職権で回収などの適切の処置をとらなかったのかという点について全く触れられていない。ましてや汚職の有無などは検察が立証できなかったために問題にもされていません。

となると、特段に個人の刑事責任を問うべきかどうかについては疑問です。問うべきであるならばその理由とともに、直接情報が集まっていたとされる当時の課長補佐と、上司である薬務局長が起訴されなかったのは何故か、それも明らかにされなければならないでしょう。

もっとも起訴便宜主義という観点からは、検察が(何らかの理由で)起訴しなかったからそうなったまでで、だからといって元課長の責任が軽くなるわけではないという事なのでしょうが。

法律については素人なので、やはり個人の責任を問うのは変だと思うという感想に留めておきます。

さて、ちょっと趣旨違いになりますが、妊娠中の女性にサリドマイドを投与するのが是か非かという点です。
一般論としていえば、「そういうこともあり得る」というのが答えでしょう。妊婦が多発性骨髄腫を発症し、治療を急がなければならない病状というシチュエーションを想定すれば良いわけです。

>>No.37 guri(医)さん
1審判決文(要旨)ご紹介たいへんありがとうございます。

安部医師無罪判決文と比べて、昭和61年ごろの課長の行為(不作為)をどう判断するか。このとき裁判官は周りの状況の変化からして課長としてとるべき行動基準が「有意の差」をもって厳しいほうへ上がっているはずだという自分の判断基準の変更を裁判官自身が宣言しています。
そもそも「有意の差」を使った割には誤差の範囲にふれていないのはおかしいと思いますが,それはおくとしても判決文にかかれた課長の当時の状況を見る限り、裁判官が「有意の差」をもって判断基準を変更しなければならないような、課長が行政決断を下そうと方針変更するに充分なほど明確な医学的知見のturning point的変化(カタストロフィー的変化でもいいですw)に容易に接することができるような状況でもなかったように思いました。

裁判官の「有意の差」導入判断こそいわゆる後知恵バイアスなのではないかという疑念を抱いております。

うーん、これは1審判決を破棄して逆転有罪の判断を最初に示した、東京高裁判決と見比べる必要がありそうですね。
最高裁の判決文は、被告人側の主張を蹴飛ばす部分しか書いてないですし。

ぼつでおk(医)さんと法律家の方々のやり取りを見ての感想。

法理論が、「法律家的には正しい」のであろうことは、よく分かる。
多分、判決についても「法理論としては整合性がある」のだろう。

しかし、それは司法界という限られた世界での正しさ、タコツボの中での正当性ということでもあろう。

法律家の方々は、ぼつでおKさん他、医師の方、法律家以外の方に対して「法理論としては理屈がついている」ことを説くのに一生懸命なあまり、自分たちの理論が司法界以外にも通用するものなのか、という問題意識を忘れているように思われる。

「法律の理屈として正しい」ことを強調する以前に、なぜ医師ら一般の方々が納得できないのか、それは自分たちの理論が独善に陥っているからではないのか、という検討が必要であるように思われる。

思えば医師は、「医学的に正しい」選択をするだけでなく、「説明義務」という名目で、医学に無知な患者の納得と了解を得られるよう努力することを求められてきた。他の業界についても、その業界内部で正しいだけでなく、一般の方に合わせた対応をせよという要請があろう。

そうであれば、国民全員を対象とする法律、裁判については尚更、「法律家業界では正しい」だけでなく、医師ら一般人にも得心できる運用を心がける必要があろう。

そして、「司法界では正しい」はずの判決や法理論が、医療界等、その対象となる業界から受け入れられないのであれば、「司法界的には正しい」ことをごり押しすることなく、受け入れられる判決や法理論を形成していく責務があろう。

No.40 路傍の医師さま

このエントリでは、今のところ、ぼつでおk様と法律家(fuka_fuka、YUNYUN)との間では、法律の専門用語、刑法学の基本概念の定義を説明しているだけです。

> このコメントは、松村元課長の有罪という判断に対する是非の論評を一切含みません。
> 純粋に論の立て方の問題です。(No.3 fuka_fukaさま)

医学にも専門用語というものがありますでしょう?「悪性腫瘍」とは何かとか。
医学の話をする場合には、その使い方が不正確では、お互いに話が通じませんよね。
そのレベルの整理しているだけで、まだ、法のリクツが正しいかどうかの対立にまで踏み込んでいません。

概ねROMの者が横から失礼します。ここまでの話、法曹の方々のご説明は、私には理解も納得もしやすいです。どちらかというと、今回に関しては、ぼつでおK様どうしてここまで拘ってらっしゃるのかな〜?と疑問(ごめんなさい。いつもは大変楽しく拝見しています)。YUNYUN様ご指摘の、「法のリクツが正しいかどうかの対立」の方がおもしろそうだな〜と。

この記事を見逃していて、しばらく時間がたっていて申し訳ないのですが、ぼつでおK様の一見正論と受け止められるコメント(特に#31)、に強い違和感を覚えますので書き込ませていただきます。専門家の出した結論を尊重して判断した行政官は責任を逃れる、というのは全く現在の行政組織の術中にはまった理解だと思います。
 一般的に行われるているのですが、役所が何らかの行動をとる、またはとらない決定をする時、”専門家”を組織して委員会を作って諮問し、その決定に従います。ところがその内部の専門家の意見などを参考に外部専門家を選定し、組織するのは役所側ですし、”事務局”と称して会議に出席し、議論を仕切るのも事務方ですからそのような委員会の結論が役所がすでに出している結論に沿うものであることは当然です。特に医学的な議論は決着するのに時間がかかり、なにかアクションをとろうとするタイミングではどのような意見をもつ専門家でも選び放題です。さらに、医学会である程度影響力をもつ研究者は、公的機関・企業からの研究費に依存していますから、彼らの中に役所に対して自由にモノを言う人物は殆どいません。
 ですから、特にこのHIV事件では、松村氏だけでなく、ウイルス学専門家からの警告を徹底的に封じた当時の幹部の刑事責任が問われ無かったことに非常な違和感を覚えました。私の実感から言うと彼らは必要なことをしなかったのではなく、何らかの圧力に従って非加熱血液製剤の回収を妨げるため、積極的にさまざまなアクションをとったのですからその結果に対してより思い責任を負うべきでした。

>>No.43 GSiさん
コメントありがとうございます、私もいま気付きました(笑)。
あそこで書きましたことは、ふたりの人物のあいだの個人的感情について至極単純に考えた場合、課長は安部医師を血液内科の日本のトップランナーとして尊敬しており、安部医師の見解を医学的に正しいと信じるあまり人間なら誰もが陥る心理的盲点に陥ってしまって、個人として不可避的に行政官としての行政決断が遅れたのではないかなと思って、ああいうふうに書きました。

私は犯罪であることを自覚できずにした行為が結果的に犯罪要件を構成するものであった場合、当人に対して刑罰を課しても再発を防ぐ効果はまったくないだろうと考える立場をとっておりますもので、ああいうふうに書きましたが、私の考えが唯一の真実であるとは毛頭思っておりません。当然私自身も心理的な盲点を含んでいると思いますが、こういうふうに判断できる可能性もある、一つの例として提示いたしました。

ご批判いただけてこそのディベートであると思っておりますので、このコメントにもご意見いただければ幸せです。

No.44 ぼつでおk(医)様
すぐコメントできず申し訳ありませんでした。確かに

課長は安部医師を血液内科の日本のトップランナーとして尊敬しており、安部医師の見解を医学的に正しいと信じるあまり人間なら誰もが陥る心理的盲点に陥ってしまって、個人として不可避的に行政官としての行政決断が遅れた

のであれば単に”無能””職務怠慢”という程度で刑事責任を問うことに違和感を感じますが、厚労省の意思決定プロセスではそういうことは殆どないと思います。大学の教授等というものを尊敬している本省の課長などまずお目にかかれないですし。のちに課長になった人物が卒後3年目の医療系技官だった時に、医療費について各学会の意見を聞くために呼びつけ、ずらりと並んだ高名な教授達を前にして、「医学教科書」が坐っている!」とはしゃいだ事を自慢してるような世界ですから。
この事件の経緯はさまざまなところで語られていますが、もともと感染の可能性を考えていた安部氏の主張自体をねじまげて非加熱製剤の使用中止を妨害させた厚生省のやり方には恐怖心すら覚えます。どのようなプレッシャーがそんな行動に走らせたか、という核心部分は永遠に闇の中でしょうが、そこに触れないための談合が検察、厚労省、裁判所の三者で成立してて(所詮”官”の世界の中ですから)、落しどころがたまたま最後に担当した一課長だったんじゃないか、と妄想したりしてますが。

>>No.45 GSiさん
コメントありがとうございます。
「医学教科書」が坐っている!」事件は私もよーく存じております(笑)。
ただ私の見方は、そんなふうになった原因といえるのがあの薬害エイズ刑事訴訟そのものじゃないだろうか、というものであることを述べるに留めさせてください(笑)。

No.45 GSiさん

もともと感染の可能性を考えていた安部氏の主張自体をねじまげて非加熱製剤の使用中止を妨害させた厚生省のやり方には恐怖心すら覚えます

非加熱製剤の使用中止を考えていたのは何年頃のお話ですか? できれば、具体的なソースをお願いします。

安部氏の、責任が本格的に騒がれだしたころの、発言を思い出しました。
「加熱はだめで、非加熱でいく事にされた!」と厚生省での決定か会議かを詰っていましたね、残念ながら年代は忘れました。
彼はそれで意地けた感じでした、犠牲となったのは患者でしたが・・・

>>No.48 MultiSyncさん
>厚生省での決定か会議かを詰っていました

そうなんですか?
もしかして課長の1,2審で安部氏の証言かなんか判決文中にあるのかな〜?

個人的には当時の厚生省は手を打とうとしていたとは思います

 これらの発言からは、当時の郡司課長が、我が国が血漿の輸入禁止措置を採らざるを得ない事態が生ずる可能性を考え、その際の対策を「超法規的措置」も含めて検討しなければならないという強い危機意識を抱いていたことが認められる。しかし、この発言に対しては、塩川医師から「もし(輸入を)止めたらどんな事件が起こるんですか、僕は…血友病の人が死ぬ…だろうと思う」という発言がされ、さらには、他の出席者から「不可能」という発言がされているが、これに対しては、クリオ製剤があるから心配はいらないといったような反論や発言はされていない。こうした会議の状況からは、少なくともこの当時、非加熱製剤やその原料血漿の輸入を直ちに禁止すれば、我が国の血友病患者の治療に深刻な問題を生ずるというのが、会議出席者の多くの受け止め方であったことがうかがわれる。
http://www.t3.rim.or.jp/~aids/abe5.html#9533

>>No.50 しまさん
ご紹介の安部医師の地裁無罪判決文が、医療水準の判断としても当時の厚生省研究班の判断としても世界の論文の医学的解釈としても非常に当を得た判断をされていると思いました。
こういう事情を裁判所が認定できたなら安部医師が回避義務違反無罪であるのも妥当であり、それならば松村課長も当然回避義務違反について無罪であるべきだと思いました。

あの課長の有罪判決文にみられた回避義務違反の判断基準に「有意の差」?を導入した論理も、こちらの安部医師の地裁判決文ではあらかじめ慎重に排除されています。
二つの判決文を読み比べて私としては、各裁判ごとに裁判長の個人的な資質(司法としての論理性や合理的推理能力)には明らかな「有意の差」(笑)があると思いました。

ぼつでおk(医)様はもしかしたらあっちの人ですかね。ただ、彼が入省3年目、というのはこの事件のずっと前ですよね。卒後何年か経ってから入省したとしても、地方大学出身の若い医師が、普通ならならまともに口も利いてもらえないような学会の権威を前に見下ろす立場にたったとしたら、どうなんでしょうか。

しま様、単なる伝聞、という以上はご勘弁下さい。ただ、郡司氏、安部氏を含め、現場は当初、なんらかの対策をとるべきだ、という認識があったそうです。
なので安部氏が厚生省と軌を一にして、その後説を曲げて、さらに患者に非加熱製剤を投与してHIVに感染させたことは、当時の医学水準、というものとは無関係に、当人にそういった認識があった以上、未必の故意、にはあたると考えています。

>、彼が入省3年目、というのはこの事件のずっと前
でしたっけ?
わたしはただの年寄り医師ですが(笑)、教科書事件はこの薬害事件の後で耳にしたので、教科書のほうが新しい事件かと思ってました。それだけですので私のコメントに深読みは必要ないですよ(笑)。

P R

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