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コメント(107)

きっかけを作った者として。

医療崩壊が話題となるとき、崩壊するのは一体何なんだろうか?という疑問があります。

私は医療の専門家ではありません。社会保険制度の専門家、社会保険労務士です。その立場から医療崩壊とうものを分析していったところ、荒っぽいですが次のような理解に達しました。その私の分析と理解を医療の専門家にぶつけ、意見を聞いてみたい。そして必ず返って来るであろう疑問や異論反論、或いは私とは全く違う面からの分析を得て、崩壊後の医療がどうなるのか予測してみたいのです。

以下は私が今の時点で検討している「医療崩壊とその結果」です。未だ未だ不十分な考察ですが、議論のたたき台というか、一つのきっかけとして提示してみます。

 * * *

今の日本の医療制度の基盤は、「国民皆保険」と呼ばれる健康保険制度に置かれていると思います。では、その「国民皆保険」とは何か? 私は次のように考えます。

 全ての国民が、
  a:1年365日、1日24時間の何時でも
  b:人口の多い大都会から、過疎の僻地の何処でも、
  c:収入や財産の多寡、年齢や性別に関わらず、
  d:個人でも、国家全体でも、最小限の経済的負担で、
  e:安定的かつ永続的に、
  f:どんな傷病に対しても、
 高レベルの医療サービスを享受できる制度。

医師の地域的な偏在はbの要素を、保険外併用医療(混合医療)の拡大はbの要素とdの要素を、過重労働による医師の現場離れはeの要素を、産科医や小児科医の不足はfの要素を、それぞれ破壊していきます。

医療崩壊が進行しても、全ての医療の要素が消えて無くなるわけではありません。崩壊して失われていく要素には強弱があり、全ての要素が同時同率的に低下していくのでは無いと思います。

すなわち医療崩壊と言われる現象は、今まで国民が当たり前と信じてきた、a〜fの要素を全て均しく満たすことが出来なくなることだと思うのです。

であるならば、医療崩壊がもっと進行して、日本の医療の基盤である皆保険制度が維持できなくなったとき、国民にはどのような対応策があるのか? それは現在は強弱無く横一線のa〜fの要素に強弱を付け、優先順位を付けることであると考えます。

優先順位を付けることにより、今の医療体制の中から何を捨てて何を残すのかが見えてきます。その何と何を残して何をあきらめるのか、この選択をするのは医師でも官僚でもありません。国民が決めることだと思います。

現時点で行政(厚労省)や政治或いはマスコミは、少々の制度的手直しをすることで、前記のa〜fの要素を全て維持しようと画策しているように思えます。その制度的手直しの一つが今月から始まった「綱紀高齢者医療制度」であり、毎年行なわれる診療報酬の改訂であり、医師不足体側の施策なのでしょう。

ただこうした延命治療を施しても、既に寿命が尽きている制度は崩壊します。その崩壊のビックバンが起こるのが1年後か5年後か、或いは10数年掛けてゆっくりと崩れていくのか。いずれにせよ維持出来なくなることは間違いありません。

これは災害のようなものです。未曾有の豪雨が降って川の水位が上がっていく。ドカンと堤防が一気に破れて濁流が押し寄せるのか、或いはジワジワと上がって静かに堤防を越えて溢れ出すのか。水害となるのはまず間違いない、だけどどのような災害になるのかはっきりしない。こんな状態に例えられるのではないでしょうか。

どうせ水害で水に浸かるのは避けられない、だけど避難する準備だけはしておきたい。

そんな危機感から、医師の皆さんは崩壊後の日本の医療がどんな姿になると思っておられるのか、意見を聞いてみたいと思った次第です。

大変まとまりのない文章になってしまいました。意図を汲み取って頂ければ有難く存じます。

>>No.1 法務業の末席さん
>「国民皆保険」とは何か?

素晴らしい口火を切っていただきました。
エントリータイトルからは一見迂遠に見えるかもしれませんが、この問いについてめいめい論じていくほうが一番本質的な総括につなげやすいような気がいたします。

医師のあるべき姿としてよく語られる「赤ひげ」論ですが、私は個々の医師が「赤ひげ」であるべきだとは思いません。では「赤ひげ」は単なる理想にすぎず現実には存在し得ないのかといえば、そうではなくすでに我が国において実現されている「国民皆保険」医療制度こそが「赤ひげ」医療の実践に他ならないと私は考えています。
短いコメントですみませんがまずは自分の口火として。

トピずれで申し訳ないんですが友人(非医師)からのメールにあった赤ひげ論が秀逸だったので紹介します。

『高い理想と技術と鋼の精神を兼ね備え、喧嘩も強い聖人君子という究極生物』のみに可能な仕事、それが『赤ひげ先生』だという話。
結婚すらしてないってどこまで滅私奉公なのかと。とても常人にはお勧めできない。

社会制度や協力体制が不十分な場合、健全な医療体制の維持のためには医師個人の私生活が犠牲に->まともな医師は、その人がまともであればあるほどつらい暮らしを強いられる

という所までを既に40年も前に活写しつくしているというのがこの作品であって、『まあ立派なお医者様ですこと』で終わってどうするのかと。助けろよと。せめて足は引っ張るなよマスゴミ共と。

というか本書を読んだ上でなお

『お医者様はみんな赤ひげ先生のようでないといけませんねえ』

なんてな方向の感想を抱くのは、他人の苦労などなんとも思わない無神経者か、他人の苦労を嬉々として眺めていられるサディストだ。
作品中で赤ひげもエリート君も本当に必死でがんばってるのが眼に入らんのかと。自腹きって患者の治療に当たるなんてそりゃ立派に違いないが、あてにされるほうはたまらんだろう。
元エリート君は結婚するから嫁まで巻き込むんだぞ。
先生から『後悔するぞ』といわれるのも判るというものだ。

…ちなみに私は未読。<読めよ!!

う〜ん、流れやテーマに即しているのか悩むところなので、即していなければスルーして頂けると信じて投稿させて頂きます。

今の政治体制と有権者の給付や負担についての多数意見・あるいは皆保険が水と空気のような自然の所与のものと考えられている現状に鑑みると、政治家や政府職員の出来ることは限られてきます。皆保険体制(という政策)の維持が当面の命題になり、おそらく小手先の事しか出来ないでしょう。
提供できる医療の総量が金銭的及び人的資源により左右されるとすれば、前者については人工・産業構造等による国の富の総量の先行きから、後者については育成に係る時間や費用により、その量は少なくとも当面減少傾向に向かうと感じています。
一方、必要な医療の提供を何の制約も考慮せずに要求すると、要求される医療の総量は間違いなく増加していくのだろうと思います。
となると、(言い方は悪いですが)医療の個々人への分配量や分配の比率を調整するしかないのですが、一方で冒頭のような状況から現状では逃れられる術はありません。
結果として、取り敢えず望む人全員に分配を試みるが、一人あたりに分配できる量は平均すると要求水準と比べて不十分となり、現実にはそこに経済力・地理的条件等の複合的要因から不十分さの度合いに濃淡がつくという形になると思います。

そして、「医療の崩壊=従来常識とされてきた状況を維持できない状態」と考えるなら、未来と言うより今の時点で既に崩壊後の姿(どの段階かは見方が分かれると思います)ではないだろうかと思ったりします。

法務業の末席さんのa-fというのは、要するに

低コスト
高クオーリティ
易アクセス

の三つを同時に実現させようということなんですけど、それは相互に矛盾しており、本来不可能であることでした。 それが今まで日本で可能であったのは、それこそ医師をはじめとする医療従事者の超人的努力であったわけです。それこそ赤ひげ伝説に惑わされながらでした。おそらく以上は多くの医師の共通認識だと思います。一般の方はどう思われているか分かりませんが。
その無理やり保たれてきた矛盾が一気に露呈したのが医療崩壊という現象です。したがって医療崩壊というのは、今のような国民皆保険の崩壊のことです。
崩壊後どうなるか。医療の質は落とせません。したがってコストはたかくなります。そうすると残るのはアクセス制限です。コストを落として制度的にアクセスを大幅に制限するか、またはコストを大幅に上げて、市場原理に任せてアクセス制限をかけるかどちらかでしょう。たぶん財政諮問会議の議論等を見ていると、おそらく後者を目指しているのではないかと感じます。
私の個人的な感想としては、後者のほうがまだ医師として生き残る道は豊富であると思います。なぜかというと、市場主義というのは利益を最大限に追求するところですから、市場主義者は医療が利益を生む以上医療をなくすようなことはしません。また、医者をも利益追求の犠牲にしてしまったら、その後の利益追求はできません。この点は私は10年前にドロッポしました。さんよりははるかに楽観的です。

・ 法務業の末席さんのa-f
・ うらぶれ内科さんの3つの要素(低コスト、高クオーリティ、易アクセス)

私は、全て矛盾すると思います。法務業の末席さんのa-fのそれぞれについて100点満点とすることは不可能であり、各項目について何点とするか、何を追い求めるかだと考えます。

全て100点を求めたら崩壊してしまう。能力以上のことを求めてはダメである。精神論で追求したら、世の中はつぶれてしまう。戦前の日本になってしまう。

>No.4 thx-1138 さま

皆保険が水と空気のような自然の所与のものと考えられている現状
医師や病院経営者、社会保険制度のプロは、皆この「皆保険が当然の所与」という現状認識じゃないと思います。けれど未だにこの幻想にドップリと浸って酔いしれているマスコミと一部の官僚、そして何も知らされていない国民の大多数、これが問題の本質でしょう。
「医療の崩壊=従来常識とされてきた状況を維持できない状態」と考えるなら、未来と言うより今の時点で既に崩壊後
その取りだと思います。今現在がまさに崩れている真っ最中ではなかろうか。医療崩壊を昭和20年の敗戦に例えれば、今は昭和19年のサイパン・マリアナの攻防戦という感じでしょうか。一面焼け野原となるのは目に見えており、最早「終戦・講話の段取り」と「戦後の復興」を検討する時期かと思います。


>No.5 うらぶれ内科 さま

私のヘタな列挙を3つにまとめて頂き、ありがとうございます。

三つを同時に実現させようということなんですけど、それは相互に矛盾しており、本来不可能
不可能ならば、何を諦めて何を残すのか、その「選択」が重要ではないかと。そしてその「選択」を誰が主体となって行なうのか、そこも大事かと思います。


>No.6 ある経営コンサルタント さま

能力以上のことを求めてはダメである。
同意です。もうすぐ日本のGDPは中国に抜かれ、世界2位から3位に転落するらしい。ジャパン・アズ・ナンバー1、パックス・ジャポニカーナなどと浮かれていた昭和50年代は、既に遙かな過去の時代。「英国病」と日本中で大国の没落を嘲笑っていたのに、今度は日本が世界中からお荷物扱いされる時代になるかも知れない。

No.7 法務業の末席さま

私のまとめではなく、単なるパクリです。

3つのうちどれを削るかというより、医師である私にとっては何がましであるかということは書いたつもりです。

> No.6 ある経営コンサルタント 様

特に最後の部分について同じように考えております。
現状は理想論(精神論)優先で、全てにおいて100点満点を求めて身の丈を超えて走って来た結果、自ら耐えかねて崩壊していく過程にあると思います。
医療に限らず公的部門全てに共通する最近の傾向かとも思います。

> No.7 法務業の末席 様

医療従事者のコメントを求めておられるところに、割って入りましたことを先ずはお詫び申し上げます。

前段部分について、同じように認識致しております。正確な現状認識と対処法の議論を困難にさせている一つの要因と考えています。
制度の充実は求めるがその為に限定したとしても負担増は許さないとする意見が圧倒的多数であると、世論調査や実体験に基づき考えております。
それ故、政治家(行政の中枢部含)としてもなかなか身動きがとれないのだろうと、有権者の支持のない政治家は政治家(あるいは政権担当者)でなくなりますので。
一刻も早く正確な現状認識に基づく冷静な対処法の議論が必要な状況の筈なのですが。
一度政権党が交代して、どの党が政権をとってもどうにもならない事が明白になれば、世論の合意が形成されるのかも知れません。

私は、医療崩壊の原因は大きく三つあると考えています。一つ目は、過度な医療費抑制策。二つ目は、過度な責任追及。三つ目は国民の意識の変化です。

一つ目の過度の医療費抑制策ですが、2000年から顕著になり、日本医師会の資料によると1998年度を100とした場合、2006年度93.5と6.5ポイントも減少しています。本来は経済の実態と連動するはずだった診療報酬改定は、良くて本体ゼロ改定から遂にはマイナス改定まで行われる事態になりました。これで経済の伸びとの乖離が広がり、倒産する病院も増え、医師を始めとした医療側の職員の昇給が行われないところも増えました。
その背景には、財界人が幅を利かせる経済財政諮問会議などで財政優先の施策が講じられ、5年間で1.1兆(年間2200億円)削減策などが骨太の方針と称して決められ、効率化という名の下で医療費の削減が行われ続け、医療機関の経済力を奪います。(この間も、医療を取り巻く業界は順調に業績を伸ばしていますが)

二つ目の責任追及は、ここのブログでも議論されている大野病院事件を始めとする、訴訟や訴追などの増加です。これが医療者の気力を奪います。

三つ目の国民の意識の変化ですが、「自分達はお客さんである。だからサービスを受けるのが当然で、私達には権利がある」とばかりに振る舞い、気軽にコンビニ受診する患者やクレームを繰り返すモンスターペイシェントなどが増加してきたことが医療側の体力を奪います。

このように、経済力・気力・体力を奪い、それでも身を削り、訴訟のリスクを負ってでも国民の健康を守れ・奉仕しろというのは、どう考えても無理な話です。そこで行き着くのが「医療崩壊」です。

しかし、現実問題として考えた時に、本当に医療が崩壊するのかといえば、私はそうはならないと考えています。ここに参加されている医師の方々がいうように「医療崩壊が完遂」して、そうなってようやく国民も政治も法曹界も医療の重要性を認識し、新しい体制が構築される(そうなることが理想ではありますが・)とは思えません。

そうだとした場合、医療費の引き上げなど対症療法的なことを続けながらでも、現状の国民皆保険をベースにした医療政策を継続していこうとする。しかし、財政の問題でいつまでも費用は投入できない。早晩保険料引き上げや負担増にも限界が生じる。そうなると税収の議論とともに、公的保険の範囲の限定と民間保険の組み合わせという話しが益々進み、結果としてお金持ちで民間保険に入られる人はいい医療を受けられ、貧乏人は最低限の医療しか受けられない(場合によってはそれすら受けられない)という時代になる。ということは、結果的には医療側が生き残っても、それを受けられる患者が減り、別な意味での医療崩壊が起きるということになります。

そうなると、最終的にはやはり法律の改正ということでしょう。医療を受ける権利を憲法で保障する。権利を保障するからには医療で生じた損害も国が補償をする。国民はそれに高負担で応じるということでしょうか。

法務業の末席さん。折角エントリーを立てて頂きましたが、妙案や明るい予測が出せなくてスイマセン。もっとも、私如きに解決策が出せるような問題なら、そもそも崩壊なんて起こらないのでしょう。これからも医療制度や診療報酬などの視点から参加させて頂きます。


悲観的な予測ではありますが全てを欲し全てを失う、になる気がします。
つまり、

高コスト
低クオーリティ
難アクセス

全てが最悪までは行かないにせよ全体的に悪くなる気がします。
で、金を払うと高クオリティになるけれどマスゴミはそれを叩く、と。

英国の医療制度 (NHS = National Health Service) は、かつては、最も理想的な医療制度だと言われたこともある(国営で、誰でも無料で医療を受けられる)のですが、いまや、ほとんど崩壊の危機に面しています。

"NHS crisis" で検索すれば、大量に情報が得られます。

その崩壊の過程が参考になるように思います。

No.1 法務業の末席さんが提示された
全ての国民が、a〜f 高レベルの医療サービスを享受できる制度。
ですが、今まで実際、国民全員が平等に高レベルの医療を受けることができていたとお考えでしょうか?

医療関係者以外の方も、うすうすお気づきかもしれませんが、初めからそんなことはなかったのです。
あるわけがない。

日本の病院はレベルの差が激しい。同じ病院内でも得意不得意があり、得意分野は日本のトップ、不得意分野は下の方というのは普通にあります。
医師は色々な情報を知り得るので、どういう時にどこを受診するべきか分かります。お金持ちや社会的地位の高い人は医師の知り合いがたくさんいるでしょうから、良い病院を受診できる。

一般の人は信じられないほど、ピンきりです。ただ、ピンも100%の医療はしていないですけど(100%なんてできません)。

日本もDPCが使われ始め、やっと、この病院間の差が目に見える形で多少明らかになってきました。データをごらんになった方はご存知と思いますが、医療関係者である私が見て「ここまで違うのか」と驚くほど違います。

皆が平等に高度な治療を受けることができる素晴らしい日本の国民皆保険という妄想を取り払い(騙されたままでいたかったという意見もあるかもしれませんが)、現実をしっかり解析することから始めないといけない。

日本の国民皆保険は、皆が10円払って、ある人は肉まんを食べ、ある人はフランス料理のコースを食べているようなもの。お客にレストランの情報は不十分にしか与えられず、レストラン同士も他がどのレベルの料理を出しているのかあまり知らない。

正確な情報を集め解析するというのは、膨大な労力とお金が必要になります。わりあいとまともな医療システムを持ったヨーロッパの国々は10年ぐらい前にそういう過渡期を通ってきているのですよね。

No.13 Campusさん

その「わりあいとまともな医療システムを持ったヨーロッパの国々」に駐在する友人の報告を紹介します。

「医療従事者の手洗い励行で院内感染を減らせる」というWHOのキャンペーン資料を「途上国の話だろう」と思って読んでいたら、「スイスのある州立病院で最近行った調査では医療従事者の手洗い励行で院内感染を4割減らせた」などと書いてあるのを日常的に見ているとげんなりしてきます。」

高コスト    -> アメリカ型
低クオーリティ -> イギリス型
難アクセス   -> イギリス型

混合型崩壊になる可能性は十分にあるでしょう.平均以下の所得の人は下2つで困り,高所得者は上1つで困るでしょう.
このまま医師の心を折り続け,逃散もしくは戦意喪失になるのは目の前です.そして国が医療費を削り続け,国民皆保険が破綻すれば自由診療による医療費高騰が生じるでしょう.なんせ生き残っている医師はひじょうに貴重になりますし,医師も労働基準法の範囲内でしか働かなくなるでしょうから.
こうなるのが困るというのであれば,国民みんなで行政を動かし情勢を変えなければなりません.

半年ほど前に拙ブログで医療の国際比較を書きましたが、改めて英国との比較を見てみると面白いですね。

全てについて、英国の下ですが、平均寿命と5歳未満の乳幼児死亡率では日本が勝っています。

ちなみにグラフに書いた元データを見てみると;
医療費対GDP 日本8.0%    英国8.1%
一人あたり医療費購買力平価  日本2,358ドル、 英国2,586ドル
でした。

やまももさんのコメントからすると、日本の医療が崩壊してないのが、奇蹟みたいです。

現在の国民医療費の伸びと健康保険の差額部分を外資系の保険会社が虎視眈々と狙っているのです。保険診療と自由診療の混合診療が解禁されると、新薬は民間保険に入っていないと使えないことになります。現在の医療費は自費であってもかなり安く抑えられていますからうまみが無く、今後は製薬会社も良く効く新薬は(AIDSの薬など)は民間保険会社と専売契約をして売り出す傾向になるでしょう。同時に優秀な医師ほど保険診療から自由診療にシフトするようになります。結果、保険診療で使える薬は限られアクセスは悪くなっていきます。保険診療だけを行う公立病院は赤字と医師不足、質の低下も起こり潰れていくのでしょう。
療養病床が削減され、お金のある高齢者はオリック○などの経営する超高級老人ホームに流れ込み、行き場のない高齢者が自宅で介護され、病気が増悪するたびに再入院のため、救急外来をたらいまわしになる。
これらは自民党(小泉竹中路線以来の骨太の方針)、財務省、財界(経済諮問会議)による既定路線なのです。医療費を削減することそのものが目的ではなく、むしろ形を変えた利権誘導だと思えます。
http://amesei.exblog.jp/564769/
http://daishi.at.webry.info/200705/article_1.html
http://d.hatena.ne.jp/ko_chan/20080206/1202288750

Level3先生、

>こうなるのが困るというのであれば,国民みんなで行政を動かし情勢を変えなければなりません.

なかなか難しいですね。知り合いの政治家とも話しているのですが、個々の政治家も危機感を持っている人はいるものの、行動には移さない(移せない)、全体としては動かすのは難しい。

今の保険料を抜本的に見直すと、選挙に勝てないとか、財界にソッポを向かれるとかいうことなのでしょうが、その一方で「医師不足を何とかしろ」だの「救急医療制度を整備しろ」だの無理難題を政治家として要望し、政策として掲げる。

結局、真面目に国政に取り組む政治家が少なくなったということと、その原因でもある、自己の権利ばかり主張し国全体の事を考えない国民が増えすぎたということでしょうか。

>医師も労働基準法の範囲内でしか働かなくなるでしょうから.

そうすると医師の皆さんは、今とは正反対に、労働基準法内で働く、希少な国民になるわけですね。

未来ですか?
1番最初に頭に浮かぶのは保険診療の崩壊ですね。
国や企業が国民の医療の面倒を見るということができなくなる。
財政上の理由からです。

保険診療から自己責任へシフトしていくのではと思っています。
つまり、自分の健康は自分で責任を持つ。
予防できる疾病を予防しなかった人は自己責任で医療費を負担する。

具体例をあげると。
風邪程度の症状では保険の自己負担率を7割とする。(外国に例あり)
生活習慣病は生活習慣そのものに保険料をつける。
まあ、喫煙に保険をつけるようなものです。喫煙者の医療は喫煙者の保険で負担するみたいなもの。
脳死判定を積極的に導入して、脳死後の医療費はすべて自己負担にする。むしろ、課税する。

次に少子高齢化社会の定義を変えていく。
高齢者を年齢ではなく、割合で判断する。
つまり、人口の15%を高齢者とするとか。
これだと70歳でも高齢者にならないですね。
年金の満期が50年になるかもしれないなと思います。

今のところこんなとこですか。

医師法19条、応召義務というのがあって、経済的理由で診療の拒否はできないことになってます。いくら混合診療になっても、治療しなければならないものは治療せざるを得ず、患者に治療費を払ってもらえなければ病院の持ち出しになってしまいます。つまり応召義務がある限り、医療はビジネスになりません。市場主義が席捲するには医師法19条の改正が必要でしょうね。
また、権益保持のため官僚は制度を残そうとするでしょうから、そう考えるとイギリス型崩壊になるんじゃないでしょうか。そうなったら医師は海外兆散を本気で考えるしかないでしょうね。

No.14 峰村健司さん

「医療従事者の手洗い励行で院内感染を減らせる」
その通りです。日本はアメリカに並んで院内感染、特に薬剤耐性菌の院内感染が多い。
アメリカの理由は知りませんが(想像はできます)、日本の場合は、患者数に比べ看護師数、医師数が少ないこともあり、悠長に手を洗っている時間がない。
手袋、ゴーグルの着用率も圧倒的に低いです。
仕事に余裕がないのでしょうね。

No.15 Level3さん、
>こうなるのが困るというのであれば,国民みんなで行政を動かし情勢を変えなければなりません.

つまりムリ、って事ですねw。
No.16 ある経営コンサルタントさん、
>やまももさんのコメントからすると、日本の医療が崩壊してないのが、奇蹟みたいです。

それだけに、崩壊後の傷の深さはイギリスどころじゃないでしょうね…。特攻隊まで繰り出して徹底的に戦い抜いた挙句に原爆落とされた、みたいな…(念のため言っておきますが私は特攻隊を初めとする旧軍兵士達を深く尊敬してますし彼らの奮戦と死は現在の我が国の安全保障にも繋がっている、と確信しています。が、それとは別の話です)。
No.20 うらぶれ内科さん、
応召義務なんて飾りです!奴隷医にはそれが判らんのです!

>いくら混合診療になっても、治療しなければならないものは治療せざるを得ず、

第19条 
診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。

応召義務は診察の義務であって治療の義務ではない、と書こうとしてたのですが危うく恥をかくところでしたw。
しかし現実問題として、診察はともかく、「治療」となると金銭抜きにしてもでけんもんはでけんですが、そのへんはどういう扱いなんでしょうか?確かJBMでは、「速やかに相応の医療機関に転送する」でよかった筈ですが…。
まあでも、罰則がない法律なんかよく訓練されたハイエナ医師には効果ないですよ多分。

>まあでも、罰則がない法律なんかよく訓練されたハイエナ医師には効果ないですよ多分。

だめですよ、そんなこと口にしちゃ。罰則作られちゃいますよ(^^;

罰則規定のない応召義務は、赤信号みんなで渡れば怖くない と同じだな と思っていたら、ニュージーランドのjunior doctor(若い医師?)のストライキのニュースを見つけました。

国の広い範囲にわたる病院で4月22日から24日の48時間若い医師がストライキをするとの予告です。で、今、病院が手術の予定をずらす等の「用意」をしていると。何を要求しているのかというと、私の英語の読解が正しければ、給料を13%値上げ、ただ飯、一年に6週間のお休み、それに加え2週間の勉強のためのお休み、無制限の病気休暇、週55時間のスーパーバイザー付きの勤務 だそうです。

まあ、今でもこれにかなり近いからこういう要求ができるのですが。

日本で勤務医がストライキをして、何かを要求するとしたら何をするのでしょうね。「コンビニ受診をするな」「とんでも判決をするな」じゃ何のことか分からないし具体性に欠ける。
とりあえず、「応召義務を医師法から撤去せよ」ですかね。

誰か教えてください。ニュージーランドで医者やるのはどうやったらいいのですか。

ただ,国としては,資格保有者を実需を無視して大幅に増やすとともに,周辺資格者への権限譲渡を大幅に進める「司法改革」型の改革を行うという対抗手段を執ることもあり得ます。これをやられると,同年代の高卒男子の平均収入以下で,しかも10年で雇い止めという劣悪な労働環境の職場に未だ空きがあるというだけで,「まだまだ甘い」とほとんどの全ての新聞社からバッシングを受け,ネットでは,本業で生計を立てられるようではまだまだ甘い,生活費は別途アルバイトして稼げとして叩かれることになります。

公共を担う主体(官に限らず)に対して権利を行使する以上、その公共を担う主体を維持する責任も併せ持たないといけない。そうしないと公共を担う主体がなくなり、そもそも権利行使が出来なくなる。
権利行使に伴う責任としては、その主体を維持するために必要な経費(利用料だったり租税公課だったり)を負担する事が考えられる訳で、行使される権利の質や量が拡大するならそれに対する責任も同じく拡大(=権利行使に応じる主体を維持するための経費も拡大)するのが本来のあり方だろうと考えています。

ところで戦後のこの国は、戦後復興・高度成長・人口ボーナスという偶然の重なりにより、個々の負担を増やすことなく公共サービスを拡充することが可能な時代が続いたのも、事実としてあるのではないでしょうか。
それ故に、負担を増やすことなく受益を拡大する事が出来る・権利は無限に拡大的に要求できると言うような幻想が拡散してしまったのではないかと思っています。権利と責任(受益と負担)のバランスが崩れ権利(受益)の要求のみが肥大してきた、しかしある時機までならそれに応じることが出来る社会的・経済的環境も存在した。

現時点において、一定年齢以上の方はそのような恵まれた環境を自然体として享受することができた世代と重なり、かつ人口構成上も多数であり年代別の投票率も高い。
そのため、権利要求のみが限界を超えて拡大していく中であっても、政治の方向としては建前であっても政策を維持せざるを得ず、(本質的に)行政もそのような政治の意向を無視できず、理念と実態の乖離を拡大させたまま全体として斑を描くように規模を縮小させていく状況に任せるしかないのだろうと思います。
その過程で、混合診療や民間保険の拡充などの施策も考えられていくのではないでしょうか。

No.25 うらぶれ内科さん

簡単ですよ。英語勉強して、「医者します」って行けばいいです。
日本より人口当たりの医師数は1.5倍ほどいると思いますが、医者や看護師が足りないという国の意識があるので。

ストライキで6週間の休みを要求していますが、現在は4週間です。これは、持ち越しもできるのですよ。つまり、3年間ためたら、12週間まとめてお休みできます。休暇を取っている医者が多いから人数ぎりぎりだと医者が足りない。

日本で働くより5倍気を抜いても「さすが日本人。よく働く。」と言われ、重宝されるでしょう。

決まった!イギリス型崩壊で海外兆散だ!

 人の命や人生を預かる専門職の方々には、十分な休養と苦労に見合う安定した生活をしていただいて、フレッシュな頭で心労なく仕事に従事されることを望みますが、これは贅沢でしょうか。
 人為的ミスやヒューマンエラーは、心労や過労からくることが統計上証明されているのですから。その教訓でパイロットは、強行法規によって就業時間制限と長時間勤務が規制されているのですし、シックスマンスチェックといって6か月ごとに身体検査まで厳格に求められてきた歴史があります。
 ぜひ医療従事者の方々にも、心労や過労を伴わないような保障(就労時間制限と給与保障を含む)と定期的検査(過労や心労の早期発見)がなされるようになることを望みます。

No.23 じじいさん |
>だめですよ、そんなこと口にしちゃ。罰則作られちゃいますよ(^^;
そん時は違憲立法審査権ですよ。<違う
実際、応召義務って憲法違反だと思うんですがね…。
No.29 うらぶれ内科さん 、
医師免許持ってたら週休4日半で好きな時に好きなだけ長期休暇可能な職場は日本にもありますよ。
…いやオレの勤め先なんですがw。

No.22 10年前にドロッポしました。さま
>つまりムリ、って事ですねw。

あーかなり政治に悲観的ですよね。じつは私もそうなんですが・・・。
No.30 ハスカップさまのコメントのように私もそう期待したいのですが、今の政治の流れや日本の流れを鑑みると・・・。
しかし、塵も積もれば山となる、で皆様のように医療の未来を真剣に考えていく人が今後も増えていき、世論が大きく動きはじめる事を期待したいですが、>つまりムリ、って事ですねw。ってなるのかな〜。

実情をよく知らない分野なので、適当にコメント。

予想としては「崩壊」はしない気が。「崩壊」の定義にもよるけど。
報道の潮目も変わり始めてる。医療現場の厳しさの報道がかなり増えてきてる。
つぎはぎつぎはぎして、予算もそれなりには増額し、綱渡りで崩壊しないのではないかと。

日本人は真面目だから。報道も行政も政治も。もちろん医師も。
つぎはぎつぎはぎ頑張っちゃう。
いっそ崩壊させるべきという意見にも一理あると思うけど、その企てはなかなか成功しないと予想。

というのは前置きで、崩壊したらどうなるかというスレでした。

公的医療保険でカバーする範囲が減少し、その外側は自費でどうぞとなると予想(当たり前?)。
その結果、公的医療保険のパイは今より縮小し、総体としての医療のパイは拡大するでしょう。

あとは、公的医療保険のカバー範囲をどう設定するか。
・安い(数千円ぐらい?)のは保険いらんでしょ、高いところだけカバーする、まさに「保険」に特化。
・あまりに高い(億?)のとか、どうせ死ぬ人への治療のカバーは薄め。
・治療しないと死ぬけど、治療すれば治る可能性が高い病気は、完全にカバーする。
方向性としては、こんな感じでしょうか。文学的表現ですいません。

しかし、結局は保守的な国民(医師、報道、行政、政治も含む)は、
こういう激変には耐えられない。
よって、多くの人がつぎはぎつぎはぎ頑張ることでしょう。

崩壊後のパターンが重要なのだと思います。

保険、健康管理、防疫といった予防的な医療が十分に機能しなくなったり、重篤な患者が増えれば、医療崩壊のダメージが最大化するだろうと。

病院をサロン代わりに使うような事は抑制しながらでも、体調に異変を感じた場合にさっさと診察を受けられる体制は、維持して貰いたいです。

医療費や保険の負担割合に濃淡が必要かもしれません。

医療に限らず社会保険制度全般に当てはまるのかも知れませんが、制度の崩壊と現状の給付水準の崩壊とは別個の問題であるとする考え方が、どこまで受け入れて貰えるかにもよるのかも知れません。
言い換えれば制度は絶対に崩壊させない、しかしその為に制度を維持できる水準でしか給付しない。或いは、給付水準ありきでなく負担水準ありきで制度を設計する事を受容できるかどうかの問題かも知れません。

No.33 の現役行政官様のコメントを拝見して、そのような事を感じました。主旨から外れた投稿で申し訳ないです。

医療の基本的な役割は病気の治療です。そこで、治療効果を医療のアウトカムと考えます。対して医療にかかる費用や労力(費用に換算できますが)をひっくるめてコストと考えます。

現在の医療体制が限界に達しているならば、最もコストパフォーマンスの悪い分野を切り捨てるのが合理的です。コストパフォーマンスの悪い分野とはアウトカムすなわち、治療効果への貢献度は低い割にはコストのかかる分野です。具体的には、医療安全にかかわる分野と医療の正当性を担保するための分野が相当します。医療の正当性をどんなに担保しても治療効果に直接貢献することがないのは説明するまでもないでしょう。間接的には何らかの貢献があるかもしれませんが、現場の体感としては非常に効率が悪い。一方、医療安全は治療効果に直接関係しますし、ある水準までの安全対策ならコストパフォーマンスは悪くありませんが、100%に近い高水準の安全を求めるとコストが急騰し、非常に効率が悪くなります(セキュリティにかかる費用も同様の性質があるんじゃないでしょうか)。

今、先進各国の医療に問題が噴出しています。程度の差はあれ、コストパフォーマンスが急激に悪化する領域に安全性・正当性の要求水準が達していることは共通しているのではないかと思います。日本では要求水準に応えることができずに救急医療が収縮しているのがその表れではないかと思います。

安全性や正当性は無視してよいと言っているのではありません。合理的なコストパフォーマンスを発揮できる程度の安全性・正当性でもそれほど質は落ちないし、コストに見合った安全性・正当性で満足していただけるなら、大幅な医療費の増加もなく、他の水準を落とすこともなく、国民皆保険を維持できるような気がするのです。

「いや、それでは満足できない。可能な限りの安全性と正当性が欲しい」という考えの人もいるでしょう。そういうコストパフォーマンスの悪い医療を求める人にこそ、混合診療で過剰な安全性と正当性を買って頂ければよろしいかと思います。

崩壊被害を最小限に抑えるために今すべきことは、安全性・正当性にかかわるコストについて考え直してみることですね。

生命は人が作ったシステムである社会によって生まれて生きて死ぬものじゃなく、親に依って生まれ社会に依って社会人として育成されて働き短くも長くも寿命(笑)によって死ぬものであるから、社会システムに「安全」を求めるなら人為的なシステムの代表である刑法を「安全」に整備する以外方法はないですね。人智ではコップから地面にこぼれた飲み水を飲むという簡単なことさえできないですから(笑)。

>つぎはぎつぎはぎして、予算もそれなりには増額し、綱渡りで崩壊しないのではないかと。

甘いのでは?
経済財政諮問会議はまだ社会保障費を減らそうとしています.はやくこの会議を潰さないと,医療は完全に荒廃するでしょう.「骨太」どころか国の根本が崩れて「骨無し」になってしまいます.

今日のいわゆる「医療崩壊」は、過膨張した現在の医療サービスが、現時点の医療資源で行いうる、医療の姿に移行しているものであって、崩壊ではなく「医療の正常化」が行われているだけだと考えています。

仮に、今後医療費をつぎ込んでも、人的資源は急激に増やせませんから、アクセス制限だけは不可避と思います。

医療制度の議論が一般の人の間でも、もう少し広く詳しくできるといいです。この場を作ってくれた元検さまに感謝します。

日本では情報が少ないためか、医療制度というと、すぐに、アメリカ型、イギリス型の2つが出てきますが、この2つは両極端なのであまり参考にならないです。まず日本はイギリス型にはなり得ないです。

医療制度を考えるとき、医療サービスへの支払い側が公か私かその混合か(日本の場合は国民皆保険なので公)、と同時に、サービスの供給側が公か私かその混合かをまず見なければならない。

イギリスは供給側(病院)も原則国営で公ですが、日本は、私のウエイトが非常に高い混合型です。営利を求めるのが私で、求めないのが公。

今、存続の危機にあるのが、公の病院です。営利に基づいて患者や治療法を選ばない公の病院は必要数存続するべきだと思う。その存続を守るのは国の責任でしょう。

反面、私立の病院、診療所に対し公が全額払い続けるのは無理がある。

どこまでを公の保険がカバーし、どこからを私の保険でカバーするかが、各先進国で異なっており、今後、日本が考えていかないといけないところだと思う。
多くの部分を公でカバーしようとすれば、税金・社会保険料が高くなるのは当然。
今の日本では、税金・社会保険料の所得に対する割合が平均約35%。これはアメリカと同じレベルで、先進国の中では最低レベルです。

そのアメリカですが、近い未来(もう始まったのかな)、院内感染、カテーテル感染、院内発症深部静脈血栓症の治療費、心臓外科の再開胸止血術の費用は保険で支払われなくなるとのことです。
患者さんにも請求できないし、病院持ち出しとなります。
そうすると、そうなるリスクの高い患者さん(例えば糖尿病や肥満の患者さん等)の入院は拒否されるでしょうね。
医療者の良心をある程度殺さないと働けないアメリカ型はあまり望ましくないです。

現在の国民皆保険に民間保険を組み合わせる形になることは、財務省や経済界の意向なので間違いないです。ここで、彼らの利益になるように変わるのではなく、医療関係者、国民全体、国の将来にとって良いものに変えるように、多くの人が色々な方面から見張って働きかけないとと思います。

No.38 Level3さん

>甘いのでは?
>経済財政諮問会議はまだ社会保障費を減らそうとしています.
>はやくこの会議を潰さないと,医療は完全に荒廃するでしょう.
>「骨太」どころか国の根本が崩れて「骨無し」になってしまいます.

甘いのかもしれません。
しかし、経済財政諮問会議は機を見るに敏な組織です。
世論の流れが社会保障費増額に変われば、彼らも変わります。

(あと、念のため確認しておくと、経済財政諮問会議の主張は「削減」ではなく「自然増の抑制」です。高齢化により増加せざるを得ないことは認めています。)

ただ、「総額の抑制が必要」という彼らの主張は、説得力があるし、国民もそう思ってる。
「総額をそれなりに抑制でき、かつ、国民がそれなりに満足できる」という「条件」を満たす具体的な制度を提案しないといけないと思います。

厚生労働省は、彼らなりに、その「条件」を満たすと考える案を考え、出している(と思う)。
それがダメだというのなら、医療提供者側がその「条件」を満たす対案を出すしかないと思う。

総額抑制という発想がけしからんと、「条件」自体に戦いを挑むのは益なきことに思えます。
本気で完全崩壊させるつもりなら、そういう戦い方もあるでしょうが。

No.38 Level3さん
おっしゃる通り、経済財政諮問会議が医療費等の社会保険費の主権を握っているのですよね。
厚労省はどちらかというと我々の味方で、財務省、経済財政諮問会議と戦っている側。
しばらく前まで、「厚労省が悪い」と思っていました。


厚労省は、食の安全やら年金やらでぼこぼこにされている。実は、こういうのも、厚労省の抵抗力を減らす戦略の一つなのかと疑ってしまいます。医療制度の変換方向によっては、経済界に巨額が永続的に舞い降りることになりますからね。マスコミでも何でも使って世論を操作するでしょう。もしかして裁判官をも操作している???

>あと、念のため確認しておくと、経済財政諮問会議の主張は「削減」ではなく「自然増の抑制」です。高齢化により増加せざるを得ないことは認めています。

経済諮問会議のメンバーでもあるオリック○が、療養病床を削減し、介護保険法を改正する一方で、療養病床からあふれ出た高齢者を目当てに有料老人施設(オリック○リビング)を全国に建てたというのは有名な話です。医療崩壊は言い換えれば自民党、官僚、財界が癒着した新たな利権構造の構築のように見えます。

>「総額をそれなりに抑制でき、かつ、国民がそれなりに満足できる」という「条件」を満たす具体的な制度を提案しないといけないと思います。

諸外国から比べて格安の医療コストで行われている日本の医療をもっと評価してもよいのでは。ただ薬価や医療機器類の価格は欧米より割高なようです。

まあそもそも介護保険は岡光元次官が「ゴールドプラン」として出してきたいかにも省益本位だけが光り輝く制度だったですから、皆保険の現状は当時から予想されていました。少しでも先を読める人にとっては今の皆保険崩壊もすでに折りこみ済みでしょう。ゆえに、崩壊してるぞと現場がいくら声を挙げても政府(財務省関係)は知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいるのでしょう。
しかし現実は常に予想を越えるものですから、医療崩壊とともに政府自身いや官僚行政自身がモラルハザードに陥って崩壊しているのだということも同時に明るみに出てしまいました。たぶん例の聖域なき改革(金勘定以外何の見識も無かったですけどね)で発生した行政のレームダック状態ですが、これは官僚にとっても想定外だったでしょう(笑)。で、さしずめ今は手の舞い足の踏むところを知らず、でしょうな。

さて、No.2の続きを書いてみます。
赤ひげは厚労省行政自身です。厚労省がその自覚を失っている以上皆保険制度は維持できないでしょう。すなわち皆保険制度開始以前の小説「赤ひげ」の時代の医療状態に戻ると思われます。人参のように効能があっても高価な薬は生活苦の庶民の病気の治療にはとても使えないというような時代ですね。
でもよく考えてみると日本の政治自体今までずうっとその頃とあんまり違っていないような気がしてきますが(笑)。

No.41 現役行政官さん
>それがダメだというのなら、医療提供者側がその「条件」を満たす対案を出すしかないと思う。

おれたちゃニュージーランドに逃げればいいだけですよ。ねぇ10年ドロッポさん。

私がやたら発言するのは、

No.1 法務業の末席さん
>そんな危機感から、医師の皆さんは崩壊後の日本の医療がどんな姿
>になると思っておられるのか、意見を聞いてみたいと思った次第です。

という御趣旨に反しますので、これぐらいにしておきます。
しかも、今回のコメント、本筋にほとんど関係ないし。

No.42 Campusさん
>厚労省はどちらかというと我々の味方で、財務省、経済財政諮問会議
>と戦っている側。しばらく前まで、「厚労省が悪い」と思っていました。

私は厚労省職員ではありませんが、私の所属する省でも、潜在的に同じ心情を持つと思しき方々から、「おまえらが悪い」と言われがちです。
「後ろから弾を撃たないでよ〜、敵はあっちだよ〜」と言いたいことしきり。

厚労省を弁護すれば、彼らはおそらく、心情は医師と同じ、良い医療を国民に提供し、経済界に多くの負担をしてほしいのです。
ただ、彼ら(私も)公務員は、頭が悪い。知恵がないのです。
ぜひ、彼らに課せられた制約条件を知り、それを解決するための良い知恵を貸してやってください。

No.43 uchitamaさん
>諸外国から比べて格安の医療コストで行われている日本の医療をもっと評価
>してもよいのでは。ただ薬価や医療機器類の価格は欧米より割高なようです。

私はとても評価しています。国民の多くもそうだと思います。
ただ、今後、高齢化が進み、労働力も減る中で、今のままでは払いきれなくなるのでは?と思っています。
現場で格安なのは分かる。でも、総額で見ると、日本の経済のパイでは払いきれなくなる、その懸念さえ払拭すれば、経済財政諮問会議のような門外漢にとやかく言われる筋合いはないはずです。

社会保険料の増額や、消費税率の上昇を実施して、国が出せる最大限の額は、対GDP比8%〜9%(現状は6%)と言う所だと思います。それ以上は私的負担でまかなう他はないと思いますが、それにも限界があるかと思います。

現状の医療費は確かに低いとは思いますし、医療費の上昇は賛成します。ですが、医療費の自然増が止まらないのであれば、いつかは限界に達するように思います。限界に達した時に、どうするのかと言う議論も必要なのでしょうね。

このエントリをモトケンさんに作って頂いてから2日間、この間に裁判や憲法論で話題の大きなエントリ続いた中、これほど多くの皆さんが描き込んで頂けるとは。予想外の反応の良さに驚くとともに、投稿された方々にお礼申上げます。

>現役行政官 さま

癸韻濃笋書き込んだ文章ですが、下記の通り言葉の足らない部分を補足します。

そんな危機感から、医師ならびに医療制度に詳しい皆さんは
崩壊後の日本の医療がどんな姿になると思っておられるのか、
意見を聞いてみたいと思った次第です。

医師だけに限らず、医療機関の業務に携わる方、健康保険制度や(医療)行政の内実に詳しい方・・・。適当な表現が見つからないのですが、広い意味での医療制度のインサイダーの方々に意見が聞けたら、と思っております。その意味では現役行政官さまは、正しく私が意見を聞きたいインサイダーのお一人です。是非、日頃から思っているところをもっと聞かせて下さい。

>現場で格安なのは分かる。でも、総額で見ると、日本の経済のパイでは払いきれなくなる

まずは受診者側からムダを削ることが重要。

風邪薬ですぐ治る程度の軽い風邪、足を挫いた、目にゴミが入って痛い、食い過ぎの腹痛、コンパで急性アル中、下手をすれば軽い肩こりや筋肉痛まで、いちいち病院に行くムダを削り、毎日病院の待合室を占領している元気な老人たちを一掃(殺すという意味ではないですよ、為念)するだけでも、随分違うような気がします。

救急も、今のように仕事を休みたくないからとか、子どもが少し熱を出したとか、どうみても救急じゃない人が行くのを控え、本当に必要な人だけが救急に行くようにする。

今の我が国は、医療・保険を使わなければ損とばかりに、湯水のように浪費してきた。まず、そういう当たり前のレベルから何とかしなければならない。当然、完全崩壊してしまえば、そんな世界は夢物語ですが。

そうした基本的なレベルから修正したうえで、コストと効果の最大公約数的なバランスを取るためには、どこまで負担を積み上げればよいか、その負担はどういうスキームにすべきかを、一から議論していく必要があると思います。

> まずは受診者側からムダを削ることが重要。

これは同意、です。


> 毎日病院の待合室を占領している元気な老人たちを一掃

この問題は以前に比べてかなり改善されてきているようです。老人
医療費の無料化という政策が撤回されたおかげで。

こうした実例をみると、やはり経済的に誘導していくのが重要だと
思います。自己負担金が必要となれば必要もない受診はなくなり
ますからね。夜間救急の問題についても、「夜間の救急受診は割
増料金」という制度で昼間に受診するように誘導していくしかない
のでは、というのが私の意見です。

あと、救急の問題では、現在でも医療費が無料となっている方々
(生活保護や身体障害者)をどうするか、という問題が実はすごく
難しいのです。恐らくは大多数の方々はごく普通に暮らしているの
だと思いますが、こうした方々のごく一部に極めて頻回に救急を利
用する方がいて、そのために都市部の救急が疲弊しているという
現実があります。「年末年始さびしいから」といった理由で入院を希
望しているとしか思えない例、たいした症状もないのに毎晩のように
救急車で救急外来に来る例は私も経験があります。毎日数回ずつ
救急車を利用する人がいるという話もあります。

政治的にはこうした人々への負担増は難しいとは思いますが、一
定の一時負担金を課す必要があると思います。

医療の将来についてですが、短期的にみれば現在の医療崩壊の
傾向が続く、というのが私の予想です。すなわち、リスクが大きい
部門や不採算の部門からの医師の撤退が続き、地域や診療科に
よっては受診したくても不可能なところが続出する、というものです。
産科分野は恐らくは回復不能でしょう。

中長期的な予想は非常に難しいです。一般国民が「医療に金を使
おう」というコンセンサスをとれるかどうかにかかってくると思います。
少なくとも現時点において、マスコミで報道されているのは「医療費
が高くて払えない」「これ以上の負担増大は無理」というものばかり
です。医療者側の意見をみても「公共事業を減らして医療費に」のよ
うな意見が多く、一般国民に直接負担増を、という意見はほとんど見
られません。

# 与野党を通じて公共事業減には反対論者が多くいます(民主党は
# 道路暫定財源撤廃を主張していますが、その分は国債発行で補
# おうとしています)が、医療費増を主張するのはごく一部です。


高齢化の進展で医療費はどんどん増えます。医療現場の疲弊は
「患者一人あたりの医療費が不足しているために無理をせざるを
得ない」というところから来ています。これを解決するには、高齢化
の進展による自然増よりも高い率で医療費を増大させるか、何らか
の手段で受診抑制を行って実質的な患者数を減らすしかありません。

自然増よりも高いペースでの医療費増大にせよ、受診抑制にせよ、
現時点では国民の同意がとれるとは現時点ではとても考えられま
せん。医療崩壊が進んで国民全体での意識の変化が現れるのが
いつなのか。

 受診側からの無駄の抑制として有効なのは免責の導入です。保険であれば、免責というものが当然に存在するわけですが、現在の健康保険にはこれにあたるものがありません。免責がないがために、一回の受診料が微々たる額になり、このためフリーライダーを誘発して超過需要を引き起こしてしまいます。公共サービスにおいて安すぎる価格設定は、最終的には資源の浪費という形で現れます。特にひどいのは小児分野で、議会などが人気取りで小児医療の無料化などを行うため、小児救急は破綻しています。小児医療の無料化は入院だけに限定すべきです。免責額に昼間と夜間で差をつけるのも有効と思われます。
 免責で浮いた分の自己負担分は高額療養時の自己負担分の抑制に振り向けます。現在高額療養費の上限が際限なく引き上げられており、保険としての機能が低下しつつあります。医療費の半分は費用上位10%の患者によって使用されています。本来の保険機能はこの部分に向くべきなのに、費用下位の部分で浪費されている部分が多すぎます。

>No.26 小倉秀夫さん
ただ,国としては,資格保有者を実需を無視して大幅に増やすとともに,周辺資格者への権限譲渡を大幅に進める「司法改革」型の改革を行うという対抗手段を執ることもあり得ます。

国ばかりでなく、弁護士の方にもそのように思っておられる方がいるようですね。

もちろん、医師間の競争を緩和するために医学部の定員を減少させた新規医師人数抑制策を撤廃したり、外国で医師の免許を取得した者が日本国内で医療活動を行うことについての規制を緩和したり、あるいは医師が行わなくとも問題なくなし得る行為を医師以外の者に徐々に開放していくなどの諸政策を講ずることにより、自分たちが法の支配の枠外に置かれることを実現するために一部の医師たちがサボタージュ活動を行うことにより引き起こされる弊害を緩和する等の措置が必要になることでしょう

確かに受診側の考え方や価値観が変わるためには、金銭面やアクセス面での動機付けが必要かもしれません。

そういう意味でアクセス面に大打撃を与える医療崩壊は、大きなきっかけになるかもしれません。自分たちの資源浪費の結果が、どういう事態を引き起こしたのか、目の前の枯れ果てた荒野を見れば真剣に考えざるを得ないでしょう。

もし老人医療の自己負担分の見直しが、無駄な通院の抑制になったとすれば、小児医療助成制度や救急医療でも似たような効果は得られるかもしれませんね。共産党などは「老人は死ねというのか!」とか「子どもを育てられなくなる」などと未だにおっしゃっておられますが(^^;

>No.53 通りすがりの内科医さま

国ばかりでなく、弁護士の方にもそのように思っておられる方(太字強調は引用者による)

え〜、思っているというのは正しくないと思います。既に外国の医師を受け入れるための法律が作られ(外国医師等臨床修練法の平成18年改正)、この4月1日より施行されています。

この改正法により厚生省令の定めに従って厚生労働大臣は、医師法に規定する医師(日本の医師国家試験に合格した者)以外の外国人医師でも、医業を行なうことを許可できることになりました。すなわち、外国からの医師輸入についての法的ハードルが無くなっており、既に思っている段階から実行の段階になっていると言えます。

No.55 法務業の末席さん
>外国からの医師輸入についての法的ハードルが無くなっており、既に思っている段階から実行の段階になっていると言えます。

へーぇ、そうなんですか。どちらかの病院でかような医師の輸入が行われる計画があるとはついぞ聞いたことないんですけどね。それもそのはず、日本に来てもデメリットばかりと思うんですが。

もちろん、デメリットというのは外国の医師にとってという意味です。

前記55投稿に補足です。

外国医師等臨床修練法の平成18年改正については、看護師と救命救急士の受入を目的とした改正とされていますが、厚生労働省の目線は外国人医師の受入を目標に改正した、と私には感じられます。

>No.54 じじいさん
>アクセス面に大打撃を与える医療崩壊

いや〜、まさにそれに尽きますね。正確な分析だと思います。低コストの方向性は変わらないし、訴訟リスクがあるから個別の品質も下げられない。この両者が現場でコントロール不能であるわけですから、意図せずともアクセス制限になってしまう。状況に変化が無ければ、人為的に規制してアクセス制限しなくてもどんどんアクセスが悪くなります(No.39 田舎の消化器外科医さんに同意)。このままだと、アクセス低下の結果、マクロ面の品質も低下します(特に救急)。

で、低コストは止めようという雰囲気が出てきているのですが、個別の品質に関しては聖域なんですかね?
医療本来の品質である治療効果を落とすのは本末転倒でありますが、治療効果にあまり関係の無い品質、つまりインフォームドコンセント、書類の山、訴訟対策負担などを節約(ゼロにしろ!とまでは言わない)して、その分のコスト(労力も含む)をアクセス面の改善や医療費の節約に振り向けたほうが、「コスト・アクセス・クオリティ」の総合点数は高めに維持できると思いますがね(No.36既述)。

無駄な受診を減らす必要性は否定しませんが、それだけで問題解決はできないと思います。仮に無駄な受診がゼロになったとしても、立て続けに搬送される重症患者に対処できません。対処するには応需施設を増やすしかありません。現状では逆に重症患者の応需施設が減少していますが、その主因は過剰な品質要求(求められても現実に応えられないレベル)じゃないでしょうか。・・・そこに目を向けるのはタブーかな?

>>No.59 元ライダー(開医)さん
に全面同意。(もちろんその前からじじいお師匠さんにも同意なのは弟子として当然でしたが笑)

No.49 じじいさん 、
>風邪薬ですぐ治る程度の軽い風邪、〜
そんなけち臭い事言わず終末医療をばっさりカットしちまいましょうやw。その代わり安楽死合法化。<実は講演会で西島参議院議員に提案したんですけどねw。

高額医療上位20の患者さんの9割はその月に死亡しており,そして残り一割の患者さんも,翌月に死亡しているか,ほとんど社会復帰を 果たしていません.
http://www.musashino-med.or.jp/city/medical/no16.html
>No.45 うらぶれ内科さん、
>おれたちゃニュージーランドに逃げればいいだけですよ。ねぇ10年ドロッポさん。

私世界数十ヶ国語に通じているのですが、英語だけは少々苦手なんですよw。ニュージーいいなあ。でかいヒラマサが釣れるんだよね。
60オーバーのニジマスも釣れるし。

ぼつでおKせんせ、せんせの方が「先生」なわけですから、私こそ弟子ですよ。態度の大きい弟子ですが(^^) 

さて先生方から様々なご指摘をいただきましたが、

>で、低コストは止めようという雰囲気が出てきているのですが、個別の品質に関しては聖域なんですかね?
>そこに目を向けるのはタブーかな?

多分、タブーじゃないですよ。
医療資源・健康保険が湯水のように使えた時代は、終わったのですから、いろいろな選択肢があっていいのではないかと思います。品質に応じた負担という観点もその一つでしょう。医療以外では結構普通の考え方ですから。

今後、「失敗しても絶対文句は言わないから」つまりハイクォリティは求めないからという契約条件で、医療を確保するグループが出てくるかもしれません。

また、患者にとって安いけどリスクの高い医療(医師にはローリスク・ローリターン)、コストは中くらいだけどそこそこの医療、非常に値は張るがハイクォリティの医療(医師にはハイリスクハイリターン)などクオリティ別医療制度があってもいいと思います。

中には、失敗しても一切賠償しないし、新薬治験も兼ねてるけど、安くて高度な医療が受けられるってのがあってもいいような気がします。貧乏人にとってはある意味ギャンブルですが(^^;

>高額医療上位20の患者さんの9割はその月に死亡しており,そして残り一割の患者さんも,翌月に死亡しているか,ほとんど社会復帰を 果たしていません.
>終末医療をばっさりカット

基本的には、どうしても終末医療をやりたいご家族には、医療保険から外して、自分の財産や生命保険のリビングニーズなどで対応してもらうようにすればいいかもしれません。一人当たり1,500万円近くするそうですから、そこは金の続く限りやりたいという人もいるでしょうし、断念する人も出てくるでしょう。終末医療はぜいたく品と考えれば、コストを踏まえて必要性を十分吟味して選択するでしょう。

終末医療についてですが、

まずは一部の例外(直前で生きていたのを周囲が見ているケース
など)を除いて、救急の現場で「心肺停止=死」と確認するところ
から始めるべきでしょう。

私が知る限り、都市部ではよほどの例(遺体が腐敗しているとか)を
除けば死後硬直が始まっているような例でも救急は病院に搬送しよ
うとします。ちょっと昔までは地方の救急隊では「ご臨終です。検死
のために○○へ連絡してください」と言って帰るのが通例でした。対
応としてはこれで十分なわけですね。

病院では、一応は心臓マッサージをして蘇生処置をします。これは
全くの無駄でしかありません。医療保険に少なからぬ請求が行き
ます(短時間でも入院扱いで治療する病院がけっこうあります)。

つい最近、知人の家庭で都内病院勤務医さまがNo.63で紹介されたのと同じような事例がありました。

その家では、80歳を越えた爺さんが元気で植木をかまったりして、日中は独りで留守番をしているのですが、ある日家族が帰ってきたらその爺さんが家の中で倒れていた。声を掛けても身体を揺すっても動かない、それどころか息もしていないみたいだし、身体も少し冷たくなっている。

家族は慌てて119番通報したが、駆け付けた救急隊員は形だけ心臓マッサージの真似事をして即病院へ搬送。救急車に同乗して行った知人の奥さんによれば、病院では医者が心停止や瞳孔反射を確認してその場でご臨終と告げられて、後は事務的に死亡診断書を作成。遺体を自宅に帰す寝台車の手配やら、親戚や葬儀屋への連絡やら、その知人の奥さんは深夜の病院待合室で、たった一人で大変だったらしい。

その知人曰く、どうせ素人目にもダメなのは分かりきっていたから、死亡診断書を貰いに救急車で行ったようなもの。子供のころに死んだ祖母のときは、町医者が自宅に往診にきて家族の前で看取ったけれど・・・。と通夜の席でしんみりと言ってました。

往診の医者が聴診器を当てて「ご臨終です」と告げて聴診器をカバンに仕舞うと、付き添って来た看護婦がそっと布団を掛け直す。こんなシーンはもう有り得ないのですね。

No.64 法務業の末席さん

このケースはおそらく死体検案書を作成しなければならず、死亡診断書は間違いです。場合によっては医師法21条異状死の届出義務違反で医師はアウトですね。

受診抑制が3割という記事が載っています。

http://mainichi.jp/select/science/news/20080415k0000m040124000c.html

患者側は保険料や医療費負担増に喘ぎ、医療者側は医療費の抑制策、訴訟、人員不足に喘いでいます。
政治がこの国の医療をどうしたいのか。ひいては、国民がこの国の医療がどうあってほしいのかを議論する時期に来ています。(というか、とうに過ぎていると思いますが・・)

限られた財源の中で考えると保険診療に制限をかけることにならざるを得ないのではないでしょうか。それが終末期医療なのか、先進医療なのか、風邪のような疾患なのかを線引きをして。お金のある人はそれに足りない分を民間保険に加入してカバーする。結局は、自分の経済力に応じた医療しか受けられないということになりますが。

でもその前に、国際競争力をつけるといって優遇している大企業の所得税を引き上げ、役所の無駄遣いを減らすことが大前提です。

>>No.62 じじいさんお師匠w
いえいえ、あの市電かい?やどこかで拝見しました妙技「あしとり」の輝くばかりの技の冴えは到底私如き小者の及ぶところではございません。勝手に押しかけ弟子ですが精進致す所存です(笑)。

>基本的には、どうしても終末医療をやりたいご家族には、医療保険
>から外して、自分の財産や生命保険のリビングニーズなどで対応して
>もらうようにすればいいかもしれません。

ご説の通りです。同時に医師のほうも終末医療にあたっては、診療契約の中で対等な医者と患者双方の人としての尊厳をあくまで対等に守る目的で、診療方針としてその選択肢(医療保険から外す)を加えて患者さんに対し誠実にお話することが必要だと思います。

参考情報です。
社会学者の宮台真司もこの問題に言及した(する?)ようです。

No.66 事務方の星さん

国際競争力をつけるといって優遇している大企業の所得税を引き上げ、役所の無駄遣いを減らすことが大前提です。

実際の所、企業の法人税はそれほど優遇を受けてないか、むしろ厳しいのではないかという印象を受けています。

社会保険料の増額、消費税の税率アップを何らかのタイミングで実施するべきでしょう。

以下の資料の19ページのグラフをご覧下さい。
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare107.pdf

No.69 しまさん

情報ありがとうございました。恒久的といっていた定率減税が廃止されたとき、国際競争力という理由で企業の法人税の減税は据え置かれ、その中で大企業の好調な決算の状況とそこで働く従業員の所得が上がっていないというニュースを読み、こういった印象を持っていました。

仰るとおり、消費税の引き上げか目的税の創設など、社会保障を担保できる制度が必要だと思います。

原点に戻ってみましょう。

低コスト
高クオーリティ
易アクセス
 
このうち2つまでは追求することが可能である。すべてを満たすことは不可能であると言われています。日本人はどの2つを選択すべきなのでしょう?

No.69 しまさん

私は、法人税率を上げてよいものと思います。

世界的に法人税率が高いのは米国と日本ですが、それでも日本の方が少し低い。

法人税率が低い国は、産業を誘致していく必要がある途上国です。ヨーロッパも実は法人税率が低くて、付加価値税率の高い国です。しかし、この理由の一つはEUを結成したからです。EUに加盟するとある意味で、一部の主権を放棄することとなります。EUで、一つの国のような制度になってしまいます。

税の国際比較は、簡単ではありません。考慮すべき要素が余りにも、多いし、社会や人々の考え方も異なるので、その地域に適した税制が最も優れています。

日本は、高度成長を消費税なしでやり遂げてきた国です。その理由として、米国の考え方である「消費税は悪い税制である。所得税が優れている。」が、背景としてあると思います。

エントリー作成のきっかけになったものの一人です。久しぶりに投稿いたします。

No.71 通りすがりの者さんに触発されました。

>低コスト
>高クオーリティ
>易アクセス


すでにご意見がいくつか出てますが、ちょっとひっかかった部分があります。
クオリティの問題ですが、いろいろな意味がありえるなと。

反射的には、最新の技術にもとづいた高度先進医療がどこまで受けられるか、という「先進性をどこまでカバーするか?」という問題と考えがちかと思いますが、

「最低レベルの診療が担保される」、というのもクオリティの問題になりませんか?
例えば、狭心症患者さんがカテーテル治療やバイパス手術といった高額医療を受ける場合には自費診療になるけども、保険診療を選択された時にはどの施設に行っても一定レベルの薬物治療が受けられる状態にする、と。
そのためには、医師の教育にエネルギーとお金を回してもらう、と。

・・・・・うーん、書いてるうちに「国民にこの辺をよく理解してもらうのは難しいかなぁ?」という気分になってきましたが、
総合医構想なんてことを厚労省が言い出していますから、行政的にはあながち受け入れられない発想ではないと思うんですがどうでしょうか?

・・・・それができるくらいなら苦労しねぇよ!と現場医師の皆さんからは突っ込まれそうですが。

>例えば、狭心症患者さんがカテーテル治療やバイパス手術といった高額医療を受ける場合には自費診療になるけども、保険診療を選択された時にはどの施設に行っても一定レベルの薬物治療が受けられる状態にする、と。

だからそんなけち臭い事言わず終末医療をばっさり…。自分で言うのもナンですがw、低コスト、高クオーリティ、易アクセスを実現出来る妙手です。人道上の問題にしても、表立って反対する奴はヘンなカルト市民か、年金目当ての寝たきり換金業者だけでしょうし。
結局、厚労省も財務省も医療費削減「すら」まじめに考えてないんですよ。

> 表立って反対する奴はヘンなカルト市民か

それがたくさんいそうで怖い。
いや実際にはそういないんだけどなにかそうしてはいけないという日本独特の空気がそれを阻むのでしょう。

#ある意味戦争中の一億総玉砕の空気と本質は変わっていないのでしょう。
死ぬまで戦えが自殺に変わってしまったように人命重視が延命治療に空気が変わったのかもしれません。

>いや実際にはそういないんだけどなにかそうしてはいけないという日本独特の空気がそれを阻むのでしょう。

そこを何とかするのがオマエラの仕事だろうが官僚、政治屋ども!!
…なんて言い草は「医師なら寝ずに薄給で患者の為に頑張って当然うまく言って当たり前結果が悪ければ非難されて当然赤ひげ」ってのと同根でしょうか。まあオレだったら猫の首に鈴つけるのはイヤですねw。
でも実際やってみたら、拍子抜けするほど反対少ないんじゃないかなあ…。

医療崩壊の序章と言うべきか、それとも健保制度の崩壊と言うべきか、昨年11月に「混合診療禁止は法的根拠無し」との一審判決が出た清郷氏訴訟を覚えておられることと思います。

この敗訴判決を対して国は直ち控訴しましたが、その控訴審の途中から、原告の清郷氏に代理人弁護士(無報酬!)が付いたようです。また現在の進行状況は、原告(清郷氏)・被告(国)とも4月末までに陳述書・反論書の提出を済ませ、5月12日に第3回めの弁論とのことです。

また、控訴審を担当している東京高裁の大谷貞男裁判長は、今後の訴訟指揮の方向性について、次のように原告清郷氏に述べたそうである。

この裁判の行方は世間も注目している。ためにする訴訟であってはならない。そこで被控訴人の私がどういう風に請求の趣旨を立てるかが問題だろうと思う。確認請求の利益との関係に留意してほしい。混合診療の是非について正面から答えることもあるかもしれないが、そうでないかもしれない。また国は混合診療禁止の原則でいいのかについて、混合診療の弊害がいつ、どこでどういう弊害が出たのか、いうべきである。

国に対して混合診療の弊害について具体的に主張せよと言っているということは、国会答弁を連想させる漠然とした国側の主張を、裁判長が不十分と感じている証左なのでしょうか。法曹の方のご意見を聞かせて頂ければありがたいのですが・・・。

またこの裁判も、別エントリで取り上げられている名古屋高裁での自衛隊イラク派遣訴訟判決のように、「自衛隊イラク派遣は違憲なれど原告の訴えは棄却」というパターンも予想され得るので、健康保険制度の将来を考えると目が離せません。

何はともあれ、この裁判にご興味のある方は清郷氏のHPをご覧下さい。

>No.73〜76
終末期医療の制限にしろ、高額医療の制限にしろ、それらは健保制度崩壊への処方箋となるかもしれませんが、アクセス崩壊への処方箋にはなりません。アクセス崩壊は医療費不足よりも医師不足に大きく起因することは当事者である医師なら体感できるでしょう。医師不足は要求されるクオリティに応えられない医師が次々と現場を離れていること起因しています。要求されているクオリティとは、高額医療をせよ!とか終末期医療を充実させよ!とか効率よく低コストで治療せよ!とかではなく、幻想的なレベルの安全性・(治療の)確実性というクオリティです。アクセス崩壊している分野に医療費を回し、医師の給与増やスタッフの増員などで、多少の安全性・確実性の改善は可能と思いますが、国民に満足されるレベルまでの改善は不可能です。要求されているレベルは現代科学では達成不可能ですから、どんなにコストを掛けても応えることはできません。

健保制度崩壊とアクセス崩壊は分けて考える必要があります。

>No.77 法務業の末席さん
>国は混合診療禁止の原則でいいのかについて、混合診療の弊害がいつ、どこでどういう弊害が出たのか、いうべきである。

清里氏の脚色がなく、この通り裁判長が言ったのであれば、無理な要求です。今まで混合診療は存在していないのですから、いつどこで?と言われても・・・。あえて言えば、歯科の混合診療(現行可)で見られる弊害を挙げることはできるかもしれませんが、その弊害は厚労省が自ら作り出したものですから、厚労省の立場では言える筈がありません。

> No.77 法務業の末席 様
貴重な情報、ありがとうございました。
この裁判の控訴審判決の結果次第で、医療保険政策の大きな転換点が生まれる可能性があるように思います。
私としても、この判決が如何なる結果で、いかなる理由によるものになるのか、大きな関心を抱いております。

> No.78 元ライダー(開医) 様
私も同じような無理な証明の要求と感じます。
私が愚考しますには、証明になる可能性があるとすれば、健康保険法に特定療養費制度が創設された経緯を元に、と言うことになるのかも知れませんけれど。これとて、厚生労働省には諸刃な部分があるようにも思います。

>No.78 元ライダー(開医)さん
>No.79 thx-1138さん

お二方とも、被告の国が混合診療の弊害について、具体的に申述することが出来ないとお考えなのですね。

とすると被告の国は、法廷の場で裁判長を納得させるだけの主張を行い得ない、ということにつながり、その結果としての控訴審判決がどのような内容になるのか、大凡の予測は出来る訳でして・・・。

どうやら清郷氏の代理人を買って出た、法律事務所あすか代表の本田俊雄弁護士の元には、同種の混合診療訴訟を相談されている依頼人が相当数いるようです。国はこの控訴審に負けたら、次は大人数の集団訴訟に直面する可能性があるようです。

> No.80 法務業の末席 様

混合診療についての私の立場は、現行法上禁止する明文の規定はなく、一方政策としては厚生労働省の立場を支持するというものです。
以下の私のコメントはこのようなバイアスが作用したものとしてご理解頂きたく思います。

今回の控訴審については、前提として「混合診療を明示的に禁止する規定は法律上存在しない」とした地裁判決があります。
一方、政策として考えたときに厚生労働省の考え方にも一理はあると考える事も可能かと思います。
そして世間の情勢として混合診療の解禁問題は重要な課題の一つとして取り扱われ、この裁判は関係者から注目され、与える影響も大きいと考えられます。

そのような諸々の状況を考えた場合、訴えが法令に照らして適切かどうかを判断する裁判所として、ご紹介のような発言を行う必要を認められたという事ではないだろうかと思います。
証明の非常に困難な命題を厚生労働省側は与えられたと感じる一方で、裁判所としても十分な留意を払ったが故の事なのだろうとその立場も理解できるように思います。

やや脱線した投稿、失礼致しました。

>No.81 thx-1138さま

健康保険財政の限界を考慮すると、早晩健康保険の対象となる医療の上限と下限について明確な線引きを行い、保険給付の免責とすべきだと考えています。上限下限の限度を超えた分の保険給付に免責した方が、健康保険の根幹の維持は容易になり、結果として国民皆保険の基本理念が将来にわたて維持し易くなる。

私自身は、このような考えを肯定する立場ですので、保険給付を併用する混合診療解禁論者です。ただし、保険給付の範囲は、現在の保険給付対象とする医療より、上限下限とも(金額ベースで2割程度)狭めるべきだと考えています。

このテーマについては、時間を掛けて多数の方(医療者・行政マン・経済や財政のプロ、などの方大歓迎!)と議論を展開したいのですが、なかなか良い「場」が見つかりません。また、私もアチコチ手を広げすぎて、充分に研究する時間が取れないのが悩みです。
(本日もこれから出掛けなければならない・・・)

無理な証明の件ですが、介護保険導入とその成果の現状評価のほうが、歯科の混合診療の評価よりも実質的に医療保険制度における混合診療導入というものを説明しやすいのではないでしょうか。と言ってみるテスト。

> No.82 法務業の末席 様

私は理想論としては厚生労働省の政策を支持しつつ、現実には財政など周辺事情による限界が招来することは必至と考えています。
そして、医療に限らず社会保障を経済性の論理だけで考える事に抵抗を覚えつつ、しかし経済情勢(あるいは国力・担税世代の担税力)と無関係には制度は存在できないと考えています。
そこで、暴論というか素人の浅知恵全開の妄想として、私は以下の様な事を考えています。

混合診療の解禁はやむを得ない、ただし自由診療の領域と保険診療の領域に緩衝帯となるような第3の領域をおいて、これら3種の混合診療を認めれば、各領域を設計の方法次第では混合診療のデメリットをある程度小さくできるのではないだろうか、、と言うことなのです。
その3つの領域なんですが、
1、自由診療の領域
つまり、医療機関の完全なる自由意思による価格設定に委ねる。(理論上注射一本100万円とかでもOK)
2、自己負担10割の領域
つまり、公定価格(診療報酬点数)は設定し1点10円は維持するが、保険給付は行わず自己負担額を公定価格と等値にする。
3、保険診療の領域
つまり、現行の保険診療である公定価格でかつ一部自己負担(3割)とする。

これだと、医療行為に対する統制色が強く出て賛否両論を呼ぶのでしょうが、混合診療導入のメリットとデメリットを考慮したり、現行の介護保険制度のような給付限度額ありの制度と比したときに、最低最悪の案と言う訳でも無いような気がするんです。
保険の免責という観点で言えば、2の領域の設定の仕方次第で、免責部分を完全な自由診療にするよりは比較的穏便に免責範囲の設計ができそうな気がしてるわけなんです。
もっとも、私は然るべき権限も持ちませんし、医療の現場の現実と申しますものを生で感じ取れる立場にはおりませんので、ただの妄想と考えて頂ければ幸いです。

>No.84 thx-1138さま
レスが遅くなりました、お詫び致します。

厚生労働省の政策を支持しつつ、現実には財政など周辺事情による限界が招来することは必至と考えています。
納得できます。私自身も、日本の医療体制の基盤である健康保険制度の基本的枠組みは、将来も維持されるべきだと考えています。ただ将来も維持する為には、財政上の限界(制約)があることを織り込んで見直し、誰もが安心して医者にかかれるという国民皆保険の原点に戻るべきだと考えています。


このエントリの冒頭で、日本の健康保険制度を基盤とする医療体制(医療政策)の目的を次の3点に整理しました。この3つの目標・目的のうち、将来も維持可能なのは一つか、せいぜい二つであるという点では、ほぼ認識が一致しているかと思います。
 a:低コスト
 b:高クオーリティ
 c:易アクセス

現在、医師(勤務医)の異常なまでの長時間労働と、時間外労働に対する賃金手当の不払いが問題として顕在化しています。またこれからの少子化は、看護師など医療職を目指す新学卒者の現減少につながり、労働力需給経済の面からは給与手当の水準を押し上げる要因となります。さらに医療設備機器の発達や高度化は当然コスト高をもたらします。

こうしたことから医療の業界は、将来的に右肩上がりのコスト上昇トレンドが今後数十年は続きます。ところが財政負担の基盤である日本の総人口は、2007年をピークに既に下降トレンドに入っており、医療の費用の大方を負担する現役世代の人口は減って行きます。故に a の低コスト、すなわち低額の受益者負担という制度目標は到底維持できないと予測されます。

次に b の高クオーリティですが、国民皆保険制度が出来上がった昭和30年代に比べ、医学的な治療手段の進歩は目覚ましく、一般的とされる医療レベルは当時と比べて数段、いや数十段上昇しています。この医療レベルの上昇は今後も続くであろうし、遺伝子治療や再生医療などの急速な実現ペースを考えると、今後の上昇カーブはさらに急角度になるであろう。この学術的な医学の急速な進歩を、健康保険制度が今後数十年に亘ってカバーし続けるということは、これも可能なこととは思えません。

このように考えていくと、最後まで残せるのは c の易アクセスであろうと思います。ただこの場合に、何に対してアクセスが容易なのかといことについては、論者によって認識が違うと思います。
私の考える「易アクセス」とは、
 1:医療保険加入者であれば誰でもが、
 2:相当ハイレベルな医療を、
 3:高額な治療費負担をせずに、
 4:日本国内のいずれか最寄りの場所で、
 5:常識的な待期(待ち)時間で、
 医療を受けることができること。
私はこう定義しますし、これが日本の健康保険制度が世界に誇る「国民皆保険」一番のメリットであると考えます。

ただ、問題となるのはこの1〜5までの各要素における「満足度」の水準を何処に置くのか、言い換えればどのレベルまで追求可能なのかということでしょう。1の定義はまず異論は出ないでしょう。2では「相当ハイレベル」とはどの程度か、3では「高額」とは具体的な金額では幾らなのか、4では誰もが住んでいる場所のすぐ近在で医療を受けたいだろうし、5の「常識的待ち時間」とは何分以内なのかそれとも数時間なのか・・・。

こうした「満足度」のレベルについては、稿を改めて持論を展開したいと思います。

Plein soleilさん
半分伝わっていないようです。私も言葉足らずでした。「誰のために必要で、誰の利益になるのか」に加えて「ゆえに誰が動くべきなのか」と書くべきでした。
現時点での「予測される世論の反応」は、おっしゃるような可能性が高いと私も考えています。一方、そのような世論によって最も不利益を被る者に、その世論を支持した人々が含まれる皮肉はPlein soleilさんも理解されていると思います。「医師が威張っているから俺達は医師を刑事免責にできない。そのせいで俺達が被害を被る。」というのは可笑しな話です。もちろん医師の態度が良いに越したことはないのですが、刑事免責とリンクして考えるものではないのです。
こうした状況で、誰が動くべきなのかを考えると、医師を攻撃する意見が内包する皮肉を指摘する役割を、当事者である医師が果たすことは効果的でしょうか?医師だけが「こういう皮肉な結果になるよ」と指摘しても、敵対心を持った意見を凌駕する説得力があるのでしょうか?ボールは手元から離れたと考える医師が増えています。

今回、気になった点を補足

刑事免責することが再発防止に役立ち、患者の利益になる
医療事故という範囲で考えると患者の利益は再発防止ですが、医療全体で考えると萎縮医療が緩和されるという患者の利益があります。こちらの利益のほうが患者にとって大きいし、普遍的です。患者さんは気が付いていませんが、ほとんどの方々がすでに萎縮医療を受け、その中の大勢が何らかの不利益を被っています。報道で取り上げられる”たらい回し”は不利益の表現型として目立つだけです。

ズッキーニを送ったのにどうして沈黙してるの?

うらぶれ内科さま

現実を有体に述べたまで。

だとすると、噛み合っていないと思うんです。
誤爆とも言えるかと。

死刑囚さまが解読(敷衍)された、

3.医師が逃散して困るのは誰か? 他ならぬ、世間の人々だ。
4.医師が逃散する事態を防ぎたければ、刑事免責を主張しなければならないのは、医師ではなく、他ならぬ世間の人々では?

というのは、Plein soleilさまの主張とまったく共通なのですから。

それを理解した上で、「あえて」No.117を書かれたのだとしたら、そのスタンスに強く抗議します。

No.88 fuka_fukaさん
>そのスタンスに強く抗議します。

抗議されたって、世間のために刑事罰のリスクを犯してまで身をささげるつもりはさらさらありませんよ。自分のことを第一に考えます。

ひょっとして抗議というのはPlein soleilさまに対する揶揄のことでしょうか。それはインフォームドコンセントを金科玉条のごとくにおっしゃっておるので、(もちろんその重要性は認識しておりますが、)実際にはインフォームドコンセントはまだまだ浸透していないんじゃないかということを言ったまで。

会話を噛み合わせるということが苦手なのか、そもそも「噛み合わせる」という概念をお持ちでないのか。

むなしくなりますね。

>fuka_fukaさま
文章読解の練習問題のようですねw。別スレNo.124の解説ならば、すんなり入って行けます。Plein soleilさんのコメントから「戦術上本音を抑えて、よい子に振舞っていたほうが良い」という意図も感じ取れましたが、そこまでしなきゃならんのか?とも思い触れませんでした。
しかし私はやはり引っかかりを感じます。

そのように世論の全面的なサポートが必要であるのに(別スレNo.109)
サポートが必要なのは誰なのか。これも「医師側が主張した場合」との条件内で「サポートが必要なのは医師」だと解釈するのは無理がありませんか?

サポートが必要なのは医師ではないのに「そんな態度じゃサポートできない/支障をきたす」と言われているような気がするんですが。

ところで

・医師自身が「刑事免責を!」と声高に主張するのは、世論形成のうえではむしろ逆効果である(元の文章ではそう読めないのですが)
・「刑事免責を!」という主張は(潜在的)患者側から出るのが望ましい/そう仕向けるべきである
これには大賛成、「医師が騒いでいるから仕方ない」という意識で免責になっても長持ちしません。現時点では沈黙するのもひとつの手かもと思います。

以下妄想
三ヶ月くらい、すべてのネット医師が沈黙したら、マスコミさんがどう反応するのか興味津々(無視かな?)

「匿名であるかどうか」あるいは「マスコミをうまく利用するか」という議論は全体の中では表面的なものに思えます。医療崩壊の原因は原価割れするくらいまで安く抑えられた医療費のためです。刑事訴訟であれ民事訴訟であれ、あるいはインフォームドコンセント(時間を多くとられてもほとんど診療報酬なし)にしても、その原価割れした医療行為に重く圧し掛かってきているのです。医療崩壊というより、医療制度崩壊(皆保険制度の崩壊と混合診療の解禁)は100兆円市場を求める財界、財務省、外資系保険会社の悲願でもあり、また年金破綻の落としどころ(要するに老人は早く死ね、それは医者が悪いといった感じ)でもあるのです。
少なからぬネット医師、医療系ブロガーは、一国民として、何とか医療崩壊させずに現行の医療制度を維持するための方法を模索して意見しているのです。
本業は勤務医であれ、開業医であれ、ネット活動と本業がリンクしていないのです(だから匿名)。勤務医ならフリーランス(ドロッポ)するか、開業医なら今後混合診療を如何に利用するかが本業の立場なのです。
残念なのは増えていく医療訴訟に対し、医師も弁護士も過剰に反応し、敵対ているということです。弁護士の側はむしろ訴訟戦術か?考えすぎ??

「産婦人科医不足は弁護士数が増えたためだった!」
http://legal-economic.blog.ocn.ne.jp/umemura/2008/03/post_5103.html
「法曹人口は毎年3000人ずつ増えるため、医療訴訟は3000億円の市場になる」
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/15985.html;jsessionid=29E9063FA8A01403539E34E9E2BB52F3

本音を言えば現行の医療費に訴訟費用と保険金(収入補償なども含め)を上乗せすれば全て解決する問題のような気もします。良い弁護士を依頼して、むしろ訴訟も楽しめるくらいの余裕も出るかもしれません。

 すみません。
 色々な方が議論に、入れ替わり立ち代わりしており、時系列が異なる話が交錯していたりする為に、話の筋が見え難くなっている気がしたので、投稿させて頂きます。

 今話題になっている元のエントリの「医療ブロガーに関する匿名実名問題」では、インフォームド・コンセントについては、No.38→No.57→No.60→No.65→No.66→No.68→No.74→(No.91)→No.94→No.95&No.97→No.104→No.109→No.117→No.124という流れの中で書かれています。

 そして、上記一連の投稿者の方自身はどなたも、「インフォームド・コンセントを、「しょせん裁判対策」(No.109)などとは主張していないのではないのでしょうか?
 少なくとも私には、一連の投稿者の方自身はどなたも、そのような主張していない、と思っていました。

 元ライダーさんは、No.68にて「インフォームドコンセント効率化(=削減by財務省)論者」であると表明されていますが、これはそもそも私のNo.38のコメントを受けたものだと思われます。
 そして、No.38は、インフォームド・コンセントのことは知っていても、「医師から過剰な説明があった」と感じた事を書いたものです。※後から念の為説明させて頂いた通り、「インフォームド・コンセントはいらない」という話をしていた訳ではありません。

 上記No.38とNo.68は、【インフォームド・コンセントという言葉が一般社会に広まった後(現在)】かつ【医師の間に萎縮医療を引き起こすような訴訟が発生して以降】の話をしています。

 一方、No.57では【インフォームド・コンセントという言葉が一般社会では広まる前(当時)】の話が紹介されています。
 【当時】、医師から「医者の判断に逆らうのか?気に入らなかったら退院して貰って結構。素人が生意気だ!」と暴言を吐かれた体験と、インフォームド・コンセントの重要性を社会に広めてくれたマスメディアには感謝しているというコメント等が書かれています。

 それに対して、No.60、No.65、No.66では下記1〜6が述べられています。

1.インフォームド・コンセントの重要性が社会に広まるのに、マスメディアも、重要な働きをしたことは否定しないが、それだけではない。

2.【当時】は、インフォームド・コンセントという言葉の情報源の殆どは、マスメディアからではなく、大学の講義、実習、先輩医師からの指導といったものが主であったように思う。
⇒つまり、医師が「インフォームド・コンセント」すなわち「説明と同意」「告知義務」「患者側の自己決定権」を意識するようになったのは、マスメディアからの外圧によるものとは言えないのではないか?

3.インフォームド・コンセントの起源はアメリカで、インフォームド・コンセントの欠如を主張する訴訟で医療側の敗訴が増えてきた社会の動向を受けるかたちで、アメリカで法制化された。

4.インフォームド・コンセントが生れたアメリカ社会の背景(上記3)に、「(医師の保身のための)裁判対策」があった為に、【インフォームド・コンセントという言葉がアメリカから日本に入って来た頃】は、日本の医師の間では「医師の保身よりも、患者の命を守る事のために、医師は労力を使うべきだ」という考えが主流だったと思うので、医師の保身という意味のインフォームドコンセントに対しては、悪い印象をもつ医師も結構いた

※「裁判対策」としてのインフォームドコンセントは、医師側から見れば「医師の保身」という意味となるだろうが、患者側から見れば「医療訴訟を起こす根拠(?)」ないしは「医師を訴え、争う為の武器」。

6.しかし、【アメリカからインフォームド・コンセントという言葉が入って来た頃】から【現在】にかけて、インフォームドコンセントには、医師と患者の双方にとって「裁判対策」のためだけではない「より積極的な意味」が生じてきた。
(具体的には、「医者と患者が協力関係をもって病気に向かい合う姿勢」や「患者側が、医学の進歩,病気の内容について関心を持って関わること」という意味が生じてきた)

そして・・・

7.【医師の間に萎縮医療を引き起こすような訴訟が発生して以降】は、「モンスター患者による裁判対策」として、No.38の体験談にあるような、インフォームド・コンセントの「より積極的な意味」(上記7より)を超える過剰な説明が医師からなされるという現象が生じて来た。

8.上記7を背景として、「インフォームドコンセント効率化(=削減by財務省)論」が財務省や医師から生じてきた。(No.68)

 大雑把には、上記の通りとなるだろうと思います。
 故に、No.68はインフォームド・コンセントを「しょせんは裁判対策」と考えるものでもなければ、インフォームド・コンセントの「より積極的な意味」を否定・削減しようと言う意見でもない、と思います。

 皆さんご承知かもしれませんが、念の為に投稿させて頂きました。
 長くなり、失礼致しましたm(_ _)m

>No.86 元ライダーさん

萎縮医療の方が、より本質的な問題というご説明、納得しました。
「ボールが手を離れた」との指摘もその通りと思います。
私の理解の不十分な点を補ってくださいまして、
ありがとうございます。

前述の通り、医学分野は不案内で、
みなさんにとってはとうに議論し尽くしたであろう問題を、
丁寧に解説していただき、恐縮しております。

>No.89 うらぶれ内科さん

大嫌いであろうマスコミの人間に
声だけでもかけてくださってありがとうございます。

私の趣旨は、ご理解とはちょっと違うのですが、
そう思われてしまうのは私の発言の問題だろうと思います。
お詫びします。

>No.90 fuka_fukaさん

私の書き込みで議論に巻き込んでしまったようで、
本当にすみません。
私の理解と言葉が足りない面があったのは事実でありまして、
それを補っていただいて、ありがとうございました。

私自身考えが不足していた部分があることは、
ここ2日間ほどで深く納得しました。
教えてくださったみなさんには心から感謝いたします。

これでも自分の仕事では、
その分野の第一人者の学者さん方と共同調査などをして、
成果が学会発表される程度の専門領域を持ってはいるのですが、
やはり十分な知識のない場では、
言葉全体をきちんと設計して語れないようです。

実名と匿名の件について書き込んだら、ROMに戻ります。
やりとりで得たことの生かし方は、
頭を冷やして考えてみたいと思っております。

PS 元ライダーさん

三ヶ月くらい、すべてのネット医師が沈黙したら、マスコミさんがどう反応するのか興味津々(無視かな?)

無視するというより、そもそも
医師ブログを読んでいるのはごく一部と思います。
ネットのウォッチよりも、
「生身」の取材対象にいかに食い込むかという点に、
大半の記者は精力をつぎ込んでいますので。

そのこと自体は悪いことではありません。
そもそも取材というのは「生身」相手が基本です。
医療関連の問題に関していえば、
「厚労省」「医師会または著名な医学者」「患者団体」
あたりが日常的に主要な接触対象で、
その時々の取材の方向性によって、
救急医療の現場とか、検察・警察などが、
加わることになるでしょう。

ただ今回の件に関しては、
そこに盲点があるかもしれません。

ネットだと、お医者さんだけでなく
関心を持つ一般の人の意見も読み取ることができる
(たとえば刑事免責についていえば、
それを主張するのは医師だけではないことが実際に確認できる)
わけですが、日常の取材の範囲には、
そういう人々が含まれにくいのです。
つまり「一般人の視点」に、広がりが乏しい。
これは、この件については決定的な部分かもしれません。
私自身の理解の浅さも、その辺にあったように思えます。

ともあれ、

弁護士が増える

訴訟が増える

保険料が上がる

でも医師の給料は増えない

リスクの大きい医師のなり手がさらにいなくなる

世の中から臨床医が消える

なんて図式になったら怖いですね。
これにマスコミの医療批判が加わったら相当崩壊は進みそうです。
それにしても最近の毎日新聞の記事はひどすぎる、というより、勉強不足、無知、理解不足の三拍子がそろっている。他紙は批判しながら少しずつではあるけど勉強し始めている。テレビでひどいのはフジ、NHK、TBS。以前は新聞、テレビともに朝日がその代表だったのだが・・・。

No.90 fuka_fukaさん
最後は捨て台詞ですか。
No.91 元ライダー(開医)さん
 練習問題は当然0点ですね。のりきのないテストは漫画を描いて出したことがありました。
No.94 Plein soleilさん
 マスコミは嫌いですが、マスコミという言葉で十羽一からげにするほど馬鹿ではありません。

マスコミにおいて懸念されるのは、医療崩壊の暁にはその責任を医師に押し付け、医師を悪者にすることです。昨夜のニュースステーションでも古館アナウンサーが何か声を荒げて医師会がどうたらこうたらさけんでいたようです。せめて揚げ足取られないように今後の発言は自重いたします。

十杷一からげでしたっけ。

まあ、古館は馬鹿ですから。意見もほとんど感情論。隣のコメンテーター(加藤さんでしたっけ?佐藤さんでしたっけ?忘れた)が古舘のコメントにあきれているのが良く解る。少なくとも大学関係者(医学部に限らず)からは信用もされていないし、ただのオウム返し(のようにただ批判するだけ)という認識が一般的です。叫ぶことは得意でも考えることは苦手?

問題は、それを鵜呑みにする学のない方々(これは職業差別しているわけではありませんが、事実、そういう方がこういう話にだまされやすいのです)が増えてくることが心配です。

事実のみを抜き出し、自分で考え、自分の意見を言うということができなくなったとき、堕落が始まると思います。

全く頓珍漢なことを言うかもしれませんが、

インフォームド・コンセント・・この意味自体、最近知ったばかりでして。
かなり時代に乗り遅れているような大馬鹿者なのですが、私自身持病もあり定期的に医療のお世話にもなり、身内が手術した時も、「ああ、あの時の医師からの説明や同意書にサインした時の一連の流れの事なんだ」と思い出されます。(この時、不覚にも説明していただいている言葉が時々意味不明で、理解するのにかなりの時間を費やして戴いたので、今思い出しても恐縮するばかりです。)
しかし、私のような無知者から眺めてみますと、インフォームド・コンセントの理解には限界がかなりの多数者にあると思います。
しかも説明を受けたが為の危険性も内包してしまうのではないでしょうか(全く説明しないことも問題ではあると思いますが)?そこら辺は問題が発生しないように医療現場の方々も細心の注意を払いながら説明しているとは思いますが・・。

少ないお頭を使ってここ2〜3日、大野病院の件とかいろいろ考えてみましたが、医療関係者(特に医師の方の)の刑事責任というものは、なるべく追求しない方がいいのではないのか、その方がもっと医療技術の発展に繋がって行く事になるんじゃないのかな〜という所に行き着きます。
しかしだからといって悪意による医療事件の抑止力は、じゃあどうしたらいいんだろうと、片やこのような心配も残ってしまいます。
だからこそ、皆さんがいろいろ議論されているとは思いますが・・・。

確かに、もうボールは手から離れた、と思います。
医療崩壊を座して眺めているよりは、より良い医療の享受を戴く為には、マスコミ・医療関係者にまかせっきりではなく、末端の私たち一人一人がもっと真剣に医療現場・マスコミの力を認識した上で真剣に考えて行かなければならないのでしょう。
医療崩壊の認識をだんだん多くの人たちが共有すれば良き方向への潮流を作れるのか、医療崩壊を食い止められる政治家をより多く国会へ送り込めばいいのか?
もういくら考えてもすべては絵空事になり、医療崩壊を受け止め、医療格差が出る世界で生きる覚悟をこれから受け止めるしかないのか。
いや現実、今でも資金力があればかなりの熟練高度技術をお持ちのハイレベル医療を受けられることもあると聞いたことがあります。
時代の流れはそちらの方へすでに向かっているような気がします。

> O様
ご心配しなくても、医師の99%以上は悪意あるものについては容赦なく批判の目で見るでしょう。
例えば、故意の殺人はもちろん、リピーターによる医療事故などです。不注意による事故はマンパワーの問題もあるので全てを過失犯として刑事処理することには私は反対です。

正直言って日本の医療は世界トップレベルです。これを最低の医療と言っている日本国民に、では医療とは神の領域のレベルのものなのですかと問いたいのが正直なところです。

医療の限界というものがあります。つまり、合併症などに起因する医療事故は今後も防ぐことはできません。たとえ医師を増やしてもです。出血多量などは我々の理解では過失ではなく、合併症の範疇です。
逆にいわゆる過失によるものでも、例えば左右取り違え、患者取り違え、投薬量ミスは単純にマンパワーの問題であり、医療従事者を増やせば理論的にはなくなります(但し、正確に言うとミスというものは人間である以上完全にゼロにはできませんが、ゼロに近づける努力は必要です)。これらはシステムの問題であり、人間はミスをする動物であると言うことを前提にシステム化しないと問題は収束しません。しかし、多くの日本人は精神論で物事を片付け、刑事罰を与えようとします。世界的にはこんな時代錯誤的なことをやっているのは先進国では日本くらいです。

残念ながらこれらを理解すべき司法、政治、官僚、マスコミの世界でも合併症とこれらのいわゆる過失を両者とも「医療ミス」として報道しています。つまり、ミスというのは「過誤」ではなく、合併症も含むのです。これは当然日本語としておかしいので、多くの国民は「合併症」ではなく「過誤」としてとらえます。そもそもの誤解の原因の一つは個々にあると思います。

一部誤解を含むと思われる部分がありましたので訂正します。

残念ながらこれらを理解すべき司法、政治、官僚、マスコミの世界でも、一部が合併症とこれらのいわゆる過失を両者とも「医療ミス」としてとらえています。

に変えます。もちろん、ここの住人の法曹の方々は多くは医療の限界を理解しています。
そして医師でも理解していない者がいるのは確かなのです。その多くは自信過剰な医師か、臨床から遠ざかっているペーパードクター、官僚などです。

No.99 Oさん |
>インフォームド・コンセントの理解には限界がかなりの多数者にあると思います。

専門知識のない人に説明することがいかに至難であるかは皆さんよく知っていると思います。このブログでも法律の専門家が分かりやすく説明してもどうも理解してもらえないことが多々あるのとおなじです。だから本来はかなり時間を割いて家庭教師のごとくつききりで一語一句説明しなければ医療は理解できないことなんだろうと思いますよ。医者に十分な時間があればこその話ですが。そしてよく分からないまま最後にハンコウを求められ、自己責任にさせられるという意味で危険を内包させられるというのもよく分かります。正に最後は裁判対策ですね。(そして患者さんに試験をして合格点を取れなければその後の医療行為をしないというのが、かのいのげ先生の冗談の傑作でしたけどね。)
このインフォームドコンセント、業界用語で言うところのムンテラとういのは、実はこれがどれだけちゃんとできるかで医者の技量が分かります。だから遠慮せず納得いくまで説明を求めたほうがいい。元来医者というのは人に教えることが好きな人種ですよ。なに言ってんだかよく分からず、しつこく聞くと怒り出すような医者、あるいはセカンドオピニオンの話を持ち出したら不機嫌になるような医者はさっさと見切りをつけたほうがよいと思います。自分の医療に自信があればそんなことはないはずです。最も最近は、特に産科では変えたくても医者がいませんがね。

No.100 yama様
わざわざレスいただき、ありがとうございます。

>例えば左右取り違え、患者取り違え、投薬量ミスは単純にマンパワーの問題であり、医療従事者を増やせば理論的にはなくなります

マンパワーによるミスに対して、何から何までとにかく「医療過誤」だとして、厳しく追及して行くことには「そこまで追求しなくてもいいのに」と思うのですが、単純ミスに対してはある程度の緊張感が必要ではないのかな?と感じるところもあります。
例えが適切でないかもしれませんが、交通事故の反則金、減点制度などのレベルのような制度を設けられないものかと・・。

>>医療関係者(特に医師の方の)

とカッコ書きしたところの私の意図は、医師に限っては、特に手術や診察に対するミス(実際、ミスとは呼びたくありませんが)については責任ゼロでいいんではないかと思っています。どんな先生方もほぼ100%直そうというお気持ちで、診察・手術等に携わっていただいていると思いますので。
あまり法律に詳しくない私が言うのもなんですが、医師に対する評価で「期待権」というのを持ち込むのには、非常に無理があるんじゃないかと思います。(何処かのスレでありましたが、あれは医療関係ではなかったかな〜?書いててちょっと不安になってきました)
確かに、患者側からしてみれば、「当然直してくれるんだろう」という思いはありますが、診察を受けた以上、それ以降はもう神のみぞ知る、で、どんな結果になろうと素直に受け入れるしかないと思っています。(実際、自分の身内も担当医の判断違いで、適切な処置がなされないまま亡くなってしまいましたが、その医師を責める気持ちは起こりませんでした)
医師の方々には失礼ですが、経験・知識・技量の差というのはあると思いますので、当然同じ病に対しても結果が異なる場合があると思いますので、患者側の運・不運は個人レベルではしっかりと受け止めるべきではなかろうかと思います。

稚拙で、しかも生意気なことを述べてしまったかもしれません、失礼致しました。

No.102 うらぶれ内科様
わざわざレスいただき、ありがとうございます。
yama様への返信を一生懸命書いてましたら、その間にレスをいただいておりました。

>元来医者というのは人に教えることが好きな人種ですよ。

そうだったんですか、私は逆に億劫に感じているんじゃないのかな?と勝手に思い込んでいたところがあります。

>そしてよく分からないまま最後にハンコウを求められ、自己責任にさせられるという意味で危険を内包させられるというのもよく分かります。

あっ、そのようにも受け止められますよね、私は逆の立場での危険性の内包と言った意味で申し上げたのですが、
【医師側が十分説明できたと思っていた(患者の受け答えを見ても)】のに、患者の一方的な誤解釈により結果が悪かったとき、あ〜だこ〜だと難癖を付けることが有り得るような気がしました。ですから素人がインフォームドコンセントを逆手に取るようなことが有りはしないかなという危惧を感じたのです。(こうなるとモンスターに近いとは思いますが)
ですからインフォームドコンセントは信頼関係の構築が目指すところではあると思いますが、裁判対策としての位置づけであることもしょうがないことだと思います。

>患者の一方的な誤解釈により結果が悪かったとき、あ〜だこ〜だと難癖を付けることが有り得るような気がしました。

そりゃよくあることですね。だからいのげ先生の(冗談の)ように試験をして答案を証拠としてとっておくというのが一番の対策かな。

通りすがりの者です。ロムをさせて頂きました。
皆様の熱くそしてクールなご議論を読ませて頂いて、大変勉強になりました。
有り難うございました。
医療崩壊はまさに現在進行中なのですね。そして論点はむしろ崩壊を止めることではなく、どうのような形で軟着陸させるかに移ってきているのだと感じました。

一般人(医療素人かつ法曹関係者でもマスコミでもなし)として自分に出来ることとしては、
一、医療の不確実性を理解すること
二、自らの健康に責任をもって自己管理を心がけること
三、民間の医療保険に入ること
が重要なんだろうなあ感じています。ただし、三の医療保険は、既に持病を持っている人は本当に困るでしょうね。最近の特定検診義務化によって異常を指摘されて告知の段階で門前払いを受ける人が増加するなんてことはないのでしょうか
…なんて勘ぐっております。

ところで、こちらでは「医療が崩壊したら困るのは患者であって、医師は困らない」という文をよくお見受けしますが、それは都会在住のハイレベルな技術を持つ若い先生方のことなのでしょうか?(抽象的な書き方ですみません。)
というのは、家人は地方在住の50歳そこそこの勤務医ですが、将来の自分の働き場所についてはどちらかというと悲観的です。「5年後は養ってくれ」と言っている
ありさまです…。

以上、とりとめもないことを書いてしまいまして、失礼致しました。

>「医療が崩壊したら困るのは患者であって、医師は困らない」という文

 このような文については、「医師は、いろんな意味で、今がドン底だ。だから、今より悪くなりようは無い」から「困らない」と表現しているのかな?…と思っておりました。

 久しぶりに会った高校時代の友人(医師になった)は、医師を選んだことを後悔していると言っていました。そして、40歳位になったら辞めたいと。
 詳しいことは聞いてはいませんが、当時、友人は「人の命を救いたい」と言って、確固とした意志を持って医大受験に取り組んでいた事を思い出し、ちょっと言いようのない複雑な思いが致しました。

 なお、小会議室(3号)No.8の「スタートには思うところはあるでしょうが私自身は医者で食っていけないという話は聞いたことが無いです。」というお話が出た事もありましたが、その後、特に医師の方達からはコメントはなかったようです。
この点に関して、上述の友人は「もうからない」とも言っていました。
具体的な計算や分析は出来ませんが、医師になるまでの投資と、労働環境等も考え合せれば「割に合わない」という所なのかもしれません(?)。

* * *
 上記駄文で、すみません。
 この機会にNo.93の下記部分を訂正させて頂きたく思っております。
 (そのためもあって、上述の個人的な感想を投稿させて頂いておりました。ご容赦を。)

No.93にて
>インフォームド・コンセントの起源はアメリカで、
と書いたのは誤りでした。申し訳ありません。

「医療事故の法律相談 補訂版」(学陽書房)によれば(参考にすると)、インフォームド・コンセント(IC)の考えは、WW驚罎離淵船好疋ぅ弔凌預亮存海悗糧疹覆ら被験者の同意を前提としての説明義務が提唱されたこと(1947年「医学的実験研究におけるニュールンベルグ綱領」)に端を発しているとの事です。そして世界ヘルシンキ宣言で、人体実験(臨床実験)にあたり被験者への十分な説明と自由な意思に基づく同意が不可欠との考え(IC)が示されたとの事です。

その後はNo.93に記述した通りアメリカ社会の動向を受ける形で、「患者の権利章典」が盛り込まれ(1973年全米病院協会)、これを土台に1981年第34回世界医師会総会で「患者の権利に関するリスボン宣言」に「患者は十分な説明を受けた後に治療を受け入れるか、または拒否する権利を有する」と明記され、患者の権利はさらに具体化・拡大化されたとの事です。

…エントリ汚しとなりまして、失礼いたしましたm(_ _)m

P R

ブログタイムズ

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