エントリ

 まず、前提として犯罪とは何かを簡単に説明します。
 犯罪とは、「構成要件」に該当し、「違法」かつ「有責」な行為と定義されています。
 構成要件とは刑罰法規のことです。殺人罪、傷害罪、業務上過失致死傷罪などを規定している罰条です。
 ある行為が犯罪と言えるかどうかは、まずその行為がいずれかの構成要件に当てはまるかどうかを検討する必要があります。
 そして、この判断は、問題となる行為が条文の定め(文言)に当てはまるかどうかという観点からの判断ですから、原則として形式的な判断になります。
 次に、ある行為が形式的に構成要件に該当するとしても、実質的に違法なものかどうかを判断することになります。
 もっとも、構成要件というのは、違法行為のカタログ(類型)ですから、構成要件に該当すれば原則として違法になるはずです。したがって、多くの事件では構成要件に該当する以上、違法性を阻却する事由(違法性をなくさせる事情)がない限り、違法として扱われます。違法性を阻却する事由の典型例は正当防衛です。つまり、構成要件に該当するが違法性がない場合というのは例外なのです。
 そして、ある行為が構成要件に該当し、かつ違法ということになりますと、次に有責かどうかが問題になりますが、ここでの典型的問題は責任能力です。責任能力もあるのが原則ですから、例外的に心神喪失としてないかどうかが問題になります。ただし、医療行為の刑事免責との関係では問題になりませんので、有責性の問題についてはここではこれ以上触れません。

 私は、構成要件に該当するが違法性がない場合というのは例外だと言いました。
 しかし、医療行為に限定した場合、例外と原則が逆転します。
 その前に医療行為の構成要件該当性を考えてみますが、外科手術は人の身体にメスを入れるわけですからすべて傷害罪の構成要件に該当します。形式的判断をすればそうなります。注射もそうです。薬の処方も副作用があることを考えれば傷害罪に該当します。
 つまり、医療行為は原則として犯罪の構成要件に該当すると言ってよいものです。
 しかし、医師が医療行為をしたからといって逮捕されたり起訴されて有罪になったりするわけではありません。
 それは、医師の治療行為は、それが構成要件に該当するとしても正当業務行為として違法性が阻却されると説明されるからです。
 そして、医師の治療行為は原則として正当業務行為と認められますから、結局、医師の(構成要件に該当する)治療行為は原則として違法性がない、つまり犯罪にならない、とされることになります。
 これは、通常の意味とは違いますが、すでに医師には刑事免責が適用されていると言うことも不可能ではありません。しかし、議論が混乱しますので、これを刑事免責とは言わないことにします。

 以上のように、医師の治療行為は原則として正当業務行為と認められるわけですが、そのためには、その治療行為が「医療行為として妥当なものである限り」という条件がついています。
 つまり、その治療行為が医療行為として妥当なものでなければその行為は構成要件に該当しかつ違法だということになります。
 わざと妥当性のない医療行為を行って患者を死傷させた場合は、故意犯として傷害罪か殺人罪になり得ます。
 誤って妥当性のない医療行為を行って患者を死傷させた場合は、過失犯として業務上過失致死傷罪になり得ます。

 結局、過失犯を処罰する日本の刑法においては、医師の治療行為も犯罪となり得るのですが、医師の治療行為については、医療行為としての妥当性というのがキーワードにして犯罪の成否が検討されることになります。(「妥当性」以外の用語のほうが適切であるというご意見もあるかと思いますが、ここでは「妥当性」という表現を使います。)

 しかし、この「医療行為としての妥当性」というものが曲者なわけです。
 妥当性があるかないかの判断が難しい、または難しい場合が多い、というのは医療側の一般的意見としてあるのです。
 典型的な場合をあげれば、もともと死にそうな人に対して医療行為を行った場合に、その医療行為が妥当なものであったかななかったかは、患者が死んだという結果だけからは判断できない高度に専門的な判断になります。
 実は、妥当性があるかないかの判断が難しいというのは何も医療側の専売特許ではなく、私の認識では司法側も医療側と程度の差はあるかも知れませんが、司法側もそう思っていたのです。
 検察も妥当性がないことが明らかと思える事案またはそもそも妥当性以前の明白な過失がある場合限って起訴していたはずなのです。
 ところが、青戸病院事件で検察の起訴判断に疑問を投げかける意見が散見され(この件では医療側の大勢も起訴を不当とは見ていないと思いますが)、割り箸事件では検察の起訴判断に対する批判の声が大きくなり(地裁では無罪になっています)、大野病院事件において検察批判は決定的な検察不信にまで高まってしまいました。
 また、近時のいくつかの医療過誤民事訴訟の裁判例によって裁判所不信も生じていることも窺われます。

 医療側からの刑事免責の主張は、このような流れで出てきていることを理解すべきだろうと思います。
 つまり、医療側からの刑事免責の主張の背景には、主として検察の医療行為の妥当性判断に対する不信があるわけです。
 これは誰が見ても医師または看護師の過失だ、というような事例に対して刑事免責を主張しているわけではないのです。

 私の考えとしては、現時点で医師に対する刑事免責を認めることは、免責の適用場面を限定したとしても(限定範囲の基準の策定が法技術的に難しそうです。)困難だろうと考えています。
 しかし、検察の妥当性判断に対して医療事故の一方当事者である医療側から深刻な不信感が示されているというのはゆゆしき問題です。
 これは、医療事故領域における刑事司法が機能不全に陥ることを意味します。
 医療事故は、医療側と患者側の紛争であるわけですから、医療側からも患者側からも受け入れ可能な紛争解決制度が必要です。
 受け入れ可能と言えるための最低限度の条件は、裁定者が双方の言い分を公平に聞いてくれるという信頼感の存在であろうと思います。
 刑事司法における検察官は、その客観義務の存在によって、裁定者側の重要な役割を担っています。
 その検察が、大野病院事件によって医療側の信頼感を失ったわけです。
 その意味で、医療側から主張されている刑事免責は、医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除と理解することもできます。

 司法側の人間である私から見ますと、それは過剰反応であり、論理の飛躍と感じられるところもありますが、刑事という主張が出てくる背景事情は理解することができます。
 論理の飛躍と感じられるという意味は、一足飛びに刑事免責に行かずとも、検察の判断の信頼を回復する方策はいろいろあるだろうという意味です。

 このように、医療側から刑事免責という主張が出てきた経緯を認識した上で議論しないと建設的な議論に繋がっていかないと思うのですが、経緯を全く無視して単に医療側からの特権主張であるかのような主張が一部の(私の知る限り一人ですが)弁護士から繰り返し主張されているのは議論のミスリードになる恐れを感じて気になるところです。

 小倉秀夫弁護士は、ご自身のブログの「医療崩壊を防ぐため、どの型の血液を輸血するか勘に頼ってもよいということにすべきか。」で、患者の血液型を確認せずに輸血した事故を指摘して、それをもって「『医療事故の不確実性』ということになるのでしょうか。」と言ってみたり(誰もこんなことを医療の不確実性とは言っていません。)、医師がそのような明らかな過失にまで刑事免責を求めているような印象操作を行っていますが(「過ちは繰り返される、表示は無視される。」も同様の主張)、先に述べて議論の流れから考えますと、小倉弁護士が指摘している医療事故は、医療側が主張している刑事免責の当否(代替方策を含む)を議論する場面としては不適切であることが明らかです。
 刑事免責を主張する医療側の論者も、小倉弁護士の指摘した事案についても刑事免責を主張するかどうかは必ずしも明確ではありません。たぶん、しないでしょう。

 ところが、私以外から同様の批判を受けた小倉弁護士は、「NATROMさんからみた藁人形って何?」において、いくつか医療系ブログにおける医師の発言を紹介した上、それらのブロガーが、「全ての医療ミスを免責せよ」

 と主張しているように思われます。
 と主張しているものと受け取るのが普通です。
 と主張しているように読めます。

 と言っておられるわけですが、その根拠は、医療系ブロガーがいずれも刑事免責を適用すべき範囲を限定していない、又は刑事免責を適用すべき医療事故の原因を特定していない、というもので、論者の真意を確かめないで決め付けるのであれば、揚げ足取りとしか言えない主張です。
 多くの人は、例外事例まで念頭において書き方をする訓練が必ずしもできていませんし、議論の流れからどのような場合を念頭においた意見かを読み手が読み取るべき場合というのは普通にあります。
 それを形式論理を用いて自分に都合がいいようにだけ解釈するというのは、単に攻撃または批判のための主張であって、建設的でもなければ相互理解に役立つこともないでしょう。

 小倉弁護士が引用したブログはいずれもコメント欄を公開しているようですから(承認制かどうかが未確認ですが、小倉弁護士のブログと異なって複数のコメントが掲載されています)、直接確認されたらいかがかと思います。
 確認もせずに決め付けて批判するというのであれば、「私(小倉弁護士)が脳内で作り上げたに過ぎないもののように言われ」たとしても仕方がないように思います。

 もし、医療系論者が、小倉弁護士があげられた明々白々な過失事例についても刑事免責を主張するというのであれば、私はその論者の基本的なスタンスを批判することになりますが、さて論者の真意はどうなんでしょう?


追記
 続編のエントリを立てました。
 医療側は刑事免責の主張にこだわるべきか

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小倉弁護士は、「すべての医療ミスを免責せよ」と医療者が主張していると思っているらしい。しかし、たとえば、以下のような医療ミスを免責せよと主張する医療者が... 続きを読む

コメント(201)

 基本的にモトケンさんの考えに同意いたします。
 ただ、ある程度医者の皆さんの主張を見た人ならばともかく、そうでない人に対してはやはり誤解を招く表現であることも事実です。具体的にどういうものを求めるのかがはっきりしないままの主張も多いですから。個人のブロガーにそれを求めるのは酷かもしれませんが、少なくとも全医連あたりはそこらへんをより明確にして欲しいと思っています。

最も端的なところから始めますと,ひとつは「よきサマリア人の法」というところになるでしょうか.
緊急事態の際の処置に関しては,その責を負わない.ここでは刑事,民事を問わず考えています.

昨今,交通事故などの処置でうまく救命できなかったり後遺症が残ったりしたことに対して,医療が不適切だったと訴えられたりして医療側が敗訴したりしていますが,こんなものはそもそも論外な主張であり訴えそのものを却下すべきものでしょう.助かったらラッキーであって,「助かって当たり前」ではないのです.
奈良の心タンポナーデ訴訟や,加古川の心筋梗塞訴訟などもこれらの部類に入れるべきものと思っています.

ご批判があるかもしれませんが,救急医療を存続させるには刑事,民事を問わず「よきサマリア人の法」を成立させるべきです.
先日も飛行機の中で医師が探される場面に遭遇しましたが,名乗りませんでした.「よきサマリア人の法」がない日本では出て行ってはいけないのです.自分の身を守るのに「背に腹は代えられない」のです.

通常の医療における「刑事」免責に関しては今回は触れませんでした.

>医療側から主張されている刑事免責は、医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除と理解することもできます。

 医療系の方たちにおかれては、当然、こういう意味で刑事免責を主張しているものと、個人的に理解しています。
 しかし、医療系の方たちは、いちいちこの辺の定義づけを明確にして発言をしているわけではないので、実際のところどう思っているのか、ちょっと不明瞭なところがあるのも事実ですね。 
 「訴訟リスクがある限り、まともな医療はできない」と言っているかのような印象を受ける発言もありますし、このあたり、医療系の方たちの間でも定義づけに幅があるように思えます。

 ところで、そもそも「医療行為としての妥当性が問題になる程度に専門的な領域における検察の排除」が必要になるような訴訟リスク(要するに「大野病院事件」のようなケース)は、実際どれくらいあるんでしょうか。
 日常的な医療活動の正常な遂行を妨げるくらい頻発してるんでしょうか。
 それとも、直接自分の身の回りに起こったことでない、たった一件の事例(「大野病院事件」)であっても医師を萎縮させ、刑事免責を主張させるだけのインパクトがあったということでしょうか。

 司法側だけど医療側という微妙な立場にいる私にとって、司法側と医療側とが、モトケン先生のこのブログで議論及び情報交換を通じて、相互誤解から相互理解へと願ってやまない人間です。
 本日も大野病院事件について、現職のお医者様に診療室で冗談交じりになじられました(信頼を得ていればの冗談交じりでしたが)。「逮捕まですることはなかったろうに。医学生の娘さんが将来同じ術式で逮捕されたらあんたも怒るだろう?」と(汗。
 その誤解や不信を解こう努力されているモトケン先生や日本医師会の顧問弁護士先生の努力を身近に感じる私としては、その逆に対立を煽る、それも下記のような印象操作を駆使して煽りたてる唯一の弁護士には怒りを覚えます。
            記
>不条理な脅しには屈してはいけない(la_causette)
> さらには、医療とは離れた犯罪ないし不法行為に関する民事または刑事上の責任の免除を医師たちが求めてきた場合にも、その要求に屈しなければいけなくなるかもしれません。
>「医師というのはストレスがたまるのだから、女性患者に対するいたずらくらい容認されなければ、到底やっていかれない。医師の大量逃散を防ぐためには、文字通り医師に包括的な免責特権を与えよ」と脅されたとき、一度その種の脅しに屈した社会はずるずると脅しに屈し続けることになるかもしれません。

元検弁護士のご意見に賛同します。

非医療者側から見て、堅持免責の範囲を別にして、
それがどの範囲であれ、刑事免責もしくはそれに近いものを
求めている医師が本当にどの程度いるのか見えてきません。

日本医師会はじめ、都道府県医師会、各学会はインターネット医師が叫ぶような刑事免責まで求めているわけではない。
それは幹部だけだ、という意見もあるが、正確な実情は
世間には見えない。

勤務医の集まりである全国医師連盟もわずか700人程度。
この700人はインターネット医師とダブっている可能性大。
つまり残りの10万以上の勤務医は、インターネットで声を
荒げることもなければ、全国医師連盟をサポートし、
活動会費すら納める気がない、つまり応援する気がない。
いろんな学会に納める金があるなら、たとえどこの馬の骨か
わからなくても、同じ勤務医なら応援して当たり前では
ないですか?
応援しないのは、世間に恥を晒してまで、刑事免責などの
同情を求めるな、という医師の崇高な意思表示ではないでしょうか?
全国医師連盟の会員がせめて数万名いるなら、皆が真剣に
刑事免責を求めているんだ、と感じますが、ごくごく1000名程度のリスクを抱え込めない連中がお叫びを上げているとしか
思えません。
それでも、インターネットでしか気をはけない、気弱な彼らを見ると、何とか庇ってあげたい、
そういう気持ちにもなります。
本来は夕張の村上医師のごとく、顔を見せ、患者市民をしかりつけるくらいの医師がどんどん出ないとだめでしょう。

それでも私は刑事免責賛成です。

まず、医療側で自ら患者(もしくは悲しいが遺族)のクレーム
を受け付ける自治機関を設けてはどうでしょうか?

その機関は、

a,明らかに医療ミス(過失)がある場合は、補償などの仲裁
  を行う。(謝罪も含めて)
b,専門の委員会で検討したが、ミスとはいえない場合。
  訴え出た方に、説明を行う。

 当然、納得いかない人は告訴する可能性は残ります。


「身内の庇い合い」と言われない様な構成が必要だとは思い
ますが、機能すれば刑事告訴は減るかも知れないと思います。

「免責」という高いハードルを飛ぶ前に、刑事告訴されない
仕組み作りという観点から考えて見ましたが、また2年前の
レベルと言われそうかな.....

  

全国医師連盟に参加している医師です。

まず、確認したいことは、ほとんどの医師が訴える刑事免責は、業務上過失致死罪部分のみで、故意の犯罪や、公文書偽造に関しても免責を求めている医師はほとんどいません。

全医連の黒川代表は、講演やインタビューで、医師に限らず救命活動にかかわる職種への、業務上過失致死罪の免責ないしは、適応を厳格にすることを求めております。(また、その際の被害者への無過失保障をセットに考えています)

しかし、このことに関しても、救命活動の範囲が明確でないなど、実際の現場での事故に当てはめるのは容易ではありません。

以前fuka-fukaさまがかかれたように、法律に関し意識の低い医師が闇雲に刑事免責を求める主張をしていても、その実は、業務上過失に限った免責を求めていることが多いのですが、そのこと自体が、法曹関係者にいい影響を与えていないこともわかってきました。

全国医師連盟では、医療と刑事司法に関する提言を作成できるよう準備を進めておりますので、今しばらくお待ちください。

尚、「良きサマリア人法」に関しては、基本的に医療施設外での行為に関する法であり、医療機関内での事故は対象に含まれないので、そのことを留意するようにとYUNYUN先生から伺っています。

田舎の消化器外科先生,

>尚、「良きサマリア人法」に関しては、基本的に医療施設外での行為に関する法であり、医療機関内での事故は対象に含まれないので、そのことを留意するようにとYUNYUN先生から伺っています。

ご指摘ありがとうございました.「良きサマリア人法」と言わずに,「救急における免責を求める」と言わせて頂きます.
みなさんが納得されるかどうか解りませんが,先に挙げたような例で,医療側が提訴されあまつさえ敗訴するなど,どう考えても問題です.交通事故の事例では責務を負うべきは加害者であり,自損(or本人が招いた)なら自己責任と言うべきものでしょう.

私自身の経験や周辺の直接知っている医師に聞いた範囲からみても、医療にミスはつきものなわけです。たとえば救急の現場での気管挿管を例にとれば、食道に挿管した例などはいくらでもあります。すぐに気付かなかった話や何度やり直しても気管に入らかった話だって身近でいくつもあります。

救急の現場では、あわただしい救急外来で心臓マッサージや人工呼吸など各種の処置と並行して気管挿管を行わなければなりません。手術室のように患者さんの状態を手術に最適な状態に持っていってはいないのです。正直言って、「ミスをするのは当たり前」くらいの状況です。

実際に数を調べたわけではありませんが、救急の現場できちんと挿管ができずに救命できなかった話はけっこうあります。大半のケースでは遺族の方が納得されるので問題になっていないだけです。

現場の医師はこうした実情を知っていますから、現在の司法の状況に危機感を持っているわけです。救急の現場で挿管に失敗して患者さんを死なせたら民事だけではなく刑事でも罪に問われるのはほぼ確実です。「遺族に納得していただいたからいいけど、納得せずに告訴されて裁判になったら自分は犯罪者だ」ということです。


こうした現状を踏まえると、医療紛争が起きた時には、ある医療行為が民事的に損害賠償をしなければならない程度の違法性があるのか、さらには刑事的責任を負わなければならない程度に違法性があるのか、といった議論をきちんと行っていく必要があります。

残念なことに、裁判ではある一方の主張に沿った鑑定意見を出す専門家がいくらでもいます。一例を挙げれば、刑事事件での精神鑑定において責任能力の有無についての判断が分かれることは日常茶飯事です。ある特定の「専門家」や「医師」の意見に頼るのは非常に危険なのです。


医療紛争において刑事免責が必要なのかどうかは非常に難しい問題です。紛争がおきた時に、関連する資料がきちんと公開されて検討できる体制が作られるのであれば、必ずしも免責は必要ないようにも思えます。多くの専門家が検討した結果として「これはやっぱり刑事責任を問わなければ駄目だろう」と判断されるような水準のラインはあるはずです。

関連する資料が公開された上で、医療紛争に関する判例が積み重なっていけば、「刑事責任が問われるライン」「民事責任が問われるライン」という社会的な合意ができていくのではないかと私は考えています。

でも、現在の医療紛争においてはそういう検討はできません。カルテは患者さんのものとされ、遺族の承諾なしには公開することはできません。奈良の事件でわかるように公開すること自体が犯罪とされます。患者さんの側はカルテの都合のいい部分だけをマスコミ等に公開して病院側を批判できるのに対し、病院側は具体的な資料の公開が一切できず、見当違いの批判に対しても反論するのが非常に困難になっています。こうした状況では「具体的な資料に基づいて多くの専門家が刑事責任や民事責任を問うべきか検討する」ことなどできるはずがありません。

私は、こうした現状の下では、医療の側に刑事免責を認めるのもやむを得ないかな、と考えています。

トピックずれかもしれませんが。

実のところ,求められている「刑事免責」とは,
医療行為に対する正当な評価を要求する,
ということだろうと思います。
その弁護士先生がおっしゃっていることは,食事中であれば噴飯ものであり,そうでなければ単なる爆笑ものです。

医療行為であるから「刑事免責」がありうるという議論ではなく,医療行為という特殊な現場(要するに,人が死ぬ可能性が常にある上,緊急的な現場)で,それを「過失」と捉えうるか,という,交通事故等でもよくある議論だろうと思います。

検察は,その「過失」の評価を誤ったんだろうと思います。簡単に言うと,「過失」というあいまいな概念に対し,バランス感覚を失ったということです。例の長銀事件と同じです。

本当は,検察が,処罰すべきでないものを処罰しないという「刑事免責」(=「過失と認定しない」)を担うことができたわけで,きっとそれがこれまでは許されてきたわけです。

ただ,「刑事免責」というふうに決めてもらわないと,今の検察のバランス感覚があるかないか分からない状況のもとでは,医療行為がなしえない,萎縮する,というのであれば,ちゃんと制度化すべきだろうとは思います。線引きがとてつもなく難しいですけど。

しかし,考慮したいのは,検察がバランス感覚を失った理由は? というところです。
能力が低くなったとかその程度のことでは,きっとありません。やむをえない背景があった,と想像します。そのような背景があったからといって許されるわけではないとしても,その背景を想像することは重要だと思います。
「刑事免責」に最も怒りを覚えるのは誰だろうかという問いとつながるはずです。

No.7 田舎の消化器外科医 さま
なるほど。提言については急かすつもりはありません(皆さんが忙しいだろうことは認識しておりますので)。準備をしていると言うだけでも十分です。

医師に限らず救命活動にかかわる職種への、業務上過失致死罪の免責ないしは、適応を厳格にすることを求めております。

これだけだと誤解される可能性があるように思います。というか小倉さんに突っ込まれる部分が多々ある気がします。
具体的には
1.「救命活動にかかわる職種への」
 あまりいい表現ではない気がします。「救命活動時」としたほうが「医師が交通事故起こしても免責されることになりますが・・・」と突っ込まれないかと。職業がそういう職業じゃなくても緊急時に救命活動に関わる一般人もいますし。
2.「業務上過失致死罪の免責ないしは、適応を厳格」
 これだけだとどうも明確ではないです。重過失罪をどうするか(業務上過失致死罪と重過失罪は211条1項と言う一つの条文に規定されている)?過失致死罪との関係をどうするか?が明確ではないと言う問題があるように感じます。

なんか下らない揚げ足取りみたいになっていますが「防衛医療」ならぬ「防衛コメント」と善解していただけるとありがたいです。 

>昼寝さま
 もうずいぶん前に議論した話なんです、実は。
(以下引用)
http://www.yabelab.net/blog/2006/11/23-231315.php#c24373
>level3先生(91)
>これを参考にして日本にもこのシステムに近いものを作ることは可能でしょうか?
 少なくとも、厚労省が目論んでいるらしい、航空・鉄道事故調査委員会方式よりは実現可能性も実効性も高いと思います。
 航空・鉄道事故は、医療事故に比べて発生件数が少ない(2006年度は航空事故18件、鉄道事故15件)ですから中央に一つ置かれた委員会から各地に調査官を派遣する方式でも間に合いますし、「誰の眼から見ても事故だとわかる」から、当事者の申し立てを待つことなく、報道をきっかけにして自発的に調査を行なうことができます。
 しかし、医療事故は訴訟に発展したものだけでも年間1000件を超えています。そして、医療関連死が医療事故に起因するものなのか寿命だったのか、「誰が見てもわかる」ケースばかりではありませんので、医師または患者側からの申立て事案も含め、医療事故調査委員会は個々の事案が調査対象として相応しいものであるかどうか篩いにかける必要があります(その認定をめぐって新たな紛争が生じることも予想されます)。
 しかも、医療事故調査委員会ができたからといって直ちに民事訴訟・刑事訴訟が抑制されるということにはなりません。鉄道・航空事故調査委員会だって、証拠の取り扱いに関して捜査機関と一定の協定を結んでいるというだけで、捜査機関による捜査に対して優先権を有しているわけでも、調査に協力した者に刑事上・民事上の免責を与えられるわけでもありません(それがよいとは考えていませんが、先行する制度がそうであれば、今後それをモデルとして出来る制度もそうなるだろうと考えておくのが無難でしょう)。
 正直申し上げまして、厚労省が検討しているらしい航空・鉄道事故調査委員会型の“医療事故調査委員会”は、「医療崩壊に対する対応策」としてはあまり意味がないのではないかと私は思っています。
 訴訟を抑制し、不当な判決が乱発されるのを防ぐための実現可能なプランは、今ある医師会の賠償責任審査会・医事紛争処理委員会をドイツ型の鑑定・調停機関として再編する(勤務医向けには、学会単位で医師賠償責任保険と提携した医事紛争処理委員会を設ける)か、訴訟提起された医事紛争を、原則として医師と裁判官とで構成する調停委員会に付すようにし(付調停。民事調停法20条1項)、そこで訴訟並みの証拠調べを行なうとともに、双方の合意が形成されなかった場合は鑑定書並みに詳細に理由を示した「調停に代わる決定」を出すようにするかのいずれかではないかと思います。
 民事調停では、調停委員会が職権で事実の調査や証拠調べを行なったり(民事調停規則12条1項)、調停委員自ら事実調査をしたり(同条2項、3項)、調停委員会を構成する調停委員以外の調停委員から専門的な知識・経験に基づく意見を聴くこともできる(同規則14条)とされており、医師の皆さまから批判の的になっている「弁論主義」に縛られることはありません。調停というと、簡易裁判所の管轄ということもあってどうしても軽いイメージがあり、現実の調停でも「双方の意見を足して二で割る」的な解決を提示されることも多いのですが、上記のように制度上は医事紛争のような専門的・複雑な事案の審理もできるようになっているのです。
 私としては、この2つが医事紛争を妥当な解決に導くための方策としては最も費用がかからず、大掛かりな法改正も必要としないものであると考える次第です。
(引用終わり)

ぶっちゃけた話、医療関連死について、訴訟など起こさずとも安価・迅速に鑑定が出るようになれば、遺族が“真相究明を求めて”警察のドアをくぐることは少なくなるわけです。そして、初っぱなに中立的な立場からの鑑定がなされれば、後に事件化したときに、すでにある鑑定結果と反する結論に基づいた解決を望む者は、非常な努力を強いられることになり、今より負担が増すので、おのずと訴訟件数も抑制されるようになるでしょう。
 免責を求めるなと言うつもりはありませんが、同時に、できそうなことをまずやろうとしてみればいいのに、と、先に進む気配のない議論を読みながら思っている次第です。

ご批判があるかもしれませんが,救急医療を存続させるには刑事,民事を問わず「よきサマリア人の法」を成立させるべきです.


アメリカで、飛行機の機内で救急処置を施していた医師が、結果が悪かった事により訴えられたと言うケースがあったそうです。もちろん、そのケースは「よきサマリア人の法」が適用され、医師の過失は認められなかったそうですが。


「よきサマリア人の法」がない事が問題なのか、「緊急措置を施した場合、訴訟を起こされない」事が問題なのか、明確にされた方がいいと思います。


もちろん、後者が目的であり、「よきサマリア人の法」は訴訟を起こされないための手段なのでしょうが、そうであれば、「よきサマリア人の法」が無い事は些細な問題なのではないかと思います。

私は福島地検の起訴は、割り箸事件で起訴したが無罪となったことで医療行為に刑事免責的な判例が生じた。また東京女子医大麻酔医起訴においても敗れている。起訴有罪率98%を誇る検察全体への声価が下がることに対する焦りがあって、あの大野病院事件では準備不足のまま起訴に踏み切ったような気がしています。

地域の中核病院で産婦人科と麻酔科の専門医が2人、院長(整形外科専門医)が待機監督状態、という現場での最高度のチーム体制で行われた手術に対して、公判で明らかになりましたがあの程度の偏向した捜査で普通起訴はできないでしょう。検察の言う注意義務違反・回避義務違反はどの行為を指して過失であると糾弾しているのか公判でも明らかに出来ず、結果まともな事実審理も行い得ず、実質公判が維持されていたとは思えませんでした。医療行為に刑事免責はないという検察の方針にだけ眼が眩んで、捜査を尽くさず権力にまかせて有罪判決だけを求めているように見えます。

ということで、これは医師にとっては根本的に受容できない起訴となりました。
医師はこの裁判で検察が主張する医療行為が刑事有責という法律論(過失論)に対して戦っているのではありません。
検察の刑事裁判の起こし方そのものがこの裁判では間違っていると言っているだけです。
それを検察は実質維持できてない公判を無理矢理論告求刑までしました。
これによって検察は医師からは全く信頼されなくなりました。

大野病院裁判は検察への信頼という駱駝の背に載せられた最後の藁になり、その藁の重みで駱駝は脚がくず折れてへたりこんでしまった。
それ以上でもそれ以下でもない評価だと私は思っています。

まず、確認したいことは、ほとんどの医師が訴える刑事免責は、業務上過失致死罪部分のみで、故意の犯罪や、公文書偽造に関しても免責を求めている医師はほとんどいません。

故意の犯罪と医療行為との区別が付きにくいケースもありますし、公文書偽造に関しても犯罪と正当な行為との区別が付きにくいケースがありますので、その辺りもクリアしないと、医師の納得は得られないように思います。


平成19 年6 月下旬に北九州八幡東病院で看護師(課長)が入院患者の高齢者4 人の爪をはがす虐待があったと報道されその看護師は7 月2 日に傷害の容疑で逮捕起訴されました現在当該看護師の身柄は拘束されたまま9 月10 日に第1回公判前整理手続が開かれたところです。社団法人日本看護協会会長久常節子はこの事件に関し報道をはじめ当該看護師及び病院関係者からの直接的な情報収集法律やの専門家等有識者からの情報収集を行いそれらの情報を総合的に分析・検討した結果当
該看護師の行為は虐待ではなく自らの看護実践から得た経験知に基づく看護であると判断いたしました

http://www.nurse.or.jp/home/opinion/newsrelease/2007pdf/20071004.pdf


上記のようなケースで、警察が捜査に入った場合、傷害罪の捜査であっても医師や医療従事者の方々は納得しないように思われます。

医師の方が、おおむね「誰が見ても医師または看護師の過失だ、というような事例に対して刑事免責を主張しているわけではない」という部分は、多分そうなのでしょう。

ただし、同時に、「誰が見ても医師または看護師の過失と言えるか否か」の判定を、現在の裁判実務に委ねることには反対だ、という方も多いように見えます。

その判定は現場の医師でないとできない。鑑定等により医師の意見を聴いても、検察官や裁判官には正当な判断が期待できない。という感覚はかなり強いものとしてあるのではないでしょうか。

「有責/無責を分ける基準をどこに置くか」と、「その判定をする主体・手段はどうするか」の問題が、ともするとごっちゃになっているような。
そして、刑法の問題(前者)については法律家と医師の意見は比較的収斂しているのに対し、刑訴法の問題(後者)については深刻な隔たりがあるような。

そんな印象を受けます。

No.16 (ただいま謹慎中) さま

医師側の懸念を正しく理解されているように思います。

> その判定は現場の医師でないとできない。鑑定等により
> 医師の意見を聴いても、検察官や裁判官には正当な判断
> が期待できない。という感覚はかなり強いものとしてあ
> るのではないでしょうか。

このあたりの事情が見事に表に出たのが、福島の大野病院
事件です。

大野病院事件の裁判で検察側証人として出廷したのは、産
婦人科でも腫瘍が専門の某大学教授でした。産科は専門外
なのにも関わらず、検察側の筋書きに沿った証言をやって
のけたわけです。普通の事件ならば「産婦人科の大学教授
の証言」ですから裁判官の心証が検察寄りになったであろ
うことは想像に難くありません。

大野事件の裁判がすごかったのは、その直後の弁護側によ
る反対尋問です。検察側証人が産科が専門でないことが暴
露されました。さらに、弁護側の依頼で鑑定書を書いたの
が周産期分野で日本で信頼されている専門家であり、検察
側証人の大学教授も信頼している医師であると明かされた
わけです。

普通に考えれば、どちらの証言ないし鑑定が「医療の現場
で当然の考え方」であるかは一目瞭然です。


専門でもないのに「大学教授」の肩書で検察側の意図に沿っ
た証言をする人物が存在すること、そういう人物を利用し
て医療現場の常識に反する訴訟を強引に進めようとする検
察、医療訴訟の問題をここまで明らかにしてくれるとは、
見事としか言いようがありません。このような裁判が続い
ている現状で、「検察官に正当な判断を期待」などできる
はずがありませんよ。

大野事件についていえば、裁判官がきちんとした判断をさ
れることを期待しておりますが、大野事件を担当した検察
関係者に対して相応の処分が行われない限りは「検察に対
する医療側の不信」は解けないのではないかと思います。

さらに、弁護側の依頼で鑑定書を書いたの が周産期分野で日本で信頼されている専門家であり、検察 側証人の大学教授も信頼している医師であると明かされた わけです。

弁護側の鑑定書を書いた先生が、警察への協力を断ったのは、被告医師に取っては不運でしたね。警察に協力していれば、起訴されなかったかも知れませんが、今となっては詮無い事です。


大野事件を担当した検察関係者に対して相応の処分が行われない限りは「検察に対する医療側の不信」は解けないのではないかと思います。

医療過誤を犯した医療関係者に対して相応の処分が行われない限りは「医療に対する非医療側の不信」が解けないのと同じ事ですね。

福島検察の起訴についてもう少し書きたいと思います。

検察が注意義務違反・回避義務違反の容疑で起訴したとき被告人について「癒着胎盤の手術経験がなかった、その『未熟性』ゆえに漫然とクーパーで血管の密集した『切ってはいけない』ところを剥離したという『過失』があるのに、嘘をついて(過失ではないと主張して)いる。裁判で(嘘をついていると)証明する。」と起訴事由を新聞(という公共)に向かって語りました。

そして公判が始まりました。検察の起訴が順当なものであると証明するには被告人が癒着胎盤を剥離した行為が「未熟で無知であった」か正常な判断が出来ないほど「疲労困憊していた」かのどちらかの状態下でなされたことを証拠や証言から明らかにすればよろしい。仮にも地域の中核病院の産婦人科専門医の手術ですからそばで見ていたスタッフも多く、同じ術野を見ていた麻酔科専門医と外科医に聞けば被告人医師の詳しい様子がわかります。彼らの口から手技が下手だったとか、なんとなく上の空だったとかが見られたという証言があれば「注意義務違反・回避義務違反」が証明されたことになるでしょう。

しかし証人尋問ばかりか公判に提出された証人の供述調書にも、被告人医師の「未熟性」や「集中力低下状態」を示すものは何一つありませんでした。検察は調書を作成した段階でそれに気付いていたはずですが、それなのにあの時点で公判を請求したということは、もしかしてこの証言では公判が維持できない自明の理が福島検察にだけわからなかったのでしょうか。

いかなる理由で検察が気付かなかったのか究明する必要があると私は思っています。

あれ?
「故意で無い限り」という文章に「医療活動にかこつけて故意に患者を死なせるというのは」とか、何が何だかわからない……。
故意じゃないのに故意?なんか私が読み間違えているのか、無理やりこじつけてるのか……むーん。

まーいいや。


それはさておき本題……は書いてみたらほぼモトケンさんのエントリとまったく同じ内容になってしまったので(笑)、せっかく長々と書いたけど短縮して最後の部分だけ。


「受け取るのが普通です」「読めます」「思われます」と存在しない「言質」を脳内で作り上げて証拠不足で五寸釘打ち込みに行くから「藁人形」なのではないか。


必要なのはグーグルで「それっぽいもの」調べて「藁人形」に仕立て上げることじゃなく、「それっぽいもの」が本物か藁人形か、言質を取りに行くほうがいいと思うな。


まあ、本来やるべきことは「本物」がいなくなることだけど、そもそも本物を見つけきっていない状況で「藁人形じゃないお!本物だお!」と主張しても意味がない。

というか小倉さんは「それぽい人間ネットで見ました」レベルでモトケンさんや医療ブロガー叩いていたのか?

こんなエントリが来ていたのでコメントしてみましたが、コメントが採用されたためしがないので(苦笑)参考までに。

la_causette: 書き手の「言いたいこと」を認識するに当たって、直接書き手と連絡をとってその真意を確認しなければならないのでしょうか。
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/07/post_acbb.html#comments


>書き手の「言いたいこと」を認識する、というのは、当たり前のことだと認識していました。

小倉さん、私の言いたいことを曲解して受け止めてたじゃないですか。
別に毎度毎度書き手と連絡をとる必要はないですけど、誤りを指摘されて、確認可能ならやってもいいんじゃないですか?
もちろんモトケンさんが「いーや、小倉さんのあげたブロガーに確認取ってみたけど明言してないよ」と調査しに行ってもいいと思いますけど。

押し付け合いもいかがなものかと。


というかそういう発言をする時点で、「明言されたわけではないけどそう自分は読み取ったんだ」と小倉さんは主張しているわけですよね。
だから藁人形と呼ばれているんだと思います。

と、こうやって小倉さんの言いたいことを「医師が全て免責せよと明言したわけではない」と勝手に読み取ったわけですから、
違うなら「ここで医師が全て免責せよと明言されている」と反論してみてくださいね。

小倉さんのこのエントリ通りだったら、私は「医師が全て免責せよと明言したわけではない」と勝手に読み取って、そう認識して決めつけて終わりにしますよ。
しかし私はエントリ内容を否定しますから、「確認」することで「訂正」する機会を小倉さんに与えます。

どうぞ。

 畑村洋太郎さんを中心とする「失敗学」の本が売れていることから、御存知の方も多いと思われますが、本ブログでこれまで議論されているように、(医療事故に限らず)事故の再発防止に必要なことはシステムの改善であり、刑事責任の追及は事故の再発防止にはあまり役に立ちません。むしろ、当事者個人の刑事責任を追及することがシステムの改善を遅らせてしまう可能性について指摘されています。つまり、刑事責任の追及を目的とする場合、有罪を確定するために注意義務を果たしていないことが確認されれば事足りるので、
「注意義務違反が確認された。→有罪確定。→皆さん、同じことをしないように十分注意しましょう。→終わり(一件落着)。」
では、システムが改善されず、「他の人が別の場所で同じ事故を繰り返す」ことになるということです。(「自分の不注意でした。申し訳ありません。以後気をつけます」と、本人が反省してそれで一件落着とする場合も同様。)
 ミスが起こった場合、ミスが起こった原因・背景と、ミスが重大な結果に至った経過を徹底的に分析して、ミスは必ず起こるということを前提に、そのミスが重大な結果(事故)に至らないように、システムを構築・改善することが必要とされています(チェックシステムの構築・手順の改善(マニュアルを作ればよいというものではなく、具体的に運用できるもの)、薬剤や器具の改良、教育の改善など)。
 これを遂行するために、当事者の免責が必要とされています。
 確かに、ある程度の犠牲者(被害者である患者さんだけでなく、事故に関与した医療従事者も含めて)が出ないと、システムはなかなか変更されないという社会構造(医療に限らず)がありますが、本来は望ましい状態ではないと思います。

 チェックシステムや環境が整備された後、それらのチェックを意図的に無視して誤った行為を強引に行い重大な事故を起こした場合は、「故意に等しい」として刑事責任を課すことにあまり異論が出ないのではないかと思います。

 ウログラフィンの事故の詳細についてはあまり知らないのですが、これだけ繰り返されているということは、システムに問題があると推測されます。個人の責任を追及して事件を終息させていることによって、メーカーが注意喚起を促すだけに留まり、システムの改善に至っていないのではないかとも思われます。

検察側の対応について、もう少し書きます。

裁判官や検察官にも知り合いがいるので話を聞く機会があり
ますが、彼らが「悪いことをしている」訳ではない(ある意
味当然ですが)のですね。

検察官や裁判官も公務員ですから一定期間毎に異動を繰り返
します。医療紛争を担当する検察官といえども医療紛争の専
門家ではありえないわけです。最近では裁判所に医療問題を
集中的に扱う部署ができてこの問題に精通した方が出てきて
いるようですが、定期的な異動があるので「専門家」になる
のはちょっと無理。

検察官をしている知り合いと話をしましたが、やはり「世間
でその事件がどう扱われているか」をかなり気にするようで
す。医療関係の裁判が難しいのは犯罪に相当するラインかど
うかの判断が非常に難しいということです。遺族側の見解ば
かりが報道され、無責任なコメントをマスコミでばらまく
「医師」までいる。テレビなどによく出てくるのは、医師免
許を持っていても一線の医療現場から離れて久しい連中がほ
とんど、という前提知識がなければ、こうした報道に流され
てしまう可能性は非常に大きい。

福島の大野病院事件について言えば、事件の立件自体は比較
的しょうがないかな、という気がしなくもありません(ただ
し身柄を拘束して逮捕したのは行き過ぎだと思います)。検
察側に大きな問題があるのは、強制捜査を始めてからです。
多数の医療関係者が批判のコメントを出し、それが大々的に
報道されましたから、検察関係者も「この事件を犯罪として
扱うのはおかしい」ということに気づいたはずです。ストッ
プをかけずに今まで突き進んできたその体制に大きな問題が
あります。


今後について、やはり「医療の実態」が法曹関係者を含めた
一般にきちんと知られていないのが問題だと考えます。マス
コミで報道されるのは設備もスタッフも充実した病院での成
功例ばかり。一線を離れて「コメンテーター」と化した医師
免許保持者が無責任なコメントを垂れ流す中で、一線で活躍
している医師の実情が報道されることは皆無に近い。

民事でも刑事でも「医療の水準」が実態を遥かに越えた高い
ラインに設定されがちなのが、今日の医療紛争問題の大きな
原因です。

そのライン設定の一因が、医療でどれだけの危険があるのか
といった情報をきちんと外に出してこなかった医師の側にも
あることを忘れてはいけないと思っています。医療者の一員
として。

 的外れかも知れませんが。

 通常の自動車事故なら重過失を免責せよという意見は出てこないと思います。無謀運転は別として、定型的日常的でローリスクだからです。
 ですが、F1レースではどうでしょうか。タンブレロコーナーを時速300kmで後輪スライドで回るなんて、一般日常社会の常識ではアリエナイ無謀危険運転であって、様々な安全対策(シケイン義務付け)や救護設備(ドクターヘリ常駐)を設けても現に毎年のように1人以上の事故死が世界のどこかで生じています。
 しかし、これが当然予見かつ回避可能なのに、F1主催者や関係者は、業務上過失致死で検挙されたことはないと思います。これは、「正当業務行為」という言葉を使っても(形式的違法性阻却事由)、その実態はハイリスクを前提としたスポーツという「許された危険」でしか説明がつかないと思います(実質的な違法性阻却事由)。
 医療もハイリスクな手術(例えば出生直後の小児心臓外科手術)などであれば、同様に危険で実験的(だけど唯一の救命)処置でも、患者の生命身体の回復を目的とした「許された危険」として予見義務や回避義務(不注意)が軽減されてしかるべきだと考えられます(医師が危険を引き受けてくれたという意味での「危険の引き受け」理論に基づく注意義務の軽減もあり)。
 「重過失への免責ないし許された危険の適用」という意見は、「文字通り受け取れば」賛成できませんが、医療側がここで使った「重過失」を「重危険(ハイリスク)」と読み替えればわかる感じがします。このような文脈で「重過失への許された危険の適用」も「重危険への許された危険の適用」と理解していいと思います。

 なお、刑事免責という言葉は日本で「故意犯を含む完全免責」という意味に誤解を招きやすいので、構成要件レベルで「過失の注意義務の軽減要素(許された危険・信頼の原則・危険の引き受け)」か、違法性レベルで「社会的相当行為(正当業務行為・許された危険)」という違法性阻却事由で論じるべきただと考えます。
 また、「許された危険」は、本来違法性阻却事由としての社会的相当行為の一部ですが、定型化(類型化)が進めば、構成要件要素となり(構成要件の違法要素の類型化機能)、過失の注意義務(予見義務・可否義務)の軽減要素(判断基準)として直接の構成要件要素になると思います。

本エントリーは、医療者の刑事責任に関する事なので現時点での私見を述べます。

航空機の事故やWHOガイドラインなど、世界の趨勢は、システムエラーが関与する事故に関しては、当事者の刑事責任を問わないことで、真相を究明しようという流れになっています。

これに基づくと、究極的には、業務上過失致死罪の廃止が必要です。(医療者の間で重過失を免責せよという声は少ない。ただし、軽過失と重過失の線引きが問題となるのですが。)

ただ刑法改正には、国民的な合意を得ることが必要なので、当面の目的として、手続き法の改正を求める。

具体的には、医療事故に関しての業務上過失致死罪は、親告罪とし、被害者遺族の告訴と、事故調査委員会の告発を必要とする。

医療者が一番問題と考えていることは、非専門家である検察や一部の偏った鑑定書による刑事立件ですから、医療事故調を公的鑑定機関として機能するようにしてやろうということです。

そのためには、現在の厚労省の大綱案や予算措置ではまったく不十分だと考えています。

鑑定医に関してですが、鑑定医がその道の専門家であるがために却って医療水準が高く設定されることは少なくありません。(奈良心タンポや、心筋炎訴訟など)専門家であると同時に、現場の医療水準を理解できる方であることも必要です。

No.24 ハスカップ さま

私も以前(もう2年近く前か・・・)、F1ドライバーに喩えたことがありましたので、我が意を得たりという感じです。

http://www.yabelab.net/blog/2006/09/26-165411.php#c13172

No.24 ハスカップ さまが、述べていらっしゃるように、

>医療事故に関しての業務上過失致死罪は、親告罪とし、被害者遺族の告訴と、事故調査委員会の告発を必要とする。

という形が良いのかもしれませんが、最近は被害者遺族が最初は納得していたのに、マスコミがたきつけて騒ぎを大きくする傾向があるような気がしています。

日本の場合、未だに既存マスコミの影響が大きいので、まずはマスコミをどのように味方に付けるか(もちろん、真意を理解してもらうという意味で)…がポイントになるような気がします。

気をつけないと、マスコミは事故調査委員会は「医者の味方で、事実を歪曲している」みたいな論調を張りかねませんから。

私は、自ブログでは

技術的に医療行為が刑事罰に相当するかどうか(ま、法曹の方の用語で言えば、構成要件を成すか)の、適切な応報感を持った判定を下すのは、技術的に不可能である。
従って、医療に刑事罰を持ち込むと、医療は崩壊するであろうwktk

という言明だけで、あえて寸止めしております。
その先の選択は、医療者ではなくて、その他の人々が判断すべき問題であると考えているからです。
もちろん医療を崩壊させたくない医療者が更に進んで、刑事免責を求めていくのも理解は出来ます

しかし、正常な認知能力に齟齬を来している方には、恫喝に見えるのでしょうね。
いや直接聞いてくれれば、真意も誠意を持って説明するのはやぶさかでありませんが、更に「イチイチ聞くウゼー。俺がそう読めんだからそう書いた方が悪い。」とか言われたらポカーンとするだけ。

No.26 fuka_fuka さん

 そうですね、もう2年近く前ですね。私もあのときレスしようと思ったのですが、誤解を招いてはと躊躇しておりました。日本医師会でも「許された危険」が遡上に上り、私自身が医師側と法律側の両方に軸足がかっているので、そろそろかと思い、学生時代の論文を思い出して拙意見を申し上げました。
 実は、当時、富士スピードウエイでの観客死亡事故が水面下で議論されており(議論が錯綜してはと↑では触れませんでした。)、ロッキード事件で刑事免責(イミュニティ)が問題になっていたので、強く印象に残っています。

 段階的には、違法性阻却→過失の注意義務の軽減を「リスクマネジメント」の観点から基礎付け(立法事実というか解釈事実)、将来的には、米国NTSBのような事故解明行政手続で「証拠禁止という刑事免責付与」による行政証言強制で、事故原因究明から再発防止へと進めば素晴らしいと思ってます。
 人間業の限界ギリギリのレベルで判断を求められ(C値)、それがときに人の生死を分ける職業でもあるという点が、パイロット、医師、F1レーサで共通するかと思います。

No.12 an_accused さん

誘導、ありがとうございました。

併せて、

No.25 田舎の消化器外科医 さん のご投稿でなんかすっきり
しました。

ありがとうございました。


特に救命医療の現場が「特殊」であるからこそと思います。
「免責」を唱えるなら必ず「他業種」との公平性が必要に
なります。
まあ、製造物製造責任との比較が「2年前レベルの議論」で、F1という
とっても「特殊」な業界との比較が「わが意を得たり」という
わけのわからない論理で語られる位、「免責」の国民的コンセンサスは
難しいということでしょう。

No.17 No.17 都内病院勤務医さま
亀レスですみませんが気になったので。

>大野事件についていえば、裁判官がきちんとした判断をさ
れることを期待しておりますが、大野事件を担当した検察
関係者に対して相応の処分が行われない限りは「検察に対
する医療側の不信」は解けないのではないかと思います。

私は今回の大野事件における検察側のおかしな行動(医療者から見たらどうみてもそうです)もシステムエラーの問題と思います。ですので、関係者の処分よりも原因究明と再発予防に重点を置くべきでしょう。今回の異常行動の原因の分析とそれに対する対策がきちんと広報され、その後再発が減少すれば「検察側に対する医療側の不信」はゆっくりとですが解けるのではないかと。
実際このまま同じようなことが続くのであれば、「検察事故調査委員会」の立ち上げも必要かと思えます。

その後のNo.19 ぼつでおk(医) さまの投稿もおそらく同趣旨だろうと思いましたが一応医療者の一員としての私見として。

重箱の隅を突くようで申し訳ないのですが、思い立って検索してみたら、以下のようなサイトが見つかってしまいました。

1994年5月3日、ボローニャ検察局が捜査責任者として、バッサリーニ検事を任命。

 同年5月13日、モナコGP記者会見にてM.モズレーFIA会長により「セナの死因は、フロント・サスペンションが脳に突き刺さったため」と発表される。

 同年10月31日、法律で規定された予備捜査期間が満了するが、捜査の延長が申請され、認可される。

 1995年2月24日、予備捜査終了

 1996年6月、バッサリーニ検事は、予備審裁判所(GIP)に鑑定調査最終報告書を提出。

 同年11月25日、予備審裁判所(GIP)のデイ・マルコ判事は、裁判の必要性を決断。6人(後述)が起訴される。同時にシムテック関係者は不起訴処分とされることも発表。

 1997年2月20日初公判


http://www.din.or.jp/~tuyu/saiun/senna.ryakureki/saiban.html

「わが国には法制化された刑事免責制度は存在しない」

と言う事を前提に、もし法制化するなら広く他の業種との
公平性が必要でありハードルが大変高い。
だから、調査機関、調停機関を設けることが良いのでは?

と思っていますが、この前提が間違っていてはトンチンカン
発言昼寝男になってしまう。どうしたものか...

 

しまさま

刑事事件化していたんですか。不勉強でした。

結論は無罪だったわけですね。

 論告:「セナの事故は、ステアリング破損がコースアウトを引き起こしたものである。ステアリング破損は、金属疲労によるものであり、それを招いた原因はステアリング改造である。改造の責任は、パトリック・ヘッド、エイドリアン・ニューウイが負うべきである。」
 求刑:パトリック・ヘッド、エイドリアン・ニューウイ両被告に懲役1年
 判決期日:1997年12月16日
 判決主文:「イタリア国民を代表し、イモラを管轄するボローニャの裁判長は、フェデリコ・ベンデネッリらの被告に対して以下の判決を申し渡す。
 フランク・ウイリアムズ、パトリック・ヘッド、エイドリアン・ニューウイは、事件を起こしていないものとして無罪。
 フェデリコ・ベンデネッリ、ジョルジョ・ボッジ、ローランド・ブリューインセレードは、被告らの行為は無関係として、同様に無罪。

 判決理由の寄託期間は90日間とする。」

ざっと読みですが、記事の著者のこの意見に同意。

 罪を問う形を取る結果、司法的な争いとなり、事故原因の真実が明かされる機会を永遠に失ってしまったのかもしれない。

フランク・ウィリアムズやパトリック・ヘッド、ニューウェイなど、そうそうたる方々が被告になっていたとは知らなかったので、思わず叫んでしまいました。


洋の東西を問わず、過失致死事件を刑事事件化したがると言うのは同じですし、国民感情や、国際関係が検察にある程度影響を与えるというのも同じなのだと思いました。

No.32 しま さん
No.34 fuka_fuka さん

 私も調査不足でした。捜査公判情報の提供ありがとうございました。学生時代の論文を遡って書き直さないと。_| ̄|○

No.33 昼寝 さん

 米国のNTSBのシステムをご覧になるとよろしいかも知れません。「瞬時の判断が人の命を左右する者(パイロット、F1レーサ、医師)の刑事責任と事故調査」いう共通項がわからなければトンチカンになるのも無理はないと思います。

ちょっと確認させていただいてよろしいでしょうか。
ssd様

技術的に医療行為が刑事罰に相当するかどうか(ま、法曹の方の用語で言えば、構成要件を成すか)の、適切な応報感を持った判定を下すのは、技術的に不可能である。
従って、医療に刑事罰を持ち込むと、医療は崩壊するであろうwktk。

の最後のwktkという言葉の意味をお教えいただけるとありがたいです。

wktk == 「わくわく」の2ちゃん表現、であると思います。

モトケンさんのご説明はNTSB的目的論とは独立していますから、混ぜて論じない方がつつかれにくいと思います。素人読みですが「普通の医師なら<仕方がない>と思うような転帰は検察沙汰にしないのが適当。福島事件以前は実際にそうだった」ということですよね>モトケンさん

ともかく誰かを刑務所やあの世に送り込まないと気が済まない社会では「医療システムの向上のためには、過失を見逃せというのか」とフクロにされるのが落ちです。

No.36 ハスカップ さん

例え、F1だろうが、製造設計ミスだろうが「わが国には
法制化かれた刑事免責制度は無い」という私の認識が間違い
ということでしょうか?
であるなら、確かに私はトンチンカンを述べています。

米国NTSBは米国での制度化された刑事免責とは別の
目的だと思いますので。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ワクワクテカテカ(わくわくてかてか)は2ちゃんねる用語。あるいはそれを表したAA(アスキーアート)。 何かを待っているときに楽しみで仕方がなく、心が躍ることによって血流が良くなり肌・顔につやが出てテカテカしている様。 何らかの事象に対して報告・続きを待ち望んでいるときにつけられる。
ワクテカあるいはwktkと省略される場合がある。

No.39 昼寝への追記

ですから、日本では、例えばF1の1977年の日本GPでの
観客や警備員の死亡事故(車同士がクラッシュ、観客席へ
飛び込む事故)ではやはりドライバーは過失を問われていたか
と思います。
少なくとも「刑事免責で過失を問われなかった」ということ
は無かったと思いますが、専門に研究しておりませんので、
間違いなら訂正をお願いいたします。

wktkの言葉の意味を質問なさっているのか、意図を質問なさっているのかが不明ですが、前者はググ(ryと言うまでもなく他の方が説明なさっているので。

私としては医療が崩壊するかどうかは他人事です。どこまでも。
これは医療者が医療崩壊に対して本当に他人事かどうかというより、私個人の思想ですので、一般化した藁人形化はご勘弁を。

 いえそういう意味ではなく、刑事免責制度はないという点で間違いはないと思います。
 ただ、基本的な刑事免責という言葉の使い方が間違っており、米国NTSBでも「証拠禁止」であって、狭義の刑事免責ではりません。イミュニュティ(刑事免責)とは、検察官や裁判官とのバーゲニングで初めて発生するものなので、その点は議論がかみあっていないと思います。
 またF1レーサやどのような業界をも問わず、
   ハイリスクの許された危険が
   同一の刑法の注意義務を軽減する法理

   F1というとっても「特殊」な業界と
   の比較が「わが意を得たり」というわ
   けのわからない論理
という業界の特殊性で切って捨てる立論が納得できないという意味です。

No.43 ハスカップ さん

ご返事をありがとうございました。
前提だけでも間違ってなくて良かったです。

>>イミュニュティ(刑事免責)とは、検察官や裁判官とのバーゲニングで初めて発生する

私は、文章が下手なのでうまくかけませんが、ご指摘のような
認識です。
多少、売り言葉に買い言葉的なレスをしてしまい、申し訳なか
ったです。

 いえいえ誤解が解けて何よりです。
 私の文章の方こそ、読みにくくて誤解を招いたのでしたらお詫びいたします。

コメントを投稿されている医療関係者様へ

もし、医療系論者が、小倉弁護士があげられた明々白々な過失事例についても刑事免責を主張するというのであれば、私はその論者の基本的なスタンスを批判することになりますが、さて論者の真意はどうなんでしょう?

だれも、この問いかけにストレートに答えていないみたいですが・・・・

実際のところは、どうなんでしょうか?
そこがはっきりしないと、小倉弁護士の主張がおかしいのかどうかの判断もしにくいのですが。

novtanさんのブログで一般論ですが、すっごく共感したので。

http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20080720/p4

「君子危うきに近寄らず。」「李下に冠を正さず。」になっちゃうと医療は成り立たないですよね。
救急車は受けない、手術はやらない、お産は中止するのが一番簡単なリスク回避になるわけですから。
理想というか目指す方向と現実のすり合せと言うか妥協点は常に変化していて線引きが難しいでしょうが、ともかく「後だしじゃんけん」じゃ勝ち目無いからなあって思わせるような状態は改善の必要が有るとは思います。

あと話しがそれますが、セナの事故の「バッサリーニ検事」って名前がツボでした。(笑

「法制化された刑事免責制度」 というのは、日本にすでにあるともいえるし、存在していないともいえる。定義問題なわけです。

本エントリにもあるように、「正当業務行為」(刑法35条)も、広義では刑事免責の一種と呼ぶことが可能です。(モトケン先生は、ここでの議論では、これを含めない「狭義」のほうを採用すると宣言されたにすぎない)

それ以外にも、メジャーなところでは国会議員の発言・表決(憲法51条)があります。
親告罪や親族相盗(親族間の窃盗)なども、被害者からの告訴がない限り絶対に刑事責任を問うことができないという意味で、部分的に刑事免責が導入されているということが可能です。

また、そもそも、(これまでも時々議論になったように)「免責」の語自体が多義的です。

つまり、一般化した議論はあまり有用性がないと考えます。

このエントリのタイトルのとおり、
・医療従事者側が求めている(必要十分と考えている)「刑事免責」の実質的な意味の解明・把握
・その主張を現実化した場合のメリット・デメリットの分析
・その主張を現実化するための手順・条件
などに議論を絞るほうが有益ではないかと思われます。

小倉弁護士があげられた明々白々な過失事例 のうち記事が紹介されていたフェノバールの誤投与についてはトラバしてみました。

「脊髄造影検査を行うにあたり、ウログラフィン注射液を患者の脊髄に注射して死亡させたという事案」は詳細が書いてないので判断の材料に乏しいのですが、脊髄造影検査の際に造影剤を注入するのは「脊髄」では無く、「脊髄腔」なのです。
ここでは間違ってウログラフィンを用いたことが問題とされているようなので、手技上の間違いで患者の脊髄に針を刺してしまったと言うわけでは無さそうですね。
ともかく情報が少なく引用が不正確、判断不能なものと思います。
「ここまでの情報でどう思いますか?」とか「この時にはこういう状況だったのですがどう思いますか?」とかはっきりした前提があってその前提ならばこう考えるとか個々の症例については具体的な意見もでるかと思います。(ばらつきそうですが。

小倉先生の言う「医療従事者に刑事免責が認められると、どの血液型の血液を患者に輸血するかは、看護婦の勘に頼ることができることになります。」という小倉先生の考えだした事例についての意見としては、勘に頼って輸血する血液型を決めた医療者を免責する必要はないと思います。


>もし、医療系論者が、小倉弁護士があげられた明々白々な過失事例についても刑事免責を主張するというのであれば、私はその論者の基本的なスタンスを批判することになりますが、さて論者の真意はどうなんでしょう?

医師の一人としてコメントします。
他の人はともかく、故意は論外ですけれど、その人のためになると考えられた上で行われた医療行為であれば、私は真実を隠さないことを条件にすべての医療ミスは刑事免責とすべきであると考えています。
例えば小倉弁護士の挙げた、輸血をするのに血液型を調べることもなく行った場合も含めて、また危険だとされていることをあえて大丈夫と自己中心的に解釈して行うような医療行為についてもです。

あえて私の意見が小倉弁護士の指す「すべての医療ミスを刑事免責すべきと主張している医師がいる」とする事例から外れるとすれば、それは真実を隠さないという条件付きという点です。
でも故意でなく、この条件が守られるのであれば「すべての医療ミスを刑事免責すべきと主張している医師」の一人が私です。

ここへのコメントはほとんどが元検弁護士の主張に迎合するものが多いですが、私はそのような迎合には賛成いたしかねます。

これを見て過激な意見に思われるでしょうか?

私はこのような過失事故に対しては根本的に刑事処分はなじまないと考えています。これは医療に限った話ではありません。すなわちすべての過失罪を刑法から外すべきです。
多くの論客が言及しているように、個人に刑罰を与えても過失事故を抑止できず、再発防止策を生み出すこともできません。
刑罰は更生のためとされていますが、過失罪で刑務所に送られた人が個々の事例に対する反省以上にどのように更生させることができるというのでしょう。その人が刑罰を科されたミスと違うタイプのミスをまたすることがあるかもしれません。それは更生していなかったといえるのでしょうか?
そもそも刑法の存在意義とは何でしょう。人の道に外れた誰もが容認できないことを罰を恐れてできないようにする。その抑止力が存在意義ではないでしょうか?
抑止力もない、更生もできないそういう刑法罰に何の意味があるのでしょう。

この考え方はこれまでは確かにありませんでした。
しかし世界中で多くの人がこのことに気づいたからこそ、真相究明・再発防止を条件に過失罪を問わない選択肢を選び始めています。過失事故を起こした個人に怒りをぶつけることよりも、二度と過失事故が起こらないような世の中を人は求めているはずです。

では、刑事以外についても完全に免責するのかといえば、それには全く反対です。
システムとしてこうしなさいという事故防止のガイドラインに、それを知りながら明確な根拠なく逆らい、事故を起こすような行為についてはその程度に応じて医師免許停止、取り消しなどの行政責任が課されるべきであるし、民事として遺族には見合った損害賠償を行ってしかるべきです。

ただし長くなりますので今回は省きますが、ある医療行為に行政責任を問う、民事責任を問うとするには、適切な基準が必要です。
今問題視されているのはその基準なのであり、私のいう基準とは最高の医療ではもちろんなく、むしろ国が国民に保障する、医療機関にその対策をとらせるのに十分な収入を確保できた水準の医療です。

ご批判は喜んでお受けします。

その人のためになると考えられた上で行われた医療行為であれば、私は真実を隠さないことを条件にすべての医療ミスは刑事免責とすべきであると考えています。

ガンが早く治るだろうと考えて、標準使用量の十倍の抗癌剤を投与し、患者を死に至らしめた場合でも、刑事責任は問わないという事ですね。分かりました。

ただ、その場合、二つの問題が浮上してきます
1.「その人のためになると考えた」のかどうか調査する
2.真実を隠しているか否かを調査する

以上の点について調査が必要な訳ですが、これを調査するのは警察でしょうか、それとも他の機関でしょうか


多くの論客が言及しているように、個人に刑罰を与えても過失事故を抑止できず、再発防止策を生み出すこともできません。

個人に刑罰を与える事が無意味でしたら、個人に行政処分を下す行為も意味がない事になりますね。

>>その人のためになると考えられた上で行われた医療行為であれば、私は真実を隠さないことを条件にすべての医療ミスは刑事免責とすべきであると考えています。

>ガンが早く治るだろうと考えて、標準使用量の十倍の抗癌剤を投与し、患者を死に至らしめた場合でも、刑事責任は問わないという事ですね。分かりました。
・・それは例えとしてどうなんでしょう。
>1.「その人のためになると考えた」のかどうか調査する
とは書いてありますが・・・

もう少し心穏やかに。差し出がましくて申し訳ません。

素人意見ですが、医師の先生からは、インフルエンザおたく さんの様な御意見が出てきて然るべきと思います。

例えば小倉弁護士の挙げた、輸血をするのに血液型を調べることもなく行った場合も含めて

la_causette の

どの型の血液を輸血するか勘に頼ってもよいということにすべきか。
という小倉弁護士式誘導手法を借りるならば。

目前の患者が失血死寸前で、手元には血液型が解らないが輸血可能な血液が有る、場合でも。

血液型をテストし確認しなかった医療者は有罪です。
そして
テストに時間が掛かって患者を死なせた医療者も有罪なんですよねえ。

私から見た小倉弁護士は「医療を潰そうとする思惑」です。
まあ、金持ちはアメリカ型になっても構わない、のかも。

>>No.50 インフルエンザおたく さん

>>私はこのような過失事故に対しては根本的に刑事処分はなじまないと考えています。これは医療に限った話ではありません。すなわちすべての過失罪を刑法から外すべきです。

この部分には頷ける。あくまでも「私は」ですが。
医療以外でも「過失」に対する量刑は厳しいなあと思うことも
少なからずですから。
たとえ刑事罰が無くても、社会的制裁も大きく、損害賠償も
一生背負うことになる場合が多いし。

「特定の過失に対する免責を導入するより、過失に対する刑法
を変えるべきだ」という意見もありかな?と思いました。

そうそう。

小倉弁護士が挙げた例を全ては把握しておりませんが、「裁かれるべきは裁かれるべし」と思っています。
私自身は、検察や裁判所が妥当な判断をしてくれれば、あえて刑事免責を問題にする必要はないと思います。しかし現行のシステムで「妥当な判断」を期待し難いということであれば、ある程度の範囲を区切って一律に免責する旨を規定していただきたいし、そうすべきだと思います。処罰範囲が不明確なまま放置されるのは、皆様指摘される萎縮医療の問題を大きくさせ、ひいては全国民に不幸な結果をもたらしますから。

可能性としては考えられると思います。

 10月6日 21:00、○医師以外の全医局員と第二内科森医師が耳鼻咽喉科医局に集まった。科長から‘少し投与量が多かったということで、家族に納得してもらえないか’‘治したかったために、薬を多く入れた’等の発言があった。
http://homepage3.nifty.com/kaizansyomei/site/column/saitama/1068648986.html

このケースでは、家族に真実が伝えられたようですが、医師が「治したかったから、薬を多く入れた」と発言した場合、自動的に「その人のための」医療行為になるのではないでしょうか。

刑事免責という言葉は日本で「故意犯を含む完全免責」という意味に誤解を招きやすい
このモトケンさんのエントリ本文での指摘に、個人的にはスンナリと納得が出来ました。


全国医師連盟の黒川氏にしても、ネットで意見主張されている実名・匿名の多くの医療者にしても、「刑事免責」という言葉を安易に使われているように感じます。がしかし、この「刑事免責」という言葉を使うが故に、医療者の皆さんの主張が誤解に繋がっているのは確かでしょう。

このモトケンブログでの過去1年、いや2年を越える議論を経てきた者は、医療界の方々が「刑事免責=妥当な医療行為は刑事訴追の対象外とする」という意味に取ると思います。ですがそうした過去の議論を経てきていない多くの人々が、いきなり「医療は刑事免責とすべきだ」という文章に接したとき、医師の特権意識の現れと誤解する方が少なくないと思います。

医療における刑事責任の主張が広く国民の理解を得られる為に、医療界の側で、刑事免責」に替わるキャッチコピーとなる言葉を提案する必要があると思います。

 ひとこと。

 小倉氏が創造した極端事例である「異種血液輸血事案」は、「未必の故意」の領域であって、およそ「認識ある過失」ではありません。その点を誤解ないようにお願いします。

>ガンが早く治るだろうと考えて、標準使用量の十倍の抗癌剤を投与し、患者を死に至らしめた場合

その場合でも患者のためと考えられて行われた医療であれば刑事免責すべきです。
ただしそのような治療をするのであれば、患者に対し十分に説明を行い、書面で同意を得なければなりません。
この過程を飛ばして行うというのは医療行為の正当性に反するもので、もはや医療行為ではないとされ、ただの傷害致死罪として扱われることになります。
したがってこの場合は同意を得ているということが前提となり、その範囲においては刑事責任は問われるべきではないと考えます。
ちなみに私は現場に警察官が踏み込むことをいといません。
故意かそうでないかは警察・検察あるいは司法の判断に任せます。しかし故意でないとされたなら刑事免責で良いと考えます。
これは筋弛緩薬事件など医療に見せかけた殺人をあぶりだすのにプロの捜査官の目が必要と考えるからです。
筋弛緩薬事件の時には空アンプルを捨てに行った容疑者を警察官が不審に思い、逮捕につながったようです。

>個人に刑罰を与える事が無意味でしたら、個人に行政処分を下す行為も意味がない事になりますね。

いいえ、行政としてはそのような医師を野放しにはできません。医師免許は国家が認める資格ですから。
危険な医療行為を行う医師は医療現場から遠ざける必要があります。
軽度なものであれば研修を義務付け、常識を逸脱した医療を行ったものは医師免許を停止・ないし剥奪します。
この行政処分は医師に適正な範囲の医療から逸脱させない抑止力として働くはずです。
なお純粋な過失については医療機関に対し行政処分がなされるべきです。

>医師が「治したかったから、薬を多く入れた」と発言↑
この医者が「本気で」こう思っていたとは、同じく固形腫瘍を扱う身としては、とてもじゃないですが思えません。見苦しい言い訳と感じます。per weekをper dayと勘違いした、とてつもなくくだらないミスが患者死亡にまで至ってしまった不幸なケースです。
この事件、たしか教授にまで責任が及んだんですよね?そこのところに引っかかりを覚えた記憶があります。

本題から逸れました。すいません。以下レスです。
・・といいますか、インフルエンザおたく先生は、そうやって原則論「のみ」で機械的に当てはめることを主張してはいなかったんじゃないかと読めました。例外の存在することは、おそらく含意されているんじゃないかと。確かに明記されてはいませんが、あのような皮肉っぽい事例を持ち出したりせず、質問すれば事足りることのように思います。
感覚の違いということでしょうか?

「ガンが早く治るだろうと考えて、標準使用量の十倍の抗癌剤を投与し、患者を死に至らしめた場合でも、刑事責任は問わないという事ですね。分かりました。」
これは簡単すぎる思います。
「その人のためになると考えられた上で行われた医療行為であれば、」という前提にあってません。
この患者の癌にはどういう治療が適しているかを考えて、「標準使用量の十倍の抗癌剤を投与が有用であった。」という論文を発見し、その妥当性を院内の倫理委員会にかけて検討して、副作用と治癒の可能性がどれくらいと考えられるか説明し同意を取った後で投与したら副作用で亡くなったというのであれば、「その人のためになると考えられた上」かなあと。
標準と大きく逸脱した医療を行うにはそれなりのきっちりした手続きが必要のような気がします。
.....という私は病腎移植をあやしいと思ってたりするのですが。

>ガンが早く治るだろうと考えて、標準使用量の十倍の抗癌剤を投与し、患者を死に至らしめた場合

 この場合は、為にする非難として「致死量を考えない医者を免責せよと読み取れます」なんてのが来ると思うので、あらかじめ病院の倫理審査や本人の同意などの各種さまざな条件を限定列挙で議論するといいかと思います。

>57、61様
同意でございます。

ご本人がいらしたので、私はこれ以上余計なことを言わないことに。

埼玉の件を読み進めて・・
>科長から‘少し投与量が多かったということで、家族に納得してもらえないか’‘治したかったために、薬を多く入れた’等の発言があった。これに対して、森医師は‘それは絶対にしてはいけない。話すタイミングが大事で、早く事情を説明したほうがよい’‘それでは確信犯になる。化学療法の専門家としては、オンコビンは限界でも3日間連続だろう,と答えた。
こんなの(耳鼻科の意見)ばかりだと思われたくないですね。つらい。

個人に刑罰を与える事が無意味でしたら、個人に行政処分を下す行為も意味がない事になりますね。

意味はあるし、刑事免責となるか否かとは無関係に、行政処分はなされるべきだと考えます。

自動車運転免許でいえば、業務上過失致死には問われない場合であっても、免許停止や免許取消がなされてしかるべき場合はありえます。

(逆にしまさまにお伺い。業務停止や医師免許剥奪などの行政処分もなされ、被害者に相応の額の賠償もなされるという前提で、重過失の医療行為を処罰すべきだという主張の根拠についてはどうお考えでしょう?)

なお、私も、重過失(医師の大多数の目から見ても)についても医療行為について刑事責任を問わないという主張(立法政策)は十分に「あり」だと思います。
「故意に匹敵する重過失」の場合には、刑事罰を問うても問わなくてもよい、というのが私見です。
厳密にいえば、「個々に見れば刑事罰に問うべき重過失はある/考えられるが、それでも社会全体にとっては重過失も一律免責するほうがメリットが大きいだろうと予想する」といった感じです。

そういう意味では、小倉弁護士のこの点の主張は、100%の「藁人形」ではないでしょう。
そういう趣旨の主張をしている方は、インフルエンザおたくさまのように、堂々とその主張を維持されるべきだと思います。

それでもなお、「藁人形論法」との批判は妥当すると思います。「それのみ」が医療従事者側の主張であるかのように印象操作し、その主張を叩くことで、「医療従事者全体」を論破したかのように印象操作しているから、少なくともそう読める論の立て方をしているからです。
# 「印象操作」の語が重複しているのは推敲不足に非ず。

逆にしまさまにお伺い。業務停止や医師免許剥奪などの行政処分もなされ、被害者に相応の額の賠償もなされるという前提で、重過失の医療行為を処罰すべきだという主張の根拠についてはどうお考えでしょう?)

医療事故・医療過誤と思われる事故が発生した場合、調査を行わなければならないと思います。院内の事故調査委員会、厚労省、第三者機関が調査する事になるのでしょうが、調査のプロではないために充分な調査を出来ない事が考えられます。


現在、航空事故調査委員会が行っているように、院内の事故調査に警察が協力し、警察のマンパワーを活用するに越した事はないのではないでしょうか。そのためには、完全な免責ではなく、警察が介入出来る余地を残した方がいいと思います。

ただしそのような治療をするのであれば、患者に対し十分に説明を行い、書面で同意を得なければなりません。 この過程を飛ばして行うというのは医療行為の正当性に反するもので、もはや医療行為ではないとされ、ただの傷害致死罪として扱われることになります。

言い訳になりますが、この文章を先に読んでいましたら、先のような発言はしなかったと思います。失礼な発言、お詫び致します。

「その人のためになると考えられた上で行われた」と言う言葉を「医師の主観」で行われると解釈していました。客観的に行われるのであれば、異存はありません。

(約18時間前に投稿されたHirnさんのコメントが保留になっていました。コメントナンバーに影響しますので、ここに転記して公開します。管理人)

全ての医療行為を刑事免責せよと言っているわけではなくて、正当な医療行為にについては違法性が阻却されるべきだと言っているのだと思っています。少なくとも私はそう主張します。

問題となっているのは我々医療者が考えている正当業務行為が、正当でないと司法に判断されていることです。

Med-Lawさんの以前のコメント
http://www.yabelab.net/blog/2007/06/02-210228.php#c58865

医療行為にまつわる刑事罰ということで考えると、違法性阻却事由としての”医療の正当業務とは何か?”を、医療側でなく、公権力である司法側が提示する必要があります。

何が許されるのか提示されないまま医療行為を行うことの恐ろしさに、医療行為をしてきたことに、戸惑い、恐れおののいている医師が大勢いるのです。

また、別のエントリーのコメントでYUNYUNさんはこう書かれました。
http://www.yabelab.net/blog/2007/01/17-231713.php#c33508

結果が悪かった場合に、違法性阻却事由には当たらない。
刑法の違法性阻却事由(実質的な違法性が無いこと)とは、客観的にみて、構成要件に該当する法益侵害を上回る、何らかの良い結果が生じていること(法益が守られた)により、処罰を否定する理屈だから。

それに続くモトケンさんとYUNYUNさんのコメント

>No.71 YUNYUN さん

 私は基本的には結果無価値論者なんですが、医療過誤業過の領域では行為無価値論も無視できないのではないかと考え始めています。

 > 行為無価値論も無視できないのではないかと考え始めています(No.72 モトケンさま)

結果無価値説vs行為無価値説 は、違法性の本質とはなんぞや? という議論です。

(略)

目的が正しければ少々結果が悪くても救おうという非加罰方向に運用されればよいのですが(モトケン様が医師の刑事訴追を否定しようとする理屈)、
逆に、目的が悪ければ、結果が発生していなくても処罰しようという方向に運用される危険がある説なので。特に、政府与党が共謀罪法案導入を唱えているという社会情勢においては。

医療行為については、あえて造語するなら行為有価値説を適用してもらいたいものです。
イチかバチかでやってもらっては困る、とは某検事の有名な言葉ですが、医療行為とはイチかバチかでもやらなければならないのは自明なのですから。

猫又大魔王様、沼地様、ご回答をありがとうございます。失礼いたしました。

>私としては医療が崩壊するかどうかは他人事です。どこまでも
他人事とお感じになられること自体に特に申し上げることもございませんし、わくわくされるのもssd様のご自由です。

ところで何だか客観的とは何か主体的とは何かそこもかっちり定義しないと話が進まない気もしてきました。

 「イチかバチかでやらなければならない」という事態は,医療の「実験的性格」という「許された危険」で理論化できるのではないかと思います。
 ある程度工学的計算でシミュレートできる定型的な自動車事故や航空機事故とちがって、医療の相手は生体物という個体差が大き過ぎて結果の予測困難な実験性の要素が多いからです。

 法律家のはしくれとしての意見を言わせてもらえば、お医者さんたちの主張に不明確な点があるのは小倉弁護士のおっしゃるとおりでしょうね。モトケン氏がお医者さんの味方をしようと思うのなら、お医者さんたちの主張を善解してあげて、善解しない小倉弁護士がおかしいと批判するより、お医者さんたちの主張内容に不明確な点を認めたうえで、小倉弁護士から揚げ足をとられない議論をするにはどうしたらいいのかを議論した方が建設的(議論が前に進む)に思われる。
 私がこの議論をみていて思うのは、お医者さん側の法律論争の未熟さ。これは専門家じゃないのだから当たり前なんだけど。仮に過失犯の一律免責とか、重過失の場合の一律免責といったって、未必の故意と認識ある過失の区別、軽過失と重過失の区別、過失と無過失の区別なんて、ぼんやりとしたものであって、いざ具体的な事件が起きたとき、それが未必的故意にもとづくものなのか、重過失なのか軽過失なのか、そもそも過失があるのかないのかなんて当てはめは、やっぱり医療の素人である法律家には容易ではない。要するに、お医者さんたちが一生懸命、自分たちの責任を軽減するよう運動をしたところで、故意犯をも含めた一律の刑事免責でも勝ち取らないかぎり、あんまり意味がないんじゃないかと思うんですよね。
 また、現行法には、正当業務行為に基づく違法性阻却の規定も、緊急行為に基づく違法性阻却の規定もすでに存在し、学説上は、被害者の同意による違法性阻却も認められているわけで、緊急行為は免責する立法をといわれても、法律家としては、そんなのすでにあるじゃんとしか思えない。
 私としては、お医者さんたちは、自分たちの責任が軽減される立法をもとめるより、医療行為の類型別に、こういう場合はこういうことをしたら過失ありとされる、こういう場合にこういうことをしてもやむをえない、または、こういう場合は、最低限これだけのことをすれば過失がないというように、客観的な基準を作った方が建設的だと思いますね。検察官や裁判官がそれをチェックするだけで過失の有無を判定できるような。お医者さんも、医療のことは専門家にまかせておいて、素人は口を出すなというより、専門分野をわかりやすく素人に伝える方法を考えるでは?

お医者さんたちは、自分たちの責任が軽減される立法をもとめるより、医療行為の類型別に、こういう場合はこういうことをしたら過失ありとされる、こういう場合にこういうことをしてもやむをえない、または、こういう場合は、最低限これだけのことをすれば過失がないというように、客観的な基準を作った方が建設的だと
過去のエントリーやコメントを眺めてきた物としては。 「それがきわめて困難、ほぼ実質的に不可能な為に、今の医療制度の維持に誠実なお医者さんたちは困って居られる」 という様子がありありと見えます。

医療行為の免責についてどこに線引きを引くかは専門家ではないのでコメントできません。

でも、小倉弁護士は「不条理な脅しには屈してはいけない」というエントリーで、

> さらには、医療とは離れた犯罪ないし不法行為に関する民事または刑事上の責任の免除を医師たちが求めてきた場合にも、その要求に屈しなければいけなくなるかもしれません。「医師というのはストレスがたまるのだから、女性患者に対するいたずらくらい容認されなければ、到底やっていかれない。医師の大量逃散を防ぐためには、文字通り医師に包括的な免責特権を与えよ」と脅されたとき、一度その種の脅しに屈した社会はずるずると脅しに屈し続けることになるかもしれません。

と述べています。
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/06/post_5fec.html
彼はまじめに医療事故の免責について考えているのではなく、とにかくイチャモンをつけたいように思えます。

2chlawyer様。
 法律を詳しく知らない医師ですが、法は、すべての社会人が守り従うことができるものであるべきではないかと思いますが、いかがでしょうか?
 医師が、日常の医療行為として行うことには、ガイドラインがすべて決まっているわけではありませんし、マニュアル本や、ガイドラインをどのように使いこなすかを身に付けるのに、大学での教育と、臨床研修を必要とするのです。マニュアルや、ガイドラインを守れば、結果的に救命できなくても、許されるという状況になってしまえば、困るのは、医療者ではありません。かみ砕いて説明しても、自分や家族の病気の状況すら理解できない方が、結果のみから、自分の印象だけで、相手を恨み、裁判を起こす状況があり、死ぬ可能性のある医療行為や、救命の可能性が低い時には医療者がなにもせぬがよかろうと考えることが、法律家の方々の望む、医療のあり方なのでしょうか?
 ついでながら、医療ミスを、歩留まりに例えたところ、あの方に、ひどく反発されてしまいましたが、法律家の方が、ちゃんと医療行為をすれば、のぞまぬ結果とならないと信じているなら、ほとんどの工業製品が、歩留まり100%とならないことに目を向けるべきではないでしょうか?

 白状すると、たぶん、自分が「これは裁かれるべき」と考えている事例とそうでない事例の区別は、法的根拠ではなく、倫理観に基づいて主観的に判断しているのだと考えています。

 青戸病院事件についての小松秀樹先生の論証は読みましたが、「患者のことを第一に考えたのか?」という疑問が頭から離れず、心の底から同意できずにいます。

 いわば、自分にとっては法理はどうでもよいことで、自分の倫理観に合った結論が司法によって実現されているのかだけが問題です。

 これと近いか同じ事が、大半の医療訴訟について、患者及び遺族等、検察官、患者側弁護士、そして裁判官においても行われているのかも知れません。もっと言えば、刑事訴訟一般に於いてそういう傾向が近年強いのかも知れません。

 もちろん、そこに刑事弁護の介入する余地はあまりありません。そして、そんな考え方はえん罪発生のための程よい培地であり、裁判制度への信頼を却って大きく損なうものです。

 悪質なポピュリズムとして、排除されるべき考え方なのでしょう。

「医療行為として妥当なものである限り」という条件に反する事例であれば、故意は当然、それが当事者の証言がなければ原因究明も再発予防もできないものであればともかく、一般の検察官と医療従事者の間で意見の不一致の生じようもないほどに疑問の余地のない過失であるならば、それは刑事免責の検討の必要はないものと思います。

 ただし、かと言って当事者を正当な刑事手続や懲罰的賠償によって処罰することを繰り返してきたことによって、必ずしも自動的に有効な再発予防が為されたわけでもなかったということは、洋の東西を問わず繰り返されてきた塩化カリウムの急速静注による患者死亡事例だけを見ても明らかで、その点については厳しい留保が必要と思います。

 犯人捜しと再発予防の間には、何の関係もない場合があるのです。言い換えれば「以後、気をつけます」という反省の言葉には何の力もないと考えます。

 因みに近年、病院薬局の薬剤師が外来処方調剤業務から部分的にせよ開放されて、病棟の点滴調整業務を自分たちで行うことができるようになってはじめて、わが国に於いても同様の事例の予防が可能になってきました。

 刑事免責を正当化しえない医療事故と再発予防の間には、また、「裁かれるべき」医療事故と故意犯の間にも、深く広い谷間が横たわっているように思います。

 前者は努力によって埋められるべきものであり、後者は本質的にどこかで繋がっている同種のものであるように感じています。

 悩ましいのは刑事免責が正当化されるべき医療事故のやっぱりあることで、たとえば、具体的にはこれに黙秘権を認めては再発予防の為の原因究明が不可能となる場合等です。

 職業倫理の観点から論じることはもちろん可能ですが、それは法制度の果たすべき責任を回避する悪しきポピュリズムに堕した主張であるかと思います。

この議論は永遠に続きそうですが、大野事件の判決次第でも
多少変わってくると思います。

判決は無罪を予想しますが、控訴される可能性が高いわけで、
控訴されないようにするには、どうしたらよいか、ということを今は医師の皆さんも議論した方がいいのではないか、と感じました。
小倉弁護士を語るよりも有益かと思います。

 一市民 さん、こんにちは。

> 小倉弁護士を語るよりも有益かと思います。

 完全に同意しますので、モトケン先生には別スレをお願い申し上げます。

 いきなり、医療行為の全分野の基準は作れなくても、事故が起きた後、これはセーフ、これはアウトと判定できるんだから、多少なりとも基準は作れるんじゃないかな。同種事案の判例集めて、そこから裁判所の客観的な基準を読みとろうとするのは、法律学者が普通にやってることなんだけどな。事故をいくつか並べて、これはOK、これはNGと線引きをする試みは、小倉弁護士が引用したブログにもったし。とりあえず、誰かがたたき台つくって、それを事故事例に当てはめてみて、それがいいのか悪いのか検証していけば、少なくとも今よりはいい形になると思うんだけど。

 いきなり完全なものを作る必要はないし、医療も進歩するんだから、定期的に議論を重ねて行けばいいんですよ。ムーディーズとかスタンダード&プアーズみたいな格付け機関のイメージ。別に公的機関じゃなくてもいいんだから(格付け機関も民間の団体)、医療団体の方で、現在の医療水準は、このレベルだってことを、非専門家に伝える努力はした方がいいと思う。

 「困難、ほぼ実質的に不可能」といって、上記のような努力を放棄し、医師の責任を免責しろと声をはりあげるのは、明後日の方向を向いた議論にしか思えない。

 あなた方の目的は小倉弁護士を論破することでも、謝らせることでもなく、専門家の立場からみて妥当な法の適用がなされるようにすることでしょ。法律家の無知に乗じて、特権的地位を獲得することじゃないでしょ。専門家の立場からみて、許されない行為をした者に刑事罰を含めたサンクションが加えられることに反対はしないんでしょ。だったら、「専門家の立場からみて妥当な法の適用」が何かを明らかにする努力は必要ですよ。

> ガンが早く治るだろうと考えて、標準使用量の十倍の抗癌剤を投与し、患者を死に至らしめた場合でも、刑事責任は問わないという事ですね。分かりました。

余談ですが、これに刑事責任を問うと、1999年以前に白血病の治療をしていた血液内科医の大部分が犯罪者になってしまいますね。

#私ですか? もちろん、アンプルで指を切りそうになりながら、Nのついていないキロサイドで大量Ara-C療法をやったことがあります。寛解にいたらずお亡くなりになった方も当然いらっしゃいます。

そうですね
>医療団体の方で、現在の医療水準は、このレベルだってことを、非専門家に伝える努力はした方がいいと思う。

御意見の趣旨(であろう)事には同意です。

私の趣旨は、おそらくそれだけで解決を望むことは無理で。
「法曹やマスコミそして大勢の大衆が、その困難さを含む現実を認識しなければ解決はおぼつかない」です。

尚、私は医療関係者ではなく、医療を受ける立場で今の医療サービスが維持されることを望んでいます。

個人に刑罰を与える事が無意味でしたら、個人に行政処分を下す行為も意味がない事になりますね

と言う発言に関して補足させて頂きます。


つまり、個人責任を追及するという意味合いに置いて、行政処分と刑事処分は本質的に同じだと思うのです。刑事処分は個人の責任を追及するだけであり、再発防止には繋がらないのであれば、行政処分でも同じではないかと思うのです。


「行政処分であれば、刑事処分と同等以上の効果がある」というご意見でしたら、納得します。

「刑事」では排除するばかりで育てる力は全く無い、ですが。

「行政処分」には、罰や賠償だけでなく「指導」「教育」や「支援」も有ります。

なので、改善のための有効性が「有」vs「無」、の差が有ると思います。

>2chlawyer さん


>専門家の立場からみて、許されない行為をした者に刑事罰を含めたサンクションが加えられることに反対はしないんでしょ。だったら、「専門家の立場からみて妥当な法の適用」が何かを明らかにする努力は必要ですよ。


専門家の立場から見て、ほとんどの医療事故はセーフです。
医療に刑法はなじみません。
本来他人に傷をつけることを許されるという時点で、医療行為は刑法から外されるべき分野です。
それを既成概念の法制度の中に閉じ込めようとしてきたからこそ不具合が生じてきているのではないでしょうか?


ずっと変わらないことということに対しては法による枠組み作り、規制が有効です。
しかし医療の分野はどんどん進化し、判断が微妙になることも多々見られるようになって来ました。
このような場合は基準を変化させつつ対応していくことが必要です。
すなわち、これは良くてこれはだめということは時間経過で変わりうるものなのです。
傷の処置を考えても以前は消毒しないで水洗いだけで縫合するなんて無謀な医療行為でしたが、いまやそれが普通です。
ちなみに最初に水洗いだけで良いんだと主張し実践した人は犯罪者なのでしょうか?

こう考えてくると既成概念にとらわれて法を絶対的なもので変更できないのが原則という考え方そのものが最も変更すべきことではないかと思えてしまいます。

基準は何が国民のために最も良いのか、そこにおくべきではないかと思うのですがいかがでしょうか?


もちろん医療の中ででも枠組みで対応できるところはあり、患者の同意なき医療の原則的禁止や、過失事故の黙秘、隠蔽、改ざんの禁止などの部分です。
しかしそれ以上の、特に個々の医療行為の良し悪しは医療側の努力不足で規定されないのではなく、多くは不可能なのです。

医師の判断は一瞬で行われることがままあります。そのとき、その場所で、同じ状況下で下された誤った判断が許されるかどうかは、究極的にはその瞬間にそこにいた人でなければわかりません。

医師がカチンと来るのは、後で時間をたっぷりかけてこうすればよかったと判断されたことが、当然その時行われるべきだったとされてしまう考え方です。

 刑事政策というより立法政策では
(1) 行政罰的サンクション(免許取消しや過料)
(2) 民事罰的サンクション(損害賠償)
(3) 刑事罰的サンクション(罰金〜死刑)
(4) 訓示規定サンクション(宣言効果だけ)
があります。
 禁煙条例のように当初は(4)だけだったものもありますが,(1)〜(3)をうまく組み合わせて最適解で法益侵害を防ごうとします。一般論としては(1)>(2)>(3)の順で進める(重くなる)のが理想とされます。
 (3)の一部が(1)になった珍しい例が、交通反則制度です。これは、交通刑事警察の能力を超える違反が急増したことと、このままでは1億総前科者(罰金がほとんどですが)となるのはよくないと思われたからです。
 (1)が(3)以上の効果を生じる例外があります
。たとえば、医師の免許取消がそうです。免許が残っていた方が罰金や執行猶予付き懲役刑の方がいいという方も多いでしょう。お医者様にとって医師免許取消(医籍抹消)は、社会的信用や人生設計にとって「死刑」に匹敵するかと思います。

 立法論の議論の前提知識として参考になれば幸いです。

>同種事案の判例集めて、そこから裁判所の客観的な基準を読みとろうとするのは、法律学者が普通にやってることなんだけどな。

医療裁判に関して,裁判例やその裁判記録を集めて読んでみた結果,読み取れたのは,レベルの低い法律家が思いのほか多数いらっしゃるという事実でした。

いくつかは既に拙サイトでも公開していますが,
http://www.orcaland.gr.jp/kaleido/iryosaiban/
患者勝訴判決の中に,法の理屈に合っていない判決が散見されます。医療側勝訴判決では明らかにおかしいようなものは今のところ見たことがありません。

そもそも,医療訴訟において原告勝訴率が4割以下なんてのは,原告側にレベルの低い弁護士がつく場合が多いことを示しているとも言えるでしょう。

医師と法律家の頭脳レベルには,それほど大きな違いはないと思われますので,世間が言うほど医療ミスが多いというのなら,それと同じくらいには司法ミスや弁護ミスが多くてもおかしくないと思います。

いくら医師側が基準作りに精を出しても,法律家側のレベルが上がらないと絵に描いた餅かなぁ,なんて思っています。

第一,これだけ「法」という基準に縛られて生きている世の人々の中にあって,訴訟が尽きないどころかどんどん増えているということは,基準を作れば解決するものではないことを如実にあらわしているのではないでしょうか。

 最近はROMでしたが,久しぶりに書き込みをします。

 以前にも提示したと思いますが,みなさん,まず,元福岡高検検事長で現在弁護士をなさっている飯田英男先生の「刑事医療過誤」「刑事医療過誤供料補版]」を買って,今までにどのような事故が刑事事件となり,医師・看護師が有罪になっているか確認してみてください。
 この「刑事医療過誤」2冊は平成17年までのほぼ総ての刑事医療事件の判決,あるいは略式起訴の起訴状が収録されています。同書を読めば「こういう過失は医師として(看護師として)不適切だろう」と思われる事例だけが刑事事件になっていることがわかります。


 いわゆる「慈恵医大青戸病院事件」までは,検察は飯田先生がおっしゃるように謙抑的に働いていたことが理解できます。
 しかし,「青戸病院事件」で世間の喝采を浴びた東京地検は,この後,「杏林大学割り箸事件」「女子医大心研」で2連敗しています。そして,その東京地検のアドバイスを受けて捜査を行い医師を逮捕した福島地検は……暴走してしまいました。
 さすがに飯田先生自身立場上口を割らないのですが,医事法学会などで,「大野病院事件」に関してはコメントしません。が,その他の口ぶりからすると,飯田先生は福島地検の判断には否定的な感じがします。……今年の医事法学会でこそ直接コメントして貰いましょう。

 たぶん,東京地検の検事も福島地検の検事も飯田先生の「刑事医療過誤」を読んでいないのでしょう……。
 医療集中部watcherのボスのところには検事や警察が刑事事件となっている医療事故の相談に来ることがあって,医療集中部watcherは何度か同席しているのですが,ほとんどの検察官,刑事は「刑事医療過誤」を知りませんでしたから……。

 どういう事故が刑事事件とされるべきか「刑事医療過誤」を検討すれば自ずと答えが見えてきます。
 ……それをどう論文化しようか悩んでいるのですが……。

すでにMultiSyncさんが返答されていますが、私も先に記載したように研修という手段を行政処分は持っています。

さらに刑法犯は犯罪者ですが、行政処分されてもいわゆる前科ものではありません。投獄もされません。


まあ医師免許を剥奪されたら、おそらく医師以外には大方無能な人間の集まりなので、医師としては破滅的ではありますが、それでも普通の社会人として生きていくことはできます。
他人のために医療を行って失敗したという人にはこの程度で最高処分として十分なのではないでしょうか?
免許を停止された場合には十分に反省させることによって無謀な医療をさせない効果が期待ができるでしょうし、復帰に研修を義務付ければ、復帰後また一人の医師として社会がその医師を使えるようになります。
数年投獄されたら、医療技術が落ちてしばらく使い物になりません。


ということで、私は
「行政処分であれば、刑事処分と同等以上の効果がある」
と思います。

>>しまさん

例えば、
 ・罰金刑を受けた → その後もそのまま医療活動を行う。
 ・医業停止+研修 → 研修終了後に医療活動再開
どちらが再発予防に効果的でしょうか?

ちょっと質問をさせてください。

実際には皆さんが答えることは予想できているんですけど、そしてその予想が正しければ、僕は自分は医者を辞めることを本気で考えないといけないとも思ったりもします。

薬によっては一週間に一回服用するものがあります。
Aという薬がそうだとします。
知識としては、Aという薬は重篤な副作用に十分気をつけなければいけない薬です。毎日、服用すると致死的な障害が出ることがあります。

1日50人を午前診で診ているとします。
Aという薬が必要な患者がいます。
普段は28日処方します。従ってAという薬は4日間の処方になります。一ヶ月後が祭日だったので、コンピューター入力で14種類出している薬を全て35日分に変換をしました。Aという薬も連日35日分処方されました。普段は、薬剤部または院外薬局でのチェックが働くのですが、なぜかそのまま35日処方されました。患者さんは処方通り服用して、重篤な肝障害を起こし、意識障害で入院しました。


民事はともかく、これは重過失になるのでしょうか。
刑事でも処罰を受けることになるのでしょうか。

チェック機能が働くので、患者さんに迷惑をかけたことはないのですが、フォサマックという薬に関して、上記のような処方ミスを複数回したことがあります。

だめだしされるだけだと思うのですが、使える医者の数はさらに減るような気はします。

 それは、原則として、プログラムミス又はずさんなプログラムを採用した者の責任で、処方した医師の責任ではないでしょう。

 ちなみに、医療ソフト系プログラマの名誉ために付記します。
 看護師さんや医師又は事務員が、手書きのカルテから電子処方指示入力(今なら電子カルテで医師が処方指示を直接タイピング)でタイプミスがときたま生じた事故例がフィードバックされ(たいてい1桁間違えたとか、「mg」を「g」に間違えたとか)、許容投与量データベースが自動的に処方量をチェックして、上限下限を超える投与量入力がされると、警報がなって入力を受け付けない、というアルゴリズムが普通になりました。
 そうでない医療系電子カルテ等のシステムを採用されている医療機関は早急に改善(バージョンアップ)をお願いします。m(_ _)m

「刑事処分か行政処分か」ですか。

刑罰の適用はすべからく謙抑的であるべきですから、行政処分が適正に執行されることで、適性を欠く医師に対する再教育や、場合によっては医療現場からの排除が行われるのであればそれで充分だと思います。
 ただ、我が国において、医師に対する行政処分の一環として再教育研修の制度が設けられたのは2006年であり、その施行は2007年4月からですから、正直なところ、再教育研修の中身や効果についてはまだまだ未知数で、今後厚労省なり各医学会なりがきちんと整備し、国民の理解を得るよう努力すべき(少なくとも捜査機関に「自分たちのでしゃばる必要はないな」と思わせられる程度には努力すべき)でしょう(なお、私が「努力すべき」と言っているのは厚労省や各医学会に対してであって、各医療現場で臨床にたずさわる個々の医師ではありません)。

 また、今次の医師法改正については、樋口範雄東大教授が次のように述べています。
(以下引用)
今回の医師法改正が医師への処分拡大、厳罰化という一面的な方向性をとっていないことには注意すべきである。再教育履修の義務化は、この問題(=医療安全の問題:引用者注)が、処分という名の罰を与えて単純に済ますことのできない問題であることを示す。過ちをおかした医師に再び「人々の健康の維持と向上」への活動に参加してもらう道を開くことには意義がある。
(中略)
行政処分制度の拡大は、現実的にも大きな課題がある。何しろ医師と歯科医師を合わせた36万人がその対象となる。弁護士の場合の2万人でも、実際の懲戒は各地域の弁護士会があたっていた。それぞれの懲戒機関の対象者はもっと少数になる。あるいはアメリカでも医師は州の医師として存在するから、大きな州のカリフォルニアでも医師の数は12万人だった。36万人というこれだけ大きな集合を監督し行政処分を行うことは、世界的に見てもほとんど例がない。法律に調査権限を書いたからといって、それでうまく機能するわけではない。率直にいえば、それが無理だからこそ刑事処分に頼る体制でやってきたのである。刑事処分から自立した行政処分の仕組みを構築することは、厚生労働省を含め地方自治体も職員の削減が求められている今日、いくら医療安全が声高に叫ばれているといっても、時期的にもうまくない。いわんや、行政処分は医療安全の特効薬ではないのである。しかも時期の問題ばかりではなく、医師のような専門家を誰が監督すべきかという基本的な課題がそこにはある。
(引用終わり)
(以上、樋口範雄「展開講座・医療と法を考える(第5回)−医師の資格と処分−」法学教室2006年8月より)

 とまあこういうわけで、ただ単純に「刑事処分か行政処分か」と聞かれれば、上述のとおり「ただ罰するだけの刑事処分より再教育履修を義務付けられる行政処分のほうがマシ」ということにはなるでしょう。でも、それは「本当に実効性のある、刑事処分から自立した行政処分制度が確立してから言えること」であって、現段階でいえば、「目玉である再教育履修もどんなものかわからない、調査の大部分は未だに刑事処分に頼っている、ハリボテの行政処分制度と、行政処分制度の運用機関である厚労省から頼られてる刑事処分制度とを、比較すること自体そもそも間違い」ということになるような気がします。

 マクロで見ても、医療の専門技術を持った方というリソースをリサイクルして再活用るすることが、税金を投入した医師養成の税投入の効率性にとっても、ご本人の専門業たる医師人生のライフワークでも、極めて望ましいことかと思います。
 それが刑事処分でも「医師免許停止と研修義務化という社会的制裁を既に受けており、今後も国民医療に資する反省の態度で医業に邁進して……」とかの起訴猶予基準に適合すれば、望ましい行政的サンクション&刑事的サンクションではないかと思います。
 地方の公立病院は医師不足に悩んでいますし(悲鳴。

No.92 ハスカップ さん

>それが刑事処分でも「医師免許停止と研修義務化という社会的制裁を既に受けており、今後も国民医療に資する反省の態度で医業に邁進して……」とかの起訴猶予基準に適合すれば、望ましい行政的サンクション&刑事的サンクションではないかと思います。

 おっしゃることは分かりますが、不適格な医師に現場に戻ってこられても、本当の意味での医師不足解消及び医療サービスの向上には繋がらないと思います。

 また、そういった社会的制裁を受けた医師であることが、患者側に分かるような情報公開制度も確立させないと、情報の非対称性から、結局、患者の医療不信を招く可能性があります。

No.93 名無しさん さん

 そういう方は研修段階で弾かなくては、研修の名に値しないと思います(教師の再研修と同じように)。そして研修修了試験を医師国家試験&認定医試験なみに厳しくしなくてはいけないでしょう。

 ただ行政処分の情報広告(官報告示)は当然としても、仮に医療機関の看板に啓示を要求する情報公開だとしたら、それは個人情報保護法の趣旨に反すると思います。身分証明書や自動車のナンバープレートに「前科者」という表示を要求されてはいけないのと同じだと思います。
 おっしゃる気持ちはわかりますが・・・。

付記:

 おそらく被疑者被告人の人権を尊重する余り、被害者や被害者予備軍の人権が犠牲〜疎かになっているとの不満や批判が当然に来るかと思います。
 しかし、現代に妥当しないと言われても、16世紀以来の魔女狩り裁判で明らかなように、冤罪防止にはそれなりのリスクを負担すべしとの人権思想が背景にある!という歴史的沿革があるのです(法学を学んだ者にとっては)。

>No.94 ハスカップ さん

 研修に関しては、おっしゃるとおりと言うか、そういう回答を聞くことが出来て、ある意味、私も安心しました。

 情報公開の件については、ちょっと疑問があります。
 
 そもそも、ハスカップさんが起訴猶予の話を持ち出された趣旨は、その方が国民の福祉にとって有益だから、という理屈だと理解しています。
 言ってみれば、刑法の理念よりも、実態としての国民の利益を優先した、ある意味政治的な判断だと受け取りました。

 私が情報公開制度のことを持ち出したのもそれと同じで、本人の個人情報保護よりも、実態としての国民の利益を優先して考えるからです。
 
 私の目から見て、ハスカップさんは起訴猶予に関しては国民の利益の観点から論じているのですが、個人情報保護に関しては、医師個人の利益の観点から論じているように思えます。

 そのあたり、ハスカップさんはどういう整理をされているのでしょうか。

 No.95のとおり、人権思想の原理原則で譲れないところに依拠しています。法学の刷り込み…プリンティング…だとの批判感受します。

 「弾くべき」「厳しくすべき」といった表現ぶりにとどめ、現実の再教育研修が「弾く」「厳しい」とはおっしゃらなかったところに、ハスカップさまの誠実さを感じました(皮肉とかではなく、真面目に)。去年から始まった制度について、厳しいとか厳しくないといった評価をするのは困難でしょう。
(実際のところはどうなんでしょうか?厚労省や医道審議会の中の人に聞いてみたいですね)

 まあ、「情報公開」については、別に冤罪まで持ち出さなくても、もし、再教育研修が、「なるほど厳しいものだ」というものであれば、「再教育研修履修」=「一般的医師のレベルまでには知識・技能が到達しているもの」とみることができるはずですから、わざわざ一般の医師と区別する必要はなく、従ってことさらに公開する必要もない、ということになるでしょう(もっとも、今般の法改正で、処分歴や再教育履修歴が医籍に載ることになったそうですが、開業医の方々はともかく、勤務医の方々は転職にあたり処分歴が転職先にバレたりするのでしょうか?)。

>No.88 少し疑問 さん


>民事はともかく、これは重過失になるのでしょうか。
>刑事でも処罰を受けることになるのでしょうか。


ハスカップさん以外には回答がないようなのでコメントします。


まあ先生の提起されているようなことはおそらくは経験したことのない医師はほぼ皆無に近いと思います。私自身経験しましたというより、細かいミスは結構な頻度で今でも起こっています。先生と同様、院内・院外のチェックと事故防止対策でこれまでその結果が患者さんに迷惑をかけるところまでは行き着いていませんが、冷や汗が出たことは数え切れないぐらい経験しました。
そのつど反省はするものの、多忙な中、待ち時間に憤慨する患者さんたちにせっつかれて仕事をしていると、どうしても入力ミス・失念が起こってしまいます。ゆっくりチェックする間もなく、また入力した本人のチェックは甘くなりやすく、さらに次々に診療をしていかなければ外来が大変なことになってしまいますので、ながら診療にもなりがちで、多忙な外来には処方ミスの危険がいたるところに潜んでいます。
チェックは機械か別の人にお願いしたいが、それが難しいこともわかっているというジレンマも抱えています。

処方ミスが果たしてオーダリングシステムのプログラムで何とかなるかといえば、私は経験ありませんが一覧表示された薬の隣の薬をクリックすることで用量はあっているけれど、患者さんには不適切な薬が処方された事故を耳にしたことがあります。
手書きのころは書き間違えで、名前の似た別の薬剤名を無意識に書き、病名がないと医事から返ってきたのを見て処方薬の書き間違いに気づいた経験もあります。


無論これが起こっても仕方がないというつもりは毛頭なく、誰もが事故防止に努めたいと思っていますが、今の医療環境ではほとんど限界に近いと思います。
ちょうど地球温暖化対策で日本はこれまで相当の努力をして削減してきたため、これ以上の対策は全家庭にソーラー発電システムを完備させるなど大きく対策費を取らなければ実現しがたい、しかしそんなことをすれば国家財政が破綻するということに似ているように思えます。
国家として何とかしなければ解決できない問題です。(対策費増は一つの手段に過ぎず、私は医療費公費負担を増やさず医療環境を改善させることは可能と考えていますが)


重過失かどうかについては重過失罪は適用されないことと思います。
ただし患者が死亡にいたった場合、結果の重大性を持って責任を問われる風潮が強まってきている傾向があり、おそらく重過失致死罪ではなく、業務上過失致死が運用され、小さく刑事責任を問われる可能性はありうると思っています。

現実にどうかといえば、今のところは実際に警察・検察は謙抑的に運用しており、その確率は低いことでしょう。
しかし今の流れのまま医療側の責任追及を厳しくすることを受け入れていると、そのうち当たり前に責任を負わされていくことになる危険があると思います。
これを確定させるであろう法案が厚生労働省が提案している医療安全調設立法案です。
今まであいまいだった刑事責任追及が、この法案で確定的なものになり、また一度刑事責任が追求できることを確定させてしまうと今後これを覆すことが極めて困難になります。しばらくは議論すら困難になることでしょう。
だからこそこの厚生労働省案だけは国家百年の計としてつぶさなければなりません。


これは医師や医療機関が責任逃れをしようとしている訳ではありません。
より安全な医療のために同じ事故を繰り返さない事故防止対策こそ国民が望んでいるこという視点で、これが医療側が考えるベストの選択だということです。

ハスカップさん、返信をありがとうございます。
実際に患者さんが亡くなったりしたら、どうなるのかなあと単にシステムの問題だとは判断されない気がします。
この場合、ミスははっきりしていて結果も重大だ。しかし、ミスはなかなか防げないという状況です。院外薬局でのチェック機構が働かない場合、必ずおこりそうです。僕はそういう薬は処方箋を別にして対応しようとは思っていますが、これは一例ですから、いろんな罠は落ちています。

インフルエンザおたく先生
先生のおっしゃることが、妥当なのかなと思っています。
ただ、結果に対する最近の厳罰を求める傾向でいうと、刑事責任は問われることになるのではないかという気がします。書類送検ぐらいはしょうがないんでしょうね。

以前に、処方の手続き上のミスではなく、知識が間違った故だと思うのですけど、メソトレキセートという免疫抑制剤を1回/週投与するべきなのを1回/日投与した患者さんに有害事象が生じた例が報道されたことがあったような記憶があります。あれは、どうなったのかな。

 トピズレままで恐縮ですが。

 実際に10分間診療&カルテ処方カキコと休憩のインターバル1〜5分を朝9時から夕方7時くらいまでの激務を続けていれば、産業統計上も単位や桁違いそれに隣のボタン押し間違いは不可避に発生します(労働産業研究所のOA労務のヒューマンエラー調査)。その主因は疲労と余裕のなさと言われていますが、無理な激務の診療を担当していただいている先生を責めるのは躊躇します。誰がそんな激務の人員配置したとなるわけで(汗。
 また、投薬チェック体制が完備されるのが理想ですが(キャプテンの操縦をコパイがフルチェックするみたいに)、「医療費削減=人件費削減」が至上命題の地方公立病院では、薬剤師の綿密なチェックすら画餅のところも多いでしょう。混雑時は薬剤師さんも目の回るような処方箋チェック(1枚30秒〜1分)すらあります。
 そして、患者さんの中でも高齢者で各種薬剤投与を受けていると、1日1錠を毎食後に他の薬と誤飲する、1週間1錠を毎朝誤飲するということも少なくありません。もちろん「薬袋」には「用法・服用量」がきちんと書いてあってもです。

 こうしてみると、現行の人員と人件費に余裕がない医療システム(その犠牲を強いられる医療従事者たち)と広くそのマネージメントを事実上した国が責めを負うべきなのかもしれません。

医師はどんどん自白してください。
いいことです。
自白により、国民は危険に晒されていることを知り、
対策を考え、それが医療改革に繋がると思います。

とにかく、医師側からは医療とは不確実なものだというだけで
事実が見えません。

どんどん情報公開お願いします。
それが相互理解に繋がります。

情報公開、対話が大事だと思います。

 こうしてみると、現行の人員と人件費に余裕がない医療システム(その犠牲を強いられる医療従事者たち)と広くそのマネージメントを事実上した国が責めを負うべきなのかもしれません。

国は財政に余裕がない中で、医療費に関しては最大限の努力を払って、維持しているように思います。責めを負うべきなのは、「国の無駄を省け」「日本は小さな政府を目指すべきだ」「増税などとんでもない」と叫んでいる国民だと思います。

事故調査に関しては以下のような主張があり、医師をはじめとする、業務上過失致死傷罪の対象になっている方々は、この主張を支持しているように思われます。

「事故原因の究明のためには、技術的な面以外に、人間や組織の関与、つまりヒューマンファクターの解明を行うことが不可欠である。したがって、事故の真の原因を探り、再発防止の教訓を引き出すためには、事故当事者の証言をいかに的確に得るかが重要な課題となる。しかしながら、証言者自らが法的責任を追求される恐れがあるときには、有効な証言は得にくいという問題が生じている。そこで、事故調査においては、個人の責任追求を目的としないという立場を明確に確立することが重要であり、この立場をもとに調査を行えば、真相究明が容易となり、類似事故の再発防止、安全向上にとって貴重な事実が明らかになることが期待される。」
http://www.jalcrew.jp/jca/accident/907-958/907saiban-seimei.htm


「行政処分」も法的責任の追及という意味では同じなのではないかと思います。刑事免責になったとしても、自らの発言が「再教育」「医師免許停止」「医師免許取り消し」等という医師にとっての不利益を招くとしたら、有効な証言は得られるのでしょうか。

> 一市民さま


医師側から自白をすることは現時点では、極めて困難です。
それを困難にしているのが現行法で、憲法の「自白の強制に対して不利益処分を課せない」の待遇にあたる「不利益処分を課すことは譲れないから強制的に自白を求めるようなことはしない。」から抜け出せないでいます。

患者のために必死で働いてきたのに何でそのことで犯罪者扱いされなければならないのか納得できない医師側の立場もあります。


おっしゃるとおりで情報公開・相互対話がスムーズに行われ、事故をいかに減らすかを目指す社会に変わっていくことを私も望んでいます。

そのためには行政処分という建設的な他の方法もあるのですから、不利益処分を課すつまり刑事罰を与えることに国民全体に対して固執しないで頂きたいとお願いしたく思うのです。

行政処分では、矯正不能のとんでもない医師は現場から永久に排除することもできますし、矯正可能な医師は再研修で矯正もできます。
研修終了時に一定の矯正効果がみられない場合にはそのまま現場から立ち去ってもらうことも可能です。
一方、医師にとっても医療技術を再確認できるので自信がない状態で医療を続けなくても良くなります。

「行政処分」も法的責任の追及という意味では同じなのではないかと思います。刑事免責になったとしても、自らの発言が「再教育」「医師免許停止」「医師免許取り消し」等という医師にとっての不利益を招くとしたら、有効な証言は得られるのでしょうか。

同じようなことを私も考えました。しかし,

1. 刑事罰よりかはナンボかマシ
2. ミスを犯す警察・検察に調べられ,これまたミスを犯す裁判官に裁かれるよりはなんぼかマシ
3. 再教育は今後の課題でしょうが,やっぱりあってしかるべき

この件に関しては,完璧な制度はありえないという現実を受け入れた上で,よりベターなものを考えるくらいしかできないと思われます。私なんかは,運転免許のような点数制度も悪くないのではないかと思っていますがどうでしょうかね。

法律家の方々に置かれましては,どの程度の処分を科すべきかを考えるときには,「ヘボ弁護士のヘタッピな弁護」に対して,どの程度の処分を科すべきかを連想してみて頂けると宜しいかと思います。あと裁判官や検察官に対してもですね。

>医師側から自白をすることは現時点では、極めて困難です。

匿名で診療科ごと事例を集め、それらの医療ミスは疲労やシステムエラーによって起こっている。
これを改善するために、どうすればよいか、
危険に晒されている国民に聞きたい、あるいは行政に聞きたい、と新聞広告でも打てばいいのではないでしょうか?

そういう事実を知れば、もっと医療関係者を増やすなりして
エラーが起きないようにしなければ、と思いますし、
そういう環境下の医師や看護士もかわいそうだ、
単純に医療訴訟も考え物だ、と世論はなると思います。
その結果、医療費増額賛成になると思いますが。

鶏が先か卵が先か。

信頼される原因究明制度。
応報感を持った処罰制度。

これを両方いっぺんに導入するのは、横着以外の何物でもありません。

まずは、処罰は科さないで、原因究明制度を稼働させて
信頼を得ること。
そのためにちゃんと予算化して、法医の数は増やして検死制度は改革する。
Aiも導入するなら、コストをちゃんとかける。
そうして得たデータをお金をかけて分析する。

そんな段取りもわからん象牙の塔の住人が法医学者で、法医学会が昔出したKYの、身の丈に合わない「異状死ガイドライン」。
法医の待遇を改善しないなら、死因究明制度には一切協力しないくらいの活動をしたらいいのに。

その点、まだ全然形にもなっていない、Ai構想に、呼ばれもしないのに、医学放射線学会が、

「あー、臨床みたいにクソ安い読影料なら、一切協力しねえからな。」

といち早く意見表明したのは、偉いと思いました。

医療関係者が法律について無知すぎるというのは、法律家からすると当然でしょうね。
たぶん医療関係者から見て法律家が医療に関して理解が無いと思えるのと同じようなものでしょう。
さらに専門分野の話しになると医療関係者同士でもちんぷんかんぷんなので、さらにそれを基礎知識のない人間にまで理解してもらい、さらにそれをアップデートし続けるのは「シシュポスの岩」なみの大変さ。

私がネットで医療系のブログを読み始めたのが半年前くらいからなので間違っているかもしれませんが、免責を求めるというのは事故調の試案の不備からくる不信感が原因のように感じます。
それと福島での事件が結びついて、「福島大野事件」を防げるような方法になってなければ事故調案としては不備だというもの。
厚労省が作ってるんだから事故調査委員会で犯罪性があると判断された場合に刑事事件になるという仕組みが作れないのは法律関係者からすると当然と言えば当然でしょうけど。(笑
警察の捜査権の抑制は刑事訴訟法を改正して、捜査権など法的権限の所在を事故調に変えなければできないのに、第三次試案では刑事訴訟法の法改正には何も触れていませんから。

さらに検察が事故調の調査結果を待てないのも道理だとは思います。
今の試案だとどうやって調査をするのかが謎過ぎで、調査依頼の書類を整理するだけの機関になるんじゃないかと危惧されますし。

そこにもってきてこれ。
 「検察の意向にかかわらず、医療事故が刑事裁判に発展する」??。
2009年5月27日までに施行が予定されている改正検察審査会法では、検察官が不起訴とした事例でも、起訴・刑事裁判に至る仕組みが導入される。厚生労働省が検討を進める“医療事故調”が設置されれば、「医学的に不当な起訴」を防止することができるとの期待が医療界にはある。しかし、「多くの医療関係者は、“医療事故調”ばかりに目が行っており、検察審査会法改正の問題の重大性に気づいていない」
「 検察審査会は一般の国民が判断しますから、世論の影響を受け、患者側の視点から判断されがちです。科学的な視点が必要なところに、感情論が入り込んで、正当な判断が下されないという危険性があります。」などという怖い意見が。

無作為に選ばれた人が、「患者さんが可哀想だから医者を起訴!!」
そして裁判、無作為に選ばれた陪審員が「患者さんが可哀想だから医者は有罪!!」

そんな怖いことを考えちゃって心配になって免責の声がでてると思います。
あながち杞憂とは思えないのがうちの母などは「割り箸事件」でもかわいそうに、医者が悪いに決まってる!!って意見です。
まあ、父が亡くなった時もまだ温かいから生き返らせろと言ったほどの人ですが。

司法というのは不思議なものだなあと思います。
患者の治療方針を決めるカンファにくじで選ばれた一般の人に参加してもらって、一般人が医療に何を求めているかなどと言うことを聞くということは想像もできません。

医療と司法の両方に詳しいと討論しやすいのでしょうけどね〜。どっちも難しすぎる。(笑

>そのためにちゃんと予算化して

まったくこの頃、何の話しでも「みんな貧乏が悪いのよ。」ですよね。(笑

金をかけずに改善できっかよ!!!!...........終わり。

 多少トピズレ恐縮ですが。m(_ _)m

 米国パイロット業界には、匿名で詳細を発表できるNASA所管のASRS(航空安全報告制度:Aviation Safety Reporting System)
があり、わが国でも航空安全情報ネットワーク
(ASI-NET:Japan Aviation Safety Information Network(財)航空輸送技術研究センター所管)が平成11年12月1日から同様に活動しています。
 この制度によって、太平洋横断便でキャプテンとコパイがそろって熟睡運転をしていたことが判明した例があります。これは、規制緩和で昔より低賃金長時間操縦を強いられるようになったパイロット(しかも航空機操縦の自動化安全化の発展で居眠りを誘い易い)の労働環境が原因とされています。

 このような、安全報告制度の具備すべき要件として、一般的に
・免責性(報告者が処罰されないこと)
・秘匿性(匿名性を堅持すること)
・公平性(第三者機関が運用すること)
・簡易性(手軽に報告できること)
・貢献性(安全推進に貢献していること)
・フィードバック(確実に役立っていることを本人に伝え自己顕示と表現欲を充足させること)
が必要であるとされています。
 ご参考まで。m(_ _)m

 えっと・・・行政処分が素晴らし〜もののように書かれているのですが本当にそうでしょうか?
 行政処分はやはり処分です。決して甘いものではないです。当然これを忌避したいと考えるのが通常です。No.104 しま さまと同様の疑問を私も感じます。さらに付け加えれば民事責任との関係でも真実を語れるのか疑問です。
 自分に過失があると自覚している者が真実を語る動機付けを可能にするような立法は可能です。
 たとえば所得税法第二百三十四条  国税庁、国税局又は税務署の当該職員は、所得税に関する調査について必要があるときは、次に掲げる者に質問し、又はその者の事業に関する帳簿書類(中略)その他の物件を検査することができる。
 第二百四十二条  次の各号のいずれかに該当する者は、一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。(中略)九  第二百三十四条第一項(当該職員の質問検査権)の規定による当該職員の質問に対して答弁せず若しくは偽りの答弁をし、又は同項の規定による検査を拒み、妨げ若しくは忌避した者
 以上の様に行政処分のみとした場合供述拒否には罰則を課すことができ、これは黙秘権を侵害しません(最判昭和47年11月22日)。おそらく刑事免責を認めて行政処分強化とする方向性で立法するならばこのような規定が定められることは確実なわけですが本当にそういう覚悟が医療関係者にあるのでしょうか?

患者の治療方針を決めるカンファにくじで選ばれた一般の人に参加してもらって、一般人が医療に何を求めているかなどと言うことを聞くということは想像もできません。

イギリスなどでは、死因に対して疑問がある場合、陪審で死因を決める事があるそうです。

検死陪審は、一般市民から選出された陪審員(たいてい5人)が死因の決定と再発防止に関与するものである。この時、判事は法律的意見の提供という形で関与するが、コロナーは陪審において証拠の提出など進行役として評決に関与する。法医学者は剖検結果の報告と医学的見地からの解釈を行っている。
http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~legal/topix01b.htm


上記の話とは特に関連はありませんが、コロナー制度の導入は検討されるべきでしょうね。コロナー制度が日本でも導入されるのであれば、警察が医療現場に介入する必要は無くなるかと思います。

しまさん、情報ありがとうございます。
コロナー制度ってはじめて聞きました。

でもこれクジで無作為に選ばれるわけじゃないですよね?

私はうちの母のような人が選ばれるのが心配なんです。(笑
わたしもたいがい感情的なオバンですが、母をみるといや〜まだまだオバン度が甘いな、人はこれだけ理論的じゃ無い思考ができるんだって感心しますから。(笑

No.105 インフルエンザおたく さん
>患者のために必死で働いてきたのに何でそのことで犯罪者扱いされなければならないのか納得できない医師側の立場もあります。

 労働災害や職業運転手の鉄道航空船舶自動車事故の過失犯でも同様の感想をマスコミ経由で耳にします。世のため人のために人命や身体へのハイリスクな職業の方にある共通な思いでしょう。

No.106 峰村健司 さん
>「ヘボ弁護士のヘタッピな弁護」に対して,どの程度の処分を科すべきかを連想してみて頂けると宜しいかと思います。あと裁判官や検察官に対してもですね。

 これはモンスター患者が口する不満と同一の構造で賛成できません。正直なお気持ちとしてよく分かりますが、弁護士=医師・弁護=医療・裁判官や検察官=医師の家族や院長、とすればよくわかると思いますが、生産的ではないでしょう。
 また、医師側が法律家の医学無知を嘆いてる横では、法律家側が医師の法的常識の欠如を嘆いているわけで、このような表現は、相互理解を妨げ離反させる危険性があると思います。

No.112 ろくろくび さん

 ご指摘のように、行政処分に対する事故調査で意図的に虚偽を述べたら罰金以上の制裁が科されて当然というのが日本の法制です。三菱重工の虚偽報告が高裁で逆転有罪となったことでもわかるとおり。

 これが米国の事故調査では、もっと厳しく、宣誓供述書(アフダビット)の提出を求められ、嘘や誤魔化しがあれば「偽証罪」で体刑となり刑務所行きです。そして米国宗教文化では、執行猶予が運よくついても、偽証は(神にウソをついた者として)社会的抹殺を意味します。
 「事故調査に協力するかわりに過失犯の刑事免責(証拠禁止)」といっても、より重い故意犯の偽証罪の威嚇制裁が待っているので、皆さん真実の証言を強要されるのです。三菱重工タイヤ脱輪事故虚偽報事件でわかるとおり、日本はまだ甘い立法例です。この点をお忘れなく。

えーと,私としては,法律家の医学無知を嘆いているのではなくて,法律家の法的常識の欠如を嘆いております。

例えばこの事件の一審判決を出した裁判官とか,
http://www.orcaland.gr.jp/kaleido/iryosaiban/H15wa22464.html
この事件の高裁判決を出した裁判官とか
http://www.orcaland.gr.jp/kaleido/iryosaiban/H7wa44.html
などは,医学知識云々はさておいて,"違法な"判決を出した愚かな裁判官たちと考えています。
これら以外にも,立証のリの字もできていないようなどうしようもない原告側弁護も多数見受けられます。極め付けが大野病院事件の福島検察です。

最近の私の心証では,法律家たちが法的常識を守って法的正義を貫いていれば,これほどまでに医療訴訟が医療崩壊の一大原因と考えられるには至らなかったものと考えています。

 それは大変失礼しました。私の誤読だったようです。申し訳ありません。深くお詫びします。
_| ̄|○  ○| ̄|_

 刑事事件なら検察庁は最低限の水準は維持できる(ように努力できる)組織だと思いますが、民事は弁護士なら専門外でも原告代理人になれるので(組織の教育も応援もない)、ご不満は理解できます(私も医学無知の弁護士につるしあげられた経験があります)。
 専門医ならぬ専門認定弁護士制度も、初来的には必要でしょう。検察庁でも、東京地検に専門的に医療事故を担当する部署を創設し、専門的トレーニングを始めたやに聞いています。
 もっと大変なのは裁判官でしょう。強度の身分保障で職権独立の名のもとに、専門的トレーニングもむずかしいじゃないかと思います。ただ、A医師の薬害HIV刑事事件では、無罪となったものの1審の主任裁判官は、医籍をもつ裁判官だったことが印象に残っています。

小倉先生のブログには、

「全ての医療ミスを免責せよ」と主張しているように思われます。

と書かれた元外科医です。その通りですが何か問題でしょうか。
 小倉先生は輸血ミスの極端な例を挙げておられます。普通の医療ではあり得ない状況(病院のしかるべき伝票に血液型やクロスマッチ申し込み書を全部書かなければ実際は輸血の部署は動かないので輸血が届きません)ですが、そういう状況で主治医の責任で輸血という賭に出たのであれば業務上過失致死に問うことは出来ません。また普通の状況で( )の手続きを医師が故意に飛ばして輸血することは過失犯ではなく未必の故意と言うのではありませんか。死んだら殺人ですね。

こちらこそ明快な文章でないもので,失礼しました。(というか,未だに曖昧な部分が残っているかと思いますので,何なりとご確認ください)

私としては,法律家がそのプロフェッショナルな仕事の中の,純然たる法律家的なミスに対して,どの程度の処分を受けることが妥当かを考えてみてほしいという気持ちです。

純然たる法律家的なミスが,例えば控訴期限を過ぎてしまって控訴できなかったなどの明らかな場合なら,ミスが明確ですから弁護士業停止数ヶ月とか決めてしまえばそれでいいでしょうが,弁護の腕が悪かった,証拠の一個を軽く見ていて形勢不利になった,ここでこれを主張していれば逆転していた,といったようなプロフェッショナルの裁量の範囲になると思われるミスに対して,どの程度の処分なら受けられますかということを考えてみてほしいのです。先に例示したような"違法な"判決を出した裁判官に対して,どの程度の処分なら与えられるかを考えてみてほしいのです。

医療訴訟というのは,民事も含めてですが,そのようなプロフェッショナルの仕事に異議を唱え責任を求めるものが多くありますから,上記のように法律家が法律家の裁量の範囲の仕事に対して,どの程度の異議を唱え責任を求めるべきかについて,さらに言えばその責任をどのようにして認定するかについて思考実験してみれば,その責任追及にはおのずと限界があることがわかってもらえるのではないか,と思っています。

ネット上を調べてみる限り、自己血輸血の場合に事故が相対的に発生しているような印象を受けるのですが、いかがでしょう。もっとも、古い資料しか見つからなかったので、現在では状況が変わっているかも知れません。

自己血輸血の際の事故であれば、業務上過失致死傷罪に問われる可能性はあるのではないでしょうか。もっとも、責任は医療者個人より、システムの問題であり、管理側の問題に帰結されるべきですが。

>No.119 元外科医 さん
 いや、純粋に業務上過失致死としか言えない事例は当然あるでしょう。
 死んでしまったわけではないですが、緑内障の手術で右目と左目を間違えて手術してしまった事例もあるわけですし。 http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20080612-OYT8T00231.htm

 こういう事例も含めて、全ての医療ミスを免責せよ、という主張でしょうか。

 元外科医さんは、医療行為固有の問題(医療行為の不確実性)に基づく非刑罰化と過失犯の非刑罰化という過失行為全般にわたる問題を同時に問題にされているようですが、それは別問題として考えたほうがいいと思います。

 前者は、そもそも過失と言えるかという問題であるのに対し、後者は、明白な過失があっても処罰すべきではない、という議論だからです。

 御配慮痛み入ります。m(_ _)m

 米国では「弁護過誤専門弁護士」がいらして専門文献もかなり出ているようですが、日本ではまだまだですね。
 実際に法曹の仕事で批判されたものとして、地裁の判決が高裁で破棄自判されるものがかなり公開されており、手厳しく原審(地裁判決)をボロクソなまでに批判したのを見たことがあります。誤字脱字の指摘だけで縦書きB4版2つ折り(今ならA4横書き)で3ページにわたって延々と指摘されていました。
 そこまでいかなくても、「存在しない証拠を存在するとして無罪の理由としていた誤りを指摘して」3名無罪が3名実刑と逆転した北の方の高裁判決とかも目にしたことがありました。
 そして、たいていの無罪判決は、当然ながら、検察の証拠構造や証拠評価をコテンパンにするのも多く、それがプロの法曹の仕事への批判になっていると思います。

 ただ、トピックの関係でいうと、裁判官や検事は国家公務員なので、国賠法の規定によって、軽過失が免責されて重過失しか個人として民事責任を負わずですし、懲戒も、裁判官だと公務員の中でも格段に身分保障が強いです(再任拒否というシャベラナスギという放逐も出ましたがw)。

わらわらと反論が来ました(笑) 小生は明白な過失でも刑事裁判にするなとはっきり主張していますが何か不明な部分がありますか。明白な過失(右左の目の取り違い)でも刑事裁判にすべきでありません。再発防止策を組織にて確立し被害者には相応の賠償をすることでいいではありませんか。そもそも犯罪ではない大野事件など小生の考えでは冤罪そのものです。

かつて自己血輸血に携わってきました。幸い事故はありませんでしたが、本人確認が最大の難関です。意識があれば本人自筆のラベルの確認を事前にして貰うことでかなり取り違いリスクが減るのですが、絶対ではないといわれ小生が担当から外れたあとは自己血でもクロスマッチが義務づけられています。対策をいろいろやったとしても現場の看護師が違った袋を冷蔵庫から出してくるのは根絶できません。結局最後は輸血実施者の目に頼るということになりここでミスが見逃されれば(現行法では)個人の責任になります。

元外科医 さまのNo.119、 No.126をよむとNo.123 モトケン さまのいう

前者は、そもそも過失と言えるかという問題であるのに対し、後者は、明白な過失があっても処罰すべきではない、という議論だからです。

の前者は不可罰、後者は未必の故意で殺人罪として処理すればよい、って感じになってしまうのでは?かえって医者が犯罪者ではなく殺人者にされるリスクが高まる気が・・・

>>No.125 元外科医 さん

>>明白な過失(右左の目の取り違い)でも刑事裁判にすべきでありません。

これもアリかなと思うのですが、患者の立場としてお伺いした
いのですが、

>>再発防止策を組織にて確立し被害者には相応の賠償をすることでいいではありませんか。

この「相応の賠償」基準は何処で決めるのですか?
示談でしょうか、それとも民事裁判に委ねるのでしょうか?

後者だと、刑事罰のみが無くなるだけで、皆さんがご不満な
医療に無知な法曹が絡んでくる訳ですが...
もちろん前者は前者で我々も困ります。

 刑事罰の可否を論じてるので、ちょっと外れますが、民事裁判は小生は否定しません。但し民事訴訟は原告被告の対立関係であり、いわば大人の喧嘩ですから医師患者関係にこれを持ち込めば関係は完全に破壊されます。ですから個人的には民事訴訟ではなくADRなど公的な調停制度を望んでいます。
 戻らない生命の代価として憎しみを残す制度よりも公開された再発防止策と金銭による遺族補償の方が社会的により有益であると考えます。

>>No.129 元外科医 さん

ありがとうございました。私には納得のいくお答えです。

ただ、「刑事罰の可否を論じてるので、ちょっと外れますが」
とは思いません。
刑事免責の主張と同時に、医療側から語るべき問題だと思っています。(患者は置き去りにされるのか?という声に対して)

まとめてみるとここにコメントなさっていないけれど小倉先生のブログで紹介されていた心臓外科医の南淵明宏先生のインタビュー(以下

 ‐政府案に反対し「医療従事者に刑事責任を問うべきではない」との主張があるが。

 「どのような職業でもリスクはある。良かれと思って一生懸命やったことで人が死んだ場合に、医師だけが刑事責任を免じられる理由はないだろう。ある集会で『刑事罰を受ける可能性があるなら委縮して判決など書けない』と話した裁判官がいたが、そんな心づもりではプロの裁判官とは言えない。プロとは常に自分を追い詰め、ぎりぎりのところで仕事をしている人のことだ」

 ‐司法の介入は「医療崩壊」につながるとの指摘もある。

 「日本の医師社会は個々の医師に関する質の管理を放棄し、見せ掛けを良くする努力ばかりしてきた。その総本山が大学病院であり、ばかばかしさに気付いた若い世代の医師が新たな価値体系を求め迷走している。それが『医療崩壊』と表現される現象だ。事故への司法介入とは次元が違う問題で、刑事責任と医療崩壊を結び付けた議論は、医師社会の幼稚さや秩序の無さを露呈させている。医療は既に根本から崩壊しており、今後は再構築の段階と言える」

こういう免責の必要は無いし、医療崩壊とも関係ないとのご意見から、インフルエンザおたく先生の
「私はこのような過失事故に対しては根本的に刑事処分はなじまないと考えています。これは医療に限った話ではありません。すなわちすべての過失罪を刑法から外すべきです。」
医療に限らず免責したほうがいいとのご意見まで、今回私が拝見した中だけでも医療者側には端から端までの意見がそろいました。
この間のどのくらいのところを落としどころと考えている方が多いかと言うと、医療系ブロガーの先生の多くが「「福島」は二度とごめんだけど「セラチア」は自業自得」くらいのような気がします。

でも大多数の医療関係者は「忙しすぎて何も考えてない。」のような気がします、ダンナ見てると。(笑

 患者さんを置き去りにして議論をするつもりはないのです。ただ、刑事裁判はそもそも原告被告ではなく、検事と被告人の戦いになるのです。そこには真実を解明することとは逆の作用(被告人の黙秘、検察側の証拠隠しなど)が働いて患者側の期待とは全く別の結果になることも多いのです。
 小生もブログでは事故調に反対しています。それはこの案ではダメと言うことであって、医療事故を専門的に精査し真実の解明と再発防止を目的にした国家の組織を作る事自体は支持します。

No.125 元外科医 さん
>明白な過失(右左の目の取り違い)でも刑事裁判にすべきでありません。

 そういう立法政策も歴史的にはないとはいえないです。ですが、近代現代刑法が、
(1) 諸外国でも押し並べて人の生命身体という保護法益に過失犯を規定する趣旨(逆に、器物損壊の過失犯などは自動車運転過失不動産損壊という特別立法で極わずか)
(2) 日本では重過失や業務上過失のみを重く処罰する趣旨(単純過失は罰金だけ)を考えてみてはいかがでしょうか?

>   第二十八章 過失傷害の罪
>(過失傷害)
>第二百九条  過失により人を傷害した者は、三十万円以下の罰金又は科料に処する。
>2  前項の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。
>(過失致死)
>第二百十条  過失により人を死亡させた者は、五十万円以下の罰金に処する。
>(業務上過失致死傷等)
>第二百十一条  業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。
>2  自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。

No.129 元外科医さん
 ADRなどの調停制度でも、原告被告が申立人と被申立人に、裁判官が調停人(仲裁人)と変わるだけで、対立関係は変わらず、医学的証拠と主張の叩き合いであり、いわば大人の喧嘩のままですから、御説によっても、医師患者関係に持ち込めば関係は完全に破壊されることに変わりはないと思いますが?

 過失犯の処罰に関しては医療者側としてかつて現場で戦ったものとしての要求です。社会の中で議論されて当然に要求水準は下がって最終的には大多数の国民の納得のいくところが、落としどころになるのを前提に議論しているつもりです。
 もともと、小生も医療事故の刑事罰を無くせ等とは考えていなくて、ほとんどの事案で検察が不起訴にするだけで問題なかったはずと思います。それなのに近年はボーダーラインを超えて刑事司法が土足で医療界にあがってきたから法律で縛らなければならないと言うしかなくなったのです。
 ADRはそのとおりです。医師患者関係を調停する裁判以外のものの必要性を言いたかっただけです。医療側が十分説明責任を果たしていても患者側が納得しないときに調停する人なり組織なりは必要ですから。

>元外科医さんは、医療行為固有の問題(医療行為の不確実性)に基づく非刑罰化と過失犯の非刑罰化という過失行為全般にわたる問題を同時に問題にされているようですが、それは別問題として考えたほうがいいと思います。

例えば
「死亡率0.5%以上の手術や検査、死亡率5年で20%以上の疾患に対する医療行為は原則、刑事免責にする。」というのが簡単で分かりやすいと思うのですが無理でしょうか?

以前から議論やROMに参加させていただいているのですが、医師側が法律というものを理解できないように、法曹の医療行為に対する理解も困難なように思えます。法律を含めたルールは単純でなければ浸透しにくいと思います。法律化できなくても暗黙の合意があればかなり医療もよりやすくなると思うのです。
これなら、大野病院事件や割りばし事件も起こらなかったし、循環器の手術、カテーテル治療,救急医療などにも安心して(医師が)臨むことができると思います。

 ご趣旨は了解しました。
 過失犯廃止の法制度の変更はおそらく無理なので、それなら、起訴前弁護を徹底するのが良いかも知れません。
 それには、医療過誤専門弁護士も医療側で育成して、無罪となる医学的証拠収集も怠らず、検事が起訴したら無罪となるしかない証拠を警察検察に提出して、素人にもわかる医学的説明書(上申書)を作成提出して、(1) 検察官から不起訴処分を勝ち取る、(2) 検察審査会でも「不起訴相当」の議決を得る、(3) まちがって起訴されても無罪判決を得るという戦略戦術の方が良いかも知れません(リーガルリスク対策)。
 日本医師会の顧問弁護士集団には、医籍のある弁護士先生や医療過誤に精通した弁護士先生もいらっしゃるので、予算と時間があれば、こちらの方が有効かと思います。

いろいろと疑問がありリンク先などを見て回りました。

結論としては、

1)医師法による応招義務は、いわゆるドクターコールには及ばない。
2)緊急避難としての医療行為であっても重過失があると業務上過失致死傷罪もしくは損害賠償のリスクがある。
3)善きサマリア人法があっても気休めにしかならない。

のようですが間違いはないでしょうか?

マスコミ報道、検察、裁判への不信感から医師達が極度に不安になっており、ドクターコールに応じれば助かる命があっても、警察の取調や損害賠償などのリスクの他、有罪になれば医道審議会で医師免許の剥奪まであるので、ドクターコールに応じない医師が半分近くになっているのも理解できます。

このような状況は、助けられる命が確実に減少していることになろうかと思います。これは医師側のモラリティの欠落ではなく、大野事件などを初めとする法曹界への医師達の不信感から発生しているのではないでしょうか?

民事上の賠償責任については、患者側の動向もあり、医師側も保険加入でリスク回避していますが、問題点は医師側の裁量ではリスク回避の手段がない刑事罰の運用に医師集団が悲鳴を上げているように思えます。

何が変わったのかを考えると・・・

1)警察の事件化基準が変わったような気がする。
2)検察の起訴基準が変わったような気がする。
3)裁判で医師側が敗訴する率が高くなっているような気がする。
4)警察・検察・裁判ともマスコミ論調に動かされているような気がする。
5)患者側の権利意識が強くなりマスコミもその動きを尊重しているような気がする。

このまま進むと、『飛行機の中で急病になってドクターコールしても医師は誰も応じなときが来る』ことを国民自身に知らせることこそがマスコミの責任ではないかと考えています。

要するに、主権在民。悪く言えば衆愚政治。この程度の国民にこの程度の医療が、現実化するときが来そうです。

せめて検察、最後の保証として裁判官に望みを託していたいのですが、最後の砦の裁判官も裁判員制度の発足とともに投げ出すのが国民の望みとするならば、既に匙は投げられたのではないでしょうか?

上記コメント、エントリー違いでした。

時間が空いたときにでも削除していただけましたら幸いです。

 緊急避難なら、医師の業務上過失行為(重過失)に形式的に該当しても、違法性が阻却されてもとから犯罪不成立です。法益の均衡要件(発生した害悪が避けようとした害悪を超えないこと)も通常の医療行為ではクリアされるだろうからです。

(緊急避難)
第三十七条 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
 2 前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。

↑この2項の規定は,一般論として警察官や消防士などに適用されるだけとされています(細かく言うと細部で違いますが)。

 元外科医さんの意見は良く分かりました。
 ところで、一つ質問なのですが、元外科医さんの意見は、医療界のスタンダードな意見なのでしょうか。
 もしくは、スタンダードとはいかないまでも、それなりの多数意見(例えば4人に1人とか、3人に1人とか、この辺は感覚で結構なのですが)でしょうか。
 それとも、医療界で、元外科医さんお一人が唱えてらっしゃる意見でしょうか。

 もし、元外科医さんの意見が医療界でそれなりの多数意見だとすると、小倉弁護士のエントリを極論扱いすることは出来ませんね。

多数意見は気になりますが。

もし、元外科医さんの意見が医療界で圧倒的なの多数意見だとしても。
小倉弁護士のエントリーは極論だと思います。

まさかー、極少数だと思います(笑) このエントリでさえもこういう意見は1−2人でしょ。多くの医師は自分は逮捕され刑事訴訟になるような危険は犯していないと思っていますから。ただ、産科や救急医など以前から刑事裁判になった領域の医師はある程度、医療の刑事事件化には注目していて、自分の将来行く道を考えなおそうとしている方もいるようです。

 法律論とは、通説と極少数説、多数説と少数説、積極説と消極説と中間説とが、議論を重ねていく中で、問題点が良い意味で顕在化(先鋭化)して、理論面も実態面も立法事実認識も進歩していく学問だと思います。
 その意味で、元外科医さんのご意見は、極少数意見として、体験に根ざした切実な意見で大変貴重な存在だと思います。今後ともご意見を賜りたくお願いします。m(_ _)m
 なお、自分と異なる意見だからと親の敵みたいに罵倒攻撃する某氏の意見(それも体験や経験の裏打ちもない極論と極端例に基礎を置く意見)なんてのは、もうスルー放置でいいでしょう。非生産的で時間の無駄だからです。

横入り失礼致します。
味方にすれば頼りにならないヤツ代表のぼつでおkです(笑)。

元外科医さん、まことにお気の毒ですがそんなアレな私がNo.125からのご意見に賛同致しております。どうか気落ちしないで頑張ってくださいね。私はこれ以上ご迷惑掛けぬよう大野病院裁判に徹しますから(笑)。

元外科医さんのご主張は、必ずしも少数説と言い切れないのではないでしょうか?

このエントリにおける議論を見る限り、かなり多くの医師の方が
「医師の過失がはっきりしている(と、一般的に考えられている)ケースでも、免責を認めるべきである」
旨の主張を堅持されているように見受けられます。

No.2 Level3 さんの「緊急事態の際の処置に関しては,その責を負わない.」 とのご主張や

No.50 インフルエンザおたく さんの「故意は論外ですけれど、その人のためになると考えられた上で行われた医療行為であれば、私は真実を隠さないことを条件にすべての医療ミスは刑事免責とすべきであると考えています。」
とのご主張などは、

それぞれ、「緊急事態の際の処置」や「その人のためになると考えられた上で行われた」という前提を付した上で、ミスがはっきりしているケースの免責を主張されていると考えられます(誤読でしたらご指摘下さい)。

以上のような医師の方々のご主張は、そのお立場からすればそれぞれごく自然な主張であり、あり得る議論だと思います(個人的には賛成できませんが)。

また、現行法を変える「刑事免責」を主張するということは、少なくとも軽過失のケースについて、「過失がはっきりしている場合であっても非刑罰化すべきである」という趣旨を含まざるを得ません。


要するに、モトケン先生が、医療側からの主張について
「これは誰が見ても医師または看護師の過失だ、というような事例に対して刑事免責を主張しているわけではないのです。」
と要約されていることについては、若干行き過ぎた読み込みであるように見えるのですが、どうでしょうか?

 「これは誰が見ても医師または看護師の過失だ、というような事例に対して刑事免責を主張しているわけではないのです。」と言う医師の方が遙かに多いです。重過失または重大な結果に対しては業務上過失致死で立件やむなしと考える医療人は多いです、というか圧倒的です。その中では救急医や外科医は日々の業務中に自分がいつ重大な結果を起こすか分からないと危惧している人の方が多いでしょうけど。

 しかし多数派の彼らでも、大野事件ではこれは酷いんじゃないのと言い始めたので、刑事事件化から業務上過失致死罪のあり方まで俎上に上ってしまったのですね。

 今までは業務上過失致死罪そのものの存在を云々などとは我々でさえ考えていませんでしたが、状況がどんどん流れていけば、本当に法律の改正まで議論できるのかもしれなませんね。

 本音ではそこまでは無理と思いますけど。以前の通り9割以上を不起訴にして、明らかなのだけを起訴にしてくれれば問題ないのです。(笑)

そうですか。
ただ、No.144 ぼつでおk(医)さん も元外科医さん説に賛同されるようですし、賛同者がだんだん増えていく可能性はありますね。
情報が少ないので何とも言えないですが、ある程度有力な見解なのではないでしょうか。


なお、業務上過失致死については、量刑や公訴提起の運用を含めて、どんどん厳しくなっているような印象があります(統計に基づいたものではないですが。)。
交通事故でも、「こういう事案で実刑になるのか?」と困惑させられるような例が発生しています。
おそらく、被害者を重視する最近の世論の傾向が影響していると思われますが・・・

きっと本音では悪意や怠慢の結果では無い誠実にやってたのに起きたミスは免責したほうがいいと思ってる人が多いかとも思います。
でもそこまで要求できるほど社会は成熟していないし、性善説でもいられないしって諦めているのかも。
これはたぶん死刑についての討論とも似た罰とは何の為にあるかという法律の根源的な問題になるのでは。
再発の防止ということでは悪意や怠慢の結果では無いミスは罰を与えても減らないでしょうし。
未熟なために起きたと言うのは私は怠慢のうちに入れて考えてます。
これは本来、未熟であれば指導のもとに行うべきだからという考えですが、それすらこの頃の人手不足の状態では酷かもしれません。
小倉先生があらたに飯田弁護士というかたのインタビューを紹介なさってますが、医療サイドとの認識の違いにはため息がでます。
福島大野事件の一件だけで騒ぎ過ぎみたいな発言。
その一件の為に産科医療がどうなったか。
本来、保険診療で無い産科が何で医療崩壊のなかで崩壊が早い部類に入っているのか。
そして「医師を刑事免責にしないと、医療は進歩しない」と主張する医療関係者がいますがって、ネット上ではそんな主張はあんまり見かけない気がします。
医療の進歩どころか今までやってきた医療がこんなのやってられないってなったのを問題にしてる声がほとんどのような。

でも免責が無理でもそういう考えがあるってことを言い続けること自体が刑事事件にすることに対して「謙抑的」に働くかもしれません。
というかそうであって欲しいなというか。
.....無理かなあ?

>福島大野事件の一件だけで騒ぎ過ぎみたいな発言。

大野事件は,警察検察が犯した壮大なる法律家のミスであって,医療ミスの"レベル"で言えば,業務上過失致死あるいは殺人罪に匹敵する"レベル"の過ちと考えます。

それを「一件だけで騒ぎ過ぎみたいな発言。」などというような輩がいるようでは,そんな危険組織を医療に関わらせるべきでない,と,なおさら刑事免責をという声が強くなるだけじゃないかと思います。

>本来、保険診療で無い産科が何で医療崩壊のなかで崩壊が早い部類に入っているのか。

ここの事実は,「医療崩壊の最大の原因は,お金をかけなかったこと」という主張と,「医療崩壊の最大の原因は,司法や法律家」という主張との,どちらがより確からしいかを考える上で重要なものですね。

勉強になりました。ありがとうございます。

>福島大野事件の一件だけで騒ぎ過ぎみたいな発言。

冤罪事件は医療だけじゃないよね

 「刑事免責を求める。」という言葉の意味もいろいろみたいですね。

 単なる願望または理想として口にする医師もいるでしょうし、刑事免責が実現しなければ医療が崩壊する、という意味で言われる場合もあるでしょうし、刑事免責がなければ医師なんかやってられない、と思っている医師もいるかもしれません。

 また、求める刑事免責の意味も範囲も必ずしも一致していないようです。
 なんのためのまたは誰のためのまたは誰と誰のための刑事免責かも問題になるでしょうし、刑事免責でなければ全然だめなのか、という問題もあると思います。

 現実的な問題の改善のためには、印象操作的な批判ではなく、掘り下げた議論がもっと必要だと思います。

>それぞれ、「緊急事態の際の処置」や「その人のためになると考えられた上で行われた」という前提を付した上で、ミスがはっきりしているケースの免責を主張されていると考えられます(誤読でしたらご指摘下さい)。

>以上のような医師の方々のご主張は、そのお立場からすればそれぞれごく自然な主張であり、あり得る議論だと思います(個人的には賛成できませんが)。

KTさん,
例えば仮に100kg超の患者さんが倒れて,30秒以内に適切な処置を行なわなければ救命できないような状況であったとしましょう.どれでけの人が間違えずに適切な処置を時間内に完了できるでしょうか?また,仮にそれだけの技量のある医師であったとしてもそういった場面に繰り返し出会い,その「すべてにおいて」適切に処置が行なえると考えられるでしょうか?
神ならぬ人間には不可能です.そして後者のような他の平均的な医師よりも腕の優れた医師であっても,100%というのは不可能です.では,うまくいかなかった時に責任を取れと言えるでしょうか?もし言われるなら誰もそんなことは行なわなくなる.つまり「救急を行なう医師はいなくなってしまう」と考えられませんでしょうか?
「個人を責めるシステム」では,救急医療は存在できなくなることが理解できないでしょうか.助けられると思っても100%がない以上誰も手出ししなくなる.自信(過剰)の人間が手を出し続ければどこかで地雷を踏んで退場することになるでしょう.だからこそ,救急では「故意」を除き民事も刑事も免責とすべきと考えているのです.

 最近、私は、(医療に限らず)事故について、原因究明と再発防止対策を徹底的に行う全国的システムを構築することと引き換えに、(故意に近いものを除いて)単純ミスを含めた刑事免責を考えてもよいのではないかと思うようになりました。
 そして、今回、ウログラフィンの事例を拝見することによって、確信に近いものを感じました。すなわち、これだけ刑事責任が問われているのに、「同じ事故が、異なる場所で、異なる人によって、繰り返されており、犠牲者が後を絶たない」ということです。そして、その一因は、当事者個人の不注意ということで事故が片付けられていることではないかと思われたのです(さらに、刑事事件では事故の詳細な情報が公表・共有されない)。この事故の再発防止には、注意喚起だけでは不十分で、薬剤の保管場所の工夫など病院内のシステムの改善を全国で徹底させることや、メーカーに働きかけて薬剤の外形の改善など(見分けのつくデザインなど)の対策が必要なのではないかと思うのです。
 薬剤の取り違えの類似の例として、不整脈の緊急治療において、静注用2%キシロカインと間違えて、点滴用10%キシロカインをワンショットで静注して患者さんを死亡させてしまうという事故が、以前より時々起こっていました。長い間、当事者個人の不注意ということで処理されていました。キシロカイン製剤は、ラベルには点滴用あるいは静注用と書かれているものの、外形(瓶)は同じ形状をしており、救急カートに一緒に入っていました。循環器科以外ではキシロカインの使用はほぼ緊急時に限られていてあまりなじみがなく、また、緊急時は心理的に余裕のない状態なので、私も間違え易くて怖いなあと思っていました。
 数年前、医療事故の実態調査で取り違え易い薬剤として指摘された後に、ようやく、静注用2%キシロカインにシリンジタイプの製品が、そして、点滴用10%キシロカインに点滴用バッグの製品が発売されました。その後、同種の事故が減少したかどうかについてはまだ分からないのですが、少なくとも間違えにくくなったのではないかと思うのです。
 事故が起こった際に、個人の責任で終わらせず、なぜ取り違えたのかについて徹底的に解析し、情報を共有して、少しでも早く対策を取っていれば、犠牲者を減少させることができたのではないかと思うのです。
 医療事故の原因究明と再発防止対策のシステムは、まだ不十分ですが、全力でそのシステムの構築を行い、それを遂行するために必要であれば、免責も検討する必要があるのではないかと思いました。

先生のような告白話をもっともっと他の医療者からも
聞きたいです。
ごまんとありそうな予感。

コメントするタイミングを逃しました。流れを無視したコメントですが、ご容赦を。

どこまでの免責が妥当かなんて、理屈ではないのでしょう。医療上の過失は一切免責という意見から、責任追及は今よりもっと厳しくても良いという南淵先生のような意見まで、とても幅広く医師の考え方が分布しています。「その程度の免責では不十分だ」と考え萎縮する医師が少数いたとしても必要な医療の供給が損なわれない免責レベルが妥当なレベルだというように考え方を変えないと問題解決に至らないような気がします。その免責レベルは、もしかしたら医師から見ると不満だけども、だからと言って萎縮医療をしようとは考えないレベルかもしれないし、患者側から見て許容できない、あるいは理にかなっていないレベルかもしれません。後者なら、免責は許せないから不十分な医療供給を受容するという患者側の考え方もありです。また現在の法運用を変えないで別の環境を変化させて、例えば「患者は1日1人しか診なくても良くなったのにウッカリミスをするとは何事だ!」と対応する方法もありです。副作用は大きいですけど。

医師側も非医師側も「理屈ではこれが正しいんだ」と主張してみたところで問題解決にはあまり貢献しないと思います。市場経済において「経費から考えて、理屈ではこの商品の価格は○○円であるべきだ!」と議論しているようなものです。医師の考えが1つにまとまるはずはないし、患者側も同様です。仮に「これが正しい」と決めたところで、それに沿って医師側、患者側がどの様な行動を取るかは別問題ですからね。ですから、医師側が「それじゃあやってられない」とか、患者側が「それは受け入れられない」と議論している様子は平行線のように見えるけれども、この場のように「べき論」ではなくて現実を念頭に議論している限りは需給曲線の交点に近づいて行くのではないかと思います。

以下別エントリのほうが適切と思いますが勢いで書いちゃいます。
O弁護士の言いたいことは「製造コストから、この商品の価格は○○円であるべきだ!」ということで、議論もそこに留まります。その理屈がどんなに正しくても、製造コスト以外の種々雑多な条件に価格が左右される市場には通用しないということには興味がないのでしょう。話の流れは市場価格はどのくらいか?に移っているのに。

また、そろそろ不真面目と言う声が飛んで来そうなんでしばらく謹慎しますが、結局のところ何が正しいかとか、まっとうな意見だとか、法律論だとかどうでもいいんですよね、個人的には。

僕は医者をやっている。
日常的にミスをおかすことがある。処方ミスの例なんか、挙げましたけど。あるいは、救急で気管挿管のタイミングが遅れて助けられなかったとか、実際に経験がある訳です。それを、もしも刑事罰として受けなければいけないという声が大きいのなら、その理屈がいくら正しかろうが、僕は医者を辞めようと思う訳です。
未熟だろうが、未熟じゃなかろうが、ミスは日常的におかす。システムの問題であろうがなかろうがミスはおかす、そういう生活を現実にしている訳です。そのレベルで線を引くかという議論で答えを出しても、当事者になったら救いにならないんですよ。けっこうレベルの低いミスもすることも実際あります。
注意義務を怠ったとか、客観的に観たら思える事態も経験します。もう少し気をつけたら防げたかもしれない状況。油断があったとか、安心しきっていたとか言う状況で起こる状況もある。

一度も患者さんから訴えられていないのは、運がいいからなだけなのかなあと思います。いつ手錠をかけられて連行されるかもしれないと考えたらそんな商売やめたいと思う訳です。

僕は自分じゃいい医者だと思ってるんですよ、本質的には。でも、ミスはする。たいていミスが運良く重篤な事態を起こしていないというだけなんですから。そうは言っても重篤な状況を引き起こして責はないというのはおかしいし、民事までは受け入れなければって自分に言い聞かせてる訳です。

救急が大変なのだろうと言うことはよく分かります。
救急の場面における過失判断は、相当に慎重でなければならないだろうとも思います。

ただ、No.153 通行人A(内科医)さんが挙げられているような、キシロカイン誤投与のために死ななくても良い患者が死んでしまった場合に、果たして「救急であるから刑事・民事とも責任無しとすべき」と言えるのかどうかには、躊躇するものがあります。

特に民事の場合、現にミスによって発生してしまった損失の補償がなければ、遺族の生活が崩壊してしまうような場合もあるので、難しいところです。

「医師を刑事免責にしないと、医療は進歩しない」と主張する医療関係者がいますがって、ネット上ではそんな主張はあんまり見かけない気がします。
いや、この主張は結構ざらにあります。No.153 通行人A(内科医) さまの主張もこれに含まれるかと思いますが刑事処分の脅威を排除することで医者に真実を語らせ、真相を究明し、もって医療を発展させる、ってな感じの主張です。WHOの勧告(だったかな?)でもこういう話は出ています。  そしてこの主張にはそれなりに合理性があると思います。小倉さんが挙げた例を見てNo.153 通行人A(内科医) さまに近い感想を私も感じましたし。  ただ、真実を語らせるためには行政処分との関係も考えなきゃならんし、それ以前にそうした法改正は現状ほぼ不可能なので別の方策を採ったほうがええんでない?とおいらとしては思うんですがね

>医師側も非医師側も「理屈ではこれが正しいんだ」と主張してみたところで問題解決にはあまり貢献しないと思います。

 過失犯の非刑罰化論は制度変更(つまり大事)の問題になってしまいますが、実質的な意味での刑事免責は、かなりの程度、現在の制度の運用面の変更(例えば、検察の起訴基準の厳格化)で対応できます。

 となると、大事なのは、医療側と患者側を調整するための、検察を含む司法のバランス感覚。

 「話の流れは市場価格はどのくらいか?」ということだと思います。

 大野病院事件で、医療側から見れば大きく崩れたバランスをどうするか、というのが当面の大きな問題だと思われます。

 今は、大野病院事件で有罪判決が出たらどうなるんだろうか、というかなり緊迫した状況だろうと思います。
 このエントリの議論は、大野病院事件の判決内容如何によって大きく変わっていくことは間違いないでしょう。
 起訴だけで激震が走ったのですから、1審とは言え有罪判決が出たらどうなるか。

 いずれにしても、医療側のみならず患者予備軍としても、今後の医療サービスがどうなるかは重大な問題ですので、どっちに転んでも、引き続き議論が必要だと考えます。

>特に民事の場合、現にミスによって発生してしまった損失の補償がなければ、遺族の生活が崩壊してしまうような場合もあるので、難しいところです。

KTさん,
おっしゃる通りです.
「個人の責任を追求する」ことと,「損失に対する補償」とは別のものであると考えなければなりません.
それさえも混同されている現実があるわけです.医療システムを公共財と考えるなら,医療システムの一部としてその損失の認定やそれに対する対価の決定を国のレベルで行なう必要があるのだと考えます.

例えばフィブリノーゲンのC型肝炎訴訟なんて,論外のトンでも裁判です.どう考えても厚労省や製薬会社が「責任を負う」ものではないと私は思っています.責任の問題ではなく,「C型肝炎の患者さんの救済」として国が対処すべき事案です.裁判という意味では原告の主張は医学的、社会的には「トンでも」の部類に入るでしょう.

 もし制度の運用などによって、医師の刑事免責が拡大されるのであれば、その分、患者側が民事上の補償を受けられる範囲も拡大させないと、患者側の理解が得られないように思います。
 刑事免責が拡大されれば、患者側に「過失を起こした医師は起訴もされず、ウチの家族は殺され損だ。」というような怒りのマグマ(この怒りに対する評価は色々あるでしょうが)が蓄積されていくのは明らかですから、このマグマを静めるための制度も作らないと片手落ちになり、結局、また同じ議論がぶり返すように思います。

>もし制度の運用などによって、医師の刑事免責が拡大されるのであれば、その分、患者側が民事上の補償を受けられる範囲も拡大させないと、患者側の理解が得られないように思います。

ある程度の範囲までは,その過失の程度によって医療システムが補償すべきです.そしてそれ以上は患者さんが自ら保険を掛けるべきものだと思います.
海外旅行に行くのに,旅行保険を掛けますよね.これは旅行業者が掛ける訳ではなく,旅行に行く本人が任意で掛けるものです.医療でも同じように安心が欲しければそれは患者さん自らが,安心にお金を出すべきものかと思います.そのような医療保険があっても十分成立すると思いますし,あってもよいかと思っています.

>No.162 Level3 さん
 ただ、海外旅行は個人の趣味で行くものですからね。。
 個人の趣味嗜好で生じるリスクについては、当然自分で保険に入るべきだとは思いますが、医療についてはどうでしょうか。
 人間誰しも、望むと望まざるとに関わらず病気になるリスクはあり、医療の過失によって命を落とすリスクがあるわけです。
 そういう意味では、保険と言っても海外旅行や自動車とはリスクの意味合いが違いますし、また、患者にとってみれば、別にリスクに対する安心が欲しいわけではなく、過失によって奪われた命に対する救済が欲しいわけですから、患者の自己責任的な保険制度として捉えるのはちょっと違和感があります。

No.162 Level3 さん
>それ以上は患者さんが自ら保険を掛けるべきものだと思います.

そうすると保険代位(旧商法・新設保険法)の規定によって、保険会社が損害賠償請求権を取得して、今度はお医者の先生が強大な保険会社を相手に民事紛争を闘う羽目になりそうですが・・・。

ところで、「べき」論はさておき、法曹サイドの方で、

「医療に刑事罰をどんどん科すと医療が崩壊する」

という価値観抜きの「予想」に、逆張りする方はいらっしゃるのでしょうか。

もちろん小倉先生は、そんなことはないと、ドイツの例を挙げていますが、ドイツではまずその刑事罰の意味が日本で議論されている内容と同じであるかどうかはさておき、まちがいなく医療崩壊しているわけなのですが。

>ある程度の範囲までは,その過失の程度によって医療システムが補償すべきです.そしてそれ以上は患者さんが自ら保険を掛けるべきものだと思います.

民事訴訟の賠償額で不思議なのは、70歳の患者さんの同じ病気の同じ治療行為による死亡事故でも、逸失利益等により、一方は2000万円程度なのに、かたや1億円以上となるという格差があります。70歳の痴呆老人だと思っていたが蓋を開けてみると、1億円だったでは困ります。というか医療行為そのものが明らかに原価割れになってしまいます。刑事訴訟だと同じようでも、民事訴訟では命の値段が違うのですね?この辺りが医療行為が公共財だという観点からはなじみにくいと思います。患者さん自らが保険に入るか、一部、自由診療として医療のアクセス、コストなどに差をつける以外に解決方法はないのではと思います。

法曹ではないですが、気になったので

>「医療に刑事罰をどんどん科すと医療が崩壊する」
という価値観抜きの「予想」に、逆張りする方はいらっしゃるのでしょうか。

 この時点で、すれ違いが起きるかもしれませんね。

「(本来刑事罰を課せられるべきでない事故に)刑事罰が科せられると」医療に限らずその業界は崩壊するということに逆張りはしないとは思いますが、
「(本来刑事罰を課せられるべき事故に)刑事罰が科せられ」ても、崩壊はしないだろうと。

補足ありがとうございます。

もちろん

>「(本来刑事罰を課せられるべきでない事故に)刑事罰が科せられると」医療に限らずその業界は崩壊する

の意味合いでの思考実験ですが、

「本来刑事罰を課せられるべきでない事故に刑事罰が科せられてしまう」のが今の現実。
じゃあ、そうでない制度設計は可能かというところで、医療ミスが絶対に0にならないというのと同じで司法行政ミスは0にならないというのも概ね同意いただけますでしょうかね。

同意です、絶対に0にならない設計なんてものは無理ですね。

ただ、某所のエントリを見る限り、「現実であること」のところがそういう前提として受け入れられてなさそうだったので。

 医療行為に対する刑事罰と有害事象での患者救済とは分けて考えなければおかしくなります。
 医療事故の遺族であっても、事故を起こした医師個人を刑務所入りにしたところで恨みは少しは晴れるかも知れませんが死者は戻りません。
 刑事罰は止めて、システム事故再発防止策の組織的構築、適切な推量水準に達しない医師の再教育、患者側への一定の経済的な補償。このような制度を国家的に作っていくべきではありませんか。

**************

 輸血ミス、10%リドカイン、高濃度KCL、トロンビン末などの誤注、ウログラフィンの髄腔内誤注 これらは全てシステム事故でありきちんと組織的に再発防止策をとっていれば起きなかったはずです。それを個人の犯罪にしてきた日本政府の誤りで多くの犠牲者が出たのです。

>一市民さま

 横から失礼いたします。
「ヒヤリハット事例情報データベース」というのがあります。いかがでしょうか。
http://www2.hiyari-hatto.jp/hiyarihatto/index.jsp

No123でモトケンさんの指摘されている

「元外科医さんは、医療行為固有の問題(医療行為の不確実性)に基づく非刑罰化と過失犯の非刑罰化という過失行為全般にわたる問題を同時に問題にされているようですが、それは別問題として考えたほうがいいと思います。」

この点が非常に大きいような気がします。この議論がややこしいのは。

それにしても、「医療行為のミスは原則的に刑事免責すべき」という主張はやっぱりよくわからないですねえ。上の点についての理解が不足しているだけならともかく、そうでないなら理解に苦しみます。どの仕事だってミスは許されない。医療は特別ですか?ミスしたら人の命にかかわる仕事はいくらでもありますよ。トラックの運転手は仕事中は常に事故と隣り合わせです。被害者からすればミスがスルーされたらたまりませんよ。

「(トラックの運転手はいくらでも代わりはいるけど)医者は貴重な存在だから免責しろ」という趣旨ならまだ理解できますが…。

 ヤマダ さん、こんにちは。

 そのお話は既に他の方と元外科医先生の間で既に終了しているように思います。

rijin さん

そうでしたか。流し読みなもので失礼しました。

上のほうの「右目と左目を間違えても免責しろ」という意見などに違和感と言いますか憤りを覚えまして、ろくに読んでないのについ書いてしまいました。

 医師が甘えているという見方をされている方々にお尋ねします.
 日常の行為のことごとくに,いつ刑事訴追を受けるかわからないという緊張感にさらされたら,それは,犯罪者と同じではないのかと思います.まっとうな,専門性の高い仕事をしているし,責任感もあるが,結果が悪ければ,ミスがあったに違いないということで,刑事であれ,民事であれ,いつ裁判を起こされるかという緊張感を与えられるのは,自らの専門分野での判断の複雑さなどのストレスにさらなる,ストレスを加えるものです.
 仮に検事が,法廷で,証言する際に,さいたいと読むべきところを,じんたいと読んだならば,法廷侮辱罪にでも問われるとしたら,ストレスは大変なものになるのではないでしょうか.
 また,医療は,その場で判断しなければならないことも多いのですが,裁判に関わる方々は,分単位で重要な決定を下しません.それなのに,北陸地方での痴漢冤罪で,無実の罪で,親の死に目にもあえない状況を作った方々は,どれほどの社会的な制裁を受けたのでしょうか?

 ヤマダ さん、こんにちは。

> 「右目と左目を間違えても免責しろ」

 そんな意見を表出された書き込みはないように思います。

 匿名なのでそんなことは絶対にないだろうと思いますが、まるでどなたか別の方が書き込まれたのか、あるいはカリカチュアとして書き込まれていらっしゃるかのようですね。

こういうコメントがあります。

http://www.yabelab.net/blog/medical/2008/07/19-183132.php#c160373

うーむ、それは、わかってて敢えて、わざと言ってるのだけど、そのコンテクストを理解できない/理解する気がないなら、ちょっと場違いだと思いますよ>ヤマダさん

「冤罪で,無実の罪で,親の死に目にもあえない状況を作った方々」というのは、具体的には、どのような立場の者を指すのでしょうか。

また、それらの関係者に対しては、どの程度の「制裁」が加えられるべきとお考えですか?

No.174 ヤマダ さま

左右取り違えのような明白なミスであっても、「刑事罰を科すことには反対」 という主張をしている方であっても(私を含む)、「民事上の損害賠償も免責せよ」 という方は皆無ではないかと思います。
(もしいたら徹底批判します)

そのような明白なミスの場合、被害者や遺族の方の処罰感情も大きくなるのは自然と思いますが、刑罰は「応報(処罰感情の満足)」だけが目的ではなく、「刑罰を科すことが、社会全体にとっての利益に適うのか」 という観点から当否が判断されます。
つまり、「左右取り違えでも刑事責任は問うべきでない」 という主張は、「刑事責任を問わないほうが真実究明・再発防止にとって有益であり、それによって被害者の処罰感情が満たされないという不利益を上回る」 という論証ができる場合には、正当化され得るということです。

したがって、そのような法改正が実現するには、国民(有権者)に対して、
・処罰によるデメリット
だけでなく、
・処罰しないことによるメリット(→真実究明・再犯防止に資することの説明、あるいは資するような制度設計案の提示)
・処罰しない場合におけるデメリットの不変or軽減(→被害者・遺族の救済に何ら変わりはないこと、あるいはより救済が充実するような案の提示)
について理解を得られるようにする必要があるだろうと思います。

 非医療者側の、「憤りを覚える」という感覚は無視できませんよ。

 言わんとするところを、忍耐強く理解してもらう努力をすべき部分だと思われます。


 ここでついでに指摘しますと、過失犯の非刑罰化の前に、過失犯の親告罪化という方法が考えられます。

まさに大野病院事件で,加藤先生の我が子の出生に立ち会う機会を奪った(勾留中に出生)福島県警とかじゃないですかね?

>非医療者側の、「憤りを覚える」という感覚は無視できませんよ。

医療者側の、一部法律家に対する「憤りを覚える」という感覚が無視されなければ良いのですが…

 どうしても無視したい法律家もいるかも知れませんが、大野病院事件については、最高検は少なくとも無視はしてないと思いますよ。
 かなり以前に触れたと思いますけど。

事件としては、以下の事件のことでしょう。

富山連続婦女暴行冤罪事件

 なお、男性の父親は男性の逮捕当時入院中で、息子の逮捕は知らされず男性の服役中に亡くなっている。

医療事故問題について発言するのは久しぶりで、ちょっとドキドキしています。

私は法曹のはしくれで、少しでも医師の先生方の司法制度についての理解の助けになればと思い投稿してきましたし、医師の先生方のコメントを読んで、今医療の世界で起こっている現実の一端(あくまで「一端」としなければ、同業者から批判を受けるかもしれませんので)を知ることができたと思っています。

前振りはこれくらいにして本題。
No.10 ジャームッシュ さん

しかし,考慮したいのは,検察がバランス感覚を失った理由は? というところです。
能力が低くなったとかその程度のことでは,きっとありません。やむをえない背景があった,と想像します。そのような背景があったからといって許されるわけではないとしても,その背景を想像することは重要だと思います。
「刑事免責」に最も怒りを覚えるのは誰だろうかという問いとつながるはずです。

と言う問いかけは、司法側(とひとくくりにするのは嫌なのですが)からすると結構重視しているのですが。
「当然の前提だ」と言われればその通りなのです。しかし、なんとなくですが、議論の前提からはずれているような気がします(あくまで感覚です)。

これも以前に投稿したのですが、警察も検察もほんとは医療事故にはかかわりたくないのです。「刑事免責」を国会が法律で定めれば喜んで従うでしょう。だって、大変なんですもの。

もちろん、一旦捜査開始したり、起訴したりすれば、組織体の自己防衛(メンツともいう)のため、仮に誤りがあったとしても最後まで遂行しようとします(このあたりは、「ぼつでおk先生」が繰り返し検察を非難されているところです)。しかし、そもそも刑事手続きにならないとなると、メンツもなにもありませんから。

私の個人的考えは、
No.155 元ライダー さん

医師側も非医師側も「理屈ではこれが正しいんだ」と主張してみたところで問題解決にはあまり貢献しないと思います。市場経済において「経費から考えて、理屈ではこの商品の価格は○○円であるべきだ!」と議論しているようなものです。医師の考えが1つにまとまるはずはないし、患者側も同様です。仮に「これが正しい」と決めたところで、それに沿って医師側、患者側がどの様な行動を取るかは別問題ですからね。ですから、医師側が「それじゃあやってられない」とか、患者側が「それは受け入れられない」と議論している様子は平行線のように見えるけれども、この場のように「べき論」ではなくて現実を念頭に議論している限りは需給曲線の交点に近づいて行くのではないかと思います。

と同じです(「甘い」かな〜)。

ありがとうございます。なんとなくの直感ですが,大野病院事件は,検察は十分意識していると感じます。

前にも告白したかもしれませんが,実は検察に関しては,上意下達が効く組織だと思われますので,今はあまり心配していません。(私の中では医療ー法律問題の中で,検察の問題は順位が下のほうです)。

なので実はこのエントリに出没するのは正しくないのかもしれませんが,しかし一部裁判官と一部弁護士の横暴に憤りを禁じえずですね…

(今日は仙台に「福島VBAC訴訟」の記録を閲覧に行ったのですが,
http://www.orcaland.gr.jp/kaleido/iryosaiban/H14wa114.html
これまた裁判官がですねぇ…)

>非医療者側の、「憤りを覚える」という感覚は無視できませんよ。

いや、「憤りを覚えるでしょう」という言説を提出するのはいいですが、「憤りを覚える」のは、ここでは極めて場違いだと申し上げているだけです。

あくまで場違いであって、それが良いとか悪いとかの価値判断ではありません。

こんばんわ

 空気が読めない質問ですみませんが、なぜ医療事故のみが”刑事免責にしたほうが良い”となるのかわからないのですが?
 
 業務上過失の中で、医療行為のみを刑事免責にしたほうが良い理由とはなにでしょうか?
(当然、業務過失の中に交通事故、脱線事故、航空事故なども含みます)

すごく簡単に例えて言うと、

家が火事になったときに、消防隊員が家の中の人を助けられなかったり、火傷をしたりして障害が残ってしまったりした場合に、その消防隊員が業務上過失に問われるようなことが日常的にあると、消防隊員なんかやってられない、ということなんでしょう。

基本的には火事が悪くて、助かればラッキー、という状態でも、それをわかってくれない状況が多く、業務上過失が問われている状況がある、ということなのでしょう。

火事=病気
消防隊員=医師
と考えていただくとよいと思います。
(この回答も空気が読めてないかもしれません。)

ここで話題としているのは「医療事故を刑事免責にしたほうが良いかどうか」であり、「医療事故のみを刑事免責にしたほうが良いかどうか」では無いと思います。医療事故の刑事裁判において疑問点が呈されているためそのような議論が発生しているのであり、他の業務上過失についても疑問点が呈されれば議論が発生することになるでしょう。

過去の議論の中では、航空事故について外国では免責されている事例も挙げられていましたので、事故の刑事裁判で世間の注目を浴びれば、医療問題と同様に刑事免責の議論は起こりうると思います。その他の業種についても同様です。

このエントリは医療の刑事免責について語るのがテーマであるので、比較対象として他業種を挙げることはあっても、あくまでもメインは医療として扱われるべきだと思います。つまり「医療事故のみを刑事免責にしたほうが良いかどうか」ではなく「医療事故を刑事免責にしたほうが良いかどうかのみ」が議論されていると言うべきでしょう。

 こんばんわ

 No.190 この回答で合ってますか? さん
 No.191 無印粗品 さん
 返答ありがとうございます。

 あくまでも、医療事故に絞っての論議だからということですね。

>>No.189 質問者 さん
あくまで私一人の考えですが、私は医療の現場は常時人が死ぬ場所であり実質的に戦場と同じ環境であると考えています。戦場において兵士の責務は命令に従って敵を殺傷することであり、軍法に縛られますが平時の一般刑法からは一義的には縛られません。
いろいろな議論が予想されます中あえて単純に申しますが、私は基本的にはこれと同じ意味で医療事故にはまず一般刑法の業過致死を適用すべきではなく、戦時軍法の軍事法廷のような判定の場を設けるべきだろうと考えて、それを「医療事故は一般刑法の業務上過失致死傷を先ずは刑事免責」というひとつの原則刑事免責意見として述べております。

戦場で殺される職種No1はスナイパーです。
どれくらい憎まれているかというと、これくらい。

http://jp.youtube.com/watch?v=4bDRsafyvyQ&eurl=http://obiekt.seesaa.net/article/101822484.html

↑スナイパーの潜んだビルを、戦車や装甲車で取り囲んで、数百万円するGPS付き弾頭MRLSで、ビルごと吹き飛ばしています。

産科医はスナイパーなんでしょうねえ。

>質問者さま
 はじめまして。
 空気が読めない質問ですみませんが、なぜ医療事故のみが”刑事免責にしたほうが良い”となるのかわからないのですが?
 
 このブログで主として取り上げられているのがたまたま医療問題だからでしょう。ご存知かと思いますが、過失犯の非犯罪化というのは古くから論じられてきたテーマです。
 また、このブログでは、過失犯の非犯罪化論者が比較的多くいらっしゃいます。
 たとえばかつて、明石歩道橋事故の当時の警察署長を不起訴とした神戸地検の判断を「一つの見識」とまで持ち上げた(したがって二度「起訴相当」議決をした検察審査会の判断は「見識の表れではない」といわんばかりのお考えをお示しになった)法律家がいらっしゃいました。

(もっとも、さすがに、明石歩道橋事故で神戸地検が本当に「一つの見識」とやらを持って、過失犯の非犯罪化を目指していたわけではなかったのは、部下の地域課長はチャッカリ起訴していたことから明らかだし、この法律家と素人集団である神戸検察審査会のどちらが法の公正な適用についてマトモな判断力を有していたかは、この事故に関して民事・刑事の裁判所がそろって判決文中で当時の警察署長の法的責任の大きさについて言及していたことから明らかだし、結局のところ当時の警察署長を起訴しなかったことで示されたのは、「検察の腰抜けぶり」であり決して「一つの見識」などではないこともすぐにわかることなので、さすがにこの主張から過失犯の非犯罪化を容認する意見がこのブログで目に見えて増えるようなことはありませんでしたが。)

 このブログ内の話はさておき、我が国では「過失を処罰によって抑制しよう」という考えが根強く、また、刑事司法(というより警察・検察)への盲目的ともいえる信頼があるようです。
 これについては例えば、航空分野などでみることができます。
 お医者さんはよく、「結果が悪ければ罰せられる」といった不満を表明なさいますが、航空分野では、「航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律」というのがあり、その第6条には

1 過失により、航空の危険を生じさせ、又は航行中の航空機を墜落させ、転覆させ、若しくは覆没させ、若しくは破壊した者は、10万円以下の罰金に処する。
2 その業務に従事する者が前項の罪を犯したときは、3年以下の禁錮又は20万円以下の罰金に処する。
 
という規定が置かれています。つまり、整備士による整備不良によって航空機に不具合が生じたり、管制官の指示間違いによって航空機同士のニアミスが発生したりすれば、「結果が悪ければ」どころか「誰一人ケガしなかったとしても、その危険が生じさえすれば(!)」、その(航空の)業務に従事する者は、「航空危険行為処罰法6条違反」の容疑で警察の捜査を受け、起訴され、有罪とされる可能性があるわけです。

(もちろん私は、それが正しいと考えているわけではありません。我が国において刑事処分というものがどれほどむやみに信頼され、また事実究明機関として警察・検察がどれほど盲目的に信頼されているかを示す一例として紹介した次第です。)

 このような法文化を有する我が国において、どの分野であれ「刑事免責」が認められるようになるのは至難の業だと思います。だからこそ、そこは長期的課題として、日医医賠責審査会や各医師会の拡充により「医事紛争を、起訴前・民事提訴前に、第三者機関がさっさと全件鑑定してしまうこと」つまり「法律家やトンデモ鑑定医がでしゃばる前にさっさと医療者側が鑑定結果を示し、紛争処理、とりわけ事実認定において主導権を握ってしまうこと」をお勧めしているわけです。

>輸血ミス、10%リドカイン、高濃度KCL、トロンビン末などの誤注、ウログラフィンの髄腔内誤注 これらは全てシステム事故でありきちんと組織的に再発防止策をとっていれば起きなかったはずです。それを個人の犯罪にしてきた日本政府の誤りで多くの犠牲者が出たのです。

 上について個々の防止策の規模は分からないのですが。
 組織といった場合、(個人→)チーム→院内の個々の科→病院 といった「組織」もあるのですが、該当の病院では「組織的な再発防止策」がなされていたが、それが横に広がらなかったということでしょうか?

>No.196 北風 さんのコメント
>個々の防止策の規模

 個人的な見解としては、最も重要な「組織」は「国」と考えます。薬剤の取り違えに限ると、その対策には「製品の改良」が不可欠と考えられるからです。
 10%キシロカインにおける「病院」レベルの問題としては、上述のように、取り違えやすい薬剤が同じ場所に保管されていたことが多くの病院でそのままにされていたことですが、その一因は、「個人の不注意」が確定すると、「間違える人が悪い」と、思考停止に陥るからではないかと思います。
 また、「チーム」のレベルでは、取り違えると危険性のある薬剤については投与する前に複数のスタッフで確認することも必要でしょう(病院レベルの対策でもありますが)。
 「ミスの原因は1つではない」ので、対策も各段階で行う必要があると思います。
 しかし、病院・チームのレベルの対策は、全国的に行われなければ「異なる場所」での再発を防止できないので、「国」が関わることは必須と考えられます。

178さんに対する答えとして、件の事件については、モトケンさんの示されたものです。
 この事件は、無実の人間が罪に陥れられた実例です。
 裁判官の方は、自らの名前を公にして、謝罪すればよいと思います。
もし、物的証拠がなかったのなら、検察側は、その職を辞すべきでしょう。
 問題は、送検した警察側で、捜査方法上に手順や、法令の違反があったのなら、懲戒免職ぐらいの強い制裁が必要ではありませんか。確か、家族や本人に対して、信頼関係を破壊するようなうそをついていたはずです。
 仮に、この様な場合に、裁判官が厳罰に処せられるならば、つまり、法的な資格すら永久に奪われるとか、懲役に処せられるなら、恐らくは、過ちを認めず、一人の無実の人間を永久に犯罪者のままにしておくでしょうから。それとも、裁判官や検事となられる方は、自らの、社会的な破滅すら受け止めて、厳罰を容認されるのでしょうか?
 この事件では、謝罪らしきものはあったように思いますが、責任を問う裁判は開かれなかったはずです。じっくり時間をかけて、調べることができるのに、その結果にすら、ちゃんと責任をとれていないように思います。
 その場で、数分以内で判断しなければならない状況で、完璧でなければ、裁判を起こされるのが、当たり前という論点で、医療者を批判する方々がいますが、手順の無視などが、あきらかな因果関係で、死亡などにつながらない限り、裁判を起こされるのは、医療行為の性質から、なじまないと思います。医療は治る人の治る手伝いをするのであって、死すべき人や、失われた機能を、奇跡を起こして元に戻すものではありません。
 

輸血ミス→三人くらいでチェックすることにする→サボってミス
これは逝ってよし。罰してオーケーだと思います。

10%リドカイン,高濃度KCL→現場におかず薬局管理あるいは廃止して、急速静脈注射できないようなボトル製剤に変更する。

トロンビン末などの誤注→あれだけ大きく、静注すんなって書いてあるのに医療現場には文盲がいるorz→着色して、これを静注したら、確実に殺れるなという色にする

ウログラフィンの髄腔内誤注→つーかもう、脊髄造影なんかやめたら? 立位が欲しいなら、座位で撮れるMRIを一県に一台くらい用意すれば済むでしょ。

 モトケン 先生、こんにちは。

> こういうコメントがあります。

 ありがとうございます。

 ヤマダ さん、大変失礼いたしました。

 コメント数が多くなってきましたので、続編エントリを立てました。
 今後のコメントはそちらにお願いします。

 医療側は刑事免責の主張にこだわるべきか


追記

 
No.171 あひる さんのコメント
が保留になっていましので、公開しました。

P R

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