エントリ

 このブログではこれまで医療崩壊問題についてさまざまな意見が述べられてきましたが、その重要な部分として、医療側からの司法不信というものがありました。
 しかし、司法不信の前提として、司法判断があるのであり、司法判断がなされる前提として、民事訴訟なら民事提訴という患者側の行為があります。刑事訴訟においても、被害者側の強い処罰意思が検察官の起訴判断に決定的な影響を持っている場合があります。

 そして、患者側の民事提訴または処罰意思の中には、医療側に対する医療不信というものが存在していることは容易に想像できます。

 つまり、医療側の司法不信と患者側の医療不信は密接に関連していると言えます。

 そこで、医療崩壊問題における司法と訴訟の問題を考えるにあたって、患者側ひいては非医療側が強く感じているまたはなんとなく感じている医療不信とはどういうものかということを具体的に述べていただくことも、医療側からの司法不信を議論するのと同程度に重要なことではないかと考えてこのエントリを立てました。

 例によって自由に書いていただいてけっこうですが、抽象的に医療側を攻撃するのではなく、根拠となる体験または情報を個人情報に触れない範囲で示していただいて、自分の考えを述べていただきたいと思います。

 なお、別エントリで、MultiSync さんが「ウィキペディアの『医療不信』の項」を紹介されています。
 参考にはなると思いますが、この項目には

この記事には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。 これを解消するために独自研究は載せないを確認した上で、ある情報の根拠だけではなく解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください(テンプレート)。

 という注意書きがあります。
 「『独自研究』に基づいた記述」というのは、いわゆるバイアスのことかなとふと思いましたが、読むとしても参考程度にして、みなさんの素朴な感情を率直に述べていただいたほうが有益のように思います。
 要するに、ウィキペディアの記述そのものに対する議論はトピズレであるということです。
 
 その意味でトピズレですが、上記注意書きの「ある情報の根拠だけではなく解釈、評価、分析、総合の根拠」を考えるということは、どんな議論においても大事なことだと思います。

追記(8/24)
 このエントリに続編があります。
 「医療不信の実態とは?(その2)

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コメント(312)

つまり、医療側の司法不信と患者側の医療不信は密接に関連していると言えます。

 そこで、医療崩壊問題における司法と訴訟の問題を考えるにあたって、患者側ひいては非医療側が強く感じているまたはなんとなく感じている医療不信とはどういうものかということを具体的に述べていただくことも、医療側からの司法不信を議論するのと同程度に重要なことではないかと考えてこのエントリを立てました。

まさにその通りだと思います。

しかし、医療側には、
医療不信など一部のたわごと
医療不信という言葉自体、医療を侮辱したもの
医療不信の話題は避けるべき

こういった姿勢があるのではないでしょうか?
謙虚に医療不信の原因を考えたり、反省する医師なんて
いるんでしょうか?
議論前の素朴な疑問です。

医療不信とは、心理的状態で、安心と同じように定量不可能な概念です。

それを大小化する活動を無意味と言う気はありませんが、エンドポイントには出来ない代物です。

そうですよね。さすがssd 様。
医療不信の話題は避けるべきですよね。

 一市民さんは私がなぜこのエントリを立てたのかまったく理解していないようですね。

抽象的に医療側を攻撃するのではなく、根拠となる体験または情報を個人情報に触れない範囲で示していただいて、自分の考えを述べていただきたいと思います。

 これをどう読みましたか?
 具体的な話をしてください、ということです。

しかし、医療側には、
医療不信など一部のたわごと
医療不信という言葉自体、医療を侮辱したもの
医療不信の話題は避けるべき

こういった姿勢があるのではないでしょうか?

 どういう内容の医療不信を問題にしているのかを特定しないと、単なる印象操作に過ぎません。
 あなたは医師ですか?
 そうではないでしょう。
 まず、非医療側から医療不信の内容を具体的に述べてほしいということです。
 非医療側にはあなたも含みます。
 医療側がそれにどう対応するかは、その後の問題です。

 医療のどこにどのような不信感を感じているかを明らかにしないと、議論の手がかりにすらなりません。

【医療不信】とは、誰が作った造語か知りませんが。

具体的内容が出てこないならば、医療不信には実体が無い、と受け取るしかなく、「踊らされているだけ」となります。

尚、裁判に訴えたり、タイーホは、不信の表れですが。
所謂モンスター患者の「病院で騒いだり、医者を責立てる」行為は、医療に対する不信と言うより「甘え」の要素が強いですね。

実例がどれくらい出るかなあ?

非医療側から医療不信の内容を具体的に述べてほしいということです。

了解しました。
私個人の体験では、医師の患者に対する不誠実な態度、具体的には聞いたことに顔も見ないでまともに
答えようとしない、とか小さなものです。

それ以外では、他人の体験を読んだりして、怖いな、自分も同じ運命になるかもしれないという恐怖感や不信感です。

1 医療側の隠蔽体質

東京女子医科大病院の心臓手術ミスの件
単に一医師が隠蔽しようとしたのではなく、看護士や検査技師も含めて、組織的に隠蔽しようとしたこと。
こういった体質が大学病院を中心に今も残っているのではないか?という不安や不信感。
組織的にやられると、まずわからないだろう、という思い。
たまたま本件は被害者の親が歯科医で麻酔の知識があったため、疑いを持ち発覚したが、普通の人であれば、
合併症ということで、闇に葬られていたケースと考える。
刑事免責の議論でも合併症だからしょうがないとか、医師の責任はないという意見を多く見るが、合併症という都合のいい言葉そのものに
嘘がありそうな気がして怖い。
逮捕された医師の一人は無罪判決を受けているが、隠蔽にかかわったことは事実と思われ、道義的にその罪は重いと思う。
そういう医師も刑事免責を求めているのは、どうかと思う。

 あんまり具体性を要求すると、差し障りがでる話になりがちだと思いますので、それほどの具体性は求めませんけど、それでも、「とにかく医者というのは信用ならん」、とか「なんとなく信用できない」というような話では、単なる個人的な感情論、印象論に過ぎませんので議論の土俵には乗ってこないと思います。

 体験があるわけではないので、あくまでネット上で見た、一部の医療側発言に対する感想になります。
 多少表現が良くないところがあるかも知れませんが、率直に書いた方が分かりやすいとの思いからですので、ご容赦ください。

不信 Т擬圓糧鏗牡蕎陲紡个垢觀攣襪感じられる。
 よくある医療側の発言の一つに「過失に刑罰を科しても、過失の予防効果がないから無意味」というものがあります。  それはそれで一つの事実だと思いますが、被害者感情を軽視しているように感じます。  刑罰には応報という考え方もありますし、それが担保されなければ社会秩序の乱れに繋がりかねません。
不信◆Г垢阿法崙┿兇澄」「医療崩壊だ。」と言って非医療側を脅す。
 これも医療側の発言でよく見受けられます。  例えば「過失を罰すると医師は逃散だ!医療崩壊だ!」と言う発言ですね。  逃散されて医療崩壊を起こされては、非医療側は当然困るわけですから、これを言われると、もはや議論になりません。  医療側は建設的な議論をするつもりがないのかな、という不信感も芽生えてきます。  また、『本当に医療崩壊が起きるの?』とツッコミを入れたくなります。
不信:罰するべき医療事故とそうでない医療事故の線引きをどう考えているのか分からない。
 「故意」を罰することについては、ほぼ共通認識があると思いますが、「過失」について、どう考えているのかよく分かりません。  軽い過失も含むのか、重過失に限るのか、重過失の判定基準は何なのか、結果の重大性についてはどう考えるのか、ということが見えてきません。  逆に「医療は不確実なもの。」「過失を罰しても予防効果はない。」との発言ばかりが目に付くように感じられ、『「本当は過失も全面的に刑事免責すべき」というのが医療側の本音なのかな」と思えてきます。

 他にもあるような気もしますが、思いついた所を書きました。

 私としては、医療崩壊に関する議論に見られる医療不信というよりは、その議論以前の医師または医療に対する不信感というようなものを示してほしいというつもりだったのですが、医療崩壊に関する議論における医療側の言動が医療不信を生じさせまたは増大させているならば、医療側として反省材料の一つにすべきですので、No.8 名無しさんのような指摘も大事だなと思います。

まあ、ブレストなら、まずは否定しないで、どんどん出すべきですね。

あと「医療不信」があるなら「患者不信」もまたありますよ。

エントリーの趣旨を汲めば、とりあえず数が必要なのだろうと思いますので、コメントします。

私の母は早くに亡くなっています。癌でした。
私を産んで数年のち、子宮筋腫を患い、全摘術をうけたようです。
その際、担当医から家族に対してどのような説明があったのかについては、直接の記憶はありません(未就学でしたから)が、後年父から聞いた話によると、「全部とらないと治らない。今後の妊娠・出産はあきらめろ。任せておけば心配ない」といった内容だったようです(本当にそのような内容だったのか、疑問に感じるところもありますが、当事者の語りとして書いておきます)。
私が小学校高学年になり、母の癌が再発しました。そのときの父の落胆ぶりはひどいものでした。「全部とれば大丈夫といっていたのに、また癌なんて!取り残しがあったんじゃないのか!医療ミスだ!」とまで言い出しました(念のため書いておきますが、一応父は国立大の理系学部を出た技術者です)。担当医や病院を訴えなかったのは、病身の母を抱えてそんなことをしているヒマがなかったからに過ぎません。

そのかわり、父は、母を子宮全摘術を受けた近くの病院ではなく、紹介を頼ってかなり遠くの病院に入院させました。結局、母はその病院に入院したまま帰ることはなかったのですが、父はその病院を悪く言うことはなく、ただ前医に対する恨み言をいうことはついに止めませんでした。

私が思うに、父は、「母の子宮全摘」=「子どもをあきらめざるを得ないということ」を、受け止めきれていなかったのではないか、そのような「苦渋の選択」を強いられたからには、「完全に癌の恐怖から解放される」という成果を得られて当然である、という過剰な期待を抱いてしまい、その期待を裏切られたという思いが、「医療ミスではないか!」といった疑念や不信につながっていったのではないかと思っています(もちろん、本来、父や母に「苦渋の選択」を強いたのは癌であって医師ではないですし、期待も勝手に抱いたものなのだと、今の私にはわかるわけですが)。

ところで、父の抱いた「医療不信」は、厳密に言えば「(ある特定の医療者に向けられた)医療者不信」であって、「医療一般に向けられた不信」ではありません。「医療一般に向けられた不信」は、むしろ母のほうが強く抱いていたのかも知れません。というのも、母は、病院の癌治療を拒むことこそしませんでしたが、淡々と受け入れるにとどまり、その代わり、烏骨鶏をはじめとする健康食品から民間療法、はては外出許可をもらって祈祷を頼むなど、近代医療の他に、縋るものを積極的に求めていたからです(小学生であった私は、毎日烏骨鶏のスープを作り、祈祷師のもとに向かうタクシーを呼び、付き添っていったものです)。
字義に忠実であろうとすれば、母の抱いていた「不信」こそ、「医療不信」ということになるような気がいたしますが、元々のエントリーの主題である「医事紛争の根底にある、被医療者の抱いている不信感」とはなにか、に照らせば、父の抱いていた思いのほうが、より主題に近いのかな、と思います。

ここから、医療不信の源泉であろうと思われる、医師−患者間のコミュニケーションのありよう、期待権、あるいはグリーフケアの担い手の問題といった話にもっていくことは可能ですが、とりあえず今は措きます。

>不信◆Г垢阿法崙┿兇澄」「医療崩壊だ。」と言って非医療側を脅す。

「卵が先か,鶏が先か」,ということになると思いますが,トンでもない訴訟が起こされたり,トンでもない判決が下される,といった事態が頻発するようになったことが理由で「逃散」が生じているのです.
そこまで医師の心を折り続けた,非医療者の「医療不信」が原因であり,それに対して「逃散」という結果が生じているのです.起こっていることを指摘することが「原因」というのでは堂々巡りですね.

「お産難民」,「救急患者の受け入れ不能」など既に「医療崩壊」は生じています.脅かしでもなんでもなく「事実」ではないですか?

No.12 Level3 さん

「卵が先か,鶏が先か」

すでに、どちらが先かお決めになってませんか?

医療不信を抱く者がモンスターばかりではないということも考慮していただけると、今後、貴重な体験を語って下さる方も少しはコメントしやすくなると思いますよ。

 私が最初に「逃散」という言葉を聞いたときには、

「逃散」という事実が生じている。

 というニュアンスで聞きました。
 そして、このまま放置すると、「逃散」という現象が拡大していく、という意味で聞いておりましたので、それは大変だとは思いましたが、医療側から脅されているという感じは受けませんでした。

 名無しさん(こういうハンドルは推奨してないんですけどね)は、なぜ、脅されていると感じるのでしょう?

 そのあたりの自己分析はどうなんでしょうか?

>起こっていることを指摘することが「原因」というのでは堂々巡りですね.

悪循環になっているということなんでしょうか。
確かに名無しさんの例示された

>「過失を罰すると医師は逃散だ!医療崩壊だ!」

って表現は脅しととられても仕方がない表現かと思います。
「逃散」「医療崩壊」は事実ですが、わざわざ悪循環を作り出さなくてもと。
医療崩壊に興味をもって入って来た一般の人を出来るだけ見方にしていきたいと思っていますので、もう少し丁寧に現在の状況がわかるようにしてあげないと。

自分としては「逃散」の理由としては、仕事に対する「燃え尽き症候群」が原因かと考えております。
「燃え尽き症候群」の原因としては、「訴訟」「激務」「患者からの医療不信」などなど。小児科だとやはり激務が燃え尽きの原因になりやすいかな。一般の人の目にも大変だと理解されだしてきた産科に関しては、訴訟リスクは「燃え尽き症候群」の要因としてはかなり大きいのは確かですね。
ただ「過失を罰すること」は医師が「燃え尽き症候群」をおこす大きな要因の1つですが、これだけをことさら強調しすぎると、かえって自分の首を絞めてしまわないか心配になります。

あと、実際に「医療崩壊」は生じているという所には自分も同意します。
あとは「医療崩壊」が軽く済むか、イギリスみたいに大崩壊するかだけみたいなところまで来てしまったかと。
特に横浜の産科は注目株。
ここ1〜3年で横浜の産科崩壊がどれだけ進むかで、首都圏全域の大崩壊に繋がりそうで。

 『逃散』は確実に起きていると思います。
私自身も、ほぼ『逃散』した元小児科医です。
 『脅している』というわけではなくて、『警告している』のではないでしょうか?あるいは『助けを求めている』のかもしれません。このような状況下でまだ現場に残っている現役の医師の皆さんもこの状況が続けば自分も『逃散』せざるを得ないと考え、そうならないように何とかして欲しいと必死に訴えているように私には感じられます。
 『脅し』と取られかねない『警告』を発することなく、私のように『逃散』するのは簡単です。そうしないで現場にとどまり続けて、訴え続ける現場の医師たちを私は尊敬しています。
 『脅し』との境界が不明瞭な『警告』なしに、医師がどんどん辞めていった方がうれしいものでしょうか?
 

>そこまで医師の心を折り続けた,非医療者の「医療不信」が原因であり,それに対して「逃散」という結果が生じているのです.

ちょっと書きすぎかと思うところもありますので,少々補足させて頂きます.「医師の心を折っている」のは直接医療を受けている「被医療者」だけではありません.病院長や事務方,知事や市長や議員など場合もあります.舞鶴市民病院の件や尾鷲の産科の件などは,これに相当するものでしょう.

いずれにしましても,我々が「逃散が生じている」と発言することを「脅し」と取られるのは心外です.先にも書きましたようにこれは「事実」を述べているに過ぎないのです.全国の公立病院で「常勤医師」の空席が数多く生じていて,これが埋まっていないことも「事実」です.そして,特定の科の閉鎖や病院そのものの廃院が生じているのです.
「逃散」ということに対して「脅し」と取るということは,我々が言っていることが「間違い」もしくは「虚偽」であると思っているということなんでしょうか?そうであるなら,その証拠を示して「そんなことはない」と反論すればよいかと思います...

本当に逃散する人は、ネットなどで騒ぐことなく、目立たぬように身を引いていくものです。 

いま、ここで「このままでは逃散だっ」と大騒ぎしている医療者は、実は崩壊していく医療をなんとか建て直そうとしている、根性ある人々だと思いますよ。

「医療不信の実態とは?」というエントリーテーマと無関係で済みません。

モトケンさん、フォローありがとうございます。

このブログにおいては、No.16 海外在住小児科医 さんのいうように『脅している』というわけではなくて、『警告している』という文脈で使われている事がここでは多かったと思います。

ただ一見さんとかあんまり医療問題に興味のなかった人には、「小倉秀夫ヲッチング」で最近ついた

>だから、死と隣り合わせの救急医療などまっ先にやめるべき.
国民が頭をさげて『免責にしますから助けて下さいませ』
と頭を下げるまで、やらないべきです

というようなコメントのほうがインパクトが強くなってしまうのでしょう。
だから感想として名無しさんが、そのように思ってしまうのも無理はないかなと。

しかしそれはそれで、「逃散」の言葉のもつイメージの違いを指摘しあうのは、今後議論を進めて上では大事なことかと思います。

 北海道の市町村立病院は、激務等から医師が辞めていくところが多いようです。これを「逃散」と呼称しようがしまいが紛れもない事実です。中小スーパーが撤退する人口減少地域に多いです。
 担当医師が減って(他病院に統合されて)、残った医師の担当患者が増え、「今日は、3〜5分間診療で回した(余議なくされた)上、疲労がたまってついついゾンザイな口調で患者にきつく対応してしまった。」という独白を飲み屋で医師の方から飲みながら聞いたことがあります。
 これが、患者が不満に思う「3分間診療」「ゾンザイな言葉遣い(横柄な態度)」に見えるという医療不信の実態の一つかもしれません。

No.15 オダ さん

自分としては「逃散」の理由としては、仕事に対する「燃え尽き症候群」が原因かと考えております。

ただ「過失を罰すること」は医師が「燃え尽き症候群」をおこす大きな要因の1つですが、これだけをことさら強調しすぎると、かえって自分の首を絞めてしまわないか心配になります。

その通りだと思います。
実際逃げ出した医師のインタビューが記事で5人ほど
出ていますが、魔法から解けたそうです。
訴訟のことを、一番にあげている医師はほとんどいないですね。

「脅し」と取るか、「事実」と取るかは、その人の判断です。(それが事実だとしても)

高圧的な態度で、説明されれば「脅し」という印象を受けても不思議ではありませんよ。

>訴訟のことを、一番にあげている医師はほとんどいないですね。

m3.comの医師限定版では,「一番」とは言いませんが,「勤務医では刑事訴追のリスクを回避できない」と勤務医を辞めた理由を述べておられる先生もありますし,それを肯定しておられる別の先生のコメントも載せられています.

繰り返しますが,「原因のうちの一つ」であることは間違いのない事実でしょう.8/20の大野事件の判決が「無罪」でなければ「産科をやめる」と言っておられる先生
が何人もおられることも忘れてはならないと思いますが.

事実を直視しなければ,適切にそれに対する対策をたてることもできないと思います.事実に目を瞑って,間違った方向に進むのは勝手ですが.

 一言だけ
 「事実」は客観的外形的事実認定の問題です。「脅し」は認定した事実に対する評価(価値判断)です。両者は厳密に区別しましょう。事実認定は価値判断に論理的に先行します。

No.24 ハスカップ さん

人間の感情というのは必ずしも論理的ではないはずです。

冷静に、「そりゃ大変だ調べて見よう」となれば、事実に対する正しい評価はできるかもしれませんが、「なにを偉そうに、バカいってんじゃねぇ!」となれば正しい評価をするのは難しいのではないでしょうか?

>一番にあげている医師はほとんどいない

すでにNo.23で Level3 さんから指摘がありましたが、訴訟リスクは医療崩壊の要因の1つであることは確かです。
そして特に産科は大野事件もあって、他の診療科と比較してその影響が大きいです。

そして「逃散」も問題なのですが、訴訟リスクは新規参入者の減少にも大きな影響を与えています。
学生が産婦人科を選ばなかった理由に、激務と並んで訴訟をあげる人が多いです。この事からも、訴訟リスクの問題は解決する必要があると思います。

場外乱闘の「医療不信という「鵺」のようなものの正体」代投稿
>>ペスト :2008/08/17(日) 18:15:26 ID:85wYy59I
(私はコンピュータ音痴で、Vista+Firefoxでも投稿できないためそれ以上の対応ができません。本掲示板にアクセスできないため、やむを得ずこちらに投稿させてください)
「一市民」さん、「聞いたことに顔も見ないでまともに答えようとしない」医師に不快な思いをされたとのこと、同業者として残念に思います。ちゃんと向き合って、質問にはキチンと答えるべきであり、自分も省みて、これからも気をつけてまいります。
ですが、お言葉を返すようで恐縮ですが、それだけで「医療不信」というのは・・・?
「こいつ、ちゃんと聞いてんのか?」と感じることは、他業者でもあります。そういうときには、その場でそう言葉に出すのが普通ではないでしょうか。「ちゃんと聞いてます?私の質問はですね・・・」という具合に。特に、医師がコンピュータを格闘している場合は、その医師には、患者に向きあうゆとりがなくそのような態度に映る可能性があります。そういう弁護は成り立たない場面でしたでしょうか。
ほとんどの患者さんは、医師の不快な対応に黙ってしまう、そして「この医者、信用できないからもう受診しない」と決心する、というふうに内にこもってしまわれるようです。より良い患者医師関係のために、普通の業者のように、その場で、「さっき、・・・とお尋ねしたんですけど」ともう一押ししていただけませんでしょうか。それでも嫌そうな顔をする医師でしたら、それは、困った医師ですね。「患者医師関係」を学ぶ機会のなかった医師だったのでしょうか。ご本人におっしゃるのが最善ですが、看護師に伝えたり、病院であれば「意見箱」に投書したりするのもよいでしょう。開業医ならば医師会会員かどうかを調べて医師会に投書するという手もあります。また、地方自治体には医師への不満や疑問を「医療相談」などという形受け付けているところも多いと思いますので、そのような窓口を通じて医師に伝えることも教育的でしょう。いずれにしても、医師会などが接遇の講習会などで再教育の機会を与えるべきですね。小さな対応の積み重ねが医療不信につながると思いますので、ご意見に感謝いたします。
>>

普段はROMしております、非医療、非法曹の者です。

「脅し」と取るか、「事実」と取るかは、その人の判断です。(それが事実だとしても)

高圧的な態度で、説明されれば「脅し」という印象を受けても不思議ではありませんよ。


「高圧的な態度」には???さんの主観が入っていますので、その点は若干割り引くにしても、仰ることはその通りだと思います。

ただ、この場は「それが脅しと取られる」→「だから医者は言葉遣いに配慮せよ」、あるいは「それは脅しじゃない、事実を述べただけだ」というようなことを言い合う場ではなく、
医療者にとっては事実の提示にすぎない発言を、非医療者が脅しであると受け取ったが、それは何故かということについて掘り下げ、(できれば)改善策を探る場ではないのでしょうか。

an_accused さん の投稿に大変感銘を受けました。昔の話であったとしても、今現在にも通じる話だと思い、肝に銘じました。

非医療者の方々が「医療不信」を感じているのだとすると、その多くは実体験もしくはイメージによる「(特定の)医療者への不信」であるのかもしれません。特に現在、病気をしていない人にとっては、医療一般への信頼や期待が、まだ結構大きいのではないでしょうか?(自分の勤める施設が大きいから、そう感じるのかもしれませんが。)

一方で「医療一般への不信」を「治せない事=医療の限界」と置き換えられれば、むしろ医者の方が「医療不信」を感じているのかな?とも思いました。

 評価の正しさを求めたのではなく、事実と評価を分けて考えようというだけです。価値判断の二面性と言いますが、同じ外形的事実でも、ある人にとっては称賛する事実だが、他の人にとっては唾棄すべき事実なんてのもあります。m(_ _)m

 微妙にトピずれかもしれませんが、看護士の病院不信の話をさせていただきます。

 私の従姉妹が勤務していた病院の別の部署で、患者取り違え事故が発生したことがありました。その際に内部の事故調査の中で、担当していた看護士の注意不足という方向で結論を出そうとする誘導があったそうです。もちろん担当者のミスであることは間違いないのですが、責任を個人に帰して組織としての責任を免れようとするような病院には勤務していられないと感じたそうです。
 結局、調査委員会でも同様の指摘があり、個人のミスだけではなくシステムにも問題があるということで、取り違いが再発しないようにシステムの改善が図られたそうですが、病院の上層部に対する不信感は残ってしまいました。
 病院を信じられなくなった看護士は、別の病院に移っていくことになります。

 なお、この件は警察、検察による取り調べでは無かったため、刑事免責の話ではありませんが、私の刑事免責に対する考え方にも大きな影響を与えました。

 ネット上のコメントを100回見るよりも、実際に身内に話を聞いた方が圧倒的に説得力があります。ましてや自分の身に降りかかって来るとなればどうでしょう。この温度差が議論を進めていく上で最大の障害であるのではないでしょうか。

医療者内で後ろから撃たれて、医療不信に陥る。
こういう例も多くあるでしょうね。
内部で積もり積もったストレスのはけ口を外、例えばこの掲示板に持っていく、
そういう医師もいるでしょう。

大野事件も事件になるべきものではないのに、なぜか調査報告書が作成され、謝罪し、逮捕してください、って言っているようなもんでしょう。
そこまで言われたら警察も動くしかないもんね。
これも起こるべくして起こった、
医療者内で後ろから撃たれて、医療不信に陥る、よき
例かもしれません。
その医療者内の問題を棚上げして不当逮捕のみを
アピールするのも、どうかなと思いますよ。
無罪の医師が最大の悲劇とは思いますし、すごく同情はします。無罪を祈っていますが。

産婦人科医として、非医療者の方に誤解が生じるといけないと思い、an_accisuedさんの投稿の内容に医学的に事実誤認があると思われるところを訂正させていただきます。

まず、子宮筋腫は癌ではありません。
良性疾患です。

ですから、もしお母様が子宮全摘術を受けたときの疾患が本当に「子宮筋腫」であったのならば、その後の出来事は「癌の再発」ではなく、新たな癌の出現と考えるのが妥当です。

もしくは、お母様の病名は「子宮筋腫」ではなく、本当は「子宮癌」であったということも考えられます。
とくにお母様がお若い頃の時代では、少なくとも本人には子宮癌ではなく、子宮筋腫とお話しして手術を勧めたという可能性は十分あり得ることだと思います。

ちなみに、「子宮筋腫」の場合、根本治療は、「子宮全摘出」であることは間違いないです。
子宮筋腫は良性疾患なので、症状がなければ基本的に治療の必要性はないくらいのもです。また、妊娠を希望される方の場合は、筋腫だけを摘出する手術が行われることがほとんどですが、子宮筋腫は再発しやすい良性腫瘍なので、根本治療としては「子宮全摘」となります(子宮がなくなってしまえば二度と子宮筋腫が出来ることはありません)。

ちなみに、子宮筋腫と子宮癌は全く別のものですので、子宮筋腫から子宮癌が発生することはありません。
また、子宮の筋肉の悪性腫瘍としては、「子宮肉腫」というものがありますが、これも、子宮筋腫を放置しておいたら子宮肉腫になるわけではありません。


以上、非医療者の方へ参考までに書かせていただきました。


このように、「良性腫瘍」と「悪性腫瘍(癌)」の区別が非医療者にはわかりにくく、特に患者さんに初めて説明するときは「腫瘍」という言葉だけでパニックになって後全然聞いていない、完全に誤解されて理解される方も多いので、そこが医療者としては悩ましいところです。
他の病院を受診して「癌だといわれた」とパニックになって、私のところを受診されて、「癌ではない、良性の腫瘍ですよ」と説明してやっと納得されるという方も多いです。そういう方の中には「前の先生はちゃんと説明してくれなかった」と「医療不信」になられる方もいらっしゃいますが、それはどちらかというと同じ説明をしていたとしても初めて聞いたときは患者さん本人が混乱して理解できていないということが多いです。実際、患者さんに説明をしていて、初めの説明ではせいぜいお伝えしたことの半分理解されていればいい方だと感じることが多いです。ですので、2回目、3回目の受診を通して徐々に完全に理解していただくように説明を加えていくのですが、1回受診しただけで「ちゃんと説明されなかった、信用できない」と感じて病院を移ってしまうと、それが「医療不信」の一因になっているのかな、と感じます。

>そこまで医師の心を折り続けた,非医療者の「医療不信」が原因であり,それに対して「逃散」という結果が生じているのです.
こちらは逃散ではなくその前段階の医療不信のほうを語るエントリでは…

医療不信が逃散の原因でしたら、何が医療不信の原因なのかを探ることが逃散の防止策を探ることにも繋がるのではないでしょうか。

医療不信で検索するとさしあたり148000件程度ヒットしますが、その中で体験談をよりぬいてみると誤診、医療従事者の心無い(と患者が感じる)対応、隠蔽などがやはり目につきます。

また「こういう医者はよくない」等の医療不信を煽るともいえる書籍も事欠きませんし、実名で「こういう病院はよくない」と書いている医師の先生も大勢います。さしあたり周辺には医療不信を煽る材料がけして少なくはないようにも見えます。主観ですが。

オダ様

私は刑事免責容認派であり、刑事免責実現を応援しています。
ただ、今の進め方だと実現しないでしょ、もう少し
作戦考えたらどうでしょうか?ということを申し上げています。

あと、先生の小児科も応援したいのですが、小児科のピンチの
アピールが一番弱い感じがします。
ぜひ学会なり、もっとアピールするよう、要望すべきと
思います。
特に新生児担当の先生なんか、大変だと思いますし、
産科との待遇改善バランスもあるでしょうから、
頑張ってください。
尚、長野は私の大好きな県です。守ってあげてください。
よろしくお願いします。

過失がなくても医療事故は起こります。
特に患者がその事故を問題にしている場合は、きちんと調査報告書を作るべきです。

ですが、大野事件で問題なのは、福島県が民事賠償で穏便に済まそうと、事故調査の報告を過失ありという結論ありきで作った可能性が非常に疑われていることです。

2006年3月16日の朝日新聞の記事より抜粋です。
(医師逮捕・詳報(下)〜報告書 結論ありき)

>県病院局が、05年1月に事故調査委員会を設置したのは、「原因を調べて再発防止に役立てるため」(秋山時夫局長)だった。2カ月後に公表した報告書は、「無理に胎盤をはがした」点などについて医療過誤を認めた。
>だが、佐藤教授は「報告書は、始めから結論ありきだったのでは」と指摘する。
>「『過誤がない』という結論では、遺族に補償ができないから困る。そういった示唆が、県側からあった」と、調査にかかわった複数の関係者が声を上げているからだ。
>報告書をまとめる際に遺族との交渉が念頭にあったことを、県病院局側も認める。ただ、その当時、加藤医師が逮捕されるとは思っていなかったという。


大野事件は事故報告書は、医療者内の問題ではなく、政治の問題です。

「逃散」を脅しに感じられる方は、教養が不足しているのでしょう。
なぜ「立ち去り型サボタージュ」ではなくて「逃散」なのか理解してくれれば、そもそもそんな状況も起こらないのでしょうがね。

大野事件で問題なのは、福島県が民事賠償で穏便に済まそう

過失がないのに、どうして民事賠償しなければいけないのでしょうか?

>過失がないのに、どうして民事賠償しなければいけないのでしょうか?

 揉め事が終結するからです。

>過失がないのに、どうして民事賠償しなければいけないのでしょうか?

現在考えられているCP(脳性麻痺)の「無過失補償」の考え方を調べられればよいかと思いますが...

元々、揉めていたわけですか。
知りませんでした。
ありがとうございます。

民事訴訟の前に和解を行おうとしたということですね。

No.35のレスです。
ちなみにNo.36はNo.32のレスです。

一市民さん、応援ありがとうございます。

小児科学会も何年も前から小児科救急の窮状のデータをとったりしてアピールしているんですが、なかなかメディアは記事にしてくれません。
2005年には小児医療改革・救急プロジェクトなんてHPも立ち上げております。
http://jpsmodel.umin.jp/

改革モデル発表資料とか発表したり、小児科の集約化・重点化を考えるシンポジウムなんてものを開催しても全然ニュースにならない。
産科に比べるとまだまだ崩壊の程度が軽く済んでいるため、学会のアピールにニュース価値が認められないよう。

新聞広告でも打てればいいのですが、小児科学会も財政的には厳しいようで難しいです。

ハシゲウイルス注意報です。

>No.29 デ・ロッシ(勤務医) 先生
 過分のお褒めのお言葉をいただき恐縮いたしております。応答をいただきありがとうございます。 
 拙コメントは、ごくごく個人的な体験であって、誰かを感銘させたり肝に銘じさせたりするものではないと思っています。むしろ、私の方こそ、先生が拙コメントのようなものにコメントのきっかけを見いだしていただけたということに感謝いたします。

>非医療者の方々が「医療不信」を感じているのだとすると、その多くは実体験もしくはイメージによる「(特定の)医療者への不信」であるのかもしれません。特に現在、病気をしていない人にとっては、医療一般への信頼や期待が、まだ結構大きいのではないでしょうか?(自分の勤める施設が大きいから、そう感じるのかもしれませんが。)

 国民が、医療一般に対してはなっから「不信」を抱いているのだとすれば、そもそも受診などしなくなるわけですから、各地の病院待合室は閑古鳥の楽園となり、「コンビニ診療」なんて事態は生じないでしょう。むしろ、「必ず治してもらえる」という期待値が上がりすぎている結果、不幸な転帰に至ったときの受け止めができにくくなっている、ということではないか、と思います。産科などその最たるものでしょう。

>一方で「医療一般への不信」を「治せない事=医療の限界」と置き換えられれば、むしろ医者の方が「医療不信」を感じているのかな?とも思いました。

 癌など、ある特定の疾患については、(怪しげなものを含め)近代医療に取って代わろうとする「医療」の成立する余地が高くなるような気がいたします。

>No.33 くろすけ先生

 ご解説をいただき、ありがとうございます。
 拙コメントを書くに当たって、当時家族が受けたであろう説明の内容を確認するために、押し入れなどを少し探したのですが、説明書や同意書といった当時の資料が全くみつかりませんでしたので、完全に記憶と想像に基づいた内容になってしまいました。私の誤解は、おそらく、父の誤解でもあったのでしょうから、誤解に基づく不信であったということも充分に考えられます。

>2回目、3回目の受診を通して徐々に完全に理解していただくように説明を加えていくのですが、1回受診しただけで「ちゃんと説明されなかった、信用できない」と感じて病院を移ってしまうと、それが「医療不信」の一因になっているのかな、と感じます。

 国立がんセンターの西本寛医師は、「診療記録の課題を考える(2)医療者−患者間の情報共有のありかた」(病院64巻12号・2005年12月)において、「往々にして医師は、「十分に説明をして、(面倒くさいけれど)同意書もとった」という感覚を持ち、それに対して患者さんは「説明はしてもらったけれど、内容についてはよくわからなかった。治療を受けるために必要だといわれたので、サインはしたけれど」という感想を持たれることが多いように感じます」と述べ、説明と同意をもらう形式を整えるためではなく、「情報を共有してパートナーとして治療に当たる関係を作る」ためのインフォームド・コンセントを実現するためのツールとして、手書き・複写式の説明書の使用や、説明時の看護師の立ち会い、また、患者に交付する説明書や検査結果のプリントアウト、あるいは化学療法時に作成して渡す骨髄抑制のグラフといったものを患者自身にファイルしてもらうこと(じぶんカルテの作成)などを提案されています。
 このような取り組みは、すでに各臨床医の皆さんが実践なさっているものと思いますが、私の母が子宮に疾患を抱えていた20年ほど前には、そこまでの情報提供がおこなわれていたのか私にはわかりません。父は、20年前に抱いてしまった「医療不信」を解消することはできませんでした(因みに、父も既に物故者です)。いかに医療が進歩し、医師−患者関係が変化したとしても、自己あるいは近親者の受診経験を通じてそれを実感することができなかったので、父は結局、20年前に抱いた不信感を払拭することは出来なかったということです。

 つたない体験をそのまま書いてしまいましたが、デ・ロッシ先生、くろすけ先生のおかげで、なんとかエントリーの主題に沿うものにしていただけたと思い、感謝しています。ありがとうございます>両先生

以前から興味を持って読ませていただいております。医療不信ということでの具体例、ということで今母が抱いているであろう事を述べさせてもらいます。

先日、父が癌で亡くなりました(73歳)。前立腺癌でした。癌の発見は5年前で、その時点では医師の判断は放射線照射による治療を、ということでした。その際、80歳程度までは生きられるだろう、ということを言ったそうです。同時に、軽い脳梗塞なども併発しておりました。

その後、放射線治療の効果もあり、多少体調も戻ってきたのですが、昨年3月入院した際、「手遅れであり、治療も出来ない」と通告されたそうです。その際、最初から手遅れであった、とも言い直されたと聞きました。

また、その後入院も拒否されるようになり、体調の急変の際に、通院していた病院に駆け込んだ際も「二度と来るなと言っただろう」というニュアンスの言葉をそのときの当直の医師にカルテを振り回しながら言われた、と聞きました。

その後、自宅での療養を続けましたが、昨年12月には歩けなくなり(骨転移の影響)、地元の医師に面倒を見てもらいながら本年3月末に、自宅で他界したのです。

この状況での母の不審は以下の2点に集約されます。

1.最初80歳程度までは大丈夫、と言っていたのを言い直したのは間違い(誤診)ではないか。それを最初から手遅れだった、と言い直したのは間違いを逃げているのではないのか。(個人的資質の問題?)

2.治療不可能になった時点で手のひらを返したように入院拒否をするのはどうなのか(システム的な問題。説明も不足しているようである)。

すべて母から聞いた話ですので、事実関係を検証はできません。ただ、母が不信を感じているのは事実です。その上で、私なりに整理をすると次のようになります。

1.当初の癌の進行状況に関しては不明部分がありえるだろう。ただ、その際、もし予想外に進行したのであればその通りに説明すればまだ納得ができたのではないだろうか(訴訟防止のため、そのように答えるマニュアルとなっているとすれば逆効果か?)

2.入院拒否に関しては、ベッドがふさがって経営に悪影響を及ぼすことは理解できます。ただ、拒否するならばそれを納得できるような説明をするようなことは出来なかったのか(こちらは逆にマニュアルの不徹底ということなのか?)と思っています。

落ち着いて時間をかけて説明している余裕(=コスト)は無い、ということはこちらでの議論を読ませていただいていることで理解しています。ただ、それにしてもメーカー勤務の身としてはリスクコントロールという事で見るとあまり上手くないように感じています。

以上、雑駁ではありますが実例として挙げさせていただきます。

大野事件は事故報告書は、医療者内の問題ではなく、政治の問題です。

事故報告書の作成過程は知りませんが、医学的知見を含んだ文書でしょうから、医師がノータッチということはないと思うのですが、違いますか。

そして、その医師は過失なしと指摘したのに、政治部門の方で「過失あり」みたいな改ざんをしたということなのでしょうか。だとすれば度し難い不正であり、強く糾弾すべき非違行為だと思いますが。

>最初80歳程度までは大丈夫、と言っていたのを言い直したのは間違い(誤診)ではないか。

あー、「前立腺がんで80まで生きるとか言った」という又聞きを前提に不信を持つのが、「患者不信」の構造です。
まあ、正直言って、「前立腺がん」で手遅れって経過がものすごく信用できないわけですよ。

照射までやって、あとはもうやることが無くなったら、その次の人のために治療の枠を「空ける」というのは一種の社会正義です。経営がなどというのは失礼な見方です。
そして、別に放り出されたわけでなく、開業医の先生に看取ってもらったというのは、まだ恵まれた経過だと思います。
これからはもっと悲惨になります。

>先日、父が癌で亡くなりました(73歳)。前立腺癌でした。癌の発見は5年前で、その時点では医師の判断は放射線照射による治療を、ということでした。その際、80歳程度までは生きられるだろう、ということを言ったそうです。

skywolfさん,
73歳で発見されて78歳で亡くなったであれば「80歳程度まで」という5年前の言葉は正解であったのではないでしょうか?「80歳程度」は「丁度80歳」ではありませんし日本語的には「正しかった」と考えるべきかと思います.
放射線療法が選択されたところからみて,ある程度以上の進行癌であったのでしょう.そうでなければ手術が選択されたと思われます.前立腺癌は手術不能でも進行が遅いため放射線療法やホルモン療法で,ある程度の予後が見込めるものです.場合によっては癌による死亡よりも先に脳血管障害や心臓疾患で亡くなってしまうことも十分考えられる疾患です.従って「最初から(根治的)治療は不可能であった」のだろうと思われます.ただ,余命を延ばす治療だけは可能であったということです.
どの程度まで説明されたのか,またあなたのお母さんがどの位それを理解できていたのか解りませんが,書かれたお話からしますと,おおよそこのような状況であったのではないかと思われます.

その後の入院拒否に関しては,ここの話だけでは解らないので,ここではコメントは差し控えさせて頂きます.

>>No.46 (ただいま謹慎中) さん
>だとすれば度し難い不正であり、強く糾弾すべき非違行為だと思いますが。

これは誰か刑法に違反していますか?

ちょっと私信みたいになりますが…

an_accused先生

先生のご報告,私も考えるところありました。今,旅先のため色々書く時間が取れませんが,帰宅後に状況を見て色々書かせていただこうかと思います。

それから,先日ご紹介頂いた判例タイムズのレポートも,後日読ませて頂きます。いつもアドバイスをありがとうございます。

>No.12 Level3 さん

 「逃散」が発生している経緯については、医療訴訟が主たる要因がどうかは分かりませんが、様々な要因によって医師が追い詰められたためと理解しています。
 そして追い詰めた「犯人」は、政府であり、マスコミであり、私たち一般国民であると思っています。
 ですから「犯人」達は、医師のためにも自分たちのためにも、医師を含む医療関係者の待遇を改善し、これ以上の「逃散」を防ぐ義務があると考えています。
 しかし、その一方で、社会一般の秩序を守るために、また医療崩壊を防ぐために、医師に我慢してもらわなければいけないことも幾つかあると考えます。
 個人的な意見ですが、それは重過失についての刑事告訴であり、診療科および地域ごとの医師偏在解消のための、医師の自由の制限などです。
 そういった主張した際に、「それならば医師は逃散だ!」と言われるのでは、「脅し」と表現したくなると言うことです。

>No.14 モトケン さん

 モトケン先生、上記がNo.14に対する回答になっていますでしょうか。

>73歳で発見されて78歳で亡くなったであれば「80歳程度まで」という5年前の言葉は正解であったのではないでしょうか?
横から失礼しますが、73歳でなくなられたという意味ではありませんか?

こちらも私信のような内容になってしまい申し訳ないです。

>No.50 峰村先生
 私の拙い、未整理のコメントが、先生のご着想のきっかけにいささかでもなれたとすれば、自らの医学に関する無知を晒してコメントした甲斐があります。ありがとうございます。
 今御旅行中とのこと、せっかくのご旅行ですから、医療崩壊などといった浮き世の憂さを忘れてリフレッシュなさってください。ご無事のお帰りをお祈りいたしますとともに、お帰りの後の先生のコメントを楽しみにいたしております。

 さて、私の拙い体験コメントですが、こんなものでも、幾人かの先生方からの応答をいただけたことに感謝しています。また同様に、あるいはそれ以上に、もし、拙コメントが、エントリーの主題に沿った、skywolf氏のコメントのような投稿の呼び水になれたのだとすれば、なお有り難いことだと考えています。
 非医療者の、ある程度具体的な内容を伴ったコメントについて、もし誤解に基づく記述があるのであれば、そのような誤解がなぜ生まれやすいかも含め、バッサリ切り捨てるのではなく、皆さまの検討の俎上に乗せていただきたいと思います(具体性を伴わない、悪意の表明にすぎないようなコメントは、どうぞ遠慮なく全摘していただいて結構です。麻酔も必要ありません)。

http://www.jsog.or.jp/about_us/minutes/pdf/GIJIROKU/h17_09joumu.pdf

佐藤監事「ご遺族が非常に怒り心頭に達しており、我々も刑事事件になるとは思わなかったので、県の病院局が中心となって早くご遺族に民事で補償したいということで先ず調査委員会を立ち上げた。その冒頭に委員長と病院局の担当者がこれは今後こういう事件が再び起きないようにすることと、非を認めて家族に対する補償の開始を早くしたいということが目的であるので、そのつもりで報告書を書いてくれとのことであった。初めから医療過誤を認めるような調査委員会であったので、本職はそれは困る、今後に繋げることを目的として原因を究明するのは良いが医療過誤を認めることを書く必要は全くないと主張した。そのような経緯があり、警察は後からこの報告書を読み刑事事件にしたと解釈しているし、警察もそのように言っている」
事故報告書については行政側も、それにしたがって報告書を書いた医療事故調査委員会の医療者側も両方アホ。
「すごい剣幕」だった遺族との、真剣な交渉を嫌った行政・病院側の人間の無責任が原因でしょうね。

自分が、大野病院における医療事故の報告書を読んだ最初の感想としては、これってあとだしじゃんけんだよなってことでした。

なぜあのような報告書が作られたのかに関しては、「ある産婦人科医のひとりごと」というブログの以下のアドレスの記事に詳しいです。

http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2007/01/post_8911.html


なお、大野病院の医療事故についての報告書は以下のアドレスでもまだありますので、一度お読みになって頂ければいいかと思います。

http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/files/houkokusho.pdf

>>No.54 ろくろくび さん
>警察は後からこの報告書を読み刑事事件にしたと解釈しているし、警察もそのように言っている」

これが事実なら加藤医師を起訴する目的で捜査を指揮した検察は、事故調査報告書についても捜査をした上でこの報告書の作成者に刑法に非違する行為を認めなかったということになります。

とすれば福島地検としては
>>No.46 (ただいま謹慎中) さん
>だとすれば度し難い不正であり、強く糾弾すべき非違行為だと思いますが。

とはえらく正反対の刑法解釈ですが、検察の捜査としては日本全国的にあんなもんなのでしょうか(笑)。

>しかし、その一方で、社会一般の秩序を守るために、
>また医療崩壊を防ぐために、医師に我慢してもらわな
>ければいけないことも幾つかあると考えます。
>個人的な意見ですが、それは重過失についての刑事告
>訴であり、診療科および地域ごとの医師偏在解消のた
>めの、医師の自由の制限などです。

名無しさん,
「刑事告訴」はともかく,「医師の自由の制限」は医師の基本的人権を制限することになるのではないでしょうか?
それは「我慢」とかいうレベルのものではないでしょう.診療科や医師の偏在を解消するには「強制」ではなく,そうなるように「誘導」する必要があると考えます.そういった発言は医師の反感を買うだけだと思います.

>横から失礼しますが、73歳でなくなられたという意味ではありませんか?

まるさん,
すみません.私の誤読のようですね.
skywolfさんにも間違ったコメントをしたことをお詫びします.

補足ですが、私もskywolfさんへの「反論」ではなくて、医療者側の「考え方」を示して、乖離を露わにしたかっただけですので念のため。

報告書の作成者3名は医師のようですが、保険金をえるために
嘘を書きました、とは言えないでしょうから、
記載事項はすべて調査した結果、真実です。という見解では
ないでしょうか。
この3名も罪深くもあり、被害者でもあるかもしれませんね。
県の行政マンは今頃どうしているんですかね?

あと、個人的に疑問なのは、他の事故でも、今まで、大野事件のような保険を
下ろすための事故報告書が作成され、裁判にいたらず、
和解が行われていたとすると、大野事件以降は、こういった
安易な和解は行われず、すべて民事裁判に持ち込まれるようになった、と考えられるのですが、どうなんでしょう?

もうひとつは、事故調査委員会ができて、ミスなし、という判断がでれば、保険はおりないということであれば、
今までどおりの民事訴訟で和解の方がいいと考える
患者側が多いと思いますが、これもどうなんですかね?

難しい問題ばかりです。

>もうひとつは、事故調査委員会ができて、ミスなし、
>という判断がでれば、保険はおりないということであ
>れば、今までどおりの民事訴訟で和解の方がいいと考
>える患者側が多いと思いますが、これもどうなんです
>かね?

一市民さん,
考えるのは結構ですが,これまではトンでも訴訟のために「ミスなし」でも「ごね得」や「誤判定」で和解金が貰えていたようなものですから,それがなくなっても本来は「当たり前」のことなのではないですか?

「当たり前」のことが「当たり前」になるのに,それを問題と考えるのはおかしなことだと思います.

もちろん病気になったのはお気の毒ですし,治療がうまくいかなかったのは残念でしょうが,それは「仕方が無い」ことだと考えられるようにならなければいけないのではないでしょうか.医師だって人間ですから,できることは限られているのです.そのことを認識しなければならないのでしょう.結果が悪かったことに対してその責任を医療者に押し付けるような考え方を無くさなければならないのではないでしょうか.

an_accusedさんやskywolfさんのお話にしてもそうなんですが、医療不信というと癌の話が出てくるのはかなり象徴的だと思います。
医者から癌といわれて冷静に話しを聞ける家族のほうが珍しいんじゃないでしょうか。医師が平均的な話として10年くらいは大丈夫(前立腺がんの場合、概ねこのような話がなされるようです)といったのが、いつの間にか10年は大丈夫と思われてしまったりするのはよくあることだと思います。

患者さんや家族に一番必要なのは、実は心理カウンセラーだと思います。心理カウンセラーが介在することによって、医療に対する誤解やトラブルはずいぶんと防げるような気がします。

もうひとつ非医療者の方々にお勧めしたいのが、普段から何でも相談できる医者を探して仲良くしておくことでしょうね。

亀レスにつきご容赦願いたいのですが、子宮筋腫は癌あるいは悪性腫瘍ではないので、癌の再発というのはあり得ないと思うのですが・・・その話、本当なのでしょうか?今の医学でも筋腫と癌は明確に違うものと私は大学で習ったのですが(関連があるとしても最近解ったことでしょうね)。私の習った産婦人科学は10年強過去のものなので、専門家でもありませんしごくここ10年で変わったのかもしれません。
ただ、医療不信を植え付けてしまったのは事実でしょうから直にその医師がどの様な説明をしたのか、患者側だけでなく、医師側からも聞く必要があるでしょうね(でないと誤解もあり得るので解決はしないでしょう)。
あとは、昔なら「任せろ」的なことを言ったかもしれませんが、現代の医師は本人以外にはまず「任せろ」的な発言はしないと思います。たぶんここ10年はそんな説明をする医師は絶滅危惧種だと思います。そういう医師はあまり信用しない方がいいかもしれません。むしろ、こういう可能性があって・・・と延々と怖い合併症の話、完璧に取ることは出来ない可能性などが話されるはずです。時に患者からおしかりを受けることもありますが(「こんな怖い話をするのが医者の仕事か?医者は患者に不安をあおることなく治療することだ!合併症や成功しないときの話なんて不要だ!失敗なら失敗でそれであきらめるだろう、普通。」と怒られた記憶が何度もあります)、一応インフォームドコンセントがある程度浸透して過去から改善したことだと思います。少なくとも今後は患者の同意が必要な二って来ますから以前よりは誤解は少なくなると思います(完全には亡くなりません。なぜなら医学は完璧でないからです。病気の90%以上は未知の世界です)。
また、できれば、その子宮筋腫になった年代をお聞かせ願いたいのですが・・・。ただ、それが不安の材料になったのであれば、医療側の説明もいろいろ考える必要があると思います。もし誤解であるなら誤解と取られないような説明の仕方もあると思います。

あと、私の友人から「医療ミスで母が亡くなった」というので詳細を聞いてみたところ、医学的には全くミスではありませんでした(というのは少なくともミスを予想させるような経過は無いし、チャートと友人の目撃した事実をすりあわせてもミスは全く無い)。おそらくストレスによる突然死だろうと思うのです。入院患者が何の誘因もなしに突然死することは良くあります。特に入院患者に「譫妄」的な症状が現れたら要注意です。あの加藤茶もICUで譫妄を経験しています。これに対する医学的な治療法はおそらく今のところ解っていないはずです(予想では精神的問題に起因すると思うのですが)。
この例からも、患者は家族が亡くなったという事実と密室で行われた治療というもの自体に不審を抱いているのでは?と思い始めました。しかしながら家族付き添いでICUの治療を行うわけにも生きませんし(となりでワーワーわめかれると気が散りますし、一生懸命やっている最中にあれこれ口出しさせられるとそれだけで集中力が落ちます)、残念ながら密室で治療するというのは今後も改善しようがありません。医師はせいぜい説明をちゃんとするしかないのでしょうが、私の友人例ではちゃんと医師から説明は十分言っているようでした。ただ、何となく信用できない、何か隠しているのではないかと思い、それが医療ミスと思いこんだのでしょう。

二度と来るな!的な発言は医師はしてはいけないと思います。しかしながら、この言葉が出る背景はとても理解できます。
まず、患者がちゃんと医師の言うことを守っていない場合・・・これは悪くなるのが解っており、医師は自ら死を選んだと解釈します。治療するのはそもそも意味がありませんから「来るな」ということになります。しかし、私はそんなことがあっても「来るな」という発言は今後はしません(若い頃は言ったことがありますが)。なぜなら、患者というのは苦しい経験をして初めて悟ることがあるからです。そのときに考えが変わるかもしれません。ただ、「人様の税金(保険料)を使って治療しているのだから、医師の言うことはちゃんと聞きなさい」的なことは今も言っています。
もう一つ、連続当直などでいらいらしている場合。私も患者に八つ当たりした経験があります。これなどは完全に医師側が悪いのですが、しかし、連続1日30時間勤務(念のため、24時間ではありません。1日30時間であっています)でもすると善悪の区別がつかなくなります。こうした発言は我々にとっては出ても仕方のないことです。おまけに医師不足のこの時代、これはしばらくは改善しようもありません。
しかし治療が不可能になったから入院拒否・・・これは医師である私でも納得がいきません。いろいろな理由があって入院が不可能なら別の病院を紹介するなどいろいろな手だてがあると思います(但し、入院期間が長期化すると自費になる可能性があります)。クオリティはかなり下がりますが、入院受け入れ可能な施設は都内であればいくらでもありますよ(地方は知りませんが)。もし急性期医療施設だったのであれば、それは申し訳ないですが急性期治療が必要な患者のためにベッドをあけるというのも必要なので・・・。

さて、「80歳まで生きられる」と言われたとのことですが、はっきりそういわれたのか、それとも「たいていの場合(またはほとんどの場合)は80歳まで生きられる」または「80まで生きている人もたくさんいる」と言われたのか・・・どの様に説明したのか現場を見ていないので私はわかりませんが、いずれにしても(10年以上前ならともかく)最近の医師ははっきりしたことは言いません(それが新たな医療不信を生んでいる原因にもなっているかもしれませんが)。
もし後者であるならば誤解(この種の誤解はしょっちゅうあるので裁判では「言った、言わない」の騒ぎになるわけです)なので、医療側は文書に残すなどの努力をしています。しかし、これで誤解が解けるわけではありません。患者はたいてい良い方に解釈します。「80歳まで生きれる可能性は十分ある」→「80歳まで生きられるんだ」と間違って解釈します。これについては説明時に医師側から「何か解らないことがありませんか」とか「今まで理解したことを復唱してみてください」と患者に質問することによって防いでいたりしますが、完璧に説明できるようにするのは永遠の課題とも言えます。我々医療従事者も努力が必要です。
もし前者ならば最近の話であれば医師側が全面的に説明不足なのでしょう。「80才程度まで」と言うべきです。5年前とのことですからある程度説明不足が考えられます。
私は言葉というのは重要と考えています。誤解が起きたならその原因を考えることが医療者にとって今後必要になるでしょう。

医療というのは日進月歩ですから、10年以上前の過去を振り返ってみると間違った説明をしていることなどいくらでもあります。それはある意味医学の限界です。そもそも医学は確率論に頼っていることがありますから100%将来を予想することは不可能です。現在ある知識の中でさえ天気予報的な部分があるのです。
しかし、最近は訴訟が増えてきたので「将来どうなるか解らないけど、うまくいけば治る」的な発言が多くなっていると思いますよ。これも過去からの反省で改善した部分です。

もしかしたら今後は我々は患者のメモも確認しなければならなくなるのかもしれません(訂正が必要かもしれないので)。そして、患者側も正確な知識を身につけていく努力をする必要があるかもしれません。

いずれにしても今の人件費では限界という見方があります。例えば書記(アメリカにはそういう専門家がいます)などを雇う人件費の保険システムなど、官僚側でも考えなければならない部分も出てくるかもしれません。いずれにしても精神論だけでは患者のための医療は出来ません。日本国民もその点をちゃんと考えるべきでしょう。

>>No.60 一市民 さん
>もうひとつは、事故調査委員会ができて、ミスなし、という判断がでれば、保険はおりないということであれば、

無過失補償制度の話はそもそも現行補償保険制度下で専門医による事故調査委員会(厚労省試案じゃないほうですan_accusedさん案のほうが私はいいと思います)を設置した時のその懸念を解決するための制度として、産科医がわのほうから提案されたのです。すなわち過失のない病死であっても、若くて収入が少ない家庭が主婦という柱を失うダメージに対して、少しでも経済的援助で回復できるようにとの趣旨で。

というのがこの大野病院業過致死逮捕事件が契機となった無過失補償制度創設論への私の理解です。

亀レスです。
人は伝えたいと思っていることの80%位しか伝えられない。受ける側も80%程度しか理解できない。そうなると80%×80%で64%。だから伝えたいことが相手に伝わるのは6割位だと考えなさい。これをハッパ64の法則というんだよと聞いたことがあります。それを聞いたときに「なる程な〜」と思い、確かにそれはあるなと納得し、その後は出来るだけ丁寧に伝えようとしています。

根拠のある言葉ではありませんが、実感としては共感も得られる言葉ではないかと思います。これに当てはめた時に、医療と特殊性と専門用語、医療者以外の知識との乖離を考えると、もっと伝わっている(理解している)比率は低いと思います。

娘が通っている皮膚科の先生は、とても早口で病状や治療の説明の跡に「分かりましたね。いいですね。」と何度も繰り返し話すのですが、医療関係者の家内や私が聞いてもやっと理解できる位の早口で言われると、理解していなくても「はい、分かりました」と答えると思います。(因みに、診療には定評のある先生で、患者さんに信頼されています。)

>自己レスの修正です。

医療特殊性と専門用語⇒医療特殊性と専門用語

医療者以外知識との乖離⇒医療者以外との知識乖離

治療の説明のに⇒治療の説明の

※確認ボタンのつもりが、投稿ボタンを押してしまいましたm(_ _)m

祖母が大腸癌の手術した時の事、腹膜播種しててそのまま閉じたのですが、その際ムンテラ受けた母曰く、「あんな冷たい言い方をしなくても…」
…いやあんたにとっては身内だけど担当医師にとってはアカの他人なんだからもっと親身になれとかそら過大要求スギだろ?医師の妻で医師の親ならそれくらい判れよ、とか思っちゃった私はきっとヒトデナシなんでしょうね。

で、ナチュラルに本人に告知されそうになって親父が慌てて止めました。おかげで本人は最期まで心穏やかなままの大往生でしたが主治医が親父の友人で、なおかつこちらも医師だったからこそ出来た事で非医療者相手には今時殆ど不可能でしょうね…。

どなたかもおっしゃっていましたが、医療不信は医療全体に対してというより、個々の医療に対する不信が増大したものと思っています。だから自分に不都合な経験をした患者さんは、報道などの影響もあり、どんどんと不信感を増大させていく。反対に医療にいやな思いをしたことがない人は、まったく気にも留めない。。ひとごと、、です。

私は医師ですが、自分の親族の医療不信で大変な思いをしました。

親族がある合併症を起こして入院することになったとき、親族は担当医の治療のミスだと最初から思い込んでいました。

医師である私が担当医に話を聞きに言ったら、あきらかに合併症であり、治療方針も間違っていませんでした。担当医にミスがないとよくわかったため、親族にその旨説明しました。

しかし、私がいくら説明しても、「医者同士だからかばっているのだろう」というような解釈しかされません。法的手段に訴えるところまで行きそうでしたが、それはなんとか阻止しました。相手の担当医の先生はとても苦労されたと思います。いわゆるモンスターに近いものでしたから ^^; いつもは穏やかな身近な親族ですが、ここまで変わるとは。。。。

結局、患者の医療不信は理屈ではない。。感情をぶつけるだけなんだと(私のたった一つの経験ですが)そう思いました。

医療者からの視点と、患者側からの視点と、二つを同時に経験しましたので。。参考になれば。。。

結局、患者の医療不信は理屈ではない。。感情をぶつけるだけなんだと(私のたった一つの経験ですが)そう思いました。

その通りだと思います。
その可能性が圧倒的に高いですね。
医療者側は、その原因がわかっているのであれば、
どう患者の感情を逆撫でないようにするか、あるいは
最初からそういった感情をもたれない様にするか
考えることが問題解決の道だと思いますが。
以下なんか、そういう意味でどうなんでしょう?

連続当直などでいらいらしている場合。私も患者に八つ当たりした経験があります。これなどは完全に医師側が悪いのですが、しかし、連続1日30時間勤務(念のため、24時間ではありません。1日30時間であっています)でもすると善悪の区別がつかなくなります。こうした発言は我々にとっては出ても仕方のないことです。おまけに医師不足のこの時代、これはしばらくは改善しようもありません。

>ナチュラルに本人に告知されそうになって親父が慌てて止めました。


本筋から離れたしろうとの質問です。すみません。
昔は深刻な病名は家族に告げられていて、本人に知らせるかどうかは家族の判断を聞いてからだったような気がするのですが、今は健康状態は個人情報だから本人に告げないと個人情報保護の観点からは違法だって聞いたことがあります。
これは本当でしょうか?

「医療不信」は例えば多くの国民が感じている「年金不信」
のような福祉制度に対するものでは無いと思う。

「白い巨塔の財前教授対弁当屋の遺族+貧乏弁護士」

 自分自身には医療不信に陥るような体験がありませんが、
上記のようなドラマ(本)から隠ぺい工作などの悪いイメージ
を潜在的に持っている方が案外多いのではないでしょうか。

 自分自身、または家族が大きな病気になってしまった時に
お医者さんにすがる気持ちは当然であり、その結果に対して
満足を得られない場合には、自分の気持ちのはけ口として、
「不信感」をつのらせるのもまた、人間として当然かと
も思います。

 しかし、その処罰(報復?)感情が刑事訴追であるとしたら
お医者様の主張である「刑事免責」はある意味、患者不信から
くるものではないかなとも思います。
 

医療訴訟事件の、医師側代理人弁護士としての体験です。
(医療事件の経験は少ないです)

事件としては、約20年前の出来事です。
(事案内容は、かなり抽象化してあります)
当方依頼者は地方の開業医。
患者は、当方の医院で治療を受けておりましたが、医院で対応が難しい状況となり、総合病院へ転院しました。
その後小康を得ましたが、障害が残り、数年間生存の後、死亡しました。

患者の遺族が、その後、同医院を被告として、訴訟を提起しました。
裁判の結果、医師に過失は認められなかった事案でした。
また、素人的な目で見ても、当方治療行為に、外見上、明らかな医療過誤と見られかねないような現象も、発見しにくい事案でした。

にもかかわらず、なぜ、患者側がわざわざ訴訟を提起したのか、ということについて、おぼろげながら、わかってきたことがあります。

患者遺族は、患者が亡くなった後に、同医院を訪問し、医師と面接し、会話を交わしております。
その際に、医師が行ったのは、当時、当該患者が治療を受けた際の、医療費についての説明だったようです。

後付け推量になりますが、わざわざ同医院を訪問する理由としては、患者の死亡により生じた感情の高まりが根底にあり、当初の治療に患者の死亡原因があるのではないか、という素人的な疑問が生じたこと。その疑問の確認のために、当の医師を訪問した、というところではないかと思います。患者遺族は、同医院を訪問した際には、若干の同医院への不信はあったとしても、訴訟を提起する決意はしていなかった、と想像しました。
当該医師が、患者遺族に対し、当該患者の治療の内容、死亡原因についての医学的な説明、さらに何より、患者の死を悼む言葉があったなら、その後、訴訟にはならなかったのではないか。

医療不信、それも訴訟提起に至るような不信が生じる要因は、医療の内容自体よりも、患者(側)と医師との意思疎通の不全によるものが大きい、と感じた次第です。

一市民さま、コメントありがとうございます。
昼休みもそろそろ終わりなので、簡単にお返事を。

私自身がこの経験から得た感想ですが、医療不信の感情は医師側にミスや原因がなくても患者側に生じるんだということです。治療がうまくいかないのは医者のせいと思い込んでるんですから。。。理屈ぬきで。。。

だからこちらがどうアクションをとろうが防ぎようがないとあきらめている自分がいます。。。もちろん、医療側に原因があって防ぎようのあるものもあるとは思いますが、多くは医療者側から防ぎようがない、感情。。。

やはり日本は理屈より感情が重要視される文化が根付いているな、と感じています。

親族は「医者が休みを取って日焼けするなんてけしからん」なんてことでも怒ってましたからね。。。親族ながら絶句しました。。。

私が窓口として経験した話しですが、整形外科の専門病院に勤めていたとき打撲でかかっていた患者さんですが「痛みが引かないので、別の医者に行ってレントゲンを撮ったら骨折だと言われた。誤診だ。医療ミスじゃないのか」と駆け込んできました。
担当医は比較的若い先生だったのですが、事情を説明すると慌てて写真を再度見直しましたが、骨折はないとの判断。そこで、整形外科医である院長にその患者の写真を持って行った所、同じく骨折はないとの判断。
そこで、院長が直接話を聞き(私も同席しましたが)、「少なくとも私どもの病院を受診した際のレントゲンでは骨折はみられません。宜しければ、その骨折と仰った先生を教えて頂ければ、直接説明をさせて頂きますが」と言うと「そうやって、医者同士で話を纏めるんだろう」と言って教えてくれませんでした。
結局納得せず、訴えるのに使うからレントゲンやカルテのコピーを要求したので、院長の指示(希望どおりにしてあげなさい)に沿って、全てのコピーを渡しました。
それから3年間の間(その後は退職したのでは分かりません)は、その患者さんから再度の資料の要求や訴訟が起されたという連絡はありませんでした。

その時の院長の話では、「骨の線を骨折とみたんだろう。これは整形外科専門医でも何人かは見間違えるかもしれないから、専門医以外でもそうみても仕方がないケースだね。」ということでした。

この患者さんとは、その後話をする機会に恵まれなかったので、どう思っているかは不明ですが、不信をもっていないことを望みます。


また、話しが長くなりますが、自分の父親の死についても触れます。
私の父親は63歳と若くして脳梗塞を発症し、約9年寝たきりで昨年7月に亡くなりました。
朝早く病院から容態が急変したとの連絡を受けて出向いたところ、当直医の説明では「詳しい検査をしなければ断定はできませんが、心電図の所見から急性心筋梗塞を発症し、それによる心不全だと思います。家族が望むのであれば、専門病院に送る手配をしますが」ということでした。母親、弟、家内などと相談し、「専門病院での治療は望みません。静かに見守ります」と答え、それから数時間後に孫に手を握られ、眠るように息を引き取りました。
ここでの私達家族の判断の背景には、それまでその病院が長期寝たきりの父親に床ずれの一つも作らず、一番怖い合併症である肺炎も特に無く(時折熱は出しましたが)、清潔で最適な医療や看護の提供を受けていたことを知っていましたし、専門病院に行ってとしても、これまでの経緯、心筋梗塞から立ち直った後のQOLなどを考えての判断でした。

私は、多少医療のことを理解しているということも背景にありますが、やはり日頃のコミュニケーション、信頼が大切なのだと思いました。

本人が認知症などで理解不能な場合を除き、本人が希望すれば医療者側の情報はすべて知らせています。何となればレセプト開示、カルテ開示が可能なので隠しても無駄ですから。開示についても医療機関は病状により開示の拒否が出来るのですが、それは明らかに告知できない状態だからと、理由がわかってしまいます。語るに落ちているとはこのことですね(笑)

 小生の経験では1−2割の方は本人が告知を拒否しています。

なるほど、その医者は、自分が利を最も重視するので、
患者遺族も利を重視し、金の話をしにきたんだろうと踏んだけど、患者遺族が求めていたのは、医者の誠意と道理だったワケね。

話としては一見もっともそうで、実は現実ばなれしているわね。

どう考えても、納得できない=金の話でケリをつけようっていう、民法金銭換算的な話をしにきた以外にはアリエナイのよ。

医者に遺族が誠意だけを求めるなんて机上の空論ではないかしら。

横入りさせて下さい。
コメントの文面からすると、yama様は10年少々前に医学部をご卒業された、現在30歳台後半のお医者様でしょうか。

昔なら「任せろ」的なことを言ったかもしれませんが、現代の医師は本人以外にはまず「任せろ」的な発言はしないと思います。たぶんここ10年はそんな説明をする医師は絶滅危惧種だと思います。

インフォームドコンセントが常識となった直近の10年においては、仰るとおり「任せろ」的な発言はせず、丁寧に病状の説明を患者や家族へ行い、治療方法の合意と納得が得られるよう、多くの医師が日夜努力されておられることは、微塵も疑いようのない事実だと思います。

ただ30年前はどうだったでしょうか?、40年前、50年前はどうか?
もちろんyama様は、自分が医師になる前、いや生まれる前までのことを言われても困る、自分達の世代の責任では無いと思われるでしょう。私もyama様の世代の責任ではないと思います。

ですが現在60歳の患者にとって、40年前に何かの病気に罹り、そのときに診てもらった医者がろくろく病状説明をしてくれず、大変尊大な態度で不快な思いをした経験があるかもしれません。その60歳の患者には過去40年前の不快な思いが強く意識に残り、最近10年間一生懸命に丁寧な患者への説明や接遇に努力してきたyama達世代の医師に対しても、「医者というヤツは小威張っていて…」という先入観が抜けきれないことも有り得ることと思います。

今この瞬間、病院勤務医として長時間の診療に従事し、日本の医療体制を支えているのは30歳台から40歳台の医師達です。この勤務医の中核を占める世代の医師は、60歳台や70歳台のベテラン開業医の世代が、過去に蒔いた医療不信のツケを払わされているようにも感じます。この点で現在の勤務医の世代には、貧乏くじを引かされているとの同情の念を禁じ得ません。

このようなネット空間で医療崩壊だ逃散だと活発に意見を言うのは、30歳台から40歳台の医師達が多いでしょう。逆に60歳台や70歳台のベテラン開業医の世代は、ネット空間での発言は少ないのではないでしょうか。

国民健康保険法が施行されて国民皆保険が成立し、日本の医療制度が形作られてから約50年の歴史があります。その50年間に様々な体験をベースに医療に不信や不満をぶつける患者や国民と、10数年の医療現場の実体験をベースにイヤそうではないと言う30歳台の医師では、どうしても噛み合わずに意見が擦れ違う部分が出て来ると思います。

医療者の側も国民の側も、こうした世代のギャップ、過去の歴史のツケという側面も、考慮に入れて医療崩壊について論じるべきではないでしょうか。

医者の心理について、お話ししますが、はっきりいって、「儲かるか儲からない」なんてのは普通の医者は考えません。
医療介入で治るか治らないかの方がよほどセレクションの動機としては大きいです。
もし自分の治療で予後が改善するような患者さんは、とってもオイシイ患者さん。
お互いWin-Winの関係も築けて、よいこと尽くめです。

もちろんそんな患者さんは、医学徒として正直に申し上げて、少数派で、患者さんのほとんどは死にます。あるいは、ただ単に治りません。
そうした厳しい現実の間の途中で折り合いを付けていくのが日常の臨床。
ところでが患者さん側にとっては、「非日常」です。

これは法曹においては、精緻な法理論と、現実社会のしょうもない事象との折り合いを調整するのが、相似形だと思っていますが、違うでしょうか。

私はその辺に法曹と医療と同志意識を持って諸問題を解決できる道筋が出来るのではないかと思って、このブログにお邪魔しているのですが。

スレ違いかもしれませんが。逆の立場から。

当方、30台の外科医の経験です。
術後、合併症で敗血症になられた患者さんがおられました。
詳しくは書きませんが、臨床的には仕方のない合併症であり、
説明もきちんと行い、こちらの対応にまったく落ち度はないと考えています。

しかし、
ある日、家族は何か医療ミスがあったんじゃないか、
カルテを見せろ、と担当看護師に迫ってきました。
看護師より連絡を受けて、
家族の指定する休日の夜にインフォームドコンセントを行いに行きました。

その時点では敗血症は回復する兆しがみえていたので
結局はこじれずに済みました。

今回の件で感じたのは
・全力で治療にあたっているのに状態が悪くなっただけで「医療ミス」が存在すると思っている患者(家族)がいる。
・医療側が臨床的に問題ないと思っていても、話がこじれないように患者側の要求通りに休日に説明しにいかなければならないと思っている自分がいる。
・もし回復の兆しがみえてなければ、納得してもらうのにさらに労力を要したかもしれないと思う自分がいる。

このケースはこちらに落ち度はないので、たとえ訴訟となっても負けることはないと思います。しかし、日々の診療の中で、たとえ落ち度がないにしても、こじれないようにこじれないように、と努力する自分が嫌になってきています。

患者さんが、自らの経験から、特定の医師もしくは医療機関に医療不信を持つように、医師も患者不信から疲労度を増していっているように思います。先ほど、かじさんの訴訟の話(No73)がありましたが、臨床上、落ち度がないと思っていても、対応に誤りがあれば訴訟に発展しかねないということであれば勤務医には非常にストレスです。普通の勤務医は「落ち度がないんだったら、訴訟でもなんでもして下さい」という方はほとんどいないように思います。実際は、落ち度がないと思っていても、こじれないように要求通り休日に説明しに行ったりする弱気な医師も多いと思います。そして、こういった弱気な医師は前線を離れたいと思うのも早いのかもしれません。

No.71 ねこまた。さん、
ペーペー(しかもマイナー)のまま逃亡した私より遥かに臨床経験豊富と思われるNo.76 元外科医さんが既にコメント下さってますので憶測&蛇足ですが、

>今は健康状態は個人情報だから本人に告げないと個人情報保護の観点からは違法だって聞いたことがあります。

私が念頭に置いていたのは訴訟対策です。本人に知らせてないと後から「治療機会を奪われた!」とか言われて訴訟を起こされかねない(しかも負ける)ご時勢ですから、リスク管理に長けた医師なら家族が何と言おうと本人に説明するのでは、と愚考した次第です。
…まあ末期癌の告知をしなきゃならんような状況に未だに留まってる時点で既にアレですがw。
つーこって個人情報保護法の方は念頭にありませんでした。法曹の方のご教示をお願い致します。

横から失礼します。
ちょっとピントがずれた話になってしまうかもしれませんが、
「医療不信」と聞いて思い出す自身の経験を話させていただきます。

警察が検視を行う変死事案のパターンとして「自宅等において心肺停止状態で発見、救急車で病院に搬送し蘇生措置を施すも、そのまま蘇生せず死亡」というものがあります。
この場合遺体は病院に安置されていますから、検視は搬送先の病院で行うことになります。
さて、私が以前勤務していた所属の所轄区域内には三次救急に対応した病院が2つありました。
1つは以前からその地区の基幹病院として機能していた大学付属病院のA病院。
もう1つは県内の医療法人が新規に設立した総合病院のB病院です。
この2つの病院は、上記のような変死事案での警察や遺族への対応が対照的で、刑事課でも良く話題に上っていました。
例えば検視を行う場所・・・
A:基本的に処置室のまま。遺体の側には救命処置で使用したガーゼ等が散乱。
B:専用の安置室。安置室には検視に必要なゴム手袋、マスク、消毒液等が完備。
検視終了後・・・
A:遺体は検視後のまま。裸体にビニルシートをかぶせた状態で、処置室で遺族に対面させる。
B:検視終了後、看護師の方が遺体を清拭、死装束を着せた上で、安置室から霊安室に移動させ遺族に対面させる。
搬送状況等の聴取・・・
A:「搬送は救急隊の仕事ですので、当院は一切関知していません。お知りになりたければそちらで消防へ照会を。」
B:病院到着時に事務担当者が救急隊員から詳細に聴取。その内容を警察に伝達。不明点があれば警察から消防に照会。
遺族への説明等・・・
A:上記に同じ。基本的にロビーで立ったままで説明。医師による説明は無し。
B:上記の内容をプライバシーの保てる個室で座って説明。必要があれば担当医師が同席し説明。
遺族が遠方で到着が遅れた場合・・・
A:警察に対し頻繁に急ぐように連絡を要請。
B:特に要請無し。
遺体について・・・
A:すぐに葬儀社に取りに来させるように遺族に求める。
B:契約のある葬儀社を病院側が紹介。サービスについての簡単な説明も。
といった部分です。
もちろん上記は「心肺停止状態で搬送され、蘇生に至らなかった事案」ですから、死者の死に直接的な関与がないA病院の対応が間違っているというわけではないのですが、やはり突然の肉親の死に困惑する遺族の状況を考えると、やはり病院側の対応に不快感を抱くのは仕方がないと思うのも事実です。
また上記と直接関係があるわけではないのですが、A病院に関しては病院の規模が大きいのも理由ではあるのですが、「医療ミス」を訴える投書や相談が頻繁に警察に寄せられるのに対し(その内容の多くは警察から見ても患者の思い込み・逆恨み・
医師、看護師に対する不信感なのですが・・・)、B病院に関してはそのような話を耳にしたことはありません。
医療技術に関してはA病院のほうが格段に上との評判があるにもかかわらずです。
私自身としては「医療不信」なんて言っても、結局相手もこちらも同じ人間なのですから、お互いのちょっとした気遣いで回避できるものも多いのではないかと外野から愚考しております。
まあ「今の医療機関にはそのような余裕はない」とか「そんな業務は病院の本来業務ではない」と言われればそれまでなのですが・・・

お疲れ様です。
先生をそういう状態に放置している病院が一番いけないと
思います。
リスク管理を一人に負わすのは、病院の危機管理不足と思います。
まさか、一人で患者宅に行ったわけではないですよね?
病院で説明したということですか?それとも自宅?

私は医療メディエーターの配置を以前より主張していますが、
先生のような弱気派には絶対必要と思います。
この掲示板での賛同はありませんが・・・
そうしないと、先生が持たないと思います。
頑張ってください。

医療不信の根源は、不安や症状の言語化の困難に由来するのだろうと思っています。
自分自身が医師であるにも関わらず、病院を受診して、的確に症状や不安を伝えられたと思ったことがありません。
当然、伝わったと思ったこともありません。

ぱっと思いつく経験は二つあります。
ささやかなものですが、むしろ大多数の患者さんは、このくらいのことの積み重ねじゃないかと思うので書いてみます。

一つは、腹痛でした。
腹痛の場所や痛み方、その他の症状等、そりゃ伝えるべき情報はわかってますし、表現を試みます。
ところが、仮にも医師が病院に行くわけで、つまりよくある腹痛、便秘とか胃炎とかとは痛み方が違うというのが前提にあるのに、肝心のどこがどう違うのかが言えない。
喋りながら、自分でも、これ、ただの潰瘍と思われそう…と思いました。
特に既往に十二指腸潰瘍があるので余計に。
その痛みじゃないから病院来てるんだよー!と思うんですが、説明すると、我ながら吃驚するぐらい潰瘍みたいなんですよorz
そして、やっぱり既往症は黙ってるべきだったと思いつつ、売るほど持ってる薬をもらって、力なく家に帰るのでした。
結局、諦めて放置、勝手に治りました。
何だったんだろう?

そして、もう一つ。
私は医師ですが、医師だということは言いたくありませんので言いません。
学生時代、何度か医学生だと言った途端、こっちは体調悪くて病院行ってるのに、その場で口頭試問が始まった経験があるからです。
マジ勘弁してくれでした(これも医療不信なのかな)
そこで、ばれないよう、極力余計なことは言いません。

そんな訳で、咳の具合から、これマイコプラズマじゃないかなーと思いつつ言わず、ただの肺炎と診断され、効かない抗生剤の点滴を毎日受けて一週間、とうとう恐る恐るマイコプラズマじゃないですかね?と口に出し、調べてもらったらビンゴ!ということありました。
この経験では、疑っている診断を言わなかったのは自業自得ですが、咳の具合、どこがどう違う咳っぽい感じなのかは、本気で説明できませんでした。

こんなあやふやな情報でも、何か違うという感覚を黙っていても、患者さんは、医師なら正しく診断できるはずと思っているのでしょう。
しかし、情報が不確かなら当然診断も不確かになるのが、医師の感覚。
このズレは大きいでしょう。
とりあえず患者さんは遠慮しないで、そうじゃない!と医師に言って欲しいですね。
言ってくれないと、医師は勘違いしますからね(まず自分が言えって話ですね)

医療不信というのとは、違うのかもしれませんが。

 私は事件としては、患者側の医療事件を扱います。

 相談で、亡くなられた方の息子さんが、診療科目が異なるお医者さんで、その息子さんの紹介で、診療した病院のミスでなくなったと、その息子さん等が来られた案件がありました。証拠保全で、カルテ等を手に入れ、分析したところ、私の判断としては難しということでしたが、医師である息子さんが納得されなかったことから、医療問題弁護団を紹介しましたが、そこでも、難しいという判断でしたが、納得されず、その後、どうされたかはわかりません。

 家族の方に医者がいるケースは弁護士が、法的には無理と説得しても、医師という専門家ということで、納得してくれないケースはあります(「私の方が詳しい。」「私は、そんなミスはしない」等)。

この意味で、医師といえど、患者の家族となった場合は、やはり、違うのでしょう。

 私が直接扱ったケースではありませんが、同じ病院で、他の診療科目の医師が、母親を、その専門科目に入院させ母親が死亡した場合で、その息子の医師が、同じ病院の担当医師に訴訟を提起した事件も見たことがあります。

医療者側だけの責任ではなく、患者側の「患者が亡くなったのだから何かミスしたのではないか」という短絡的な思いこみも問題だと思います。
こちらがちゃんと説明しても、しばしば聞く耳持たない状態を経験します。説明の仕方が悪いのかもしれませんが、こちらの言うことを理解しようとする姿勢にかけるのです。それは昔からあったでしょう。しかし、医師の力が強かった時代はあまり問題になりませんでした。
そして患者の権利の高まりとともに問題化してきた、ということももしかしたらあるのでしょう。

こういう医療不信も学問化し、研究される必要があると私は思います。
それもつい最近までのマスコミのように患者側からのアプローチにとどまるのではなく、医療者、患者側双方からのアプローチが必要でしょう。つまり客観的に見ていくことが何よりも大切だと思います。

> こちらがちゃんと説明しても、しばしば聞く耳持たない状態を経験します。

 それは、説明を聞きたい段階ではなく、自分たちの気持ちを聞いてもらいたい段階だからです。

 最初からすれ違っていますから、その時はうまく行きません。

 どういう気持ちなのかを延々と確認していく作業がまず必要で、説明はそのずっと後です。

 たとえ形式として説明を求めるかのような質問があっても、どうしてそういう質問をするのか、その質問に至る気持ちの方に話を持って行く必要があります。

 細かい説明は弁解としてしか受け取れませんから、何よりもつもりつもった気持ちを吐き出してもらうのが優先です。それから、ようやく聞いてもらえるようになります。

先に投稿いたしましたskywolfです。皆様の貴重なご意見をいただきありがとうございました。

なお、前回の中で口足らずの面がありました点を補足いたします。

 まず、私は特に医療不信は抱いてはおりません。一応生物学を学んだ経験もあり、不確実性も理解しているつもりです。

ssd さま

状況について又聞きとなるのは申し訳ないのですが、母は直接医師から聴き、その対応で母が不信感を持っていることを母から私が聞いた、ということです。医師が実際にどう言ったかは私にはわかりませんし、証明も出来ません。また、開業医に看取ってもらったのは、これは当初の病院の紹介というわけではなく地域の中で別途探したことで対応してもらうことが出来ました。これは幸運だったと理解しています。

yamaさま

 80歳まで、云々もそれより早く死んだから文句があるというよりも、最終段階で「最初からだめでした」ということを言われたことについて、不信感を抱いている、というのがより正確な表現かと思います。病状の進行が思ったより早かったから、とか後から他のものが見つかった、というのであればまだ納得出来たのかもしれないのに、ということです。
(最初から判っていたけど告知しなかった、というものでもないようです)。

後者の病院の対応については、特に補足することはありません。yamaさまがおっしゃったように、いわゆる老人病院での入院先もありましたし、一時入院したこともあります。こちらでの対応は良かった、と母は言っています。ただ、介護の面で満足が出来なかった(24時間の介護は物理的に不可能であることは承知していますし、それを求めているわけではありません)ため、自宅での介護により最後を看取ることとし、実現することが出来ました。

 トータルとしては、医療機関の対応も含めて決して悪い状況だったとは思いません。医師の方々も最善を尽くされたと思っています。ただ、もし問題があるとすれば通常の治療法がなくなった時点での対応のしかたなのかな、と想像しています。行為としては正しくても、相手の感情を逆撫でしてしまったのではないか、とも思うのです。


 私自身で言えば、食品メーカーでクレーム対応部署にいたこともあり、製品の開発についても表示やその表現には気を使うよう訓練を受けました。例えば製品のラベルの表現では、「正しいことが書いてある」だけでは不十分で「正しい方向にきちんと誘導する」まで考慮しろ、ということです。そうしないとクレーム発生の原因になってしまうからです。

 その面で見ると、治療法がなくなってしまうということは患者に取っては死の宣告と等しいわけです。もちろん、医師にしてもこれは残念なことであることは容易に想像できます。ただ、病状の進行が理解でき、かつ同様の場に接した経験の多い医師と、家族と共に(ほぼ)初めて死と向かい合うことになる患者とは感じ方が異なるのは当然ではないでしょうか。

 いちいち感傷的になっていては医療行為なんてやってられないし、その余裕もない、ということは理解できます。ただ、非日常を突きつけるにしてもやり方はあるようにと思っています。

an_accused先生

>癌など、ある特定の疾患については、(怪しげなものを含め)近代医療に取って代わろうとする「医療」の成立する余地が高くなるような気がいたします。

癌は、近代医療に取って代ろうする「医療」の成立余地は殆どありません。
あるとすれば、医療の名に値しない、インチキです。
なぜなら、癌に本当に有用であれば、近代医療が取り入れて行くからです。

先生の御意見を聞いていて、「医療不信」を煽って儲けている悪人の存在を指摘せずにはおれません。

近代医療を目の敵にすることで、患者を惑わし収奪するインチキ代替療法(既に告発・民事賠償済みの近畿大学八木田・元教授や、インチキ免疫療法(例:新潟大学の安保教授)、無能の代替療法・統合医療、インチキ健康食品、インチキ・スピリチュアル・・・・・・
数え上げればキリがないくらいです。

そしてそれらを収益源として、無節操に広告や書籍を作るマスコミ、出版会社

一部は、詐欺として告発を受けていますが、被害額はザクっと数十億というのがザラですが、その原資は治療に困ったり、迷った素人の患者さん達です

「医療不信」問題を取り上げるにあたって、このような「医療不信」を煽って収益にしている存在を忘れてはならないと思います。

性善説は美しいですが、システムとしては脆弱です

丸山ワクチンも相当にアレげな薬です。
攻殻機動隊でも元ネタになったのは、ゲンナリしました。

私個人の体験では、医師の患者に対する不誠実な態度、具体的には聞いたことに顔も見ないでまともに
答えようとしない、とか小さなものです。
と、以前お答えしましたが、下記サイトにも私と同じような医療不信を結構持っている人がいる、というデータが出ていました。
医師から見ると、そんな些細な言葉や態度をいちいち細かく
指摘されても困るんだわ〜という感じだと思いますが、
一応、気に留めておいてくださいませ。

医療不信・不満に関する相談分析

こういう言葉に傷ついた憤慨した

「風邪では死なないよ、おかあさん」 
「内科にかかってるのに何で外科にきたの?」
「更年期じゃないの?」  「心配しすぎじゃないの?」
「私のことが信用できないなら他へ行ってくれ」
「ここでぐちをいわれても困る」 「ストレスたまってるでしょ」

こういう態度に傷ついた憤慨した

冷たい  ろくに診察もしないで決めつけた言い方をする
早く帰れとばかりにカルテをさっさと閉じて籠に投げ入れる
高飛車 馬鹿にしたような言い方 話をろくに聞いてくれない
皮肉を言われた すぐに怒り出す 誠意がない めんどくさそうな態度
時計を見たり、忙しそうな仕草をする ほとんど患者の顔をみない

後医による前医批判、前医に対するネガティブなコメントは、まず間違いなく深刻な医師不信を招くように思いますし、これが原因で訴訟に陥った例も少なくないのではないかなと思います。

患者の立場からすれば、医師による医師批判は鵜呑みにする可能性が高いと思うんですよね。

 この症例では、入院当初に病院関係者が「最初に内服した薬が強かったので、脳梗塞を起こしたのではないか」と失言をしたようで、これを根拠に、私を罰することを患者さんがライフワークとして燃えているようである。

 私は、医療人として、この患者さんが「かわいそうだ」と感じている。しかし、相手が敵対心を持って接してきている限り、自己防衛を行う必要がある。これはお互いに辛いことである。高齢・脳梗塞のために、余計に意固地になっているのかもしれない。これも病気が原因なのだと思いたい。

 医療現場の人間は、患者さんが誤解するような軽率な発言を慎む必要がある。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/carte/200704/502911.html

猫医者さん、経験をご披露いただいて感謝します。
患者さんが医師に症状を説明するのは実に難しいと思います。
最初の例は、「腹痛」でした。先入観が怖い、と思われるかもしれませんが、圧倒的に正しい診断に誘導される可能性のほうが大きいので、絶対に既往歴は伝えてください。「何だったんだろう?」とおっしゃっていますが、抗潰瘍薬でよくなっているのですから、たぶん、軽い潰瘍だったと考えるのが科学的ではないでしょうか。いや違う、とおっしゃるなら、致命的ではなかった原因不明の腹痛としか診断できません。診断名不明の腹痛はとても多いです・・・。  まず、「今までに経験したことのない痛み」と医師に伝えることが大事だと思います。ちゃんとした問診法の教育を受けた医師なら、その訴えを肝に銘じ、「こりゃ血液検査してCRP上昇していたら造影CTだな」と思いつつ、「痛みの部位(移動しているのか)」「放散痛の有無」「痛みの程度(0から10まで;10は想像しうる、死ぬかを思うような人生最悪の痛み)、食事との関係、持続時間と経過(波があるのか、持続的か)、などなど、次々と尋ねて、急性腹症か否かを判断しようとするでしょう。そのうえで腹部を中心に診察し、反跳痛や硬直などの腹膜刺激症状をさぐり、直腸指診で血便はないかを確認し、血液・尿検査を緊急で行うでしょう。炎症所見が上昇していれば、腹部造影CTをとるでしょう。
検査をせず潰瘍の薬だけで帰したとすれば、おなかが柔らかかったのと、先生の「今までの痛みとは違う」という「患者の解釈モデル」と聞きそこねたため、確率の高い潰瘍という診断に落ち着いたからでしょう。結果的にはその医師の判断は正しかったと思われます(間違っていたという証明は不可能です)ので、「医療不信」と言われても???なのですが・・・。どこに医療不信を感じたのでしょうか。それとも、まさか、ろくに痛みの問診も腹部診察もしなかったとか?もしそうなら、患者の話だけで潰瘍と決め付けた軽薄な医師ということで医療不信を感じるのかもしれませんが。
2番目の例は、マイコプラズマ肺炎はしょっちゅう見逃されるので、「誤診」として医療不信の原因になるのは大いにうなづけます。特に、医者を変えたらあとの医者が的確に診断したりした場合はそうなりますね。はじめから、マイコプラズマ肺炎「も」カバーする抗生物質を使わなかったこの医師の対処法は残念であったとしかいいようがありません。猫医者さんは、直接指摘することにより、医師の質の向上に貢献されたわけですから、本当に良いことをなさったと思います。次からは、この医師はマイコプラズマもカバーするようになり、多くの患者が苦しまずにすみますから。
2例目は誤診ですから医療不信の原因になります。でも、「医師の半分は平均以下(技量が正規分布すると仮定してですが)なのですから、いたしかたのないことともいえます。下位5%の医師にあたった患者さんは、そりゃあ医療不信に陥るでしょう。何とかして、再教育で医師の質の底上げをはかることが、このような医療不信を減らす地道な方法だと思います。そうして、患者さんのほうにも、わずかな例外で医師全体のイメージを歪めないように、誤診は確率としていつも起こりうる、誤診率を低めるために医師には何でも疑問をぶつけてコミュニケーションを、という一般教養教育をするしかありません。
1例目は医師には「医療不信」を生む原因はなかったにもかかわらず、受診した猫医者さんが「潰瘍じゃない」と信じているための「医療不信」ですね。猫医者さんのようにインテリジェンスの高い専門家でも「医療不信」を感じて当然といまだに思っておられるのが論理的に理解できずにおります。だから「医療不信」は解消が困難なのでしょうね。

本当に言葉や態度は重要です。
でも、どのような言葉や態度が「医療不信」を生むのかは、受け手の感じ方によって決定されます。それは、「何がセクハラになるか」という基準に似て、「言われた側が不快だったら(傷ついたらセクハラ(医療不信)」なのです。つくづく難しい、と思います。
以下、ていねいに述べていきたいと思います。
「風邪では死なないよ、おかあさん」
  風邪という診断は「治ってからの診断」です。治るまでは、初発症状で風邪と思っても、それが、肺炎になってしまうのか、虫垂炎で手術になるのか、はたまた白血病だったのか、全く予断を許しません。患者さんも、「風邪だと思ったら・・・だった」という怖い話を聞いて、不安で受診されることも多いでしょう。あるいは、「風邪に効く抗生物質」や「点滴」を希望して受診されることもあるでしょう。前者の場合は、風邪の自然経過を丁寧に説明して、おかしな経過ならいつでもまた受診してください、そのときには検査が必要になります、さもなければ水分を充分に与えてようすをみてください、と親身に説明して安心していただくしかありません。後者の場合は、風邪には特効薬はなく、熱や咳や鼻水などの症状を軽くする薬はあるけれど「早く治す」ことはできず結局は自分の体力や免疫力(リンパ球などの白血球の働き)での勝負なので、3日間は休養が大事、抗生物質は風邪には効かないし、効かないどころか害でさえある(皮膚に発疹が出たり怖い副作用も起こしうるし、本当にに抗生物質が必要なときに効かなくなる)、「点滴」は、経口で水の飲める人には必要ない、これまた、針を刺すのだから副作用もありうる、というふうに説得します。すると、「じゃあほかの医者に出してもらう」という捨て台詞の患者さんもおられます・・・。
  風邪の自然経過や療養のしかた、原則として「抗生物質」や「点滴」は効かない、ということなどは、中学校の保健体育の教科書ぐらいで、全国民にしっかり教育してほしいですね。
  この医師のために弁明すると、患者の要求どおりに風邪で抗生物質を処方しまくったり、点滴をしまくったりして、長期的には医療不信を買う医療機関も困ったものなので、それよりはましです(たとえ患者満足度が高く、患者の気持ちは「傷つけて」いなくとも、そういう医療機関は困るのです)。医療費の無駄遣いでもありますし(厚生労働省は、風邪や上気道炎という病名のついた受診では5,000円ぐらいまで全額自費負担にしよう、という提案もしており、医学的には賛成です。国民感情がそれを許さないだろうので実現はしない可能性が高いですが)。「死なないよ」と何もせずに帰した、というのは、ある意味あっぱれであり、実はいい医師なのかも。医師は生きるか死ぬかの患者を大勢診ているので、つい言ってしまったのでしょうが(もちろんこの医師のほうが反省する必要はありますが、昨夜当直で一睡もできずキレたのかも、と想像すると、ちょっぴり同情もします)。
  「内科にかかっているのになんで外科に来たの?」 −−> ・・・。「外科の病気だと思ったので。」「内科では対応できない病気だと思ったので」としかいいようがありませんね。そう説明したら診察してくれるのでは?一般論ですが、外科医は口下手で乱暴な口の利き方をする医師が多いようですね。でも、悪気はないと思いますよ。
  以下の「傷ついたせりふ」全般については、まず、医師に接遇教育が必要であることは認めます。まだまだ不十分であり、反省すべき点は多々あるとわかっております(どんなに多忙で睡眠不足でも、です)。そのうえで、あえて患者さんに耳障りの悪いことも申し上げますと、こういうふうに投書する患者さんの中には、本来、精神科や心療内科を受診されるべき方が身体症状で内科整形外科などを「なおらない」「よくならない」と巡り巡っておられるケースがかなり混じっていると想像できます。主訴を「我慢強く」聞いている、「心療内科や精神科が専門でない医師」は、そのような患者に対する理解があまりなく、「『本当の』病気でもないのに」といらついてしまい、このような「心無い」せりふがつい飛び出してしまうのだと想像できます。医師全般への、このような「心の問題で身体症状を訴える患者」への正しい対応の仕方の教育がぜひ必要なのですが、でも、このような患者さんは、ほんのちょっとしたことでも、傷ついて涙ぐまれたりするので、実に対応が難しいのです。患者さんに病識がないのですから・・・。よくないことですが、こういう患者は怒ったり傷ついたりしても仕方がない、「本当の」病気じゃないんだから、さっさとほかの医療機関に行ってもらうに限る、というふうに「堪忍袋の緒が切れて」いる、「心療内科や精神科でない医師」も多いかもしれません。繰り返しますが、このあたりの医師の教育は、たとえば、鬱病を見のがさないためにも、とても大切と思います。
 でも、こういう面もご理解ください。米国の医療記事で読んだのですが、かの国の病院の苦情処理係の共通の認識は、「苦情対応の8割の手が取られるのは、精神疾患(身体表現性障害、境界型人格障害、統合失調症など)の患者が病識なく医療者を非難しての執拗なクレーム」だそうです。これに対しては打つ手がなく、苦情処理係のバーンアウトや退職のほとんどがそのような患者さんが原因とのことです。

「刑事告訴」はともかく,「医師の自由の制限」は医師の基本的人権を制限することになるのではないでしょうか?

 憲法に反しない範囲での制限と言うことです。
 例あまり言うとトピズレになりますが、例えば、医師の地域定員制などは違憲とはならないと考えます。また、例えばA県の地方公務員医師であれば、A県内の公立病院間で数年おきに人事異動することは憲法違反ではありません。
 

そういった発言は医師の反感を買うだけだと思います.

 これには気をつけます。

私は医療者の側ですが、医学生だった頃に亡くなった祖父の
話です。

東京の多摩地区に住んでいた祖父は、糖尿病・人工透析・虚
血性心疾患という状態で、晩年は心不全から呼吸困難を来た
して救急車で病院に運ばれて入院、というのを年に数回繰り
返していました。

今でこそマスコミ等で報道されるようになりましたが、東京
の多摩地区の救急体制は非常にお粗末で、いわゆる「救急車
のたらい回し」も十数年前からしょっちゅう起きていました
(搬送先が決まるまで相当な時間をかけて電話をかけ続ける
救急隊員の姿を私も見ています)。神奈川県北部の救急の拠
点である北里大病院まで運ばれたことも何度かありました。

最後は、自宅で心不全からくる呼吸困難を来たして救急車を
呼んだのですが、近くの複数の三次救急病院が対応不能で、
立川にある某三次救急病院(あえて名は伏せます)まで運ば
れていきました。

私がいまだに許せないのは、そこの担当医の言動です。「こ
の病院はこういう患者は○日しか受け入れられないので、そ
ちらで転院先を決めて○日までに退院するように」です。

祖父は、神奈川県内のある小病院(透析は可能)に転院して
そこで数日後に亡くなりました。

それまでいくつもの病院の対応を経験してきましたが、どこ
の病院でも関連の小病院へ送ったり、担当医が紹介できなく
ともソーシャルワーカーに相談するよう言われるのが通例で
した。一般病棟へ戻れた状態ならともかく、心不全でCCUで
の治療中の患者とその家族に対していきなり「転院先を」で
すからね。医師になっていくつかの職場(複数の三次救急病
院を含む)を経験してきましたが、ここまでひどい対応はほ
とんど聞くことができません。

その病院は未だに許すことができないですね。


根本的な理由として都内における救急医療の体制が非常にお
粗末なことは当時も理解していましたし、今でもわかってい
ます。私が麻酔科という高度医療に関わる科を選び、職場と
して都内を選んでいるのは、(救急を含めた)都内の高度医
療をできるだけ充実させるために自分も関わっていきたいと
いう思いがあるからです。

>No.93 ペストさん
 はじめまして。
 いろいろと解説ありがとうございます。
 場外乱闘のスレも読ましていただきました。
 少し、力を抜かれたほうが良いと思います。

 ディベートのプロも参加しますので、無理せずに参加されることを願っております。

>No.63 yama先生
コメントありがとうございます。こちらこそ、亀レスおゆるしください。

>・・・その話、本当なのでしょうか?

 正直に申し上げますと、わかりません。母が子宮全摘術を受けたのは1981年で、私が4歳のことですし(ちなみに母は当時28歳)再び母が病床についたのが6年後、私が10歳(小学4年生)、母が34歳のときでして、いずれも医師の説明に同席することはありませんでした。
 また、全摘術に際して医師が行った説明については、その当時は父も問題視していませんでした(たぶんそのはずです)。そして、6年後の癌「再発」によって、改めて記憶が喚起された(そして、あえて言えば、自身の都合のいいように書き換えられた)ものを、私は父から聞かされたわけです。
 したがって、「当初から子宮癌を患っており、数年後に再発した」のか、「当初は子宮筋腫を患っており、後に新たに癌を発症した」のか、判然とはいたしておりません。

> ただ、医療不信を植え付けてしまったのは事実でしょうから直にその医師がどの様な説明をしたのか、患者側だけでなく、医師側からも聞く必要があるでしょうね(でないと誤解もあり得るので解決はしないでしょう)。

 まあ、父も2年前に他界しましたし、私も蒸し返すつもりはありません。「解決」以前に紛争そのものがないので、医師側の話を聴く機会はないと思います。なお、私は、当時の母の担当医の説明が不充分であったとか、ましてや説明義務違反を犯していたなどと示唆するつもりは些かもありません。ただ、国立大で交通土木を学んで学位をとり、また実務の世界に出て技術士の資格を取る程度には、科学や技術を理解していたはずの父でさえ、一旦不信感を抱いてしまったら、なかなかそれを払拭することができなかったということが、「医療不信克服の困難さ」を実感させる一つの(大きな)事例として常に頭から離れずにある、ということです。

>No.89 Med_Law先生

コメントありがとうございます。

>癌は、近代医療に取って代ろうする「医療」の成立余地は殆どありません。
あるとすれば、医療の名に値しない、インチキです。

 全くおっしゃるとおりだと思います。私が申し上げたのも、「近代医療に取って代わる『医療』の成立余地」ではなく、「取って代わろうとする『医療』の存在余地」、もっと言えば「付け入ろうとする『医療』」の存在余地」です。
 小学4年生当時、私はおそらくサンタさんの存在は都合よく信じていたような気がいたしますがが、母の背中を護摩木だか何だかでさする祈祷師の力は信じていなかったと断言できます。烏骨鶏のスープは、「まあ何か飲んでくれるんならそれでいいや」と思いながら作っていました。私の作るスープと、給湯器の熱湯で戻して作るにゅうめんだけは、母は無理してでも戻さずに食べてくれましたので、「癌に効くかどうか知らないが、効くと思って飲んでくれるんならそれでいい」と。
 また、タクシーの後部座席で、思い詰めた表情で祈祷師のもとに向かう母や、ヘトヘトに疲れて病院に戻る母を見ながら、なんというか、今でも何とも形容しがたい思いを抱いていました。祈祷師に対する嫌悪感とともに、ここまで母が追い詰められているのに一向に母を良くしてくれない病院にも、敵意を抱いていたかも知れません(だんだん思い出したくないことを思い出してきました。また、書いていることが理不尽なのは充分承知しています)。

 Med_Law先生ご指摘のとおり、「医療不信」を煽って患者を食い物にしている連中の存在は、決して見逃してはならないと私も思います。ただ、今、このエントリーのコメント欄においてメインテーマにするのはちょっと早いかも知れません。

初コメントです。不出来で不勉強な医師のはしくれです。
小心者なので、患者さんにちょっとでも不審を持たれるまいと、言葉遣いなどについては普段からかなり必死なのですが(腕の方はより一層自信が無いので)、駄目なときは駄目だと感じます。

ある時、受け持ちの患者さんの治療方針決定に血管造影が必要となり、そのリスクと必要性を説明しました。患者さんはリスクについてどうしても納得が出来ず、「絶対大丈夫と、どうして言ってくれないんだ!」と怒られました。そう言った方が患者さんは安心かもしれないし、この場合揉めずに済んだのかもしれませんが、私にはそれは言えません。
また別な時、薬と副作用についての説明をある患者さんにしていたところ、突然「そんな冷たい言い方をするなんて酷い」と患者さんが怒り出してしまいました。私としては普通に誠意を持ってお話していたつもりで、驚き謝りながら何が気に障ったかお尋ねしたものの、結局それも教えてもらえませんでした。

どちらも、未だにどう話せば良かったのか、答えの出ない経験です。自省もしつつ、やっぱり最後は理屈ではないのだろうka
と思います。
不幸な転帰を迎えた患者さんや家族が冷静でないのは当たり前で仕方の無いことですが、冷静であるべき第三者は、その不信に感染しないでいただけるとありがたいです。まとまらなくてすみません。

やらかしてしまった…
二行目の「不審」→「不信」、変なところに入っている「ka」は、ひらがなの「か」と読み替えてください。
失礼いたしました。

>また、例えばA県の地方公務員医師であれば、A県内の公立病院間で数年おきに人事異動することは憲法違反ではありません。

トピずれにコメントすることになりますが,ご容赦を.
もし,こんなことをしたら辞める医師が出て来るでしょうし,それによって残った医師も連鎖反応(ドミノ倒し)で辞めることになるでしょうね.これがいわゆる「逃散」というものです.

結果として「医師を無理矢理人事異動させることはできない」ということになるでしょうね.いくら公務員でも辞めるのは自由ですから...
医師は自分の意思で職場を変えることができます.その気さえあれば.これが他の事務職の公務員とは決定的に違う点です.医師は公務員になるために公立病院で働くわけではありません.
ですから何度も書きましたように「誘導」するしか方法はないのです.医師がそこで働きたくなるようなモチベーションを持たせられる環境(要因)が必要なのです.
「強制」では決して問題は解決しません.

ペスト さん

書き方が悪くて、誤解させてしまったようで申し訳ありません。
私自身が医療不信を持っているということではなく、言語化困難の事例としてあげたつもりでした。

なお本題からずれますが、腹痛の際、潰瘍薬は試しに飲んではみましたが改善はありませんでした。
特に、H2ブロッカー以外に、痛くてたまらない時にはストロカインを服用、よく効いていたんですが、この時は全く無効でした(この情報は医師に話しておりませんので、これだけでも私がフェアじゃないです。当時は学生でしたが、何でかな、言うと叱られる気がしたんですよね(^^;)
症状改善は諦めて服用を止めた後です。
それと、実に微妙な位置の違いなんですが、いつもの潰瘍の痛みとはやや位置と痛みの質が異なっておりました。
今でも、あれは潰瘍ではなかったろうと思っています。
何故と言われると説明に困るのですが、そこが例として挙げた理由でもあります。
何か違うという感覚はあっても、それを他者に合理的に納得してもらえる説明が困難な事例としてあげました。

私自身は、自分が医師でもあり、きちんと説明できなかった自分に問題あり、あるいは、この情報ではすぐに診断がつかなくても仕方ない、そもそも原因不明の痛みなんて幾らでもあるものだと思っておりますので、医療不信は持っておりません。
肺炎にしても、いきなり最初からマイコプラズマは疑わないのが普通ですから、こんなものだろうと思います。
ただ、これは自分が医師だからであって、非医療者だと、理解してくれなかったとか誤診されたとか、そういう医療不信につながることもあるのだろうなと思ったので書いてみました。

また医師であっても症状を伝えることが難しいのだから、まして非医療者なら推して知るべし、むしろ医師に症状を的確に伝える、理解してもらうのは至難の業くらいに思っておく方がいいのだろうという認識があります。
過剰な期待はしないということだと思っていますが、見方を変えれば諦観、これを医療不信と言えば言えるのかもしれません。

まとめますと、伝えたいけど上手く言えない、上手く感覚を言葉にしてもらえないから診断が違う方向にいく、こういうやむを得ない展開で、医療不信につながることも多いのじゃないかなという趣旨でした。

えーと、内科医ですが。
今まで、自分が患者として医者にかかったり、家族や親類の付き添いに行ったりしていますが、不信を感じたことはないですよ。

医者として働いていて、こいつおれに不信感を持っているな、と感じる患者さんは結構いますが。

はしくれ様

とても興味深い典型的事例に思われますので,取り急ぎ返信させて頂きたいと思います。

「どう話せばよかったのか,答えの出ない経験」とのことですが,答えは明らかだと思います。理屈で押し通すべきです。

「絶対大丈夫と、どうして言ってくれないんだ!」との罵声にも,「そんな冷たい言い方をするなんて酷い」との罵声にも,

「現実に不幸な例が起こりうるので,絶対大丈夫とは言い切れないからです。」

の一言が重要だと思います。私は実際にそのようにお話しします。

さらに続けるならば,これも私の実際の説明例ですが,
「病気って,そんなもんですよ。治療してもダメなときもあります」
「医療って,そんなものですよ。『絶対大丈夫』なんてあり得ませんよ」
「医療って,言ってみれば博打的な面がありますからね。ハズれるときもあります」
「どうしても副作用が怖ければ,何もせずに自然に任せるという方法もあります。ただ,却って損をする可能性は高いと思いますけどね」

副作用や合併症の危険性は,曖昧にしてはいけません。緊急事態を除き,覚悟ができない患者に治療を施してはいけません。お互いの不幸の端緒になります。

同意書に、本当に同意してサインしてる人ってどの位いるのでしょうか?

選択の余地がなくて、サインしてる人のほうが多い気がします。

もし,こんなことをしたら辞める医師が出て来るでしょうし,それによって残った医師も連鎖反応(ドミノ倒し)で辞めることになるでしょうね.これがいわゆる「逃散」というものです.
 これはlevel3さんの個人的なご意見でしょうか?  それとも、公務員医師の一般的なご意見でしょうか?その場合、「一般的」だと判断する根拠は何でしょうか?  私は医師の方の感覚が分からないので、そこはお伺いしたいと思います。

 とは言え、とりわけ、既に勤務している現役の公務員医師の方について人事異動を呑んでもらうのは、かなり難しいだろうとは想像します。
 就職する段階で既に人事異動のあることを承知していた一般の公務員や会社員と違うでしょうし、辞めても他に働き口が多いことも事実でしょうから。
 例え全ての医師が辞めないまでも、辞める医師が出れば残った医師の負担も増すでしょうし。
 ただでさえ勤務医にとって逆風とも言える現状において、人事異動の導入は難しいかなとは思いますし、強制的な要素を含む手段より、誘導的な手段の方が現実的なのでしょうね。

まあ、開業医定員制を敷いているドイツは若い医者が、国ごと逃散傾向甚だしいわけですが。

個別事例では確かにひどい話がたくさん出てくるんですが、
でもそれって所詮1事業所単位での話しですよね。
他の業界、たとえば飲食店なら 松屋で酷い接客にあったから牛丼屋(ましてや外食産業)全体を不信に思うというのはオーバーに感じませんか?

警察や消防ならばそれぞれひとつの事業体としてとらえることは自然です。
それと同様に医療もひとつの事業主として見られ手いるのではないでしょうか。

たとえばある病院で不祥事が起きた場合をたとえると、
医療期間は同業他社での事故と考えるかもしれませんが、
患者としては別の支店で事故があった位に考えてるのではないでしょうか。

なので外部からは
・いつも事故を起こしてる。
・都合の悪いことはうちうちで隠されそう(病院間での揉み消しとか)
と受け止められてしまうのではないでしょうか

 たしかに、具体例を挙げていくこと自体に意味はあると思いますが、なんか論点が収束していきそうにありませんね。

 世の中、悪意の有無や能力に拘わらず、常に不適切なメンバーを抱え込んでいる集団には事欠きません。

 証券取引からマンションの管理組合まで、不正によって耳目を騒がせる人々が出ることは避けられませんが、しかしながら、経営者の全てが粉飾してるんじゃないかとか、自分の町内会の会長さんが積立金を着服しているんじゃないかとか、ほとんどの人は思いつきもせずに毎日を過ごしています。

 医療についても大半の患者さんが不信の念など自覚せずに普通に通院し、入院しています。…あんまり怪しげな所に足を向けることはないでしょうけれども。

 医療に限らず、サービスというものは一時的かつ一回的な性質を持ちます。単一品種大量生産の逆ですから、そもそも事後的に品質を云々しても手遅れです。

 こういう場合、個別の医療サービスの結果についての期待や盲信はあっても、信頼というのは存在しえません。

 信頼は反復によって生じてくるものであるからです。

 そうなると信頼の対象は医療機関と医療従事者でしょうが、同じ提供者から一人一人の患者さんが反復して医療サービスを受けるのは、慢性疾患の外来治療や、再発・再燃する病気での入院医療の繰り返し等に限られます。

 よく考えると、一般に言われる医療機関と医療従事者に対する信頼とは、ほぼ「期待」と変わらないものであると思います。事前に期待があり、無事の治療の跡に信頼が生じるのですが、大半の人はその二つを区別することがないということなのでしょうか。

 医療不信とは、医療機関と医療従事者に対する期待が減退している状態であるというように考えられるように思います。

 では、なにが減退しているのでしょうか。

 コミュニケーション・スキルの問題が多く指摘されていますが、では、拙劣なコミュニケーション・スキルによって、どのような期待(信頼ではなく)が打ち砕かれてしまうのかを考えていく必要があるように思います。


 少々違う文脈のように見えますが、菊澤研宗先生は、期待とほとんど一体の「信頼」は、相手を手段ではなく目的として捉えるカント的人間関係に注目されています。

http://kikuzawa.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_2bf6.html


 医療制度となると、これは反復して利用される対象ですから、議論の対象になりますが、逆に日本で医療制度自体が意識される機会はあまり多くないように思います。

「カルテ改竄」

http://blogs.yahoo.co.jp/beretta_dt10trap/4659206.html

この辺はどうなんでしょうか?

峰村健司(眼)様

アドバイスありがとうございます。おっしゃる通りだと思います。
私が挙げた例の段階では「怒られちゃった」で済みますが、この状態で治療や検査を行って何かあれば不信は一気に拡大し、それこそ訴訟まで発展しかねません。
ただ残念なのは、不信の拡大はご指摘の方法で防げても、患者さんの心に生じた不信の芽を摘むことは出来ないかな、という点です。そこまで望むのは欲張り過ぎなのかもしれませんね。
他にも似たような事が1、2回ありまして、どうもこちらが精神的に守勢に入ると怒られる率が高いのではないか、という仮説を思いつきました。なので、最近はご説明のときに「(一般的には)〜です。今回の場合、私はこう思います。」という具合に、後半ちょっと見栄を切るようにしてみています。効果の程はまだ不明です。

国語事典によりますと、「不信」とは『(1)信用しないこと。
「―の目で見る」「―を招く」』と定義されます。

では、「医療不信」とはなんでしょう?「医療を信用しないこと」?「医療」の何を信用しないのでしょう?

個人名を特定されないように不明瞭に書きますが、私は数年前、「100%死ぬ病気」の患者を1人救いました。その結果を学会で報告しましたところ、非常な「不信」を招きました。この病気は100%助からないのだから、最初の診断が間違っていたのではないか、別の助かる病気だったのではないのか、というのです。

「助からないはずの人間が助かったのだから、これは誤診だったに違いない。」これも「医療不信」の一種じゃないのですか?

「死ぬことが当たり前」の社会になれば、助かることが「医療不信」を招きます。(日本がいずれそういう社会になるかどうかは異論もあるでしょうが)現在の医療不信を解消する唯一の方法は医療が完全に崩壊し、現在当たり前のように助かっている患者が当たり前のように死ぬ状態になることだと思います。

そのときにはじめて今までの医療のありがたさが分かり、医療に不信を感じる余裕があったことがいかに贅沢な状態だったか分かるでしょう。そして、医療のありがたさを痛感した国民が灰燼と化した医療の焼け野原の上に莫大な費用をかけて一から医療を作り直せばいいのです。

死には至らない実例(かどうかは、皆様のご判断に委ねます)を一つ。専門用語の使用方法についてはご容赦を。

ある知人の女性が大きな総合病院で出産しました。経過は比較的順調だったようですが、出産は分娩室に入って長時間を費やしたようです。

出産後は子供は健康で現在も元気に育っているようです。ところが、母が出産後しばらくした後、膣内に違和感があり、力を入れた際に痛みが生じるという話しになりました。出産時に膣口を拡げるために一部切ったこともあり、その際に問題があったのではないか?と彼女は考えたようです。

担当医を含め、同じ病院内の他の産科医、それから外の病院も何カ所もまわって原因を確かめたかったようですが、一部外傷らしきものはあるものの、原因ははっきりしない、とのことで、彼女は納得できなかったようです。

彼女自身、訴えるということまでは言ってませんが、それに近いことを当方に言うこともあります。
当方は、商売柄の常で「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないが、少なくとも別の病院で、明確に、『痛みの原因は出産時の施術がまずかったから』という見解が出ない限り、私が出る幕ではないですね」とお茶を濁しています。

「出産にはリスクが伴う」「出産は、身体を傷つけるのであるから後に全く何も残らないことはありえない」と、いうのは簡単ですが、上記の例では、痛みの場所が場所だけに、なかなか難しいなあ、というのが私の感想です。

ちなみに、
No.104 峰村健司(眼) 先生

>「どう話せばよかったのか,答えの出ない経験」とのことですが,答えは明らかだと思います。理屈で押し通すべきです。

ということですが、私の仕事でもよくあることで、「100%の保証」や「訴訟の結果の断定」を求めてくる人がほとんどです。私も、「100%の答えはない」「何が起こるかわからないので結果は保証できない」と言っても、「それでも専門家か!」「先生はどっちの味方なのか!」と問いつめる方が、(人数の割合としては)多いです。

上記のような場合にどのように対応したらいいのか、日々考えているところです。

個人名を特定されないように不明瞭に書きますが、私は数年前、「100%死ぬ病気」の患者を1人救いました。その結果を学会で報告しましたところ、非常な「不信」を招きました。この病気は100%助からないのだから、最初の診断が間違っていたのではないか、別の助かる病気だったのではないのか、というのです。

「助からないはずの人間が助かったのだから、これは誤診だったに違いない。」これも「医療不信」の一種じゃないのですか?

先生が学会の医師の

この病気は100%助からないのだから、最初の診断が間違っていたのではないか、別の助かる病気だったのではないのか、

この見解に不信を抱いたということですね。
先生の人類稀に見る偉業をなぜ素直に認めなんですかね。
学会不信に陥った先生の気持ちもわかります。
私としては99.99%助からない病気なら、先生がついに
偉業を達成したと認めたいのですが、この病気は100%助からないのであれば、やはり誤診だったのではないでしょうか?
先生の必死の訴えを認めてあげたい気持ちはありますが、
医師でない私が認めても意味がないでしょうし。

現在の医療不信を解消する唯一の方法は医療が完全に崩壊し、現在当たり前のように助かっている患者が当たり前のように死ぬ状態になることだと思います。

そのときにはじめて今までの医療のありがたさが分かり、医療に不信を感じる余裕があったことがいかに贅沢な状態だったか分かるでしょう。そして、医療のありがたさを痛感した国民が灰燼と化した医療の焼け野原の上に莫大な費用をかけて一から医療を作り直せばいいのです。

こういった先生の意見がどんどんあちこちに投稿されれば、
医療崩壊は早いと思います。
先生の思惑通り、進んでいると思います。

 

例あまり言うとトピズレになりますが、例えば、医師の地域定員制などは違憲とはならないと考えます。また、例えばA県の地方公務員医師であれば、A県内の公立病院間で数年おきに人事異動することは憲法違反ではありません。

それって、今まで医局がやってた仕事そのものじゃないですか。

こちらもご参考にして下さい。

こういった先生の意見がどんどんあちこちに投稿されれば、 医療崩壊は早いと思います。 先生の思惑通り、進んでいると思います。

別にぼくの思惑というわけではありませんが、進んでいることは間違いないと思います。そして不可逆だと思います。

患者側の立場で考えれば、自分の人生が係っているのですから、医師に無茶な要求をしたくなるであろうことは容易に想像がつきます。

ですが、最終的に患者の過剰な期待をコントロールするのも、医師の務めだと思います。

中には、とんでもない患者もいるでしょうが、(リスクについては)毅然とした態度で接しつつも、誠心誠意、全力で治療にあたると手を差し伸べて頂ければ患者側も安心するのではないでしょうか?

医療崩壊の最大原因

最終的に患者の過剰な期待をコントロールするのも、医師の務めだと思います。
中には、とんでもない患者もいるでしょうが、(リスクについては)毅然とした態度で接しつつも、誠心誠意、全力で治療にあたると手を差し伸べて頂ければ患者側も安心するのではないでしょうか?

それこそが過剰な期待

 それは無理。

医療崩壊するのは構わないと思ってます。
しかし、焼け野原になった後に、逃散していた医者どもがのこのこ戻ってくるのは気に食わないので、完全に1から全員医学部卒業&医師国家試験合格からのやり直しを求めます。
この数年間に耐えうる気概のある人だけ医者になってください。

 それも無理。

ええそうですね。十分な時間と人員とお金があれば患者さんの要望をかなり聞いてあげれると思います。しかし、現状ではその3つともありませんので、お断りするしかございません。残念ですが。

無理かどうか以前に「冗談じゃねーぜ」です。私としちゃ。
気に食うとか食わんとかみたいな下らん理由で、医療を受ける必要のある病者が、経験も実績もないぺーぺーの新米医者にかかるしかないなんて馬鹿な話はないですから。

金があれば診てもらえますよ。きっと。

話があらぬ方向に向かっているようなので、体験談1

10年ほど前、父が腕を建具に挟まれ、神経を切ってしまいました。救急車で運び込まれた病院では、2度と指を動かすことはできないでしょうと言われました。
父は職人なので指を動かないということは廃業と同義です。

そこで私はツテを頼り、神経に強い先生を探して転院させ、手術を受けました。
幸い手術は成功し、リハビリの結果、5本の指のうち3本が動くようになり、ぎこちないながらも今も仕事を続けています。
「医療不信」というお題から行くと、最初に運び込まれた病院の先生に指が完全に動かないところだった!誤診だ!叫ばなければいけないところなのでしょうか?
父も私ももちろんそんなことは思っておらず、良い先生が見つかって良かったと思っていますし、忙しいなか紹介状を書いてくださった先生にも大変感謝しています。


ただ、母だけは紹介状を書いてもらう際に「転院のための紹介状を書いてもらうなんて気を悪くしないか」と心配していました。
その時は深く考えませんでしたが、そういった感情の裏返しが医療不信の元になっているのかもしれません。

医療不信の実態とは、

前向きな論理的思考を失った姿をさらけ出す医師たちの発言

かもしれない。

しかし、これはごく限られた一部の医師の姿であり、ほとんどの医師はポンペの医の真髄の教えを守っているものと信じます。

「医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい」

医療不信の実態とは、ルサンチマンの裏返しですよ。

医療不信の実態とは、

前向きな論理的思考を失った姿をさらけ出す医師たちの発言

かもしれない。


う〜ん。一市民さんは何を望んでいますか?医師は病める人のものであるから、できるだけのことをして「過労死」でもしないさいってことですか?

これまで医学が進歩して、そして日本の医療が低いコストで高い効果を出してきたのは、まさにこういう理念・信念を持ってやってきていたからです。それに対し、医療を受ける側も今よりもずっ〜〜と尊敬と感謝の念を持っていたし、医療は完全なものではないことを受け入れ、死を受け入れてきたのではないでしょうか。

それが、昨今の過度の医療費の抑制策、訴訟問題、過激な勤務実態、患者のモンスター化などに声を上げることはいけないことなのでしょうか。
どんな罵詈雑言を浴びせられても、右の頬を打たれたらの精神で聞き、ひたすら耐えて、謙って丁寧に敬語使って訴え続けろというのでしょうか?

それは、医師ばかりではなく、他の医療系も含めて無理な話しです。ケンカを売るようなことばを投げかけ、その言葉尻をとるようなことはやめてください。医療者は宗教家ではありません。


上のコメントはNo.126 一市民 さんへです。(返信機能を使用し忘れました。)

腐ったミカンは早めに取り除いた方がいいよ、
っていうことです。

自浄作用を働かせないと、いずれ傷口は大きくなると予想します。

業界の品位を下げるものは、駆逐されるべきでしょう。

 私は、別エントリではてブコメントの「言語化」という言葉を紹介しましたが、それを言い換えると
 

 客観視

ということになると思います。

 まず、医療に対する不信感を持っている人が、自らの不信感を客観視する。

 それを読んだ医療側の皆さんが、今度は自らを客観視する。

 そこに相互不信のベクトルを相互理解に変える契機があるような気がするのです。

 私が何のためにこのエントリを立てたのかということを考えていない人がいることが残念です。

性根の腐った「医療機関利用者」を駆逐しようという議論も成立しますね、それは。

どんな罵詈雑言を浴びせられても、右の頬を打たれたらの精神で聞き、ひたすら耐えて、謙って丁寧に敬語使って訴え続けろというのでしょうか?

極論を言えば、そういうことになるかもしれません。
ただ、その見返りとして、
刑事免責も労働時間短縮も勤務医の最低年収3000万円も従来から提言してますし、容認しています。

かなり医師に対しては理解派だと思いますが。

モトケンさんの忠告もあるので一言。

ミカンを腐るような扱いをしておいて取り除けとは筋が通らないでしょう。私なら、ミカンを腐るような扱いをしないこと(美味しく頂くこと)をまず考えます。

ああっ、まさにそれを言いたかったのに先を越されてしまった! でも書きます。

>一市民さん

であるならば、私たち患者の側の「腐ったミカン」を排除する自浄システムはどうしますか?
医療者にモンスターペイシェントをブラックリスト化して医療サービスから干す権利を与えましょうか? 費用未払いのまま居座る患者を問答無用で路上に放り出す権利も与えましょうか?

あなたのコメントは因果関係を無視したものが多すぎます。私も「一市民」ですが、あなたが非医療者代表のように思われるのはきわめて心外です。

どうしてラジカルな言辞を弄する人に限ってアイデンティティの曖昧なHNが多いのでしょうか。

理解派、応援団だと思っているから分かりやすい説明を心がけてきたつもりです。
それでも、言って良いことと悪いこと、求めていいことと悪い(無理な)ことってあるんじゃないですか。

あなたが応援し、免責も時短も報酬アップを認めても実現するものではありません。言葉は簡単に吐けるけど、それにどれだの責任をもって吐いていますか。現状では、モチベーションを下げるだけです。

私たち患者の側の「腐ったミカン」を排除する自浄システムはどうしますか?

私は一方的に医療者を責めているわけではありません。
非医療者の行うべきことについても従来から
前向きに提案しています。

>ただ、その見返りとして、
>刑事免責も労働時間短縮も勤務医の最低年収3000万円も従来か>ら提言してますし、容認しています。

>かなり医師に対しては理解派だと思いますが。

いやあ、理解していないでしょう。
根本的に感情論である医療不信の責任を専ら医師に負わせる一方で、罵詈雑言に耐え忍ぶ医師の「感情」に思いが至らない時点で終わってますよ。

あなたが応援し、免責も時短も報酬アップを認めても実現するものではありません。

そうあきらめずに、明日の判決を区切りとして、
また仕切り直して、改善していけばいいと思いますよ。

少しづつ、改善されているのも事実ですから。

No.112 内分泌科医さん、
私の友人(非医師)は、「拡張型心筋症」の診断で大学病院に長期入院しておりました。20年以上たった今でもぴんぴんしてますがw。もちろん心臓移植なんかしてませんww。本人は誤診だったと確信していますwww。余談ですがその友人、心臓病持ちなのと長身で手足が長いので仲間内では「マルファン○○」と呼んでました(ヒドイなあ…)。

で、なんとなく思い出してしまったコネタを2〜3。ただし、私は医師免許こそ持ってますが元々不勉強な上ドロッポして日が長く、医学的知識は停止どころか衰退しておりますので事実誤認その他は適宜ご指摘頂ければ幸いです(つーか、余り真に受けないでほすぃw)。

学生の時、激烈な腹痛に襲われ、母校の救急センターに運び込まれました。で、当然のごとく研修医の内視鏡の練習台にされ、「違うだろそうじゃないだろほら曲がってるだろ!」とか言われながらとんでもなく苦しい眼にあいました。しかも結局原因不明。
おかげさまで40過ぎた今でも内視鏡呑むくらいなら癌で死んだ方がマシだと半ば本気で考えております。

あと二つは医療不信というか超個人的な脳外科医不信。
アレビアチンという抗痙攣薬の薬疹(薬剤が原因とは限らないので中毒疹というのが正式名称なのですが、ややこしいので以下も薬疹とします)の症例。薬疹の治療の基本は全薬剤の中止なのでアレビアチンを切ったのですが当然の如く痙攣出捲くり。それに対処するのはもちろんかっこよく脳外から引き取った教授ではなく無能で怠惰で軟膏医者に徹する気満々なQOML皮膚科研修医1年目の私&そーゆーのにまるっきり不慣れな皮膚科しかも大学NSw。その惨状たるや…「とにかく脳波を取って脳外の主治医に診て貰って指示を仰げ!」とのオーベンの指示で脳外病棟に走ったのですが、(ちなみに私は心電図と脳波がどうしても理解出来なかったので心電図は直前に丸暗記、脳波関連問題は諦める、という方法で国試を乗り切りましたw)「元」主治医の助教授(当時)はオペで不在。やむを得ずその場にいた他の医師に頼んだのですが、「一つ聞いていい?何故オレがコレ診なきゃいけないの?」元々オマエんとこの患者だろがごるぁ!と喉元まで出掛かりました。それに引き換え、後日、精神症状出現時に駆けつけ、たちどころに適切な処置をしてくれた精神科医は神に見えたなあ…。あと別症例だけどオーベンも取れなかった1歳児の血管を一発で取った小児科医も。

もう一つはやはり薬疹がらみ。当時の上司は「こんな薬切っちまえ効きゃしねえよ!」と断言したのですがさすがにベテラン脳外科医の処方を3年目ぺーぺー皮膚科医が勝手に切るのは憚られたので「薬疹の可能性が完全否定出来ませんので困難とは存じますが薬剤の変更、中止をご検討頂ければ幸いです云々」との趣旨のお伺いを極めて丁寧に低姿勢に文書でしたためたのですが「この薬が原因だって証拠はあるのかぁ!?」とお怒りの電話が…。現時点では状況証拠しかあり得ない旨(ちょっと考えて頂ければ非医療者にもご理解頂けると思うのですが…)、確定診断の為には「薬剤再投与テスト」というアナフィラキシーショックの可能性がありしかも余り現実的でない方法、若しくはDLSTという保険外な上陽性率テラヒクスな(その代わりこれで陽性なら確定)な方法しかない旨大汗書いて説明し(あ、現在はもっといい方法があるかもしれません)、なんとか中止してもらえました。
数日後、薬疹全快w。
ちなみに薬剤名は忘れましたがその薬、脳代謝賦活剤はその後、効果なしとして厚生省(当時)から認可を取り消されました。上司は薬オタクでw、その事を既に知っていたわけです。

ごくごく短い臨床医時代に2回もそういう目にあったのと、不勉強のせいで私はどうも脳外科医というものが信用できなくて、あそこは歩いて入院した患者を車椅子で退院させる、と思い込んだままです。いやもちろんほっとけば死んじゃうでしょうけどさあ…。機会があったら是非この誤った考えを払拭してもらいたく思っております。


誤って女性の左乳房切除=検体取り違え、がんと診断−岡山の病院
8月19日12時56分配信 時事通信


 岡山市伊福町の済生会総合病院は19日、岡山県に住む40代女性の左乳房を誤って切除したと発表した。検体を別の患者のものと取り違え、乳がんと診断したためで、病院側は患者に謝罪した。
 同病院によると、女性は昨年7月下旬に乳がん検診を受け、マンモグラフィーで乳がんの疑いがあることが判明。病院側は翌8月中旬、組織検査で検体を採取した。
 その後、女性を含む複数の検体を扱った検査技師が標本に番号を表記する際、同じ日に採取された別の患者の標本と番号をふり間違えたため、誤診を招いたという。

こういう事例も今後も続きます、ゼロにはできません、
っていうのは、わかるんだけど、
非あり法度の中でも、イメージ的にはすごくまずいと思います。
国民に医療不信を植え付ける非常にわかりやすい事例に
なってしまいます。
倦怠間違いだけでも何とかならないもんでしょうか?

横レスかつ亀レス失礼します。No.6の一市民様のレスから、タグがうまく使えないので、コピーペーストで引用です。

(以下引用)

私個人の体験では、医師の患者に対する不誠実な態度、具体的には聞いたことに顔も見ないでまともに
答えようとしない、とか小さなものです。

それ以外では、他人の体験を読んだりして、怖いな、自分も同じ運命になるかもしれないという恐怖感や不信感です。

(引用終わり)

この部分は、一市民さん自身の体験・感想として、他所から持って来た記事よりもずっと重要だと思います。個人的にはこのあたりをもっと聞かせて頂けると大事なことが分かる気がするので、少しご質問させてください。

一市民さんは、逆に医師の態度が親切だった話や、医療のおかげで救われた体験談などをご覧になった事もきっとあると思うのですが、それを見てもなお、医療への不信は払拭されないのですよね。
実際には、医療が害を及ぼした例よりも、益のあった例の方が、ずっと数としては多いはずです。それなのに一市民さんが、悪い印象を引きずってしまうのは、いったい何故だと思われますか? それとも、害のある例の方が多いとお考えですか?
よろしければお聞かせください。

上のレスは、一市民様へ宛てた物です。文頭に書き忘れてしまいました。
また、途中から敬称が変わってしまいましたが、他意はありません。考えながら打っていたら、うっかりして…推敲が足りませんね。反省します。

 報道だけでは検体取り違えの状況が分かりません。原因はいくつか考えられます。

 たとえば、取り違えがブロックの段階で行われたのか、スライスの段階で行われたのか、スライドガラスに載せる段階で行われたのか。

 あるいは番号や名前の記載の段階で間違いがあったのか。

 これら全てに共通する可能性としては、作業中を通してどこかで他の仕事が割り込むということが第一に考えられます。この対策としては、電話一つでも他の仕事の割り込みを許さないとか、異なる検体で同じ作業の段階を許さないとか、いろいろと考えられますが、主として人手の問題があり、なかなかに実現困難です。

 別の事例で、原因分析と対策立案が為されたものが公開されていますが、工程が複雑であることだけはお判り頂けるかと思います。

病理検査部門等における医療事故防止対策について
http://jspk.umin.jp/com_work/gyoumu/kensabu.html

 これだけの事故対策を行えば、あるいは取り違えを半分近くに減らすことができるかも知れません。減らないかも知れません。

一市民さんは、No.131 モトケンさんのコメントを読まれて、どう思われましたか?

・検体間違いで誤手術があった
・こういう事例も今後も続きます、ゼロにはできません
・何とかならないもんでしょうか

ただの愚痴にしかなっていないのでは?

福田出さん、
アドバイス、ありがとうございます。
力が入りすぎているように感じられました?まだまだ澄んだ悟りの心境に到達できていないのでしょう。未熟者です。
力を抜くようにこれ努めます。
内容についてのご意見もお待ちしております。

従来の方式では、医師は卒業と同時にいずれかの医局に「入局」していた。医局は医師の研修先・勤務先を指定し、医師はそれに従って転勤する。医局は医師を必要としている病院の情報を集中管理し、必要とされている医師の技能や経験年数に合わせて医師を派遣する。医師が派遣先で経験を重ね、技能を身につけると、派遣先の病院は医師に対して昇給をするか、賃金の安い医師と交代させるかしなければならない。そのため、数年おきに医局は医師を転属させ、新たに若い医師を派遣する。この繰り返しによって病院側は人件費を一定に維持し、経営の安定化を図ることができる。医師は自分の技能レベルに合った就職先で研鑽を積むことが出来る。また、高度な技術を取得することが可能な病院に派遣してもらった場合、「お礼奉公」と称して、しばらく低賃金で過疎地の診療所に派遣される慣習もあり、これによって地方の医師不足を埋め合わせていた側面があった。

 なるほど。

多くの場合、医師の派遣を受ける病院は大学教授に研究費などを提供し、教授の研究業績に寄与していた。こういう病院は医局の「関連病院」と呼ばれる。研究費が集まる有名教授の下にはさらに入局者が集まり、教授の権威を高める好循環を生む仕組みであった。

 なるほど。
 何となくは知っていましたが、従前の臨床研修制度には功罪あったんですね。
 とは言え、現代の時代にはそぐわないシステムだという印象は否めませんね。
 医療の分野に限らず、様々な分野で、このような時代にそぐわないシステムは撤廃されていますし、従前の臨床研修制度の良い面を肩代わりするような、今の時代に合ったシステムの構築が求められるように思います。
 厚生労働省もいろいろと考えているのでしょうが、医療側からも是非提案して頂きたいと考えます。

猫医者さん、
了解いたしました。言わずもがなのことを書いたのでしたらお許しください。

>No.147 ペストさん

すいません。余計な御世話かもしれません。
仕事明けに、負担が大きくないかな、と感じました。
 コメント一覧を見て、コメントを選ばれることも勧めします。
 ループにループを重ねないためにも。(別所経験談)

都内病院勤務医さん

 すみません。私(福田出)宛てのコメントが重複したようです。ご容赦を!


※投稿ボタンを押したら、数分間かかるようです。
☆「受付ました」のメッセージ時がでるまで、待ちましょう。
☆「エラー表示」になった場合は、メインに戻って確認してから再コメントしましょう。
☆行数オーバー、リンクオーバーの場合、「管理者保留」になることがあります。ブログ主(モトケンさん)宛て、次コメント欄に2行程度で、保留解除の依頼をしましょう。など

(投稿のボタンの押し間違いでたいへん失礼いたしました。)

都内病院勤務医さん、

お祖父様の体験を提示していただいて有難うございます。

まず、いきなり入院日数制限を言いたてて転院を迫る、という病院の対応に「不信感」を抱かれたのは全く当然、と同意いたします。

どんなにひどい医療制度であっても、まずは目の前の個々の患者に誠実に対応するのが医師の務めです。

そのうえで、「ご存じと思いますが、医療制度上、このような患者様は当方のような急性期病院では長期にお引き受けすることはできません。申し上げにくいことですが、ご本人やご家族のご希望にうまく添えるかどうかわかりません。ソーシャルワーカーも交えて、どのような療養のしかたをしていくのが一番よいか、相談してまいりましょう」というふうに切り出せばよかったのでしょう。

そうすれば、同じ状況でも、「この病院の対応への不信」ではなく、「一定の入院期間を超えると赤字になる入院報酬制度」の方向に患者や家族の怒りが向けられたでしょうに。

  このような少数のまずい対応で、医療制度の不備を患者にもろにぶつけないように苦慮している大多数の医療関係者の努力が、水の泡になってしまうのですね。 

都内病院勤務医さんも認められているとおり、大多数は医療制度に耐えて良心的医療を提供しているのですが、ひょっとしたら「耐えすぎ」なのかもしれません。

もっと患者の目が医療制度に向くように、個々の医療者ではなく政治に非難の矛先を持っていってくださるように、医療者は啓発していく必要があります。制度を変えられるのは患者=国民ですから。

一市民さん、

御意。おっしゃるとおりです。

医師の薦める検査や手術を受けるほうが、確率的には寿命が延びます。その意味では、選択の余地はほとんどありません。

でも、あくまでも「確率としては」なのであり、医師が思い描いていたようにはものごとがうまくいかないかもしれないのです。

「そのような場合でも、うまくいかなかった結果も、受け入れてくれますか?自由意志で。」

と問うているのであり、それに対して「イエス」というのがインフォームド・コンセントなのです。嫌なら拒否する自由はあるが、かなり分の悪い賭けになります。でも、稀ではあるがその検査や手術が原因で死亡したら、拒否したほうが長生きできたことになるわけです。さあ、どちらに賭けますか?

「医師が思い描いていたようにはものごとがうまくいかない」うちのひとつが「医療事故」です(というか、これが医療事故の広義の定義そのものです)。インフォームド・コンセントというのは、医療事故が起こるかもしれない、それも含めて、賭けの結果を引き受けます、という患者の覚悟のために一筆書いてもらうものです。

生死を賭けているのは患者さん自身であって医師ではないので、医師がいくら最善の賭けと思っても、勝手に侵襲的検査・手術を実施することはできないのです(勝手にやると違法性の阻却が成立しませんので罰せられます)。

というと医師の保身のため、とまたまた誤解されかねませんので急いで付け加えますと、そもそもインフォームド・コンセントという概念は、患者の権利を守るために生まれたものです。ナチスの医師が、無抵抗のユダヤ人に「医学的実験」と称して残酷な人体実験を行ったことを反省して、第二次世界大戦後に発せられた「ニュルンベルグ宣言」がその源です。患者には、医師が提案した医療を拒否する自由がある、という、患者の権利がここに確立したのです。患者が医師を訴えることが普通になるはるか以前のことです。

でも、患者には「本当の自由」なんかないじゃないか、と、ほとんどの方は直感的に感じられることでしょう。

残念ながら、そのとおりです。その理由は、我々は、必ず、最後には死ぬからです。医師の薦める医療を受けると、受けないよりも長生きできる可能性は高いが、逆に命を縮める結果になるかもしれない、でも、どちらかしかない。どちらかのボタンを押し、息をのんで、結果を見守り受け入れるしかないのです。そこで医療者に対して不信を抱いて恨むか、信頼して感謝するかは、患者医師関係、ひいては訴訟などの観点からはとても重要な差です。しかし、もっと達観してしまうと、生・老・病・死の不条理を、医療はどうすることもできないため、単に、時間稼ぎをしているに過ぎないのです。患者さんは、インフォームド・コンセントを取る側の医師が優位な立場にあるので、怒りを感じられるかもしれませんが、その医師も、いつかは「患者」になり、死んでいく運命です。選択の余地は、「ほとんど」ないのです。

このようなこと(医療倫理・法学論議・死生観の哲学)をすべて説明し患者さんととことん議論する時間がないために、患者さんはインフォームド・コンセントを「選択なく押し付けられる」と感じられるのでしょう。でも、時間もなくせきたてて押し付けているのは、実は医師ではなく、病であり死神なのです。医療に100%確実ということはありませんが、死は100%確実です。私たち医師は、患者さんの生がすこしでも長く、意義あるものであるように共に戦う同志であろうと努力していますが、でも、その戦いは、負けるとわかっている戦いなのです。患者が「非現実的な期待」で迫ってきたとき(「絶対安全となぜ言えないのか、患者をそんなに不安にする冷たい言い方をして、ひどい態度じゃないか」)に医師がひそかにいらつくのは、医師のほうがはるかに「死」と日常的に接しており、「死」をあくまでも遠いもの、遠ざけるべきものとしている患者の感性とのギャップに絶望するからではないでしょうか。患者さんは死を避けようとしているが、医師は死と駆け引きをしているに過ぎないことを知っている。インフォームド・コンセントをどう受け取るか、これまた、患者と医師のあいだのコミュニケーション・ギャップの最たるものだと思います。

このような例は私は刑事はともかく、行政処分や民事訴訟は否定しません。刑事はその悪質度(そのときの勤務状況などを考慮)によって意見は変えるでしょうね。やはり1日30時間勤務ですと、ミスをするな、という方が無理な話です。
一度こうしたミスを犯した人間は(リピーターのようなどうしようもない医師でない限り)普通、二度と起こさないでしょうね。それだけ神経が集中するからです。そしてその貴重な経験をした医師を追放することこそ犯罪だとさえ思っています。
要は、今の多くの医療関連刑事訴訟のように合法的処罰という名の復讐でなく、「どうすれば日本の医療、患者のためによりよい医療が望めるか」という視点に立つことが必要なのです。どうも日本人はそれが欠落しています。

私は天秤の話をします。
つまり、そのまま治療をしなかった場合と治療をした場合の話をします。

1.治療をしなかったら高確率で致死。
2.治療をしたら高確率で治る(あるいは進行を防げる)が、副作用は起きる。

さあ、どっち?


インフォームドコンセントとは実は患者側にも責任がある制度なんです。ましてやどっちを取る方が吉と出るか解らないわけですから確率論にかけているわけです。つまり、一か八かでやっているわけです(一か八かでやられては困るという某検察もいましたが。あ、それは別のスレか)。

急性期は医師ともいえども強制退院させることは出来ないと思いますけどね・・・。
しかし、「たらいまわし」(この表現をお許しください)は別に今始まったことではなく、十年前からあったことは医療者なら誰でも認識している事実ですね。そして訴訟リスクの増大とともに受け入れ不可能が増えていったのも実は最近のことではありません(少し増えたかもしれませんが、それは救急出動が多くなったと言うことなんでしょう)。都内でさえ山手線の外を出ると医師不足は10年以上昔からありました。
ある程度はその病院の医師の気持ちはわかりますが、口に出して言うことでは無いでしょうね。

難しいことはわかりませんが、医療訴訟などのことを記述する
お医者さん?なのかなあが、ブログで医者の権利だけを声高に
主張して、どこぞの掲示板みたいに患者に罵詈雑言をあびせているのを見ると……。げんなりです。医者といっても治療というサービスをして、患者という顧客に満足させるサービス業であり接客業である以上(あまりうまくないいいかたでごめんなさい)、説明責任云々より、できることできないことを患者さんとしっかり会話するスキルをみがいておけば、ここまで医療不信がとりざたされなかった気もします。なんだかお医者さんエリートが多い?せいか、相手にあわした会話、ってのができない人けっこうおられるようで。要はきちんと会話するスキルを患者もお医者さんも身につけるべきということで。

あとは、ここに書かれている方もおられますが、ブログなどに
守秘義務のあるお医者さんなどの職業の方はあまり書くべきじゃないと思うのですが。私みたいに患者に罵詈雑言をあびせているのをみて不信感すのらせるのや、カルテ流出などされるとますます信頼が。カルテ流出したあげく患者に全責任を負わせ罵詈雑言をネットであびせるなんて、他のまっとうなお医者さんにも迷惑かけてるだけと思うんですがね。患者のこといわれたりしてますが、たとえネットやブログであってもお医者さんは責任ある発言をこころがけてもらわないと、まずは相互理解と会話からですね。

>その場合、「一般的」だと判断する根拠は何でしょ
>うか? 私は医師の方の感覚が分からないので、そ
>こはお伺いしたいと思います。
>
>とは言え、とりわけ、既に勤務している現役の公務
>員医師の方について人事異動を呑んでもらうのは、
>かなり難しいだろうとは想像します。

体調を崩してしまいレスが遅くなりました.
公立病院に努める医師で,「自分は公務員である」とはっきり思って働いている人間は皆無に近いでしょう.私もかつてそうでしたし,私の周囲を見渡すかぎりそうでした.医師からすれば,勤務した病院が「たまたま公立病院であった」に過ぎません.なぜならば一人前になるまで(場合によってはなってからも)特定の病院に「就職」することがほとんどありませんから.
公立病院の医師の人事権は実質のところ病院にはないからです.

実際に勤務条件が悪化した公立病院から医師が逃散して特定の科が閉鎖になったり,病院そのものが廃院になっているのはご存知だと思います.

お気持ちは解るのですが、ある程度(個人情報は伏せた上で)実例を出さないと議論にならないと思います。
もちろん、カルテ情報を流出するのは感心できませんし、そうするべきではないと思いますが、そうでもしない限りまともな議論は出来ないという気持ちは理解できます。現にカルテ流出がなかったらおそらく担当医師は責められたまま、ひどければ犯罪者扱いされるわけですから。

それと、もしかしたらこのブログではなく他のブログのことを言っているのでしょうけど、このブログに医師の権利のみ主張している人ってあまり見かけませんよ(少なくとも私はほとんど見たことがありません)。あくまでもどの様にすれば患者が安心して医療を受けれるか模索しているだけです。
患者の責任云々については私も主張していますが、悪口を言っているのはあまり見たことがありません。ほんの一部の例外を除いてその程度にとどまると思いますよ。
でもこれって当たり前のことであって、別に罵倒しているわけではありません。悪口が書いてあれば他の医療者からもおしかりを食らうのがこのブログの良いところだと私は思っています。

しかし、責任持った発言については・・・医師でなくても必要だと思います。特別医師に必要というわけでは無いでしょう。医師は医師の責任を持って、非医療者は非医療者の責任を持って発言すれば良いだけの話です。医師の責任とは、守秘義務も含まれます。でも、それが実例を挙げないこと、と言われれば、それはちょっと違うのでは?という気もします。

HNも入力しない人に
>責任ある発言をこころがけてもらわないと
って言われても全く同意できません。
システム上必須なのにあえて空文字にして回避というのは悪質ではないですか?

No156 
 確かに、医師は、できることできないこと、わかることわからないことを、明確に相手に伝える努力はするべきでしょう。足りない医師もいっぱいいますから。
 接客業としての一面も否定しません。しかし、サービス業ではありません。現在の医療制度では、自費の方以外は、社会保障の一環としての医療を受けていますので。
 ついでに、誠実に話すことはできても、ご機嫌とりを期待されてもむりですよ。そこには、どうにもならない現実を伝えるという問題があり、聞きたくないことを聞かなければならない状況があるのですから。

サービス業かどうかは議論の余地がありますが(私個人はサービス業の一つだと思っています)、まあ、保険の制約を受けている時点でいわゆる一般のサービス業と明らかに違いますね。
つまり、お金を出せば患者の言うとおりに出来るというものでも無いし、医師の裁量が無ければ何も出来ないので、患者の期待していた治療法をとれない場合も数多くあるし、その結果を保証できないというのも普通のサービス業とは違います。
つまり、医師という専門家がいて、患者の治療の手助けをするだけという役割で、社会的にもその責任が問われます。逆に言うと、ある程度患者は医師の言うなりにしなければならないわけです。つまり、ある程度行政の一環的な役割を担うわけです。
インフォームドコンセントによって患者の選択度が増えたとはいえ、結局医師が提示したいくつかのオプションのうち一つを選択するに過ぎません。

とはいえ、やはり言葉使いなどについてはサービス業に準ずるべきと私は思いますが、少ない診療時間のこともあるので、やはりそこは患者の満足行くようにとは行かないでしょうね。
最も診療時間の面についてのみ言えば、患者が自費で医師を雇い、治療費を払うのであれば別ですが・・・。

つまり、医療はサービス業ではあっても商業ではなく、あくまでも行政の一環であるという解釈です。

大野病院事件では、悲しいことに、言葉を尽くした判決文でも、ご遺族の医療不信は消えなかったようです。
(1)ある記事によると、「待期手術だったのだから、危険があるなら一人でしないで応援を頼むべきだった」と遺族は思っておられるようです。
普通の前置胎盤であると思い、自分ひとりで(今までのように)できると思ったのでしょう。ところが、癒着胎盤だった。それも、重度の。・・・手術中に、加藤医師はどれほど自分の甘さを呪ったことでしょうか。でも、すべての前置胎盤の帝王切開に応援を頼めるわけない、そういう、福島県の厳しい産科事情だったのです。
前もって危険がすべて予見できるわけがない、医師とて生身の人間。そのように、判決文を遺族の方が理解し受け入れてくださる日が来ることを、切に望みます。
(2)「稀な疾病」が言い訳にはならない、むしろ患者を冒涜するもの、とも感じられているようです。
世界で一例目の患者に、適切に対処できる医師は存在しないように、稀な疾病にすべての医師が適切に対処することは経験上不可能なのは当然です。とても正当な言い訳になると思うのですが(裁判官もそう判決文に書いたようです)。ですから、稀な疾病であることは「不運」なことです。お気の毒に思います。でも、そこに「冒涜」のような感情は入り込む余地はありません。病というものが偏見から自由になれないのは悲しいことですが、そのことは世間一般の文化の問題であり、医師はむしろ偏見なく病者を助けるという義務感を持った存在です。実際、加藤医師は、医師人生で始めて見た重症の癒着胎盤を前にして、最善を尽くしたのです。健闘に感謝し、「子供が無事に生まれた」ことをもって不幸中の幸いと感じることは遺族にはできないのでしょうか。できないのでしょうね。(3)別の投稿欄では大野医師が患者の死の直後に「やっちゃった。最悪」と言ったことが、大野医師有罪の根拠として取りざたされているそうです。
医療者なら、痛いほどわかります、この乱暴な口の利き方の意味が。偽悪的な言い方、自分への痛罵は、医者によくあることなのです。ストレスがものすごいので、そういう、瞬間的ガス抜きが必要なのです。でも医師以外の方が聞いたら、「自分でもミスをしたと認めている」としか聞こえないであろうことも、理解できます。
この一例をもってしても、患者さんと医師とのあいだの深い溝に改めて愕然としてしまいます。同じ敵を相手に戦う同志のはずなのに、どこでどう敵対するようになってしまったのか。
ストレスの極にある外科系医師に、「ドアを蹴っ飛ばすな」とか「コン畜生などの汚い言葉を言うな」とか、誰が言えるでしょう。そこまで管理するなんて、非人間的です。
患者「さま」、わかってください。お願いですから。医師がこのような偽悪的せりふを吐くからと医療不信に陥らないでください。

ぼくが研修医だった頃に大学病院で経験した医療不信の実例についてお話しします。

60代の個人事業主さんが、糖尿病の教育入院で入ってこられました。入院中のルーチン検査で異常値が見つかり、肝臓のエコーを行ってみたところ直径5cmの肝臓癌が発見されました。癌は単発で明らかな転移はありませんでした。確実に根治できるとは言えませんが、充分に治療可能な域にありました。

当時のことですから、本人に告知される前にまず夫人に検査結果が説明されました。すると、息子に相談するから本人への告知はちょっと待ってくれと言われました。夫人は一番頼りにしているエリートサラリーマンの息子に連絡し、折り返しその息子さんからファックスが送られてきました。その内容は「勝手に本人に告知したら訴えるぞ」から始まり、「抗癌剤は一切使うな」「治験薬でモルモットにするな」など10項目程度の脅しのような要求が箇条書きになっていました。

数日後、その息子というのが東京からやって来たのですが、とにかく医療不信の固まりで、あれをしたら訴える、これをしたら訴えるの連続でとりつく島もなく、病状の実態や生存率について正確な情報を伝えようとしても「医者の論理は聞きたくない」と割り込まれて話しを聞いてさえくれませんでした。相手の要求も医療の常識を無視したもので、禁止事項が多すぎて治療はとても出来ない状態でした。指導医もほとほと困り果て、「残念ですが、ご希望をすべて満たせる医療は当院では出来ません」と言って別の病院に転院することに決まりました。

肝臓癌が発見された本人は、何も知らされないまま緩和ケア病院に移ったようです。極端な例ですが、実話です。

その後も似たような医療不信で治る可能性のある病気を悪くした患者を大勢診てきました。医療訴訟が多発するこの時代ですから、よほど確実でなければ「大丈夫です」とは言えません。ボーダーラインの「これならいけるかも知れない」という症例の患者さんやその家族が医療不信を持っていたばかりに積極的な治療が出来なかった例はたくさんあると思います。

「医療不信」はコンピュータウイルスのように人の頭脳から頭脳へ伝搬する致死的な情報病原体です。死に至る病です。そして治療薬はありません。

医者といっても治療というサービスをして、患者という顧客に満足させるサービス業であり接客業である以上…

残念ながら医療は患者を満足させる仕事ではありません。患者の手足や臓器を切り取り、痛みを伴う検査や処置を行い、苦しみを起こす薬品を投与する仕事です。目的は「満足」ではありません。人命救助です。産業分類上はサービス業ですが、他のサービス業とは根本的に違います。一番似ている業種は、消防、警察、軍隊などです。

患者さんとしっかり会話するスキルをみがいておけば、ここまで医療不信がとりざたされなかった気もします。なんだかお医者さんエリートが多い?せいか、相手にあわした会話、ってのができない人けっこうおられるようで。

ぼくもそう思いますが、医療も法律も正確な用語を使うことがますます求められています。今後医師の発言の揚げ足をとって裁判に持ち込むケースが増えればますます正確かつ難解な専門用語を使うことが必要になるでしょう。

同意です。

例えば、医療ミスという言葉自体誤用されています。つまり、過誤のない事故も合併症も過誤も一緒くたに「医療ミス」なのです。
英語でmissを調べてみますと

1.やりそこない,失敗,ミス:A 〜 is as good as a mile. 《ことわざ》失敗は失敗.
2.書き[見]落とし;脱落.
3.回避;免れること:That was a lucky 〜.危いところをうまくのがれた.
4.《話》流産.
5.《方言》なくなった寂しさ.

(プログレッシブ英和中辞典より)

とあり、明らかに過誤のことを指します。しかし、マスコミは過誤という意味でミスと言う言葉を明らかに用いていません。
有名なところに「盲腸」があります。「盲腸炎」において、盲腸はほとんど全ての事例に於いて盲腸に炎症は起きていません。ご存じの方が多いと思いますが、「虫垂炎」のことが多いわけです。
また「貧血」の誤用も日常茶飯事です。貧血とは医学的には地が貧しいことを指します。つまり、血液が薄くなった状態を指すわけです。しかし、実際にはめまいも「貧血」と言ったりします。結構この辺の誤解は説明を行う上で我々にとってやっかいです。
ただ、患者が「解らない」と言えばわかりやすく説明をするのもまた義務です。但し、それには医師増員や医療費増額は必要不可欠であり、それが通らなければ永遠に無理です。もはや医師の努力の限界を超えています。

初めて投稿いたします。
プロファイルは会社員です。

1.医療不信を感じているか
感じています。
しかし私個人でそのような不信を感じさせる経験はありませんでした。もちろん、「なんだよ....」みたいな経験はありますが、それはその先生個人に対してであり、医療全体に影響はないように思います。

2.考えられる理由(1)
役人・企業・マスコミ...etc 様々な業界で不正が明らかになっています。医療も例外ではないだろうという推測。しかしながらこれはA〜Gが×だからHも×だという論理であり、妥当な推論とは言えません。

3.考えられる理由(2)
医療行政が機能していない。医療側がunhappyなのはブログを見ていて感じます。患者側のunhappyはマスコミの記事(放送)で感じます。システムがうまくいっていないので、結果としてサービスレベルも低かろうという推測。しかし、この論理も少々飛躍していると思います。

4.考えられる理由(3)
病院のマネジメントが機能していない。
医療Blogを見た感想です。会社員の私からすると信じられないほどです。医療は法律の規制があるので病院でできることには限界があるのでしょうが、いすれにしても機能していない組織から提供されるサービスレベルは低いだろうと推測しました。

5.考えられる理由(4)
親族の伝聞。
父親の脳ドックの結果が届くのに10カ月かかる。
母親が「先生が話を聞いてくれない」とこぼす。
自分であれば病院を変えることで対処し、そこの固有な品質と考えると思いますが、親族からの伝聞は単純に怒り→医療不信の根拠補完になるようです。

このように私の医療不信の根拠は極めて薄弱な論理や経験に基づく推測であることがわかりました。しかしながら、それが判った今、不信が消えたかというとそういうこともないようです。感情の部分に刷り込まれているようです。

No.167 savoyさん、

コメント有難うございます。あなたのようなコメントを待っていたような気がします。的確な「客観化」に感謝します。
「医療不信」は「政治不信」など他の業界に対する不信と同様、なくならないのでしょう。漠然とした感情であり、しかも、具体的根拠もある感情です。(過去において、カルテ改竄などの組織ぐるみの隠蔽が存在した《現在はほぼないといえます。患者や社会からの告発のおかげで医療界も反省し改めました》、現在においても、検体取り違え薬剤投与ミスなどの単純ミスがときどき思い出したように報道される《これはゼロにはできませんので、エラー理論やリスク管理のコスト計算などに基づいた建設的報道姿勢を望むところです》、マナーの悪い医師が存在する《若い世代の医師は患者医師関係を学び接遇教育を受けているので徐々に改善していくと思いますが労働条件の改善も危急の課題です》、などなど)
何しろ生死に直結するので、問題が大きく取り上げられることが多いのだと思います。
でも、生死に直結する他の業界と比較すると、組織としての危機管理が全くといっていいほど機能していない、というのは、savoyさんのご指摘のとおりだと思います。また、それを監督する行政も、資源の分配に失敗している、というのもsavoyさんのおっしゃるとおりです。
では、どうしたら「医療不信」を少なくできるか。
「医療不信」の実態を、もっと国民の皆さんに理解していただくように医療側がさらなる努力する必要がありそうです。でも、36時間連続勤務などでくたくたの勤務医には、あまり余力はありません。それで、集約・凝縮した形で訴えているのが「刑事免責」であり、それがすぐには実現できそうもないので「逃散」であり、だから「医療崩壊」が起こっているのだと思います。また、「医療の不確実性」や「ミスの不可避性」を医療側が訴えても説得力がない(どころかますます医療不信をあおる恐れさえある)ので、報道・哲学・心理学・人間工学などさまざまな分野の人々が応援してくださることを願います。
付け加えますと、「大野病院事件」の判決に対する各界の反応の報道でも「医療不信」という既述がされています。この判決では、「医療の不確実性」をきちんと述べています。にもかかわらず、「医療不信」でくくろうとする反応に、ヒントがあるように思います。特に、患者の父親が、「いったい何が起こったのか、病院から納得のいく説明がなかった。裁判である程度強制的に説明させることができた」と言いながら、その総括である判決が「無罪」であることを残念としている矛盾が、「医療不信」の実態を象徴的にあらわしていると感じました。「癒着胎盤という稀な妊娠異常が起こったことがすべての発端であり、現在の医学医療では、あの場合、救命は無理だった。医師に過失はなかった」という「真実」を、受け入れられていないわけです(「稀な疾病というのを言い訳にするのは娘に対する冒涜だ」と感じておられるのです。「どんなハイリスク妊娠でも、設備のある大病院に送っていれば助かった可能性がある」と信じておられるのです)。
各紙面をすべて厳密に比較したわけではないのですが、知る限りでは、朝日新聞の記事は、解説記事の中で、2007年に基幹母子医療センターで癒着胎盤を子宮摘出したにもかかわらず母体の命は救えなかったという、そっくりの症例をあげて、「お産の不確実性」を前面に打ち出していました。(この症例をあげたことで、社会面での某専門家のコメント「ハイリスク分娩とわかっていたのだから前もって大病院に送っていれば助かった可能性はある」や、原告の「大野病院でなければ娘は助かっていた」というコメントが具体的に否定されたという効果があり、まことに適切な例示に感銘を受けました。取材とはこのようになされるべきと思いました。)また、加藤医師の立場から事件を見た記事を、原告の判決に対する感想を述べた記事より上の紙面にするなど、バランスが取れていたように感じました。このような紙面づくりの積み重ねが、「医療不信」をあおらずに、真の医療安全問題解決へと国民の目を向けることになると希望を感じました。

ベスト様のご意見はよくまとまっていると思いました。

事実究明と遺族感情は、全く切り分けてマネージメントしていく社会システムが有用ではないかと私は常々思っています。

今回の大野病院判決に対するご遺族のコメントをみて、ますますそう思っています。

朝日新聞の記事、G-searchから拾ってきました。ソースとして提示しておきます。

(時時刻刻)医療事故究明、仕組みは 産科医無罪
2008.08.21 東京朝刊から、抜粋して引用。

捜査に批判的だった東京都立府中病院の桑江千鶴子・産婦人科部長は「患者の命を助けようと思って進めた末に、助けられないこともある。そのようなリスクを認めてもらえなければ、医療はなり立たなくなる」と指摘する。

 癒着胎盤と診断できた場合は、はがさずに子宮摘出に移行する場合があるが、摘出すれば安全とも言い切れない。

 東京都内の大学病院で06年11月、癒着胎盤と診断された20歳代の女性が帝王切開で出産後に死亡するという大野病院事件と類似の事故が起きた。病院は胎盤をはがすことによる大量出血を避けるため、帝王切開後ただちに子宮摘出手術に移った。しかし、大量出血が起こり、母親を救命できなかった。病院は、リスクの高い出産を扱う総合周産期母子医療センターだった。厚労省の補助金で日本内科学会が中心に運営する「医療関連死調査分析モデル事業」で解剖と臨床評価が行われ、評価結果報告書の最後に「処置しがたい症例が現実にあることを、一般の方々にも理解してほしい」と記されている。

 医療と法の関係に詳しい樋口範雄・東大大学院教授(英米法)は「判決は検察側の完敗だ。だが、有罪か無罪かより重要なのは、医療事故の真相究明に裁判がそぐわないことがはっきりしたことだろう。検察側と弁護側が対立のゲームを続けたことで、医師も遺族も傷ついた。真相究明と再発防止のため、医師を中心に、患者も加わった形での協調の仕組みが必要だ」と話していた。

おまけ
モデル事業のHPには、この症例の詳細報告有あります。
http://www.med-model.jp/kekka/jirei38.pdf


 「病気も怪我も治って当たり前」という医師や医療への過剰な期待(非科学的限界否定妄信)が根底にあるような気がします。
 さらに、遺族や家族にとって、もっと良い適切な医療があれば患者は…という思いが、それをしなかった自分達(遺族・家族)を責め、その責める気持ちから逃れるために、医療側に責任を求める(転嫁・犯人探し)という心理もあると思います。
 その奥底の心理メカニズムは「被害者への逃げ込み」なのかもしれませんが。

No166,167savoy様、ベスト様
長いけど、すばらしいやりとりですね。
No167のコメントにほぼ同意ですが、少しだけ、疑問があります。
 患者医師関係を学んでいても、若い医師がコミニュケーションスキルが高いとは言い切れません。日常生活でのトレーニングができておらず、目上の方に対する言葉遣いなど、接遇教育だけでは、どうしようもない部分があるようです。
 研修医などは、ついこの前までは、医師ではなかったわけですが、用語をかみ砕くことさえできず、指導で横で聞いていても、はらはら、いらいらという状況があります。あまり過大な期待はしないほうがよいかもしれません。

No.8 名無しさん さん | 2008年8月17日 15:08 | 返信  (Top)  体験があるわけではないので、あくまでネット上で見た、一部の医療側発言に対する感想になります。  多少表現が良くないところがあるかも知れませんが、率直に書いた方が分かりやすいとの思いからですので、ご容赦ください。 不信 Т擬圓糧鏗牡蕎陲紡个垢觀攣襪感じられる。  よくある医療側の発言の一つに「過失に刑罰を科しても、過失の予防効果がないから無意味」というものがあります。 それはそれで一つの事実だと思いますが、被害者感情を軽視しているように感じます。 刑罰には応報という考え方もありますし、それが担保されなければ社会秩序の乱れに繋がりかねません。 不信◆Г垢阿法崙┿兇澄」「医療崩壊だ。」と言って非医療側を脅す。  これも医療側の発言でよく見受けられます。 例えば「過失を罰すると医師は逃散だ!医療崩壊だ!」と言う発言ですね。 逃散されて医療崩壊を起こされては、非医療側は当然困るわけですから、これを言われると、もはや議論になりません。 医療側は建設的な議論をするつもりがないのかな、という不信感も芽生えてきます。 また、『本当に医療崩壊が起きるの?』とツッコミを入れたくなります。

名無し様の感想について、モトケン様も以下の感想を述べています。

No.9 モトケン さん | 2008年8月17日 15:26 | 返信  (Top)  医療崩壊に関する議論における医療側の言動が医療不信を生じさせまたは増大させているならば、医療側として反省材料の一つにすべきですので、No.8 名無しさんのような指摘も大事だなと思います。

今後は、一部の医療側発言が、医療不信の最大の原動力になると思ってしまうのは、私の心配のしすぎでしょうか?

医学界からも和田先生は以下の懸念を述べています。

「和田 秀樹 先生の『'07-05月20日号  医者はそんなに偉いのか」(http://www.e-resident.jp/essay/article.php?int_id=106)からです。 「先日発売された『週刊文春』にも掲載されているが、医者専門のサイトで無法な書き込みが蔓延しているらしい。 匿名で好きなことが書けるためか、医者の本音が出ているので評判を呼んでいるようだが、患者さんのことを愚弄したり、自分が匿名で別の医者を批判(というか一方的な子供じみた悪口)を垂れ流したりと、こんなことが許されるのかと思うところが多い。  私自身が、もともと医者同士でつるむのが嫌いで、大学時代も医学部のサークルに一つも入らなかったし、医局なるものにも入ったことがないので、この手の医者専用のサイトに興味も関心もないし、見たことがなかった(大変申し訳ないが、この際白状すると、このサイトでさえあまり見たことがない)が、私の尊敬する医師から存在を聞かされ、憤りを感じているところだ。(中略) 私が、若い医者に知ってほしいのは、世間様は、この書き込みの主が思っているほど「医師の威」などないことだ。この書き込みの主は、学校時代秀才で、ママにも「お医者様ほど偉い仕事はないの」などと言われて増長したのだろうが、世間はそう見てくれない。入学が難関だったり、家庭教師をやっていてもちやほやされたり、医学生時代は多少女の子にもてたりするので勘違いするのもわかるが、その気分は医師になったら捨てるべきだ。そうでないと患者さんと対等に接することなどできないはずだ。 あのサイトが患者さんに見られることがないことを祈るが、書き込みに共感する医者がたくさんいたことに暗澹とした気分にさせられたので、あえて若い医師に忠告しておく。」

>No.171 一市民 さん
その前の
'07-07月20日号
「医者はサービス業か」は読まれましたよね。

読みました。大変な仕事と理解しています。
医師の皆様、頑張ってください。
応援しております。

プロフェッショナルの仕事というのはクライアントの利益を優先すること、つまり病院に儲けさせることを考えるより患者さんをよくすることを考えるという原則がある。腕がよくなれば最終的に病院や自分が得をするのかもしれないが、それは目的でなく腕を磨いた結果である。まず大切なのは目の前にいる患者さんを治すことだ。これは経営コンサルタントでも弁護士でも同じことで、自分の事務所に儲けさせることより、クライアントの利益を優先させる職種なのである。  もう一つは、結果がすべてということだ。医者の場合は治してなんぼ、経営コンサルタントの場合は相手の会社を立て直したり利益を増やしたりしてなんぼ、ということになる。  だからクライアントに媚びないし、ときには厳しいことをいうことになる。ここが客商売と一線を画するのだ。
 

No.173一市民さんへ

  引用の文章の「もう一つは、結果がすべてということだ」を太字強調になさったのは、一市民さんでしょうか。
  もしそうなら、どういう意味で強調されたのでしょうか。
  医療の突極の結果は「死」なのであって治癒ではありません。
医師の仕事が結果がすべてなら、医師はすべて藪(やぶ)医者です。(上智大学のデーケン氏の有名なせりふであり、100%同意いたしており、よく引用させていただいております) (もちろん、その過程で、手術の成功率とか合併症を起こす率とか、糖尿病や高血圧のコントロールが良好な患者の割合とか、個々の医師や医療機関のデータで、「死への途中経過」ではあっても医療介入の結果の良し悪しはある程度測定することはできます。でも、重症患者を引き受けるほど結果が悪くなって不利なデータになってしまうので、少し頭の働く医師や医療機関は、軽症患者のみを扱うことで「良い結果」と見せかけようとするでしょう。医療介入の「結果」というのは、そう簡単には比較できない、というのが医学界の常識です。)
   和田秀樹さんは、医師でも学究生活が長い方のようなので、気楽に「結果がすべて」などとおっしゃることができるのでしょう。ある意味、うらやましく思います。現場の、毎日毎日重症患者さんと相対している医者は、「結果がすべて」と言われたら、奮起するどころか、逃散したくなってしまうでしょう(あのう、別に、脅かしているわけではありませんので・・・)。「結果」ではなく、「過程」が大事、と、せめて言ってほしい。
 今回の大野病院事件判決文でも、「診療中の疾病によって死亡したのなら異状死とはいえない」と、明言したのは、医師が全力を尽くして患者がその病気で死亡したらそれは「病死」であり「医療事故」ではない、というわけです。
   ここがご理解いただけないと、「医療不信」の感情はなくならないかと思い、つい、肩に力が・・・・すみません。もっと、力を抜いて、マンガ風にうまく表現できたらいいんですけど。
   それと、HNは「ペスト」で「ベスト」ではありませんので、そこのところもよろしくお願いします。カミュの「ペスト」の医師リウーが、生涯の理想です。彼は自分の妻の病気にも重くなるまで気づかなかった藪医者で、そのことがいっそう彼を崇高にしているのです。(この小説のとっぱなで、医師リウーがジャーナリストにきつーい質問を浴びせているのも、今から思うと、実に象徴的です。また、彼がたった一度「キレ」ますが、それがどんな場面か、ということにもご注目ください。)
  

「結果が全て」では医療は出来ませんが、「結果が大事」なことは当然であり「最大限努力すればなんでもOK」などとは医療者は思っていません。ですからよりよい結果を求めるために、誤診の症例や、合併症で亡くなった症例などを専門的に検討して、将来の同様な事態に備えて、役立てようとしてるわけです。こういった不本意な事態を詳しく検討した結果、こうしておけば助かった等と言うことは多々あります。しかしながら、これをもって、刑事民事の責任追及に使おうとするのであれば、誰もそのような検討はしなくなります。将来の良い結果を出すために、医療人以外の方も、医療の不確実性と、永久に開発途上の仕事であることをご理解をいただきたいと思います。

No.171で一市民さんが引用されたエッセイは

医学生・研修医の視点で臨床研修先を検証する初の臨床研修情報サイト
における7人のドクターによる連載の一つであり、かなり限られた読者層に向けての内容となっているようです。「医学界」からの意見の一つではありますが、他の6人を含む数多いエッセイからこの一編を取り上げられた意図は那辺におありなのかご教示いただければ幸いです。
なお、No.173における太字強調についてはペストさんと同じく疑問を抱いています。

他の6人を含む数多いエッセイからこの一編を取り上げられた意図


以下の福田先生からのご指示によるものです。
私からの取り上げ案件ではございませんので、ご了承
ください。

No.172 福田 出@ 携帯 さん | 2008年8月22日 13:45 | 返信  (Top) >No.171 一市民 さん その前の '07-07月20日号 「医者はサービス業か」は読まれましたよね。

一市民さんへ
「この一編」とは

和田 秀樹 先生の『'07-05月20日号  医者はそんなに偉いのか」(http://www.e-resident.jp/essay/article.php?int_id=106)
です。コメントNo.171と明記しておりますので再度ご確認いただければと思います。

>No.177一市民さん
 私は、一市民さんが、引用のあたり他の個所も読まれて、特にW先生「'07-05月20日号  医者はそんなに偉いのか」を問題にされたのか、と疑問に思い。
 W先生『'07-07月20日号「医者はサービス業か」は読まれましたよね。』と問いかけました。(W先生は、多種多様なご意見をお持ちでしたので。)

 答えとしては、はい読んでおります。或いは、この部分が気になりましたのでそこだけです。
という回答で結構でしたが、わざわざ、強調されるから、皆さんから意見を頂いたと思います。

追記:私は、被医療者であり、法曹関係ではありません。一介のサラリーマンです。 

「和田 秀樹 先生の『'07-05月20日号  医者はそんなに偉いのか」

私自身が、もともと医者同士でつるむのが嫌いで、大学時代も医学部のサークルに一つも入らなかったし、医局なるものにも入ったことがないので…

くっだらねぇ子供じみた自慢ですねぇ。
「この書き込みの主は、学校時代秀才で、ママにも『お医者様ほど偉い仕事はないの』などと言われて増長したのだろうが…」ってあたりが泣けてきますわ。和田先生の出身大学ではどうだか存じませんが、こちとらぁ地方駅弁大学出身でね、東大理三のご大層なお歴々とは違って「医学部のサークル」なんてご大層なものはハナから存在しないんですわ。ましてや「ママに言われて」お受験するような育ちのいい医学部生なんざぁついぞお目に掛かったことがございません。親友4人の内、3人はもと暴走族(当時バイクで峠を攻める以外に娯楽のなかった地方なので)、そのうち二人は医者に親族を「殺されて」医療に恨み骨髄に徹する思いで自ら医師になることを志したしだいです。

日本に東大理三はひとつしかありませんが、地方駅弁大学は全国にあります。そして、日本に一番多い医者は駅弁大学出身者です。よって世間の一般的な医者は和田先生の仰るような「ママに言われて」族とは全く対照的な、跳ねっ返り少年のなれの果てなんですよ。

トーダイの感覚でこういう勝手なことを書かれると世の中の誤解を受けるのでやめて欲しいです。m3でも2ちゃんねるでも、言いたい放題書いてる連中はやりすぎだとは思いますが、それを即「ちやほやされた」結果だと結論付けるのは、それこそ「ちやほやされた」トーダイ生の偏見でしょう。実際には和田先生のほうがずーっと甘ったれてるんだと思いますよ。

こういう文章を読まれる皆様も騙されないようにして下さい。古いさびれた「連れ込みホテル」の裏口がある幅1メートルほどの裏路地に面したドアを開くと、そこが友人の勉強部屋でした。彼はその部屋で勉強して医学部に合格しました。両親は飲食業で、彼が受験勉強をすることよりもバーテンとして店を手伝うことの方を歓迎したそうです。それがトーダイ以外の医学生の姿です。

 医療不信というのは、医師の人間性に対する不信かも知れませんよ。
 私は、このブログが医療不信の解消に少しでも役に立てばと思っています。
 ハンドルネームの投稿者に対する読者の判断または評価の資料は、コメント欄に記載された文章しかありません。

トピズレになりすぎないように付け足しておきますが、医療不信がもとで医学部を受験した友人が2人います。どちらも親族が死んだのは不可抗力だったと思いますが、高校生の頃は「不可抗力」ということが受け入れられず、「医師の技量がもっとあれば助かっていたに違いない」と強く信じていました。

そのときの怒りを受験にぶつけて二人とも国立の医学部に合格しました。一人は医療の現実を見るにつれ、全知全能な医師にはなれないことを悟り、医師になる前にドロップアウトしました。もう一人は医師になってしばらく外科系でバリバリ働いていましたが、理想の高い男でしたので、やりすぎて、燃え尽きて、事務方のような院長職に落ち着いてしまいました。

医療不信の発露の仕方もいろいろだと思います。

医療不信というのは、医師の人間性に対する不信かも知れませんよ。 ハンドルネームの投稿者に対する読者の判断または評価の資料は、コメント欄に記載された文章しかありません。

人間性ですか。
2ちゃんねるで「マスゴミ」とか「クソ患者」とか書き込んでるのは確かに人間性を疑われるかも知れませんね。

でも、ぼくは自分の書き込みで人間性に不信をもたれても仕方がないと思います。ぼくは一貫して同じ内容を言葉を換えていっているだけです。

「医療現場は一般に思われているよりはるかに厳しい」
「現状は政治家にも官僚にも一般人にも誰にも充分に伝わっていない」
「医療崩壊は不可避である」
「医療に関して一般人が抱いている、そして今もなお流布され続けているイメージは現実からあまりにもかけ離れている」

かなり厳しい言葉遣いでフラストレーションを訴えていることもありますが、これを訴えることで医師としての人間性を疑われるのなら、既に医療に明日はないと思います。

もう一つ付け足しですが、和田先生が言うような「ママに言われてお受験」族がたくさんいるような誤解を受けていることも医療不信の一端にあると思いますよ。

一市民様

名指しでごめんなさい。No.142で質問をした者です。
大野病院事件の話題ですっかり時機を逸してしまった感がありますが、もしお嫌でなければ、お答えを頂けるとありがたいです。
もちろん強制できる類の事ではないので、お断りだ、あるいは単にスルー、という返答であれば、それはそれで仕方が無いと考えますが。

ここからは一般論ですが、人間性に不信を持たれているとしたら、能力やシステムに対する不信よりも、ある意味ずっと根が深いですよね。能力には各々限界があるし、システムが全く不十分なのは実にその通りです。さらに、たとえそれらの問題が可能な限り全てクリアされても、やっぱり不幸な症例はゼロにはならないだろうということを考えると、実のところ本当に信じてもらうに値するのは、誠意の部分しか無いようにも思います。(他の点は「信じる」「信じない」ではなく、冷静に分析すべき対象でしょう)
全医療関係者が誠意に満ち溢れている、というのはさすがに無理がありますが、大多数の者は心から患者さんに良くなってほしいと思っている…この点だけは信じて欲しい所です。どうしたら伝わるか、ですね。

 医療不信というのは具体的な事件や状態ではありませんので議論をするとどうしても抽象的、観念的なものとなってしまう面はやむを得ないですね。ですから、「私はこれで医療不信になりました」と言う具体例であるとか、 内分泌科医さんの様な医療不信になった人の戦い方とかを出して頂けると多少は具体的イメージがつかめてくると思われます。
 「医療不信」という用語も「刑事免責」と同じで使う人達によってその中身が違ってるのですね。


No.179 福田 出@ 携帯 様

追記:私は、被医療者であり、法曹関係ではありません。一介のサラリーマンです。

大変失礼しました。

No.174 ペスト 様 No.178 青髭(医)様

和田先生のコメントが紹介されていたのは以下のブログです。
このブログのコメント欄で和田先生の意見を知りました。

ブログ名 主に社会問題について法律的に考えてみる。

太字強調部分は、和田先生でもそういう考え方なんだ、
という驚きです。
他の方のご意見も聞ければ、幸いと思いました。
この件に関し、いろいろご意見ありがとうございました。

すみません、質問を見逃していました。

誤解があるようですが、私の医療不信は、前にも述べたとおりです。それ以上のものはありませんので。

私個人の体験では、医師の患者に対する不誠実な態度、具体的には聞いたことに顔も見ないでまともに 答えようとしない、とか小さなものです。

ただ、今後、医療不信に陥る国民が増えることを非常に
懸念しております。
現状医療者側の自浄作用が期待できない中では、医師の暴言は放っておけないと考えています。

早速のお返事ありがとうございます。ドキドキしつつ張り付いていた甲斐がありました(笑)
一市民様が、医師のことを色々とご心配いただいているのは、文面から読み取れます。お気持ち、ありがたく受け止めたいと思います。
しかし、せっかくですが、お聞きしたかったのはそこではありません。一市民様の心の動きが知りたいのです。…我ながら気持ち悪い表現ですいません…

例えばNo.188のコメントで、一市民様は「現状医療者側の自浄作用が期待できない」と書かれていますね。どのようなことがあって、こう思われましたか?
逆に、どういうことがあれば、この認識は覆りますか?

>No.187 一市民様
 
 お返事ありがとうございます。

 家の帰って、原文を読んだら、(中略)されている部分も重要であることを感じております。

 (中略)された部分にもW先生の意図することが、含まれています。某ブログをそのまんまコピーペーストするようでしたら、併記をお願いします。


 

>No.187 一市民様
 お返事ありがとうございます。

 帰りまして、原文を読み直しました。(中略)の部分に含まれている意図も重要であるように感じました。
 W先生は(中略)の部分を踏まえて、結語に至っていると思います。
 某ブログをそのままコピーペーストする場合は、リンク先の併記をお願いします。
 

モトケン先生すみません。

 5分以上待ちまして、再確認しましたが、重複投稿になってしまいました。
 No.190か191のどちらか削除してください。
 お手数掛けます。

元外科医さん、
  おっしゃるとおり、死因検討カンファレンス(症例検討会、反省会など、病院によって呼び方はまちまち)が、病院の質向上のために真摯に開かれてきましたし、これからも連綿と開かれ続けることでしょう。こういうカンファレンスは、まさに医師の良心です。ここで医師同士が議論する内容は、決して外部に洩らさないということが前提で、医師たちは歯に衣を着せぬ容赦のなさで、ありとあらゆる可能性をそれぞれの角度から検討し、「もっとうまくできなかったか」と主治医を責めまくるのです。新米の研修医なら翌日に自殺してしまうんじゃないか、というほどの追及がなされます(そうならないように、最後に主治医を慰めて、よくがんばった、というねぎらいの言葉で締めくくられるのですが)。こういう厳しいカンファレンスが医師を鍛えます。
ですから、この医師内部の自浄作用のためのカンファレンスは、決して刑事裁判の資料にしてもらっては困ります。
このへんは、患者さんには「かばいあいだ」「透明性に欠ける」と映り、非難ゴウゴウだと思います。
なぜ、このような内部の検討会は非公開で刑事裁判の資料に用いてはならないのか、ということを、うまく医療者以外の方に説明できない自分がもどかしいです。
どなたか、助けていただけませんか?「刑事免責」全般の議論にも結びつきそうな、重要なポイントだと思うのですが。

>内部の検討会は非公開で刑事裁判の資料に用いてはならない

非公開とは限りません。たとえば病院によっては公開CPCもありますので近隣の開業医の先生が参加する場合も有りです。その場合は患者の名前や詳細病歴はださないですが。
(刑事裁判の資料って(笑)論外であり、議論の余地がありません。そんなことしたら誰もCPCやりませんよ)

随分躊躇していたのですが、医療不信になった具体例があれば・・・とのNo.186 元外科医さんコメントに後押して頂き書かせて頂きます。


自分が歯科医で金冠を作ると言われ、高額だったため他の方法を希望した所、「先生がいいようにするんだから、黙っていなさい」と言われました。

 この段階で医師を変えても良かったのかもしれませんが、次の医師に前の医師の穴埋めを  させるような気がして、そのまま治療を進めました。結局五万円かかり、学生としては大きな出費になりました。


母が私を妊娠後、総合病院での定期検査で子宮筋腫とされ、子宮の摘出を勧められました。母は他の病院でも検査を受け、そこでなんでもないと言われ無事出産。他に二人の子供を産んでいます。
 現在78才ですが今迄一度も大病や入院をした事が有りません。


ある日突然祖父が吐きました。それも数日前に食べたものを・・・罹り付けのA内科医院(A医師)へ行き、後輩にあたる総合病院のB医師を紹介されました。その際一年以上前に撮ったレントゲン写真もA医師から貸し出され、B医師が見たところ、胃の幽門部に癌を見つけました。


B医師からの連絡でA医師が問題のレントゲンを共に再確認し、自分が癌を見落とした事を認め謝罪されました。が、祖父はその癌で他界しました。


私自身は医療不信と言う程には感じていません。
私自身医師に罹る事もあり、身近な親戚に医師が居るので、その大変さも他の方々より理解しているつもりです。


医師が神で無い事は充分理解しています。
人間なのだから間違えもあるでしょう。
それがたまたま自分や親族に当ってしまっただけのことなのでしょうか?
どの様に理解したら良いのか迷います。

>No.195 JOY(一般人)さん、はじめまして。こんばんわ。

ー分が歯科医で金冠を作ると言われ、高額だったため他の方法を希望した所、「先生がいいようにするんだから、黙っていなさい」と言われました。
 この段階で医師を変えても良かったのかもしれませんが、次の医師に前の医師の穴埋めをさせるような気がして、そのまま治療を進めました。結局五万円かかり、学生としては大きな出費になりまし。

,砲弔い董∧欷嘘或芭鼎箸いΔ海箸砲覆蠅泙垢諭
症状が、悪化していて、どうしてもということでしたら。仕送りしてもらわないとといい、まず、痛み止め、仮詰め物だけしていただいて。他の歯科医に相談して、保険適用でできる方法がないか、尋ねるとよかったですね。
 あと、親御さんの扶養になっていると思いますので、領収書を親御さんに送り、扶養家族全員分合計で10万円超える場合、世帯主又は親御さんが、翌年2月中旬から3月中旬ごろまでに、確定申告すると税金が還付されます。(還付申告は遅れてもできますが、領収書の所在?)

以降については、私が説明できませんので申し訳ありません。

 翌日の夕方頃には、何方かが説明して頂けると思います。すみません。


 

ペストさん、コメントありがとうございます。

一晩経つと医療不信に対するイメージも変わっていました。脳が整理をつけたのでしょう。

> 36時間連続勤務

私は現場環境の改善には無条件で取り組むべきと思います。そもそも労働条件の改善は、他の事柄と同列で話し合われるべきではないと思います。現場の改善無しに他の事が改善できるとは思えません。医療コストが上がるのか、サービスレベルが下がるのか、いずれにしても私はそれを受け入れます。

>「大野病院事件」

ご説明いただいているにもかかわらず、私には適切だったのか不適切だったのか判りません。申し訳ありません。しかし、専門外には分からないと思います。「大野病院事件」に対して善悪の感情があるとすれば、それは情報(たとえばマスコミ)の見聞によるものと思います。

警察も裁判所も医療にはなじまないと思います。詳しくは知りませんが、公正な第三者機関が設立されることを望みます。

No.195 JOYさん:

医師は人ですので、間違えます。

医療システムは、人間が作ったものですので、必ずほころびがあります。

人の体や病気は各々が異なるので、同じ治療を行っても治療効果には個人差があります。正反対の結果がでることさえありえます。


これらを身を以って知っている医師は、一般人以上に医療を信頼していないと言えるかもしれません。

それゆえ、医師自身や、その家族が医療を受ける時に、どのような行動をとるかが、参考になるかもしれません。

自例を書き出してみます。

○妻の出産は、NICU(新生児集中治療室)を備え、産婦人科医7人体制の病院にお願いしました(実際に出産した妻の評判はすこぶる悪かったです)。

○父の手術は、技術的には平凡な医師に執刀をお願いしました。その病院に父の別の持病に関する専門家がおり、その合併症が重篤となることが予測されたためです。手術は無事終了し、合併症も起こさずに済みました。

○私自身もそろそろ手術を考えても良い病気を持っています。以前の指導医に執刀をお願いするつもりです。それでも、私の指導医が、私の手術を失敗して、私は死ぬかもしれません。

「医療に全幅の信頼などできない」と割り切った上で、できる限り正確な情報を持ち、リスクを低くしようと考えています。
医師としても同様の思考回路で、患者さんに接しているように思います。
(家人には「患者の目線になってない」と言われますが・・・。)

なぜ、このような内部の検討会は非公開で刑事裁判の資料に用いてはならないのか、ということを、うまく医療者以外の方に説明できない自分がもどかしいです。 どなたか、助けていただけませんか?「刑事免責」全般の議論にも結びつきそうな、重要なポイントだと思うのですが。

かつてNew Yorkerというアメリカの雑誌にAtul Gawandeという外科医が書いた記事で読んだことがありますが、アメリカではほとんどの州で医療カンファレンスの内容は裁判資料にされないよう法律で保護されているそうです。(よく日本の医療裁判がアメリカと比較されますが、こういう制度が日本にないことが指摘されることはありません)保護の理由は、アメリカではこういう検討会は複数の病院で合同で行われ広く医師の教育を目的として行われます。刑事でも民事でも裁判の材料とされるようでは誰も症例を提出しなくなりますし、むしろ「かばい合い」を生む可能性があり、厳しい追及が出来なくなります。

調べましたらGawande氏のエッセーは本にまとめられAmazon.comから買うことが出来ます。
http://www.amazon.com/Complications-Surgeons-Notes-Imperfect-Science/dp/0312421702/ref=pd_bbs_sr_2?ie=UTF8&s=books&qid=1219439687&sr=8-2

患者さんが、その病院の職員で、院内の掲示板でCPCにかかっていることを業務上知り得て、開示請求した事件もありました。
私はそれを厳密には職業的なルール違反だとか考えました。
もちろん、その患者さんには病院側から納得いくまで説明を要求する権利はあっても、業務上知りえたそうしたカンファの内容まで開示を請求する権利はないと思っています。

横レスです。

No.197 savoy さん

ご説明いただいているにもかかわらず、私には適切だったのか不適切だったのか判りません。申し訳ありません。

適切か不適切かは別にして、感情的に医療不信はこの事件で強くなったか、薄くなったかが知りたいです。

No.198 FR(医)さん

○妻の出産は、NICU(新生児集中治療室)を備え、産婦人科医7人体制の病院にお願いしました(実際に出産した妻の評判はすこぶる悪かったです)。

高度な機能を備えている病院は概して患者に評判悪いです。生かしておくだけで精一杯の重症患者を多数抱えているので細かい感情面の問題まで配慮が行き届かないからのようです。
病院を選ぶときの重要な要素だと思います。

(家人には「患者の目線になってない」と言われますが・・・。)
難しい問題ですね。 患者の身体に刃物を入れる医師が完全に患者の目線になるのは不可能です。極端な場合、若者の脚を骨肉腫のために切断する、などという例もあるわけですから。本人が「イヤだ。死んだ方がいい」と言った場合、祖父の時代なら医師が「バカなことをいうな」と一喝できたでしょうが、現代の医師は患者の自己決定権を尊重しなければなりません。説得は家族に委ねられます。しかし、家族も余裕を失っているのが現状で、日頃から親子の触れ合いが希薄な家庭でそんなときだけ説得がうまくいくはずがありません。

リスク以前の問題ですね。
医療にはリスク以前にトレード・オフがあるという考えを普及させなければなりません。「骨肉腫で生きるためには脚を切り落とさなければならない」など。それがあった後に合併症などのリスクがあるのです。他にも、「高度機能病院に行けば軽症の心理的ケアが悪くなる」とか「医療費を削減すれば医療の安全性が低下する」「患者が自己決定権を持てば家族・患者が自己解決しなければならない問題は増える」というのはすべてトレード・オフです。

大野病院事件に関してはリスクとトレード・オフの両方がありました。「子宮全摘すれば止血はしやすいが子宮機能は奪われる。胎盤剥離すれば子宮機能は維持されるが止血は難しい」その上に、いずれを行っても多少の差はあるものの失血死のリスクがあったわけです。

久しぶりに書き込ませていただきます。

医療不信はありません。

不信になった可能性のある事実は以下です。

もう十数年前になりますが癌で父親を亡くしました。
原発病巣が見逃されており、転移部位は手術が出来ず、発見後半年の闘病で亡くなりました。
弱っていくのを見守るしかなく苦しかったです。
しかし、お医者様が精一杯手を尽くして下さっていることは伝わってきました。
そのため、母親を気遣いながら看病が出来たように思います。

何故不信を感じないのかなあと思っていましたが、
>No.185 はしくれ さん の投稿に気付かされました。
以前から他のスレッドでも度々拝見している言葉なのですが、
「大多数の者は心から患者さんに良くなってほしいと思っている…」
これが私には信じられるから、又そのようなお医者様に出会えているから不信を感じません。

もう一つ感じていること。
「医療不満」、「医療不快」はよくあります。(笑
1.待ち時間が長い
2.検査の日時指定は融通が利かない
3.若いお医者様に頭ごなしに叱られる

1.は受診を待っている被医療者の列を見れば納得です。
2.は医療に限った話ではなくわがままに過ぎません。
3.は自分の健康管理に対する後ろめたさの裏返しでしかありません。
でも、振り返ってみますと「医療不満」「医療不快」は軽微ではあるものの瞬間的には感じているようです。
いずれも、瞬間的な感覚であり、医療に限った話でも無いのですが・・・

マスコミの書き立てる「医療不信」は自分達が手も足も出せない医療へのコンプレックスから、上の「医療不満」「医療不快」を針小棒大に書き散らかしているのではないかなあ、と思っています。
どの世界でも一定の確率で起こる不祥事についていつまでも蒸し返していますし・・・


事例のご提供ありがとうございます。医療従事者としての感想を。

∧譴私を妊娠後、総合病院での定期検査で子宮筋腫とされ、子宮の摘出を勧められました。母は他の病院でも検査を受け、そこでなんでもないと言われ無事出産。他に二人の子供を産んでいます。
 現在78才ですが今迄一度も大病や入院をした事が有りません。


ある日突然祖父が吐きました。それも数日前に食べたものを・・・罹り付けのA内科医院(A医師)へ行き、後輩にあたる総合病院のB医師を紹介されました。その際一年以上前に撮ったレントゲン写真もA医師から貸し出され、B医師が見たところ、胃の幽門部に癌を見つけました。いずれも画像診断の問題だと思います。子宮筋腫は超音波断層写真で診断したのだとおもいますが診断する人間によりかなりのというか天と地ほどのレベル差があります。こういった場合はやはりセカンドオピニオンを求めるべきなのでしょう。
 胃ガンのレントゲン透視では前医が誤診を認めたとのこと。自分でも認めざるを得ない所見があっても見落とすのが人間による現在の診断のレベルなのです。見落としを減らして(「無くして」ではありません)いくように、すべての医師は努力をしています。ただ診断技術も日々新しくなっており、MRIなどの新しい造影診断法に至ってはそういう診断法があると言うのを認識できる程度であり、その道の専門家以外は太刀打ちできません。以前にも書いたような気がしますけど、今の医療、未来の医療もすべてが開発途上なのです。言い訳がましいですが、それ程医療という物は不完全だということです。

 「医療不満」「医療不快」の事例ありがとうございます。自分より十分年上の患者さんを頭ごなしに叱る若い医師は少し礼儀を学んで貰いたいですね。
 大体において、医療そのものは快適なはずはありません。血管に針を刺されたり、体の穴から物をつっこまれたりするのですから。
 待ち時間などサービスに対する不満は医療に掛けるコスト人物金が絶対的に不足だと言うことがあります。現場の努力は既に限界を超えており、これが、国民の多数が選択した政府の政策で有る以上はやむをえないのではないでしょうか。

引用の範囲間違いました。読みにくくして済みません。

内分泌科医 さん、

当初はほとんど注目していませんでした。
報道で知った時も事故かと思っただけです。
私の場合は、少なくとも医療事故の事実を知ったのみで医療不信になることはないようです。

その後医療系のBlogで擁護している書き込みを見ました。この初期段階では不信感を感じました。かばっていると感じたのです。(事実かばったのですが)

ネットで運動化して有利にはたらかせようとしていると感じました。ほとんどが擁護するのだから、事件にする方が間違っているのでは? という連想は湧きませんでした。

ここまで大きな運動になって初めて、事件にする方が間違っているのでは、という疑念が湧きました。

今は不信感はありません。

ひとつ懸念していることがあります。
将来避けえない事故にもかかわらず起訴されるようなことが繰り返された時、ネットでも今回同様の運動がおこるでしょう。しかしそれを見た私はきっと、「どんな場合でも守るんだなぁ」と不信感を感じると思います。これは避けえない事故で起訴されるケースはまれなはずである、という思い込みがあるからです。

No195 JOY様
,了科の金冠は、まだ、はずれずについたままでしょうか?身内に歯医者がいたので、30年前に金で金冠を作ってもらいました。金属の性質上、高くても金でつくるとほとんどはずれません。まだ、はずれていないのなら、その歯医者さんは、金儲けというより、本当によかれとおもって治療されたと思います。

引用範囲に空改行が入るとうまくいかないんですよね

例1(「あ〜こ」を範囲指定で[“] 2行目は空改行)

あいうえお

かきくけこ

例2(「あ〜こ」を範囲指定で[“] 2行目にスペース1個)

あいうえお

かきくけこ

まぁ「投稿」ボタン前に「確認」押すのがいいですけど

引用範囲に空改行が入るとうまくいかないんですよね

引用元(2行目は空改行)
あいうえお

かきくけこ

例1(「あ〜こ」を範囲指定で[“] 2行目は空改行)

あいうえお

かきくけこ

例2(「あ〜こ」を範囲指定で[“] 2行目にスペース1個追加)

あいうえお

かきくけこ

まぁ「投稿」ボタン前に「確認」押すのがいいですけど

お返事ありがとうございます。
少し言葉足らずだったようですので補います。

「医療不満」「医療不快」は瞬間的に感じることです。条件反射みたいなもので後には残りません。
今回のお題が被医療者に対する問いかけですので、自省したところ思い出した次第です。

お医者様にかかる時、私達被医療者は体の不調を抱えているので機嫌は悪いわけです。定期検診時などは別ですが、基本的に機嫌は悪い。しかも病院という場所には日頃馴染みがないので落ち着かない。そのため、少し不快が増しても「医療不満」「医療不快」の反射作用は起きるのだと思います。

「医療不満」「医療不快」は書きましたとおり、簡単に消えてしまって、「医療不信」には繋がりません。
若いお医者様に叱られて「不快」を感じる時も、叱られても当然との自覚と反省が先にあってきまりが悪いのを転嫁しているだけです。まあ、話し方などを工夫頂くことは結構なことですが本質的な問題ではないと思います。

従って、お題である「医療不信の実態とは?」についてはマスコミ(と一部のモンスター?)が作り出した張りぼてではなかろうかと思っているわけです。

見落としを減らして(「無くして」ではありません)いくように、すべての医師は努力をしています。ただ診断技術も日々新しくなっており、MRIなどの新しい造影診断法に至ってはそういう診断法があると言うのを認識できる程度であり、その道の専門家以外は太刀打ちできません。

超音波診断装置が導入されてしばらくして、どうしても超音波診断について行けなくて退職した外科医を知っています。まだ60前だったし、手術の腕が卓越していた人なのでとても惜しいことだと思いました。

医師免許を更新制にしろとか、医師に定年制を設けろとか、いろんな意見がありますが、それはそれで犠牲を伴うものなのです。

YYさん返信ありがとうございます。

ひとつ懸念していることがあります。 将来避けえない事故にもかかわらず起訴されるようなことが繰り返された時、ネットでも今回同様の運動がおこるでしょう。しかしそれを見た私はきっと、「どんな場合でも守るんだなぁ」と不信感を感じると思います。これは避けえない事故で起訴されるケースはまれなはずである、という思い込みがあるからです。

避け得ない事故で起訴されるケースは(民事ですが)今までも多数ありましたし、残念ながら今後も増えるでしょう。刑事告訴が今後増えるかどうかは分かりませんが、これが最後にはならないでしょう。

更に大事な書き落としがありました。粗忽者で申し訳ありません。
「医療不満」「医療不快」は内心の動きを振り返って思い出したものです。外に現すものではないですし、何ら現れてはいない(だろう)と思います。苦情を言ったことはありません。

「医療不信」「医療不満」いろいろとあることでしょう

私が研修医時代から叩きこまれたのは、ボクシングでいうクリンチ・ワーク(抱きついて離れない防御法)。

時間があれば、入院患者さんの枕元に行き、患者さん・で家族と話し、手でもどこでも触り(未婚女性を除く)、目線を低くし、足で訪問回数を増やすということ。

知識・技能の不足は、背後にもっと忙しい上級医が控えていることと、自分達の努力でなんとかするという誠意を、分かるように示し続けるというものです

朝7時から午前2時まで、最初の2年間はよく働きました。
週1回の全く寝れない当直も頑張りました。

今は、以前の10分の1も働いていませんが、御機嫌取りは上手くなっています(ちょっと自慢)

多くの患者さんは専門的な領域での評価ができないということであれば、患者さんレベルで理解できるレベルさえ満足させてあげれば、ほとんどのトラブルが避けられるという理屈も通ります。

Narrative based medicine(NBM)というのが一つの方向性として提唱されています。
EBMのない無能力の弁解にはなりませんが、一つのヒントになるとは思います。

NBMだけでインチキ免疫治療、インチキ健康食遺品、霊感商法が繁盛している状況をみると、インチキの批判と共に、その悪を隠す悪魔のテクニックから学ぶものも多そうです

お返事ありがとうございます。

NO.195のコメントにある歯科医の件は、金額の問題ではなく、医師の言葉に不快感を感じたのです。

「先生がいい様にするのだから黙っていなさい」

患者が費用の面で他の治療方法を希望したにもかかわらず、自分がいいようにするからと、結果的に高額の治療になりました。
もう少し違う説明の方法があったと思います。
これでは患者を見下しているように聞こえないでしょうか?

専門知識を持つプロなのですから、患者と同等とは思いません。
へりくだった言い方を希望するのでもありません。
せめて「この方法が現在は一番いいからこれにしましょう」程度のお話であれば何も引っかからなかったはずと思います。

それともこんな事を要求する方がおかしいでしょうか?

多くの患者さんは専門的な領域での評価ができないということであれば、患者さんレベルで理解できるレベルさえ満足させてあげれば、ほとんどのトラブルが避けられるという理屈も通ります。

その通りだと思います。
医学的には意味を成さなくても、患者側からすると
満足に繋がると思います。

大野事件で言えば、出産後、母体死亡まで4時間くらい?
あったようですが、報道によれば、この間医師から説明が
何らなかったとなっています。
もし、これが本当なら、その間の家族の心配や不安は相当の
ものだったと思われます。
やっと、医師が出てきたと思ったら、死にました、では、
心の準備も何もあったものではないでしょう。
どう説明しても、不信感爆発になると思います。
もし、応援の医師が来て、家族に対し、今、主治医は
出血の対応で手が離せませんが、何とか、母体を助けるべく、
全力で対応しています。詳細は後ほど、主治医からお知らせしますが、
私も今から応援に入りますので、不安でしょうが、今しばらく
お待ちください、とかって言っていれば、少しは
違っていたと思います。
もちろん応援医師が100人来ても、結果は変わっていなかったでしょうが、全員で助けようとしている必死な雰囲気は
伝わります。
要は助けることへの必死さが見えたかどうかも大事だと
思います。
北京オリンピックの野球とソフトの違いと同じです。
野球の連中には必死さや真剣さがどうも伝わらなかった感じが
します。そうすると負けたことに非難が出たりするわけです。

のぼせあがってはいけません。一市民さん。

一般論をそのまま個別の事例に当てはめることはできません。

医師は患者の感情を無視してでも、限られた時間の中で命を守るためにしないといけないことも数多くあるのです。

奈良大淀の事例は、まさにそれで、産科医は搬送先を見つけるので手一杯であり、その間は内科医が付き添って説明をしていたことが判明しています。
頑張っても伝わらない誠意もあることが現実です。

一市民さんの悪い点の一つは、未熟な知識と不足した情報で、茶化すように深刻な問題を扱うところです
貴方には、社会経験、艱難辛苦を耐えた経験が足りないのではとさえ思う。

慎み失っていないか、自問自答してから投稿することをお勧めする。

お返事ありがとうございます。

あくまでも個人的な考えですが・・・
完全なものなどこの世に存在しない筈なのですが、患者は医療にそれを求めているのかもしれません。
自分でも気付かないうちに・・・

>一市民 さん へ

 Med_Lawさんのコメントの末尾の4行については私も同意見です。
 このブログでは、ものの言い方にも配慮をお願いします。

私の身近な人間に、今回の判決の感想を聞いたら、下記と
同じ点に疑問を持っていました。

この辺の説明を医師会なりが、非医療者にすることが、より理解を深めてもらえる点かもしれません。

福島県立大野病院事件(後)〜事件をどう見るか
8月21日16時7分配信 ツカサネット新聞

たとえば、はじめから子宮を取ってしまうべきという意見は、判決公判を迎える前からあった。鈴木裁判長が「胎盤をはがさずに子宮摘出」の点に言及したのは、そうした意見が無意味なものでも非現実的なものでもないことを示している。 だが、残念ながら、医師側、たとえば声明を出している産婦人科医会に対して、筆者はこの疑問を向けたものの、答えてもらえなかった。自分たちの主張「だけ」しかしないという体質や方法論が問われているのがわからないのだろうか。事故報告書にも、家族に対する配慮が欠けていたことが書かれているではないか。

>JOY(一般人) さん

私は特に信仰している宗教などない不心得者で、まして哲学などというものも門外漢な人間ですが、とあるメールマガジンで「真理はあるのか」というものを読んだことがあります。

内容としては、この世に真理はあるのかと問うたら、「ある」と答える人もいるだろう。「ない」と答える人もいるだろう。「ある」と答えた人に何が真理かを問うたとして、その答えに対して必ず反論はでるであろう。そうなると絶対の真理はないということになるが、ただ一つ誰でも反論できないことがある。それは「人(生あるもの)は必ず死ぬ」ということ。だから、真理というものはあるんだという話しでした。

門外漢の私がいうのも何ですが、やはり死生観というものについて、日本人はもっと考える必要があるのだと思います。
この死というものに日常的に接している医療者と、普通に生きていることが当たり前だと思っている(悪いという意味ではありませんよ)非医療者との認識の違いの大きさ、これから派生する医療への期待感の大きさ、医療の不確実性の認識の大きさを埋める努力が双方に必要なのだと思います。

で、シロトの思い付きをここで記事引用・紹介して何の意味があるんですか?専門の見識に基づいた、専門家の判断の妥当性が問われた事案で。
「一市民さんの悪い点の一つは、未熟な知識と不足した情報で」と指摘された直後に同じことを繰り返すのは、まったく感心できません。

お返事をありがとうございます。

自分の身体の事でありながら思うようにならず、頼りにする医師に過大な期待をかけてしまう。そういう患者が多いのでしょう。医師の側は、患者を目の前にして「医療はまだ発展途上です」とは言いにくいことでしょう。

両者がもっと打ち解けて話し合えれば、不信感も少しは薄らいでいくのではないでしょうか。

医療不信を減らす提言がいろいろ書かれていると思いますが。

>NO.195のコメントにある歯科医の件は、金額の問題ではなく、医師の言葉に不快感を感じたのです。
「先生がいい様にするのだから黙っていなさい」
(省略)
それともこんな事を要求する方がおかしいでしょうか?

 一般企業に勤める身としては、そういう不快感を持つのも要求するのも分かります。
 お客さんが示した希望についてずれるのであれば、説明した上でこれでいいでしょうか?という確認をするのは当然ですし。
 
 医師の選択については、他の方々のコメントからは善意というか患者に対してよかれ、という選択なんでしょう。
「情報を伝えた上での合意」=インフォームド・コンセントといってもいいのですけども、「高くはつくけども、外れにくいなどの他のメリットも考えると、これではどうでしょうか?」という一言あって欲しいとは思います。

 個人的な感想ですが、専門家としては、自分は分かってはいるし、知らない方々に説明といっても、という部分もあるとは思うのですが、ここの「説明」の部分が気になります。

 直接的に人の命にかかわるというわけではない、商品ですら、「プレゼンテーション」や「お客への説明」には、そのスキルを磨いた人間が、そのスキルを用いてそれなりに時間をかけて説明してもどこまで理解頂けているか、というところがあります。
 手術のリスク・トレードオフとなる事象などを、きっちり説明(インフォームド・コンセント)を行うとしたら、私のような医療の素人、患者に対して、写真などの資料を用いても、説明だけでどれくらい時間がかかるというか、どれくらい時間をかけないと伝わらないものかは分からないのですが。
 
 患者である私の方も、適切な言葉でお医者さまに質問をできるわけではないので、余計に難しいのですが。
 「伝える努力は行っているが、結果的に十分伝わっていない」
 「疑問や心配点がないわけではないが、適切に尋ねられていない」
 「両者を補うだけの説明時間・機会がもてていない、あるいは捕捉資料がない」
 というところが、すれ違いなのかな、と感じています。
 

はじめから子宮を取れば助かっていたはずと言う意見に対する反証ですね。これほどの重病だと言っても諦めきれない人達がいるのはやむをえませんが。

素人の思いつきの「提言」を専門家が聞き入れてくれなかったという恨み言めいたグチを紹介しても意味がないでしょ。

情報ありがとうございます。
この内容は、産科医療のこれからでも記事を
読んでいたのですが、この内容は誤解を晴らす
いい事例だと思います。
だからこそ、なぜこういう事例をもっと医療者側がアピールしなかったのか?以下にもこうあります。

5 再発防止への提言 またこのような症例が現実にあることを医療界だけでなく、一般の方々にも開示し理解して頂くことを希望する。

そこが非常に残念ですし、不思議です。

お返事をありがとうございます。

金冠は現在も付いていますし、なんら不都合もありません。あの時点で最良の治療をして頂きました。感謝しております。

ただ医師の言葉に少し引っかかったのです。
もう少し他の話し方が無かったのか?と・・・
きっと、自分の腕に自信があっての発言になったのでしょうが、もう少しの配慮が欲しいところでした。

期待にしても信不信にしても全くの個人の内面問題であって、自分自身で自分の心をどう制御するかは完全に自己責任ではないでしょうか。たとえば「自信」(笑)。

言っても聞く耳を持たない人々がいるのは事実かと思いますがね。

>多くの患者さんは専門的な領域での評価ができないということであれば、患者さんレベルで理解できるレベルさえ満足させてあげれば、ほとんどのトラブルが避けられるという理屈も通ります。
>Narrative based medicine(NBM)というのが一つの方向性として提唱されています。
EBMのない無能力の弁解にはなりませんが、一つのヒントになるとは思います。
>NBMだけでインチキ免疫治療、インチキ健康食遺品、霊感商法が繁盛している状況をみると、インチキの批判と共に、その悪を隠す悪魔のテクニックから学ぶものも多そうです。

 トラブルを避けるテクニックでもないでしょうけども、「NBMだけでは」、あやしげな代替医療と結びついてしまいますね。
 

・ネットで検索させればでてきますが、NBM EBMの説明の一例
http://www.emec.co.jp/hareruya/vol4/ebm_nbm.htm

以下のどこが愚痴か教えてください。
医療不信解決、医療崩壊解決のための、立派な提言も含まれていると思いますが。

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福島県立大野病院事件(後)〜事件をどう見るか
8月21日16時7分配信 ツカサネット新聞


福島地裁(鈴木信行裁判長)は20日、業務上過失致死と医師法違反罪に問われた医師、加藤克彦被告に無罪(求刑禁固1年、罰金10万円)を言い渡した。

判決では、加藤医師が女性の癒着胎盤をはがした判断と行為について「胎盤をはがさずに子宮摘出に移れば、大量出血は回避できた」としながらも、「胎盤をはがしはじめたら、継続するのが標準的医療。はがすのを中止しなかった場合でも具体的な危険性は証明されていない」と述べ、過失にあたらないとした。異状死の場合、死亡後24時間以内に警察へ届けなければならない医師法違反にも問えないとした。

さて、医師、というより医学側は、この件で「結果」を医師個人に対して刑事事件で裁くことを批判しているが、Web掲示板では必ずしも全ての書き込みがそれに賛成というわけではなく、刑事事件として適当かどうかを含めて、疑問や異論なども出ていた。

誤解や悪意もないわけではないが、だからといって頭から「天の邪鬼」「医学に無知」と決めつけず、それらも含めて是々非々できちんと判断することは患者になりうる国民の理解や合意を得、明日の医学・医療につながるものだと思う。

たとえば、はじめから子宮を取ってしまうべきという意見は、判決公判を迎える前からあった。鈴木裁判長が「胎盤をはがさずに子宮摘出」の点に言及したのは、そうした意見が無意味なものでも非現実的なものでもないことを示している。

だが、残念ながら、医師側、たとえば声明を出している産婦人科医会に対して、筆者はこの疑問を向けたものの、答えてもらえなかった。自分たちの主張「だけ」しかしないという体質や方法論が問われているのがわからないのだろうか。事故報告書にも、家族に対する配慮が欠けていたことが書かれているではないか。

Web掲示板の議論も、医師を擁護する側の主張においてその点はやはり曖昧であり、筆者はこの点で今も大いに疑問と不満が残る。一方的に自分の主張をするだけでは、患者側になりうる大衆を広範に得心させにくくするものではないかと思うし、また同じことが起こるかもしれないと心配するのは当然だろう。

事故報告書によると、大野病院の場合は、亡くなった女性が「子宮温存」や「大野病院での手術」を希望したため、医師側は女性の希望に添う方向で処置。それが対応の遅れにつながったとされる。患者の意向を尊重するのは心優しく立派な見識ではあるが、それが最悪の結果になったわけだ。

大野病院は、たとえば東京の大学病院のような規模で「手術応援」ができるところではないことは明らかだった。ならば、それをわきまえて、母体の生命優先という立場から、できることとできないことをあらかじめはっきりさせることはできなかったのか。刑事罰に値するかどうかは別として、やはり担当医というより病院が今回考えるべきことは多々ある。

ただ、それだけ強い態度に出られなかったのは、つまるところ、その背景には医療費の問題や、産科医や産婦人科不足、さらにいえば自民党政権がこの四半世紀の間行ってきた医師不足の状態を作りだした政治がある。

最近は分娩難民などという言葉さえ生まれているが、ここ1〜2年で急に生じた現象ではない。妊婦はここの病院が嫌ならあっちで生みましょう、と病院を好き勝手に渡り歩くことができない現状がある。もとより、出産は自由診療であり、病院を選ぶ際にはお金の問題が先立つ。福島の現状を正確に把握しているわけではないが、東京の場合、どこの大学病院であろうが助成される公費だけでは健診は受けられない。健診を受けなければ病院は分娩は引き受けない。医療を語るにも政治やカネを切り離すことはできないのだ。

女性側が悪いのか、担当医が悪いのか、の議論ばかりに熱中していないで、なぜ、担当医が患者の「厳しい」願いに応じなければならなかったのか、なぜ、女性は大野病院でなければならなかったのか、という背景を議論する方向に進まなければ、女性もうかばれないし、担当医の苦悩も今後につながらないだろう。

いずれにしても、これを教訓として、処置のガイドラインを病院の施設やスタッフといった実情から詳細に見直し決めて行く必要があると思う。

素人の分際で一言言わせてもらえれば、子宮を相手にする手術で、輸血が遅れるなどという「報告」はやはり個人的には戦慄が走る。ひとたび出血すれば、あっというまに文字通りじゃぶじゃぶ血の海になることは医師ならわかるだろうに。万が一のために十分すぎるほど十分な用意をするのは当然ではないのか。

前置胎盤は癒着胎盤の可能性がある。「頻度は高くない」(報告書より)などと侮らず、今後はこのリスクをもっともっともっと慎重にとらえてはもらえないものだろうか。全国の前置胎盤の妊婦が今回の事故報告書を見たら、おそらくは全ての人が不安に陥ることだろう。医師は、数字や自分の技術を過信せず、患者の顔や心もきちんと見て欲しい。

『AERA』(8月25日号)では、起訴は検察の功名心と手厳しく断罪しつつも、医療界全体の透明性と自律性の低さが、捜査機関の介入につながっているとする都内私立大医学部の麻酔科教授のコメントも紹介している。

「医師が問題を起こしたとき、たとえば免許停止などの処分をし、自律性を見せられれば国民から信頼される職能団体になる。その機能がないため、刑法が透明性を高める役割を果たしてしまっている。医療界として自律的懲戒機能が必要だ」

これも関連学会の課題である。いずれにしても、「不当逮捕」と自分の側からの主張を叫ぶだけでは解決にはならないということだ。

もうひとつ、逮捕・有罪が産科医の意欲を失わせる、なり手が減少する、ハイリスク妊娠は敬遠される、といった主張に反発する意見も多い。

医師側の、女性の願いに答えようという善意の結果が刑事罰になっちゃ、たまんないという気持ちはわからないではない。しかし、そこをあまり強調することで、ともすれば、医療行為は逮捕や起訴とは無縁の「治外法権」にしないと仕事をしないとゴネているようにも聞こえてしまうのだろう。その点は、たぶんに誤解もあるとは思うが、現実にそう反発する意見がある以上、医師側は考える必要もあると思う。

損な役回りの仕事というのはよくわかるが、医療ほどはっきりは出なくても、理不尽とも言える客の要求に対する善意の判断が、裏目に出て客を傷つけ、ときには命にも関わりかねない「きわどい」仕事は医師だけではない。製造業も、交通機関も、マスコミも、みなそうしたリスクを抱えながら、キザに言えば社会正義や使命感をもって仕事をしている。むしろ、医師はこれまで、医事紛争では専門家しか判らないとされる韜晦的な分野であるために、裁判ではさんざん有利な戦いをしてきたのではないのか。今回が「医療全体の萎縮を招く」という可能性があったとしても、だから、逮捕・起訴が絶対にあってはならないと頭から否定することには賛成できない。医療ミスの中には、逮捕すべきことだってありうる。

加藤医師の支援活動をしてきた上昌広・東大医科学研究所特任准教授は判決後、「今回のような医療事故を法廷で真相究明することの限界が明らかになった。当時の医療体制の根本的な議論がないまま、医師の過失の有無だけの争いとなっていた。これを機に医療事故における業務上過失致死罪の適用について国民的な議論が必要。司法関係者も、医療事故に刑法を適用することの是非をもっと議論すべきだ」とコメントしている。

もっともなことだが、もし、それを問題とするなら、医学・医療固有の問題とするのではなく、先に述べたような「きわどい」仕事全体をも視野に入れた問題として取り組む方向性を示して欲しいというのが筆者の思いだ。

要するに、医師側には、この事件を、「オラが村社会を守りさえすればいい」という小さな利己的視点ではなく、もっと社会全体に得心してもらう運動にすべきである。各分野の紛争における訴訟、とりわけ刑事罰に対する国民の合意形成を明確にして行くという立場で議論を求めて欲しい。

たとえば、(前)で書いたように、この事件の前年には出版社社長の「名誉毀損」逮捕があったが、劇場型逮捕という点で共通点があった。

世の中は、ある分野だけが特化するということではなく、大なり小なり全てのジャンルに特定の傾向を見て取れるものだ。様々な分野の人々が尊重しあい手を携えれば、自分たち「だけ」の世界からは見えなかったものが見えてくることがある。医学固有の問題とともに、医学だけではない問題をも見据えなければ問題の全体像は明らかにならない。

おそらく、医師側の良心的な人々は、それらのことはわかっているが、今回は裁判そのものを問題にしているので問題全体を十分に語れないのだろうと筆者は解釈している。今後、その解釈が裏切られないことを願うものである。


関連記事:
◆ 判決近い福島県立大野病院事件(前)事件の経緯


"提言提言でもううんざりだ。さーじなーげよー"

>>No.234 一市民 さん

長っ!

 ほぼすべて既出の議論だと思うのですが、どこに書いてあるか探すのが大変というのが残念。

「だが、残念ながら、医師側、たとえば声明を出している産婦人科医会に対して、筆者はこの疑問を向けたものの、答えてもらえなかった。自分たちの主張「だけ」しかしないという体質や方法論が問われているのがわからないのだろうか。」ってのが愚痴で恨み言ですよ。

つーかさー、ツカサネット新聞とやらの筆者氏には、そもそも専門分野にアプローチできるだけの基礎知識が備わってるの?
備わってないからこんな記事書いてるんでしょうに。

でもって、そんな水準の、どこの馬の骨とも知れない筆者の書いたネット新聞記事なんかをありがたがって引用するのってどーなのよって話でもあるわけですよ。

横レスですが...

>たとえば、はじめから子宮を取ってしまうべきという意見は、判決公判を迎える前からあった。鈴木裁判長が「胎盤をはがさずに子宮摘出」の点に言及したのは、そうした意見が無意味なものでも非現実的なものでもないことを示している。

患者さんに「子宮温存の希望」があったことも後から書きながら敢えてこんな話をしても意味がありません.後だしジャンケンで文句を付けることはいくらでも可能ですが,実際の状況からして「いきなり子宮摘出に行く選択枝はなかった」というのが妥当ですから.

>大野病院は、たとえば東京の大学病院のような規模で「手術応援」ができるところではないことは明らかだった。ならば、それをわきまえて、母体の生命優先という立場から、できることとできないことをあらかじめはっきりさせることはできなかったのか。

実際のところ転院を奨めても拒否したのは患者さん側ですし,外科医を助手として手術に望んでいることを考えれば通常であれば十分に気を付けていたのですが,これも後からみればいくらでも言えることです.

>素人の分際で一言言わせてもらえれば、子宮を相手にする手術で、輸血が遅れるなどという「報告」はやはり個人的には戦慄が走る。ひとたび出血すれば、あっというまに文字通りじゃぶじゃぶ血の海になることは医師ならわかるだろうに。万が一のために十分すぎるほど十分な用意をするのは当然ではないのか。

通常それぞれの手術でどのくらい輸血用の血液を準備すべきかというおおよその目安があり,今回は前置胎盤ということで通常の帝王切開なら準備しない輸血用の血液を準備していました.「どんな出血にも耐えられるだけの血液を準備する」などということは不可能ですし,医療経済からみても成り立ちません.

3点ほどだけ挙げましたが,どれも現実を知らずに理想論だけを述べている「愚痴」ではないでしょうか.

ほぼすべて既出の議論

そのわりには、お医者様のコメントに変化を感じないのは、私だけでしょうか?

>ほぼすべて既出の議論

 ということの意味は、ツカサネット新聞の記事のような意見は、素人の無知または無理解による誤解だとして批判され終わっているという部分が多い、という意味です。

 傾聴に値する部分もありますが、その点もほぼ既出だということです。

 それを踏まえて

>そのわりには、お医者様のコメントに変化を感じないのは、私だけでしょうか?

 このコメントの意味はどういう意味でしょう?

>ひとたび出血すれば、あっというまに文字通りじゃぶじゃぶ血の海になることは医師ならわかるだろうに。万が一のために十分すぎるほど十分な用意をするのは当然ではないのか。

だから,もうこういうことを言う人を一人一人説得する時間も気力もなくなってるんですよ.患者や家族は「出来るだけのことを」ってよく言います.でもその出来るだけのことをすること,万が一の為の準備をする社会コスト(人的,金銭的)は誰が負担するんですか?その準備ができない咎は病院ではなく厚生労働省に言ってもらいたい.

現に大学病院においてさえ,「万が一の為の輸血の準備」は「無駄」だということで削減の一方なんです.その万が一が起きない9999例の場合にはその準備した輸血は無駄になるんです.それを無駄と見なければならないほど医療資源はひっ迫しているんです.我々は繰り返しそのことを警告してきました.しかし現状は悪化する一方ですね.

>各分野の紛争における訴訟、とりわけ刑事罰に対する国民の合意形成を明確にして行くという立場で議論を求めて欲しい。
各分野が紛争を抱えた時に,医療の刑事罰に裾野を広げた議論をしてくれたことがあったのか?よくわからん.


医療はサービス業では断じてありません.サービス業ならば不採算部門から撤退するのは当然でしょう.都合のいい時はサービス業,またある時は「仁の心が必要だ」と言われても困ります.
医療はインフラです.維持しなければならない大事なインフラです.
患者一人当たりにかかる仕事量はここ10年で5割増です.さらに患者は増え,現場の人員は増えません.命に関わる診療行為を優先し,説明やコミュニケーションは後回しになることを受け入れてください.

人生には,限りがある。一市民氏も,???氏も,私も,あと数十年もすれば死んでいる。人生が永遠だというのなら,どんな提言だろうが要望だろうが突き詰めていかざるを得ないが,どうせ死んでしまう我々の人生の中で,何をどこまで叶えるか,そしてどれに優先順位をつけるかは,人によって様々だ。限りのない要求に,それぞれの人の価値観である程度線引きをつけることは,今後の残された人生を有意義にするために必要なことである。
私個人としては,過剰な要求に対する答えを考えて苦悩するよりは,私のできる治療と治療態度に十分満足して下さっている,多くの敬愛すべき人生の先輩の皆様と,その方々のつてで私のところにいらしてくださる皆様が,満足してくださればそれで十分だと思う。過剰な要求に対してあれこれ苦悩することは,裏を返せば従前の治療と治療態度に満足してくださってる方々と過ごす時間を奪うものですらある。

命に関わる診療行為を優先し,説明やコミュニケーションは後回しになることを受け入れてください.
これもやむを得ないと思うのです。しかしこれがいわゆる医療不信の原因の一つであることも事実です。ですから日本の医療費が上がればこういった問題点のかなりの部分が解決する方向に向かうといえるでしょう。
傾聴に値する部分もありますが、その点もほぼ既出だということです。

傾聴に値する部分の議論は、どのような結論に至ったのでしょうか?

医療が閉鎖的で独善的,素人は口出しするなとは何事かとマスコミはよく言いますね.

その素人がよく勉強もせず不確実なことで医者を叩き状況を悪化させていいのでしょうかね.素人なら必死で勉強しその上で発言するべきだと思うのですが.その素人の尻馬に乗ると不幸になりますよとの警告は「身内をかばう」行動だと言われればもうそこで議論は終わります.

一つ一つ,印象ではなく事実を積み重ね理解を深めて行きたいのはこちらもそうなのです.

傾聴に値する議論は、マスコミから与えられたのではなく、こちらから与えたものです。
結論は、彼らから導かれたものではなく、こちらの結論を伝えてもらっただけです。

教師が生徒に答案を書かせて、生徒が正答を書いたという程度の受け止め方です。

「悪い頭だけど、やっと理解したね。御苦労さん。
でも、まだまだ60点ね」

これが私の感想です

そうとも言い切れません.
医療費が増えても
1. 立派な病院が建つ(公立)
2. 電子カルテ導入
などに消えて行き,本当に必要な部分にはあまり配分されないでしょう.
僕の地域の県立病院は1床1億円の建設費用がかかっています.ガラス張り吹き抜けロビーに立派な芸術作品が展示されています.でもその償却費分がそっくり赤字で,独立行政法人化が検討されています.

天下りも受け入れず,広告も打たないこの分野が,行政の食い物にされ,マスコミの餌食になるのはある意味避けられないことなのでしょう.

>ひとたび出血すれば、あっというまに文字通りじゃぶじゃぶ血の海になることは医師ならわかるだろうに。万が一のために十分すぎるほど十分な用意をするのは当然ではないのか。

だから,もうこういうことを言う人を一人一人説得する時間も気力もなくなってるんですよ.患者や家族は「出来るだけのことを」ってよく言います.

お気持ち、お察しいたします。
というか、この一文だけでツカサネット新聞とやらの筆者氏の程度が知れると思うんですね。
十分な用意っつーのは一義的には迅速な止血でしょ。でもって、フツーなら圧迫止血で事足りる、事足りない場合には子宮の全摘にステージが移行する、フツーじゃない事例はそもそも発生頻度が極めて低い、っていう手順があって、そん中で不幸にして「フツーじゃないごく稀な症例」にぶち当たってしまったのが加藤医師って話でしょう。

言ってみりゃ、筆者氏のこの部分の言い分は「飛行機が墜落すれば乗客がヒドイことになるのは航空旅客業者にはアタリマエの知識なんだから、客室は高度3万フィートから墜落しても乗客の肉体が破損せず、燃料に引火しても乗客が焼死しないだけの準備をするべきだ」というに等しい。
鵯越の逸話に出てくる動物の名前を漢字二文字で重ねた単語で評価するに相応しいレベルの「提言」と言う他ないです。

ははは
ハコモノ医療ですね。確かに自治体に任せればそうなることは見えていますね。
同じお金(税金)を使うのであれば民間にやらせて補助金を与えた方が安上がりでしょう。
しかしながら、財源問題に踏み込むと敵側(医療破壊者連合体)の土俵に引きずり込ませるので避けなくては(笑)

問題は,
1. リスクを定量的に評価できる人がどだい少なく,
2. マスコミがさらにそのような人の恐怖をいたずらにあおる報道を繰り返す結果
3. 専門家が萎縮し迎合する結果無駄が増える.
ことの繰り返しから脱却できないところにあるのではないかと.

典型的な例は「採血器具の使い回し」事件でしょうか.僕は日々使い回しされた患者の数がどれぐらいになったらマスコミや一般の人が「あれ,これだけ使い回されても感染の報告がないってことは「安全」ってことじゃないか」と気がつくかと心待ちにしていました.

まあでも人の心は確率論では語れないのも事実です.救命率95%でも,5%に入ってしまえばその人や家族にとっては0%です.そこを重視して日々患者さんに接するしかないのではと思います.

>>命に関わる診療行為を優先し,説明やコミュニケーションは後回しになることを受け入れてください.
>これもやむを得ないと思うのです。しかしこれがいわゆる医療不信の原因の一つであることも事実です。

やむを得ないというのは分かります。
ただ、不信というよりも、何か不都合が発生した場合、問題になる原因であるとも思います。
となると、「後回しにした、説明やコミュニケーションをどうするか」というところを、上手くやっていくしかないのでしょうか。

ところで,本来のスレッドの趣旨に戻って,一例報告を2つばかり。いずれも自分自身の体験談です。

(1)
 中学1年生だった1980年のこと。走り高跳びで左ひざを捻って着地。激痛で足を動かせず,近所の整形外科開業医へ,救急車ではなくタクシーで移動。混雑する外来。レントゲンを見て医師の言うには「ヒビが入った程度だから大丈夫」ということで,太腿以下にギプスを巻かれ,膝の裏側の部分を一部切り取って,小窓が設けられた。その日はそのまま帰宅。
 その日の夜は普通に眠りに付いたところ,翌日未明に激痛で目が醒めた。膝の裏側の小窓からは皮膚がはれ上がっているのが見えた。あまりの激痛にペンチ類を持ち出し,泣きながら自力でギプスを毟り始めて,恐らく1〜2時間ほどかけて,ギプスはずしに成功。膝はパンパンに腫れていた。朝になってギプス剥がした私に親がびっくりしていた。
 その日が休日だったか否かは失念したが,家から50〜60kmほど離れた平塚に住む内科医の叔父の伝で,平塚の整形外科開業医に行き(車が無かったが,どのように移動したか忘れた),レントゲンにて骨折を指摘される。入院。
 数日後の手術では,あけてみたら予想外の激しい骨折で,途中で執刀陣が中座して大学病院に電話相談するとのこと。事後の説明では,膝の皿につながる4つの腱が,骨を少しくっつけて全てはずれていたとのことだった。医学部入学後に知ったが,そのような骨折のことをavulsion fracture(裂離骨折)と言うらしい。そして,ギプスをそのままにして我慢していたら,もしかしたらコンパートメント症候群で左脚を失っていた…のかな?
 その後は激しい運動や正座には難があるものの,日常生活には支障がありません。大きく残った膝の傷跡を見ながら知人に怪我のことを話すとき,「最初は誤診されて…」と言いながらも,別に最初の開業医に不満を持つわけでもなく,そんなものだろうと思っていました。日常生活を普通に送れているからかも知れませんが,根本的には,大元は自分の怪我から来たものだから,ということだと思います。学校や担当教師を恨もうなどという考えは,頭をかすめたことすらありません。これは断言できます。裏を返せば,自分の怪我や病気が治らなかったことの恨みを,医療や他の要因にぶつけようという方々には,根本的な部分で共感できないものがあります。

(2)
 今から10年前の医学時代に,近視矯正手術(レーシック)を受けました。手術後数時間で,急速に良くなる裸眼視力に感激しました。ところが数日後から,右目の視力が落ち,しかも線がぶれて見えるようになり,しばらく何も手に付かなくなりました。今だから言えますが予備校での講師業は上の空で喋って,夜は毎日号泣していました。手術を受けてしまったことを悲しみ,自分の浅はかさを悔やみましたが,やはり執刀医を恨むという考えは全くありませんでした。ただ,それでも色々医師に尋ねて,かなりうるさい患者であったようで,そのことは後日たまたまその手術を受けた病院に赴任し,そこで後日談として聞きました。自分のカルテを見る機会もあり,手術としては逆に左目のほうが術中ちょっとトラぶっていたことがわかりました。いずれにしても手術には問題が無く,医師が成功と考えている場合にも患者が完全には満足しない実例という実体験となり,今の診療に活かされています。
 で,結局のところ受けてよかったか否かと問われれば,悪かったとは思わなくなっています。いいこともそれなりに色々ありましたので…

なんか医療不信になっていないわけですけど,こういう例もあるということで書いておきます。

 結構たいへんな思いをされているのですね。不良事象があっても前向きに生きていくことは人生の中では有意義で本人にとっても幸せなことなんだと感じました。
 病気や怪我の治療経過が悪い場合に、加害者や治療者を恨んで生きていくことと比較すれば良く分かります。
 それにつけても、医療においてコミュニケーション不足はよろしくないですね。医師が忙しくても誰か心のケアをしてくれるだけで違うと思うのです。

>典型的な例は「採血器具の使い回し」事件でしょうか.僕は日々使い回しされた患者の数がどれぐらいになったらマスコミや一般の人が「あれ,これだけ使い回されても感染の報告がないってことは「安全」ってことじゃないか」と気がつくかと心待ちにしていました.

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/08/h0807-2.html

大きく分けて、(周辺部含めてディスポーザブルのタイプ も広く使われていますが、そうでないものでは)「針」「周辺部(ホルダー)」があります。

素人目にも周辺部のリスクは低そうに見えますが、「針」も使いまわしても「安全」ということでしょうか。

 周辺部についても、感染部のリスクがどこまであるのか、不明な場合はどちらサイドとみるべきか、というのはよく分かりません。
不明なら、その部分までディスポーザブルにしている、というのは一つの手段とは思います。

針を使い回すのは論外です.
周辺部分の使い回しで感染を起こしたことはイギリスの報告の2例,しかも証拠としては非常に弱い報告例しかありません.
北風さんのように分けて考えられる人も,昨今の報道のありようだとミスリードされますね.

で,集団ヒステリーと行政の責任逃れの結果,膨大な周辺部分の使い捨てという事態になっております.

針を使い回すのは繰り返しますが論外です.そんなことを行う医療関係者は処罰されるべきでしょうが,ある製品に限ってはその使い回しが容易に発生するような構造上の欠陥があります.なお厚労省の調査では針の使い回しは0件でした.過失に寄る使い回しはあったとの報告はあります.現場の専門家の判断は「針は危険,器具の使い回しは安全」だったということです.さらに器具の使い回しが分かっただけでも3000件,報道に寄ると数十万件あり,感染の報告がないのにも拘らず,使い回しは悪になり,使い捨てという膨大な無駄を生む結果となったのです.専門家の判断を軽視し,リスクを定量的に判断できない素人のヒステリーに従った結果ですがしょうがないですね.結局「100%の安全を保障しろ」と詰め寄られればディスポにするしかないですからね.
不明ならばその部分まで捨てる,ですか.それ以上のリスクがごろごろしているのが医療現場です.使い捨てにするコストを他の部分に回せば遥かに有用なのに,推定有罪の原理,「出来る限りのことを」の原理で現場の意見が圧殺され続けてきたことの繰り返しですね.

>>No.255 北風 さん
>不明なら、その部分までディスポーザブルにしている、というのは一つの手段とは思います。

安全のためのマージンをとるためにディスポにするというコストをかけているわけですね。

いうなれば自動車のハンドルの遊び部分の設計思想に通じましょうか。

○○不信にはマスコミの報道が大きくかかわっているものが多数あります。
例としては三菱自動車や電車運転士です。
三菱自動車であれば炎上した、煙が出た。
電車運転士に関してはオーバーランですね。

どちらも平常時でもそれなりの件数が発生しているのですが、
リコール騒ぎや大事故が発生すると恣意的にほうどうされています。
特に三菱自動車に関しては他メーカーも同じような割合で発生しているにもかかわらず単独で取り上げられているのです。


同様に報道の問題として考えると、
通り魔の発生件数は近年の発生件数は減っているにもかかわらず、意識としては「悪化してきている」と答える傾向があるそうです。
原因にはマスメディアの発達による視聴者のの認知件数の増加があるのですが、
不信の「意識」と「実態」が一致していないものは数多くあるようです。

そもそも、何事も一定確率で悪い結果があり得るものだという認識が、あまり浸透していないのではないでしょうか。
日本人の特性なのかどうか分かりませんが、ある種の優しさと言うか、立場に関わらず不良事象(的確な言葉ですね)の話をすること自体が歓迎されない気がします。親は子供に辛い事柄の話をしないし、家族は患者に癌の告知を望まないし、医師は医師で副作用や合併症の話を過去にあまりしてこなかったようだし、厚労省は医療費削減=医療の質の低下であることを明示しないし、一事が万事です。
何も起こらない間はこれで八方丸く収まるけれど、ひとたび不良事象があれば、偽りの安心が不信感へ変わります。
古き良き思いやりたる「以心伝心」も、現代においては少々時代遅れと思います。特にリスクを定量化しなければならないような場合は、マイナス面の方が強いでしょう。
悪い内容の話を冷静に語れるような、心理的土壌が共有される方法を考えたいです。

よく言われるのは少年の凶悪犯罪ですね。終戦直後より遙かに減ってるのに最近増えたと思う人が多いのは報道の責任かもしれません

例えばNo.188のコメントで、一市民様は「現状医療者側の自浄作用が期待できない」と書かれていますね。どのようなことがあって、こう思われましたか? 逆に、どういうことがあれば、この認識は覆りますか?

この問題の適切な答えではないかもしれませんが、
大野事件の患者お父さんを題材に下記のような掲示板が
2CHにたっています。
医療者がたてたかどうか知りませんが、こういうのは業界として適切に対応すべきと思います。
いずれマスコミの餌食にされるのが目にみえてますし、
ますます医療不信を植え付ける原動力になってしまう懸念が
あります。

日本の医療をよくする渡辺好男さん beチェック 1 名前:卵の名無しさん 2008/08/21(木) 21:35:16 ID:YFjjmhCV0 日本の医療の改善に尽くした渡辺好男さんの功績を2ちゃんねるが潰れるまで語り継ぎましょう。 ・福島県立大野病院事件の無罪判決を受けて、死亡した女性患者=当時(29)=の父親、  渡辺好男さん(58)が、「医療事故再発防止のための要望書」を福島県病院局の尾形幹男局長に  提出した。手術時のビデオ記録やインフォームド・コンセントの徹底、各病院の連携強化などを  提案・要望し、県がどう対応していくか返答を求めた。 http://www.cabrain.net/news/article/newsId/17763.html;jsessionid=A5ACE3DEA71CCB323062DC6DB9EDBEAC

以下のサイトにお父さんからの正式要望書が載っています。
このサイト運営者の医師のコメントによれば、

渡邊さんがいうところの 「信頼感をうむ医療制度」 これを再構築することが大切なのではないか、と思うのですが書籍「第8の習慣」第8章であるように、信頼性は人格と能力からくるものと考えれば、日本の医療レベルは能力を高めるより、人格面を高めることのほうが容易ではないかと推測します.

私の医療不信解決策のひとつと同じ意見でした。

ところで先生はじめ、医師の方にお願いしたいのは、
加藤先生の精神的サポートはもちろんですが、このお父さんの
要望をひとつでも聞き入れれるように、医療界として
努力して欲しいということです。

ここの掲示板の議論では、お父さんからの要望は、人的金銭的に無理、ということかもしれませんが、福島県からの
回答とは別に、ぜひ医療界からも真剣に検討し、ひとつでも
いいから実現してあげて欲しいと思います。
それは、このお父さんだけでなく、広く国民に蔓延している
医療不信解決のひとつの方法だと思います。
よろしくお願いします。

一市民さん、あなた、自分で色々と引用して火種を放り込んでおきながら、医療側の諸々のコメントを無視してアッケラカンと話題を変える癖を改める気はありませんか?

NO.235以降の流れは、あなたの中では無かったことになってるんですか? Med_LawさんのNO.217やモトケンさんのNo.219の指摘に対しても何か感じるところはないのですか?

>ここの掲示板の議論では、お父さんからの要望は、人的金銭>的に無理、ということかもしれませんが、福島県からの
>回答とは別に、ぜひ医療界からも真剣に検討し、ひとつでも
>いいから実現してあげて欲しいと思います。

との御指摘ですが、いささか筋違いかと。
実現するように努力するのは我々被医療者でしょう。

・手術時のビデオ記録
・インフォームド・コンセントの徹底
・各病院の連携強化

どれをとっても
新規に実施するか、現状の実施の規模を拡大するか、の
いずれかで、医療従事者の仕事量も仕事の種類も増える
ばかりです。

既に医療従事者の仕事量をこれ以上増加させることは
できないのだから、何かやろうとすれば
現状の仕事の何かをやめた後でかわりにやってもらうとか
人物金を新規に追加するかのどっちかになると思います。

どっちにしても、それで回っていくように医療保険を中心
とした医療関連制度を改変していくのは
選挙権を持つ人々の中の最大多数を占める被医療者の
仕事です(単純に何かの仕事をやめて新しい仕事に取り組む
にしても、新しい仕事にお金を払う仕組みが無いとただ働き
ですよね。そんな医療従事者ばかり雇っていては病院が
つぶれるかと)。

「これもついでにやっておいてよ」とか
「これ何とかならないかなぁ」みたいな経路で
人物金や制度の裏づけのない仕事を頼むというのは
世間一般ではどんな仕事でも、ままあるとは思いますが、
こと医療分野(特に公立病院の医師)に関しては
既にこの枠が溢れている状態だと思います。
(本来なら制度化すべきところをサボって来たつけが
 回ってきた?
 そもそも補助金以外の公共サービスを制度化するような
 選挙民の行動が、これまでこの国で存在した実績があるか
 どうかはいささか心もとないように思われますが、
 もうこれしか残っていないような気もします。
)

実現するように努力するのは我々被医療者でしょう。

非常に素晴らしい意見で賛成です。
本件に限らず、医療崩壊阻止、医療不信回復のため、被医療者が何をすべきか、私なりに今まで提言してきましたが、これはぜひ、別にスレッドを立ててもらい、
被医療者が中心となって議論すべき内容だと思います。
被医療者の皆様、いかがでしょう?

とても僭越とは思うのですが被医療側から発信いたします。

Med_Law 様が No.217 で発言された通りです。
この場を「2ちゃんねる」にしてしまうのはとてももったいないと思います。
約2名の非医療者はスルーでお願いできませんでしょうか?

被医療側の方なのかとても疑問です。寧ろ普通に私が接する私の周りの方とはとても異なった価値観をお持ちのようですし。他者の言葉を引くことしか表現が出来ない方のようですので、スルーが妥当ということで後納得頂けませんでしょうか?
普通に会話するつもりで参加者が発言なさってもディベートの練習程度の反応しか返っておりません。

激しく同意、まあ約1.5名は煽りです。

ここのやり取りだけみても、医師の方々の我慢強さが浮き彫りに成っています。
「普段から苦労して慣れている?」と想像してしまう。

Med_LawさんのNO.217やモトケンさんのNo.219の指摘に対しても何か感じるところはないのですか?


医師や弁護士の一言一句は一市民なんぞに比べると実に重いといつも感じています。


例えば、以前、雑巾の絞り汁という発言が医療者からありましたが、その影響を検証すると、その書き込みを読んで、以下のように受け取っている患者さんもいるようです。

今回は匿名で許してください。m(__)m:2008/08/08(金) 17:04:16 ID:XbVUa0iM 書き込むかどうか一晩考えたけれど、やはり心情としては書き込まずには居られないので、申し訳ないけれど投稿させて頂きたく。 患者としてはベッドの上に寝てしまえば「まな板の上の鯉」みたいな心境になるから、「点滴に雑巾」発言は如何に冗談だと思っていても、お世話になっている医療スタッフの方を信用していても、理論上は実行可能である事は事実で現にそれが可能な立場に居られる方の発言とすれば、身構えざるを得ないという心情に至る部分があるのは事実かと。 「実現可能性の程度は別として、理論上は可能性がある以上自分の身に降りかかるかもしれない」と言う感覚は、例えは悪いけれど通勤中に痴漢冤罪で刑事事件の当事者になるかも知れないと身構える感覚に似ているというか。。。 私は持病の治療で点滴には頻繁にお世話になるし、治療方法や発症原因が未確定な自分の症状に対して、対症療法で申し訳ないけれどと仰ってQOLを改善しようとこれ以上はないくらい尽力していただいている先生やスタッフの方には、この医療機関に巡り会わなかったら今私は生きていないという位に感謝しているけれど、あの書き込み観てから点滴のパック?に薬液が間違いなく配合されているか身構えるような心境になったのは事実で、正直不信感とかそんな次元でなくて患者の心情を軽視しすぎじゃないの?みたいな感じで、発言の非常識さ加減に対してというか脊髄反射的な感情論として許せないと感じたのは事実です。 私はどちらかというと医療を取り巻く現状に危機感を持っていて、医療に携わっておられる方々に対しては医師のみならず各スタッフの方の待遇も含めて同情的で、某弁護士の言うことには無茶苦茶腹立ったけど、「点滴に雑巾」発言だけは肩入れする気にはなれない、申し訳ないけれど冗談でもそんな事を完全にオープンな公共の場で公然と書き込める人が現場に居られる事が正直怖い、被害妄想かも知れないけれど実際に怖いと感じてしまった。。。(勿論内輪で冗談としてお話になることまでどうとは思わない。せめて患者に届かない内輪で語って欲しかった。それならいくらでもどうぞという心情なる。当該の発言に悪意はないと信じているし、お忙しいし大変だし時にはそういう冗談の一つも言わないとやってられないと言う心情が理解できるだけの精神的余裕は持っているつもりなので。)

雑巾の絞り汁の元ネタとして、医師のこういうブログが原因かもしれない。

そういう観点からいくと、以下の発言も私以外の非医療者は自分に言われたことと感じ、下手に医療不信など述べようものなら袋叩きにあうと感じてしまうかも知れない。
こういったことが、この掲示板のみならず、ありとあらゆるインターネット上で闊歩し、医療不信は新型ウィルスのごとく
広がる可能性があり、非常に危惧しています。
ですから、みみみ様にとっては漫才に聞こえても実は重要な問題なのかもしれません。

No.217 Med_Law さん から 一市民 さん への返信 | 2008年8月23日 11:20 | 返信  (Top) のぼせあがってはいけません。一市民さん。 一般論をそのまま個別の事例に当てはめることはできません。 医師は患者の感情を無視してでも、限られた時間の中で命を守るためにしないといけないことも数多くあるのです。 奈良大淀の事例は、まさにそれで、産科医は搬送先を見つけるので手一杯であり、その間は内科医が付き添って説明をしていたことが判明しています。 頑張っても伝わらない誠意もあることが現実です。 一市民さんの悪い点の一つは、未熟な知識と不足した情報で、茶化すように深刻な問題を扱うところです 貴方には、社会経験、艱難辛苦を耐えた経験が足りないのではとさえ思う。 慎み失っていないか、自問自答してから投稿することをお勧めする。

以下のようなことをいう人もいます。

所謂「常連」になると、ついつい身内だけの閉じたサークルに身を置いているような感覚になるけれど、本当は衆目の環視の中に身を置いているようなものなんだという、その辺を念頭に置いた文言も内容も丁寧な投稿姿勢が必要なのかもしれないですね。

>一市民 さん

 複数の方からあなたに批判が述べられてますね。
 その批判について考えましたか?
 悪気はないと思うんですけどね、あなたは自分が書いた文章を他人が読んでどう思うか考えたことがありますか?

 このブログは素人に寛大なブログであると思っています。
 露骨に過去ログ嫁とも言いませんし、質問には皆さん丁寧に答えてくれてます。
 しかし、あなたはそれに甘えすぎてませんか?
 一定の専門分野においては素人は素人なんですよ。
 私も医療についてはど素人です。
 かなり勉強させてもらいましたが、まだまだどのつく素人です。
 あなたにはど素人の自覚がありません。
 ここで議論されている問題の重みをわかっているかどうかも疑問です。
 そう読めるのです。あなたの文章は。

 今あなたに加えられている批判は、あなたのこれまでの多数の投稿に基づくものです。
 その意味で、根拠がある批判です。
 今回はこれでとどめます。

一市民氏は自分が批判しているこのブログ内の投稿マナー問題の
        中心に自分が居る

ということに留意すべきですね。自分の姿勢が批判された時、まるで他人事のように受け流そうとする。自分を省みることもせず、自分に対する批判を他人の問題にすり替えようとする。大変見苦しいですよ。

投稿マナーで言えば、医師側にも問題はあると思いますが・・・棚上げですか?

医療不信の原因
(1)国民の保健教育の欠落
 義務教育9年間で肝臓・十二指腸・甲状腺など臓器の場所も機能も基礎的なことも教えられない。
 現実の社会では役に立たない源氏物語などの古典や世界史を必須課程とするより
 病院受診の際に、主訴・既往歴・現病歴を要領よく自ら説明できる能力を養う方が、はるかに意味があり役に立つ。
 インフォームドコンセント、説明と同意を、時間が無限にあるわけもない臨床現場で、疾患臓器の基本の説明から延々とさせられる現状はうんざり。
 「腫瘍」「炎症」「感染症」とはそもそも何か?という基本単語の知識もない状況で、正しい理解など不可能。
説明されても理解できない→医療不信なんて勘弁してくれ
(2)マスゴミの卑しさ
(3)国民皆保険制度で医療受診の平等な状況
 日本の医療は、富める者も貧しいものの等しく、同じものが受けられる。
ファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミークラスと料金設定、サービスに差があった方が、国民は納得する。
「エコノミー料金だから仕方がない・・・」
アホのように高い医療費を誇り、一般医療水準の低いアメリカの方が、医療満足度は日本より高い。

スピード違反をしている人は他にもいるでしょうね。
モトケンさんがおっしゃっていますから。
でも、今現在注意を受けている人は特定の一名ですよ。

とんでもない。
医療側の暴言だって、私はまったく支持しません。それが医療不信を促進する要素の一つになりうるという認識は私も持っています。

私は被医療側ですから、まず「自分がいる側」の態度を正す姿勢を見せないことには医療側にとやかく言う資格がないと考えているのです。

あなたは、医療者側が先にマナーを正さない限り、被医療者側のマナーが悪くてもかまわないとお考えですか?

すみません。
一週間自主謹慎します。

両者が直せば良いのでは・・・

 マナーの問題とは少し違うんですよ。
 どちらかというと議論(または会話)のルールの問題なんですよ。

 直してもらえればそれでけっこうです。

一週間自粛が,単なる時間旅行であれば何の意味もないと思いますがね。

 マナーの悪い方があれば、遠慮なく指摘していただいていいですよ。
 他にも同じ思いの人がいるはずですから。

 もしいなければ、クレームをつけたほうの感覚が違っていることになりますが。

モトケンさん、すみません。マナーという単語は少し違いましたね。

>???さん

武器を捨てるなら同時に、ですか?

核軍縮交渉じゃないんですから、先に姿勢を改めた方が不利になるわけじゃありません。むしろ、先に自覚して改める方が大人だとは思いませんか?

>一市民さん

それで一週間後に何か変わるのですか?
あなたが非常に高い問題意識を持っていることは私も認めます。並みの一般人などおよびもつかないくらい医療問題について考えておられる。医療側が大勢いるこのブログで、あなたのように積極的に発言する被医療側がいることはとても有意義だと思っています。
ただ、あなたの他者に対するはぐらかしの態度、そして、何かにつけて揶揄するような響きのあるコメント、問題はそれだけなのです。
私たちの指摘に異論があるのなら、正面から反論なさってください。異論がないのなら、改めるべきところを改めてどんどん議論に参加してください。ある意味で、自主謹慎は最大級の「はぐらかし」ですよ。

一週間謹慎すると宣言した以上彼は一週間ここにはかけないのだからここまでにしましょう。
一市民さんについては一週間後にあらためて評価すればいいことです。
あと、約1.5名と言う表現はやめましょう。不毛なやり取りの原因になるので

 一言。
 ろくろくびさんのコメントに同意します。

元外科医先生

前向きかどうかはともかく,なっちゃったものはしょうがないですからね…
特に整形外科領域では,他にも中学時代からの慢性の肩こり(膝の怪我に関連しているかも知れません)が,消えることなく常に感じており時に痛みで睡眠も厳しい場合もあったり,足が痛くて整外の実習中にMRIを撮ったら椎間板ヘルニアがあったり,医学生時代の左小指の突き指が,実は骨折でそのまま曲がりきらなくなっていたり,例の膝蓋骨骨折に関しては「これはOA(変形性膝関節症)必発だね… 満身創痍ですねぇ」と評されてしまいました。

> それにつけても、医療においてコミュニケーション不足はよろしくないですね。

これは全くその通りだと思います。というか,みんなもうすこし患者さんの思いを汲んで喋れないかね〜,と思うことは多々あります。

でも,それが完璧にできるような人は,営業職とかについたほうがいいだろうなぁ,とも思いますし…

No.278 峰村健司(眼) さん

一週間自粛というのは、自分の発言を冷静に見つめなおすということだと思います。

反省の姿勢を示してる相手に、わざわざ追い討ちをかける必要ありますか?

あなたの発言にも問題はあると思いますがどうでしょう?

>一週間自粛というのは、自分の発言を冷静に見つめなおすということだと思います。

これまでの警告に対する反応からは,それは全く感じられませんでした。つまり,一週間自粛が反省の表れだとは全く感じられなかったということです。

>あなたの発言にも問題はあると思いますがどうでしょう?

問題があると思いながら発言している人がいると思うこと自体が,とても不思議な発想に感じます。裏を返せば自分のことなのかなと勘繰りたくなりますね。

(全然関係ないですが,時間旅行といえば原田真二です)

No.285 峰村健司(眼) さん

相手が折れたなら、こちらも引くというのが大人のマナーだと思います。

一週間自粛を表明した相手に、チャチャいれて良い方向に進むと思いましたか?

念には念を入れる。可能性は徹底的に追求する。これは???氏が医療に強く求めている態度だと思うんですがねぇ(嘆息)

ええと、すみません。一市民様にご質問をした、医師のはしくれです。
多分自分で空気が読めていないと思うのですが、質問した側として、返信をさせてください…。これへのお答えは不要です。


一市民様

まずはお答えありがとうございました。引用は全文貼らずとも、リンク+一市民様の言葉による要約で良いと思いますよ。
2chは荒っぽい場所ですよね。患者さんの医療不信も煽るでしょうし、私など最初に見たときに逆に患者不信を煽られてしまいました。
慣れてくると罵倒語の類は流せるようになりますが、ナイーブな方や精神的に参っている人が見るべきでないのは、間違いありません。まあ、人間は醜い所もある生き物だなあ、というくらいの受け止め方をすべきなのかもしれません。

それからご紹介いただいたサイトについて。
自分も大概頭が古くて、「お喋りの練習で医学の進歩がおろそかになったら本末転倒だ」などと感じてしまうのですが、これは何とか直そうと思っています。今ほど医学が発達していれば、さらにそれを進歩させるよりもコミュニケーションに力を裂く方が、長い目で見て患者さんのためかもしれません。
引用いただいた部分は、そういう意味に取りました。

そして、このサイトの先生はこうも仰っていますね。
「そして、その政治は誰かが行うのではなく、私たち1人1人が、投票したりメッセージを届けることで成り立っているので、私たち自身に問題がある、という考え方」
医療関係者も、様々に努力して行きます。一市民様も、是非、亡くなられた女性のお父様のために、できることをなさってください。選挙に参加し、身の周りの人に医療問題について話し、もし病院へ行くことがあれば、実際にどんな医療がなされどんな情報が提示されているか、見てきてください。
どうぞよろしくお願いします。

長文・乱文、失礼いたしました。私も、混ぜっ返さないように、ROMに戻ります。

スルー発言をした行きがかりで、一市民様に申し上げます。

ウェブ記事やブログの、それもその度に少しずつ視点の異なる内容を引用することで議論しようとなさったことは、被医療者である私から見ても、立脚点の遷移があり、前後の発言における論理整合性が認められないため、医療側の方に対するイヤミにしか読めませんでした。当然、押さえられてはいましたが感情的な反論となり、議論は成り立っていませんでした。
一週間自粛された後に再開される際に、
1.引用はなし
2.ご自分の言葉で発言する
の2点に留意いただけましたら、ROM者としても勉強できるかと期待するものです。

それから、引用なさった種々の記事・ブログは私でもこれかなと分かりますので、モトケン様のブログでは皆様普通にご存じの記事内容ではなかろうかと思います。その辺りも気にしていただけると深甚です。

放言ですが、一市民様と???様は同一人物でしょうか?  私が先程申した約2名ですが・・・

No.287 峰村健司(眼) さん

念には念を入れる。

はあ〜、わかってない・・・(医療がどうのとか、意味わかんないし・・・)

折れた相手に、念を入れてどうするんですか?

ただの駄目押しです。

少しは、折れた相手の気持ちも考えてみませんか?

一週間休む,というだけでは折れたということの証左にも何にもなりませんね。他の方も指摘している通りです。それほど,これまでの態度からは信用できないということだと思いますが。

また,繰り返しますが,駄目押しは重要なことです。これは???氏が医療に強く求めている態度だと思うんですがねぇ。駄目押ししなくて予想外の結果に陥ってもいいんですかね? そうなのだとしたら,医療に対してもその程度の軽い要求で済ませたらどうですか? 「自分に甘く他人に厳しい」には,もううんざりなんですよ。

No.291 峰村健司(眼)

一週間休む,というだけでは折れたということの証左にも何にもなりませんね。

詭弁です。

念には念を入れる。
駄目押しは重要なことです。

と言うあなたの発言は、相手が折れたことを認識している発言です。

相手が冷静になるという時間まで批判してどうするんですか?

みなさま初めまして。

こういう人もいるということで報告させていただきます。

私は政令指定都市に住んでいるので医療については
恵まれた状況だと思います。
私の体はポンコツなんで内科、外科、ついでに歯科の
かかりつけのお医者様がいます。みんな開業医ですが、
素人から見ても、いつ休んでいるのだろうと思うくらい
働いているし、勉強もしているようです。
ですから感謝と尊敬を持って接しています。

でもたまに公立の総合病院などに行くこともあります。
そこでは高度な医療を受けれることはわかっているのですが、
できれば行きたくありません。理由は医師や看護士がオーバー
ワークで疲弊していると感じられるからです。

こんな状況にしてしまった医政には不信を覚えます。

水掛け論になったようなのでこの件に関しては打ち止めします。一般人氏と???氏の両氏は,真摯なやり取りをできる相手ではないと確認いたしました。

ギャラリーの皆様,度重なるお眼汚しを失礼いたしました。

No.294 峰村健司(眼) さん

真摯なやり取りをできる相手ではないと確認いたしました。

このすて台詞・・・あなたの人柄が透けて見えます。

自分の非を認めたくないだけにしか聞こえませんが、どうでしょう?

 もはやトピズレの個人攻撃です。
 場外乱闘板ででもやってください。
 無関係な者にとっては迷惑です。

 そろそろ、収めてください。

 今日一日の流れをざっと読ませて頂きました。
 しかし、午後あたりから、むう既に論点がなく、議論の形さえ整えていないようです。

 大変失礼ですが、???様に以前、お願いしましたね。覚えて頂いていてますか。
 その時点では、まだ、医療関係者の皆さん、法曹の皆さん、活発な意見、解説をして頂いています。

 私がこのエントリーに期待したのは、ある方の思いを強く受けたからです。私たちでさえ、千差万別の意見を持っています。医療側でも多種多様な意見があっていい筈です。

 しかし、観る限り、残念ながら、名指しですみません。
 一市民様、???様もあえて、火種を投下しているだけのように感じてしまいます。
 コメント履歴の一覧を見るだけでも、連携を取られていますね。
 時間についても照合しましたが、お二人が同時に投稿された、2件だけ同時同分です。
 投稿されるのに相当の時間がかかりますので、今日1日分を見る限り、重複する時間帯は不可能です。

No.263ttxtさんのコメントの形式をわかりますか。
 2つの重要なパターン(癖)があるんですよ。

ずっと、朝からのコメントを最初から読んでいると。いちばんよく解ります。

 だから、私たちは、今、直面している生の患者さんの意見を聞きたいのです。
 伝聞でない、本当に困っている患者さんの意見を聞きたいのです。

 私の病気は、慢性疾患です。週1日は、病院に行きます。長く続くと思います。
 いつも行っているので、受付の方、医師、看護師、清掃をされている従業員の方とも顔見知りです。
 いつも声を掛けていただきます。

 医師の先生も診療室に入るとすかさず「ずいぶんお待たせしましたね。変わりはないですか」と労って頂きます。
 看護師さんも見かけるとタクシーの乗り場まで、付き添って頂いています。
 正直、先は長くないと思います。

 だから、残される子供たちが、標準的な医療を受けられるように、私たちが医療崩壊させてはいけないと思っております。
 高額医療を受ける分際でと、言われるかもしれませんが、27年近く健康保険料を掛けることができ、一度も利用することなく生きてこれました。現在、病気になりました。
 しかし、人間はいつか命を終えるのです。
 私は標準医療をなんとか後世の子供たちに残してあげたいのです。
 無駄をなくしても消費税を上げなければ、となれば喜んで払います。
 医療現場が窮地であれば、医療費を進んで払います。ですから是非、後世の子供たちのためにも標準医療が残るように一緒に考えて頂けないでしょうか。

 正直、これだけの文を打つのも苦痛です。
宜しくお願いします。m(_)m
  

約1.5名は2名に訂正します、その上で現在は1名です。

尚、コメ欄が議論と呼べない状態ですが。
少なくとも、峰村健司(眼) さんは詭弁を使って居られず、空転の原因は、その相手方に有ります。

この事実が「医療不信の実態」の一面を表しているような。

もはやトピズレの個人攻撃です。

投稿マナーについてのコメントですので、「もはや」ではなく最初からトピズレです。

それと個人攻撃って何ですか?意味不明です。

いづれにしても

真摯なやり取りをできる相手ではないと確認いたしました。

と根拠を示さないすて台詞を吐いて沈黙するようなので、この話は終わるのではないでしょうか?

医療現場が窮地であれば、医療費を進んで払います。ですから是非、後世の子供たちのためにも標準医療が残るように一緒に考えて頂けないでしょうか。
 そう考えて頂ける方が一人でも多くなるように情報を発信したいと思っています。  小生自身は悲観派で日本医療は2002-2003にピークであり、崩壊過程にあると認識しています。医療不信も崩壊の一原因ですから、これを改善することにより、医療の再生に多少なりとも寄与することはできると考えます。

 あなたのトピズレは邪魔です。大いに迷惑で不快この上ない。マナーや個人攻撃やイミフなどの議論は場外乱闘でやってください(怒。

せっかくのいいスレが台無しになっているようで、話を「投稿者不信」から「医療不信」に戻させてもらいます。

先日、うちに勉強に来ている後期研修医にこんな話を聞きました。大学病院で救急研修をしていたとき、ある開業医から、「肺炎による糖尿病性腎症の急性増悪の症例を緊急で搬送する」という連絡が入ったそうです。さすがに研修医でも「そんな病気あったっけ?」と思ったそうです。

(医療関係者のみなさん、クイズです。診断は何でしょう?)

実際に患者が病院に着いてみると、それは肺炎による脱水で尿が出なくなった老人でした。腎前性腎不全という状態です。点滴で脱水を補正すれば問題なかったそうです。

研修医は笑っていましたが、実際世の中には「そんな医者にはかかりたくないなぁ」というレベルの医師が大勢います。全員同じ医師国家試験に合格しているのにどうしてこんなことになってしまったかというと、医局の都合で若い頃からあまり勉強する機会のない地方の診療所に送られて、そのまま医療の進歩に取り残されてしまった先生がけっこう出てしまったのです。

以前にもリンクを貼りましたが、医師の人事は医局という組織に管理されていました。しかし、医局は教授が絶対的な支配者であるため、必ずしも公平に働かず、教授におぼえめでたくない医師が地方の診療所に派遣されるなど、不平等が存在しました。

こういう状態を解消し、医師の研修レベルを底上げする目的で、すべての医師が自分の意思で自由に研修先が選べるように、新研修制度が発足しました。当然の結果として、地方に派遣されそうな医局に入局する医師は激減し、大学は関連病院から医師を引き上げる事態に陥り、現在の医療崩壊の一端となりました。

しかし、元を正せば、これは医師の技量を上げ、いわゆる医療不信を払拭するために医師の研修を強化しようとして生じた状態なのです。そのことによっていったいどうしてこういう結果になったのか?

要するに日本の医療はハリボテだったのです。まともな研修制度がなかったおかげで、かろうじて維持できていた脆弱な構造で、すべての医師に均等な機会を与えたぐらいで崩れてしまうものだったのです。本来医療に投じている資源が少なく、一部の医師をヤブ医者地獄の人身御供にして、一部の国民に水準以下の医療で我慢してもらって、それでかろうじて成り立っていたのです。

医療不信は、新研修医制度発足以前からあります。おそらく本来の原因は医療事故報道でしょう。しかし、その後、医師にも患者にも、権利意識が生まれ、医療資源と不釣合いな改革を迫られ、現在の状況に至ったのだと思います。

結果、医療不信の本来の原因は、医師の技量不足で、それを是正するのに必要な医療資源が不足していたということでしょう。

うーん.後半部分は賛成なので,揚げ足を取る訳ではないんですが...
感染を契機に保存期の腎不全が悪化することはよくあると思いますが.脱水に限らず,感染は腎不全悪化のリスクではないのですか?糖尿病性腎症の悪化と言えるかどうかは別として.
さらに呼吸不全の患者が脱水状態だったとして開業医が輸液を十分に入れられるかというと無理だと思います.
開業医の先生は,輸液を入れて呼吸不全が悪化すれば挿管人工呼吸,あるいはHDやCHDFといった「次の一手」が打てない環境にあるのです.研修医はそれがわからないのでしょう.

一週間休むことが何かの証明になるのですか?

他のトピで、私の行ってもいない行為を根拠に中傷し、抗議しても謝るどころか愚弄をヒートアップ。

その事実は変わらず、No.267で私のブログを性懲りもなく引用しましたね。
まあ通常の知性がある人間なら、「医療者が雑巾の絞り汁を入れるような陰険な人間だとでも思っているのか馬鹿にするな」という意味合いだと読み取れるのに悪意を持って誤読ないし、「切り取り」をもって事実を捏造し、放火というかお漏らし。

そしてこのブログに雑巾の絞り汁の喩えを持ち込んだ方は、独自に思いついた表現であると表明なさっています。

またもや根拠のない言いがかりです。
この事実について謝罪しなさい。さもなくば一週間と言わず、永遠にここから去りなさい。

ここからは、説教モードですが、あなたの人生において、ちゃんと叱られた経験はどれくらいあるのですか?
そしてちゃんと謝った経験は?
仕事の上で失敗した経験は?

「バイトの子を叱ったら、勝手に来なくなって辞めた」

そんな去り方はできればしてほしくないです。

No.301 ハスカップ さん

あなたのトピズレは邪魔です。大いに迷惑で不快この上ない。

この発言、もろブーメランになりませんか?

まあ、それはともかく

医師のコメントに注目が集まっているという意味では、 峰村健司(眼) さん の投稿マナーの指摘は完全なトピズレということでもなさそうです。

詭弁を弄して、己の非を認めない者には、おしりペンペンしとかないといけないのでは?

>??? さん
トピックに沿ったコメントをしないのであれば退場してください。
邪魔で目障りです。

トピックに沿った風のコメントであっても混ぜっ返しや茶々入れの域を出ないコメントしかしないのであれば退場してください。
邪魔で目障りです。

 雑巾絞り汁の話はmixiのネタだと思いますが。それはさておき、同業の医師から見て、明らかな診断ミスとか、治療方針の誤りと言うことが見つかるのはまれなことではありませんというか、日常茶飯事です。
 ともすると自分自身が外来で診断して、2次病院に送った患者の診断は全然違ってたりします。後医は名医と言うことばをいいわけにするわけでは有りませんがあの時この検査をしてれば分かった。と思える事態は多々あるのです。
 大きな病院では複数の医師が相互にカバーするのでその手の誤診は減少しますが、診療所では経験豊富な臨床医でも誤診率はたぶん下がらないと思います。大病院でさえスイスチーズの穴の重なり(笑)はしばしば起こっています。
 開業医など1次医療機関で誤診されたというクレームは、医療不信の原因のひとつだと思いますが小生含めもっと医療の限界の存在について、一般人に対し発言して行く必要は認めます。

>全員同じ医師国家試験に合格しているのにどうしてこんなことになってしまったかというと、医局の都合で若い頃からあまり勉強する機会のない地方の診療所に送られて、そのまま医療の進歩に取り残されてしまった先生がけっこう出てしまったのです。

>以前にもリンクを貼りましたが、医師の人事は医局という組織に管理されていました。しかし、医局は教授が絶対的な支配者であるため、必ずしも公平に働かず、教授におぼえめでたくない医師が地方の診療所に派遣されるなど、不平等が存在しました。

>こういう状態を解消し、医師の研修レベルを底上げする目的で、すべての医師が自分の意思で自由に研修先が選べるように、新研修制度が発足しました。

私は少し違うのではないかと思っています.
開業医の先生のレベルがまちまちであるのは確かですが,その理由は医局人事の問題というよりも開業時期やそもそものその人の資質などの関与の方が大きいと考えています.現在の法律上医師免を取得してすぐ開業することも可能なわけです.ここまで極端なのは稀でしょうけど,私の知っている範囲でも例えば「卒業してすぐに大学院に入り,学位を取得したらすぐに開業した」などという人間も存在するのです.実家が開業医であるため数年以内の研修だけですぐに家業を継ぐものもおります.当然臨床能力はまともなレベルであるわけもありません.逆に市中病院の部長などを経てから開業された先生方の臨床能力は,10年目程度の勤務医を遥かに上回っていることも多いでしょう.
一般的に言えば,医局人事によって多くの異なる病院を経験することにより様々な病気に出会い,経験を深めることが半強制的に行なわれた結果,あまり向上心のない医師でもそれなりのレベルに到達できていたのがこれまでの状況です.確かに教授の人格次第では書かれているようなこともあったでしょうが.一方で,医局は臨床能力に明らかに欠けるものをそれとなく臨床から離すという機能も持っていたのです.

新研修制度はこれを見事に破壊しました.結果として,向上心のある研修医たちは自ら病院を探し研鑽を積む一方で,そうでないものたちは別の病院に移動しようとしなくなりました.10年後には医療レベルは今よりもっと下がると思われます.(2極化するというべきでしょうか)とても臨床を任せられないような人間も野放しになるということも事実でしょう.

どちらのシステムも一長一短ですが,ローテーションなしに臨床能力の向上が望めないことだけは確かです.
一部の臨床能力に欠けた医師の存在が,医療不信に関与しているというご指摘はその通りでしょうけど,それは原因のごく小さい部分に過ぎないと私は思っています.

>>??? さん

 私が

>>もしいなければ、クレームをつけたほうの感覚が違っていることになりますが。

と書いた意味がお分かりでしょうか?

 あなたの投稿は、私の

>>マナーの悪い方があれば、遠慮なく指摘していただいていいですよ。

というコメントの範囲を逸脱しています。

 そして双方へ勧告します。
 この議論を(その2)へ持ち込まないでください。


No.306 惰眠 さん

あなたの発言も、もろブーメランです。

 続編エントリを立てました。

 「医療不信の実態とは?(その2)」

 今後のコメントは(その2)へお願いします。

 トピずれ投稿はご遠慮ください。

Level 3さん、
ご返信ありがとうございます。
回答は(その2)の方に書かせていただきます。

P R

ブログタイムズ

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