エントリ

 いよいよ明日地裁の判決が予定されています。
 医療側の皆さんとしては、確信をもって、または強い願望のもとに、無罪判決を予想されている方もいるかも知れませんが、私の予想は、無難に五分五分というところです。

 故意犯における故意は、基本的に事実認定としての有無の問題と言っていいと思いますが、過失は、事実の存否の認定というより評価の面が強いです。

 既に医療側から何度も指摘されていますが、大野病院事件において、過失を認定するに当たっての障害はほとんどないと思います。
 じゃあ、当然有罪かというとそうでもありません。
 無罪とする理由もあるように思われます。

 つまり、裁判官が、取り調べられた全ての証拠の検討を踏まえて、被告人を処罰すべきであると考えれば過失があると認定するし、処罰すべきでないと考えれば過失を認定しないだろうと思われるのです。
 これは、「まず結論ありき」というのとは違います。
 証拠調べの結果明らかになった事実と、弁護人・検察官双方の主張を聞いた上での判断です。

 傍聴記などの情報に基づけば、事実関係としては、どっちも可能性があると思います。
 となると、もっとも大きな問題は判決の社会的影響をどう見るかだと思われます。
 被告人を処罰すべきかどうかの判断に当たって、裁判官が被害者・遺族の顔を強く思い浮かべれば過失有りに傾くかも知れませんし、本件の起訴の後で閉鎖された産科やその結果、不安を抱えながら遠くの病院にまで行かなければならなくなった妊婦の顔を強く思い浮かべれば過失なしと判断するかも知れません。
 但し、以上はごく単純化した見方です。

 ともかく明日の判決を待ちたいと思います。

 判決予想自体はそれほど意味があるとは思えませんので、判決が出たらこのエントリは消すかも知れません。

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コメント(48)

主文もさることながら、判決理由がとても大きな意味を持つことになるんだろうなーと思っています。
遅きに失した感もありますが、明日の判決に絡めて比較的大き目の特集を組むテレビ局もあるようです。

 情勢は非常に厳しそうですね。

 判決後の事態の落ち着きどころが心配です。

産科医療側からすればゼロサムですしね。
裁判所が過失を認定しなかったとしても得るものはなく、過失が認定されれば多くの産婦人科医には「やってられるか」と感じさせるに十分であり。
地滑り的に産科医療が崩壊する決定打が出るんじゃないかと懸念しています。

モトケン先生のご高配にあつく御礼申し上げます。
この裁判についての私の個人的意見は
福島県立大野病院産科医療過誤事件のエントリー
http://www.yabelab.net/blog/2006/10/13-230902.php
をお借りしてだいたい言いたいことの殆どを書かせていただきました。モトケン先生ありがとうございます。

この裁判に関する私のすべてのコメントのスタンスは最近お見かけした
http://ime.nu/www.yabelab.net/blog/medical/2008/07/29-232008.php#comment-176419
さんと
http://ime.nu/ameblo.jp/kempou38/entry-10123405106.html
さんのお二方と同じものであるということに気づきました。レベルははるかにあちらが上ですが(笑)。
もうぼつでおkな呟きなど恥かしくて本館に書けないかも・・・ボソッ(爆)

判決の社会的影響をどう見るかだと思われます

裁判所が社会的影響を考慮した判決を下すべきなのか、未だに迷っている所はあります。と言うか、私は裁判所は空気読むべきではないのではと思っています。

空気読むのは政治の仕事であって、裁判所は空気を読まずに判決を下す。それが三権分立なのではないかと勝手に思っています。

裁判所が社会的影響を考えた上で判決を下すのであれば、それは司法が立法の範囲まで踏み込む事を意味すると思うのですよね。

私も同じ事を考えていました。しまさんに触発されてコメントします。
加えるなら、裁判所が空気を読むと、国民にとって自分の行為が触法行為に当たるか否かの予測可能性が減ずると思います。
空気を読まずに裁判所が下した判決が社会に大きな不利益を与えるなら、それを正すのは立法であって、裁判所の責任ではありません。
とは言え、明日の判決が有罪なら不利益は甚大です。判決文で立法の怠慢を皮肉りながらも緊急避難として空気を読んで欲しいです。

 エントリ本文でも触れましたが、過失犯の成否には、本質的に、処罰すべきかどうか、という「べき」論が関係してくると考えています。

読み直してみました。

評価の面が強いです。

なるほど、立法云々ではなく、裁判官がどのように事実を評価する事が問題になるので、法解釈ではなく裁判官の価値判断が重視されるという事ですね。

価値判断ですから、社会的な影響を考慮する余地があると言う事になるという事でしょうか。

 業務上過失致死傷罪というのは、もともと予測可能性が乏しい構成要件なのです。

 検察が、医療側の予測に反して起訴した以上は、裁判所が予測可能性を示す必要性が生じます。

 判例の集積によって解釈基準が確定されていくというのは、法律解釈において珍しいことではありません。

 実際には今までも、裁判所も検察も空気を読んで行動してきたのだと思います。
 法律は世の中を上手く治めるためのツールですから、立法・司法・行政の三権いずれの立場であっても、法律の取り扱いに関わる人間のとる行動は空気を読むことと無縁ではないと思います。
 明日、どういう結果になるかは分かりませんが。

明日、完全に無罪であれ、この裁判は最高裁まで行きますよね。それでも最高裁で完全に無罪であった場合(あくまで過程の話です)、

警察、検察のK氏へ行ったことはミスですよね。冤罪ですよね。

警察、検察にミスがありますよね?不当逮捕、不当起訴であるのではないか?と疑っております。

あの小倉氏も行っております。
「私たちは、誤りも犯すし、成長もする。」

政治もミスをします。見込み違いはいつでもあるようです。

ミスするものとして、医療も、司法も更に政治も受け入れられないもんでしょうか?肝心なのはミスをどのように扱い、今後の再発防止につなげるかどうかなのでは?と思っています。

最後に、20日は無罪を信じております。

#9 モトケンさん

> 判例の集積によって解釈基準が確定されていくとい
> うのは、法律解釈において珍しいことではありません。

医療事故で医師が書類送検されても、不起訴になってしまうことが多くて裁判に至らず、判例が集積しないことが、「何がどうなると有罪なんだ?」と医療現場に不安をもたらしていると思います。

自分はあまり当事者にはなりたくはないですが、どんどん起訴して正式な裁判の場で、これは有罪・これは無罪と切り分けてくれると、医療現場にとってはありがたいのではないでしょうか。

羽幌の蘇生後の人工呼吸中断例は不起訴になってしまいましたが、富山の終末期医療での人工呼吸中断例は、私は検察はキチンと起訴して裁判の場で有罪・無罪を決めて欲しいです。

豊富な症例の経験によって医師が技量を磨いていくように、複数の医師が多くの民事と刑事の訴訟を経験して共有しあい、対抗策を練っていくのもありかと思っています。

判例の集積によって解釈基準が確定されていく
それは理解しているつもりですが、「空気」のような振幅の大きなものを考慮しながら「確定」するのはとても困難なことだと思うのです。まあ、それを立法でと言っても困難なことに変わりないはのでしょうが。

最高裁まで行くんでしょうか?
私は判決しだいでは控訴断念もあるんじゃないか、と思ってるんですが・・・甘い?(笑)
全然根拠ないんですけどね。どうなんでしょう?

自分はあまり当事者にはなりたくはないですが、どんどん起訴して正式な裁判の場で、これは有罪・これは無罪と切り分けてくれると

結果として「不当起訴」が増えると言う事をどう受け止めるかだと思います。「起訴」が許容されるというのであれば、まさに大野事件の件も、起訴自体は問題視される事にはなりませんから。

事故レスです。
考えてみると自分の過去の発言と整合性がありませんでした。以前「過失か過失でないかの線引きは罰することが社会にとって有益か否かで決めるべきだ」とコメントしていました。その時点では誰が「社会にとって有益か否か」を判断するのか考えていなかったように思います。で、今考えてみると裁判所、あるいはその前の段階の検察で判断するのが現実的かなとも思いますが、ん〜、自分の中でまだクリアになりません。

 そんな感じです。

私の持っているイメージは、医局内の気軽な雑談の場で「おれ、また起訴されちゃったよ。これで2回目だ」とか、「私は今回はじめてです」「医師は、起訴されてようやく一人前になるんだよ。ま、ガンバレ」とか、普通に話できる雰囲気です。

医局の症例検討会で問題症例を提示して、ご意見ご指導を仰ぐように、「今日は○○先生の起訴事実についてカンファレンスするから、サボらずにちゃんと出席しろよ」と言い合えるような感じでしょうか。

刑事にせよ民事にせよごく稀にしか遭遇しないために、裁判を必要以上に怖いものと考えてしまうのですが、↑のように医師の大多数が裁判を経験する状態になれば、かえって気にならなくなると思うのです。ちょっと、言い過ぎでしょうか?

まさに理想ですし、そのような刑事訴訟が実現出来るのであれば理想的な社会だと思いますが、それを実現するためには我々がもっと成熟しなければ難しいと思います。

でも検察の取調べを受けるんですよ、犯罪者と同じように。
私は耐えられません。

民事については、皆保険の廃止あればいつでも受け入れます。

>でも検察の取調べを受けるんですよ、犯罪者と同じように。
>私は耐えられません。

 気持ちは分かりますが、それは「取調べ=犯人」という偏見を克服した方がよろしいかと思います。
 言い掛かり告訴でも、一応事情聴取を受けます。警察も全件送致主義というがあって、犯罪でない(嫌疑なし)とわかっていても、告訴や告発があれば、送致・送付せざるを得ません。
 だいたい日本の起訴率は50%以下ですから、不起訴になる方が多かったと記憶しています(詳しくは犯罪白書を見るといいと思います。)。
 医師の先生が、病から患者を救おうと努力するように、弁護士の先生が、起訴から守ろうと起訴前弁護に全力を尽くしてくれますよ。

#20 「一応逃げた内科医さん」
(すみません、うまく引用機能が使えなくて)

> でも検察の取調べを受けるんですよ、犯罪者と同じように。

「多くの中で自分だけ」なら辛いですが、「まわりも皆取り調べ経験者」という環境なら、私はがんばれるような気がします。甘いかな。

かなりエントリーテーマから脱線してしまいましたが、これまでの大野病院事件の公判記録をながめていて、「普通の医師が普通に医業をしていて、あるときに不幸な結果を生じれば、刑事被告人にるのか。これは次は自分の番かも知れないぞ」と思ったものですから。。。

> 弁護士の先生が、起訴から守ろうと起訴前弁護に
> 全力を尽くしてくれますよ。

う〜ん。不起訴では他の類似症例の参考にならないのではないでしょうか。

起訴・裁判の場で、有罪・無罪の判決がでてはじめて医療現場にフィードバックできる情報が得られると思います。

>う〜ん。不起訴では他の類似症例の参考にならないのではないでしょうか。
>起訴・裁判の場で、有罪・無罪の判決がでてはじめて医療現場にフィードバックできる情報が得られると思います。

 そこで手前味噌ですが(^^ゞポリポリ,医療側弁護団のナショナルセンター構想です。起訴・不起訴となった事件をセンター所属弁護士が詳細に報告を上げて、医籍をもつ弁護士を含めたセンター弁護士でよってたかって分析して、それを集積すれば、センター編「医療青本(起訴不起訴事例集)」ができると思います。必要なら協力専門医の指導を仰いで。
 ちょうど、日弁連の交通事故「青本」「赤本」(損害賠償額算定基準)のように。

>ハスカップさん
>某救急医さん
返信有難うございます。

大野事件の逮捕の頃に、ちょうど自分の患者さんが訴えるとカルテを押収しまして・・・。その後何もないのですが、それで逃げました。

今は、自分の家族がいい医療を受けられたらいいな〜と思っています。また自分も前線に戻れたらって思います。皆さん強いですね。

日弁連の交通事故「青本」「赤本」(損害賠償額算定基準)のように

東京地裁の交通部が中心になって基準を算定したと伺っていますが……

>東京地裁の交通部が中心になって基準を算定したと伺っていますが……

 最初は、ご指摘のように東京地裁民事交通集中部裁判官達(一部名古屋地裁民事交通集中部裁判官達が協力)で出来上がりましたが、そのうち、裁判官が実質的な立法作用に関与するのはいかがなものか、という批判を受け、以後は、日弁連が作業を引き継いだそうです(引き継いだ担当者の弁護士先生に直に聞きました。)。

モトケンさん

判決の社会的影響をどう見るかだと思われます。
今後この判決が与えるであろう産科閉鎖などの社会的影響以外に、裁判官は医学的な影響も考慮するのでしょうか?例えば、癒着胎盤疑い症例での子宮摘出術の判断基準が低くなり、子宮摘出例が増えるあろう事(癒着胎盤のリスクに関するミラーの論文では疑い症例のうち約50%が病理学的には癒着が認められませんでした)。そして褥婦における子宮摘出症例が増える事によって子宮摘出による死亡数が増える可能性(死亡率は変わらなくても分母が増えれば分子も増えますから。)があること。つまり癒着胎盤では死ななくても摘出術で死ぬ症例が出てくること、そしてそのバランスがどう変化するか。などです。


No.22 某救急医 さん
> でも検察の取調べを受けるんですよ、犯罪者と同じように。
「多くの中で自分だけ」なら辛いですが、「まわりも皆取り調べ経験者」という環境なら、私はがんばれるような気がします。甘いかな。
自分だけなら頑張れるでしょう。でも、万が一マスコミ報道されたりした場合、一般の方の認識としてはやはり「取り調べ≒犯罪者」というイメージがあるでしょうから、夫(父親)が取り調べを受けた(≒犯罪者)という衆目に家族がさらされると言うことは非常に辛いだろうと思います。転校や引っ越しを余儀なくされて、自分と家族の生活が一変してしまうというイメージがどうしてもあります。

 「総務担当の公務員は、告訴告発や国家賠償を起こされて一任前です。裁判官や検事も同じように言われてますよ。もっと裁判所を信じてください。」とは、講演にいらした元裁判官の弁護士先生のアドバイスでした。

わたくしは無罪に自信あります。公判傍聴も一度しましたし経緯を追うと先日の甲子園決勝以上に コールドにならない方が不思議な程 検察の論証はひどかったと思ってます。社会への影響関係なしで 議論レベルでKO試合でしょw

私も無罪確実派です。

担当裁判官が,弁論をきちんと論理的につなぐ真っ当な人々であれば,検察に勝ち目はないと思います。検察の主張を否定する証拠・証言はいくらでもあるけれども,弁護団の主張を否定する証拠・証言は殆どないかごく弱いものばかりですから。

ただ,一般に医療訴訟を観察すると,裁判官の論理的思考力が疑わしい例や,論理的思考よりも情状を重視しすぎる例は少なくなく,今回の裁判団もその点でレベルが低い可能性は十分にありますので,議論レベルだけを考えるならば,モトケンさんの言われるような5分5分はないにしても,検察勝訴側に振れている可能性は否定できないでしょう。そうなるとあとはやはり社会状況を含めての,無罪確実と言わざるを得ないと考えています。

裁判官の論理的思考力が疑わしかったり,論理的思考よりも情状を重視しすぎたと考えられる例は,以下で司法過誤度をAランクとしています。
http://www.orcaland.gr.jp/kaleido/iryosaiban/

>>No.5 しま さん
三権分立に同意です。
裁判所は司法、検察は行政でありそれぞれの権力の執行にあたっては、互いの独立を常に厳正に相互監視していなければならないでしょう。

場外乱闘板にもコメントしましたが、医療者が判決の速報に脊髄反射して、「宣戦布告の最後通牒」のような平静さを欠いた過激なネット発言の嵐となることを憂慮します。
どのような判決になろうとも、医療者にしろ、非医療者にしろ、冷静に対応をされて、感情的な発言を思いとどまれるよう希望します。
積年の思いを知る者として、出来れば無用な言論合戦は見たくないので…。

産科医療側からすればゼロサムですしね。 裁判所が過失を認定しなかったとしても得るものはなく、過失が認定されれば多くの産婦人科医には「やってられるか」と感じさせるに十分であり。 地滑り的に産科医療が崩壊する決定打が出るんじゃないかと懸念しています。

それは「ゼロサム」ではなく「ノーウィン」(no win)です。
どっちに転んでも誰も勝利しない状態です。
「ゼロサム」(zero sum)は勝った側の得と負けた側の損をプラスするとゼロになる状態です。

どうせノーウィンなんだから、いっそ有罪実刑判決が出て医療が一気に崩壊して屍臭漂う屍の山が街にあふれた方が国民の意識が少しだけ高まっていいと思います。

いまさらなのかもしれませんが

>既に医療側から何度も指摘されていますが、大野病院事件において、過失を認定するに当たっての障害はほとんどないと思います。

本当ですか?

確かに。用語を間違えました。なんか変だなーとか思いつつ、そのまま書き込んでしまいました。
ご指摘ありがとうございます。

いっそ有罪実刑判決が出て医療が一気に崩壊して屍臭漂う屍の山が街にあふれた方が国民の意識が少しだけ高まっていいと思います。

判決前から盛り上がってますね〜

有罪熱望の医師も結構いるんですね〜

法務業の末席 さん


今までのエントリーからモトケン先生の考えを
示したものではないとしても、法律家からみた
ら、実際五分五分だということだけで、裁判の
なかでそれそれの医師の証言の妥当性を判断す
る司法の判断に疑問を持ってしまいます。
友人の検事は、福島地検の起訴担当者は明らか
に左遷だと言っていました。左遷させた判断は
起訴不適当である判断が司法側にもあるはずで
す。それで、有罪になるとしたら、司法のメンツ
のために人を有罪にできるのが、裁判官だと思う
でしょう。

感情的な発言を実際にするかどうかはともかく
理性はふっとび、理屈ではなく司法不信になる
と思います。
これって、医療事故の患者の一部の感情と似る
かもしれません。
でも、きっとどうしようもないでしょう。
僕はすぐには辞めませんが、辞めようと思う医師
は多いでしょうね。

 ものすごく説明不足でしたけど、

 常に、最悪の結果が、予見可能である

 ということです。

司法のメンツのために人を有罪にできるのが、裁判官だと思うでしょう。

ぼくは既に思ってますが。
(参考:富士見産婦人科病院事件)

有り難うございました。

8月20日(水) 午前9:55〜10:25
報道特別番組 速報 産婦人科医に判決
<制作:福島テレビ>
★内容

全国がその行方を注目している県立大野病院事件の裁判。
帝王切開手術を受けた女性が死亡、担当した産婦人科医に対する判決公判を福島地方裁判所から生中継で速報する。
スタジオでは、医師不足など日本の医療界を巻き込んで議論を呼んだこの事件について、医療ジャーナリストの伊藤隼也氏をゲストに招き、詳しく解説する。

★出演者

ゲスト:伊藤隼也(医療ジャーナリスト) ほか

 刑事裁判において、少なくとも1審の裁判官に「メンツ」などいうものはないと思います。

 「メンツ」がないというだけで、問題が何もないといっているのではありません。

 それも社会的影響の一つと考えています。

裁判官は判決事由で「心証」形成過程を明らかにせねばなりません。
「心証」とは心情や感情、世情に一切とらわれずただ冷静な理性に基き厳密な論理的分析を行なって初めて得られるものであって、裁判官が違っても「心証」は同じでなければ心証主義裁判は成立しないでしょう。

判決全文がわかってからその「心証」について論じようと思います。

>「心証」とは心情や感情、世情に一切とらわれずただ冷静な理性に基き厳密な論理的分析を行なって初めて得られるものであって、裁判官が違っても「心証」は同じでなければ心証主義裁判は成立しないでしょう。

 残念ながら、この意見は理念的にも実際的にも間違いと言わざるを得ません。

 なぜ、三審制か? なぜ頂点たる最高裁は一つなのか?ということを考えていただければお分かりかと思います。

業務上過失致死に関しては仰る通りかもしれませんが、異状死に関してはどうなのでしょう。

議論の中心は業務上過失致死であり、異状死に関してはほとんど議論されていないように思わないでもないです。仮に、業務上過失致死傷罪については無罪、異状死届け出義務については有責と言う判決が出たら、医療関係者はどのような反応をするのでしょうか。

 判決当日になりましたので

 「大野病院事件判決当日のエントリ

 よって、今後このエントリに対するコメント投稿はお控えください。

P R

ブログタイムズ

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