エントリ

 判決要旨が報道されました。
 福島県立大野病院事件の福島地裁判決理由要旨(asahi.com 2008年8月20日14時16分)
 明解な論理です。(詳細は後記)

 産科医に無罪 大野病院事件 福島地裁判決(河北新報ニュース 2008年08月20日水曜日)

 検察側が「前壁から後壁にかけて広く癒着し、大量出血を予見できるほどだった」と主張していた胎盤と子宮の癒着についても、判決は「検察側の鑑定医は専門的経験が少なく、剥離時の状況や子宮の形状などと照らすと、鑑定には相当に疑問がある」と判断。後壁のみとした弁護側鑑定については「おおむね合理的だが、全面的には認定できない」と評価した。

 剥離と患者死亡の因果関係で、判決は「剥離開始後の出血の大部分は胎盤の剥離部分からのもの。死因は出血性ショックによる失血死」と検察側主張に沿う認定をした。出血量は、麻酔記録などから剥離終了後の午後3時には5000ミリリットルに達していたとした。

 この河北新報のニュースからは、裁判所がかなり緻密な事実認定をしたことが伺えます。

 本当は判決全文を読んでからコメントしたほうがいいのですが、皆さんの関心が高い時期に第一印象的ではありますが、感想を述べることも悪くないと思いますので簡単に述べてみます。
 判決要旨全文は、一番最後に引用します。

 周産期医療の崩壊をくい止める会のホームページの第一回公判のページによれば、起訴状における業務上過失致死の主張内容は

「癒着胎盤と診断した時点で胎盤を子宮から剥離することを中止して、子宮摘出すべきであったのに」(しなかった)
「胎盤を無理に剥離すると大量出血する可能性があることを認識していた」(のに剥離行為を行った)

という2点がポイントのようです。

 つまり検察官は、起訴状で、加藤医師に対して

 (1)癒着胎盤であることが分かったらすぐに子宮を摘出しろ。
 (2)癒着胎盤の剥離は危険だから剥離するな。
 
と言ったのです。

 それに対して判決は、(1)の点について

 医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反した者には刑罰を科する基準となり得る医学的準則は、臨床に携わる医師がその場面に直面した場合、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性がなければならない。なぜなら、このように理解しなければ、医療措置と一部の医学書に記載されている内容に齟齬(そご)があるような場合に、医師は容易、迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらすことになり、刑罰が科される基準が不明確となるからだ。

と判示しました。

 つまり、裁判所は

 検察官が要求する行為(子宮摘出)をしなかったことをもって加藤医師に刑罰を科すためには、同様の場面(癒着胎盤の判明)に直面した産科医なら、ほとんどの産科医が直ちに子宮を摘出するという事実が存在する必要がある。
 そんな事実がないのに、一部の医学書に「子宮を摘出すべし」と書いてあるからといって、そうしなかった執刀医を処罰したんじゃ医療現場が混乱するじゃないですか。

と言った上で、さらに

 この点について、検察官は一部の医学書やC医師の鑑定に依拠した準則を主張しているが、これが医師らに広く認識され、その準則に則した臨床例が多く存在するといった点に関する立証はされていない。

と言っています。

 つまり、

 そんな事実(ほとんどの医師が癒着胎盤の場合はすぐに子宮摘出する。)があるならそれを検察官が立証する必要がありますよ。
 でも、立証できてないじゃないですか。

というわけです。
 これは、刑事裁判の論理(立証責任)として当然の指摘です。

 以上で、起訴状の(1)の主張を退けました。

 ついで、裁判所は

 また、医療行為が患者の生命や身体に対する危険性があることは自明だし、そもそも医療行為の結果を正確に予測することは困難だ。

 という認識を示した上で

 医療行為を中止する義務があるとするためには、検察官が、当該行為が危険があるということだけでなく、当該行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにしたうえで、より適切な方法が他にあることを立証しなければならず、このような立証を具体的に行うためには少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠だといえる。

と判示しました。
 つまり、検察官に対して

 癒着胎盤の剥離が危険だと言うのであれば、剥離を中止しなければ命に危険が生じることを具体的に明らかにしなさい。
 そして、(どんな医療行為も危険性はあるのだから胎盤剥離が危険だと言っただけでは過失の主張としては不十分なのであり、)より適切な方法が他にあったことを証明しなさい。

と批判し、さらにその立証方法として、

 少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠だといえる。

と指摘した上

しかし、検察官は主張を根拠づける臨床症例を何ら提示していない。被告が胎盤剥離を中止しなかった場合の具体的な危険性が証明されているとはいえない。

と判示して、起訴状の(2)の主張も退けました。

 言い方を変えれば、検察官に対して

 机上の空論じゃ納得できませんよ。
 臨床の現場がどうなっているのかを示してください。(示せるものなら)

と言っているように聞こえます。

 表現としては、検察官の立証が十分でない、という言い方なんですけど、

 そんな現場無視の過失をどうやって立証できると言うの。

という指摘が言外に聞こえてくるようです。
 それは、 【医師法違反】 の判旨の要約からも伺えます。
 最高裁第三小法廷平成16年04月13日判決は、医師法21条について

本件届出義務は,医師が,死体を検案して死因等に異状があると認めたときは,そのことを警察署に届け出るものであって,

と判示しており、死因等に異状つまり普通と異なった状態がある場合の報告義務を定めたものですが、これは、過失による死亡であることが明白な場合にとどまらず、過失による死亡の疑いがある場合も含むと読むのが自然です。

 ところが本件判決は

本件患者の死亡という結果は、癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為をもってしても避けられなかった結果といわざるを得ないから、医師法にいう異状がある場合に該当するということはできない。

と言い切っちゃっています。
 つまり、過失による疑いがあるとも言えない、過失によらないことが明らか、と言っているように読めます。

 裁判所としては、業務上過失致死罪については灰色無罪とし、医師法21条違反については有罪とするという判断もあり得たわけですが、そうは考えないで、業務上過失致死罪については、少なくとも限りなく白に近い無罪、その結果として医師法21条違反も無罪と考えたように思われます。

 さて、この判決に対して、検察は控訴できるかですが、私はかなり困難だと思います。
 裁判所は、要するに、「検察官の主張は医療現場と乖離している。」として、無罪を言い渡しました。
 これに対して、検察が控訴して勝つには、「地裁判決が判決の基礎とした事実認定は間違っている。」と主張して反証に成功するか、「そもそも医療現場との乖離を問題にする地裁判決の論理が間違っている。」と主張して高裁を納得させるか、「加藤医師の行為は医療現場と乖離している。」ということを証明するかのいずれかが必要だと思います。

 外形的事実認定については、検察側の主張もかなり採用しており、認定事実についてはほとんど争いがないのではないかと想像します。そうであればこの点は争点になりません。

 また、現場との乖離を問題にすべきでないという論理が通用するとは思えません。

 では現場と乖離していることが立証可能かと言えば、1審の審理から見てまず無理でしょう。
 2週間以内に検察に協力する産科医が5〜6人名乗りを上げたら別ですが。

 とすると、検察に勝ち目はないことになり、仙台高検が福島地検の控訴を了承することはないと思われます。


判決要旨全文は以下のとおり。

【業務上過失致死】

 ●死因と行為との因果関係など

 鑑定などによると、患者の死因は失血死で、被告の胎盤剥離(はくり)行為と死亡の間には因果関係が認められる。癒着胎盤を無理に剥(は)がすことが、大量出血を引き起こし、母胎死亡の原因となり得ることは、被告が所持していたものを含めた医学書に記載されており、剥離を継続すれば患者の生命に危機が及ぶおそれがあったことを予見する可能性はあった。胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行した場合に予想される出血量は、胎盤剥離を継続した場合と比較すれば相当少ないということは可能だから、結果回避可能性があったと理解するのが相当だ。

 ●医学的準則と胎盤剥離中止義務について

 本件では、癒着胎盤の剥離を中止し、子宮摘出手術などに移行した具体的な臨床症例は検察官、被告側のいずれからも提示されず、法廷で証言した各医師も言及していない。

 証言した医師のうち、C医師のみが検察官の主張と同趣旨の見解を述べている。だが、同医師は腫瘍(しゅよう)が専門で癒着胎盤の治療経験に乏しいこと、鑑定や証言は自分の直接の臨床経験に基づくものではなく、主として医学書などの文献に頼ったものであることからすれば、鑑定結果と証言内容を癒着胎盤に関する標準的な医療措置と理解することは相当でない。

 他方、D医師、E医師の産科の臨床経験の豊富さ、専門知識の確かさは、その経歴のみならず、証言内容からもくみとることができ、少なくとも癒着胎盤に関する標準的な医療措置に関する証言は医療現場の実際をそのまま表現していると認められる。

 そうすると、本件ではD、E両医師の証言などから「剥離を開始した後は、出血をしていても胎盤剥離を完了させ、子宮の収縮を期待するとともに止血操作を行い、それでもコントロールできない大量出血をする場合には子宮を摘出する」ということが、臨床上の標準的な医療措置と理解するのが相当だ。

 検察官は癒着胎盤と認識した以上、直ちに胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行することが医学的準則であり、被告には剥離を中止する義務があったと主張する。これは医学書の一部の見解に依拠したと評価することができるが、採用できない。

 医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反した者には刑罰を科する基準となり得る医学的準則は、臨床に携わる医師がその場面に直面した場合、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性がなければならない。なぜなら、このように理解しなければ、医療措置と一部の医学書に記載されている内容に齟齬(そご)があるような場合に、医師は容易、迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらすことになり、刑罰が科される基準が不明確となるからだ。

 この点について、検察官は一部の医学書やC医師の鑑定に依拠した準則を主張しているが、これが医師らに広く認識され、その準則に則した臨床例が多く存在するといった点に関する立証はされていない。

 また、医療行為が患者の生命や身体に対する危険性があることは自明だし、そもそも医療行為の結果を正確に予測することは困難だ。医療行為を中止する義務があるとするためには、検察官が、当該行為が危険があるということだけでなく、当該行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにしたうえで、より適切な方法が他にあることを立証しなければならず、このような立証を具体的に行うためには少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠だといえる。

 しかし、検察官は主張を根拠づける臨床症例を何ら提示していない。被告が胎盤剥離を中止しなかった場合の具体的な危険性が証明されているとはいえない。

 本件では、検察官が主張するような内容が医学的準則だったと認めることはできないし、具体的な危険性などを根拠に、胎盤剥離を中止すべき義務があったと認めることもできず、被告が従うべき注意義務の証明がない。

 【医師法違反】

 本件患者の死亡という結果は、癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為をもってしても避けられなかった結果といわざるを得ないから、医師法にいう異状がある場合に該当するということはできない。その余について検討するまでもなく、医師法違反の罪は成立しない。


追記(関連エントリ)
新小児科医のつぶやき

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コメント(118)

判決要旨は、モトケン先生のおっしゃるように明解です。
モトケン先生も以前に、検察を批判していたように思えます。
証人の証言の信頼性を考えれば当然の帰結に思えます。

それでも、判決前に有罪か無罪か五分五分と言われたのはどうしてでしょうか。

 情報が十分でないからです。
 「無難に」という言葉をつけたのはそのためです。

本件患者の死亡という結果は、癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為をもってしても避けられなかった結果といわざるを得ないから、医師法にいう異状がある場合に該当するということはできない。

この辺り、医師法21条の死文化をまねくのかなと思っていましたが、そういうわけでも無いみたいですね。

「過失があった場合」「過失無き診療行為であれば避けられた場合」に関しては、医師法に言う異状がある場合に該当するという事を意味しているように思います。

今回は過失がなかったから医師法21条違反が問われなかったわけで、もし過失があったら医師法21条違反に該当される訳ですね。

こう考えていくと、医師法21条単独での起訴は難しいという事になるのでしょうね。

判決要旨を読んで素朴な疑問ですが、
教科書に書いてあったことは、間違い。
ということでしょうか?
それとも、正しいが、子宮を温存しよう、という
産科医の意向が強く、古き先輩たちから教科書の教えに逆らい、剥離優先にして、母体も子宮も両方助けるバクチが
一般化していた、ということでしょうか?

もちろん、子宮摘出に移行しても、それなりの確立で
母体が亡くなると思いますが、
剥離継続
子宮摘出移行
それぞれの場合の母体死亡確率がわからないので、
どっちがいいとは言えないでしょうが、
遺族にしてみれば、確かに結果論として、なぜ子宮摘出移行
にしなかったのか?教科書に書いてあるだろ、という思いはあると思います。
もちろん移行していれば、なぜ子宮を取ったのか?
という責めがあったかもしれませんが。

そういう観点からすると、どっち引いてもハズレしかない、
くじを引くしかない
医師には大幅に待遇改善を考えてあげてもいいかな?と思います。

情報とは何を指しているのでしょうか。

裁判での、それぞれの証言はほとんど明らかになっています。
情報とは司法側の空気のようなものを指しているのでしょうか。

「裁判官が被害者・遺族の顔を強く思い浮かべれば過失有りに傾くかも知れませんし、本件の起訴の後で閉鎖された産科やその結果、不安を抱えながら遠くの病院にまで行かなければならなくなった妊婦の顔を強く思い浮かべれば過失なし」

というのは、その通りなのでしょうが、裁判の恣意性をいうように非法律家からは思えます。裁判での証人の発言だけ観れば、ほぼ過失なしとした判決に当然いたらなければいけない、そうでなければ法を信用できないと素人は思うのですが。

教科書に書いてあったことは、間違い。 ということでしょうか?

教科書は多種多様なものでしょうし、教科書毎に内容はちがう事もあるでしょう。ある教科書ではAをするべきだと書いてある事が、別な教科書ではBをするべきと書いているかも知れません。

医師の間で「A」をする事が広く認識されているのであれば、Aを行っても過失とは認定しないという事だと思います。もっとも、この場合「B」を行った医師に対しては、判断は厳しくなるように思います。

この辺りの判断に関しては、薬害エイズの安部教授に対する東京地裁の判決文と同じように思いました。

本件においては、非加熱製剤を投与することによる「治療上の効能、効果」と予見することが可能であった「エイズの危険性」との比較衡量、さらには「非加熱製剤の投与」という医療行為と「クリオ製剤による治療等」という他の選択肢との比較衡量が問題となる。刑事責任を問われるのは、通常の血友病専門医が本件当時の被告人の立場に置かれれば、およそそのような判断はしないはずであるのに、利益に比して危険の大きい医療行為を選択してしまったような場合であると考えられる。

公的教育用の検定済み教科書と、医学の教科書は違います。
更には英語原著論文>>>日本語教科書の世界で、教科書は常にちょっと時代遅れのことが書いてあるけどまあ無難かなくらいのことしか書いていません。

だから、ステップ産婦人科(wwwwとなるわけで。

教科書に書いてあったことは、間違い。ということでしょうか?

検察側がどの教科書のどの部分を指して「教科書に書いてある」と言ったのか分かりませんが、他のブログに出ていた内容によると、「検察が示したどの文献にも検察が主張するような内容は書いていなかった」そうですよ。どういう文献のどこを指していたのか分からない限り何とも言えませんが。

それとも、正しいが、子宮を温存しよう、という産科医の意向が強く、古き先輩たちから教科書の教えに逆らい、剥離優先にして、母体も子宮も両方助けるバクチが一般化していた、ということでしょうか?

確か、子宮摘出をして、それが医療行為として正しかったことが病理結果で証明された後に医師免許を取り消された医師がいましたよね。そういう判例もかなり強く影響しているのではないでしょうか?

モトケン先生、噛み砕いたご解説を提示していただきまして、ありがとう御座います。
私のような者でも良く理解できました。

>現場と乖離していることが立証可能かと言えば、1審の審理から見てまず無理でしょう

控訴が難しいという事だと思いますが、別スレでうらぶれ内科様が仰っていたように、最高裁での確定の方が、より重要でしょうか?最高裁で「無罪」が確定すればその無罪の解釈がより法律に近づくことになるのはなんとなく理解は出来ますが、このまま地裁判決が確定したままでは、まだ弱い判例なのでしょうか?
すいません、表現が適切ではないと思いますが。
(しかもまだ確定判決ではない状況で失礼な予想かもしれません)

 実務家というのは、自分の目で全ての証拠を見ないとはっきりしたことは言わないものです。
 そして、ネットで読める証言はかなり重要なものですが、その再現性も問題がありますし、証拠の全てでもありません。
 そして、全ての証拠を見たとしても、断定できない場合が多いのです。
 
 まして、自分ではない裁判官の判決を予測するのに断言なんかできません。

 ついでに言いますと、裁判官に関する情報もありませんでしたから、ますます断言できません。
 判決要旨を読んではじめて、ああこういう考えの裁判官なんだ、と分かりましたけど。
 福島地検の公判担当検事がまともなら、私よりもっと高い無罪可能性を想定していたかも知れません。

 裁判に、裁判官の価値観に影響される部分があることは間違いありません。
 人間による判断なのですから。
 でも、それは恣意性とは違うと思います。
 自分が正しいと信じる判断基準を適用しているからです。
 但し、人によってその判断基準が微妙に異なる場合があります。
 その結果、結論が異なる場合があります。
 だから、三審制がとられており、その頂点に最高裁が一つだけあるのです。

 資源ごみ持ち去り禁止条例の事件なんかを考えてみてください。

中学までの教科書と違い、医学の教科書(高校以上の教科書もそうですが)は出典が異なると意見が大きく違うということも珍しくありません。また、医学は昨年のことがまるで通用しなくなるくらい日進月歩の部分もあり、ここまで来ると教科書にすら載っていません。
つまり、あの教科書には載っていたけどこの教科書には別のことが載っていた、さらにこちらは載ってすらいない、ということが日常茶飯事です。これが医学は科学であると呼ばれる所以でもあります。
ただ、誤解していただきたくないのは医療とは医学という不確実な科学を根拠に総合的に行うものなので医療=科学ではありません。

>ゼロ+Oさん

>地裁判決が確定したままでは、まだ弱い判例なのでしょうか?

 仮にこの判決が確定したとしての話ですが

 弱いと言えば弱いです。
 でも、事実認定に問題がないとしますと、検察が控訴しないということは、検察か地裁の論理(医療事故における過失の有無の判断の考え方)を認めたということになりますので、医療事故に関するリーディングケースの一つとしての意味は持つと思います。

 つまり、検察の起訴判断に対する影響は決して小さくないと思います。
 要するに、今後はもっと慎重になるだろう、ということです。

 というか、大野病院事件の起訴自体がスタンドプレー的だということを、何度か言った記憶があるんですけどね。

ありがとう御座いました。

>つまり、検察の起訴判断に対する影響は決して小さくないと思います。
 要するに、今後はもっと慎重になるだろう、ということです。

どちらにせよ、無罪が確定し、医療問題に対して、検察側の慎重さが高まれば取り敢えずは現状では良かったと思います。
(元検察だったモトケン先生には申し上げにくかったですが)

これまで鑑定医の問題は議論されてきましたが、1人の鑑定医(あるいは協力医)と、その意見(それが仮に間違っていても)それを支持する文献や論文、教科書などはインターネット検索などで簡単に見つけることが可能です。それゆれ医学の常識を外れたトンデモ鑑定書が闊歩していたわけです。

>このような立証を具体的に行うためには少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠だといえる。

判決文要旨の中のこの部分は医療者として非常に共感の得られる良いところだと思います。

もうひとつ追加しますと、昨今とみに医専化しているとはいえ、医学部というのは曲がりなりにも「大学」にありまして、一応は「研究者番号」を授かっている教官もとい教員が「授業」じゃなくて「講義」をやってるんです。「正解」がない世界なんですよ、少なくとも表向きは。

実際、特定の書物にべったり準拠した話なんかしていたら、出来のいい学生になめられます。

#専門外の部分の講義ではそこまでなかなかできませんが。

教科書の件、よくわかりました。
コメントいただいた皆様、ありがとうございました。

事実認定に問題がないとしますと、検察が控訴しないということは、検察か地裁の論理(医療事故における過失の有無の判断の考え方)を認めたということになりますので、医療事故に関するリーディングケースの一つとしての意味は持つと思います。

 つまり、検察の起訴判断に対する影響は決して小さくないと思います。
 要するに、今後はもっと慎重になるだろう、ということです。

非医療者から見ても、この判決の意味は凄く大きいと思います。
警察検察は、今後、びびって医療問題には極力首は突っ込みたくない、という雰囲気になると思います。
検察側の鑑定医も引き受けずらくなるでしょうし。
表彰された警察署長なんて今頃どうしているんでしょうか?
おそらく、今日あたりから、警察検察の人の書き込みが増え、
自分たちでは、医療問題は手に負えないので、
事故調は絶対作るべきだという意見が溢れかえるでしょう。
医療者側がどういう態度に出るのか、楽しみです。

>医療者側がどういう態度に出るのか、楽しみです。

楽しむ問題かな〜?

楽しむ問題かな〜?

楽しむは不謹慎ですね。

期待でわくわくです。に変更します。

mixi の時事通信のニュースです。
IDをお持ちの方はどうぞ。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=583317&media_id=4

県警が、「公判で議論した意義があった」などと負け惜しみコメントをしてます。
逮捕・勾留されて起訴された医師の身になってみろと言いたいところです。
この事件で、医師を身柄拘束したことについては、明らかにその必要はなかったと思われ、その意味で不当逮捕・勾留だと思っています。

さらに、担当検事が、一見すると間抜けなコメントをしていますが、ほんとに間抜けかどうかは判決の要旨ではなく原文を見てみないとはっきりしません。
ただ、無罪を予想していなかったのかな、と思えるコメントです。
もしそうなら、アンテナの感度が鈍すぎです。

担当検事のコメントは 「判決途中までなぜ無罪なのか分からなかった」 とされていますが、判決要旨の冒頭「●死因と行為との因果関係など」で、
・胎盤剥離行為と死との因果関係を認め、かつ
・予見可能性と回避可能性も認めた
という部分を聞いている時の感想なのかな、と思いました。

客観的、レトロスペクティブ的には、回避可能性はあった(ゼロではなかった)といえるのでしょうけど、違和感があります。
回避可能性あり=回避義務あり=過失あり
というロジックが前提であるのなら、「(過失と評価可能なほどの)回避可能性はなかった」と認定すべきだったのではないかと思います。

> fuka_fukaさん

また、医療行為が患者の生命や身体に対する危険性があることは自明

という生の事実的には、予見可能性は否定しがたいように思います。

予見可能性の存在を前提にしますと、不可抗力とも言いにくく、回避可能性も否定しがたいです。

しかし、そこに

そもそも医療行為の結果を正確に予測することは困難だ。

というように、正確な予測の困難性(逆に言うと、アバウトな予測は可能)を持ち込んで考えた場合、これを回避可能性の問題と考えるか、とにもかくにも可能性の存在は認めて回避義務の問題と考えるかは、微妙なところだと思われます。

私としては、回避義務が否定できればどっちでもいいかという、ロースクール教員にあるまじきいい加減な感覚でおりますが、生の事実の承認から議論を始めるというスタンスから言えば、可能性は認めて義務を否定したいところです。

 教科書の件についてひとつだけ補足します。
ssd先生も書かれてますが,その教科書とは
「ステップ産科婦人科」だったらしいのです
(ネットからの情報なのでホントかどうか
わかりませんが)。
これは,医学生が楽に勉強するために大雑把に
書かれた,国家試験用のいわゆる「アンチョコ」
です。
治療法も箇条書きでわかりやすく書いてあり
ますが,どんな状況でその治療法を選ぶのか
きちんと記載がありません。

>>No.20 fuka_fuka さん
>>No.21 モトケン先生
この担当検事が過失認定に用いていた法理論は新過失論でしょうか?

たしかに、「生の事実」=「事後の検証によって判明した客観的事実」を前提にすれば、「可能性」は認めるとするほうが素直な理解なのかもしれません。

なんとなく感じているのは、
「予見」については、医療行為(特に侵襲的)ならばほぼ全ての場合に「死の結果の予見」は可能であり、わざわざ認定して言及する意義あるの?ということと、
「回避」については、ものすごい複雑な3D迷路の最短ルートを走り抜けた場合の所要時間を基準に、「○分以内でこの迷路を脱出できる可能性はあった」と言われているようで、「そりゃ理屈上はそうだろうけど、事前に正解を知らない以上、現実的な可能性はないだろが。それを『可能性あり』と呼ぶことにどれほどの意味が?」
という違和感です。

なので、「予見可能性はあったけれども回避可能性がないために過失なし」という場合であれば、「回避可能性」について言及する意味はあるでしょうけど、「回避可能性はあったけれども回避義務まではなかった」という場合には、「回避可能性」についてわざわざ詳細な認定をする必要性はないのではないか、と。

そういう意味で

回避義務が否定できればどっちでもいいか

という感覚には、激しく同意です。

 論告を読んでみないとはっきりしませんが、そうじゃないかと思います。

>>No.25 モトケン先生
ご教示いただきましてまことにありがとうございます。

モトケン先生
細かいことで恐縮ですが、エントリ本文

仙台高裁が福島地検の控訴を了承することはないと思われます。
「仙台高裁 → 仙台高検」と読み替えしないで、このまま理解してもよろしいでしょうか?

結局、予見可能性はあり、レトロスペクティブ的には判断は誤りであったといえるのかもしれないが、人の命の正解は事前に分からなくても無理はない。

とすれば、検察は多くの医師が検察主張のような方法をとるという主張の根幹を立証しておらず、当該領域の権威の証言にあるように、多くの医師が取るであろう方法を採用した被告人に過失があったとはいえない、という極自然な判断だと思います。

もちろん、人の親、人の子として、家族の幸せを失った患者さんのご遺族の感情は理解できます。

一方、専門的な医療の当否を争う裁判である以上、議論の中心が専門的な内容になるのは不可避で、むしろ専門的な見地を無視すればただの「吊るせ」になりかねない。

今回の裁判ではご遺族の意見陳述も認められ、遺族が直接的な当事者ではない刑事訴訟としては決して遺族を置き去りにしたとは思えないのですが、読売新聞の「公判は医療を巡る専門的な議論が中心で、遺族が置き去りにされたような思いがある。」という論評には、正直愕然としました。読売新聞は、一体何を求めているのか。

今、福島から無事に帰還しました

傍聴券は、倍率30倍の壁を超えることはできませんでしたが、裁判所前で、無罪判決の放送を聞いてホッとしました。

期待していた『無罪』という垂れ幕をもった人が走り出してくる光景は見られませんでした…

安心して家でワイン呑んでます。生ハムと共に。
今晩はゆっくり休ませて頂きます。

 ご指摘感謝です。
 訂正しました。

産経

 公判で弁護側の証人に立った産婦人科の権威らが「一切過失はない」と言い切る姿は、国民に「医者のかばい合い」と映ったに違いない。
 今回の事件を契機に、医療事故調査専門の第三者機関、いわゆる医療版事故調を設置しようという機運が高まっている。だが、医療界がこぞってすべての医療ミスで刑事責任の免責を主張するなら、事故調が事故原因究明や公正な判断を下せなくなるのでは、と懐疑的な見方が出てきても仕方あるまい。

不見識と批判することは簡単ですが、一方でこういう見解が出てくるのもまた現実

ともあれ無罪でほっと一息。ではありますが、あの読売の記事はいただけませんね。遺族の応報感情を主眼に置いて判決を出せと言うことでしょうか。

今回の判決は極めて明快かつ正当なものだと思いますが、裁判官によっては全く反対の結論が出てもおかしくなかったのかなとも思います。

それに期待してとりあえず控訴する、ということは検察にはあり得ないのでしょうか。

 薬害エイズ無罪〜本件無罪で、医療行為の裁量の範囲内(通常の医師が平均的に選択する医療行為の範囲内)なら、注意義務は尽くされたと評価されて、予見義務違反又は回避義務違反が認められず、無過失!犯罪不成立!という動向が明確に見えてきたと思います。
 これは純粋に刑法の過失犯の解釈枠組みの中で医療の不確実性と医療行為の選択の裁量の範囲をとらえるべきで、マスコミの感情的報道や表現は取捨(ぶっちゃけ無視)すべきと思います。
 とすれば、刑事免責云々という時間がかかる政策よりも、まず、この注意義務の範囲を厳格にとらえるように解釈することが当面の対処としていいように思います。

 タダ怖いのは「前例のない特殊重大事件・地裁新判決例だから地裁で確定させるのは相当でなく高裁の判断を仰ぐ」という控訴(調布駅(南口)前事件の次席コメントの例)が理論上あることです。
 証拠関係を見ていないので正確なところはもちろん分かりませんが(汗。

元外科医先生、お疲れ様ですm(_ _)m

比較的中立の立場で書いている記事もあるのですが、マスコミにもいろんな記者がいるということでしょうか。

ただ、なぜか論評記事では医療側や今回の判決(裁判)への批判を入れずには気がすまないようですが・・・。

確かに、お得意の感情論優先記事は、「マスコミとはそういうもの」として気にしない方がいいのかもしれません。

ほとんどの治療はガイドラインはありません。

そういう治療は雑誌と教科書を何冊か読むわけですが、ぜんぜん違う治療が書いてあることが多々あります。私の場合複数の雑誌に共通する治療を探し、信頼できる人に意見を聞いて治療を決定しますが、これも時期、期間、範囲はすべて治療医の判断に任せられます。

大体こういう治療があるという膨大な範囲から、一点を決めるのですが、なかなか決定出来ないことがあります。
看護師や一般市民にはよく分からないようですね。やはり、上司の命令に従っていれば、問題ないことが多いからでしょうか?

自分の裁量を信じてその治療を施行するわけですが、ものすごいプレッシャーです。最悪の場合死にますから。最近の医師バッシングの中では治療をしないことこそが最良の治療であると感じます。

控訴したとして、今度は田中教授、法廷に立てるかなあ。

トンデモでも自分の信じている異論を唱えるのは構わないけど、自分でも自分の鑑定を信用していないのが、ありありでしたからね。

>それに期待してとりあえず控訴する、ということは検察にはあり得ないのでしょうか。

 とりあえず控訴、というのはやっぱりないですね。
 (検察から見て)よっぽどおかしな判決なら問答無用に控訴というのはあるんですけど(例えば、前刑強盗殺人で無期懲役判決を受けて仮釈放中にまた強盗殺人を犯したのにまた無期懲役の判決など)、そうでなければ、控訴審であらたな証拠を提出できなければ控訴断念というのが普通です。

 本件では、地裁判決の注文に応じられなければだめなんじゃないかなと勝手に思ってます。

お答えをありがとうございました。

やっぱり、自分としては判決前より当然の帰結というお話が、司法サイドよりいただきたかったと思いますが、これも駄々っ子論理かもしれません。

有罪の可能性を否定できない状況では、モトケン先生の立場として、当然の書かれ方だったであろうとも思っております。

>当然の帰結

 仮に本音ではそう思っていたとしても、なかなか口には出せませんよ。

>立場として、当然の書かれ方だったであろうとも思っております。

 ご理解いただきありがとうございます。

>看護師や一般市民にはよく分からないようですね。

うーん、胸に手を当てて真剣に考えてみると…分からないのだと思います。理屈として想像することはできているつもりなのですが。

>やはり、上司の命令に従っていれば、問題ないことが多いからでしょうか?

自分自身を振り返れば、まさに、そういうことではないかと感じます。

ただ、今回の事件を2004年の当初からずっとワッチしてきた経験を通じて、医師の仕事とはそういうものなのか、と思いを馳せることはできつつあるのではないかと考えてはおります。これからも、ずっと考えていきます。

ガイドラインさえあれば大丈夫などとは言えないですよね。ガイドラインを想定可能なあらゆるケースで作成して、それから外れた医療で事故起こせば責任を追及すればよい。と言うような論調が非医療者の方からのご意見で見られます。
 しかしながら、「ガイドラインに従ってれば無罪で大幅に外れてれば有罪」。では臨床医学の進歩は止まります。新たな発想、新たな理論の手術は出来なくなりますね。例えばバチスタ手術のようなユニークな発想は不可能になります。一人でも死亡例があれば有罪ですから。
 死んだら「動物実験の経験しかないのに人体実験を行った非道な医者」として弾劾されるのが目に見えるようです。

 標準的な医療行為(無謀ではない医療行為)をやっていればOKと言うことですね。
 その通りじゃないでしょうか。
 遺族は無念でしょうが、個人的には、これで事故調設立への弾みがついたのかなあと思っています。

>No.37 治療に線引きなどありません さん
 十分に調べた結果であれば、最終的には、プロとして自分の判断で行動すればいいんじゃないでしょうか。
 今回の判決は、そのことを示唆していると思います。

 あと、敢えて揚げ足取りしますけど、治療に線引きがないのなら、逆に加藤医師の行為が正当だったとも言えなくなりますよ。
 だって、線引きが無いんですから。

その動物実験すら愛護団体のご尽力のおかげで風前の(りゃく

>逆に加藤医師の行為が正当だったとも言えなくなりますよ。

私がその立場なら、「不当でない」と言われるだけで十分ですが。

>あと、敢えて揚げ足取りしますけど、治療に線引きがないのなら、逆に加藤医師の行為が正当だったとも言えなくなりますよ。
> だって、線引きが無いんですから。


刑事訴訟の理解が及んでいない人の発言とみます

線引きできないのであれば、刑事無罪なのです。
そして刑事裁判では、”線引きできない”という理由以上には無罪の理由を挙げる必要はありません。

揚げ足とりをしたいのであれば、きちんと理論を固めてくださいな。
脆弱で穴だらけの主張をするのであれば、あなたがその程度の人物という評価を受けるだけのことです
それ以上の評価をする理由も見当たりません

 刑事事件なら、過失があると言えなければ、ないと扱われます。
 灰色は白です。
 より正確には、黒でなければ白です。

>線引きが無いんですから

線が引けないものを紙面で処罰!?しているのがマスコミですね。
理論無く、感情を煽ったうえで、それを根拠に吊るしている。

素人的に、この判決が明快に読める元は、
「正確な予測の困難性に着目し、予見可能性の呪縛を振り払った」からなのでは?と思います。

>Med_Law さん

お疲れ様でした、放送だけでも聞けて良かったですね。

-PS-
警察・検察は加藤意思、病院、福島南部の妊婦さん全員に賠償するべきのような?
多くの方が法益を失いましたが、担当者には「過失」が有るような?

>>治療に線引きがないのなら、逆に加藤医師の行為が正当だったとも言えなくなりますよ。

もちろんです。だからつっこみ所がありすぎるため、民事では惨憺たる結果になっています。
私たちは膨大な選択の範囲から、さらにとんでもなく外れていなければ妥当と解釈します。
それを医師同士のかばい合い体質と責められます。

また、薬の投薬間違い、左右の間違い、または患者の転落など、刑事で裁かれていますが、院内で対策されるだけで、厚労省がガイドラインなどを作成して、周知させることをしていないため、(少なくとも僕はそういうものをもらったことがありません。)全国の病院に対策されていません。
よく言われることですが、刑事罰はなんら医療安全に貢献していません。
そして、萎縮した医療者は事故について、なにも発言しなくなります。そして医療は萎縮し、治療が出来なくなります。
これがアメリカでパイロット、医療、鉄道に刑事事件を課さない理由です。
いづれにしても、司法制度自体が問題である以上医療崩壊は避けられません。
この無罪で産科が復活することはありません。速度が少し遅くなっただけです。

 話ズレまくってますけど。

医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反した者には刑罰を科する基準となり得る医学的準則は、臨床に携わる医師がその場面に直面した場合、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性がなければならない。

 線引きはあるんですよ。
 その義務に反した者には刑罰を科する基準となり得る医学的準則って、ハッキリ書いてあるんですから。

 「医学的準則」はある。しかし、今回のケースでは、医学的準則に反していたということを検察は証明できなかったし、そもそも何が医学的準則であるということも、きちんとした形で示せなかったと言うことですよ。

あっ、いや、おっしゃるようなことを言いたかったのですが、言い方が遠回し過ぎました。

 大方の理解は明らかなシロと明らかなクロはあるが、かなり広い範囲にグレーがあって、そこらへんの境界は曖昧、ってことでよろしいでしょうか?

 警察・検察を糾弾する意見が多くありますが、逮捕は不当だと思うけど、立件送致・起訴の問題は結果責任主義ではなく、過失責任主義で論じる必要があると思います。
 警察・検察の責任逃れ的コメントは残念ではありますが。

私たちは膨大な選択の範囲から、さらにとんでもなく外れていなければ妥当と解釈します。
今回、裁判所もそう解釈したのだと私は解釈しました。 正確に言えば「とんでもなく外れていなければ不当ではない」ですが。

 まあ、線はあると思うんですけど、その線引きは医療の素人には出来ませんし、その一線を越えたと言えるかどうかも検証しないまま、マスコミが分かりやすい勧善懲悪物語的に国民感情を煽るのは危険なことだと思います。
 

素人的に、この判決が明快に読める元は、
「正確な予測の困難性に着目し、予見可能性の呪縛を振り払った」からなのでは?と思います。

 そうですね。
 「医療は不確実なものであるから、一般的に不当とは言えない医療行為を行うのであれば、例え死の予見可能性があっても、医師の判断を尊重しよう。」と言う判決だと思います。

私たちは膨大な選択の範囲から、さらにとんでもなく外れていなければ妥当と解釈します。
 これについては、元ライダーさんのおっしゃった通りだと思います。  基本的には今までも「とんでもなく外れていない」医療行為については、謙抑的に対処されていたはずです。  ただ、大野病院事件のインパクトが余りに大きかったため、それが忘れられてしまったのだと思っています。
また、薬の投薬間違い、左右の間違い、または患者の転落など、刑事で裁かれていますが、院内で対策されるだけで、厚労省がガイドラインなどを作成して、周知させることをしていないため、(少なくとも僕はそういうものをもらったことがありません。)全国の病院に対策されていません。
 だとすると、これは厚生労働省の怠慢だと思います。
よく言われることですが、刑事罰はなんら医療安全に貢献していません。
 確かに医療事故の再発防止効果に関しては、効果は薄いと思います。
そして、萎縮した医療者は事故について、なにも発言しなくなります。そして医療は萎縮し、治療が出来なくなります。
 それは困りますし、そうならないような配慮があって、今回のような判決が出たと理解しています。
この無罪で産科が復活することはありません。速度が少し遅くなっただけです。
 これについては、私は判断能力がありませんし、コメントを控えます。

安心して医療ができるかもしれないと思った医療者は判決後一瞬思ったかもしれない。あるいはそういうメッセージを司法は送ったかもしれない。

なのに、マスコミの報道の仕方をみて、「ああ、やっぱり。」と思って萎えている医療者がたくさんいそうです。

「医療行為と死との因果関係があり」「予見可能性、回避可能性共に0ではない」でも「回避義務違反ではない」という判決要旨は、私達非医療者に対して医療行為の不確実性を示すよい資料になるかなと思ってます。
※少なくともネット上であれば、よく嫁がつかえますね。

この判決を見て、安堵しました。
また、コメント(No14)にあった トンデモ鑑定書 の件に関しても同意見です。

和歌山での心筋炎による小児の死亡例の判決(民事)は本件とは逆の方向に、トンデモ鑑定がまかり通った例のように思い出されます。
(弁護側が原告の争点を論破する戦略をとっていないようにも見えましたが)

今回の判決は「可能性があること」と、「その可能性が当然かなえられること」との間の一線を明らかにしているようにも見えました。

向こう2週間、検察が無謀な控訴(恥の上塗り?)をしないことを願うとともに、マスコミが冷静に謙抑的に事実を報道し、センセーショナリズムからジャーナリズムに立ち戻ることも夢見たいと思います。

> 「回避可能性はあったけれども回避義務まではなかった」

私もこの論理構成には疑問を持ちました。

結果を回避し得るような他の手段を取れなくても、許される事態というのは、
  期待可能性が無い
と同じ意味かしらん?

> 生の事実の承認から議論を始めるというスタンスから言えば、可能性は認めて義務を否定したいところです(No.21 モトケン さま)

生の事実としては、3段階で分析するのが分かりやすいのでしょうか。
1.予見可能性
胎盤癒着という病気は知られており、無理に剥がすと大量出血するかもしれないことは、想定範囲内である。
2.結果回避可能性
大量出血を防止するためには「胎盤を剥がさず、最初から子宮摘出するという治療方法が考えられ、その方法を採れば救命できた」ことは否定しがたいので、結果回避可能性がなかったとは言いにくい。
3.結果回避義務
でも、「最初から子宮摘出」という治療方法は標準的ではないから、必ずそうすべしとは言えない。

普通にやることをやっていれば、刑事責任を問うべきでないから、「結果回避の義務はない」と判断した。

はじめに手術で無くなられた方につつしんで哀悼の意を表します。

>治療に線引きがないのなら、逆に加藤医師の行為が正当だったとも言えなくなりますよ。

そのとおりです。そのため、医師はこのような治療を行い、このような臨床成績を収めた、という実例を学会に出たり、
論文や雑誌、レビューなどを読むことで、手技とその成績についての最新の評価を一生追求しつづけ、そして「現時点での医療水準」において「最もよいとされる(bestでなく better)」
行為を医療行為として行なうわけです。これがEBM(evidence baced medicine)と呼ばれる現在の主流の医療方針です。

新しい手技を行なう場合にも患者に十分説明して同意をとり、十分に倫理面に配慮したうえで一定数の症例によりその妥当性を統計学的に提示することで初めて科学としての医学の議論の俎上にのります。
そして当然最新の医療に対して、異なる説をおっしゃる医師もいて、学会でディスカッションをし、反論される方も症例提示することで、議論がすすんでいくわけです。
 その中で最小公約数的な部分が教科書となります。したがって、あまり主流でないとされていることを記述されている教科書もありますし、10年前ならば正しいとされている見解だったという教科書もあります。

そして、今回の判決で、
> 医療行為を中止する義務があるとするためには、検察官が、当該行為が危険があるということだけでなく、当該行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにしたうえで、より適切な方法が他にあることを立証しなければならず、このような立証を具体的に行うためには少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠だといえる。

という要旨が判事されました。
これは臨床での現状とEBMに対する一定の理解が得られたものだと自分は考えています。

法曹にお伺いいたします。

結果回避可能性がないとされた場合、結果回避義務等は判断しなくてもそれだけで無罪となってしまうと思うんですがいかがでしょうか。どうやっても結果回避することができないということでしょうから。

個人的には結果回避可能性ありとして、医療行為の選択基準を示し結果回避義務を論じた今回の判決が優れていると思うのですが。

今枝仁先生の身長は何センチですか?

あらためて亡くなられた女性に哀悼の意を表したいと思います。

No.60 YUNYUN(弁護士) さん
横レス失礼いたします。

> 「回避可能性はあったけれども回避義務まではなかった」
私もこの論理構成には疑問を持ちました。
法律素人丸出しの質問ですが、法曹用語として「回避可能性あり」、という言葉は、最も回避の可能性ありという事を指すのでしょうか?

「回避可能性はあったけれども回避義務まではなかった」

産婦人科の先生に聞きたいのですが、今後同じケースに出くわした場合、従来どおり、剥離継続ですか?
それとも、子宮摘出に移行を優先する先生もおるんでしょうか?
もし、私が患者の夫であれば、事前に子宮摘出に移行を
お願いしときたいんですが。
手術中、相談している時間もないと思うので、事前に希望を
聞いていただけるのでしょうか?

 産科医ではありませんが。生命は機能に優先し、機能は形態に優先するという原則は、医療の中では当然の事として存在します。
 子宮温存のため生命を犠牲にする医師は一人もいません。但し生命の危機という事態は、突然発生するので事前にそれを予測して子宮摘出を必ず行うという選択は通常はしません。
 ただしこういう事があったので、今後は数%でも命の危険があれば子宮全摘になるでしょう。
 それはそれでやむを得ない流れでしょうか。

署名いたしました。
非医療者も署名できます。
協力いただける方は、よろしくお願いします。

控訴取りやめ要望署名募集(2008/8/20)  検察庁が本件判決に控訴しないことを要請するために、本会は署名活動を再開します。署名は総理大臣、官房長官、法務大臣、検察庁長官、国家公安委員会、厚生労働省など関係各位に提出予定です。この1週間が勝負です。ご協力お願い申し上げます。 別ホームページの署名投稿フォーム(別ウィンドウで開きます)で署名を募集中です。 署名投稿フォーム(別ウィンドウで開きます)

http://spreadsheets.google.com/viewform?key=pVSu1jKcdiL1dT7HDioKlfA

 ご賛同頂ける方でメールを送信される場合、医療関係者の方は、お名前、御所属、専門分野をmailto:perinate-admin@umin.ac.jp までご連絡下さい。医療関係者以外の方は、その旨ご記載の上、ご氏名のみをご連絡賜れれば幸いです。 

 署名受付は郵送でも受け付け予定、署名書式を準備中です。

>生の事実としては、3段階で分析するのが分かりやすいのでしょうか。

 上記以下が、分かりやすい説明だと思います。

 横レスですが、

 事後的判断として、摘出の必要がない子宮を摘出したと認められたら、その摘出行為は業務上過失傷害罪(未必的にも故意があれば傷害罪)になり得ます。
 その結果、死亡という結果が生じたら、業務上過失致死罪または傷害致死罪の嫌疑が生じます。

>今後同じケース

 文字通りの意味で全く同じケースというのはありません。

 そういうことを前提にすると、ものすごく難しい話になるように思います。

これは、どの時点でのことを聞いていられるのでしょか?
一度剥離を始めて出血が起こり始めれば、剥離をまず完了することを目指すと思います。
今回の裁判で明らかになったように、子宮の表面に怒張した血管が目立って見え癒着胎盤の可能性があれば剥離をまったく試みずに子宮を取ると言うことなのでしょうか?臍帯をひっぱて胎盤が簡単にはがれない時点ででしょうか?もう少し先までがんばる?そこら辺を事前に煮詰めておかないと、子宮を摘出したが、後で調べたら癒着胎盤ではなく、もう少しがんばれば簡単に剥離できたと言う場合にいろいろと問題が起こるように思います。やはりその場にいないと困難だと思うのですが。

No.62 うらぶれ内科 さま

結果回避可能性がないとされた場合、結果回避義務等は判断しなくてもそれだけで無罪となってしまうと思うんですがいかがでしょうか。

ご理解のとおりです。
YUNYUN先生がNo.60で整理されているように、

  予見可能性 →なし→ 過失なし
    ↓あり
  回避可能性 →なし→ 過失なし
    ↓あり
  回避義務  →なし→ 過失なし
    ↓あり
   過失あり

という構図です。

個人的には結果回避可能性ありとして、医療行為の選択基準を示し結果回避義務を論じた今回の判決が優れていると思うのですが。

たしかに、「回避義務」の中身を詳細に論ずることによって、(福島地裁の考える)具体的基準が明らかにされたという意義は大きいと思います。

ただ、「予見可能性」、「回避可能性」は、客観的な事実関係に基づいて判断されるということになっているので、(裁判所が認定した)事実は(外野が勝手に)動かせない以上、「本件では結果回避可能性を否定しておいたほうがよかったのに」みたいな批判はできません。原則として。

本件では、福島地裁は、直ちに子宮全摘していれば(出血は少なかったはずなので)救命可能だったはず、という事実認定をベースにしているので、「回避可能性」は肯定したというロジックだと理解しています。

が、個人的には、No.24で書いたとおり、違和感をもっています。

「回避」については、ものすごい複雑な3D迷路の最短ルートを走り抜けた場合の所要時間を基準に、「○分以内でこの迷路を脱出できる可能性はあった」と言われているようで、「そりゃ理屈上はそうだろうけど、事前に正解を知らない以上、現実的な可能性はないだろが。それを『可能性あり』と呼ぶことにどれほどの意味が?」

子宮全摘すれば、「胎盤剥離面からの出血多量」による死亡はなかったかもしれないけれども、子宮全摘が何の問題もなく100%安全にできる保障は確率的にはゼロでない以上、安易に「子宮全摘していれば助かった」という前提をとっていいの?「全摘したって助からなかった可能性が否定できない」以上、事実認定として、回避可能性すらなかったというべきだったのでは?という疑念がぬぐえません。
上の例でいえば、「迷路の出口が塞がっていなかったことは誰が目で見て確認してきたの?誰も見てきてないんでしょ?」という。
あくまで私見ですが。

No.64 Pediatrician さま

法曹用語として「回避可能性あり」、という言葉は、最も回避の可能性ありという事を指すのでしょうか?

上のうらぶれ内科さま宛で引用したNo.24の例をご参照ください。
人智を尽くせば理論上は、あるいは物理的には可能だった場合、と言い換え可能かと思います。

たとえば、来院直後の患者に大動脈解離の診断がつき、診断がついた1分後に破裂して即死してしまった場合、「大動脈解離と診断した以上、いつ破裂するかもしれず、破裂すれば即死の可能性が高い」という「予見」は可能。そして当然医師としてそう「予見」もしたので、予見義務も果たしている。
しかし、回避義務の検討の前に、1分で緊急手術を実施して救命できる可能性は事実上ゼロなので、「回避可能性」がないとして過失が否定される。
という分析になるかと思います。

No.71 fuka_fuka さま

お忙しい中を詳細なご説明を誠にありがとうございます。
判決要旨の中では、回避可能性の該心部分は

胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行した場合に予想される出血量は、胎盤剥離を継続した場合と比較すれば相当少ないということは可能だから、

と非常に微妙な言い回しで、可能性を指摘したに過ぎないとも取れます。法律の素人から見ると、つまりあからさまに回避可能性はなかったとは言い切れない、そうであっても回避義務はなかったというニュアンスにも見えます.

あれなんだか書いているうちに・・・
>人智を尽くせば理論上は、あるいは物理的には可能だった場合、と言い換え可能かと思います。

まさにそうですね。

結果回避義務とは
・悪い結果にならないように行動する義務
・悪い結果を残さない義務(悪い結果になったら義務を果たしたことにならない)
のどちらでしょうか?

結果回避義務のアリ・ナシというのが良くわからないところで、回避義務アリだとしても、前者なら本件では回避義務を果たしたことになると思われるのですが。

横ですが・・・素人の感想です。

回避可能性を0とする判決要旨だと、私みたいな素人は「この類似ケースは絶対的に死に至る」みたいな感想を持つかもしれません。
(個体が違うので全く同一はありえないと認識していても、そのように捉える人はいるでしょう。)
そして「必ず死に至る」となると、それが判明した段階で医療行為を放棄し回避努力しないことを助長するようにみえてしまう部分もあります。
→大量出血後に諦めるのは仕方ないにしても、癒着判明時点での放棄は通らないような気がします。

その辺りを配慮した文にも見えます。
(実際、裁判官が配慮していかは知りませんが・・)

予見可能性として「子宮全摘を適用する医師もありえる」という事を排除しない、そして「子宮全摘していれば助かったかも」という部分は、同一ケースで助かった事例があった場合に「可能性0ではないではないか」という反証に耐えうる為の予防線にもみえます。

・悪い結果にならないように行動する義務
・悪い結果を残さない義務(悪い結果になったら義務を果たしたことにならない)

前者です。
なぜならば、「悪い結果」が現に起こったからこそ、「結果が起こる前に何をしていたのか」が検証の対象になっているからです。
(後者の意味であれば、まさに結果責任です。全事例、過失ありとなってしまう。)

# No.71の「100%安全にできる保障は確率的にはゼロでない」は推敲不足で完全に論理破綻してました。適宜脳内修正のうえお読みくださいOTZ

横から失礼。
こんな報道もあります。報道だからそのままは信じませんけどわたしゃ(爆)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080820/trl0808202223017-n1.htm
 一方で検察側が捜査に万全の自信を持っていたことはいうまでもない。裁判では「手術の際の注意事項は
基礎的文献に書かれている。産婦人科医師としての基本的注意義務に著しく違反する過失を起こした」と
弁護側の主張に反論した。

 「過去に起きたカルテ改竄事件に象徴されるように、医療現場には仲間でかばい合ってミスを隠そうとする
体質があったことを忘れてもらっては困る」「私たちは患者目線で捜査しているんだ」…。公然と捜査を批判する
医療界に対して、敵意をむき出しにする検察官も少なくない。

No.71 fuka_fuka さん

横から失礼します。

大変解り易い説明、ありがとうございますm(_ _)m

「回避可能性なし」を否定するため、つまり「回避可能性あり」と言うためには回避可能(であろう)な例を一つでも示せばよい。だから、その例として「胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行した場合」を挙げた。しかし回避可能な方法はこれだけではなく、被告医師の採用した方法も手術時点では回避可能性のある方法と思われた(結果として回避できなかったが)。実際現場では回避可能性のある方法として被告医師の方法は誤りではないとされている(それどころか標準らしい)から回避義務を果たしたことになる(結果には結びつかなかったが)。

と私は解釈しました。ご批判を

署名ついでに「控訴断念希望」ということで福島地検と仙台高検に、はがきを出しておきました。
手元に届くか疑問ですが、100円募金ということでやってみました。

ロハス・メディカルの川口さんが書かれた

何を指して検察のメンツを最大に立てたと評するかというと、事実認定の部分は、ほぼ検察側の証拠・鑑定に依拠していた。特に検察側の鑑定人に関しては、適格に欠けるとの見方が業界内では一般的だったと思うが、鑑定人としての能力を十分に有していると評価して、弁護側の立てた第一人者たちの意見が、よくて検察側鑑定と相討ち、下手すると認められないということが続いたのだ。任意性を争っていた加藤医師の供述調書も、任意性を認められてしまった。このため、判決理由の朗読の途中で「本当にこんな事実だったのだろうか。これでどうやって無罪になるんだろう」と疑心暗鬼になってしまった。


ただし逆に、「あなた方の言い分とおりに認定しても、無罪ですよ」と検察に対してメッセージを出したとも考えられるのかもしれない。

http://lohasmedical.jp/blog/medical/2008/08/post_1339.php#more

一番当たっているように思えるのは私だけでしょうか?

No.72 fuka_fuka さん
お返事ありがとうございます。

人智を尽くせば理論上は、あるいは物理的には可能だった場合
つまり「回避の可能性あり」というのは実行可能な範囲で回避の可能性がありさえすれば良く、他の回避行動による回避の可能性と比較して必ずしも高い、もしくは100%である必要はないと言うことなのでしょうか???

私が考えていることとほぼ同じ事を、既にNo.79 元ライダー さんが既に書かれたのですが、加藤医師の選択した胎盤剥離の完了によって止血・子宮温存・死の回避が得られた可能性もあり(結果的には回避できなかったですが)、検察の主張通り剥離中断・子宮摘出することでも死の回避の可能性もあり、無数のパターンでの回避の可能性が存在すると思います。その中で、症例にあわせた適切な方法を選択すべきですが、癒着胎盤の場合、どういった症例の場合に剥離を断念し子宮摘出を行うべきかという、コンセンサスもなく、必ずしも剥離中断・子宮摘出がこの症例にあわせた最も適切な回避行動に当たるかという判断が極めて難しいため、検察の主張する選択肢が回避の可能性を認めつつも、他の回避行動で回避できた可能性もあり、検察の主張する回避行動を必ずしも選択する義務はないという判決に至ったのではないかと考えていました。

あと、余談ですが、因果関係についても少々気になりました。裁判所は剥離剥離行為による失血死と認定していますが、医学的には剥離による出血なのか、産科DICによる出血なのか裁判傍聴記などを読む範囲では判断出来ないと思っていたのですが...認定理由は判決本文を待つしかないですか。

今後出産する人の対策について教えてください。

1 通常の妊娠でない場合は、大きな病院で出産する。

(今回の大野事件も大きな病院なら助かっていたかもしれない、という思いがお父さんにあると思います。
死ぬ可能性のある症状だとわかっていたら、そうしたのに、
という父親の無念さが感じられます。)

2 万が一の事態に遭遇した場合、子宮摘出するかどうか
事前に医師と相談しておく。
そのときの状況により医師に一任する場合は、そういう意思表示をしておく。

できるとすれば、以上の2点でしょうか?

産科医一人しかいない病院で、
出産後、医師が手術室から出てきて、奥様は亡くなりました。
症状は大野事件と同じです。
したがって医療ミスではありません。
納得していただけますね?
と言われても、ハイと答える自信がありません。
大きな病院で、複数の医師の判断の元、様々な選択の中から、
最終的に子宮摘出ではなく剥離継続を選んだというので
あれば、納得できそうな気もします。
医師の皆さんも身内の出産で通常妊娠でないのであれば、
おおきな病院選びますよね、それとも通常妊娠でも
大きな病院選びますか?

そこはコストとの相談ではないですか?
日本の周産期死亡率は3.3%なので、逆に言えば96.7%は死なないわけです。
たとえばこれが大きな病院に入れば交通の手間+20万円の費用で98%まで上がりますよと言われて納得できれば選べば良いのです。

ただ、当然大きな病院に行けば何%上がるといったのは数字がそのまま出るわけはないですが、年間死亡件数/年間取扱件数を行えばそんなに外れた数字は出ないと思います。

大きな病院ではハイリスク妊娠の方が集まります。それらと正常分娩を多く扱う病院、医院と比較するのは、母集団に偏りがありますので、無理があります。

>>No.83 一市民様
1. はそのとおりだと思います。というか、多くの医院レベルでは少しでもリスクがある患者はさっさと大病院に転院させてます。そのおかげでパンク寸前です。なお、大野病院事件では、事前に分かっていたのは前置胎盤のみで、亡くなられた大きな原因は事前に予想できなかった癒着胎盤ですので、加藤医師は自身で「前置胎盤だけど通常範囲の医療で何とかなる妊娠」と判断されているため、1. は該当しません。

それと、医師は基本的に母体優先ですので、「子宮をとるか、命をとるか」の選択で、前者を選ぶ医師はいないでしょう。相談というならば、「なんかあったら新生児の命を諦めたり、子宮とったりしますよ」と全ての妊婦にルーチンでI.C. することになります。医師としてはこのI.C. することはそこまで抵抗無いでしょうが、「保身だ」「人でなし」「思いやりの心は無いのか」といった批判は免れないと思われます。

通常の妊娠で大病院に行くと多分嫌がられます。

あるブログのコメントですが、控訴断念を願っています。
医師法第21条の解釈について最高裁判決との整合性が問題

気になります。

医師法第21条の解釈について最高裁判決との整合性が問題となりうるので、検察官控訴となる可能性は半々くらいあるかなあという感じはします。マスコミに煽られてとか、被害者遺族に感情移入してとかということではなく、地裁が定立した規範について上級審の判断を仰ぐという意味で、ということです。

御指摘ありがとうございます。
やはり開業医等で意見を聞いてから病院へエスカレーションするのが正しいフローなのですね。

話の流れから医師の意見を極力排除しての判断かなぁと思ったのですが、やはり素人判断は無理ですね

小倉さんですか。

一応念のために指摘。

 周産期死亡率は周産期(妊娠末期〜早期新生児期)の「児」の死亡率です。

 母体の死亡は妊産婦死亡率で今の日本では出産「10万件」あたり4人程度ですので念のため。

補足ですが、
よく慈恵医大の青戸病院との比較をされる非医療者の方がいらっしゃるのですが(某大手新聞もナンセンスな比較をしています)、状況が全く違います。
今回は通常の医療行為、青戸は未知への医療行為です。青戸については(まあ、侵襲が少ないので患者に負担を加えないようにと考えた面もあるかもしれず、多少同情の余地はありますが)多くの医療者からも批判があがっています(個人的には該当する医師はリピータでもなく、逮捕はやりすぎ、刑事事件化はやり過ぎと思っていますが、民事は誰も否定しないと思います)。
過失が認められないわけですから仮に民事訴訟が行われたとしても賠償義務は発生したら医療界は総力を挙げて反発するでしょう(保険に入っているでしょうから主治医は裁判の労力という無駄だけで済みますが)。ストも辞さない勢いで。

僻地外科医さまに続き、1,000人あたり3.3人なので、0.33%(3.3‰)では。

周産期死亡率 -Wikipedia

みなさまご指摘ありがとうございますorz
うろ覚え知識をエビデンスとするのは大変危険ですね。。。
気がつかないところで日本の医師を見くびっていたようです。
お体ご自愛いただきながらその水準を維持いただけるようお願いいたします。

しかし10万人に4人の確率なんてあたった日にはそりゃ絶望もしたくなりますね。

ところでご遺族その他は「確率の低い病気だからというのは関係ない」と言っておられますが、大いに関係ありますね。


医学という基礎的な科学が土台にあって、その上で経験などがあって医療となるわけであって、実際の医療行為は経験の積み重ねです。実際の症例を目の当たりにするまで具体的な治療法を知らなかったとかいうのはざらです。医学の教科書とは基礎的なところまでしか書いておらず、それも学説によってまちまち。実際に見てみないと本当の意味での治療は出来ません。
ましてや確率の低い疾患となると・・・言わなくても解りますね。

教科書に書いてある疾患を全て経験しろなんてことは物理的に不可能ですしね。

今回の判決では、医師法21条の判断は、最高裁判決に合致しているように思います。言い換えれば、地裁判決は異状死に対する判断を避けていると思います。

決して踏み込んではいない事に注目するべきでしょう。

No.75 カツビン さま

ご指摘の点、そのとおりかもしれませんね。

私は、判決要旨の

胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行した場合に予想される出血量は、胎盤剥離を継続した場合と比較すれば相当少ないということは可能だから、結果回避可能性があったと理解するのが相当だ。

の部分に違和感があったのですが、私が望んでいた表現は、よく考えてみたら、
「結果回避可能性があったとは認められない」
ではなく、
「結果回避可能性が皆無であったとまではいえない、しかし、仮にあったとしても、・・・であった以上、注意義務(結果回避義務)違反はなかった」
という、ニュアンスの問題だったのかもしれません。
しかも、「要旨」の表現であり、判決文本文はこれに近いものなのかもしれないですし。

No.79 元ライダー さま

回避義務を果たしたことになる(結果には結びつかなかったが)。

という結論部分はそのとおりですが、

しかし回避可能な方法はこれだけではなく、被告医師の採用した方法も手術時点では回避可能性のある方法と思われた

については、専門的(マニアック)なロジック処理としては、微妙に違うように思います。
「回避可能性」の検討は、「現に行われた行為では結果を生じさせてしまった」ことを前提に、「他の方法」ではどうだったのかを判断するものです。
そして、裁判所は、検察が設定した訴因に対して判断を行うという構造ですが、検察は、「胎盤剥離をもっと上手にすべきだったのにそうしなかった」という主張はしていません。
したがって、「胎盤剥離による回避可能性」については裁判所は判断していないということになるかと思います。

あくまで判決の読み方の問題であり、

被告医師の採用した方法も手術時点では回避可能性のある方法と思われた

ことを裁判所が否定しているわけではもちろんありません。

No.82 Pediatrician さま

つまり「回避の可能性あり」というのは実行可能な範囲で回避の可能性がありさえすれば良く、他の回避行動による回避の可能性と比較して必ずしも高い、もしくは100%である必要はないと言うことなのでしょうか

はい。検察官が主張した「被告人は・・・すべきだったのにそれをしなかった」という注意義務の前提となる「・・・すれば死は回避できていたのか」の検討なので、「他の回避行動」との比較検討は審理の対象外になります。
あくまで、検察が設定した「・・・した場合」に、「助かる可能性」がゼロでないならばOK、ということだと理解しています。
(積極的な根拠がない限り、立証責任との関係で「ゼロとみなされる」場合もあるのでは、というのが私の疑念なのですが)

無数のパターンでの回避の可能性が存在すると思います。 (略) 検察の主張する選択肢が回避の可能性を認めつつも、他の回避行動で回避できた可能性もあり、検察の主張する回避行動を必ずしも選択する義務はないという判決に至ったのではないか

元ライダーさまへのレスとも重なりますが、法律家の過失判断の思考とは少し違う気がします。
「他の回避行動で回避できたか」は、直接の考察対象ではありません。
検察官が主張する「こうすべきだった」というやり方は、「やれば助かったのか」ではなく(「助かったかもしれない」ことは「回避可能性」の検討で肯定済)、「被告人がそうしなかったことが平均的医師の標準から外れているのか」という基準で判断されます。

抽象的に書くとわかりづらいですね。

お母さんが太郎くんにお使いを頼みました。
太郎君はがんばりましたが、頼まれた品物がなかなか見つからず、帰りが1時間遅れてしまいました。
お母さんは、「バカ!どこ見てきたの!あれはスーパーAに行けばすぐ買えるのに!」と太郎くんを叱りました。
太郎くんの家では、お父さんは自分の基準で勝手に叱ることはできず、「お母さんの言い分が正しかったかどうか」を判定して、太郎くんが反省すべきかどうかを決めるというルールになっています。

太郎くんは、スーパーAに寄ることは考えましたが、定休日がいつだったのか記憶が怪しかったので、スーパーBのほうへ買いに行ったのでした。
頼まれた品物は、スーパーBにも在庫があったのですが、最初に尋ねた店員には、調べもしないで「売り切れです」と言われてしまいました。別の店員に聞けば教えてもらえたはずだったのですが、太郎くんはあきらめてスーパーCへ行き、ようやく品物を見つけて買いました。

さて、実は、その日はスーパーAは定休日でした。
つまり、「スーパーAに行けばすぐ買えるのに!」というお母さんの言い分は間違いでした。
お父さんは、ルールに従って、「最初からスーパーCへ行けばよかった」とか「Bで別の店員さんにも確認すればよかった」という理由では叱ることはできません。
したがって、太郎くんは、お使いの帰りが1時間遅れたことについて、叱られないで済みました。

つまり、太郎くんがお父さんに叱られなくて済んだのは、「スーパーBに行っても、聞き方次第では時間に間に合うように買い物ができた可能性があるから」なのではなく、「お母さんがそうすればよかったと言った、『スーパーAに行く』という方法が正しくなかったから」なわけです。

さらみも刑事事件やってみたいよう。
弁護士にしておくれ。
初心者なので、横についてマンツーマンで指導しておくれよ

いつも御教示ありがとうございます。確かに”微妙に”違いますね。
一般感覚では
「回避可能性あり= 回避義務あり = 過失あり」
なのですが、
「(検察の主張する方法で)回避可能性あり」と限定すれば、必ずしも自動的に「(検察の主張する方法で)回避義務あり」とならないことは理解可能です。

それにしても、今までは特殊な場合でない限り、自動的に
「(検察の主張する方法で)回避可能性あり =(検察の主張する方法で)回避義務あり」
だったのでしょうか。とすると唖然とします。

No.97 fuka_fukaさん

返信ありがとうございます。
私も追加で聞きたいのが、過失無罪の判決で今回のような「結果回避可能性あり」で「注意義務違反なし」というロジックは珍しいことなんでしょうか。

 判決要旨の詳細版を別エントリとしてアップしました。
 判決論理に関する検討としては、詳細版に基づいておこなうのが適当であると思います。

 「大野病院事件判決要旨詳細版

非医療者のおがわです。

私が患者の夫であれば、事前に子宮摘出に移行を
お願いしときたいんですが。

この辺は僕の感覚と違うんですが、僕だったら「全力を注いでください」という意味合いの事を頼むと思います。
もしかりに僕(非医療者=素人)がいきなり言い出した「事前に子宮摘出に移行お願いします」という具体的な治療方針をそのまま受け入れてしまうお医者さんでしたら、それこそ信頼できないお医者さんな気がします。
(もちろん事前にお医者さんと打合せをしている中で話題がそうなる場合はあるのかもしれません。その際にはお医者さんにリスクとベネフィットを訪ね、よく考えて結論を出したいと思います。)
上記のように具体的な要望を出してしまいたくなるのは、やはり医療不信というモノが根底にあるのかなと感じます。

モトケン先生、お手数をお掛けしました。

帰宅したら、産経の福富正大さんの判決要旨全文と比較してみます。

 この辺が医療人とそうでない人の感覚の違いでしょう。「温存はお願いしたが生命を危険にさらしていいとは言っていない」と。
 「子宮温存お願いします」といわれても明らかに危険なら、医師はそうはしません。しかし、「生命優先でお願いします」と予め言われている場合より、子宮温存目的では多少はハイリスクな手技を選択する可能性は高いのです。大野事件がそうだとは言いませんが、手術侵襲が絶対安全ではない以上、今回のような悲劇は一定の確率で起きるわけです。温存を優先していれば生命リスクが上がるのは当然であり、大野事件の場合でもICがなされていたので有れば、やむを得ない選択であると思いますがいかがでしょうか。

まずは

手術侵襲が絶対安全ではない以上、今回のような悲劇は一定の確率で起きるわけです。

という知識が世間の常識になる事が必要なんだと思います。
何か(子宮温存)を優先した場合、他の何か(生命リスク)が犠牲になるというのは当然ですからね。
でもそれが定量的にどの程度のリスク増なんだ?というのは分からないだろうから後はお医者さんへの信頼感になると思います。
お医者さんへの信頼感があり、全力をつくしてくれたなと感じれば、事実を受け止めるのは辛くても訴訟しようとまでは考えないのかと思います。(実体験はしていないので想像ですが)
ただ僕なんかでも、普通にTVなんかを見ていると知らず知らずに「医者は信用できない」と脳に埋め込まれているような気がするので、手術後のお医者さんのちょっとした反応から「何か失敗があったのに隠そうとしているのでは?」という疑心暗鬼に陥る可能性は自分でも否定できないですね。

 命が懸かってるので疑心暗鬼に陥るのは仕方ないです。ただ定量的なリスク増加率は当然のことですが算出不能で事前に説明できるはずはありません。
 結局医師患者間の信頼関係が無い限りそのリスク増加を患者側が受け入れるのは困難になるわけです。ですから、今回のような前置胎盤症例では、「命が大事ですから子宮は取りますね。」となってしまい、温存できるはずの人まで過剰な手術をされてしまうという結果になります。
 今後どうなっていくか、予測は困難ですが現在の流れでは、対立関係を増加させる要因の方が多いようで、信頼関係を改善する方向にはなりにくいのは残念なことです。

この要旨を見ても、頓珍漢な解説をしたり、「帝王切開で人を殺しても無罪」と受け取られる見出しをつけたり、社説などで「医師の資質を疑いたくなるような医療事故が繰り返されており」と繰り返し、「医療は信用ならない」と刷り込みが行われています。
ニュートラルの人もだんだん信用しなくなるのでしょう。

臨床医として誠実に仕事をしようと思いますが、ネットでもリアルでも、「端から対決姿勢」の方を見るとやりきれなくなります。

今後どうなっていくか、予測は困難ですが現在の流れでは、対立関係を増加させる要因の方が多いようで、信頼関係を改善する方向にはなりにくいのは残念なことです。
それが結局自分(一般人)の不利益になるという事実をより多くの人に知らしめる必要があるんだとヒシヒシと感じております。

内科医の立木です。ひとつ基本的なことを教えてください。
仮想例ですが。

例えば、サイコロを1回振って「1〜4が出るか」「5,6が出るか」に賭けなければいけない局面があるとします。
外れたら患者が死ぬことも判っているとします。
「1〜4が出る」に賭けて、5が出て患者が亡くなったとします。

このとき
(1) 予見可能性は明らかにあります。5,6は出るかもしれないし、出たら患者が死ぬことを知っているわけですから。

(2) 回避可能性もあります。「5,6が出る」ほうに賭けていれば回避できたわけですから。

となると、この仮想例では

(3) 回避義務がない(つまり「1〜4が出る」ほうに賭けるほうが合理的でありそちらに賭けるべきだから)
ということでいいのでしょうか??

もしこの僕の理解が正しいとすると、「医療ミス」と言われるもののほとんどは、(単純な投薬ミスなどを除いて)この回避義務での勝負であるといえそうなのですがこの理解でいいでしょうか??

 医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反した者には刑罰を科する基準となり得る医学的準則は、臨床に携わる医師がその場面に直面した場合、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性がなければならない。なぜなら、このように理解しなければ、医療措置と一部の医学書に記載されている内容に齟齬(そご)があるような場合に、医師は容易、迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらすことになり、刑罰が科される基準が不明確となるからだ。

実は、これはこれで些か問題のあるロジックなんじゃないかなーと思いました。

例えばです。糖尿病の合併症で下肢に壊疽を発症する患者がいます。「臨床に携わる医師がその場面に直面した場合、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性」のある医療措置とは、下肢切断ではないでしょうか。
ところが昨今、温存療法も(医学の進歩によって)登場してきています。それを実施できる医療機関は極め付きに限定されているわけですが。

さて、そのごく限定的な医療機関で(患者の希望に基づき)温存療法を選択・実施したところ患者は敗血症で死んでしまったとします。
本件判決の、先の引用部分のみをもって判断するとなると「殆どの医師が選択する下肢切断を行わず、壊疽に起因する敗血症で患者を死亡させた」と因果関係が認定されると、これは処罰相当ということになってしまうのではないか。そんな気がしたりもするのです。

> (3) 回避義務がない(つまり「1〜4が出る」ほうに賭けるほうが合理的でありそちらに賭けるべきだから)[No.109 立木 志摩夫様]

はい、福島地裁のロジックはその理解でよいと思います。

ただ、法曹の通常の感覚としては、
(2)回避可能性 のところで、5、6の目が世の中に存在することは認められるとしても、それで救命を実現することは非常に困難であり、実際上の選択肢として取り得ない(「1〜4」に賭けるほうが合理的)というのなら、
むしろ法的評価としては、5〜6の選択として存在しない ものと解するべきではないか、
つまり、「回避可能性が無い」と言い切ってしまうほうがシンプルで分かりやすいのではないかという疑問がありました。
(No.20、No.95 fuka_fuka先生)

今まで、医療以外の普通の業務上過失致死事案では、単純に、
・予見可能性がある => 予見義務がある
・結果回避可能性がある => 回避義務がある
と評価しているケースが多かったと思います。

しかし、本件事案に則して言えば、
このように結果回避可能性と回避義務とを分けて分析的に考察することにより、福島地裁の思考過程は明確になり、
もし検察が控訴するとしたら、どこを争えばよいかがハッキリしました。
結果回避可能性がある(5、6の目がこの世に存在する)ということは認めてやったから、回避義務(5の目を取るべきである)のほうを立証せよ、
それも、5の目を取れば救命できたという多数の実例を示せ という立証方法まで指示しているのですから、
「検察は控訴して勝ち目があるかをよく考えろ、無謀なことは止めておけ」というメッセージに見えます。

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> 「医療ミス」と言われるもののほとんどは、(単純な投薬ミスなどを除いて)この回避義務での勝負である

訴訟戦術的に、(1)、(2)、(3)のどの要件を否定するのがやり易いかといえば、ご指摘の通り要件(3)でしょう。

医療訴訟では、予見可能性があるとか結果回避か可能性が最悪の事態が起こりうることは考えられるという意味で予見可能性はあるし、他の手段もアクロバティックで成功率が低いかも知れないが一応は考えられるということが多いからです。
さらに、これらは医学的見解に依拠することなので、鑑定書に「結果回避可能性がある」と書かれてしまったら、裁判官の立場では否定しにくいと思われます。

しかし、結果回避可能性があるからといって、直ちに過失有罪としてしまっては、実際上不都合な結果になることがある。
その対策が「結果回避義務の否定」、通常広く行われている手段でなければ、その手段を執るべき義務までは無い というロジックです。

過失認定の法的な思考方法について、

◆大野病院事件判決要旨詳細版エントリ
http://www.yabelab.net/blog/medical/2008/08/22-114047.php
fuka_fuka先生のコメントNo.7、No.16あたりも、参考になさってください。


YUNYUNさん ありがとうございます!!

かなりすっきりしました。いつもすみません。

「通常広く行われている手段でなければ、その手段を執るべき義務までは無い というロジック」
というのは実際に医者をやっている立場からは受け入れやすい基準ですね。

ただ、ガイドラインや教科書に示されたとおり医療をやっていればいいやというところに堕してしまうのが心配ですが。
さすがに大丈夫でしょう。

感染をコントロールできなかったら切るしかないんじゃないですか。
この場合患者さんの意識は敗血症を起こしてショック状態になるまで多分あるわけでしょうから、最後まで切るかどうかの患者の意思の確認もできるわけです。また患者の意思を無視して切ることができないのも自明です。この場合の患者の同意がどういう扱いになるのか、ぜひ法曹のご意見をお伺いしたいところです。

同意があったもだめだとすると、確立された医療行為のある場合においては確かに新規の治療は一切できないことになりますね。

>同意があったもだめだとすると、確立された医療行為のある場合においては確かに新規の治療は一切できないことになりますね。

→やってもいいけど結果が悪ければ過失を問われるという意味です。

まあ本人の意志に反して下肢切断術はできないですね。
本人拒否で死んだからって刑事立件された日には、大野どころでない(笑)

少々トピズレですが....
>No.115 元外科医 さん
>本人拒否で死んだからって刑事立件された日には、大野どころでない
そう思います。
「エホバの証人」信者の輸血拒否を巡って、無断で輸血をしたことによって民事上、患者の自己決定権を奪う不法行為として病院側が敗訴したケースがあったと記憶しています。
輸血をしたら民事で敗訴。輸血をしなければ刑事訴追。となった日にはまさに前門の虎後門の狼。我々にはどうしようもありません。
*ただ、エホバの証人の輸血拒否で結果的に死亡した例では、確か今までは刑事訴追されていないはずですよね?そのかわり見殺しにしたとマスコミなどから叩かれていた記憶が....

 検察が証拠として使った、”STEP産婦人科”という教科書は、医学部の3−4年生向きの入門書で、この程度の知識では、国家試験にも通らないそうです。

 鑑定人の選択のミスといい、今回の検察の対応は、刑事事件を起こすには、対応がお粗末過ぎますね。

判決文全文が,「医療判例解説 第16号(2008年10月号)」に掲載されていましたので,お知らせいたします。
http://www.izi-hourei.jp/

P R

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