エントリ

 テレビのニュースでは、「真実を知りたい」ということを強調されていましたので、お父さんが知りたい「真実」というのはなんなんだろうと思っていたのですが

 終始固い表情の渡辺さんは「私が本当に知りたいのは、手術中の詳細なやりとりではなく、(加藤医師が)どうして態勢の整った病院に娘を移さなかったのかということだった。裁判では明らかにされず悔しい。

 こういうことだったのですね。
 しかし、本件の裁判では、これを期待するのは少々無理があったと思います。
 なぜかといいますと、加藤医師が別の病院に娘さんを移送しなかったことは過失の内容になっていないからです。
 つまり、争点ではないわけですから、少なくとも移送しなかったことをメインテーマにすることはできません。
 検察官が、付随事情として被告人質問で聞くことはできたと思いますが、加藤医師がそれなりの答をすればそれで終わりにせざるを得ない問題です。
 専門的な言い方をすれば、これは検察官の訴因構成の問題であって、加藤医師の責任ではないことはもちろん、裁判所の責任でもありません。

 命を預かっている以上、すべての不安を取り除いて臨んでほしかった」と、不満をあらわにした。

 お父さんとしては、当然の不満だと思いますが、全ての患者(妊婦)に対して、完璧な医療を提供することは不可能ですから、これも裁判所の判断を左右する事情にはなりえないと思われます。

 刑事司法には限界、それもとても大きな限界があることを全ての人が理解するべきです。
 その意味で、

 これを機に、医療も良い方に変わってもらえたら」と理由を説明。また、国が進めている“医療版事故調”設置については「真実を説明してもらえる機関になってもらいたい」と要望した。

 という要望には、関係者全てが耳を傾けるべきだと思います。

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コメント(101)

娘を突然なくした父親の心情も無念でしょう。
突っ込みは一杯あるでしょうが、
そ〜としておくのが、今はベストと思います。

というか、非医療者側からすると、今はそっとしておいて
欲しいと思います。

>というか、非医療者側からすると、今はそっとしておいて欲しいと思います。

医療者を特殊な人種みたいに言うなよ。

こんな気の毒な遺族に接触しようなんて、まともな人間がいるわけ無いじゃないか(棒読み)。

そ〜として置かれるためには,それ相応の身の振り方があるというべきでしょうね。

医療者を特殊な人種みたいに言うなよ。

少なくとも、あなたとあかがまさんのブログは特殊です。
非医療者の間でも医療界の両横綱ブログとして注目しています。

あなたは非医療者の代表ではありません。

ご遺族は実際に肉親を失われているわけで・・、非難する資格を持つものはだれもいないとは思いますが、この遺族は加藤元被告を墓前まで連れて行って土下座までさせたとの未確認情報もあります。それが事実とすればそれでもここまで加藤元被告を糾弾する言動には、やはり違和感をぬぐいえません(
判決後にやや論調が変化しているようにも見受けられますが、少なくとも報道では)。ただひとついえることは、裁判って被告側も原告側も満足することなんてありえないってことですね。モトケンさんには非常に失礼な言い方で申し訳ありませんが、法曹家って因果な商売ですね。

あなたも非医療者としては特殊です。

私にかまうより、身内の心配をした方がいいですよ。
無罪判決で舞い上がって、反感買うインターネット医師が
続々出そうですから。

このまま無罪が確定すると、被告人、検察、遺族の三者共に幸せでなかった不毛な裁判になってしまうんですね。なんで起訴したんだろ。

このまま無罪が確定すると、被告人、検察、遺族の三者共に幸せでなかった不毛な裁判になってしまうんですね。なんで起訴したんだろ。

何度でもいいますが、私は医療従事者ではありませんので、心配はご無用です。

また、貴方の考え方は非医療者として非常に特殊ですのでその予想も当たらないでしょう。

>加藤元被告を墓前まで連れて行って土下座までさせたとの未確認情報

周産期医療の崩壊をくい止める会のサイトの第十一回公判傍聴記に書かれています。弁護側主尋問に対して加藤先生自身が述べられています。
ということは、事実なのでしょうね。

http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%C2%E8%BD%BD%B0%EC%B2%F3%B8%F8%C8%BD%A4%CB%A4%C4%A4%A4%A4%C6%2807%2F12%2F21%29

 なくなられた娘さんのご冥福を心より祈ります。

 この世に生を受けることのできたお孫さんの健やかなご成長を陰ながら見守らせてください。

 遺族の皆様におきましては、心身共に疲れ果てていらっしゃると思いますが、お孫さんの笑顔を糧に支えあって頂きたいと思います。

 福島県民として、何かお手伝いできることはないかと考えております。
 落ち着かれたら、お会いできる機会を模索しております。

                    書簡(写)

一緒に住んで、24時間面倒を見ていた御遺族に”今まで長いこと面倒をみてくださってありがとうございます感謝しています”といわれていたのに、たまに来て、たまたま死亡時のどたばたに立ち会ったご遺族に訴訟をおこされました。(完全勝訴ではありましたが2年を公判の度に暗い思いで反論の文章を書き続ける羽目になりました。)
ご遺族の感情というのは難しいもので、いくら説明しても死に対する恨みというものが介在していると、論理的にいくら説明してもう耳に入らんものだなと思っています。
いろいろ説明を受ければ訴訟なんかしなかったと言うのは、単なる言い訳にしかならないと思っています。少しでも感情の行き違いがあれば、何十年も誠意を持って診療に当たっていてもすべてい否定されてしまいます。
 私の場合、訴訟前に相手側弁護士立会いの下、レントゲンや診療録を前に説明し結果がよくなかったことについても謝罪しました、その弁護士さんは理解してくれたのですが、別の弁護士さんを(医療関係には詳しくない方でした。)立てて、訴訟になりました。
 訴訟というものは、法律を生業にしていないものにとっては本当にくたびれはてるものであることが、訴えられなければわからないことだと思います。
 これは本当のことです。(”お蔵” 弁護士は作り話といいかねませんが)
 ご遺族の一人が、ありがとう今度は私を診てくださいと挨拶にこられた数時間後に、弁護士からの書状がついたときには、何のことやらわからず呆然としました。

遺族の方々の加藤先生に対する処罰感情の強さには恐怖さえ感じます。
私が同じような状況で家族を、例えば妻を失ったとしたら、担当医のミスのせいで亡くなったという真実よりも、担当医が最善を尽くしたけれど残念ながら病気のために亡くなったという真実の方がよほど救われるように思うのですが。
人間なんて簡単に死ぬものだと実感としてわかっているからこのように考えるのかもしれません。

やはり最初の事故調査報告書がいけなかったのですよ。公式の報告書で「過失あり」とされたのに、刑事責任が問われたとたんに「あの報告書は間違いです」と言われても納得できる人は少ないでしょう。何を言われても、虚偽・隠蔽・嘘吐きに見えてしまうでしょう。遺族が家族の死を受容していく上でも、最悪の結果になってしまいました。
政治的な思惑に左右されることなく、真っ当な報告書が出されていたら、と残念でなりません。

>やはり最初の事故調査報告書がいけなかったのですよ。

 別エントリで指摘されているような経緯で作成された物であるとしますと、この報告書の作成が最も罪深い行為だったかも知れません。

産科の場合、おそらく妊婦さんのお父さんは主治医とそんなに会ったはずはないはずです。おそらく、多くの場合妊婦さんだけで受診をするのではないでしょうか。
事前に、家族と信頼関係を築けというのは無いものねだりです。

お嬢さんを失った父親の悲しみ、理不尽さへの怒りには共感を示すべきだと感じます。しかし、それが医師に向かうのは根拠のないことも多かろうと思います。少なくとも今回の場合は、ご遺族のサイドに沿った標的を医師とした感情に共感しすぎた、寄り添いすぎた報道することはご遺族に
とっても益のないことだと思います。

ご遺族の悲しみを理解しなければいけない。
ご遺族の怒りもわかる。
でも、本当はそれは正当でない感情かもしれない。

悲しむご遺族にそれを言う必要はないかもしれない。
それでも。自分はいい人だよと言いたげな自己満足的な報道とそれを表彰するようなマスコミ全体の罪は重いと考えます。

マスコミには理性はない。

産科の場合、おそらく妊婦さんのお父さんは主治医とそんなに会ったはずはないはずです。おそらく、多くの場合妊婦さんだけで受診をするのではないでしょうか。
事前に、家族と信頼関係を築けというのは無いものねだりです。

お嬢さんを失った父親の悲しみ、理不尽さへの怒りには共感を示すべきだと感じます。しかし、それが医師に向かうのは根拠のないことも多かろうと思います。少なくとも今回の場合は、ご遺族のサイドに沿った標的を医師とした感情に共感しすぎた、寄り添いすぎた報道することはご遺族にとっても益のないことだと思います。

ご遺族の悲しみを理解しなければいけない。
ご遺族の怒りもわかる。
でも、本当はそれは正当でない感情かもしれない。
マスコミが正当でない感情に共感を必要以上に示すことで自分の感情に遺族は確信を持つかもしれない。

悲しむご遺族にあなたの感情が瀬藤でないという必要はないかもしれない。それでも。自分はいい人だよと言いたげな自己満足的な報道とそれを表彰するようなマスコミ全体の罪は重いと考えます。

人が、自分の正当でない感情を持つことに対して内省することをもし理性よ呼ぶのであれば、マスコミには理性はない。

NHKも時論公論 でやってましたね。

判決後の遺族に合ったそうですから、人でなし決定。

で、遺族側に感情移入させる、構成。
「家族を納得させろ」「国民の為により良い医療に取り組め」とか。
医師も国民だって事すら忘れてまあ。

普段一緒に暮らしていない肉親・親族は、事前情報に乏しく「唐突感」が大きいため、処罰感情も大きくなるのかもしれません。
非医療者として、病気・怪我などの情報を同居人のみではなく親族に伝えることも重要な事かもしれないと考えました。
※今回の件は無理だと思いますが・・・
同居人も他の親族が憤っていたらそれを収めるの難しいでしょうから。

後、遺族フォローとして医療の不確実性を理解していただくのが重要ですね。
今回の判決要旨はそれに相当する部分ありますが、遺族としては要求事項と相違する結果なので中々素直に読み取ることは難しいかも知れません。やはり遺族側の近い位置の方が説明するやりかたが必要かもしれません。

 録画したので見直しました。

 遺族に会ったのは今週初めだったそうです。ですから判決前ですね。

 飯野さんは、終始、目が赤くて涙目でした。

 それにしても、「納得できるまで説明しろ」「人手不足でも応援の医師を呼んで手術をしろ」というのは頂けません。

 この期に及んで、まだ納得できないのは情報不足が原因だという主張が暗にあったり、人手不足では応援を呼ぶのもためらわれる、あるいは不可能であるという状況への思慮が不足しているからです。

 中核施設への紹介が増えて、ドミノ倒しが生じている状況はご存知の筈で、それはさすがに言及されていませんでした。

 NHKは組織的に控訴をお望みであるかのように見受けられます。

そうですか、情報有難うございます。「人でなし」は不変ですが。

NHKも、医療組織の窮状を隠蔽し、更に問題の深刻化を図っているので、左翼的な社会の敵と評価出来ます。

昨晩のNHK「持論公論」について
「一切の説明がなかった」
「納得のいく説明がなかった」
「真摯な説明の努力を怠った」
とし、一方当事者の言葉だけを取材して、確定した事実のように報道することは、報道の公平・中立性の名に値しないと、BPO(放送倫理・番組向上機構)に報告しました

感情論から入って事実を見ない態度では、不幸なことに必ず犯人を見つけるような失敗を繰り返し、報道被害を広げることになるでしょう

「持論」であっても、「公論」という名に値しない、不適切報道は、適切な批判を受けるべしと考えます

>左翼的な社会の敵と評価出来ます。

このコメントの中には、
左翼=社会の敵 (言外に、右翼=社会の味方)
という偏見、ステレオタイプが認められます

あまり不適切な修辞を使うと、修辞内のロジックの破綻で、自らの主張を歪めてしまう結果となり、”印象操作”と批判されますので、御用心

詭弁護士一派を批判するのと同じ言論の力が自分達に向けられた時に、痛くない発言に心掛けましょう

因みに左翼が敵でも、右翼が敵でもありません
どこに評価点を置くかの相対的なものです。
その評価点の置き方そのものが、その人の価値観を示しています
その価値観を非難するだけで必要であり十分です

 亡くなった方には本当にお気の毒ですが、関わった医師を刑事罰に処して、刑務所に入れれば遺族は満足されるのでしょうか。若い人の突然の死亡という、社会的にも受け入れにくい事実に対し、応報感情を煽るような報道は、許し難いことだと思われます。
 復讐、目には目をといった、応報感情は人間にとって自然の思いでもあり、どこの国にもどの時代にもあります。それをそのまま認めることは社会の秩序を破壊し、安定を損なうことから近代国家では復讐、リンチは禁じられているのです。最近まで謙抑的に振る舞ってきた日本の刑事司法を、一般国民、被害者の目線で行う方向へ誘導してきたマスメディアの責任は重いと言えます。
 被害者は当然ですが、一般の国民も心情的には、かわいそうな人達の方を支援したくなるものです。遺族のコメントそのまま書くのもどうかと思いますし、まして涙をぬぐう遺族の画像を大写しにするような、被害者感情を全面に押し出した報道姿勢は、日本の多くの国民を、感情的に扇動する虞が多分にあり、厳に慎むべきです。

これ、有罪判決が出ていたらどんな報道がなされていたんでしょうね。

「医療ミス被害者の非力な遺族が、総がかりで立ちはだかる医療界という巨大な壁に風穴を開けた」
「被害者の墓前に涙ながらに勝利報告をする遺族」
「しかし、医師側の控訴により戦いはまだまだ続く・・・」

光市事件の本村氏を描くのと同じセオリーで報道されてそうです。

昨晩のNHK「持論公論」について

「空理空論」と名前を変えた方がいいのでは?
スポンサーもいない、視聴率を気にする必要もない公共放送なのだから、ワイドショー路線をとる必要などないはずなのに、あれじゃあ「ワイドショー講座」のCGを紙芝居に換えただけだ。

>左翼的な社会の敵と評価出来ます。

このコメントの中には、
左翼=社会の敵 (言外に、右翼=社会の味方)
という偏見、ステレオタイプが認められます

因みに左翼が敵でも、右翼が敵でもありません

適切な表現はこの場合、「テロリスト的な社会の敵」でしょう。
マスコミは恣意的な報道により「間接的な殺人」を犯し、多くの被害者を出しています。これが「報道によるテロリズム」でなくてなんなのでしょう?

http://www.47news.jp/47topics/2008/08/post_129.php

 47コラム
 遺族の感情を優先して考える風潮を戒める判決が20日、福島地裁から出た。4年前、帝王切開で出産した女性が手術中に死亡し、それから1年以上たって、担当した医師が業務上過失致死と医師法違反の疑いで逮捕された事件。判決は無罪だった。

ご遺族が患者の死亡を悲しみ突然の死の責任をどこかに求めようとするのは自然の感情です。メディアがこれに迎合して社会を誘導しないようにすべきです。上記の反省は一応まともなメディアもあるんだなと言う意味で載せておきます。

>メディアがこれに迎合して社会を誘導

ご遺族の無念の感情にメディアが迎合した結果、社会だけではなく、ご遺族の気持ちそのものを誘導して、無念の感情を増幅してしまった側面もあるのかも知れない。

検察が控訴せずに今回の無罪判決が確定した場合、マスコミがご遺族に対して掌を返すような態度に変ずる可能性もあると思う。そのような事態になったときに、ご遺族の気持ちとしては、医療に裏切られ、判決に裏切られ、さらにマスコミにも裏切られ、落胆の念はより大きくなるだろう。そのようなことになったらと想像すると、何ともやりきれない思いがする。

No.19 MultiSync さん
No.21 rijin さん
No.23 Med_Law さん

「時論公論」
ttp://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/

20日の原稿UPされていません。(削除された?)

モトケンさんのエントリーを拝見して下記の話を連想しました。

(前略)当該告発に係る犯罪事実の立証には全く必要のない「全容」の解明が期待されるということになりますよ。  警察は捜査当局であって、犯罪事実の立証に必要な証拠を集めるのが仕事なのに、「全容」とか、はたまた「心の闇」とかまで解明しなきゃならないんですわ。もう大変。(後略)

筆者はすでに故人ですが「警察官僚ガン闘病記」というブログの初期に書かれた「一連の耐震強度偽装問題」という記事です。

>No.1 一市民 さん

ところで、あなたは私とあかがま氏は、特殊な医療関係者で、このような気の毒な遺族に心ないツッコミをする人間であるという誹謗中傷を行ったわけですが。

これは自覚的なのでしょうか。
自覚していないなら、謝罪を受け入れますが。
自覚して言っているなら、ここには「ふさわしくない」と思います。

たいした事ではないのですが、非医療側という括りが何となく
据わりが悪いので、私自身は今後、自分は被医療側という
属性にして、これらの一連の問題を考えてみようと思います。

自分は被医療側という属性

どういう意味でしょうか?
医療被害者ということですか?

朝青龍なみの医師ブログ界横綱に誹謗中傷などとんでもないです。
無罪判決でブログネタに事欠いているかもしれませんが、
その怒りや腹いせをこちらに向けないでください。
あなたたちのブログに対するマイナス評価は既に同僚の医師たちが十分にしています。
今後も医療崩壊推進、医療不信推進のために、頑張ってください。
陰ながら注目していますよ。

横ですがあきれたので一言

>医療被害者ということですか?
普通そうとりますか?どうとっても、医療を被る側でしょう。
どこに「害」という言葉があるんですか?

No.34 昼寝 さん
>被医療側
賛成です^^

場外乱闘には専用のリングがありますのでそちらでどうぞ。
あまり品位を汚さないでください。

私のブログの評価など、私の問題であってあなたの問題ではありません。

私は、「あなたの行動」に腹を立てているのです。

謝罪し以後気をつけるようにするか、自分はこういう人間であるという評価を受け入れるかのどちらかです。
どちらもしないのは卑怯千万です。
まあ「一市民」というハンドルからして、アレでですけどね。
あなたは自分の意見が、一般市民の意見だというアプリオリな驕りがあるんです。
既に他の人に指摘されていますね。

私は私のブログを私の評価として受け止めています。

議論しなければ道は開けないので、失礼は承知であえて書きます(侮辱には当たらないと思います)。

私は遺族の気持ちが良く理解できます。自分の肉親が予期しないことでなくなった・・・誰か悪者を仕立て上げ、理性を失い、怒りを悪者に押しつける。これは人間という性から来ているので単純に批判できないと思います。理性を失えば人間なんて簡単に理論的考察なんて吹っ飛びます。遺族の精神的救済は必要でしょう。

ただ、間違ってはいけないのは、マスコミ、国、今回の場合は医療従事者などの社会的責任を負った人たちの対応です。感情論に流されては患者のための医療なんて築くことが出来ません。遺族の主張が正しいという人たちは結果的に将来の日本の患者たちのためではなく、単なる江戸時代レベルの仇討ちでしかありません。あるいは判官贔屓とでも言いましょうか。復讐以外の何物もありません。
復讐、仇討ち、判官贔屓が目的なら遺族の感情論的な主張を正しいとして理論を展開すればよいでしょう。
しかし、当然さんざんこのブログで指摘されているように、もう少し世界を広く認識し、将来の患者たちのための医療を築くのが最終目的とするならば同情はするが、今回の判決を支持するという論調以外に選択肢はありません。今回有罪になっていたら将来どの様な医療状況になるか、我々はある程度想像できるという強みもあります。

要するに、国やマスコミに言いたいのは将来の良い医療が目的なのか、復讐に荷担することが目的なのか、どちらかを選択して欲しいということなのです。
前者が大切なら感情論は感情論、かわいそうなのは確か、でも今回の判決は正しい、という認識が必要です。


もし、難しい症例を全て大学に送っていたら、受け入れ拒否(たらい回し)はさらに加速し、医療過疎を招くでしょう。それだけでなく、そもそも他に送るかどうかの判断は医師の裁量なのですから、(よほどほとんどの医師が批判するようなお粗末なケースを除き)そこには過失はあり得ないと思います。それを過失というのであればそれこそ後出しじゃんけん(レトロスペクティブ的思考、あるいは結果論)となります。
医師はその場その場で悩み、複数の選択肢のうち比較的正しいと思ったことを選択します。それが医師の裁量ってものです。
検察で言ったら容疑者と思って逮捕したのがその場では正しい判断と思えた、という理屈と一緒です。
それが「一か八か」で片づけられたら医療行為はコンゴできなくなります。

私のブログの評価など、私の問題であってあなたの問題ではありません。 私は私のブログを私の評価として受け止めています。

自分のブログの社会に対する医療界に対する迷惑度を
少し考えたらどうですか?
判決を境に改める時期が来ていると思いますが。

>>No.37 Lega さん

なんとも答えにくいご質問でしたので助かりました。
多謝!

 

>医療界に対する迷惑度

迷惑だなんて思っている医師がいるのですか?
私は寡聞にして知りませんが。

それよりも全くトピずれですので,このまま
続けるのでしたら場外乱闘の方でお願いします。

>No.29

上記の反省は一応まともなメディアもあるんだなと言う意味で載せておきます。

メディアがまともなのではなく、「どんな異常メディアでも希に間違ってまともなことを書いてしまう」の好例でしょう。

47Newsの通常の報道の異常ぶりを見たければこちらをどうぞ。
http://www.47news.jp/47topics/2008/03/post_36.php

No.40 yamaさんの書き込みを支持します。

これ以上は言わないが、今後のブログのあり方について、お仲間ともよく相談されたらどうでうか?

大野病院事件を振り返る (1) | メイン うんこ毎日新聞クソ社説のご紹介 akagama / 2008.08.21 13:50 / 推薦数 : 0 さあ、燃料は、ウンコ新聞社のウンコ社説です。 この記事には、誹謗中傷の意図がいっぱいふくまれているかもしでません。 くやしかったら、刑事告訴してみやがれ、クソ瓦版屋め、ぎゃはは。

 これまで少々のトピズレは容認してきてるんですけど、トピズレ傾向の強い方がおられます。
 今後は、気になったら直ちにイエローカードですよ。

エントリに戻ってコメントさせていただきます。
 遺族の父は、どのような時期に別の病院に送っていなかったことを問題にされていたのでしょうね?
 出産を大学でするように送っておくべきだったという思いなのでしょうか?情報源が不確かですが、なくなった方が、大野病院で産みたいと言われていたということだったように思いますが、仮に、遺族の父の言う時期が、児娩出後であったなら、そもそも問題外の話となりますし、リスクについて説明された後に、大野病院でのお産を希望したのなら、自己責任でもあると思います。
 そこに、なぜ、加藤医師に対するこれほど強い怒りや恨みを持つに至るのかがわかりません。若い人が死ぬたびに、医師が恨まれて、裁判を起こされるなら、裁判所や拘置所に医師が拘束され医療ができなくなっていきます。

このご家族の無念は想像するに余りあります。

やっぱり時間が必要ですよ。
あとは周りの皆さんですね。おそらく医療者の言葉は中々耳に入らないでしょうから、同様な悲劇の犠牲者を自任する方々が慰撫して差し上げていればいいのですが・・・。

却って怒りや無念を煽るようなことをしているのではないかということがひそかに心配です。

No.47 タカ派の麻酔科医 さん

疑問をお持ちになるのは充分分かりますが、No.40 yama さんの仰るとおりなのではないかと私は理解しています。

医療の不確実性に対する理解度の乖離については以前から議論されているところですが、非医療者にとっては普通に生きているが日常であり、死というものが身近にあるという非日常的な世界を常に見ている医療の現場にいる方々と同じ認識を持てというのは酷だと思います。
やはり、大切な身内が突然亡くなったとすれば、その怒りの矛先を誰かに向けなければ精神を保てないのではないでしょうか。それが、執刀医である医師に向くのも心情的には理解はできます。

ただ、yamaさんが仰るとおり、これからもマスコミの報道姿勢は注視していく必要があると思います。(勿論、医療側も医療の不確実性などを理解してもらうための活動などが必要だと思いますが。)

はじめてコメントさせてもらいます。

今回の色々な記事を読んでいて気になっているのが遺族の夫が表に出ていないことです。
遺族の父親のコメントはよく見るのですが、夫のコメントは見たことがありません。
配偶者を亡くすのは非常に辛いことだと思います。なので、遺族の父親と同じような強いコメントが出るような気がするのですが・・・。

これら考えると夫は裁判に乗り気ではなかったのかなという印象をもちました。実際はどうなのでしょうか?

初めまして。

>No.50 寒風さん、それぞれの立場があります。
 配偶者の方が表に出てこられなくても不思議ではありません。
 できれば、そっとしてあげてください。   

以下を読むと、父親の不満の具体的内容がより明確です。
いずれにしても、事故報告書で確信していた有罪が
翻ったことで、動揺があると思います。
控訴するかどうかでも今後の気持ちが変わるかもしれません。
時間しか解決できませんので、今はそっとして触れないことが
一番だと思います。

渡辺さんは「事故後3年7か月が経過しても、県立病院を管理・監督する立場にある県病院局に具体的な動きが見られない」との不信感を抱き、医療事故の再発を強く危惧(きぐ)して、要望書を提出した。

 要望書では、医療事故を検証する有力な証拠になるとして、「手術におけるビデオ記録の保存」を提案。ビデオ撮影記録のない手術については、改ざん・隠ぺいと同等の扱いにしてほしいとしている。

 医療機関全体で取り組むべき課題としては、▽県立医大、拠点病院、地域病院の連携強化▽医療機関の風土改革▽ルール違反者への再教育とペナルティー制度の創設▽ハイリスク患者などの情報を医療機関で共有できるシステムづくり▽インフォームド・コンセントとセカンドオピニオン制度の周知徹底▽「一人医長」の禁止▽周産期医療システムの内容の見直し▽各医療機関の役割を明確化したルール作り−などを挙げた。
更新:2008/08/21 14:47   キャリアブレイン

医療機関全体で取り組むべき課題としては、▽県立医大、拠点病院、地域病院の連携強化▽医療機関の風土改革▽ルール違反者への再教育とペナルティー制度の創設▽ハイリスク患者などの情報を医療機関で共有できるシステムづくり▽インフォームド・コンセントとセカンドオピニオン制度の周知徹底▽「一人医長」の禁止▽周産期医療システムの内容の見直し▽各医療機関の役割を明確化したルール作り−などを挙げた。

漠然としていてよく分かりませんね。もう少し詳しい記述が見つかったらリンクを張って下さい。興味があります。

少なくとも産婦人科の「一人医長」禁止はこの事件のおかげで現実のものとなったようですよ。一人医長ポストからはすべての産婦人科医の引き上げがありましたから。他の要求も周回遅れな印象を受けますが、具体的なところが分からないので何とも言えません。

手術のビデオを保存することに関しては賛成ですが、出来れば患者負担でお願いしたいです。

しかし、これだけの騒ぎが起きた後で「具体的な動きが見られない」というのは一体どういう神経しているのでしょうか?ちょっと目を開いて欲しいです。

アメリカでは、スーパードクターほど訴訟を抱えていると言います(もちろんリピータ医師も中にはいるでしょうが)。
アメリカのように、訴訟になっても医学的に問題がなければ通常通り診察できる(つまり、休職や退職をしなくても済むような)体制が必要不可欠です。
しかし、日本は合併症=医療ミスと解釈し、逮捕=犯罪者と解釈する傾向があるので今は無理でしょうね。
日本人のもっと合理的な意識改革を求めます。

よく、事実を話せば裁判に至らずに済む、なんて言われていますけど、私の経験は少ないですが、知っている数例を見るととんでもないです(このうち一例は私も関わっていました)。ほぼ全て言いがかりあるいは逆恨みです。わが子を亡くした逆恨みから訴訟をするケースがほとんどです(実際に統計学的に動なのかは知りませんが、参考程度にはなるでしょう)。
ただ、経済状況によって訴訟を断念するケースは結構ありますね。

日本人のもっと合理的な意識改革を求めます。

無理です。いっそ「医療紛争は医師と遺族が日本刀で果たし合いをして決着をつける」という制度を作る方が簡単でしょう。そもそも敵討ちが目的なのですから。

皆様、子供は見捨てずに、きちんとしつけてやってください。

>No.52一市民さん、>No.53内分泌医さんへ

要望書では、医療事故を検証する有力な証拠になるとして、「手術におけるビデオ記録の保存」を提案。ビデオ撮影記録のない手術については、改ざん・隠ぺいと同等の扱いにしてほしいとしている。
血の海の中で癒着胎盤を用手剥離している様子はビデオ撮影記録不可能かと思われます。ご遺族は要望書をご提出になられる前にどなたかにご相談なさらなかったのでしょうか。


>No.49事務方の星さんへ

やはり、大切な身内が突然亡くなったとすれば、その怒りの矛先を誰かに向けなければ精神を保てないのではないでしょうか。それが、執刀医である医師に向くのも心情的には理解はできます。
遺族の心のケア・カウンセリングが制度としてあったほうが望ましいと思われますがいかがでしょうか。


遺族に対して必要なのは精神科医師や心理カウンセラーによるフォローだと思います。そっとしてやるのも一つの手ですが、それで心は癒せないと私は考えます。積極的治療も必要なときには必要です。
てか、アメリカとかでは精神科医によるフォローなんて当たり前なんですけどね・・・。やはり日本は精神科に対する偏見が根強いのかなあ?

別トピからの飛躍になりますが
警察、検察が散々渋っている
ビデオ撮影記録のない取り調べを、改ざん・隠ぺいと同等の扱いにしてから言えって感じですね。

とりあえず福島県に限って、ビデオ撮影を義務化してみたらいかがでしょう。おそらく、ほとんどのメッサーが県外に脱出するか、メスを捨ててしまうのではないでしょうか。外科系にとって、手術は船底一枚下は荒れ狂う海です。はなから信用されずに(ミスを確認するためのビデオ撮影なんて)手術を始める前にモチベーションが最低になることは間違いありません。(大野地区に限ってもいいです。すべての外科疾患の患者は山を越えることになるでしょう。)
 確か、某大学でオペレーターの心電図をモニタリングして、緊張が過度になったら術者を交代させるようなシステムを考えているというような報道を眼にしたことがあるのですが、、、、どなたか覚えていませんか?あるいはその結末を知っている方がおりましたら教えてください。(私だったらそんな侮辱に耐えてまで手術をすることはありませんので)

緊張も度が過ぎると却って本来の力を出せないのが人間ってモンです。そうした意味で全部ビデオって言うのは問題があるかと・・・。ただ、自称、自信がある医師の手術はじゃんじゃんビデオを撮っていいんじゃないでしょうか?

でもね、なぶちっていう外科の先生もいたりして、
ビデオばんばん撮ってるそうです。

自信過剰ってやつですか?

No59サルガッソー様
 まったくその通りです。警察、検察の取り調べこそ、完全ビデオ録画すべきでしょう。
 それと、実際手術をビデオでとるとなると、どのようにして、誰が録画し、誰が管理するのかということになりますが、これが、結構大変だったりします。しかも、無影灯にカメラをつけると、写るのは術者の頭だけになったりすることもよくある話。術者がカメラをつけてとるとなると、なれないと手術の邪魔になるし、清潔不潔も微妙なものになるので、簡単な話ではないのですが。

 私は腹腔鏡手術の場合全例をビデオ記録に残してきました。それは、この手術の場合かんたんに記録ができることもありますが。あくまでも次の手術に向けての反省を行い(うまくいった手術でも必ず反省点はあるものです。)もし失敗することがあれば、どのような経緯でその失敗がおきたのかを確認し、次の手術に生かすためのものでした。決して、人に見せて自慢するようなものではありませんでした。同時期に、まったく録画をしない先生もいて、聞けば、あれば何か訴訟が起きたときかえって不利の状況に陥るからといわれたことを覚えています。たしかに、そういう意味では義務化することは外科医にとって厳しい義務を課して、ということになるのでしょう。
南淵先生は、ほとんど同じ種類の手術しかしないので、そういう意味では自己研鑽というより、見せることをアピールポイントにして、集客を図るという、商業的意味があるのではないでしょうか。もうやるべき失敗はあらかたやりつくしていると思います。同じことしかやらないのであれば、自己研鑽という意味は少なくなると思います。いろいろなことをやらざるを得ない病院の外科医や修行中の外科医にとっての失敗率は、まったく同じことを毎日やる専門家に比べれば、たしかに高くなります。そのようにして、外科医の取締りを厳しくすれば、すべての疾患別の病院が誕生することになると思いますが、アクセスは最低になるでしょう。イギリスのようにね そして、自分の専門外はまったくできない外科医が誕生するでしょう。(外科医は育たなくなるかもしれません。)

初心に返って・・・。
思うんですが、理論的に考えても

真実を明らかにすること≠判決で有罪になること

だと思うのですが・・・。
おそらく医療の無理解(あまりにも専門的すぎて理解できていない)か、ストレスから来る精神的問題故に物事を正確に見れていないことが原因と思います。そんな遺族を批判の目で見る医療者もいますし、それはある意味正しいことなのですが、私はむしろ遺族には同情します。かわいそうに思います。
医療とは、医学生で医学を学び、さらに医師になってからも数十年かけて理解していくもの。それを素人がわずか数年で理解できるはずがない。おまけにストレスで神経が参っている。神経症やうつ病を発症してもそれは不思議ではありません。
こうした人たちをフォローするシステムが出来ないものでしょうか?

 私は腹腔鏡手術の場合全例をビデオ記録に残してきました。それは、この手術の場合かんたんに記録ができることもありますが。あくまでも次の手術に向けての反省を行い(うまくいった手術でも必ず反省点はあるものです。)もし失敗することがあれば、どのような経緯でその失敗がおきたのかを確認し、次の手術に生かすためのものでした。決して、人に見せて自慢するようなものではありませんでした。同時期に、まったく録画をしない先生もいて、聞けば、あれば何か訴訟が起きたときかえって不利の状況に陥るからといわれたことを覚えています。たしかに、そういう意味では義務化することは外科医にとって厳しい義務を課して、ということになるのでしょう。
南淵先生は、ほとんど同じ種類の手術しかしないので、そういう意味では自己研鑽というより、見せることをアピールポイントにして、集客を図るという、商業的意味があるのではないでしょうか。もうやるべき失敗はあらかたやりつくしていると思います。同じことしかやらないのであれば、自己研鑽という意味は少なくなると思います。いろいろなことをやらざるを得ない病院の外科医や修行中の外科医にとっての失敗率は、まったく同じことを毎日やる専門家に比べれば、たしかに高くなります。そのようにして、外科医の取締りを厳しくすれば、すべての疾患別の病院が誕生することになると思いますが、アクセスは最低になるでしょう。イギリスのようにね そして、自分の専門外はまったくできない外科医が誕生するでしょう。(外科医は育たなくなるかもしれません。)

国民が医療を正当に評価する時代が来れば、外科医の先生方がOKであれば原則ビデオ撮影にしても良いと私は考えますが(あくまでも原則ですよ)、内科医の浅知恵なので緊張度の問題はクリア出来ません。
それがよいのかどうかは現場の外科医の先生方の意見を聞きたいです。
ビデオで撮られて実力が発揮できますか?

最終的な意見を述べるのはそれからにします。

>ビデオ撮影

 私は内科医なので実際に外科手術を行った経験はありませんが、見学した手術例や外来・検査・ベッドサイドで行う医療手技の経験などから考えますと、医療手技は触診の感覚が重要なものが多いので、ビデオ映像を医療事故の検証目的に用いる場合、どの程度役に立つのかについては疑問があります(ある程度の参考にはなるかもしれませんが)。(特に術野が狭い場合や出血・癒着などで術野の確保が困難な場合など。)

 被医療者の方にも身近な(手術以外の)医療手技として、採血や静脈注射の際の末梢血管穿刺を例にあげると、この手技で大切なことは、目標の血管を見て確認することではなく、血管の感触を「触って」確認することです。

ビデオとられたらできなくなるようなことは、初めっからやってはいけないということなんですよ。

「後ろ暗いことがなければ見せればいいじゃん」
「見せたくないのは後ろ暗いことがあるからだろう」

こういう発想がスタンダードになっていくのは少し怖い気がします。
このロジックがまかり通れば、盗聴、監視カメラ、家宅捜索、果ては予防検束だって正当化しうるわけで。

開腹手術で的確な視野を確保したビデオを撮るということは、相当に意識して手術を行わなければなりません。そのための手術になります。実際、学会で発表を行うときのお披露目用のビデをとるためには実際の手術時間ではすまないことがあります。
 また、ライブで不成功で患者が死んだ例もあるように、いつもと違うことをやることになります。日常にビデオを撮るということになると、全体像を遠くから眺め、何を言っているのかということを録音して、すべての経過を記録することになるのでしょう。おなかのなかまでの記録はとても無理です。
 でも、何時間もまじめなことを言ってるわけではないので、途中の緊張を取るような、冗談や、あえて言う不真面目な発言まで記録されるようになると、とても窮屈なことになるでしょうね。
 なんにしろ、ミスを証明するためのビデオが義務化されるなら、私は一切の外科手術から、立ち去るつもりです。”俺は毎回パーフェクトを達成できる投手なんかじゃないよ”

音声無しというのはどうでしょうか?
私も緊張感を取るための冗談とかはむしろ手術に必要だと思っています(以前、それを「不埒」と言って編集によって悪者のように見せかけた報道がFTVでありました)。そうした意味で声を取るのはどうかな?と私は思います。
また、術野の中まで撮るのが不可能なのはたしかにそうですね。

それから、このビデオ撮影の提案については、一応「真相追求を容易にして医事紛争の深刻化を防ぐため」という建前があるわけですが、その根底に「加藤には逃げられたが、あんな逃げ得は二度と許さんぞ」という医師性悪説のようなものを感じてしまうのは私だけでしょうか? 
遺族を揶揄するようで心苦しいのですが・・・。

 取り調べの可視化の次は手術の可視化ですか……_| ̄|○

腹腔鏡手術ならビデオ撮りしたほうがいいです。あとで何かあったとき参考になります。2週間サイクルぐらいで上書きしてしまえば長期間は残りません。開腹ではビデオは少々無理があります。肝心の部分は術者も見えず左手の感覚だけで組織を探って右手の刃物を当てていく訳なので見えてる部分は氷山の一角ということになります。ですから何かあってもビデオに残る保証はありません。ただし一般的には臨床研修や患者説明などの面からも手術のビデオ録画は推奨致します。

>ビデオ撮影(No.68の補足)

 No.71 でもさんのおっしゃるように、専属カメラマンを常時おくわけにはいかないので、定点カメラの映像になると思われますが、そうすると、見えないところがでてくるので、その意味においてもどの程度役に立つかは疑問です。

一市民様は彼がどのようにビデオ撮影をしているのか、ご存知無いのでしょう。

http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/medical/2008/01/5_de20.html

(イ)原告病院においては、手術経過につき手術室上方からビデオ撮影を行うことを常としていたが、被告は、これとは別に、自己の行う心臓外科手術について手術経過の詳細を鏡視下スコープカメラを用いてビデオ撮影することとしていた。また、被告は、原告病院に医療機器を納入する業者であるゲッツブラザーズとの間で、報酬90万円で被告の執刀する動脈グラフトを使用した心臓外科手術手技ビデオ30本を製作して同年3月末日までに同社に提出するとの内容の業務委託契約を締結していた。
(エ)丙山手術は、バイパスグラフトと冠状動脈を四箇所にわたり吻合することを主内容とする難度の高い手術であったところ、被告が上記のうち一箇所の吻合をすべくグラフトと動脈を糸で縫合していた際、乙原技師は上記ビデオの撮影スイッチがオフになったままであることに気づいた。グラフトと動脈の吻合作業は、丙山手術のうち、非常に重要な部分であったので、丁川医師は、被告に対し、「すいません、撮れてませんでした。」と告げた。被告は、丁川医師の顔を見て、えっという表情を浮かべ、いらいらした様子を見せながら縫合をさらに2、3針進めた後、縫合する手を止め、数秒間考える様子を見せた後、縫合していた糸を切ったが、一度針をかけて糸を通した冠状動脈の辺縁はぼろぼろの状態となっていた。その後、被告は、グラフトと動脈の再度の吻合を行った。


内視鏡手術のビデオは既に「悪用済み」ですよ。

本筋とは関係のない心証形成に「活用」されたのは、小松先生の書籍でもたしか紹介されておりました。

さて、

こら、一市民。
校長先生に怒られた位で禊ぎが済んだと思ってるのか。

教室で授業中に騒いだら、よい子は授業やってる教師に謝って静かにするか、あるいは、うるせえと捨て台詞を吐いて教室を出て行くのが、古きよき不良のマナーだぞ。キミがスタイルを真似したきくり氏はそうしただろ。
あっかんべーと言って騒ぎ続けて授業妨害を継続するのは、いかにも現代っ子の甘えだな。

お前に相応しいのは体育館の裏だ。
http://jbbs.livedoor.jp/news/3910/

不良のお仲間が待ってるぞ。

医療の不確実性に対する理解度の乖離については以前から議論されているところですが、非医療者にとっては普通に生きているが日常であり、死というものが身近にあるという非日常的な世界を常に見ている医療の現場にいる方々と同じ認識を持てというのは酷だと思います。

養老孟司先生は「社会から死体が隠されている」と仰っております。
本来、死が身近であったのものが生活空間から遠ざけられるようになった結果、死が(そして誕生も)非日常になってしまった、と。

まず、
 人間五十年、下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり
 ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか
(特に後半)を認識し直すことが社会全体として必要なのではないかと強く感じます。

>No.78 ssd 様
>不良のお仲間が待ってるぞ。

う〜む、場外乱闘板は不良のたまり場ですか?
最近は場外乱闘板の方に入り浸りの身としては、不良の仲間入りというのはチト困ったことですナ。何せこの歳では家庭裁判所で少年法の適用を受けるのは無理なので…。

可視化といっても、手術の場合は執刀医や助手の手技だけでなく、麻酔の状況や患者さんのバイタルデータ、術野の状況、全身の状態、出血具合等々様々な要素が有り過ぎて、所詮ビデオに映るのは、当該手術のほんの一側面に過ぎないのではないかと思います。

研修医や若手が手技の勉強に使ったり、患者さんへのインフォームドコンセントに使ったりするのは有意義なんでしょうけど、それで過失の有無を見るとなると、むしろ一側面だけが強調され過ぎて、全体の判断をミスリードするのではという危惧も有ります。

一患者としては、カメラアングルだのビデオ映りだのに執刀医が気を取られるより、無理にビデオなどなくてもいいから、その分手術に集中していただいた方が有り難いんですけどね。

No.57 青髭(医) さん

そのとおりだと思います。日本でもようやく学校などにカウンセラーを配置するようになりましたが、それでもまだまだ心のケアなどの必要性の認識が低いと思います。

No.45 一市民さん、
ご指摘のブログ、URLが貼ってなかったのでわざわざ検索して拝見しましたが、マスゴミ(敢えて書きます)に対する正当な評価のみで、気の毒なご遺族への誹謗中傷は見受けられないように思われたのですが…、と話を蒸し返してみるてすつ。

個人的には、加藤先生はこのご遺族をマスゴミともども名誉毀損で訴えるべきだと思います。大多数のまともな患者のためにも。

連投すいません。余りにも衝撃を受けたもので…、http://d.hatena.ne.jp/(管理人により伏字)

上記が事実なのであれば、私的にはこの父親のコメントに関する色々な疑問点が全て解消されるのですが…。

(管理人の判断により根拠が曖昧すぎるとして伏字にしました。)

これはもっとしっかりしたことが取材されない限り削除された方がいいのでは、ブログを非難される元になりかねないものと懸念いたします。すくなくも、県の支払いは、官報などで、確認できると思うので、根拠のないことをのせて、マスコミ側のあるいは、医療被害者の会などの材料にされてはたまりません。

 私も同様に思います。
 フライトデジタルデータレコーダ(FDDR)やボイスレコーダ(VR)は、航空機操縦や発生事象の一面だけの記録であるし、そもそも事故の再発防止に役立てるためのものだ、という発想と同じです。

管理人様、No.85 でも様、
ご指摘の通りです。軽挙妄動を反省致します。

ふと素朴な疑問ですが、

> 国が進めている“医療版事故調”設置については「真実を説明してもらえる機関になってもらいたい」と要望した。

そもそもの原因となったとされる、例のウソ報告書を書いた事故調査委員会ですが、
この調査委員会の人たちは、ちゃんと遺族に、「真実」・・・今回の場合は「本当はミスが無かったから補償出来ないんだけど、それじゃああんまりだからウチらでミスを丁稚あげて適当にウソ書いとくからよろしく」ということですが・・・ということはちゃんと説明したんでしょうかねぇ・・

(1)説明したけど理解されなかった。もしくは理解していない(説明されていない)ふりをしている。
(2)遺族にも「ミスがあった」などと虚偽の説明がされている。
(3)そもそも遺族には細かい説明はなされてない。

(1)(2)(3)のどれなんでしょうか???

No.84 10年前にドロッポしました。様のリンク引用した情報に関連して、ふと思ったことがあるのですが…。

平成17年年3月22日に「県立大野病院事故調査委員会報告書」なるものが発表されましたが、この報告書は賠償保険金を支払えるようにする為に「医療側の過失あり」のスタンスでまとめられた、このような情報が医療系ブログなどで言われております。この情報が正しいとすると、損害保険の一般的な常識に照らして、以下のような推論が成り立ちます。

【導き出された推論】福島県病院局が加入していた「賠償保険」というのは、医療側の過失が一切無くても患者(遺族)に保険金が支払われる「無過失賠償責任保険」ではない。医療者側に「過失」が無ければ保険金支払が為されない「有過失を要件とする賠償責任保険」である。この推論をベースに損害保険金支払の実務上の考察を加えてみると、以下の通りとなります。

(1) 賠償責任保険の事例としては「自動車賠償責任保険(自賠責)」が有名であるが、この自賠責も完全な無過失賠償責任保険ではなく、加害者(自動車運転側)の過失がゼロの場合(※)は、自賠責の保険金は支払われない。

(※)自賠責では、加害者(自動車運転側)が「無責三条件」の全てを満たすことを立証した場合、自賠責保険は1円も支払われない。具体的な該当事例としては、自殺願望の被害者が、運転者が最善の回避操作をしても間に合わない、走行中の自動車の直前に飛び込んで来たことを証明できた場合などです。

(2) 自賠責保険のような「有過失を要件とする賠償責任保険」の場合、加害者側がその過失の有無を裁判で争っている場合、特に加害者側が過失ゼロを主張して争っている場合、その裁判の結果が確定するまで保険会社は保険金支払を留保します。

(3) 加害者側が過失ゼロを主張して裁判で争っている場合の事例としては、運転者が業務上過失致死傷罪に問われて刑事訴追されたが、運転者(被告人)は過失が一切無かったので無罪であると主張して争っている場合が該当します。

以上の(1)〜(3)は自動車賠償責任保険(自賠責)の事例解説ですが、福島県病院局が加入していた保険は「無過失賠償責任保険」ではなく、「有過失を要件とする賠償責任保険」であるという先の【推論】が正しいなら、福島県警と福島地検が業務上過失致死傷罪で捜査・起訴し、被告人(医師)が過失について全面的に争っている(無罪主張)場合、判決確定まで保険会社は保険支払を留保するのが一般的です。

すなわち、業務上過失致死傷罪で全面的に無罪(過失無し)を主張して裁判が進行した事件では、保険金支払を留保された患者遺族にとっては、量刑の大小はともかく、被告人(医療者側)に何らかの過失があったとの判決が下され、なおかつ過失有りの判決が確定するまでは保険金は支払われません。仮に判決確定前に仮払金や前私金の形で一部の保険金が支払われていた場合で、無過失の判決が後日確定した場合は、保険会社は返還請求権を行使できます。

以上は損害保険契約の一般論であり、福島県病院局が契約した賠償責任保険の約款や特約条項などが不明ですので、必ずしも確定的とは言えません。ですが保険金支払の為に前掲の報告書では過失ありとしたという情報が正しければ、患者遺族側は保険金を受け取っていないと想像されます。

患者遺族の保険金請求にとって、刑事裁判での無罪(過失無し)の判決は、保険金が支払われる可能性が完全に潰えた訳ではありません。別途保険会社を相手に保険金支払請求の民事訴訟を提訴し、刑法上有罪とする過失は無かった(無罪)とされても、民事賠償責任上は有責となる程度の過失があったことを立証できた場合、保険金支払を命じる民事の判決を得て保険金支払を受けることが可能です。

いずれにせよ損害保険の原則論としては、大野事件の患者遺族には保険会社より、刑事裁判で過失認定(一部でも業過罪有罪)の判決が下されて確定するまで保険金支払を留保する旨の通知が為されている可能性はあると思います。

事故スレです。
前記コメント中のタイプミス

誤:仮に判決確定前に仮払金や前私金
    ↓
正:仮に判決確定前に仮払金や前渡金


なお、先の私の投稿内容は、あくまでも損害保険の一般論であり、事実を確認して書いた投稿ではありません。重ねてお断りしておきます。

すみません、またビデオの話に戻っちゃうんですけれど
ビデオ撮影って術者の心理的負担や金銭的負担もありますけれど、患者のプライバシーもありますよね。
特に産科なんて研修医が見学するのも躊躇される例が多いと聞きます。
今回も事件が起きる前だったら「娘の出産をビデオだなんて名に考えてるんだ!」なんていわれてないですかね。

加藤先生は逮捕されるまで亡くなった患者さんの月命日に墓参りをし、遺族に土下座をしたと聞いています。裁判中や裁判後の遺族の言葉を聞いていると、そのとき遺族がどんな風に加藤先生を遇したか想像がつきます。そのとき大野病院の院長、副院長、あるいは事務長は加藤先生の側で彼を支えていたのでしょうか?寡聞にして知りません。この重苦しくてやりきれない不当逮捕・不当起訴事件の中にむりやりpositiveなことを見いだそうとすれば、逮捕されて初めて加藤先生は彼を支持する多数の医療者、非医療者がいることを知ったのではないでしょうか。罵詈雑言に中断されることなく自分の率直な考えを家族に向かって言うことができる機会を得たのではないでしょうか。経過を一つ一つ思い出して、そこに何の落ち度もないことを確認し、その確認を日本中の産科医から支持してもらう機会を得たのではないでしょうか。裁判所の無責との判決は、患者さんを亡くしたという重い気持ちがこれから先、加藤先生をさいなみ続けることを予防できたのかもしれません。もちろん、こんなことは私の脳内妄想の可能性が高いと思います。しかしそうとでも考えなければ加藤先生の2年半があまりにも高い代償を要求するものになると感じています。最後に亡くなられた患者さんに心から哀悼の意を表します。

イエローカード後にのこのこ出て来るのはどうか、と思ったのですが…、
貴殿の推測通りである事を祈ります。

連投すいません。
加藤医師は年間200人からのお産を取っていました。この逮捕がなければ間違いなくその状態が続いていたでしょう。ことによると過労死すらあり得ました。この2年半の自宅謹慎状態のおかげで、と言っては語弊がありすぎますが、加藤医師は初めて存分に家族、特に出産に立ち会えなかったお子さんとの時間を過ごせたのではないでしょうか。
子供、特に幼少時の子供との日々は宝石よりも貴重です。元々子供が嫌いな上、腐る程子供と過せた私ですら「あの時もっと抱きしめておけばよかった」と思うくらいですから…。

まあ加藤医師は、地域医療に復帰する気満々なようですが。私がリアルで友人なら、「いい加減眼を醒ませ!」とぶん殴ってやりたいところですw。

とっても遅レスですが(^^;

No.28 内分泌科医 さん
No.24 Med_Law さん

>左翼的な社会の敵と評価出来ます。

への御批判について。

私の感覚では
「左翼」=「反体制側から批判のみ行い、運営責任を引き受けようとしない」者たち。

使ったのはこの意味でマスコミに似合う理由で、「右翼」との比較は意識の外でした。
御指摘のように、右・左の対立構造が気になる人には不適切な表現かもしれませんので、覚えて置きます。

もちろん趣旨は「社会の敵」で。
「システムの外に身を置いて破壊活動を行う」意味で「テロリスト的な」も似合うと思います。

>キャリアブレイン記事

遺族父親の要望は、「思いつく対策の羅列」なので感情の延長と見えます。
「具体的な取り組みだ」と言うのなら、私の様な別の患者(保険料納付者)の立場からすれば「手間と予算は?」と訊く事になる。

いろいろなソースからそのことは聞きます。もし、それが本当であるならば、加藤医師は償いを十分していると思います。

実は、この裁判で明らかになったことがあります。ご遺族は真実が解っていないとおっしゃっていますが、我々医療者にはつじつまの合う、実に十分な情報をこの裁判は与えてくれました。

一般論として患者が亡くなったとき、自分はああすれば、もしかしたら患者は助かったかもしれない、と思うのは当然です。そしてなぜか患者に申し訳ないと思うのです。しかし、冷静に考えてみると、別の選択肢を取ったからと言って患者が助かる保証はありません。そして、もし良い方向に行っていたら子宮も取らずに済むし、ハッピーエンドで終わっていたかもしれません。つまり、理論的に主治医に非はないわけですが、医療者として、あるいはただの人間として申し訳ないと思ったのでしょう。ニュアンス的には「殺してしまって申し訳ない」ではなく、「お気の毒です」というニュアンスなのでしょう。

しかし、ご遺族が医学的知識が十分ではないため、裁判で明らかになった事実では真実が見えていないか、あるいは「何か隠しているに違いない」と思われているのでしょう。
冷静に一般論として考えてみてもこの事件を理解するのに必要十分な情報が逮捕前にすでにあり、医師たちはそれを元にこのときの医療行為に間違いはなかった訳です。もし事実でないとしたらつじつまが合わなくなってしまいます。それをでっち上げるのは一苦労です(というか、短期間では不可能です)。つまりこれは限りなく事実です。従って主治医が犯罪者になるのはおかしい、という訳です。
逮捕の時点で論理的思考が検察に少しでもあれば逮捕起訴は避けられたはずです。
それでも逮捕起訴したという事実は、医学的知識を理解しようとする姿勢に欠けていたか(慎重に吟味する姿勢に欠けていたか)、論理的思考が欠けていたか、感情論的思考が支配していたが故に思考なしにやってしまったか、メンツのために動いてしまったか、いずれかが考えられます。

加藤医師がお墓参りをしたとか、土下座したとか、一応医療関係では大手の雑誌が本人にインタビューをして載せているので、その雑誌が嘘を書いていなければ事実には違いありません(要するに事実の可能性が高いと言うことです)。
これだけの情報がそろっているのですから、十分(感情論的な)償いはしており、医学的に(過誤をしていないのは勿論ですが)問題のない医療行為であり、過失もないわけだから民事上の賠償も発生しないというのは理論的に当然の帰結な訳です。

ところが結果は逮捕され起訴され、裁判になりました。そういう意味で、加藤医師は無駄な人生を過ごしたわけです。そしてそのトラウマは消えることはありません。事実加藤医師は臨床から遠ざかっています。
無実であった、というだけではご本人にとっては済まない出来事でしょう。

ご遺族の感情論的な悲しみも理解しなければなりませんが、それと同じくらい我々日本国民は加藤医師の悲しみ、やりきれなさというのを理解する必要があります。
そして今回の事件に関わった検察や警察、マスコミは大いに反省する必要があると思います。
よく、これは医療側の問題(密室問題やカルテ偽造問題等)だと言って無理に結びつけようとする人たちがいますが、それとこの事件は結びつきません。別問題だと私は思います。

医師の隠蔽体質だの、仲間内のかばい合いだの、カルテの改ざんだのを持ち出して、「だから無罪判決を手放しで喜ぶだけでなく、医療界も反省することがあるだろう」などと、何か一言いうことがジャーナリストのアイディンティティだいう姿勢がその後の報道に透けて見えます。その場合、遺族の感情を持ち出すのが前振りとして一番だと考えたのでしょう。一般論を持ち出して個別例を批判する、その一般論は正論(この場合は違いますが)で反論を許さないというのは思考停止だろうと思います。この裁判がどんな意味を持っていたか、もし有罪判決だったらどんな影響があったか、遺族の感情を抜きにして冷静な判断をするのがジャーナリストの役割だと思っていたのは彼らに対する過大評価なのでしょう。ただ私としては、この魔女狩り裁判に本当に少しでも、無理にでもpositiveな面を見いださなければ、No94の10年前にドロッポしました。さんのような見方でもよかったのですが、やりきれなかったのです。

話は変わりますが、遺族は加藤医師に対して「責任を取って欲しい」とおっしゃっています。
我々は加藤医師は十分懺悔をしていると認識している(それについてはNo.96で述べさせていただきました)のですが、遺族が責任として何を求めているかがはっきりしません。まさか刑に服するのが責任と言うわけでは無いとは思いますが、非医療者側として普通は何を求めるものなんでしょうか?
ご意見お待ちしております。

>非医療者側として普通は何を求めるものなんでしょうか?

私個人の望みとしては、詳細な説明ですね。公判で加藤医師、二人の産婦人科専門医の方々がなされたような説明を含む時系列の詳細を望みます。ただし、ある程度こちらが冷静になってからですが。

私が思うに、ご遺族がここまでの不信感をあらわにしているのは、福島県から出した事故調査報告書と真逆の判決だからだと思います。

遺族の方々は裁判が始まるまでの間、事故報告書の結論で何とかかんとか心の折り合いをつけつつあったと思うのです。で、産婦人科医が逮捕されたとわかって「やっぱり医療ミスがあったんだ!」と納得されてしまったのでしょう。これは、遺族の方々にしてみれば無理からぬことだと、私は思います。

愛する人を亡くした後の、喪の仕事の過程は感情の嵐に翻弄されるもので、とてつもなく苦しいものです(喪の仕事の手伝いをしたことがあるのでどれほどのものかは体験しています)。

そのさ中に事故報告書が出たのですから、それにすがりついたのではないでしょうか。

が、いざ裁判が始まってみれば産婦人科医は無罪を主張した。これは遺族の方々にしてみれば、「罪から逃れようとしている」と受け取ってしまったとしても、無理からぬ話だと思います。

裁判が始まってみれば、自分から頼んだわけではないのに警察に訴えたかのように言われ、崩壊の元凶の様に非難され…etc

結局、遺族の方々はまともに喪の仕事を完遂できずに今に至っている のではないかと思います。

私としては、事実を曲げた事故報告書を作成した福島県を蹴飛ばしたいです。

 自分が個人的に接した例でも、下記のような非建設的な言語化がありました。

・死者を生き返らせて欲しい

・家族との時間を返して欲しい

・医者を辞めて(死んで)欲しい

・病院を辞めて欲しい

・何度でも納得できるまで質問に答え、説明して欲しい

・謝って欲しい

・自分が患者を殺した(傷つけた)ことを地域の医療機関と住民に周知して欲しい


 まあ、最初は大体こんな感じです。

 もちろん、原因究明や再発防止といった具体的検討が可能且つ必要な要求はあります。深刻な経済的苦境を訴えることもあります。

幸か不幸か「何度でも納得できるまで質問に答え、説明して欲しい」以外は私は言われたことはありません。ただ、明らかに過誤をしていないのに、「医療ミスを認めろ」みたいなことは何度か言われたことがあります。
差別しているわけではないけど人間って理解能力に差があるんですね。こちらがいくら説明しても納得してくれない患者なんてゴマンごいる。もう同じ事を何百回も説明しているのに同じ質問、同じ文句を言う。
後は自分の頭の中に間違った理論回路がすでにできあがっている人もいる。こういう人たちは何を言っても聞いてくれないです。

医師としての最終防衛はカルテに説明した旨を記載することだと思います。ちゃんと何度も説明したのに患者が「聞いていない」と言えば終わりなので。
私はなるべく絵に描いて説明するようにしていますが、理論的なことは絵に描いて説明することは難しい・・・。後は病名を書いてあげています。今はインターネット等が発達してるので、患者側で調べることもできるでしょう。
後、最後に必ず「何か質問はありますか?」と聞きます。ここで質問がなければ理解したものと見なし得るわけです。
説明が長くなりそうな人は前もって「すべての患者が終わってからにしてください」とお願いしていますが、まれに「順番なんだから次の患者を待たせてでも説明しろ」的な患者もいます(勿論はっきり口に出しませんけどね)。

それくらいしかできませんね。我々がどんなにがんばっても。結局人間ってわがままな動物なんです。

P R

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