エントリ

以下に引用して紹介します。

判決要旨

被告人  加藤克彦
罪 名  業務上過失致死・医師法違反
裁判官  鈴木信行(裁判長)、堀部亮一、宮崎寧子
主 文  被告人は無罪

第1 出血部位等
1 出血部位
 胎盤剥離開始後の出血のうちの大部分は、子宮内壁の胎盤剥離部分からの出血と認められる。
2 胎盤剥離中及び剥離直後の出血程度
 胎盤剥離中に出血量が増加したことが認められるところ、胎盤剥離中の具体的な出血量については、麻酔記録等から、胎盤娩出時の総出血量は2555mlを超えていないことが、カルテの記載及び助産師の証言等から、遅くとも午後3時ころまでに出血量が5000mlに達したことが認められる。

第2 本件患者の死因及び被告人の行為との因果関係
1 死因
 鑑定は、本件患者の死亡は、胎盤剥離時から子宮摘出手術中まで継続した大量出血によりショック状態に陥ったためであり、他の原因は考えにくいとする。
同鑑定の内容は、本件患者の循環血液量の絶対量が不足する状態が長時間継続していた手術経過に合致し、死亡診断書及びカルテに記載された被告人の判断及び手術を担当した他の医師らの判断とも合致している。
 したがって、本件患者の死因は、出血性ショックによる失血死であると認められる。
2 因果関係
 本件患者の死因が出血性ショックによる失血死であり、総出血量のうちの大半が胎盤剥離面からの出血であることからすれば、被告人の胎盤剥離行為と本件患者の死亡との間には因果関係が認められる。

第3 胎盤の癒着部位、程度
1 当事者の主張
(1)検察官は、本件患者の癒着胎盤が子宮後壁から前壁にかけての嵌入胎盤であり、前回帝王切開創部分は嵌入胎盤であった旨主張し、その根拠として、A鑑定、胎盤剥離に要した時間が長かったことを挙げる。
(2)弁護人は、B鑑定を根拠に、癒着の部位は、子宮後壁の一部であり、前回帝王切開創を含む前壁には存在しなかった上、絨毛の侵入の程度は、筋層全体の5分の1程度である旨主張する。
2 検討
(1)癒着部位について
ア A鑑定は、子宮筋層と絨毛の客観的な位置関係を認定するというレベルでは一応信用性が高いと評価できるが、胎盤の観察、臨床医の情報等を考慮しておらず、子宮の大きさ、胎盤の形や大きさ、帝王切開創部分と胎盤の位置関係、臍帯を引いたときの胎盤と子宮の形、胎盤剥離時の状況等に関する事実と齟齬する点がある。したがって、A鑑定が指摘する部分全てに癒着胎盤があったかは相当に疑問であり、その結果をそのまま癒着胎盤が存在する範囲と認定することはできない。
イ B鑑定は、胎盤の写真を鑑定資料に加えて、胎盤が存在し得ない場所に絨毛が存在することにつき合理的説明を加えていることなどから、その鑑定手法の相当性は是認できる。
 しかし、胎盤の写真を根拠として癒着の有無を正確に判断することには困難が伴うと考えざるを得ないことなどの事情を総合すれば、B鑑定は、A鑑定と異なる部分について、A鑑定に対し、合理的な疑いを差し挟む論拠を提供するには十分な内容を有しているものの、積極的にその結果の全てを是認し得るまでの確実性、信用性があるかについては疑問の余地が残る。
ウ 以上からすれば、A鑑定で後壁の癒着胎盤と判断した標本から、B鑑定が一応合理的な理由を示して疑問を呈した部分を除いた標本部分については癒着胎盤があり、胎盤剥離状況や剥離に要した時間に鑑みると、癒着範囲は相当程度の面積を有していたと認められる。
(2)前回帝王切開創について
ア 本件患者の子宮標本のうち、絨毛及び糸の存在が認められる部分があり、A鑑定は同部分を嵌入胎盤としている。
イ 同部分を前回帝王切開創と見ることに不合理な点はないものの、同部分が用手剥離等によらず剥離できたこと、また、B鑑定は、同部分を癒着胎盤と評価していないことからすれば、絨毛が観察されたことをもって、直ちに癒着胎盤と認めることは疑問が残る。
(3)癒着の程度
 癒着の程度については、A、B鑑定に差異はあるものの、本件の癒着胎盤が、ある程度子宮筋層に入り込んだ嵌入胎盤であることについては、両鑑定ともに一致する。
3 結論
(1)胎盤は、子宮に胎盤が残存している箇所を含む子宮後壁を中心に、内子宮口を覆い、子宮前壁に達していた。子宮後壁は相当程度の広さで癒着胎盤があり、少なくともA鑑定で後壁の癒着胎盤と判断した部分から、B鑑定が一応合理的な理由を示して疑問を呈した部分を除いた部分については、癒着していた。
(2)癒着の程度としては、ある程度絨毛が子宮筋層に入り込んだ嵌入胎盤の部分があった。

第4 予見可能性
1 当事者の主張
(1)検察官は、被告人は、手術前の検査で、本件患者が帝王切開手術既往の全前置胎盤患者であり、その胎盤が前回帝王切開創の際の子宮切開創に付着し、胎盤が子宮に癒着している可能性が高いことを予想していた上、帝王切開手術の過程で、子宮表面に血管の怒張を認め、児娩出後には臍帯を牽引したり子宮収縮剤を注射するなどの措置を行っても胎盤が剥離せず、用手剥離中に胎盤と子宮の間に指が入らず用手剥離が不可能な状態に直面したのであるから、遅くとも同時点で胎盤が子宮に癒着していることを認識したと主張する。
 そして、被告人は、癒着胎盤を無理に剥がすと、大量出血、ショックを引き起こし、母体死亡の原因になることを、産婦人科関係の基本的な医学書の記載等から学び、また、手術以前に、帝王切開既往で全前置胎盤の患者の手術で2万ml弱出血した事例を聞かされていたのであるから、癒着認識時点後に、胎盤の剥離を継続すれば、子宮の胎盤剥離面から大量に出血し、本件患者の生命に危険が及ぶおそれがあることを予見することが可能であったと主張する。
(2)これに対し、弁護人は、被告人は、癒着胎盤であることを認識していなかった上、仮に癒着胎盤であることを認識したとしても、前置胎盤及び癒着胎盤の場合、用手剥離で出血があることは当然であり、出血を見ても剥離を完遂することで、子宮収縮を促して止血を維持し、その後の止血措置をするのが我が国の医療の実践であるから、大量出血を予見したことにはなり得ないと主張する。

2 被告人の癒着胎盤の認識について
(1)被告人の手術直前の予見、認識
 手術に至るまでの事実経過に照らすと、被告人は、手術直前には、子宮を正面から見た場合に、胎盤は本件患者から見て左側部分にあり、前回の帝王切開創の左側部分に胎盤の端がかかっているか否か微妙な位置にあると想定し、本件患者が帝王切開手術既往の全前置胎盤患者であることを踏まえて、前壁にある前回帝王切開創への癒着胎盤の可能性を排除せずに手術に臨んでいたが、癒着の可能性は低く、5パーセントに近い数値であるとの認識を持っていたことが認められる。
(2)被告人の手術開始後の予見、認識
ア 血管の怒張について
 本件患者の腹壁を切開し子宮表面が露出された際、子宮前壁の表面に血管の怒張が存在したことが認められる。この点につき、検察官は、癒着胎盤の特徴として、子宮表面に暗紫色の血管の怒張が見られるとする。
 しかしながら、被告人は、これにつき前置胎盤患者によく見られる血管であり、癒着胎盤の兆候としての血管の隆起とは異なる旨診断したと供述しており、当該診断が不自然であるとは認められない。
 したがって、上記血管の怒張を見た段階で、被告人が、前述のとおりの術前の癒着の可能性の程度に関する認識を変化させたと認めることはできない。
イ 胎盤の用手剥離を試みたが、胎盤と子宮の間に指が入れることができなくなったことについて
 被告人は、用手剥離中に胎盤と子宮の間に指が入らず用手剥離が困難な状態に直面した時点で、確定的とまではいえないものの、本件患者の胎盤が子宮に癒着しているとの認識をもったと認めることができる。
 しかしながら、前回帝王切開創部分に癒着胎盤が発生する確率が高いのは、前回帝王切開瘢痕部付近は脱落膜が乏しいためと考えられており、この理由は子宮後壁部分の癒着には当てはまらない。したがって、被告人が有していた前壁の癒着の程度の予見、認識が、段階的に高まって癒着剥離中の癒着の認識に至ったと考えることはできない。
3 大量出血の予見可能性について
 癒着胎盤を無理に剥がすことが、大量出血、ショックを引き起こし、母体死亡の原因となり得ることは、被告人が所持していたものも含めた医学書に記載されている。したがって、癒着胎盤と認識した時点において、胎盤剥離を継続すれば、現実化する可能性の大小は別としても、剥離面から大量出血し、ひいては、本件患者の生命に危機が及ぶおそれがあったことを予見する可能性はあったと解するのが相当である。

第5 被告人が行った医療措置の妥当性・相当性、結果を回避するための措置として剥離行為を中止して子宮摘出手術に移行すべき義務の有無
1  検察官は、子宮摘出手術等への移行可能性とこれによる大量出血の回避可能性があることを前提とした上で、被告人は、遅くとも用手剥離中に本件患者の胎盤が子宮に癒着していることを認識した時点で、直ちに胎盤剥離を中止して子宮摘出手術等に移行し、大量出血による本件患者の生命の危険を未然に回避すべき注意義務があったとするので、移行可能性、回避可能性について検討した後、医学的準則及び胎盤剥離中止義務について検討する。
2 子宮摘出手術等への移行可能性について
 被告人が胎盤が子宮に癒着していることを認識した時点においては、本件患者の全身状態は悪くなく、意識もあり、子宮摘出同意の再確認も容易な状況にあった。
したがって、手術開始時から子宮摘出手術も念頭に置いた態勢が取られていたこと等に鑑みれば、検察官が主張するとおり、同時点において、被告人が直ちに胎盤剥離を中止して子宮摘出手術等に移行することは可能であったと認められる。
3 移行等による大量出血の回避可能性
 一般論として、通常の胎盤剥離の出血量よりも前置胎盤の剥離の出血量の方が多く、それよりもさらに前置胎盤と癒着胎盤を同時に発症している胎盤の剥離の出血量の方が多いことが認められる。
 本件において、クーパー使用開始直前時点までに被告人が用手剥離によって剥離を終えていた胎盤は、後壁部分と考えられる部分のおよそ3分の2程度であり、胎盤全体との関係では3分の1強程度である。この剥離部分は、用手剥離で剥離できた部分で、そこからの出血はあまり見られず、出血が多かったのは、その後、被告人がクーパーを使用して剥離した後壁下部であったこと、病理学的にも癒着胎盤と認める根拠に乏しい部分であることから、この剥離部分からの出血量は、いわゆる通常の胎盤の剥離の場合の出血量と同程度と推認される。
 そうすると、胎盤剥離を中止して子宮摘出手術等に移行した場合に予想される出血量は、胎盤剥離を継続した場合である本件の出血量が著しく大量となっていることと比較すれば、相当に少ないであろうということは可能であるから、結果回避可能性があったと解するのが相当である。
4 医学的準則及び胎盤剥離中止義務について
(1)検察官の主張
 検察官は、移行可能性と回避可能性がいずれもあることを前提とした上、さらに、胎盤剥離を継続することの危険性の大きさ、すなわち、大量出血により、本件患者を失血死、ショック死させる蓋然性が高いことを十分に予見できたこと、及び、子宮摘出手術等に移行することが容易であったことを挙げ、癒着胎盤であると認識した以上、直ちに胎盤剥離を中止して子宮摘出手術等に移行することが本件当時の医学的準則であり、本件において、被告人には胎盤剥離を中止する義務があったと主張する。そして、上記医学的準則の根拠として、医学書、及び、C医師の鑑定(C鑑定)を引用する。
(2)弁護人の主張
 これに対し、弁護人は、癒着胎盤で胎盤を剥離しないのは、ヽ腹前に穿通胎盤や程度の重い嵌入胎盤と診断できたもの、開腹後、子宮切開前に一見して穿通胎盤や程度の重い嵌入胎盤と診断できたもの、B枷彷輓イ鮖遒澆討睫着していて最初から用手剥離ができないものであり、用手剥離を開始した後は、出血していても胎盤剥離を完了させ、子宮の収縮を期待するとともに止血操作を行い、それでもコントロールできない大量出血をする場合に子宮を摘出するのが我が国における臨床医学の実践における医療水準であると反論する。
(3)産科の臨床における医療措置
ア 本件では、癒着胎盤の剥離を開始した後に剥離を中止し、子宮摘出手術等に移行した具体的な臨床症例は、検察官側からも被告人側からも提示されておらず、また、当公判廷において証言した各医師も言及していない。
イ 次に、上記医師らのうち、C医師のみが、検察官の主張と同旨の見解を述べるが、同医師が腫瘍を専門とし、癒着胎盤の治療経験に乏しいこと、同医師の鑑定や証言は、同医師自ら述べるとおり、自分の直接の臨床経験に基づくものではなく、主として医学書等の文献に依拠したものであることからすれば、同医師の鑑定結果及び証言内容を、臨床における癒着胎盤に関する標準的な医療措置、あるいはこれを基準とした事案分析と理解することは相当ではない。
ウ 他方、上記医師らのうち、D及びE医師の産科の臨床経験の豊富さ、専門知識の確かさは、その経歴からのみならず、証言内容からもくみ取ることができ、少なくとも、臨床における癒着胎盤に関する標準的な医療措置に関する証言は、医療現場の実際をそのまま表現しているものと認められる。また、中規模病院に勤務するF医師も同様の見解を述べる。
 そうすると、本件では、D、E両医師の鑑定ないし証言等から、「開腹前に穿通胎盤や程度の重い嵌入胎盤と診断できたものについては胎盤を剥離しない。用手剥離を開始した後は、出血をしていても胎盤剥離を完了させ、子宮の収縮を期待するとともに止血操作を行い、それでもコントロールできない大量出血をする場合には子宮を摘出する。」ということが、臨床上の標準的な医療措置と解するのが相当である。
エ 医学書の記載
医学書に記載された癒着胎盤の治療及び対処法をみると、用手剥離にとりかかる前から嵌入胎盤、穿通胎盤であることが明確である場合、あるいは剥離を試みても全く胎盤剥離できない場合については、用手剥離をせずに子宮摘出をすべきという点では、概ね一致が見られる。しかしながら、用手剥離開始後に癒着胎盤であると判明した場合に、剥離を中止して子宮摘出を行うべきか、剥離を完了した後に止血操作や子宮摘出を行うのかという点については、医学書類から一義的に読みとることは困難である。

オ 判断
  (ア) 検察官は、癒着胎盤であると認識した以上、直ちに胎盤剥離を中止して子宮摘出手術等に移行することが本件当時の医学的準則であり、本件において、被告人には胎盤剥離を中止する義務があったと主張する。これは、一部の医学書及びC鑑定に依拠するものであるが、C鑑定が、臨床経験よりも多くを医学書に依拠していることは前述のとおりであるから、結局、検察官の主張は、医学書の一部の見解に依拠したものと評価することができる。
(イ) しかし、検察官の主張は、以下の理由から採用できない。
 a 臨床に携わっている医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反したものは刑罰を科す基準となり得る医学的準則は、当該科目の臨床に携わる医師が、当該場面に直面した場合に、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の、一般性あるいは通有性を具備したものでなければならない。
 なぜなら、このように解さなければ、臨床現場で行われている医療措置と一部の医学書に記載されている内容に齟齬があるような場合に、臨床に携わる医師において、容易かつ迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらすことになるし、刑罰が科せられる基準が不明確となって、明確性の原則が損なわれることになるからである。
 この点につき、検察官は、一部の医学書やC鑑定に依拠した医学的準則を主張しているのであるが、これが医師らに広く認識され、その医学的準則に則した臨床例が多く存在するといった点に関する立証はされていないのであって、その医学的準則が、上記の程度に一般性や通有性を具備したものであるとの証明はされていない。
 b また、検察官は、前記のとおり、胎盤剥離を継続することの危険性の大きさや、患者死亡の蓋然性の高さや、子宮摘出手術等に移行することが容易であったことを挙げて、被告人には胎盤剥離を中止する義務があったと主張している。
 しかし、医療行為が身体に対する侵襲を伴うものである以上、患者の生命や身体に対する危険性があることは自明であるし、そもそも医療行為の結果を正確に予測することは困難である。したがって、医療行為を中止する義務があるとするためには、検察官において、当該医療行為に危険があるというだけでなく、当該医療行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにした上で、より適切な方法が他にあることを立証しなければならないのであって、本件に即していえば、子宮が収縮しない蓋然性の高さ、子宮が収縮しても出血が止まらない蓋然性の高さ、その場合に予想される出血量、容易になし得る他の止血行為の有無やその有効性などを、具体的に明らかにした上で、患者死亡の蓋然性の高さを立証しなければならない。そして、このような立証を具体的に行うためには、少なくとも、相当数の根拠となる臨床症例、あるいは対比すべき類似性のある臨床症例の提示が必要不可欠であるといえる。
 しかるに、検察官は、一部の医学書及びC鑑定による立証を行うのみで、その主張を根拠づける臨床症例は何ら提示していないし、検察官の示す医学的準則が、一般性や通有性を具備したものとまで認められないことは、上記aで判示したとおりである。そうすると、本件において、被告人が、胎盤剥離を中止しなかった場合の具体的な危険性が証明されているとはいえない。
(ウ) 上記認定によれば、本件では、検察官の主張に反して、臨床における癒着胎盤に関する標準的な医療措置が医療的準則として機能していたと認められる。
(エ)  以上によれば、本件において、検察官が主張するような、癒着胎盤であると認識した以上、直ちに胎盤剥離を中止して子宮摘出手術等に移行することが本件当時の医学的準則であったと認めることはできないし、本件において、被告人に、具体的な危険性の高さ等を根拠に、胎盤剥離を中止すべき義務があったと認めることもできない。したがって、事実経過において認定した被告人による胎盤剥離の継続が注意義務に反することにはならない。
5 以上の検討結果によれば、被告人が従うべき注意義務の証明がないから、この段階で公訴事実の第1はその証明がない。

第6 医師法違反について
1  医師法21条にいう異状とは、同条が、警察官が犯罪捜査の端緒を得ることを容易にするほか、警察官が緊急に被害の拡大防止措置を講ずるなどして社会防衛を図ることを可能にしようとした趣旨の規定であることに照らすと、法医学的にみて、普通と異なる状態で死亡していると認められる状態であることを意味すると解されるから、診療中の患者が、診療を受けている当該疾病によって死亡したような場合は、そもそも同条にいう異状の要件を欠くというべきである。
 本件において、本件患者は、前置胎盤患者として、被告人から帝王切開手術を受け、その際、子宮内壁に癒着していた胎盤の剥離の措置を受けていた中で死亡したものであるが、被告人が、癒着胎盤に対する診療行為として、過失のない措置を講じたものの、容易に胎盤が剥離せず、剥離面からの出血によって、本件患者が出血性ショックとなり、失血死してしまったことは前記認定のとおりである。
 そうすると、本件患者の死亡という結果は、癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為をもってしても避けられなかった結果といわざるを得ないから、本件が、医師法21条にいう異状がある場合に該当するということはできない。
2 以上によれば、その余について検討するまでもなく、被告人について医師法21条違反の罪は成立せず、公訴事実第2はその証明がない。

引用終わり

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コメント(41)

予見可能性のところで

胎盤剥離を継続すれば、現実化する可能性の大小は別としても、剥離面から大量出血し、ひいては、本件患者の生命に危機が及ぶおそれがあったことを予見する可能性はあったと解するのが相当である。

と、「大小は別として」とはっきり書いてありますので、やっぱり回避可能性も含めて可能性は無きにしも非ずという解釈が妥当かと思います。

 労働災害や航空機事故などの特殊業過の判例(判決例)と比較すると、回避可能性を否定できないから、容易に切れる回避義務を「立証不十分」で否定した判決例かと思います。
 そう解することで、義務定立を医学の一般準則に委ねて医療の裁量権限の範囲を肯定するという考えが根底にあるように感じました。

No.97 fuka_fuka さん(エントリ:大野病院事件地裁判決要旨)
モトケンさんが新しいエントリを立てて下さったのでこちらで御礼申し上げます。
ご丁寧な解説どうもありがとうございました。
法律家の過失判断の思考方法についてある程度理解できたと思います。非常に興味深いロジックです。これまで回避可能性と回避義務いう法律用語上の意味を理解していませんでした。
それから、前エントリNo.82で因果関係について気になる旨を書きました。改めて判決要旨を読んでみたのですが、やはり私の思考パターンでは違和感を感じてしまいます。医学的に鑑別するためにはどんな検査や結果が必要だったのだろう?という様に考え、剥離行為と失血死の関連は確かに否定できませんが、他の要因が加味されたことで死に至ったという医学的な可能性も考えてしまい、直ちに因果関係ありと断定して考えられないのです。あくまで関連性、もしくは因果関係の可能性ありというぐらいです。
ただ、確かにどこまで鑑別情報が必要か。という線引きの問題もありますし、裁判所としては現時点で存在する情報の中で事実認定を行う必要があり、因果関係の可能性が考えられれば、他の可能性が否定できなくても、因果関係ありという結論に至るのでしょうか。

注意義務違反の判断として「臨床における当時の医学的準則」であったかどうかの点に尽きるようにみえます。
それを前提にすると例えば「子宮摘出に移行して患者死亡」のケースの判決はどうなるのか、そして裁量権限の範囲の肯定に繋がっているのか、について要旨から読み取られませんでした。
→勿論、例は当判決と関係ないので記述されるわけありませんが・・・
※「回避可能性が0ではない」ということから、裁量権限の範囲の肯定に繋がるのでしょうか?

医療行為が身体に対する侵襲を伴うものである以上、患者の生命や身体に対する危険性があることは自明である

から、医学的準則であっても危険性は0にはならないどころか、通常時より危険性が増している。このように医療の不確実性と医療行為には常に危険が伴っているという根本については言及しているので、この考えが根底にあることは確実だと思います。

前エントリより
No.99 元ライダーさま
No.100 カツビンさま

無罪事案においては、
予見可能性・回避可能性のレベルで否定される(可能だったという立証がない)場合
・予見可能性・回避可能性とも認められることを前提に、予見義務または回避義務が否定される場合
それぞれ、それなりに見当たります。

有罪心証ならば 「回避可能性あり=回避義務あり」 と直結しますが、無罪心証ならば、「回避可能性はあるけど回避義務はない」 となることも珍しくはありません。
事故発生までのメカニズムが複雑すぎると、「可能性」レベルで切られ、発生機序自体はシンプルだけど個別事情により仕方なかった場合であれば「義務違反なし」とされる、という傾向はあるかもしれません。

まとめれば「ケースバイケース」としかいえない、ということではあるんですが(^^;

裁判所サイトの判例検索でみつけたやつ、1つずつ紹介しておきます。

http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=6582&hanreiKbn=03
睡眠時無呼吸症候群の可能性を指摘し、(回避義務の手前の)予見義務の立証が不十分として無罪。

http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=7538&hanreiKbn=03
国際線パイロットが、オートパイロットが自動解除されてしまった後、操縦を誤って一時的に機体のバランスを崩して一部の乗員乗客を死傷させたとされたが、予見可能性・回避可能性とも否定。

>※「回避可能性が0ではない」ということから、裁量権限の範囲の肯定に繋がるのでしょうか?

 一般論でいえば、回避可能性がゼロでないから回避可能性がある、という判断はあくまで回避可能性の客観的該当性に過ぎません。
 具体的な回避行為の遂行・選択義務が回避義務の内容であり、それは医学的準則にしたがった裁量行為であって、回避可能性の判断と直接の連結性はないと思います。

No.3 Pediatrician さま

医学的に鑑別するためにはどんな検査や結果が必要だったのだろう?という様に考え、剥離行為と失血死の関連は確かに否定できませんが、他の要因が加味されたことで死に至ったという医学的な可能性も考えてしまい、直ちに因果関係ありと断定して考えられないのです。あくまで関連性、もしくは因果関係の可能性ありというぐらいです。

おっしゃるような疑念は、医師の方からはよく耳にする気がします。
カンファレンス的な発想、と要約可能でしょうか。

が、法的な「過失」の判断においては、まったくメソッドが違うのです。
メソッドの違いは、目的の違いから来ていると理解しています。

医師のカンファレンスの場合、目的は、要するに 「この症例を今後どう生かすか」 だと理解しています。
一方、業務上過失致死傷罪の審理においては、「この症例について過失があったと問われているこの被告人の行為について、検察の主張どおり、(それに該当すれば犯罪者の烙印を押して罰に服させることが正義とされている基準である)『過失』 と認めるべきかどうかを検討すること」 が目的です。

そして、そのうえに、「対審」という訴訟構造による制約もかかります。
検察・弁護人の両「当事者」から提出された材料しか使ってはいけないのです。

判決要旨詳細版では、因果関係認定の根拠はこれだとされています。

 鑑定は、本件患者の死亡は、胎盤剥離時から子宮摘出手術中まで継続した大量出血によりショック状態に陥ったためであり、他の原因は考えにくいとする。

この鑑定意見が(訴訟的に)正しいものと認定したら、勝手に裁判官が私見を挟んではいけないわけです。
したがって、「他の要因が加味されたことで死に至ったという医学的な可能性」を考慮することは、訴訟においてはルール違反になってしまうのです。

その結果、

 本件患者の死因出血性ショックによる失血死であり、総出血量のうちの大半が胎盤剥離面からの出血であることからすれば、被告人の胎盤剥離行為と本件患者の死亡との間には因果関係が認められる。

という、ものすごくシンプルなストーリーが、訴訟においては「真実」とみなされることになるわけです。

つまり、

裁判所としては現時点で存在する情報の中で事実認定を行う必要があり、因果関係の可能性が考えられれば、他の可能性が否定できなくても、因果関係ありという結論に至るのでしょうか。

このご指摘はかなり本質に近いところを衝かれています。
勝手ながら修正させていただきますと、以下のように。
「現時点で(両当事者が提出した結果、訴訟手続において)存在する情報の中で事実認定を行う必要があり、その情報の限りでは、因果関係(胎盤剥離なければ失血性ショックを起こすほどの出血なし)が認められるので因果関係の可能性が考えられれば、他の可能性が否定できなくても、因果関係ありという結論に至る」

未だよく分かってませんが・・・
う〜ん「医療の裁量権限の範囲」という言葉を私が取り違えたのかもしれませんね。
私のいう「臨床における当時の医学的準則に則った行為」と同値であれば同じこと言っているのかもしれません。

「裁量権限の範囲」というのが、当判決で「医学書に載っているものの範囲ならば裁量権限が認められた」=「子宮摘出に移行するケースも含めて是認」というようにみえたので・・・

逆の方向から考えるほうがわかりやすいと思います。
「どこまでが正当な裁量として許されるのか」ではなく、「どこを越えると、処罰に値する過失と評価されるようになるのか」です。

「回避可能性」とは、ソリティアでいえば、「絶対どうやってもクリアできない配列ではないこと」です。
そして、「回避義務違反があったかどうか」は、やり方次第ではクリアできる配列であったことを前提に、「時間内にクリアできなかったこと」が、「不良会社員の標準レベルからみてありえないほどヘタだったかどうか」です。

医学部の人間が「因果関係」というと、疫学のそれを思い浮かべるのではないかと。

疫学では、二つの事象の間の因果関係を示すのはなかなか困難なことです。甲が乙の原因であるというには、

・関連の一致性(consistency)(普遍性)
・関連の強固性(strength)(甲と乙の間の定量性)
・関連の特異性(specificity)(乙のあるところに必ず甲がある)
・関連の時間性(temporality)(甲が乙に時間的に先行している)
・関連の整合性(coherence)(現在の知識と矛盾しない)

がすべて要求されます。

これは疫学に限らず、科学一般に適用していいと思います(ですから、「相関係数」や「寄与危険度」を示したり、甲が乙にある役割を果たしていると「示唆」するのが精々だったりします)。こんなところにも、応用科学の一分野としての医学と、それを学んだ医療関係者と法曹界との言葉の齟齬があるわけですね。

 No.9でfuka_fukaさんが一部ご指摘のとおりであり、判決は、その回避義務の基準定立内容が証明不十分(立証不十分)なんで、そもそも議論できていないから無罪というわけです。
 ぶっちゃけ、意訳すれば「検事が主張する回避義務の基準定立内容(ルール・規範)はわかったけど、そのルールを実施している事例を1例でも立証してみい〜ゴルァ〜」というわけです。
 このとき、主張と立証を厳密に区分して考察するという訴訟法の考え方が不可欠です。

No.9 fuka_fuka さん

なるほど逆から考えると腑に落ちます。ありがとうございます。

No.11 ハスカップ さん

それは当然分かっているんですが、「正当な裁量として許されるのか」という視点で見た為に「範囲」という言葉に反応してしまったわけです。失礼しました。

法律を学んでいる途中の素人ですが私見を
今回の判決、概ねの部分できわめて妥当な判決だと受け取っています。
医療において100%というのはありえないことであり、
現場において専門家である医師の判断・医療行為はそれが治療の効果を合理的に期待できる範囲において最大限尊重されるべきで、ここに医学素人である司法が深く立ち入ることは望ましくないと考えています
いと津だけ疑問を感じるのがこの部分
「臨床に携わっている医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反したものは刑罰を科す基準となり得る医学的準則は、当該科目の臨床に携わる医師が、当該場面に直面した場合に、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の、一般性あるいは通有性を具備したものでなければならない。」
これに関しては最新医療法の導入時の際を考えると手放しで妥当とは考えられません。
少なくとも臨床例があり、科学的合理的に治癒の効果が認められる手段については「ほとんどの医師がその手段を用いていること」なしに認めてもよいかと。
今回はどちらもリスクありというケースで医師の懸命の判断が結果として不幸な医療エラーとなってしまったとても不幸な事件。
さまざまな面で改善できること、また司法としてもできうる限り明確な基準をはっきりさせ、このような泥沼的な訴訟が今後起こらないことを心より願っています。

医療人以外の方からそのような意見を言われるとは思いませんでした。小生自身は民間中小病院外科勤務でしたので手術もconservativeでしたが、大学病院やナショナルセンターでは誰もやったことのない治療や手術を開発する責務があります。

一般性あるいは通有性を具備したもの
でないと、事故ったら犯罪になるのかということですよね。これはインフォームドコンセントや大学の倫理委員会などを通すことで免責されるのではないかと思ってはいますが、遺族の理解度や先進性などケースバイケースであり、問題点として残されてる様な気がしております。

No.7 fuka_fuka さん
ナルホド!と納得しました。
確かにカンファレンスでは、ああでもない、こうでもない、となって一定の結論が出せないことは珍しくありませんから、一定の結論を出さねばならない裁判においては、提出された証拠の範囲内で結論を出すというルールが必要ですね。
確かに我々も公文書である死亡診断書などを記載する際に、様々な可能性を考えつつも積極的にそれを疑う根拠としての症状や検査値が無ければ、それを記載しませんね。

スレ違いにはなりますが、こういった基本的な考え方(トレーニングされた思考法)の違い(理解不足)が、医療関係者の司法不信(や患者さんの医療不信)を強める一つの要因になりうると感じました。

重ね重ね素人の変な質問をして申し訳ありません。
答えも状況・裁判官によって変わるのでしょうが....
仮に、ですが、死亡診断書の備考欄に「確定診断はしていないが、急速に進行した出血傾向から産科DICの合併の可能性は否定できない」といった様な言葉が書いてあった場合は、それは事実認定の時に加味されたりするのでしょうか?それともその診断が医師の主観だけで根拠となる客観的証拠(検査値等)が無いため、証拠能力として弱くなり加味されないのでしょうか?

たぶん、その基準の見方が逆です。
「福島地判H20.8.20(判例集未登載)」で示された基準は、先端医療を射程に含めていないと思います。

検察が「直ちに子宮全摘すべきだった」と主張するのなら、それが「現にみんなそうやっている」という「一般性・通有性」が必要だ、と言っています。
「現に行った行為(子宮全摘に切り替えず胎盤剥離を継続したこと)」について、「一般性・通有性」を要求しているのではありません。

したがって、「現に行った行為」が「一般性・通有性」のないものである場合には、今回の基準はあてはまりません。

「臨床に携わっている医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反したものは刑罰を科す基準となり得る医学的準則は、当該科目の臨床に携わる医師が、当該場面に直面した場合に、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の、一般性あるいは通有性を具備したものでなければならない。」

この太字部分は、「被告人はそうしなかったけど、こうすればよかったのに」という、「被告人が守らなかった準則」のことだと読むんだと思います。

とりあえず、くだらない質問にいつもながらレスありがとうございます。今日はかなり酔って帰宅しマシたので頭が???です。あす、まじめにレスします。改めてありがとうございます。限りなく私信になってしまいました。皆様スミマセン。

したがって、「現に行った行為」が「一般性・通有性」のないものである場合には、今回の基準はあてはまりません。

「一般性・通有性」のないものである場合には、新しい基準があてはまる事になると思いますが、それを決めるのは裁判所という事になると思います。

今回の基準では「一般性・通有性」のあるものは刑事訴訟のリスクがきわめて少ないと解釈しますが、「一般性・通有性」のないものに対しては、刑事訴訟のリスクが消えた訳ではないと解釈できるのではないでしょうか。

No.14 元外科医 さん
コメントありがとうございます
自分自身この事件で司法のあり方と限界を再認識しました
このことで医療の発展に支障が出る事態は避けるべきだと感じています

No.16 fuka_fuka さん
私もNo.18 しま さん と同様に読めました
つまり「一般的」でない手法を用いて何らかの事故が起きた際
「一般的」な手法を用いる義務を要求され刑事責任を追及されるということを危惧したのです
もし的外れであれば申し訳ないです

蛇足ですが母が私を産むときは帝王切開による難産
かなり危険な状態だったとのこと
(おそらく)そのときの輸血により母はC型肝炎を患っています
治療に保障があればいいなーということは言っていますが
今母子ともに生きていることが何よりと言っていたのを思い出します
すべての人が医療に理不尽に100%を求めているわけではありません
リスクをわかった上で医療に携わる方たちに感謝している人はたくさんいます
どうか皆さんが安心して医療に集中できる環境が実現されますよう心より願っています

蛇足ながら
C型肝炎のインターフェロン治療を受けるすべての方に医療費の公的な助成制度が新まっています。
期間限定ですので主治医or専門医にご相談ください。

>一般性あるいは通有性を具備したものでなければならない。

判決の中での意味は、Aという医療行為をほとんどの医者が選択しているはずなのにあえてAを行わなかった、という意味だと思います。つまり刑罰を課すかどうかは少なくとも前提として確立された医療が存在して、あえてそれを行わなかった場合とよむのが自然だとおもいます。

まだ確立されてない新規の医療の場合には、個別に判断されるのでしょうが、一般性のある罰則基準を作るのは非常に難しいように思います。(というか概念として矛盾している)

横レスですが

つまり「一般的」でない手法を用いて何らかの事故が起きた際「一般的」な手法を用いる義務を要求され刑事責任を追及されるということを危惧したのです。

一般的的手法があるならばそのとおりと思います。一方判決では
当該科目の臨床に携わる医師が、当該場面に直面した場合に、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の、一般性あるいは通有性を具備したものでなければならない。

とのべているわけで、ほとんどの者というところに解釈の余地はありますが、現場の医師ならばこれがいかに強い条件か分かると思います。

No.18 しま さま

「一般性・通有性」のないものである場合には、新しい基準があてはまる事になる   「一般性・通有性」のないものに対しては、刑事訴訟のリスクが消えた訳ではない

ご指摘のとおりと思います。
「一般性・通有性のない治療法・手技(=先端医療)」がなされ、その結果不幸が生じた場合の処罰基準について本判決では触れられておらず、その場合の刑事訴追リスクは、本判決によって消えたわけでも増えたわけでもない、と。

No.19 pi さま

つまり「一般的」でない手法を用いて何らかの事故が起きた際
「一般的」な手法を用いる義務を要求され刑事責任を追及されるということを危惧したのです

しまさま宛に述べたとおりで、その場合の処罰基準について本判決の射程が及ぶことはないと読むべきだろうと思います。


 形式論理によって導かれる結論を心配するより、医療のあるべき論理を信頼したほうがいいと思います。
 今回の判決は、そう読めます。

お邪魔いたします。ある掲示板において悪意の投稿者が執拗に
医師に対して嫌がらせを行っております。下記の投稿文に対して元検事弁護士先生のご意見を頂けたらと思い 参った次第です。お手数ですがよろしくお願いいたします。 

========================================================================================================
佐藤監事「ご遺族が非常に怒り心頭に達しており、我々も刑事事件になるとは思わなかったので、県の病院局が中心となって早くご遺族に民事で補償したいということで先ず調査委員会を立ち上げた。その冒頭に委員長と病院局の担当者がこれは今後こういう事件が再び起きないようにすることと、非を認めて家族に対する補償の開始を早くしたいということが目的であるので、そのつもりで報告書を書いてくれとのことであった。初めから医療過誤を認めるような調査委員会であったので、本職はそれは困る、今後に繋げることを目的として原因を究明するのは良いが医療過誤を認めることを書く必要は全くないと主張した。そのような経緯があり、警察は後からこの報告書を読み刑事事件にしたと解釈しているし、警察もそのように言っている」
========================================================================================================

事実であるとすれば、正に犯罪ですね。公金不正支出を目的とした虚偽公文書作成です。
そして、県、などという対象ではなく、犯罪は特定個人に帰するものです。
お役人様が指示を出したのなら、その方が特定され、具体的指示の事実も証明されないといけません。
そうでないなら、全て実行犯(3人の専門臨床医の委員)だけの責任です。

さらに、犯罪事実に気づいていながら、それを告発せずに見逃せば、公務員はこれまた犯罪を犯していることになります。
もちろん、医学的内容の虚偽であれば、たとえ医師以外の人間が要望したことであっても、具体的に指示はできませんでしょうから、何が虚偽であるか明確な認識を持てるのは、限られた医師だけになります。
それは最低で実行した調査委員と佐藤幹事(当時、県立医大教授)と当の被告です。
職務性の認識により告発義務の判断は分かれると思いますが、どうもこの件については佐藤監事も当の被告も、全く責任がないとは思えません。

No.15 Pediatrician さま

仮に、ですが、死亡診断書の備考欄に「確定診断はしていないが、急速に進行した出血傾向から産科DICの合併の可能性は否定できない」といった様な言葉が書いてあった場合は、それは事実認定の時に加味されたりするのでしょうか?それともその診断が医師の主観だけで根拠となる客観的証拠(検査値等)が無いため、証拠能力として弱くなり加味されないのでしょうか?

このご質問に対して正確に答えようとすると、証拠法(刑訴法の基本書の分量の2割を占めるといっても過言でない)に関する知識が不可欠になってしまうので、かなりざっくりな回答でご容赦ください(^^;

まず「産科DIC」と言われてもふつうは分からないでしょうから
播種性血管内凝固症候群(はしゅせい けっかんない ぎょうこ しょうこうぐん、英 disseminated intravascular coagulation:DIC)

死亡診断書それ自体は、死因が争点となる場合には、あまり重視されないと思います。
ただし、「産科DICの疑い」 との診断結果が無視されるわけではありません。
死亡診断書を書いた医師当人は、参考人として取り調べを受け、そう記載した根拠について供述調書に録取されることになるでしょう。そして、死亡診断書とともに証拠提出されることになると思います。
また、鑑定が実施される場合には、他の医師によって、「産科DICの可能性」 についても意見が述べられることになるでしょう。

ただし、仮に、本件での「出血多量による出血性ショック」という死因が、癒着胎盤剥離+DICの両方に帰せられるという場合でも、「予見」の段階で切られることになるかどうかは不明確です。
「産科DICそれ自体の発生頻度」と、「癒着胎盤の症例で産科DICも合併する頻度」によりけりとは思いますが、「いずれも考えられなくはない以上、予見可能性はある」と認定されて、焦点はやはり回避可能性・回避義務のほうになる可能性も高いかな、と。

No.26 fuka_fuka さん

かなりざっくりな回答でご容赦ください(^^;
いつもポイントが分かり易く、ポイントがずれてしまう法律無知の私には非常にありがたいです。m(_ _)m
つまりは記載そのものよりも、記載内容に関する取り調べ・鑑定内容・提出証拠次第という理解でよろしいでしょうか?(かなりおおざっぱですが..落ち着いて考えたら至極当然のことですね。)

ところで、

「予見」の段階で切られることになるかどうかは不明確です。
ここでまた質問で申し訳ないのですが、予見可能性の線引きはどのように考えるのでしょうか?どんな医療行為も患者さんを傷つけてしまう可能性があります。投薬一つをとっても、薬剤添付文書(取説)を読むとほとんどの薬には必ず肝機能障害やなにかしらかの副作用が記載されています。(細かいことを書くと、必ずしも医学的因果関係が証明されていなくても(因果関係が疑わしくとも)投薬中に起きた有害事象の報告は副作用として取り扱われるため。)ぶっちゃけて言ってしまえば、医療行為で起きた有害事象は、個人の経験を加味せず、後ろ向きに判断するとほとんどが予見可能性あった(ゼロではない)となってしまうと思います。
そして、「回避可能性」ですが、No.9 fuka_fuka さん から カツビン さん への返信で
「回避可能性」とは、ソリティアでいえば、「絶対どうやってもクリアできない配列ではないこと」です。
との事ですが、治療にはいくつかの選択肢がある場合が少なくありません。ですからこれも後ろ向きに判断すると、ほとんどが可能性ありとされてしまうのではないでしょうか。
結局は「回避義務」次第と言うことになりますね、、、

また架空の話で申し訳ないのですが、仮に、癒着胎盤症例において胎盤剥離を優先せずに子宮摘出を行って、褥婦さんが助かったとします。しかしその際、胎盤剥離を行って止血が得られていれば、子宮を必ずしも摘出する必要はなかった。として刑事告訴(傷害罪)された場合、今回の判決において、胎盤剥離を完了してから子宮摘出を行う医療行為が医療的準則として機能していたと判断されているので、その準則に則っていない子宮摘出は傷害行為である。子宮摘出を回避する義務を怠ったと判断されてしまう場合もあり得るのではないかと....
我ながら過剰な心配だとも思いますが...(苦笑)
ただ、今回の判決を
医療のあるべき論理を信頼(No.24 モトケン さん)
と読む限りは、よほどの問題症例(故意)でない限りは、正当行為として今まで通り解釈されるとして良いのでしょうかね。

即レス(^^;

医療行為で起きた有害事象は、個人の経験を加味せず、後ろ向きに判断するとほとんどが予見可能性あった(ゼロではない)となってしまうと思います。

そうなんです。そのとおりだと思うんですよ!
私の今の問題意識はまさにそこにあるんです。
そんなんで「予見可能性」認めてたら、フィルター素通しじゃないの、要件として立てておく意味あるの、って。

いずれにしても、ご指摘のとおり、

結局は「回避義務」次第

と理解しております。

胎盤剥離を行って止血が得られていれば、子宮を必ずしも摘出する必要はなかった。として刑事告訴(傷害罪)された場合

こちらも、結論は(原則として)無罪でOKと思います。
構成としては、

・事前の包括的承諾(「危険になったら子宮摘出の可能性あり」のICを前提にした承諾書)により構成要件該当性阻却(「傷害」の外形すら否定)
・正当業務行為
・緊急避難(当時の判断としては 命>子宮 だったんだから仕方ない)

等々いろいろ考えられますが。

No.27 Pediatrician様,No.28 fuka_fuka様

いずれにしても、ご指摘のとおり、

結局は「回避義務」次第

と理解しております。
いや全くその通りだと思います。

民事医療訴訟を追っかけていていつも思うのは,「所詮断定できない事項に関して争いすぎ」ということです。原告側がそれを争点にしてくる以上,争わざるを得ないのでしょうが,ほとんどの事例において今回の事件と同様に,予見可能性や回避可能性は完全なゼロということはまずないのであって,それを無理やりゼロであるかのような主張を被告側が繰り出すために,却って怪しく見えてしまうように思います。

今後の医療訴訟では,予見可能性や回避可能性は「全くゼロとは言えない」くらいでスルーして,回避義務を中心に争うという流れになっても良いのではないか,と思います。

ついでに言えば,今回検察が反例を全く例示せずに敗訴したように,そもそも反例が提示できないような事例では原告敗訴,という基準も,より適正な判決につながりそうです。

福島VBAC訴訟
http://www.orcaland.gr.jp/kaleido/iryosaiban/H14wa114.html
などは,その理屈でいけば原告側は厳しいと思いました。

臨床医としてはNo.29 峰村健司(眼) さんの意見を支持します。
大野病院事件刑事無罪が確定しても、産科医を撤退する産科医は増える続けるだろうし、産科医を目指す若い医師は減り続けるだろうと思います。
綿々と続けてきた産科関連民事訴訟の過失認定が故にだと思います。

 産科関連民事訴訟では有害事象があったら産科医の過失を推定するんですから。
 挙証責任の転換は医療訴訟の場合は一部はやむを得ないとしても、実質的に無過失賠償責任を認める判決が続いていけば刑事立件同様崩壊加速因子に他ならないと感じています。福島VBACなど外科医の小生から見てもトンデモ判決と言い切れます。

ただ,「予見可能性」と「回避可能性」を軽くスルーできるようにする前提として,裁判所による確率判断を今回の福島地裁のように厳密にしてもらう必要があると思います。現状では,例えば因果関係の判断について言えば「可能性なしまたは極めて低い」「相当程度の可能性」「高度の蓋然性」の3段階しかないのですから。予見可能性と回避可能性についてもこのような大雑把なくくりで判断されるのであれば,医療側はどうしても「可能性なし」を主張しておかざるを得ないと思われます。この点では裁判所が医療の現実を受け入れる必要があります。

あと,原告側に反例提示を課すことによって,原告側の形勢が不利になるような事件は,これまでに見てきた事例の中ではそれほど多いとは言えなさそうです。

福島VBAC訴訟は,標準的な文献に依拠した非常に適切な鑑定書が提出されているのですが,それでも原告勝訴にした裁判長の判断手法はひどいものです(何しろ争点と認定過失が,違うのですから)。鑑定書の要約などは拙サイトに掲載する予定なのですが,なかなか手が回らなくてお待ちの方には申し訳ないところです。

だいたい理解できたつもりなんですが、

「予見可能性」認めてたら、フィルター素通しじゃないの、要件として立てておく意味あるの、って。
控訴審中の事案で言及しにくいかもしれませんが、今までのロジックで行くと「予見可能性」をフィルターにしなければ割り箸事件類似(あくまで類似)に事案は容易に「過失あり」になってしまうような。
と思って割り箸事件関連のエントリを読み直したんですが、今回の判決ロジックを教えて頂いてモトケン先生が割り箸事件判決(刑事)どこに着眼していたのか理解できたような気がします。当時はほとんど理解できませんでした。

小生もよく理解できないのですが、割り箸事件の時には因果関係はないが、結果の回避義務はあった(期待権の侵害??)という判決だったような気がします。
同じ刑事裁判でも原告側に反例提示を課すものから、因果関係すらないのに過誤を認めるものまで様々な気がしますが、裁判官によるのでしょうか?
それとも、最近の医療崩壊を受けて、医療訴訟に対する考え方が変わってきているのでしょうか?

このスレと前スレのfuka_fukaさまとYUNYUNさまのコメントを念頭に、エントリ「割りばし事故無罪判決の理論と現実」とそのコメントを読めば違いが見えてくると思います(なんて分かったように言ってますが、モトムツッコミ)

 「割りばし事故無罪判決の理論と現実
 2006年4月 3日付けのエントリです。

事故レスです。”てにをは”ミスが複数ありました。
脳内削除・追加で善解願いますm(_ _)m

事故・・・

前スレの立木 志摩夫さんのサイコロの例えが、予見可能性、回避可能性の説明として分かりやすいですね。そうするとおよそ救急医療などは、瞬間瞬間の判断で何度もサイコロを振っているのですから、「回避義務」という考えを導入しなければ、訴訟の争点だらけになってしまいます。回避義務あるいは回避可能性を支持する反例を相当数提示すべきというのは医療側にとっては納得できる判決です。
これは刑事訴訟に限ったことでしょうか?民事でも同様の理論が成り立つのでしょうか?
それとも地裁の判決なので判例としては残らないのでしょうか?

 裁判所の業界用語では、高裁と最高裁が「判例」で、地裁と簡裁は「判決例」というそうです。ただ、各種判例集(たとえば医事判例百選とか、サイバー法判例解説とか、平成XX年重要判例とか、公務員判例百選私家版wとか)では、地裁や簡裁の「判決例」でも、重要判決は「判例」として掲載されて広く読まれているようです。
 刑事と民事は厳密に違いますが、不法行為法(民法709条以下)での、故意過失、違法性、因果関係なんかは、ここ30年で、相当な部分が刑法のそれから援用される(パクられるw)学説や判例・判決例が増加しました。

No.34 uchitama さま

割り箸事件の時には因果関係はないが、結果の回避義務はあった(期待権の侵害??)という判決だったような気がします。

「期待権の侵害」は民事での用語で、刑事事件ではなじまない概念です。
刑事一審無罪判決を要約するのであれば、「過失はあったかもしれない(より適切な診断を行うべきだったかもしれない)が、仮に当時理論上考えられるベストを尽くしても究明は無理だった以上、因果関係はないので、業務上過失致死にはあたらない」 という感じでしょうか。
(因果関係ないけど過失はあったじゃん、という指摘をしたというニュアンスではない)

同じ刑事裁判でも原告側に反例提示を課すものから、因果関係すらないのに過誤を認めるものまで様々な気がしますが、裁判官によるのでしょうか?

まずは「(立証された)事実関係」が第一です。
法曹でも、長々とした事実関係の検討をすっとばして「裁判所の(法的)判断」の部分(判例雑誌だと傍線が引いてある部分)にとびついてしまいがちなので、非法曹がそこまで時間をかけて読み込むのは困難とは思われますが。

裁判官による違いも当然ありますが、その前に、まず比較対象とする事件が、事実関係においてどこが共通していてどこに差異があるのかを見極めてからでないと、単なる印象論に終わってしまう可能性があります。

P R

ブログタイムズ

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