エントリ

 「医療不信の実態とは?」の続編です。

 元エントリ本文を再掲します(一部省略)。

 このブログではこれまで医療崩壊問題についてさまざまな意見が述べられてきましたが、その重要な部分として、医療側からの司法不信というものがありました。
 しかし、司法不信の前提として、司法判断があるのであり、司法判断がなされる前提として、民事訴訟なら民事提訴という患者側の行為があります。刑事訴訟においても、被害者側の強い処罰意思が検察官の起訴判断に決定的な影響を持っている場合があります。

 そして、患者側の民事提訴または処罰意思の中には、医療側に対する医療不信というものが存在していることは容易に想像できます。

 つまり、医療側の司法不信と患者側の医療不信は密接に関連していると言えます。

 そこで、医療崩壊問題における司法と訴訟の問題を考えるにあたって、患者側ひいては非医療側が強く感じているまたはなんとなく感じている医療不信とはどういうものかということを具体的に述べていただくことも、医療側からの司法不信を議論するのと同程度に重要なことではないかと考えてこのエントリを立てました。

 例によって自由に書いていただいてけっこうですが、抽象的に医療側を攻撃するのではなく、根拠となる体験または情報を個人情報に触れない範囲で示していただいて、自分の考えを述べていただきたいと思います。

(再掲終わり)

 なお、続編を立てる契機となったのは、元エントリのコメント数が増えてきたことともに、ノイズが多くなったので雰囲気を変える意味もありますので、皆様のご理解をお願いします。

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コメント(43)

前スレより、Level3さんへ返信

開業医の先生のレベルがまちまちであるのは確かですが,その理由は医局人事の問題というよりも開業時期やそもそものその人の資質などの関与の方が大きいと考えています.

ごもっともですし、同感ですが、新臨床研修医制度導入の背景には、今までの研修制度の弱点を改善するという目的があったと理解しております。医局制度が教育システムとして現実にうまく機能していたかとは別問題で、「機能していない」という前提にたっての改革だったと思います。また、改革によって結果として改悪になったのか改善になったのかも別の議論だと思います。

つまり、改革前に「実際にどうだったか」と改革後に「実際にどう変わったのか」を別にすれば、改革の趣旨は「教育に不備のある医師が多いので、医局の教育制度が不備であるに違いないから、新しい教育研修制度を導入しよう」というものだったとおもいます。

しかし、日本の医療の現実はそういう理想論の教育研修制度の負荷に耐えられるものではなかった、というふうに考えております。

>ごもっともですし、同感ですが、新臨床研修医制度導入の背景には、今までの研修制度の弱点を改善するという目的があったと理解しております。医局制度が教育システムとして現実にうまく機能していたかとは別問題で、「機能していない」という前提にたっての改革だったと思います。また、改革によって結果として改悪になったのか改善になったのかも別の議論だと思います。

表向きは「専門に特化した医師ばかりでは困る,一応浅くてもそれぞれの分野のことを体験しておく必要がある」ということでしょうが,実際の厚労省の思惑は,「大学医局の人事権を無くして自分たちがそれに取って代わろう」ということだったのでしょう.残念ながら代わりの人事システムを作らなかったばっかりに,絵餅に終わり,医療現場に大きな混乱を招いた,というのが実情だと思います.

先のコメントを踏まえますと,開業医のレベルを上げるためには一定以上のトレーニングを受けなければ(もしくはその技量が認められなければ)開業できないように,システムを構築すべきだと思います.そうすれば医療不信を招くようなひどいレベルのものは無くせないまでも減少させることが可能かと思います.

また,多くの開業医の先生方は生涯教育システムで勉強されていると思いますが,あくまで任意ですから全く勉強しないということもあり得ると思います.これもきちんとしたポイント制で義務づける必要があるかと思います.私は開業医ではありませんので,私の書いた所で現状と食い違っていることがありましたらご指摘下さい.

ただ、レベルの低い開業医の先生がいるのは事実ですが、医療系のコミュとか見てると、単に「前医は藪医」をやって不当に貶めている患者さんの投稿を非常によく見ます。

そういったバイアスは確かにあると思います.
ただ,紹介されてきた患者さんの経過や治療を我々がみて??と思うものもあります.(後医は名医を差し引いて考えても.)また医療裁判の判例を見ていても,そういったものも散見されます.
こういった例は実際にはごく一部なんでしょうが,ssd先生も書かれていますような声高に医師を貶めている疲医療者がこれを針小棒大にしているのが医療不信を煽っているのでしょう...

 後医は名医は当然ですが、小生が外科の研修医の頃、開業医から送られたアッペ(虫垂炎のこと)は必ず切るようにとオーベンに言われたことがありましたね。要するに大先輩である開業医の診断に面と向かって疑義を挟むなということです。今だったらあり得ない話でしょう。小生が指導医になった頃は虫垂炎でもエコーCTを撮って確定診断のもと手術適応を決定してその診断を紹介元の先生に返すようになりました。このほうが、相手の先生の診断能力も上がりますよね。
 現代の医療連携の時代、医師同士、誤りを誤りですと言える関係を作れなければ、患者さんとの信頼関係などとうてい考えられません。実際は結構困難を覚えることもありますけど。(^^;;;)

なんか、「機長の決定には逆らえなかった飛行機のコックピット」とよく似たお話ですね・・・。
(立場をはっきりさせる意味で(被医療者)を追記しました。通行人1)

このトピックであっているのかわかりませんので、間違っていたら指摘してください。

えと、わたしは医療者じゃないです。

で、医療不信で「インフォームドコンセント」って言葉が出てきて、これをしっかりやってください、って意見があって、これがないから、お医者さんを信用でいない、みたいなのを散見します。

インフォームドコンセント代って現状だと「タダ」ですよね? 納得をいくまで説明してたら病院がつぶれて、説明してくれるお医者さんがいなくなるとおもうんですけど……。

弁護士さんも相談はタイムチャージ制とうかがっています。医療費削減の折ですが、タイムチャージは難しいにしろ、なんらかの形でインフォームドコンセント代をお医者さん、ひいては病院に還元できないものなんでしょうか?

弁護士さんも受任したら、手付け料以外は無制限に説明の必要あり、っていわれたら廃業する人出てくるようにおもいます。

ちなみに、わたしはデジドカですが、要件に対して「儲からない」と判断したら説明(というか取引)をやめます。儲かるとふめば、クライアントへの説明はその時点ではタダでもいくらでもやります。

端的に言って、応召義務あり、かつ、値段を供給者が決められないという職業で、値段を絞れば供給が減るのは当たり前すぎるような気がしています。

まとまりませんが、ずっと疑問だったことを書かせていただきました。

うち(零細クリニック)では開業時(約10年前)から「癌は告知」と決めたので何の障害も無くなり、血液検査のデータはすべて患者さんに手渡しています。当時、周辺でそんなことをしている医療機関は稀(今ではそうでないほうが少ない)だったので、当初はみなさん「へぇー」という感じでしたが、最近では「大丈夫ですよ」と渡したデータでも、少しでも値が基準値を外れたものがあると「これは大丈夫か?」と質問する患者さんが増えてきました。基準値=正常値ではなく、それを外れても直ちに異常ではないと説明しても腑に落ちない方がいらっしゃいます。詳しく説明したために余計に説明の手間が増えた事例かと思います。こちらとしては「大丈夫って言ってんだから、少し外れても全体では大丈夫なんだと意を汲んでくれよぉ」と思うのですが・・・愚痴でした。本題に戻ります。

納得をいくまで説明してたら病院がつぶれて、説明してくれるお医者さんがいなくなるとおもうんですけど……。
納得まで時間を要する患者さんは珍しくありませんが、お金のことよりも待っている他の患者さんのことを気にして説明を切り上げることはあります。それが医療不信につながるんでしょうね。

>No.5 元外科医さま
>虫垂炎でもエコーCTを撮って確定診断のもと手術適応を決定してその診断を紹介元の先生に返すようになりました。このほうが、相手の先生の診断能力も上がりますよね。

開業医としても、そういう病院のほうへ患者さんを紹介したくなります。

虫垂炎の診断(US技術の普及、CT機器の進歩)は、ここ10年くらいでも結構変わったと思いますので、過去の基準で、批評するのは時間的「後医は名医」パターンかと。

医療不信(または司法不審)の感情はなぜ沸いてくるのか。
ざっくりした考えですが、これは「ブラックボックス」に対する不安や恐怖だと思います。

医事の臨床に接したことのない圧倒的多くの人にとって、臨床で発生する各種の事象やそれに対応する医療従事者の認識・分析・対処方針決定・医療行為は「ブラックボックス」の中身です。(「医事の臨床」を「司法の実務」に置き換えても成立可)

ブラックボックスから「よい結果」がアウトプットされるまで固唾を飲んで見守るしかない中、それでも期待通りのアウトプットがあれば安堵のため息をついてアーヨカッタで済みます。
しかし期待はずれの(または期待に背く)アウトプットが出てきたとき「このブラックボックスは壊れとるんちゃうか?」または「壊れとるに決まってる」と一足飛びに結論付けるのが「不信」じゃないかと。

ブラックボックスの中を見せてもらっても、その動作原理やロジックが理解出来なかったならば「難しいこと言って煙に巻こうとしとるんちゃうか」「シロトだと思ってナメやがって」というベクトルに流れる人も出てくるでしょう。
或いは「世間一般の常識ではこんな動作原理は採用しない」と言い出す人もいるかもしれない。ブラックボックスの仕組みを知ってる別の専門家が解説を試みても「同業者の庇い合いだ」としか見えない人もいるでしょう。

結局「不信」を解くのは(光氏事件裁判の「刑事弁護とはこういうもの」と多くの実務法曹が頑張って説明を続けてきたのと同様)最終的にどこまで理解を得られるかは別にして、説明・解説を続ける以外にないのでしょう。

で。
実はもうひとつ思っているのは、この「説明」って不祥事を起こした企業がその後に採る収拾策(危機管理対応)とほぼ重なるんじゃないかということ。
患者死亡ケースなんかで言うと、例えば病院でそれは「通常発生する普遍的事象」なので『危機管理的対処』をする必要性自体を感じない。「仕方ないこと」なんですね。
ところが患者遺族側にしてみれば肉親が死亡するなんてことは非日常の極地であるわけですから、医療側から「仕方ない」と説明を受けても全然足らない(非常事態モードにふさわしい説明がほしい)というあたりにも、診察側と受診側で感情の齟齬が起こる理由があるんじゃないかと。
ある意味グリーフ・ケアの失敗=危機対応の失敗ということなのでしょう。

こじれた「被害感情」に甘い司法判断(や捜査活動)もまた事態を悪化(ブラックボックスの内容説明を、警察機構の捜査に委ねてしまうことの容認)させている要因のひとつかな。

なお大野病院ケースで当時の捜査幹部の一人は「人が死んでんねんぞ」というマインドを持ち「遺族の視線で」捜査を行ったと公言していたようです。
救命できなかったことと、死なせたことの違いに考えが至らず「患者が死亡した=患者を死なせた」と短絡したのだろうということが覗える話でした。

 全国で52の社会保険病院を運営する「全国社会保険協会連合会」(全社連、伊藤雅治理事長)は、医療事故が起きた際、患者本位の姿勢で対応する方法を示した米国の「医療事故・真実説明・謝罪マニュアル」をグループ病院で実施することを決めた。医療事故の際、患者側に十分な説明をしない病院が少なくない中、大手病院グループが謝罪マニュアルの実施に踏み切るのは初めて。
 「謝罪マニュアル」は米国のハーバード大医学部の関連16施設で用いられており、昨年3月に発刊された。日本では同11月に翻訳されている。  同マニュアルは、医療事故が発生した際は、隠さない、ごまかさない、逃げない姿勢が正しいと強調。〈1〉過失の有無が不明な段階でも、分かる範囲で状況を説明し、責任があることを表明する〈2〉遺憾の意を表す〈3〉過誤が判明した時は謝罪する〈4〉再発防止策を示す――などの対応方法を具体的に示している。  マニュアルに従って行動したことで、米国ミシガン大病院と関連施設では、4年間に訴訟やクレームの件数が56%減少し、訴訟費用も300万ドルから3分の1に削減されたという。訴訟になった場合でも、謝罪したことを法廷で医師に不利な材料としないよう州法で定めた州もある。
(2007年8月14日 読売新聞)

 読売の記事ですけど、こういう取り組みはとても良いことだと感じます。
 一般的に考えると「患者に下手に頭を下げたら訴えられる。」と思うかも知れませんが、訴訟社会のアメリカにおいて、実際に訴訟やクレームが減少したと言う話は傾聴に値すると思います。
 日本でも、医療訴訟の報道を見ると、「病院は謝罪の言葉が無かった。」と言う患者側のコメントを見受けることがよくあるような印象がありますし、であれば、こういったマニュアルは日本でも効果があるんじゃないでしょうか。

 厚生労働省や医師会などが音頭をとり、必要なら警察・検察とも調整しながら、このマニュアルの普及させていくことで、「医療不信」の軽減、ひいては訴訟数の軽減に一定の効果がある、、かも知れません。

CT エコーは一例であって、小生が言いたかったのは医師同士でも、医療情報に関して権威勾配を出来るだけ作らない方が良いということでした。
「時代を超えた後医は名医」の考え方には同意です。昔のやり方を今の基準で判断されるのは究極の後出しですね。

> 「医療事故・真実説明・謝罪マニュアル」
> 日本では同11月に翻訳されている

あの翻訳は法律家からみると、やや不安なのですが。

マニュアルは何が何でも謝れと言っているのではなく、
患者の不幸に同情を示せ、事故処理担当者を決めて説明は誠実に、過ちがあったなら素直に謝れ、しかし自分の責任以上を背負い込んではならないとも指摘しています。

ぜひ、原文に当たって内容を理解されることをお勧めします。
◆When Things go Wrong responding to Adverse Event
http://www.macoalition.org/documents/respondingToAdverseEvents.pdf

もとのハーバード・レポートには法律家が加わって作成されています。
翻訳にもそういう配慮があってしかるべきではないかと思います。

高飛車で患者の思いを尊重しない態度
遺族に対する暴言・誹謗中傷
 医療裁判をやった弁護士にコメントスクラムで「お礼参り」(ヤクザ的思考)
 「遺族に対するバッシング?有りません」と書いちゃう無感覚っぷり
遺族や医療界批判者に対する「診ないぞ」という生命に関わる脅し
その癖、外国からの医療従事者受け入れには反対する態度
業界を挙げての隠蔽体質
医療崩壊における都合の悪い事柄については徹底的にスルー
 医者擁護ブログで東京女子医大病院という単語はみかけない。あ、無罪になった分は言うのかな?
 医者擁護ブログで慈恵医大・青戸病院という単語を見かけない。
 その癖「白い巨塔のようなフィクションが」「マスコミが」と印象でしかないと主張
 「医療不信」がテーマのエントリーにひたすらテンプレート的な「自分達は悪くない」w
 医者擁護ブログでは、医師の権利拡大に貢献したので研修制度の話題は出さない。
 医者にも悪い部分があるのでは無いか?という医師に対してお前は本当に医者か!という非難の嵐(ここですよ。1年以上前のエントリー

だと思いますが)
 医療事故調査委員会における「第三者(笑)」医療関係者でかためて、証拠を握り、刑事免責を計ろうとするところ
 医療事故調査委員会における遺族代表メンバーを排斥しようとするところ
情報公開に対する態度
 カルテ開示法制化に対する態度(10年単位でしょう・・・)
自分達が捕まるまでは刑事責任の有無を行政処分回避に使う姑息
自律してこなかった癖に捕まりだすと、刑事責任を問うのはおかしい、と主張する矛盾
捕まりだすと、従前からある刑事訴訟の問題を騒ぎ立てる(曰く逮捕は酷いとかw)
でも、光市事件の弁護士はクズだよね、と書いちゃうところw
挙句出てきた要求は医者だけを特別扱いしろ(やっぱりかw)
お金が無い!と世間に言いつつ、国会議員を集めてパーティー(シンポジウム?って言うのかしら?)が出来ちゃう程の資金力
このご時世に消費税上げて俺達の業界によこせという政治的主張
医療費に多額の税金が注ぎ込まれているのに、公的な責任を放棄するところ
「自分の都会暮らし>>>へき地住民の生存権」という判断基準


うーん、あげりゃあキリが無いな。
個人的経験としては、診断書5000円って高いな、くらいか。
既定のフォーマットにたった2行の文書に5000円。保険が効かないかららしいけど。
でも3000円くらいで書くところもある、と分かるとなんだかなぁ、と思う。


こうして見ると昨今医療ブログが盛り上がるにつけ、医療不信はますます高まるばかりだなー。

・「目に付かない」という指摘に見落としも多い
・現象とその理由に齟齬がある

という印象を全体に受けますが、とりあえず1点

個人的経験としては、診断書5000円って高いな、くらいか。 既定のフォーマットにたった2行の文書に5000円。

伝聞ですが、ちゃんとカルテ引っ張り出して検討して診断つけると、30分くらいはかかるとか。
プロを1人30分間拘束すると5,000円くらい(から)、というのは世の中の相場です。
弁護士の法律相談もそうだし、タクシーも30分くらい走るとだいたい5,000円です。

仮に30分かからないとしても、プロの名前で対外的に責任持って出す「鑑定書」なんだから、それくらい払って当然、という感覚は私はありますけどね。

でも3000円くらいで書くところもある、と分かるとなんだかなぁ、と思う。

すみません、弁護士はもっとひどいです。

No.14 ンガさん、はじめまして。よろしくお願いします。
 私は、今の病院に辿り着くまでに何か所も診察を受けました。
 なかには、原因が解らなくて、機嫌の悪い医師もみえましたが、セカンドオピニンということで紹介状を書いて頂いたりしました。
 最初、会社に提出する診断書は、3,150円でした。
 たしか、公的書類と言うことなのでしかたないでしょう。
 最近は、慢性疾患ですので、診断書は1,050円で書いて頂いております。

  fuka_fuka さんが弁護士さんのことを触れられましたが、会社の関係で、督促のため内容証明を送なければならない案件がありまして、その当時(依頼先によると思います)で、
弁護士さんへの相談料が、5,250円
内容証明料(作成料込)が31,500円(弁護士氏名記載)
  同  で、会社名(社長名明記)だけは、10,500円でした。
(弁護士さんにより料金は違います)
 JP日本郵便の電子内容証明ですと、1,500円程度です。
ただし、自分で文を作成して、会社に決済を受け、会社の庶務で処理してます。

 それは、信用力がある公的書類ということであり、それだけの責任をもたなければならない、公的文書であることだと思います。

私は、現在、全日勤務ができないため、嘱託職員ということで、週4日程度の勤務で、病院にも通ってます。


 
 

準委任契約が徹底されて、診たい患者だけ診る世の中が来ないもんでしょうかね。

 このエントリの趣旨の補足という意味で、前エントリのコメントをこちらにも再掲します。

(以下、再掲)
 私は、別エントリではてブコメントの「言語化」という言葉を紹介しましたが、それを言い換えると

 客観視

ということになると思います。
 まず、医療に対する不信感を持っている人が、自らの不信感を客観視する。
 それを読んだ医療側の皆さんが、今度は自らを客観視する。
 そこに相互不信のベクトルを相互理解に変える契機があるような気がするのです。

 私が何のためにこのエントリを立てたのかということを考えていない人がいることが残念です。
(再掲終わり)

>ンガ(非医療)さん

仰せの内容に関して医療者側に全く曇りないとは言いません.
対応の悪い点は改善し,少しでも病める人達の支えになればよいと思います.

逆からみれば同じこともあるわけで,
安価な負担で100%の結果がなければ罵られ,訴訟に医業停止,
税金で大学を卒業したから奉仕すべきなどと言われたら
誰でも頭を抱えるでしょう.
収入なら港区住民の方が遥かに稼いでいるかもしれません.

今は社会のインフラとして日本に医療が成立するか消失するかの崖淵なんです.
だからブログでいろいろな職業の人達が考えているのです.
もう一度昭和30年代までの医療保険無しの時代に戻るか,新生児・妊婦死亡が普通の時代に戻るか?
それは国民の選択かもしれませんが,せめて情報だけは示していると思いませんか?

耳に痛い話こそ,医療者・非医療者とも聞くべきであり考えていくべきところではないでしょうか?

日本は弱者に優しい国であって欲しいと切に願います.

ンガ(非医療)さん、はじめまして。

ひとつひとつ反論しようかとも思いましたが、あまり代わり映えする主張もないようですので、まとめて回答させて頂きます。

1)2ちゃんねるに書き込まれているのが医師の一般的な意見ではありません。あれはフラストレーションの発露のようなものなのであれを言質に医師を中傷されても困ります。

2)「医者擁護ブログ」がどこにあるのか知りませんが、ぼくがいままで読んだ医療関連ブログに東京女子医大病院・慈恵医大・青戸病院が出てこなっかたものはないと思います。

3)あなたのようなご意見はぼくがかねてから言っている「医療が完全崩壊するまでは非医療者は事態の深刻さを理解しない」という主張を支持してくれます。ありがとうございました。

実際の厚労省の思惑は,「大学医局の人事権を無くして自分たちがそれに取って代わろう」ということだったのでしょう.残念ながら代わりの人事システムを作らなかったばっかりに,絵餅に終わり,医療現場に大きな混乱を招いた,というのが実情だと思います.

魚屋が大工の仕事を奪おうとするようなものですね。
「医局制度の功罪」や「医局制度に対する厚労省の思惑」はトピズレですので置いておいて。

開業医のレベルを上げるためには一定以上のトレーニングを受けなければ(もしくはその技量が認められなければ)開業できないように,システムを構築すべきだと思います.

全く同感です。
ここで話題を戻したいのですが、「医療不信」を論じる際、我々医療サイドは「医師の中にも技量の差はある」という点を真摯に認め、その技量の差を「個人の資質」で片づけないで「システムの問題」として考える必要があると思います。雷オヤジが院長をやって病院を引き締める時代ではありません。医師、看護師、検査技師、薬剤師などの技量を他施設にわたって合同に改善させるようなシステムを構築する必要があります。

問題は現在の医療にそれだけの負荷に耐えられるような余力があるかという点です。

>ブラックボックスから「よい結果」がアウトプットされるまで固唾を飲んで見守るしかない中、それでも期待通りのアウトプットがあれば安堵のため息をついてアーヨカッタで済みます。
しかし期待はずれの(または期待に背く)アウトプットが出てきたとき「このブラックボックスは壊れとるんちゃうか?」または「壊れとるに決まってる」と一足飛びに結論付けるのが「不信」じゃないかと。

上のご意見にほぼ同意です。

あと、つけ加えるならば、「選択していない」というか、「そもそもブラックボックスにゆだねているということ自体への不信」もあるかと思います。

余談ですが、電化製品なんかでは、まあ、自分でどんなものを買いたいというイメージがあって、機種(メーカー)を選んで購入するのですが、それでも、使い勝手がよくないとかの結果になると、「ああこのメーカーのものは使いにくいなあ」といった不満が生まれたりするのですが。
もちろん、それは購入した自分の
1.事前情報による選択の不十分
2.購入後の使いこなしの不十分(機能の理解や使用方法、自分のレベル)
が原因によるところが大きいのですが。
 
逆にいえば、メーカーとしてお客に不満・不信を与えまいとするならば、1.2.の双方を上手く(といっても売り上げはあげたいので、1.のユーザーをとりこんでいくように2.を工夫する方を重視していくことになりますが)

もう一度昭和30年代までの医療保険無しの時代に戻るか,新生児・妊婦死亡が普通の時代に戻るか? それは国民の選択かもしれませんが,せめて情報だけは示していると思いませんか?

国民は30年間に渡り、選挙で「医療より道路」という選択を政治家に示してきたわけで、その結果現在の状況があるのです。仕方がありません。あとはいつ目を覚ましてくれるかの問題でしょう。

これも「医療不信」の一要素です。
自分で殺した猫に向かって「ネズミを捕らんとはけしからん!」と怒っているようなものですね。

おがわ(非医療者)です。

・医療不信はあるか?
 → 漠然とした不安感、不信感がある

・実際に受けた医療で医療不信を生じさせるような事はあったか?
 → ここ1、2年で5、6回(続けて受けた診療は1回とする)、お医者さん数で3、4人の診療を受けたが特に無い。
(受診例は後述)

・近親者で医療不信を生じさせるような事があった、または伝聞したか?
 → 特に無い(詳細は後述)

・TV,新聞などで医療不信を感じさせるような情報を得たか?
 → ある。(例:日本テレビの報道特捜プロジェクトでやっていた整形外科医の話)

つまり、
−個人的に知ってるお医者さんに対しては信頼感を持っている。
−普通のお医者さんは、普通に診療してくれるだろうなと理性的には考えている
−でも、はずれを引いて変な医者に合ったらどうしようという不安感はもっている。

という感じですかね。その漠然とした不安感の種と不幸な結果が混じった状態に火種(お医者さんのちょっとした言い方、態度)がつくと訴訟という爆発を起こす、という風にも想像できます。

−−−−おまけ−−−−
以下には実際に医療不信を感じてないが、そうなる可能性のあった経験をあげます
1)眼科(開業医)受診
急に目が腫れあがったので、何事かと思って眼科に行ったら強膜炎とのこと、眼球に直接注射(結構怖い)されて帰宅する。数日経っても腫れがひかないのでまた病院に行くと再度注射される。自分は(医者と直接話をしているので)なんとも思わなかったが奥さんが「そんなに何度も注射するなんて変だよ」というので念のため他の病院(大学付属病院)へ行き受診。「開業医で注射できるのは逆にちゃんとしたお医者さんですよ」と言われ納得。その後全快。
2)内科(開業医)受診
高熱が出たので内科へ、診察室では症状を聞きながらバリバリとPCへデータを入れ、どんどん質問してきて(現時点ではインフルエンザでは無さそうだが、断定はできないので希望ならタミフルの処方も考えらますよ、など)診察はあっという間に終わった。話自体には納得したが、もう診察が終わっちゃうのかぁもう少し丁寧に話してほしいなぁ、とちょっと感じた。
3)近親者例
義兄がガンで50歳過ぎで亡くなった。姉からは色々気を使ってくれた(一時帰宅を許してくれたり)など、いいお医者さんだったと話を聞いたし、姉も義兄の死を納得していた。

蛇足ながら・・・。

あるAという人が風邪症状でBという診療所に行きました。そこで風邪との診断を受け3日分の薬を処方されました。そこで直らなかったらまた来るようにと指示を受けました。
3日後、治らないので不信感を抱き、別のCという診療所へ行きました。そこでもまた同じ薬を処方されました。そして治らなかったら必ずC診療所に来るように言われました。
でもさらに3日たって治りません。おまけに息切れがしてきました。C診療所にも不信感を抱きD病院へ行きました。
そこで受けた診断は風邪をこじらせ肺炎と心筋炎を起こしているとのことでした。心筋炎でAは亡くなってしまいました。Aの遺族Eはいい加減な診断をと処方をしたBとCを告訴することを検討しています。

これはある種の主観的な医療不信です。
医学を知らない患者側からしてみれば普通の行動かもしれませんが、実はこれ、患者としてとても危険な行動なんですね。
この例において実は風邪というB診療所での診断、誤診ではありません。普通の風邪は一週間以内に治りますが、死ぬ風邪もあります。心筋炎や肺炎などはその典型例でしょう。
そもそもちゃんとB診療所に行っていれば、「あれ?治らない?変だな?」という考えが浮かびます。逆にC診療所の医師は今までの情報が解らない(患者の情報は知ろうと情報なので医学的に正確ではないし、主観的にしか見れていない)のでどのように処置して良いか解らないのです。だからまあ、通常の風邪だと思い、Bと同じ薬を処方しています。まあ、この場合は3日しか立っていないのでBに行っていても同じくスリを処方したかもしれませんが、少なくとも変だなと思った時点で普通は病院へ送るでしょう。その際は紹介状があるので、紹介を受けた病院の医師も病状を素早く知ることができ、もしかしたらAは助かったかもしれません(まあ、心筋炎は劇症型だと助からない場合が多いですけど)。
最近、紹介状を持ってこず、それでいて医師に責任を取らせようとするモンスターペイシェントが激増しています。医師の説明不足のこともありますが、中には勝手に医療不信を抱いている輩もいます。特に慢性疾患の場合はいままでの病歴が今後の説明に有用なため、紹介状は必須となるはずですが、実際に紹介状を持ってくる患者は最近増えてきたものの、まだまだ多いとは言えません。

もし、おがわさんが最初に言った眼科医院から「おかしかったらもう一度来てくださいね」と説明を受けていれば病院にかかる前にその医院に行くべきですし、説明がなかったのであれば、その開業医は(現在の医療水準から見れば)あまり良いレベルではないかなというのが私の意見です。
できれば次のことを実践してみてはいかがでしょうか。

信頼おける自宅近くの内科医院を見つける。とりあえず眼科だろうが耳鼻科だろうがまずそこに行き、紹介状を書いてもらうようにする。そして、その内科医院ではすべてのおあがわさんの医学的情報を集め、全身的な管理をしてもらう(診断・治療は無理ですが)。いわゆるホームドクターというやつです。
もし、同じ疾患で病院を変えるときは遠慮無く「病院を変えたい」と申し出て必ず紹介状を書いてもらう。
なお、救急時は初めから大きな病院へ行く(というより、救急車なら多分強制的に大きな病院へ送らされます)。
健診も会社でやってくれるというような理由がなければなるべくその医院で受ける。人間ドックを希望する場合はその医院で受けるか、別の病院で受けた結果を必ずその医院に持参する。
医師不足の折、十分患者に説明する時間はありません(これはその医師の問題と言うより、国による医療政策の問題です)。しかし、かかりつけになれば、他の患者さんを待たせてでも多少融通を利かせるのが人情ってものです。他の患者さんを待たせることが社会的に正しいとは言えませんが、やはり医師も人間。親しい人には優遇したくなくても自然と優遇します。
コストはかかりますが、自分の身は自分で守るということが大事なのかなと私は思います。

でもどの医院が信頼できるのか・・・インターネットを駆使したり、近所の評判を聞いたりするしかありませんね。残念ながらそれ以外有効な手だてが無いのが実情です。

やたら不信感を抱くのは得策ではないという例でした。
トピずれ申し訳ありませんでした。

ヲイヲイ
有能な専門医から先に開業されたら困るんですが。

>でもどの医院が信頼できるのか・・・インターネットを駆使したり、近所の評判を聞いたりするしかありませんね。残念ながらそれ以外有効な手だてが無いのが実情です。

それも必ずしもアテにはならんですよ。どうか、と思うような診療やってるのにすごく流行ってるトコ、私4軒程具体的に知ってますw。
一番いいのは医師の友人を持つ事ですかねえ。ちなみに「友人」自体は薮で構いませんw。

そういえば一日300人も点滴してた医院がありましたっけ。
不信感の一方でこういう事象があるのは面白いですね。
むしろ点滴信仰で代表されるような信仰心があって、その裏返しとして不信感があるんでしょうね。「信頼してたのに・・・」というような。

 今日聞いた事例です。

 そもそものきっかけは、かかりつけ医と患者さんが相談の上、「手術しない方がよい」と決めた同じ検査結果をたまたま見た同業者が「治すには手術しかない」と言ったことでした。

…よくよく注意すれば、二人の言っていることは擦れ違っているだけで、食い違っていないことがわかります。

 前医は諸々の事情を考慮すれば、治らないことは仕方がないとして諦めることを勧めていたのに対して、後医は治すことを前提として手術を勧めています。

 ところが、これを聞いた患者さんは、誰を信じたらいいのか途方に暮れてしまいました。結果として、付き合いの長い前医の指示に従い、後医の勧めを断っただけに終わらず、「あの医者は信用ならない」と公言するに至りました。

 立派に医療不信ができあがっています。

アドバイス、ありがとうございます。

ホームドクターって言葉は知ってても、なかなかどう見つけていいのか、分からないもんですね。しかも身体が調子のいいときはそんな事は忘れて体調悪くなった時だけお医者さんを探すものだから、なかなか・・・

とはいえ自分のことなので、ちゃんと考えないといけないですね。


モトケンさん、

>自らの不信感を客観視する

おかげで客観視できました。ありがとうございました。
少なくとも医師に対する不信はなくなりました。

正直に申し上げて、このエントリにも私には受け入れ難い医療側のコメントがありますが、
それはその方の意見であり、医療側の意見として見るべきではないと今は思っています。


その上で医療界と言いますか、システムに対して不信というより無力感を感じます。


私は民間企業の管理職ですが、不採算の事業があれば撤退もしますし、値上げもします。
人が足りなければ増員もします。私の組織のマネジメントは私の責任です。


もちろん医療はこういうわけにはいきません。やりたくてもできないと理解しています。
しかしそれをやるべき行政(ですか?)が機能していない。
現場と連携もできていない。


自民党はだめだが民主党ならば、という問題でもないでしょうし、
無駄に病院に行かない、くらいしかできない無力感を感じます。

いずれにしても私には有意義なエントリでした。

何が医療不信なのか、医療者(医師)の責任なのかがイマイチよく分かりません。
医師が故意に間違った治療法を薦めるということもなければ、金銭のために虚偽の説明をするなどということもあり得ません(保険診療ですから金額は同じに固定されています)。比較的安価な値段(ちなみに医療費はアメリカの5分の1から10分の1です)で患者自ら好きな病院を選ぶことが出来ます。
fuka fukaさんが言われるように、専門家の相談料(5000円/30分)ということを考えてもその価格だと、外来診療の場合、高額な機器の減価償却、人件費を考えれば採算割れというところでしょう。(診療所(開業医)でその1.5倍以上、病院なら2、3倍なければ採算割れです。)むしろ不信(文句)があるなら、どうぞ自由に他の病院に行って下さいというのが本音(その方が有難い)です。

例えば病状を平易に説明せよと言われても、素人が難しい治療法を一度で理解することには限界があります。(理解できないのは医師のせいでしょうか?)さらに説明するための時間の不足や、時間に対する対価がほとんど支払われないことなどもあります。つっこまれるのを承知で敢えて言えば、医療不信というのは安い医療費、説明料無料ということに対する甘えもあるのではないでしょうか?

青戸病院事件のような特殊なケースもありますが、誰を信用するかは自己責任でしょう。たまたま入った寿司屋が不味かったのと同じです。どの業界にもあり得ることのように思います。その意味では(小生は)医療を特別視して刑事免責を敢えて主張しません。むしろ、医療に価格差(混合診療の解禁)を導入する方が合理的と考えます。

あの翻訳は法律家からみると、やや不安なのですが。

 そうなんですか。
 それは「あの翻訳を額面どおりに受け止めて実践することには、法律的なリスクが高まる可能性がある。」と言う意味ですか。

ぜひ、原文に当たって内容を理解されることをお勧めします。

 えーと、どれどれ、、、
 
 、、、、
 
 すみません、無理です(^^;

どうしてもソースが見つからなくて申し訳ありませんが、アメリカのある医療機関には、ブラザー制度という患者が患者に疾患に関することを教える制度があります。

ある新しい患者Aが入院してくると、その患者Aに対して1人、その患者Aが入院してくる前から入院している患者Bが担当としてつきます。患者Bは自らの経験(手術やIC、薬剤など)について患者Aに伝えることで、患者Aのわからないことや不安感を払拭していくというシステムです。当然、患者Aは次の患者Cに対して同じようにわからないことや不安感を取り除くための協力をします。
他にも、その疾患に関する書籍や専門書などが医療機関から与えられ、患者Aは自ら疾患について知る努力も要求されます。
しかしながら、この医療機関の患者満足度は素晴らしく高く全米でも1、2を争っていたはずです。

ある疾患に特化した医療機関だからこそできるシステムでもありますが、被医療者も自分の疾患に対して、自ら闘う姿勢は必要と思います。
また、同じ経験をしている患者同士だからこそ、わかる伝えられない症状や不安、不満・・・いろいろヒントがあると思っています。

先日あったことなのですが、内科クリニックで心療内科の患者さんが他院から紹介受診されました。私は「ここには心療内科のスタッフがいないので他院を紹介する」とお話ししたら、調子は変わっていないのだからどこだっていいだろうみたいな発言をし、こちらの説明をちゃんと聞こうとすらしません(その患者さんは、すぐにキレることで有名だそうです)。挙げ句の果てに他へ行く、紹介状なんて要らん!と席を立たれました。
ちなみに紹介状には不安神経症と書かれてありましたが、私が見る限り人格障害がありそうです。

こういうモンスターペイシェントが増えてきたような気がします。それでもマスコミでは医療不信が医師側にあると断言される言論が目立ちます。なんだか少し悲しくなってきます。
医療不信の原因は医療側だけでなく、少なからず患者側にも責任があると思うのです。

ただ、どういうプロセスで医療不信が生まれるかということを解明する、と言う点については我々も認識する必要があります。

こういうモンスターペイシェントが増えてきたような気がします。

モンスターやクレイマーが増えているのは他の業界でも同じです。小売業の友達の話を聞いて「ひでぇなぁ」と思うことが多々あります。高級デパートならそういう顧客が100人に1人いても吸収できますが、脆弱な産業はその負荷に耐えられません。医療界にはこういう社会の変化に耐える体力が既になくなってきているのでしょう。

医療不信の本質が何であるか、実際のところ不信を抱いている本人にしか分からないと思います。

医療者側にできることは、治療成績の向上と医療安全への取り組みと情報の公開だけです。「サービスの向上は?」と聞かれれば、「それも出来る範囲でついでに」ぐらいな返答しかできません。医師が「サービスの向上」の中心と考える治療成績の向上は患者には見えない部分ですし、患者が期待する「サービスの向上」は待ち時間の短縮だったり「人間的なやさしい接し方」だったりするので現在の医療資源の現実にはあわないものが多いからです。われわれはデパートではありませんし。

医療崩壊が始まるずっと前から医療不信はありました。ぼくが中学生だったころは長者番付が発表されるたびにクラスでバッシングされていました。別に自分の親が長者番付に載っているわけではなく、「医師」という記載が多かったというだけでです。そのころから「医者は隠蔽体質で、味方同士のかばい合い体質で、金儲け主義で、ゴルフばかりしていて、ベンツに乗っていて、患者を平気でモルモットにして、薬漬けの検査漬けで、脱税して、悪いことばかりしている」というストーリーが既にできあがっていて、上でンガ(非医療)さんが書いているようなことを中学生でもすらすらと言っていました。

そういう医療不信はこの30年余り全く変化していません。医師に何ができるのかって、なにもできません。実際には、当時から私の父親は錆びてボディに穴のあいた中古のローレルに載っていましたし、私は17年落ちのカローラの駆動軸が折れて路上に落ちるまで載っていました。隠蔽もかばい合いも脱税もしたことありません。だけど医療不信は厳然として存在するのです。

代々医療に携わっている者から見れば、患者の逆恨みは雨のようなもので、これに腹を立てても仕方がないのです。ただ最近は検察やら弁護士やらマスコミやらがグルになって医療を食い物にしに来るという点が違うだけ。それさえなければ、患者に逆恨みされても「自分の人徳が足りなかったのだ」と納得できるのです。

モトケンさんは「医療側のみなさまへ(特に最近来られた方へ)」というエントリにこう書かれておりますよね。

医療側の皆様に自らを振り返って、いわばプラス面とマイナス面を正当に自己評価してもらいたいというエントリでした。
しかし、返ってくる反応は、全てとは言いませんが、ワンパターンの警察・検察が悪い、マスコミも悪い、という他者批判が目につきます。
このような他者批判は、ある意味で自己中な視点です。

まさか、警察・検察・マスコミが悪くないと仰っているのではないでしょうし、警察・検察・マスコミが正すべき部分を医療者に正せと言っているのでもないでしょう。それを差し引いたとしても「自己中な視点です」という切り捨てはいかがなものでしょうか。(試金石として、医師が同じように医療界への批判を切り捨てたら、なんと言われるでしょう?)

すべての医師が医師の子ではありませんが、子供の頃から医療不信でバッシングをうけている立場から言わせてもらえば、「我々にいったい何を求めているんだ?」と聞き返したくなります。

患者の逆恨みを「自分の不徳の致すところ」と納得するだけでかなりのエネルギーを必要とします。警察・検察・マスコミが便乗した分までどう受け止めろというのでしょう?

私が思うに、「医療不信」は自己実現的予言です。カルテを改竄した医師たちには社会に対する恐怖心があったのだと思います。隠蔽する医師たち、逃げ隠れする医師たち、逃散する医師たちは「事故が起きたらやっつけられる」という恐怖心があるのだと思います。そうやって自己増殖した「医療不信」の負荷に耐える体力は、もはや日本の脆弱な医療産業にはないのだと思います。

「内分泌科医」さんへ

>私が思うに、「医療不信」は自己実現的予言です。カルテを改竄した医師たちには社会に対する恐怖心があったのだと思います。隠蔽する医師たち、逃げ隠れする医師たち、逃散する医師たちは「事故が起きたらやっつけられる」という恐怖心があるのだと思います。そうやって自己増殖した「医療不信」の負荷に耐える体力は、もはや日本の脆弱な医療産業にはないのだと思います。

・・・患者さんが「医療不信」を感じる原因が、改竄や隠蔽にあるのであれば、それは当然のことであり、医療側としては、言い訳できないと思うのですが。患者にうそをつく、というのは、たとえ善意からであったにせよ、許されないことだと思います(告知に嘘があると、患者は死への準備もできないし、もし医者が悪い予後は常に隠すものだとすると、医者の言葉の何もかもが信じられなくなり疑心暗鬼に陥ってしまいますから)。増してや、「過誤がばれないように」責任逃れのための改竄や隠蔽は、立派な証拠隠滅罪です(ようやっと東京女子医大事件でその罪名が使われ、同業者ながら当然のことという思いがしました)。子供じゃあるまいし、「叩かれるのが怖いから」隠す、というのはいただけません。そんなことをしたら事態がかえって悪化することぐらい、それこそ子供にだってわかります。(実際、そうなってしまい、医師がいかにコメディカルも巻き込んで幼稚なしかし権力的な隠蔽工作をするかがさらに医療不信を増幅させてしまいました。)
  まずは、何も書き換えず、何も隠さず、真実をさらす(透明化)。そこから、いかに医療が不確実であるか、無力であるか、その状況下ではどんな手を打っても死が避けられないという場合が厳然として存在する、ということを、誠心誠意非医療者に理解してもらうしかないのだと思います。
  「必ず死ぬ存在である」ことを「残酷だから」とことさらには言い立てない、という「優しい、思いやりのある」医師であろうとして、患者に「すべての検査は安全で」「すべての手術は成功し」「すべての病気は治る」かのような期待を抱くがままに放置した医療界の傲慢さ(自然に対する)は猛省せねばならないと思うのです。
  また、間違いを「あってはならないこと」と自責の念の中に封じ込めて、「医者だって間違える、それも結構しょっちゅう(今日も、調剤薬局から単純ミスの確認訂正の電話がありました・・・ごめんなさい、ありがとう)」という現実に蓋をしてきた罪も、大きいと思います。
  自分自身を等身大に患者に見せることができなかった、医療界の肥大したエゴ。患者にはどうせ医療の実態はわからない(医師には辛いこともいっぱいあるので、「わかってもらえっこない」という諦念もある、それもひっくるめて)、という、医療の複雑さ困難さ不完全さを公開することの拒否。過去にあった、このような医療界の誤謬を、これからは正していく必要はあると痛感しているのですが。
  医療者の持っている「力」は尊敬もされ憎まれもする両刃の剣です。医療の「限界」「弱さ」も理解してもらうように努めなければならないのだと思います。あくまでも、人間対人間ということで。そうして、医療不信が少しでも減れば、医療崩壊も遠のくのでは・・・・・・というか、医療崩壊がどのぐらい迫っているかどうかにかかわらず、医療不信を少しでも減らす努力は日々の診療の中で続けていくべきだと思うのです。
(このお返事の、2周遅れぐらいの蛍光灯ぶりをお許しください)

 安全工学のテーゼでは、起こり得る事故は絶対発生する、というものがあります。事故発生の低減策も大事ですが、事故発生時の対応というリスク管理も……たとえば医療事故保険とか医療事故対応弁護士との契約とか……事故恐怖症を減らし、安心した普通の医療に専念でき、それが患者の信頼を生んで、医療不信を減らす方向に動くと思います。

「ハスカップ」さんへ

  事故が起こったときの保険にはほとんどの医療機関や開業医が加入していると思います。顧問弁護士のいる病院も増えていると思います。マニュアルのある医療機関も多いでしょう。それぞれ、何%ぐらいなのでしょうか。
  いったん事故がおこると、「当該患者の治療」を必死で続ける一方で、「届出の義務がある事故か否か」の判断、「証拠保全」、「患者家族への対応」、が最低限必要となります。できれば医療安全の専任スタッフと弁護士が管理すべきです。
  「落ち度がなくてもまずは謝れ」というハーバードのマニュアルが紹介されていましたが、大方のご指摘どおり、「このような事故が起こって残念です」と言っているだけで、別に謝罪しているわけではありません。また、事故を起こした当事者は、ショックで打ちのめされているわけなので、できれば患者や家族の前には突き出したくないですが、最初の説明は当事者自らが行うべきという意見もあります。このような細かな対応も一つ一つしていかなければならないわけです。さらに、マスコミ向けの記者会見をしなければならないとなったら、相当のプレッシャーだと思います。
  医療事故の恐怖は、患者さんに思わぬ被害を与えてしまったという事実そのものもさることながら、事後対応において、公衆の面前にさらされる点にあると思います。これを事前学習するのは相当困難で、医療者の過剰防衛もこのあたりに真因がある、というのは、「内分泌内科医」さんの言うとおりです。
  
  それでも、もちろん、本当のことを淡々と粛々をさらけ出すしかない、それが結局は医療不信を解くことになるので、「正直は最善の策」なのですが、同時に、無防備なお人よしではいられないので、脇を固めて、きちんと組織として対応しなければならない、ということです。医療界はもっと「危機管理」「大人の対応」を他業種から学ぶべきというのは何度も言われていることです。「医者に限らず、冤罪事件の被害者は、みな名誉を傷つけられ人生をめちゃめちゃにされているのだ」、と言われればそれまでですが、医者は「人体に侵襲的なことをするのが職業」ですので、普通人の何千倍も冤罪に泣く可能性がある、ということになり、そのことがようやくわかってきた検察が「謙抑的に」と言明したわけです。次は、世間をそう納得させねばならず、そのためには「医療不信」は避けて通れない問題なのです。(ああ、堂々巡りです)

 御指摘のとおりで、リスクマネージメントや安全工学上の基本原則が、とかく軽視されていると思います。どこかに「ウチは大丈夫さ」と思う(思いたくなる)心理が作用するからです。
 安全と水はタダではないし、リスクマネージメントは金を出して買うもの、という発想や認識の大転換がなされれば、住みよい社会に日本もなるのですが。
 欧米のリスクコントローラは、記者会見やクライアントのつるしあげ…という場面を想定して、シュミレーション・ケーススタディーを極普通に行っています。
参考:牛場康彦著『リスク・マネージャーの世界』,野間成明著『ヒューマンエラー〜安全人間工学へのアプローチ〜』

医療崩壊は、現場レベルでのリスクマネージメントに他なりませんがね。

マイナー科医でも全科当直しなくちゃいけない病院からはマイナー科医は去り、たくさんの専門医にコンサルトできる大病院に勤めた方が安全。

一人科長など強要する自治体からは、去るべきですし、医療事故が起きたら人身御供にそんな医者を差し出すところの公立病院勤務など以ての外です。

そのことがようやくわかってきた検察が「謙抑的に」と言明したわけです。
 これは違うと思いますよ。  医療行為について「許された危険」という考え方は昔からあって、もともと検察は医師に対して「謙抑的」であったはずです。  実際に、平成11年〜16年における、略式起訴まで含めた医師の業務上過失致死傷罪での年間訴追率は0.0051%ということですから。(ちなみに運転免許保有者が0.11%とのこと)  モトケン先生がいつもおっしゃってますけど、大野病院事件のようなケースはあくまでレアケースであり、本来は昔から検察は医師に対して謙抑的であったと考えた方が事実に即していると思いますよ。

「名無し」さんへ
  検察が医師より職業ドライバーをより高い割合で業務上過失致死罪で起訴してきた、というのは、「謙抑」性の比較にはならないのではないでしょうか。  
  そもそも、全く健康な路上の人々や運転者・同乗者が死亡するのは、因果関係としてはほとんど疑いの余地なく事故のせいでしょう。立件は容易です。
   しかし、もともと病気で入院・通院している患者さんが死亡した場合、そもそも「事故」なのかどうか、「病死」かもしれないではないか、というところから検証を開始しなければなりません。病気というのは思いがけない経過を取ることがあまりにも多いので、因果関係は、専門家のあいだでも意見が分かれても不思議ではありません。「謙抑的」も何も、医療というものがそういう行為(免疫力で自然治癒する場合を除き、放っておけばエントロピーがどんどん増大して死に至ってしまう生命体に、人為的に介入して物理法則に反して死への過程を延期する)なのですから。
  医療事故裁判は患者側勝訴が難しい、というのは、医療行為そのものの性質上当たり前なのに、「有罪率が低いのは医療側の密室性・かばいあい隠蔽体質が壁となって真相が解明できないからだ」という解釈は、なかなか原告側証人を探し出せず苦労した挙句に敗訴、というパターンに泣かされ続けた患者側弁護士の「言い訳」の常道でした。(医療の不確実性を考えれば、よほどひどい事件でない限り、原告側証人になるのは困難なのが当たり前なのですが。)
  しかし、近年、明らかに医療事故に対する世間の目が厳しくなってきたのです。
  医療が進歩したことが皮肉にも裏目に出て、世間の「正しい医療がなされたなら死なないはず」さらには「死亡したのは何か医師がチョンボをして隠しているのでは?真実を知りたい」との「医療不信」の声に背を押され、医療行為中に思いがけず患者が死亡した場合すべてに過失を見逃すな、というような、警察/検察の「弱者=患者の味方として正義を隠蔽医師に行使せよ」的な『力(りき)み』が感じられるようになりました。
  医療への非現実的期待⇒予期せぬ死亡は医師の過失(の隠蔽)⇒真実の解明をする「正義の味方」を警察に求めるという世論背景があったのです。違いますでしょうか。福島県警が表彰までしたのは、そういう民意に応えて民衆の敵を逮捕した、医療の牙城の一角を突き崩した、よくやった、という空気があったのではないでしょうか。
  で、そのような風潮の中で、改めて、医療行為中の死亡は、病気が原因であって、水準を満たすだけの手を尽くしたが力及ばなかった医師の責任ではない、という当たり前のことを確認したのが大野病院事件だったのではないでしょうか。回避可能性の証拠を挙げる責任は検察側にある、医療行為への業務上過失の適用は謙抑的に、という文脈だったのではないでしょうか。つまり、「医療事故訴訟はなかなか患者側が勝てない」理由は、必ずしも医療界の隠蔽体質のせいばかりではなかった、容認される医療の水準そのものがそういう限界を有するのだ、と裁判所が改めて認め、検察が「謙抑的に」と表明したのでは?
   昨今の「医療事故が刑事事件にされることに必要以上におびえる医師感情(これに対してはモトケンさんが何度も忠告を発しておられます)」がやっと一息つけた、ということです。
   でも、圧倒的な専門的知識を持つ医療側には、医療事故において、医師としての適性に欠ける同業者を内部で再教育・免許停止する自浄作用、真実追究の透明性への責任があり、「医療安全調査委員会」の設置、という大きな宿題が残されています。
  (個人的には、日本の刑法の「過失は罪」という法理には疑問を感じています。交通事故でも医療事故でも、飲酒運転や飲酒手術/当直など明らかに個人の責任が問える場合以外の事故は個人の過誤を裁くのではなく、システムや環境・組織文化を変えてゆくことで事故の防止に重点を置くべきだと思います。ですから、医療安全委員会では、医療事故の再発防止に重点を置き、ここで集められた証拠は刑事告発に使用されない、という何らかの抑止規程を明文化し、免責前提で真実の解明に各方面が真摯に協力すべきだと思います。)

 大野病院事件判決後も、医療不信は相変わらず根強くあります。「医療はやはり密室性が高く、医療を知らない者は医療過誤を起こされても解らないで終わる事もあるのでは無いかという不信感≪エントリ慈恵医大青戸病院事件No.87『不信感』さんコメントより»」が患者側にあります。「手術は全部ビデオで見せてほしい」という大野病院事件の死亡患者の父親の要求は、そのような不信感のなせるわざでしょう。
   医療界が、医療不信に誠実に向き合わない限り、振り子がまた逆方向に動いて、検察が「世論の反映」で動くという事態になってしまいかねないと思います。(検察や裁判が全く無感情に中立的であるべき、というのは、机上の空論に近いと思います。日頃の信用、というのは馬鹿にできないのではないでしょうか。)

P R

ブログタイムズ

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