エントリ

 大野病院事件について、警察・検察・マスコミばかりを批判する論調がありますので、それについては一言いいたいところがあります。
 私だけの意見ではありません。
 刑事事件捜査から起訴に至るプロセスを知る者は同様の感想をもつはずです。

 落合弁護士のブログを紹介します。
 http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080823

 落合弁護士の批判は主として検察捜査に向けられていますが、引用されている河北新報の記事の解説にあるように、

 捜査段階で福島県警は周産期学会の幹部に鑑定を依頼したが、多忙を理由に断られた。この幹部は公判で弁護側証人として出廷し、「診断は慎重で間違いはない」と証言した。もし捜査段階で同様の鑑定があれば立件されなかった可能性もある。医師擁護で結束した医学界だが、無実の証明のためにも捜査への前向きな協力姿勢が必要だったのではないか。

という点は、医療側としても無視すべきではないと思います。

 仮に福島地検の悪意を問題にするのであれば、医療側が述べるべき意見を述べたことが前提になります。

 安全調の議論においても忘れてはならない反省点だと思いますので、敢えて指摘させていただきます。
 この点も実はすでに既出なんですけど、どこに書いたか忘れました。

 鑑定を断った医師個人を非難するつもりはありませんけど、今後の対策のための検討材料としては無視できないということです。

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S.Y先生のblogでは、「医学的事項の照会が来ていたのだが、医療側に責任なしみたいな回答をしたらその後何も言ってこなくなったという経緯がある。」とはっきりかかれていますが、これが事実だとしたら、福島県警の悪意(法律上の意味でなく)を推認させる事情になりますか?

http://d.hatena.ne.jp/shy1221/20080820

 悪意は仮定の話です。

>推認させる事情になりますか?

 情報不足です。

 このエントリの趣旨は、警察・検察を非難するだけでなく医療側としても反省点はないですか、というものですが、おわかりですか?

悪意云々は別にして、S.Y先生の件が事実なら、捜査段階で弁護側証人と同様の鑑定があっても立件された可能性が極めて高いように思いますが・・・。

あの時こういう対応をしていタラとか、適切な鑑定を紹介するシステムが備わっていレバ、大野事件は別の展開を辿っていて、加藤医師も2年半の長きに渡り刑事被告人として世間から白い目で見られることもなかったのに…。

そんな過去に食いそびれた「鱈の肝鍋」の話をしても、失われた過去は書き直せない。ましてや、逮捕状を執行したアノ時の警察の捜査官が…とか、起訴決定を決断した福島地検の検事の判断が…とか、平成17年3月の福島県病院局の事故調査報告書を取り纏めたヤツが…云々、などという重箱の隅を突くような、関係者の個人的な責任を追及する議論がどれほど価値あることなのでしょう。

過去3年半に及ぶ大野事件の経過の中から、医療側も反省すべきは反省し、見直すべき体制の不備は見直し、必要と思われるシステムを新たに作り上げ、医療界全体で行き過ぎた刑事訴追リスクへの対処策を考えた方が、加藤医師と同じ目に遭う産科医を今後2度と出したくない、という医療界全体の願い実現に寄与するのではないですか。

今回の大野事件は、福島県の事故調査報告書(H17/03/22付け)なり、日本産婦人科学会の平成17年度第9回常務理事会議事録(H18/03/10開催)などを読む限り、警察が加藤医師を逮捕した直後に「加藤医師の司直からの奪回支援の共闘作戦本部」見たいな組織だった運動があれば、起訴されなかった可能性があると思う。

先に別エントリでハスカップ氏が提案された「医療過誤事件の司法支援サービス制度」などが3年前に在れば、福島県警の捜査と逮捕の経緯を大きく変えることが出来たかも知れない。そうした面で医療界が大野事件から何らかの反省と、具体的対策の構築に動くヒントを得る努力をすることは大事だと思う。

福島県警ですから福島の大学に依頼すべきだったのでは?
そこが容疑者の身内で不適と判断したなら、正式に産婦人科学会に推薦を依頼すべきです。県外の警察から依頼を受けるほど暇な大学教授はそうそういません。

文部教官の業績に裁判の鑑定を実績として認めれば、断る人は減りますよ。

民事インパクトファクター2点に相当、刑事は10点に相当、とかすれば争ってやります。

この専門家に鑑定が依頼されたのは加藤先生の逮捕の一年以上前です。そして公判では次のように証言してます。

>読ませていただけますか。記憶はだいたい、要するに、業務上過失致死で医師として手錠をかけられ逮捕されたことには衝撃をうけました。

つまり、この周産期学会の幹部は、当時事態の重大性を認識していなかったと思われます。それもそのはず、前代未聞の逮捕だったわけですから。このあたり、警察がいかなる説明で鑑定を依頼したのか気になるところです。むしろいきなり鑑定を依頼する前に、複数の専門家の意見を聞くべきだったのではないでしょうか。

わたしには、刑事警察(裁判)においては、偶発的な事故と故意の犯罪について、捜査の初期段階から起訴寸前まではあまり重視していないのではないのか?という印象が強くします。

要するに、結果があるのだからそれに理由がつけばよい、というのが現在の刑事裁判に至るまで根本的なやり方ではないのか?

そうなると、事件か事故かも二次的な問題として扱われて、特に事故については原因究明には刑事捜査は足を引っ張るだけ、というのが民間の専門家の共通した見解ではないだろうか?

このような考え方の延長には警察・検察が鑑定を求めた場合に積極的に協力する理由がない、と専門家が判断してもしかたないでしょう。

交通事故から労災、航空機事故に至るまで、事故原因の究明に無頓着な社会において、民間の専門家が原因究明に積極的になるわけがない、という当然の結果以外の何ものでもない、と考えます。

 建設的な議論をさせていただければ、まずは、事故調問題にケリを付けたとして、次は警察・検察官への協力の制度化が必要だろうと思います。

 自分もときどき、警察からの問い合わせには応じていますが、個人的な善意による努力に頼っている現状では、同様の事件が起こることは全く回避できません。制度化によって、ヒトと予算と時間を確保する必要があるだろうと思います。

…ただ、これには人を育てる時間と、必要なときに使うお金が必要です。

 次いで、医療関連訴訟への、医師の参審が必要と考えます。今回の裁判で一安心したのですが、よく考えれば、次の仙台高裁の裁判官すら、医療についての理解が十分期待できるかどうか分からず、そのサポートに医療界から直接に人を出す体制の整備が必要と思います。

…ただ、これにも人を育てる時間と、必要なときに使うお金が必要です。


> 警察が加藤医師を逮捕した直後に「加藤医師の司直からの奪回支援の共闘作戦本部」見たいな組織だった運動があれば、起訴されなかった可能性があると思う。

 まあ、あまり組織だってはいませんでしたが、また起訴への流れを止めるところまでは行きませんでしたけれども、逮捕直後から有志による働きかけはありました。

 当時、自分も署名に参加しましたが、結果が起訴となったことにはひどく落胆しましたし、先行きを考えると不安と暗澹たる思いがありました。

S.Y.先生のblogに書いていることが事実だとしたら、河北新報の記事は取材不足か恣意的な医療者批判です。
取材不足だとしたら、河北新報の取材をうけた福島県警の職員は鑑定を断られた事実だけを伝え、立件に不都合な鑑定を無視した事実を隠蔽していたことになります。

また医療側に過失なしという内容のの鑑定の存在を知っていながら検察が立件していたとしたら…

これって偽証罪か何か重大なことになるんじゃないですか?

照会と鑑定では大分違うと思いますが。
とりあえず周産期医療の崩壊をくい止める会から第9回公判

検察1: 証人は、今回の事件に関して、平成17年春、加藤被告が逮捕される一年前ですが、福島県富岡警察署が証人に鑑定依頼をした時に、鑑定依頼を証人は拒否されましたね。何故ですか
証人: 裁判所の依頼は受けたことがありますが、警察の鑑定は初めてで、どういうものかわからなかったのと、その時は非常に忙しくて時間がとれなかったのです。
検察1: 警察は、刑事訴訟法で証人に対して鑑定の依頼を行うことができると、証人にそのときに説明したのですよね
証人: したかもしれませんが、覚えていませんが
検察1: 理由はお忙しいから、だったのですか
証人: 誰でも鑑定は喜んでやるものではないですよね。モチベーションの問題もあるんですね。非常に多忙でしたし。私は刑事事件の鑑定は初めてで経験がなかったので自信がなかったのがひとつめ、忙しいというのが二つめの理由です。
検察1: 証人は、その際、鑑定の仕事だけしているわけではないので、引き受けないと、担当官にお話されたという、記憶にありますか
証人: 記憶にないが、そういうことを言ったかもしれません
検察1: 平成17年に警察が先生のところに鑑定依頼に行った時点では、まだこの事件は大きな話になっていませんでした。福島県でおこった事例で、福島県に鑑定ができる医師がいなかったため、証人が東北大教授であることから、証人に依頼しに行ったわけですが、東北地方の代表として、鑑定する責任が証人にはあると感じなかったのでしょうか
証人: そう言われると、責任があったかもしれませんが、忙しかったので、引き受けられなかった
検察1: 証人が鑑定を拒否されて、一年後、被告医師が逮捕されたころ、逮捕されてから起訴される前に、証人が意見書というのを書いて弁護士に提出したのは覚えていらっしゃいますか
証人: はい。しかし内容は見ないとわかりません。
検察1: 記憶喚起と同一性の確認のため、証人作成の意見書を示したい。
裁判長: 証拠に出ていますか
弁護1: 証拠として提出するために開示した記憶はありません。
裁判長: それなら作成の経緯からきいてもらわないと、こちらにわかりませんので。では10分休憩いたします。(15:15)
(15:25再開)
裁判長: では意見書ですが、どういうものか、説明していただけますか
検察1: 日付はないのですが、意見書で、署名押印があります。証拠請求はないですが、弁護側からいただいたものです。
弁護1: 捜査段階のときのものです、裁判の証拠としてではなく、捜査段階のときの弁護側の提出です。
裁判長: 証拠の種類としては、どうなりますか。示すことについては良いですか
弁護1: 主尋問の範囲とはどう関係しますか
裁判長: 今回証人が鑑定を頼まれた経過とつながるんでしょうから。はい
検察1: 日付の記載はございません。平成18年3月7日、地方いわき支部の受理のゴム印が確認できます。作成は3月7日より前ということですか
証人: はい
検察1: 意見書の経緯は記憶はございますか
証人: これは加藤医師が逮捕されて、それに対して学会としても不当逮捕であると、理事会などで話があり、学会として意見書を書いていただきたいという話しになったと記憶しています
検察1: 上に証人の肩書き、日本産科婦人科学会理事と。周産期委員会委員長ということですか
証人: はい
検察1: 証人がどういう意見を書かれたかご記憶ですか
証人: 読ませていただけますか。記憶はだいたい、要するに、業務上過失致死で医師として手錠をかけられ逮捕されたことには衝撃をうけました。それに対する意見書です
検察1: 過失があるか疑わしいと書いてますか
証人: はい
検察1: 癒着胎盤の術前診断は難しい。MAPも十分準備されていた、術中超音波検査も行い慎重であったが、思わぬ出血があったということですね。そして加藤医師の逮捕は遺憾であるとございますね。
証人: はい
検察1: そのとき医師記録はご覧になりましたか
証人: 学会の中でそういう話であったと思うのですが、
検察1: このときの意見書の1枚目に、カルテを見るのが不可能と書かれていますが、事故調査報告書と関係者の聞き取りで、このような意見書を書いたということでしたが
証人: そうだと思います
検察1: 関係者とは誰でしたか
証人: 学会理事会で問題になり、福島県立医大の佐藤教授の話を聞いたということです
検察1: 直接加藤被告の話を聞いたということではないのですか
証人: 直接加藤医師からは聞いていません
検察1: 証人の鑑定前に直接、加藤医師から話を聞いたことがありますか
証人: 私は直接聞いていません

事実経過としては福島県内に鑑定を依頼できる医師はいなかった。岡村氏は鑑定を拒否。逮捕後意見書を提出したが、カルテを直接見ておらず、加藤医師からも話は聞いていない。
というわけですか。
公判記録をもとにすれば河北新報の報道は全く正しいし、検察にも同情すべき点はあると思いますけどね。ブログで曖昧な情報が一つある、と言うだけでそっちに飛びつくのはどうかと思いますが。
警察・検察に対する結果責任を問う声が多すぎる気がしますけど。

この事例だけに限れば、警察の言い訳のために情報を恣意的にリークしたとしか思えません。
警察に恩を売りたいマスゴミが飛び付いただけのことでしょう。
両者の癒着構造抜きには出てこない情報です。

福島県警は、科学鑑定で犯罪性の有無を検討することを重視しなかったからこそ、逮捕・勾留して自白を迫ったのでしょうに

事故調(安全調?)を作るにしても、その財源を明らかにせず、負担だけ医療側に押し付けるようでは、政策不在との批判は免れないでしょう

もともと、警察は検死も司法解剖も重視していないし、そのための財源・人材の手当ても何もしていない。
事故調を作る前に、犯罪捜査の端緒となる基本のシステム作りの方が重視されなければならないのではないのでは???

産業医、防衛医を要請するのと同じように、警察医でも養成するようなシステム作りこそ、国がすべきではないのだろうかと思う。

民間に義務を押し付けるのであれば、それなりの代償を国が用意しないといけない。

ずるくてセコい日本国政府の真意を探らないと、煮え湯を飲まされることになるでしょう。

医療側が反省すべきことが1あるとすれば、警察には10000程、国には、1000程、反省することがあるということです。

鑑定(嘱託)依頼と捜査(関係事項)照会は全く異なります。
ここで問題にされているのは、鑑定依頼です。
S.Y.先生の言をもって河北新聞記者氏を批判するなら、そこをはっきりさせなければ、単なる検察、マスコミ批判のための印象操作と言われても仕方ありません。
ちなみに正式な鑑定依頼を受ける前に、資料を精査せず自信の所見を断言するような医師には鑑定は依頼しないと思います。

>要するに、結果があるのだからそれに理由がつけばよい、というのが現在の刑事裁判に至るまで根本的なやり方ではないのか?

 それは極論ですが、警察捜査にはそのような傾向が感じられるときがあります。
 
 そこをきちんと捜査するのが検察の役割なんですが、そこで重要になってくるのが小倉弁護士も正当に指摘してますし、このブログでもさんざん議論したはずの起訴前弁護です。
 警察を相手にするのではなく、検察を相手にする起訴前弁護です。

 もっとも大野病院事件の場合は、誰も逮捕を予想してなかったか可能性があり、そうだとすると逮捕を阻止するための起訴前弁護のチャンスがなかったかも知れません。
 また、いくら有能な弁護士がついたとしても、検察が独善的に暴走したんではどうしようもありません。

 大野病院事件は、検察にとっても反省材料の多い事件だと思います。

 感熱紙さんが登場されてますので、補足説明します(^^;

> それは極論ですが、警察捜査にはそのような傾向が感じられるときがあります。

 これも誤解を招く言い方です。
 警察はどうしても積極証拠の収集には力が入りますが、消極証拠の収集にはしゃれじゃありませんが消極的な傾向があるということです。

 もっとも、私の経験上、県警によってかなり雰囲気が違います。
 消極証拠の捜査に労を厭わない県警もあります。

 感熱紙 さん、こんにちは。

> ちなみに正式な鑑定依頼を受ける前に、資料を精査せず自信の所見を断言するような医師には鑑定は依頼しないと思います。

 この事例に限れば、資料の精査以前の、医学的にかなり論外な立件、逮捕、起訴だったと考えます。

(いろいろ説明を書いてみたのですが、長くなるのでまた今度にさせて下さい。)

 ひとつだけ教えてください。

 個人的経験だと、鑑定依頼の前に警察官が資料一式携えて、わざわざ研究室に来てくれました。

 たとえば電話で、詳細を言わずにいきなり鑑定依頼をするということはあるのでしょうか?

福島県警ないし福島地検に悪意があるというのであれば,
それには理由があるはずです。
特定の医師に対する恨みとかがあったでしょうか。

>医学的事項の照会が来ていたのだが、医療側に責任なしみたいな回答をしたらその後何も言ってこなくなったという経緯がある

具体的な内容を回答したとはちょっと思えません。司法に対するあからさまな敵対心があったり,あからさまな医師仲間に対するかばう意識があったら(少なくともそう見えてしまったら),鑑定人としての適格がないと見るのは当然のことです。
鑑定人に要求されるのは,公正だけでなく,「公正らしさ」もです。検察側とされている鑑定人が,公正であったかどうかは知りませんが。

ただ,この段階(おそらく逮捕よりかなり前)で,検察や警察がほしい鑑定結果しか許容しないということはちょっと考えられない。そのブログ主にしても,逮捕後の照会を受けたのではないはずです。

ところで,その鑑定人が検察側の意見によった,ではなく,その問題とされている鑑定が出たから検察側の意見がそれになった,という理屈にはならないのが不思議です。
ここが不思議でしょうがない。
反対の鑑定意見が出ていれば,全く違う話になっていると想像してほしいと思います。

疑問に思ってさまざまな照会をかけても,協力をしてもらえない,それでも,有罪方向の鑑定がある以上,そちらに行かざるを得ない,そういうふうに考えた可能性だってあります。

考えるべきなのは,警察は,形式的要件がある以上,告訴を受理しなければならないし,告訴を受理した以上は,捜査をしなければならないという立場にあるということです。
そして,証拠収集の過程で,一見公正に見える意見をひとつしか集められなかった。

そして,捜査を経れば,検察に送致しなければならないし,検察も,有罪の証拠がある以上(起訴猶予という選択肢は,検察審査会がある以上厳しい),起訴せざるを得ない。

という流れだったことも十分にありうるんですけどね。

 いきなり鑑定依頼などということはしないとと思います。
 鑑定人候補者の都合や専門分野と鑑定事項との関係などから、鑑定を引き受けられない場合がありますので、まず鑑定を引き受けられるかどうかの打診があるはずです。
 打診の際にどの程度の説明をするかは場合によるのではないでしょうか?

ホリエルの弁護士が辞任したって本当?
どういうことなのっ!
さらみにわかるように説明して頂戴!

 事故調(安全調ですか?)が出来ていない以上、第三者的に鑑定を行う組織は今のところありません。産科の術中死亡に関しては産科医以外では鑑定はほとんど無理だと思います。今後、鑑定する機関ができたとしてもその中の産科医が一致して責任無しとした場合、医師仲間の庇い合いであると言われかねない様な気もします。
 患者の家族から見たらみんな産科医でどうして第三者なんだと言いたくなりますよね。医療界からみてどうやってここをクリアするのでしょうか。
 病理や法医の鑑定という手もなくはないですが。大野のように解剖を断っていて真実を求められるご遺族がいる現状を考えると、本質的な問題点がまだ残されているように思います。

 反省点というわけではないかも知れませんが、残されている課題かと思いますので。

素人意見で申し訳ありませんが

警察・検察からの鑑定依頼が
どういうタイミングで、
どういうプロセスを経て
出されるのかわからないことには

医療側が引き受けるマンパワーがありません

でお終いになってしまうような気がしますが。

 過失犯の捜査は、普通はそんなに急がないものです。
 数ヶ月の鑑定期間は許容範囲だと思います。

慶事に関してはずぶの素人なのでどうもよくわからないのですが,,,
犯罪の捜査・立件は警察検察が独占的に行うことであって,その方法を改善するとなれば,まずは警察検察が動かないとだめなんと違いますか? 今回の件を今後の改善につなげるべきだという話はわかりますが,だからといって医療業界が勝手に音頭をとってやることとはとても思えないのですが。

あと,これは細かいことですが,「忙しいから鑑定を断った」ことに問題があるかのように語られていますが,鑑定を断って浮いた時間を純粋に医療に費やせたことによって,直接的あるいは間接的に何人かの命を救えていた可能性は決して低くないでしょう(医療ってのはそういうものですから)。民事ですけど,先日閲覧した福島VBAC訴訟の鑑定医(大学教授)は,鑑定料60万円の根拠として,所要時間100時間を挙げていました(弁護士相談料よりずいぶん安い!)。人一人治すわけでもない鑑定を,100時間もかけて喜んで引き受ける臨床医はそうそういませんよ。ましてや医師を罰するか否かを決めるだけの鑑定を持ってきて,「ハイハイ協力協力〜」とか言われたってねぇ…

刑事に関しては,警察検察が音頭をとって誠実に(笑)医療界に提案してくるのを待てばそれでいいように思います。

おまけ: ジョージブッシュさんは,「ばかげた訴訟で病気が治ったことはない。」と言ったそうですが,
http://6429.teacup.com/minemurakenji/bbs/33
ばかげた訴訟は,無関係の人の医療享受の機会を奪い,時に無関係の人を殺してしまうと思います。

>そこをきちんと捜査するのが検察の役割なんですが、
>そこで重要になってくるのが小倉弁護士も正当に指摘してますし、
>このブログでもさんざん議論したはずの起訴前弁護です。

それは「法曹側の意見に過ぎない」と言いたいのです。
民間の専門家は事故原因の究明は自らの使命の一部とは考えますが、それが裁判や捜査に協力しても得るところがないと考えているので「捜査側が自力で解明して下さい」と放置するわけです。

当然「起訴前の弁護に民間の専門家が協力するわけがない」
一体法曹側は民間に何を期待し、その見返りに何を与えると言うのでしょうか?

個別具体的な実務の話に立ち入る能力はありませんので、一般論というか総論としてやや行政組織(捜査機関)寄りな立場に立って思うところを申し上げるとすれば、下記のような事を思わないわけでもないのです。

医療者のみな様にお立場があるように、行政組織(警察や検察)にも立場というものがあって、(結果として対応に過誤があったとしてもやや暴走気味であったとしても)その時々において、為さなければならない事があるのも事実です。一言で言ってしまえば、「適用すべきと考えられる法令に従って、適切と思われる行動に着手しなければんらない」という、存在意義そのものと言っても過言ではないような大前提が存在することも事実な訳なのだろうと思います。
この場合において、結果として捜査機関の行為に過失或いは(考えたくありませんが)故意による過誤が生じることになろうと、その時々の判断においては、適時に適切と思われる判断に則り法令の規定によって為すべきとされていることを為さなければならないのも事実でしょう。
医療者に「応召義務」という明示的な規定に基づく義務があるように、捜査機関を含む行政組織には「形式的に法令に定められた要件に合致する訴えに対して、応答しない権利」というものは存在しない訳です。明示的に応答義務が課せられている訳ではありませんが、暗黙にと言うよりは本質的に「応答しない」という行動原理は内包されていない存在な訳です。それ故にわざわざ明示的に「応答義務」が規定されている訳ではない訳です。もっとも、行政手続法において申請・届出があった時は即時に然るべき処理を開始すべき義務は規定されていますが、それは応答した事を前提に課せられる義務だろうと思います。とくに捜査機関において今回のような重大な結果が生じていて、外形的には訴えに妥当する事象が生じた可能性があると判断しうる訴えを目の前にして、(結果として自らの行為に瑕疵や過誤が生じるおそれがあるから)何もしないという選択は、存在意義を否定するほどにあり得ない選択な訳だろうと。

然るに今回の事案において捜査機関が初期の段階から、「外形的にも内実的にも中立と思われる所見」を入手したいと望むことは、当然すぎるほどに当然のことで、(結果として偏った所見しか入手できなかったとは言え、その事実であるとか結果だけをもって)捜査機関の対応を一方的に指弾するのはやや失当であると思います。そして今回の事案をふまえて今問題にすべきは、「何故に斯様な一方に偏った所見しか入手できなかったのか?今後において改善すべきは何か?捜査機関と医療者の間で協議すべきは何で誰か?現状において現実的に取り得る範囲において最善の体制・手続きは如何なるものか?」なのだろうと思います。お互いにあくまでもお互いにです、「相手から申し出てくるのが先だ」という姿勢をとり続けるのは、お互いにとって不幸な事案を再生産するだけのように思われ、有意義な対処方針とは思えません。結果がどうであれ、同じ席について率直に意見交換を為す必要があると感じます。医療機関や医師の個別対応でなく、医師会として捜査する組織体に対して何等かの申し入れをすれば(比較的)無碍にされないと思いますので。
なぜなら今回は捜査機関の行動の結果、結果として医療者側に悪い方向に事態が動いてしまいましたが、医療者側に良い方向に事態が動く可能性も皆無ではなく、どちらの方向に進展するかは(おそらく捜査関係者にとっても)初期において予見の難しい事態であったと思いますし、取りあえず客観的らしい所見があればその方針で進めていくこと自体は、一般論として誤りとは思えませんので。

No.26 thx-1138様

No.24で書きましたように,刑事事件捜査に関する事である以上,警察検察が最初に動くべきであると考えておりますが,それ以外の部分は理解いたします。

ところで,

外形的には訴えに妥当する事象が生じた可能性があると判断しうる訴えを目の前にして、(結果として自らの行為に瑕疵や過誤が生じるおそれがあるから)何もしないという選択は、存在意義を否定するほどにあり得ない選択な訳だろうと。

これって,医者も同じことでして,そのような行動規範で行動して過誤が生じても,警察検察(ないし司法)は事実上罰せられることがないのに対して,医者は罰せられる機会を持つわけですが,それでも医療が存続するという考えはオメデタイ考えだと思います…

ありゃ,トピずれですね,失敬失敬。

 ありがとうございます。

 これは鑑定でなく、照会の段階でもそうですが、専門分化が著しい中では、どの分野の、どの程度深い専門家に相談すべきかから警察としてはわからないようです。実際、自分もそういう照会のための照会(?)を受けたこともあります。

 そうなると結局、ある限りの資料の一切を見せてもらわないと、自分で引き受けられるかどうか、どういう専門家に照会してもらうべきかどうかの判断がまずできません。

 断るのは電話で済みます。

犯罪の捜査・立件は警察検察が独占的に行うことであって,その方法を改善するとなれば,まずは警察検察が動かないとだめなんと違いますか?

医療は医療関係者が独占的に行う事であって、医療を改善するとなれば、まずは医療関係者が動かないと駄目だという事と、同じ意味でしょうか。

No.29 しま様

違います。
医療は,医師と患者の共同作業です。どちらから提言があってもなんら不思議はありません。
一方,(医療事故)犯罪の捜査・立件は,決して警察検察と医療との共同作業ではありません。

刑事事件捜査に関して,勝手に医療業界から提言などすることは,専権事項を犯すものですらあるかと思います。

少なくとも,他の業界が同様のことをやろうものなら,かえって警察検察から,なにやってんだこいつら,くらいに思われそうに思いますが。(案外そうでもないのかな?)

 ジャームッシュ さん、こんにちは。

> ところで,その鑑定人が検察側の意見によった,ではなく,その問題とされている鑑定が出たから検察側の意見がそれになった,という理屈にはならないのが不思議です。

 学会というのは微温的な組織なので大丈夫だろうと思いますが、本来であれば、今回、この件の起訴のきっかけとなった鑑定をした鑑定人と、その基礎となった照会に応じた医師は、厳しく責任を問われるべきと思います。

 事態が逆で、本来、厳しく罰せられるべきものを、医療の常識に反した無理な庇い立てした鑑定があった場合に学会の取るべき態度をお考え下さい。

 方向が違うだけで、罰せられるべきこと自体に変わりはないのです。

 判決が確定してからのことになりますが、既に実名の出ている鑑定人と、今は未だ名の知られていない照会医については、学会からの追放、専門医資格の剥奪などが検討されなければいけません。

 今回、微温的処分や不処分で好しとするのであれば、今後、無理な庇い立てをしたときにこれを罰する大義名分を失います。

 医療界の自律のため、そして二重基準が為されないことを前提として、厳しい処分が必要ですが、他方、これが社会的に容認されるとも思いません。万一、スジを通せばマスコミが大騒ぎするでしょう。

 また、未だ無名の照会医は警察・検察官しかその正体を知らないわけですが、これは捜査の密行性を楯に、学会が知らされることは決してないだろうと思います。そして、同じ誤誘導が繰り返されることが予想されます。

 この時、無名の照会医の責任はもちろんですが、警察・検察官の責任は、また、不可知の立場に置かれた学会の責任はどうなるのでしょうか。

患者の家族から見たらみんな産科医でどうして第三者なんだと言いたくなりますよね。医療界からみてどうやってここをクリアするのでしょうか。

当人に直接の利害関係がなければ、第三者性を保てると思います。ただ、医局とか学閥とか存在するのであれば、それを排除するのは難しいと思いますが。


病理や法医の鑑定という手もなくはないですが。大野のように解剖を断っていて真実を求められるご遺族がいる現状を考えると、本質的な問題点がまだ残されているように思います。

法医解剖は非承諾解剖なので、遺族の意志は反映されず、解剖される事になると思います。

 警察捜査段階や起訴前捜査段階は警察検察弁護士の仕事の問題で医療側の問題ではない、という見解があるとすれば、それは、医学的鑑定は医師の職責で専権専門分野であるという点を看過していると思います。確かに鑑定料は国家財政破綻のおりで涙が出るほど安いですが。
 そしてリーガルリスクを医療側が放置プレイする誤った論調に結びつくかと思います。むしろ、訴訟型社会に日本が進んでいる現状からすれば、泥棒対策に一般市民もワンドアツーロックで自腹を切って防護するのと同じように、医療側も積極的にリーガルリスク(刑事でも民事でも)防護に対応した方がよいと思います。
 刑事事件でいえば、起訴前弁護、起訴前医療側弁護側鑑定も看過してはよくないと思います。不当逮捕なら、より一層、起訴前医療側弁護活動に尽力して、不起訴釈放を勝ち取る「医学的科学的弁護側捜査」を行うくらいのことを考えた方がいいと思います。次を引用します。
---------------------------------
Nazo_Gen 2008/08/23 23:40
地裁判決にいずれの立場をとるにしろ、起訴前弁護、特に弁護側医療鑑定の重要さが認識されたことは間違いないと思います。もし、弁護側医師の公判証言に代えて起訴前弁護側鑑定があったなら、起訴不起訴の判断も異なった可能性が高いからです。
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/comment?date=20080823#c

法医解剖は非承諾解剖なので、遺族の意志は反映されず、解剖される事になると思います。
ああ、そうでしたね。ただ、法医は犯罪の有無や凶器の特定などがメインになるので、病院での物理的侵襲以外での死亡では、病理に比較して、診断能力の点で問題があるのではないでしょうか。もし法医の先生がそうではないと言われるのでしたら撤回します。

No.33 ハスカップ様

おっしゃるとおり,起訴されそうになった場合の医療側弁護は大々的にやればいいでしょう。

警察検察への協力体制はそれとは別項目だと思うのですが…

一人の医師が多忙を理由で断ったことが本当に問題なのでしょうか。このようなことは一般社会にも普通にあることです。意志側の協力態勢の構築にも考慮すべき問題を含んでいると思いますのでこの点について私の考えを述べさせてください。

民事であれば(可能な範囲で)複数の医師に鑑定してもらい一人でも自分に都合のいい鑑定が出れば(勝てるかどうかは別として)訴訟を起こすことには問題はないと思いますが、刑事事件として起訴するのであれば、(可能な限り多くの)複数の医師による鑑定が必要であるのではないかと考えます。

なぜなら医療の不確実性から考えれば鑑定であっても意見が分かれることが十分予測できることです。明らかに問題のある鑑定であれば鑑定医が非難されるべきですが、そうでないのに批判されればそれこそ誰も鑑定したがらなくなってしまいます。鑑定結果の多様性は認めるべきです。この中で立件起訴するには相当数の鑑定の結果、明らかに過失が存在すると判断できれば起訴すれば良いのです。それを一人(多くても数名)の鑑定結果だけで判断しようとすれば、あの医師が断わっていなければ結果が変わったのにという本末転倒な事態になってしまうこともありうるでしょう。

大野病院事件では刑事裁判なのに(たまたま最初の鑑定が都合の良い結果だったのかもしれませんが)民事裁判のように都合の良い鑑定結果だけで起訴したことが最大の問題点と思っています。

このような点から医師側ができることはやはり複数の医師が鑑定できるシステムを構築することだと考えますが、多くの医師が負担なく参加可能なシステムを作ることが必要であり、そのためにはやはり医療行政の抜本的な改革・改善なしでは不可能ではないでしょうか?

事故調がないという状況下でのお話として。

 年100時間の拘束。時間給6000円ちょっと医師会の仕事をしてればこんなことは当たり前にあるような気がします。特に大学のえらい先生がたはものすごく高度な責任を認めるような傾向(CPCじゃないのに)があり、一般の医師の感覚から遊離することを考えると、医師会の専門部会、あるいは地方会の委員会が輪番でカンファレンス形式で話し合った結果を検察に意見具申するなどのことで、かなり無謀な起訴が抑制できるのではないでしょうか。(同じ地区では差しさわりがあるのなら、離れた地域をそれぞれ担当するという制度設計をして努力するようなことも入れてみたらどうでしょう。)

今まで刑事事件に持ち込まれた,トンでも事件(割り箸、女子医心外事件など)は一部、大学教授のトンでも鑑定が問題を引き起こしているようです、一般の感覚を持った医師の眼から見た、カンファレンス形式の話し合いというほうが、機能的に健全になるのではないでしょうか?

>一人の医師が多忙を理由で断ったことが本当に問題なのでしょうか。

 医療側から警察・検察に十分な情報が伝わらなかったことが問題なのです。

 つまり、ご指摘のようにシステムの問題だと言えます。
 システムの不備が自覚されたなら、ではどうすればいいかを考えよう、というのがこのエントリのタイトルの言わんとするところです。

 複数の鑑定は理想なんですが予算との関係でも問題となりますし、また、現実には一つの鑑定を得ることにさえ四苦八苦していると言う問題があるようです。
なので

一人の医師が多忙を理由で断ったことが本当に問題なのでしょうか。
 本来問題となるべきではないのですが、一人に断られただけで問題となるのが現実なのでしょう。というか「断ったこと」が問題なのではなく「断ったことによって問題が発生すること」が問題なのでしょう。
 最高裁には医事関係訴訟委員会なるものがあって、学会に鑑定人候補者を推薦してもらうシステムがあるそうですがこういうのを作れるといいんですがね。こういうのって別に学会のほうから「うちらに言ってくれりゃぁ、いい医者紹介するぜ」と言っても良いですし。
 まあ、安全調も似たようなコンセプトですが

医事関係訴訟委員会が最高裁に置かれていることを見ても,刑事訴追判断を目的とした警察検察協力組織(を作るのだとすれば)は,警察検察主導で作られるのが当然に思います。

先に述べたように,刑事訴追に対する防御機構は医療界独自で作るのは良いと思います。

結局裁量の問題に行き着くような...
(特に欧米の)public administrationの本だと良く出てくる
話だと思うのですが、ソーシャルワーカーや警邏の巡査には
複数の職務と目標が与えられていて、個々の職務は突き詰め
ようと思ったらどこまでも突き詰められるけど、そんなことを
していたら時間がいくらあっても足りないので、何をどこまで
やるかを決める必要がある、という世界です。
担当者が時間と労力の割り振りを決めるための指針を
どうやって決めるかと、管理者が担当者の判断をどうやって
制御/評価/是正するかという2つの問題からできていたと
思います。

医学的な鑑定についても医師の集団や鑑定を担当する医師個人
が臨床と鑑定と睡眠(! というか個人の生活)の割り振りを
どうやって決めれば良いのか(医師集団と非医師集団で折り
合いがつけられるのか?かも)とかそれを実現するために
事故調(?)が取るべき方針と枠組みはどうなるか?
ということが問題だと思えば同じ手法で現実的な制度設計が
できるかもしれないという希望を持っています。

という訳で司法からも医療からも等距離のところに居られ
そうな行政職の方(ハスカップさん?)に担当者の裁量を
広く認めざるを得ない業務のための制度設計として
医学的な鑑定サービスを論じたらどうなるか?というような
ことを御教授いただけたらうれしいかな?と思います。
(無茶振り?)

システムを考えるならば,

特に大学のえらい先生がたはものすごく高度な責任を認めるような傾向(CPCじゃないのに)があり、一般の医師の感覚から遊離することを考えると、
えらい先生方の厳しい指摘も,医療の質の向上のためにはあって悪くないもの,というかむしろあって然るべきものです。そのような自由な議論をしていても,過剰な過失追求に至らないようなシステムこそがまず必要です。鑑定医の鑑定が厳しすぎることを非難するのは,本来は正しいことだとは思いません。そのような鑑定によって簡単に医師の過失が認定されるような状況とそれを作り出した原動力を非難すべきだと思います。

医師の仕事は病気と闘うことであって裁判を闘うことではありません。一方検察は起訴することが仕事です。
福島地検は検察官職として裁判での立証責任というものをどのように考えているのか、職業人としてはまずはその点が第一に知りたいところです。

(「医師側の皆様へ」エントリーに誤投稿No.11してしまいましたのでこちらへ再投稿致します)

>ぼつでおkさま
医師の仕事は病気と闘うことであって裁判を闘うことではありません。

いつもはROMなんですが。
このブログで勉強させていただいたことの一つは、「医者は医療だけやってれば、あとは周りがうまくやってくれる、それが当然」というような考えが、現在の司法関係での医療の窮状を招いた要因の一つである、ということだと思っています。その意味で、我々にも反省するべき点があったのではと考えています。

>刑事訴追判断を目的とした警察検察協力組織(を作るのだとすれば)は,警察検察主導で作られるのが当然に思います。

 むしろ、医療側がハイジャックするくらいの気持ちで取り組むというのはどうでしょう。医療側起訴前弁護を敵陣に制度化するようなものとなりますから。

>>No.44 あひる(医) さん
私の大野病院裁判に対するスタンスは加藤医師逮捕以来ずっと同じです。モトケン先生のブログにコメントさせていただくようになってからは、下記のエントリーにおおむねまとめて書くようにしておりました。もしお暇でしたら覗いていただければしあわせです。

http://www.yabelab.net/blog/2006/10/13-230902.php

>という訳で司法からも医療からも等距離のところに居られそうな行政職の方(ハスカップさん?)に

 すいません。m(_ _)m
 本業の仕事は等距離ですが、個人的には80%以上医療側ベッタリです。2度にわたり死の淵から生還させていただいた医療従事者の皆様に足を向けて寝れない患者なもんで(^^ゞポリポリ
 生きているって素晴らしい(゚Д゚)マヂデス

>仮に福島地検の悪意を問題にするのであれば、医療側が述べるべき意見を述べたことが前提になります。

ほんの一例ですが、以下ご参照ください。

http://d.hatena.ne.jp/shy1221/20080820/p5

>この事件に関しては我々のところにも福島県警から医学的事項の照会が来ていたのだが、医療側に責任なしみたいな回答をしたらその後何も言ってこなくなったという経緯がある。
>今から思えば、起訴に有利な鑑定を求めていたのだな。

>業務のための制度設計として医学的な鑑定サービスを論じたらどうなるか?

 ここのNo.45で書いた通りです。公務員の等距離意見でなく、医療側ベッタリ私見で申し訳ないですが。(^^ゞポリポリ

上のコメント内容は既に既出でしたので、削除願います。
申し訳ありませんでした。

上のコメント内容は既出でしたので、削除願います。
申し訳ありませんでした。

鑑定(嘱託)依頼と捜査(関係事項)照会は全く異なります。 ここで問題にされているのは、鑑定依頼です。

勝手に問題を限定しないで下さい。
ここで問題になっているのは意見を求められた医療界に反省するべき側面はあるのか?ということです。

「鑑定なら反省するべきだが、照会なら反省しなくていい」という基準を医療側にあてはめているなら理屈は通りますが、「鑑定でも照会でも断ったなら医療側は反省するべきだ」としている以上、鑑定でも照会でも問題になっています。

だいいち、逮捕に踏み切るのに不利な証言を無視黙殺したなら相応の説明責任が伴うべきものでしょう。

意見を求められた医師を産婦人科学会が捜し当てて(おそらくS.Y.だけではないでしょうから)正式に調査することだってあり得ると思います。単なる印象操作ではなしに。

そもそも警察が逮捕に不利な証言を隠蔽することって合法なんですか?検察、マスコミ批判のための印象操作ではなく、素朴な疑問です。

何事も一般論として反省すべき点は多々あると思います。
しかしもっとも反省しなければならないのは誰でしょうか。
警察、検察は本当に医療側の意見を聞く耳を持っていたのでしょうか。これは医療側の猛反発にも聴く耳を持たずに福島県警は富岡署を表彰し、それについていまだに何の釈明も出てこないところが雄弁にものがっています。

No.52 内分泌科医 さま

議論の中身と無関係な点で恐縮ですが、返信先を明示していただけますと、読みやすくて助かるのですが。
(「返信」機能を使わないのであれば、返信先のNo.かハンドルネームだけでも。引用文から画面内検索(Ctrl+F)で探すひと手間が面倒というだけなのですが^^;)

>>ぼつでおk(医)さま
お返事が遅くなり申し訳ありません。ご指示の場所、よく読んでみます。

 流れについていけない、また知識も無く建設的な提案もできないROMですが、せっかくのこのエントリで、今回の裁判で「誰が一番悪い」とか「責められるべきは誰」といったことを話すのはすごく勿体無い気がして、余計な書き込みをしてしまいました。すいません。ROMに戻ります。

>しかしもっとも反省しなければならないのは誰でしょうか。
このモトケンブログで、多数の医療者が苦悩されてきた事実を学んだ者(モトケンブログ歴の長い常連投稿者など)にとって、こう言いたく医療者のお気持ちは、良ぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜く分かります。

ただ刑事訴追リスクの軽減という医療者の長年の要望を、1億を超える国民大衆に、広く、正確に訴え、国民の大多数が賛意と支援を惜しまない「医療者擁護の大合唱」の大勢を形成するためには、オレ達が反省する前にまず相手が反省するべきだという言動はプラスに働くでしょうか。

過去の医療者バッシングの社会風潮に与してきた勢力は、検察や警察などの刑事司法当局だけ、いや医療過誤賠償請求民事訴訟を受任する弁護士も医療者の敵でしたね。さらそうした医療バッシングの火元に燃料を供給して煽り立てるマスコミ報道。燃えさかる火事現場に駆け付けて興味本位に囃し立てるヤジウマ的大衆の国民。今や大火災となってしまったのに一向に消火に駆け付けない消防隊のような無責任厚生労働省。そして火事場ドロボー的一儲けを企む財界勢力や外国資本保険会社という黒船。皆々全て医療の敵と言って間違い無いというご意見には原則異論はありません。

しかしケンカの仲直りの仲裁じゃないですが、オマエの方が悪いんだからソッチが先に頭を下げろ、と言うばかりでは「手打ち式」にたどり着けません。双方が面子と意地の突っ張り合いを続ける限り、建設的な協調関係には進めません。

モトケンさんは、医療者側の面子と意地の突っ張り主張を、大変に憂いておられる。
私はこのように推察します。

自らも至らぬ点や反省すべき点は多々あったことは率直に認め、改めるべき部分は早急に手を付ける。その上で国民の皆さんも危機的な医療の実態を理解し、安直な医療者バッシングから脱却して、医療者と共に国民的大問題に肩を組んで立ち向かいましょう。

今ここで医療者がこのようにアピールしたら、その効果は素晴らしいものがあると思います。そして医療者と共に苦悩し、医療者と共に医療崩壊の打開策を考える、大きな世論の流れが形成出来るハズと推測します。

大野裁判で完璧な無罪判決が出た今が千載一遇のチャンスです。敵の人数を数えるような主張から、敵を味方に寝返らせる政治的主張のセンスを持って頂きたい。その方が味方が増えることに医療者の皆さんには気付いて欲しい。

敵を味方に寝返らせる作戦なら、私は喜んでお手伝いしたいと思っています。ですが敵の古傷をえぐるだけの主張には与したくありません。

僭越至極な物言いにお気を悪くされませんよう、伏してお願い申上げます。m(_ _)m

>No.57 法務業の末席 さん

このエントリの趣旨としては法務業の末席さんが言われているようなことをブログ主は考えておられるのだろうとは思います。そうは思いますがROMしていてもどかしい違和感がありますので発言させていただきます。

医療者が国民的大問題に立ち向かう先頭に立たないといけないのでしょうか。どうしてもそれでなくても追い詰められている医療者、特に勤務医に対してもっと頑張れ、自助努力せよと言っているだけにしか聞こえません。
もうしわけありませんが疲弊してどうしようもないんだよといっているところに向かってさらに頑張れといって何か意味があるのでしょうか。

ここで問題になっていることのほとんどはすべからく財政的な話で、解決とは言わないまでも改善に向かう話ばかりではないかと思えます。ちゃんとした説明のためには診察時間に余裕が必要ですし、ミスの減少などシステム的な話も健全な労働環境があってこその話です。そのあたりが十分お分かりのはずの方からさらに頑張れという風に聞こえる投稿がありますと違和感を感じてしまいます。(一方で言わんとしていることもわかるんですが。)

医療者はもっと個別の自らの利害に関することで声を上げたほうがいいんじゃないんでしょうか。過剰労働の問題や一人医長の問題などもっと個別の個人的な労働の問題で声を上げた方がいいと思います。
医療に関しては医療者も国民として「非医療者」の立場から意見を述べればいいのです。

反省と一口に言ってもいろいろありまして、「死ぬほど後悔」から「今後の糧にする」あるいは「頭の片隅に留め置く」など。
「反省」という単語にあまり過敏にならなくても良いと思うのですが・・・

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>No.58 通りすがりの桂木(非医)さま

医療者はもっと個別の自らの利害に関することで声を上げたほうがいいんじゃないんでしょうか。過剰労働の問題や一人医長の問題などもっと個別の個人的な労働の問題で声を上げた方がいいと思います。医療に関しては医療者も国民として「非医療者」の立場から意見を述べればいいのです
禿しく禿しく禿同

>医療者が国民的大問題に立ち向かう先頭に立たないといけないのでしょうか。

なぜ私のコメントから「医療者が先頭立て」と読解されたのでしょう? 自分の文章力の拙さを日頃自覚しておる身としては、自己罪悪感を感じております。

私の言いたいことは、一番簡単なカタチで表現すると。
警察や検察の過去を糾弾する主張を医療者がなさるなら、せめて冒頭に次の枕の一文、前振りの一言を、単なる形式的な定型で良いから付けてはいかがですか? それだけで効果があると思いますよ、ということです。

「我々医療者側にも今回の大野事件を教訓とすべき点はあると思うが‥‥‥」

手紙の事項の挨拶文のように、このうした自省の意を表す文章を冒頭に付けてから、捜査当局やマスコミ報道の罪状を糾弾する主張をすれば、より多くの非医療者の人々が反発を覚えることなく医療者の主張に耳を傾けてくれると思うのに…、という残念に思う気持ちから出たのが先のコメント投稿です。

英仏百年戦争でのジャンヌダルク、日露戦争の旅順要塞攻防戦の肉弾三勇士、太平洋戦争での沖縄戦に突入した軍艦大和のように、敵弾合い飛び交う最前線に突っこんで行け。指揮官先頭の軍人魂のように、医者が血路を切り開いた後から私はノコノコ出ていきますから、皆さん頑張ってください。

私の先のコメントはこのようにお読みになられたのですか…、そうであれば私の文章力の拙さの結果で本意ではありませんので、まず私自身が反省しなければならなくなります。
自己罪悪感を感じます。
(繰返しの重複で失礼)

>法務業の末席さん

普段の冷静な投稿のなされように納得しながらまた、労働関係のお話には参考にさせていただきながら読んでいる一人ではあるのですが、今回のお話については「お互い様」という感じをものすごく感じましたのでつい口を出してしまいました。
また、「医療者は先頭に・・・」は言い過ぎでした。このエントリにおける法務業の末席さんの全体の印象からそう判断してしまいました。もうしわけありません。

仰ることはよくわかるのです。小さな物言いひとつでいらぬ波風を立てずに味方を増やすと言うことは当然の話しだと思います。
では、なぜ違和感を感じるかといいますと、医療問題と言うくくりでは医療者は当事者のひとつではあるのですが今問題とされている医療の崩壊は直接医療者の生活(不利益)と直結しないからです。医療崩壊によって不利益をこうむるのは医療者を含む国民であって、利益団体としての医療者とはイコールにならないからです。
ブログやここでのコメントをされている医療関係の方々が時折感情的な発言をされているのは苛立ちであり、発言や提言はボランティアですらあると思っているからです。そういう見方をしますと「お互い様」と言うのは違うのではないかと思えるからです。自分のこととして考えるべきは国民の側であってボランティアにけちをつけても始まらないと思ってしまうからなのです。

本来これは医療を受ける側全体のスタンスの話で理解者である法務業の末席さんの揚げ足を取るような発言をしてしまって申し訳なく思います。

>No.61 通りすがりの桂木(非医) 様
私のコメント主旨がご理解頂ければ、それで十分です。

さて、

今問題とされている医療の崩壊は直接医療者の生活(不利益)と直結しないからです。
このご見解ですが、このモトケンブログはじめ医療崩壊問題をテーマとすると、崩壊しても医療者は困らないという大前提が、何の疑いもなく語られています。本当にそうでしょうか?

確かにこれからの数年の間に、健康保険制度が大崩壊しようが、全国の基幹病院の半数が医師不足で閉鎖されようが、困るのは医療のお世話になる被医療者であって、医者は開業医や海外に逃散する手段はあるでしょう。ですが開業医に転身した医師の方々も一生安泰なのでしょうか?

設備や規模の制約から、対応できる患者の症状に制約があるのが開業医の宿命です。自分のクリニックの常連患者の病状が悪化し、街の開業医のレベルを超えたらどうするのでしょうか。また内科が専門で糖尿病の慢性疾患の患者を得意とするクリニックで、糖尿病の壊死で下肢切断をしなければ命に関わる患者が出たらどうしましょうか?

現時点なら、そうした患者を受け入れ可能な総合病院に転院させる選択肢が開業医にあります。ところがそうした町医者のた後方支援の役目を担う、総合病院という医療体制が崩壊して無くなってしまったらどうするのでしょう。ウチの医院ではもう面倒見切れませんと言って診察室から追い出す、受診拒否をなさる開業医の方が出て来るのでしょうか?

ウチでは無理ですと意って患者を追い出すようなクリニックに、周辺の住民の患者さんは引続き信頼して罹ってくれるでしょうか? 勤務医の多くが開業医に転身して、今より開業医の数が大幅に増えて開業医の経営環境は厳しくなりますから、ウチではもう診れませんと言って患者を閉め出す医院より、何とか面倒を見てくれる献身的な医院に患者は殺到するでしょう。そうなれば今度は開業医の選別淘汰が始まります。

そんな混乱の状況に拍車を掛けるように、今から10〜20年もすると医学部定員増によって供給が増えた若い医師が町中に溢れ、ますます開業医の競争が厳しくなり、医院ごとに繁盛したり患者にソッポを向かれたりの盛閑の差が大きくなると予想されます。

最後のトドメが国民皆保険、健康保険制度という医療共産主義経済体制(医療経済の国家統制)が崩壊することです。健保体制が崩壊すれば、腕が良くて患者に評判の良い医療機関は人気が出ますので、今のレセプト点数とは比較にならない高額の診療費を請求しても患者は来ます。ですが老齢の医師や不勉強によって最新の医療技術に付いていけない医師、患者を頭ごなしに叱り飛ばすなど態度が横柄で患者受けの悪い医師、こうしたスキルが劣る医師が患者から見放され、食えなくなっていきます。

このように医療の崩壊は、まず当初は被医療者に大きな影響を及ぼしますが、時間が経つに連れて医療者側にも影響が出てきます。医旅崩壊と国民皆保険の荒波を乗り切っていけるのは、若くてやる気のある半数の医師であって、残り半数の医師は環境の変化に対応できずドロップアウトする懸念があります。

これはちょうど今、弁護士の業界が「司法改革」の名の下に始まった法曹の大量養成と、裁判制度の変革(裁判員制度など)の荒波が押し寄せつつある状況に似ています。医師の世界も10年後には同じような状況、いやより大きな変革の荒波に翻弄される可能性が大きいと思っています。

いつもの私の悪い癖で、大変長いコメントになってきましたので、この辺で最後の締めのコメントをしておきます。

そろそろ被医療者側対医療者側という2極化した議論から、我々被医療者も医療者も双方が、脱却すべき時期に来ていると感じる昨今です。

これが私の主張の根本です。

>法務業の末席さん

もちろん仰るとおりで医療崩壊において医療者が無傷で乗り切れると言うことではないでしょう。ただ、医療という行為がなくならない限りかつての炭鉱労働者が被ったような事にはならないだろうとはいえると思います。産業構造の崩壊ではなくあくまでシステムの崩壊です。
医療に対するニーズがなくなってしまうわけではないのですから身の振り方はあるわけです。医療者が崩壊によってこうむる不利益は通常の資本主義社会における栄枯盛衰の話であって、その変革に対応できなければ切り捨てられてしまうのはどの業界でも同じではありませんか?
時流に乗り遅れた開業医は廃業するでしょうし、転送する基幹病院がなければ昔に戻るだけです。医療の質が劇的に下がる部分があるかもしれませんが、それは医療者の責任には出来ないでしょう。それこそ地獄の沙汰も金次第になってしまうのかもしれませんがニーズがある限り、そして自己研鑽に励む限り医療者には生き延びる術があります。
そして結果的にアメリカ的な医療世界になってしまえば医療者の所得は維持されるし、場合によっては向上するでしょう。その場合医療者が自ら受ける医療はアクセスに関しては現状より不利になるでしょが現状に近い医療水準を受けることは可能だと推定します。選択の結果としてさらに高度な医療を受けることも可能になるかもしれません。
この状態において一方的に不利益をこうむるのは国民の側、特に所得の低い国民と言うことになります。(考えたくありませんが)

ですから、不利益をこうむるのは一方的に非医療者側になる可能性が高いので、不毛な議論から脱却すべきなのは非医療者側であって医療者側ではないと言うのが私の主張の根本になります。

 モトケンさんが、警察、検察の視点に立って、医療側に反省すべき点はないか、考えてもらうためのエントリというようなことを書かれていたので、それに、沿ってみたいと、ずっと考えてきたのですが、ずれているようならご指摘ください。
 鑑定や、証言にある程度の客観性を期待するなら、おなじ周産期を専門とする、遠い地域の方に鑑定なり意見を聞くのではないのかと考えたのですが、当該地方で師弟関係にある方に顔を会わせる可能性のある方を選んだようですね。
 それで、問題なしと鑑定されていたら、証拠として採用して立件されなかったのでしょうか?身内の庇い合いではないかということで、他の方を選ぶことに結果的になるのではないでしょうか?
 昔、麻酔指導医の試験を実地でやっていた時は、試験官は、違う地方会の先生が来られていたことから、この様に考えました。

さらみのスレ知らない?

(掲示板にあんなこと書いちゃだめです。)

だいぶ、遅れての投稿です。
鑑定のシステムに関しての意見です。
鑑定者がいないということですが、ネットの集合知を利用したら簡単ではないでしょうか。ウイキペディアみたいなイメージです。大野病院事件・大淀病院事件も、ネットで、病態を解説され、そのことから、担当医の対応に問題はなかったというのが、ネット環境にある医師のコンセンサスではないでしょうか。これと同じようなことを、各種の医療事故・事件に対する医学鑑定に利用すればと思います。参加者は医籍登録番号かなんかで、厚労省から暗号化したパスワードを手に入れてから、参加するみたいなことで医師だけの参加を保障するなんて出来たらいいかと思いますが。ただ、こういうのだと裁判の証拠には使えないのでしょうか。

私のコメントへのご返信と思われますのでお答えします。
私が申し上げているのは「鑑定嘱託」と「照会依頼」では、手続的にも証拠能力的にも取り扱いが異なり、「警察の問い合わせに回答した」という一事例をもって「ネガティブな鑑定結果を出せた医師が鑑定嘱託に応じなかった」という問題は否定できず、その問題を考慮した「無実の証明のためにも捜査への前向きな協力姿勢が必要」とする河北新報記者氏による意見を叩くのは、印象操作なのではないのか、ということです。
また先生は「逮捕に不利な証言を黙殺した」と強調されますが、逮捕着手前の段階で「正式な鑑定結果」を打ち消すほどの数の「正確な事実認識に基づく消極的意見」が警察に寄せられていたのでしょうか?
そうでなければ、警察が(その結果がネガティブなものでもポジティブなものでも)正式な鑑定結果を立証の寄りどころとすることに大きな問題があるとは言えないでしょう。
ちなみに私は本件において加藤医師の行為に何ら非難を受けるべきものがないことも、県警?地検の捜査方針にいくつもの問題点があり、今後検討が行われるべきであることも十分理解しています。
しかし本件において捜査機関やマスコミを批判するだけでは問題は進展しないとおもうのです。

揚げ足取りではないことをはじめに申し上げておきます。

「我々医療者側にも今回の大野事件を教訓とすべき点はあると思うが‥‥‥」

手紙の事項の挨拶文のように、このうした自省の意を表す文章を冒頭に付けてから、捜査当局やマスコミ報道の罪状を糾弾する主張をすれば、より多くの非医療者の人々が反発を覚えることなく医療者の主張に耳を傾けてくれると思うのに…、という残念に思う気持ちから出たのが先のコメント投稿です。

ただの挨拶文であるなら、正直ない方がいいです。真摯さに欠けると、少なくともわたしは、感じます。

もちろん、具体例がある場合は別です。

我々医療者側にも今回の大野事件を教訓とすべき点はあります。ひとつ何々。ふたつ何々。しかし……」と続くのであれば、まことにおっしゃるとおりだとおもいます。

しかるに単なる挨拶文であった場合、少なくともわたしは、amazonのお詫びmailを真っ先に思い出します。最後に「なお、このコメントにはコメントを付けられません」とでも書いてあるかのような気持ちになります。

否定的なことばかり書いていてもしかたがないので、わたしから見た、医療側への希望を書かせていただきます。

医療側が鑑定、依頼になるべく応えるという件はお願いしたいですが、医療側の方が書かれている通り、財源、人材の補償を政府が行わない限り、単なる労働強化になるので、すぐに実行は難しいとおもいます。

声はあげていただきたいですが、お金より人材の方が難しかろうとおもいます。つまり、鑑定等をしている間は臨床ができないことになるのでアクセス制限が必要になることになります。

アクセス制限が現状の医療崩壊への対処療法としては、おそらく最高だとは思っているのですが、救急の取りやめすら難しい現状では厳しいと感じております。

上述しましたが、現在と同等時間臨床した上で、さらに鑑定も、となれば医療崩壊が加速することは間違いなかろうとおもいます。

わたしからの提案(すでに出ていますが)で、すぐ実行可能なことは、ミスがないと思ったら、仮に遺族や患者のことを考えても、保証金のためという理由でミスを認めない、を徹底することです。

患者さんのことや、職場環境のことを考えればつらい判断になるかとは思いますが、少なくとも大野事件を鑑みるに、あの判断こそはミスであったと言えるとおもいます。もちろん、今となればこそ言える話ではあると思いますが。

わたしは今でも福島県警、福島地検の捜査には批判的ですが、確かに「医師本人が認めた(ことになっている)ミス」について、少なくとも警察が初動を行うことは責められないかとおもいます。

非医療者にして、被医療者の意見ですが、医療関係のみなさま、いかがでしょうか?少なくとも、反省して、改善できるところではないでしょうか?

すいません。
上記No.67の投稿は、No.52 内分泌科医先生のコメントに対する返信です。
失敗しました…

 感熱紙 さん、こんにちは。

 この件は水掛け論になりつつあるように思います。

 事実関係を明らかにするためには、警察あるいは検察官からの問い合わせ電話が照会依頼なのか鑑定嘱託なのかを判断すべき基準を明らかにした上で、全国の産科医師に対して、問い合わせを受けたか否か、それが紹介依頼だったのか鑑定依頼だったのかを調査するというのが一つの方法です。

 調査は可能と思います。結果が信用されるかどうかは別問題です。

 もう一つの方法は、警察及び検察官が自分たちの職務上の記録を公開することです。

 捜査の密行性の原則から言って、これは有り得ないと考えます。

 しかしながら、この場合、事実関係を明らかにすることが誰に対して求められるべきなのでしょうか。逆に言えば、事実が明らかになることによって、誰が有利となるのでしょう。

医療は,医師と患者の共同作業です。どちらから提言があってもなんら不思議はありません。

ミクロな視点で考えると、私が治療を受ける際は、医師の治療方針に口を挟むなどと言う事は考えられません。マクロで観ると、適正な診療報酬、適正な医師数などは医師でしか分からないものであって、素人が口を挟むと言う事は同様に考えにくいです。

情報の非対称に甘えているだけかも知れません。

一方,(医療事故)犯罪の捜査・立件は,決して警察検察と医療との共同作業ではありません。

医療事故に関しては、警察・検察と医療との共同作業だと思っていましたが、現実ではそうでもないのでしょうか。つまり、医療側は捜査側に口を挟む事が許されるし、捜査側もそれを望んでいるのではないかと。

 裁判が、検察官と被告人・弁護人と裁判官の共同作業といえるのならば、捜査段階もほぼ同じことが言えると思います。
 捜査段階では検察官が裁判官の役割も兼ねていますので、検察官にその自覚がないとだめですけど。

「大野病院事件で医療側が反省すべきこと」の一例として、初期の検察からの問い合わせを黙殺した医療専門家もいた、ということがあげられているのに対して、
医療側発言者の言い訳は、
(1)「‖針擦猫∧鷭靴安いので、医療者側はそんな問い合わせに応じられる状況にはない」
(2)「問い合わせに応じなかった結果としてこの事件が有罪になっていたとしたら産科医療は崩壊していたであろうが、もしそうなっても、医療者側は困らない、むしろ崩壊したほうが米国のような医療になって医師の収入は上がるので歓迎する向きもあるぐらいなのだ。困るのは患者、貧しい患者だ(あまり考えたくないが)」
というような論調が多いように思い、医師としては、やはりちょっと違和感を感じました。これでは国民の支持は得られず、医療不信の払拭もできないのでは・・・。
(1)についてですが、たとえば、どんなに報酬が安く時間を取られても、医師には、ある種の文書を書く義務があります。診断書とか、生活保護患者の治療要否の文書とか、休業補償の意見書とか、保険会社からの照会への返答とか、・・・。患者さん相手の診療行為ではないが重要な、このような文書を書く業務が増える一方なので、医師はずっと悲鳴をあげていたのですが、ようやく、医療秘書のような人を雇うための人件費の補助が出ることになりました。実効性はともかく、行政や世論は、医師のこのような業務を必要と認め、支援のための費用も払う、と言っているのです。私は、個人的には、これらの文書を心をこめて(読んだ人が、ちゃんと医療費を払うよう認可してくれますように、と祈りながら)書くようにしています。病と金銭の二重苦に苦しむ人々のために医師としてできることはしよう、と決意しているからです。(それだけに、このような文書をいい加減に書いたり、ましてや偽造/詐欺を行う輩には非常な怒りを覚えます!!レセプトの「保険病名」も、納得できない思いで妥協しながら書いており、もっともっと学会が行政に働きかけて実情にあう「適応病名」にどんどん変えさせ、理不尽な査定をやめさせるべきです。そうしないと、一種の詐欺という医療不信の種を自ら蒔いているようなものです。おっと軌道からはずれました、失礼)
  このような医師の公的文書業務の延長として、検察のような公的機関からの医療上の問い合わせがあると考えてはいかがでしょうか。医療過誤において、もしも、このような依頼を受けた医師が、真摯に、調書など添付された書類を読み文献を調べて、「自分は腕がいいのでこんなことはしなかった」という独善や傲慢ではなく、はたまた、「このやり方はどうかと思うが医師仲間なので批判はできない」という馴れ合いかばい合いでもなく、「標準的医療」についての良心的解答をきちんとしたら、医師全体の誠実さが検察にも伝わるのではないでしょうか。ちょうど、上記のような書類の一つ一つを誠実に丁寧に書く医師が多くいれば、病院の事務員はもちろん、役所や保険会社の人も、医師の誠実さを感じ、いわゆる「医療不信」感情が減じるであろうのと同じように。
  つまり、目の前の患者を誠実に診るのも、社会が必要としていて医師にしか書けない公的文書を誠実に書くのも、どちらも医師の業務として真面目に受け止め、報酬の多寡や多忙を言い訳にしないようにしたほうがいいと思うのです。もちろん、報酬を上げてくれるように訴えるのも大事かもしれませんが、それを前面に出すのは反感や医療不信をさらにあおるだけ、と、このブログ主と全く同じように危惧します。「報酬を上げなければ応じない」といきなりストライキで脅すのではなく、まずは、委託されたものに「良質で誠実な」返答をすべきではないかと思います。報酬の交渉は、それからでしょう。
(2)については、さらに医師としての社会的良心が問われているのだと思うのですが。加藤医師を見殺しにするというのはプロフェッショナル職能集団としてあってはならないことです。それに、医療崩壊の先が「貧乏人が安心して医者にかかれない」(今でも国保の保険料滞納者への対応など、だんだんその方向に向かっているのですが)社会と知りながら、「医者は困らない、むしろ儲かるので結構」と居直るのは如何なものでしょうか。国民や患者を敵にして恨まれながら診療して楽しいのでしょうか(米国の大金持ちのように自宅のセキュリティを完璧にしボディーガードを雇い貧乏人から身を守るのが常識になったりして)。日本の皆保険医療制度のおかげで、自らの良心とせめぎあうことがほとんどなしに医療行為が出来る幸せを、医療崩壊歓迎派の日本の医師はわかっていないのではないでしょうか。米国の医師は、良心のかなりの部分を麻痺させていないと正気は保てないような格差社会で診療しています。研究などのために米国に滞在する欧州の医師の多くは、米国の政府や民間の医学研究費の潤沢さの恩恵を受けながらも、「こんな医療制度自体が『ヒポクラテスの誓い』違反なのに」と呆れたり哀れんだりしています。貧乏人の負け惜しみなのでしょうが、米国のような医療制度のもとで医師をして金持になっても心の平安が得られない、とも・・・。他の制度を知ってしまっているのでそう感じるのであり、はじめから米国で生まれ育ったら、あるいは、金儲け目的で医師になったら、葛藤さえ感じないのでしょうが。
   「貧乏人も安心して医療が受けられる世の中」がいかに大切かということは、本当に声を大にして、声が枯れるまで、訴えたい。良心的医療が提供できるように、国民皆保険は死守すべきです。医療崩壊は脅しではありません。患者やマスメディアが「生・老・病・死」の不条理を医師のせいにし続けるなら、遠からず実現してしまうでしょう。その現実に気づいていただき目を覚ましていただくしかないと思います。大野病院事件の判決ぐらいではしゃいで反感を買っている場合ではありません。「勝って兜の緒を締めよ」です。

 

鑑定料が安いという理由で断るのは構わないんですが、いくらであれば引き受けるのかを伝えた方が前向きだとは思います。

法医解剖の費用が7万円→20万円になったように、安いのであれば、高い値段を付けなければ始まらないという世界だと思います。

>法務業の末席さん
のご意見に同意します。

マスコミが悪い,検察が悪い,警察が悪い,はもう分かりました。悪いからあんたらが直せと指弾しただけで直るのなら,そうすればいいです。その姿勢が,遺族偏重のマスコミとどのくらい違うのか私には分かりませんが。

そして,医師側に何の問題もないと言い募る(誰も言い募ってませんよね?)ことで,直る,二度と,このような不当とされている逮捕,起訴が行われない,というのであれば,そうすればいいことです。

多くの方がおっしゃっているとおり,検察にしろ警察にしろ,医療にはど素人です。そのど素人が,医師側の非協力(に見えるような姿勢:以下略)に出会ったとき,それでも判断を迫られているときに,遺族や国民に対して,「非協力だから起訴できません。」ってなるんでしょうか?ということです。

繰り返すようですが,今回の件で,医師側が非協力だったからこんなことになったのだと断言したいのではなく,医師側が非協力だったからこのようになった可能性がある,ということであり,その可能性がある以上,何らかの対策が必要ではないかということです。

今,明らかなのは,今回の不当逮捕等が,どうして起きたのかを冷静に眺めて,次につなげるのが建設的だということです。

(1)「‖針擦猫∧鷭靴安いので、医療者側はそんな問い合わせに応じられる状況にはない」

について、まる1(引用文はそのままにしましたが丸の中に1のある文字のことです)への言及がないのはなぜですか?お金も大事だとおもうのですが、鑑定等をしている間は診療できません。そちらの方の手当てをして欲しい、と医療者は言っているようにわたしには聞こえるのですけど。

(1)「‖針擦猫∧鷭靴安いので、医療者側はそんな問い合わせに応じられる状況にはない」

について、まる1(引用文はそのままにしましたが丸の中に1のある文字のことです)への言及がないのはなぜですか?お金も大事だとおもうのですが、鑑定等をしている間は診療できません。そちらの方の手当てをして欲しい、と医療者は言っているようにわたしには聞こえるのですけど。

鑑定に関して単なる案なんですけど、こういうのはダメですか?

・医師が実名で登録するサイトを作る
・警察、検察が調査する時にカルテ等を当該サイトに患者、ないし、患者遺族の許可を取って掲載する。
・医師はカテゴライズされる。診療所、病院に分けて。病院は規模別に。規模に関しては具体的な案はありませんが、「そんな世界最先端のことはできないよ、ここじゃあ」ってのをなくす意味でです。
・問題となっている事象と同じカテゴリーの医師に対して以下の質問を行う。質問の回答はラジオボタンをチェックするだけとする。内容は以下の通り。

 ・これはまずい
 ・後から見ればまずいけど、自分でもやりかねない
 ・よくわかりません
 ・どう見ても普通
 ・すごい
 ・神

質問はこの程度にしておく

・備考欄をつけておき、自由筆記をありにする

・警察、検察はこれを「参考」にする。

これくらいなら、お医者さんの負担もあんまりないような感じがします。この結果に警察、検察が従う必要はない、という前提で。

備考欄の内容によってはモメるかもしれませんが……

鑑定医について思うところを。。。

鑑定をしてくれるひとがいない。。。これはなんとか解決しなければならない問題だと思います。これを解決しないと、「医者側は協力しない」という反論を受けるばかりです。。。。

やはり学会が中心になって動くしかないかな、と思っています。学会で協議して鑑定書を書く、もしくは学会が推薦するその道の本当のプロにお願いする(だれもが文句をいえない権威の先生に!)

個人的に頼まれても、大きな責任と時間が費やされる鑑定は無理です・・・・。

ただ、どちらかに都合の良い鑑定をお願いする、なんていう方法はできなくなりますけど。。

あと、医者側のかばいあいなんて言うマスコミも、この鑑定には文句をつけないようにしていただかないとだめですね。。。

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3、患者側が鑑定を避けたがる理由

 患者側は、なぜこれほどまでに鑑定を避けたがるのでしょうか。鑑定費用の負担のほかに、鑑定資料の選択、鑑定事項の作成そして鑑定人選任に時間がかかるといったこともあるのでしょう。しかし、最大の理由は、鑑定結果があいまいで、患者側に不利な内容のものが多く、公正さに期待が持てないことにあるように思われます。
 しかし、事件がもともと患者側に不利なら、不利な鑑定自体を責めることはできません。また鑑定のあいまいさは医療の特質から来る面があり、一概に不当ともいえません(センターニュース163号8頁「確率的判断」参照)。不当な鑑定が出にくいような、あるいは出たとしても裁判官をしてこれに盲従させないような主張・立証ができていないことにも問題があると思います

(医療事故情報センター 少数派の医療裁判制度改善策(下)上田和孝弁護士(名古屋)より引用)
http://www3.ocn.ne.jp/~mmic/041kinkyutokusyu.htm#10
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御参考にどうぞ

>どんなに報酬が安く時間を取られても、医師には、ある種の文書を書く義務があります。

私は医療事故の民事訴訟の意見書を書いたことがありますが,意見書作成に費やされる時間は診断書等の比ではありません。膨大なカルテや画像診断結果を読み,なおかつ最新の文献も含めて読まねばならず,症例報告の論文1本を仕上げるに相当する時間がかかります。しかも論文作成と異なり,自分の業績にはなりませんから「忙しくて対応できない」と断ることを責められません。

鑑定書作成中の診療行為の代診,金銭的保証を含めて法的な枠組みを作る必要がある気がします。

 公務員部落汎用の悪知恵です。m(_ _)m
 医師側が鑑定を拒んだか非協力だったかという「過去の事実認定はペンディングにして」、「そのような疑いを避ける体制を作り」、「併せて格安の鑑定料の値上げを捜査機関に求める」というのはどうでしょう。
 たとえば、中央に鑑定医あっせん窓口を設ける、県単位の医師会であっせん窓口を設ける、その変わり,鑑定のコスト計算書付き(予算担当者説得材料)で鑑定料の値上げを捜査機関に求めるというような。
 過去の事実認定の水かけ論という非生産的なことは棚上げして、自治体組織もとい医療機関もやるときはちゃんとやるぞ、ただ鑑定料が不当に安過ぎますよ、という姿勢をアピールできます。

 ただねえ、医師会などに鑑定のマネジメントをやらせると、現場を知らない大学教授や学会の重鎮を引っ張り出してきて、現場無視の鑑定意見を出しかねない雰囲気があるのです。
 ただでさえ後出し鑑定なのに机上の空論では現場は浮かばれません。小生もドロッポ組なので人のことは言えませんが(^^;) 
 第一線の指導医は忙しいでしょうけど、どこの病院でも検討会やCPCはきちんとやっています。ですから、それと同格のピアレビューを行える仕組みを、病院間などで作るべきだと思われます。

>どこの病院でも検討会やCPCはきちんとやっています。ですから、それと同格のピアレビューを行える仕組みを、病院間などで作るべきだと思われます。

 とすると、四病院団体協議会(社団法人日本医療法人協会、社団法人日本精神科病院協会、社団法人日本病院会、社団法人全日本病院協会)や社団法人全国自治体病院協議会などの病院の協議会などのナショナルセンターに鑑定書・意見書のマネジメント窓口を作るように働きかけるのがいいわけですね。

懸念なんですけれど、窓口を一本化すると今度は「医者同士のかばいあい」と批判されませんか?
今回の裁判も図によっては「かばいあう医師団体(具体的にどんな団体かは不明)VSそれを突き崩そうとする検察&善意の医師」というステロタイプ報道がありましたよね。

>懸念なんですけれど、窓口を一本化すると今度は「医者同士のかばいあい」と批判されませんか?

 医療に詳しい弁護士先生(公益委員みたいに)に運営委員として参加してもらうというのはいかがでしょうか。手続き適正と公平性はプロのはずです。

鑑定に積極的に協力するという姿勢はとても大事だと思います。
しかし、今の刑事裁判は、どうも検察の都合の良いように話をまとめるが故に協力的になれないという面もあります(いろいろなソースで検察に不利な証言はわざと取り上げなかったということも聞いています)。検察の有利な証言であったにもかかわらず、それは今回の裁判でも検察の主張・証拠は客観性に乏しいものであり、科学的に信頼できないと言わざるを得ないものでした。
鑑定に医師が喜んで協力できるようにするためには次のことが必須だと私は考えます。

まず中立的な機関(いわゆる第三機関のことですね)を設立し、過失の有無を問わず真実を追究する機関を作る(完全な真相究明は医学の限界が存在する以上無理ですけどね)。
救急事例を除く悪質な件(医師なら10000人いたら9999人はやらんだろうというような件)を除き刑事免責を明確にする。

鑑定が非常に有意義なものであれば、報酬が少なくても協力者は増えてくると思います(でも業務を休むのですからその分の報酬は最低必要と考えます)。しかし、今のようなシステムでは私個人としても協力する気になれません。
海外では常識になっていますが、そろそろ日本も客観性を重要視するために免責システムを導入するべきではないでしょうか?
マスコミや一般人が「医師のかばい合い」とわめいてもそれに検察や警察・法曹が踊らされないようにする・・・これは最低条件だと思います。その代わり、我々は真実を提供するのです。

悪質な件(医師なら10000人いたら9999人はやらんだろうというような件)を除き刑事免責を明確にする。
救急事例を除くという意味が文章上よく分からなかったので引用から省きましたが、医師の判断に関しては、今回の福島地裁の判決はまさにそういう意味の判決なんじゃないでしょうか。残る問題はうっかりミスの扱いかな? 織り込み済みなのかもしれませんが、押えておきましょうよ。

>検察の有利な証言であったにもかかわらず、それは今回の裁判でも検察の主張・証拠は客観性に乏しいものであり、科学的に信頼できないと言わざるを得ないものでした。

 送致前段階の弁護や起訴前弁護としての「医療側弁護側鑑定」を忘れていますよ。
 嫌疑を受けたら医療側弁護士が、鑑定嘱託して鑑定書を取り寄せればいいのです。そして、それをそのまま検察庁に送付するのです。弁護士の意見書付きで。検察庁に送付したことを記者会見して、医療側の正論を堂々と主張することも効果ありでしょう。捜査機関も弁護側鑑定を無碍にできなくなります。起訴に有利な鑑定が大学教授からあったとしても、鑑定の証拠の優劣で起訴前から争えます。
 どうもみなさん、「鑑定は捜査機関がするもの」という先入観で論じているようですが、再審請求なんか、100%弁護側鑑定に基づいて行われています。

それは知りませんでした(と言うより、ほとんどの医師は知らないと思います)。
と言うことは、法曹から見たら弁護側の配慮が足りなかったと言うことでしょうか?

まあ、それでも検察が客観的に物事を見ていれば起訴に踏み込むのはおかしいとは思いますけどね。

 弁護側批判につながるコメントは、諸般の事情で避けますが、医療素人の警察検察の誤判断を防止するのは、イチにもニにも、医療側の送致前弁護と起訴前弁護です。
 同じ法曹である弁護士が、弁護側鑑定という消極証拠を基に意見書などで検察に申し入れすれば、検察だって再考せざるを得ないでしょう。
 某自治医大の卒業生がへき地医療でチョンボをすれば、同大OBまたは顧問の医籍をもつ弁護士が駆け付けて検察官に面会して、医療内容を説明して不起訴要請をするように。

まあ,捜査・検察の態度がこんなですからねぇ…
「産科医療のこれから」より
http://obgy.typepad.jp/blog/medical/2008/08/post-a0c8.html

 友人のある大学の医師が、大野病院の癒着胎盤術中死について、福島県警より意見を求められている。加藤医師の逮捕・起訴前の話である。「癒着胎盤で亡くなるのは、当然でしょうね。救命できるときもありますが」と返答したところ、食下がりもせずに、「そうですか」とあっさり去っていったという。警察には同業者によるかばい合いと映ったのかもしれない。しかし、幾つもの施設で同じような見解を言われている可能性が高い。

 第6回の公判で検察側証人となった大学教授は、「検察側の鑑定を書いてくれる医師がいなくて困っているから」と頼まれたと証言している。正しくは「検察側の鑑定を書いてくれる医師」ではなく「検察側の立てた仮説上、有利な鑑定を書いてくれる医師」がいなかったこと、検察はかなりの大学に足を運んでいた可能性、つまりコンタクトをとったほとんどの産婦人科医師から刑事訴追に値しない病名であったことを聞いていたことが考えられる。いわゆる「無理スジ」の事件であった可能性の自覚だ。

↑すみません。引用タグがうまく働きませんでした。末尾まで引用です。
(ちゃんと確認をするように注意します)

確かにその通りですが、通常の医療を行っているのに手間と弁護士料をかけてわざわざ反論の資料を作るってのもねえ。なんか世の中お金だよと言われているみたいで腑に落ちない話です。こちらの費用も全額検察が出してくれるなら話は別ですが。
それよりも検察や警察はそれが仕事なのですから、客観的にやはり診てもらわないと。
医師の仕事は医療であって、裁判対策ではありません・・・と思ってしまいます。

以上、素人の率直な意見でした。

>通常の医療を行っているのに手間と弁護士料をかけてわざわざ反論の資料を作るってのもねえ。

 お気持ちは痛いほどわかりますが、「自らの権利は自らの力で(金と手間暇をかけて)守るものである!」という「権利のための闘争(イェーリング)」を法学徒は最初に叩きこまれます。日本国憲法もこの理にしたがい
>第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
との歴史認識のもと、国民に対して
>第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない
と権利のための闘争を定めています。

 黙っていても国家機関(「おカミ」)が何とかしてくれるさ、というのは残念ながら甘えでしょう。民事訴訟では、訴えられて黙っていたら「擬制自白」とされて全面敗訴してしまいます。m(_ _)m

今の刑事裁判は、どうも検察の都合の良いように話をまとめるが故に協力的になれないという面もあります(いろいろなソースで検察に不利な証言はわざと取り上げなかったということも聞いています)。
 段階を二つに分けて考えるべきと考えます。  まず起訴するか否かを判断するまでの段階。モトケンさんもおっしゃっていますが、この段階では検察は裁判官の役割を果たし、証拠を慎重に吟味します。ここで、無罪を根拠付ける証拠を不当に軽視することは通常ないはずですし、またあってもいけません。これを不当に軽視すると、裁判で負けて恥をかくのは検察ですし、何でもかんでも犯罪者に仕立てよう、と考えているわけでもありませんから。  しかしその後、起訴が決定された場合は、検察は裁判所に提出する証拠を選別します(集められた証拠を全て提出するわけではありません)。この際には、検察に不利な証言を証拠として提出しない、と言うこともあるでしょう(間違ってたらすいません)。

 さて、今回の福島大野事件ではどうであったかと言うと、警察・検察は学閥等の問題をクリアするため、県内の医師には照会はしていても、鑑定を依頼することを避けているようです。そして、まず(明らかになっているのは)東北大学の岡村先生に鑑定を依頼しています。ご存知のように岡村先生はその後「過失なし」との弁護側意見書を書いている人物であり、かつこの分野の権威の一人といって良い人物です。彼にまず鑑定を依頼していること自体、恣意的に有罪方向へもっていこうとしている、とするのは妥当な批判ではない、と言うことがいえるかと思います。
 結局岡村先生は、逮捕後、起訴前に弁護側の依頼によって意見書を警察に提出しましたが、その内容は、カルテの原本を見ることはできず、加藤医師から話しを聞くこともできず、県の報告書と、加藤医師の支援活動をしている佐藤教授から聞いた話をもとにしたものでしかありませんでした。また、すでにこのときには逮捕への抗議声明に岡村教授は関与しており、その中立性にも疑問符がついていましたし、警察としては「うちの依頼を断ったのに、逮捕したとたんに弁護側の意見書を出してきても信用できない」と言う気持ちを持つのはある意味当然であったかと思います。
 ちなみに起訴前に提出された意見書は、検察は裁判所へ提出しませんでした。弁護側もおそらくこれでは不十分と考えたのでしょう、新たな鑑定書を岡村教授に書いてもらい、起訴前の鑑定書は裁判所に提出しませんでした。

No.71 しまさん

そんなに重要な話題じゃないかもしれませんが,一応。

(峰村) 医療は,医師と患者の共同作業です。どちらから提言があってもなんら不思議はありません。 (しま)ミクロな視点で考えると、私が治療を受ける際は、医師の治療方針に口を挟むなどと言う事は考えられません。マクロで観ると、適正な診療報酬、適正な医師数などは医師でしか分からないものであって、素人が口を挟むと言う事は同様に考えにくいです。

私が考えるのはもっと大枠の話で,医療体制について,患者側からこうせいああせいは,言ってもらうといいと思いますけどね。(まあ既に散々言われていますが)

一方,(医療事故)犯罪の捜査・立件は,決して警察検察と医療との共同作業ではありません。

これもミクロではもちろん医師の専門的な見解が必要なことは当然ですが,その医師の専門的な見解を引っ張ってくるための枠組みの策定は,警察検察の仕事と考えています。警察検察の仕事(犯罪の捜査起訴)は,医師の仕事と直接の関連はないです。それを「お前らがグダグダだからこうやって枠組みを作ってやるぜ」は,深入りしすぎではないかと。警察検察が,医療業界に案を提示してくればいいのだと思うのですが,違いますかね?

ちなみに私は現時点では,刑事事件化の足がかりになるような事故調を作るくらいなら,今しばらく様子を見るのが良いと思っているところです。

私が甘いのかもしれませんが,あんまり人の敷地に踏み込むのは好まないです。裁判は司法の専権,犯罪取扱いは検察警察の専権,それに素人が深く首を突っ込む裁判員制度や検察審査会の類は,やってみないとわからないとはいえあまり良い制度とは思わないです。

>ろくろくび さん
非常に感銘を受けます。

医師側がやれたことがあったではないか,と真実思います。これは非難ではなく,検討すべき事柄としてそう思います。

そして,言内外におっしゃるとおり,警察,検察は,反対証拠を得るための努力が足りなかったのだろうと思います。カルテを見てもらって判断してもらう,というところまでしてもらうべきですね。ただ,相手の素性,つまりどちら側の人間か,それとも中立なのかとかが分からない以上,証拠を見せながら判断=鑑定を求めるのはとても勇気の要ることだろうと思いますけど。

ひとつ違うのは,検察が持っている証拠を選別する,という趣旨です。それは違うのです。提出証拠は,厳選されなければならないというのは,近時の刑事訴訟法規則で明文化されたとおり,立証に無駄な証拠を(裁判所にですよ)提出することは,もはや規則違反とされています。そして,不利な証拠なんて,いずれ表に出るわけだから,決定的に不利な証拠があれば,そもそも起訴しません。

検察が,証拠を隠す,と言い募る人がたくさんいますが,隠しているのではなくて,立証に不要だから提出していないだけです。弁護士側から請求があれば,見せてもらっています。少なくとも私は,見せてもらっています。そして必要であれば,それを弁護側が証拠として裁判所に請求します。想像ですが,今回の事件で,出せと弁護側が言って,検察側が出していない証拠というのは存在しないと思います。これだけ深刻に争っていながら,証拠開示に関する刺激的な論点(法曹界には存在するんです。)が一切表立っていないので。

すごくトピずれですけど。

 たびたび横レス失礼します。

>あんまり人の敷地に踏み込むのは好まないです。

 卓見だと敬服しますが、残念ながら医療事故への刑事免責を公式に求める医師が出現してしまったので、既に医療側でルビコン(Rubicon)川を渡ってしまったから、医療側でその卓見を貫徹するのは困難かと愚行します。m(_ _)m

> 今回の事件で,出せと弁護側が言って,検察側が出していない証拠というのは存在しないと思います。これだけ深刻に争っていながら,証拠開示に関する刺激的な論点(法曹界には存在するんです。)が一切表立っていないので。(No.98 ジャームッシュ さま)

本件では、検察が供述調書の一部をマスキングして証拠請求したことが問題になっていました。
◆第一回公判内容 (2007/1/30更新)
http://www.yabelab.net/blog/2007/01/31-215618.php

裁判所が強く公開を指示し、最終的に提出されたようです。

弁論要旨より
>検察官は、三瓶医師が、前回帝王切開創に胎盤がかかっている癒着胎盤の可能性が高いことを被告人から伝えられていたと主張する。しかし三瓶医師は、医局の先輩として前回帝王切開創にかかっていると予測されたのであれば、被告人一人で大野病院で手術させることはないと言明しており、検察の曲解である。
>検察官は、証拠取調請求の方法自体も公正さを欠く。検察官は、平成18年12月5日、上記供述部分をマスキングした証拠取調請求を行った。弁護人の抗議により、平成19年2月23日の第二回期日間整理手続きにおいて、マスキングのない三瓶医師の同じ検察官調書の証拠調べ請求を行った。まさに前代未聞の証拠取調請求である。

 卓見だと敬服しますが、残念ながら医療事故への刑事免責を公式に求める医師が出現してしまったので、
公式に求めている者です(^^;)

検察が控訴を断念?と朝刊にありました。これでますます事故調(安全調)を立ち上げろと言う議論が強くなりそうです。警察検察が本当に謙抑的に動くので有れば、事故調をたちあげて後で運用で改善するというのも落とし所の一つではないかとは考えています。ただこれはあくまで運用であり、広尾病院事件のようなたちの悪い過誤事件があった場合には警察独自の刑事立件を阻止できないと言う難点は残りますが。(まあ、本当にたちの悪い事案なら事故調が告発するかも知れませんが)

>>No.99 ハスカップ さん
>既に医療側でルビコン(Rubicon)川を渡ってしまった

私の好きな「ローマ人の物語」に登場する「来た、見た、勝った」のカエサルが医療側と同じというわけですね。

私が言いたいことについて、ジャームッシュさんやYUNYUNさんが適切に補足してくださっています。ありがとうございます。
ただ、検察・警察擁護的なことばかり言うのもちょっとバランスに欠けていると思ったので、少し追加しときます。
すでにジャームッシュさんが指摘してくださっていますが、
>警察,検察は,反対証拠を得るための努力が足りなかったのだろうと思います。
この点が今回の最大の反省点であろうと思います。鑑定人選別の問題については同情すべき点もありますが、この点の責任の大半は警察・検察にあります。
それともう一点、不必要な逮捕をした、と言う点についても非難されるべきである、と考えます

No.101 元外科医様

いやぁ,どちらかといえば私も刑事免責(というか業過罪自体の見直し)がいいと思いますが,そうなると法を動かす話となるので,それを提案・議論することはおかしなことではないと思います。

しかし,検察が引き続き現行どおりにやる,と言うことであれば,証人の集め方を含め,そのやり方にディープに口を挟むのは検察の専権事項を冒すんじゃないかと思いました。

まあ,専門家不信蔓延の一因は,司法による専門家に対する過剰な責任認定にあると思いますんで(ほとんどが民事ではありますが),医師からの警察検察不信も,ある意味法律家の自業自得の面はあるかと思います。

P R

ブログタイムズ

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