エントリ

 3度目か4度目かも知れませんけどね。
 このブログで医療問題を取り上げているのは明確な意図があってのことです。
 患者または患者予備軍として、将来もちゃんとした医療を受けたいということです。
 そして、そのためにはお医者さんたちにやる気をもって安心して存分に医師としての能力を発揮してもらいたいのです。

 ところが、議論を始めてみると、「医療崩壊」だ「逃散」だという話になっていることが分かってきました。
 ともかく何が問題なのか医療側の皆さんに教えてもらわなければいけないと思って、私(およびこのブログの常連の法曹のみなさん。以下同じ)は、医療側の訴えに耳を傾けてきたつもりです。
 その結果、医療の不確実性等の医療の本質に係わる問題や、不確実性を理解しない司法への不信、それによる深刻な訴訟リスクなども理解できるようになったと思います。
 
 医療崩壊の原因は非常に多様であって、一言ではまとめきれないと思いますが、その中の大きな要素として訴訟リスクというものがあることはわかりました。
 そしてここは元検弁護士のブログです。
 そこで、私は法律家の観点から司法の仕組み、訴訟リスクの実態等の説明を試みました。
 それによって訴訟リスクの範囲と程度を医療側の皆さんにできるだけ理解してほしいと思ったからです。

 これが、私が何度も強調してきました司法側と医療側の相互理解であったわけです。
 しかし、司法が患者側の働きかけで起動するものである(民事では患者側原告による提訴、刑事では患者側による告訴等)ことからしますと、相互理解は、司法側と医療側にとどまるべきものではなく、患者側、患者予備軍たる多くの一般市民と司法および医療との相互理解が最も重要であるはずです。
 一般市民から理解されない医療は、市民側からの故なき批判にさらされることになり、医療側の士気と誇りはスポイルされ続けるでしょう。

 このブログは、司法・医療・市民の相互理解を目指す場でありたいと思っています。

 そういう問題意識を持たずに、自らの不平不満を述べたいだけの人は、あえてこのブログで発言する必要はありませんし、そのような発言は有害ですらあります。
 不平不満だけなら、ほかに吐き出す場所がいくらでもあるでしょう。

 何度言ってもわからないなら、ほんとに切れますよ!!!
 わざわざ有害情報を提供するために医療問題エントリを立てても仕方がありません!


2008年8月27日10:41am付け追記
 昨日、このエントリを非公開としましたが、事情により再公開します。
 なお、上記事情は医療側の皆さんとは関係のない事情です。

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コメント(9)

最近投稿するようになった医療者として、、、
モトケンさんをはじめ、法曹関係,非医療・非法曹の方々が、医療崩壊に面して医療者の言い分や状況を理解しようとして下さっていることは、非常に心強いと感じています。

モトケンさんが医療者に向けた「誠実な医療の重要性」と「反省すべきは反省し」のエントリに客観的に自分なりの意見を書き込もうとしました。文章を読み直して、手直しして、また読み直して、、、結局書き込むことが出来ませんでした。が、うまく言語化できている自身がありませんが、ここでまとめて書かせていただきます。


どれだけ透明にしても「患者の不信」を払拭できないという意見があろうかと思いますが、それも積み重ねで解決していかざるを得ない問題だろうと思います。
おっしゃるとおりだと思います。小児科医として、笑顔で手を振りながら退院していく子供を見送ることは、何回経験しても嬉しいもので、子供達からもらった手紙なども一切捨てられません。幸いにして小児科医という性格上(小児科医は我慢強いんです。鈍いだけかもしれませんが(苦笑))、親からクレームを付けられても、根気強く話しをするように心掛け、幸いに訴訟までに進展した経験はありません。
草の根運動というわけではないですが、医療者が患者さんと良好な人間関係を保つ(変な平等意識ではなく)事が最も重要で、それでももし患者さんに不信感を与えてしまった場合、モンスターというレッテル張り以前に、当たり前のことですが、まずはその不信・不安の原因を理解しようとする努力、それに対して医療者はプロフェッショナルとして全力でそれを拭う努力が今以上に必要とされるであろうと改めて考えさせられました。一つ一つの個別の不信感を拭うことは、もし強い不信感を招くような事件がたとえあったとしても、その不信感の拡大に対する防波堤にもなると思います。


そして、
仮に福島地検の悪意を問題にするのであれば、医療側が述べるべき意見を述べたことが前提になります。
正論だと思います。ただ、この問題の根本には現場のマンパワー不足が大きな原因の一つあることは否めないと思っています。鑑定依頼を断った本当の理由は当人にしか分からないと思いますが、、、私の医局の状況を前提に話しを進めさせていただきます...刑事事件の場合の鑑定医選定に当たって、今回のような稀な疾患で専門性の高い内容になるとその分野の権威、つまり大学教授などがまず候補としてあがると思いますが、今の彼らは忙しすぎます。学生・研修医・大学院生の教育、医局運営・病院運営・法人運営の会議、各種委員会(感染対策や安全管理など)の委員長業務、学会運営、学会関連委員会などなど...これらは基本的に医学・医療を患者さんのためにより良いものとするために行うものです。鑑定依頼を受けるために、これらの業務を他の准教授・講師・助教などに割り振れば良いと考えられるかもしれませんが、少なくとも私の所属する医局では、人手が足りないため、割り振る量が増えると、外来・病棟業務に支障が出てしまい、本来の医療の目的からすると本末転倒となってしまいます。
では、それを改善するために鑑定医1人あたりの負担を軽減する良い選定システム作りが必要ではないか?例えば、現場での一番の働き手である中堅数名で分担した鑑定と権威と呼ばれる教授・准教授クラス数名で分担した鑑定をいわゆる二院制の様に用いると、1人あたりの負担は軽減されるのではないか...という様な事も考えたのですが....結局分担によって1人あたりの負担を減らしたとしても、その複数人を果たして確保できるのか?というマンパワー不足問題にどうしても当たってしまいます。今の現場は現状維持がやっとというのが正直なところです。
そしてその問題を解消するためには、人手を増やすか、1人あたりの仕事量を減らすかでしょう。医学バカで法律制度関係に無知でド素人の私はそこで思考停止してしまいました。もっと教育システムや病院の各種会議等をシェイプアップして無駄を省く努力が必要なのでしょうが、現実的には改善と言いながらも、どんどん仕事が増えている印象が否めません。漠然として具体性が全くないのですが、もっと他業界のシステムを勉強し、導入して改善していく必要があるのだと考えています。その一つのソースとして、モトケンさんが提供して下さっているこちらなどで、非医療関係者(法曹を含む)の方から法律だけに限らず、うまく運営するためのシステムなどのアイデアを教えていただき、逆に医療の現実を理解して頂くことで、それに見合った新しいシステムのアイデアが医療者・非医療者を問わず出てくることが望ましいと思います。


まとまりのない文章になってしまいましたが...
司法・医療・市民の相互理解を目指す場
として、そしてそれによって何か新しいものが生まれる可能性がある非常に貴重な場所だと思います。モトケンさんどうもありがとうございます。m(_ _)m

私は新参者ですが、このブログから今まで学んだことは多かったと思います。

非常に考えさせられたのは「結果が予見不可能な選択肢を迫られた場合、それを争点としないというルールは作れないのか?」という質問に対して法曹関係の方から、「裁判という制度の本質に関わる部分であり、予見不可能であっても裁判の制度上それを争点とせざるを得ない」という回答を得たことでした。

こういう基本的な考え方については他では学ぶことが出来ないので、このブログは非常に有意義だと思います。

自分を含め感情的な発言も多々ありますが、いろんな情報も提供しておりますので、互いに学べれば幸いかと思います。

今朝の朝日新聞・天声人語欄に「警察嫌い」の話題がありました。「医療不信」と通じるものがあり、警察官の方々も大変なんだろうな、と当たり前の感想をもちました。
http://www.asahi.com/paper/column.html

大野病院事件を通じて私が感じた「警察・検察への不信」は、誠実に仕事をしていても「自分にも起こるかもしれないという不安感」でありますが、医療事故や不祥事の報道に接して非医療者の方々が抱く「医療不信」もまた「自分にも起こるかもしれないという不安」もあるように思います。
結局、それぞれの持ち場で、それぞれが信頼に足る実績を重ねていくしかない・・と。
天声人語の丸写しですが(笑)。

モトケン先生、医療問題に関心を持っていただき、ありがとうございます。

>司法・医療・市民の相互理解を目指す場でありたい

その通りです!

モンスター・ペイシェントは実在しますが、多くはありません。
トンデモ医者も存在しますが、ごく少数です。

普通の患者を良心的な医師が診療し、残念な結果になったら諦める。
それが実現されることが大切だと思います。

なぜ実現されないのか?

民事・刑事の過大な訴訟リスクもその1つだと思います。

もっとも、
医療者がリスクを過大に受け止めすぎなのかもしれません。

一方で、裁判所の判決は正論であっても現実的でない、と思うことも多いです。

このブログのコメント欄が建設的な議論の場になることを願います。

モンスター・ペイシェントは実在しますが、多くはありません。 トンデモ医者も存在しますが、ごく少数です。

確かにその通りですが、破壊力は医療システムを破壊するのに十分大きいですね(笑)。

民事・刑事の過大な訴訟リスクもその1つだと思います。
訴訟リスクを過大に見積もりすぎてる。すなわち過剰反応している、と言う見方は否定しません。しかし、医療人は、最悪の事態を回避するための行動を選択するのが習性なので、仕事もハイリスク分野から逃避するという結果になるのでしょう。
モンスター・ペイシェントは実在しますが、多くはありません。トンデモ医者も存在しますが、ごく少数です。
確かにその通りですが、破壊力は医療システムを破壊するのに十分大きいですね(笑)。

 モンスター・ペイシェントに関しては、救急外来などに居座られた場合にどのように対処するか、というのが1つの問題です。
 最近はすぐに警察に連絡するのですが、「傷害」ということだと「まだ殴られていないでしょ」ということで、あまり効果的な対処をしてくれません。これを我々はキャッチ・アンド・リリースと呼んでいます。「不退去」ということであれば、ちゃんと対処してくれるという話を聞きます。これからの医療機関には、そのような研究や情報交換も必要かと思います。

 我々の方で確かな対応オプションを持っておけば、診療に際しても気持ちの余裕をもつことができるかもしれません。

 このあたりについて、医療関係者、法律関係者の意見は如何でしょうか?

訴訟リスクを過大に見積もりすぎてる。すなわち過剰反応している、と言う見方は否定しません。

なぜ我々医師が過剰反応するのか?

これの原因の1つとしてマスメディアによるミスリーディングがあると思います。彼らの頭の中には「悪役ランキング」と「善玉ランキング」があり、悪役ランキングには政治家や官僚などと並んで医師が上位にランクされています。一方、患者や医療事故被害者は善玉ランキング上位なのです。もし悪役ランキング上位者と善玉ランキング上位者の間にトラブルが起こると、そのプロセスや結果にかかわらず、マスメディアによって前者が悪いことにされてしまいます。

なので、裁判で医師が勝ったとて、マスメディアによって隠蔽だの改竄だの、あらぬ嫌疑をかけられてしまうのです。

「いい加減、悪役扱いするのは止めてくれ! こんなに頑張ってきたのに。もうやってられねえよ」
というのが医師たちの偽らざる気持ちだと思います。

※ 私は「医療事故被害者」と書きましたが、「過誤がない場合に被害者と呼ぶのは正確ではない」という意見もあるかもしれません。まあ、神様を加害者とすれば被害者という表現も理解しやすいかなと思って、敢えて被害者という表現を用いました。

※ 最近になってモンスターペイシェントという言葉が発明され、悪玉ランキングでは医師よりも上位に来ています。患者は善玉ランキングに置いたままにできるので、マスメディアにとっても便利な言葉ともいえます。

>訴訟リスクを過大に見積もりすぎてる。すなわち過剰反応している、と言う見方は否定しません。

ひとつの誤解で10年間被告にされる可能性があるのだから、
決して過剰反応とは思いません。

今まで多くの重症患者さんの命を助けた実績があろうとも、
今日重症患者さんの救急搬送を引き受けて、自分の手に負えず、転送先を探している間に患者さんがなくなれば、民事と刑事の療法で被告になる可能性があります。

この可能性があることが妥当なのであれば、つまり手におえない患者さんを引き受けたことが賠償請求や刑事告訴の対象になるならば、
この可能性を最小限にするために、自分が見られない可能性があるかもしれない患者さんを医師が断る権利は認められるべきと考えます。

この権利が認められる場合、断った医師が診察していれば助かった多くの患者さんが医療を受けられずに亡くなる可能性があります。
多くの医師はこのような気の毒な患者さんが出ないように、出来るだけ診療依頼を断らないようにしてきました。その結果として医療現場では多くの成功とわずかな不運、不幸が生まれ続けています。

この現実が受け入れられれば良いのですが、多くの成功は認めるが、わずかの不運不幸を医師個人の責任に帰し民事、刑事で被告席に立たされるのであれば、わずかな不幸を生み出さない方法として、見切れない可能性が極めて少ない患者さんのみを診療するスタンスが現れることは仕方のないことだと考えます。
最近話題になる「たらいまわし」の原因のひとつが、医師が自分の見切れない患者さんと出会うことを恐れた結果だと考えられています。


私は、診療を断わらずに診てほしいという希望(応召義務という義務でもありますが)と、見切れない患者さんを引き受け転送が遅れるのは許されないことであり賠償請求や刑事告訴に値するという医師にとっての理不尽を解決する必要があると考えます。

多くの医師の本音は、自分が役に立ちそうなら何とかしてあげたいという気持ちである。この気持ちを汲んでくれるか、勝手な思い上がりと考えるか、、、。
今日の検察の考えは明らかに後者でしょう。
司法がこの考えを捨てない限り、私は救急搬送を引き受けるたびに、これが原因で犯罪者にされるかもしれないといういやな気持ちを感じ続けることでしょう。

私の危惧が取り越し苦労であるという証明があればありがたい。

医者とはそういう仕事なのだから、全部引き受け、全員助けるか、手に負えない患者さんは適切なタイミングで適切な施設に送るべし、それ以外は過失、誤診するなどもってのほかという意見もありがたい。ふんぎりがつきます。

事実誤認があれば、指摘していただければそれもありがたい。

人の役に立ちたい、自分の持てる力を発揮したい、という気持素直に発揮していいのだか、不運不幸をひとつでも出さないために、石橋をたたき続けるべきなのか。どのような意見も考えるヒントになるだろう。

P R

ブログタイムズ

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