エントリ

 実は、最近私の母親も同じような状態になってましたので取り上げてみました。
 母親も、ミトン着用で手首には短めのベルトでベッドの手すりに繋がれた状態でしたが(^^;
 「こうしないと点滴の管をはずしてしまわれますので」という説明を聞いて納得しました。
 本人はとても嫌がってましたけど。
 ミトンをしなくてよくなったときには、だいぶ回復してきたんだなと喜んだものです。

 ニュースの病院の状況が詳しくわからないので論評しにくいですが、患者の家族とのコミュニケーションが取れてなかったのかな、という可能性を感じます。
 もちろん、コミュニケーションが取れない原因としては、一方だけに問題があるとは限らないわけですが。

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高齢で譫妄傾向があれば、一般的にはある程度の拘束は仕方ないかと思うのですが、本件ではどういう事情があったでしょうか。判決文を読んでみないと何とも言えませんが。

この記事を見た限りでは

当日の患者数についても、一審段階では、看護師3人に対して患者数は41人とされていたが、新たな証拠調べの結果、27人で重症患者もいなかったと認定。

「病院はウソをついていた」(と認定された)ことが心証に響いたのかな、という気がします。

なぜ病院側は1.5倍もの「水増し」の患者数を主張したのか、看護師3人に対して27人(と最初から主張可能だったとして)という患者数でも切迫性・非代替性が十分あると主張できたのかどうか、が気になります。

ウチの病棟(救急病棟)に救急車で運び込まれてくる重症患者は、まず譫妄になり暴れます。これは無理もないことで、入院の事情が理解できない上に意識障害を合併するからです。危ないので、専用の帯で四肢をベッド柵に抑制したり薬を使って鎮静しています。

以前は、特に問題視することなくこのような抑制を行っていたのですが、考えてみれば「本人の意思に反した治療」を行うことになるわけですから、法律的に問題があるのではないかといわれ、今では「抑制承諾書」を本人に代わる家族にサインしてもらっています。

今回の名古屋高裁のケースはどうだったのかわかりませんが、家族の納得なり承諾がない状態で拘束していたのですかねぇ。

以下はグチです。

とにかく最近は承諾書の嵐で参ります。身体抑制、輸血、血液製剤、各種カテーテル留置、X線検査時の造影剤などなど。承諾書にサインしてもらうまで治療や検査が進みませんので、最終的には本人の不利益につながると思うのですがねぇ。承諾書があったからといって完全に免責になるとは思っていませんが、なにか事故が起きたときには、承諾書があると責任賠償額をねぎることが期待できるので、一種のディスカウントチケットみたいなものですかね。

話しがわきにそれてすみません。

身体抑制の承諾を家族に取っておかなかったのでしょうかね。
昨今では夜間緊急で承諾が必要な歳にも、家族を電話で叩き起こしてでも取りあえず承諾を取るんですけどねえ。
「抑制をしなければ危険です。もし承諾をしていただけないのなら、24時間ご家族について頂くか、お引き取りいただきます」ってのが普通なんですけどね。
しかし70万円というのは「ブブ漬け判決」入るんでしょうか。

皆さん、システムシステムという。
事故があれば、システムシステム。
個人の責任を負わさないのはいいけれど、結局判断するのは人間です。
拘束しなければ事故が起きる可能性を判断するのは人間です。
拘束しなくて事故が起きれば,ひやりはっと、下手すれば裁判沙汰です。
結果は拘束される患者の増大です。
できない医療者ほどしばります。
でも、そうさせているのは恐怖です。
恐怖の中には拘束しないで、民事裁判という恐れも含まれます。

老人ホームで転倒しただけで、多額の賠償というのがあったような気がします。

http://www1.mhlw.go.jp/shingi/s9811/txt/s1118-2_9.txt
からですが、
「精神科医師の診察、指示が不適切であって、多くは看護者の判断
いわば医師の包括的な指示の下に看護者の判断で行ってきたというような状況があった
わけでございます。
 また、精神科医師がこういった身体的拘束についての認識の甘さと申しましょうか、
深刻にとらえてなかったという問題点もあったわけでございます。」

は今も全く変わりません。
ただ、同意を形の上でとった後行うようになっただけです。

拘束しないように、と医師が行っても、「それでは責任を持てません。」
と言われます。できる看護師さんほど、縛らない方向で一緒にやってくれますけど、自信がない人はいくら言っても必要以上に縛ります。

一応、ですが、
縛らない医療を掲げている上川病院が素晴らしいなどとは全く思っていません。
同意書にサインをさせた後の、必要性の判断は医療者が行う訳です。慢性期になってもまだ縛っています。病棟が変わった瞬間に拘束されなくなったりします。拘束は本当は必要なかった訳です。
でも、その判断の間違いを減らすことはできても、0にはできない。
医療に間違いを許さないことの弊害です。

倒れて大腿骨頚部骨折を起こせば大変です。
でも、歩かせないなら結局一緒です。
拘束を解くために胃ロウを作ったのに、胃ロウが原因でより強く拘束されます。増設一ヶ月は事故を十分に恐れて拘束してもそれ以降はやりすぎという例は多いように思います。

形を変えた萎縮医療だとも言えます。

一番の齟齬は、入院前の、日常生活ができていた高齢者が、入院直後に急激に変化することを非医療者には理解困難なことにあろうかと思います。
 95歳の方が自転車で転倒されて大腿骨頸部骨折する。すぐ手術してもその夜に大暴れ、術前にいくらこのような状態が予想されますと家族に言っても、うちの父は絶対に大丈夫ですとあいてにしてくれません。挙句の果てに夜、患者家族を呼び出しても、逆切れされ、このような状態にする病院が悪いと非難するような家族が現実にいます。
 われわれからすれば、医療行為を受けるにあたって、高齢者はどんなにそれまでが元気であっても、ほとんどの方は、せん妄、妄想、その他ありとあらゆる精神症状を起こします。
 昔は、80歳であれば、侵襲的な医療行為を避けることが多かったのに、いまや当たり前。日常的にこの問題が出てきます。
 抑制拒否の家族さんにはすぐ来てもらうことを条件に入院を維持しますが、毎晩呼び出して朝までつき合わせると。2-3日で音を上げて転向してしまいます。せん妄状態の患者さんに一晩付き合えば、わかることです。
 

 自傷他害の恐れのある患者は、医療関係者に拘束権限認めて欲しいと思います。好きでやっているわけではなく、転倒落下事故から患者さんの生命身体の安全(骨折はまだいい方でベッドの柵で窒息死)を守るためのやむを得ない処置なんですから。m(_ _)m
 そうでないなら24時間付添を認めて欲しいと思います。基準看護の見回りで、窒息死を防ぐためには、3分インターバルで全患者を見守る必要がありますが、そんなの深夜未明では不可能だからです。事務屋がハタから見ていていも実感しました。m(_ _)m

PS:
 患者さんが医療テレメトリー付けていても、深夜未明に救急外来で救命措置にドタバタしていたら、医療テレメトリーのコーション音が後回しにならないという保証はありません(そんなことがないように人材不足の地方公立病院では医療従事者の皆さんが超人的な救命措置の同時並行やって事なきを得てますが。)。

術語、急性期など拘束は必要な処置です。

しかし、新聞によれば

(1)患者への危険が迫っている切迫性(2)ほかに手段がない非代替性(3)長く継続しない一時性の3要件に照らして判断すべきだと述べた。

拘束そのものを判決は否定していません。
だいたいの医療者は病院側に同情すると思いますし、今の医療状況ではしかたのないかなと僕も思います。
でも、本当に必要な拘束かという問いかけをしない医療者も多いのは確かです。


 この結果、吉田さんについては「ミトンによる抑制を行わなければ転倒、転落による重大な傷害を負う危険性は認められない」と認定した。

慢性期になって、一時的でない判断が適当に本人ができない状況で、もし患者さんのQOLを考えるのなら転倒の危険性があっても、拘束しないという判断を許容してもらう必要もあります。

縛らないで転倒したら「転倒を防止する義務を怠った」、
縛ったら「縛らなければならない危険性は認められなかった」。
どうすりゃいいんじゃい!

と切れるのはデフォルト。


必要だったのは、1家族への説明(こういう時は縛りますよ、縛らない場合転ぶこともありますよ、イヤならそばにいてね)、2ホントにこの人は縛る必要があったかの検討(というか、検討した証拠)だったんですよね。
「いやそん時の状況は現場の人間にしかわかんないんですよ」じゃいまや誰も納得しない。
カルテに「家族に抑制についての説明を行い、承諾を得た」「抑制の適否につき転倒危険評価尺度にもとづきアセスメントを行い、抑制がやむを得ないものと判断した」と記載しておくべきでしたね。
どんな形であれ、「これはデュー・プロセスをふんだ行為でした」と主張できるようにしておくことが必要だったのです。
法律家は「正しい手続き」に乗っ取った行為であるか否かをとても重視するようです(逆にいえば、デュー・プロセスを取っていれば、酷い行為も容認してくれそう)。医療従事者はその点に無頓着すぎる、と、法曹はいらだっているように見えます。
で、正しい手続きに敏感になりすぎると、医療において最も貴重なリソース(人×時間)が大量にそれに費やされるようになる、と。その結果提供するサービスの質は間違いなく低下するんですよね。
証拠? 
「病院評価機構」。
医療者は納得し、事務と周りの人は?、でしょうけど。

自傷他害の恐れのある患者は、医療関係者に拘束権限認めて欲しいと思います。好きでやっているわけではなく、転倒落下事故から患者さんの生命身体の安全(骨折はまだいい方でベッドの柵で窒息死)を守るためのやむを得ない処置なんですから。m(_ _)m  そうでないなら24時間付添を認めて欲しいと思います。基準看護の見回りで、窒息死を防ぐためには、3分インターバルで全患者を見守る必要がありますが、そんなの深夜未明では不可能だからです。

賛成。本当の現場をご存知なのですね。
命や健康を守るために、承諾を頂く時間的余裕がないことが少なくありません。承諾がなければ、しないで済ませられるわけでもありません。

私は身体拘束は、24時間連続の見守りの代用だと考えています。
点滴の自己抜去は5秒もかかりませんが、ご家族が四六時中途切れなく見守りあるいは手足を押さえていれば拘束は不要になります。

私が若いころは「付き添いさん」の制度?があって、患者さんにより一人付き(一対一)から4人付き(患者さん4人に付き添いさん一人)がいました。
現在、ミトンや拘束を必用としている人は一人付を要する患者さんでしょう。今は責任問題もあり付き添いさん復活は出来ないでしょうから可能であれば病院スタッフが一人付をすることになりましょうが、人件費を負担できる人はほとんどいらっしゃらないと思います。

でも、本当に必要な拘束かという問いかけをしない医療者も多いのは確かです。

安易に身体拘束を選択していないか、十分に検討する必要があるのはおっしゃるとおりだと思います。

 

慢性期になって、一時的でない判断が適当に本人ができない状況で、もし患者さんのQOLを考えるのなら転倒の危険性があっても、拘束しないという判断を許容してもらう必要もあります。

時々このような決定をご家族とともにすることがあります。承諾書に承諾しないと書いていただいたので、ルールに照らして言えば拘束承諾の拒否ですが、そういうよりも実際にはご家族と我々が危険を認識した上で拘束をしないことを選択したわけです。
何人かの方が転倒され、頭部外傷を負ったり、足を骨折したりされました。いずれのご家族も、事故にがっかりされ悲しまれましたが、推測の範囲内のことなので冷静に受け止められたようです。

転倒や窒息は医療従事者が「させる」ものではなく、患者さんが「する」ものですが、その責任をどこまで、どちらが負うべきかがはっきりしていません。現場の感覚としてはやはり信頼関係が大切だと思っています。

 私の子供のころは、家政婦会から派遣してもらえる付添さんがいました(今なら「家政婦は見た!医師と医療を喰い物にする公立病院悪徳事務屋」の世界w)。
 しかし、私が最初に入院したときは、既に家族の泊まりの付添も婦長への届け出と医師の許可が必要でした(法律上どこの入院病棟も完全看護しかないため)。
 私の場合、「完全仰臥!絶対仰向け!絶対安静!横向きもダメヨ!うつ伏せになったら窒息の世界だよ!拘束しましょうか?」という主治医の説明(素人にも分かりやすいな〜と関心しました。)。
 寝像が悪い自覚があり、無意識で寝返り打つ危険があったので、死にたくないから、「先生縛ってください」とお願いして、肩と骨盤のあたりを医療用ベルト(死語)でテキパキと固定してもらいました。しかも体がズレても頸部や腹部にベルトがかからない特殊?な拘束方法で。
 素人ながら感嘆し、「先生お上手ですね〜」とお礼を言ったら、「ん?趣味がSMだから。本当は亀甲縛りの方が得意だよ。ギャハハハ。」とややひきつった笑いで、「死の恐怖に直面したクランケ(死語?)」にメンタルヘルスのムンテラまでしていただきました。m(_ _)m
 昔、昔のお話です。確か、拘束の同意書なんかなかった牧歌的時代でした。
 点滴自己抜擢や体位変更による落下等の気道閉そくや脳内出血で3〜5分でアウト(蘇生しても重度の脳障害が残る)ということがわかる人が少ないのでしょう。

 身体拘束自体で、より不穏をひどくすることもあるのですが、安静を守れない患者であれば、薬剤による鎮静をするか身体拘束をするしかありません。この判決は、3人で27人だったから違法で、41人だったら問題ないということなのでしょうか?徘徊する老人であれば、その1人にへたをすれば2人の看護師の手が取られ、26人を1人でみる状況をつくりだします。
 療養型の病院で、しばらない医療と宣伝している病院もありますが、転倒して、大腿骨頸部骨折になり、患者を搬送してきたことがありますが、紹介状には、既往歴も医師が書かず、身長、体重さえ書かれていなかったことがあり、院長に電話をかけて抗議したことがあります。
 身体拘束をしないで、認知症、あるいは譫妄の患者をみるのは看護師の努力に依存するのであり、医師の努力も労力もほとんど関係ありません。そばにいて落ち着くのを待つことができたなどというのは、何も知らぬ無責任な理想論だと思います。

 私のつたいない経験でも、こういう判決例の結論部分だけが一人歩きして「身体拘束はとにかく違法」と騒ぐ人(役人の世界にも多い)が出てくることです。
 証拠関係や事実関係が判決からはよく分かりませんので判決事案には言及を控えますが、一方で、身体拘束と年金無断天引きを常態としたヒドイ療養型?診療所併設?介護付き?老人ホームの事件があったりするので、よけいややこしい問題を生じるからです。(医師常駐をうたい文句にした悪徳介護老人ホームの例:倒産済み)
 世間の人(代表はマスコミ)は、純然たる医療施設と上記のような介護型老人ホームの区別がつきにくいらしいので特に。_| ̄|○

法曹の方に教えていただきたいのですが、精神保健福祉法以外で病院や施設において患者さんを拘束することを認める法的根拠はどこにあるのでしょうか?。私も医師ですので、やむを得ず拘束を行ったことは何度もありますが、認知症の患者さんなどで家族の承諾書だけでいいんでしょうか?。いつも気になっております。

身体拘束をしないで、認知症、あるいは譫妄の患者をみるのは看護師の努力に依存するのであり、医師の努力も労力もほとんど関係ありません。そばにいて落ち着くのを待つことができたなどというのは、何も知らぬ無責任な理想論だと思います。

麻酔科医の働く場所ではそうなんでしょう。
神経内科医である僕はしばしば看護師から電話がかかってきて呼ばれます。本当のせん妄じゃないこともあります。
医者がみなきゃ、状態もわかんないですよ。
麻酔科医の働く状況の時は、拘束が本当に必要なことが多いのは確かだと思う。でも、医師の拘束への判断を看護側に投げ出している場合が多いのも問題で一回ぐらいは実際にどんな状況か見に行くべきだと思う。

 もう10年以上前ですが、調べてみて全国的に適用される医事法令では明文の規定がなかったと記憶しています。いろいろ調べて文献を漁ったときの記憶ですが、医療行為の裁量と刑法の違法性阻却事由が根拠になるようです。
(1) 医療上又は自傷他害を避けるため必要性があること
(2) 拘束手段方法が必要不可欠な範囲であること
(3) 拘束の管理が相当なものであること
という感じだったと思います。
 むろん、インフォームドコンセント(最近はやりの説明責任も事務屋にはあり)で本人や家族に説明して、
(4) 本人又は家族に承諾書にハンコをついてもらう(次のとおり不可欠ではないが)
となればベストだと思います。
 前に調べたときは、意識喪失(レベル0)で家族とも連絡が取れない事案でシミュレートして議論したときの記憶です。
 本人又は家族の承諾があった方がいいが、
A)家族の無理解で承諾がとれないとか、
B)誰もその時点で電話を介しても承諾する家族がいない
場合でも、本人の「推定的承諾」という刑法の考え方で、医師が(1)〜(3)の要件を満たすと判断すれば、本人がこん睡状態でも拘束できるという結論だったと思います。
 他の自治体への全国照会はしなかったので正確なところは分かりませんが、地方の条例や公立病院運用規則・運営規程で明文で定めているところがあるかも知れません。

 その他、突然患者さんが暴れて自傷他害のおそれがあれば(こん睡中の点滴自己抜擢や錯乱状態で大暴れ)、承諾をとる暇すらないわけですから、そして、患者さん本人から承諾がとれないだろうし、外形的に承諾がとれても真意に基づく承諾か疑義があるから、「緊急行為」として、正当防衛や緊急避難による「制圧(一時的拘束)」や緊急避難による「拘束(一定期間を要する身体拘束)」もできるかと思います。
 あまり正当防衛は考えたくありませんが、患者さん本人の生命身体の安全だけでなく、同室の患者さんや医療従事者の方々の生命身体の安全も病院事務屋だった者には、責任を感じるからです(青物横丁事件やカンファンさんの受傷事例が頭をよぎります)。

身体拘束を予防するのに最も有用な方法は
患者の選抜です

ウチのようなリハ病院ならば 認知症の有る患者を
最初から入院させない

院内で不穏を発症したら即転院又は退院

これで拘束不要になります めでたしめでたし

 そこからタライ回しで県立病院へ来るんですう(T_T)

やっぱり、明確な法的根拠はないようですね。
トラブルを避けるためには、患者・家族との信頼関係が重要と言うことになるんでしょうか。

個人的には、昨年公立病院からマターリ病院に転勤して拘束の必要性は大幅に減りました。

老健では、身体拘束に対する縛りは病院より厳しいのが現状です。以前に病院と兼務していた老健では、拘束ゼロを方針としたい施設長(医師)と看護・介護との対立がありました。
24時間対応しなければならない看護・介護側と医師との考え方の乖離は大きかったのですが、医師が家族に拘束をしないことによる転倒などのリスクを説明して了解を得る。仮に転倒による骨折などが生じても看護・介護の責任は問わないということで原則拘束ゼロを施設の方針とした経験があります。
それでも、どうしても拘束をしなければ管理できない入所者がいたのも現状で、保護帽などの対策や見守りの強化では限界があったのも事実です。

今は精神科の病院で働いていますが、精神科では医師の判断で拘束が認められています。これは自傷他害により、患者が被害者にも加害者にもならないようにとの観点ですが、当地では年に1回、障害福祉課の立入検査があり、拘束について厳しく指導が行われます。

人手も費用も必要なだけかけられ、それに見合った報酬が得られるシステムであれば医療側も引き受けられますが、老健や精神科の診療報酬・介護報酬のシステムは、一般医療と比較して低く設定されていて、その分人員配置が緩く(医師や看護師などの医療者の配置数が少なくても良い)なっているため、どうしても限られた人数でみるしかありません。

高齢化に伴い、老健でも精神科でも認知症の方が増えてきている中、「縛るな」だけど「転ばないようにちゃんと見ていろ」「転んだら責任とれ」ではやってられないと事務方の私など思うのですが、医師や看護はそれでもどうしたら事故が防げるか、拘束が減らせるかを常に考え、工夫しています。

昨今の状況から、説明と同意というのはどうしても必要だと思いますが(お役所からも自分達を守るためにも記録はちゃんとしておくよう指導がありますし・・)、産科のように無過失賠償責任保険のようなものが必要なのかもしれません。

損害賠償金……70万円。
弁護士費用はいくらだったのでしょうか?
ひょっとすると儲けたのは弁護士だけ。

恥ずかしながら,先ほどm3でこのニュースを知りました。医療集中部watcherさんの言う弁護士費用とは違うかもしれませんが,判決要旨によれば,慰謝料50万円,弁護士費用20万円だそうです。弁護士費用が慰謝料の4割なんて判決はこれまで見たことがありません。ひねくれた私としては,医療行為には厳しい司法は,自らはやりたい放題だな,と思わずにはいられませんでした。

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http://www.asahi.com/national/update/0905/NGY200809050012.html

 不要な身体拘束は違法だと訴えた入院患者側の主張を認めて、愛知県一宮市内の病院側に賠償を命じた5日の名古屋高裁判決の理由要旨は次の通り。

 ◆違法性の判断基準

 身体抑制や拘束の問題を見直し、行わないようにしようという動きは主に介護保険施設や老人保健施設を中心に見られたが、高齢者医療や看護にかかわることのある医療機関などでも問題は同様で、少なくともこれら医療機関では一般に問題意識を有し、あるいは有すべきだった。

 身体抑制や拘束が、厚生労働省がまとめた「身体拘束ゼロへの手引き」に示されているような身体的弊害、精神的弊害及び社会的弊害をもたらすおそれのあることは一般に認識されており、また当然に認識できる。

 そもそも医療機関でも、同意を得ることなく患者を拘束して身体的自由を奪うことは原則として違法だ。患者または他の患者の生命・身体に危険が差し迫っていて、他に回避する手段がないような場合には、同意がなくても緊急避難行為として例外的に許される場合もあると解されるが、その抑制、拘束の程度、内容は必要最小限の範囲内に限って許される。右記の手引きが例外的に許される基準としている切迫性、非代替性、一時性の3要件が判断要素として参考になる。

 ◆本件抑制の違法性

 本件抑制で、患者や家族から事前に同意を得た事実はない。抑制しなければ、転倒、転落により重大な傷害を負う危険性があったとは認められない。患者の夜間せん妄については、病院の診療、看護上の適切さを欠いた対応なども原因となっている。特に、おむつへの排泄(はいせつ)の強要や、不穏状態となった患者への看護師のつたない対応からすれば、本件抑制に、切迫性や非代替性があるとは直ちには認められない。

 当日の入院患者に格別重症患者もおらず、看護師がしばらくの間、患者に付き添って安心させ、排尿やおむつへのこだわりを和らげ、落ち着かせて眠るのを待つという対応が不可能だったとは考えられない。

 切迫性や非代替性は認められず、緊急避難行為として例外的に許される場合に該当するという事情も認められない。抑制の態様としても、様々な疾患を抱えた当時80歳の患者に対するものとして決して軽微とはいえない。従って、本件抑制は違法だ。

 ◆損害額

 抑制の結果としての傷害により患者が受けた身体的及び精神的損害に対する慰謝料は、病院の不適切あるいは違法な対応、傷害の程度から50万円が相当だ。弁護士費用は20万円が相当だ。

え〜?
弁護士報酬が20万じゃー大赤字じゃないかなー

>弁護士費用が慰謝料の4割なんて判決はこれまで見たことがありません。

 分母が低額だから、見掛け上の比率があがっただけでしょう。判決の認める弁護士費用は、どうも下限の閾値(最低価額の下限絶対値)があるようです。推測ですが。

この判決は、僕は受け入れやすい。

なぜ、非医療者が拘束はしょうがないと思えるのか僕には??。
縛られていたら腹たつでしょ。何にもなくても。

まして、少し判断力の乏しい認知症の患者さんや意識障害が残った
患者さんは暴れますよ。

僕の父親も死ぬ間際は拘束されていました。
自分もしていることだから、「オヤジにはごめんね。」と言いながら、
自分がいる間は拘束をはずさせてもらっていました。オヤジも拘束必要?
と思っていたんですけどね。オヤジが寝息をたてるとそっと拘束をしなお
して帰っていました。

医者であるオヤジも「はずしてくれ」と哀願しました。
僕の患者さんも哀願します。
拘束に抵抗のある医師が自分だけであると感じているので、チームの結論
には一応従っています。

時々、きれますけど。

弁護士費用について,加減閾値の推測は推測でいいのですが,相場から逸脱しているのは間違いないでしょう。

この判決を見てもわかるとおり,医療には厳密な基準を当てはめて有責認定しています。医師の裁量どこ吹くかぜですよ。

一方,自らの判断はどんぶり勘定もいいところで「オレがルールブックだ」ですよ。

「他人に厳しく,自分に甘い」を顕示した判決と思っています。

>弁護士費用について,加減閾値の推測は推測でいいのですが,相場から逸脱しているのは間違いないでしょう。

相場はいくらだと思っておいでなのでしょうか?

>この判決を見てもわかるとおり,医療には厳密な基準を当てはめて有責認定しています。医師の裁量どこ吹くかぜですよ。

切迫性、非代替性、一時性の3要件を判断要素として例外的に認められる場合をのぞけば原則として身体拘束は違法である、と言う判断基準のどこが厳格なのでしょうか?

議論が一人歩きしてしまうのを怖れて投稿します。
問題となっている事件の病院側担当弁護士です。

(以下、管理人により公開保留)
投稿者は「病院側担当弁護士」とのことですが、このような個別事件の内容にわたる投稿については、投稿者が病院側担当弁護士であることが確認される必要があると考えます。
管理人

 被告側が上告したようです。将来を見据えた最高裁判例ができることを祈念します。
 身体拘束は患者さんの生命身体の安全を守るのが主眼です。これをわかって。そうでなければ付添人制度を復活して!

病院側が上告 入院で身体拘束
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/080919_5.htm

できる医者は、もちろん、たっぷり向精神薬を使って鎮静ですね。わかります。

しかし、仮に高裁判事の意図がぶぶ漬け判決だったとしても、裏目に出ましたなあ。

ところで、身体的拘束と薬物をたっぷり使った鎮静は、人権という観点からは、どっちもどっちだと思うんですが。
前者は擦り傷くらい作る可能性がありますが、後者だって呼吸抑制が起これば命に関わることがあります。

十分な人員を雇えるお金さえあれば拘束なんて要らないのですがw

チビが入院したときは泊まりこみで、小児病棟の小さい柵のついたベッドに縮こまって添い寝して点滴をはずさないか監視しましたね。
夜間は抑制する小児病棟もあるようですが、かなりかわいそうみたいなので。

が、しかし母が入院して平気だよ〜といってたくせにきっぱり入院譫妄を起こしたときはど〜ぞど〜ぞで抑制してもらいました。
どうやら回復したらその時のことを覚えていないらしく、他の患者さんを見てあれはお年寄りをいじめてるんじゃないかとか言ってました。
忘れててくれてよかった〜。(笑

 いや、お金の問題じゃなくて、人権に対する意識の問題でしょう。
 ネットで調べたところ、介護保険施設はも身体拘束の廃止が進んでいるようですね。
 お金のことを言うなら、介護保険施設だって経営は厳しいはずですが。

 あともうひとつ。
 業務の効率・結果至上主義の発想で行くなら、例えば犯人を吐かせるためには、弁護士を排除して何日でも拘留して尋問するのが有効でしょう。
 でもそれでいいんですか?という話でしょう。
 取調べを過酷に行えば、犯人を吐かせる効率はあがるでしょうが、人権上の問題や冤罪の危険性が発生します。
 身体拘束をすれば、患者が怪我する可能性は減るでしょうが、人権上の問題や患者のQOLの問題が発生します。
 じゃあどっちを取るかと言う問題ですが、日本の法律の発想は効率よりも人権をとるはずですし、それが正常な思考だろうと思うところです。

現在では病院でも人権に対する意識は進み、めったなことでは身体拘束はしないことになっております。

ただ、生活の場である介護施設とは異なり、治療を優先するためにどうしても必要な場合もあります。
怪我か人権か、だけでは判断できない場合も多いので悩ましいところですね。

 患者さんの拘束現場では、骨折以上の大けが(頭がい低骨折や頚椎骨折なら死亡もあり)か死亡の危険がある場合がほとんどです。金儲け特老施設じゃあるまいし、おむつ程度で拘束していないですよ。10年以上前から。金や効率の問題ではありません。
 点滴自己抜擢や頸部圧迫気道閉塞で「死亡の危険があれば」むしろ拘束すべきです。
 金があれば24時間付添ナースやコメディカルも配置できますが、ちょっと目を離した隙に転落事故等が不思議に発生するので(マーフィーの法則)、24時間監視でも人命優先で拘束すべしという場合すらあります。
 人権の価値体系(保護法益)は、生命、身体、人格、財産の順番に判断すべきです。人格尊厳の保護法益を守り拘束しないために死亡しましたでは本末転倒だからです。

>デ・ロッシ(勤務医)さん

 治療のために必要な拘束であるなら、反対しません。

現在では病院でも人権に対する意識は進み、めったなことでは身体拘束はしないことになっております。
 大変失礼しました。

>ハスカップさん

 人権の価値体系(保護法益)は、生命、身体、人格、財産の順番に判断すべきです。人格尊厳の保護法益を守り拘束しないために死亡しましたでは本末転倒だからです。
 これについては、異論は全く、そのとおりだと思います。  とは言え拘束は原則的に不当なものですから、人権保護と事故回避を天秤にかけた上で、必要最低限度に止めるべきだということが言いたいのです。  怪我をするかも知れないから一律に拘束、というのは勘弁してもらいたいということです。

この問題、非常に難しいのですよね。

「転倒して怪我をするかもしれないから」程度での拘束、数
年前に一度だけ行った病院で見たことがあります。自宅での
介護がとても無理な高齢者(ほとんどの方が痴呆)を集めた
姥捨て山のような病院があるわけです。大部屋にベッドを
びっしり並べていて、親族はほとんど面会に来ない。そうい
う病院では診療報酬が最低ランクにまで減らされますから、
所定の看護師の数ではとてもまともな介護ができない。問題
行動を起こすような患者さんには身体拘束を行うしかない状
況なわけです。

裁判で身体拘束が問題になると、いつも「同意書は?」とい
う話になります。こうした病院では親族は同意書を書きます。
自分のところから厄介払いをしたいからです。そしてろくに
面会にきません。でも、「人権」という観点からすれば、こ
れらの病院の実情がいちばん問題だと思うのですけどね。


一方、急性期の病院ではたとえ同意書がなくても拘束をする
のが望ましいケースも多々あります。生命維持に必須な点滴
を患者さんが抜いてしまう危険性がある場合がその典型です。
私が聞いたケースでは、心筋梗塞後で血圧が50〜60くらいし
か出ない状態で PCPS (大腿部の血管から挿入して送血や脱血
を行う心肺補助装置) を抜こうとしたというのがあります。
まさに生命の直接的な維持にかかわってくるわけです。ス
タッフが多く配属されている集中治療室といえども夜間につ
きっきりで見守れるだけの人員はありません。同意があろう
となかろうと拘束しなきゃならないのです。


こうした実情を知っていると、「原則違法」「同意書」とい
うレベルで思考を停止してしまう世間の対応に絶望感を感じ
てしまいます。

「人権」という観点から言えば、問題にすべきは姥捨て山病
院の実態です。家族から見放されているので問題にされるこ
ともなく、司法の場に上がってくることもありません。

>とは言え拘束は原則的に不当なものですから

その十把ひとからげ的な感覚は違うと思います。

個人的に見た例では、肺がんの術後に胸腔ドレーン、点滴、フォーレ全部引っこ抜いて、家に帰ろうとしたじいちゃんがいました。

この人なら、拘束具も、初号機並みに引きちぎって脱走を試みたんだろうなあ。

とは言え拘束は原則的に不当なものですから、人権保護と事故回避を天秤にかけた上で、必要最低限度に止めるべきだということが言いたいのです。

人権問題を考えていない病院・施設はないと思いますよ。それでも拘束が必要なケースがあるわけで・・・。介護保険や精神科病院では拘束の状況を確認されますし。

医療事故問題と同じものを内包しているのですが、自分で転倒して骨折した場合でも、管理が不十分と病院側に責任を求める家族もいます。今回のように拘束が人権侵害だと訴える家族もいます。医療や介護は契約ですから、基本的には本人(家族)が望まないことを医療者側が強制することはまずしません。しかし、それはその希望を全てを病院や施設側が受け入れるかというとそれも違います。病院や施設側にも方針や限界はあり、それらを考量して判断しているのです。

私の経験では、現場の人間(特に看護や介護)は、自分達が大変だからといって拘束するという考え方をしてものはいないと信じています。

こういう感情論的な書き方をすると議論にならなかも知れませんが、治療上・看護上・介護上必要かどうかの判断は医療側を信じて委ねて頂くしかありません。

ところで、基本的な法律論をご教示願いたいのですが、ある「省令」の効力が、本来条文にない施設にまで及ぶという判断を高裁レベルで行うというのは普通のことなのでしょうか。

おしっこ用のバルーンを抜いて血を流している患者、点滴や栄養チューブを抜く患者などは日常茶飯事では。うちの父親も晩年は脳梗塞の後遺症で、経鼻栄養から胃瘻に変えたのですが、自己抜去するので、守っ手クンを愛用していました。

老健の認知症専門棟では、廊下やホールで排泄する人がいても決して拘束はしません。たとえそのために壁紙を変えなければならなくても・・

おはよう諸君

久しぶりにコメントします。

この高裁判決の論理として,正確なことは報道ベースでは分かりません(判決要旨は分かりやすさを重視するあまり厳密性に欠けます。)。
ただ,省令の適用外になっている施設について直接その省令が適用されるという論理で判決文が書かれているとは思えません。

もちろん,これは私の推測にとどまります。
しかし,法令の直接適用・類推適用・拡張解釈などという法令解釈のごく初歩を高裁裁判官がないがしろにするとは考えがたいところです。
また,判決要旨上も,省令が適用されるなどということはどこにも書かれていません。

法解釈の手法については別に補足します。

有名な例ですが,「何人も公園に犬を連れて入ってはならない」という規則があったと仮定します。

これは直接的には犬に関する規則ですから,別の動物を連れて入った人に対して,この規則に直接違反したということは法解釈の手法として誤りです。

もっとも,だからといって別の動物について全く規則が効力がないかというとそうではない。公園への犬の連れ込みがもたらす弊害がどのようなものと考えて規則が作られたかなどを考慮して,類推解釈や拡張解釈ができるかを判断すべきこととなります(なお,刑法における類推解釈の禁止などの論点は省略)。

すなわち,
「飼い主のマナーが悪く,フンもろくに処理しないからこういう規則が作られた」というのなら,
ウサギもフンをするから明示しなかったけど規則の対象と考えるべきという考えも成り立ちうるでしょう。
他方
「犬はうるさくほえるから,安らぎの場である公園にはふさわしくないから規則が作られた」というのなら,ウサギはほえないから規制の対象外と考えることも可能でしょう。

法令解釈は条文の文言が基本中の基本であることはいうまでもないですが,立法理由や制度趣旨など条文の文言には表れていないものも解釈の場で参照されることに留意が必要だと思います。

ssdさんの疑問が,下級審において,法令が類推解釈・拡張解釈されることが普通かという一般論を聞いているものと考えて,その疑問を別項で答えてみたいと思います。

さて,下級審(簡裁,地裁,高裁)で法令について類推解釈・拡張解釈をすることが普通かということですが,これは珍しくないとお答えしておきます。

現実問題として,あらゆる事態を想定した立法が不可能です。そうすると,法令を直接適用することができないことは結構あります。
そのとき,当事者が類推適用の可否をめぐって厳しく対立するなら,下級審としても類推適用をするかどうか結論を出さなければなりませんね。

そもそも実際に最高裁である法令について類推適用が妥当だと判断されるに至るには,それに先だって下級審の判断があるのが通常です。

以上です。
三連投失礼しました。

怪我をするかも知れないから一律に拘束、というのは勘弁してもらいたいということです。

怪我をするかもしれないけれども、拘束しないでおいて、本当に怪我をされると医者も家族も後悔します。

骨折されたり、おでこがぱっくり割れて血だらけになって倒れている患者さんを見たら、怪我をしたけれども、これでよかったなどとは思えません。

転倒や窒息は医療従事者が「させる」ものではなく、患者さんが「する」ものですが、その責任をどこまで、どちらが負うべきかがはっきりしていません。現場の感覚としてはやはり信頼関係が大切だと思っています。

http://www.yabelab.net/blog/medical/2008/09/06-175727.php#c180884

>>Sou(法曹) さん

よくわかりました。ありがとうございました。

ところでこちらに詳しい判決文があがっていました。

http://www.yuki-enishi.com/kourei/kourei-00.html

http://www.yuki-enishi.com/kourei/kourei-12-2.pdf

この判決文を見る限り、上告はむべなるかなという気がします。

よほど、二審で被告側が下手打ったんですかねえ。

裁判で身体拘束が問題になると、いつも「同意書は?」とい う話になります。こうした病院では親族は同意書を書きます。 自分のところから厄介払いをしたいからです。そしてろくに 面会にきません。でも、「人権」という観点からすれば、こ れらの病院の実情がいちばん問題だと思うのですけどね。
 同意をとっているのであれば、後はその病院で行われている拘束の妥当性が問題になると思います。  真に必要のない拘束を行っているなら違法だと思いますよ。もちろん、そういう病院において、家族が訴訟を起こすことはないんでしょうけど。  例え家族の同意をとり、治療上真に必要な拘束だったとしても、姥捨て山同然の病院こそ人権侵害ではないか、という指摘はそのとおりだと思います。  が、それはもう、どうしようもない世の中の不条理と言うか、完全排除することができない現実社会の不幸な一側面と言うしかありません。  そして、そういうことが他方であるからと言って、今回の名古屋高裁の判決が不当ということにもなりません。
スタッフが多く配属されている集中治療室といえども夜間につきっきりで見守れるだけの人員はありません。同意があろうとなかろうと拘束しなきゃならないのです。/blockquote>  真に必要がある場合は拘束はやむを得ないでしょう。そこを否定する人は、少なくともこのエントリにはいないと思います。
こうした実情を知っていると、「原則違法」「同意書」というレベルで思考を停止してしまう世間の対応に絶望感を感じてしまいます。
 「原則違法」で思考停止してはいないと思いますよ。  「原則違法」だが、「同意」があり、「必要性」があれば拘束は認められます。名古屋高裁の判断もそうですし、世間も大部分は「治療に必要なら仕方ない」と思ってるんじゃないでしょうか。

 今回の判例の一般的な規範設定そのものは至極まっとうだと思います。問題は事実認定と具体的当てはめのような感じです。証拠関係を見ていないので何とも言えませんが。

正直なところ、医療側としては同意書がとれるケースであれ
ば問題はないわけです。で、どこのガイドラインを読んでも
近親者が近くにいて同意書がすぐとれることを前提に書いて
ある。

でも、実際には近親者が実質的にいない患者さんがかなりの
割合でいるわけです。天涯孤独の人もいますし、近親者がい
るけれど連絡をとっていない人、近親者に連絡しても対応し
てくれない人、いろいろです。最近経験した中では、親族は
海外にいてすぐに連絡をとれないはずが、容態急変で職場に
連絡してみると妻子がすぐ近くに住んでいたというケースさ
えありました。本人は家族に秘密に入院したかったようです。
他に面倒なケースとしては、家族がこちらに向かったけれど
到着する見込みがたたない、というのもあります。

家族が行った同意の法的根拠にはいろいろな問題があります
が、世間一般的に家族と考える誰かが同意してサインさえし
ていれば、同意に反対する親族が別に現れたとしても医療側
はなんとか押し通すことができます。でも、同意がない場合
にはいろいろと問題がでてきてしまいます。

「原則違法」と司法の場で断言されてしまうと、これらの場
合の対応に困ってしまうのですね。

法律関係に詳しい方々が集まる場所ですので、私が疑問に
感じている点を提起しておきます。


患者本人が意思表明を行えない状態で、「家族の同意」が
あるかどうかという点が多くの判例で重視されているよう
です。そもそも「家族の同意」とはどのような法的根拠を
持つものなのでしょうか。なお、患者は未成年者ではなく、
代理人を事前に選んでいない(任意後見人や法的後見人を
選んでいない)ものとします。

私の法律知識では、家族に代理権が生じることを根拠付け
る規定を見つけることはできませんでした。そうした法令
があるのでしたらご教授いただければ幸いです。


2番目、家族に代理権が生じるとして、患者本人に不利益
となる行為である身体拘束まで同意することが認められる
のでしょうか。急性期で身体拘束が生命の維持に必須と考
えられる状態であれば、同意は患者本人のためになること
ですから認められる可能性は高いかもしれません。でも、
慢性期においては身体拘束は本人にとって不利益だが家族
にとっては利益となるケースが多々あります。多くの病院
では身体拘束の代わりに親族がつきっきりで見守ることを
要求します。身体拘束を認めれば家族の側は多大な負担か
ら逃れることができます。患者本人と代理人である家族と
の利害が明らかに相反する状況ですが、こうしたケースで
の「家族の同意」は法的に認められるのか。

大野病院事件とまったく逆の感想を持ちました。
事実認定の通りであれば、なぜ拘束が違法なのか(拘束が認められる3原則にあわないと評価されたのか)理解できません。

被告側が証拠証言の適切な解釈を提示できなかったか、適切な証拠証言を裁判所が正しく評価できなかったのではないかと考えてしまいます。


この裁判が始まったことで、この患者さんを抑制することに過度に消極的になり、この患者さんに不利が生じなかったか心配です。

No.57 都内病院勤務医 さま

家族に代理権が生じることを根拠付ける規定

お書きの前提で、家族に「代理権」を発生させる明文の規定はありません。

患者本人が意思表明を行えない状態で、「家族の同意」があるかどうかという点が多くの判例で重視されているようです。

「医師に説明義務違反がなかったか」 が問われる訴訟においては、判断枠組は「代理権があるかどうか」とは直接関係しません。
判断基準は、「医師が、準委任契約に基づく『善良なる管理者の注意義務』を尽くしたかどうか」です。
かなり広い枠組です。つまり、「正式な法的代理権の有無」等は、結論をダイレクトに左右する独立した基準ではなく、一要素に過ぎないものになります。

認知症などで通常のコミュニケーションをはかることが不可能になっている患者さんの場合、上記のとおり家族は「代理人」ではありませんが、「本人または代理人に対して説明をすれば無問題」 という基準にしてしまうと、不都合が起こります。
つまり、呼びかけても返事もできない患者さんにあれこれ説明して、腕をつかんで承諾書に拇印を押させれば、後で家族にとってどんなに納得のいかない処置だったとしても(適応疾患であり手技上のミスもなければ)まったく問題なしとしてしまっていいのか、という問題です。

なので、「もし成年後見を申し立てたならば後見人となるであろう立場にいる人」 を、実質的な代理人とみて、その人に対して説明を行うのが合理的だ、ということになるのは自然なことだと思います。

「家族に代理権が生ずる」 のではなく、 「その場合には医師は家族に対して説明を行う義務が生ずる」 というほうが正確な表現になります。


患者本人に不利益となる行為である身体拘束まで同意することが認められるのでしょうか。

上記のとおり、家族には(手続なしに)代理権は発生しません。

そして、もし本人の(瑕疵のない)同意があるならば、身体拘束を行っても違法性は生じません。民事・刑事を問わず。

本判決でも援用された三要件は、あくまでも、「本人の同意がない」 ことが前提です。
本人の同意なしに自由を奪うことは、法の建前に従った説明の順序からいけば、「原則として違法」です。
その違法性を阻却するための判断基準はいろいろあるわけですが、緊急避難(的なもの)として構成した場合に、切迫性・非代替性・一時性の三要件はフィットしますね、ということです。

慢性期の場合でも、身体拘束が「例外」という位置づけは変わりません。
ので、「例外」がなおも継続していること(切迫性・非代替性・一時性がが引き続き要求されること)をケアする側が理解する必要がありますし、それを後から立証することが可能なように記録を残す必要があることになります。防衛医療の観点からは。

ただし、嫌な話ではありますが、「患者本人が意思表明を行えない状態」 が一時的なものでないのであれば、身体拘束が違法だったとして訴訟を提起するのは家族・遺族しかいないわけです。
そういう意味で、家族に対して、身体拘束(の可能性)についてきちんと説明をして了解を得ておくのは、リスクマネジメントとして必須になります。どこでもそうしているのでしょうけど。

家族が、「つきっきり介護はできないので身体拘束でも何でもやってくれ」 と言明した場合には、「その家族」に対するリスクは低くなりますが、他の遠い親戚が後から現れる可能性があります。
結局、JBMが最も「正しい」選択になるということかと。


説明を簡略化するためにはしょってる表現等もありますので、インフォームドコンセント関連の司法判断の実例についてご興味があれば、こちらをお勧めします。
判例にみる医師の説明義務

どういたしまして。

個別事件についての詳細な論評については立場上差し控えます。

一般論ですが,裁判での勝敗をわける大きなポイントは,事実認定とその法的評価です。
民事訴訟・刑事訴訟問わず多くの事件では事実認定こそが最大の争点となり,どちらの主張している事実が概ね正しいかということが勝敗に直結するものです。
しかし,中には事実認定にはほとんど争いがなく,その事実を法的にどう評価するかが深刻に争われるケースもあります。
(もちろん,事実認定でも深刻な争いがあり,法的評価でも激しく争われるいわば全面戦争型もある。)

この件がどうだったのかは,判決全文(一審判決も含む。)をみないとよく分からないですね。
すなわち,一審判決と控訴審判決とで事実認定が異なったため一審判決が覆ったのか,そうではなく一審と控訴審で法的評価(ものの考え方)が異なった結果一審判決が覆ったのかは,報道レベルでも判決抜粋レベルでも判断できないと考えます。
すなわち,控訴審判決を肯定するにしろ,否定するにしろ,当事者の主張立証活動に問題があるだとか,控訴審裁判官の証拠評価の誤りだとかは,軽々に論じられないというのが,法律実務家としての意見です。

>すなわち,控訴審判決を肯定するにしろ,否定するにしろ,当事者の主張立証活動に問題があるだとか,控訴審裁判官の証拠評価の誤りだとかは,軽々に論じられないというのが,法律実務家としての意見です。

 禿同です。原審と控訴審でほとんど証拠が変わらないのに(判決文で指摘)、原審横浜地裁が無罪、控訴審東京高裁が極めて簡略な判決理由で破棄自判逆転有罪懲役15年という控訴審判決全文を見たことがあります。
 また、「当審で取り調べた証拠によれば」という枕詞が随所に出てきて、請求認容原審なのに控訴審は請求棄却にした民事判決全文を見たことがあります。
 ところが、控訴審判決全文を見ても、証拠関係や証拠構造に変化が生じたか否かわからないのに判断がひっくり返ったものもあるわけで、やはり証拠関係を見ないと軽々に判例批判はできないなと思う今日このごろです。m(_ _)m

どうして今では付き添いさんが認められなくなってしまったのか全くわからないのですが。
現実問題として、患者の状態によっては、家族などが切れ目なく付き添って見守ることで身体拘束をしないでもらう、という選択肢はあるものなのでしょうか? 

今となっては詮ないことですが、6年前に亡くなった父が、その3年くらい前でしたか、入院した晩にベッドからすべり落ちたとのことでゆるやかに縛られていて、面会でそれを見た家族にもショックでしたが何だかそのときに父の中の何かが折れてしまったような気がして。もしその入院の際に拘束される可能性が説明され(まさか縛られるなんて思ってもいなかった)、それを避けるには付き添いを、という選択肢が示されていたら。絶対、あそこで、あんな目には…と、考えたって仕方がないのに考えてしまうわけです。

参考までに、どなたかご教示くだされば幸いです。

病院などの医療機関に支払われる健康保険の診療報酬は、病院における入院患者数(ベッド数)と配置される看護スタッフの人数により、支払の基準が設けられています。その支払基準として昭和25年に「完全看護制度」が設けられ、家族や患者が雇った付添人を必要としない、充分な人数の看護師を配置した病院に対する報酬優遇策が導入されました。完全看護制度は昭和33年に「基準看護制度」に改変されましたが、付添人無しの完全看護という理念は、日本の健康保険制度の理想であり悲願でした。

ところが昭和40年代以降の高度成長で看護婦(当時)の充足がままならず、家族の夜間付添や、専業の付添人を病院が紹介するなどが常態化していました。その結果入院患者の家族の生活上の負担や、専業付添人の日当などの金銭的負担が非常に大きく、病院の増収策として多用された差額ベッドなどの問題もあり、昭和59年に保険診療を超えた差額徴収を原則禁ずる健康保険法の改正(特定療養費制度の導入)が行なわれました。

しかしながらその後も病院から専業の付添人を雇うよう暗に強要されたり、希望や診療上の必要性も無いのに差額ベッド代の掛かる個室に入院させられて、健康保険での自己負担分を遙かに超える入院費用が掛かる事態が続いていました。そうしたことが国会でも問題になり、平成9年3月14日に厚生省(当時)は保険発第30号という通達を出し、有料付添人の原則禁止や患者の同意のない差額ベッド料徴収を禁止することになりました。

その為平成9年4月以降は、病院が入院患者に対して有料の付添人を斡旋することが出来なくなり、ほぼプロの付添さんが病院内で見掛けることが無くなりました。現在ではプロの付添人を斡旋紹介できるのは、職安法関係での労働者派遣業の登録業者などだけとなっています。現在でも手術直後や小児の入院などの場合、誰か介添人が居ないと病院スタッフだけでは充分とは言えない場合がありますが、事情により家族の付添が出来ない場合などで、地方都市でこうした紹介業者が見つからないときは、シルバー人材センターなどで紹介してくれる場合があります。

>現実問題として、患者の状態によっては、家族などが切れ目なく付き添って見守ることで身体拘束をしないでもらう、という選択肢はあるものなのでしょうか? 

付き添って下さいとは病院からは言えないでしょうが、家族の希望ならつきそいを許可してもらうのは出来るんじゃないでしょうか?
ただし病院しだいだとは思いますが、個室じゃないと居場所が無いですよね。
父が入院したときは母はつきそいました。
またうちに子が入院したときは私は付き添いました。
が、しかし付き添いのためのベッドは無いんですよね。
個室でもソファで寝るしかありませんし、長期の入院の場合はかなり厳しいかと思います。(裏技として二人部屋を使った話しを聞いたことがありますが、入院を待ってる他の患者さんのことを考えると顰蹙かも。)

私の地元の県立病院は7年前に建て直しされましたが、新しい入院病棟には付添家族の為の仮眠室があります。もっとも仮眠室といっても単なるカーペット敷きの20畳ほどの一部屋です。あと貸し布団も病院出入りのクリーニング業者が対応していました。

私の身内が入院して手術したときは、手術後の2日間は術後管理室というナースステーションの隣の個室(療養上の必要と言うことで個室料、差額ベッド代は無しです)でしたので、貸し布団をその部屋の隅に入れて家族が2晩付き添いました。術後2日目にはベッドから歩いてトイレも自分で行くようにさせられ、3日目には大部屋の普通室に戻されましたので、付き添ったのは2晩だけでした。

大部屋でも新しい基準での4人部屋でしたので、建て替え前の6人部屋時代よりベッドの間隔が広く、ベッドサイドに貸し布団を持ち込んで付き添っている家族も居ました。もちろんナースの許可を得てのベッドサイドでの付き添いです。

また私の子供が2歳3歳の頃(平成9年の通達前の時代です)は小児喘息で何度か入院しましたが、小児科では当然のように母親付き添いを言われましたね。家内が四方を柵で囲まれた狭い小児科用ベッドに、子供と2人で足を折り曲げて添い寝してました。

 私が最初に入院したときは、平成9年の通達前でしたが、病院の運営方針で、(1)医師が必要と認めた場合で(2)家族の付添のみ、が許可制でした。それで家族が付き添えないときは拘束してもらいました。脚部大静脈を大きく切開して穴をあけるXXX検査をした直後で、寝像が悪くて無意識で掻きむしったりして、万が一血管縫合部分が皮膚ごと破れて失血死したくなかったからでした。ICUやCCU以外の病棟には医療用テレメータが設置されてない病院だったし。
 もっとも、他のベッドで付き添う人の中には、患者にビジネスライクな敬語を使う家政婦のようなテキパキ付添仕事をする「自称叔母さん」が多かったなぁw

法的な部分については、法務業の末席さまが解説してくれておりますので、ご参照ください。

病院の事務管理の立場からの話しですが、診療報酬上は、いわゆる「完全看護」という方式になり、有料の付き添いをつけてはいけない。家族などからの申し出があった場合には認めてもよいという考え方に変わりました。
したがって、沼地さまも仰っているとおり、病院側から「付き添って下さい。」とは言えず、そこから先の方針は、病院の考え方次第です。

小児科や地方の病院に行くと、家族が付き添っているケースが多く見られ、付き添いのための寝具・食事・休憩所などが整備されているところも多くあります。これも家族からの付き添いたいという申請がされ、それを病院が認めているということです。逆に、家族が申請しても、付き添いを認めない病院もあります。これは、管理上の問題が一番大きいと思います。

いずれにせよ、もし病院にご家族が入院されることがある場合には、容態急変時の付き添いの方針についてご確認されるのが良いと思います。(中には、強制に近い形でお願いする病院もあるようです。)

はい、今朝病院に行きますと、昨夕入院した大腸がん末期の71歳と、51歳アルコール性肝障害のおふたりが、夜間ベッドから抜け出して、転倒、さらに動くので拘束されておりました。入院した時点では、拘束の必要性なしと看護士が判断しておりましたが、私は少し危ないかと思っておりました。完全に危ないと思う方はまず間違いなく事件をおこしますし、危惧を感じるぐらいのひともかなりの確率で引っくり返ります。
 危惧を感じるくらいのひとは、家族はまったくその危険を感じないのが常でして、そこで拘束のことを言うとまずそんなことはないとか、拘束を拒否するとかになって、夜中呼ぶことになります。そして、結局縛ってご家族はお帰りになる。そんなとこです。
 これからCT確認します。神経所見はありませんが、防衛医療で、これも医療費高騰の原因かも。

私も、自分の外来のかかりつけの患者さんの中に、入院すると私の知っているその方とまったく別人のようになってしまう方を時々経験します。患者さんのためとはいえ、抑制の指示を出すのはとても辛いことです。ご家族が抑制に賛成できない気持ちは理解できます。

抑制の要不要の判断は、その場で医師か医療従事者が成すべきだと考えます。
入院中に突発する必要な医療行為においてさえ事前の承諾を要求されると、緊急の出来事に対処できない可能性が生じます。

家族が医療従事者が患者さんのために抑制をしているということを信じないために、あるいはマスコミや団体による不適切な報道や発言のために、患者さんが危険にさらされていると思います。

多くの方から情報をいただき、うれしいです。ミソは付き添って下さいとは病院からは言ってこないもので、患者/家族側から申し出る必要がある、ということですね(勿論許可されるかどうかは状況や病院の方針などによると)。今後の参考にさせていただきます。

それにしても、家族の付き添いが問題なく許可される事情ならば、その付き添ってくれる人に報酬を払うかどうかは患者側の自由ではないのでしょうか。規制をするところが違っているような気がして、納得できませんね。まあ納得できない法規制を言い始めたら大変なことになるわけですが。とにかく、皆様ありがとうございました。

>その付き添ってくれる人に報酬を払うかどうかは患者側の自由ではないのでしょうか。
>規制をするところが違っているような気がして、納得できませんね。

患者や家族が付添人を直接雇い、報酬を直接付添人に支払うのであれば、何の規制もありません。先に解説した平成9年の通達は、職業紹介業や労働者派遣業の法令に違反して、病院が付添人を患者家族に斡旋し、付添の費用を病院が入院費に加算して請求した中から、付添人に病院が全額を渡さずに一部をピンハネして支給する、違法の「労働手配師行為」を禁止したものです。

職業別電話帳などで「看護師・家政婦・付添人紹介所」の欄を探すと、厚生労働大臣の許可(旧労働省の許可です)を受けた紹介業者が載っている筈です。そうした正規の職業紹介業者から斡旋を受けた付添人を雇って報酬を支払うことは、何ら規制されていません。もしこうした許可を受けた紹介業者が手近で見つからないときは、その市町村にあるシルバー人材センターに問い合わせてみて下さい。シルバー人材センターもこうした付添人を紹介斡旋することは、正当な業務として法律で認められています。

平成9年の通達は、病院が有料の付添人を斡旋紹介したり、病院が付添料を患者家族に請求する行為が禁止されているのです。報酬を得て患者家族に雇われるプロの付添人を病院に入れてはいけない、という意味の禁止通達ではありません。
(病院関係者の中には、プロの付添人を付けること自体が禁止、と勘違いしている人も結構居るようですが…)

以上参考までに追加説明しておきます。

あ、きっぱり勘違いしていました。ありがとうございます、よく分かりました。

P R

ブログタイムズ

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