エントリ

 大野病院事件の判決を読んでみると、裁判所は、医療の不確実性や本来的危険性というものをきちんと理解していることが読み取れます。

 このことは、被告人(医療側)が弁護人に医療の実情というものをきちんと説明し、その説明を弁護人(司法側)が理解し、弁護人は自らが理解した医療の不確実性や本来的危険性を裁判官(司法の主体)に向けて説明・説得に努め、それが成功したことを意味します。

 言い方を変えれば、司法側は医療側の主張や説明に耳を傾け、それを理解したと言えるのであり、医療側から司法側に向けたコミュニケーションが成立した事例と見ることができます。

 それに対して、司法側から医療側に対して司法制度を説明してきたこのブログの「司法側→医療側」のコミュニケーションは、絶望的に失敗しているように感じる今日この頃です。

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コメント(62)

私の主観では反対で、同じ土俵で対立しているという点において、これ以上ないほどの成功を収めているように思うのですが。

ただ、これは私が「対立すればするほど理解が深まるものだ」と言う考え方を持っているかも知れません。表面上対立していても、奥底では理解しあえていると思うのですが、私の見たて違いでしょうか。

漠たる感想ですが。

満員御礼の寄席で、観客数人が野次と飛ばしたからといって、その野次によって客席全体の空気が変わるわけではないと思います。

演者が、その数人のみの野次が観客全体の意見であるかのように、本題そっちのけで野次とのやりとりを始めてしまったら、本題のほうに興味があった観客は興醒めになってしまわないでしょうか。

また、議論が前提だと、相手の言っていることに8割賛成、1割疑問、1割反対だった場合、コメントの分量は「賛成であることへの言及はゼロ、3割疑問、7割反対」くらいになることが多いと思います。
議論の土俵の上でやりあっていると意識が向きにくいかもしれませんが、実はその土俵はすでに相当高く土嚢が積まれた上にあるんじゃないかという気がしています。

エントリ本文に戻りますと、「司法側→医療側のコミュニケーション」 は、私としては、逆向きの矢印と同様、かなり成功しており、今も続いているという実感をもっております。
成功かどうかは、期待度の違いにもよるかとは思いますが、自分としてはそんなに低い期待度を設定しているつもりはありません。

司法側から医療側に対して司法制度を説明してきたこのブログの「司法側→医療側」のコミュニケーションは、絶望的に失敗しているように感じる今日この頃です。
小生はそう思いませんが。 ここを見に来る医師の方でも理解度には差があるとは感じますが、一応同一の土俵で議論は出来ていると思っています。   まあ医師が患者と医学の議論をしているようなもので、すれ違ってることもしばしばであるとは感じています(^^;)

 このブログほど医療側と司法側の相互理解に努めよう、進めよう管とする理人さんの運営方針、それを理解して参集する医業側と司法側の多数の常連さんが集う、というブログは他に見たことがありません。
 モトケン先生、お気持ちはわかりますが、千里の道も一歩からですよ。ニッチ産業や異業種交流ではよくある停滞や遅遅とした議論などの一時的現象です。ドンマイ。( ^^) _旦~~ドンマイ茶どうぞm(_ _)m
 それに、どんな議論でも、多少の摩擦や緊張関係は論点抽出機能を兼ねている必然的な自然現象だと思います。最高裁大法廷合議ですら、昭和30年代は、いい歳した教授連中や法曹実務家の大家連中が激論の末に六法を投げ合ったという逸話が残っています。(暴言多謝)
 このブログの過去ログを見ても、かなり鋭敏な議論の応酬から、背後に隠れた実務上の問題点がえぐりだされ、より真剣な議論が進んだというものも散見されます。雨降って痔…もとい地固まるですよ。o(^ヮ^)o
 そもそも、当事者主義とは、予断と偏見をもった原告と被告が、予断と偏見とを相互に応酬して、それを見た中立的第三者裁判官の前に、かえって真実が浮かび上がるという制度じゃないですか。それと同じですよ。(゚Д゚)マヂデス

モトケンブログにお邪魔するようになってからまだまだ日が浅く常連とは言えない程度の私ですが、モトケンさんのその感じは、分かる気がします。

医療者の発言で、明らかに法曹への誤解がある(と、私でも思う)発言が多くあると思います。
私もまだ1年にもならないしエントリを全部読んでいるわけでもないので私も誤解している部分はた〜っぷりあると思うのですが、その私でも、呆れてしまうようなことが時折あります。
多分それらは、一部のトンデモな民事裁判が頭にこびり付いていてそれを判断基準として司法を判断している(≒木を見て森を知った気になっている)と思うんですよね。
まさに、「医者なんて身内びいき、隠蔽体質」と思われている私達の状況と対比できるものかと思います。

私たち(医療者)の法曹の皆さんに対する言動は、医療者に対する世間からの言動と似通っていると思います。
自己反省とともに、他山の石として改善していけたらという思いです。

毎回のように1から立ち戻って説明しなければならないようで、しかもなぜかその批判の矢面に立ってしまっているようで。
モトケンさんがくじけてしまってもおかしくないと思いながら、ブログを続けて下さってありがたく思っています。

私は、司法側の人間ですが、これまでのブログのやりとりで、医療側の方の司法の論理の「理解」(「納得」ではない)が進んでいるように思えます。

医療側の先生方が、「理解」はしているが「納得」出来ない部分について、口調が激しくなることは、「理解」はできます。

一方で、本ブログの管理者であるモトケン先生は、自分の個人的な考えだけでなく、立場が違う多数の投稿者及びROMの方のことも考えなければならないので、「理解していることが文面からは全く読みとれない」コメントに対し反応しなければならないのでしょう。

以前のどこかのスレで、法務業の末席様が提案されていた「司法の○○の考えは理解できる。しかし〜」という一言が入れば、随分印象が違うと思います。

「ブログのコメントにいちいち正式な書面のようなことは書けない。それではブログのいいところがなくなる」というのももっともな考えだとは思いますが、このブログのコメントのやりとりは、他のブログとは一線を画する、相互理解、コミュニケーションができる場だと思いますので、コメント常連の皆様も、その点をよく考えて頂けると、モトケン先生の負担も軽減するように思えます。

究極的には、fuka_fuka先生ご提案の「FAQ百人手(?)」だと思いますが、とりあえずは返信機能を活用すれば、モトケン先生が回答することが少なくなるような気がします。

 nuki さま、こんにちは。

…確認させていただきたいのですが、たとえば「司法」や法曹という用語は全面禁止、「裁判所(判事)」、「検察官」、「弁護士」等々、具体的立場を記して議論せよ、というようなご提案でしょうか?

それに対して、司法側から医療側に対して司法制度を説明してきたこのブログの「司法側→医療側」のコミュニケーションは、絶望的に失敗しているように感じる今日この頃です。

そう思って頂けているのであれば、それだけで測りようのない大進歩だと思います。

大野事件の判決まで、医療側→司法側への訴えは、のれんに腕押し、馬に念仏、石に向かって声が嗄れるまで怒鳴っている思いでした。不当、無理解、不条理なトンデモ判決が数知れず下されたあと、今回はじめてやっと一回だけ声が届きました。

もっと早く聞いてくれればここまで医療崩壊も司法不信も進まずにすんだのに、とも思います。

そのフラストレーションを少しでも共有して頂けているのであれば、それだけで涙が出るほどありがたいと思います。

こんにちは。rijin先生。

お尋ねの件は、そのような趣旨で書いたものではありません。
もちろん、同じ「司法」といっても、立場によって随分考え方が違うので、できればそうして頂きたいとは思っていますが、被医療者である司法の人間が、医療の詳細がわからないように、司法側の人でない人にそこまで求めようとは思いません。

本ブログの主たる目的が「司法」と「医療」の相互コミュニケーションであると思っているので、「司法」側の人間として、医療側の皆様が、「一定の理解があることを前提に、更なる議論をしていること」がわかるような、工夫をされるといいのではないでしょうか、という提案をしたということでご理解下さい。

>No.8 内分泌科医先生
 フラストレーションの共有で相互理解が進むと本気で考えていらっしゃるのでしょうか。
 先生は、このスレをたてたモトケン先生の「フラストレーション」がどのようなものか共有(想像)できますか?

>ハスカップさん

まったく空気を読まない乱入レスですが、(暴言多謝)は、
中国語での意味はハスカップさんの意図と正反対の意味に
なります。
お医者さんは中国語に堪能な方も結構いらっしゃると聞いた
ことがありますので...おせっかいをしました。

最近の空気の中ではハスカップさんのレスに共感を覚える点も
多いのでどうかご容赦を。

> 「一定の理解があることを前提に、更なる議論をしていること」がわかるような、工夫…

…う〜ん、難しいですね。それを言われて分かるようなら、混乱しないだろうと思うのです。

> フラストレーションの共有で相互理解が進むと本気で考えていらっしゃるのでしょうか。

 ミンデルですかね。

>内分泌科医先生

>大野事件の判決まで、医療側→司法側への訴えは、のれんに腕押し、馬に念仏、石に向かって声が嗄れるまで怒鳴っている思いでした。不当、無理解、不条理なトンデモ判決が数知れず下されたあと、今回はじめてやっと一回だけ声が届きました。

そんなことをお書きになるということは、今の今まで、福島大野病院事件以前の全ての判決は不当なトンデモ判決だったということでしょうか?また、「のれんに腕押し云々」ということは、司法は今の今まで医療者の声を一切聞こうとしてきていなかった、具体的にはたとえば最高裁をはじめとする各裁判所は医療者との継続的な協議を持とうとはしなかったし、専門委員制度導入をはじめとする制度改正なども一切おこなってこなかった、というご理解だ、ということでよろしいでしょうか?

こう書くと明らかな揚げ足取りですね。しかし敢えて申し上げますが、ここに至ってまだ上記のようなコメントをお書きになる内分泌科医先生のような存在こそ、「ぬかに釘」「馬の耳に念仏」だなあという思いを禁じることはできません。

そんなことをお書きになるということは、今の今まで、福島大野病院事件以前の全ての判決は不当なトンデモ判決だったということでしょうか?また、「のれんに腕押し云々」ということは、司法は今の今まで医療者の声を一切聞こうとしてきていなかった、具体的にはたとえば最高裁をはじめとする各裁判所は医療者との継続的な協議を持とうとはしなかったし、専門委員制度導入をはじめとする制度改正なども一切おこなってこなかった、というご理解だ、ということでよろしいでしょうか?

「すべて」とか「一切」とか、全然言ってません。ですから、おっしゃるとおり、これは揚げ足取りです。

ここに至ってまだ上記のようなコメントをお書きになる内分泌科医先生のような存在こそ、「ぬかに釘」「馬の耳に念仏」だなあという思いを禁じることはできません。

それで充分結構です。
たまにまともな判決が出たぐらいで自分たちだけが一方的に相手の話を聞いているような錯覚をもっておられること自体、「ぬかに釘」「馬の耳に念仏」です。
「どうしてこんなに話が通じないんだよ、コンチクショー!」と思ってくれたとき初めて対話の第一歩が始まるのです。

裁判は間違った判決を出しても裁判官の人生に影響しませんが、裁かれた医師は一生掛かって築き上げた、場合によっては親子何世代にも渡って守り続けた信用を失墜させます。医師が患者を殺せば生涯忘れられない心の傷として残りますが、不当に医師をつぶしたことに反省の色を示した法律家など聞いたこともありません。そういうことを言うとまた、「ぬかに釘」と感じますか?感じて下さい。感じて、感じて、怒り心頭に発して、ぼくのような医師を呪って下さい。

もっともっとフラストレーションを感じて、わなわなと震える手で髪の毛をつかんで、悔し涙をながして、歯ぎしりをして、自分の声がどうしても届かないと悟ったとき、少しだけ相手の声が聞こえるのです。これをもっともっと繰り返して、血圧が上がって気が狂いそうな思いをたくさんしてこそ、進歩があるのです。

紳士的な対話で進歩があり得るなどおとぎ話もいいところです。不当判決でつぶされて、失意のうちに死んだ医師がいる。親族の死が医者の不誠実によるものだと裁判を通じて信じ切ってしまった遺族がいる。そんな中で紳士的な対話が出来るわけないじゃないですか。唯一の出口は医師と法律家がお互いに苦しむことです。

苦しんで、苦しんで、自分の声が全く相手に通じていないと感じたときに、わずかに相手の声が聞こえる、あるいは聞く気になるかも知れない。それだけが進歩への希望なのです。

もっとも、「オレたちゃあ、テメェらのはなし聞いてやってのに、テメェらはウチらのはなしちっとも聞いてねぇじゃねぇか」という主題のトピックを立てて、紳士的もヘチマあったもんじゃありませんがね。

とにかく、そちらも苦しんでくれていることがわかっただけでも感謝でいっぱいです。

>中国語での意味はハスカップさんの意図と正反対の意味になります。

 すいません。(^^ゞポリポリ
 日本語とカタカナ英語だけのつもです。
 ご容赦を。m(_ _)m

 だったらわざわざこんなところに出てくる必要はないかと。
 いい加減にしてほしいですわ。

「どうしてこんなに話が通じないんだよ、コンチクショー!」と思ってくれたとき初めて対話の第一歩が始まるのです。

んじゃ、あなたのようにいらんこと言わないでも対話が成り立っている他の多くの医師はなんなわけ?

もっともっとフラストレーションを感じて、わなわなと震える手で髪の毛をつかんで、悔し涙をながして、歯ぎしりをして、自分の声がどうしても届かないと悟ったとき、少しだけ相手の声が聞こえるのです。これをもっともっと繰り返して、血圧が上がって気が狂いそうな思いをたくさんしてこそ、進歩があるのです。

これこそ馬鹿馬鹿しい限りです。この理屈を敷衍するなら人は戦争で泥沼になるまで戦い合わないと進歩し得ないと言うことになります。そんな低レベルな闘争をせずとも理解し合う手段はあり、事実、医療側に理解を示す法曹の方も司法に理解を示す医療者もいるわけです。理解する能力があるかないか、理解する気があるか無いかの差でしょう。
 最初から理解する気がないならこんなところに出てきてくだらないくだを巻かないでほしい。ここは理解し合おうとする人たちが集まっているところですよ。

>「どうしてこんなに話が通じないんだよ、コンチクショー!」と思ってくれたとき初めて対話の第一歩が始まるのです。

 そういう議論の進め方があるのは知っていますが、このブログのTPOから外れていると思います。ご検討ください。

>これをもっともっと繰り返して、血圧が上がって気が狂いそうな思いをたくさんしてこそ、進歩があるのです。

 私の場合、血圧が急上昇することは「死に直結するハイリスク」ですので遠慮します。m(_ _)m

モトケンさん

一言だけ、充分に成功していると思います。

私は、どちらかというとROM派ですが、あえて一言。

私はこのブログに出会うまでは、司法の方とは何の縁もゆかりもなくただ訴訟への不安が増大するばかりでした。たとえROMでもここで、私は司法の方から、コミュニケーションしてもらった一人であり、その結果、いたずら不安がばかりが増大することはなくなったうように思っています。この場の存在にあらためて感謝する次第です。

No15の僻地外科医先生と同じ考えです。

私も十分に成功していると思います。

そういう議論の進め方があるのは知っていますが、このブログのTPOから外れていると思います。ご検討ください。

いずれにせよ、ぼくがモトケン先生のフラストレーションに感謝しているという点は変わりません。

 感謝されて、こんなにうれしくないことは初めてです。
 (以下略)

この理屈を敷衍するなら人は戦争で泥沼になるまで戦い合わないと進歩し得ないと言うことになります。そんな低レベルな闘争をせずとも理解し合う手段はあり

ポリアンナ幻想です。
今後、医療崩壊が進めば「泥沼の戦争」を笑えるぐらい死人がでます。おそらく、注目を集めていないところで既に多くの人が助かるべき命を落としていることでしょう。どんなに紳士的に話し合っても、我々がそういう屍の山の上で「紳士的に」話し合っていることに変わりはないのです。どんなに紳士的に話し合っても、屍の山はお花畑にはなりません。

「人は戦争で泥沼になるまで戦い合わないと進歩し得ないと言うことになります」とおっしゃいますが、僻地の医師なら、あなたも既にその泥沼の現場を見ているのではありませんか?なにを今さら言っているんですか?我々はすでにその低レベルな闘争を日夜戦っているではないですか。

感謝されて、こんなにうれしくないことは初めてです。  (以下略)

「以下略」にいろいろとこもっているようですね。
でも、本当ですよ。
本当に泣くかと思いました。

>いずれにせよ、ぼくがモトケン先生のフラストレーションに感謝しているという点は変わりません。
>「以下略」にいろいろとこもっているようですね。
>でも、本当ですよ。
>本当に泣くかと思いました。

 厭味皮肉当て擦りとどこが違うのでしょうか?相手が不快感(フラストレーション)を感じて喜ぶのは医師として、人間として、恥ずかしくない加害行為ではないですか?
 私の場合なら「死のリスクを高める」のが貴方の言動です。医の倫理はどこへいったのやら?

 また横レスします。m(_ _)m
>僻地の医師なら、あなたも既にその泥沼の現場を見ているのではありませんか?なにを今さら言っているんですか?我々はすでにその低レベルな闘争を日夜戦っているではないですか。
 そういうことは、ご自身で「泥沼ブログ」を作って勝手にやることを勧告します。人さまのブログで自分勝手な価値観を押し付けられては迷惑千万です。相手の立場に自分を置き換えてみてください。
 なにをいまさら子供みたいな自分勝手なことを言ってんですか?

幼稚なルサンチマンをぶちまけるのは大概にしてください。
あなたの、ただただ誰かをなじりたいだけという性根が透けて見える、自己憐憫にまみれたニヒリスト気取りの被害妄想的な泣き言には、まったく共感できません。

> 言い方を変えれば、司法側は医療側の主張や説明に耳を傾け、それを理解したと言えるのであり、医療側から司法側に向けたコミュニケーションが成立した事例と見ることができます。
>
>  それに対して、司法側から医療側に対して司法制度を説明してきたこのブログの「司法側→医療側」のコミュニケーションは、絶望的に失敗しているように感じる今日この頃です。

前者の場合、医療側の主張にはそんなに医学用語が使われるわけではないし、医学の知識を特別必要とは思えない。医療の特殊事情を理解する必要はあったでしょうが、それだけで済む。
後者の場合、一々言葉の解釈から教えてもらわないと話が出来ない。

これで理解の進みが違うと嘆かれても・・・、と思うのですが。

法律関係者の方々が感じているもどかしさ?は医師が患者にムンテラした際に感じるものと似ているのかなと思ったり・・・。

 ほとんどROM専門の医師です。

 以前は、「裁判官も弁護士も関わりたくない、とにかく怖い、刑事も民事も裁判なんて関わったら大変だ」と思っておりました。でも、司法のかたも一人の人として仕事をしておられ、閻魔大王ではないと知り、司法の論理も少々分かりました。
 
 ROM専門の多くの医師の中でこのブログによって、わたくしと同じように

司法側から医療側に対して司法制度を説明してきたこのブログの「司法側→医療側」のコミュニケーション

を有り難く受け止めている人は、沢山いると思います。モトケン先生ご推薦の少年担当ジェイ氏の、ブログも理解を深めるのに有り難かったです。

 有り難うございます。

>今後、医療崩壊が進めば「泥沼の戦争」を笑えるぐらい死人がでます。

医療崩壊が進まなくても、今後5年間で日本国内だけで700万人近い死者(※1)が発生します。これは昭和6年の満州事変勃発から昭和20年8月15日の太平洋戦争終結までの足掛け15年に及ぶ泥沼の戦争での日本人の死者(軍人と民間人の合計)310万人(※2)の倍以上です。資料に基づかない不正確なご意見は、悪意ある印象操作と言われかねません。ご注意下さい。

※1:死者数の根拠は「人口動態調査」より概算予測した死者数
※2:財団法人千鳥ヶ渕戦没者墓苑奉仕会の資料より

医療は死者を減らすことは出来ません。寿命を延ばし、死の訪れを先延ばしするだけのことしか出来ません。医療が死を克服して死者の人数を減らすことができるとお考えなら、それは自然の摂理に対する思い上がりであり、大いなる勘違いではないでしょうか。

>法律関係者の方々が感じているもどかしさ?は医師が患者にムンテラした際に感じるものと似ているのかなと思ったり・・・。

 今回のはそれと違うと思います。法律関係の説明を聞く耳もたず感情的な罵倒に走る方がいるだけだと思います。
 普段はそうではありません。よろしかったら、過去ログを適当に見てみてください。m(_ _)m

「人は戦争で泥沼になるまで戦い合わないと進歩し得ないと言うことになります」とおっしゃいますが、僻地の医師なら、あなたも既にその泥沼の現場を見ているのではありませんか?なにを今さら言っているんですか?我々はすでにその低レベルな闘争を日夜戦っているではないですか。

もちろん泥沼の現場も見ていますよ。その上で言いますが、今の医療崩壊を何とかするにはユーザーである患者側も変わらねばならないのはもちろんですが、我々医師も変わらねばならないことは明らかです。

 自らが変わろうとしない限り「相互理解」は得られません。相互理解とは相手の立場も考えた上で、自分の立場を主張することのことで、あなたのやっているように、自分の考えを一方的に押しつけることとは異なります。
 私が低レベルの闘争と言うのは、お互いに自分の立場だけを相手に押しつけようとしていることです。そして低レベルの闘争の場合、それは自らも低レベルであることを証明していると言うことです。

>医療は死者を減らすことは出来ません。

言い過ぎていませんか?
今後「一ヶ月」とか「一年間」、医療がなくなった場合の死者数と、今までどおり医療があった場合の死者数が、同等の場合あなたの考えが正しいことになります。
お考えをお聞かせください。

医者が命を助けたと言うのは永遠の命を授けたと言っているわけではありません。

それとも、すべての人は死ぬ運命にあるから、死人の数は究極的には生まれた人の数と同じだと言っているのですか。
それなら、当たり前ですが、あなたの言うとおりです。
小学生でも知っています。

泥沼の現場を見ているからといってあなたがここを泥沼の現場にすることは到底正当なことと思えませんが。

ええと、なんというか。

>内分泌科医先生

>「すべて」とか「一切」とか、全然言ってません。ですから、おっしゃるとおり、これは揚げ足取りです。

いやあなた

>今回はじめてやっと一回だけ声が届きました。

って言ってますから。

私が自らのコメントを「揚げ足取り」と書いたのは、「言葉は極端だけど、まあ内分泌科医先生も筆が滑ったんだろう」と慮かったからですよ。あなたのコメントをそのまま読めば「「すべて」とか「一切」とか、全然言ってません」なんてことにはならないし、「これは揚げ足取りです」などと開き直れるようなこともないでしょう。んで、

>たまにまともな判決が出たぐらいで自分たちだけが一方的に相手の話を聞いているような錯覚をもっておられること自体、「ぬかに釘」「馬の耳に念仏」です。

の「たまに」ってのは、何を根拠におっしゃっておられるのでしょうか?たとえば、年間1000件あまりの医事関連訴訟のうち、どの程度の割合が「トンデモ不当判決」なのですか?あなたその数値と根拠を示せますか?かつて他のコメント投稿者に「統計の初歩のテキストを読んで出直してこい」と言わんばかりのコメントをお書きになっておられる内分泌科医先生のことですから、もちろん「印象」なんてことはなくバッチリ根拠を示していただけるのでしょうねえ。

また、誰が

>一方的に相手の話を聞いているような錯覚をもって

いるんでしょうか?

他の人は知りませんが、私の認識は

「臨床の現場にいる(た)医療者は、不断に声を上げ続けていた。しかし、それが学会や医師会のような中間集団によって集約されることがなく、結果、社会問題として顕在化しなかった。他方、司法(主に裁判所)は、医事紛争処理において適正な終局判断を示すために、できるだけ正確な医療情報を収集する必要を感じており、いくつかの方策を講じてきたが、充分なものとは言えなかった。本件判決は、注目度の高かった事案でもあり、また本件判決を受けて政府高官や大臣が相次いで談話を出すなど異例の扱いを受けていることから、今後の医事紛争処理の道筋を示すものと理解しうるものではあるが、一地裁の判断であり、司法全体が恒久的に維持する姿勢として理解するのはあまりにも早計であるし、今後、司法がさらに適正な判断を一定して下していくためには、さらなる方策を講じることによって正確な医療情報を獲得する必要がある(安全調はその有力な一つ)」

です。決して、「司法が一方的に話を聞いてやっている」などと考えたことはありませんし、「もう充分聞いている」とも考えたことはありません。いったい誰が、こんなことを言っているんですか?(いや、いるかもしれませんが)

>怒り心頭に発して、ぼくのような医師を呪って下さい。

ご期待にそえなくて申し訳ありませんが、もうそういう時期は過ぎましたので、呪う、なんてことはありません。

あとはまあ、詩的な文章は得意じゃないんで、よくわかりませんでした。すみません。
最後にまとめますが、私と内分泌科医先生は、たぶん、「あの判決はたしかにマトモだよ。談話まで出たってところをみれば画期的っつってもいいかもしれない。でも、いくら画期的っつったって、地裁判決だよねえ」と「本件判決は、医療情報が、制度として充分に供給されるようになったから出たものじゃなくて、あの裁判体がよく勉強し、立証責任を負う検察がグダグダだったからだよねえ」ってところは一致していると思います。べつに「コンチクショー!」と思わなくても。

私の言わんとすることは、正に下記に引用した通りの意味です。
>すべての人は死ぬ運命にあるから、死人の数は究極的には生まれた人の数と同じだと言っている

>医療崩壊が進まなくても、今後5年間で日本国内だけで700万人近い死者(※1)が発生します。

不幸にして、医療崩壊が進んだ場合、今後5年間の死者の数は現在の推定よりも増えると思いますがいかがでしょうか。

医療は、人の死を間違いなく減らしています。

「あなた自信」を非難する気持ちはまったくありません。

しかし、「あなたのこの投稿」には、医療に対する侮辱を感じ取ります。

医療を見くびるのをやめてください。

あなたの投稿は、自分の命を削って、患者さんの命を助けようとしている医者を侮辱しています。

現時点で医療と法曹の間のある程度の相互不信は仕方ないですが、
お互いに敬意を持って意見交換できたらありがたく思います。

モトケンさんや、ハスカップさんにも言ったような気がしますが、
意見に対して反対だったり、意見見解を信用できなかったりしても、その一方で、人柄や根っこにある優秀さを信用できる関係というのがあるはずです。

私もNo.28は無用な挑発(揚げ足取り)だと思います。

「いずれ死ぬんだから今死んでも構わない」とは、一般市民は思いませんよね。いずれ死ぬんだって、助かる場面でみすみす死にたいとは思いません。悪性疾患の終末期とか、そういうのは除外してお考え下さいね(念のため)。
医療訴訟の場面でだって、「そこを何とかすれば、実際に死亡したその時点において生存していた筈のことを期待する権利」が認められていたように思います。

内分泌科医さんの、発言内容の是非はともかく。この点は認めていただくべきことかと。

法務業の末席さんのNo.28は、私には挑発ではなく誤読に見えます。
内分泌科医さんのNo.21の趣旨は、「医療崩壊すれば、例えば盲腸のように現在は命に係わることのない完治可能な病気でも、手術する人手がないばかりに死ぬケースが続出する。そうなってから慌てても、技術が途絶えてしまえば医療復活の見込みはない」ということだと感じました。
それに対して、法務業の末席さんは純粋に言葉通り「Totalな死者数が増える」という意味に捉えて「そんなことはない」と指摘されたのでしょう。
法務業の末席さんが誤読されたのは、内分泌科医さんがモトケンさんの不満を喜ぶ等、挑発的な発言に終始していることに、怒りが先に立ってしまったためのように思います。
内分泌科医さんが、モトケンさんのブログやこのエントリの趣旨を多分ご承知の上でこのような発言をされるにいたった背景を想像すると、悲しい気持ちです。
屍の山ができるまで人は紳士的かつ真剣に話し合うことができない、という意見を私は否定できませんが、お互いが理解し合えずに苦しむことが進歩への希望になるという意見もよく分かりません。内分泌科医さんは、法曹側が苦しんでいることを知った今、法曹の意見を聞く気になった、ということでしょうか?

なお、一般人ながら本ブログの存在には感謝しています。
私自身は医療の今後には悲観的な立場です。
医療は湯水のように利用できて当然と勘違いして浪費する人が増えていることが医療崩壊の根源だと思っています。医療、法曹、国(および一部一般)が前向きに協力してよい制度を整えたとしても、勘違いしている人は「国や医療側が動くのが当然」と考えるのみで医療の浪費を続けるでしょう。浪費できない制度を作るか、勘違いを正さない限り、状況は改善しないと思います。私自身、医療崩壊は手っ取り早い解答だと思っていますが、他の方法はないものか探す手がかりとして、このブログはとても貴重です。度々議論が同じ場所で紛糾しますが、自分をごまかして妥協しそうな時にハッとさせられ、問題の深さを再認識します。
ただ、どうしても互いに歩み寄ろうと模索している相手に恨みをぶつけ、挑発しがちなことは、残念に思います。

浪費できない制度を作るか、勘違いを正さない限り、状況は改善しないと思います。
その通りだと思います。経済的に誘導(料金上げる)するしか方法がないと思っております。

an_accusedさんのNo.33投稿をゆっくり読んで、腑に落ちました。法務業の末席さんの投稿の行間を読むべきでした。

普段は(と言っても初参加から何日もたっていませんが)、私のほうが余程言い過ぎるのに、、。

 コストや医療財政の面に限定していえば、「老人医療費全額無料というボタンの掛け違えから全ては始まった。」という意見が密かに霞が関部落で語り継がれています。「高齢化社会を見据えた長期的観点が欠落していた短兵急な人気取り政策だった」と言われています。伝聞ですが(汗

なお、一般人ながら本ブログの存在には感謝しています。
私自身は医療の今後には悲観的な立場です。
医療は湯水のように利用できて当然と勘違いして浪費する人が増えていることが医療崩壊の根源だと思っています。医療、法曹、国(および一部一般)が前向きに協力してよい制度を整えたとしても、勘違いしている人は「国や医療側が動くのが当然」と考えるのみで医療の浪費を続けるでしょう。浪費できない制度を作るか、勘違いを正さない限り、状況は改善しないと思います。私自身、医療崩壊は手っ取り早い解答だと思っていますが、他の方法はないものか探す手がかりとして、このブログはとても貴重です。度々議論が同じ場所で紛糾しますが、自分をごまかして妥協しそうな時にハッとさせられ、問題の深さを再認識します。
ただ、どうしても互いに歩み寄ろうと模索している相手に恨みをぶつけ、挑発しがちなことは、残念に思います。

 私は、患者と公務員に軸足がありながら、一度は医療崩壊をさせて再生するという誘惑にかられときがあります。被医療者よ甘ったれるな!という感情面かな。一度破壊レベルに達しないと国民は危機意識を共有できないかも知れないし、最後は国がなんとかするという甘えの構造を感じるからです。それが「破壊そして再建」です。
 しかし、財政予算担当も経験した公務員の軸足から見ると、国家財政のサラ金地獄を考えれば躊躇します。「破壊と再建」は英国の例のように、修正改良より3倍以上もコストがかかるからです。もちろん既存制度の改良が、政策立案や国会審議の過程で「換骨奪胎」や「焼け太り」や「足して二で割る」で終わるリスクも熟知しています。

言葉に出来なかった私の思いを汲み取って頂き、ありがとうございます。

私自身は被医療者の一人として、医療崩壊が進行したら真っ先に困る立場です。そして最も過酷な救急医療の最前線で奮闘されている勤務医の方々の、超人的な勤務の実態と献身的な使命感の発露には、ただ感謝あるのみの被医療者の一人にすぎません。働いても働いても報われず、世間から正当な評価をされない勤務医の皆さんに、心から感謝の念と同情との思いを禁じ得ません。

ただそのような第一線の医師の方が時として、オレ達が逃散して医療崩壊が進行したら困るのは国民…というような、国民の健康と生命を人質にして愚痴るような品の無いコメントに接すると、つい反発したくなる悪い癖が私にはあるようです。昨夜は内分泌科医さんの一連のコメントをきっかけに、そうした私の悪い癖が押さえきれずに迸ったものとして、皆様よりお目こぼしを賜れば有難く存じます。

このモトケンブログでより良い医療体制を作る議論が、感情論ではなく理性を以て発展することを祈っています。

ネタズレ平にご容赦。

> No.41 , No.43 ハスカップ 様

私の基本的な認識は、ハスカップ様がNo.41,No.43 で仰っている事と、かなりの部分で似ております。以下呟き。

まぁ、高齢者医療に限らず福祉元年と言われたあの時期の社会保障分野の法改正は、当時の最大野党対策も多分にあったと思っています。
冷静に考えれば、高度成長の熱狂と人口ボーナスの果実を享受する事(つまり何もしなくても税収総額は拡大一辺倒)が永続するという幻想の中で行われた事で、一種の「政策バブル」だったのでしょうね。行政ではなく政治の責任(=有権者の選択の責任)は大きいと思います。

もっとも、一度施行された法制度の軌道修正が容易でないことを考えれば「バブル」という言葉はそぐわないのかも知れませんが、法制度の実効性を財政面から担保する経済環境・社会環境全般が「福祉元年を頂点にはじけた」と解せば、それ以降の政策は「法制度の永続・さらなる向上を願う多数の意思」と「バブルの後始末」のせめぎ合いというか。
昨今の政治報道(街頭取材)を見ていると、「有権者層のある種の甘え」の存在は感じますね。「最後は国が何とかしてくれる」という言葉は本来「その為の増税は甘受する」という覚悟が付随しなければ成らないはずですが。
何というか、納税した「税金は役人を贅沢させるためだけに使われ」ていて、行政サービスは「国が持っている打ち出の小槌から勝手にわき出てくる」とか「公共サービスの提供者は自分たちに無償奉仕して当然」みたいな錯覚があるんでしょうか?とうがった見方をしたくなるような。
勿論、そんな事はなくて全て行政活動は納税されたお金(或いは将来世代によって納税される予定のお金)が原資ですし、現行の予算では消費税相当分(地方消費税分除)は全て社会保証分野の支出に使われていると見込まれるわけで。

 ご理解ありがとうございます。m(_ _)m
 お医者の先生や医療従事者の方々の待遇改善をしようとしても、高度で適切な医療を提供しようとしても、患者対策やコンプライアンスでメディエータを導入しようとしても、医療崩壊を食い止めようとしても、先立つ予算がない!というのが事務屋の実感です。現状維持で前年度予算死守すら難しい昨今が超現実ですo(;△;)o
 医療事故調も予算の制約を受けるのは目に見えているだけに、医療従事者の熱意と努力による過労(誠実という普通の医療の現状がこれ)に甘えるのは限界だと思います。知っている某脳外の医師が過労に起因する脳血管障害で数年前に他界したと風の便りに聞いたので、ますます憂鬱です。
合掌 _| ̄|○ m(_ _)m ○| ̄|_ 黙祷。
本音 。・゜・(ノД`)・゜・。犠牲者だ〜!

昭和48年の老人医療の無料化、これは施行日は田中内閣ですが、老人福祉法(現在の老人保健法の母胎となった法)の改正国会審議は前年の佐藤内閣ですね。このときの佐藤内閣の人気取り政策に、成田委員長+石橋書記長コンビの日本社会党が乗っかった、究極のバラマキ福祉の産物です。

日本の公的医療保険制度(国民皆保険の健保制度)は、この老人医療無料化を境に弱者救済の福祉政策から、選挙対策のバラマキ政策にモデルチェンジしてしまったターニングポイントだと思います。この政党や政治家からの「票のためだ、年寄りはタダにしろ!」この政治の無分別と、それに乗っかって選挙に協力したアホな有権者の行動が、今の医療崩壊の出発点だと思っています。


えー、トピズレの上塗り、スレ違いで申し訳ありませんが、
掲示板スレでのNo.133 福田 出 さんからのお尋ねに、この場を借りて回答します。

お尋ねの後期高齢者医療制度での保険料の年間からの控除制度の手直しは、法令(高齢者の医療の確保に関する法律)の本条を改正(国会議決を要す)することなく、関連する政省令の改正(こちらは閣議決定だけで可能)で行なった、福田内閣の支持率回復を目的とした全くの小手先見直し策です。当の福田政権の延命には間に合わず、役立ちませんでしたが…。

高齢者からも医療保険料を徴収するという、後期高齢者医療保険制度の根幹は何ら変更はされておりません。後期高齢者医療保険制度は、給付の面で医療界にも反対論や見直し論は多いですが、医療保険の安定財源の確保という面では、絶対に避けて通れない制度改革だと思っています。

ただどうせ老人医療保険制度を作るなら、75歳以上の後期高齢者を区別するのではなく、65歳以上の全ての高齢者(前期高齢者)も保険料徴収の対象とする、一元的な高齢者医療保険制度に出来なかったのが残念です。

当初のプランニングでは65歳以上の年金受給年齢で従前の健保・国保と区分けする案だったのが、これも政治の横槍で70歳になり、ついには75歳にまで後退して、ようやく国会で成立の目処が立ったという経緯があります。

政治の貧困が日本の社会保健制度の最大の敵です。

事故訂正レス
47の後半の冒頭

>お尋ねの後期高齢者医療制度での保険料の年間からの控除制度の手直しは
 ↓
○お尋ねの後期高齢者医療制度での保険料の年金からの控除制度の手直しは

>政治の無分別と、それに乗っかって選挙に協力したアホな有権者の行動が、今の医療崩壊の出発点だと思っています。

 「下部構造(経済)が上部構造(経済外)を規定する」という典型例だと禿同です。m(_ _)m

昨夜は内分泌科医さんの一連のコメントをきっかけに、そうした私の悪い癖が押さえきれずに迸ったものとして、皆様よりお目こぼしを賜れば有難く存じます。

というか、医者から見てすら不快なコメントでしたから非医療者の方が不快になるのは当然かと。

いろいろとコメント頂きまして、言いたいこともいろいろとありますが、一つだけ。

繰り返しになりますが、私はモトケン先生が感じたフラストレーションや不快感を「喜んでいる」のではありません。*感*謝*し*て*い*る*の*で*す*。

 私は貴方のそういうコメントが
     *極*め*て*不*快*
です。

こんにちは。私はどうにも読解力が欠如しているのか内分泌科医先生のおっしゃりたいことの真意が読み取れません。しかしそれはそれとして、an_accusedさまがされていました、以下の質問には私も興味があるところですので、是非お答えをいただけたらと思います。

>>たまにまともな判決が出たぐらいで自分たちだけが一方的に相手の話を聞いているような錯覚をもっておられること自体、「ぬかに釘」「馬の耳に念仏」です。

>の「たまに」ってのは、何を根拠におっしゃっておられるのでしょうか?たとえば、年間1000件あまりの医事関連訴訟のうち、どの程度の割合が「トンデモ不当判決」なのですか?

 ところで法曹の方々と内分泌科医氏との会話にでじゃ・ビューを感じたのは私だけではないかと・・・。

 オ○・・(ry

 そういえば、 他人のブログで激怒するほど内分泌科医さんが調べて読んだと称する……判例の調査結果の回答がないですね。そりゃ不存在の判例をアップしたら信用失墜どころの騒ぎじゃないし。2年間の研究成果のはずの釈迦に誤読説法は信用喪失です。
 医事法判例の専門家の頭の中には、160件超の判例と判決例が詰まっていることをご存じない法学素人医師もいるでしょうけど。

ハスカップ様、
私のコメントに不快感を感じられたことに関して深くお詫び申し上げます。
今後は場外乱闘の裏サイトの方へのみの書き込みにさせて頂こうと思います。
「フラストレーションに感謝」の真意についても、いずれ裏サイトの方に解説を書こうと思います。

なお、調査中の書籍についてはまだ探している最中ですが、見つかり次第、しかるべき場所にご回答致します。ただし、「判例」ではありません。そういう「立場」だという解説を読んだと申し上げたのです。それが頭にひっかかっていたから生じた疑問を素朴に投げかけただけだったのです。

いずれにせよ、表への書き込みはこれで終わりにしようと思います。大変ご迷惑をお掛けしました。

モトケン先生、an_accused先生、tamatama先生、僻地外科医先生、惰眠先生、法務業の末席先生、その他の先生方にも重ねてお詫び申し上げます。

 ご理解いただけて喜ばしいです。ヽ(^。^)ノ
 なお、判例と学説は同じではありませんのでご留意いただければ幸いです。

患者医師関係とインフォームドコンセントを自分の医療の基本においている身として、長いあいだ、患者と医者のあいだに割り込んでくる司法というものが嫌いでした。でも、法律を知らなければ医者はできないこともよくわかっており、NEJM(New England Journal of Medicine)では George Annas の医療法の総論をいつも愛読しています。George Annasは、医師の法的無知に警鐘を鳴らし、ちゃんと患者の人権を尊重して、脇をしっかり固めて医療過誤専門弁護士に隙をつかれないような医療をしなさい、と忠告し続けている異色の法律学者です。「弁護士は好きではない」と公言している変り種です。
   モトケンさんは、日本の Georege Annas のような存在だと思います。このサイトは、弁護士のサイトでありながら、医療者の、司法界(裁判官・検事・原告側弁護士)に対する陰性感情(「何かというと専門用語を振り回す」「医者にバイアスを抱いて、医者を悪者にして裁こうとする」)を解き、「目を覚ます」のには最適の場を提供しておられると思います。とても丁寧に根気よく、法律用語・概念のイロハを教えては、医療者の勘違いを訂正して下さっていますし。
   なのに、医者がそこを借りて陰性感情を吐き出すことでトラウマ治療に励むのもなんだかなあ、と思います・・・・。(お心当たりの方?)まあ、それも、相互理解への過程だともいえますが。
ブログ主に、「感謝されて、こんなに嬉しくないことは初めてです」という名言(?)を言わせちゃあいけません・・・・・・。「あ〜あ」と思いました。
モトケンさん、こらえてつかあさい。


医療事故が起こって裁判になったとき、医者は、二重の意味で「裏切られ」、ショックを受けます。まず、患者に裏切られ、次に司法やマスコミや世間に裏切られる。
振り子はあっちに揺れたりこっちに揺れたりするもの、とわかってはいても、脛に傷ある身だし(過去にお医者さまとか先生とか言われて、さまざまな利権役得で傲慢になっていた面は確かにありましたからね)、医師バッシングの限界が見えず恐怖だった。それが、まあ、大野病院事件で、少しは胸をなでおろしたわけですが、しかし、医師は、患者にも司法界にもまだまだ疑心暗鬼なのです。なんといっても圧倒的少数派ですからね。司法界と違って「裁かれる側」なのです。「弱い立場」に突然陥落してしまったのですよ。それならば、と、少しでも訴訟リスクの少ない開業医や安全な科になだれをうって移動したのは当然です。
このブログは、そのような医師にとって、ある意味救世主みたいなところさえあります。


裏にも書きましたがこちらにもコピペ

>内分泌科医先生
言葉が過ぎたことを改めてお詫びいたします。
 私はモトケン先生がこの2年成されてきたことは有形無形に我々医療人にとって
計り知れないほど大きいと考えています。そのため正当でないと思われる
モトケン先生攻撃は徹底的にぶったたく(医療人、非医療人問わず)という
スタンスですので、先のような言を吐きました。
 1年以上前に魔神ドール氏から始まった一連の騒動の時に、モトケンブログですらこうなら
もう駄目かもしれない、と思ったことがあり過激な対応となってしまっています。

 もし今後、内分泌科医先生がお互いに理解し合おうというスタンスで議論に
参加していただけるのであれば、大変ありがたいと思います。

 「司法側(固定メンバー)→医療側(不特定多数)のコミュニケーション」としては、徒労感がおありかもしれません。
 ただ、確実に、医療側(固定メンバー)にはコミュニケーションは繋がっていると思われます。

 モトケン先生のブログでつながっていない「医療側(不特定多数)→患者側弁護士(特定多数)・自称”被害者”(不特定多数)」のコミュニケーションも断絶しており、未だに気勢をあげておられるところを見ると、将来の医療体制を悲観して泣きそうになります。

 不特定多数の人に、一定レベル以上の理解を求めることは、なかなか難しいとは思いますが、それがこのブログの価値を損なっているとは思いません。
 理解している医療側の絶対数は増えているとは確信します。

い〜え、どういたしまして。私もアタマに血が昇ると余計な一言の悪いクセが出ますので、言葉が過ぎた部分はご容赦下さい。
まずは先行している常連さんのやり取りから、このブログの議論の深さを感じ取って頂ければと思います。

P R

ブログタイムズ