エントリ

 「誠実な医療の重要性」において、「誠実な医療」というものについての定義がなされていなかったことが、議論の混乱を招いたとの批判を受けました。

 私としては、医師は基本的に誠実に医療行為をされているという認識がありましたので、「普通の医療」と同程度の意味合いで「誠実な医療」と言ったわけですが、「普通の医療」より「誠実な医療」のほうが一般受け(非or被医療者及び裁判官を想定)すると思いましたので「誠実な医療」という用語のほうが適切だろうと思ったのです。

 しかし、「誠実な医療」という言葉の「誠実さ」が過大評価されたりして「誠実な医療」のイメージにかなりずれがあることが明らかになってきました。
 また、「誠実に」トンデモな医療行為を行うという困った医師が存在するという医療側からの指摘もあり、「まっとうな医療」という表現が提示されたりしました。

 そこで、現実的に可能な望ましい医療とはどういうものかについて、主として医療側のお考えをお聞かせ願いたい、というのがこのエントリの趣旨であります。
 医師にも、経験年数の違いや技量や知識の違いがあると思いますが、医療行為そのものだけでなく、先輩の指導や自己研鑽をも含めた意味での、望ましい、しかし経験の浅い医師でも実現可能という意味での現実的な医療行為、または望ましい医師像とはどういうものでしょうか?

 被or非医療者が、普通に期待していいレベルでお考えいただきたいと思います。
 誰も(少なくとも普通の裁判官は)、ブラックジャックを期待してはいませんので。

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コメント(26)

 「誠実な医療の重要性」において、「誠実な医療」というものについての定義がなされていなかったことが、議論の混乱を招いたとの批判を受けました。

ははは・・・(冷汗

 それはさておき、これは非常に難しい設問ですねぇ。

 ある疾患の治療・検査・処置法において、大きな対立がないという前提条件で言えば(実際、例えば私が大きくかかわっている創傷の湿潤治療・褥瘡のラップ療法においては大きな対立があります)、

 通常考え得る疾患に対し、ごく日常的に学習しうる範囲でその時代における「常識的な」医学知識、例えばその分野で標準的に読まれている医学雑誌の総説程度の知識を学んでいる医師が、その総説から大きく逸脱しない範囲の検査・治療を大きな手抜きなしに行う・・・と言うところかなぁ・・・。
 もちろん、その疾患が標準的に見て自分の手に負えない(自身の知識・技量だけでなくスタッフを含めた施設のレベルで)場合には適切な他施設に送ることも含めてですね。

 被医療者の意見ですが、、

 まず、「誠実な医療」とは、技術よりもむしろ患者に接する態度に表れるものと捉えました。
 すなわち、医療行為の前に置いてはインフォームド・コンセントをきちんと行うこと。
 分かりやすく、できれば丁寧に説明してほしいものです。
 そして、過失のある無しは別にして、不幸な結果になった時には、患者側に対して「隠さない、ごまかさない、うそをつかない、逃げない(by医療の良心を守る市民の会・永井裕之代表)」対応をすること。
 これは技術や経験が無くてもできますね。

 次に「普通の医療」については、態度よりも技術の問題として、標準レベルの医療行為(技術力、判断力、注意力、術式の選択、設備の程度など含む)を期待します。
 抽象的な物言いで恐縮ですが、標準レベルが50点だとしたら、40点くらいの医療は受けたいと期待します。
 35点は許容範囲か、、30点は厳しい、、そんな感じでしょうか。

あ、重大なことが抜けておりました。

 通常考え得る疾患に対し、ごく日常的に学習しうる範囲でその時代における「常識的な」医学知識、例えばその分野で標準的に読まれている医学雑誌の総説程度の知識を学んでいる医師が、その総説から大きく逸脱しない範囲の検査・治療を大きな手抜きなしに行う・・・と言うところかなぁ・・・。

 上記に関して必要十分な説明と同意を得るというのが今の医療では必須条件であることを書き落としておりました。この必要十分というのがまた鵺的で非常に困ったところではありますが・・・。

うわ、見事に「名無し」さんに先を越されてるし・・・汗

 やば、素人の分際で・・・(^^;

「隠さない、ごまかさない、うそをつかない、逃げない」ということを実行するには、実は才能か技術か経験が必要だと思うんですけどね。

素人ですがちびっと。

言葉の「誠実」に手垢が付きすぎなんですね。
責めの決め台詞にされたりして、本来は無い意味まで持たされるようになり・・・

前エントリーでモトケンさんの「誠実」の表現には、「患者から目を背けたりサボったり逃げたりしない」との期待感が含まれていたように感じたし、私は医療にそれを期待します。

客観的な医療内容としてではなく、自分にとっての正当な医療行為として書いてみました。

・まず前提として、自分のやれることとやれないことの境界、つまり自分の能力の限界を把握していること。

・その上で危険の範囲が予測されている場合には、安全限界ギリギリまでやらず、マージンを残した上で医療を行う。

・しかしながら突発的な事態もしくは予測の範囲を超えた危険に直面した時は、自分の持てる能力全てを投入する。終わりが来るまでやる。

この時行う医療行為の内容については僻地外科医さんのおっしゃるものと同等の水準でありたいものです。

「隠さない、ごまかさない、うそをつかない、逃げない」は確かに必須。私もそうするようにしてるんですけど,患者さんの受け取り方はどうなんでしょうかね?
レントゲンとかを見ながら,「いやぁ,ここらへんのリンパ節が腫れていると…おもうんですけど,正直な話,私,目医者なんで普段レントゲンとか見ないんで,今度内科の先生にも相談してもらうのが良いです〜」
てな感じで,「いやぁ,私,目医者なんで」は頻発です。

これは技術や経験が無くてもできますね。
 これはちょっと、軽はずみな発言でした。  医師に期待することには変わりありませんが、言うほど簡単なことじゃありませんね。

「必要なことをきちんと」やることは必要と思います。
それを「誠実」と呼ぶのなら、「この場では」「誠実な医療」と呼んでも良いとは思いますが・・・

やはり、誤解を招く表現だと思います。
なので「まっとうな医療」的な表現の方が妥当かと。
客観的に水準を満たすことに重きをおくべき気がしますし、そうであれば「誠実」という行為者の主観的態度の在りようを匂わせるような表現は避けるべきだと思うからです。
実際問題、出てくる結果が同じだとして、その医者の主観的態度が患者さんにとってどれだけ大事なのでしょう?これは、検査や治療さえきちんとしていれば患者さんやご家族に対してなめた態度を取っても良いということではありません。医療行為以外においてもきちんと対応して、説明して納得されて・・というところまで含めてです。あしからず。

もちろん、内面でも真剣に向き合っていることが望ましいことは間違いありません(おそらくほとんどの人がそうでしょう)。でも、仮にそうではないとして、それを周囲からとやかく言われるというのは、やはり抵抗感がありますよね。自発的にそうしたいからするんであって、やれと言われればかえって嫌だという、何だか子供みたいな話ですが。

僻地外科医さんの意見に賛成です。
これは待機的な医療の場での話で、緊急性が問われる場合は少し質が落ちるかな、と思いました。

でも、僻地外科医さんの意見に付け加えたいことがあります。
それは、「現実的に可能な望ましい医療」には、
医療スタッフの身体的・精神的コンディションが大きく関わるということです。
長時間連続勤務で寝不足、過労気味のスタッフが現実的に実現可能な医療は、きちんと休養をとって心身ともに健全なスタッフのそれより、はるかに劣ると思います。

これってあたりまえですよね?
ほとんどの勤務医が過剰な労働をしている現状を踏まえて、
「普通の医療」を考える必要があると思います。

逆にどこからが「誠実でない医療」「普通でない医療」「まっとうでない医療」なのかを具体的な例を挙げながら考え、その原因・解決法を模索するほうが分かりやすいかもしれません。


・患者さんに充分なインフォームドコンセントを取らない
[原因]
他の業務が迫っている。
情報を伝達する技術が不十分。そもそもまともにI.C. する気が無い。
[解決法]
充分な人員配置。
コミュニケーションスキルの講義を設ける。
・・・。

No.14 です。連投失礼。
他の業務が迫っている、に関してはシステムの問題。
情報を伝達する技術が不十分、に関しては、仮に患者さんに十分な時間をかけてI.C. しよう、と「誠実」に思っても、「まっとうな」I.C. にはなりません。
まともにI.C. する気が無い、は「誠実」ではありません。

例2
過剰に防衛的な医療を行う[原因]
患者のクレームが怖い。
民事裁判でトンデモ判決が出るのが怖い。
業務上過失致死で逮捕、起訴、有罪になるのが怖い。
[解決法]
患者相談支援室などの相談窓口を充実させる。
事故調に向けて全力疾走
大野裁判で裁判官、検察、警察が謙抑的になりそうで、ある程度安心。医療者側も刑法をある程度理解するよう努める。

これらはいかに「誠実」でも、怖くて「まっとう」な医療ができない例と言えると思います。どこからが過剰な防衛的でない医療かはNo.8 Hirn(産婦) さんのような医療を想定しています。

 多義的抽象的概念で道徳的ニュアンスが入る単語は取扱が難しいですね(感情的反発する誘発します)。このブログ用に定義をきちんと定めたとしても、レスやスレが続くと後から参入した人には説明の繰り返しとなるようだし。
 ただ、この用語の背景や隠れた論点それに医療側の日頃の倫理的態度や医療への思いが垣間見られて、私のような重病患者の軸足を持つものとしては、一連のスレの流れを見て、医療や医療従事者の皆様への信頼感がますます高まりました。m(_ _)m

行きがかり上(医者から見て)まっとうとは思えない医療もやることはありますが・・・・。

今朝のニュースでこんなのがありました。
http://www.asahi.com/national/update/0910/TKY200809100246.html
投与量の間違いはともかく、一医院でリドカインを点滴しなければいけないことはそんなにはないと思うんですが。
点滴信仰という言葉があるように、医師がまっとうな医療をやりたくても患者側がまっとうでない医療を求めていることは結構あります。医師も断固として拒否すればいいんですけどね。

保険でやってけなくなったら点滴バーでもやりますか。

>今朝のニュースでこんなのがありました。

 この事例が、もし静注用アンプルと点滴用アンプルの取り違えだとしたら、意外に少なくない事故だと思います。逆だったら…と思わずにはいられません。m(_ _)m合掌。

トピずれですが

NEWS ZERO の緊急医師アンケートの結果が発表されています。

「医療崩壊」 緊急 医師アンケート 集計結果

あやしいことも、ある程度許容しないと潰れてしまう。

こんな状況にあること自体が不健全ですよね。

 情報提供ありがとうございます。
 独立したエントリとして紹介しました。

 医療崩壊緊急医師アンケート集計結果

 この事例が、もし静注用アンプルと点滴用アンプルの取り違えだとしたら、意外に少なくない事故だと思います。逆だったら…と思わずにはいられません。m(_ _)m合掌。

 3年前に点滴用10%キシロカインは販売中止になっています。にもかかわらず、未だにこれを在庫し使用していたとすれば、これは重大な過失だと思います(というか、どうやってコスト取ってたんだろう・・・)

「誠実に」トンデモな医療行為を行われた患者さんが不幸であるかどうか、その医療者が罰せられるべきかどうかは一見するほど簡単な問題ではないように思います。

 トンデモな医療行為自体、科学革命におけるパラダイムシフトのように、徐々に、あるいはある日突然に普通の医療に変わることが過去に現に観察されています。

アンブロワーズ・パレ

イグナーツ・ゼンメルワイス


 また、周回遅れで出てきて混ぜっ返すようで恐縮なのですが、医療者の誠実さの向けられる先が、patient interestだということであれば、それは提供された医療が真っ当なものであることの裏付けのひとつにはなるだろうと思います。

 制度派経済学や情報の経済学でいうところのシグナリングですね。

 誠実さや熱心さは、医療者の心の有様であると同時に、その言動に基づいて患者さんが判断されるものです。当然に手間暇時間というシグナリング・コストがかかりますが、本来、真っ当な医療の反復によってしか得られないはずの「信頼」を得るためのコストを事前に低減します。

 ただし、「誠実に」トンデモな医療行為を行う者を見分けることはできません。

 しかしながら、他方、非医療者が医療内容が真っ当であるか、普通であるかを直接評価しようとしても、専門分化の壁があり、国民全てに医学・医療の勉強を強いるというような、多大なモニタリング・コストを必要とします。

 どちらのストラテジーが目的合理的かと言えば、それはこの場合はシグナリングであろうと思います。

>(というか、どうやってコスト取ってたんだろう・・・)

 過去の過誤事例で多かったのは、試供用サンプルというアンプルを使った、余ったアンプルやパックを中規模病院から格安に流してもらった……というのがあります。この事例でどうかは分かりませんが。
 それより、アナフィラキシーショックや薬剤変質不適が怖くなかったのだろうかという素人的な疑問があります。

トビずれかも知れませんが、

「まっとうな医療」というものは、そこでできる最適な医療を提供すること。専門的治療や高度な治療が必要な場合には適切な医療機関を紹介することだと思っていますが、これらのことは殆どの医療機関で行われています。
しかし、被医療者側の要求の高度化、医療政策による誘導によって、インフォームドコンセントや医療安全対策、院内感染対策など、医療を行う上では必要なものばかりではありますが、コスト的な裏付けがないままに業務が増えたのも事実です。
また、採算的にどう考えても合わない、脱施設化と称した在宅診療や訪問看護など、医療側の善意や熱意という脆弱なものに支えられているものが多くあります。

他方、経営の立場からすると、経営が厳しいので残業代などの費用は極力抑えたい。でも勤務時間内では収まらない。そうすると一般職員にはサービス残業を強要したり、医師は全員管理職にしたりする。私は、この職員の犠牲の上に成り立っている病院経営は非常に危ういと感じていました。

この善意や熱意や犠牲といった土台の上に成り立っている「まっとうな医療」というものの、脆弱性や危険性を国民や政治家に理解してもらうことが必要なのだと思います。

モトケンさんの前エントリと関連コメントを読み,ここで「誠実な医療」という場合の誠実さとは元ライダーさんの仰った「職務に対する誠実さ」あるいは「専門職に求められる誠実さ」だと解釈していました。

ICを含めた患者に対する誠実さは専門職に求められる誠実さの一部ではありますが全部ではないように思います。そして大野事件判決での「裁判所から見た誠実さ」というのは,患者やマスコミから見た誠実さではなく,同業者である医師から見た場合の誠実さに近いのではないでしょうか。

専門職に求められる誠実さとは,畑違いですが(自分の分野ですみません)技術士倫理要綱に記載あるようなことじゃないかと理解しています。
http://www.engineer.or.jp/gijutsusi/rinri.html

例えば青戸病院事件では,緊急性が高くなかったにもかかわらず医師及び病院が十分な事前検討や指導医等のバックアップなく業務にあたった点で,専門職としての誠実さに欠けていた見做されたと感じます。加藤医師はそうではなかったと判断されました。

ただ医師の場合他の専門職と違い,救急など時間も人手も足りない中でもできる限りのことをすることが求められる場合がままあり,具体的な「誠実さ」の評価基準が難しいだろうと思いますし,医療側からのコメントにもこの点に司法に対する不信感が大きい印象を受けます。

これについての「なにより医療側の誠実な医療の積み重ねが大事」というモトケンさんの元エントリは,司法から医療側への要求ではなく,裁判という仕組みを理解されている専門家からの,現実を踏まえたアドバイスであるように思います。

P R

ブログタイムズ