エントリ

 このエントリは、「医療事故書類送検報道」の 内科の医者 さんのコメントへの横レスですが、内科の医者さん個人宛というわけではありません。

 内科の医者さんの不安感というものは多くの医師の皆さんが感じておられるだろうと思われますので、たたき台として使わせていただきました。
 ただし、若干の皮肉混じりのエントリになりそうですので、そのつもりで読んでください。

 やはり、大臣コメントでは何を言っているかわからない、というのが正直な気持ちです。

 たぶんそうだろうと思って私なりに解説してみたのですが、ほとんど理解されない、というか信用されなかったみたいです。
 法務・検察と警察の両首脳が相次いで、異例のタイミングと異例の内容のコメント、しかも歩調を合わせるかの同趣旨のコメントをしたわけですから、いずれも思いつきや失言の類ではなく、周到に検討を重ねてタイミングを図った上での発言であることが、明確な根拠をもって言えるわけですが、医師の皆さんはどうしても「法律」というものの保障が欲しいようです。

 謙抑的とはどういうことかを法律にしてもらわないと、今までと変わらず医療現場での患者死亡が警察の捜査の対象になる条件がわからないままです。

 言葉の意味の誤解(言い換えれば私の説明力不足)と法律ないし司法制度に対する無知・無理解と言ってしまえばそれまでですが、

 まず、法律で、過失犯の処罰範囲について、医師の皆さんが安心できるような文章表現でその限界を画することは、至難の業です。
 過失犯規定そのものが、犯罪の成立要件としては本来具体的であるべきであるにもかかわらず、抽象的にしか規定し得ていないのです。
 できるものならとっくにやっている、ということです。

 医師の皆さんが望んでいることは、法律ではなく、裁判所による法律適用によって明らかにされるべきもので、大野病院事件判決はまさしく医師の皆さんの期待に応えたものだと思うのですが、そして私ほか数名の法律家は何度もそう言ったつもりですが、「所詮地裁の判決だ」ということであまり安心の根拠にはなっていないようです。
 不信感のサングラスで見れば、仮に高裁の判決が出たとしても、「所詮高裁の判決だ」ということになったでしょうし、仮に最高裁の判決が出たとしても「いつ判例変更があるかわからない」ということになったのではないかと想像します。
 
 また、医師の皆さんから見れば、裁判所は裁判所、警察は警察(ついでに検察は検察)ということで、警察の捜査を法律で縛る方法がない限り、安心できないということなのでしょう。
 この点についても、裁判所の判断は、その手続的上流に位置する検察や警察の行動に大きく影響するという指摘を何度もしてきましたが、それも医師の皆さんに対してはあまり説得力がないようです。

 ということで、立法の問題になるわけですが、

 やはり謙抑的な捜査や告訴がどのようなものか法律で決めてもらわないと、ある種の医療行為は常に業過致死の捜査対象であり続けることは解決すべき問題と立法府に感じてほしいと思います。

と内科の医者 さん(たぶん、他の多くの医師の皆さんも)はおっしゃるわけですが、医師の皆さんは「立法府」というものをどのように認識されているのでしょうか?
 具体的には、国会議員です。多くの国会議員は医療についてはど素人でしょう。
 そして、国会議員の行動は、有権者の意向に強く影響されます。ここで問題になる有権者のほとんども医療についてはど素人でしょう。
 つまり、医師の皆さんが安心できるような法律を作ろうとすれば、まず、医療ど素人の有権者や国会議員の医療に対する理解、医療に対する信頼を得る必要があることになります。
 専門性の高い医療についての理解を求めることは容易ではありませんから、実質的に重要なのは医療ないし医師に対する信頼であることになります。
 私は、常識的な感覚として、信頼の最大の根拠は誠実さであるとの考えのもとに、いくつかのエントリで医療側に対して「誠実さ」や「信頼」の重要性を訴えました。
 ところが、それに対しては、司法は医療に誠実さを要求するが自らはどうなんだ、というような否定的なないし反論的な反応が多く返ってきました。
 しかし、敢えてもう一度言います。
 大野病院事件判決は医師の医療行為に対する信頼を前提にしていると思われます。
 検察は、その判決に対して控訴しないという行動で裁判所の判断を受け入れる意思を表明しました。その意思表明の中には、医師に対する基本的信頼があるものと思われます。
 モトケンが勝手に思っているだけだろうという意見があることは承知の上で言っています。
 安全調(事故調)の議論も、医師に対する基本的信頼がなければ成り立たないものだろうと思います。
 法務・検察や警察の首脳の「医療事故に対する慎重姿勢」の発言も、事故調の議論を踏まえたものと理解出来ます。
 つまり、今は医療界にとって追い風が吹いていると言ってもいいのです。

 しか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜し、
 
 もし、今、病院の倫理規定を無視して功名心に走ったとしか見えない(本人の気持ちはともかくそうとしか見えない)医療事故が起こったらどうなりますか? 
 そして、 もし、今、医療事故についてカルテの改ざんや口裏合わせがあったらどうなりますか? 
 そして、そのような医療事故やカルテの改ざんに対して医療界が目に見える具体的な自浄行動に出なかったらどうなりますか?

 医療界や医師に対する基本的な信頼というものは吹っ飛ぶでしょうね。

 医師のお手盛り審査機関になんか任せておられない。
 やっぱり警察にしっかりしてもらわないといけない。
 あやしい事故はみんな告訴だ。

というような事態が現実的に想定されます。

 ちょっと極端な例を挙げましたけど、要するに私が言いたいのは、

 医師の皆さんは医師以外の患者、患者予備軍、国民、国会議員、裁判所、警察、検察を味方につけないと医師の皆さんが一番望む法改正なんか夢のまた夢じゃないんですか?
 そして、味方につける唯一最大の、そして医師として可能な行動は、医師としての誠実な医療なんじゃないんですか?

ということだったんですけど、あんまり通じなかったみたいですね。
 このブログおいてすら、自分の発言が医師以外の人が読んだらどう読めてしまうか、という意識が希薄なコメントが散見されたように思います。
 たしか、医師の皆さんに、「このブログで何のためにコメントされているのですか?」という問いかけをした覚えもありますが、どこに書いたか忘れました。

 それはともかくとして、可能な立法措置について若干述べてみようかと思いましたが、長くなりましたので、ポイントだけ書きます。

 まず、謙抑的な告訴を規定する法律は無理です。
 告訴は私人足る被害者の行為ですから、法律で告訴権を認めながら、それを慎重に行使しろ、とかできるだけ行使するなというような法律は非現実的です。
 患者側の告訴を抑止する最大の要因は、医療側の患者側に対する対応です。
 ここでも「誠実さ」はキーワードです。

 刑事司法権力に対する謙抑性を強調する立法としては二つ考えられます。

 刑事司法の謙抑性というのは、私の理解では、制度運用における権力側の原則的姿勢という意味合いが強いと思っているのですが、それを立法化するとなると、どこかの法律に「医師に対する捜査や起訴は慎重に行うべし。」と言うような規定を盛り込むことが考えられます。
 しかし、こんな抽象的な規定は、訓示規定または努力目標的な意味しか持ち得ませんから、はっきり言って気休めです。
 これで医師の皆さんが安心してくれるならこれほど安上がりなことはありませんが(それでも医療に対する信頼がないと絶対立法されない)、現状に鑑み、医師の皆さんはそれほどお人好しじゃないでしょう。

 より実効性のある立法となると、制度的ないし手続的変更が必要になります。
 最も極端な立法として、医師に対する完全刑事免責(これは謙抑性という言葉の範囲を超えると思いますが)があります。
 そこまでいかなくても、過失犯の親告罪化も議論の俎上にのぼります。
 実は、事故調の議論もその一貫です。
 しかし、「医師に対する完全刑事免責」を除いて、医師の皆さんが完全に安心できる法制度は実現不可能です。
 
 医療側から見れば、医療現場における刑事司法権力の介入はほとんど冤罪だと理解することが可能だと思われます。
 犯罪でない行為に対して、犯罪として捜査が行われたり起訴されたりしていることが納得できない、という主張はそう理解できます。
 しかし、冤罪のリスクを完全に排除することは不可能なのです。
 満員電車で通勤しているサラリーマンは、医師以上に冤罪リスク(痴漢行為)を負っていると言えます。

 理想を求めるのは大事なことですが、理想的な制度でなければ嫌だ、というのであれば現状を変えるチャンスをみすみす逃すことになるでしょう。
 その結果、医師の皆さんの不安感は、これまでと変わりません。
 少しでも改善できれば、すこしは安心できるかも知れませんが。

追記
 書きそびれていた結論めいたものをコメント欄に書きました。
 No.19 モトケン さん | 2008年9月26日 19:14 |

| コメント(279) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマーク  (Top)

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.yabelab.net/mt4/mt-tb.cgi/7523

コメント(279)

>もし、今、医療事故についてカルテの改ざんや口裏合わせがあったらどうなりますか?

とりあえず

http://mainichi.jp/select/science/news/20080926k0000m040077000c.html
厚労省:免許取り消しなど医師ら57人処分

【医業停止1年】▽金沢市、石川県済生会金沢病院、東福要平(67)=医師法違反
【医業停止9月】▽金沢市、石川県済生会金沢病院、西野隆平(35)=医師法違反

ちなみに、事故自体は看護師の起こした事件です。


 私は、たぶんお人好しののんびりものと批判されるとは思いますが、モトケンさんが言われてきたことを今は信じて仕事をしています。
 ただ以前どなたかが書かれていたことで思い出しましたが、医師としてまともであればあるほど、基本として、診断を重きより行い、常に最悪のシナリオを想定して行動するので、どんな状況であるとしても安心することはないと思います。全文を思い出しませんし、出展も思い出せませんが、君子は、人より先に心配して、人より後に安心するというような文があったように思います。
 それに実際の状況を見るに、問題は、司法にあるのではなく、第4の権力といわれるマスコミと、情報操作を行い世論を誘導する一部の官僚や、政治家の医療現場への介入などであろうと思います。仮に訴えられて無罪になったとしても、逸失利益の補償が十分にされなかったり、社会的に葬られる状況があれば、それは、司法ではどうにもならないことではないでしょうか?
 事故調についても、各学会が反対する部分については詳しく書かずに、根拠なく反対しているように印象操作をするマスコミや官僚は、医療と国民の間に不信を生み増大させて、医療費を削減しやすくするためにやっているとしか思えません。日本よりシステム的に問題の多いアメリカの医療がよいように思わせているあたりにそれは、明らかだと思います。

大野病院「無罪」に安堵できぬ医師
(FACTA OCTOBER 2008 p54-55)
逮捕の危険は遠のいたが、民事訴訟リスクは消えない。
国が検討中の「医療事故調」で拍車も。

ほとんどの医師は逮捕の危険は遠のいたと判断し、
前向きに仕事をしていると感じます。
少しずつ、前向きに改善していくしかないです。
10年後には、優秀な医師が大量に出てくることを
期待しています。

 モトケンさんのご意見は大変現実的でごもっともと思います。その上で、言葉尻を敢えてとらえますが、

>医師として可能な行動は、医師としての誠実な医療なんじゃないんですか?

この文に異議ありです。我々に最も必要なのは、「誠実さ」ではなく「誠実だとアピールする具体的な方法」ではないでしょうか。
 カルテを改ざんせず、功名心にはやらなければ、それで大丈夫ではありません。改ざんしていると「思われない」、功名心にはやっていると「思われない」ことに成功しなければ、まったく意味がないはずです。李下に冠を正さず、です。(モトケンさんは、そこまで含めて「誠実」と表現しておいでと、解釈しております)
 この、「誠実に見せる」ということを、医師はもっと学ばねばならないと、自戒を込めて思います。心情の上ではほとんどの医師が誠実であると信じておりますが、それをアピールすることについては残念ながらあまりお上手でない先生もおいでのようです。謙虚の美徳とはどうも相容れない考え方なので、私も正直なところは、「何だかなあ」と感じますが。

 私は、裁判官や検察官にとって、公正であることはもちろん重要だけど、公正であるように見えることがそれに負けず劣らず重要だと言ったことが何度かあります。
 しかし、それは「見える」ことの以前の問題として「公正であること」または少なくとも公正であろうと努めていることが当然の前提としてあると考えています。

 敢えて言葉尻を捉え返せば、私が誠実さを敢えて繰り返したのは、誠実さを求めること(誰が求めるかはともかく)に対する反論があったからです。
 そこを踏まえないと、誠実に見えされすればいいのか、という別の反論が生じます。

>改ざんしていると「思われない」、功名心にはやっていると「思われない」ことに成功しなければ、まったく意味がないはずです。

 刑事訴訟法令(規則)では、改ざんしていると思われない仕組みが、文字の加削のルールで定型的に定められております。ペーパーレベルで参考にされるといいでしょう。また、電子カルテ等であれば、デジタルフォレンジックの技術を用いて、認証ログやアクセスログなどのログをハッシュ値付きで保存する方法で「改ざんしていない」という証明が民間では既に採用されています。
 功名心対策なら、「冒険的取引」という概念が刑法各論にありますので、興味がある方はご参照ください。そこまでいかなくても、医師が標準的な手法で最善を尽くす当たり前の医療をした場合なら、その記録をカルテ(診療録)などに記載して残すことが肝要かと思います。
 御参考まで。m(_ _)m

「誠実」って何でしょうか?
温情や哀れみなどの感情は入れずに、決まり(法律)に忠実に従って仕事をこなすことなのでしょうか?

No.1 ssd さんのコメントにある医師らは倫理的に大きく間違ったことをしているのでしょうか?
「看護師は昨年7月11日午後2時ごろ、肝がんで入院中の男性患者の胃に挿入するはずのチューブを気管に誤挿入。男性は心肺停止状態に陥り、同日午後11時ごろ死亡した。病院は事故の説明をありのままに家族に報告して謝罪し、主治医は窒息死(事故死)とする診断書を遺族に渡したが、家族は事故死だと司法解剖にされるので病死に変更してほしいと懇願した。困った主治医は院長に相談し、翌12日に院長の指示を受けて診断書を回収し、病死の診断書を渡した。13日に開かれた病院の危機管理委員会で虚偽の診断書に反対する意見が出たため、病院は同署に届けた。遺族とはすでに示談が終了している。」

今回は極端なケースではありますが、主治医としては誠意を持って対応しているように思います。家族を殺されて怒り、悲しんでいる方々に対して、自分達がしたことは棚に上げて「そんなことはできない」といいきれるものでしょうか。
ご意見をお聞かせください。

 私は、法律に従うことが誠実ということだ、というようなことは一度も言った覚えがありません。

 その場その場でよかれと思って行動した人に対して、結果が悪かったからと言って誠実でないという人に賛成したいとも思いません。

 誠実という言葉に対して疑問を呈したり違和感を覚える医師の方が多いようなんですけど、ひょっとして、医師としての自分の行動に自信がないのでしょうか?

 逆説的かも知れませんが、医の倫理と論理を最大限に発揮することが、司法から見ても最も誠実な医療行為に映るのではないかと私個人は思っています。

現在の医師が自分の行動に自信を持てるかどうかですか?
結論から言うと、現状ではほとんどの医師が自信をはぎとられていると思います。
前述の医師だって間違いなく自分の信念に基づいて正しいと思って行動したはずですし、私自身がその立場に立たされたら同じことをしたと想像します。
でも、結局は、医師法違反となり1年ちかく偉業停止ですよ。
単に1年というかもしれませんが、これで若い彼の将来の選択肢はかなり狭くなってしまいました。
司法からみる倫理と医療者からみる倫理は本当に同じですか?
その後の経過からいっても、彼らに悪意があるとは思えないのですが、それでもやはり処罰される必要があるのですか?

最近、モトケンさんが苛立ち混じりに医療側に向けたエントリーが続いているわけですが、残念ながらモトケンさんが満足な反応を得たエントリーはほとんどないんじゃないでしょうか。
どのエントリーも被医療者として見ると「まあ、そうですよね」としか言いようのない内容なのに、どうして医療者の皆さんからのコメントはこんなにもつれていくんだろう、と傍から思うことしきりです。
各エントリーに見られる傾向ですが、どうしても個々の言い回しや言葉の定義で引っかかってしまって、モトケンさんの主張の核となる部分までたどりつかないままコメントが連なっていってるように思えます。

あえて言っちゃいますけど、別に「誠実」という言葉の定義なんてどうでもいいんじゃないですか? たとえば、モトケンさんが考える定義と誠実なつもりの医師さんが考える定義が全く食い違っていたとしても、議論としては何の支障もないんじゃないかという気がします。
要は医療側の皆さんが端的に「私は誠実に患者を治療している」と胸を張って言えるなら、まずはそれでいいのではないでしょうか。肝心な問題は、その言葉が「言うだけ番長」ではないということをいかに被医療者にアピールするかでしょう。

残念ながら医療者の性善説・無謬説はもう通用しない世の中になりました(これは警官でも教師でも司法関係者でも同じですが)。いわゆるリピーター医師にような、ほんとうにろくでもない医療者が実在する、ということを被医療者は知ってしまいました。そして、自分または家族が不幸な医療事故に遭遇した時、自分を担当した医師がその「ろくでなし」の一人なんじゃないか、という可能性を考えずにはいられなくなりました。
そんな状況下では、真剣に愚直に患者に向かい合ってさえいれば医師の誠実さは自ずから伝わる。万が一の場合でも全力を尽くしてもらえたと納得してくれる、と信じるのはもう無理でしょう。

たとえば、ssdさんはNO.1で医業停止の実例を挙げておられます。これをもって医療側の自浄力を示されたのだと思います。
しかし、立場を変えてみましょう。最近、麻原彰晃の裁判で書面を提出しなかった弁護士が戒告処分を受けていました。弁護士会にはこういう制度がきちんとあるわけです。では、ssdさんはこの事実をもって「弁護士界の自浄能力は問題ない」と見なせますか?
ある業界に対する信頼の大小は、罰則など関連制度の充実の度合いとはあまり関係ないのではないでしょうか。

青砥の事件(私は事件と呼ばせていただきます)の医師は刑事で有罪となり、医業停止(たしか2年?)にもなりました。当時の医療側の皆さんの反応は大抵「2年の医業停止は尋常でなく重い」というものだったと思います。でも世間の被医療者の反応は概ねこんなものではないでしょうか。

「青砥の医者だっていずれ復帰してどっかの病院でまた誰かの腹を切るんだろ? 俺だったら死んでも切られたくないね。あれほどの事件をこの程度の処分でお茶を濁す医療界に刑事免責なんてw」

これを単なる被医療者の無知・マスコミの扇動の結果と捉えて切り捨てることは簡単です。しかし、モトケンさんがおっしゃるように、刑事免責をいくらかでも実現させようと思うなら、あるいは第三者機関を権威ある存在として日本に存在させたいなら、こういう国民をどうにかして味方につけなければどうしようもないわけです。
そのための一つのポイントとして、「誠実さ」を能動的に被医療者にアピールして、「医療界はもう白い巨塔じゃないね」「特別扱いとも言うべき刑事免責を求めてくるだけのことをしてるよね」と納得させることは重要ではないでしょうか。

長々と偉そうなことを書きましたが、では具体的にどうすればいいのだ、と聞かれても言葉に詰まります。ただ、単語の意味にこだわった神学論争、あるいは医療界の外に向けた糾弾でコメント欄を埋めていくよりも、いかに被医療者(患者も司法も警察もマスコミも含めて)を味方につけていくか、ということを議論した方が、結局は皆さんの主張を実現する助けになるのではないかと思うのです。

 ご指摘の事例は医師法21条違反ですか?
 そして、21条違反で処罰されたのですか?

 答を聞かずに先走っちゃいますけど、法律に違反しているという自覚があったのであれば、なぜ弁護士に相談しなかったのだろうというのが素朴な疑問です。
 弁護士に相談すれば、21条の届け出をしたとしても司法解剖を回避する方策があった可能性があります。
 少なくとも、双方が受け入れ可能な方法が弁護士から示された可能性があります。
 弁護士による遺族に対する説得を含めてですが。

 要するに、あまりにも無防備という印象を拭えません。
 弁護士ってそんなに頼りにならないですかね。
 それとも弁護士に相談するという発想がないとか。
 それで訴訟リスクとか言われるとなんだかなぁ、という感じですけど。

>残念ながらモトケンさんが満足な反応を得たエントリーはほとんどないんじゃないでしょうか。

 まあ、そのとおりですね。

>あえて言っちゃいますけど、別に「誠実」という言葉の定義なんてどうでもいいんじゃないですか?

 これもそのとおりです。
 まっとうな(「誠実」より「まっとう」がいいという意見がありましたね)医師が、自分自身で誠実だと思う医療行為をすればいいんじゃないか、というのが私の意見です。

連続投稿は荒らしとみなす。

横レスで失礼します.
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20070801-OYT8T00200.htm

21条違反および診断書に虚偽を記述した(公文書偽造ということなんでしょうか)こと,らしいです.
患者さんの遺族の望みをかなえるために,法に触れた結果ということでしょうか.

以前に反対のケースで,子供が亡くなった時に解剖されるのがいやだから遺族は届けないでくれと懇願したが,異常死ということで警察に届けたところ遺族の心をひどく傷つけた,というのもありました.

身を守ることと,患者さん遺族との関係を保つことの板挟みですね.どうすることが「誠実」なんでしょうかと考えてしまいます.

>たとえば、ssdさんはNO.1で医業停止の実例を挙げておられます。これをもって医療側の自浄力を示されたのだと思います。
>しかし、立場を変えてみましょう。最近、麻原彰晃の裁判で書面を提出しなかった弁護士が戒告処分を受けていました。弁護士会にはこういう制度がきちんとあるわけです。では、ssdさんはこの事実をもって「弁護士界の自浄能力は問題ない」と見なせますか?

極論と思いますが。
二分法に付き合う気はしません。

>どうすることが「誠実」なんでしょうかと考えてしまいます.

 法律と人情の板挟みを解決しようとするのも弁護士の仕事だと思います。
 いつも解決できるとは限りませんけどね。
 人情は一刀両断とはいきませんから。
 でも、交渉経験の豊富な弁護士はそういう問題に対処するノウハウを持っているものです。

 結局、医師の安心というものは医師の心の中にしか存在し得ないわけですから、部外者がいくら心配しなくていいよ、と言っても、心配を抱えている医師が納得できるなんらかの保証がない限りはどうしようもないことなんですね。
 
 私や司法側コメンテイターとしては司法側から与えられそうな情報はすでに書き尽くしたような気がします。

 もし、医療側から質問があれば答えられることもあるかも知れませんが、このあたりで医療側にボールを投げつけるのはやめることにしましょう。

 医療側から司法側に対する要求をここに書いても、それに応えることはできません。
 私たちは一介の弁護士であり、匿名のコメンテイターに過ぎません。
 応えることができることは、必ずしも有無を言わさない根拠があるとは限らない情報の提供だけです。
 信用できないと言われればそれまでの情報です。

 少しだけ不安や心配が減ったという方が何人かはおられそうですので、それ以上の結果を望むことは思い上がりの誹りを受けることになりそうですから、私としてはそれで十分満足すべきだろうと思います。

 もし、このブログの過去ログを全て読んだ上でまだ払拭しきれない不安感は、このブログでは解消することができない性質のものなのでしょう。

 ただし、このブログの過去ログを全て読むことは困難ですから、疑問があって私たちの考えを聞いてみたいという方に対しては、過去ログ嫁は禁句にしてお答えするように心がけたいと思います。

 でもこのコメントの最後にもう一度確認します。
 このブログに不安の解消を求めても、それは無い物ねだりです。
 ちょっとだけ減らせるかも知れません。
 質問者が不安は自分の中にあると考えておられるならば。

 誤解がないように追記しますが、不安は自分の中にある、ということと、不安の原因として大野病院事件の起訴などがあるということは別問題です。
 不安というものの実体(原因または契機ではなく)は不安を感じる人の中にあるという意味です。

 ぶっちゃけて言えば、開き直るのが一番だと思いますけどね。

色々興味深いお話で、個々のレスに返信すると散漫になってしまいそうなので、まとめてのコメントで失礼いたします。

モトケンさん

早速のお返事をありがとうございます。誠実に見えるための大前提として本当に誠実でなければならないというご意見に、完全に賛同いたします。そもそもモトケンさんのご意見に異論があったのではなく、「こういう解釈でよろしいですか?」という確認のようなつもりでした。また、エントリのタイトルに合わせて、概念的な話よりも、自分で出来る具体的な対策や方法のほうが、安心感につながるかなー、という考えもありました。言葉が足りず、すみませんでした。
>ひょっとして、医師としての自分の行動に自信がないのでしょうか?
ギクッ…! 何と鋭いご指摘。仰る通りで、私自身は医師の中ではせいぜいよくて中の下くらいだと自覚しております(技術も人格も)。診療に当たって、いつどの瞬間も一片の曇りなく誠実かと問われれば、Yesとは言えません。だからこそ怖いのです。ですが、こんなことは自分自身の心の問題なので、ここでモトケンさんを始め法曹の先生方に安心させてもらおうというのは、虫が良すぎますね。司法がそこまで完璧な「誠実」を求めているとも思っていません。
いずれにせよ、モトケンさんには百人組手を強いてしまったようで、大変申し訳ありませんでした。


ハスカップさん

とても有益な情報をありがとうございます。刑事訴訟法令や冒険的取引をキーワードに、勉強してみます。電子カルテの改ざん防止システムについては、「ああ、あれがそうかな」と言う程度には存じておりました。
病院経営者は、こういった工夫のある電子カルテを導入したとか、かくかくしかじかの事故予防対策をとっているとか、そういった折角の努力を対外的にもっとアピールすればいいのにと思います。それも結局は金銭的な問題になってしまうのかもしれませんが。


横レスになりますが、No.18のモトケンさんのレスに目から鱗です。弁護士さんにそんなことをお願いできるのですね。今更こんなことで驚いている自分が恥ずかしい…ここに書き込むのは、私にはかなり早すぎたようです。反省します。

>弁護士さんにそんなことをお願いできるのですね。

 こういうレスをいただけるとうれしいんですよ(^^)

 検事という仕事も理解されてませんけど、弁護士の仕事もまだまだ理解されてないようです。
 これは弁護士会の責任だと思います。

医師は安心を求めません
できる限りの安全を求めます

患者さんとは求めるものが違うのです

>医師は安心を求めません
>できる限りの安全を求めます

 そうですか。
 何についての安心かが問題になりますが、言葉の定義に関する揚げ足取り的議論にはうんざりしてます。

極論でしょうか。
あなたがご自分で例示された懲罰制度を自浄力の証左とされるのであれば、まったく同じレベルの例えだと思ったのですが。
それが業界外から見て信頼性の担保となるかどうかについても同様です。

>法律と人情の板挟みを解決しようとするのも弁護士の仕事だと思います。
> いつも解決できるとは限りませんけどね。

モトケン先生,
お返事ありがとうございました.こういう時にこそ弁護士の先生にご相談すればよいのですね.法律に関して知識のないまま一人で悩むのではなく,専門家にコンサルトするというのは医療と同じですね.

 Level3さんにも共通します。このコメントは、非医療者・非法律家(大学でかじった程度)だからこそ言えるのかもしれません。この場合、医の倫理というよりも、一人間としての倫理(同情?)かもしれません。モトケンさんが言う人情でしょう。似たようなことはどの社会・組織でも起こります。だから敢て言うのですが、対応が中途半端だと思います。要は、腹と肝がどこまで座っているかということでしょう。

 自分のミスで死なせ、解剖したくない遺族がいて断れない、それを優先すると決めたなら、報告義務違反や虚偽の診断書作成など墓場まで持っていくことです。ただし、遺族には言います。「これは犯罪になります。遺族も共犯になります。いえ私は証拠隠滅罪にはなりませんが(自己の刑事事件だから)、遺族はなります。それでもどうしてもというなら、私は医師としてではなく、一人の人間として共感します。ただしこれが表沙汰になったら私は医師生命を失います。その覚悟で応じますが、よろしいですね」というように。

 そして遺族から後々訴えられたら、あるいは病院関係者から漏れたら、そのときはジタバタせず自分で責任を取るということです。自分の見立て(診立てではない)が悪かったと。その覚悟があるか、覚悟がないなら、遺族の要望に応じない。もちろんそこまで割り切れて物事を考え対処できるはずがない、医療の現場を知らないから言える、という反論は覚悟の上です。

 この場合、若い医師で院長に相談するのは無理ありませんが、相談すればするほど共犯者が増えます。もちろん院長も相談を受けて決断したなら自分の範囲内で事を収めることです。院長の度量も問われるでしょう。院長が全責任を負う(自分が命令したと言う)か、「俺は聞かなかったことにする」と言うか(これでも一応収まります)は別として。

 危機管理委員会のメンバーがどういう方々か知りませんが、弁護士・法律家が入っていても建前しか言わないかもしれません。ここで建て前というのは法律通りにするということですが、そうなる前に弁護士に相談していたらモトケンさんが言うように解決方法があったかもしれません(具体的にはわかりませんが)。

 そして自分の医療ミスを隠すために応じたと言われないために、最初の診断書、書き直した診断書、関係する書類は全部保管し、コピーして複数の者(少なくとも自分を含めて二人)で分散保管しておくことです(時効まで?)。表沙汰になったときのために、これこのとおり保管しており、隠す意図はなかっと主張するのです。そこまでやれば、捜査があっても処罰はないだろうと思っています。甘いでしょうか。もちろん、表沙汰にならなくても、医師はホッとするのではなく、このミスを心に刻んで同じことを二度と繰り返さないようにしてほしいのです。

 医師の方々は、医療は不確実だから100%の安全安心を求めるなと言いつつ、民事・刑事・行政の責任を問われないようにしてほしいという100%の安全安心を求めているように思えるときが時たまあります。
 私の言いたいことは、清濁併せ呑む度量があるか、濁を呑めないなら呑まない方法しかないということですが(交渉のプロが解決してくれるならそれはそのほうがよいのは当然として)、このコメント自体が暴言、放言、犯罪教唆のようで不穏当ならば、削除していただいてかまいません。
 長文失礼しました。

 横レス失礼します。m(_ _)m


>医師の方々は、医療は不確実だから100%の安全安心を求めるなと言いつつ、民事・刑事・行政の責任を問われないようにしてほしいという100%の安全安心を求めているように思えるときが時たまあります。


 私も今まで書かなかったものの、同様の感覚に襲われたときが度々あります。法的に評価すると、
   信義誠実の法則(信義則)違反
   禁反言(エストッペル)違反
   クリーンハンズ違反
などと言われているものです(民法1条2項)。

 できましたら医師の方々にご検討いただけたらと思います。暴言と感じた方には多謝ですが、これが民法(民事法)の根本規範(基本的ルール)です。法律に「誠実」という言葉が出てくるのは新鮮な驚きかもしれませんが、人と人との利害関係を調節する基本が「誠実」で、「真摯」や「まっとう」や「正直」という意味程度の日常社会用語での「誠実」ルールに過ぎません。ピューリタンを求めるものではありません。
 詳しく知りたい方は、ググられてください。m(_ _)m もちろんマスコミ関係者の方にも特に詳しく知ってもらったらと思います。m(_"_)m

 できれば、その背景の思想(個人の尊厳と法の下の平等)や依って立つ価値観(相対的価値概念)の本位や趣旨(主旨)まで思いをいただけたらと思います。定義にこだわる定義論争(神学論争)は、実は法学では無益です。立法趣旨や制度趣旨が法の命だからです。o(_ _*)o

 これは医療や法律に限らず一般社会の常識だと思うのですが、「分かんないことがあったら分かる人に聞け。絶対に自分の勝手な判断で行動するな」ということだと思います。
 素人判断で、診断書を改ざんしたり、「小女子を焼き殺す」と書き込んでみたり、「がんが100%治る」とかいう人参買ってみたり、変な教祖に変な棒でたたいてもらって病気を治そうとした結果、「残念でした」となっても、そりゃ本人が悪い。

 誠実なつもりの医師さんが挙げた例で言えば、弁護士等も交えて法律の内容を遺族に説明した上で、警察に対して司法解剖を行わないように真摯に要請すべきだったように思います(別に全件が解剖されるわけではないし、死因が明らかならばなおさら解剖されない可能性も高い)。そうした真摯な説明と警察への要請をすることこそ、本来の意味での「誠実さ」ではないかと思います。結果として解剖されても病院が真摯な対応をすればある程度遺族の理解も得られるはずでしょう。
 たしかに、遺族に対してそれでも届け出なければならないということを言うのは心苦しいですよ。でも、それを避けるのは私に言わせれば近視眼的であり、場当たり的対応であり、問題の先送りに過ぎません。遺族に対して向き合うことから逃げたと評価されることは避けられません。
 また、遺族の「解剖を望まない」という希望(これは結構よくある希望でもあります)をダシにして責任回避を図ったとも見られかねないわけで、「誠実らしさ」を演出することにも失敗。
 さらに、仮にこの件を不処罰としたら事故隠しにも利用できてしまう。

 対応があまりにもお粗末過ぎて擁護する気になれません

>極論でしょうか。

ええ。

>あなたがご自分で例示された懲罰制度を自浄力の証左とされるのであれば

かような推定に基づいて、オウムの弁護士の「不誠実さ」が、公正に裁かれている。引いては法曹の世界では懲罰が正しく行われているという論理を首肯させようという罠には、付き合いませんと言うことです。

こういうやりとりは、やめにしませんか?

そもそも、私が最初に提示した例は、タイムリーにも昨日こういう例がありましたという傍例以上の意味も以下の意味もないのですから。

>対応があまりにもお粗末過ぎて擁護する気になれません

 そこで、医療側弁護団のナショナルセンター構想ですよ。医療関係差者が困った時や悩んだときに、気軽に電話で相談できるセンター構想です。
 その事例を積み重ねていけば、医療側リーガルイシューの簡易マニュアルの作成までいけば、うれしいことだと思います。(発想は判例集からのパクリ)
 なお良きマニュアルとは、昔の薬剤添付文書と同様に、
(1) 推奨事項(望ましい対応:理想的)+
(3) 標準事項(過不足なき対応:平均的)±
(2) 禁忌事項(やってはいけない対応:最悪的)−
に分けて出来ればいいかと思います。
 マターやイシューの対応は、答が1個ではないですし、TPOによってアレンジできるのが望ましい、幅や偏差を求めた方が応用がきいて汎用性が高くなるからです。

もしかして、ssdさんは私が法曹関係者だと思われているのでしょうか? だとしたら誤解ですよ。私は非医療・非法曹の単なる素人です。

医療側の自浄能力が不十分で司法側の自浄能力は十分だとか、そんな主張をしているつもりはこれっぽっちもありません。あえて言うなら、両方とも等しく不十分だと思っていますので。

失礼ながら、医療側に反論めいたことを書くものはみな司法側の肩を持つもので、すなわち医療側の敵だと思われているのであれば、それこそ極論なのではありませんか?
私はごく近い身内が医療従事者なので、このブログが医療問題に言及した一番最初の頃から医療側の皆さんに「啓蒙」されて問題意識を持ってきたつもりです。
「罠」などとはあんまりな言い方ではありませんか。

>傍例以上の意味も以下の意味もないのですから。

この例をもって何かを主張されたわけではない、ということでしたら私の読み違いであり、コメントの当該部分の前提がなくなってしまうので、当該部分は全て撤回させていただきます。どうも失礼しました。この部分はもともと私の本論ではありませんので、コメント全体の主旨はまったく変わりません。

 まことに失礼ながら横レスです。

>論理を首肯させようという罠には、付き合いませんと言うことです。

 こういう表現は、被害妄想チックで半ば不快を感じると思います。某部外者弁護士を批判できなくなりかいねないと思います(禁反言・クリーンハンズ)。ここは表のブログで裏の場外乱闘版ではないのでご留意いただければ幸いです。
 お互いのコメンテータを尊重することを考えながら鋭い視点のご意見をいただければと思います。m(_ _)m

>あえて言うなら、両方とも等しく不十分だと思っていますので。

では論点の対立はないように思います。

というか、ではどの程度になれば十分なのかという議論はまた興味深いものになりそうですが、このエントリとは別にしましょう。

罠云々に関しては口が過ぎました。陳謝いたします。

なんだろうなあ、以前ここの「日本医学会における議論(2008年8月 9日)」コメント欄で


>別に本心から「手抜き」を免責しろという理由で否定しているわけではないと思いますが、少なくとも「まず免責」が頭に言ってしまって整理できてないんじゃないのだろうかとは思います

>私も他の非医療従事者の常連さんも、繰り返し指摘しているところです。
>「伝わるように、共感を得られるように言わなきゃダメ!!
> 理解不十分なだけで悪意のない新参さんにケンカを売るなんてもってのほか!!」

みたいなやり取りをしましたが、その時感じたいやなふいんき(なぜか以下略)が何も変わってない感じ。

「輸血の前には血液型のチェックをしますよね」と聞いても、「いやいや何事にも例外が」とは返ってくるけれど、「一部どうしようもない例外を除けば当然です」とは返ってきませんでした。

私は当時は「モトケンさんの背中撃ってるんじゃないの」と評価しましたが……現実になってしまったような。


「誠実とは具体的に何ぞや」なんて哲学的な議題をクリアしないと理解できないようなことじゃなく、もっと単純なスタンス上の問題だと思うんですけどね。

別にここで全てが決まるわけじゃなし、好意的に読み込んで本題だけ見るべきではないのかと。
その上で、「誠実(だか、”まっとう”だか信頼されるだか言葉は何でもいけど)」では「ありたくない」=「不誠実でいる・いたい」と主張してるわけじゃないんでしょう?

例外だとか厳密だとか考えるとまあ、一言二言言いたいことがあるんだろうということは二か月前の時点から重々理解していますけど、だからと言って頭から「当たり前のことをやれと言われても困る」「誠実と言われても難しいんだ」で始まってたら、そりゃ私も「ああ、この人真面目に治療に取り組んでくれそうにないな」としか思わないなあ。

エントリーだけざっと読んで一言。

たぶんそうだろうと思って私なりに解説してみたのですが、ほとんど理解されない、というか信用されなかったみたいです。

正しい分析なのだろうなと言うことは理解しているつもりです。でも、モトケンさんが信用されないと感じる投稿をしてしまうのは、やはり万が一のことがあると自分の人生が吹っ飛ぶからなんですよ。

うまいたとえが見つかりませんが、たくさんの人の足を吹き飛ばした地雷原があっととして、ここを地雷除去のスペシャリストがきれいにしてくれて、「さあ、もう大丈夫。飛んだりはねたり野球をしたり自由に遊んでいいのだよ」と言われても、すぐに「もと地雷原」で飛び跳ねる勇気はなくて、たくさんの人たちが何週間か飛び跳ねるところを確認してからでないと怖いなあと言う感じでしょうかね。だって、今まではここでたくさんの人が足を吹き飛ばされて、その一瞬のために悲惨の人生を余儀なくされているんですから。

医療の現場にもたくさんの地雷やどんでん返しがあるので、年をとるほどに臆病で疑い深くなるんだと思います。誤診過信を避けるための素養です。

エントリーから投稿まで、これからゆっくり読ませていただきます。といってももうすぐ仕事にいかなきゃならないですが。

2年来の読者ですが、ずっとROMっていました。

ハスカップ様のコメントに同意いたします。「不安」は医師の心の問題であり、「100%の安心」を求めるのは医師の側に問題があると思います。
患者が同じことをすると「医療に100%安心はない」というのに、司法には100%を求めるのは矛盾です。

一人産科医長としては、地雷原の中といえど誠実さを見せつつ、司法が謙抑的に動くと言うことを信頼して我が道を行くしかありません。そのうち地雷を踏むかもしれませんが。

 司法に100%を求めるのは「この手術は絶対安全なんでしょうね?」と聞かれるようなもので、そんな手術はどこにも存在しないのと同様でしょう。

 ただ、例えばうちの病院で私が業務上過失致死で有罪になった場合、5割以上の確率でうちの町の救急医療は崩壊すると思います(条例の免職規定+その後の補充なし(これは現時点で私が医局からの派遣であり、私が止めたあとは後任を補充しないことを明言されています))。
 もちろんそうならないように慎重な医療を心がけてはいますが、これも当然のように100%には出来ません(例えば赴任当初よりはかなり手術のレパートリーを減らしました。私自身の技術はともかくとしてうちの症例数ではスタッフが付いてこれないものですから)。
 脅しと取られると大変不本意なのですが、例えば大淀病院事件のあと、奈良県南部の参加が崩壊したのと同様、やむを得ざるものだと思っています。
 で、管理職とはいえ一勤務医の私が医療崩壊に関してそこまで責任を負うことも出来ません。

 おそらく、医療崩壊を何とかしなければならないとするなら、もっとも謙抑的でなければならないのはマスコミと一般市民であると思います。そのために必要なのは「医療の現実を一般市民に理解してもらうことであり、その教育をすること」だと思っています。

 たとえ話に反論するのは揚げ足取りになりかねませんが

うまいたとえが見つかりませんが、たくさんの人の足を吹き飛ばした地雷原があっととして、ここを地雷除去のスペシャリストがきれいにしてくれて、「さあ、もう大丈夫。飛んだりはねたり野球をしたり自由に遊んでいいのだよ」と言われても、すぐに「もと地雷原」で飛び跳ねる勇気はなくて、たくさんの人たちが何週間か飛び跳ねるところを確認してからでないと怖いなあと言う感じでしょうかね。

 地雷というのは、見えないところが問題だと思いますが、医師から見て本当に「地雷を踏んだ」と言えるような起訴・有罪事例はどの程度あるのでしょうか?
 大野病院事件がそうであったことは十分理解しているつもりですが。

 次に、私(や他の司法側コメンテイター)は、「さあ、もう大丈夫。飛んだりはねたり野球をしたり自由に遊んでいいのだよ」とは言っていません。
 1平方メートルあたりの地雷の個数について、医療側が「100個埋まっている。」と言っているのに対し、「いや、そんなたくさんは埋まってませんよ。」と言っているようなものです。

 そして、地雷がありそうな場所の見つけ方とか、不幸にして踏んでしまったときにその被害を最小限度にとどめる方法を助言しているだけです。

 頻出の重複で恐縮ですが……m(_ _)m

 見えない不安(地雷原)は、17世紀のロンドンで解決策が始まりました。見えない暴風雨に貿易船が難破すれば身の破滅だったからです。ご存じ、タワーストリートでビールを飲みに集まる船主が、保険を掛けあってリスクを分散ヘッジするようになりました。これはダメイジコントロールで言えば、被害極限措置(被害を最小限の抑える方策)を含みます。
 現代の日本でも、損害保険会社がCMでこれをウリにしています。交通事故が起きたら
(1) 緊急事態対処の連絡と係官の派遣
(2) 代車の手配又は提供
(3) 一時金の支給
(4) 示談代行
(5) 弁護士の紹介
のサービスがそれです。
 船舶の遭難、交通事故、医療事故は、統計的にみれば、一定の確率で「不可避に」発せいします。これへのリスクコントロールを考えてみてはいかがでしょうか?
 地雷原が怖いなら地雷探知機を買う、保険に入る、法的問題には専門家弁護士のアドバイスを求める。
 怖い怖い嫌だ嫌だと言うだけでは、問題点の指摘だけで、事態は先に進みません。法廷に引っ張りだされるのが嫌だ、強盗殺人犯と同列に調べられるのが嫌だ……それはわかりました。
 それに対する対策は何かとってますか?保険に入っていますか、事故発生と同時に至急相談できる顧問弁護士がいますか?
 警察検察裁判官(法曹?)不信や法曹攻撃の感情的表出は、それが心情としては痛いほどわかる事実だと思いますが、そこで止まってしまっては、いかがかなと思います。
 近時の医療も高速度交通機関(自動車や航空機や鉄道)も本態的ハイリスクですから、それへのリスク対策を考えるべきだろうと愚行します。
参考:P・バーンスタイン『リスク〜神々への反逆』(上・下)

別エントリ「医療事故書類送検報道」で私が数回に分けて、なるべく法律用語を使わずに解りやすく噛み砕いて説明してきたことと、このエントリ本文でモトケンさんは全く同ことを言われていると思います。

>やはり万が一のことがあると自分の人生が吹っ飛ぶからなんですよ。

私は過去に勤め先の倒産も経験しましたし、40歳過ぎてから資格試験にチャレンジしたときも初年度は不合格で、その後1年間は住み込みバイトの仕事をしながら試験を受け直しました。また資格を得て開業後にも父親が昔捺印した連帯保証債務の請求訴訟を受けて、数年間は自己破産の瀬戸際を歩いて来ました。(私の社会保険労務士の資格は、自己破産すると自動的に資格を失います、これは法令に明記してあります)

また社労士としても、依頼主の社長を簡単に信じ込んで申請手続きを代理代行したら、全く実態が無い会社の不正請求ということが判明して、危うく詐欺罪の共犯者になりかねない案件も経験しました。(不正請求を代理すれば一発で資格停止の懲戒処分ですし、悪質であれば詐欺罪の共犯で刑事訴追されます。2万人の社労士の内で年に数人ですが、実際に刑事犯として逮捕起訴されています)

半生を費やして築き上げてきた人生のキャリアを一発で吹っ飛ばす「地雷」のリスクは、医師という職業にのみ存在するものではなく、どんな職業にも形を変えて存在すると思います。もちろん過去の半生に注ぎ込んだ努力の大小や、キャリアや資格を失った時の落差の大きさは、職種や業界ごとに違うものがあるでしょう。

ただどのような人生を歩もうとも、地雷と表現されるような何らの危険リスクの無い、平坦で真っ直ぐな舗装道路が用意された人生ルートは無い。このように常々思っていますし、自己の経験から感じています。そうした私個人の人生観からすると、「地雷除去の完全保障」というのは、現実離れした無い物ねだりの印象を受けます。

それに対する対策は何かとってますか?保険に入っていますか、事故発生と同時に至急相談できる顧問弁護士がいますか?(No.39 ハスカップ さん )
まったくその通りで、リスクゼロは夢ですからリスクを軽減する対策を個々人が取るべきですね。保険、顧問弁護士等手段はあります。まあ、最も低コストな対策は防衛医療なんですが。 防衛医療というのも、自分で引き受けられるリスクだけ引き受けるという考え方ですから、リスクヘッジの面からは十分合理的です。

>私(や他の司法側コメンテイター)は、「さあ、もう大丈夫。飛んだりはねた
>り野球をしたり自由に遊んでいいのだよ」とは言っていません。
> 1平方メートルあたりの地雷の個数について、医療側が「100個埋まって
>いる。」と言っているのに対し、「いや、そんなたくさんは埋まってません
>よ。」と言っているようなものです。

> そして、地雷がありそうな場所の見つけ方とか、不幸にして踏んでしまった
>ときにその被害を最小限度にとどめる方法を助言しているだけです。

これこそ 言い得て妙のたとえです. よくわかります.
モトケンさんの述べられた弁護士への事前相談ですが,ありがたいヒントです.
刑事映画の取り調べで出てくるアメリカの 弁護士を呼ぶまで答えなくて良い
という科白にも関連しますでしょうね. 
取り調べのカメラ録画などよりはるかに透明性が上がると思います.
医療事故調はまた別の機会にでも...

別に医者だけじゃないんですが、ますます高コスト社会になってきてますね。お金もそうですが、例えば、信頼できる弁護士と相談するってのも、ある程度の頻度で会って話し合っておかなければ信頼関係は生まれないでしょう。当然、時間を使うわけで、しかも外れを引けば新しい人を探さないといけない。そのリサーチのために知識も付けなきゃいけない。

ま、異業種の人と会うってのは得るものもあるわけで、マイナスばかりではありませんが。本務とは関係ない(理屈の上では関係あるけど)書類作りながら、そんなことを感じました。

ところで、保険屋はともかく、弁護士の人数は地理的にけっこう偏りがあると記憶してます。「事故発生と同時に至急相談できる顧問弁護士」の確保は、田舎だとどうなんでしょうね。

>弁護士の人数は地理的にけっこう偏りがあると記憶してます。「事故発生と同時に至急相談できる顧問弁護士」の確保は、田舎だとどうなんでしょうね。

 法律紛争事件だと、その地域の弁護士会が紹介してくれますが結構スローモーです。それに専門分野や得意分野が医療事故過誤(医事法)という方は極めて少ないです(自称は別)。
 そこで、私は医療側弁護団のナショナルセンター構想(医療側防護弁護士派遣サンダーバード構想)に行き着いた(思い付いただけw)わけです。
 多様な事件を担当する弁護士先生(事務所)だと利害相反で法律相談や訴訟を引き受けられないのを避けるため、日本医師会・四病院団体協議会(社団法人日本医療法人協会、社団法人日本精神科病院協会、社団法人日本病院会、社団法人全日本病院協会)・社団法人全国自治体病院協議会などの病院の協議会が一括して専属顧問契約する、医療側専門法律事務所であれば、会員が24時間電話サポートも夢ではないと愚行しました。m(_ _)m

議論の邪魔っぽいので今まで自粛してましたが…、
>まあ、最も低コストな対策は防衛医療なんですが。
結局そこに行き着くんですよね。「安心」が欲しいのなら逃散すればよいだけのこと。それを潔しとしないのなら現状では不安を押し殺しつつ医療を続けるしかありません。まあ私には、アカの他人の患者サマのためにそこまでする意義がもはや理解できませんが。

「ジョジョの奇妙な冒険」のDIO様は、人間の究極の願望は「安心」。金も名誉も友達も、突き詰めれば「安心」を得るため、と喝破されました。私も同感です。ここでくだくだ不安を繰り返されつつも一線に踏み止まり奮闘中の諸先生方、人生は一度きりですよ。

初めて投稿します。

私は市中の基幹病院に勤める消化器内科医です。
大淀病院事件あたりからしばしばこのブログをROMしていました。
今回のテーマは医師の誠意ですが、おそらく私を含め、ほとんどの医師は誠意ある医療を実践していると思います。
ここで誠意という概念を広義にとらえて、患者の訴えをじっくり聞くこともそのひとつととらえて、具体的に私の日常診療の現状で考えてみたいと思います。
朝8時半から60人の外来患者を診なければなりません。その一人目から誠意ある診療を開始します。全く休息なしに50人目がすぎるのはだいたい午後2時前後でしょうか。そんなとき、急性腹症(これは穿孔性腹膜炎など緊急手術が必要で、生命に直結するような病態をいいます)疑いの患者さんが受診し、診断から外科への手術依頼をすませると、今度は肝性脳症の患者さんが受診し、すぐに入院の手配をして、治療指示を出す、55人目には上腹部痛で受診した患者さんが実は心筋梗塞で間一髪のところで循環器内科に引き継いだ、もうあと少しで外来も終わりだ、このあと大腸ポリペクトミーもしなければならない、病棟回診がある、中心静脈カテーテル挿入もあると思っているところに、「朝から鼻水が出るために、職場が近くだから来てみた」(患者のことばそのまま)と受診する人がいます。このような全く重篤感のない患者に、医師として疲れ切った状態で「ああ、風邪ですね薬出しておきましょう」の対応で、小さな地雷を踏みます。医者が誠意ある診療をしてくれなかったと事務にクレームがついてしまします。その事後処理に少なからずエネルギーを費やすことになります。おそらく自分でも知らないうちにこの59人目の患者さんには誠意をもった診療ができなかったのでしょう。
医師に誠意を求める気持ちは十分に理解できますが、日常の医療現場とはこのような状況です。
誠意だけでは解決できない日本の医療事情がその背景にあります。
議論の参考にしていただけたらと思い投稿しました。

 私の言う誠意はあなたの言っている誠意とは違います。
 私は、医師に「疲れてはいけない」と言っているわけではありませんし、完璧を求めているのでもありません。

 そろそろ同じこを言うのに私が疲れてきました。
 
 私は、医師の皆さんに対して誠意をもってこのブログを運営してきたつもりです。
 しかし、ときどき切れます(^^;
 医師に対して暴言も吐きます m(_ _)m

 そして、その暴言を捉えて私の誠意がないという人がいても仕方がないなあ、とは思います。

 まあ、世の中そんなもんだろうと最近は諦観してます。

 ところで、あなたの誠意はどこにあるのでしょう?
 患者さんの気持ちの中にですか?
 それともあなたの気持ちの中にですか?

 独り言ですけど

 私は、誠意のない医療は処罰されると言ったおぼえはないんです。

 誠意ある医療行為を続けていれば医師は信頼される。
    ↓
 信頼される医師の言葉は、医療ど素人の検察官の言葉より、裁判官に信用される。
    ↓
 だから、誠意ある医療行為の積み重ねが司法の場においても医師を守ることになる。

と言ったつもりなんですけど。

 で、医師が、現時点において信頼されていない、と言ったおぼえもないんです。
 大野病院事件判決は、事件当時における医師を信頼したと理解してますから。
 私も、ほとんどの医師は毎日誠意をもって医療にあたっていると考えてます。
 で、これからもそういう姿勢を続けていくことが大野病院事件判決と同じ感覚を裁判官にもたせ続けるために大事だと言ってるわけで、要するに要求じゃなくて注意喚起なんですけどね。

 まあ、私は所詮医師じゃないですから。

 民事責任と刑事責任に恐怖を感じる医師の方々は、「善人にも火の粉が降る」ということをお忘れではないでしょうか?
 DQNモンスター患者が来れば、発熱カゼで投薬処方しても、難癖付けて、告訴や民事裁判提起のリスクは常にあります。
 われわれ公務員は、昭和60年代ころから、行政暴力つまり行政行為に言い掛かりをつけて、ゆすりたかり、窓口で大騒ぎ、公務員の官舎に押し掛けて街宣活動、電凸・ファックス無限送信……などと闘ってきて、モンスター自称住民への対応ノウハウを蓄積してきました。
 そこで学んだのは、99.99%の適正手続きを執行に執行しても、モンスター壊滅対策にならないことです。言い掛かりと膏薬はどこに付きますからw
 不当な要求や行政暴力があったら、毅然として自己の正当性を主張して相手の非を指摘して、暴力行為に及ばれたら、警備員ついで警察官を呼んで、こっちから刑事事件化してもらいます。
 これは役所全体で組織的に対応することで、個々の公務員に対する切り崩し(一点突破)を防ぎ、公的統一方針で毅然と対処します。
 世の中に100%安全な職業はありません。あるのは99.99%の安全に向けた対策のノウハウです。この点は強調してもし過ぎることはないようです(当然ですが)。

モトケンさん、さっそくのご返事ありがとうございます。
まず、ご質問にお答えします。
私の誠意は私の気持ち、診療行為そのものです。
患者さんの気持ちの奥底までは短時間で推測することはできません。
以前私は救急外来で、泥酔して転倒し、意識も正体不明の患者さんの頭部、顔面外傷に対して縫合処置を行うような経験も何例もしております。搬送してくるのは、警察か救急車です。彼らは患者を病院に置いたら、さっさと引き上げます。深夜、看護士と二人で意思疎通もできない、こちらが身の危険を感じるような患者に処置を行うのには誠意が必要です。しかし、患者さんがその時、どのように感じているかは推測できません。これが私の経験から言えることです。
モトケンさんの言う誠意、誠実さとは何ですか。
今後の患者さんのと意思疎通、診療行為に参考にしたいと思います。ご教授ください。

No.46 ある消化器内科医 さまの説明は、被医療者にとって、医師の日常の診療業務の様子を具体的にイメージするのに有益だと思います。
そして、「まっとうな医療」という観点からも、そのような「一見軽症」の患者さんが、実は致命的疾患を抱えている場合もあり、「このクソ忙しい中でコンビニ受診かよ(溜息)」という気持ちから、ありえない見落としをしてしまった場合、紛争化する可能性は十分ありうると思います。
誠心誠意、「まっとうな医療」に努めているつもりでも、勤務時間中途切れることなくそのクオリティを維持できる保障はない。
そういう場合についてどのように考えるかについても、「まっとうな医療」(処罰されないという意味での)の限界・範囲を考えるうえで、一つの論点だと思います。

モトケン先生は、最近、傍目からはそうは見えない投稿まで「反論」と決めつけてしまっているように思います。

モトケン先生がこれまで言われてきた文脈に従って限定される「誠意」や「誠実」の意味合い以外での言及は許さない、というような対応は、コメントの萎縮を招きます。

もうすでにそういう事態が生じてるように見受けられます。
それはモトケン先生の本意とされているところではないはずだと思います。


とにかく、モトケン先生、コメント欄で怒るのはもうやめてください。
とりわけ、初投稿の方に対して。

モトケンさんの言う誠意、誠実さとは何ですか。

過去ログ(コメント欄も含め)を改めてご参照いただくのが、時間はかかると思いますが、結果的には最も早いと思います。

誠実な医療の重要性
http://www.yabelab.net/blog/medical/2008/08/24-132547.php

反省すべきは反省し
http://www.yabelab.net/blog/medical/2008/08/25-143213.php

医療側のみなさまへ(特に最近来られた方へ)
http://www.yabelab.net/blog/medical/2008/08/25-194537.php

医師の皆さんは誠実さを求められることがお嫌ですか?
http://www.yabelab.net/blog/medical/2008/09/10-093133.php

「誠実な医療」と「普通の医療」と「まっとうな医療」
http://www.yabelab.net/blog/medical/2008/09/10-224123.php

>No.50 ある消化器内科医 さん
>モトケンさんの言う誠意、誠実さとは何ですか。

 少なくとも

>おそらく自分でも知らないうちにこの59人目の患者さんには誠意をもった診療ができなかったのでしょう。

とおっしゃっている59人目の患者さんに対する対応について、誠意をもった診療でなかったとは思いません。

 私は、日々患者のために努力されている医師の皆さんの医療行為は基本的に誠実なものと考えています。
 私は、普通のお医者さんに何も特別なことを求めていません。
 医療の世界で、よりよい医療を目指している医師の皆さんは皆誠実な医師であると考えています。
 そして、そういう気持ちで行われる医療行為は誠実な医療行為であると思っています。
 具体的な治療方針に違いによって誠実さの程度に違いがあるとかは毛頭考えていませんし、そんな判断ができるはずもありません。
 また患者の気分を害さないことが誠実な医療の必要条件だとも思っていません。

 「よりよい医療を目指している」という部分の「目指している」というところが誠実さの本質であって、事後的判断としての客観的に「「よりよい医療」であるかどうか、または結果の善し悪しを誠実さの判断基準にしているわけではありません。

 以上は、刑事司法の場面限定です。
 私が「誠実さ」ということを持ち出したのは、大野病院事件判決の論理と感覚を定着させるにはどうすればいいかという文脈で持ち出したのであって、医療倫理全般の問題としてではないのです。


>No.51 fuka_fuka さん
>とにかく、モトケン先生、コメント欄で怒るのはもうやめてください。

 別に怒っているつもりはないんですが。
 私が、医師に過大な要求を突きつけていると思っているように感じられるコメントのように読めるので、そうじゃないと言いたいだけなんですけどね。
 最近、被害妄想気味かも知れませんが。

モトケン先生

>別に怒っているつもりはないんですが。

 よろしかったらフェイスマークを多用して、暗に意思を医師の先生にお伝えしてはどうしょう。文字言葉は無機質で誤解を招くことがあるため、言外FAが発達したという歴史があります。
 以下は、某弁護士が大嫌いな巨大掲示板から入手したものです。~ヽ('ー`)ノ~

m(_ _)m …(つД`)グスン o(_ _*)o o(^ヮ^)o o(;△;)o
(^^ゞポリポリ (T_T) (。_・☆\ ベキバキ (゚Д゚)マヂデス
(´ー`)つ m(._.*)mペコッ ヾ(T△T)ノシ (;゚∀゚)o彡゜
( ^^) _旦~~ f(^_^;) 。・゜・(ノД`)・゜・。
('A`) (+。+) φ(。_。*)メモメモ ( ゚Д゚)y―┛~~
('∇^d) (*^o^)ノ (/ω\) (^-^)/ ( ゚Д゚)ポカーン
(^∇^*)b d(^o^*) w(゚o゚)w Σ(゚Д゚)マヂスカ!?
ヽ(´▽`)ノ (▽` )ノ(`ノ  )ヽ(   )ノ (  ヽ´)ヽ( ´▽)ヽ(´▽`)ノ
" ゚☆,。・:*:・゚★o(´▽`*)/♪おめ♪\(*´▽`)o゚★,。・:*:・☆゚ "

>モトケン先生がこれまで言われてきた文脈に従って限定される「誠意」や「誠実」の意味合い以外での言及は許さない、というような対応は、コメントの萎縮を招きます。

 私からすれば、医療側が言及した「誠実さ」が、私の文脈における「誠実さ」か医療倫理全般または人としての「誠実さ」か区別することができません。

 私とすれば、このブログで医療倫理全般または人としての「誠実さ」について議論してきたつもりはありません。
 それは、このブログのテーマ外の話です。

 医療側が、医療者としての誠実さを議論したいというのであれば、それは傾聴に値する議論だと思いますが、それならば私の発言とは完全に分離した上で議論してもらいたいと思います。
 私のこれまでの発言とリンクしたコメントである以上、私としては私の文脈における「誠実さ」に関する議論と理解するほかありません。

 お気遣いありがとうございます。
 実は、顔文字リストは私もすでに持っています(^^)

http://www.urizun-nikki.com/akademia/face.html

 ただ、やたらと使うと不謹慎だといういう人もいましてね(^^ゞポリポリ

何だか批判を受けそうですけど、僕も含めてここで書き込んでいる医療者はどちらかと言えば忙しくない医療者ではないでしょうか。

前任の地では、もう朝から晩まで診療に忙しくて、ネットする時間などない。そういう時であるなら、大野事件ですら大きな事件として響かなかった可能性がある。一部のネット医が言う奴隷医のような生活をして、実際に僕は幸せでした。
転勤をして、半分研究職になり、診療時間が半分になり、ネットを覗くことは仕事になり、医療崩壊をネットで知り、多くの医療者からみれば不当判決を知り、大野事件を知り、どんどん不安になりました。知れば知るほど不安になります。
モトケンさんのブログは不安にさせることもありますし、時に反発を感じます。いくら議論をしても、議論をしている最中に不当な民事判決がでます。確かに刑事に関しては大野事件の判決はある程度のというか、当面の安心を与えてくれました。ただ、その安心は非常に脆いものであろうとか感じています。しかし、民事はやっぱりやってられない判決が多いような気がします。
モトケンさんのブログが有意義です。感謝しています。根拠のない法曹への敵対心は消失しています。しかし、安心はできない。安心ではなくて、自分のアイデンティティーを問うしかないと思います。

逃散やドロップを賛美する人達とは自分は多分違う。
心が挫けて医師を辞めるのであれば僕はきっと後悔をする。

医者だろ。
医者しかできないと開き直るしかない。
安心は知れば知るほどできない。

僕たちが運転をできるのは、運転をすればするほど事故の可能性が多いと認識しているからではない。多分、事故を起こすまでは認識できないから、便利さを優先する。

訴訟リスク(民事を含めてあ)を考えてどうするかという発想を辞めるしかない、と思います。安心という言葉は、その内容を突き詰めて考えれば安心とは違う何かを呼び起こす言葉なのかもしれません。

ついでに書いておきます。

本当に忙しい病院にいる医者は本当に疲れています。
急に辞めるかもしれません。いつまで続くか不安だったり、将来への不安を感じています。訴訟リスクも意識するようにはなっています。
でも、ネットに頻繁に書き込める医者とはまた違う意識で動いています。もう少し時間ができたら、ネットでよくみる医者の意見に共感し、同意するでしょう。疲れきって辞めようと思った時の心持ちの根源は、ネットで書き込まれている医師の意見と同じものかもしれません。

医者は医者をやるしかない。
社会的運動を始めれば、もう医者じゃない。

言いたいことは非医療者に対してもです。
医者は疲れきったらやっぱり辞めます、
医療制度の矛盾を自分たちで声をあげる余裕がないのが普通です。
それを医者に求めてはいけません。

医療制度を考えるのは非医療者の仕事です。
あなたが、患者になった時にあなたのことを考えないで、医療制度を考えている主治医をあなたは頼れますか。それでも、頼れる医師もいます。でも、二つのことはできないのが普通の人間です。

 うざいほどの一般論で恐縮ですが。
 リスクコントロールのメンタルセットの第1歩は、避けられない最悪の事態を受け入れることです。受け入れて落ち着いたら、それを最善化する方策を考える力が湧いてきます(注1)。


 知り合いの法律家(現職実務法曹)がいます。
 この方は、明日死んでもおかしくありません。今も毎月XX科で問診を受け、3か月に1度はMRでXXを撮影しています。死の兆候が現れていないかを確認するために。死ぬまで経過観察でこれを続けることになる模様です。不可逆的なXXの壊死が停滞か急性憎悪か又はゆっくりと進行しているかのどれかです。
 彼は、明日突然死しても医学的におかしくない死の恐怖にさらされました。学生のお子さんが2人います。苦節10年(自称)で司法試験に合格した450人台合格者の世代です。社会的抹殺どころか、生命死によってそれまでの苦労が一瞬にしてパーとなるし、金のかかる学生2人を抱えた妻が大黒柱の死で途方に暮れるだろうと思うと「気も狂わんばかり」の毎日だったそうです(当然だと思います)。
 ですが、彼は、先週も法廷に立ってました(伝聞)。見た目はどこも悪いところはないように見えるし、若手弁護士や中堅裁判官や老獪検事のチョンボをさりげなく修正する歳の効による温和さと英知を兼ね備えています。
 彼は言いました。「そりゃ最初のころは気が狂う感じだった。こうして話している5秒後に意識を失いそのまま死亡するかも知れないと思うと、いてもたってもいられない日々が続いたから……。だけど死が避けられなければ、受け入れて残された人生を有意義に過ごすしかないよね。自分の死を受け入れたら、スッと体の力が抜けて頭がクリアになったんだよね。プリベア・フォアザ・ワースト(注2)と貴方に教わったとおりだった。とにかく最善を尽くして、後は運命の女神にこの身を委ねよう。俺は女好きだからグラマーな女神だといいな(笑)。」

注1:D・カーネギー『道は開ける』
注2:佐々淳行『危機管理のノウハウPART1』

ふと思ったんですが「患者はどうすれば満足するのか?」ってこと突き詰めるのもひとつの解になるんじゃないでしょうか。
あけすけな言い方をすれば、どうすれば「身内が病院で死んでも、遺族が病院・医師を恨まず寧ろ感謝すらする」ようにできるのかって話ですが。そういう方向からアプローチする「防衛医療」ってのもあるんじゃないでしょうかね。

この問題、とりわけ損賠リスクについては「患者はどうすれば安心して医療を受けられるのか?」ってことと表裏になってる部分が少なからずある気がします。

>医者は医者をやるしかない。
>社会的運動を始めれば、もう医者じゃない。

私は社会的運動とは、個人として選挙で投票することや、医師として地域の啓発活動など、小規模なものを含めて定義しています。医者は医療行為だけやって、このような社会参加しなくていいんだ、という意見でしょうか?参加する余裕の無い医師が多いのは認めますが、暴言に思えます。それとも、社会的運動とは大規模な行動に限ってのことでしょうか?少し疑問さんにとっての社会的運動とはなにかお聞かせ頂けたらと思います。

>医療制度を考えるのは非医療者の仕事です。

医療制度の真っ只中にある医療関係者が意見を挙げなくていいのでしょうか?医療関係者の意見を無視した医療制度をお望みですか?

>あなたが、患者になった時にあなたのことを考えな
>いで、医療制度を考えている主治医をあなたは頼れ
>ますか。

医療制度について問題意識を持ちながら臨床に携わる医師は多いのではないですか?問題意識を持つ人がすべからく診療中に医療問題を考え、診療をおざなりにしているという一般化は止めた方が良いかと。

No.52 fuka_fuka さん から ある消化器内科医 さん への返信 が保留になっていましたので公開しました m(_ _)m

自分の文章を読み返すとおっしゃる通りですね。

だいたい、こんな書き方では、応援してるつもりの座位さんたちの医師連盟を非難していることになりますね。
申し訳ありませんでした。正反対な文章を作ってしまいました。

書かせた個人的な思いはあるのですが、誤解の多い文章にしてしまいました。

医者は医者をやるしかない。
としても、与えられた医療制度の中でですものね。

穴があったら入りたいような愚かな書き方でした。

 医師の先生も、より良い医療を求めて、学会、症例研究会、各種カンファレンスで、各種医療行為の学習自己啓発&啓蒙普及活動という公益活動(ボランティア・無償という趣旨)をされていると思います。それが、一歩進めば、より良き政策提言、予算措置、立法措置を求めていくことになるのも自然かと思います。
 弁護士の先生方も、プロボノ活動として、同様の活動をされていると聞いています。ご参考まで。m(_ _)m
 その道の高度のプロフェショナルとして、本来的に専門性が高くないゼネラリスト国会議院や官僚に任せておけないという問題も出てくると思います。官製の諮問会議や調査会を待たずしての業界団体提言も増えていると思います。

レスすると火に油かと思いましたが、誤解もあるようなので、誤解を解く試みをして見ます。

たぶんそうだろうと思って私なりに解説してみたのですが、ほとんど理解されない、というか信用されなかったみたいです。
というモトケンさんのエントリーでのコメントに対して、大臣コメントの解説を理解されない、信用されなかったとおっしゃっているのだと思って、モトケンさんの大臣コメントの解説に対して
正しい分析なのだろうなと言うことは理解しているつもりです。
とコメントしました。

たとえ話

でも、モトケンさんが信用されないと感じる投稿をしてしまうのは、やはり万が一のことがあると自分の人生が吹っ飛ぶからなんですよ。

は直接的に話すと結局はモトケンさんの分析を間違っていると言う非難をしているように受け取られたくなかったからです。

たとえが良くなくて誤解されたようです。

「地雷」と言うのは「まっとうな医療の結果の患者さんの死が業過致死の捜査対象になること」。
「地雷原」は「誠実な医療の行為者が逮捕起訴される医療の現場」。
「地雷除去のスペシャリストの言葉」は「大臣コメント」のたとえで、
「さあ、もう大丈夫。飛んだりはねたり野球をしたり自由に遊んでいいのだよ」は「過度に萎縮せず医療現場でもてる力を発揮してほしい。」という大臣コメントの私なりの解釈。
「たくさんの人たち」は「医師たち」。
「何週間か飛び跳ねるところを確認してからでないと」は「まっとうな医療の結果の患者さんの死が捜査の対象にならないことを確認してからでないと」のことです。

つまり

つい先日までまっとうな医療の結果の患者さんの死が業過致死の捜査対象になっていたので、大臣が「今後は慎重な対応をするから、過度に萎縮せず医療現場でもてる力を発揮してほしい。」と言っても、まっとうな医療の結果の患者さんの死が捜査の対象にならないことを確認してからでないと、現在程度の萎縮医療をすぐにやめるのは怖いなあ。
ということです。

やはり万が一のことがあると自分の人生が吹っ飛ぶからなんですよ
万が一私の勤める病院を担当する警察署が勘違いしていたら、私と家族の人生が吹っ飛びますから、誠実なまっとうな医療と両立する安全運転を心がけます。


>そして、地雷がありそうな場所の見つけ方とか、不幸にして踏んでしまったときにその被害を最小限度にとどめる方法を助言しているだけです。

これには、本当に感謝しています。

実のところ,今回は,このトピックスは,たぶん(ひょっとしたら)最後のモトケンさんの気持ちだろうと思うのですね。それは,「この手の話をするのにとても疲れている」ということのように私は受け取りました。話をする気を失うくらいかなとすら。怒る気もしないくらいに。

法律には限界がありますし,法理論には限界があります。

しかし,免罪符を与えるには,理屈が足りませんし,世論がついてきません。免罪符というのは,危険な言葉ですが,内科の医者さんがおっしゃることは要するにそれです。過失は,全て免責だとおっしゃるのであれば。それが,最終的には(要するに医療崩壊を防ぐ意味で),患者の利益になる,社会的正義だとおっしゃるのであれば。

ところが,だいぶん前に,社会は,すでに,それを超えてしまっています。物流は,すでに社会的に存在していますが,過失の免罪符は与えられておらず,トラック運転手やタクシー運転手は,過失で事故を起こせば処罰されている。

そのとおりです。
医師の仕事は違います。もはや単純とされている車の運転とは違います。そのとおりです。

ただし,
ただし,圧倒的な失敗というのも,そこには存在します。防げる何かです。それを処罰しない,というのは,どういう了見だろうかと思います。O何とかという弁護士が言っているからではなく。

つい先日までまっとうな医療の結果の患者さんの死が業過致死の捜査対象になっていたので、大臣が「今後は慎重な対応をするから、過度に萎縮せず医療現場でもてる力を発揮してほしい。」と言っても、まっとうな医療の結果の患者さんの死が捜査の対象にならないことを確認してからでないと、現在程度の萎縮医療をすぐにやめるのは怖いなあ。

怖いでしょう。
でも,我慢してください,としか言いようがありません。

怖くなくするためには,じゃあ完全刑事免責ですか?それは,一部の医師の側面を除いて,法理論的にも社会的側面においても絶対に無理です。

で,どうしましょう?
という面を語り合いたいと深刻に思うのですけど。

> 圧倒的な失敗というのも,そこには存在します。防げる何かです。それを処罰しない,というのは,どういう了見だろうかと思います(No.66 ジャームッシュ さま)

処罰しないという考え方も、当然アリですよ。
理屈ではなく、理念の問題ですから。
私は本来、医療過誤の刑事処罰は「一切しなくてよい」という考えています。
民事賠償をして、行政処分を行えば、刑事処罰までは求めない。
そのために刑法を改正して、業務上過失致死傷罪の規定を削除する、他の業務ともども医療過誤を非犯罪化することが最終目標です。

> 法理論的にも社会的側面においても絶対に無理です

法理論的に、ということには異議があります。
もともと、過失犯は刑法に規定がなければ処罰されないものであり、業務上過失致死傷罪を処罰しないこととしても、日本国憲法の各条項には反しません。
諸外国の立法例をみても、少なくとも単純過失を刑事罰の対象としない法制は存在します。
将来的にその方向に持っていくことが、我が国の法体系にそぐわない、とは言えないでしょう。

社会的に賛同が得られるかどうかが問題ですが、
まだ、そんなことは議論の端緒にも付いていないのが実情ですから、
今ここで、医療過誤を刑事処罰することが、政策として良いのか良くないのかという、根本に立ち返った議論をすべきです。

刑法改正は将来のこととしても、基本的に「医療過誤を刑事処罰するのは良くない」というコンセンサスが社会にできているのか、否か?
その理念がハッキリしないことが、検察や警察が口で何と言おうと、医療者側の不安感を払拭できない一因であろうと推察しています。

ジャームッシュ様は、むしろ逆に、「医療過誤を刑事処罰することは必要であり、正しくもある」というお考えのようです。
弁護士の間でも、どうもそちらのほうが多数のようです。

しかし、なぜ、医療過誤を刑事処罰しなければならないのでしょうか。
過失犯に対して刑法の威嚇力による予防効果が薄いことは、法律学の常識です。患者がよく言う、真相解明は、刑事裁判においては限界があることは否めません。
それでも過失犯を処罰する根拠は「応報」、被害者の復讐心を満たすことしか考えられませんが、そんなものを、社会的に保障すべきかどうか、疑問です。
一方で、日常の職務が刑事処罰の危険に晒されることによって、医療者の士気が確実に低下し、医療現場からの撤退や萎縮医療を招いており、医療の質が低下するという弊害が生じているのですから、
個人的な復讐心は二の次にして、医療を維持するほうに公共の利益があると思われます。

要するに、医療過誤を刑事処罰しないことによって、何か社会一般が困ることがありますか?
患者の個人的な復讐心が満たされないかもしれませんが、それって、民事賠償を受けたら満足すべきで、それ以上ぐちぐち言うべきではないのじゃありませんか、ということです。

 理論的には、 YUNYUNさんのおっしゃるとおりでしょう。
 しかし、ジャームッシュさんは、近い将来における過失犯の非刑罰化は困難であるという現実認識のもとに

>で,どうしましょう?
>という面を語り合いたいと深刻に思うのですけど。

と言われています。

 そしてそれは建設的なスタンスだと思います。

横ですがm(_ _)m

医療の妥当性評価には特別の技量が居るけれど、法が医療現場を全て特別扱いは出来ないですよね。

「医療過誤」と「医療現場に紛れ込んだ犯罪」
を上手く分けないと議論がかみ合わないような。

反論があってすごくうれしいです。
モトケンさんのご返答があるのにもかかわらず,ちょっと反論します。長いです。

> 圧倒的な失敗というのも,そこには存在します。防げる何かです。それを処罰しない,というのは,どういう了見だろうかと思います(No.66 ジャームッシュ さま)

処罰しないという考え方も、当然アリですよ。
理屈ではなく、理念の問題ですから。

理念です。そのとおりです。今は,理論と理念の違いについて議論をしません。

しかし,私の知る限りで,イギリスは,これまでは,過失致死・傷を同じに扱ってきました(彼らは,過失を特に処罰しなかった)。今は違ってきています。交通事故死について,圧倒的に処罰化が進んでいるのは,世界的傾向です。
スタンスの違いは,現行の日本の刑法をどうするかだと理解しています。

私は本来、医療過誤の刑事処罰は「一切しなくてよい」という考えています。 民事賠償をして、行政処分を行えば、刑事処罰までは求めない。 そのために刑法を改正して、業務上過失致死傷罪の規定を削除する、他の業務ともども医療過誤を非犯罪化することが最終目標です。

ほかの業務ともども,ということは,要するに,あらゆる(ほぼあらゆる「業務上」)過失責任を否定するという意味ですか? おっしゃっている過失論のある種の側面のいちばんの目標は,たぶん非犯罪化なんでしょうけど,そういう意味ですか?

 それは,新しい論点になります。そして,申し訳ないですが,医療だけ外部化することは,今の世論,実務の過失論上無理です。

私が話しているのは,当然,今後,日本の状況においてどうするか,なんです。

>法理論的にも社会的側面においても絶対に無理です

法理論的に、ということには異議があります。
もともと、過失犯は刑法に規定がなければ処罰されないものであり、業務上過失致死傷罪を処罰しないこととしても、日本国憲法の各条項には反しません。
諸外国の立法例をみても、少なくとも単純過失を刑事罰の対象としない法制は存在します。
将来的にその方向に持っていくことが、我が国の法体系にそぐわない、とは言えないでしょう。

 私が今話しているのは,法理論的に,過失犯は刑法に規定が無ければ処罰されない,などという無邪気な話ではありません。

 今の,日本の法理論体系として,過失犯体系を受け入れて,あのような法文を作り,それを長く運用してきた以上は,これを否定するには,かなりの理屈と世論が必要だという話です。法理論という言葉が不適切なのはそのとおりです。それについては,謝罪します。ただ,理論として,過失犯が例外だ,というのは,やや古すぎると思っております。要するに,理論は,実務と無縁ではないという意味です。

ジャームッシュ様は、むしろ逆に、「医療過誤を刑事処罰することは必要であり、正しくもある」というお考えのようです。 弁護士の間でも、どうもそちらのほうが多数のようです。

すみません。私は,医療過誤をひとくくりには話していません。あなたは,医療過失だけではなく,ほかの業務上の事故も含め,ほかのこともそのようにお考えなんでしょうか? なお,弁護士が,どう多数なのか私は知りません。

私は,「医療過誤を刑事処罰することは(場合によっては当然に負わせるべきという意味で)必要である。そして,それは正しくもある」というふうに思っています。

しかし、なぜ、医療過誤を刑事処罰しなければならないのでしょうか。 過失犯に対して刑法の威嚇力による予防効果が薄いことは、法律学の常識です。

すみません。私には法律学としての常識がないというという風におっしゃるのであれば,そのとおりかもしれません。しかし,予防効果はありますよ。

一般予防の効果が薄いのは当然として,義務違反(という行為)がある以上,重要なことだと思いますけど。点滴がどうなってるかちゃんと見なければなあ,とか,この人が本当に被手術者かなあ(取り違え事案)とか,そういうことを言いたいんですけど。これは責任は問わなくて,しかも,処罰によって威嚇できませんか?

予防効果ないですかね。ある場面で義務違反をすべきでないのに,義務違反をしたような事案ですよ。ここには,意思があります。それを見逃したらダメだと思うんですけど。


患者がよく言う、真相解明は、刑事裁判においては限界があることは否めません。

そのとおりです。ただ,「患者がよく言う」というのは,よくないと思います。刑事裁判は,真相解明に限界があります。そんなことは分かっています。当たり前の話です。ただし,それでも納得を得る何かが必要だと私は思います。

それでも過失犯を処罰する根拠は「応報」、被害者の復讐心を満たすことしか考えられませんが、そんなものを、社会的に保障すべきかどうか、疑問です。

そうは思いません。「被害者の復讐心を満たすことしか考えられません」の言葉に異論があります。「しか」ではありません。前述のとおりです。そして,復讐心ではない場面がちゃんとあります。

一方で、日常の職務が刑事処罰の危険に晒されることによって、医療者の士気が確実に低下し、医療現場からの撤退や萎縮医療を招いており、医療の質が低下するという弊害が生じているのですから、 個人的な復讐心は二の次にして、医療を維持するほうに公共の利益があると思われます。要するに、医療過誤を刑事処罰しないことによって、何か社会一般が困ることがありますか? 患者の個人的な復讐心が満たされないかもしれませんが、それって、民事賠償を受けたら満足すべきで、それ以上ぐちぐち言うべきではないのじゃありませんか、ということです。

医療過誤を刑事処罰しないことによって社会一般が困ることがあるな,と思っていますし,刑事処罰の目的は,「社会一般」だけではないも思っています。

民事賠償を受けたら満足すべきで,ということにはならないです。以前別のエントリで書きましたが,人の死というのは,(とりわけ過失が明らかで,とてもひどいときには)受け入れがたいものです。

社会的利益というのは,一方であります。おっしゃるとおりです。ただし,今の現状で,それは不可能だろうと思います。「社会的に許された危険」という法律家が大好きな言葉は,ある種の場面(危険だけどやらざるをえない。ほかに手がないから,こうする)という個別的な場面が中心になるはずです。

 既出ですので、簡単に。
 医療過誤だけ刑事免責とする刑法改正は、法の下の平等(憲法14条)に反して憲法違反である、という批判をクリアできる理論を構築しなければ、改正法を作っても違憲無効な法律となって無駄に終わります。その理論構築の議論を進めましょう。
 それに、そんな法案審議の過程で、遅くとも改正法の成立後には、管制官、パイロット、鉄道運転手、職業自動車運転手、消防士、弁護士(某弁護士の自説)が同様の改正法を次々と要求してくるでしょう。
 いずれの業界も、業過による刑事処分は再発防止に役に立たないと言っている業界ですし、管制官に至ってはミスで刑事責任問われるならこんな過酷な仕事はやってられないと主張しているからです。

> ほかの業務ともども,ということは,要するに,あらゆる(ほぼあらゆる「業務上」)過失責任を否定するという意味ですか? (No.70 ジャームッシュ さま)

その通りです。こう言ってよければ、「オール免責」です。
医療者が要求するのと同じことを、他の業界が要求するのは当然です。医療だけを免責せよと主張するのは、むしろ「法理論的に」成り立たないことでしょう。

> 予防効果ないですかね。ある場面で義務違反をすべきでないのに,義務違反をしたような事案ですよ。ここには,意思があります。それを見逃したらダメだと思うんですけど。

標準的な医療の手順、ガイドライン的なものを遵守させる強制手段については、何も刑罰に頼らなくても、行政処分もあり得ます。
医療者は資格制度によって水準を保っていますから、再教育や免許上の処分という行政的なコントロール手段が使えます。
より人権抑制的でない他の手段によって同じ目的を達成できるなら、そちらによるべきだというのが、刑法の謙抑性の考え方です。

もっとも、今すぐ実体法を改正するのは困難で、改正に10年単位の時間を要するだろうというのは、私も認識しています。
そこで、当面、急務である医療に限って対策する方法としては、手続法から制約をかけることが適当と考えます。

◆日本医学会における議論
コメントNo.212
http://www.yabelab.net/blog/medical/2008/07/31-090610.php#c176879
> > 手続的制度的に担保するため
> ならば、端的に事故調意見を起訴要件とすべきではないかと考えます。

◆警察庁長官のコメント(大野病院事件)
コメントNo.27
http://www.yabelab.net/blog/medical/2008/08/21-212817.php#c178954
> よい傾向です。これなら刑訴法改正もいけるのでは?

しかし、この案は他の方々からは、あまり賛成を得られなかったように思います。
ま、根底には、みなさんの頭の中にはいまだに「医療事故は刑事処罰すべし」の哲学があるためではないかと想像しますが。

> 人の死というのは,(とりわけ過失が明らかで,とてもひどいときには)受け入れがたいものです。

それは感情論なので、本来的に刑罰が手当すべき分野ではないし、実際にも不可能であると思います。
そうでなければ、刑事裁判が、故意犯に対してさえ、目には目を式の被害と同じ罰を与えず、通常は被害より軽い罰しか与えていないことの、説明が付きません。

---------
私としては、司法サイドが社会に向けて、「医療過誤を刑事処罰することは不適当である」という理念の、明確なメッセージを打ち出すべきであると考えます。
といっても裁判所や検察庁が、立法論を含めて述べることは立場上困難でしょうから、弁護士会が積極的に発言してもらいたい。
それでこそ、先の警察庁長官のコメントや法務大臣発言が、真実味のあるものとして、医療者からも受け止められるでしょう。

しかし実際のところ、弁護士の間で、そのことは大きな議論にはなっていません。民事の医療訴訟に携わる弁護士は一部であり、まして刑事の医療事件に関与した経験のある弁護士は少数なので、問題意識を持つ弁護士がほとんど居ません。

ちょうど、今年の日弁連人権大会のテーマの一つが医療事故でして、主に民事的な救済をどうするかの話題ですが、
事故調査のありかたに関連して、刑事事件の取り扱いも問題にすべきだと思うのですが・・・
私は実行委員でないため漏れ聞いただけですが、あんまりそういう方向じゃないらしいです。
◆日弁連HP /第51回人権擁護大会・シンポジウムのご案内
http://www.nichibenren.or.jp/ja/jfba_info/organization/gyouji_jinken2008.html
シンポジウム
2008年10月2日(木)12:30〜18:00
第2分科会
「安全で質の高い医療を実現するために
−医療事故の防止と被害の救済のあり方を考える−」
ANAクラウンプラザホテル富山
(富山市大手町2-3 TEL:076-495-1111)

補足。

将来の立法論としては、私は、過失致死傷関係全廃は世論の抵抗が強かろうと思うので、妥協的に、
重過失致死傷罪(刑法211条1項後段)は残すのが穏当かなという気がしています。
単純過失致傷罪(209条)、単純過失致死罪(210条)、業務上過失致死傷罪(211条1項前段)は廃止。
あと、自動車運転過失致死傷罪(211条2項)が残ります。

似た意見として、刑法はそのままに、医療行為についてのみ特別法を制定して、重過失限定処罰(軽過失は免責)にせよというのを見たことがありますが、
それはハスカップ様が指摘される通り、他の業者と不平等という批判が出ると思います。

-----------
> 「医療過誤」と「医療現場に紛れ込んだ犯罪」を上手く分けないと議論がかみ合わないような。(No.69 MultiSync さま)

医療に関する犯罪については、事故調査を刑事捜査に先行させるという提案について、捜査機関の理解が一定得られたとしも、
次の点については異論が出ることを予想しています。
1.証拠保全は警察にやらせろ
2.故意犯は直ちに捜査させろ

厚労省大綱案に対して、警察がこのような不満を言わない理由は、
厚労省案による医療安全調査委員会には法的な拘束力がなく、
警察が捜査に入ろうと思えばいつでも入れるため、上記1.2.が全く問題にならないからです。

> 人の死というのは,(とりわけ過失が明らかで,とてもひどいときには)受け入れがたいものです。

それは感情論なので、本来的に刑罰が手当すべき分野ではないし、実際にも不可能であると思います。

感情論というつもりは私にはありません。応報刑論は,理屈として成り立っていると思っていますが。「感情論」ってすごいですよね。全ての業務上過失が,オール免責だという発想は,私にはありません。

「本来的に」刑罰が手当てすべき分野ではない,というのはどういう意味ですか。「本来的に」とは? 刑罰の初源が,あなたの言う「感情論」にはないという意味でしょうか?

故意の事件でも,完全あだ討ちや完全回復が有り得ないことぐらいだれもがわかっていることです。過失犯でも,被害者や遺族の完全な納得など有り得ないことは百も承知です。不可能なのは当然です。ただ,何も処罰しないのですか? 完全な不納得でかまわないということですか? 

つりあうかどうかなんて,日本の刑罰論の内部で解決済みの話ではないですか? それを変更するわけですか?

要するに,過失犯には(そして故意犯にも),応報刑論妥当しないということですか?

私は,ちなみに,医療過誤は処罰すべきだ,と言っているのではなく,過失犯であれば,ひどいものはちゃんと処罰されるべきだと思っているだけなんですけど。あなたがおっしゃる妥協点としての「重過失」処罰には,相応の(反対意見としての)納得はしますけど,そこに至る道のりには違和感を感じます。

他のレスを読まずにレスをつけますので、KYなことでしょうが、思うところを書いてみます。

怖いでしょう。 でも,我慢してください,としか言いようがありません。

怖くなくするためには,じゃあ完全刑事免責ですか?それは,一部の医師の側面を除いて,法理論的にも社会的側面においても絶対に無理です。

で,どうしましょう?
という面を語り合いたいと深刻に思うのですけど。

>怖いでしょう。
でも,我慢してください,としか言いようがありません。

十分我慢してきました。歯を食いしばって、がんばってきました。その結果が大野病院に代表されるまっとうな医療に対する不当逮捕、起訴です。これ以上我慢できないよ。度が過ぎると医者も切れるかもしれませんよと言うところまで来ているのです。
それでも「我慢してください」という意見もありだと思います。そう言う意見が多いようなので、そういう無理解に対してふさわしい対応を考えなければならないと多くの医師が考えているのです。

>怖くなくするためには,じゃあ完全刑事免責ですか?

医師はそれぞれに得て不得手があり、出来ることできないことがあります。疲れていたり、忙しかったり眠かったりすると普段自分が出来ることもできなくなります。
ですから「何でも引き受けろ、引き受けたら完璧な診療をしろ」という要求には、お応えできません。
それで現在の法律や、法運用(まっとうな医療の結果に対する逮捕や起訴を警察や検察の暴走と考えております)に対して多くの医師は自分の手に余る可能性のある患者さんの診療をお断りするとか、忙しいときに普段なら診療する病状の患者さんをお断りするなどして対応していると思います。
これにより患者さんは過失をこうむる可能性が減りますし、医師にとっても捜査の対象になる可能性が減ります。

こういうのを萎縮医療とか防衛医療と呼ばれますが、安心医療、安全医療と呼ぶべきかもしれません。呼び名はどうでもいいですが、以上述べたようにこれは法律や、法運用により医療が誘導された結果のひとつだと考えます。

「で,どうしましょう?このままでいいですか?」は、医療側から他の方々への問いかけでもあります。

刑事免責は解決策のひとつだと思います。
また、検察首脳や法務大臣のコメントにより法運用を微調整することで、不当な逮捕や起訴を減らそうとするのも解決策のひとつだと思います。

>法理論的にも社会的側面においても絶対に無理です。

いくつかの国では、医療事故は刑事免責だと聞いております。社会面ではともかく、法理論的に無理というのはどういう理由でしょうか。私は、何人かの法律に詳しい方が刑事免責を擁護する発言に触れることがあります。この方々が法理を無視して述べているとは思っておりません。法理的に無理であれば砂漠で湖を探しあてるより困難な刑事免責は求めません。

>私は、何人かの法律に詳しい方が刑事免責を擁護する発言に触れることがあります。この方々が法理を無視して述べているとは思っておりません。

 そういう法律に詳しい方は、医療刑事免責に関する憲法14条違反(違憲)の論点をクリアする理論に触れている方はいません。この点の議論が進めばと考えている者ですので、もしいらしたら、後学のためにご教授いただければ幸いです。m(_ _)m

ジャームッシュさんの投稿に対して弁護士の先生から私の投稿同じ趣旨の投稿があることを発見し、心強く思いました。

さらに

私は本来、医療過誤の刑事処罰は「一切しなくてよい」という考えています。
民事賠償をして、行政処分を行えば、刑事処罰までは求めない。
そのために刑法を改正して、業務上過失致死傷罪の規定を削除する、他の業務ともども医療過誤を非犯罪化することが最終目標です。

については、頼もしい限りです。

私は患者さんたちの最大利益を目標にすると、こういう考えに至ると思っています。


>> 法理論的にも社会的側面においても絶対に無理です
>法理論的に、ということには異議があります。

素人の立場で法理を知ることもこのブログに参加させていただいている目的のひとつなのですが、刑事免責にかかわる議論は難しいですね。
社会面については、以前書きましたが、どちらがいいかを選ぶのは患者さんだと思っていますので、今のところ安全な医療を提供するのが喜ばれながら非難さされない方便だと考えています。

>過失犯に対して刑法の威嚇力による予防効果が薄いことは、法律学の常識です。

単純ミスには威嚇効果は薄いでしょうが、ジャームッシュ様がおっしゃるように、義務違反には無視できるほど効果が薄いですかね。

>飲酒運転の罰則を引き上げた改正道交法が9月に施行されてから3カ月の間に発生した飲酒による事故件数は、昨年の同時期に比べ約28%減少したことが27日、警察庁のまとめで分かった。(四国新聞社 2007/12/27)

交通業過の事例ですが、偶然かもしれませんが自動車運転における義務違反による過失事故には効果はあっても、医療の義務違反による過失事故(例えば三重のセラチア点滴など)には効果が薄いと考えられる根拠をご教示いただければ幸いです。

私は、あくまで医療過失事故を全て刑罰の対象とせよという気はありませんので、為念。


>じじいさん

>交通業過の事例ですが、偶然かもしれませんが自動車運転における義務違反による過失事故には効果はあっても、医療の義務違反による過失事故(例えば三重のセラチア点滴など)には効果が薄いと考えられる根拠をご教示いただければ幸いです。

 交通業過においても厳罰化に効果はないかと思います(重過失除く)。事実、自動車運転過失致死傷罪が施行されたのは昨年6月12日ですが、昨年の交通事故状況の推移では6月以前と6月以降で大きな差はありません。
http://www.npa.go.jp/toukei/koutuu48/toukei.htm

 交通事故全体では平成18年以降でやや減少傾向にあり、交通事故死者数は平成4年をピークに確実な減少傾向にありますが、これは法とは関係のない部分でしょう。

 また、対象例として三重のセラチア点滴を挙げていらっしゃいますが、これは我々の感覚では交通事故で言うなら意図的な信号無視か飲酒運転に当たるもので、通常の交通事故と同列に語るのはおかしいと思います。

横から失礼。

>医療の義務違反による過失事故(例えば三重のセラチア点滴など)には効果が薄いと考えられる根拠をご教示いただければ幸いです。

確かこれは嫌疑なしとして不起訴になったはずなんですが・・・
ソースを探したのですがうまく出てきません。

セラチア菌は常在菌であって、根絶するのは困難です。しかもこの事件は菌が混入したルートが分かってないようです。一般に思われているほどの過失はないようです。
でも、司法取引で刑事罰免除とし、洗いざらいしゃべらせれば何か分かったかもしれません。単なる想像ですが。


「谷本整形、診察せず点滴か 県警、医師法違反でも捜査」

こんな記事がありましたよ。
セラチアは点滴の作り置きという明らかなルール違反があると思うので、後はそれが誰の責任か、医師は知っていたか看護士の手抜きかというレベルの話かと思っていたのですが、不気味な別件から攻めてみるという気配が。

> 何も処罰しないのですか? 完全な不納得でかまわないということですか? (No.74 ジャームッシュ さま)

理論的には、それで一向に構わないと考えます。

私としては、そもそも、他人が罰せられたことをもって、納得するという態度を止めてもらいたいです。
というか、止めなくてもいいけれど、そういう意味での納得は社会的に保障されないことを、受け入れてもらわなければ。

しかし、このあたりは刑法の目的役割に関する法的信念、世界観の問題になってくるので、
議論がどうしても空中戦になってしまい、歩み寄りは困難な気がします。

> つりあうかどうかなんて,日本の刑罰論の内部で解決済みの話ではないですか? それを変更するわけですか?

医療過誤については、刑法の役割は小さいものというのが、もともとの「解決」でした。
近年、つまり2000年以降くらいにそれが「変更」され、応報に傾きすぎてバランスが崩れたことが、今、問題にされているという認識です。
法務大臣や警察庁長官のコメントは、それの揺り戻しを狙ったものです。

-----
> 医療刑事免責に関する憲法14条違反(違憲)の論点をクリアする理論 (No.76 ハスカップ さま)

だから、なにも医療に限る必要はないので、
医療を含めてあらゆる業務上の過失致死傷行為を非犯罪化すれば、平等原則違反は問題とならないでしょう。

暫定的な手続法整備の案については、
事故調査を刑事手続きに先行させ、その判断を法的に起訴要件とするというやり方は、手続法レベルで医療のみを特別扱いすることになりますが、
これについては、合理的な区別として合憲性を根拠付けられると思っています。

医療は専門性があり、司法は専門家の意見を聞いて判断するしかない。今までも、警察が協力医を求める、裁判では鑑定人を選任する、とい方法で、実際に司法手続きの中に専門家の意見を取り入れてきました。
それを、今後はこういうやり方にせよ、と法律で決めるということです。
そして、事故調査の委員会は公的な鑑定機関と位置づけられ、人選方法等から公正な意見を出すことが十分期待できる仕組みになっているから、そこの意見を必ず聞くべしとすることには、合理性があります。

> 自動車運転における義務違反による過失事故には効果はあっても、医療の義務違反による過失事故(例えば三重のセラチア点滴など)には効果が薄いと考えられる根拠 (No.78 じじい(患者) さま)

交通事件についても、刑罰の威嚇力は基本的には薄く、罰則を引き上げても「慣れ」が生じるので、効果は一時的に過ぎないと言われています。

私の考えは、刑罰に依存すべきでないとする理由は、
刑罰の効果が薄いことと並んで、他のより人権制約的でない手段によって同じ目的を達成しうるから、というものです。

ご指摘のように、もし医療その他の特殊業過罪を廃止する(または重過失のみの処罰に限定する)とした場合に、
自動車運転については単純過失も含めて重く処罰していることと比べて、
取り扱いを違えることの理由付けが、上手くできるかどうかが問題となります。

この点、私は、そもそも現行の自動車運転過失致死傷罪(刑法211条2項)の罰則は重すぎて、他の故意犯・過失犯との均衡を失していると思いますが、それはさて置いて、
交通事故と医療過誤の大きな違いは、行政処分によるコントロールの可能性ではないでしょうか。
つまり、医療過誤を起こす人たちは、ほとんどが医療の資格保有者であるのに対して、交通事故を起こす人たちのうちには、少なからぬ割合で無免許者がおります。
無免許者に対しては免許上の処分はなしえないため、刑罰によってコントロールするしかなく、交通法規を守らせるために刑罰に依拠せざるを得ない部分があると思います。

なお、交通法規違反に基づく交通事故事案で、
業務上過失致傷罪(現行法では自動車運転過失致傷罪)については執行猶予とし、道路交通法違反の部分のみを略式罰金で起訴した事例を見て、
なるほど検察官はそういう処理の仕方もアリかと思ったことがあります。

医師はどうすれば安心するのか?という問いの前提に、医師が安心して医療行為を行うことに医療を受ける側の利益があると言う事実があります。

これを忘れている人が多いので、刑事免責などの意見に医師のわがままと言わんばかりの批判がブログな以外にあるのだと思います。医師の業務上過失を免責とする目的は患者さんの最大利益なのです。

刑事免責などの提案は、医師が安心して働くことにより、患者さんの健康や命が守られる可能性が高いからなのです。
刑事免責反対、それはいいでしょう。ではどのようにして医師を安心して仕事に向かわせましょうか?対案が必要だと思います。

急病になった人が、症状が重いほど担当してくれる医療機関が見つからず不安な思いになってはじめて、「多少のミスは責任を問わないから誰か診察してくれ」といっても手遅れなのです。

刑事免責はいい方法だと思います。
法の運用を20年前のようにすれば、元に戻るのに時間がかかりますがそれも良いでしょう。
それがだめなら、どうしましょうか。対案が必要だと思います。

>手続法レベルで医療のみを特別扱いすることになりますが、これについては、合理的な区別として合憲性を根拠付けられると思っています。

 私は刑事免責に対する結論は留保中ですが、私も合憲性を基礎づける論拠は、そこ↑がポイントだと思います。この面の議論が深まれば、憲法14条なんて普段は意識しない医療側の常連さまにも、平等原則という法律上の問題点の啓もう普及となって、医療と法の相互理解が進むものと期待しています。
 ご存知のとおり(「釈迦に説法」の非礼をお許しください。医療側常連さまへの説明を兼ねていますので。)、合憲性判断基準(判断枠組み)として、最高裁が示した尊属殺違憲判決〜薬事法距離制限違憲判決を踏まえた二段階判定基準議論が深まる必要があるかと思います。立法目的である安全な医療提供・医療崩壊防止だけでは、論拠が一段だけで弱くなって一部の某弁護士の印象操作を駆使した誹謗攻撃に耐えられなくなると危惧するからです。m(_ _)m

急病になった人が、症状が重いほど担当してくれる医療機関が見つからず不安な思いになってはじめて、「多少のミスは責任を問わないから誰か診察してくれ」といっても手遅れなのです。

その通りだと思いますが、そもそも萎縮医療が行われている、
徐々に広がっているという事実を、ほとんどの国民は知らないというか認識していないと思います。

一時たらいまわしが問題になりましたが、萎縮というよりも
怠慢という捉え方をした国民がほとんどだと思います。

今も医師不足で対応できないという捉え方で決して
萎縮医療のせいだとは思っていないと思います。

>YUNYUN(弁護士) さま

刑法から過失罪の規定を全て無くすべきとのご主張、理念として非常に納得できるものがあります。私も以前より過失罪の存在に疑問を感じており、交通事故に関連するエントリなどで過失処罰に対する疑問を提示して来ましたが、残念ながら多数意見とはならないようです。また同じように刑法からの過失罪の完全廃止や、医療に限定した過失罪の制限や撤廃の提言は、このブログ内でも医療者の方々を除き、決して圧倒的多数の賛同を得ているとは言いかねる状況との印象です。

YUNYUN 先生の提案される医療に限定しない過失罪の全面的廃止、すなわち刑法209、210、211条の3条を全て廃止する改正は、簡単ではないと考えることは私も先生と同様です。もし廃止改正の議論が今後実際の動きとなり、廃止改正が実現するにしても10年やそこらの年月では無理ではないでしょうか。過去の実例として昭和49年の「改正刑法草案」が、内藤東大教授と平野東大教授の両氏を中心とした法学論争に巻き込まれ、実現できなかったことを思わずにいられません。過失罪を全面的に廃止する刑法改正案は、道徳的な応報刑の考え方の人々との一大法学論争を引き起すと予想します。

またこうした法改正論争は、理屈が正しければ必ず多数の賛成が得られるとは限りません。法学論争そのものは理において勝る側が優勢を獲得するでしょうが、立法論争は政治に働き掛ける運動であり、論理的優劣が直接多数派形成に結びつかない面があります。従来の立法主旨を大きく変換する法改正を行なうには、法理論としの論理整合性はもちろん重要ですが、それ以上に政治的、社会的運動手法の巧拙や、言論界、マスコミなどの活用の巧拙など、まさしく政治運動の要素が重要になると思います。

内心の思いとしての私は、先生と同じく「過失罪の全面的廃止派」と自認していますが、このような現実的考察から、過失罪の廃止は5年や10年ではとても実現の見込みはなく、少なくとも20年とか30年という一世代分の年月を掛けた議論を要するものと予測します。今喫緊の課題として医療者から提議されている「謙抑的刑事罰の保障実現」について、少なくとも10年は実現できない解決策を提案しても意味は無いと思います。勿論将来の課題として「過失罪の前面廃止改正」を提議し続け、常に論じ続けることは非常に重要であり、社会的に意義のあることとは間違いありません。

しかし緊急を要する現実的課題に対し学問的理論と同時に、当座の現実論をもって対処する柔軟性も必要ではないでしょうか。いわゆるその場繋ぎの弥縫策の議論も、緊急性という時間の観念から見ればその必要性は高いものと考えます。このような年月を要する学問的理論に則った解決策と、緊急性に対処する当座の現実的対応策と同時進行で考えていかないと、医療に対する「謙抑的刑事罰の保障実現」についての施策としては片手落ちではないでしょうか。

私自身は YUNYUN 先生の主張される「過失罪の前面廃止改正」を非常に高く評価すると同時に、法務大臣と警察庁長官の「談話」による繋ぎの弥縫策もまた評価すべきものと考えます。その観点から信じる信じないは別にして、謙抑的運用を談話に盛り込んで発表した刑事司法当局の決断の大きさを評価します。

 長期的には過失犯全廃論の是非、短期的には過失の構造論に基づく精緻な医療側防護の理論構築(特に回避可能性と回避義務)という大論点を切りわけて議論するのは、とてもいいと思います。

 憲法14条が禁止する不合理な差別といえないか否かの判断準則(判定基準)としては、ラフスケッチレベルで言うと、次の点をX軸とY軸で考察するといいかと愚行します。
【X軸】
(1) 立法目的の正当性(立法事実:第1関門)
(2) 目的と手段方法との合理的関連性(第2関門)
(3) 手段方法自体の相当性(米国最高裁がよく使う手段自体の相当性テスト)
【Y軸】
(1)と(2)の具体的な判定基準の指導理念には、(A)「政策的規制」と(B)「警察目的規制」に分かれ(二重の基準)、前者は緩く(目的が広範な立法裁量事項、目的達成に一応の合理性がある手段方法)て、後者は硬い(目的が具体的な害悪の発生を防止する正当性,目的達成に必要な範囲内に厳格に限定された手段方法:厳格な合理性テスト)という特徴があります。

僻地外科医先生、うらぶれ内科先生、YUNYUN先生、沼地様、レスありがとうございます。

皆様、徹夜仕事(やっと終わりますた)で超亀レスになり申し訳ありません。トピズレの話で大変恐縮ですが、一応レスさせていただきます。

>>79 僻地外科医先生
>>82 YUNYUN先生

僻地外科医先生お示しのページの資料に「平成19年中の交通事故の発生状況」がありますが、その34ページに飲酒運転事故件数の推移が載ってます。

飲酒運転事故件数は、平成12年の26,280件をピークとして、特に平成14年から急速に減少を続け、昨年にはピークの3分の1以下の7,558件にまで減少しています。

ちなみに平成14年に飲酒運転・事故の罰則強化等を内容とする改正道路交通法が施行されています。

これも法とは何の関係のない、ただの偶然でしょうか?

私が言っているのは、過失事故全般の話ではありません。飲酒運転事故のように、義務違反(飲酒運転)を前提とする過失事故のことです。

基本的に、不注意による事故や疲労等での居眠り事故、ブレーキ・ハンドル等の操作ミスなどは刑罰でどうにかなるものではないかもしれませんが、飲酒事故など原因の部分で飲酒運転という故意性があるもの(正体不明になるまで酔っ払って訳が分からず乗るケースは違うかもしれませんが・・・)は、威嚇効果はあると思います。「酒を飲んでるけどまあ大丈夫だろ」という安易な人には特に。

また、飲酒運転事故を厳しく取り締まって、運転が萎縮するのか。飲酒運転をしなければ(させなければ)関係がないので、飲酒運転は萎縮しても、普通の運転に萎縮効果が生じるとは思えません。

この効果がこの先何十年続くかどうかは確かに分かりませんが、じゃあ現状で飲酒運転事故を非犯罪化しても、飲酒運転事故はこれまでどおり減少を続けるのか。

実際にやってみないと分かりませんが、私は、そのようには思えません。非犯罪化で増えた事故は、リスクとして国民が甘受せねばならないのかと考えると、私はYUNYUN先生の論には賛成しかねます。

>>80 うらぶれ内科先生

9月5日の新聞報道では、沼地様ご指摘のように業務上過失致死傷&医師法違反容疑で捜査中とのことですが、先生の仰る嫌疑なしとのソースは見当たりませんでした。

素人考えですが、実際に院内感染事故で死傷者があり、感染ルートが特定できていないなら、むしろ嫌疑不十分で起訴猶予はありえても、嫌疑なし不起訴は考えがたいのですが・・・。

セラチアは確かに常在菌で、混入ルートの断定は困難なのかもしれませんが、県の最終報告では、消毒綿や容器がセラチア菌に汚染されており、そのセラチア菌に汚染された消毒綿により点滴容器が汚染され、点滴液の調合行為により、液中にセラチア菌が侵入し、休診の2日間、6月の高温の室内に放置された結果増殖し、院内感染に結びついたと考察されています。

http://www.pref.mie.jp/topics/200807012510.pdf

もちろん、大野病院でも問題になったように報告書の信用性の問題はありますし、ルートとして断定されているわけでもないようです。で、警察も未だ捜査中のように見受けられますので、結論は出ていません。

もし、作り置いた点滴液を高温の室内に2日も放置しておくのが医療機関における薬剤管理として一般的なものであるとすれば、「たまたま」院内感染事故を起こした谷本整形だけが責められるのは問題があるかもしれませんが、実際にはどうなんでしょうか。

また、汚染ルートや発生経緯の詳細が谷本氏に分かっているくらいなら、最初から院内感染事故は起こさないでしょうから、司法取引をしても大して意味はないんじゃないですかね。これも想像ですが。

私は過失犯の廃止については保留というところです。
ただし、単純過失の廃止というのは納得できるものでもあります。

過失には単純なミスが含まれますが、これに対して抑止効果が低いのは確かでしょう。
ただ、「ホテルニュージャパン火災」や、今回の「三笠フーズ」(状況によっては業過もありえたケースとしてですが)のようなモラルハザードを起因とする過失に対しての抑止があり、これには一定の効果を発揮していると考えています。

YUNYUN先生は過失犯全廃時に、モラルハザード型過失に対してどのような対処をお考えなのでしょうか?

飲酒運転は故意犯ですから、刑事罰によって威嚇することは有用かつ妥当です。

点滴作り置きについては、「不衛生な環境下での作り置き」(これが現在の法令の下で犯罪としうるのか分からなかったのですが)という故意(未必的なことが多いにせよ)による行為についてはペナルティを科すべきだと思います。

故意の違法行為の結果、意図しない(=過失による)結果を発生させた場合は、

故意行為<故意行為から意図しない結果発生<初めから結果を意図

の順に重い罪に問えばよいと思います。

私もガチガチの過失犯非刑罰化論者ですが、「単なる過失」と「故意行為に起因する過失」は区別すべきだと思っています。

これは、現在の過失の廃止後に「故意行為に起因する過失」について別途立法すると言う解釈でよろしいでしょうか?

勝手な私見ですが、そういう手当を意図しております。

自動車運転致死傷罪などは単純に廃止でなく、モディファイが必要だと思います。

私もそういう話であれば賛同いたします。

「単なる過失」と「故意行為に起因する過失」は区別すべきだと思っています


それ、截然と区別できるのでしょうか?

居眠り運転による事故はどちらでしょう。突然の眠気だったら前者、過労による居眠りだったら後者、ですか?


同乗者との会話に夢中になって追突、は前者でしょうか。
携帯電話での通話に気を取られて追突、は後者ですか?


カーステレオの操作中に追突、はどちらですか?
操作がごく短時間だったら前者、不相当に長時間なら後者?

「その行為を独立して評価しても、処罰に値するルール違反とみなしうるか」
かな、と漠とではありますが思っています。

境界・限界がグレーになるのは珍しいことでない、というかあらゆる構成要件に共通ですから、取り立てて問題視するほどではないかなと思います。

挙げていただいた区分には、概ね異論はありません。
ただ、同乗者との会話も、それによって前方注視義務等に違反すると評価できるなら、「故意行為」でしょう。

 モラルハザード型過失に対応する現行法です。

 (1) アンモラルそのものを軽罪故意犯処罰すると同時に、(2) 死傷結果が発生すれば業過で処罰するのが本則です。
 労働災害だと、(1) 安全措置を講じないと労働安全衛生法違反で罰金、(2) 労働者の死傷の場合は業過です。
 交通関係業過では、刑法改正前は、(1) 飲酒運転は罰金又は短期自由刑、(2) 人の死傷結果は業過でした。
 刑法改正後は、(1) 飲酒運転はこれまで同様、(2) ー魑ぢ咾喞度で人の死傷結果はこれまで同様、⊆鮨譴け薪召妨造辰匿佑了狃結果は危険運転致死傷罪(故意犯の結果的加重犯チック)です。

 これらの中にヒントやアイデアがあると思います。 

ハスカップさんのご意見に賛同したうえで、ついでに指摘しておきます。

火災の場合は、(1)消防法での管理責任者の処罰、次いで死傷者が出れば(2)として業過致死傷罪です。

なお労働災害での労働安全衛生法(労基法)違反と、火災での消防法違反には両罰規定があって、下級の管理職が直接の違反行為者として処罰される場合は、原則として事業主(法人の場合は代表者)が行為者と同時に処罰されます。

運送会社の無理な運行命令で過労に陥って、居眠り運転で事故を起こしたトラック運転手などの場合、自動車運転事故処罰法(仮称)など業過罪に変わる新罰則法令を設ける際に、こうした両罰規定の考え方を是非取り入れて欲しいと考えます。

非法曹、非医療の私には、議論の方向性が見えなくなってきています。

過失犯の廃止自体は、理論的にも感情的にも分かる面は多々あるのですが、

1.医療側の方の目指しておられる方向と、過失犯の廃止と言う事は合致していますか?

医療が刑事事件化される事は無くなるかもしれませんが、あなたの親族、家族が交通事故で亡くなっても、同様に刑事事件化になることはありません。

2.>境界・限界がグレーになるのは珍しいことでない、というかあらゆる構成要件に共通ですから、取り立てて問題視するほどではないかなと思います。
との事ですが、それならば、谷本整形の件(が、報道やワイドショーなどで流布されているのが真実なら)などは、故意犯として刑事事件化されてしまうのでは?

う〜ん、どなたかご回答を。

えと事故レスです。

>>89 じじいのコメント中、

「嫌疑不十分で起訴猶予」→「嫌疑不十分で不起訴」の誤りです。

他人に突っ込みながら自分が間違えるとは・・・、お恥ずかしい次第で誠に申し訳ありません。

・・・今夜は寝ます。

>2.>境界・限界がグレーになるのは珍しいことでない…(中略)…、との事ですが、それならば、…(中略)…故意犯として刑事事件化されてしまうのでは?

 ご指摘の通り、過失犯の刑事免責や過失犯を全廃しても、理論上は故意犯が免責されないという問題が生じます。
 ただ、私が法廷を傍聴したり判例を見た感じでは、(1) そもそも故意犯の「故意」の認定は厳格になされていますし、(2) 医療行為は、本態的に傷害の構成要件に(メスで患者の腹部を切開することが)該当しても、社会的相当行為で違法性が阻却されることがほとんどで、(3) 起訴するために社会的相当行為に該当しないことについて、検察官が立証責任を負いますから、告訴告発で警察が否応なく刑事事件化せざるを得なくなっても、検察官は容易に起訴できず不起訴になる、ものと思われます。

レスありがとうございます。

問題意識については承知致しましたし、どのような犯罪類型でも構成要件の該当/非該当にグレーゾーンがあるのは分かるのですが、交通事故の場合、そのグレーゾーンに落ち込むケースがあまりに多くなりそうな点が、他の類型とは異なるのではないかと。

もっとも、理屈の上ではともかく、グレーゾーン周辺はすべて不起訴という実務慣行にしてしまえば、「微妙な違いで構成要件に該当した/しなかった」という不公平感は生じなくなりますね。

・・・・交通事件の厳罰化、遺族感情の重視、刑事司法への市民感覚の注入が是とされている社会情勢に鑑みて、相当困難とは思いますが・・・・。

>両罰規定の考え方を是非取り入れて欲しいと考えます。

 その次の問題は、雇用主や管理者が会社(法人)であることが多い点が考慮されて、両罰既定のほとんどが罰金しかないため、罰金さえ払えばいいとタカをくくった企業経営者が増えることです。企業の代理人である支配人という自然人に両罰規定を適用しても、支配人を解雇して首を挿げ替えて企業経営の存続維持に余念がない経営者もいます。
 なお、身障者雇用促進法では、身障者を雇うより罰金(正確には課徴金という制裁金)払った方が安上がりという経営者が少なくないことが問題点として指摘されたことがありました。

 これへの対策としては、某労働者派遣会社の二重派遣という違法行為に対し、法人たる企業への期間を定めた業務停止命令という行政処分で対応する経済法の立法例が参考になるかもしれません。
 なんと、比較法学レベルの研究(外国法制の研究)だと、フランス経済刑法では、経済刑法違反企業に対して、懲役に相当する業務停止X年X月という刑、あっと驚く死刑に相当する企業解散命令刑、という立法例まであります。w(゚o゚)w

うーん。すごいことになってますね。
なんといいますか,
ここで,過失責任自体を否定する,という論理が出てくるとは思いませんでした。
私の認識が甘かったです。

本当に思いませんでしたよ,ある種の空気の読めない学者風情でしか話せることではないと思っていました。

これだけ,刑事法学者の中でも,日本の現行刑法を前提に,過失は可罰的である,とさんざん言ってきているのに,過失責任は一切ない?などと書いて,医療側を喜ばすのはやめてください。本当のところをちゃんと書いてください。

例えば,過失で,人を致死又は致傷にして,完全にそれは捜査の対象でない,と言っている国を示してください。

そして,医療側に,問うてください。
本当に,あなたがたは,あらゆる全過失が絶対に無答責だと思われるんですか? 何のために?

そうですね,過失の処罰,というものを刑法から消すようにがんばればいいと思いますよ。

医療側は,せっかく大野事件の無罪があるのに,敢えて,すごくヒステリックで,アクロバティックな,過失全部無責任理論を持ち出さなければいけないんでしょうか?

医療側どころか,あらゆる過失を処罰しないというふうに。
あなたがたは,それを本当に持ち出すのですか? それは理屈にも負けるし,現実にも負けるし,世論にも負けるし,それでもつらぬくと言い張ればいいと思いますよ。そして,医療崩壊になりますよ,と脅し続ければいいと思います。それはとても,立派な医療だな,といやみも言いたくなります。

と言い過ぎました。全力で腹が立ちました。私が好きなのは,夢ではなく,現実の議論です。

 私も、過失犯全廃論は、長期的視点にたった刑事政策としてなら否定しませんが(肯定もしません)、「現実的でないこと」は常識でわかると思います。
 過失犯を存続して得られる利益と過失犯を全廃して得られる利益との比較考量(衡量)が、立法政策としても喧々諤々の議論となること必至だからです。そうなれば、疑わしきは現状維持(過失犯全廃改正法不成立の反射効)というのが立法システムだからです。

>1.医療側の方の目指しておられる方向と、過失犯の廃止と言う事は合致していますか?

基本的に合致してると考えます。
医療側の皆さんは、過失で刑事罰を受けるのは納得できない、医療行為に刑事罰は無くすべきとお考のようです。刑法の過失罪の規定が無くなれば、医療行為に過失があったとしても刑事罰を受けることは有り得ず、刑事罰のリスクに怯えることは無くなります。ただし、刑法からの過失罪の完全廃止実現には、相当な賛否の議論が出されるでしょうし、廃止の改正実現には少なくとも10年、場合によっては20年以上掛けた息の長い法改正運動が必要でしょう。その意味では直ぐ明日にでも刑事罰リスクを無くして欲しい医師の方々の希望とはズレがあります。

過失が疑われる医療行為であっても刑事罰を科さない(刑事免責)とした上で、過失の再発予防のためには、その過失を産み出した背景となる要素を全て洗い出して検証する、事故分析検証作業が効果がある。しかし過失罪で刑事罰を科されるリスクがあれば、誰も正直な証言を行なわず、分析検証の正確性が損なわれて再発予防に逆効果である。このように医師のかなりの方々は主張されています。

>あなたの親族、家族が交通事故で亡くなっても、同様に刑事事件化になることはありません。

刑法の過失罪を廃止する代わりに、自動車運転事故処罰法(仮称)など、故意に近い重大な過失事件について、個別の法令(特別法)を設けて処罰しよう、という考え方が出されてきています。個別の特別法で処罰するようにすれば、単に「過失」と規定されている現行刑法の規定を、もっと個別の事例(自動車事故、労働災害事故、etc)に沿った具体的な処罰の基準を明示出来るようになり、曖昧さが排除できるメリットがあります。

また労働災害や火災などは、現行の安衛法(労基法)や消防法などの安全管理義務違反の罰則規定を強化して、数年の懲役刑など刑法の過失罪に近い罰則レベルに引き上げる考え方もあるでしょう。刑法の過失罪の廃止=被害者の応報処罰感情が一切満たされない、とはならないようにする立法の方策があり得ます。

>境界・限界がグレーになるのは珍しいことでない、というかあらゆる構成要件に共通

分野別の個別法令で処罰する事例を定めておけば、刑法で単に「過失」の2文字で表される概念より、具体的な処罰の対象となる事例を、予め法令に明示しておくことが出来るようになります。例えば労働安全衛生法では、クレーン作業を行なう場合にはクレーン作業の資格を持った者が作業にあたり、しかも吊り下げた荷物の真下に別の作業員が入らないように行え、という具体的な注意義務の規定が明文化(安衛法26条&省令のクレーン則)されています。

この注意義務規定に反して無資格者がクレーン作業をしたり、クレーンの吊り下げ荷物の真下で別の作業を現場監督がさせたりしたら、労働安全衛生法違反で罰則があります。ただしこの罰則は50万円以下の罰金です。

この罰金の規定を、先の安衛法26条&省令のクレーン則に違反したが事故には繋がらなかった場合は罰金50万円、事故に繋がったが人の被害(傷害又は死亡)は無くて物損だけだった場合は6月以下の懲役もしくは100万円以下の罰金、人の被害が出た事故の場合は3年以下の懲役、などと細かに定めておけば、曖昧さは排除されてグレーゾーンは非常に狭くすることができます。

ただし、このように個別具体的かつ詳細に定めることは手間が掛かりますし、法律が非常に細かい規定の羅列になる欠点があります。またこうした具体的に明示した規定から漏れた、法令の規定外、想定外の事故が起きたときは処罰したくても出来なくなります。このように過失という2文字で広く網を掛けて、個別の判断は裁判に委せる方法も、グレーゾーンが広くなりますが漏れが無くなる利点があります。このどちらが良いかとの判断は法理論で結論が出るものではなく、立法論というか政治的な判断の要素が強くなって来る部分です。

>谷本整形の件(が、報道やワイドショーなどで流布されているのが真実なら)などは、故意犯として刑事事件化

このまま続けていたらいつか事故るな、事故ったら多分相当な人的被害が出るだろうな。このように日頃から予測していながら必要な改善の手を打たずに放置したのであれば、故意に近い意識があったとみなせるでしょうね。でもこの意識というのは本人の供述以外に明白な証拠が無いという厄介なシロモノです。もちろん間接的な証拠から「いつか重大事故を起こすだろうと思っていた」ことを証明しようと、捜査機関は一生懸命調べているのでしょうが、今ここでは谷本整形の事件の捜査がどうなるのか私には断定できません。

刑事法制は専門外ですが、参考になればと思い、思い付くまま書いてみました。

労働基準法の両罰規定を定めた121条には、「事業主(事業主が法人である場合においてはその代表者)」と規定されており、同法117条、118条、119条で規定される罰金刑でなく、懲役刑が選択された場合は法人代表者に懲役刑を科すことが出来る規定になっています。実際に法人代表者への懲役刑の判決は茶飯事です。ただし執行猶予が普通で、労基法違反単独での実刑判決は私の記憶にありませんが…。

営業許可の取消や莫大な罰金などで、実質的に企業生命を葬り去る考え方も取り入れて良いと思いますよ。公取の独禁法改正案での談合での反則金が高すぎるとして、財界や自民党の横槍で少し低められたのは、まさしく公取の原案通りに施行されたら、ゼネコンはバタバタ倒産しかねないからに他ならないと思います。

消防法の両罰規定である同法45条での罰金額は最高1億円ですから、中小企業なら即倒産に繋がる罰金額です。

> 過失責任は一切ない?などと書いて,医療側を喜ばすのはやめてください。本当のところをちゃんと書いてください(No.104 ジャームッシュ さま)

??
「廃止」という言葉からして、現行法では処罰されることになっているということが、明らかであると思いますが。

過失犯処罰規定の廃止は、将来の立法論です。
しかも、10年後に向けて、一般国民を説得していこうという遠大な話です。誰も、明日すぐさま法律が変わるだろうとは言っていません。

> せっかく大野事件の無罪があるのに

医療者を喜ばそうとしていたのは、法改正論者ではなく、運用論者のほうではないですか。

法律を変えない限り、刑事訴追の可能性は依然として残ります。厚労省大綱案でも民主党案でも、運用は捜査機関側の判断に任されており、法的な保障はありません。
大野事件で無罪判決が出たから、法務大臣が感想を述べたから、警察庁長官がコメントしたから、
現行法の下でも、医療過誤が刑事訴追されないはずだ、医療者は安心せよ
などと主張するほうが、よほど欺瞞的でしょう。
最終的には実体法たる刑法を廃止するところまで行かなければ、法的な安全は無い。
そこまで求めるか、という政策論をしているのです。

> それは理屈にも負けるし,現実にも負けるし,世論にも負けるし,

現実に負けることがあるかもしれないし、世論に負けることがあるかもしれない。しかし、「理屈に負ける」というのは、おかしいと思います。
ジャームッシュ様はこれまで何度も「理屈で」「理論的に」と言われましたが、日本国憲法と刑法の原則に照らして、過失犯を必ず処罰しなければならないとする理論は、どこにありますか?
単なる法政策のレベルの問題でしょう。国会で多数を取れば、法律は改正されるのです。
法理論的に可能か、不可能かは、正確に説明しなければ、法律学を知らない人たちを騙すことになります。

また、私は、日本の現実に対しても世論に対しても、諦めていません。
10年経てば、社会は変化します。今日は思いもよらなかった
ことが、実現するかもしれない。
「できない」「無理だ」と決め付けてはならないと思います。

-------
ところで、
10年後の刑法改正までの間の暫定的な対処方法として、
私は刑事訴訟法を改正するという手続法からのアプローチを提案しましたが(No.72、82)、
これについてはいかがお考えですか。

福島大野病院事件では、警察がその道の真の専門家ではなく、テキトーにそのへんで拾ってきた医師の意見を頼りに、起訴したことが敗因でした。医学的に誤った不当な起訴を防止するためには、刑事手続きの捜査段階から、正しい医学的意見を取入れることが重要です。
この点、厚労省案でも民主党案でも、捜査機関は事故調査の判断に法的には拘束されませんし、そもそも事故調査にかからなかった案件については、全くのフリーハンドです。
厚労省は、警察は患者から告訴や被害届の相談を受けた時は、まずは安全調査委員会への調査請求をお勧めするだろう、と説明していますが、
もちろん法的強制力は無いことなので、患者側があくまで刑事処罰のみを求め事故調査を希望しない場合は、事故調査が開始されないこともあり得ます。
それでは、せっかくの事故調査制度が生かされません。

従って、事故調査が開始されていない案件については、警察が医療安全調査委員会に調査請求をして、意見を聞かなければならないという仕組みにしておくべきだと考えます。
つまり、全ての刑事事件について事故調査を先行させ、その判断に法的拘束力を持たせる、すなわち起訴要件とすること(刑訴法改正となる)。

今までも、医療事件では専門家の意見を聞いて処理してきたのであって、単にその問い合わせ先を、ココと特定するだけですから、刑事手続の基本的な手順を変更するものではありません。
専門家の意見は聞かずに、「疑わしきは起訴する」式に、医療事故は全件起訴せよ、無実の者が起訴されても裁判で無実を立証できるはずだから構わないとする意見は、少数であろうと思います。
患者の中にはそのように主張する人も居るかもしれませんが、一般世論は支持しないでしょう。医療過誤でそうせよというなら、平等原則からして、あらゆる刑事事件がそうであらねばならなくなり、万引きでも痴漢でも疑われたらみな刑事被告人として裁判を受けなさい、というオソロシイことになってしまいます。

よって、このような手続法アプローチは不当起訴の防止にかなりの実効性があるから医療者の皆さんの納得を得られ、
かつ、実体法は維持する点で世論に対する説得力・実現可能性も、十分あるのではないかと考えますが、
いかがでしょう?

>No.103 ハスカップ さま、レスの順序が後先になり、申し訳ありません。

なお、身障者雇用促進法では、身障者を雇うより罰金(正確には課徴金という制裁金)払った方が安上がりという経営者が少なくないことが問題点として指摘されたことがありました。
身障者雇用促進法の15条で、厚生労働大臣は法定雇用数に満たない事業主に対し、身障者の雇入れ計画の作成を命令し、計画が不適当だった場合は勧告すると規定されています。更に同法16条では厚生労働大臣の命令勧告に従わない事業主は、その名称や従わなかった事実について公表できるという規定があります。

余り知られていませんが、この事業主名の公表制度の適用第1号は、平成13年の春に公表された日本国空です。日本航空はハスカップ様ご指摘のとおり未達の納付金で誤魔化す態度が続き、ときの経営陣が公然と身障者雇用より納付金を払うほうが企業として得だ、との発言を決算の発表説明会などで行ないました。その態度にカチンと来た厚労大臣坂口力は、日本航空が同法施行以来一度も法定数を満たしたことが無く、身障者雇用に消極的な企業として発表させ、自らも大臣の定例記者会見で日本航空の姿勢を批判しました。(なお公表を指示したのは厚労省の対応に業を煮やした、就任したばかりの小泉首相だとの噂もあり)

その結果、翌日の新聞にはかなり大きな記事(各社3段〜5段の見出しで、見出しに日本航空の名がズバリ書かれました)として取り上げられました。その結果、身障者団体からの利用ボイコット運動が始まるわ、国会で問題になって経営陣が参考人として招致される事態にまで発展しました。日本航空はこうした世間の指弾を浴びて全面降伏し、現在は法定雇用数を守っていると聞いています。

一応身障者雇用促進法では、身障者を雇うより罰金(正確には罰金や課徴金ではなく「身障者雇用納付金」です)を払う方が安上がり、というザル法ではないことを指摘しておきたいと思います。

過失責任は一切ない?などと書いて,医療側を喜ばすのはやめてください。本当のところをちゃんと書いてください。

過去ログ、きちんと読んでいただいていますか?
YUNYUNさまにしても私にしても、現行法の解釈論と立法論を混同したような主張は一切しておりません。
常に「本当のところをちゃんと書いて」いるつもりです。
(謝罪せよ!などと申し上げるつもりは毛頭ありませんが)

逆にジャームッシュさまにお伺いしたいのは、多忙な業務の中でのヒューマンエラー(点滴の薬剤の分量指示のミス、航空管制官の言い間違い等)について、刑事罰に問うことは、「理論」の面でも必然なのだとお考えなのかどうか、です。

>そして,医療崩壊になりますよ,と脅し続ければいいと思います。それはとても,立派な医療だな,といやみも言いたくなります。

私は医療は崩壊してはいけないと考えていますが、このような意見の方が決して少なくないようなので、医療は一度崩壊した方が良いのではないかという乱暴な考えが正当性をもちつつあります。

横レス・トピズレ失礼いたします。
No.104 ジャームッシュ さん

医療崩壊になりますよ,と脅し続ければいいと思います。
脅しではなく、皆、事実を述べているだけです。脅しとして取られてしまうのは、失礼ですが現状認識に必要な情報が不足しているのでは無いかと愚考いたします。新エントリにもありましたが9/30に銚子市立病院が休止しました。数多くの医師ブロガー達が医療崩壊に関する情報を発信していますので、是非お読みいただけたらと思います。
人は誰でも病気になります。医者もその家族もいつ被医療者になるのか分かりません。ですから、医者にとって医療崩壊は、自分の仕事だけではなく、大切な家族にも影響をもたらす事なのです。
そして、過失非罰化は医療崩壊に対するブレーキとなりうるものの一つかとは思いますが、他エントリ「医療崩壊緊急医師アンケート集計結果」と、元ネタをお読みいただければ分かるように、過失非罰化だけで医療崩壊が止まるものでも無いのが現実だと思っています。

No.111 内科の医者 さん

このような意見の方が決して少なくないようなので、医療は一度崩壊した方が良いのではないかという乱暴な考えが正当性をもちつつあります。
そのように書きたくなるお気持ちも理解できますが、本当に崩壊しない方が良いと思っていらっしゃるのであれば、このようなご意見は理解を求める上で、逆効果にしかなりませんからご再考のほど宜しくお願いいたします。

 ご指摘のとおり、両罰規定では、厳密にいえば罰金だけでなく短期自由刑もあるものが少なくありません。フォローいただき感謝です。m(_ _)m
 賃金不払いで社長への罰金が続くと体刑求刑となるらしいですね。
 また、独禁法などの経済事犯(政策目的規制)の高額罰金が消防法(警察目的規制)へと拡大したとの情報提供ありがとうございました。m(_ _)m
 

銚子市立病院が休止したのは,医療ミスにより患者を死なせることも許さない銚子市民に嫌気がさしたからではないですね。過失犯処罰と医療崩壊との関係が話題になっているときに,銚子市立病院の休止を例として出すのは,ミスリーディングだと思います。

 JAL問題事例を御説明いただきありがとうございます。ヾ(^▽^)ノ
 多数顧客を相手にする大企業だと「企業名公表」のペナルティも効果グンバツです。
 問題は、この事案が報道されてから、下請け製造業では、JALのマネをする企業が増えたことです。彼らの業界は、エンドユーザを一般顧客に持たないためか、「企業名公表は売上に響かない」という社長もいて、頭が痛いです。
 そこで、親企業の上流から下請け企業の下流に向けて役所がプレッシャーを(以下略

>医療は一度崩壊した方が良いのではないかという乱暴な考えが正当性をもちつつあります。

 お気持ちや分析は分かりますが、それだけは止めてください。被医療者としても、一度崩壊された制度を回復するには改良維持費の3〜5倍の高コストとなることからも。

 返信機能(説明はこちら)をご活用いただくと、議論の流れがはっきりして発言の趣旨がより明瞭になると思われますのでよろしくお願いいたします。

 医療事故に関して言えば、点滴回路(血管内に入る)と経管栄養回路(胃の中に入る)を同じチューブやコネクタを使用しておいて、現場の看護師が取り違えミスで死亡させた場合、両罰規定があれば病院に多額の罰金を科する事が出来ますよね。もともと、赤字経営で回路を安全なものにしようと言うインセンティブの少ない医療機関でも、こういう罰則があれば、震え上がって安全なシステム作りに励むのではないでしょうか。
 とはいえ個人的には、過失による死亡事故は医療に限らず刑事罰を科すべきではなく、個人や法人に対する行政処分や、多額の損害賠償という民事の制裁で行うべきだと思っています。それでご遺族の応報感情は一定程度は満たされるでしょう。加害者を刑務所に半年入れて頂いたからと言って死者が生き返るわけでもないし。
 

 横ですがユートピアで施行される法律を語るならば・・・
 英米法の国では「故意に匹敵するほどの過失」を処罰する国が結構ありますからそれで良いと思っています。アメリカの一部の州では過失も処罰する州法があるらしいですが、立証のハードルが高いため、事実上対象は交通事犯に限られるとか。個人的には応報を無視してよいとは思わない(本当に応報は不要とお考えなのでしょうか)し、故意に匹敵するほどの過失に対する予防効果は相当程度あると思われす。

過失犯処罰規定の廃止は、将来の立法論です。
しかも、10年後に向けて、一般国民を説得していこうという遠大な話です。誰も、明日すぐさま法律が変わるだろうとは言っていません。

 10年後というのは随分と楽観的ですね。まあ、そうなる可能性は別に排除しませんが、実現しない可能性はきわめて高いと思います。実現しなかった場合の手当てを考えたほうが現実的な議論になると思います。
 理論的に可能だというのは事実でしょうが、まるで現実に実現可能であるかのようにおっしゃるのは、私には医療者を無用に喜ばせる言説に見えます。日本の現実に別に絶望はしませんが楽観もしません。説得すると世論が劇的に変わるなど夢物語にしか聞こえません。
大野事件で無罪判決が出たから、法務大臣が感想を述べたから、警察庁長官がコメントしたから、現行法の下でも、医療過誤が刑事訴追されないはずだ、医療者は安心せよなどと主張するほうが、よほど欺瞞的でしょう。
最終的には実体法たる刑法を廃止するところまで行かなければ、法的な安全は無い。
そこまで求めるか、という政策論をしているのです。
そこまで求めるのは刑事法制の否定だと思いますが。痴漢の冤罪が生じない法的な安全を求めるために痴漢を不可罰にするわけにもいかないでしょう。リスクを低減することとゼロにすることは根本的に異なるとおもいます。
福島大野病院事件では、警察がその道の真の専門家ではなく、テキトーにそのへんで拾ってきた医師の意見を頼りに、起訴したことが敗因でした。
テキトーにそのへんで拾ってきたとは思えませんが。
医学的に誤った不当な起訴を防止するためには、刑事手続きの捜査段階から、正しい医学的意見を取入れることが重要です。
これはそうでしょうね。
従って、事故調査が開始されていない案件については、警察が医療安全調査委員会に調査請求をして、意見を聞かなければならないという仕組みにしておくべきだと考えます。
つまり、全ての刑事事件について事故調査を先行させ、その判断に法的拘束力を持たせる、すなわち起訴要件とすること(刑訴法改正となる)。

警察→安全調ルートの必要性は否定しませんが、「つまり」以下とは論理的に必ずしもつながりません。
今までも、医療事件では専門家の意見を聞いて処理してきたのであって、単にその問い合わせ先を、ココと特定するだけですから、刑事手続の基本的な手順を変更するものではありません。

 YUNYUNさんは警察に対しては「信用できない」と繰り返しておられますが、一方で第三者機関が信用できるのは当然であるかのように考えておられるようですね。第三者機関が警察よりも適切な判断を下せる保証なんてどこにもないと思いますが。
 今日も原爆症認定:新基準、半年 審査進まず待機6000人 申請「塩漬け」に不満という記事がありましたがどうお考えですか?
原爆症の認定基準が大幅に見直されて9月末で半年になるが、この間、新たな認定が1000人を超えた一方、申請の却下が1件もない異常事態が続いている。認定が微妙なケースの審査が進んでいないのが原因で、待機中の被爆者は約6000人に膨らんだ。結論が出るまでは裁判などで争うこともできず、被爆者に「塩漬け」への不満が高まっている。
法的拘束力は第三者機関が始動してからしか付与できないでしょうから、法的拘束力を与えるべきかどうかは警察の対応を見てからでは良いのではないですか?YUNYUNさんは「どうせ警察は無視する」ということを前提にお考えのようですが、事実上の拘束力というものがあるわけでして、租税犯罪において国税庁の考えを警察は無視していますかね?第三者機関が始動してからしか法的拘束力を付与することが困難である以上、警察の対応を見極めたうえで、法的拘束力を付与すべきかどうかを考えればよいというのが私の考えです。大切なのは第三者機関の判断に法的拘束力があるかどうかではなく、現実に機能している第三者機関の判断に従って医療者の処罰が行われていることではないでしょうか。

> そこまで求めるのは刑事法制の否定だと思います(No.119 ろくろくび 様)

なぜですか。
今でも、医療事故を業務上過失致死罪として起訴するためには、捜査機関は専門家の意見を聞いて判断しています。
事実上の拘束力なら許されて、法律上の拘束力をかけることは駄目だという理由は何ですか?

> 第三者機関が警察よりも適切な判断を下せる保証なんてどこにもないと思いますが

それを言うなら、警察(と警察が選んだ協力医)が第三者機関よりも適切な判断を下せる保証のほうが、もっと少ないでしょう。
現に、今まで失敗している(割り箸事件、東京女子医大人工心臓事件、福島大野病院事件)のですから、
まあいつも失敗ばっかりしているとまでは申しませんが、能力不足は否めないと思います。

第三者機関は少なくとも、医療専門の事故調査機関として、それなりに予算と人員を配置するということですから、
こと医療に関しては、専門外の警察が片手間に調べるよりは、適切な判断を下せると期待されます。

> 法的拘束力を与えるべきかどうかは警察の対応を見てからでは良いのではないですか?

それは人柱の上の安全というやつですか。
警察が安全調査委員会を事実上無視する時は、法的拘束力を与えようという主張は、
現に法的拘束力を持たせる「べきでない」ことの積極的な理由付けが無いという意味になりませんか?

> 現実に機能している第三者機関の判断に従って医療者の処罰が行われていることではないでしょうか

ジャームッシュ様がその点をお認めになるならば、
委員会意見に法的拘束力は与えないとしても、少なくとも、警察が独自に事件を発掘してきていきなり起訴するということは許すべきでなく、
刑事訴追の前提として、必ず安全調査委員会の判断を求めるべし、ということにはなりませんか。
厚労省案も民主党案も、そのような規定は置いていない点は、不十分ではありませんか?

>現に、今まで失敗している(割り箸事件、東京女子医大人工心臓事件、福島大野病院事件)のですから

 無罪率(失敗率)より有罪率(成功率)の方が圧倒的に高いので、それは根拠にならないと思います。もちろん、分母に不起訴事案まで含めたら、無罪率もっと下がると思います。いま手元にデータがなくて記憶だけで恐縮ですが。m(_ _)m

>警察(と警察が選んだ協力医)が第三者機関よりも適切な判断を下せる保証のほうが、もっと少ないでしょう。

 失礼を顧みず申し上げます。m(_ _)m
 まだできてもいない(悪く言えば海のものとも山のものとも言えない)第三者機関に対し、推測や観測としても、そこまで高い信頼まで言えないと思います。
 逆にいえば、調査の実務経験がない素人集団に何ができるか?お手並み拝見だよ!程度ではないかという批判を招くと思います。
 既コメントですが、公正取引委員会のヤミカルテルの告発事件では、調査のズザンさが東京高裁で指摘されて無罪となっています。独占禁止法の専門家の調査でも、このような悪しき先例があります。そこで、公正取引委員会では東京地検特捜部から検事を招へいして、一から調査のイロハを学んだそうです。
 どんな組織もそうですが、設立当初は産みの苦しみの連続で、最初から高い信頼を与える(期待する)のは酷かもしれません。
 事実、記憶では、医療現場を知らない大学教授が事故調のヘゲモニーをとったら?と不安を訴える医療側コメントもありました。m(_ _)m
 以上の点をご検討いただければ幸いです。
 私は、航空機事故の日本政府の調査史を概観して、事故調は人選権限予算次第でピンにもキリにもなる、と慎重に構えています。
参考:柳田邦男『マッハの恐怖』

もとより私は医療が崩壊した方が良いなどとは思っていません。

私が求めるのは、自分の医師としての知識や技術を発揮して多くの方々に貢献できる医療現場です。

医者を安心して働かせてやろうという環境と引き換えに、
医療を必要とする人に遅滞無く適切な医療を提供しようという環境が実現するのだと確信しています。

たぶん、こういうことも前提にこのトピがあるのだと思いますが、
どうしたら医者を安心させられるのかというこのトピに、
怖いだろうが我慢しろという意見が出たときには毛が逆立ちました。
その後の幾つかの投稿は必然です。

No.120は、ろくろくび様への返信でした。
間違えました、ジャームッシュ様、大変失礼いたしました。 m(_ _)m

>じじいさん

 亀レスになりましたが(というか、進行早すぎですw)

飲酒運転事故件数は、平成12年の26,280件をピークとして、特に平成14年から急速に減少を続け、昨年にはピークの3分の1以下の7,558件にまで減少しています。

ちなみに平成14年に飲酒運転・事故の罰則強化等を内容とする改正道路交通法が施行されています。

これも法とは何の関係のない、ただの偶然でしょうか?

 私自身のコメントの中にすでに触れておりますように

交通業過においても厳罰化に効果はないかと思います(重過失除く)。

です。飲酒運転は通常の過失犯と同列に語るべきものではないでしょう。
 自動車運転過失致死傷罪の成立の契機となったのはおそらく埼玉県川口市の園児4人死傷事故だと思います。この事件の判決で危険運転致死傷罪が適用されず、懲役5年の判決が甘いという批判から自動車運転過失致死傷罪(最高7年)が成立した、という話だったと思います。
 でも、現実問題として私が示したデータのように飲酒運転による事故は確かに減っていますが、その他の事故に関しては法律施行後の明らかな減少はありません。この法が何かを満足させるとすれば「本人・遺族の応報感」のみで自動車事故の死傷者が減るわけでも自動車事故が減るわけでもないでしょう。私が言っているのはそう言うことです。

 というか、交通事故に関して本気で「スピードの出し過ぎ」が事故の原因となっていると考えるなら、現在のように時速150キロを軽く出せるような車を作る方を規制すべきでしょう。日産GT-Rの展示車を見たことがありますが、時速80kmがメーターで8時ぐらいの位置にあって一瞬目を疑いました(まあ、あの車は無改造のままサーキットで走ることも考慮に入れられているのでそういう風になってるそうですが)。
 シートベルトの着用によって事故による被害を減少させられると考えるなら、シートベルトを装着しなければエンジンがかからないようにすべきでしょう
 少なくともこの2つは業者のレベルでしかもローコストで簡単にできます。
 また、ちょっとコストのかかる手段ですが、速度制限標識に電波発信機をつけて、制限速度以上は車の方にリミッターをかけるようにすることだって理論上は十分可能だと思います。

 飲酒運転に関しても呼気アルコール検出装置(量産すればさほど高く無くできるはずです)を車に装備し、検出されればエンジンがかからないようにすることを義務づければ、法改正による厳罰化などよりはるかに効果的なはずです。

 カセット(CD)交換や携帯電話使用が事故の原因になると言うのなら、車が移動している間はこれらが使えないような仕組みを作れば良いんです。

 交通業過の法改正の話題を見るたびに、「この国は本気で交通事故を減らす気はないんだな」と思いますね。

 ご趣旨は了解しました。ホットしました。m(_ _)m

なぜですか。 今でも、医療事故を業務上過失致死罪として起訴するためには、捜査機関は専門家の意見を聞いて判断しています。事実上の拘束力なら許されて、法律上の拘束力をかけることは駄目だという理由は何ですか?
YUNYUNさんは
最終的には実体法たる刑法を廃止するところまで行かなければ、法的な安全は無い。 そこまで求めるか、という政策論をしているのです。
とおっしゃっています。法律上の拘束力の話は刑訴法の話であって刑法の話ではないのではないでしょうか。
それを言うなら、警察(と警察が選んだ協力医)が第三者機関よりも適切な判断を下せる保証のほうが、もっと少ないでしょう。
警察の判断にはもちろん限界があります。しかし
第三者機関は少なくとも、医療専門の事故調査機関として、それなりに予算と人員を配置するということですから、こと医療に関しては、専門外の警察が片手間に調べるよりは、適切な判断を下せると期待されます。
本当にそうお思いなのでしょうか?警察庁長官や法相の談話は信用できないが厚労省の言うことは信用できるということですか? それと、警察は片手間に調べているのですか?逆に現在進行形で臨床現場を知っている医師が調べることは片手間とは呼ばないのですか?  もちろん専門性を有する点で第三者機関が調べることのほうが望ましいですがそれはあくまで第三者機関が機能すればという仮定付きでしかないと思います。
それは人柱の上の安全というやつですか。 警察が安全調査委員会を事実上無視する時は、法的拘束力を与えようという主張は、現に法的拘束力を持たせる「べきでない」ことの積極的な理由付けが無いという意味になりませんか?
今すぐ法的拘束力を持たせることには賛成しませんが、将来的に法的拘束力を持たせる「べきでない」とは言っていませんし、そう考えてもいません。  裏でも書きましたが「労多くして益少なし」ではないか、ということです。法的拘束力を持たせるための法改正は相当程度の労力を必要としますが、それに見合うだけの果実があるのか、という問題です。  この点で見解が分かれているようですが、私は租税犯の告発権限を有する国税庁と検察庁の間の協力関係に加え、第三者機関が機能した場合の報告書の証拠としての価値を考慮すれば警察・検察がそこまで勝手なことをやる、とまでは思いません。もしそういうことがおきるのならば、それは第三者機関が世間の信頼を獲得できなかったということだと思います。  したがって、人柱の懸念は当然あるわけですが、労力に見合うだけのリスクなのか、少し疑問に思っている、というだけです。それでもそれだけの労力をかけて法的拘束力を付与したい、というのであれば、「あまり必要性を感じませんが、お好きにどうぞ」ということです。
刑事訴追の前提として、必ず安全調査委員会の判断を求めるべし、ということにはなりませんか。 厚労省案も民主党案も、そのような規定は置いていない点は、不十分ではありませんか?
「警察→安全調ルートの必要性は否定しません」と前述しているように、その点について厚労省・民主党案に不備があることはまったくその通りだと思います。

それはそうでしょう。自動車業界はこの国のエスタブリッシュメントで、政府上層部と密接な関連を持ってますからw
しかるに医療業界はそうでありませんから。

 なお交通事故防止の観点からは僻地外科医さんの言われるとおりであり、厳罰化では過失事故にはあまり効果がないでしょう。故意犯である酒飲み運転は厳罰化でかなり減ったらしいですがね。

メーカー純正オプションだと走行中操作できないカーナビとか画面表示されないTVとかは実在しますが?
シートベルトを付けてないとピーピーわめき続ける車種もあります。

GT-Rは逝かれた車ですが、ランエボ・インプWRXクラスは280馬力自主規制を長らく守っていました。

しかし、そんなのはリミッター解除したり、ポン付けで回避したり、どう考えても費用対効果の怪しい策です。

なんかまた不適当な喩えの迷宮に入り込み始めているような・・・。

 医療現場でも、折角のフールプルーフのコネクタをうまく入らない(当然です)からといって絆創膏で固定したり、ありとあらゆる手段を駆使して安全装置の呪縛から逃れようとしてますよw
 現場の人間の創意工夫には脱帽ですorz

 JR西の事故でもそうでしたけど、結局過失の事故は機器を良くしただけではだめであり、そこで働く者の安全文化の醸成を含め、総合的な安全システムにしない限り完成しないと言うことなのでしょう。

あの〜ぅ、交通事故と車の技術の話題はスレ違いですが、どうしても気になって…。

>シートベルトを装着しなければエンジンがかからないようにすべき

このシステムを登載した車は、実際に何度か試作されてテストされましたが、結局全て発売中止になりました。理由の一つは雪国や北海道など寒冷地のテストで、実用上の大問題があった為です。氷点下の冬の北国では屋外駐車の場合はフロントガラス類が凍結するので、エンジン始動後10分以上アイドリングして、デフロスター(温風ヒーター)を作動させないと凍り付いたガラスが融けず、走ることが出ません。ヒーターが効くまでの時間をシートベルトを締めて、氷点下の車内に座っていては凍死しかねないので、開発は頓挫しました。

スピードリミッタについては、現在は大型トラックに義務化されていますし、昭和の時代にはスポーツタイプの乗用車にも装着されていました。当時の運輸省は、カタログデータ取りのテスト車や輸出モデルは別にして、国内市販車は絶対に180劼鯆兇┐覆い茲Δ縫螢潺奪燭鯀備しないと、形式認定を下ろしませんでした。ただこれもリミッタの配線を切ってしまうユーザーが結構いて、効果のほどは疑問符でしたが…。私の友人の車が街中で突然40卍度からスピードが上がらなくなって、サービスマンを呼んだところ、慌てず騒がず「簡単に直りますから」と言って、スピードメーターとリミッタとの接続を外す5分ほどで、すぐに普通に走れるようになったそうです。

航空機のようにメンテナンスが非常にシビアなメカと違い、素人が雑に扱う自動車の場合は、メカやハードに依存した抑止システムというのは、簡単なようで難しい気がします。故障や改造のリスクが相当に見込まれるので、最終的には人の面での抑止策、すなわち罰則規定と併用する必要があろうかと考えます。

医療崩壊と刑事司法のテーマからズレたコメント、失礼しました。m(_ _)m

まとめてレス

 ssd先生他の議論に関して

>メーカー純正オプションだと走行中操作できないカーナビとか画面表示されないTVとかは実在しますが?

 そうですね。それを踏まえて「カセットの交換が出来ない」などを言っているわけで。

>しかし、そんなのはリミッター解除したり、ポン付けで回避したり、どう考えても費用対効果の怪しい策です。

 これはそれこそやれば故意犯ですから、これこそ厳罰化で挑めばよいでしょう。要は使いようです。実際に外して走行すればあっという間に分かりますから(他の車より圧倒的に速いので)、取り締まりもしやすいというものでしょうw。むしろ違法改造を厳罰化する(例えば違法改造を行った自動車工場の営業停止処分など)でいくらでも対応出来ると思いますがいかがですか?

>ヒーターが効くまでの時間をシートベルトを締めて、氷点下の車内に座っていては凍死しかねないので、開発は頓挫しました。

 これも要は車が動かなければいいのですから、他にもやりようはあります。例えば、エンジンスタートはパーキング(マニュアルの場合はニュートラルまたはトップ)でしか出来ないようにして、シートベルトをしないとドライブ・バックに入らないようにする(マニュアルの場合は1〜2速とバック。さすがにシートベルトを締めればいいものを3速で無理矢理発進する馬鹿もいないでしょう)などが考えられます。要はこういう開発に対するインセンティブを国が与えていないと言うことでしょう。

 そう言う面を含めて「本気で交通事故を減らす気がない」と言ってるんですが。

 そろそろ本題に復帰していただかないと…。

>そろそろ本題に復帰していただかないと…。

すみませんm(_ _)m
一応最後にします。


僻地外科医先生

私は、YUNYUN先生の過失犯「全」非犯罪化構想に反応し、飲酒運転など原因の部分で故意性のある過失犯にまで広げることがどうなのかという点について議論してきました。

ですから当初から一般的な交通業過についてではなく、飲酒運転について取り上げてきました。

私はこれまでも申し上げているように、飲酒運転など故意性のある過失犯については、刑罰の威嚇効果があるものの、運転ミスや居眠りなど故意性の薄いものについては、刑罰による威嚇効果は望みがたいことは申し上げてきています。

僻地外科医先生は、一般の過失犯と飲酒運転などを一緒に議論するなと仰いますが、危険運転致死傷罪に至らない飲酒事故に関しては、自動車運転過失致死傷罪という「過失犯」で処理され(刑法上の「重過失罪」には含まれません)、過失犯「全」非犯罪化という考えの下では、非犯罪化される過失犯の中に含まれてしまいます。

そこについて「威嚇効果」に疑問を呈されたYUNYUN先生の論に反論してきたまでです。ですから、原因の故意性を要求されない自動車運転過失致死傷罪「全体」の効果ではなく、原因の故意性を要求される飲酒運転事故に関して引用してきたのです。

「義務違反」という言葉が誤解を招いたとすればお詫び申し上げますが、少なくとも原因に故意性のない一般的な過失犯への刑罰の適用に関して申し上げていないことは、過去のコメントをもう一度読み直していただければ、ご理解いただけると思うのですが、誤解を招いたとすれば私の文章力のなさによるものであり、改めて深くお詫び申し上げます。

脅しではなく、皆、事実を述べているだけです。脅しとして取られてしまうのは、失礼ですが現状認識に必要な情報が不足しているのでは無いかと愚考いたします。
 事実という言葉の使い方が大雑把であるように思います。  確かに訴訟リスクが医師の逃散の一要因であることは事実としても、それが具体的にどの程度のリスクなのかはっきりしないことにはその先の議論ができません。  つまり、逃散を防ぐには刑事免責が必要なのか、事故調に刑事告訴の法的拘束力を持たせることで足りるのか、法的拘束力を持たない事故調で足りるのか等々といったが分からないのです。また、逃散の要因は訴訟リスク以外にも様々考えられますから。単に「訴訟リスクにより医師が逃散するのは事実だ」と主張するだけでは意味がないのです。

 ただ「不安だ不安だ」と訴え、「不安を解消しなければ医師が逃散するのは事実です」と言ってみたところで、それが医療行為に関する刑事免責制についての賛同者を増やすことには結びつかないでしょう。
 ある特定の行為のみを対象とした刑事免責制という、法の下の平等に抵触する法制度を国民に納得させるだけの説得力がないからです。
 「事実です」とだけ言って終わるのではなく、その「事実」が具体的にどのようなものなのかを語る言葉を持ってほしいと思います。

>運転ミスや居眠りなど故意性の薄い

一概にそうとは言えないと思います。居眠りについては風邪薬などの説明書には、服用後は運転しないよう書かれてますし、居眠りの前兆として眠気があるわけですから、故意性は薄くないと思います。

他のエントリーでROMに戻りますと書いたのですが、医師の方に一つだけ聞かせてください。

ご自分が今、医師を辞めて非医療関係者となったとします。今の医療現場がそのままの形で残っていて、単に、医療過失罪が廃止になったという変化だけが起こった後の病院に入院したいと思われますか?ご家族を入院させようと思われますか?

医師の方は、この病気であればどこの病院がよいとか、どこの病院は危ないとかいう情報をお持ちです。そういう内部情報が全く入ってこないと仮定してください。

> 無罪率(失敗率)より有罪率(成功率)の方が圧倒的に高い(No.121 ハスカップ さま)

大抵はちゃんとやっているんだから、ときどきは失敗しても、広い心で許してね。
というのは他でも聞いた文句ですが。

医療は大抵はちゃんとやっているんだけど、たまに失敗した時は、
たまにであっても許せん民事賠償だけでは許せん刑事罰じゃー
と主張する「心の狭い」人が、現状では多数派であることを考えると、
医療者側から不公平だと不満が出ることにも、一理あるなと思わざるを得ません。

>エントリタイトル:医師はどうすれば安心するのか?

福島大野病院のような間違いの起訴は、数年に1ぺんの例外事象だから、医療者のみなさんは気にせずに、頑張って仕事を続けてください
と言っても、慰めにならないでしょう。

今回、司法が間違った(限界を露呈した)のは事実なのだから、ここらできちんとした総括が必要なのではないか。
つまり、「やり方は今までと変えませんが、今後は間違わないように注意します」と言うだけでは、説得力がない。
あれはこういう点で拙かった、だからこのようにやり方を変えて、再発を防ぐようにしました、ということでなければ、信頼してもらえないのではないでしょうか。
医療過誤の被害者が、病院に対して「再発防止策はどうなっているんだ」と詰め寄るのと、同じ問いを、司法は突きつけられているのです。

そこで考えるに、
刑事手続きの早い段階(捜査段階)に、正しい医学的見解を持ち込むことが必要である。
そのために、刑事捜査にかかろうとする場合は、安全事故調査委員会の意見を必ず聞いて、その医学的見解に従うという方法ならば、合理性があり、医療者の納得を得られるのではないか。

一般国民を説得して、この方法で、いっぺんやってみたらよい。司法は、国民を説得する責任があると思っています。
それで、もし上手くいかなかったらば、その時はまた別の方法を考える。
司法と国民が何も努力をしないでいて、医療者に耐えることだけを要求するのでは、医師達はやる気を無くして現場を去るという流れを止められないでしょう。

> 医者を安心して働かせてやろうという環境と引き換えに、
> 医療を必要とする人に遅滞無く適切な医療を提供しようという環境が実現するのだと確信しています (No.123 内科の医者 さま)

-------
> まだできてもいない(悪く言えば海のものとも山のものとも言えない)第三者機関に対し、推測や観測としても、そこまで高い信頼まで言えないと思います (No.122 ハスカップ さま

医療安全調査委員会の判断が間違う場合に、どちらの方向を想定していますか?
 a)刑事訴追すべき事件を、警察に通知しない
 b)刑事訴追すべきでない事件を、警察に通知する

人権尊重の思想からくる刑事法の謙抑性、たとえ100人の真犯人を取り逃がそうとも、無辜の1人に冤罪を負わせることなかれというテーゼからすれば、
a)の方向の間違いは、許容範囲です。
b)はマズイことはマズイのですが、
しかしこの場合、間違いの原因を作ったのは医療側ということになりますから、まあ、司法の責任度合いは薄い。医療側は頑張って、今後は間違わないように努力してください。
警察にやらせて、刑事訴追すべきでない事件を訴追することになるよりは、まだしも弊害は少ないと言えます。

だから、いっぺん、試しにやらしてみたら?

交通事故の非犯罪かの是非について議論が盛んですが、
私としては、その点は一時棚上げにして、
まずはその他の業過案件を非犯罪化する方向での運動を立てるほうが、法改正の実現可能性があると考えています。

今までみたように、交通事故の取り扱いについては議論百出で、国民の被害感情も厳しい。
また、No.82で述べたように、運転者は資格職というに足りないドシロウト集団であって、無免許運転も含めて、行政処分のコントロールに限界があります。
ここに手を付けることは非常に難しい。

こういう状況なので、交通業過を何とかしない限り、業務上過失致死罪(刑法211条)の廃止なんぞ、夢のまた夢だなあと、私も思っていたのですが。
最近なんと!交通事故事案が、自動車運転過失致死傷罪(211条2項)に分離されました。
もっけの幸い。これで、交通事故以外の、特殊業過罪を非犯罪化する可能性が出てきたというべきです。
法改正運動するなら、今のうち。

参考
◆あらためて医療崩壊について語るエントリ
コメントNo.8 YUNYUN
http://www.yabelab.net/blog/medical/2008/06/19-231112.php#c156990

No.136 七誌さん さん

「事実です」とだけ言って終わるのではなく、その「事実」が具体的にどのようなものなのかを語る言葉を持ってほしいと思います。
私がNo.112でもリンクを貼った他エントリ「医療崩壊緊急医師アンケート集計結果」と元ネタをお読みになった上でのご意見でしょうか?
元ネタを解読すれば、あのアンケートによって明らかになった事実は少なくとも見えると思いますが。それともあのアンケート調査は事実に即していないお考えなのでしょうか?
いずれにせよトピズレですので、ここでは終わりにしましょう。

>ご自分が今、医師を辞めて非医療関係者となったとします。今の医療現場がそのままの形で残っていて、単に、医療過失罪が廃止になったという変化だけが起こった後の病院に入院したいと思われますか?ご家族を入院させようと思われますか?
>医師の方は、この病気であればどこの病院がよいとか、どこの病院は危ないとかいう情報をお持ちです。そういう内部情報が全く入ってこないと仮定してください。

私はそのような場合には家族を入院させますし,自分の場合でも入院します.「医療過失罪が廃止になった」からといって現在と何ら変わるところはないと思っています.むしろ,萎縮医療でない状態の方がよい医療を受けられるチャンスが拡がると考えています.
私には質問の意図がよく解らないのですが...

 komaさん
 素直に受診するでしょうし、入院したりさせたりするでしょう。ちょっと前までは入院するにあたり、それなりに覚悟してもいたものです。現状では、インフォームドコンセントは最低限行われますので、あなたの仮定の条件で、医療の質が低下することにはならないでしょう。少なくとも治療方法について選択する権利は残っているのですから、自己責任でしっかり考えればいいだけではないでしょうかね。
 もっとも忙しすぎる病院を選ぶか、閑古鳥のないている病院を選ぶかは悩むと思いますけどね。
 

level3様、タカ派の麻酔科医様ご返答ありがとうございます。
level3様のおっしゃる通り変な質問でした。
入院しなきゃいけないときはするしかないですしね。

親しい従妹が麻酔科医ですが、麻酔科医が必ずしも麻酔をするとは限らない先進国は日本だけだといっていました。
訴訟リスクのため麻酔科医を雇う病院が増えているそうですが、訴訟が良い方向に働いた良い例ではないかと思います。

お二人の先生とも知らない病院に平気で入院されるとは多少意外でした。

上記の彼女の話だと、病院ごと、同じ病院でも科ごと外科医ごとに実力が全く違うそうですね。へたな外科医ほど態度がでかいとよく言っています。高校の同級生が心臓外科医ですが、他の病院から、自分の家族がこんな治療と扱いを受けていたら訴えるかもしれないというような患者が送られてくることもあると言っていました。

もし、ご自分が医師でなくなって、どこが良い病院か全く分からなくてどこかに入院し手術を受けるとなったら。主治医が自分より若く、話す内容が未熟で上から目線で会話されたら、中指を立てたくなりませんか?
さらに、医療ミスでもされた日には・・・

訴訟やマスコミの大騒ぎがあるからこそ、良い病院は医療ミスがおこらない環境を作るようにしているように思います。悪い病院は対応できず、そういう病院に医師はいたくないから逃げていく。

わがままかもしれませんが、訴訟リスクのため、悪い病院が淘汰され、本当にへたな外科医がメスを握らなくなり、医療ミスができるだけ起こらないようにシステムやマンパワーの頑丈なバックアップができて、それから、医療ミスの訴訟免除に移行してもらったほうが、病院や医師を選ぶ力のない非医療者には安心だと思うのです。

訴訟をするな、ではなく、医療ミスがなくなるように国が責任を持って大々的にバックアップせよと叫んでほしい。近くの病院がなくなり、総合病院の受診は数週間待ち、予定手術は数か月待ち、緊急でない救急患者は半日待ちになるが医療のクオリティーを維持しみんなが安心して医療を受けるためだと、国が国民にがまんを強制させたらいい。

医療事故の刑事訴訟に関しては、その存在意義が分からないので、なんとも言えません。

>わがままかもしれませんが、訴訟リスクのため、悪い病院が淘汰され、本当にへたな外科医がメスを握らなくなり、医療ミスができるだけ起こらないようにシステムやマンパワーの頑丈なバックアップができて、それから、医療ミスの訴訟免除に移行してもらったほうが、病院や医師を選ぶ力のない非医療者には安心だと思うのです。

お聞きしたいのですが、大学を出て医師免許を取りたての新米医師君が上手に手術ができると思いますか?

で、その下手な新米君がメスを握れない社会だとすると、彼らはいつ上手くなるのですか?

安心どころか、あなたの理想とする医療社会では、新しい外科医は一切育たないので、既存の「上手な」医師がやるしかない訳ですが、彼らもいつかは年をとりますし、いずれ数十年のうちに日本の外科医は絶滅しますよ。

医師は、界王様のもとで特訓すれば手技が飛躍的に向上するのではなくて、実際に医療現場でメスを握って成長するものだと思いますが。

>もし、ご自分が医師でなくなって、どこが良い病院か全く分からなくてどこかに入院し手術を受けるとなったら。主治医が自分より若く、話す内容が未熟で上から目線で会話されたら、中指を立てたくなりませんか?

今は,自ら探せば病院の情報なんかいくらも見付かると思います.病院の評判なども参考にすればよいでしょう.常勤医の情報だって得られるでしょう.
努力すればある程度まで情報が得られるのですから,そういった努力をすればよいのではないでしょうか?
私なら「もし私が非医療者であったとして,そのくらいのことは当然するでしょう.」知らない病院にいきなりほいほいとは行かないと思います.
誰でもおいしい料理を食べたければ,情報を収集してよい店を探して行くと思いませんか?

私は麻酔科医ですから,見ている外科医の腕前はよくわかります.なかには絶対に手術してもらいたくない外科医もいますし,この人ならお任せしますという外科医もいます.医師も人間ですから,その技量に差があるのは当然です.

>訴訟をするな、ではなく、医療ミスがなくなるように国が責任を持って大々的にバックアップせよと叫んでほしい。

医療がtrial and errorで行なわれる以上ある程度の「ミス」は逃れようがありません.おそらく仰っているような意味での「医療ミス」を根絶させることは不可能でしょう.ただ,できるだけ少なくするようにする努力は必要です.そのためには起こったerrorの原因を徹底的に究明し、再発防止を行なうことです.そういったシステムの構築を叫んでいるのあり,そのために免責が必要なのです.WHOのガイドラインなどもそうなっているのはこれが理由です.責任追求を行なう限り,真相究明なんてできないでしょう.
また,ミスを減らすためには医師もパイロットの同じように十分な休養が必要なのであり,それは「医師の労働基準法遵守」という形で要求されているのです.

国には今産科に作られつつあるような「補償制度」を医療一般に渡って構築してもらうように働きかけるべきでしょう.そうすれば医療訴訟も無くせるでしょう.

 まず、トピズレではないですよ。医師の不安について語るエントリなんですから、その趣旨からは外れていません。

元ネタを解読すれば、あのアンケートによって明らかになった事実は少なくとも見えると思いますが。それともあのアンケート調査は事実に即していないお考えなのでしょうか?
 確かに「医療崩壊を招いた最大の原因」「医療再生の最も有効な対策」の項目で、訴訟リスクの軽減が一位になっています。  よって、『医師が考える医療崩壊の最大の原因と医療再生の最も有効な対策は訴訟リスクの軽減である』のは事実としましょう。  しかし、それをもって『過失犯を刑事免責しなければ医療崩壊するのは事実だ』と言えますか?ということです。  言えないでしょう。これは事実ではなく仮説です。これを事実と主張するのは論理の飛躍です。  もちろん仮設を主張すること自体は構わないですよ。  ただ、仮説を事実であるかのように言って、権利の主張に結ぶつけるのはおかしいということです。

 ※このアンケートは、時期的に大野病院事件のことがあって訴訟リスクの存在が過度に注目されていたであろうことや、診療科別の内訳が分からずサンプルが偏っている恐れがあることなどがあり、単純にこの結果だけではなんとも言えない部分があると思いますが、それは今回は置いておきます。

>しかし、それをもって『過失犯を刑事免責しなければ医療崩壊するのは事実だ』と言えますか?ということです。

非医療者の考える「医療における過失」と医療者の考える「医療における過失」に大きな溝があることが解っていないから,こういった話が出てくるのだと思います.
現状では『過失犯を刑事免責しなければ医療崩壊するのは事実だ』は医療者からみれば「その通りである」としか言い様がありません.
「医療行為を行なっている限り,まっとうに医療を行なっていても「犯罪者」になる可能性が十分に高い」からです.絶対確実な医療は存在しないからです.

「医療行為を行なっている限り,まっとうに医療を行なっていても「犯罪者」になる可能性が十分に高い」からです.絶対確実な医療は存在しないからです.
 それは正に今まで皆が議論してきたことですが、結論としては「まっとうに医療を行なっていれば「犯罪者」になる可能性は低い」と言えると思います。  大野病院事件の地裁判決もそういう論理になっていますし、その基本的な考え方は今回新しく出てきたものではなくて、昭和39年の静岡地裁判決にも「医師は人命を尊重すべき反面において、逆に人命を救うために、ある程度の危険のあることを知りつつ、危険を侵しても思い切った処置をとらなければならない症例がある。このような場合には、たまたま処置に失敗があっても法律上責めらるべき過失とは言えない」とあります。  つまり、刑事司法の世界には『絶対確実な医療は存在しない』という考え方は昔からあったのです。  また、実際に過去のデータをみると、医師が刑事告訴される確率は自動車事故に合うよりも低いというデータもあります。  つまり、今までも刑事司法は医師に対して謙抑的だったと言えるわけで、それを踏まえれば『過失犯を刑事免責しなければ医療崩壊するのは事実だ』という認識は必ずしも客観的ではないように思います。  とは言え、もし主観的な主張だとしても、それは実際に現場で働く専門家としての主観に基づく主張ですから尊重すべきとは思います。しかし、仮説と事実として議論されるのは困ります。

どうも話しがあらぬ方向に向かっている気がします。
>>七誌さん さん

『過失犯を刑事免責しなければ医療崩壊するのは事実だ』
繰り返し書かれていますが、少なくとも私は言っておりません。事実という言葉の指す部分が私の意図とは異なります。私の意図とは異なる解釈でご意見を述べられても、話が違います。としか言えません。場外で既に述べていますので、お手数お掛けしますが、お暇なときに目を通して私の最初のレスの意図をご理解頂ければ嬉しいです。
私の稚拙な文から誤解を与えてしまった事はあるかもしれませんので、その点はご容赦ください。m(_ _)m

わがままかもしれませんが、訴訟リスクのため、悪い病院が淘汰され、本当にへたな外科医がメスを握らなくなり、医療ミスができるだけ起こらないようにシステムやマンパワーの頑丈なバックアップができて、それから、医療ミスの訴訟免除に移行してもらったほうが、病院や医師を選ぶ力のない非医療者には安心だと思うのです。

近くの病院がなくなり、総合病院の受診は数週間待ち、予定手術は数か月待ち、緊急でない救急患者は半日待ちになるが医療のクオリティーを維持しみんなが安心して医療を受けるためだと、国が国民にがまんを強制させたらいい。

正しい意見だと思います。命がかかっているのですから、質の高い医療を要求することはわがままではありません。
私は医師として、『医療を必要とする患者さんにふさわしい医療が遅滞なく提供されなければならない。』と考えていますが、運が悪いと藪医者に手術されるのではたまったものではありませんから、この際「遅滞なく」は少々我慢してもふさわしい医療をほぼ確実に受けられる方が重要との考えは(賛成ではありませんが)正しい意見のひとつと思います。

ただ、逮捕されないための医療側の対処として腕をあげる、設備を整えるのほかに、手に負えない可能性のある患者さんはお断りするのも重要な選択肢ですので、救急患者さんがたらいまわしにされる可能性、予後不良の患者さんを診療する病院が近くにはなくなる可能性が高くなると思います。

多くの医師が恐れているのはとんでもないことをしでかしたときの訴訟ではなく、まっとうな医療の結果の患者さんの死がご家族に受け入れられないで警察に届けられると容疑者として捜査されることです。

高校の同級生が心臓外科医ですが、他の病院から、自分の家族がこんな治療と扱いを受けていたら訴えるかもしれないというような患者が送られてくることもあると言っていました。

あなたの同級生はきっと、腕のいい心臓外科医だと思います。こういう方のところに来る患者さんは手術死亡率5%とか10−20%などと言う疾患の方が多いので、彼は少なからぬ数の命を看取っていると思われます。その中に彼の医療を不審に思う人がいると彼が捜査の対象となるわけです。逮捕までされてしまったのが大野病院事件です。

もう一度いいますがkomaさんのようなご意見の方も多いと思います。正しい意見ですし、どのような医療を望むかは患者さんが決めることだと思います。

>手に負えない可能性のある患者さんはお断りするのも重要な選択肢です

当たり前の話だと思います。手に負えないのに受け入れてるとしたら無責任極まりないです。たらい回しなどの問題は別次元の問題だと思います。

>当たり前の話だと思います。手に負えないのに受け入れてるとしたら無責任極まりないです。たらい回しなどの問題は別次元の問題だと思います。

 今現在も被医療者である私にとっても、同感でございます。できましたら、手に負える別の医師又は医療施設を紹介する労をおとりいただくことをお願い申し上げます。m(_ _)m

>たらい回しなどの問題は別次元の問題だと思います。

いえいえ、たらい回しといわれている事態の正体は手に負えない可能性のある患者さんをお断りしているだけだと思いますよ。
患者さんの状態かもしくはその時の病院の状態かいずれかの要因で手におえないからお断りしているのでしょう。

>いえいえ、たらい回しといわれている事態の正体は手に負えない可能性のある患者さんをお断りしているだけだと思いますよ。
>患者さんの状態かもしくはその時の病院の状態かいずれかの要因で手におえないからお断りしているのでしょう。

 たらい回しといわれている事象は、手に負えない可能性のある患者さんをお断りしているだけだとすると、夜間〜早朝の適切な専門医で担当できる救急担当当直医(複数:オンコールを含む)が地域で配置されていないことが原因ではないかと愚行します。そうだとすれば、当直に最小限配置できる医師の絶対数の不足が原因ではないかと推測できそうです。

>当直に最小限配置できる医師の絶対数の不足が原因ではないかと推測できそうです。

これは最大の原因でしょうね。
もちろん医師だけではどうにもならないので、看護士さんや技師さんも配置出来なきゃいけませんが。

そしてベッドの問題。
今の診療報酬では空きベッドがあったら病院が潰れるので、毎日はぼ満床に近い状態で入院が必要な急患を受けられるのは先着( )名様まで。

たぶん訴訟の問題はその次くらいじゃないでしょうか?
民事では恐怖の加古川事件があって、局地的にはこのことがメインで救急医療が崩壊してるみたいですが。
http://www.kobe-np.co.jp/news/kurashi/0001463280.shtml

どのような医療を望むかは患者さんが決めることだと思います。
仰る通りだと思います。

どのような医療制度を構築するのかは、医師の意見だけで決定するのではないですよね。医師も含めた国民が政治的選択として決める。政治的選択ですから、理論的に正しい主張が必ずしも多数派を形成できるとは限らない。

○○の主張は理論として正しい自明の理であるから、現在の××は○○の姿に改めるべきだ。医師の皆さんのご主張の底流に、このようなロジックを感じるときがままあります。確かにこのロジックは学問の場では正しいし、学説や教科書の記述は理論的に正しい方向に改編され、ロジックの通りの現象を示すでしょう。

ただ国民全体の政治的選択というのも、こうした主張が論理的に正しければ必ずその主張通りに社会制度が変わる、というロジック通りに動くでしょうか。確かに10年とか20年、あるいは半世紀や数世紀という長い時間スケールで検証すれば、このロジックが成立するでしょう。ただ目先の1年や2年、或いはせいぜい数年という短期間では、国民の政治的選択が必ずしも理論通りに動かない、というのも歴史が示す事実ではないでしょうか。

国民の政治的選択は理屈通りには動かない。これは政治の世界の常識です。理論的に正しいかどうかより「数は力」が政治の世界の真理です。

崩壊している医療体制をどう建て直すのか、これは一見すると厚生労働省などの行政に決定権があるように見えます。また医療に対する刑事罰の適用をどう変えるのか、これを決定するのは司法関係者の決断のように見えます。表面的にはそのように見えても、その直接関係者の実施権限の根源は法令であり、国会の議決であり、国会議員の数のバランスであり、その議員を選ぶ国民の政治的選択の結果です。

医療制度を決めるのは、医師と患者という診察の中で相まみえる2つの立場だけでは決まらないし、医師の目で見て理論的に正しいことが必ずしも国民多数の意見とは一致しない。故に医療に対する提案は、国民多数の合意を得られるように分り易く、厭になるほど繰返し主張しなければ、国民社会には浸透しないと思います。

『過失犯を刑事免責しなければ医療崩壊する』という主張が論理的に正しいとしても、国民の多数の政治的意識が1年2年の短時日で、『医療に対しては刑事免責を実現しなければ』と変わるとは思えません。医療に対する提言の実現には、手間と時間が必要だと思います。

※内科の医者様の投稿の一節を引用しておりますが、内科の医者様個人宛のレスというより、ROMも含めた全ての皆様への意見投稿と受け取って下さい。

>もちろん医師だけではどうにもならないので、看護士さんや技師さんも配置出来なきゃいけませんが。
>そしてベッドの問題。
>たぶん訴訟の問題はその次くらいじゃないでしょうか?

 とすると、最小限の人員配置に必要な財源の手当てが要急問題の気がします。医療過誤の民事問題は、保険対応を半ば強制する自動車強制保険(自賠責保険)類似の制度がいいかも知れません
。公務員やっていると、財源問題でかなり問題が事実上解消するのを見ています。ただ、国家財政の4割が借金という財政破綻類似の現状では、社会保障費の抑制が財務省の至上命題なだけに、軽々しく言えないのが辛いですが_| ̄|○

>医療制度を決めるのは、医師と患者という診察の中で相まみえる2つの立場だけでは決まらないし、医師の目で見て理論的に正しいことが必ずしも国民多数の意見とは一致しない。故に医療に対する提案は、国民多数の合意を得られるように分り易く、厭になるほど繰返し主張しなければ、国民社会には浸透しないと思います。

それが面倒くさいので、手軽な「投票行動」としての逃散・立ち去り型サボタージュがあるわけですね。
まあ、ネットや言論で医療崩壊の流れに棹差そうとしている医者は、どちらかというと、そういう踏ん切りの付けられない諦めの悪い医者達と思います。

その医者達がどうやったら、逃散という票に行かないかを考えるのが、このエントリの主題と思いますが。

ただ、「刑事免責は難しい」という法学的論理はこのブログで勉強させていただきましたが、刑事免責を主張する医師のうち、イノセントに刑事免責を主張しているシトって実際どれくらいの割合なのでしょう。
原理主義的に刑事免責を主張していても落としどころは妥当な死因調査機関の設立だったりする方が多いんじゃないでしょうか。
最初から、まともな死因調査制度を要求してたら、気が付いたらとんでもない医療秘密警察ができあがっていたぜ・・・という事態になりかねません。

そうしたイノセント派とポジショントーク派とを一緒にして批判するのもうまくはないような気がします。

>医療過誤の民事問題は、保険対応を半ば強制する自動車強制保険(自賠責保険)類似の制度がいいかも知れません

ハスカップさん,
医師の多く(少なくとも私のような麻酔科医を含む外科系医師の大部分)は保険に入っていると思います.
ただ,保険に入っているだけで解決できるものでもありません.状況によっては医療事故に対して適切に保険金がおりる保証はありません.(裁判etc.で適切な判断がなされない現状では)

それからもう一つ,公立病院などでよく起こっている現象があります.なまじ自らの懐が痛まないために本来かって当たり前の裁判に負けても,控訴せずに保険を使ってお金を払い,おしまいにしてしまうという状況です.そしてトンでも判決がそのままで判例として残り,医師の心を折っていくという問題です.

>そうしたイノセント派とポジショントーク派とを一緒にして批判するのもうまくはないような気がします。

いえいえ、決して批判するという意味合いでは無いのですが…。
理想と現実、長期目標と目先の対応策、原理原則の主張と政治的妥協の駆引き、全医連など医師サイドで主張なさる方々に、こうした政治運動の手法も取り入れて頂いた方が同調者が増えるのでは、という提案のつもりなのですが。
話が回りくどくてスイマセン。m(_ _)m

>公立病院などでよく起こっている現象があります.なまじ自らの懐が痛まないために本来かって当たり前の裁判に負けても,控訴せずに保険を使ってお金を払い,おしまいにしてしまうという状況です.そしてトンでも判決がそのままで判例として残り,医師の心を折っていくという問題です.

 国庫負担行為のコストカットと早期処理だと思いますが、同じ公務員として申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 _| ̄|○  ○| ̄|_

横入りご容赦。

自賠責保険は、日本で唯一と言って良い「無過失賠償責任保険」であり、保険加入者(賠償責任を負う者)の過失の有無に関係なく保険給付がなされます。

ところが現在医師や医療機関が加入している医療事故賠償責任保険は、過失が認定されて賠償責任が明白な場合だけしか保険給付は為されません。

この損害保険としての違いがハスカップ様の提案と、 Level3 様の現状説明の乖離となっていると感じます。


なおここから先はまだ確認の取れていない情報で、私の関与している損保関係者から聞いた話です。そこを含んだ上で読んでください。

福島県病院局が加入していた賠償責任保険の損保会社は、福島地裁の判決で医師の過失が否定されたので、保留にしていた保険金支払を最終的に拒否するだろうとの話です。あくまでも私が知っている損保会社の人間が言ったことで、福島県の契約した損保会社の不払い決定通知を確認している訳ではありません。(こうした個々の保険契約の査定結果は究極の個人情報ということで、その損害保険会社の他の部門の者がチョイと社内ネットなどで知ることは不可能です)

ただ損保契約の代理店の経験から、刑事裁判とはいえ福島県病院局の調査報告書の内容が否定された以上、県病院局とご遺族との間に何らかの金銭支払を含む和解契約が成立(示談の成立)が無いと、大野病院事件での保険金支払は難しいというのが、私の周囲の損保関係者(複数)が一致した意見となっています。

連投ご容赦。
先の損害保険の解説に追加です。

自動車事故で人身事故を起こした運転者が、業務上過失致傷罪で起訴されたと仮定します。その刑事裁判の判決が大野事件の判決のように、運転者には罪を問うべき過失が一切認められない、という完璧な無罪判決であって検察側が控訴を断念して一審無罪の判決が確定したとします。

この場合は、人身事故の被害者に自賠責からは保険支払いがありますが、運転者が加入していた任意の自動車保険からは保険支払はありません。自賠責で足りない被害者の治療費(上限は原則120万円)などは被害者の自弁ということになります。

任意の自動車保険も賠償責任保険の一形態であり、医療事故賠償責任保険と保険約款の基本原則は一緒です。無過失での保険金支払は対象外です。

>任意の自動車保険も賠償責任保険の一形態であり、医療事故賠償責任保険と保険約款の基本原則は一緒です。無過失での保険金支払は対象外です。

普通の保険ならその通りでしょう.
だからこそ産科で考えられているような「無過失補償」が必要になるのだと思います.
今のように諸外国よりも圧倒的に安い医療費が設定されるようであれば,その医療がうまくいかなかった時の補償はそのような医療政策を行なっている国が行なうべきことです.そうでなければ,医療には(損害賠償の)危険性を加味した価格設定がなされるべきです.そのどちらか二者択一でしょう.

どちらも行なわない現状だから医療崩壊が生じている(もちろんこれも一つの理由に過ぎませんが)のです.

スンマセン、更に補足です。

>任意の自動車保険も賠償責任保険の一形態であり、医療事故賠償責任保険と保険約款の基本原則は一緒です。無過失での保険金支払は対象外です。

前投稿のこの部分に補足追加です。

交通事故でも業過罪での刑事裁判が無過失との判決であれば、損保会社は任意の自動車保険の保険支払をしません。ただし刑事裁判での判決とは別に、運転者と被害者の間に和解合意(示談)によって、運転者が何らかの金銭支払の責務を認めた内容が含まれている場合は、任意の自動車保険でも保険支払の余地が出てきます。ただしその和解での支払義務の根拠が、保険会社の査定を通る内容でないとダメです。

当事者間で談合して運転者が悪いことにして保険請求する不正を保険会社は疑いますので、業過罪での刑事裁判での完全無罪判決は、賠償責任保険の支払については非常に高いハードルとなります。

>だからこそ産科で考えられているような「無過失補償」が必要になるのだ

ハスカップ様の提案された「自賠責型の医療事故保険」が、そうした「無過失補償」のご提案だと思いましたので、横入りさせて頂きました。

なお自賠責制度よりも歴史が古く、保険給付の金額上限も自賠責保険より格段に高く、保険加入者の過失の有無に関わりなく支払われ、自賠責と同様に法律によって強制加入が義務付け(加入逃れの刑事罰あり)られている保険制度があります。この日本の保険制度は、世界的に見ても非常に完璧性の高い優れたシステムとして評価が高く、しかもアメリカやEU諸国でもこれほどの社会保険の水準を達成していない国が珍しくありません。また医療機関の皆さんには健康保険制度に次いで馴染みのある保険制度ではないかと思います。

この無過失賠償責任保険の名前は「労働者災害保険」です。

法務業の末席さんのコメントを狙い撃ちにしたものではなくて、総論的な話ですので、まあお気になさらずに。

 保険法ゼミOBとしてトリビアです。m(_ _)m

 現行自賠責保険は「3条件付き無過失責任」と俗称されています(学会ジャーゴン)。詳しくは自賠責保険のコンメをご参照ください。
 無過失責任で絶対的無限責任(不可抗力責任:異常に巨大な天災地変又は社会的動乱のみ除く)を認めるのが、原子力損害の賠償に関する法律
(昭和三十六年六月十七日法律第百四十七号)↓です。m(_ _)m

http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=1&H_NAME=%8c%b4%8e%71%97%cd%91%b9%8a%51&H_NAME_YOMI=%82%a0&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=S36HO147&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1

 真夏を過ぎた夜の夢です。(^^ゞポリポリ
 無車検・無保険の自動車運転が罰せられるように、医師無免許者の医行為に加えて、無保険の医療行為を禁じて罰則付きで強制する(自賠責保険がそれ)、但し条件付き無過失保険を強制する、国民健康保険などの公的医療保険の財源から強制保険金を供出する、といいかも知れません。
 もっとも、ブラック・ジャック先生は困るでしょう(w。手塚治先生によろしく黙祷。m(_ _)m

じじい(患者)様

おっしゃる通りです。
こういう例を出すのは不適当なのかもしれませんが、
美容院に行くと、美容師のレベルで料金設定が変わっていたり、指名をすると別料金を取られたりします。
上手な人にやってもらおうとすると、すぐに予約が取れなかったりして、「別に誰にやってもらってもいいです」というと、その日の好きな時間に予約が取れます。
完全に一人でするのではなく、先輩の美容師にチェックを入れてもらいながらやってます。
できあがりが変な気がしても、ある程度諦めます。
そうやって上手になっていくのでしょうね。(気に入らない場合、何日以内なら料金なしで修正できるお店もあります)

髪と命と一緒にするなんて不謹慎ですね。
美容師さんは命は預からないけれど、お客さんの頭を扱う前にさんざんマネキンやお互いの頭を使って練習しまくるようです。でも、実際のお客さんの頭をたくさん経験しないと上手にはならないと思います。

よくわかりませんが、病院だと、部長又は教授、専門医、専門医修業中、研修医 と分かれますか。
当然、専門医修行中以下は専門医の指導のもとということで。
内科の病気であれば、専門医修行中医師に専門医の指導というダブルチェック体制が一番お得かもしれません。
外科系の場合はよっぽど待ち時間に差がないと、専門医を選びそうです。

若い先生方には上手になって欲しいです。だからといって、当たり外れのように「私、これやるの今日が初めてです」という医師に当りたくはないです。でも、その若い医師が「実は実際の患者さんで自分が執刀するのは初めてです。何度も介助でこの手術に参加していますし、頭に入っていて自信もあります。もし、時間がかかったり問題があったらすぐに上司に変わります。私にやらせていただけますでしょうか。」とか何とか言われたら、自分の子供には分かりませんが、自分だったらOKです。

私が「へたな外科医」と言ったのは、上司の立場の専門医です。専門医でない外科医が一人で手術をすることがあるのかどうか存じませんが、しっかりした上手な上司がついていればフォローができると思います。問題なのはへたな(へたになった)上司の外科医です。そういう医師がメスをおけば、後輩や若い医師の手術の機会も増え、彼らが更に上手になり、我々被医療者にとっても良いことだらけです。

現実は良く分かりませんが、知り合いの話等から想像してそう考えているだけです。

Level3様、ご返答ありがとうございます。

私は麻酔科医ですから,見ている外科医の腕前はよくわかります.なかには絶対に手術してもらいたくない外科医もいますし,この人ならお任せしますという外科医もいます.

多分、誰でも大なり小なり調べて病院に来て手術を受けるのだと思うのですが、Level3様が「絶対に手術してもらいたくない」とする外科医に手術を受けている患者が現にいるわけです。その患者が自分だったら嫌だなあと思うのですが(Level3様に麻酔をしていただけるならその不運も帳消しです)、それは「運」ですかね。
訴訟に当たるのも「運」、へたな外科医に当たるのも「運」。

医師の安心も、患者の安心も、同時に得られる方法が見つかるとよいですね。

ちょっと思い出したのですが、実験経済学で、日本人は、双方が同利益を得るより、自分が損をしても相手がもっと損をする方法を選ぶ傾向が他の国より高いそうです。

読み違いがあります。

>手に負えないのに受け入れてるとしたら無責任極まりないです。

その通り、手に負えないのに受け入れてるとしたら無責任極まりないですね。でも私はそう入っていません。
手に負えない患者さんを受け入れるのではなく、
手に負えない可能性のある患者さんを受け入れていたのです。

受け入れてから手に負えないことがわかって他院に紹介しようとしても、受け入れてくれる病院が見つからなければあなたのような方から無責任極まりない行為をしでかしたといわれます。

そこで、手に負えないかもしれない患者さん(その中には手に負える患者さんもいるかもしれませんが)をお断りすることで患者さんが治せもしない医者にかかるリスクを軽減し、医療者が非難されるリスクも軽減させることができます。


>たらい回しなどの問題は別次元の問題だと思います。

診療拒否とたらいまわしの原因のほとんどは、手に負えない可能性のある患者さんをお断りすることです。
別次元どころか、同じ現象を医療側から見るか、医療を受ける側から見るかの差しかありません。

適切な対応ができないかもしれない以外の理由で断る理由が思いつきません。

>受け入れてから手に負えないことがわかって他院に紹介しようとしても、受け入れてくれる病院が見つからなければあなたのような方から無責任極まりない行為をしでかしたといわれます。

少し卑屈になってませんか?誠意ある対応をとってるのであれば、もう少し胸を張ってください。

koma様

すみません。えらそうなことを言いましたが、私も所詮一患者ですので(^^)

できれば腕の達者な医師に診てもらいたいと思うのは誰しも一緒ですから。

>問題なのはへたな(へたになった)上司の外科医です。そういう医師がメスをおけば、後輩や若い医師の手術の機会も増え、彼らが更に上手になり、我々被医療者にとっても良いことだらけです。

どうなんでしょうかね。
まず、「へた」という基準が難しいんじゃないでしょうか。
医師の能力・技術には多角的なものがあるでしょうし、それについて各々客観的な評価をくだすのは至難の業ではないかと。

もちろん、どの医師が見ても「あいつはへた」という人もいるでしょうけど(^^)

それによって医師の数が不足するとすれば、アクセス制限と腕のどちらを選ぶのかという問題にもなりそうですが・・・。

誠意ある対応をとった医師が、大野病院事件、加古川心筋梗塞賠償事件、脳外科医心タンポナーデ誤診事件などでひどい目にあっているのです。これらの事実を無視しての発言とお見受けします。

彼らに、引き受けなければ良かったといいますか、引き受けたことは正しいといいますか?

>手に負えないのに受け入れてるとしたら無責任極まりないです。

というご意見からすると、受け入れるべきではない患者さんを受け入れた無責任極まりない行為でしょうか?
医師は手に負えない可能性のある患者さんを、引き受けるべきだと思いますか、お断りするべきだと思いますか?

意見の対立はないように思いますが。無責任と言ってるのは、無責任に手に負えない患者さんを受いれていた場合の話です。状況によって、誠意をもって対応したのであれば問題はありません。

‘私の心臓外科医としての腕は日本でも5本の指に入ります。手術を受けたければ5000万円お支払いください‘という事があってもおかしくないと思います。平等に医療を受けさせる為に価格を無理矢理抑え続ける日本の医療制度は歪みがでてくると思いますがいかがでしょうか?

横から失礼します。

奈良の産科や加古川病院の心筋梗塞に関しては、転院先を探すとき、断る総合病院がいっぱいあることのほうが問題だと思います。

それだったら、救急を引き受ける総合病院の数を一つにして、そこに医師や看護師、技師、事務をいっぱいいっぱい集めて、絶対に断らないことにしたらどうなんだろう。

医師にとってはその方がストレスが少ないですよね?重症患者もそのほうがありがたい。損をするのは近所にちょこっと救急でみてくれる病院が欲しい軽傷患者でしょうか。

転院先を早く見つけていたら、とかいう、「たら」「れば」で判決をするのはどうかと思うし、それは裁判の方法としてしょうがないとしても、今後、その「たら」「れば」が減るように誘導しなければいけないのに、その判決を出すことにより、いっそう、「たら」「れば」が増える(転院を受け入れる病院が減る)方向にもっていっている。

司法て、世の中を良くするためにあるのか悪くするためにあるのか分からなくなる例の一つです。

三次救急は「吹きだまり」


有賀氏は都市部の三次救急について、「お金のない人が救急で運ばれてくる『吹きだまり』の状況がある」


■社会的弱者が三次救急に
 有賀氏はまず、東京都の急性期から慢性期の患者の流れについて、急性期には救急患者の受け入れ不能の問題があり、慢性期には長期療養できる社会資源が少ない現状を紹介。さらに、三次救急に低所得者層やホームレスなどが運ばれ、「社会の『吹きだまり』のようになって」おり、受け入れ先が見つからない状態であると指摘した。
二次救急については、「どこかいじくれば壊れる、ガラス細工のような状態」と指摘。地域と都市部で状態は違うが、各地域ですでに作り上げているネットワークや、医療機関の努力によって辛うじて現状を維持しているとした。その上で、「どこから上手に(改善を)やるか。初期、二次、三次をガラガラポンするのは問題」と述べ、既存のネットワークを崩すような救急医療の集約化は難しいとの見方を示した。

本当は,返信機能を使うべきだろうと思いますが,批判が多いので,このままで申し上げます。

正直なところ,医療側と被害者又は遺族側,これを無視して立論は不可能だと思います。これが私の大前提です。そこで,過失は,当然必要だろうというのが正直な感想です。
医療側と被害者又は遺族側,ということです。

医療側が「結局は,このようにしたほうが,患者のためになる。医療崩壊が防げるから」と言った場合,しかし,それで死んだ人は,その周りの人は,いったいどうなるんだろう,という素朴な疑問があります(私は,異常な過失の話をしてるんですよ?)

ただし,これを感情論と言われるのはとても不愉快です。感情というものは存在するし,今のところ過失犯を処罰する体系は,存在するからです。

過失論を排斥するのは,理論的に無理だ,と申し上げましたし,その言い方もまずいと思いました。

ただ,YUNYUNさんのおっしゃる

ジャームッシュ様はこれまで何度も「理屈で」「理論的に」と言われましたが、日本国憲法と刑法の原則に照らして、過失犯を必ず処罰しなければならないとする理論は、どこにありますか?

当然ご存知のとおり,例外規定が存在しますね。刑法にも。過失犯という。それは例外だとされていますが,刑法に,業務上過失致死傷の条文がちゃんとあります。これの例外を認める(要するに,故意の例外処罰としての過失処罰があるということの例外を認めるかどうか)ということを言いたいわけです。全面禁止も,これまでの理屈や理論と異なるということです。

そして,過失犯理論は,刑法どころか,ほかの特別法にも広く適用されています。私は,憲法を持ち出したわけでもなく,刑法の原則を持ち出したわけでもなく,過失犯理論が広く適用されていて,それが妥当している法的状況が存在しており,その理論が存在するというところです。
過失犯をすべて無視するのか,ということです。それを「理論的」と称したり,「理屈」と称したのは誤りだと思いますし,それは率直に謝罪します。
ただ,そんなことを言えば,憲法に規定があれば「理論的」になるのかしら,あなたの言う理論ってそんなこと?という気持ちもあります。どちらも理論的でない,というのであれば,そのとおりです。

自動車運転致死傷を,幸運なタイミングと見るのは,立法の趣旨からして異なります。あれは,業務上過失致死より重くしようというだけだと思いますけど。法定刑が上がっているわけですから。

それから,私の発言として,医療崩壊をするといって脅し続ければいいと思いますという言葉がありました。
これについては,実現不可能な議論を持ち出し続けて,そのまま医療崩壊すると脅し続ければいい,という意味です。

医療崩壊すると言い続け,「そりゃそうだ。本当だ。過失犯は全部責任無しで」というふうにみんなが思うとは思えないと,申し上げているわけです。

そして,医療にのみ,過失責任が成り立たないという立論が本当に立つんですか,とも思います。そんなの,誰も同意しないでしょうと。必要なのは立法なんでしょ?といいたいです。

後,過去ログを読んでいないと言われていますが,たぶん,私の発言は,相当興味を持って過去ログを読んだ上での発言です。過去ログを読んだから,同じ意見になるという意味ではないと信じます。

ネットで調べると、三次救急患者とは、心肺停止、大やけど、脳卒中など何よりもまず「生命の危険に瀕している状況」の患者と書いてありました。

心肺停止から蘇生し植物状態になるまでにかかるお金とそれからかかるお金、大やけどの治療、脳卒中の治療、そして生還した場合にリハビリ等にかかるお金、当然、普通の生活費プラス。治療の仕方によっては治療費だけで医療保険が払うお金が一千万近くなる場合もあるでしょう。

日本の国民が平等に与えられるべき基本的なことは、「衣食住」だと思います。ホームレスの方が欲しいのは死ぬ前数年の超高額な高度医療ではなく、安価で安定した「衣食住」だと思うのですが。
私はホームレスではありませんが、私を植物状態にしその状態をできるだけ長期化しようとするお金があるのだったら、ぜひ、それを、安全で安い野菜を提供するほうに回していただきたい。

なんとなく、日本は平等にするべきポイントがずれている気がするのですが。

役所の管轄が違うから「お金を回す」ってことができないのかな。

 医療事故、「医療界の意識改革」を
  
     早稲田大学大学院法務研究科教授 和田仁孝

―医療事故を刑事手続きで扱うのが妥当かどうかという問題ですね。
 以前、米国の学者に大野病院事件のことを話したところ、「医療事故がなぜ刑事の対象になるのか」と驚いていました。それが、医療事故に関する諸外国の一般的な認識です。警察が医療事故にかかわる国はほとんどありません。多くの医療事故は、医師が一生懸命に治療行為を行った結果、発生しています。これを過失として、刑事責任を追及するとなると、リスクの高い診療科を選ぶ人が減るのは当然です。外国のように刑事罰を謙抑的にし、代わって医療界の透明で信頼性の高い自浄的統制システムを確立すべきです。
    
―しかし、「重大な過失がある場合には処罰するべきだ」との意見も根強くあります。
 医療事故を交通事故と比較すると分かりやすいかもしれません。交通事故の場合、居眠りや脇見運転など、「過失」は比較的明確です。事案のパターン化も可能です。ところが、医療行為は事案ごとに個別性があり、類型化することが難しい。もちろん、手術中に居眠りをしてしまう可能性がゼロとは言い切れませんが、極めてまれなケースでしょう。高度化・複雑化している現在の医療では「チーム医療」が中心ですから、執刀医個人の過失責任を追及する仕組みが妥当かどうか疑問です。医療事故を引き起こしたシステム要因を明らかにできなければ、裁判が再発防止につながることはないと言えるでしょう。
  
  
■避けられない「リスク」がある
―医療者個人の「不注意」が医療事故を引き起こしているという側面はありませんか。
 確かにその可能性もあると思いますが、医療行為が本質的に備えている「リスク」を考慮する必要もあるでしょう。米国のある統計に基づいて推計すると、医療事故による国内の死者数は年間約4万人です。交通事故による死者数は年間約8000人ですので、この5倍の人が医療事故で亡くなっている計算になります。交通事故の5倍ということは、それほどまでにリスクが高い領域だと考えるべきです。ですから、医療事故を交通事故と同様に扱うのはどうかと思います。
 また、「なぜ医療事故だけを特別に扱うのか」という意見を聞きますが、交通事故についても、海外では刑事罰が適用されることはよほどの場合に限られています。刑事罰が「不注意」の抑止にあまり効果がないことは、共通した認識です。「過失」について刑事罰を厳しく適用するのは、わが国固有の傾向と言えるでしょう。ただ、何度も言いますが、医療事故への刑事罰の適用はできるだけ回避すべきですが、その代わり医療側は自己統制システムを確立し、被害者への対応など、きちんと課題に取り組まなければなりません。
     

‘私の心臓外科医としての腕は日本でも5本の指に入ります。手術を受けたければ5000万円お支払いください‘という事があってもおかしくないと思います。平等に医療を受けさせる為に価格を無理矢理抑え続ける日本の医療制度は歪みがでてくると思いますがいかがでしょうか?

>心肺停止から蘇生し植物状態になるまでにかかるお金とそれからかかるお金

>私を植物状態にしその状態をできるだけ長期化しようとする

こんなくだらないことを書き込むあなたが生きてるのが無駄でしょう(笑)

1週間ぶりに投稿します。
fuka_fuka さんの示された過去ログをこの週末サーと読んでみました。もちろん精読ではありませんが。その上で、私の言う誠意とモトケンさんの言う誠意は同じ直線上にあると考えます。私の言う誠意は日常の診療で一人の医師として、日々必要とするする誠意、モトケンさんの言う誠意はそれを基盤として医療界全体として表す誠意と思います。後者については、インフォームドコンセント、セカンドオピニオン、カルテ開示、ヒアリハット報告、インシデント報告、入院診療計画書の提供、医療職に対する接遇研修、医療安全委員会、感染対策委員会、病院機能評価の認定取得などを通じて医療界はモトケンさん言うところの誠実な医療を目指してきました。そしてそれは数え上げればまだいくらでもあります。10年前とは隔世の感があります。今では誠実な医療からさらに進んで、多くの病院では良質な医療の提供に努めています。
非医療者の方には、特にメディアに携わる方も含めて、医療界におけるこれらの取り組みについて是非正しく理解をしてほしいと思います。
 ところで、1週間ぶりにこのブログを見たところ、少しテーマからそれているような気がしますので、もう一度このエントリーのテーマである医師はどうすれば安心するのかに立ち返りたいと思います。
これから先の話は、モトケンさんだけではなく、このブログに参加している方々に対してのものです。
まず私が思うのは世界の情勢です。医師の医療行為について刑事責任を問う国は世界でいったいどのくらいあるのでしょうか。特に先進諸国においてはどうなのでしょうか。具体的な事例をご存知の方は教えて頂けませんか。私の印象では今の日本の状況は、世界でも突出している奇異な国のように思えますがいかがですか。
横浜市立大学の患者取り違え事件あたりから始まる単純な医療過誤事件から次第にエスカレートして、遂に福島の妊婦死亡事例では、医師の裁量権にまで捜査機関が入り込むようになってしまったこの国の医療に対する空気が、医師を不安にさせているのです。この空気がある限り多くの医師は安心できません。
消化器内科の医師がこの内視鏡処置がうまくいかなければ刑事事件化されるかもしれない、あるいは外科医がこの手術がうまくいかなければ刑事事件化されるかもしれないと不安になり、内視鏡やメスを持つ手が震るようなことがあれば、医師は十分に実力を発揮できるでしょうか(これも萎縮医療のひとつです)。
それよりも全力で、目の前の患者を救おうという気持ちが先行するような環境を医師に保障することの方が、はるかに有益で患者のためになるとは思いませんか。
いかがでしょうか。

> 医療側が「結局は,このようにしたほうが,患者のためになる。医療崩壊が防げるから」と言った場合,それで死んだ人は,その周りの人は,いったいどうなるんだろう,という素朴な疑問があります (No.181 ジャームッシュ さま)

「何もない」という前提が、間違っています。
被害は民事賠償により救済され、医療技術の改善については行政処分で監督されるのだから(行政処分の強化は今後の課題ですが)、
その上さらに刑罰までは、不要ではないですか?
という問題意識です。

> 刑法に,業務上過失致死傷の条文がちゃんとあります
> 医療にのみ,過失責任が成り立たないという立論が本当に立つんですか,とも思います。そんなの,誰も同意しないでしょうと。必要なのは立法なんでしょ?といいたいです。

他所のサイトは知りませんが、今ここで議論されているのは、「立法論」です。現行刑法を改正できるか、またすべきかという問題です。
誰も、解釈によって、医療事故を業務上過失致死傷罪から適用除外することは求めていません。それは無理というのがここの共通理解です。

-----
> 憲法に規定があれば「理論的」になるのかしら,あなたの言う理論ってそんなこと?という気持ちもあります

立法を行う上で障害になるものは、
a.上位の法規範(憲法、条約)
b.法の一般理論

a憲法 だけでなく、b刑法体系論 を根拠としてもよいのですが、
法の理屈が通っていなければなりません。
どちらの主張のほうが、理屈が通って、かつ現実の問題解決に役立つかを競うのが法律学なので、それが気に入らなければ、法律系ブログで議論はできません。

さて、
a、bともに、業務上過失致死傷罪(刑法211条1項前段)を廃止することを妨げない、というのが私の意見です。
業務者の過失行為による致死傷結果を、通常人の行為よりも、重く処罰<しなければならない>という憲法規定も、刑法理論も存在しない。
(逆に、「重く処罰してもよい」という理屈付けは、刑法理論から導かれると思います)

また、単純過失致傷罪(209条)や単純過失致死罪(210条)を廃止することも妨げない。
過失により人を傷つけたり死なせたりする行為を、刑事上処罰しなければならないとする憲法規定も、刑法理論も存在しない。民事的に損害賠償がなされれば、十分である。
現実の運用としても、刑法209条や210条では、めったなことでは起訴されていないと思います。

-----
> 過失犯をすべて無視するのか

刑法に過失行為を処罰する規定はいろいろあり、刑法典に限っても、

・業務上過失致死傷罪(211条)
・過失傷害罪(209条)、過失致死罪(210条)
・失火罪(116条)、業務上過失失火罪(117条の2)
・過失激発物破裂罪(117条2項)、過失建造物等浸害(122条)
・過失往来危険罪(129条)

等々がありますが、これら全てを非犯罪化すべき、という意見の人は、ここには居ません。
現在の論点は、業務上過失致死傷罪(と、単純過失致傷罪、単純過失致死罪)をどうするかという問題に限っています。

参考エントリ
◆医療事故と司法制度(刑事編)
コメントNo.17、No.30
http://www.yabelab.net/blog/2007/04/19-000137.php#c49445

> 過失犯理論が広く適用されていて,それが妥当している法的状況が存在しており,その理論が存在するというところです。

「過失を処罰してもよい」というのが、刑法体系の理論です。
それは同時に、「全ての過失を処罰するには及ばない」という意味でもあります。
どのような過失行為を処罰し、処罰しないこととするかは、法政策によりますから、
法規制を必要とする社会状況(立法事実)があるか、刑罰以外の代替手段により目的達成できないか、法益と量刑の均衡などを考慮して、刑法の条項を制定します。

そうやって一旦制定した条文でも、時代が変わり社会の実情にそぐわなくなったら、改廃しなければなりません。
今、業務上過失致死傷罪の処罰が、医療従事者の気持ちを冷え込ませ萎縮を招き、社会に必要な医療が適切に供給されないという不合理を生んでいます。同様のことが、鉄道や航空などの分野でも生じています。

この状況を改善するためには、業務上過失致死傷罪による処罰を止める、少なくとも業務ゆえの加重を止めるべきだというのが、私の考えです。

これが「実現不可能な議論」なのでしょうか?

ジャームッシュ様とYUNYUN(弁護士)様との議論に、失礼ながら横入りさせて下さい。

187でのYUNYUN(弁護士)様のご意見

立法を行う上で障害になるものは、
a.上位の法規範(憲法、条約)
b.法の一般理論
これはそのすぐ2行下で仰っておられるように、「法の理屈」の観点からの「立法を行う上での障害」の評価ですね。

ではこのaとbの二つがクリアされれば、その帰結として国会で立法化が為されるのか?、ということも検討するべきだと思います。この国会での立法化には議員の過半数の賛成が必要であり、その議員の賛否を縛るものは有権者(国民)の世論です。これは今般の米国下院議会での金融安定化法が一度否決された経緯に如実に表れています。

この議会での過半数獲得という制約は、「政治の理屈」の観点からの、もう一つ別の「立法を行う上での障害」の評価に他なりません。

この「政治の理屈」の観点も加えた、刑法の過失罪規定の廃止に対する「立法を行う上での障害」を列挙すると、次のようになると考えます。

a.上位の法規範(憲法、条約)との整合性があるか
b.法の一般理論での理屈が通っているか
c.国会議員の過半数の賛成獲得が可能か
d.国民世論として法改正を受け入れるかどうか

cとdが「政治の理屈での傷害」の評価です。一見どちらかだけで良いように思えますが、国民世論の法改正の理解が無くても、議会での圧倒的多数派が強行採決する余地があります。裁判員法の可決成立など、dの要素を欠いたままcが為された例ではないでしょうか。

とにかく、刑法の過失傷害の罪の規定(209条、210条、211条)を廃止する法律改正について、その可能性を論理的に見積もろうとするならば、私はaとbがクリアできれば良いとする、ご意見にはそのままでは同意できません。YUNYUN(弁護士)様のこのご意見、ご見解は法理論としての検討だけに偏っていると思います。

私自身は過失罪廃止のabcd4つの条件の内、aとbの法理論面では問題なく可能と考えます。ですがcとdの政治的障害の面では相当難航するでしょうし、クリアできるまでには廃止に向けた政治的アピール運動に、長い年月を掛ける必要があると思っています。5年やそこらでは無理で、10年でも難しく、20年以上掛けて政治運動を続けていかないと、過失罪の全面的廃止は困難ではなかろうかと見積もっています。

さてそれではジャームッシュ様の考えに同調するのかと問われると、私は違いますという答えになります。ジャームッシュ様のご意見を横から読ませて頂いていると、法理論としての制約条件と、政治の面での制約条件とを、それぞれ切り分けずに論じておられるように感じます。

cとdの条件面から現状で直ぐには廃止改正が困難であることは認識されておられる。ところがその政治困難から導き出される廃止は無理という評価を、法理論上は可能であって無理ではない、というYUNYUN(弁護士)様の主張にぶつけてしまっている。つまりcとdの評価をもってaとbを否定する論理展開になっているように感じます。

ご両人ともこの辺のスレ違いを今一度整理されると、もっと実りある議論に発展するのではなかろうかと、横から興味深く見つめております。

議論の腰を折って済みません。

>No.185 wain3356 さん

意味不明ですが、冗談としても人格攻撃ですねえ、イエローカードが出そう。

心肺停止から蘇生し植物状態になるまでにかかるお金とそれからかかるお金、大やけどの治療、脳卒中の治療、そして生還した場合にリハビリ等にかかるお金、当然、普通の生活費プラス。治療の仕方によっては治療費だけで医療保険が払うお金が一千万近くなる場合もあるでしょう。

日本の国民が平等に与えられるべき基本的なことは、「衣食住」だと思います。ホームレスの方が欲しいのは死ぬ前数年の超高額な高度医療ではなく、安価で安定した「衣食住」だと思うのですが。

 くだらない突っ込みですが、一般的に言ってホームレスの方々は健康保険を持っていません。それどころか生活保護受給者ですらありません。
 さらにごく基本的な問題として彼らが生活保護需給を出来ないのは「働く能力がないのに働いていない」と認定されているケースがほとんどだからです。

 その辺の認識を誤って議論するとおかしな方向になると思います。

「引用の仕方その他掲示板(と、ここはブログだっけ)の利用の基本すら知らない」
のうえに、No.185。
一発レッドでしょう。

>187でのYUNYUN(弁護士)様のご意見

これは法務業の末席さんも言われているように立論に偏した話だとは思います。ただ、それはスタートラインとしての話であって立論上可能なのだから刑事上の過失罪を無くすことも可能だろうという話だと理解しました。
一方、法務業の末席さんの言われるcdの問題が大きく、10年20年の大きな活動が必要だと言われるのも理解しますが・・・立論上可能だということであれば後は実際に立法まで持ってゆくのかどうかという話になるんだと思います。

裁判員制度や趣旨は少し違うかもしれませんが後期高齢者医療制度も国民に問題意識があって、すなわちdの問題があってcの立論がされています。
いきなりCの話が出てきているわけではなく、それなりの問題意識が醸成された上での立法だったわけです。
では国民の信を問うために国民投票でもすべきだったのでしょうか。それは現在の議院内閣制の下では違うと思います。

ジャームッシュさんの話は感情論としてはわかりますが立論的には賛成できません。そこで止まってしまうからです。
ジャームッシュさんに求めるのは筋が違うとは思いますが、過失罪を無くさずに医療崩壊を何とかしようと思えば財源の話に行き着くわけで、これも結局dの話になります。
その時国民の判断する材料として「YUNYUN(弁護士)様のご意見」は重要だと思います。

全般的な感想で恐縮ですが、ジャームッシュさまの意見は、
「みんながダメって言うに決まっているからダメ」
でループしており、ジャームッシュさまご自身が、医療行為に対して刑事罰を科すことの是非についてどうお考えなのかが示されないなあ、と思って眺めております。
「過失」があるならば処罰すべき、当然だ!という以上のご意見はないということに尽きているのかもしれませんが。

そして,医療にのみ,過失責任が成り立たないという立論が本当に立つんですか,とも思います。

他の膨大な患者群、処置群から切り取ってきた、「特定の患者に対する特定の処置」にのみスコープを当て、過失の定義をあてはめれば、絶対に後付バイアスから逃れられず、不当に厳しい水準で「過失あり」と認めてしまっていると思っています。
いくら法律家は「その当時を基準に・・・」とか頭では考えていたとしても。

「ウォーリーはここ」と印がつけられた絵を見せられて、「印がついていない絵」であることを前提に絵を眺めてウォーリーを探すことができる人間は、誰もいません。

私は、少なくとも、救急医療(入院中の患者であっても急変して緊急状況になっている場合も同様)に関しては、「意図的に手抜きをした」というような場合でない限り(未必の故意が立証できない以上、いかなる重過失でも、の意)、刑事責任だけは問わないようにしないと、一般市民全員にとって不都合だと思います。

タイムショック形式で、一桁の足し算が延々と出題され、多少の休憩を挟みつつ36時間連続でトライするというクイズに、ジャームッシュさまは参加したいと思いますか?
1問でも間違えたら、犯罪者とされます。1問だけなら罰金で済みますが、36時間のうちに複数間違えたら、リピーターとして、公判請求されるかもしれません。
また、翌日には、全国紙で「法律家、ひとけたの足し算を間違える」という見出しで、実名報道されます。

誰に命令されているわけでもなく、むしろ、「そんなクイズに出ても、おまえは何も得をしないじゃないか。絶対にやめておけ」と友人たちが口を揃えてアドバイスする状況でも、「いや、俺によって解かれるのを待っている、愛すべき“一桁足し算”たちが大勢いる。俺は行かなければならない」と、繰り返し出場し続けることはできますか?

私なら、真っ平御免です。
出場することで自分の生活の上でも社会的名誉の上でもメリットがあると思えるならば、考えなくもありません。

# 念のためですが、「一桁の足し算」は、仮に1つ1つの処置がそれくらい簡単でも、という極限を示すための例であり、実際の診療と等値比較しているわけでは、当然、まったく、ありません。

先進国についてですが、アメリカとイギリスについて以前私が投稿したことがあるのでご参考までに
http://www.yabelab.net/blog/medical/2008/08/02-110058.php#c176934
http://www.yabelab.net/blog/medical/2008/08/02-110058.php#c176935

なお、補足として、アメリカでは州によっては州法で軽過失も処罰する州があるそうです。ただし、立証の困難性等もあり、事実上対象は交通事故に限られているといってよいそうです。

個人的には安全調を考える上でイギリスのやり方は参考にすべきだと思います。

過去の刑事裁判で「不当に厳しい」という事例はあまり記憶にないのですが、何か具体例をお持ちでしょうか・・・?(単なる確認です、他意はありません)

私は法律家ではないのでカンチガイなのかもしれませんが、刑事事件と民事事件では明らかに判断基準が異なると思います。

刑事は裁判所が人に対して「おまえは罪人だ!」というレッテルを貼る行為なわけです。
平均的なレベルでの医療を受けられていれば、犯罪にはならないと思います。
#ある意味、当時の技術水準で最低レベルの義務が履行されていればOKという意図です。

対して、民事は違うのではないでしょうか?
民事は個々の医療機関と患者との契約上の争いです。
患者の期待レベルに合致する医療が受けられない場合に起こるものですので、医療機関のレベルに応じて判定基準が上がってしまいます。
たとえば、高度医療を行う病院で問題が起きた場合に、いままで扱った症例がおおいんだから、もっと高いレベルで処置できたでしょ?みたいな理論が通る可能性が高くなると思います。

#医療事案の場合、患者側の損害(死亡、後遺症など)が実際に出てしまうこと、保険に加入しても今後の生活費用の面などで不都合がでるため、どうしても患者側に甘い判断がでているような印象もありますが・・・これは法律家の方は異論あるかもしません

医療側のコメントは、どうも民事の「トンデモ」判例を基に、刑事と混同して「明日はわが身が犯罪者」と思い込んでしまっている不安感に思えてしょうがないです。
民事で負けたとしても、別に犯罪者でもなんでもありません。極端なハナシ、カネですむ話です。
民事についての訴訟リスクは保険でフォローされるべきものだと思います。
#保険料が高額だという話はちょっと別の話なので・・・おいときます。

刑事はモトケン様のおっしゃるとおり、大野事案で医師の裁量には踏みこまない判例が確立したので、一般的な治療を粛々とやっている限りは、犯罪者になることは無いことがはっきりしました。

結論として、民事についてはfuka_fukaさんのおっしゃるようなリスクが無いとはいえませんが、刑事で犯罪者扱いされることは無いと考えます。

#現行法では一般人も車を運転しててミスで人を死なせたら犯罪者ですので、ご意見の「ミス」は自動車運転でのミスよりも高度なレベルを想定しています。
#過労に起因する自動車運転レベルのミスは、本来は医師本人ではなく、雇用者たる医療機関の法人・責任者が負うべきものですので、割愛します。

過去の刑事裁判で「不当に厳しい」という事例はあまり記憶にないのですが、何か具体例をお持ちでしょうか・・・?

起訴猶予にならず、略式(罰金)であれ公判請求であれ、起訴されている事例のほとんどは、「単純過失であっても過失である以上処罰は当然」という視点からは「不当に厳しいものではない」という評価になるだろうと思います。

私などは、患者の取り違えや薬品用量違いなども、「普段だったら間違えるはずもないのに、なぜかその時はうっかり気づかなかった」というようなミス(つまり意図的な手抜き行為などは介在しないで普段どおりやっていたつもり)については、民事賠償は当然だが、刑事責任は問うべきでない(そのための構成は問わない)という意見なので、「不当に厳しい」(=刑事罰に問わなくても一般予防・特別予防ともはかられる)と見えるものばかりです。

裁判所の判例検索サイトで、「業務上過失致死 and 医師or看護師 and 有罪」などで検索すればそれなりの数ヒットします。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0010?action_id=first&hanreiSrchKbn=01

また、網羅的に集めてあるのは、「刑事医療過誤」など。

平均的なレベルでの医療を受けられていれば、犯罪にはならないと思います。

全医療行為のうち、約半分が「平均以下」となることは厳然たる事実である、という点はさておくとしても。

先のタイムショックの例のように、人間の集中力・気力には限界がある以上、過労とはいえない状況でも、たまに(しばしば?)「低レベルな間違い」が起こります。

事務仕事であれば誤字や計算ミス、職業ドライバーであればアクセルとブレーキの踏み間違えや停車時のP入れ忘れなど。
しかし、医療以外の職業では、そのような「低レベル間違い」をしても、人命に直結することは、きわめて稀。ドライバーですら。
一方、医療の場合、元々扱っている相手が「壊れかけ」である以上、放っておくだけでも死ぬ。ちょっと扱いを間違えても死ぬ。

「平均レベルの行為を常にやっていれば大丈夫なのに、何故んそんなに怯えるの」という意見は、医療行為の特殊性への想像が現実味を欠いているように思えます。

 裁判所が「平均」という言葉をさけて「標準」という言葉を使った厳密性を推測しましょう。

貴兄の元々の発言No.193は(裁判所が)『不当に厳しい水準で「過失あり」と認めてしまっている』というものだったのに、

No.196では、「そもそも単純過失は刑事罰に問うべきでないから、刑事罰に問うこと自体が不当に厳しい」

に変わってませんか。

で、後者は同義反復です。過失犯を処罰する規定が存在しているのに、刑事罰に問うこと自体を「不当に厳しい」と評価しておられるということは、

「現行の法制度を前提にしても、単純過失については全て起訴猶予にすべきである」
「単純過失について起訴され、有罪とできる確実な証拠が揃っていても、裁判所は全て公訴棄却なり無罪なりの判決を出すべきである」

ということなのでしょうか。検察・裁判所がこのように行動しないことを「不当に厳しい」と仰っているわけですか?

「タイムショック!」な状況を前提としてきちんと評価すれば、現在の過失の基準でも、相当多くの事例を「過失なし」と判断することも可能だと思っています。

一方、どのように現行法上の過失の認定基準を絞り込んでも救えないレベルのミスも当然あるわけですが、それも、刑罰の目的まで立ち返れば、刑事罰に問わないのが立法政策として望ましいという意味で「処罰すべきでない」。

どちらも主張してますから、まあ、毎回厳密に推敲しきれないですからね。どちらも含むコメントになることもままあるかと思います。

「現行の法制度を前提にしても、単純過失については全て起訴猶予にすべきである」
「単純過失について起訴され、有罪とできる確実な証拠が揃っていても、裁判所は全て公訴棄却なり無罪なりの判決を出すべきである」
 
検察・裁判所がこのように行動しないことを「不当に厳しい」と仰っているわけですか?

一定レベル、つまり解釈論の範疇で救える事例については、そうです。
それを超えるものについては、実務家の仕事ではなく、立法論。

「そもそも単純過失は刑事罰に問うべきでないから、刑事罰に問うこと自体が不当に厳しい」
 
で、後者は同義反復です。

価値判断の表明なんだから、文章を組み直せばトートロジーになるにきまってるでしょ

まだ書き込めますが・・・・
長居する気はございませんのでご心配なく。

いや、前段では「処罰基準が不当に厳しい」と仰っていたのに、どこが厳しいのかと問われるや「処罰すること自体が不当なのだ」に変わったので、あれま、ヒザカックン、となっただけです。

要するに、貴方がいう「不当」とは、「標準的な実務家から見て問題がある」ということではなく、「過失犯規定を廃止すべしという私の価値判断に合わない」ということなんですね。少なくとも今回は。

「そもそも処罰が不当だから、基準も厳格でなければならない」
ということですが、難しかったですか。

私は相当の頻度で「過失犯非刑罰化論者」だと自称しているわけで、「標準的な実務家の意見」ではないですよ。
勝手に期待して勝手に「あれま、ヒザカックン」とおっしゃるのは、ご自由に。

「後付けバイアス」について。

仰りたいことは分かるのですが、別にそれは刑事に限ったことでも医療に限ったことでもなく、殆ど全ての訴訟における事実認定に内在する問題ではないかと。

民法上の、医療以外の分野における債務不履行・不法行為責任についても、ある過去の一時点における予見可能性はしばしば問題になるわけですが、それらも含めた上で、「後付けバイアス」を念頭に置いて現状よりも謙抑的な判断をすべし、という御主張なのでしょうか。

それらも含めた上で、「後付けバイアス」を念頭に置いて現状よりも謙抑的な判断をすべし、という御主張

この点はそのとおりです。
医療過誤訴訟(事件)に限らず、一般的普遍的な問題だと思います。
その問題が先鋭化して現れているのが医療関係でしょう、と指摘しているつもりです。

「謙抑的」は結果にすぎないでしょう。

逆に、「行為時基準の要件の判断に際しては、後付バイアスは極力排除すべし」 というテーゼに反対する人っているんでしょうか。

>通りすがりの桂木さま

法務業の末席さんの言われるcdの問題が大きく、10年20年の大きな活動が必要だと言われるのも理解しますが・・・立論上可能だということであれば後は実際に立法まで持ってゆくのかどうかという話になるんだと思います。
えー、私自身も基本的には刑法の過失罪廃止論者でして、YUNYUN様の過失罪廃止についてのaとbの法理論上の評価については、全面的同意の立場なんです。

ただ医師の皆さんが問題としている「現時点での刑事訴追リスクをどう軽減するか」で主張展開していくと、過失罪廃止に向けた政治的運動を続けながら、実現するまでの10年単位の時間を、どのようにして刑事訴追リスクを低減して凌ぐのかということも大事でしょう。法理論的に過失に対する刑事罰廃止が可能だから、時間が掛かっても過失罪廃止を訴える方向で行くべきで、事故調設置などの安易な妥協は将来に禍根を残すからすべきではないのでしょうか?

私は少々不十分であっても事故調のような「医療事故原因の調査鑑定システム」を取り敢えずスタートさせて、例え完全なリスク解消ではなくてもリスク低減を確実に獲得した方が良い。そしてその上で次のステップとして刑法の過失罪廃止に繋げる運動を継続し、最終的に刑事罰の完全廃止の実現に繋げていくのが現実的であり得策だと考えています。これは政治的運動の戦術方針の選択の問題であり、すなわち先の私の投稿でのcとdの項目の評価の問題だと思います。

私自身は根本的にリアリストですし、加えて少々オポチュニストの要素もあるので、その時点その時点で使える材料は貪欲に利用する主義なんです。

了解しました。

「行為時基準の要件の判断に際しては、後付バイアスは極力排除すべし」というテーゼに反対する人はいないでしょう。

現状の実務における事実認定が、その点を十分意識したものになっているか否か、という点の評価や感覚が異なるだけで。

ただ、上記のテーゼをあまり強調すると、かなり多くの類型における「過失」判断が今以上に消極に流れて、損害の公平な分担という見地からバランスを欠く結果が(※医療以外の分野において)生じないかという懸念があります。

例えば国家賠償請求訴訟について。誤認逮捕を理由とする請求、被災者が防災行政の不備を主張する請求、犯罪被害者遺族が警察による対応の遅れを指摘する請求等々では、現状でも後付けバイアスを相当警戒して比較的慎重な判断がなされている(その時点では犯人と疑ったことも仕方ない/その時点では災害を予見するのは困難/その時点では実際に犯罪が行われるとまで予見できなかった)感がありますが、これ以上後退させるのが妥当なのかどうか。

> 少々不十分であっても事故調のような「医療事故原因の調査鑑定システム」を取り敢えずスタートさせて、例え完全なリスク解消ではなくてもリスク低減を確実に獲得した方が良い。(No.207 法務業の末席 さま)

私も、実体法改正の10年計画までの暫定処理として、手続法改正を主張しています。
問題はその内容で、厚労省大綱案の評価になってくると思いますが、
私は「リスク低減」できていない、と見るものです。

厚労省は理念的には、
・刑事処分偏重・厳罰化は、医療の安全や事故防止に役に立たない
・刑事捜査よりも事故調査を先行して行うべきである
・捜査機関は医療や事故防止対策の専門家の判断を尊重すべきである
という意識はあるのでしょう。
それはいい。

ではなぜ、その理念が法律の条文にならないのか?

このような取り扱いについて、警察や法務省の承認を取り付けたと言いますが、
法の力をもって強制することの賛成までは、得られなかったのでしょうかね。

「できるだけ取り決めの方向で動くが、法律で強制することは止めて欲しい」
これは、いつもではないにしても、ときどきは、取り決めと違う行動を取ることもあるよ、という宣言に他なりません。
いやーそんなことはしませんよ、と言うのなら、
法律の条文にすることに、一体何の問題があるのでしょうか。

やはり、福島大野病院事件は、数年に1度は起きるということ?
これで、リスクが低減されたと解することができるのでしょうか?

>No.209 YUNYUN(弁護士)さま

私とYUNYUN様の意見は同じ路線であることは間違いないと思います。ただ一つ違うところ、それは法務大臣と警察庁長官の談話の評価でしょう。談話の意味するところは、突き詰めればYUNYUN様が次のように言われる通りだと思います。

>「できるだけ取り決めの方向で動くが、法律で強制することは止めて欲しい」

談話に込められたこの含意を、YUNYUN様は不信の目線で評価され、まずは手続法を改正して「法の力をもって強制」を実現するべきで、その上で過失罪全廃の実体法改正の実現に結びつける手順が良いと主張される。

私はこの談話の含意を信頼の目線で評価したいと考えるから、不十分かも知れないが安全調の設立稼働を優先し、次いで手続法の改正議論に進み、最終目標としての過失罪の全廃の実体法改正に繋げたいと考えている。

このように当該発言を不信をもって評価するのか、信頼をもって評価するかの違いは、理屈の優劣というより個人の価値観の差異に因る違いではないでしょうか。

個人の持つ価値観や信念の違いに基づく議論を展開してみても、なかなか有為な結論には達し得ないと思います。無理して議論を進めてもこの先は堂々巡りのループに陥りそうですので、YUNYUN様との遣り取りは一応ここでペンディングとさせて頂ければと存じます。

このエントリと裏のスレでのやり取りは、私としても大変楽しく、かつ得るところの多い有意義なものでした。改めてお礼申上げます。

一方、医療の場合、元々扱っている相手が「壊れかけ」である以上、放っておくだけでも死ぬ。ちょっと扱いを間違えても死ぬ。

ご指摘の「医療の特殊性」については認識しているつもりです。
たとえば人工呼吸器が外れていたレベルですと微妙なセンではありますね・・・ この手のミスはいくら万全なシステムを引いていても起こりえますから。

ですが、患者の死にそのミスが寄与した割合で「犯罪者」かどうかは判断されます。死という結果にあまり意味が無いミスであれば、結果的に死亡という結果となったとしても「犯罪」になることは無いでしょう。

人工呼吸器の件も、早期に気付いて処置して事なきを得れば何の問題も無いわけで、未然に防ぐ、または早期発見する「誠実な」努力は必要なのではありませんか?そして、その努力をしても、年間の交通事故数より多い取り返しのつかない結果が起こるのでしょうか?

#ハスカップさまのご指摘は極めて重要ですね・・・
 その意味で「平均」という単語は不適切で、どちらかというと「当時の水準における最低限」と読み替えたほうがより適切かもしれません・・・・

「患者の取り違え」は「アクセルを踏み間違って人を轢いてしまった」レベルでしょうから、そこまで現行法上で免責して欲しいというのは厳しいと思います。
これは、仰るような医療の特殊性とは関係が無い(緊急時を除く)と考えます。

#緊急処置が必要な条件下での取り違えであれば、即時性が必要なやむをえないケースと言うことで違法性を阻却する理論も成立可能かと思います

法は人間が使うツールですので、ある程度柔軟に運用されることを期待すべきです。
微細な法の文中のアラを探したところで、それを埋める立法は不可能ですし(法の運用を明確化するツールとして判例があるので、致命的な不都合(量刑見直しとか)が無い限りはいちいち法改正はしないはずです)・・・

ということで、ちょっと話が脱線してしまいましたが、医療の特殊性については起訴や裁判で十分考慮されることを期待すべきですので、結論としては「平均レベルの医療をしてさえいれば問題なし」という意見でした。(現行法下におけるお話として・・・)


なお、私は持論として、一般に、過失について刑事罰は問うべきではないと思っていることは申し添えておきます。
過失は民事で責任を問えば十分だと考えています。
ただし、この議論は「医療の特殊性」云々とは別次元の話であり、話が混乱するため医療を絡めて議論してはいけません。

fuka_fukaさまは「医療行為の特殊性への想像が現実味を欠いている」と仰いますが、過失免責の根拠に医療の特殊性を配慮しなければいけないのであれば、理論的に「医療行為に限定した全面過失免責」の要求でなければ成立しないはずです。

一般にシステム改善されるために過失を免責すべきなのであれば、その観点に医療の特殊性は含まれず、運転手も同様に免責されねばなりません。

失礼ながら、何故免責されなければならないのかの理由が混乱しているように思います。
ご一考いただき、再度ご整理いただければ幸いです。

そうですね。医療過誤トンデモ判決を主に念頭に置いていたために、後知恵バイアス(「後付」よりこちらのほうが一般的な用語ですね、失礼)に裁判官は無自覚すぎる、という一般論的な話にしてしまっていましたが、国賠などでは「加害者」にとっての行為時基準での予見可能性・回避可能性に十分な配慮がなされているものも多いですね。

ただ、それはダブスタになっているにすぎないと思いませんか?
そうであれば、医療関連で「不幸な結果」に引きずられた(ように見える)判断について、国賠のケースと同程度に揃えればよいだけで、国賠のケースでこれ以上「謙抑的」にする必然性はないのでは。
(そもそも、「謙抑的というのは結果にすぎない」と私が指摘した意味、通じてるんでしょうかね)

なお、私は持論として、一般に、過失について刑事罰は問うべきではないと思っていることは申し添えておきます。 過失は民事で責任を問えば十分だと考えています。

そうでしたか。それは大変失礼いたしました。

過失免責の根拠に医療の特殊性を配慮しなければいけないのであれば、理論的に「医療行為に限定した全面過失免責」の要求でなければ成立しないはずです。

そうは思いません。
「医療の特殊性」といっても、傾向にすぎませんから。
過失とは「開かれた構成要件」であり、それに該当するかどうかの評価は常に程度問題です。
過失があっても刑罰には問うべきではないという主張は、医療行為の場合にはよりあてはまる、ということを申し上げているわけです。

失礼ながら、「過失」の本質に立ち返って再度ご整理を(略

> 当該発言を不信をもって評価するのか、信頼をもって評価するかの違いは、
> 理屈の優劣というより個人の価値観の差異に因る違いではないでしょうか (No.210 法務業の末席 さま)

御意。
自分の職業的経験により、と申しますか、
刑事のシビアな否認事件で、私の被告人は警察にずいぶんいじめられました。
もう一つの不信の根拠は、厚労省の態度というか、第二次試案の頃から、説明が曖昧でゴマカシを感じたこと。

この問題については、実は弁護士の間でも意見は分かれております。
みなNo.209の理念には賛成してくれるのですが、それを実現するために法律の条文が必要という考えと、不要という考えと。
条文制定を主張するのは、医療刑事事件の弁護人であったり、刑事弁護を普段からよくやる、特に否認事件の捜査弁護の経験がある人。
民事しかやらない弁護士は、刑事事件の切実性を、本当には理解していないと思います。

私が、医療過誤の民事事件を患者側でやっている弁護士さんと議論したとき、
不要という以上に「法律にすべきでない」とおっしゃるので、
それは、あなたが、民事事件の解決を有利に運ぶために、刑事告訴して医療者にプレッシャーをかけるという手段を手許に残しておきたいためか、と問うたところ、
お答えはありませんでした。

-------
> このエントリと裏のスレでのやり取りは、私としても大変楽しく、かつ得るところの多い有意義なものでした

こちらこそ、お相手をしていただいて、ありがとうございました。

このエントリでの議論・分析を通じて、
厚労省大綱案の真意と法的効果の限界が明らかにされたことは、
国民と医療者に対し、政策選択の基礎となる正確な情報を提供するという意味で、大変有意義なものであったと思います。

私は、別にダブスタとは思いませんが。

まあ、これはお互いの知識や経験、情報量の違いに加えて、どの裁判例を念頭に置いて話をしているかにも左右される、感覚・印象の問題ですし、さすがにエントリのテーマとも外れてきたので、私からはこれでおしまいにしておきます。

お付き合い頂き、どうもありがとうございました。

私は、別にダブスタとは思いませんが。

まあ、これはお互いの知識や経験、情報量の違いに加えて、どの裁判例を念頭に置いて話をしているかにも左右される、感覚・印象の問題ですし、さすがにエントリのテーマとも外れてきたので、私からはこれでおしまいにしておきます。

お付き合い頂き、どうもありがとうございました。

>年間の交通事故数より多い取り返しのつかない結果が起こるのでしょうか?

医療事故の定義はどのように認識されていますか?

医療事故の内訳は下記のURLにてご確認ください。

高知医療センターは高次(3次)医療施設です。


ttp://www2.khsc.or.jp/kohyo2008-7.htm

逆に、「行為時基準の要件の判断に際しては、後付バイアスは極力排除すべし」 というテーゼに反対する人っているんでしょうか。

手に負えない患者さんを診察したことが、訴訟の原因になっていることは少なくありません。
大野病院事件、加古川心筋梗塞、脳外科医心タンポ誤診など標準的あるいはそれ以上の医療が責任を問われている事件です。
医師たちは患者さんの役に立てるだろうと予測して診療を担当し、結果が思わしくなかった医療過誤訴訟です。
fuka_fukaさんの提示したテーゼに総論賛成各論反対の人が少なくないように思います。

これらの事件から、手に負えない「かもしれない」患者さんは断るべしと世論に言われているように受け取る医師が少なくありません。
統計的な証拠は持ち合わせていませんがたらいまわしの原因のひとつだと思われます。

>奈良の産科や加古川病院の心筋梗塞に関しては、転院先を探すとき、断る総合病院がいっぱいあることのほうが問題だと思います。

搬送を断るには、正当な理由があります。非難には値しません。
加古川の先生はどうすれば、避難されなかったとお考えですか。

医療側が「結局は,このようにしたほうが,患者のためになる。医療崩壊が防げるから」と言った場合,しかし,それで死んだ人は,その周りの人は,いったいどうなるんだろう,という素朴な疑問があります(私は,異常な過失の話をしてるんですよ?)

ただし,これを感情論と言われるのはとても不愉快です。感情というものは存在するし,今のところ過失犯を処罰する体系は,存在するからです。

私は、ジャームッシュさんの意見には反対ですが、正しい意見の一つだと思います。
反対する理由は、今までなら助けられた多くの方が命を失う可能性がたかくなると思うからです。
異常な過失を咎められないために、加古川心筋梗塞のような症例は複数の分野のスペシャリストがそろった病院でなければ引き受けられなくなり、医療にアクセスできないまま不幸な転機をとる患者さんが増えると推測します。

何度も申し上げますが、どうするかは患者さんが決めることだと思います。
ジャームッシュさんのような意見は正しい意見の一つですし、賛成の方が多ければ医師はそれに対応して医療を提供するしかありません。
自分が治せない可能性が極めて低い患者さんだけを選んで、誠実に対応していきます。
いままでの常識であったところの「何とかできそうだと思ったら引き受けて、手に負えなかったら転送しよう」というスタンスは世の中が受け入れなくなったと解釈します。
これにより、患者さんは治せもしない医師に診察を受ける可能性が少なくなりますし、医師は手に余る患者さんを目の前にうろたえる必要が少なくなります。

でも、これでいいのでしょうか。患者さんは損ではありませんか。私はどちらにも対応できます。

選ぶのは患者さんだと思います。

いきなり民事に話を振りますが、昨日医師会で聞いた話です。
最近うつ病による自殺が大問題になっています。こういった病気で最初に受診する医療機関は内科が圧倒的に多いそうです。ところが、内科医の精神医学的知識なぞ取るに足らぬもので、患者がうつ病であったことを見破れないことが多々あります。そして患者が自殺してしまった場合には、当然民事訴訟の対象になるというものでした。実際にそういう訴訟がすでにあるそうです。あちこちにばら撒かれたクラスター爆弾の不発弾のようなものですね。

>自分が治せない可能性が極めて低い患者さんだけを選んで、誠実に対応していきます。

転送しても状況が好転する見込みのない患者まで転送するのだとすれば、それが誠実な対応と判断されるかは疑問ですね。

YUNYUN(弁護士)様、拝復のような独り言です。レス不要です。

もう一つの不信の根拠は、厚労省の態度というか、第二次試案の頃から、説明が曖昧でゴマカシを感じたこと。
私の職業上の経験からも、厚労省の態度には元々信頼感のカケラも持てません。

官僚の集団組織としての厚労省が、今までの意志決定の過程で示したその場逃れの先送り体質と、国民に対して明示した約束を将来まで守る意識の希薄さは、もう手の施しようがない伝統と体質だと私は思っています。ちょうどYUNYUN様がお仕事柄お付き合いが深い法務省や警察庁に厳しい評価をされるように、私は厚生労働省に厳しい評価をしているようです。

こうした厚生労働省不信の私からすれば、医師の皆さんが第3次試案だ大綱案のパブコメだと、厚生労働省医政局総務課に向けて意見提言や政策提案をされても、結果としてどれだけ反映された事故調が出来上がるのか疑問に思っています。どうせ頼りにならない厚労省などは放っておいて、医療界の方で「自主的な事故調査センター」を作ってしまい、勝手に業務を初めてしまえば良いと思っています。

もちろん「自主的な事故調査センター」は、法律的な裏付けが無い任意組織になりますし、このセンターが出せる調査報告書の法的位置付けも、単なる「業界団体の内部調査資料」程度の扱いになります。でも、このセンターに日本の保険医療機関の過半数が自主的に事故報告したり、保険医(保険医=臨床医という捉えです)の過半数が会員加盟したりする、医療界の一大勢力となったらどうなるでしょうか。

その医療界の過半数が自主的に組織した事故調査センターが、自主的に報告された医療事故を公平に調査して、「標準的な医療準則に照らして当該医療行為は妥当であり、医師及び医療機関の責めに帰すべきではない」という報告書を公表したら、多分一定の「権威ある報告書」として扱われるようになるでしょう。

いくら非公式の自主団体とは言え、調査の結果として医師無責という報告書が出されれば、警察や検察という司法捜査機関も考慮せざるを得ませんし、裁判所の法廷審理でも証拠申請されれば無視し得ないと思います。また民事賠償の面でも、保険会社は賠償責任保険の支払審査の参考資料とするしょうし、和解交渉を担任する事務方や弁護士などにとっても使える材料となるでしょう。

まあこうした「自主的な事故調査センター」を、医療界が大同団結して自主的に組織するというのは夢のまた夢であり、現実的には99%有り得ないことでしょう。これは私も認識していますので、今ここで書いてきた自主センターの事故報告書の話は、単なる私の脳内空想物語に過ぎません。


(厚労省は)警察や法務省の承認を取り付けたと言いますが、法の力をもって強制することの賛成までは、得られなかったのでしょう

<No.209 YUNYUNさま、冒頭の()書き補筆は法務業の末席による>厚労省の「了解を取り付けた」という説明を全く信頼しない、ということをスタート地点に置く点ではYUNYUN様と私には違いはないようですし、また厚労省案に異論を唱える多くの医師の方々とも同じだと思います。違いは厚労省案が信頼できないということの次のステップとして、どのような政治的な施策提案を行なうのか、という政治的運動の路線や手法選択に対する考え方の違いではないだろうか。


私とYUNYUN様とでは、過去と現状に対する評価認識は一致しているが、
将来に対する手法選択に対する思考基盤が違うだけのこと。

この週末3日間、いろいろ沢山の思考と意見交換を積み重ねた結果、上記の結論に達しました。私個人の区切りの意味と、横からROMされてきた皆さんへの参考になればと思い、総括的な投稿をさせて頂きました。

加古川心筋梗塞事件の判決文を読んで、「新小児科医のつぶやき」のコメント欄等も拝見して、検討したことがありますが、判決文に記載されている主張及び証拠を前提とする限り、あのような結論になるのはやむを得ないだろうと思いました。


いままでの常識であったところの「何とかできそうだと思ったら引き受けて、手に負えなかったら転送しよう」というスタンスは世の中が受け入れなくなったと解釈します。


加古川心筋梗塞事件の判決文は、「手に負えない可能性が濃厚となった段階で、直ちに転送のための努力を開始して下さい」といっているだけで、それ以上のことは言っていません。

他方で、この判決文を見た医師の方々が、リスキーな患者さんを受け入れることに消極的にならざるを得ないというのもよく分かります。

転送義務違反の事例を見る度に思うことですが、転送先の探索や依頼について、何故担当医ご本人がやらなければならないのでしょうか?

「医師が検査結果及び心筋梗塞疑いであることを通告して転送事務開始を依頼することにより、速やかにPCIのできる医療機関を探索、依頼してくれる転送事務センター」みたいなのがあれば、状況は随分違ってくるように思うのですが。

転送先探しを代行して貰えたら少しは助かるにしても、それは転送先が決まるまでにかかった時間の責任が移行して助かるという意味だろうと思います。(現場はそれが一番うれしいかも???
実際には間接的に説明を受けたら詳細が判りにくくて、受けるほうは受けにくくなる恐れもあるかと思います。
休日や夜間にも速やかに高度な医療が行えて、しかもベッドに空きがあるという状態はなかなかありませんから、誰が探してもそれほど状況は好転しないと想像します。(夜間、休日じゃなければそれはそれで予定の検査や治療でカテ室は埋まり、人も手一杯でしょうが。)
もし加古川のようなことをさけるには、根本的には24時間、人手(医師だけじゃなくて看護士と技師も)とカテ室とベッドが提供できるCCUつきの救急病院が必要なのでしょう。
しかもPCIで合併症を起こしたりしたら、速やかに外科処置に切り替えないといけないでしょうから、心臓外科医もスタンバッていなければ今度は搬送された側の病院が訴えられるかもしれません。

お金かけて転送センター作るなら、病院のほうにお金かけたほうがいいと思いますが、額が違いすぎますよね。(笑

搬送を断るには、正当な理由があります。非難には値しません。

おっしゃる通りです。搬送を断らなければならないシステムを作った側に問題があるので、非難されるとしたら、地域行政、国、マスコミ、コンビニ受診をする地域住民、過去にとんでも判決を出した裁判官でしょうか。


加古川の先生はどうすれば、避難されなかったとお考えですか。

転院先を探すのに手間取ったのが訴訟で負けた原因だと思っていたのですが、内科の医者様からこのような質問をいただき、もう一度ネットで調べましたら、どうも、それが主な判決の要因とはなっていないようでした。転院先を探し始めるタイミングと気を失ったときの処置の方法。これの良し悪しは素人には分かりません。これを悪いと判断したのは、鑑定をした医師なのでしょうね。どうすれば非難されなかったかは、その鑑定をした医師に聞かないと分からないです。


患者からの電話を受けた看護師が、消化器専門の内科医しかいないこと、患者の容態が心筋梗塞らしいことを知りながら、加古川病院にすぐ来てください と言ったのが、加古川の先生の悪夢の始まりだったのは間違いないです。
亡くなった方も医師も両方ともかわいそうです。

 公務員業界の発想ですが、厚労省幹部の頭は、食品偽装と年金記録改ざん問題の両巨頭で(あと違法派遣問題と介護会社の職員配置偽装問題という大関クラスも)、国会対策でパンク寸前らしく、医療崩壊問題が抜けているのが気がかりです。パンク寸前の方が実務上の大問題かもしれません。

…いえいえ、着々と進行中です。

第14回診療行為に関連した死亡に係る死因究明等
の在り方に関する検討会の開催について

日時 平成20年10月9日(木)
   13:00〜15:00

場所 厚生労働省 省議室
   中央合同庁舎第5号館 9階
  (東京都千代田区霞が関1−2−2)

 それを聞いて安心しました……と言いたいところですが、「会議の開催事実だけでは信用できない。会議の成果物を見ないと他省庁を信用しない。」のが木端役人です(厳しいですが)。これよ全く同じことを某厚労省の参事官クラスに怒鳴られたことがあるので、よく覚えているんですよ。m(_ _)m 厚労省役人不信中です。

 あ〜、議員立法が俎上に上っている今では、これは医療崩壊促進事業になってしまっているので、着々と進行するのも考え物かと思います。

 そこらへんの国会情勢や官邸状況も見ながらの会議進行ですから、現場の御苦労を思うと大変だと思います。密かに同情します。o(_ _*)o

最近の情勢は医療崩壊だけでなく、政官財トライアングルの崩壊も見えてきてワクワクです(^^;)

 日本の財政がとっくに崩壊一歩手前(以下略

以下のような情報があります。

http://www.snow-flake.jp/archives/1296/ この70分の間の記事情報は「点滴で漫然と経過観察を行い」としていますが、真相は診断とともに即座に転送判断を下し、患者及び家族に説明を行い、神鋼加古川、高砂市民病院、姫路循環器病センター、三木市民病院、神戸大学病院と少なくとも5件以上の転送要請を行なっています。

転送要請は先日のエントリーでも書いたように、病状を説明し、PCIが必要なので受け入れをお願いするものです。この日は日曜日ですから、、、、、、

循環器を専門としない医師の合格点の仕事としては合格点だったと思います。

加古川の先生はどうすれば、避難されなかったかといえば、専門外を理由に救急を引き受けなければ良かったのだと思います。

(この患者さんはかかりつけなので、実際には断ることは難しいですので、当直しなければ非難されなかったのだと思いますが、ここまで言ってしまうとこの日のこの病院の当直自体がはずれくじだったというしかありません。誰が当直していても同様の結果です。)


こういうことがあるので、特に夜中や休日は「手に負えない可能性のある患者さんは初めから引き受けない」が市民権を得つつあります(特に二次救急病院で夜間や休日の当直で怖い思いをしている最中の現役医師の間でです)。

こんなことではいけないので
『どうすれば医者は安心して診療するのか』
が医者だけでなく医療を受ける側にも大切な問題なのだと思います。

救急の診療報酬を保険からはずして現在の10倍に引きあげれば24時間 心臓外科でも脳神経外科でもフルラインナップで治療を受けることができるようになりますよ。
怠け病で救急を受診する様な不貞な輩もいなくなりいいこと尽くめですね。

トピずれになりますが、、、

スタンバイしているだけで発生する人件費その他の費用を安定的にまかなうには診療報酬は不適切だと思います。患者さんが来なければ、診療報酬が無いのにスタッフの高額の給料が発生するからです。

スタンバイしているだけの状態に対して税金などの公費から必要経費がまかなわれると良いように思いますが、現実には難しいでしょうね。実際、救急病院には補助金のようなものが与えられますが極めて小額のようです(額は知りません)。

いわゆるコンビニ受診を控えていただくための策は必要ですが、時間外の診療報酬が10倍になることで、不適切な受診抑制がかかることは危惧します。


それはさておき、各科各分野の専門医がフルラインナップで治療を受けられる体制作りは費用はかかりますが医療体制としては理想だと思います。ただし医療にそんなに金をかける覚悟は今の日本には無いでしょう。だから多くの二次救急病院も夜間と休日はかなり見劣りする体制です。医療裁判が多発する下地はここにあります。

スタンバイしているだけの状態に対して税金などの公費から必要経費がまかなわれると良いように思いますが


各科各分野の専門医がフルラインナップで治療を受けられる体制作りは費用はかかりますが医療体制としては理想だと思います。


この2つの実現が、医師側も患者側も安心できる医療体制だと思います。この状態でも起こる医療事故に対し基本的に訴訟が免除されれば良いです。


国民がどこまでその安心のために税金や保険料を払うか。
アメリカのように、自分や自分の身内のためになら大金を払うけど、全体のシステム作りには払わないというのであれば、アメリカ型の医療システムができていくのだと思います。

どなたかが言っていましたけど、世間の問題の8割方はお金で解決できるらしいです。

お金がなければ解決不能といっているわけですね(笑)

仮に転送事務センターを作った場合、下記のような作業を行うことになるでしょう。


1 センターは、県内のPCI可能な医療機関及び連絡先を事前に把握しており、転送可能性照会のためのFAXないしメール書式等も用意している。

2 医師から「PCI可能な施設に転送してくれ」との依頼があった場合、センターは、県内のPCI可能な医療機関に、ベッドの空き等物理的な受け入れ可能性を照会するFAX文書ないし電子メールを一斉送信する。

3 と同時に、近い医療機関から順番に架電し「先刻文書で連絡した受け入れが可能か、文書にて至急回答されたい」旨を伝える。

4 「一応物理的には受け入れ可能」という回答の医療機関があれば、その時点で患者の担当医と先方の担当医に電話協議して貰い、詳細な受け入れの可能性を詰める。

5 全ての高次医療機関から「受け入れ不可」との文書回答を貰った場合、隣接県の近医から順に照会をかける。

6 患者の担当医は患者の状態が悪化しないよう、原状維持に専心する。

7 5の作業中に不幸な結果となった場合、遺族の方には、転送のため最善の努力を尽くした旨を、書証をもって説明する。
 

ここまでしても、遺族の方から訴訟が起きてくる可能性がゼロではないでしょうが、よほど特殊事情がない限り負けることはないと思います。

そのようなネット情報があるのは承知しております。

が、判決文によると、病院側が訴訟においてそのような事実経過を主張した形跡はありません。従って、裁判所がそのような事実経過を認定すること自体不可能です。


ネット上の医師の方の見解を見ると、「担当医が一生懸命転送先を探索したという証拠が何もなかったため、そのような事実を主張したくてもできなかったのであろう」みたいな意見が多いようです。

もし仮にそうであるなら、それは、事務に不慣れな担当医さんが、患者のケアと並行して転送先を探索することを強いられていたことに起因する不幸な結果、ということになります。


そうであるのなら、この事件から考えるべきことは、適切な転送事務システムを確立することであって、そのことが医療側の安心につながっていくのではないでしょうか。

この事件で裁判所や鑑定医を批判するのは、ちょっと筋が違うのではないかと思います(特に過失の有無の点について)。

>この事件で裁判所や鑑定医を批判するのは、ちょっと筋が違うのではないかと思います(特に過失の有無の点について)。

受け入れ先を探さなかったなら責められても仕方がないでしょうけど.
方法がbestであったかどうかは別として転送先を探す努力をしていたにも係らず,判決文では方法論の瑕疵ではなく,それが全く認定されていなかったのはやはりおかしいのではないでしょうか?

多数の医師の意見を聞けば,裁判官にもおおよそ何が妥当であったか解ったはずですが,非常に偏った少数(1名?)の鑑定医の鑑定をよりどころにする方法に問題があったと言えるでしょう.違いますでしょうか...

まずはYosyan先生のところ
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20070808

情報の信憑性については個々に判断していただきたいのですが、これによると
1.70分間に5件の転送のための電話をかけていた
2.しかし、裁判では、病院側はこのことを主張しなかった
ということのようです。

んで、民事訴訟の原則「弁論主義」について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%BA%8B%E8%A8%B4%E8%A8%9F%E6%B3%95#.E5.BC.81.E8.AB.96.E4.B8.BB.E7.BE.A9
第2テーゼとして「その事実について、当事者間に争いがない事実はそのまま判断の基礎としなければならない。」とされています。

上記の事実が真実であるならば、裁判所としては過失を肯定しなければならないことになります。

なぜ、病院側が主張しなかったのか(そしてそれは本当なのか)はよく分かりません。Yosyan先生は「証拠が得られなかったから」と推測されていますが、個人的にはいまいちピンときません。どちらかというと、病院・・というか加古川市にやる気がなかったのではないか?という気はしています。
いずれにしろ、事実関係がいまいち明らかになっていないので憶測せざるをえないのですが(苦笑)

正直、行政が医療にお金をかけなければ解決不能だと思います。どこかにお金をかけて、どこかは減らす。トータルとして医療費は減らす といったせこいことをやっている限り、医師も患者も安心する医療制度を構築するのは難しいのではないか と思います。

 裁判で言うべき事を言わないで負けたのは、病院側の弁護士の法廷闘争のやり方が稚拙であったということでしょうか。
 医療事件は少ないから、一例でも前例になるのでよろしくないですね。(病院にとっても患者にとっても)

病院側の弁護士の法廷闘争のやり方が稚拙であったということでしょうか。
そこらへんはもう完全に推測・憶測するしかないです。 おいらの情報収集が不足しているか、弁護士がしょぼかったのか、病院側にやる気がなくて金払ってとっとと終わらせようとしたのか(控訴してないですし、あまりやる気は感じられないです)、証拠が不十分で断念したのか、裁判所が不意打ち的に過失を認定したのか、情報が誤っているのか・・・

 裁判で言うべき事を言わないで負けたのは、病院側の弁護士の法廷闘争のやり方が稚拙であった

とは限りません。一般論ですが。
訴訟において何を主張するかについて、代理人弁護士は、依頼者である訴訟当事者(原告/被告)の意向に拘束されます。

法の建前としては、「代理人」は、訴訟の追行に関して、プロとしての知識・経験に基づいて、依頼者の利益に反しない限り、広い裁量を持つはずなのですが。
現実には、かなりこまごまとした点まで、依頼者に報告・相談し、決めてもらうのが一般的です。

弁護士なんて「代理人」ではなく「使者」だ、と(自嘲として)言ったりすることがあります。

市役所や役人には、示談になろうが裁判で負けようが金の出所が税金から保険に変わるだけ。
何も痛くないどころか、むしろ早く済んだほうが楽な事は言うまでも無い。

言い変えれば、トカゲの尻尾になる医師らの心や立場さえ無視すれば、裁判に勝とうとして苦労する必要は無い
という判断は極めて合理的で(以下・・・)

 民事訴訟は、裁判所が証拠から独自に客観的な真実を発見することは許されません(刑事訴訟と違うところ)。当事者処分権主義といって、当事者双方の主張に拘束された範囲でしか事実を認定できません。これが医療関係者に理解いただけない根本の誤解だと思います。
 繰り返します。民事訴訟は、証拠に基づいて裁判官が客観的で科学的な真実を発見する場ではありません。当事者双方が主張する範囲内でしか事実認定できないのです。アリエネーと思うでしょうが(私も民事訴訟の勉強を始めたときは面喰いましたから)。

 そもそも民事訴訟は私人間の紛争処理が本旨ですからね。
 突き詰めれば、それ以上でもそれ以下でもないです。

 自己レスです。

> 繰り返します。民事訴訟は、証拠に基づいて裁判官が客観的で科学的な真実を発見する場ではありません。当事者双方が主張する範囲内でしか事実認定できないのです。アリエネーと思うでしょうが(私も民事訴訟の勉強を始めたときは面喰いましたから)。

【A訴訟】
原告:ハスカップはドアホである。
被告:認める。
判事:ハスカップはドアホであることに当事者
   間に争いがないからこれを認める。
【B訴訟】
原告:ハスカップはノーベル賞モノの天才である。
被告:認める
判事:ハスカップはノーベル賞モノの天才であ
   ることが認定される。

 A訴訟とB訴訟が同じ裁判官で同じ日に判事の判示のような判決が下されても、民事訴訟法上は矛盾しないのです。この場合、ハスカップが客観的に「ドアホ」か「天才」かは全く問題とされず、証拠がどうであるかも全く問題とされません(ドアホの証拠しかないのですがw)。
 比喩的なデフォルメ例でいえば、これが民事訴訟です。

モトケンさんのご説明で刑事に対する不安は随分和らいだのですけれど、民事に関してはいまだ「萎縮医療」の大きな原因になっていると思われます。
加古川事件における報道やネットからの情報だけでは、現場の医者の体感的には「萎縮」や「逃散」を選択せざるを得なくなるのは当然の帰結ではないかと。
これを過剰反応だと具体的・論理的に説明できる報道情報などがあれば、さらに安心できるんですけどねー。

 民事弁護の医療側専門弁護士を雇う(正確には雇用でなくて委任です)ことだと思います。

>この事件で裁判所や鑑定医を批判するのは、ちょっと筋が違うのではないかと思います(特に過失の有無の点について)。

私はこの件に関して裁判所や鑑定医を批判していませんよ。

専門外の医師が当直であれば、この程度の診療が普通なので、
「これが非難されるのであれば、この患者さんを引き受けないこと以外に非難されない方法はなかった」と言っているのです。

このエントリーの私の投稿だけでも読んでみてください。
たとえば
http://www.yabelab.net/blog/medical/2008/09/26-091220.php#c182941

いままでの常識であったところの「何とかできそうだと思ったら引き受けて、手に負えなかったら転送しよう」というスタンスは世の中が受け入れなくなったと解釈します。
これにより、患者さんは治せもしない医師に診察を受ける可能性が少なくなりますし、医師は手に余る患者さんを目の前にうろたえる必要が少なくなります。

でも、これでいいのでしょうか。患者さんは損ではありませんか。私はどちらにも対応できます。

民事恐るべし!!
ハスカップさんのご説明のようなものなら、事実はどうでもよいわけですね?
この裁判で多くの人がうすうす感じていたことが真相なのかもと思えて来ます。
「病院側は勝つ気が無かった。」
大野事件で刑事裁判が無罪判決で保険金がおりないようですが、こういうのを恐れて保険金がおりるようにしたかったんじゃないか?
裁判が長引くよりさっさと保険金で片を付けたかったので、現場の人間をトカゲの尻尾切りした。
しかも加古川の場合は院内の職員じゃなくてバイトに来てた医者じゃなかったでしたっけ?
この裁判は病院だけが訴えられたんでしょうか?それとも病院と医師個人と両方訴えられたんでしょうか?
医師個人は訴えられていなかったような気がするのですが、もし個人が訴えられてて自分で弁護士を頼んでいれば結果が違っていたとか?

とんでも判決はもしかしたら、勝つ必要は無い、保険金の額内でおさまる範囲で決着することを目指すと言うやり方の結果かも。
その結果はトカゲの尻尾にされかねない現場の人間達をドン引きさせるという高い物についてますが。

そうなると勝つ気のない病院の代理人ってまじめにやりたくないですよね。判決書さえでれば保険が満額出るのですから。

サラリーマンの妻は保険料納めずに皆保険の恩恵にあずかってます。
自営業の家庭は頭数分保険料払ってるにもかかわらず、サラリーマンの家庭は扶養家族がいてもひとり分しか払ってません。
さらに年収400万円以下の標準世帯は課税所得ゼロですよね?
税金払わずに皆保険の恩恵にあずかってますね。

サラリーマンからも自営業と同等の保険料を払わせるべきだと思います。あわせて国際的に見ても高い課税最低額を引き下げるようにすれば、かなりの額を医療費にまわせるんじゃないですか。

 記録を見たわけではないので憶測ですが、保険が下りるような民事判決こそ、代理人弁護士にとって、依頼人の経済的利益を擁護することになったのだと思います。
 そして、公務員ならわかるとおり、裁判所の判決というお墨付きがあれば、国庫支出行為や債務負担行為が(損害賠償保険に補てんされるとしても)正当化されます。
 民事判決の事実認定はおかしい、裁判官不信だ司法不信だと思う心情はわかりますが、何度も繰り返すとおり、民事裁判官は科学的真実を解明できる立場にないのです。原則として、当事者の主張に拘束された範囲でしか事実認定しなくてはいけないのです。

そうなんですよね。被告の利益が業界全体の利益とは相反する事例でもあるのですね。

>サラリーマンからも自営業と同等の保険料を払わせるべきだと思います

クロヨンとか、トーゴーサンという言葉を思い出します

サラリーマンにとっては給与所得が全てですが、自営業者の年収400万円とは何を意味しているのか補足が困難です。

もしwain3356さんが自営業で年収400万円であっても、サラリーマンで”税負担を軽減されている世帯”より経済的に恵まれていなければ、やり方がおかしいとすら思います。

事実誤認に基づいて、相手を非難することが容易になった現代では、相手を信用しないと仕事ができない医師が医療を継続しがたくなってきたとしても不思議ではありません。

健保と国保の保険料負担の公平性について、いろいろと誤解されておられるように感じますので、いくつかご指摘させて下さい。

(1)「サラリーマンの家庭は扶養家族がいてもひとり分しか払っていない」とのご指摘について

サラリーマンの公的医療保険制度の健康保険では、自営業者の国民健康保険と違い、単身者や被扶養者の人数の多寡に関係なく健保保険料は同額です。しかるに国保では加入者の人数に応じた「均等割」の保険料計算の部分があり、この均等割の制度が健保には無いことをご指摘されてのご意見と思います。

実際には健保の場合には、加入者本人3496万人に加え、被扶養者3146万人の、合計で6642万人分として必要と計算された保険料を、加入者本人だけから収入に応じて(所得に応じてではありません)徴収しています。つまり加入者本人が負担している保険料は、被扶養者家族分も含めて平均して1.9人分を負担している、と言うこと(すなわち独身者も1.9人分の保険料を負担していると言うこと)も可能と思います。
(数字は平成18年度の政管健保と組合健保の合計人数です)

家族加入者の人数に応じた均等割制度のある国保と違い、健保では家族のい居ない独身者にも家族分が均等に賦課される仕組みになっています。


(2)「年収400万円以下の標準世帯は課税所得ゼロ」とのご指摘について

このご指摘での「標準世帯」とは、年収400万円のサラリーマンの夫と、専業主婦の妻と義務教育年齢の子供2人の、合計4人家族ということでしょうか。

この場合、給与所得控除と基礎控除38万円、ならびに扶養控除1人当たり38万円の3人分を差引いた課税所得は、所得税(国税)での場合で114万円であり、非課税ではありません。また国民健康保険料の計算基礎となる住民税(市町村民税)の場合は、基礎控除と扶養控除が1人当たり5万円低い33万円で計算しますので、課税所得は134万円となります。

以上の試算には給与所得控除と人的公助以外の他の控除を計算に入れておりませんが、年収400万円で妻と子供2人の4人家族なら課税所得ゼロではなく、所得税と市町村民税とも課税所得があるとするのが普通です。


(3)「税金払わずに皆保険の恩恵にあずかってます」とのご指摘について

家族も含めて4738万人が加入する国民健康保険には、平成18年度で医療給付への国庫負担(税金投入分)が2兆8096億円が投入されています(70歳以上の老人保健医療としての会計区分を除く)。

これに比べて家族も含めて6642万人が加入する健康保険制度(政管+組合の合計)には、投入された国庫負担が8307億円です。

すなわち加入人数が健保の7割である国保に、健保より2兆円多い税金が投入されています。税金投入で国民皆保険の恩恵にあずかっているのは果たしてどちらでしょうか。


(4)「サラリーマンからも自営業と同等の保険料を払わせるべき」とのご指摘について

サラリーマンの健康保険の場合、給与から控除される本人負担額と同額が事業主が負担しており、名目上の本人負担は同額でも健保の場合は2倍の保険料を納付することになっています。

一例として月給30万円のサラリーマンの場合、健康保険料の本人負担分は月額1万2300円で、同額の1万2300円を事業主が負担しています。

これを月給が31万2300円のサラリーマンは、2万4600円の健康保険料を納付していると考えることもできます。この考え方に立つと、健保加入者は国保加入者より遙かに負担率が大きくなります。


以上の通り wain3356 様のご意見は、制度に対する誤解や思い込みに基づいた「感覚的な意見」と感じます。このブログをROMされる方々がこうした感覚的意見に幻惑されるのは、社会保険制度の専門家として好ましく無いと考えますので、参考のために数字に基づいた健康保険制度の補足説明を加えておきます。

ハスカップさんはじめまして。

民事判決を基に税金から賠償金が払われるケースですが、住民監査か何かで医師個人に賠償金の補填を求めるべし、となった場合はどうなるのでしょう。そして、仮に自治体が医師個人に賠償を求めて民事裁判を提起し、かつ医師側が勝訴したら、自治体は患者側との裁判でもうちょっと「まじめ」に立証を行うようになるのでしょうか。

それから、保険金の場合ですが、保険代位で保険会社が医師に保険金相当額またはその一部を請求することはあるのでしょうか?

 住民監査は…(割愛)…ですのでコメントを控えさせてください。m(_ _)m
 一般論ですが、保険代位は、損害賠償責任保険の場合、保険契約者(病院開設者)及びその家族や雇用者や委任者へは、「代位放棄特約」が普通ですので(約款にあると思います)、公立私立を問わず病院の勤務医への代位請求がないのが普通かと思われます。

不躾な質問、失礼しました。

保険については了解しました。医師も契約者側だと考えれば、過失相殺はあっても保険代位による請求の範囲外ですね。ありがとうございました。

>以上の試算には給与所得控除と人的公助以外の他の控除を計算に入れておりませんが、年収400万円で妻と子供2人の4人家族なら課税所得ゼロではなく、所得税と市町村民税とも課税所得があるとするのが普通です。


私はこのサイトを参考にして投稿しております。間違いがございましたら再度ご指摘ください。

所得税の内訳及び算出方法
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/043.htm

基礎控除38万
配偶者控除38万
特定扶養63万×2
給与所得控除134万
社会保険控除40万

計376万


>これを月給が31万2300円のサラリーマンは、2万4600円の健康保険料を納付していると考えることもできます。この考え方に立つと、健保加入者は国保加入者より遙かに負担率が大きくなります。

わたしはこのサイトを参考に投稿しております。間違いがございましたら再度ご指摘ください。


モデルケースによる試算
ケース1:堺市在住、夫婦2人+子供2人(未成年)、年収400万円(所得260万円)
均等割額:36,840円×4人=147,360円
平等割額:30,480円
所得割額:{260万円−33万円(基礎控除)}×11.80%=267,860円
合計金額:445,700円

wikipedia 項目  国民健康保険税
http://209.85.175.104/search?q=cache:okf84Dmf2RcJ:ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%81%A5%E5%BA%B7%E4%BF%9D%E9%99%BA%E7%A8%8E+%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%81%A5%E5%BA%B7%E4%BF%9D%E9%99%BA+%E5%B9%B4%E5%8F%8E400%E4%B8%87&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp

基礎控除38万 配偶者控除38万 特定扶養63万×2 給与所得控除134万 社会保険控除40万 計376万
このモデル計算は、子供が2人とも16歳以上23歳未満の場合の特定扶養親族としての加算(1人につき25万円を扶養者控除の基本額38万円に加算)した63万円で計算しています。普通モデル世帯とする夫婦子供2人の4人家族の場合には、特定扶養親族の加算は加えずに普通の扶養親族として1人につき38万円で計算します。この普通の扶養親族で計算すると上記のケースでは社会保険料控除40万円を入れた総控除額は326万円となり、年74,000円の所得税(国税)が課税されます。またこのモデル計算世帯が東京都23区に居住七える場合、翌年度に都民税が37,600円、区民税が56,400円課税(地方住民税)されます。実効の税負担額は168,000円になります。 (地方住民税の税率は、都道府県・市町村ごとに違い、全国一律ではない)
ケース1:堺市在住、夫婦2人+子供2人(未成年)、年収400万円(所得260万円) 均等割額:36,840円×4人=147,360円 平等割額:30,480円 所得割額:{260万円−33万円(基礎控除)}×11.80%=267,860円 合計金額:445,700円
国民健康保険料(保険税)の料率は、全国の市町村ごとに賦課する基準や率が違い、大雑把に分けて賦課方式で6通りあります。また料率も一番安い市町村と一番高い市町村とで約7倍の格差があります。これは市町村ごとの人口構成や所得額の多寡と、その市町村国保が実際に負担する医療費などによって、各市町村ごとに独自に決めることになっています。その為に若くて高収入の住民が比較的多い首都圏の市町村は保険料が安く、北海道や北九州と京阪神の市町村が国保保険料が高いことで知られています。この国保保険料の格差は、概ね人口に占める生活保護世帯人口の比率が高い市町村ほど国保料が高い傾向にあります。(北海道と北九州は元炭坑労働者、京阪神は在留外国人が多いことと相関関係が有ると言われます)

より引用されたwikipediaの表では、資産割(所有する不動産に掛かる固定資産税に応じて賦課される)の関係で、モデル試算がされていない東京都日野市と愛知県安城市は全国平均から見て安い方のグループであり、千葉市と町田市も割と低い方で、さいたま市と静岡市などが概ね平均レベルの市町村と言えます。wain3356様がモデルとされた堺市はかなり高い方の都市です。

なおwain3356様がモデルとされた世帯が、仮に東京都23区に居住していた場合の国民健康保険料を試算すると、年額201,600円となり、堺市の約4割の負担で済みます。また同じ東京都でも羽村市に居住していた場合は145,000円となり、堺市に住んだ場合の1/3以下の負担で済みます。逆に北海道の赤平市や美唄市などに住めば、世帯の負担上限額(国保料の賦課限度47万円と後期高齢者支援金の賦課限度12万円の合計59万円、介護保険料は別途)を超してしまうと思います。
(赤平・美唄・夕張の北海道旧産炭地の3市は、モデル世帯の家族構成次第ですが、日本で一番国保料が高いと言われています)

wain3356様の提示された数字はどれも決して間違いではないのですが、特別の控除額を加算していたり、全国的に見て国保料の高い都市を選んで試算してあったり、普遍的な基本データとして使うには相応しくない試算ばかりです。そこをご理解下さい。

上記265の投稿にアンカーを付け忘れました。
wain3356様の264投稿に対する返信です。
m(_ _)m

横ですが。
wain3356さんの引用データからオグりんを連想した私(^^;

今更ながら「国保の保険料って高いよなー」と思いました。特に貧乏自治体に住んでる人が大変ですね。これほど保険料(保険税)格差があるとは受け取る側ですが知りませんでした。
(小生は仙台市です)

 データ・チョイス・マジックで好ましい総合結論数値を出すのは、公務員の隠れた十八番です。特に予算案の疎明資料ではゲフォゴフォ
 良い子の皆さんは決してマネをしないでください。バレたら野党やマスコミからボロカスに叩かれます。o(;△;)o

中小零細企業の会社経営者で、健保で標準報酬月額で59万円(給与月額575千円〜605千円)の人は、労使合計で年間の健康保険料は、580,560円になります。報酬月額が120万円で年収が1440万円の人は、労使合計の健康保険料負担額は119万円余りになります。

このような中小零細企業のオーナー社長にとって、健康保険料の会社負担分も自分の会社の稼ぎで賄っているので、労使折半といっても、実質的には全額を自分で負担して納付しているようなものです。

国民健康の加入者の場合は、年間保健料の負担が世帯で59万円が上限です。そこで月収で60万円、年収720万円以上の会社経営者が会社を清算し個人経営にした場合でも、加入する国民健康保険料は上限額の年59万円より高くなることはありません。またこの国保料の年59万円の上限は、個人単位ではなく、住民票で同一の世帯となる夫婦や親子を合算した世帯合計の国民健康保険料が、59万円の上限額で打ち止めです。

税理士にそそのかされて父ちゃん社長、母ちゃん専務、倅が常務、といった家族経営の個人事業をそのまま法人化することが良くあります。このような家族それぞれが役員や従業員として給料を取る、共稼ぎならぬ家族稼ぎの場合は、個人経緯で国保加入に比べて、社会保険料負担の上で百万円以上損する場合が良く見受けられます。

私の顧問先で、現在の事業主の夫婦2人に、創業者の祖父と祖母、それに跡取りの倅夫婦2人の、6人全員が商売に従事していている個人経営の事業所があります。この6人の年収合計は3千万円を超えていいますが、その3世代は住民票の同一世帯なので、6人合計の国民健康料が年59万円で済んでいる実例があります。ここが法人化して政管健保に加入すると、6人合計の健康保険料は250万円を超えますので、差引200万円の負担軽減となっています。

またこの6人の内、創業者の祖父と祖母は既に60歳を超えているので、国民年金保険料は納付していません。現当主の夫婦と倅夫婦の4人が国民年金保険料を納付していますが、その合計は約70万円です。もし仮にこの商店が法人化して社会保険加入となると、60歳を超えた祖父母夫婦も含めて6人全員が厚生年金の保険料を納付することになりますが、その厚生年金保険料の総額は年額460万円余りとなります。個人事業としたまま国民年金加入の方が400万円近く保険料負担が低くなっています。

個人の所得税の上では少々不利ですが、この商売屋の3世代6人にとって、個人経営で同一世帯にしてある為に600万円以上社会保険料負担が軽くなっています。その浮いた負担で国民年金基金に加入したり、一時払いの外貨建て年金保険に加入したり、老後の年金資産の蓄積に回すようアドバイスしております。

こうしてみると国保の方が高くて不利とは言えないでしょ。特に収入が多い医療者の場合は、個人経営で従業員5人以上や、法人化して社会保険の強制適用事業所となっても、保険料の安い医師会国保にそのまま加入し続けられます。開業医にとっては国保の方が絶対にお得です。

【注意】こうした税負担や社会保険料負担の試算は、前提となる収入や家族構成などが少し変わるだけで全く違う試算結果になります。くれぐれも私の提示した事例に良く似た家族構成だから、同じような保険料負担になるはずだと早合点しないで下さい。またこのエントリに投稿した試算は細かな前提条件を端折った、大筋の腰ダメ計算となっています。その点は充分にご理解の上で参考にして頂けますよう、プロとしての立場からお願い致します。

 さすがスーパープロフェッショナルなお仕事です。
 脱帽 _| ̄|○ m(_ _)m ○| ̄|_ 尊敬

制度の違いと、家庭や事業の態様でこれほど差があるのですね。医師は保険診療の現場の請負業務みたいなもので、レセプト側は良く分かっていても保険制度特に支払い側や保険料についてはほとんど知りませんから。勉強になります。(^^)

すみません、亀レスで失礼しました。

良質の資料のご紹介、ありがとうございました。
医療事故と一口で言っても、いろいろなレベルのものがあることがよくわかりました。

逆に私もお伺いしたいのですが、ご例示いただいたもののうち、業務上過失致死傷等で刑事上の「犯罪者」となりうるものはどのようなものとお考えなのでしょうか?

私には、犯罪者要件はせいぜいレベル4-5、それもケースバイケースだと思えます。
医師のみなさまからみて、これは認識が甘いのでしょうか?

医療事故において、刑事責任が問われる範囲の前提が医師のみなさんと司法関係のみなさんの間でものすごくずれているため、どこまでいっても司法と医療が平行線をたどっているように思えてなりません。
(一方的に、医療側が司法に言いがかりをつけているようにさえ見えてしまいます)

#民事リスクはレベル2からありえるかもしれません。民事であれば「タイムショック」というたとえも私は理解できます。

過失とは「開かれた構成要件」であり、それに該当するかどうかの評価は常に程度問題です。 過失があっても刑罰には問うべきではないという主張は、医療行為の場合にはよりあてはまる、ということを申し上げているわけです。

まったくもって同感です。
医療行為の場合にはよりリスクが高いのはおっしゃるとおりと思います。

ですので、刑事において「医療者だけがタイムショックにかけられている」というようなご説は極論に過ぎるのではないか、と言いたいのです。

タイムショックは全国民に平等にかけられています。
医療従事者の方は、誤答率が高い部類かもしれませんが、普通に過ごしていると比較して、タイムショックに参加するほどの極端な差はあるのですか?

#という問いかけのつもりだったのですが・・・お気をわるくされたのであれば、ひとえに私の文章が至らぬせいです。申し訳ありません。

刑事において「医療者だけがタイムショックにかけられている」というようなご説は極論に過ぎるのではないか
またまた横です(^^;

「タイムショック〜」には、Airさんのコメントとはズレが生じています。
fuka_fuka さんの例示は「人間の特性として避けられないエラー」の意味ですし。
Airさんの発言では刑事訴追との関係は不明瞭、ですね。

私見を書かせてもらいますと。

医療現場では命の掛かる手探りタイムショックが頻繁に起る訳ですが、そんな仕事場は一般的ではなく、医療現場はリスクが大きい。

その例が前に出た、交通8000、医療50000で、
分母も分子も違うので比較に向かないけれど同一社会ではあります。
交通ばかり気にして医療事故を無視してはいけない、社会全体でシステムとして取り組むべき課題。

私はこの件に関して裁判所や鑑定医を批判していませんよ。

失礼しました。
医療界では、加古川心筋梗塞事件の判決を「トンデモ判決」と評価される方が多いようなので思わず記載したものですが、内科の医者さんはそうではないのですね。


それで、この加古川の担当医の方がどうすれば責任を取らずに済んだかということですが、それは、私がNo.239で記載したように、高次医療機関に片っ端からFAXやメールを送り、証拠を残しながら転送の努力をすれば良かったのです。

もっとも、患者を診療中の担当医ご本人にそのような負担の多い事務を要求するのはどうかと思われますから、転送事務を専門的に担当してくれる人ないし機関が必要ではないかと考えているのです。


私としては、担当医ご本人が、治療の片手間に、電話のみで転送先を探索しなければならないというようなやり方は、非常に不合理であり改善を要すると思っているのですがどうでしょうか?

あるいは、現在ではそのような不合理なやり方は改められているのでしょうか?

>それで、この加古川の担当医の方がどうすれば責任を取らずに済んだかということですが、それは、私がNo.239で記載したように、高次医療機関に片っ端からFAXやメールを送り、証拠を残しながら転送の努力をすれば良かったのです。

現在の多くの2次救急対応の医療機関では当直医は各科ひとり当直が普通であり、救急患者さんを診察している医師がそのようなことをすることは不可能です。
ですから「、、、すれば良かったのです」は誤りです。

>もっとも、患者を診療中の担当医ご本人にそのような負担の多い事務を要求するのはどうかと思われますから、転送事務を専門的に担当してくれる人ないし機関が必要ではないかと考えているのです。

転送先の医師が、引き受けることに前向きであるほど、患者さんの状態に対する質問が専門的になるので医師以外では電話の相手は困難です。加古川の事務員では不可能でしたし、看護師でも不可能だったはずです。
将来どのような改善策が出てくるかわかりませんが、加古川事件の起きた時点では、不可能なことです。

将来どうするかは検討しなければなりませんが、こうであれば良かったのにと言う仮定法の話を加古川の話と合体させて、だからこうしていれば加古川の担当医が非難されなかったというような話はやめにしましょう。ありえない話です。あなたの言う優秀な事務員もシステムもないところで起きた現実の話です。

このことは、医療の現場を知っているものにとっては疑問をさしはさむ余地のない事実なので、話を先に進めていただきたい思います。どうすれば医者が安心して診療に前向きになれるかと言うこのトピともずれているように思います。

将来、医療や法律、法律の運用をどのようにすれば加古川事件の医師が非難されるようなことにならずにすんだかを議論するなら歓迎します。

 当地の救急医療部会での主要救急対応病院(二次および三次)懇談会で、各病院の担当部長の一致した見解について。

 無理をするなと下には言ってある。
 それぞれの専門外は受けるな。
 逮捕や訴訟されるよりされるより、受けなくて問題になるほうがいい。マスコミや議員がなに言おうが気にするな。

 ほかの地区も同様のようで、聞いたこともない救急隊が今日もやってきてた。大嘘ついて。(当地は隣接地区全部合わせれば100万人の医療圏です。)

 続編エントリを立てました。

 「医師はどうすれば安心するのか?(その2)

 今後のコメントは、その2へお願いします。

 

P R

ブログタイムズ

このエントリのコメント