このエントリは、「医療事故書類送検報道」の 内科の医者 さんのコメントへの横レスですが、内科の医者さん個人宛というわけではありません。
内科の医者さんの不安感というものは多くの医師の皆さんが感じておられるだろうと思われますので、たたき台として使わせていただきました。
ただし、若干の皮肉混じりのエントリになりそうですので、そのつもりで読んでください。
やはり、大臣コメントでは何を言っているかわからない、というのが正直な気持ちです。
たぶんそうだろうと思って私なりに解説してみたのですが、ほとんど理解されない、というか信用されなかったみたいです。
法務・検察と警察の両首脳が相次いで、異例のタイミングと異例の内容のコメント、しかも歩調を合わせるかの同趣旨のコメントをしたわけですから、いずれも思いつきや失言の類ではなく、周到に検討を重ねてタイミングを図った上での発言であることが、明確な根拠をもって言えるわけですが、医師の皆さんはどうしても「法律」というものの保障が欲しいようです。
謙抑的とはどういうことかを法律にしてもらわないと、今までと変わらず医療現場での患者死亡が警察の捜査の対象になる条件がわからないままです。
言葉の意味の誤解(言い換えれば私の説明力不足)と法律ないし司法制度に対する無知・無理解と言ってしまえばそれまでですが、
まず、法律で、過失犯の処罰範囲について、医師の皆さんが安心できるような文章表現でその限界を画することは、至難の業です。
過失犯規定そのものが、犯罪の成立要件としては本来具体的であるべきであるにもかかわらず、抽象的にしか規定し得ていないのです。
できるものならとっくにやっている、ということです。
医師の皆さんが望んでいることは、法律ではなく、裁判所による法律適用によって明らかにされるべきもので、大野病院事件判決はまさしく医師の皆さんの期待に応えたものだと思うのですが、そして私ほか数名の法律家は何度もそう言ったつもりですが、「所詮地裁の判決だ」ということであまり安心の根拠にはなっていないようです。
不信感のサングラスで見れば、仮に高裁の判決が出たとしても、「所詮高裁の判決だ」ということになったでしょうし、仮に最高裁の判決が出たとしても「いつ判例変更があるかわからない」ということになったのではないかと想像します。
また、医師の皆さんから見れば、裁判所は裁判所、警察は警察(ついでに検察は検察)ということで、警察の捜査を法律で縛る方法がない限り、安心できないということなのでしょう。
この点についても、裁判所の判断は、その手続的上流に位置する検察や警察の行動に大きく影響するという指摘を何度もしてきましたが、それも医師の皆さんに対してはあまり説得力がないようです。
ということで、立法の問題になるわけですが、
やはり謙抑的な捜査や告訴がどのようなものか法律で決めてもらわないと、ある種の医療行為は常に業過致死の捜査対象であり続けることは解決すべき問題と立法府に感じてほしいと思います。
と内科の医者 さん(たぶん、他の多くの医師の皆さんも)はおっしゃるわけですが、医師の皆さんは「立法府」というものをどのように認識されているのでしょうか?
具体的には、国会議員です。多くの国会議員は医療についてはど素人でしょう。
そして、国会議員の行動は、有権者の意向に強く影響されます。ここで問題になる有権者のほとんども医療についてはど素人でしょう。
つまり、医師の皆さんが安心できるような法律を作ろうとすれば、まず、医療ど素人の有権者や国会議員の医療に対する理解、医療に対する信頼を得る必要があることになります。
専門性の高い医療についての理解を求めることは容易ではありませんから、実質的に重要なのは医療ないし医師に対する信頼であることになります。
私は、常識的な感覚として、信頼の最大の根拠は誠実さであるとの考えのもとに、いくつかのエントリで医療側に対して「誠実さ」や「信頼」の重要性を訴えました。
ところが、それに対しては、司法は医療に誠実さを要求するが自らはどうなんだ、というような否定的なないし反論的な反応が多く返ってきました。
しかし、敢えてもう一度言います。
大野病院事件判決は医師の医療行為に対する信頼を前提にしていると思われます。
検察は、その判決に対して控訴しないという行動で裁判所の判断を受け入れる意思を表明しました。その意思表明の中には、医師に対する基本的信頼があるものと思われます。
モトケンが勝手に思っているだけだろうという意見があることは承知の上で言っています。
安全調(事故調)の議論も、医師に対する基本的信頼がなければ成り立たないものだろうと思います。
法務・検察や警察の首脳の「医療事故に対する慎重姿勢」の発言も、事故調の議論を踏まえたものと理解出来ます。
つまり、今は医療界にとって追い風が吹いていると言ってもいいのです。
しか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜し、
もし、今、病院の倫理規定を無視して功名心に走ったとしか見えない(本人の気持ちはともかくそうとしか見えない)医療事故が起こったらどうなりますか?
そして、 もし、今、医療事故についてカルテの改ざんや口裏合わせがあったらどうなりますか?
そして、そのような医療事故やカルテの改ざんに対して医療界が目に見える具体的な自浄行動に出なかったらどうなりますか?
医療界や医師に対する基本的な信頼というものは吹っ飛ぶでしょうね。
医師のお手盛り審査機関になんか任せておられない。
やっぱり警察にしっかりしてもらわないといけない。
あやしい事故はみんな告訴だ。
というような事態が現実的に想定されます。
ちょっと極端な例を挙げましたけど、要するに私が言いたいのは、
医師の皆さんは医師以外の患者、患者予備軍、国民、国会議員、裁判所、警察、検察を味方につけないと医師の皆さんが一番望む法改正なんか夢のまた夢じゃないんですか?
そして、味方につける唯一最大の、そして医師として可能な行動は、医師としての誠実な医療なんじゃないんですか?
ということだったんですけど、あんまり通じなかったみたいですね。
このブログおいてすら、自分の発言が医師以外の人が読んだらどう読めてしまうか、という意識が希薄なコメントが散見されたように思います。
たしか、医師の皆さんに、「このブログで何のためにコメントされているのですか?」という問いかけをした覚えもありますが、どこに書いたか忘れました。
それはともかくとして、可能な立法措置について若干述べてみようかと思いましたが、長くなりましたので、ポイントだけ書きます。
まず、謙抑的な告訴を規定する法律は無理です。
告訴は私人足る被害者の行為ですから、法律で告訴権を認めながら、それを慎重に行使しろ、とかできるだけ行使するなというような法律は非現実的です。
患者側の告訴を抑止する最大の要因は、医療側の患者側に対する対応です。
ここでも「誠実さ」はキーワードです。
刑事司法権力に対する謙抑性を強調する立法としては二つ考えられます。
刑事司法の謙抑性というのは、私の理解では、制度運用における権力側の原則的姿勢という意味合いが強いと思っているのですが、それを立法化するとなると、どこかの法律に「医師に対する捜査や起訴は慎重に行うべし。」と言うような規定を盛り込むことが考えられます。
しかし、こんな抽象的な規定は、訓示規定または努力目標的な意味しか持ち得ませんから、はっきり言って気休めです。
これで医師の皆さんが安心してくれるならこれほど安上がりなことはありませんが(それでも医療に対する信頼がないと絶対立法されない)、現状に鑑み、医師の皆さんはそれほどお人好しじゃないでしょう。
より実効性のある立法となると、制度的ないし手続的変更が必要になります。
最も極端な立法として、医師に対する完全刑事免責(これは謙抑性という言葉の範囲を超えると思いますが)があります。
そこまでいかなくても、過失犯の親告罪化も議論の俎上にのぼります。
実は、事故調の議論もその一貫です。
しかし、「医師に対する完全刑事免責」を除いて、医師の皆さんが完全に安心できる法制度は実現不可能です。
医療側から見れば、医療現場における刑事司法権力の介入はほとんど冤罪だと理解することが可能だと思われます。
犯罪でない行為に対して、犯罪として捜査が行われたり起訴されたりしていることが納得できない、という主張はそう理解できます。
しかし、冤罪のリスクを完全に排除することは不可能なのです。
満員電車で通勤しているサラリーマンは、医師以上に冤罪リスク(痴漢行為)を負っていると言えます。
理想を求めるのは大事なことですが、理想的な制度でなければ嫌だ、というのであれば現状を変えるチャンスをみすみす逃すことになるでしょう。
その結果、医師の皆さんの不安感は、これまでと変わりません。
少しでも改善できれば、すこしは安心できるかも知れませんが。
追記
書きそびれていた結論めいたものをコメント欄に書きました。
No.19 モトケン さん | 2008年9月26日 19:14 |
>もし、今、医療事故についてカルテの改ざんや口裏合わせがあったらどうなりますか?
とりあえず
http://mainichi.jp/select/science/news/20080926k0000m040077000c.html
厚労省:免許取り消しなど医師ら57人処分
【医業停止1年】▽金沢市、石川県済生会金沢病院、東福要平(67)=医師法違反
【医業停止9月】▽金沢市、石川県済生会金沢病院、西野隆平(35)=医師法違反
ちなみに、事故自体は看護師の起こした事件です。
私は、たぶんお人好しののんびりものと批判されるとは思いますが、モトケンさんが言われてきたことを今は信じて仕事をしています。
ただ以前どなたかが書かれていたことで思い出しましたが、医師としてまともであればあるほど、基本として、診断を重きより行い、常に最悪のシナリオを想定して行動するので、どんな状況であるとしても安心することはないと思います。全文を思い出しませんし、出展も思い出せませんが、君子は、人より先に心配して、人より後に安心するというような文があったように思います。
それに実際の状況を見るに、問題は、司法にあるのではなく、第4の権力といわれるマスコミと、情報操作を行い世論を誘導する一部の官僚や、政治家の医療現場への介入などであろうと思います。仮に訴えられて無罪になったとしても、逸失利益の補償が十分にされなかったり、社会的に葬られる状況があれば、それは、司法ではどうにもならないことではないでしょうか?
事故調についても、各学会が反対する部分については詳しく書かずに、根拠なく反対しているように印象操作をするマスコミや官僚は、医療と国民の間に不信を生み増大させて、医療費を削減しやすくするためにやっているとしか思えません。日本よりシステム的に問題の多いアメリカの医療がよいように思わせているあたりにそれは、明らかだと思います。
ほとんどの医師は逮捕の危険は遠のいたと判断し、
前向きに仕事をしていると感じます。
少しずつ、前向きに改善していくしかないです。
10年後には、優秀な医師が大量に出てくることを
期待しています。
モトケンさんのご意見は大変現実的でごもっともと思います。その上で、言葉尻を敢えてとらえますが、
>医師として可能な行動は、医師としての誠実な医療なんじゃないんですか?
この文に異議ありです。我々に最も必要なのは、「誠実さ」ではなく「誠実だとアピールする具体的な方法」ではないでしょうか。
カルテを改ざんせず、功名心にはやらなければ、それで大丈夫ではありません。改ざんしていると「思われない」、功名心にはやっていると「思われない」ことに成功しなければ、まったく意味がないはずです。李下に冠を正さず、です。(モトケンさんは、そこまで含めて「誠実」と表現しておいでと、解釈しております)
この、「誠実に見せる」ということを、医師はもっと学ばねばならないと、自戒を込めて思います。心情の上ではほとんどの医師が誠実であると信じておりますが、それをアピールすることについては残念ながらあまりお上手でない先生もおいでのようです。謙虚の美徳とはどうも相容れない考え方なので、私も正直なところは、「何だかなあ」と感じますが。
私は、裁判官や検察官にとって、公正であることはもちろん重要だけど、公正であるように見えることがそれに負けず劣らず重要だと言ったことが何度かあります。
しかし、それは「見える」ことの以前の問題として「公正であること」または少なくとも公正であろうと努めていることが当然の前提としてあると考えています。
敢えて言葉尻を捉え返せば、私が誠実さを敢えて繰り返したのは、誠実さを求めること(誰が求めるかはともかく)に対する反論があったからです。
そこを踏まえないと、誠実に見えされすればいいのか、という別の反論が生じます。
>改ざんしていると「思われない」、功名心にはやっていると「思われない」ことに成功しなければ、まったく意味がないはずです。
刑事訴訟法令(規則)では、改ざんしていると思われない仕組みが、文字の加削のルールで定型的に定められております。ペーパーレベルで参考にされるといいでしょう。また、電子カルテ等であれば、デジタルフォレンジックの技術を用いて、認証ログやアクセスログなどのログをハッシュ値付きで保存する方法で「改ざんしていない」という証明が民間では既に採用されています。
功名心対策なら、「冒険的取引」という概念が刑法各論にありますので、興味がある方はご参照ください。そこまでいかなくても、医師が標準的な手法で最善を尽くす当たり前の医療をした場合なら、その記録をカルテ(診療録)などに記載して残すことが肝要かと思います。
御参考まで。m(_ _)m
「誠実」って何でしょうか?
温情や哀れみなどの感情は入れずに、決まり(法律)に忠実に従って仕事をこなすことなのでしょうか?
No.1 ssd さんのコメントにある医師らは倫理的に大きく間違ったことをしているのでしょうか?
「看護師は昨年7月11日午後2時ごろ、肝がんで入院中の男性患者の胃に挿入するはずのチューブを気管に誤挿入。男性は心肺停止状態に陥り、同日午後11時ごろ死亡した。病院は事故の説明をありのままに家族に報告して謝罪し、主治医は窒息死(事故死)とする診断書を遺族に渡したが、家族は事故死だと司法解剖にされるので病死に変更してほしいと懇願した。困った主治医は院長に相談し、翌12日に院長の指示を受けて診断書を回収し、病死の診断書を渡した。13日に開かれた病院の危機管理委員会で虚偽の診断書に反対する意見が出たため、病院は同署に届けた。遺族とはすでに示談が終了している。」
今回は極端なケースではありますが、主治医としては誠意を持って対応しているように思います。家族を殺されて怒り、悲しんでいる方々に対して、自分達がしたことは棚に上げて「そんなことはできない」といいきれるものでしょうか。
ご意見をお聞かせください。
私は、法律に従うことが誠実ということだ、というようなことは一度も言った覚えがありません。
その場その場でよかれと思って行動した人に対して、結果が悪かったからと言って誠実でないという人に賛成したいとも思いません。
誠実という言葉に対して疑問を呈したり違和感を覚える医師の方が多いようなんですけど、ひょっとして、医師としての自分の行動に自信がないのでしょうか?
逆説的かも知れませんが、医の倫理と論理を最大限に発揮することが、司法から見ても最も誠実な医療行為に映るのではないかと私個人は思っています。
現在の医師が自分の行動に自信を持てるかどうかですか?
結論から言うと、現状ではほとんどの医師が自信をはぎとられていると思います。
前述の医師だって間違いなく自分の信念に基づいて正しいと思って行動したはずですし、私自身がその立場に立たされたら同じことをしたと想像します。
でも、結局は、医師法違反となり1年ちかく偉業停止ですよ。
単に1年というかもしれませんが、これで若い彼の将来の選択肢はかなり狭くなってしまいました。
司法からみる倫理と医療者からみる倫理は本当に同じですか?
その後の経過からいっても、彼らに悪意があるとは思えないのですが、それでもやはり処罰される必要があるのですか?
最近、モトケンさんが苛立ち混じりに医療側に向けたエントリーが続いているわけですが、残念ながらモトケンさんが満足な反応を得たエントリーはほとんどないんじゃないでしょうか。
どのエントリーも被医療者として見ると「まあ、そうですよね」としか言いようのない内容なのに、どうして医療者の皆さんからのコメントはこんなにもつれていくんだろう、と傍から思うことしきりです。
各エントリーに見られる傾向ですが、どうしても個々の言い回しや言葉の定義で引っかかってしまって、モトケンさんの主張の核となる部分までたどりつかないままコメントが連なっていってるように思えます。
あえて言っちゃいますけど、別に「誠実」という言葉の定義なんてどうでもいいんじゃないですか? たとえば、モトケンさんが考える定義と誠実なつもりの医師さんが考える定義が全く食い違っていたとしても、議論としては何の支障もないんじゃないかという気がします。
要は医療側の皆さんが端的に「私は誠実に患者を治療している」と胸を張って言えるなら、まずはそれでいいのではないでしょうか。肝心な問題は、その言葉が「言うだけ番長」ではないということをいかに被医療者にアピールするかでしょう。
残念ながら医療者の性善説・無謬説はもう通用しない世の中になりました(これは警官でも教師でも司法関係者でも同じですが)。いわゆるリピーター医師にような、ほんとうにろくでもない医療者が実在する、ということを被医療者は知ってしまいました。そして、自分または家族が不幸な医療事故に遭遇した時、自分を担当した医師がその「ろくでなし」の一人なんじゃないか、という可能性を考えずにはいられなくなりました。
そんな状況下では、真剣に愚直に患者に向かい合ってさえいれば医師の誠実さは自ずから伝わる。万が一の場合でも全力を尽くしてもらえたと納得してくれる、と信じるのはもう無理でしょう。
たとえば、ssdさんはNO.1で医業停止の実例を挙げておられます。これをもって医療側の自浄力を示されたのだと思います。
しかし、立場を変えてみましょう。最近、麻原彰晃の裁判で書面を提出しなかった弁護士が戒告処分を受けていました。弁護士会にはこういう制度がきちんとあるわけです。では、ssdさんはこの事実をもって「弁護士界の自浄能力は問題ない」と見なせますか?
ある業界に対する信頼の大小は、罰則など関連制度の充実の度合いとはあまり関係ないのではないでしょうか。
青砥の事件(私は事件と呼ばせていただきます)の医師は刑事で有罪となり、医業停止(たしか2年?)にもなりました。当時の医療側の皆さんの反応は大抵「2年の医業停止は尋常でなく重い」というものだったと思います。でも世間の被医療者の反応は概ねこんなものではないでしょうか。
「青砥の医者だっていずれ復帰してどっかの病院でまた誰かの腹を切るんだろ? 俺だったら死んでも切られたくないね。あれほどの事件をこの程度の処分でお茶を濁す医療界に刑事免責なんてw」
これを単なる被医療者の無知・マスコミの扇動の結果と捉えて切り捨てることは簡単です。しかし、モトケンさんがおっしゃるように、刑事免責をいくらかでも実現させようと思うなら、あるいは第三者機関を権威ある存在として日本に存在させたいなら、こういう国民をどうにかして味方につけなければどうしようもないわけです。
そのための一つのポイントとして、「誠実さ」を能動的に被医療者にアピールして、「医療界はもう白い巨塔じゃないね」「特別扱いとも言うべき刑事免責を求めてくるだけのことをしてるよね」と納得させることは重要ではないでしょうか。
長々と偉そうなことを書きましたが、では具体的にどうすればいいのだ、と聞かれても言葉に詰まります。ただ、単語の意味にこだわった神学論争、あるいは医療界の外に向けた糾弾でコメント欄を埋めていくよりも、いかに被医療者(患者も司法も警察もマスコミも含めて)を味方につけていくか、ということを議論した方が、結局は皆さんの主張を実現する助けになるのではないかと思うのです。
ご指摘の事例は医師法21条違反ですか?
そして、21条違反で処罰されたのですか?
答を聞かずに先走っちゃいますけど、法律に違反しているという自覚があったのであれば、なぜ弁護士に相談しなかったのだろうというのが素朴な疑問です。
弁護士に相談すれば、21条の届け出をしたとしても司法解剖を回避する方策があった可能性があります。
少なくとも、双方が受け入れ可能な方法が弁護士から示された可能性があります。
弁護士による遺族に対する説得を含めてですが。
要するに、あまりにも無防備という印象を拭えません。
弁護士ってそんなに頼りにならないですかね。
それとも弁護士に相談するという発想がないとか。
それで訴訟リスクとか言われるとなんだかなぁ、という感じですけど。
>残念ながらモトケンさんが満足な反応を得たエントリーはほとんどないんじゃないでしょうか。
まあ、そのとおりですね。
>あえて言っちゃいますけど、別に「誠実」という言葉の定義なんてどうでもいいんじゃないですか?
これもそのとおりです。
まっとうな(「誠実」より「まっとう」がいいという意見がありましたね)医師が、自分自身で誠実だと思う医療行為をすればいいんじゃないか、というのが私の意見です。
連続投稿は荒らしとみなす。
横レスで失礼します.
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20070801-OYT8T00200.htm
21条違反および診断書に虚偽を記述した(公文書偽造ということなんでしょうか)こと,らしいです.
患者さんの遺族の望みをかなえるために,法に触れた結果ということでしょうか.
以前に反対のケースで,子供が亡くなった時に解剖されるのがいやだから遺族は届けないでくれと懇願したが,異常死ということで警察に届けたところ遺族の心をひどく傷つけた,というのもありました.
身を守ることと,患者さん遺族との関係を保つことの板挟みですね.どうすることが「誠実」なんでしょうかと考えてしまいます.
>たとえば、ssdさんはNO.1で医業停止の実例を挙げておられます。これをもって医療側の自浄力を示されたのだと思います。
>しかし、立場を変えてみましょう。最近、麻原彰晃の裁判で書面を提出しなかった弁護士が戒告処分を受けていました。弁護士会にはこういう制度がきちんとあるわけです。では、ssdさんはこの事実をもって「弁護士界の自浄能力は問題ない」と見なせますか?
極論と思いますが。
二分法に付き合う気はしません。
>どうすることが「誠実」なんでしょうかと考えてしまいます.
法律と人情の板挟みを解決しようとするのも弁護士の仕事だと思います。
いつも解決できるとは限りませんけどね。
人情は一刀両断とはいきませんから。
でも、交渉経験の豊富な弁護士はそういう問題に対処するノウハウを持っているものです。
結局、医師の安心というものは医師の心の中にしか存在し得ないわけですから、部外者がいくら心配しなくていいよ、と言っても、心配を抱えている医師が納得できるなんらかの保証がない限りはどうしようもないことなんですね。
私や司法側コメンテイターとしては司法側から与えられそうな情報はすでに書き尽くしたような気がします。
もし、医療側から質問があれば答えられることもあるかも知れませんが、このあたりで医療側にボールを投げつけるのはやめることにしましょう。
医療側から司法側に対する要求をここに書いても、それに応えることはできません。
私たちは一介の弁護士であり、匿名のコメンテイターに過ぎません。
応えることができることは、必ずしも有無を言わさない根拠があるとは限らない情報の提供だけです。
信用できないと言われればそれまでの情報です。
少しだけ不安や心配が減ったという方が何人かはおられそうですので、それ以上の結果を望むことは思い上がりの誹りを受けることになりそうですから、私としてはそれで十分満足すべきだろうと思います。
もし、このブログの過去ログを全て読んだ上でまだ払拭しきれない不安感は、このブログでは解消することができない性質のものなのでしょう。
ただし、このブログの過去ログを全て読むことは困難ですから、疑問があって私たちの考えを聞いてみたいという方に対しては、過去ログ嫁は禁句にしてお答えするように心がけたいと思います。
でもこのコメントの最後にもう一度確認します。
このブログに不安の解消を求めても、それは無い物ねだりです。
ちょっとだけ減らせるかも知れません。
質問者が不安は自分の中にあると考えておられるならば。
誤解がないように追記しますが、不安は自分の中にある、ということと、不安の原因として大野病院事件の起訴などがあるということは別問題です。
不安というものの実体(原因または契機ではなく)は不安を感じる人の中にあるという意味です。
ぶっちゃけて言えば、開き直るのが一番だと思いますけどね。
色々興味深いお話で、個々のレスに返信すると散漫になってしまいそうなので、まとめてのコメントで失礼いたします。
モトケンさん
早速のお返事をありがとうございます。誠実に見えるための大前提として本当に誠実でなければならないというご意見に、完全に賛同いたします。そもそもモトケンさんのご意見に異論があったのではなく、「こういう解釈でよろしいですか?」という確認のようなつもりでした。また、エントリのタイトルに合わせて、概念的な話よりも、自分で出来る具体的な対策や方法のほうが、安心感につながるかなー、という考えもありました。言葉が足りず、すみませんでした。
>ひょっとして、医師としての自分の行動に自信がないのでしょうか?
ギクッ…! 何と鋭いご指摘。仰る通りで、私自身は医師の中ではせいぜいよくて中の下くらいだと自覚しております(技術も人格も)。診療に当たって、いつどの瞬間も一片の曇りなく誠実かと問われれば、Yesとは言えません。だからこそ怖いのです。ですが、こんなことは自分自身の心の問題なので、ここでモトケンさんを始め法曹の先生方に安心させてもらおうというのは、虫が良すぎますね。司法がそこまで完璧な「誠実」を求めているとも思っていません。
いずれにせよ、モトケンさんには百人組手を強いてしまったようで、大変申し訳ありませんでした。
ハスカップさん
とても有益な情報をありがとうございます。刑事訴訟法令や冒険的取引をキーワードに、勉強してみます。電子カルテの改ざん防止システムについては、「ああ、あれがそうかな」と言う程度には存じておりました。
病院経営者は、こういった工夫のある電子カルテを導入したとか、かくかくしかじかの事故予防対策をとっているとか、そういった折角の努力を対外的にもっとアピールすればいいのにと思います。それも結局は金銭的な問題になってしまうのかもしれませんが。
横レスになりますが、No.18のモトケンさんのレスに目から鱗です。弁護士さんにそんなことをお願いできるのですね。今更こんなことで驚いている自分が恥ずかしい…ここに書き込むのは、私にはかなり早すぎたようです。反省します。
>弁護士さんにそんなことをお願いできるのですね。
こういうレスをいただけるとうれしいんですよ(^^)
検事という仕事も理解されてませんけど、弁護士の仕事もまだまだ理解されてないようです。
これは弁護士会の責任だと思います。
医師は安心を求めません
できる限りの安全を求めます
患者さんとは求めるものが違うのです
>医師は安心を求めません
>できる限りの安全を求めます
そうですか。
何についての安心かが問題になりますが、言葉の定義に関する揚げ足取り的議論にはうんざりしてます。
極論でしょうか。
あなたがご自分で例示された懲罰制度を自浄力の証左とされるのであれば、まったく同じレベルの例えだと思ったのですが。
それが業界外から見て信頼性の担保となるかどうかについても同様です。
>法律と人情の板挟みを解決しようとするのも弁護士の仕事だと思います。
> いつも解決できるとは限りませんけどね。
モトケン先生,
お返事ありがとうございました.こういう時にこそ弁護士の先生にご相談すればよいのですね.法律に関して知識のないまま一人で悩むのではなく,専門家にコンサルトするというのは医療と同じですね.
Level3さんにも共通します。このコメントは、非医療者・非法律家(大学でかじった程度)だからこそ言えるのかもしれません。この場合、医の倫理というよりも、一人間としての倫理(同情?)かもしれません。モトケンさんが言う人情でしょう。似たようなことはどの社会・組織でも起こります。だから敢て言うのですが、対応が中途半端だと思います。要は、腹と肝がどこまで座っているかということでしょう。
自分のミスで死なせ、解剖したくない遺族がいて断れない、それを優先すると決めたなら、報告義務違反や虚偽の診断書作成など墓場まで持っていくことです。ただし、遺族には言います。「これは犯罪になります。遺族も共犯になります。いえ私は証拠隠滅罪にはなりませんが(自己の刑事事件だから)、遺族はなります。それでもどうしてもというなら、私は医師としてではなく、一人の人間として共感します。ただしこれが表沙汰になったら私は医師生命を失います。その覚悟で応じますが、よろしいですね」というように。
そして遺族から後々訴えられたら、あるいは病院関係者から漏れたら、そのときはジタバタせず自分で責任を取るということです。自分の見立て(診立てではない)が悪かったと。その覚悟があるか、覚悟がないなら、遺族の要望に応じない。もちろんそこまで割り切れて物事を考え対処できるはずがない、医療の現場を知らないから言える、という反論は覚悟の上です。
この場合、若い医師で院長に相談するのは無理ありませんが、相談すればするほど共犯者が増えます。もちろん院長も相談を受けて決断したなら自分の範囲内で事を収めることです。院長の度量も問われるでしょう。院長が全責任を負う(自分が命令したと言う)か、「俺は聞かなかったことにする」と言うか(これでも一応収まります)は別として。
危機管理委員会のメンバーがどういう方々か知りませんが、弁護士・法律家が入っていても建前しか言わないかもしれません。ここで建て前というのは法律通りにするということですが、そうなる前に弁護士に相談していたらモトケンさんが言うように解決方法があったかもしれません(具体的にはわかりませんが)。
そして自分の医療ミスを隠すために応じたと言われないために、最初の診断書、書き直した診断書、関係する書類は全部保管し、コピーして複数の者(少なくとも自分を含めて二人)で分散保管しておくことです(時効まで?)。表沙汰になったときのために、これこのとおり保管しており、隠す意図はなかっと主張するのです。そこまでやれば、捜査があっても処罰はないだろうと思っています。甘いでしょうか。もちろん、表沙汰にならなくても、医師はホッとするのではなく、このミスを心に刻んで同じことを二度と繰り返さないようにしてほしいのです。
医師の方々は、医療は不確実だから100%の安全安心を求めるなと言いつつ、民事・刑事・行政の責任を問われないようにしてほしいという100%の安全安心を求めているように思えるときが時たまあります。
私の言いたいことは、清濁併せ呑む度量があるか、濁を呑めないなら呑まない方法しかないということですが(交渉のプロが解決してくれるならそれはそのほうがよいのは当然として)、このコメント自体が暴言、放言、犯罪教唆のようで不穏当ならば、削除していただいてかまいません。
長文失礼しました。
横レス失礼します。m(_ _)m
>医師の方々は、医療は不確実だから100%の安全安心を求めるなと言いつつ、民事・刑事・行政の責任を問われないようにしてほしいという100%の安全安心を求めているように思えるときが時たまあります。
私も今まで書かなかったものの、同様の感覚に襲われたときが度々あります。法的に評価すると、
信義誠実の法則(信義則)違反
禁反言(エストッペル)違反
クリーンハンズ違反
などと言われているものです(民法1条2項)。
できましたら医師の方々にご検討いただけたらと思います。暴言と感じた方には多謝ですが、これが民法(民事法)の根本規範(基本的ルール)です。法律に「誠実」という言葉が出てくるのは新鮮な驚きかもしれませんが、人と人との利害関係を調節する基本が「誠実」で、「真摯」や「まっとう」や「正直」という意味程度の日常社会用語での「誠実」ルールに過ぎません。ピューリタンを求めるものではありません。
詳しく知りたい方は、ググられてください。m(_ _)m もちろんマスコミ関係者の方にも特に詳しく知ってもらったらと思います。m(_"_)m
できれば、その背景の思想(個人の尊厳と法の下の平等)や依って立つ価値観(相対的価値概念)の本位や趣旨(主旨)まで思いをいただけたらと思います。定義にこだわる定義論争(神学論争)は、実は法学では無益です。立法趣旨や制度趣旨が法の命だからです。o(_ _*)o
これは医療や法律に限らず一般社会の常識だと思うのですが、「分かんないことがあったら分かる人に聞け。絶対に自分の勝手な判断で行動するな」ということだと思います。
素人判断で、診断書を改ざんしたり、「小女子を焼き殺す」と書き込んでみたり、「がんが100%治る」とかいう人参買ってみたり、変な教祖に変な棒でたたいてもらって病気を治そうとした結果、「残念でした」となっても、そりゃ本人が悪い。
誠実なつもりの医師さんが挙げた例で言えば、弁護士等も交えて法律の内容を遺族に説明した上で、警察に対して司法解剖を行わないように真摯に要請すべきだったように思います(別に全件が解剖されるわけではないし、死因が明らかならばなおさら解剖されない可能性も高い)。そうした真摯な説明と警察への要請をすることこそ、本来の意味での「誠実さ」ではないかと思います。結果として解剖されても病院が真摯な対応をすればある程度遺族の理解も得られるはずでしょう。
たしかに、遺族に対してそれでも届け出なければならないということを言うのは心苦しいですよ。でも、それを避けるのは私に言わせれば近視眼的であり、場当たり的対応であり、問題の先送りに過ぎません。遺族に対して向き合うことから逃げたと評価されることは避けられません。
また、遺族の「解剖を望まない」という希望(これは結構よくある希望でもあります)をダシにして責任回避を図ったとも見られかねないわけで、「誠実らしさ」を演出することにも失敗。
さらに、仮にこの件を不処罰としたら事故隠しにも利用できてしまう。
対応があまりにもお粗末過ぎて擁護する気になれません
>極論でしょうか。
ええ。
>あなたがご自分で例示された懲罰制度を自浄力の証左とされるのであれば
かような推定に基づいて、オウムの弁護士の「不誠実さ」が、公正に裁かれている。引いては法曹の世界では懲罰が正しく行われているという論理を首肯させようという罠には、付き合いませんと言うことです。
こういうやりとりは、やめにしませんか?
そもそも、私が最初に提示した例は、タイムリーにも昨日こういう例がありましたという傍例以上の意味も以下の意味もないのですから。
>対応があまりにもお粗末過ぎて擁護する気になれません
そこで、医療側弁護団のナショナルセンター構想ですよ。医療関係差者が困った時や悩んだときに、気軽に電話で相談できるセンター構想です。
その事例を積み重ねていけば、医療側リーガルイシューの簡易マニュアルの作成までいけば、うれしいことだと思います。(発想は判例集からのパクリ)
なお良きマニュアルとは、昔の薬剤添付文書と同様に、
(1) 推奨事項(望ましい対応:理想的)+
(3) 標準事項(過不足なき対応:平均的)±
(2) 禁忌事項(やってはいけない対応:最悪的)−
に分けて出来ればいいかと思います。
マターやイシューの対応は、答が1個ではないですし、TPOによってアレンジできるのが望ましい、幅や偏差を求めた方が応用がきいて汎用性が高くなるからです。
もしかして、ssdさんは私が法曹関係者だと思われているのでしょうか? だとしたら誤解ですよ。私は非医療・非法曹の単なる素人です。
医療側の自浄能力が不十分で司法側の自浄能力は十分だとか、そんな主張をしているつもりはこれっぽっちもありません。あえて言うなら、両方とも等しく不十分だと思っていますので。
失礼ながら、医療側に反論めいたことを書くものはみな司法側の肩を持つもので、すなわち医療側の敵だと思われているのであれば、それこそ極論なのではありませんか?
私はごく近い身内が医療従事者なので、このブログが医療問題に言及した一番最初の頃から医療側の皆さんに「啓蒙」されて問題意識を持ってきたつもりです。
「罠」などとはあんまりな言い方ではありませんか。
>傍例以上の意味も以下の意味もないのですから。
この例をもって何かを主張されたわけではない、ということでしたら私の読み違いであり、コメントの当該部分の前提がなくなってしまうので、当該部分は全て撤回させていただきます。どうも失礼しました。この部分はもともと私の本論ではありませんので、コメント全体の主旨はまったく変わりません。
まことに失礼ながら横レスです。
>論理を首肯させようという罠には、付き合いませんと言うことです。
こういう表現は、被害妄想チックで半ば不快を感じると思います。某部外者弁護士を批判できなくなりかいねないと思います(禁反言・クリーンハンズ)。ここは表のブログで裏の場外乱闘版ではないのでご留意いただければ幸いです。
お互いのコメンテータを尊重することを考えながら鋭い視点のご意見をいただければと思います。m(_ _)m
>あえて言うなら、両方とも等しく不十分だと思っていますので。
では論点の対立はないように思います。
というか、ではどの程度になれば十分なのかという議論はまた興味深いものになりそうですが、このエントリとは別にしましょう。
罠云々に関しては口が過ぎました。陳謝いたします。
なんだろうなあ、以前ここの「日本医学会における議論(2008年8月 9日)」コメント欄で
>別に本心から「手抜き」を免責しろという理由で否定しているわけではないと思いますが、少なくとも「まず免責」が頭に言ってしまって整理できてないんじゃないのだろうかとは思います
>私も他の非医療従事者の常連さんも、繰り返し指摘しているところです。
>「伝わるように、共感を得られるように言わなきゃダメ!!
> 理解不十分なだけで悪意のない新参さんにケンカを売るなんてもってのほか!!」
みたいなやり取りをしましたが、その時感じたいやなふいんき(なぜか以下略)が何も変わってない感じ。
「輸血の前には血液型のチェックをしますよね」と聞いても、「いやいや何事にも例外が」とは返ってくるけれど、「一部どうしようもない例外を除けば当然です」とは返ってきませんでした。
私は当時は「モトケンさんの背中撃ってるんじゃないの」と評価しましたが……現実になってしまったような。
「誠実とは具体的に何ぞや」なんて哲学的な議題をクリアしないと理解できないようなことじゃなく、もっと単純なスタンス上の問題だと思うんですけどね。
別にここで全てが決まるわけじゃなし、好意的に読み込んで本題だけ見るべきではないのかと。
その上で、「誠実(だか、”まっとう”だか信頼されるだか言葉は何でもいけど)」では「ありたくない」=「不誠実でいる・いたい」と主張してるわけじゃないんでしょう?
例外だとか厳密だとか考えるとまあ、一言二言言いたいことがあるんだろうということは二か月前の時点から重々理解していますけど、だからと言って頭から「当たり前のことをやれと言われても困る」「誠実と言われても難しいんだ」で始まってたら、そりゃ私も「ああ、この人真面目に治療に取り組んでくれそうにないな」としか思わないなあ。
エントリーだけざっと読んで一言。
正しい分析なのだろうなと言うことは理解しているつもりです。でも、モトケンさんが信用されないと感じる投稿をしてしまうのは、やはり万が一のことがあると自分の人生が吹っ飛ぶからなんですよ。
うまいたとえが見つかりませんが、たくさんの人の足を吹き飛ばした地雷原があっととして、ここを地雷除去のスペシャリストがきれいにしてくれて、「さあ、もう大丈夫。飛んだりはねたり野球をしたり自由に遊んでいいのだよ」と言われても、すぐに「もと地雷原」で飛び跳ねる勇気はなくて、たくさんの人たちが何週間か飛び跳ねるところを確認してからでないと怖いなあと言う感じでしょうかね。だって、今まではここでたくさんの人が足を吹き飛ばされて、その一瞬のために悲惨の人生を余儀なくされているんですから。
医療の現場にもたくさんの地雷やどんでん返しがあるので、年をとるほどに臆病で疑い深くなるんだと思います。誤診過信を避けるための素養です。
エントリーから投稿まで、これからゆっくり読ませていただきます。といってももうすぐ仕事にいかなきゃならないですが。
2年来の読者ですが、ずっとROMっていました。
ハスカップ様のコメントに同意いたします。「不安」は医師の心の問題であり、「100%の安心」を求めるのは医師の側に問題があると思います。
患者が同じことをすると「医療に100%安心はない」というのに、司法には100%を求めるのは矛盾です。
一人産科医長としては、地雷原の中といえど誠実さを見せつつ、司法が謙抑的に動くと言うことを信頼して我が道を行くしかありません。そのうち地雷を踏むかもしれませんが。
司法に100%を求めるのは「この手術は絶対安全なんでしょうね?」と聞かれるようなもので、そんな手術はどこにも存在しないのと同様でしょう。
ただ、例えばうちの病院で私が業務上過失致死で有罪になった場合、5割以上の確率でうちの町の救急医療は崩壊すると思います(条例の免職規定+その後の補充なし(これは現時点で私が医局からの派遣であり、私が止めたあとは後任を補充しないことを明言されています))。
もちろんそうならないように慎重な医療を心がけてはいますが、これも当然のように100%には出来ません(例えば赴任当初よりはかなり手術のレパートリーを減らしました。私自身の技術はともかくとしてうちの症例数ではスタッフが付いてこれないものですから)。
脅しと取られると大変不本意なのですが、例えば大淀病院事件のあと、奈良県南部の参加が崩壊したのと同様、やむを得ざるものだと思っています。
で、管理職とはいえ一勤務医の私が医療崩壊に関してそこまで責任を負うことも出来ません。
おそらく、医療崩壊を何とかしなければならないとするなら、もっとも謙抑的でなければならないのはマスコミと一般市民であると思います。そのために必要なのは「医療の現実を一般市民に理解してもらうことであり、その教育をすること」だと思っています。
たとえ話に反論するのは揚げ足取りになりかねませんが
地雷というのは、見えないところが問題だと思いますが、医師から見て本当に「地雷を踏んだ」と言えるような起訴・有罪事例はどの程度あるのでしょうか?
大野病院事件がそうであったことは十分理解しているつもりですが。
次に、私(や他の司法側コメンテイター)は、「さあ、もう大丈夫。飛んだりはねたり野球をしたり自由に遊んでいいのだよ」とは言っていません。
1平方メートルあたりの地雷の個数について、医療側が「100個埋まっている。」と言っているのに対し、「いや、そんなたくさんは埋まってませんよ。」と言っているようなものです。
そして、地雷がありそうな場所の見つけ方とか、不幸にして踏んでしまったときにその被害を最小限度にとどめる方法を助言しているだけです。
頻出の重複で恐縮ですが……m(_ _)m
見えない不安(地雷原)は、17世紀のロンドンで解決策が始まりました。見えない暴風雨に貿易船が難破すれば身の破滅だったからです。ご存じ、タワーストリートでビールを飲みに集まる船主が、保険を掛けあってリスクを分散ヘッジするようになりました。これはダメイジコントロールで言えば、被害極限措置(被害を最小限の抑える方策)を含みます。
現代の日本でも、損害保険会社がCMでこれをウリにしています。交通事故が起きたら
(1) 緊急事態対処の連絡と係官の派遣
(2) 代車の手配又は提供
(3) 一時金の支給
(4) 示談代行
(5) 弁護士の紹介
のサービスがそれです。
船舶の遭難、交通事故、医療事故は、統計的にみれば、一定の確率で「不可避に」発せいします。これへのリスクコントロールを考えてみてはいかがでしょうか?
地雷原が怖いなら地雷探知機を買う、保険に入る、法的問題には専門家弁護士のアドバイスを求める。
怖い怖い嫌だ嫌だと言うだけでは、問題点の指摘だけで、事態は先に進みません。法廷に引っ張りだされるのが嫌だ、強盗殺人犯と同列に調べられるのが嫌だ……それはわかりました。
それに対する対策は何かとってますか?保険に入っていますか、事故発生と同時に至急相談できる顧問弁護士がいますか?
警察検察裁判官(法曹?)不信や法曹攻撃の感情的表出は、それが心情としては痛いほどわかる事実だと思いますが、そこで止まってしまっては、いかがかなと思います。
近時の医療も高速度交通機関(自動車や航空機や鉄道)も本態的ハイリスクですから、それへのリスク対策を考えるべきだろうと愚行します。
参考:P・バーンスタイン『リスク〜神々への反逆』(上・下)
別エントリ「医療事故書類送検報道」で私が数回に分けて、なるべく法律用語を使わずに解りやすく噛み砕いて説明してきたことと、このエントリ本文でモトケンさんは全く同ことを言われていると思います。
>やはり万が一のことがあると自分の人生が吹っ飛ぶからなんですよ。
私は過去に勤め先の倒産も経験しましたし、40歳過ぎてから資格試験にチャレンジしたときも初年度は不合格で、その後1年間は住み込みバイトの仕事をしながら試験を受け直しました。また資格を得て開業後にも父親が昔捺印した連帯保証債務の請求訴訟を受けて、数年間は自己破産の瀬戸際を歩いて来ました。(私の社会保険労務士の資格は、自己破産すると自動的に資格を失います、これは法令に明記してあります)
また社労士としても、依頼主の社長を簡単に信じ込んで申請手続きを代理代行したら、全く実態が無い会社の不正請求ということが判明して、危うく詐欺罪の共犯者になりかねない案件も経験しました。(不正請求を代理すれば一発で資格停止の懲戒処分ですし、悪質であれば詐欺罪の共犯で刑事訴追されます。2万人の社労士の内で年に数人ですが、実際に刑事犯として逮捕起訴されています)
半生を費やして築き上げてきた人生のキャリアを一発で吹っ飛ばす「地雷」のリスクは、医師という職業にのみ存在するものではなく、どんな職業にも形を変えて存在すると思います。もちろん過去の半生に注ぎ込んだ努力の大小や、キャリアや資格を失った時の落差の大きさは、職種や業界ごとに違うものがあるでしょう。
ただどのような人生を歩もうとも、地雷と表現されるような何らの危険リスクの無い、平坦で真っ直ぐな舗装道路が用意された人生ルートは無い。このように常々思っていますし、自己の経験から感じています。そうした私個人の人生観からすると、「地雷除去の完全保障」というのは、現実離れした無い物ねだりの印象を受けます。
>私(や他の司法側コメンテイター)は、「さあ、もう大丈夫。飛んだりはねた
>り野球をしたり自由に遊んでいいのだよ」とは言っていません。
> 1平方メートルあたりの地雷の個数について、医療側が「100個埋まって
>いる。」と言っているのに対し、「いや、そんなたくさんは埋まってません
>よ。」と言っているようなものです。
> そして、地雷がありそうな場所の見つけ方とか、不幸にして踏んでしまった
>ときにその被害を最小限度にとどめる方法を助言しているだけです。
これこそ 言い得て妙のたとえです. よくわかります.
モトケンさんの述べられた弁護士への事前相談ですが,ありがたいヒントです.
刑事映画の取り調べで出てくるアメリカの 弁護士を呼ぶまで答えなくて良い
という科白にも関連しますでしょうね.
取り調べのカメラ録画などよりはるかに透明性が上がると思います.
医療事故調はまた別の機会にでも...
別に医者だけじゃないんですが、ますます高コスト社会になってきてますね。お金もそうですが、例えば、信頼できる弁護士と相談するってのも、ある程度の頻度で会って話し合っておかなければ信頼関係は生まれないでしょう。当然、時間を使うわけで、しかも外れを引けば新しい人を探さないといけない。そのリサーチのために知識も付けなきゃいけない。
ま、異業種の人と会うってのは得るものもあるわけで、マイナスばかりではありませんが。本務とは関係ない(理屈の上では関係あるけど)書類作りながら、そんなことを感じました。
ところで、保険屋はともかく、弁護士の人数は地理的にけっこう偏りがあると記憶してます。「事故発生と同時に至急相談できる顧問弁護士」の確保は、田舎だとどうなんでしょうね。
>弁護士の人数は地理的にけっこう偏りがあると記憶してます。「事故発生と同時に至急相談できる顧問弁護士」の確保は、田舎だとどうなんでしょうね。
法律紛争事件だと、その地域の弁護士会が紹介してくれますが結構スローモーです。それに専門分野や得意分野が医療事故過誤(医事法)という方は極めて少ないです(自称は別)。
そこで、私は医療側弁護団のナショナルセンター構想(医療側防護弁護士派遣サンダーバード構想)に行き着いた(思い付いただけw)わけです。
多様な事件を担当する弁護士先生(事務所)だと利害相反で法律相談や訴訟を引き受けられないのを避けるため、日本医師会・四病院団体協議会(社団法人日本医療法人協会、社団法人日本精神科病院協会、社団法人日本病院会、社団法人全日本病院協会)・社団法人全国自治体病院協議会などの病院の協議会が一括して専属顧問契約する、医療側専門法律事務所であれば、会員が24時間電話サポートも夢ではないと愚行しました。m(_ _)m
議論の邪魔っぽいので今まで自粛してましたが…、
>まあ、最も低コストな対策は防衛医療なんですが。
結局そこに行き着くんですよね。「安心」が欲しいのなら逃散すればよいだけのこと。それを潔しとしないのなら現状では不安を押し殺しつつ医療を続けるしかありません。まあ私には、アカの他人の患者サマのためにそこまでする意義がもはや理解できませんが。
「ジョジョの奇妙な冒険」のDIO様は、人間の究極の願望は「安心」。金も名誉も友達も、突き詰めれば「安心」を得るため、と喝破されました。私も同感です。ここでくだくだ不安を繰り返されつつも一線に踏み止まり奮闘中の諸先生方、人生は一度きりですよ。
初めて投稿します。
私は市中の基幹病院に勤める消化器内科医です。
大淀病院事件あたりからしばしばこのブログをROMしていました。
今回のテーマは医師の誠意ですが、おそらく私を含め、ほとんどの医師は誠意ある医療を実践していると思います。
ここで誠意という概念を広義にとらえて、患者の訴えをじっくり聞くこともそのひとつととらえて、具体的に私の日常診療の現状で考えてみたいと思います。
朝8時半から60人の外来患者を診なければなりません。その一人目から誠意ある診療を開始します。全く休息なしに50人目がすぎるのはだいたい午後2時前後でしょうか。そんなとき、急性腹症(これは穿孔性腹膜炎など緊急手術が必要で、生命に直結するような病態をいいます)疑いの患者さんが受診し、診断から外科への手術依頼をすませると、今度は肝性脳症の患者さんが受診し、すぐに入院の手配をして、治療指示を出す、55人目には上腹部痛で受診した患者さんが実は心筋梗塞で間一髪のところで循環器内科に引き継いだ、もうあと少しで外来も終わりだ、このあと大腸ポリペクトミーもしなければならない、病棟回診がある、中心静脈カテーテル挿入もあると思っているところに、「朝から鼻水が出るために