エントリ

 千葉県鴨川市の亀田総合病院の倫理委員会がことし4月、全身の筋肉が動かなくなる難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の男性患者が提出した「病状が進行して意思疎通ができなくなった時は人工呼吸器を外してほしい」という要望書について、意思を尊重するよう病院長に提言していたことが6日、分かった。

 個別のALS患者のこうした要望について病院の倫理委が判断したのは異例という。

 同病院の亀田信介院長は「現行法では呼吸器を外せば(殺人容疑などで)逮捕される恐れがあり、難しい。社会的な議論が必要」として、呼吸器外しには難色を示している。難病患者を支援する関係者らも「自分の意思で外すことを認めれば、患者が周囲に気兼ねして死を選んでしまう恐れがある」と懸念している。

 支援者の意見はピントがずれていると思いますが(患者は「意思疎通ができなくなった時は」と言っており、「自分の意思で外す」場合とは必ずしも言えない)、それはともかく、いい加減に真正面から議論して解決しなければならない問題だと思うのですが、いつまでぐだぐだやんてるんでしょうか?

 警察も検察も、この患者さんのような場合に、医師を起訴しなければなんて全く思ってませんし、まして逮捕など考えてもいないでしょう。
 警察や検察が気にするのは、外すべきではない呼吸器を外すべき場合のように偽装して外す場合の可能性だけです。

 ですから、基準と手順が明確になれば、警察や検察は文句を言わないはずです。

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 旭川安楽死事件は不起訴で終わっています。
 それは、さておき、人間として尊厳を保ったまま死にたいという希望は、安楽死と区別した尊厳死として議論が進むことを期待します。m(_ _)m
 私の持病だと、他人事ではない我が身に切実な問題なので身につまされます。o(_ _*)o その前にポックリ逝きたいのが本音です。(゚Д゚)マヂデス

たびたび「ER」ネタで恐縮ですが、患者が「延命拒否」の意志を示していたら一切の延命処置が出来ないように、患者側の弁護士が医師を監視している、なんてシーンがよく出てきますね。弁護士がいなくても、病院の法務担当者が治療行為を止めるように指示したりしてます。(臓器提供の意思を示していたら、相手が決まるまで「生かしておく」ケースもあるようですが)
日本で延命拒否が法制化されるのはかなり難しそうですね。逆にアメリカでは「中絶」の方が大きな問題のようですけど。死生観とか宗教・倫理観の違いでしょうね。

 富山の呼吸器外しも不起訴でしたし、この事例では事前に本人の意思確認と倫理委員会を通っているので起訴はあり得ないと思います。しかし日本では生死に関する自己決定権は法的には担保されていないので、第三者の反対派が刑事告訴することを止めれませんよね。そうすると警察は捜査せざるを得ず、送検する所まではいくはずです。これは管理者である院長からみて、非常にストレスであり重荷になります。院長が責任をとるにしてもそうでないにしても、メディア対策とか各種の会議時間が一桁上がることは避けられません。
 医学的には、患者の意思で最初から呼吸器を使わないで看取ることと、同じく患者の意思で呼吸器を停止して看取ることは等価値であると思います。
 法的にはまだグレーゾーンなのでしょうか。


患者団体が反対する理由も理解できます。国民的議論を必要とする課題であることは明らかです。

ブログ主さんのご意見に同意いたします。
判断力ある成人が、「人工呼吸器をはずしてほしい」と明言し文書化ているのに、なぜそれに沿うことができないのか。世界中の患者団体や哲学者や倫理学者や法学者や医師が、唖然とする事態です。
日本でも「治療を拒否する」形での生死に関する決定権は、患者にあります。「人格権」を認めた最高裁判決(エホバの証人輸血事件)があるからです。
法学者の中には、「いったん取り付けた人工呼吸器はもはや患者の肉体の一部となっており、それを取り外すのは、はじめからつけないのとはわけが違う」という論理を主張する一派があるそうです。サイボーグじゃあるまいし。
緊急時に、とにかく装着して救命し、あとで、本人の意思が確認できたときに、その意思どおり取り外すという事態はあり得ます。それで全く問題になりません。逆にこれが可能でないとすると、最初の装着に無用な圧力がかかることになります。「いったん取り付けるとはずせません、医師である私が殺人罪で逮捕/起訴されるので」と家族に説明して、はじめから装着しない方向にプレッシャーをかける医師が日本には実際にいると聞いたことがあります。
何をかいわんやです。長期化するのか早期回復抜管が可能か不確実な段階で、医師の保身(面倒なことに巻き込まれたくない)のために人工呼吸器を装着しないほうに仕向ける、そのような態度のほうがはるかにはるかにはるかにはるかに(何回でもコピペしたい)、非倫理的ではないでしょうか。
医師たるもの、患者本人の意思をいちんと文書化し、それに沿う様にする倫理的義務があります。たとえすべての家族が反対しようとも、です。(実際には家族を説得するために大変なエネルギーを費やすことになるでしょうが、それでも家族が本人の意思に同意しなければ患者本人の意思のほうに従うのは医師として当然のことです。)
「人工呼吸器を取り外すと起訴される」のは、医師が恣意的に死期を早めている可能性(犯罪性)がある場合で、それが疑われるのは『独断』で決定・実行した場合、および『本人の意思の記載不十分』の場合、と理解しております。倫理委員会の進言を院長が無視して人工呼吸器取り外しをさせなかった例は以前にもありましたが、明らかに職権乱用です。厚生労働省のガイドラインも救急医学会のガイドラインも、人工呼吸器の中止も差し控えも認めており(複数の、医師以外も含めた医療者が合議し、文書化することが望ましい)、何ら問題はないはずなのですが・・・。
モトケンさんでも弁護士会でもどなたでもけっこうですから、院長に倫理委員会の進言を受け入れるように教育してあげてくださいませんか。
(なお、支援団体の意見は、患者個々人の意思を尊重しておらず、まるで「支援」になっていないという点でまことに遺憾です。尊厳を心から望んでいるのか、周囲の負担になりたくないと遠慮しているのかを詮索するのは、「大きなお世話」です。)

最初の装着に無用な圧力がかかることになります。「いったん取り付けるとはずせません、医師である私が殺人罪で逮捕/起訴されるので」と家族に説明して、はじめから装着しない方向にプレッシャーをかける医師が日本には実際にいると聞いたことがあります。

今、そう話して帰ってきたところです。
欧米の教科書ではおっしゃる通りのことが書いていますが、日本の現実は違います。はじめから装着しない方向にプレッシャーをかけるつもりはありませんが。


医師である私が殺人罪で逮捕/起訴されるので

とまでは言いませんが。

私ははずしたことはありません。
はずしてくれと頼まれたことがありますがお断りしました。それが本当に患者さんのためなら、患者さんを愛する気持ちからの言葉であれば、患者さんのためにあなた方がはずしてあげてくださいと言うようなことを言った覚えがあります。誰もはずしませんでした。自分のしたことが人の死に直結するようなことをできるひとっているんだろうか。

 小生も病棟現役時代は、何を言われても一旦つけた呼吸器を止めたことはありません。ただし、この事例のように事前の意思表示があり倫理委員会がゴーサイン出している中でしたら、、、

 わかりません。自分一人なら反対派(自己決定権をないがしろにする人々)と戦う気持ちはありますが、
病院という組織の中でどうするだろうと言うこととなると(^^;)

普段はROM専門の者です

あくまで推測ですが、このケースで「逮捕される恐れがあるから、人工呼吸器を外せない」といっているのは、半分言い訳のためではないかと思います。

筋萎縮性側索硬化症の場合、人工呼吸器管理を続けていれば、同病で死亡することはないので、管理さえ良ければずっと生き続けます。さらに、最後まで意識がはっきりしています。これは、脳死状態で人工呼吸管理を行っても、どちらにしても数日後には亡くなることが予想されるケースとことなり、目の前で意識を保っている患者さんに対して、人工呼吸器を外せば即死亡、人工呼吸管理を継続すれば生き続ける、という状況下で、本人の意思表示があったとしても人工呼吸器を取り外せる人間がどの程度いるのか・・・

ちなみに、この病気はガンなどと異なり痛みなどの苦痛はなく(体が動かせないという精神的な苦痛は非常に大きいです)、また、人工呼吸管理を続けるかぎりは生きていけるので、安楽死の定義からも外れます。

ただ、初めから人工呼吸器を装着しない、という決定をされる患者さんは結構多く、主治医もそれに従っているケースも多いのが現実です。ですから、装着した人工呼吸器を外すという選択肢を現実的なものにするための議論は必要だと思いますが、これは当事者同士の、ではなく、国民全体の議論が必要なのではないかと思われます。

ちなみに、難病患者を支援する関係者とは、おそらく難病の友の会ではないかと思いますが、この方々は、基本的には人工呼吸器を装着し、生き続けることを選択した方が多数を占めますので、基本的には人工呼吸器を外すことには難色を示すのは当然だろうと思います。

神経内科医さんへ
神経内科学会のガイドラインが、「ALS患者にいったんとりつけた人工呼吸器は、はずしてはならない」としています(読み方が間違っているのでしたらご指摘ください、訂正します。私にはそのようにしか読めませんが)。これは、患者の気が変わったとしてもはずせない、という意味だ、と、神経内科医から聞きました。したがって、このガイドラインは、患者の意思を無視する、きわめて重大な医師の職業倫理違反である可能性が高いものです。
神経内科学会が、早急にこのガイドラインを改める方向に議論されるように、心から御願い申し上げます。でないと、日本のALS患者さんたちは、いったんとりつけた人工呼吸器は、あとで気が変わってもはずせない、という、いわれのない苦しみに絶えなければならないわけです。
このような倫理的問題は、「国民の総意」や「多数決」で決められるべきものではありません。あくまでも、個々の患者の意思に沿うかどうかという生命倫理です。いち医師として、このような患者の主治医になったら、患者の意思を実現するために、闘う決意です。そのために世論を喚起する必要があるのであれば、もちろんそうします。NEJMにでもNatureにでも投稿だってします。そのときは、モトケンさんのところにコンサルトしに行くかもしれませんね(笑)。
人工呼吸器取り外しを拒否された患者や家族が医師や病院(この場合は病院の倫理委員会の答申を無視して患者の意思に反した医療行為を続行しようとしている病院長個人になると思いますが)を訴えるという、逆の裁判がなぜ起こらないのか、不思議でなりません。患者さんたちが、そういう裁判を起こしてくれれば、日本の医師たちも目が覚め、日本の医療のパターナリズムもずいぶん改善されるでしょうに。この病院長も、刑事事件になるのを恐れているのでしょうが、患者や家族が自分自身を民事事件で訴えるという可能性は考えていないのでしょうか。患者や家族が「人工呼吸器をはずせ」と病院長を訴えているときに、検察は「はずしたら逮捕するぞ」と言う、その板ばさみになる、とでも?検察がそういうときにどういう動きをするかが見ものです。
(ちょっと激しい書き方になってしまったことをお許しください。でも、日本の医療現場の、このような患者本人の意思を軽んじる風土には、本当に、うんざりしているのです・・・)

 そうなんですよね。認知症の患者さんは別として、成人で責任能力のある患者さんの自己決定権が、医療の現場では、種々の状況があるとしても現実には尊重されていない事は問題であると思っております。

患者本人の意思を軽んじる風土

同意です。この問題を社会で議論していく必要が大いにありますね。

週間医学新聞(医学書院)で李 啓充先生が連載されている「続・アメリカ医療の光と影」の第92回からの「延命治療の中止を巡って(1)殺人罪」を読み、アメリカの延命中止がどのような経緯を辿って現在の形になったのかを知りました。

確かに国民性の違いというものも感じますが、人の命に対する考え方には大きな違いはないのだと思いました。それでも今の形になるまでには色々なことがあったのだと知りましたが、日本ではかなり遅れて今でもその議論が行われています。議論することは大事なことですが、先例を参考にすることは悪いことではないと思います。脳死の受け入れと臓器移植の普及活動のように、国が主体的に各国の取り組みや現状を広く周知し、国民的議論を促すように行動してほしいと思います。(医療者や家族の責任や負担を軽減するために)

>したがって、このガイドラインは、患者の意思を無視する、きわめて重大な医師の職業倫理違反である可能性が高いものです。

患者さんの命、健康、QOLに良い影響を与える医療行為のなかで患者さんの希望は尊重されるべきですが、「殺してほしい」と同等の患者さんの希望を聞き入れるのは難しいと思います。
私は頼まれてもできません。倫理に反するとも思いません。
何かの外的力によって人工呼吸中止を希望させられる可能性まで考えるといよいよ医師のみの判断では難しいです。

私自身の家族がこのような状態になり、本人に頼まれていたら呼吸器を止めるかもしれませんが、それは「医師として」ではなく「家族として」の行為のように思います。

補助呼吸をおこなわないことと途中でやめることの違いを、僕自身はずっと考えています。補助呼吸を止める自由が日本にはないことが話を難しくしている、患者さんを不幸にしている場合もあります。
僕自身は以前も倫理委員会のお墨付きがあれば、覚悟をもって死を看取ることを引き受けるつもりもあります。しかし、倫理委員会にいちいち延命の有無を諮るというのは一般的ではなく、しかも倫理委員会をそうは開けない病院もあります。

ペストさんは倫理委員会なしでも、患者さんの意思を書面化できれば延命中止するということを現実にされているのでしょうか。何科に勤務されていて、どんな病院で働いているのかもし差し障りなけれ教えていただけないでしょうか。
医師として現実に働いている方のご意見なら相当のカルチャーショックを感じます。

補助呼吸を止める自由が日本にはない
他国でも「自由」はないでしょう(笑) 厳格な条件付きでの、患者本人の明確な自発的な意志表示であることの証明は最低でも必要でしょうし。病院なり入院している組織での診療中止の合理性の検討も必要です。そうでなくては家族の都合で相続時間をコントロールされてしまいかねません。

 自分は既に現役でないので申し訳ないですが、誰かが突破口を明けない限り本人医師による人工呼吸中止の合法化はむづかしいと考えています。

×本人医師
○本人意志

ですorz

ペストさんへ

おっしゃることもわかるのですが、現在の日本において、希望があるから、と、筋萎縮性側索硬化症の患者さんの人工呼吸器のスイッチを切ることはやはり難しいだろうと考えています。そのための議論として、国全体で話し合う、というのは不必要なのでしょうか?私としては、今後この問題を解決するためには(一度人工呼吸器を装着したALSの患者さんの、人工呼吸器をはずすこと)、一学会で決定していいものではない、と考えていますが。

No.14少し疑問さんが述べられたように、「補助呼吸を止める自由が日本にはないことが話を難しくしている、患者さんを不幸にしている場合もあります。」に同意します。ただ、それを解決するための手段として、社会全体の合意が必要になってくる、そうでなければ今の状態から先へは進めない、のではないかと思います。

人工呼吸器をはずされるのを拒否された患者さんが、主治医や病院を訴える可能性についてですが、(個人的には訴えられるのはいやですが)訴訟によってこの問題についての世論形成が進むことがあるとすれば、全く意味のない争いではない、とも考えられます。

自由という言葉は語弊がありましたが、
臨床神経学の教科書レベルで、患者の理性的判断があり、手続きを踏めば
ALS患者の場合に抜管できると明記されています。倫理委員会の開催は望
ましい、ただし、倫理委員会は決定する場所ではなく承認することによって
医師、患者、家族を守るものという位置づけです。倫理委員会がない場合は
複数の医師の同意が必要と書かれています。
これは、フロリダ州のSatz氏の裁判以降受け入れられているようです。

オランダはカリウムを打つのも確か合法です。

一方、意識の回復が望めない患者で治療の継続が患者の死を延長させるだけ
の状況に関して欧米の教科書に面白い記述があります。
医学会では、無意味と思われる治療を続けるべき倫理的義務はない。
このことについての法的見解は確立されていない。
治療が無駄か意見が分かれる場合は、一般的に裁判所は治療継続を支持する。
人工的延命を望まないliving wilがあっても、積極的な治療の継続を希望した
ただ一人の家族を支持する判例がある。

非西洋社会では、どんなことをしても生かしておくべきだという考え方が
支配的な場合がある。

危機管理として、医師は勤めている病院が、意識のない回復不能な患者に
対する治療をどう考えているかを知っておく必要がある。病院の理念に従う
ことが医師の基本的な態度である。

治療が無駄か意見が分かれる場合は、一般的に裁判所は治療継続を支持する。 人工的延命を望まないliving wilがあっても、積極的な治療の継続を希望した ただ一人の家族を支持する判例がある。
それはそのとおりです。死なせたら後戻りできませんから。「疑わしきは生命の利益に」と言う言葉もあります。ただ、本人、家族とともに病院倫理委員会、主治医がすべて治療中止に同意しているのに第三者がクレームをつけることが許されるのかという課題は残っていますね。今のところ刑事訴追は免除されていませんので。  ただし、現在の情勢から見まして、今後、本人意志表示が確実で家族や倫理委員会が同意して呼吸器を停止した場合なら国内では起訴されないと思います。あるいは現時点で既にそうやっている施設があるやも知れません。これは別に公表する筋合いのものではないので。

>(患者は「意思疎通ができなくなった時は」と言っており、「自分の意思で外す」場合とは必ずしも言えない)、

(事前の)自分の意思という趣旨だと思います。

それはさておき,自分の意思による死の決定には積極に考えます。
それも含めて個人の尊厳であると。

もっとも,死を執行する側,すなわち,医者や家族からすれば,簡単な話ではないと思います。
内科の医者様の
>あなたがはずしてあげてください
との言葉がとても印象的でした。

ただ,医者の側の問題は,モトケン先生のおっしゃるとおり,基準と手順が明確になればプロとして解決可能なのかとも思います。

しかし,家族の問題は,道徳的にそれを許す基盤が出来ない限り,難しいと思います(現実には家族だからこそ患者の死を望むのだと思いますが)。
神経内科医様の
>ただ、それを解決するための手段として、社会全体の合意が必要になってくる、
とのご意見がもっともで,これは家族の側にもあてはまると思います。
そして,この合意が出来ない限りは,議論が活発化することもなく,基準と手順の確立といったことに至らないようにも思います。

端的に,
利益衡量上,死の方が勝る病気もある。
患者より家族の方が大変な場合もある。
といったことの理解が浸透することを要するのではないでしょうか。

内科の医者さんへ

 医師の職業倫理は、判断力ある患者の意思を尊重することです。尊厳ある死もそのひとつであり、たとえば、DNR/DNI(心肺蘇生希望せず)を確認することは患者が生き延びる可能性をほぼ断つ行為ですが、全く正当な医師の業務です。
 人工呼吸器をはずす行為は「殺す」ことではありません。人工呼吸器をつけないことが「殺す」ことにならないのと全く同じことです。差し控え=中止、なのです。差し控えは中止と同じではない、という法理論が少数派であることはすでに述べました。東海大事件判決文の中でも、差し控えと中止は同等に扱われています。差し控えることはできるが、中止はできない、というのは、日本の医療者の間でのみ横行している誤った解釈です。感情論と言ってもよいかもしれません。差し控えのほうが中止より、医療者として感情的抵抗が少ない、というふうに感じる人は多いでしょうが、しかし、論理的にはイコールです。

  また、「内科の医者」さんは、医師としての行為と家族としての行為とでダブルスタンダードを適用されております。

  政府が行った、終末期医療についてののアンケートを連想しました。「私は尊厳死したいが、家族が尊厳死したいというのはきっと遠慮しているのだろうから、絶対に反対する」というダブルスタンダードの意見が多数派を占めた、有名なアンケートです。

   論理的に破綻している、このような国民性にも、正直うんざりしています。自分がされたいように人にもしてあげるのが誠実さというものではないのでしょうか。私はキリスト教信者ではありませんが・・・。

 ちょっと話がそれることをお許しいただければ、映画 "Million Dollar Baby"の最後の場面について。「内科の医者」さんが、「家族としてならおこなう」とおっしゃっているのはあのような意味なのでしょうか。あの行為は、医師がすれば全く何の問題にもならなかったであろうかわり、映画にもならなかったでしょう(というか、台無しです)。

 「内科の医者」さんが「家族としてなら」とおっしゃるのがそういう意味なら、敬服いたします。神奈川県で、ALSの息子が人工呼吸器をつけたものの後悔し、はずすように毎日懇願するのに耐えかねた母親が、希望をかなえて嘱託殺人で有罪(執行猶予付きですが)になった事件がありましたが、「内科の医者」さんも、もし家族なら、主治医にはさせずにあの母親と同じことをする覚悟だということなのですよね。あの事件では、どうして主治医が患者の意思をかなえなかったのか、愕然としたのを覚えています。もし医師が手続きを踏んではずしていたら、検察は起訴したでしょうか。裁判で有罪になったでしょうか。

   きっと私は、日本で医療するのには「理が勝ちすぎて」いると思われてしまうのでしょう。でも、現役の医師です。自分の患者が人工呼吸器をはずしてほしいという意思を表明したら、手続きに沿って粛々と実行する覚悟です。そのことで逮捕されたら、NEJMに手紙を投稿するつもりでいます。Nature, Scienceの医療記事としても格好なネタになることでしょう。でも、私がそうしても、警察は、せいぜい簡単な事情聴取に来るだけで、送検さえしないと思います。文句のつけようがないように、手続きとその記録をきちんとするつもりですから。(たぶん、モトケンさんその人でなくても、どなたか法曹界の方に事前に相談して、手続きが間違っていないことを確認してから、実行することになるでしょう)

>医師の職業倫理は、判断力ある患者の意思を尊重することです。尊厳ある死もそのひとつであり、たとえば、DNR/DNI(心肺蘇生希望せず)を確認することは患者が生き延びる可能性をほぼ断つ行為ですが、全く正当な医師の業務です。

医療行為と言う潜在的に人に危害を与えうる行為が正当性を持つのは命を助け健康やQOLに貢献する時だと考えます。
医療として誤っていると判断すれば、判断力ある患者の意思を聞き入れないこともあります。
DNR/DNI(心肺蘇生希望せず)が有効となる患者さんの状態、東海大事件の患者さんの状態は、死が目前に差し迫った状態です。
今後何年も生きる可能性のある命を積極的に終わらせることとは違うと考えます。

>また、「内科の医者」さんは、医師としての行為と家族としての行為とでダブルスタンダードを適用されております。

医者として許される行為と家族として許される行為は違うと思います。医者に担当患者さんのDNRを希望する権限がないことと同じだと思います。
医者に命をちじめる権利は与えられていないと考えています(私の個人的な職業倫理かもしれませんが)。


>もし医師が手続きを踏んではずしていたら、検察は起訴したでしょうか。裁判で有罪になったでしょうか。

ここは、法律や法律の運用の問題で私にはわかりません。
ALSで人工呼吸器を使っている患者さんの呼吸器を手続きを踏んではずした医師がいれば、彼が起訴されたか否か、起訴されていたら判例はどうだったかを知りたいとは思います。


>自分の患者が人工呼吸器をはずしてほしいという意思を表明したら、手続きに沿って粛々と実行する覚悟です。

私にはこの覚悟はありません。
法律上どうなっているかは知りませんが、自殺幇助が医師の権限に入っていないのと同じように思います。

「少し疑問」さんへ

  「内科の医者」さんへの返信と順序が逆になった失礼をお許しください。

   差し控え=中止という論理は先進国ではほぼ共有されていると理解しています。だからこそ、東海大事件の判決文でもそのように書かれているわけです。「差し控え」については患者の意思を尊重するのに、「中止」は医師の個人的倫理観に反するのでしない、という論理を、私はいまだに理解できません。感情としては、とても理解できますが。私だって「平然と」はずせるわけはありません。そんな冷血な人間ではありません。しかし、医師として、やらなければならない場面ではやるべき義務のある業務と理解しております。「粛々と」にこめた思いはそういうことです。
  
   倫理委員会がなくても手続きのうえでガイドラインを満たし手入れば(複数の医療者(医師以外の職種を含む)、本人の意思確認とその経緯の文書化など)、実行可能と考えます。ある程度以上の規模の医療機関であれば、ある一症例のために倫理委員会を召集することも良いのではないでしょうか。ALSの症例であれば考える時間はたっぷりありますので。
   緊急例は個々の事例によると思いますのでより複雑かもしれません。日本では、諸外国(特にアメリカに顕著ですが)のような、「裁判で決めてもらう」という社会慣例がないので、密室でゴチャゴチャやっているのだろうと想像するばかりです。もっと社会に問えばよいのに、裁判を起こせばよいのに、という私の個人的見解はすでに述べたとおりです。

  厚生労働省ならびに救急医学会の終末期医療のガイドラインでは「終末期」の「事前に評価可能な」定義をしておりません。(米国では、そのため、複数の医療者の合議制で可としており、たとえば、ホスピスケアは定義としては『余命6ヶ月以内』とされていますがもちろんそんな予言ははずれることもあるので、6ヶ月を超えてホスピスケアが延々と続いても手厚い診療報酬が打ち切られることはありませんし、見たて違いの医師たちが保険会社から罰せられることもないというふうに聞いております)ALSを例にとれば、日本以外の先進諸国ではALSの患者さんが人工呼吸器なしでは生命の維持が困難な状態になったら、それは「終末期」です。日本では、そうではないと考える神経内科医が多数派を占めていることから、国際的にも際立った人工呼吸器装着率ならびに「取り外しはしてはならない」とのガイドラインの作成になったものと理解しております。
  日本の神経内科医の皆さんが、国際学会などで、日本のALS患者の人工呼吸器装着ケアこそが先進的であり、諸外国に広めていこうという努力をされているということも聞いております。
  ですので、日本の一般的な医師が私の意見に「カルチャーショック」を感じるのは日本の医療風土では当然のことでしょう。私は、一人の日本の神経内科以外の医師として、日本の神経内科学界のカルチャーにカルチャーショックを感じる(感じ続けてきた)わけですが。患者さんやマスメディアは、ALSについては神経内科専門医に話を聞くわけですから、私のような意見は少数派扱いされるのも当然であろうと理解し観念しております。
  これもちょっと話がずれますが、日本では非常に熱心に人工呼吸器装着を進められるという経緯、装着したくないと考える著者がそれに対してどのように感じたかを、ALS患者のモルガン銀行の幹部であった方(日本人)が文芸春秋の巻頭エッセイに書かれていました(数年前のことです、この方が実際にどのような経過となったのかは存じません)。

・本人の意思で呼吸器を外すことを容認
・病気(他疾患)を苦にした自殺(もちろん本人の意思)やその幇助を容認

上記はどのように違うのでしょう>呼吸器外し容認の皆様
同じだから後者も容認ですか?

ペスト さんへ

>日本の神経内科医の皆さんが、国際学会などで、日本のALS患者の人工呼吸器装着ケアこそが先進的であり、諸外国に広めていこうという努力をされているということも聞いております。

すいませんが、私はHNのごとく、神経内科を専門に行っているものであり、日本神経内科学会の会員でもあります。ALSの患者さんの診察・治療も行っております。
私は神経内科医の大部分が、ALSに対して「非常に熱心に人工呼吸器装着を進められる」という事実を知らないのですが、本当でしょうか?

補足説明です。
当然、神経内科医の中には、「ALSに対して積極的に人工呼吸管理を行っていく」派がいることは事実ですし、それを希望する患者さんに対して人工呼吸器を装着しています。また、人工呼吸器管理下においていかに生活の質を高めるか、という工夫を日々努力しています。
ただし、「積極派」であっても、患者さんの希望がなければ人工呼吸管理は行っていないはずです。以前、患者さんの希望があり「積極派」のグループへ紹介しましたが、その後考えを変えたらしく、最終的には呼吸管理を希望せずに亡くなられた、との連絡を受けたこともあります。

一方で、いわゆる「消極派」もいます。患者さんの強い希望がなければ呼吸管理を行わないことをデフォルトとしているグループです。

患者さんにも積極派、消極派両方の需要があるので、それぞれ異なった方針を持つ神経内科医がいても良いのではないでしょうか。少なくとも私は、日本の神経内科医のほとんどが、「ALSの患者さんに対して呼吸管理を行わなければならない」あるいは「呼吸管理を行ってはいけない」という方針で一色に染まってしまったら、寒気がします。

どうあるべきか、どういう方向性が望ましいかという点ではペストさんの考えに異論はありません。しかし、実際に問題なく延命中止を行えるかという点では、状況認識が違うものと思います。
正当な手続きを踏んで行います。という正当な手続きがわからないから困っているというのが現状です。僕自身は唯一倫理委員会での承認を得て行うというのが少なくとも最初の数例は必要だと考えています。そして、論議はおこるかもしれないけれどだんだんと認められていけば、倫理委員会なしで複数のDr. の承認でという方向になるのではないかと考えます。
今の段階でペストさんがALSの患者さんの人工呼吸を止めようとした時、賛同する医師は多くないはずです。複数のというのは、偏った同じ考えの医師数人というのではなく、一般的な医師が認めることということの担保でしょう。だとすると、そういう状況にはないので、日本ではまず無理だということです。ペストさんが今、それをすれば独断という非難にさらされるでしょう。

それから、僕がアメリカの教科書を紹介した理由はアメリカでも独断的だとされた場合は相応の覚悟がいるということを示したかった訳です。病院の終末医療の考え方を知る事も勧められています。
確かに、個人の意志を尊重して、延命中止するというのは西洋的倫理観からは容認されると思いますが、それが絶対的に正しいのかどうか、異なった倫理観に基づく社会もたくさんあるのです。

手続きができた後なら、それでいい。手続きができてないから困ってしまうのです。倫理委員会の承認、延命中止ということを積み重ねることが大事なのだと思います。

その上でいいます。
ALSの患者さんに共感を持っている、少なくとも日本の神経内科医はあなたのような呼吸ができなくなったら終末期だという言い方には嫌悪感を持つでしょう。補助呼吸となっても、活動的で自分を幸せだと感じられる人生を送っている方がいます。そういう人生を多くのALSの患者さんに送っていただけるという自信があれば、そのために自分になにかができると信じられれば、僕はもっと人工呼吸器をつけてほしいと願うようになるでしょう。

横から匿名で失礼します。


そのことで逮捕されたら、NEJMに手紙を投稿するつもりでいます。Nature, Scienceの医療記事としても格好なネタになることでしょう。


別に、「逮捕されたら」でなくてもいいのでは。
日本の状況を書くだけで十分だと思いますよ。Lancetぐらいであれば簡単に掲載されると思いますが、日本で新聞ネタにつながるとしたら、Nature、Scienceですかね。その場合はかなりしっかりと現状を把握してから書く必要があると思います。仕事しながらではちょっと大変ですが、やる意義は十分すぎるほどあります。ただ、それをpublishした後、周りはうるさくなるでしょうね。


がんばってください。

呼吸器外しは自殺幇助ではありません。「病死幇助」にはなるかもしれませんが。あくまで病死を容認するだけであり、現状では死なない患者の生命を断つ行為とは違うと思います。ただこれは小生の考えであり法的にはどうなのかはわかりません。

「通りがかりその3」さんへ

  応援ありがとうございます。

  自分が逮捕されたらどうせ実名報道されるので、そのときに騒がれついでに投稿をと思っているのですが、射水事件も不起訴だったし、どの医師も病院も慎重なので、今後はよっぽど世間知らずの医師でない限り(自分のこと?笑)逮捕者は出ない、とみて楽観しておりますが、準備だけはしておきますね(笑)。

  逮捕されもしていないのに自分で実名で投稿するのは、医事法の専門家でもないのに気が引けます。やはり当事者にならないと、「周りがうるさくなる」不利益に耐えられそうもありません。匿名で、「ALS患者に共感していない」がごときに書かれることに耐えながら、これまた匿名のみなさまのご意見で大いに鍛えてもらうことにいたします。

「神経内科医」さんへ

  議論が些事の迷路に入りそうな、悪い予感がいたします。

  別に神経内科医の「大部分が」とは書いておりません。ただ、日本におけるALS患者の人工呼吸器装着率は、世界的に見ても高いことは事実です。

 なぜ、「人工呼吸器装着積極派」と「消極派」に分かれなければならない必要があるのか、よくわかりません。人工呼吸器を装着することの意味を説明し、装着して元気に幸せに暮らしている患者さんの姿を実際に見てもらう、そうして、装着するもしないも全くあなたの意思に従います、と患者を支援することを約束する、これが主治医の義務なのではありませんか?

   私は、どうして日本ではいったん装着した人工呼吸器を「はずす」神経内科医がいないのか(だからあのようなガイドラインが作成されたわけでしょう?)という議論をしているだけです。

  「装着積極派」と「装着消極派」のことなど全く議論しておりません。もちろん、どっちか一色なんて寒気がする、という「神経内科医」さんの感覚は正常ですとも!!

  「神経内科医」さんの文章のなかで、混乱したのですが、私の読み方が間違っていたら訂正してください。人工呼吸器装着消極派の神経内科医は、患者が装着したい、と表明したら、「では私はあなたの主治医はできないから紹介状を書きます。」ということになるのでしょうか?いっぽう、人工呼吸器装着積極派の神経内科医は、患者が装着を希望しなくても、そのまま患者の人工呼吸器装着なしの最期を看取る、ということなのですか?そうだとしたら、装着積極派を主治医にしたほうが患者は一貫してケアを受けられることになりませんか?私だったら最初は積極派のふりをしてケアしてもらい、よく考えながら病気の進行に耐え、最期にどちらかに決めよう、主治医を多少がっかりさせる(「えっヤッパリ装着しないことにしたって?残念だけどそれが熟慮の結果ならそうしましょう・・・」)のはやむをえない、というふうに考えると思いますね。人間誰でも「気が変わる」可能性があるわけですから。そもそもこういう「派」があること自体、ALSの患者さんを苦しめていると思うのですが・・・。人工呼吸器をはずさない、という一点では一致団結しているわけですが・・・・。

「少し疑問」さんへ

  同意してくださって有難うございます。


  今の段階でペストさんがALSの患者さんの人工呼吸を止めようとした時、賛同する医師は多くないはずです。複数のというのは、偏った同じ考えの医師数人というのではなく、一般的な医師が認めることということの担保でしょう。だとすると、そういう状況にはないので、日本ではまず無理だということです。ペストさんが今、それをすれば独断という非難にさらされるでしょう。

  厚生労働省も救急医学会も、ガイドラインを作成したときに、「実行不可能な」ガイドラインにした、というご意見ですね。もしそうなら、「実行」してみる価値はありそうですね。(すでに私は実行の決意表明をしておりますので、もうくりかえしません。)ところで、亀田総合病院の倫理委員会のメンバーは「偏って」いるのでしょうか。

> 確かに、個人の意志を尊重して、延命中止するというのは西洋的倫理観からは容認されると思いますが、それが絶対的に正しいのかどうか、異なった倫理観に基づく社会もたくさんあるのです。

手続きができた後なら、それでいい。手続きができてないから困ってしまうのです。倫理委員会の承認、延命中止ということを積み重ねることが大事なのだと思います。

  御意。積み重ねることが大事です。「偏った」意見の倫理委員会の推奨を、院長命令に反して実行する医師二人(以上何人でも)から、ね。私はとても素直にガイドラインを読んだので、日本で定められたガイドラインが「患者本人の意思を確認する」ことを至上命令としている以上、個人の意思の尊重というのは、もはや「西洋的倫理観」ではなく、「日本のガイドラインの認めている倫理観」だと理解してしまいました。で、ここから積み重ねていくことにしたわけです。前にも書いたとおり、倫理委員会が推奨して院長が拒否したのは亀田総合病院がはじめてではありません。残念ながらその病院は「最初の」という日本の医学倫理上歴史に残る快挙をしそこなったわけですが、亀田病院から始まって積み重なっていくのかもしれませんね。

> その上でいいます。
ALSの患者さんに共感を持っている、少なくとも日本の神経内科医はあなたのような呼吸ができなくなったら終末期だという言い方には嫌悪感を持つでしょう。補助呼吸となっても、活動的で自分を幸せだと感じられる人生を送っている方がいます。そういう人生を多くのALSの患者さんに送っていただけるという自信があれば、そのために自分になにかができると信じられれば、僕はもっと人工呼吸器をつけてほしいと願うようになるでしょう。

  第一に、ALSの患者さんに共感を持っていることと、人工呼吸器装着期に達したことをもって「終末期」と呼ぶこととは、全く関係ありません。「終末期」という言葉を使ったからALS患者さんに共感がない、というのは議論の飛躍があります。嫌悪感をもよおさない言葉を教えてくだされば、以後はそれを使うようにいたしますので、よろしくご教示ご指導ください。
  私はALS患者さんが個人の意思を貫徹できるようにとこの議論をしているのであって、「自分の意思が表明できなくなったら人工呼吸器ははずしてほしい」という願いにとても共感しているのですが。

  第二に、ALS患者が呼吸器をつけて幸せな人生を送っていることと、「でも自分は意思表示ができなくなったらもう生きていたくないのではずしてほしい」と希望することとは、全く関係のない、別の問題です。「意思表示ができなくなったら」という条件が、この亀田病院のケースにはついているのですよ。そうして、「その時」が来たら、患者の事前の意思に従って人工呼吸器をはずしなさい、と、倫理委員会は推奨し、院長は拒んでいるのです。

  私も、自分が意思表示できるときに重症肺炎になって人工呼吸器を装着して治療を試み、治療の甲斐なく次第に意識状態が悪化し、植物人間になり、以前の自分のように意思表示ができない状態になったら、「そのときは人工呼吸器をはずして」と事前に希望するだろうと思います。(カレン事件では、人工呼吸器をはずしたあとも生き続けたので、人工呼吸器離脱=死ではない、という意味で、ALS患者の終末期とは少し意味が違ってきますけれども。さらに病死の自然経過を確実にするため、「人工栄養も中止してほしい」と、私なら追加しておくと思います。)

  私には、ALSという難病の有無にかかわらず、この問題提起はとても妥当に思えるのですが、なんとなく「差別」っぽい特別な思いいれがあるのははたして倫理委員会なのでしょうか院長なのでしょうかはたまた日本神経内科学会ガイドラインなのでしょうか(ごめんなさい、ちょっと皮肉っぽい言い方になってしまいました。ちょっと疲れました。みなさま、良い週末を!!!)。

「少し疑問」さんへ

  同意してくださって有難うございます。


  今の段階でペストさんがALSの患者さんの人工呼吸を止めようとした時、賛同する医師は多くないはずです。複数のというのは、偏った同じ考えの医師数人というのではなく、一般的な医師が認めることということの担保でしょう。だとすると、そういう状況にはないので、日本ではまず無理だということです。ペストさんが今、それをすれば独断という非難にさらされるでしょう。

  厚生労働省も救急医学会も、ガイドラインを作成したときに、「実行不可能な」ガイドラインにした、というご意見ですね。もしそうなら、「実行」してみる価値はありそうですね。(すでに私は実行の決意表明をしておりますので、もうくりかえしません。)ところで、亀田総合病院の倫理委員会のメンバーは「偏って」いるのでしょうか。

> 確かに、個人の意志を尊重して、延命中止するというのは西洋的倫理観からは容認されると思いますが、それが絶対的に正しいのかどうか、異なった倫理観に基づく社会もたくさんあるのです。

手続きができた後なら、それでいい。手続きができてないから困ってしまうのです。倫理委員会の承認、延命中止ということを積み重ねることが大事なのだと思います。

  御意。積み重ねることが大事です。「偏った」意見の倫理委員会の推奨を、院長命令に反して実行する医師二人(以上何人でも)から、ね。私はとても素直にガイドラインを読んだので、日本で定められたガイドラインが「患者本人の意思を確認する」ことを至上命令としている以上、個人の意思の尊重というのは、もはや「西洋的倫理観」ではなく、「日本のガイドラインの認めている倫理観」だと理解してしまいました。で、ここから積み重ねていくことにしたわけです。前にも書いたとおり、倫理委員会が推奨して院長が拒否したのは亀田総合病院がはじめてではありません。残念ながらその病院は「最初の」という日本の医学倫理上歴史に残る快挙をしそこなったわけですが、亀田病院から始まって積み重なっていくのかもしれませんね。

> その上でいいます。
ALSの患者さんに共感を持っている、少なくとも日本の神経内科医はあなたのような呼吸ができなくなったら終末期だという言い方には嫌悪感を持つでしょう。補助呼吸となっても、活動的で自分を幸せだと感じられる人生を送っている方がいます。そういう人生を多くのALSの患者さんに送っていただけるという自信があれば、そのために自分になにかができると信じられれば、僕はもっと人工呼吸器をつけてほしいと願うようになるでしょう。

  第一に、ALSの患者さんに共感を持っていることと、人工呼吸器装着期に達したことをもって「終末期」と呼ぶこととは、全く関係ありません。「終末期」という言葉を使ったからALS患者さんに共感がない、というのは議論の飛躍があります。嫌悪感をもよおさない言葉を教えてくだされば、以後はそれを使うようにいたしますので、よろしくご教示ご指導ください。
  私はALS患者さんが個人の意思を貫徹できるようにとこの議論をしているのであって、「自分の意思が表明できなくなったら人工呼吸器ははずしてほしい」という願いにとても共感しているのですが。

  第二に、ALS患者が呼吸器をつけて幸せな人生を送っていることと、「でも自分は意思表示ができなくなったらもう生きていたくないのではずしてほしい」と希望することとは、全く関係のない、別の問題です。「意思表示ができなくなったら」という条件が、この亀田病院のケースにはついているのですよ。そうして、「その時」が来たら、患者の事前の意思に従って人工呼吸器をはずしなさい、と、倫理委員会は推奨し、院長は拒んでいるのです。

  私も、自分が意思表示できるときに重症肺炎になって人工呼吸器を装着して治療を試み、治療の甲斐なく次第に意識状態が悪化し、植物人間になり、以前の自分のように意思表示ができない状態になったら、「そのときは人工呼吸器をはずして」と事前に希望するだろうと思います。(カレン事件では、人工呼吸器をはずしたあとも生き続けたので、人工呼吸器離脱=死ではない、という意味で、ALS患者の終末期とは少し意味が違ってきますけれども。さらに病死の自然経過を確実にするため、「人工栄養も中止してほしい」と、私なら追加しておくと思います。)

  私には、ALSという難病の有無にかかわらず、この問題提起はとても妥当に思えるのですが、なんとなく「差別」っぽい特別な思いいれがあるのははたして倫理委員会なのでしょうか院長なのでしょうかはたまた日本神経内科学会ガイドラインなのでしょうか(ごめんなさい、ちょっと皮肉っぽい言い方になってしまいました。ちょっと疲れました。みなさま、良い週末を!!!)。

「少し疑問」さんへ

  同意してくださって有難うございます。


  今の段階でペストさんがALSの患者さんの人工呼吸を止めようとした時、賛同する医師は多くないはずです。複数のというのは、偏った同じ考えの医師数人というのではなく、一般的な医師が認めることということの担保でしょう。だとすると、そういう状況にはないので、日本ではまず無理だということです。ペストさんが今、それをすれば独断という非難にさらされるでしょう。

  厚生労働省も救急医学会も、ガイドラインを作成したときに、「実行不可能な」ガイドラインにした、というご意見ですね。もしそうなら、「実行」してみる価値はありそうですね。(すでに私は実行の決意表明をしておりますので、もうくりかえしません。)ところで、亀田総合病院の倫理委員会のメンバーは「偏って」いるのでしょうか。

> 確かに、個人の意志を尊重して、延命中止するというのは西洋的倫理観からは容認されると思いますが、それが絶対的に正しいのかどうか、異なった倫理観に基づく社会もたくさんあるのです。

手続きができた後なら、それでいい。手続きができてないから困ってしまうのです。倫理委員会の承認、延命中止ということを積み重ねることが大事なのだと思います。

  御意。積み重ねることが大事です。「偏った」意見の倫理委員会の推奨を、院長命令に反して実行する医師二人(以上何人でも)から、ね。私はとても素直にガイドラインを読んだので、日本で定められたガイドラインが「患者本人の意思を確認する」ことを至上命令としている以上、個人の意思の尊重というのは、もはや「西洋的倫理観」ではなく、「日本のガイドラインの認めている倫理観」だと理解してしまいました。で、ここから積み重ねていくことにしたわけです。前にも書いたとおり、倫理委員会が推奨して院長が拒否したのは亀田総合病院がはじめてではありません。残念ながらその病院は「最初の」という日本の医学倫理上歴史に残る快挙をしそこなったわけですが、亀田病院から始まって積み重なっていくのかもしれませんね。

> その上でいいます。
ALSの患者さんに共感を持っている、少なくとも日本の神経内科医はあなたのような呼吸ができなくなったら終末期だという言い方には嫌悪感を持つでしょう。補助呼吸となっても、活動的で自分を幸せだと感じられる人生を送っている方がいます。そういう人生を多くのALSの患者さんに送っていただけるという自信があれば、そのために自分になにかができると信じられれば、僕はもっと人工呼吸器をつけてほしいと願うようになるでしょう。

  第一に、ALSの患者さんに共感を持っていることと、人工呼吸器装着期に達したことをもって「終末期」と呼ぶこととは、全く関係ありません。「終末期」という言葉を使ったからALS患者さんに共感がない、というのは議論の飛躍があります。嫌悪感をもよおさない言葉を教えてくだされば、以後はそれを使うようにいたしますので、よろしくご教示ご指導ください。
  私はALS患者さんが個人の意思を貫徹できるようにとこの議論をしているのであって、「自分の意思が表明できなくなったら人工呼吸器ははずしてほしい」という願いにとても共感しているのですが。

  第二に、ALS患者が呼吸器をつけて幸せな人生を送っていることと、「でも自分は意思表示ができなくなったらもう生きていたくないのではずしてほしい」と希望することとは、全く関係のない、別の問題です。「意思表示ができなくなったら」という条件が、この亀田病院のケースにはついているのですよ。そうして、「その時」が来たら、患者の事前の意思に従って人工呼吸器をはずしなさい、と、倫理委員会は推奨し、院長は拒んでいるのです。

  私も、自分が意思表示できるときに重症肺炎になって人工呼吸器を装着して治療を試み、治療の甲斐なく次第に意識状態が悪化し、植物人間になり、以前の自分のように意思表示ができない状態になったら、「そのときは人工呼吸器をはずして」と事前に希望するだろうと思います。(カレン事件では、人工呼吸器をはずしたあとも生き続けたので、人工呼吸器離脱=死ではない、という意味で、ALS患者の終末期とは少し意味が違ってきますけれども。さらに病死の自然経過を確実にするため、「人工栄養も中止してほしい」と、私なら追加しておくと思います。)

  私には、ALSという難病の有無にかかわらず、この問題提起はとても妥当に思えるのですが、なんとなく「差別」っぽい特別な思いいれがあるのははたして倫理委員会なのでしょうか院長なのでしょうかはたまた日本神経内科学会ガイドラインなのでしょうか(ごめんなさい、ちょっと皮肉っぽい言い方になってしまいました。ちょっと疲れました。みなさま、良い週末を!!!)。

見舞いに来たことも無い親族が出てきて騒ぐとか
警察が嬉々として出張ってくるとか
マスコミが医者が悪いとばかりに書き立てるとか

そんなことが無くなれば、少しはマトモな議論ができるのでしょうけどね

今の日本じゃ無理っぽいですね

心静かに読まして頂いております。
 
 医師の方に決断を迫る事無く、被医療者側で、決断しなければいけない事柄で有るのは授受至極と存じております。 ただ、第三者に責められた場合に、逃げずに決然と主張出来るかとの自信が無いのも確かです。 真に申し訳ないことです。

こういう厳しい現場と関わったことの無い人間で、しかもしろうとみたいな質問なんでためらっていたのですが、実際にはどういう風に行われるのでしょうか?
ALS は最後まで意識は保たれますよね?
既に意識のない末期の患者さんの人工呼吸器はずしとはそこが違いますよね?
はずすときは眠らせるとか外国では手順が決まっているのでしょうか?

はずす勇気を求められたら主治医は辛いですね。


 どうでしょう、呼吸が止まった状態を考えると、CO2が蓄積すれば意識レベルが低下して、丁度良く意識のない状態で低酸素による心停止が起きるように思えますが。あるいは換気量を徐々に減らして、CO2を貯めた方がよいのか呼吸の専門家のようにはわかりません。
 いずれにしてもはっきりした意識の中で、呼吸だけ止まって息苦しいと言う時間はごくわずかであろうと思われます。

亀田総合病院の倫理委員会のメンバーは「偏って」いるのでしょうか

「偏って」いるという表現が悪ければ、「一般的でない」。亀田は特殊な病院です(悪い意味ではなく)。倫理委員会にも長期欧米で臨床医として働いていた経験を持つ方が少なからず含まれ、カタカナ名の方やチャプレンも参加されているようです。
 私が知る限り日本の病院の一般的な姿ではないと思います。一般的でないことが悪いとは言いません。

 多分言えるのは、海外の病院で、患者さんの気持ちを真摯に受けとめ、人生の最後の場面を患者さんの思うように作りだす努力をする医療者とご家族の姿を見てきた医師だからこそ、日本の現状を強烈な痛みを持って感じるのではないかということ。ベストさんもきっとその一人でしょう。そういう経験を持った人はそう多くはありませんから必然的に一般的でなくなる。
 経験したことがないことを想像力を逞しくして主張、実行するのは難しい。


 さて、ALSの人が一度装着した呼吸器を外すことができるのは、「自分で意思表示ができなくなったとき」に限られるとお考えですか?呼吸器を一度つけたALSの人が「もうはずしてくれ」と意思表示した場合はどうでしょう。お考えをお聞かせいただけたら幸いです。

ペストさんへ

No30
>別に神経内科医の「大部分が」とは書いておりません。

すいません。
No23のペストさんのコメント、
>日本の神経内科医の皆さんが、国際学会などで、日本のALS患者の人工呼吸器装着ケアこそが先進的であり、諸外国に広めていこうという努力をされているということも聞いております。

より、勝手に私がそのように読み取ってしまい、コメントしてしまいました。
実際に派閥があるわけではなく、神経内科医の中にもいろいろな考えを持った人間がいる、ということを示したかっただけです。

No30
>人工呼吸器装着消極派の神経内科医は、患者が装着したい、と表明したら、「では私はあなたの主治医はできないから紹介状を書きます。」ということになるのでしょうか?いっぽう、人工呼吸器装着積極派の神経内科医は、患者が装着を希望しなくても、そのまま患者の人工呼吸器装着なしの最期を看取る、ということなのですか?

わかりにくい表現だったかもしれません。人工呼吸器装着積極派とは、ALS患者の人工呼吸管理をサポートするためのノウハウ、システム、リソースなどを十分に備えている施設(人工呼吸管理になれている訪問看護・訪問リハビリ・その他のケアの充実、人工呼吸器の機械そのもののサポート、本人・家族への心理ケア、レスパイト問題、他科(特に耳鼻科・口腔外科領域)との連携etc.)を豊富に備えており、逆に消極派とは、それらのリソースに乏しい、と考えていただければよいかと思います。
物理的に不可能(施設が人工呼吸管理を行える状況じゃない、耳鼻科がないため気管切開が不可能など)でない限りは対応可能ですが、リソースが豊富な施設のほうが、それだけ多くのサポートを受けられる可能性があります。
本人の希望があり可能であれば紹介しますが、(神経内科医はあまりいないので)けっこう遠方になるため、状況次第となります。
ただし、そのサポートとはあくまで人工呼吸管理を行っていくためのものですから、

>装着積極派を主治医にしたほうが患者は一貫してケアを受けられることになりませんか?私だったら最初は積極派のふりをしてケアしてもらい、よく考えながら病気の進行に耐え、最期にどちらかに決めよう、主治医を多少がっかりさせる(「えっヤッパリ装着しないことにしたって?残念だけどそれが熟慮の結果ならそうしましょう・・・」)のはやむをえない、というふうに考えると思いますね。人間誰でも「気が変わる」可能性があるわけですから。

このようなことをするメリットはあまり感じられません。

ペストさんの主張はあくまで装着した人工呼吸器をはずすことの是非が主体であって、ALSの患者さんに対して人工呼吸器をつけるか否かは論点からはずれていることは理解していますので、ずれているとは思いつつも状況説明のみさせていただきました。


意識があるときに単に呼吸器を止めてしまうと呼吸停止から意識が無くなるまでの時間や苦痛は、健常人が鼻と口をふさがれた時とあまり変わらないのではないでしょうか。
呼吸器管理だけで苦痛を少なくするなら100%酸素を吸ってもらいながら換気回数を減らすことで、低酸素にならず二酸化炭素が貯留し、CO2ナルコーシスが作れます。この後ゆっくり酸素濃度を減らせば苦痛が最小限のまま低酸素脳症、心停止に至るかと思います。
でも、どうしてもやらなければいけなくなったら、薬で眠ってもらうでしょうね。ちょっとトピずれですね。

安心を求める医者はALSの患者の呼吸器をはずすなんてことをやってはいけません。何も自らリスクをとる必要はありません。難病患者を支援する関係者とやらも、呼吸器をはずす権利は患者本人にもないようなことをおっしゃっているではないですか。はずすときは告発覚悟で。

短コメントの連投失礼します。
医者の仕事というのは呼吸器の適応があるかどうか、すなわち呼吸器が必要になったかどうかを判断することであって、呼吸器を取り付ける、あるいはつけた呼吸器をはずすという判断は、医師ではなく司法がすることではないかと思います。

実際どうやっているか(海外では)というご質問ですが、私の知る範囲では、主に麻薬系の薬を使います。
医師が100%の確信を持って、今、この患者さんは苦しんでいないと言える状態にします。
脳死の場合は100%の確信を持って苦しまないと言えるので薬は使いません。

通りがかりその3 さん情報ありがとうございました。
以前に低酸素脳症の患者さんにきちんとした脳死判定をしないで呼吸器をはずし、はずしたあとの予想外の反応に筋弛緩剤を投与して殺人になった事件がありましたよね?
ああいうのは悲劇だなと思ったもので。(ALSでは動けませんが...

既に意識の回復の見込めない患者さんの人工呼吸器をはずすことは、延命治療の中止というだけのことであり、ALSの患者さんの求める呼吸器はずしは積極的安楽死だと思うのでわけて考えたほうがいいと思っています。
これが認められないという理由で人工呼吸器をつけない、いったんつけて欲しいと希望したらはずしてもらえなくなるから家族の負担になると考えて諦める患者さんもいらっしゃると思います。
それよりも人工呼吸器を実際に使ってから考える余地があったほうが望ましいと思うので、つけたあとではずす権利も補償されていて欲しいかなと思います。

これはとても特殊な病態だからかもしれませんが、法律関係のかたの書き込みが少ないですが法律的にはどうなんでしょう?
積極的安楽死に相当すれば、法律的には殺人でしょうか?

あとは範囲を広げて、脳血管障害なんかでロックトイン・シンドロームになった患者さんの栄養を止めたら同じ様な事だと思うのですが、これはどうでしょう?

院内の倫理委員会クラスで判断できる問題じゃなくて、これが合法かどうかの判断が欲しいなと思います。(私は判ってません...

できればペスト先生が捕まる前に。

なるほどそうですね。低酸素になる前にCO2ナルコーシスになるよう呼吸数をコントロールする必要がありますね。でも意識があるのならセデーションの方がお互いに良いかも知れません。

ベストさんのご意見には大部分において賛同していますが、一点のみ異なるかもしれません。

呼吸器の装着が、麻酔・集中治療・救急関連のものか、体の一部として一生付けていくことを前提としたものかは区別して考えたほうがよいと思うのです。
前者は、現在の医療で治癒の可能性が多少なりともある疾患を治療する際に治療の一環として原則temporaryに装着する場合、本人の意思とは関係なく救命のために心肺蘇生、頭部外傷・頚椎損傷等の事故の際に使用する場合です。ベストさんが例に出されたカレン事件、Million Dollar Baby、重症肺炎はこちらになります。
ALSや筋ジストロフィーの疾患をもった患者さんが別の疾患で呼吸器を装着する必要に迫られた状況もこちらになると思います。

これらの場合における呼吸器使用の中止に関する考え方は同じです。医学的判断のもとの医療行為と考えます。


後者は、疾患の自然経過として呼吸が自分の力でできなくなる状況です。呼吸器を付けるとどういう一生を送ることになるかという情報を得る時間、熟考する時間が十分にあります。場合によってはトライアル期間を設けてもいいかもしれない。でも一生呼吸器が外れないことを前提としています。

>サイボーグじゃあるまいし。

というご発言がありましたが、サイボーグ的な医療は今後更に進んでいくと考えます。死体・脳死・生体臓器移植、人工臓器。基本的にその治療を受けた方がそれの維持をgive upするのはよろしくない。維持できる精神力、周りからのサポート、環境があるかを考慮の上で治療を決定するはずです。これらの医療は維持料も考慮すると最高に高額な部類に入りますがほとんどの場合保険で支払われます。それに文句を言う国民は今のところいないでしょう。死ぬのが分かっていて免疫抑制剤を飲まなかったり、透析に行かなかったり、呼吸器のスイッチを自分で切ったり、人工心臓のバッテリーを交換しなかったらそれは自殺行為です(自殺の是非はここでは論じません)。

 国民は自分で自分の命を終える権利があるのかもしれません。自殺未遂は警察沙汰にはならないし。
自殺が権利として法律で認められるならば、自殺を自分で物理的にできない人に限り(ALSや筋ジス、その他)本人の明確な意思と厳格な手続きのもと、自殺幇助を認める という別の法律が必要でしょう。

 これは、医師ではなく裁判所が決めることだという意見はうらぶれ内科さんと同じです。


 今回の亀田の場合は後者になると考えます。意思表示ができなくなったからといって死ぬわけではないので。もし、呼吸器装着をしているALSの患者さんが意思表示ができる間に、今後もし重症肺炎や腎不全、腸管穿孔等になった場合、これらの治療は拒否すると予め伝えておくのは前者です。治療しなければこれらの疾患で亡くなるので無為な苦しみの時間を減らすため、呼吸器を外すという選択を患者さんはできると思うし、医師は医療者としてその意思を尊重するべきと考えます。


頭の体操的に考えてみたものの、やはり私にはどの方法もできません。
DNR希望を受け入れることと、安定した人工呼吸器管理を中断しないことは私の中では矛盾しません。
尊厳死を否定するつもりはまったくありませんが、それでいいように思います。

 よかったら世界的先駆判例となったカレン事件の顛末をググることをお勧めします。
 尊厳死は、末期医療、法律、倫理、哲学、死生観が微妙に錯綜する学術横断的な密かな大問題だと思います。手塚治先生が『火の鳥』をライフワークで書いたくらいに。合掌(手塚ファンです)。

「通りがかりその3」さんへ

  今回の亀田総合病院の例のように「意思表示ができなくなったら」という時期指定ではなく、「今」はずしてほしい、とALS患者さんに言われたら、という仮定のご質問がありましたが、「そんなに煽らないでよ」と思いつつ、基本的には同じ考えであるとお答えいたします。相模原のALS患者の母親が有罪となった事件と同じことを、医師が、きちんと手続きを踏んで行ったら、やはり起訴され有罪となるだろうか、という、医療側の疑問に、ある程度は答が得られるであろうので、その意義は大きいと思います。裁判の結果によって(或いは、青戸病院事件のように判決さえ待たずに)、医道審議会が行政処分を行ったら、異議申し立ての手続きを取るつもりです。

  患者さんの意思の尊重が、 岼貶通行」であること、▲イドラインでも病気の種類によって異なるとみなされていることが、私には不自然に思えます。
  ‘韻検峙い変わる」のでも、「装着しない」から「装着する」に変更はOKだが、「装着する」から「装着しない」に変更するのは不可(実際に装着してしまう前はOKだが現実になってしまってからは不可)、というのは、いかがなものでしょうか。たとえ、まだ呼吸ができるあいだに試行(まだ呼吸筋が働くうちに意識のあるまま人工呼吸器を装着、どんなものかを経験してみる;もちろん、まだ働いている呼吸筋とバッキングしないように当初は軽い投薬は必要でしょうが、慣れればすぐにどんな感じかはわかると思います;呼吸筋が完全に麻痺すればむしろ楽に機械任せにできることもちゃんと説明してバッキングの不快さは差し引くようにしないといけません)してみたとしても、現実は想像を超えるかもしれません。患者さん個人が「尊厳」をどうとらえるかは他人の踏み込めない領域です。「気が変わった」患者さんを責められません。
 △燭箸┐亳生労働省や日本医師会の終末期医療ガイドラインはそもそも「終末期」の定義があいまい(ALSの患者さんが人工呼吸器依存でなければ生きられない状態にまで進行した場合を「終末期」とよんだらお叱りを受けました。「進行末期」がよいでしょうか、「神経内科医」さん)。日本学術会議の終末期医療のガイドラインは癌などの「亜急性」に限定。日本救急学会の延命治療のガイドラインはもっぱら救急現場の数日間の「急性」に限定。日本神経学会のALSのガイドラインはこの病気に限定。日本神経学会以外はすべて患者本人の意思を最優先しており、また日本神経学会だけが「一度装着したら取り外さない」と明記。これでは、医師が自分の免許を賭ける気にはなれないのもむべなるかな、です。でも、厚生労働省や日本医師会のガイドラインは、総論としては実に妥当です。また、「ガイドライン」はあくまでも「ガイドライン」であり、目の前の個々の患者さんについては、きちんと手続きを踏めば問題ないはずです。

  私は、あくまでも、患者個人の意思が最優先であり、医療を受けるのも受けないのも、いったん受けた医療を中止するのも、自由意思というふうに考えています。医師はえてして自分と違う死生観の患者に対して優位的に反対するものですが、死生観人生観に優劣はなく、あくまでも個人としては「対等」なものとして尊重するのがプロフェッショナルだと思います(明らかな違法性がない限り)。

  現在の日本では、人工呼吸器の取り外しは違法である「可能性」がありますが、上記のようなさまざまなガイドラインが作成されて以降に、それに従って行われた人工呼吸器取り外しが公表されないところに問題があると思われます。で、私が第一号になっても別にかまいませんよ、と熟考のうえで宣言しております。もちろん、この亀田総合病院のケースが第一号になった場合はそれを全面的に支持します。

煽っているつもりはなかったのですが、結果としてそういう書き方になっていたら申し訳ありません。
日本ではterminal illnessと思われる患者さんに比較的安易に呼吸器をつけ、その呼吸器関係の医療事故で業務上過失致死に問われる事例もあります。呼吸器装着は高度な医療技術でその分、医療事故も起こりやすく、起こった場合の結果も重大なものとなります。
個人的に、このような状況に問題を感じるため、煽っているような書き方になったのかもしれません。


ALSは色々な意味で別に考えたほうがよいでしょう。進行したALSはteminal illnessで、palliative care(緩和治療)の一つの選択肢として人工呼吸器使用を捉えるのが一番すんなりします。人工呼吸器を間欠的、持続的に使うことによって、QOLが改善する人も多くいるはずです。その場合は使えばいい。palliative careはあくまで患者のcomfort(快適、安楽)のために行うものであるから、呼吸器使用がそれと矛盾する状態になったら使用を止めるのは当然と考えます。


厚労省のガイドラインはALSのような病態を考慮していないと思います(呼吸器使用がpalliative careになりえる病態は非常に少ないです)。アメリカのterminal illnessの定義を6か月以内の余命としたものも、このような特殊な病態を考慮していなかったでしょう(実際、この定義を変えるべきだというdiscussionもあるようです)。

P R

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