エントリ

 「東京の妊婦死亡事故」のコメント欄の議論が結局「事故」という言葉の当否の問題になってしまいました。

 マスコミはこれからも「事故」という言葉を使いつづけるでしょう。
 そして、それによって「事故」を医師の言うニュアンスで受け止める人も多いのでしょう。

 だから、そのような受け止め方をする人が少しでも減るようにと思ってあえてタイトルに「事故」という言葉を使ったのですが、「そのような受け止め方をする人」がいる、ということにしか目がいかない医師が多いようです。

 これでは何時までたっても、

 マスコミが「事故」と言う。
    ↓
 一般市民は、それによって医師に責任があると思う。

という図式は変わらないと思います。

 たしかに、医療行為という観点で言えば、妊婦の死亡は事故ではないのでしょう。
 しかし、救急医療体制というシステムの観点で見れば、やはり「事故」と言うべきだろうと思います。

 要するに、医師の皆さんの中には、このような問題について、医療行為の視点つまり医師としての論理でしか物事を考えられない人がいるようです。
 そのような視点からは、「事故」という言葉を使うと、脊髄反射的に、不満しか出てこない。
 そして、そこにしか目が行かない。
 そういう話であるならば、医師だけがあつまるところで話し合えばいいのではないでしょうか。
 
 ここはさまざまな業種(特に法律関係が多いですが)の人が集まって議論しているところです。
 そして基本的には、日本の医療の問題をなんとかしたいという気持ちで発言されている方が多いと思います。
 つまりシステム全体を多角的な視点で見ることが可能な場になっていると思っています。
 それによって、マスコミの見方に対する批判的な視点を提示してきたのではないかちょっぴり自負しています(発言者としてというよりブログ管理者としての自負です)。

 それに対して、

 マスコミが「事故」と言う。
    ↓
 一般市民は、それによって医師に責任があると思う。

という図式があるから、「事故」という言葉を使うべきでないというのは、このブログに対してマスコミへの迎合を求める結果になるのではないでしょうか。
 
 医療問題は、医療だけの問題ではない。
 医師だけで解決できる問題ではない。
 政治、経済、司法など社会全体との関連におけるシステム的な問題である。

というのであれば、医師からの見方は重要な視点としても最も傾聴に値しますが、いったい何のために問題提起したのかということをもう少し考えてもらってもいいんじゃないかな、と思います。
 前向きな議論のためには、常に自分の意見を客観視する姿勢を持つことが大事だと思います。
 客観視というのは、大勢の中での自分というものを自覚することだろうと思います。

 もっとも、どなたかご指摘のとおり、私は誰に頼まれたわけでもありませんので、医療側から責任回避(または否定)しか考えていないと思われるような意見しか書き込まれなくなったら、ここで医療問題を議論するのは、医療側にとっても有害無益になると思いますので、医療問題に口出しするのをやめるべきだろうなと考えています。
 私や他の法曹コメンテイターを、医療側に不当な責任を問うている司法側のメンバーという認識で発言を読まれたら、ただでさえ難しい異業種間コミュニケーションが誤読曲解だらけになってしまいます。

 正直言いまして、しばらく前の「誠実さ」の議論といい今回の「事故」といい、もううんざりです。
 医療側の一部(割合はともかく)の人たちは、自分の感じ方でしか考えない。
 他者の視点や感覚を考えない。
 要するに、感情論なんですよ。
 「そんなことを言われると不愉快(心外、侮辱etc.)だ。」に帰着する。

 もはや議論ではありませんね。

 もちろん、このブログの読者の医師の多くの方はそのような医師ではないと思いますが、ブログの性格は発言者(コメント投稿者)の発言の影響を受けて種々の色に染まることになりますから、私の意図しない色あいが強くなるようであれば、それなりに考えます。

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コメント(15)

「この件を 『事故』 と表現されることに違和感がある」
と指摘する方には、差別語狩りの問題を想起していただきたいです。

 これは、要するにその業界や学域で定義やニュアンスが違うのに過ぎない「神学論争」です。ぶっちぇけ時間の無駄!
 批難のニュアンスがあるか?とか、頻発性があるか?とか……、モトケン先生がご指摘のとおり、マスコミさんは、事故の裏には必ず責任や責任者がいるはずだ!という暗黙の前提で調査報道紛いまでするので、過敏に反応する業界(医療に限りません)があるのは心情的にはわかりますが、それは科学的態度ではありません(キッパリ。
 類似例として、「リスク」という定義やニュアンスなどは、リスクマネジメント業界(学会)、保険業界(学会)、クライスマネジメント(学会)、公務員業界(w:行政学会・行政法学会でも定義が違う)等が、異業種間交流で討議をすると真っ先に「定義論争に入る」か、「諦めの境地に達する」か、「文化の違いを体感する」か……といわれています。
 例:「リスクの定義が異業種討論で最大のリスクコントロールの難題だ。」(笑…笑えない
 それでも地球は廻っているし、むろん議論は空回りします。常連さま各位の感情論を取捨した大人の議論を切望します。m(_ _)m

>例:「リスクの定義が異業種討論で最大のリスクコントロールの難題だ。」(笑…笑えない

その通りだと思います。で、私も文字通り笑えません。
なぜ異業種間でリスクの定義から入るかと言えば、そこで摺りあわせをしないと議論が空回りするばかりだからではないですか。
科学的に議論しようとするからこそ定義にこだわるんだとおもいますが。
実際、通常の異業種打ち合わせってそこからやってますよ。
前提条件の違う話を何で常に言い換えながら話をしなければいけないのか逆にわからないんですが。
お互い違う意味で言ってれば水と油です。言葉の違いは認識の違いであってはっきりした境界面です。
「事故」だと認識していない側に「事故」としての意見や提言を求められても困ると思いますよ。

私は事故というと「これは運悪く稀に起きたことだ。」って感じがするので、今回の件はむしろ「事件」というより「現状」ってとらえてほしいなって思ってます。
今の状況はこういう感じ、これはたまたま起きた不幸な事件では無く、今の体制ではいつ起きても不思議では無いこと。
だからみんなで対策を考えましょうねって。

そういう意味では石原知事が舛添さんが悪いって言うのもそうだけど、舛添さんは一応は何とかしないと派みたいだから、根はもっと深いとこ。

今回はたぶん搬送が早くても難しかったと思いますが、早ければ助かったのにってことも起きるでしょう。
たまたまの事故じゃなくて、いつでも誰の身にも起きるとこと認識して改善して行くことを考えるきっかけになって欲しいと思ってます。

 法律の世界で言いますと、異文化多言語多民族が当然のアメリカでは、契約書のはじめは、契約の目的と当事者の特定から入り、次に宣言文(定義)に続きます。
 アパート賃貸契約の例ですが……
-----------------------------
第3章 デクレア(宣言文・定義)
第10条 人
 a この契約では、「人」とは自然人(いかなる場合も出生前の胎児を含まない)を言い法人(ニューヨーク州法で自然人と看做される法人を含む)を含まない。ただし第8章でいう「人」は、契約当事者(第132条a項の合意管轄の準拠の場合は当事者の相続人を含まないが、同条同項以外の場合は含む。)を含まない。
------------------------------
 異文化多民族国家では、これくらい当たり前だそうです。w(゚o゚)w

 で、今回の件は、医療にとっては過失ではないんだ、ということを議論しないといけない問題なんでしょうか?

 医師の皆さんが、「事故ではない。」と言うのは、「医師に責任はない。」という意味以上の意味があるのでしょうか?

 このブログでは、「事故である。」ということと「医師に責任がある。」とはイコールではない、ということが前提になっているはずですが。

 世間の感覚を問題にするのであれば、注意書き的に指摘すれば足りる問題でしょう。

 それに、この問題に関係している立場の人たちは医師だけではありません。
 というか、個々の医師の医療行為ではなくシステムこそが問題と思われ、最終的には東京都や国まで関係してくる議論をしているときに、「医師にとっては事故ではない。だから「事故」というタイトルは不適切だ。」と言う意味がどれほどあるのでしょうか?
 そのような指摘は適切なのでしょうか?

 医師の責任回避にしか読めません。
 もっと言えば、・・・いや少しは自重しましょう。

 ない責任を、誰も問うていない責任を回避しようとして、議論が混乱しています。


>No.1 fuka_fuka さん

 禿同です。
 しばらく前から私もそう思ってました。
 説明しないと誤解を招くかも知れませんが、説明してもさらに誤解を招くかも知れませんけどね。

 自重した点について補足
 気がついた人がいるかいないか分かりませんが、「医師が崩壊している」に関連したことです。
 もちろん、「医師が崩壊」しているとしても、それが医師の責任であると言っているのではありません。
 

今回の事故は、「周産期母子医療センター」という制度が、単なる誇大広告であったことがバレタということ。
日本の高度な医療体制に対する国民の信頼感は、詐欺的な誇大広告のハリボテの安心感に過ぎない、という現実を知らしめるに格好の「事故」の事例だと思う。

少し今回の妊婦死亡事故の記事、ブログ等で詳細がわかってくるうちにこれは果たして「事故」と呼ぶにふさわしいのかと素人なりに考えさせられました。

システム面ですばやく搬送先が見つからなかった点をもって「事故」も間違いではないと思いますが、臨月間近の妊婦で脳内出血に対応できる病院を探して搬送するまでに1時間半って時間は果たして遅いんでしょうか?
もっと早く対応できる状況って現状のシステムでは無理なのでは?(どんな困難な救急でも2,3病院に連絡して対応先が見つかる状況って産科医不足が叫ばれている状況で期待しすぎなのではと思います)

現状の医療者の方々の見解はよく頑張ったって見解が多いですよね?
となるとこの症状の場合に関してはかかった時間は想定範囲内の誤差なのではないでしょうか?

そうなると「事故では無い」という見方も間違いではないと思います。エントリのタイトル自体に疑問はありませんが、事故ではないとの意見を批判する必要は無いと思います。

今回の事例は医療者側から見れば「事故」とは呼べない、現在の医療の限界との認識が一般に広まるのは医療崩壊を防ぐ手段の一つに思えるのですがどうでしょうか?

まあ、都内もボロボロだと言うことや、端末で○と書いてあったからといってダメな時も多いので救急隊はあまりこれを信用していない、ということはこのブログ等を通して勉強させていただいているので知っていましたし、継続してROMしている人たちもそうでしょう。
あ、ちなみに↓はバミュ先生とこの実写版(苦笑)です
http://ameblo.jp/sanfujinka/entry-10047563337.html

でもま、(1)「いつ起こってもおかしくない」と言う状況から一歩進んで(2)「どんなに上手くやっても救命できなかっただろうが、こういう事態が現実に生じてしまった」と言うところまで進んだ結果、こうした問題に気づかなかった人たちも気づくことになった。
さて、この次に生じうるのは(3)「もっと上手くできていれば救命できたはずだが、できなかった、と言う事態が現実に生じる」と言う段階。今回は上手くやれたからといって次も上手くやれるとは限らない以上こうした事態は遅かれ早かれ生じる。こうした事態をゼロにすることは不可能でも減らす努力はしなければならないし、そうした努力の結果救える命があるかもしれない。問題にすべきはここであることは間違いないし、モトケンさんの意図もそこにあって、議論を提案したのだろうと思います。モトケンさんは繰り返し「建設的な議論を」と言っているわけで、「事故」と言う単語の定義論争に建設的なものはあまりなかったのでは?
このブログにはほとんど生息していない「(2)の事態について医者を非難する人」と戦って「医者に責任はない!ないんだ!」と必要以上に強調することに意味はあんまりないんじゃないですかね?そんなに一生懸命、相手にする必要のない人と戦わなくてもいいじゃないですか。すぐに「医者の責任」の議論になってしまう原因に「医者に余裕がない」ということは分かるのですが、ボランティアでやっているモトケンさんにその累を及ぼさないようにするのは、この場を貸していただいてる人たちの義務・マナーではないでしょうか?
それよりも田舎の消化器外科医さんのおっしゃるように、(3)の視点から、こうした事態をゼロにするのは無理だがどの程度のリスクなら、許容できるのか、そしてそのレベルまでリスクを軽減するためにはどうしたらいいのか、と言う視点から議論したほうが建設的でしょう?んで、結論としては結局また「人・モノ・金ですね」と言うことになりそうな悪寒ですが(苦笑)、でもま、「人・モノ・金」は国民の理解が必要不可欠なわけで、そうした意味では「一歩前進した」と評価可能だと思います。日本に限らないかもしれませんが、生贄がなければ世の中は変わらないのが現実・・・

>No.10 ろくろくび さん

情報ありがとうございます。
すっごいバッテンばっかりですね^^;

このブログにはほとんど生息していない「(2)の事態について医者を非難する人」と戦って「医者に責任はない!ないんだ!」と必要以上に強調することに意味はあんまりないんじゃないですかね?

このブログの常連というかこういう事に問題意識を持っている人向けには正しいと思いますが、医療者側から見たら、世間一般から2歩も3歩も進んだ議論という認識なのではないかと思うしだいです。
マスコミもシステム問題的な論調が多くなったとはいえ、世間一般の反応はまだまだ医療者を責めるようなのもあるみたいですし・・・

なので

(2)「どんなに上手くやっても救命できなかっただろうが、こういう事態が現実に生じてしまった」と言うところまで進んだ結果、こうした問題に気づかなかった人たちも気づくことになった。

これはもう現状の体制で精一杯頑張った結果なんだと世間一般に認識してもらうところから、まだはじめないといけないと思っているのではとROMしていて思いました。

私は被医ですが、今回の件が事故か事故でないかといった言葉の意味の問題はともかく、医療関係者がそれをどちらかと言えば事故と認識していない(搬送についてはもはや現状では当然、もしくはその日時の状況で考えれば悪くない対応だったと思っている)ことと、人によっては事故(1時間以上かかるなんてシステムとしてマズいとか、あり得ないとか)と認識していることの感覚の差については、テレビやネット(ブログ)での話の流れの中で感じました。

簡潔に言えば、私には結局、何が問題なのか分からなくなりました。搬送先を決めるまでに1時間かかることが本当に問題なのか?ということです。救急である以上、早いに越したことはないのは確かだと思いますが、その1時間を「遅い」と評価するのであれば、何か基準があるのではないかと思います。例えば、救命率が1時間を境に大きく変化するとかです。

それによって命を落とすことがニュースになる(今回はそうとは言えない気がしますが)ってことは、1時間程度でも助かる頻度はまだ高いってことの裏返しにも見えるんで、混乱するのです。

それとは別に、物理的限界(リソースの問題)というのがありますよね。たとえば東京都内の今回の問題の病院の10km圏内に何人の救急にかかわる医師がいるから、週末のその時間帯の救急依頼1件あたりの平均治療時間から考えると、1時間あたり最大で救急患者何人が対応可能だとか、そういった数値で示せるものがあると思います(すでに存在するかどうかや、統計の嘘という話は別)。

それらの基準の数値があれば、それらを並べて、バランスが取れているのか否かが明確になると思うし、もしリソースの問題が明らかなら、強烈な説得材料にもなると思うのですが、そろそろどこかから出てこないものなのでしょうか。

話がまとまってなくてすみません。

 前回の「誠実」といい今回の「事故」といい、ついつい言葉にこだわる発言をしてしまって、大変反省しております。さらに墓穴を掘るかとも思ったのですが、こちらモトケンさんを悪く思っていると誤解されてしまうのは悲しいので、のこのこ出て参りました。

 どうかご理解いただきたいのですが、決してモトケンさんの言葉遣いをあげつらう意図ではなく、ましてや責任回避を狙っているのでもなく、自分の思考を表現するのに単語を足掛かりにしてしまっただけなのです。純粋なるコミュニケーション技量不足で、視野が狭いと言われれば、その通りとしか申し上げようがありません。お恥ずかしい限りです。
 モトケンさんは、医療問題に関してずっと以前からこのブログで取り組んでいらっしゃるし、ここにおいでの皆様もそれは同様だと思うので、皆様が医師を責めている等とは露ほども考えていません。

 ただ、既にご指摘のあるとおり、医療崩壊の一側面として、人々(医師も含みます)の医療に対する期待と、現実に供給しうる医療の乖離、という部分があると思うのです。そして、その乖離を埋める為には、現状の正確な把握と情報伝達が必要不可欠だと考えて、まずは「これくらいは普通のことです」というのを言いたかったのです。皆さんがすでにそういう認識は持っていた、というのであれば、全くの蛇足でした。

 ここから先は価値判断の領域なので、広く国民全体で考えなければならないことですが…
 医療に限らず国全体のリソースが有限であり、しかも経済が停滞していることを思えば、無制限に社会保障を強化するわけに行かないのも理解できるのです。今回、墨東病院が実質的に産科閉鎖状態だったにも関わらず、センターの看板も下ろせずに居たのは(この点、偽装「事件」ですね)、本当にセンターを充実させようと思ったらとてつもないリソースを食うのが、都にも厚労省にも分かっていたからでしょう。そういった有限のリソースを、脳出血を起こした妊婦が1時間以内にスマートに受け入れられることを保証する環境、というのを作るために使ってもいいのだろうか?それより老人介護とかに使わなくて大丈夫?
 そういう問題提起をしたかったのですが…つくづく言い方が悪かったです。すみません。

 個人的には、あまり医療の充実を求めるのは現実的ではないと思います。どれほど資金と人手をつぎ込んでも、不幸な結果は必ずあるのですから、ご遺族や事故の被害者を医療の枠組み以外で救う方法があればいい。そちらにリソースある程度を裂くのが建設的なように感じます。もちろん、同業者の中でもこれは相当意見の分かれるところかとは思います。
 医者の口からこういう意見を言うべきでないとお叱りを受けるかもしれません。ですが、医者が無理なものは無理だと言わなかったから、現状があるのじゃないでしょうか。お金をかければ重症患者も助かるような口ぶりは、短期的な戦略としてはアリかもしれませんが、やっぱりフェアでないと思いまして。

 長々と書いてしまいましたが、この場を提供してくださるモトケンさんと、貴重なご意見や知識をお聞かせくださる参加者の皆様に、とても感謝しております。これからも勉強させていただこうと思います。
 乱文失礼いたしました。

 有限のリソースの範囲内で最大限努力して、助かる人を1人でも救うこと、これが医療の目標だと思います。大規模災害では、断腸の思いでブラックカード(タグ)をトリアージで付けます。それは救命可能な人を優先して、助かる可能性が高くて救命救急が一刻を争う人から救うという究極の選択だからです。
 そこには「事故」も「事件」も「事例」という単語もありません。ただ1人でも多くの人命を救いたいという医療従事者(ドク・コメ・ナス)の使命感が無理しても現実を支えているからだと思います。
 2トンの荷物をベースキャンプに上げてシェルパ20人の先導で函館山や箱根山に夏登山する人(生存率は99.99%)はいない例と逆なように。午後から吹雪という気象情報が出たら午前中ピーカン(おだやかな快晴)でもヒマラヤ登頂アタックは中止になります。

「首都圏産科救急医療偽装事件」あたりが落としどころですかねえ。

P R

ブログタイムズ

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