エントリ

 別エントリのコメント欄に「弁護士が社会正義を求めて戦うというのは「二の次」だと解りました。」というコメントがありました。
 光市母子殺害事件の裁判における弁護団の主張に関してなされたコメントですが、これは誤解です。

 刑事司法における社会正義は、最終的には裁判所の判決(とその執行)という形で実現されます。
 つまり、裁判所の判断が社会正義を実現するためには、たくさんの資料があったほうがいいわけでありまして、そのために訴訟当事者である検察官と被告人がそれぞれの主張と立証を尽くす必要があります。
 そして弁護人は、被告人の代理人の立場にあるわけですから、被告人の主張を最大限に主張・立証する必要があります。

 その結果として、被告人の主張の中に真実が含まれていると裁判所が判断したのであれば、検察官の主張だけで判断するよりも、裁判所の判断は真実つまり社会正義に近づくことができます。
 逆に、裁判所が被告人の主張に嘘が含まれていると認定したならば、被告人は嘘つきであって反省していないという事情を織り込んで裁判をすることになるのであって、それはそれで裁判所の判断がより社会正義を実現することに繋がります。

 例によって誤解を恐れずに言いますと、弁護人としては被告人の言い分が真実であっても嘘であっても、被告人の主張を最大限に代弁することが社会正義の実現に資することになるわけです。
 その意味では、第一審の弁護人が恭順路線をとって被告人の主張を押さえ込んだとしますと、第一審の弁護人と現弁護団を比較すれば、現弁護団のほうが社会正義の実現を求めて弁護活動をしていると評価できます。

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コメント(219)

エントリーからズレたことで恐縮ですが、
春霞さんという方のブログで、本村さんの意見陳述を非難しておられました。
本村さんの意見陳述の内容に何か問題があったのでしょうか。そのブログで直接コメントすればよいのですが、法解釈みたいなことを羅列されても付いていけないので、どなたか易しく教えていただけないでしょうか。

たぶん・・こういう当たり前の話を聞いても
裁判を理解しない一般の人の多くはそらぞらしいこと
いってるとしか思わないんでしょうね。
自分の感性がつねに正しいといった人が多いようなので。
正しい側にいると信じて疑わない人に何かを説明するには
どうすればいいものかと思いますが根気よく
説明するしかないのでしょうね。

>No.1 素人 さん

法律はド素人ですが、単なる言葉の弄びと感じます。

春霞さんご自身が

>この陳述は、被害者の個人的な心情・意見を述べるものですから、「犯罪事実の認定のための証拠とすることができない」性質のものです。犯罪事実の認定の証拠とならないからこそ、かなり自由な陳述ができるのだともいえる

としている訳ですから、それ以降の議論自体に意味があるとは思えません。

例えば、

>明らかに日本刑法と一致しない発言なのですから、本村氏の「社会正義」とは、日本刑法を超越したものですから、被害者の立場からの発言ではなく、自分が立法府を超越したかのような立場での発言なのです。

の「超越」を見れば、いかにも本村氏の陳述が判決を左右するかのようなミスリードを起こさせようとしているのが見え見えです。本村氏の「犯罪事実の認定のための証拠とすることができない」意見が、日本国刑法と見解が違っただけです。

と素人ながらに思うのですが、いかがでしょう?
モトケン先生?
 ↓
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-575.html

 本村氏の意見陳述は意見陳述の趣旨に反しているとも逸脱しているともずれているとも思いません。
 トピずれですので、この話題はこの辺で終わりにしてください。
 このエントリは、エントリの内容について考えていただきたいという思いが強いエントリですので。

 「正義」とはつまり善悪の価値のことなわけで、
法曹というか、近代裁判制度というか、そういう文脈に
於ける「正義」と、大衆が漠然と持つ「正義」が
必ずしも一致するものではない、ということなんぢゃ?
 モトケンさんご自身も「刑事司法における社会正義」と
記してゐるように。

 そして前者の「正義」を自覚し得ない人々が居る、と。

 で、その「刑事司法における社会正義」を、法曹が
後者の正義と区別なく(もちろんそう認識するのも理解
できますが)「被告人の主張を最大限に代弁することが
社会正義の実現に資する」のように言ってしまうから、
斯様な事態の出来を招くのではないでしょうかしら。

 その責任が大衆と法曹のどっちにあるかは知りませんけど。

>No.5 ミ ´Å`彡 さん
>大衆が漠然と持つ「正義」

これの正体が明らかでないと論にならないのでは?

まず、大衆とは?
各個人の意識と、その集合体の意識が同じとは限らないから、その辺りから規定する必要が有りますね。

もし後者「大衆?の正義」が明確でないなら、法曹のプロとしては、それを引用することは許されないでしょうし。

> 例によって誤解を恐れずに言いますと、弁護人としては被告人の言い分が真実であっても嘘であっても、被告人の主張を最大限に代弁することが社会正義の実現に資することになるわけです。
 上記の部分について誤解していたみたいですが、証拠収集中に、若し被告に取って都合の悪い証拠を弁護士が取得した場合、その証拠を裁判所に提出しないということは許されている事なのでしょうか?

>No.6 MultiSync さん

 さうは思ひません。一般に「社会正義」と言われる
ものが、「刑事司法における社会正義」のみではない
ことは、さすがに認識してらっしゃるでしょうし、
この場合の「社会正義」はその当否に関係ないので。

 一例を出してみます。ある人が、ある憎むべき凶悪犯罪
について、起訴され無罪が確定した後、または時効が
過ぎた後、「実は俺が犯人でした」と言って、自分が
犯人である明確な証拠を出したとする。

 一事不再理だの時効だので、彼は裁かれることはない
ですよねえ? これは「刑事司法における社会正義」
でしょう? 彼を起訴したら大問題です。

 であるにも関わらず、明確な犯人が裁かれずに逃れる
ことを、人々が良しとするでしょうか。辯護士さんで
あっても、これには釈然としないものを感じるのでは。

 もしその犯人を、違法な難癖をつけて起訴したら、
多くの人は快哉を叫ぶでしょうが、辯護士さんは断乎、
この犯人が裁かれないことを主張するでしょう?

 もちろん、社会や司法制度を組み込む上で、あるいは
法曹のプロが、「大衆」だの「正義」だのといった
曖昧なものを安易に依拠したり組み込んだりし難いことは
承知しますが、多くの国民は「刑事司法における社会正義」
とは別の次元で考えたり動いたりしてるのではないかと。

 平たく言ってしまえば「バカ対策しとけよ」って話では
あるんですけども。

 付記。

 今回の今枝さんの件で言えば、「凶悪犯に辯護人なんて
つけるな」とか「辯護士どもはなんで凶悪犯の肩を
持つのだ」といった“義憤”を持ち、もっと言えば
今枝blogからここへのリンクを見つけて、なぜか
モトケンさんに説教を始めるような人々です。

 彼等なんかも、主観的には“正義”を為してるんだと
思いますよ。その当否はともかく。

>No.7 imawamada さん

 典型的な場合としては、被告人が接見の際に「実は俺はやってるんだけど、法廷ではやってないと言うんで先生よろしく。」とか言われた場合が考えられます。
 この場合でも、法廷で被告人が否認する以上、弁護人が法廷で「被告人は実は接見の際に私に自分が犯人であると認めております。」などということは許されません。

 一般庶民感覚からは、これが社会正義に資するとは到底認められないと思いますが、ここには制度的保障または手続的保障の考えが働いてきており、弁護人は被告人に不利なことをしてはならないという1点において例外を認めることができないのです。
 ここに例外を認めると制度全体、つまり制度としての社会正義の追及が崩壊してしまいます。
 もう少しわかりやすく言うと、その事件では真犯人が罰せられるという社会的正義が貫かれるかもしれないが、他の事件で冤罪防止としう機能が働かなくなってしまいます。
 また、証拠と言っても絶対的な証拠というものは稀にしかありません。
 厳密に言えば、全ての証拠は100%信頼できるものではありません。
 たとえ被告人の自供でもです。
 
 弁護人は検察官に対立することによって社会正義の実現に寄与していることになるわけです。

 やっぱりわかりにくいですね。
 刑事司法について、いちばん説明がむずかしいところです。
 刑事司法制度全体を理解しないと納得できないだろうと思います。
 しかし、それは一般の人にはかなり無理な注文であることはわかります。

通りすがり@茶番劇さま、モトケンさま、
ご教示有難うございました。トピずれ分はお詫びして終わります。

>刑事司法における社会正義は、最終的には裁判所の判決(とその執行)という形で実現されます。

分かりました。判決で正しい刑罰が決められ、それが正しく執行されることで、類似の犯罪の抑止にもつながり、社会正義が実現される、と理解しました。

理解はしましたけれども、日弁連のサイトにある「弁護士の使命」の解説は、バラ色と言うか玉虫色というか、この解説を普通の国語力で読んで、上のように理解しろと言うのは無理があると思えてなりません。

>モトケンさん
解説有難うごうざいました。

また、個人的な疑問なんですが、起訴後に弁護士が取得した証拠で、被告に取って不利な証拠を焼却しても「証拠隠滅」にならないと考えてよろしいのでしょうか?

どんな制度でも完全では有り得ないので、冤罪事件などで「社会正義」が守られなかった場合は、社会がフォローしていかなくてはならないのですね。

>No.9 ミ ´Å`彡 さん

趣旨がおおむね理解できました、私流に書くと。

てんでんばらばらな正義感らしき思い、そしてそれに基づく横槍に対策する技術が要りそうだ、となります。

それには表現のみならず、基になる思考も方向性を修正する必要が有りそうで難しい、と思いますがもちろん有ったほうが良いですね。

>被告に取って不利な証拠を焼却しても「証拠隠滅」にならないと考えてよろしいのでしょうか?

 焼却はまずいです。
 弁護人といえども焼却すれば「証拠隠滅」になります。
 法廷に提出しないということと焼却は違います。
 すこし難しく言うと、不作為と作為の違いです。

>No.11 素人さま

>理解はしましたけれども、日弁連のサイトにある「弁護士の使命」の解説は、バラ色と言うか玉虫色というか、この解説を普通の国語力で読んで、上のように理解しろと言うのは無理があると思えてなりません。

それは今までの法曹界が、原則全て同じ経歴基盤(司法試験&司法修習生)を持った人々の、小さくて狭い同質社会であったことに原因があります。

早い話が、法曹界の仲間内のスタンダードとしての「日本語」と、学校教育なり世間一般での「日本語」に、微妙なズレがあるということです。過去においてそのズレに一般人が気付くことも、気付く必要性もなかったのですが、今回の橋下弁護士の懲戒扇動騒動で一気に顕在化しました。

今回の騒動が無くても、いずれ2年後には裁判員制度が始まり、それまで法曹関係者のみで構成されていた法廷に6人の一般人が混じることになれば、こうした法曹界と世間一般とのズレは遅かれ早かれ問題となるところでした。その意味で今回の騒動が2年後の裁判員制度に向けて、法曹界がとるべき対策の良い検討材料になると思います。

証拠隠滅の項はプロの方に譲りますが

「「社会正義」が守られなかった場合は、社会がフォロー」の件は「社会」に期待するだけ無駄のような気がします。
一部志をった方もいらっしゃるかもしれませんが、大半はセンセーショナルな報道に幻惑され、一時の「ショー」的な見方しかしないでしょう。

また刑事裁判で広義の「社会正義」が達成されると期待してはいけないと素人なりに考えます。
原告、被告の真剣勝負で裁判官を唸らせた方が勝ちな訳ですから、義憤や大衆の価値観なんて一考だにされるわけもありません(検察側の口上として用いられることはあるかもしれませんが)。

マスコミが言う正義や義憤ほどやっかいで始末の悪いものは無いと個人的には思います。

>No.16 薬屋のIT さん
>刑事裁判で〜義憤や大衆の価値観なんて一考だにされるわけもありません

特にマスコミの謳うそれらの胡散臭さが抜けないと使えない、なのでは?
裁判の構成員も正義感や価値観は持っており、重要な基準と成っているはず。

「社会がフォロー」には立法措置や行政指導に国民が目を向け、パブリックコメントに参加し、マスコミに流されないこと。

特に、選挙に参加することが最短、最重要な手順。
その社会システムに現在はなっているので、使うべきです。

初めてコメントさせていただきます。宜しくお願いします。
「刑事弁護と社会正義」についてですけど、基本的に法曹界という業界のお話だと感じました。
しかし、2年後には民間人(私たち)が「殺人」「危険運転致死傷」「傷害致死」などを審議することになる。
今のままなら、それが現実です。
裁判官、検察官、弁護士。法律では、すべて独立した個人として判断される。ということですが、
現実には、検察官は検察庁の方針に、弁護士はボス弁の方針にと左右されています。
「公平な社会正義」だから。そんなこと言わずに、検察官はどんな方法をとっても被告人を追い込む。
弁護士は、どんな方法を使っても被告人を守る。と宣言してしまえばわかり易い。
「刑事裁判は、有罪か無罪か。量刑は正当か不当か」だけと考えれば、民間人でもわかり易い。
求刑の2/3理論があるみたいです。求刑で15年とすると判決は10年程度。求刑で死刑とすると無期懲役。
これが業界の理論ですよね。だから、検察官は、無期懲役と思っても「死刑」を求刑したのです。
その理論は、被告人にも民間人にも通じない業界理論です。だから、もう民間人(国民に)言っちゃいましょう。
本音を!!そこから、裁判員制度が始まるのです。
光市事件で、第1審の弁護人が「無期懲役」で好としたのを。控訴審の弁護人が「無期懲役」でガッツポーズをとったのを。
問題は、メディアが少年法の無期懲役の期間理論を知ってしまったから、検察側は最高裁に上告せざるを得なかった。
「死刑廃止」アメリカみたいに「広く自助救済」できれば、終身刑という設定に結びつく。

そのが私の刑事裁判の感想です。すこし過激で申し訳ありません。

 2/3理論というのは割引過ぎですが、有期懲役では判決の相場が求刑の8割というのはありそうです。あてにはなりませんけどね。
 しかし、無期懲役と死刑の求刑は違います。
 無期懲役と死刑の求刑については、検察は本気です。

>No.18 傍聴人 さん

>「公平な社会正義」だから。そんなこと言わずに、検察官はどんな方法をとっても被告人を追い込む。
>弁護士は、どんな方法を使っても被告人を守る。と宣言してしまえばわかり易い。

数学なんかもそうなんですが、結局、ここにもよく出てくる「グレーゾーン」をどうするかに、手間・暇の大半を割かれるものです。
仰るように「わかり易く」すると、このグレーゾーンで矛盾が大噴出することになる訳です。

No.10 モトケン さんの

>刑事司法について、いちばん説明がむずかしいところです。
>刑事司法制度全体を理解しないと納得できないだろうと思います。
>しかし、それは一般の人にはかなり無理な注文であることはわかります。

というのは、このようなことも含んでいると、素人ながらに理解しております。

ここまでの流れで刑事側弁護人が被告の主張どおりに真実でない事も主張する必要があることは理解しているつもりですが、今回の事件で被害者の方が存命である場合は、まともに公判の行方を見守ることが出来たのだろうか…と思ってしまいます。
小職も性犯罪事件を傍聴する機会がありましたが、被告人弁護士の被害者に対する尋問は聞くに堪えないものでした。

法曹家が言う社会正義の実現のため、犯罪被害者が2重3重の苦しみを味わうことに疑問が無いわけではありません。
もっとも痴漢冤罪の話もありますので、一律に犯罪被害者=正義とは思いません。

従って刑事裁判とは別の形で、犯罪被害者が救済されるような仕組みは必要だと思います(今もあると言えばありますが)。
「刑事裁判=社会正義の実現=被害者救済」という幻想を小生を含む一般国民が抱いている限り、この手の論争は平行線のままだと思います。

>MultiSync さん
ご指導有難うございます。選挙権を頂戴してはや十数年、一度も棄権したことはありません。


>No.15 法務業の末席さま
丁寧な解説を有難うございました。モヤモヤしてたのが晴れた気がします。
今回の騒動も2年後に向けて、よい機会になりそうだということですね。悪態つかれてるメディアも、そこは一役かったとも言えそう。

私自身、光市事件の被告人は死刑で構わないとは思っていますし、弁護団の方針にも若干の不快感はあるのですが、ただ、弁護団に対する吊るし上げみたいな「空気」がちょっとなあ・・・

No.22 素人 さん

よかったですね。パチパチ(拍手)

>No.15 法務業の末席さん
>早い話が、法曹界の仲間内のスタンダードとしての「日本語」と、学校教育なり世間一般での「日本語」に、微妙なズレがあるということです。

いろんな学会も似たような小さな村ですね。数学で言えば、「距離」と言っても、一般の人の思う距離とはちょっと違います。こっちは逆に、世間一般より範囲が広くなります(一般の「距離」⊂数学の「距離」)。そこで、「距離」は「測度」から始まってね... と言っても、一般の人は「はぁ?」となる訳です。

下手な説明ですんません(^_^;)
とにかく、よかった。

モトケンさんコメントありがとうございます。
通りすがり@茶番劇 さん意見ありがとうございます。

有期刑でも本気でやっていただきたいと私は思います。
検察官も一人で多くの案件を抱えているようですので、それもありと思います。
しかし、司法修習生が過密で薄給な判事、検察官を進路とせず、どんどん都心の法律事務所に集中し、末は会計監査法人みたいになってしまうのでしょうか。

 やっぱり本気「正義」も限界があり、私たち民間人が裁判員として借り出される。そして、裁判員の参加を理由に手間・暇を減らし迅速化ですか。そんなに民間人は拘束できませんからね。
そこで「社会正義」の名の基に裁判官は裁判員に意見を押し付けていただきたくないと思います。
わかり易くとは、「グレーゾーン」は、控訴審でしっかりやっていただきたい。と思うのは変でしょうか。

弁護士と検察が意見を戦わせる。
その結果、真実が明らかになり、裁判官が正義を実現する。
それは一種のフィクションですが、裁判の本質です。

要するに、最終的には「正義は勝つ」
そう思ってやるしかないでしょう。

人間は神様じゃないんですから、全ての真実を見抜けるわけじゃありません。
人間の出来る範囲のことを精一杯やることで真実に近づく。
それしかないでしょう。

刑事司法制度における裁判所の役割、検察官の役割、弁護士の役割に関するこのブログでのお話は大変参考になっております。
そういった皆様のお話を読みながら、自分が公判廷に被告人として立った場面を想像してみました。

そこにいたるまで警察官に取調べを受け、検察官のもとを経て、多々の調書を取られたりするのでしょう。
そしていざ公判となると、検察官から提出されようとする証拠には、自分にとって不利益な事実のみを証明するものだけが並んでいる。無理やり吐かされた自白が、さも任意の供述のように調書で出てくる。
逆に、利益となる事実の証拠・検察官の立てたストーリーに沿わない証拠が出されていない。。
こんなことが起こったら、しかも自分の主張を法律のプロとして代弁してくれる人間(現行制度上は弁護士資格を有する弁護人という人)がいなければ、法律の素人である自分は、どういう防御ができるのか、どういう請求が出来るのか等々がわからず、法律のプロたる検察官・裁判官に淡々と刑罰権の存在を確認されてしまうのだろうか。。
そう考えたら、空恐ろしくなってしまいました。
今後、裁判員制度が始まるなればなお一層とも感じました。

そういった観点から、法律のプロとしての代弁者たる弁護人弁護士は、何をすべきか・何をして欲しいかと思えば、私は被告人たる自分のために動いてくれることだと思います。
それは、自身が犯した罪に対する犯罪への反省・被害者への謝意とは別次元の問題であると思います。むしろ、反省はしている・謝罪の意思はあればこそ、そのような人は、(被害者の、国民の代弁者たる)検察官と対等の立場に置かれ、正々堂々と主張をし、全事情・事実を考量してもらって、公正な手続を経たうえうえでの裁判所の判断をいただきたい、いただくべきだと思いました。

それが全ての人間(犯罪を現に犯した者に限らず、将来起こす可能性は全ての人間にある以上は、全ての人間)に対して実現されている世の中が、社会正義の実現された世の中なのかなぁと。雑感になりすいません。

少し書き込み癖がついてしまったので失礼しますが、要は「正
義」ということでその内容として何を考えるのか、ということ
でしょう。

家主さんや法曹の方のいわれている「正義」とは「手続き的正
義」というもので、確かに論理的に精密に考えれば、法律など
ではこれが一番妥当で問題が起きないというのは確かだと思い
ます。

ただ「正義」についての哲学史などを紐解かれれば分かるとお
り、そういった「手続き的正義」しか「正義」が無いし、それ
以外の正義は誤りであるとは言えないのも確かでしょう。つま
り具体的な善や美徳と結びついた形での正義というのもありま
すし、現代の哲学や倫理学ではそういった「手続き的正義」の
みを「正義」とすることに反対する議論があるのも確かです。

で一般の人達はそういった正義を求めるのでしょうが、それが
実現できないと考えれば裁判に正義を求めるべきでないという
言い方が正しいのでしょうし、「手続き的正義」が実現される
のだというのであれば、裁判では正義が実現されるとも言え
る。

ですから「手続き的正義」以上のものを裁判に求めるのは誤り
でしょうが、同時に「手続き的正義」しか実現できないのだ、
という謙虚さを持つべきだということも確かだと思います。そ
こら辺の法の限界というのは専門家の方は当然十分自覚してお
られることとは思います。

もっとも皮肉なことですが、それこそ死刑廃止運動だとか、国
家への色々な補償、賠償を求める運動などに携わっている弁護
士の方達は、裁判にそういった「手続き的正義」以上のものを
求めるという点でパンピーと同じであるかに思えます。その
点で死刑廃止運動の方達がこの事件を取り上げるときの正義
についての考え方と、死刑を求める一般の人達が主張する正義
についての考え方は、「手続き的正義」以上のものを求めてい
るという点では共通していますね。

>典型的な場合としては、被告人が接見の際に「実は俺はやってるんだけど、法廷ではやってないと言うんで先生よろしく。」とか言われた場合が考えられます。

 凄く聞きにくい質問なのですが、こういった情報を知り得たとして弁護する時の弁護士の気持ちってどんななんだろう・・
 あと、こういった犯人がもし再犯で弁護を依頼してきたらヤッパリ受けるのかな?

 最も聞きにくい質問をしてあれですが、真犯人と分かっているのに弁護で無罪を勝ち取ったとして、他で警察が犯人が見つけた(実は冤罪)それはどうするんだろうか?

社会正義という言葉で思った事を・・・

私はここで公言しているとおり、某県警に勤める警察官、日々事件相手に仕事をしている野暮な一刑事です。
そんな職業にある私が、弁護士の先生が開設するブログで、しかも世間から集中的に非難を浴びている安田弁護士や今枝弁護士らの弁護に理解を示している事を奇妙に思われる方もおられると思います。
私自身、これまで仕事の中で弁護士の活動によって悔しい思いをした事や捜査を妨害された(と感じる)事も何度もありましたし、正直「弁護士がいなければ警察の仕事は楽になるのにな」と感じる事もなくはありません(モトケン先生すいません)。
しかし、それでも私が刑事弁護が日本の社会にとって必要だと主張する理由は、警察権力の持つ力の恐ろしさを自身の肌身で常に感じているからです。
様々な法による枷を嵌められているとはいえ、警察が国民の人権を制限する力は絶大です。
犯罪捜査の名の元に、我々警察官が必要であると判断し、裁判所からの令状を得る事が出来たならば、普通に暮らしている人の家屋にある朝突然上がり込み、プライバシーなどお構いなしに捜索を行い、逮捕すればたとえ本人が拒否したとしても強制的に手錠をかけ、身体の自由を奪う事が許されている、つまり日本国憲法に規定される基本的人権すら、一定の手続きを踏めば制限する事が可能な権限を警察は有しているのです。
私達はその力の使い方を誤らないように日々努力していますが、残念ながら警察も人間の作る組織である以上、絶対に過ちがないとは言い切れませんし、現実に明らかに間違った権限の行使が行われているのも事実です。
もしこの誤りを指摘し、不当に人権を制限されている人を救済する者がいなかったら、確かに警察の仕事は現在よりも遙かに容易なものになり、犯罪者にとっては住みにくい世の中になるでしょう。
しかしそれ以上に、国民にとってはいつ自身の人権が不当に侵害されるやもしれず、しかもその救済手段が存在しないという極めて危険な世界となるでしょう。
私はそんな世界になる事を望まないからこそ、我々の権限を監視し、誤った権限行使から国民を救済してくれる弁護士の存在を必要不可欠なものだと考えています。
警察、検察と弁護士と裁判所、この力のバランスがとれた状態でこそ、健全な社会正義が生まれると思います。

・・・と何だか力みすぎてよく分からない駄文になってしまいました、申し訳ありません。
ホントに自分の文章力のなさにあきれます。

 うーん、「国家は絶対的正義なんて語れない」というのは
荒んだ見方なんでしょうかねえ。

 どんな場合でも裁判で決まるのは「正義」などではなく
「双方の主張の妥当性」でしかないと思いますし、
司法制度やその理念にしても、それ自身が正義なのでは
なく、「公正な妥当性判断のルール」と、「そのルールの
貫徹」に過ぎないのではないかと思うのですが。

 司法それ自身に“正義”はないなどと書くと怒られるかも
しれませんが、その命題と「大衆の言う『社会正義』は
多くの場合曖昧で恣意的」という命題は矛盾しないと思います。

 上で周平さんの言うところの「手続き的正義」は、
それ自身が価値観を持たない以上、正否は言えても善悪は
言えない気がするのです。そして、だからこそ、「これ以上
遺族をを傷つけるのか」といった(誰にもある程度了承可能という意味での)「通俗的正義」に対しても優越を持つ
のではないかと思うのですがどうでしょう。

 仮に司法が正義を為すとすれば、じゃあ法律を知らぬ者、
司法的価値観を共有し得ない者は、悪であったり不正義で
あったりするのか、という話にもなるんじゃないでしょうか。

 本当に、なかなか有意義な意見がたくさんあり感動しています。
 このエントリは誹謗中傷のないとてもいいコメントが多いですね。
 昨夜(23日)の番組で、田原総一朗さんが「外宣車が十数台、自宅前に来たことがあるんですよ。年に2〜3回は警察署にお世話になります」と「ある意味、楽しんでます」これって、「覚悟」ですよね。
 法曹界のみなさんも「覚悟が必要」なんでしょうね。
 言葉の悪いH弁護士(大阪弁護士会)もTVに出るうちに、抗議、非難の殺到、いやがらの殺到、子供さんへも、しかし「覚悟を悟った」から、真正面からTVで発言している。最近は、少しトーンダウンしてますが。
「刑事裁判に社会正義」と信じて、裁判員に参加するということは、いくらプライバシーを守る。と言われても「情報はどこかで漏れる」これが事実。(判決に賛成票・反対票を投じたに区別されず)非難される。だから、これも「覚悟」が必要。

 「社会正義」を貫くには覚悟が必要。これを、多くの法曹界の方が悟ったと思います。 駄文ですみません。

正義と正義がぶつかり合うこともあるのでしょう。

(少なくとも今枝弁護士のブログからは、彼が、彼の信じる社会正義の為に弁護活動を行っていると分かります。
私以外にも理解した“一般人”はいらっしゃると思います。
それだけでも、今枝弁護士がブログを開設された事は無駄ではなかったと思います。
心無い誹謗中傷のコメントが付けられた事は非常に気の毒に思います。)

(放置すると管理人の見識を問われかねないほど低レベルなので削除。
一般人ちゃん、これ以上厨房的あおりコメントを繰り返すとアク禁第1号になりますので注意しておきます。)

>No.34 一般人 さん
口を挟んですみません。

はじめは、司法試験が受かり、司法修習するときは、貴殿の言われる広範囲の社会正義を志としていたとおもいますが、現実、それでは食べていけないと感じてしまったのでしょうね。だから、「話題の事件弁護」「大企業の顧問弁護士」「刑事裁判の国選をせずに、民事裁判に転換。」負けてを、勝っても報酬がもらえる。和解でも報酬がもらえる。元検察幹部弁護士、元日弁連会長の弁護士が詐欺社長に法律家として詐欺にあう訳けないと思いますが。スペースありがとうございます。

今枝さんが情報発信したのは「公益」だと言っていたが、
笑ってしまうほど社会正義の使命を認識してるわけです。
「守秘義務」があり「説明義務はない」なら
さっさとブログは閉じるべきでしょう(笑)

法に固執するあまり、法律ヤクザの非常識集団に
転落しないように気を付けて下さいね(笑)

核心を突いた投稿が消されるのは不本意ですね。
それに根拠の無い煽りが多数確認されますが、
巡回してないんでしょうか。
むしろ根拠無く私や橋下さんを煽ってる事に
管理人や他の人が加担してる節もありますよ。

いかに公平性を示せるかは
管理人の裁量が問われる場面ですね。

No.32 傍聴人 さん
>「刑事裁判に社会正義」と信じて、裁判員に参加するということは、いくらプライバシーを守る。と言われても「情報はどこかで漏れる」これが事実。(判決に賛成票・反対票を投じたに区別されず)非難される。だから、これも「覚悟」が必要。
>「社会正義」を貫くには覚悟が必要。これを、多くの法曹界の方が悟ったと思います。

 裁判員になったとき、田原さんと同様の被害にあうかもしれないわけです。
裁判員になられる国民にも、その「覚悟」が必要と悟られたわけですね。
 もはや「傍聴人」ではいられません。

>No.27 日本人の一人さま
仰ることよくわかります。No.30の 感熱紙(刑)さまのコメントを見るにつけ、仰るような場面での弁護士さんの重要性は益々よく分かります。
それでもなお、類似の犯罪で新たな被害者が出るのを防ぐこと、そういう社会正義を実現することは「もっと重要」なことと考えてしまうのです。
期待しすぎなのでしょうか。


>素人 さん

 具体的な再発防止策を考える前提として、本件の被告人が行った犯行はどういうものであり、被告人は何故そのような犯行を行ったのか、ということを明らかにしなければなりません。
 差戻審以前においては、そのいずれも十分な審理がなされなかった可能性があります。

 そして、既出ですが、再発防止のための司法の役割はそれほど大きなものではありません。
 行政の責任のほうがはるかに大きいです。

モトケンさまの

刑事司法における社会正義は、最終的には裁判所の判決(とその執行)という形で実現されます。
を理解するために,傍聴人さまの
弁護士は、どんな方法を使っても被告人を守る。と宣言してしまえばわかり易い。
を持ってくるなら,とても私にもわかりやすく理解できるのですが,弁護士は上記宣言をしてくれないのですよね。そこで弁護士が社会正義を実現する,真実を解き明かすと言うから,私には???となってしまうのです。

さすがモトケンさま,この例,とっても良いです。私の心のもやもやが取れる思いです。

典型的な場合としては、被告人が接見の際に「実は俺はやってるんだけど、法廷ではやってないと言うんで先生よろしく。」とか言われた場合が考えられます。

この被告人を弁護する自体に社会正義は無いですよね。でも裁判所全体で社会正義を実現している。
それでいいのに,この被告人の弁護士が,私が真実を追求していると言うから,私は,カチンとくるのです。

今枝弁護士さまの例で見てみましょうか。先に別スレッドで紹介のあった,公判を傍聴し続けた記者の視点(彼が犯した新たな罪《光市母子殺害・番外》)の中で,

確かに刑事弁護というものは一般論として、被告人の利益を最優先して真実から遠ざかる場合もあります。
上記から言えば,それは間違いではなく,むしろそれが弁護士の仕事です。ここまでは問題ありません。
ただ私はこの裁判の弁護ほど、胸を張って弁護できたことは今までありませんでした。
え,これは,今回は,被告人の利益を最優先しなかったのでしょうか。次を見てみましょう。
 私たちは被告人の利益を守るとともに、真実を追求してきました。
それを言っちゃ駄目じゃないですか。弁護士が弁護活動に真実を追究しているとか社会正義を実現すると言うから,え,それが社会正義?となってしまうんだと思います。

ただ、真実を明らかにするために全力で頑張ってきたことは信じてください
被告人の利益を最優先にがんばってきましたと言うなら,信じますが。

裁判所において,
弁護士が被告人の利益を最優先にがんばること=真実を明らかにすること
なのかもしれませんが,私みたいな一般人では,モトケンさまの解説なしにそこまで読み取れないです。できれば,弁護士は,適当にカットされるマスコミに,真実を明らかにするためとか,社会正義のためにとかを言わないほうが,反感が少ないのではと思います。

>No.41 hatty(一般人) さん
>そこで弁護士が社会正義を実現する,真実を解き明かすと言うから,私には???となってしまうのです。

一つの切り口ですが、こういうずれが生じる原因の一つは、近代国家の司法における真実というものの考え方があるかと思います。

 非法曹の方の多くは、真実という予め確定したものがあるという考え方にたたれていると思います。しかしながら、近代国家、特に英米法における司法の根底の考え方としては、真実は予め確定し存在するものではなく、適正手続、すなわち、当事者(刑事であれば、弁護士・検事)が主張・立証するプロセスにより初めて真実が明らかになる(しかもそれすら−再審等があるように−確定的なものではない)というものだと思います。

 したがって、弁護士の被告人の利益を守る行為が、適正手続きの中で、真実発見につながるという考えにたっていると思います。

弁護人が被告の利益のために最大限の努力をする。
というのは、被告人が不当に重すぎる量刑を受けないように働くと言うことでしょうか。
そして、被告人が不当に軽すぎる量刑(無罪を含む)を受けないようにするのは検察の仕事で弁護人は考慮しない。
と言うふうに感じられました。
もちろん社会正義のために法廷で完全な役割分担がされる必要があるのは理解できます。
でも感覚的にはついていけそうにないです。
そうはいっても、もし裁判員に指名されたら、踏ん切りをつけなければいけないんですね。
検察や弁護士のみなさんはどう心を納得させているのでしょうか。

No.43 cancan さん
刑事裁判に関われば、感覚的にも納得できるようになると思います。・・・多分。
目の前に必死の人(被告人ね)がいるから。
本物は説得力ありますよ。

ここで言葉だけで、人権だの正義だの言われても、
ピンと来なくて仕方がないと思います。

踏ん切りを付けるのは、裁判員になってからで十分だと思いますけどね。
ワタシは。

L.A.LAWさま

早速の返答ありがとうございます。
返答を呼んで,ますます以下のことを思いました。
弁護士が真実を明らかにするのではなく,裁判というシステムが,真実を
明らかにする。

したがって,弁護士自らが,私が真実を明らかにすると言うことには,
違和感があります(間接的には間違っていませんが)。
被告人の利益を最優先して被告人を守るまでなら,全然OKなのですが。

>No.45 hatty(一般人) さん
>したがって,弁護士自らが,私が真実を明らかにすると言うことには,
違和感があります(間接的には間違っていませんが)。

 感覚の問題なのでなんですが、たとえば、検事が、真実を明らかにするといった場合も違和感があるのでしょうか(盾の両面で、同じ事になると思いますが)。

 ちなみに、検察官は冒頭陳述において、「検察官が証拠により証明しようとする事実は以下のとおりです。」と前置きして犯行状況などの詳細を説明します。
 もちろん、それ(冒頭陳述の内容)が【真実】だと【裁判所に向かって主張】しているわけです。

(二重投稿につき削除)

No.41 hatty(一般人) さん

お話の途中で、割り込むようで申し訳ありません。

あくまで推測ですが、今枝弁護士が「真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」と言っておられるのは、「事件のあった日に、現場で被告人がどういう行動をとったのか」を明らかにするために、ということをおっしゃりたいのかな、とおもっているのですが。

わたしは、被告人が主張しているような、スリーパーホールドがかかったようなかたちになった、というのが真実であったとしても殺意が否定されるとはおもいませんが、それが真実であるなら、馬乗りになって両手で首を絞めた、というのとは明らかに違っていますよね。

被告人が被害者を絞殺した、というのが真実であっても、その行動(殺害行為)が真実のものと食い違っているならば、真実は明らかにはなっていないことになるわけで、そういう意味では、弁護側が「真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」と主張していることになんの間違いもないとおもうのですが。

モトケン様

二重投稿になってしまって、申し訳ありません。
48の方を、削除お願い致します。

>No.38 M.T.さん

私は、近年のウイニーよる情報漏洩も一部のマスコミの過度取材も起こりうると思います。裁判所に出入りする関係者をチェックして取材源にされます。今までも、そんな記事がいっぱいあった。
 アメリカの陪審員制でも一定期間、特別な場所に拘束されるのです。その方たちが、絶対、話さなかったですか。
 それにくらげれば、今の最高裁判所のHPには、義務(罰則)はあるが、しかし、「保護の部分」は明確でありません。
今の制度のままならを前提にしていまが、
「覚悟」は必要だと思います。私は「覚悟」しています。

私は以下のように理解しています(誤りも多々あるかもしれませんが。No.30 感熱紙(刑)さまと同じようなことかもしれませんが)
「裁判というシステムの中で、弁護人が与えられた役割を果たすことがバランスのとれたシステムの機能に必要不可欠である。その役割は、被告人の利益を最優先して被告人を守ることである。」

ですので、上であれば、
・弁護士がその役割それ自身
・システムのバランサーであってシステムが機能を発揮する(社会正義の実現)に必要不可欠である
というように言われれば違和感がないのですが。

>したがって、弁護士の被告人の利益を守る行為が、適正手続きの中で、真実発見につながるという考えにたっていると思います。

ですが、No.42 L.A.LAW さんのコメントのように書かれると?となります。

例えば、事故原因調査のようなものでは、「弁護士」に相当するようなポジションは無いのではないかと思いますが、それが無くても事故原因という真相に効率よく肉薄できていると思うのですが。

立証責任を有する検察側の証拠・論点に対して、被告側の立場からのチェッカーとして適切に過ちをチェックするならば、真相?に近づけるようになるというのであれば分からないでもないのですが。

L.A.LAW さま
> 感覚の問題なのでなんですが、

確かに,感覚,言葉の捕らえ方かもしれません。言葉とは難しい。

> たとえば、検事が、真実を明らかにするといった場合も違和感があるのでしょうか

このプログを読む前ならいざ知らず,今でははっきりと違和感があります。

モトケンさま
>それ(冒頭陳述の内容)が【真実】だと【裁判所に向かって主張】しているわけです。

言葉の捕らえ方なんでしょうけど,「(本当の)真実」と「真実だと主張する」ことは違う感覚なんです。検察が真実だと主張し,弁護士がいやいやこれが真実だと主張し,本当の真実が明らかになるのではないでしょうか。

青空さま
私の感覚では,それは今枝弁護士の(真実だと思っている)主張なんです。
今枝弁護士の主張が裁判所でもまれて,真実に到着するのだと思います。それを主張の段階で,真実と言ってしまう事に違和感があるんです。

>hatty(一般人) さん

>それを主張の段階で,真実と言ってしまう事に違和感があるんです。

 「真実だ」と言い切ったほうが(一般大衆に対しても)説得力がある、と弁護団は思っているのでしょうけど、その認識が誤りだったということでしょうね。

 ちなみにプロの裁判官は主張だということがはっきり分かっていますので、どういう言い方をしようが裁判官に対する説得力には大差ありません。

>>それを主張の段階で,真実と言ってしまう事に違和感があるんです。
>「真実だ」と言い切ったほうが(一般大衆に対しても)説得力がある、と弁護団は思っているのでしょうけど、その認識が誤りだったということでしょうね。

一般の文章などで「真実だ」と言い切ってしまうと、「その証拠はあるのだろう」と受け止められますし、その後の論旨などが十分でなければ「この人(会社)はそんな程度で「真実だ」と言うのだ」と不信感すら買うことになります。

「真実だ」とか「明白だ」といった用語を比較的「軽く」使っているような印象を受け、それが「弁護団に対する不信感」を生むといった要素もあるように感じます。
法廷では当然なのかもしれませんが、世間的な用法と違い、すれ違いを生む原因の一つかもしれません。感覚とか言葉の問題の範疇かもしれませんが。

>No.40 モトケン さま
素人の素朴な疑問に答えていただき、有難うございました。

>行政の責任のほうがはるかに大きいです。
その行政が再発防止の責任を果たしているかどうかについても、行政と相対する人なり組織が監視していて、不十分なら是正させる仕組みがあれば、より一層安心して暮らせる社会に近づく気がしました。
素人の感想ですので、的外れでしたらご容赦ください。

>No.51 傍聴人 さんのコメント
それにくらげれば、今の最高裁判所のHPには、義務(罰則)はあるが、しかし、「保護の部分」は明確でありません。
今の制度のままならを前提にしていまが、
「覚悟」は必要だと思います。私は「覚悟」しています。

 あなたは立派です。
 私は日本の警察が裁判員一人一人をアメリカ並みに保護してくれると信用することができません。

 ちなみに、私の事務所は拘置所の近くにありますが、拘置所の収監者を力づけるためらしく、もの凄い音量で街宣車が通ります。付近住民の苦痛ははかりしれませんが、警察は何もしてくれません(派出所の警察官も見て見ぬふり)。

 私には「覚悟」ができそうもありませんので、私が仮に裁判員になれるとしたら、なんとしても裁判員に選任されないよう頑張りますね。
 

>No.52 北風 さん
> 例えば、事故原因調査のようなものでは、「弁護士」に相当するようなポジションは無いのではないかと思いますが、それが無くても事故原因という真相に効率よく肉薄できていると思うのですが。

 システム的には、裁判についても、上記のような言わば、職権的な手続きにする選択肢はあります。

 しかし、憲法31条は、「 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」としていますが、ここにいう「法律の定める手続」というのは、単に手続きを法律で定めただけではなく、法律で、定められた手続が適正でなければならないことも、含むとされています。そして、ここにいう適正とは、英米法に言うデュープロセスで、いろいろな内容を含みますが、すくなくとも公権力が国民に刑罰その他の不利益を課す場合には、当事者に弁解と防御の機会を与えなければならないという内容が含まれます。

 「その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」、すなわち、刑事手続きにおいては、現在のようなシステムをとることが定められています。

>No.57 M.T. さんのコメント

 街宣車については、私の職場は特殊ですから、1ヶ月に5、6回来ます。少し、慣れてしまったかもしてませんが、従業員は平然と仕事を続けています。
 お陰と嫌がらせをする団体ではないようで、30分程度放置しておきますと引き上げていきます。その意味でも「傍聴人」といわれるんです。

 基本的に何をやるにもリスクを伴うものであれば「覚悟」が必要だと思ってます。
 すすんで「裁判員」をやりたいとは思いませんが、辞退する理由がないので「覚悟」していると言うことです。いけませんか? 法曹界の方は、回避できる可能性はあると思いますが。

No.53 hatty(一般人) さん

>「(本当の)真実」と「真実だと主張する」ことは違う感覚なんです。検察が真実だと主張し,弁護士がいやいやこれが真実だと主張し,本当の真実が明らかになるのではないでしょうか。

言っておられることを、ようやく理解しました。
このご発言に、なんの異論もありません。

けれどわたしは「真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」という発言を、「主張の段階で,真実と言ってしまっている」というふうには捉えてはいないので、あなたとは違ってそれほど違和感を感じていないのだとおもいます。

うまく言えないですが、弁護人も検察官も、自分たちの職務が「真実発見の過程である」ということは熟知しておられるとおもいますし、だからこそ、真実を明らかにする「ために」頑張ってきたと発言されてるとおもうのですよ。

もし、あの発言が、「わたしたちが真実を明らかにしました」だったら、わたしも違和感を感じたとおもいます。
(そして、わたしが知らないだけで、この事件に関して、どこかでそのような発言がなされていたのだとすれば、わたしも、「主張の段階で,真実と言ってしまっている」というあなたの見解に同意いたします。)

 すみません、基本的な質問なんですが、ある事実について
双方が同じ主張をし、しかも誰が考えてもそれは絶対に
ありえないだろうという場合、裁判所が「両者は同じ
主張をしているが、絶対にあり得ないから多分こうだ」
みたいな判断をすることってあるのでしょうか?

No.59 傍聴人 さんのコメント
>基本的に何をやるにもリスクを伴うものであれば「覚悟」が必要だと思ってます。
 すすんで「裁判員」をやりたいとは思いませんが、辞退する理由がないので「覚悟」していると言うことです。いけませんか? 法曹界の方は、回避できる可能性はあると思いますが。

幸い弁護士は裁判員の資格はありません。
 街宣車も1ヶ月に5、6回程度、音量もそれほどでなければいいですがね・・・。
 街宣車に限らず、今回の弁護団に対するのと同様の、脅迫、嫌がらせ行為なども予想されるわけです。
 ・・・本当に警察は守ってくれるのでしょうか。

>No.58 L.A.LAW さん

コメントありがとうございます。

・当事者に弁解と防御の機会を与えなければならないという点から、弁護士の被告人の利益を守る行為が、適正手続きにおいて必要である。

ということは、No.52でも
・弁護士がその役割それ自身
・システムのバランサーであってシステムが機能を発揮する(社会正義の実現)に必要不可欠である
というように言われれば違和感がないのですが。


と私も書いております。No.52につきましては、

>したがって、弁護士の被告人の利益を守る行為が、適正手続きの中で、真実発見につながるという考えにたっていると思います。

のコメントのように「真実発見につながる」ということを本線のように書かれると?となるということです。

>No.18.No.32.No.35のコメント
で何かM.T. さんに不快な思いをさせたみたいです。
議論の1つとしてコメントしたつもりですが、私が火をつけてしまいました。
M.T.さんすみません。モトケン(管理人)さんすみません。
 

No.54 モトケンさま
私の駄文で言いたいことが伝わるか不安だったのですが,取り合えず読み取ってもらえてうれしいです。

No.55 北風さま
そ,そうなんです。

No.60 青空さま

すみません,先の発言(No.41)でせっかくモトケンさまが良い例を挙げてくれているのに
さらりと流してしまいました。この例で考えたらどうでしょう。

> 典型的な場合としては、被告人が接見の際に「実は俺はやってるんだけど、
> 法廷ではやってないと言うんで先生よろしく。」とか言われた場合が考えられます。

この場合も,
> 弁護人も検察官も、自分たちの職務が「真実発見の過程である」ということは
> 熟知しておられるとおもいますし、だからこそ、真実を明らかにする「ために」
> 頑張ってきたと発言されてるとおもうのですよ。
と言えるでしょうか。誤解しないでくださいね。私は今枝弁護士さまが,真実を隠しているとは言っていません。ただ,今枝弁護士さまの発言も,モトケンさまの例示の弁護士も,外野からは,同じなのです。
被告人の利益を最優先して被告人を守るまでなら,全然OKなのです。逆にここを理解していると(モトケンさまの例示のことも弁護士にはありえると理解すると),なおのこと,真実を明らかにするために全力で頑張ってきたには,違和感を感じます。

真実を明らかにすること=被告人の有益なこと
だったら,どんなに幸せでしょう。ただ現実には,モトケンさまの例は極端ですが,
真実を明らかにすること=被告人の不利益なこと
の場合も,多々あるのではないでしょうか(全部でなくても部分的には)。
この場合,弁護士は真実を明らかにしない方に尽力するのですよね。
そういった職業の人から,真実を明らかにするために全力で頑張ってきたとの発言には,違和感を感じませんか。

No.64 傍聴人 さんのコメント

 全然あやまられる必要ありませんよ。
 ここはちょっとスレ違いでしたが・・・。

 「覚悟」をもって裁判員をやると言われる方を私は尊敬します。私にはそんな「覚悟」できそうもありませんから。

 私は、国民は無理に「覚悟」する必要はないと思っています。
 

>No.64 傍聴人 さん

 特に問題ないと思いますよ。

>私が火をつけてしまいました。

 え、どこに?

 このブログでは普通の流れのように思いますが(^^)

No.65 hatty(一般人) さん へ

丁寧なご返答、ありがとうございます。

>ただ,今枝弁護士さまの発言も,モトケンさまの例示の弁護士も,外野からは,同じなのです。

とあなたは書いておられますが、わたしも一外野ですが、わたしにとっては、両者は同じだとは思えないのですよ。
そのあたりが、あなたとわたしの見解が違ってくる原因だとおもいます。

わたしは、あなたの No.41 での発言の前半部分に関しては、何も異論を唱えるつもりはありません。(実際、その部分に関して、これまでのところ、何も申し上げておりません。)

わたしも、モトケン先生が例示されたような事例で、その被告人の弁護士が「私が真実を追求している」などと発言した場合には、カチンとくると思います。
それは、このエントリーでモトケン先生が書いておられる内容を理解できないからカチンときているのではなくて、書いておられることの意味合いは頭ではわかるけれども、心情としてはカチンとくる、という状態です。

けれども、今回の事件に関して、実際に今枝弁護士が「真実を明らかにしない方に尽力」したのかどうかは、不明ですよね?
それなのに、「そういった職業の人から」の発言であることだけを理由に、違和感を感じてしまうのは、少し飛躍があるのではないかな、とおもうのですよ。

普段問題行動ばかり起こしている非行少年が、おぼれているひとを助けたときに、あいつはいつも悪いことばかりしているのだから、今回の行動も善行ではなく、売名行為だ、と評価するのと、パラレルに考えることはできませんか?

あなたの書いておられる
>真実を明らかにすること=被告人の不利益なこと
>の場合も,多々あるのではないでしょうか(全部でなくても部分的には)。

このご意見に、異論を唱えるつもりはありません。
そういうことも、あるかもしれない。

けれども、今回の事件に関して、今枝弁護士が「真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」と言っておられるのであれば、わたしは、その言葉を、額面通りに受け止めることに、違和感はないんですよ。

一般論と、一事例は、分けて考えませんか? ということです。

最後になりますが、わたしは、あなたが違和感を感じておられることを、間違っている、などと申し上げるつもりはありません。あなたにとっては違和感のあることが、ほかの誰かにとっては違和感のないことだったりしますよー、ということをお伝えしたいだけです。

No.65 hatty(一般人) 様
>真実を明らかにすること=被告人の不利益なこと
>この場合,弁護士は真実を明らかにしない方に尽力するのですよね。
それで隠せればいいのですけどね。

検察側が別の方法でそれを明らかにした場合、「不利益なことを隠そうとした」という事実が残って、それが量刑に影響を与える可能性は高いでしょう。
多少逆説かも知れませんが、それも真実ではあるわけです。

三市の事件に関する弁護団のやり方は「手段」として否定できないのでしょうが、その「実効性」については自分は疑問に思ってます。
嘘つきは嘘吐きとして正しく評価されるのが真実。ということになるのでしょうね。その結果が「死刑」だったとしても、この裁判については意味があったと思います。今枝弁護士や被告はまた違う感想を持つかも知れませんけどね。

青空さま

色々と指摘してもらってありがとうございます。すらすらと回答できれば楽なので
すが,自分の考えさえ,ちゃんと定まっていないので,以下,もしきつい文面があ
ったら,ごめんなさい。

根本的な所ですが,
> けれども、今回の事件に関して、実際に今枝弁護士が「真実を明らかにしない
> 方に尽力」したのかどうかは、不明ですよね?

この書き方ですと,もしかして,青空さまは,真実を明らかにしない方に尽力する
ことが,弁護士として悪と,捕らえていませんか? 私はモトケンさまのプログを
読むようになってから,もしその方が被告人を守ることになるなら,弁護士として
善なんですよ。(これも誤解しないでくださいね。モトケンさまの考えではなく,
このプログを読んだあくまでhattyの考えです。)

> 一般論と、一事例は、分けて考えませんか? ということです。

通常は,一般論で行かないといけないと思いますが,敢えて一事例で。

あなたの書いておられる >真実を明らかにすること=被告人の不利益なこと >の場合も,多々あるのではないでしょうか(全部でなくても部分的には)。

このご意見に、異論を唱えるつもりはありません。
そういうことも、あるかもしれない。

けれども、今回の事件に関して、

なぜ,今回は違うと言い切れるのでしょうか。

例えば,最近話題になった『僕をなめないでいただきたい』ですが,
今枝弁護士さまのプロブと
公判を傍聴し続けた記者の視点(彼が犯した新たな罪《光市母子殺害・番外》)
http://fukutomim.iza.ne.jp/blog/entry/306233/

http://notonlyyoutube.blog105.fc2.com/blog-entry-68.html
と,ニュアンアスが,かなり違うとは思いませんか。

今枝弁護士さまの言う真実とは,あくまで弁護側の真実,つまりは主張なんです。
法曹界では,主張を真実ということは問題ないようですが,私には,つい,それ
真実でなく弁護側の主張でしょと言ってしまいたくなるのです。

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実の所,『僕をなめないでいただきたい』時の状況(真実)が知りたいです。
何でこうも,違うのかなぁ。その内,傍聴者がどっかのプログに書いてくれるのかな。

 その意味では、第一審の弁護人が恭順路線をとって被告人の主張を押さえ込んだとしますと、第一審の弁護人と現弁護団を比較すれば、現弁護団のほうが社会正義の実現を求めて弁護活動をしていると評価できます。

ごめんなさい。物分りが悪くて。
恭順路線を取って,死刑を回避することは,悪いことでしょうか(結果論ではなくて)。
-----------
私は,始めはこの被告人を極悪の乱暴者と勝手に思っていたのですが,最近の裁判経過
を聞いていると,なんと幼い・幼稚なんだと現在思っています。
-----------
第一審の弁護人が,被告人と接見してこの被告人の主張を展開するより,恭順路線を取るのもやむなしと判断したと思うのですが,弁護士に社会正義の実現を求めるのなら,間違っていることになりますね。

弁護士は社会正義の実現を求めた弁護活動を要求されるのでしょうか。
弁護士は、被告人を守ることのみに全力を尽くすでは,まずいのでしょうか。
弁護士が被告人を守ることのみに全力を尽くす結果,裁判というシステムにおいて,真実が明らかになり社会正義が実現される では,まずいのでしょうか。

今回で言えば,弁護側が,恭順路線を取って死刑を回避しようとしたが,検察側が被告人を追い込み(例:手紙を暴露),差し戻しとなり,社会正義の実現に近づいたでは,まずいのでしょうか。

No.70 hatty(一般人) さん

ご返答ありがとうございます。
伝わるように書くのは、むずかしいなぁ、と痛感しております。
まず、問いにお答えしますが、

>真実を明らかにしない方に尽力する
>ことが,弁護士として悪と,捉えていませんか?

とのご質問ですが、わたしは、弁護活動とはそのようなものである(結果的に真実を明らかにする方に尽力したことになる場合もあれば、結果的に真実を明らかにしない方に尽力したことになる場合もある)とおもっておりますので、どちらかを善であり、どちらかを悪であるといったような価値判断はしておりません。

カチンとくる、というのは、腹立ちを感じることがある、ということを述べています。
弁護活動として相応しくないからカチンときているのではなく、弁護活動として相応しいとしても、それでもカチンとくる、という心情を申し上げております。


それから、ここで、一般論と一事例を分けて考えませんか、という発言をした理由を述べますね。

あなたは、No.41 の発言の中で、今枝弁護士の具体的な発言(「真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」他)を例に挙げて、それを信じない、と言っておられ、また、No.53 の発言のなかで、違和感を感じる、と言っておられますが、今枝弁護士の発言は、一般論を言っておられるわけではなく、あくまで今回の事件に関してご自身がどのような弁護活動をされたのか、という内容の発言ですよね?

ですから、あの発言についてコメントするのであれば、この事件に限定して考えるのが相応しいのではないか、とわたしはおもうからです。

もしあの発言が、一般論として述べられたものであったり、また、「わたしは常々こういった弁護活動をしてきました」といった文脈で述べられたものであったならば、わたしも、分けて考えませんか、などという発言はいたしません。


それから、
>なぜ,今回は違うと言い切れるのでしょうか。
との問いにお答えしますね。

わたしは、今回は違う、と断定しているわけではありません。(もしそのように読めてしまったのだとすれば、それはわたしの文章力のなさが原因ですので、お詫び申し上げます。)

今回の弁護活動が、結果として真実を明らかにする方に尽力したことになるのか、結果として真実を明らかにしない方に尽力したことになるのか、不明ですよね、と申し上げたいのです。
そして、不明ではあるけれども、実際に弁護活動、つまり被告人の利益を図るための活動をされた方が、わざわざ「被告人の利益を守るとともに、真実を追求してきました。」「真実を明らかにするために全力で頑張ってきたことは信じてください。」と言っておられるのであれば、今回の弁護活動は、「被告人の利益を図るもの」であり、かつ、結果として「真実を明らかにすることにつながるもの」でもある、と、信じてもいいのではないですか、と申し上げたいのです。

あくまで、「信じてもいいのではないですか?」という1つの見解であって、「信じるべきである」とか、「信じないのは間違いだ」とか申し上げたいのではないですよ。

ですので、『今回は違う』と言い切っているのではなくて、『少なくとも今回の弁護活動については、違うかもしれない』というふうに考えることもできるのではないですか? と申し上げたいのです。
『今回も違わない』と考えることも、当然にアリです。

ただ、『今回も違わない』と、考える背景に、「そもそも弁護活動というものは結果として真実を明らかにしない方に尽力することもあるのだから、個別具体的な事件について弁護人がどんな発言をしようとも、そのような発言はすべて疑わしい」というような心理が働いているのだとすれば、それは、わたしが例にあげた非行少年の行為を断定的に評価するのと、パラレルに考えられるのではないですか、というのが、わたしの見解です。

もし、そのような心理とは無関係に、「個別具体的な事件についての発言であったとしても違和感がある」とお感じになるのだとすれば、それは感じ方の違いですので、その点について、なにも申し上げるつもりはありません。

今枝弁護士のブログと、福富記者のブログでは、かなりニュアンスが違う、ということは、存じております。
(申し訳ないですが、リンクを貼って下さった動画は、わたしの環境では見ることができませんので、それについてはコメントできません。)

繰り返しますが、
>真実でなく弁護側の主張でしょ
というあなたの見解には、異論はありません。

>No.70 hatty(一般人) さん

あくまでも一般論として。

「真実を明らかにしない方に尽力する」の意味が問題だと思います。
被告人には黙秘権が保障されていますが、嘘をつく権利までは認められているとは解されていないと思います。
当然、被告人の代理人である弁護人も真実に反することを知りながら虚偽の証拠を提出することや、証拠を隠滅することは認められていません。

これは、弁護人には積極的真実義務は無いといわれます。
有罪の方向に働く積極的な証拠を提出する義務はないが、実体的真実発見を妨害するような活動までは認められないということです。

弁護人が、被告人が罪を犯したことを知ってしまった場合に、被告人に法廷で真実に反する供述をさせることが弁護人として許されるか否かというあたりが限界事例となってきます。
私は被告人には言いたいことを言わせた方が良いと思っていますが、この辺りは弁護士の方でも意見が分かれるようです。

弁護士の方は真実を知ってしまうと、弁護活動に支障が出てしまう場合もあるので、真実を調査するには注意が必要だし、真実を知るべきでもないのかもしれませんね。

まずははじめまして、一読者として考えさせられました。法務に関わる難しさを理解できました。
そして、一つ二つ特殊な例かもしれませんが、疑問があるので、質問させていただきます。素人として、用語の使い方に間違いはあるでしょうが……。

一つ目は、弁護側が最高裁まで徹底的に争った結果として決定された場合。その結果が弁護側の主張され、個人的に確信されている「真実」と大きく異なったとしても社会正義はなされたとみなすのでしょうか。

そして、もう一つの疑問は、被告の主張が「自分は冤罪であるが、真実が明らかになると困るので有罪にしてほしい。」、もしくは「どれほど反省しても、償いきれない罪を犯した、死刑にしてもらいたい」等。被告人の主張が罰を望むものである場合、弁護士はどう行動すべきなのでしょう。

単純な疑問ですが、お答え頂ければ幸いです。

青空さま
> 伝わるように書くのは、むずかしいなぁ、と痛感しております。

いえいえ,私の読解力のなさが原因ですので,気になさらないでください。

> 不明ですよね、と申し上げたいのです。

不明ですが,今枝弁護士さまは,当然ですが弁護士の立場で発言しております。私は,検察の言っていることは,検察の言っていることとして聞き,弁護士の言っていることは弁護士の言っていることとして聞きます。つまり弁護士は,被告人を守ることに全力を尽くしてくると前提のもとで聞きます。

もう1つに,物事に1 or 0 は,ありません。信じる or 信じない,違う or 違わない 信じるや違うの前に一部を付けてください。
そのために,『僕をなめないでいただきたい』の解釈を載せました。今枝弁護士のブログと、福富記者のブログのどちらが正しいかではないのです。どちらも正しい所もあるし正しくない所もあると思います。また,見方によっても変わると思います。

なんか段々このプログの題目とずれてしまいました。すみません。
私には傍聴人さまの言われた
> 弁護士は、どんな方法を使っても被告人を守る。
が,ぴったりきたのです。そして物事に100%などありません。
・真実を明らかにすること ・被告人の有益なこと
が=で結ばれることはありません。≒ならありますが。

> ですので、『今回は違う』と言い切っているのではなくて、
> 『少なくとも今回の弁護活動については、違うかもしれな
> い』というふうに考えることもできるのではないですか?
> と申し上げたいのです。
考えることもできます。でもそれは,上記で=で結ばれるような違和感はあります。

メソ(一般人)さま
そうなると,モトケンさまの仮定 No.10

典型的な場合としては、被告人が接見の際に「実は俺はやってるんだけど、法廷ではやってないと言うんで先生よろしく。」とか言われた場合が考えられます。
の回答はどうなっちゃうんでしょう。どうやって弁護するのでしょうか。

No.76 hatty(一般人) さん

よろしかったら、こちらのブログの設問と回答をご覧下さい。

http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_a339.html

No.72 に追記です。

最後の3行の、書き方は不適当でした。

----------

弁護側が公判で、これが真実です、と主張立証している内容を、
>真実ではなく弁護側の主張でしょ
と捉えることに、異論はありません。

けれど、No.60 で述べたように、そういった主張立証による弁護活動を通じて、「真実を追求してき」た、と発言されることにも、「真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」と発言されることにも、わたしは違和感を感じてはおりません。

----------

という発言に、訂正させてください。


No.75 hatty(一般人) さん へ

たしかに、このエントリーとは若干ずれてきていますよね。
けれど、「刑事弁護」というものをどのように考えるか、という観点ではかすっているかな、とおもうので、もう少し書かせて下さい。

>今枝弁護士さまは,当然ですが弁護士の立場で発言しております

もちろん、そうです。
「今回の事件に関して」担当弁護人として、弁護士の立場で発言しておられるのです。

わたしは、信じることも信じないこともできますよー、と書きましたが、それはもちろんあなたのおっしゃるとおり、一部信じることも、一部信じないことも、否定するものではありませんよ。

あなたは、真実を明らかにするような弁護活動と、被告人に有益な(被告人を守る)弁護活動とが、完全に一致することはない、というお立場なのですね?

わたしは、完全に一致することもあるのではないか、と考えています。

そのあたりが、違和感を感じる感じないの違いにつながったのだなぁ、と大変納得いたしました。

今枝弁護士の涙ながらの弁明は、確かにプロとしていかがないものかと眉をひそめるようなものだったけど(特にビジュアル的に)、一面、この人は本当に真実を明らかにしようとしてプライドをもって辛い中がんばってきたんだな、と思った人も少なからずいると思います。
そういう人が少しでもいるならば、ある意味うまいプレゼンテーションだったのかもしれません。
批判的な人はもとから弁護団に対し批判的なバイアスがかかっているのでしょうから、評価が悪化したとも思えません。

>No.76 hatty(一般人) さん

まずは、No.77 M.T. さんがご紹介してくださったブログにあるように、否認または虚偽の供述をすることのデメリットを説明することから始めると思います。

それでも被告人が納得しない場合は、弁護人はおそらく立証不十分という理由で無罪の弁論をするのだと思います。
真実を知っている以上、被告人主張のストーリーに乗るわけには行かず、かといって、被告人の意思に反して有罪を前提に情状弁護をすることも問題となるでしょう。
しかし、犯罪事実は検察官が全て立証責任を負っているので、その立証が不十分だということを主張することは、虚偽を述べることではなく、被告人の意思にも反しないと考えられるからです。

聞いている裁判所としては、なぜ被告人の主張と異なるのだろうと思うでしょうけど…

こんばんは

私はモトケンさんがNo10で述べられていた「制度としての社会正義」についてなんとなく分かったような気がした素人です。

さきほど「そこまで言って委員会」のBBSを見てきました。2007/09/23 (Sun) 09:35の投稿の中に「裁判とは基本的には被害者のためにあるのではないのですか?」という一文がありました。最近他のブログでも「被害者のために行われる裁判であんな弁護をするのは許されない」旨の文を見かけて思ったことがあります。

 私も最近まで刑事裁判というのは被害者対加害者で行われるものだと考えていて、実際はそうではなく国対被告人で行われるもので、だと知ったときに「眼から鱗が落ちた」に近いような気分になったのです。また、そのことを知ったから「制度としての社会正義」というのがなんとなく理解できたのではないかと思うのです。

 弁護団が社会正義に反したやり方をしていると主張する人たちの多くも、刑事裁判は被害者のために行われるもの、と認識しているのではないかなぁ と思います。だから「弁護団が被害者を傷つけるやり方をしているのは許せない 」と言って怒る。(そりゃ、故意にやるのは許せないですけど)

モトケンさんは

>刑事司法について、いちばん説明がむずかしいところです。
 刑事司法制度全体を理解しないと納得できないだろうと思います。
 しかし、それは一般の人にはかなり無理な注文であることはわかります。

と書かれていましたが、私も自分の中で感覚的な「社会正義」と制度上の「社会正義」とどう折り合いをつけていいのかよくわかりません。例えば自分が裁判員になってしまったとき、必要とされるのはどっちなのかなぁと考えてしまいます。

>alpsmd_1000 さん

 はじめまして
 問題意識をもっていただければ十分でないかと思います。
 もし、裁判員になられたときは

   証拠に基づいて事実認定をする。
   疑わしきは被告人の利益に。

 この二つを念頭においていただければいいと思います。
 しかし、気になるのはマスコミバイアスです。
 マスコミは証拠を見ずに報道します。
 特に否認事件の場合、マスコミ報道を忘れることができるかどうかがキモのような気がしています。

>No.81 alpsmd_1000 どの
>私も自分の中で感覚的な「社会正義」と制度上の
>「社会正義」とどう折り合いをつけていいのかよくわかりません。

私を含めて、一般の人間の「社会正義」なんて、
どうせといっちゃなんですが「その場限りの社会正義」です。
(すなわち、そんなものは状況しだいでコロコロ変わるし、
また、人によってもけっこうまちまちだったりする)

そういう自覚と、あとは、目先の現象に振り回されない、
という決意があればよいかと (^^)

弁護人が個人の感情を越えて、被告人に有利な弁護を行う職務を負う事が、裁判所の判断により社会正義を実現するために必要である事は理解していました。
(ただ、“弁護人は、被告人の言い分が嘘であると知っていても、被告人の主張を最大限に代弁すべきである”というまで、徹底した物だとは知りませんでしたが…。)

上記を理解するのに、法律素人でも私は困難を感じませんが、理解しにくい方は「弁証法(dialectic)」や「ディベート」等の意義を考えれば理解の助けになるかもしれません。

弁証法とは
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CA%DB%BE%DA%CB%A1

ディベートとは
http://www.kt.rim.or.jp/~jda/intro/intro1.htm

つか

>弁護人が個人の感情を越えて、被告人に有利な弁護を行う職務を負う事が、裁判所の判断により社会正義を実現するために必要である事は理解していました。

なんてみんな分かってんだから、何百回同じ事言ってんだよ。
そんな前提に固執して、その先の話をしないから
世間から馬鹿にされるんだよ。

上の前提を理解してなかったら凶悪犯罪者の弁護人に
毎回毎回非難や抗議が殺到して懲戒請求の嵐になってるよ。

>>85 一般人様
私自身が、感覚的な「社会正義」と制度上の「社会正義」と折り合いをつける際に役立った経験・知識でしたので紹介させて頂きました。

十分お分かりの方には、繰り返しの内容になり申し訳ございませんでした。

>mashさん
私もここまで読んで、あらためて「ディベート」というものに日本人は馴染みが少ないことも遠因だったりするのかな、と安易な印象感想を持ちましたよ。

空気を大事にする社会によるためか、日本人は当事者構造のロールプレイ自体に論理的な意味を見出す契機が少ないんではないでしょうかね。そう考えると、裁判に遠山の金さんを期待する人の思考回路もわからないでもありません。

そのことへ、「近代的な裁判制度がわかってない」などと教科書的な反論をしてしまうと、「法律の常識は世間と乖離している」という反応を受けて、結果としては空回りしてしまう。

なにか川島先生の『日本人の法意識』を想起させるような状況ですね。

No.82 モトケンさん

しかし、気になるのはマスコミバイアスです。
 マスコミは証拠を見ずに報道します。
 特に否認事件の場合、マスコミ報道を忘れることができるかどうかがキモのような気がしています。

アメリカの陪審制度の話ですが、O.J.シンプソン刑事事件で無罪評決に関わった陪審員の一人が、そのあたりについて語っている記事がネット上にありました。

個人的に最も興味深く思ったのは、文末の

もっと重要なことは、テレビで一般の人には見せられたが、陪審員には見せられなかった"証拠”(却下された証拠も含む)がある、ということです。つまり、一般人が見ている裁判と、私たち陪審員が見ている裁判は違うということです。もし、陪審員が一般の人と同じものを見ていたら、「無罪」の判断が変わっていたかも知れません。

のあたりです。
しかし、9ヶ月に渡って一般社会から隔離されるとは・・・
裁判員制度はどんな風に運用するんでしょうねぇ(嘆息)

今回の光市母子殺害事件での私が考える社会正義=被告人の極刑であり、それが多くの国民(勝手にですが)の考え方だと思っていました。そして、それを理解しない法曹界は世間と乖離していると非難していました。

しかし、ここでの議論を読み、時々参加をして制度上の社会正義と私のように感情的な社会正義とは分けて考えなければならないと思いました。

事実は一つしかないはずですが、その事実ですら立場が違えば別の解釈となり、事実≠真実ではなく、真実≠正義でもないのだと思います。それをモトケンさんや感熱紙さんのような専門家の話で少しは理解し、被告人や被告人を弁護する弁護人を闇雲に非難することは違うと思うようになりました。

検察・弁護双方が主張を行い、どちら側に客観的に合理性があるかを裁判官が判断をする。我々非専門家はそれに委ねるしかありません。
それでも心情的に納得できないときは、悪いことをすれば罰せられる、悪いことをしたのに間違ってお上が罰してくれなければ、神様がちゃんと見ていてきれて地獄へ送られるさ。と思いつつも、やはり制度上の問題があれば解決するためには声を上げなければならないと思っています。

何をもって悪とするのか?法律に触れれば悪で、触れなければ悪ではないのか。いや、それだけではない道徳観を日本人は持っていると信じています。その道徳観に基づく社会正義と現実の社会正義のギャップが広がらないよう願っています。

>>87 neco様

仰る内容に共感を覚えました。
また、「日本人の法意識」(岩波新書・川島武宜)の書評を拝見しましたが、興味が湧きました。機会があれば是非読んでみようと思います。

そもそも民主主義や自然法に基づく社会契約説等の思想・政治哲学自体が、外来から入って来た物です。立憲民主主義の仕組みを理解しても、日本人の感覚的には腑に落ちない部分があるのかもしれません。
そういえば、技術・制度を輸入する事はできても、その背景にある理論・思想については容易には根付かないのではないかという事を、夏目漱石が明治時代に早くも指摘し、これを「皮相上滑りの開化」「接木」等と比喩して懸念していました。

ご指摘のように、近代的な裁判制度とその合理性を説明されていても、「理解はするが、司法の世界の常識は世間の感覚と乖離している気がする」という感想をお持ちの方がいらっしゃるのは、上述の背景にも一因があるのかもしれません。

∞(無限大)
こちらのブログも最近、議論が活発にされており、私も大変参考にさせていただいており、以前は光市事件の弁護団に対してだいぶ嫌悪感がありましたが、今は弁護士も検察も各々の職責を全うすべく(いろいろな批判があるにせよ)がんばっていらっしゃるんだな、と思えるようになりました。皆様ありがとうございます。
他のカテゴリーで>エンパワーさんの書き込みで思い出しこちらのカテゴリーへ書かせていただきましたが、中学生の時、無限大の説明をしてくれた数学の先生が、たとえば1メートルの距離を半分ずつ進んだら目的地に着けるかな?永久に着きませんよね、常に半分ずつの距離があるんですからーーー。
かなり変な例え話で恐縮ですが、社会正義を裁判官の方が実現する為には、どうしても埋めきることができないこの微妙な距離を最後にはどちらかなのかを判定する事なのでしょうか?
本当に素人質問で申し訳ございませんが。

「一般人」や「一国民」を名乗る人が「社会正義」を持ち出した場合、それは彼らの感情に合致しないと言う意味です。
彼らは大勢をしてひとつの価値観を共有しているので、その多数と言う点を持ってそれを「社会正義」と呼んでいるわけです。

客観的には、明文化されている日本において守るべき唯一絶対の価値観は日本国憲法でしょう。
もし「社会正義」と呼べるものがあるとしてこれ以外のものは認められるべきではありません。
なんとすれば、もし感情に基づくひとつの価値観が
憲法を優越するなどと言うことになったらこの国が成立しなくなってしまいますからね。

>92ponさん
ありがとうございます。
なんとなく、感覚的には理解できましたが、「社会正義」が二とおりに分かれているように思えましたが、憲法に対する考え方には同感なのですが、個人的には「一般社会正義」と「法曹社会正義」の2種類あることにはなにかしっくりこなくて、(前述の様に感覚的にわかっているつもりですが)この2種類が一種類になるように様々な裁判の判決が下されるようになれることを願います。

O様
あなたの言わんとすることを表現するのに「社会正義」と言う大仰な言葉を持ち出す必要はありません。
ある一人の人間、あるいはある一人の人間が「これが正しい」と思っただけのことは「社会正義」にはなりえません。
それは単にその人個人の価値観であって、それ自体は尊重される必要はあるにしてもそれが実現されるかどうかはこの国ではまったく保証されません。
あなたは2種類と言いましたが、2種類どころではなく
日本には数千万(あなた方の分を差し引いて)の種類の価値観が存在して、その多種多様な価値観それぞれを尊重しながら利害関係を調整するのが”法”です。

そしてあなたの最後の行、本当にそれを望んでますか?
あなたの価値観が全否定されて、「法曹社会正義」にあわせろと言われてそれを納得して実行しますか?

現実的に不可能だしそんな国嫌ですよね。

う〜〜ん、なんか噛み合ってないような・・・
いま世間的に言われる「社会正義」なるものは、応報論的な報復感情だと思うんですわ。

それはそれで否定するものじゃないんだけれども、国が被告人に刑事罰を科する(=被告人の人権に制限を加え、或いは奪う)には法的に正当な手順を踏む必要があるんで、世間の人の報復感情(あんな奴すぐさま吊るせ!みたいな)を満たしきれないってことなんじゃないですかねえ。

「法的に正当な手順」の中には罪となる事実の確定作業も含まれるわけですが、世間サマはもう既に俺様ルールに基いて「罪となる事実」を決め付けちゃってるわけですな。
いままさに公判で問題になっているのが「罪となる事実」がどのようなものであったのか、なのに。

No.95 惰眠 さん

>う〜〜ん、なんか噛み合ってないような・・・
>世間サマはもう既に俺様ルールに基いて「罪となる事実」を決め付けちゃってるわけですな。
>いままさに公判で問題になっているのが「罪となる事実」がどのようなものであったのか、なのに。

まったく同感です。うちの家族に聞いたところ「そんなの死刑に決まってる」がやはり第一声でした。そのくせ裁判記録をどの程度知っているかと言えば、マスコミ報道のしかも一部だけ。殺人と傷害致死の定義の厳密な違いも知りません。これが所謂「世間の風」なのかと改めて実感しました。

>No.92 pon さん

 言いたいことはわからないでもないが、安直に「日本に
おいて守るべき唯一絶対の価値観」とか、「「社会正義」と
呼べるものがあるとしてこれ以外のものは認められるべき
ではありません」なんて言葉は使ってほしくない。

 憲法も人権も法律も、所詮は極めごと・ルールでしょう。
「極められたルールを守りしましょう」というのは、
「論理は矛盾しないようにしましょう」というのと一緒で、
これに「正義」とい名詞をあてるにしても「形而上的正義」
とか「メタ正義」とかいう性質のものであって、
それ自体が価値観でも善悪基準でもなんでもない。

 勿論だからといって安直に「社会正義」に逃げ込んで
いいわけじゃないが、法律だの憲法だのそのものに
価値観を認めるなんて倒錯も甚だしいのでは。

 それに、法それ自身が正義なら、じゃあ改憲や法改正は
如何なるものによって認められるのかって話です。
「個々人が正義を欲する結果として明文化された約束事」
という評価なら、その通りだと思いますが。

ミ ´Å`彡 様
>明文化されている日本において守るべき唯一絶対の価値観は日本国憲法でしょう。

そうですね、あまり適切な表現ではないですね。
特に憲法を指して価値観と表している部分。
価値観は自由だと私自身言ってるわけですから。
ただ、価値観と言うものは一般的に明文化できるものではなく、一方で憲法には各権利を守るべき者だと言う「価値」を明文化しているわけですから、その意味で言いました。

>「「社会正義」と呼べるものがあるとしてこれ以外のものは認められるべきではありません」
これについては少しだけ補則を。
国民一人一人がいかなるものを「社会正義」と位置づけるのは自由です。
ただしそれを他人に守るように要請、期待できるのは法の枠内においてのみです。
法によらない「正義」を他人に守るように要請することはそもそもできませんから。

> それに、法それ自身が正義なら、じゃあ改憲や法改正は
>如何なるものによって認められるのかって話です。
>「個々人が正義を欲する結果として明文化された約束事」
>という評価なら、その通りだと思いますが。

その通りですね。


通りすがり@茶番劇 さん
>まったく同感です。うちの家族に聞いたところ「そんなの死刑に決まってる」がやはり第一声でした。そのくせ裁判記録をどの程度知っているかと言えば、マスコミ報道のしかも一部だけ。殺人と傷害致死の定義の厳密な違いも知りません。これが所謂「世間の風」なのかと改めて実感しました。

あなたの家族は本能的に感じ取ってるんでしょう。
長時間首絞めて2人殺して強姦したら死刑です。
これが世間の常識ですよ。


>一般人 さん

 質問があるんだけど
 どうしてそんなアイデンティティのかけらも感じられないハンドルネームをつけてるの?

>92
>94ponさん
ちょっと気分を害されるかもしれませんが、あなたがおっしゃるように単に個人個人の個人としての「社会正義」のことを私も論じているつもりは、毛頭ございません(私が個人的には、と表現したからかもしれませんが)、最後の行でー現実的に不可能だしそんな国嫌ですよねーと、仰っていますが、そのような言葉で論じられてしまったら、では何の為、誰の為、の裁判、憲法、国家なのですか?それを限りなく、突き詰めていく為に、各ポジションでみなさんが努力されて頑張っていらっしゃるんじゃないのですか?暴論的にいえば、あなたのような、ド素人には、「正義」などという言葉は、使う価値はありませんよ。というぐらいにうけとれますが。

No.99 一般人 さん

>あなたの家族は本能的に感じ取ってるんでしょう。
>長時間首絞めて2人殺して強姦したら死刑です。

そうなんです。特に女性からすれば、性犯罪者はすべて死刑のような感覚なんだそうです。今まで法律を作ってきたのが男性だから男性には分からないだろうと。でもそれは、司法に向けるべき指摘ではなくて、立法に向けて行うべき指摘だと思います。司法はあくまで既存の法の中でしか動けませんし、動き出したら大変です。一応、お付き合いしてみました。

No.100 モトケン さん

>アイデンティティのかけらも感じられないハンドルネーム

申し訳ありません。私のHNこそ「釣り人」そのものなので...

モトケン さん
まぁ名前なんでどうだって良いでしょう。
それよりも掲示板の管理人、審判者として
身の振り方に気を付ける事です。
自分が煽ってはもはや他人の書き込みを削除する
資格を失ってしまいますよ^^

通りすがり@茶番劇 さん

まぁ司法に期待してるんでしょう。
人々から社会正義を思う心が無くなったら
法(ただの決まり事)に支配された愚民でしかない。
社会的不条理を感じとり正義を思う心があるから
人間は発展する事が出来るんですよ。
それと自分の親の事を馬鹿にしてはいけない。
これは常識です。

No.91, 93, 101 の O さまの疑問点に対応している回答かは分かりませんが・・・

一般的な感覚に照らして、「それを処罰できないのは明らかにおかしいだろう!」 という結論を導くことになるルールが、刑事司法 (憲法、刑法その他刑事実体法、刑事訴訟法) の中に埋め込まれています。そもそも。
一般人視点で 「明らかにおかしい!」 の典型としては、「真犯人を処罰することを禁止する」 ことになるルールでしょう。
ぱっと思いつくだけでも、公訴時効、二重の危険の禁止、自白法則、違法収集証拠排除法則、等々。
調べればもっともっと出てくると思います。

そういう意味では、法的な 「正義」 は社会一般の 「正義」 と乖離しているという指摘は、法曹側は素直に聞かないといけないと思います。

じゃあどうすれば、法的な正義と、社会一般の正義とは折り合いがつくのか。

私が考えているのは、そういう 「法的な正義としての諸ルールが遵守されている社会」 は、 「目の前の真犯人(と思しき人物)を容易に処罰することができ、局所的な正義を貫徹することができる社会」 よりも暮らしやすい、社会全体の幸福の総量が多い、ということを立証するという説明です。

その説明ができれば、光市事件の被告人について仮に殺意が否定されたら死刑を科すことができなくなること (=傷害致死は殺人と区別され、死刑を科すことができないというルールになっていること) など、現在採用されている 「法的な正義」 を貫くことに例外を認めてはならないということについて、一般の理解も(少なくとも今よりは)得やすくなるんじゃないか、と考えています。

どうすれば「証明」に匹敵するような説得力をもつ説明ができるのかは思案中ですが。

No.104 一般人 さん

>社会的不条理を感じとり正義を思う心があるから
人間は発展する事が出来るんですよ。

その向かう先が間違ってるのではと指摘しただけです。

>それと自分の親の事を馬鹿にしてはいけない。
これは常識です。

不勉強なもので意味が理解できません。「親」がどこかに出てきましたか?

ついでながら、
「全く落ち度のない人間が無惨に殺された場合は、厳密な意味での殺意が認められない場合であっても、犯人には死刑を科すことができるようにすべきだ、そうするのが正義だ」
という主張は、荒唐無稽とは思いません。
従来の刑法理論には合致しないというだけであり、法改正のプロセスさえ経れば、「法的正義」 になりうると思います。

私見としては、そこまで死刑の対象が拡大されるのはいろんな意味で妥当ではなかろうと思っていますので、そのような法案を出そうとする政党や議員が出てきても支持しないと思いますが、あくまで私見です。

>NO105 fuka_fukaさん
ありがとうございました。そうだと思います。

>No.102 通りすがり@茶番劇 さん

 そういうリアクションは想定しておりましたのでちゃんと弁明を考えてあります(^^)

 通りすがり@茶番劇 さんのコメントは、きちんと自分の考えを述べられていますので、「通りすがり@茶番劇」は既に確固としたアイデンティティを確立していると思います。

 って、もともと普通名詞じゃないですからね。

う〜ん。どうなんでしょう…。
それが本当に国民の考える社会正義なのでしょうか…。

テレビの前では極刑にすべきだと仰る方でも、発言に責任を負う必要がある場面、たとえば裁判官に選ばれて発言をせねばならない場合は、殺意を否定している被疑者を前にして、極刑だと判断する事を一寸も躊躇わないものでしょうか?

尻馬に乗れば過激な事も言うと思いますが、いざ個人として発言を求められたらどうなるのでしょう。
実際に、今回の懲戒請求の件では、署名運動だと思って集団の中の一人として「あの弁護士をクビにしろ!」という請求書を送れたのに、いざ弁護士会からご自身宛てに連絡が来たら躊躇する方もいらっしゃったようですけれども…。

NO.110で「裁判官」と書きましたが「裁判員」の誤りです。失礼致しました。

No.107 fuka_fukaさん

面白いアイディアだと思います。
が、ただちに3点ばかり「・・・だめでしょ、それ」と言うポイントが思い浮かびました(笑)。

まず立法技術の問題。
現行の裁判でも判決理由の中で裁判官は往々にして「何等落ち度のない被害者を云々」と述べて量刑判断の材料としていることが伺えますが、なぜ現行の法運用では足らず新規立法(法改正)が必要なのかの立法根拠が示せるか。

ついで構成要件の問題。
「全く落ち度のない人間」であることをどのように立証するのか、「無惨に殺された」とはどのような事を指すのか。
危険運転致死傷罪以上に「使えない条文」になるような気がします。

さらに運用上の問題。
検察側が当該法条の適用を求めてきた場合、検察側は被害者が「いかに落ち度がなかったか」「どれほど無残に殺されたか」を起訴事実に盛り込むことになるでしょう。
と言うことは、被告弁護側は当然「いかに被害者に落ち度があったか」だとか「無残な殺され方じゃない」みたいなことを申し立ててくることになります。
被害関係人にとって、これ以上聞くに堪えない裁判はないんじゃないですかね。
しかも、場合によっては裁判所が「被害者の落ち度」を明確に認定するわけです。

私なんか、そういう公判でのやり取りを想像するだけで気分が悪くなってきます。

>No.105 fuka_fukaさん

そういう意味では、法的な 「正義」 は社会一般の 「正義」 と乖離しているという指摘は、法曹側は素直に聞かないといけないと思います。

それは法律家の見方だと思いますが、一般人の見方としては少々異なると思います。

理想論・原則論で考えれば、民主主義国家である以上、法律は国民が作っていくものです。法律上の正義と、社会一般の正義が乖離しているならば、国民の方が政治に働きかけ、立法するなり法改正するべきかと思います。

しかし、これは一般人の法律に対する意識をみる限り、全くの理想論であり、机上の空論であるとは思うのですが。

法的な正義に関して、法律家の方々に文句を付けるのは、一般人の甘え意識、お上意識の反映だと私は思います。

No.112 惰眠さま

ご指摘いただいたような不都合点も含め、多くの一般人を巻き込んでいろいろと議論がなされれば、刑事司法としての前進になるんではなかろうかと。
楽観的すぎるでしょうか。

せっかくなのでコメントを。

なぜ現行の法運用では足らず新規立法(法改正)が必要なのかの立法根拠が示せるか。

「殺意などなくても死刑を科すことができるようにしろ」 という意見が国民の過半を占める事態が生じたら、そのこと自体が立法の根拠では。

「全く落ち度のない人間」であることをどのように立証するのか、「無惨に殺された」とはどのような事を指すのか。

No.107の太字部分は、光市事件の弁護団批判派の意見を適当にまとめたもので、新規立法の構成要件を意識したものではありません。誤解を招く表現にてm(_ _)m

仮に立法されるのであれば、別エントリのcancanさまのご意見とほぼ同じですが、「重傷害致死罪」の新設などが考えられるのではないかと。

被告弁護側は当然「いかに被害者に落ち度があったか」だとか「無残な殺され方じゃない」みたいなことを申し立ててくることになります。

これは、あらゆる刑事事件で起こりうる(そして現にたくさん起こっている)事態なので、「重傷害致死罪(仮)」の立法を阻止するための根拠としてはあまり説得力がないかもしれません。
構成要件としてこれを明記するのは拙劣だと思います(し、私もそういう提案ではないのは上記のとおりです)が、弁護側ができるだけ軽い判決を求めようとする場合、被害者の「落ち度」については言及し、強調せざるを得ません。

特に死刑求刑事件の判決の「量刑の理由」を読むと、弁護側が「被害者の落ち度」をどのようにあげつらったのかよくわかります。

# ちなみに私は研修所の刑事弁護では、「落ち度」という被害者を批判していると受け取られる表現はとるべきではない、と教わりました。いちおう自分の事件では守っているつもりです。

「国民の声」というものを考えるとき、
「アグレッシブな人ほど声が大きい」ということも
考慮に入れる必要があると思います。

違うよ。なんでこんな押しくらまんじゅうだか、綱引きみたいに刑事裁判をやらなくちゃならんのだ。綱を引けば引くほど正義?じゃあ検察がそれを始めたらどうなる。安田の逆を検察が始めたら恐怖政治だよ。そんな刑事裁判が公正公益であるはずがない。証拠はゆるぎない。ガムテープには指紋がベタベタ、精液も財布も動機もアリバイも犯行を実行する身体能力何一つ欠けてない無いこんな120%分かりやすい事件は、さっさとスッキリ縛り首にして余った金を指名手配犯の捜査か防弾チョッキ代にでもまわすべきだ。そうでないと、たった4日で、金を使い果たして次の犠牲者が出る前に逮捕したグッジョブな山口県警に申し訳ない。司法は法曹の道楽じゃない。必要以上に刑事裁判に金と時間を注ぎ込むことは、明らかに公益と社会正義に反する。

>No.116 aho さん

>安田の逆を検察が始めたら

「安田の逆」って、たとえばどんなことですか?

No.114 fuka_fukaさん
別に私はそういう立法を阻止した言ってわけじゃないですよ。好ましいと思ってもいませんが(笑)
ただ条文的に、運用的にどんなことが起こるかなーとちょっと思考実験してみただけです。
で、個人的には「それってダメでしょ」と3つほど思いついたってことです。

私もいくらか刑事裁判を傍聴した経験がありますので、仰る点は了解しています。
ただ、『落ち度』や『残虐性』のようなものが構成要件に(文言上はともかくとして)盛り込まれ、裁判で主要な争点化するような事態になれば、マスコミ報道もその部分をクローズアップせざるを得なくなります。

そのような時に、今般裁判での刑事弁護「程度」で感情をかき乱されてしまう「世間」は耐えられるのだろうか?という意地の悪い疑問があって、そういう意味での「ダメだろ、それ」です。

>No.118 惰眠 さん

 この際(ほかの罪との整合性等はともかく)「傷害致死
が厳罰化されて上限が死刑になった」という想定をする
だけでいいのでは?

 現状の殺人罪に対する死刑の適用だって、「被害者の
落ち度」的なことや、残虐性などを考慮して上で選択される
わけですし。

No82 モトケンさん

   >証拠に基づいて事実認定をする。
   >疑わしきは被告人の利益に。

   > 特に否認事件の場合、マスコミ報道を忘れることができるかどうかがキモのような気がしています。

  ありがとうございました。そうやってシンプルに考えると感覚的な「社会正義」と制度的な「社会正義」は案外うまく折り合いがつくものなのかもしれない、とちょっと楽観的な気分になりました。

No.83 bplusさん

  >そういう自覚と、あとは、目先の現象に振り回されない、という決意があればよいかと (^^)

 「愛知女性拉致殺害事件」の被害者のお母様が極刑陳情書の署名を集めるとかで、今後なにかと話題 になりそうですね。
 bplusさんが書かれたこと、なるべく意識して物事を考えるようにしたいです。


No.84 mash さん
 
 >上記を理解するのに、法律素人でも私は困難を感じませんが、理解しにくい方は「弁証法(dialectic)」や「ディベート」等の意義を考えれば理解の助けになるかもしれません。

 裁判というのは弁証法を取り入れた仕組みということになるのでしょうか。
 リンク先読んでみます。ありがとうございました。

No.80 メソ(一般人)さま
わかりやすい解説ありがとうございます。
その弁護人はとんでもなく大変そうですね。
メソさまの発言で,私がおかしな方向に行ってる事に気付きました。ありがとうございます。

No.78 青空さま
今更ですが,No.70 No.75 の私の書き込みは,おかしな方向に行ってしまっています。1日置いて読み直してみると,はずかしいです。青空さまにはおかしな方向でお付き合い頂き,大変失礼しました。

わたしは、完全に一致することもあるのではないか、と考えています。
そのあたりが、違和感を感じる感じないの違いにつながったのだなぁ、と大変納得いたしました。

違います。モトケンさまの例題及びNo.80 メソさまの弁護人で考えてみてください。
No.80 メソさまの弁護人が,「真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」と言っては駄目でしょうか(駄目なら,裁判システム自体が崩壊すると思います)。

私の違和感は,ここなんです。私にはこの発言は,例えばここで「実は,私はカレーライスが好きなんです。」と言うくらい同じ,意味のないことなんです。いや,むしろ言わない方が良い言葉なんです。

遅レスの今更で申し訳ないです。

>No.119 ミ ´Å`彡さん
おっしゃる通りで、飽くまで条文解釈ができるわけでもない架空の「改正案」ですし色々自由に想定できる以上、あれこれ思い煩っても始まらないですね。

ただテクニカルな部分は兎も角として、私が一番懸念しているのはやはり『被害者の落ち度』が裁判上の争点になる事態なんですよ。
実際の裁判でそれが取り扱われていることは勿論承知していますが、しかしながらマスコミは(主として被害者の尊厳保護の観点から)敢えてそれを大きく扱うことはして来ていません。
他にも、児童誘拐事件で、起訴事実に『強姦』が入っていてもニュースでは「未成年者略取などの罪で起訴された」としてボカしたりもしています。

しかし、犯罪事実を構成する要件のひとつとなり条文適用を巡って争点化する事態になれば、『被害者の落ち度の有無』に目をつぶった記事と言うのはありえません。
光市事件裁判の「殺意」一つ、ドラえもんや蝶々結びごときでいまのリアクションです。「無残な殺され方をした被害者」の「落ち度」なんてことになった場合、世間はどこまで沸騰しますかね。被告人・弁護側へのバッシングも勿論ですが「落ち度があった被害者」を貶める連中だって出てくるでしょう。

まあ、私が「世間」の「理性」なんか信用してないってのもあるんですが(笑)、いわゆる「社会一般の正義」を主張する人たちにとっては、かえって一層好ましくない現象が出来するだけではないかと思うわけです。

No.121 hatty(一般人) さん

長い時間考えて下さって、ありがとうございます。
わたしのほうこそ、無理にお付き合いさせてしまっていないかな?
と、やや心配になっております。

えとですね、モトケン先生の例や、No.80 の例は、被告人が弁護人に対して、オレがやったんだ、と告げているような事例ですよね。

それと、今回の事件は、必ずしも同一ではないですよね?
つまり、そんな告白を弁護人に対してしていたのかどうかわからないです。
そしてわたしは、そんな告白はしていないとおもっています。(しつこいようですが、そうおもわないことは自由です。)

わたしは、何度か申し上げたとおもうのですが、A「この事件についてある発言があり、その発言とこの事件での弁護活動とを対比させて違和感を感じるか」という話と、B「この事件についてある発言があり、その発言と一般的な弁護活動とを対比させて違和感を感じるか」という話や、C「この事件とは別の事件について『真実を明らかにするために全力で頑張ってきた』という発言がなされた場合に違和感を感じるか」という話とでは、違う、ということを、お伝えしたいのですが。

AにもBにもCにも違和感を感じるひともおられる一方で、そのどれかについて違和感を感じないひとも現にここに少なくとも一名はいる。そしてもっと言うなら、そのすべてについて違和感を感じないひとがおられる可能性さえある、というお話です。

Bは、個別の事件に対する発言を、一般的な弁護活動と比較して判断している場面、つまり、比較の対象がAの場面と異なっているのだから、違う結果になることもありうるとおもう、という話です。

AとCは、個別の事件に対する発言を、そのそれぞれの事件でなされた弁護活動と比較するのですから、比較する元になっているものも、対象になっているものも、両方違うので、なおさら違う結果になることもありうるとおもう、というお話です。

あなたが、No.80 の例の弁護人が,「真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」と言うことに違和感を感じる、というのは「この事件とは別の事件についてなされた発言」と、「この事件とは別の事件における弁護活動」を対比させて、違和感を感じる、というお話であり、Cにあたりますよね?

わたしは、No.80 の発言において、Aの場面で違和感を感じる感じないの差がでてくる背景を述べているのであって、Cの話をしているわけではありません。

No.123 について一カ所だけ訂正させて下さい。

下から3行目
(誤)わたしは、No.80 の発言において
 ↓
(正)わたしは、No.78 の発言において

です。

>No.120 alpsmd_1000様

>裁判というのは弁証法を取り入れた仕組みということになるのでしょうか。

この件については分かりません。
学術的な話になると思いますが、断言できる知識を残念ながら持ち合わせておりません。

ただ、西洋哲学史の授業にて「弁証法」の考え方に触れていたことが、「近代裁判制度の枠組みの中において、弁護人が個人の感情を越えて被告人に有利な弁護を行う職務を負う事が正義の実現に繋がること」を理解するのに役立ったという個人的な経験を紹介させて頂きました。
(繰り返しになりましたが、念の為に…。)

恐らく私の日本語能力のなさが原因だとは思うのですが,もう少しお付き合いください(堂々巡りになってしまう可能性はありますが)。
青空さまは,「真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」の内容について違和感がないとおしゃられているように,お見受けしました。だから,信じる,信じないの話になるのです。私は極端に言えば,内容では無く言葉について違和感があるのです。

法曹界では,「検察がこれが真実だと主張し,弁護人がいやいやこれが本当の真実だと主張する」という表現は,変ではないのかもしれませんが,私にはおかしいのです。真実は,議論を戦わせている間は,まだ見えないものなのです(議論後も見えないのかもしれませんがそれは,置いときます)。

法曹界では,下の2例は,同じなのかもしれません。
例1)死姦したのは,死者を生き返らせるためだったのです。これが真実です。
例2)死姦したのは,死者を生き返らせるためだったのです。こう被告人が主張しています。
でも,私には,この2例は,全然違うのです。例1)の主張を弁護団がマスコミに話したら,弁護団が非難を受けるのは,当然のように思えます。例2)の表現にすればよかったのに…。

弁護人がマスコミに話す時,『真実』と言って欲しくないのです。言えば,それで違和感が生じます。

>No.126 hatty(一般人) さん

「実際に起きた(なされた,etc)こと(と推定されること)」にどういう言葉をあてるべきか、それに「真実」をあてはめることによって違和感が生じる、ということと思うのですが。
そういう用法で使うものだと理解すればいいのではないかと。

No.126 hatty(一般人) さんへ

やや揚げ足取りに聞こえたら申し訳ないのですが、

>だから,信じる,信じないの話になるのです。

とお書きですが、そもそも一番はじめの NO.41 の発言の中で

>被告人の利益を最優先にがんばってきましたと言うなら,信じますが。

と、信じる信じないのお話をはじめられたのは、hatty(一般人) さんご自身ではなかったのでしょうか?
あの発言で、信じるとか信じないとか言っておられるその対象は、では、一体何なのですか?
 
 

それはともかくとして、あなたが言葉の(内容ではなく)使い方に違和感がある、と言っておられることに対しては、No.60 および、No.78 の以下の部分で、すでにわたしの見解を述べております。

----------

弁護側が公判で、これが真実です、と主張立証している内容を、
>真実ではなく弁護側の主張でしょ
と捉えることに、異論はありません。

けれど、No.60 で述べたように、そういった主張立証による弁護活動を通じて、「真実を追求してき」た、と発言されることにも、「真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」と発言されることにも、わたしは違和感を感じてはおりません。

----------

例1)死姦したのは,死者を生き返らせるためだったのです。これが真実です。
という発言に対して違和感を感じるか感じないか、というのと、

「真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」
という発言に対して違和感を感じるか感じないか、というのを、わたしはずっと区別して発言しています。


なお、No.127 で北風さんが

>そういう用法で使うものだと理解すればいいのではないか

と書いて下さっていますが、おそらくhatty(一般人) さんは、理解しようとする際に違和感を感じておられる、ということなのだとおもっています。

>No.128 青空 さん

>そういう用法で使うものだと理解すればいいのではないか
と書いて下さっていますが、おそらくhatty(一般人) さんは、理解しようとする際に違和感を感じておられる、ということなのだとおもっています。

そうですね、やや言葉足らずでした。意図は違和感を感じてもそういう用法で使うものとするしかないんじゃないということです。

No.129 北風 さん

追記を促すようなことになってしまい、心苦しいです。
発言の意図は十分に伝わっていたにもかかわらず、あのような書き方をしてまったことをお詫びいたします。

No.128 青空さま

ご迷惑をおかけしております。hattyです。こんにちは。

>被告人の利益を最優先にがんばってきましたと言うなら,信じますが。 と、信じる信じないのお話をはじめられたのは、hatty(一般人) さんご自身ではなかったのでしょうか?

それはずばり真実と言わなければ,内容についての話に進むのです。
真実と言えば,話の内容を吟味する以前の問題となり,違和感が前面に出てくるのです。

弁護側が公判で、これが真実です、と主張立証している内容を、 >真実ではなく弁護側の主張でしょ と捉えることに、異論はありません。
ここまでは,同意見ということで,よろしいでしょうか。 ここから先が違うんですね。
けれど、No.60 で述べたように、そういった主張立証による弁護活動を通じて、「真実を追求してき」た、と発言されることにも、「真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」と発言されることにも、わたしは違和感を感じてはおりません。
どうして違和感を感じないのですか?モトケンさまが挙げてくれた例を見て弁護人がどう行動しなければならないかを知ってからも何故違和感を感じないのですか?

逆に弁護人が直接的に真実を明らかにするために全力で頑張ってはまずくないですか?

今枝弁護士のブログと、福富記者のブログでは、かなりニュアンスが違う、ということは、存じております。 (申し訳ないですが、リンクを貼って下さった動画は、わたしの環境では見ることができませんので、それについてはコメントできません。)
別スレッドで,ゴンザレスさまが,文字に起こしてくれていましたことが載っていました。 http://beauty.geocities.yahoo.co.jp/gl/goldfox802/view/20070924/1190628815

かなりニュアンスが違うことについて,どうお考えになりますか。

そもそも,真実を明らかにするということは,どういうことでしょう。
被告人の有利な事も不利なことも弁護人が知った全てを明らかにするということで良いでしょうか。
それって,弁護人が行ってはいけないことではないのでしょうか。

No.127 北風さま

意図は違和感を感じてもそういう用法で使うものとするしかないんじゃないということです。
対マスコミに関しては,その考え方は危険ではないでしょうか。もっともその危険性において,北風さま自身がNo.55において明確に述べておられますので,私が出る幕はありませんが。

No.131 hatty(一般人) さん

>そもそも,真実を明らかにするということは,どういうことでしょう。
>被告人の有利な事も不利なことも弁護人が知った全てを明らかにする
>ということで良いでしょうか。
>それって,弁護人が行ってはいけないことではないのでしょうか。

有利・不利という言葉の使い方を本当は最初に定義しないといけないことになるとおもうのですが、たとえば、この事件において、「被告人が姦淫行為におよんだ(死後に姦淫した)」と弁護人が主張している点を、あなたは、被告人にとって有利なこと、と考えておられるのか、不利なこと、と考えておられるのか、どちらなのでしょう?
 
 
それから、どうして違和感を感じないのか、その理由についてはNo.60 No.68 でご説明してきました。

動画を文字に起こしたサイトを教えて下さって、ありがとうございます。

ニュアンスが違うのは、おなじ言動を見聞きしてもひとによって感じ方が違うのだなぁ、という、ひとつのサンプルであると考えます。
ちょうど、あなたとわたしとでは、おなじ発言に対して違う感じ方をしているように。

>No.131 hatty(一般人) さん

1.「(弁護士としての範囲で)真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」ととらえて違和感を感じない
2.「(この弁護において真実を明らかにすることで被告の利益を損なう点はなく)真実を明らかにするために全力で頑張ってきた」ととらえて違和感を感じない

とか、とらえようはあるとは思います。

>>意図は違和感を感じてもそういう用法で使うものとするしかないんじゃないということです。
>対マスコミに関しては,その考え方は危険ではないでしょうか。

対マスコミというか対一般人ですね。
一般人の側が理解していかないといけないことも多く、これもその範疇ではないかと。何らかの説明はいるでしょうけど。

No.125 mash さん
法律家の方に出てきていただくのが良いのですが、つたない知識でご参考まで

検察の主張=テーゼ
弁護人の主張=アンチテーゼ
裁判官の職務=1つの事象に対するテーゼとアンチテーゼの一見矛盾に見える事柄から、本質であるジンテーゼを導き出す

と、三者の役割分担によって、現在の裁判はシステム的に弁証法に似た形態を作り出しています。
しかしながら、裁判という性質上、テーゼがアンチテーゼを取り入れる、反対にアンチテーゼがテーゼを取り入れることが出来ないので、そのテーゼをもっともよく知る者がジンテーゼを生み出すことに関われないというシステム的な欠陥があるのが、現在の裁判システムと思います。

No.132 青空 さま

こんにちは,hattyです。

この事件において、「被告人が姦淫行為におよんだ(死後に姦淫した)」と弁護人が主張している点を、あなたは、被告人にとって有利なこと、と考えておられるのか、不利なこと、と考えておられるのか、どちらなのでしょう?
一審,差し戻し前の二審で認めている死後に姦淫したことでしょうか。ここにきて認めないとしたらその明確な証拠を出さない限り,とんでもなく不利なことだと考えています。認めても,今さら有利なこととは思えませんが…。
あれ,こんな答えで良いですか?何か私は質問の意図をとんでもなく勘違いしていますか。

>>No.134 薬屋の企画屋様

ご説明有り難うございます。

(念の為、アンチテーゼとは、テーゼ(ある命題)に反対する命題であると定義されますので、アンチテーゼがテーゼに取り込まれたら、その時点でそれはもはやアンチテーゼではなくなります。その逆も同様。)

ただ、仰っておられるのは、以下の通りのことだと理解しました。以下理解で間違いがなければ、裁判制度と弁証法の間には、看過できない相違点がありますね。
ご指摘有り難うございます。

弁護人が被告人と信頼関係を結ぶことに成功した場合は、原告や検察官、裁判官達が知らないような“被告人にとって不利な事実”を、被告人の供述から引き出している事もあるでしょう。そのようにして、弁護人が誰よりも原告側の主張の正当性を最も良く知っている場合にも、弁護人は被告人の代理人として固定されている為、被告人に不利なその事実を述べることが出来ません。
その点が、弁証法とは異なる点だと理解致しました。

この場合、弁護人は裁判システム上の社会正義を実現する為の職責と、上記状況との間でジレンマに陥りそうですね…。守秘義務のために、家族やカウンセラー等に喋れない(話を聞いてもらえない)事も多いでしょうから、精神的負担をどのように解消できるのだろうかと心配になりますね…。

 >hatty(一般人) さん
 横からすみません、

 「真実」は、訴訟上被告に有利なことだけでなく不利なことも含まれる。弁護人はこの不利なことを立場上明らかに出来ない。だから不利なことを含まずに主張する内容は真実とは言えないから訴訟確定前に「真実だ」と言い切ること、「真実を明らかにするために頑張った」とするのは一般論としては矛盾が有るし違和感を感じる。ということは不自然ではないと思います。
 
 ただし、弁護側と検察側が真実として主張する内容には、必然的に欠陥があってそこは相手方が補完することが前提になってるから、それを考えると不自然ではないと言うことでは無いかと。
 
 訴訟における「真実(に近いとされるもの)」は、運用上3者(検察、弁護側、裁判所)で追求するもので、法律上の真実を追究する場合、検察と弁護側がやってはいけないことが有ると思うんです。
 
・検察側・・被告に情状面などで有利な証拠を訴訟の途中で偶然入手してしまった場合、それを自ら開示して情状面の考慮を求めてしまうようなこと(出来ますかね?)
・弁護側・・被告に不利で例えば確実に死刑になるような証拠を入手したが、隠さず開示して結果として死刑に導いてしまうようなこと。
   
  結局この「やってはいけないこと」は、「相手側が全力を尽くしてしなければならないこと」であって、相互補完する関係にある。
 
 よって、弁護側の主張は、「真実」と言い切るには立場上欠陥(被告の不利情報)を含まざるを得ない。検察側の主張と合わせないと真実が導かれない(が検察も同様)。それを公平に判断して「真実(に近いもの、証拠が足りなければ遠くなる)」を出すために裁判所が有って、弁護側の主張の欠陥は、運用上前提になっていることをふまえているから皆さん違和感が無いということでは無いでしょうか?間違ってたらすみませんね。
 
 私も上記前提を考慮して今は弁護側の主張に違和感を感じないんですがどうでしょうか?
 
 この前提が考慮されない側に向けて報道される(記者会見)場合、一般向けに「真実だ」、と言い切る記者会見をやるのは、「訴訟で一般に使われることだから」と受け取ってくれないし、何か弁護士が真実をねじ曲げてるように聞こえかねない。怒りを呼ぶから危険ということであれば、そう思います。「真実だという線で弁護側は主張しています」が正しい気がしますが、当事者がやると自信なさげだからまずいんですかね。

>hatty(一般人) さん
 この件は、検察側における「真実」の主張にどういう欠陥が出るか、その際被告がどういう立場におかれるか、別の事例を見ながら検証すると整理しやすいと思います。私も検証中です。

No.135 hatty(一般人) さん

>一審,差し戻し前の二審で認めている死後に姦淫したことでしょうか。

弁護人は、差戻審においても、死後の姦淫行為の存在そのものを否定しているわけではありません。強姦の故意を否定しているだけです。

>明確な証拠を出さない限り,とんでもなく不利なことだと考えています。

弁護人は、証拠に基づいて主張している、と発言しています。
(なお、蛇足ですが、事実の認定は証拠による、とされていることを知らない法曹人などいないでしょう。)
 
そして、この事件では、被告人自身が一審・二審とは主張を変えているのであり、それに従う限りにおいて、弁護人の主張は決して被告人にとって不利なものではありません。
 
 
No.137 ばりん さん

詳しく説明して下さって、ありがとうございます。

No.137 ばりんさま

まとめていただいてありがとうございます。まとめをさらにまとめると,

法曹関係者並びに刑事弁護に造詣の深い方………違和感を感じない。
上記以外の一般人……………………………………違和感を感じる。

なんだ,これだけのことだったのね。

青空 さま
質問の意味がわかった気がします。
この質問ですが,

この事件において、「被告人が姦淫行為におよんだ(死後に姦淫した)」と弁護人が主張している点を、あなたは、被告人にとって有利なこと、と考えておられるのか、不利なこと、と考えておられるのか、どちらなのでしょう?
質問したかった意味は下記のことでしょうか。
この事件において、「被告人が姦淫行為におよんだ(死後に姦淫した)」ことについて,差し戻し後に弁護人側は、その理由を大幅に変更しているが、変更したことにについて,あなたは、被告人にとって有利なこと、と考えておられるのか、不利なこと、と考えておられるのか、どちらなのでしょう?

すみません,始めの書き方だとよくわかんなかったので,とんちんかんな回答をしてしまいました。

>>No.139 青空 さん
>> No.140 hatty(一般人) さん

レスをありがとうございました。ちなみに私は法曹関係者で無く、ココ見て勉強中で刑事弁護に造形が深くないと思ってるところなので、場合分けに問題有るといけないから更に補足してみると、

>> 法曹関係者並びに刑事弁護に造詣の深い方………違和感を感じない。
>> 上記以外の一般人……………………………………違和感を感じる。

 検察側と弁護側の役割分担のバランスを考えてみたら、片方の「主張」のみから真実を得るのは無理と思った。判決確定前に弁護側の主張する「真実」は、「と主張します」の言い換えだと割り切った・・・・違和感を感じない。

 弁護側の役割「のみ」に目を向けすぎた、「あの主張でいきなり「真実」とは何ごとだ」とまず思ってしまった・・・違和感を感じる。

 と、私の考えはそんなところです。最初ここ来る前に実際「安田弁護士の会見」聞いて被告主張の変遷が有ったときに違和感というか、たかじんさんじゃ無いけどカチンと来たんですよ。後は、ココ見ながら考えを整理してみたらこうなりましたと言うことです。

 これからもっと更に整理することになるとは思います。

No.132 青空様の問いかけは、被告人の本当の主張を一審や二審で述べていなかった為に、今回(本当の)主張を変えたいと言っているのならば、被告人に不利になるか有利になるかには関係なく、すなわち、『たとえ主張を変えることで被告人が不利になることがあっても』、その変えた主張に沿って法廷で弁護することが、真実に近づくことである。

主張を変えない方が常考では有利かもしれなかった。仮に弁護人も内心では変えない方が有利だと考えていたのかもしれないが、「変えない方が有利です」と述べて、被告人を誘導する訳ではないが、被告人が主張を変える事を諦めるまで粘る事もできたがそれをしなかったのかもしれない。

ただし、弁護人はその職責から、被告人に不利な発言はできない事になっている。しかし、変えた主張に沿って被告人に有利となるよう弁護している以上、弁護人は職務を全うしたことになるので、セーフ。

被告人にとってより有利になるような一審や二審でのこれまでの主張を選ぼうとする弁護人の恣意性は存在しない点で、「胸を張ってこの事件では被告人と信頼関係を築いて、真実を明らかにする為につらい中全力で頑張って来たということは理解して下さい。」という発言になったのではないか?

…という事なのだと思っていましたが、違ったのでしょうか?
また、このように考えるのは、善意の解釈すぎるのでしょうか?

No.141 hatty(一般人) さん

いえ、わたしの質問は、あくまで当初の通りです。
わたしは、hatty(一般人) さんが、被告人にとって有利だとか不利だとか言っておられるのが、どういう意味合いなのかな? ということをやや疑問に思っているので、ある主張の部分だけを取り出して、この主張は hatty(一般人) さんのお考えによれば有利なのですか? それとも不利なのですか? とお尋ねしました。

そして、返して下さったお答えから察するに、hatty(一般人) さんが考えておられる有利・不利というのは、どうやら「裁判官の心証を悪くする」=不利 なようですが、違っていますか?

それから、hatty(一般人) さんは「明確な」証拠、というような言葉遣いをしておられますが、その「明確な」というのも、どういった意味合いなのでしょうか?

裁判官に確信の程度に至る心証を抱かせることができない可能性がある証拠は、「明確な」証拠にあたらない、と言う意味で、書いておられるのでしょうか?

言葉の使い方に食い違いがあるなら伝わる話も伝わらなくなってしまうので、そのあたりを確認しておきたかったのです。

No.143 mash さん

短い発言を元に、深く考察して下さって、ありがとうございます。

非常に申し訳ないのですが、No.132 の質問自体には、そんなに深い意味はなかったんです。それ以前の発言の中で、真実に近づくとはどういうことなのか、弁護人の職務とはなんなのか、に触れてきたのですが、どうにも噛み合っていないような気がするので、言葉の意味を確認してみようとおもった次第でした。

No.144 青空さま

こんにちは。hattyです。

いえ、わたしの質問は、あくまで当初の通りです。

私もmashさまのように,主張を変更することについてかと思いNo.141のように質問はこうなのですか聞いたのですが,違うのですね。
主張を変更したことではなく,ただ単に,「被告人が姦淫行為におよんだ(死後に姦淫した)」と弁護人が主張している点が有利か不利かですか。

・これは,証拠から明らかなんですよねぇ(その辺の証拠はよく知りませんが)。
・検察も当然事実としている。
・本人も認めている。
・弁護人も認めている。

有利も不利もないような部分だと思います(もっとも被告人の行動自体は問題ですが)。
難しいなぁ。もう少し質問を解りやすくしてもらえませんか。

No.146 hatty(一般人) さん

わかりにくくて申し訳ありません。
では、質問をあなたが思っておられるように、変更しますね。

この事件において、弁護人は被告人が姦淫行為におよんだ(死後に姦淫した)理由を大幅に変更しているが、変更したことについて、あなたは、被告人にとって有利なこと、と考えておられるのか、不利なこと、と考えておられるのか、どちらなのでしょう?

No.147 青空さま

hattyです。こんにちは。

では、質問をあなたが思っておられるように、変更しますね。
いえいえ,がんばりますので,前の質問をもう少しだけわかりやすくしてください。 よろしくお願いします。

>>No.145 青空様
ご回答有り難うございます。

hatty様、青空様
横からすみませんでした m(_ _)m

No.148 hatty(一般人) さん

>前の質問をもう少しだけわかりやすくしてください。

というのは、変更しても、まだわかりにくい、ということでしょうか? でしたら、本当に申し訳ありません。

hatty さんは、モトケン先生が例としてあげられた以外では、被告人に不利となるような弁護活動、として、どのようなものを想定しておられるのでしょうか?

↑これだったらよろしいですか?

これでもまだ、答えに困られるのであれば、もう、質問するのはやめておきますね。そのかわり、わたしも、hatty さんの No.131 の問いかけのうち、No.132 で引用した部分については、お答えの仕様がないことになりますので(hatty さんが想定しておられる「被告人の不利なこと」という言葉の定義が不明であるから)、お返事返せないことになりますが、ご了承下さい。

 
No.149 mash さん

いえいえ、詫びないで下さいね。
mash さんのように、わかりやすい文章が書けるようにならないと、と反省しているところです。
わたしは、mash さんのお考えを、善意の解釈すぎるとはおもっていません。
 
 
No.142 ばりん さん

理論がわかってきても、それでもカチンとくることもありますよね。冷静に考えを整理するのは、むずかしいことだなぁ、と日々感じております。

青空さま

hattyです。こんにちは。

↑これだったらよろしいですか?
質問が,ころころ変わるのですね。
取り合えず最初の質問には,私なりに解釈してNo.146で回答しております。
この回答でダメですか。

>> No.150 青空 さん
> 理論がわかってきても、それでもカチンとくることもありますよね。
 
 そう思います。感情の問題は理論が正しいか間違ってるかというだけの問題ではないから。まず自分の中で刑事弁護の情報を入れて情報整理が一山越えるまで気持ちを抑えるのは結構大変でした。自分一人でやっても大変な訳だから、人との議論で相手共々整理しつつお互いに納得していくことは大変なことだと思います。私は議論下手なのであまり表に出れないんですが。

No.136 mash さん
混乱させる書き方を理解していただいてありがとうございます。

その弁証法と裁判システムの看過できない相違点(素晴らしい表現です)が大きな問題点だと考えています。
裁判システムはこの看過できない相違点があるにも関わらず、法曹家の方々が現在の裁判システムを運用することが“真実”に近づくとおっしゃられていることがどうにも理解できないのです。
なぜ、現在の裁判システムは真実に近づくと断言できるのか・・・不思議でなりません。

No.152 ばりんさん
横入り失礼します。
感情的、論理的については面白い意見がありますので、ぜひ参考にして見てください。
http://deztec.jp/design/06/06/06_logic.html

>> No.154 薬屋の企画屋さん

 これは本当に面白いですね(^^)。
 なるほど、相互理解するには前提条件を双方で受け入れないと無理ですね。ありがとうございました。感情論と言うものを考えるときの参考にしてみます。

 ちなみに、被告に信頼された弁護側が検察側より得やすい「被告に関する不利な情報」を検察側の自主努力で入手できなかった場合、その事実は金輪際表に出ないと言う点で「判決で明らかにされるべき真実」から遠ざかると言える。真実の解明って難しいですね。

>> No.154 薬屋の企画屋さん

 これは本当に面白いですね(^^)。
 なるほど、相互理解するには前提条件を双方で受け入れないと無理ですね。ありがとうございました。感情論と言うものを考えるときの参考にしてみます。

 ちなみに、被告に信頼された弁護側が検察側より得やすい「被告に関する不利な情報」を検察側の自主努力で入手できなかった場合、その事実は金輪際表に出ないと言う点で「判決で明らかにされるべき真実」から遠ざかると言える。真実の解明って難しいですね。

No.151 hatty さん

まずはじめに。

No.148 の「『前の』質問をわかりやすくして下さい」というのを、「『直前の』質問」と誤読してしまったので、No.147 のことだと勘違いしておりました。ご指摘のためのお手数をお掛けして、申し訳ありません。No.132 の質問をわかりやすく、ということですね?

この質問は、『 X 』 を A と評価しますか? not A と評価しますか?
といった形式の質問なので、これ以上わかりやすくするのは無理なのですが。

質問の意図がわからない、ということであれば、質問の意図は、評価を下す判断基準をお教え下さい、ということです。

それでも、なんでこんな質問をされなくちゃいけないのかわからない、とお思いかもしれないので、従前からの発言を繰り返すならば、hatty さんが主張しておられるのは

[hatty さんの見解ここから]

・真実を明らかにするということは、被告人にとって有利なことも不利なことも明らかにすることである

     これに対して

・弁護人の職務とは、被告人の利益を図ることであり、被告人にとって有利なことをしなければならず、不利なことをしてはならない

     だから

・「真実を明らかにすること」と「弁護活動」とがぴったりイコールで結ばれることはありえない

[hatty さんの見解ここまで]

これに対して、わたしは、「ありえないことはないとおもう」と述べたのだけれど、そんな見解が存在するということを、hatty さんは、どうしても受け容れられないご様子。(だからこそ、何度も何度もおなじ問いをなさるのでしょう?)

「じゃあ、そもそも前提となっている被告人にとって有利とか不利とかを、hatty さんは一体どのような基準で判断しているの?」
とお尋ねしたいのだけれど、それじゃあまりに漠然としているだろう。
 ↓
「具体的な『 X 』という主張については A と判断するの? not A と判断するの?」とお尋ねしてみよう。

という流れで、『 X 』という主張は A ですか? not A ですか? という質問になったわけです。

質問がころころ変わるのですね、と言っておられますが、どの質問の意図も、評価を下す判断基準をお教え下さい、というところにありまして、実は共通しています。
ここまで前フリです。
 
 
「真実を明らかにすること」と「弁護活動」とが食い違ってくる部分というのは、弁護人の主張が被告人にとって不利であった場合ですから、不利である、もしくは、不利ではない、と hatty さんが判断される基準を見ていきたいとおもいます。

hatty さんが No.146 で下さった回答は、

>・これは,証拠から明らかなんですよねぇ(その辺の証拠はよく知りませんが)。
>・検察も当然事実としている。
>・本人も認めている。
>・弁護人も認めている。

>有利も不利もないような部分だと思います(もっとも被告人の行動自体は問題ですが)。

ということですので

1.証拠から明らか(その辺の証拠はよく知りませんが、というのを、公判で実際に何を証拠としているのかは知らない、と解釈しています。)
2.検察も当然事実としている
3.本人も認めている
4.弁護人も認めている
であれば不利ではない(有利も不利もない、ということは、少なくとも不利ではない、ということですよね?)

というものですので、「少なくともその4つを満たしている場合には不利ではない」という判断基準と考えてよろしいですか?
よろしくなければ、お手数ですがあらためてご回答をお願いいたします。

以下、考えてよいとした上で、お話を進めさせてください。

hatty さんは、弁護人の主張を判断するのに「証拠が明らかであること」を要件としておられますね?
この「明らか」であるというのは、

(1)その証拠を提出していることが明らかである(証拠に基づいて主張していることが明らかである)という意味なのか
(2)その証拠が「裁判官に確信の程度に至る心証を抱かせることが明らかである」(証拠の価値が高く、裁判官が判決を下す際に、その証拠によって主張が認められることが明らかである)と言う意味なのか
(3)1.2.のどちらでもなく別の意味で使っておられるのか
(4)特にその言葉に深い意味はないのか 
 
(1)〜(4)の、どれにあたりますか?

この「明らかである」の意味合いによっては、hatty さんとわたしの話は、そもそも噛み合わなくて当然、ということにもなりうるので、質問に続く質問で申し訳ないのですが、よろしければ、お答え下さい。
質問されてばっかりはイヤだなぁ、とお思いでしたら、どうぞ、拒否なさってくださいね。


「真実を明らかにすること」と「弁護活動」とがぴったりイコールで結ばれることがありえないのであれば、今回の事件においても、「弁護人が知っている被告人にとって不利なこと」があるはずだ、ということになりますよね? そして、弁護人は自分の職責上、その不利なことを公判で主張して(明らかにして)こなかった、ということに。
しつこいようですが、そういうふうに考えること自体をとやかく言っているのではないですよ。
ただ、そこで hatty さんが想定されている、今回の事件における「弁護人が知っている被告人にとって不利なこと」というのがどのようなものなのか、頑張って考えてみても、わたしには考えつくことができないので、こうやってご質問するにいたっているのです。
なぜなら、hatty さんはご自身の No.65 の発言の中で

>誤解しないでくださいね。私は今枝弁護士さまが,真実を隠しているとは言っていません。

と書いておられますよね。

つまり、hatty さんの一連のご発言を矛盾なく取り扱うと、「被告人にとって不利なことを公判で明らかにしないような行為」であり、かつ、「真実を隠す行為」にはあたらないものを、hatty さんが想定しておられる、と、考えるほかないのです。

そして、その「被告人にとって不利なことを公判で明らかにしないような行為」であり、かつ、「真実を隠す行為」にはあたらないもの、とは何なのかを考える前提として、hatty さんが不利だと考える判断基準について問う、ということをしているのです。

そして、返して下さったお答えから察するに、hatty さんが考えておられる有利・不利というのは、どうやら「裁判官の心証を悪くする」=不利 なようですが、違っていますか?

長文になってしまい、申し訳ありません。
よろしければ、ご検討下さい。

No.157 に追記です。

肝心な部分のお答えを、飛ばしておりました。

>この回答でダメですか。( No.151 )

質問の意図からは、やや不十分な回答です。
(そして、それは質問の意図を十分に明らかにしなかった、わたしの手落ちです。)

hatty さんのご回答の文面からは、hatty さんの判断基準がどういうものなのか、一部不明であるところがあるため(その内容は No.157 の記載の通りです)引き続き、質問をさせていただいております。

青空さま

hattyです。こんにちは。

というものですので、「少なくともその4つを満たしている場合には不利ではない」という判断基準と考えてよろしいですか?
有利・不利は,1審・2審で争わなかった事実に対して,同じ主張であるなら,1審・2審に対して有利も不利もないと思います。その場合,確かに青空さまの言うように不利はないと言っても良いと思います。

hatty さんは、弁護人の主張を判断するのに「証拠が明らかであること」を要件としておられますね?
上記の考察は,No.135 の私に発言からでしょうか,
一審,差し戻し前の二審で認めている死後に姦淫したことでしょうか。ここにきて認めないとしたらその明確な証拠を出さない限り,とんでもなく不利なことだと考えています。認めても,今さら有利なこととは思えませんが…。
確かに私は,裁判官が判断する時,証拠のない主張と証拠のある主張を比較すれば,証拠のある主張を採用すると思います。証言を変えるとなれば,なおさらだと思います。但し,弁護人は,証拠が無けでば,主張できないとは思っていません。「醤油が勝手に買い物籠に入ってきた」も言ってはいけないとは言いません。採用はされないとは思いますが。また,1つでは些細な証拠でも,それが積み重なれば,立派な証拠になることもあると思います。
今回の事件における「弁護人が知っている被告人にとって不利なこと」というのがどのようなものなのか、
公判ではないのですが,上記が「なめだいでいただきたい。」のマスコミ説明の中にも垣間見れると思い挙げさせていただきました。
>誤解しないでくださいね。私は今枝弁護士さまが,真実を隠しているとは言っていません。
今枝弁護士さまが真実を隠していると証拠もなしに言える訳ないじゃないですか。正確に言うと,真実を隠しているとは言っていませんし,隠していないとも言っていません。弁護人が被告人を弁護している時は,私は弁護人に対してこのスタンスです。

すっきりしましたでしょうか。

>>No.153 薬屋の企画屋様

>その弁証法と裁判システムの看過できない相違点(素晴らしい表現です)が大きな問題点だと考えています。

なぜ、それが大問題だとお考えになるのでしょうか?
(ちなみに、私は必ずしも『弁証法でなければ、真実に近づけない』とは言えないと考えております。)

>法曹家の方々が現在の裁判システムを運用することが“真実”に近づくとおっしゃられていることがどうにも理解できないのです。

現在の裁判システムとは、基本構造の事なのか、それとももっと細部に関わることなのか漠然としていますので、一般人(私含む)の質問と、法曹家の方の上述のようなご回答が噛み合っていない恐れもあると思います。

そこで、現在の裁判システムのどの点が、“真実”に近づくことを阻害している要因であると考えていらっしゃるのか、お時間のある時にでも、宜しければお聞かせ願えれば幸いです。

No.160のコメントは無視して下さいませ。
(No.153 薬屋の企画屋様のコメントの趣旨を改めて理解したように思いますので、質問は不要となりました。)

青空さま
No.159の私の発言の最後

すっきりしましたでしょうか。
は,「でしょうか」 を取ってください。No.135や他の書込みでわかるように,私の読解力の無さが原因なのですが,質問の意味がわからず,何か書き込んでても,もやもやしていたのですが,今回は,青空さまが丁寧に質問してもらったために,すっきりして書くことができました。勢いで疑問文にしてしまいました。ご気分を害されたら,申し訳ないです。あやまります。ごめんなさい。

>No.153 薬屋の企画屋様

>なぜ、現在の裁判システムは真実に近づくと断言できるのか・・・不思議でなりません。

現在の裁判システム上の弁護人の職務に関しては、「進んで、検察官の真相解明に積極的に協力すべき義務はない」が、「刑訴法196条にいう捜査の妨害をしてはならないという限度で、消極的な意味での真相解明への協力義務を認めることはできる」という観点からのご発言だと推測します。


蛇足ですが、No.153のコメント(疑問)を拝見してから、改めて弁護人の職務について調べ、2年程前に弁護人の職務内容が改定されていた事を知りました。裁判に関わる事は殆どないせいもあるかもしれませんが、私は弁護人の職務に関してこれまで無関心でした…。
(続く)

(続き1)
No.163の「職務内容が改定」については、「職務規程が改定」と記述するべきだったかもしれません。以下につきましては、よくご承知の方には繰り返しの内容になり申し訳ございません。

http://www.hoyukai.jp/seisaku/kitei02.html
※「真実」に関する日弁連の見解に関する記述あり。

弁護士職務基本規程案の関連記事(日弁連新聞):
http://www.nichibenren.or.jp/ja/publication/newspaper/367.html#S01
http://www.nichibenren.or.jp/ja/publication/newspaper/367.html#S02
※「真実の発見」から「真実の尊重」へ

(続き2)
http://www.nichibenren.or.jp/ja/publication/newspaper/368.html#S01
※弁護士職務基本規程案上の「真実を尊重し」という文言について、「弁護士は積極的な真実義務を負わないのではないか」という反対意見がある一方で、「真実に近づく」という意味で賛成するとの意見があった。

弁護士職務基本規程
http://www.nichibenren.or.jp/ja/jfba_info/rules/data/rinzisoukai_syokumu.pdf

opapiです。素人です。宜しくお願いします。
今回こちらさまにて勉強させていただき、管理人様皆々様に感謝いたします。

本論とは離れ恐縮ですが、気になったので質問させてください。

光市事件につき
最高裁が検察官の上告趣意書提出から4年余の期間を掛けて判決を下したそうですが、
,海隆屬虜枷輯韻療該事件のみの実働時間はどのぐらいなのでしょうか?
△泙燭修瞭睛討麓腓暴駑爐砲茲覽録調査であり、現地調査や関係者からの直接の事情聴取等は行わないのでしょうか?
4年余とは如何にも時間が掛りすぎと思うのですが、どんな事情があったと推測できるのでしょうか?例えば何度も鳩首会議を開いたのか、或いは単に何もしない時間が経過していったのか?

以上
どなたさまかご教示頂ければ幸いです。

mashさん
非常に勉強になりました。ありがとうございます。

まず、基本的なスタンスの確認として
1.弁証法がいわゆる真実に近づく方法の一つである。
2.『弁証法でなければ、真実に近づけない』とは言えない。
3.裁判の仕組みは弁証法ではない。
はコンセンサスとしていいですか?

>※弁護士職務基本規程案上の「真実を尊重し」という文言について、「弁護士は積極的な真実義務を負わないのではないか」という反対意見がある一方で、「真実に近づく」という意味で賛成するとの意見があった。
示唆的で葛藤のある表現ですね。
ここで言う“真実”が、裁判上の“真実”なのか、弁護士の職務についての“真実”なのか気になるところですが・・・

正直なところ、私が裁判というシステムに対する疑問はNo.163でmashさんがおっしゃられた意味かどうかはわかりません。

以前、YUNYUNさんとまさくにさんが裁判というシステムの検証可能性について議論されたことがありました。
http://www.yabelab.net/blog/tyoukai/2007/06/02-210228.php
お二人の議論を読んで、私の結論は「裁判というシステムの有効性は検証されていない」です。つまり、裁判システムが本当に真実を明らかにするというならば、どのような根拠もしくは理論に基づいているのか?ということを知りたいのです。
そうでなければ、安心して裁判というシステムで裁きを受けることができないではないですよね。

お題の「社会正義」に関連して述べれば、「社会正義が実現されている状態」を「“神の視点”でいう“真実”に一番近い事実把握に基づいて、法で定められた量刑を科す」と私なら定義します。
であれば、“神の視点”でいう“真実”に如何に近づくことができるかがポイントになるはずです。
まがりなりにもシステムとして弁証法の形を取り、その真実発見能力について多くの人のコンセンサスを得ているのであれば、まだしも、刑事弁護は一般論として真実から遠ざかる場合もある(by弁護士)というシステムで、弁護士の方々が現在のシステムを運用することが真実に近づくとおっしゃられるのかと不思議に思うわけです。
そうすると「“神の視点”でいう“真実”に一番近い事実把握に基づいて、法で定められた量刑を科す」という状態から、離れようとしているのに弁護士の方々が「社会正義の実現」を使命としているのは、かなり違和感があります。

>opapi さん

 最高裁の裁判官というのはかなり忙しいことは間違いありません。
 それに体力が有り余っているという年代の方たちではありませんし。
 それでも時間がかかりすぎという意見はあろうかと思います。
 参考として、司法統計年報のページを紹介しておきます。

“神の視点”でいう“真実”は神にしか分からないのだから、
人間のする事実把握は、それに近いのか遠いのかすら分からないと思いますが。

人間は神様じゃないから、
多分真実に近づくのではないかと経験則上考えられているシステムをつくり、
あとは、そのシステムを信頼してそれに乗っ取ってがんばれば、真実に近づいた、と、「見なす」しかできないと思います。
それが適正手続と言うことではないでしょうか。

人間が作ったシステムですから、結構穴があって、
>刑事弁護は一般論として真実から遠ざかる場合もある(by弁護士)
ということが事実上生じたりしますが、
そのへんは、にんげんだもの。
ってことで不問にしているのだとワタシは把握しています。

だから、弁護士の言う「社会正義の実現」はあくまでも、
「そのシステムに乗っ取ってがんばる」ことを意味します。

No.169 白片吟K氏さん

>多分真実に近づくのではないかと経験則上考えられているシステム
を明文化してくださいと言っているだけなんですが・・・
どのような経験則や論理に基づいて、真実に近づくのですか?とお伺いしています。

>人間のする事実把握は、それに近いのか遠いのかすら分からない
と考えているのに
これは「経験則上真実に近づいているシステムです」と言われても、全く信用できません。
白片吟K氏さんは、なぜ信用できているのですか?

>だから、弁護士の言う「社会正義の実現」はあくまでも、
「そのシステムに乗っ取ってがんばる」ことを意味します。
システムが「社会正義の実現」に向かっているかどうかわからないのに頑張られても困ります。

確かに事案、事案は過去のことですし、神の視点の再現は不可能ですから、白片吟K氏さんのおっしゃる通りでしょうが、神の視点を作ることはできます。
例えば、現行のシステムでは裁判官の事実認定能力を高めることが、より裁判システムの信頼性を高めることができると思います。であるならば、“神の視点の真実”を模擬的に作り、裁判官の能力を評価すれば、自ずと裁判システムの信頼性は高まるでしょう。
つまり、模擬裁判を作り、裁判官がどれだけ正確に事実認定ができたかを採点して、ある基準以上の事実認定ができた人間だけを裁判官とするなどのプロセスを行えば、裁判システムの信頼性をある程度担保することができると思いますけどね。

>>No.167 薬屋の企画屋様

私も薬屋の企画屋様のコメントに刺激を受けて、勉強している所です。

コンセンサスについてはOKです。

>ここで言う“真実”が、裁判上の“真実”なのか、弁護士の職務についての“真実”なのか気になるところですが・・・

おそらく判上の“真実”のことだと思いました。
(文脈上、刑事弁護における弁護人の被告人に対する“誠実義務”と、弁護人の“真実義務”との相克の問題に関する議論だと思いますので…。)

>正直なところ、私が裁判というシステムに対する疑問はNo.163でmashさんがおっしゃられた意味かどうかはわかりません。

私がNo.163で推測していたのは、薬屋の企画屋様のご発言のについてではなく、「現在の裁判システムは真実に近づくと断言できる人」のご発言の観点についてでした。
(紛らわしい言い方をしてしまっていたかもしれませんので、念の為に・・・。)

取り急ぎ上記の点のみレスさせて頂きました。
他の件についてはまた…。(すみません、夕食の仕度を…。)

度々の訂正になり申し訳ございませんが、下記訂正となります。

×おそらく判上の“真実”のことだと思いました。
○おそらく裁判上の“真実”のことだと思いました。

>No.170 薬屋の企画屋 さん

>どのような経験則や論理に基づいて、真実に近づくのですか?

難しすぎるから知りません。
現在の刑事訴訟法は、大陸法であれ、英米法であれ、ま、とにかく西欧の制度を引っ張ってきたものです。
あちらで何百年間か考え、試行錯誤してきて作られたものなのですから、それ相応の相当性はあるんでしょう、という程度です。
それがそのまま日本に妥当するのかすらよく分かりません。

>白片吟K氏さんは、なぜ信用できているのですか?

 じゃ、他の何を信用するのです?
ワタシは、他にそれ以上に信頼できると思える物がないから、とりあえず、そのシステムを信用することにしているだけです。

>システムが「社会正義の実現」に向かっているかどうかわからないのに頑張られても困ります。

なぜあなたが困るのですか?
困るのは、分からないシステムにのってがんばらなければならない弁護士の方だと思いますが。
冤罪を担当すれば、骨身にしみてがんばるのがイヤになりますよ。
それでもみんな頑張っているのは、他に適当なシステムがないということもよく分かっているからです。


>神の視点を作ることはできます。

 あくまでも「模擬的な」ものでしょ。人間に神は作れませんよ。
模擬裁判で良い成績を取ったからといって、本番でうまくやれるとは限らない、というのは、
それこそ「経験則」に基づいて言えると思いますが。

No.173 白片吟K氏さん

>ワタシは、他にそれ以上に信頼できると思える物がないから、とりあえず、そのシステムを信用することにしているだけです。
なにと比較して、どのような基準で今の裁判システムは信頼できると思えたんですか?

>なぜあなたが困るのですか?
個人として、いつ何時裁判に巻き込まれるかわかりませんし、また、うちの業界は医療裁判の影響を少しずつ受け始めています。
信頼できるシステムで動いてもらわないと困ります。

>模擬裁判で良い成績を取ったからといって、本番でうまくやれるとは限らない、というのは、
それこそ「経験則」に基づいて言えると思いますが。
すごい理屈ですね。
模擬裁判で良い成績が取れない人よりも、良い成績が取れる人のほうが本番でうまくやれる可能性が高いと思いますけどね。

薬屋の企画屋 さん

あなたは、神の視点に近づけるような訓練を受けた裁判官が、
職権的、一方的に事実を認定し、量刑をするというシステムが
今のシステムよりもよろしいと考えているのでしょうか。

そうだとしたら、裁判が本来「紛争解決」というを役目をもっていることを軽視していると思います。

はっきり言って、あなたが裁判の当事者になったとき、認定してもらいたい事実は“神の視点の真実”ではなく
「あなたに有利な事実」でしょう。
神の視点の真実から遠くても、あなたに有利な事実が認定されれば、あなたは文句を言わないでしょ?

紛争がうまく解決できたときに認定される事実は“神の視点の真実”と同じであるとは限りませんが、
それで物事がうまく行けばそれでいいじゃないですか。
わかりもしない“神の視点の真実”から遠いとか近いとか
それは、どんなに頑張っても、お釈迦様の手の上のことだと思いますが。

ワタシは、すくなくとも、あなたの提示する“神の視点の真実”を捜す裁判よりも今の裁判制度の方がましだと思います。

でも、あなたが、あなたの紛争は、今の裁判システムに任せておけない、と思うのであれば、自分でよいと思う方法でやってみたらよろしいのではないかと。
いろいろ言うより、やってみるのが一番の近道ですから。


>模擬裁判で良い成績が取れない人よりも、良い成績が取れる人のほうが本番でうまくやれる可能性が高いと思いますけどね。

 そうですか?
ワタシはほとんど本番と関係ないのではないかと思いますよ。
模擬裁判で“神の視点の真実”を設定するってこと自体、
正直、「なんやねん、それ」って思います。

事実関係を神の視点で認定するとして、事実に対する評価もやっぱり神として行わなければいけないのでしょうか?

その場合裁判官はどの神様のように振舞えばよいのでしょうか?
ヤハヴェでしょうか?シヴァ神でしょうか?
バモイドオキ神でしょうか?

No.175 白片吟K氏さん

>神の視点に近づけるような訓練を受けた裁判官が、
職権的、一方的に事実を認定し、量刑をするというシステム
今のシステムよりもよろしいと考えているのでしょうか。
今のシステムは弁護、検察双方が提出した証拠を「裁判官が、職権的、一方的に事実を認定し、量刑をするというシステム」ではないのですか?
でなければ、私の勘違いです。
どのようなシステムになっているのでしょうか?

>「あなたに有利な事実」でしょう。
ひどいレッテル貼りですね。
私は“神の視点”の真実なら受け入れますよ。
また、話を刑事弁護に限っている思いましたが、刑事弁護も「紛争解決」が主目的でしたか?

>“神の視点の真実”を捜す裁判よりも今の裁判制度の方がましだと思います。
ここは非常に疑問です。
言葉遊びをしているなら別ですが、なぜ“絶対的な真実”に基づいて下される量刑よりも今の裁判制度の方がマシと言えるのでしょうか?
また、今の裁判官も裁判官が考える「真実」に基づいて量刑を下しているのでしょう。

>模擬裁判で“神の視点の真実”を設定するってこと自体、
正直、「なんやねん、それ」って思います。
私が提示した「模擬裁判」の意味をご理解いただいてなかったのですね。
ここでいう「模擬裁判」とは、裁判官や弁護士、検察など当事者のみ“真実”が明かされていない裁判をイメージしています。つまり、部外者は何が起こったのか「事実」を知っています。
そういった状況下で裁判官が認定した事実と、部外者が知っている「事実」を比較すれば、どれだけその裁判官に事実認定能力を測れるのではないかと思った次第です。

×:事実認定能力を測れるのではないかと
○:事実認定能力があるのかを測れるのではないかと

>No.168 モトケン さん

ありがとうございました。
かなり忙しそうですね。

>No.177 薬屋の企画屋 さん

横レス、失礼致します。
模擬裁判について、おっしゃる趣旨はなんとなくわかる気がするのですが、

>ここでいう「模擬裁判」とは、裁判官や弁護士、検察など当事者のみ“真実”が明かされていない裁判をイメージしています。つまり、部外者は何が起こったのか「事実」を知っています。

という模擬裁判において、裁判官や弁護士、検察に対し、どういう事件を扱わせてみることを想定されているのでしょうか?
私には、裁判官や弁護士、検察の能力を評価するのに適当な事件にはどういうものがあるか、ちょっと思いつかないのですが…

No.177 薬屋の企画屋 さん

「職権的」という言葉は、「当事者主義的」と対立する言葉として使いました。
具体的には、当事者が出していない証拠でも裁判官は使うことが出来る、ということです。
今のシステムは弁護、検察双方が提出した証拠の範囲で裁判官は事実認定するので、
例えば、双方が示し合わせて、出さないことに決めた証拠については裁判官はたとえその存在を知っていても使うことが出来ません。
これにより当事者は多少ですが、裁判官の事実認定の方向をコントロールすることができます。
この傾向は民事裁判では弁論主義という制度により、はっきり打ち出されていますが、
刑事裁判ではここまで強くはなくとも、証拠に対する同意などで、ある程度のコントロールができます。
つまり、「神視点の真実」の追究は刑事においても最重要テーマというわけではありません。
薬屋の企画屋 さんのシステムは、“神の視点の真実”が第一なのですから、どんな証拠でも裁判官が知っている限り、使えると考えるのが一貫していると思いますが、
そうであるなら、今のシステムとは違います。

>ひどいレッテル貼りですね。
私は“神の視点”の真実なら受け入れますよ。

 認定された事実が“神の視点”の真実だと確かめる方法がないのに、
どうやって受け入れる受け入れないを決めるのですか?
また、自分に有利な事実ならば、“神の視点”の真実でなくとも受け入れる、と考えるのは別に一般的なことで、ひどくはないですよ。
つか、今の裁判システムはそれを前提に作られていますから。

>刑事弁護も「紛争解決」が主目的でしたか?

 主目的ですね。
 ただ、当事者(被害者と加害者)の個人的な紛争ではなく、
社会秩序も含めたもっと大きな規模の紛争の解決です。
紛争の性質が民事と違うから解決の仕方も違うし、事実認定の仕方も変わるんですね。


>なぜ“絶対的な真実”に基づいて下される量刑よりも今の裁判制度の方がマシと言えるのでしょうか?

なにが絶対的な真実か確かめる術がないからですよ。
例えば、犯行の様子が録画されていたとして、それを見ながら事実認定したとしても、
評価が変われば、故意があるか過失なのかの判断も、正当防衛が成立しているのか居ないのかの判断も変わります。
故意とか正当防衛とかいう概念自体人間が作ったもので、
神様はそんなこと知らないっておっしゃるでしょう。


なお、
No.176 pon さんのコメント
に対する返答も聞きたいです。
ワタシはかってにヤハヴェだと思って、それ前提に書いていたのですが・・・。

なんか“神の視点”に過剰反応されているようです。
私はどんな神も想定していません。
白片吟K氏さんの言葉を借りれば「犯行の様子が録画されている」状態です。現実にそんなことはありえないから、“神の視点”と比喩的に使ったまでです。
したがって、事実に対する評価の基準はあくまでも法律です。

No.180 けん さん
>裁判官や弁護士、検察に対し、どういう事件を扱わせてみることを想定されているのでしょうか?
まず、「模擬裁判」で評価するのは裁判官の事実認定能力のみです。弁護士、検察の能力は評価しません。そして、現実にはどんな事件もありえるのですから、どんな事件でも良いと思います。
また「模擬裁判」はあくまでも手段であって、目的は「“神の視点”でいう“真実”に一番近い事実把握に基づいて、法で定められた量刑を科す」という状態に近づけることですので、近づいているかどうかをなんらかの形で検証できるのであれば、どのような形でもこだわりません。

No.181 白片吟K氏さん

>薬屋の企画屋 さんのシステムは、“神の視点の真実”が第一なのですから、どんな証拠でも裁判官が知っている限り、使えると考えるのが一貫していると思いますが、
そうであるなら、今のシステムとは違います。
今のシステムが最良であるかどうかはわかりませんので、「“神の視点”でいう“真実”に一番近い事実把握に基づいて、法で定められた量刑を科す」に近づくのであれば、どんな証拠でも裁判官が知っている限り使用してもいいかもしれませんね。
もちろん、近づいているかどうかの検証を行い、裁判官が知っている証拠を使用することが、理想の状態に近づかないのであれば、使用しないほうが良いと思います。

>例えば、犯行の様子が録画されていたとして、それを見ながら事実認定したとしても、評価が変われば、故意があるか過失なのかの判断も、正当防衛が成立しているのか居ないのかの判断も変わります。
このお話は、録画された犯行の様子を裁判官が見ても、人によって評価が変わるとおっしゃっていると理解してよろしいですか?

>No.182 薬屋の企画屋さん

遅くなりましたが、レスありがとうございます。
現状のシステムについて、改善点を色々考えてみるのは良いことだと思います。
興味深く拝読させて頂きました。

No.182 薬屋の企画屋 さん
>このお話は、録画された犯行の様子を裁判官が見ても、人によって評価が変わるとおっしゃっていると理解してよろしいですか?

そうです。
犯行の現場が偶々録画されているということは、ありえます。
うろ覚えですが、以前、確か風俗のお姉さんが、客にナイフで意にそわない行為をするよう脅され、反抗しているうちに逆に客を刺してしまったという例がビデオ録画されていたことがあります。
正当防衛の成否が問題となりますが、
ビデオを見ても、
ごちゃごちゃもみ合っているうちにぷすっといってしまった、という感じで、
よくわかんないそうです。

No.184 白片吟K氏 さん
その例は不適切だと思います。
私が言っているのは、“神の視点”のような録画ですよ。
何が起こったのか明確に分かるような録画を裁判官が見て、人によって評価が変わるとおっしゃっていると理解してよろしいですか?
という問いです。

エントリの趣旨とずれるコメントになりますが、取り調べを録画によって可視化しても、それを観る人によって評価が変わるということもある気がします。

No.185 薬屋の企画屋 さま

横から失礼します。

裁判官が行う作業は、 事実認定 と 認定された事実の法的評価 です。

“神の視点”の録画 (行為者の内心など人間には見えないものまで正確に把握できるもの、という趣旨でいいですよね?) を見ることができれば、事実認定は100%正確にできると思います。

が、その法的評価は、神が行うことは原理的にできず、人間の視点によるほかありません。 

正当防衛の例であれば、たとえば 「行為者に攻撃意思も防衛意思も併存していたこと」 までは“神の視点”ビデオで確認できますが、それが 「正当防衛」 と評価するかどうかは、ビデオを見た裁判官によって異なる、ということになります。

No.187 fuka_fuka さん
お忙しいところ、ご解説ありがとうございます。

そうしますと、以前YUNYUNさんとまさくにさんが論争されていたときにYUNYUNさんが主張されていた「裁判官の判断は90%以上の確度で収斂している」ということと矛盾するような気がするのですが、どのように理解すればよろしいでしょうか?
矛盾しないように理解すると「ビデオを見た裁判官によって異なるが、90%以上は同じ評価をする」ということでしょうか?

矛盾しないように理解すると「ビデオを見た裁判官によって異なるが、90%以上は同じ評価をする」ということでしょうか?

はい、まさにそういうことです。

付け加えるなら、「90%」 という数字を評価するときには、「事件全体を統計的に見れば90%くらい」 ということなのか、 「どんな事件でも、その事件について90%くらい」 ということなのかは区別しなければいけないだろうと思います。

ここは、以前議論になっていた際にYUNYUNさまに確認しそびれていたところですが、おそらく前者の意味であろうと。

私の感覚としては、証拠関係が微妙で事実認定が困難な事件、あるいは過去の判例の射程内かどうか等、法的評価が微妙な事件などでは、裁判官個人によって相当ブレる可能性が高いと思います。
地裁・高裁で逆の判断がされている事件が、割合としてはともかく、絶対数としてはけっこうあるというあたりからみて。

No.189 fuka_fukaさん
重ね重ねありがとうございます。
ご説明を伺って、やはり、現在の裁判システムの信頼性を高めるには、裁判官の事実認定能力を高めることが有効のような気がします。
お話を総合すると。裁判システムの信頼性は(裁判官の事実認定能力)×(裁判官の法的評価能力)と仮定できそうです。
もちろん、弁護士と検察が提出する証拠の質も重要なファクターではありますが、あくまでも同じ証拠が提出されたと仮定した場合の話ですから・・・

そうすると、どのように鍛え、どのように評価するのかですが、鍛えるのは場数に任せるとして、評価は私が先に上げた「模擬裁判」で評価できると思いませんか?

模擬裁判について。

時間とコストの面から、現実的でないと思います。
OJT、つまり日々の実務の中で、個々の裁判官自身が研鑽していくのが最も合理的と思います。
明らかにおかしな事実認定をする裁判官がいれば、上級審でひっくり返される率が高いだろうし、そういう裁判官は出世できず、緩やかではありますが淘汰されます。

それに、「真実」を発見できない場合があるとすれば、そのほとんどが、証拠の不備によるものだろうと思います。

たとえば、真実は「AはBにカネを貸した」であっても、Aは証拠も何もとっておらず、言い分も二転三転しているような場合、「カネを貸した事実はない」と認定されることは、ある意味正当化されるのではないでしょうか。

↑の例のような場合、薬屋の企画屋さまはどういう評価をされるでしょうか?

http://www.yabelab.net/blog/tyoukai/2007/09/29-93315.php#c84196
からの続きです。
このエントリーに相応しいかどうかは自信がありませんが。

>ponさん
>被告人は「光るもので殴られた」と供述しているのであって、
>「ナイフで襲われた」とは言っていません。
はい、私もそう言っていますが、何か問題でも?
私が指摘しているのは、その「光るもの」を断定できる証拠もなく(カッターナイフかペンチというのはあくまでも安田弁護士の想像で被告人の供述ではない)、公判で積極的に主張していないにも関わらず、わざわざ記者会見で分かりにくい(下手くそな)イラストを公開する手法の問題点です。
>他に直接的な証拠が無くとも、本件のあらゆる記録を精査した「弁護団が」他の間接的>な証拠や近傍の状況を考えて「ナイフで殴られた」という推論が限りなく事実に近いと感>じたのならば
いや今枝先生は事実ではないとおっしゃっていますが、今枝先生は「弁護団」の一人じゃないんですかね?
弁護側の主張に「ナイフで殴られた」とあるなら別ですが、そういう主張は無いようですし、azuさんのお話によればイラストから削除しているようですから、今枝先生のお話と総合すれば、安田弁護士は既に「ナイフで殴られた」とする自説を撤回あるいは無かった事にしていると考えて良さそうです。
にも関わらず、何故ponさんがそこまで安田弁護士の手法を擁護されるのか理解に苦しみます。

感熱紙様

>私が指摘しているのは、その「光るもの」を断定できる証拠もなく(カッターナイフかペンチというのはあくまでも安田弁護士の想像で被告人の供述ではない)、

揚げ足鳥になりそうですが、例えば検察側の主張する「蝶々結びで絞殺」というのも「死因が窒息死」「首に蝶々結びが施されていた」
という状況証拠による推定ですよね。
死因が「蝶々結びを施した」紐によるものだと断定できる直接的な証拠はありません。(それでも最高裁はこの推定を支持しました)
それと同じことではないでしょうか。

私は今、「蝶々結びによる絞殺」と評価しましたが、実際には分かりません。上で挙げた2点の状況証拠以外にも説得力を与える傍証があるのかもしれません。
同様に、「カッターナイフで殴った」という主張にも被告人供述以外の傍証があるのかもしれません。直接的な証拠があるのかもしれません。
なくとも裁判記録を精査すれば自明のことかもしれません。

>公判で積極的に主張していないにも関わらず、わざわざ記者会見で分かりにくい(下手くそな)イラストを公開する手法の問題点です。

この点、混同しないように注意しなければいけません。
すなわち、「カッターナイフで殴りつけられた」という主張をすることと、それをイラストで行うことは別問題です。

前提として、あの記者会見を開くことそれ自体の是非、
またその会見でイラストを使用することの是非については
私は争うつもりはありません。
イラストを使用した記者会見を開くことを前提とした場合、
そこにナイフが描かれていたとして何の問題があるのでしょうか。
弁護団が何らかの理由で被告人供述の「光るもの」をカッターナイフと推定したのならば、そこにナイフを書かない理由は無いでしょう。

>いや今枝先生は事実ではないとおっしゃっていますが、今枝先生は「弁護団」の一人じゃないんですかね?
今枝氏個人としては「事実ではない」のでしょうが、弁護団の一人であるのならば、「カッターナイフで殴られた」という主張に縛られます。
弁護団内部で意見の食い違いがあるのは当然でしょう。

>弁護側の主張に「ナイフで殴られた」とあるなら別ですが、そういう主張は無いようですし、

そりゃそうでしょうね。
争点になっていませんから。
争点になれば当然この主張が出てくるでしょう。

>安田弁護士は既に「ナイフで殴られた」とする自説を撤回あるいは無かった事にしていると考えて良さそうです。
私には安田弁護士の内心を諮ることなどできませんが、
もしあなたの主張どおりであるのならば何の問題もないですよね。

>ponさんがそこまで安田弁護士の手法を擁護されるのか理解に苦しみます。
私は安田弁護士および今枝弁護士及び弁護団の主張についていずれも擁護できる立場にありません。同時に批判できる立場にもありません。

感熱紙様は先ほどから「問題だ」といってますが、なぜ問題なのでしょうか。
もし感熱紙様の仰る「問題」が「被告人に有利な方向に印象操作しようとしている」という意味ならば、その主張が失当であることは分かるはずです。

補足させて頂きます。

ナイフのようなイラストのカット部分を掲載したFORUM 90 VOL..87の弁護人弁論要旨の弁護人のお名前には、安田弁護士と足立弁護士2名のお名前でした。
またその中でも「光る物を腰にぶつけられた」という表現でカッターナイフやスパナなどの表現はありませんでした。

また記者会見でのイラストでは、これは私の印象ですが下手ではなく、むしろ被害者がかなりそのナイフのようなもので襲っているという印象を持ちました。
しかしこれは、私の主観なので流してください。

両方の画像も今現在も確認できますが、今枝弁護士のブログだったと思いますが、今枝弁護士が本村さんのお気持ちを考えて閉鎖しようと思った時に、本村さんがその画像に関して不快感を示していらっしゃるので、あえてURLは表示いたしませんが、私も感熱紙さんのように被告も光るような物という主張なのに、カッターナイフかスパナのようなものと弁護人が推測し、それを裁判では主張せずに記者会見でおっしゃったので疑問を感じたのです。

ただ不勉強の為、PON様のお答えを読むと弁護人がその光る物をナイフと(イラストはカッターナイフより大きい物です)推定したならば、被告が主張しなくてもそれをマスメディアに流しても何ら問題は無いと言う事なのでしょうか?

azu様
被告人がその主張を否定したのなら問題でしょうね。
否定しないのなら問題は無いでしょう。
事件当時現場に居たからといって全てを知っているわけではありませんからね。(例:蝶々結びの件)

>被告が主張しなくてもそれをマスメディアに流しても何ら問題は無いと言う事なのでしょうか?
厳密にお願いします。
記者会見を開いたことが問題なのですか?
被告人が主張してないことを主張したことが問題なのですか?
前者については争うつもりはありません。
政治的な効果として負の部分があったことは否めませんし。
後者については、上で述べた通りです。

>PON様

>厳密にお願いします。
記者会見を開いたことが問題なのですか?

言葉足らずで申し訳ありません。
記者会見をした事についてです。

また他の件についてはよくわかりました。ありがとうございます。

> 「裁判官の判断は90%以上の確度で収斂している」
>「90%」 という数字を評価するときには、「事件全体を統計的に見れば90%くらい」 ということなのか、 「どんな事件でも、その事件について90%くらい」 ということなのかは区別しなければいけないだろうと思います。
> ここは、以前議論になっていた際にYUNYUNさまに確認しそびれていたところですが、おそらく前者の意味であろうと。(No.189 fuka_fuka さま)

その通りです。補足ありがとうございました。
個々の事件の性質により、裁判官の判断が分れやすいということはあろうと思います。下記参照

----
まさくに様との議論したエントリ
●司法の不確実性について考える
http://www.yabelab.net/blog/tyoukai/2007/06/02-210228.php

参考
●医療関係エントリに関するつぶやき
コメントNo.50 YUNYUN(※民事訴訟を念頭においた内容です)
http://www.yabelab.net/blog/tyoukai/2007/02/15-104709.php#c39957
> 事件の内容によって、振れ幅が大きい(意見が分散する)問題と、小さい(誰が見ても同じ判断をする)問題とがあります。
> 法解釈の面では、法令の文言の解釈の余地が広いか狭いかや、法解釈を示した判例が存在するか否か。事実認定の面では、証拠ががっちり固まっているか、薄い証拠しかないのか、といったことに関係します。
> ちなみに、模擬裁判に使われる事案は、意見が分かれたほうが観客がおもしろいので、わざと証拠を曖昧にして、迷わすように作ってあります。
>
> 誰もが同じ判断を出すような明々白々な事件であれば、裁判するまでもなく、双方とも結果が読めるので、マトモな相手となら話し合いで解決できます。
> しかし、実際の事件では、特に証拠がどの程度揃えられるかにより、裁判結果が完全には予測できないため、裁判所の判断を仰いでみようということになるのです。
> また、控訴審の意義については、裁判官の目を代えて見直すというだけではあまり変化は期待できませんが、新たな主張・証拠を追加して一審では弱かったところを補強することによって、判断を覆そうとする動機が大きいと思います。

No.170 薬屋の企画屋様

返信が遅れ申し訳ございません。
以下、「以前、YUNYUNさんとまさくにさんが…」以降の部分についての感想等になります。

A.まず、薬屋の企画屋 様が弁証法との比較を通じてNo.153で指摘された“近代裁判システムの大きな問題点”とは、「弁護人が『被告人にとって不利な情報』を得た場合、裁判所に提出的ないこと」(※)だと理解しておりました。

※を言い換えれば、「弁護人には、進んで、検察官の真相解明に積極的に協力すべき義務はないこと」や「弁護人の職務として、『真実義務』よりも被告人に対する『誠実義務』を優先しなければならないこと」等。

B.次に、No.174でご紹介頂きましたYUNYUN様とまさくに様の間の議論(関連記事含む)の主題は、「法律上の争点が同じ事件でも、判決が変わる事があること」についてですよね。

上記同意頂けるものとして、下記に続きます。

(続く)

(続き)

上記Aでは、「裁判システムの基本構造は、真理追求のためのモデルとして、有効か否か」について問題提起されてるのだと思っていましたが、上記Bでは上述の件(基本構造の有効性)は問題にされていないようですね。

Bのまさくに様の主眼は、裁判システムを健全に機能させる為の改善提案の方に主眼があると思われました。(Ex.裁判システムを健全に機能させるには、裁判システムの重要なファクターとなる人間(裁判官・検察官・弁護人)の裁量に委ねられる部分をもっと制限すべき、等)

No.170を拝見した段階では、薬屋の企画屋様は現在の裁判システムの基本構造の有効性を問題にされていらっしゃるのかと思いましたが、その後のレスを拝見して、薬屋の企画屋様の主眼はまさくに様と同様、裁判システムを健全に機能さえるための方策の方にあったのだと思われました。なんとなく、少しほっと致しました。

蛇足ですが、個人的には、基本構造については優れたシステムだと思っています。
弁護人が、被告人の利益より真実追求を優先させ、被告人の不利益となる行動を取る事があれば、その時点で被告人の代理人(弁護人)とは言えなり、基本構造が崩れると思いますので、被告人の利益を優先せねばならない弁護人の職務は変えられないと思います。
システムの基本構造の有効性を検証するには、とりあえず、別の構造を持った裁判システムと比較(模擬)実験をする位しか思いつきませんでした。

Bの「裁判システムを健全に機能さえるための方策」の件に関しては、皆様のコメントを拝読する等して勉強させて頂きたいと思います。

散漫になりましたが、感想まで…。

No.191 fuka_fuka さん
>時間とコストの面から、現実的でないと思います。
そんなに時間とコストかかりますかね?
現実の裁判ではないですし、答えのわかっている裁判なのですが・・・でも、本筋と外れますし、案にはこだわってませんので、そんなものかなと納得します。

>OJT、つまり日々の実務の中で、個々の裁判官自身が研鑽していくのが最も合理的と思います。
ただ、これはシステムが向上しているかどうかが検証できないと思います。例えば、合理的と判断する基準はなんでしょうか?
現実の事案では本当の事実はわからないのにどうしておかしな事実認定をしたかどうかがわかるのでしょう。
また、YUNYUNさんのご意見ではおかしな事実認定をしているから上級審でひっくり返されるのではなく、証拠関係が同一でないからひっくり返されているとのご意見だったと思いますが・・・

さらに言えば、fuka_fuka さんのご意見だと10年前の裁判システムより現在の裁判システムの方が裁判官が研鑽されていて、より事実認定能力が高まっていることになりますよね?
それはどのように基準で判断できるのでしょうか?

No.198 mash さん
mashさんの理解力とまとめの凄さに感服します。
自分の意見なのに「そうそう、こういうことが言いたかったんだよ」と思います。

少し補足しますと、私の問題意識はやはり『現在の裁判システムはどの程度有効なのだろうか』と言うところにあります。なぜ、そういうことを思うのかというと、私の業界に近しい医療裁判の迷走が大きな原因です。
そうするとまず「裁判システムの基本構造は、真理追求のためのモデルとして、有効か否か」の疑問が浮かびます。
しかしながら、システムが有効か否かを知るためには2つの重要なことがあります。それは「理想像」と理想像に向かっているかどうかを知るための「検証」です。

理想像は私が勝手に定義しました。
そして「検証」を論じるためには必ず「指標」がセットになります。測ること(指標)ができないものは「検証」できないからです。測り、検証できる仕組みは自ずとシステムを健全に機能させるための仕組みとなります。
システムを健全に機能させるための仕組みがあれば、自律的に理想像に向かっていきますし、外部から見ても安心できるシステムになります。

揚げ足取りになりますが、
>蛇足ですが、個人的には、基本構造については優れたシステムだと思っています。
mashさんはどんな基準(指標)と比較して現在の基本構造が優れていると判断しているのでしょう?
この基準(指標)を知ることができれば、次は基準(指標)を改善する仕組みを作ることがポイントになりますよね。

追加
No.199 mashさん
>システムの基本構造の有効性を検証するには、とりあえず、別の構造を持った裁判システムと比較(模擬)実験をする位しか思いつきませんでした。
ベンチマーキングと呼ばれる手法ですね。
ただ、裁判は人間が行うので裁判官がその基本構造が違うシステムにどの程度熟練しているかによって、有効性の検証に影響がでるかもしれません。

訂正ばかりですみません。

No.198は、No.167 薬屋の企画屋様宛のコメントでした。
また、下記訂正がございます。

No.198
× 裁判所に提出的ないこと
○ 裁判所に提出できないこと

No.199
× 裁判システムを健全に機能さえるための方策
○ 裁判システムを健全に機能させるための方策

追記:
「まがりなりにもシステムとして弁証法の形を取り…」以下の部分については、そのような考え方もあると思います。

ただ、刑事弁護が真実から遠ざかる可能性のある場合においても、刑事弁護を検察官による真相解明の試金石と捉えればば、真実に近づくために役立っているという考え方も可能かと思います。

(完璧な論文だと思っても、念の為問題点がないかを確認することで万全を期したり、工場で1stロットを出す際に、正しい工程により完璧な製品が出来上がったと思っても、念のため念入りに品質検査を行うような感じではないかと勝手に思っています。これらは、完璧な論文に近づけるため、完璧な製品に近づけるための行動ではないかと…。)

あと、弁証法の“神の視点での”真実発見の能力については、多くの人のコンセンサスを得ているかどうかは疑問です。

西洋哲学史の流れにおいて、紀元前のプラトンの認識論(イデア論)にて既に、“神の視点での”真実(イデア)を人間はを直接見ることは出来ないと考えられていた筈だからです。

比喩として、人間とは、洞窟の中で入り口に背を向けて繋がれた囚人のようなもので、明るい世界(イデアの世界)を直接見ることは出来ず、洞窟の壁に映る影(イデアの影)しか見えない等と言っていたような気がします。

上記はうろ覚えですが、洞窟の比喩について検索したところ、下記サイトがございました↓
http://www2.odn.ne.jp/~car38250/tusin04/041019.htm

203は、薬屋の企画屋様がNo.201、202を投稿されていらっしゃる事に気づく前に投稿していました。
レス有り難うございます。これから拝読させて頂きます。

No.200 薬屋の企画屋 さま

ただ、これはシステムが向上しているかどうかが検証できないと思います。

「システム」 は不変です。
OJTで向上するのは個々の裁判官の能力である、という前提で書いています。

また、YUNYUNさんのご意見ではおかしな事実認定をしているから上級審でひっくり返されるのではなく、証拠関係が同一でないからひっくり返されているとのご意見だったと思いますが・・・

YUNYUNさまは 「証拠関係が変わる」 ことを重視している (そういう例が多いと認識されている) ということで、同じ証拠関係を前提に事実認定が逆になるということを必ずしも否定するご意見でなかったと受け取っていたのですが、違っていたらすみません。

私自身の見解としては、微妙な事実関係の場合に裁判官が逆の見方をするということを (事実認定、法的評価のいずれでも) 自分が関与した事件で実感していることもあり、裁判官の判断のブレは実はけっこう大きいのではないかとは思っています。

fuka_fuka さんのご意見だと10年前の裁判システムより現在の裁判システムの方が裁判官が研鑽されていて、より事実認定能力が高まっていることになりますよね?

先にも書きましたが、OJTによって 「システム」 が向上するというものではありません。
事実認定能力は、職人芸的な面があります。教育によるある程度の継承は可能でしょうが。

1人の裁判官は、10年前の新任当時と今とでは、今の方が事実認定能力が高まっているでしょう。が、総体で見れば、その10年の間に年齢が上の方は多くが退官し、下の方は社会経験に乏しい新人が大量に入ってきています。
みんな必死で努力し研鑽していても、裁判官全体での能力が向上している保証はありません。

薬屋の企画屋さん

mash さんやfuka_fuka さんとの方がうまく議論ができている様なので、
ワタシはこの辺で抜けます。

>白片吟K氏さんの言葉を借りれば「犯行の様子が録画されている」状態です。

というから、実際に現場が録画されている例を挙げたのに、

>その例は不適切だと思います。
私が言っているのは、“神の視点”のような録画ですよ。

と言われたら、もうワタシには訳が分かりません。
神の視点から見た正当防衛、とか、ワタシには想像もつきませんし。

あなたの言うシステムの「理想像」は、ワタシの考えるものと違うようです。
ワタシにはあなたは机上の空論を言っているだけのように見えます。

>No.201 薬屋の企画屋様
お褒め頂いて恐縮です。ただ、既に議論が存在している場合には、そちらの分かりやすい表現をお借りさせて頂いていることもありますので、自分の力ではありません。(たとえば日弁連の「真実義務」の表現等。)

お話しているうちに、実際に(迷走と表現されているような)問題を目の当たりにしている訳でもなく、弁護士さん達のように裁判に関わっている訳でもない私が、これ以上お話に参加させて頂くのはどうかと、申し訳ないようにも感じて来ております。
---

裁判システムの基本構造が、真実追求のためのモデルとして「有効か否か」という事と、「どの程度有効か」という事は別の問題であるのにも関わらず、No.199の下記文章(*)にてこの2つを混同させる書き方をしてしまったようです。

>システムの基本構造の有効性を検証するには、とりあえず、別の構造を持った裁判システムと比較(模擬)実験をする位しか思いつきませんでした。(*)

「有効か否か(有効性の有無)」について検証するには、下記サイトのように「裁判システムが真実追求のために有効である」という仮説検定を行えば良いと思ったのですが、“現在の裁判システムがたとえ完璧なものではなくても、無いよりは有る方がいい”と考えることについては同意頂けるものと思い、あえて書きませんでした。
http://hosho.ees.hokudai.ac.jp/~kazuki/base.html

また、模擬実験をするとしても、裁判システムの無い社会というものが考えにくかったので、帰無仮説として「裁判システムの無い状態でも、現在の裁判システム下と差が無い」という仮説を立て難いように思いましたので、代わりに「現在の裁判システムが導入される前に、日本で実施されていた裁判システム」を想定して「別の構造を持った裁判システム」と書いてしまいました。
(つまり、日本において、現在の裁判システムが導入されて、過去よりも真実に近づくことが出来るようになったと検証できれば良いと考えました。)

以上の理由で、上記(*)のように書いてしまいましたが、混乱を招くものだったと思っております。
「しかしながら、システムが有効か否かを知るためには2つの重要なことが…」以降のコメントは、「有効か否か」についてではなく、「どの程度有効か」の方の件についてですよね。
私のせいで、薬屋の企画屋様まで混乱させてしまったようで申し訳ございません。

No.200の裁判システムの基本構造のファクターとしての人間(裁判官・検察官・弁護人)の熟練度が検証結果に影響が出るとのご指摘は仰る通りだと思います。比較(模擬)実験に際しては、いかに条件を統一するか検討する必要があると思います。

ところで、No.153にて「なぜ、現在の裁判システムは真実に近づくと断言できるのか・・・不思議でなりません。」と仰っていらっしゃるのは、文字通り受け取れば、真実に近づくモデルとしての「有効性の有無」を問題にされているように思われます。
しかし、そうではなく、「どの程度有効か」という事(もっと有効なモデルがある筈だ、等)という事を仰っておられたのだと読み替えて理解しても宜しいでしょうか?
(一見些細な違いしかないように見えるかもしれませんが、前者と後者では大きな違いがあるように思いますので…。)

>No.206 白片吟K氏様

私がNo.199にて、No.207に(*)に抜粋した文章を書いたことで、皆様を混乱させてしまったようで申し訳ございません。

推測ですが、薬屋の企画屋様様が、No.201にて「理想像」について述べていらっしゃる部分は、“システムの有効性の「程度」”を検証する為に必要な手順を私に説明される為だけの物だと思われます。

(有効性の程度を測るには、基準(指標)を作る必要があり、基準を作るには『理想像』を作らねばならない、という事かと思います。)

「理想像は私が勝手に定義しました。」と書いていらっしゃる件についても、おそらく、上記説明の一部としてであり、「神の視点の理想像は知り得ないので、人間(私)が勝手に定義するしかない」という事だと思われます。

話をややこしくさせてしまい、申し訳ございませんでした。

No.208 mash さん

いえ、ワタシが議論に飽きてきただけで
mashさんが謝ることではないです。

mashさんや薬屋の企画屋さんと、ワタシでは立ち位置が違うので、
問題意識も違うんだと思います。

>No.209 白片吟K氏 様

了解致しました。

--
念のため、薬屋の企画屋様と私は、問題意識を共有してはおりません。

薬屋の企画屋様が、現在の裁判システムが真実追求のために有効でないと考えていらっしゃるのかどうか、現在確認中です。(私は現在の裁判システムの基本構造は有効だと思っています。)

基本構造の部分ではない点についても、薬屋の企画屋様のように医療裁判の迷走を身近に感じている訳ではありません…。もちろん、医療に関する問題として、患者として関わる事もあるかもしれませんので無関心ではありませんが。

話の流れでコメントし続けてしまいましたが、議論に参加するというよりも、より具体的なお話を聞き出させて頂くような形になって来ていると思います。
具体的なお話について意見が出来るような知識が私にはございませんので、No.207でも触れましたように、そろそろ皆様のご意見をROMする方に戻り、勉強させて頂きたいと考えております。

はじめまして。橋下弁護士のブログの今枝氏向け記事内で、ある教授の記事が紹介されています。弁護士の専門性と人間性のジレンマが問われたということです。Garrow's Lawyersという事例らしいのですが、これなどは今回の騒動を見る上で、どう考えればよろしいのでしょうか。
http://www.satosho.org/satosholog/garrows_lawyers/index.html

司法取引の有無など裁判制度の違いもあるので単純に比較はできないとは思うのですけれど。

>No.211 すこ八 さん

>司法取引の有無など裁判制度の違いもあるので単純に比較はできないとは思うのですけれど。

 裁判制度の違いもさることながら、本件の弁護団と殺人事件を隠蔽したGarrow's Lawyersを同列において自分の考えの正当化根拠にするのはかなり無理があると思います。
 分析や比較検討をしないで、ただ弁護士倫理と世論の衝突という構図を持ち出しているだけで、少なくとも懲戒請求の正当性や相当性の根拠にはならないと考えます。

No.159 hatty さん

お返事遅くなりました。
よい週末を過ごされましたか?

まずはじめに、
>ご気分を害されたら,申し訳ないです。( No.162 )
いえいえ、気分を害したりしておりませんので、どうぞご安心下さい。

以下、本題です。

hatty さんは、弁護人の主張を判断するのに「証拠が明らかであること」を要件としておられますね?(注:青空の No.157 )

>上記の考察は,No.135 の私に(注:No.159 表記のママ),発言からでしょうか,( No.159 )

いえ、そうではありません。

>・これは,証拠から明らかなんですよねぇ(その辺の証拠はよく知りませんが)。( No.146 )

と発言しておられる部分を指しています。
 
 
 
>但し,弁護人は,証拠が無けでば(注:No.159 表記のママ),主張できないとは思っていません。( No.159 )

えーっと。
この部分は、本気でそのように思っておられるということですよね(確認)

刑事訴訟法上、事実の認定は、証拠による(第317条) と定められていることを知らない法曹人などおりません。(と言い切ってよいとおもいます。そんな法曹人がおられたら、大変です / 笑)
ですので、弁護人は、証拠に基づかず主張することなどありません。(なぜなら、そのような主張は訴訟上無意味であるから。)

hatty さんがあげておられる例( No.159 )でお話するなら、「醤油が勝手に買い物籠に入ってきた」、と弁護人が主張するときには、その証拠として、「醤油の瓶(ペットボトルかな?)からは被告人の指紋が検出されなかったこと」であるとか、「防犯カメラの映像に、被告人が醤油の瓶(ペットボトル)を掴んでいる場面が撮されていないこと」、であるとか、なにかを示した上で主張がなされているのです。

hatty さんご自身が、弁護人は,証拠が無けでば(注:No.159 表記のママ),主張できないとは思わない こと自体は、内心の自由であって、どう思われるかは、当然に hatty さんのご自由です。そして、可能性を吟味する、という意味では、そのように思われることは、知的な思考態度ですよね。
けれども、それは、例えて言うなら、手術によって病気の治療をしましたよ、という外科医さんの発言を、「いや、あの外科医は、まじないを唱えることによって病気の治療をした(つもりになっている)だけなのに、手術によって病気の治療をしたと発言しているのかもしれない(し、していないのかもしれない)。だって、可能性としては、そういうことがありうるんだもーん。」、と考えることと、質としてはおなじようなものではないでしょうか。

あ、なんか、いじわるな書き方になっているかもしれないですね。(反省)
「刑事弁護について考えるときは、弁護人が証拠もなく主張している、なんて場面を、考えなくていいんですよ。」とお伝えしたいだけですので、他意はありません。
 
 

今回の事件における「弁護人が知っている被告人にとって不利なこと」というのがどのようなものなのか、(注:青空の No.157 )

>公判ではないのですが,上記が「なめだいで(注:No.159 表記のママ)いただきたい。」
>のマスコミ説明の中にも垣間見れると思い
>挙げさせていただきました。

具体的に、マスコミ説明の中のどの部分が、「弁護人が知っている被告人にとって不利なこと」にあたるのでしょうか? よろしければ、ご教示下さい。
 
 

>正確に言うと,真実を隠しているとは言っていませんし,
>隠していないとも言っていません。
>弁護人が被告人を弁護している時は,
>私は弁護人に対してこのスタンスです。

承知いたしました。
では、そのスタンスであるなら、なぜ、No.131 において、

>どうして違和感を感じないのですか?
>モトケンさまが挙げてくれた例を見て
>弁護人がどう行動しなければならないかを知ってからも
>何故違和感を感じないのですか?

などと、わたしに向かって問いかけてこられるのでしょうか?

そのスタンスであるなら、「わたし(注: hatty さんご自身)には違和感があるけれど、なるほど、他の人が違和感を感じないこともありうるなぁ。」とお考えになるのが自然かとおもわれるのですが。
 
 

>真実を明らかにするということは,どういうことでしょう。
>被告人の有利な事も不利なことも弁護人が知った全てを明らかにするということで良いでしょうか。

いまのところ、hatty さんの有利・不利の判断基準は不明確なままですが、上記のご発言( No.131 )に沿って、以下の問い( No.131 )に誠実にお答えするならば、

>逆に弁護人が直接的に真実を明らかにするために
>全力で頑張ってはまずくないですか?

・まずいとき
  弁護人が知っている被告人にとって不利なことを明らかにしてしまったとき

・まずくないとき
  弁護人は、被告人にとって不利なことをそもそも知らないので、弁護人が知っていることをすべて明らかにしたとしても、被告人にとって不利益とはならないとき

の双方がありえます、というお答えになります。


以上、なにかわかりにくいところが御座いましたら、お尋ねになって下さいね。

No.205 fuka_fuka さん
>「システム」 は不変です。
言葉足らずでした。
「ただ、これはシステム“のアウトプット”が向上しているかどうかが検証できないと思います。」
とさせてください。

>OJTで向上するのは個々の裁判官の能力である、という前提で書いています。

>みんな必死で努力し研鑽していても、裁判官全体での能力が向上している保証はありません。
ということは、現在の裁判のシステムのアウトプットは10年前より向上しているのでしょうか?
それとも落ちているのでしょうか?
それとも、わからないのでしょうか?

No.206 白片吟K氏さん
>mash さんやfuka_fuka さんとの方がうまく議論ができている様なので、ワタシはこの辺で抜けます。
説明が下手で申し訳ないです。

もし、まだいらっしゃれば一つだけ質問です。
>あなたの言うシステムの「理想像」は、ワタシの考えるものと違うようです。
白片吟K氏さんの「理想像」はどんなモノでしょうか?

mashさん

やはりmashさんのコメントはいろいろと気付きを与えてくれます。
ありがとうございます。

No.207
>裁判システムの基本構造が、真実追求のためのモデルとして「有効か否か」という事と、「どの程度有効か」という事は別の問題であるのにも関わらず、No.199の下記文章(*)にてこの2つを混同させる書き方をしてしまったようです。
いえ、これは完全に私のミスです。
当初から「有効か否か」と『現在の裁判システムはどの程度有効なのだろうか』をほぼ同義としてコメントしてました。

>No.153にて「なぜ、現在の裁判システムは真実に近づくと断言できるのか・・・不思議でなりません。」
このことを補足しますと
仝什澆虜枷愁轡好謄爐詫想像に向かって改善されているかどうかを測る指標はなく、検証できるシステムになっていない
∈枷愁轡好謄爐縫ぅ鵐廛奪箸気譴訃霾鵝幣攀鬚箴攜世竜蚕僉鑑定意見や事案の複雑性など)は時代とともに変化している
時代とともに変化しているインプットに対して、裁判システムのアウトプットが過去より向上しているかどうかはわからない
い錣らないだらけにも関わらず、「真実の発見」に寄与できていると断言する弁護士の方々がいる
イ匹Δい辰榛拠に基づいて、「真実の発見」に寄与できていると判断できるのだろう
ということです。

No.167の私のコメント
>裁判システムが本当に真実を明らかにするというならば、どのような根拠もしくは理論に基づいているのか?ということを知りたいのです。
>そうでなければ、安心して裁判というシステムで裁きを受けることができないではないですよね。
ということに集約されます。

No.208
>現在の裁判システムが真実追求のために有効でないと考えていらっしゃるのかどうか
について答えようとすると「わからない」です。
程度問題で言えば、現在の社会でまともに運用されている現実から考えるとそれなりの有効性はあるだろうくらいです。
しかし、現在の裁判システムが最良でない以上、よりアウトプットの向上を求めたいと思っています。

例えば、白片吟K氏さんのコメントで
>あちらで何百年間か考え、試行錯誤してきて作られたものなのですから、それ相応の相当性はあるんでしょう
ここまではアグリーなんですよね。
それを明確化しない私が悪かったんですが、今まで試行錯誤で向上してきたのだから、これからも試行錯誤して向上できるはずですよね…と

そのためには、理想像と理想像に向かっているかどうかを測る指標が必要ですよね。
その指標はどのようなものが適当でしょうかということをプロの方々も含めてお伺いしたいと思っています。

なお、神に視点の理想像うんぬんは非常に誤解を受けやすいみたいなので、モトケンさんの理想像
1 文字通りの意味での真実の発見
2 当事者だけでなく全ての人が納得する紛争解決
に置き換えていただけると幸いです。

>白片吟K氏さんの「理想像」はどんなモノでしょうか?

理想像、という物は考えたことがありません。
目の前のトラブルが片づいて、
みんながグチ以上のことを言わずにすんで
まあまあうまくやってゆければ、それでいいです。

ひとつ大事な質問に答えるのを忘れていますね。

No.191 fuka_fuka さん
>たとえば、真実は「AはBにカネを貸した」であっても、Aは証拠も何もとっておらず、言い分も二転三転しているような場合、「カネを貸した事実はない」と認定されることは、ある意味正当化されるのではないでしょうか。
↑の例のような場合、薬屋の企画屋さまはどういう評価をされるでしょうか?
私は神を引き合いに出しましたが、人間の限界を無視しているわけではありません。したがって、上記の質問は「仕方ありませんね。正当化されます。」です。

No.217 白片吟K氏さん
なるほど、現状で充分というご意見なのですね。
ありがとうございました。
なぜ、話が噛み合わないのかが理解できました。

>No.216 薬屋の企画屋様

「現在の社会でまともに運用されている現実から考えるとそれなりの有効性はあるだろうくらいです。」というコメントを頂き、了解致しました。(それすらもお疑いになられているのかどうかを確認させて頂きたかったので。)

ご回答有り難うございました。

P R

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