エントリ

 橋下弁護士はその答弁書において「世間」という言葉をキーワードの一つとして使い、今枝ブログにおいても「世間」を根拠とする今枝弁護士に対する批判というか攻撃が多数見られ、このブログにおいても世間を根拠として自説(?)を述べる人が若干名おられます。

 しかし、「世間」とは何ぞや、という問題があり、これまで何人かの人が問題点を指摘されていましたが、さきほど投稿された kamov さんのコメントはその点をとてもわかりやすく指摘されていると思います。

 「世間」、「常識」、「社会一般」とは何か、そして刑事弁護活動に対する批判として「世間」、「常識」、「社会一般」等がどれほどの説得力を持つのか、という点についてご意見のある方はどうぞ。
 少し長いですが、上記コメントを以下に引用します。

法的な 「正義」 は社会一般の 「正義」 と乖離しているか否かという議論になっているようですが、私はこの「社会一般」という言葉があいまいに過ぎるので論がまとまらないのだと思います。

私は、法律とは色々な考えを持つグループの平均値を文章化したものだと思っていますので、「法的」な正義とは「グループ:日本」の正義と考えます。平均値である以上、各要素(人)の正義と必ずしも一致しないのは自明です。

一方、社会一般と一口に言いますが、この実態はなんでしょうか?
「この事件における社会一般」にはとりあえず法曹は含まれないようです。政治関係者も含まれていないように思います。被告人を罰する前に議論を尽くすべしと考える人も含まれていないようです。この事件にそもそも関心の無い人も含まれていないでしょう。少なくとも私も含まれてはいないようです。

こうやって実態を考えていくと、「社会一般」とは実は「この事件に関心があって、法曹(政治)関係者でもなく、被告人を議論の余地無く厳罰に処すべしと考えるグループ」であるようです。

こんなグループの正義と、日本の平均値の正義が乖離しているのは、考えるまでも無く当たり前なのではないでしょうか。一致するはずがありません。

他方、この(論無く厳罰に処すべし)グループに属する人々は自らのグループ分けを厳密に成すことなく、自らのグループを「グループ:(日本−法曹関係者)」と表現しているような節があります。
 論に言及するときは異論を挟む人間や無関心な人々を排除しながらも、勢力に言及するときには排除した人間も含めるという、おかしな形態になっているのです。

ある複数の人間のグループを示す言葉を使うならば、そのグループが一体なんであるか、それを明らかにしないと論が成り立たないのではないでしょうか。


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コメント(116)

世間というのは空気ですから
空気を読めない奴は馬鹿だって話です。
長時間首絞めて2人殺して強姦した。
この場合
・罰金100円
・懲役1年
・死刑
この中で罰金100円が妥当だと考える人は
空気の読めない馬鹿であってそれだけの話です。
結局その延長線上のどこが妥協点かという
だけであって、無駄な綱引きです。
私は死刑が妥当と思う。
空気を読めば世間の社会正義もそれぐらいだろうと思う。
それだけの話です。

No.1 一般人 さん

その3つから選ぶなら、たしかに死刑が妥当だと思う人が圧倒的でしょうね。
しかし、1・2審判決の「無期懲役」と、弁護側が主張する傷害致死罪の「3年以上の有期懲役」を選択肢に含めないのはなぜですか?
判決としては絶対ありえない「罰金100円」と「懲役1年」を「死刑」と同列にするのは、それこそ「無駄な綱引き」ですよ。

1.3年以上の有期懲役
2.無期懲役
3.死刑

この3択だと、世間の社会正義はどのくらいでしょうか? 圧倒的に死刑で決まりですか?

>一般人 さん

 さっそくのコメントありがとうございます。
 そういえば、あなたの多数のコメントは世間を根拠とする意見の典型的サンプルでしたね。
 今枝ブログのコメント欄が閉鎖されている現在、とても参考になるコメントだと思います。

>世間というのは空気ですから
>空気を読めない奴は馬鹿だって話です。

 なるほど
 空気と言えばこのブログにも空気というものがあるのですが、その空気を読めないあなたは馬鹿ですか?

私はそのグループの構成員ではありませんが、彼らが「被告人を議論の余地無く厳罰に処すべしと考え」かつ「それが世間の考えだ」と考える論拠として、先の最高裁判決があるのだと思います。
今枝ブログ雑感のNo.39 通りすがり(No.8) さんのコメント
が、「少なくとも今回は事実認定はすでに終了して、その事実に対してどんな罰が相当かの議論だけで十分で、それ以外は詭弁でしかない」との彼らの意見につながっているものと考えることができます。
私も世間という言葉を使いますが、一般的には自分より仕事上の権限において上位の人(組織)が「Aは認定、Bについてのみ検討をしなさい」という決定をした場合、下位の人間が
Aについても検討しなおしましたなどということは許されないと思ってもある種当然であると思います。

法曹関係者は差戻し審における上級審の判決の取り扱いについて、明示的に今やっていることが概念論ではなく「法律的なプロセスとしても」正しいことを示す必要があるのではないかなと思います。

せっせ さん
その中からなら
2.無期懲役
3.死刑
どちらも社会正義の範疇に収まるでしょう。
私は若干3が妥当かなと思いますが。
だからそれだけの話です。
少なくともあれで殺意が否定されてしまったら
国民の司法に対する不満は高まるでしょう。


モトケン さん
>空気と言えばこのブログにも空気というものがあるのですが、その空気を読めないあなたは馬鹿ですか?

この淀んだ空気を正常に戻す為に
頑張ってるんですよ^^

>一般人 さん

>この淀んだ空気を正常に戻す為に頑張ってるんですよ^^

 では、あなたは、自分はこのブログの空気を読んでいる、とおっしゃるわけですか?

>No.2 せっせさん

その設問には前提条件の問題があると思います。
犯行の様態etc.がマスコミで伝えられている通りであるならば、私も死刑相当だと感じます。


モトケンさん
kamov さんのコメントはロジカルに表現されていて大変判り易いのですが、もっと平たく言うことも出来るような気がします
それは
「みんなそう言ってるよ。違うって言うのはアンタらだけだよ」って奴。
親に玩具をねだる子供が「だってみんな持ってるんだよ!!」って駄々をこねるのと何等択ぶところのない論法です。

さらに一段とくだけた表現で斬って捨てると「ガキの理屈」です。

現実社会は、オトナが、ルールに則って運営するものですが、そのことの理解できないコドモが「ボクの方が正しいんだもん!社会のルールなんて関係ないもん!!」と喚いてるのと同じことじゃないんですかね。

多少知恵のある子供なら、賢く世の中のルールなるものを学ぼうとするでしょうし、そうでなくともいずれ長じてゆけば体験的に理解してゆくと思われますが、幼児的メンタリティを引きずったまま年齢だけ重ねる光市事件の被告人ような人間もいるわけでして。

惰眠 さん
>「みんなそう言ってるよ。違うって言うのはアンタらだけだよ」

民主主義の根幹ですね。
そうやって人間は改革し発展していくんですよ。

釣り師はスルーで

わらかさないでね。
そんなのみんしゅしゅぎのこんかんじゃないからね。
ちゅうがっこうのべんきょうからやりなおしてらっしゃいね。

>No.8 一般人 さん

 こんなものを「民主主義の根幹」とは言わないです。
 ファシズムの土壌です。

No.8 一般人 さん

>民主主義の根幹ですね。
>そうやって人間は改革し発展していくんですよ。

1930年代後半のドイツや1950年代前半のアメリカもそんな感じでしたなあ。

おもしろい人だにゃぁ。

惰眠さん、モトケンさん、すいません。ネタがもろかぶりしましたw

No.7 惰眠 さん
全くおっしゃるとおりです。だから、いずれにしてもNo.1の設問は使い物にならないんですよ。

No.9 fuka_fuka さん
すんません、この辺にしときますw

「世間」、「常識」、「社会一般」という概念は恣意的に使われているものであると考えます。

仮に世間の範囲を日本国全体と設定し、その集団の平均的な考え方を社会一般の正義として、さてどのようにその平均を取るか考えなければなりません。
よくメディアで電話による世論調査を行っていますが、回答する人は対して多くありません。そして、そのような人の意見は世論調査に反映されていません。
電話をかける相手の無作為性が信頼できるものとしても、この調査結果は無作為に選ばれた人の集合の中で「電話で回答する人」という部分集合を切り取ったものにすぎません。
答した人と回答しなかった人の集合間に有意差があるかもしれないのです。
このような一見信頼できそうな調査でも、正しく世間や社会一般を反映しているとは言い難いのです。

では「世間では・・・」「社会の一般常識として・・・」との枕詞はなにを意味するかというと、大抵は「自分が考える世間一般」「自分が考える社会の一般常識」でしょう。世間、一般常識とはかくあるものだという主観的な考えから来ているものだと思います。

なので、「世間」や「社会の一般常識」を持ち出す方の論は、この人は社会がこうなって欲しいんだと主張している、という目で見ています。それ以上でもそれ未満でもない。現状がこうなっていないから不満なんだと。

自分の意見を補強するために「世間」や「社会の一般常識」を持ち出すのは控えたほうがいいかと思います。自分はこう思っている、それだけで十分な正当性を持っていると思います。
各々の意見をまとめて平均を出すのは1コメンテータではなく他の方がやってくれるでしょう。

No.4 ひろ さん
それはあるでしょうね。
お上にたてつくやつが悪い、という感覚が「世間」のものとしてある、ということは今までも指摘されています。
なにをもって「公正」というか、という点が、(西欧的感覚とも言われる)法の建前では当事者対立構造にあるとされるのに対して、
日本人は「お上のやることだから公正だ」という点にあると。

>差戻し審における上級審の判決の取り扱い
 いや、「「法律的なプロセスとしても」正しい」
っていいきるのは、ビミョーだと思いますが。
それこそ、上司が「Aは認定、Bについてのみ検討をしなさい」といったのに、「Aについても検討しなおしました!」と胸を張って報告する新人社員を叱ったら
「私は法にも、会社内規にも違反していない」と言い返されるような感じ。
「違反していない」と「正しい」の間のビミョーなニュアンスの範疇の話ですね。

>No.9 fuka_fuka さん

 いや、一般人さんは、世間、世間という人の世間についての認識を明らかにするための格好の素材だと思ってるんですが。

>No.17 モトケンさん
まるで被疑者への尋問ですね(笑)
「お前、さっきっからずっと『世間、世間』言うとるけど、お前の言う『世間』って何なんや。説明してみぃ」って。

No.7でも書きましたが、私としてはこういう場合に持ち出される「世間」なるものは説得力ある論拠を持たないくせに自説の正当性を強弁したい連中にとっての最後の拠り所と判断しますので、真面目に取り上げる意義は(イジるネタとしては兎も角)あまり感じません。
社会心理学的アプローチで検討するには、面白い素材かとは思いますが・・・。

 ここにいる人達や今枝辯護士に「法曹は〜」とか説教を始めちゃうような人と、所謂「社会一般の正義」を認めるべきか否かは、別の問題なんじゃないですかねえ。

 刑事辯護制度その他に理解が薄く、かといって社会問題に興味がないわけでもないといった程度の層が、この事件に「義憤」を感じ(義憤自体は強ち間違ってはいないと思う)、犯人への怒りの代償として、その周辺に居る人――辯護団とか法曹界とか――に対し、「社会一般の正義」を根拠に盲滅法当たり散らしている、というのがこの騒動の構造なのでわ。

 で、それとは別に「『社会一般の正義』的な概念を認めうるか」という問題と、「それは曖昧な故に、上記のような恣意的な利用のされ方をするのではないか」という批判が存在するのではないかと。

 私は認めうると思いますし、一般に正義というものは安直かつ恣意的に利用されがちなものではないかと。なおかつ、今回の辯護士攻撃に「社会一般の正義」を持ち出して事たれりという態度は、知的誠実に於いてどうかなとも思います。

 ここにいる人達や今枝辯護士に「法曹は〜」とか説教を始めちゃうような人と、所謂「社会一般の正義」を認めるべきか否かは、別の問題なんじゃないですかねえ。

 刑事辯護制度その他に理解が薄く、かといって社会問題に興味がないわけでもないといった程度の層が、この事件に「義憤」を感じ(義憤自体は強ち間違ってはいないと思う)、犯人への怒りの代償として、その周辺に居る人――辯護団とか法曹界とか――に対し、「社会一般の正義」を根拠に盲滅法当たり散らしている、というのがこの騒動の構造なのでわ。

 で、それとは別に「『社会一般の正義』的な概念を認めうるか」という問題と、「それは曖昧な故に、上記のような恣意的な利用のされ方をするのではないか」という批判が存在するのではないかと。

 私は認めうると思いますし、一般に正義というものは安直かつ恣意的に利用されがちなものではないかと。なおかつ、今回の辯護士攻撃に「社会一般の正義」を持ち出して事たれりという態度は、知的誠実に於いてどうかなとも思います。

>モトケンさん
ここはモトケンさんのブログだし、自由にして良いとは思いますが・・・
意見の違える人に「空気嫁」と言うのは対立意見の封殺に見えます。
もうちょっとやさしめに・・・とか思うのですが。

お題の「正義」ですが、日本人は、勧善懲悪が好きなようなので、悪サイドの事情なんぞ知らん、って人が多いってだけじゃないかなあ・・・

No.21 らぃ さん

一般人さんは「空気嫁」で封殺されるほど、
やわじゃありませんから大丈夫ですよ。
私は心配していません。

罪を犯したら罰せられる。これは「世間」の「常識」だと思います。では、その罰の重さが罪と釣り合っているかどうかが「社会一般の正義」ではないでしょうか。
そして、「世間」の多くは、罪と同じだけの罰を期待しているのではないでしょうか。だから、人を殺したのだから死刑が当然だと。
それを法治国家としては、処罰感情だけではなく、法で裁くために法曹3者がいる。この法と世間の処罰感情が一致しないのが今回の光市のような事件だと思います。(まだ結果は出ていませんが)

しかし、この「世間」というものは、私のように専門的知識もないくせに、バイアスのかかったマスコミの報道を信じる人も多く、昔の魔女裁判のようになる怖さを秘めている代物だと思います。
惰眠さんのように冷静に物事を判断する方もいれば、一般人さんのようにやや感情論的な意見もありますが、両方とも専門家でなければ「世間」です。そして、その数の多さが取りあえずは「世間」というものだと思います。(善し悪しは別として・・)

>「世間」、「常識」、「社会一般」とは何か、
 
 つまりは「庶民感覚」と言い換えてもいいと思います。以下は感覚的感想。
 
 人を殺せば死刑だ。しかし殺すにはそれだけの事情があったのだろう。その事情を勘案して罪を減じていく。それを決めるのが裁判所の仕事。
 
 殺される方にも落ち度がある場合がある。しかし何の落ち度もなく、しかも残虐に殺された場合には犯人の命を以て贖わせるべき。国費を投じて更正させ、出所して幸福に暮らされたんでは被害者は浮かばれない。われわれ庶民も腹が立つ。
 
 光市事件での被告の申し立ては荒唐無稽だと思う。助かりたい一心でそういうストーリーを組み立てたのだろう。精神科医が影響しているかも知れない。しかし裁判所は、恐らく、認めないだろう。
 
 しかし、被告に対する怒りを弁護団に向けるのは如何なものか。誰がどう考えても有罪としか思えないのに無罪を主張する被告は珍しくない。しかし被告を守るのが弁護士の務めだ。いろんな手練手管を使うだろうな、とわれわれ庶民は思う。
 
 元特捜検事が汚職事件の弁護をする。如何なものかと思う面もあり、当然と思う面もある。
 
 われわれ庶民は光市事件は死刑が相当と思う。被告に対して腹を立てている。しかしそれに迎合して視聴者を煽り、懲戒請求を煽りながら、自分は安全圏に退いている橋下弁護士にも腹を立てている。訴えられていい薬になっただろう。しかし基本的には、弁護団バッシングをするマスコミに腹を立てている。弱い者いじめの一種だ。バッシングすべき巨悪はほかにあるだろうと思う。

「みんなそう言ってるよ。違うって言うのはアンタらだけだよ」

民主主義の根幹ですね。
少数派が納得できないからといっていつまでも
議論なんてやってられませんよ^^

素朴な疑問なのですが、光市の事件に関するいまの世論、というか、「我こそは世論の代弁者である」とおもっておられる方々の心情は、

被告人の罪となるべき事実が、

「『殺人(母)+強姦致死(母)+殺人(子)』と認定されようと、『強姦致死(母)+殺人(子)』と認定されようと、『過失致死(母)+過失致死(子)』と認定されようと、(ほかの組み合わせもありえますが、省略します)、そんなことは知ったこっちゃないから、刑として死刑を科して欲しい(もしくは科されるべきだ)」

というのと、

「『殺人(母)+強姦致死(母)+殺人(子)』と認定されるべきであり、かつ、その刑として死刑を科して欲しい(もしくは科されるべきだ)」

というのと、どちらに近いのでしょうか?
どちらかに近いというよりは、「世間」には、それぞれに近い考えをお持ちの方が、混在している状態、というのが正確なのでしょうが、実際の多数はどちらなのだろう?

もし、知ったこっちゃない、と感じているひとだけを集めて「世間」だとか、「社会一般」だとか呼んでいるのであれば、kamov さんのご指摘の通り、「社会一般」とは「この事件に関心があって、法曹(政治)関係者でもなく、被告人を議論の余地無く厳罰に処すべしと考えるグループ」ということになるのだとおもいます。

けれど、「『殺人(母)+強姦致死(母)+殺人(子)』と認定されるべきであり、かつ、その刑として死刑を科して欲しい(もしくは科されるべきだ)」と感じているひとも含めて「世間」だとか、「社会一般」だとか呼んでいるのであれば、その中には、

もはや議論の余地なく、「『殺人(母)+強姦致死(母)+殺人(子)』と認定されるべきであり、かつ、その刑として死刑を科して欲しい(もしくは科されるべきだ)」

という見解もあれば、

いや、議論を尽くしてもなお、「『殺人(母)+強姦致死(母)+殺人(子)』と認定されるべきであり、かつ、その刑として死刑を科して欲しい(もしくは科されるべきだ)」

という見解もあるのではないか、とおもいます。


そういう意味で、ひとくくりに、「社会一般」とは「この事件に関心があって、法曹(政治)関係者でもなく、被告人を議論の余地無く厳罰に処すべしと考えるグループ」と捉えるのは、少し違うような気がします。

具体的には、そのグループには「議論した上で厳罰に処すべし」と考えているひとも含まれる、と思います。

そして、それでもやはり、論に言及するときは(法曹等)一部の人々を排除しながらも、勢力に言及するときには排除した人間も含めるという、おかしな形態になっているというご指摘は、まったくその通りであると思います。


それから、少しずれてしまいますが、知ったこっちゃない、とおもっておられる方々は、

現在の過失致死や強姦致死の法定刑は軽すぎるから上限が死刑となるように法改正すべきであり、今後同様の事件が起こった際には、いずれの罪に該当しようとも死刑を科すことができるようにすべきだ(または、重過失致死罪を創設すべきだ)

と考えておられるのか、

罪とそれに対応する刑罰を法定しておくのではなく、罪のほうは個別に定め、刑罰は、どのような罪に対しても死刑・無期懲役・有期懲役・その他すべての刑罰のなかから、その個別の事件に相応しいものを選んで科すことができるような、そういった制度にすべきだ

と考えておられるのか、それとも、どちらともまったく異なるご意見なのか、どうなのでしょうか?

ここでも、言うまでもなく、それぞれのご意見が混在しているのだとはおもいますが、どのような見解の方が多いのか、実のところを知りたいなぁ、と思います。

きとら さんの
>弁護団バッシングをするマスコミに腹を立てている。

なぜバッシングが起きたか弁護団が世間の空気が
読めなかったんだろうね。

社会的複雑性を理解せず
社会的誤解、社会的影響力、社会的不安、
社会的関心度、弁護手法による社会的ショック、
社会的不条理、世間的理解力、
弁護士に対する信用、弁護士界に対する品位の低下、
これらが予知できなかったんでしょう。

>No.25 一般人 さん

>少数派が納得できないからといっていつまでも議論なんてやってられませんよ^^

 君、このブログで自分が少数派であることはわかってるよね。
 とすると、つまり、ここでの議論の打ち切り宣言か?
 それならそれで一向にかまわないが。

 要するに、放置してほしいということか?
 ネット世間の常識で言うと、逃げるんだね。

モトケン さん
ここは議論する場であり、
私が言った民主主義は究極的な多数決システムであり、
別個の話です。

>No.26 青空さん
いや、そこまで筋道だって考えて「死刑にしろ」って言ってるわけじゃないんじゃなくて、もっと直感的――別の言い方をすると脊髄反射的――なものだと思いますよ。
私だって基本線ではそうですもん。
ただ、そういう結論に持っていくには手続き保証や論理的裏づけが不可欠だとの知識があるので、そこを一足飛びにして結論に(安易に)飛びつく人を批判しているだけで。

No.26 青空 さんへ

どちらかに近いというよりは、「世間」には、それぞれに近い考えをお持ちの方が、混在している状態、というのが正確なのでしょうが、実際の多数はどちらなのだろう?

ちょっと考えが違うのですよ。「社会一般」という言葉には青空さんの言われるような、多数派がどちらかで左右されるような、日本人共通の認識などないということです。

Aの論を持つ人が発する「社会一般」とは、「日本」というグループではなく、実は「グループ:A」でしかないということなのです。

ですから、「この事件に関心があって、法曹(政治)関係者でもなく、被告人を議論の余地無く厳罰に処すべしと考えるグループ」の人が言う「社会一般」とは、実際は自分自身を指す言葉だ、ということになります。

ABCDEという集団において、Aは無罪論をもち、残りBCDEは有罪論だとします。
ここでAが「社会一般的には無罪!」と言ったとします。
Bは有罪論ですが、他のCDEに確認してはいませんから、一般とはACDEが無罪と言っているように感じます。
Cも有罪論ですが、他のBDEに確認していませんから、ABDEが無罪論と感じ
D,Eも同様に感じることとなります。

実際にはA独りしか無罪論を発していないのに、BCDEはそれぞれ自分たちが少数派であると感じてしまうという言葉のマジックがあるのです。

ですので、こういった「社会一般」「世間」といった言葉は使ってはいけない言葉であり、使われた場合は、その人当人の主張であると解するべきだということです。

>No.29 一般人 さん

>ここは議論する場であり、

 そのつもりで立てたエントリなんだけど、君、このエントリのテーマをわかってるのかな?

 No.27 がいかにお間抜けなコメントになってるかわかるかい?

>29 一般人さん

民主主義は確かに究極的な多数決システムではあるかもしれませんが、それは行政や立法の世界でしょう。
司法の世界は、行政などから容易に介入できないように分権されているのですから。そうでなければ、北朝鮮が許せないからといって、自衛隊が勝手に戦争を起こしちゃいますよ。(飛躍しすぎかもしれませんが)

確かに、多くの国民の声には被告人に極刑を、弁護人は懲戒にというものはありますが、それだけで短絡的に死刑になって気が済んだというほど単純な人ばかりではないと思いますよ。

kamov さん
>こういった「社会一般」「世間」といった言葉は使ってはいけない言葉であり、使われた場合は、その人当人の主張であると解するべきだということです。

あなたも空気を読む能力を身に付けたほうが良いですよ。
この社会圏内で生まれ育ち、人と接し、価値観を共有し、
情報を見聞きし、過去の歴史を学ぶ事で
自然と公の精神を学ぶのです。
そうやって空気を読む能力を身に付けていくのです。
軸を持たない人間は浮遊した個として
彷徨い続けるだけです。


>No.33 事務方の星 さん

一般人さんは「短絡的に死刑になって気が済んだというほど単純な人」なんだと思います。

>No.1 一般人 さん
>結局その延長線上のどこが妥協点かという
>だけであって、無駄な綱引きです。
>私は死刑が妥当と思う。

だからこそ、この発言ができるんだとおもいます。

モトケンさんの提起された今回の問題意識とは異なりますが、実態の有無は別としても、「世論」といわれる「観念」はあるでしょう。
今回の事件などは、「世論」の実態がモトケンさんの仰るようなものとしても、その曖昧なモノが2000年の少年法の改正に利用された挙句、昨年の最高裁の実質判例変更にまで利用された感があります。要するに厳罰化の流れに利用されているということです。
とすると、「世論」といわれているものが、どのような場所における意見か、どのように醸成されていくのか、どのようにコントロールされているのか。弁護士といえども研究を怠れば、弁護士各人が抱く社会正義と「世論」との乖離は進む一方ではないでしょうか。
「弁護団、空気嫁」との謗りのほとんどは単に素朴な応報感情の表れとしても、一部にはそのような弁護士或いは弁護士会の世論に対する意識の薄さに不満があり、気づかせようとしているのではないかとも思います。

りょ さん
あんまり言葉を端折らないでね。

長時間首絞めて2人殺して強姦した。
だから死刑。

中核はこれだけですよ。
世間が社会正義を認識する為に必要な論理は
他に何もいりません。
枝葉の部分の茶番劇裁判に惑わされるほど
世間は馬鹿じゃないんですよ。

皆様へ

No.9 fuka_fuka さんは「釣り師はスルーで」とおっしゃいましたが、実は釣ったのは私です。
見事に食いついてくれましたが、引きが弱すぎて面白くありません。
そろそろリリースします。

すでにお気づきのとおり、このエントリの議論としてまともに相手にするレベルではありませんので、今後は論評の対象としてのみ扱うのが適当と思います。
このエントリの議論のネタとしては、それなりの価値があるかも知れませんので、と言いたいところですが、No.34 を読むとその価値もなさそうです。
 これ以上、言葉遊びに付き合う必要はないでしょう。

 ゴマだれ派さんを見習うことができれば考えを変えてもいいと思いますが。

>35 りょうさん

そうなんでしょうね^^ でも、基本的には私もこの被告には極刑をと思っています。しかし、法律、被告人の言い分、弁護士の職責などがあって簡単にいかないことはここで知りました。だとすれば、それらを理解し、正規の手続きを踏んで、堂々と被告人を裁けばいいと考えるようになりました。
だから、坂下弁護士を応援するのはいいでしょうが、弁護団を非難するのは少し筋が違うと思ってます。

様々な意見を読んで、あえて私見を述べたいと思います。
長文と成りますことご容赦下さい。
そもそも今回の問題の一つは、法律と社会とのズレではないかと思います。(橋下弁護士の言う弁護士会と社会とのズレかどうかは分かりませんが・・・)
身近な例で言えば道交法だと思ういますが、現在の社会情勢と数十年前に作られた法律(道交法)のズレにより、一部の道路では速度制限が低すぎて渋滞が起こったり、これが道交法の範疇かわかりませんが飲酒運転の結果死者を出した場合の刑期等・・・今の社会情勢では理解できないような法律の下、我々は生活していると思います。
また、「国(社会)の常識=現在日本では法律」とは時代・場所・社会情勢により変化するものであると思います。
例えば平安時代の日本では夜這いも合法(法律ではないが)であったし、江戸時代までは人切・敵討ちも認められたものだったと記憶しております。
世界のどこかの国では日本では信じられないような事が認められている国もあります。(大麻が合法なオランダ等)
このズレにより苦しめられるのは被害者であり、殆どの加害者は逆に擁護されているように感じます。
また別の問題点は現在の裁判制度は主として過去の判例に従い判断されているということです。
このこと自体は決して悪いことではありませんが、私は現在の法律とは解釈であるとも思っています。(これも良し悪し)
以来弁護士はこの過去の判例に基づきながらも、被告人のためになるよう法的解釈を熟慮し、様々な解釈を展開しながら、過去の判例が被告人のためになるようであればそれを擁護し、判例が被告人のためにならない場合は新たな解釈を提示してきたと思います。
そして、裁判官サイドは新たしい判例を作ることに躊躇があり、基本的に過去の判例に基づき判決してきたと思います。
なぜなら日本の土壌は改革を好まない、事なかれ主義・右にならえの習慣があるからだと考えています。
この日本土壌は、例えば今までは悪く言われながらも自民党がほぼ一党独裁を続けてきたことなどが良い(悪い?)例だと思いますが、ただ、現在は参院選で民主党が決定議席数を確保できたように、変化することを求め、行動できるような世情になってきたと思います。(ここであえて断っておくと、私は特に偏った政治思想等は持っていません。)
この変化が出来るような土壌になった背景からこの光市母子殺害事件についても手段さえ分かれば行動する人が増え、場外事件となるような懲戒請求問題も発生しているのだと思います。

あまりに長いので別コメントに続けます。


モトケンさんの苛立ちは兎も角としまして(笑)
「一般人」なるハンドルネームの人物を文字通り一般化してみると「あー。おるおる、こういう人」という一つのステロタイプを見事に示しているとは思いませんか?

例えば「民主主義」というシステムについての勘違い。
例えば「議論」と言うものについての勘違い。

まあ、義務教育課程でそのあたりを正しく教えないものだから勘違いしたまんまの人が後から後から量産されてるのでしょうが、実はそれを正すチャンスが(学校をいったん出ちゃうと)世の中にはない。
また、仮にあったとしても年少者に比べて年長者は思考等の可塑性が減じてくるので「更生可能性」が下がる。

まあ、だからどう対処しようかって話でもないんですが(笑)

>>No.38 モトケン さま


私と致しましては氏の、人様の論旨の読解力の無さから来るテーマを外したトンデモ論を度々拝見できたことは巷のお笑い番組を見るより数段面白くこれがなくなることは慙愧に耐えませんが、管理人様のご英断に従います。

生簀放し飼いご苦労様でした。

No.31 kamov さん

丁寧に解説して下さって、ありがとうございます。

今回の事件に関する主張等に見られる「社会一般」という言葉の使われ方、と、わたし個人の「社会一般」という言葉の使い方が、まずもって、全然違いましたね。

自分の発言の正当性の根拠として「社会一般」とか「世間」とかいう言葉を使っているときの、その「社会一般」の使われ方が問題だ、というお話なんですよね。

わたしが、ずれた発言をしていたことが、よくわかりました。

続けさせていただきます。

現在問題となっているのは、情報の氾濫により一般社会(ここではあえて一般社会とする)がメディア等による偏った情報で誤った判断をしてしまっているのではないかということだと思います。
情報をメディアに頼るしかない一般社会ではやむ終えない状況だと思いますが、果たしてその判断は間違いなのでしょうか?
私自身も当初は被害者サイドの情報のみ得ることが出来、憤りを感じていましたが、現在では今枝氏のブログをはじめ、弁護団側(加害者サイド)の情報を得てなお憤りを感じています。
加害者の幼児性等は理解できましたが、それではその周りにいる大人たちの対応はどうだったのか、生い立ちを論ずるのであれば父親や教育を受けた学校等に対しての指弾はないのか、特に弁護団に関しては加害者の主張を全面信用し、それを持って裁判に挑まなくては成らないという弁護士会の考えは分かりますが、その加害者主張に対し社会的な観点から、また大人としての観点から問い質すことは出来なかったのか。
あまりに抽象的なので一つの私なりの疑問点を提示致しますが、被害女性に対し母親を感じ、甘えから抱きつき、結果気づくと押さえ込み死亡していたとあり、性的興奮からでは無い(性的な動機ではない)とされているが、百歩譲ってそこまでの過程がそうだとしてもその後の行動である「死者を生き返らせるために精子を注入した」とされる部分については、健常な男子が果たして母親や死者に対し勃起するのだろうか、もしくは性的興奮もなしに本で読んだことがあることを実践するために勃起できるのであろうか?
一般的な見地からするといくら男が野蛮であるという一般論があるとはいえ、そう簡単に勃起は出来ないと思う。(ちなみに私も男です)しかるに生き返りの儀式=精子注入=性的行為がその状況下で可能であったことは疑問視できると思います。
そしてその発言があった時点で弁護団はその発言に対し完全な信用でなく疑問を提示することは出来なかったのか?そして疑問を提示したのであればそのやり取りはどのようなもので信用に値するものであったのか。 その点に関しては弁護団や今枝氏の意見は隠されているように思えます。
弁護士の仕事として彼らが加害者を全面信用することは大事なことであろうが、法廷で発言するその内容に嘘が無いのか、そして社会に与える影響も含め真実を導き出すことが出来なかったのか。また社会にいる大人として何らかの助言が出来なかったのか・・・
私はこの一点からも加害者の主張=弁護団の主張が信じるに足りえないと思っているし、被害者家族の方も加害者の証言が真実を話しているか信用できなかったのだと思います。
被害者側からすれば弁護団に対し、真実を引き出しその上で法廷で争ってもらうのであればこういった悔しさや憤りは生まれなかったのだと思います。
そこに弁護テクニックばかりが見え隠れし、たとえ法的義務が無くとも被害者への思いやりや説明がなされないことへ被害者ばかりでなく一般社会が怒りや疑問を感じているのだと思います。(この部分は橋下弁護士と同様です)
被害者が今望んでいることは可能であれば家族が元に戻ってほしいということであろうが、それが出来ないことを十分理解した上で、真実を知りその上での法的制裁が処されることだと思います。
今枝氏は、法廷で真実を引き出し、被害者へ提示できたと思い込むことで、被害者に対しての配慮が出来たという満足感や自分たちが暴論・異論だと思う判例を作らないため、脅迫・バッシングを乗り越えて頑張っていることに対し感傷的に成っているように思われますが、人として弁護士としてもう一度加害者に接し、彼の主張・態度を見直して欲しいと感じます。
ここでは弁護団を今枝氏に限定していますが、私の知りうる範囲ではこの弁護団に関しては今枝氏以外の顔・声が見えてこないため、他の弁護士は理解できないものとして限定しました。
長々と自説を書きましたが、私自身は今回の裁判は死刑であって欲しいと願います。
なぜなら判例第一の司法の中、今後も同様な事件が起きないように、極刑をもって判例とし、多少なりとも犯罪者への歯止めの裁判結果となって欲しいからです。
また橋下弁護士の懲戒請求問題については、その方法論は良しとは思いませんが、今まで言われているように広く社会に懲戒請求権を知らしめたこと、合わせて裁判員制度が導入される前に、このような形で様々な人々が意見を言い合うことができる土壌を作ったことに対して評価しております。
以上、長文失礼致しました。

>匿名希望 さん

 アク禁措置などをとるつもりはありませんので(今のところ)、これからも楽しませてくれると思います。

 リリースというのは、つまり、かまってあげない、ということです(^^)

No.44 ごく普通の社会人 さん
>そしてその発言があった時点で弁護団はその発言に対し完全な信用でなく疑問を提示することは出来なかったのか?そして疑問を提示したのであればそのやり取りはどのようなもので信用に値するものであったのか。 その点に関しては弁護団や今枝氏の意見は隠されているように思えます。

 もちろん疑問を呈したり話し合ったりしたと思いますよ。
 (接見での弁護人と被告人との会話を公にすることは守秘義務に反しますし、裁判にマイナスに働いてはいけないので公開されませんが。)

 しかし、被告人が「それが自分の記憶である。」と言い張る以上、弁護人としてはそれを否定することはできません。

 また、この被告人を健全な大人の論理で理解しようとすることには無理があると思います。
 そして、「どうして被告人がそんなことを言うのか」については、やはり専門家の意見を求める必要があったと思います。素人の弁護士だけで判断できる(「ウソ」と断定してしまう)ようなものではないでしょう。

 被告人の言っていることがウソか、それとも被告人の幼稚性や精神遅滞のせいなのかは、最終的には裁判所が判断することです。

「一般人」というハンドルネームは、自分が「世間」というグループに属する事を示すことで、自分の主張に正当性を持たせたいという意思の現れですね。

無個性であること、特別な知識を持たないこと、なんら興味を引かない主張を発することこそが彼らの正義であり誇りです。

とりあえずここに出没する「一般人」様は、もはや名が体を表していないと思います。
あんな一般人はいません。

ここは、世間・社会・常識についてのスレですよね??

http://lawschool.hp.infoseek.co.jp/kakomon.htm

一橋大学法科大学院の2006年の小論文の問題なのですが、ちょうど個人・社会・世間についての問題文です。
こういった問題文から分析してみるのもいいのかと思います。

興味のある方は読んでみてください。

私はどうも、今回の一連の騒動の背景には、世間を超えた、日本人共通のひいては人間共通の直感的反応が隠されているように思いますがね、

>No.46 M.T. さん

ご教示有難うございます。
私も絶対に嘘だとは思っておりませんし、加害者が主張し続けている以上その主張を採用し無ければならなかった苦悩も理解しているつもりです。
また弁護団が話し合いをされたことはあったとも思います。
そして専門家に判断を委ね、結果裁判所の判断を仰いでいるとは理解はしております。
ただ可能であれば結審後の後日談でも良いのでやり取りがどのようなものであったのかを公開してもらえると、犯罪を犯した人間の心理状況が広く周知され、例えば自分たちの子育てなどに反面教師として生かされれば良いと考えますので、単なる冷やかしや興味ではなく知りたいと思います。
そしてその裁判所の判断により、被害者の方を筆頭として多くの一般社会のかたがたが救われるような状況がくることを望んでいます。

まぁ私がどれほどまともな事言ってるかは
分かる人には分かるでしょう。
あまり抽象批判や煽りに走っても
不毛ですよ。

今枝氏のブログでも似たようなコメントをつけましたが、
ひとつの宗教と考えるとわかりやすいかと思います。

山本七兵言うところの日本教ですね。
「空気」という戒律を読むことで「人間らしく」振舞うことを正義とする非経典宗教です。

この件で言えば弁護団が非難されているのは、同じ「人間」でありながら「空気」を読まず、「人間らしい」弁護方針を出さなかったことに対する戒律違反を問うているわけです。
(具体的には弁護人を辞任する、被告人に不利な発言をする、検察に肩入れする、などの対応を要求しています)
彼らの本質的な問題点は、相手が同じ日本人というだけで無条件で同じ戒律を守ることを強要するところですね。

一般人様
そんな捨て台詞丸出しのコメントをつけられても対応に困ります。
本気で釣る気があるのならもっと工夫してください。

連投御無礼

他エントリで紹介されているたかじんの公式BBSにあるコメントでは、たとえばスチューワーデスさんとの論戦が激しくなると、なぜか自分が以下に本村氏に同情しているか、
相手が以下に」であるか、自分がいかに情け深く「人間的」であるかのアピールを始めます。
これはつまり、自分が「人間的」であることで自分が敬虔であるかを示し、相手が「非人間的」であることで相手の異端を示す。これによって議論の優劣をつけようとしているわけです。

pon さん
本質からズレてますよ。
もしそのような理屈なら
凶悪犯罪が起きるたびに弁護士に社会的非難や
抗議が殺到し懲戒請求の嵐でしょう。

今回は今枝さんも説明する必要があると
認めてるように、全てはそれが起因です。


社会的複雑性を理解せず
社会的誤解、社会的影響力、社会的不安、
社会的関心度、弁護手法による社会的ショック、
社会的不条理、世間的理解力、
弁護士に対する信用、弁護士界に対する品位の低下、
これらが予知できなかったんでしょう。

一般人様
大変結構なコメントです。
その調子でがんばってください。

>本村氏に同情しているか

当たり前じゃないですか。私たちは人間なんだから。
同情して何が悪いんですか?
被告の弁護してる今枝さんでさえ、それぐらい
分かってますよ。
理と情を兼ね備えてこそ社会に生きる人間あり方です。

 情で統治なんてことを言い出すってことは、論語ぐらい読みましたか? 為政の第二ぐらい読んでおいたらどうですか?

主婦です。
この裁判を見ていていつも思うのは「死人に口なし」と
「真の反省とは」です。
被告人は好きなことがいくらでも言えるが、被害者は一切言えない。被害者の言葉がきけたら・・・。この不公平感が被告人やその弁護士に憎悪となって向かいます。
全く落ち度のない見ず知らずの人を殺した後の真の反省とはどんなものなのでしょうか。私だったら真の反省をしたとたん生きていけないと思います。たとえば、何かに笑った瞬間「ああ、私はこのような幸せな瞬間をあの人から奪ったのだ」突き詰めれば、何かを食べた瞬間、おいしいと感じたり食欲を満たされたりすればその罪悪感に打ちのめされるのだから、生きていけないのだと思います。だからそのような罪を犯したら、被害者を生き返れせることが出来ない限り死ぬしかないと思うのです。

>No.44 ごく普通の社会人さん

報道に接して憤りを感じるのは至極当然のことです。
私も含め、そのことを問題視している人はいないと思います。

・報道に接して(被告人に対する)怒りを覚えるのは誰しも同じでしょうが、「報道されていることは、間違いない事実だと決め付けていいのか?」とのステップがあります。

・最高裁の差戻し理由はありますが、確定判決が出ていない以上、争いのある部分に関しては(どちらに肩入れするかは別として)「事実」として取り扱うことが出来ません。私は法曹ではありませんが、かつて法律学を学んだ一人として、こういう場合は司法の流儀(=実社会の制度運用)に従うことにしています。

・被告人の成育に関して親を筆頭とする周囲の環境に関する主張は「責任者、出て来い!」と劣悪な生育環境の原因者を責める目的で持ち出すのではなく「こんな可哀想な育ち方をしたんですから憐れんでください」と言うために使います。

・そしてこれが一番重要なのですが、刑事裁判では(三位一体などと言うつもりはありませんが)異なる動作をする3つの部分がワンセットになって機能を果たし、裁判全体を通じて最終的に「真実」が確定されます。

・最近、確かカナダだったと記憶しているのですが、60マイルだったか80マイルだったかの速度超過で現行犯逮捕されたドライバーが取り締まりの警察官に「火星人に追いかけられていた」と暴走の理由を説明した事件がありました。
 明らかに社会一般の常識から外れた「弁解」ですから通用する筈もないのですが、本人主観においてそれが「真実」であるのならば、その本人主観を代弁することが刑事弁護の「正義」です。

・こうした(荒唐無稽な)主張を否定するのは、検察側の「正義」です。もし弁護人が被告人の主張否定をやったら、自己の職務放棄ですし検察の職域への侵害です。
・3つのパーツが別々の動き方をすることで最終目的を達成するシステムの、一つの部分のみを取り出して非難するのは、胃袋に咀嚼をしろと言ったり小腸に胃酸を出せというくらい不毛です。咀嚼をするのは歯の仕事、胃酸を出すのは胃の仕事です。


 余談ながら、異なる立場からそれぞれ自己のサイドの見解を徹底的に主張し論証しあうせめぎあいの結果、最終的に、妥当性の高い「真実」の発見に至るとするのは、それ自体が民主主義の意思決定のプロセスと同じです。

kamovさんの論理は非常に分かりやすいですね。
自分が世間の代弁者だと言える人は自分がマイノリティだという観念が成立し得ないので、論が通じるはずも無く。

ただいかに全体から見て少数派といえど、ある程度の大きさが無ければここまでの騒ぎにはならず一人相撲で終わったとも思います。その意味では彼らの言うところの「世間」との乖離は発生しているのではないでしょうか?どっちが離れていったのかはともかく。
その原因の大半が無理解にあるとはいえ「所詮狭い範囲で世間面している少数派」と切り捨てずに、そのような「世間」を減らす努力の必要性というものに関係各所の方々にも思いを致して頂きたいと感じます。

無論モトケンさんをはじめ、法曹関係者の方々がブログや著作などで啓蒙されたりしていることもその努力の範疇だと思うのですが(私もこちらのブログで何枚鱗落としたか分かりません)、裁判所など公的機関の取り組みが「本気で理解を広める気あるんかいな」と疑問に思いっぱなしなので。
万人が納得するシステムは絵に描いた餅としても、その餅をウマそうに思える人は一人でも多いほうがいいんじゃないかなぁ。

***以下愚痴です***
とりあえず地方裁判所は、平日夜間か土日祝にも啓蒙活動しろと言いたい。平日日中にサラリーマンが行けるか考えてくれ。

No.59うなぎさん

 わたくしの考えをお送りします。
コメントの後半部分についてですが、
これは、永遠に“答え”のない問題だと思います。
しかしそれにもかかわらず、一部の感情論は、
被告人や弁護人に対し、“答え”を一方的に求めているように思われます。
 その“一方的に求める答え”とは、いわば“模範解答”のようなものに過ぎない、と私には見えるのです。
そのような“模範解答”とは、「これまでの生活を通して自らの内面に蓄積されてきた、その人《個人》としての“経験”に基づくもの」ではなく、
自分自身の“外部”に“ただ漂流しているような価値観”といった感じでしょうか。
 きちんとした根拠はありませんが、このように私は考えています。

>No.60 惰眠 さん

私の拙い見解にご意見いただき有難うございます。

私も司法の流儀に従わなくては成らないとは思いますが、それでもなお、現在の司法のあり方や弁護・検察のあり方に旧来方式ではなく今の社会、未来の社会に沿った良い方法があればと私なりに考えております。
そして今までは単なる傍観者として様々なブログ等拝見しておりましたが、参加することも大事なのではないかと考え、拙い意見を書かせていただきました。

貴殿の仰られている事は現行のシムテム上で尤もだと思います。
そして3つの異なる意見から真実に近づけることが現在システムの下では最良の方法であり、致し方無いとは思いますが、そこで決定される真実はたとえ近づいたとしても真の真実ではない事が多いと思います。
特に本件ではうなぎさんも書かれている通り、「死人に口なし」となっており、本当の真実を知るのは加害者だけという状況です。
この状況下で決定されるかもしれない「真実」が真の真実から遠くなっている感じるので被害者家族の方々や私を含めた社会一般の方々が憤っているのだと思います。
また生育環境の原因者を指弾することなく、被害者の同情を訴えるシステムだからこそ変えて行きたいし、こういったシステムが当たり前とされているからこそ極論かもしれませんが現在のモンスターペアレンツを生み出す土壌と成っているのではないのかと思っています。
子供から大人まで人間一人一人が責任を持ち、行動できるようになれば理想の社会ですが、やはり周りにいる年長者や親、教育者にも育ててきた責任を持って行動していかなければ、この日本の将来が犯罪者だらけで自己責任の無い社会になっていきそうで悲観いたします。確かに社会には浄化能力もありますからそのような劣悪な社会にはならないのかもしれませんが、出来れば我々大人が能動的に責任感を持っていけるような社会を作り上げていく必要があると感じています。
余談が過ぎましたが、惰眠さんのおっしゃる事も理解しつつも改善できればと願っております。
決して惰眠さんの意見を否定するつもりはございませんのでご理解下さい。

皆さん、今日も飛ばしてますね。読むだけで大変です(^_^;)

No.26 青空 さん、No.30 惰眠 さん

>そこまで筋道だって考えて「死刑にしろ」って言ってるわけじゃないんじゃなくて、もっと直感的――別の言い方をすると脊髄反射的――なものだと思いますよ。

私もそう思います。我が家の女性たちに聞くと「そんなの死刑で決まりでしょ」で終わりです。事件と裁判についてどこまで知っているかと言うと、マスコミの流す情報のごく一部しか知りません。そこで「刑事弁護はね...」と説明をしても理解は得られません。彼女たちの感覚としては、「性犯罪は即死刑」なんだそうです。法律は男性がつくったものだから男性には分からないだろうと。そこで「今回はまだ性犯罪かどうかも争ってるんだけど...」と説明しても、「でもやったでしょ、殺したでしょ」と。そういう意味では、正に「脊髄反射」。残念ながら、No.37 一般人 さん の

>長時間首絞めて2人殺して強姦した。
>だから死刑。
>中核はこれだけですよ。

と同じ思考回路ということになります。それでは困るので、現在、こちらで勉強させて頂きつつ、今枝弁護士の立場を解説しているところです。

No.59 惰眠 さん

>・最近、確かカナダだったと記憶しているのですが、60マイルだったか80マイルだったかの速度超過で現行犯逮捕されたドライバーが取り締まりの警察官に「火星人に追いかけられていた」と暴走の理由を説明した事件がありました。
>明らかに社会一般の常識から外れた「弁解」ですから通用する筈もないのですが、本人主観においてそれが「真実」であるのならば、その本人主観を代弁することが刑事弁護の「正義」です。

ここを理解して頂けるか、頂けないかが、今枝ブログでも議論がかみ合わない一因かと思います(実際、「じゃあ、『宇宙人が2人を殺して去って行った』と被告が言ったらどうするんだ」と仰った方も見かけました)... と言うか、理解以前に考えていない「脊髄反射」が少なくないのではないかと。

kamov さんのコメントの

>私はこの「社会一般」という言葉があいまいに過ぎるので論がまとまらないのだと思います。

については同意ですね。

一方、

>私は、法律とは色々な考えを持つグループの平均値を文章化したものだと思っていますので、「法的」な正義とは「グループ:日本」の正義と考えます。平均値である以上、各要素(人)の正義と必ずしも一致しないのは自明です。

法治社会として「法的」な正義を「グループ:日本」の代表的な正義としているのでしょうし、それに異を唱えるつもりもありませんが、上には違和感を覚えます。ルール・規則の根が平均値ではなく、理屈や必要性といったところにあるのでしょう。


No.30 惰眠 さん

ご返信遅れました。

>いや、そこまで筋道だって考えて「死刑にしろ」って
>言ってるわけじゃなくて

えぇ、知ったこっちゃない、という言葉には、事件についてそもそもなにかを考えてみる、ということを一切せずに、心情のまま脊髄反射的に「死刑にしろ」と発言しているひとも含めているつもりです。

あ、そっか。元の文を、「心情は」という主語で書いているために、そんなふうには読めませんね。

んーと、いまの時点では、自分の書いたものをうまく直せないです。どう表現すればよいか、すこし、考えてみますね。

>No.62 ごく普通の社会人 さん

心情としては理解できます。
しかし、おっしゃる内容に大変な問題を孕んでることを自覚なさっているでしょうか。

本当の真実を知るのは加害者だけという状況です。
この状況下で決定されるかもしれない「真実」が真の真実から遠くなっている感じるので(後略)

お分かりでしょうか。
「感じる」「思う」のは停めようもありませんけども、「被告人本人以外知りえない本当の真相」を、どうして当事者でもない第三者(この場合は遺族や社会一般)が「そうではないに違いない」と言うことができるのでしょう。

その部分を暴くために刑事警察機構(都道府県警、検察、麻取や、ややカテゴリは違いますが税務調査官など)が存在するのです。
本人が黙秘しようが偽証しようが、客観の証拠に基づいて犯罪行為を再現し、犯罪者を処断するシステムです。「殺意」など内心の問題についても、物証や状況証拠に基づいて(可能な限り)妥当な結論を導けるよう歴史と経験によって鍛えられてきたメソッドなのです。

有り体に言って、この分野では素人の出る幕はありません。プロの仕事の世界です。私ら素人には、推論の過程や論理の組み立てに破綻はないか、飛躍はしていないか、整合性は取れているかなどを確認するのが関の山です。

そうしたことを飛び越して、世間一般の心情を根拠に処罰を決するというのであれば、それは最早「カッとなって殺した」と嘯く犯罪者の行状と択ぶところはないでしょう。

後段「社会の責任」の部分、私も首肯するところでありますが、本論から外れていってしまいますので差し控えさせていただきます。

横から失礼します。
法曹と世間のずれ、という問題ではなく、「細かいところまでよく見て考える人の平均的判断」と「詳細を見ないし考えもしない脊髄反射な人の平均的判断」がずれてしまっているという話ではないでしょうか。

>NO.60 ITドカタさん
私も同感です、「kamovさん」のコメントは他でも拝見しましたが、こちらのNO31も大変分かり易かったです。
このエントリを拝見しまして、思い出したのですが、ちょっと話題とずれてしまうかもしれませんが、藤原正彦さんの「国家の品格」という文献を思い出しまして、(この本を読んだとき私の最近の社会全体に対する悶々とした思いが、目から鱗がおちた、というふうに感じました。)本の細部に渡って、各々の分野の方からみれば色んな批判等はあるでしょうが。
その中で論理の限界というところがあったように思います、それと、武士道の復活というような項目もありました。確かに刑事裁判に於いて、検事、弁護士が議論をし尽くすということは絶対必要だとは思います、しかしどうしても真のところへは行き着くことはかなり難しいというのも現実としてあると思います。この著書の中にもあったように日本人が長いその歴史の中で、さまざまな物事に対する美徳感、価値観などを経て伝統的な文化が形成され、そんな価値観などの中で現在の法律が出来上がってきたんだと思います(著書の中では法律が出来たとはいってませんが)。武士道の(私は武士の全てを肯定するつもりはありませんが)中には、弱いものいじめはするな、ダメな事は理屈なくダメだという精神もあるようです。だからといって私はそれじゃあ昔へ戻っていったほうがいいと言っているつもりではありません、日本人の価値観が培ってきた法律だからこそ、アバウトな部分も残されているんだと思います。そのアバウトな部分を裁判官が日本の「世間」「常識」「社会一般」の納得のいくように、「正義」と「治安」を守る為に、結審させなければならない、と思うとそのご苦労は想像を絶します。ただいたずらに論理重視で、裁判が長期化することも避けなければいけないと思いますが。光市事件については、私はこの武士道という観点からも踏まえ、被告は決して精神異常者ではないこともふまえて、死刑相当だと思うし、なんらかの情状で、無期懲役で済んだら、私がもし今後本村さんの立場になったら、裁判中に隙あらば被告を殺すでしょう。(どなたかが仰っていた負のスパイラルですが)
長々と私見を述べてしまい申し訳ございません。

>No.68 apj さん

>法曹と世間のずれ、という問題ではなく、「細かいところまでよく見て考える人の平均的判断」と「詳細を見ないし考えもしない脊髄反射な人の平均的判断」がずれてしまっているという話ではないでしょうか。

「法律について知識のある人の大多数が理性的に行うであろう判断」=(現行)法に基づく判断
というのが一極にあるとしてそれの対抗をどうみるのかだと思うのですが。
 上の極に属さない判断を「現行法に基づかないとした場合の合理的な判断基準」別に分けることができない(そういう基準がない)ので、apjさんのお書きになられた分け方もあると思います。

>No.67 惰眠さん

私も前段部分について意見が中途半端でしたのでお詫びいたします。
後段部分が頭にある余り、抜けておりました。
仰るとおり、「感じた」や「思う」ことは真相足りえないと思います。
そして「そうに違いない」と思い込むことは非常に危険なことで、特に司法の場ではあってはならないと思います。
真実に近づくため、様々な方々が奮闘努力されていることは十分理解しておりますし、より客観的な観点で論じなければならないことだと思います。
言い訳のようで心苦しいのですが、私はただ、被害者遺族の方々や社会一般の方々が憤る原因に思いを重ねてみただけで、加害者に虚言や策略等があった場合には極刑を望みますが、そうでない場合には被害者遺族の心をいたずらに傷つけることの無いような結審が出てくることを心から期待します。
私や社会一般の方々がどう捉えようとも結論は裁判官が下すものです。
これもあくまで私見で余談ですが、終身刑もなく無期懲役ではいつかは社会復帰できると思われている日本のシステムの中で、幾ばくかの知能犯や年齢を盾に犯罪を犯しても良いと考えている若者たちなどへ、取り返しの付かないことをしたら自分自身取り返しの付かない罰を受けなくては成らないという教訓、昔で言えばなまはげのような教訓システムが生きている社会を取り戻したいという思いがあり、今回のような記述となってしまいました。
私自身、風潮に流されるような揺らぎのある考えはございませんし、危険思想を理解できないようなカルトでもございませんので、表現に問題がございましたらまたご指摘いただけると有難く存じます。

「世間」、「常識」、「社会一般」等についてで思うのですが、これって言葉を換えると(恐らく橋下氏が意識しているのは)「公の秩序、善良の風俗」ですよね?

そうであるなら、学生時代に講義を受けた長尾一紘先生の持論を思い出します。
端折っていうと法律家たるもの「公序良俗」を軽々に持ち出すな、と言うものです。

なぜならば「公の秩序・善良の風俗」なる概念は、第一に抽象性が高すぎてほぼいかなる局面にでも持ち出しうるオールマイティー性があるが、本来的には個別の立法をもって対処すべきであること。
そして第二に、こちらのほうが重要なのですが、「公の秩序」や「善良の風俗」なるものは、時代や世情によって容易く変遷してしまうものなので、法治の一貫性や統一性を損なう場合があり、最悪「法の下の平等」に反しかねない危険性を胚胎している、とのことでした。

世間の俗情に阿るとロクなことにならん、とでも言いましょうか(笑)。
公序良俗なんぞを論拠にするようじゃ法律家としては底が知れるな、と言うのが感想であります。

 残虐な事件であり被害者が可哀相、遺族が死刑を求めるのも当然、しかし無期懲役と判決されたのなら、それも他の犯罪等との公平のためにはやむを得ないだろう、と思ってましたが、最高裁はありていに言えば死刑にしろと言ったわけでしょう。素人としては、死刑でも公正を害することはなさそうだと思うしかありません。
 
 被告の「復活の儀式」等々の抗弁に本村さんは「失笑」したそうですが、それが普通の感覚でしょう。弁護団も大変だな、とむしろ同情したいくらいです。
 
 今日は求刑10年に対し12年という判決が出ました。「厳罰化」の傾向や空気があるようです。しかし従来が適正な量刑なら「厳罰化」でしょうが、従来が軽すぎたのなら「適正化」と言うべきでしょう。私は適正化だと思います。光市事件も適正に判断されるだろうと思います。
 
 鳩山法相が馬鹿なことを言い出しました。厳罰化の空気に乗った発言だろうと思いますが、無茶苦茶ですよ。冤罪の可能性のある死刑囚にとっては法相の「恐れ」「逡巡」が最後の砦です。法相のくせに一般人ほどの常識もない。橋下弁護士といい勝負をなさってます。

世間・空気=実体がない=発言のソースなどいらない、ですから、マスコミには使い勝手がいいんでしょう。自分で印象操作することも簡単だし。
でも、この事件で、短期的な利益=視聴率確保のために
 「社会正義代表 被害者の遺族VS悪の弁護団」 
を強調しすぎて、今のように弁護士悪玉論を振りかざすと、最終的には社会の得にもマスコミの得にもならないでしょう。このままではTV報道は、いつか狼少年になってしまいますよ。

No.71 ごく普通の社会人 さん
済みません、72を書いている間にご返信を頂戴していたようで・・・

虞犯の問題については全く同感で、本当にこれは何とかしないといけないと思います。
功利主義がとても悪い形で具象化しているな、と感じます。
ばれなければいいとか、罰せられなければいいと言う問題じゃないんですよね、世の中と言うものは。

そういう意味で、私はホリエモンが喝采を浴びる状況を苦々しく思っておりました。「(法律で)ダメと決められてないなら何やってもいい」じゃねーだろ!恥を知れ!って感じですね。
「恥知らず」だとか「我利我利亡者」が罵倒語として成り立たなくなっていると言うのは、由々しきことじゃないかと思ったりします。

このスレッドで持ち出された「世間」の概念とは多少ずれますが、私は「世間様に顔向けができない」と言う意味においての「世間」の重みが後退したことを憂慮していたりします。

>75 惰眠さん

まったくそうですよね。

関係ありませんが、安部総理も世論に祭り挙げられた犠牲者のようで気の毒でした。

>No.75 惰眠 さん

スレッドは「正義」ですが、「悪」からの観点としては、法律によって規定されている「犯罪」を、法的な「悪」とした場合、「世間一般の悪」と一致しないというか少なくともするべきじゃないと私も思います。

 ここらは法の領域じゃなく「世間一般」としか言いようのない部分であって、そうした法によらない基準?があるのは仕方ないですしあること自体が構わないと私は思います。
 で、その「悪」はどう対応されるべきとかいうことが「正義」「罰」とかになるなら、法と乖離している何かがあるのも仕方がない。

 問題点については、法に基づいた議論をするのなら、法に基づいて議論すべき、ということでしょう。

「(法律で)ダメと決められてないなら何やってもいい」じゃないだろう、としたところの「正義」はじゃあ何に基づいているのかというグループ分けができるようなものでもないでしょうから、それはそれとして法に基づいた議論で扱うべきじゃないのでは、というのが感想です。

>>No.76 O どの

そうかな?
彼は「首相になる」ということを自分の意思で選択しています。
自分から名乗りを上げて、それで何もできなかった以上は
そりゃ言われて当然でしょう。

あの一件における犠牲者は彼ではなく、国民自身ですがな。

なんでこんな極論をわざわざ持ち出すんですか?

誰が「論無く厳罰に処すべし」なんて言ったんですか?

もう丸々8年間もかけて議論してるんじゃないんですか?

まだ足りないんですか?

被害者は誰ですか?

殺された弥生さんと、夕夏ちゃんですか?

本村さんは被害者じゃないんですか?

ある日突然、人生をめちゃくちゃにされた本村さんは、被害者じゃないんですか?

被害者を救う必要はないんですか?

被害者を救うことより大事な、第三者に過ぎないあなたの正義って、何なんですか?

更新意見のどのページを見ても、簡単に説明できることばかりじゃないですか。

不合理だと言うお前が不合理の、イチャモンばかりじゃないですか。

「両手」がそんなに不思議ですか?

馬乗りになって左手順手で首を絞め、右手を左手に重ねれば、
「両手で首を絞めた」になるじゃないですか。

マネキン相手の救命訓練じゃあるまいし、

23歳の健康な女性が最後の力を振り絞って暴れるときに、

両手で首を絞める瞬間もあれば、片手で首を絞める瞬間もあるでしょう。

あるときは両手で首を絞めたと供述し、あるときは片手で首を絞めたと供述しても、

何の不思議もないでしょう。

真相がそんなに知りたいのですか?

誰も見ていない密室で起きた出来事ですよ。

真相なんて、最初から最後まで、藪の中だと最初から決まっているじゃないですか。

絶命するまで首を絞め続けることを「絞殺」と言うんじゃないんですか?

人を絞殺したら殺人でしょう。

これ以上何を知りたいのですか?

真犯人でもいるのですか?

あなたにとって、国家は敵ですか?

国家を敵と見做し、国家と戦争することに至上の喜びを感じますか?

でも国家とは、国民のことじゃないですか。

国民とは我々のことじゃないですか。

国家の腐敗は、我々の腐敗じゃないですか。

司法の劣化は、我々の劣化じゃないですか。

あなたは一体、誰と戦っているのですか?

ここは何処ですか?

ここは風通しが良いですか?

空気はよどんでいませんか?白かった壁が、いつの間にかくすんでいませんか?

マニアックになりすぎていませんか?

世間とは広く大きなものです。社会とは広く大きなものです。

世間や社会では、私たちみんなが、共有したり、相互に結びついたり、影響を与えあったりするのです。

いま世間が広く感心を持ち、注目してその行いや、

その発する言葉や、

その考え方、発想を見つめているのは誰ですか?

世間は刑事裁判に無理解ですか?

世間は弁護士の職責を理解していませんか?

世間は本当に、弁護士と、検事と、裁判官の役割分担を知らないんですか?

弁護士の職責とは何ですか?

被告を信じると「言う」ことです。

被告は嘘をついてないと「言う」ことです。

-あんなメチャクチャな言い分を、信じるのかおまえ!

信じます。

-本気で言ってるのか?

信じます。

-蝶々結びは償いのリボンだとか?

信じます。

-口を塞いだつもりが首を絞めていた?

信じます。

-生き返らせるために死姦した?

信じます。

-「なめとったらあかんっちゃ!アホンダラあほ!何がお前、生き返った、中に精子入れたら生き返る、生き返るてどう言うこっちゃお前!ほんなもん18のな、人間17やろうが18やろうが、そんなものはなあ、そんな言い訳をやねえ!え?ようさん20何人も集まりやがってやで、21人も集まりやがって、え?お天道さまに向かってお前らほんまにそんなこと、真剣に言えると思てんのかバカ者!」

信じます。

弁護士が、その職責を、「果たす」とは、「弁護士の職責について説明すること」ではありませんよ。

あなたは、なんどもなんどもなんどもなんども同じ質問をされました。

何度同じ質問をされても、あなたは根気良く答えていましたね。

無知で無理解な「世間」に

弁護士の職責を理解させるために。

でもブログを開設してから、コメントを閉鎖するまでの間。

あなたが被告を「信じる」と言ったのは、集中審理が終わって涙の絶叫をした後の、

ブログ閉鎖直前の、たった一度だけでした。

ですから、私は被告を信じることはできません。

あなたの言葉も輝きません。

コメントには資料的価値がありますか?

コメントを分析して、2年後に迫った裁判員制度に役立てますか?

観察しているのは、あなたですか?


あなたが、観察されているのではないですか?


あなたは、「卑怯は違法ではない」と、思いますか?

>ahoさん

それを判断するのは裁判所でしょう。

No.80 名無しさん さん

ひどいなあ、それ。

ahoさん>パチパチ(拍手)
     骨髄反射の仲間にようこそ^^;

     私もここに来させていただいてKYをすぐにきずきました。そしてズレテル話ですが橋下弁護士は廣島弁護団に完敗だろうと思っていました。でも〜ここの空気だけで判断してはいけないのです。あなたが言われる様に世間は広いです。今日、大阪のある弁護士さんに聞きました。刑事事件
をしている弁護士さん以外の民事の大方の弁護士さんたちは
「どっちもどっち」と冷静なんだそうですよ。

ここに集う先輩方は細かいエントリ−に分けて考察されているのですからこの場所だけ読まれてお怒りになってはいけません。ここはモトケンさんのホ−ムですから。
加えてモトケン先生の以前の解説ですけど<差し戻し>は後々の煩わしい手つずきを短縮する為に最高裁が、言いたいことは全部いいなさい。。。。とさしもどしたのですから
それに従い弁護団は被告に言い分を言いたい放題いっているのです。つまり結審に至るプロセスですから、どうかお怒りにならないでくださいね。お気持ちは私も同じなんです。

惰眠様、違っていろところを訂正してください。

aho様
自分のコメントを目立たせたいお気持ちはわかるのですが、
とりあえずそういう風に無意味な空行を多用されると激しく可読性が損なわれます。
ROMの方のためにもお控えください。

>もう丸々8年間もかけて議論してるんじゃないんですか?
>まだ足りないんですか?
あなたがそれを問い掛ける相手は裁判所であり、検察です。
批判のつもりなら、的外れな相手に批判をなさっています。
弁護側が控訴したわけじゃありませんからね。

>被害者を救う必要はないんですか?
少なくとも弁護人に要求することでないのは確かですね。

>被害者を救うことより大事な、第三者に過ぎないあなたの正義って、何なんですか?
第三者に過ぎない、をあなたが言ってしまったらおしまいです。
所詮野次馬のあなたが、何をそんなにエキサイトしているのでしょうか。

>不合理だと言うお前が不合理の、イチャモンばかりじゃないですか。
弁護人の主張をいちゃ門というのなら、あなたの主張がいちゃもんではないという根拠はどこにあるのでしょうか。

以下突っ込み省略。
aho様の上コメントは書くべき場所が違うし、主張する相手も違うし、内容も間違っています。
もうちょっとよく考えたほうがいいですよ。


多分2,3年後になったら「私は何をあんなにエキサイトしてたんだろう」と思う時がきっと来ます。

>>No.80 名無しさん さん
つまり、ここで議論を重ねてきたことは無意味ですね。
何しろ「元裁判官」あるいは「現役裁判官」がいないんですからw

いやいや、真面目に言ってますから。釣りでも何でもなく。
結局裁判官、裁判所が判断する――そこに帰結するんだったら、ヤメ検弁護士だろうが、人権弁護士だろうが、何をどー言おうが、空論ですよね。
予想は出来ても、結果は伴わないかも知れない。

後、妙に道徳にこだわっている意見が多くて辟易します。
突き詰められた道徳はファシズムです。
道徳とか、空気嫁とかを持ち出さず理性で判断するべき話でしょう。特に法学と法学研究ってのは。

裁判システムに吝嗇を付けたいなら、ちゃんと間接民主主義のプロセスに則って、変更を掛けるための運動をするべきです。
今ある、今手元にある内容だけで議論するのであれば、空気や道徳といった感情を拠り所にしたふっかけ方は、何の価値も持ちませんよ。
いずれ、より強い感情に吹っ飛ばされるだけですから。

例え話で言うと・・・

あなたのコメントはテレビで自分が感情移入している善玉のキャラが悪役に殺されそうになって隣近所の人に文句を言っている、という感じです。


宛てaho様

>ふーしぇ様
他の方はどうかはともかく、私はここを基本的に野次馬が自分勝手な言い分を垂れ流して無意味な議論をする場所だと認識しております。
裁判官が居ても居なくとも、です。

おそらく一般じんさんは、なぜバッシングが起きたかのブログ
の空気が読めなかったんだろうね。

ブログ的複雑性を理解せず
ブログ的誤解、ブログ的影響力、ブログ的不安、
ブログ的関心度、コメント内容によるブログ的ショック、
ブログ的不条理、ブログ的理解力、
ブログ主に対する信用、ブログ界に対する品位の低下、
これらが予知できなかったんでしょう。

しかるに

「みんなそう言ってるよ。違うって言うのはアンタらだけだよ」

民主主義の根幹ですね。
少数派が納得できないからといっていつまでも
議論なんてやってられませんよ^^

という言葉をあなたに捧げます(笑)

はじめまして。
すみませんが、空気の読めない発言になると思います。
惰眠さんは、殺意も証拠に基づいて判断される旨
書かれていますが、
外見的な面でさえ、法医学の先生が正反対のご意見のようですし、
まして、心の中なんて、偉い心理学の先生でも、本当のところはわからないのではないでしょうか?

例えば、「私は人の首を絞めて殺した」という事実がある。
私は主張する「殺すつもりはなかった。単に気絶させようと
したのだ」と。
本当の私の心の中は次のどれでしょう?
1.そのとおりであり、死ぬとは思わなかった。
2.ほんの少しだけ、死ぬかもしれないと思った。
3.死ぬかもしれないと思ったが、それでもいいと思った。
4.殺そうと思った。
締めている10分間、私の殺意は揺れ動いていた。
殺意が10%の時もあり90%の時もあった。
だれにも適切な判断は下せないと思います。
自分自身よくわかっていないのだから。

今回の被告は何をしたかと言うと、
1.成人女性が死に物狂いで抵抗した(であろう)のに、死に至らしめるまで首を絞め続けた。
2.泣き叫ぶ子供が被告の手によって死んだ。(手を滑らせて死ぬのであれば毎年何百人もの赤ん坊が死ぬことになる。ないことはなかろうが偶然が過ぎよう)
3.女性の死体を(性欲を持って)犯した。(生き返らせようとする使命感で勃起し射精できるとは私には考えられない。もし、そんな男がいるのなら、それこそ一生涯外に出さないでもらいたい。)

この「事実」(括弧内は私の推測ですので無視してもかまいませんが・・・)をもって、無期か死刑かという議論なら理解できますが、心の中の殺意の有無を弁護側は争いとしています。
私は、これは、「殺人」とか「傷害致死」とか法律論をいじくる形式的な法律ゲームになっていると思うし、
「世間」の多くの人もそのように感じているのではないでしょうか。
単に「社会一般」は問答無用・議論無用の無知な感情論者ではなく、このような悲惨な事件をゲームにしてしまう不謹慎さ、やりきれなさを問題にしているのではないでしょうか。私はそうです。

もちろん、これらの争点を一つ一つ検討して裁判官が適切な判断をされるのであり、そのため議論を尽くす必要があり、それを抜きにしたら、法の正義に反し、魔女狩り・集団リンチ・マスコミ迎合裁判になるというのは理解できるのですが、このやりきれなさはどこからくるのでしょうか。

長文失礼しました。

50男様

裁判に関わる一切の情報をシャットダウンすればそのような思いはしなくともすみます。

すなわち、テレビでこの関連の話題が始まったらすぐにチャンネルを変え、雑誌新聞などでも関連の記事は読み飛ばし、ましてや
このようなサイトにアクセスするなどもってのほか。

無関係な第三者のあなたがそのストレスを何とかしたいというのならば、それ以外には何一つできることはありません。

PON様
早速ありがとうございます。
頭のいい人、頭の回転の速い方は大好きです。

思うに私は、やりきれなくて悲しんでいるのではなくて、
やりきれなくて怒っているのでしょう。
安倍総理が政権を放り出して怒っていますが、
テレビを見ないことは解決にはならないのです。

ちょっとばかり演説をさせていただきます。

裁判は見世物ではありません。
あなたのお気に入りのドラマではないし、あなたの好きな作家が書いた小説でもありません。
裁判の関係者も感情移入の対象ではありません。
いかに被害者遺族が同情すべき境遇におかれようとも、
いかに弁護人が苦境の中汗や涙を流そうとも、彼らはあなたの同情の対象ではないのです。

裁判の関係者をあなたのストーリーの感情移入の大正二億個閉じたい、裁判を見世物に貶め、関係者を芸人の立場に貶める無礼極まりない態度だと思います。

こんなのは刑ではどうですか?>みなさん

1. 無期懲役
2. 死刑
3. 無罪。但し、被告の元少年が結婚して子供が生まれるのを待って刑(死刑)を執行。
4. 無罪。但し、被告の元少年が結婚して子供が生まれるのを待って被告人の奥さんと子供を死刑(被告が本村さんにやったやり方で殺す)。被告はそのまま生かす。
(3と4の内容は勿論被告の元少年には内緒)

自分が本村さんの立場だったら4を選びます。「元少年の奥さんや子供は事件とは関係ない」という意見は実際に殺された本村さんの奥さんと子供にも当てはまります。元少年と間違って結婚し、子供を産んだ女性とその子として生まれた赤ん坊が悪いのです。

はい、勿論釣りです。3や4を望む様な世間(空気?)でなくて良かったと思います。でも仮に世間が3や4を望むような空気なら橋下弁護士は法律をその様に改正しろと言うのでしょうね。一般人さんもやっぱり3や4を望むのでしょう。

もうひとつ。
仮に今になって被害者遺族の本村さんが「やっぱり死刑を望まない」と言った場合どうなるのでしょうか?世間の空気と本村さんの間にズレが出来ますよね。つまり本村さんは空気が読めないヤツ、ということになります。もしかしたら「世間」のほうが本村さんの気持ちをくんで(空気を読んで)死刑反対に変化するかも知れません。

今の議論の前提は「被害者の気持ち」=「世間の空気」となっている気がします。でも、先日の本村さんの発言を読んで本村さんの気持ちと世間の空気は意外とずれているのでは無いか?と感じています。本村さんにとって優先順位がもっとも高いのは「加害者に自分の罪の重さを痛感して欲しい」ということではないか、と。その上で死刑を望んでいるのではないかと。決して「いくら言っても罪の重さなんか理解できないから殺してしまえ」ではないと思うのです。

>50男 さん

 人の内心の事実認定こそ、まさしく「認定」ですね。
 私が会った殺人事件を犯した被疑者や被告人の中には、本当に「他人を殺そう」という気持ちがなかったのではないか、と思える人がいました。
 でも、やっていること(行為)が「人殺し行為」と明らかに言えるような危険な行為だと、少なくとも「未必の殺意」が認定されてしまいます。

 事実認定について興味がおありでしたら

http://www.google.co.jp/custom?domains=www.yabelab.net&q=%BB%F6%BC%C2%C7%A7%C4%EA&sitesearch=www.yabelab.net&sa=Google+%B8%A1%BA%F7&client=pub-7597696410106521&forid=1&channel=9679970816&ie=EUC-JP&oe=EUC-JP&cof=GALT%3A%23008000%3BGL%3A1%3BDIV%3A%23336699%3BVLC%3A663399%3BAH%3Acenter%3BBGC%3AFFFFFF%3BLBGC%3A336699%3BALC%3A0000FF%3BLC%3A0000FF%3BT%3A000000%3BGFNT%3A0000FF%3BGIMP%3A0000FF%3BFORID%3A1&hl=ja

 このページを拾い読みすると参考になることがあるかも知れません。

FUM様
>でも、先日の本村さんの発言を読んで本村さんの気持ちと世間の空気は意外とずれているのでは無いか?

お見込みのとおりかと存じます。
以下、参考までに。
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%83%BC-%E6%9C%AC%E6%9D%91-%E6%B4%8B/dp/4104365017

自分なりに考えてこと、感じたことをまとめてみました。

Q:刑事弁護士の職責とは
A:被告人の利益を主張すること

Q:検察の職責とは
A:被告人の罪を追求すること

Q:裁判官の職責とは
A:刑事弁護士と検察の主張を検討したうえで、適切な刑を下すこと

Q:刑事裁判における正義の実現とは
A:事実を明らかにすること、その事実に基づいて適切な刑が下されること

Q:事実を明らかにする(事実に近づく)ために必要なことは
A:弁護士、検察、裁判官がそれぞれの職責を果たすこと

Q:犯罪者を弁護するのは正義に反するのではないか
A:弁護士が被告人の利益を主張しなければ事実は明らかにならないし、正義も実現されない

Q:何があろうと人を殺した以上は死刑が適当ではないか
A:現在の司法制度は殺意の有無や犯行の計画性などの事情を考慮している

Q:なぜ事情を考慮するのか
A:考慮しなければ、正当防衛で人を殺しても死刑になる

Q:世間の感覚では死刑にするのが当然だ
A:世間には、死刑にするべきと考える人もいれば、そうでない人もいる

Q:現行の法律は民意から乖離しているのではないか
A:法律は民意に基づいて選ばれた議員によって作られている
  本当に民意から乖離しているのであれば、いずれ改正される

モトケンさんご教授ありがとうございます。
過去のコメントを拝読しました。本当に拾い読み程度で申し訳ないのですが。

心の中の事実認定とは、殺意の場合で簡単に言うと、
1.遺体の状況や他の証拠を認定
2.それにより、加害者のAという行為の態様を認定
3.行為Aをするからには、普通に考えて「殺意があった(あるいはなかった)」と認定
ということだと理解しました。

ものすごい素人発言で恐縮ですが、「本当の心の中はわからないのだから、これで手を打つか。経験的にたぶん合っているだろう。」という感じがします。
だいたい、今回の事件でも、正反対の法医学者の鑑定があるわけですし、上記1すら認定が難しいでしょう。
裁判官が適切に認定するのでしょうけど、そんなのにどんな意味があるの?と素人考えしてしまいます。
だから、やりきれなく怒っているのでしょう。(PONさんには逆に怒られましたが)
社会正義とはいいませんが、私の考えと法正義に若干の齟齬があるのでしょう。

私なんか「首絞めて殺しておいて殺意がなかったやとぉ?何寝言言うてんねん。殺すつもりやったに決まってるやんけ!片手で絞めようが両手で絞めようが何関係あるねん。」となりますが、法律的にはそうではないわけですよね。

絞め殺したら当然「殺人」で、量刑は事情に応じて・・というならまだわかるのですが、「殺人」ではなく「過失致死」の場合もあると言われると、私の拙い頭は飛びます。

モトケンさんも、裁判員制度をいろいろ危惧されてますけど、一審だけであれ、これは大変ですね。

50男様

>殺すつもりやったに決まってるやんけ!片手で絞めようが両手で絞めようが何関係あるねん。

決まってるやんけ!、というのはごくごくもっともな感想ですが、
決まってるからといって、殺意について何の判断もしないわけにはいかないのです。判決文に書かなきゃいけませんからね。
で、判断材料の事実を審理するにあたって、弁護側の主張を無視するわけには行かないわけです。

ちなみに50男様は幼児の方の殺害についてはいかが思われますか?
個人的にはわざわざ「紐を使って」「蝶々結びをした」という点、明白な殺意とまでは断じられないと思います。

あと、よく誤解されるのですが、別に起こってないですよ。
上コメント群にあなたを非難する意図は何らありません。

No.95 名無しさん さま

なんか「やられた」と言いたくなるくらい、凝縮されてまとまってると思います。

>No.87 イナゴさん様
>おそらく一般じんさんは、なぜバッシングが起きたかのブログの空気が読めなかったんだろうね。

というか、この方は最初っから空気を読む気はないとお見受けします。ご自分が世間を体現していると思い込んでいるあたりが世間が狭そうです。おまけに世間が多重構造なのもご理解していないみたい。普通に会社員をしているだけで職場と得意先と地域と家族とetc…片手じゃ足りない世間がありますけどね。目的が異なればアプローチも変わる、成り立ちによっては精神風土も違うそれぞれのコミュニティーを自分が所属しているからといって「世間」の枠で括られたら適ったもんじゃないなーと私なんかは思うんですが。

飲酒運転の厳罰化が職場で話題になったとき、絶対乗らない=2名、ビール1杯ならいいじゃん=4名、焼酎2杯まで大丈夫=1名という結果になりました。ちなみに飲酒運転が法律違反な「常識」は大前提。おまけに全員いい年をした社会人集団でのサンプル例です(…情けない)。だからと言って「世間」がビール1杯ならOKと判断したと言えるのか?なんて聞くまでもなく飲んだら乗るな!は当然です。飲んだくれの多いうちの部署以外で聞けば正反対の結果が出るだろうし、会社全体なら飲酒運転厳禁で当たり前。でもうちの部署に限って言えば法律違反は分かってるけどちょっと飲むぐらい良いじゃんと思っている人口が過半数を占めて、この「世間」では社会常識と異なる意見が罷り通る事に。まぁ実際には罰金怖さに誰も飲酒運転はしないから、外から見るとこの「世間」は社会常識を遵守する良識ある社会人の集団に見えるんでしょうがねぇ、かなり薄ら寒いですが。
振り返って光市事件での脊髄反射的なコメントを読むと、この逆のパターンが働いているのかなと思ってしまいました。つまり、ー分達の意見は社会常識に近い→∪気靴せを言っているから自分達が「世間」だ→自分達「世間」が被告の弁護は必要ないと判断したからとっとと処刑しろ、刑事裁判の仕組みなんて俺の知ったこっちゃねぇよ。
何というか、より一層寒いですね。

>NO99 にゃんこ@素人さん
う〜〜〜ん。
 銑△泙任蓮⇔され易い人が多ければしょうがないですが、のようなことを平気で思ってしまう人がなるべく少ない事を願います。

モトケンさまへお願い

No.95 名無しさん さまのような素晴らしい内容のコメントは、
額に入れてどこかに掲げておくことはできませんか?

No.88 50男 さん
No.96 50男 さん

>外見的な面でさえ、法医学の先生が正反対のご意見のようですし
>だいたい、今回の事件でも、正反対の法医学者の鑑定があるわけですし

これは誤解だと思いますよ、正反対というのは。

正反対というのは、弁護側が、検察の調書の誇張を叩く過程で、上野鑑定なんかをまた弁護側で誇張して利用しているわけです。鑑定と検察調書まったく違うじゃないか、検察は証拠を精査もせず、被告を凶悪な殺人鬼に仕立てていると。でも、上野さんが指摘しているのは、あくまでも「強い殺意は感じられない」というもので、殺意そのものを否定しているわけではないですからね。強い殺意というのは、例えば、頭を叩き割って相手が完全に絶命しているのに、更に死体に対して執拗に打撃を加えるというような、ここまでいくと殺す以上の別の意志が読み取れますが、強い「必ず殺す」と言う意志は、今回の被害者の遺体からは読み取れないということです。

だからこれは、本村さんには言いいにくいことだけれど、犯人である被告に強い殺害の意志がなかったにもかかわらず、結果として殺されてしまったのは、強姦目的にせよ、甘える目的にせよ、手を出してきた相手が、例えばプロレスラーのような大男なら、逆に殺されずに済んだかもしれない。でも、年下の高校生のような風貌で、体つきもどちらかというと華奢な体つきで、力もそれほど強くなかった。だからかなり抵抗できた。殺される瞬間まで自分が死ぬことはわからないわけですから、赤ちゃんを守りたい一心もあり、相手が少年だったこともあり、まさか殺されるとまでは思わずに、強姦を許すことができずに、最後まで抵抗を続けてしまった。叫ぼうとし続けてしまったことが、結果として殺されてしまった要因の一つになったのではないかと思いますね。もちろんこれは、被害者の過失だとかそういう類の話ではなくて、抵抗をやめたところで殺される可能性が消えるわけじゃなく、子供に何をされるかも分からない訳ですから、様々な条件が殺される方向で整っていた不運というか、運じゃないけども偶然であり必然。そういう事なのかな、という気がします。

これを被告の側から見ると、俺は殺す気はなかった、おとなしくやらせればいいものを、最後まで抵抗し、最後まで大声を出そうとするから、それを止めようとした。口では咬もうとするから、首を押さえるしかなかったとなり、

さらに弁護人はこれに加えて、弁護人が少々特殊なのも手伝って、もっともっとロープを引こうと、多分、被告が最高裁の判決文を読み違えているのもあるでしょうが、検察の誇張を逆にあげつらって、重大な事実誤認だとか、司法の劣化だとか、死刑を求める世論の高まりは、過去に日本人が引き起こした凶悪な犯罪である南京大虐殺や在日朝鮮人虐殺事件の頃の残虐な国民性が復活しつつあるのだあああ!なんて話まで持っていく。

ゲームという指摘はその通りで、上でもちょっと、その事に触れて書いてみて、もう誰にも読まれないまま流されてしまうんだろうけど、法曹というか、法曹界の法律家が、この裁判の弁護活動に何の疑問も持たないというのは、結局、その視点や興味が、法廷戦術だとか弁護テクニックのような、一種マニア化してるんですね。もっと言えば変態じみてるわけです。傍聴マニアみたいな分野ももちろん世間の一部にはあるわけだけど、そんな、サッカーの試合でも観戦するような感覚でいて、また自覚もないままでいると、試合の当事者でもなく、観客でもなかった外野が、わーっと試合会場に押し寄せて来て、試合の進め方やルールにまで口を出したり、監督を替えろとかそんなことまで言い出すのがどうしても我慢ならない。だから、どんな弁護活動をしようと、基本的に被告の利益を守るために働いている以上、それが弁護士の仕事だし、この裁判の弁護団もそのルールを守ってるし、ロープを引き過ぎたら結局は裁判官の心象を悪くして、判決はそれなりの判決が出るんだから、外野はガタガタ言わずに黙ってろ。結果も出ない内にお前等ど素人が、弁護士のやり方に口を出すなんて、とんでもない話だ、となる。

でも世間は、基本的に、一部の傍聴マニアを除いて刑事裁判にそういう娯楽性は求めていないわけです。特に、この裁判ではそうです。奇抜な戦法だとか、検察や裁判官を含む国家権力に対する独特の敵意だとか、そういう国家権力に対する敵意を求められる裁判もありますが、この裁判では、犯罪者に罰が与えられるために厳格な公正が保たれていればそれでいいわけです。

そこで、No.95 名無しさん さんが、解りやすく箇条書きにしてくれている裁判の仕組みの下から2番目にある

Q:世間の感覚では死刑にするのが当然だ
A:世間には、死刑にするべきと考える人もいれば、そうでない人もいる

の話になりますが、これが一種の、今の法律家や弁護士業界の勘違いなのは、この「世間の感覚では死刑にするのが当然だ」と言っているのは、実は世間の一部に過ぎないのだという話ではなくて、「世論の高まり」自体は、本件弁護人が認めるだけあるわけですから、その、「死刑が当然だ」と言う一瞬の、瞬間的な世間の合意、世論の高まりがあったとしても、それが、この箇条書きでは今だと言ってるわけですが、この法律家から見れば勘違いした、「一部、と思いたい」私を含めた「死刑絶対派」の烙印を押された「世間の感覚」は、常に揺れ動いていて、決して石のように固まっているわけではなく、情報によって、大きさも色も形も自由に姿を変える不確かな存在なわけです。

だから、「世間の感覚」や「世論の高まり」が「死刑にするのが当然だ」という感覚や高まりであり続けるのは、本件弁護団の一人である今枝仁弁護士や、或いは試合の観戦を邪魔されたくない法律家やマニアが、ただ単に「世間」との対話に失敗しているからに過ぎないわけです。

そして、その失敗した理由は、根本的には、死刑を確実に回避させられる(世間を動かせる)情報がもとから被告に無いんでしょうが、No.79に書いたように、弁護士の職責を理解していないのは、無知な世間などではなく、実は弁護士自身だったために、「世間」がその姿形を変えるために必要な、本当の鍵となる情報がもたらされていないこと、そして、事実上の本件の本当の弁護人が安田弁護士しか居らず、安田弁護士は、弁護士というよりはむしろ運動家だからです。

裁判は、よく言われるように、基本的には綱引きですよね。慣習というか、常態化した刑事裁判のあり方は、最初に検事がちょっと綱を引き、次に弁護人がその綱を引き戻し、そうやって引き合いながら最後に裁判官が中庸を採って判決を決めます。最高裁の判決でも、検察のつけた修飾詞などは省かれて、被告の人生や犯行の態様を数値化するような方法で情状を酌量、差し引きし、その上で、社会的影響を考慮して、社会が納得する死刑回避の理由がもしあるなら探して来いと、理由が見つからなければ死刑にすると、言っています。

私は、世間の代表者じゃないし世間を代表する気もないですが、世間の一員として、刑事裁判が娯楽化したり何かの運動になったりせず、粛々と公正に、厳格に行われることを望んでいます。最高裁の判決を見る限り、情報は整理され、モトケンさんの言うように、偏りや行き過ぎは裁判官によって是正さているようにも見えます。しかし外野は口を出すなという判決に至る過程の中で、公正を担保するために必ず公開で行われる裁判において、何者かが強烈な騒音を出したり、悪臭を漂わせたりするならば、世間がその発生源に説明を求めるのは当たり前のことだと思いますね。

> 何者かが強烈な騒音を出したり、悪臭を漂わせたりするならば(No.102 aho さま)

その喩えで言えば、
本件で騒音があるとか悪臭が出ているとか主張しているのは、バイアスのかかったマスコミ報道なわけで、
法廷ルールからすれば、他の事件と比較して、何も特別なことをしているわけではありません。十分、許容範囲内。

それを一方的に決め付けて騒ぎ立てておいて、「対話に失敗した」と言われましても。

No.83 pon さん

そこイントロ・・・。

まあいいけど

No.103 YUNYUN(弁護士) さん

そうですかねえ。バイアスというか、マスコミがセンセーショナルに報じるのは、何も昨日今日始まったことではないですから、バイアスなどは、最初からかかったものとして、報道に接していると思いますよ。

それに更新意見などを読んだり、今枝弁護士に質問に答えていただいたりしましたが、私は報道が特別にバイアスがかかっているとは今でも思っておりません。被告の犯行も、今の状態も含めてです。

そもそも「世間」なるものが正確な情報に接することはできないわけです。被告に会ったこともなければ、裁判資料がすべて公開されたり、裁判がテレビで中継されることもないわけです。だとすれば、すくなくともテレビだけ、新聞だけ、ではなく、こうしてネット上で自分で積極的に探さなければ触れられない情報に触れている、私という世間の一員に、「一方的に騒ぎ立てておいて」は当たらないと思いますね。

もしYUNYUN(弁護士) さんのおっしゃるように、他の事件と比較して、何も特別なことをしているわけではないならば、そもそも何の騒ぎも起きないのではないですか?

> 他の事件と比較して、何も特別なことをしているわけではないならば、そもそも何の騒ぎも起きないのではないですか?

騒ぎが起きているのは、被害者側の"声"が大きいからではないでしょうか。
大淀病院事件と同じような感じで。

>NO103・YUNYUNさま
私もahoさんやbgさんと同じ感覚を持ってまして、
う〜ん、、そのようなコメントを拝見すると、う〜ん、、

No.106 bg さん

まあ客観的に見てそれはありますね。要素として。
でも被害者側の"声"の大きさは確かにかなりの大きさですが、声の中身は別に一般的な遺族感情と変わらないと思いますから、それがどこまで「騒ぎ」の原因かというと、あくまでマイナーな要素と思います。

個人的には、これから裁判員制度が始まると、被害者にせよ被告にせよ、パフォーマンスや見た目の美醜で、随分判決が変わるのではないかというところが、自分にとっては不利だなと・・・。

>No.105 aho さん

>何も特別なことをしているわけではないならば、そもそも何の騒ぎも起きないのではないですか?

 光市事件で強いて「特別なこと」をあげれば、Y先生のドタキャンとその後の記者会見でしょうね。

 ドタキャンで一気に引き延ばし作戦の印象が固まっちゃって(私もそれを助長しましたが)、その後の自己陶酔的な表現の記者会見でさらに反感を買った、というところではないかと思っています。

 つまり、法廷の中だけで法廷ルールに従って粛々と進めていればここまでの騒ぎにはならなかったのではないかと。

江川さの文章で知りましたが、最高裁が四年でかかったのを二週間で安田・足立弁護士にやれというのは無理がありすぎると思います。
そこで、この事件でまずかったのは安田弁護士の会見だけだと思うのですが。

モトケン様、ならびに法曹の方々にお聞きしたいのですが、安田・足立弁護士のように二週間前に弁護人に就任したとしたらどうなさいますでしょうか?私は他の手段がわからないのでご教授ください。

>No.110 学生その1 さん
>二週間前に弁護人に就任したとしたら

 この問題はそんな単純な問題ではないと思います。
 なぜ、二週間前に弁護人が交代する羽目になったのか、ということから考えないといけないと思います。
 被告人には十分時間があったのですから。

モトケン様、ご回答ありがとうございます。

確かにそうですね。死刑適用されそうになったから、二人が出てきたらしいですし。
感情的になっている相手になかなか伝わらないかもしれませんが、根気強くがんばってください。

まだ、半年もROMってないので、空気読めてないかもしれませんが…

うーん、裁判所って、たまたま、日本では自力救済が禁止されたので、紛争解決の機能が付与されただけじゃないんですか?
裁判所は法律を解釈、適用、宣言する機関で、真実を探求する場所ではない。真実を探求するのが目的なら、刑事被告人は、検察側が有罪を立証できなくても、弁護側が無罪の立証が出来ない限り、有罪でも無罪でもない宙ぶらりんのものとして取り扱われ続けるべきでしょう。わからないものはわからないものとして取り扱うべきだからです。でも現実には、刑事被告人は無罪の推定を受ける。人権擁護が要因であるにせよ、物事に決着をつけなければならないからですよね。

人間は忘れるものだし、ましてや、不愉快な記憶は都合良く改変する。私自身そうやって人生を送ってきたし、被告人もそうかもしれない。だとすれば、真実は藪の中。判決が出れば、それは「裁判官がそのように判断した」という以上でもそれ以下でも無いはずです。
世間がどうとか、社会がどうとか、本来的に裁判所の任務ではないのではないでしょうか。与えられた条件の中で手続きに従って進めるのみでしょう。国民がその過程や結果に不満であれば、民主主義の社会で、三権が分立している限り、どなたかが仰っていたように、定められた手続きに従って改めれば良いだけです。

私自身、例の手紙を読む限り、二人の殺人と一人の陵辱で死刑が相当と思いますが、そんなものは勝手に裁判官になって勝手に判決を下してるだけで、何の権威も価値も持たないでしょう。
外野で好きに書かせて頂けるのはありがたいですが、少なくともこの件の量刑については、それ以上のものではないと思います。

弁護人は依頼者の弁護をする・・・これ当然
弁護人は被害者側の立場は無視・・・これもある意味仕方なし
弁護人は出所後の依頼者には一切責任を負わない・・・当然?
弁護人は被害者側からすれば鬼にみえる・・・わからない
弁護人は加害者側からみれば地獄に仏・・・わからない
弁護人は本村さんを救えるか・・・立場上無理!!!

死刑判決は本村さんの苦痛を軽減できるか?・・・
死刑判決は本村さんの妻子を生き帰せるか?・・・
死刑判決は本村さんを幸せな生活に導けるか?・・・


つまりどんな判決になろうとも本村さんに嘗ての幸せな生活を与えることはできないのですね。
「やられ損」
犯罪被害者の多くの方は「やられ損」なんですよね。

明日こそは「やられ損」な不幸な被害者がでないといいですね

うちの親方とこの事件の話をしました。

「二人も殺しとんね。そんなん死刑に決まっとるやないか」
「でも、それは裁判所が決め…」
「アホか、お前。あのガキがやった言うて、マスコミも世間も言うとるやろが。知らんのか、お前」

こんな調子です。親方の言う「マスコミ」というのは、スポーツ新聞だったり、ワイドショーだったり、「世間」も、周りに居る職人連中が多いんですね。

感情に揺さぶられて、一部の安っぽいメディアに焚きつけられて、被告を死刑に向けて一直線という感じがします。

周りを見渡してみても、焦点の外れたところで騒いでいるのは、ワイドショーのレベルみたいです。そして、そのワイドショーに扇動されている人は多いように感じます。

大手新聞社の社会部、政治部、司法部が「あの弁護団は非常識だ」とか騒いでいるのは、聞いた事がありません。

焦点が外れていれば、裁判所だけでなく、当事者だって、何の影響もないと思います。周りの雑音に関係なく、弁護団は最大限の努力をして弁護をするでしょうし、裁判官もプロとして厳粛に判決を下すだけだと思います。

宮崎なんとかという評論家が、「最高裁裁判官も国民投票があるんだから、弁護士に懲戒請求されるくらいは当然。」みたいなことを言っているのを見たことがありますが、最高裁裁判官は、国民投票を受けることで、なにか負担や業務上の支障が生じることがあるのでしょうか。

ないのであれば、弁護士への懲戒請求とはまったく同列に論じられないわけで、宮崎なんとか言う評論家の評論家としての能力を疑うべきだと思いますけど。

P R

ブログタイムズ

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